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全文版(PDF/12.1MB)
2009
No.13
[ジャイカズ ワールド] 平成21年10月1日発行(毎月1回1日発行) 編集・発行/独立行政法人 国際協力機構
〒102- 8012 東京都千代田区二番町5-25 二番町センタービル 1∼ 6階 TEL 03-5226-9781 FAX 03-5226-6396 http://www.jica.go.jp/
ニッポンで学ぶ
OCTOBER
特集
10
●
OCTOBER 2009 No.13
ISSN 1883-2768
エチオピア南西部に暮らすハ
マ ル 族 の 男 に と っ て、﹁ウ クリ﹂
と呼ばれる成人儀礼はとても大
切なものである。なぜなら、ウ
クリを経験しないと、彼らの社
会では結婚することも許され
ず、またウシを扱う一人前の男
月ご
とも見なされないからだ。
雑穀の収穫が終わる
ろ、河川敷近くの広場に集まっ
た男たちは顔にペインティング
を施したり、頭に鳥の羽を飾っ
たりして正装する。ウクリを受
ける新成人の親族の女性たちは
むちを打たれ、おなかや背中に
は 無 数 の み み ず 腫 れ が で き る。
男 が 社 会 に 出 る と い う こ と は、
それを支える女たちにとっても
名誉であり、同時に今後のさま
ざまな受難にも耐えていくとい
う意味が込められているのだろ
う。
ただならぬ気配を察したウシ
たちは逃げようとするが、男た
ちの手によって並ばされる。そ
の上を、全裸になった新成人は
一気に跳躍し、向こうまで渡り
1960年兵庫県出身。アジア・アフリカをフィールドに「地球と人間の関係性」に関する写真作品を制作している。
「カミサマホトケサマ」で
第9回さがみはら写真新人奨励賞受賞。
修
文・写真=船尾
切る。それを二往復繰り返して
終了。成人になるには年齢は関
係ない。その人物が社会を支え
られるかどうかが問われる点だ
という。
ETHIOPIA
ウシを跳び越えて
大人になる
エチオピア
10
13
ウクリ
表紙
c HIROYUKI KOBAYASHI/
○
SEBUN PHOTO/amanaimages
富 士 山や新 幹 線などが象 徴の
“ニッポン”
で学ぶJICA研修員は
年間約1万人。日本の経験を通じ
た知恵と技術が伝えられる。
OCTOBER 2009 No.13
編集・発行/独立行政法人 国際協力機構
Japan International Cooperation Agency : JICA
Contents
02
春夏秋冬
ウシを跳び越えて大人になる
04
特集
ニッポンで学ぶ
“地元学”
から地域の良さを引き出そう 熊本
神戸から「防コミ」を学ぶ 神戸
ハマの水に、120年の歴史を学ぶ 横浜
沖縄の観光促進に外国人の力を 沖縄
私たちが見た、感じた日本
こうして研修はつくられています!∼研修を支える人々∼
18
20
22
24
地域と世界のきずな
地域ぐるみで研修を支えよう 九州地方
ゲンバの風
山形洋一 JICA国際協力専門員
PLAYERS
黄土の大地に緑と希望が根を下ろす日を 認定NPO法人緑の地球ネットワーク
ココロとココロ ∼届け 私たちの思い∼
サイクロン救援活動で学ぶ、思いやりの心 NPO法人地球市民ACTかながわ
特別レポート
26 北澤豪さんが見たアフリカの光
28
29
30
JICA に聞きたい!
JICAはNGOとどのように連携しているの?
JICA UPDATE
イチオシ!
地球ギャラリー タイに暮らすミャンマー難民
31 まだ見えぬ明日を信じ
39
40
MONO語り
インドのハーブ湯で心まで温かに
MY ACTION
菊川 怜 女優
JICAのビジョン
すべての人々が恩恵を受ける、
ダイナミックな開発を進めます
(撮影:久野真一)
Inclusive and Dynamic Development
途上国に有効な
日本の経験
。
の技術やノウハウを直接学ぼうと、毎
が少なくない。そうした日本ならでは
汗と努力が必要だ。日本は、その苦労
だが、国に根付かせるためには数倍の
之次長。技術は輸入するだけなら簡単
の研修員を受け入れた。それから約半
のです﹂
。
材しか生産できず閉山に追い込まれた
戦後、飛躍的に経済成長した日本。そ
の象徴が、1964年の東京オリンピック
開催とそれに合わせて開業した東海道
新幹線。新幹線は世界銀行から融資
を受けて建設
敗の要因とされた。だがその後、釜石
輸送体制が追いつかなかったことが失
人材、裾野産業、原料・燃料の調達や
うなもの。新しい技術を支える幅広い
として重視してきた平和教育のほか、
貢献してきた交番制度、唯一の被爆国
ージに関連記事︶
、治安維持に大きく
を教訓とした防災への取り組み︵8ペ
んだ省エネ技術や、阪神・淡路大震災
小規模の溶鉱炉を何十回も改良、失敗
高い維持管理能力に支えられた上下水
日本人の勤勉さや価値観などに基づく
ビス︵ ページに関連記事︶など、
分野・
道、電力、運輸・交通などの行政サー
を積み重ねた末、当初計画した トン
高炉の復活・操業に成功する。
また、成功の裏には﹁マネジメント﹂
しての技術やノウハウを制度と訓練と
織の生産性は向上しない﹂
。パーツと
解できるものではない。
﹁百聞は一見
いた考え方や知恵は、聞いただけで理
しかし、経験を通して日本人に根付
地域的に日本の特徴が表れた研修コー
規律によって統合し、組織・社会の生
にしかず﹂︱。この言葉が示すとおり、
の存在があった。
﹁個人にいくら高い
産やサービスにいかに効率的に結びつ
実際に日本の社会や組織の中に身を置
スがそろえられている。
。今の日本があるのは、こ
トを重視してきたからこそ。どのJ I
うした行政や企業、組織のマネジメン
体感しながら学ぶことこそ、真の理解
の仕組みや風土、文化、価値観などを
き、苦労を話し合い、背景にある社会
けるのか
CA研修も、日本と途上国の〝マネジ
につながるのだ。
研修の産物はこのほかにもある。同
メントの違い〟を体感することがもう
一つのテーマになっている。
じ課題を抱えた他国からの研修員と
は、帰国後目標に向かって互いを切磋
公害・水俣病への取り組みから生まれ
校保健﹂
、高度経済成長期に経験した
童が健全な学校生活を送るための﹁学
原 動 力 と な っ た﹁生 活 改 善 運 動﹂
、児
さらに日本には、戦後の農村振興の
っかけとしているケースもある︵ ペ
本では、研修員受入を地域活性化のき
友好や親善にも大きく貢献。他方、日
となるだけでなく、日本とその国との
は、研 修 員 個 人 に と っ て〝一 生 の 宝〟
携わった日本人関係者との交流や親睦
百聞は一見にしかず
た﹁地元学﹂
︵6ページに関連記事︶
、〝も
ージに関連記事︶
。
琢磨し合う仲間になる。また、研修に
