...

ひきこもりと その支援に向けて

by user

on
Category: Documents
8

views

Report

Comments

Transcript

ひきこもりと その支援に向けて
ひきこもりと
その支援に向けて
大分大学教育福祉科学部
准教授
溝口
剛
大分県教育委員会
2012.11.18(日)
みなさんおはようございます。大分大学教育福祉科学部の溝口と申します。
香々地青少年の家で実施している「ふれあいキャンプ」では、学生たちを“
メンタルフレンド”として連れていって、そこに参加している不登校傾向の
子どもたちと一緒に遊んだり、保護者の方からの相談を受けたりしています。
また、大分県青少年自立支援センターというひきこもりの一次相談窓口では、
スーパーバイザーを務めさせていただいたりもしています。今日は少しお時
間を頂戴いたしまして、ひきこもりに関するお話をいたします。
最近、人間関係が希薄になったとよく言われます。朝日新聞に連続掲載さ
れていた「弧族」という特集をご記憶の方もいらっしゃるのではないでしょ
うか。家族の形態が崩れ、家族成員の一人一人が個別の生活をする時代にな
り、都会で孤独に暮らしている若者の存在や、過疎化により山村で孤独に暮
らしているお年寄りの問題などが取り上げられています。
我々が学生の時分、一人暮らしをする際には、「アパートでは『向こう三
軒両隣』といって、ご迷惑をかけるかもしれないが宜しくとの意で、挨拶に
行くべき」と親たちから教えられたものです。しかし、今では不動産屋さん
から「できるだけ隣近所に挨拶は行かないでください」と言われることもあ
るそうで、隣に住んでいる人がどういう人かを知ることよりも挨拶をしない
方が安全という時代に変化している、という話を聞くこともあります。必然
的にご近所同士でつきあう、ということは少なくなったのだなと実感します。
そんな環境の中で育った子どもたちは、自然な形で人とつながる、という
ことがよく分からなくなっているところがあるようです。最近の子どもは「人
とつながる力が弱くなった」とよく言われますが、むしろ我々がそんな社会
をめざしてつくってきたところがあります。以前は家族だけで農作業を行う
のは無理でしたので、地域の人と一緒になって作業を行わなければならず、
人と人とのつながりが必然的にありました。また、農家に生まれれば、そこ
の家の子どもは農家を継ぐのが当たり前というように、個人の生き方をあえ
て選択しなくてもすむ社会だった、とも言えるかもしれません。そのような
中で、「個人の自由が欲しい」「自分が望む生き方をしたい」と願えば、親
から「勘当だ!」と追い出されて、都会に飛び出さざるを得ませんでした。
そうした“しがらみ”を離れて個人の自由が実現できる社会になった今、
若い人たちはどうでしょう。
「夢を持ちなさい」「あなたはどう生きたいの。あなたは何をしたいの」
「将来なりたいものになっていいよ」ということが、一人一人に求められて
きています。このような状況が逆にプレッシャーとなる人たちにとっては、
結構大変な社会だなあと思うこともあります。
また、自然な形で人とのつながりが求められない社会をつくり上げてきた
がゆえに、最近では「絆」という言葉を耳にする機会が増えたようにも思い
1
ますし、意識してそういう場をつくらないと人と人とがつながれないようで
す。
さあ、そんな中で若い人たちが育ちます。
大学を出て就職活動をするとき、求められることは何でしょう。まず言わ
れることは、人とのコミュニケーション能力です。大学におけるキャリア教
育でも、人とつながり、やりとりできる力の育成に焦点が当たっています。
普段の生活では人との自然なつながりが必要とされなくなっている時代に
生きているのに、就職して社会に出るときにはつながり方が上手でないと生
きていけませんよと言われる。そこにギャップがあります。人とつきあうこ
とが得意な人にとっては生きやすい社会ですが、人とつきあうのはおっくう
だという人にとっては、とても厳しい壁となって立ちはだかっているような
気がします。
そんな中で不登校やひきこもりの問題が浮かび上がってきているわけで
す。若い人は人とつきあう力がないといわれますが、私は常々、問題は個人
と社会との兼ね合いの中でとらえていかないとその本質は見えないと感じて
います。そうはいっても、そういう社会に生きているのだから、なんとか社
会とつながれた方が生きやすいだろうということも理解できるので、難しい
問題です。
また、現代社会をどうとらえるかについて、ある人が「コミュニケ-ショ
ンがとれて、明るく楽しい人が評価されやすい」と言っています。エネルギ
ーが高くて、ちゃきちゃきっと仕事をこなして、いろいろな人とつながって
いける人が評価されやすい社会であろうということです。そして夜の町は今、
