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「ミドルパワー外交」論の来歴

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「ミドルパワー外交」論の来歴
12
winter
2008
日本とアメリカから、グローバルな話題をお届けします
国際交流基金(ジャパンファウンデーション)日米センター(CGP)は、米国社会科学研究評議会(SSRC)との共催
事業として、個人の調査研究プロジェクトを支援する奨学金制度「安倍フェローシップ・プログラム」を1991年から実
「安倍フェローシップ・
プログラム」
とは
施しています。このプログラムが目指すのは、今の地球にとって緊急な取り組みが求められている政策的課題の研究を
支援することであり、またそのような課題に取り組む研究者の国際ネットワークに積極的に参加できる人材を育てるこ
とです。そのため、政策指向性と国境を超える視点を持ち、現代的な課題を扱っているかどうかを重視しています。更
に、本年度から、日米にとって喫緊の関心事についての質の高い報道を支援するため、ジャーナリストを対象とする「安
倍ジャーナリスト・フェローシップ」を開始し、より幅広い方々を対象としたプログラムとなりました。
Tokyo Office
〒160 - 0004 東京都新宿区四谷4 - 4 -1
「ミドルパワー外交 」論の来歴
TEL. 03 - 5369 - 6072 FAX.03 - 5369 - 6042
添谷 芳秀
New York Office
Yoshihide Soeya
The Japan Foundation Center for Global Partnership, New York
平成 4年度 安倍フェロー
152 West 57th Street, 17th Floor, New York, NY 10019 U.S.A.
TEL. 1- 212 - 489 -1255 FAX. 1- 212 - 489 -1344
安倍フェローシップ・
プログラム委員会座長 コラムス vol.12
世界経済危機やテロリズム等
の安全保障問題と、私たちが
住む地球上には様々な問題を
抱えています。一カ国では決
して解決できないこれらの 「
負の連 鎖 」 をどう世界が手を
「ミドルパワー外交」論の来歴
米国に滞在して
変化する電力産業
平成 4 年度 安倍フェロー
安倍フェローシップ・プログラム委員会座長
平成 18 年度 安倍フェロー
平成 17年度 安倍フェロー
Tadahiro Katsuta
Mika Goto
Yoshihide Soeya
添谷 芳秀
勝田 忠広
後藤 美香
取り合って取り組むかが重要
な課題。今号では、安倍フェ
ローとして、地 球的な政 策課
題で緊要な取り組みを必要と
上智大学外国語学部卒業。
される問題を研究され、現在
上智大学大学院国際関係論
安倍フェロー(1993 年、第 2 期生)としての私の研究
多くのアメリカ人は、 そん な 議 論を喜んでくれました。
テーマは、インドシナをめぐる日・米・AS E A N 関 係に
しかし、戦後初の日本の P KO 参加となった U N TAC へ
ついてでした。当時は、カンボジア和平プロセスの真只
の自衛隊派 遣は、中国や韓国からは懸念の眼でみられ、
中で、国連安保理常任理事国(P5)による主導的役割、
シンガポールのリ・クアンユー上級相(当時)には「治り
ベトナムのドイモイ政策の本格化、アメリカとベトナムの
かけのアルコール患者にウイスキーボンボンを与えるよ
国交正常化交渉、AS E A N によるポスト冷戦期の新しい
うなもの」と揶揄されました。そうしたある意味 正反対
役割の模索、そして日本外交の活性化などが同時に進行
の日本外交への反応に対して、日本政府は別々の説明を
しており、重要な分析テーマが豊富な湧き水のごとく溢
する傾向にありました。アメリカには「もっと頑張る」と
れていました。
意 思表明し、多くのアジア諸国には「心配する必要はな
安 倍フェローとしての研究は、ミシガン大学で博士学
い」と強調するわけです。日本の自画像の分裂状況を明
位を取 得したときにお 世 話になったマイケル・オクセン
示的に自覚するようになったのは、その頃 だったように
バーグ教授が所長を勤めていたご縁で招かれたホノルル
思います。
の東西センターを拠点に行ないました。また、その時期
それからは、アメリカに対してアジアに対して、そして
を前後して、
(財)平和・安全保障研究所と米国コロンビ
あらゆる日本外交の観察者に対して同じ概念で説明でき
ア大学東アジア研究所による日米共同研究プロジェクト
る日本外交論はないものだろうか、と考えるようになり
にも参加し、1989 年から 5 年にわたり、ほぼ毎年ベト
ました。そのころよく国際会議などで、そんな日本外交
ナムとカンボジア(およびラオスに 1度)で現地調査を行
論の構築が研究者としての私の夢だ、でも、多分そんな
なうこともできました。ヘン・サムリン政権のフン・セン
ものはみつからないだろう、というような発言をしてい
たことを懐かしく思い出します。
もそのような政策課題で、世
専攻博士前期課程修了。
首相やシアヌーク殿下(当時)およびカンボジア政 府関
界的ネットワークに主導的役
米国ミシガン大学大学院政
係者とは、カンボジア和平合意が成立する前から何度か
しかし、1999 年から日本の「ミドルパワー外交」論を
割を担っている 3 名の方々に
治学専攻博士課程修了
面談する機会に恵まれ、ポルポト派幹部との面会も経験
論じ始め、2005 年に『日本の「ミドルパワー」外交』
(ち
しました。また、和平プロセスが始まってから 2 度にわ
くま新書)を上梓したとき、みつからないと思っていたも
たり、U N TAC(国連カンボジア暫定統治機構)の明石
のがみつかった、という密かな感慨がありました。また、
康代表を訪問し、日本の自衛隊が活動するタケオの現場
それは、戦後日本外交の実像であり、分裂した自画像を
も視察しました。私は地域研究者ではありませんが、イ
統合する均衡点でもあると感じました。
ご寄稿頂きました。
(Ph.D.)。
