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偽典とモルモン書に見られる救世主(メシア)像

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偽典とモルモン書に見られる救世主(メシア)像
トルーマン・G・マドセン編「モルモニズムの考察:ユダヤ・キリスト教との類似」BYU
宗教学センター、1978 年、所収。翻訳沼野治郎。
偽典とモルモン書に見られる救世主(メシア)像
(Wikipedia より)
ジェームス・H・チャールスワース
[ 編集者トルーマン・G・マドセンによる序文 ]
霊感された文書は全て正典(カノン)に含まれているか。聖書の内と外にある文書は全てあ
るべき場所に置かれているか。ここ数十年、偽典として知られる文書が次々再発見され、
正典化の過程と聖書の権威について改めて吟味されることとなった。正典に含まれた文書
以上に、除外されたものに関して焦点が当てられた。ここで言う偽典とは聖書の人物の名
前を冠して、紀元前 200 年から紀元 200 年の間に書かれた文書のことである。ローマは政
治的な理由から多くの重要な文書 -- 聖典や疑似聖典 -- を破壊し、神学者は神学的な理由
から同様に誹謗ないし破壊したが、ユダヤ教やキリスト教の聖職者はそういった文書が非
常に貴重であると考えたので保存した。このことは明らかである。死海文書の中で「義の
教師」が明白に預言的な啓示を受けたことが明らかである。これはヨハネの福音書と比べ
てそれ以上に聖典と言えるのだろうか、あるいはそれ以下なのだろうか。新約聖書ユダの
書に、聖書に含まれていないエノクの書が是認されている風に言及されている。現在この
書も復元されている。エノク書も聖典としての評価を与えられるべきではないだろうか。
およそ 50 の偽典文書が間もなく英語に翻訳され、注釈と共に新しい選集としてデューク
大学から出版される予定である。同大学偽典研究所長のジェームス・チャールスワース博
士が監修する。
チャールスワース教授はこの論文を書くに際し、救世主像に焦点を当てて偽典文書資料
の全てを入念に調べている。モルモニズムに特有なキリスト論の三つの要素を見て取り(キ
リスト教の解説者はそう考えているが)
、それらが一部昔の偽典作者にも共有されていたこ
とを示している。それは、救世主、主、キリスト自身が人類の始祖、アダムに姿を現わさ
れたという教義であり、キリストが失われた一匹の羊だけでなく「他の羊」
、これには一団
で失われた他の群れ、すなわち十支族も含まれるが、彼らをも教え導かれるという期待で
あり、そしてキリストは常に忠実な者に自らを顕されるという考えである(これはヨハネ
10 章に含意されているとモルモン教徒は感じている)。
T.G.M.
先ずはじめに、私は何から手をつけてよいか途方に暮れる思いがしたことを申し上げな
ければならない。1 どのように進めればよいのだろうか。相互に矛盾し、紛らわしい文書群
が示すものは厄介な迷路である。それをかいくぐっていける、標準的で最善の方法はどん
なものだろうか。問題は比較的はっきりしている。救世主は偽典でどのように認識されて
いるだろうか。また、その観点はモルモン書のキリスト論的箇所を理解するのにどれくら
い助けになるだろうか。2
話を進める一つの方法は、1950 年以前に出版された主要な出版物を調べ、次いでそれ以
降に出たものを確認することである。3 この方法がこれまで用いられてきて、われわれは
学者の名前を冠する書籍に馴染んできた。例えば、
「レイマルスからヴレーデ」「シュワイ
ツァールからスコレム」など。しかし、新旧の出版物を並べてもこのような限られた紙幅
で扱うにはあまりにも複雑な事柄なので、われわれはただ迷路に迷い込むようなことにな
るだろう。ただ、われわれが発表する内容は、少なくとも三つの点で先達たちの卓越した、
鋭敏かつ創意あふれる業績に対しても有利な位置に立っている。それは、膨大な一次資料
が増加していること、旧新約聖書間のユダヤ教について理解が格段に進んだこと、そして
精巧な方法論が発達したことである。
資料の増加
こんにち、これまでのどの時代にも増して、旧新約聖書間の状況を専門とする学者は、
次のような紛れもない資料の宝庫を前に、苦難と喜悦の両方を同時に味わっている。資料
というのは、初期のラビ資料、新約聖書の思想・思潮の面でキリスト教を遡る章節、死海
文書、聖書外典、ヘルメス文書、そしてよく知られたユダヤ人の文筆家フィロンとヨセフ
スである。はっきり言えばこの記事では偽典と呼ばれる 50 の文書に絞って論じていく。4
偽典と呼ばれる文書はユダヤ人かユダヤ人キリスト教徒によって書かれ、たいてい後代の
クリスチャンによって改訂されている。偽典は大部分紀元前 200 年から紀元後 200 年の間
に書き記されている。これは紀元前 165 年にダニエル書が書かれて旧約聖書が終わり、新
約聖書がパウロのテサロニケ人への第一の手紙をもって紀元 50 年に始まるまでの期間と符
合する。偽典と称される文書は普通旧約聖書の英雄と目される人物の名前をつけていて、
アブラハムの黙示録、エリヤの黙示録、ヨブの遺訓、ソロモンの詩篇、レカブ人の逗留址
といった題になっている。これらの文書や同様の他の文書を含む大きな文書群から、まず
旧約聖書、次いで新約聖書を構成する文書が集められ、最終的に正典化された。しかし、
上に列挙したような文書は、ヘブライ語の旧約聖書にも七十人訳と呼ばれるギリシャ語の
旧約聖書にも含まれなかった。これらの文書が誤ってアブラハムやエリヤ、ヨブ、ソロモ
ンなどに帰せられていると言うのは、誤解を招きやすい。というのは、これらの文書は以
上のような人物から刺激を受けて書かれたのであり、著者の多くは実際アブラハムやエリ
ヤ、ヨブ、ソロモンになりきって書いていると思っていたふしがある。セム人の世界にお
ける連帯の意識は強く、息子は父親に、父親はその父に、そして更にその父祖たちに結び
付けられていくのであった。そういうわけで、旧新約間の時期に生きたユダヤ人は事実自
分たちがアブラハムの一部であると信じていた。
このような文書に込められた主な思想の一つは、神が全ての通常の歴史、そして時間に
終止符を打ち、間もなく約束された時代を招来して時満ちたる世を始められるという宣言
である。従って「現在」についての認識は、しばしば非常に悲観的で、神はもはや昔のよ
うに民を救うために人の営みを通じて働きかけることはないと考えられている。神の救い
の働きは過去のもの、あるいは未来にあり、現在にはないのである。それで聖見者はよく
読者を未来に招き入れるか天界に導いて、将来起こることや宇宙の秩序について悟るよう
に導くのである。
「偽典」は英語で選集として出されたのは一度だけである。R.H.チャールズの編集で 1913
年に出版されている。5 彼は「偽典」の名のもとに 17 の文書をまとめたが、こんにち広く
また賢くもそのうち 15 だけが「偽典」文書に属すると考えられている。ダブルデーから数
年後、私の編集により出版される「偽典」の新しい版は 50 以上の文書を含むことになる。
それは一級の顧問研究者たちと多数の編集補佐、国際的な翻訳陣、それに原稿審査員らの
協力体制のもとに行われる。その増加は 15 から 50 で天文学的である。過去においても 15
の文書に見える救世主(メシア)の概念について論じるのは困難であった。では、50 の文書
の思想を短く述べることは正に至難の業である!
旧新約間のユダヤ教
今日われわれは、今世紀前半学者たちが持っていたのとはかなり異なる旧新約間のユダ
ヤ教の概念を持つに至っている。フランク・クロスやレイ・ブラウン、ノエル・フリード
マン、モートン・スミス、マーティン・ヘンゲル、クリスター・ステンダール、W.D.デー
ビスらが発表してきた、先駆的で有益な研究のおかげで、今や(少なくとも学者の間では)
旧新約間のユダヤ教はギリシャやローマの世界から孤立した存在ではなく、深い影響を受
けていたことが広く認められている。もはやユダヤ教の正統な中心地があったなどと論じ
ることはできない。むしろ旧新約間期のユダヤ教は、驚くほど変化に富んだ事象であった
ことを認めなければならない。こんにちわれわれはもはやパレスチナのユダヤ教と区別し
て、離散(ディアスポラ)のユダヤ教について語ることはない。というより、驚くほど多
彩な、ヘレニズム化したユダヤ教について語るようになっている。実際、聖書文学会偽典
部会の例年の研究会にとっても、アメリカ宗教学士院「初期キリスト教会の社会様式」を
学ぶグループの年度研究会にとっても、最も難しく手ごわい問題の一つは文書の起源を見
極めることである。同様に神秘的なモチーフが旧新約間期のユダヤ教にあったことがこん
にち認識されている。そしてアーウィン・グッドイナフとゲルスコム・スコレムの研究に
よって、そのようなモチーフがこの時期ユダヤ人の自己理解と意味探究に寄与していたこ
とを認めなければならない。6
以上のことにより、ジョージ・フット・ムーア7が採用していた古い方法は取れないとい
うことになる。彼は旧新約間のユダヤ教を理解するのにラビ文書を重要な証人的存在と見
なしていた。現在逆にムーアによって代表されるものより古い視点に回帰している。それ
は、エミル・シューラーの膨大な著作に見られる考え方である。8 こんにち学界の状況は、
いわゆる新しいシューラー9 の出現によって特徴づけられており、新しいムーアの存在は
ない。ジェイコブ・ニュースナー10 の注意深く優れた研究のおかげで、われわれはラビ文
書を看過することなく常に眼前において、その資料を活用しながら旧新約間のユダヤ教を
再評価しなければならないことを認めている。と同時に、ユダヤ教が紀元前1世紀から紀
元 3 世紀にかけて画一的に、発展することなく推移したと考えてはならない。われわれは
新約聖書を資料として活用した時のように、ラビ資料を極めて慎重に用いなければならな
い。活用に当たっては、文書の最古層を探し出すため、ふるい分け、比較考慮し、編集史
(Redaction Criticism) の手法を適用するのである。これを要するに、偽典が旧新約間期を
理解するための最大の資料であることを意味している。これらの文書は、もはやユダヤ人
周縁異端グループが産出したものとして捨て去ることはできない。むしろヘレニズム化し
たユダヤ教に浸透していた、多くの重要な思想、概念、表現、夢などを包含したものと認
識しなければならない。
方法論
従って、先行文献を検討することから始めるのは意味がない。われわれは原資料から始
めなければならない。救世主(メシア)について偽典は何と言っているか。この質問から
始めてよいのか。否。偽典は救済者、または救世主について関心がないかもしれないし、
あったとしても救済者という概念に少ししか関心を寄せなかったかもしれない。救済者に
触れた語句を探し求めたり、除去したり、そういった語句にだけ焦点を当てることは偽り
の本文を創出することになり、偽典を誤って伝えることになる。それでわれわれはこんに
ち 50 をくだらない文書全体を見なければならない。そしてこれらの文書が何と言っている
か、著者は救済者という思想にどのように注意を払っているかを調べなければならない。
網は偽典という全文献に投げかけなければならない。しかも、その方法は求められる語
句を全て集められるようにできていなければならない。その目標を達成するために、次の
ような言葉、すなわち「救世主」
、
「油注がれた者」、セム系用語のギリシャ語訳「キリスト」
を含む、救世主に関係する語句だけを探索するのである。この手続きは確かに救世主に関
係してくる一部の語句を見逃す危険がある。しかし、十分検討されていない前提をもって
始めて混沌状態になるより、この手続き(三語の絞り込み)で新たに着手する方が遥かに
大事なのである。救世主を意味する可能性のある肩書き、例えば多義性を持つ「人の子」
「人」
「義なる者」
「羊飼い」
「子羊」
「来たるべき者」「主」「僕」「預言者」という言葉によって
混沌とすることを防ぐのである。11 確かにある記述は救世主を預言者と定義しているが、
そのような同一視があるからと言って「預言者」についての記述を収集してそれに救世主
待望のニュアンスをかぶせてよいわけではない。この古い方法が過ちを犯す理由は比較的
明らかである。著者が異なれば用語を同じように定義するとは限らない。それで不明瞭な
文言にそのような幾つかの定義を適用するのは賢明ではない。この原則は異なった書物に
