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王美秀「キリスト教の中国化とその問題」

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王美秀「キリスト教の中国化とその問題」
[翻訳]
< I世界宗教研究」総 63期、
1
9
9
6
年第 1号 掲 載 論 文 >
王美秀「キリスト教の中国化とその問題」
訳 沼 野 治 郎
筆者は第一次資料にもとづいて、 2
0世紀初頭以来中国のキリスト教徒がキリスト教の中国化
実現に努力してきた経緯を分析し、自身の見解を提出している O また、キリスト教の中国化を
中国社会の歴史的展開という背景のもとに分析し、その成功および夫敗の理由を検証している。
この一大事業に影響を及ぼす社会的・文化的要素を明らかにし、あわせて当面、また将来に向
けて直面している問題点をあげている O
筆者の王美秀は 1
9
5
8年生まれで、中国社会科学院世界宗教研究所の副研究員である O
キリスト教の中固化というのは、中国の教会が聖書を指針としながらも積極的にキリスト教の神
学・教義、礼拝・儀式、組織・機構、伝道などをわが国の国情、民情に適合させるよう努力するこ
とを指す。わが国人民の受容のしかたや霊性の表現方法に合ったものにし、一般大衆と社会の現実
に自然にとけ込めるようにすることであり、中国の教会を形成する一つの事業である。当然中国化
というのは一つの手段であり過程であって、中国の教会を作り出すことが目的である。大まかに言っ
0
世紀
て、中国のキリスト教徒が教会の中国化に努力した経緯は、中華人民共和国成立を境として 2
前半と後半の二段階に分けることができる O 特に最近十数年末、わが国の憲法の規定のもとにあっ
て、また政府が信仰の自由を認める寛容な社会環境のもとで、中国教会のこの面の努力はこれまで
のどの時期にも勝って見るべきものがあった。本論は以下二つの節で前後半の段階について、中国
の教会関係者が過去および現在キリスト教の中国化実現に向けて果たしてきた様々な努力を概説し、
彼らの意見の異なる取り組みについても取り上げる O さらに三節で、現在のキリスト教中国化で不十
分なところや問題点を分析する。 l
キリスト教は西洋列強の旺盛な拡張主義に伴って西側からわが国に伝来したものである。西洋の
m
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s
s
i
o
n
) の人的資源と財力に依拠して、自
宣教師は不平等条約の庇護のもと、もっぱら伝道団 C
分たちの望む通りに西洋のキリスト教を形式、伝統と共に強引に持ち込んだ。そして諸教派が休立
9世紀後半に幾人かの中国のキリスト教徒が白立を百指
し、教界内に紛争が生じることとなった。 1
ロ1. Ne可 i
u
s1829-1893)
す動きを見せたし、アメリカの長老派宣教師ジョン・ L ・ネビウス(Joh
や広東省出頭の英国長老派教会の伝道組織のように、中国にいる宣教師は地元の教会が独立して臼
ら成長でき、平信徒が伝道できるよう育成することの重要性を説いたものもあった G
しかし、 2
0
世紀初めに至るまで中国の教会が自ら育て、伝道し、中国の特色を具えるという自立の程度は依然、
(現代社会学 6) 1
1
1
として大変低かった。その最たる原因は外国の宣教師が不平等条約の庇護に依拠し、自ら中国の教
会の主(あるじ)の位置にいすわり、中国のキリスト教徒に対して教会内で家父長的帝国主義的地
位および態度を取ったことにあった。そして中国教会が自立し、自ら育て(白養)、白ら伝道し
(自伝)、中国らしさを具えていくという発展を阻害したのであった。
2
0
世紀初頭、中国教会内に自立し中国の特色を具えていこうとする運動が興った。これは、わが
9世紀後期に興った反「西洋宗教」の運動と 2
0世紀初頭の民族主義運動に応えるもので、 2
0
世
国で 1
紀前半中国のキリスト教徒が教会の中国化に向けて勝ち取った二つの重要な運動につながって ~ì く O
(一)中国キリスト教の目立運動は、中国のキリスト教徒が外国の伝道団や宗派組織から教会を
切り離し、自立・自養・自転の運動を実行していくことであった。そして、主として「中国耶蘇教
自立の会」と各地の「中華キリスト教自立の会」で行われていた。中でも上海間北の長老教会牧師
5
2
1
9
3
2
) が指導する「中国耶蘇教自立の会全国総会」の影響が最も大きかった。自立
合国柏(18
を目指す教会は「三白」実現を主張するだけではなく、それぞれの教派がバラパラに行動する不利
を克服して、連合して当たるようにした。当時、自立運動を展開する出発点は清政府と人民の聞に
9
2
0
キリスト教を存続させ、不平等条約の庇護を受けているという汚名を取り除くことであった。 1
年中国耶蘇教自立の会は全国 1
6の省に広まり、合計 1
8
9個所に教会を得、会員は 1万人強に達した。
同年 6, 7月に各省自立の会代表が上海で第一回中国耶蘇教自立の会全国連合大会を開催し、「中
国耶蘇教自立の会全国総会」を組織した。後に北伐の頃各地に出現したキリスト教徒の独立運動や
革新運動と比べると、食国禎が指導する中国耶蘇教目立の会は政治的に比較的穏やかな姿勢であっ
た。北伐の時期、革命高潮の影響を受けたキリスト教徒は長沙、湘庫、武漢、杭州、│などで積極的に
革新運動および独立運動を起こし、明確にキリスト教徒は帝国主義と不平等条約に反対し、教会の
主導権を取り戻し、徹底的に西洋の伝道固から脱却して、教会の自立を推進すべきであると主張し
0
0余ヶ所に増加した o
たJ 全国の自立教会は急速に 6
