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霊長類のコミュニケーション

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霊長類のコミュニケーション
霊長類のコミュニケーション
和文論文作りを通してコミュニケーションを考える
その3「正確に」と「あいまいな」1)を読んで
上智大学生命科学研究所
乗越皓司
“和文論文作りを通してコミュニケーションを考える その3「正確に」と「あいまいな」1)”に触発
されて,私の研究対象である霊長類のコミュニケーションと関連した若干のコメントを述べたい。それ
は,情報の送り手が意図的に騙したり嘘のメッセージを送ろうとする場合,「あいまいな」や「正確でな
い」信号の為に受け手が誤って別のメッセージを得た場合,或いは受け手が情報を「正確」に受け取れ
ない場合,などについてである。
■ 本能或いは社会的知能に基づくコミュニケーション
情報の送り手から受け手に情報が伝わるコミュニケーションの場において,送り手のメッセージ或い
はその意図が「正確に」伝われば問題ないのだが,両者のメッセージ間にズレが生じた時にはいろいろ
興味深い状況が起こる。このような「あいまいな」コミュニケーション場面は,我々人間社会では日常
的に時々経験するのだが,比較的単純な情報交換で成り立っている動物ではどうであろうか。
元々動物一般においては,個体の生存と種の繁殖に必要な,「正確で」有用な情報が個体間にきちんと
伝えられる。そのメッセージは誤りが生じないように工夫されており,情報を伝える信号はきわめて定
式化され,繰り返し・誇張・周囲から区別されて良く目立つ,等々の特徴が認められる。例えば,夏の
夜に川辺を飛び回るホタルのオスは,暗闇でもよく目立つ光の信号を腹部の発光器から点滅しながら,
交尾相手のメスを探し続ける。数種のホタルが同所的に分布していれば,発光の持続時問と点滅リズム
はそれぞれの種ごとに独自なパターンを持っており,個々のメスも自種の信号のみに反応して固定され
た発光パターンで答え返す。
一方,嘘や騙しの,或いは「正確でない」情報は,主に異種間のコミュニケーションで見られている。
例えば,擬態(本当は良い味がするのだが,捕食者である鳥にとって味の悪いオオカバマダラにそっく
りなカバイロイチモンジの外見),擬傷行動(キツネを巣とは別の場所におびき寄せる為に,チドリ類が
する翼が傷ついた振り),或いは捕食者に対して威嚇効果のある目玉模様(より大型の動物の問隔を持つ
目玉で,自分を巨大化して見せる)などを挙げることが出来る。
しかしながら,これらの動物,特に下等動物が操る嘘や騙し合いは,意識的になされる計画や意図な
どの高度な精神活動とは全く別の行動メカニズムであり,簡単な学習の要素が加わっているにしても,
主に本能的・生得的行動や機械的な反射行動のレベルとされている。その為,オスのホタルは,人為的
に作られた豆電球の点滅をメスホタルの交尾受諾パターンであると簡単に騙されてしまい,間違って豆
電球に近づいて来るのである。
ところが,哺乳類,特にチンパンジーなどの大型類人猿では,人間に類似した複雑な社会行動が観察
されるようになり,意識の存在や他者の思惑,或いは思考や判断などが行動決定の重要なメカニズムと
のりこし こうし
〒102−8554東京都千代田区紀尾井町 上智大学生命科学研究所
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して登場する。そこでは,相手を騙したり嘘をつく行動においても,先に示した下等動物の生得的行動
とはかなり異なった様相を見せている。その例として,自らが観察した動物園飼育チンパンジーの社会
行動を大胆に解釈して,理性的行動,自己の果たすべき役割,社会的策略,意図的に仲裁する,和解,
引き離しの干渉,告げ口,連合など高度な社会的知能の存在を想定したドゥ・ヴァールの主張を検討し
よう2)Q
彼は興味深い事例を数多く記述しているが,ここでは,オトナオスであるラウトとイエルーン間に生
じた順位対立の記録から,イエルーンが示した印象的な「体面をつくろう」行動を取りあげよう。ラウ