ついても、同じ一つの文書でも異なった箇所について通用することである。というのは、
多くの偽典は複数の著者によって、時に百年以上も隔たって書かれているからである。あ
る名詞が称号であるかどうかは通常確定できない。というのは、文書の原語
--- 特にヘブ
ライ語、アラム語、シリア語、ギリシャ語 --- はある言葉が英語で大文字で始めるべき
ものなのか、われわれの概念でどう受けとめるべきものなのか明確ではないからである。
形態論や文法上の手がかりも称号として用いられているのかどうかを見分ける助けになら
ない。われわれは個人的解釈を行なって、誤って人の子(a son of man) を「人の子」(the Son
of Man) と読んだり、主 (a lord) を「主」(the Lord) と読んでしまったりするかもしれな
い。このような過ちを全て避けるために、全ての偽典を点検し、
「救世主」
「油注がれた者」
「キリスト」という言葉の用法を調べるのが最善の策である。資料に誤った形而上学的体
系をかぶせることなく、ただ記述的であるためには、文言は考えられる時系列に従って論
じるべきであって、
「前世の救世主」
「苦難の救世主」
「人間的救世主」
「超人間的救世主」12
といった表に振り分けた分類によって論じるべきではない。
偽典における救世主像
偽典と呼ばれる文書に注目するに際し、これらの書き物の著者がわれわれの取り組もう
としている問題をどう理解していたか知るのは大変困難である。聖書学者が正典に入って
いる文書を研究する場合、そこには信頼できる本文、豊富な翻訳、数多くの語彙索引や注
釈書がある。このような道具は正確で実りある研究に欠くことができない。残念ながら偽
典の場合、事情はかなり違っている。本文はやっと今信頼できる形になり始めたばかりで
あり、各文書の信頼できる翻訳も漸く整えられつつある。しかし、ほとんどの文書の語彙
索引も注釈書もまだ存在しない。それで研究を進める唯一の方法は、慎重に研究を進める
ために必要な章節が全部見つかっているという望みをもって丁寧に読み進めていくことで
ある。この方法は非常に手間と時間がかかるが、そうせざるを得ない。
偽典の中で僅か五つの文書にしか、「救世主」
「油注がれた者」
「キリスト」についてユダ
ヤ教の見解は出てこない。そのうち最もよく知られ、また重要な箇所は紀元前 1 世紀半ば
頃に書かれたソロモンの詩篇 17 章である。13 21-33 節に救世主の記述があり、彼はダビデ
の子孫であり剣や軍事的武力によるのではなく「語る言葉」14 によってエルサレムを浄め
るであろう、と述べている。それは次のとおりである。
主よ、ごらんください、あなたが予知なさっている時期に、
神よ、あなたの僕イスラエルに君臨するダビデの子を
王にたててください。
そうして彼に力の帯を締めてやってください。
不義な首長たちを打ち破るため、
エルサレムを踏みにじり破壊する
もろもろの民からそれをきよめるため、
正義の(ために)知謀をめぐらし
罪びとらを相続の地から撃退するため、
陶工の(ろくろの上の)器のように
罪びとの傲慢をこそぎとるため、
鉄の棒で彼らの本質を粉砕するため、
律法を犯すもろもろの民を彼の口の言葉で滅ぼすため、
心の思いにしたがって罪びとらを咎めるためです。
彼が正義に照らして導く聖なる民を集め、
義のうちに導かれる。
彼の主なる神により聖別された
民の諸部族を裁くだろう。
・・・
その治世の間彼らの中に不義はない。
万人が聖者であり、
彼らの王は主により「油を注がれたもの」15 だからだ。
(というのは)彼は馬・騎手・弓をのぞまず、
自らのため金銀を貯え戦いに備えず、
多数をたのんで戦いの日に備えないからだ。16
(日本聖書学研究所編「聖書外典偽典 5」旧約偽典 III、教文館、1975 年。
「ソロモ
ンの詩篇」訳 後藤光一郎]」)
ここに現れた思想をユダヤ教の歴史の中に位置づけるには、二つのことを考えなければな
らない。
「ソロモンの詩篇」のこの部分は、普通著者が戦闘的な救世主を思い描いているも
のと考えられている。17 しかし、著者は戦闘的救世主を主張しているわけでも平和的な救
世主を描こうとしているわけでもない。彼が描く像は、偽ヨナタンのタルグームに見られ
るものより相当穏やかである。18 創世記 49:11 に対するこのタルグームは、次のようであ
る。
ユダの家から立ち上がる王、救世主は何と気高いことか。腰を帯でしめ下り降り、敵
との戦いを手落ちなく終わらせ、諸王と統治者たちを殺した。(彼の前に立つ王も統治者
もいない)
。そして、山々は殺戮された者の血で赤く染まった。彼も着衣は血潮が滴り、
ぶどう絞り機でぶどうを踏みつぶす人のようである。19
「ソロモンの詩篇」の救世主は、もちろん血なまぐさい戦士として描かれているわけでは
ない。クラウスナーが述べるように戦争や流血を暗示させるものはない。20 死海写本の戦
争に関する巻物と比較した時の対照は印象的である。21
「ソロモンの詩篇」における救世主の概念を理解するのに役立つと思われるものは、も
う一つの所見である。それは、この詩篇では明らかに神を行為者と認めていることである。
事実、上に引用したすぐ後の節は主なる神自身が王であり、
「救世主」の主であることを明
らかにしている。この詩篇の最後(17:45-46)は救世主が神の主体者(agent)であることを
明確にしている。
神は早くイスラエルへ憐みをむけ、
私どもを俗界の異邦人のけがれから
救い出してくださるように。
主こそ末々までも私どもの王だ。
(後藤光一郎訳)22
神が救済者の目標を達成する方であることを強調しているのは、
「ソロモンの詩篇」に流れ
る主要な趣旨に一致している。そして、前の方に収められた詩の多くにも認められる。こ
れに続く 18 章の詩に「彼の救世主」の帰還について言及があるが、それについてはこの講
演の最後で取り上げる。
救世主についての重要で、豊かな概念が第二バルク書に見られる。23 この黙示は紀元 1
世紀後半に書かれ 24、
ユダヤ人の救世主についての概念を理解するのに欠かせない三つの節
を含んでいる。最初の箇所は 29 章と 30 章にある。29:3 に次のような予言が見出される。
「これらの地域で起こるべく予定されていることが完了したときメシアがはじめて姿を現
わすであろう。
」25 救世主が到来して、創世の五日目に創造された神秘の怪獣ベヘモート
とレビヤタンは、地に残された者全ての餌食となり、皆豊かに飲み食いするであろう。朝
毎に香しい風が主の方から流れ、夕には「いやしの露」が降りるだろう。そして、必要と
するときには必ず天からマナが降る。このような文に続いて、30:1-2 に魅力的な言葉が連
ねられている。
そののち、メシアの滞在の時が充ちて彼が栄光のうちに帰還されるとき、そのとき、
彼に望みをつないで眠っていたものはみな復活するであろう。(村岡崇光訳)26
M. de ヨンゲが言うように 27 救世主は受動的な役割を担っているように見えるが、彼の到
来の影響は壮観である。義人は復活し喜ぶ。そして悪人は「これらすべてのことを目にし」
、
その後「すっかりしょげてしまう」
。義なる者だけがよみがえり、邪まな者は墓の中で朽ち
てゆくことが明らかである。ここで言う復活とは魂だけの復活で、悪人の魂は死後長い時
を経た体と共に腐食していくのである。
「しかし、不敬な者の魂はこれらすべてのことを目
にするやすっかりしょげてしまうだろう」(30:4)。28
救世主の思想に関心を寄せる第二バルク書の二番目の部分は、39 章と 40 章に見出される。
これらの章で最後の指導者が捕えられ、救世主によって罪を宣告され、また殺されるとい
う記述を目にすることになる。救世主はそこで、
「わたしの民の生き残りでわたしが選んだ
ところにいる者たち」(40:2)を保護するのである。29 救世主の首たる地位は、腐敗の世が終
焉を迎えるまで動くことはない。ということは、著者は救世主の統治の後に別の時代が続
くことを考えていたように思われる。39 章と 40 章で注目すべき点は、救世主が積極的な役
割を与えられて、神の民の敵である軍勢の最後の長を殺すということであった。
救世主に関する三番目の部分は 72 章から 74 章にかけて見出される。これは第二バルク
書で最も長く、最も詳しい救済者についての記述である。二番目の部分と同様、救世主は
積極的な役割を果たす。72 章で救世主は全ての国民(くにたみ)を招集すると言われてい
る。彼はイスラエルを知ることもなく、虐げたることもなかった者に危害を加えない。し
かし、イスラエルを支配した者を殺すであろう。救世主の王国は永遠に続くと思われる。
彼がこの世にある
すべてのものを平定し、
その王座に
永久に平安のうちに着席されたのち、
そのとき幸福(しあわせ)が現われ、
安らぎが姿を見せるであろう。
そのときいやしは露とともに下り、
病患(やまい)は遠のき、
煩いと悩みと嘆きは
巷間を去り、
歓喜が全地をあまねくかけめぐる。
時ならずして死を迎える者はもはやなく、
思いもうけぬ災難に見舞われることもない。
批判、誹謗、もめごと、
裁判沙汰、
流血、色恋のもつれ、嫉妬(やきもち)、憎しみ、
その他このたぐいのものはすべからく
一掃され、葬り去られるであろう。
これこそはこの世に
悪をはびこらせた元凶であり、
これがために人生は
はなはだしく乱されたのである。
森から獣が出て来て
人間に侍り、
蛇やとかげは穴を出て
童子(わらべ)に従うであろう。
そのとき女はもはや
産褥の苦しみを味わわず、
難儀して胎の実を
しぼり出すこともないであろう。
そのときには、
収穫(とりいれ)する者は疲れることなく、
大工はことさら骨折らずとも、
仕事のほうが働き人にあわせて
いとも軽快に運んでくれる。
そのときは、
朽つべきものの最期であり、
朽ちないもののはじめだからである。
このゆえに、さきに予告されたことは
そのとき成就し、
このゆえにそのときは悪人からは遠く、
死すことなき者に近い。
これが最後の黒い水につづいて現われた
最後の澄み切った水(の意味するところ)である。30 (村岡崇光訳)
73:1-74:4 の中に黙示で描かれる時期の典型的な記述が見られる。それは、バルク書の著者
が間もなく救世主の到来をもって始まると考えた時期のことである。第二バルク書の第二
の部分と同様第三の部分で、救世主はイスラエルの敵を殺す戦士として描かれている
(72:1-6)
。第一エノク書 37-71 章とモーセの昇天 10 章とは違って、神または救世主、ま
たは他の救済者的人物は、異邦の民(または国々)をユダヤ人でないという理由で殺すの
ではなく、イスラエルを「支配した」者だけを滅ぼす、という点に注目すべきである。ま
た、救世主がこの目的を遂げる手段についても次の表現に注目するとよい。
「きみたちを支
配した者、あるいはきみたちを知った者、彼らはみな剣に渡されるであろう」(72:6)
。31
「エズラの黙示録」あるいは第四エズラとしてよく知られているユダヤ教の黙示録は、
第二バルク書と同時代に書かれ 32、多くの点で第二バルク書と類似している。この書も救世
主についてユダヤ教が持つ輝かしくまた深い概念に貴重な洞察を与えてくれる。33 第二バ
ルク書のように第四エズラも三か所にわたって救済者について記述している。最初の、そ
して断然重要な部分は、7 章の長い 140 節である。第四エズラを書いた黙示的著者は、時間
を「この世」と「来るべき世」に分けている(7:50, 8:1)。そしてこの世の行く末をいくつか
の時期に分けて見ている。最初の時期(7:28-29)は救世主の登場によって始まる。
我が子メシアが従う者と共に現われ、
(その時地上に生きて)残れる者に四百年の歓びを
与えよう。そしてこれらの年のあと、私の子キリスト(受膏者すなわちメシア)と人間
の息をもつすべての者は死ぬだろう。34
(日本聖書学研究所編「聖書外典偽典 5 」旧約偽典 III 、教文館、 1976 年。
「第4エズラ書」八木誠一、八木綾子訳)
この 2 節の中に、二つの極めて重要でまた稀な考えが含まれている。第一に、偽典の中で
ここにだけ見出されるのであるが、救世主が現れて、そして死ぬというのである。35 この
個所はユダヤ教的であると考えられているが、それは正しい。というのは救世主の死に特
に著しい特徴がないからであり、その死後キリスト教の視点では明らかに生じていない二
つのことが起こるからである。それは、全ての人類が死に、世界が再び原始の沈黙に戻る
