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「学びの大切さ~今年一年を振り返る」

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「学びの大切さ~今年一年を振り返る」
平成25年12月24日
校
長
閑
話
『
藍
と
青
』
第11号
「学びの大切さ~今年一年を振り返る」
矢
倉
芳
則
昨日は 天皇誕生日 。現在の天皇陛下にかぎらず、在位にあられる天皇陛下は今上天
皇と称されます。昭和天皇のご生誕日は4月 29 日で、崩御されてしばらくの間は「みど
りの日」とよばれ、現在は 「昭和の日」 となっています。意外に知られていないよう
ですが、11 月3日「文化の日」 は 1946(昭和 21)年は日本国憲法公布日であるととも
に、明治天皇の誕生日です。11 月 23 日「勤労感謝の日」は7世紀以来の宮中祭祀で
ある新嘗祭(その年の五穀収穫に感謝する祭り)を起源としています。祝日はたんなる休
日ではなく、かならずその由来があります。こんなところからも、文化や歴史の勉強がで
きるのです。ついでながら、昨年の全校集会でも話しましたが、明日 12 月 25 日はクリス
マス。言うまでもなくイエス=キリストの誕生日ですが、実は『聖書』にもその他の外典
にも、このことはどこにも記されていません。キリスト教が地中海世界に伝わった過程に
おいて、冬至に係わる農民の祭りやギリシャ・ローマ時代からの土着信仰と融合し、この
日がキリスト聖誕祭となり、さらに、西・北ヨーロッパにキリスト教が広まるにおよんで、
季節柄、クリスマスはホワイト・クリスマスになっていきました。
さて、今年もあと一週間で終わります。この一年を振り返ってみると、毎年のことなが
ら、国内外にさまざまな出来事がありました。国内においては2月に安倍政権が発足し、
7月の参議院選挙で自民党が大勝してねじれ国会が解消、圧倒的多数を背景に政権運営を
行い、アベノミクスとよぶ景気回復政策を推進していますが、我が国の借金は 2012 年度
末残額が 1008 兆円を超えました。私たちは台風のなか、船出したようなものです。安穏
とはしていられません。一方で、楽しい話題もありました。6 月には富士山が世界文化遺
産に登録され、9月には東京が 2020 年夏季オリンピック開催地に決定しました。世界は
と言えば、イギリス王室で新王子誕生などの明るいニュースはありましたが、シリア内戦
の激化、フィリピンで巨大台風による被害など天災人災は後を絶ちません。そんななかで、
私たちが耳を傾けるべきことがありました。パキスタンの 16 歳の女性マララ=ユスフザ
イさんが 7 月の国連総会で演説したことばです。
「テロリストは私と友人を銃弾で黙らせようとしたが、私たちは止め
られない。私の野心、希望、夢は何も変わらない。私は誰にも敵対はし
ない。すべての子どもたち、タリバーンやすべての過激派の息子たちや
娘たちに教育を受けさせたい。すべての人々に平和と愛を。…過激派は
本やペンを怖がる。教育の力、女性の声の力を恐れる。…世界の姉妹た
ち、勇敢になって。知識という武器で力をつけよう。連帯することで自
らを守ろう。本とペンを手に取ろう。それが一番強い武器。ひとりの子
ども、先生、そして本とペンが世界を変えるのだ。教育こそがすべてを
解決する」。
現代の日本では、すべての国民は教育を受ける権利をもち、保護者や自治体はすべての
子どもに教育を受けさせる義務を持っています。我が国では当たり前のことも、世界では
恵まれた環境なのです。諸君と同世代で、今、戦乱と困窮のなかに生きている彼女の誠実
で真摯なこのことばに感銘を受けずして何としましょうか。ひとりの子どもと先生、ペン
と本。飽くことなく知識と見識を身に付けようとする学びの意欲が、そして教育が世界を
変えることは、決してきれいごとではなく、真実なのです。
イスラム過激派とはイスラム教の名を用いて、自分たちの目指す社会を実現しよう
とし、大量殺人やテロ行為などの犯罪を行う戦闘集団のことを言います。イスラム教
はキリスト教と同じく唯一神への信仰と戒律遵守や修行によって、神に救われるとす
る宗教で、過激派の行動は本来のムスリム(イスラム教徒)たちからも猛烈な非難を
受けています。タリバーンとは元来は「学生たち」の意味で、ソ連のアフガニスタン
侵攻(1979 ~ 88)後の内戦から生まれ、当初は治安回復を目的に、パキスタンの支援
を受け、イスラム主義を奉じてアフガニスタンとパキスタンを拠点とし、アフガニス
タンの反米テロ活動を行っている武装勢力のことです。一時期はアメリカの支援を受
けていたこともありましたが、現在は反米テロ活動の中心となっています。
平成26年
校
長
閑
話
『
藍
と
青
3月24日
』
第12号
「不条理に克つ~やはり、学びのすすめ」
矢
倉
芳
則
フランスのノーベル賞作家アルベール=カミュは 「不条理」 ということばを残して
います。「不条理」とは理に合わないこと、すじみちが立たないこと、自分の力がおよば
ないことです。カミュはこのことを評論『シーシュポスの神話』のなかで論じています。
シーシュポスはギリシャ神話の登場人物の一人です。神への不敬のために、地獄で大き
な岩を丘の上まであげるという刑を受けるのですが、シーシュポスが丘の上まで上げた瞬
間、岩は転がり落ち、それが永遠に繰り返される。もし、人生がこのような苦しく、甲斐
のない、無意味な繰り返しであるとするならば、はたして、それでも生きるべきなのか。
