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城野宏論文集 - TOP=脳力開発センター of 脳力開発センターbpds

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城野宏論文集 - TOP=脳力開発センター of 脳力開発センターbpds
城野宏論文集
1
在りし日の城野先生
城野
宏
[経歴]
大正 2年 8月 長崎県に生まれる。東
京・府立4中卒、旧制八高卒。
3年東京帝国大学法学部卒業。
昭和 1
同年、日中戦争により中国に渡る。
その後終戦まで中華民国山西省政
l
府の指導に当たり、戦後も山西省!
の資瀬確保の為、山西野戦軍副司
令官として、日本軍残留部隊と共
0
万の兵を擁し、中共軍即ち毛
に5
沢東軍と戦う。
昭和2
4
年首都太原落城により、中共
軍の捕虜となる。
1年中華人民共和国特別軍事法
昭和3
廷で禁固 1
8年の判決を受け、都合
1
5年に及ぶ監獄生活を経て、昭和
3
9
年釈放、 4月帰国する。
昭和3
9
年帰国後、情勢判断の方法を
提唱し、日本経済・国際情勢など
に関する広い戦略的分析研究を発
表し始める。
ぞれに依って日中圏実回復やアラ
ブ諸国との経済交流に深く寄与し
又食糧問題にも取組み、独自の実
験場を設置し、農業観念の根本転
換を提起するなどの実践的活動の
展開を行なう。
0
年城野経済研究所を中心に各
昭和6
企業に於ける脳力開発教育を目的
として、全国各地での講演並びに
脳力開発研修を展開し、 1
2月2
1日
没
。
2
直情勢判断の方法
0号を記念して一一
0
2
日~
二百号までに
﹁情勢判断の方法﹂として、連続の論文を書き出したのは昭和四十三年三月に一号が出てから、昭和六十年
十一月までで、十七年がたつた。毎号四百字原稿紙で二十枚書いてきたから、二百号で、大体四千枚、百、
六十万字を書いたことになる。その聞に単行本を四十三冊書いた。大体一冊が約三百枚くらいだから、こ
れも原稿紙で一万二千九百枚、五百十六万字ということになる。その他に、月刊紙﹁産業新潮﹂に社論と
﹁世界と日本﹂を毎月書いてきたものが、約百八十回、原稿紙で二千八百八十枚、字で百十五万二千字とい
うことになる。ずい分書いたものである。合計してみると、原稿紙で一万九千七百八十枚、字で七百九十
一万二千字ということになる。
その他に、新聞や雑誌に出したものがあるから、実際の数字はもっと多いことになる。 一年で千二百三
十枚だから、月毎に百枚書いていたことになる。
書いた内容は経済問題三O%、国際政治問題一五%、中国問題一三%、脳力開発二一%、教育問題六%、
政治及び国防六%、交通問題三%、歴史問題三%、その他食糧問題、医療問題、高齢者問題、護身道等で
一二%になる。ずい分いろいろなことを書いてきたものである。
この間に講演を六百回くらいやった。
﹃情勢判断の方法﹄は、脳力開発の展開の一つの中心的骨組みになって、 いろいろの勉強会がつくられ、
3
6
発展した。
城野経済研究所も、大阪、福岡、沖縄、北海道に、地方事務所ができた。直轄の勉強会も、経営ゼ、、¥
脳力開発教室が五つできた。
情勢判断学会も、東京に三つ、大阪に二つ、北海道二つ、十六県にできた。そのうちに各県には必ず一
つはできるようにしてゆくのだそうである。近いうちに又、脳力開発全国大会も聞くだろう。この間に、
二百数十の会社で、脳力開発の教育をした。赤字の会社が黒字になったり、売上げが何倍かに伸びたとい
ったケ l スが沢山出てきた。
そのうちに、﹁脳力開発﹂を学んだ人たちが、自分でその活動に適用してみた経験をまとめて、本を書く
ようになってきた。清水英雄、牛井淵アイコ、加藤美知子、山本和子、竹下美光、桜井正己、東瀧邦次の
諸君が、自分の著書を出した。
