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Page 1 京都大学 京都大学学術情報リポジトリ 紅
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Author(s)
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Stendhal et le Théâtre, Préface de V. Del Litto( Abstract_要旨
)
Suzuki, Shoichiro
Kyoto University (京都大学)
1999-01-25
http://hdl.handle.net/2433/182231
Right
Type
Textversion
Thesis or Dissertation
none
Kyoto University
氏
名
すず
き
しょう いち ろう
鈴
木
昭 一 郎
学位 (
専攻分野)
博
士
(
文
学)
学 位 記 番 号
論 文 博 第 355 号
学 位 授 与 の 日付
平 成 11年 1 月 25 日
学位授 与 の要件
学 位 規 則 第 4条 第 2項 該 当
学 位 論 文 題 目
S
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P
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De
lLi
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o
『ス タ ンダール と演劇 』 序 文
ヴィク トール ・デル ・リッ ト
(
主査)
論 文 調 査 委 員
教 授 吉 田
論
城
文
内
教 授 鹿 田 昌 義
容
の
要
教 授 宇佐美
斎
旨
本学位論文 は,従来 ほ とん ど顧み られ ることのなかったスタンダールの未完成戯 曲群 を総合的に取 り上げ,そこに一貫 し
たスタンダール の美学 を見出そ うとす るものである。事実, この作家は膨大な演劇習作の草稿や断片 を残 しなが ら,一つ と
して完成 させ ることはなかったため,後世の批評家たちはこれ を失敗 と断 じて,取 り上げよ うとしなかった。 しか しスタン
ダール はあえて上演 を画策 した り,拙速 に仕上げよ うとした りしたことはなかったのである。論者 は ここに逆説的なが らス
タンダール の理想美探求の しる Lを見 る。す なわち,才能の欠如 による失敗 の堆積 ではな く, 「ロマ ンチ ック とい う名 の優
しい崇高」 とい う,生涯 を通 じての美学 を探求す る努力 の軌跡 であると考 える。 したがってスタンダール にお ける演劇 の主
題 は,創作上のマージナル な問題 であるどころか,のちの主要な小説作品群 に深 くかかわる重大な問題 となってい る。
本論文 は問題提起の 「
まえがき」 に続いて,十一の章, さらに 「
結論」お よび 「
付録 」「
あ とが き」か らなってい る。以
下,論述の順 を追 って簡潔 に記述す る。
第一章
「
優 しい崇高」 を求 めて -
第一段階 ,『セル ムール』か ら 『はや りの夫婦』-
『セル ムール』 は1
3
歳頃計画 された五幕散文喜劇 である。 ロン ドンを舞台 として,主人公セル ムール と未亡人 ミセス ・バ
イ ロンの恋愛が進行す るが,登場人物の一人 ピックル氏の描 き方 には滑稽味が感 じられ る。だが計画 された 「
優 しい悲壮感」
の場面は書かれず に終わった。典型 的なスタンダールの 「
潜在的エ ク リチュール 」 の痕跡 である。 1
7歳のベールはナポ レオ
8
01
年ベルガ
ンのイ タ リア遠征軍 に加 わ りイ タ リアに移住す るが,イ ヴレアで観たチマ ローザの 『秘密 の結婚』 に感動 し,1
モで 『とりちがい』 を執筆 した。 また同年 5月, ゴル ド-ニの演劇 『ゼ リンダ とリン ドロの恋』の脚本 を翻訳 して 『ゼ ラン
ダ とラン ドール の恋』 を書 く。 この二つの劇作晶はイ タ リアのメロ ドラマ書歌劇 の もつ紋切 り型 の主題 ・筋立てを借用 して
