Comments
Description
Transcript
本誌のPDFはこちら - 名古屋大学消費生活協同組合
教職員・院生版生協だより No. 279 2008 年 10 月号 発行 名 大 生 協 理 事 会 編集 名大生協教職員委員会 ☎ 学内線 7540, 学外線 781-1111 教職員委員会下期方針合宿 内海「はしもと」にて 2008.9.6-7 全国セミナーの帰りに 松代大本営 地下壕内にて 2008.9.15 中国人殉難者慰霊祭 瑞浪・地下壕前にて 2008.9.21 名 大 生 協 の ホ ー ム ペ ー ジ(URL) http://www.nucoop.jp/ 教職員委員会への e-mail あて先 [email protected] −1− も く じ 【主張】 生協への加入・増資と利用をお願いします !!----------------------- 3 【企画案内】 名大生協で取り組んでいる平和活動報告会のご案内 ------------- 4 PeaceMovie「HOTEL RWANDA」-------------------------------------- 4 中山道を歩こう(その3)-------------------------------------------------- 5 ワイン造りとそば打ち体験 ----------------------------------------------- 6 生協りんごの産地見学 ----------------------------------------------------- 6 【報告】 夏の組合員交流企画報告 -------------------------------------------------- 7 名古屋大学平和憲章エッセイ審査結果 ------------------------------- 8 名古屋大学平和憲章エッセイ入選作品「本当の平和」---------- 9 瑞浪・中国人殉難者慰霊供養祭の報告 -------------------------------10 全国教職員セミナー 2008 報告 全国の取り組みに学びながら -------------------------------------------12 教職員委員会下期方針合宿報告 -----------------------------------------28 教職員委員会活動日誌 -----------------------------------------------------27 【記事】 魔言「街路樹」 「達人の言葉」 「難聴」-----------------------------------16 東山キャンパスおよびその周辺のゾウムシ⑧ 「路傍の雑草にひそむゾウムシその3」-----------------------------18 ランニングノート(1) 「名古屋市民スポーツ祭」-----------------------------------------------21 ニュースに一喝! 「ガソリンの高騰」「二重価格─非食用米の転売」 「国民がやかましい」----------------------------------------------------22 ある団塊世代の読書ノート④「戦争について学ぶ本」-------------24 かけはしの輪 --------------------------------------------------------------------26 アンケート・クイズ解答用紙 -----------------------------------------------30 COOP QUIZ< Logic > ----------------------------------------31 秋の教職員委員会企画満載 ------------------------------------------- 裏表紙 −2− た だ き、 そ し て 利 用 を お 願 い い を 重 ね て い ま す の で、 引 き 続 き たします。 ご 利 用 を お 願 い い た し ま す。 ま 主 張 加入または増資をされる方は、 た、 全 国 の 大 学 生 協 で も 珍 し 北 部 厚 生 会 館 2 階﹁ 組 合 員 コ ー い 印 刷・ 情 報 サ ー ビ ス 部 内 (線 7552 で ナ ー・ 内 線 7 5 4 0﹂﹁ 医 学 部 書 ) は印刷物はもちろん のこと学会運営まで受け付けて 籍 部・ 内 線 5 2 0 8﹂﹁ 大 幸 購 買 教 職 員 の 皆 様、 二 〇 〇 八 年 度 い ま す の で ご 利 用・ ご 相 談 く だ 部・ 5 5 5 2﹂ ま で お 気 軽 に お に 生 協 に 加 入 さ れ た 教 職 員・ 大 さ い。 年 経 過 し 老 朽 化 し た 南 申し付けください。 学 院 生 の 皆 様、 加 入 そ し て ご 利 部食堂は来年夏以降に改築され 用 い た だ き、 誠 に あ り が と う ご 名 大 生 協 で は、 昨 年 に 北 部 厚 る予定です。 生会館1階を全面的に改装して ざいます。 大学のコンビニエンスストアと 名大生協教職員委員会では﹁秋 の 生 協 強 化 月 間 ( 月 ~ 月 ﹂) し て の 機 能 を 備 え た お 店 に リ 教 職 員 委 員 会 で は、 こ の 秋 以 降 の 企 画 を 考 え て い ま す。 紅 葉 ニ ュ ー ア ル し て き ま し た。﹁ パ ン に取り組んでいます。 月~ 月末まで加入及び基 準 出 資 額 で あ る 2 万 円 ま で 増 資 生協強化月間開催中 されました教職員の皆様に利用 額無制限の %オフの書籍割引 ( 籍 %割引利用券の特典付 ) 書 利 用 券 の 特 典 を 差 し 上 げ ま す。 この機会に是非とも加入または 増資をよろしくお願いしたいと 思 い ま す。 た だ し、 ご 利 用 の 期 限は 月末までの営業日までと の中をのんびり散策する中山道 だが屋﹂や耐震改修された全学 させていただきます。 ハイキング ( 月3日、今回は落 教 育 棟 の﹁ プ ラ ン ゾ ﹂ も 改 装 し % 名大生協の加入率は学生 て 利 便 性 を 上 げ て き て い ま す。 合宿~馬籠まで 、)ワイン作りと 弱、 院 生 約 % に 対 し て、 教 職 そ ば 打 ち 道 場 体 験 ツ ア ー︵ 月 今後も勉学・研究に必要な文具・ 員の加入は約 %強ほどに留 日~ 日︶、生協リンゴの 産 地 事 務 用 品、 事 務 機 器 は も ち ろ ん、 ま っ て い ま す。 基 準 出 資 金 に つ 見 学 ( 月 日 、) 献 血、 ビ デ オ い て も 学 生・ 院 生 2 万 円 に 対 し、 コ ン ビ ニ 商 品 な ど の コ ー ナ ー も 上映会や赤ちょうちんなどの組 充 実 さ せ て い き ま す。 南 部、 北 教職員はこの基準額に達してい 合 員 交 流 企 画、 学 内 で 美 味 し い 部 旅 行・ サ ー ビ ス セ ン タ ー は い ない方も結構おられるのが現状 食事をとりながら生の演奏を楽 ろ い ろ な 旅 行・ 出 張 な ど 適 切 な で す。 教 職 員 委 員 会 で は、 こ の し め る﹁ 音 と し ゃ べ り の 金 曜 サ 提案をできますので一度ご相談 期間中に基準額 2 ( 万円 に ) 加入 ロ ン ﹂ な ど の 企 画・ 準 備 を し て ください。 または増資された組合員の方は い ま す。 本 誌 や チ ラ シ な ど 案 内 委員会の諸企画 下 ( 記を参照 に ) 食材や燃料費の高騰で皆さん が届きましたら気軽に参加いた には大変ご迷惑をおかけしてい 全 て 半 額 で 参 加 で き ま す。 こ の だ け れ ば と 思 い ま す。 蛇 足 で す ま す が、 各 地 区 の 食 堂 部 も 努 力 機 会 に 加 入・ 増 資 に ご 協 力 を い 12 10 25 が、 本 誌﹁ か け は し ﹂ が 国 立 国 会図書館よりこれまでの発行さ れたものから最新号までの寄贈 依頼を受けています。 1 9 7 2 年 創 刊 後、 一 時 中 断 し ま し た が、 年 後 の 1 9 8 7 年 に 号、 年 後 の 1 9 9 7 年 に 号、 そ の 後、 委 員 の 減 少 や 多忙化により2001年から隔 月 発 行 に な り、 年 後 の 本 年 夏 で287号まで発行してきまし た。 現 在 で は、 版 下 化 ま で す べ ての作業を委員会で行っており、 印 刷 に 回 し、 生 協 通 信 の 袋 に 入 れて生協職員の手で配布をお願 い し て い ま す。 編 集・ 発 行 に 携 わって 年間継続してきたこと を 誇 り に 思 い、 今 後 も 皆 様 に 愛 読される機関誌として頑張って い き ま す の で ぜ ひ ご 意 見・ ご 投 稿をお寄せいただきたいと思い ます。 200 25 100 36 15 ︻お詫び︼ 号 に て、 マ ル セ パ かけはし ン の 工 場 見 学 の 報 告 を 載 せ、 鈴 木社長のパンへのこだわりや熱 い思いを理解していただき利用 に結びつければと思っていたの で す が、 燃 料 費 の 高 騰 か ら 配 送 で採算が取れないので取引を終 了 す る と 通 知 を 受 け ま し た。 期 待された組合員の方には誠に申 し 訳 な い の で す が、 利 用 で き な く な っ て し ま い ま し た。 こ こ に お詫び申し上げます。 25 278 40 11 26 !! 10 15 生協への加入・増資と利用をお願いします 11 22 15 75 11 50 10 100 11 −3− 夏の平和の集大成 「名大生協で取り組んでいる平和活動報告会」のご案内 この夏、生協では各組織委員会にてさまざまな平和の取り組みを行ってきました。こ の度、すべての取り組みの報告と各階層を交えてともに「平和」という共通のテーマで 取り組んで来たことを紹介・報告しながら階層を超えたところでお互いに確認できれば と思い平和活動報告会を開催することとしました。組合員の皆様には平和憲章のある大 学としていかに平和について学んで来たか、学ぶべきかを企画者、参加者を交えて話し 合えればと思います。ぜひご参加をお待ちしています。 生協が取り組んでいる平和活動に関する報告 ピースナウヒロシマ、ピースナウオキナワ、平和憲章エッセイとオキナワの旅 名大祭で取り組んだミニ平和資料館 豊川海軍工廠に関わっての取り組み 瑞浪の中国人殉難者慰霊供養祭への参加 学内の平和活動の取り組みについて 職員組合、全学会などでのヒロシマ代表団の方にも報告のお願いをしています。 開催日時:2008 年 10 月 21 日(火)18 時∼ 20 時 開催場所:フレンドリィ南部 内容:○各企画参加者からの報告 ○職員組合と全学会など他団体の取り組み紹介 ○グループに分かれてのグループ討論 ○グループからの発言とまとめ PeaceMovie「HOTEL RWANDA」 名古屋大学平和憲章委員会では平和に関する映画の上映会を隔月で開催することになりました。 今月は映画「ホテルルワンダ」です。この映画はフツ族とツチ族の間で続いていた内戦が終息、和 平協定が結ばれようとしていた 1994 年、ルワンダの首都キガリ。外資系高級ホテル、ミル・コリ ンの支配人ポールは、近くフツ族の民兵によるツチ族の虐殺が始まるという噂を耳にする。やがて フツ族大統領暗殺の報道がなされ、フツ族が武器を片手にツチ族を襲撃し始めた。フツ族のポールは、 ツチ族の妻・タティアナと息子たち、そして隣人たちを守るため、ホテルに匿うのだが ......。 10 月 23 日(木) 18 時∼ 日時: 会場:工学部2号館 北棟3階332号室 職員組合会議室 300 円 軽食代: 主催:平和憲章委員会 次回の作品は「蟹工船」 12 月 18 日の予定です。 2005 年度アカデミー賞で、主演男優 賞など 3 部門にノミネートされた話題作。 “アフリカのオスカー・シンドラー”と も言うべき人物を、ドン・チードルが忘 れられない名演技で見せてくれる。94 年 に中央アフリカのルワンダでの民族間抗 争が大虐殺に発展し、3 ヵ月あまりの間 に 100 万人もの人々が殺された事実にも とづいた話だが、こうした内戦、虐殺の 現実はルワンダだけではない、多くのア フリカの貧しい国に起こっている、また は起こりえるということに、観た人は改 めて気付くことだろう。そして“無関心” が大きな罪であることを。 −4− 中山道を歩こう ( その3) 落合宿∼馬籠宿へ 中山道は、徳川家康が制定した 5 街道の一つ、東海道とならんで京都と江戸を結ぶ重要 な街道でした。中山道は別名「姫街道」とも呼ばれたように女性の旅人が多かったとい います。