カミュは、これは特殊な事例ではなく、程度の違いはあれ、誰もがみな、「不条理」のな
かに生きていると言います。人生は理不尽なことばかりで、そもそも、自分の存在理由も
不明です。なぜ、自分は自分なのだろう、もっと才能があれば、もっと美しく生まれてい
れば、もっと金持ちだったらなど、誰もが思うことです。
生徒が社会に出るためのトレーニングの場であることが学校の役割のひとつですが、学
校で先生に叱られたり、注意されたりするには、守るべきことを守らなかった、すべきこ
とをしなかったなど必ず何らかの、少なくとも自分が知っている理由があります。しかし、
世間では、自分の知らないところで、何の説明もなく勤務地や所属が変わったり、それど
ころか、突然会社が倒産するなど自分の責任とは関わりなく、人生が決められることがあ
ります。これらも広い意味では「不条理」なのでしょう。災害や事故だけでなく、至ると
ころに「不条理」があります。大切なことは「不条理」な目にあったときどうするかです。
カミュは「不条理」と直面して人間ははじめて自分と向き合い、真の生き方をつくりあ
げることができると言います。そして、
「不条理」から目を背けて一時の享楽に走ったり、
そこから逃避してはなりません。ましてや、すべては世の中が悪いとばかりに罪を犯した
り、自ら命を絶つことなどもってのほかです。シーシュポスの人生がどんなに過酷なもの
であっても、絶望は赦されません。生きていれば、この先何が起こるか分からない。思い
もよらぬ幸運が訪れることもある。「生きることへの絶望なくして、生きるこ
とへの愛はない。」「人間のなかには、軽蔑すべきものよりも称賛すべき
ものの方が多い。」とカミュは述べてます。ではそのような強い信念はどのようにし
てつくられるのか。
私は、それはやはり勉学によってつくられると思います。文学、歴史、哲学、芸術から
求めるべき価値や先人の生き方を、数学、科学から自然や人間の真理や法則を、保健や体
育から心身の健康を学ぶ。何よりもそのような勉学に真摯に取り組むことにより培われた
精神が、「不条理」に克つ力をつくるのです。
『異邦人』や『ペスト』などの小説で知られるA=カミュ(1913 ~ 60)はフランス
の植民地アルジェリアに生まれました。本国ではなく植民地の貧困家庭に育ったことが
彼が説く「不条理の哲学」の根底にあるものかもしれません。カミュが生まれた翌年に
父が戦死し、幼くして兄とともに母の実家で育てられましたが、家族の中で読み書きが
できるものは一人もいなかったそうです。そのような彼の人生を変えたのは小学校の先
生でした。カミュの才能を見抜いたその先生は奨学金を受けて上級学校へ進学させるよ
う家族を説得しました。苦学してアルジェ大学に進み、パリに移って著作活動に入った
カミュは、第二次世界大戦後、実存主義文学の代表的作家として、さらには 20 世紀フ
ランスの思想的リーダーとして活躍し、1957 年、43歳のとき、戦後最年少で、ノーベル
文学賞を受賞しました。カミュは自分の可能性を信じてくれた小学校の先生の恩を忘れ
ず、受賞にあたっての講演録のなかで、先生への感謝のことばを記しています。
平成26年
校
「第二の誕生
長
閑
~
話
『
藍
と
青
4月15日
』
第13号
ルソーのことばに学ぶ」
矢
倉
芳
則
新年度が始まって一週間が経ちました。昨年度の終業式において、私は時間についてお
話しました。万人に等しく与えられている時間を無駄にしないことが、有意義な実りのあ
る生活をもたらします。特に勉学は若い日にこそ必要です。「少年老い易く学成り難し。
一寸の光陰軽んずべからず」。知力・体力がみなぎっている時期に広く学び深く考えてく
ださい。各年次においてそれぞれに為すべき課題がありますから、一人ひとりがそれを正
しく認識し、目標に向かって日々努力することを期待します。
さて、始業式での講話と入学式での式辞において、私は 18 世紀フランスの思想家ルソ
ーのことばを引用しました。ルソーは「地歴」・「公民」の教科書に登場するお馴染みの
人物で、主に啓蒙思想家あるいは社会契約思想家として扱われ、近代民主主義政治を思想
的に確立した人物として評価されていますが、教育学者としても功績があり、教育書とし
て不朽の名作と評価されているのが『エミール』です。この書は5編からなる物語風の作
品で、全編を通じてエミールという子どもの発達段階に即した教育が語られ、最終編はエ
ミールの妻となるソフィのための教育、つまり女性教育についても論じられています。実
は、ルソー自身は自分の子を全く養育せず施設に送るなど、とんでもなく悪い親でした。
私としては、ルソーの我が子への贖罪の書と思いたいのですが、エミールは孤児という設
定で、この書には理想の父親像は描かれていません。
「第二の誕生」は、その『エミール』第4編に記されているもので、青年期の特色
をあらわす名言です。第4編の青年期は特に優れた作品で、時代を超えて感動を与えてく
れます。正確には「われわれはいわば二度生まれる。一度は生存するため、
二度目は生きるために。」 と記されています。青年期は自分自身を見つめ直し、将
来を考え、あるべき生き方、理想を求める時期であるというのがルソーの主張です。反対
に言えば、そのような精神の成長があるから、つまり第二の誕生があるから青年なのであ
って、真の青年とは悩み、挫折し、闘い、立ち上がり、新たに進む人のことです。青年の
名に値しないただの若年層ではあまりに悲しい。また、自分の少ない経験や狭い交友関係
に留まっていては第二の誕生はあり得ません。だから、勉強しなければならないのです。