ったいない〟に代表される﹁循環型社
る。また、オイルショックを契機に進
的にも特徴ある〝知〟が数多く存在す
会﹂の独自の価値観や概念など、国際
っている。
私たち日本人にも大きな〝財産〟とな
ニッポンでの学びは、研修員にも、
04
は母国の各界で活躍する人も多い。
関、
NGO、大 学、民 間 企 業 な ど の 代
参加者は、途上国政府などの公的機
表者たち。研修期間は、数週間から数
カ月間で、その分野もさまざま。また、
日本の大学に在籍しながら学ぶ留学生
日本を舞台に行われる国際協力
それがJ ICA研修員受入事業だ。日
も年間130人受け入れている。
国の発展に参考となる﹂
﹁日本の近代化プロセスは開発途上
本には、組織経営や人事管理など組織
レベルの仕組みから、生活改善運動や
地方行政制度など社会レベルの制度ま
年、世界各国から研修員が来日。北海
を重ね、国を近代化させてきた。
﹁明
J ICA東 京 の 森 裕
で、他 国 に は 類 を 見 な い〝独 自 の 知〟 こ う 話 す の は、
道から沖縄まで日本各地に滞在し、地
治初期、鉄の国内生産を急いだ政府は、
高炉から原料を運ぶ鉄道のレールまで
域の人々と交流を図りながら研修を行
っている。
石製鉄所を設立しました。しかし2年
すべてをイギリスから輸入し、官営釜
54年。日本が政府開発援助︵ODA︶
後、わずか400キロ余りの粗悪な鉄
研修員受入事業が始まったのは19
を開始したこの年に、アジアから 人
世紀でその規模は拡大し、2008年
度は150 カ国から約1万人が来日。 社会・経済的つながりを無視した先
端技術の輸入は、砂漠に木を植えるよ
高度経済成長
生活改善運動
製鉄所はこれを教訓とし、 年に及び
c 読売新聞社
○
技術や知恵があっても、それだけで組
10
25
帰国研修員は 万人に上り、その中に
明治7年(1857年)、官営製
鉄所として建設が開始。日本の
近代化に大きく貢献した
c 毎日新聞社
○
c 毎日新聞社
○
参考文献:中岡哲郎 著『日本近代技術の形成―
“伝統”
と
“近代”
のダイナミクス』
(朝日選書・2006年)
ニッポ ンで 学 ぶ
四日市ぜんそく
October 2009
October 2009
05
10
|
16
アジア・アフリカ・中南米・中東・大洋州などから
日本にやって来るJICAの研修員は年間およそ1万人。
日本社会に身を置き、その技術や知恵を学ぶことは、
彼らに、そして私たち日本人に何をもたらしているのだろう。
学校保健
1940年代後半∼50年代、農村
での生活改善を目的に実施。改
良かまどなどが導入された
c 毎日新聞社
○
12
釜石製鉄所
1957年、
インフルエンザが大
流行した京都の小学校では学
級 閉 鎖となり、授 業 再 開 後は
全児童にうがいをさせた
c 毎日新聞社
○
|
20
ぜんそくの健康診断を受ける女
性(1967年)。高度経済成長
の負の側面として日本は多くの
c 毎日新聞社
公害を経験 ○
ニッポンで学ぶ
熊本
“
熊本
菊池市
地元に
〝ある〟資源を活用し、
まずは足元を見つめ直すことから始めよう︱。
地域活性化に取り組んできた日本。
その独自のノウハウを学ぶため、
JICAの研修員が熊本県菊池市を訪れた。
豊かな緑と水に恵まれた熊本
﹁ゴメンクダサーイ!﹂
ームに分かれて聞き取り調査を
落点検 ※﹂の手法を用いて、3チ
うな人が住んでいるか、
﹁T字集
この日は、菊池の町にどのよ
るさと水源交流館﹂
に滞在した。
活用していこうという取り組み
ら、地元に
〝ある〟
ものに気付き、
︵外からの視点︶を吹き込みなが
なく、
〝土〟︵地域の視点︶に〝風〟
〝ないものねだり〟をするのでは
と顔を見合わせた。
な け れ ば と 気 が 引 き 締 ま る ね﹂
の人々。
﹁この町のために頑張ら
摘してくれた﹂と感心する地域
が危惧していたことをズバリ指
林和彦さんと地域ボランティア
法人きらり水源村事務局長の小
まちづくりに積極的に取り組ん
発足以来、
﹁地元学﹂を活用した
きらり水源村も2000年の
し た。最 初 は 不 安 も あ り ま し た
姿勢には、本当に心を打たれま
﹁皆 さ ん の 真 剣 に 学 ぼ う と す る
受け入れた中丸ひとみさんは
ホ ー ム ス テ イ で 研 修 員2 人 を
だ。
の ふ も と に あ る 水 源 地 区。そ の
の 原 公 臣 さ ん 率 い る チ ー ム は、
できた。
今回、J ICAの研修員
が、今では娘みたいな感覚。
英語
けにもなります﹂と長畑さん。
ま
や解決の可能性に気付くきっか
が、地域が抱える潜在的な問題
内の相互扶助の現状を知ること
離れて住む家族との関係や地域
らがタジタジになるくらい質問
会です﹂
と原さん。﹁皆さん、こち
た く さ ん あ る。と て も 貴 重 な 機
ることで、改めて気付くことが
﹁自 分 の 町 を 研 修 員 に 説 明 す
と
〝あるもの探し〟
を行った。
日かけて集落を回り、地域の人
とって実りのあるものになれ
ア イ デ ア が 得 ら れ る。お 互 い に
意見からも日本のまちづくりの
に確実に生かせるし、研修員の
労話などは、途上国の地域開発
した様子。
﹁地域の人から聞く苦
ョンはできるんですね﹂と感動
ができなくてもコミュニケーシ
分、目の前に広がる菊池渓谷
一角で農業を営む中村文男さん
交流館裏にある細永地区の9世
たちもこの﹁地元学﹂を実践。
1
ずは現状を確認し、このままだ
してきますよ﹂と笑う。
お昼には
こうしん
宅は、いつもとちょっと違うお
帯を訪問した。
畑で栽培した里芋の出荷作業
年 後 ど う な っ て い く の か、
すか?﹂
﹁お 孫 さ ん は よ く 遊 び に 来 ま
ュニティ開発﹂コースの研修員
京が実施する﹁住民主体のコミ
べきかを考えていくことが目的
そして、今後何を改善していく
つづみを打ちながら、この土地
原さん宅で奥さんの手料理に舌
仁さんは期待する。
ば﹂
と、あいあいネットの壽賀一
自分たちの住んでいる地域に
変 化 を 起 こ し た い 。菊 池 の 人
つなぎ、住民主体の地域開発を
するのは、日本と開発途上国を
学 び に や っ て 来 た。研 修 に 協 力
けて、海を越えて日本の手法を
コミュニティーの再生を図って
なり、さまざまな手法を用いて
本も戦後、行政と住民が一体と
地 域 開 発 は 世 界 共 通 の 課 題。日
先進国であれ、途上国であれ、
がもっと必要なのでは﹂
﹁先祖や
い も 大 変 に な る。介 護 施 設 な ど
ももっと増え、お互いの助け合
のない財産﹂
﹁ 年後はお年寄り
管理されてきた自然はかけがえ
ぶなど、地域の人の手で適切に
で調査結果の発表会。
﹁川や竹や
そして最終日の夜は、交流館
により、世界中の地域がより元
