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相互承認と物象化臼

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相互承認と物象化臼
l初期ヘーゲルの社会蝋論11
相互承認と物象化臼
『雛命的自然法とその転回
2キリスト教国家..…・以上水号
L民族宗教と共和制
a愛の共同態
二、新たな全休性を求めて
2近代自然法批判
L人倫的共同態の理念
aドイツの日山と統一
四、市民社会の八内なる革命化v
寿福真美
九
三、相互承認関係としての市民社会
「革命的自然法とその転回
一
一、革命的自錘蒜法とその転回
L民族宗教と共和制
九二
一七八九年のフランス並命を、一九才のヘーゲルはテュービンゲン神学校で迎え、その鞘神は一瞬のうちに彼を捉
えてしまった。「専制君主反対/無職の徒に死を/心に対する絶対的権力を要求する恐るべき政治に死を/自山万才
/ジャン・ジャック〔ルソー〕万九」これは、彼がメモ帳に記した墓である.それに緋いてルソーの「社会
契約論』からの抜き樽きがある、「もし天使の民族が存在するなら、その民族は自らを民主制的に統治することだろ
う。」鍬と二人の親友、ヘルダーリンとシェリングは、フランスの新聞を貧り読み、革命の経過を熱心に追求するだ
けでなく、神学校内に結成された政治クラブにも参加し、ヘーゲルはその滅蝋にも立つ砲・それだけでなく、彼とシ
@
ェリングは自由の樹、球命への北〈感を表わすだけでなく、自らの地にも革命の理念を植えつける決意をも固める自由
の樹、の植樹祭にも参加した、と同窓のシュヴェークラIは伝えている。そしてその大学生時代に、ドイツに革命の
理念、自由/平等/友愛/を実現しようとするヘーゲルの情熱が、ライン左岸、南ドイツはもちろん、全ドイツで膨
藤として起った、政治的藷社の紐織翼職人腱長等の蜂起への論、に進んだかどうかは定かではないが、し
かし、ヴュルテンベルク王ルートヴィヒ・オイゲンの秘辮書記官J・血・シュヴァープが伝える、ヴュルテンベルク
民衆の意識と態度の一畷であったことは、砿かである。「確かなことは、そして私は自分の体験から知っているので
すが、フランスと、とくにパリの民衆の行吻がどれ程同意を得ていなかったにせよ、フランス革命が依拠する諸原理
は殆んど遍く拍手喝采を受け、教養ある諸階級の下でさえ、粗雑にしる鋭敏な民主主義が支配しています。その諸原
理は帰する所……君主が人氏のためにいるのであって、人民が君主のためにいるのではない、ということです。……
民衆は、平均的に見て、多かれ少かれフランス風に考えていま頬」
・そのヘーゲルの眼に、ドイツの支配諸階級とそれらを打倒すべき民衆はどのように映ったのか?その認識から、何
を主要な理論的・実践的課題として追求していかなければならないのか?君主、貴族階級、伯侶附級は強固な同盟を
結びながら、その民衆支配を続けてきている。しかもとりわけ宗教が、その支配を正当化するイデオロギーとして民
衆を教化している。「宗教と政治は共謀結託してきた。宗教は専制が欲したこと、つまり人額を軽蔑すること、人類
が何か善きものになり、自分自身の力で何ものかになる能力のないこと、を説教してきたのだ。」(、d鳥・閂・隈)
この宗教は、カトリックはもちろん、プロテスタント、ルター派をも含むすべてのキリスト教宗派である。我々は、ヘ
(し
ーゲルの思想が、キリスト教と専制、宗教と政治という視角から、恰も二つの焦点をもちながら一つの統一を形造る
桁円として問題を捉える視角から、誕生し発展していくことをここで確認しておかねばならない。なぜなら、この問
題設定から川発することによって、キリスト教評価の転換や、近代市民社会における社会意識の特質の認識過程が鮮
明になるからである。宗教という社会意識は、たんにその理論や教義自体から認識し評価されるだけでなく、それ以
上にその社会的機能に即して、現実の人間の社会的諸関係のひとつとして、ヘーゲルの関心を引くのである。「キリ
スト教は専制に抵抗したか?キリスト教が奴隷貿易に抵抗するのは一体どれ程の側か?lその伯職者どもは〔奴隷〕
船と一緒にギニアに行くのだ.’また人間貿易には?従耶佃が一緒に送られているのだI戦争には?ありとあら
ゆる専制には?」(司圃白・念【・)
確かに宗教心は、「我々の人生のうちで鮫も大切な耶柄のひとつであ」(、冨己P①)り、「人川の本性そのものの
九三
なかに、我々の意識内にある人間の行為よりも高位の存在を承認し、その完全性の直観……に戒接、時間、施設、感
一、革命的自然法とその転回
一、革命的自然法とその転回
九四
傭を捧げるという欲求がある」(帛弓の且口・ロロ、)という信念は、この時のヘーゲルのものであったし、そしてそれは終
生変わるものではなかった。しかしキリスト教の教えが人間の原罪を、超越的な神への帰依による桐背を、しかもイ
エスという歴史的一人格への信仰を説き、そのことによって理性と自由の能力をもつ人間を卑しめ、しかもドイツ、
ヨーロッパ諸国民の支配的宗教となり、専制2御神的文住、目山実現の陣確となっているとすれば、このキリスト教
支配の打倒と民衆の自由実現は、同時に達成されねばならないはずである。したがってヘーゲルの課題は、次のよう
に立てられることとなった。「民衆からその偏几を取り除き稗紫するとは……民衆の悟性が、一mでは誤謬の碓信と
暴力から実際に解放され、一面では諸根拠を通じて現実的誰具皿を確信することなのだ。..…Lだが、何が真理なのか
……人間の知はいかになければならないのか、人川的社会が生成すべきだとすれば、政治的な点に関しても何が想定
されねばならないのか?」(同席ロ8・田)
民族宗教の創設・実現と共和制の尖塊、これがヘーゲルのさしあたりの解容であるが(我々は、この解容が次第に
変容し、政治的に一周急進化していく過漉を後に兄ることになろう)、一七九二’三年に譜かれた『氏族宗教とキリ
スト教』に関する諸草稿に蛙づいて、この解容を再榊成してみよう。
民族宗教とは何か、その性桁はどのようなものであり、他の社会的、政論的思想、諸制度とどのように関係するの
か?これらの問いは、ヘーゲルが氏族宗教を、「個人の陶冶形成、徳の特殊的な促進の手だて、個々の苦悩や不幸の
なかでの慰めや励ましの教化」(、月口目・巴)を水面的目的とする私的宗教(イエスの教え/)と対立して、公的宗
教と規定した視点に基づいて答えられねばならない。なぜなら、「ある民族の信念をなし、その行動と思考様式に影
懇し……ある国民の粘神の崗扮と教化」(恩88.]□)を主要目的とする、公的宗教としての氏族宗教を創設し、そ
の実現可能性を信ずる、という彼の問題関心のうちに、ギリシャ共和制とその宗教に対する彼の憧僚と賛美を、それ
だけでなくルソーの民主制と市民宗教への共感を、そして恐らくは同時代史としてのフランス革命がⅡ々災践してい
る国民的祝祭日・国民歌への同意を想定できるからである。
ギリシャの民族宗教はまさに、共和制という政治的自由と一体化し、それを促進する公的宗教であった。「ギリシャ
人の国民的祝祭はすべて、神を、あるいは彼らの凶家に功労のあった、したがって神とされた人間を讃えるための宗
教的祝祭だった。バッカス、演劇、悲劇。」(口汀。8.と)そしてギリシャの宗教が公的宗教としてそのような機能
を果たすことのできた理由は、信仰自体が一面では理性の道徳的欲求と人間の諸々の感覚とに基づいており、他面で
は現突の諸生活(政治的、経済的、家庭的等々)の内容と不川本雛の関係にあったからである(回円ロ8.患)。総じて
ギリシャは、ローマと対照的に、すでに彼のギムナジウム時代仏堅、その終生を通じて変わらぬ愉慨の対象であった。
「ああ、過去のはるかな日々から、人間的美、偉大さに対する感情を偉大なもののうちにもっている魂に向って、ひ
とつの像がさしこんでくるI諸民族の精神の、幸福の息子の、自由の、美的想像力の教え子の、像が四(因冨口8》も{・)
しかし我々は、この愉媛がヘーゲル、身の胸中で州対立し矛盾する意識の蔦藤を育んでいる、という瓶突をもしっか
りと確認しておかねばならない。一方ではギリシャは、現代において政治的自由と人間的宗教とを実現するための亜
要な実例を我々に指し示し、したがってその共和制と氏族宗教を再興することこそが具体的な川標である、という歴
史を超えかつ貫く真理である。が他力では、ギリシャ共和制そのものはすでに脈史的過去の産物であって、現代にお
いてそれを再興することは不可能である、という歴史的認識もすでに成立している。ここでの草稿に言う、「我々は
九五
この〔ギリシj桁神を、噂から知るだけであり、我々に許されているのは、この精神の姿の股された模写のなかで、
一、革命的自然法とその転回
一、革命的自然法とその転皿
%へ
九六
そのいくつかの性格を愛と蝋嘆の念で眺めることだけなのだ……。この美しい治者は大地から逃げ去ってしまった。
※西洋は諸凶比の別の桁抑〔キリスト教〕を卿化した・その姿は老化しつつあみ。」(回汀ロ8.』P)※……※は抹消
部分。以下同様)我々がすぐに見るように、この内Ⅲ的関藤は、前打の把搬の優勢のまま、テューピンゲン時代を超
え、初期ベルン時代まで続く。そして東洋的専制としてのユダヤ民族、その民族が育んだ東洋的宗紋としてのキリス
ト教が、ローマの腐敗という社会的、政胎的諸条件を通じて西洋の諸民族をとらえていった。その決定的契機がロー
マにおける私的所有の成立・支配である、というヘーゲルの歴史的把握が確立するや、この関藤は終わりを告げ、キ
リスト教世界の只巾における古代ギリシャの再興という計画は幻想として斥けられる。一七九六年に彼は、ギリシャ
の再興、古ゲルマン人の自川の再興、そしてヘルダーの試みに関して断言する、「川民の失われた現像力を再興する
ことは、什から無駄なことだったのであり、全休としてはシーザーの試み、すなわち当時の人々のなかで祖先の神話
に、彼らのかっての強さと晋湿性を与える試み雁の成功をおさめることはできなかったのだ。」(ロ肝ロ8.9つ)
我々は多少先廻りしてしまったようだが、ここでは彼の問題設定の大枠としてのギリシャという把握を確認してお
けばよい。さらにルソーに閲して言えば、W班の引川から分るように、彼の民主制と市民宗教はヘーゲルに深い感銘
