...

7月初夏 横浜ワイン会 夏だ!泡だ!最高のシャンパン ~シャンパンの

by user

on
Category: Documents
8

views

Report

Comments

Transcript

7月初夏 横浜ワイン会 夏だ!泡だ!最高のシャンパン ~シャンパンの
7月初夏 横浜ワイン会 夏だ!泡だ!最高のシャンパン
~シャンパンの王者「サロン 1997 年」で決まり♪
横浜本校 涼しく泡、白、ピノを堪能
1、サロン ブランド ブラン 1997
(トム・スティーブンソン『シャンパン&スパークリング・ワイン百科事典』より抜粋&補足。)
サロンは1921年、ユージーン・エイメ・サロンが設立しました。
1867年、シャンパーニュ地方の小さな町で生まれたサロンは、少年時代、単一畑のシャンパンを製造していた、『クロ・タリン』と言
うメゾンの醸造長を務める、義理の兄の手伝いをして過ごします。
パリの毛皮商で、メッセンジャー・ボーイとして働き始め、ビジネスを学び、若くして大成功を収め、政界にも進出。
ですが、その間も、シャンパンへの熱い想いは消えず、シャンパーニュ地方、コート・デ・ブランの一等地、ル・メニル・シュール・オ
ジェに畑を購入、昔からの夢であった
『単一畑のシャルドネのみを使用した、完璧なバランスのシャンパン造り。』
を目指しました。
当初、『サロン』は友人達と共に楽しむだけの目的に造っていたので、ボトルには、ラベルも貼られていませんでした。
その品質の高さゆえ、すぐに知られる事となり、誰もがこのシャンパンの販売を望みました。
当時、毛皮商として成功を収めていたサロンは、この申し出を断りましたが、あまりにも要望が多く、僅かな数から販売を始め、次第
に数が増えて、『サロン』設立に至りました。
現在、多くのメゾンが好んで造る、『ブラン・ド・ブラン(シャルドネのみから造るシャンパン)』を最初に造ったのは、実はサロンです。
白亜質(石灰質)土壌
シャルドネの聖地「メニル・シュール・オジェ」
サロンを生み出すシャルドネの聖地はフランス、シャンパーニュ地方コート・デ・ブランにあるグラン・クリュの
「メニル・シュール・オジェ」村である。たたずむとキラキラと眩しく一際輝いている場所である。
有名な極上シャンパンは他に「クリュグ・クロ・デュ・メニル」などがある。
今も尚、人の手で 1 本1本“デゴルジュマン“
ほとんどのシャンパンメゾンが機械を使用する現代、あえて人の手で丁寧に滓抜きを 1 本ごとにします。
サロンの造り方
1、 収穫→メニル・シュール・オジェのなだらかな斜面の中腹にある樹齢 40 年以上のシャルドネを手で収穫
2、 圧搾→ぶどうが傷つかないよう短時間で運びこの地方独特の浅く広い圧搾機で静かに絞る。一番搾りのみを使用!
3、 一次発酵→イノックスタンク(ステンレス製のタンク)にて温度 20℃以下に保ちながら自然発酵をゆっくり行う
4、 ドミ・ミュイと呼ばれる130ℓ入りの木樽で翌年春まで熟成
5、 瓶詰
6、 瓶内二次発酵・熟成→最低 7~8 年、最長では 13 年熟成させる(1985 年)
7、 動瓶・滓抜き→1 本 1 本手作業で滓を飛び出させる
8、 打栓・ラベル貼り
妥協しない、いい年のみリリース
1921、1925、1928、1934、1937、1942、1943、1946、1947、1948、1949、1951、1953、1955、1956、1959、1961、1966、
1969、1971、1973、1976、1979、1982、1983、1985、1988、1990、1990、1995、1996、1997
2、日本の軽快なスパークリング
KOSHU
甲州