い る。 だがベール のね らいはむ しろ台本 が呼び覚 ます メ ロデ ィーの美であった。『ゼ ランダ とラン ドール の恋』 を さらにフ
ランス的に翻案 したのが 『はや りの夫婦』である。筋立ては ゴル ド-ニに借 りなが ら,フランス風 の性格喜劇 に仕上げよ う
とした。
第二章
1
802
年 の二つの悲劇 の計画 『ユ リシーズ』 と 『ハム レッ ト』 は,単なる劇作の試み として考察 され るべきか
ベール 1
9歳の時の習作 2点について考察す る。『ユ リシーズ』 はぺネ ロペ に求婚 したアンチ ノクスを,『ハム レッ ト』は王
位纂奪者 クローデ ィアスを野心の典型 として取 り上げた ものであ り,ベール のね らいは最高の頭脳 と情念 をこれ らの人物 に
与 えることであった。 これ は 「
崇高化 」理論 の先駆 けである。 この 2作 を放棄 した ことについて,ベール は悲劇 を書 く才能
802年か ら1
805
年に
が 自分 にない と記 してい るが, これ を字義通 りに受 け取 るわけには行かない。む しろこれ らの習作 は,1
かけて集 中的にな された最適 な分野の探索の一環 として とらえる必要がある。
第三章
『二人の男』 とゲランの版画 『なかなお り』
1
803
年か ら1
804
年にかけて,ベールは性格喜劇 『二人の男』の執筆に努力を傾 けた。中心の二人はシャルル とシャム-シー。
前者 にはエル ヴェシ ウス流哲学者 の伯父 ヴァルベル氏,後者 には悪党デルマール が後見役 としてついてい る。 また前者 は啓
- 11
7
6-
蒙思想 の教育 を受 けた人物,後者 は君主制 の信奉者 とい う対照的設定である。二人が恋す る娘アデールがそれ に絡む。 シャ
ルル とアデールの和解 の場面は当時の画家ゲランの版画 に想 を得た と作者 は言明 してい る。一方,デル ・リッ トの指摘 の通
り, ファーブル ・デ グランチ-ヌの戯 曲 『後見人たち』 との類似 も明 らかである。 シャム- シーを滑稽 な人物 に,シャルル
を美徳 の青年 に描 くことでベール は性格描写 を研 ぎ澄ませ ると同時に,崇高美 の探求 を していたのだ と考 え られ る。 ここに
生 じて くるのが,かたや哲学教育の必要性,かたや情熱恋愛 による感動 の誘発 とい う,相反す る演劇 主題 の要請である。 い
ずれ にせ よ,確 かなことはベールが韻文 による台詞 で ロマ ンチ ックな崇高の瞬間を描 くことをめざしていた とい うことであ
る。 だが恋愛場面 を韻文で書 くことは彼 に とって容易な作業ではなかった。それ に彼 の小説 において も,恋人たちの特権的
時間はむ しろ沈黙 として描かれ るのではないか。完壁 な幸福 の瞬間は言葉 を超 えているのではないか。 また,悲劇 が情熱 を
描 き,喜劇 が性格 を描 くとい うベールの意見が正 しい とすれ ば, この戯 曲は二つの極 のあいだで弓は 裂かれ ることになるの
だ。『二人 の男』 が未完成 に終わったのは, こ うした矛盾 を解決 できなかったか らである。『ユ リシーズ』『ハ ム レッ ト』 の
時期以来,ベール に霊感 を与 えつづ けたタ ッソの 『ェルサ レム解放』 の影響 も無視 できない。 タンク レー ドとクロラン ドの
最後の場面 こそ,ジャンル を超 えた 「
劇幻覚」の瞬間をあ らわ している とベール は考 えていた。
第四章
「
優 しい崇高」 を求めて -
第 2段階
『ルテ リエ』 は どの よ うに して 「ロマ ン主義」喜劇 となったか
1
803
年 か ら1
830年まで,11ものプランが残 ってい る劇 『
ルテ リエ』 は,『二人 の男』のいわば続編であ り,『デバ』紙 の主
筆 に して劇評家 ジ ョフロワがモデルである。ルテ リエは虚栄心の権化 であ り, この側面 を強調す るあま り醜悪 さに通 じる。
だが これ もベール の 「
崇高化」美学のあ らわれ と見てよい。劇作家のシャベル を失脚 させ よ うとあ らゆる陰謀 をめ ぐらすル
テ リエは,幸福 の追求 において下位 にい る人物 である。残 された草稿群 を仔細 に検討す ると,ベール が数多 くの場面か ら41
を選び出 し,重要度 に応 じて三段階に分類 していた ことが分かる。 当初 は陽気 な若者 であったシャベル は,次第 にルテ リエ