を与えていた。フランス革命の精神を形成したルソー、という評価が、反吻派、砧命派を問わず、一般的な意見であ
ったと川崎に、とくにヘーゲルにとって興味深かったのは、民主制を形成し発展させるために必要な二大条件とその
⑤)
前提、すなわち、比較的平等な私的所有制と、人間の私利私欲を公的・呰週的意志へと柳く市民宗教、これらを可能
とする古代ポリス、小規模の都巾国家、というルソーの思想だったに違いない。だが、我々が両者の発想の同一性を
想定するのは、さしあたり私的宗教に対立する公的宗教という問題設定と、その社会的機能に関係している。(凪比的
祝祭日・国民歌との共鳴は、民族宗教の形態と関連しているので、そこで検討することにしよう。)
民族宗教は、現実に民衆の意識に働きかけその生活世界を変革していく実践的武器となるためには、三つの本質的
へ
属性と一つの独自な表現形態とをもっていなければならない。第一に、人間の普遍的理性、カント・フィヒテ的な実
践理性に基づいていなければならない、しかも重要な一点を除いて。「実践理性は、現世に最高善を実現すること、
および道徳性とそれに適合した至福とを、人間の一切の努力の最高目的として人間に設定し、課題として提川する。」
(三P目・巴)「理性も〔愛と同様〕普遍的に妥当する法則として、あらゆる理性的存在者のうちに再び自分自身を認め、
叡知的世界の同市民として認識するのだ。」(ロ汀BPS)我々は、カントの実践理性が、人間の意志の自由を存在
根拠とし、人間の岐高善の突呪を、人倫的・市民的共同態に雄づく人倫的・道徳的共同態に求め、そしてそのための
根本条件を次の命題、「君の意志の格率〔意志の動機、規定根拠〕が、いつでも、同時に普遍的立法の原理として妥
当しうるように、行為せよ」によって表現したことを知って糺迦〉しかもカントの市民的共同態が実は、ブルジョア
(Ⅱ)
的土地所有者階級の支配する「共和制国家」であり、道徳的北〈同態が、人間にとって永遠に達成できない「物自体」
の世界であることをも知っている。しかし、この時のヘーゲルが、民族宗教を理性宗教(三田・閂・田)として規定すると
き、先の引用からも明らかなように、カント実践理性の根本命題を念頭に置いていることは、疑いの余地がない。し
かもヘーゲルの実践理性が、社会変革をめざす実践的性絡を明確にもち、かつ、人間諸個人の主体的決断と行動とを
強調するとき、むしろフィヒテが後年歴剛する絶対的自我の理論ときわめて接近したものとなる。このようなカント
・フィヒテ的な実践理性の性洛は、その普遍妥当性の要請(回肩口8・田)によって、また理性的立法の形式的性格
九七
の要請(国府口8.召)によって明らかになるだけではなく、理挑宗教の対極をなす呪物信仰としてのキリスト教批
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一、革命的自然法とその転回
九八
判からも明白である。キリスト教は、全能の神の啓示を受けたイエスへの信仰を要求し、それを通じた抑への完全な
帰依を要求し、しかもこの両者は教義、神学の教えに対する信仰の上に成立している、つまり、「キリスト教の教え
は大部分が歴史に結びつけられるか、あるいは歴史を通して描かれる」B亘日8.召)歴史的信仰であり、「伝統
Iこれを通じてこの宗教は我々に伝承されるlへの信仰に蕊づく、既成的宗教」(画汀§・塁)なのであり、現
在の人間にとっては所与のものにすぎない。しかし、真の宗教とは我々の理性によって承認されなければならず、神
の存在自体が人間の水性〔人間的自然〕によって承認されなければならない。「諸々の教えは、たとえそれらの権威
が神の啓示に盤づいているとしても、必らず、それらが真に人間の将咽的理性によって椛威づけられ、また各々の人間
がこれらの教えの義務に気づくようになったとき、その義務を洞察し職じるような性画のものでなければならない。」
(口冨日8.囹)(我々は後に、このような神把搬が殆んど然神論に接近していく過程にⅢ会う。)
との人間の道徳的本性、実践的欲求の水質を追求していくとき、我々は、少くともカント的な火践皿性が充たすこ
とのできない、氏族宗教の第二の瓜性を発見する。つまり、ヘーゲルの民族宗教は感性的でもなければならない。カ
ントの実践理性が「下位の欲求能力」を決して否定せず、それを方向づけるものとして機能するとしても、両者が対
立園係にあることは否定されえないのだか躯ヘーゲルの民族宗教は、はっきりとカント的理性への批判を含んでい
るだけでなく、感性的なものに包摂された理性、という質をもっている。「ある道徳の体系のなかで道徳性が感性か
ら、厳籍かつ杣象的に分離されねばならないとすれば、それだけ感性が道徳性の下に低められることになる。……
〔しかし〕理性の諸理念は、人間の諸感覚の織りなした6の総体に活気を与え、その影響によって、人間にとって行
為がある固有の光を帯びて現われる。……宗教はところに訴えかけ、我々の諸感覚と意志規定に影騨を及ぼすのであ
る……・感性的人間にあっては宗教もまた感性的である。l善行への宗教は動機が感性に働きかけうるためには、
それは感性的でなければならない。」(恩88.]]{・)我々が先に指摘した、公的宗教としての民族宗教の社会的機
能と、むしろフィヒテ的な理性の実践的性桁とを考えるならば、ヘーゲルのこのような要求は決して不自然ではない。
彼は確かに、感性と想像力が同時に偏見と迷信との根拠でもあることを看過してはいないし、キリスト教と専制の基
盤が感覚的なものにあることも指摘している(ロケ88.B・臼)。だからこそ民族宗教はまず理性的でなければなら
なかった。しかし、彼の力点は、人間の本性〔人間的自然〕を諸感怖の総体として把握し、キリスト教と神学的悟性
が圧殺してきた道徳的感悩の復権を図る、という点にある。「我々の本性そのもののなかには……悪しき傾向を妨げ
人間的最善を要求する、そのような感情が織り込まれている1-善なる渚傾向、同情、親切、友情……道徳的感情。
〔このような〕経験的性格の根本原理が愛である。」「本性のこのような美しい糸を本性に従って、高貴な紐帯へと
編みあげることこそ、とりわけ氏族宗教の仕事でなければならない。」(、汀且P四P臼)このような把握は我々に、
ルソーやヒューム、そしてスミスを思い川させ額確かにへ‐ゲルはこのときすでに、理性と感性という対立図式に
よってではなく、実践理性もまた道徳的感情であり、理論もまた実践的欲求である、という立場から、人間の本性
〔人間的自然〕を把握し、しかもそれが、社会的。歴史的に形成される、という視点をもっているのである。(我々
は、この把蝋と視点が、彼の独自な社会理論の溌礎へと展開していく次第を、後に兄ることになろう)。
しかしながら、民族宗教が人間諸個人を実践へと促す主体的宗教であるためには、さらに、第三の属性つまり、現
実生活の諸要求、とりわけ政治的自由と合致した内容をもっていなければならない。なぜなら、もしそれが、「人間
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九九
を、つねに視線を上に向けた天国の市民へと教育しようとするキリスト教」(厚の己P台)と同じく、現実生活を
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一、革命的自然法とその転回
一○二
「民族宗教は呪物信仰を避けなければならない」(ロウの口目・園)からである)、と同時に、諸儀式を通じて作用す
る。「聖なる音楽、民族総体の歌仙、民族の祝祭……民族宗教の儀式の意図は、〔人間の本性の〕神聖な諸感覚を昂揚
させる礼拝であ」(ロワ88.9)り、そして我々にとって興味深いことは、ヘーゲルがこれらの儀式を鉱祝してい
る、という事実である。というのは、儀式という形態自体が呪物信仰の可能性をもっているにもかかわらず臼序p8・
器)、それを民族宗教の独自な表現形態とするヘーゲルの把握のうちに、ギリシャへの廠保をみることができるだけ
箙忌蛭川繊鮒緬洲灘とくに凶蝋歌(7イラ」と『|…蛭1「ズ』…代…
今や、我々は、ヘーゲルのドイツ変革のプログラムとその実現過程について、語ることができる。民族宗教の飢投
・実現と共和制の実現は、民族宗教の基本性格から明らかなように、段階的にではなく、同時に為されるべき一個同
一の課遡である。「偉大な志操を産み育てる民族宗教は、目川と手を桃えて進むのだ。……民族の桁神、歴史、宗教、
民族の政治的目山の程度、はそれら相互の影轡からみても、それらの性画からみても、切り離しては考察されない…
・・・・民族の精神の陶冶形成は、一つには民族宗教の問題でもあるが、また一つには政治的諸関係の問題なのである。」
(ロ肝ロ8.凸{。)したがって、ヘーゲルの課題は、両理念を創造・発展させながら、現実のドイツにおける専制と君
主制、支配的思想としてのキリスト教を批判し否定することとなる。そして我々が注意しなければならないのは、第
一にヘーゲルが批判・否定を、現実に対する抽象的理念の対置に満足せず、批判されるべき現実の成立と存続にはし
かるべき必然的根拠があることを解明し批判することと理解していることであり、第二に、変革の主体を支配的諸階
級(君主、貴族、僧侶等)に対立する民衆のうちに求めていることである。前者に関しては、このような理解がすで
にテュービンゲン時代に確立していたとは言えないとしても、その萌芽は確かに存在している。というのは、一方
ではヘーゲルは、ローマにおける公的徳の喪失をキリスト教普及の一原因として示唆し(厚の且四・断)、他方では、
「啓蒙的悟性」を次のように明白に批判しているからである。「人間の不可解な恐昧さについて沢山話せる折、ある
瓜族がそのような偏見をもつのは撒挙の棚みだと微密に証明して兄せる背、その際、啓蒙、人間の認識、人斌の雌史、
幸編、完全性といった言葉をいつもむやみやたらに振り回す者は、啓蒙のおしゃべり屋、浅薄な万能薬を売る山師に
他ならない。……彼らは聖なるもの、人間の諸感覚というしなやかな織物を看過する。啓蒙的悟性の仕事は、客体的
宗教を精査することなのだ。」(ロ房且Pgm)その欠陥は、人間の道徳的諸感情を顧倣せず、したがって原皿・原
