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GKH019606 - 天理大学情報ライブラリーOPAC

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GKH019606 - 天理大学情報ライブラリーOPAC
71
D.H.ロレンスの遺骨の謎*
中
西
善
弘
Ⅰ
周知の事実の ように,1
9
3
0年 3月 2日,D.H.ロ レンス (
D.H.La
wr
e
nc
e
)は,南 フランス
の ヴァンス (
Ve
nc
e)で フリー ダ (
Fr
ie
da)
,次女バーバ ラ (
Ba
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bar
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e
kl
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yBa
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)
,ハ ックス
ldo
A
usa
n dMa
iaHuxl
r
e
y)にみ とられなが ら他界 し土葬 された。不死鳥 をデザ イ
リー夫婦 (
ンしたロ レンスの墓標 は, この ヴ ァンスの共 同墓地 に作 られた。 ところが,その後, ロレンス
の遺体 や墓石 は,想像 を絶す る有為転変の展 開を繰 り広 げ ることになるのである。
Eas
t
wo
o
d)へ移送 された模様
ロ レンスの墓石 は, ヴァンスか らイギ リスの イース トウ ッ ド (
である。が,その道筋や経緯 について詳細 は分 か らないままである。当時 ヴ ァンス附近 に住 ん
Je
f
n・
e
yRo
bi
ns
o
n)は,「
D.
H.ロ レンス
でいた若 きアメリカ人作家 ジェフリー ・ロビンソン (
の墓石の謎」と題 して, インターナ シ ョナル ・ヘ ラル ド ・トリビュー ン紙 (
I
nt
e
ma
t
i
o
nalHe
r
-
al
dTr
i
bune
)に寄稿 した。それは1
9
7
6
年1
1
月1
2日付 け,4段組みで掲載 された。
墓石の行方 は,現在 も不 明であるが, ロビンソンの挑発記事 によって様 々な反響があ った。
Haul
l
e
vi
l
l
e)男 爵 とかい う男性 か ら, フ リー ダの 3人 日の
その反響 の なか に,オ レヴ イル (
夫, ア ンジェロ ・ラヴ ァリ (
Ange
l
oRa
vag
l
i
)に よる 「死 に際 の告 白」 につ い て述 べ た手紙
が, ロビンソンに宛てて送付 された。
オ レヴ イル男爵 とい うのは,正式 にはブ ロスペ ・ド ・オ レヴ イル男爵 (
Ba
r
o
nPr
o
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pe
rde
Haul
l
e
vi
l
l
e
)といい,その家系 は11世紀の シチ リア島の征服者 オテヴ イル (
Haut
t
e
vi
l
l
e) とい
う有名 なノルマ ン王朝 の分家である。名前の綴 り字が異 なるのは,歴史の流れのなかで,オー
ス トリアで変更が加 え られたか らであ る。ベルギー人 ブロスペ は,世界 を股 に掛 けた石油精製
技 師であ る。
ブロスペ は,詩人のエ リック ・ド ・オ レヴ イル (
Er
i
cdeHaul
l
e
vi
l
l
e)の兄である。エ リッ
クの妻 とは,オル ダス ・ハ ックス リの妻,マ リア (
旧姓 ナ イス Nys
)の有 能 な姉妹 の 1人 で
Ro
s
eNys
)であ る。エ リックは,1
9
41
年,サ ン ・ポール ・ト ヴ
ある才女, ロウズ ・ナ イス (
アンス (
Sai
nt
PauldeVe
nc
e
)で亡 くなっている。その後 ,未亡人 と娘 は,ハ ックス リー夫妻
の住 む ロサ ンゼルスに住 むために渡米 した。
この事実 か ら, ブロスペや ロウズが,ア ンジェロのゲ ス トと してニ ュー メキ シコ州 タオス
(
Tao
s
)に滞在 した と判 断 し認 め るこ とに疑義 はないであろ う。 ブロスペ は, この義理 の妹 ロ
ウズが彼 とアンジェロ との対話 を聞いていた証人であることを明 らかに した。
本稿 の意図は, ブロスペが発表 した書簡の内容 を紹介 し,ア ンジェロがい まわの際 にブロス
ペ に残 した とい う告 白を検証す るものであ る。
*本稿 は.平成1
2年度天理大学個 人研究費の助成 を受 けて,南 フランスにおいて現地調査 ,研究 した ものであ
る。
7
2
天 理 大 学 学 報
Ⅰ
(ブロスペの書簡 )
「
1
9
7
6
年1
1
月1
2日金曜 日付 けの記事
『
D.H.ロ レンスの墓石の謎』への照合,
ジェフリー ・ロビンソンへ格段の注意 を促す」
拝啓
(まず第一 に, どうか,外 国人 によくある ぎこちない英語 を大 目に見て頂 きたい-)
私 は現在 この手紙 を油槽船上で書いてい ます。して ヨーロ ッパ に運搬 してお ります。-
この船 はアジアの原油 をアフ リカを迂 回
「
ハ ンノ周航 (
筆者註,紀元前 5
0
0
年頃, カル タゴ
」 を再体験す るの に 2か月かか ります。
の政治家ハ ンノによるアフリカ西海岸一周 )
この点 をあなたに説明す ることによって,私が なぜ ここにタイプライターを持 ち合わせ てい
ないか,そ して,遺憾 にも, これ らの 「
走 り書 き」 をあなたに送 らなければならないか,その
理由を理解 して頂 ける もの と存 じます。
私が見出 しに挙 げて言及 しているために,あなたは私があなたの興味深 い記事 について意見
を述べ るのに 3年以上 も私が待 った ことをおそ らく不思議 に思 われていることで しょう。
実 を言 うと,私 は無精者です-それだけの ことです !
