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3.19 から 3.11 へ
第4回支援付き住宅推進会議
「3.19 から 3.11 へ」
~「たまゆらから2年」と「震災以後」を
つなぐもの~
日 時 2011 年 6 月 25 日(土)14 時 00 分 – 18時00分
会 場 在日本韓国 YMCA アジア青少年センター
主 催 支援付き住宅推進会議
共 催
NPO 法人自立支援センターふるさとの会
平成 22 年度厚生労働省社会福祉推進事業
「重層的な生活課題(「四重苦」)を抱える人に対する生活支援のあり方研究会」
目
次
1. 式 次 第
2. 報告資料
第 1 部 検証「たまゆらから2年 何が変わったか」
『 検証:「たまゆら」から2年と支援付き住宅推進会議の取り組み』
NPO 法人自立支援センターふるさとの会理事
滝脇 憲
第2部 報道の現場から
『仮設住宅に介護拠点』他
読売新聞編集局社会保障部記者 小山 孝 氏
『コミュニティが人を救う』
産経新聞東京本社編集局社会保障班・編集委員 佐藤 好美 氏
『震災後と障害者福祉』
毎日新聞論説委員 野沢 和弘 氏
第 3 部 これから何に取り組むべきか(推進会議からの提案と討論)
(1)「四重苦」支援の可能性~新たな互助と仕事づくりによるコミュニティの再生
NPO法人すまい・まちづくり支援機構代表理事 水田 恵
(2)研究報告「生活困窮者の支援とメンタルヘルス~ケア付き就労利用者の意識とプロ
フィール」
(独)国立精神・神経医療研究センター精神保健研究所精神保健計画部長 竹島 正
(3)「日常生活支援ニーズ」を可視化するために
東京都健康長寿医療センター自立促進と介護予防研究チーム研究部長 粟田 主一
(4)「支援付き住宅」実現のための課題
明治大学理工学部建築学科教授 園田 眞理子
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式 次 第
総合司会 瀧脇 憲(特定非営利活動法人自立支援センターふるさとの会)
14:00
開会挨拶
山岡 義典(NPO 法人日本 NPO センター代表理事/法政大学現代福祉学部教授)
14:10
来賓挨拶
遠藤 征也氏(厚生労働省社会援護局地域福祉課課長補佐)
14:15
第一部 検証「たまゆらから2年 何が変わったか」
瀧脇 憲(特定非営利活動法人自立支援センターふるさとの会理事)
14:30 第二部 報道の現場から
小山 孝 氏(読売新聞編集局社会保障部記者)
佐藤 好美 氏(産経新聞東京本社編集局社会保障班・編集委員)
野沢 和弘 氏(毎日新聞論説委員)
15:30 休憩
15:45 第三部 これから何に取り組むべきか(推進会議からの提案と討論)
(1)「四重苦」支援の可能性~新たな互助と仕事づくりによるコミュニティの再生
水田 恵(NPO法人すまい・まちづくり支援機構代表理事)
(2)研究報告「生活困窮者の支援とメンタルヘルス~ケア付き就労利用者の意識とプロフィール」
竹島 正((独)国立精神・神経医療研究センター精神保健研究所精神保健計画部長)
(3)「日常生活支援ニーズ」を可視化するために
粟田 主一(東京都健康長寿医療センター自立促進と介護予防研究チーム研究部長)
(4)「支援付き住宅」実現のための課題
園田 眞理子(明治大学理工学部建築学科教授)
コーディネーター:髙橋紘士(国際医療福祉大学大学院教授)
18:00 終了
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○ 震災後と障害者福祉
野沢和弘(毎日新聞論説委員)
気のせいかもしれないと思ってみたが、かすかに何かが燃えたにおいが地面に近いとこ
ろを漂っていた。石巻市から複雑に入り組んだ海岸線を北上し、女川町、南三陸町を回っ
た。がれきが一面に広がる。まるで爆心地のような風景だ。地の底から立ち上るかのよう
な臭いが記憶の壺を満たしていった。
「しばらくしないと本当の言葉を聞くことができないんです」
。そう言ったのは被災地の
障害者支援に入っていた男性である。知的障害や自閉症などの障害者と家族の安否確認や
支援ニーズの聞き取りに入ってすでに1か月が過ぎた。はじめのころは避難所を回ったが、
そこには障害者はいない。迷惑がられたり、冷たい目で見られたりするのが耐えられず、
あるいは初めから遠慮して、崩れかけた自宅や路上にとめた車の中で過ごしていた障害者
