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ヨルダン概況 - 中東協力センター
ヨルダン概況 平成 21 年 8 月 中 東 第 一 課 【基礎データ】 8.9 万 km2(日本の約 4 分の 1) 588 万人(2009 年) アラビア語(公用語) 、英語も通用 イスラム教 93%、キリスト教等 7% 立憲君主制 アブドッラー・イブン・アル・フセイン国王(H.M. Abdullah II Ibn Al-Hussein) 二院制(上院 55 名、下院 110 名(女性議席 7) ) 首相:ナーディル・ザハビー(Mr. Nader Al Dahabi) 外相:ナーセル・ジュデ(Mr. Nasser Judeh) GNI 162.8 億ドル(2007 年) 一人あたりの GNI 2,850 ドル(2007 年) 総貿易額 輸出:51.74 億ドル 輸入:93.3 億ドル(2006 年) 貿易品目 輸出:衣料品、燐鉱石、カリ、化学肥料、医薬品 輸入:原油、自動車・車両、機械類、電気機器 累積債務残高 51.4 億ドル(2008 年) 面積 人口 言語 宗教 政体 元首 議会 政府 -1- 内政 全人口の約 7 割に相当するパレスチナ系国民を抱えるため、パレスチナ情勢やイラク 情勢等国外の情勢変化の影響を被り易い。 ヨルダンはアブドッラー国王の指導の下、貧困の撲滅、失業対策、民主化の促進に向 けた改革に取り組んでいる。アブドッラー国王自身がアラブ諸国における民主主義の モデル国家を目指すことを明らかにしている。 1. 1999 年 2 月、1953 年以来ヨルダンを治めたフセイン国王が逝去、アブドッラー皇太子 が国王に即位。皇太子に異母弟のハムザ王子が变任されたが、ハムザ皇太子は 2004 年 11 月、皇太子を解任され、皇太子は長らく空席となっていたが、アブドッラー国王は 2009 年 7 月、長男のフセイン王子を皇太子に任命する旨の勅令を発出。 2. アブドッラー国王下で初めての下院選挙は、イラクに対する武力行使後の 2003 年 6 月 17 日に実施され、この選挙の結果、イスラム系政治政党を除く既存の世俗政党系候補 は敗退し、部族を支持基盤とする保守的な独立系候補が引き続き下院の多数を占めるこ ととなった。また新設された女性議席制度により女性議員が 6 名誕生した。 3. ヨルダンの内政改革については、今後 10 年間(2006~2015 年)のヨルダンの進路を定 める国家アジェンダが 2006 年 1 月末、国王に提出された。また、地方に対する権限委 譲を重視し、各地方の発展を促進するための地方分権化を目指している。この構想を具 体化するため王立委員会(Royal Commission)を設置し、ワーキングプランの作成、法 律の改正等が検討されている。 4. 2005 年 11 月 9 日、アンマンの 3 つのホテルにおいて同時自爆テロが発生。60 名が死 亡、100 名以上が負傷した。実行犯はイラク人 4 名とされており、内 1 名は女性で自爆 に失敗し、ヨルダン当局に身柄を拘束された。その後、11 月 27 日、バヒート国家安全 保障局長を新首相とする内閣が成立した。 5. 2006 年 11 月 22 日、現バヒート首相は、アブドッラー国王の信任を得て、同国王が掲 げる政治改革を含めた国内改革のさらなる推進とテロの一因とされる貧困・失業問題に 積極的に対処すべく内閣改造を行った。なお、今次内閣改造では、内務、外務、財務、 国際協力・計画相等の主要閣僚は留任しており、内政・外交面で政策に大きな変更はな いと見られる。 6. 2007 年 11 月 20 日、第 15 期下院選挙が実施され、イスラム系政治政党が大幅に議席を 減らしつつ、既存の政党系候補からは同党からのみ当選したにとどまった。その後、25 日、ナーディル・ザハビー・アカバ経済特区長を新首相とする内閣が発足した。2009 年 2 月、内閣改造を行った。 -2- 経済 国内にめぼしい外貨獲得手段のないヨルダン経済は、本質的に脆弱であり、湾岸危機 後、数次に亘り国際通貨基金(IMF)の構造調整プログラムが実施された(同プログ ラムは 2004 年 7 月に終了し、現在 IMF はヨルダンに対しポストモニタリングプログ ラムを実施している) 。他方、アブドッラー国王は自ら経済の再生に強い意欲を示し、 WTO への加盟、米国、モロッコ、チュニジア等との FTA 締結、アカバ経済特別区の 創設等、外国投資と自由貿易の促進による一層の経済成長を図っている。 しかしながら、2000 年 9 月からのイスラエル・パレスチナ間の衝突の影響、2001 年 9 月 11 日の米国における同時多発テロ事件、更にはイラク戦争の影響を受け、ヨルダ ンの基幹産業である観光業やパレスチナ自治区との貿易が伸び悩んでいる。また、ヨ ルダン経済はイラク市場に大きく依存(特に石油輸入に関しては全面的にイラクに依 存)していたため、イラクに対する武力行使の影響によりヨルダン経済は大きな影響 を受けた。 最近のヨルダン経済は、イラク関連貿易の回復、国内需要の増大等により良好な経済 指標を示す一方で、巨額の公的債務、海外からの無償資金援助への依存等国家財政に おける構造的な問題に直面している。また、最近の食料品価格高騰により、ヨルダン 政府の補助金政策が重い財政負担となっている。 1. ヨルダンは、非産油国であり、めぼしい外貨獲得手段のない脆弱な経済構造をもつため、 恒常的な国際収支の赤字が続いている。この結果、対外累積債務は 100 億 8,616 万ドル (2004 年)に上る。アブドッラー国王は、経済改革への取り組みを重視し、2000 年 4 月には WTO に加盟、同年 10 月には、米国との間で自由貿易協定(FTA)に署名する等、 外資導入と自由貿易の促進を積極的に行っている。他方、2000 年 9 月以来のイスラエ ル・パレスチナ間の衝突及び 2001 年 9 月の米国における同時多発テロ事件の影響を受 け、ヨルダンの基幹産業である観光業やパレスチナ自治区との貿易が伸び悩み、更にイ ラクに対する武力行使によってヨルダン経済は大きな打撃を被った。 2. ヨルダンにとりイラクは最大の援助国であり、貿易相手国であった。ヨルダンは、対イ ラク武力行使前まで必要とする原油の全量をイラクに依存、その半量は無償、残り半量 を優遇価格で調達し、国内販売価格との差額である年間約 5 億ドルを国庫収入としてい た。しかし、イラク戦争後、石油供給の中断によりヨルダン経済は大きな影響を受けた。 現在原油調達は、アラブ首長国連邦、サウジアラビア等から優遇条件により行われてい る。しかし、大幅な国庫収入減を余儀なくされただけでなく、最近の石油価格高騰の影 響を受け、ヨルダン政府の補助金等を通じた国内燃料価格政策が大きな財政上の負担と なっている。一方、対イラク貿易は戦争後徐々に回復し、2004 年の対イラク輸出は 5 億 678 万米ドルと見込まれ、戦前の水準を回復している(2002 年:4 億 4,040 万米ド ル) 。なお、2005 年 7 月、サウジアラビアは、ヨルダンに供与していた石油の無償提供 に替えて現在の石油の国際価格高騰に起因するヨルダンの負担軽減を支援する一つの -3- 方策として、1 億 6,900 万米ドルの財政支援を行う旨決定した。 水資源の開発可能性(国民一人当たりの水資源腑存量)が世界で二番目に低いヨルダン 3. では、都市人口の急増に伴う飲料水や農業用水の確保が恒常的な課題。また、人口増加 率と若年層の人口割合が高いことから雇用の確保も重要課題の一つ。失業問題に加え、 貧困問題も深刻であり、特に地方の生活水準及び生産性の向上が課題。首都圏では生活 基盤が優先的に整備されてきたが、南部 3 県(マアーン、カラク、タフィーラ)をはじ めとする地方では社会資本の整備が遅れている。 2003 年 12 月には、 2004 年から 2006 年までの新社会開発計画を発表。巨額の公的債務、 4. 海外からの無償資金援助への依存等国家財政における構造的な問題に加え、最近の原油 価格高騰の影響を受け、ヨルダンの補助金等を通じた国内燃料価格政策が大きな財政負 担となっている。