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精神分裂病と躁うつ病の責任能力
特集 精神鑑定 精神分裂病と躁うつ病の責任能力 工藤行夫* キーワード 精神分裂病 躁うつ病 責任能力 慣例 策の立場から下す法律的判断である.両者は本 はじめに 来, 別々の次元を問題にしており, 専門性も異に 精神分裂病(以下,分裂病)と躁うつ病の責 しているのであるから,司法と精神医学がいか 任能力に関して,かつては,その疾患の存在さ に接近を試みたとしても,そこに完全な整合性 え確認されれば,あとはほぼ無条件で責任無能 を期待することにはおのずから無理がある.し 力(心神喪失)とみなすとする意見が支配的で かし何らかの秩序ないし指針が求められること あった.これは,それらの疾患では,たとえ軽 から,多くの経験を通じて両者の橋渡しをする 症の場合であっても,人間の本質に対する計り 一定の合意事項が発生してきた.これがいわゆ 知れない深い侵襲が生じるとの考え (不可知論) る「慣例;convention」と呼ばれるものである. に基づくもので,法律家もこの原則を 「慣例」 と しておおむね受け入れていた. たとえばアルコール酩酊犯罪の場合,単純酩 酊なら完全責任能力,複雑酩酊なら限定責任能 しかし,治療の進歩や社会環境の変化に伴っ 力,病的酩酊なら責任無能力とみなすといった て,疾患の様態も少なからず変貌してきた.そ 取り決めである.これはよく知られるビンダー してこれらの疾患に対する従来の画一的な見方 (Binder)の 3 分法に基づくもので,実際には微 が,社会的要請と相いれない事例もままみられ 妙な問題を含んでいるとはいえ,この 「慣例」 で るようになった.最近はこれまでの原則には必 両者の間に一応の合意が成立している. ずしも捕われず,個別的で弾力的な判断がなさ そして精神病などの領域に関しては,グルー レ(Gruhle)やシュナイダー(Schneider, K)以 れる傾向にある. I.「慣例」について 来の伝統的ドイツ司法精神医学による,次のよ うな指針が維持されてきた1). いうまでもなく,精神鑑定は精神科医がもっ 第 1 群: “大” 精神病,すなわち進行麻痺,精 ぱら症状に基づいて行う医学的判断で,一方, 神分裂病,躁うつ病,てんかんの例外状態で, 責任能力は裁判官(あるいは検察官)が刑事政 これらの場合はどのような行為であれ,責任無 能力の肯定をもたらす. くどう・いくお:昭和大学横浜市 北部病院メンタルケアセンター 長・教授.昭和49年慶應義塾大学 医学部卒業.昭和50年井之頭病院 医員.昭和52年杏林大学助手.平 成8年杏林大学医学部助教授.平 成12年昭和大学藤が丘病院助教 授.同年現職.主研究領域/臨床 精神病理学,司法精神医学. * 日医雑誌 第1 2 5巻・第9号/平成1 3 (2 0 0 1) 年5月1日 第 2 群:頭部外傷, 脳動脈硬化症, 老人性解体, 場合によってはアルコール精神病などで,これ らの場合は精神的崩壊の程度に応じて,責任無 能力,限定責任能力,あるいは情状を承認する. 第 3 群:器質的疾病のない行為者,すなわち 精神病質者,神経症など.ここでは限定責任能 1417 力が認められるのもまれであり,責任無能力が 認められるのはきわめてまれな例外のみであ 方を免れることはなかった. このような分裂病不可知論を受けて, 「分裂病 者の行為は, 原則として無条件で責任無能力」 と る. これに従えば,第 1 群(明らかな精神病)に する「慣例」が成立した. 「無条件で」 とは心理 当たる分裂病と躁うつ病は,その程度や犯罪の 的要素(症状と行為の関連など)の分析を必要 内容を問わず, 原則として責任無能力となる. こ としないということで, 「原則として」とは症状 の 「慣例」 は, 一部に異論はあるものの, 日本でも が軽い場合(発病初期や寛解期)に例外的に心 2) おおむね支持されてきた . 