もちろん全ての自立教会が西洋の伝道団と
関係を絶とうとしたわけではなかった。例えば山東省の中華キリスト教自立の会は、「西洋の教会
の宣教師と衝突することは全くない」し、「西洋の伝道団から派遣された宣教師を尊敬し、長老を
尊び、彼らの協力と指導を得る」とはっきり表明した o
1
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2
0年代後半に国民党の南京政府が成立した後、国内の民族主義運動は低迷し、教会の白立運動
9
3
5年には自立教会は 2
0
0余ヶ所残るのみであった。 6 限られた資料をもとに
も非常に弱体化して、 1
した分析と推測であるが、中国キリスト教の白立運動が衰退した背景には、内部組織の瓦解、人材
と資金の不足、それに外部からの排斥があった。
(二)教会が中国の特色を具えていくという運動(以下特色運動)は、 2
0世紀 2
0年代から 3
0年代
初期にかけてキリスト教徒が、形式、人事、思想上徐々に中国化を進めた運動を言う O この民族主
義運動高揚の時期に、西洋の帝国主義侵略勢力と関連すると考えられたものは全て、西洋の宣教師
と彼らがもたらしたキリスト教を含めて猛烈な批判と攻撃を受けた。また中国信徒も宣教師に対し
て、そして中国における彼らの伝道の歴史に対して、再考し批評するにいたった。燕京宗教学院の
神学教授劉廷芳の立場が大変代表的である O 彼は宣教師を諭して言った、あなたたちは強大で権威
主義的な教会を代表して中国の教会員を管轄するために来ているのではない、中国の教会は中国人
の教会であって一切の制度は中国人の必要に適合したものでなければならない。教授は中国人の牧
師に、西洋の教会から伝えられたものは中国の教会に既に組み込まれている、ではその後中国人の
牧師は一体どうしたらよいのかを考えるように求めた。 7
112 <現代社会学 6)
1
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2
年 5月、中国教会の指導者は全国キリスト教大会で正式に「中国の特色を持った教会」を作
る、というスローガンを掲げた。この大会で採択された「教会の宣言」は、「中国の特色を具えた
キリスト教会」の構想について述べている O 簡単に言えは、彼らが切望していたことは中国教会の
自養、自治、自伝であり、異なる宗派の連合を実現することであった。また神学思想、教会の典礼、
体制面でキリスト教が中華民族の精神や習俗、さらに宗教倫理観念と調和することであった。しか
し、彼らの心中にあった「三白」は一つの長期的努力目標であって、多くの自立を日指す教会のよ
うに西洋の伝道団と関係を絶つことを主張したわけではなかった。むしろ彼らはまだ「西洋の宣教
師の指導者から指示を請い、援け」を得ることを希望していた。
9
2
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年代後半と 3
0年代前半に比較的活発であった。儀式の上で
特色を具えた教会を目指す運動は 1
は、王治心などが組織した上海キリスト教徒の新しいグルーフ。が礼拝の儀式にかなりの改革を施し
た。彼らは聖壇を教会堂の真ん中に設置し、そばに講壇を設けた。そして礼拝時には香を焚きろう
そくをともし、中国の民謡を奏して自分たちで作詞した賛美歌を歌った。建築上では、南京下関に
聖公会の礼拝堂と校舎をわが国の寺廟風建築に似せて造り、環境と協調したものにした。絵画の面
では、南京の一部キリスト教徒は中国の画風を用いてキリストの故事を美術作品に仕上げている O
賛美歌の編集では、六つの教会団体が代表を出して編集委員会を構成し、賛美歌集「普天顔賛」
(全世界がほめたたえる)を出版している O この時期、キリスト教著述家であった劉廷芳、芙雷川、
超紫展たちは、キリスト教と中国社会、キリスト教と中国文化、キリスト教と人格育成、「イエス
にたち返る」などのテーマで数多くの論述を発表し、中国の特色をもった神学探索に大きな影響を
及ぼした。このほか、中華全国キリスト教協力会は家庭を基本とするわが国社会の特徴を強調した。
0の全国組織と共同で「家庭をキリスト化する運動Jを始めたのである。また
キリスト教のその他 1
多くの教会が華北、華束、華中などでキリスト教を農村に広める運動を展開した。しかし残念なが
ら、上述の試みや「運動」の行われた期間は短く、規模は小さく、影響も極めて晦られたものでし
かなかった。
9
3
0年代初め以降弱まってきたが、その原因は複雑である。民族主義の運動が脆弱
特色化運動は 1
であったことと日本軍の侵略が激しさを増したことが、この運動の衰退の外的原因であった。教会
の内側から見れば、合計千人に及ぶ外国人宣教師の存在、外国伝道団からの多額の資金流入、教会
の機関や病院、学校がかかえる膨大な負債、さらには教会の人材不足、神学の旧新両派聞の争い、
若者の宗教に対する無関心など多くの要素が、特色化運動の行く末に影響した。
0世紀中葉にいたるまで「三白」を実現できないでいる根本的な原因を考えるとき、
中国の教会が 2
人々がし、つも指摘するように中国社会が半植民地、半封建状態にあったことのほかに、文化思想史
9世紀から 2
0世紀初め西洋を風廃した欧州中心論とそれが中国に影響して生じ
的な視点から見て、 1
た中国文化の排斥こそ、中国の教会が自らの特色を出せずじまいに終わうた文化的根源であったこ
とに気づくのである。その頃中国に来た西洋人は宣教師を含めて中華民肢に偏見を持ち、中華文明
p
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nc
