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滝口清醗木箸『マックス・シュティルナーとヘーゲル左派』を読む

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滝口清醗木箸『マックス・シュティルナーとヘーゲル左派』を読む
Hosei University Repository
【書評】
滝ロ清栄『マックス・シュティルナーとヘーゲル左派』理想社二CO九年
滝口清醗木箸『マックス・シュティルナーとヘーゲル左派』を読む
研究の権威のようであったことを覚えている。同時に著者
た当時二九九○年代初め)、著者は、すでにヘーゲル左派
左派との格闘の歴史が本書である。評者が大学院に在籍し
の「終章」まで含めれば三○年近くに及ぶ著者のヘーゲル
近年までに著した論文に、加筆修正したものである。本書
本書は、著者が、大学院時代の論文(一九八二年)から
探究の跡をヘーゲル左派論争にまさに衝撃として現れたシ
関係の総体である人間の探究の試みである。本書は、その
還元される人間ではなく、感性的な人間、固有な自我、諸
ィを追及するところにあった。それは、普遍性(思考)に
その特徴は、著者が指摘しているように、思想のリアリテ
ル哲学の継承と批判をめぐって生み出されたものであるが、
に焦点を当てたものである。ヘーゲル左派の思想はヘーゲ
片山善博
は、ヘーゲル研究者として、活躍されていた。その成果は、
オイエルバッハ、シュティルナー、マルクスである(シェ
ュティルナー思想が引き起こした波紋を中心にたどってい
本書は、ヘーゲルの死(一八三一年)後の新しい時代状
リングはヘーゲル左派ではないが、フオイエルバッハへの
る。本書のおもな登場人物は、シェリング、バウアー、フ
況(フランスにおける一八三○年の七月革命と一八四八年
ィルナーを中心にヘーゲル左派思想が再構成されている。
思想的な影響関係で取り上げられている)。その中のシュテ
学位論文をもとにした『ヘーゲル『法(権利)の哲学造(御
の二月革命の間の時代の転換期)の中で、その時代にふさ
茶の水書房、二○○七年)にまとめられている。
わしい思想構築の運動として出現したヘーゲル左派論争史
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察はできない。各章の簡単な要約と感想のみを述べるにと
イデオロギー』をかじった程度であるので、踏み込んだ考
評者は、ヘーゲル左派については、マルクスの『ドイツ・
と存在の転倒を図ることができたのだと指摘する。ここか
を理念、思想の自己外化として捉え」ることになり、思想
ハは、「自己対象化」、「外化」概念によって「ヘーゲル哲学
第二章「シニリングとフォイエルバッハーヘーゲル批
ら存在に根ざした哲学が構築される。
第一章「ヘーゲル批判の思想圏lシェリング、バウア
判の位相、あるいは分岐l」は、シェリングのフオイエ
どめたい。
しフォイエルバッハと疎外論l」は、「自己疎外」「自
ルバッハへの影響についての考察である。著者によると、
『近世哲学史講義』に見られる基調に沿うものであ」ろと
フォイエルバッハによるヘーゲル批判は、シェリングの
外」については、ヘーゲル左派独自の概念であることなど
いう。シェリングの「主観‐客観としての自然の概念」を
ワードの成立過程を明らかにしている。たとえば、「自己疎
である。まず、著者は、ヘーゲル左派とは一見関係がない
にもとづく「創造する神の概念」を否定するものの、シェ
評価したフォイエルバッハは、後期シェリングの人格神論
己意識」「外化」「対象化」「類」などのヘーゲル左派のキー
ように見えるシェリングによるヘーゲル批判の仕方に注目
第三章「倫理的ミーーマムとしての幸福主義Ⅶ11フオイエ
する。周知のように『精神現象学』の刊行を機に、ヘーゲ
ルバッハ晩期思想の意味l」は、前章で示したフォイエ
リングとは異なる形で自然と感性・直観に定位する哲学を
とする。本質と実存の区別が後にフオイエルバッハに影響
ルと決別し、積極哲学を提唱することになるシェリングは、
を与えている点を指摘している。また、ヘーゲル左派の基
ルバッハの自然に根ざした倫理思想の考察である。フオイ
構想するようになることが明らかにされる。
本的な構図が、バウアー流のヘーゲル解釈の中に示されて
エルバッハが、カントが「人類の類概念」を導入した点を
本質では捉えきれない実存の立場に立ち、その基礎を自然
いることが明らかにされる。著者は、バウアーが「実体の
とづく自由、それも若干のではなく万人の幸福衝動にもと
評価しつつも、カントとは異なる立場から「幸福衝動にも
づく自由こそが、民衆の自由というものなのである」とし、
運動は自己意識の運動」であるとすることから、疎外とは
見方こそが、二ルクスの『経哲草稿』の〈自己疎外〉概念
幸福衝動を倫理の基礎におく。そして、シュティルナーに
自己意識の転倒した自己関係だとする見方が生まれ、この
の原型」になったと著者は指摘する。またフオイエルバッ
