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Peninah Nthenya Musyimiの物語

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Peninah Nthenya Musyimiの物語
CARE International Japan
“THE TOP 10 MYTHS”
2011 年 3 月 8 日
Peninah Nthenya Musyimiの物語
“困難な時期というものはいずれ去
りますが、苦難をもたらす人たちは
いつまでも存在するものです。私は、
私と同じ女性たちを力づけるために
もスラム街に再び戻ってきました。”
© Juliett Otieno/CARE
Peninah Nthenya Musyimiは、売春、女性に対する暴力、女性の劣等意識といった環境の中で、
ケニアのナイロビにあるMuthareというスラム街で育ちました。彼女と彼女の妹は、何故こんなにも
世界は女性に対して冷酷なのだろうと思ったものでした。「私たちもあの女性たちのように、暮らし
をよくするために非合法ビールを売ったり、売春婦になったりするのだろうか。」と自問したもので
した。
そうなる代わりに、Nthenyaは学校に行くことにしました。「私は小学校に、制服も、靴も、学校か
ばんも、何も持たずに行ったものです。」と彼女は語ります。それでも彼女はクラスを首席で卒業
しました。その間も、彼女は食卓に食べ物が並べられるよう、家族を助けるために、隣人の洗濯
や洗い物の仕事を引き受けながら勉強しました。
Nthenyaは、彼女の学校での成功と、中学校へと進みたいという要望に対する父親の厳しい反応
を覚えています。「そんなことしてどうするのだ?どうせ結婚して夫の幸せのために尽くすことにな
るのだから。」
お金のないNthenyaは、学校を訪問して回り自分の窮状を訴えました。「私はスラムの人々のた
めに弁護士になりたいです。なぜなら、スラム街で起こる不正行為を正そうとする人はいません。
誰かに暴行されても、誰も助けてはくれません。」と彼女は話しました。
CARE International Japan
“THE TOP 10 MYTHS”
2011 年 3 月 8 日
ついに、一つの学校が彼女に奨学金を与えることに合意しました。問題は、学校が9マイル(約
14.5キロメートル)も離れていたことでした。「チャンスが与えられて、あとは私次第という状況でし
た。私はどうしたらいいのだろうかと考えました。」そして「私には、歩くための足がある。」と結論
付けました。
こうして彼女は学校までの道のりを歩きました。
Nthenyaは学校を卒業しました。それは、Muthare地区の女の子がこれまでに誰も成し遂げたこと
のないことでした。しかし彼女はまだそれで終わりにするつもりはありませんでした。Nthenyaは、
地元の大学でスポーツ選手のための奨学金があることを見つけました。法学の学位を目指しな
がらも、彼女は別の分野をマスターすることを決意しました。「一ヶ月間でバスケットボールを習得
しなくてはなりませんでした。」と彼女は語ります。Nthenyaは彼女らしく、ただバスケットボールを
習うだけでは終わらず、その分野で卓越した才能を発揮しました。2000年までに彼女は、ケニア
のナショナル・チーム入りを果たしていました。
今日、Nthenyaは目指していた法学の学位を取得しています。彼女はSafe Spacesという、ナイロビ
の最も貧しい地区で、女の子のためのスポーツとリーダーシップを支援する団体の創設者となり
ました。団体は、バスケットボール、ヨガ、ダンスや芸術的表現力を身につけるプログラムを展開
しており、女の子たちが自由に遊び、行動する場所を提供しています。それは多くの女の子たち
にとって新しい経験でした。女の子たちはお互いをエンパワーメントし、リーダーシップや意思決
定能力を身に着けています。
「ここはあなたたちの場所です。」Nthenyaは女の子たちに語ります。「そして、この世界もまた、あ
なたたちのものです。」
現状は?:
ある研究では、10代の男女のほとんどは(82%の女児と72%の男児)、女児も男児も公平によいリ
ーダーになれると思っています。別の研究では、女児は社会変容に基づくリーダーシップの定
義をより好むと報告されています。多くの女児は、リーダーシップが明確な役割や地位に焦点を
当てるよりも、むしろ何に使われるべきかが重要だと認識しています。
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