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「ギリシャの壺によせるオード」における成立の前提
菊池, 亘
一橋大學研究年報. 人文科学自然科学研究, 1: 203-243
1959-03-31
Departmental Bulletin Paper
Text Version publisher
URL
http://doi.org/10.15057/9998
Right
Hitotsubashi University Repository
池
亘
.ギリシャの壷によせるオード﹂における成立の前提
菊
﹁ギリシャの壷によせるオード﹂における成立の前提 二〇三
の一つである。オリジナリティを楯にとってこの作品に筆者独自の見解ないしは評価を加えることも無意味ではない
朋らかにされることになる上考えられるのであるが、このオードは難解なキーツの作晶群のうちでも最も難解なもの
とには異論はないであろう。したがってこれに検討を加えるということはキーツの詩人的資質あるいは秘密が一応は
つであることには今日まで常に意見の一致を見てきた作品であり、キーツの詩人的一面を強烈に物語るものであるこ
よせるオード﹂︵O魯§9命鳶魯§q§︶︵以下煩をさけて﹁ギリシャ・オード﹂と略称する︶はキーツの傑作の一
一面であつて全貌ではないこ乏は常に思い出す必要があるっ︶ここにこれから取り上げようとする﹁ギリシャの壷に
特色なり秘密なりがかなり明らかにされてくるっ︵もちろんこのようにして明らかにされたものはどこまでも作家の
る。この残された、こく少数の作品に精密な検討を加えて行くと全貌とまではいかなくともある程度まではその作家の
いかなる作家であっても、その頂点を示す代表作を求めて焦点をしぽって行くと、だいたい一つか二つの作品が残
序
一橋大学研究年報 人文科学研究1 二〇四
と思うが・それよりも前に、いかにしてこのオードが成立したか、また、このオードを支えるものは何であるか、と
いうことを考えてみることによっていくぶんでもこの難解な作品の一面が把握され、あるいはまたその難解さそのも
のが明らかにされれば、その方がかえってこの作品に対して正しい態度となりうるのではなかろうか。
だいたいキーツの作品はたいてい必ずと言ってもいいように、他の作品と密接な関連をもつのが普通である。ア一れ
はおそらくキーツが一つの作品を書いているうちに、それと平行してそこからもう一つ別の作品の構想が関連的に生
れてきて後に新しい作品ができあがるのであろうが、こうして生み出された新しい作品は、その母胎となった作品と
全く別個の作品となるのが例である。それからまたこれとは違った行きかたであるが一つの作品が失敗に終り、もう
一度構想を新たにしてその作品を成功させようとしてできあがった作品がある。この場合は前と後の作品は姉妹的関
連にあって、極めて類似的な作品となってくる。この二つの行きかたのいずれが多いかというと前の方が多いようで
ある。この例として二つの揚合のことが考えられる。キーツが一八一七年に始めて世に間うた﹁詩集﹂︵ぎ§的︶のな
かに含まれる﹁カリドー﹂︵q蔑義ミ㊤︶の揚合がその一つである。この作品は一六二行からなる断片で未完に終ったも
のであり、キーツの詩人的過程の面から考えてみた揚合それ相応の意義を有する作品であるが、今はそのことは直接
の関係はないのでこれ以上は触れないことにする。ただ一つここで関連のあることはこの作品は後になって、やはり
彼の傑作の一つと見なされる﹁夜鳴篤へよせるオード﹂︵O譜ε9知膏ミき寒§の母胎となったということである。
この習作ともいうべき﹁カリドー﹂はいつごろ書かれたか、ということは未だ明らかにされていないようであるひた
いだいしきりといろいろな先輩詩人の模倣につとめていた、言わばキーツが未だ自分の才能に自信をもっていなかっ
た初期のころの作品であることには間違いはない。フォーマン︵客甲蜀9B慧︶が彼の編んだ﹁キーツ書簡集﹂
︵↓ぎト轟ミ碕県﹄。ぎき&恥し8μ○義o益︶のなかに付したキーツの年譜にも、また最近︵一九五六年︶ギャロソ
ド︵国≦ーΦ跨8α︶が新しく編んだ﹁キーッ詩集﹂︵弓ぎ㌔S§ミ§ミ酵県∼罫§因震寓︵ρψ>■①阜︶︶の年譜に
もこの作品がいつごろ製作されたのか明らかにされてはいない。ただマリイ︵い零累畦曙︶がいかなる典拠に基づ
くのかこれまた明確ではないのであるが彼の編んだ﹁キーツ詩集﹂︵ミ罵ぎ§向§良ぎ還8皇魯ぎき§9ちお、
国旨oきαω宕菖ω≦8留︶における分類付けによると一八一六年春となっている。やかましく言うとア一れにもいろい
ろな異論が出てくるのであろうが、便宜的に今はこの年代を信用しておくことにすると、ア︸れからちょうど三年たっ
た一八一九年五月︵この年代は確定的である︶に﹁夜鳴鶯へよせるオード﹂が書かれている。ア一のように三年間の時
間的間隔が作品間の関連を妨げていないのである。したがって題材的という表面的な点においては発展がなかったと
いうことになる。ところで﹁カリドー﹂のいかなる部分が題材的に﹁夜鳴鴬へよせるオード﹂と関連しているかとい
うと次の如くである。﹁カリドー﹂の一五二−七行にかけた部分、
ω。津ζ浮㊦ぼ㊦ ① N ① ω 坤 ○ 日 爵 。 断 。 3 警 畠 目 ρ
ωO津蔓δげΦ冤げ一①≦帥ω箆①けげoけ即℃g鳩ωφや日2
9①跨蓄ω昌。ω。凝ぎ目蜀げぎ幕一、の寓げ。語ご
﹁ギリシャの壷によせるオード﹂における成立の前提 二〇五
一橋大学研究年報 人文科学研究ー 二〇六
〇唖暫け①賄信一 色﹁① 一口OΦ口の① 胤賊O旨P けげ① 一一旨PΦδ目①Φ ゆO≦O同・
1
冒協富二〇μ即≦諸ρ9Φ胤加吋げ臼島叶旨ヨb9、ω8昌o”
■o︿oζ爵Φ目o自ぼ①昌oき箪一巴自o”
しずかにそよ風は森から吹いてきて、
しずかにそよ風はろうそくの炎を横に吹いた。
フィ・メルのかなたの木陰をもれる歌は澄んでいた。
菩提樹の花の香りは心地よかった。
謎の如く、はげしい、あの遠くに聞えるトランペットの音。
が後のオードを作りだしたのである。
美 し く 月 影 は 空 の な か に 、 た だ ひ と り 。
︵1︶
さらにもう一つの揚合は一八一九年一月に書かれた﹁聖アグネス祭前夜﹂︵↓富肉竃県警き醤霧︶の一一一三節三−四
行にかけた部分、
国Φ甘ミ.α窪導g①艮隻9一〇轟。。臥。。目暮ρ
日℃3︿露80巴一、ρ.U”びΦ一一Φ号目①ω琶。。旨窪o質、
彼は歌われなくなって久しい古曲をかがでた、
それはプロヴァンスで、﹁つれなきたおやめ﹂と言われる。
が同年四月から五月にかけて︵ギャ・ッドの年譜による︶書かれた﹁つれなきにおやめ﹂︵卜麟寒§b9韓恥旨舅ミ雫
黛︶となって開花している。これらの作品のなかには題材的発展はないとは言うものの、内的発展は著しいものがあ
るが今は触れる必要はない。
以上の作品群と異なった行きかたを示すのが﹁ハイピリオン﹂︵き臆蕊§︶と﹁ハイピリオンの没落﹂︵↓詳、匙N
県鞘§零S§︶である。この二つの作品はいずれも未完かつ失敗に終っている。︵この理由も今ここで触れる必要はな
い。︶﹁ハイピリオン﹂を書いたのは一八一八年から一八︸九年にかけてであるが作品としてうまくいかず、もう一度
書き直したのは一八一九年八月でありこれもうまくいかず九月に放棄している。この二つの失敗作は内容、字句等に
於て殆ど変るところはなくだいたい後者は前者の書き直しにすぎない。キーツの詩作の態度はこのような二つの傾向
をとるが前述の方の態度が多いことは先に言った通りである。
これからわれわれが扱おうとする﹁ギリシャ・オード﹂竜前の態度の方に属する。このオードのテーマは古代ギリ
シャの壷をめぐって展開していくがキーツが古代ギリシャに強い憧憬の念を抱き始めたのは既にクラーク︵いΩ曽冨︶
の塾に通っていた頃からであるから相当の期間にわたって古代ギリシャというものが漢然ながら何らかの形をとっ
てキーツの胸のなかに存在していたに違いない。この漢とした形がはっきりとした形をとりだしたのは現実の古代
ギリシャの壷を眼にした時に始まる。彼が現実の壷に始めて接するこによって古代ギリシャは一個の壷となってキー
ツの胸に定着した。彼が始めてギリシャの壷を見た時日は明確ではないがだいたい次の期間においてであろうと推測
される。彼が画家ヘイドン︵甲界国塁α目︶と知り合ったのは一八一六年一一月ハント︵U﹄臣旨︶のもとにおいて,
