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京『帝』大生の休日 - 京都大学生活協同組合

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京『帝』大生の休日 - 京都大学生活協同組合
京 帝 大生の休日
「熊野神社から百万遍まで市電が開通したのは1928年と遅く、学生たちにとっては、吉田神社―平
安神宮―知恩院―円山公園と歩き、京極で飲む、というのがコースだったらしい。
」
これは、約100年前、1920年ごろの京都帝国大学の学生の生活について書かれた京都大学百年史
の一文です。ここでは、京都大学から始めて、文章中にあるいろいろな場所を歩いてみたいと思いま
す。当時と違うことがどれだけあるでしょうか。
円山公園
知恩院
円山公園は、円山一帯の社寺の境内を使っ
て1886年に造られ、1914年に拡張されまし
た。その後大きく改修されたという話はない
ので、1920年代の様子が今でも残っている
と言えるでしょう。現在と同様、観光シーズ
ンになると多くの人でにぎわったのではない
でしょうか。
三門など、国宝や重要文化財に指定されて
いる建物は、明治以前に建てられて以来、改
修を重ねながら現在に残っています。そのた
め、こうした建物は1920年代と変わらない
姿を見ることができそうです。とはいえ、知
恩院全体としては新築された建築物も多いの
で、ある程度は変化したようです。
京都帝国大学
京都大学といえば、時計台。現在では誰も
が持つこのイメージは、当時の学生たちは必
ずしも持っていなかったようです。時計台が
完成したのは1925年のこと。1920年当時に
見られた建物は、現在で言うところの教育推
進・学生支援部棟(旧石油化学教室本館)や、
総合研究14号館(旧土木工学教室本館)な
どでした。
▲この木以外にも、園内には緑が多い
吉田神社
戦前、政府が伊勢神宮を頂点とした神社の
序列を作った結果、吉田神社は官幣中社とい
う重要な位置に置かれました。吉田神社本宮
の大元宮は江戸時代の建築で、1920年代と
あまり変わらない姿を見ることができるで
しょう。ただ、吉田神社付近にある神社の多
くは、昭和以降にできたもののようです。
▲大元宮の門。普段は中に入れない
はみだしすてーじからはみだしたい
⇒という一言がはみだしました。 ▲三門。国宝に指定されている
▲旧石油化学教室本館。現在では国際
交流などに使われている
京極
平安神宮
平安神宮は、1895年に平安遷都1100周年
を記念して造られた、比較的新しい神社です。
そして、その付近が岡崎公園として開設され
たのは1904年のことです。京都市美術館が
後になって建てられたり、逆に、岡崎公会堂
が姿を消していたりしていることからすると、
この辺りは、1920年から意外と大きく変化
した場所と言えるかもしれません。
▲平安神宮大極殿。1895年造営
(薬・3 燐)
(またはみだしていただけるとうれしいです;編)
コラム:京都の路面電車
京都では、日本で初めての電気で
動く鉄道路線が開業しました。当初
は京電(京都電気鉄道株式会社)の
みが営業していましたが、1912年
には市営電気軌道が開業、1918年
には京電を買収しました。京大付近
へは、まず熊野神社前まで1913年、
百万遍まで1928年に開業しました。
しかし、1978年をもって、京都の
路面電車は全線廃止されました。
かつて京極と呼ばれた寺町通、その付近
に新たにできた新京極通。この地域のにぎ
わいは、今も昔も変わっていないようです。
1920年頃にとりわけ人気を集めたのは、客
が女給に迎えられて飲食・休憩をできるカ
フェーや、当時は活動写真と呼ばれた映画な
どだったようです。ちなみに、流行歌はカ
フェーを発信地にしていたようです。
▲現在の新京極通。いつも観光客で混
み合っている
参考文献
京都市:『京都の歴史』(学芸書林)
京都大学百年史編集委員会、京都大学後援:
『京都大学百年史』
鈴鹿隆男:『吉田探訪誌 平安京を彩る神と仏の里』
(ナカニシヤ出版)
佐和隆研ほか:『京都大事典』(淡交社)
梅原猛、岸信宏:『古寺巡礼京都19 知恩院』
(淡交社)
京都大学、吉田神社、平安神宮、知恩院、円山公園のホームページ
※写真は全て現在のものです
ろっこうおろしにー さっそうとー♪ (工・3 たこす)
⇒そうてんかけるー にちりんのー♪ (クロスワードお疲れ様でした;編)
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