慶應義塾大学法学部専任
講師、助教授、米国東西セ
ン タ ー 訪 問 研 究 員( 安 倍
フェロー) を経て、1995
年より慶応義塾大学法学
部政治学科教授。2007 年
10 月からは、同大学東ア
ンドシナをめぐる国際関係や日本外交についてやや抽象
しかし、いざそれを社会に提示してみると、「ミドルパ
的で概念的な分析をする際にも、地に足が着いている感
ワー」への違和感は予想されたとおりでしたが、必ずしも
覚を持ち続けることができたのは、こうして現場の空気
問題意識自体が共有されていないということを思い知ら
を吸っていたからではないかと思います。
される羽目になりました。戦後 処 理の国際システムであ
「安倍フェローシップ・プログラム」について
ジア研究所所長も勤める。
「安倍フェローシップ・プログラム」についての詳細は、こちらのウェブサイトをご覧下さい。
http://www.jpf.go.jp/cgp/fellow/abe/index.html
東アジアの国際関係、日本
研究者や政策担当者を含めたさまざまな専門家との知的
日米 安 保 条 約に規 定された日本外交は、歴 史認 識、自
外交。著書に『日本の「ミ
議論が 不可欠であることも、様々なトラック 2 会合への
尊心、自立などの根源的問題をめぐって深刻なねじれに
ドルパワー」外交』(ちく
参加や聞き取り調 査などを通した 経 験 から学びました。
悩まされています。それらはまさに、国際社会と日本社
ま 新 書 )、『 日 本 の 東 ア ジ
とりわけ、安倍フェローとして、東西センターをベースに
会にまたがり、日本外交を根本的に制約する構造問題だ
しながらも、わずか 1 ヶ月ですがシンガポールの東 南ア
ろうと思うのです。
日米センター
(CGP: Center for Global Partnership )
とは
日米が共同で世界に貢 献し、緊密な日米関係を
築くことを目的として、1991 年に国際交流基金
に設立されました。日米センターでは、両国のパー
トナーシップ推 進のための知的交 流と両国の相
互理 解を深めるための地域・草の根 交流の 2 分
野で交流事業を行なっています。
編 集
後 記
専攻領域は、国際政治学、
師走に入り、今 年も残すところあとわずかとなりました。木枯ら
ア構想』(慶応義塾大学出
し吹きすさぶ頃、皆様いかがお過ごしでしょうか。
版会)など多数。
るサンフランシスコ講和体制に組み込まれ、戦後憲法と
ジア研究所に滞在できたことは、専門や国籍の異なる多
最近は、「ミドルパワー外交」論で提起したいと思った
くの専門家との濃密な議論を重ねる貴重な機会となりま
本質的問題は、まさにそうした戦後日本外交をめぐる構
しました貴重なご意見は、来年の『コラムス』作成に役立てて参り
した。この経験は、安倍フェローシップの優れた特徴が、
造問題であったのではないかと自覚するようになりまし
ます。また、日米センターでは、今年からジャーナリストを対象と
研究に重要であると判断される活動を柔軟に認めてくれ
た。そして、多くの日本外交論は、それに無自覚か、ま
した安倍フェローシップ・プログラムを取り入れるなど、プログラ
ることであると実感させてくれました。そこに、安倍フェ
たは避けているのではないか、と考えるようにもなりま
ムを一層充実させ、今後も知的好奇心を刺激する日米の交流活動
ローシップが重視する政策志向研究を、単に政策論に留
した。的確な問題設定の無いところに意味のある分析が
まらず深く学問的に行なうことを可能にする秘密がある
成 立しないことは、改めて指 摘 するまでもありません。
ようにも思います。
しかし、的確な問題意識と分析課題の設定こそが、最も
前号の『コラムス』に同封させて頂いた読者アンケートに、多くの
皆さまからご回答をお寄せ頂きありがとうございました。頂戴致
の情報発信に努めていければと考えています。
(竹)
本紙に関するご感想・ご意見をお寄せください。 日米センターURL:
E-mail [email protected]
現 地で直に目撃し手に触れたことを分析する際には、
www.jpf.go.jp/cgp
2008年12月15日 発行/無料
c 2008 独立行政法人 国際交流基金日米センター 無断転載、
○
コピーを禁ず。 掲載記事の内容は執筆者個人の意見であり、日米センターの意見を代弁するものではありません。
古紙配合率100%再生紙を
使用しています
今日、安倍フェローの仲間入りをしてからすでに 15 年
重要でありまた難しいことなのかも知れません。安倍フェ
が 過ぎました。振り返ってみると、当時の私は、ポスト
ローとして始めた研究の今日までの来歴は、改めてその
冷戦期において日本は「秩 序の構築者」としての役割を
ことを教えてくれているように感じています。
果 たすべきだといった、や や 青 い 議 論をしていました。
米国に滞在して
変化する電力産業
勝田 忠広
後藤 美香
Tadahiro Katsuta
平成 18 年度 安倍フェロー
広島大学出身、工学博士。
特定非営利活動法人原子力
資料情報スタッフ、東京大
学大学院法学政治学 研究
科 客 員 研 究 員 の 後、 平 成
18 年度安倍フェロー、プリ
ンストン大学客員研究員。
安 倍フェローとしての研究
テ ーマ は「 核 不 拡 散 と 核
平 和 利 用 の 同 時 達 成 は可
能 か - 核 燃 料 サ イクル
出発
「エート、ナンダッケ?グンシュク?」
その大使館の人は、ちょっと自慢げに窓ガラスの向こう
からそう答えました。グンシュクとは「軍縮」のこと。彼は
僕の渡航目的を読んだあと、ビザ獲得の書類審査で緊張
する私などそっちのけで、自分が知っている日本語を教え
たくなったようでした。
日米センターは安倍晋太郎元外務大臣の構想に基づい
て設立されたものですが、渡米当時の首相は、憲法改正を
掲げ世界の注目を浴びていた息子の安倍晋三氏。また研
究テーマは「核の平和利用と軍事利用に関する日米協力の
可能性」で、渡航先は核の歴史を考える上では欠かせない
米国…。安倍フェローとして、核の安全保障問題のテーマ
で渡米することは誇らしい一方で、米国がどのように私を
迎えるのか、少し不安だったと思います。