−であった。この時から翌一八一七年二月頃までの間に彼はヘイドンによって大英博物館のエルギン卿の蒐集によるギ
﹁ギリシャの壷によせるオード﹂における成立の前提 二〇七
一橋大学研究年報 人文科学研究1 二〇八
リシャの大理石彫刻を見たものと思われる。これは相当深い芸術的感動をキーツに与えた。この感動は二つのソネソ
ト、即ち﹁ヘイドンに﹂︵§蚕冬警§︶と﹁始めてエルギン・マーブルを眼にして﹂︵O醤題豊ξ罫恥肉&きさ&N跨’
誉マ鯨ぎ誉防こ誉恥︶という形をとって現われた。この二つのソネットが書かれたのは二月頃であろう︵マリイの分類
による︶。この二つはキーツに機会を与えてくれたヘイドンに送られた。これはかなりヘイドンをして感動せしめた
らしいが後者のソネットに対しては殊に深い感動を示し、一八一七年三月三日キーツ宛の書簡のなかで﹁自分の高い
感憎を表現しえない詩人を、空を眺めている病める鷲にたとえるよりも、もっと美しいイメージは知りません﹂と述
べている。もちろんこのエルギン・マーブルによって刺戟された作品は後者の方がよくその感動を現わしている。古
︵2︶
代ギリシャ人の芸術に対する感動はキーツを全く圧倒した、
竃矯ωb三江。。80ミ⑦欝ー目g寅一一昌
≦Φ蒔げのげg≦ξ○ロ目〇一算oμロ毒崔一ぎ槻の一8ダ
︾区臼呂一目斜置、αb営蜜。一Φき山警①8
0hのo巳涛oげ塑↓αoQげ首9一一の旨①H筥臣け山一①
■篤Φ魯ω一〇犀国のσq一〇一〇〇匠けαq跨浮oの匿累
私の精神はあまりに弱くーうつし身のさがは
進まぬ眠りのように重く私にのしかかる、
そして神の如き辛苦の頂や絶壁を想像するたぴに
空を眺める病の鷲のように私は死ななければならないような気がする。
即ちここに示された感動ば芸術の永久性あるいは無限感と対比された人間の一時的存在のはかなさであり、無力感で
ある。既にこれは来るぺき﹁ギリシャ・オード﹂を予知せしめるのに充分な響きを有していると考えなけれぱならな
い。そして彼はこの時しっかりと古代ギリシャ芸術の﹁崇高さ﹂︵αQ壁b号薮︶を把握したのである。しかしこ乙でわ
れわれが気がつくことはこの二つのソネットに盛られた感動はやはり漢としたギリシャ芸術のもたらす感動である。
殊に﹁ヘイドンヘ﹂の方はより漢とした感動がただようのみであって、これだけを孤立的にとりあげてみた場合何を
テーマにして歌ったものであるかはおそく判るまいと思われる。﹁始めてエルギン・マープルを眼にして﹂の方は出
来ばえから言っても前者よりも優れたものを感じさせる。漠としたギリシャ芸術によってもたらされた感動がただよ
うとはいえ、イメージははるかに明確であり、高い調子を伴ってわれわれの胸に響いてくる。しかしこの感動がさら
に具体的な形をとって現われてくるのは﹁エンディミオン﹂︵肉§&蓑嬉§︶あたりからであろう。﹁エンディミオン﹂
の書き始められたのは、これも時日ははっきりしていないが一八一七年四月頃と推定されている。︵ギャ・ッド、フォ
ーマン共に単に春とし、マリイは四月としている。︶したがってこの頃はまだエルギン・マープルの感動が消えずに
残っていたと推測してもいいであろう。ギリシャの古い壷が脳裡にあってこれが言葉となって表現されたと考えられ
ている個所を順を追って挙げてみると次の如くである、
﹁ギリシャの壷によせるオード﹂における成立の前提 二〇九
一橋大学研究年報 人文科学研究1
・・︸Φω”ぎ㎝b一けΦ9巴ど
のo目Φの冨需9ぎ窪受ヨo話ω簿≦即矯跨Φ冨=
閃博o目oロ励山胃犀ω官ユけω,︵H︸匡ーQ︶
確 か に 、 何 は と も あ れ 、
何か美しい形はわれわれの暗い心から
枢の布をとりのぞいてくれる。
暁昌α ω一一〇︼口け 騨ω 跨 OO昌の①O励即けΦ山 口↓昌
国o崔ω旨①昌器隆o漢隔・目即ω$ωg血β9︵目︸総1い︶
︾ ︸
一定の時期に、天上の集会をもっ。
そして神に献ぜられた壷のように静粛に
⋮鈴ロαぼo日曽昌β同P
ω岳=区ξ日①三轟一。pげ。け舞。ω鈴自冨夷窪1︵Hく温軍ー軌︶
そして壷から、
いつもとけて氷の流れる水を飲む。
一二〇
﹁何か美しい形﹂とキーツが言う時、おそらく最も彼が意識していたのはやはりギリシャの壷と考えてもいいよう
である。つづいて出てくる二つの﹁壷﹂はやはりもし彼がギリシャの壷を見なかったならば思い浮ばなかった表現で
はなかろうか。少なくともこの壷という表現はギリシャの壷によって触発されたものと考えてさしつかえはないであ
ろう。かくしてこの壷は﹁ギリシャ・オード﹂においてはっきりとした形をとって現われてくるのである、と問題が
片付けば極めて簡単なのであるが、そう容易にはいかないようである。ここで二つばかり注意しなければならない問
題が起きてくる。その一つはなぜ﹁何か美しい形﹂が壷と結ぴつくのか。その可能性はどこからくるか、である。
ペテット︵中ρ評99︶の説明にしたがうと次の如くである。キーツの初期の作品においては丸みを帯ぴたもの
が圧倒的に好んで用いられている。月のイメージはもちろんのこと︵これに関連して直ちに﹁エンディミオン﹂がわ
れわれの頭に浮んでくる︶、貝殻、ほら貝︵これは海神トリトン︵↓旨8︶と関係があるので、殊にロマンチソクな
貝である。こんなところがキーツの気に入るのであろうか︶、真珠、さざれ石︷酒杯などといったものがよく出てくる。
貝殻をテーマにした彼の作品には﹁ある婦人たちへ﹂︵§零§卜9褻題︶という二八行にわたる詩と、﹁面白い貝を貰
って﹂︵9蒔§蕊き麟。ミざ毯じo富Sという四四行にわたるかなり長い詩がある。いずれもこれは一八一五年代に
属する極めて初期の作品である。この極めて初期の頃においては丸みを帯びたものはそう多くはないが﹁エンディミ
二一一
オン﹂になってくると急増し始め特色のあるイメージを作り始める。例えば﹁エンディミオン﹂より早い次の個所は
既によくその特色を現わしたものと言える、
艮一一ぼ践Φげo の o 導 9 暫 一 雷 臨 鴇 ≦ o ユ 山
﹁ギリシャの壷によせるオード﹂における成立の前提 一橋大学研究年報 人文科学研究1
≦Φ器のけ言毘①まρ一涛Φけ≦o鴨ヨω看窪ユ、α
ぎ葺Φ§①ω弱g鱒b①貧一思呂ΦF︵象§§亀ぎ&し一。lN一︶
木の葉のしげる世界のなかで
真珠色の貝の奥底に
上の方へ渦を巻いた二つの珠玉のように
黙って身を休めるまで。
二=一
しかし丸みを帯びたもののなかでも特に、さざれ石にキーツは愛着をもっていたようである。一体これは貝殻とか酒
杯などよりも詩的とは思われないが、どういうわけか頻繁に出てくるのである。この現象は殊に﹁エンディ、、、オン﹂
においていちじるしいようである。例えば、
H誘げo窪o日毒置一Hの99<≦津げ堕旨げΦ励のげ〇一一ω︸
︾&需げσ一8三器h8ヨq。ε。昌。訂旨&壽一一ω■︵ヌ象ーひ︶
河底に號珀色の貝殻と、
深い魔の泉の蒼いさざれ石を撤きちらそう。 、
などである。そして丸みを帯びたものによって作り出される美的効果はさらに、ある丸みをもち、かつうつろなるも
のへの暗示によって強められる。このうつろなるものというのは、壷、花瓶、洞穴、小さな洞窟などといったもので
ある。
︵3︶
この説明を根拠にしてみると﹁何か美しい形﹂というのは、もちろん具体的にはっきりと何を指すのかは断定は不
可能であるが、今言った丸みを帯びたものを漢然と意味していると考えていいであろう。ここから見ると少なくとも
壷はやはり﹁美しい形﹂としてキーツの意識にあったと考えられる。このように美しい形としておそらくキーツによ
って考えられていたであろうと思われる壷は﹁エンディミオン﹂を書いていた頃、はたして強く美と密着していたか
どうか疑わしくなってくる。ここで再びペテットの考察に着目しなければならない。彼の考察の対象となる個所は先
に挙げた、
ω一一ΦHFけ 帥ω 魯 OO︼口のΦO励費け①α 一い賊けF
である。この行をマリイ、バウラ︵ρヌ国o≦冨︶、ワッサーマン︵国。戸≦霧のR日着︶たちは形而上的な表現とうけ
とっている。︵このうけとり方は既に﹁ギリシャ・オード﹂を意識していることを示すのである。確かにア︶の三人の
指摘がそのままうけ入れられれぱこの行の解釈は容易となってくる。︶ところがこの三人の解釈に素直についていけ
ないことがあるのである。それはこの三人いずれも注意していないことであるが、もともとこの行は次のように書か
れたのである、
︾ 昌 伍 の 一 一 窪 “ 器 暫 8 壱 器 仁 b 8 騨 ℃ 旨 ① .
