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清渓124号

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清渓124号
東北大学山岳部・山の会ニュース
清溪 第 124 号
980-8577 仙台市青葉区片平 2-1-1
2012 年 4 月 1 日発行
東北大学山岳部
http://www.taav.org
980-8691 仙台中央郵便局私書箱 103 号
東北大学山の会
E-mail:Taav_snr at taav.org
【CONTENTS】
・ 現役活動報告(2011 年度後期) -------------------------------------1 頁
・ 寄稿---------------------------------------------------------------------------------------------2 頁
左衛門小屋の過去、現在 / 大村光晴・三枝守維会員の現在
/ 落石
・ 報告-------------------------------------------------------------5 頁
志賀高原スキーの集い / 清渓小屋 OB 合宿 / 幹事会日誌/
会員の個人山行抄
・ お知らせ--------------------------------------------------------8 頁
森岡前幹事長慰労のヨーロッパスキーツアー
・ 案内------------------------------------------------------------8 頁
平成 24 年度山の会総会のご案内 / 東京支部ハイキング会のご案内 /
関西支部、春の例会のご案内
・ 会員の異動------------------------------------------------------10 頁
・ 訃報
・ 編集後記--------------------------------------------------------10 頁
1 月 14、15 日、八ヶ岳アイスクライミング
◆現役活動報告(2011 年度後期)
野村、永田、今村、佐井、久米
2 月 4 日、鎌倉
中原主将より、現在春季休暇中で現役部員より活動
報告原稿の収集ができず後期に行った山行の山名と
参加メンバーのみの報告がありました。 本文は次回清渓
中原、佐井、 永田、久米、石川、今村、橋本、宇野
2 月 12 日、古賀志クライミング
松澤、石川、今村、永田、佐井
に掲載予定です。山の会の HP(http://www.taav.org)
2 月 25 日、不忘山山スキー
から学友会山岳部―ブログ―活動記録、アルバムと進むと
野村、石川、永田、久米
上記の一部(岩手山、不忘山、八ヶ岳赤岳)が記述され
ています。
3 月 4-8 日、八ヶ岳赤岳
野村、永田、久米
1 月 7-9 日、岩手山
中原、野村、石川、今村、久米、永田、佐井
清溪 124 号(1)
当日の小屋のヒュッテン・ブーフに的場先生が書き残され
◆寄稿
た銘記すべき一文がある。「此の小舎は、吾々の友情と
熱意とによって建てられた。そして、若い情熱をこの
◇◇ 左衛門小屋の過去、現在
◇◇
小舎の建設に注いだ青年達の逞しい姿を忘れる事が
出来ない。此の小舎は、彼等にとって何時までも美し
塩澤 厚(S26 入)
い魂の故郷となるであらう。そして又、此の小舎は、彼
今年平成 24(2012)年 9 月 14 日、蔵王の左衛門小屋は
等の後を継ぐものによって親しく支え守られ、彼等の
人でいえば満 60 歳の還暦を迎える。落成以来、ほぼ 10
魂を育てて行くであらう。」(筆者註:古い仮名遣いの
年おきに補修が行われ、特に昭和 57(1982)年に屋根
原文のまま)
葺き替えと床張り替えの大補修が行われた賜物とは
また、来賓の一人、当時の峩々温泉当主、竹内直也氏
いえ随分持ち堪えてきたものと思うと、学生人夫の
の祝辞の中で、「峩々のおばあちゃん」と呼ばれていた
一人として左衛門沢での砂利採集、建設資材の運搬
直也氏の母上が、小屋の建設に献身的に奮闘した部員
に携わった私にとって感銘に堪えない。
の姿を讃えて詠まれた歌が披露された事を、最近、小
建設の経緯は、小林浩一会員(昭 20 卒)と早坂功会
林浩一会員から教えられた。
員(昭 25 入、故人)が会報 2 号(1953)に詳しく述べてい