こうした状況に対して、増税、新税の導入、石油関連製品の値上げ等 により国民に負担を求め、財源確保に係る努力を行っているが、依然として高い水準で 推移する失業率を前に、国民の更なる負担増は政治的・社会的にも難しい決断となって いる。 2005 年 3 月に公表された国際通貨基金(IMF)によるヨルダン経済概観によれば、2004 5. 年のヨルダン経済は、国内需要の増大、イラク関連貿易の回復、慎重なマクロ経済政策 の継続等により、インフレが適切な水準で抑えられている一方、高い経済成長(実質経 済成長率は 6%を超えるものと見込まれている)を達成した。他方で、ヨルダン経済は 巨額の公的債務、海外からの無償資金援助への依存、為替レート変動に対し、脆弱な構 造等、深刻な課題に直面している。また、最近の原油価格高騰により、ヨルダン政府の 補助金等を通じた国内燃料価格政策が財政赤字の急激な拡大につながる恐れもある。 2008 年 11 月、IMF によれば、金融危機が世界的に広まっているが、ヨルダン経済の見 6. 通しは概ね良好である。燃料補助金の削減は、大胆かつ必要不可欠な措置であり、政府 の財政負担軽減に寄与しているが、世界的な食料品価格の高騰の中、未だ継続している 食糧補助金は政府の財政赤字を増大させる要因となっている。また、公的累積債務は 2007 年度の対 GDP 比 70%から 2008 年度末には同 56%に減尐すると見込まれる。引 き続き、構造改革路線を堅持していくことが、長期的な経済成長を支えるほか、財政基 盤の強化に繋がっていくとみられる。 外交 ヨルダンは、伝統的に親欧米のアラブ穏健派である。しかし 1990 年の湾岸危機に際 してとった立場により湾岸諸国や米国との関係は著しく後退した。その後は、中東和 平プロセスに積極的に貢献・協力したこともあり、米国との関係は修復し、米国政府 首脳と直接話をできる親米中東国家の一つとなっている。 -4- イラク問題をはじめとする湾岸地域の安定とパレスチナ問題を中心とする中東和平問 題は中東地域における最も重要な国際問題。ヨルダンは、この二つの重要な国際問題 の重要な当事国に囲まれているという地政学上の特性を有する。従って、ヨルダンは 中東の安定要因としての役割を担うことが国際社会(特に欧米諸国)から常に求めら れている。 (1)中東和平 (イ) ヨルダンの政治的安定は中東地域全体の安定に直結している一方、ヨルダンの国情は中 東和平の進展によって国情が左右される。ヨルダンは、第一次中東戦争の際に発生した 1948 年パレスチナ難民の 41%を受け入れ、また 1950 年に西岸を領土として 1967 年に 避難民の 90%を受け入れた結果、ヨルダンにおけるパレスチナ系国民の割合は全人口の 約 7 割に至っている。このためパレスチナ問題の動向は、パレスチナ系国民を通じヨル ダンに大きな影響を与え、同国の国益に直結する問題である。 (ロ) ヨルダンは、1988 年に西岸との法的・行政的関係を断絶して以降、パレスチナ占領地 におけるパレスチナ国家樹立による問題の解決を一貫して支持してきた。米国主導の 「ロード・マップ」作成にも積極的に関与し、2003 年 6 月、ブッシュ米大統領、シャ ロン・イスラエル首相、アッバース PA 首相(当時)による三者会談をアカバにおいて 主催した。 (ハ) ヨルダンは、イスラエルによる西岸占領地域での分離フェンス建設がパレスチナ人の生 活環境を破壊しヨルダンへの自発的な移住を促すとして、これを強く非難してきた。こ の分離フェンス建設に関して 2004 年 7 月に国際司法裁判所(ICJ)が発表した勧告的意 見をヨルダンは歓迎した。ヨルダンは、イスラエルが同勧告の求める内容に応じること を望んでおり、イスラエルが同勧告を遵守し、「ロード・マップ」の活性化を求める国 際社会の要求に応じることが、地域の治安及び安定を実現し、地域の諸国民に公平な和 平をもたらすと考えている。 (ニ) 2004 年 6 月、クレイ・パレスチナ自治政府(PA)首相はヨルダンを訪問し、パレスチ ナ諸派間の対話プロセスの促進及びパレスチナ治安機関部隊の再建、組織化及び訓練へ の支援を公式に要請した。