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網走市 - 公益社団法人 北海道国際交流・協力総合センター HIECC

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網走市 - 公益社団法人 北海道国際交流・協力総合センター HIECC
網走管内
網走市
北方圏の歴史に根差し、
広がる輪
網走市内には国指定史跡が2つある。1つは縄文式文化晩
期、続縄文、擦文、オホーツクなどの各文化期にわたる住居
跡、墓、土器、人骨などが出土した最寄(モヨロ)貝塚遺跡
であり、もう1つは、大小2つのアイヌ民族のチャシ(砦)
からなる桂ヶ岡砦跡である。
いずれも網走が遠い昔からオホーツク海を挟んで、広域交
流の歴史を持っていたことを物語っている。
同市にある道立北方民族博物館での2004年10月から2005年
2月までの行事をみても、第19回北方民族文化シンポジウム
(3日間)、博物館クラブ「イヌイト・ヨーヨーづくり」、「ア
ラスカ遠征とパイオニア・明治大学アラスカコレクション」
の企画展と「北の地/ALASKA/過去/現在」の講演会など
の北方圏関係の催し物が目白押しだ。
また、北方少数民族資料館ジャッカ・ドフニではウイルタ、
ニブフ、樺太アイヌなど北方少数民族の文化を常時紹介して
いる。
過去の文化交流の歴史、現在の北方圏諸国との関係などを
考える上で、網走ならではの地理的、文化的な特性は今なお
生き続けており、それが、現在の国際交流の底流にもなって
いるともいえる。
小学生の相互訪問から姉妹都市に
―ポートアルバーニ市(カナダ)
ポートアルバーニ市からの寄贈で友好のシンボルになっている網走
市中央公園の高さ15メートルのトーテムポール
網走市は1986年(昭和61年)2月、同じ北方圏のカナダ・
ブリティッシュ・コロンビア州にあるポートアルバーニ市と
アルバーニ市に日本庭園を出張造成し、姉妹都市の目に見え
姉妹都市提携を結んだ。
るシンボルとして、今でも両市民の誇りとなっている。
その前年から始まった網走小と同州にあるノースバンクー
親善訪問団の相互交流も途絶えることなく続いている。提
バー市の小学校との相互訪問がきっかけとなり、当時の石狩
携10周年の96年(同8年)には網走市長ら40人の市民訪問団
町(現石狩市)と姉妹都市だった同じバンクーバー島のキャ
がポートアルバーニ市を訪れ、翌97年の網走市市制施行50周
ンベルリバー市長の紹介で一気に姉妹都市の調印の運びと
年記念式典にはポートアルバーニ市長ら30人が来網、カナダ
なった。
の警察官、民族衣装を着た18人のバグパイプ・バンドが市中
同市はバンクーバー市の西に位置し、人口は約2万人。林
パレードし、網走っ子を感動させた。
業、漁業、観光が主な産業で、釣り愛好家には
“サケの王国”
また、提携15周年の2001年(同13年)にはポートアルバー
としても知られ、こういった網走市との類似性も、提携を加
ニ市の「ソングスミス少年少女合唱団」が網走市で「オホー
速させる要因となった。
ツクKIDコール」とジョイント・コンサートを開催、同じ年
89年(平成元年)の提携3周年記念には、網走市中央公園
に今度は網走市長ら48人がポートアルバーニ市を訪れ、合唱
にポートアルバーニ市から贈られた原木で高さ15メートルの
や日本文化を披露する「あばしりナイト」を開くなど、中身
トーテムポールが建立され、翌年にはその返礼としてポート
の濃い姉妹都市交流が繰り広げられている。
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は3カ月間に短縮されたものの、今まで双方で留学した高校
生は50人にのぼっており、姉妹都市関係を将来に向けて、さ
らに大きく、太く育てていく力になると期待されている。
[市民留学生交流]
少年少女訪問団、高校生相互留学と並んで、もう1つの交
流事業が市民による留学生交流。姉妹都市提携直後の87年か
ら、市民レベルの交流に実態を持たせるためにスタートを