24時間、光があります。自然なあり方は、日が暮れれば真っ暗闇ですが、
我々はそこに明かりを灯し、夜のきらびやかな世界をつくってきました。少
し軽躁的な社会と言えます。世の中が明るくなればなるほど、ひきこもりに
親和的な人たち、人づきあいが少しおっくうな人たちは闇に沈んでいき、問
題視されるようになってきたとおっしゃる人もいます。そんなふうに、社会
との兼ね合いの中で今起こっていることをとらえるべきだと思っています。
ひきこもりと不登校は別の概念です。ひきこもりは、「さまざまな要因に
よって社会への参加の場面がせばまり、具体的には学校に行ったり仕事をし
たりといった『自宅以外での生活の場』が長期にわたって失われている状態」
(厚生労働省)と定義されていて、この「さまざまな要因」には以下のよう
なものがあるとされています。
たとえば、生物学的要因としては、情報処理能力やストレス耐性というこ
とが挙げられます。ストレス耐性にも個人差があり、物事をパパッと処理し
ていける能力を持っている人と、課題が押し寄せてくるとパニックになって
どうしたらよいかわからなくなる人がいます。心理的要因としては、いろん
2
な出来事や物事の受けとめ方の違いです。あまり気にしない楽天的な人がい
たり、常に真正面から受けとめる人がいたりして、その後の処理の仕方も各
々で違ってきます。社会的要因としては、どんな人でも周りの環境との間で
その人のあり方がマッチしていれば不適応は起こりません。たとえば聴覚障
害の方がいらっしゃったとして、その障害が“問題”として浮かび上がって
くるかどうかは、必ずその人と環境との兼ね合いで決まります。十分な配慮
はなかなか難しいのですが、ノートテイカーや手話通訳者を派遣したりして
周りの環境がその人に十分配慮すれば、その障害は“問題”として浮かび上
がりにくくなりますし、周りがそうした配慮をしなければその障害はパッと
浮き上がってきます。生物学的・心理的要因があったとしても、それは必ず
社会との兼ね合いの中で浮かび上がってくると考えています。
また、ひきこもりの期間は「6ヶ月以上」と定義されていますが、これは
調査する上で便宜的に決めたものです。さらに、ひきこもりの活動範囲につ
いてもさまざまで、その場限りの接触はできるが深い人間関係のやりとりは
できない、という場合もあります。
きっかけについてもさまざまです。確かに、不登校が遷延化して社会に出
られなくなる場合もありますが、不登校と直結しているわけではありません。
不登校ではなかったけれど就職活動がうまくいかず自宅にいてひきこもりに
なる場合もあるし、就職者の3割が3年以内に離職するというデータがある
ように、就職しても不適応になってそのままひきこもりになる場合もありま
す。職場にある程度適応していても、30代になって仕事が降りかかってき
て、それらをうまくこなせずうつ状態になって休職や退職をし、中途採用を
希望しても難しく、状態としてひきこもらざるを得ない状況になる、という
こともあります。
厚生労働省の調査(2010年)によると、ひきこもりの家族を抱える世
帯数は全国で約26万世帯(推計)となっています。内閣府ではもう少し詳
細な調査をしていて、狭義のひきこもり「外出はコンビニに行く程度」の人
は23.6万人くらいだろうと推計しています。興味深いのは、「準ひきこも
り」といいまして、趣味とか用事とかであれば外出し、そういうサークルの
メンバーとはつきあいがある、たとえば、コミックマーケットのような集会
があると出かけていって、なじみの人たちと交流できるような「趣味や用事
で外出できる」人たちは、46万人くらいです。これらを合わせて広義のひ
きこもりとするならば、70万人弱くらいのひきこもりの人がいるというこ
とになります。今、不登校の子どもたちは12万人程度で推移していますか
ら、これと比較してもひきこもりの推計人数はとても大きな数字であると言
えます。
3
男女比でいうと、男性が多くて2:1くらいです。一昔前、女性は「家事
手伝い」という形で堂々と家の中ですごせており、あまり問題視されなかっ
たのですが、今は女性もどう生きるかが問われてきているので、家事手伝い
という人も場合によってはひきこもりと見なされることがあります。
調査結果のもう一つは、境泉洋先生(徳島大学)が親の会に長期間に渡っ
て継続調査したものです。
現在、ひきこもっている本人の年齢は11歳から55歳までと幅があり、
平均年齢は30歳くらいで、年々高齢化しているのが現状です。その人の家
族はもっと高齢化していると考えられます。その家族の生活をどう保障する
か、社会的な保障の対象にするほうがいいのではないかといった議論もされ
ています。
ひきこもり開始年齢は19.6歳と比較的高く、必ずしも不登校の人だけ
が引きこもっている訳ではないことがわかります。ひきこもりの期間は9.