これに対しヨルダンは、パレスチナ自治政府の要請に応じる 準備があることを明確にした。なお、1994 年のパレスチナ自治開始以来、約 5,000 人 のパレスチナ警察及び治安機関要員がヨルダンで訓練を受けており、現在も、通常の二 国間協力の一環として訓練協力が行われている。 (ホ) 2004 年 11 月のアラファト PLO 議長の死後、和平交渉再開に向けた機運の高まりを受 けて、2005 年 2 月 8 日エジプトのシナイ半島に位置するシャルム・エル・シェイクに おいて、ムバラク・エジプト大統領の招待により、シャロン・イスラエル首相、アッバー ス・パレスチナ自治政府(PA)大統領及びアブドッラー・ヨルダン国王を招いて首脳会 談が行われた。この 4 年 4 か月ぶりのイ・パ首脳会談(シャロン首相の初のエジプト訪 問)は、暴力の相互停止に合意(第二次インティファーダの終結)、「ロード・マップ」 の再開に向けた重要な第一歩を示した。 (ヘ) 中東和平の歴史的機会を迎えて当事者の和平努力を積極的に支持・支援する機運の高ま -5- りとともに、ヨルダン・イスラエルの二国間関係改善に向けた動きが進展した。ヨルダ ンは、イスラエルを含む周辺諸国と安定した関係を構築することが自国の安定・繁栄に 繋がることを深く認識しており、1994 年にイスラエルと平和条約を締結している。 (2)イラク問題 (イ) 1980 年のイラン・イラク紛争を契機にイラクとの経済関係が拡大し、安価なイラク原 油の供給を受ける等、イラクから大きな経済的恩恵を受けるようになった。この密接な 経済関係を背景に、1990 年の湾岸危機の際には親イラク姿勢を示し、このためクウェー トをはじめとする湾岸諸国や米国との関係が一時冷え込んだ。 (ロ) その後ヨルダンは、国連制裁下に置かれることになったイラクに対し、関連安保理諸決 議の遵守を要請する一方、米国をはじめとする国際社会に対しては、対イラク制裁解除 及び対話を通じた平和的解決を訴え続けた。 (ハ) 2003 年の米軍等による対イラク武力行使に際しては、ヨルダン政府は国民の親イラク 的感情を配慮し、平和的手段による問題解決を唱える一方、ヨルダン防衛の目的で米軍 部隊の駐屯を許可する等対米協調にも腐心した。戦後は野戦病院部隊の派遣等対イラク 人道支援に積極的に関与、さらにイラク人警察官や軍関係者の訓練を実施している。 (ニ) 2004 年 6 月のイラクへの主権委譲後、ヨルダンはイラク暫定政府と良好な関係を続け ている。イラクとの間で唯一の民間定期便が運航しているヨルダンは、イラク側関係者 の来訪も盛んで、イラク国内治安への懸念からイラク入りできないドナー国、NGO 等 とイラク側との協議の場となっている。 (ホ) 他方、UNHCR によれば、70 万人近いイラク難民がヨルダンに流入しており、これによ り原油価格の高騰と相まって国内物価上昇の要因としてヨルダン経済を圧迫しており、 水や教育の問題をはじめ、治安面からも、ヨルダン社会に影響を及ぼしている。 (3)米国との関係 (イ) 湾岸危機時、米国との関係は一時冷却したが、その後 1998 年 10 月のワイリバー合意 成立における故フセイン国王の中東和平プロセスでの仲介努力への高い評価等もあっ て、現在米国との関係は良好であり、米は最大のヨルダン援助国となっている。最近で は 2009 年 4 月にアブドッラー国王が訪米し、オバマ米大統領と二国間関係や中東和平 に関し議論した。 (ロ) 米国との貿易優遇措置により米国依存が近年急速に高まっている。96 年に対米輸出資 格認定工業地区(QIZ)法(米国が中東和平を促進するためヨルダンとイスラエルに対 して認めた貿易優遇措置。最終製品のうち、イスラエルとヨルダン双方の製造業者によ り一定比率以上が QIZ 内で加工されていれば、米国市場に無税で無制限に輸出すること ができる)が成立、2001 年に対米 FTA 発効。 (ハ) ヨルダンは、中東地域の「民主化モデル国」としての自負があり、G8 の拡大中東・北 アフリカ構想にも積極的に関わる姿勢を見せている。