江戸の末期、皇女和宮が京から江戸へ向かった輿入れの行列もその一つです。 今回は落合宿 ( 中津川市 ) から馬籠宿(中津川市)まで ( 約 6.8 km 歩行時間約 2 時間 ) 落合宿を過ぎると「是より北木曽路」の石碑があり、これまでの美濃路から木曽路に入る、 馬籠宿は木曽路最南端の宿場町で文豪島崎藤村の生地としても知られている。芭蕉の句 碑もあり、歴史と文化の香り漂う宿場町をゆっくり見学します。 石畳、高礼場、本陣跡、馬頭観音、道祖神、常夜灯、芭蕉の句碑、 道標などところどころに江戸時代の面影を見つけられる中山 道を歩いてみましょう。 歩き疲れた後は、温泉にゆっくり浸かって疲れを十分とって から名古屋に帰ります。 11 月 3 日(祝・月曜日) 行き先:落合宿から馬籠宿まで歩きます 参加費用:大人 1,500 円、小人 750 円 日 程:2008 年 島崎藤村記念館入口 (往復交通費、保険料、温泉入浴料) 8時 30 分集合 集合場所:名大博物館前 14 名 募集人員: 服装・持ち物:ハイキングに適した靴、服装、 雨具、弁当、水筒、リュック、帽子、手袋等 問い合わせ先 :[email protected] 参加申込:http://kyoshoku.coop.nagoya-u.ac.jp/application.html −5− ワイン造りとそば打ち体験 10 月 25・26 日(1 泊 2 日) 行き先:笛吹ワインと昇仙峡そば道場(山梨県) 参加費用:大人 12,000 円、小人 10,000 円 日 程:2008 年 (往復交通費、保険料、1 泊 3 食、ワイン造り・そば打ち体験込み) 集合場所:名古屋大学博物館前 12 名 募集人員: 9 時集合 ワイン造り体験とそば打ち体験をセットに した企画を組んでみました。初日は山梨県 笛吹市にある笛吹ワインにてブドウ狩りをし て、足踏みでジュースにします。ラベルを作っ て後はワインが送られるのを待つだけ。2 日 目は朝からそば打ち体験です。昼は打ち立て、 茹で立ての美味しいそばを食します。そんな 楽しい体験ツアーに参加してみませんか。 そば道場→ タライのブドウ を踏んでつぶし ます。↓ 生協りんごの産地見学 11 月 22 日(土曜日) 行き先:F エースりんご園(長野県松川町) 参加費用:大人 1,000 円、小人 500 円 日 程:2008 年 (往復交通費、保険料、温泉入浴料込み) 集合場所:名古屋大学博物館前 10 名 募集人員: 9 時集合 めいきん生協産消提携Fエース農園のりんごの産地を見学します。 「産消提携」とは、 めいきん生協が、 「健康な食生活」 「食の安全と安心」 「食糧自給率の向上」などをめざし、 進めている取り組みです。産消提携の「産」は生産者、「消」は消費者のこと。「健康 に配慮し、新鮮で、安全で、おいしい産物を」と願う消費者 ( 組合員 ) と、その願い に応え、生協が定めた農産物の品質基準「栽培自慢」を取得した生産者がお互い交流し、 品質向上、安定供給を目指しています。省農薬で安心安全なりんごの生産の苦労話な ど生産者と交流もいたします。帰りに立ち寄る松川町内の温泉「清流苑」の露天風呂 も楽しみです。家族そろっての参加も歓迎いたします。 −6− あっという間の1時間 分の歌 スタートが遅れた 6月 日からの生協サマー フ ェ ア 企 画 に 呼 応 し て、 教 職 員 声喫茶は カフェの営業時間の こ と と、 定 員 一 人 時に合わせて終了しました。。 委員会では夏の組合員交流企画 での対応で初めに を開催いたしました。 人の方がこられ てんやわんやのス 上 映 会﹁ ハ リ ー ポ ッ タートとなりまし 献血の協力者は 人 ターと不死鳥の騎士団﹂ た。 学 生 委 員 も 参 6 月 日 の 献 血 に は、 受 付 し ゆ~どんで予定していた6月 加 さ れ、 楽 し い ひ た 方 が 人 み え ま し た。 海 外 旅 日がコンパが入っていたので とときを味わって 行や薬の服用などでお断りした 急遽ポスター等で会場変更を加 いただけたのでは 方が 人と多かったように思 え て 宣 伝 し ま し た が、 委 員 会 の ないかと思います。 い ま す。 2 0 0 の 方 が 3 人、 3名の参加しかえられませんで 準備していた 4 0 0 の 方 が 人、 計 人 の し た。 カ フ ェ フ ロ ン テ︵ 6 / ︶ 食 材 もすべて売 方にご協力を頂きました。 は書籍 %デーと重なり店は大 り 切 れ、 閉 店 の 入 り で、 生 協 職 員 は レ ジ に 張 り 時 分まで多く うたごえ喫茶に 人参加 つ い た 状 況 に も 関 わ ら ず 、 照 明 の方に利用いただ を落とすのに手を貸していただ き ま し た。 売 上 は 6月 日 時から カフェを 借り切ってスタートの予定だっ い た り 助 か り ま し た。 こ ち ら の 2万7500円あ 参加者は7~8名ではありまし た の で す が、 主 催 者 側 の 不 手 際 り、 利 益 6、2 3 8 もあり 時 分にスタートとな た が、 そ れ ぞ れ 楽 し ん で い た だ 円をユニセフを通 り ま し た。 職 員 合 唱 団 の 歌 唱 指 きました。 してミャンマーサ 導 広島の高校生の詩をもとにし イ ク ロ ン、 中 国 大 ( 作品の関係でガラスが割れる た﹁ねがい﹂など を よ う な シ ー ン が あ り、 大 音 量 で 地震の被災者救援 ) 受けながら 数曲練習曲を参加者みんなで歌 の 上 映 だ っ た の で、 書 籍 の お 客 募金に利用させて さんや職員さんに恐怖を与えて い ま し た。 そ の 後、 職 員 合 唱 団 いただきました。 の演奏 ふ しまったことをここにお詫びい ( るさとの四季より、初 夏 バ ー ジ ョ ン、 黒 人 霊 歌、 オ リ た し ま す。 次 回 か ら は セ ー ル の ジナ ル 曲 な ど が 日程を見た上で重ならない日程 ) あり、その時間 を利用して参加者の方には食事 で開催したいと思います。 を提供しました。 ビアガーデンには 人 職員合唱団の美しい歌声に魅 了 さ れ た 後、 ま た み ん な で 楽 し お店の設営の要員不足により く和気あいあいと言った感じで、 夏の組合員交流企画報告 30 18 −7− 40 17 IB 30 30 27 20 カフェフロンテでの「・・不死鳥の騎士団」の上映風景 10 20 20 DVD 25 23 55 24 15 24 ml 18 37 ml 40 15 IB 査 結 果 名古屋大学平和憲章エッセイ 審 るか、身にしみています。また、 平 和 に つ い て 考 え る、 と い う こ とはとてもやっかいなことです。 そ れ は、 我 々 が﹁ 平 和 で あ る ﹂ という状態をリアルに実感しに くいということが原因でしょう。 ﹁平和でない﹂状態はリアルで す。 そ れ は、 痛 い、 悲 し い、 ツ ライ、腹立たしい、ひもじい⋮。 と り あ え ず、 平 和 は、 こ れ ら の 具 体 的 な 苦 痛 の 不 在 で す。 不 在 を実感することは非常に難しい こ と で す。 で す か ら、 平 和 に つ い て 論 じ よ う と す る と、 つ い つ い、机上の空論や概念遊技に陥っ て し ま い ま す。 今 回、 応 募 し て くださった方々はそれぞれの方 法 で、 平 和 に つ い て 何 と か 具 体 的 に、 実 感 を 伴 っ て 論 じ よ う と 工 夫 さ れ て い ま し た。 自 衛 隊 と いう具体的な存在について考え る こ と に よ っ て、 あ る い は、 マ ンションでのもめ事という卑近 な例と結びつけることによって。 こ う し た 努 力 に、 審 査 員 一 同、 敬 意 を は ら い た い と 思 い ま す。 あ ら た め て、 応 募 あ り が と う ご ざいました。 代 以 外 の﹁ 和 解 ﹂ が 教 育 発 達 的 側面からどのように達成される 審査結果 べきかをさらに考えて頂きたい。 入 選 1 名 副 賞﹁ オ キ ( ) ︵鬼頭︶ ナワの旅﹂旅費全額援助 ○ 平 和 憲 章 を 読 ん だ 上 で、 自 分 たちの平和に対する姿勢につい 鈴木まり子︵教育学部︶ て一番しっかりとした考えを ﹁本当の平和﹂ 持 っ て い る と 感 じ ま し た。﹁ 何 が 佳作 2 (名 副 ) 賞図書券 必 要 か ﹂﹁ 自 分 に 何 が で き る か ﹂ 5000円分 ﹁ 何 が し た い か ﹂。 そ れ が 率 直 に 伝 わ っ て き て お り、 最 も 胸 に 響 谷 直樹︵法科大学院︶ く内容でした。 ﹁学問と平和﹂ ︵松澤︶ 岡田麻美︵法学部 ○ 平 和 憲 章 を 読 ん だ 上 で 、 自分 ) ﹁自衛隊の可能性﹂ の 専 門 、 将 来 像 を 描 け て い ると 2008年8月4日 思 い ま し た 。 簡 潔 で あ り な が ら、 審査委員長 戸田山和久 平 和 憲 章 を 踏 ま え た 自 分 の決意 に素直に共感できました。 ︵野田︶ 入選作品の審査員コメント ○平和憲章制定から 年経過し た 現 在、 当 時 よ り も 権 力 に よ る ○ 氏 の 小 さ な 日 常 か ら で も﹁ 教 学問の自由への介入の度合いは 育 ﹂ と い う 専 門 性 を 通 し て、 平 確 実 に 大 き く な っ て い る。 宇 宙 和 へ の﹁ 変 革 ﹂ を 志 向 し た い と 基 本 法 な ど、 大 学 の 教 育 研 究 が い う 真 剣 な 思 い が、 具 体 的 な 経 公権力によって強制させられる 験 に 即 し て 描 か れ て お り、 非 常 システムができたことをだれも に 心 を 動 か さ れ た。 た だ、 解 決 指摘できなかったことは残念だ。 できない問題に対するいわゆる 我 々 先 進 国 側 の 責 任 が﹁ 支 援 ﹂ 応 募 者 が 法 学 部 & 教 育 学 部 と いうことを考えると致し方ない の名の下に棚上げされてしまっ が、 理 工 系 の 学 生 は 技 術 革 新 の て い る 印 象 を 受 け た。 ま た、 戦 最 前 線 に お り、 日 々 の 研 究 が 戦 争 を﹁ 憎 し み と 暴 力 の 連 鎖 ﹂ と 争に利用される危険性をはらん いう感情対立の問題にのみ矮小 でいるという緊張感が必要だと 化して捉えると同時にその感情 思 う。 こ の 点 で、 理 工 系 か ら の 対立が若い世代なら解決可能と 多数の応募を望みたい。 い う 楽 観 的 観 測 に 対 し、 若 い 世 ︵河合︶ −8− 名 大 生 協 で は、 新 入 生 を 迎 え る時期に多くの新入生に名古屋 大学平和憲章を読んでいただき、 平和についての少しでも自分の 頭 で 考 え て も ら お う と、 平 和 憲章エッセイ募集の取り組みを 行 っ て い ま す。 今 年 も 昨 年 同 様、 4月1日から6月末日までの期 間 で、 入 選 者 に は 東 海 地 域 セ ン タ ー 主 催 の﹁ オ キ ナ ワ の 旅 ﹂ 参 加 費 全 額 援 助 を 副 賞 と し、 佳 作 には5千円分の図書カードと豪 華賞品がもらえる企画として開 催しました。 今年度の応募作品は5作品で、 昨年度よりも3作品減りました。 応 募 者 は 大 学 院 生 1 名、 学 部 2 年生4名の計5作品でした。 審査委員長の講評 ま ず、 忙 し い 学 生 生 活 の 中、 時間をやりくりして平和憲章 エッセイに応募してくださった すべての方にお礼申し上げます。 教 員 を し て い ま す と、 授 業 で 課 さ れ た わ け で も な い の に、 も の を 考 え、 文 章 を 書 こ う と す る こ と 自 体、 い か に 貴 重 な こ と で あ 21 大都市の路上で生きる子どもた Oを取材するプログラムだった。 ン や 彼 ら を 支 援 す る 現 地 のN P ベトナムのストリートチルドレ レ ポ ー タ ー に な る こ と が で き た。 違いを認め合うことができ まる。おたがいを知ることで、 おたがいを知ることからはじ に学ぶことができる。まずは、 り、 二 度 と 繰 り 返 さ な い よ う と 思 う。 戦 争 の 悲 惨 さ を 知 平 ち に 出 会 い、 話 を き き、 一 緒 に る。 戦 争 が 続 い て い る 国 や 日 の 解決の糸口さえ見えないことも 街 を 歩 い た。 子 ど も た ち の 困 難 本のように今は戦争をしてい 当 あ る。 だ か ら と い っ て、 目 を そ な状況やその背景にある社会の な い 国、 そ れ ぞ れ の 場 所 に 生 本 名 古 屋 大 学 平 和 憲 章 に は、 戦争への深い反省と平和への ら し て し ま え ば、 何 も 変 わ ら な 問題を全身で感じた。