「勉強だけがすべてではない」ということばを耳にします。勿論そうでしょう。しかし、
学校は勉強するところです。先ず、勉強してそのあとに次のことに取り組むのです。
広く学び、深く考える。知らなかったことを知った喜び、できなかったことができるよ
うになった喜び、それは人を豊かにさせます。その喜びは本校での学習のなかにあります。
これからの人生の道標は本校の授業のなかにあります。ルソーはこうも言っています。
「社
会に出て必要なこと、役立つことはすべて教育によって与えられる」。高
校は知識を得、教養を高め、識見を養うところです。努力することの尊さや正直であるこ
との潔さを知るところです。そして、それらはすべて、より賢く、より強く、より優しく、
より美しい自分になることへと繋がります。
ルソー(1712~78)はスイスのジュネーブで、時計職人の子として生まれました。生後
間もなく母と死別し 10 才の時、父が軍人との諍いを起こして家出したため、一家は離
散し、天涯孤独となりました。13 才頃から教会での住み込み仕事や徒弟奉公などをし
て各地を放浪ののち、16 才のとき、貴族の夫人と出会い、庇護を受け学問や芸術を学
びます。30 才頃、パリの社交界に入り、その間も独学で哲学、文学、歴史を研究し、
その後、当時の啓蒙思想家や百科全書派の学者たちと親交をもち、百科全書の編纂に係
わりますが、革新的思想のため政府から追われ、逃亡と貧困の中で死にました。主書に
は『エミール』のほか『社会契約論』『人間不平等起源論』『告白録』などがあります。
なお、ルソーの活動と功績の分野は社会思想にとどまらず、文学・芸術など広範囲に
および、小説『新エロイーズ』はロマン主義文学の先駆的作品として評価されています。
また、音楽家としては多くのオルガン曲を作曲し、日本では『むすんでひらいて』と名
付けられている童謡も彼の作曲によるものです。
平成26年
校
長
閑
「アイデンティティ
話
『
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藍
と
青
6月19日
』
第14号
エリクソンは語る」
矢
倉
芳
則
第1回定期考査も終了し、学校祭まで一ヶ月を切りました。このところ天候不順な日が
続いていますが、北海道は本来、この季節が一番過ごしやすく、また、学校生活もいろい
ろと楽しい時期です。しかしながら、油断は禁物です。特に3年次生は、進路実現に向け
て、いよいよ本格的に動きださなければなりません。いつも言っていることですが、時間
は万人に等しく与えられています。一日一日を大切にしてください。
私はと言えば、新年度が始まってこの 2 ヶ月ほど校長会やPTAなど全道規模の会議や
各種行事に出席し、各校の状況や活動に関する情報を得たところですが、ある会議のなか
で、「スクール・アイデンティティ」という語を耳にしました。これは近年、教育界でし
ばしば耳にすることばであり、「自校の教職員・生徒・保護者だけでなく地域や第三者か
らも認知されている学校の傾向や特色」のことです。本校の関係者だけでなく、一般の人
からどのように評価されているか、認められているかという視点からの学校像のことです。
私たちは、各学校のことを名門校・伝統校・進学校、あるいはよい表現ではありませんが、
底辺校・困難校などと位置付けることがありますが、これも「スクール・アイデンティテ
ィ」の一つです。では「アイデンティティ」とはそもそも何のことなのでしょうか。
「アイデンティティ」は「同一性」と訳され、心理学では個人の人間性や人格形成に係
わる用語で、「自我同一性」とよばれています。こう表現するといかにも難しそうなので
すが、簡単に言うと 「自分が自分であること」
、自分でも自覚し他人からも認めら
れ知られている「自分らしさ」
、「その人らしさ」です。自分が他に替わることの
できない、自分以外の何ものでもないという本質のことです。私たちはしばしば、「~す
るとはあいつらしいな」、「ここは彼らしく~してほしいね」などと言いますが、これも
その人のアイデンティティを前提としたものです。
アメリカの心理学者 エリクソン は青年期すなわち生徒諸君の時期に、果たすべき課
題は「アイデンティティの確立」であるとしました。彼によれば、人間には人生の各段階
で、その都度達成すべき課題、例えば、乳幼児期には親やおとなへの信頼感、学童期には
勤勉性などがあります。赤ちゃんは自分で歩けないし、食べることもできないから親や周
囲のおとなへの信頼感が必要です。また、学校は勉強するところですから、入学したから
には真面目に通い、勉強しなければなりません。そのような課題を経て、青年期において
は「アイデンティティの確立」が求められるのです。 どんな状況においても自分
が他の存在と異なる自分である、過去から現在を通じて自分は自分であ
るという自覚をもってはじめて人格が形成される のです。そして、人間は一
人では生きていられませんから、自分が属する集団からそのことが認知されていなくては
なりません。エリクソンはその集団とは 友情と恋愛の可能性がある同世代の集
団 であると言っています。言うまでもなく、それは学校です。学校の存在意義の一つは
ここにあります。そして、学校ですから当然、勉強や部活動、各行事をとおして自己のア
イデンティティが確立されます。学校生活のすべては自己自身をつくるためにあります。
エリクソン(1902~94)はアメリカの精神分析学者・心理学者で、第二次世界大戦後の
アメリカ絶頂期に活躍した人物です。彼は当時のアメリカが理想とした人間像を心理学