積み重さねた薪の上のむくろのように、黙然と。
︵これでは確かに詩的な表現とはならない。書き改めたのは当然である。︶この表現をキ;ツは考え直して先のよう
な表現にしたのである。したがってこの行にはあまり重点をおいて考えるわけにはいかず、この行を神秘的に、ある
﹁ギリシャの壷によせるオード﹂における成立の前提 二一三
一橋大学研究年報 人文科学研究1 一二四
いは形而上的に断定して、﹁ギリシャ・オード﹂と結ぴつけるような不可欠の連関を考えるわけにはいかない、という
のである。確かにこう指摘されてみれば、キーツが始めから壷というものを強く意識しておれぱ最初から現行のよう
︵4︶
な表現をとらざるをえないであろう。したがってここでは単に静寂の具体的象徴として壷が意識されていたかもしれ
ない。事実﹁ギリシャ・オード﹂とは時間的にかなり近接した作品は﹁ハイピリオン﹂︵亀竃ミ帆§︶であるが、この
なかに次のような個所がある、
・・﹂ρ巳g器国ω8旨ρ
ω試一一器跨ΦωはΦβoΦ8ロけ山騨げo葺匡の置辞︵お斜1ω︶
︸個の石のように静かに、
彼の臥床のあたりの静けさのように動きもせず。
だいたいこの表現と同じように壷は石と同様な意味合いで用いられているのであろう。このように考えてみるとこの
頃のキーツにとってギリシャ芸術はかなり深い感動を与えたことは事実であるが、その感動はまだはっきりとした形
で強くキーツの意識に定着せず、漢然とした芸術の偉大さとして残ったように考えられる。したがって壷もやはり何
か美しい形をもつものの範購には入ってくるであろうが、後の﹁ギリシャ・オード﹂に見られるような美と密接した
ものとしては意識されていなかったと考えるのが妥当であるように思われる。しかしエルギン・マーブルによって触
発されたギリシャ芸術への憧憬、およぴそれに伴う壷はキーツの漢然ながら美意識を構成しつつ来るべきオードの準
備とはなったことであろう。
次に考えられることはキーツの個人的精神状況である。このオードが発表されたのは一八二〇年一月であるが製作
されたのは一八一九年の四月︵フォーマン︶か五月︵マリイ︶であろう。とにかくギィテングズ︵戸虫葺夷の︶も考
えているように一八一八年九月二一日から一八一九年九月二一日までの一年間はキーツの最も澄洌と詩才が発揮され、
傑作が多く生みだされた期問である。この頃はキーツも人間的にかなりの苦しい経験を経て、また自己の才能にも自
信を抱くようになってきた時期である。この頃の彼は苦悩する魂の深奥を立体的に詩のなかに造形しようと努力し、
その努力は豊かに実った時期である博マリイあたりは前年から始まっていたフランセス.ブローン︵孚程8ω閃吋p︵ロ。︶
との恋愛をかなり重く見て、このうまく行かなかった恋愛の悲哀が﹁聖アグネス祭前夜﹂あるいは﹁ギリシャ・オー
ド﹂あるいはその他のいくつかのオード群にかなりの響きをもつと推測するようであるが、ア一のような見方は少し人
間的にすぎ、かつ狭いように思われる。この当時のキーツの心境は一種諦観的にものごとを見、かつうけ入れようと
するようなものであったらしいがその奥底には依然としてはげしい人間的苦悩をひそめていたようである。一八一九
年九月二一日弟ジョージ夫妻にあてて﹁ある人は、私が嘗てもっていたといわれる詩的熱情を失ってしまったと考え
ています、i確かにそうでせう、しかしその代り私はもっと思慮の深いそして静かな力をもちたいと思います。私
は今、前よりも頻繁に読んで考えることに満足していますーしかしときどき野心的な考えに愚かれるア︼とがありま
す。私の脈撫は前より静かで、消化もいいようですし、うるさい考えを除けようと努めています1後に残る熱のため
に立派な詩を書くということには殆ど満足できません。私はこの熱なしに詩作したいと思います。いつかできるだろ
うと思います﹂と書いているが、このように精神的な動揺、ないしは苦悩を抑えつけようとする、いわば二律背反的
﹁ギリシャの壷によせるオード﹂における成立の前提 二一五
一橋大学研究年報 人文科学研究1 二一六
な精神状況にあったようである。この背反的な精神状況は﹁夜鳴鶯へよせるオード﹂﹁塀怠へよせるオード﹂︵O魯§
︵5︶
、蔑匙§S︶また﹁ハイピリオンの没藩﹂へ響き、﹁ギリシャ・オード﹂の主要な刺戟の一つになっている。そしてキー
ツの静かなカヘの努力の反面絶えず人間的なものがこれと平行していたようである、即ち、愛と美、そして詩に対す
︵6︶
るに名声と野心がこれと拮抗していたようである。
中ρbΦ算①ダ03鯨、駕、s鮮遷o∼映寒貧一3ざO麟目げユ匹αQρり誠轟
だいたい以上において、これから製作されるべきオードをめぐる準備的な前提がととのったことになる。
︵1︶
中ρbΦ詳Φ “ o 宰 蔑 鉢 ‘ b b ・ ひ t い
肉典竃’膨,司9ヨ勢Pミ誌卜衷器鳶o、∼罫§蹴亀&漁這ωPO蔦○巳− や駁■
︵3︶
きこbやω撃1い
き‘やωoo一’
︵2︶
︵4︶
き■︸や認O■
︵5︶
︵6︶
であり、キーツの作品がこれに載ったのはもちろんヘイドンの仲介にょるものである。この作品のテ⋮マは言うまで
れた。この雑誌はヘイドンの友人エルムズ︵冒目8虫糞窃︶が一八一六年から一八二〇年にかけて編集していたもの
出来あがった﹁ギリシャ・オード﹂は一八二〇年一月﹁美術紀要﹂︵﹄§良防最鮮ぎミま辱琶第一五号に発表さ
二
もなくギリシャの壷であるがどのようにしてこれが作品のテーマとなったのであるか、そしてこれはどのような意義
を付加されているか。前に述べた通りキーツが始めてエルギン・マーブルを見た時の感動ないしは印象は強烈であり
ながら具体的なものではなく、漢然ながらその余響が﹁エンディミオン﹂に見られる程度であった。それがなぜだい
たい一年を経たあとで作晶の主要テーマとなっていったのであろうか。とにかくヘイドンの仲介でエルギン。マーブ
ルを見る機会がなかったとしたならば、おそらくこの作品は生れなかったであろうと推測できるが、しかしこれがこ
の作品を生み出す直接の原因とはならなかったようである。結論を先に言うと.一の壷はキーツが想像によって作りあ
げた架空の壷なのである。したがってキーツがこのオードを書いていた時何かある現実の壷に相対していたのではな
く・全く壷は一つの芸術的雰囲気にすぎなかったのである。しからばこの想像の壷はどのようにして出来あがってい
︵−︾
ったか。以下暫くバウラの説くところを利用しながら説べてみる。
キーツがこのオードを書いていた時、おそらく彼の念頭にあった大理石の壷はグレコ.ローマンの世界に広く行わ
れていたネオ・アティカ風のものであったらしい。ところがこの頃の壷にはキーツのオードで扱われたディオニゾス
的要素とアポ・ン的要素を現わす二つの光景は描かれていず、ぐるりと円周的に連続した図案が描かれているにすぎ
ない。この種の図案を有する壷は﹁塀怠によせるオード﹂に扱われている、
Ogヨo睡げ90器目Φ名①8δぼ8ゆ凶瑛Φωω①op
≦一践げ。奉α蓉畠。。﹄&一〇ぎ&げ弩量巴山Φ−壁。①辞
≧己9冨げΦ匡且昌①o昌。﹃も。8唱、αωR窪Φ”
﹁ギリシャの壷によせるオード﹂における成立の前提 二一七
一橋大学研究年報 人文科学研究1
日覧豊α旨匿巴の﹄呂ぎ≦匡3Hoげ①のσq壁。。∋
↓冨矯冨宏、ρ鼻①凝ξ①ω。ロ蟄巨跨匡。ロβ
≦けΦ口跨葬a↓oμ巳8器。爵。ogg巴幽①一
↓げ蔓8日Φお紅ヨ器≦冨p爵①ロB8。。葺oa
一ω昌葺a8巨ρ浮。爵ωけ器魯昏呂①の8g旨噺︵Hしー。。︶
ある朝私の前に三つの姿が現われた、
そして一列に静かに、
首をうなだれ、手を組み、横顔をみせて。
サンダルをはき、飾りのついた素白の衣を着て、歩みをすすめた。
裏面を見ようと、ぐるりと廻わした、
大理石の壷の姿のように、去って行った。
また姿を見せたが、それはちょうど、
壷をもう一遍ぐるりと廻わすと、
前に見た姿が戻ってくるようだ。
さらにキーツはこの三つの姿と壷を漢とした想像的な扱いかたをしている、
男9α①ωo津ξぼoヨ目冤o望①ω︸簿pαげΦoロ8目o器
一φヨ器ρ偉o−一弊①臨凶に80。o口昌①α目臼目﹃o擁β⋮︵<目ふーひ︶
二一八
私の眼から静かに消えてくれ、そしてまた、
夢の壷の仮面劇のような姿となってとどまってくれ。
﹁夢の壷﹂はまた﹁ギリシャ・オード﹂の壷でもあったのである。この二つのオードにおける壷の扱いかたは全く同
一であると言うことができる。
バウラは更に﹁ギリシャ・オード﹂の空想の壷のよってきたる成立経過を次のように説明する。この壷における模
様はキーツの作り上げたものであるが︵これは現にキーツの客死した・ーマのピアザ.ディ.スパーニァの家に保存