スパークリングワイン
山梨県産甲州種を 100%使用したスパークリングワイン。
丹精こめて育てた甲州種を丁寧にしぼり、大切に醸造。
さっぱりと爽快な和食にも合う 1 本。
販売元:株式会社
シャトー勝沼
アルコール度数:11%
3、タウバーツェラー・バフースQbA・ハルプトロッケン 2007
ぶどう:Bacchus バッカス
Silvaner と Riesling と Müller-Thrgau をかけあわせてつくられたぶどう。収量が多く、こくがありフルーティ。
生産地域:FRANKEN フランケン
フランケンは、フランクフルトの東側に位置する丘陵地のワイン生産地域です。
ぶどう畑の大部分は、ジグザグに流れるマイン川とその支流の岸斜面にあり、川沿いにはワインを造る街が数多く存在します。
こじんまりした街もあれば、中世を色濃く残す街もあり・・・古都ヴュルツブルクはフランケン文化の中心地であり、ゴシック、バロック美
術の宝庫として有名です。 ヴュルツブルグには、ドイツで最も有名なバロック建築家バルタザール・ノイマン設計の宮廷教会があります。
観光客も多く訪れるこの地域では、レストランやパブで必ずフランケンワインを飲むことができます。また、 ブュルツブルク市が主催する
ワインフェスティバルも 5 月の終わりと 9 月の終わりにそれぞれ 1 週間にわたって開かれています。
フランケンのワインというと、ずんぐり丸みを帯びたボトル、ボックスボイテルが有名です。この特有のクラシックな形、ボックスボイテ
ルとは、もともと「山羊の袋」という意味で、まさしく雄山羊をうしろから見ればまさにこのびんそっくりの形を眺めることができる、とて
もユーモアあふれるかたちです。
味わい:ハルプトロッケン 半辛口
4、コンドリュー2006 イーギガル
生産地域:フランス コート・デュ・ローヌ北部
生産者:E.Guigal
今やフランス、ローヌ地方を代表するというよりは、フランスを代表する作り手である
ギガル社。初代エティエンヌがアンピュイの町に社を構えたのは僅か 1946 年。
その後、現オーナーのマルセルの代になり、数々の区画を取得、現在では総面積 30 ヘク
タール以上を所有するに至っている。又同社が成功した所以のひとつに、名声をもたらし
たコート・ロティのみならず、AC ローヌを始めとする各 AC のクウォリティが総じて水
準の高いことが挙げられる。
ぶどう:ヴィオニエ
5、シャサーニュモンラッシェ・レ・シュヌヴォット 2007 ヴェルジェ
生産地:フランス ブルゴーニュ コート・ド・ボーヌ
ぶどう:シャルドネ
造り手:ヴェルジェ
{以下輸入元:株式会社八田より}
ブルゴーニュに「流星のごとく現れた天才」
(ヴィノテーク 1998.3)と呼ばれるジャン・マリー・ギュファンス氏
1980 年代に突然、マコネ地区に登場したベルギー出身の醸造家です。
マコネ地区でシャルドネの理想を求め、独自のスタイルを追求し続ける彼の評判は世界中に広まり、今ではブ
ルゴーニュの偉大な白ワインの造り手として名声を得ています。
極めて自然に行われる醸造と、機械化をどこまでも排除して育てられる葡萄の樹の手入れは、ブルゴーニュの
白ワインの造り手の中では、随一と言っても過言ではないでしょう。
ギュファンスが、ヴェルジェという名前でコート・ドールでワインを造り始めたのは 1990 年です。畑を持って
いないので、ネゴシアンということになります。
彼はまず畑を選び、栽培方法に同意する栽培家と契約し、収穫の一ヶ月前から毎日のように畑に出かけ、ヴィ
エイユ・ヴィーニュ(樹齢 50 年以上の樹)を選別し糖度、酸度を自ら分析して独自に収穫日を決めて、小さな容