ポートアルバーニ市に造られた日本庭園
切った。
10カ月間の長期留学でお互いの市民生活に入り込み、
友情と相互理解を深めようというもの。
子供から大人までの3つの交流
例えば、ポートアルバーニ市から来た人は、網走市内の中、
この公式訪問団の相互派遣のほかに、少年少女、高校生、
高校での英語授業を補佐する一方で、合気道、華道などの日
市民レベルでの3つの交流が行われているのも、大きな特徴
本文化、オホーツク流氷まつりでの雪像づくりなどを体験、
といえる。
各種イベントにも積極参加し、市民との交流を楽しんでもら
う、といった趣向だ。
[教育交流―少年少女訪問団]
また、2000年(平成12年)には短期スポーツ交流として、
両市は小、中学生の少年少女訪問団を1年置きに相互派遣
アイスホッケー・コーチのマイクさんを1カ月間招請、市内
している。今まで網走から1
1回540人、ポートアルバーニか
の少年団の指導のほかに、市役所のアイスホッケー部のメン
ら7回200人が参加した。
バーとして、各種の大会に出場するなど、市民交流ならでは
05年(同17年)1月の網走からの第11回訪問団の場合は、
のなごやかな成果を挙げてきた。
9日間の日程でホームステイをしながら、ポートアルバーニ
最近になって、この交流は一時中断し、英語指導助手(AET)
の子供たちと友だちになった。一緒に参加した網走市の国際
の採用などに衣替えしているが、両市民の間では、肌で感じ
交流推進員の角田真子さんは、「ボランティアの人々による
る国際交流・理解だけでなく、帰国した経験者がホームステ
手作りの温かい歓迎で、本当に感激した。この交流を大切に
イを受け入れるなど、さまざまな姉妹都市交流に積極的に貢
したいと改めて思った」と語る。
献する結果を生んでいる。
[高校留学生交流]
姉妹都市提携翌年の1987年(昭和62年)から毎年、両市で
2人の高校生を10カ月間相互に留学派遣してきた。次代を担
う高校生を長期留学させることで両市の交流、理解を深めよ
うという試みで、お互いにホームステイをしながら学校に通
い、柔道や剣道などの課外活動、日本では経験できない教会
活動など、さまざまな体験を味わっている。
97年(平成9年)からポートアルバーニ市側の事情で期間
餅つきを体験するポートアルバーニの人々=2004年4月、網走市で
人々の熱い想いが息づく日中友好親善
05年(同17年)1月、中国の程永華・駐日公使が網走市日
中友好促進協議会(阿部一二会長)の招きで講演に訪れた。
実は、程公使は日中国交正常化間もない1979年(昭和54年)、
網走市で日中友好活動が活発に行われていた関係から、駐日
中国大使と共に初めて来網したことがある。
その時の人々の温かい歓迎ぶりもあって、久しぶりの再会
ポートアルバーニ市を訪れた網走市の少年少女訪問団。片言の英語
でもあっという間に、友だちに=2005年1月
と網走市のその後を見たいという程公使の希望から、26年ぶ
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りの来訪が実現した。
所などから25人が参加、半月にわたってフィンランドなどの
この経緯が象徴しているように、同協議会の日中友好活動
北欧諸国を視察してきた。
は心のこもった手作りの民間交流が大きな特色となってい
そこで目にしたのが本場の歩くスキー。「庭からスキーで
る。
そのまま出かけられる。フィンランドとの交流にもなるし、
会員数は約90人。商業、漁業、教育関係者など職業はさま
冬場のスポーツが少ない網走にはこれだ、と思った」――同
ざまで、阿部会長をはじめかつて中国に滞在したり、中国人
歩くスキークラブ副会長で、同オホーツク歩くスキー大会副
の知己を持つ人が多く、72年(同47年)の日中国交正常化と
実行委員長の斧山繁夫さんは、当時をそう振り返る。
ともに、友好交流の動きはいわば、自然の成り行きのように
帰国後、三笠宮寛仁殿下をお招きして、直ちに第1回歩く
発展していったという。
スキー大会を開催、以来在日フィンランド大使館とも連携を
