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ペルー・プー/県の二重言語・二重文化教育
72 ペ ル ー ・プ ー ノ 県 の 二 重 言 語 ・二 重 文 化 教 育 あ る国 際 技 術協 力 の軌 跡 一 青 木 芳 夫* LaeducationbilingiiebiculturalenPuno,Peru: Latrayectoriadeunacooperaciontecnicainternacional YoshioAoxl 1多 ペ ル ー 南 東 部,テ 2330k㎡,県 言 語 ・多 民 族 社 会 と二 重 言 語 教 育 ィ テ ィ カ カ 湖 を は さん で ボ リ ビ ア と 国 境 を 接 す る プ ー ノ 県 は 面 積7万 人 口 は91万 を か ぞ え,そ 人 口75万 の うち5割 の う ち68%は が ケ チ ュ ア 語 を,4割 農 村 部 に 居 住 して い る.ま が ア イ マ ラ語 を,な ス ペ イ ン語 しか 話 さ な い ス ペ イ ン 語 モ ノ リ ン ガ ル は1割 査).プ ー ノ県 の あ た りは別 名 の 高 原 が つ づ き,ジ た5才 以上 の ん ら か の 形 で 常 用 して お り, に も み た な い(1981年 度 国勢 調 「ア ル テ ィ プ ラ ー ノ 」 と 呼 ば れ る よ う に 標 高3500∼4000m ャ ガ イ モ や 大 麦 な ど の 自給 農 業 と リ ャ マ ・ア ル パ カ ・羊 の 牧 畜 業 を お も な 産 業 と して お り,典 型 的 な ア ンデ ス (シ エ ラ)農 村 社 会 で あ る と と も に,ペ 図1十 着 諸 語 の分 布 ル ー の 中 で も も っ と も貧 困 な 地 方 の ひ と つ で あ る. 慧 こ の プ ー ノ 県 農 村 部 の 小 学 校 が,1980年 い ら い ドイ ツ と の 国 際 技 術 協 力 に よ る 二 重 傷 言 語 教 育 実 験 の 舞 台 と な っ て き た.そ して, 、へ 、、' 検 こ の実 験 の 今 日 ま で の 軌 跡 を た ど る こ と が, 本 稿 の 目 的 で あ る. 現 在,ペ tr '1 ル ー 全 体 の 公 用 語 は,16世 獣 __,、 \N '\ 澱 紀 に 征 服 に よ って ヨー ロ ッパ か ら もた らさ れ た ス ペ イ ン語 で あ る(1979年 憲 法 第83条). しか し,プ ー ノ県 に み られ る よ う に,ペ ルー 櫓 、 ビ' は い ま な お 多 言 語 ・多 民 族 社 会 で あ る し, 征 服 か ら450年 が た つ に も か か わ ら ず,ス ペ イ ン語 は 真 の 共 通 語 と して の 地 位 を 確 立 して い な い. じ っ さ い,ペ (沿 岸 部),山 部),ア ル ーは太平 洋岸 の コス タ 岳 ・高 地 の シ エ ラ(山 マ ゾ ン低 地 の セ ル バ(密 ら形 成 さ れ て お り,ス *史 学 研 究 室 岳 受 理. 圖 アイマラ網 ・♪一ζ讐 駆 § アマ・ニア纈 林 部)か ペ イ ン語 が 優 勢 な コ ,1987年9月30日 瞳 翻 ケチュア翻(25^50X) (出 典)松 久 玲 子 論 文,157ペ ー ジ. 青 木:ペ ル ー ・プ ー ノ県 の 二 重 言 語 ・二 重 文 化 教 育 73 ス タに た い して,セ ルバ に は11語 族 ・約50の 民 族 集 団 か らな る25万 の 土 着 語 人 口が 居 住 し て い る.一 方,シ エ ラ農 村 部 を 中 心 に して,数 百 万 の ケ チ ュ ア語 な い しア イマ ラ語 人 口が 居 住 して い る(図1).な お ケ チ ュ ア 語 は 南 北 ケ チ ュア 語 と中部 ケ チ ュ ア語 に 大 別 さ れ, さ らに それ ぞ れ い くつ か の 方 言 に細 分 で き るがs民 族 集 団 間 の 差 異 は,現 在 で はセ ル バ に お け る差 異 ほ ど明 確 で は な くな って きて い る. 表1は1981年 の 国 勢 調 査 結 果 を も と に作 成 したが,ペ ル ー全 体 の5才 以 上の 人 口の 常 用 語 別 構 成 を 示 して い る.も ち ろん 土 着 語 人 口 は,相 対 的 に は緩 慢 なが ら確 実 に減 少 して き て い る.た と えば 一 連 の 国勢 調 査 に よれ ば,ペ ル ー最 大 の 土 着 語 層 を 構 成 して きた ケ チ ュ ア語 人 口(5才 以 上)に して も,1940年 た.し か しこの22%・318万 以 降 の40年 間 に47°oか ら22%へ と半 減 して しま っ 人 と い う数 字 自体 ま だ無 視 す る こと ので き な い もので あ る し, 農 村 部 を と って み れ ば スペ イ ン語 モ ノ リン ガル と土 着 語 人 口は 数字 的 には ほぼ 拮抗 して お り,土 着 語 人 口の存 在 の 大 き さが わ か るD. 表1ペ ル ー の5才 以 上 の人 口 の常 用 語 別 構 成(1981年)(単 位:1000人) 1 5才 の 全国 以 上 人 14,571 (100°0) 都市 口 ス ペ イ ン語 モ ノ 10,633 (73.0°o) 9,655 4,916 モ ノ 123236 (0.8°0)(1.6°0) isgi,17s 土 着 諸 語 モノ バイ 1,1132,071 49 (0.3°o) 8100 (1.1°o)(8.1°o) 2,714 (18.6°0) ア イ マ ラ語 バイ (7.6°0)(14.2°0) 7,919 (54.4°o) 農村 ケチュア語 モノ 3 (0.1°o)(0.7°o) (0.0°o) 114136 946893 46 (0.7%)(0.9%) (6.5°o)(6.1°o) (0.3°0) (出 典)INE,(;'ensosnacionales吻depoblacion〃deviuienda12deJuliode1981: Resultadosdefinitivosdelasvariablesinvestigadaspormuestro,VolumenB,Nivel nacional,TomoI,Lima,1984,pp.164-165か ら作 成 し た. ペ ル ーは また,自 然 的 条件 や歴 史 的 条件 によ り分 裂 的社 会 に と どま って い る.そ の結 果, ス ペ イ ン語 人 口 と土 着 語 人 口 と は支 配 一 被 支 配 の 関 係 に あ り,後 者 は国 内植 民 地2)を 形 成 して い る.ペ ル ーの 教 育 事 情 は この よ うな国 内 植 民 地 状 況 を よ く反 映 して い る.表2は15才 上 の非 識字率 をあ らわ して い る.そ れ に よ れ ば, 1981年 現 在 で ペ ル ー全 体 で まだ5人 表2ペ 以 に1人 が い か な る言 語 に よ って も読 み 書 きが で き な いで い 1 1940年 1961年 1972年 1981年 ペ ル ー 全 体 57.6 38.9 27.5 18.1 17.7 12.5 8.1 59.4 51.9 39.6 = == 三= 一} 一 『} 都市 るが,農 村部 で は その 割 合 は4割 弱 に もの ぼ る. ち なみ に,プ ー ノ県 全 体 で は3人 に1人 が 非 識 ル ーの15才 以 上 の 人 口の 非 識 字 率 (00)の 推 移 農村 プ ー ノ県 字 層 で あ る.つ ま り,土 着 語 人 口の 分 布 と非 識 都市 字 層 の 分 布 との あ いだ に は強 い相 関 関 係 を 認 め 農村 = 一 る こ とが で き る.な お 土 着 語 人 口に お け る高 い (出 非 識 字 率 はs同 じ く高 い 中 退 率 ・落第 率 を 予 想 させ る し,こ れ ま で の 教 育政 策 が彼 らの ニ ーズ に こ たえ て こな か った こ とを 証 明 して い る 。 ペ ル ーの よ うな 多 言 語 ・多 民 族社 会,国 内植 典)INE,(;ensosnacionales吻 depoblacionIIIdevivienda12dejuliode1981:Resultadosdefinitivos, VolumenA,Nivelnational,Tomo I,Lima,1984,pp.xxxixy262-263 か ら 作 成 し た. 32.5 17.8 39.7 奈 74 良 大 学 紀 要 第16号 民 地 的 状 況 を か か え て い る 社 会 の 教 育 問 題 の 解 決 方 法 と し て,第 1960年 代 に な っ て,二 二 重 文 化 教 育 が 考 案 さ れ,世 ペ ル ー で は,プ 中 心 に な っ て,セ 現 在 で 約1万2000人 行 型)と くに 二重 言 語 ・ 界 各 地 で 実 践 さ れ て き て い る3). 把 握 して い る と さ れ る4).し デ ル(移 持 型)の ロ テ ス タ ン ト系 の オ ク ラ ホ マ 大 学 夏 期 言 語 研 究 所(lnstitutoLin- giiisticadeVerano,ILV)が 始 し,1977年 二 次 大 戦 以 降,と 重 言 語 教 育 と く に メ イ ン テ ナ ン ス ・モ デ ル(維 ル バ で1950年 の 小 学 生 が 受 講 して い る.該 か し,ILVの 呼 ば れ る もの,つ 代 に 二 重 言 語教 育 を 開 当 す る 児 童 の3人 に1人 を 二 重 言 語 教 育 は 一 般 に トラ ン ジ シ ョナ ル ・モ ま り国 家 語 な い し威 信 言 語 を 習 得 す る ま で の あ い だ 母 語 な い し土 着 語 を 使 用 す る二 重 言 語 教 育 で あ り,近 年 多 くの 批 判 に さ ら さ れ て い る.ペ ル ー に お い て 真 に メ ィ ン テ ナ ン ス ・モ デ ル の 名 に 値 す る も の は,プ ー ノ にお け る二 重 言 語 教 育 実 験 だ け で あ る 。 し た が っ て,規 現 在 で 約4000人 受 講),プ 模 こ そ ま だ 小 さ い が(1986年 ー ノ の 実 験 は 本 稿 で 考 察 す る 価 値 が あ る の で あ る. H「 ペ ル ー 革 命 」 下 の 教 育 改 革 と プ ー ノ ・プ ロ ジ ェ ク トの 開 始 1968年10月 か ら約12年 間,ペ ル ー は 「全 員 の 参 加 に よ る 社 会 的 民 主 主 義 の 建 設 」 を 標 榜 す る 改 革 主 義 的 軍 事 政 権 の 統 治 下 に あ っ た.こ ラ ス コ(JuanVelascoAlvarado)将 年8月 の小学生が ま で の 最 初 の 約8年 1969年6月 れ を 「ペ ル ー 革 命 」5)と い う.と く に,ベ 軍 を 中 心 と す る 若 手 将 校 グ ル ー プ が 指 導 し た1975 間 に は,一 の 農 地 改 革 法,労 連 の 注 目 す べ き 改 革 が こ こ ろ み られ た.た と え ば, 働 者 の 経 営 参 加(「 労 働 共 同 体comunidadlaboral」),ス ラ ム 改 革(「 プ エ ブ ロ ・ホ ー ベ ン」 の 建 設),1974年5月 の 社 会 的 所 有 法 な ど,民 族 主義 的 ・社 会 経 済 的 改 革 に よ り これ ま で の 分 裂 的 社 会 を 「上 か ら 」 近 代 化 ・国 民 統 合 しよ う と し た の で あ る. し か し,ベ ラ ス コ ・グ ル ー プ が 多 言 語 ・多 民 族 社 会 ペ ル ー の 国 民 統 合 に つ い て い か な る イ メ ー ジ を え が い て い た か に つ い て は,簡 オ(indio)」 単 に 答 え る こ と は で き な い.も 共 同 体 を 「農 民(campesino)」 合 を エ ス ニ シ テ ィ ー(民 族 性)の 問 題 と して よ り も社 会 経 済 的 問 題 ・階 級 問 題 と して 取 り 組 も う とす る 姿 勢 が う か が え る し,長 国 に 適 用 さ れ る ば あ い,よ ち ろ ん 「イ ン デ ィ 共 同 体 と 呼 び か え よ う と し た こ と か らは,統 期 的 に は 古 典 的 な 西 欧 型 の 統 合(と くに旧 植 民 地 諸 り併 合 主 義 的 ・同 化 主 義 的 な 色 彩 を お び や す い の だ が)を して い た と も考 え る こ と が で き る.