住民主体で取り組む﹁地元学﹂
は口をそろえる。
んに報告したい﹂と研修員たち
また絶対菊池に戻ってきて皆さ
て 研 修 で 学 ん だ こ と を 実 践 し、
間 は 一 生 忘 れ ま せ ん。国 に 戻 っ
﹁菊 池 の 人 た ち と 過 ご し た 時
も研修員もその思いは一つ。
に耳を傾けた。
で生まれ育った原さん夫婦の話
だ。
フリカのコミュニティー開発の
支援する、一般社団法人あいあ
きた。その一つが、
﹁公害﹂から
歴史の価値を再認識した﹂など、
気になることを期待したい。
現場で活躍するNGO職員や行
いネット。
9月初旬、同研修のフ
﹁環境﹂のまちに変貌を遂げた熊
研修員の率直な意見に、
﹁私たち
10
政官など 人が、8∼9月にか
ァシリテーターを務める長畑誠
本県水俣市が生んだ﹁地元学﹂
。
|
専務理事らとともに﹁きくちふ
住民とともに学び
地域と向かい合う
たち。
アジア、大洋州、中南米、ア
すか?﹂
﹁各集落の家族構成や年齢層、
に黙々と取り組む中村さん夫婦
と
﹁お 子 さ ん と は 同 居 し て い ま
に そ う 尋 ね る の は、
J ICA東
﹁何人家族ですか?﹂
客さんでにぎわっていた 。
県菊池市
実施。交流館を運営する、
NPO
88才の緒方とよかさんのお宅を訪問。ウガ
ンダの研修員フリーダ・イマ・アムロンさん
(左
から2人目)
は「こんなに長生きをして頑張っ
ている女性がいるのは素晴らしい。菊池の
元気の源ですね」
と感動していた
。市 街 地 か ら 車 で 約
水源の町
〝きくち〟について知ろう
九州
引地地
き域元
出の学
そ良か
うさら
を
06
October 2009
October 2009
07
10
熊本
from
from
KUMAMOTO
(右)
調査結果を説明するバヌアツ共和国のボップ・
パレン・アタさん
(左)里芋農家の中村文男さん
(左)
に聞き取り調
査。
どんな小さな情報も地域開発のカギとなると、真
剣にメモを取る
20
|
15
集落を流れる水路を見つけた研修員たち。
原さん
(右から3人目)
の説明に耳を傾ける
きくちふるさと水源交流館
は、2000年に廃校になっ
た菊池市立菊池東中学校
の校舎が活用されている
KUMAMOTO
※熊本大学文学部総合人間学科の徳野
貞雄教授が考案した地域開発の手法。集
落の聞き取り調査の情報を図式化し、10
年後の地域の将来像を考える。
特集
f rom
特集
f rom
KOBE
ニッポンで学ぶ
神戸
9 5 年 の 阪 神・淡 路 大 震 災。そ
未曾有の大災害となった19
域住民と一緒になって体験して
ニティー防災マップ作りを、地
のノウハウを学ぶことが目的
まざまな活動方法や組織づくり
研修は、そうした防コミのさ
ミの取り組みを支えている。
資機材の支給などを通じ、防コ
への講師の派遣や、助成金、防災
な事態を想定し、参加者が防コ
津波警報の発令など、さまざま
る。そして、地震や火災の発生、
険性のある場所なども明示す
間暗そうな場所、がけ崩れの危
難の妨げとなりそうな場所、夜
情報に加え、路上駐車が多く避
参加した。
実施する、
﹁一泊避難体験﹂にも
チーム﹂が中心となり年に一度
受けた中学生の﹁ジュニア防災
修。
後半には、訓練や防災研修を
ップなどが行われた今回の研
の立ち上げ方を学ぶワークショ
防災教育の事例視察や、防コミ
る防災体制をつくろうと、
﹁防災
ックやステッカーを使い、集め
町歩きを終えた研修員はマジ
しなければ!﹂
﹁一人は防コミの
避難できているか、誰かが確認
う!﹂
﹁一人暮らしのお年寄りが
プを集めて私たちで消火しよ
い だ ろ う。地 域 中 の 移 動 式 ポ ン
﹁消 防 車 は 忙 し く て 来 ら れ な
動を考える
﹁図上訓練﹂
を行う。
防災を担当するベリーズのアー
生かせるはず﹂
と、地方農村部の
も、
〝ボーコミ〟の活動は大いに
の防災に課題を抱える私の国で
く 印 象 に 残 っ た。地 方 の 遠 隔 地
を支える神戸市の取り組みが強
という人々の強い信念と、それ
﹁自分たちで町の安全を守る、
が主体的に参加し、いざという
ときに一丸となって地域を守れ
神戸
from
市民に浸透する
コミュニティー防災活動
﹁あそこの公衆電話は、きっと
災害時に役に立つはず﹂
﹁この道路は狭く、家が密集し
て い る。避 難 経 路 と し て は 危 険
じゃない?﹂
めいしん
8月下旬、神戸市のJ R兵庫
駅に程近い市立明親小学校の周
人のJ ICA研修員たち
辺地域を、地図やカメラを手に
した
が、周囲を注意深く観察しなが
ら町を歩き回っていた。
彼らは、
各国で地域防災に携わる行政官
など。
J ICA兵庫の研修﹁コミ
ュニティ防災の実践﹂の一環と
して、災害時に必要とされるさ
の被害の大きさから、当時、消防
で、今回の防災マップ作りも、各
ミのメンバーとして取るべき行
福祉コミュニティ﹂の設置を推
てきた情報を大きな紙に表現し
拠点に留まり、被害状況の確認
神戸市では震災以降、地域住民
進 し て き た。防 災 訓 練 や 救 命 講
ていく。
消火栓、避難所、病院、コ
災害・町・人への理解と
地域の結束を促す
習などの﹁防災活動﹂
、一人暮ら
ネスト・バナーさんは研修の成
明親校区防コミの鴨川保委員
や助けを求める人たちへの対応
ど ん 白 熱。皆 が 顔 を 突 き
長もまた、
﹁日ごろから皆で顔を
ンビニエンスストア、公衆電話、
合わせ、完成した防災マ
合わせ、地域のことを考え、町を
しの高齢者や障害者宅への定期
ップをもとに行動をシミ
見 守 る。そ ん な 私 た ち の や り が
果について語る。
ュレーションしていく。
いとなっていることが、他国で
に当たるべきだ!﹂
。議論はどん
﹁マ ッ プ 作 り や 図 上 訓
も生かしてもらえれば、これほ
震災の痛みを無駄にしてはな
練を通して、
﹃災害﹄
﹃町﹄
に活動することで、地域
ら な い ︱。そ ん な 思 い か ら 生 ま
どうれしいことはない﹂と笑顔
の 結 束 力 も 高 ま り ま す﹂
れた、神戸市独自のコミュニテ
﹃人﹄への理解が深まり、
と、指導に当たった岡田
ィ ー 防 災。災 害 に 脆 弱 な 開 発 途
い。
その活動が花開くことを願いた
ぜいじゃく
さんは、その効果を説明
上 国 の 地 域 や 人 々 の も と で も、
る学校や幼稚園などでの
ほかにも、防コミによ
する。
を見せる。
避難経路など、災害時に役立つ
住民ボランティアが中心となっ
て行うもので、自治会や学校、企
業 な ど も 協 力 す る。神 戸 市 発 の
この取り組みは、現在、小学校区
などを基準とする市内全域19
1の地域で展開され、
﹁防コミ﹂
の名で市民に浸透している。
神戸市消防局予防部長の岡田
勇さんは、
﹁防コミは、あくまで
