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海洋世界の発展

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海洋世界の発展
第5章
世界の交流
海洋世界の発展
東アジアの海洋世界
・8 世紀頃からムスリム商人が中国に来航 → 広州・泉州などに居留地
・10 世紀頃からは中国商人が海上交易に進出
ジャンク船で陶磁器を輸出 … 「海の道」は「陶磁の道」と呼ばれる
・元末からの倭寇の活発化
明の海禁政策と鄭和の南海遠征による朝貢貿易の勧誘
明と活発に朝貢貿易を行った琉球が南シナ海と東シナ海を結ぶ中継貿易で繁栄
・16 世紀からヨーロッパの来航
ポルトガルはマカオ、スペインはフィリピンのマニラ、オランダはジャワ島のバタヴ
ィアに、それぞれアジア貿易の拠点を築く
インド洋世界
・8 世紀頃からムスリム商人がダウ船を用いてインド洋交易で活躍
・10~11 世紀頃からバグダードにかわってカイロがインド洋と地中海を結ぶ交易の中
心となる
アイユーブ朝・マムルーク朝の保護を受けたカーリミー商人が紅海で香辛料を扱う中
継貿易を独占して繁栄
・13 世紀にはモンゴル帝国とムスリム商人のネットワークが結びついて交易がいっそ
う活発化
・15 世紀にマレー半島のマラッカ王国がインド洋と南シナ海の結節点として中継貿易
で台頭
73
第 42 講
海洋世界の発展
地中海世界
・11 世紀末の十字軍以降、ヴェネツィア・ジェノヴァ・ピサなどのイタリア商人が地
中海と東方のムスリム商人(アイユーブ朝・マムルーク朝ではカーリミー商人)との
貿易で活躍
アジアの香辛料・宝石・絹織物などを輸入してヨーロッパの毛織物・銀を輸出
<3 つの海洋世界とおもな港市>
74
第5章
世界の交流
以下の文を読み、文中の
1
~
8
に適切な語句を下記の語群から選び、その記号
を解答欄に記せ。
ユーラシア大陸を東西に結ぶ陸上の道とならんで、海上にも重要なルート「海の道」があ
った。古くこの「海の道」はインドを境として東西に分かれていた。西側の部分の起点はエ
ジプトの
1
2
である。ここは
世界とこの海の道を結ぶ地点である。海の道はここ
から紅海を南下し、アラビア海に出て、インドの西海岸に達するのである。一方アフリカ東
海岸とインド西海岸とを結ぶルートもあった。これに対して、インドから東の部分は、中国
の南部の
3
などの港市が起点となっており、インドシナ半島の海岸にそって南下し、
マレー半島を陸路横断するか、あるいはマラッカ海峡を通過してベンガル湾に入り、南イン
ドの東海岸に達するものであった。この海の道の利用が始まったのは、紀元前 4 世紀のイン
ドの
4
の成立のころにさかのぼるが、それがさかんとなるのは、紀元 1 世紀に入って
からのことである。
こうした状況は 6 世紀に入ると大きく変化した。すなわちインドにかわって、西アジアが
海の道を経由する貿易の中心地となったのである。そしてアラブ人・ 5
人商人がインド
の南端を迂回して、マラッカ海峡を通過し、中国におもむくようになった。彼らの求めた商
品のなかで最も重要なものは、中国の絹織物、南インドの
6
などであった。これらの
商品の一部はヨーロッパにも再輸出された。
9 世紀に入ると、中国人商人がこの海の道に姿をあらわすようになった。彼らは東南アジ
アの各地、とくにスマトラの
7
に進出し、ここでアラブ人・ 5
やがて中国からは絹織物とならぶ重要な商品として、 8
人商人と取引した。
の輸出が始まり、各地で歓迎さ
れた。こうして中国船の活動はしだいに活発となり、インド方面にも進出するようになった。
75
第 42 講
海洋世界の発展
〔語群〕
イ.大西洋
ロ.ペルシア
ハ.シュリーヴィジャヤ
ニ.広州
ホ.陶磁器
ヘ.地中海
ト.ギリシア
チ.ウルグアイ
リ.カイロ
ヌ.塩
ル.アレクサンドリア
ヲ.杭州
ワ.マウリア朝 カ.綿織物
タ.銅
ヨ.胡椒
レ.銀
ソ.クシャーナ朝
