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『雨月物語』 について

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『雨月物語』 について
宮 崎 沙 織
やきっかけも考えてみたいと思う。
『雨月物語』について
─ 豊雄と真女子から読み解く「蛇性の婬」─
はじめに
この論文では「蛇性の婬」の主人公である豊雄と真女子に焦点
を当て、彼らの性格や特徴を考えながら彼らが互いに惹かれあっ
これは秋成が作為的に行ったことだとしか考えられない。
雑な心情が見事に織り交ぜられたりして物語が構成されている。
りとは分からない。おまけに登場人物の家族関係であったり、複
最小限に抑えられ、真女子の正体も物語終盤にならないとはっき
体も早い時期に暴かれる。しかし「蛇性の婬」の場合、怪異色は
性格の青年に設定されている。彼は次男なので家督を継ぐわけに
長優しく、常に都風たる事をのみ好みて、過活心」の無いような
役も担っている。姉は大和の石榴市の御明燈心を扱う商家、田辺
は親の後を継ぐべく、従順に家業に励んでおり、漁師たちの指導
養ってもらっていて働いていないという弱みである。長男の太郎
い性格が挙げられる。弱い性格の例として挙げられるのが、親に
主人公豊雄は紀の国三輪が崎の堅実な漁師、大宅の竹助の家に
次男として生まれた。豊雄の人格の特徴として、彼の人間的に弱
一 豊雄と真女子
た理由や真女子が退治された原因などを探っていこうと考えてい
もいかない。そのため、父親も「只なすまゝに生し立てて、博士
「蛇性の婬」の原典とされる『警世通言』第二十八
『雨月物語』
巻「白娘子永鎮雷峰塔」は怪異色が強く、女主人公の白夫人の正
る。また、作者上田秋成の人生を見ながら「蛇性の婬」の登場人
にもなれかし、法師にもなれかし」と考え、特に厳しくしつける
みやび
わたらいごころ
の金忠の下へ嫁に行っている。そして次男で末っ子の豊雄は「生
みあかしとうしん
物たちとの共通点を見つけ出し、作品が出来上がっていった経緯
−145−
呑に飲むらん勢ひ」の恐ろしい白蛇である。実は真女子の正体は
く、角は枯木の如、三尺余りの口を開き、紅の舌を吐いて、只一
に 充 ち 満 ち て、 雪 を 積 み た る よ り も 白 く 輝 々 し く、 眼 は 鏡 の 如
を生み、馬とあひては龍馬を生む」と言われている。姿は「戸口
女子は「年経たる虵」で、
「性は婬なる物にて、牛と孳みては麟
ここでもう一人の主人公である真女子について考えてみたい。
真女子の最大の特徴はやはり白蛇であるという正体であろう。真
位の低さから、いまいち信頼のおけない人物である。
だが好感は持てても、父兄に養われて無職であるという社会的地
そのような素 直で世間知らずな豊雄の性格は、どこか憎めない。
想のような世界観を持った男で、周囲から孤立していると言える。
いる。しかし「都風」を好む豊雄は現実社会とはかけ離れた、幻
生計を立てていかなければならないため現実的な世界観を持って
人になっていった。周囲の一人前の男たちは皆、自ら仕事をして
なのだが、
「過活心」の無い豊雄はいわば自然に風流を愛する知識
る。これは長男が家督を継ぐという風習からいうとよくあること
の神官の下に通いながら学問にのみ心血を注ぐ毎日を過ごしてい
鶯たちが梢の間を移動しながら鳴くというのは、下にいる人間た
た、
「 梢 た ち ぐ ゝ 鶯 の 艶 ひ あ る 声 」 に も 仕 掛 け が 隠 さ れ て い る。
想 的 な 美 し さ を 倍 増 さ せ る た め の 表 現 で あ る と 考 え ら れ る。 ま
ものがいるということの例えなのだ。
「春吹く風」というのも幻
なので、実際に目に見えている姿ではない。つまり現実ではない
考えてみると「水にうつろひなす面」というのは水面に映った姿
花のように美しい真女子を例えた表現のように思われる。しかし
次に豊雄が真女子邸でもてなされている際の真女子の描写であ
るが、
「花精妙し桜が枝の水にうつろひなす面に、春吹く風をあ
われる。
白蛇が水辺を好むとされていることから発生した表現であると思
している。また、突然雨が降ってくる天気は真女子の正体である
に配すると東南は辰巳にあたり、白蛇である真女子の正体を暗示
第二十八巻「白娘子永鎮雷峰塔」にも出てくるが、十二支を方角