後述す る話 を始め る前 に,私 は D.H.ロ レンスの死 について口外す る竺態 の権 限 をなぜ こ
の私が持 っているのか,あなた に説明す るため に・
-自己紹介する必要があ ります。
私 は,1
9
4
1
年 に死 んだ詩人エ リック ・ド・オ レヴイルの兄です。エ リックはオル ダス ・ハ ックス リの義理の妹であるロウズ ・ナイス と結婚 しま した。明 白 に も周知 の よ うに,オル グス と D.H.は親友 で した。と,D.班.はマ リア ・ハ ックス リに抱かれて亡 くな りま した。-
(
あ えて言 わせ て もら う
マ リア ・ハ ックス リはベル
ギー人,マ リア ・ナ イス として この世 に生 をうけま した。)
この 「
チ ェスの馬 (
筆者註,チ ェス盤上 を縦横無尽 に動 けるチ ェスのナイ トの駒 になぞ らえ
る)
」 の ような関係が,私が オル ダス と彼 の妻 をよ く知 っていた事実の裏付 けになる理 由で し
ナ ンパ- ・ツー
た。(
私はいつ も私の義理の妹 を最重要で ない二番 目と呼 んでい ま した)私が ロサ ンゼル
ス にいる時 には,夫妻 を訪問 しま した し,(
夫妻が ヨー ロ ッパ にい る時 には,私 を訪 ねて くれ
ま した。)さらに,たまた ま私 はアンジェロを知 ることにな ります。住み ま したて-
(
私 は タオス にある彼 の家 に
(
その ことは, フ リー ダの死後, ち ょっ とした衝撃 にな りま した-)-
奇妙 に思 えるか も しれ ませ んが事実 なのです)-
業」 を告 白 しま した-
彼 は私 に彼 の生活-
そし
そ して 「
罪
(
私 はこの言葉の もつ責任 を彼 にゆだね ます !)
ア ンジェロは現在 この世 にいないので,私は 自分 自身が 「
告 白の秘密」か ら解放 されている
と感 じてお ります。-
(
「
告 白の秘密」 とは-
カ トリック教徒 の信仰 に きわめて重要 な も
のです !) (とにか く,司祭で もなければ,それほ ど 「
忠実 な」人間で もないので,私 は 「
真
実」のほかは何 も縛 りつけ られる ものはあ りませ ん。-
そ して私があなたにこれか ら先 に話
す ことは,真実です。
ア ンジェロは流暢 にフランス語 を話 しま した,従 って私 はやすやす と彼 の 「
告 白」 を理解 で
7
3
D.H.ロレンスの遺骨の謎
きました。
この告 白をあなたのために要約する前 に,私 はあなたに彼 の性格 について重要 な 2点 を話 し
ておかなければな りません。
1)彼 は途方 もないほ どの守銭奴 で した。今 もなお生 きている私 の義理 の妹 であるロウズ
(
私の弟の未亡人であ り,マ 1
)ア ・ハ ックス リー と姉妹)-
と私 自身が タオスの彼 のところ
に滞在 した時,私 たちは自分の食物 を持 って行かなければな りませ んで した-
さもなければ
私 たちは餓死 したことで しょう。-
2)彼 は飲酒の快楽におぼれていました-
どのみちこの欲望 を満足 させてこうむる報いを
受けることがなかったか らです。そこで私は彼 にバーボ ンウイスキーを数瓶買 って行 きました,-
そ してこのことが,ひ ょ
っとすると,彼の告 白を弁舌 さわやかに したことに対する説明 になるか もしれません。今 はこれ以上私 は何 も言いません。あ とに続 く言葉が彼 の陳述です-
上述のバーボンウイ
スキーを飲みなが ら,彼 は 2晩続けて私 に語 って くれ ました。
Ⅱ
(アンジェロの告 白)
私 は死刑 に値す る罪人です。 しか も私 には神 や私 の妻 や私 の子供 たち,そ して私の孫 たち
が,そ もそ も私のことを許 して くれるか どうか分か りません。
私は神-の信仰 に背信 し,祖国に反逆 し, 家族や D.H.や フリーダを裏切 った人間で
