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緑爽会報 No119
NO.119 行 松本恒廣 事務局 緑爽会 日本 山岳会 4433 2103‐ 3261‐ 夏原寿一 近藤雅幸 近藤 緑 川 口章子 渡部温子 福原サチ子 [ 緑爽会 6月山行] 箱根飛龍 の滝から湯坂路 松本 恒廣 私 にと つては久 方振 り の箱根 の山 行 であ り、 久 し振 り の小 田原 であり、 箱根 湯本 であ った。先ず は小 田原駅 の 箱 根 登山鉄道 のホー ム の変 わ りよう に び っくり、車 両も見違 え るよう だ。 そ 性化 しな いのは、年寄 りが長寿 にな ったた め だと いう ことも聞 く。 自分 ではかねがね立場 す っかり衣替 えさ れた駅を後 にバ ス停 へ。今 は陸 橋 にな っている。 た めに、若 い理事や 委員長 が 誕生す ること に を はじめ諸担 当が 決ま る こと にな る。 だ から を譲 つたら隠居 の精神 で生 きた いと思 つて い 日 の コー ス発案者 の横 山さ んが仕事 の都合 で 不参加 とな り、 一行 6名、 9時 15分発 の元 し て箱根 湯本 駅 に着 い て三度 び つくり、 改札 口が 三階 にな つて いてバ ス停ま で 詳 し い人事 はわ からな いま ま で総会 は終 わ つ た。しかし若 い人たち に、 伝統 にも 日を向け、 (法 政大学銘誉教授 )に よる 「 講演 多摩川 の魚道」を予定 しています。 ◆会費 は前々 日迄に松本電fax o3-3326‐ ★ '892ヘ 8月 は夏休 み。 9月 は 山行 「野猿 峠か ら 会をより よくす るた め の責務 を担 って欲 し い た。 い つもな がら総会 の出席者 には年 配者 が 恒例の暑気払 い と新入会の西谷隆亘会員 が心地良 い。 言 っても 小さな砦だ つた のだ ろう。 展望 が良 いと聞 いていたがさ ほど でもな い。若葉 の緑 4 mの鷹 ノ巣 山城跡 に着 く。 秀吉 の小田原攻 めに備 え て北条 氏が築 城 した箱 根山諸城 の 一 つ、徳川家康も しばらく滞在 したと か。 城﹂ 湯坂道 入 口を過ぎ て草繁 る丘陵地帯、 83 これには嫌気 がさす。 し てもらう。杉、桧 の林 の中 に続く山道 は歩 き にく い丸太 の階 段状 の登 り、 い つもな がら 一 しば し小休 止、来合 わ せた外 人さ ん ?3人 一組 に場所を明け渡すと 同時 に シ ヤ ツターを押 一 だ らだら 登り はや が て結構な 登りだな と思 一う 頃、 飛龍 の滝 に着 く。 こ の近 辺 で最大 の滝 一と 言わ れ るだ けにな かな か の水量 であ る。 宿 の夫婦桜” を 見 る。花時 は見事だ ろう。 ・しば らく直進 す ると、ご 当地 の伝統 工芸寄 木 細 工 で有 名な寄 木会館 を過ぎ ると右 手に“畑 箱 根行 のバ スに乗 り込 み 15分程 で畑宿 へ。 箱根 旧街道 への入 日を左 手に見 てそ のまま 一 と願う のは押 し つけだ ろう か。 ︵ 事務 局 K︶ 一括 承認 した後、 理事 会 の互選 によ つて会 長 規約改 正によ つて理事 に年齢 制 限が できた 公益社 団法人 ひ と こ と 5月 の緑爽 会 総会 に続 い て、6月 発 な つた ことは喜ば し いことだ。 今 の社会 が活 `13年 6月 25日 1 5日には 日本 山岳会総 会 が開催 さ れた。 公 益 法 人化さ れ て議事進 行 も 一新 。 理事 候補 を 1緑 爽会報 目立 つたが、 さぞ かし戸惑 いが あ つた ことだ ろう。 組織 が変わ っても、 根底 にクラブ 的な 暑 気払 い &講 演 学 生 の団体 登山 に出会う。明治学 院 の高校 生。最初 は 元気 のいい男 子、や が て元気 のい い女 子、体育 系 かな、 そし てフツー の女 子、 そ の数 、 250名 と か、え んえ んと続 く。 口 口に“ こん にち は !ン には こち らが降 参であ る。応答 す る のが煩わ しくな ってく る のだ。 浅 間 山 で昼食。 帰路 は鎌倉 時代 には箱 根越 え の幹線 道 路 だ つたL いう湯坂路 を辿 る。