プリンストン
滞在先はニュージャージー州にあるプリンストン大学。
ニューヨークから1時間ほどの距離ですが、たまに鹿が現
れる綺麗で静かな街。
日本でいう埼玉県のような感じでしょ
うか。数年前に勉強会で1度来たことがありますが、まさ
かここにもう1度、今度は研究員として滞在できるなんて考
えていませんでした…というのは嘘で、実はいつか来てや
ろうと密かに狙っていました。あきらめなくて本当に良かっ
たと思います。
国 際 管 理 構 想 に お ける日
本と米国の課 題と新たな
提案-」。
平成17年度 安倍フェロー
プリンストン大学校舎
しかしこの感情は、ほぼ間違いなく、米国やその他の国々
の研究者には伝わりません。彼らにとって、核はあくまで
も大量破壊兵器の1つ、そして「有効な」選択肢の1つなの
です。この違いは今後、1つの研究として丹念に分析してい
く必要があるかもしれません。また、日本は核の平和利用
(つまり原子力発電)について、核兵器への転用防止という
点では上手くいっています。しかし世界的にはこれは特殊
なことです。日本国内のことだけを考えるのではなく、こ
の日本型モデルを世界に伝える必要があります。日本はもっ
と胸を張っても良いのでしょう。
肝心の研究成果の報告書ですが、今、必死になって書い
ている最中…。応募当時に予想していた以上に、私の研究
テーマは今や重要な課題になってきています。早く結果を
出し、オープンな場で議論を始めていきたいです。
宿題
現在、米国非営利シンクタ
ンクのノーチラス研究所上
席研究員、明治学院大学研
究員。NPO 法人ピースフル
エナジー代表。講談社環境
Webサイト
「エコログ」
で「ア
トミック・カフェ」
連載中。
プリンストン大学周辺の町並み
私が所属したのは、ウッドローウィルソンスクールの中
にある、
「科学と安全保障研究プログラム」。フランク・フォ
ンヒッペル教授をはじめ、この分野では最高の研究者が
多く在籍しています。多分、私は日本人では初めてのメン
バーになると思います。ここで私がまず学びたかったこと
は、彼らが優秀な理系の研究者であると同時に、彼らの
政策や政治、歴史問題にも優れた発言力です。これは日
本ではほとんどないことだと思います。
貴重な文献を図書館で探したり、毎週のように頻繁に行
なわれる著名な研究者によるミーティングに参加したりし
て、気がつけば、視力が落ちて、しかも極端な「乾燥肌」
になってしまいました(ずっと暖房の利いた部屋にいたか
ら…)。でも、1つ1つが知的な刺激で、夢中で毎日を過ご
すことが出来ました。まさにこの分野の中心にいる気がし
ていました。
日本に帰って再認識したことは、ほとんどの日本人は世
界情勢に目を向けていないことです。確かに日本は平和で
暮らしやすいですし、わざわざ海外を気にする必要はない
かもしれません。でもプリンストン大学で見かけるアジアの
人々は、中国や韓国からがほとんどで、本当に日本人は少
なかったです。もっと世界に飛び出した方が良いと思いま
す。
今や、報告書や論文など、ある程度はインターネットで
得ることは可能です。でも本当に貴重なことは、実はそれ
らに現れないもので、直接、人と人がコンタクトしている
時にだけ生まれる「人間の情熱」だと思います。しかも国籍
が違う人たちとの間でそれが生まれることの感動!だから
こそ、このプログラムに意義があります。
今回の経験によって、海外の人々や、他のフェロー達と
共同研究する話も出てきていますし、グローバルな仕事が
増えたことはうれしいです。安倍フェロー出身者として、頑
張ってその責任を果たしたいと思っています。
実は今回の渡米で1つの「裏」目的がありました。それは、
核の安全保障を扱う海外の独立した研究機関を調べること
でした。海外ではそのような多くの機関があります。いつ
か日本を中心としてそのような研究機関を作れないかと企
んでいます。
最後になりますが、私にフェローの機会を与えてくれ、
そしてサポートをして下さった全ての方に感謝したいです。
核
日本人なら、ほとんどの人は「ヒロシマ」「ナガサキ」の
出来事を知っていると思います。そう、漢字ではなく、あ
えてカタカナで示される、この土地で起きた原爆投下のこ
とです。
米国では、少なくとも研究者レベルの人々はことの重要
性を知っています。でも今回の滞在で、日本人のそれとは
意味が少し違うことに気がつきました。日本人は、たとえ
他国から何らかの攻撃を受けたとしても、その報復として
「核」
を選択しないと思います。それは、ヒロシマ・ナガサキ
と同じ状況をもうこれ以上見たくはないですし、自分たち
の手で造り出すことなどもってのほかだと感じるからです。
2006 年 9 月から1年間、米国オハイオ州コロンバスに
あるオハイオ州立大学のビジネススクールで、安倍フェロー
として研究する機会を得ました。オハイオ州立大学は、単
一キャンパスとしては全米最大規模の総合大学で、学生数
は大学院まで含めると 5 万人を超え、大学フットボールの
強豪としてもその名を知られています。帰国してはや1年以
上が経過しましたが、広大で緑豊かなコロンバスでの生活
はとても印象的なものでした。
私の研究は、日本や欧米諸国の電力産業にかかわる規
制制度や経営諸課題について調査したり、産業構造に関す
る定量的な分析を行なうことです。われわれが普段生活の
一部として何気なく使っている電気は、発電所から、送電
線や配電線を通ってオフィスビルや家庭にまで運ばれてき
ます。わが国には、このような一連の機能が全て一体化さ
れた垂直統合型の電力会社が各地域に存在し、日々の電
力の安定供給に貢献しています。
Mika Goto
プリンストン大学近くの川の風景
(財)電力中央研究所、社会
経 済研究所、主任研究員。
平成 17 年 度 安 倍フェロー
電気事業について
として、2006 年 9 月から1
電気事業は、公益事業として長い間政府の規制下におか
れる一方で、地域独占として保護されてきました。
米国では、1992 年にエネルギー政策法が施行されて以
来、発電部門の自由化が本格化し、いくつかの州では小売
の自由化まで拡大していきました。ところが 2000 年から
2001年にかけて、カリフォルニア州でいわゆる「電力危機」