左衛門小屋周辺、特に丸山沢を中心とした開拓の歴
るし、建設時の色々なエピソードは、同期の大村吉郎会員
史は、小林浩一会員が会報 15 号(2008)で述べておら
(昭 26 入)が東北大学山岳部 50 年の歩み「新たなる高
れるが、戦前は二高山岳会の、戦後は東北大学山の会
みへ」(2008)の「左衛門小屋建設の頃のひとこま」で面
のメンバーにより特に積雪期及び冬期の熊野岳東稜を中
白く記述しているので改めて述べる事は避けたいが、
心とした登攀が行われた。
昭和 27 年 9 月 14 日、現地で行われた落成式の今でも
脳裏に浮かぶ情景について一言書いておきたい。
昭和 4 年に聖山平の 1340m 地点に建てられた東北帝
大山岳部の蔵王小舎(昭和 21 年頃、積雪のため倒壊)
当日は生憎の小雨日であったが、小屋までの 50m の
や昭和 11 年に刈田岳東面の 1480m 地点に建設された
道に付近に自生している山葡萄のつるをめぐらし、五
二高山岳会の清渓小屋(戦後、東北大学に移管され、昭
色のテープを張ったアーチのもとで小林勝部員(昭 28 卒)
和 57 年に改築、現存)をベースに行動していた頃の積雪
他 20 名の部員が 8 名の来賓、8 名の先輩会員を拍手で
期、冬期の山行は、専らスキーを使っての行動であった。
もって迎えた。午前 10 時、小林浩一会員(建設総務委
それと対照的に、熊野岳、五色岳の東面の 1200m より
員)の開会の辞で式は始められた。岩井昂会員(昭 19
上は、樹林が無くその積雪期はアルペン的風貌を見せて
卒、故人)のデザインになる濃いエンジ地に部章を白く染
いて、ヒマラヤへの願望を抱いていた当時の先輩会員諸氏
め抜いた新調の部旗が、国旗に続いてポールに掲げられ
がピッケルとアイゼンを使っての登攀の良き訓練場と感じ
た時の参列者に浮かんだ笑顔、建設のアルバイトに苦闘し
たことは当然であったと思うし、スキーを使用するにし
た我々にとっては感激の絶頂であった。
ても、積雪の安定した時期の熊野岳から丸山沢の標高
建設事業の発起人代表として、当時の山の会会長で
山岳部部長もしておられた的場幸雄先生(工学部教授、
差約 650m の滑降は、刈田岳以南の地域のそれとは違
った山スキーの真髄を感じさせるものである。
会長/部長 1951~1961、故人)の挨拶に続いて貴家寛而
この様な事を背景として、倒壊した旧蔵王小舎の再
山の会幹事長(昭 15 卒、故人)と早坂功部員の建設経
建という意味も含め、昭和 27(1952)年の初めから熊
過報告、来賓の祝辞があり、小屋の扉を開く時となっ
野岳東面への新しい山小屋建設の話が具体性をおび
た。当時部員だった板橋眞会員(昭 24 入)が、尻皮(本
てきた。4 月に熊本から来仙された元部長・中村左衛
来は、山の猟師が尻にぶら下げて座る時に用いていた
門太郎先生(地球物理学、1930~1950 山岳部部長)のご
四角いカモシカ毛皮で当時の岳人の流行スタイルであったが、
了承のもとに「左衛門小屋」と命名されてから、2 回の
入手困難で犬皮で代用したりしていた)を全裸にまと
候補地の偵察行により現在の場所が建設地に決まっ
った山の神の装束で爆竹の音を合図に、小屋の鍵と落
た。建設の経過は、前述の会報 2 号に詳しく述べられ
成祝いの手拭を持って現れて爆笑の渦を巻き起こし
ているのでお読み頂きたいが、会員、現役部員延人員
た。
347 名が参加した 30 余日をかけての建設のアルバイトは
清溪 124 号(2)
その年の 8 月 15 日をもって終了した。
と登る計画で出掛け、東稜からバットレス基部に向かって
さて、新しく出来た左衛門小屋の利用について述べ
斜め下に雪面をトラバースしようとアイゼンを付けた足で
たい。最初の悲劇がおこった。昭和 29(1954)年 1 月の
3~4 歩踏み出したとたんに足元から雪面が割れて流
清渓小屋で行われた恒例の冬期合宿の一環として、清
された。バットレスの基部でアンザイレンするつもりだったの
渓小屋より熊野岳を経由して左衛門沢から左衛門小
で私だけが流され、ピッケルのシャフトを何度か突き刺した
屋に立ち寄り、賽ノ磧を通って清渓に帰るパーティが出さ
が下の雪が柔らかくて止まらなかった。振子沢に落ち
れた。大場伸(昭 25 入、故人)をリ―ダ―とする黒田正
る手前が少し緩い斜面であったことが幸いしてデブリ
蔵(昭 25 入)、遊佐道夫(昭 25 入)の 3 名の部員が左衛
が 100m ほどの所で止まった時、上半身が出ていた。ピ