す。
私 は以前 はイタリア陸軍の狙撃隊月で した。ですか らね,「い まわの際 には狙撃隊貞は,最
期 に 3回回れ右 をします。
」
現在,私 は,死ぬ前 に私の
「3回回れ右」 を したい と思い ます。
そこで私 はイタリアに戻 って,私の妻 と子供たちのひざ元 に身をゆだねて,彼 らの許 しを請
い,私の家族の教会 に行 って,すっか り告 白を したあ とで,カ トリック教会に再度回心す るこ
とを決心 しました。
しか しなが ら, 1つの難題 は,次の点 を危 うくしかねないことで した。すなわち,不謹慎 な
ことを して得た金の始末をつけることが,神聖 とされる行為であるだろうか ?
なぜ なら,あなた も知っているように,私の蓄財 は,私が姦淫 を犯 した事実に帰因するか ら
です。私の妻 に対する不義 ,D.H.に対す る不正,-
そ して, またその後 の フリー ダに対
する不倫。私の本当の妻や子供 にとって,夫であ り父親である人間が罪深い人生 を送 って富を持つ こと
はまっとうなことで しょうか ?
しか も,あの,私はこれ らの不貞の罪 を犯 したばか りでな く, またほかの 「
詐欺」 を働 いて
きました。例 えば,フリーダの作 とされているいわゆる春画,それを私 は大変高 く売 りました
が-
フリーダが措いた ものではあ りません (もっともご く数点 しかあ りませ んが)春画は私
が模造 した ものです。 しか し私の もっとも蟹 の悪 い うそは,r
D.H.ロ レンスの遺骨 について
の虚偽」 です。-
D.H.は火葬にされることが決定 され ました。めに作 られた-
美 しい壷 にこの骨灰 を入れて-
そ してこの私が, とりわけこの 目的のた
ニューメキシコ州 タオス まで運ぶことにな
7
4
天 理 大 学 学 報
りました。礼 にかなった心遣いで彼の遺骸は,火葬にされ ました。だが, フランスの法律 はフランスの法律です。-
関係当局が何が起 こったか知った時に,
- そ してその後 に何が起 こらなければならなかったか知 った時 に,私はフランスのその筋か
ら次のように命 じられました。
Mar
s
e
i
l
l
e
s
) の間で横断す る必要があるすべ ての都市 に通行税
1) ヴァンス とマルセイユ (
を支払わなければならない。 フランスの法律 により,実際上, フランスの都市 を通過する枢の
税金はあ らか じめ確定 される-
また骨壷は枢 と同様 の取 り扱いを受ける0
2)「
枢」 を船舶 に積み込 む際 にマルセイユ港 に特別料金 を支払 わなければならない。 (
枢と
骨壷は,繰 り返すが,同様の取 り扱い。
)
3)「
大西洋汽船会社 」 (
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al
et
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l
ant
i
que
'
'
)は, また,死体 を輸送す
るにあたって,多額の金 を請求する。
4) フランスにおいて もアメリカ合衆国において も,両政府の形式的手続 きに相当する多額
の金の支払いが結果 としてまた生 じる。
私は 「
情報提供者」 に何の返事 もしませんで した,-
s
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mes
"
)へ出掛 けました-
"
Me
s
_
が,後 日,私は 「
海運会社 」 (
そ して しか るべ き中身がない壷 を 「
価値 のない見
本」 としてアメリカ合衆国の郵便の宛先 「
局留め (
筆者註,名宛人か ら請求のあるまで郵便局
に留め置 くよう郵便物 に書かれた)
」へ送付 して もらいました。
私 は,D.