トとの闘争中に激しく攻撃を受けた時,イエルーンは歯がむき出しになる劣位の表情を見せなかったが,
ラウトが争いを中止しその場から離れて背を見せると,とたんに泣きっ面を示したのである。ドゥ・ヴァー
ルは,イエルーンの示した歯をむき出しにするこの泣きっ面に対して,仲間の目を意識して出された
「体面をつくろう」行動であると解釈したのである。
ドゥ・ヴァールの観察した行動と彼の解釈をもう少し補足説明しておこう。仲問がいる時に泣きっ面
を見せなかったのは,本当は弱いにも関わらず,彼が強がりを言っていると見なせる,なぜならラウト
の去った後で泣き面をしたことからラウトより弱いことが確かめられる(もちろん,別の場面からも類
似の優劣関係は観察されている)。しかも,このイエルーンの行動は,「自分の負けを即座に認めないで,
他者の気持ち,すなわち自分を見る他個体の目に配慮しながら,それ(ラウトに負けた哀れなイエルー
ンとなる状態)に対応してなされた自分の体面を保つ行動である」,と大胆に解釈した。
嘘をついたり相手を騙すなどと同程度の非常に高い精神活動を示す,このドゥ・ヴァールの主張に対
しては別の見解もあるが3),ここで問題とされるのは,チンパンジーの認知能力が本当に他者の心を理
解するレベルにあるのかである。
■ 「心の理論」によるコミュニケーション
最近,大型類人猿や人間の子供の認知能力に関する興味深い研究分野,「心の理論」が注目されてい
る4)。他者の目的,意図,信念,思考,推測,好みなど,他者の心の理解が出来るならば,その人(或
いは動物)は「心の理論」を持つと定義されるのだが,人間の子供では他人の心を理解する能力は,4
歳から6歳くらいまでに発達するとされている。
例えば,次のような場面を子供はどう判断するのであろうか。
場面1二子供(Aがおやつを戸棚に入れた後,外に遊びに出る。
場面2:母親が掃除する際に,そのおやつを別の場所に移した。
場面3=子供Aが帰宅しておやっを探す。
この3場面のビデオ或いは写真を子供Bに見せた後,「Aちゃんが帰宅しておやつを探す時(場面3),
おやつがどこにあるとAちゃんは思っていますか」,と質問する。3歳までの子供は,「移された後の別の
場所におやつがある,とAちゃんは思っている」と答えるが,5,6歳以上の子供は,「(自分=Aちゃ
んが最初に入れた)戸棚の中におやつがあるある,とAちゃんは思っている」と答える。この様に,他
人の心(Aの考えている心の内容)を正しく理解する能力は,3歳くらいではまだ不十分だが,5,6
歳の段階で発達して来る。実は,「心の理論」と呼ばれるこの新しい研究分野は,「類人猿の言語」実験
の研究から発展したものである。
1966年にアメリカ,ネバダ大学のガードナー夫妻によって始められた「類人猿の言語」実験は,人間
の言語理解に対する新たな成果をもたらしたが,同時に,翌年別の手法で開始したカリフォルニア大の
AJ。プレマックの研究も多くの興味深い事実を引き出している。前者が北アメリカで使用されている手
話ASL,AmericanSignLanguageをチンパンジーに教えたのに対して,後者では特定の色と形をした
プラスチック板の図形文字がサラと呼ばれる個体を対象に訓練された。
ところで,人問が動物の心を知ることは,以前にはとても困難な問題であり,方法論的にも不可能で
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あると考えられていた。しかし,言語実験の研究が成功してからは,動物と人間との間に言語的なコミュ
ニケーションが可能になってきた。そこでは,動物が自分の気持ちを言葉で示したり,また実験者の問
いかけに対してイエス,ノー或いは好き,嫌い,良い,悪いで答え,人間を対象とした場合と同様の,
直接的で客観的な“心”の研究が出来る様になってきた。
さて,プレマックは言語の研究だけではなく,むしろより広い知的な行動や認知能力に関心を持ち,
例えば!978年の『チンパンジーは「心の理論」を持つか』5)という論文において,新しい研究分野,「心
の理論」を提唱した。その論文ではチンパンジーのサラは他者の心が理解できたと主張されたが,10年
後の論文『チンパンジーは「心の理論」を持つか,再論』6)において,そのような能力は大型類人猿の段