の視点から求め、人生を8つの発達段階をもつライフサイクルとしてとらえました。エ
リクソンによると、乳児期には親やおとなへの信頼、幼児期には自律性、児童期には自
主性、学童期には生産・勤勉性、青年期には自我同一性、成人期には他者との親密さ、
壮年期には次世代を育成する世代観、老年期には人生を総括する肯定感が課題であり、
それが失敗すると、それぞれの段階において、不信、疑惑、罪悪感、劣等感、同一性の
拡散、孤立、停滞、絶望に陥るとしました。
青年期におけるアイデンティティの確立に失敗すると、自分が何ものであるかが分か
らなくなり、生きていることへの実感も目的も失われ、非行や反社会的行為などによっ
て自己存在を主張するしかなくなってしまうとエリクソンは説いています。
平成26年
校
長
「モラトリアム
閑
~
話
『
藍
と
青
7月25日
』
第15号
再びエリクソンに学ぶ」
矢
倉
芳
則
明日から夏期休業に入ります。学校生活においては、言うまでもなく毎日がそれぞれ大
切なのですが、スポーツや囲碁将棋などの試合で、勝敗を左右するポンイントがあるよう
に、流れを一気に自分のものにする時機があります。いわゆる時機到来です。まずはこの
夏休みがそれでしょう。1年次生は本校にも慣れたことでしょうが、慣れはしばしば油断
を招きます。この夏休みで、基礎学力の定着、生活規律をしっかりと身に付けてください。
2年次生は夏休みが明けると高校生活の後半戦を迎えます。マラソンでいう折り返し地点
にさしかかっています。そして、3年次生はいよいよ高校生活のラストステージに立つこ
とになります。夏休みは進路実現に向けての大きなチャンスです。体調管理に気を付けて
時間を大切にして毎日を過ごしてください。
さて、前号でアメリカの社会心理学者エリクソンの 「アイデンティティ」 につい
て述べましたが、エリクソンにはもう一つ、「モラトリアム」 という重要な用語があ
ります。「モラトリアム」とは元来は支払い猶予期間を意味する経済用語で、1929 年にニ
ューヨークの株式が暴落して起こった世界恐慌に波及して財政危機に陥ったドイツの救済
のために、アメリカ大統領フーバーが行った「戦債・賠償支払い猶予」(フーバー・モラ
トリアム)で知られています。エリクソンはこの用語を心理学に適用し、青年期の特色の
一つであるとしました。
エリクソンによれば、 青年期は職業に就いて生計を立てたり、税金を納め
るなどの社会的義務と責任が猶予されている時期 です。近代以前は、青年と
いう概念はなく、労働力が第一とされる庶民においては、子どもは小さなおとなで、身体
的に成長すれば子どもからいきなりおとなになりました。近代に入り、民主主義と資本主
義の発達にともない、社会構造が多様化すると、社会に出るまえに身に付けておかなけれ
ばならない知識や技術・技能がたくさんあります。青年期はおとなへの準備期間としてそ
れらを学ばなければならない。そこで、専門的な教育が必要であり、勿論、学校はそのた
めにあるのです。 モラトリアムの時期になすべきことは勉学 です。近代よりも
さらに文明が高度に発達した現代社会においてはなおのことです。
ここにふたりの父親がいたとします。その父親たちにはともに大学生の息子がいました。
その大学生の息子たちは、ふたりとも高校時代、真面目に勉強して大学に合格していまし
た。一人の父親は息子にこう言いました。「お前は真面目に頑張って大学に入ったんだか
ら、学生時代にたっぷり遊んでおきなさい。社会に出て仕事に就いたら、忙しくてあそぶ
暇なんかないぞ」。もう一人の父親はこう言いました。「お前は真面目に勉強して大学に
は入ったんだから、大学では自分の好きな勉強を思い切りやってみるといい。社会に出て、
仕事に就いたら、厭でも遊びに付き合わされる。勉強する暇なんてないからな」。
モラトリアムの時期にこれからもしばらくとどまる諸君には、きれいごとではなく、後
者の父親のことばに耳を傾けてもらいたい。どちらの父親の言い分も正しいでしょう。し
かし、人間というものは少しでも時間があれば遊びたいものです。時間があるときにこそ、
勉強しなければならないのは当然のことです。
エリクソン(1902~94)の社会心理学は世界中に広まり、日本の心理学、教育学にも大
きな影響を与えました。日本を代表する社会心理学者である小此木啓吾はエリクソンの
「モラトリアム」にヒントを得て、「モラトリアム人間」という語をつくりました。現
代社会においては「モラトリアム」のもつ社会的責任や義務の猶予・免除のなかの気楽
な部分、すなわち仕事をしなくもよい、親の世話になっていればよいなどが強調される
ととともに、いつまでも「モラトリアム」の状態であり続けようとする青年が増え、小
此木は彼らを「モラトリアム人間」と呼んだのです。具体的には大学卒業延長の風潮や
バブル期にみられたニート、フリーターなどを指します。これは 1990 年代以降、先進
国に見られた世界的傾向で、アメリカの心理学者ダン=カイリーもディズニー映画で有
名になった永遠の少年ピーターパンになぞらえて、「ピーターパン・シンドローム」と
いう語を用いています。いずれにしても、本来の「モラトリアム」の時期に求められる
ものではない風潮です。
平成27年
校
長
閑
話
『
「イスラム教を学ぶその1
藍
~
と
青
1月28日
』
第16号
国際問題を考えるために」
矢
倉
芳
則
新年早々、パリでテロ事件が起こり、フランス政府をはじめ各国首脳・高官が緊急の対
応に奔走し、マスコミも突然のことに正確な報道が出来ずに戸惑う事態が起こりました。
事件発生場所はパリの中心部、観光地で私も何度か訪れたことがあり、まさかこんなとこ