ことである。もちろんこの章にはキリスト教的な追加があるが、それはラテン語版とシリ
ア語、アルメニア語版を比較して確かめることができる。例えば、7:28 のラテン語「わが
子イエス」はシリア語では「わが子救世主(メシア)」となっている。ユダヤ教とキリスト
教の学者は、第四エズラ 7:28-29 から引用した上記の節は、ユダヤ人によって書かれたと
正しく結論している。36
救世主の死と共に最初の段階が終わる。従って、注目すべきは救済者の時代は末端では
ないということである。37 彼の死後直ぐ続いて、第二の段階(7:30)、すなわち太初の沈黙に
「7 日間」戻る。38
この 7 日の後、第三の期間が聖見者によって強調される。第二の段階は 30 節でだけ述べ
られるのに対し、3 番目の段階は 31 節から 44 節に及ぶからである。第三の期間は「審き
の日」(7:38) であって、
「約 1 年週続く」言いかえると 7 年間続く(7:43)。その間、義人だ
った死者も邪悪だった死者も共によみがえり、至高者が「審きの席」に座って万人に裁き
を下す。義しくなかった者は「痛苦の穴」と「地獄の炉」に向かうことになる。これらの
不義なる者は死後ずっと、
「歎き悲しみながら苦悩のうちに七つの道を通って」さ迷った
(7:80)。義人は「憩いの地」と「喜びの楽園」に導き入れられる。彼らは死んだ後、備えら
れた栄光の状態を目にしてきたのである(7:88-99 参照)
。
第三の時期の後、この世とこの時代は、著者が二か所で述べるように終わりを迎える。
最初のは 7:50 で「まさにこのために、至高者はひとつではなく、二つの世を造られたので
ある」と述べ、第二は 7:113-14 で、次のように記している。
「しかし審きの日はこの世の終
わりであり、来るべき不死の時の始まりとなる。その時頽廃は過去となり、放縦は追放さ
れ、不信は断たれ、他方正義が育ち、真理が現れている。」新しい世と不死の時は、特に恵
まれた生活と極端に少ない人しかいない点が特徴的である。聖見者は繰り返し、
「無数の群
のうち極く僅かしか」(7:140) 来るべき世を享受することはできない、と強調している。
7:138 で彼は具体的に、
「人々の一万分の一も生かされることはあり得ない」と言う。これ
らの節は悲観的であるばかりでなく、訓戒的でもあるように思われる。読者に義人の中に
入るよう説いている。訓戒的な調子は 8 章に続き、次のような言葉で始まる、
「創られた者
は多いが、救われる者は僅かしかいない」(8:3)。そしてエズラの神への願い、祈り、神の
慈悲を必要とする人々のための請願が続く。特に、否おそらく神の相続であるイスラエル
の内にある人々、すなわち神の民、エズラの国籍の者のためにだけ祈願がなされる。
(8:15-17
参照)
。
第四エズラの二番目の救済者を描いた部分 11:37-12:34 に、
「ライオンのようなもの」
(11:37) が記されている。この生き物は森から出てきて、ほえ、人の声で語る。ライオンの
言動は彼が救世主であるという推測を起こさせる。この考えを珍しいことに 12:31-34 が確
認し、明瞭に説明している。
ライオンは森から起き上がって吼えながら鷲に向かって語り、あなたが聞いたように、
あらゆる言葉で鷲の不義を非難した。これは膏注がれたる者、至高者が時の終りまで、
彼らとその不虔のためにとっておかれた者である。彼はダビデの末から興り、来て彼ら
に語る。彼は彼等をその不義のゆえに非難し、彼らの前にその恥ずべき業をつきつける
だろう。彼は先ず彼等を生きたまま裁きの座に立たせ、その罪をあらわしてのち、彼等
を滅すだろう。しかし彼は我が民の残れる者、すなわち我が領土中の救われた人々を憐
れんで解放するだろう。そして終末すなわち裁きの日が来るまで彼等を喜ばすだろう。
その日については私はあなたに初めから話しておいた。
(八木誠一、綾子訳。三番目の文「彼はダビデの・・に語る」は教文館邦訳にな
く、沼野が訳した)
。
この個所で救世主は「時の終わり」に来ること、ダビデの子孫であることが告げられる。
そして、一方では不義な者を裁き、非難し、叱責し、滅す者であり、他方「我が民の残れ
る者」を救い、「終末が来るまで彼等を喜ばす」。それで彼が戦う者であり、また審判者で
あることが明らかである。39 そして、審判の日の後更に続くことがある。それは前に述べ
られた新しい時代と新しい世界である。
第四エズラの三番目の救済者の部分 13:3-14:9 は、「救世主」という言葉も同語源の語も
用いていない。しかし、救済者について述べていることは間違いがない。この部分を通し
て用いられている「私の子」という肩書(13:32, 37, 52; 14:9) は、第四エズラの救済者待望
の第一の部分で既に「救世主」と確認されている(7:28-29 参照)。その上、第四エズラは
M.E.ストーンが示したように単一体の文書である。40 この部分はエズラが見た六番目の示
現であり、海からあがって来る人を描いている。この救済者的な「人」は「至高者が長い
間とっておかれた人」(13:26) であり、明らかに子と確認されている。「その時私の子があ
らわれるであろう。それはあなたが見た海から上がって来た人である」(13:32)。この解釈
における「人」の理解は、11、12 章の救世主に相当している。41 この救済者となる人物が
現れる時期はわからない。
「人が、海の深みに何があるか詮索することも知ることも出来な
いように、地に住む者は私の子や彼と共にある者達をその日まで見る事は出来ない」(13:52)。
救済者となる人物の果たす役割は、
前述のソロモンの詩篇 17 篇をある意味で想起させるが、
さらに生き生きと描写されている。
「その人」は戦いを挑もうとする群衆と対峙するが、こ
の救済者的人物は
手もあげず、投槍もとらず、他の武器も一切手にしなかった。ただ、・・口から火の流れ
のようなものを吐き出し、その唇からは焔の息を、その舌からは嵐のような火花を吹き
出した。
・・火の流れと焔の息と夥しい嵐、これらすべてが一緒に混ざり、戦の準備をし
て突撃する群衆の上に落ち、すべての者を焼き尽くした。すると忽ち、無数の群集は消
えてしまい、あとはただ灰の埃りと煙の臭いだけになった。(13:9-11。八木誠一、綾子訳)
ここは慎重に、この救済者的人物を無条件に好戦的と見なしてはならない。というのは、
イスラエルの敵を征服する手段は人が用いる軍事的手段ではないからである。
地上の人々は救済者の時代がいつ来るか知ることができないという言葉は、もう一人の 1
世紀の人、ナザレのイエスを思い起こさせる。マルコ 4 章によるとイエスは、神の王国の
到来は密かに芽を出す種のようであると言っている。また、マルコ 1:32 によれば神だけが
終わりの時を知っていると明かしている。第四エズラを書いた聖見者は時に関する正確な
ことを知らなくても失望していない。時が迫っていると知るだけで十分であった。「何故な
ら世はその若さを失った。そして時はまさに老いようとしている」(14:10)からである。
ユダヤ人が「救世主」
「油注がれた者」または「キリスト」に言及した偽典の四番目の文
書は第一エノク書である。これはユダヤ人が残した黙示書のうち、極めて重要なものであ
る。この書の五つの区分の二番目、所謂「たとえの書」(37-71)に、時に「人の子」
、また「義
なる者」、他の箇所では「選ばれた者」と呼ばれる救済者的人物への言及が数多く見られ、
しかも重要である。エチオピア語でだけ残っているこの部分(死海写本群の中に見つかっ
たギリシャ語の断片にもアラム語の断片にもない)42 に、
「救世主」
「油注がれた者」
「キリ
スト」と訳せる masih という語が二か所ある。
R.H.チャールズの翻訳 43 によると、最初の箇所 48:10 は次のようである。
「彼ら(地上
の王たち)は・・・霊魂の主とその油注がれた者(メシア)を否定したゆえに」
(村岡崇光
訳)
。第二の箇所 52:4 はこのようである。
「彼はわたしに言った『きみが見たこれらすべて
のものは、彼(神)の油注がれた者の支配下にはいり、彼が地上で権威と力とを得られる
ためのものである』
」(村岡訳) 44 この言及は驚くほど簡潔で不明瞭でさえある。同じく第
一エノク 37-71 章に見出される「人の子」「義なる者」「選ばれた者」の豊かな、生き生き
した描写と比べると特にそういう印象を受ける。世の行く末や無数の諸天について詳細な
記述にあふれた黙示的文書にしては、「救世主」の言及や記述、また関連した語彙の使用は
目立って簡潔なのである。救世主はその王国を目に見える形で開始することをしない。驚
いたことに、彼は何の役割も果たさない。第一エノクでは、第二バルクや第四エズラとは
対照的に救世主(チャールズは正しく「油注がれた者」と訳している)はこの世の存在で
あって、普通の救済者的な王として描かれている。ただ、過去のイスラエル諸王に託され
た全ての夢を完全に持ち合わせた人物としてであるが。45
第一エノクのこの部分は、書かれた時期について今世紀(20C)厳しい論争の的となっ
た。最近 J.T.ミリクはこれらの節がキリスト教の起源より古いという説を退け、紀元 3 世紀
であるとした。46 彼の主張はほとんどの専門的な学者に受け入れられていない。学者の間
で大勢を占める見解 47 は、
「エノクのたとえの書」はミリクの遅い時期でもなくチャールズ
の紀元前「94-79 年の間」48 という時期でもなさそうである、というものである。そこに見
られる救済者に関する箇所は、ユダヤ人によるものに見えるが、キリスト教の起源と同時
代であると思われる。49 われわれの観察はそのような時期を支持するものであろう。とい
うのは、48:10 と 52:4 の救世主の概念は無頓着とも言えるものに見えるからである。この
二か所は、キリスト教のケリュグマ(福音の告知)を特徴とするキリスト論に挑むわけで
もなく、格別キリスト教的言辞や考えを表しているわけでもない。
救世主の概念に触れた、第五のそして最後の偽典文書は第三エノクと題する後期の文書
である。救世主は 45:5 と 48:10(A) で言及されている。これは第三エノクの中心部(3 章-48
章 A)に位置している。ヒューゴー・オデバーグは紀元 3 世紀後半に書かれたものと見てい
る。50 オデバーグは 45:5 を次のように訳している。51
そして私はヨセフの子である救世主 52 とその世を見た。また彼らが世の諸々の国に対
抗して行う業と行ないを見た。次に、ダビデの子である救世主とその世を見た。そして
彼らがイスラエルと共によきにつけ悪しきにつけ行う全ての争い、戦いを、また業や行
ないを見た。さらに、救世主の時代にゴグとマゴグが戦う全ての争いと戦いを見た。そ
して、来るべき時に聖者が、- - 栄光が彼にあらんことを、- - 彼らとなすことをすべて見
た。
この個所で注目すべきことは、ヨセフの子である救世主とダビデの子である救世主が出て
くることである。一部の批評家は疑義を唱えているけれども、53 二人の別々の人物が記述
されているようである。死海文書にもアロンの救世主とイスラエルの救世主が登場する。54
偽典のほかの場所でも、一人は祭司レビともう一人ユダ王の系統の者という、二人の救済
者的人物の考えが「十二族長の遺訓」に残されている。55
第三エノク 45:5 の第二の注目すべき特徴は、ラビのイシメルが自分が目にすることは時
の終わりに起きるだろう、と述べていることである。彼は救世主(複数)とゴグ、マゴグ
の間に生じる戦いについて述べている。オデバーグが主張するように、この戦いは膠着状
態に陥り神自身が介入して、漸くイスラエルのために勝利を得ることになるようである。56
もしこれが正確な解釈であれば、45:5 と死海写本の一部戦いの巻物の間に著しい類似があ
ることになる。というのは、戦いの巻物に光の子らと暗闇の子らの間に大きな戦いが6回
あって、膠着状態に終わるとあるからである。57 7回目の最後の戦いは神自身が光の子ら
の側に立って戦うことになる。
救世主への言及を含む第三エノクの第二の箇所 48:10(A)は、イスラエルが「世のもろも
ろの国々から」救われて救世主と共に祝う場面が記されている。
そして救世主が彼らに現われ、彼は大いなる喜びにあふれる民をエルサレムに連れて行
く。そればかりか民は飲み食いし、世の四隅においてダビデの家の救世主に栄光を帰す
であろう。世界の国民はイスラエルに優ることはない。こう書かれている通りである。(イ
ザヤ 52:10) 「主はその聖なるかいなを、もろもろの国びとの前にあらわされた。地のす