がり、雨が降ってくるという表現は、原典とされる『警世通言』
が、これは度を過ぎて異常であり、不吉だ。この東南から雲が広
まず豊雄と真女子の出会いの場面の「ことになごりなく和ぎた
る 海 」 が「 暴 に 東 南 の 雲 を 生 し て、 小 雨 そ ぼ ふ り 来 る 」 天 気 だ
こともせずに育ててきた。結果、豊雄は大した仕事もせず、新宮
物語の中盤過ぎまで明らかにはされていない。しかしその正体を
ちにはその鳴き声だけ聞こえるのであって姿を見ることは出来な
やなし、梢たちぐゝ鶯の艶ひある声」とある。これは一見すると
ほのめかしている表現は作中にたくさん見られる。
−146−
雨や雷を呼ぶ力があるという言い伝えを利用したほのめかし方で
太刀事件の犯人として疑われた豊雄や役人一行が荒れ果てた真
女子邸を訪れた際に、真女子が雷鳴と共に姿を消す場面も、蛇は
せるためにわざわざ太刀を贈ったのではないかと思われる。
が、この場面でも、真女子の正体が蛇であるということを暗示さ
形態が刀と似ていることから生まれた関連性であると考えられる
章などでも刀と蛇はよく組み合わされている。恐らく蛇の細長い
ものとされてきた。日本の神話のヤマタノオロチ伝説や西洋の紋
か。東洋や西洋に関わらず、世界中で蛇と刀は昔から関係が深い
も 関 わ ら ず、 な ぜ 真 女 子 は あ え て 豊 雄 に 太 刀 を 贈 っ た の だ ろ う
狛錦や呉の綾、倭文、縑、楯、槍、靱、鍬とたくさんあったのに
真女子が「千とせの契り」の約束の証として豊雄に贈った太刀
も真女子の正体を暗示させている。御宝蔵から無くなった宝物は
われる。
ではなく妖怪であるため、あえて「人なき家」と言ったのだと思
が「故ありて人なき家とはなりぬれば」と語るのも、真女子が人
ていて実体がつかめず、実に怪しい雰囲気である。また、真女子
い。そのような声で真女子が語るというのは、どこかふわふわし
飛び込むと「水は大虚に湧きあがりて見えずなるほどに、雲摺墨
三月に豊雄が真女子との結婚後に訪れた吉野で、当麻の酒人に
正体を見破られた真女子は再び姿を消す。真女子とまろやが滝に
推測できるのである。
いうことは豊雄と結婚したのは人間ではないものだということが
この世のものではないものとの交わりという意味もあるのだ。と
ら暁にかけての夫婦交情の密な様子を表す言葉であると同時に、
女を夢みて、これと契ったという意味であるという。つまり夜か
遊んだとき、朝には雲となり、夕べには雨となるという巫山の神
る。これは故事によると、
「雲雨の交」とは、楚の襄王が高唐に
の鐘に雨収まりて」という一節が真女子の正体をほのめかしてい
金忠夫婦の熱心な勧めにより真女子と豊雄が婚姻関係を結ぶ場
面では、
「葛城や高間の山に夜々ごとにたつ雲も、初瀬の寺の暁
二月になってようやく豊雄の前に姿を現すことが出来たのだろう。
れているからである。真女子も蛇なので、冬の間は冬眠しており
といわれ、動物たちが冬眠から覚め、地上に這い出す時期だとさ
再会を、わざわざ数カ月先の二月に設定にしたのは、二月が啓蟄
の正体を暗示させるものである。九月に出会った豊雄と真女子の
これは物語の最初の真女子登場の場面と同じく、晴れていた空が
をうちこぼしたる如く、雨篠を乱してふり来る」天気になった。
石榴市にいる豊雄の下に真女子が再び姿を現す季節も、真女子
あろう。
−147−
注目しながら丁寧に読んでいくと真女子の蛇性を表す表現が至る
これらのことから、ただ文面通りに物語を読み進めていくだけ
だと真女子の正体はなかなか明らかにならないが、ひとつひとつ
確実に印象付ける効果がある。
急に暗くなり雨を降らせることで、真女子の蛇という正体をより
結果、豊雄は自らの意志を持つことはなくなり、周りの流れに乗
イペースに学問を続けているところを見ても明らかである。その
の存在を必要以上に意識しているところや、何があっても常にマ
れず、厄介者扱いされる孤独状態。それは豊雄自身にとって誰に
雄自身には修復出来ないほどになってしまった。誰からも理解さ
ることで重要な責任や問題に正面から向き合うことが出来ない青
も話せない大きな悩みであり、苦痛であったはずだ。それは親兄
所にちりばめられているということがよく分かる。
むことが出来ずに自分の世界に入り込み、世間から孤立していっ
として認められていなかった。そのため豊雄は周囲の人間と馴染