門沢左俣源頭にさしかかった折、風成硬雪の板状雪崩
ッケルで足元を掘り脱出する事が出来た。前年の黒田、遊
に遭い極めて残念なことであるが黒田、遊佐の両名が
佐両名の場合と同じ風成硬雪の板状雪崩であった。標
デブリに埋没、死亡した。(会報 3 号、1953 参照)
高も殆んど同じの約 1350m の地点である。東稜上にい
冬期の清渓小屋をベースにしていた山行では、刈田岳
た洲嵜君の言によると、一時私の体がデブリに埋まり
の直下の東南面に出来る雪庇、杉ヶ岳から芝草平に続
見えなくなり「これは駄目かも知れない」と思ったと
く尾根の一部の東側に出来る雪庇、それに屏風岳東面
言っていた。この報告は、清渓小屋に戻った後にヒュッテ
の雪庇の下は通過しないように注意していたので通
ン・ブーフに図解入りで書き残しておいたが、後日、残念
常通っていたスキールートで雪崩に遭遇して起こった事故
な事に事故で焼失した幾つかのヒュッテン・ブーフの内に入
は無く、大きなデブリの跡を見た経験も無かった。勿論、
っていたらしく残されていない。会報 3 号に記録を書
樹木の無い 20 度以上の斜面では積雪の状態では雪崩
き残しておくべきだったと後悔している。
が起こりうる事に充分留意しなければならない事は
冬期に熊野岳から左衛門小屋に入る際は、特に視界
当然であるが、一般的には「蔵王では雪崩は無い」と思
が悪い場合、前から吹きつける北西の風に向かって耐
われていた。それに反して、熊野岳東面は冬期(12 月
えて常にコンパスを見ながら熊野岳の避難小屋から北東
~2 月)の積雪の状況は、南の澄川流域のそれとは異な
に自然園に近い標高 1630m 位の所まで下り、左衛門沢
り、特に丸山沢に立ち入るのは危険が大きい。実際、昭
右俣を確認して入るのが一番安全であろう。
和 36(1961)年 1 月の清渓小屋での冬期合宿中、斎藤奨
積雪期の左衛門小屋をベースとする山行は、雪質が安
(昭 33 入)をリーダーとする一柳侃(昭 33 入、現姓、田代)、
定する 3 月から 5 月の時期が最も良いであろう。事実、
藤田博信(昭 33 入)、梶原洋治(昭 36 入)、加藤武宏(昭
過去の「会報」の山行記録を見れば、昭和 28(1953)年
36 入)、三浦雅恵(昭 36 入)の 6 名からなる左衛門小屋
から平成 20(2008)年まで殆んど毎年の 4 月から 5 月
への日帰りツァー・パーティが、視界不良のため丸山沢左俣
にかけて左衛門小屋をベースにした新人歓迎登山や雪
上部に入り込み、風成雪による板状雪崩に遭遇、梶原、
上訓練が行われてきている。この時期の熊野岳東面は、
加藤の一年部員 2 名がデブリに巻き込まれて死亡して
雪上訓練や山スキーをするには仙台からのアプローチがし易
いる。(会報 6 号、1963 参照)
く、ベースとなる小屋もあり最適なエリアである。最近、一
丸山沢の大雪崩については、田代会員が「ニュース清渓」
第 37 号に書いているが、昭和 55(1980)年 2 月 10 日、
寸中断されている様に思われるので是非とも復活し
て継続して貰いたいと願っている。
左衛門小屋の雪降ろしに向かった部員 3 名が丸山沢
最後に、小屋の維持、管理の問題である。清渓小屋が
源頭より発生したと思われる巨大な乾雪表層雪崩に
東北大学の所有で年間の維持、管理費が大学で予算化
よって、当時のかもしか温泉の建物が粉砕されて飛ば
されていて、実際の管理は山岳部に委託されているの
され、その残骸の一部は左衛門小屋の横にまで達して
に反し、左衛門小屋は、東北大学山の会のプライベートの
いる事を発見している。温泉は、冬期閉鎖されていて
小屋であり、その維持、管理に係わる費用は山の会が
人的被害は無かったが、この様な大雪崩でも小屋は全
支出している。前掲の「新たなる高みへ、東北大学山岳
く無傷であり、建設場所の選定が極めて適切であった
部 50 年のあゆみ」の山小屋の部で、田代侃会員(昭 33
事が証明されたのである。
入)が「左衛門小屋の大きな補修は 1962 年、1972 年、
昭和 30(1955 年)1 月の清渓小屋での合宿の際、私は、
熊野岳東稜の第三バットレスを洲嵜幸久(昭 28 入、故人)
1977 年、1982 年、1992 年と 10 年周期で行われている。
(中略)1982 年は清渓小屋改築に併せて屋根葺替え、
清溪 124 号(3)
床張替えを行い、屋根に雪割り棟を新設した。この屋
電話口には一緒に住んでおられるご子息が歯科診
根葺替と床張替によって左衛門小屋の耐久性が向上