が発生すると、それを契機に自由化の流れは停滞し始め、
自由化自体を取り止める州も出てきました。電力危機では、
垂直統合企業から切り離された発電部門に競争が導入され
る中、卸電力市場では価格が高騰しました。また、一方で
小売価格は規制されていたため、電力会社は十分な電力の
供給や収益の確保が難しくなり、停電が頻発したり、つい
には破綻する会社も出てきました。その他の地域でも、必
ずしも競争が期待どおりに機能せず、電気料金の引き下げ
にも結びついていないなど、自由化に対する批判もなされ
るようになりました。
わが国においても、1995年の電気事業法改正以降、徐々
に電力の自由化が進み、発電部門や小売供給部門に新規
参入者が見られるようになりました。このような背景として、
規制産業の代表格に挙げられてきた電力産業にも、競争の
導入が可能であるとの発想の転換が生起してきたことが挙
げられます。また、電力を売買する卸電力市場が世界各国
に設立され、わが国でも2005 年 4月から運用が開始され
ています。そのため現在では、電力は株や石油と同じよう
に市場で売買することができます。また小売の面では、一
定の条件(規模等)を満たす需要家は、地域の電力会社以
外の新規参入者から電力を購入することもできるようにな
りました。
電力は、時々刻々と変化する需要に対し需給のバランス
を保ちながら、送配電網を通って需要家に送り届けられま
す。そのような目に見えない物理現象を、どのようにして一
年間米国オハイオ州立大学
ビジネス スクール に滞 在。
博士(経済学、
名古屋大学)
。
専門は応用計量経済学、産
業 組 織 論、OR アプリケー
ション。
「International Journal of Industrial Organization」,
「European Journal of Operational Research」
など多数に論文を掲載。
般の商品のように取引するのか、馴染みのない方は、初め
ちょっと戸惑うのではないでしょうか?しかしいまや、電力
の市場取引は世界各国で行なわれています。さらに最近で
は、地球規模で進行する温暖化問題と深く関連する側面
も出てきました。欧米では既に、CO 2 排出権取引市場が
本格運用されており、電力会社の経営にも影響を及ぼし始
めています。電力産業は、従来われわれが持っていた安定
した成熟産業というイメージとは異なり、ダイナミックに変
貌している産業と言えます。
安倍フェローとしての米国での研究
前置きが長くなりましたが、安倍フェローとして米国に
滞在中の私の研究テーマは、このような米国の電力産業の
ダイナミズムを定量分析により捉えることでした。特に、
電力会社の経営戦略の1つである多角化について、それが
企業の価値にどのような影響を及ぼすのかを研究しまし
た。このような問題意識の根底には、米国では1980 年代
に経済が停滞する中、電力需要が減少し、多くの電力会社
で事業多角化の傾向が見られた事情があります。当時は多
角化が法律や州の公益事業委員会によってかなり規制され
ていましたが、自由化とともに規制も緩やかになりました。
そこで、本業とかけ離れた事業に進出する電力会社も出て
きました。これらの中には多角化に成功した会社もありま
すが、うまくいかず本業回帰する者も多く、多角化が電力
会社の経営にとってどのような影響を及ぼしたのか、公益
事業とそれ以外の事業多角化とは何が違うのか、さらにそ
れがわが国にとってどのようなインプリケーションを持って
いるのかが主な関心事項でした。このような研究にはもち
ろん、産業構造や規制政策のあり方に関する知識も不可
欠です。
電力会社の経営情報や財務データは従来から比較的よ
く整備されており、米国滞在中はそのようなデータをまず
整理する作業から始めました。それと同時に、関連する研
究のサーベイやヒアリングを行ない、収集したデータを使っ
て仮説を検証するという作業を行ないました。滞在先でお
世話になった先生方は電力の研究にも詳しく、分析結果を
議論する過程で多くの助言を得ることができました。この
ことは、安倍フェローとしての滞在期間中に得た大きな成
果であると思っています。
おわりに
私生活では、通勤途中で突然の雹に見舞われ、視界が
遮られて車の運転ができなくなって驚いたことや、アパート
では停電や電圧の不安定さなどを体験し電力の安定供給
の大切さを改めて実感するなど、ハプニングもありました
が、今では良い思い出になっています。米国の電力産業に
ついては、一時期の急速な変革の波は収まったとは言え、
環境など新たな課題も出てきており、さらに研究を発展さ
せていく予定です。
平成19 年度の安倍フェロー
氏名・アルファベット順
所属
研究テーマ
ヴィノッド・アガワル
カリフォルニア大学バークレー校
アジア太平洋地域における新貿易構造体の可能性
舩橋惠子
静岡大学
家族政策のジェンダー効果:アメリカ、スウェーデン、フランス、日本の比較研究
トム・ギンズバーグ
イリノイ大学ウルバナ・シャンパン校
北東アジアにおける法制改革の政治
ジャック ・ ハイマンズ スミス大学 非核国クラブの形成と継続:理論的・実証的分析 岩澤美帆
国立社会保障・人口問題研究所
非婚化する日米社会のゆくえ:晩婚、離婚、婚外出生と母子のウェルビーイング
川西結子
東京学芸大学
アメリカ社会における中年期うつ病への支援対策、社会的介入の実態と日本への教訓
近藤尚己
山梨大学
社会格差が健康に及ぼす影響:産業国におけるそのインパクトとメカニズムに関する日米間比較
バラク・クシュナー
ケンブリッジ大学
東アジアの冷戦プロパガンダと歴史的記憶
直井 惠
カリフォルニア大学サンディエゴ校
消費者動員の政治経済学:グローバル経済下の食の安全を巡る政治過程
岡垣知子
防衛研究所
日米同盟の安定要因とその変遷:異なる分析レベルによる考察
岡野衛士
千葉経済大学
ツインデフィシッツとツインダイバージェンスが混在する経済での最適な金融・財政ポリシーミックス
キム・ライマン
ジョージア州立大学
東アジアにおける NGO、国境を越えるネットワークと地域ガバナンス
アピチェ・シッパー
南カリフォルニア大学
日、米、スウェーデンにおける入国管理政策