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i
l
i
z
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t
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o
n
)とみなした。このような文化的雰囲気のもとで、中国のキ
を「異教の文明 J(
リスト教徒は精神的、思想的に深い呪縛を受け、キリスト教の中国化を呂指しでも一種悲壮な無力
感が漂っていた。
〈現代社会学 6) 1
13
2
0世紀後半、中華人民共和国が成立してから今日まで、文化大革命の時期を除いて、中国の教会
はずっと中国の教会の本質は何なのか、またわが国でどのような位置を占めるものなのかについて
考え、探ってきた。キリスト教徒はわが国で宗教上少数派で、無神論を主張する中国共産党指導の
社会主義のもとで、キリスト教が古くから担ってきた西洋の形骸をどのように清算し、改めて自己
を精査し、現実に適応していくのか、また社会や人民大衆に溶け込み、中国の特色を具えたキリス
ト教として発展していくのか、これらはずっと彼らの努力目標であった。
実に、中国の教会が教会の中国化をはかるのは社会主義の条件下で存続し発展していくための実
際的な道であったが、教会はそれでもキリスト教の信仰から離れることはできなかった。わが国の
キリスト教徒は自分たちの信仰と立場を起点、に、神が下される啓示も異なった時代の異なった地域
のキリスト教徒がどう会得しどう対応するかは、同じではないことを理解するようになった。肉に
宿ったキリストも特定の国籍を持った
o
そこで中国のキリスト教徒も神が彼らに与える啓示に対
して独白に対応し、わが国の環境と文化に適応したキリスト教を発展させていくべきである、と受
け止めた。 彼らはキリスト教の中国化をはかる過程で、一面では聖書と初期の使徒教会の伝統を拠
り所とし、また一面では歴代の教会や現代の他国の経験とそこから得られる教訓に注目し吸収して、
わが国の実際と結び、つけ、キリスト教がわが国の社会主義下で発展してし 1 く道筋を懸命に捜し求め
f
こO
キリスト教の中国化を探る活動は 1
9
5
0年代に一時活発であったが、 1
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7
9
年に再び蘇ったキリスト
教の中国化は新しい時代にあって今までにないレベルに達した。 1
9
8
0年 1
0月開催された「中国キリ
スト教第三回全国会議Jで、丁光訓は冒頭で中国のキリスト教は再び欧米のキリスト教を基準とす
ることはない、すでに「中国の特徴を具えたキリスト教j となっており、「聖霊の導きによりわれ
われは中国に適合した、前人未到の道を歩む」必要がある、と述べた o
建国後、中国のキリスト教会がたどった道のりを回顧すると、 4
0
年来にわたるキリスト教中国化
の範囲は非常に広く、内容も豊富であると言うことができる。それは次の 4つに分類することがで
きる O
(一)教会の主導権の面では、中国の教会が過去西洋の伝道団に抑えられていたのに対し、今日
中国の教会はすでに自治、白養、自伝を実現し、さらにこれを完成に向けて努力しているところで
ある O
キリスト教の三白愛国運動は 1
9
5
0
年代に始まり、 1
9
5
4
年に「中国キリスト教三自愛国運動委員会」
が正式に成立した。これはこの運動で最初に到達した記念すべき出来事である。しかし、時代の制
約があったため、キリスト教徒が教会に対して「三白」の神学思想、を実施できたのは、主として
1
9
8
0年以降のことであった。
教会は新しい時代にあって「三白」の理論について真剣に討議したが、それは「三白」を堅持す
る必要があるかどうかについて、またなぜ「三白」を堅持するのか、というこつの問題であった。
まず彼らは世界のどの教会も異なった時代に異なった国家にあってそれぞれ特徴を具えていること
を知った。中国の教会は過去において外国勢力の影響を受けて、しばしば人々から批判され排斥さ
れたが、今日中国の教会は「三白」を実行し、徐々に広大な人民大衆の中における姿を改変し、人々
の理解と同情を勝ち得て、教会が福音を伝えやすくなっている O 従って、三自を実行することは神
114 <現代社会学 6)
が望まれることである 010 第二に彼らはイエスが自分の祖国の運命を心配し、かつてエルサレムの
ために泣いたこと(ルカ 1
9
:
41)、自分の祖国および人民と同心同意であったことを認識した。中国
のキリスト教徒も当然祖国に心を寄せ、政治、文化およびその他の面で人民の一員とされるようで
なければならない。全ての人と正常な関係を築いて初めて神と正常な関係を築くことができ、「信
仰によって義とされる」信仰を実践できるのである OIl 第三に彼らは新約聖書の中でペテロ、ヤコ
ブ、パウロなど使徒が伝道する時の範例や原員iJ (使徒 2
:
4
4
4
7,1
5
:
2
8,2
9
) の中に、使徒たちの教会
と異邦人の信徒は共に聖霊の導きのもと独立自主の方法で教会を運営できるということを知った。
そこで彼らは「三白」を堅持することは使徒の精神に符合すると感じるに至った。 12
(二)宗派の連合の面では、中国の教会は、一つの体、一つの霊、一つの望み、一人の主、一つ
46
) の教えに基づいて宗派の連合を実現した。
のバプテスマ、そして一人の万人の父(エペソ 4:
同時に信徒は信仰の自由と相互に尊重するという基礎の上に自分の信仰の特徴を保持できている O
中国教会の宗派連合は一つの長い過程を経過している。 1
9
5
0