た 「先 住 民 共 同 体(comunidadnativa)」 だ し,こ め ざ の ば あ い で も,セ ル バ の 共 同 体 につ いて は と呼 ん で 区 別 し た り,独 立 前 夜 の18世 紀 の 末 に ク ス コ ・プ ー ノ 地 方 を 中 心 に シ エ ラ で 大 規 模 な イ ン デ ィ ヘ ナ 反 乱 を 指 導 し非 業 の 死 を と げ た ト ゥパ ッ ク ・ア マ ル ー(TupacAmaru,1741∼81年,本 ン ボ ル と して 使 用 す る6)な ど,不 さ ら に 重 大 な こ と に は,二 第21156号 名 コ ン ド ル カ ン キ)を 重 言 語 教 育 と も 関 係 が ふ か い の だ が,1975年5月27日 に よ り ケ チ ュ ア 語 が ス ペ イ ン語 と 同 等 の 公 用 語 に 認 定 さ れ,学 お け る ケ チ ュ ア 語 の 使 用 に つ い て も 指 示 が だ さ れ た.そ 正 書 法(「 一 般 的 基 礎 ア ル フ ァ ベ ッ ト」)が 制 定 さ れ(教 は そ れ に も と ず い て6地 統 合 の シ 徹 底 さ を の こ して い る. して 同 年10月 の政令 校 や裁判 所等 に に は,ケ 育 大 臣 令 第4023-75号),翌 チ ュ ア語 の 年 に 方 の ケ チ ュ ア 語 方 言 の 辞 書 と 文 法 書 が ペ ル ー 問 題 研 究 所(IEP) の 協 力 に よ り 刊 行 さ れ た.こ れ ら の 事 実 は,古 らす れ ば 不 協 和 音 を 形 成 して い た が,逆 典 的 な 西 欧 型 の 国 民 統 合 論 ・国 民 国 家 論 か に い え ば,そ れ だ け 新 た な 可 能 性,た とえ ば 多 元 主 義 的 統 合 へ の 道 を 秘 め て い た と も い え る. 「ペ ル ー 革 命 」 の こ の よ う な 全 体 的 傾 向 と 混 沌 の 中 で,教 育 改 革7)も ま た 生 ま れ た.そ 青 木:ペ ル ー ・プ ー ノ県 の 二 重 言 語 ・二 重 文 化教 育 の うち二 重言 語 教 育 に関 係 す る もの に は,一一般 報 告(1970年9月)・ 75 19326号,1972年3月21日)・ 二 重 言 語 教 育 国 家 政 策(同 年6月)・ 第003-ED/73号,1973年2月8日)・ 基 礎 教 育 令(1975年)・ 教 育 一 般 法(政 令第 二 重 言 語 教 育 令(政 令 ケ チ ュ ア語 の 公 用 語 化 等 が あ る. 1971年2月,ベ ラ ス コ はつ ぎの よ う に語 って い る.「 ペ ル ー 革命 の 教 育 改 革 か ら うま れ る教 育制 度 は,全 国 民 の 必要 を 充 足 し,こ れ まで 搾 取 され 故 意 に無 知 に お と しめ られ て き た農 民 大衆 を もふ くめ,す べ て の ペ ル ー人 に ペ ル ーの 基 本 的 諸 問 題 につ いて 新 しい意 識 を い だ か せ,そ して 連 帯 ・勤 勉 ・真 の 自 由 ・社 会 的 正 義 そ して す べ て の ペ ル ー人 男 女 の 責 任 と権 利 を重 視 す るよ うな 新 しい道 徳 観 に め ざ め た,新 しい 種類 の 人 間 を つ くりだ す で あ ろ う」. そ して,ヒ ュ ー マ ニ ズ ム と民 族 主義 と民 主 主義 を柱 とす る教 育 一 般 法 もま た 「旧来 の従 属 ・支 配 構 造 を打 破 す る歴 史 過 程 へ の 参 加 と解 放 に む か う自 己覚 醒 」 を 目標 に か か げ,こ の 「参 加 と意 識 化 」 を 実 現 す る ため に,ペ ル ーの 教 育 課 程 を就 学 前 教 育(inicial)・ 基 礎 教 育(basica,計9年)・ 高 等教 育(superior)の3段 階 に 整 備 す る と と も に,2∼5才 の 幼 児教 育 や15才 以 上 の 成 人教 育(基 礎 教 育課 程 の 職 業 料)を 制度 化 した .ま た,教 育 行 政 の地 方 分権 化 と住 民 参 加 を め ざ して,「 中核 学 校 化(nuclearizaci6n)」 る機 構 改革 を は か った.こ れ に よ り,地 域(regi6n)一 校(centro)に NEC)が 系 列 化 され,3番 地 区(zona)一 と して 知 られ 中 核(nucleo)一 学 目の 「共 同体 的 中 核 学 校(nucleoeducativocomunal , 地 方 住 民 や 教 師 の参 加 を えて,中 心 的 役 割 を に な うよ うに な った . そ して 一 般 報 告 は,中 期 的 に は シエ ラ農 民 を教 育 改革 の重 点 目標 に選 び,二 重 言 語教 育 と農 地 改 革 の 両 輪 に よ り彼 らの 「参 加 と意 識 化 」 を はか ろ う と した.二 重 言 語教 育 国 家 政 策 もま た 「識 字 化 や スペ イ ン語 化 が 社 会 経 済 的 ア プ ロー チ と は無 縁 の 教 育 過 程 と して の み と らえ られ るな らば,そ こか らは何 も うま れ な い で あ ろ う し,望 ま しい方 法 で は な い 」 と , 教 育 の 社会 経 済 的側 面 の 重要 性 を 指摘 して い る. ま た 国家 政 策 は 「あ る特 定 の 文化 を排 他 的 モ デ ル と して 押 しつ け る エ ス ノ サ イ ド[民 族 的集 団 抹殺]的 方 法 に よ って」 は国 民 文化(unaculturanacional)を 創造す ることがで きな い と し,そ れ に か わ る もの と して 二重 言語 教 育 を と りあ げ た.こ の 点 につ いて教 育 一 般 法 は 「社 会 的 ・地 域 的 多様 性 を反 映 した柔 軟 か つ 多様 な教 育 」 を め ざす た め に,土 着 語 人 口の 教 育 は 「円滑 か つ 確 実 で,よ り永 続 的 な ス ペ イ ン語 化 の た め の準 備 過 程 と して 二 重 言 語 教 育 法 を採 用 す る と と もに各 集 団 の文 化 類 型 を理 解 し評 価 す る こ とに よ り,現 在 の よ うな強制 的 な スペ イ ン語化 と土 着 諸 語 の軽 視 を 克服 」 す べ きで あ る,と 前 文 の 中 で の べ た. これ を う けて,二 二重 言 語 教 育 令 はペ ル ー国 民 の 多 言 語 ・多 文 化 状 況 に 立 ち(第1条),土 着 語 モ ノ リ ンガル な い し初 歩 的 バ イ リ ンガル 人 口 の 存 在 す るNEC地 区 に対 し,基 礎 教 育 課 程 で の 二 重 言 語教 育 校 や特 別 プ ロ グ ラ ムの 設 置 を 認 可 した(第2条). しか し,ス ペ イ ン語 と土 着 語 の 両方 を基 礎 教 育 課 程 の 最 初 の4年 間 だ けの 教 授 語 と した 同 法第3条 の規 定 や,「 児 童 や 成 人 が 学 習 の た め に共 通 語 を のみ 使 用 す る よ う に な れ ば 二 重 言語 教 育 校 で あ る こ とを や め る」 と した教 育 一般 法 に よ る二 重 言 語教 育 校 の 定 義 か ら も 明 らか な と お り,全 体 の基 調 と して は,二 重 言 語教 育 の 中 で も トラ ン ジ シ ョナ ル ・モ デ ル を指 向 して い た.た だ し こ こで もま た,選 修 制 で は あ った が,ス ペ イ ン語 児 童 に対 す る第 二 言 語 と して の 土着 語 教 育 の 規 定(第14条)や,師 条)の よ うに,レ シ プ ロカ ル ・モ デル(相 互 型),つ 範 学 校 に お け る 土 着 語 の必 修 化(第16 ま り支 配 集 団 の 側 も被 支 配 集 団 の 言 語 を学 習 す べ きだ と い う,最 も進 ん だ タ イ プの 二 重 言 語 教 育 の要 素 を 同時 に 見 出す こ とが 奈 76 良 大 学 紀 要 第16号 で き る.む しろ,国 民 統 合 全体 の問 題 と同 じよ うに,二 重 言 語 教 育 の 方 法 論 が ま だ 十 分 確 立 され て い な か った とい った ほ うが,正 確 で あ ろ う. と もあ れ,そ れ ま で の セ ル バ を 中心 とす る二 重 言 語教 育 が特 別 の 統 轄 制 度 の も とで 学 校 外教 育 と して 実施 され て いた こ とか らす れ ば,同 法 によ り正 規 の 教 育 行 政 制 度,つ 核 学 校 制度 の 中 に組 み 込 まれ た こ とや,さ ま り中 らには 法 制 面 で セ ル バ の トラ ン ジ シ ョナル ・モ デル 以 外 に も二 重 言 語 教 育 モ デ ル へ の 道 を 開 い た こと は大 きな 前 進 で あ っ た. この よ う な 方 針 に も と ず い て,土 着 語 人 口 の お お い シ エ ラ 南 部 の 各 地 で,い 重 言 語 教 育 が 実 験 的 に 開 始 さ れ た.プ こ の1970年 ー ノ ・プ ロ ジ ェ ク ト も ま た そ の ひ と つ で あ っ た. 代 は 「第 二 次 国 連 開 発 の10年 」 で あ り,先 諸 国 に援 助 し,そ の う ち7割 進 諸 国 に はGNPの1%を 低 開発 は公 的 援 助 に よ る こ と が 目 標 と して 定 め ら れ た.そ は,1971年 の 総会 で ま た1973年 秋 の い わ ゆ る石 油 危 機 を き っ か け に,1974年5月 「最 貧 国(leastdevelopedcountry)」25力 樹 立 に 関 す る 宣 言 及 び 行 動 計 画 」 が,そ 択 さ れ,こ くつ か の 二 して ペ ル ー 国 の ひ と つ に 指 定 さ れ た. に は 国 連 で 「新 国 際 経 済 秩 序 して12月 に は 「国 家 間 の 経 済 権 利 義 務 憲 章 」 が 採 れ ま で の 南 北 間 の 社 会 経 済 的 国 際 秩 序 を 根 底 的 に 変 革 しよ う と す る 気 運 が 高 ま っ て い っ た. こ の よ う な 国 際 情 勢 の 展 開 の 中 で プ ー ノ ・プ ロ ジ ェ ク ト 正 式 に は プ ー ノニ 重 言 語 教 育 実 験 プ ロ ジ ェ ク ト(ProyectoExperimental deEducaci6nBilingiie‐Puno)が,図2プ ーノ ・プ ロ ジ ェ ク トの 実 験 校 ペ ル ー と西 ドイ ツ と の あ い だ の 政 府 間 協 定 (1975年12月 署 名)に も と ず く国 際 技 術 協 力 事 業 と して 始 ま っ た.西 ドイ ツ の 援 助 政 策 は 国 際 的 に 評 判 が 高 い.公 的 援 助 の 対GNP比 は1962年 か ら1978年 に か け て0.31%と0.38% の あ い だ を 上 下 して い た が,1980年 %と な っ た.ま た1970年 代 の末 に は最 貧 国 に 対 す る援 助 が 公 的 援 助 の 約25%を に な っ た.そ に は0.43 占 め るよ う して ラ テ ン ア メ リ カ に 限 定 す れ ば,1970∼1979年 の10年 間 で は ペ ル ー が 西 ド イ ツ の 公 的 援 助 の17.6%・ 多 か っ た8).さ 約8億2000万 ラ ジ ル(18.9%)に ら に,ペ マル 堕 蝕、 野 ク を 受 け 取 り,ブ つ いで ル ー の 中 で も最 も貧 しい県 の ひ とつ で あ る プ ー ノ県 で は北 西 欧 諸 へ 肖 ▲ 。繍 蜘"・ 国 に よ る お お くの 援 助 協 力 計 画 が 進 行 中 で あ る. プ ー ノ ・プ ロ ジ ェ ク トの そ も そ も の 始 ま り は,1974年 ▲ ケチユア に ドイ ツ 技 術 協 力 会 社(Deutsche GesellschaftfurTechnischeZusammenarbeit,GTZ)9)の メ ンバ ー が ペ ル ー 教 育 省 の 印刷 設 備 改 善 の 技 術 協 力 の 可 能 性 を検 討 す る た め に ペ ル ー を 訪 問 した と き で あ っ た. や が て 西 ドイ ツ 政 府 は,印 刷 機1台,自 動車 (出 典)Caretas,No.749,23demayode 1983,p.48. ㌣挙 青 木:ペ ル ー ・プ ー ノ県 の 二重 言語 ・二重 文 化教 育 2台,校 具 類 を 援 助 す る こ と に な る.し か し,こ 言 語 教 育 令 が 公 布 さ れ た と こ ろ で あ り,二 4月 か ら6月 77 の 時 期 の ペ ル ー で は ,教 育 一 般 法 や 二 重 重 言 語 教 育 へ の 関 心 が 高 ま っ て い た.1974年 に か け て 西 ド イ ツ 側(GTZ)と ペ ル ー 側 の 教 育 研 究 開 発 庁(Instituto NacionaldeInvestigaci6nyDesarroll6delaEducaci6n,INIDE)と だ で も た れ た 会 合 に は,教 1973年 設 置)のC・ の あ い 育 省 二 重 言 語 教 育 課(UnidaddelaEducaci6nBilingue ア ル フ ァ ロ(ConsueloAlfaro)が 育 の た め の 実 験 プ ロ ジ ェ ク トへ と 発 展 し,GTZとINIDE(本 育 局 を 加 え た 三 者 に よ っ て 運 営 さ れ る こ と と な っ た.