ろで、という思いがしています。それから間もなく、シリアで民間日本人2名が拘束され
たという報道がなされました。実際には昨年からの事件が明らかになったのであり、政府
はその事実を知っていたようです。お二人のうち、1名は既に死亡したとの報道がなされ、
もう1名についても厳しく緊迫した状況が続いています。今朝の新聞には、残された時間
は 24 時間と記されていました。私たちには、ただ無事を祈るしかありません。
1990 年の湾岸戦争、2001 年のアメリカ同時多発テロ(9.11)、2001 年アフガン紛争、2003
年のイラク戦争、その他局地的な紛争など、20 世紀末から 21 世紀にかけての国際問題は
イスラムがらみです。そして今回の一連の事件はイスラム過激派の犯行です。ここで大切
なことは、国際問題にあたっては、正しい知識を身に付け、広い視野から多面的に事実を
とらえ、考察することです。マスコミ各社も「イスラム教徒とイスラム過激派は違う」と
言うようになりましたが、では、どこがどう違うのか。そもそもイスラム教とはどのよう
な宗教なのか。また、過激派が生まれた原因はどこにあるのか。
イスラム教(イスラーム)はキリスト教、仏教と並んで世界の三大宗
教のひとつであり、全世界で、信者が 13 億人とも 15 億人ともいわれ、1300 年の歴史
をもっています。このことからして、イスラム教が「過激」の一言で片付けられるもので
はないことは明らかです。開祖はムハンマド(570?~ 632)
。マホメットとも呼ば
れて、6世紀後半から7世紀にかけての人物です。40 歳頃、神の啓示を受けて、信仰の
生活に入ります。これは、いわゆる奇跡伝承です。
すべての宗教を理解するために必要なことですが、 奇跡伝承を頭ごなしに否定
することも、鵜呑みにして肯定することも間違いです。 そこにある真意を
汲み取らなくてはなりません。例えば、地震や台風のような天災が起こったとします。普
通の人間は自分との関わりでは考えません。けれども、稀にその天変地異が自分への神の
怒りであるとか、天の警告であるととらえる人物がいます。生活に何不自由なく、高い身
分にありながらその地位を捨てても正しい生き方を求める人もいます。このような人たち
は純粋に使命感をもち、真理への探求心もあり、 多くの人々の苦悩や挫折を自分
のものとする感性を備えています。アラビアの厳しい自然。飢饉もあれば疫病もある。
大多数の人々は貧しい暮らしをしている。それをムハンマドは自分の問題として取り組無
ことができた人物であったのではないでしょうか。こうして、彼はイスラム教を開きます。
ムハンマドの目的は簡単にいうと、アラブ社会の宗教改革でした。当時のアラブは多神
教で、メッカの神殿には数百におよぶ偶像がおさめられていましたが、シリアやパレスチ
ナでユダヤ教やキリスト教に接した彼は、アラブ民族に一神教を広めようとしたのです。
政治的には部族社会を政教一致の統一国家にするねらいがあったのでしょう。ムハンマド
の活動は精力的でした。教えの主な柱は唯一神アラーへの絶対的信仰、信仰による来世で
の幸福、布教のための聖戦(これには解説が必要で、次回に詳しく述べます)、神を偶像
化(彫像や絵画)することの禁止などです。したがって、ムハンマドを戯画化することは
教徒にとっては大きな罪です。これらを踏まえて、次回はイスラム教徒のあるべき生き方
について学びましょう。人間の価値観は多様です。信仰心は内面の問題です。そして、来
るべきグローバル社会においては異文化理解が求められるのです。
ムハンマドはアラビアの有力貴族の出身で、子どもの頃に両親と死別し、商人になっ
たと伝えられていますが、確かな根拠はありません。12 歳頃から隊商に入って、各地
をまわり、メッカの富裕な商家で働くことになります。そこで実力が認められ、25 歳
のとき、そこの未亡人ハディージァと結婚しました。商人としての地位を確立したムハ
ンマドは、民族統一、アラブ国家建設のためにイスラム教を民族の精神的支柱とし、宗
教・政治・軍事一体の行動をとります。イエス=キリストや釈迦(仏陀)には政治・軍
事色はありません。そこが、彼らとムハンマドの大きな違いです。
平成27年
校
長
閑
話
『
「イスラム教を学ぶその2
藍
~
と
青
1月29日
』
第17号
国際問題を考えるために」
矢
倉
芳
則
イスラム教徒(ムスリム)とキリスト教徒との戦いは 1000 年以上も昔に遡り、十字軍
の遠征が歴史上有名です。シリアの日本人拉致事件でイスラム国が言った「日本は十字軍
に参加した」の「十字軍」は、ムスリムに占領された聖地エルサレムを奪還すべく(事実
はもっと経済的・実利的目的でしたが)、175 年も続いた戦争のことです。ヨーロッパと
アラブ世界は陸続きで隣接しているので、政治・経済・文化面での交流が盛んです。しか
し、交流があるということは争いもあります。その後もイスラム社会とヨーロッパ社
会は対立・抗争を繰り広げます。
いつも対立しているので、イスラム教とキリスト教は正反対の宗教のように思われるの
ですが、実は似たもの同士なのです。そもそも、ムハンマドはユダヤ教とキリスト教
を基礎にイスラム教を開いたのであり、聖典は『クルアーン』ですが、
『旧約聖書』
も『新約聖書』も重んじています。また、ムハンマドによれば、唯一の神アラーはイ
スラム教の神であり、ユダヤ教・キリスト教の神であると説き、神はあるときはモーゼ、
あるときはイエスを預言者(神のことばと意志を人々に伝える選ばれた存在)として遣わ