スミス・ロドニー
ミネソタ大学
越境の経済学:国境を越える水資源紛争と経済成長との連関
米国に滞在して
変化する電力産業
勝田 忠広
後藤 美香
Tadahiro Katsuta
平成 18 年度 安倍フェロー
広島大学出身、工学博士。
特定非営利活動法人原子力
資料情報スタッフ、東京大
学大学院法学政治学 研究
科 客 員 研 究 員 の 後、 平 成
18 年度安倍フェロー、プリ
ンストン大学客員研究員。
安 倍フェローとしての研究
テ ーマ は「 核 不 拡 散 と 核
平 和 利 用 の 同 時 達 成 は可
能 か - 核 燃 料 サ イクル
出発
「エート、ナンダッケ?グンシュク?」
その大使館の人は、ちょっと自慢げに窓ガラスの向こう
からそう答えました。グンシュクとは「軍縮」のこと。彼は
僕の渡航目的を読んだあと、ビザ獲得の書類審査で緊張
する私などそっちのけで、自分が知っている日本語を教え
たくなったようでした。
日米センターは安倍晋太郎元外務大臣の構想に基づい
て設立されたものですが、渡米当時の首相は、憲法改正を
掲げ世界の注目を浴びていた息子の安倍晋三氏。また研
究テーマは「核の平和利用と軍事利用に関する日米協力の
可能性」で、渡航先は核の歴史を考える上では欠かせない
米国…。安倍フェローとして、核の安全保障問題のテーマ
で渡米することは誇らしい一方で、米国がどのように私を
迎えるのか、少し不安だったと思います。
プリンストン
滞在先はニュージャージー州にあるプリンストン大学。
ニューヨークから1時間ほどの距離ですが、たまに鹿が現
れる綺麗で静かな街。
日本でいう埼玉県のような感じでしょ
うか。数年前に勉強会で1度来たことがありますが、まさ
かここにもう1度、今度は研究員として滞在できるなんて考
えていませんでした…というのは嘘で、実はいつか来てや
ろうと密かに狙っていました。あきらめなくて本当に良かっ
たと思います。
国 際 管 理 構 想 に お ける日
本と米国の課 題と新たな
提案-」。
平成17年度 安倍フェロー
プリンストン大学校舎
しかしこの感情は、ほぼ間違いなく、米国やその他の国々
の研究者には伝わりません。彼らにとって、核はあくまで
も大量破壊兵器の1つ、そして「有効な」選択肢の1つなの
です。この違いは今後、1つの研究として丹念に分析してい
く必要があるかもしれません。また、日本は核の平和利用
(つまり原子力発電)について、核兵器への転用防止という
点では上手くいっています。しかし世界的にはこれは特殊
なことです。日本国内のことだけを考えるのではなく、こ
の日本型モデルを世界に伝える必要があります。日本はもっ
と胸を張っても良いのでしょう。
肝心の研究成果の報告書ですが、今、必死になって書い
ている最中…。応募当時に予想していた以上に、私の研究
テーマは今や重要な課題になってきています。早く結果を
出し、オープンな場で議論を始めていきたいです。
宿題
現在、米国非営利シンクタ
ンクのノーチラス研究所上
席研究員、明治学院大学研
究員。NPO 法人ピースフル
エナジー代表。講談社環境
Webサイト
「エコログ」
で「ア
トミック・カフェ」
連載中。
プリンストン大学周辺の町並み
私が所属したのは、ウッドローウィルソンスクールの中
にある、
「科学と安全保障研究プログラム」。フランク・フォ
ンヒッペル教授をはじめ、この分野では最高の研究者が
多く在籍しています。多分、私は日本人では初めてのメン
バーになると思います。ここで私がまず学びたかったこと
は、彼らが優秀な理系の研究者であると同時に、彼らの
政策や政治、歴史問題にも優れた発言力です。これは日
本ではほとんどないことだと思います。
貴重な文献を図書館で探したり、毎週のように頻繁に行
なわれる著名な研究者によるミーティングに参加したりし
て、気がつけば、視力が落ちて、しかも極端な「乾燥肌」
になってしまいました(ずっと暖房の利いた部屋にいたか
ら…)。でも、1つ1つが知的な刺激で、夢中で毎日を過ご
すことが出来ました。まさにこの分野の中心にいる気がし
ていました。
日本に帰って再認識したことは、ほとんどの日本人は世
界情勢に目を向けていないことです。確かに日本は平和で
暮らしやすいですし、わざわざ海外を気にする必要はない
かもしれません。でもプリンストン大学で見かけるアジアの
人々は、中国や韓国からがほとんどで、本当に日本人は少
なかったです。もっと世界に飛び出した方が良いと思いま
す。
今や、報告書や論文など、ある程度はインターネットで
得ることは可能です。でも本当に貴重なことは、実はそれ
らに現れないもので、直接、人と人がコンタクトしている
時にだけ生まれる「人間の情熱」だと思います。しかも国籍
が違う人たちとの間でそれが生まれることの感動!だから
こそ、このプログラムに意義があります。
今回の経験によって、海外の人々や、他のフェロー達と
共同研究する話も出てきていますし、グローバルな仕事が
増えたことはうれしいです。安倍フェロー出身者として、頑
張ってその責任を果たしたいと思っています。
実は今回の渡米で1つの「裏」目的がありました。それは、
核の安全保障を扱う海外の独立した研究機関を調べること
でした。海外ではそのような多くの機関があります。いつ
か日本を中心としてそのような研究機関を作れないかと企
んでいます。
最後になりますが、私にフェローの機会を与えてくれ、
そしてサポートをして下さった全ての方に感謝したいです。
核
日本人なら、ほとんどの人は「ヒロシマ」「ナガサキ」の
出来事を知っていると思います。そう、漢字ではなく、あ
えてカタカナで示される、この土地で起きた原爆投下のこ
とです。
米国では、少なくとも研究者レベルの人々はことの重要
性を知っています。でも今回の滞在で、日本人のそれとは
意味が少し違うことに気がつきました。日本人は、たとえ
他国から何らかの攻撃を受けたとしても、その報復として
「核」
を選択しないと思います。それは、ヒロシマ・ナガサキ
と同じ状況をもうこれ以上見たくはないですし、自分たち
の手で造り出すことなどもってのほかだと感じるからです。
2006 年 9 月から1年間、米国オハイオ州コロンバスに
あるオハイオ州立大学のビジネススクールで、安倍フェロー