実 は じ ま っ た.そ して1979年 , 同 席 して い た .結 局二 重言 語教 部 リ マ)に 際 の 活 動 は1977年 プ ー ノ県 教 に調 査研 究 か ら に は 両 政 府 間 で 新 た な 協 定 が 締 結 さ れ て い る .翌80年 重 言 語 教 育 が ケ チ ュ ア 語 圏 と ア イ マ ラ 語 圏 を 合 わ せ て100校 で 開 始 さ れ た.さ 83年 に協 定 が 更 新 さ れ,現 更 新 で あ っ た の が4年 な お,く 協 定 は1988年4月 ま で 有 効 で あ る .つ ま り,そ か らは 二 ら に81年 れ ま で2年 と 毎 の 間 の 協 定 と な っ た の で あ る10). わ しい 活 動 内 容 に つ い て は89ペ ー ジ の 添 付 資 料 に ま と め て あ る. 皿 「ペ ル ー 革 命 」 の 後 退 と プ ー ノ ・プ ロ ジ ェ ク トの 確 立 ベ ラ ス コ 政 権 は1975年8月 無 血 ク ー デ タ に よ り崩 壊 した .つ デ ス(FranciscoMoralesBermudez)政 期 」 と 称 した が,そ ぎ の モ ラ ー レ ス ーベ ル ム ー 権(∼1980年7月)は の 後 退 ぶ り は 隠 し よ う もな か っ た し,ベ 「ペ ル ー 革 命 の 第 二 ラ ス コ期 に お い て も 「ペ ル ー 革 命 」 の 限 界 性 は 各 方 面 に あ ら わ れ て い た. ケ チ ュ ア 語 の 公 用 語 化 に して も,政 令 第21156号 が 命 じ て い た1976年4月 の 教 育 課 程 に お け る ケ チ ュ ア 語 の 必 修 化 も,1977年1月 の 使 用 も,実 現 し な か っ た.そ た 新 憲 法 は,第83条 以降 のす べ て 以 降 の 裁 判 所 に お け る ケ チ ュ ア語 して 民 政 移 管 を 翌 年 に ひ か え た1979年7月12日 に お い て,ス に発 布 され ペ イ ン語 が ペ ル ー の 唯 一 の 公 用 語 で あ る と 規 定 し た . も ち ろ ん 「ペ ル ー革 命 」 の 言 語 政 策 や 教 育 政 策 が 全 面 的 に 否 定 さ れ た わ け で は な か っ た. 同 じ く第83条 に よ り,ケ 公 用 語 と して,つ チ ュ ア 語 と ア イ マ ラ語 は 法 の 指 定 す る形 態 な ら び に 区 域 に お い て ま り 地 域 的 公 用 語 と して 使 用 で き る よ う に な っ た し,そ 語 も ま た ペ ル ー の 文 化 的 資 産 と して 認 め られ た.ま て 初 等 教 育 を 受 け る権 利 が 保 障 さ れ た.と た だ し,つ 月)も た 第35条 で は,母 も に ペ ル ー 憲 法 史 上,画 ぎ の 第 二 期 ベ ラ ウ ン デ(FernandoBela加deTerry)文 の ほ か の土 着 諸 語 で あ る土 着 語 に よ っ 期 的 な 条 項 で あ っ た. 民 政 権(∼1985年7 ま た,「 尊 重 す れ ど も し た が わ ず 」 の 植 民 地 遺 制 的 精 神 に よ り,た とえ ば ケ チ ュ ア語 や ア イ マ ラ語 を 公 用 語 と して 使 用 で き る 区 域 等 の 指 定 を 最 後 ま で 怠 っ た の で あ る . 言 語 面 や 教 育 面 だ け で は な か っ た.じ 的 に い っ て,社 た と え ば1969年6月 36万 人 に 対 して,灌 (29%),牧 は,南 っ さ い 「ペ ル ー 革 命 」 の 成 果 に も か か わ ら ず,端 会 経 済 的 改 革 の 恩 恵 は シ エ ラ農 村 に ま で 及 ば な か っ た. の 農 地 改 革 法 に よ る 農 地 改 革 で は,1979年9月 概 地51万hα(1972年 草 地599万hα(40%),縁 辺 地109万hα,計830万hoが 割 合 が15%に も満 た な い こ と は 問 題 で あ る し,そ とE・ ア ル バ レ ス の 数 量 的 研 究1Dに よ れ ば,農 地 域 間 比 率 は コ ス タ13%,シ を も考 慮 に い れ た 換 算 面 積(70万hα)の 水 地71万ho か し ,可 耕 地(灌 の う えJ・M・ れ 概地 カバ リェ ロ 地 改 革 は シ エ ラや セ ルバ の 伝 統 的 農 業 部 門 よ り も コ ス タ の 近 代 的 農 業 部 門 に よ り 大 き な 変 化,富 分 配 粗 面 積830万hGの ,天 再 分 配 さ れ た.こ ア メ リ カ で は 最 大 規 模 の 改 革 で あ っ た こ と を 示 して い る.し と 天 水 地)の 末 ま で の10年 間 に 計 国 勢 調 査 時 点 の 総 面 積 の40%) の 再 配 分 を も た ら し た .つ エ ラ83°o,セ 比 率 で は コ ス タ58%,シ ル バ4°oで エ ラ36%,セ ま り,再 あ る が,地 味 ル バ6°oと 奈 78 逆 転 す る.ま 良 大 学 紀 要 た 受 益 農 民 層 を 比 較 して み て も,コ 働 者(trabajadoresestables)」 は1人 第16号 ス タ の お も な 受 益 農 民 層 で あ る 「常 傭 労 当 た り 換 算 面 積 に し て3.8haを え た の に 対 して, シ エ ラ や セ ル バ の お も な 受 益 農 民 層 で あ る 共 同 体 成 員 は0.4hα を え た に す ぎ な か っ た.も ち ろ ん 再 分 配 の 規 模 や 性 格 だ け が 問 題 な の で は な い.ま さ に 信 用 供 与 や 価 格 政 策 な ど,す べ て の 側 面 に お い て シ エ ラ の 伝 統 的 農 業 部 門 が 忘 れ さ ら れ つ づ け た こ と が 問 題 な の で あ る. この よ う な シ エ ラ 農 村 の 軽 視 は 教 育 改 革 に つ い て も人 々 の あ い だ に 不 信 感 を う え つ け る こ と に な り,二 重 言 語 教 育 な ど の 教 育 改 革 に た い して も,皮 肉 な こ と に,上 着語父 兄による 消 極 的 抵 抗 を 招 く結 果 と も な っ た. そ の ほ か,二 重 言 語 教 育 の 方 法 につ いて 専門 家 や 教 育 官 僚 の あ い だ で合 意 が で きて い な か っ た こ と も ま た,そ の 普 及 の う え で 障 害 と な っ た.た と え ば,ホ ー ンバ ー ガ ー に よ れ ば, 少 な く と も前 出 の ア ル フ ァ ロ は メ イ ン テ ナ ン ス ・モ デ ル を 支 持 し て い た よ う で あ る.し し,ポ ッ シ ー エ ス コ ッ ト(lnesPozzi-Escot)に い た っ て は,1972年 か の 時 点 で は トラ ン ジ シ ョ ナ ル ・モ デ ル か 土 着 語 の 補 助 的 使 用 を 考 え て い た だ け で あ り,し か も後 者 の ほ う を 推 薦 して い た12・.こ の よ う な 合 意 の 未 成 立 が 二 重 言 語 教 育 の 関 連 法 令 に 不 徹 底 な 点 や さ ま ざ ま な 解 釈 の 余 地 を の こ す 一 因 と な っ た の で あ る 。 そ の 結 果,す ン ジ シ ョナ ル ・モ デ ル を 追 求 して き たILVの で に1950年 代 か ら トラ セ ル バ ・プ ロ ジ ェ ク トは 別 と し て も,そ し て ア ンデ ス 南 部 に か ぎ っ て み て も,ト ラ ン ジ シ ョナ ル ・モ デ ル を と っ た ク ス コ ・プ ロ ジ ェ ク ト(1976年 国 の コ ー ネ ル 大 学 に よ る 指 導),メ か らの 数 年 間40校,米 モ デ ル の 要 素 を 加 味 し た ア ヤ ク ー チ ョ ・モ デ ル(1964年 応 用 言 語 学 研 究 所 に よ る 指 導.1977年 イ ンテ ナ ン ス ・ ∼4,5校.サ ンマ ル コス 大学 か ら ス ー ニ ガMadeleineZunigaか 統 轄),そ して や が て メ イ ン テ ナ ン ス ・モ デ ル を 採 用 す る こ と に な る プ ー ノ ・プ ロ ジ ェ ク ト と,さ ま ざ ま で あ っ た. そ れ と 同 時 に,二 が で き な い.た 重 言 語 教 師 や 専 門 家 の 不 足,さ と え ば 「1971∼1975年 エ ラの 単 年 度 教 育 予 算(1973年24億 らに は資 金 の 不 足 もま たみ のが す こ と ペ ル ー 計 画 」 全 体 の 教 育 予 算 約80億 ボ リ ー バ ル ー 約214億 ソ ル)に ソ ル は,ベ ネズ もは るか に及ば なか っ た し13),国 家 予 算 に 占 め る 教 育 支 出 の 割 合 も第 一 期 ベ ラ ウ ン デ 政 権i(1963∼68年)の を 最 後 に,徐 々 に 低 下 して い っ た.漸 増 す る 内 外 公 債 の 返 済 等 が 社 会 関 連 予 算,と とき くに教 育 予 算 の 切 り詰 め を も た ら し た の で あ る. 結 局 の と こ ろ,費 用 や人 員 や 反 応 な ど の社 会 的 基 盤 を十 分 に計 算 した 上 で の政 策 と い う よ り も,理 想 化 さ れ た 目 標 の 提 示 に す ぎ な か っ た し,社 会 経 済 的 改 革 ぬ き の 言 語 ・教 育 改 革 で は,シ エ ラ農 民 大 衆 を ひ き と ど め て お く こ と は で き な か っ た の で あ る. こ の よ う に 「ペ ル ー 革 命 」 が 後 退 し 二 重 言 語 教 育 や ケ チ ュ ア 語 に た い す る 熱 狂14)が さ め て い くな か で,プ 実 験 校 は1980年 そ して1982年 ー ノ ・プ ロ ジ ェ ク ト も ま た 開 始 早 々,当 度 の100校 か ら81年 度 に は94校(ケ 度 に は84校(ケ チ ュ ア 語46校,ア 員 の 異 動 に よ る も の で あ っ た.こ い う,思 の た め,1983年 状 況,開 チ ュ ア 語43校,ア イ マ ラ 語38校)ま 度 か ら は,実 イ マ ラ 語51校), で 減 少 した.主 験 校 数 を40校 と して 教 に半 減 す る と い 切 っ た 措 置 が と ら れ た. 実 験 校 の 選 択 規 準 は 当 初(1978年 率(75%以 初 の 計 画 の 変 更 を 迫 られ て い く. 上 を 最 上 と し,50∼75%を の 時 点)つ 発 計 画 へ の 共 同 体 の 参 加 度,1級 を 母 語 と す る.手L芸 な ど の 特 技.農 ぎ の と お り で あ っ た.生 次 善 と す る),共 の 教 員15)(男 民 出 身.農 徒 の モ ノ リ ンガ ル 同体 の社 会 経 済 的 な ら び に 教 育 的 女 同 数.ケ チ ュ ア 語 か ア イ マ ラ語 村 学 校 で の 数 年 の 経 験).し か し,1980 青 木:ペ ル ー ・プ ー ノ県 の 二 重 言 語 ・二 重 文 化 教 育 年 か ら実 際 に適 用 され た 規 準 は,モ ノ リ ン ガ ル 率 ・共 同 体 側 の 同 意 ・教 員 側 の 条 件(1級 母 語 ・5年 以 上 の 経 験 ・1学 年 の み 担 当 ・参 加 へ の 同 意)だ が 半 減 され た1983年 79 け で あ っ た.さ らに 実験 校 数 か ら は教 員 側 の 関 心 と 動 機 づ け ・実 験 対 象 の 学 年 数(つ 教 員 の 実 績 ・観 察 結 果 ・共 同 体 の 態 度 の5点 に しぼ ら れ た.こ ま り6年 こ で は,も ・ 間)・ は や教 員 の 等級 を 問 題 に して い る 余 裕 は な か っ た の で あ る16). しか し,こ の 困 難 な時 期 こ そ二 重 言 語 教 育 に つ い て ペ ル ー の専 門 家 や 人類 学 者 の あ い だ で い ち お う の 合 意 が 形 成 さ れ,プ ー ノ ・プ ロ ジ ェ ク ト自 身 そ の 方 法 論 を 確 立 して い っ た 時 期 な の で あ る. た と え ば 前 出 の ポ ッ シ ー エ ス コ ッ トは,遅 モ デ ル を 支 持 す る よ う に な っ て い た し,二 で は な く,農 く と も1978年2月 ま で に は,メ イ ンテ ナ ンス ・ 重 言 語 教 育 が 「セ ル バ の 部 族 」 に 限 定 さ れ る の 村 や 都 市 の ケ チ ュ ア ・ア イ マ ラ 語 人 口 を も 対 象 に す べ き で あ る と 考 え る よ う に な っ て い た17). ま た,第 二 期 ベ ラ ウ ン デ 政 権 下 の1982年 員 会 が つ く られ た.