次の文章を読み、下記の問いに答えなさい。
〔慶應義塾大学〕
商学部の基幹科目の一つである「商業学」では、商活動について詳しく学ぶが、ヨーロッ
パとアジアを結ぶ重要な航路であった「海の道」の歴史を探ると、この商活動の発展が都市
や国家の繁栄と強く関係していたことがよくわかる。以下、その点を中心に振り返ってみよ
う。
まず「海の道」とは、地中海から紅海やペルシャ湾をとおり、アラビア海をわたってイン
ドに達し、さらに東南アジアや中国にいたる海路のことであり、地中海東岸からイラン高原
北部、東西トルキスタンをとおり洛陽・長安を結ぶ
(1)
と並び、東西の交易ルートとし
ての役割を果たした。
「海の道」が発展するのは、8 世紀に東アジアの唐、西アジアのアッバ
(2)
ース朝という二大国が栄え、それぞれの都である長安と
を結ぶ陸と海の貿易が盛ん
になってからである。そして中国経済の中心が江南地方に移り、大量物資を運べる海上輸送
の比重が高まると「海の道」の重要度が上がっていった。
当初「海の道」での商取引は主としてダウ船を操る
10 世紀ごろからジャンク船を操る
ッカ海峡、インドシナ半島南部で
(4)
(5)
(3)
によって行われていたが、
が参画し、インドの海沿いや東南アジアのマラ
貿易が行われるようになった。そしてその貿易の
拠点を中心に数々の都市や国家が繁栄していった。
たとえばジャワ島では 10 世紀に豊かな農業基盤と胡椒をはじめとする香辛料貿易によっ
て栄えた
(6)
が成立し、その繁栄は 13 世紀前半に成立した
(7)
に受け継がれた。
76
第5章
世界の交流
その後 13 世紀末には、元軍を撃退してジャワ島の内陸部に中心をおく
(8)
が成立し、
農業生産を貿易に結びつけて発展し、東南アジア海域の貿易をにぎりジャワ島からスマトラ
島東海岸にまで支配を拡大した。
マレー半島では 15 世紀にマラッカ王国が成立した。マラッカ王国は鄭和の艦隊が寄港し
たことを契機に明との関係を強めていたが、明の力が衰えると
(9)
に改宗して東南アジ
アにおける一大勢力となった。マラッカの発展に伴いジャワ島北岸での貿易も発達した。16
世紀末には
(10)
がジャワ島東部に建てられ、米の供給で力を持った。
このように海上貿易で潤う国家が出現する反面、海上貿易が閉ざされることで衰退するケ
ースもあった。たとえば 10 世紀から 11 世紀にかけて航海技術が発展し、中国南部の港を出
(11)
が
のもとで強大になったアンコール朝は、メコン・ (13)
両
発した船が現在のベトナム中部まで一気に南下できるようになると、7 世紀に
置かれ栄えていたベトナム北部は海の道の要衝としての地位を失い衰退した。
また 12 世紀前半、 (12)
川流域からマレー半島にまで進出し、南シナ海とベンガル湾を結ぶ貿易路をおさえ繁栄した
が、海上貿易が拡大すると、都を内陸に構えたアンコール朝は物資を十分に調達できず急速
に衰えた。さらにビルマではトゥングー朝が海上貿易の拠点となった
(14)
に首都を置
き、16 世紀後半には交易からの利益を背景として勢力を伸ばしたが、首都が交易ルートか
らはずれると同じく衰退していった。
このように、商活動は国家の発展や衰退と深く関連している。商学部に入学したら、是非
そのような視点で「商業学」を学んで欲しいと思う。
問
文中の空欄
(1)
~
(14)
にあてはまる最も適当な語句を下記の語群から選び
なさい。
11.アチェ王国
12.アレキサンドリア
13.安南都護府
14.イスラム教
15.イタリア商人
16.イラワディ
17.ヴェニスの商人
18.オアシスの道
19.カイロ
20.ギリシア商人
21.キリスト教
22.クディリ朝
23.ゴール朝
24.三角
25.ジャヤヴァルマン 7 世
26.シンガサリ朝
27.スールヤヴァルマン 2 世
28.単于都護府
29.草原の道
77
30.ソンコイ
第 42 講
31.チャオプラヤ
32.チャンパー
33.中継
34.中国商人
35.朝貢
36.哲学の道