されていると言う︶、これは一八〇四年F・ピラネジ︵国壁き巴︶およびP・ピラネジによって出版された﹁ナポレオ
ン博物館の古代記念碑﹂︵卜跨蜜§§§§動9醤避器¢§康携魯寒隠窯§︶に付けら.れたピロリ︵↓﹃想擁。一一︶の版画
から得られたものである。ここに描かれた大理石の壷の一面はソシビオス︵ωo巴三8︶によって彫刻が施され、次の
ような図案となっている。中央に祭壇がありこれに四個の姿が近付いており左側の祭壇に最も近接した姿は仔山羊を
つれている。右側には老人が一人、それから青年が一人と二つの女性像がある。この光景が﹁ギリシャ・オード﹂の
犠牲の光景と関連してくることになる。がしかしこの光景はオードのそれとはかなり異なってくる。即ち、オードに
おいては仔山羊でなく若い雌牛であり、仔山羊は引かれているというより、むしろひっぱられた形になっており、横
腹には何の飾りもついていない。そしてそれをひっぱるのは弓を持った女性、おそらく女神と思われるものである。
祭壇はいかなる意味においても緑、あるいは鄙びたものではなく、石あるいは大理石をもって造られている。こうい
う点を考えてみるとキーツの壷はますます想像によるものとなり、かつこの現実の壷一個だけをもって想像されたも
﹁ギリシャの壷によせるオード﹂における成立の前提 二一九
一橋大学研究年報 人文科学研究1 二二〇
のとゴ・うわけにはい か な く な っ て く る 。
そこでバウラはもう一つの壷をもってきてこれを説明しようとする。この壷もやはり前と同じくルーブル博物館所
蔵のものであって、これはオードにおける追跡と酒宴の揚面を作りあげるのに役立ったとする。おそらくキーツがこ
の絵を見たのはG・B・ピラネジの花瓶、飾台その他に関する書物︵§罵恥9蔑戚&試︶︵一七七八年刊行︶であった
む
らしい。これには一〇個の姿の酒宴の揚面が彫刻されているが、そのうちのあるものはオードのなかのものと一致す
る。フルートを奏でる男、タンバリンを持った女性、殆ど裸の姿で一人の女性を追いかけながら、これを掴もうとす
る男などがそれである。この酒宴の気分なり零囲気をキ;ツは次のように現わしているが、これはだいたいこの壷の
光景が響いているものと見なしてさしつかえないようである、
≦げ暮ヨo⇒o円のo駐貰o跨ΦωΦ∼≦げ魯旨巴山Φけの一〇島り
詣げ暮日暫α弓離誘巳け叩≦げ響の酔↓ロ槻αq一〇8窃o㌻bo”
巧げ跨嘗H︶霧跨巳菖旨耳Φ一笥名ぽ象惹匡①。鼠ω風︵ど。。1一。︶
これは何の人間あるいは神であろうか?
いやがるのは何の乙女だろうか?
気違いのように追かけるのは何だろうか? 逃げようともがくのは何だろうか?
何の笛とタンバリンであろうか?何の狂歓だろうか?
さらにオードにおけるフルートを奏でる者の頭上の樹木もこの絵より得られたものである。したがって犠牲の揚面は
ソシビオスの壷から、酒宴の部分は今述べた絵から得られたものである。これでも判6通リキーツは相当自由な取捨
選択を行って想像の壷を作りあげているのである。︵このような説明は既にコルヴィン︵の・Oo一く冒︶などによってな
ざれておリバウラの功績というわけのものではない。バウラの説明も当然コルヴィンに負うと.一ろ多いであろう。わ
が国においても既に日夏歌之介博士が﹁美の司祭﹂︵⋮二九頁以降︶において詳細に説明を加えている。︶
ただここで注意しなければならないのは、さらにバウラの説明する通り次のことである。以上二つのネオ.アティ
カ風の大理石から得られたテーマの取捨がなされた時、キーツを導いたものは紀元前五世紀のアテナの芸術、即ち古
代ギリシャの芸術に対する憧憬であったろシと考えられるこどである。キーツの作りあげた壷の像に何かしら古代ギ
リシャ的な余香が残るとすれば、それはおそらくここにおいて嘗てヘイドンと共に見たエルギン.マーブルが無意識
的か意識的か、いずれにしろキーツの頭脳によみがえったものと考えられるのである。即ち、酒宴と犠牲の光景が単
純化されているのはフィディアスの芸術の影響ではなかろうかとバウラは推測の触手を動かしている。
だいたい以上のバウラの説明をまとめてみるとキーツの壷はネオ・アティカ風のものが古代ギリシャ的なものをも
って統一されたものであるということになる。さらに一言をもって言えばキーツの想像の壷は古代ギリシャ的なもの
であったのである。ここにおいてキーツの壷は想像のものであるということは納得しなければならないと思うのであ
るが、この壷における想像性はオードの解釈にあたってはかなり強調しなければならない.一となのである。もし以上
のような想像の壷の成立した経緯を心得えず、ある何か特殊な現実の一個の壷を前にしてキーツはア︼のオードを書い
たなどと考えると全くこのオードに対する解釈は不可能になってくるのである。それだけでなく前にも触れた通り、
﹁ギリシャの壷によせるオード﹂における成立の前提 二二一
一橋大学研究年報 人文科学研究1 二ニニ
たいていキーツの作品は他の作品と何らかの関連をもつのが普通であるから、このオードと思想内容においてかなり
の関連性を有する﹁夜鳴鴛へよせるオード﹂、﹁憂うつへよせるオード﹂︵O警§§ぎ蓉ぎε︶への解釈も不可能にな
ってくるのである。さらにこの壷の想像性を強調しなけれぱならない理由は次のようなことにもよる。今、キーツの
壷はだいたいネオ・アティカ風のものを土台にしてこれを古代ギリシャ的に統一されたものであると述べたが、ここ
までは今まで多くの評家が説明したところである。さらにわれわれは一歩をすすめて、素材の構成、仕上げ、およぴ
情緒、感覚の形式といった点において、その壷は殆どキーツ独自のものとなっていることに注目しなければならない。
この独自性が想像性と共に大切なこととなってくる。実はこの想像性、ないしは空想性の重要なことをキーツは既に
︵2︶
意識していたのである。彼は﹁空想﹂︵、9§璽︶において、空想を、時間からの自由として、また自然と愛の飽満的な
喜ぴから逃がれる手段としてたたえている。﹁ギリシャ・オード﹂はもちろん﹁空想﹂よりもはるかに美しい作品では
あるが、それは一つの﹁喜び﹂︵ぎ差藁︶にすぎず、哲学の点から言うと﹁空想﹂以上の重要性をもつものではなく、
︵3︶
また﹁ソネットーレノルヅヘ﹂︵の§醤ミ。魯ぎぎ§§。醤寒讐9勢︶以上に出るものではない、とペテットは言って
いる。したがってキーツが﹁ギリシャ・オード﹂を書いている時、最初から壷は想像的、あるいは空想的なものでな
ければならなかったのである。ここまで話をすすめてくれば、壷の想像性を強調しなけれぱなぜこのオードの解釈が
成立しなくなるか、また壷の独自性はいかなる意義を有するのか、ということを次に考てみなければならない順序に
なってくる。
キーツが独自の想像的な壷を作りあげた以上そこには何らか象徴的なり、あるいは抽象的な意味がひそんでいなけ
ればならない。この壷の想像性を強調しなければならない理由は次のような事実に基づく。﹁ギリシャ・オード﹂と
﹁夜鳴鴬へよせるオード﹂はいずれも想像されたものであると同時に﹁不滅﹂︵一目旨o二巴︶である美を扱い、﹁憂うつ
︵4︶
へよせるオード﹂は、直接感覚された美を扱い、その有為転変を主張しており、この三つのオードいずれも同じ態度
に立って美という抽象観念を歌ったものだからである。これに関連してワッサーマンは新しい解釈を提出してここに
手がりを得ようとしている。﹁ギリシャ・オード﹂は英語で言うとO爵§麟Q醤8§q§となることは誰でも知って
いることであるが、このタイトルに既にその手がかりがひそんでいるというのである。と言うのは前置詞寒である。
もしキーツが﹁夜鳴篤へよせるオード﹂︵O魯ε9乏竜§醤§“︶と同じ考えかたによるものであるなら前置詞はε
になったはずである。もしこの前置詞を用いたとしたならば、意味するところは﹁⋮に捧げられた﹂﹁⋮によせられ
た﹂ということになってくる。こうなれば﹁ギリシャの壷に捧げられた︵あるいは、よせられた︶オード﹂という極
めてあたりまえなものになってくる。ところがこのオードは詩人と象徴の劇的な関係から生じたものである。ところ
で§という前置詞はわれわれが普通にきoωω碧§げ①窪昌などというように&。ミとか8§8ヨ§きなどの意味
を持っている。オードの揚合の前置詞も全くそれと同じ意味を持つものであり、要するにこの前置詞は注解、評釈
︵8日誉魯3藁︶を意味する。したがってキーツは、壷のなかにおいて彼が今まで観察しそして体験してきた劇︵母㌣
︵5︶
目蟄︶についての評釈を施しているに違いない、と考えられるというのである。これは確かに面白い考えかたでありこ