メ ン バ ー は は じ め 教 育 省 のA・ ア ロ ー ヨ,ILVのM・A・ 成 さ れ て い た が,翌 ワ イ ズ,カ は 解 散 し,政 (ロ ペ ス,オ 育 省 の 呼 び か け に よ り ひ とつ の 委 エ ス コ バ ル,ポ プ ー ノ ・ プ ロ ジ ェ ク トのL・E・ か し,そ ッ シ ー エ ス コ ッ ト,G・ ト リ カ 大 学 のJ・ オ シ オ とA・ 年 の 夏 に は サ ン マ ル コ ス 大 学 の ズ ー ニ ガ(前 ジ ェ ク トの 指 導 者)と が 加 わ っ た.し の 末 に は,教 オ ル テ ィ スか ら構 出 の ア ヤ ク ー チ ョ ・プ ロ ロ ペ ス(LuisEnriqueL6pez) の こ 何 名 か の メ ンバ ー が ぬ け て い き,委 員 会 自体1984年 策 案 も政 府 の 命 令 に よ り教 育 省 に 死 蔵 さ れ て し ま っ た.し ル テ ィ ス,オ シ オ,ポ ッ シ ー エ ス コ ッ ト,ス ー ニ ガ)に なかばに か し,有 志 たち よ り1984年9月 に小 さ な 本 が 出 版 さ れ て お り18),そ れ に よ りわ れ わ れ は 彼 らの 結 論 を 知 る こ と が で き る.つ り,「[国 民]統 合 は 同 質 化 と か,あ ま る 文 化 の 他 文 化 に よ る 同 化 と か を 求 め る べ き で は な く, む し ろ接 触 中 の 諸 文 化 の 対 話 的 ・水 平 的 ・補 完 的 か つ 再 創 造 的 な 交 流 を 求 め る べ き 」 で あ り,「 ペ ル ー の よ う な 多 文 化 的 脈 絡 に お い て は 二 重 言 語 ・二 重 文 化 教 育 が 必 要 に な っ て く る 」. 彼 ら が こ の よ う な 結 論 に い た る ま で に は,プ ー ノ ・プ ロ ジ ェ ク トの 何 年 間 か の 経 験 も 参 考 に な っ た で あ ろ う. プ ー ノ ・フoロ ジ ェ ク トは1982,83年 頃 に 転 換 点 を 迎 え る.何 よ り の 転 換 は メ イ ンテ ナ ン ス ・モ デ ル の 採 用 が 明 確 に な っ た こ とで あ ろ う.1984年 に は ,1年 生 用 口頭 スペ イ ン語 教 科 書 の 評 価 を め ぐ る1982年 担 当 官2名 の手 で 出 版 され て い る.こ の 報 告 書 で は,プ か ら6年 度 調 査 報 告 書19)がINIDEの ー ノ ・プ ロ ジ ェ ク トが 基 礎 教 育 の 最 初 の4年 ま で を 対 象 と す る こ と が 明 記 さ れ て い る.こ 間 だ け で は な く1年 こ に お い て す で に,二 重言語教育 令 の 規 定 を 乗 り越 え て い た. そ れ に 加 え て,二 重 言 語 教 育 を つ ぎ の4種 類 に 類 型 化 して い る.第 的 ス ペ イ ン 語 化(castellanizaci6nporimposici6n)で,ス 一の タ イ プ は 「強 制 ペ イ ン語 で 生 徒 と意 思 の 疎 通 が で き な い と き だ け 母 語 を 使 用 す る 方 法 で あ る.「 自然 発 生 的(espontanea)二 教 育 」 と 呼 ぶ こ と の で き る タ イ プ で あ り,土 棄 に つ な が り,ス (rsemilingUismo」),結 育 」 で あ り,最 局 は 文 化 変 容 を も た らす,と の 方 法 に よ っ て も,結 の放 語 能 力 は 中 途 半 端 に しか 発 達 せ ず 批 判 さ れ る.じ つ は,ペ ル ー農 村 部 二 の タ イ プ は 「 トラ ン ジ シ ョ ナ ル 型 の 二 重 言 語 教 初 は 土 着 語 で 教 育 す る が,や う方 法 で あ る.こ 着 語 は 非 体 系 的 に し か 教 え ら れ ず,そ ペ イ ン 語 も押 しつ け られ る た め,言 で は こ の タ イ プ の も の が 一 番 お お い.第 重 言語 が て す ぐ に ス ペ イ ン語 に 切 り換 え て い く と い 局 は 土 着 語 は 放 棄 さ れ て し ま い,そ の た め 「従 属 80 奈 的(subordinados)」 良 大 学 紀 要 第16号 二 重 言 語 人 口 しか 生 ま れ て こ な い,と 「母 語 重 視 型 」 で あ り,ス ペ イ ン語 が 軽 視 さ れ る.た は 保 持 され る か も しれ な い が,国 孤 立 化 し て い く,と と して ス ペ イ ン語 を 教 育 し,し 三 の タイ プは しか に こ の 方 法 で は 土 着 言 語 ・文 化 家 語 で あ る ス ペ イ ン語 な ど の 学 習 は 阻 害 さ れ,学 批 判 さ れ る.第 型 の 二 重 言 語 教 育 」 で あ る.こ 批 判 さ れ る.第 習者 は 四 の タ イ プ は 「国 民 統 合 を 目 的 と す る メ イ ン テ ナ ン ス の 方 法 で は,土 着 語 で 教 育 を 開 始 す る が,同 時 に第 二言 語 だ い に 両 言 語 ・両 文 化 を 同 じよ う に 使 用 で き る よ う に す る. これ に よ っ て 「協 調 的(coordinados)」 二 重 言 語 人 口 を 養 成 で き る と して い る. プ ー ノ ・プ ロ ジ ェ ク トが 第 四 の タ イ プ の 二 重 言 語 教 育 を め ざ す よ う に な っ た こ と は,い う ま で もな い.そ の こ の 経 過 を 見 て み れ ば,「 維 持 型 」 か ら さ ら に 最 近 で は 型(mantenimientoydesarrollo)」 「維 持 ・発 展 と定 義 しな お さ れ て い る20). 以 下 で は プ ー ノ ・プ ロ ジ ェ ク トが 到 達 す る に い た っ た 二 重 言 語 ・二 重 文 化 教 育 の 方 法 論 の 主 要 点 を 列 挙 す る2D. ③ ケ チ ュ ア語 や ア イマ ラ語 の 文 字 言 語 化 に あ た って は,土 着 語 モ ノ リン ガル の 発 音 を 重 視 す る.し た が って,ス ペ イ ン語 か らの 借 用 語 や 地 名 ・人 名 の 固 有 名 詞 は で き るだ け 彼 らの 発 音 どお り に表 記 す る.つ ま り,ス ペ イ ン語 へ の 移 行 を前 提 とせ ず,あ ⑤ く まで 独 立 の 言 語 と して の 完 全 性 を 追 求 す る. 土 着 語 は ス ペ イ ン語 化 の た め だ け で は な く,言 語 を は じめ一 般 教 科 にお いて も教 授 語 と して 使 用 す る.つ ま り,「 土 着 言 吾によ るス ペ イ ン語 の教 育 」 に と どま らず,「 土 着 語 と ス ペ イ ン語 に よ る教 育 」 をめ ざ して い る.じ っ さい に は,低 学 年 で は 土 着 語 の み で 教育 し,そ して スペ イ ン語 の 使 用 も 徐 々 にふ や して いき,高 学 年 で は 両 言 語 が と も に教 授 語 と して 使 用 で き る よ う にな る こ とを 理 想 と す る.そ の ため に は教 室 用 語 ・専 門 用 語 ・技 術 用 語 の た め の ケ チ ュ ア語 や ア イ マ ラ語 の語 彙 を考 案 して い く必 要 が あ る. ◎ 自然 科 学 を み れ ば,近 代 の 西 欧 科 学 に の み 注 目す るの で は な く,「 ア ンデ ス科 学 」 が 見 直 さ れ, 忘 れ さ られ よ う と して い る土 着 技 術 もま た 掘 りお こ され る.西 欧 技 術 は無 差 別 に導 入 され るの で は な く,ア ンデ ス の生 態 系 に合致 し,か つ 身 近 な 資 源 によ って実 現 す る こ とが で き る と き にの み 採 用 され る. ⑥ これに関連 して算 数 につ いて み れ ば,ユ パ ー ナ(yupana)と 呼 ば れ る先 スペ イ ン期 の,一 種 の そ ろば ん を 復 元 し,教 具 と して 利 用 して い る.こ れ に つ い て は,『 カ レー タス 』 と い う ペ ル ー の 代 表 的 な 週刊 誌 で も紹 介 され た. ◎ 土 着語 や土 着 文 化 ・技 術 の 再 評価 と と もに,プ ー ノ ・プ ロ ジ ェ ク トは,そ れ らを 細 々 とな が ら世 代 か ら世 代 へ と伝 え て き た 家庭 や共 同体 の 非 公 式教 育 機 関 と して の役 割 を 再 評 価 す る.そ い らい家庭 や共 同体 の 中で形 成 され て き た 児童 の 社会 化過 程 が 公 式教 育 へ の 参 加,っ して 誕 生 ま り就 学 に よ っ て 中 断 され る こ との な い よ うに教 授 語 や カ リキ ュ ラム の 内容 に 工 夫 を こ らす. ① た とえ ば,低 学 年 に お い て は,ス ペ イ ン語 の時 間 もふ くめ,彼 らの 目に 映 る共 同 体 の 姿 を 教 材 に 使 い,し た が って 異 文 化 の世 界 の侵 入 は最 少 限 に抑 え られ る.そ して 学 年 が あ が る に した が って, つ ま り児 童 自身 の世 界 が拡 大 す るに つ れ て,教 材 と して使 用 さ れ る範 囲 も地 方 社 会,さ 社会 へ と拡 大 して い く.ち な み に ケ チ ュ ア 語教 科 書 の題 は 『わ た した ち の村 』(2年 した ち の 地方 』(3年 生 用),r展 ⑧ 望 台 』(4年 生 用)と ら には 国 民 生 用),『 わ た な って い る. もち ろ ん範 囲 の 問題 に か ぎ らな い.教 科 内容 もま た従 来 の もの とは違 って い る.た とえ ば,7月 28日 は ペ ル ー の 独立 記 念 日で あ り,従 来 の教 科 書 で は ま ず ボ リー バ ル とか サ ンマ ル テ ィ ン とか の 話 が 取 り上 げ られ て き た が,プ ー ノ ・プ ロ ジェ ク トで は トゥパ ック ・ア マ ル ー の イ ンデ ィヘ ナ 反 乱 の こ とが教 え られ る.ま た ア メ リカ大 陸 「 発 見 」 に して も,コ ロ ンブ ス にふ れ るよ り も,イ ンデ ィヘ ナ年 代 記 作 者 ワ マ ン ・ポ ー マ(FelipeGuamanPomadeAyala,1534?∼1615年)に よ るコ 81 青 木:ペ ル ー ・プ ー ノ県 の 二 重 言 語 ・二 重 文 化 教 育 リャオ 地 方 の叙 述 を教 材 に して い る. ⑤ この よ うに,プ ー ノ ・プ ロ ジ ェク トで は 地 方 社会 か ら国 民 社 会 を 組 み 立 て て い き,そ の 作 業 を と お して,ペ ル ー社会 が非 常 に多様 な社 会 か ら構 成 され て い る こ とを 児 童 に きつ か せ よ うとす る.じ っ さい プ ー ノ ・プ ロ ジェ ク トが め ざ して い る もの は,「 差 異 に も とず く統 合 」rつ ま り多 元 主 義 的 な 国民 統 合 な の で あ る. IVプ ー ノ ・プ ロ ジ ェ ク トの 発 展 プ ー ノ ・プ ロ ジ ェ ク トは 方 法 論 的 に は 確 立 さ れ た が,メ イ ン テ ナ ン ス ・モ デ ル の 二 重 言 語 ・二 重 文 化 教 育 を め ざ す か ぎ り,克 服 す べ き ふ た つ の 本 質 的 制 約 が あ っ た.そ プ ロ ジ ェ ク トの 適 用 が4年 に せ よ 初 等 教 育 に 限 定 さ れ て い た こ と と,国 に せ よ6年 協 力 で あ っ た こ と で あ る.し か も,再 度 更 新 さ れ な け れ ば,1988年4月 れ は,同 際技術 に は終 了 す る はず で あ る. 第 一 の 制 約 を 克 服 す る 道 は,就 学 前 教 育 と継 続 教 育 へ の プ ロ ジ ェ ク トの 拡 大 で あ る.継 続 教 育 へ の 狙 い を 込 め て,ケ チ ュ ア 語 や ア イ マ ラ語 で 刊 行 さ れ は じ め た の が,『Yanamayu ayllu』 の シ リー ズ(第1号 は1984年 に ク ス コ の 「バ ル トロ メ ー ・デ ・ ラ ス ・カ サ ス 」 ア ン デ ス 農 村 研 究 所 か ら 出 版 さ れ た),rUnaypachas...』 