く、世間の現実的な人間たちからも邪魔者扱いされ、一人前の男
せ ず に、 学 問 と 風 流 な こ と を の み 愛 す る 豊 雄 は 家 族 内 だ け で な
を感じ取ったからではないかと考えている。次男で、働くことも
速に惹かれた理由として、豊雄自身が真女子に自らと同じ雰囲気
ここまで深くならなかっただろうと思う。私は豊雄が真女子に急
貌や風流な言動、仕草に魅力を感じただけならば、二人の関係は
豊雄は真女子の美しさや風流な言動に魅力を感じたとされる
が、果たして理由はそれだけであろうか。もし豊雄が真女子の美
あると思われる。そのような劣等感の塊ともいえる豊雄の前に偶
るというような負い目があるために自分に自信が持てないからで
流されてしまうのは豊雄自身、父兄に養ってもらっている身であ
断固とした意志を持って行動することが出来ないままに、周りに
その日のうちに真女子と契りを結ぶことが出来なかった。自分の
結局、父兄の存在を絶対的なものとして捉え、恐れているため、
なく勝手に婚姻関係を結ぶことや、外泊も出来たはずだ。しかし
し本当に心から真女子を愛しているのであれば、父兄に話すこと
罪し給はん」と真面目に答え、泊まらずに家に帰ってしまう。も
例えば、真女子に「千とせの契り」を約束した日に、真女子邸
に泊まることを求められた際も豊雄は「まだ赦しなき旅寝は親の
年になってしまったのである。
た。 豊 雄 は 好 き な 学 問 に 打 ち 込 む こ と で 現 実 か ら 逃 避 し て い た
然現れた真女子は美貌と教養を兼ね備えているだけでなく、何と
二 惹かれあった理由
が、学問を究めれば究めるほど周囲との距離は広がり、もはや豊
−148−
るだけで、下男らしき男は見当たらないことを不審に思った豊雄
例えば、豊雄と真女子の出会いの場面では、小屋に入ってきた
真女子が、若くて美しいにもかかわらず供の侍女を一人連れてい
とつが実に巧みで、しっかりとしている。
葉である。それにも関わらず、彼女の口から出る言葉はひとつひ
語られるのは大半が正体を知られないようにするための偽りの言
も人間の女性として振る舞っている。そのため、真女子の口から
子は物語の終盤まで己の正体を豊雄に知られないようにあくまで
時に真女子の本当の心の内も告白されているように感じる。真女
するために語った口説き文句であったとされているが、それと同
生い立ちについての告白は、真女子の蛇性が豊雄を自らのものに
いたのではないかと私は考えている。真女子から語られた自らの
つまり豊雄は真女子に一種の心の安らぎ、救いを求めていたの
だ。それと同様に真女子もまた、豊雄にただならぬ愛情を感じて
じとったのだろう。
の苦しみも理解し、愛してくれるのではないかと彼の第六感で感
そのような不思議な魅力あふれる真女子であれば豊雄自身の長年
かないことや、真女子の不自然な様子に薄々気付いてはいたが、
も不思議で妖しい魅力を放っていた。豊雄も夢と現実の区別がつ
先程から述べている通り、真女子の本当の姿は大きな白蛇で、
拭することができたのではないかと考えている。
に魅かれると同時に、初めて出会った時の真女子への不審感も払
うなこの話型こそ、豊雄が相手に期待する「都風」な世界なので
離譚の典型で、都の貴人が苦難にみちた流離の旅をするというよ
式は『源氏物語』の光源氏の須磨流浪にもみられるような貴種流
彼女はたよりのない身の上なのであるという。このような話の形
くなってしまった。真女子を育ててくれた乳母も尼になり、現在
きたのだが、この春、夫は四年の任期が満了しないうちに病で亡
乳母に育てられた。そしてこの国の受領の妻として都から下って
真女子は元々、都の生まれであったが、両親とは早くに死別し、
い立ちを語ることで辻褄を合わせ、見事に話を成立させている。
褄が合わなくなってしまう。そこで次に真女子は豊雄に自らの生
子がこの近くに住んでいるということは分かるが、同じくこの辺
実にもっともらしい言い分である。しかし、この言葉からは真女
る。こゝより遠からねば、此の小休に出で侍らん」と謙虚且つ、
雨の恐しさに、やどらせ給ふともしらでわりなくも立ちよりて侍
住みこし侍るが、けふなんよき日とて那智に詣で侍るを、暴なる
あった。この悲しい身の上話を聞くことで豊雄はますます真女子
りに長年暮らしている豊雄は見たこともないということから、辻