べての果(はて)は、われわれの神の救いを見る。」また、こうも書かれている。(申命 32:12)
「主はただひとりで彼を導かれて、ほかの神々はあずからなかった。
」 (ゼカリヤ 14:9)
「主は全地の王となられる。
」58
この段落で、第三エノクの著者は神のみがイスラエルのための最後の戦いで勝利を得られ
ると考えていたことを確認できる。そしてその考えがイザヤ、申命記、ゼカリヤとほかで
もない旧約聖書に根ざしていることは印象的である。
偽典、特にソロモンの詩篇、第二バルク、第四エズラ、第一エノク、そして第三エノク
に、約紀元前1世紀から紀元3世紀にかけてユダヤ人が救世主について描いていた考えが
記録されている。これは貴重な文書群である。どの章節も救世主の到来を待望し、彼がも
ろもろの敵を征服してイスラエルのために自由と平和を達成することを期待しているけれ
ども、前述の様々な考えを統合しようとするのは、困難であるし賢明なことではない。し
かし、数多くのくだりがこの目的は非軍事的な、超自然的な方法で達成されるとあること
にわれわれは注目した。
ここで救世主または同語源の語を含んだ、キリスト教徒が書いたと思われる偽典文書4
件に注目したい。最初に取り上げるのは、
「ソロモンの頌歌」と名付けられた讃歌集である。
著者はおそらく紀元1世紀末頃生きた人で、死海文書に見られる思想、象徴、用語に影響
されたと考えられる。そして、最終的に今日われわれがヨハネによる福音書と呼ぶ文書に
盛り込まれていく象徴主義や概念にも影響を受けている。59
「救世主」はこの頌歌に7か所見出される (9:3, 17:17, 24:1, 29:6, 39:11, 41:3, 41:15)。
41 番目の頌歌 3-7 節に、救世主が到来するので喜ぶようにという勧めがある。この歓喜の
調子が讃歌集全体に浸透していて、多分この歓喜が頌歌を記す第一の理由であったものと
考えられる。頌歌 41:3-7 に次のような想いが記されている。
私たちは主にあって、主の恵みによって生き、
彼の油注がれた者によって生命を得る。
すなわち、大いなる日が私たちを照らした。
彼への讃美を私たちに分け与えてくれた方は驚くべきかな。
それゆえ、私たちはすべて
主の御名へ共に思いをひとつにし、
主をその善良さゆえに崇めよう。
私たちの顔は彼の光によって輝くであろう。
私たちの心は彼の愛の中に瞑想するであろう、
夜も日も。
私たちは主の歓喜ゆえに喜び踊ろう。60
(日本聖書学研究所編「聖書外典偽典 別巻 補遺 II」教文館、1982 年。
「ソロモ
ンの頌歌」
、大貫隆訳)
この頌歌(41:15)は救世主が前世においてそなえられていたという考えで結ばれている。
まことにメシヤは唯一人である。
彼は世界の基が据えられるより
先に知られた。
それは彼が彼の御名の真理によって
生命を永遠に与えるためであった。
(大貫隆訳)
救世主という言葉がある2か所は、ナザレ人イエスの生涯の逸話に言及しているように思
われる。頌歌 24:1-2 はイエスのバプテスマについて述べているようである。
[ 私たちの主 ] 、メシヤの [ 頭 ] 上に
一羽の鳩が羽ばたいていた。
それはメシヤが鳩にとって頭(かしら)であったからである。
その鳩は彼の頭上に歌い、
その歌声が聞こえた。
(大貫隆訳)
イエスが水上を歩いたという伝承が頌歌 39:9-12 の背後にあるように見受けられる。
主はその河に彼の言葉で橋を架けて
進み、御足で渡ってゆかれた。
主の足跡が水の面に残って、
消し去られず
かえって真理の中に建てられた木(十字架)
のようであった。
次々と波が
起きてきたが、
私たちの主、メシヤの足跡は
堅く残り続けた。
それは拭い去られず、
壊されもしなかった。
(大貫隆訳)
イエスのバプテスマと水の上を歩く伝承が共観福音書だけでなく、ヨハネによる福音書に
も残されていることは注目に値する。
ゼパニヤの黙示録にもエリヤの黙示録にも「油注がれた者」に言及した節がある。この
二つの黙示録はキリスト教徒によるものであるが、時期を特定することが極めて困難であ
る。ゼパニヤの黙示録で最も重要な章節は 10:24 から 12:32 までの部分である。時の終わ
りに際し、救世主は二つの相互に関係のあることをされる。
「その日、油注がれた者はおの
が民に憐みをそそぎ、
・・天から御使いを遣わされる・・」(11:4-6)61 6 万 4 千人の天使、
そして特にガブリエルとウリエルの働きを述べた後、終わりの日の一般的な様子を記して
いる。ここでわれわれにとって特に興味を引くのは、反キリスト、無法の子に従った者た
ちの歎きが最後にきていることである。
お前は無法の子であるのに、
「わたしは油注がれた者」と言う。しかし、わたしたちのた
めに何をしてくれたのか。お前は自らを救う力を持たず、[まして] わたしたちを救おう
としない。お前はわたしたちの前に徴し[奇跡]を行なわなかった。ただ、わたしたちを創
ったあの油注がれた者から引き離してしまった。62 (12:21-32)
救世主、言い換えれば「油注がれた者」という言葉がエリヤの黙示録に二度現れる。第
一の箇所に、上にソロモンの頌歌から引用した 24 節(イエスのバプテスマに言及している
ように見える)と 39 節(イエスが水の上を歩いたことを言及しているように見える)に類
似した2節がある。エリヤの黙示録の第一の部分 13:15-15:14 には次のようなことが書かれ
ている。
油注がれた者が来る時、彼は鳩の形をして来る[であろう]。その間、鳩の花冠が彼を取り
巻き(囲み)
、彼は天の雲間を歩む、そして十字架の徴しが彼の前を進む、その時全世界
はそれを日の出の地域から日没の地域にいたるまで輝く太陽のように見る、、、、彼[罪の
子]は天から立ち去るであろう、彼は乾いた地のように海や川の上を歩き、足の不自由な
者に行かせ[歩かせ]、耳の聞こえない者に聞かせ、話せない者に話させ、目の見えない者
に見させ、ハンセン病患者を浄め、病人を癒す、、
、63
最初の部分は、遠回しの言い方であることがすぐ分かるが、明らかにイエスのバプテスマ
のことを述べている。次に罪の子が数々のことをしているが、彼は油注がれた者を模倣し
て振る舞っていることが明白である。ここで注目に値すると思われることは、(残念なこと
にこの個所で本文が崩れていて翻訳不能であるが、)罪の子が「川を」(水上を歩いてか、
渡る)様子が描かれていることである。これは他にない内容で、記憶する限り上に引用し
たソロモンの頌歌 39 篇にだけ並行記事が見出せる。
エリヤの黙示録で油注がれた者が出てくるもう一つは、この黙示録を閉じる部分であり、
ヨハネの黙示録に影響を受けているようである。エリヤの黙示録の終わりの部分は 25:8-19
である。
その日、天から王である救い主が全ての聖なる者と共に現われる。彼は地を焼き尽くし、
地に終わりをもたらす。邪悪な者たちが地を支配した千年、彼は新しい天と新しい地を
創る。悪魔はその中にいない。彼(救い主)は王であり、きよい聖徒たちと共にいて、
その間上り下りする。一同はずっと天使たちと共にあり、千年の間油注がれた者と共に
いる。64
終わりの日や聖なる者、聖徒、救世主の千年にわたる統治、新しい天と新しい地という言
葉、そして全般的な黙示的響きは、正典である新約聖書の最後の書を知る者には馴染みが
ある。
「キリスト」という言葉が、キリスト教徒が書いた、時期の推定が極めて困難な「セド
ラクの黙示録」の前書きと 12 章に出てくる。この章でキリストはセドラクになぜ泣いてい
るのかと尋ねる。罪のうちに 80 年、90 年あるいは百年も生きた人はどれくらいの間悔改め
なければならないのか知りたい、とセドラクは答える。この章で「主」とも呼ばれるキリ
ストは、今や神と呼ばれているようである。
「神は彼に言った、
『その人が百年または 80 年
生きて後、もどってきて 3 年間悔改め、義の果実を結んで死ぬことになれば、わたしは彼
の全ての罪を覚えることはない』
」65 セドラクの黙示録にキリストという言葉は二度と現れ
ない。しかし、15 章に反キリストという言葉が出てくる。「主はセドラクに言った、『セド
ラク、あなたは盗賊が心を入れかえたその時に救われたことを知らないのか。わたしの使
徒で宣教者であった者が瞬時に救われたことを知らないのか。(・・・しかし、罪びとは救
われることがない)心が腐った石のようだからである。彼らは邪悪な道を歩む者であり、
反キリストと共に滅びる。
』
」
これら4つのキリスト教徒による文書 - - ソロモンの頌歌、ゼパニヤの黙示録、エリヤ
の黙示録、セドラクの黙示録
- - は偽典の中で、救世主またはその同語源の言葉を用いて
いる、唯一のキリスト教的な文書である。われわれはここで、他の二つの文書に注目した
い。それはイザヤの示現とアダムの遺訓である。そこにはそれまでのユダヤ教の伝統ない
し文書に対して長いキリスト教的付加が含まれている。
イザヤの示現には、6-11 章にわたるイザヤの昇天が含まれている。これはさらに小さな
三つの文書からなっている。すなわち、イザヤの殉教、ヒゼキヤの遺訓、イザヤの示現で
ある。最初のものだけがユダヤ教のもので、紀元前2世紀頃に書かれている。他の二つは
キリスト教的で、おそらく紀元2世紀後半に書かれたと考えられる。 66 「イザヤの示現」
でイエス・キリストを「愛する者」と言っている箇所が数多くある。しかし、もちろんわ
れわれが関心を寄せるのは「救世主」
「油注がれた者」
「キリスト」という称号だけである。
これらの称号に焦点を絞っているので、11 章 2-32 節に処女降誕や奇跡的な誕生、低きに降
られたこと、高きに昇られたこと、イエスが昇栄して神の右につかれたことが記されてい
て興味があるが、取り上げることはできない。「救世主」と「キリスト」という言葉が「イ
ザヤの示現」の多くの節に見出される。その二つは取り出して論じる価値がある。その一
つは9章 12-18 節で、イザヤに天使が次のように語っている。
彼はわたしに言った、
「栄光の冠と玉座を彼らはいまのところ受け取っていない。(しか
し)彼がおりてくるのをきみが見るその姿で彼(神)の愛するかたがおりてくる。すな
わち、キリストの名をもって呼ばれることになっている主は最後の日にこの世におりて
来られるであろう。しかし、ひとたびおりて来て、その外観においてきみたちのように
なられると、人々は彼を肉なる者、また人間と思いなすであろう。その時、彼らは玉座
を見て自分たちが誰に属するのか、冠が誰のものか知るであろう。あの世の神は手を彼
の子に差しのべ、人々は彼に手をかけ、彼のだれたるかを知らずして彼を木に架けるで
あろう。同様に、彼がおりていかれることは、きみが見るとおり天にも隠してあるので、
彼がだれかは知られることがない。彼は、死の天使からたんまりまきあげると、三日目
にのぼってきて、かの世に五四五日いるであろう。そのとき、多くの義人が彼とともに
のぼるが、彼らの霊は、主なるキリストが彼らとともにのぼられるまではその衣裳をも
らって彼とともに昇らない。彼が第七の天にのぼられたとき、そのときこそは、彼らも[そ
の衣裳と]玉座と冠をいただくであろう。67
(日本聖書学研究所編「聖書外典偽典 別巻」補遺 II 新約聖書編、教文館、
2011 年。村岡崇光訳「預言者イザヤの殉教と昇天」一部チャールスワー
ス記事のテキストと調整した)
。
この章節はほとんど釈義を必要としない。末日聖徒イエス・キリスト教会の会員にとって
特に意味深いものであろう。
イザヤの示現で特に注目しなければならないもう一つの箇所は、10 章 7-15 節である。こ
の中に御父から主イエス・キリストに対するよく知られた指示の言葉がある。先行する部
分とよく似ていて、冒頭の部分だけで全文を引用する必要はないであろう。
わたしはいと高きおかた、わたしの主の父がイエスと呼ばれることになっているわたし
の主キリストに言う言葉を聞いた。
「出て行って、すべての天を通りぬけて大空とかの世
界まで降りて、陰府(よみ)の天使のところに行け。しかし、永劫の地獄のところには
行ってはならない。きみは五つの天にいるすべてのものの姿に似たものとなる。大空の
天使らと、陰府の天使たちの姿になるよう留意せよ。かの世界の天使たちのなかのだれ
ひとりとして、きみがわたしとともに七つの天とその天使たちのうえに立つものである
ことを知ることはない。68
(村岡崇光訳。
「永劫の地獄」は村岡の註から。末尾の「知ることはない」
は村岡の「知ってはならない」から変えた。)