川を対価するにとどまる点にある。へ1ゲルのこのような肢史的皿解の方法は、翌一七几四年には明瞭に表現される
であろう。
ヘーゲルの変革主体概念は、必らずしも具体的に規定されているとは言えないが、しかしすでに確認したように、
支配者階級に対する民衆に定位している点、その民衆が民族宗教と共和制という理念によって変革主体として登場す
る点、少くともこの二点は砿火である。これらについては、ヘルダーリン、シェリングとの柾復掛而からも一M川腺
になる。というのは、一七九N年七月のヘーゲルに宛てた手紙の一節に、「『神の王囚』の〈Ⅱ言葉と共に我々が別れ
て以来〔つまり一七九三年十月以来〕」(、1の符・戸①)とあるように、「神の王国よ、米たれ、さすれば我々は拱
手傍観してはいない/……理性と自由が我々の解答であり、我々の集合点は不可視の教会なのだ。」という、一七九
五年一月のヘーゲルの一言葉(ロ房。:.]「)は、すでにテュービンゲン時代に三人が共、していたものであり、しか
一○三
も「抑の王囚、不可視の教会」とは、机々がすでに見た、彼岸ではなく、此岸における氏族宗教の実現と同義である、
「雌命的自然法とその転回
一、革命的自然法とその紘回
一○四
と想定されるからであり、さらに一七九三l丘年にかけて、この三人がフィヒテ的な尖践哲学に傾斜していく過程に
照応しているからである。シェリングは、『哲学一般の形態の可能性について」二七九四年几川)のなかで、「主
体一般の形態は無制約性のそれであり、客体の形態は(主体による)彼制約性のそれであり、したがって主体は客体
一⑯|
に対してつねに、規定可能なものに対する規定するものとして関係する」、とフィヒテを繰り返し、この哲学こそが
「人間の意志と余人頬の迎命とに働きかける」のだ、と災践哲学への移行を語り、また、ヘーゲル宛の手紙二七九
五年一月)では、現代の最高の哲学としてフィヒテ哲学を規定し、そしてこれは我々にとって敢要だが、フィヒテの
(Ⅳ)
「『全知識学の基礎と綱要』〔一七九四年/〕を読んだか?」(回肝且P国)と附いている。そしてヘーゲルが此
讃した「ドグマティズムとクリティシズムに関する哲学的書簡』(一七九五年)は、実践皿性の優位性に立ちながら、
「クリティシズムは究極u標の理念をたご実践的にのみ、つまり道徳的本質存在〔人間〕の使命のために便川する。
……不変の、己性、猟制約のNⅢ、無制限の活動に向って努力すると囮」、を説く。ヘルダーリンもまた同様であ
(旧)
る、もっとも彼は、フィヒテ的絶対的自我をスピノザの尖体として解釈しよ・つとするのだが⑪そして我々のヘーゲル/
「この哲学〔フィヒテ哲学〕によれば、人間が最高に高められたのだ。しかしなぜ、人川の鰍厳を打ち鳴らし、胤川
の能力lこれが人間を、全精神の平等な秩序のうちに措定する能力なのだ’を認識するのにこれ樫長くかかった
のか?僕が思うに、人斌がそれ自身として、これ程蝋厳に値するものとして描かれること樫、時代のよりよい印は
ない。それは、仰圧者にして地上の神々たる頭目どもからその栄光が消滅することの証明なのだ。哲学者たちがこの
尊厳を証明し、民衆はそれを感得することを習うだろう。彼らは殴芥のなかで屈従させられた諸権利を要求するので
はなくて、再び自ら取り入れl我がものとするのだ。」(一七几近年四月シェリング苑・m1鳥・目』)
(、)
それでは一体、フィヒテの実践哲学の突哲は何なのか?それはまさに、民衆による人氏主権の確立、社会的平等を
めざす革命的民主主義なのである。したがってシェリングが、「あちこちで人々は僕のことを民主主義者、啓蒙主義
ではない。勿論我々は、テューピンゲン時代のヘーゲルが、やがて具体化されるフィヒテ実践哲学の変革主体と同一
者、鉱ミナーテン等々じゃないかと言・ている」(国…P四m).とへ‐ゲルに書き送。に:決して不思議
の民衆像を想定している、と断定することはできない。しかし彼は、民族宗教と共和制の現念を自分の血肉とした民
衆が、支配諸階級を打倒する革命に期待し、その運動に参加する、という意志につき動かされている。同時に彼自身
が自らに、それらの理念の理論化と具体化の課題を課していることも、明らかである。初期ベルン時代もまた、この
理論的・実践的目標によって根本的に規定されている。
最後に我々は、次の問いかけをしておこう。そもそもヘーゲルが求めるような民族宗教は存在しうるのか、また尖
現可能なのだろうか?
米ヘーゲルの粁作・草橘等からの引川は次に依り、末足の略叶で示す。
ミ
ロ。
‐‐IIIIIIII-I(○三)
一○五
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一、革命的自然法とその転回
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一○六
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米ヘーゲルの著作・草稿等の執歌時期は、
Iゲルの著作・草稿等の執歌時期は、蕪本的に次に依る。これらの考証と異なる場合は、本文ないし注で言及する。
○三・m。,一・m・]屋は、(○ヨ・
○三・m。,一・m・]屋は、(○ヨ・目・巨昌)と略肥する。
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別この珈災は、一七九四年一二川のシェリソグ宛の手紙によって確認できる。「カリェがギロチンにかけられたことを芯らも知
るだろう。君たちは今でも、フランスの新附を読んでいるのか?僕の記憶が正しければ、ヴュルテンベルクではフランスの新側
は禁止された、と聞いた。」(国司』aの.『・局・傍点は、筆者によるもの。以下同様)
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指摘している。幻○mの「○口『口且『・ロ一目の⑪戸ロ〕・『(・で閂勝]①3.℃で.Ⅸ1s。
、ガロディは、ルカーチの解釈を「修正」して、神学的。政治的ではないが、しかし宗教的・政治的問題設定の重要性を正しく
⑧一七八K年Ⅱ川の『三人の会話」のなかで、アントニワスに次のように濡らせている。「側川なn-マ人のなかに、川囚愛の火
にとって自由は何の関係もない。……兵士は、敵に対してと同じく、市民たちに対しても血を流すのにすっかり慣れているし、彼
化がまだ燃えていると、君は信じているのか?何らない。蓉侈と逸楽のせいで彼らは、柧先の高貨な魂の品位を吃め、もはや彼ら
らは我が方の味刀だ。NI胴の民衆など、食料と金、それに劇で十分だ。」(C・穴ロョの。【の.②【・)
また一七八硲尿八月の「ギリシャ人とローマ人の示教について」は、彼らの襖数抑成立の根拠について、雛部族の迎合体であった
一○七
ついての、はるかに啓蒙され卓越した神の概念を、とりわけ人間の運命に関して示している。彼らは、各人が幸桐になるのに十分
ことと、神が人間の制限の表現であったことを挙げたあと、こう締めくくっている、「ギリシャとその弟子たちは我々に……神に
「革命的自然法とその転回
一、革命的自然法とその椛回
な手段と力を与える、耶物の水仙は、知恵と道徳的灘によって典の幸柵は達せられろ、と教えたのだ。」
、の『一一コ』@mm。、。oご》の。いつ0
一○八
旧昌日凰目の一愚貝・【1鳶口の『ご『具どの・ロのつくのg:沖・冒汽自励三の『丙の(勺同のロ、博すの鈩亙のヨーの)三四一月。の○『旦同・
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このようなカント社会哲学の性格規定を円8日□の問いの・囚、目日日・の汁:(目Qoの⑩の』』い◎冨津圖閂目ゴ:ロの]【目[・
旧肩・穴目▽犀一[一六Qの『□3百m:の.くの「目島・の・鷺〔8のP
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ルソー、シャフッベリーにも言及している
旧ヘーゲルは、ヒュームの「人間本性論』は読んでいたし(、○百日の。[の.←g)、一年後の草稿では、フィヒテ、カントは勿論、
スミスの『逝徳感慨論』に閲しては史料は残っていない。しかし、この点については、第三章で詳細に検討する。
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旧圃山の樹、七月一四日のお祭り、そしてサ・イラは、ドイツ民衆の共感の表現であった。ぐぃ]・」p【○ヶ】口】⑩○ずの国ロ、仇。ゴュ〔←のロ・
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川呼声の一一ごmm三国穴の
川呼声の一一ごmm三国穴の。、。ゴロの「○或四目一瞥⑪、:①一口口のロの『しロCaご目、.(出刷晒・)三口。[同日の◎耳α[の「》巨目・汀の口]@日焼。
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シの理念体系における岐近要の革命に偉大な武献をするであろう頭脳の労作……。」(、1の由の.H・目)
、一七九五年四月のシェリソグ宛手紙、「伐が〔君の〕主要理念を把握したかぎりでは、そのなかに学の完成を見る……。全ドイ
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×
結社で、「典のキリストの教え、つまり皿性」の再興・央現を掲げた。当時ドイツではフリー・メイソンと並んでフランス革命の
剛イルミナーテソ宮口日甘、←の口とは、一七七八年アダム・ヴァイスハウプ卜により作られたキリスト救改畝・社会改畝をめざす
X
加川稲、『フィヒテにおける市民社会と国家H・口』、『社会労働研究」第泌巻1号、第妬巻1号参照。
く
脈泉として非難、追及された。
なおドントは、ヘーゲルがテューピンゲン以来フリー・メイソンであった、と断定しているが、そしてその可能性(イルミナーテ
ン会員の可能性も含め)は決して否定できないが、それらを証明する一次史料がないために、この断定には面ちに同意できない。
』POB』の⑪U出○日一・四の、の一⑩R§・勺凰⑩gmmoロワの『⑪四目口いくの『ず。『ぬのロのCpの」一のロQ朋出の、の一周ゴgCのロ【の日.