として研究する機会を得ました。オハイオ州立大学は、単
一キャンパスとしては全米最大規模の総合大学で、学生数
は大学院まで含めると 5 万人を超え、大学フットボールの
強豪としてもその名を知られています。帰国してはや1年以
上が経過しましたが、広大で緑豊かなコロンバスでの生活
はとても印象的なものでした。
私の研究は、日本や欧米諸国の電力産業にかかわる規
制制度や経営諸課題について調査したり、産業構造に関す
る定量的な分析を行なうことです。われわれが普段生活の
一部として何気なく使っている電気は、発電所から、送電
線や配電線を通ってオフィスビルや家庭にまで運ばれてき
ます。わが国には、このような一連の機能が全て一体化さ
れた垂直統合型の電力会社が各地域に存在し、日々の電
力の安定供給に貢献しています。
Mika Goto
プリンストン大学近くの川の風景
(財)電力中央研究所、社会
経 済研究所、主任研究員。
平成 17 年 度 安 倍フェロー
電気事業について
として、2006 年 9 月から1
電気事業は、公益事業として長い間政府の規制下におか
れる一方で、地域独占として保護されてきました。
米国では、1992 年にエネルギー政策法が施行されて以
来、発電部門の自由化が本格化し、いくつかの州では小売
の自由化まで拡大していきました。ところが 2000 年から
2001年にかけて、カリフォルニア州でいわゆる「電力危機」
が発生すると、それを契機に自由化の流れは停滞し始め、
自由化自体を取り止める州も出てきました。電力危機では、
垂直統合企業から切り離された発電部門に競争が導入され
る中、卸電力市場では価格が高騰しました。また、一方で
小売価格は規制されていたため、電力会社は十分な電力の
供給や収益の確保が難しくなり、停電が頻発したり、つい
には破綻する会社も出てきました。その他の地域でも、必
ずしも競争が期待どおりに機能せず、電気料金の引き下げ
にも結びついていないなど、自由化に対する批判もなされ
るようになりました。
わが国においても、1995年の電気事業法改正以降、徐々
に電力の自由化が進み、発電部門や小売供給部門に新規
参入者が見られるようになりました。このような背景として、
規制産業の代表格に挙げられてきた電力産業にも、競争の
導入が可能であるとの発想の転換が生起してきたことが挙
げられます。また、電力を売買する卸電力市場が世界各国
に設立され、わが国でも2005 年 4月から運用が開始され
ています。そのため現在では、電力は株や石油と同じよう
に市場で売買することができます。また小売の面では、一
定の条件(規模等)を満たす需要家は、地域の電力会社以
外の新規参入者から電力を購入することもできるようにな
りました。
電力は、時々刻々と変化する需要に対し需給のバランス
を保ちながら、送配電網を通って需要家に送り届けられま
す。そのような目に見えない物理現象を、どのようにして一
年間米国オハイオ州立大学
ビジネス スクール に滞 在。
博士(経済学、
名古屋大学)
。
専門は応用計量経済学、産
業 組 織 論、OR アプリケー
ション。
「International Journal of Industrial Organization」,
「European Journal of Operational Research」
など多数に論文を掲載。
般の商品のように取引するのか、馴染みのない方は、初め
ちょっと戸惑うのではないでしょうか?しかしいまや、電力
の市場取引は世界各国で行なわれています。さらに最近で
は、地球規模で進行する温暖化問題と深く関連する側面
も出てきました。欧米では既に、CO 2 排出権取引市場が
本格運用されており、電力会社の経営にも影響を及ぼし始
めています。電力産業は、従来われわれが持っていた安定
した成熟産業というイメージとは異なり、ダイナミックに変
貌している産業と言えます。
安倍フェローとしての米国での研究
前置きが長くなりましたが、安倍フェローとして米国に
滞在中の私の研究テーマは、このような米国の電力産業の
ダイナミズムを定量分析により捉えることでした。特に、
電力会社の経営戦略の1つである多角化について、それが
企業の価値にどのような影響を及ぼすのかを研究しまし
た。このような問題意識の根底には、米国では1980 年代
に経済が停滞する中、電力需要が減少し、多くの電力会社
で事業多角化の傾向が見られた事情があります。当時は多
角化が法律や州の公益事業委員会によってかなり規制され
ていましたが、自由化とともに規制も緩やかになりました。
そこで、本業とかけ離れた事業に進出する電力会社も出て
きました。これらの中には多角化に成功した会社もありま
すが、うまくいかず本業回帰する者も多く、多角化が電力
会社の経営にとってどのような影響を及ぼしたのか、公益
事業とそれ以外の事業多角化とは何が違うのか、さらにそ
れがわが国にとってどのようなインプリケーションを持って
いるのかが主な関心事項でした。このような研究にはもち
ろん、産業構造や規制政策のあり方に関する知識も不可
欠です。
電力会社の経営情報や財務データは従来から比較的よ
く整備されており、米国滞在中はそのようなデータをまず
整理する作業から始めました。それと同時に、関連する研
究のサーベイやヒアリングを行ない、収集したデータを使っ
て仮説を検証するという作業を行ないました。滞在先でお
世話になった先生方は電力の研究にも詳しく、分析結果を
議論する過程で多くの助言を得ることができました。この
ことは、安倍フェローとしての滞在期間中に得た大きな成
果であると思っています。
おわりに
私生活では、通勤途中で突然の雹に見舞われ、視界が
遮られて車の運転ができなくなって驚いたことや、アパート
では停電や電圧の不安定さなどを体験し電力の安定供給
の大切さを改めて実感するなど、ハプニングもありました
が、今では良い思い出になっています。米国の電力産業に
ついては、一時期の急速な変革の波は収まったとは言え、
環境など新たな課題も出てきており、さらに研究を発展さ
せていく予定です。
平成19 年度の安倍フェロー
氏名・アルファベット順
所属
研究テーマ
ヴィノッド・アガワル