この段落で父は子にこの世界に降って行くよう命じている。この考えは、神が遣わす者で
あり、子が遣わされ世に降って行く者であるというヨハネの理解に著しく類似している。
同時にまたピリピ 2:6-11 に見える、パウロ前のキリスト論の考えとかなり異なっている。
そこではキリストは、自分の意志でおのれを空しくして僕べの形を取り、人の形をして生
まれる道を選んでいる。
ここで「アダムの遺訓」に目を転じてみたい。
「イザヤの昇天」と同じく合成された文書
で、初期のユダヤ教徒による部分と長いキリスト教徒による加筆からなっている。ユダヤ
教的な部分とキリスト教的な部分の書かれた時期を推定するのは極めて困難である。しか
し、第三エノクの推定年代、言いかえると三世紀のいつかではないかというのが、現在の
比較的妥当な推定であると思われる。69 ユダヤ教的な部分に、息子セツに教えるアダムの
口を借りて述べられる預言が加えられている。校訂版1と3で「救世主」という語が「神」
に変えられている。校訂版2に、最も古い読みと思われる文面で興味ある考えが記されて
いる。
わが子セツよ、救世主が天から降ってきて、処女から生まれると聞いた。そして、奇跡
や徴し、偉大な業を行ない、海の波の上を板の上を歩くように歩き、風を叱ると静まり
波に合図するとおさまると言う。また、盲人[の目]を開け、ハンセン病患者を浄め、聾者
の耳を聞こえるようにする。唖者に語らせ、悪霊、悪魔を追出し、死者をよみがえらせ、
葬られた者を墓から起こすと聞いた。
このことについて救世主は、楽園で私が死の隠された果実を取った時、私に言われた。
「アダム、おそれてはならない。あなたは神になりたいと望んだ、望みをかなえてあげ
よう。しかし、今ではなく、永い年月の後である。わたしはお前の体を腐敗の元、蛆虫
(うじむし)に食らわせ、骨をも食らわせる。」70
この部分はもちろん明らかにキリスト教的であり、既に偽典の中に見た概念を含んでいる。
とりわけ注目に値すると思われるものは、- - すぐ気付くように特にモルモン教徒にとって
そうであるのは、堕落の前に救世主が楽園でアダムと共にいたという考えである。
他の偽典文書には長いキリスト教的な部分があり、「レカブ人の住まい」71 のようにナザ
レのイエスが「主」、「受肉した命」、
「神の言葉」といった言葉で描かれている。そこでイ
エスは「待ち望まれた者」
、
「救い主」と、あるいは「ヤコブのはしご」
(改訂 2 版の7、8
章)のように他の救済者の称号で呼ばれている。しかしながら、われわれは「救世主」、
「油
注がれた者」、
「キリスト」という術語が用いられている救済者に関連する部分にだけ焦点
を当ててきた。偽典のキリスト教的な個所に差し掛かると問題がかけ離れたものとなる。
というのは、ほとんど全てのキリスト論的な称号は、既に来たと彼らが主張する者、すな
わちイエス・キリストと呼ばれたナザレのイエスと同列に見なされるからである。 キリス
トという称号はすぐ彼の名前の一部となり、彼に与えられた他の称号の背後にも暗に「 キ
リスト」と呼ばれた者が認識されているからである。
偽典の長いキリスト教的な部分に見られる救済者的章節を統合しようとするのは、賢明
ではない。二つの典型をあげるだけで十分であろう。第一、救世主は既に来たという共通
の主張があった。第二、伝統的にナザレのイエスの生涯に結びつけられた事柄、例えば処
女からの誕生、バプテスマ、水の上を歩く、十字架、復活などを強調する傾向がある。
われわれは「救世主」、
「油注がれた者」、「キリスト」という術語が、偽典のユダヤ教徒
による部分にもキリスト教徒による部分にも出てくるのを見てきた。これらの概念のある
ものは熟成し、重要なものであることも見てきた。しかし、われわれは慎重であって、偽
典のほとんどがこれらの術語を含まないことを認識する必要がある。
「救世主」もその同源語も以下の偽典に登場しない。アヒカル、アリステアスの手紙、
第三マカベア書、第四マカベア書、第二エノク書、ヨブの遺訓、セムの遺文、預言者たち
の生涯、アブラハムの黙示録、モーセの黙示録、ヘレニズム風会堂用讃歌、ヨセフの歴史、
五つの外典シリア語詩篇、マナセの祈り、ヨセフの祈り、ヨセフとアセナト、ヤコブの祈
り、偽フォキリデス、偽フィロン、アダムの黙示録、エゼキエルの黙示録、エルダドとモ
ダド、エズラの質問、エズラの黙示録、ソロモンの遺訓。これらの文書はキリスト教徒の
写字生によって伝えられたので、一部の文書(例、ヘレニズム風会堂用讃歌)にはキリス
ト教的な書き込みがあり、
「救世主」または「キリスト」という名前が現れる。ヨベル書や、
モーセの遺訓、十二族長の遺訓、シビュラの託宣のような他の偽典に重要な救済者に関連
する個所が出てくるが、
「救世主」または同源語の言葉は用いられていない。
救済者的な個所が多数あることや、上にあげた重要な引用文に「救世主」、「油注がれた
者」、「キリスト」という言葉が現れることを重視しすぎてはならない。前述のように非常
に多くの偽典が救済者に関連する文言を載せていない。そして、少なくとも五つの文書は
救世主に言及されてもおかしくない章節があるのに、意外にも沈黙している。
「ヨセフとア
セナテ」の中の特に 7-13 章で、アセナテが悔改めの長い祈りをする。そのくだりで救世主
への言及が予期されるし、第二エノク 46 章と 64 章でも同様であるが表われない。かなり
注意を引くのは、ナザレのイエスが生きたほぼ同時代の三つの文書に、救済者を思索する
所がないことである。
「アダムとエバの生涯」(Vita Adae et Evae) 42:2-5 に少しキリスト
教的な加筆があるけれども、モーセの黙示録に救済者を待望する文面がないのは意外であ
る。また、
「預言者の生涯」(“Lives of the Prophets”)は、写本Dに加えられた前書き 72 を除
けば救世主の言及がないのも印象的である。
最も注目に値するのは、
「偽フィロン」と呼ばれる長い聖書歴史の書き直しに、救済者に
ついての考えが見当たらないことである。この「偽フィロン」は元来「聖書古代誌」(Liber
Antiquitatum Biblicarum ) という題で現存しているものである。C. ペロットは最近、偽
フィロンについて出版した、該博の二巻でこう述べている。
「終末の出来事に関連して、将
来救世主が果たす役割がここでは無視されている。救済者の時代が全く沈黙のうちに看過
されているのだ。
」73 それより以前に、偽フィロンについて価値ある緒論とその翻訳を出し
ていた M.R.ジェームスは、次のように書いていた。
「私は本文の中に救世主を待望する表現
を見出すことができなかった。
『この世に来て』万物を正すのは常に神であって、従位の代
理者ではなかった。
」74
前の方で「ソロモンの詩篇」を見た時、救世主の役割が神に従属するものであることを
観察した。そして神は救世主の主と呼ばれていた。偽典の多くの章節で、天界からの働き
は中間の存在者や神の使いによるものではなく、神自身の働きとされている。他の個所で
はダビデに結びつけられる救済者的な待望を退け、むしろ贖い主あるいはモーセのような
終末論的な人物を志向しているように見える。75
資料は複雑で、しばしば不明瞭である。イエスの時代の多くのユダヤ人が未来に期待し、
その期待は時に切迫して受けとめられ、贖う者の到来についてそれは時に救世主を描くも
のであった。また、ユダヤ人の中には神の最期の、救いに導く業を将来に待望する者もい
た。ほかにもサドカイ人のように、おそらくは全ての希望や夢を未来に託すことをしなか
ったユダヤ人もいた。
便宜的に偽典の名のもとに分類された 50 の文書を、
「救世主」
、「油注がれた者」、「キリ
スト」という術語を用いているかどうか調べてみた。五つのユダヤ教の文書(ソロモンの
詩篇、第二バルク、第四エズラ、第一エノク、第三エノク)
、四つのキリスト教文書(ソロ
モンの頌歌、ゼパニヤの黙示録、エリヤの黙示録、セドラクの黙示録)それにユダヤ教の
伝承ないし文書に対する、二つの長いキリスト教徒による拡張あるいは編集・書き直し(イ
ザヤの示現、アダムの遺訓)が特別な研究に値するものとして絞り込まれた。その結果、
39 の偽典が救済者の思想を含んでいないか、
「救世主」と同語源の言葉以外救済者の称号を
用いていなかった。救済者に言及する章節は驚くほど少ないが、それらは貴重である。そ
こにこめられた夢は、J.クラウスナーが 1949 年ハヌーカーの時(そして 12 月)に述べた
ように、時代を超越したものである。彼は、国連が訴えた「永続する平和」への希求 - - こ
れは今日当時にも増して望まれている - - を考えて、また世界の青少年が元気を取り戻す
ことを待望して、いみじくもこう述べた。
「外典と偽典にある救世主への待望は、ユダヤ教
の王冠についている貴重な宝石のようである。」76
偽典とモルモン書の救世主像、その比較
偽典に見られる救済者の顕著な側面について、上述のように整理を試みたが、それが完
全なものでないことは指摘を待つまでもない。詳細な分析は避け、複雑な問題を概括する
必要があった。また、
「救世主」
、
「油注がれた者」
、
「キリスト」という語を含む多くの章節
に触れなかったことも承知している。省略したのは、しばしば内容が乏しいからであり、
キリストという語に近いと感じられるにすぎないため、意図的にはずした。また、年代を
推定するのが困難で、14 世紀に降るものもあった。そして上に記した内容に加える情報が
なかった。私はモルモン書に現われる「救世主」、「油注がれた者」、「キリスト」という用
語の使用と意味について述べる資格はまして持ち合わせていない。それは痛い程承知して
いる。この宏大な書物について知識があるというつもりは毛頭ない。
最初にモルモン書には偽典同様、非常にユダヤ教的な長文にわたる部分があり、また極
めてキリスト教的な部分があることを認識しなければならない。偽典にもモルモン書にも
不明瞭に記述した救世主到来の章節があり、またきわだって詳細に救世主の降臨を記した
個所もある。救世主が将来到来することに触れた偽典の章節は前述した。モルモン書で救
世主が将来降臨することを預言した重要なくだりは、Iニーファイ 10:4-17 に見出される。
その冒頭の節は次のとおりである。
そして、まことに父がエルサレムを去ってから六百年後に、主なる神はユダヤ人の中
に一人の預言者すなわちメシヤ、言い換えれば、世の救い主を立てられる。77
モルモン書にはるかに多く見られるのは、後のキリスト教的影響が明白な章節である。
というのは、救世主の生涯と働きについて細部に至る記述は、キリスト教以前の預言で通
常認められる控えめで一般的な記述と区別できるからである。このような、明らかに後の
キリスト教的な表現と思われるものは、2ニーファイ 25:16-19, 2ニーファイ 26:3 に見ら
れる。その最も明瞭なものは多分モーサヤ 3:8-10 であろう。次のように書かれている。
そしてこの御方は、イエス・キリスト、神の御子、天地の父、時の初めからの万物の
創造主と呼ばれ、母はマリヤと呼ばれる。
見よ、この御方は、ご自分の民のところに来られ、人の子らがその御名を信じる信仰
を持ちさえすれば、救いが与えられるようにされる。ところが、このようなことがある
にもかかわらず、彼らはこの御方をただの人と思い、また悪魔につかれていると言い、
この御方を鞭打ち、十字架につける。
しかしこの御方は、三日目に死者の中からよみがえられる。そして見よ、この御方は
世を裁く立場に立たれる。また見よ、これらのことはすべて、人の子らに義にかなった
裁きが下されるために行われるのである。
この三節の中に、ほとんどの批判神学の学者が明らかにキリスト教的な表現と呼ぶものが
ある。言いかえると、記述があまりにも明確なので出来事の後に加えられたことが明白で
ある。このような事象を専門用語で vaticinium ex eventu (事後預言) と言う。78 具体的に
細部をあげると、救世主は「イエス・キリスト」と呼ばれる、彼の母はマリヤと呼ばれる、
救いは信仰による - - 実に彼の名を信じることによる - - 、多くの者が彼は悪魔につかれて
いると言い、彼は鞭打たれ、十字架にかけられる、そして最後に三日目に死者の中からよ
みがえると続く。この三節はキリスト教徒がキリストの生涯を復唱していると言えないだ
ろうか。
この新しい観察をどう評価すればよいのだろうか。モルモン書のこの部分、モーサヤ書