はじめは ﹃ 情 勢 判 断 の 方 法 ﹄ を 単 一 の パ ン フ レ ッ ト で 出 し て い た 。 そ の う ち に 、 脳 力 開 発 の お 弟 子 さ ん
が沢山ふえてきて、それぞれの勉強の成果をまとめていったらよいと思って、﹁基礎学習シリーズ﹂と﹁ケ
ーススタディ﹂という三つのパンフレットになり、これを中心にして脳力開発の普及につとめてきた。昭
和五十九年七月から、このコ一つをまとめて、月刊﹁脳力﹂という一つの雑誌にし、第三種郵便扱いの許可
もとった。
こうして、﹃情勢判断の方法﹂を中心にし、月刊﹁脳力﹂の普及をはかり、情勢判断学会、脳力開発教室、
7
3
将育ゼミ等、九つできた。
情勢判断の方法
企業研修、経営ゼミ、将育ゼミ、人間学講座、テキストや私の著書の普及、その他の講演会等で、脳力開
発の普及をはかつてきた。これらの組織的展開によって、これまで脳力開発を勉強した人は、約二十万人
になってきたようである。数年のうちには百万人になるだろう。そうした時点では、日本社会の中で、日
本をもっともっと発展させるための、 かなりな推進力となってくるはずである。
脳力開発普及の土壌
脳力開発をまず日本中にひろめてやろうと思ったのは、日本に二つの条件があるからである。
日本という国は人口が一億二千万であるが、国土は三十七万平方キロメートルである。しかし、国土の
一三%で四万八千平方キロメートルしかない。昔、世界一の人口密度の国はオ
一平方キロメートル三百四十五人で、日本は三百十四人となっていた。オランダは山がないか
うち人間の住める平地は、
ランダで、
ら、国土面積四万平方キロメートルは、すべて平地である。だから、平地一平方キロメートルで三百四十
五人なのである。ところが日本は平地は四万八千平方キロメートルだから、平地だけの一平方キロメ lト
ルでは二千七百余人であり、 オランダの八倍余りある。
つまり日本は実際上はオランダの八倍の人口密度をもっている。人口が多く、土地がせまく、その上日
本は天然資源が何もない。石油も鉄も、ボーキサイドも、とにかく基本的な原材料や燃料になるものを殆
ど何一つもっていない。こういう条件は、もっとも貧乏になる条件である。天の与えた条件からいえば日
3
8
本は、経済的に豊かになるわけはないのである。それなのに日本は明治以来、常に世界一の成長率をもっ
て発展してきた。戦後の日本は、軍備をもたなかったから発展したという意見もある。しかし、膨大な軍
備をかかえ、軍事国家であった戦前の日本も、戦後と同じような成長率で発展してきたのである。
戦後の日本は、焼け野原の何もない中から出発した。 ヨーロッパのように、長い間の植民地かっぱらい
の獲物をためこんだ経済の上に出発したのではない。 ヨーロッパ ﹁先進国﹂ の植民地は、文化的に長い歴
史の中に培われた民度のところではなかった。武力を使えば、簡単に支配もでき、 かっぱらいができた。
しかし、日本が戦前、植民地にしようとした相手は、中国とか朝鮮といった文化の伝統と国家としての歴
史をもった、民度の高い相手であった。単純なヨーロッパ式の武力や、少数の支配役人だけで牛耳れる相
手ではない。沢山の日本人が中国や朝鮮に入りこみ、資金を入れ、機械や設備を準備しなければならなか
った。日本は植民地支配のためには、多大の先行投資をしなければならなかった。その先行投資の回収が
まだ僅かの時に、敗戦となった。日本は植民地支配においては、持出しの方が多く、回収して、 日本国内
にその利益をためこんでゆく前に、すべてを失ってしまった。だから、戦後の経済活動では、植民地かっ
かね
ばらいで蓄めこんだ財産なしに出発している。 つまり、 ゼロからの出発である。
ゼロから出発し、金になる資源を何も持たない日本が、四十年間で、世界でもっとも豊かな経済をつく
が言っていたにもかかわらずである。 つまり、 日本の経済発展は、殴米のこれまでの経済学では説明でき
ないということなのである。