年 に 教 育 省,第2号 は1984年 て 『Winaypacha』(上 行 さ れ た)で の 昔 話 シ リ ー ズ(第1号 は1983 に 「バ ル トロ メ ー ・デ ・ラ ス ・カ サ ス 」 か ら の 刊 行),そ 記 シ リー ズ の ア イ マ ラ 語 圏 版 で,1985年 し に ア イマ ラ研 究 所 か ら刊 あ っ た. rUnaypachas_』 第1号 の 解 説22)に よ れ ば,同 の バ イ リ ン ガ ル 版(も と も と は ケ チ ュ ア 語 版 だ け で あ っ た) シ リー ズ は 二 重 言 語 教 育 校 の 卒 業 生 向 け の 本 で あ っ た.そ れ は, 1980年 度 に 開 始 さ れ た 同 プ ロ ジ ェ ク トが 第 一 期 の 卒 業 生 を 送 り 出 す 時 期 を 間 近 に ひ か え て, 「[文字 言 語 と して の 母 語 の]不 配 し た か ら で あ る.土 展 させ,少 は,ス 使 用 に よ る 文 盲 化(analfabetismopordesuso)」 着 語 で 書 か れ た 本 が あ れ ば,卒 な く と も そ れ を 維 持 で き る で あ ろ う.こ を心 業 後 も母 語 に よ る読 み 書 き能 力 を 発 れ が 第 一 の 目 的 で あ っ た.第 二 の 目的 ペ イ ン語 で の み 識 字 化 教 育 を 受 け て き た 古 い ケ チ ュ ア 語 世 代 の 読 み 書 き 能 力 を ケ チ ュ ア 語,つ ま り母 語 の ほ う の 読 み 書 き 能 力 に 移 行 さ せ る こ と で あ る.こ 的 容 易 な う え に,プ ラ ス の 波 及 効 果 を も た らす と さ れ る.つ 語 に た い す る 彼 らの 身 体 内 化 し た 百 年 来 の 偏 見 を 解 き,彼 ま り,文 ら の 子 弟,新 の 移 行 の過 程 は 比 較 字 言 語 と して の 土 着 しい ケ チ ュ ア 語 世 代 の た め の よ り現 実 的 な 教 育 に と っ て 有 利 な 環 境 を つ く り だ す と さ れ る. rUnaypachas_』 昔 話 集 で あ る.プ もrWi且aypacha』 も 「昔 昔 」 と い う 名 前 か ら推 測 で き る よ う に, ー ノ ・プ ロ ジ ェ ク トの 目 的 の ひ と つ が nales)」 の 維 持 ・発 展 で あ る と こ ろ か ら,こ 「諸 民 族 文 化(culturasnacio- れ ま で ス ペ イ ン語 に 翻 訳 さ れ て 紹 介 さ れ る こ と が ほ と ん ど だ っ た プ ー ノ 高 地 の 口 請 伝 統 の 土 着 語 に よ る 紹 介 か ら始 め た の で あ る.こ に た い してrYanamayuayllu』 常 生 活 を,話 第1号 は,〈 黒 い川 〉 と い う名 の 架 空 の 村 落 共 同 体 の 日 し言 葉 調 の ケ チ ュ ア 語 で 描 写 して い る.プ しみ な が ら 学 習 す る,あ ー ノ県 ケ チ ュ ア語 農 家 の人 々 が 楽 る い は 自 分 達 の こ と を 再 発 見 す る よ う な 編 集 に な っ て い る. 就 学 前 教 育 に つ い て み れ ば,二 て い る(第4条).し れ か し,プ 重 言 語 教 育 令 に よ れ ば 土 着 語 で お こ な う こ と も認 め ら れ ー ノ で は1977年 い ら いユ ニ セ フの後 援 す る学 校 外 就 学 前 教 育 実 験 計 画(ProyectoExperimentaldeEducaci6nInicialNo-Escolarizadaen Puno,PROPEDEINE)が 「wawawasi」 (そ れ ぞ れ ケ チ ュ ア 語 と ア イ マ ラ 語 で とか 「wawauta」 「幼 児 の 家 」 の 意)の と か 呼 ば れ る 幼 稚 園 建 設 と地 元 出身 の促 進 員 の訓 奈 82 練 に あ た っ て い る が,こ 良 大 学 紀 要 第16号 れ ら の 教 育 機 関 で は ス ペ イ ン語 で 教 育 が ほ ど こ さ れ て い た.そ で プ ー ノ ・プ ロ ジ ェ ク トは,1982年 て くれ る よ う に 申 し 入 れ た.そ にPROPEDEINEに た い して 二 重 言 語 教 育 を 実 施 し の こ ど う な っ た か は 不 明 で あ る23). 第 二 の 制 約 を 克 服 す る ひ と つ の 道 は,ケ チ ュ ア 語 や ア イ マ ラ語 を 母 語 とす る二 重 言 語 教 師 や 専 門 家 の 養 成 を 国 内制 度 的 に確 立 す る こ とで あ る.た ノ国 立 工 科 大 学(1961年 設 し,そ こ 創 立)は1985年 と え ば,プ ー ノ の ア ル テ ィプ ラー か ら 「ア ン デ ス 言 語 学 ・教 育 学 」 の 修 士 課 程 を 開 れ に は18名 の 教 員 が 教 鞭 を と っ て お り,ア イ マ ラ人 学 生 も8名 参 加 して い る.こ の 大 学 や プ ー ノ 高 等 師 範 学 校(InstitutoSuperiorPedag6gicodePuno)の 特 定 の 学 部,た チュ と え ば 社 会 科 学 ・社 会 福 祉 ・教 育 学 ・看 護 学 ・薬 学 な ど の 学 生 の ば あ い,ケ ア 語 や ア イ マ ラ語 の 修 得 が 卒 業 の 要 件 と な っ て い る24).な は,プ ー ノ ・プ ロ ジ ェ ク トの 提 案 を 受 け 入 れ て,師 次,4年 次)の 専 門 コ ー ス(106時 与 しよ う と した.た ス を 終rし 間,78単 範 学 校 側 が1983年 位)を 度 か ら2年 間(3年 設 置 し,「 二 重 言 語 教 育 」 学 位 号 を 授 だ し,教 育 省 は これ を 独 立 の 学 位 号 と して は ま だ 認 め て い ず,専 門 コー た こ と の 付 記 を 許 可 し た だ け で あ る25). そ して 同 プ ロ ジ ェ ク トの 主 導 権 も ま た,い 離 れ,地 お二 重 言 語 教 師 の養 成 に つ い て ま やGTZや さ ら に は リ マ のINIDEの 元 の プ ー ノ の 教 育 局 や 開 発 担 当 機 関CORPUNOの 手 か ら 手 に 移 ろ う と し て い る26) . ひ と つ の 国 際 技 術 協 力 計 画 が そ の 使 命 を 終 え よ う と して い る と い え よ う. プ ー ノ ・プ ロ ジ ェ ク トは い ま や,地 元 に 根 を お ろ そ う と して い る.そ 人 々 や 組 織 の 支 援 の 裏 付 け が あ っ た か らで あ ろ う.以 下 で は,ふ れ にはさまざまな たつ の 社 会 運 動 にふ れ て お こ う. 第 一 に,プ ー ノ は リマ や ク ス コ と な ら ん で,歴 史 的 に イ ンデ ィヘ ナ 復 権 運 動 全 般 と広 義 に 定 義 さ れ た と き の イ ン デ ィ ヘ ニ ス モ の 中 心 地 の ひ と つ で あ っ た.タ 紀 の プ ー ノ ・イ ンデ ィヘ ニ ス モ,と didactismo)・ くに プ ー ノ知 識 人 の 心 性 の 特 徴 は,自 地 方 主 義(localismo)・ い す る愛 着 ・民 衆 主 義(populismo)・ 風 土 決 定 論(telurismo)・ 土 着 主 義(nativismo)・ ラ フ 中 心 主 義 等 に ま と め る こ と が で き る27).そ マ ヨ に よ れ ば,20世 己 教 育 主 義(autoフォー ク ロアに た 新 ロ マ ン 主 義 ・モ ノ グ して 二 重 言 語 教 育 と の 関 連 で み れ ば,プ ー ノ ・イ ン デ ィ ヘ ニ ス モ に は 以 下 の よ う な 先 駆 的 実 践 例 が あ っ た. J・A・ エ ン シ ナ ス(JoseAntonioEncinas,1888∼1958年)は 『ペ ル ー の 新 し い 学 校 に か ん す る エ セ ー 』 に お い て 「学 校 よ り も ま ず 土 地 を め の 教 育 政 策 の ス ロ ー ガ ン 」 で あ る と,教 これ こ そ イ ンデ ィ オ の た 育 問 題 の 社 会 経 済 的 性 格 を 指 摘 した.彼 て 「真 の 国 民 性 は イ ンデ ィ オ の うち に あ 」 り,し に とっ た が っ て こ れ か ら の 学 校 は 「種 族(raza) の 伝 統 と歴 史 に よ る イ ン デ ィ オ と の つ な が り を 自 覚 し,イ ン デ ィ オ の 必 要 と希 望 を 彼 ら と 共 有 で き る よ う な 世 代 を 養 成 す 」 べ き で あ っ た28). ま たF・ チ ュ キ ワ ン カ ・ア ユ ロ(FranciscoChukiwankaAyulo,1877∼1957年)は, ジ ャ ー ナ リ ズ ム を と お し て イ ン デ ィヘ ニ ス モ 運 動 を 展 開 す る と と も に,イ チ ュ ア 語 や ア イ マ ラ語 で,し た.そ Alqa)等 ンデ ィヘ ナ を ケ か も独 自 の 文 字 を つ か っ て 教 育 す る こ と を 熱 望 し て や ま な か っ の ほ か イ ン デ ィヘ ナ 教 育 の 普 及 に つ とめ たM・ カ マ チ ョ ・ア ル カ(ManuelCamacho が い る. な お 国 連 加 盟 の 非 国 家 的 行 為 体 の ひ と つ で あ る 南 米 イ ン デ ィ オ 会 議(ConsejoIndio deSudAmerica,CISA)は,そ の ペ ル ー版 機 関 誌 の 論 説 に お いて ペ ル ー を 民 族 ・複 合 文 化 ・多 言 語(plurinaciona1,pluriculturalymultilingUe)」 「複 合 国 家 と規 定 青 木:ペ ル ー ・プ ー ノ 県 の 二重 言 語 ・二 重 文 化教 育 し,数 83 百 万 の ア イ マ ラ ・ケ チ ュ ア 民 族 集 団 や ア マ ソ ニ ア 地 方 の 約64の 民 族 集 団 等 が 存 在 す る に も か か わ ら ず,こ 族 集 団)主 れ ま で の 「ク リオ ー リ ョ層 」(ヨ ー ロ ッパ に よ る 征 服 後 の 新 来 の 民 導 の 教 育 は 「強 制 的,一 方 的,西 欧 中 心 主 義 的 ・西 欧 化 的,文 一 元 的 か つ 奪 イ ン デ ィ オ 化 的 な 統 合 主 義(hegem6nica 化 変 容 主 義 的 で, ,unilateral,occidentalistay occidentalizante,aculturante,integracionistaenunsolosentidoyendesindianizante)」 で あ っ た と 批 判 した.そ た の で あ る.よ り具 体 的 に は,低 して,こ 学 年 で は 土 着 語 教 師 が 母 語 で の み 教 育 し,教 を つ う じて 二 重 言 語 教 育 で あ る こ と.両 こ と.公 れ に か え て 二 重 言 語 ・二 重 文 化 教 育 を 支 持 し 式 教 育 は 児 童 の 個 性 を 彼 ら 自 身 の 文 化 の 中 で 伸 ば して や り,共 的 発 展 に 必 要 な 手 段 を 身 に つ け さ せ て や る こ と.都 ナ 児 童 が 出 身 文 化 を 知 る こ と を 妨 げ ず,ま ソ ニ ア 世 界 に つ い て 教 え る こ と29).以 一(unidadenladiferencia)」 育 の全 課 程 親 や 共 同 体 に よ る直 接 教 育 を公 式 教 育 は尊 重 す る 市 に お い て は,公 同 体 や 地 域 の 自立 式 教 育 は イ ン デ ィヘ た非 イ ンデ ィヘ ナ児 童 に も ア ンデ ス世 界 や アマ 上 の よ う に,南 を め ざ して お り 米 イ ン デ ィ オ 会 議 は 「差 異 の 中 の 統 ,そ の 考 え 方 は,プ ー ノ ・フoロ ジ ェ ク ト の め ざ す も の と ほ ぼ 一 致 して い る. 第 二 に,力 ト リ ッ ク教 会 内 部 の 「解 放 の 神 学 」 運 動 と の 結 び つ き が あ げ ら れ る.た ば プ ー ノ ・ プ ロ ジ ェ ク トに 賛 同 して い るD・ は,1984年7月 に 発 足 した ペ ル ー ・ア イ マ ラ語 学 会 の 初 代 会 長 で あ る と と も に,プ チ ュ ク イ ー トの ア イ マ ラ研 究 所(1973年 究 所 は,プ 設 立)の ー ノ県 中 心 的 な 活 動 家 の ひ と り で あ る.