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- 1 - 別れの言葉(答辞) やわらかな春風にさそわれて、いつもの年 より
別れの言葉(答辞) やわらかな春風にさそわれて、いつもの年 より早く校庭の新芽が、少しずつふくらみ始 めました。三年生の教室から見えるグラウン ドも、普段ならこの時期は銀世界のはずです が 、暖 冬 の せ い か 、今 年 は ず っ と 土 の ま ま で 、 私たち三年生はつい数日前まで、大好きなサ ッカーに興じることができました。 今日は私たち二十名のために、このような 盛大な卒業式をしていただき、心から感謝し ています。ありがとうございます。また、た だいまは校長先生を始めご来賓の皆様から心 温まる励ましやお祝いのお言葉をいただき、 卒業の喜びとともに身のひきしまる思いで す。 振り返ってみますと三年前、私たちは少し 大きめの制服に身を包み、期待と不安の入り - 1 - 交じった複雑な気持ちで朽木中学校の校門を くぐりました。今はなき朽木中学校体育館で の入学式の日のことが、まるで昨日のことの ように思い出されます。 長いようで短かかった三年間の足跡を振り 返ってみますと、貴重で、印象的な、数多く の体験の一つ一つが私たちの心によみがえっ てきます。 小学校の頃からずっと楽しみにしていたの は部活動でした。最初の頃は先輩についてい くのがやっとでしたが、先輩のアドバイスや 応 援 の お 陰 で 、「 が ん ば ろ う 」 と い う 気 持 ち になりました。 朽木中学校の部活動の良いところは、ひた すらまじめに頑張るところと、応援などでチ ーム一丸となって試合をするところだと思い ます。また、一つの事をやり遂げることによ って、自信や忍耐力もこの部活動によって培 う こ と が で き ま し た 。「 継 続 は 力 な り 」 と い - 2 - う言葉通り、続けることの大切さを部活動で 学びました。 朽木中学校の二つの大きな行事、体育祭と 文化祭はともに心に残るものです。 体育祭では、先輩たちの続けてきた南中ソ ーラン、エイサー、組体操を後輩に教える難 しさを上級生になって知り、先輩方の苦労が よくわかりました。先輩方の偉大さを改めて 感じ、自分たちも後輩にしっかりと伝えなけ ればと思いがんばりました。 今年の体育祭は私たちが最高学年で、後輩 を引っぱっていかねばならないと、とても力 が入りました。新たに競技に取り入れた騎馬 戦や、毎年恒例の綱引きなど、どの班も力を 出 し 切 り 、「 R O C K Y O U R S O U L 」 の 体 育 祭 テ ー マのもと、一人一人の心を揺さぶる、思い出 に残る体育祭になりました。校友会執行部や 班長は、この日のために夏休みからアイデア - 3 - を練り、活動してきましたが、体育祭の成功 をみんなで喜ぶことができ、私たちは大きな 行事を成功させたという成就感を味わうこと ができました。 三年間の文化祭のことも鮮明に覚えていま す。 一 年 生 の 時 の 文 化 祭 。「 感 」 と い う テ ー マ の下、初めての文化祭で私たちは「屋根裏チ ュー学校」という劇をしました。一年生らし く幼いながら一生懸命演じました。一方、三 年生の劇は演技にも迫力が感じられ、登場人 物の感情の表現も上手く、今も心に残ってい ます。 二年の時は、自分たちから進んで活動する 雰囲気があまり見られませんでした。しかし 自 分 か ら 行 動 し て い る 先 輩 を 見 て 、「 中 学 生 な の だ か ら 、 自 分 で 考 え て 、 行 動 し よ う 。」 という気持ちが芽生え、みんなは日に日に積 極的に動くようになりました。 - 4 - そ し て 今 年 の 文 化 祭 。「 P E A C E 」 と い う 大 きなテーマで、私たちが中心になって企画・ 運営を行いました。