が話しかける。それに対する真女子の言葉は「此の近き所に年来
−149−
で あ ろ う と い う 期 待 も あ っ た。 そ の 点 で も 真 女 子 は 豊 雄 を 選 び
の豊雄ならば素直に真女子の話を受け入れ、心から愛してくれる
見破る日が来るかもしれない。しかし真面目で世間知らずな性格
通の常識をもった人間なら真女子の素性を怪しみ、いつか正体を
かった。真女子は次第に彼の情熱的な姿に心惹かれていった。普
会 っ た の が 豊 雄 で、 彼 の 優 し い 言 葉 や 純 粋 さ が 身 に 染 み て 嬉 し
れ て し ま う 苦 し い 現 状 だ っ た。 そ の よ う な 孤 独 で 寂 し い 中 で 出
女子は、現実的な社会の中で生きる人々からは存在さえも否定さ
も無いような孤独感を抱えた状態だったのではないだろうか。真
い正体の内面は「便りなき身」で、もはや自分の居場所はどこに
周囲からも恐れられるような強い存在である。しかしその恐ろし
雄は「いざたまへ、出で立ちなん」などと優しげな言葉で真女子
れは愛の継続を願う必死な真女子の姿の表れであろう。しかし豊
望みをかけて富子の体に入り込み、愛する豊雄に語りかける。そ
た。真女子はもう一度豊雄に振り向いてもらいたいという最後の
と 結 婚 し た こ と で、 真 女 子 の 存 在 は す っ か り 忘 れ 去 っ て し ま っ
雄は真女子と「千とせの契り」を結んだ仲にもかかわらず、富子
に、豊雄から恐れられる存在になってしまったのだ。おまけに豊
なかった。吉野で当麻の酒人に正体を見破られたことをきっかけ
来るようになった真女子であったが、幸せな時が長く続くことは
せの契り」を交わし、これからは永遠に豊雄と共にいることが出
忠の下で真女子は愛する豊雄と結婚することに成功した。「千と
人間の女性、真女子として豊雄に近づいてきた。結果、田辺の金
状態を心の奥底で苦悩していたからであったからということなの
められていない浮世離れした存在であり、おまけに二人とも孤独
真女子が互いに急速に惹かれあったのは、どちらも社会的には認
ることはなく、真女子の正体を知ったときから真女子は恐怖の対
自分の孤独をいやすために真女子の容姿や教養の高さにのみ心
を惹かれていた豊雄だったので、真女子の純情な気持ちを理解す
に隙を与えたところにさっと袈裟を被せて退治してしまう。
まこと
「信ある御方にこそ」と思ったのだと考えられる。つまり豊雄と
だ。
真女子を退治する一連の行動から、豊雄がいかに愛というものに
対して軽薄な考えを持っていたかということが分かる。 象でしかなくなっていたのだろう。このように態度を一変させて
物 の 怪 で あ り、 並 の 人 間 よ り も 強 い 力 を 持 っ て い る 真 女 子 だ
が、唯一の弱みである豊雄の手によりあっさりと封印されてしま
う。真女子は愛する豊雄の前では極力自らの本来の恐ろしさは見
せないようにし、彼好みの容姿や教養の高い女性像を身につけた
−150−
行動は以前の豊雄には見られなかった自己犠牲の精神である。学
問にしか興味がなく、狭い世界の中でしか生きてこなかった豊雄
で命を落としてしまう。その恐ろしい出来事を目の前で見た豊雄
が、真女子のあまりの強さから逃れることが出来ず、ひどい火傷
え、同情までされている。鞍馬寺の僧は早速真女子退治を試みる
は物の怪の真女子に関することはすべてそのままに信じてもら
る。豊雄は日頃から信頼こそされていなかったが、富子の両親に
み、昨晩の恐ろしい出来事を話したところ、鞍馬の僧を紹介され
きさを実感する。翌日、部屋から抜け出して富子の親元に駆け込
に改めて気付かされると同時に「千とせの契り」の持つ意味の大
ことしか出来なかった。ここで豊雄は、真女子の蛇性の恐ろしさ
て伏向に臥」して「只死に入りたるやうに」夜が明けるのを待つ
女子から責められた時、豊雄はただただ「胆を飛ばし、眼を閉ぢ
一度は結婚までした仲にもかかわらず、富子と結婚したことを真
ら少しずつ変化を見せる。真女子と「千とせの契り」を約束し、
豊雄の人格の特徴であった心の弱さや、周囲に流される在り方
は富子との結婚二日目、富子の体に真女子が乗り移る場面辺りか
られ、それを豊雄に手渡してしまうのだ。
助けを求める。そして和尚から芥子の香のしみこんだ袈裟を与え
雄の強い決意の言葉に心を打たれた庄司が、道成寺の法海和尚へ