し、預言者のなかでムハンマドこそが最後にして最大の預言者とするのです。イスラム
の神は万人を平等に愛し、神の下には身分の上下はありません。
ムスリムは毎日の生活のなかで、六信五行といわれる実践をしなければなりません。六
信とは、「神」、「天使」、「聖典」、「預言者」、「来世」、「天命」を信じることです。「神」
は唯一神アラー。「天使」は神の使いであり化身です。聖典は『クルアーン』。神がムハ
ンマドに示したことばがまとめられたもので、信仰生活や世俗生活での戒律などが記され
ています。「預言者」はムハンマドのことです。ただし、 ムハンマドそのものは信
仰や崇拝の対象ではありません。次に「来世」。「来世」を信じることが神の祝福
と裁きを信じることにつながり、それゆえに、神への信仰が益々強くなります。最後の「天
命」は神の啓示と神が各人に与えた運命のことです。これらの信仰が、ムスリムの価値観
と生活の在り方の大前提になっているのです。
五行とは、まず「信仰告白」。アラーのほかに神はなく、ムハンマドはその預言者とい
う告白です。次に「礼拝」。夜明け、正午、午後、日没前、日没後の5回が義務付けられ、
その他に自主的な礼拝と毎週金曜日正午の集団礼拝があります。祈りの方向はメッカです。
次が「断食」。断食はユダヤ教、キリスト教、またバラモン教、仏教にもありますから宗
教上の修行の典型的なものと言えるでしょう。イスラム暦の9月(ラマダン)に日の出か
ら日没まで飲食を一切とりません。ただし、子どもや妊婦、病人や虚弱者、戦場の兵士は
除外されます。意外に温和だと思いませんか。次が「喜捨」。年一回行なわれる貧しい人
々への施しです。最後が「巡礼」で、ムスリムは一生に一度はメッカのカーバ神殿に行か
なければなりません。これらのうち、「礼拝」、「断食」、「巡礼」は全世界のムスリムが集
団で行なうもので、人種や民族を超えた信徒としての連帯感を強めるものです。
アラブ社会は貧富の差が大きく、災害や飢饉も多い。だからこそ人々
が連帯して助け合い、互いに愛し、いたわることが大切だったのです。
その実現のために、六信五行があり、日常の戒律として、飲酒の禁止、窃盗は手足の切断、
利子の禁止などもつくられました。一夫多妻も貧富の差を補うための知恵です。イスラム
教は、アラブを超えて、世界中の貧しい人々に受け入れられました。
こうしてみると、イスラム教は敬虔で、自己に厳しく、弱者へのいたわりを説く宗教で
あることが分かります。イスラム過激派の行動は決して赦されるものではありません。し
かし、なぜ彼らが「過激」となるのか。そこには深刻な社会問題が背景にあります。何し
ろ、アルカイダはアメリカによってつくられた組織 なのですから。
アルカイダ(アル=カーイダ)は、イスラム主義を標榜するスンナ派ムスリムを中
心とした国際的組織及び運動のことです。創始者はウサマ=ビン=ラーディーンで、
1990 年代以降、主としてアメリカ合衆国を標的としたテロの実行組織とされていま
す。9.11 テロでは世界中を震撼させました。しかし、起源はアメリカ中央情報局(CIA)
とパキスタン軍統合情報局(ISI)が、ソ連のアフガニスタン侵攻(1978)に対抗させ
るためにイスラム義勇兵)を訓練・育成し武装化させたことに始まります。
平成27年
校
長
閑
話
『
「イスラム教を学ぶその3
藍
~
と
青
1月30日
』
第18号
国際問題を考えるために」
矢
倉
芳
則
イスラム教の教えで最も特徴的とされているものに、「聖戦(ジハード)
」 があり
ます。このゆえに、イスラム教は教義上も好戦的と言われるのです。では、「聖戦」の起
源はどこにあるのでしょうか。ムハンマドの改革ははじめのうちなかなか進行しませんで
した。メッカでは多くの迫害を受け、メディナに逃れます。622 年のことで、イスラムで
は聖遷とよび、この年をイスラム暦元年としています。メディナはメッカとならぶ都市国
家で、アラブ人とユダヤ人が住んでおり、長い間内戦が続き、ムハンマドはその調停役と
して活躍しました。やがてユダヤ教徒と対立してメディナを宗教的にも軍事的にも統一、
メッカとの全面対決に入ります。これが聖戦のはじまりでした。以後、イスラム教では信
仰のための戦いは聖なるものとして肯定され、ヨーロッパ諸国との戦争が続きました。
第二次世界大戦以後、あらゆる戦争を否定し、何よりも生命を重んじることを教えられ
た日本人には許されない考え方かも知れませんが、宗教には戦争がついて回るので
す。イスラム教の歴史から見れば、信仰の具体化のひとつです。実は、ユダヤ教徒も初期
キリスト教徒もローマ帝国と戦い、16 世紀から 17 世紀にかけては神の名の下に、キリス
ト教徒同士が凄惨な戦争を続けていました。現代においても、湾岸戦争、9.11 テロの報復
としてのイラク戦やアメリカのアフガニスタン空爆にみられるように、特殊なことではあ
りません。近年、日本でも、ガイドライン法案の成立や憲法改正案、集団的自衛権の確立
など戦争完全否定の価値観が揺らぎつつあります。 国際世論を錦の御旗にするの
もけっこうですが、戦争根絶に向けての国際世論を形成する役割を担っ
てこそ、わが国の存在価値があると私は思います。
もう一つです。ムスリムの戒律のなかに「女性は夫以外の男に顔や肌を見せてはならず、
チャドルで隠す」というのがあります。近年は欧米の影響もあり、地域によっては多様化
していますが、原則は変わりません。イスラム学者の片倉ともこ氏は『イスラームの日常
生活』のなかで「 人間性弱説」 という語を使っています。西欧社会の人間観が人間と
は強いものだとしているのに対し、イスラムは人間とは弱いものだとしている