このテーマには、保護者 の方や地域のみなさんにも「平和の大切さ」 について改めて考えていただくとともに、私 たち若い世代が中心になって、平和な世の中 を築き上げていこうという気持ちが込められ ています。 「戦争を知らない子どもたち」という私た ちの劇は、戦争の悲惨さについて感じとって ほしいと思い、動作を大きくすることや、登 場人物の感情を表すことに工夫をこらしまし た。 合唱曲の「大地讃頌」は、最初、なかなか 声が出ず、うまくいきませんでした。合唱を 成功させるために、みんなで相談して休日を 返上して練習しました。この日から一人一人 が大きな声を出し始め、当日は今までの中学 校生活の中で最も大きな、生き生きした声で 歌 う こ と が で ま し た 。 閉 会 式 の 講 評 で 、「 感 - 5 - 動をありがとう」と教頭先生がおっしゃった こ と で 、「 私 た ち に も 人 を 感 動 さ せ る こ と が できるのだ」と、自信にもつながりました。 「声を大きくすること」と「自分で考え自分 から行動すること」という私たちの長い間の 課題が克服できたのも、この文化祭だったと 思います。 朽木の特色を生かした行事や学習も、地域 のことを考えるよい機会でした。 一年生のときのブナの原生林の散策では、 木地師について学び、ガイドの方から山がナ ラ枯れなどの問題に直面している事を知り、 ふるさと朽木の大切な自然を守っていかなけ ればならないと強く感じました。 二年生の時の「天空登山」では、昔の人の 歩いていた峠道や、稜線を歩き、先人に思い をはせました。また互いに「頑張ろう」と声 を掛け合ったり、武奈ヶ岳山頂で楽しくお弁 - 6 - 当を食べたり、眺めた山並みの美しさが今も はっきりと目に焼き付いています。 リバティ大阪に行って、人権について深く 学習したのは二年生の時でした。障がいのあ る方の気持ちを聞くなど、リバティ大阪でし か学べない、たくさんのことを学びました。 リバティ大阪に行って、私たちは身近に潜ん でいる差別に気づきました。冗談で言った言 葉も、言われた人が悲しんだり落ち込んだり すれば、それは立派な人権侵害です。人権意 識は人権学習をする前に比べ格段に高いもの になりました。 そして、沖縄への修学旅行。 平和記念公園に刻まれた、沖縄戦でなくな った多くの方々の名前、名前、名前。それを 見て私たちは、礎と戦没者の多さに驚き、戦 争 と は 、こ れ ほ ど の 人 の 命 を 奪 う も の な の か 、 と戦争の恐ろしさを改めて感じました。 平和祈念資料館では、沖縄戦での実際の写 - 7 - 真、ガマの様子、体験談が綴られており、日 本軍が負傷兵の、ミルクに劇薬の青酸カリを こっそり混ぜている様子や、泣いている子ど もの口を押さえている所を見たり、体験の手 記を読んだりして、戦争の恐ろしさ、くだら なさ、むなしさをさらに感じました。 シムクガマは中に実際に入らせていただき ました。奥まで歩いて、全員が懐中電灯を消 すと、ガマの中に漆黒の闇が広がり、近くに いるはずの友達、先生、ガイドの方の気配が 次第に消えていきました。この広いガマの中 にひとりぼっちになったようで、とても怖か った事を覚えています。それと同時に、戦時 中このガマで暮らしていた住民のことを思う と、恐怖や苦労は計り知れないものだっただ ろうと思いました。またガマでは日本兵が安 全な奥に入り、住民を危険な入り口付近に追 い や っ て い た と い う 話 を 聞 き 、「 住 民 を 守 る 事が使命の日本兵が・・・」と自分勝手な兵 士に腹が立ちました。 - 8 - 次 に 訪 れ た チ ビ チ リ ガ マ で は 、「 私 た ち の 肉親の骨がまだ残っています」という看板を 見て、とてもショックを受けました。