39
りあげた。戦後しばらくは、 日本が戦前の経済までになるには百年はかかるだろうと、世界中の経済学者
情勢判断の方法
日本人がつくった日本経済
日本は経済が発展し、生活が豊かになったというばかりではない。この四十年間に、人間の生命を、平
均して四十年も延長させることに成功した。男が七十五歳、女が八十歳という平均死亡年齢となり、世界
一の長寿健康の固となった。百歳以上の高齢者も、この数年で何倍にもふえているのである。経済を発展
させ、同時に人間の生命ものばすというこつのこと安二つにして達成した成果は、これも、これまでの欧
米の経済学では考えられたこともないし、提出されたこともない。もちろん、その実績を以で天下に示
すこともできなかった。日本はそれを実際に成しとげた。このことも、これまでの﹁経済学﹂では、とう
てい説明もできないのである。
きんかき・
︿}ょう
欧米の﹁経済学﹂では説明も解明もできないものだから、これは日本の方がまちがっているのだ、何か
6
よからぬ不正を働いているからだという話になってくる。殴米の﹁経済学﹂を金科玉条として尊敬する日
本 の 学 者 や ジ ャ ー ナ リ ズ ム も そ う 思 っ た ら し い 。 そ こ で 、 日本人は働きす、ぎる、 エコノミックアニマル、
福祉を犠牲にして経済発展だけやっている、兎小屋の働き蜂等々、 いろいろのことが言われた。つまると
一つに頼らなければならないというこ
ころは殴米﹁経済学﹂の原則をはずれて、勝手な発展をやるのはけしからん、欧米並、或はそれ以下に発
展をおさえろ、という主張である。
日本の経済発展の実体を説明するのに、なにも殴米の﹁経済学﹂
4
0
情勢判断の方法
とはない。この発展は日本人の活動がつくり出したものだから、 日 本 人 の 活 動 原 則 か ら 説 明 し 、 解 明 し な
ければならない。その発展は、石油が湧き出したからだといったサウジアラビアの経済とは同じではない。
石油とかいった新しく出てきた資源からではない。日本人がどういう人間としての動きをやったかという
ことだけである。人間の動きは脳の反応と指令による。日本人の動きとは、 日 本 人 の 脳 が ど う い う 刺 激
に ど う 反 応 し 、 ど う い う 指 令 を 出 し て 、 ど う い う 処 置 を し た か と い う こ と に ほ か な ら な い 。 つまり、日本
の経済発展は、物と金の面だけからは説明できないのである。物や金の面だけから見れば、何もないゼロ
なのだから、回復には百年もかかるという計算になる。しかし、そのゼロの局面に日本人がどう反応する
一貫して脳力開発の根本から解明し
かという脳活動の側面から見れば、一二年で元のようになるということにもなるし、四十年で世界一の豊
﹃情勢判断の方法﹄ では、 日本の経済の問題を、
かな経済にもなってゆくのである。
﹂ういうわけで、
てきた。 オ イ ル シ ョ ッ ク で 神 武 以 来 の 不 景 気 が く る と ﹁ 経 済 学 ﹂ が 言 っ た 時 に も 、 そ う は な ら な い 、
ー二年で処置してしまうといった。結果はその通りになった。駄米の﹁経済学﹂の予測は当たらなかったが、
脳力開発の経済予測はちゃんと適中したのである。
﹁情勢判断の方法﹂は、右のように、 日 本 が ど う し て 発 展 し た か の 原 因 を 探 求 し て き た 。 そ れ が は っ き
りすれば、日本は、今後もこうした方がよいという、発展の方向をつかむことができる筈である。経済摩
擦が騒がれているが、 こ れ に ど う 対 処 し 、 処 理 す れ ば よ い か と い う 原 則 が つ か め る 筈 で あ る 。
日本ばかりではない。日本のように大いに発展したいと思っている国は沢山あるのである。その人たち
4
1
