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るうてる - 恵泉幼稚園
2013 年 4 月号(通算 380 号) るうてる 箱崎群教会共同体版 -月報 メッセージと証し- 発 行 日本福音ルーテル箱崎教会 代表者 牧師 和田 憲明 〒812-0053 福岡市東区箱崎 3-32-3 TEL(092)641-5440 FAX(092)641-5480 メールアドレス [email protected] 箱崎教会・恵泉幼稚園 http://www.jelc.or.jp/hakozaki 奈多愛育園 http://nata.aiikuen.net/ わたしたちは、わたしたちに対する神の愛を知り、また信じています。神は愛です。 愛にとどまる人は、神の内にとどまり、神もその人の内にとどまってくださいます。 (『聖書』ヨハネの手紙一 4章16節/新約聖書P446) こどもたちからおそわること 息を切らして復活祭(イースター)の朝、お休みなのに間違えて教会学校にやってきた子は卒園生。 中学生になりスッカリ大きくなって、チャッカリ「牧師先生、今度やるうちの吹奏楽のコンサート、 チケット買ってください。 」と頼まれ、ウッカリこちらも断れるわけもなく、とりあえず三枚購入― ―と、その後記憶がよみがえり、卒園時にくれた彼女の手紙を読み返してみた。 「わだぼくし(んぐ)せんせい わたしがあなたがたをあいしたように よをあいされた。ひとりご をしんじるものがひとりもほろびないでえいえんのいのちをえるためである。M・M」 。すまないが、 「わたしがあなたがたをあいしたように よをあいされた」は聖書のみ言葉と異なる。テストではな いけれど、本当は「神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。」が正解。しかし、 彼女のお母さんは私に「娘が最後にどうしても和田先生に伝えたい言葉だった」といわれた。そう だ、彼女の園生活で、この文章が彼女自身に残った言葉なのである。 「わたし」とはイエス様だと彼 女は理解しているので、イエス様があなたがたを愛した、同じようにどんなに荒波立つ世であって も愛す、という意味になるだろう。なるほど、聖書全体の意味からすれば決して間違いでなく、む しろ的を得ており、私たちに希望と信仰を伝えるメッセージだ。 もう一人、別の子の手紙も出てきた。 「ぼくしせんせい いつもれいはいのときねんちょうれいはい のときせいしょうよんでくれてありがとう ゆうきだけではちからがでるわけじゃないよ かみさ まがまもってくれるからちからがでるんだよ Kより」とある。彼は横隔膜ヘルニアを抱え、食物 がときどき喉につっかえてしまい、嘔吐や食欲不振に悩んでいた。だから、お弁当のときには袋を 横に用意し、すぐに戻せる準備をしていた。思い出されるのは、そのお母さんから相談を持ちかけ られたことだ。息子が幼稚園で神さまの話を聞いてくる。神さまが自分を守ってくれるというのに、 どうして僕はみんなと同じように食べられないんだ、と嘆く。どうしたらよいか、という内容だっ た。 私はお母さんを安心させ、納得させるような答えを返せなかった。ほとんどお母さん の訴えを聞くことしか出来なかった。けれども、ちょうど年中組から年長組変わる時 期だったので、「年長になったら毎週礼拝があります。私も今以上にKくんと関わり がもてるようになりますから、一緒に祈って考えてゆきたいと思います。 」とだけ伝 えた。それから卒園までの一年間、Kくんは礼拝や園での生活を通して、自ら答えを 見つけ、その答えをわたしに教えてくれたのだ。 「ぼくしせんせい・・・ゆうきだけ ではちからがでるわけじゃないよ かみさまがまもってくれるからちからがでるん だよ」と、その通りだ。 こどもたちからおそわったことがあった。そして、また、こどもたちからおそわることがある。 「神は愛です」~喜びと感謝と共に~ 橋本 多代子 思い起こせば20数年前、正規職員として「るうてる」に寄稿させて頂きました。旧姓白川でし たので、当時白川牧師がよく冗談混じりに「私の娘なんだよ!」と、教会の方に紹介して下さって いたこと、懐かしく思い出されます。その後結婚退職し、暫く幼稚園を離れ、家事育児に専念して おりましたが、2002年、伊藤先生、山本先生に声を掛けて戴き、又恵泉幼稚園に戻って来るこ とができました。現在は担任の先生方のサポート役、補助教員として勤め、この春12年目を迎え ようとしています。こうして長い間恵泉幼稚園のメンバーの一員として居れますこと、私の喜びで あり、深く感謝しております。その想いがより一層強くなる出来事が昨年私に与えられました。 