地 域 交 流 の 延 長 の よ う な も の。
日ごろから住民同士で防災につ
いて考え、助けが必要な人にも
目を配っておくことが、結果と
して地域の災害への対応力を高
住民を巻き込んで定期的
訪問などによる﹁福祉活動﹂を、
いるところだ。
や救急だけでは住民の要請に対
防コミの活動として定期的に行
「防災福祉コミュニティ」の設立を推進してきた。
応し切れず、各地で多くの犠牲
阪神・淡路大震災をきっかけに、神戸市では、住民が自ら地域の防災に取り組む
われているものだ。
まざまな情報を掲載したコミュ
防災対策に課題を抱える各国の研修員たちが、
その地域一体となった活動を学んだ。
神戸市
「自分たちの町の安全は、
自分たちで守ろう」。
大阪府
者を生んだ。
その教訓を踏まえ、
兵庫県
08
October 2009
October 2009
09
神戸から
「防コミ」
を学ぶ
京都府
おそろいの青いベストを着た、防コミのボランティアたちとともに、
防災マップ作りのための町歩きに出発
める﹂と話す。
神戸市では、訓練
消火用ポンプの位置を確認する一行。地域の防災に重要な設備も、普
段何気なく歩いていると気付かないことも多い。それらを改めて確認する
上で、防災マップ作りは効果的だ
KOBE
コミュニティー防災マップ作りに取り組み、
熱い議論を交わす研修員たち。この日は、
地元テレビの取材も行われた
ジュニア防災チームのメンバーや住民たちと、
「一泊避難体験」に参加した研修員たち。前々
回の研修では、
この行事に参加したトルコの研
修員が中学生たちの活動に感心し、帰国後に
トルコ版のジュニア防災チームを立ち上げた
10
f rom
特集
YOKOHAMA
ニッポンで学ぶ
横浜
2009年3月、横浜で上下水道分野の研修が実施された。
2008年10月の新JICA設立後、円借款事業の開発効果を高めることを
目的として実施された初めての試みとなった。
の支援分野となっている。
下水道にかかわるもので、最大
ちの %、約3580億円が上
に 約1 兆43 0 0 億 円。そ の う
か ら の 円 借 款 ※1は、こ れ ま で
中南米・カリブ地域への日本
いってよいだろう。
の経営に直結する大切な業務と
※2対 策 に 不 可 欠 で、水 道 事 業
務は、安全な水の供給や無収水
な ら な い。こ う し た 維 持 管 理 業
どに継続的に取り組まなければ
行い、水質の保持や漏水対策な
水システムなどの点検・補修を
設自体はもちろん、管路や送配
成した施設も時間の経過ととも
い開発途上国では、せっかく完
れに割く資金や人員も十分でな
持管理に対する理解が浅く、そ
厚いものではなかった。
だが、維
課題解決については必ずしも手
施工に重点が置かれ、完成後の
いる。
しかし、基本的には設計・
業務へのサポートも含まれては
上下水道施設は
完成してからが重要
ハマの水に、
120年の歴史を学ぶ
人 が 来 日。新J ICA
年3月、中南米7カ国の円借款
内 登 志 崇 課 長。そ し て 2 0 0 9
研修﹂とJ ICA中南米部の竹
のが、 日間にわたる横浜での
らに持続させるために計画した
し、円借款事業の開発効果をさ
のものの耐用年数さえ運転する
は、
﹁対処療法では、設備機器そ
て か ら で は 手 遅 れ だ。小 西 さ ん
かし、壊れて被害が大きくなっ
た ら 直 す と い う も の だ っ た。し
た維持管理のイメージは、壊れ
だ。研 修 員 が 来 日 前 に 抱 い て い
小西孝之さんと関口貞男さん
な く 完 成 し て か ら が 重 要 だ。施
上下水道施設は、言うまでも
2日目からは、研修を運営し
CA横浜の小野寺良恵さん。
の研修はとても効果的﹂とJ I
に見せるという意味で、日本で
ま す。彼 ら が 目 指 す も の を 実 際
で見ればすぐに理解してもらえ
明して分かりづらいことも、目
がたくさんあり、彼らの国で説
ィングサービスとして維持管理
円借款事業には、コンサルテ
実施している3カ国から、 人
工前後3年以内の円借款事業を
目 の 研 修 が 予 定 さ れ て い る。完
2010年1月には、第2回
になった﹂
という声もあった。
現状と経験を知って大いに参考
一堂に会したことで、﹁近隣国の
そこで、﹁こうした懸念を払拭
にその効果が低下しかねない。
円借款事業をサポートする初め
設立後、研修員を日本に招いて
減につながり、安定的に水を供
持ちさせ、結果的にコストの低
す。き め 細 か な 点 検 が 設 備 を 長
のコストが膨らむことになりま
ことが難しく、修繕や更新など
修の成果を帰国後それぞれの国
作 成 を サ ポ ー ト し た。こ れ は 研
とめとなるアクションプランの
現状と課題を整理し、研修のま
へ の ヒ ア リ ン グ を 実 施。各 国 の
た開発コンサルタントが研修員
ランを作成する予定だ。
ら、より現実的なアクションプ
業のコスト管理を参考にしなが
を踏まえ、横浜市の上下水道事
削減﹂
。
それぞれの国の経済事情
マは﹁運営・維持管理のコスト
設の維持管理のほか、日本にお
今回の研修内容は、上下水道施
た。
そうしたノウハウを生かし、
どに応じて拡張整備を行ってき
近代水道を創設し、人口増加な
確保などを目的に日本で初めて
伝染病の予防、また消防用水の
87年、良質な水道水の確保と
る。今 か ら 約1 20 年 前 の18
対応してきた経験と実績があ
横浜市には、急速な都市化に
ことの重要性を学んだ﹂
と語る。
業の運営に維持管理を組み込む
ころだ。
研修員の一人も﹁水道事
維持管理は日本の得意とすると
言う。
きめ細かく、徹底して行う
理解してくれた﹂と関口さんは
﹁予 防 管 理 の 重 要 性 を 研 修 員 が
体的に提示し説明することで
1回点検が必要なものなど、具
に1回、月に1回、あるいは年に
毎日の点検を要するもの、週
南米7カ国の水道事業関係者が
るためのもの。
研修員からは、中
で上下水道事業の改善に役立て
協力が進んでいる。
の国々に対する上下水道の技術
今、ヨコハマを舞台に、中南米
﹁特に、水道事業の基本となる
ュ ー タ で 一 元 管 理 し て い る。ま
場は浄水から配水までをコンピ
水 処 理 場 な ど も 視 察。西 谷 浄 水
研修では、市内の浄水場や下
施設や設備の維持管理の在り方
リングするシステムもある。
た、市内の各所の水質をモニタ
の経営など多岐にわたる。
ける上下水道の歴史や水道事業
対処療法から
予防のための維持管理へ
てのケースだ。
給できます﹂
と指摘する。
担当者
9案件に関係する技術者や財務
ほ ど の 技 術 者 が 参 加 す る。テ ー
横浜市
について、理解を深めてもらい
たかった﹂
﹁横浜には、お手本となる施設
10
October 2009