男らしく、大変しっかりとしている。しかしこの発言の結果、豊
う決意を固めるのであった。この豊雄の言葉は「丈夫心」のある
くおはすべし」と伝え、富子を助けるために真女子と生きるとい
苦しめていることを説明し、
「只今暇給はらば、娘子の命も恙な
ゆけ」と語りかける。そして庄司の人々に、自身のせいで人々を
し。此の富子が命ひとつたすけよかし。然て我をいづくにも連れ
「丈夫心」を得た豊雄は真女子に向かい、
「吾を慕ふ心ははた世
人 に も か は ら ざ れ ば、 こ ゝ に あ り て 人 々 の 歎 き 給 は ん が い た は
は必要なものだったのだろうか。
心」を身につけたことになるのだが、果たして豊雄にとってそれ
に入れたのだ。それは本文中の当麻の酒人の言葉でいえば「丈夫
やく現実的な世界観と、自ら考え、自分の意志で行動する力を手
三 二人の結末
は、自分一人のために周囲の人々に多大なる迷惑がかかっている
であったが、真女子との交流や一連の事件を経験することでよう
ことに気が付き、自分の命と引き換えに富子を助けてほしいと願
和尚から託された袈裟を受け取った瞬間から、豊雄の自己犠牲
の気持ちは消えうせ、代わりに真女子退治の気持ちへと変化し、
いながら真女子と正面から向き合うことを決意し実行する。この
−151−
これは「蛇性の婬」の最終段落である。退治された真女子の結
末と、庄司の娘富子の死、そして豊雄のその後を簡潔に列挙して
蘭若に帰り給ひて、堂の前を深く掘らせて、鉢のまゝに埋め
ある。この長い物語の主人公であった豊雄については、
「豊雄は命
真女子に優しい言葉をかけて油断させておきながら真女子に袈裟
せ の 契 り 」 を 結 ん だ 男 と 生 涯 添 い 遂 げ る の は 当 た り 前 だ し、 愛
させ、永劫があひだ世に出づることを戒め給ふ。今猶蛇が塚
す る 男 か ら「 庄 司 今 は い と ま た び ぬ。 い ざ た ま へ、 出 で 立 ち な
恙なしとなんかたりつたへける。
」という実に短い一言で片付けら
を被せた。つまり、豊雄自らが真女子と再び一緒になることで全
ん」などと言われたら嬉しいに決まっている。その真女子の豊雄
れている。この最後の一文を読むと、秋成は「丈夫心」を得た豊
ありとかや。庄司が女子はつひに病にそねみてむなしくなり
に対する絶対の愛情を逆手にとって、豊雄は真女子を退治したの
雄を以前よりも冷ややかな目で見ており、そのために結末もどこ
ての問題は解決出来るはずだったにもかかわらず、豊雄の流され
だ。恐らく真女子は、芥子の香や袈裟ごときで滅びるほど弱くは
か突き放したような書き方になっているように感じられる。世間
ぬ。豊雄は命恙なしとなんかたりつたへける。
なかったと思われるが、もう豊雄に愛される可能性が二度とない
知らずだった豊雄は一連の出来事を通して、学問では知りえない
やすい性格により、結果としては、豊雄のみが助かり、真女子は
と悟ったのだろう。また、偽りの姿と嘘で豊雄に近づいた真女子
現実を学び「丈夫心」を身につけた。彼はもう「太郎が羇物」で
彼の手により封印されてしまった。真女子にしてみれば、
「千と
が、 初 め て 豊 雄 に 真 の 姿 を 現 し た 時、 今 度 は 豊 雄 か ら 嘘 を つ か
えると、周囲の現実的な考えを持つ人々の世界に溶けこめるよう
はないし、
「都風」ばかりを愛する青 年ではなくなった。言い換
な男に成長したということだ。しかしそれは、今までまともに働
れ、騙される側の気持ちや心の傷の痛みを痛感したのかもしれな
の男性である豊雄に退治されることを甘んじて受け入れる道を選
いたことのない豊雄が自立して生活していかなければならないこ
い。このまま心に傷を負ったまま生き続けるよりは、せめて最愛
んだのだと思われる。
冷ややかな語り口調で物語を終わらせているのだと思われる。
とを意味している。はたしてそのような生活が豊雄には出来るの
だろうか、いや恐らく出来ないであろう と秋成は見ているため、
結局、真女子に乗り移られた富子は病で亡くなってしまった。
一度は真剣に愛した真女子を封印し、また一人の無関係な女性の
命を奪ってまで豊雄は命を長らえたかったのだろうか。
−152−
四 秋成と「蛇性の婬」
深い愛情を注がれていたのだろうということが推測できる。秋成
は病になった歳と同じ五歳の時に養母を失うが、翌年すぐさま新
