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第11回 倫理的な正しさとは 何か その1-1

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第11回 倫理的な正しさとは 何か その1-1
学科共通科目(2012年度)
哲学・思想の基礎
第11回 倫理的な正しさとは
何か その1-1
リベラリズムの立場
第11回から第14回の予定
• 第11回(6/29):倫理的な正しさとは何か
その1:リベラリズムの立場
• 第12回(7/6):倫理的な正しさとは何か
その2:リバタリアニズムの立場
• 第13回(7/13):倫理的な正しさとは何か
その3:コミュニタリアニズムの立場
• 第14回(7/20):まとめ
• 第15回(7/27):ディスカッション
はじめに
「倫理的な正しさ」を、善とも関連させながら、
三つの基本的な立場によって考える。個人の
自由を基にして、正しさが善に優先するとす
る「リベラリズム」の立場。自由を最大限に尊
重して正義の基盤とする「リバタリアニズム」
の立場。正しさは何らかの共同体の中で成立
するとする「コミュニタリアニズム」の立場。こ
れらの立場を通して、現実の社会においても
生じている問題を考える。
正しさ(正義)とは何か
• 正しさは、或る事柄(ここでは社会的な事柄に
限定する)を判定する場合の基準となるもの
である。「正しさ」がなければ、われわれは何
かを「正しい」と言うことはできない。しかし、
「正しさ」(正義)が何であるかを論じることは非
常に困難である。
【参考】J.S.ミル の嘆き
「・・・何が正しいかについては、何が社会にとって有
用であるかについてと同じく、多くの異見があり、多
くの議論がある。正義の観念が国民により個人に
よってちがうばかりではない。同じ一個人の心中で
さえ、正義は単一の準則、原理、格率ではなくて、多
数のそれなのである。だから正義の命令は必ずしも
一致せず、どれかを選ぶには外部の基準によるか、
個人的な好みによるほかない。」(ミル「功利主義論」
518頁; p.191) しかし、ミルは正義を幸福の最大化
と考えている。
★功利主義の正義:幸福の最大化
1. 倫理的な正しさとは何か(その1):リ
ベラリズムの立場
ここで扱うリベラリズム(liberalism)は、今日
の道徳・法・政治哲学で問題とされるリベラリ
ズムである。このリベラリズムは、正義
(justice)・公正(fairness)・個人の権利
(individual rights)という観念が中心的な役割
を果たし、その哲学的基盤の多くのカントに
負う。 →続く
このリベラリズムは、善に対する正しさ(the
right)の優先を主張し、功利主義的構想に対
立して典型的に定義される倫理であり、「義
務論的リベラリズム」(deontological
liberalism)としてもっともよく記述される(サンデ
ル『リベラリズムと正義の限界』1頁参照;p.1)。
1.1 カントの義務論的リベラリズム
カントの倫理思想は「義務論的リベラリズム」と呼ば
れ、道徳的・政治的理想のなかで、正義を優位とす
る理論である。各人が自分自身の目標(aim)・利益・
善の構想をもつ、人格の多元性[複数性]から成り立
つ社会が最善に調整されるのは、いかなる特定の
善の構想も前提としない原理によって支配されると
きである。つまり、正しさ(right)の概念は、善に優先
し、善とは独立に与えられる(サンデル『リベラリズムと
正義の限界』1頁参照; p.1)。
リベラリズムの基盤―正義の優位
正義の優位は、二つの仕方で理解できる。
第一に、他の道徳的・政治的利益がいかに
緊迫していても、それらより、正義の要求が
優る。正義は、必要に応じて重視され、考慮
されるべき他の価値の中の、たんに一つの価
値であるのではなく、すべての社会的徳目の
なかで最高のもの、つまり、他の徳目の要求
以前に、満たされねばならないものである(サ
ンデル『リベラリズムと正義の限界』2頁; p.2)。
【参考】ミルとロックも正義を重視している
• ミルは、正義を「いっさいの道徳性の主要部分であり、比較を
絶したもっとも神聖で、拘束力の強い部分」と呼んだ(ミル『功
利主義論』523頁; p.195)。「正義とは、ある種の道徳律をあらわ
す呼び名であって、処世上のどんな道徳律よりもさらに緊密
に人間の福祉の本質にかかわり、したがってさらに絶対的な
拘束力をもつ」(ミル『功利主義論』523頁; p.195)。ロックは、人間
の自然権(natural rights)を、いかなる国家も圧倒できないほ
ど強いものとみなしていた。「・・・それ[自然状態]は完全に自
由な状態であって、そこでは自然法(law of nature)の範囲内
で、自らの適当と信ずるところにしたがって、自分の行動を規
律し、その財産と一身とを処置することができ、他人の許可
も、他人の意志に依存することもいらないのである(ロック『市
民政府論』10頁; p.3)。
第二に、カントの倫理学のような義務論的見
解では、正義の優位は、道徳的優先だけで
はなく、正当化(justification)の特権的形態も
記述するものである。正しさが善よりも優先す
るのは、その要求が先行するからだけではな
く、その原理が独立して導き出されるからでも
ある。正義の原理は、いかなる特定の善の
ヴィジョンにも依存しないように、正当化され
る(サンデル『リベラリズムと正義の限界』2-3頁参照; p.2.)。
カント:正義としての道徳法則
「・・・善の概念および悪の概念は、道徳的法
則に先立つのではなくて(善および悪の概念
のほうが道徳的法則の根底に置かれねばな
らないと思われるかも知れないが)、・・・道徳
的法則のあとにあり、この法則によって規定
せられねばならない・・・」(カント『実践理性批判』136
頁; S.74.)。
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