6年ですが、親の会を対象としているので偏りがあるかもしれないことは念
頭に置いてください。
その様子は、ふだん「自室に閉じこもり」ご飯も家族とは一緒に食べない
という人が3.1%、「外出できず家庭の中でも避けている場所がある」と
いう人が6%、「家の中では自由に行動できる 」が17%くらいですが、「他
者との交流はないけれど、コンビニ等への外出はできている」という人も、
半数ぐらいいます。さらには「友だちとつきあったりいろんな活動には参加
できたりしている」が15.7%です。こういうデータを見ると、ひきこも
りと言っても外出可能な状態の人が半数ほどいる、ということが見えてきま
す。
それでは、ひきこもりの背景要因としてはどのようなものがあるのだろう
かということですが、一概には言えませんが、以下に示す 3 つの背景要因が
さまざまな割合で重なり合いながら、ひきこもりの多様な実態を生み出して
いるのではないか、と思います。
一つは社会との兼ね合いでひきこもるもので、社会に出ようとする年齢、
思春期青年期的な発達課題へのつまずきと深く関連しているものです。これ
は、健康な人でも多かれ少なかれ起きてくる問題です。
二つ目は、厳密にいえば社会的ひきこもりは統合失調症などの精神疾患を
患っている人のひきこもりを除くと定義されているのですが、実際には明確
に区別できないケースも多く、中には病院受診はしていないものの、周囲に
気づかれぬうちにひそかに精神疾患を発症しているひきこもりの人もいます。
また、うつ病を患った結果、活動できなくなって引きこもってしまう場合も
あります。これらは、精神的な疾患(障害)が一次的問題としてあって、結
果として二次的にひきこもっている状態です。定義上は社会的ひきこもりと
4
区別されるとしても、実際現場にはそのような人が“ひきこもり”として必
ずいます。また逆に、ひきこもりが先で、長い間人との接触を断っているう
ちに、2次的に精神的な症状が出てくる場合もあります。
三つ目の群としては、発達的な偏りの障害を持っておられる方がいます。
「発達が平均的な人間」を定義するのは難しいのですが、さまざまな能力が
均等に発達していくことに比べてばらつきがある、これが発達障害です。し
かしながら、皆さんも私もそうだろうと思うのですが、誰にでも得意・不得
意な領域はあるし、不得意な領域はできるだけ避けたり、自分なりに得意な
領域でカバーしながらやりくりしたりしているところがあると思います。我
々一人一人に発達のばらつきは必ずあるわけです。そのばらつき具合が極端
になってくると社会の中での生きづらさが生まれてきます。
これらの3つの背景要因は、人によって割合が違います。発達課題がメイ
ンの方、精神的な疾患がメインの方、様々な大きさで重なり合っていろいろ
な形でのひきこもりの実態実像が現れるので、一人一人に応じた理解が求め
られてきます。以下に一つずつ説明していきます。
(1)思春期・青年期の心もよう
それでは、「思春期・青年期の心もよう」ということで、思春期・青年期
の発達課題にはどのようなものがあるでしょうか。
一般に思春期は第2次性徴が始まる中学生から高校生くらいにかけて、青
年期は高校生から大学生になるくらいの年代を指します。しかし、現在は青
年期が遷延化していて、一人前になるのが遅くなっているといわれます。我
々心理学をやっている者の間では、20代の間はまだ「プレ成人期」であっ
て、30代くらいになってようやく「成人」になると言われています。ある
精神科医は、最近では40歳くらいまでは青年期と考えておいた方が良い、
と言っている人もいるくらいです。
このように若者が一人前になるのが遅くなったのは、今の若者たちが未熟
だからでしょうか。一概には言えないと思います。戦中戦後あたりに子ども
時代を過ごした方々で、高度経済成長の頃に中学を卒業して都会に出て集団
就職をしていった方々が沢山いらっしゃいますが、そういう人たちは 10 代
のうちから自分でお金を稼ぎ、実家に仕送りをしたりして、大人になるのが
早かったかもしれません。生きていくことや食っていくことなど、社会を意
識することも早かっただろうと思います。そういう人たちが大人になって、
自分の子どもに「同じ苦労はさせたくない。せめて高校までは出てほしい。
せめて大学までは出てほしい」と考えれば、高校・大学への進学率が次第に
上がります。経済的に日本が豊かになったこともあって、現在、大学の進学
率は50%を超えています。短大専門学校を入れると、高等教育を受けてい
る18歳人口は8~9割を超えてきます。
そうなると、学生の間は仕事に就かず、社会に出ることを猶予されます。
大学院まで進学すれば 20 代後半になってようやく就職です。彼らの就職先
5
が無限にあるわけではないので、若い人たちが安定して社会につながるすべ
は、かなり年齢が高くなるまで得られないということになります。仕事を持
ち、家庭を築くことで一人前になるとするならば、現代は「社会的な構造」
として青年期が遷延化する傾向にある、ということになります。このように、
社会に出るまでの期間というものは時代や社会の情勢によって長短があるわ
けで、子どもたちだけの責任ではないのですが、子どもたちは否が応にもそ
の中で生きていかなければならない、という現実もあるわけです。