そして念のために付記すれば、当時二八世紀未)のドイツにおいて、民主主義者、革命派、ジャコパン派は同じ内容をもって
、円一一口】の『Pの.、『19.9』IE-・囚819m.(仏語版未見のため、独語版より引用。)
いた。「民主主銭者のことを人々はよくジャコバソ派とも呼んでいる。」し且司8mmのヶ日:ロ・ぐ○局」陣具碕の句鈩匡貯8]是昏の吋
○
九
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「革命的自然法とその縮回
 ̄
「革命的自然法とその態回
2キリスト教囚家
○
は後に亜要な意味をもってくる)。第一に、その内容は、塊実の世俗的社会から遊離し、それに背を向けた、水賀的
駅)我々もまた、キリストの教え自体に関しては、さしあたり次の三点を確認しておけばよい(しかし、これらの点
どんな光のなかで、どんな脈絡のなかで、どんな序列で提起されているか、ということなのである。」a房&P
である。「主要な問題は、純枠な道徳の諸筬言がイエスの教えのなかにあるかどうかではない。……それらの筬言が
在文配しているキリスト教の教えと諸制度であり、さらに、キリスト及びキリスト教の教えが伝達される形態だから
キリストの教えの内容日体は、二甑の激味でヘーゲルにとっては切実な問題ではない。なぜなら、問題はまさに現
過限で先の直接的問題意識が変化し、新たな課題設定が必然化するからである。
1ゲルの検討・批判をさしあたり、一七九四年までに書かれた五つの草稿に限定して再構成しよう。なぜなら、その
(し
の精神を通じて、これを行う。そのためにキリスト教は、どの程度資格をもっているか?」(三PF。)我々はへ
知っている/〕の促進、宗教のこのような目的の促進は、a教えとb儀式を通して行われる。……国家は国制、統治
きること、これがヘーゲルの直接的問題意識であった。「道徳性〔我々はその政治的・社会的・道徳的内容をすでに
宗教と共和制の尖現という視角から、キリスト教の教えそのもの、キリスト教旧家の生成史を徹底的に検討し批判し
的・宗教的生祈を支配する近代ヨーロッパ諸川家、すなわちキリスト教国家の只巾で、それを否定し超克しうる瓜族
分の課題と考えを終皿し、さらに発展させる格好の機会を与えた。キリスト教が公的宗教として人間の政冷的・社会
一七九三年一○月から三年続く、ベルン巾シュタイガー家の家庭教師としての生漸は、ヘーゲルに、学生時代の自
一
に個人の道徳的改推、をⅡ的とする「私的宗教」(ロ肝。§・巴〔..『])であり、第二に、教えの形態が内容への信仰で
はなく、イエスの人格と彼の示す救いの道への信仰を要求し(「私を信じる者は…・・・」、「澱悔せよ、そして福音を
信ぜよ。」ロ肩口8口・の、)、第三に、これらの特徴は、東洋的専制国家に生きるユダヤ教徒の下で必然的に成立
せざるをえなかった(囚)の目P余・召)、というヘーゲルの認識がそれである。
キリスト教の教えの水質はどこにあるのか?「キリスト教によれば、永遠の至柵の岐高の条件は、キリストへの信
仰であり、彼の、宥和のための死の力に対する信仰である。……信仰それ自身が神の意に適う根拠である。」
(、汀ロ8.9)だが、歴史的人絡であるキリストへの信仰を要求すること日体が、央践皿性の要求に反する。とい
うのは、一般に歴史的なものとは様々な限界をもっており、真理を汲み尽せるはずがなく、したがってキリストの教
えとされるものも、雁史的に伝えられてきたものであるかぎり、そのような限界を免れないはずであろう。だから、
とヘーゲルは批判する、キリストへの信仰とは、伝えられたもの、与えられたもの、雌史的に形成されてきたものへ
の信仰を意味するが、このことは我々に対して、皿性を、まさに雁史的なものを自分のぢえに従って検討し批判する
理性を放棄せよ、と要求することだからである(ロワ88.①黒・)。さらに、そもそも我々は幸編になるために、な
ぜキリストという「廻り道」(口汀。8.患)を通らなければならないのか?この考え方は、人間の本性が雌落した
ものであり、従って神によってはじめて救済されなければならない、という人間蔑視の思想であるだけでなく、先の
歴史的信仰を一層強化し、人間剛性の発展を阻害するものでもある。なぜなら、この廻り道が、本来の目的であるは
一一一
ずの道徳的改善に至る絶対的条件として要求されるために、条件であるはずの廻り道、つまりキリストへの信仰が主
要目的となり、主客転倒してしまうからである(回汀呂僻巴あの)
|、革命的自然法とその転回
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との史れ判、う、は俗か、トしとそ
くに〔キリスト教の〕場合には、口碑の本源的形態の根拠や内容は、もはや全員の所有するものではありえない。と
いうのは、それに桁通するには沢山の時間と多様な資料が要求されるからである。こうしてあの身分はやがて公的な
信仰を支配するようにな」る(ロウの。§・程)。しかし、社会的諸身分の不平等の成立過程、それと僧侶身分特権化
との関係、等は雁史に印して具体的には解明されていない。これらの問題とその歴史的分析とは、ベルン時代後期か
ら、切実な課題となってくるのである(我々はその契機にすぐ出会うはずである)。
ヘーゲルは決定的な要素を、私的宗教の公的宗教への転化に見ている。我々はすでに、キリストの教えが個人の道
徳的改善を目的とする私的宗教であり、自分の人格への信仰を要求する歴史的信仰であり、そして、その宗教が小さ
な私的結社においてのみ可能であるというヘーゲルの判断を知っている。そして歴史的信仰を本圃としているが故に、
そこではつねに歴史的真理なるものの解釈が問題となり、必然的にその専門職が並要となり(僻侶身分の成立/)、
彼らの解釈と救え(教義と神学の成立/)が、キリストへの信仰に至る第二の「廻り道」が、要求されること、これ
らもまたキリスト教団の必然的帰結なのである。では、このような宗教が社会全体に拡張されると、どういう事態に
なるのか?実践理性の原理、つまり人間の意志の自由、良心の自由が完全に否定し圧殺されるのである。なぜなら、
繰り返しになるが、我々が道徳的になるためには、最高善に至るためには、それを独占する佃侶身分と神学、そして
それらが指し示すキリストの教えなるもの、この二砿の「廻り道」が絶対的条件であり、その結果各人が主体的に判
断し、n分の理性に従って行勅することは許されないからである。「心と思いを検査し、良心を裁き罰するという借
越さが、人類の暴力的制度や欺臓のなかでも最も不快な出来損いを生んだ。秘密戯悔、破門、贈罪、そしてこれら人
一一一一一
類の屈辱の恥ずべき記念碑の全シリーズを生んだ。」(恩のロ8.Scそして我々人間にとって「最も耐え難いの
「革命的自然法とその転回
一、雌命的n然法とその転回
一一四
は、公然と立てられた習俗の番人だ。純枠な心で行動する人が、道徳的で宗教的な定木をもった人々によって、真っ
先に懇川されるのだ。」(口FaPs)
良心の自川が服殺されるだけではない。ヘーゲルが追求している共和制もまた否定されるのである。なぜなら、キ
リスト教国家においては、支配的牧会の傾城と社会の傾城とが亜なっているために、教会からの破門は面接社会から
の破門、すなわち人絡と所有に対する権利、政治的自由の喪失を意味するからである。だからこそ逆に、キリスト教
は、専制や君主制という、此側制の反対物と同慨し、手をとりあって発展してきたのである。しかし、「君主たちが
その司祭たちによって指導された諸時代、佃職者たる支配者が統治した国々、これらこそ岐も不幸な時代ではなかつ
たのか?」(ロワの己四・s)
だが、このようなキリスト教とキリスト牧剛家を批判していくなかで、ヘーゲルは、深刻な疑問に直川する。一体
人々はなぜ、徹頭徹尾人間理性に矛盾するキリスト教を受けいれてきたのか?なぜキリスト教は公的宗教、支配的宗
教になることができたのか?自分が追求している氏族宗教もまた、キリスト教同様に、良心の自由と矛盾しはしない
だろうか?公的宗教としての民族宗牧は存在しうるのだろうか?