と述べています。弱いから誘惑にとらわれない状況をつくらなければならない。それが、
多くの戒律が生まれた理由です。男女が肌をあらわにし、触れ合うと欲望に負ける、性的
に乱れる。特に男は性欲に弱いから女は肌も顔も覆う。ミニスカートもノースリーブもだ
め。水着姿やヌードなどはもってのほか。私はイスラム教のこのような戒律こそ最も端的
に人間の罪をとらえていると思います。これを理性より欲望を抑えるというようなレベル
ではなく、人間一般の日常性を基にしたところに卓越した宗教性を感じます。
そもそも、宗教とは、人間は弱いものだ、という一点から出発します。自分で自分を律
することが最良ですが、それは難しい。だから社会的制裁がなくてはならない。そこから
法と刑罰が生まれる。しかし、それさえもだめだ。人間存在そのものに問題があるのでは
ないか。こうして超越者への信仰と救済が求められる。その意味ではイスラム教こそ、最
も典型的な宗教なのです。「人間は弱いもの」である。これは抽象的命題ですから気楽に
使えます。しかし、「自分は弱い」と心底言える人はどれほどいるでしょう
か。自分の弱さを自覚した人は、本当は強い人なのではないでしょうか。
「人間性弱説」こそ、「人間性尊重」への扉のような気がする今日この頃です。
以上、3回にわたって「イスラム教」を述べたのは、「イスラム国」による日本人拉致
事件がきっかけです。「イスラム教が誤解される」「イスラム教徒と過激派は全く別だ」
という声が聞こえますが、では「イスラム教とはどのような宗教なのか」については説明
が難しいようです。現代社会において、「イスラム」に関する知識は欠かせません。その
一助となればと思い、記しました。国際社会、グローバル社会に生きるためには学ぶべき
ことがたくさんあるのです。
イスラム国は 2014 年6月にそれまでの組織名ISILを廃止し、国家樹立を宣言し
ましたが、欧米諸国や日本は承認しておらず、周辺のイスラム諸国からも認められてい
ません。体制運営は旧イラクのフセイン政権下での政治家・軍人・官僚たちであると推
測されています。そうであるならば、単なるテロリスト集団ではなく、国家運営のプロ
たちが、軍事力と資金調達力をもって、旧イラクに代わる国家を建設していることにな
ります。このことはアメリカ政府も警戒を強めているようです。
平成27年
校
長
閑
話
『
「正しい生き方とは何か
藍
~
と
青
2月27日
』
第19号
カントに学ぶ」
矢
倉
芳
則
先月 3 回にわたりイスラム教の教えを紹介し、国際社会の諸問題について述べましたが、
「正しさ」とか「善」あるいは「正義」について論ずることがいかに難しいか、そもそも
「善」・「悪」は何をもってそれとなすか、については明確な答えがないのではないかと
いう疑問をもたざるを得ません。本校のホームページを読んでくれた方から「アルカイダ
がアメリカによってつくられたなんて知りませんでした」という感想もいただきました。
これはマスコミがもっと正確に報道すべきことで、事実を事実として伝えるのは当然のこ
となのです。さらに、事実の背後にある「善悪」や「正義」についての問題は時代、地域、
宗教、習俗など多方面から考えなくてはなりません。
現在、国際社会における最も権威ある組織は、言うまでもなく、国際連合です。その成
立は第二次世界大戦における連合国(戦勝国)を始まりとするのですが、戦後、国際平和
の実現や福祉の向上、難民救済などの指導的立場にあることは周知のとおりです。その理
念を最初に提唱したのは カント でした。カントは 18 世紀のドイツ(当時はプロシア)
の哲学者で、「それ以前のすべての哲学はカントに入り、以後のすべての
哲学はカントから出る」と言われているように、近代哲学の最高峰にあり、認識論、
存在論、道徳論、美学、政治思想などあらゆる分野を体系的哲学として構築した人物です。
彼は、晩年の著書 『永遠平和のために』 の中で国家間の戦争をなくすためには諸国
家の総意のもとに、各国の権力を抑制する権威ある組織の設立が必要であると論じました。
カントは国際社会や国家のあり方だけでなく、個々人の生き方や「善悪」「正不正」に
ついても論じています。彼は次のように述べています。「私たちの住む世界はもと
より、およそこの世界以外でも無制限に善と見なされうるものは、ただ
善意志よりほかにはまったく考えられない」。 カントは、真の意味で善と言え
るものは、質実剛健、頭脳明晰などのすぐれた能力や勇気、誠実、正直、勤勉などいわゆ
る徳とよばれているものではなく、これらを用いる 意志の善さ であるとします。頭の
良いこと、知識のあることはそれ自体では単なる一能力にすぎません。それを用いる意志
が善くなければ、かえって最大の悪ともなりえるのです。例えば、知識のある人、頭脳明
晰な人、決断力のある人が犯罪を行ったらどのようなことになるか。完全犯罪もありえま
す。最悪です。かなり以前のことになりますが、『刑事コロンボ』というテレビドラマが
ありました。そこに登場する犯人はみな知能が優れ、冷静沈着、行動力もあり、しかも社
会的地位も高い者たちでした(『古畑任三郎』は『刑事コロンボ』の影響を受けています)。
学問や教育の目的は善意志を身に付けることであるとカントは説きます。 知識や学
識はそれ自体大切なものです。しかし、ただもっていればよいというわ
けではありません。より楽しく、より豊かに生きるにはそれを正しく用
いなければいけません。その正しさや善を学ぶのが学問なのです。知識や学識は善
意志をより強固にし、善意志は知識や学識をさらに深め、高めます。本当の意味での教養