友達になっ 和 強 い 決 意 が 込 め ら れ て い た。 い。 教育学部 鈴木まり子 大 学 と し て、 平 和 の 創 造 の た め て い る の は、 た ん に 戦 争 が この名古屋大学平和憲章が求 い く 姿 勢 を お し え て く れ る。 自分の学んだことを生かして き さ に 絶 望 す る の で は な く、 少 と 信 じ て い た い か ら。 問 題 の 大 人々が共に生きられる道がある を描くことを止めたくないから。 私 は、 あ き ら め な い。 ど ん な に 困 難 な 状 況 に あ っ て も、 未 来 の教育の役割だと思う。 だ と 思 っ た。 そ れ が 広 い 意 味 で ていく力をつける手助けが必要 が 自 分 を 守 り、 未 来 を 切 り 開 い 支 援 で は な く、 そ の 人 た ち 自 身 た。 一 方 的 に 何 か を し て あ げ る し て、 何 か を し た い と 強 く 思 っ た、 そ の 子 ど も た ち を 目 の 前 に の道をつくるための教育が必 て 考 え、 共 に 生 き て い く た め きる子どもたちが平和につい い る。 平 和 の 実 現 の た め に、 な い 状 態 で は な い、 真 の 平 和 し ず つ で も 変 え て い き た い。 自 信 じ た い か ら だ。 世 界 で は、 憎 界を共に生きていく若者の力を 教育を学びたいと思ったもう ひ と つ の 理 由 は、 こ れ か ら の 世 な く、 子 ど も た ち が 幸 せ に 暮 考 え 続 け て い き た い。 戦 争 が る こ と か ら 目 を そ ら さ ず に、 分のまわりの世界でおきてい 今 の 自 分 に で き る こ と は、 学 わ れ て い る よ う な 気 が し た。 名古屋大学平和憲章を読ん で、 今 自 分 に で き る こ と を 問 要だと思う。 だ。 分の学んだことを生かせる道を 私は教育のことをもっと学び たいと思う。教育を学ぼうと思っ しみと暴力の連鎖が続いている。 ら せ る 本 当 の 平 和。 私 は、 あ ぶ こ と か も し れ な い。 今、 自 暴 力 の 連 鎖、 抜 け 出 す こ と の た き っ か け は、 高 校1 年 生 の と この悲しい連鎖を断ち切ること きらめたくない。 見つけたい。 で き な い 貧 困、 広 が る 格 差、 き の 経 験 だ。 N P O﹁ 国 境 な き が で き る と す れ ば、 若 い 世 代 だ 私 た ち が 生 き る 世 界 に は、 解決できていない問題がたく 地 球 規 模 の 環 境 問 題。 さ ま ざ 子 ど も た ち ﹂ の 募 集 し て い た、 さ ん あ る。 終 わ る こ と の な い ま な 要 因 が 複 雑 に 絡 み 合 い、 −9− めに実行することを宣言して 名古屋大学平和憲章エッセイ入選作品 2008年9月 日 河合利秀 中 中国人殉難者慰霊供養祭 ( 国人 の ) ﹁戦争については勉 強したが平和のことを考えたこ 汪宇 とがなかった﹂﹁直接見て学ぶこ と に よ り、 知 識 が 輪 と な り 深 く ﹁殉難者﹂ということばはは 知 る こ と が で き た ﹂﹁ 経 済 や ス じ め て 聞 き ま し た。 あ の 悲 惨 な ポーツの交流よりこちらの草の 日 中戦争を思い起こすような話 根の交流が大切﹂﹁日本に来ない を あまりされていない日本では、 と 知 る こ と が で き な い・ 来 て よ ﹁ 中国人殉難者﹂を供養する活動 か っ た ﹂ と い う 感 想 に 対 し て、 も行われているということは思 日 本 の 若 者 た ち か ら は﹁ 歴 史 の い も し ま せ ん で し た。 そ し て、 中 で 知 ら な い こ と が 多 い・ 互 い どんな人がどんなことをやって に知ることが大切﹂﹁地元に暮ら い る の か に 興 味 を 持 ち、 今 回 の し て い る が 知 ら な か っ た・ 日 本 供養祭に参加させていただきま 人がおこなったことを恥ずかし した。 く思う﹂﹁争いごとを力で収めよ う と す れ ば 恨 み の 連 鎖 に な る だ 瑞 浪 に 着 い た ら、 先 ず 地 下 工 場 を 見 学 に 行 き ま し た。 供 養 会 け﹂﹁互いに相手を敬う気持ちが 大 切 ﹂ と 呼 応 し、 こ の 慰 霊 祭 が、 の 近 く に 強 制 労 働 者 た ち が 掘 っ 私 た ち に﹁ 互 い に 知 り 合 う こ と、 て い た 地 下 道 が あ り、 見 に 行 っ たら山の真ん中にある洞窟です。 信頼しあうことによって未来は ヘ ル メ ッ ト を か ぶ っ て、 山 を 登 切り開ける﹂という確信を与え て く れ る、 す ば ら し い 取 り 組 み り、 洞 窟 に 近 づ く と 寒 気 が 一 気 で あ る こ と を、 改 め て 実 感 し た に 流 れ て き ま し た。 中 に 入 っ た 次第です。 ら、 何 も な い 暗 い 洞 窟 で す。 出 た時ヘルメットをかぶった子ど も が 二 人 上 っ て き て、 後 ろ に 両 親 が つ い て き ま し た。 近 所 の 人 の よ う で す。 こ の 一 家 も 洞 窟 に 入 り ま し た。 こ こ は 関 係 者 だ け で な く、 近 所 の 人 も 来 て い る 場 所だなと親近感がわいてきまし た。 午後二時に供養祭があるので、 会 場 に 移 動 し ま し た。 そ こ に 大 き な 石 碑 が 立 っ て お り、﹁ 日 中 − 10 − 瑞浪・中国人殉難者慰霊供養祭の報告 18 21 実施されるようになった経緯や、 瑞浪の中国人殉難者慰霊供養 祭 の こ と を、 み な さ ん は ご 存 知 瑞 浪 地 下 工 場 ト ン ネ ル の 規 模、 で し ょ う か? 当時の様子について聞きました。 こ れ は、 日 中 戦争の端となった柳条湖事件 昼 食 後、 市 が 主 催 す る ト ン ネ ル 1 見 学 会 会 場 に 行 く と、 丁 度 中 国 ( 931年9月 日 に ) 近い日 曜 日 に、 毎 年 執 り 行 な わ れ る も 領事館など来賓の方々と一緒に の で、 今 回 で 回 目 と な り ま す。 な り、 地 元 に 保 存 運 動 の 中 心 と 私 た ち は、 今 年 も、 こ の 慰 霊 供 なっておられる加藤さんの案内 養祭に留学生を含む学生を伴っ で ト ン ネ ル の 中 を 見 学、 当 時 の て 参 加 し ま し た。 今 回 は 地 元 の 様子など貴重な話を聞くことが 青 年 と の 交 流 も で き て、 と て も できました。 意義深いものとなりました。 2時から始まった慰霊供養祭 で は、 お 昼 の 豪 雨 の 影 響 か、 例 今年は名大祭の有志企画で一 緒になった留学生2名と学生2 年 よ り 少 な い 参 加 者 で し た が、 名、 教 職 員 2 名 で 参 加、 前 日 の 厳か且つ力強い弔いのことばが 快 晴 と は 打 っ て 変 わ っ て、 途 中 続 き、 明 白 寺 住 職 の 読 経 の な か、 豪 雨 に 遭 遇 し ま し た が、 現 地 に 黙 祷 を さ さ げ、 参 加 者 全 員 で 焼 付 く 頃 に は 雨 も 上 が り ま し た。 香 を し た 後、 平 和 の 鐘 を 鳴 ら し 現地で地元の青年ら4名も加わ て散会となりました。 り、 化 石 博 物 館 の 隣 に 常 設 さ れ 私たちは日中不再戦の誓いの て い る ト ン ネ ル 跡 に 入 っ て、 化 碑の前で記念写真を撮 石 の 白 い 貝 殻 と と も に、 ダ イ ナ り、 隣 接 し て い る 公 園 マイトを仕掛けるためにあけた の東屋で感想交流を行 穴 鉄 い ま し た。 交 流 会 の 最 ( 棒で突く や ) ツルハシで壁 面 を 欠 い た 跡、 腐 っ て な く な り 後 に、 地 元 の 大 野 さ ん そうなカンテラを掛ける鉄金具 養 ( 護学校の教員 が )心 な ど を 見 た あ と、 公 園 の 喫 茶 店 にしみる歌声を披露し に 入 っ て 昼 食 を と り な が ら、 自 て く れ た こ と で、 こ れ 己 紹 介、 そ の 後、 生 協 教 職 員 委 までの慰霊祭とは一味 員 会 の メ ン バ ー で あ り、 地 元 土 違った感動もありまし 岐の平和運動に携わっておられ た。 る 柴 田 さ ん か ら、 慰 霊 供 養 祭 が この交流では留学生 42 不再戦の誓い﹂という文字が大 に 大 変 で し ょ う。 そ れ か ら、 工 き く 刻 ん で あ り ま す。 こ の 立 派 事 現 場 の 温 度 は と て も 低 く て、 中日友好のあかし な碑は瑞浪市民の力で立てたよ 私たちは 分ぐらいでも耐えら 孫 利偉 留学生委員会 と地元の加藤さんが誇り高く語 れ な い 状 態 で し た。 そ の 時 の 労 働者たちはもっと大変だと思い り ま し た。 そ の 加 藤 さ ん は か つ 今日は瑞浪市で開催された中国 ま す。 そ し て、 栄 養 が う ま く 取 て 地 下 工 場 の 建 設 を 目 睹 し、 今 人殉難者慰霊供養祭に参加しま れ な い の で、 人 の 中 国 人 は 日 そここことかつての状況を熱心 し た。 第 回 と う い こ と に 感 動 本 で 命 を 失 い ま し た。 資 料 に よ に 語 っ て い ま す。 と こ ろ ど こ ろ し ま し た。 こ の よ う な 静 か な と 悲惨な話が出て聞くだけでも気 ころに中国人の殉難者のために、 る と 最 年 長 者 は 歳 で、 最 年 少 者 は 歳 で す。 人 間 は 人 間 と し 持 ち が 重 く な る の に、 語 る 側 が 年間続けてわざわざ式典を開 どうやって自分の気持ちを乗り く こ と が 素 晴 し い と 思 い ま す。 て 生 き ら れ な い こ と は 非 常 に 残 念に思います。 越えたかを不思議に思いました。 こ れ は ま さ か 中 日 友 好 の あ か し おそらくいろんな経験が積み重 だと考えています。 し か し、 中 国 人 の 強 制 労 働 者 の悲惨な生活状況を見た近所の な っ て き て、 い ろ ん な こ と を 見 中国と日本は一衣帯水の隣国 日本人の人達はすごく同情して、 抜いたからかもしれません。 で す。 古 く か ら 友 好 交 流 の 歴 史 サツマイモなどの食べ物を強制 が 続 い て い ま し た。 し か し、 中 供 養 祭 が 終 わ っ た 後、 核 燃 料 労 働 者 に 与 え ま し た。 こ の よ う 再 処 理 の 研 究 所 に 行 き ま し た。 日 戦 争 で 中 国 と 日 本 の 関 係 が 悪 に生き残された中国人が労働を 今回の供養祭を案内してくれた くなったことは非常に残念なこ 終 え て 中 国 に 帰 る と き に、 ち ゃ 柴田さんが核燃料再処理のこと と で し た。 し か も、 戦 争 中、 中 ん と 村 の 家 々 に ま わ っ て、 お 礼 も 紹 介 し て く れ ま し た。 す る と、 国 人 だ け で は な く、 朝 鮮 人 を も を 言 い ま し た。 人 は お 互 い に 支 話題が 世紀の戦争の話から今 日 本 に 強 制 的 に 連 れ て き て、 重 世紀のエネルギー問題に変わり え合うことがあったからこそ生 労 働 を さ せ ま し た。 当 時、﹁ 労 工 ました。しかし、どちらの場合も、 狩 り 作 戦 ﹂ と い う 言 い 方 も 存 在 き ら れ る よ う に な り ま す。 こ れ 日 本 が 巨 大 な 列 車 に 乗 っ て、 行 は ま さ か そ の 証 明 で す。 人 間 は し ま し た。 こ の 言 い 方 か ら、 当 方が分らないまま走っているよ 人間として生きられることは平 時の労働状況がどのように残酷 う な 感 じ で す。 も ち ろ ん エ ネ ル 和 だ と 思 い ま す。 そ し て、 中 国 なのかは少し分かるようになり ギー不足は中国を含む全世界が と日本の近代の友好交流のみな ま し た。 こ の 人 達 に 提 供 さ れ た 抱えている問題でもあります。 も と は こ こ に あ る こ と が、 私 は 宿舎は風呂なしの非常に悲惨な 今回の旅は決して重い話だけで 強 く 感 じ ま し た。 中 日 友 好 の あ バ ラ ッ ク な ど で す。 