ところで思春期・青年期の子どもたちの発達課題は何かといいますと、
「子
どもの自分」から「一人前の大人としての自分」へと生まれ変わっていくプ
ロセスを、どう乗り切っていくか、ということが大きいと思います。これを
ある人は「生き方の変更」と言っています。それまでは、親や先生のいうこ
とをきちんと聞いていれば「よい子」でうまくいっていたけれども、中学に
入ればそのような適応ではうまくいかなくなります。周りの友だちは「自分」
というものを持ち始めます。先生がこうしなさいといったときも、その場で
は「うんうん」といって聞いていますが、その場を離れればグループ内で「先
生はあんなことを言っていたけど、違うよね」と言います。親や先生とは違
う価値観が子どもに芽生えようとしているのです。
また、「うちの親はこんなことを言ってきてうるさい」と友だち同士で語
り合うようにもなります。これは、親から離れたいという人間の自然な発達
プロセスであり、自立に向かう強い指向性です。親とは違う「独自の自分」
を見つけたいという自立心の芽生えでもあります。私にもありましたし、皆
さんにも多かれ少なかれあったかもしれません。しかし、親とは違う価値観
を持ちたいと願いながらも、それではあなたの価値観は?と問われると、そ
れはまだまだはっきりしていません。ですから、親から離れてひとりでやり
なさいと突き放されると、怖くなる、心許なくなる、不安、寂しい、ひとり
ぼっち、誰かに頼りたい。そんな気持ちが子どもに湧いてきます。このよう
に「親から離れたい気持ち」と「まだまだ親に頼っていたい気持ち」のぶつ
かり合いが、いわゆる「自立と依存の両価的葛藤」と呼ばれるものです。こ
れは、どっちつかずのモヤモヤイライラです。このあたりから誰に言われな
くても自分で日記をつけ始めたり、ブログに自分の思いを書いたりするよう
になります。独自の世界を持ち始めるのですが、この世界が正しいのか、子
どもにとっては非常に不安なので、その不安を解消したい、確かめたいとい
う気持ちがわいてきます。そんなときに重要になってくるのが同年代の「仲
間」です。同じような不安を抱えている仲間同士のつながりです。「うちの
親がこんなこと言うのが嫌なんだよ~」
「うちもそうだよ~」と言われると、
親に対してネガティブな気持ちを持っていることはおかしいことじゃないの
だとわかって、少しホッとするのです。人間としての「同質性の確認」とい
われる行為ですが、こうして友だちの反応を通して自分の考えを確認できる
と、ますます仲間同士のつながり・結びつきは親密になってきます。また、
少し先を歩く先輩の存在が頼もしく思えたり、先輩のようになりたいと思っ
たりもします。こうして、大人から用意されたものではない仲間同士での体
験活動を通して、自ら少しずつ長い年月をかけて「自分」をつくっていく。
これが10代の間、社会に出るまでの間の長い長い課題の一つです。
6
中学生くらいになってくると、用意された課題にのっからない、学校側が
用意した活動にはなんとなくやる気が出ない、という子がいます。これは、
親から離れたいからです。自分たちだけの独自のやりがいある課題を見つけ
たい。これが極端になると反社会的になり、非行に走っていくこともあるの
で注意したいところです。
先ほど紹介した、「ふれあいキャンプ」の良いところは、用意された課題
が非常に少ないというか、課題は一応あるのですが、大きな枠組みの中で、
自分たちで少しつながりをつくっていって「次はこれしよう、あれしよう」
という自発性が出てくることです。これはすごくいいことです。中には用意
された活動に参加しない端っこにいる子もいるけど「それでいいよ。できれ
ばみんな活動に来ているからやったほうがいいけど」と誘いはしてもその子
のあり方を尊重しています。おもしろそうだと本当に思えたことに取り組む
ことが、その子にとって本当の力になります。
こういう時期の子どもたちを大人が縛りすぎるとよくないと思います。そ
れにつき従う子どもたちが生まれると、そのときはうまくいっても、どこか
でつまずくかもしれないので、そのかねあいが難しい年代です。
つまずくと難しい問題が起きてきます。仲間関係というのは、裏を返せば
「私とあなたは一緒ね、でもあの子は違う」「そうね、あの子の言っている
ことはわからないよね」と、グループ外の人を批判することでグループ内の
結びつきが強まることがあり、結束を深めたりします。自分のアイデンティ
ティが不安定なときは、特に排他的になります。自分たち一人一人が不安定
な時は、どこかで安定したい、誰かと結びつきたいと願うので、外に共通し
て排除するような相手を見つけることで仲間内同士の結びつきを強めること
が一番てっとりばやいのです。
このようにしていじめが起こりやすいのが中学生年代です。件数が突出し
ます。特に入学してすぐの中1にいじめが多いのは、一人一人が非常に不安
定だからです。表面的にはいきいきしてやんちゃに会話しているようですが、
一人一人が不安定だとグループが固まって排他的になることがあります。脱
落の不安をかかえている子どもがたくさんいるのです。
挫折や劣等感、傷つきを抱えていくと、結果として仲間関係を避けていっ
たり、いじめる・いじめられる状態に入っていったりする場合があります。
中には、なんとか適応しようと学校の先生に依存することで解決しようとす