に匹敵す るよ うな, 「
希有で完壁 な恋人 」 とい う性格 を与 え られ る。 また別 のメモではシャベルが作者 自身 に同一視 されて
い る。 シャベル の愛人サ ン-マル タン夫人の造型 は注意 を引 く。彼女の背後 には,幸福 の国イ タ リアのイメージが広がって
い るか らである。『リュシアン ・ルー ヴェン』 につながる重要な習作 として位置づ け られ るゆえんである。
第五章
戯 曲 『ア ン リ三世』 にお けるスタンダール の創作技法
1
828
年 8月,歴史悲劇 の戯 曲 『アン リ三世』の第三幕 が書かれた。 これ は1
588
午 ,ギュイーズ公 が王権争奪のためにアン
リ三世のい るルー ヴル宮 を包囲 したいわゆる 「
バ リケー ドの 日々」 を扱 った ものである。構想 にあたってスタンダール が多
くの書物, とりわけヴィテの 『レ ・バ リカー ド』 を参照 したことが知 られている。 けれ ども二つの作品の距離は大 きい。 ヴィ
テの著作が時系列 に沿 った歴史的絵 図であるのに対 し スタンダールの習作は 「
劇化 された歴史」, 「
虚構 の真実」 の提示で
あった。そのために,架空の人物 の導入,両陣営-の人物の割 り振 り,人物 の厳密 な選択 な どを行 ってい る。
第六草
歴史の時間か ら劇 の時間- -
戯 曲 『アン リ三世』 にお けるスタンダール の創作技法 (
その 2)
4 日間の王位争奪の戦いを第三幕 に凝縮 して描 くために,作者 は数多 くのメモ を原稿 の内外 に残 してい る (
マー シャル の
校訂本 による)。 とくに 日付,時刻 に関す る記述 は興味深い。歴史劇 とい う 「
明示的エ ク リチ ュール 」 に恋物語 とい う 「
潜
在的土 ク リチュール」 を組み込 も うとしたのだが,実際ギュイーズ公 とマ ンチ伯爵夫人の恋愛 は書かれ なかった。
第七章
『サ グォワ伯爵夫人』- 小説 の脚色の困難 さについて
スタンダール は1
820
年,ラ ・フォンテーヌ夫人の小説 『サ グオワ伯爵夫人』 を戯 曲に変 えるため,30のシー クェンスを素
描 した。 スペイ ンのメン ドサ家のイザベ ラの弟 と,サ ヴォ ワ伯爵夫人の宿命 の恋 を波潤 万丈の筋立てで語 る物語 である。 ス
タンダール は悪党パ ンカ リエが策謀 によ り伯爵夫人 の寝室で甥 を刺す場面 を変更 して, メン ドサ 自身が刺す ことに した。 ま
た大団円において原作では二人の恋人が結婚す るのだが,スタンダール はメン ドサがパ ンカ リエ を決闘で倒 し,その後 メン
ドサがパ ンカ リエの放 った刺客に殺 され,伯爵夫人 も自害す る, とい う惨事 に終わ らせ ることに した。 ここには 『ェルサ レ
ム解放』 にお けるタンク レー ドとクロラン ドの最後の場面の影響が見 られ る。
第八章
スタンダール の戯 曲習作 『栄光 と値優侍女』 は対工業家楓刺文書か
1
82
6年 に着想 し,草稿 を書いた戯 曲 『栄光 と値優女』 は,野心的な文学青年 が次第 に新 聞の売文家 にな り,『デバ』紙 の
社長令嬢 と結婚す る画策 をす るに及ぶ,転落の物語である。 この源泉 については,スタンダール 自身がメモ を残 してい る。
それ によれば1
82
6年 1月の 『デバ』紙 に掲載 されたオー ランヌの著書 『フランスにおける法秩序お よび職権 の濫用 について』
の書評 が動機 となった。だがスタンダール研究家のフランソワ ・ミシェルが,内容的に両者 は関係 がない こと,書評 された
-1
1
77-
本の著者がオー ランヌの父親であることを明 らかに したため,戯 曲自体がほとん ど研究者の関心を引かな くなった。けれ ど
も, 2カ月前にスタンダールが書いた楓刺文書 『工業家に対す る新 しい陰謀 について』 と照 らし合わせてみ ると,戯 曲が問
題 の書物 と深い関係があることが見えて くる。つま り,王政復古時代の工業家 と特権階級の 「自由」 を擁護 した書評が,ス
タンダールの憤激 を買ったのだ。戯 曲の主人公 ジェ リメール はいわば工業主義時代のアルセス トであるが,金権政治に刃を
向けるだけの才覚に乏 しい人物 として想定 されている。
第九章
スタンダールの最後の戯 曲習作 『トル クァ- ト・タッソ』 を どのよ うに解読す るか