療中に出て下さり、「毎日元気でお過ごしとのこと、一
した。」と述べている。
週間に 2 回はデイサービスに行き今日はデイサービスの日で
1992 年の補修以降、大きな補修は行われていない
不在・施設ではおばちゃん達の人気者らしい」とはご
が、在仙の会員が中心になって毎年 8 月の 2 日間、補
子息の言葉です。得意のジーパンをはいて、ご婦人方を
修・整備行を継続して実施されている事は誠に感謝に
相手に楽しく談笑する「満 100 歳のアイドル」大村さんの
堪えない。在仙の菅原敏会員(昭 34 入)、古田雅朗会員
姿が眼に浮かぶようでした。
(昭 37 入)、森岡昭会員(昭 37 入)に左衛門小屋日誌で
調 べ て 貰っ た 記述 に よると 、 そ の第 1 回は 、 平成
三枝会員は今年の 6 月 22 日で満 98 歳になられます。
11(1999)年 8 月 22 日で、佐藤龍夫会員(昭 34 入、故人)、
今年 1 月、「志賀高原スキーの集い」の初日、夕食会だけで
阿部郁夫会員(昭 36 入)、及川棟雄会員(昭 37 入)、同夫
も参加したいというお手紙をいただき驚きました。
人、古田会員、森岡会員、小関栴会員(後日、平 17 入会)
また、お手紙はパソコンで作成されたもので、昭和 12
の諸氏が小屋に 1 泊して道の草刈り、煙突掃除を行っ
年の発哺温泉・高天原の写真や昭和 8 年の 5 万分の一
たとある。その後の「ニュース・清渓」を見ると、在仙の会員、
地形図と現在のものの比較、その地図上にはご自身の
地方の会員、彼等の友人そして現役部員も参加して毎
足跡を赤い線で記入されているものがパソコンで貼り付
年盛況になっている。有難いことである。私も昨年を
けられている立派なものでした。
含めて 3 回ほど参加させて貰った。整備作業も楽しい
ひとときであるが、その後の夜を徹しての宴は更に楽
しい。
今年の蔵王 OB 合宿は満 80 歳の参加者がおられます。
今後お二方の記録を超える人が出るかどうか、あと 8
昭和 27 年 9 月の左衛門小屋の落成式の日に当時の
年以上経たないと結果は出ない現状です。
山岳部部長・的場先生が日誌に書き残された前述の一
文が、その通り実行されている事は大変嬉しく「継続
◇◇ 落 石 ◇◇
は力なり」が実証されている。
おわり
田尻研治(S47 入)
◇◇大村光晴・三枝守維会員の現在 ◇◇
落石に自らが遭遇した方はそんなにはいないので
は。
佐藤正樹 (S30 入)
登山道ではないが昨年の秋、わたしが鳴子温泉郷の
2010 年 12 月 5 日に大村・三枝両会員の冬季清渓小
散策路を歩いているとき落石が頭を直撃し 15 針縫っ
屋訪問の記録を顕彰し、お二方の長寿を祝う会を催し
た。幸い頭の中は大丈夫なようでその後に心配される
たことは「清渓」120 号に記載しました。
脳内出血もいまのところない。
その時作成した「冬季満 80 歳超清渓小屋訪問記録」
時は秋も深まった 11 月 4 日、紅葉狩りの人で賑わう
を顕わす記録板を 2011 年 3 月の OB 合宿の時 清渓小
中でのこと。温泉郷を車で過ぎると直ぐに橋に出る、
屋に上げて設置する予定でしたが 3 月 11 日の東日本
そこからの鳴子峡の眺めが一番といわれている名所。
大震災で OB 合宿が中止となり延期、4 月に震災後の小
そこのレストハウスに車を停めてジグザグの急な坂道を川
屋偵察を仙台の会員が行った時荷揚げしていただき、
の方へと降りて行く、対岸の絶壁は垂直に切り立ち目
5 月 4 日佐藤が小屋の 1 階北側の窓の右の壁に設置し
を見張るような紅葉に包まれている。犬を連れたご老
ました。
人から小さい子たちまで様々な人たちがゾロゾロと歩
2012 年度の蔵王 OB 合宿は 3 月 17 日~20 日まで行わ
れる予定ですが、その最中 3 月 19 日が大村会員の満
100 歳の誕生日に当たります。
道端の立て看板に、「下には人が歩いています。物を
落とさぬよう」と注意書きがしてある。10 分ほど下っ
そのような訳で先日(3 月 8 日)大村会員のご自宅に
電話をして現況をお聞きしました。
いて下る。
たか、パッラと音がしてわたしの前方に上から小さな小
石が落ちてきた。娘とかみさんが一緒だったのでわた
清溪 124 号(4)
しはふざけて、「落石だ」と言った。その直後に頭に強
どの散策路のほとんどを通行止めにし、歩けるのは残
い衝撃が走り、手で押さえると血で真っ赤だ。意識は
りの 20 分足らずのところに限定していた。そこは落