75年(同50年)に第1回産業・経済訪中団23人が北京、上
とるなどさまざまな工夫を凝らしながら、今日に至っている。
海、広州を訪れたのを皮切りに、小中学生、漁業関係者訪中
大会はレベルに応じて7キロ、10キロ、20キロの3コース
団、数次にわたる瀋陽市友好訪問団などが、毎年のように中
に分かれているが、フィンランド大使館員や道内の外国人留
国を訪れ、友好親善を温めた。
学生らも招待し、夜にはフィンランディアナイトも開き、立
これに応えるように中国側からも85年の中国武術団の来網
食パーティーで交流を楽しむ。
に始まり、瀋陽市人民対外友好協会代表団も交互に網走に足
網走の冬を彩るスポーツイベントと同時に、北方圏交流の
を運ぶなど内容の伴う交流が続けられてきた。
場としてしっかりと定着した催しといえる。
同協議会は会員の会費で運用され、活動もすべて自賄い。
会員の高齢化がひとつの悩みだが、最近はそういった実情に
端野町のフィンランドとの友好にも飛び火
合わせて、中国関係者の講演会の開催や水産加工場などでの
中国人研修生の受け入れ、年間約150人もの中国人研修生に
網走のこのイベントが実は、網走管内端野町とフィンラン
日本語を教えるなどのボランティア活動を行っている。
ドのオウルンサロ町との友好交流のきっかけになった、とい
う“おまけ”までついている。
同協会の会員の1人は「今まで7組の日中両国のカップル
が誕生し、網走に住んでいる。民間ならではの草の根交流の
以前、フィンランド航空が同国への招待航空券を同大会に
深さを物語っているといえるのではないか」と話している。
景品として提供したところ、たまたま大会に参加していた端
野町職員の竹内博己さんがそれを射止めた。さっそく同国を
訪れた竹内さんは素晴らしい景観と人々の親切にすっかり
歩くスキーで北方圏交流
フィンランド・ファンになり、知人も出来た。
毎年2月、オホーツク海の流氷を見下ろす天都山の道立オ
92年(平成4年)、国のふるさと創生基金を利用した「ま
ホーツク公園「てんとらんど」で「インターナショナル・フェ
ちづくり海外研修団」でオウルンサロ町を訪問、これを契機
スティバル・オホーツク歩くスキー大会」が開かれる。2005
に両町間で人々の相互訪問、小学生の絵や留学生の交換、音
年(平成17年)2月が26回目の大会だった。
楽交流など篤い友好関係が展開されている。
26年前の1979年(昭和54年)北海道で一番早く網走北方圏
その中心になっているのが、その後端野オウルンサロ町友
交流協会と網走歩くスキークラブが発足した。前年同市で催
好交流協会事務局長になった竹内さん。「オウルンサロ町と
された北・北海道フィンランド協会主催のフィンランドセミ
の友好交流とは直接の関係はなかったとはいえ、網走市での
ナーで、気候、風土の似た同国への関心が高まったのがきっ
フィンランドとの出会いが、間違いなく、そのきっかけになっ
かけだ。
ている」という。
国際交流のひとつの芽が自然と根を広げたケースとして、
80年(同55年)2月には社団法人北方圏センター主催の冬
改めて話題を呼びそうだ。
季オホーツク圏振興北欧調査団に同交流協会、網走青年会議
網走市
!
http : //www.city.abashiri.hokkaido.jp/
人口:約4万1千人
網走支庁もあり、北見市と並んで網走管内の中核都
市。オホーツク海に面し、農業、水産業が中心だが、
網走国定公園、さらには、世界遺産に登録された知
床半島を抱える知床国立公園の玄関口。冬季は流氷
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面積:4
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が接岸する地域特性も生かした観光が更に脚光を浴
びそうだ。
国際交流の問い合わせ先
網走市企画総務部企画調整課 ℡(0152)
44―6111
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