時 折 ウグ イ ス、 ホト トギ スの鳴き声が 耳 に心地 好 い。 石畳や ゴ ロゴ ロ石 の結構な 下 り道 はし んど い。 膝 の痛 みが再発 した よう であ る。や れや れ。 下 から廃 品 回収 を呼 び かけ る拡声 器 の騒音 が気 分 を害 す る こと お びただ し い。 14時 3 0分 、国道 1号線 に飛び出す。 湯煙 り漂うな かに ﹁ 入浴休憩﹂ の誘 い文句 に心 を動 かさ れ るが、 ア ツと 言う 間 に駅改札 口に着 いてしま った。 ︵ 実 施 日 2 01 3年 6月 6日︶ [ 参加者]松本恒廣 ・渡部温子 ・島 田稔 。夏原 寿 一・瀬戸英隆 ・川 口章 子 計 6猛 係 松本/写真 夏原 ◆写真上 ・浅間山にて 右 ・飛龍の滝にて -1- 信 頼 関 係 は変 わら ず にあ って ほし いも のだ 。 ︵ 総会後 の臨時 理事会 で互選。懇親会 の席 で発 。また、会 計 を 一本 化 できな い 表があ った由︶ 同好会 は、 公益社 団法 人 日本 山岳会 と は無 関 係な存在 だと か。 それな ら それ で同好会 は、 初 心を守 って活動 したらど うだ ろう。 緑爽会 お楽 しみに。 七 国山」 (担 当 横 山) と し てなす べき こと は、 まだあ るはず だ。 7月 25日 (本 )午 後 1∼ 4時 実費 (looo円 程度)◆ 申込 ◆期 日 例会] [緑 爽会 7月 自 然 保護 全 国集 会 i n立 山 自然保護委員長 近藤 雅幸 霊 山立 山。 そ の中腹 にあ る高 層湿原、 弥陀 ヶ原。 平安 時 代 から先達 、 行者 、信 者 によ つ て信仰 の対象 にな つて いた こ の山も、 現在 に お いては人間 と自然 と が せめぎ 合 う場 所 にな っています。 特 に立 山黒部 ア ルペ ン ルートが 討議 を行 い ますハ■そ 一 靭 諄 ︸ 一 中島はるさん 有難う 劇団芸協さんにも感謝をこめて 6月 13日は梅雨らしい日だ つた。杖を使う よう にな つてから、傘をさす雨天の外出は苦手 だ ったが、そ の日だけは何があ つても出かける つもりだ つた。 この2月に亡くな つた作曲家 の中島はるさん トソリ■テ ヶ″ イ■でお・ を偲ぶ音楽葬がめぐろパーシモンホールで開催 今 回、 富 山支部 六十 五周 年 の事業 の 一つと 山カルデ ラ砂防博物館 の3 コー スに分かれて り深みが増す のではな いかと期待し てい ま. す。 ・ 翌計は弥陀 ケ原 ・室堂平 ・立山博物館と立 館 では古くから の立山 の自然と人間と のかか わりを信仰登山や自然災害と の関係 で考える 多く入るようにな ってしま った これら の エリ アの現状がどテな っている のか。 一方、博物 さらに歌いやすくした ﹁ みんなで守ろう﹂が生 まれだq不謹慎にも山岳会 の酒豪は ﹁ みんなで と場しい歌が欲しいと言 つたのがき つかけで、 東京イ ンター アーツのメンバーと共に演奏して くださ つた。 そ の時、誰もが歌えるようなも つ 開催された時には ﹁ 三 つの地球 の歌﹂をも つて 参加。集会目的にそ つて地球環境を守 る組曲を ろうか。自然保護全国集会 にもよく参加して音 楽 で花を添え てくださ った﹁ 2007年西湖 で 中島 はるさん のことを覚え ていてくださ るだ されることにな つていた。 鍛冶会員か , 構聯 寿鰺了一 . 開 通 した後 のこ の エリ アは持続 可能 な自然 環 境 と は何 かと いう 問題 を 私たち に問 いかけ て し て立 山山麓 で自 然 保護 全 国集 会 を 開催す る きます。 運 びとな り ま した が、 こ の地 に は私たち が議 フイトルドスタデイに出かけます。弥陀 ︲ク源 と室堂平では堀原や高山の自然と、観光客が 論 し、考 え て行 く べき題 材 がた くさ んあ りま 泉 の時代 から始 ま り、 立 山黒部 ア ルペ ン ルー ことが できるはず です。 いずれ の コー スでも 飲もう﹂と替え歌にして歌 つたりもした。 2010年、霞 ケ浦 でアフター スタデ イを開 す。 そう い った意 味 では、今 回 の自然 保護 全 ト の開削 。 そ こから始 ま るオー バー ユー スの 前 日の討議 で語り合 った内容を実際 の現場 で にな つたと いえ る のかも しれま せん。 