の前置詞の意味に注目,したのはワッサーマンが始めてであろう。これを無視して今日まで来たのは迂澗であったと言
わなけれぱならない。異った前置詞を用いるからにはやはりそこに何か異なった意味をキーツは含ませていたに違い
﹁ギリシャの壷によせるオード﹂における成立の前提 二二三
一橋大学研究年報 人文科学研究1 二二四
ないであろう。ただ単に変化を求めて前置詞を変えたのではないであろう。︵したがってこの説に基づいて邦訳する
と﹁ギリシャの壷に関する︵あるいは、ついての︶オード﹂というのが正確であろうが、今のところ従来の邦訳を用
いることにする。︶確かにこう言われてみれば、前置詞§は、O魯§㌧蔑亀§8とかO魯§歳。騨§ぎ&という
ように抽象名詞を題材にしたものに限られている。やはりここにおいてもキーツはオード形式をもって﹁塀怠﹂とか
﹁憂うつ﹂という抽象観念を思索しているようである。︵抽象観念の思索と言ってもキーツの揚合決していわゆる哲
学詩などを意味するものでないことは注意を要する。キーツは極めて現実的な詩人であることを忘れてはいけない。︶
前概詞εを用いているオードは、O魯ε﹄鳩ミP§匡経§§§いO誉ε、§き一〇特εさ蔚一〇警ε9≧膏蕊き喚&♪O警
言︾鷺ぎのように思索性の薄い、かなり具体性を帯ぴたものになっている。さらにこの詩が以上のような評釈性を
帯びたものと考える立場がブランデン︵中匹ロ昌α9︶によってもとられている。彼はこのオードに対して二通りの解
釈が可能であると考えている。即ち、それはキーツの現実の生活と精神的葛藤およぴ慰安のパラブルとしてか、ある
いは芸術の勝利についての一般的叙述としてである。だいたい以上において壷が想像されたものでなけれぱならぬこ
︵6︶
とは 明 ら か で あ ろ う 。
ところで壷はどのようにキーツの意識のなかに想像されて位置を占めていたか、ということになってくる。この壷
には、すべてのギリシャの芸術が象徴されている、と言えばだいたい説明が付くのであろうが、いささか漢然にすぎ
︵7︶
る。おそらくキーツはこの壷を、﹁最高度に具現されたギリシャ芸術は無個性の段階へ登って行く﹂というシェリング
︵男≦、いの9①臣躍︶と同じように、言い換えれば超個性の美を具現したものとして考えたのではなかろうか。こ
のオードの壷は想像されたものであると言うのは約言すればこのような意味になると思われる。したがってこの壷は
最初からキーツの意識のなかに抽象的な美的存在として受け入れられていたものであろうと推定される。そしてまず
最初に抽象的な美的存在として受け入れられた壷にキーツはさらにいかなる意義を含ませていたと考えるべきかとい
うことが次の問題となってくる、というのは壷を今述べたような単なる美意識の一具現としてのみ考えるとこのオー
ドの複雑さは全く理解されなくなってくるからである。そして逆に言うと、そのような単純な美意識の表現として受
け取っていたのでは、この複雑なオードが生み出されるはずはなかったと考えられるのが当然であるからである。こ
のことが正確に考えられるということは取りも直さずこのオードの正確な理解へ近付くことになることはまた当然と
なってくる。したがってこの壷の意味を探るということはこのオードの解釈における難点の一つになってくる。
バウラはこの壷の意味するところを次のように解釈する。沈黙と悠っくりした時間によって保存されてきたこの壷
のなかにキーツは悠久の過去の訴えを強く感じ、そのなかに代々の叡知の蓄積を見るのであるが、それにとどまらず、
さらにそれ以上のものを見ようとする。即ち、そこに彼は﹁玄妙なもの﹂︵①跨①お巴昌ぎαQω︶とのかかわりを見よう
とする。しからばこの﹁玄妙なもの﹂とは何かというと、キーツが一八一八年三月一三日友人ベイレィ︵甲国巴一2︶
に宛てた書簡のなかで表明した自身の所信に見られるとする、
﹁すべての精神的な追求はその追求する人の熱情iそれは本来無なるものなのですーからその現実性と価値を
得るのですー三つの項目に分けてみると1現実のもの1半現実のもの1無なるものーこのようなわけで玄妙なも
のは少なくとも現実的であるかもしれません。﹂
﹁ギリシャの壷によせるオード﹂における成立の前提 二二五
一橋大学研究年報 人文科学研究1 二二六
︵ここでさらにキーツ自身の言葉を借りてこの意味を説明してみると一層はっきりするであろう。この一節につづけ
てキーツは次のように敷術ている、﹁現実のもの︵↓ぼ躍のお巴︶i例えば太陽、月、それから星辰、そしてシェイク
スピアの文句と言ったもの。半現実のもの︵臼三昌暢器9ぼ窪一︶は例えば愛とか雲と言ったもので、それらを全く存
在させるためには精神の挨拶が必要であるーそして無なるもの︵20跨﹃暢︶とは熱情的な追求によって偉大にされか
っ威厳を付与されたものでありーわれわれの精神が﹃眼にするものを神聖なものにすること﹄ができる限り、やがて
われわれの精神にバーガンディの印しを捺すものである。﹂︶
なぜ玄妙なものが現実的であるかと言うとそれはわれわれにとって大きな意味を持ち、したがって熱烈にそれを追
求することになるからである。こういう考えからわれわれは次のように結論してさしつかえはないであろう︵もちろ
んキーツ自身はそう言っているのではないが︶。即ち幾世代にもわたって追求され愛されてきたものは玄妙と言って
も普通以上のものである。そしてこの玄妙なものは目的ではなく、何かさらに遙かな、そしてさらに崇高な目的への
手段なのである。キーツは、運命の手のとどかないところに、宗教的な尊崇と信仰に価いし、またこの世の根元的な
要素に属する何かがあると考えていた。これらのものは直接われわれに語ることはしないが、しかし壷がそうである
ように、神聖とわれわれが感ずる言葉を持っている。壷は沈黙によって育てられたものにふさわしく黙然として言葉
を発せず、超自然的なカのこの神秘的な階級にかかわりをもち、そのカはわれわれがその存在のなかに這入って行く
すべを学ぶまで姿は判らない。この頃のキーツはおよそこのようなことを壷が象徴すると考えていたらしい。このよ
うな考えは一年後に至ってもなおキーツの意識のなかにあったようである。即ちその一つの証左として一八一九年三
月一九日︵ちょうどこの月日は﹁ギリシャ・オード﹂が製作される約二ヵ月ばかり前のことになる︶弟ジョージに宛
てた書簡のなかで、積極的な関心から離れた状態︵キーツはこの状態を﹁怠情﹂︵UきぎΦ器︶と言っている︶のことを
次のように表現している、
﹁詩も、野心も、愛も私のそばを過ぎる時機敏な顔をしていません、それらはギリシャの壷の三つの姿のよう
だと言った方がいいでしょう1一人の男と二人の女性で、変装していますので私でないと見分けが付かないでせ
う 。 ﹂
以上においても判る通り壷は第一に何か遙かな、崇高な現実を象徴し、次には、彼の体験の特殊な一面を示すのに
︵8︶
用いる時は、明確性と親近感を増してくるのである。︵だいたいこのように揚合によって壷に対する考えは差を生じ
ていたようである。殊に今引用されたジョージ宛の一節はむしろ﹁慨怠へよせるオード﹂に関連のある考えかた、な
︵9︶
いしは態度であろう。︶
バウラよりももっと簡単にその象徴性を解するのはブルソクス︵ρ騨8窃︶である。即ち、キーツの壷は生命とそ
の盛衰を超えた生命を表現しているにちがいないが、それはまた、その生命は生命ではなく一種の死であるという事
実を証明しているにちがいない、言いかたを変えれば、時の経過を記するものの役目として、壷は、神話は歴史より
も真であることを主張しているにちがいない、と言う。この説明はいささか抽象的であるようであるが、時間の流れ
︵10︶
を貫 く 神 話 的 な 存 在 を 壷 に み と め て い る よ う で あ る 。
ところがこの二人とは全く異なった独特な見解を示すのはリーヴィズ︵男戸ピ臼≦ω︶である。即ち、明らかにキ
﹁ギリシャの壷によせるオード﹂における成立の前提 二二七
一橋大学研究年報 人文科学研究1 二二八
ーツの壷は白日夢へと誘い、それを支えるものであり、それは何らの欠陥ももたずに、彼の望むすべてのものを彼に
与える生活に対する夢であるーそしてその生活は常に暖か味があり、いつでも愉しむことのできるものであり、そこ
︵n︶ ■
では﹁木の葉の間﹂にあって、夜鳴鶯即ち羽の軽いドライアドが今まで知らなかったような不可避の制限はないので
ある、と言うのであるが、いささかわれわれを納得させるカは薄いようである。もちろん彼はこの立揚に立って独自