H.の骨灰 を放 り投 げましたO
私は,アメリカ合衆国へ向けて航海 しました。
局留め」の指示を付記 した壷 を受 け取 り,最初 に手 に入れたあ りきた りの灰 をたっ
私 は,「
ぷ り入れました。て悲 しみました。
それか ら,大勢の人がやって来て,-
D.I
L の遺骨の まえで涙 を流 し
Ⅳ
〔
論点 1〕 アンジェロの金銭感覚 について
フリーダがアンジェロに渡 していた金額は,記録 されていないが,フリーダの回想録 による
(
い
9
3
7
年 に二人の関係 において金は取るに足 りな くはない役割 を果た していた。彼女は,そ
と,1
2
0ドル彼 に支給 していた。ア ンジェロがイタリアに住 む彼の家族 を訪問す る間で
の頃,月に1
さえ も。 フリーダは彼の往復の切符の乗車賃 まで払 っていたOそれにもかかわらず,彼 は手紙
を書いて, さらに金 を無心 した。 フリーダは,アンジェロに大金を持 っているわけではないの
で 自分で稼 ぐように勧 めた。 フリーダは彼女が これまで彼 に金をつ ぎ込んだことをで きる限 り
思 い起 こさせ ようとした。彼 を連れて南 アメ リカやボス トンやハ リウ ッ ドに行 った こ となど
を。 しか し,彼はイタリアに残 して来た彼の妻や子供たちのためにフリーダの金 を当てに して
いた。彼女 は彼 に彼 自身のために倹約 しす ぎることのないように請いなが らも,こう付 け加え
た。「
私の ものはあなたの ものである, と私 は思 ってい ますか らね。で もあなたの家族 につい
ては,その ような気が しません」 と。 アンジェロがフリーダに重ねて金 をねだる要求を抑 える
議論 として,彼女は彼 に 「
私たちはこれ までなん と楽 しいひとときを過 ごしたので しょう」 と
い う思い出を引 き合いに出 した。
アンジェロは,遺骨の輸送 にかかる諸経費 を切 り詰めたかったのだろうか。 また, タオスへ
の帰途 について,彼 はフリーダに差 し出す請求書の金額 をつ り上げたかったのだろうかC被女
D.班.ロレンスの遺骨の謎
7
5
の 自伝風の描写 には, この文脈 における無意識の皮 肉っほい意図が窺 える。 アンジェロが ロ レ
ンスの追憶 に対 してフリーダ自身 との思 い出 とほ とん ど同様 に敬意 を表 していた ことに感謝 し
ている, とフリー ダは述べ ている。
Lamy)の駅 で会 った。彼 は とて も物静 か だ った。彼 女
「フ リー ダはア ンジェロにラ ミー (
は,彼 が感動 した時 に,彼 がそ うい う風 になることを知 っていた。
」
アンジェロは本当に感動 していたのであろ うか。 それ とも彼 はロ レンスの骨灰が存在 しない
ことをフリーダに気づかれないか と心配 していたのだろうか。いずれ にせ よ,彼 らはラ ミーの
0マイルほ ど行 った場所 で気が
汽車の駅の プラ ッ トホームにその骨壷 を置 き忘れて しまった。2
つ き,慌 てて引 き返 して骨壷 を見つけた。
蓄財」 について
〔
論点 2〕 ア ンジェロの 「
フ リー ダ ・ロレンス ・ラヴァリ (
Fr
i
e
daLa
wr
e
nc
eRa
va
gl
i
)の遺産処理 に関す る遺言 (
1
9
5
5
年1
1
月 3日付 け)の もとに, ロ レンスの著作権 は,次の ように遺贈 されることになった。 フリ
0パ ーセ ン トが贈 られ,そ してアーネス ト・ウイー
ーダの夫, アンジェロ ・ラヴァリに遺産の5
ク リー (
Eme
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kl
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y)とフ リー ダの 3人 の子供 ,す なわ ちモ ンタギ ュ一 ・ウ イー ク リー
(
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l
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y)
,エルザ ・シーマ ン (
El
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n)
,そ してバーバ ラ ・バーのあいだで
残 り半分 を均等割す る こと。 ア ンジェロは, また,ニューメキ シコ州エ ル プ ラ ド (
EIPr
ado
)
にあるロス ピノス牧場 (
Lo
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h)の当時居住 していた家 とその家の中にある個人の
SanCr
i
s
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)にあるカイオワ牧場 (