る人も出てきます。仲間関係がうまくいかないと、頼りになる先生の言うこ
とを聞いて、学校に過剰適応する子どもが出てきます。大人から見ると素直
でよい子に見えますが、ひとりでいるときは苦しさを抱えている場合があり
ます。
このようにして次第に、親や大人から離れて自分が独自の存在となって社
会に出る、ということがとても怖く思えてくる、親から離れるのが怖いとい
う気持ちが起こってくると親への回帰、密着、依存ということが出てきます。
7
では親に再び依存すれば問題が解決するかというと、そういうことにはな
りません。どうしても親から呑み込まれる、親の言いなりになるのではない
か、といった恐れや不安が起きてきます。自失の不安といいますが、自分の
独自性が無くなるような気がするのです。すると、それに対して反発心が生
まれます。密着しているにもかかわらず反発したくなる、親がくるっと背を
向けると捕まえる、「ここにいてくれ」と言う。かと思うと「あっちに行け」
とばかりに親を平手で叩くような葛藤が子どもの心の中で起こってきます。
家庭内暴力は、子どもの心の中に親への非常に密着した依存関係と親から離
れたい欲求と、その両極端なもがきが暴力となって表出していると思います。
暴力への対応は難しく、制限をかけないといけないので、場合によっては第
三者の介入が求められる場合があります。
また、そんな怒りを親に向けられない、反発心を向けられない子どももい
ます。そうすると、そうしたイライラや怒りは自分自身に向けられ、自分を
責めさいなみ、抑うつ、自傷行為、摂食障害といった症状になって現れてき
ます。その延長で不登校といったことも起こってきます。
さらに最終的には、自分で自分の事がよくわからない、という状態に陥る
こともあります。アイデンティティの拡散といいます。自分が何をしたいか、
自分が何を欲しているのか、自分でも本当にわからない。情緒的混乱や活動
性の低下、そういう背景をもって活動の幅が狭まり、結果的にひきこもりの
状態に陥ることがあるのです。
(2)背景に精神的な疾患や障害がある場合
また、精神的な疾患・障害がある場合を見逃してはいけません。抑うつ状
態であるとき、ひきこもることは多いものです。我々もふつうに気分が憂う
つになることはありますが、うつ病との境目はあいまいです。ただ、うつ病
の場合は気分だけでなく、身体にも症状が出てきます。たとえば、寝ようと
思っても眠れない不眠症状。2、3時間経つと目が覚めてしまう中途覚醒。
朝は気分が低調で夕方になると回復してくる日内変動。これらは身体のリズ
ムが不調を起こしているのです。こころがけ次第とか、やる気を出せば解決
する、といった問題とは違っています。他にも、食欲がわかない、全身の倦
怠感、便秘、下痢などがあって、こうした症状はうつ病の身体症状と考えた
方がよいです。
強迫性障害では、何かが気になって確認行動を繰り返したりします。外出
時に玄関のドアを閉めたかな?と不安になって、ドアをガチャガチャやりま
すね。そこで一旦安心するのですが、その場を離れると、あの時ガチャガチ
ャしたときに開けてしまったのでは?とまた不安になって確認しに戻る。こ
れが繰り返されると、いつまでたっても外出できなくなり、日常生活に支障
が出てきます。すると、これは何らかの援助・治療が必要で、強迫性障害と
して医療の対象にしましょう、ということになります。強迫性障害の中にも、
こうした確認行動が自分ひとりで自己完結している場合もあれば、周りを巻
き込んでくる場合もあります。「お母さんも一緒に確認してよ」とお母さん
8
に巻き込むことで、お母さんも外出できなくなってしまいます。これを「巻
き込み型の強迫性障害」といいます。この他にも、人と会うのが怖い、注目
を浴びるのが怖い、これも日常生活に支障を来してくると対人恐怖症、視線
恐怖症といわれるようになり、医療の対象となる場合があります。
また思春期に入ると、引きこもりと関連深い精神疾患に「統合失調症」の
可能性を頭に入れておくことが重要です。こうした疾患は思春期あたりから
起こりやすいと言われています。ですから、高校生・大学生年代でひきこも
っている人を見つけたら、まずは、統合失調症はないよね、ということを先
に確認した方がよいです。独り言が激しかったり、盗聴器が仕掛けられてい
るのではないか、配達の人が家の中のことを言いふらしているなどといった
考えがわいてきたりするので、外に出られない状態になります。また、猜疑
(さいぎ)的な目、逆におびえた目つきになったりします。1週間以上も入
浴を拒んだり洗面しなくなったりといった基本的な生活習慣などの身だしな
みができなくなることもあります。こうしたことは、外の現実世界から完全
に心が引きこもっている状態と考えられるので、注意したいことです。
もし、精神的な症状が出ている場合、専門医や保健所の保健師などに相談
することが大切です。お薬でひきこもりそのものがよくなることはありませ
んが、そのためにお薬を出しているわけではないので当然のことです。薬は
何に効くかというと、例えば抑うつになってぐ~っと気持ちが沈み込んでい
るのをこれ以上沈み込まないよう下支えをしてくれたり、統合失調症によっ
て湧いてくるいろんな考えを抑えてくれたりするわけですが、これがあるの