に、どうしたら経済も発展し、生活も豊かになり、人間の命ものびるかという具体的な経験を提供するこ
とができるのである。この経験を学び、同じような人間の活動﹁脳の反応と指令﹂を会得すれば、彼等も
また、立派な国守つくりができ、世界中こぞって、もっと素敵な人生が展開できるようになる筈である。
﹁経済学﹂の手カセ足カ
﹁情勢判断の方法﹂がやっていることは、 こ う い う ふ う に 、 日 本 中 、 世 界 中 の 人 た ち が 、 も っ と 素 敵 な
人生を展開できるようにすることである。それには、その発展を阻害している、
どんなことをやってきたか
セから解き放ち、自由に、十分に人間のもつ力を発揮できるようにすることである。
寸ノ。
AFP
せいぜい、 い い 話 を き き ま し た と い う だ け で 、 頭 の 中 に は 何 も 残 ら ず 、 自 分 の 活 動 を ど う 変 え て い
会をつくり、政治問題、経済問題、経営問題、脳力開発原理の具体的適用といったいろいろの目的をもっ
ってよいかという変革の指針はつくれない。月一回の例会でこういうことをやっている他、幾つかの分科
宇
講演をさせるという方法はとっていない。そのやり方では、脳力開発の具体的適用という中心がぬけてし
的問題に適用し、解決してゆく人生の対処の仕方を身につけようというのである。有名な人を呼んできて
て討論し、グループ代表がまとめて報告する。それを私が総括する。こういうやり方で、脳力開発を具体
情勢判断学会は、個人参加の勉強会である。会員の一人が報告すると、それを幾つかのグループに分れ
右のような根本戦略に従って、 いろいろな勉強会を組織してみた。
四
4
2
j法
情勢判断の }
て、勉強している。そのほかに英語の勉強会、絵画、歴史、武道等の会がつくられている。
﹁城野宏画集・光と影の世界﹂を出した。そして絵をかくということで、光と影の私の絵を勉強する会
になっている。普通の絵のけいこの会でなく、やはり脳力開発による絵の勉強会なのである。必ず自分で
絵 を 描 い て 、 会 合 の 時 、 皆 の 前 に 出 し 、 八 方 か ら 討 論 す る 。 あ そ こ が よ い 、 ここが悪いとやっていると、
そういう意見を出した人の脳のプログラムが変化してくる。ここが悪いと発言すると、発言者は自分の絵
で同じような悪いというかき方はできなくなる。あそこがよいと発言すると、必ず自分の絵の中で、
と言ったかき方を表現してしまう。こうして急スピードで頭の中のソフトウエアプログラムが変化し、絵
が急速にうまくなる。今年七月、上野の美術館で行われた日輝会の美術展覧会には、八名が入選し、
一年で入選ということもやってのけている。脳力開発
が 特 選 等 の 賞 を も ら っ た 。 普 通 の 絵 の 上 達 に 比 べ て 、 三1 五 倍 の 速 度 で う ま く な る よ う で あ る 。 油 絵 と か
日本絵が一二1 五 年 か か ら ぬ と 入 選 ま で ゆ か ぬ の に 、
による絵画修業である。
歴史の勉強会は、古事記の研究からはじまっている。今、古事記の人名、地名その他をコンピューター
に入れて、古事記辞典をつくることに進んでいる。
護身道は脳力開発の武道である。これまでの武道は、強いものが勝って、弱いものが負ける。だから、
強 く な る た め に 筋 肉 を 物 凄 く 鍛 錬 し 、 早 く 強 く 動 け る よ う に し な け れ ば な ら ぬ 。 練 宵 の 九O %の エ ネ ル ギ
ーは筋肉鍛錬に使われる。護身道は、強い弱いができない。悪い奴がダウンすることになり、どんな弱い
3
4
よ
ものでも自分の身は護れるという武道なのである。だから百キログラムの大男と四十キログラムの女性と
名
でも対等の稽古ができる。老人と若者とがいっしょに稽古ができる。強い弱いの区別ができないから、強