立 山温 国集会 は開 かれる べき場 所 で開催さ れ る こと 問題¨ 私たち は今 回、自 然 保護 全 国集会 の二 確認し、さらに理解を深めることが できるで しよ り。 , 催tたときに虫めづる姫君である先生に ﹁ 芥川 作詞峯¨ 陽︶ができ、 一 朝球姥こ あさないで ^ , 日間 で立 山 の現場 に立ち、 現状 を見 て、 聞 い て、 それら に直 面す る こと で、 これらを深く い休憩を はさ ん で午後 2時 から、 これ ま で現 一日目はまず文 部報告 から始 ま ります。短 行う こと で、 それぞれが自然 保護 に ついての の会 員 が 一緒 に勉強 し、議論 し、情 報交換 を す る唯 一の機 会 です。 一午 に 一回、 日本全国 携 わ っている日本 山岳会会 員たちが 一堂 に会 私は考 え て います。 な る のが自然保護全 国集 会な のではな いかど があ りますが、 いわば そ のす べて のベー スに 考 え ていく こと にな る でし よう。 場 で立山 の自 然 に深く かかわ つてきた立 山カ 考 え を深 める。 そし て、 地 元に戻 った会員 は 原と いう と ても素晴 ら し い題材が与えら れ て 龍之介 ﹃ 蜘蛛 の糸﹄における蜘蛛学的考察﹂を 依頼したと ころ、﹁ 面白 そうね﹂と快諾。自らが 所属す る ﹁ 日本蜘蛛学会﹂仕込みの博識 で作品 ルデ ラ砂防 博 物館 の飯 田肇 氏 に よる ﹁ 立 山連 それを ベー スに地域 に密着 した自然 保護 活動 います。 そう い った機会 を与え てく れた富 山 自然 保護全 国集 会 は全国 で自然保護 活動 に 峰 の積 雪と 氷河﹂、環境 省自 然 公 園指導 員 の佐 を行 う ことにな る のです。 日本 山岳会 で行う 山岳環境 保全事業 に は森 楽 し みにし て います。 ︵ 9 問合せ88o, 8や 0, お∞ 支 部 に感謝す るととも に、 そ こで行われ る全 国集会 と いう場 から何 が得 られ るか、今 から づく りな ど の緑化事業や自 然観 察会 や森 林体 験学 校など の啓もう活動な どさまざ まなも の 今 回 の自然 保護全 国集会 では立山と弥陀 ヶ 藤 武彦氏 によ る ﹁ 弥陀 ケ原自然 と歴史 の今昔﹂ と いう 二本 の基 調講演 が行 わ れます。 地 元 で 長き にわた つて研究 をさ れ てき た お 二人 のお 話 は多分と ても興味 深 いも のにな る でし よう。 そ の後、 4 つのテー マに分 かれ てグ ループ に登場す る蜘蛛 の種類を見事 に解説 してくださ った。帰京後まもなく癌が見 つか つたが、抗癌 剤治療をせず に最後ま で仕事をす る道を選んだ。 そ の作品は日本 の古典歌謡、北原白秋 o中原 中也 の詩から、昆虫記から、そし て最後 の仕事 は ﹁ やさ し い般若心経﹂だ つた。偲ぶ会 には歌 手も伴奏も 一流 の人たちが、はる先生 のために 集会 のときと同じ斎藤恭 子さんが歌 つてくれた。 自然が大好きな、人間として純粋な人だ つた。 古希を迎えたば かりヽ妹に先立たれた気がす る。 同じころ劇団芸協 から解散す ると いう挨拶状 が届 いた。園国 の創立者あずさ欣平さんはじめ 田中和実さ ん青 野武さんらと長 いこと 一緒 の旅 をしたが、座 の中心的な人たちが亡くなり、 日 中亮 一さ んも断腸 の思 いで解散を決めた のだろ う。 いろ いろと無理難題を聞 いてもら い、行 く 先 々の集会 で楽 し い夢を見せてもら つ・ た ことに 感謝している。そう言えば いつか訪れた立山の カルデラ砂防博物館で聞 いたことのある声が流 れてきた。展示室 の映像で安薦 のた地震 のた′ ︱ターをしていた のが青野さんだ つた。今もあ の声 のままだろうか。先に逝 つた皆きル● また 逢う目までさようなら。 ︵ 蜂谷 緑︶ 編集後記 最近は山梨で過ごすことが多くな って、 会報編集に時憫がかけられず申し訳ない∝ 接羽賀克, ■ざんから届いた短歌の続編も裏面が 用意 出来 ず 、 次 号掲載 と した。 原稿 は早めに い 、ど ただ け ると助 かり す。 ま ★ 梅 雨 本 ご 番 う か 自 愛 くださ い。では、暑気 払 いでま た。 ︵ K︶ -2-