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所有物 をすべて相続 した。サ ンクリス トパル (
D.H,ロ レンス聖廟 」 (
"
heD.H.La
t
wr
e
nc
es
hr
ine
'
'
)と一緒 にニューメキシコ
Ra
nc
h)は,「
大学 に遺贈 された。
ア ンジェロの相続財産 は,主 として,ロ レンスの版権の うち 2分 の 1の取 り分か ら成 ってい
た。
〔
論点 3〕「
春画」 はア ンジェロが模 造 した ものであ ったのか否か。
フリーダはアンジェロがマルセイユか らタオスに戻 った時に,猛烈 な勢いで彼 が絵 を描 いて
いた と述べ ている。
「
何度 もあなたは一生懸命 に働 きま した。それにまた何度 もあなたは試 しに絵 を描 いてい ま
した。そ して私がで きる限 りそれに携 わ りま した。
」
9
2
5
年 にス ボ トル ノ (
Spo
t
o
no)で絵 を描 い てい た。 その時 に ロ レンス
r
フ リー ダは早 くも1
が,口論 のあ とで,バ ーバ ラに 「フリーダの ひどい絵 の製作 を手伝 って きた」 と述べ ている。
(
2
)
る
。
ア ンジェロはカイオワ牧場で彼がす こしばか り絵 を描いた り,彫刻 を した り,つい には陶芸
をした ことを1
9
5
7
年 に手紙 に記 してい
これ らの事実か ら,ア ンジェロが ブロスペ に見せ た数点のポルノ風絵画 は,アンジェロ自身
が制作 した ものであろう。
〔
論点 4〕土葬か ら火葬-
9
3
5
年 3月 7日ヴァンスの市庁舎で
遺骸 を掘 り出す ための ロ レンスの死亡証明書 の写 しは,1
発行 された。発掘 は 3月 7日か ら1
2日にかけて行 なわれた。 フ リーダに代 わって,ア ンジェロ
Mr
s
.Mar
t
haGo
r
do
nCr
o
t
c
h)とい う今 は もう
ではな く,マーサ ・ゴー ドン ・クラ ッチ夫人 (
故人 となったヴァンス在留のイギ リス人夫人 によって,死体発掘要請が なされた。彼女 はその
7
6
天 理 大 学 学 報
発掘 の現場 に もいた。
枢が開けられ,写真が撮影 された。 1枚 目の写真 は,完全 に保存 されたままの遺体 の写真で
あった。 ロレンスは両腕 を胸の上で組 んで安置 されていた。突然に空気 にさらされたために,
遺体 は破損 してち りに遅 らんばか りの状態であった。 この ような現象は, と くにやせ衰 えた遺
体 の場合 によ く見 られ ると言われている。蛇足 なが ら,これ らの写真 は, クラッチ夫人が所有
していた
なiか '
1
) ものだが,その後の写真のあ りかは不明である。
亡骸 は,亜鉛で裏打 ちされたポプラ材の枢 のなかに置かれた。枢 はマルセ イユ まで運 ばれ,
そ こで1
9
3
5年 3月1
3日午前 9時 に遺体 は焼かれた。この事実 は,サ ン ・ピェ-ル共同墓地 (
t
he
3
7
8号が証明 してい る。枢 は
Sai
nt
Pi
e
汀eC
e
me
t
e
r
y)管理官 によって発行 された火葬報告書第 1
0時3
0分 に冷 まされた後 に遺骨が拾 いお さめ られた。
午前 9時 に火葬の炉 に入れ られ,1
〔
論点 5〕「フランスの法律」 の真偽 をめ ぐって
18
8
4年 4月 5日法律 第1
4
2
21
号 に よれば,市長 は,死者の輸送,埋葬及 び発掘 ,墓地 にお け
る秩序及び良俗の維持 に対 して責任 を負 うもの と定め られている。 また,1
8
8
9年 4月2
7日法令
0
5
9
8号 によれば,遺体 の移動 が最小 自治行政区内あるいは 「
郡」内か否 かに従 って,郡長
第2
の承認 を得 た場合に限 り,遺体 を輸送す ることがで きる と定め られている。郡の範囲 を越 えた
場合 には,死亡 した ところの県の知事 か ら輸送許可 を得 なければな らない。アルバ カーキ (
AL
buque
r
que)の ニ ュ ー メ キ シ コ大 学 の フ ァ イ ル に は, ア ル プ-マ リテ ィー ム 県 (
lpe
A
s
Ma
r
i
t
i
me
s
)か らマルセイユへの輸送のため に義務づ け られた許可がお りた文書 はない。
Emi
l
eDe
l
a
ve
na
y)の調査 による と,おそ ら くこの許可は,サ ン ・
エ ミール ・ドゥラヴネ (
ピェール共 同墓地 に残 され た ままであ るのか も しれ ない とい
(
3
)
う
。(
ただ し,現在, この記録
9
3
6年以前 に さかのぼって確認す るこ とはで きない。) アルプ-マ リテ ィーム県 は,1
0年
は,1
間を上限にこうした性質の認可 (
証書) を公文書類保管所 に残 してお くことはない。