理的結び付きの検討を要するということである これらは多くの経験と検討を重ねて成立して が,一般にそれはきわめてまれと解され,事実 きた共通理解で,暗黙の了解といった曖昧な性 上,分裂病=責任無能力という単純明快な図式 質のものでは決してないが,シュナイダー自 である. 3) 身 も「純然たる要請にすぎない」と「心苦しい その典型としてよく引用される西ドイツ最高 告白」をしているように,明確な科学的実証性 裁判所の判決(1955 年)は, 「行為に動機づけが を欠いていることは否めない.発生の経緯を考 あり,かつ計画的に実行されていても,行為者 えれば,いわば実務的な必要性から生じた一応 を意志無能力とすることを妨げない.行為者が の約束事という面もあり, 必ずしも普遍的, 固定 精神分裂病に罹ってさえいれば,軽症の事例に 的なものとはいえない.その機械的,画一的な おいてさえも,原則として行為者の心の状態に 適用が時代の要請に十分応えられなくなったと 身をおいて考えることや,特定の時点における すれば,改めてその修正を検討する余地も残さ 分裂病性意志障害の程度を正しく判断すること れていると考えるべきであろう. は不可能となる.疑いがある以上,責任無能力 II.精神分裂病の責任能力 2) を承認すべきである」 とする内容で,日本でも この見方に沿った理解が支配的であった. かつて分裂病は,その提唱者であるクレペリ しかしその後の分裂病をめぐる状況は,グ ン(Kraepelin)が「早発性痴呆」と呼称したよ ルーレやシュナイダーの時代とは明らかに異な うに, 慢性・進行性で重篤な精神機能の欠陥 (痴 る様相を呈してきた. それを端的に表現すれば, 呆化)を来す疾患として捉えられた.そしてそ 「病像の軽症化」そして「長期予後の改善」であ の言動は,ヤスパース(Jaspers)が「了解不能」 る.薬物療法を中心とする治療法の進歩がこれ と表現したように,明らかに正常心理の枠を超 らに大いに貢献したことはいうまでもなく,特 えるものと理解された.つまり,一旦分裂病に に陽性症状の多くは抗精神病薬でかなりの程度 罹患した者は,本来の人格(自由意志)の統制 までコントロールできるようになった.そして のはるか及ばぬ存在となり,それとは意味連続 長期予後は明らかに改善された(ただしこれに 性を失った異質の分裂病人格(いわば不自由意 は,分裂病の診断基準の変遷が関与していると 志)と化するとみなされたのである. の指摘4)もある) .これとほぼ時を同じくして, もちろん当時も,事例性に至らぬ程度の比較 典型的な分裂病症状を呈する緊張型や破瓜型の 的軽症の分裂病の存在は知られ,それをブロイ 減少が指摘され,むしろ寡症状性(単純型)分 ラー(Bleuler, E)は潜伏分裂病と呼んだが,そ 裂病が注目されるようになった.これがそのま れとて分裂病の本質とされる基本障害(連合弛 ま軽症化に当たるか否かはともかく,従来の分 緩など)を欠くことはなく,常に顕在化の危険 裂病=精神荒廃(早発性痴呆)という悲観的な をはらむ存在として,分裂病に対する厳しい見 見方が修正を強いられたことは確かである. 1418 日医雑誌 第1 2 5巻・第9号/平成1 3 (2 0 0 1) 年5月1日 一方で,分裂病を取り巻く社会環境も徐々に うえで, 病的体験と犯行との関連性が乏しく, 行 変化してきた.もっぱら施設内での長期隔離収 動や動機がある程度了解可能で,おおむね通常 容という従来の状況が見直され,可能な限り地 の社会生活を営んでいるような場合には,ある 域内で対処しようという「ノーマライゼーショ 程度の責任能力(多くは限定責任能力)を肯定 ン」 の姿勢が前面に押し出されるようになった. することを必ずしも躊躇しない傾向にある6). そして長期予後の改善と相まって,分裂病者の ただその際,特に陰性症状に対する司法の理 過半数が再び何らかの形で社会活動に参加する 解が得にくく,精神病理学的にはむしろ重症と に至った.