最初の疑問に対して、彼はこの段階でも解容しようと努力している。「キリストへの信仰は、人格化された皿想に
対する信仰なのだ。」(回す⑦且PC①)「我々は、人間の本性のうちで不快なものだけをすべて……自分にとってお
くことによって、人間の水性の美しいものを、我々自身が疎逮な佃休のなかにはめこんだのだ。」(口汀且ロムS【)
人間が自分の優れた本性や理想像を自分以外の存在に対象化しているのだから、神とキリストへの信仰とは、炎は人
間が自分自身を信仰すること、フォイェルバッハに倣って言えば、人間こそが岐高存在であると承認することに他な
に分大た公とし111|在か
着析よの的「lるにを?
手にりだ徳分し応Allさ
し支6.カKのとえ造ら
Iii:雨三jHガ維繩
上¥MWL吃舳M2
いはにa外対要力ば菰
くい、P的すとしな人
・な根一仲るすてらな
すい拠8人偏るいず疑
な。と~さIll]・る、’11}
わしし生が ̄と゜かが
而糞雛11;;
に,,,旨i;iⅦMt糀
身ゲ摘的[’だ分らぜて
らない。すでにテュービンゲン時代にヘーゲルが、人間の皿性によって承認されてはじめて神の存在があり、人間の
究的見れ、ljil ̄疑存の
本性が神的なのだ、と考えたことを我々は知っている。だから、今のヘーゲルの言紫がその延長線上にあり、人間か
、過ゲ受iの、はそ物
改程ンけ!6戸こので
めの時いだつiIIIれよは
て具代れか、威らうな
研体にららillののない
ら超越した絶対的存在としての神概念を否定する考えを内包していることは、明白である。そして我々は、これ以後
本に我とillil:|送たて?
的と々、を’'1るのも彼
lとどが歓必なよか、は
応まテ迎典」しう?な歴
えりユさとイⅡなへぜ史
る、’れす主氏|人」き
く歴ビつる魂族ゲ々の
〈史ンつ。行はノレは人
彼が神的存在、神の啓示について語るとき、その神とは人間理性によって承認され、人間理性を体現するかぎりでの
:脈繊Mlii綿23
回恨摘、然保,-,をきしか
神なのだ、という思想が貫いていることを決して忘れてはならない。神の存在を語るかぎり、彼は無神論者ではない。
とのはの卜いうH、をでど
そ疑まIii教うな的捉あう
:戸三kJj〆◎
i::i1ij;;鯰!{
鴬あれルリスとよ、心のは
しかし人格神を否定するかぎり、少くとも汎神論者ではある(この点について、我々はこれから繰り返し言及するこ
jM1紬tlf紳朏f1il
とになろう)
ルさ所’か|=I6IiIIキ
はれ行マら身神世りし
、ての人、の々紀スか
一い文の米なかに卜し
七る配,渚lUからもが、
一九。、11$のにもわそで
「革命的自然法とその転皿
の教えの検討とキリスト教国家成立史の批判的・歴史的検討、がそれである。
一一一ハ
後者の疑問も、すでにこの段階のヘーゲルの諸草稿からはっきり読み取ることができる。「全貝が、あるいはそこ
までいかなくとも大概の者がn発的に同愈できるような宗教的かつ道徳的諸真理の体系を樹立するのは、川難な課題
と思われよう。というのは、我々は、民教宗教がその教えを押しつけず、いかなる人間の良心も強制してはならぬこ
とを、その必然的要求とみなすからである。……一疋の表象の仕方を公的に命令したり禁止したりすることが亜典事
になるや、人間の良心の自由が傷つけられるだけでなく、危険なファナティズムに容易に火がつけられうる、という
経験……。」(、汀。S・『ロ〔・)との経験が、まず何よりも、キリスト教の醗史そのものを指しているのは言うまでも
ない。しかし同時に、ヘーゲルの眼には、一七几三年六月に始まるジャコバン独裁下の「皿性宗教」の肌もまた映っ
ていたに述いない。彼は、アーヘンホルッの「ミネルヴァ』、ロベスピエール批判を行い、ジロンド派のエルスナー
を破要な寄稿家としていたとの雑誌、が提供する附報に敏感であった(く、-.,.日の。[.E〔・)とくにテロルと「至岡存
(&
在」の強制とが批判されねばならない。(注意せよ、我々が後に兇るように、ジャコパン独裁の理念そのものに対す
る批判ではない/)確かに『ミネルヴァ』の愉報は偏向しているのかもしれないが、しかし、自分と同じくルソー
の市民宗教に鼓舞されたロベスピエールとそのグループによる支配の下で、市民の信条が戒かれる、しかもギロチン
にかけられる、としたら、一体剛性宗教とは何なのか?ヘーゲルの心中には先の難問が重くのしかかってきた。それ
だけに一層彼は、一方では良心の向山と絶対に矛府しない民族宗教の具体的諸条件を求め、その具体的な火災形態を
描こうとし、他方では、民族宗教そのものよりも共和制の理念、その基礎づけ、実現の方法等の課題に重点を移して
いく。
(3)
一七九近年、このような新しい問題意識につき勅かされて、ヘーゲルは、カント、フィヒテ、ギポン、モースハイ
ムは勿論のこと、恐らくはルソーをも改めて、桁力的に研究しながら、自らの思想を確証し発展させていく。彼の肢
も根本的原理は、実践理性、意志の自律と良心の目川であり、すでに我々が再三再四Ⅲ会ったものである。「教会の
全体系の根底にある根本的欠陥は、人間桁神のあらゆる能力のもつ権利、とくに諸能力のなかで第一の能力、理性の
権利を否認していることだ。」、「n分で自らの徒を自分に与え、自らがその碇の使川に対する貢爪を負う椛利を、
いかなる人間も放棄できない。これを放棄するや、人間ではなくなるから。……自らの心中から碇を自分に与える、
という不可綱の人椛……。」(ゴ戸閂・」の「・』g)だが、我々は注意しよう、この原理が根本的であると同時に、社
会的かつ歴史的に具体化された内容をもっていることに。
ヘーゲルの最初の解答は、「イエスの生涯」のなかで、良心の自由に基く理性宗教を求めるイエス像を再柵成する
試みである(一七九五年五月九日’七月二四日執筆)。この草稿のイエス像は、公的宗教を追求しながら結局は私的
宗教に追いやられざるをえなかった挫折せる先行者として描かれるが、その描写に、民族宗教の存在可能性に関するへ
1ゲル自身の悩みが投影していることは勿論である。だからこの点を無視ないし満過すると、「ヘーゲル思想の真髄」
(ディルダイ、ロールモーザー)の表現と誤認されたり、完全に無視されたり(ルカーチ)、「探究に際してしばし
(4)
ば、直接対立する概念を巡る、ヘーゲル思想の錯綜した効き」の表われ(グリュガ)として奥の問題が見失われたり
してしまう。
イエスにとって神とは何か?それは、人間の心のなかの理性である、とヘーゲルは答えさせる。「あらゆる制限を
一一七
免れた純粋な理性が、神そのものである。」「自分のなかに神的力が住んでいない背は、神の王国の市民ではない…
一、砿命的、然法とその松回
一、革命的自然法とその転回
一一八
…。人間のなかには糀神も、神的本質の火花もあり、すべての理性的存在の分前は、人間に分け与えられているのだ〕
(}さず一・『Pご)イエスにとって、神を信仰することは何を意味するのか?歴史的信仰、権威に基づく信仰ではなく、
人間の内なる神を認識し、その要請に忠実に従うことだ、とヘーゲルのイエスは答える。「もし諸君が、諸君の教会
の諸規則と既成的命令を、人間に与えられた岐高の徒とみなすならl諸君は人間の尊厳を誤認し、自分自身のなか
から神の概念と神の意志の認識とを汲みⅢすという人間の能力を誤認しているのだ。lとの能力を自分のなかで崇
めぬ者は、神を崇めてはいないのだ。」(回房且P&)イエスにとって、神すなわち人間理性の最高の要請とは何
であり、それに従うとは何を意味するのか?「諸君が欲しうることは、〔それが〕人間の普遍的な徒として諸君に対
しても妥当する、という格率に従って行勅することであるlこれが人倫の根本命題でありl全立法と全民族の聖
書との内容なのだ。」(厚88.m『)この絡率に従って意欲し実践することによってこそ、人間は自分の水性(理
性的存在者)を現実化し、道徳的改善を達成できるのである、とイエスは教える(ロウのaPmPBm)。しかし、そ
れではメシアによる人類の救い、罪の放し》そして神の王国は到来しないのではないか?その通り、とイエスは答え
た。我々一人ひとりQ躯体的実践のみが問題なのであり、しかも杣の王国は来世、地上にではなく、我々の心のなか
にのみ、今現在樹立されるのである。「ユダヤ人にイエスは呼びかけた、他人〔メシZに期待するな、自ら諸君の
改善に着手せよ……そうすれば、神の王国が到来するのだ。」「神の王国は、諸君の内面に創られねばならぬ。……
外面的で絢燗たる人間の結社のなかにl国家という外的形態のなかに、結社のなかに、教会の公的な徒のなかに1
〆
1神の王国を見ることを望むな。」(囚)の日酔匿・」届)したがってイエスは、一切の外的形態をとった信仰者間
の結合を拒絶し、たぎ相互の愛による友人関係だけを自分の教えのなかで許したのである(ロ席貝甘・』口、)。
このイエス像は確かに、テュービンゲン時代のそれを知っている我々を驚かせる。なぜなら、第一にヘーゲルは、
イエスの教えを徹底して理性的かつ主体的、反権威的かつ反歴史的信仰として、したがって反既成的宗教として描こ
うと試みるからであり、第二に、個人の道徳性の陶冶それ自体が目標ではなく、それを通じた、愛によるユダヤ民族、
全人頬の結合、つまり公的宗救の碓立が目標だからである。しかし大切なことは、このような意図を抱いて行劫した
イエスの生漉が、精神的、政治的奴隷制国家に生きるユダヤ人のなかで、しかもその僧侶階級と君主へローデスの
共同の辿轡に抗しながらの生脈であり、彼の死の契機が私欲に走るユダによってもたらされたこと、そしてイエスの
本来の教えと、ペテロをはじめ一二使徒の考えとが異質であり峻別されるべきものであること、をヘーゲルが執勘に
強調していることである(ロ月旦口。『m・田・cPEい」鷺・局の【・)。これらの事情こそが、反既成的で公的な示教をめ
ざしたイエスの主観的意凹に反して、彼、身に既成的形態で語ることを余儀なくさせ、行動をユダヤ氏族総体ではな
く、個人の啓蒙に制限せざるをえなくさせた歴史的条件であった。イエスは、その歴史的諸条件の前で挫折し敗北し
たのである。だから逆に我々は、『イエスの生椛』のヘーゲルの姿に、イエス自身をその限界を越えてまで主体化・