海洋世界の発展
37.ドヴァーラヴァティー
38.パガン朝
39.バグダード
40.バフマン朝
41.バンテン王国
42.ヒンドウー教
43.仏教
44.ペグー
45.北庭都護府
46.マジャパヒト王国
47.マタラム王国
48.マニ教
49.マリンディ
50.ムスリム商人
51.モノモタパ王国
52.ラタナコーシン朝
53.ラームカムヘーン王
54.倭寇
次の文章を読み、問 A~D に答えよ。
〔早稲田大学〕
A13、14
世紀の東アジアは、10 世紀以降の東シナ海交易圏拡大の流れをうけ、アジア大陸
東西の人と物の交流が一段と盛んになった時代である。こうした状況を可能にした背景には、
陸路の「B タタールの平和」と海路の「インド洋海域世界の展開」が結びついた国際交易ネ
ットワークの出現がある。前者はモンゴルが中国から内陸アジア一帯を征服したことによっ
てもたらされ、後者はアラビア海、ベンガル湾、南シナ海で活動する C イスラーム商人と
D 中国商人がもたらした。
問 A 下線部 A の説明として誤っているものはどれか。
1.この時期、中国王朝の周辺君長への冊封にもとづく朝貢体制がゆるんだ。
2.この時期、中国の銅銭は国際交易の基準通貨の位置を占めるようになった。
3.この時期、海禁策に反発した中国人集団からなる倭寇が中国沿岸を荒らした。
4.この時期、中国商人の日本への往来は日本への中国文化流入を促進させた。
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第5章
世界の交流
問 B 下線部 B 以前の歴史について正しい説明はどれか。
1.前漢の武帝は、張騫を西域に派遣して東西トルキスタンを支配下においた。
2.後漢の光武帝は、甘英を西アジアに派遣して大秦王安敦の使者を迎え入れた。
3.唐の太宗は、大遊牧国家を築いた突厥が東西に分裂した後の東突厥を服属させた。
4.宋の神宗は、吐蕃を服属させ青海地方からパミール高原にいたる地を領域とした。
問 C 下線部 C の活動によりイスラーム国家となった港市国家はどれか。
1.マラッカ王国 2.扶南 3.林邑 4.マジャパヒト王国
問 D 下線部 D の説明として誤っているものはどれか。
1.ジャンク船を利用して海洋交易をおこなった。
2.中国産陶磁器は主要交易品の一つであった。
3.その活動範囲はインド西海岸の港市に及んだ。
4.インド商人の台頭によってかれらの活動は衰えた。
次の文章を読み、下記の問いに答えなさい。
〔慶應義塾大学〕
海は古来より陸と陸を隔てると同時に結びつける役割を果たしてきた。海を利用した交易
は陸の交易に比べて様々な利点を持ち、インド洋をはじめとするアジア海域世界には
(1)
世紀以降本格化するヨーロッパ諸国進出以前から広大な交易圏が成立していた。
海を利用した遠隔地交易が可能になるためには、自然条件に加えて、航海に関連する技術
の発達、交易品の生産地や積み出し港の政治的安定が重要になる。インド洋は季節風を利用
した航海が可能であり、すでに(a)紀元後 1 世紀ごろには東西世界を結ぶ海の道が成立してい
た。これにより、インドから地中海世界へは胡椒などの香辛料が、地中海世界からインドへ
(2)
は
、
(3)
、金属細工が輸出された。
7 世紀以降におけるイスラーム世界の成立は、東西の交易を一層盛んにした。8 世紀以降、
(b)ムスリム商人はペルシア湾岸の港市を拠点にインド洋に進出し、その活動範囲は南シナ海
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第 42 講
海洋世界の発展
まで達していた。この時代、広州など中国南部の港町にはムスリム居留地がつくられた。9
世紀後半に中国で起こった
(4)
によりムスリム居留地は破壊され、一時期ムスリムは中
国から撤退するが、宋の時代になると海運が一層重要になり、南シナ海の海上交易が再び盛
(5)
んになった。この時代の海の道は、宋からの代表的な輸出品にちなんで
とも呼ばれ
た。