こうして社会との接点が増えるにつ もいえる欠陥状態が比較的軽症と捉えられやす れ,彼らに社会参加の権利を与えることの代償 いこと,一見了解可能にみえる行為の背景にあ として,そこでのルールを守る責任も同時に求 る病的体験や重篤な人格障害が見逃されやすい めようとする動きが出てくるのは,いわば自然 こと7)などの重要な問題点が,精神医学の側か な社会感情である. ら提起されている. このような状況を背景に,分裂病の責任能力 III.躁うつ病の責任能力 に関する考えの見直しが,主に司法の側からな されるようになった.日本でも,従来の 「慣例」 前述したように, 「躁うつ病者の行為は原則と を踏襲する判決がある一方で,軽症の分裂病に して責任無能力」とする「慣例」が成立してき ある程度の責任能力を認める方向の判決も一部 た.しかし現在,この見解がそのまま維持され でみられるようになり,司法の足並みがやや揃 ているとは必ずしもいえない.そして分裂病の わなくなった. 場合とまた別の意味で,いくつかの問題点が指 この混乱に一応の決着をつけたとされるの 摘される. が,最高裁判所第三小法廷決定(1984 年)であ まず病因をめぐる問題.躁うつ病=責任無能 る.その要旨は「被告人が犯行当時精神分裂病 力とする「慣例」は, “大”精神病(第 1 群)す に罹患していたからといって,そのことだけで なわち内因性の病態を対象としたものと解され 直ちに被告人が心神喪失の状態にあったとされ る.一方,反応性ないし神経症性の(躁)うつ るものではなく, その責任能力の有無・程度は, 状態は全く別の枠(第 3 群)で扱われ,その原 被告人の犯行当時の病状,犯行前の生活状態, 則は完全責任能力となって,評価が著しく異な 犯行の動機・様態などを総合して判断すべきで ることになる.しかし実際には,このような内 ある」というもので,従来の「慣例」を半ば覆 因 心因の峻別が困難で, むしろ複合的な理解が す内容として注目される.つまり 「無条件で」 の 必要な例は少なくない.そして心因を単なる誘 部分は明らかに否定され, 「原則として」も厳密 因とするにとどまらず,病態をより多元的,全 に捉えることを求めたものと解される.精神医 人的に理解しようとするのが精神医学の側の趨 学の側から,背景となった事件の再検討を中心 勢である.ほぼ同様の状態を呈しながら,内因 5) に批判的考察 がなされたものの,この決定が 性のものだけにいわば特権的な地位を与えるこ その後の司法側の一応の指針となっている. との意義が,改めて問われなければならない. 事実, 最近の判例をみると, 明らかな精神病症 次に病相期と寛解期について.躁うつ病は明 状が確認される場合の判断は従来と特に変わら らかに状態の異なるこの 2 つの時期を繰り返 ないとしても, 比較的軽症の事例では, 過去の すのが特徴であるが, 「慣例」はもっぱら病相期 「慣例」に捕われない弾力的な見方が増えてい を想定したものと解される.寛解期は何ら欠陥 る.つまり病状や犯行内容を個別的に検討した を残さず本来の状態に復するのが原則で,この 日医雑誌 第1 2 5巻・第9号/平成1 3 (2 0 0 1) 年5月1日 1419 時期の犯罪が少ないことも事実だが,最近は病 相後にさまざまな形の人格変化(いわば躁うつ 病性欠陥)を来す例があることも指摘されてい 8) おわりに 精神分裂病と躁うつ病の責任能力について概 る .このような状態に関する司法の理解は不 説し, 特に最近の傾向に敷衍した. いずれの疾患 十分で,その評価について合意はほとんど得ら でも明らかなのは,古典的な不可知論に基づく れていない. 