が紀元前 91 年に書かれたとする主張を損なうことにならないだろうか。必ずしもそうはな
らない。というのは、モルモン教徒はモルモン書が少なくとも二度、ナザレのイエスの生
涯後編集されたか、拡張されたことを認めているからである。預言者モルモンが紀元 4 世
紀にモルモン書の一部を要約したと言われている。79 そして同様に、ジョセフ・スミスが
19 世紀に、彼が受け取ったという伝承(記録)を編集(redact)する機会を得たことが明らか
である。
今日聖書学者は編集史(Redaction Criticism)という方法論によって、古代の文書に様々な
層があることを発見している。それは重要な、興奮を呼ぶ発見で、著者及び編集者の編集
過程における傾向を見抜く手法である。おそらくモルモン書における編集過程を専門家が
注意深く調べることは意義のあることであろう。モルモン書が一度ならず編集の手をへて
いることを認めると、救済者に関連する文言がキリスト教徒の手によるように見えるわけ
がよく分かるだろう。
ここで、偽典とモルモン書の救済者像に見られる興味ある、そしておそらく重要なつな
がりに目を転じたい。最初の類似は III ニーファイ 17:4 に見られる。
しかし、わたしは今は父のみもとに帰り、またイスラエルの行方(ゆくえ)の知れな
い部族にもわたし自身を現そう。彼らは父にとっては行方知れずではない。父は彼らを
導いた先を御存じだからである。
この節で著者が誰であるか確認されていないが、後続の文で語り手はイエスと、また前の
方ではイエス・キリストと呼ばれている(III ニーファイ 11:10)。
救世主がイスラエルの失われた支族を訪ねるという考えは、ほかにない独特のもので、
旧約にも新約聖書にもない。しかし、二つの偽典に多少の類似が見られるようである。前
の方で第二バルク 72-74 章に救世主の発展した概念が見られると述べた。ほんの少し後の
章 77:17-26 で 第二バルクの著者は失われた支族について語っているが、見ると分かるよう
に救世主が失われた支族に姿を現わすとは述べていない。
もうひとつの偽典も同一の内容を描いているように見える。第四エズラに救世主につい
て極めて注目すべき章節が見出されるが、7 章で著者は明らかに一歩進めた救世主像を展開
している。そして少し後の 13 章で「ある人」と称される救済者的な人物について記してい
る。29-32 節でこの人物は「わが子」と呼ばれ、その前の方で「わが子、救世主(メシア)
」
(7:28-29)と呼ばれていた人物である。
「わが子」が果たす役割のひとつは、驚くべきもので
ある。彼はイスラエルの失われた支族を集めるというのである。
そしてあなたは、彼が別の穏やかな群衆を自らの許に集めるのを見たが、これらはヨシ
ア王の時代に捕えられ、その領土から連れ出された十の部族である(写本により九部族)。
アッシリア王シャルマネセルがこれを捕虜として連れて行き、河の向こうへ移した。こ
うして彼等は異国に連れて行かれた。80
(日本聖書学研究所版では 39, 40 節。八木誠一、綾子訳)
この類似をどう評価するかは、もちろん人によって異なる。ある読者は偶然であると説明
し、他の読者は偽典やモルモン書、特に聖書の文書に先行する資料に基づいていると言う
だろう。また、このつながりは大変興味深く、精査する価値があると言う人もいるであろ
う。
偽典とモルモン書に見られる救済者像の、第二のつながりは救世主の到来が時に彼の「帰
還」ととらえられていることである。この考えは、キリストであるイエスが再び帰ってく
る、いわゆる再降臨(パルーシア)という広く知れわたった概念とは区別しなければなら
ない。再降臨は新約聖書、キリスト教文書、モルモン書に典拠を見出すことができる。降
臨が帰還であるという考えが、次の II ニーファイ 6:14 に見られるように思われる。
見よ、この預言者によれば、メシヤは彼らを元に戻すため再び (the second time) 業を
始められる。それで彼らがメシヤを信じる日が来ると、メシヤは力と大いなる栄光とを
もって、彼らにご自身を現し、彼らの敵を滅ぼされる。また、メシヤは御自分を信じる
者を一人も滅ぼされない。( 訳は一部著者の意向に従って変えた。)
この節はパルーシア(到来、臨在)を指しているかもしれない。私には紛らわしいが、救
世主の到来を帰還とする考えが含まれているかもしれない。多分、微妙にパルーシアと「二
度目」の降臨という二重の意味が含まれているのであろう。
帰還としての降臨の概念がソロモンの詩篇 18:5 に見られるようである。そこには厳密
な意味では再臨について述べていないが、神が救世主を連れ戻すと書いている。この節は
ギリシャ語でのみ現存し、次のように訳される。
神は憐みの日に備え、
ご自分の「油を注がれた者」を連れ戻ってくる選びの日に備え、
イスラエルを浄め、祝福してくださるように。81
( 後藤光一郎訳。
「戻って」の部分はチャールスワース記事による。)
この節は私が望むほどには明瞭でないけれども、前世に存在した救世主を指していないよ
うである。むしろ君主である王は油注がれた者、すなわち救済者であって、神はダビデの
ような王を再び置かれるというダビデ待望の概念に言及しているように見える。その救済
者は、イスラエルがダビデとその子孫に対していだいた願望と期待をすべてになう存在で
あろう。
偽典で救世主の到来を帰還としてとらえているように見える第二の表現が、第二バルク
30 章にある。この個所は前に取り上げたが、今注目している観点から改めて見ることがで
きよう。このように書かれている。
「そののち、メシアの滞在の時が充ちて彼が栄光のうち
に帰還されるとき…」82(村岡崇光訳)このシリア語版は第二バルクの唯一現存するもので、
この個所は極めてはっきり「彼は帰還するだろう」と記している。シリア語の動詞 hpk の
Peal 未完了で “he shall return” の意である。この節がキリスト教徒の書いたものであれ
ば、意味は救世主の到来が完了した後、天に昇り、それから栄光のうちに地上に帰還する
であろう、ということになると思う。しかし、ほとんど全てのことがその解釈に立ちはだ
かっている。このくだりはキリスト教徒によるものに見えない。むしろ、ユダヤ教の偽典
の一部である。そして動詞「充ちる」は到来の完成を意味しないで、到来の時間の完了を
意味する。われわれは「帰還する」という動詞の意味を「地上に戻る」と受けとめてきた。
この解釈は R.H.チャールスの解釈とは異なっている。彼は、この著者は救世主の帰還は「地
上に姿を現わす以前にいた天へ」戻ることである、と主張した。83 チャールスの解釈はも
ちろん可能であるけれども、救世主が降ってくることも昇っていくことも明らかに述べら
れていない。29:3 の救世主出現が強調されているのであって、それは 31 節でも見られるよ
うである。それは救世主の帰還が天へではなく地上に栄光のうちに帰還することを示して
いる。
ソロモンの詩篇にあるように、その意味は単に、もともとダビデを指していた救世主ま
たは油注がれた者が、ダビデの如き救済者的王として帰還するであろう、ということかも
しれない。あるいはアダムの遺訓に見出されるような考えを指しているのかもしれない。
そこでは、アダムと救世主が楽園で共にいた。84 前に見たようにアダムの遺訓によれば、
救世主はアダムが禁断の実を食べた後に楽園でアダムに語りかけている。この考えはモル
モン神学に類似が見られる。モルモン神学によれば、キリストは楽園でアダムと共にいた、
と言っているからである。85 モルモンの聖典で、キリストがアダムといたことを示すと思
われる、唯一の個所は、教義と聖約 107:45-55 である。それによると、アダムは「主にま
みえ、主とともに歩み、
・・・主はアダムに慰めを与え・・」ている。術語としては「主」
が使われているが、モルモン教徒はその人物をキリストと見ている。この件は、この方面
の考察に経験を積んだ人に委ねなければならない。明らかに私の専門領域を越えた事柄で
ある。
二つのつながり、すなわち、救世主が失われた支族を訪ねるという考えとその到来が帰
還と考えられていることは、比類がない、あるいは少なくとも特徴的であると言える。考
察に際し、当然われわれはモルモン書と偽典間の、膨大な文書群からそれぞれ独自に得た
と思われる著しい類似を全部取り上げることはできなかった。偽典もモルモン書も聖書か
ら多大な影響を受けていること、そして救済者に関連する考えをそれぞれ独自に得ている
ことは明らかである。
結語
以上の論考は、必然的に偽典とモルモン書の救済者像のごく概略にすぎない。偽典に見出
される、
「救世主」
「油注がれた者」
「キリスト」という専門的な用語を使った、救済者に関
する章節は、他の称号、
「人の子」
「選ばれた者」「愛された者」「人」(the Man) を用いた
他の救済者的章節と、詳細かつ慎重な比較・検討を要するであろう。本論ではまたモルモ
ン書の中の救世主、言いかえるとキリスト像にも注目した。86 そして中のある節はユダヤ
教的であり、ある節はキリスト教的であると述べた。次の二つの特徴的な考えが、偽典と
モルモン書をつなぐ興味ある共通点であることも示した。一つは救世主が失われた支族に
語りかけるという点であり、もう一つは救世主の到来が彼の帰還と考えられているらしい
ということである。
ほかにも偽典とモルモン書の間には、注意深く研究する価値のある重要な対応が数多く
ある。例えば「イザヤの昇天」の中に、次のような内容が記されている。殉教と昇天の後、
「彼の弟子たちは十二使徒の教えと彼らの信仰、愛、またその清さを棄てる、[ 彼の来臨と ]
彼の出現についていさかいがふえる、・・・多数の者が聖職者の衣裳を金銭を愛する者の衣
裳とはきちがえ、そのときには、えこひいきがさかんに行なわれ、この世の名誉を愛する
者が出てくる」
。87 (村岡崇光訳) モルモン教徒は霊的な衣装 [garment] への言及だけで
はなく、I ニーファイ 13:26 についても思いを致すだろう。そこにはこう書かれている。
「・・見よ、その教会の者たちは、分かりやすくて大変貴い多くの部分を子羊の福音から
取り去り、また主の多くの聖約も取り去ってしまったからである。」以上、駆け足で諸文書
を見てきたのであるが、これらの文書を研究することの意義は、多分ユダヤ・キリスト教
の伝統が今も息づいている伝統であることを認識することにある。
最後に、私の書斎からこの論考を送付するに際し、批判的歴史学者としての制約を離れ
て一個人として感じるところを述べたい。神は確かに、66巻の文書が収集され聖書と呼
ばれるに至った後も、語り続けて来られた。ストリックランド・ギリラン 88 はこの真理を
正しく捉えてこう述べた。
私は思う。神は貴い聖書が
印刷に付された後も語り続けられた;
聴く耳を持つ人々に
言葉をかけ続けられた。
私は思う。御声は尚も途切れることなく、諭し、導き
祝福し続ける;
私たちが光明を求める時は常に
再び私たちに呼びかけられる。
同様にウォーカーは「イエスの教え」89 を世に著した時、本稿で見たように偽典に記された
貴重な救世主の概念に関する資料を掲載し、
「今も尚語る天の神」に捧げたのであった。
註
1.もし私がモルモン書における救世主(Messiah) の概念について話すように求められてい
れば、断っていただろう。この書物についてあまりにも無知だからである。また、仮に偽
典における救世主について話すように求められていても、断っていただろう。というのは
偽典に分類される全ての文書が慎重に翻訳され吟味されるまで、そのような穏やかならぬ
作業は時期尚早だからである。しかし、私はその両方をする仕事を引き受けた。これは考
えるだけでも思い切った試みであった。
2. この記事は専門家でない人、特に末日聖徒イエス・キリスト教会の会員に語りかけるも
のである。
「偽典」と表記した場合、偽典全般を言い、「」なしの場合、偽典文書のあるも
のを指す。
(この記事の原文で Messiah は「救世主」、小文字 messiah は「救済者」と訳
しわけた。日本聖書学研究所版の引用では、その訳文のままにした。訳者注。)
3. 旧新約聖書間の時期に救世主(メシア)がどのように受けとめられていたかを具体的に
記した出版物で、今私の机上にあるものを年代順にあげると次のようである。以下原語の
まま。D. Castelli, Il Messia secondo gli Ebrei (Florence: Monnier, 1874); W.