1
83
4
年1
1
月,スタンダールは5
1
歳の時最後の戯 曲習作 『トル クァ- ト・タッソ』 を書 く。 若い頃か らのタッソ-の傾倒 を
示す作品である。1
6世紀のフェラー ラを舞台 として,不遇の宮廷詩人 タッソのエ レオノー ラ ・デステ-の恋心を主題 として
いる。阿訣追従の廷臣ア レテ ィー ノとの確執。 タッソに想 いを寄せ るエ レオノー ラ ・スカンデ ィア-ナのた くらみ。 これ ら
81
1
年,スタンダールが2
8
歳の時,彼の庇護者であっ
の筋立てには,スタンダール 自身の恋愛体験が反映 されている。つま り1
たナポ レオン軍の主計長官 ピェ-ル ・ダ リュの夫人に恋を告 白した思い出,そ してマチル ド・デ ンボ ウスキに対する実 らぬ
恋愛の思い出がこめ られている。
第十章
ロマ ンチ ックと呼ばれ る優 しい崇高 -
『イタ リア絵画史』 と 『パルムの僧院』 を通 じて
この章では 『ルテ リエ』 (
1
91
0
) と同時期の作品 『イ タ リア絵画史』お よび後年の 『パル ムの僧院』について,「
崇高」の
優 しい」 とい う語嚢が頻出 し (レオナル ド, コレッジォ),『ルテ リエ』
概念 を検証す る。『イタ リア絵画史』 には 「
崇高」「
と同一の美的追求を示 してい る。また両作品はシェイ クス ピアを重要な源泉 としている。また 「ロマ ンチ ックな崇高」は,
情熱 をもった優 しい人間に,幸福 な瞬間をもた らす ものである。『パル ム』 においてそれはそびえる牢獄 な ど,独創的な場
所に生 じる (
ファブ リス とク レリアの場面)
。古典的崇高 と異なる,近代的崇高の創 出である。
第十一章
スタンダール における崇高- 幸福 と崇高を求めて
『アン リ ・ブ リュラール』の一節 によれば,スタンダールは 1
7歳の時, ヴヴェ-近辺で レマ ン湖 を見おろ した とき, 「
完
壁 な幸福 」 に近い感情を味わった とい う。その後イ ヴレアでチマ ローザの 『秘密の結婚』を観 て至福の時を過 ごした。 これ
らの体験 を糧 として,スタンダール はラシーヌな どの古典的崇高に対 して,新 しい崇高の美学 を提唱す る。それは自然にイ
タ リア とい う風土, とりわけ牢獄 のよ うな高所 に結びついた ものであった。 クレリア とファブ リスが見つめ合 う静誼の時,
それはまたラファエ ロの 『聖家族』のまな ざしに通 じるものである。
結論
1
)スタンダールの戯 曲習作総覧
(
『セルムール』か ら 『トル クァ- ト・タッソ』-
本文第-章か ら第九章までは対象作品を必ず しも年代順 に扱 ったわけではない。 ここではあ らためて総合的見地か ら戯 曲
習作 を年代順 に再検討 し,本文で取 り扱わなかった 『イタ リアの異邦人』『フェ リペ二世』 をも取 り上げる。
『イタ リアの異邦人』は1
81
6
年 の習作で,題名 はイタ リア語で記 されてお り,プ リマ ドンナのアンフォ ツシのために書か
れた とい う設定である。デル ・リッ トはシェイ クス ピアの 『十二夜』が源泉であることを指摘 した。『フェ リペニ世』のほ
うは 1
81
9
年 にフィレンツェで計画 された,アル フイエ リの同名 の戯 曲の翻訳である。主人公 はフェ リペ二世ではなくその息
子の ドン ・カル ロス。優柔不断な君主アン リ三世の先取 りである。一種のコメデ ィー ・バ レエ として構想 されたもの。
(
2)スタンダール小説 における 「
和解」のシー ン
『アルマ ンス』は戯 曲的な小説であるが,オクタ- ヴとアルマ ンスの愛情
(
『二人の男』 を想起 させ る)はもっぱ ら沈黙
の中で,まなざしの交換 によって表現 され るか,またはモーツアル トの音楽-の言及によって表 され る。また 『赤 と黒』に
は,例えばジュリアンが巨岩の上に立って隼を目で追 うシーンのよ うに,舞台化の困難な重要場面がある。 レナル夫人 とジュ
リアンが最後 に和解す る場面 も,無言の画面が支配 してい る。『パルムの僧院』 もまた,音楽による癒 し,言葉のない恋の
場面が重要な場面を構成す る。『リュシアン ・ルー ヴェン』で も,ルー ヴェンとシャステ レ夫人の恋の場面は,音楽 と,切
れ切れの言葉で表現 され る。