October 2009
11
30
横浜
千葉県
東京
そう話すのは横浜市水道局の
配水ポンプ場の制御装置。
ここで、市内へ送られる水道水の水量と
水圧などをコントロールしている
from
研修員は、中南米7カ国からやってきた27人。
25
※1 開発途上国の発展への取り組みに必要な資金を、低利かつ緩やかな条件で貸し出す援助手法。
※2 浄水場から各所に送られる間に、漏水などで失われ料金回収が行えない水。
円借款で整備されたイキトス市の給水塔。運営するイキトス
地区上下水道公社の職員も研修に参加した
神奈川県
12
27
埼玉県
生活排水による汚染が深刻
なペルー・イキトス市の市街
地。安全な飲料水の確保や、
衛生環境の改善に、上下水
道の整備は欠かせない
横浜市にある4つの浄水場のうちの一つ、西谷浄水場で、排水処理施設を視察する研修員
YOKOHAMA
特集
f rom
OKINAWA
ニッポンで学ぶ
沖縄
外国人に沖縄をもっと知ってほしい ︱。
異国の地で、
その土地に飛び込んでいくのは
勇気のいること。そこで、地域の人と市内で暮らす
外国人をつなぐため浦添市で
〝街歩き〟
を
る。
そのほかにも、約500人以
CA沖 縄 国 際 セ ン タ ー が 見 え
約400人の研修員が学ぶJ I
その小高い丘を上がると、年間
史遺産を有する沖縄県浦添市 ︱
琉球時代の城跡など、豊富な歴
りを見渡すと、浦添の街中には
っ て も 経 験 す る こ と。確 か に 辺
そう、それは私たちが外国に行
ラーメン一つ買えないんです﹂
。
安で買い物にも行けず、カップ
お 店 の メ ニ ュ ー も 読 め な い。不
ん。
﹁日本語が分からないから、
年春から浦添市国際交流協会と
れれば﹂
という思いを込めて、今
人を受け入れるようになってく
ァミリーのような気持ちで外国
古さんは、﹁地域の人がホストフ
知 っ て ほ し い。そ う 考 え た 我 如
の人と触れ合って浦添の〝街〟を
来ているのだから、もっと地域
通じたまちづくりがスタートした。
肌をこがすような日差しをく
上の外国人が暮らすここ浦添市
英 語 表 記 が 少 な い。地 域 の 人 た
どこで買い物をすれば
いいか分からない
ぐり抜け、街角のお弁当屋に入
は、いわゆる〝国際色〟にあふれ
CA沖縄の研修員たちだ。
ぶ天ぷらを選んでいるのはJ I
表情を浮かべながら、店先に並
まで足を踏み入れられなかった
国際協力推進員の我如古盛修さ
修員もいるんです﹂とJ ICA
センターからほとんど出ない研
︱。﹁実は、自由時間があっても
しかし、ここに一つの問題が
載っていれば目印にな
に く い﹂
﹁信 号 が 地 図 に
せっかく海を越えて沖縄まで
その一歩を踏み出せずにいた。
だと恥ずかしい﹂などの理由で、
がら﹁英語ができない﹂
﹁初対面
んとして迎え入れたいと思いな
リー化計画﹂
をスタートさせた。
協働で﹁街全体がホストファミ
声 を 参 考 に、専 修 学 校
った多くの人が﹁外国人に浦添
版︶の 作 成 が 進 め ら れ て い る。
報をもとに、浦添市の地図
︵英語
さらに、この街歩きで得た情
勉強してきたことが、誰
ザ イ ン し た。
﹁こ れ ま で
2年生4人が地図をデ
フィックデザイン科の
﹁外国人の方に、この街に住ん
テーマは〝外国人に優しいま
外国人に分かりやすい
地図を作ろう
里 城 か ら 北 に 延 び る 石 畳 の 道、
店に入ると、皆が温かく迎えて
る﹂など外国人参加者の
の中の街歩き。
しかし、どの参加
﹁イ ン タ ー ナ シ ョ ナ ル デ
分。首
ち づ く り〟
。そ の 第 一 歩 と し て、
度を超える暑さ
の目線から見て改善してほしい
者も生き生きした表情をしてい
那覇市内から車で約
浦添の人たちが市内に住む外国
く れ た。気 温
点を指摘してもらう〝街歩き〟を
の魅力を伝えたい﹂と賛同して
﹁警 察 署 や 郵 便 局 の 目 印 が な く
くれた。
そして週末の7月4日、第1
えみ
女たちも街歩きに参加し、〝外国
だという〝証し〟を感じてほし
ティアの一人、大城直史さんは
んありました﹂と日本人ボラン
ることで、新しい発見がたくさ
な い 点 が た く さ ん あ る。案 内 す
﹁ずっと住んでいると、気付か
こ と は た く さ ん あ る は ず。新 垣
を過ごすだけで、お互いに学ぶ
のが街歩きなんです﹂
。
共に時間
は あ る。そ の き っ か け を つ く る
も、コミュニケーションツール
垣淳子さん。﹁言葉が通じなくて
い﹂と浦添市国際交流協会の新
話す。
7月末には、彼が中心とな
さんたちは、いずれはこの取り
ラン世代まで、週1回歴史や伝
つめ直そう﹂
と、大学生からベテ
結成。﹁まずは自分たちの街を見
100万人達成﹂に向けてソフ
目 指 す﹁外 国 人 観 光 客 年 間
組みが沖縄全土に広がり、県が
一度会ったら、みなきょうだ
ト面の整備ができればと期待を
ルのメンバーが中心となり、ス
い 。
浦添から、言葉や文化の壁
統文化などについての勉強会を
ーパーの見学や浦添の歴史探
を越えた﹁いちゃりばちょーで
寄せる。
訪、お花見ツアーなど、年6回の
ー﹂の精神が確実に広まりつつ
歩きを行っていく予定だ。
ペースでさまざまなテーマの街
開 い て い る。今 後 は こ の サ ー ク
なお し
り﹁街歩き国際交流サークル﹂を
ンのヒントを得たようだ。
人の目線〟に立つことでデザイ
衣 さ ん と 松 川 笑 さ ん。彼
い
うれしい﹂という玉城侑
たま き ゆ
かの役に立てるなんて
ザインアカデミー﹂グラ
た。
が
ね
こ せいしゅう
人に街を案内し、そこで外国人
がおすすめだよ﹂
﹁いらっしゃい! 今日はエビ
ると、店員のおばちゃんの明る
る街だ。
そうそう
い 声 が 響 い た。少 し 不 安 そ う な
(下)
音楽工房「創奏」
で三線の弾き方を教えてもらうドミニカ共和国の研修員マリアさん
(左)
ちも、彼らと交流したい、お客さ
(上)
「おすすめの天ぷらはどれですか?」。吉屋弁当では買い物に挑戦
て不便﹂﹁バス停の位置が分かり
人、
J ICAの 研 修 員
街歩きで見つけたことをヒントに作成中の
地図の表紙案。
「浦添市のシンボルの太
陽から史跡につながる道を表現しました」
と
玉城さん。今年度中には完成する予定だ
回 の 街 歩 き 当 日。日 本 人 ボ ラ ン
ティア
を含む外国人 人の計 人の参
加者が6グループに分かれて市
内 を 散 策。道 端 に さ り げ な く 咲
く南国の花々、店先にあるシー
サー、近所の焼鳥屋さん⋮。
それ
夏休み返上で地図のデザインに取り組む玉城さん
(写真手前)
と松川さ
ん。
「デザインを通じて社会貢献ができれば」
とグラフィックデザイン科教務
部第1課主任の新垣徹さん
ある。
沖縄
from
!