Baldensperger, Die messianisch-apokalyptischen Hoffnungen des Judenthums
(Strassburg: Heitz, 1903); J. Klausner, Die messianischen Vorstellungen des jűdischen
Volkes im Zeitalter der Tannaiten kristisch untersucht und im Rahmen der
Zeitgeschichte dargestellt (Berlin: Poppelauer, 1904); T. Walker, The Teaching of Jesus
and the Jewish Teaching of His Age (London: Allen and Unwin, 1923), see especially
“The Character of the Messiah,” pp. 121-81; G. F. Moore, Judaism in the First
Centuries of the Christian Era: The Age of the Tannaim, 3 vols. (Cambridge,
Massachusetts: Harvard, 1927-1930), see especially “Messianic Expectations,” vol. 2, pp.
323-76; S. Mowinckel, He that Cometh, trans. G. W. Anderson (New York, Nashville:
Abindon, 1954); J. Klausner, The Messianic Idea in Israel from its Beginning to the
Completion of the Mishnah, trans. W. F. Stinespring (London: Allen and Unwin, 1956),
see especially “The Messianic Idea in the Books of the Apocrypha and Pseudepigrapha,”
pp. 246-386; G. Scholem, The Messianic Idea in Judaism, trans. M. A. Meyer and H.
Halkin (New York: Shocken, 1971); M. de Jonge and A. S. van der Woude, “Messianic
Ideas in Later Judaism,” Theological Dictionary of the New Testament, ed. G. Friedrich,
trans. G. W. Bromiley (Grand Rapids, Michigan: Erdmanns, 1974), vol. 9, pp. 509-27;
S. H. Levey, The Messiah: An Aramaic Interpretation: The Messianic Exegesis of the
Targum, Monographs of the Hebrew Union College 2 (Cincinnati, New York: Hebrew
Union College, 1974); for recent articles see J. H. Charlesworth, “Messianism,” The
Pseudepigrapha and Modern Research, Septuagint and Cognate Studies 7 (Missoula,
Montana: Scholars, 1976), pp. 57-61.
4. ダブルデーが出版する「偽典」の新版には次の 50 の文書が含まれる。
アヒカル
第一エノク書
アダムの黙示録
第二エノク書
エリヤの黙示録
第三エノク書
エズラの黙示録
第四エズラ書
セドラクの黙示録
ヤンネとヤンブレ
ゼパ二ヤの黙示録
ヨセフとアセナテ
ゾシムスの黙示録
ヨベル書
第五シリア語詩篇
ヤコブの梯子
モーセの遺訓
アリステアスの手紙
第二バルク書
預言者の生涯
第三バルク書
第三マカベア書
第四バルク書
第四マカベア書
(エレミヤ余禄)
イザヤの殉教と昇天
ソロモンの頌歌
セムの遺文
ヨセフの祈り
Vita AE とモーセの黙示録
マナセの祈り
アブラハムの黙示録
ソロモンの詩篇
偽メナンダー(シリア語)
偽フィロン
失われた偽典のギリシャ語断片
偽フォキリデス
ソロモンの遺訓
エズラの質問
16 のギリシャ語会堂の祈り
シビュラの託宣
アダムの遺訓
アブラハムの遺訓
エルダドとモダド
イサクの遺訓
エゼキエルの外典
ヤコブの遺訓
ヤコブの祈り
ヨブの遺訓
ダニエルの黙示録
十二族長の遺訓
5. R.H.チャールズ編 「旧約聖書の外典と偽典」2 巻(オックスフォード:クラレンドン,
1913)
。1 巻が外典で 2 巻が「偽典」である。
6. 拙稿「タルムード、偽典、死海文書、初期パレスチナの会堂に見られるユダヤ人の占星
術」ハーバード神学評論誌(印刷中)参照。
7. G. F. ムーア「ユダヤ教」
8. E. シューラー「イエス・キリストの時代におけるユダヤ人の歴史」6巻、J. マクファー
ソン、S. テイラー、P. クリスティー訳(エディンバラ:クラーク、1897-1898).
9. E. シューラー「イエス・キリストの時代におけるユダヤ人の歴史(175B.C. – A.D.135): 新
英語版」G. ヴァーメシュ、F. ミラー、P. ヴァーメシュ、M. ブラック改訂・編集、1 巻(エ
ディンバラ:クラーク、1973)
10. J. ニュースナーはこんにち最も多作な著者である。彼の著書を見つけるのに苦労する
ことはない。彼の「危機に直面した 1 世紀のユダヤ教: ヨハナン・ベン・ザッカイとトー
ラーの復興」
(ニューヨーク、ナッシュビル:アビンドン、1975 年)は広く読まれた小著で
ある。
11. 私が R.H. チャールズの著など、大部分の先行文献に沿って進めるのに躊躇する主な理
由は、称号が混乱していたことであった。例えば「人の子」に関する表現は、称号が「救
世主(メシア)
」またはその派生語であるかのように解釈されていた。偽典の多くの語句は
確かに救世主的な「人の子」を描いている。しかし、われわれは用いられている用語を観
察しなければならない。著者は「救世主(メシア)
」の概念を退け、別の称号を使用するこ
とによって他の概念を採ろうとしているのかもしれない。S.H.レビーがその重要な著で、
まず「救世主待望」と「終末論」を区別しようとしたこと、また「マシアフ」(英語では
Messiah)を単に「油注がれた者」と取るべきか「救世主」と取るべきかを見分けようとし
たことは新鮮な試みであった。
「救世主(メシア)」
、特に pp. xix-xxi 参照。よい例は、断片
的タルグームとオンケロス、特に偽ヨナタンと民数記 24:17-24 を比較するとよい(pp.
21-27)。
12. ウォーカーは「イエスとユダヤ教の教え」の中で最後の二つの範疇を用いている。
13. 拙著「偽典と現代の研究」pp. 195-97 参照。
14. 同様の思想がイザヤ 11:4 に対するタルグームヨナタンにも見られる。
(イザヤ 11:4
「その口の鞭をもって地を打ち
唇の勢いをもって逆らう者を死に至らせる」新共同訳)。
タルグームヨナタン:「語る言葉によって地の罪ある者を打ち、唇から出る言葉によって悪
人アルミルスを撃つであろう」レビー「救世主」p. 49 より試訳。注目すべきはモーセ五書
に対するタルグームとは対照的に、第一イザヤに対するタルグームヨナタンは、救世主を
「平和とこの世における調和の象徴、義なる裁き人、社会正義の擁護者」として描いてい
ることである。レビー「救世主」p. 102.
15. クラウスナーは christos kurios を christos kuriou に変え、
「主に油注がれた者」と
訳している。
「救世主思想」p. 321.
16. 斜字体は著者による。R.B.ライトの翻訳がダブルデーによって出版される。
17. この記事を書き終えてから、私は M.de Jonge の「ソロモンの詩篇」に見られるキリ
スト(Christos)に関して賢明な助言が目にとまった。
「よく見られるようにこの書を見て
国民的、
政治的、
地上の救世主を語るのは不適切である。
(
」
「新約聖書神学辞典」
9 巻、
p. 514)
。
クラウスナーが次のように言っているのも正しい。
「ここで救世主が治める王国に政治的・
国民的側面があるのは事実である。しかし、霊的側面が更に強く強調されている。」「救世
主思想」p. 324.(強調は原著者による)。
18. レビーが翻訳した、モーセの五書に対する断片的なタルグームに見える同様の概念を見
るとよい。
「救世主」p. 11。 タルグームで救世主はしばしば戦闘的に見える。例えば、タ
ルグームオンケロス、偽ヨナタン(大変拡張されている)から民数記 24:17-24 に対するタ
ルグーム参照。タルグームにおける救世主は偽ヨナタンにおいて最も顕著である。一貫し
た救世主像を示しているわけではないが、このタルグームは敵を全滅させることによって
イスラエルを擁護する救世主を期待している。しかも「救世主が引き起こす大虐殺によっ
て」全滅することを想定し、
「この来るべき戦闘的いくさの主は、撃たれた敵の血潮に全身
まみれることになる」
。レビー「救世主」p. 31。
19. J. ボウカー「タルグームとラビ文書」
(ケンブリッジ:CUP, 1969), p. 278。レビーは
最後の部分を次のように訳している。救世主なる王は「殺した者の血で山々を赤く染める。
彼の衣服は葡萄を絞り出す者のように血で鮮明になっている。」
「救世主」p. 9。レビーはは
っきり判る形で、イザヤ 63:1-6, 黙示録 19:11-16 の聖書的な表現を想起させている。
20. クラウスナー「救世主思想」p. 323。
21. Y. ヤディン「光の子の暗闇の子に対する戦いの巻物」B.C.ラビン訳(オックスフォー
ド:OUP, 1962)参照。
22. 翻訳は R.B.ライト。
23. 第二バルク書とタルムード、ミドラシュの早い段階の部分に顕著な類似があることを強
調したクラウスナーは、こう言っている。「シリア語バルク書ほど多くの、詳細な救世主待
望の記述が見られる偽典は存在しない。」
「救世主思想」p. 331。
24. 拙著「偽典と現代の研究」pp. 83-86。
25. 翻訳は R.H.チャールス。R.H.チャールス「外典・偽典」2 巻、p. 497。邦訳は、日本聖
書学研究所編、
「聖書外典偽典 5」旧約偽典 III 「シリア語バルク黙示録」村岡崇光訳。
26. 同上、チャールス、p. 498。
27. M. de ヨンゲ「新約聖書神学事典」9 巻、p. 515。
28. チャールズ「外典・偽典」2 巻、p. 498。
29. 同上、p. 501。
30. 同上、p. 518。
31. 同上、p. 518; 斜字体は著者による。
32. 拙著「偽典と現代の研究」pp. 111-16。
33. クラウスナーは第四エズラを「偽典文書全体の中で、最も深遠で、高められた霊性を持
つもの」と呼んでいる。
「救世主思想」p. 349; p. 365 参照。
34. 「改正標準訳」(RSV)による第四エズラ 7:28-29 。第四エズラの引用は全て RSV から。
35. 死ぬ救世主というユダヤ教的な概念は、第四エズラ以外はペシクタ・ラッバティのよう
な初期中世やその後の文書にだけ見られ、必ずと言ってよい程二つの救世主の形で表現さ
れる。それは、死を迎える救世主エフライム(またはヨセフ)の子と、苦しむが勝利を得
るダビデの子(時々、名前不明)である。死ぬ救世主について、ムーア「ユダヤ教」2 巻、
pp. 370-71、モーウィンケル「来たるべき者」pp. 325-33(特に参考文献一覧も)
、H.オ
デバーグ「第三エノク(ヘブライ語エノク書)」の印象的で長い注、J.C.グリーンフィール
ドの緒論(ニューヨーク:KTAV、1973 [初版は 1928 年])pp. 144-47 参照。レビー(
「救
世主」pp. 16, 142)は「救世主エフライムの子」
、言いかえると出エジプト 40:9-11 に対す
る偽-ヨナタンに触れたタルグームの唯一の箇所に注目するように言う。彼は、タルグーム
が救世主の死に触れていないことを指摘すべきであったが、救世主が死ぬというこの概念
は「おそらくバル・コクバの死に対する心理的反応として、醸成されてきたもの」と鋭い
洞察を記している。
「この人物は、自ら最後の戦いを率いる征服者・英雄となり、後に殺さ
れ、人々はその死を嘆き悲しむ(p. 16)。」
(この見解は、クラウスナー「救世主ヨセフの子と
ゴグ、マゴグとの戦い」Die messianischen Vorstellungen, pp. 89-103 や他の研究者も共
有している。[オデバーグ、第三エノク pp. 144-45 参照])
。初めモーウィンケルは、ユダヤ
教における苦しみ死にゆく(残念ながら彼はこれらの用語を混乱して用いている)救世主
の概念はキリスト教に対する反応である、すなわち「キリスト教が(死んだ)イエスを救