このガ マの中で、自分の親が死んでいき、自分も死 ぬかもしれないという恐怖を想像すると、胸 が痛みました。改めて戦争とは、怒り、悲し み、憎しみしか生まれないものだと思い、こ のような戦争は二度と起こしてはいけないと 感じました。 おいしい沖縄の料理、三山時代に思いをは せた座喜味城、美ら海水族館ではジンべイザ メの大きさに驚きました。また、地元の方の 温かい心に触れた民泊など、美しい自然と文 化も満喫しましたが、やはり一番井の小児残 ったものは「戦争と平和」への思いでした。 この修学旅行を契機として、平和への思いは 日 に 日 に 強 ま り 、 今 年 の 文 化 祭 「 PEACE」 に つながったのです。 さらに、地域に方々や家族にも、いろいろ - 9 - な場でお世話になりました。 山の子が母なるびわ湖を知った遠泳では、 家族の応援で元気が出たことや、泳ぎ切った 後「よく頑張ったね」と言われてたいへんう れしかったです。 登下校時は地域の皆さんが「行ってらっし ゃ い 」、「 お か え り 」 と 、 ま る で 自 分 の 子 ど ものように声をかけてくださいました。 職場体験では、挨拶の大切さや礼儀などを 始め、働くことの意義や大変さも地域の皆さ んに教えていただきました。 スポーツカーニバル、資源回収、ボランテ ィア活動などを通して、地域との固い結びつ き を 感 じ ま し た 。こ れ ら は 朽 木 の 良 さ で あ り 、 後輩の皆さんにはこれからも受け継いでほし いと思っています。 考えてみますと、私たちは本当にたくさん の方にお世話になってきたことが改めて感じ - 10 - られます。 この三年間、私たちのことを真剣に考えて くださり、たくさんのことを教えてくださっ た先生方、本当にありがとうございました。 受験を迎える日々の中で、緊張感が高まって きたときにも、先生方は優しく支えてくださ いました。時には、いろいろわがままなこと を言って、先生方を困らせたこともありまし たが、今となってはたいへん良い思い出とな り、いつまでも心の中に残しておきたいと思 います。 また、今日まで十五年間、不安定な私たち を陰になり日向になって支え、育てて下さっ たお父さん、お母さん、ありがとうございま した。思春期という難しい時期で、時には逆 らうこともありましたが、広い心で温かく見 守ってくださったことに感謝しています。お 父さん、お母さんのおかげで私たちはこのよ うに一人一人大きく成長する事ができまし た。これからもたびたび迷惑をかけることが - 11 - あると思いますが、親として、また人生の先 輩 と し て 、こ れ か ら も 正 し く 導 い て く だ さ い 。 そして朽木中学校をすばらしい学校にしよ うと、ともに学び、ともに汗を流した在校生 のみなさん、ありがとうございました。皆さ んの協力があってこそ、私達は先輩方の築か れた伝統を守る事ができたのです。これから はさらに立派な校風づくりに力をあわせてが んばってください。 私たち二十名は四月からそれぞれが選んだ 道に進みます。先生方や在校生の皆さんとお 別れするさみしさと、慣れ親しんだ朽木中学 校 を は な れ る 不 安 、新 し い 生 活 へ の 期 待 な ど 、 今、私たちの胸の中は複雑な気持ちが入り交 じっています。 しかし朽木中学校の卒業生である事を誇り に持ち、この三年間で学んできた「杉の木と ともに 大地に根を張り 幹を太らせ たく - 12 - ましく伸びる」という学校教育目標にこめら れた精神を忘れることなく、しっかり自分を 見つめ、先生方や地域の皆さんの期待にこた えられるよう、地道に努力したいと思ってい ます。 名残はつきませんが、最後にみなさまのご 健康と母校朽木中学校のさらなる発展を心よ りお祈りして、そして新しい体育館の完成を 夢見て、お別れの言葉といたします。 平成二十二年三月十三日 卒業生代表 松村岳 - 13 -