者が威張って、弱い者が小さくなるといった人間関係にならない。みんなが自由に、平等のつき合いとな
る。東京はスポーツ会館と朝日カルチャーセンター・読売文化センターで練習しているが、福岡、大阪、
山形、札幌にも指導員と道場ができて、それぞれ数十人が稽古に参加している。そのほか、三つの学校で
も練習したから、護身道を練習した人は今では二千人を越えたようである。これもそのうちに日本全国に
﹁情勢判断学を学ぶ会﹂とい
一般個人の自由参加になっている。東京、沼津、
一般公開講座といっているが、脳力開発の基本理論を勉強する教室である。講師は、
ゆきわたらせ、世界中にひろめてゆこうと思っている。
脳力開発教室は、
城野経済研究所の認定されたインストラクターであり、
大阪、北海道で六ヶ所ほどひらかれている。
﹁経営ゼミ﹂は、中堅企業の社長、専務等経営者の勉強会である。元来、
って出発したが、呼名が長すぎるので、近頃は﹁経営ゼミ﹂と称している。メンバーの一人が自分の経営
の問題点を報告すると、他のメンバーはその会社の役員だという立場で意見を出し、最後に私が総括をや
一回の休止もなくつづいている。昨年六月は北
る。その討論の中で、脳力開発に基づく問題の取り扱い方、解決の仕方を身につけ、情勢判断学を実際の
経営の中に生かしてゆこうというのである。この七年間、
海道庁の招待で、会員二十四名の視察団をつくって、北海道に行ってきた。こういう外部に対する活動が
始まってみると、勉強の進度がよくわかる。内部だけでやっていると進歩の程度がわからないが、他流試合
をやってみると、他のところよりも腕前が上がったことがわかるのである。この勉強会も段々発展してゆく
4
4
と、日本の企業経営者の聞で、
一つの指導的な役割を発揮してゆくようになるだろう。
﹁将育ゼ、、こは、企業の二代日後継者に対する脳力開発の教育である。
﹁湘南ゼミ﹂は、神奈川県の企業経営者が集ってつくっている脳力開発の勉強会である。
N・Lゼミは、女性だけの脳力開発を実践に適用してゆくための勉強会である。
シリーズ・人間学講座
一昨年は
﹁戦略三国志﹂は、脱線の
﹁東西古今人間学﹂を、今年は﹁経済の人間学﹂を講義している。
日本工業倶楽部でずっと続けている﹁人間学講座﹂は、私が直接話をしている勉強会である。
﹁三国志の人間学﹂をやり、昨年は、
単行本として出した﹁三国志の人間学﹂はその講義の、ダイジェスト版であり、
﹁経済の人間学﹂も、今年完結したら、やはり、この
部分もすべて集録した講義の全文である。単行本﹁東西古今人間学﹂はやはりダイジェスト版であり、講
義の全内容は﹁戦略人間学﹂として出版される。
部にして出版する予定である。
人間学講座で取り扱ったのは、人間関係のつくり方、処理の仕方について、脳力開発の原理を適用して
かむ
みたのである。企業経営であろうと何であろうと、あらゆる社会事象は人間のすることであり、人間の動
きであり、人間の関係なのである。販売とは、勝手に商品が動き、金が動くわけではない。売る人と買う
5
4
五
人との人間関係ができた結果として物や金が人間によって動かされるのである。企業といったところで、
情勢判断の方法
かね
建物や金や機械が自分で勝手に動いて生産したり、利益を出したりするわけではない。あくまで人間の
動きである。人間の存在と活動がなければ、企業というものは存在しないし、その活動もない。以前は
脳力開発も、脳の活動として抽象化した原理をとり出していたが、それが人聞を通じて具体的に発現され
る場合の説明が多少抽象性に過ぎるようになり、リクツととられる面もあったようだ。人間学講座では、
歴史上の人物の動きとか、経済の動きとかに、もっと現実的な人間的理解をしてゆく必要があるように思
って、敢て﹁人間学講座﹂と名付けたのである。脳力開発が変わったわけではない。脳の働きが綜合されて