しい養母が迎えられる。それからの秋成は養父母の下でのびやか
うになった。また、この病の時に父親がかねてから信仰してきた
レックスとなり、後に自らを「剪枝畸人」と名乗って自嘲するよ
じく、筆力なき事患ふべし。
」とある。この障害が秋成のコンプ
二 指 も 短 折 に て 用 に 足 ら ざ れ ば、 筆 と り て は 右 の 中 指 な き に 同
毒 つ よ く し て、 右 の 中 指 短 か き 事、 第 五 指 の 如 し。 又、 左 の 第
七五歳の時に書いた『胆大小心録』にも「翁、五歳の時、痘瘡の
の中指と左手の人差し指が短くなるという奇形が残った。秋成が
い痘瘡を患い、幸い一命は取りとめたものの、後遺症として右手
影を落としていたということは想像に難くない。五歳の時には重
と別れなければならなかったという暗い生い立ちが、終生秋成に
(自像筥記)と記している。私生児として生を受け、早くに実母
た行動であるようにも思われる。この出来事を見ても、秋成は日
田家の実子ではなく養子なのだという意識が働いたために起こし
な性格が表れた美談となっているが、それと同時に秋成自身が上
の勘当話を取り止めることに成功した。これは秋成の純粋で誠実
を勘当するならば自分も共に勘当してくれと頼みこみ、遂に義姉
秋成が相続することになってしまう。そこで秋成は養父に、義姉
を受け継ぐべき人間であるが、勘当されてしまった場合、養子の
あったのだ。本来ならば、実の娘であるこの義姉が上田家の財産
たる人が良くない人間と密事をして家出をするという出来事が
る。秋成が二二歳の時に上田家の実娘、つまり秋成には義姉にあ
い た よ う で あ る。 そ の 時 の 秋 成 の 感 情 が 分 か る エ ピ ソ ー ド が あ
継がなければならないという使命に悩みながら青年期を過ごして
に 育 ち、 裕 福 な 商 家 の 息 子 と し て 放 蕩 に 耽 る こ と も あ っ た そ う
加島稲荷に願をかけたところ、助かったという話があった。後に
頃から表には出さないものの、心の内では自分がよそ者で、上田
秋成は享保一九(一七三四)年に大阪で生まれた。その後四歳
で 比 較 的 裕 福 な 紙 油 商、 嶋 屋 の 上 田 茂 助 の 養 子 と な っ た。 こ の
そのことを聞いた秋成は、人間の力の及ばない目に見えない神秘
家にとって厄介者だという負い目の意識を常に持ちながら生活し
だ。しかしその内面は私生児という暗い生まれや、養父の商いを
な力が存在することを知り、その力を深く信じるようになったと
ていたのだということが窺える。
ことは秋成自ら老後に「父無シ其ノ故ヲ知ラズ、四歳母亦捨ツ」
される。この出来事から、秋成は養子に入った上田家からかなり
−153−
を廃業してから二〇年以上経ってからも自らの過ちを悔い、責め
去に誤診が原因で少女を死なせてしまったことがあり、彼は医者
は秋成が七五歳のときに書いた『自伝』で言っているのだが、過
だが、秋成自身、責任感が強い性格のため、医者という職にあ
まり自信が持てずに医者を廃業することになってしまった。これ
療姿勢が好評を博し次第に繁盛していったという。
は患者に誠意をもって接することを心がけていたようで、その診
いたようだ。そして四二歳には大坂に戻り医者を開業した。秋成
れと同時に、古典文学も本格的に学び、国学を周囲に教え始めて
して再出発するべく、昼も夜も寝ずに医学の勉強をした。またそ
稲荷がある場所である。昔から馴染のあるこの地で秋成は医者と
は、秋成が五歳の時に痘瘡を患ったとき、命を救ってくれた加島
だ。そして四〇歳になった秋成は加島村へ居を移す。この加島村
として自らの学問知識が最大に生かせる医者になることを選ん
元から商売にあまり熱心でなかったこともあり、秋成は次の職業
ところが秋成が三八歳の時、実家の紙油商が火事に遭い嶋屋は
破産してしまう。このことは秋成に大きなショックを与えたが、
介者だと感じていたようだ。そのような自身の誰にも話せない孤
ということを必要以上に意識していたため常に秋成は上田家の厄
いたものの、私生児であるという暗い出生と、自身が養子である
紙油商の家は裕福で、秋成も実の子のように大切に育てられては
うな人物、と設定されている。それと同様に秋成も養子に入った
家族から厄介者扱いされているような孤独状態で、豊雄自身それ