カリフォルニア大学バークレー校
アジア太平洋地域における新貿易構造体の可能性
舩橋惠子
静岡大学
家族政策のジェンダー効果:アメリカ、スウェーデン、フランス、日本の比較研究
トム・ギンズバーグ
イリノイ大学ウルバナ・シャンパン校
北東アジアにおける法制改革の政治
ジャック ・ ハイマンズ スミス大学 非核国クラブの形成と継続:理論的・実証的分析 岩澤美帆
国立社会保障・人口問題研究所
非婚化する日米社会のゆくえ:晩婚、離婚、婚外出生と母子のウェルビーイング
川西結子
東京学芸大学
アメリカ社会における中年期うつ病への支援対策、社会的介入の実態と日本への教訓
近藤尚己
山梨大学
社会格差が健康に及ぼす影響:産業国におけるそのインパクトとメカニズムに関する日米間比較
バラク・クシュナー
ケンブリッジ大学
東アジアの冷戦プロパガンダと歴史的記憶
直井 惠
カリフォルニア大学サンディエゴ校
消費者動員の政治経済学:グローバル経済下の食の安全を巡る政治過程
岡垣知子
防衛研究所
日米同盟の安定要因とその変遷:異なる分析レベルによる考察
岡野衛士
千葉経済大学
ツインデフィシッツとツインダイバージェンスが混在する経済での最適な金融・財政ポリシーミックス
キム・ライマン
ジョージア州立大学
東アジアにおける NGO、国境を越えるネットワークと地域ガバナンス
アピチェ・シッパー
南カリフォルニア大学
日、米、スウェーデンにおける入国管理政策
スミス・ロドニー
ミネソタ大学
越境の経済学:国境を越える水資源紛争と経済成長との連関
12
winter
2008
日本とアメリカから、グローバルな話題をお届けします
国際交流基金(ジャパンファウンデーション)日米センター(CGP)は、米国社会科学研究評議会(SSRC)との共催
事業として、個人の調査研究プロジェクトを支援する奨学金制度「安倍フェローシップ・プログラム」を1991年から実
「安倍フェローシップ・
プログラム」
とは
施しています。このプログラムが目指すのは、今の地球にとって緊急な取り組みが求められている政策的課題の研究を
支援することであり、またそのような課題に取り組む研究者の国際ネットワークに積極的に参加できる人材を育てるこ
とです。そのため、政策指向性と国境を超える視点を持ち、現代的な課題を扱っているかどうかを重視しています。更
に、本年度から、日米にとって喫緊の関心事についての質の高い報道を支援するため、ジャーナリストを対象とする「安
倍ジャーナリスト・フェローシップ」を開始し、より幅広い方々を対象としたプログラムとなりました。
Tokyo Office
〒160 - 0004 東京都新宿区四谷4 - 4 -1
「ミドルパワー外交 」論の来歴
TEL. 03 - 5369 - 6072 FAX.03 - 5369 - 6042
添谷 芳秀
New York Office
Yoshihide Soeya
The Japan Foundation Center for Global Partnership, New York
平成 4年度 安倍フェロー
152 West 57th Street, 17th Floor, New York, NY 10019 U.S.A.
TEL. 1- 212 - 489 -1255 FAX. 1- 212 - 489 -1344
安倍フェローシップ・
プログラム委員会座長 コラムス vol.12
世界経済危機やテロリズム等
の安全保障問題と、私たちが
住む地球上には様々な問題を
抱えています。一カ国では決
して解決できないこれらの 「
負の連 鎖 」 をどう世界が手を
「ミドルパワー外交」論の来歴
米国に滞在して
変化する電力産業
平成 4 年度 安倍フェロー
安倍フェローシップ・プログラム委員会座長
平成 18 年度 安倍フェロー
平成 17年度 安倍フェロー
Tadahiro Katsuta
Mika Goto
Yoshihide Soeya
添谷 芳秀
勝田 忠広
後藤 美香
取り合って取り組むかが重要
な課題。今号では、安倍フェ
ローとして、地 球的な政 策課
題で緊要な取り組みを必要と
上智大学外国語学部卒業。
される問題を研究され、現在
上智大学大学院国際関係論
安倍フェロー(1993 年、第 2 期生)としての私の研究
多くのアメリカ人は、 そん な 議 論を喜んでくれました。
テーマは、インドシナをめぐる日・米・AS E A N 関 係に
しかし、戦後初の日本の P KO 参加となった U N TAC へ
ついてでした。当時は、カンボジア和平プロセスの真只
の自衛隊派 遣は、中国や韓国からは懸念の眼でみられ、
中で、国連安保理常任理事国(P5)による主導的役割、
シンガポールのリ・クアンユー上級相(当時)には「治り
ベトナムのドイモイ政策の本格化、アメリカとベトナムの
かけのアルコール患者にウイスキーボンボンを与えるよ
国交正常化交渉、AS E A N によるポスト冷戦期の新しい
うなもの」と揶揄されました。そうしたある意味 正反対
役割の模索、そして日本外交の活性化などが同時に進行
の日本外交への反応に対して、日本政府は別々の説明を
しており、重要な分析テーマが豊富な湧き水のごとく溢
する傾向にありました。アメリカには「もっと頑張る」と
れていました。
意 思表明し、多くのアジア諸国には「心配する必要はな
安 倍フェローとしての研究は、ミシガン大学で博士学
い」と強調するわけです。日本の自画像の分裂状況を明
位を取 得したときにお 世 話になったマイケル・オクセン
示的に自覚するようになったのは、その頃 だったように
バーグ教授が所長を勤めていたご縁で招かれたホノルル
思います。
の東西センターを拠点に行ないました。また、その時期
それからは、アメリカに対してアジアに対して、そして
を前後して、
(財)平和・安全保障研究所と米国コロンビ
あらゆる日本外交の観察者に対して同じ概念で説明でき
ア大学東アジア研究所による日米共同研究プロジェクト
る日本外交論はないものだろうか、と考えるようになり
にも参加し、1989 年から 5 年にわたり、ほぼ毎年ベト
ました。そのころよく国際会議などで、そんな日本外交
ナムとカンボジア(およびラオスに 1度)で現地調査を行