非既成化しようとするなかで、その試みを究極的には許さない社会的・歴史的諸条件の解明に肉迫する二二才の青
年の意気込みと冷徹な分析を予感せずにはいられないのである。
我々は、その成果を、恐らくは「イエスの生涯」に引き続いて書かれたであろう「キリスト教の既成的性格』と、
(6)
これに関連した三つの箪純のうちに見ることができる。
「ユダヤ川瓜の悲惨な状態lとの国民は、とヘーゲルは曾きはじめている、自らの立法を岐筒の神〔エホヴァ、
一一九
この神は自然と全人頬を軽蔑し支配する絶対的な主体であり、かつ、絶対的服従の客体である〕自体から導きだし、
一、革命的自然法とその転回
一、革命的自然法とその松川
一二○
その精神は彫像のような命令の下で大地に押さえつけられていた。この命令は、日常生活のどのような璃末な行為に
も杓子定木的に規則を定め、金川氏に倣侶階級への威信の念をおこさせた〔真の始祖アプラハム、そしてモーゼ等々
だけが、神の髄児であり、その命令の下でユダヤ人は、一切の政治的権利を否定された専制の臣民であり、何物も所
、できぬ平等な占何背にすぎず、既成的徒に縛りつけられた鮒神的奴隷であった〕。……この国民の附神に残された
ものは、自分自らがつくったのではない徒に九いする奴隷の服従への自負だけであった〔徹底して受動的で反主体的
であったが故に、選民意識とメシアによる将来の解放だけが、ユダヤ人の誇りであった〕。」(ヨい閂・Sm〔・)こと
でヘーゲルはユダヤ教を、エホヴァとアプラハム、モーゼの権威に基く既成的宗教を必然化した自然的・社会的諸条
件、すなわち苛酷な自然、ローマとエジプトを筆頭とする他民族による征服、市民的・政治的自川の欠落と専制
(口席日囚・巴《・9℃・一行-.,房a、.&負,図画の魚・)、をも脂摘しようと試みている。その試みが決して成功していな
いとしても(だからこそ、後のヘーゲルによって、補わざるをえなかった)、我々がすでにテュービンゲン時代にそ
の肪芽をはっきりと確認した、諸現象の社会的・歴史的分析と批判の方法は、キリスト教凶家成立史の諸画期(イエ
スと十二使徒の時代↓初期キリスト教団↓ローマ帝同におけるキリスト教の支配↓教会山家の成立↓現代のキリスト
教国家)に即して具体化され発展していく。
さて、このように受助的で既成的なユダヤ人の只巾で、あの主体的で反椛威的なイエス、尖践理性に雄づき諸個人の
道徳性の陶冶形成を追求したイエスは、どのように説き、かつ行動せざるをえなかったか?彼は、自分の教えが人間
の内なる理性の要求に荘づくからではなく、超越的な絶対者、神の意志であるが故に、その信仰を要求し、神の子とし
てのイエスの人格について語った(、月日P巨心)。彼はまた、教えを説くのに虚櫛と黙に訴え、たとえ主観的意図
としては「廻り道」だとしても、奇峨について諮った(ロ肝且口・】屋・ロの)。そして彼は、理性は〃人のものである
にもかかわらず一二使徒を選び、彼らに自らの使者としての全権を与えた(厚88.局。{・)。しかも彼は、既成的
信仰の表現である外而的儀式つまり洗礼を信仰の条件にした(口蔚p8LB)。これらの邪尖は、イエスの教えと行
動自体が既成的であることの明白な証明ではないのか?主観的意図がどうあろうと、結果としての具体的行動は既成
的ではないのか?勿論ヘーゲルは、これらにすべて肯定的に容える。しかし彼が満目するのは、イエスにそのような
矛盾をひきおこさざるをえなかった条件は何か?ということである。既成的諸条件の下では既成的信仰が成立する必
然性があるのだ。イエスは挫折し敗北したのだ。彼が選択した地は、n分の主観的願望と矛脈した刀法、つまり信仰
を権威によって基礎づけることを通して、権威信仰としてのユダヤ教を否定する道であった。「イエスは自分自身の
ために、n分について、自分の人絡についてとても沢山紙さねばならなかったのだ。……所与の命令に側する新たな
コメンタールを提供するより、自分の民族のなかで働きかけようとした教師、規則づくめの教会信仰の不充分さを自
分の氏族に確偏させようとした教師は、必然的に自分の並恨を、同等の椛成によって雌礎づけざるをえなかったのだ。」
(ロ汀ロ8.口い,くぬ一.ロウ88.口S{・)
しかし、とヘーゲルは力説する、唯一点を除いて、イエスの救えを決定的に既成化したのは、一二使徒と弟子たち
がイエスと関係した仕方、彼らによるイエスの受けとめ方、それらに制限された彼らの教え、なのである。その決定
的な前提条件は、イエス以上に彼らが、囚家制度、巾瓜的生活など人間化祈の多棟な側伽に対する一切の関心を放棄
して、ひたすらイエスに関心を集中していた、ということである(口房aPBPmm)。決定的というのは、我々が充
一一一一
分知っているように、ヘーゲルは、宗教が政治、社会なしでは存在しえず、かつそれらと炎典一体の耽要小である、
一、革命的自然法とその転回
一、革命的自然法とその転回
一一一一一
と把握しており、その把侭は、人間の水性が多面的な諸欲求の集合体である、という認識に雄づいているからである。
かってのソクラテスとその友人がそうであった、「ソクラテスの友人たちは、若い時から彼らの諸力を多面的に発展
させ、共机制の桁神を吸収していた。との粉神が各個体そのものに、より多く日立性を与え、一人格だけに倣肌徹尼
依存することを善良な諸精神に決して許さないのだ。」(厚88)イエスの弟子たちは、彼の人格にのみ縛りつけ
られていたが故に、彼の教えが真なのは、道徳的であるからでなく、イエスが語ったからこそ真なのだと考え、彼の
行動が奇賦と映じるや、その奇硫故に彼を信仰していくようになったのである。そして、「この奇破信仰樫、イエス
の宗教を既成的なものにし……その宗教の脳礎をすっかり椛威に側くのに戊献したものはない。」(回す四己P臣の)
こうして、すでにイエスの同時代に、イエス故の信仰、奇硫故の信仰、外而的儀式を通じた信仰、「廻り道」による
偏仰が成立していった。これとイエス自身が犯した既成化の行為、すなわち一二使徒の選川・全権付与、が一体化す
ることによって、キリスト教の全史を質く位階制(ヒエラルキー)、神とキリストに始まり、側侶階級・教会を経て、
他律的にしか救済されえない俗人大衆に至る位階制が、原皿的に碓疋されたのである。「岐商の名洲を特定の数に制
限することによって諸個体の名声が根拠づけられ、そしてこの事情が、後にキリスト教会の体制のなかで、それが拡
張すればする秘、何か一M本画的なものとなり、投票の多数によって真理の判断を確定し、その命令を世俗に対して
信仰の規範として強制する、公会議を可能としたのである。」(ロワ88.局C
我々はあまりに多く、イエスと使徒の時代に柵まりすぎたかもしれない。しかしこれは、我々にとって必要な「廻
り道」であった。なぜならその途上での確認、イエスの教えの理念は、あくまでも理性に基づく公的宗教の実現にあっ
た。だがユダヤ氏族の既成的性絡によってその剛念の具体的形態は既成化せざるをえず、その既成化を全而的にした
のは、人間の政治的・社会的諸関係を放棄した使徒の思想と行動とであった、というヘーゲルの認識は、イエスの理
念そのものを反既成態という視角から一屑純化し於礎づける方向へと駆り立てるだけでなく、宗教と対比して政治的
・社会的諸関係の比価を琳大させ、それらの皿論と考えを一肘急進化させていくからである。勿論先の確認のお陰で
我々はキリスト教国家成立史の諸画期を詳細に辿る必要はなく、ただ瞥見するだけでよいのだが。
初期キリスト教団を特徴づけるのは、それが比較的小さな結社であることと、すでに既成態として生成しつつあった、
ということである。確かにヘーゲルは、しばしば初川教川の姿を、当初は良心の、川という不可瀬の人樅に雌づく
とか、各人の自発的同意による、共同の信仰に基づく結社の形成とか描いている(回蔚8F]①P』怠{・)。しかし
ながら、イエス自身と使徒の下で既成化が進行していた以上、初期教川もまた既にその納成時には、共川の傭仰と規
川とに対する服従を要求する既成態として存在していたのである。「初期のキリスト教徒は、共同の信仰によって結
びつけられている……他に、さらに結社をも形成していた。その成員はキリスト教信仰を受け入れる場合には、同時
にこの結社に加入し、結社に対する義務を引き受け、n分に対するn分の椛利〔良心の、Ⅲ〕を瀬渡した。キリスト
教信仰を受け入れながら、しかもキリスト紋の結社と……結社の諸嬰求とに従わないことは、恐らく矛府していたの
だろう。そして成員の敬虚さの程度の大小は、とくに初めは、彼の結社への依存ないし服従の程度によって測られた
のだ。」(向ワの己囚・]患[・)それでは権利の識波、結社への服従は具体的に何を意味しているのか?成鳳の平等が一
応前提されているかぎり、つまり佃侶階級の月立化が殆んど進行していないかぎり、それは多数決原理の支配の承認
(多数決によって決定された結社の諸要求を遵守すること、多数決によって選出された牧師に従うこと)を意味する
一一一一一一
他はない(団同ロ§・EP」仁【・)しかし、各人の信仰の内容を多数決原理によって決めることは、一切を主体的に忠
一、砧命的n然法とその転川
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団の結合ないし連合である。ヘーゲルはこの肥大化の必然性、キリスト教の拡張の諸条件を、ギポンのローマ史に依
りながら解明している。従来の認識に比べて決定的に前進しているのは、ギリシャ・ローマの共扣制国家の没落とキ
リスト教普遍化との繭要な述結環として、他ならぬ私的所有の支配を把握していることである。そしてここから、私
的所、の文配する社会に適合した意識形態としてのキリスト教、という、我々が第三章で詳細に扱うはずの社会理論
へ発展する問題設定が生まれ、同時に東洋の専制lギリシャ共扣制l私的所行の支配するローマと現代、という雁史
把握が生まれ始めてくる。「キリスト教による異教の放逐は、感嘆すべき革命のひとつである。めくるめく偉大な諸
革命がおきるためには、それらに先立って、時代梢神のなかで榊かで糖かな革命が先行していなければならない。」
(恩の己P国&)ヘーゲルの一一二、う時代桁神の革命とは、勿論意識の変化を含んでいるが、より以上に意識の変化を惹