年代初期の革新運動は、信徒間にあっ
9
5
8
年中国のキリスト教徒は漸く行動面で「連合礼拝」
た宗派の伝統を、一貫して尊重してきた。 1
という歴史的な第一歩を踏み出した。十年にわたる変乱の後も中国の教会は継続して宗派連合の道
0年にわたる努力の後、 1
9
9
1年に「中国全キリスト教会試行規
を前進している O 中国の教会は最近 1
各地の教会は信徒の間
則」という重要な文書を頒布した。この文書は次のように規定している o I
に見られる異なる霊性、経験、必要を考慮して、信仰、伝統、儀式上相互に尊重し、受け入れるべ
きであって、互いに攻撃したり、強いて統一を求めたりしてはならない。同時に聖霊の導きによっ
l
'
"今日中国の教会の宗派連合にはあれこれ欠点や不足があるに
て極力心の一致を保つべきである。 J
もかかわらず、各派信徒聞には基本的に信仰
L 小異があっても大同を求めることができ、互いに
尊重し合っている O 多数の会堂における礼拝様式は多様であるが、異なる宗派の背景を持つ信徒に
ある程度まで霊的生活を満足させる条件を提供している。
実際は、中国の教会が堅持した自立教会を目指す三白路線も、さらに宗派連合の実行も、いずれ
も信徒大衆を緊密に団結させ、一致協力させ、教会を整えるのに役立った。さらに進めて言えば、
その一切が国家の安定団結というマクロの形勢にとって有益である。というのは、教会は結局わが
国の主要な大衆団体の一つであって、信徒大衆も国家社会建設の重要な力だからである。
(三)神学面では、中国教会の人士と神学者の神学思想も宗派を超越した特徴を呈し、宇宙的キ
リスト、受肉した言葉、そして倫理道徳を重視しており、それらが近年彼らの神学研究の主要な趨
勢となっている。
中国の神学者は、聖書の真理とキリストの福音が時空の制約を受けないことを受け継いでいるが、
しかし神学思想、は教会の置かれた環境と文化・伝統を離れることはできな L、中国の文化・伝統は
ずっと人生哲学と現実世界を両方重視する特徴を具えており、経世(世を治めること)を重んじる。
ところが過去において中国の教会は西洋の福音派や原理主義の影響を受けた神学を受け入れたこと
があった。これはとりわけわが国の教会の状況や教会が置かれた環境に適合するものではなかった。
9
5
0
年代初め、無神
特に、狭い二元論を指導原理とする昔の原理主義派の考え方がそうであった。 1
論を信奉する中国共産党が建てた新しい人民共和国に直面し、中国の信徒は神、この世、悪魔の三
者問、信仰と行為、キリスト教徒とその他の人々の二者聞の問題、神の関心と慈愛や聖霊の働きの
範囲など一連の問題について再検討をせざるを得なかった。 8
0年代から今日に至るまで、中国の神
学思想は依然として、世界、歴史、人類、人間性の問題を対象としている。
〈現代社会学 6> 115
中国の教会は神学を深める時間が十分なかったので、今日に至るまで体系を作り上げることがで
きていない。それでもわれわれは、異なる神学者の思想の中に共通点を見出すことができるし、彼
らがわが国文化の倫理的特徴を抽出しようとした姿勢を知り、積極的に世界に対処し、幾分の人類
の探求の結果にも対応することができる O われわれは神について中国の神学者が神の愛を重視し、
それを神の本質的な属性であって数多くの属性の一つにすぎないとは見ていないことを知っている。
この愛は全人類にかかわるもので、神の創造、守護、救済、聖めの働きの中に顕れている O 一切の
真善美はみな神から出たもので、それは神の善、愛、そして栄光を反映している。 14 従って中国の
神学者から見れば、神は信じる者を愛するだけではなく、神を聞いたことも受け入れたこともない
者をも同様に愛し、神をまだ受け入れていない者が表現する真、善、美も同様に神の栄光を顕して
いるのである O このような神学者の神の博愛に対する解釈は、原理主義者たちの狭障な神の愛の認
識よりも、キリスト教徒と広大な人民大衆との和睦共存の助けとなる。キリスト論では彼らは宇宙
的なキリストという思想を打ち出し、キリストの宇宙性を強調する。言い換えると、キリストはあ
らゆる時空に存在し、宇宙全体をつかさどり、関心を寄せ、愛顧する。そこでこのことから、キ
リストはまだ彼を受け入れていない人々の聞にも存在するし、彼らもキリスト教徒と同様にキリス
トから関心を寄せてもらえる、と推論することができる O 聖霊について言えば、彼らは聖霊とは一
切のものに充満し、万物を包容し、全能である神の霊である、と強調する O 聖霊は目に見える教会
の中に制約されることなく、宇宙で普遍的な「生命を育む霊」となり、随時ところを選ばず働きを
なす。 16 人の本牲については、人は確かに堕落したのであるから原罪の意識を持たなければならな
いが、神の形に似せて造られた以上、依然として神の形をとどめており、神の栄光である(コリン
ト前 1
1
:
7
)、と考えている。 17 人の本性に関するこのような見方は原理主義者の見方よりずっと積極
的であり、中国の伝統文化に見られる人の観念によく適合しているし、中国人にとって理解し受容
しやすい。教会については、彼らは教会の本質を重視している、すなわち教会がキリストの体であ
り、信徒の「契約の群れ」であり、キリストが教会の頭(かしら)であることを強調する O キリス
トの体はただ一つで、全ての肢体は互いに連なっており、同じ頭首とつながっている O L8 彼らは
「言葉が肉となった」啓示を非常に重視し、神と人、霊魂と身体、霊に属するものと世に属するも
の、信仰と行い、天上と地上、現世と来世、聖と俗など昔から矛盾すると考えられてきた数々の対
立関係に対して、よい注釈をほどこし、それによって言葉が肉となったキリストのもとに統一を図っ
