...

Weekly

by user

on
Category: Documents
40

views

Report

Comments

Description

Transcript

Weekly
地域・家庭と
学校をつなぐ
国見 Weekly
H25.7.18 臨時増刊号
おしどり
∞∞∞ちょっと待ち時間のある方に校長から言葉のプレゼントです。∞∞∞
『母のビデオテープ』
俺、小さい頃に母親を亡くしてるんだ。それで中学生の頃、恥ずかしいくらいにグレていた。親父の留守中、家に金が無い
かタンスの中を探しているとビデオテープがあったんだ。俺、親父のビデオかな?なんて思って見てみた。そしたら・・病室
のベッドの上にお母さんがうつっていた。
『〇〇ちゃん、二十歳のお誕生日おめでとう。なにも買ってあげられなくてゴメンね。お母さんがいなくても、〇〇ちゃんは
強い子になっているでしょうね。今頃、大学生になっているのかな?もしかして結婚してたりしてね・・・』
10分くらいのビデオテープだった。俺、泣いた、本気で泣いた。
次の瞬間、親父の髭剃りでパンチパーマ全部剃った。みんなにバカにされるくらい勉強した。俺が一浪だけど私立大学に合
格した時、親父、まるで俺が東大にでも受かったかのように泣きながら親戚に電話していた。
そして、二十歳の誕生日に、案の定、親父が俺にテープを渡してきた。また、よく見てみたら、ビデオを撮っている親父の
泣き声が聞こえていた。お母さんは、笑いながら『情けないわねぇ』なんて言ってるんだ。俺また泣いちゃったよ。
父親も辛かったんだろうな、親父にそのこと言ったら、「知らねーよ。」なんて言っていたけど、就職決まった時、親父が
『これでお母さんに怒られなくて済むよ』なんて言ってた。
俺このビデオテープがあったから、まっとうに生きられている。
『手塚治虫さんのお母さんのお話。』
漫画の天才、手塚治虫さん。62 歳で亡くなりました。あるとき授業中に、治ちゃん(本名は「治」)がノートに漫画を描い
ていた。すると先生がみとがめて、「授業中に漫画を描いているとはなにごとだ」と叱りました。そしてお母さんが呼び出し
を受けました。お母さんは帰ってきて、
「治ちゃん、今日学校から呼び出されて、先生に言われたんだけど、授業中に漫画を描いていたんですって?どんな漫画を描
いていたのか、ちょっと見せてちょうだい」
「いいよ」と持ってきた漫画を、母親は何も言わずに、1 ページ目から読み始め、終わりまで読んで、パタッと閉じました。
そして
「治ちゃん、この漫画はとてもおもしろい。お母さんはあなたの漫画の、世界で第一号のファンになりました。これからお母
さんのために、おもしろい漫画をたくさん描いてください」
と言いました。天才手塚治虫が誕生した瞬間です。
普通の親なら「何やってるのよ、あんたは」と怒ります。しかし、手塚治虫のお母さんは違った。描いた漫画を誉めてやる
ことで、子どもの才能を引き出したのです。子育てとは、じつは難しくない。子どもが伸びていきたい方向に伸ばしてやれば
いい。逆にいえば、伸びたい方向に伸びていくのを邪魔しないこと。
小林正観著『淡々と生きる』より
『私はおじいちゃんが大好きだよ』
おじいちゃんは手足が不自由でトイレも1人では厳しい。だから、いつもはおばあちゃんが下の世話をしていた。おばあち
ゃん以外の人から下の世話をされるのを嫌がったからだ。
ある日、おばあちゃんが倒れてしまい母と兄は病院、父は会社から直行した。家には私とおじいちゃん2人になった。しば
らくおじいちゃんと留守番していると申し訳なさそうに「○○ちゃん、悪いんだがトイレに…」って言った。
私は本当に馬鹿だなって思った。一人じゃ行けないのを知っていたくせに、気付いてあげられないなんて。孫、それも女に
は言いづらかっただろうなって。
トイレに行くとパンパースが汚れてた。たくさん我慢させてしまった。私はおじいちゃんの気をそらそうと学校であった笑
い話を精一杯明るく話した。お風呂場で体を洗ってパンパースつけてホッとした。同時におばあちゃんは毎日これをしている
んだと思うと何とも言えない気持ちになった。
おじいちゃんは「悪かったね、ありがとう」って五千円をくれようとした。おじいちゃんは本当に馬鹿だなって思った。
私が赤ちゃんの時、両親は共働きでした。おしめを替えて育ててくれたのは貴方じゃないですか。幼稚園だって塾の送り迎
えだってしてくれたのは貴方じゃないですか。あれは無償の愛でしょ? 私はおじいちゃんが大好きだよ!だからお金なんか
いらないんだよって言った。
そして、2人してちょっと泣いた。
Fly UP