のキーツ解釈は示しているが、今のところまだ私は賛成する気にはなれない。︵その理由は今は述べないことにする。︶
さらにバウラとかなり近い見解を示すのはワッサーマンである。彼の言うところを要約すると次の如くである。彼
は壷の沈黙に意味をみとめて、その一種意味するところのある沈黙はキーツに強度化された感覚美が遂に精神的な真
へとなっていくことを伝えている。実際その壷は直接語ることはしないが、詩人の個性化されない自我︵キーツはこ
れを詩人の特質とみている︶をして壷の神秘性の存在のなかへ、その﹁天上の会議﹂の一つのなかへと這入っていか
せる。簡単に言うと、芸術は、見るものにその意味を押しつけることはせず、見るものをその本質に参与することに
︵12︶
引き入れることによって伝えるのである。乙の芸術の本質へ参与させることが芸術の真の力なのである、と言う。こ
こにおいてキーツの壷は真の芸術性の象徴として受け取られている。
以上四人の学者の見解を見てきたが、やはリバウラの見解が最もよくキーツの壷の意味を現わしているように思わ
れる。さらにこれにバウラと近い見解のワッサーマンを加えればだいたい完全に近いということになるであろうか。
もちろんこの二人の学者の見解をプラスすればそれでキーツの壷の意味は解けるというような簡単なものではあるま
いということは断る必要はないであろう。二れにブルックス、リーヴィズの見解も当然分岐的に含まれてくるであろ
■
ご昌ゆく’ ℃吋こ ℃, 一ωひ・
うが、これはやはりキーツ自身の持つ難解性、 あるいは多義性がしからしめるのであるが、 だいたいこのような難解
性を含むのがキーツの壷なのである。
冒鵬○期審︸円ぎ淘oミ9蕊ざ ミ還きミ帆§ヤ一。お○義○﹃ρ唱﹂⑳o。lQ一.
︼§恥壽窟ミきεミq§︸一℃ミス国遭話馨閃o鼻yりN鵠’
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﹁ギリシャの壷によせるオード﹂における成立の前提 二二九
このオードのなかで最も重要であると同時に最も難題を提出しているのは第五のスタンザの最後の二行であること
三
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一橋大学研究年報 人文科学研究− 二三〇
は誰でも知っている。ここにオードを解く鍵がひそめられている以上やはりこの二行を可能な限り考えてみる必要が
ある。まず最初にこの二行のうちの前の行についてはテクスト上の扱いかたから言って次の三つに分けられる。現在
行われている主な詩集によれば次のようになる。
ω ..国gロ蔓冴霞ロけ亘零馨げげ①暫暮ど、、
このように前後をダブル・クォーティション・マークにするのはH・B・フォーマン、およびセリンコート︵蝉号
の 〇 一 ぎ 8 β 旨 ︶ で あ る 。
③ 切雷μ昌一の霞暮F菖一一爵びg暮ざ
このように全くクォーティション・マークを付けないのはギャロッド︵040三↓Φ蓉ω霞8即Gいco︶である。ωの
表記法はひろく行われていたのであるが、この②の扱いかたはかなり思い切ったやりかたである。おそらくこれはキ
ーツがこのオードを始めて発表した﹁美術紀要﹂の表記法に基づくのであろう。︵﹁美術紀要﹂においてはクォーティ
ション・マークは付いていない。︶マリィもこの方法をとっている。ところがさらにまた新しい表記法が現われた、
それは、
⑥ .国窪仁¢一の零暮ぜ9葺げげΦ讐辞ど、
の如くシングル・クォーティション・マークにするのである。この方法をとっているのは②の方法をとったギャロッ
ド︵○ほo匡国&寓o霧9の$一一鼠a︾葺ぎβ這象︶である。なぜこのような表記法になったのか彼は明らかにして
いない。
このようにこの一行については三通りの扱いかたがあるのであるが、なぜこのような差異を生じてくるのか、この
ことについては未だ詳細な説明をしている学者はいないようである。とにかくこれは考究に充分価いすることである
と思うが、ここではこれ以上触れ得ない。︵ただωの方法によればこれは壷が語る言葉であることは明瞭となってく
るであろうが、しからば③と⑥の揚合はどのように説明すべきか、さらに考えてみるべきことであって簡単には答え
られない。︶テクストの上から言っていくつかの問題が残っているのであるが、さしあたって目下のと.︶ろいずれか
に決めなければならない必要はないので、以下においては便宜的に、最も新しい方法である③に従うことにする。
.田窪¢冨葺葺具9ロ跨げ$暮︸、とキーツはエピグラム的な表現をしているが、これは別にキーツが始めて言い
出したことではない。げΦき蔓とか窪β島という言葉は既にかなりひろく用いられていたことにわれわれは注意しな
ければならない。
いったいゆ雷暮鴇一ω窪暮F貸暮げげ雷暮矯、というような方程式的な言いかたは既にプラトンの頃からあるもので
あって、われわれも﹁逆も真なり﹂という言いかたで知っている。少なくともキーツもこの方程式的な表現は充分心
得ていたということは察するに難くはない。この表現がオードを書いている時におそらく無意識に脳裡に浮びあがっ
たことであろうということもまた察するに難くはない。しからばげ①程qとか叶控跨とかいう言葉、ないしは観念
はどこから得たであろうか、ということになってくる。だいたい今日、推測されるところによると次の如くである。
第三代のシャフッベリ伯爵︵い益国鴛一9ω訂P霧ゴq鳩一ひN一−旨嵩︶のギリシャ的思想を現わした次のような一節、
﹁美しい︵げ霧客崖巳︶ものは調和と均衡がある。調和と均衡のあるものは真︵δ旨。︶であり、美しく、かつ
﹁ギリシャの壷によせるオード﹂における成立の前提 二三一
一橋大学研究年報 人文科学研究1 二三二
真なるものは、したがって心地よく善なるものである。﹂︵§象箋9還。竃肉&§ざ蕾︶
あるいはエイケンサイド︵冨︾冨塁匡や旨曽1ぎ︶の、
↓gの跨①ロ暮爵韓︵塁国窪一一qωΦ旨ぼ。昌国臼く曾
↓げ①一〇︿Φ眞目ぎ訪qoωωoh↓↓暮げ即昌山αqoo血
ぎけ獣のα鷲犀≦〇二9胤o特一聴q島鈴ロαのoo山畦Φoロo
︾ロ山げ臼段qα≦〇一一ω冒夢Φ目緯昌q爵曙言げo捗
ー↓、ミ、簿§§鴨跨最誉9鴨きミ軋o§
かくしてそれから最初に美が天から送られてきた
この暗い世の真と善のうるわしき女王として、
というのは真と善は一つのものであって
美は真と善のなかに、そして真と善は美のなかに住むものだから。
︵1︶
だいたいこの一八世紀の思想がキーツの念頭にあったのではなかろうかと推測される。さらにさきのシャフッベリに
︵2︶
加えて重要なのは次の一節であることを忘れてはならない。
﹁というのはすべての美は真である︵馳農§壁跨↓国d↓頃︶からである⋮詩においては、それはすべて寓話
であるが、真は依然として極致である。そして、劇的および叙事的詩の本質について、古代の哲学者、あるい
はその近代の模倣者を読みうる学識のある者はいかなる人でも容易にこの真︵↓控爵︶についての説明は理解
するであろう。﹂︵GQ§恥毯9醤§§蕊ω︵旨8︶︶
おそらくこの方がさきの一節よリキーツにとっては重要な関連があるであろうということは容易に考えられそうで
ある。このように一八世紀においてはギリシャ的な思想がかなり知識階層のなかに普及していたと考えられるが、そ
れならばこのような思想をいかにしてキーツは学んだのであろうか。もちろんキーツも何らかの手段を通してこのよ
うな思想はうすうすながら知っていたのかもしれないが、まず確実と考えられることはハズリット︵≦・国曽国一葺︶を
通して学んだであろうということである。当時のハズリットは文芸批評家として、また哲学者としてその名声は確立
していた。キーツが彼に対しては深い尊敬の念を抱き、彼の著書を読み、彼の講演を聴き、共に食事し、直接にいろ
いろなことを質間する機会をもつことができた。︵さらに具体的に言うとキーツがハズリットの講演に出席したりし
たのは一八一八年の一月から二月にかけてでみる。︶このような機会にキーツはハズリットからげ.帥βqとけ峠仁昌と
いう言葉、および観念を学ぶことができた。ここで重要なことは、この二つの観念の結び付きを学んだというア一とで
転紀。このようにしてキーツは﹁ギリシャ・オード﹂を作る一年半ばかり前には既にこの二つの言葉と観念はかなり
はっきりした形をとりつつ彼の意識のなかに定着したのではなかろうか。
さらにこれと関連して直接の影響をもったであろうと推測されるのはキーツの友人ヘイドンである。キーツはヘイ
ドンと始めて友人関係をもったのは一八一六年の一〇月か一一月とされているが、.この年の約三年前の一月の日付を
