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Part 7
P a r t 7 P MT C そ の 後 今回はいままでの完結編です。少し長くなりますが、がんばってお読みくださ い。キーワードは、バイオフィルム、3DSです。 新たなる展開 私たちが長い間行ってきた PMTC をはじめとする口腔ケアの方法が、いま新たな展開をみせ ようとしています。 これまで私はこの欄で何回かにわたり、歯科におけるケアの可能性、ナーシングスピリッ ト、緩和、 (歯の)延命、心のケア、個体差など、ある意味で「科学性」とは一線を画したお話 をしてきました。 そしてそれを行っていくためには、お口の中のよごれをそっとぬぐい取る、器具でこすり 取る、はがし取る行為(PMTC)が役に立ち、かつ臨床的にもきわめて効果的であると述べてき ました。 この経験的な実感に、いま、にわかに科学の光が差し込もうとしているのです。 口の中は細菌が住みにくい 口の中は、暖かい、湿っている、そして時々栄養が入ってくる、だから、すぐに菌は繁殖 して、いたずらをし出す。口の中は細菌たちのかっこうの住み家・・・・、そう思っていませんか。 ところが細菌学者によれば、どうもそれは間違いのようなのです。口腔内は実はむし歯菌、 歯周病菌などの悪玉菌にとって、むしろ住みにくい環境だというのです。 唾液や体液の中には、私たちが考える以上の抗菌物質が含まれているだけでなく、下手を すると細菌たちはすぐに洗い流されて消化管に送り込まれ、そこで強い酸により殺されてしま います。 ようやく見つけた歯のでこぼこやポケットの中も、ともすると他の菌に占領されていて、 なかなか住み着ける状態ではありません。まして歯肉に近いところで、ただ漂って(浮遊して) いるだけでは、生体からの貪食細胞にすぐに食べられてしまいます。 さて、どうやって生き延びたものか・・・・? 細菌バイオフィルムとは これからが悪玉菌たちの本領発揮です。 「おれたちだけがこんな目にあってるんじゃない」 。 彼らは実に巧妙な方法で歯の表面に取りついていきます。 まず、手始めに、他の細菌を味方に付けることを思いつきます。自分たちが産生した多糖 体のなかに他の菌も取り込んで、そこにコツコツとあたかも生体の脈管系のような栄養路を作 り、お互いが居心地良く住めるような一種の共同体(集落:コロニー)を作り上げるのです。 幸い口の中には、このコロニーが付着するのに必要な硬組織の界面が存在します。「ヤッタ ーッ。ここに住み着けばいい」 。 かくして、歯や歯根の表面は悪玉菌のかっこうの住み家となっていきます。 やがてコロニーはしだいに合体していき、細菌、多糖体とその副産物の集合体(マトリッ クス)を形成します。このようなマトリックスを、細菌バイオフィルムと総称します。 歯や歯肉にさまざまないたずらをする成熟したプラークの正体は、実はこのバイオフィル ムなのです。細菌たちはこの鎧の中で、口腔という過酷な環境にしぶとく適応しようとしてい るのです。 ウーン、敵もさるもの・・・・。 齲蝕・歯周病の正体 ひとたびバイオフィルムが形成されると、細菌は多糖体やその他の代謝物の中に埋め込ま れた状態になり、かなり栄養条件の悪い状態でも生存が可能になります。 さらに、このような生存形態は、抗生物質や抗菌剤から物理的に保護され、それらに対し て抵抗性をもつだけでなく、生体の免疫的な攻撃にも抵抗性を示すようなります。 (ちなみに、このようなバイオフィルムとしての細菌の捉え方は、 医学領域ではペースメーカー、尿路や血管内カテーテルにも観察さ れ、やっかいな感染症の原因になるといわれています。 ) このバイオフィルムの観点から齲蝕・歯周病をみてみると、「齲蝕とは、バイオフィルム内 に留まった酸が直接歯を溶かしていく疾患」、「歯周病とは、生体から遊走してきた食細胞が、 バイオフィルムを貪食できず、分解酵素を局所で放出することによって起こる軟組織および硬 組織の障害」と定義づけることができます。 プラークコントロールに PMTC が必要な理由 以上の説明から分かるように、同じ細菌の集合体としてのプラークでも、「単に歯の表面付 近で浮遊しているマイクロコロニー」と、「硬組織表面に固着した状態のバイオフィルム状のマ イクロコロニー」があり、私たちが「プラークコントロール」を語るときには、この二つを分 けて考える必要があります。 