ヨルダンは、2004 年 6 月のシー アイランド・サミットにもアウトリーチの代表の一国として招待されるなど存在感を誇 -6- 示しており、同サミットで設立が合意された「未来のためのフォーラム」にも創設メン バーとして深くコミットしている。 (ニ) 2005 年 3 月のアブドッラー国王の訪米では、ヨルダンが行っている経済社会改革につ いて、詳細な説明が行われた。ヨルダンは 10 年計画で包括的、統一的な改革を推進し ようとしているが、改革のための国家アジェンダ、地方行政改革構想等に基づき既に 8 つの各種委員会(労働、教育、職業訓練、インフラ、地方行政等)が設置され、具体的 な改革の方策について検討が行われていること、また、政治改革として政党法、労働組 合法の改正に取り組んでいる等につき詳細な説明が行われた。米国政府は、このような ヨルダンの努力を高く評価すると共に、当面直面する経済的苦境に対する財政支援の要 請に対して応分の協力を行うことを表明(米国としては、既に通常予算では 460 百万ド ルの支援を決定)した。 (ホ) 米国は、中東地域の平和と安定のためにヨルダンが行っている努力を高く評価し、ヨル ダンが直面する石油価格上昇に伴う財政負担などの困難を乗り越えるため、2008 年度 予算における対ヨルダン援助について前年度比 48%増となる 3 億 6,350 万ドルの経済協 力と 3 億ドルの軍事協力を議会で承認した。 我が国との関係 (1)概況 (イ) 我が国とヨルダンは、1954 年の国交樹立以来、皇室王室間の伝統的友好関係もあり、 極めて良好な関係を維持してきた。また、我が国は、米、EU と並ぶ主要ドナー国であ り、湾岸危機やイラク戦争の際の緊急経済支援(年 1 億ドルの無償資金協力)に加え、 2004 年 12 月の国王訪日時に追加支援(40 億円〔約 3,600 万ドル〕の無償資金協力) を実施。中東和平プロセスの中での多国間協議における両国の協力、活発な要人往来等 もあり、近年二国間関係は、順調な発展を続けている。 (ロ) イラクにおける邦人人質事件に関しては、2004 年 4 月に逢沢外務副大臣、同年 10 月に は谷川外務副大臣を本部長とする現地緊急対策本部を在ヨルダン日本大使館に立ち上 げ、関係機関との情報収集の面等、ヨルダン政府より積極的な協力を得た。 (ハ) 小泉総理大臣は、2004 年 6 月、G8 サミット出席のため訪れた米国のシーアイランドに おいてアブドッラー国王との首脳会談を行い、二国間関係やイラク問題について意見交 換を行った。 (ニ) 2004 年 12 月のアブドッラー国王の訪日は、両国皇室・王室間の交流もあり、極めて友 好的な二国間関係を維持してきた日本・ヨルダン両国の外交関係樹立 50 周年を締めく くる時宜を得たもの。政府高官、皇室及び経済界要人とのハイレベルの対話を通じて、 次の 50 年に向けた二国間関係の更なる増進を図ることができた。 (ホ) 2005 年 12 月のアブドッラー国王の訪日では、小泉総理との首脳会談で、「日・ヨルダ ン政治協議」開催の提案、同年 11 月のアンマンでの自爆テロ事件、ヨルダンの国内改 革と我が国による支援等に関する二国間関係についての意見交換に加え、地域・国際情 勢につき、中東和平やイラク情勢に関する現状認識、国連改革等についての意見交換が -7- 行われた。 (へ) 遠山外務大臣政務官は、2006 年 2 月、MENA(Middle East and North Africa)−OECD 投資プログラム閣僚会合出席のためヨルダンを訪問し、滞在中、アブドッラー国王と会 談し、二国間関係、イラク及びパレスチナ情勢について意見交換を行った。 (ト) 小泉総理は、2006 年 7 月、中東和平問題の解決に向けた対話を促すため、イスラエル、 パレスチナ自治区へ訪問し、引き続きヨルダンを訪問。アブドッラー国王及びバヒート 首相との首脳会談で、総理は、イスラエルとパレスチナの「共存共栄」に向けた我が国 の中長期的な取組として、ヨルダン渓谷に域内協力で繁栄する地域をつくる「平和と繁 栄の回廊」構想を提案し、ヨルダン側より賛同を得た。また、我が国はヨルダンの国内 改革に向けた主体的な取組を支援するため、1,200 万ドルの新規ノンプロ無償供与を表 明した。 (チ) 2006 年 12 月のアブドッラー国王の訪日では、安倍総理との首脳会談を行った。安倍総 理より、新政権下でも、日本は中東の平和と安定のため積極的に取組む考えであること を確認した。アブドッラー国王からは、日本のヨルダンに対する支援に感謝の意が表明 されるとともに、日本は中東地域において誠実な仲介者で公正な立場を取るなど非常に 尊敬されていると発言の上、今後も日本と協力していきたいとの意向が表され、高い期 待が示された。 (リ) 2009 年 4 月のアブドッラー国王訪日では、麻生総理との首脳会談を行った。麻生総理 より、ヨルダンが中東地域に於いて果たしている重要な役割を高く評価するとともに、 引き続き幅広い分野で両国の関係強化を進めたいと述べた。アブドッラー国王からは、 日本が中東地域の安定のために果たしている役割に感謝すると述べた。また、今後両国 が米国と協力し、和平への取り組みを支援していくことが重要である点で一致した。国 王訪日に併せて経産省とヨルダン原子力委員会の間で、原子力分野での協力覚書が締結 された。 (2)政治関係 ハイレベルの交流が盛んに行われている。なお、アブドッラー国王は過去 9 回の訪日歴 (1982 年、1993 年、1998 年、1999 年、2002 年、2004 年、2005 年、2006 年、2009 年) 、国王就任後は 6 回の訪日歴を有する。 <参考:近年の主な要人往来(肩書きは全て当時)> ヨルダン要人の訪日 1995 年 5 月 1998 年 10 月 1999 年 6 月 12 月 我が国要人のイラク訪問 ハッサン皇太子(公式実務) 1995 年 1 月 アブドッラー王子(現国王) 9月 マルトー大蔵大臣(高村外相と会 10 月 談) 1996 年 6 月 アブドッラー国王・ラーニア王妃 8月 (国賓) 1999 年 1 月 (アリー王子、アイシャ殿下、リ 2月 マ・ハラフ副首相兼計画相、ハ ティーブ外相、ビルタージ観光・ -8- 皇太子同妃両殿下 村山総理大臣 福田外務政務次官 高円宮同妃両殿下 池田外務大臣 高村外務大臣 皇太子同妃両殿下、小渕総 理大臣(フセイン国王の葬 儀参列) 2000 年 6月 2001 年 10 月 2002 年 5 月 6月 2003 年 2月 10 月 2004 年 2 月 5月 10 月 12 月 2005 年 2006 年 2007年 6月 7月 12 月 8月 12 月 5月 7月 2008 年 5月 7月 10 月 12 月 2009 年 3 月 4月 遺蹟相同行) 3月 ハムザ皇太子(故小渕前総理合同 9月 葬儀参列) 2000 年 8 月 アブー・ラーギブ首相 ムアッシャル外務大臣 2001 年 8 月 アブドッラー国王一行(ハムザ皇 12 月 太子、アリー王子、ハーシム王子、2002 年 8 月 フセイン王子、アブー・ラーギブ 9月 首相、ムアッシャル外相、マル 11 月 トー財相、バシール産業・貿易相、 タラーウネ王宮府長官他随行) アワダッラー計画・国際協力大臣 2003 年 3 月 バスマ王女 4月 アワダッラー計画・国際協力大臣 6月 マジャーリ下院議長 12 月 アワダッラー計画・国際協力大臣 アブドッラー国王一行(アリー王 子、ラーイヤ王女、ファーイズ首 相、ムルキー外相、アワダッラー 2004 年 4 月 8月 計画・国際協力相他随行) 10 月 アリ計画・国際協力大臣 ビルタージ国王顧問 アブドッラー国王一行(ファイサ 2005 年 1 月 2月 ル王子、ラーイヤ王女、ファリー 5月 ズ副首相兼財務相、アリ計画・国 6月 際協力大臣他随行) ハッサン王子(元皇太子) アブドッラー国王(ラーイア王 2006 年 2 月 妃、フセイン王子、イマーン王女、 4月 ラーイヤ王女、マジャーリ下院議 5月 長、アワダッラー国王事務所長、 7月 カスラーウィ国王特別顧問、ファ 12 月 リーズ副首相兼財務相、ハティー ブ外相、アリ計画・国際協力相他 2007 年 8 月 随行) ムナ妃殿下(国際看護師協会各国 2008 年 7 月 協会会員代表者会議出席) ラーイヤ王女(国際児童・青尐年 