食 事 と し て は な い で す。 富 士 山 と 八 ヶ 岳 の か し と し て、 こ の 慰 霊 供 養 祭 を は小麦粉とこぬかで作ったパン 由 来、 水 の 神、 火 の 神、 三 国 志 し か あ り ま せ ん で し た。 し か も、 永遠に続けてほしいです。 な ど、 車 の 中 で 河 合 さ ん や 同 行 一 日 3 個 し か も ら え ま せ ん で し 私 は 日 本 に 来 る 前 に、 平 和 の学生さんと四方山話をして時 について自主的に考えること た。 こ の よ う な 厳 し い 生 活 状 況 のたつのも忘れました。 は ほ と ん ど あ り ま せ ん。 し か で重労働が任せられたのはいか 20 42 42 17 15 61 39 し、 今 年 8 月 に、 Peace Now というセミナー Hiroshima2008 に 参 加 し た お か げ で、 平 和 に つ いていろいろ考えるようになり ま し た。 特 に、 被 爆 者 の 話 が と て も 印 象 的 で し た。 戦 争 を 無 く す こ と、 核 兵 器 を 無 く す こ と は 正直にいうと私たちにはできま せ ん。 私 た ち 若 者 が 今 で き る こ とは思いやりのこころを持って、 人 々 と 暖 か く 接 す る こ と で す。 お互いに思いやりを感じさせる ことも世界の平和に繋がってい る と、 私 は 強 く 信 じ て い ま す。 今 日 の 慰 霊 供 養 祭 を 通 じ て、 何 十 年 間 に 中 国 と 日 本 の 間 に、 こ のような思いやりも存在してい た こ と が 分 か り ま し た。 中 国 と 日本は永遠に不再戦だけではな く、 世 世 代 代 に こ の よ う な 友 好 を 続 け て ほ し い で す。 こ の よ う な暖かい思いやりをできるだけ 多 く の 人 々 に 知 ら せ、 こ れ か ら の中日友好交流をもっと広げた い と 思 い ま す。 自 分 は 微 力 な が ら、 一 生 懸 命 に 頑 張 り た い と 考 え て い ま す。 そ し て 今 日 は い ろ い ろ な 人 に 出 会 っ て、 い ろ い ろ な 話 を 交 流 し て、 と て も い い 勉 強 に な り ま し た。 あ り が と う ご ざいます。 − 11 − − 12 − 全国の取り組みに学びながら 本の大学生協のユニークさを柔 生、 ま と め 役 と し て 岩 手 大 学 副 軟な発想で原則を忘れずに発揮 総長の玉真之介先生から生協運 教職員委員長 皆川 清 し て い っ て ほ し い と 話 さ れ ま し 動 を 通 じ て 教 員・ 職 員 が も っ と た。 特 別 報 告 と し て 高 橋 能 彦 新 学生の教育に頑張っていかなく のリアルな姿と大学生協を通じ 潟大学農学部フィールド科学教 てはならないとまとめられまし 9月 日から 日にかけて新 て 教 員・ 職 員 が で き る こ と — 潟大学と朱鷺メッセにおいて全 と 育研究センター教授から農学部 た。 夕 方 か ら は 新 潟 大 学 生 協 食 題 し て 行 わ れ ま し た。 参 加 者 は 国教職員セミナー2008が開 で採れたお米を利用してお酒を 堂でのおもてなしで楽しい懇親 催 さ れ ま し た。 こ の セ ミ ナ ー は 北海道から鹿児島までの大学か 製 造 す る﹁﹃ 新 雪 物 語 ﹄ の 取 り 組 会が行われました。 ら 名 余 の 教 職 員・ 生 協 職 員・ 全国の大学生協の教職員や生協 みについて﹂報告がありました。 翌朝9時半から 1 ( 大 ) 学生協 学生の皆さんが集いました。 職員が一堂に会して大学と大学 の 教 育 支 援、 2 ( 大 ) 学生協の取 休 憩 の あ と、 メ イ ン テ ー マ に 名古屋大学生協からはセミ 生協について問題点などを話し り 組 む 環 境 問 題、 3 大 学 生 協 よるパネルディスカッションが ( ) ナ ー 実 行 委 員、 分 科 会 司 会 者 の 合 い、 交 流 す る も の で す。 オ リ の 進 め る ﹁ 食 育 ﹂、 4 行 わ れ ま し た 。 パ ネ リ ス ト と し ( 学 ) 生と共 2名が前日の実行委員会から参 ン ピ ッ ク の 年 に 開 催 さ れ、 前 回 に 平 和 を 考 え 国際交流を深める て 名 古 屋 大 学 副 総 長 の 杉 山 寛 行 加、 当 日 は 飛 行 機 で の 参 加 2 名、 の大阪教育大学から4年が経過 先 生 に は 大 学 全 入 時 代 と 都 市 、 活 動 、 5 ( 教 ) 職員の組織と参加 新幹線での参加2名の教職員委 しています。今回のテーマは﹁﹃大 の 5つの分科会に分かれて活発 地 方 に よ る 偏 在 、 格 差 の 進 行 、 学淘汰時代﹄の大学と大学生協﹂、 員 と 専 務 理 事 の 7 名 が 参 加 し ま 財 政 面 で の カ ッ ト に よ る 教 育・ に 問 題 提 起 と 意 見 交 換・ 交 流 が 大 学・ 学 生 した。 サブテーマとして — 研究の劣化などについて話され、 行われました。 日の 時から全体会があり、 愛 媛 大 学 の 佐 藤 浩 章 先 生 か ら は 午後からはオプションとして 新潟大学の栗生田忠雄実行委員 全国書籍事業推進委員会主催に 他国に比べてキャリア教育がほ 長 の 開 会 挨 拶、 冨 田 宏 冶 全 国 大 とんどなされないまま社会に出 よ る﹁ 書 籍 オ プ シ ョ ン 企 画 ﹂ に 学生協連教職員委員長 関 全 員 で 参 加 し ま し た。 出 版 業 界 される。もっと大学生の内にキャ ( 西学院 大学教授 挨 リア教育を行う必要性があるの の不況についてみすず書房の田 ) 拶、来賓として下條 文武新潟大学学長の挨拶があり で は な い か と い う も の で し た。 崎洋幸さんから市場の縮小、ネッ ま し た。 そ の 後、 庄 司 興 吉 全 国 宮崎大学の江藤敏治先生からは ト 書 店 の 台 頭、 中 小 書 店 の 廃 業 大学生協連合会長理事による﹁グ 学生の活動とその成果を報告す 続出など激しい変化が進行して ロ ー バ ル 化 と 大 学 生 協 の 課 題 ﹂ ることで学生の学びを評価され いる厳しい状況が報告されまし と 題 し て 講 演 が 行 わ れ ま し た。 た こ と 、 山 梨 県 立 大 学 の 藤 谷 秀 た 。 予算カットから全国の公共 凄まじいまでの地球的規模の市 先 生 に は 生 協 を 作 る こ と に よ っ の 図書館の購入がきわめて少な 場 化 が 進 み、 自 然 環 境 や 人 間 身 て 消 費 生 活 の 改 善 の み で は な く くなっていることも話されまし 体 も 例 外 で は な い。 人 間 的 な 生 た。 イ ン タ ー ネ ッ ト の 進 行 が 一 大 学 作 り へ の 学 生 の 参 画 や 大 学 活を取り戻すために生産者がわ の 活 性 化 に 貢 献 し て い る こ と が 因なのか学生の読書離れが依然 か る も の を 仕 入 れ 利 用 す る、 電 と進んでいて大学生協でも長期 話 さ れ ま し た 。 コ ー デ ィ ネ ー タ 子情報化の積極的逆用などで日 として日本女子大学の福本俊先 利 用 減 少 が 続 い て い ま す。 そ の 12 13 全国教職員セミナー 2008 でのパネルディスカッション風景 320 12 13 るアンケート調査を基に報告が のアイデアを生かせないだろう 中で教員が学生に与える影響は 徹夜で多くの犠牲者を出しなが 多 い と 思 わ れ ま す。 き ち っ と 教 ら 工 事 が 進 め ら れ ま し た。 そ の 行 わ れ ま し た。 朝 食 の 必 要 性 に かと思いました。 3 人 目 は、﹁ ミ ー ル プ ラ ン に よ 科書のなどの教材を先生方に提 延 長 は 数 ㎞ に 及 ぶ そ う で す。 つ い て は、 朝 方 の 生 活 を し て い この工事は全て極秘に行われて 案 す る、 新 潟 大 学 の 教 員・ 学 生 る学生は夜型の生活をしている る食育 支 (援 事 ) 業の実践﹂と題 学 生 に 比 べ て 授 業 に 集 中 で き、 し て 大 学 生 協 中 国・ 四 国 事 業 連 に よ る 書 評 誌﹁ ほ ん の こ べ や ﹂、 い て、 も し 完 成 し て い た ら 作 業 者全員抹殺されていたであろう 全国的行っている読書マラソン 合職員の朝日喜久雄さんによる 朝食を食べた学生は朝食を食べ ミールプランの取り組みでした。 なかった学生より授業に集中で と の こ と で し た。 従 軍 慰 安 婦 の 大賞など様々な活動を通じて自 問題はここでも行われていたと 分の血や肉になる知識は本を通 生 協 が 行 う 事 業 を、 学 生 の 食 習 きるというアンケート結果が得 慣を転換し、健康を保障する﹁食 ら れ た そ う で す。 そ の た め、 生 の こ と で す。 ま た、 学 生 達 と 一 じて吸収していくことの重要性 緒にゆっくり見学したいと思い をねばり強く教えていくことが 育事業﹂ととらえ、①ミールカー 協理事会では朝食を食べる習慣 ド、 ② 食 育 サ ポ ー ト、 ③ ヘ ル ス ながらこの地をあとにしました。 を 身 に つ け て も ら う た め、 ミ ー 重 要 と 思 わ れ ま す。 夕 方 ま で で このあと高速に再び入り延々と セミナー関係の行事は全て終了 フ ー ド、 ④ 食 文 化 の 継 承 を 4 本 ルカード利用者が朝食を食べる 柱とするミールプランの展開に と 円返却するようにしたそう 走って名古屋に戻ってくること しました。 で す。 つ ぎ に、 新 入 生 を 対 象 と ができました。 よ っ て 家 庭 の 食 卓 を 代 行 し、 学 翌 日は教職員委員全員で佐 渡 観 光 に 行 き ま し た。 佐 渡 金 山 生の食週間を転換して健康を保 して料理教室を開催したという このセミナーで学んだことを 報 告 が あ り、 自 分 で 料 理 す る こ 生 協 の 活 動 に 生 か し、 い ろ い ろ や 佐 渡 歴 史 伝 説 館、 牡 丹 で 有 名 障 す る こ と と 定 義 し た 結 果、 食 な 長 谷 寺、 朱 鷺 が 保 護 さ れ て い 堂の利用も5年間で1・5倍に増 とで偏食を克服できる可能性も な問題に皆さんと共に考えてい あ り、 食 に 対 す る 意 識 が 増 し た きたいと思います。 る朱鷺の森公園などを見学して えたという報告がありました。 き ま し た。 佐 渡 伝 説 記 念 館 の 売 そうです。 店ではかの有名はジェンキンス 次 の 報 告 は、 農 業 と 食 育 と 題 第4分科会報告 第3分科会報告 さんが元気に働いておられまし し て、 新 潟 大 学 の 粟 生 田 忠 雄 先 学生と共に平和を考え 大学生協が進める﹁食育﹂ 生による生産現場からの教育に た。 日は朝から高速道路に入り、 つ い て 報 告 さ れ ま し た。 新 潟 大 ︵伊藤 国祭交流を深める活動 耕︶ 途中長野インターで降り松代大 学農学部ではフィールド科学教 ︵柴田敏之︶ 本 営 が 予 定 さ れ て い た 象 山 地 下 第 3 分 科 会﹁ 食 育 に お け る 大 育研究センターのサテライト実 最初に次の四つの報告を聞き 学生協の役割と可能性﹂に参加 壕 を 見 学 し て き ま し た。 軍 部 が 習として1年生を農業の生産現 ました (( 内 し ま し た。 初 め の 報 告 は 昨 日 の 本土決戦の最後の拠点として昭 場 に 連 れ 出 し て い る そ う で、 参 ) は報告者 。)一、名 古屋大学生協教職員委員会の平 パネルディスカッションのパネ 加学生は何かを感じ取っている 和 年 月 日 時 着 工 し、 終 和の取り組み 箕 リストでもあった宮崎大学の江 戦の翌 年8月 日までの9ヶ よ う で、 大 学 生 協 と し て も 学 生 ( 浦昌之 名 = 古屋 大学 、)二、学生が取り組む平和・ 藤 敏 治 先 生 の﹁ 食 へ の 意 識 を い 月の間に当時の金で2億円の巨 の 食 育 と い う 観 点 で、 食 の 生 産 国際活動 森 かに育てるか﹂~宮崎大学お料 現場に目をむける必要があるの 費を投じて延べ 万人の住民及 ( 田春菜 大 = 学生協連 学生理事 、)三、個性化科目﹁平 理 教 室 を 通 し て ~ と 題 し て、 宮 び朝鮮人の人々が労働者として で は な で し ょ う か。 