もつヘイドンの日誌のなかに次のような一節が見出される、
﹁君は﹃結局美︵げ$暮鴇︶が大事だ﹄という。いや、それは大事ではないのだ。知性と感情が大事なのだ。
﹁ギリシャの壷によせるオード﹂における成立の前提 二三三
一橋大学研究年報 人文科学研究1 二三四
表現の衣が美しければ、それだけいいのである、しかし表現に圧倒するような衣を着せたら目的は達せられな
いのだ。
形の美は思想を伝える手段にすぎないが、伝達の真なる乙と︵5一島︶が第一の目的である⋮美は手段にすぎ
ない⋮完全な美は、情熱によってかき乱されない物、例えば天使たちのようなものにのみ属するのだ。﹂
このような.一とを考えることのできたヘイドンとの交遊においておそらくキーツはやはりげ雷葺鴇と霞暮げという
︵4︶
言葉を聞いたであろうということも考えられる。したがってこの頃既にかなリキーツはこの二つのことについては興
味なり関心があったであろうと思われる。これにハズリットという彼にとって一種偶像的存在であった有力な人物の
影響が重なっていよいよ強固にキーツの意識に植え付けられたのであろう。このような事情を考慮してみれば、キー
ツがオードの最後の二行を書いていた時、この二つの言葉が出てきたのはごく自然のことであり、また彼の創意によ
るものでもなかったのである。キーツ自身がこの二つの言葉を最初に用いたのは一八一七年一一月二二日友人ベイレ
ィ宛の書簡においてである、
﹁私は心の愛情の神聖なことと、想像力の真なること︵ぼ暮げ︶以外には確信がもてません。想像が美︵ゆ窪亭
昌︶として握むものは真︵貸暮げ︶でなければならない⋮﹂
ア一の言葉を為したのはやはりヘイドンあたりの影響によるものであろうが、ここで注意しなければならぬことは、
いわゆる美と真の一致ということが既にキーツによって考えられているのである。したがってこの一致の思想はどこ
に由来するのか、あるいはまたこれはキーツ独自のものなのかと言うことになってくるが、今のところ未だ明らかに
なし得ない。しかしこの一致の思想はこれから程なくして聴いたハズリットの講演の影響によってさらに確かめられ
たということは容易に推測しうる。このようにしてげΦ窪蔓と霞暮げはキーツの意識のなかに形成され、次第に彼の
芸術的信念の基底ともなって行くのである。
あと残る問題はキーツがこの二つの言葉を使用して書いたオードの最後の二行である。わずか二行のこととは言え、
これが今まで多くの研究家を悩してきたのであり、今日なおその解決をみない有様である。おそらくこのようにわず
か二行のために多くの説が為されている作品は余り例がないであろう。少なくとも私には思い付かない。もちろんこ
の二行について私には創見があるわけではないし、また創意を出しうるカもないが、諸家の理解を参考しつつおそら
く妥当と思われる解釈の方向を握み得ればそれで足りるのである。 、
問題になってくる最後の二行は次の如くである、
.国。窪釘誌茸暮戸窪酵げ①慧蔓”﹁け鼠江ω巴一
網Φ犀8≦8塁旨F笛昌巴一旨器aけoξo華
そして知る必要のあるすぺてである。
﹁美は真であり、真は美である﹂iこれは汝がこの世で知り、
もちろんこの二行もオードという詩のなかに存在しているものであって、ここだけ孤立的に存在しているわけでな
い以上、当然詩という流れにおいて捉えられなければならない。するとこれは上からつづいて静かに流れてくる詩の
情緒として受けとらなければならない。こういう立揚に立ってみると、真といい美といい、それはキーツの書簡にも
﹁ギリシャの壷によせるオード﹂における成立の前提 二三五
一橋大学研究年報 人文科学研究1 二三六
それに.平行する個所があるけれども、深く追究すべきものではなくなってくるし、その意味は論理的に解釈するわけ
にはいかない。詩である以上その意味はただ感じられるのみである、ということになってくる。︵ここで前に触れた
テクストの間題と関連してくる。この最後の行を感ずるためには、即ち詩の流れの一部として受けとるためには、
田跨昌一警讐島︾凄島げ①雲蔓のように前後にクォーティション・マークがない方がいいのである。したがって﹁美
術紀要﹂に発表された最初の形が都合がいいのであって、一八二〇年出版の詩集におけるようにダブル︵ギャ・ソド
︵5︶
の新版によればシングルYクォーティシ日ン・マークを付けるとこの流れの滑らかさは失われてくる。︶このような
受けとりかたも確かに一つの正しい態度である。前からの詩の流れにずっと乗ってきて、最後にエピグラム的な、一
種引きしまった情緒のうちに漢とした詩的感動が残れぱ、それはそれでいいのであろうが、やはりそこには何かもっ
と深い意味がひそめられていそうである。今まで行われてきたこの二行に関する見解は魑しいものがあるがそのうち
の代表的なものを二、三拾ってみる。ブリッヂェズ︵卑ゆユ凝霧︶はこの二行によってこのオードが一段と引き立つ
のであり、これがこのオードの中心となっているという見解をとるようである。これに対して反対の立揚に立つのは
クィラ・クーチ︵O巳一一R−089︶である。彼はこれを﹁教養のない結論﹂であると非難する。これ程強硬ではないが
だいたいこれと同じような立揚に立つのがエリオット︵日ψ固一9︶であるー﹁この行は私には美しい詩の重大な汚
点のような気がする。その訳は、私にこの行が理解できないか、あるいは、それは本当でない言葉であるか、どっち
かに違いない。﹂相当皮肉な言いかたで、かつ穏やかであるが非難であることには変りはない。さらにこの二人の非難
のように最初からこの二行を理解の外にあるものとするのとは違った態度をとるのはマリイである。彼によると美の
意味も、真の意味も、またこの一行が前後をクォーティション・マークをもって括孤されている意味も判るような気
がする、と言うのである。しかしながら判ったような気がするとはいうもののこれに対しては諸手をあげて賛成する
わけにはいかないのであって、﹁この詩自体の脈絡におけるこの二行の価値については私自身の見解もエリオット氏
とは余り異なるところはない﹂と結論せざるを得ないのである。要するに以上三人の見解をまとめてみるとまたここ
に新しい見解が出てくる、即ち、この断定的表現はどうも詩を損うものであり、要するに自然発生的でなく、劇的に
言って詩に適合しないのである︵C・ブルックス︶。以上のように非難的な立揚をとるエリオット、マリイ、ブルック
ス、いずれもいわゆる﹁近代的﹂なものに同感する批評家たちであるが、この非難的態度は必ずしもこのような﹁近
代的﹂な批評家からのみ出てくるわけではない。だいたい結局においてはアカデ、・・ックなギャロッド︵クィラ・クi
︵6︶
チも入れてもいいであろう︶もこの態度と変るところはないのである。こうしてみればこの二行︵ないしは前の一行︶
に対して賛同の態度をとらないのは、余リアカデミックでない批評家たると、またアカデミックな学者たるとを問わ
ず、一般的にキーツの読者にとって共通した態度だということになってくる。このような事情をみれば、この二行は
詩の構成から言って成功したものと言えないということに傾いてくるようである。︵私はこの二行について否定的な
見解をより多く挙げたようであるが、ブリソヂェズのほか、これを強く肯定する見解に出逢うことは稀れであるとい
うことは事実である。︶
詩的構成から言ってこの二行は成功的なものではないということにはなるようであるが、それはこの二行が無意味
であるということにはならない。詩的構成は別としてこの二行を孤立的にとり挙げてみると、これにはキーツの芸術
﹁ギリシャの壷によせるオード﹂における成立の前提 二三七
一橋大学研究年報 人文科学研究1 二三八
を理解する上から言って重要な意味を含んでくるのでこれを閑却するわけにはいかない。美といい、真といい、いず
れも遠くギリシャに源流をもちながら広く一八世紀に行われた観念的言葉であることは既に触れた通りである。一八
世紀的な言葉を借りたとは言えキーツの言葉となった揚合、そこには彼独自の内容が盛られてくる。キーツにおける
美とは何か、真とは何か、またいかにして美と真とは一致し得るか。美と真とをキーツは一致させているが、一つ一
つ切り離して、考えてみると、美とは変化を超越した理想的世界を象徴し、真は実際的な、科学的な世界を象徴する
と考えられる。これをもっと簡単に解すると美は夢に対応し、真は現実に対応する。だいたいこのような解釈でいい
︵7︶ ︵8︶
であろうがここに一つの問題が起きてくる。キーツにおける美は例えば﹁エンディ、・・オン﹂などを読めば、いかなる