と無いのとでは本人の気持ちの安定度がかなり違ってきます。したがって、
こういう症状がある場合には、専門医の助けを借りることは必要なことです。
ひきこもりは、薬だけでは解決しないけれども、本人の気分が楽になり、心
に余裕が出る、そうすればひきこもる以外の選択肢も少しずつ考えられるよ
うになっていくかもしれない、ということです。
(3)背景に軽い発達的な偏りや障害がある場合
三番目は発達的な偏り・障害がある場合についてです。
自閉的な特徴としては、こだわりが強かったり関心の幅が狭いことだった
り、人と関心を共有することや仲間づくりが苦手なことです。こうした特徴
は本来の器質的な問題というか、その子が生まれつき持っている特徴なので
容易に変えることはできないので、そうした特徴を周りの人たちがどのよう
に理解して対応していけるか,といった問題が出てきます。
ADHDについてですが、おちつきがない、いきあたりばったりで、刺激
に気を取られることがあります。これも本人がわざとやっているわけではな
くて、器質的な傾向としてあるのです。席について話を聞くことが基準であ
る学校では、はみだしてしまいがちなことから、叱られる対象になりがちで
す。また、集中が難しいことから、勉強にも集中して取り組めなくなる、そ
うすると勉強のことでも叱られることが増えてきます。大人からの否定的な
9
評価を受けやすいので、ADHDのことだけで苦しむというより、人からの
そうした評価に傷つき、苦しむことになりやすいのです。
ほかにも学習障害を持っている人もいますし、知的ボーダーラインの人も
います。知的障害については、およそIQ70以下を知的障害とし、公的に
福祉の対象となって手帳が発行されます。それではIQが70とか80くら
いの知的ボーダーライン上の人はどうかといえば、やはり周囲の状況を十分
に理解できない、勉強にしても人間関係にしてもなかなかついていくことが
難しいといった状況が起こってきます。中にはそういう側面が見過ごされた
まま、思春期青年期を迎えてしまう子どももいます。そうした問題への周囲
の配慮がないまま人間関係でも傷つきを繰り返すと、次第に人と関わること
が嫌になってひきこもりになってしまうことだって考えられるのです。それ
らは、本人の器質的問題であり特性なので、うまく周囲に気づいてもらって、
適切に配慮してもらうことによって、そうした障害が問題として浮かびにく
くなります。耳が聞こえない人に、耳が聞こえないことを前提として、どう
配慮したらその人が少しでも過ごしやすくなるかを我々が考えるのと同じこ
とです。
先生が話していることがちゃんと頭に残る人はよいけれども、そうした情
報を耳から聞いても記憶に残りにくい人もいます。これも特性です。気をつ
けてしっかり聞きなさい、と言ってもどうにもならないのです。それならば、
口で言っても忘れてしまうなら、忘れてしまいそうなことを周囲の大人が紙
に書いてその子に伝えれば、その子は忘れて叱られるということが減るかも
しれません。
ところが、周りからそうした配慮を受けられぬまま、人間関係で傷つきを
繰り返し、人間なんて信用できないというかたちで思春期を過ごしてしまっ
た人たちはどうなるでしょう。いざ社会に出るときに、人とつながりなさい
と言われても無理な話です。ですから、そういう方々が思春期をどう過ごす
かが社会に出て行く上でも重要な問題となってきます。
いよいよ支援に向けてです。ひきこもりの場合、「この子がどうやったら
社会につながれるか」「どうやったら家から少しでも出られるだろうか」と
いう相談を受けることになります。誰かが家まで来てくれたら、子どもを引
っ張り出してくれたら、外に出られるのではないかなどと思うのは、保護者
のまっとうな願いです。
ですが、その前に、なぜその子がひきこもっているかを考えることが支援
の一歩だと考えます。これは、ひきこもりの原因を追究する、ということで
はなくて、その子にとってひきこもらざるを得ない事情であったり、ひきこ
もっていることでその子にはどんな「いいこと」があったりするのかという
ことに、まず我々が思いを巡らせてみましょうということです。
10
なぜ、その子どもがひきこもらざるを得ないのかに思いを馳せてみれば、
これ以上の外の世界からストレスを受けたら身が持たないとか、自分のここ
ろが壊れてしまうといった恐れがあって、それらを避けるために身を守るギ
リギリの選択として、ひきこもらざるを得ないのだと考えることができます。
これは、動物的な本能として備わっているようなレベルのものだと思います。
例 え ば 、犬やネコは深手の傷を負ったとき、木の根元や穴蔵で、3日3晩飲
まず食わずじっとしています。今、動いたら死んでしまうかもしれない、そ
ういう時はむやみに動きまわらず、じっと回復を待つ本能があります。それ
と同じことで、ひきこもりをしている本人が、ひきこもりを選んでいる時に
は、ひきこもらざるを得ないそれぞれの事情がその人その人にあると考えて
います。そういう彼らに、「社会とつながってほしい」と願う保護者や周囲
の支援者の姿はどう映っているでしょうか。
その理解に役立つのは、「ひきこもっているうさぎさん」の絵(峰松修
2009)です。うさぎさんが穴蔵の中にいて、穴の入り口では人間がうさ
ぎさんを助けてあげようと思って手をさしのべています。この手は、善意の