と家族は多い。それも長くは続かず、通所施設に家族ごと避難したり、県外の親類宅に身
を寄せたりする。
全国各地から障害者福祉に携わっている人々が支援に入るが、だいたい1週間単位で交
代していく。そうした人の流れの底でたたずんでいると、ぽつりと被災者から漏れる本音
が聞こえてくるという。被災して間もないころ、電線に子どもの遺体が何日も引っかかっ
ていた。家屋から遺体がはみ出していた。時間が流れ、少しずつではあるが平穏な日常が
戻ってくると、脳裏に焼き付いた記憶がよみがえってくる。一生懸命に障害者の安否確認
に走っていた相談支援員が自分の小さな子どもを津波に奪われたこともしばらくたってか
ら知った。死者と行方不明者をあわせて2万5000人。多くの人々の命を飲み込み、か
けがえのない家族を失った人々の涙が染みこんだ大地から立ち上ってくるのは、燃え尽き
ることのない悲しみや絶望の臭いだったのかもしれない。
東日本の太平洋沿岸部を襲った巨大地震と大津波で、私たちは一瞬のうちにありとあら
ゆるものを奪い去る災害が起こりうるのだということを突きつけられた。自然の猛威に対
する人間の活動の有限性や刹那性をこれほど強烈に感得したことはなかっただろう。また、
絶対にあってはならならず、絶対に起きないと信じてきた原発の破壊という現実にも直面
している。20 兆円以上にも及ぶといわれている復興財源が社会保障になんらかの影響を及
ぼすのは避けられないだろう。そして、震災の強烈な心理的インパクトが政策決定の基盤
となる人々の価値観にも目に見えない影響を及ぼすと思う。
人は大きな危機に直面すると、干渉されない自由や誰にも知られないプライバシーより
も、家族や仲間と一緒にいる安心を重んじる心性が強まるものだ。国家や社会に対する個
人の権利は、国家や社会が盤石だという前提で声高に叫ぶことができるのであり、国家や
社会が弱体化し存在そのものが危うくなった時には社会を形成している仲間に対する義務
や責務を重んじる傾向が強くなる。そして、金で買える物やサービスよりも、金では買え
ない愛情や心の充足のようなものを求める傾向が強くなるのだと思う。
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震災後の社会は、仲間と一緒にいる安心感、社会に対する責務、金では買えない心の充
足−−というものに価値観の比重が移っていくのではないだろうか。
個人の尊厳を保ちながら仲間と一緒にいるグループホームやケアホームのような暮らし
方は知的障害者だけでなく、さまざま分野に波及していくのではないかと思う。電力の消
費コストがかさむ一人暮らしはエネルギー政策から逆風を受けるかもしれない。障害者や
高齢者や子どもの虐待、権利侵害が社会問題としてクローズアップされるようになったの
は 90 年代以降である。古い時代には大家族や親密な地域社会の中で障害者や高齢者は暮ら
していた。そこでも権利侵害や虐待はあったに違いないのだが、親に変わりうる人的資源
が身近にあり、社会的弱者が地域社会で安心して生きられるだけのバックアップ機能があ
ったのである。
人の生命や生活を守る寄り根源的な資源(大家族やコミュニティ)が希薄化してくると、
それを代替する制度の充実が求められるようになるだろう。しかし、どれだけ物やサービ
スを増やし制度を充実させても、金では買えない心の充足は得られない。幸福感とは不思
議なものだ。他人との比較ができない主観的なものであるのに、自分以外の他者との関係
性の中でしか感じ取ることが難しい。誰もいない孤島でどれだけ自由に好きなことをやっ
ても、うまいものをどれだけ食べても、その幸福を分かち合ったりうらやましがったりし
てくれる人がいなければ、私たちはそれほどに幸福を実感できないと思う。
障害者にとっても一方的に福祉を受けるという立場ではなく、社会の中で労働や活動を
通して同時代に生きる仲間と共に社会を支え合う実感が心の充足を得るのに不可欠なもの
としてもっと見直されるのではないだろうか。就労と地域活動は障害者支援の中核的地位
をますます占めるようになるのは間違いない。福祉を受ける立場から、崩れかけた社会を
支える側へと転換することが障害者にも求められてくるだろう。
(「リハビリテーション」2011年7月/鉄道弘済会)
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