(
3)
創作の奥義
「
文学 を音楽に競わせ ること」
スタンダールは若い頃か ら音楽 と文章のあいだにある 「
感覚の一致」を見ていた。 しかもその感覚を,古典悲劇やオペ ラ ・
セ リアではな く,喜歌劇 の中に見出 していた ことは意味深い。単純な音符の組み合わせで さえ感情のニュアンスを伝 え うる
と信 じていたか らである。一方,彼がみずか ら主著 と認 めている 『
恋愛論』は,ある意味で美 と崇高を生み出す方法を記 し
た著作である。つま り描 くべきでない ものは描かない, とい う考えである。幸福の瞬間はこ うして言語 を超 えた,無言の見
- 11
7
8-
つめ合いや,音楽の魅力によって表 され るのである。
スタンダールは 『赤 と黒』 を書 く直前まで戯 曲にこだわ り,習作 を繰 り返 した。 けれ ども彼 の表現 しよ うと望んだ完壁 な
幸福 の主題 は,戯 曲ではな く小説 とい う形式によってのみ可能であることを認識 したのである。
論
文
審
査
の 結
果
の
要
旨
998年)および参考論文 「
年譜
本論文は,主論文 『スタンダール と演劇』 (
フランス語 ,1
スタンダールの生涯 」 (
1
986年)
で構成 されている。 ここでは主 として前者 について記述す る。 この論文の 目的は,従来過小評価 されてきたスタンダールの
戯 曲習作を統合的に検証 し,そ こに作家の根底的な問題意識が現れている事実を明確 にす ることにあった。論者がその研究
の素材 の多 くを負 っているグル ノーブル大学の ヴィク トル ・デル ・リッ トの編纂 したセル クル ・ド・ビブ リオフィル版 『ス
タンダール全集』では,第42巻 ・43巻が演劇 にあて られている。論者は主にこれ らの巻に収 め られたスタンダールの戯 曲草
稿 ・メモ等 を精密に解読 してい くことによって,「
明示的エク リチュール」つま り書かれたテクス トと,「
潜在的エク リチュー
ル」すなわち書かれなかったテ クス トの双方について検討 を行い,ひいてはスタンダールのロマ ンチ ックな崇高の概念が ど
のよ うなものであるか,具体的なテクス トに沿って明 らかに している。
『赤 と黒』『パル ムの僧院』な どで知 られ るスタンダール (
本名 アン リ ・ベール)は, 1
9世紀前半のフランス文学 を代表
3歳の時に書いた習作か らは じまって,実に30年以上 もの長い期間,多 くの戯 曲の執筆 に手 を
す る小説家の一人であるが,1
染 めた。 この時代の詩人 ・小説家の多 くが同時に演劇 に関心を持 ち,実際に戯 曲を書いていた ことを考 えれば, このこと自
体はけっ して驚 くべきことではない。 けれ どもスタンダールの場合問題 となるのは, これ ら習作の どれ一つ として上演はお
ろか完成 もしなかったことである。 しか も作家が上演のために積極的に運動 した とい う痕跡 もない。 このことか ら研究者 は
いちょ うにスタンダールが演劇 の才能 に欠 けていた と断 じ, これ ら習作の原稿や断片 を価値のない もの とみな してきた。
論者はこのような風潮 に異を唱えることか ら出発す る。完成 に至 らなかった とは言 え,これほ ど長期にわたってスタンダー
ルの熱意をかき立てた演劇 とい うジャンルは,彼 に とって何か特別の意味があったはずだ と考 える。 こ うして論者は,最初
期の習作 『セル ムール』『はや りの夫婦』か ら最後の 『トル クァ- ト・タ ッソ』 までの習作 を,モデル と源泉の問題,音楽
との関係,性格劇 としての構造,歴史の扱い方,同時代の政治や文化 との関係,スタンダール 自身の美学の表 出, といった
さまざまな観点か ら多角的に検討 してい く。その方法は文献学的な実証研究の規範 となるほ どの精密 さと鋭利 さを備 えてい
る。
この研究を通 して論者が しだいに明 らかに してい くのは,次のよ うな事実である。まず第一に,スタンダールがシェイク
ス ピアやル ソーな どに霊感 を得て,舞台 とい う手段 を用いて,古典主義的な崇高 (
た とえばラシーヌ, コルネイユ) とは異
なる,新 しい崇高の概念を作 り上げよ うとしたことである。それはスタンダール 自身が戯 曲のメモに書き込んだ 「
ロマ ンチ ッ
