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技術革新の20年を祝う

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技術革新の20年を祝う
技術革新の20年を祝う
ザイリンクス・スタッフ
ザイリンクス創立20周年を記念して、ザイリンクス・フェローがプログラマブル・テクノロジの誕生を回想します。
どのような業界でも、
ザイリンクス・フェロー Bill Carter,
ザイリンクス社“Hall of Patents”にて
業界に深く浸透した考え方やビジネス手法の多くが、表面上は永久
20年というのは長い時
に定着したように見えても、少々、的外れで近視眼的なものになっ
間です。電光石化の速
てきたと自分たちが感じていることでした。
度で進歩する半導体業
「実際、トランジスタはただであるという過激な考え方をしたの
界において、20年は一
はRoss Freemanでした」と、Carterは振り返ります。
「当時ゲー
生のようにも思えます。
トは高価で『トランジスタは少ないほどよい』と誰もが考えていま
しかし、ザイリンクス
した。Rossはその考えを徹底的に追求し、チップ上で使用可能な
創立後まもなく入社し
領域を活用すれば顧客がデバイスをカスタマイズ可能なことを突き
た最初のIC設計者Bill
止めました。このことは、私を含め、ほとんどのIC設計者が習得し
Carterにとって、プロ
たすべての知識に反する結果でした。
」
グラマブル・テクノロジ
もちろん、ムーアの法則はその点に関して、半導体設計者はいず
はまさに青年期に突入し
れ処理しきれないほどのトランジスタを使用することになると予見
たばかりと言えます。
していました。
「私は、ザイリンクス
ザイリンクスがすぐさま課題として取り組んだ半導体業界のもう
がこれほど短期間でこ
1つの原則は、自社で製造工場を持つという考え方でした。当時の
のような成長を成し遂げたことに驚きを覚えます」と、社内で企業
工場は、今日と同様に費用のかかるものでしたが、ICメーカにとっ
史家(本質的に業界全体の歴史家を意味する)を兼ねるこの控えめ
て工場を所有することは競争上の利点と考えられていました。
なザイリンクス・フェローは認めます。
「しかし、ザイリンクスが
Vonderschmittは、過去の提携関係や率直かつ公正なビジネ
成熟の域に達するには、この先まだ長い道のりがあります。プログ
ス・スタイルの実践を経て、日本のセイコー・エプソン社に対し、
ラマブル・テクノロジの潜在的アプリケーションは無数に存在する
ザイリンクスがデザインしたICチップをセイコーの製造工程に組み
にもかかわらず、その大部分が未開発だからです。
」
入れることが両社にとって得策であることを何とか納得させまし
確かに、プログラマブル・テクノロジは、固定アーキテクチャを
た。Vonderschmittは、それが、現在では一般的な工場を持たな
具体化したマイクロプロセッサやメモリなどの安定したシリコンと
い(ファブレス)半導体メーカという全く新しいアプローチの先駆
比較して、関心を惹きつけるために奮闘したり自らの適所を捜し求
けになるとは、この時ほとんど考えていませんでした。
めたりしている点では、まだボサボサ頭のティーンエージャです。
「ザイリンクスの戦略のこのような部分は、何よりも実際問題か
しかし、今日では数十億ドル市場となったFPGAやプログラマブ
ら生まれたものでした。ザイリンクスに工場を建設するだけの資金
ル・ロジック・デバイス(PLD)が半導体業界や日々日常の生活に使
はないことはわかっていましたし、その工場に見合うだけの顧客も
用される製品に及ぼす影響は、誰にも否定はできません。
いませんでした」とCarterは言います。
「Bernieは、間違いなく両
エレクトロニクス業界が絶えず進化を遂げ、半導体技術が絶え間
社にメリットのある取引をまとめる力を持っていました。
」
なく改良される今日、プログラマビリティという独自の利点が今後
今日の半導体企業によく知られている唯一の出来事は、恐らく
何年にもわたり技術革新と進歩に不可欠なものとなることは間違い
1984年に業界が不況に陥ったことでしょう。しかしそれにはばか
ないと思われます。
られることなく、ザイリンクスの創設者たちは意欲的なビジネス・
プランを探し回り、結局、自分たちのベンチャ事業を展開する資金
挑戦的な思考姿勢
として400万ドルを上回る資金を確保しました。当初の計画では、
もちろん、そうした影響を20年前には誰も予測できませんでし
最初のシリコンを1985年半ばまでに立ち上げ、1990年までに
た。ザイリンクスの創設者であるBernie Vonderschmitt、Ross
200万ドルの売上を達成する必要がありました(この数字は、最
Freeman、Jim Barnetの3名が、奇妙な社名を付けた新しいベン
終的に1993年に達成)
。直ちに創業者たちの構想に賛同するソフ
チャ事業に乗り出した当時(恐らく、いみじくもジョージ・オー
トウェア設計とIC設計の専門家からなるチームが招集され
ウェルが自作の小説で全体主義社会を予言した1984年)
、半導体
(Carterなど数名は、かなりの説得を要しました)、トランジスタ
業界は現在とは大きく形相を異にしていました。パソコンは、半導
を手始めに一歩ずつ業界を変える事業に乗り出しました。
体消費の重量級チャンピオンとなる運命にあって、シリコンバレー
の研究室から民生実用化への一歩を踏み出したばかりでした。イン
プログラマブル・デバイスは、1984年にはもはや新しい概
ターネットは科学者と政府向けの難解な通信リンクであり、無線電
念ではなくなってはいたものの、主流のデバイスとは程遠い
話はシンダ(建築用)ブロックほどもある大きなものでした。そし
存在でした。
て、ビル・ゲイツ氏はまだ生活のために働かなければなりませんで
した。
ザイリンクスの創設者達にとって何より重要だったのは、半導体
重要なのは相互接続機能!