人間全体として発現される場合をとらえてゆこうとしたのであり、脳力開発の展開にほかならないのであ
しよかっヱうめい
ではないかと思って、この本を書いた。
秋には、岩波から、私の短歌集が出ることになっている。
一貫しておし進めた。戦略は変化させな
短歌をつくるなど、 と う て い 想 像 で き な い と い う 人 が 多 い よ う だ 。 高 等 学 校 の 時 ま で 、 短 歌 な ど 見 向 き も
﹁帰郷│城野宏歌集﹂というのである。私が
きて、ちっとも困らないのである。孔明の行動の中から戦略と戦術の区別と、その使い方を勉強できるの
ぃ。だから、どんな難局が出てきても、その戦略で割り切ってゆくから、対処の戦術は、縦横無尽に出て
に出るらしい。孔明は天下三分の計という根本戦略を最後まで、
人間学の延長として、今度﹁諸葛孔明ーその戦略と戦術﹂という本を書いた。今年の十一月頃には庖頭
めた。
人間学講座は、東京のほか、昨年は沖縄、大阪でもやったし、今年は大阪でも﹁経済の人間学﹂をはじ
る
4
6
情勢判断の方法
しなかった。むずかしくて人にわからぬ文章で、哲学の論文など書いていたのである。大学の一年の時、
長崎に帰郷して、浦上の天主堂のそばを歩いていたら、突然﹁夢はるか秋やゆく陽を頬にうけ、異郷の古
たま
き塔をあをげり﹂という歌ができてしまった。それからはいくらでも歌が出てきて、卒業した頃には三千
首くらい溜っていた。このノートを母にあずけて戦争に出て行ったら、留守中爆撃ですっかり焼けてしま
った。中国にいる時できた歌も、太原落城と共になくなってしまった。今度歌集にした歌は、日本に帰っ
てからの分と、昔の歌で覚えていた分とである。今、歌の会をつくろうではないかという申し出もある。
そのうちに脳力開発による歌会ができるかもしれない。
健康長寿と楽しみの人生
はない﹂を、武道に適用して﹁護身道﹂を、経済に適用して﹁経済情勢判断学﹂や﹁城野宏の戦略行動学﹂を書
い世界を開拓してきたのである。歴史に適用して﹁古事記と人間﹂を、農業に適用して﹁人類に食糧危機
単に脳力開発の理論をのべただけではない。それを具体的な人生に適用して、これまでになかった新し
きているのである。
人が動員され、それぞれの人間の力を出して、新しい人生、新しい人間生活のあり方を開拓し、展開して
﹁情勢判断の方法﹄が二百号になる聞に、右のように、これを軸として、 いろいろな組識がつくられ、
.
.
.
L
.
.
いてきた。 つ ま り 、 脳 力 開 発 は 、 あ ら ゆ る 人 間 生 活 に 適 用 し て 、 新 し い 人 生 が 開 拓 で き る と い う こ と な の
4
7
J、
、
である。これからもこういう人間関係を大事にして、それぞれの人生をすばらしいものにもってゆき、日
本の国をもっともっと豊かにし、今後は貧しい他の国の人たちを助け、日本と同じように豊かにし、生命
を大事にして、健康長寿の世界をつくってゆくために力を尽くしたいと思う。
﹃情勢判断の方法﹄ はその機関誌である。
二百号で約二十万人の人たちに勉強してもらったから、この数年のうちに百万人の人たちが脳力開発に
よって、豊かに、すばらしい人生を開拓してゆくようにしたい。
十分に活用してもらいたい。
(昭和六十年十月十六日)
4
8
宏
脳力開発のすすめ│誰でもすばらしい頭になる
﹃情勢判断の方法﹄一 OO号記念総括
﹃情勢判断の方法﹄二OO号を記念して
戦略と戦術
戦略がゆきわたるということ
戦略は大胆に、戦術は細心に
アメリカの対中戦略は変わったかっ
ニクソン訪中とアメリカ世界戦略の転換
米中共同声明と政府統一見解
中国問題解決の道はあるか?
まだ残されている二つの中国問題
田中訪中をめぐる日中関係と日本の立場
国
国
情報収集について
確定事会式ということ
事実と推測と判断
中国はどう変わったのか?
中国の変化と不変化
中国は変わったのか?