町や村 を通過する際 に請求 され る手数料 に関 して,法律 には公式の言及 は見当た らない。 こ
の ような手数料 は現在徴収 されていない し,過去 において も徴収 された証左 はない。 しか しな
が ら,以前 に徴収 されたかの ような言い伝 えがいつ まで も消 えないで,いまだにその法律が通
9
3
5年当時 に,マルセイユの海運会社 は
俗的 に有効 とされている とい う報告 もある。従 って,1
言 うまで もな く,お役所 の信頼 で きる筋が ア ンジェロにその ような誤 った情報 を伝 えたとは者
え られない。だが, この広 く受 け入れ られた通念 は,例 えばフリー ダによって返済 され る予定
の経費の請求書 を作成す るにあたって,容易 にブリー ダか ら搾取で きる ように利用 された嫌い
がある。
he Ma
i
s
o
n Ro
bl
o
tの調査 に基づいて,1
9
3
5
年 3月2
5日までにかか った
フランスの葬儀屋 t
実際の費用 の代金支払明細 は次 の ようになる。遺骸発掘 (
1
6
3フラ ン),人件費 (
4
0フラ ン),
2
3
8フラン),枢 のつ まみ (
4
2フラ ン),金属板 (
1
5フラ ン),金輪 (
5
0フラ ン),亜
枢 の運搬 (
1
7
5フラ ン),霊枢車の往復料 金 を含 むマ ルセ イユ までの輸送費 (
1
2
0
0フラ ン),
鉛 の裏打 ち (
名札 入 りの亜鉛 で裏打 ち された木製壷 (
3
8
0フラン),マルセ イユ ・ヴ イル ブラ ンシュ (
Vi
l
l
e
_
6
0
0フラン),総額2
9
0
3フラン。
f
r
n
ac
he)間の輸送費 (
9
3
5年 3月2
5日付
ただ し, この明細 にはマルセイユでの火葬費用が含 まれていない。 また,1
けのアメ リカ合衆国領事発行の書類-
9
6
号),県 による遺骨移送及び国外輸送
火葬証明 (
第1
97
号),アメリカ合衆国領事及びマルセイユ警察本部長の捺 印
に対す る法的権限付与証明 (
第1
9
8号)のある木箱及 びその中に入ってい る亜鉛 の骨壷 の内容証明 (
第1
作成手数料 合計6
4
77
D.H.ロレンスの遺骨の謎
フランも含 まれていない。
さらにこれ らの費用 に加算 して,各都市 を通過す る料金,大西洋横断 にかかる経費や乗船運
賃等 を想像 でアンジェロが水増 ししフリーダに請求 した もの と考 え られる。
現在の海上汽船会社 Co
mpag
ni
eg6
n6
r
al
emar
it
i
meの前身である大西洋汽船会社 は,当時
マルセイユか ら運行 してはいなか った。マルセイユか らアメ リカ合衆国へ就航 していた海運会
mpag
ni
eCypr
i
e
n Fa
br
eであった。 ところが残念 なことに,上記のいずれの船舶会
社 は,Co
社 も第二次世界大戦 中に敵 国の攻撃 を受 けて関連書類 は消滅 して しまった。従 って今 日,1
9
35
年当時 に枢 あるいは埋葬用の壷 を大西洋 を横 断 して輸送す る費用 については情報 を得 る手段が
ない。 ただ し,手荷物 として骨壷 を運ぶ費用 は,過去 において (また現在 において も)ゼ ロで
ある。
遺骸 を別途輸送す る費用 をめ ぐって,ア ンジェロがかな りの金額 をフリー ダに催促 して も納
得 のい く説明 となったか もしれない。
1
9
35年 3月1
5日までにア ンジェロは,マルセイユ警察本部長 と知事の決裁のお りた公 印 と署
名入 りの出港許可証 を最終 的に入手 していた。 フランスの法律 に関す る限 り,ア ンジェロは木
箱 を持 って 自由にマルセイユ を出発す ることがで きた。彼 は 4月 4日にヴイルフランシュか ら
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aに乗船 しニュー ヨークへ向か った。
局留め」 の指示 を付記 した壷の行方
〔
論点 6〕「
壷 は郵便物 として発送す るには重量が超過 していた もの と考 え られる。郵便 で小包 を出す こ
とがで きる許容重量 は当時 3キログラム までであった。従 ってこの骨壷 は,ア ンジェロの告 白
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mesを通 じて大型荷物 として送 られたのであろう。
通 り,海運会社 Me
それは ともか くとして,税関では荷物の入港手続 きを完了 しなければな らない。 もし海運会
社 を通 じて荷物が送 られたな らば,それはニュー ヨークのいずれかの主墨
(
税 関の構 内で,陸
上 げ した貨物 を しまってお く倉庫) に保管 された もの と考 え られ る。 は っ き りしてい る こ と
