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親鸞聖人の高弟 『是信房』の軌跡

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親鸞聖人の高弟 『是信房』の軌跡
ぜ しん ぼう
案内役は岡村日出子さんです。
彦 部 地 区 に あ る 町 指 定 史 跡「 是 信 房 墓
所」をご案内します。
よし だ だい な ごんふじ
わらのしげあき
是信房は三位源頼政の曾孫宗房という
説と俗名吉田大納言藤原信明と言って京
の都のお公家さんだったとする二つの説
があります。出家して親鸞聖人の弟子と
なり、高弟二十四人中十番目にその名が
あります。
布教を命ぜられましたが、おそばから離
伝承では、是信房は親鸞聖人から奥州
お墓山の麓で、木造親鸞聖人座像を背
り、人々はさらに信仰を深めていったそ
「蓮かむりの仏様」と呼ばれるようにな
いていたのです。そこで「黒仏様」とか
の座像も焼けてしまったと、みんながっ
る時、お寺が火災になり、大切な聖人様
建立し浄土真宗の教えを説きました。あ
跡を継いでおります。正養寺の寺宝とし
すが、彦部の地には、正養寺が建立され
へ、時の権力者によって移されておりま
本誓寺は彦部から二日町、そして盛岡
大巻産直
北上川
彦部小
日詰駅
参道
入口にある案内板
れるのがつらく、なかなか旅立つことが
できませんでした。そこで親鸞聖人は自
ら自身の座像を彫り「いつでもそばにい
る」と諭し、
「後の世の
かたみに残す
面影は
板から降ろし安置したと伝えられる「お
うです。この仏様は、現在、盛岡の本誓
おい
腰掛石」が残っています。また、笈の背
せきしんざんほんせい じ
くりと力を落としてしまいます。ところ
て親鸞聖人が書かれた「阿弥陀如来四方
是信房は彦部石ヶ森に石森山本聖寺を
が、不思議なことにお腰掛石のかたわら
り
六 字 」 の 名 号、 別 名「 名 体 不 離 の 尊 像 」
みょう たい ふ
にある小さな蓮池の中から座像が見つ
えられる聖徳太子の木像や吉田家持仏堂
がございます。また、親鸞聖人の作と伝
安置の御嶽観音像が残されております。
み たけかんのんぞう
かったのです。ハスの葉を取り除き、抱
是信房の墓を案内する岡村さん
き上げてみると、真っ黒焦げとなった座
寺に大切に安置されています。
板は小深田家に残されているそうです。
親鸞聖人の高弟
『是信房』の軌跡
像の頭にクッキリとハスの葉のあとがつ
至大迫
456
4
彦部産直楽々
至花巻
至花巻
至盛岡
至盛岡
弥陀頼る身の
頼りともなれ」
と御詠歌と共に是信房に与えました。
木造親鸞聖人座像を安置したと伝えられる「お腰掛石」
是信房の墓
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