13 世紀後半に南宋を滅ぼした元朝は、東西を結ぶ陸の道と同様、海の道を軍事的に統制
しようとした。このため、ヴェトナムやジャワに大軍を送った。しかしヴェトナムでは敗退
し、ジャワでも一度は
機としてジャワでは
(6)
(7)
朝を崩壊に導くが最終的にはジャワ軍に撃退され、これを契
王国が成立した。
明は 14 世紀後半から海禁政策をとったが、15 世紀のはじめ、 (8)
鄭和を東南アジアやインド洋沿岸各地に派遣した。しかし
(8)
はムスリムの宦官、
の死後、明の対外政策が
消極的になったため、鄭和の海の統制政策は長続きしなかった。
イスラーム世界ではアッバース朝の成立以降、バグダードを中心とする海上交易、陸上交
易が発達していたが、9 世紀後半から各地で事実上の独立王朝が成立し、政治的に不安定な
状態が続いた。それにともない、イスラーム世界の中心が、バグダードからエジプトに移動
した。これにより、(c)インド洋と地中海を結ぶ交易ルートもペルシア湾から紅海へと変化し
た。
東南アジアはインドと中国を結ぶ海路の中継地であるとともに、陸上交通が不便で海や河
川の道による結びつきが強く、早くから水運を柱とした国家が形成されてきた。その代表例
として、7~14 世紀にかけてスマトラ島のパレンバンを中心にした港市国家連合である
(9)
、11 世紀に成立し、雲南とベンガル湾を結ぶ交易で繁栄した
(10)
朝があげら
れる。インド洋に進出したムスリムの影響により、13 世紀にはスマトラ島北部からイスラ
ーム化が始まった。特にマラッカ王国は中国との朝貢貿易を行う一方、国王がイスラームに
改宗してムスリムとの関係を深めた。このため、マラッカは中国商人がもたらす絹や陶磁器、
ムスリムがもたらす香辛料、宝石、鉄、ジャワの商人がもたらす
(11)
諸島の香辛料に
より海上交易の中心のひとつとなった。
東アフリカ沿岸では、8 世紀からムスリム商人が来航し、12 世紀までにマリンディ、
(12)
、
(13)
などの港市国家にムスリム居留地が成立した。その結果、(d)バントゥ
ー系文化とイスラーム文化の融合が見られるようになった。
80
第5章
世界の交流
問 1
文中の空欄
(1)
(13)
~
にあてはまる最も適当な語句や数字を下記の語群
から選びなさい。
11.十四
12.十六
13.十八
14.アチェ
15.アユタヤ
16.アンダマン
17.永楽帝
18.ガラス
19.絹織物
20.キルワ
21.金貨
22.紅巾の乱
23.黄巾の乱
24.黄巣の乱
25.洪武帝
26.香料の道
27.小麦
28.塩の道
29.シャイレンドラ
30.シュリーヴィジャヤ 31.ジョホール
32.シンガサリ
33.ジンバブエ
34.正統帝
35.象牙
36.チャンパー
37.唐辛子
38.陶磁の道
39.トンブクトゥ
40.パサイ
41.パガン
42.バンテン
43.ポンディシェリ 44.マーシャル
45.マジャパヒト
46.マタラム
47.マラケシュ
48.モルッカ
49.モンバサ
問 2 下線部(a)~(d)について以下の設問(1)~(4)に答えなさい。
(1) 下線部(a)について、後 1 世紀にエジプトで書かれ、インド沿岸やアフリカ東岸に
ついて詳しい記述がある書物の名前を記入しなさい。
(2) 下線部(b)について、インド洋で主に西アジアのムスリム商人に利用されていた船
の名前を記入しなさい。
(3) 下線部(c)について、アイユーブ朝とマムルーク朝において、インド商人とイタリ
ア商人の間で香辛料交易の仲介を行うことで利益を上げたムスリム商人集団は何と
呼ばれているか、5 文字で記入しなさい。
(4) 下線部(d)について、バントゥー系文化とイスラーム文化の融合により成立した文
化を何と呼ぶか、記入しなさい。
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海洋世界の発展
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