こ の研 ー ノ ・プ ロ ジ ェ ク ト と協 力 して ア イ マ ラ語 の 辞 書 な ど を 出 版 し て い る が,も も と は ペ ル ー ・ア ン デ ス 南 部 の カ ト リ ッ ク教 会 の 外 郭 団 体 で あ り,ケ 活 動 を ア イ マ ラ語 圏 で 展 開 して い る.そ と チ ュア 語圏 を担 当 し て い る ク ス コ の ア ン デ ス 司 牧 研 究 所(InstitutodePastoralAndina)と 所 は,タ とえ リ ャ ン ケ 神 父(DomingoLlanqueCh.) 同 じよ うな し て 規 模 も大 き く知 名 度 も高 い ア ン デ ス 司 牧 研 究 マ ヨ に よ っ て も ク ス コの ネ オ ・イ ン デ ィ ヘ ニ ス モ の 一 潮 流 と受 け と め ら れ て い る30)が,「 解 放 の 神 学 」 を 認 め た メ デ ジ ン 会 議(1968年)の 7司 教 が そ の 実 践 機 関 と して1969年 決 定 を 受 け て ア ンデ ス南 部 の に 設 置 し た も の で あ る.そ の こ カ トリ ック教 会 内 部 の 保 守 化 の 影 響 を こ うむ って,脱 落 す る 司 教 区 も現 わ れ,ク ス コ よ り も プ ー ノ の ほ うが,リ マ の プ エ ブ ロ ・ホ ー ベ ン と な ら び 「解 放 の 神 学 」 運 動 の 中 心 と な りつ つ あ る.と も あ れsプ ス コ 司 教 も脱 退 し て,今 で は ク ー ノ ・プ ロ ジ ェ ク トが 教 会 内 部 の 進 歩 的 勢 力 の 支 持 を 受 け て い る こ と は 無 視 す る こ と が で き な い. この よ う に,ア ン デ ス 南 部 と く に プ ー ノ の 二 重 言 語 教 育 実 験 が ク ス コ や ア ヤ ク ー チ ョの プ ロ ジ ェ ク トよ り も よ り明 確 な メ イ ン テ ナ ン ス ・モ デ ル を う ち だ し,い 言 語 教 育 の 主 潮 流 と な ろ う と して い る こ と に は,以 まや ペ ル ーの 二 重 上の よ うな 地 方 的 条 件 も また お お い に 貢 献 して い る と い え よ う. Vお わ りに 一 ガ ル シ ア 政 権 下 の プ ー ノ ・プ ロ ジ ェ ク トー 民 政 移 管 後 の 最 初 の 文 民 政 権 で あ る 中 道 右 派 の ベ ラ ウ ン デ 政 権 は,国 F)の 際 通 貨 基 金(IM 指 導 に した が っ て,「 ペ ル ー 革 命 」 の 方 向 と は 相 反 す る よ う な マ ネ タ リ ス ト流 の 緊 縮 財 政 政 策 を と っ た.し か し,そ れ に よ っ て も軍 事 政 権 末 期 に す で に 表 面 化 して い た ペ ル ー の 諸 問 題 を 解 消 す る に は い た らず,む で は か っ た と きの マ イ ナ ス 成 長,ア 経 済 の イ ン フ ォ ー マ ル 化,巨 しろ 情 勢 は 悪 化 の 一 途 を た ど っ た.つ ま り,GDP ン デ ス 農 村 か らの 大 量 の 人 口 流 出 と リ マ へ の 人 口 集 中, 額 の 累 積 債 務,「 セ ン デ ー ロ ・ル ミノ ー ソ 」 を 中 心 と す る 農 村 ゲ リ ラ運 動 と公 権 力 側 の 暴 力,等 々 の 諸 問 題 で あ る.1985年4月 の 大統 領 選 挙 で は そ れ 奈 84 良 大 ま で の 与 党 人 民 行 動 党 は 惨 敗 し,中 の 弱 冠35才 学 紀 要 第16号 道 左 派 の ア プ ラ(APRA,ア メ リ カ 革 命 人 民 同 盟) の 候 補 ア ラ ン ・ ガ ル シ ア(AlanGarciaPerez)が,「 候 補 バ ラ ン テ ス らを 破 り,7月 大 統 領 に 就 任 した.ア 統 一 左 翼 」(IU) プ ラ が 政 権 を 奪 取 した の は 半 世 紀 以 上 前 の 結 党 い ら い は じめ て の こ と で あ っ た. ガ ル シ ア 政 権 の 誕 生 に よ り,ペ ル ー は ふ た た び 改 革 の 時 代 を 迎 え る こ と に な る.国 に お お くの 注 目 を あ び た の は,対 あ ろ う3D.し か し,そ 外 公 債 の 返 済 を 輸 出 収 入 の1割 際的 に制 限 す る と い う主 張 で れ 以 外 に も ガ ル シ ア は イ ン フ ォ ー マ ル 部 門 の 統 合 や ア ンデ ス農 村 の 再 活 性 化 を 呼 び か け て い る.彼 の ア ン デ ス 世 界 に た い す る 関 心 は,ア の キ ヌ ア や キ ウ ィ チ ャ の 奨 励 や,平 ンデ ス の 伝 統 的 作 物 価 切 り下 げ に さ い して 新 し い 通 貨 単 位 に 太 陽 を 意 味 す る ケ チ ュ ア 語 の 「イ ン テ ィ」 を 選 ん だ り32),農 民 共 同 体 と の 一 連 の 対 話 集 会 をrリ ィ 」(ヶ チ ュ ア 語 で 対 話 の 意)と 呼 ん だ り し た こ と か ら も分 か る.こ マナ ク の よ うな関心 で さえ ベ ラ ス コ 政 権 い ら い 久 しぶ り の こ と で あ っ た . ち な み に,1986年9月 1029人 が 参 加 し,共 革,長 プ ー ノ で 開 か れ た 「リ マ ナ ク イ 」 に は ア ン デ ス 南 部 の4県 同 体 自 治,地 期 的 な 災 害 対 策 の 確 立,等 方 分 権 化,ア イ マ ラ 語 や ケ チ ュ ア 語 の 公 用 語 化,教 この よ う な ガ ル シ ア 政 権 側 の ア ン デ ス 世 界 へ の 関 心 は,プ 同 案 は,8∼10県 万5000ド ル)の の 訓 練(約24万5000ド に は 世 銀 の 初 等 教 育 計 画 案 と な って 結 実 し た. の う ち プ ー ノ に か ん して は,専 ル)と 生 か ら3年 に 成 立 し,1984年 間 に4500万 門 家20名 ドル と二重 言 語 約22万 冊 の 教 科 書 や 手 引 き の 印 刷 ・配 布(約22 た め の 融 資 が 予 定 さ れ て い た.こ ノ農 村 部 の 小 学 校 総 数 は1246校 渉 は6月 くか ら 世 銀 融 資 に よ っ て に お け る学 校 建 設 と教 科 書300万 冊 の 印 刷 の た め に4年 さ ら に約340校,1年 た.交 ー ノ ・プ ロ ジ ュ ク トに も さ ら ー ノ ・プ ロ ジ ェ ク トは,早 れ は1983年11月 を 融 資 しよ う と い う も の で あ っ た.そ 教 師 約1200名 育 改 々 が 政 府 当 局 に た い して 要 望 さ れ た33). な る 発 展 の 可 能 性 を ひ ら い て い る.プ 実 験 の 拡 大 を 考 え て い た.そ か ら れ に よ り1987年 度 ま で に は 実 験 の 対 象 を 生 ま で3万4000名 ふ や せ る は ず で あ っ た.1981年 で あ っ た か ら,こ れ は非 常 に 大 きな 実験 とな るは ず で あ っ の 末 ま で に は 実 施 さ れ る手 筈 と な っ た.し 現在 プー か し,こ の と ル ー ・世 銀 協 定 の 締 結 に よ り教 科 書 の 無 償 配 布 が 実 現 し,プ ー ノ き は 結 局 空 振 りに 終 わ っ た34). そ れ が 今 年 度 か ら,ペ 県 の 農 村 部 全 域 で プ ー ノ ・プ ロ ジ ェ ク トの 作 成 した 教 科 書(ケ イ マ ラ 語)が の み な らず,ア つ か わ れ る よ う に な っ た.今 ペ イ ン 語,ア 年 度 中 に は ケ チ ュ ア 語 圏 に か ん して は,プ ー ノ プ リマ ッ ク ・ク ス コ ・ア レ キ ー パ な ど の シ エ ラ 南 部 の 農 村 部 で も そ の 教 科 書 が 使 用 さ れ る よ う に な る で あ ろ う35).た か,予 チ ュ ア 語,ス だ し,累 積 債 務 問 題 の 展 開 しだ い で は ど う な る 断 を 許 さ な い. 政 府 当 局 の 動 向 と は べ つ に,1987年2月 (1953年 中 旬 ク ス コ に お い て ペ ル ー ・ケ チ ュ ア 語 学 会 ケ チ ュ ア 語 学 会 と して 発 足,1958年 ア イ マ ラ 語 国 際 大 会36)が 開 催 さ れ た.ボ の 大 会 で は 多 くの こ と が 話 し合 わ れ た.本 に 改 称)の 主 催 に よ り,第1回 稿 の 論 旨 に 関 連 す る 点 を 見 て い こ う. ア イ マ ラ 語 の ア ル フ ァベ ッ トを 検 討 した 第 八 委 員 会(リ イ マ ラ 語 学 会 が1985年 か し,ケ ケチュア語 ・ リ ビ ア や ア ル ゼ ン チ ン か ら も 代 表 が 参 加 した.こ に き め た ア ル フ ァ ベ ッ ト(26子 ャ ン ケ 委 員 長)は,ペ 音,3母 音)の ル ー ・ア 採 用 を 決 定 した.し チ ュ ア 語 の ア ル フ ァ ベ ッ トを 検 討 した 第 一 委 員 会 は 圧 倒 的 多 数 に よ り,5母 制37)を 採 択 し た.プ ー チ ョの4代 ー ノ 言 語 研 究 所,プ ー ノ ・ア イ マ ラ語 圏,ボ 表 は 保 留 や 反 対 に ま わ っ た .こ す る 結 果 に な っ た. リ ビ ア ・ポ トシ,ア 音 ヤ ク の 点 で は プ ー ノ ・プ ロ ジ ェ ク トの 考 え 方 に 反 青 木:ペ ル ー ・プ ー ノ県 の 二 重 言 語 ・二 重 文 化 教 育 85 しか し,ス ペ イ ン語 か らの借 用 語 の問 題 や 今 後 の 新 造 語 の 課 題 や 「差 異 の 中 の 統 一 」 (方 言 検 討 委 員 会),二 用 等(第 二 委 員 会,モ 重 言 語教 師 や 専 門 家 の 養 成,そ して 科 学 的 メ イ ンテ ナ ン ス法 の 採 ノ リ ンガル ・バ イ リ ンガ ル教 育),プ ー ノ ・プ ロ ジ ェ ク トの 考 え 方 と通 底 す る部 分 はお お い. も ちろ ん気 にか か る点 が な い わ け で はな い.た とえ ば,こ れ まで 二 重 言 語 教 育 を推 進 し た り正書 法 の ワ ー ク シ ョップ を 開 い た り して きた サ ンマ ル コ ス大 学 応 用 言 語 学 研 究 所 が 代 表 を送 って きて い な い 点 が そ れ で あ る.ま た,ケ チ ュア 語学 会 や ク ス コ大 学 に役 割 を 集 中 させ て お り,地 域 間 の,と くに クス コー プ ー ノ間 の 主導 権 争 奪 が激 化 しは しま いか,心 配 で あ る. しか し,ケ チ ュア語学 会の よ うなバ イ リ ンガ ル層 を 中心 とす る保 守 的 な組 織 で す ら,プ ー ノ ・プ ロジ ェ ク トの 業 績 を認 め ざ るを え な くな っ て き た証 拠 と して ,筆 者 は この大 会 決 議 を解 釈 した い.じ じつ,こ の 大 会 で は セ ル バ に お け るILVに よ る 二 重 言 語 教 育 方 式 を 名 指 しで 批 判 し,今 後ILVと の協 定(1989年 働 きか け る こ とに した が,同 で 期 限 切 れ と な る)を 更 新 しな い よ う政 府 に じ く外 国 か ら協 力 を あお いで い る,こ の プ ー ノ ・プ ロ ジ ェ ク トに は な に も言 及 して い な い. この よ うにペル ーを 多言語 ・多民族 社会 と規 定 し,科 学 的 メ イ ンテ ナ ン ス型 の 二 重 言 語 ・ 二重 文化 教 育 を も とめ る声 は,い ま や広 範 な バ イ リンガ ル層 の あ い だ か ら も上 が りつ つ あ る.と もあれ,国 際 技 術 協 力 と して は じま った プ ー ノ ・プ ロ ジ ェ ク トは メ イ ンテ ナ ン ス ・ モ デ ルの 二 重 言 語 ・二 重 文 化 教 育 と して の 方 法 論 を 確 立 し,イ 「解 放 の 神 学 」運 動 に さ さえ られ なが ら地 元 に根 を下 ろ し,そ ン デ ィヘ ニ ス モ の 伝 統 と して い ま や ペ ル ー の二 重 言 語 教 育,農 村 教 育 の ひ とつ の 流 れ に な ろ う と して い るの で あ る. 