はそこから生まれます。教養とは学歴のあることでも単に学識のあることでもなく、広い
視野に立ち、他人の立場や気持ちを理解できる素養のことです。どんな人間になりたいか、
何にあこがれ何をめざすか、誰を友とし誰を愛するか、そのような想いをもって、日々、
勉学に励むことが人間としての正しい生き方を実現するのです。
カント(1724 ~ 1804)は東プロシアのケーニヒスベルク(現ロシア連邦・カリーニ
ングラード)の馬具職人の子に生まれ、苦学してケーニヒスベルク大学へ進み 自然科
学、哲学を修めました。カントは貧困家庭で育ち、身体的にも虚弱で、芸術や文学の
才能にもさして恵まれず、ただひとつ誰にも負けなったのが学力でした。そのためか、
若い頃は無学な人、無知な人を見下すところがあったようです。ところがあるとき、フ
ランスの思想家ルソーの『エミール』に出会いました。時計の針のように規則正しい生
活をしていたカントが時間を忘れて読み耽ったこの書には、人間の価値が財産や地位は
勿論のこと才能や学識にあるのでもなく、人格そのものにあることが記されていました。
カントの人間観は変わり、道徳について、人間にとって大切なことについての思索を深
めていったのです。
平成27年
校
長
閑
話
『
藍
と
青
3月24日
』
第20号
か い こ う
「邂逅・人生の喜び
~
亀井勝一郎のことば」
矢
倉
芳
則
「人生は出会いである」あるいは「人は人によって人となる」ということばをよく耳に
します。日本を代表する評論家亀井勝一郎は邂逅 ということばを用いて、出会いの喜び
こそ幸福であるといっています。高校や大学に入学して「何をしたいですか?」と聞かれ
た際、多くの人が「友だちをたくさんつくりたい」とか「サークルに入っていろいろな人
と出会いたい」などと答える人が多いようです。確かに、出会いは大切です。しかし、た
だ多くの人に会えばよいというものではありません。誰と出会ったか、出会いの質が問題
なのです。亀井勝一郎の『現代人生論』には次のように記されています。「人生とは広大
な歴史だといっていい。歴史とは無数の人間の祈念と願望の累積だといってもいい。ある
いは果たそうとして果たしえなかったさまざまな恨みを宿すところだともいえるであろ
う。私はそれを学びつつ、やがて自分もつかの間にしてその歴史のなかに埋没してしまう
ことを知る。人間の一生は短いものだ。…したがって、人生における一大事、人生
を人生として私たちに確認させるものは、一言でいうなら、邂逅である
といっていい」。
出会いにはいろいろあります。師弟の出会い、よき先輩との出会い、あるいは書物や芸
術作品との出会い。しかし、人生の一大事であり、出会いの喜びの真髄は生涯にわたる親
友との出会いであり、やはり愛し、愛される人との出会いです。そして、相手が自分にと
って出会うはずの人だった、なくてはならない人だったと思う一方、自分もまた、その人
にとって運命的な出会いの人間であったと感じたとき、自分がこの世界に二人といないか
けがえの存在であるという自信をもつことができるのです。亀井はさらに 「もしこの
とき、この人に会わなかったならば、自分はどうなっていただろうと思
うことがある。そこに生ずるのは謝念である。人生に対する謝念とは邂
逅の歓喜である。たとえ貧苦病身災難のうちにあろうとも、邂逅の歓喜
あるところに人生の幸福があると私は思っている。私はそれ以外の人生
の幸福を信じない。」と記しています。
私はしばしば、人間の尊厳は各自が唯一の存在であることだと言ってきました。しかし、
そのことを実感できる納得できる人はそれほど多くはいないでしょう。ほとんどの人は「自
分なんかいてもいなくてもこの世の何が変わるというのか」「かけがえのない自分なんて
いやしない、自分の代わりはどこにでもいる」という思いに囚われます。でも、自分に
は信ずる人がいる、愛する人がいる、自分を頼りにしてくれる人がいる、
自分を愛してくれる人がいる、そう思ったとき、私たちは他に代えるこ
とのできない自分の存在を自覚し、自信と誇りをもてるのではないでし
ょうか。
ここで、忘れてならないことは、「出会い」とは与えられるものではなく、自らつくり
あげていくものだ、ということです。「君がいたから、あのときは助かった。」、「あなた
がいなければ、今の私はなかった」、「君がいたから僕の高校時代は楽しかった。」、「これ
からもずっと仲良くね。」など、このようなことばを言われたときほど、嬉しく、自分を
誇らしく思うことはありません。言われた方も言った方も幸福です。「出会い」、そして
他人の人生に参加する。その喜びを青年時代に味わってもらいたい。先生、級友、部活仲
間。諸君の周りにいる人たちを、今一度見つめてください。
亀井勝一郎(1907 ~ 66)は函館市出身の昭和前期、中期の評論家です。東京帝国大学
(現東京大学)文学部美学科に入学し、マルクスに傾倒し退学しますが、ほどなく社
会主義と決別し、文芸雑誌『日本浪曼派』を創刊。文芸評論をつぎつぎと発表して、
武者小路実篤、菊池寛、太宰治と親交を結び、日本を代表する評論家となりました。
その後、倫理学や宗教学に基づいた人生論、宗教論、文化論、文学論などを執筆し、
昭和 30 年代には多くのベストセラーを残しました。当時の青年に大きな影響を与えま
した。主著には『日本人の精神史研究』『大和古寺風物誌』『愛の無常について』『現代
人生論』『現代青春論』などがあります。
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