家事育児に専念していた頃、私は乳癌になり、手術・放射線療法を受けていました。一般的な型 の乳癌でしたし、早期発見できたので経過も良く10年たち、完治ということですっかり安心して おりました。その後も定期検診に通っていたのですが、昨年の5月、又同じ胸に癌が見つかりまし た。詳しい検査結果で今回の乳癌は前回と違い、難しい型の新たな癌ということも判明しました。 あまりのショックに「神様どうしてですか?何で2度も同じ胸に癌ができるんですか?何故こんな 辛い事を私に与えられるのですか?」と、心の中で泣き叫んでいました。すぐに手術、抗癌剤治療 が必要でしたので、暫くの間不本意ながらも休みを戴くことになりました。7ヶ月の病気療養中、 深く思った事があります。それは、人を通して教えられた神様の愛です。幸い治療をこうして乗り 越えられたのも、たくさんの方々の祈りと励ましがあったからです。幼稚園の先生方、クラスの子 ども達、御父兄の皆様、卒園生、転園した子ども達まで・・・。たくさんの御手紙を戴きました。 ‘私 を待っていて下さるなんて・・・。覚えていて下さるなんて・・・。必要として下さるなんて・・・。’ 幼稚園の子ども達の写真を眺めながら、 「よし!頑張るぞ!皆が待っていてくれている!」と、力が 湧いてきました。くじけそうな時、タイムリーに届く子ども達からの御手紙や写真。 「先生!いつ幼稚園に来るとー?」 「又一緒にわらべ歌しようね!」 「早く元気になってね!」 「い つも待ってるよ!」 中には十字架の絵を描いてプレゼントしてくれた子ども達もいました。可愛 らしい子ども達の写真、御手紙、折り紙、絵のプレゼントを眺めながら、 「あぁ、私の方こそ子ども 達からいつも力をもらっていたんだ!喜びをもらっていたんだ!救われていたんだ!」そして、心 から神様に感謝の気持ちで一杯になったのです。神様が子ども達やたくさんの方々を通して教えて 下さっている。“私はあなたを愛しています”ということを・・・。 一度目の乳癌の手術後、麻酔から覚めた私の耳に聴こえてきたのは讃美歌でした。後で知ったの ですが、聖歌隊のコンサートが丁度病院のロビーで行われていたそうです。今回の手術後も、夢の 中で讃美歌が聴こえ、イエス様が現れました。そして私にニッコリ微笑まれ、“私はここに居るよ” とおっしゃったのです。不思議な出来事でした。 イエス様の微笑みが大好きです。全てを受け入れ、包み込むあの笑顔。暖かい眼差し。上から見 降ろすのでなく、子ども達と同じ目線で。気持ちに寄り添う姿。それは保育で私が大切にしたい事 です。 この病気を通して改めて思った事。神様からたくさんの愛を私は戴いている。子ども達からたく さんの力と喜びを私は戴いている。 少しでもいい、私は返してゆきたいです。 神様や子ども達からの愛を。溢れ出る泉のように。恵み深き ・ ・ 泉のように。恵泉幼稚園。愛の幼稚園。この場所に居られるこ とに喜び一杯の春です!神様、ありがとうございます。 喜びと感謝の気持ちと共に・・・。 報告 春の全国 Teens キャンプを終えて M・K(12 歳) 平成 25 年 3 月 26 日。その日は春キャン(春の全国 Teens キャンプ)の日だったから、すご く楽しみにしていた。予定表にも行事が書いてなく、何をするかすらわからなかった。その上知っ ている人も話したことがある人もほんの数人しかおらず、複雑な気持ちで新幹線に乗ったのだった。 乗り換えなどで忙しく動いていたら友達はもうできた。何人も。キリスト教を信じているせいか、 みんなすごく優しかった。ここで私の今までの複雑な気持ちが、好奇心いっぱいの気持ちに入れ替 わった。春キャンの最初は体ほぐしから始まった。汗をかく子もいるぐらいの運動になったけど。 驚くことに、一緒に生活をしていると何人も何人も友達ができた。 また、遊ぶだけでなく、みんなでイエス様の事も考えた。イエス様の洗礼から十字架につけられ るまでの事を。二日目の夜は、いつも集まる講堂を暗くし、イエス様が十字架につけられたときの 様子やその前の苦難についてを、心と体で体験した。心の広いイエス様の事を私語一つなく学んだ。 あとから振り返ってみるとイエス様の事をじっくり考えた三日間の春キャンは、本当にいい場だ と思う。教会で話を聞くだけでなく、聖書の言葉を劇にしたり、茨の冠を触ってみたりするのは本 当に良かった。けがなく病気なく貴重な三日間を過ごせた事、たった三日だけなのに全国に友達が できたことは、神様がずっと見守ってくれているおかげだと思う。本当にありがとう。 第 20 回春の全国 Teens キャンプ(3/26-28 in 阿蘇)子どもたちやスタッフの感想文を、今月、来月と連載いたします。(わ) <阿蘇の外輪山の頂きと山桜をバックに、全体写真をパシリッ!>