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住吉は南北朝時代、戦場となった
〈中世〉 住吉は南北朝時代、 戦場となった 今 か ら660年 ほ ど 前 の 南 北 朝 時 代、 瓜 生 野 (遠里小野)に陣を張った楠木正行は住吉・天王 寺 にて北 朝 方 と戦 って勝 利 します。これを「住 吉の役」とも「遠里小野の役」ともいいます。そ の後、南朝の後村上天皇はあちらこちら行幸しま すが、住 吉 大 社 の南 にあった津 守 氏 の屋 敷 を行 宮として崩御するまでの7年あまりここで過ごし 。住吉一帯は足利氏の幕府方 ました(住吉行宮) の軍勢との大きな戦いの場になり、村々は荒れ果 ててしまったと思われます。 また、応仁の乱(応仁元(1467)年)から戦国 時 代 にかけても住 吉 周 辺 はしばしば戦 いの場 と なり、我孫子城や新堀城、寺岡砦などが登場しま す。それぞれ現在の我孫子・堀・西長居の集落が それです。村や寺院の周囲には防御のための濠や 土塁が設けられるようになります。現在も村の周 囲には池の跡や水路として濠の跡が残されていま す。 このように南北 朝 時代には住吉は戦場となり、 また天 皇 が長 期 滞 在 する南 朝 方 の政 治 の中 心 で もありました。また、戦 国 時 代 は軍 事 戦 略 上、 重 要 な地 域 として当 地 での覇 権 争 いが繰 り広 げ 住 吉 区ゆかりの キャラクター 9 られたのです。 楠 木正行 ※行 幸 =天 皇が外 出 すること ※行 宮 =天 皇 行 幸の時の仮の住 居 ※崩 御 =天 皇・太 皇 太 后・皇 太 后・皇后の死去を敬 っていう語 20 集 落が戦場となった当時の名残 明治時代の地図には各村の 周 囲に堀や池、水路が描かれています。す でになくなっているところが多いですが、今は道や公園になってその名 残をとどめています。街道に通じる出 入 口 付近の堀の内側には地 蔵 堂が あることが多く、その外側に堀があったことを知ることができます。 (上)あびこ観音を取 り巻 くように我 孫 子 城 跡 があった(中) 寺 岡 砦 の場所に建つ 神 須 牟 地 神 社( 下) 極 楽 寺(P15) の 石 燈 籠。南 北 朝 時 代 に 楠 木 正 成 が奉 納 し たといわれる 我孫子 集 落の堀跡。段の左 側のグラウンドが池の跡 我孫子 城 跡、新 堀 城 跡、寺 岡 砦 のあった場 所 長居 駅 住吉大社 長居小 南住吉大空小 文 我孫子中 南住吉小 文 墨江小 文 墨江丘中 寺岡砦があった 神須牟地 神社 我孫子城跡 安立町駅 0 300m 0 300m 21 あびこ 観音 あびこ駅 長居公園通 長居駅 JR 阪和 線 我 孫 子 町 駅 清明学院高 沢ノ町駅 住之江区 文 住吉行宮跡 新堀城跡 文 文 御堂筋線 阪堺電 軌阪堺 線 長居公園通 文 あびこ筋 細井川駅 長居公園通 長居駅 JR 阪和 線 南海電 鉄高野 線 南海電 鉄本線 住 吉行宮 跡