2009 年 5 月 演劇フェスティバル出席) ハッサン王子(元皇太子) バシール外相( 「平和と繁栄の 回廊」構想第 3 回 4 者協議 閣僚級会合出席) スマイヤ王女 ラーイヤ王女 アリ計画・国際協力大臣 アブドッラー国王(ファイサル王 子、ラーイヤ王女、ガーズィ王子、 ルーズィ王宮府長官、サファデ ディ国王顧問、ジュデ外相、アリ 計画・国際協力相他) -9- 町村外務政務次官 中馬衆議院外務委員長 加藤紘一・日本ヨルダン友 好議連会長 杉浦外務副大臣 本岡参議院副議長 有馬中東和平担当特使 渡部衆議院副議長 茂木外務副大臣(総理特 使) 茂木外務副大臣(総理特 使) 川口外務大臣 茂木外務副大臣 逢沢外務副大臣(総理特 使) 逢沢外務副大臣 田中外務大臣政務官 谷川外務副大臣 河井外務大臣政務官 福島外務大臣政務官 福島外務大臣政務官 高円宮憲仁親王妃久子殿 下 遠山外務大臣政務官 有馬中東和平担当特使 杉浦法務大臣 小泉総理大臣 浅野外務副大臣 麻生外務大臣 宇野外務大臣政務官 西村外務大臣政務官 (3)経済協力関係 (イ) 我が国は、ヨルダンとの良好な二国間関係に加え、同国が中東和平の当事国であり、そ の政治、経済の安定が中東地域全体の安定に直結していること、また、同国が中東和平 プロセスに積極的に貢献していること、民主化及び構造経済改革を着実に実施している こと等に鑑み、ヨルダンを重点支援国としている。 (ロ) ヨルダン政府の最大の課題は、対外債務。1992 年には対外債務が GDP 比 150%に相当 し、債務返済比率が 20%に届くような危機的状態であったが、我が国の債務繰延、ノン プロジェクト無償資金協力による一連の救済措置の成果により収束しつつある。対外債 務における対日債務残高は 2,054.98 億円(ODA:1,699.96 億円、非 ODA:355.02 億 円)に上っており、1989 年の第 1 次から 2003 年 6 月の第 6 次の措置までヨルダンの 対外債務の約 34%を我が国が占めており、我が国はヨルダンの最大の債権国の一つであ る。 (ハ) 我が国としては、アブドッラー国王の国賓訪日時(1999 年 12 月)に、3 年間(1999 ~2001 年) で総額 4 億ドルの経済支援パッケージを表明。さらに 2002 年 6 月のアブドッ ラー国王訪日の際は、同国の中東和平における重要な地位と役割に鑑み、20 億円のノ ン・プロ無償資金援助の供与等を表明した。また、2002 年 7 月にはパリクラブにおい てヨルダンの債務繰延につき、我が国を含む債権国間で合意がなされ、2003 年 6 月、 我が国はヨルダンと E/N を了した。右繰延の対象となりうる支払額は約 12 億ドルに上 り、そのうち我が国分は約 238 億円。 (ニ) 米英軍によるイラクに対する武力行使開始直後の 2003 年 3 月 23 日、我が国は、ヨル ダンの中東地域における安定勢力としての重要な地位に鑑み、多大な経済的影響を受け ることが見込まれる同国に対し 1 億ドルの無償資金援助(60 億円のノン・プロジェク ト無償及び約 60 億円の一般プロジェクト無償等)の実施を表明した。また、同年 4 月 に川口外務大臣(当時)がヨルダンを訪問し、アブー・ラーギブ首相に対し、中東地域 全体の安定を図ると共に、日・アラブ関係の緊密化を図る観点から、日・ヨルダン共同 プロジェクトとして、ハシミテ慈善財団を通じたイラク支援を行った。 (ホ) ヨルダンにおけるイラク向け第三国研修に関しては、イラク国内における直接的支援が 困難な状況において、我が国は日・アラブ協調による対イラク支援を重視し、ヨルダン においてイラク人を対象とした第三国研修を積極的に実施している。現在までに、イラ ク側のニーズ及び要請に基づき、各種経済協力を通じて日本の技術移転が行われたヨル ダン側実施機関と共に電力、統計、水資源管理、博物館・遺跡管理、IT、上下水道の各 分野における研修を実施している。 (ヘ) ヨルダンは中東地域の安定の鍵を握る国との認識の下、同国の開発・改革努力を引き続 き支援すべく、2004 年 12 月のアブドッラー国王の訪日の機会には、新たに 40 億円(約 3,600 万ドル)のノンプロジェクト無償資金協力の供与を表明・実施したほか、「日・ヨ ルダン・パートナーシップ・プログラム」の枠組み文書の署名も行い、両国が協力して、 他の途上国の経済・社会開発を支援する意図を表明した。 (ト) 中東地域においては、雇用機会の拡大を視野に入れた職業訓練が重要との観点から、 2005 年 9 月及び 2007 年 11 月にアンマンにおいてヨルダンと共同で、G8 及び参加を - 10 - 希望する全ての地域諸国の参加を得て、「職業訓練に関するワークショップ」を開催し た。 (チ) 2008 年 2 月及び 2009 年 5 月、 ヨルダンの経済・社会開発に向けた取組を支援するため、 それぞれ 15 億円及び 18 億円のノン・プロジェクト無償資金協力を決定した。 参考:我が国の年度別・援助形態別実績(単位:億円) 年度 2000 年 2001 年 2002 年 2003 年 2004 年 2005 年 2006 年 2007 年 累 計 円借款 ― ― ― ― ― ― ― ― 2,044.25 無償資金協力 53.00 33.99 30.53 68.68 67.45 8.67 27.77 30.29 578.45 技術協力 19.36 12.25(15.07) 12.37(12.69) 8.46 10.53 9.17 9.74 9.14 264.50 (注) 1. 年度の区分は、円借款及び無償資金協力は原則として交換公文ベース(ただし無償 資金協力については、2000 年度以前は閣議決定ベース)、技術協力は予算年度によ る。 2. 「金額」は円借款及び無償資金協力は交換公文ベース、技術協力は JICA 経費実績 及び各府省庁・各都道府県等の技術協力経費実績ベース(但し、2000 年度までは JICA 実績のみ)による。 3. 円借款累計は債務繰延・債務免除を除く。 4. 2001・2002 年度の技術協力においては、日本政府全体の技術協力事業の実績で あり、( )内は JICA が実施している技術協力事業の実績。なお、2003 年度の日 本政府全体の実績については集計中であるため、累計については、2003 年度までに JICA が実施している技術協力事業の実績の累計となっている。 (4)文化交流関係 (イ) 2004 年にヨルダンとの外交関係樹立 50 周年を記念して、アブドッラー国王の後 援の下、ヨルダン国内各地で 20 以上の行事を実施(大規模行事としては、 「ジャ ズグループ」 、「和太鼓」、 「沖縄歌劇舞踊団」公演)する等、数々の文化行事を催 した。また 2004 年 9 月から 11 月にかけ、都内世田谷美術館において、「砂漠の 王国 ヨルダン展~知られざるアラブ世界 8000 年の文化遺産」が開催された。 (ロ) 文化人招聘及び派遣及び要請に基づく文化無償協力等の他、女性交流事業 (1996 年より女性団体関係者数名ずつが相互訪問。なお、2005 年 11 月には我が方より 1996 年の開始以来 8 回目となる訪問を行い、滞在中、ヨルダン女性総連盟との意 見交換に加え、外務大臣、計画・国際協力、労働大臣、教育大臣等の閣僚への表 敬及び官民の職業訓練施設の視察を行った。また、上記訪問のフォローアップ事 業として、2006 年 2 月には、ヨルダンを含むエジプト、パレスチナ自治区で「女 性の地位向上」分野で活躍する女性指導者(計 3 名)を我が国に招聘した。滞在 - 11 - 中、一行は、猪口内閣府特命担当大臣(尐子化・男女共同参画)、伊藤・山中両外 務大臣政務官を表敬し、東京と岡山で「女性のエンパワーメントに向けて − 女性 の技術・職業教育をどうする」をテーマとしたシンポジウムに参加し、女性の自 立に向けた技術・職業教育等について日本側参加者と広く意見交換を行った。内 閣府国際青年育成交流、国費留学生受入れをほぼ毎年実施している。 (ハ) 2005 年 7 月、ヨルダン政府を代表しビルタージ国王顧問を迎えて、「愛・地球博」 のナショナルデー(7 月 5 日)が成功裏に行われた。 - 12 -