教育の荒廃なのか、教育論の荒脱なのかワ
日本の教育についての評価
教師と生徒と社会とー教育問題の一考察ー
歴史上の人物の評価
歴史の事実と幻想
川中島合戦現地学習
国民信煩の経済と国民不信頼の経済
中小企業の意義と責任
日本経済発展の秘密
円高なのか、ドル安なのかっ
円高の戦略的判断と円高センチメンタリズム
﹁円高﹂とは何なのかっそれは円価値の正常化であるー
人材がいないのか?人材の脳力開発
人間を評価する標準について
リーダーとしての資格
﹁保守﹂と﹁革新﹂と統一と不統一
社会現象における作胤と反作用
与党と野党
アラブ対イスラエル
アラブ問題とエジプトの作用
アラブと中近東に対する姿勢と対策
日本はなぜ世界一の長寿健康の固となり得たのか
日本の医療と経済発展
日本経済の動向と一一両齢化社会
経済論争と国際攻略
同際謀略を見破って対処の活動を組まねばならぬ
国際謀略とリジン問題
﹁経済情勢判断学﹂について
経済の人間学
経済と人間│経済白書をめぐって│
ジャーナリズムと国民の意思│総選挙をめぐる情勢判断 1
衆議院総選挙をどう評価するか
衆、参議院選挙に現れた政治情勢
工業農作の展開
工業農作再論
日本は食櫛自給できるばかりか食糊輸出国にもなれる
呂本人は外国語が下手なのか
﹁国際人﹂と日本人
再び﹁国際人﹂の資格について
③②①
③②①
③②①
③②①
③②①
③②①
日本経済発展の﹁秘密﹂
日本経済の構造
経済成長は﹁悪﹂なのか﹁義己なのかワ
③②①
回
固
園
国
固
③②①
③②①
③②①
③②①
③②①
③②①
③②①
国
③②①
③②①
③②①
③②①
回
園
③②①
国
図
③②①
固
固
固
園
回
固
固
国
圃 図
論文集』
『城野
交通の渋滞と渋滞の交通政策
省エネ政策の最大の盲点は交通渋滞による大浪費である
交通渋滞は嘗察の信号規制による人為的災害である
日中友好運動の意味するもの
日中平和の後にくるもの
中国のプロジェクト破棄についての日本の国民的立場
護身道について脳力開発の武道 l
脳 力 開 発 の 教 育 と イ ン ス ト ラ ク ヲ l の役割
三人寄れば情判会を作れ
﹁臼由経済﹂の制限と同有化
﹁自由経済しと日本経済
経済摩擦と日本経済発展の秘密
民営と公営と国民経済
愛国心と経済
﹁労働組合﹂というもの
けったいな論却が繊行しては附る
ゾルパ I ユ ニ オ ン と 高 齢 化 社 会
国債と年金と貯金
日本を栄えた凶にするのか、表えた凶にするのか
ジャーナリズム経済論の悲劇
怪談﹁不況脱出﹂ l経 済 白 書 と ジ ャ ー ナ リ ズ ム
ジャーナリズムの報道盗勢
アラブ・アフリカ認識の転換と新しい日本国家経済戦略
アラブ問題と日本の対策
中東和平と石油政策
③②①
凶防強化と軍備強化
﹁防衛白書 L と﹁経済白書﹂
平和論と国防論
園
③②①
③②(1)
脳力開発の発展とその成果
主 流 と 支 流 l情 勢 判 断 学 補 講
具体的と抽象的
石油政策とエネルギー問題
エネルギーと石油
エネルギー節約と交通政策
大企業と小企業
企業運営戦時絞心の転換
護身道と企業経営
H本 に お け る 寸 実 力 主 義 L
脱力開発と三国志
人間学講座について│脱力開発と人間学
貿易摘造の転換と日本経済の発展
いわゆる﹁貿易摩擦﹂について
経済繁栄と経済摩擦
危機の意識と危機の事実
経済的繁栄と精神的退廃
不思議で不思議な日本経済
中国の報道と真実
中国の﹁近代化﹂と現実の幅
近代化の中凶は生まれるのか
園
図
③②①
③②①
③②①
図
園
図
③②①
③②①
③②①
図
図
園
園
図
園
③②①
③②①
③②①
③②①
③②①
園
図
図
園
③②①
③②①
園 図
論文集』
宏
『城野
O.1
「 月 刊 城 野 宏 論 文 集 JN
1日発行
2月 2
1
1日発行
2月 2
3年 1
3年
初版昭和6
版平成
第2
著者城野宏
発行情勢判断学研究所/株式会社脳力開発センター
2
0
7東京都港区南青山 2丁目 4-6 クレセントプラザ 2
0
1
2
4
1
5
2
0
4
3
3
9 FAX0
9
9
7
4
1
0
2
1
フリーダイヤル 0
干
印刷
K&K/有 限 会 社 近 藤 印 刷
定価
0円)
0
0
2,
0円(年間 1
0
0
,
1
無断転載を禁ず。
落丁本・乱丁本はお取り替えいたします。
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