世主とする信仰に対して猛烈な信仰上の反論を行なった(p. 330)」と言っていた。レビーと
モーウィンケルは二人とも部分的には正しいが、中世のユダヤ教思想と第四エズラ 7:28-29
の救済者思想とを混同してはならない。第四エズラでは救世主の死を苦難や贖罪と結びつ
けておらず、論理的終末思想の枠、言い換えれば救済者の時代の終焉と結びつけている。
それは「この世」に幕を閉じ、
「来るべき世」の序章となっているのである(7:50, 8:11)。
36. クラウスナー「救世主思想」pp. 349-65 とモーウィンケル「来るべき者」pp.325-37 の
説明参照。
37. C.F.ムーアは、紀元 70 年のエルサレム破壊後黙示思想が再び活気づき、
「この息を吹き
返した黙示思想の重要な特徴は、救世主の時代が最終ではないということにある」と書い
た。
「ユダヤ教」2 巻、p. 338; p. 333 参照。
38. クラウスナー「救世主思想」pp. 355-56 の優れた注解参照。
39. M.E.ストーンは、従来の学術誌の記載を意識して、この個所を過大に扱っていると思わ
れるが、こう述べている。法に関する語彙が見えても、
「この人物(救世主)の第一の特性
が審判にあると取ってはならない。主要な特性はあくまで軍事的であって、大ローマ帝国
を転覆することにある。
・・」(p. 302)。ストーンの重要な記事「第四エズラの救世主の概念」
は、J. ニュースナー編「古代宗教: 故アーウィン・ラムズデル・グッドイナフ記念論文集」
(宗教史研究 14)(ライデン: ブリル, 1968) pp. 295-312 に収められている。
40. 第四エズラの示現は第四エズラ書そのものやそこに記された示現の概念や像に照らし
て解釈すべきではない。このことに最初に気づいて主張した学者は、ストーンで説得力を
持つ。この変則的で異質な特徴は後の書き込みによるのではなく、著者「自身のそれまで
に存在した寓話に対する解釈」だったのである。同上、p. 306。pp. 303, 309 も参照。
41. ストーン、同上、p. 309。
42. J.T.ミリク「エノク書(複数)
:クムラン洞窟4のアラム語の断片」(オックスフォード:
クラレンドン、1976 年)参照。第一エノクについて最近の研究は私の「偽典と現代の研究」
pp. 98-103 参照。
43. 「外典と偽典」2巻, p. 217。
44. 同上、2 巻、p. 219。
45. 従って、第一エノク 37-71 章の救世主像は、キリスト教が描く天上の姿に沿うものでは
なく、第一エノク書が初めに書かれた時代と不可分なのである。次の義人と選ばれた者に
対するこの世で実現し得る約束に注目すべきである。「しかし、選ばれたものたちには光と
喜びと平安がおとずれ、彼らが地を嗣ぐ者となる」
(村岡崇光訳)
(第一エノク 5:7a-7b。チ
ャールズ、同上、2 巻、p. 190)
。第一エノクの救世主像に関するほとんどの出版物が、第
一エノクの「五つの書」の相互に異質な特性に気付いていないことと「救世主」を他の救
済者の称号と同等に見ていることで低レベルのものになってしまっている。これは極めて
遺憾なことである。
46. ミリクは、
「
『たとえの書』が書かれたのは紀元 270 年か少し後のことと考える」と言
う。
「エノク書」p. 96。
47. 1977 年チュービンゲンで行われた SNTS 偽典研究会において、出席した全ての専門家
はミリクの方法論にも結論にも難色を示した。第一エノクの新しい翻訳にかかっていたエ
フライム・イサクも第二エノクの翻訳を準備していたフランク・アンダーセンも、ミリク
が本文を正しく扱っていないし複雑な要素に対処しきれていないと見た。
48. R.H.チャールス「エノク書、別名第一エノク(オックスフォード:クラレンドン、1912
年)p. 67. 1913 年にチャールスは、紀元前 94-79 年か 70-64 年である、と書いた。
「外典と
偽典」第二巻、p. 171。
49. M.E.ストーンはこの見解を展開した記事を「ハーバード神学評論」に発表すると聞いて
いる。第一エノクの批評版と翻訳を最近出版した M.ニッブは、口頭で私に同様の見方を述
べた。
50. H.オデバーグ、第三エノク、p. 41。
51. 同上、p. 144。
52. 注 35 参照。
53. ショットゲンとウエンシェの受け入れられないという見解がオデバーグ「第三エノク」
p. 145 に出ている。
54. 死海文書 CD 19:10-11, 20:1, 22:23, 14:19, 1QS 9:10-11 に注目。よい英語の説明が次の
資料に見える。H. リングレン、
「クムランの信仰」の「救世主」
、訳 E.T.サンダー(フィラ
デルフィア:フォートレス、1961)
、pp. 167-73; R.E. ブラウン「J. スターキーのクムラン
救世主像展開の理論」カトリック聖書季刊誌 28(1966):51-57; R.E.ブラウン「義の教師と救
世主」巻物とキリスト教、M.ブラック編、S.P.C.K.神学論集 11(ロンドン:S.P.C.K.1969) pp.
36-44(洞察力ある明快な説明)。
55. T シメオン 7:1-2 と T ユダ 21:1-3 に注目。
「救世主」
「油注がれた者」あるいは「キリス
ト」という用語はいずれにも見出されない。M.デ・ヨンゲは、T シメオンはキリスト教の
改訂に由来しており、T ユダ 21:1-3 は救済者的でない、と考えている。彼の「十二族長の
遺訓の研究」SVTP3(ライデン:ブリル、1975) pp. 219-20, 223-25 参照。
56. オデバーグ「第三エノク」p. 147。
57. 註 21 参照。
58. オデバーグの翻訳、
「第三エノク」pp. 158-60。
59. 拙著「ヨハネとクムラン」
(ロンドン:チャプマン、1972)参照;
「ソロモンの頌歌と
死海写本」聖書評論 77(1970):522-49; A.クルペッパーとの共著「ソロモンの頌歌とヨハネ
の福音書」カトリック聖書季刊誌 35(1973): 298-322; 「ソロモンの頌歌」インタプリタ―
ズ聖書辞典、別巻補遺(ナッシュビル:アビンドン、1976)pp. 637-38。
60. ソロモンの頌歌の訳は全て、拙著「ソロモンの頌歌」(オックスフォード:クラレンド
ン、1973)による。
61. H.P.ホウトンによる翻訳「コプト教徒の黙示録」Aegyptus 39(1959), p. 63。
62. ゼパニヤの黙示録 12:21-32; ホウトンによる翻訳(同上、p. 65)、 句読点など変更して
いる。
63. エリヤの黙示録 13:18-15:6; ホウトン訳、同上、pp. 196-98。
64. ホウトン訳、同上、p. 210。
65. セドラクの黙示録の翻訳は皆 S. アグーリデスによるもので、ダブルデーから出版され
る予定。
66. 拙著「偽典と現代の研究」pp. 125-30。
67. 翻訳、J.フレミング、H. ドゥエンシング、D.ヒル。E. ヘンネッケ「新約聖書外典」
全 2 巻所収。W. シュネーメルヒャー編、R.McL.ウィルソン訳(ロンドン:ルッターワー
ス、1963-1965), 第二巻、p. 657。
68. 「イザヤの昇天」10:7-11; フレミング、ドゥエンシング、ヒル訳、同上 2 巻、p. 659。
69. S.E.ロビンソンがデューク大学に提出した「アダムの遺訓」ついて書いた博士論文参
照。
70. 翻訳は私が教えた学生スティーブン・E・ロビンソンによる。多少の改訂をへて、ダ
ブルデー版偽典に掲載される予定。
71. キリストという言葉はシリア語版には出てこない。ギリシャ語版 19:3 「キリストの
祝福された者」という所にだけ見出される。
72. 偽典新版の「預言者の生涯」に D.R.A.ハレが寄せた解説は注目に値する。
73. 偽フィロン、
「聖書古代誌」全 2 巻、D.J.ハリントン編、J. カゼアウフ訳、序文 C.ペ
ロット、P.M.ボガート。引用元、クレティエンヌ 229, 230 (パリ:Cerf, 1976) 2 巻、p. 58。
74. M.R.ジェームス「フィロンの聖書古代誌」L.H.フェルドマンによる序文(ニューヨーク:
KTAV, 1971[初版 1917 年])、p.41. Christus という言葉が 51:6 と 59:1-4 にだけ出てくる
が、いずれの場合も(特に 59 節)意味は「油注がれた者」でサウルかダビデのことである。
75. 例えば、サマリヤ人はタヘブと呼ばれる終末論的な人物の到来を待望していた。タヘブ
は通常モーセとして描かれている。4 世紀の「マルカの教え」(Memar Marqah) 5 章にモー
セの死、昇天、栄光に関するサマリヤの伝承が含まれている。J. マックドナルド編「メマ
ル・マルカ:マルカの教え」全二巻、BZAW84 (sic) (ベルリン:トペルマン、1963 年)。
76. クラウスナー「救世主思想」p. 386。
77. モルモン書からの翻訳は、もちろん全てジョセフ・スミスによるもので、末日聖徒イエ
ス・キリスト教会が出版したものによっている。私は 1974 年版を使用した。
78. ほとんどの学者は、
「事後預言」がマタイ 22:7, ルカ 19:41-44, ルカ 21:20-24 に見ら
れると信じている。従って、エルサレムの滅亡について述べている現在の形は紀元 70 年以
後に書かれたものである。この主張は、現在 J.A.T.ロビンソン「新約聖書の年代再検」(ロ
ンドン:SCM, 1976 年) によって周到な反論を受けている。しかし、この書物に対して D.M.
スミスが卓越した批評を寄せていることに注目すべきである。「新約聖書の年代再検?」デ
ューク神学大学評論誌 42 (1977)
: 193-205。
79. 以下の内容について、私は二人のモルモン教徒である教え子、スティーブ・ロビンソン
とジャック・ウェルチに負っている。
80. RSV
81. 訳と斜字体による強調は著者による。
82. 記事原文の訳は著者による。( 註 26 の本文 come to pass が happen になっているのみ。
沼野)
83. 「外典と偽典」第 2 巻、p. 498。
84. 上記内容と翻訳参照。
85. この信仰はモルモンのキリスト論で基本的な特徴をなすものであるが、モルモン書にこ
れを支持するものを見つけることができない。(もちろん「主」が「救世主」を意味すると
読めるのなら別であるが)
。しかし、この考えを支持するものが霊感訳の創世記 3、4 章に
見出される。他の全ての聖書(翻訳、版)とは異なって、創世 3:3 には「わが愛する子」、
創世 3:4 には「わが独り子」とあって、アダムと直接会話を交わしている様子がはっきり
わかる。これらの表現は全て、アダムが楽園にいた時を示している(3:28 をも参照)。4 章
には霊感訳にだけ見られる 14 の節があり、そこで堕落後のアダムが描かれている。そこに
キリスト論が現われている。
「独り子」
(創世 4:7, 9)、
「御子」
(創世 4:8)という言葉が見え
るからである。ここでさえ「キリスト」が楽園でアダムと言葉を交わしたという明白な表
現はない、と申し上げなければならない。[P.A.ウェリントン] 「ジョセフ・スミスによる
聖書の新しい翻訳」
(ミズーリ州インディペンデンス:ヘラルド、1970 年)参照。
86. 「油注がれた者」はモルモン書に出てこないようである。
87. 「イザヤの昇天」3:21-25、フレミング、ドゥエンシング、ヒル訳、p. 648 ( 註 67 参
照)。[ ] は参照元のまま。邦訳は、日本聖書学研究所編「聖書外典偽典 別巻 補遺 II 」教
文館、1982 年、
「預言者イザヤの殉教と昇天」村岡崇光訳によった。1 か所だけチャールス
ワース記事の引用に従っている。
「来臨が近づくと → 来臨・・について」
。
88. ストリックランド・ギリラン(Strickland Gillilan, 1869-1954) はアメリカのよく引用
される著名な詩人。
(訳者注)
。
89. トマス・ウォーカー、
「イエスの教えと当時のユダヤ教の教え」(Thomas Walker, “The
Teaching of Jesus and the Jewish Teaching of His Age”1923)。
(訳者註。註 3, 12 参照。
)
原題 James H. Charlesworth (1940- ), “Messianism in the Pseudepigrapha and the
Book of Mormon” in Reflections on Mormonism: Judaeo-Christian Parallels, ed. Truman
G. Madsen (Provo, UT: Religious Studies Center, Brigham Young University, 1978), 99–
137.
原文を以下のサイトで読むことができる。
https://rsc.byu.edu/archived/reflections-mormonism-judaeo-christian-parallels/7-messia
nism-pseudepigrapha-and-book
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