論の構築が研究者としての私の夢だ、でも、多分そんな
なうこともできました。ヘン・サムリン政権のフン・セン
ものはみつからないだろう、というような発言をしてい
たことを懐かしく思い出します。
もそのような政策課題で、世
専攻博士前期課程修了。
首相やシアヌーク殿下(当時)およびカンボジア政 府関
界的ネットワークに主導的役
米国ミシガン大学大学院政
係者とは、カンボジア和平合意が成立する前から何度か
しかし、1999 年から日本の「ミドルパワー外交」論を
割を担っている 3 名の方々に
治学専攻博士課程修了
面談する機会に恵まれ、ポルポト派幹部との面会も経験
論じ始め、2005 年に『日本の「ミドルパワー」外交』
(ち
しました。また、和平プロセスが始まってから 2 度にわ
くま新書)を上梓したとき、みつからないと思っていたも
たり、U N TAC(国連カンボジア暫定統治機構)の明石
のがみつかった、という密かな感慨がありました。また、
康代表を訪問し、日本の自衛隊が活動するタケオの現場
それは、戦後日本外交の実像であり、分裂した自画像を
も視察しました。私は地域研究者ではありませんが、イ
統合する均衡点でもあると感じました。
ご寄稿頂きました。
(Ph.D.)。
慶應義塾大学法学部専任
講師、助教授、米国東西セ
ン タ ー 訪 問 研 究 員( 安 倍
フェロー) を経て、1995
年より慶応義塾大学法学
部政治学科教授。2007 年
10 月からは、同大学東ア
ンドシナをめぐる国際関係や日本外交についてやや抽象
しかし、いざそれを社会に提示してみると、「ミドルパ
的で概念的な分析をする際にも、地に足が着いている感
ワー」への違和感は予想されたとおりでしたが、必ずしも
覚を持ち続けることができたのは、こうして現場の空気
問題意識自体が共有されていないということを思い知ら
を吸っていたからではないかと思います。
される羽目になりました。戦後 処 理の国際システムであ
「安倍フェローシップ・プログラム」について
ジア研究所所長も勤める。
「安倍フェローシップ・プログラム」についての詳細は、こちらのウェブサイトをご覧下さい。
http://www.jpf.go.jp/cgp/fellow/abe/index.html
東アジアの国際関係、日本
研究者や政策担当者を含めたさまざまな専門家との知的
日米 安 保 条 約に規 定された日本外交は、歴 史認 識、自
外交。著書に『日本の「ミ
議論が 不可欠であることも、様々なトラック 2 会合への
尊心、自立などの根源的問題をめぐって深刻なねじれに
ドルパワー」外交』(ちく
参加や聞き取り調 査などを通した 経 験 から学びました。
悩まされています。それらはまさに、国際社会と日本社
ま 新 書 )、『 日 本 の 東 ア ジ
とりわけ、安倍フェローとして、東西センターをベースに
会にまたがり、日本外交を根本的に制約する構造問題だ
しながらも、わずか 1 ヶ月ですがシンガポールの東 南ア
ろうと思うのです。
日米センター
(CGP: Center for Global Partnership )
とは
日米が共同で世界に貢 献し、緊密な日米関係を
築くことを目的として、1991 年に国際交流基金
に設立されました。日米センターでは、両国のパー
トナーシップ推 進のための知的交 流と両国の相
互理 解を深めるための地域・草の根 交流の 2 分
野で交流事業を行なっています。
編 集
後 記
専攻領域は、国際政治学、
師走に入り、今 年も残すところあとわずかとなりました。木枯ら
ア構想』(慶応義塾大学出
し吹きすさぶ頃、皆様いかがお過ごしでしょうか。
版会)など多数。
るサンフランシスコ講和体制に組み込まれ、戦後憲法と
ジア研究所に滞在できたことは、専門や国籍の異なる多
最近は、「ミドルパワー外交」論で提起したいと思った
くの専門家との濃密な議論を重ねる貴重な機会となりま
本質的問題は、まさにそうした戦後日本外交をめぐる構
しました貴重なご意見は、来年の『コラムス』作成に役立てて参り
した。この経験は、安倍フェローシップの優れた特徴が、
造問題であったのではないかと自覚するようになりまし
ます。また、日米センターでは、今年からジャーナリストを対象と
研究に重要であると判断される活動を柔軟に認めてくれ
た。そして、多くの日本外交論は、それに無自覚か、ま
した安倍フェローシップ・プログラムを取り入れるなど、プログラ
ることであると実感させてくれました。そこに、安倍フェ
たは避けているのではないか、と考えるようにもなりま
ムを一層充実させ、今後も知的好奇心を刺激する日米の交流活動
ローシップが重視する政策志向研究を、単に政策論に留
した。的確な問題設定の無いところに意味のある分析が
まらず深く学問的に行なうことを可能にする秘密がある
成 立しないことは、改めて指 摘 するまでもありません。
ようにも思います。
しかし、的確な問題意識と分析課題の設定こそが、最も
前号の『コラムス』に同封させて頂いた読者アンケートに、多くの
皆さまからご回答をお寄せ頂きありがとうございました。頂戴致
の情報発信に努めていければと考えています。
(竹)
本紙に関するご感想・ご意見をお寄せください。 日米センターURL:
E-mail [email protected]
現 地で直に目撃し手に触れたことを分析する際には、
www.jpf.go.jp/cgp
2008年12月15日 発行/無料
c 2008 独立行政法人 国際交流基金日米センター 無断転載、
○
コピーを禁ず。 掲載記事の内容は執筆者個人の意見であり、日米センターの意見を代弁するものではありません。
古紙配合率100%再生紙を
使用しています
今日、安倍フェローの仲間入りをしてからすでに 15 年
重要でありまた難しいことなのかも知れません。安倍フェ
が 過ぎました。振り返ってみると、当時の私は、ポスト
ローとして始めた研究の今日までの来歴は、改めてその
冷戦期において日本は「秩 序の構築者」としての役割を
ことを教えてくれているように感じています。
果 たすべきだといった、や や 青 い 議 論をしていました。
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