はっきりしているが頭は動かさないのが第一だろう
石防止のネットなども張り万全を期していたのだがカバー
と直ぐに道端に横になった。
しきれなかったと謝った。そしてわたしの事故があり
落ちてきた石はわたしも含めて誰も見ていない。相
全ての散策路が通行禁止になった。
当に高いところから落ちてきたと思われるその石は
その後、役場の人たちは一関のわたしの自宅に 3 度
こぶし大くらいもあったのだろうか、谷底へと消えて
ほど来て、掛かった医療費や見舞金(1 万円)をおいて
行った。頭への衝撃で前歯(差し歯)と眼鏡が吹っ飛ん
いった。役場として今後は通行させたくないのだが温
だ。眼鏡は通行人がやっとの思いで崖から拾い上げて
泉や観光関係の人たちから、「目玉だから歩かせて」と
くれたそうだ。
強い圧力が掛かって困っているとも打ち明けてくれ
た。
わたしは、「歩く側はまさか自分には当たるまいと
思うから歩かせろというかもしれないが、施設を管理
する側の皆さんにとっては今度事故が起きたら 3 度
目でめったに無いことだからとの言い訳が効かない、
大変な事態になりますよ」と釘をさしておいた。
ほんの少しズレていればわたしは頭蓋骨陥没だった。
本当に上からの物に人間は全くの無防備なのだ。今度
からは観光地とはいえあのように切り立ったところ
を歩くときにはせめて帽子でもかぶろうと思う。
不思議なことなのだがこの落石以降わたしの頭は妙
娘がそばに付き添っていて携帯で直ぐに助けを呼ん
にスッキリして物事が上手く運ぶようになった。まさに神
だ(事前に散策路の問合せで鳴子市役所観光建築課を
のツブテなのかもしれない。
登録していたのでそこに)。かみさんはレストハウスに走っ
た。その間も通行の人は後を絶たない。私を横目に通
り過ぎていく。たまに覗き込んでは、「大丈夫ですか?」
と声をかけてくれる人もいる。娘は、「落石に遭った。
◆報告
みなさんも気をつけて」と言うが大して気にしていな
◇◇志賀高原スキーの集い◇◇
い様子。かみさんが戻ってきて、「レストハウスでは救急箱も
なければこういう時の連絡先もわからないと言われ
た」と。
佐藤 正樹(S30 入)
娘の連絡した役場は直ぐに対応してくれたが救助
隊が到着するのに 30 分近くを要した。彼らはわたし
を担架に括り付けて 5-6 人で担ぎ上げて救急車で鳴
2012 年度 志賀高原スキーの集いは 1 月 21 日から 24
日まで行った。
今回は例年宿泊している「シャレードイン志賀」が使用で
子病院分室に。
きなくなり、この宿の紹介で一の瀬の「ホテルこだま」を
東北大学外科の先生が通いで来ていて直ぐに手術を
使用した。
してくれた。頭はコメカミが最も弱く次に弱いのが天辺で
また日本山岳会のメンバーを誘ったので参加者合計
ペコンペコンらしい。落石はそれらの弱い部分を微妙に外
31 人となる賑やかな集まりとなった。天候は快晴日
し、比較的強いと言われる頭の側面を斜めからえぐっ
は無かったが悪天候もなく、全員広い山域にわたるスキ
ていた。
ー場に各々のシュプールを刻んだ。
病院には役人や警察が入れ替わり何人も見舞いに
来た。全ての責任は市側にあるとして平身低頭。3 年
参加者が多かったので概ね二組に分かれて行動し
た。また 19 日や 20 日から参加した人もいた。
前にも落石で足を怪我した事故があり全長 1 時間ほ
清溪 124 号(5)
佐藤正樹会員が記載されている「冬季満 80 歳超清渓
小屋訪問記録」に関して早速今回、岩田、塩澤、三橋の
3 会員が記録達成されました。後日記録板に顕彰され
ます。あわせて合宿中の 3 月 19 日は大村光晴会員の
100 歳誕生日であり全員で寄書きを同氏に送りまし
た。
参加者 岩田敏夫・大村吉郎・塩澤厚・大木安弘・海老沢
裕・佐藤正樹・日出平洋太郎・森岡昭・菅村洋治・斉藤公
夫・小関栴・菅村和夫・近藤孝・大江隆夫・今井順一・松
野正紀・松野夫人・松島信雄・福西俊博
以下 JAC 織方郁英・村山雄嗣・高橋隆一・高橋満男・掛
参加者:岩田敏夫、塩澤厚、三橋亮一、海老沢裕、大木安
江正通・増田達治・
弘、佐藤正樹、日出平洋太郎、松野正紀、松野涼子、森岡
田中恵美子・山口延子・鶴田泰子・中村久美子・山崎浩
昭、小関栴、菅村和夫、斎藤公夫、近藤孝、大江隆夫、本
子・EWC 木村洋子
蔵良三、佐藤行彦、今井順一、桑原康雄、杉山益之、村中
延之、藤平欣孝。
◇◇清渓小屋 OB スキー合宿◇◇
◇◇幹事会日誌◇◇
大江隆夫(S42 入)
