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「ワーズワースの詩を読む」 森岡 稔 1.ワーズワースとはどういう人か
「 ワーズワースの詩を読む」 森岡 稔 1.ワー ズワースとはどういう人か あまり英文学になじみのない人でも、ワーズワースの名前くらいなら 聞いたことがあると思います。もう少し知っている人ならあの「水仙」 という詩を書いた人だと言います。ワーズワースは学校の教科書にも時 々とりあげられるイギリス・ロマン派の詩人です。ざっと、その輪郭を 描いてみましょう。 ワーズワース(1770−1850)はイングランド北部スコットランド の湖水地方に生まれ育ちました。この自然に恵まれた地方にいた おかげで、まだ、ロンドンにあった古典主義的な詩壇から距離を おくことができました。ケンブリッジ大学時代を通じて、この湖 水地方の自然に親しみ、1791年に渡仏してフランス革命に共鳴し ます。このとき、アネットという内縁の妻と娘をもうけましたが、 恐怖政治となったフランス革命に絶望し、この女性との愛もさめ てしまいます。この革命への絶望と愛の破局は、かれを挫折感と 苦悩にさいなみましたが、友人の経済援助、1歳下の妹ドロシー、 詩人コールリッジの支えによって精神的危機を救われます。1798 年、ワーズワースはコールリッジとともに、ロマン主義復興を告 げる「抒情民謡集」を出版します。そして、その再版(1801 年)につけた有名な序文に彼の詩論を展開します。 ①詩は話言葉に近い平易なことばでつくられること。(民衆が 使う言葉で詩を書く) ②詩は感情を静かに「回想」した時に生まれてくる。(回想に よって経験の浄化作用が起こる) その後、ロンドンでゴドウィンという合理主義者と親交を結ぶよう になり、思想的には保守的な愛国主義者に転向します。しかし、ま もなくゴドウィンのもとを去り、「義務」「虹」「霊魂不滅の頌」 「序曲」「逍遥」を発表します。 自然のなかに神を見いだし、鋭 い洞察力と感受性で自然と人間を謡いあげました。サウジー・コー ルリッジとともに湖畔詩人とも呼ばれます。1843年に73歳でサウジ ーについで桂冠詩人になりました。 輪郭は以上のようになりますが、早速「水仙」という詩を次に掲げたい と思います。これは、1802年に妹ドロシーとともに湖水地方アルズウォ ーター湖畔で過ごした時、ワーズワースが体験したもので、実際に詩と してできあがるのは2年後のことでした。 2.「水 仙」を読もう DAFFODILS I wondered lonely as a cloud That floats on high o'er vales and hills, When all at once I saw a crowd, A host,of golden daffodils; Beside the lake,beneath the trees, Fluttering and dancing in the breeze. Continuous as the stars that shine And twinkle on the milky way, They streched in never-ending line Along the margin of a bay: 5 10 Ten thousand saw I at a glance, Tossing their heads in sprightly dance. The waves beside them canced;but they Out-did the sparkling waves in glee: A poet could not but be gay, In such a jocund company: I gazed-and gazed-but little thought What wealth the show to me had brought: For oft,when on my couch I lie In vacant or in pensive mood, They flash upon that inward eye Which is the bliss of solitude; And then my heart with pleasure fills, And dance with the daffodils. 水仙 谷や丘のうえ高く漂う雲のように ひとり私は そのとき突然 さまよい歩いていた 黄金色に輝く一群の いや大群の水仙の花を見た 湖のほとりや木立の下に そよ風に翻ったり躍ったりしているのを 天の河で輝きまたたく 星のように打ちつづき 入江の岸に沿って 果てしない一列となって延びていた 一目に入る幾万もの花は 楽しげな躍りに頭をふっていた 15 20 そのそばで波が躍っていたが 嬉しさにおいては花の方が勝っていた そのような陽気な仲間とともにおれば 詩人の心はおのずと浮き立つ 私は見つめた じっと飽かずに だが全く気づかなかった それが私にどんな富をもたらしてくれたのかに というのは私が心うつろに あるいは物思いに沈んで 長いすに横たわっているとき 孤独に無上の喜びをもつ私の胸のうちに しばしば水仙の花がひらめいている すると私の心は喜びに満ちあふれ 水仙とともに躍りだすのだ 確か、わたしはこの詩を中学2年生の時、英語の教科書で読まされた 覚えがあります。