名 大 の 農 学 和を考える﹂と副専攻﹁平和学﹂ 部にも畑があるので今回の報告 強 制 的 に 動 員 さ れ、 1 日 3 交 替、 崎 大 学 で 行 っ た 生 活 習 慣 に 関 す 15 11 300 15 19 20 11 14 11 10 100 − 13 − 山 (崎 健 新 = 潟 大 学 教 員 、) 四、 京滋奈良地域センター平和推進 委員会の活動 大 ( 学生協京都滋賀 奈良地域センター学生理事 。) 名 古 屋 大 学・ 箕 浦 氏 の 報 告 は、 ﹁平和憲章﹂のある大学として学 内の諸団体で構成する平和憲章 委 員 会 と し て、 ま た 生 協 独 自 に も 活 動 を す す め て い る と し て、 平和憲章エッセイ募集の取り組 み、 名 大 祭 に お け る ミ ニ 平 和 資 料館設置の取り組みなどの紹介 と、 と り わ け 名 大 の 豊 川 キ ャ ン パスにある元豊川海軍工廠跡の 見 学 と 保 存 の 活 動 と、 毎 年 9 月 に岐阜県瑞浪市でおこなわれる ﹁ 中 国 人 殉 難 者 慰 霊 供 養 祭 ﹂ に、 学生や留学生にも呼びかけて参 加していることを詳しく紹介し ました。 大学生協連学生委 森田さん ( 員 の ) 報 告 は、 大 学 生 協 連 の ヒロシマ・ナガサキ・ Peace Now! オ キ ナ ワ の 企 画 と、 日 韓 大 学 生 協学生交流セミナーの紹介があ りました。 新潟大教員 の ) 報告 山崎先生 ( は、 新 潟 大 で は 1 9 9 4 年 か ら 全学共通教育の総合科目郡とし て﹁ 平 和 を 考 え る A、 B ﹂﹁ 平 和 新潟﹂の3コマを開 を考える 講 し、 定 員 名 の と こ ろ に 名 の 応 募 が あ る こ と、 2 0 0 6 年 IN 150 400 からは副専攻制度がはじまり﹁平 しまった。復活しませんか。 食会 昼食を食べながらいろいろ ( な問題について話し合う に 和学﹂を開講しているというこ ) つい て愛媛大学の松野尾裕先生から と で す。 こ れ ら は 数 人 の 教 員 が 第5分科会報告 は今後厳しい状況に対応するた 交 代 で 担 当 し、 受 講 生 に は 単 位 教職員の組織と参加 めに加入や広報活動について話 も 出 る と い う こ と で し た。 運 動 ︵皆川清︶ し 合 っ た り し な が ら 教 職 員 向 け 生理学が専門である山崎先生も の 加 入 案 内 を 作 成 し た り、 文 化 担 当 教 員 の 一 人 で す が、﹁ 私 の 場 レ ク 活 動 を 行 っ て い る、 島 根 大 合、﹃スポーツと平和﹄というテー ﹁教職員の中に多くの生協ファ マ で 授 業 を や っ て い ま す ⋮﹂ と、 ンをひろげるために﹂と題した、 学 か ら は 中 川 政 樹 先 生 よ り 教 職 この分科会は2003年から始 員 の 多 忙 化 に よ り、 理 事 会 へ の 少しだけ内容の紹介がありまし まった京都大学生協と名古屋大 出席が低調になってきたことを た。 学生協の教職員委員会の交流会 受けて昼食懇親会や昼食食べな 京都滋賀奈良地域センター平 が年々その輪が広まり北海道大 がらの理事会を開催したところ、 和 推 進 委 員 会 の 報 告 は、 舞 鶴 に 学、 東 京 大 学、 大 阪 大 学、 広 島 高い出席率で大変好評であった 残 る 戦 争 遺 跡 の 見 学 な ど、 主 に 大 学 の 参 加 を 得 て、 こ れ ま で に との報告がありました。 フィールドワークの活動紹介で 京 都 大 学、 名 古 屋 大 学、 東 京 大 つ づ い て、 早 稲 田 大 学 生 協 の した。 学、 広 島 大 学 と 生 協 の 施 設 見 学 報告で西尾昌樹さん キ ( ャリアセ 四 つ の 報 告 の 後、 討 論 を お こ を 含 め て 経 験・ 交 流 を 年 1 回 ず な い ま し た。 討 論 で 私 の 印 象 に ンター課長 、)和久井洋一専務理 つ 開 催 し て き ま し た。 今 回、 全 事 よ り、 累 積 赤 字 2 億 6 千 万 円 残った発言をあげてみます。 国教職員セミナーを開催するに よ く﹁ 平 和 と は 何 か ﹂ が 議 論 から教職員ワーキングによる﹁生 あたって全国教職員委員会より 協の役割﹂として大学コミュニ に な る が、 平 和 は、 人 間 の 全 面 教職員の組織と参加について一 発 達 を 保 障 す る こ と を 指 し、 平 ティとして不可欠な存在として 分 科 会 と し て 開 催 要 請 が あ り、 の 生 協 と し て の 活 動 を 継 続 し て 和 で な い 状 態 と い う の は、 人 間 他の大学生協にも示唆を得るこ の全面発達を阻害する状態のこ 昨年度 2 ( 007 に ) 年をかけ とがあるのではないかというこ て累積赤字を解消してきたこと、 とだと思う。 と で、 分 科 会 と し て 開 催 す る こ その都度中期計画を実行してき 大学生協の平和活動では学生・ とになりました。 たこと、メインテーマとして﹃声 院 生・ 教 職 員 が 共 に 学 ぶ こ と が できる優位さがある。 を か た ち に、 参 加 を 力 に ﹄ を 掲 参 加 者 は 名 を 超 え、 一 番 多 く の 参 加 者 を 得 る こ と が で き、 げ て﹁ 生 協 の 価 値︽ 観 ︾﹂ を 伝 え 最後に、私の感想を。 期 待 の 高 さ が 感 じ ら れ ま し た。 る こ と を 怠 ら な い、 生 協 事 業 へ 新 潟 大 学 で 続 い て い る﹁ 平 和 まず初めにこの分科会開催の経 の 協 学 ﹂ の 講 義 は す ば ら し い。 名 大 < 力者 を > 作ることを肝に 銘じて活動していることが報告 で も か つ て は 存 在 し て い た が、 緯 を お 話 し し、 各 大 学 生 協 か ら 報 告 を し て い た だ き ま し た。 昼 ﹁教養部改革﹂とともに消滅して されました。 70 16 − 14 − 新潟大学の鈴木恵先生からは 学 生 に 積 極 的 に 読 書 に 楽 し み、 そ の 大 切 さ、 楽 し さ に 触 れ て も らうことを目的に 頁立ての書 評 誌﹃ ほ ん の こ べ や ﹄ を 春 と 秋 の 年 2 回 発 行 し、 通 算 号 継 続 してきていることが話されまし た。 投 稿 者 は 教 員 名、 学 生 2 名で特集コーナーや自著を語る コ ー ナ ー、 ア ン ケ ー ト な ど 充 実 さ せ て き て、 ア ン ケ ー ト の 回 答 者に進呈していた図書カードを 抽選 名から先着 名にしたと 50 新潟大学の「ほんのこべや」の取り組みを紹介する鈴木先生 こ ろ、 う な ぎ 登 り に 増 え 名 の 方々から回答があったとのこと でした 全 ( 員に進呈したそうで す 。)2006年から pdf 化して ホームページにアップして卒業 生を中心にした愛読者の要望に 応えている。 お店の改善点などが見つかった り、 意 気 が 上 が り 活 動 に 広 が り が生まれるのではないかという ことで分科会を終了しました。 教 職 委 員 セ ミ ナ ー 2008に参加して であった。 全体会では農学部で作られた コメで純米吟醸を造っているこ と に び っ く り し た け れ ど、 学 生 さんの実習で成り立っているこ と を 聞 い て、 名 大 で も 出 来 れ ば い い な と 思 っ た 次 第 で す。 お 開 き の 時、 残 っ て い た 一 本 を 専 務 が も ら っ て き て く れ た の で、 皆 さ ん と 飲 も う と 思 っ た け れ ど、 さすが酒どころの新潟で開かれ た 交 流 会、 東 海 で 集 ま っ た 2 次 会 で 飲 み す ぎ た の か、 少 し 飲 ん だだけで気がついたら家にまで 持 っ て き て い ま し た。 二 日 目 は 朱鷺メッセで教育支援の分科会 へ 参 加 し、 九 州 工 業 大 学 で の 取 り 組 み 学 年 横 断 型﹁ わ く わ く 工 学プロジェクト﹂が印象的であっ た。 引 き 籠 り、 そ し て 退 学 と い う 現 象 を く い 止 め る の に、 自 ら 参 加 す る﹁ 何 か ﹂ が 有 効 で あ る ことを再確認することができた。 − 15 − 123 (URL:http://www.nuc.jp/ ︵星野 香︶ honnokobeya/honkobemenu 2.html) 早朝の飛行機しか無いとの事 こ の 活 動 が 学 生 の 活 字 離 れ、 で、 5 時 前 に 目 を 覚 ま し 一 番 列 書籍離れに一役買えば言うこと 車 に 乗 っ た。 調 子 が 出 な い の で はないと報告されました。 搭乗前に泡の出てくる注射液を 京都大学の生駒時秀さんから 購 入 し て ご ま か す 事 に し た。 8 はこれからの生協にとって教職 時半には新潟駅にバスで着いた 員 の 理 事 だ け で は な く、 地 道 に が、 喫 茶 店 を 見 つ け ら れ な く て 活動する組織委員の重要性を訴 え ま し た。 そ の 後、 東 大、 名 大、 コ ー ヒ ー は 飲 め ず、 会 議 は 午 後 なので観光用の巡回バスに乗る 京 大、 広 大 か ら 手 短 に 各 大 学 生 も何処へ行こうか決めてないの 協や教職員委員会の状況が報告 で、 付 和 雷 同 を 決 め 込 み、 多 数 されました。 の方が下りられた水道のタンク 教職員の高齢化で悩んでいる の 上 に 作 ら れ た 展 望 台 へ 行 き、 大 学 は 多 く 出 さ れ ま し た が、 各 ピザトーストとコーヒーを頼ん 大学の状況によって学生や院生 で数十分で一回転する椅子でく と 一 緒 に 活 動 し た り、 教 員 理 事 つろぐも佐渡が見えなく残念で が定期的に集まって話し合いを あ っ た。 新 潟 大 学 と 名 の 付 く バ 持 ち、 年 に 1 回 で も 2 回 で も 企 ス停が4個あるのにびっくりし 画 を 行 い、 教 職 員 組 合 員 参 加 者 つ つ 何 と か 会 場 に 辿 り 着 き、 食 と 楽 し い 時 間 を 作 り、 そ れ を き 堂でつけ麺 和 ちんと報告していくことが重要 ( そば を ) 頼んだら で は な い か と い う こ と で し た。 大 き な ど ん ぶ り に 中 華 風 汁 が 出 て き て、 周 り の 意 見 を 尊 重 し て ま た、 各 地 域 の 大 学 生 協 同 士 で 汁にとろろをぶち込んだら失敗 施設見学や交流会を持つことも 会場ロビーで紹介した名大生協の取り組み 150 43 100 34 つ 。 長 さ に し た ら 、 2 ㎞ も な い る 何 本 か の 道 路 の 内 の 一 だ っ た 。 お 城 の 西 側 に 通 っ て 道 路 と で も 付 け た い く ら い が 言 え な い け れ ど も 、 ケ ヤ キ い な い の で 、 そ の 道 路 の 名 前 の 場 合 を 除 い て 名 前 が 付 い て 並 木 。 名 古 屋 の 道 路 に は 特 別 が 旧 い 東 い 海 。 道 を 走 っ た 。 一 里 塚 が ン ヤ リ す る が 、 木 の 香 が 気 持 ち の 気 持 ち は 格 別 。 冬 は そ こ は ヒ 公 園 に 沿 っ た と こ ろ を 走 る と き を 通 る 東 山 通 り の 南 側 、 つ ま り 、 提 供 し て い る 。 東 山 公 園 の 北 側 ら こ ち ら に 気 持 ち の い い 木 陰 を 銀 杏 、 楠 、 シ ン ジ ュ な ど は あ ち カ エ デ 、 プ ラ タ ナ ス 、 ポ プ ラ 、 わ れ る が 、 盗 む に も あ る 程 度 の ﹁ 仕 事 は 盗 む も の 、 と は よ く 言 し ま う こ と が お お い も の だ ﹂ ら ず 、 分 か っ た つ も り に な っ て 何 も 理 解 し て い な い に も か か わ 切 で あ る が 、 大 事 な の は そ の さ れ て い る 。 言 葉 の 説 明 は 大 れ は 、 包 丁 職 人 飯 嶋 重 房 さ ん に 共 通 し た こ と で あ る が 、 こ い か も 知 れ な い 。 そ ん な に 広 力 量 が 必 要 ﹂ 時 期 で あ る 。 分 か ら な い も の 処 の 世 界 も 同 じ ﹂ の 説 明 ﹂ の 限 界 が 遺 憾 な く 示 る が 、 最 初 の 言 葉 に は ﹁ 言 葉 ﹁ 楽 を 覚 え る と 堕 落 す る の は 何 ど れ も 味 わ う べ き 言 葉 で あ の 言 葉 だ 。 