ている O19
(四)キリスト教の表現形式と布教、人材養成などの面でも、中国の教会 4
0余年の間にある程度
の発展と刷新が見られる。音楽の面では、わが国の民族楽器を利用し、中国古典音楽や民謡の旋律
を借りて、キリスト教の礼拝音楽や賛美歌を演奏している o 8
0年代初めに出版された「賛美歌(新
編)
J はこのような努力が実を結んだものである O さらに上海の清心教会で、は教会音楽を演奏する
時、琵琶を加えて、内外の信徒から賞賛され歓迎された。芸術品の創作では、中菌画の画風を吸収
し、わが国の伝統的な豪刻、木刻、切り紙芸術、それに掛け物を対にして飾る形式を利用してキリ
スト教の信仰を表現している O ある教会堂ではクリスマスに大きな紅色の提灯をつるして、喜び祝
う気持ちを表し、民族衣装に身を包んで詩を朗読し、劇を演じ、賛美歌を歌っている O
布教の仕方では、西洋のリパイパル運動の伝統である大型伝道集会や街頭伝道のやり方を改めて、
信徒が「神に栄光を帰し、人を益する Jように、言い換えると各自が生活の中で生き生きとキリス
トの証をして、周囲の人々に影響を与えるように指導した。このように体を使って実践し、模範に
116 (現代社会学 6)
よる伝道を行うのは、日で教えを説くよりずっと力があり、われわれ中国人の「身をもって教える
のは言葉による教えに勝る」という考え方や習慣によく適合している O
人材育成の面では、神学校に頼るだけでなく、中国の教会は実際の状況に沿って、積極的に実習
生の養成を展開した。全国各地の多くの市、区、県で長期の実習生訓練コース、短期の聖書学校教
育と通信教育を行い、実習宣教師を養成した。このようにして、農村における教会の牧会と管理を
強化するのに、一本の道筋を見出したのであった。
2
0世紀の前半および後半に中国の信徒がキリスト教会の中国化を実現しようと試みた数々の努力
を見るとき、活動した時期が異なっても彼らの聞にかなりの類似点があることがわかる O まず、キ
リスト教の中国化運動は基本的に上から下へ力が働いた運動であって、民族主義、国家主義推進の
影響や文化・宗教的観念の制約を直接受けていた。次に、キリスト教徒が過去から現在にかけて実
現しようと渇望してきたのは、中国の教会の独立と自立であり、異なる教派の連合であり、キリス
ト教の典礼と礼拝形式をわが国の習俗、文化、伝統に適合したものにすることであった。場所によっ
て相違があるが、 2
0世紀後半、国家が完全に独立したことにより、教会は外国の伝道団や教会の人
事・経費面における支配や影響から脱することができた。それで中国のキリスト教徒は大幅に三自
と宗派連合を実現し、キリスト教の典礼、礼拝形式、表現方法の面で、以前に比べてずっとわが国
の習俗、文化、伝統を吸収し、適応するに至った。さらに教会や信徒のおかれている経済状況に応
じて、実習生を訓練するという実行可能な人材養成の道も切り開いた。神学思想の面では、神学内
容を教会の発展状況と教会がおかれている社会環境に適合するものとした。
現在、キリスト教はわが国でまだ少数である
O
その中 80%は農村に生活しており、農村の信徒の
中、女性が 80%を占めていて、彼らの文化的水準は大変低 L、。このような状況のドにあって多くの
信徒が信仰の水準を上げることができず、また社会を知り、現実に適応する能力を阻害されてきた。
さらに農村の習慣は保守的な性格を形成し、教会の中に異なった信仰が存在したので、キリスト教
の中国化を妨げたのであった。
前述の分析から、当代の中国の教会が、キリスト教の中国化に向けて、教会の未来に視点をおき
ながら内部で探求、努力し、教会内にある問題を解決し、教会と社会の関係、キリスト教徒と他の
信仰の人々、あるいは無宗教の人たちとの関係を協調的なものにしようとしてきたことがわかる O
また、新しい状況下で改めてキリスト教信仰の本質を理解し、社会の中で信徒の果たすべき役割を
認識し、わが国の文化や習俗に適合した神学や信仰の表現方法を編み出そうとしてきたのであった。
他のどんな同体が何かをしようとしても同じであるが、キリスト教の中固化にも限界がある。そ
れは主として次の二面に表われている O その一つは、彼らが取り組もうとする事柄そのものについ
てである O 努力や思考に幅や角度の点で、制約があること、言い換えると、中国の教会は有部の問題
について討論することが多く、社会問題(例えば、道徳問題、環境問題、生態系問題などなど)に
ついて考えることが少な L、。その三は、中国の教会が世界について、また歴史と神との関係や教会
外の一切の真善美の本源に関する問題について持っている考え方は、キリスト教の思想、をもとに生
まれている、ということである
O
この世の一切の真善美は皆、神に由来するという、彼らの考え方
は、僅かにキリスト教徒の間でだけ通じるにすぎない。仮に彼らがこのような考え方を持ちながら、
〈現代社会学 6) 117
教会外の一切の優れた品格や徳、行為を肯定し、称賛しようともそのことに変わりはな L
。
、
このほかにも、中国の教会は宗派の連合を主張しているが、このことはとりもなおさず神学思想
面において異なる宗派の信徒たちの伝統や受容能力を顧慮せざるを得なくなることを意味する O そ
こで神学家の思想、に創造性の不足が見られ、彼らが提示する理論の枠組みもまだ充実していない、
ということになる O 同時に現在の神学者、特に若い神学に携わる人々が、わが国の文化や伝統と関
連づけて神学思想を形成する文に滅多に接することがな L、。教会の出版物を見ても、キリスト教徒
がわが国の社会科学研究者の学術論文に関心を示したり、参照したりすることがあまり見られな L
。
、