歯磨きで除去できるのは、浮遊したマイクロコロニーだけであり、多糖体に被われ、成熟し たマイクロコロニーであるバイオフィルムは、ホームケアによる歯磨きでは簡単に除去するこ とはできません。 そうです。長い間「予防」の切り札と信じられてきたブラッシングにも、実は限界があっ たのです。 うがい薬やとっておきの抗生剤の軟膏も、バイオフィルムという鎧をまとった細菌たちに はヘナチョコ玉でしかありません。 やつらをあわてさせるには、そのアジトに踏み込んで、ひっかき回さなくてはならない。 つまり、定期的に歯科医院を訪れ、歯科衛生士に PMTC をしてもらうことが不可欠なことなので す。 * けがをした病人に、自分で傷口の細菌を洗い落とせという医者はいません。なぜなら、患 者は医者や看護婦ほどうまく、痛くなく傷を洗えないからです。歯科の病気はたしかに慢性病 に近いものですが、それでも歯科担当者にもっと前から定期的に傷を洗ってあげる、汚れをこ すり取ってあげる精神があったなら、プラークコントロールの成果はもっと上がっていたかも しれません。 やはり、ヒポクラテスが言ったように、 「医療の原点は癒すこと」なのかもしれませんね。 「幽霊の正体見たり枯れ尾花」という言葉がありますが、今から 20 年も前からプラークと いう得体のしれない幽霊を、日々顕微鏡でのぞき続けた世界の細菌学者たちに心からの敬意を 表したいと思います。なぜなら、当時歯科臨床の世界はまさに「きったりはったり」にのみ、 うつつを抜かしていたのですから。 なるほど・・・・ バイオフィルムは、これまで、病気そのものの成り立ちをじっと見つめる努力を怠ってき た歯科医療が、ようやく出会った基礎概念です。バイオフィルムを介して、臨床と基礎学問が がっちり手を握ったと行っても過言ではないでしょう。 たしかにバイオフィルムという観点で、齲蝕・歯周病を見つめ直してみると、臨床上「なる ほど・・・・」と思われることがたくさん思い浮かびます。 なるほど 1. いわゆるハイリスクと思われる多発性齲蝕の患者さんの中には、ブラッシング に熱心な人が多く見受けられる。 なるほど 2. ブラッシングは、歯をみがくというより、たくさんの水を使って、汚れを洗い 流すつもりで行ったほうが効果的である。 なるほど 3. 初期齲蝕において、フッ化物塗布の前に PTC を行うと、エナメル質の再石灰化 が促進されるようだ。 なるほど 4. P 急発の場合、SP やポケット内洗浄より、探針その他の器具でそっとプラーク をこすり取ってあげたほうが、消炎効果が高い。 なるほど 5. P 急発に含嗽剤はほとんど効かない。 なるほど 6. P 急発にペリオクリンのポケット内注入だけでは効果が少ない。 なるほど 7. 歯石よりもその上にへばりついたプラークのほうが危険な気がする。 なるほど 8. 歯周病管理時に PMTC を行うと経過がいい。 なるほど 9. 重度の歯周病でも、根気よく PMTC と SRP を続けることで、思いがけないほどの 歯の延命が達成できる。 なるほど 10. これだけたくさんの種類の歯ブラシや歯磨き剤があっても、いまだに決め手に なるものがない。 なるほど 11. ブラッシングなどの患者さん自身によるセルフケアだけでは、十分な予防効果 が上がらないことが多い。 これら「なるほど・・・・」のほとんどは、私たちが長年口腔ケアを続けてきた過程で、いつ も感じていたことでした。 つきなみですが、車やバスタブの水あかを落とすとき最も有効な方法は、何かでこすり取 った後に、十分な水で洗い流すことです。歯の表面についたバイオフィルムをこの水あかと考 えれば、ベストなプラークコントロールが何であるか納得できますね。 いま、細菌バイオフィルムを意識することで、縦糸(臨床)と横糸(基礎)が見事につな がった気がしています。これは実に画期的なことです。 3DS の登場 さて、話はここで終わったわけではありません。時代はさらに先へ進もうとしています。 「バイオフィルムは抗生物質などの薬に対して耐性が著しく上昇する」という話の続きで す。 薬はバイオフィルムの内部に浸透していかないので、この中の細菌の増殖を停止させるた めには、通常の 500 倍の濃度が必要といわれています。