ものを意識しているかが窺われるが、真となると容易ではない。というのはさきにも引用した一八一七年一一月二二
日ベイレィ宛の書簡においては真は4偉跨と用いられているが一八一八年一月三〇日ティラー︵9↓曙8昧︶宛の書
簡においては卑↓霊島のように不定冠詞が付けられているのである。︵なおここでは大文字をもって始められてい
るがこれには別に意味はないようである。︶果してキーツはこの不定冠詞の有無を極めて論理的に考えていたかどう
かは推定に困難であるが、そこには何か差異がありそうである。これに対しては結論的に次のように言い得るようで
ある。即ち冠詞を付けた揚合は甘凝目Φ艮に近い意味になり、付けない揚合はく巨9に近くなるということを考慮
してみる必要がある。したがって真を現実と解するにしても、それは想像力によって発見されるべきものであって、
︵9︶
︵10︶
窮極の現実を意味することになる。︵バウラは冠詞の有無にはこだわらず同一の意味に解している。︶
次にキーツはこの二行において美と真の一致を述べているがこのような考えは前からもっていたことは既に引用し
た一八一七年一一月の書簡において朋らかであるが、さらにこれと全く同一の考えを示したのは、ちょうどその書簡
から一ヵ月を経た一二月二一日弟ジョージとトマスに宛てた書簡である、
﹁すべての芸術の優秀性は、美と真が密接に結びつくことによって、不快なもの一切を発散させ得る、その
強烈さにあるのです。﹂
キーツの言葉を素直に受け入れればそれで一応理解したような気になるが、これはさらに考えてみなければならな
い。いったいどこから美と真が結び付き得る可能性が出てくるのであるか。この美と真との一致に対する考えかたは
だいたい次の三つの種類に分けられるようである。
はないとして、一種無条件にこれを認めてしまうのである。あるいはほぽこの考えかたと似て簡単であるが、詩人の
第一は極めて簡単に考える態度であって、この美と真の結び付きを﹁感情的なもの﹂︵o日9貯①︶以上に出るもので
︵11︶
行動の神秘性などを考慮に入れるところから出てくるのであろうが、やはりこれも無条件に受け入れて、詩人の生活
と作品には、真と美の奇妙な、そして予め運命的な一致が現われているとして、その理由は不問に付すのである。確
︵12︶
かに.﹄のような考えかたは簡単ではあるけれども、普通人には天才の内面的な動きは推測できるものではないのであ
るから、一面から言うとこれが最も確かな説明であると言えないことはないけれども、しかしこれでは理解を逃避し
たことにもなりかねないし、またこれで満足するわけにはいかない。この考えかたをもう少し複雑にすると次のよう
な考えかたになってくる。これは、だいたい今述ぺた二つの見解と全く同じような結果になるが、このオードの最後
の二行については、哲学的な興奮とか啓蒙の戦懐も起させないし、またこれを明らかにするためには何ら偉大な深さ
﹁ギリシャの壷によせるオード﹂における成立の前提 二三九
一橋大学研究年報 人文科学研究1 ■ 二四〇
ハロレ
も独創力も必要としないとして、始めからその明白性を認める態度をさらに一歩すすめたものである。ア︸のオードに
おいては美の方が真より重点が置かれていξのであって、美とは、ギリシャの壷の模様の物語る至福の幻影に対する
憧憬あるいは希求と解する。︵この解釈は独自のものである。︶この美は、現実の人間苦と対比する.︼とによって、わ
れわれを思考の阻止へと導いて行く。そういう美しい想像はそれ独自の妥当性と実在性をもち、したがってこれによ
って一種の真を示すことになる。その真こそは、﹁思考﹂がわれわれを悩まし、そして熱病的な困惑へと導いて行くア︸
の世において、われわれが知り得る唯一の真なのである。このようにして美から真を発展させながら、そこに結び付
きを求めるのである。
︵14︶
第二の方法はかなり独特の立場に立つものでこのオードのなかにコールリソヂ︵ω,ビOo一〇↓一轟。︶とハズリットの
影響を見ようとするところから出発する。おそらくキーツはコールリッヂから詩というものは﹁対瞭的な、あるいは
調和しない性質のバランス、もしくは妥協のうちに現われる﹂ということを、またハズリットからは﹁シェイクスピ
アの想像力は最も対踪的な極端なものを結び付ける﹂ということを学び、これを﹁ギリシャ・オード﹂のなかで応用
してみたのである。そして壷は﹁寓意的な﹂︵箪一囲8ざ巴︶なものであり︵これに対する説明は新しいものであるが
ここでは結果だけにとどめて、あとは割愛する︶、そこには統合的原則が含められている。かくして壷においてロマ
ン主義︵美︶とリアリズム︵真︶、潜在意識的な精神と意識的な精神、感情と観念、詩と哲学とが結び付くというので
ある。換言すれば一種弁証法的な止揚の立揚にあるのが壷であり、ここにおいて美と真の結び付きを求めようとする
ので献肥。これは新しい方法であるが、かなり観念的に解釈しようという傾向が強い。
第三の方法はこれよりもっと作品に即した解釈を求めようとするものである。これはこの結び付きを明快に解して
﹁美しいもの以外に実在的なものはなく、実在的なもの以外に美しいものはない﹂として貸葺げ目お巴一蔓と考える
ギャ・ッドの方法をさらに詳細に具体的に作晶ないしは書簡に即して考えようという極めて実証的な方法である。真
とは窮極の実在の代名詞であり、これは想像力によってのみ姻みうるものである︵想像力を取り入れたところが独自
人を圧倒するものである故に、美に通じて行くというのである。これは第一の方法の後半で述べた立揚、即ち美から
のものとなっている︶。かくして把握された実在は、想像力によって不快なものを解消され、かつその強度において詩
︵16︶
真に向かって行くのと出発点においてちょうど対踪的な立揚に立ち想像力にそのつながりを求めようとするものであ
る。さらにこれとかなり類似した方法であるが、想像力のかわりにキーツの言う﹁否定的能力﹂︵客ΦαQ暮貯oO君3F
一蔓︶を取り入れるものである。これは最初に美を内的強烈と解することから出発して、この美を把握する本質への浸
透力としてこの否定的能力を考えるのである。そして真とは否定的能力のもたらすものであり、この浸透力とは美を
感知する行為をいう、とするのである。︵さらに真とは精神的なものを言い、美とは感覚的なものを言い、経験の強烈
︵17︶
さによって感覚的なるもの︵有限の世界の条件︶を精神的なるもの︵無限の世界の条件︶へと霊妙化する、とも述べ
ている。︶しかしこれは否定的能力と本質への浸透力を類似せるものと考えてはいるが、いずれも全く同質のもので
︵18︶
はなかろうか。またこの方法によると﹁想像力が美として把握するものは真でなければならない﹂というキーツ自身
の一種結論的な文句における想像力はいったいどのように解すべきか、これに対しては何らの考察も施されていない。
これはこのようにいくつかの混同や疑問を含み、必ずしも容易に人を納得させ得ないうらみがあるようである。さら
﹁ギリシャの壷によせるオード﹂における成立の前提 二四一
一橋大学研究年報 人文科学研究1 二四二
に大事なことは否定的能力︵あるいは本質への浸透力︶は想像力ではないだろうかという重要な疑問が起きてくる。
そうとするならば、わざわざ否定的能力などを持ち込まなくても前のバウラの方法と同じように想像力で解決できる
のではなかろうか、とこのようにますます疑問は深まるのである。しかしこの方法によれば、美も真も同一のものの
異なった条件と考えるところに特色があり、これによれば美と真の結ぴ付きは極めて容易になってくる。ここで忘れ
てならないことは真についての解釈において、前に述ぺた貫暮ゴと費貸暮げの区別である。これを念頭に入れるこ
とによってさらに真についての意味は一層確かなものになると思われるのである。︵かくして前に述べた膨霧暮鴇厨
貸葺戸貫ロ爵げ①き蔓のクォーティション・マークの問題と関連して、これにつづくi跨暮δ鉱く鴫①犀8≦9
$暮F鈴且箪一器器a8すo≦の解釈についての問題が直ちに出てくるのであるが、これはまた他日を期すこと
にしたい。︶
以上いくつかの解釈を挙げたが、もちろんこのほかに細かく言うとさらに多くのものが考えられる。しかし方向と
してはだいたいこんなところに帰蒲するのではなかろうか。そうするとこのいくつかの方向から、最も素直に、かつ
妥当と受け取られるのは第三の方法の前半にあげたバウラの方法が今のところこれに当ると思われる。だいたいこの
ようにして﹁ギリシャ・オード﹂の主たる成立の前提は揃ったことになる。
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