このほか、キリスト教の外面に現れる表現方法の中国化(前述の第四点)において、中国の教会は
ある程度成果をあげているが、外面上の中国化を嫌うところがあり、今後さらにその推進が期待さ
れる O 教会の運営の問題では、中国の教会は数十年来諸宗派連合の方向で努力してきたが、そのこ
とから管理体制や聖職者のことで制度上、明らかに「真空」状態が存在し、教会は多大の苦労を強
いられている O
実際のところ、キリスト教の中国化は、思想上でも現実面でも問題がある。
先ず、キリスト教の地域による特殊性と普遍性の問題は、すでに丁光訓が中国の教会は普遍的な
教会の一部であって、中国の教会の特殊性を発展させることは普遍的な教会の普遍性を豊かにする
ことができる、と述べている O このことは、少なくともこの両者の関係がもたらす問題は、教会関
係者の頭の中では既に解決していることを明らかにしている O しかし、実践面では、中国の教会の
地域的特性、言い換えると、中国の特色が結局どうあるべきなのか、また一方では西洋の伝統や様
式の束縛から脱却し、教会の中国的アイデンティティを伸ばし、他方では依然として中国において
キリスト教のアイデンティティを保持して、教会関係者が心配する「異端」の方向へそれて L、かな
いようにするにはどうすればよいか、これは非常に骨の折れる問題である。どこまでという「程度」
の問題である O 実際のところ、それは絶えず大胆に求め続けてやっとわかることであり、この種の
ことは教会内が穏かで、教会内外の環境が寛容であることが前提となっている O もし真剣に求めな
ければ、この煩わしい難題を解決することは、永遠にできないだろう O
第二に、中国の特色を持ったキリスト教を発展させるには、教会の指導者と神学者が中国・西洋
の両様をよく究め、わが国の社会の現実を十分認識し、関心を寄せることが求められる O そして、
大勢の平信徒の信仰と霊的な経験に熟知することが求められる O これ以外にも、このことを進める
には、開放的な考えを持ち、他人の胸のうちを受け入れることが求められる。また勇気に富み、人々
の聞に衝突を引き起こすことを恐れてはならない。そのようなことができる優れた人物が正に中国
の教会で切実に必要とされている O
第三に、中国の文化伝統と結び、つけ、中国の特色を具えた神学を提示する前提の一つは、先ず中
国文化の本質が結局何であるかを正確に認識することである O そうして初めて、それとどう向き合
い、結合をはかれるかを追及することができる O 今のところ、わが国の文化の本質が何であるかと
いう問題は、わが国の社会科学界がなお討議しているように見える O そして教会の学者たちはこの
ことに対して顧みる暇がないように見受けられる。これは、特色ある神学を発展させる仕事をます
ます容易ならぬものとする O
第四に、上記三点から、中国の特色をもった教会を発展させるには、人々の意識、人材、環境の
三つの面でレベルの向上と改善が必要である O それがあって初めて、真の中国的キリスト教を生み
出すことができる。しかし、大勢の平信徒にとって新しい意識や様式を受け入れることが困難であ
118 (現代社会学 6)
ることや、一般大衆の中にある保守性、さらには中国社会の開放的情勢のもとで拝金主義、享楽的
風潮がキリスト教に逆風となっており、教会が自立を目指すに際して直面する内外からの挑戦、そ
して一部の信徒が暗に宗派の伝統を回復したいと考えていることを考慮すると、われわれはキリス
ト教の中国化という事業が確かに荷が重く、道のりが遠いことを認めざるを得ない。
今日世界では多くの学者が、文化や宗教は多元的であって、異なった文化や伝統の共存・融合が
可能であることを認めている。このような思想文化面の白由な雰囲気、わが国の信仰の自由の政策、
そして安定した社会の良好な環境が、現在キリスト教の中国化に得がたい条件を提供している O 人々
は異なる文化の交流と融合がある程度可能だと言われていることを記憶しているであろう O 仏教の
中国化は非常に成功した一例である。しかし、それは非常に長い年月をへた結果であった。従って
われわれは、忍耐強くキリスト教の中国化問題に対処しなければならない。長期的な視点から見れ
ば、現在キリスト教の中国化は多少の成果をあげたとは言え、今はまだ端緒についたばかりで、人々
から認知され理解されるには時間を要し、教会自身の努力があって初めてさらに前進できるという
状況である O
[訳者あとがき]
「世界宗教研究」第 6
3期 1
9
9
6
年1
号に掲載されたこの論文の原題は「基督教的中国化及其難点、」で、
著者の王美秀はキリスト教、中国の教会について発表が多く、宗教全般、比較宗教についても論文
を多数発表している学者である。米国の神学校やテンフ。ル大学神学部で学んで、現在、中国社会科学
院世界宗教研究所の副研究員をしている。
9
7
0
年頃から中国のキリスト教会に関心を持ち始め、最近 1
9
9
6
年
私がこの論文を翻訳したのは、 1
度中国を訪問し、 1
0度キリスト教会を訪れる機会があって、強い感銘を受けていたからであ
以降6
るO 場所は西安、上海、ハルピン、大連の各都市であった。
中国では共産党政権のもとでキリスト教会が存続するため、外国の伝道団に頼らず白ら運営して
いく「三自愛国運動 J(自治、白養、自伝)が 1
9
5
0年代初めに起こり、その後政府から認可された
0
年代の終わりごろから 8
0
年代にかけて急速に教勢が伸びている O 私が礼拝に
三白教会が継続し、 7
出席したのはいずれもこの三白教会の方である。
これに対し、共産党政府がキリスト教に対して厳しい姿勢を取っていた時期、それに抗して地下