3 月 17 日から 20 日まで蔵王清渓小屋で恒例の OB 合
宿が実施されました。
例年以上に多い積雪で有志で
屋根の 2 米余の雪おろしをしました。
幹事会
12 月 16 日 幹事会(農学研究科・豊水研究室)
清渓 123 号編集、発刊と送付について
前半 2 日間は生憎の雨模様でしたが後半 2 日間は一
会計関連
転強風雪となり、刈田岳山頂付近で零下 17 度を記録
HP 掲載について
し、おかげで粉雪の新雪滑走を楽しむことができまし
現役の活動報告
た。食事担当は今年から齊藤会員が全面的に計画し山
現役支援体制について
小屋で全員グルメ気分に浸ったことです。
清渓小屋の利用の手引き作成について
24 年度山の会総会について
(ネット会議 大江会員)
1 月 18 日 幹事会(農学研究科・豊水研究室)
清渓 123 号発刊と送付についての確認
会計関連
現役の活動報告
清渓小屋の利用の手引きについて
24 年度山の会総会日程・開催場所について
雪おろし前の清渓小屋
左衛門小屋 60 周年記念事業について
また今号の「大村光晴・三枝守維会員の現在」の項で
山行連絡所ならびに緊急連絡網について
清溪 124 号(6)
四川登山遠征隊報告書の発刊と送付について
P312(三郡山)、P231 を経て 35°7′24″N、
2 月 29 日 幹事会(農学研究科・6F 会議室)
139°56′47″E (P281)まで。 JAC 千葉支部
清渓 124 号編集、執筆依頼について
会員。
会計関連
12/17-18 箱根塔の峰:川俣俊一、日本ゼオン山の会
現役の活動報告
忘年山行。
山岳部会計報告
12/18 千葉県分水嶺踏査行 :塩澤、35°05′54″N
OB 合宿関連
139°57′41″E、160m 地点より南下、鞍骨山
山行連絡所ならびに緊急連絡網について
(266m)、P264 を経て御殿山<363m)まで。
森岡前幹事長慰労スキーツアーへのカンパについて
12/23
(ネット会議 大江会員)
奥武蔵ユガテ他:川俣俊一、日本山岳会三
水会武四会忘年山行
1/7-8
房州伊予ヶ岳富山:塩澤厚、川俣俊一、日本
山岳会三水会新年山行
◇◇会員の個人山行抄◇◇
1/7-9 岩手山:大江隆夫、現役部員の冬山訓練山行に
参加
11/30 大真名子山 2375m:原孜、奥日光の戦場ヶ原
東端の志津峠から往復。標高差 500m。登り 2
1/12-13 志賀高原スキー:佐藤正樹・近藤孝
1/13
時間 30 分、下り 1 時間 40 分。志津峠から真
っすぐ登り、真っすぐ下る。迷う可能性の無
南高尾山稜:川俣俊一、千葉高校 OB 有志
山行
1/14 閉鎖されている(倒産した)鶏頂山スキー場
いルートだが、栃木県の低山に良く見られる様
鬼怒川:原孜、2012.今年は前号で紹介した
に、所々に岩が露出して登山道の両脇が急
様に ”倒産して閉鎖されたスキー場” に着
峻な所がある。同行本院職員 3 名。無風、快晴。
目した高齢者向きの ”プチ山スキー” を始め
昨年の同時期は積雪あり。それを期待して
た。シールをつけて登る。同行 正木悦子、菊地
行ったが裏切られた。頂上から今年の夏の
明子。75 歳、65 歳、50 歳のパーティ。積雪はつぼ
大雨で戦場ヶ原の小田代に出現した湖が眺
足で太股、スキーで踝上。登り 2 時間。藪に苦労
められた。
しながら手つかずの斜面を面白く滑り下る。
12/7 笹目倉山(ささめくら)799.9m:原孜、几帳
晴れ。出会った人無し。
面な公式標高。日光の小来川(おころがわ)。
1/14-15 南アルプス北部上荒井沢アイスクライミ
この部落はスギが多い。日光市の開業医、小
ング:大江隆夫、矢吹 OB、現役君ランに参加。
泉氏はこの地域の患者を綿密に観察し、我
1/21-23 志賀高原スキー行:塩澤、(TAAV 東京支部行事)
国のスギ花粉症の臨床研究の礎を築いたと
1/25 閉鎖されている白河高原スキー場、那須:原孜
いう、いわばスギ花粉症研究のメッカと言うべ
、同行は同じ。積雪状態も同じ。降雪。シールを
き土地である。標高差 500m。登り 1 時間 40 分
つけての登り 2 時間。風あり、時折吹雪くが、
下り 1 時間 15 分。 本院眼科検査主任の自宅
切り開いてあるので迷う心配が無い、とい
の裏山に当たる。同行本院職員 4 名。夏靴を
う安心感がある。条件によっては雪崩の危
新調した本院職員 2 名の記念登山。無風、快
険が? と感じる所もあった。杞憂かも知れ
晴。今夏の大雨、洪水の爪痕が顕著だった。