?
することに。
すると、この話を知
30
20
31
12
October 2009
October 2009
13
12
浦添市
那覇市
OKINAWA
(上)8月26日にJICA沖縄で開催されたサマーフェスタで
空手を披露する研修員。JICAの国内機関では、
このよう
な地域との交流行事が盛んに行われている
(下)
日本人ボランティアは「街歩きボランティア養成講
座」に参加し、街歩きに必要なノウハウを学ぶ
外観沖
国光縄
人促の
の進
力に
を
|
19
5
特集
リリアナ・ペリンさん
ニッポンで学ぶ
Ms. LILIANA PELIN
モルドバ
MOLDOVA
私たちが見た、感じた日本
4
キファ・バージさん
農業食品産業省職員
Ms. KIFAH BAAJ
シリア
SYRIA
水道局技師
2
3
ジョン・ジョン・カリンガルさん
Mr. JOHN-JOHN A. KARINGAL
6
シューツ・ソニア・モニカさん
Ms. SCHUTZ SONIA MONICA
キリバス
KIRIBATI
ホテルマネージャー
1
フィリピン PHILIPPINES
レイモンド・キプロノさん
Mr. CHELULE RAYMOND KIPRONO
ケニア
研修を通じ、
日本の過去の経験や現代の等身大の姿を
各地でつぶさに目撃してきたJICAの研修員たち。
そんな彼らの目に、
日本、
そして私たち日本人は
どのように映ったのだろう。
KENYA
農業省行政官
消防隊救助チーム
常に協力し合う人々
レネ・フェリペ・カロカさん
Mr. RENE FELIPE OJEDA CAROCA
研修でのさまざまな経験を通じて、私が日本
チリ CHILE
コラボレーション
から連想する言葉の一つが、Collaboration( 協力・共同)
です。研修で訪ねた農業
協同組合のメンバーが、情報や知識を共有
平和を築き上げてきた力
行政官
(農業生産促進)
研修の合間の8月6日。終戦記念日に広島
し、
より良い農作物を作ろうと力を合わせて
市で行われた平和記念式典に参加するこ
いる姿がとても印象的でした。外国人の私
とができました。唯一の被爆国である日本
たちに対し日本の人々が親切なのも、
そん
の人々と、平和への祈りを共有でき、
自分に
な助け合いの精神が社会に根付いている
とって一生忘れられない思い出となりまし
からなのでしょう。温泉にどうやって入浴す
た。原爆の荒廃から立ち直った広島や長崎
ればよいか分からず困っていた私たちに、
の姿は、紛争が日常的な中東地域に住む
順序やマナーなどを丁寧に教えてくれた人
私たちに、大きな勇気を与えてくれるもので
たち、
また、バス乗り場が見つからず迷って
す。
また、広島市内の小学校を訪問し、子ど
いると、
そこから歩いて20分も先の停留所
訪問者へのホスピタリティー
消防士としての責任感と誇り
日本の消防士の皆さんから、仕事に対する
工業化やハイ・テクノロジーといった、私が
抱いていた日本のイメージとは異なり、研修
で滞在した沖縄は、近代的であるものの、
もたちと交流する機会もありました。一緒に
責任感、作業の正確性、規律やチームワー
豊かで美しい自然と伝統文化の残る素晴
にまで送り届けてくれた若 者など、多くの
紙飛行機を作って飛ばしたのですが、好奇
クの大切さなど、消防士として徹底すべき
らしい場所です。地域住民が土着の伝統
人々が手を差し伸べてくれました。それから、
心いっぱいの笑顔で話し掛けてくるその様
大切なことを改めて教えられました。特に火
文化に誇りを持ち、
それらを観光資源として
人々の懐の大きさと心の温かみ
研修で、地方の農家や生産者を訪ねる機
酒蔵に神棚を設けて酒造りを見守る神様
子に、彼らの心がまさに平和に満ち溢れて
災現場では、限られた人数でも、各自の役
生かしているその姿は、同じ小さな島国に
お辞儀に象徴されるように、
日本の
“相手を
会が度々ありましたが、
日本の人たちが一
を祭っているところなど、
日本人の生活の根
いるのを感じました。最後には、子どもたち
割分担によってムダな動きが一つもなく、
と
住む私たちにとって、
とても参 考になりま
尊重する”
文化は素晴らしいと感じます。研
つ一つの農作物や商品にかける情熱、
プ
底に流れる宗教的な精神にも所々で触れ
が寂しがって私たちを帰してくれないほど、
ても組織的な消火活動をしていたのが印
す。そして、何よりも沖縄の人々には最高の
修では、九州の中小企業の工場などをたく
「職人」
としての情熱とプロ意識
ロ意識の高さ、生産物の質の向上への努
ることができ、
とても興味深かったです。そう
良い時間を過ごすことができました。日本の
象に残っています。また、自分の行動や作
ホスピタリティーがあります。休日、私たちが
さん視察しましたが、多くの経営者たちが、
力は、
まさに「職人」
と呼ぶのにふさわしいも
した古き良き部分を、
これからもずっと大切
人々は秩序を守り、他人に迷惑を掛けず、
業を一つ一つ声を出して互いに知らせ合
買い物に夢中になって道に迷っても、地元
従業員の意見を尊重し、常に彼らと対話を
のでした。そして疑問があれば、失敗例も含
にしていってほしいと思います。
謙虚です。でも、電車に乗っている人たち
い、確認・点検する点も素晴らしいですね。
の人たちが率先して帰り道を教えてくれま
心 掛けていたのに大きく感 銘を受けまし
の多くが、
とても疲れている様子なのが気
帰国後、
自分が指導する救助チームにも取
すし、訪問者を歓迎しようという姿勢が地域
た。社長が職場の清掃や整理整頓まで一
になりました。日本人は、少し働き過ぎなの
り入れようとしているところです。日本でお
全体に根付いていると感じました。こうした
緒に行っている会社もあって驚きました。
かもしれませんね
(笑)。
世話になった消防士の方々とは、今でも交
人々の心の温かさと豊かな伝統、
そして技
正直言うと来日前は、先進国にありがちな
流を続けています。彼らの仕事への誇りや
術や近代化された社会が、
このように共存・
ドライな社会、人間的な温かみの少ない社
え、集合場所に到着するように心掛けまし
向 上 心を、今 度は自分が指 導する者とし