にもぐり、三自愛国運動に加わらなかった人々がいる。「家の教会」と呼ばれる形で信仰を維持し
てきた群れである O 彼らは無神論の政権から認可を受けるということは、本質的な点で妥協を強い
られている、として一線を画し、 5
0年代の王明道(北京)から林献芸(広州)、最近の劃真英(河
南省南陽県、現在ドイツ在住。真英の漢字は推測)まで政府から認可されていない信仰の共悶体が
各地で続いているようである O
王美秀はこの論文で、中国の教会における自立を目指す動きは 2
0世紀初頭に遡り、 2
0世紀後半中
華人民共和国成立後と二段階に分けて見ることができるとし、一節、二節と分けて概説している。
そして三節で現在中国のキリスト教会が中国化の過程で解決できていない問題点を幾っか指摘して
いる C 全般的に言えば、著者は三白教会の現況にいたる過程を、聖書を引用しながら神学的に説明
して、肯定的に評価し一定の成果に言及している O 中国に自立した中国らしい教会が存在するのは
〈現代社会学 6) 1
19
自然なことであって、同様なことはどの時代にもどの地域にも見られたことである、と言う C なお、
家の教会については触れていな L、。問題点としては、キリスト教会の中国化はまだ緒についたばか
りと言える面があり、教会人は内部について論じることが多く、社会問題に目がいっていないこと
と、中国の文化、伝統と関連づける姿勢に之しいことをあげている O
さて、私が中国の教会を訪れていつも強烈な印象を受けるのは、礼拝に来る人々の数が非常に多
いことである o
3
0
分前に行っても座る席がない状態で、集会は日曜日に 3, 4回聞かれ、それほど
大きくない教会でも合計数千人に及ぶというから、驚かざるを得な L、。それであれほど大勢の信徒
を対象に教会は牧会の働きをどのように行っているのか、指導者の養成はどうなっているのか、財
政は、礼拝様式は教会毎にどれくらい違いがあるのか、集まる人々はキリスト教をどうとらえてい
るのか、などの疑問が頭をよぎる O 王美秀の論文を読んで L、くつかの点で間隙が埋められた。
外側にいる者の目からみて気づいている点を二つあげると、まず三臼教会の牧師も会衆も、家の
教会の文書に現れているような、「有限の断片的自由しかなく、無神論の政府と妥協している組織
で、家の教会の被迫害者に敵対するものである」というようなイメージからは程遠く、そこにキリ
スト者の群れが急速に育ちつつある、と見てよいのではないか、ということである O 逆に、家の教
会は認可されず、監視され、牧師が逮捕、拘留され、迫害されたため、逆境に抵抗する聞に、指導
者がカリスマ的になり、奇跡や啓示、黙示が語り伝えられて、原理主義的な響きを帯びるようになっ
ているのではないか、と思われる O 迫害され、劇的な経験をした家の教会の牧師は、西側のキリス
ト教界が亡命を受け入れるなどして、同情され、支持されているという構図が浮かんでくる。ただ、
家の教会も法倫功とは違って公式に非合法化されているのではなく、 1
9
9
0
年代以降急速に寛大な扱
いを受けるようになっている、と伝えられている O
次に、大勢の人々が信徒になって聖書を読んでいるが、西洋や日本など他の世界で世俗化
C
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) と現代化 (
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i
z
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i
o
n
) の波をかぶって、人々が信仰や教会から離れていく中
にあって、今後どのように進むのだろうか、という疑問がある O 言い換えれば、人々が様々な書籍
や資料に接するようになれば、歴史的・批判的神学にも接するようになると思われるが、そのとき
どのような影響が全体に及ぶだろうか、という問題である O
著者は末尾で、現在世界は多様性を認める時代であり、中国では信仰の自由の政策、そして安定
した社会の良好な環境が見られ、キリスト教の中国化にとって得がたい条件が揃っている、と述べ
ている O そのような中で、私が注目している上記二点を含め、将来中国のキリスト教会がどのよう
に進展していくのか引き続き観察を続けていきたいと思っている O
1
2
0 (現代社会学 6)
註
1 この論文は筆者が 1
9
9
4
年中国社会科学院世界宗教研究所と愛徳基金会が北京で共催した「キリ
スト教文化とその現代化に関する国際学術討論会」において発言したものを改訂しここに発表
するものである O この論文の資料は教会の刊行物、特に「中国キリスト教会年鑑」、「天風J
、
9
5
2
1
9
9
2
J (以下「神学文選」。南京:金陵協和神
「金陵神学志」、陳津明主編「金陵神学文選 1
9
9
2
年)、羅冠宗主編「中国キリスト教三自愛国運動文選 1
9
5
0
1
9
9
2
J (以下「三白文選」。
学院、 1
9
9
3年)に基づいている O
上海中国キリスト教三自愛国運動委員会、 1
2 JohnL
. Nevius,"ChinaandChinese
,
" NewYork
,H
arpers&BrothersP
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"South Pasadena,C
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2
5,p
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.2
2
8
2
2
9
.