き起こす社会的、政胎的諸条件の変化を意味している。それは、共和制の崩壊と熾族制の確立そして私的所行の支配
である。「戦勝、嵩の蝋大、生活の幾多の便益や群侈を知ったことが、アテネとローマで武名と篇の趾族制を産〔ん
だ。〕……少数の市民に国家という機械の統治は委ねられ、市民は個別的歯車でしかなかった。・・・…自分が定めた法
祁に従い、平時には自分が選んだ当局に、戦時には自分が遊んだ司令官に服従し、自分も一諦に決めた計画を遂行す
る自由はなくなった。一切の政治的月川がなくなった。市民の椛利はただ、所有の安全の椛利を与えただけで、この
椛利が今や市民の世界総体を満たしてしまった。」(ロケのロ8.9段・)との私的所有の支配と政治的目山喪失との必然
的な因果関係の認識は、ヘーゲルがその生澱を通じて保持せざるをえなかった肢も根本的な認識のひとつである。我
々が後に見るように、私的所有の支配が現代社会において必然的であり、しかも不平等の成立が不可避的である、と
一二五
いう認識が成立した時に、彼は政治的目川の具体的形態を、もはや共柵制にではなく、人倫的共同態という、絶対に
一、革命的自然法とその転回
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否末にも現もで宗利(111、史的たこそ
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イlヒヘに樅の的るまIilソ、、はし制
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はゲま(よ志格うもれ卜しまくす柵
すルれ、にとにばて ̄矛りなで組
ぐがる司従lリ}忠〈は、Iiri将るにと
に具、助う|]わ最なそす週と6は
兄体な物こ’これ初られる的考つい
よ(l(]い的と矛るのなに場意えてか
うにし411に1両。社いIⅡ合志らいな
 ̄魁そ/アなすな会と人、Iとれるる
、定れのるるぜ契としそ従る4kも
二罵雛鱗:iii:Miili
九MiiiMj動食藪駝鮭;イリ樅
、、さ分家そ約をるてるでりっ自
信次れの雛し側想。決。あ入ま然
011のるlMf脱て体定確しるイhiり権
倫的共同態として登場するのを見ることになろう。がさしあたり、この要求もまたあの共和制を急進化させるだけで
RlW4鮒撫鷹糊胃各然枇そ
締と胸会,剛決り,れ契且M鱗
ある。
よ諸能椛’'7にしかてヨヘを|苣|と
一、革命的自然法とその転回
一三○
の自川の権利、③教育を受ける権利、Ⅲ政治的自由の権利(結社の自由、法律の決定に参加し実行する権利、国家の
官職に就く権利)、⑤以上すべてに関して平等に扱われる椛利(ロワの。§・匠の{:忌、〔:国①)。
これらの人権を保障すべき同家、市民的国家、市民社会(との三表現は完全に等価である/)の内的構成はどうな
っているのか?「市民社会とその文配折や立法打の鏑椛利が、彼らの欲するようにして成立した〔征服による椛利の
成立、その州統〕かもしれない、ということがたとえ市民社会の水性であるとしても、そのなかでは個人の椛利は旧
家の椛利になっているのであり、国家は私の諸椛利を川家の諸椛利として主帳し仰弧する義務を負っている。」
(口蔚aP]s)ここから次のことがわかる。第一に、ヘーゲルが社会契約による市民的脚家の形成を、囚家成立の
説明原理としてではなく、国家存立の正統化原理として把握し、したがって現在の実践によって現実化されるべき課
題と捉えていること、第二に、諸個人と国家の同一性を規定していること、それは、彼が君主の義務や主権者の義務
について諮っているとしても(、豆圏8.]g[。.]怠)市民の多数意志が奥の主椛打であること、を葱味する。そして
その火皿形態は共杣制、厳槽に言えば、人氏主椛原皿に立つ共抓制である(後に再論する)。第三に、市民の椛利の
保池を川家の義務とすることにより、国家内における個人や結社(教会とツンフトを彼はとくに政祝する。口肝口目・
忌Sによる諸人権の侵害からの回復を国家の義務としていること、とりわけ所有の権利については、次のように規
定されること、「貧民は、国家の成員としての私に対する椛利として、施物を要求しなければならない〔道徳的存在
としての私に要求する場合、それは慈善であって、権利ではない〕。……彼はこの要求を、国家を通して間接的に行
うべきであろう」(、亘日8.]韻)との表現は、貧民の耐求椛を認めていることからして、蔵の不平等の比較的な平
等への厭化を意味している。ローマにおける私的所有の文配による政治的自川の喪失を認識したヘーゲルにとって、
(皿)
またギリシャ共和制の前提が比較的平等な富の支配であったことを認識していたであろうヘーゲルにとって、この
喫求は当然の帰結であった。この時Mに執飛されたと批疋される一断片は、我々の結論をはっきり典づけている。
「近代の諸同家においては、所有の安全が、その周りを立法総体が廻り、かつそれに国家市民の大抵の権利が関述し
ている枢袖である。……若干の市民の異常な富が最も自由な国家体制の形態にとってもいかに危険になり、目巾その
ものを破峨しうるか、をアテネのベリクレスの突例の雁史、ローマのⅢ拠挑族……フィレンツェのメディチ家が示し
ているlそしていかに多くの硴固たる所何椛が、共和制という恒久的な形態の犠牲に供されねばならなかったか、
を研究するのは大切であろう。もしフランスのサン・キュロット主義がめざした、かなり極端な所有の平等の原囚を、
ただ強欲だけに求めたとしたら、恐らくその人は、サン・キュロット主役の体系に対して不服を犯すことになるの
だ。」(pRaP一$)此机制実現の前提条件としての常(ギリシャ)および私的所有(ローマから現代まで)の比
較的平等という要求は、私的所有の否定的本性の認識とともに、ヘーゲルが生涯捨てなかった考えであり、それ故に
彼の社会皿論全休を矛府の只巾に役げ込む枢杣となるであろう。このような形態での私的所何の否疋は、さらにルソ
ー、とりわけフィヒテのそれによって促進されたと想定される。すでに我々が確認したように、一七九五-几六年は
(U
フィヒテヘの傾斜が明瞭であり、かつ一七九六年の『自然法の基礎』は、生存権↓労働権↓所何権の論理と、国家
(人比主椛)による平等な私的所有の要求とによって特徴づけられている。(言うまでもなくこの要求は、フランス
一七九三年遜法の思想であり、ドイツ・ジャコパン派の要求でもあっ頓)確かに我々は、私的所有自体の否定的
本性の認識水準において、この段階のヘーゲルがフィヒテ以上に高いことを認めなければならないし、そのかぎりで
一一一一一
はむしろルソー的な立場にあると言えるかもしれない。しかし肝要なことは、彼の労え〃の大枠(災践皿性の絶対的
『砧命的、然法とその転回
一、革命的、然法とその緑川
一一一一一一
主体性から川発して、、然法の全休系を導川すること)がフィヒテに定位しているであろう、という点である。
(胴)
我々が先に、人民主権原理に立つ共和制と規定した国家体制の具体的内容は、恐らく一七九六年八月l一七九七年
一月執筆と推定される草稿「巾参事会は民衆によって選川されねばならぬこと』、に明瞭に示されている。その第一
断片で彼は、ヴュルテンベルクの旧来の封建的旧識会い臼]QBm・伊日a⑭Sm〔((冊主が統棚し、佃隅身分代表、ゲ
マィンデ代表で柵成され、一般比衆の選挙にはよらない。趾族階級はドイツ帝国耐凪のため識席はない)に代わって、
民衆も選準に参加するラント議会F回。:国。。①を要求している。「今こそヴュルテンベルクの民衆が恐怖と希望の
釛柵から、期待とその幻滅の交侍から脱け川る時であろう。……ヴュルテンベルク人はラント識会の刊染にもまさっ
て、正しい授助を期待しうるものが他にあろうか?」(厚の日凹・患の〔・)そして、一七九六年九月の選挙勅令に始まり、
翌年三月開会する、所謂改革議会幻の〔・【且臼己[ロmは、民衆の参加を排除した、身分制に基づく旧会議なのである。こ
こから伐々は、ヘーゲルが此川川をラント議会をもつ囚家体制と想定していること、同時にしかし、それを災現する
には、民衆の力鹸い行肋と迎助が必要不可欠であると判断していること、を批爪できる。だからこそ彼が訴える川手
は、ヴュルテンベルク人一般ではなく、ましてや召主、熾族、特権的僧侶身分などではなく、他ならぬ民衆なのであ
る。「ヴュルテンベルク民衆に訴える。……変革が生じるべきであるならば、何かが変破されねばならぬ。こんな無
内容な真理が語られねばならぬのは、せざるをえぬロ丘mの§という不安は、意欲する三一二:という区別から、次
の点で区別されるからだ。その不安によって駆り立てられる人間は、確かに変革の必然性を感じており、認めてい
るが、しかし〔変革が〕始められるべしとなると、n分たちが現在もっているすべてのものを保持しようという弱さ
を示すのだ……。このような珊さの光景を民衆は認めてはならぬし、ドイツ人は認めてはならぬ。」(ロ房ロ8.日e
詞(|iIl的日れ大時民立原コな休代るた他
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係の変紘の問題として捉えていることは明らかである。だがそのことは、彼が反剛性宗教としてのキリスト教批判を
放棄したことを、決して意味しない。むしろ逆に、フランクフルト時代を通じて、既成宗教批判はいよいよ歴史的に
基礎づけられ、そのなかから、キリスト教国家全体を否定する、新しい政治的、社会的、精神的秩序の簸要な一原理
が誕生してくるのである。その原理が、ベルン時代後期の「否定的本性をもつ私的所行」という認識の深化過樫を産
婆としていることは.改めて言うまでもない。
(巴
一七九六年一一月末、ヘーゲルはフランクフルトのゴーゲル家に家庭教師として採用される。それは彼の親友ヘル
ダーリンが斡施してくれたものであった。ヘーゲルは翌年一月フランクフルトに背いた。
(1)『氏族宗教とキリスト紋に側する諸断片』と呼ばれている譜草橘(ヨ凶自とl」&)のうち、216冊(厚の且四・余1s])
(2)ぐぬ]・」・ロ、四○コ臼・ぐの『ずo岡の。の①この]]の口。m・glさ.