は,ア ンジェロが アメ リカ合衆 国税 関 との間で なにが しかの問題 を起 こ した とい うこ とであ
る。
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き
」
この困難 な事情 を説明す るの に,現在,全 く漠然 とした手掛か りしか兄い出せ ないのが真相
である。ハ リー ・T ・ムア (
Hany T.Moo
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e)による と,その骨壷 は 「
残酷 な間違いつづ
の なかで,写真家 でカメラ雑誌編 集者の アル フ レッ ド ・ステ イーグ リッツ (
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の力添 えによって陸揚 げ させ ることがで きた とい う。テ ッ ドロ ック (
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よれば, ドロシー ・ブ レッ ト (
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)の友人であるステイ-グ リッツがア ンジェロに
(
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手 を貸 して船がニュー ヨークの積み降ろ し場 に着 いた時 に遺骨 を発見 して所有権 を主張 して返
)
還 を要求 したようで
。ムアやテ ッ ドロ ックの報告が聞 き伝 えの知識 であるのに対 して, シ
SeanHi
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)は, もう少 し明確 な説明 を提供 して くれている。それ に
ョー ン ・ヒグネ ッ ト (
よれば,マルセイユ における仰 々 しくも疑わ しいごたごたの後 ,ア ンジェロはニュー ヨー クの
税 関及 び出入国管理当局 とさらに重 ねて面倒 を起 こ した。 しか しなが ら,ブ レッ トを介 してス
テイ-グリ ッツが待機 して くれていて格別 にア ンジェロの力 になって くれた とい うO
一体全体 この援助 の 申 し出は,要求 されてなされたのであろうか。ア ンジェロの末期の告 白
が信悪性がある と仮定 して も,ステイ- グリッツの善処 は当惑 させ る行為である。 しか し,確
かなことは,アンジェロを問題 回避的な駆 け引 きへ と導いた。ステイ-グリッツはブ レッ トに
手紙で こう書 き送 ってい る。
7
8
天 理 大 学 学 報
「
役人の手違いや ら果て しのない官僚的形式的手続 きや らで,私 たちがいか に町のなか をす
みずみ まで骨壷 を追跡 したか,それはそれは驚 くべ き話 です。そ うして私がついにロ レンス と
出会い ま した。彼の遺骨 は,5
0
9
号室 の部屋 の ドアの ところにあ りま した。私 は彼 を税 関に照
会す るべ きで したか。それ ともそ うする必要 はなかったで しょうか。私 は遺骨 を自然 にその ま
まに してお きました。
」(
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9
3
5
年 6月2
8日付 けブ レット宛てステイ-グリッツ書簡)
繰 り返 しになるが,この点 も明 白ではない。遺骨 はステ イ-グリッツの部屋の廊下の ドアの
ところに本当 に届 け られていたのだろうか。 もしそ うである とすれば,それはだれによって届
け られたのだろうか。5
0
9号室 の平 らな床 にその まま放置 されていたのだろうか。それ とも正
面玄関受付が受領 して置いたのだろうか。謎は深 まるばか りである。
「
いつか私 はあなたにすべ て話 を しましょう。その ようなことは,今 までに起 こったことが
あ りませ ん。 ア ンジェロは何が起 こったのか本当に全 く分かってい ませ ん。
」(
前掲書簡)
ステイ-グリッツが知 ってい ることで,ア ンジェロが全 く分かっていない こととは,一体何
であるのか。 ヒグネ ッ トの結論 はこうである。
「
ス テ イ- グ リッツが言外 にほの めか してい た こ とが暴 露 され る こ とはあ りませ んで し
た。
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か くしてブ レッ ト宛 てのステ イ-グリッツの手紙 は,ムアの見解 に対 して建設的な情報 を提
供 して くれる内容ではない ことになる。
茶番劇 ともい うべ き事件 は, しか し,これで一件落着 とはいかなかった。 ア ンジェロが遺骨
を携 えてラ ミーに到着 して以来, タオスのあちこちでは また聞 きの話 とか, また聞 きの また聞