ないが。出会った人は 2 人。手つかずに近い
12/14 鳴虫山 1,103.5m:原孜、日光市の市役所脇
斜面は気分が良いが、雪がやや重くパラレルで
から登るこの山は、南側から日光市を見下
ろしている。 標高差 563m。登り 2 時間 30 分
は無理だった。
1/28
下り 1 時間 45 分。 積雪少しあり。無風、快
晴。
山の会新年山行
2/10
12/17 千葉県分水嶺踏査行 :塩澤、35°05′54″N
高尾山稲荷山尾根:川俣俊一、日本ゼオン
みつまたかぐらスキー場:佐藤正樹・近藤孝
2/11-12 北八ヶ岳、縞枯山、北横岳:川俣俊一、日
139°57′41″E 160m 地点から北上、P276、
清溪 124 号(7)
本ゼオン山の会 2 月定例山行
2/15 閉鎖された霧降高原スキー場、日光:原孜、夏
い、内 1 日はヴァレブランシュという氷河滑降のツアーに行き
は日光キスゲの名所として名高い。同行は同
じ。積雪量も同じ。シールをつけての登りは 2 時
ます。
参加予定者は、仙台から小関会員、森岡会員、菅村会
間。上部はクラストした層の上に粉雪状の層が
員、齊藤(公)会員が参加予定であり、東京からは海老
あり、斜めに登る時は板状に剥がれる所も
沢会員、大木会員、佐藤正樹会員、そして近藤が参加す
ある。下りはシュプールの無い斜面を緊張しな
る予定です。
がら快適に滑る。上部の滑り出しは、後でネッ
詳細のご報告は次号の「清渓」にて行います。
トを見ると 36 度とか。全員緊張した。昔は大
なお、前幹事長を慰労する募金の計画をはじめたと
勢の人が安全に滑っていた場所も、閉鎖さ
ころ、森岡前幹事長から、(1)東日本大震災からまだ 1
れて自然に戻りつつある過程に於いては雪
年であり、またそのために山の会では大きな募金活動
崩の危険も考えねばならない。風少し。出会
をしたばかりであること、また、(2)森岡幹事長の 13
った人無し。
年間は、幹事会メンバー と歩んだ 13 年であり、幹事長の
2/18-20 野沢温泉スキー場:塩澤厚、佐藤正樹ほか
JAC
みが慰労されるのはそぐわない、と固辞されたので、
その意を汲んで慰労のための募金は行わないことに
2/22 閉鎖された鶏頂山スキー場:原孜、シールをつけて
登り 1 時間。雪はやや重いが曲がれる状態。1
しました。
何とぞご了承お願いします。
月の時より更に積雪多し。出会った人無し。
自宅を出てから 1 時間半で始められるシールを
つけての ”プチ山スキー” は年齢に合った小
さな箱庭の様な世界だが、リフトを使うゲレンデ
◆案内
スキーに無い楽しみを再び味あわせてくれる。
2/26 千葉県分水嶺踏査行 :塩澤、35°2′50″N、
◇◇平成 24 年度山の会総会のご案内◇◇
13°56′42″E、70m(三ッ山トンネル)より南下、
35°01′31″N、39°55′55″E、70m 地点ま
で。JAC 千葉支部員。
3/1-2
数年ぶりの寒気と大雪の東北でしたが、次第に春の
菅平高原スキー場: 佐藤正樹・近藤孝、
訪れが感じられる季節となってまいりました。会員諸
根子岳に登り滑降
兄には益々ご清祥のこととお喜び申し上げます。
3/4-8 八ヶ岳赤岳:大江隆夫、現役部員の山
3/10
山の会会長 川村 宏
さて、平成 24 年度の山の会総会を下記により開催
行に参加。
いたしたく、ご案内申し上げます。今回は、左エ衛門小
幕山:川俣俊一、日本ゼオン山の会 3 月定
屋 60 周年にあたります。その祝いと講演も盛り込み
例山行
ました総会となります。どうぞお誘いあわせの上ご参
加くださいますようご案内いたします。
なお出欠は、同封の葉書にて 5 月 23 日(水)までにご
◆お知らせ
連絡をお願いいたします。
◇◇森岡前幹事長慰労の
ヨーロッパスキーツアー◇◇
記
日時
平成 24 年 6 月 2 日(土)
午後 3 時 30 分から総会(午後 3 時より受付いたしま
近藤孝(S41 入)
スキーが堪能であられる森岡前幹事長の慰労というこ
す)
午後 5 時から 記念講演
とで、森岡さんのご都合の良い 4 月 7 日から 15 日にか
けての 9 日間、ヨーロッパアルプスの麓である、フランスのシャモニー
へ出かける予定です。
講師
塩澤厚 会員(S26 入部・理)
午後 6 時から 懇親会
場所
シャモニーに 6 日間滞在して、周辺の著名なスキー場巡りを行
清溪 124 号(8)
蔵王高原荘(蔵王酪農センター・チーズハウス隣)
宮城県刈田郡蔵王町遠刈田七日原高原
TEL:0224-34-2448