注 1)た だ し,土 着 語 モ ノ リンガ ル だ け を 取 り上 げ れ ば,ケ 絶 対 的 に も,1940年 の162万 人 か ら139万 人(1961年)rさ チ ュ ア語 モ ノ リ ンガル は相 対 的 の み な らず ら に1981年 に は111万 人 へ と逓 減 して き た. な お 国勢 調 査 以 外 の数 字 と して は,つ ぎ の 資料(1978年 ア ンデ ス農 村 人 口(農 民 共 同体 のみ) ケチュア語 アイマラ語 ( そ の 他 セルバ人 ロ よ く引 用 され る. 401万0906人 灘) 20万6240人 イ ンデ ィヘ ナ都 市 人 口 総 度)が 計 180万7964人 602万5110人 (出 典)"IndigenasenAmerica",Sur,No.22,diciembrede1979,P.29. イ ンデ ィヘ ナ都 市 人 口 の急 速 な増 加 が,こ の 表 か ら も推 測 す る こ とが で き る.し か し,土 着 語 を 母 語 と す る第 一 世 代 が次 の世 代 を土 着 語 で育 て よ う とす るか ど うか は 大 き な 問題 で あ る. 2)メ キ シコ の社 会 学 者 カ サ ノバ は イ ンデ ィヘ ナ問 題 が た ん な る 文 化 問題 で は な く国 内植 民地 問題 で あ る こと を指 摘 し,そ の諸 特 徴 を列 挙 して い る(PabloGonzalezCasanova,Lademocracies 奈 86 良 大 学 紀 要 第16号 enMexico,20ed.,Mexico,1967,pp.103-108.賀 敬 文 堂,1981年,93∼98ペ ー ジ).メ 川 俊 彦 ほ か 抄 訳r現 代 メキ シコの政治 』 キ シ コ の イ ンデ ィ ヘ ナ 問 題 と 同 じ こ と が ペ ル ー の 場 合 に も い え る. な おC・ フ ラ ン コ(CarlosFranco)の 民 と して 存 在 し て い る 」 と い う 指 摘(遅 「[い ま や]ペ 野井茂雄訳 そ の 諸 条 件 」 ア ジ ア 経 済 研 究 所 所 内 資 料,1986年)は ル ー 国 家 は … … 文 化 的 に チ ョ ロ的 な 国 「1980年 代 ペ ル ー に お け る 開 発 と 変 革 の 戦 略 と あ る 意 味 で は 非 常 に 刺 激 的 で は あ る が,筆 者 の 今 後 の 検 討 課 題 の ひ と つ と して お き た い. 3)小 林 哲 也 ・江 淵 一 公 共 編r多 的 な 日本 語 文 献 で あ ろ う.ペ 文 化 教 育 の 比 較 研 究 』(九 州 大 学 出 版 会,1985年)が ル ー の 事 例 に つ い て は,松 ヘ ナ ス 教 育 の 動 向 」r南 欧 文 化 』 第12号(1987年)が 4)ILVの も っ と も包 括 久 玲 子 「ペ ル ー に お け る1970年 代 イ ンデ ィ 唯 一 の 研 究 で あ る. 二 重 言 語 教 育 に つ い て は,MildredL.Larson,PatriciaM.DavisyMarlene BallenaDavilaeds.,Educationbilingue:UnaexperienciaenlaAmazoniaPeruana, Lima,1979を 参 照. 5)「 ペ ル ー 革 命 」 を 中 心 とす る ペ ル ー 史 に つ い て は,遅 6)真 鍋 周 三 は,イ 野 井 茂 雄 ・大 串 和 雄 両 氏 の 諸 論 稿 を 参 照、. ン デ ィ ヘ ナ ・メ ス テ ィ ー ソ ・ク リ オ ー ヨ等 植 民 地 人 の 統 合 ・同 盟 に よ る 抵 抗 運 動 で あ っ た こ とが ト ゥパ ッ ク ・ア マ ル ー の 再 評 価 を 呼 ん だ と 指 摘 して い る(「18世 紀 ペル ー におけ る ト ゥパ ッ ク ・ア マ ル の 反 乱 の 帰 結 」 『南 欧 文 化 』 第12号,1987年). 7)教 育 改 革 全 般 に つ い て は,下 記 の 諸 論 稿 を 参 照、.EnriqueGonzalezCarreyVirgilioGaldo Gutierrez,"HistoriadelaeducationenelPeru",HistoriadelPeru,TomoX,Lima, 1982.JoseRivero,"Lareformaeducativa:susexpresionesparticipativas",Carlos Franco(coordinador),El、PerudeVelasco,Tomo皿,Lima,1986.RobertS.DrysdaleandRobertG.Myers,"ContinuityandChange:PeruvianEducation",Abraham F.Lowenthaled.,ThePeruvianExperiment:PoliticalChangeUnderMilitary Rule,Princeton,1975.二 重言言 吾教 育 の 法 制 面 に つ い て は,下 記 の 諸 論 稿 を 参 照.InesPozzi- Escot,"Laeducationbilingiieenelmarcolegaldelareformaeducationperuana",DomingoLlanqueetal.,Acercadelahistoriayeluniversoaymara,Lima,1981.Nancy HughesHornberger,"BilingualEducationandQuechuaLanguageMaintenancein HighlandPuno,Peru",Ph.D.,Madison,1985,Chapter2. 8)H・ ブ レ ジ ン スキ ー 「世 界 経 済 に お け る ドイ ツ 」 大 西 健 夫 編 『現 代 の ド イ ッ ドイ ッ と世 界 』 三 修 社,1985年. 9)GTZは1975年1月 に 民 間 の 有 限 会 社 と し て 発 足 し て い る.連 に お け る 技 術 協 力 等 に 従 事 して い る.そ して1982年 邦政 府 と の 契 約 に よ り低 開 発 諸 国 の 末 ま で に106力 国 に お い て 合 計1972件 の プ ロ ジ ェ ク ト に 参 与 して き た. 10)Hornberger,op.cit.,pp.98-99.本 論 文 は,プ 稿 で は ふ れ る こ と が で き な か っ た が,ホ ー ンバ ー ガ ー の ー ノ ・プ ロ ジ ェ ク ト に た い す る 共 同 体 の さ ま ざ ま な 対 応 ぶ り を 実 地 調 査 に よ り 考 察 して い る. 11)JoseMariaCaballeroyElenaAlvarez,Aspectoscuantitativosdelareforma agraria(1969-1979),Lima,1980.プ ー ノ の ば あ い,80%の 人々は農地改革の恩 恵 にあず か れ な か っ た と さ れ る(JoseTamayoHerrera,Historicsocialeindigenismoenelaltiplano, Lima,1982,p.132). 12)Hornberger,op.cit.,pp.61-64. 13)Rivero,op.cit.,p.815. 青 木:ペ ル ー ・プ ー ノ県 の 二 重 言 語 ・二 重 文 化 教 育 14)ベ ラ ス コ 政 権 末 期 に は ケ チ ュ ア 語 が ラ ジ オ や テ レ ビ に 登 場 し,そ リマ で も は じ め て ケ チ ュ ア 語 の 新 聞 が 刊 行 さ れ,全 『エ ル ・ コ メ ル シ オ 』 紙 の 農 業 版 1万 ∼4万 部),『 月,1万9000∼6万 部)で イ リ ン ガ ル,1974年8月 『Cronicawan』(ケ チ ュ ア 語 ,週 とえば ∼1975年8月, 刊,1975年6月 ∼11 あ る(JoseTamayoHerrera,Historiadelindigenismo-cuzqueno: siglosxvi-xx,Lima,1980,pp.323-324).な 省 は,R・ して ク ス コ 出 身 者 の 尽 力 に よ り 国 で も 相 当 部 数 の 売 上 げ が あ っ た.た 『ElCampesino』(バ ラ ・ク ロ ニ カ 』 紙 の 増 補 版 87 お,ベ ラ ス コ 政 権 の 倒 壊 後 も し ば ら く は,教 ミ ラ ン ダ(Ram6nMirandaAmpuero)将 軍(1975∼1976年,教 育 大 臣)の 育 努力 によ り 改 革 姿 勢 の 後 退 を ま ぬ が れ る こ と が で き た(Rivero,op.cit.,p.817). 15)ペ ル ー の ば あ い,1級 か ら3級 ま で あ り,3級 教 員 と い う の は 中 等 教 育 ま で しか 受 け て い な い 人, 2級 教 員 と い う の は 教 育 バ チ ェ ラ ー の 人,1級 は そ れ 以 上 の 人,と 16)Hornberger,op.cit.,pp.104-111.ペ に 配 属 さ れ る.彼 ル ー で も,た ら に と っ て,子 い う よ う に な っ て い る. と え1級 教 員 で あ れ,新 任の教員は辺地 弟 の よ り よ い 教 育 機 会 や 快 適 な 生 活 条 件 を 考 え る と,都 市近郊へ の 異 動 は 非 常 に 魅 力 的 で あ っ た. 17)Possi-Escot,op.cit. 18)Lopez/Ortiz/Ossio/Possi-Escot/Zuniga,Peru1984:caracterizacionsociolingiiistica.Apuntesparaundebate,Lima,1984. 19)EleodoroArandaGuzmanyEduardoG.RosalesCadenas,Validationdematerial educativodeCastellanooralParaprimergradodeE.P.B.,Lima,1984. 20)「mantenimientoycultivo」 と い う 表 現 も み ら れ る(LuisEnriqueL6pezyDomingo Llanque,"Desarrollodeunsistemadeescrituraparaelaymara" ,BoletindelInsti- tutodeEstudiosAymaras,Serie2,No.25,abrilde1987,p.70). 21)拙 稿 「ペ ル ー の 二 重 言 語 教 育 の 二 類 型 」r奈 良 史 学 』 第5号(1987年)で トの 方 法 論 をILVの は プ ー ノ ・プ ロ ジ ェ ク 方 法 論 と の 比 較 の 中 で 教 科 書 分 析 に よ り考 察 し た. 22)"Notaallector"escritaporRufinoChuquimamaniValeryKurtKomarek,en Unaypachas...,Vol.1,Lima,1983. 23)Hornberger,op.cit.,pp.155-156.な れ ば,1973年 い らい この ン テ ィ ア180人 お,リ 「幼 児 の 家 」 計 画 は180共 ベ ー ロ は 興 味 ぶ か い 事 実 を 伝 え て い る.彼 同 体 に お よ び,互 が 土 着 語 で 子 弟 の 就 学 前 教 育 に あ た っ た.農 て に 子 弟 を 参 加 さ せ て い た が,や の 計 画 の 主 要 な に な い 手 と な っ て い っ た.そ し て お り,ユ ニ セ フ が 約400万 (土 地 ・建 物 ・食 糧)を の 記 述 は,対 本 稿 で は,こ ソ ル,教 育 省 が 約270万 の 結 果,1976年 ソ ル,そ 計 の苦 しさに もか に は7826人 の 児童 が参 加 し て 農 民 共 同 体 が 約3200万 負 担 して い る(Rivero,op.cit.,p.834).ホ 象 と して い る 時 期 が ず れ て は い る が,教 ソル ー ンバ ー ガ ー と りべ 一 ロ 授 語 の 点 で ま っ た く食 い 違 っ て い る .し か し, の 点 を 指 摘 す る だ け に と ど め る. 24)L6pezyLlanque,op.cit.,p.89.リ 語 初 級 が 必 修 に な っ た.中 り,ペ 民 父 兄 は 最初 子 弟 が 受 け 取 る 食 糧 目 当 が て 就 学 前 教 育 の 効 果 を 知 る に お よ ん で,家 か わ ら ず,こ によ 選 に よ り選 出 され た 農 民 ボ ラ マ の 名 門 国 立 校 サ ン マ ル コ ス 大 学 で も最 近 ケ チ ュ ア 級 は 選 修 で あ る.も ち ろん サ ンマル コ ス大 学 に は応 用 言 語 学 研 究 所 が あ ル ー の 二 重 言 語 教 育 に 関 して は 先 進 校 で は あ る.そ ケ チ ュ ア 語 が 必 修 に な っ て い る.ま た,セ ル バ で は,ア の ほ か,ク ス コ大 学 で も学 部 によ って は マ ソニ ア国 立 大 学 が 二 重 言 語 教 育 の 専 門 家 養 成 を 開 始 し た と さ れ る. 25)Hornberger,op.cit.,pp.152-154. 