器を使い手摘みします。こういった当然のことが次第に行われなくなってきていた中、彼の姿勢は斬新なものと
して世界の注目を集めました。
ブルゴーニュの伝統では、ネゴシアンの取引はワインを樽売りするか果汁売りでしたが「自分ならこう造りた
い!」という彼の強い信念が葡萄の実から購入するというやり方を可能にしたのでしょう。
厳選された葡萄から、澱とともにゆっくり熟成を経て、できるだけ自然に瓶詰めされるワイン。
6、リュイイ・アンゲンヌ 2006 ヴァンサン・デュルイユジャンティアル
生産地:フランス ブルゴーニュ コートシャロネーズ
ぶどう:ピノ・ノワール
造り手:ヴァンサン・デュルイユ・ジャンティアル
歴史
父から受け継いだ樹齢の高い、農薬に汚染されていない、日当たりのよい、優れた土壌の畑を持っています。23 歳で造ったフ
ァースト・ヴィンテージのリュリー・ブラン 1996 はその高貴な味わいゆえに「ベイビー・モンラッシェ」と呼ばれ、センセ
ーショナルなデビューを飾りました。
ドメーヌ解説
赤ワインは、大きな木製オープン・ヴァットで発酵、アン・ロゼ、アン・ゲーヌともに 70 年を超える樹齢で収穫量はきわめ
て低く、正統派の味わいです。チャーミングでバランスがとれ、若いうちから飲みごこちがよく、フランス国内のレストラン
で需要が高いために、最近は輸出量が減っています。夫人の実家から継いだニュイ・サン・ジョルジュも 1997 年から造って
います。
欧米のプレスでの評価は極めて高いため今ではヨーロッパ内の星付きレストランのシェアーが多く、輸出量は以前より少なく
なっています。
7、ヴージョ・プルミエクリュ・レ・クラ 2005 モンジャール・ミュニュレ
生産地:フランス ブルゴーニュ ヴージョ
生産面積:0.56 ヘクタール
ぶどう:ピノ・ノワール
造り手:モンジャール・ミュニュレ
現在のヴァンサンで 8 代目となるドメーヌは、18 世紀末以降代々ヴォーヌ=ロマネ村に居住しワイン生産に従事してきた。所有
する地所は 25 ヘクタールと規模が大きく、4 つのグラン・クリュに 8 つのプルミエ・クリュを擁し、本拠地ヴォーヌ=ロマネ村以外
にも区画は広がっている。
ドメーヌの名称ともなっているミュニュレは、ヴォーヌ=ロマネ在で高い評価を得ているドメーヌ、ミュニュレ=ジブール
からで、亡くなった先代のジョルジュとヴァンサンの父ジャンはいとこ同士にあたる。ジャンは、コート・ドールの栽培
家組合のトップや BIVB の要職を長年務め、その容貌と相俟って生み出すワインは力強さに溢れたものだったが、息子の
ヴァンサンがドメーヌを率いるようになってからは、フィネスが増した。またジャンの時代はワインをつくり上げるとい
う印象が強かったドメーヌも、
ヴァンサンになってからは畑での作業を重要視し、
環境に配慮したリュット・レゾネを 1990
年代初頭から推し進めてきた。
樹齢は、エシェゾーのヴィエーユ・ヴィーニュで 70 年以上、他のグラン・クリュも 50 年ほどでヴィエーユ・ヴィーニュ
といっていい古さ。コート・ド・ニュイからコート・ド・ボーヌにわたるプルミエ・クリュ、ヴィラージュも 30 年から
40 年と、こちらも安定した樹齢となっている。
ぶどうはヴァンダンジュ・ヴェールトで収量をしっかりと切り詰め、基本的に 100 パーセント除梗するが、リシュブール
などのグラン・クリュでは果梗も用い、開放のイノックスのタンクおよびコンクリート槽でのアルコール発酵となる。そ
の際、果汁の移動はグラヴィティー・フローと、余計な負荷はかけずにおこなっている。新樽はグラン・クリュにはほぼ