クとい う名 の優 しい崇高」 とい う言葉が端的に表 しているよ うな,特権的な幸福の瞬間を示す美の概念である。それは一方
ではモーツアル トやチマ ローザの音楽に結びつき,また一方では障壁 にもかかわ らず愛 し合 う男女が互いの愛 を確認す る汰
黙の時間にかかわっている。
第二に,スタンダールが小説や歴史書,書評,イ タ リア演劇 な どさまざまな媒体 を研究 して,それ を自分の言葉で戯 曲 と
い う形にま とめあげよ うと工夫 している点である。た とえば 『アン リ三世』はギュイーズ公がアン リ三世の居城ルー ヴル宮
6世紀末のある四 日間を扱 っているが,歴史的記述 を参照 しつつ,一つの幕 に凝縮 させ るために,登場人物 を思
を包囲 した 1
いきって しぼ り,両陣営-の割 り振 りを工夫 し,また架空の人物 を配置す るな どした。論者 は とりわけ書かれた部分の時間
処理 に詳細な検討 を加 え,スタンダールが主 として夜の時間に場面を集約 したことを明 らかに した。
第三に, 「
大場面」 とスタンダールが呼ぶ重要な場面 を創 出す るために,主人公 の恋愛 を劇 的に演出す る工夫 を凝 らした
ことである。例 えば 『サ グォワ伯爵夫人』ではラ ・フォンテーヌ夫人の原作小説の筋書 を大き く変更 して,スペイ ンの貴族
メン ドサ とサ グオワ伯爵夫人が最後に結婚す る代わ りに,劇的な死 を迎えることに したのである。 このよ うな大場面の創作
には,タッソの 『ェルサ レム解放』やシェイクス ピアに加 え, 自分の過去の恋愛体験が大き く反映 してい るとす る。
以上の検討 を通 じて,スタンダールが本 当に表現 したかった近代的崇高の感情が,必然的に台詞 に依拠す る戯 曲において
は実現す ることが難 しかった とい うことが分かる。 スタンダール は こ うして小説 の創作- と向か うのだが,結局の ところ
- 11
79-
『赤 と黒』でジュ リアンが レナル夫人 と和解す る最後の場面,『パルムの僧院』でファブ リス とクレリア ・コンテイが距離を
隔てて高所で見つめ合 う場面のよ うな小説の要所 を流れ る 「
優 しい崇高」の美学は,作家が数多 くの戯 曲習作 を執筆す る過
程で浮かび上がってきた ものである。論者 はこ うして戯 曲の試み と小説お よび半 自伝的小説のあいだに一貫 した美学の追求
を見出 している。
本論文 を卓越 した研究た らしめている理 由を挙げれば,次のよ うな 2点に集約できるであろ う。第一に,視点の独創性で
ある。論者 はこれまで等閑視 されてきた戯 曲の習作について初めて本格的な総合調査 を行い,一般 に流布 し踏襲 されている
スタンダール像 とは異なる作家像 を提 出 し得た。
第二に,堅固な実証的方法論である。参考論文の 「
スタンダール年譜」が示す よ うに,論者 はスタンダールの実体験,読
書範囲,交友関係 な どを細部に至るまで把握 してお り,この知見を文献調査に活か しきっている。分析のための資料 として,
スタンダールの書簡,旅行記,小説,評論 な どすべての分野にわたるテクス トを駆使 してお り,長年 に及ぶ研究の手堅 さを
感 じさせ る。
以上の理 由により,本論文は精密な実証性 と独創的発想 を兼ね備 えた,きわめてす ぐれた研究成果であると評価できる。
この論文がただちに世界のスタンダール研究に大きな貢献 となることは疑いをいれない。 もちろん,やや惜 しまれ る点 もな
いわけではない。戯 曲の分析が詳 しい分だけ,他の作品 との関係 の説明が簡略になって しまった こと,初出の発表媒体の都
合 もあって繰 り返 しが散見 され ること,結論部が少 し長す ぎて重複 を含む こと,な どである。 とは言 えこれ らは,論者の的
確 な分析 と博識 な知識,それ に洞察力に富んだ巧みな記述に比較すれば,大きな欠点 とは言 えない。
9
9
8
年1
1
月
以上,審査 した ところによ り,本論文は博士 (
文学)の学位論文 として,十分価値のあるもの と認 め られ る。1
2
7日,調査委員 3名が論文内容 とそれに関連 した事柄 について論者に見解 をただ した結果,合格 と認 めた。
-1
1
8
0-
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