26)た と え ば,4年 CORPUNOと 生 用 の ケ チ ュ ア 語 教 科 書(Qhawana,Lima-Puno,1984)の な っ て い る と こ ろ か ら 分 か る.CORPUNOは 正 式 に は 著 作 権 者 が 「プ ー ノ 社 会 経 済 開 発 奈 良 88 大 学 紀 要 第16号 振 興 公 社 」(Corporaci6ndeFomentoyPromoci6nSocialyEcon6micadePuno)と い,1961年 に 発 足 した.成 果 は と も か く,プ い ー ノ人 自身 が プ ー ノの 開 発 に関 す るな ん らか の 意 思 決 定 権 を もて る よ う に な っ た と い う 意 味 で は 画 期 的 な こ と で あ っ た.ベ SINAMOS(社 会 動 員 援 助 機 構)の ラ ス コ 政 権 下 で は1972年 に 中 に 吸 収 さ れ て い た(Tamayo,Historiasocial_, pp.117-118). 27)Ibid.,pp.319-334.タ マ ヨの イ ン デ ィ ヘ ニ ス モ 研 究 は,地 方 史 の 手 法 を と り入 れ た 点 に 独 自 性 が あ る. 28)Ibid.,pp.302-303.こ の 部 分 を い わ ゆ る 「ミ ス テ ィ 」 等 の 非 イ ン デ ィ ヘ ナ 集 団 に 対 す る 二 重 文 化 教 育 の 必 要 性 を 説 い た もの と して 読 む な らば,さ ナ ス は ま た,イ ら に 興 味 ぶ か く な る で あ ろ う.な ン デ ィ ヘ ナ に 対 す る 実 践 的 教 育 の 必 要 性 を 説 き,ス お,エ ンシ ペ イ ン語 ・読 み 書 き ・農 牧 技 術 教 育 を 例 に あ げ て い る. 29)PuebloIndio‐Peru,AnoII,No.5,1986,"editorial". 30)Tamayo,Historicdelindigenismo...,pp.318-319.な おIPAや ア ンデ ス南 部 の カ ト リ ッ ク教 会 内 の 動 向 に つ い て は,1985年1∼2月 の ク ス コ ・ケ チ ュ ア 語 研 修 中 の 見 聞 以 外 に,下 記 の文 献 を 参 照.AndresGallego,"ElInstitutodePastoralAndina",Allpanchis,No.24, 1984."Latierra,dondeDios‐derechodelpueblo",PastoralAndina:Documentos, No.4,marzode1986. 31)た と え ば,A・ 1987年3月 32)そ ガ ル シ ア ・ペ レ ス,片 桐薫 訳 「帝 国 主 義 最 終 局 面 に お け る 債 務 」 『経 済 評 論 』 号. れ ま で は,ス ペ イ ン 語 で 太 陽 を 意 味 す る 「ソ ル 」 で あ っ た. 33)"ldentidadcultural:Rimanakuy1986,Puno",BoletindelInstitutodeEstudios Aymaras,Serie2,No.24,diciembrede1986. 34)Hornberger,op.cit.,pp.156-157. 35)L6pezyLlanque,op.cit.,p.92. 36)こ の大会については し,そ 『中 南 米 新 聞 』 第29号(1987年4月)も の 記 事 が依 拠 した メキ シ コの 『Visi6n』 報 じ て い る が,誤 誌3月23日 訳 を お か して い る 号 の 記 事 も ま た 不 正 確 な 点 が お お い. 筆 者 の 用 い た 決 議 等 の 資 料 は ペ ル ー の 友 人 の 好 意 に よ り 入 手 す る こ と が で き た. 37)ケ チ ュ ア 語 の 母 音 の 数 に つ い て は,/a/と/i/と/u/だ 異 音 に す ぎ な い と す る3母 音 説 が 優 勢 だ っ た に も か か わ ら ず,正 5母 音 表 記 制 が 採 用 さ れ た.プ 1983年10月 け が 音 素 で あ っ て,"e"と"o"は 書 法 で は バ イ リ ンガル 人 口向 け に ー ノ ・プ ロ ジ ェ ク トは 最 初 現 実 的 判 断 か ら そ れ に し た が っ て い た が, サ ンマ ル コ ス大 学 応 用 言 語 学 研 究所 主催 の 第 一回 ケ チ ュア 語 ・ア イマ ラ語 表 記 法 ワ ー ク シ ョ ッ プ に よ る3母 音 表 記 制 の 採 用(、801etindelInstitutodeEstudiosAymaras,Serie 2,No.17,agostode1984,pp.54-55)以 後,モ 3母 音 表 記 法 を採 用 して き た.な 合 が も た れ,ボ お,1983年8月 と9月 ノ リ ン ガ ル の 発 音 と 表 記 法 の 一 致 を め ざ して に は ボ リ ビ ア の コ チ ャ バ ンバ と ラ パ ス で 会 リ ビ ア の ケ チ ュ ア 語 と ア イ マ ラ 語 の 公 式 ア ル フ ァ ベ ッ トが 制 定 さ れ,大 20227号(1984年5月5日)等 に よ り そ の 使 用 が 義 務 づ け ら れ た.こ と リマ の ワ ー ク シ ョ ッ プ で 決 ま っ た ア ル フ ァ ベ ッ トは 基 本 的 に よ く 似 て い る(LuisMoratoPena, Quechuaboliviano,Cochabamba,1985,p.18). 統 領令 第 の ボ リ ビア の ア ル フ ァ ベ ッ ト 青 木:ペ ル ー ・プ ー ノ県 の 二 重 言 語 ・二重 文 化教 育 資料 89 プ ー ノ ・ プ ロ ジ ェ.ク トの 略 年 表 (準 備 段 階) 1977年 活 動 計 画 の作 成.プ ー ノ県 教 育 局 側 チ ー ムの 編 成.ケ チ ュ ア語 圏 の 社 会 言 語 学 的 分 析(1)iagnosticosociolingiiisticodelareaquechua). ケ チ ュア 語 圏 の 選 択(教 師60名,学 1978年 校60校).教 師 な らび に促 進 員 の た め の 訓 練 コ ー ス.言 語 調 査:ケ チ ュ ア語 圏 で の 単 語 の 収 集. ア イ マ ラ語 圏 の 選択(教 師,学 校).教 1979年 師 の た め の訓 練 コー ス.ア 社 会 言 語 学 的 分 析(T.BUttner,1980).言 収 集.言 語 学 的調 査:ア 語 調 査:ア イマ ラ語 圏 の イマ ラ語 圏 で の 単 語 の イマ ラ語 の 辞 書 と文 法.教 科 書 の 作 成:Hahu ∼ Kusiwan,Nanpi,YAhoraenCastellano.ラ ジ オ 番 組 の 製 作. (活 動 段 階) 1980年 第 一 学 年100校.教 officer)の 材 評 価 票 の 作 成 と 適 用.教 た め の 訓 練 コ ー ス.言 書 の 作 成:Markaja,Thakisa.ケ 語 学 的 調 査:ア 師 な ら び に 地 区 監 督 官(zone イ マ ラ 語 の 辞 書 と文 法.教 科 チ ュ ア語 と ア イ マ ラ語 に よ る ラ ジ オ番 組 の 製 作. 1981年 第 一 ・第 二 学 年85校.プ ー ノ ・プ ロ ジ ェ ク ト方 式 の 考 案.教 員 な ら び に 地 区 監 督 官 の た め の 訓 練 コ ー ス.言 査:ケ 展 示 会.二 報 の 作 成:Arusa,Nillanahuy.広 式 の 試 験:ケ 算 数 の 概 念 と,共 学 校 に お け る 監 督.プ 語 学 的 調 査:ア 同 体 に お け る 活 動.自 材 の ー ノ 県 チ ュ ク イ ー ト). チ ュ ア 語 圏 ・ア イ マ ラ 語 圏 の 第 一 学 年.教 県 の 監 督 官 の た め の 訓 練 コ ー ス.言 進 数 調 科 書 の 作 成:Ya, 報 フ ィ ル ム の 製 作.教 重 言 語 教 育 に 関 す る 全 国 セ ミナ ー(プ 第 一 ・第 二 ・第 三 学 年88校.諸 師 ・NEC促 ニ ュ ア ル 用.算 チ ュ ア 語 圏 ・ア イ マ ラ語 圏 の た め の 教 材 の 試 作.教 Nosotros.会 1982年 語 調 査:マ ー ノ ・プ ロ ジ ェ ク ト方 師 ・促 進 員 ・地 区 お よ び イ マ ラ 語 の 辞 書.算 然 科 学 調 査.教 数 調 査: 科 書 の 作 成. Puhllasun,Anatanani,GuiaMatematica2,Matimatiha,Kusi, Katita,Ayllunchis,Sdmαgα 1983年 充α8α,Puenteな 第一 ・第 二 ・第 三 ・第 四 学 年40校.諸 ど.教 材 の 展 示 会. 学 校 にお け る監 督.教 師 ・共 同 体 指 導 者 ・監 督 官 ・促 進 員 の た め の 訓 練 コ ー ス.教 科 書 の 作 成:Kα ω8の ・ninchisと ア イ マ ラ語 圏 の た め の 自然 科学 の 教 科 書.師 範 学校 に た い す るサ ー ビス:二 重言 語 教 育 の専 門化.UnayPαcん 1984年 DICCIO1>ARIOAymara-Castellanoの YanamayuAyllu,No.1の 1985年 (出 典)1983年 αsの 発 行. WineryPαcん 発 行.UnayPachas,No.2の 発 行. 発 行. α の 発 行. ま で の 分 は,Hornberger,oP.cit.,P.1Qo,Table3-1. 追 記 本 稿 な らび に拙 稿 「ペ ル ー の二 重 言 語 教 育 の二 類 型 」(r奈 良 史 学 』 第5号)は,1984年 度 奈 良 大 学 国 外 研 修 制 度 に よ る研 究 の 成 果 で す.妻 ア ンヘ リカ ・パ ロ ミー ノ を は じめ ア ン デ ス 司牧 研 究 所 主 催 の ケ チ ュ ア語 集 中講 座 参 加 者 とのす ば ら しい 出会 い を与 え て くだ さ っ た奈 良 大 学 諸 兄 姉 に た い して,こ の 誌 面 を借 りて,謝 意 を表 します. 奈 90 良 大 学 紀 要 第16号 Resumen LaeducationbilinguebiculturalenPuno,Peru Latrayectoriadeunacooperationtecnicainternational YoshioAoxl EIProyectoExperimentaldelaEducationBilingue‐Punoempezosuetapade operationen1980conlacooperationtecnicaalemana,despuesdecincoanosdeprepa ノ ration. Elautor,analizandosuprocesodeesteproyectohastahoy,dentrodelcontexto socio-politiconacional,consiguelassiguientesconclusionespreliminaresComo: a)EIproyectoseoriginodurantela"RevolutionPeruana"bajoelregimenmilitar delGral.Velasco,peroaunsinsuficientesbasessocio-economicasnipedagogicas. b)Mientrasloslideresdela"RevolucionPeruana"estabanperdiendosuafan reformista,elproyectoseestableciohacia198201983enformametodologicacomo educacionbilinguebiculturaldemantenimientoydesarrollo. c)EIproyectoyaestaenvolviendonosolamentelaeducacionprimariasinotambien laeducacioninicialypost-escolardentrodesumarcoy,almismotiempo,esta transfiriendounauotrapartedesusfuncioneshacialasinstitucionesopersonas locales,porejemplo,elentrenamientodemaestrosbilingiiesyprofesionales. d)ParataldesarrollohancontribuidolatraditionindigenistadePunoyelmovimientopopulardelateologiadeliberationenelsurandino.Y e)EIpresenteregimencivildeGarcia(1985-)estadandounamejorcoyuntura paraelproyecto,revitalizandolasociedadruralandina.