当然内服や塗布ではこれだけの濃度を 維持することはできません。 そこで細菌学者たちが考え出した方法 が、3DS(Dental Drug Delivery System) といわれる方法です。 これはハイリスクの患者の歯列に合わ せた個人トレー(マウスガード/デンタ ル・ドラッグ・リテーナー)を作り、そ の内面にむし歯菌あるいは歯周病菌に特 異的に効く薬を塗って、一定時間装着し ておこうという方法です。これを用いる ことで、唾液に希釈されることなく安全 かつ確実に、ゲル状の薬剤を歯の表面に 停滞させることができます。 この方法の優れている点は、正常細菌 叢を乱すことなく、悪玉菌だけを選択的 に除菌できることです。つまり、悪玉菌 たちがバイオフィルムを形成する過程で 常在菌を味方に付けたことを逆手にとっ て、歯にとって無害の常在菌だけの細菌叢(フローラ)を作ろうというわけです。 いったんこのようなフローラが形成されると、それら細菌の縄張りができ、悪玉菌がやっ てきてもそう簡単に歯面に定着できなくなります。やっとそれが定着したころには(4∼6 カ月 程度)、リコールにより再び歯科医院で3DS を行えば、継続的な除菌効果が期待できます。 いかがですか。すばらしいアイデアですね。 現在のシステムでは、3DS のメリットをより一層確かなものにするために、 PMTC との併 用で臨床応用が進められようとしています。 ちなみに3DS に用いる薬剤としては、クロルヘキシジンのジェル、フッ化第一スズのジェ ル、さらにまだ治験の段階ですが抗 S.mutans 抗体などが試みられています。 いずれにしても近い将来には、3DS、PMTC、ホームケアを1セットにすることで、より有 効な齲蝕・歯周病予防の方法が確立されるに違いありません。 1. 削るばかりが能じゃないーケアの可能性 恥ずかしながら告白しますが、私が歯科医になったばかりの頃、「補綴物がもたないのは、 適合が甘いから」と信じきっていました。確か大学でもそう教わったような気がします。人一 倍、形成や印象の勉強を続けた自負もあって、適合に関しては自信がありましたから、「自分 こそうまい歯医者」とタカをくくっていました。ケアやメインテナンスなどは気にも留めませ んでした。若気の至り、全くノー天気な話です。 そしていま、縁あって母校の学生たちに臨床実習を教える身になって、一番戸惑うのは、 いまもなお教育は治療治療の連続だということです。もしかしたら今でも学生たちは「補綴物 がもたないのは、適合が甘いから」と信じているかもしれません。 P についても似たようなもので、例えば急発でつらそうな患者さんが来院しても、まず診 ・・・・ 査、投薬、ブラッシング指導。誰も病気の みなもとであるプラークをやさしくぬぐい取り、ポ ケットをそっと洗ってあげる者はいません。器材すらないのです。つまり大学というところは、 あくまで診断や治療を教育する機関であって、歯科医たちはそれに慣れきって臨床の場に踏み 出していくのです。 医学の世界では、たとえケア的な行為によって数年にわたって病状が安定していても、そ れだけでは何も評価されません。ケアは明らかに医学を必要としない人や、医学に見放された 人を扱う一ランク下の領域であり、たとえ一瞬であっても医師の大いなる力で、病気が治るこ とこそが重要なのです。医師が何か手を下すことで、一時的にせよ病気が治癒の兆しを示せば、 それで大満足なのです。 そこには、患者さんを見守る、患者さんをささえる視点が決定的に欠如しています。 かつてナイチンゲールが崇高な看護の精神を世に問うたように、いま歯科の世界でも、誰 かがケアのすばらしき可能性について声を上げなければなりません。そして、それが医学の世 界に着実に根を下ろすためには、「ケアによって確実に病気の元を断つことができる」という 病因論的な裏付けが是非とも必要です。バイオフィルム理論はそういった意味でも画期的なの です。 歯科の主流が、「治す」から「守る」に移行するのは、いわば「時代の意志」ともいうべ き流れであり、口腔ケアの担い手である歯科衛生士が立ち上がるときは今しかありません。そ の声が、その実績が、臨床、教育、そして行政までも変える日がやがて訪れるに違いないこと を願ってペンを置くことにします。