プログラマブル・デバイスは、1984年にはもはや新しい概念で
2-1
はなくなっていたものの、主流のデバイスとは程遠い存在でした。
... FPGAが有効と見なされるしきい値はますます高くなって
プログラマブル・ロジック・アレイ(PLA)は1970年代からありま
きています
したが、動作が安定せず低速で、しかも使いにくいと考えられてい
ました。1980年代初めに、コンフィギャブルなプログラマブル・
すさまじい進歩
アレイ・ロジック(PAL)が登場し始め、完成度の低いソフトウェ
第3世代のザイリンクスFPGA、4000シリーズの登場までには、
ア・ツールにより実現したフリップフロップとルックアップ・テー
人はプログラマブル・テクノロジを真剣に考え始めていました。
ブルが、制限付きながらインプリメント可能となりました。
XC4003には44万個のトランジスタが搭載され、はるかに進んだ
製造プロセスは2-3μ程度で、トランジスタがまだパフォーマン
0.7μプロセス技術が採用されました。
スの重要因子でした。PALは小規模/中規模集積回路(SSI/MSI)に
FPGAのパフォーマンスと集積度は、固定アーキテクチャの代替
よるグルー・ロジック部品の代替デバイスと見なされ、より積極的
デバイスのレベルに徐々に近づいていました。実際、FPGAは、プ
なエンジニアリング・グループから徐々に支持を受けるようになり
ロセス技術開発の優れた手段としてメーカから認められつつありま
ました。
した(この時点で、半導体のサプライ・チェーンの重要な構成要素
しかし、プログラマビリティはほとんどの人にとって依然として
として専用工場が建設され始めました)
。
馴染みが薄くリスクの高い問題であり、このことは1980年代半ば
「90年代半ばまでに、ザイリンクスはFPGAをインプリメントす
に試みられた“mega PAL”によって、さらに深刻になりました。
る方法をより飛躍的に向上できることを確信していました」と、
mega PALは消費電力と製造プロセスのスケーラビリティに関し
Carterは説明します。
「その上、FPGAは新しいプロセス技術に対
て重大な欠点があったため、結局、採用の拡大が限定されることに
する優れた可観測性を提供することがわかったため、新世代のプロ
なったのです。
セス技術が登場するたびにそれを適格と認める目的でメモリが使わ
ザイリンクスの技術的戦略とは、多くのアプリケーションにとっ
れていたのと同じ方法で使用されていました。その結果、ザイリン
て、柔軟性とカスタマイゼーションは適切にインプリメントされれ
クスは業界の最先端へと進出し、今やムーアの法則を越えたと確信
ば魅力ある機能になるーー最初はプロトタイピングのみが目的で
するに至っています。
も、より厳密に定義されたカスタム・チップの代替品にもなりう
ザイリンクスは、1989年までに100万個のデバイスを出荷し
るーーというFreemanの信念に基づいたものでした。一方、ASIC
ました。また1990年の株式公開により、企業としての持続性を確
デザインはシミュレーションをはじめとするコンピュータ支援エン
立しました。その後、シリコン急増の波に乗じたのに応じて、瞬く
ジニアリング(CAE)機能などの優れたデザイン・ツールや、シリコ
間により大きな成功が訪れました。1995年には、ザイリンクスは
ン技術を利用可能なアプリケーション領域の拡大に後押しされて定
業界第10位のASICサプライヤにランクされ、収益は約5億ドルに
着し始めていました。 しかし、ザイリンクスはより一層カスタマ
達しました。また、世界各地にオフィスを展開し、従業員1,000
イズ可能なアプローチを提供する機会を見出していました。
名以上の企業に成長しました。
ザイリンクスの技術革新の要は、プログラム可能な相互接続とい
着実に技術革新を続け、次第に競争力を高めた結果、ザイリンク
う発想でした。実は、ザイリンクスの名前はこの考え方に由来して
スはさまざまなアプリケーション分野で新規顧客を獲得しました。
います。すなわち、Xilinxの両端にあるXは、プログラマブル・ロ
そして、新たに多数の顧客が “プログラマブルな手法”への転換
ジック・ブロック(またはコンフィギャブル・ロジック・ブロック
を図りました。ザイリンクスの製品ラインはハイエンド、量産、低
[CLB])を表し、-linxは、ロジック・ブロック同士を接続するプロ
消費電力版といった種々の製品群へと拡充を図り、顧客にとって以
グラム可能な相互接続を意味します。
前に増してデバイスの選択範囲が広がりました。ザイリンクスの
創業者たちは、PC基板(PCB)のデザイン(および今日のシステ
SpartanTMファミリは、初めて発表された1998年に価格対性能面
ム・オン・チップ[SoC]デザインの先駆)の例に倣って、周囲を
で新たな標準を打ち立て、同年、ハイエンドのVirtexTMデバイスは、
I/Oで取り巻くカスタム・ロジック・ブロック・アレイの構想を打
ザイリンクスの製造パートナが0.25μプロセスを積極的に採用し