支援者の手です。でも、うさぎさんは怖がってしまって、ますます穴の奥の
方に入っておびえています。人間は良かれと思って助けようと思って「出て
おいで~」と言うけれど、本人は「来ないで、来ないで」とおびえているの
です。したがって、最初から支援者が本人と接触するのは非常に難しく、無
理に踏み込もうとすると2度と会ってくれないことになります。ですから、
手がかりは家族支援から始めるということが大切になってまいります。
斉藤環先生が「社会的ひきこもり~終わらない思春期」(1998)とい
う本を書かれていますが、そこで「ひきこもりは個人の問題というよりシス
テム全体の問題と考えた方がより援助的」だとおっしゃっています。先生の
著書の中に出ている「ひきこもりのシステム」の図では、社会と家族と本人
の関係を模式的に表しています。
社会が一番外側の大きな輪としてあり、その内側に家庭の輪、さらにその
内側に本人の輪があって、それぞれが一点で接しています。これは、家族も
社会と関わりを持っているし、本人も家族と関わりを持ちながら社会と関わ
りを持っている状態である、ということを表しています。
これを通常のシステムと考えたときに、ひきこもりを取り巻く状況は、本
人が社会との接点を失って遊離しているだけでなく、家族もひきこもりの問
題に関して社会と接点を失っている場合が多いのではないかということです。
こ れ は 、 家 の 中 に ひきこもりの子どもがいるという問題に関して、家族も
周囲の人たちに相談しづらいという意味合いです。したがって、家族も社会
から孤立し、本人は社会からも家族からも孤立した状況に陥っていることが
よくある、とおっしゃっているわけです。
このように考えると、家族が社会と接点を回復することなく、本人だけが
社会と接点を回復することはあり得ないということになります。ですから、
まずは家族がひきこもりの問題について社会としっかり接点を回復しましょ
う、ということになります。すると、本人は依然として浮いた状態かもしれ
11
ないけれど、家族が社会と接点を回復することによって、家の中でもこれま
でと少し違うやり方で本人と接触するようになれば、本人も家族とであれば
接点を回復できるかもしれず、すぐには社会と結びつかなくても家族を通し
て少しずつ社会との接点を探るきっかけになるかもしれません。これが、斉
藤先生のおっしゃりたいことです。
ですから、ひきこもり問題の支援はまず、家族と社会の接点の回復からと
言われます。しかしながら、子どもが引きこもった状態で24時間ごろごろ
している状態を見ていて、本当に大丈夫だろうかと家族は心配になります。
場合によってはいらいらして、何を考えているのだと焦り・怒りを感じます。
こういったものが、ついつい行動になって本人に出てしまいます。たとえば、
「部屋にこもってないで、ちょっとぐらい外に出なさい」と、これは叱って
いるわけではなく励ましているのですが、本人にとってはそれがプレッシャ
ーになります。本人はますます不安になり、家族から距離を取ってひきこも
ります。本人がひきこもると家族もますます不安になって、本人への圧力を
強めてしまう。ひきこもりのお子さんを抱えればこうした悪循環が起こりや
すい、どの家庭でもそうなりやすいということです。
それでは、このひきこもりの問題についてどうしたらよいのか、というこ
とになりますが、まず我々が考えるのは、本人が今抱えている社会に出るこ
とへの恐れ、人と関わることへの恐れ、そうした本人の不安を低めたいと思
います。どのようにしたら本人にとって、家の中で過ごしやすい空間をつく
ってあげることができるか、本人の心に少しでも余裕が出るようになるかを
まず考え、安心して過ごせる場所を確保することです。また、ご家族も心に
余裕を取り戻してもらうことが必要で、そのためには支援の見通しを持って
もらうことも大切です。ひきこもりの問題は長期化しやすいと言われます。
今日明日では解決しないのです。どれくらいの期間で解決するかは人それぞ
れですが、息の長い支援を焦らず進めていくには、周囲の支援者が短期的・
中期的・長期的な見通しを持つことが大切です。そうした長いスパンで考え
たときに、お子さんが今どの辺の段階にあるかを位置づけておくとむやみに
焦らず、対応しやすいことがあります。
そのような見通しを持つときに役に立つのが、厚生労働省が2010年に
出している図です。ひきこもり支援は段階を踏むことになります。最初は出
会いの段階で、「家族支援」が中心です。できればご本人が一緒に相談され
るとよいのですが、家族支援をしっかりやっておくと、意外にそのうち本人
も支援の場に足を踏み出すことがあります。そうすると、「個人支援」と「家
族支援」を並行して進めていく段階に入ります。また、だんだんと進めてい
くと、本人が外に出てみようという気持ちになることがあります。安心して
過ごせる居場所を見つけ、同じような問題を抱えている集団に入っていきま
す。「集団的な活動・過渡的な集団との再会」といわれる段階です。これら
は一足飛びには進みません。人によってそれぞれの段階がどのくらいの期間
必要かは違います。家族が3回くらい相談に来たら4回目に本人が相談に付
いてくることもあります。中には、家族の相談が1年くらい経って、ようや
12