一 番 良 か っ た の は ケ ヤ キ の 達 人 と 言 わ れ る よ う な 職 人 果 は ゼ ロ 。 他 に も 、 メ タ セ コ イ ヤ や ト ウ ﹁ 言 葉 で 説 明 さ れ る と 、 本 当 は も あ れ ば の 話 し だ 。 日 よ け 効 麗 で は あ る が 、 そ れ は 庭 に で セ ン ス だ と 思 っ た 。 確 か に 綺 今 回 も 百 日 紅 の 街 路 樹 は ナ ン 一 部 か ら は 反 論 が あ っ た が 、 い 。 以 前 に 書 い た こ と が あ り 、 け の 効 果 の あ る 街 路 樹 は 少 な い こ と も あ る け れ ど も 、 日 よ い い 陰 を 作 っ て い た 。 に と ぎ れ と ぎ れ で は あ っ た が 、 若 宮 大 通 り は ト ウ カ エ デ が 歩 道 が 、 ケ ヤ キ 並 木 が 涼 し か っ た 。 白 川 公 園 の 西 側 に も 距 離 は 短 い あ っ た 。 こ こ も ケ ヤ キ だ っ た 。 熱 田 神 宮 の 東 側 に も い い 並 木 が え 涼 し い が 、 木 陰 に は 叶 わ な い 。 達 人 の 概 し て 言 う な ら ば 道 幅 の 広 作 っ て い る 。 高 速 通 り の 陰 で さ た 。 久 屋 通 り は 余 り 通 る 機 会 は 言 葉 − 16 − が よ く 分 か っ た 。 け に 、 街 路 樹 の 日 よ け の 役 割 ぎ な い け れ ど も 。 暑 い 最 中 だ て も 全 体 か ら 見 れ ば 一 部 に 過 を 自 転 車 で 走 り 回 っ た 。 と 言 っ ヤ キ で は な い が 、 涼 し い 木 陰 を の 景 雲 橋 か ら 東 片 端 ま で も 、 ケ 度 は 低 く 感 じ ら れ た 。 外 堀 通 り こ を 通 っ た と き は 、 温 度 が 二 三 き な ケ ヤ キ が 植 わ っ て い る 。 こ 陰 は ほ ん の 少 し に な っ て し ま っ 坂 が き つ い 。 桜 通 も 、 銀 杏 の 木 塩 竃 神 社 当 た り は 木 陰 は 多 い が 、 の 植 田 当 た り に も あ る 。 八 事 の た 結 論 で あ る 。 ︵ T ︶ 広 く 張 る ケ ヤ キ だ 。 こ の 夏 得 げ る と す れ ば 、 や っ ぱ り 枝 を る 色 々 な 木 の 中 で 、 一 つ を あ 下 な ど は 涼 し い 。 こ れ は 、 天 白 枝 を 張 っ て 涼 し い 木 陰 を 作 言 暑 い さ な か 、 名 古 屋 の 町 中 街 路 く は な い が 道 の 両 側 に か な り 大 樹 た め 交 通 量 が 少 な い か ら だ 。 崖 も 涼 し い 。 こ れ は 、 車 に 不 便 な ら れ な い 。 鳴 海 に 抜 け る 当 た り だ け で 、 こ れ は と い う 並 木 も 見 非 止 め て 欲 し い 。 盛 り か ら 伐 採 し て い る の は 是 は 大 変 だ が 、 此 の 枝 を 夏 の 真 っ 秋 の ケ ヤ キ に し ろ 、 落 葉 の 時 笠 寺 の 南 に あ る が 、 そ の 他 に は 古 そ う な 道 の た た ず ま い が あ る 春 落 葉 す る 楠 に し ろ 、 な い が 、 木 は 沢 山 あ る 。 魔 魔 い う こ と が 何 か 巻 物 を 与 え ら 物 に 何 か の 極 意 が 書 い て あ る そ ん な に 即 物 的 で は な い 。 巻 話 し を よ く 聞 い た が 、 巻 物 は 話 で 宝 物 と し て 宝 石 類 を 得 る な 雷 赤 て い 鳴 ち い 。 が ゃ た 聞 ん が こ と 、 え 一 安 な 緒 眠 か だ し っ 。 た た 特 か わ に ら け 難 、 で 聴 こ は で の 、 て い た 。 小 生 も 、 あ の 雷 鳴 は 知 っ す や と よ く 寝 た と 言 っ て 感 心 し 赤 ん 坊 は あ れ を 物 と も せ ず す や 孫 、 今 朝 に な っ て 、 あ の 雷 鳴 の 中 、 た 。 こ の 中 、 娘 夫 婦 と 10 ヶ 月 の が 、 も う 、 そ れ が 与 え ら れ れ て 成 さ れ る シ ー ン を 見 た 能 と 思 わ れ た 。 西 洋 の お と ぎ 物 さ え 手 に 入 れ れ ば 何 で も 万 昨 夜 の 雷 鳴 は ひ と き わ 凄 か っ は そ ん な こ と は 分 か ら ず 、 巻 た こ と に は 成 ら な い 。 子 供 に 本 当 は そ れ で は 何 も 宝 物 を 得 け た と こ ろ で 終 わ る の だ が 、 け る 話 が あ っ た 。 巻 物 を 見 付 く 宝 物 探 し の 話 、 巻 物 を 見 付 ﹁ 仕 そ 子 う 事 供 か を の 、 盗 頃 わ み 読 か 取 ん っ る だ た 要 漫 ﹂ 訣 画 。 な に の は だ よ 。 難 勧 告 が 出 て い る 。 た 。 今 日 も 未 だ 多 く の 世 帯 に 避 雨 を 降 ら せ 、 多 く の 被 害 を 与 え 各 地 に 前 代 未 聞 と 言 う ほ ど の 豪 ブ ロ ッ ク さ れ た 型 の 大 雨 の 中 で 、 日 来 の 低 気 圧 ・ 前 線 が 高 気 圧 に 光 、 豪 昨 雨 夜 と と 8 も 月 28 に 日 激 し は い こ 雷 の 鳴 二 、 三 稲 耳 に 異 常 は な い 。 る 。 し か し 、 聴 力 検 査 を す れ ば だ と 我 な が ら 感 心 す る こ と が あ こ ん な 所 に 住 ん で い ら れ る も の と に か く 実 に 騒 々 し い 。 よ く も 工 事 の 音 が 喧 し く 聞 こ え て く る 。 方 か ら 、 い つ も い つ も ど こ か で 日 だ け は 少 し 静 か で あ る が 、 朝 こ と は な い 。 実 に 喧 し い 。 日 曜 中 は 少 な く な り は し て も 絶 え る 四 六 時 中 車 の 往 来 は 多 く 、 真 夜 る が 、 そ の 時 に は ス ッ と す る 。 い 。 時 折 ぱ た っ と 止 む と き が あ 隣 の ビ ル の 空 調 器 の 騒 音 が 喧 し い る だ け の 所 に あ る 。 夜 中 も 近 面 し て は い な い が 、 一 軒 隔 て て ト ル 我 も が 離 家 れ は て 、 名 い 古 な 屋 い 駅 。 か 大 ら 通 300 り メ に ー な の か し ら 。 ︵ T ︶ か ら だ ろ う 。 み ん な 難 聴 な い の は 多 く の 人 達 が 平 気 だ も い る け れ ど も 、 一 向 改 ま ら 合 寛 容 だ 。 そ う じ ゃ な い 人 達 世 の 中 の 人 達 、 こ の 騒 音 に 割 ホ ー ム も 喧 し く な っ て き た 。 う 。 こ の 頃 、 名 古 屋 の 新 幹 線 や か ま し さ は 一 体 何 な の だ ろ る 。 東 京 駅 の 新 幹 線 ホ ー ム の の 大 き さ か ら 乗 り た く な く な 音 並 み だ 。 地 下 鉄 も 車 内 放 送 や ラ ジ オ の 音 も お し な べ て 騒 量 に す る が 、 家 庭 内 の テ レ ビ 小 生 一 人 の 時 は ご く ご く 小 音 を 聾 す る 大 音 量 の 物 が 多 い 。 テ レ ビ の バ ラ エ テ ィ 番 組 も 耳 言 − 17 − 生 か す こ と が 出 来 る 力 量 が 、 た 一 言 、 そ の ワ ン ポ イ ン ト を か り 掛 け た と き 、 核 心 を 突 い 後 の 詰 め 、 自 分 で も 何 と か 分 は そ れ だ け の 修 業 が 要 る 。 最 難 ) に し て も 其 れ が 分 か ら な い も ( の に は 猫 に 小 判 。 免 許 皆 伝 と な い か ら か な と 思 っ て い た 。 の だ 。 仕 事 の 極 意 を 極 め る に の 血 と な り 肉 と な っ て い な い が 多 い の は 事 実 で あ る 。 自 分 実 際 に は 分 か っ て い な い こ と 分 か っ た よ う な 気 に な っ て も 、 に 幾 ら 説 明 し て も 分 か ら な い 。 で き る ま で の 修 業 の 積 み 重 ね こ も の だ ろ う 。 そ れ を 得 る こ と が は 何 も 具 体 性 の な い 訓 辞 程 度 の る か 、 最 後 の 一 言 、 そ れ も 多 分 こ と な ど ど う で も 良 く な っ て い る 力 量 の あ る 者 に は 書 い て あ る 経 験 が 必 要 な の だ っ た 。 ︵ T ︶ 葉 を 理 解 す る に は 、 そ れ だ け の 言 葉 は 何 よ り 大 切 だ が 、 そ の 言 柳 さ ん の 耳 の 良 さ が 書 か れ て ﹁ 遺 言 ﹂ と い う 章 が あ り 、 黒 聴 映 画 館 の 大 音 量 の 音 楽 、 馴 れ れ ば 、 小 生 の 乏 し い 経 験 で も 要 る の だ と い う 。 そ う い わ れ 聴 気 味 で そ の く ら い の 音 量 が れ て い る 。 今 の 若 者 た ち は 難 音 楽 会 や 映 画 館 の こ と も 書 か が 耐 え ら れ な い ほ ど の 音 量 の い る 。 そ の 一 方 で 、 黒 柳 さ ん 国 の ト ッ ト ち ゃ ん ﹄ の 中 に 、 言 葉 の 徒 で あ る 我 々 に と っ て 、 黒 柳 徹 子 さ ん の ﹃ 不 思 議 の そ が 重 要 だ っ た の だ 。 東山キャンパスおよびその周辺のゾウムシ⑧ 路傍の雑草にひそむゾウムシその3 理学研究科 井上晶次 い で し ょ う。 お 土 産 に 頂 い た こ 皆 さ ん ご 存 知 の ヨ モ ギ、 よ も ぎ餅は食べたことのある方も多 よ う で す。 ま た ヨ モ ギ は ヨモギからしか取れない 取 れ て き ま せ ん。 や は り で引っかいても綿状には とのある新潟県の笹団子も緑色 が子どもの頃知っていた 野外で怪我をしたとき﹁血 ﹁血止め草﹂はヨモギでは をしていた記憶があるのでネッ す る と﹁ 灸 を す え る ﹂ な ど と い あ り ま せ ん で し た。 こ れ 止め﹂にも利用されてい うことを聞いた記憶があります も ネ ッ ト で﹁ 血 止 め 草 ﹂ る よ う で す。 し か し、 私 が、 灸 の 原 料 の モ グ サ も ヨ モ ギ を 検 索 す る と﹁ チ ド メ グ で し た。 子 ど も の 頃 悪 い こ と を で乾燥させて葉の裏側の白い綿 サ ﹂ せ り 科 の 植 物 で﹁ 葉 くにあたって調べてみて初めて 物 と 同 じ で し た。 こ の 原 稿 を 書 記憶していた葉に光沢のある植 ま せ ん で し た。 そ こ で、 モ チドメグサなる植物があること − 18 − トで検索するとやはりよもぎ餅 べるにあたっては実態顕微鏡で 毛 か ら 作 る そ う で す。 昆 虫 を 調 を傷口に当てると血が止 グサの話を知って実際にヨ ま る ﹂ と あ り、 そ の 写 真 は 私 が モギの 葉を拡 大してみる と、 ゾウムシ亜科 に ) 属するゾウム シ で、 体 長 3・5 ㎜ 程 度、 真 っ 黒 前回紹介したカナムグラヒメ ゾウムシと同じグループ ヒ (メ 1。エゾヒメゾウムシ しています。 さ て、 東 山 キ ャ ン パ ス で は ヨ モギから3種のゾウムシを採集 を知りました。 実態顕微鏡観察したことがあり 観 察 し ま す が、 植 物 は ほ と ん ど 写真2 左:エゾヒメゾウムシ、右:クワヒメゾウムシ 確かに裏側には白い綿毛が た く さ ん 付 い て い ま し た。 ふわふわした綿のような毛 針の先で引っかくと本当に が と れ て き ま す。 同 じ キ ク 科のキクにもあるのではな いかと庭のキクの葉を拡大 し て み ま し た。 一 見 白 い 糸 状 の 毛 が あ り ま す が、 ヨ モ ギの毛より太くて短く針先 写真1 エゾヒメゾウムシ ゾウムシの名前から北海道を想 で 模 様 は あ り ま せ ん。 エ ゾ ヒ メ 要 が あ り ま す。 東 山 キ ャ ン パ ス り、 や は り き っ ち り と 調 べ る 必 ゾウムシとはいえない場合があ 粉 を つ け て い ま す。 