まさに、読まされたのであって、文学よりまんじゅう のほうが重要な年頃の少年にとって、この詩にむしろ抵抗さえ感じまし た。しかし、高校・大学と進むにつれおぼろげながらこの詩人の言わん とするところがわかってきたように思えます。得てして、文学作品の中 には年輪をつむことによって、そのよさが見えてくることがあります。 3.「水 仙」を もう少し深く読む そもそも英詩はどんなに立派な先生の訳をつけても、英詩そのものか らつたわるリズムや韻を踏む効果は伝わってきません。したがって、英 詩を英語で読み、詩人と同じ境地に達すればそれで目的は達成されたの であって、それ以上あれこれ言う必要はありません。 しかし、よくあることですが、レコードを聴いたあとにそのライナーノ ーツを読みたくなったり、よい映画を観たあとに映画解説者の言葉につ い耳をかたむけてしまうものです。もちろん、作品と作者は分離して考 えなければなりませんが、作品を味わえば味わうほどその本質以外の周 辺までも知りたくなるものです。たとえば、 モーツアルトが実際は下品 でも、いささかも曲の芸術性をそこないませんし、むしろ親近感がわい て、偉大さを際立たせます。 「水仙」に話をもどします。 先にも述べましたように、この詩はアル ズウォター湖畔での体験の2年後に詩としたものです。 ということは、 抒情民謡集序文にあったように、この詩が「回想」し「再生」の過程を たどりながらできあがったという特徴があると言えます。 普通に考えれば、そういう体験をしたならばすぐにその感動のさめや らぬ間に詩にして、ヴィヴィッドな感覚をとどめるのが得策だと考えら れます。たとえば、川端康成は旧制第一高校のときの伊豆で踊り子たち とであった甘酸っぱい体験を旅行から帰るなり級友に興奮して話しまし た。その勢いで一気呵成に「伊豆の踊り子」を書き上げたといわれます。 しかし、天分のある川端康成だから、そういう芸当ができたとも言え ることで、私たちはそのときにいくら感情のボルテージをあげても、時 がたつにつれ、話す気にもならない事柄が多くあることは経験として知 っています。 では、なぜワーズワースは2年後にこれを書き上げることができたの でしょうか。人工的な装飾が施されているのでしょうか。 実は、ワーズワースが水仙を見たときには妹のドロシーが同行してい て、ドロシーは日記に次のようにしるしたのでした。 April 15th Thursday. It was a threatening, misty morning, but mild. We set off after dinner from Eusemere. The wind seized our breath. The Lake was rough. There was a boat by itself floating in the middle of the bay below Water Millock.----(中略)---------When we were in the woods beyond Gowbarrow Park we saw a few daffodils close to the water-side. We fancied that the lake had floated the seeds ashore, and that the little colony had so sprung up. But as we went along there were more and yet more; and at last, under the boughs of the trees, we saw that breadth of a country turnpike road. I never saw daffodils about them; some rested their heads upon these stones as on a pillow for weariness; and the rest tossed and reeled and danced and seemed as if they verily laughed with the wind, that blew upon them over the lake; they looked so gay, ever glancing, ever changing. This wind blew directly over the lake to them. 日記に書かれているように、水仙を見た日は風の強い日でした。途中あ ちこちの小屋で休息をとるくらいでした。詩にあるような「谷や丘のう え高く漂う雲のようにひとり私はさまよい歩いていた」状況ではなかっ たのです。しかし、兄妹は水仙の大群に出会って、その圧倒的な数に、 そして岸辺に沿って見渡す限りずっと延びている様を見て感動したので しょう。しかも、風はこのおびただしい数の水仙に湖をわたってじかに ふきつけてくるのです。 水仙は縦横無尽に揺れ動きます。まるで陽気に笑っているかのような (as if they verily laughed with the wind)舞踊るようにゆれている 水仙の群は、陽気な群衆の歓喜にも似たものがあったのでしょう。ドロ シーは水仙のなかに踊りつかれて石を枕にしているように見えた花にも 情感を示しています。このように兄妹はそろって強い感受性をもってい るのでした。 ドロシーは、自分の日記を兄の眼から隠そうとはしませんでした。