調和している国は、世界のどこを探してもな
会を勝手に想像していたんです。でも、実
た。時間を守り、1日の仕事を順序立てて計
て、
自分の国の消防士に伝えていければと
かなか見つからないのではないでしょうか。
際は街行く人々がとても親切で、特に若者
考えています。また、ボランティアによる地
また、
この研修で私たちと同様の環境・課
は私たちに興味を持って気さくに話し掛け
域の消防団活動では、住民が当事者意識
題を持つ大洋州の国々からの研修員たち
てくれました。休日、長崎で有名な精霊流し
点です。帰国後は、少しずつそうした意識を
を持ち率先してコミュニティーの防災に努
と出会い、将来役立つ大切なネットワークを
を見に行ったときには、外国人の私を見て
広めていきたいですね。忘れられない思い
めていました。特に、彼らが消防士とほとん
築くことができたのも、私にとって大きな財
「ここに座ってください」
と、
ある家族がわざ
めてこちらが納得するまで一生懸命答えて
(研修地:北海道札幌市、夕張郡など)
くれる姿に、頭が下がりました。また日本で
は、時間厳守が基本です。それを知ってか
ら、研修中は必ず5分前までには準備を整
画的に進める、
そして期日を守る。それらは
どんな仕事をするにしても、
とても重要な視
モルドバ
(研修地:広島県広島市、東広島市)
シリア
出となったのは、
ある地域の祭りの見学に
行ったとき、周りの人たちが声を掛けて誘っ
てくれ、一緒におみこしを担いだことです。
ど変わらぬ訓練を受けているのを見て、大
ケニア
変驚きました。
フィリピン
わざ見やすい場所を空けてくれたり、
おじい
産となりました。
(研修地:沖縄県浦添市、那覇市など)
さんが電車の切符の買い方を教えてくれた
だけでなく、
自分の入場券まで買い、
プラッ
(研修地:大阪府大阪市)
国が発展しても、
そうした地域に伝わる慣
トホームに連れて行ってくれたこともありま
習や伝統を大切にする姿勢が印象的でし
した。日本人の懐の大きさ、心の温かさを感
じました。
た。
とても重く、肩も痛かったですが、良い経
験ができました。
キリバス
(研修地:福岡県北九州市)
(研修地:茨城県つくば市)
チリ
15
October 2009
October 2009
14
こうして研修はつ くられています! ∼研修を支える人々∼
特集
ニッポンで学ぶ
日本に来て多くのことを学んでもらいたい 。年間 約1,400コース実施されているJ
ICAの研修は、
その一つ一つがさまざまな人々 に支えられて成り立っている。
コースリーダー※
誰もが効果的に学べる研修を
JICA職員
JICA東北総務課
慶應義塾大学総合政策学部教授
花田光世さん
地域の人とともに取り組む
J
ICA東京が実施している課題別研修「人材
鈴木智良さん
育成プログラム運営」のコースリーダーをし
研
修員受入事業は、全国17カ所にあるJICA
の国 内 機 関が 中 心となって実 施していま
ています。この研修のポイントは、
日本が戦後どのよ
す。私たち担当職員の役割は、
まずは開発途上国
うな過程を経て産業を立て直し、生産性を高めてき
が直面している課題を洗い出すこと。その上で、
日
たのかを学ぶこと。政府機関や企業で産業教育や
本国内で実施できる研修を企画・立案していきま
人材育成に携わる方が全世界から参加するので、
す。東北地方は農業が盛んなので特に力を入れて
出身国にかかわらず、誰もが効果的に学べる内容
になるよう心掛けています。また、単に「日本人は働
「人材育成プログラム運営」の研修員と花田さん
(前列右
から3番目)
いますが、
どの研修も「地域の方と一体になってや
っている」
という感覚。実施機関から地域のボラン
岩手県紫波町で行われた都市開発の研修に同行する鈴木
職員
(右から3人目)
き者だ」
というのではなく、
「働きやすくなるような環
をくんで本当に手厚く迎えてくださいます。私が大切
ティアまで、多くの人に支えられています。研修の空
境づくり」に取り組んできたことを知ってほしい。室
にしているのは
“mission( 使命)
“passion
”
( 情熱)
”
き時間には、研修員の国の状況を市民の方々に話
熱意が伝わっているんでしょうね。人材育成は時間
内の講義だけでなく、実際に
“現場”
に出て、
日本人
“commitment(責任)”
の3つ。研修を通じて、小さ
してもらうなど、地域に還元するイベントなども開催し
がかかる仕事ですが、長い目で見ると途上国を支え
が働く姿、
「 人間力」
を見てもらうようにしています。
なことでもいいので何かを感じ取って帰ってほしいと
ています。いつも驚くのは、研修員の目つきや姿勢
る大きな力になる。彼らは、将来きっと日本の良き理
受け入れ先の企業の方々も、
こちらの研修の意図
思っています。 がどんどん変わっていくこと。きっと、受け入れ側の
解者になってくれると期待しています。
※研修の企画から実施まで、
全体を取りまとめる各分野の専門家。
離島医療の原点に返る
15
研修受入機関
鹿児島県薩摩川内市
下甑手打診療所所長
年ほど前から、離島医療などを学びにきた研
修員を受け入れています。JICAの研修の強
瀬戸上健二郎さん
みは、何よりも日本の
“現場”
が体験できること。私の
異国での不安を取り除きたい
2
研修監理員※
修で、
ダリ語の通訳や研修全体の監理をし
ています。20年前に来日したころの自分を思い出し
ながら、研修員の不安を少しでも取り除けるよう、一
診療所でも、患者さんの血圧を測ったり、一緒に訪
問診療や往診をしたりと、
とにかく実務にかかわって
人一人にきめ細やかな配慮をしています。アフガニ
もらうようにしています。離島医療に携わる研修員た
スタンは今、
まさに戦後復興の真っただ中にありま
ちにとって、
日本の離島に住む人たちとの触れ合い
こそが大きな財産になるからです。逆に、彼らから学
アマディヤール
治春さん
003年からアフガニスタン人が参加する研
「Dr.コトー診療所」のモデルにもなった瀬戸上さん
(中央)。
インドネシア、
フィリピンの研修員、診療所のスタッフと