標 本 に ときは鉄サビのような赤い り ま せ ん。 し か し 採 集 し た 良く似ていますが模様はあ するとなぜか赤い粉は取れ の 場 合 も、 農 学 部 の 圃 場 に ク ワ、 ク ワ の 伐 採 集 積 場 が あ り、 す ぐ て し ま い、 鰹 の よ う な 色 と 本 州、 四 国、 九 州 と 日 本 全 国 に 広く分布しています。 その近にヨモギもあります。 像 し ま す が、 北 海 道 は も ち ろ ん、 東山キャンパスには同じよう な 大 き さ で、 真 っ 黒 で 模 様 も な 2。ハスジカツオゾウムシ なります。 く、 よ く 似 た ク ワ ヒ メ ゾ ウ ム シ が い ま す。 こ れ は 名 前 の と お り ま す。 上 翅 に は 斜 め の 白 っ ぽ い 色は濃い黄土色で模様はな ウムシらしくは見えません。 3。サビヒョウタンゾウ ムシ 筋状の模様 斜 ( 筋 ハ = スジ が ) あ り ま す。 こ れ が ハ ス ジ カ ツ オ く、 名 前 に つ い て い る サ ビ は 錆 サビヒョウタンゾウムシはヤ サイの農業害虫として嫌われて 体 形 は 円 筒 状 に 近 く、 色 は 濃 紺色でなんとなく魚の鰹に見え ス 内 で あ れ ば、 採 集 し た 植 物 を 体長は約 の名前の由来だと思っています。 の こ と だ と 思 い ま す が、 私 の 標 お り、 ネ ッ ト 検 索 で も 害 虫 と し ク ワ に 付 く の で、 東 山 キ ャ ン パ 記録しておくとまず間違いはあ ウムシの中では大きいほうです。 本 箱 の 中 で、 す こ し 赤 っ ぽ く 鉄 ての紹介がいくつかヒットしま というのが十数種掲載されてい モギ以外から採集した経験はあ し ょ う。 東 山 キ ャ ン パ ス で は ヨ 体 長 は 7 ㎜ 程 度 で、 短 吻 類といわれ吻が短いのでゾ り ま せ ん。 し か し、 こ れ ら の ゾ 私 の 標 本 箱 に は﹁ 1 9 6 4 年 5 錆のように見えるのはわずかで = す。 こ の ゾ ウ ム シ が ヨ モ ギ に つ くことは紹介されていませんが、 ま す が、 も う 少 し 瓢 箪 ら し い 形 りません。 ㎜程度でゾ ウ ム シ は 飛 翔 す る の で、 採 集 し 月7日 三重県津市旭町﹂のラ よ う で、 な か な か 錆 に は 見 え ま す。 そ の 他 は 泥 が 付 着 し て い る 様々なヤサイの害虫といわれて ㎜から た植物がクワだからクワヒメゾ ベルを付けたこのゾウムシの標 瓢箪の形状には見えず特徴を言 せん。体形もあまりヒョウタン い る の で、 ヨ モ ギ に も つ く の で 状をしているゾウムシは今年の サゴ 瓢 ( ク ) チカクシゾウムシで しょう。 本 が あ り ま す。 一 番 古 い 標 本 が い 表 し に く い ゾ ウ ム シ で す。 図 ウ ム シ、 ヨ モ ギ だ か ら エ ゾ ヒ メ 1963年 中 ( 学1年生 な ) ので そ れ に 次 い で 古 い 標 本 で す。 中 鑑には○○ヒョウタンゾウムシ 東山キャンパスではこれによ く似たイタドリに付くカツオゾ 1・2月号で紹介したアラムネヒ 14 ウ ム シ が い ま す。 ハ ス ジ カ ツ オ な記憶があります。 10 ゾ ウ ム シ よ り 少 し 細 長 く、 色 は − 19 − 写真4 サビヒョウタンゾウムシ 学校の帰り道に採集したかすか 写真3 ハスジカツオゾウムシ ◆今後のレース予定 ( 今年度決定分 ) 10 月 11 日 : 駅伝強化長距離競技会 ( 知多運動公園陸上競技場 )5000m 10 月 18 日 : 名古屋支部選手権 ( 瑞穂北陸上競技場 )5000m 10 月 19 日 : 名古屋支部選手権 ( 瑞穂北陸上競技場 )1500m 11 月 23 日 : 名古屋ハーフマラソン ( 瑞穂陸上競技場発着、名古屋シティマラソンと同時開催 ) 2 月 15 日 : 泉州国際市民マラソン ( 堺市 ) マラソン 市民スポーツ祭典に参加して 最初にこの話を聞いた時は正直言って「何もこ の暑い最中に走るなんて !・・・・」とんでも ない話だと思いました。しかし、市民ランナー にとって秋から始まる本格的シーズンに向けて 暑い夏の走り込みも大事なことかと思い、参加 することとした。僅か 2,000m のことだし、50 歳以上という年齢別でもあり自分自身の目標タ イムを持って走ることだし、瑞穂陸上競技場の トラックを走れるチャンスでもある。 日頃走っている東山キャンパスの周りを走る のとも違うし・・・・・色々な思いを背負って 走る決心を固めた次第である。 案の定当日は酷暑であった。気温も 34° C を超え、グラウンドではもっと高くなっている と思われる。受付を終えスタート時刻を待つ、 流石真夏の RUN で参加者も少ない。好きな者 しか居ない感じだ。したがって走る気が満々の 者ばかりである。自分のペースで走るのが大事 な気がした。自分の申告タイムを目標に走り切 るのが大事だね・・・・そう思いつつ軽めのジョ グをしながら待つ。午後 1 時半過ぎに招集が掛 かりスタートラインに整列。緊張の一瞬である。 号砲が鳴り一斉にスタートする。速すぎるラン ナーにビックリ仰天だ ! 1 周 400m だから僅 か 5 周の所為でみんな激走だ。1 周毎に時計を 見て走った。こうなれば目標タイムを目指そ う・・・・勿論完走であるが、順位は 2 の次で 問題は申告タイムだ。結局目標 8 分 30 秒に対し、 8 分 14 秒で走ることが出来満足した結果であっ た。如何に自分のペースで走ることが大切かを 実感した”酷暑の RUN( 乱 )”であった。今シー ズンも自分のペースで市民ランナーとして色ん な大会を目指して走ろう ! 健康で体が動ける ありがたさを肌で感じながら。走り終わった後 で飲んだ水の美味しいかっったこと感謝です ! (横井益男) − 20 − ランニングノート (1) 名古屋市民スポーツ祭 8 月 17 日 会場:瑞穂陸上競技場 天候:13:00 晴れ 気温:34℃ 湿度:41% 北西の風 3 m 12:45 召集 13:15 競技開始 Result( 教職員関係分のみ ) 伊藤 耕:6 50 85、14 位 /18 位 横井益男:8 14 99、27 位 /36 位 8 月 17 日に名古屋祭りではない名古屋市民の お祭りに参加してきました。出場は、横井、伊 藤 ( 職員 )、学生 2 名、研究員 1 名計 5 名、走 り幅跳びに出場した学生以外は全員 2000m に 出場しました。 しかしこのお祭りの 3 日前まで蓼科に合宿 に行っていて、疲労の抜けきらない状態でのス タートとなりました。2000m のレースという のは長距離走のようですが、そのスターとは短 距離走じゃないの ? というくらいのスピード です。( 先頭は初めの 400m が 70 秒、つまり 100m17 秒 )。この先頭集団につこうかとも思っ たものの、以前 1500m の試合に出た時、入り の 400m を 73 秒で行って失速した経験を踏ま えて、入りの 400m はやや抑えて 79 秒で通過 しました。とはいえ全力で 400m 走って 70 秒 きるのがやっとのぼくです。79 秒というのは 今の走力と、当日の 30 度を越える気温を考え るとそのまま 2000m 押し切れません。実際そ の後のラップは (79″→ 81″→ 84″→ 83″→ 83″ ) 少しずつ低下しています。もう 2 週目の 800m 前後からは乳酸との戦いで、頭の 60% は 「苦しい」、5% は「終わった後何食べようか」、 残りは「空白」で構成され始めます。一番苦し いのは 3 週目で、この 3 週目の 1200m を乗り 越えるともうあとは 2 週です。頭のスイッチを 少しだけ切り替えて 800m 先の天国目指しても う一踏ん張りです。この「頭のスイッチを少し だけ切り替える」というのが言うのは簡単なの ですが、なかなか難しく、今のレベルでは「ん ? 少しペース上げた ?」程度にしかペースアップ できません。これがオリンピックで 5000m、 10000m で優勝したベケレクラスになると 62″ → 53″なんて同じ人間とは思えない切り替えに なります。この「頭のスイッチを少しだけ切り 替える」というのをもう少し言葉を変えて言う と、2000m な ら「1600m と 400m」 、5000m なら「4600m と 400m」というように、全く違 う種目と考え、動きそのものも切り替えていか なければいけません。 こういう苦しいときに、声援があるとほんの ちょっとだけ元気とやる気が回復します。これ が若い女の子の声援だったりするとさらにもう 少しやる気が回復します。ということで、これ を読んで陸上の試合を見てみたいと思った方が いらっしゃいましたら一度瑞穂に応援に来てく ださい。 しかしながら、足りない能力が声援によって 急に発揮されることはないので、普段の練習 を工夫して能力の向上を図るしかありません。 最近の取り組みとしては、前述の「切り替え」 を試合でできるようになるために、たとえば 6000m を 23~24 分で走った後すぐに (300m 全 力 +100mjog) × 2~3 のように、練習の最後に 300m 程度の全力走を取り入れたりしています。 一緒に苦しみに立ち向かう練習仲間も興味のあ る方はご連絡ください。 (伊藤 耕) − 21 − − 22 − ! ース スに に一 一喝 喝! ニュー 100 160 13 二重価格ー非食用米の転売 96 ガソリン価格の高騰 所 で は 人 々 の 活 動 の 足 で あ り、 の 厚 生 大 臣 が 毒 で は な い と 言 っ 影響は大変である。 てみんなの前で試食していたの を 思 い 出 し た。 そ の 時 は、 米 が そのことは確かにその通りで あ る が、 隣 近 所、 と 言 っ て も か 足りなかったので仕方なかった な り 遠 く な る の だ が、 に 行 く に のである。 も 車、 一 寸 の 買 い 物 も 車、 こ れ そ の、﹁ 事 故 米 ﹂ を 廃 棄 す る の で は 溜 ま っ た も の で な い し、 体 は勿体ない 確 ( かにそうだ と ) 言 う の で、 工 業 用 の 糊 の 原 料 に に も 良 く な い。 こ れ を 機 に 少 し 安 く 業 者 に 売 っ た。 そ の 値 段 は、 自分の体を動かして健康体を得 れ ば、 ま さ に、 奇 貨 お く べ し で 1㎏3円から 円という ほ (と 以 上 に な っ た。 少 し 落 ち つ い て んどただ同然 。それを買った業 ある。 こ の 夏 前 か ら、 石 油 の 価 格 が ) も、 円以上。それでも安くなっ ど ん ど ん 高 く な り、 一 時、 1 バ 者 が 、 食 用 と し て 転 売 し た の が、 ガ ソ リ ン 高 に 関 係 な い が、 そ レル ドルになるかと言われ た。 た と 思 う の は、 何 か マ ジ ッ ク に 騒 動の始まりである 転 の テ レ ビ を 見 て い て 驚 い た こ と ( 売価格 2 ヶ 月 前、 ド ル ま で い っ た。 掛かったみたいだ。 は、 倍 か ら 数 十 倍 に 達 す る 。) を 一 つ だ け 。 節 約 し な け れ ば な と こ ろ が、 一 転 下 が り 始 め、 こ の 原 油 高 は、 諸 方 面 に 随 分 見たところでは何も区別が付か ら な い と 言 い つ つ 、 そ の 中 で 、 深 刻 な 影 響 を も た ら し て い る。 ド ル 近 く な っ た。 そ れ で も、 年 歯 磨 き す る と き 、 水 道 の 出 し っ な い。 其 れ を 国 産 米 と 言 っ た り、 初に比べれば倍以上の高止まり。 漁 業 関 係 者 や 運 輸 関 係 の 人 々 に ア メ リ カ 産 と 言 っ た り し て、 今 ぱ な し だ け は 止 め て ね、 と 言 う と っ て は と ん で も 無 い 災 難 だ。 今 度 は こ れ 以 上 安 く な る と、 不 奥さんに言われた旦那はにやに は や り の 食 品 の 産 地 偽 装。 そ の 原油高を題材にしたテレビ番組 況 に な る か と い う。 本 当 の と こ や 笑 う だ け。 こ れ で は 仕 方 な い 影響は今次から次へと拡がって が あ っ た。 交 通 機 関 が 不 便 な と ろ は 分 か ら な い が、 ど ち ら に し な ぁ と 呆 れ る ほ か 無 か っ た。 一 い る。 小 学 校 や 病 院、 老 人 介 護 こ ろ で は、 一 家 一 台 で は な く、 ても厄介千万。 事が万事だろうと。 