ち出しました。すべてのI/Oを任意に配置することにより、固定の
たことにより、最初のミリオンゲートFPGAとリリースするにいた
I/Oによる制約をもつPALが遭遇するスケーラビリティの問題を克
りました。
服することが可能となります。
この考え方は、次第に普及しつつあったゲートアレイの手法から
取り入れたものでしたが、製造後のカスタマイゼーションという概
念を採用していました。プログラミングは、グラフィカルで直観的
2000年には売上が10億ドルを超え、ザイリンクスは90nmプ
ロセスおよび300mmウェハによる製造を射程距離に置く最初の
半導体企業の1社となりました。
ザイリンクスは、創立20周年に向けて新たな標準を確立し続け
なPCベースのデザイン・ツール・セットにより実行可能となり、
ており、今年は世界初の10億個のトランジスタを搭載したデバイ
ユーザはチップの機能を即座に変更することが可能でした。
スをリリースする予定です。この製品は、複雑性と集積度の面で新
そして何よりも、1985年に2μのプロセス技術で8万5,000個
たな障害を取り除くばかりでなく、FPGAの能力と柔軟性を多様な
のトランジスタを搭載した最初のチップが生産ラインを飛び立った
アプリケーションに提供するための画期的なアプローチを確立する
とき、おそらく創業者たちでさえ十分認識していなかったメリットは、
プラットフォームFPGAです。
新しい製造プロセスに対してスケーラブルであるということでした。
XC2064は、そうした時代として考えても保守的に設計された
価値は言葉の中にある
製品で、64個のロジック・ブロックを搭載し、わずか1,000ゲー
今日、ザイリンクスは業界第4位のASICサプライヤにランクさ
トほどのロジック規模に過ぎませんでした。しかし、ザイリンクス
れ、プログラマビリティの定着とともに、製品開発者の間でカスタ
の先駆者たちは「テクノロジではなく、コンセプトに対してのみリ
マイズ可能な選択肢として急速に採用されつつあることが証明され
スクを負う」ことを決意しました。
ています。
「私にとっては、ASICはもはや力を失った製品です」とCarter
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は断言します。「技術的課題はなくなりました。FPGAは十
分な速度と規模を持ち、量産アプリケーションでも採
算がとれます。より幅広い採用の妨げになっている
のは、認知の問題なのです。
」
Carterは、若い世代の設計者がベテランの技術
者に取って代わるにつれて、挑戦的な思考が次
第に薄れていることを感じています。その上、
プログラマブル・テクノロジを利用してメリットの得られ
ないアプリケーションがあるかと尋ねると、Carterは
「私には全く思い浮かびません。FPGAが有効と見な
されるしきい値はますます高くなってきていると言
えます」と答えています。
実際、Carterとザイリンクスの同僚たちは
FPGAを、現在のソフトウェア開発手法に似た全
製品が数ヶ月間で廃れてしまい、標準規格を示す
く新しい製品開発手法を構築するための基盤と見
略語が目のくらむようなペースで変わり、企業は
なしています。設計者はFPGAを使用して、週単位
同一のコア・デザインに対して複数のバリエー
ションを必要とするような世界において、FPGAは紛れ
もないメリットを提供します。
「FPGAほど、プロセス技術の向上を享受でき、使用可能なトラ
ンジスタを活用できるデバイスはありません。実際のところ、半導
でデザインを構築します。ハードウェアとソフト
ウェアの両方をテストし、基本的にダイナミックなプロ
トタイプへアクセスします。ある意味でこれはFPGA本来の
基本的な使い方ですが、異なるのは、今「プロトタイプを出荷」が
可能なことだとCarterは言います。
体メーカにとって従来の利点であるトランジスタのレイアウト上、
得られる価値は縮小しつつあります。将来的には、レイアウトの最
シリコンを越える
適化ではなく、知的設計資産をより多くの人々に提供することを考
プログラマブル・テクノロジの最大限の潜在能力は、人間の想像
える方向に進むでしょう」とCarterは言います。
力を遥かに越えるものです。たとえば、生物学や遺伝学の考え方が
Carterは、出版事業を例にとって説明します。
「価値はインクや
シリコンの物理学と融合して、新しい大胆なアプリケーションが開
紙ではなく、言葉の中にあります。ザイリンクスは、いかに多くの
発されるように、研究分野が交じり合うと刺激的で予期せぬ成果が
アプリケーションに対してもカスタマイズ可能な無限の言葉の組み
生まれます。プログラム可能な生物学システムとは? まさに今ひ
合わせを構築するための土台を提供することができます。
」
とり立ちしようとしている若者と変わりないのです。
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