100 パーセントの割合で用い、プルミエ・クリュに 3 割から 4 割、ヴィラージュで 1 割から 3 割前後という比率。そして
フィルター無しで瓶詰め。
ほどよい色調の、バランスのとれたワインは、当然ミレジメ、アペラシオンで異なるテロワールを反映した仕上がりで、
このドメーヌの特徴でもある、若いうちからある種の熟成した風味を感じさせるうまみあるもの。フラッグ・シップのリ
シュブールを始めとするグラン・クリュでなくとも満足度は高く、フィクサンやシャンボル=ミュジニー、それにヴージ
ョのプルミエ・クリュ、レ・クラなど、ヴォーヌ=ロマネ以外のアペラシオンの評判も上々。
数年前にはジュヴレ=シャンベルタンを取得し、その後もシャンボル=ミュジニーなど、コート・ドールの代表的なアペラ
シオンを収め、2005 年のミレジメからはペルナン=ヴェルジュレスのプルミエ・クリュ、レ・ヴェジュレスも加わり、そ
の勢いのほどが窺える、ドメーヌ・モンジャール=ミュニュレである。
8、ヴーヴクリコ・ホワイトラベル
生産地:フランス シャンパーニュ ランス
味わい:ドゥミセック (やや甘口)
きめ細かい泡立ちにほのかな甘味の極上シャンパーニュ。
デザートと共に堪能ください!!
未亡人クリコの功績
ここを語る上で欠かせないのがバルブ・ニコル・クリコ・ポンサルダン。1805 年、28 歳の若さで夫を亡くしたヴーヴ(未亡人)・クリコ
は、その後、このワイン・ハウスの基礎を築き、透き通ったシャンパンを造る技法「ルミアージュ」を発明します。シャンパーニュ地方
では、彼女の事を尊敬を込めて、「ラ・グランダム(偉大な女性)」と呼んだと言います。
シャンパンが生まれ 19 世紀初頭までの間のシャンパンは澱が混ざり濁っていました。右の写真がクリコ未亡人が発明
した「ピュピートル(澱下げ台)」という澱を取り除く為の台。
瓶内二次発酵の後、この台にセットした瓶を、3~4 ヶ月もの間、毎日 8 分の 1 ずつ回転させて、徐々に瓶を下向きにさ
せます。この作業を「ルミアージュ(動瓶)」といい、澱を口部に集めます。後、氷点下 25℃くらいの塩化カルシウム水溶
液に瓶の首をつけ凍らせ、口抜き(澱引き)をします。
ヴーヴ・クリコホワイトラベルは、おそらくヴーヴ・クリコで最も“クラシカル”なシャンパーニュです。より甘いシャンパーニュは、18
世紀末から 1900 年代初頭にかけて好まれていました。
すべてのヴーヴ・クリコのブレンドのように、ホワイトラベルは基本となる骨格を作り出すピノ・ノワールを主軸としています。はっき
りとしたフルーツの味わいを表すピノ・ムニエを、イエローラベルよりも多目にブレンドしています。そしてシャルドネを加えることで、
ホワイトラベルのもつ特別な爽やかさと繊細さを作り出し、完璧なブレンドに仕上げています。
ブレンド
キュヴェは 50 以上の異なる畑で収穫されるブドウからつくられています。ホワイトラベルの伝統的なブドウ品種の割合は、以下のと
おりである。
●ピノ・ノワール・・・40~50%
●ピノ・ムニエ ・・・30~35%
●シャルドネ
・・・20~25%
ヴーヴ・クリコ スタイルを確実に守る為に 20~30%のリザーヴ・ワインが使用されている。それぞれのワインは、畑や収穫年に応
じて個別に分けて保存されている。
デゴルジュマンの際に、45g/1 ドザージュを施すことによって、本来の爽やかさを保ちながらもやや甘口のバランスに仕上がってい
る。
ヴーヴクリコ の歴史
1816 年:ヴーヴクリコがルミアージュを開発。
1866 年:マダム・クリコが 89 才で他界。
1984 年:ルイ・ヴィトンと合併。LVMH グループに入る。
2000 年:ヴーヴクリコ ジャパン株式会社として発足。
Fly UP