る。豊雄は裕福な漁師の息子で、幸福そうに見える。しかし実は
豊 雄 と の 共 通 点 と し て 挙 げ ら れ る の が、 家 庭 内 で の 孤 独 感 で あ
このように秋成の生い立ちを追ってみると、「蛇性の婬」の豊
雄や真女子と似通ったところがいくつかあることに気付く。まず
書いた。そして文化六年、七六歳で秋成はこの世を去った。
続け、
『胆大小心録』、『神代かたり』、『自伝』など次々と作品を
ることが出来たため全盲は免れた。秋成は晩年も精力的に執筆を
よって五七歳のとき以来失明していた右目の視力を少し回復させ
う に 今 度 は 右 目 が 失 明 状 態 に な る が、 幸 い な こ と に 名 医 の 力 に
支えてくれた妻も亡くなってしまう。さらに追い打ちをかけるよ
病で左目を失明してしまう。また、六四歳のときには常に秋成を
続けていた。この話からも秋成の責任感の強さが窺えるだろう。
を振り返っていたのかもしれない。
独な心理状態を豊雄に投影させることで、冷静に過去の生い立ち
に気付かないふりをしながらも心の内では苦として生きているよ
医者を辞めてからの秋成は思う存分学問に打ち込むことが出来
たが、五六歳のときには妻の母と養母が亡くなり、その翌年には
−154−
いだろうか。
雄の理解者となる年上の女性の登場人物が欲しかったからではな
えて次男になっているのは、秋成に義姉がいたように、孤独な豊
な境遇にするならば豊雄は長男に設定されるべきである。だがあ
があったためと考えると納得がいく。もし豊雄を秋成と同じよう
役買ったのも、養子という負い目の他に、義姉に対する深い愛情
られる。前述の、義姉が勘当されるという騒動のときに秋成が一
家の実娘(義姉)が彼の最も身近にいる良き理解者だったと考え
解者となるのが兄嫁(義姉)であるのと同じように、秋成も上田
また、豊雄と兄嫁の関係と、秋成と義姉の関係においても共通
点があるように思われる。家庭内で孤立していた豊雄の唯一の理
私は前章で、物語の締めくくり方が豊雄を突き放したような終
わり方をしていると述べたが、ここには秋成自身の当時の心情が
であっただろう。
や真女子の感じていた、教養の高さに関する孤独感と同様のもの
したいとする秋成は次第に周囲から孤立していった。それは豊雄
低限必要な教養以上のことを学び、より深く、多くのことを勉強
養も無駄なことだと考えられてきた。比較的裕福な商人として最
雄の教養の高さが周囲に理解されないのと同じように、秋成の教
く実生活を「まめ心」と分類して考えている。「蛇性の婬」で豊
持ちを、学問を追求する美的生活を「あだ心」、生活のために働
秋成は長年、自らの置かれた商人という立場と本当にやりたい
学問をめぐって悩み続けていたようだ。中村幸彦はその秋成の気
「丈夫心」を得て真女子を退治した豊雄について、中村幸彦は、
豊雄の心中にある二つの心、あだ心とまめ心の相剋、そして
込められていると思われる。
問の面白さにどんどんのめり込んでいった。
『雨月物語』を執筆
まめ心の勝利によって、ともかく豊雄の生命が、三回の危機
もう一つの共通点は豊雄と真女子の両者に当てはまる、教養の
高さである。豊雄が学問に心血を注いでいたように、秋成もまた
していた頃の秋成は養父の後を継いで商人となっていたが、彼の
を経てつつがなきを得たとするところに、この篇における彼
若いころから学問に親しんできた。秋成は二〇歳頃から始めた学
教養は幅広く、日本の古典文学以外にも中国文学や医学の知識ま
と述べている。そしてその豊雄と、火災に遭って生活について切
のいわゆる寓言がある
女子のようなキャラクターを作り出し、その登場人物の中に自分
実に考えなければならなくなった秋成を重ね、
ですでに持っていたようである。その広い学問知識から豊雄や真
を見出すことで「蛇性の婬」は完成したのだろう。
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そのときこれまでの俳諧や和歌に遊んだ風流すなわちあだ心
と、これから生きるべき「過活心」それはまめ心につづくも
おわりに
「蛇性の婬」執筆当時の秋成は日頃から孤独を感じていたのだ
ろう。出生の暗さに悩み、常に上田家の厄介者であるという意識
のでもあるが、そのいずれに自己をまかすべきかを考えたは
ずである。その結果彼はまめ心に従って医を職業に選んだ。