「慣例」 の縛りから自由になり,内容を吟味した そして主に司法側の重症度理解について.躁 個別的判断に向かっていることで,これは精神 うつ病はたとえ病相期にあっても,言動に分裂 障害に対する社会の見方が弾力的に変化しつつ 病のような大きな乱れはなく,法律家にあまり あることの反映とみることができる.しかし結 病的な印象を与えない傾向がある.まして裁判 果的に,障害者の責任能力がむしろ厳しい方向 時はすでに寛解に至り,全く通常の応対が可能 に評価される傾向を招いたことも見逃せない. となっているような場合には,犯行時の重篤な 病態理解や重症度判断の困難さなど,司法側 状態について十分な理解を得るのは必ずしも容 の問題点を指摘したが,疾患概念や診断基準の 易でない.これは非専門家としての限界であろ 安易な変動など,相互の信頼を損ねかねない精 うが,結果としてより軽症とする判断に傾きが 神医学側の問題もある.治療と処罰の兼ね合い ちである. など残された課題も多く,司法と精神医学のさ これらの課題は今後に残されているが,やや らなる対話が必要である. 広義に捉えた躁うつ病の責任能力に関する現在 の一般的認識9)は,以下のとおりである. 躁うつ病(双極性障害)つまり内因性の場 合:幻覚や妄想など精神病像を伴う重症のもの は,従来どおり責任無能力.精神病像は伴わな いが重症∼中等症のものは,その程度に応じて 責任無能力∼限定責任能力.軽症の多くは限定 責任能力だが, まれに完全責任能力もありうる. 一方,寛解期は一般に正常状態に戻るため完全 責任能力.ただし病相後の人格欠陥を来してい るものは,程度に応じて限定責任能力∼責任無 能力もありうる. 反応性うつ病の場合:心因性でも精神病レ ベルに達していれば躁うつ病の場合に準ずる. ただし症状が消失していれば完全責任能力. 神経症性うつ病(気分変調症)の場合:完 全責任能力が原則だが,重症のものは限定責任 能力もありうる. つまり「慣例」の画一的な適用からより個別 的な判断に移行しており,分裂病の場合と事情 を一にしている. 1420 文 献 1)西山 詮:責任能力の精神医学的基礎.風祭 元,山上 皓 編 ,臨床精神医学講座 19 司法精神医学・精神鑑定, 中山書店,1998 ; 27―51. 2)保崎秀夫:精神分裂病と躁うつ病の責任能力.臨床精神 医学 1983 ; 12 : 1089―1095. 3)Schneider K : Die Beurteilung der Zurechnungsf ähigkeit. 3 Aufl, G Thiem, Stuttgart, 1956 (平井静也,鹿子木 敏範 訳 :責任能力の判断.今日の精神医学―三つの小 論―,文光堂,1957). 4)藤森英之:分裂病の軽症化をめぐる問題.上島国利 編 , 精神医学レビュー 7 現代社会と精神障害,ライフ・サ イエンス,1993 ; 50―61. 5)西山 詮:精神分裂病の責任能力―精神科医と法曹の 対話―.新興医学出版社,1996. 6)中谷陽二:犯罪と精神医 学―最 近 の 動 向.懸 田 克 躬 他編,現代精神医学大系 年刊版’ 89-B,中山書店,1989 ; 243―261. 7)中田 修:精神分裂病の犯行のみせかけの了解可能性. 中谷陽二 編 ,法と精神医学の対話 精神障害者の責任能 力,金剛出版,1993 ; 25―41. 8)飯田 眞,佐藤 新,中垣内正和:難治性うつ病の精神 病理学的要因.上島国利 編 ,精神医学レビュー 2 難治性 うつ病,ライフ・サイエンス,1991 ; 24―37. 9)松下昌雄:躁うつ病者の責任能力.中谷陽二 編 ,法と精 神医学の対話 精神障害者の責任能力,金剛出版,1993 ; 139―158. 日医雑誌 第1 2 5巻・第9号/平成1 3 (2 0 0 1) 年5月1日