く家の中で本人の調子が少しよくなってきて、今日だけ相談についてきた、
ということもあります。
また、評価する際の基準・目標をどこに設定するか。これによって支援の
あり方も変わってきます。目標が高すぎると、本人も支援者も焦りと無力感
にさいなまれることになります。たとえば、仕事をしていない25歳のひき
こもり者に、いきなり就職だけを目標にすると、ハードルが高すぎます。不
登校のお子さんにしても同じです。学校に戻ることだけを目標にするとハー
ドルが高すぎます。こうしたハードルはできるだけ低く低く、選択肢はでき
るだけ幅広くもっておくのがコツです。そうすると、見過ごしそうな小さな
変化であっても周りの人が喜べるかもしれない。小さな小さな変化でも、家
族から「よくがんばったね」と声をかけてもらえれば、本人もこころに余裕
が出ます。周囲の者が、本人の小さな変化を評価する目をもてるかどうかで
す。「コンビニに漫画を一人で買いに行けた。これまでのことを考えれば、
本当にすごいですね!」でもいい。それぐらいのことで、と思わないことで
す。
今、地域にはいろいろな活動の場があります。フリースクール、公的な支
援センター、NPO、若者サポートステーション、グループワーク、ゲーム
大会、コミックマーケット、趣味のサークル、ひきこもりのデイケアもあり
ます。作業所とかでも、作業の合間にバレーをして楽しむとか、ちょっとで
も人とふれあう場はあります。図書館に本を読みに行くのもよいでしょうし、
本屋に行けた、コンビニに行けた、河川敷に出かけた、近所を散歩できた、
いろいろあります。
対人交流にしてもそうです。流ちょうにコミュニケーションを取れること
を目標にしていたら失敗の連続になります。挨拶もしていなかった子が目で
うなずいた、これは変化ですねと取り上げていければ、少しでも自律的な動
き・自発的な動きをしたことを評価することにつながります。もっともっと
レベルを深く落としていって、最終的にはこの子がこの世に「存在している
こと」「生きていること」、そのことだけでも本当に素晴らしいと素直に喜
べるような、そうした次元まで我々は下りてゆけるのだろうか、とまで思い
ます。
「豊かなひきこもり」(峰松修
2009)の図をご紹介していますが、
外に出るのが怖ければ、無理に引っ張り出すのではなく、穴の奥にどんどん
入ってもいいのではないかという図です。いわゆる「社会」に出て仕事しな
くても、趣味の合う人と一緒に過ごすことや、ひきこもりの中でいろんな活
動する場を増やしていこう、こういう「豊かなひきこもり」という概念を持
っておくと、われわれの支援も失敗の連続にならないかもしれません。
最終的に社会とどういう形でつながるかは人それぞれかもしれません。地
域の総合力による支援へという資料を最後に記載しておりますが、ひきこも
り支援はいろいろな領域が複合している領域横断的な問題です。
これは、ひとりのカウンセラーだけでは限界がある、ひとりの専門家だけ
の対処では限界があるということです。それは、全く役に立たないというわ
13
けではなく
ではなく、それだけでひきこもりの問題がすべて解決
解決するわけではなく、
いろんな支援
支援が少しずつ重なり合って、初めてひきこもり
めてひきこもり問題が解決に向か
っていくということです
っていくということです。こうした地域の支援が今、少
少しずつ立ち上がって
います。大分県
大分県にもさまざまな支援機関が連携した「青少年自立支援
青少年自立支援ネット
ワーク」があり
があり、各支援機関の支援にもそれぞれに特色
特色があります。
仕事をしようと
をしようと思うのであれば、「若者サポートステーション
サポートステーション」を利用し
てみるのもいいし
てみるのもいいし、医療機関・相談機関を併用して相談
相談を続けることもいい
でしょう。
。支援機関の得意分野をそれぞれ活かしながら
かしながら連係して支援するこ
とが重要と
と考えています。親の会もそうです。親の会はカウンセラーや
はカウンセラーや医師
にはできないサポートを
できないサポートを提供していて、親同士、経験者同士
経験者同士の話は力になる
時があります
があります。それぞれの得意分野を活かしながら同じ
じ方向を向いて連携し
て支援することが
することが重要です。さきほど紹介した「ふれあいキャンプ
ふれあいキャンプ」もその
中に含まれます
まれます。キャンプに行ったらすぐ学校に行けるわけではありません
けるわけではありません
が、少なくとも
なくとも本人がキャンプの場であれば活き活きと
きと過ごせるように。そ
れがまずは
まずは最初の目標ではないでしょうか。続けて参加
参加していく中で、我々
大人が変えようと
えようとせずとも、少しずつ子どもたち自身が
が考え、変わろうとし
ていく、そのような
そのような姿がそこにはあります。
最後になりますが
になりますが、ひきこもりは長期戦になりやすいので
になりやすいので、地域の助けを
借りながらみんなで
りながらみんなで支援していきたいと考えます。長時間
長時間のご静聴をいただ
きましてありがとうございました
きましてありがとうございました。
14
期
日:2012年11月18日(日)
事業名:おおいたっ子心の交流推進事業
主
催:大分県教育委員会
会
場:大分県立社会教育総合センター
ふれあい相談会
15
Fly UP