いろいろの結論を、我々にとってはなお皿術の幾多の皿念に適川するのを学ぶため、つまり、これらの剛念をカントの総論
(3)一七九几年一川のシェリング宛の手紙、「ととしばらく僕は、カント灯学の研究に阿皮とりかかった。カントの繭喫な
に従って仕上げるためだ。……〔正統派とそのイデオ⑪-クの〕乱熈不服に対して……フィヒテは、その『全啓示の批判」
によって疑いもなくⅢ戸をMいたのだ。」同年川Ⅱシェリング宛、「僕は災股皿性の謝喫調を改めて研究する過雁で、例が
この前の手紙で僕にはっきりと説明してくれ、君の論文の中にあったものによって復讐された。それは、フィヒテの知識学
ごm一・m口の{Bm9の一一一口ぬく○日S少巨、后ニヨ①m・のワのa四・m・目
の基礎〔’七九四年〕が僕に完全に開明してくれるものだ。……フィヒテの知識学にとりかかっている。」(ロケ81P圏{・)
ギポン、モースハイム、そしてルソーについては本文で言及する。
(4)三】」盲』日、冒すの罠・ロの」仁晒の目、の⑫:』。旨の四○mの」⑪.{ゴ、○の8日日の一一の⑭。冨旨のロ・炉臼已凶、.F鹿の1盲己巴.
一、革命的自然法とその転回
五
一、革命的自然法とその転回
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いの」ロ巴囚』ご『《・の。四一℃。
(5)前者の大部分が、一七九五年二月二日以前に、その結論部分が一七九六年四月二九日頃に完成したのは確かであろう。
くぬ一・三N・旨.B『・執筆開始は、「イエスの生涯」の内容と密接に関連しているから、恐らくその直後と推定される。後者の
●00
一一一断片は、一七九バー九六年(夏まで)と推定されている。『、一・恩のa四・
(6)この引川文にかぎり〔〕内の補注は私のものではなく、ヘーゲル自身が一七九八年I一八○○年に報いた草稿、『キ
リスト教の精神とその迦命』(第二蹴飾一節で検討される)のなかで、「ユダヤ教の鮒抑』二七九八’九九年に執飛)と称される
部分に鑓ついている。ヘーゲルの研究と思想の水噸が絡段に机述しているので、この方法は本来誤まっているのだが、少くとも
彼のユダヤ教理解だけは一貫して(テュービソゲン時代から晩年に至るまで、鱗水的に同一の桃絡をもっていることと、引用
:『○$、冨呂【の.[日三国圏か.m・層]1塁、
文の内容を分りやすくすることが、この方法を採用した理由である。くい一・濟凋の一・く・『]の、目、のロ:囚日⑦で嵐一・m8豆の
(7)『ぬ一・両。}【函乱の国『・の威且のロa幻8『肝の貝具一・コどの-日)目、の口餌の、の一『三目Sのロ]①&.、.、①{『・・⑪鷺..」&.
(8)三両一・幻・顛乱の国『・口.四・○:の.9-の『・彼によれば、モースハイムの論理は、原始キリスト教における民主制(民衆
架会が股間の地位を占めること、および、側別教川の自主独立と教会会議における多数決原皿の喬定)↓徴川の拡鵬による業
務の墹大と説教師の成立、その結果としてのヒエラルキーの成立↓司教、つまり独立化した佃侶階級の成立・司教会議の確立
↓その権力の肥大化、であるが、我々が考察したヘーゲルは、初期教団をすでに内的編制原Ⅲにおいて既成化と判断し、かつ、
そこで生成しつつあった代表制原皿が教団の拡張を通じて教会会議の自立化に転化する、と把握する。この二点において両者
は、ホッチェヴァールの見解とは異なり、対立する。勿論彼も両者の対立を認識してはいるが(くぬ』・ロゲのロ:》召{{,)、決
定的な点、つまり初期教団の民主制を承認する点で、我々のヘーゲルと訣別するのである。
(9)ご巳・言白・一馬・「国家は、否むしろ国家の権力者はlというのは今の場合、国家は破壊されているから1.志操
に働きかけるという教会の企図によって利益を、しかも大きな利益を得た。その利益とは支配であり、聖職者たちによる意志
の向山すべての抑圧の後に、完全な勝算をもつ専制である。l教会は市民的および政治的、川を、天国の財と生の享受に反
する汚れたものとして軽蔑することを教えた。」
(⑩)’七九五’九八年と推定されている(ご堀一・両ケのaPm望)が、私は本文に述べる理由で、’七九六-九八年と判断する。
である。三行一・三田》P思竃・
(Ⅱ)「キリスト教の既成的性格」執兼時にすでに読んでいたかどうかはわからないが、後年の批判からして読んだことは確か
(旧)くい一・]。○四『すの『・幻のぐ。」ロ註・ロ腎○ぐの日目守穴『cコケの温弓口目5己忌》の.]のmlgP
(旧)この草稿は最初、「市参事会は民衆によって選出されねばならぬこと』、と題されていたが、ヘーゲルによって本文のよ
うに改題され、その後他人の手でこれが消されると同時に同人によって.「ヴュルテンベルクの最近の内情について、とくに
草稿は二M片からなり、第二断片はハイムが伝えるものであり、第一断片には一七九八年といつへlゲルの書きこみがある
巾参事会制度の欠陥について」、と変更された。くぬ一・二早閂.g②可・ロ
の昂揚、旧議会逃挙の時期、かつヘーゲルはベルンからフランクフルトに移る途中シユトウトガルトの生家に、少くとも一二
(ロワBQ口・Sc)。私の推定は、川第一断片の原草稿は、一七九六年八Ⅱ’一七九七年一月(ヴュルテンベルクの反封処斗争
川は淵伽した)に、当時一○○以上も川版されたと言われるパンフレットの原稿として、ベルンないしシュトワトガル卜で執
ヘーゲルの思想的発展の諸段階に適合していること、および、少くとも第一断片原草稿は内容止、三川十八Ⅲの議会附会以前
筆された、②表題変更と第二断片執筆は、’七九八年フランクフルトでなされた。その理由は、本文で詳細に分研していく、
と想定した方が適当であること、である。く麺一・国・m3の①一・mg月日円可の〕四六Cワ目の「》の.g←I目一・
(川)四・の。p$-.,ヶの。:.]g{{:Ⅸ、,
(胆)ヘルダ1リンは、以前から彼の活動しているフランクフルトへヘーゲルを誘っていて、それが一○几以来具体化したのであ
る。ごm一・、己の[の:エの、の]く○日思・二○く・]ごm・量・ロ・囹・○百・己9.g・Z・く・一巴①(mdC庁自.⑬二)もっとも
ヘーゲルは、’七九六年八月へルダーリンに詩『エレウシス」を捧げている。それはヘルダーリンを「神」「解放者」「同盟
ヘルダーリンは、すぐにパリ旅行に川発せざるをえなかったのだが。
者」として讃えたものであって、両者の思想的親祷さの証ではあるが、しかしそれ以上のもの(例えば、フリーメイソンの証
一三七
明。ご頭一・]・□国・ロ日.四・四・○・・の.、巨頭・)ではない、なおヘルターリンの社会思想については、火を参照。U』のqの
一、革命的自然法とその転回
一、弛命的自然法とその転回
国の『日皀然・函。]ロのユヨロコ。&の句3.N○m】の。pの固の『。」g】oPmp芦剣丙口日己ぐ:可・色,go、』①巴
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