こ の兄妹には隠し事はなく、恋人たちのようでした。 二人はこの湖水地 方で同じ体験をし、同じ感動を共有しています。 2年後にこの日記を見た兄は2年前に水仙にいだいた自分のイメージ を確かめたようです。だから、日記からヒントを得て人工的に創作した と考えるのは、ワーズワースの文学観からいっても、皮相な見方です。 このように、水仙の詩は現実にその水仙を見たときの光景の忠実な再 現ではなくて、彼の内部の心の光景を回想し、創造力によって経験を浄 化したものだと言えます。 そして、私はこう思います。彼は、水仙を通して自然の姿の背後に大 自然に内在する根源的な生命を見たのだと思います。彼が、水仙を見て 受けた感動は、彼の魂が宇宙的生命ときり結んだ神秘的体験です。自然 と自我が、一体となって「恍惚」と言いましょうか、ワーズワースはエ クスタシー(脱自)の境地に入るのです。 どういうことかと言いますと、自我が拡大していって一瞬自分を無に し、忘我の状態になったところで、宇宙・自然・永遠と一体化するので す。なにやら、宗教めいてきましたが、まさにロマン主義の面目躍如た るところです。 人間が本来的に「孤独」であるならば、宇宙生命が自己と同一のもの となった至福の体験があるとき、その実存的孤独はいやされます。16行 目の the bliss of solitude (孤独に無上の喜びをもつ)の部分につい て考えてみますと、孤独は自然との微妙な交感ができる環境を保障して くれます。キーツのいう「消極的あるいは自己否定的能力」(人が、不 確定・神秘・疑惑の状態にとどまったまま事実や理由をいらだたしく追 及しない能力、「賢明な受動」ともいう)もこの「孤独」という時間・ 空間に存在すると思います。 ドイツ・ロマン主義のノヴァーリスは夜と夢が真理や理想にいたる門 だと言うように、「孤独」の中に自分の内部世界に沈潜し、至高の実在 (神聖)に近づくことができるのです。 4.ロマ ン主義批判の要素 あまりにも、ロマン主義に思い入れが深くて、ロマン主義をもちあげ すぎました。そもそも、ロマン主義は、合理主義と古典主義に対する反 動として生まれました。ルソーの「自然にかえれ」のごとく、既成概念 をつきくずした自由な思想・精神の創造が求められたのです。ルソー的 なロマンティシィズムを原動力にしたフランス革命がいかにロマン主義 者に魅力的に映ったか想像にかたくありません。 人権宣言第一条の「人間は生まれながらにして自由であり、かつ平等 の権利を有する」は明らかに、個の価値を至上におくという確認でした。 規範に縛られない自我の解放は魅力的です。 しかし、熱しやすいものはさめやすいとよく言われます。つまり、歴 史的にはロマン主義批判というのも起こって来ます。ロマン主義がもと もと内包している矛盾もあるのです。次に、列挙すると、 ① あまりにも主観的である。ロマン主義の土壌には不安な自意識 がある。 ② ロマン主義はどんな法則・形態にも拘束されない無限の活動だ から、これで終わりというところがなく、永遠に落ち着くこと がない。 ③自我の無限への拡大は結局自己喪失に等しく、満たされない無限 への渇望と自我の分裂に苦しむ。個性の主張が自我の過大評価と なり、感情の尊重が無気力ともいえる感傷主義に陥る。 こういった、いわばロマン主義の行き過ぎの反省からフランスでは現 実を精密な観察で描く写実主義・実証的科学的な文学観をもつ自然主義 ・描写を避け暗示的な手法をもつ象徴主義が出てきます。 しかし、イギリスではロマン主義に対する明確な反動化はありません。 むしろ、ロマン主義をある意味では継承するテニソン・ブラウニングの ヴィクトリア詩人がつづくだけです。ロマン主義への痛烈な批判は、T ・SエリオットやT・Eヒュームを待たなければなりません。 お わりに 人間は、その人の内部に、アポロン的な部分とディオニソス的部分 をもっていると思います。いいかえれば、秩序的なものと不安定な無秩 序的なものと言ってよいかもしれません。不安な情動をもちながら、無 限なものを希求し、混沌の方角を志向するのが、ロマン主義的だとすば、 アメリカ大陸発見も、西部開拓も、フランス革命もすべて、ロマン主義 に包括されます。 何が言いたいかというと、ロマン主義は人間にとってごく自然な在り 方ではないかということなのです。 ロマン主義を単なる感傷主義だとか気ままな自我の耽溺だとかで、か たづけることができるでしょうか。現象界の背後に潜む実在界へ到達す る道としてロマン主義を復権させたいのです。ロマン派詩人たちは、見 慣れた日常世界に驚異の息吹をかけてくれました。日常の世界が何とす ばらしいもので満ちあふれているか。私も含めて、感動することを忘れ た現代人に人生のすばらしさ、生きる勇気と誇りを教えてくれたし、こ れからも教え続けてくれるでしょう。 参考文献 C・Mバウラ 『ロマン主義と想像力』 床尾辰男訳 みすず書房 1974年。 秋山徹夫 『イギリス詩史』 八潮出版社 1973年。 新井 明 『英詩鑑賞入門』 研究社 1990年。 安藤昭一編 MAINSTREAMⅡ(教科書) 増進堂 1992年。 金田真澄 『ワーズワースの詩の変遷』 北星堂 1972年。 斎藤美洲編 『イギリス文学詩文選』 中教出版 1975年。 櫻庭信之 『イギリス文学の歴史』 大修館 1980年。 高橋康也編 『ロマン主義から象徴主義へ』 学生社 1979年。 原 一郎 『詩の宗教』 早大出版部 1973年。 前川俊一 『若きワーズワース』 英宝社 1973年。