階では認められない,と前説を否定した。
ここで,巧妙に組み立てられた質問でサラの心を示してくれたプレマックの実験手続きを簡単に触れ
ておこう。それは入れ子構造の質問内容からなり,人間がいくつかの行為をしているビデオ場面とその
結果を示す写真とから構成されている。
場面1二橿に閉じこめられている登場人物Pが,同じ艦の中にいるライオンから逃げる為に鍵を開け
ようとしている。
場面2:場面1のビデオ場面を第2の登場人物0が観察し,続いてPが無事逃れる写真と不運な結果
に終わった写真から1枚を0が選択しようとしている。
サラには「0はPを嫌っている」と事前に知らせてあり,場面2のビデオを見せた後に,サラに「0
が選択する写真はどれか」と質問する。もし,サラが「Pがライオンに食べられる」不運な結果の写真
と答えれば,サラは「0の心が理解できている」,と認めることが出来る。同様に,逆の条件,「0はP
が好きである」と知らされている時には,「Pがライオンから無事逃げる」写真を0が選ぶ,と予想される。
プレマックの実験結果から導かれた,チンパンジーが他個体の心を理解できないとする結論は,先に
挙げたドゥ・ヴァールの主張を否定することになる。つまり,イエルーン(チンパンジー)は元々他個
体の心を理解する能力がないので,彼が他個体の思惑(泣きっ面を示すと他個体が自分の負けを認めて
しまう)を意識して,「体面を保つ」行動を見せることは出来ないのである。
しかしながら,実験個体でなされたプレマックの結論に対して,群れ生活をしている類人猿やサル類
での報告では異なった結果を示しており,そこでは仲間同士の問で相手の心が理解できていることを前
提に,複雑な行動が展開されている,との反論がなされている7)。そして,類人猿程度の知的能力を持
つ脳の大きさから3倍程度にまで拡大された人類進化の過程では,「心の論理」が中心的な役割を果たし
ていたと主張されている。この点に関しては別の機会に検討すべき興味深いテーマとして「あいまいな」
ままに残して,ここではひとまず小論を終えることにする。
最後に一言触れておくが,プレマックが提唱した「心の理論」は,チンパンジーだけではなく,人間
の子供に関しても多様な研究が展開されいる。それは発達的な観点と同時に,自閉症児の理解に重要な
論理的枠組みを提供していることである8)。つまり,自閉症児は「心の理論」を欠如した発達障害であ
る、とする仮説が多くの支持を得ている。私はその詳細に言及する立場にないが,人間と動物とを含む
心の問題に関して今後のさらなる発展を期待したい。
参考文献
1)山下洵子:和文論文作りを通してコミュニケーションを考える その3「正確に」と「あいまいな」.
看護学統合研究2(2):53−55,2001.
2)フランス・ドゥ・ヴァール:政治をするサル.西田利貞訳.東京:どうぶつ社.1984.
3)乗越皓司:動物の道徳類似行動.上智大学生命科学研究所記要5,31−42,1987.
4)子安増生:心の論理.東京=岩波書店,2000.
5)Premack,D.,Woodmff,D.:Doesthechimpanzeehave atheoryofmindP The Behavioral and
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Brain Sciences1,515−526,1978.
6)Premack,D.:Does the chimpanzee have a theory of mindP revisited.In Byme,R.Whiten,
A.eds.,Machiavellian intelligence:Social expertise and the evolution of intellect in monkeys,
apes and humans pp.160−179.Clarendon Press,1988.
7)バーン:考えるサル.小山,伊藤訳.東京二大月書店.1998.
8)バロン=コーエン:自閉症とマインド・ブラインドネス.長野他訳.神奈川:青土社,1997.
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