きの話題 で持 ち切 りであった。 どうい う訳か アンジェロとフリーダは,汽車の プラ ッ トホーム
にその遺骨 を置 き忘れて しまうとい う失態 を演 じた。
タオスの土地の人々の話 によれば,サ ンタフェ (
Sa
nt
aFe
)ではこんな騒動 もあった。 ロ レ
ンスの作家友達であったウイック一 ・ビナ- (
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)がラ ・フォンダ ・ホテル (
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)で メキシコ料理の上 にうかっ に も遺骨 を空 けて しまい,暖炉 の灰 を補充 した と
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いっ。
また, ブ レッ トによれば,酒宴があって,テーブルに骨壷が置かれていた とい う。 フリーダ
は 「これが ロレンスです」 とくす くす笑いの止 まらない様子で述べ た。その直後, フリー ダは
フェシェン夫人 (
Mr
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n)とかい うロシア人の家 に再度骨壷 をまる 1週 間置 き忘 れて し
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と
フ リーダの回顧婁
剥二は, メイベ ル ・ドッジ ・ルーハ ン (
Ma
be
lDo
dgeLuhan)による遺骨窃
盗のひそかなた くらみ について も言及 されている。 また,ブ レッ トにまつわる話 として,彼女
が遺骨 を略奪 して,それ を松林のなかにば らまく計画があった とい う話 も伝 え られている。
「
盗 まれる遺骨」の主題 によるこれ らの変奏 曲が示唆 していることは, ロ レンスの遺骨が鉛
に押 された印章が添 えられた亜鉛製の小箱 に納 め られ,警察 と領事 によって封印 され押印 され
た木箱 の状態 で タオスに到着 しなか った とい うこ とであ る。す なわち,剥 き出 しに近 い遺骨
は,だれの手 に も届 き,だれで も代用物 と取 り替 えることので きる状態であった。
フリーダはロ レンスの遺骨 をす ぐそばに所有で きて彼女の心が なごんでいることに満足 して
いた。遺骨が本物 に しろ偽物 に しろ, メイベ ルは, インデ ィアン保護特別保留地 に骨灰 をまき
散 らす風葬 を望 んでいた。ブ レッ トは,彼女 にとって特別 な意味 を持つ ようにみえたいわゆる
「
赤い岩」(R̀e
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)の上で,一握 りの骨灰 を振 りか けることを望 んでいたO
D.H.ロレンスの遺骨の謎
79
Ⅴ
フ リーダの要請で, ア ンジェロは ロレンスの遺骨 を窃盗 か ら守 るため に 「きわめて大 きなコ
ンク リー ト板」のなかに砂 とセメ ン トと水 と骨灰 を混合 した。 この ように混ぜ合 わせ ることに
よってア ンジェロは,将来起 こ り得 るか もしれない骨灰 の本 当の成分の化学検査 に対 して身を
守ろ うとしたのである。
セメ ン トが投入 され る前 にフリー ダは, ロレンス崇拝者のための聖廟 としてア ンジェロによ
って建立 された礼拝堂で儀式 を執 り行 なった。 アメ リカイ ンデ ィア ンは,大 きなかが り火の ま
わ りで埋葬の儀式の踊 りを舞 った。天空 はこの劇的な ドラマ に働 き合 って演 出 した。稲光 と雷
鳴が牧場 と周 りの山々に旋 回 した, とい う。
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)である。 ア ンジェロによってマ
「
無知 は信心の母」(
ルセイユで投棄 されたロ レンスの遺骨 は,当然の ことなが ら,今 日, ヴァンスの共同墓地 に も
なければ,故郷 イース トウ ッ ドの両親の墓地 に も埋葬 されてはいない。 ロレンス を愛 し恋い慕
う者が ロ レンスに思 い を馳せ る ことので きるのは,や さ しい群青色 を した きらめ く地 中海 の
「
母 なる海」 のなかである。
註
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年 7月1
9日付けステイ-グリッツ宛てプレット書簡。米国イェ-ル大学附属図書館 仙 e
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y)所蔵。
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