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(邪悪なことはしない)を提示していくことが明らかにさ
らフオイエルバッハは、幸福衝動にもとづく最小限の倫理
自然な自己の価値を十分に承認する立場」であり、そこか
主義ではなく、「何よりもまず生命活動に定位して感性的
ゴイズムを受容することになる。ニゴイズム」とは、利己
がなお神学的色彩を帯びている」という批判)を受け、エ
よる批判(「フオイエルバッハの類的存在としての「人間」
個の内面的支配を完成と批判するものだとするラディカル
人間」を「人間Ⅱ神」に置き換えただけであり、かえって
バッハの主語と述語の転倒に対しては、それが単に「神Ⅱ
が「個への外面、内面にわたる支配」であり、フオイエル
ヘーゲルの「自由の実現化」のプロセスに対しては、それ
の自己享受」を対置するところに成り立つ考え方である。
間なるもの(普遍主義)の支配に、「私の力、私の交通、私
第四章「M・シュティルナーにおける唯一者と連合の構
合」を模索するシュティルナーの思想とそれに対する同時
「諸個人の固有性とその確証を保障する不断の流動的な結
なシュティルナーの批判が、生き生きと描き出されている。
想--青年ヘーゲル派批判とその意義l」は、本書の中
代人のやり取りが詳細かつ分かりやすく述べられている。
れる。
でも最も読み応えがある章であろう。かつて評者は、この
第五章「L・フォイエルバッハの思想的転回とシュティ
換をもたらしたのかについての考察である。フオイエルバ
章の元になった論文が高く評価されているという話を聞い
シュティルナーの思想が格別の意味をもつこと」を明らか
ッハが、シュティルナーの批判を受け〈類〉概念の意味を
ルナー」は、前章で述べたシュティルナーの思想がヘーゲ
にしようとしている。そして一八四○年代の論争の中で『唯
転換させ、当初批判していたくエゴイズム〉を受容するよ
ル左派(とくにフオイエルバッCにどのような思想的転
一者とその所有』の「唯一者と連合の思想的なモチーフ」
うになった経緯が詳細に述べられる。シュティルナーの問
一人者であった。本章で、著者は、「思想的な転換期の中で、
がどのようなものであるのかが述べられていく。シュティ
題提起の重みだけでなく、フオイエルバッハの知的真蟄さ
たことがある。当時すでに著者はシュティルナー研究の第
ルナーは、バウアーの自己意識を世界または歴史の唯一の
第六章「〈哲学〉の解体、現場としての知Iマルクスの
も高く評価されている。
ムの立場に到達する。これは、対象にとらわれる功利主義
反哲学‐--」は、『経哲草稿』と『ドイツ・イデオロギー』
力として評価しつつも、それとは異なる唯一者、エゴイズ
とは異なり、自由と自己決定に根ざした考え方であり、人
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ハの自己対象化‐自己外化‐自己獲得の論理」を用いて「私
についての考察である。前者については、「フオイエルバッ
ュティルナーとフオイエルバッハの対立の構図そのものを
マックス」とシュティルナー‐フオイエルバッハ」は、シ
の主体であることが示され、後者については、ヘーゲル左
持っていたのかを、まさに現代の人間論としても提示して
本書は、ヘーゲル左派の思想的論争がどのような意味を
る。
超えようとするマルクス、エンゲルスの試みが示されてい
派の論争の焦点である「類的存在」(フォイエルバッCと
いる。フォイエルバッハの普遍に還元されない感性的な人
「人間」、「類的存在」が、社会をなして自己活動する労働
有財産並びに疎外された労働の問題」に取り組むなかで、
「唯一者」(シュティルナー)の対立に対して、エンゲル
ス・マルクスが正面から応答しているさまが描かれる。
を問い返す、あるいは疎外論の交錯」は、『経哲草稿』のマ
大変有益な書である。
けでなく、マルクスやヘーゲルを新たに読み直す上でも、
な問い)そのものである。ヘーゲル左派を理解するためだ
に現代の人間をめぐる問い(他者や自己をめぐるさまざま
間、シュティルナーの個体の固有性をめぐる問いは、まさ
ルクスによるヘーゲル批判の再考である。著者は、ヘーゲ
第七章「経哲草稿」と『精神現象学』lヘーゲル批判
ルに帰された自己意識」や「疎外」が、バウアー流の「自
己意識」や「疎外」であり、また自己意識の自己疎外とそ
の回復という構図はバウアーに帰されるとする。また自己
外化や自己対象化については、これがフオイエルバッハの
用語であり、マルクスは、それを自己疎外と同じ意味合い
で使うことで、フオイエルバッハによるヘーゲル批判もそ
こに含まれていることを明らかにする。ヘーゲル独自の疎
外概念については、前掲書の第七章。疎外」と近代的啓蒙
れるので、本書とあわせて読まれたい。
l伝統的公私関係の解体、新たな着手点」で明らかにさ
l伝統的公私関係の解体、新たな着一
第八章「もうひとつ『ドイツ・イデオロギー』l「聖
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