施 設 の 給 食、 菓 子 の 原 料、 酒・ 一人一台というくらいに車が普 、 年 (1972-3) の第 ︵田 年9月 日記︶ 焼 酎 さ ら に 薬 品 の 原 料 と 随 分 広 昭和 2008 及 し て お り、 ま さ に、 そ う い う 一 次 の オ イ ル シ ョ ッ ク で は、 た 範囲にわたる。 かだか1バレル1ドル以下だっ 農 水 省 は、 こ の 事 故 米 を 売 り た 原 油 が 数 ド ル に な っ た だ け、 渡 し た と こ ろ に つ い て、 過 去 6 そ れ で も、 ガ ソ リ ン は、 円 以 年 間 に わ た り、 そ の 発 覚 し た 販 下 だ っ た の が、 今 回 と 同 じ く ら 売 先 三笠フーズには 回も立ち の は 、 W T O の 取 り 決 め で 仕 方 輸 入 し た 米、 と 言 う よ り、 輸 い の 水 準 に な っ た。 そ の 上、 当 入 り 調 査 を し て い た と い う。 そ 入 さ せ ら れ た 米 に 基 準 を 超 え た な い の か も 知 れ な い が 、 そ ん な 時 は 売 り 惜 し み も あ っ た。 こ の れ でもそのインチキを見抜けな 農 薬 が 残 っ て い た り 、 カ ビ が 生 農 薬 混 じ り の 米 は 買 わ な く て も シ ョ ッ ク が あ ま り に も 鮮 烈 で、 か っ た と い う。 何 と い う 節 穴。 え て そ の カ ビ か ら 猛 毒 が 検 出 さ い い の で は な い か 、 返 せ ば い い 第2次のことは余りはっきり覚 わざと見逃したという人もいる。 れ た り し た 米 、 こ れ を ﹁ 事 故 米 ﹂ の で は な い か 。 カ ビ は 一 体 ど こ えていない。 そ う な の か も 知 れ な い が、 証 拠 と い う の だ そ う だ 。 何 故 、 そ ん で 発 生 し た か が 問 題 で あ る 。 昔 、 のないことを言うわけにはいか な 物 を 輸 入 す る の か。 輸 入 す る ﹁黄変米﹂なるものがあって、時 今 回 は、 ガ ソ リ ン が 1 ㍑ 円 47 200 147 48 180 50 20 12 国民がやかましい こ ろ が 少 な い。 そ の 点、 油 断 は な い。 と に か く、 農 水 省 は、 こ 水に使おうということが言われ に安い中水道を上水道と偽る事 の事故米の処分に困り、引き取っ た こ と が あ っ た。 実 現 し な く て だ っ て 有 っ た か も 知 れ な い。 作 出 来 な い が、 日 本 で は 一 応 言 論 の自由は保障されている。ひょっ てくれるところにそう厳しいこ 良 か っ た。 こ ん な 物 を 作 れ ば、 ら れ な く て 良 か っ た。 上 水 道 を とも言えずにいたようだ。 作為的でなくとも必ず事故が起 節約すればいいのだ。 と す れ ば、 さ れ す ぎ て い る と さ 年9月 日記︶ え 思 え る。 子 供 の 有 害 サ イ ト へ こ っ た だ ろ う。 さ ら に は 作 為 的 ︵田 2008 廃棄するのは勿体ないからと 言って工業用に回すのはいいだ のインターネット接続を制限す る の で す ら、 表 現 の 自 由 を 侵 す ろ う が、 そ ん な に 需 要 が あ る の だろうか。今後は返送すると言っ な ど と い う 御 仁 も い る。 ど こ か の 国 の よ う に、 政 府 批 判 に 通 じ て い る が、 初 め か ら そ う す べ き 何でも黙ってはいはいと言うこ 福田改造内閣で農水省の大臣 だったろう。 るような言論が見られるサイト に な っ た 大 田 さ ん、 農 産 品 の 輸 とを聞いてくれればそんな楽な は全部閉鎖して国民の目から遠 入に関していったのだと思うが、 こ と は 無 か ろ う。 又、 そ の よ う 一 物 二 価 と い う こ と は、 不 正 の 温 床。 厳 密 に は 今 回 の こ と は ﹁ 何 し ろ、 我 が 国 の 消 費 者 は 喧 ざ け た り、 外 国 か ら の 電 波 は 全 に何も文句も言わずにいられる そ う い え な い か も 知 れ な い が、 し い の で ... ﹂ と の た も う た。 あ ような施策を講じてくれるなら、 部 妨 害 し た り、 衛 星 経 由 で 話 の 見たところでは区別が付かない 出来る電話など持つことすら禁 れだけ首相自身が国民の目線に 国民にとってもこんないいこと 止 の 所 が あ る。 テ レ ビ の 実 況 放 か ら、 同 じ 物 の 二 重 価 格 で あ る。 立って ... と言っているにもかか は 無 か ろ う。 し か し、 そ ん な こ 送が一分遅れだったということ 何 で あ っ て も、 こ う い う 事 は 起 わらず 話 ( は違うが、この﹁目線﹂ と は あ り 得 ま い。 と す れ ば、 国 を 聞 い た と き に は 唖 然 と し た。 こる。 な る 言 葉、 分 か る け れ ど も、 何 民 が、 正 す べ き 事 柄 を 一 々 言 挙 そ ん な に ま で 国 民 が 怖 い の か。 の げしてくれることこそが政府に 話 は 飛 ぶ が、 例 え ば、 消 費 税、 となく違和感を覚える 。) BSE あまりの自由が必要かどうかは ある政党は食料品は免税にする 問 題、 残 留 農 薬 の 問 題、 今 年 初 と っ て も、 や り に く い と 思 う か と も か く と し て も、 自 由 が い い。 と か、 税 率 を 低 く す る と か 言 っ め に 起 こ り、 未 解 決 の 毒 入 り 餃 も 知 れ な い が、 自 分 た ち の 気 が て い る。 こ ん な こ と を す れ ば 必 た だ、 他 人 の 自 由 を 侵 す よ う な 子 の 事 件、 は た ま た、 賞 味 期 限 つかないことを教えてくれるの こ と は 談 じ て い け な い。 慎 み の ず 不 正 が 起 こ る。 そ の 不 正 を 防 切れのもののラベルの張り替え、 で 感 謝 し こ そ す れ、﹁ 喧 し い ﹂ な 止するための予算は入ってくる ある自由こそが人々の自由を保 生 産 地 の ゴ マ カ シ、 中 身 と 表 示 どと言うべきではない 九 ( 州の方 障するのである。 税 収 を 超 え る か も 知 れ な い。 今 の不一致等々挙げだせばきりの 言 で は 、 ﹁ や か ま し い ﹂ は ﹁ そ の の 世 の 中、 虎 視 眈 々 と 不 当 利 得 年8月 日記︶ ︵田 ない食品関係の問題山積の農水 ことについて詳しい﹂というこ 2008 後 日 談 に な る が、 か の 大 臣、 を 得 よ う と し て い る 人 が い る。 省 の 大 臣 、 こ の と こ ろ ず ー っ と と で 、 悪 い 意 味 で は な い と か ば その不正が起こらないようにす 被食用米に関する諸々の不始末 農水省の大臣には色々の問題が う人もいる 。) の責任を取ると言って辞任した。 ることが肝要だろう。 あった。又その続きなのか。 今 世 界 を 眺 め て み て、 と 言 っ 農水省の責任ではなく扱った業 て も、 新 聞・ ラ ジ オ・ テ レ ビ 等 さ ら に 話 が 飛 ぶ が、 一 時、 上 消 費 者、 国 民 が 喧 し い と は 何 者の責任だと言った事務方トッ 水 道 で も な く、 下 水 道 で も な い 事 だ と 言 い た い が、 そ れ は、 閣 を 通 じ て の こ と だ け れ ど も、 言 中 水 道 と い う の を つ く っ て、 飲 プ も 辞 め た。 こ の 辞 め 方 は 別 の 内でも論議され釈明に努めてい いたいことの言えぬ国や地域が 問 題 が あ る が、 又 の 機 会 に し よ み水ほどのきれいさを求めない る か ら、 先 ず 措 く と す る。 抑 も、 いっぱいある。と言うより、思っ と こ ろ、 例 え ば、 ト イ レ の 洗 浄 年9月 日記︶ う。 国民が喧しくてはいけないのか。 た こ と を 思 っ た よ う に 言 え る と 2008 ︵田 13 19 19 − 23 − い体験は覚えて い ま せ ん が、 学 校 給 食 で は、 ユ ニセフを通じて 支給された 後 ( に知ったことで す 脱 ) 脂粉乳を 毎日飲みました。 しかし戦争の 話を親や教師か ら 聞 く 機 会 は 少 な く、 も っ ぱ ら 映画や子ども向けの雑誌で戦争 に 触 れ ま し た。 が、 こ れ ら の 中 に は、 戦 死 者 や 戦 争 指 導 者 を 英 雄視する話が多くありました 今 ( だからこう言えます 。) し た が っ て、 日 本 が や っ た 戦 争 は ど ん な 戦 争 だ っ た の か? な ぜ 戦 争 を し た の か? 戦後生 まれの自分に戦争責任はあるの か? これらの質問の答を得る た め に は、 戦 争 に つ い て さ ま ざ まな立場から書かれた多くの書 物から選び採り自分で 学習する以外にはあり ませんでした。そう気が ついたのは 歳の頃で す。それ以来いろいろな 本に触れてきました。 = ﹃十五年戦争小史 新 版﹄ 江 ( 口圭一著 は )、 長く愛知大学で講義を 『十五年戦争小史 = 新版』(江 口圭一著、1991 青木書店) 20 『太平洋戦争 = 第二版』(家 永三郎著、1986 岩波書店) 『戦争責任』(家永三 郎著、1985 岩波書店) ﹃太平洋戦争 第 担当していた著者が書いた教科 (永 = 二版﹄ 家 三郎著 も 書 で す。 1 9 3 1 年 9 月 の 柳 条 ) 前掲書と同期間を対 象 に し て い ま す。 こ ち ら は よ り 項 湖事件から1945年8月の終 戦 ま で、 時 間 の 経 過 と と も に、 目 を し ぼ り、 中 国 を 含 め 連 合 国 側 の 情 勢 や 日 本 国 内 の 経 済・ 文 どんな背景の下でどんな事件が 化情勢などをていねいに書き込 起 き た か、 た く さ ん の 出 来 事 が んでいます。 簡 潔 に 表 現 し て あ り ま す。 物 語 と は 違 っ て 読 み や す く は あ り ま 同 じ 著 者 に よ る﹃ 戦 争 責 任 ﹄ は、 十 五 年 戦 争 に お け る 各 国 の せ ん が、 こ の 本 を 骨 格 と し、 た 責 任 を 論 じ て い ま す。 当 然 な が とえば平頂山事件 1932年9 ( ら原爆を投下したアメリカの責 月、 中 国 東 北 地 方 の﹁ 満 州 ﹂ 撫 順市の南にある平頂山集落で起 任 に も、 ま た 昭 和 天 皇 の 責 任 に も 言 及 し て い ま す。 こ の 本 で 著 きた住民大量虐殺事件 が ) 出てき 者 は、﹁ 今 日 な ぜ 戦 争 責 任 を 論 ず た ら、 そ の 事 件 を 扱 っ た 詳 し い 本、 た と え ば﹃ 平 頂 山 事 件 と は るのか﹂という理由の一つに﹁責 任のけじめが明確につけられる 何だったのか 裁判が紡いだ日 ̶ ことなく今日にいたってい﹂る 本と中国の市民のきずな﹄ 平 (頂 山 事 件 訴 訟 弁 護 団 編 纂 を 読 む、 ﹁ こ と が、 戦 後 の 歴 史 に 好 ま し ) くないさまざまな現象を生み出 レ イ テ 戦 が 出 て き た ら、 た と え ば﹃ レ イ テ 戦 記 ﹄ 大 ( 岡昇平著 ) す重要な原因となった﹂ことを を読むというように肉付けをし あ げ て い ま す。 ま た、﹁ 責 任 を 生 ず る 原 因 と し て の﹃ 戦 争 の 惨 たらイメージが浮かんできます。 − 24 − 戦争について学ぶ本 団 塊 世 代 は﹁ 戦 争 を 知 ら な い 子 供 た ち ﹂ ﹁( 戦 争 が 終 わ っ て 僕 らは生まれた~﹂というフォー ク グ ル ー プ・ ジ ロ ー ズ の 歌 の 題 名 で ) す。 そ も そ も 団 塊 の 世 代 は、 敗 戦 と と も に 戦 地 か ら 男 達 が帰ってきたことにより生じた ベ ビ ー ブ ー ム の 結 果 で す。 戦 争 中 に も﹁ 産 め よ 増 や せ よ ﹂ と い う 標 語 が あ っ た の で す が、 男 が いなくては子どもは産まれませ んでした。 戦 後 生 ま れ と は い え、 田 舎 町 にもやってきたジープの 米 (軍 兵士 か ) ら当時としてはたいへん 珍しいチョコレートやガムをも ら っ た り、 神 社 の 縁 日 に は 物 乞 いをする白衣の傷痍軍人の姿を 見ています。 幼 か っ た せ い か、 特 別 ひ も じ GI