を持ち続けながら、好きな学問を極めることも出来ずに養父の店
は正しいのだろうかと自問しているために、
「豊雄は命恙なしと
こととなってしまう。そのような豊雄を見て秋成は本当にその道
は、秋成と同じように厳しい現実的な世界に入るような道へ進む
い 性 格 に 設 定 し た。 し か し 物 語 の 終 盤 で「 丈 夫 心 」 を 得 た 豊 雄
そこで自らの分身ともいえる豊雄には働かせず、
「過活心」のな
かったのだ。秋成は本当にやりたいことが出来ずに悩んでいた。
秋成は商人にも医者にも向いていないと心では分かっているも
のの、生きていくためにはどうにもならない現実から離れられな
だが、秋成自身が後に医者を廃業していることから分かるよう
に、秋成の選択は必ずしも本意ではない判断であった。
という考えを示し、
「蛇性の婬」を評価している。
者になっている。もしかしたらこの「蛇性の婬」執筆中は、養父
はないか。五四歳のときに秋成は商人も医者も辞め、本格的に学
かった秋成自身の、押さえつけられた心情を写し出しているので
に苦悩し、義理や世間体のために商人になる道を選ばざるを得な
幕を閉じる。これは、結局自分の好きなことに全力で取り組めず
に見える。しかし真女子は愛する豊雄に退治、封印されて物語は
を全力で愛することで孤独から解放されることを願っているよう
と同様に孤独を感じていたが、豊雄という生きがいに出会い、彼
同じように自分の中だけで孤独を感じ、誰にも悩みを打ち明ける
を継がなければならない責任を感じていた。その結果、豊雄は秋
注
その間の心境がこの作品に投影していないであろうか。
なんかたりつたえける」という冷淡な口調で終わらせているのだ
から受け継いだ商店や家族を養うことなどの全てを捨てて学問に
ことが出来ずに、学問の世界に逃避している。真女子もまた秋成
成の分身ともいえるような孤立した文学青年に設定され、秋成と
ろう。私はそのように考えている。
専念するか、商人としてそのまま生きていくかという選択が出来
ずに悩んでいた最中だったのかもしれない。
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そのように秋成と登場人物たちを比較しながら「蛇性の婬」を
読んでいくととても面白い。読み込んでいくうちに新たな発見が
次 々 見 つ か る。 も し 今、 私 が「 蛇 性 の 婬 」 の 解 説 を 付 け る な ら
ば、
紀州熊野の大宅豊雄という家族から疎外されている現状から
逃避するために風流な世界への憧れを強めている孤独な青年
と、白蛇の化身であるという正体のために同じく世間から孤
立している真女子との恋愛を描いた作品。ひたすらに愛を全
うしようとする異類、真女子の執念と、自らの意志を持つこ
とが出来ない豊雄が真女子と交わることにより次第に丈夫心
を備え、現実社会に溶けこめるようになるまでの経路を、非
現実的な怪異の中に織り交ぜながら描いている。比較的忠実
な翻案ではありながら、孤独という人間の内面心理を巧みに
映し出すことにより見事な創作作品として成立している。
と、なるだろう。私がこの「蛇性の婬」のテーマとして読み取っ
たのは人間の弱さと孤独である。最初はおどろおどろしい怪談話
だと思っていたが、その中に作者秋成が本当に伝えたかったもの
が少し見えたような気がした。
注
注 日本古典鑑賞講座第二四巻『秋成』
(角川書店)一六二頁より。
参考文献目録
・校注古典叢書『雨月物語』水野稔 昭和五二年 明治書院
・中国古典文学全集一九『三言二拍抄』平凡社
昭和三三年 角川書店 ・日本古典鑑賞講座第二四巻『秋成』中村幸彦
・『上田秋成』岩橋小彌太 昭和五〇年 有精堂
・『雨月物語(下)』青木正次 昭和五六年 講談社
その生き方と文学』大輪靖宏 昭和五七年 春秋社
・『上田秋成
・『幻妖の文学 上田秋成』森山重雄 昭和五七年 三一書房
・『雨月物語私論』矢野公和 昭和六二年 岩波ブックスサービスセンター
・『雨月物語の研究』植田一夫 昭和六三年 桜楓社
・『雨月物語の探求』元田與一 平成五年 翰林書房
(みやざき さおり 二〇一一年日文卒)
・『上田秋成「雨月物語」論』坂東健雄 平成一一年 和泉書院
・『上田秋成の研究』中村博保 平成一一年 ぺりかん社
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