遠刈田温泉から南(三住方面)へ約 3km 蔵王
酪農センター・チーズハウスを右折してすぐ左(下図
参照)。
記
日 程:
5 月 26 日(土)9 時 30 分 長野新幹線
佐久平駅改札口 集合
8 時 40 分佐久平駅 →(JR バス)→9 時 30 分車坂峠
→ 11 時トーミの頭 → 11 時 30 分黒斑山(約 2000m)
→ 14 時車坂峠 15 時 50 分→(JR バス)→16 時 30
分常盤館前。
この日は、場合によってはレンタカーにて移動します。
宿泊
菱野温泉 常盤館
〒384-0041 長野県小諸市菱平 762-2
電話 0267-22-0516
18 時より 夕食、懇談
5 月 27 日(日)浅間隠山(1757m)、鼻曲山(約 1700
m)、篭ノ登山(2227m)などの中から適切な山
を選んで登りたいと思います。レンタカーを借りて移
動します。
交 通:
 「JR 利用(長野新幹線)」
東京 6 時 52 分→大宮 7 時 18 分→佐久平 8 時
21 分の新幹線線が適当です。
交通 東京方面から
東京

白石蔵王
10:08 ----- (Max やまびこ 133 号) ---- 12:02
11:08 ----- (Max やまびこ 135 号) ---- 13:02
11:02 ----- (Max やまびこ 137 号) ---- 14:02
○13:02 到着列車に合わせて仙台会員が白石蔵王駅
にてお迎えいたします。 同乗をご希望の方は、予
めその旨のご連絡を願います。
「マイカー利用」
上信越自動車道の小諸 IC で降り、チェリーパークライン
で車坂峠まで。
会 費:交通費を除き、一人 14,000 円程度。
申 込:5 月 21 日までに、近藤へ申し込みください。
近藤孝
申込の際には、JR 利用かマイカー利用かを連絡く
ださい。
詳細連絡:3 週間前に詳細のご連絡をする予定です。
○白石蔵王から宮城交通バス(ミヤコーバス)利用の場
合、バスは 13:20、15:20 白石蔵王駅発(所要時
間 50 分)。遠刈田からタクシー(5 分)
◇◇関西支部、春の例会のご案内◇◇
いずれにしましても、会場へのアクセス法をご連絡願い
関西支部幹事 難波 健(S44 入)
ます。
会費
連絡先
10,000 円(現役支援を含む) (同伴者 6,000 円)
古谷 信之(S48 理)
4 月 14 日(土) 13:30~
場所:
西村屋たじま路(三宮駅 5 分)
http://www.nishimuraya-fc.com/tajimaji/
豊水 正昭(S47 農)
記念講演:
日時:
費用:
塩澤 厚 会員(S26 理)
4000 円程度
参加の問い合わせ・連絡先:
難波 健
秋の山行は、広島方面を予定しております。
◇◇東京支部ハイキング会のご案内◇◇
東京支部幹事 近藤孝(S41 入)
2012 年春の東京支部ハイキング会は浅間山周辺で行いた
くご案内いたします。
お誘い合わせの上ご参加をお願いいたします。
◆会員の異動
清溪 124 号(9)
下さい。微力ながらできるだけご期待に添え
住所変更
るよう耳を傾けてまいります。
鈴木重信(S30 工)
○
次号の「清渓」の編集開始は 8 月 1 日となりま
大江隆夫(S42 理)
す。皆様の色々な分野での自由形式での寄稿
浅田睦彦(S55 工)
をお待ちしております。 清溪原稿の送付先
壱岐一郎(S24 法)
大江隆夫
メールアドレス変更
古田雅朗(S37 工)
転居先不明
小林幸夫(S57 理)
井上貴史(S63 農)
転居先ご存知の方は「清渓」事務局まで一報ください。
他連絡
能勢眞人(入会会員)
清渓 122 号でお名前に誤表記がありました。誤:貞人
→正:眞人
鈴木啓介(S24 二高)
高齢につき今後の連絡不要との連絡がありました。
◆訃報
黒澤俊一会員(二高昭 24 修)には平成 22 年 6 月 30 日
逝去されました。謹んでご冥福をお祈りいたします。
木村秀枝会員(昭 24 医卒)には平成 23 年 10 月 8 日逝
去されました。謹んでご冥福をお祈りいたします。
◆編集後記
○
この清渓がお手元に届くころには森岡前幹事
長慰労ヨーロッパスキー隊はスイスシャモニーの谷を縦横に
滑っている頃でしょう。次号に詳細報告が期
待されます。
○
「清渓」へのご要望、ご意見等何なりとお寄せ
清溪 124 号(10)
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