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深く、陰影にとんだドイツの音色

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深く、陰影にとんだドイツの音色
 ベルリンの壁が崩壊するまで、壁が壁として機能していたこともあって、東ドイツに吹く西風は制
限されていた。そのことが、結果として、東ドイツの歌劇場やオーケストラは西側で吹き荒れ始めて
いた音楽商業主義の猛威にさらされずにいられた。東ドイツの歌劇場やオーケストラが伝統によって
培われたものを好ましく温存されてきた背景には、そのような事情があった。
1970年に、ヘルベルト・フォン・カラヤンは、ドレスデンで「ニュルンベルクのマイスタージ
ンガー」を録音した。さらに、1973年には、カルロス・クライバーが、ドレスデンで「魔弾の射
手」を録音した。「ニュルンベルクのマイスタージンガー」も、「魔弾の射手」も、ともに、数あるド
イツ・オペラのなかでも特にきわだってドイツ的なものを感じさせる作品である。ちなみに、198
0年代になると、カルロス・クライバーは「トリスタンとイゾルデ」もドレスデンで録音している。
カラヤンやクライバーが、当時の彼らの本拠地を離れ、敢えてドレスデンで、特にきわだってドイ
ツ的な性格の強いオペラを録音した理由には、その頃の東ドイツのオーケストラであれば、レコーデ
ィングにあたって、西側オーケストラほどには時間的な制限が厳しくないとか、経済的な効率がいい
からとか、さまざま考えられるにしても、カラヤンやクライバーにドイツ的なオペラのドレスデンで
のレコーディングを決断させたきっかけのひとつに、シュターツカペレ・ドレスデンのきかせてくれ
る、西側のオーケストラからは感じとりにくくなっていたドイツ的な音色を欲しがったためと、思わ
れる。
もっとも、1985年に再建されて、
「魔弾の射手」で杮落としをおこなったゼンパー・オペラの建
物は、当時の東ドイツの独裁者エーリッヒ・ホネッカーの、西側に対しての見栄が透けて見えるよう
な、金ぴか趣味でいろどられてはいる。しかし、さすがの暴君でも、劇場の壁は金ぴかにできても、
オーケストラの音色までは変えることができなかったためとかんがえるべきであろう、この劇場を本
拠地にするシュターツカペレ・ドレスデンの音色は、そこが目には見えない音楽のいいところと考え
るべきであろう、為政者の悪しき見栄に影響されることもなく、しっかりとドイツのオーケストラな
らではの深く、陰影にとんだ味わいと匂いを、そのひびきに保ちつづけている。
しかも、このオーケストラの現在の主席指揮者は、奥行きのある、そして味わいの濃い音楽をきか
せてくれるということでは、現役指揮者のなかでも最右翼に位置するベルナルト・ハイティンクであ
る。ハイティンクがオーケストラを指揮してきかさてくれるのは、脚光も、栄光もいらない、ただ真
摯に音楽と向かいあうだけと無言のうちに語っているような演奏である。そのようなハイティンクの
音楽に対する、これみよがしなところのまったくない姿勢は、無理なく、とてもしあわせなかたちで
ドレスデン・シュターツカペレの音楽的な体質と溶けあって、味わいの濃い演奏を可能にする。
ぼくは、一度だけ、1989年に、ドレスデンを訪れたことがある。そのときは、壁崩壊の前夜と
いうこともあって、ドレスデンの町は、あちこちでデモなどもさかんにおこなわれていて、騒然とし
ていた。したがって、そのときの印象でドレスデンを語ることはできない。今では、おそらく、伝統
ある、古い町ドレスデンならではの佇まいを見せているのであろうが、ぼくは、不覚にも、1989
年以降のドレスデンを知らない。ただ、この5月にハイティンクとともに訪れて、ブラームスや、ブ
ルックナー、リヒャルト・シュトラウスの作品を演奏するドレスデン・シュターツカペレの演奏をきい
たら、ドレスデンを再び訪れてみたいと思うのかもしれない。すぐれたオーケストラは、いつだって、
彼らが住処とする町の空気を無言のうちに語ってくれるからである。
Carlos Kleiber, Dresden Staatskapelle
Weber:Der Freischütz
※モーストリー・クラシック
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