2
2
1
2
2
2,p
3 1
9
2
8
年、第 1
0期「年鑑」第三部、教会内の種々の新運動および各地のキリスト教徒の宣言、 2
2
菜、「中国キリスト教徒の自立運動」。文中、革命時期に愛国信徒
6
7ページ参照。沈以藩、曹聖j
2
9
1
3
2ページ参照。
が教会の主導権を取り戻す運動を起こした部分については、「三白文選 J1
4 鹿子賢「自立教会調査録」、劉滋堂「山東省中華キリスト教自立の会」、「年鑑 J1
9
3
4
1
9
3
6
年版、
3期
、 2
4ページ。
第1
5 同上書。
6 同上書。
7 霊J
I
廷芳、「新文化運動の中におけるキリスト教宣教師の責任」。月刊「生命」第四期合刊、 1
9
2
1
年 5月 1
5日
、 3
9
5
1ページ。
8 丁光司iI I
三自の再認識」、「天風 J1
9
8
3年 2、 4ページ
O
9 丁光司iI I
回顧と展望」、「三白文選 J9
7
9
8ページ。 1
9
8
5年全国各地のキリスト教徒は月刊誌
「天風」が主催した中国の教会は中固化すべきかどうかという討論会に参加した。最後に到達
した共通認識は、中国の教会は「本国化」を実行すべきであるということであった。このこと
は、キリスト教の中国化が広く大衆信徒の聞に根をおろした事業であることを示している。
1
0 丁光司iI I
三自再認識」、「天風 J1
9
8
3, 2、 5
-6ページ。陳津民「キリスト教思想史から見た白
伝」、「三自文選 J1
9
1
1
9
6ページ O 何鳳徳「教会歴史から見た教会の三自 J
、「天風J1
9
8
5,
1 1
3
-
1
4ページ。孫漢書「教会史の角度から三白運動を論じる J、「金陵神学志」復刊号 2、 1
9
8
5,6,
1
1
1
7ページ。
1
1 賂振芳「主はわれらのため新しいことをされた
一
聖書の真理から三自愛国運動を認識する」、
「金陵神学志」復刊号、 1
9
8
4,9,5
0
5
3ページ。「三自愛国の神学思想に関して」、「天風J1
9
9
,
1
9,1
5
1
7ページ
O
蒋伺芽「信仰から三自愛国運動を論じる」、「金陵神学志」復刊号 2、 1
9
8
5,6,
2
,
12
3
2
4ページ。
1
2 了光訓「聖霊とわれわれ」、越清夫「三白と地方教会について論じる」、超志恩「原始キリスト
6
2
教会成立の状況から三自の原則によって教会を運営することについて見る」、「三白文選 J 1
2
3
2
2
4,4
0
6
4
0
9ページ参照。
1
6
8,2
(現代社会学 6)
1
2
1
1
3 キリスト教全国両会常務委員会「中国全キリスト教会試行規則J
J1
9
9
1年 1
2月 3
0日決議、「三白
2
1ページ。
文選 J4
1
4 丁光訓「中国のキリスト教徒はどのように聖書を見ているか」、「宇宙的キリスト」、「女性、母
、陳津民「キリストと中国の文化
性、神性J
一一中国と米国の対話」それぞれ「神学文選」
1
0,2
8,3
5,1
3
4ページ参照。
1
5 陳津民「キリスト教思想史から自伝を見る」、「金陵神学志」復刊 2、 1
9
8
5,6
,6
ページ。丁光
司1 I
宇宙的キリスト」、徐如冨「聖書は人の価値を否定するのか」、それぞれ「神学文選 J2
2
-
8
3
1
9
2ページ 丁光訓主教は数度にわたってコロサイ書 1
:
1
6
1
7、へブライ書 1
:
3、ヨハネ
3
1,1
O
の福音書 1
:
9を引用し、宇宙的キリストの考えについて説明している O
1
6 棟、厚民「キリストと中国の文化一 中国と米国の対話」。圧椎藩「生命を育む霊」、「神学文選」
1
3
5,4
5ページ
O
1
7 丁光訓「中国のキリスト教徒は聖書をどのように見るか」、「神学文選J9ページ 沈以藩「中
O
9
5
2
9
7ページ。
国の神学は思考中である」、「三白文選 J2
1
8 陳崇桂「教会問題」、陳津民「教会はキリストの体」、高建国「教会は主の体」、それぞれ「天
風 J1
9
8
9
.1
2,1
0
1
1ページ、
1
9
9
0
.,
16
7ページ、 1
9
9
0
.2
,4
5ページ参照。
1
9 蒋嗣芽「言葉は肉となった」、王維藩「中国教会の神学変遷若干」、それぞれ「神学文選 J1
2
8
8
9ページ。沈以藩「中国神学は思考中」、「三日文選J2
9
8ページ。
1
3,8
1
2
2 (現代社会学 6)
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