す。研修を通して、戦後半世紀以上かけて発展して
きた日本の様子を肌で感じ、学んだことを持ち帰っ
農業研修で、
自ら田んぼに入って通訳をするアマディヤール
さん
(右)
ぶこともたくさんあります。胃ガンの患者さんを診察
恵まれているのだと気が引き締まります。また、
日本
て役立ててほしい。でも、現在の日本とアフガニスタ
内容になるようアドバイスをしています。アフガニス
している時、
ある研修員が言ったんです。
「私たちに
の離島医師がどのような生活を送っているかを見て
ンとでは状況が大きく異なるので、研修で得たヒント
タンがさまざまな国から支援を受ける中で、日本の
“顔”
の見える支援には本当に感謝しています。研
はスキャンの機械なんてない。手で触って診断する
もらうため、私の家に招待して夕食を振る舞ったりも
を自分の国で応用する方法を彼ら自身で見つけられ
しかない」
と。昔は、私も触診の医学書を片手に診
します。彼らとの出会いは、私にとって医療の原点
るよう、
日本側からの
“伝え方”
には気を配ります。ま
修監理員の仕事をすることで、
日本にも母国にも、
察をしていました。同じ離島でも今の日本は本当に
に返るきっかけになっています。
たアクションプランも
“理想”
ではなく
“現実”
に即した
何か恩返しができると信じています。
※研修中の通訳や調整業務などを担当するスタッフ。
受け入れ地域の人々
着物を通じて地域との交流を
芽室町国際交流協会(北海道河西郡)事務局長
横溝真佐子さん
5
研修監理員※
ワシントン寿代さん
年前から、JICA帯広の研修員を対象に「き
ものパーティー」
を実施しています。きっかけ
メリカ在住ですが、1年の3分の1は日本に
戻り、2∼3コースの研修監理員をしていま
す。研修監理員は、分かりやすく言うと、研修を通じ
が「着物を着てみたい」
と言ったこと。帯広市には
て有意義な成果が得られるよう、
さまざまな面で研
たくさんのJICA研修員がいるので、着物を通じた
修員をサポートする存在。研修に専念できるよう、食
期は毎年7月。英語で七夕の説明をし、地元の民
謡会の演奏を聞いてもらったり、皆で「北海盆歌」
October 2009
ア
は、帯広畜産大学で研究員をしていたタイの友人
異文化交流ができればと思い始めました。実施時
17
有意義な研修になる工夫を
事や健康管理にも配慮しますし、通訳をする時は、
今年7月に実施されたきものパーティーに参加する横溝さん
(2列目右)
共通言語が英語でもそれが母国語でない人がほと
んどなので、講師の方の話をどれくらいのスピード
研修員に付きっきりで通訳するワシントンさん
(左から2人
目)
。長い研修は1カ月以上に及ぶこともある
を踊ったりします。外国人と接する機会が少ない芽
すよ。事前準備など大変なこともありますが、参加者
で、
どうかみくだいて訳すかには、
とにかく気を遣いま
室町ですが、小さな国際交流の場になっています。
の笑顔を見るとやっていてよかったと思います。日本
す。それから、研修員がどのくらい講師の方の話を理
れるときには、補足説明をお願いしたりもします。ま
好きな着物と帯を選んでもらうのですが、
自分に似
に来たからには、
日本文化を体験してほしいし、
日本
解できているかにも常に気を配ります。日本と彼らの
た、研修員と講師が双方向でスムーズに情報交換
合う柄を真剣に選ぶ姿は印象的です。皆さん日本
人の友達を作ってほしい。これからもそのお手伝い
国の状況が異なっていたり、
日本独自の事情が背
をすることができるよう、研修員が質問しやすい環境
人と同じように着こなしていて、本当に素敵なんで
ができればうれしいです。
景にあることで意図が正しく伝わっていないと思わ
を作ることも大切だと思っています。
October 2009
16
地域と
世 界の
きずな
熊本県
いか﹂
。研修員の〝生の声〟
、これが
何よりもインパクトがあるんじゃな
言った。
﹁研修員の話を聞くことが、
悩みに悩んだ挙句、足立さんがこう
し合ったが、どれもしっくりこない。
ャッチコピーを作る﹂など意見を出
うに議論した。
﹁ポスターを作る﹂
﹁キ
ち の 身 近 な 場 所 で、
J ICAの 研 修
さん︵スリランカ︶の2人。自分た
プラ・カーティ・ウィクラマシンヘ
マーニャさん︵ホンジュラス︶とビ
員、クラウディア・パトリシア・ウ
﹁口 腔 健 康 科 学 教 育 コ ー ス﹂の 研 修
は、九州大学歯学研究院が実施する
講演してもらうことになったの
員を受け入れているということを学
話はトントン拍子に進み、開催日
と接する機会があるなんてうれし
からだ。研修員たちも﹁日本の学生
生たちに知ってもらいたいと思った
は4カ月後の7 月 日、会場は九州
ントを企画しよう ︱。
そうだ、研修員を招いて交流イベ
2人のキーワードになった。
踏み出すきっかけを提供できればと
JICA九州では、年間約100コース、
約700人の研修員を受け入れてい
る。研修の分野は、環境、保健、地
域開発
(一村一品など)、水道、IT、
中 小 企 業 支 援など多 岐にわたる。
JICA九州国際センター
(福岡県北
九州市八幡東区)
には宿泊施設が
併設されており、常時約30∼140人
の研修員が生活している。研修員と
市民の交流プログラムも随時実施。
問い合わせ:JICA九州
TEL:093-671-6311(代表)
思ったんです﹂
JICA九州の研修員受入事業
さんと山内さんは、どうすれば皆に
宮崎県
研修を知ってもらえるか、毎日のよ
長崎県
大学に決まった。同大学の山内さん
そして本番当日。第1部では、研
い!﹂と、快諾してくれたという。
修の内容、日本に対する印象などに
修員2人がそれぞれの国の紹介、研
を中心とした、一大プロジェクトが
始まった。
ついて話した。自分たちの想像を絶
もう一ひねり加えられないかと考え
さんは、企画を進める中で、そこに
受入事業を広めること。しかし山内
当 初 の 目 的 は、
J ICAの 研 修 員
かった﹂という意見も出たほど。関
ケートでは﹁もっと深い話を聞きた
問も次々に飛び交い、終了後のアン
意に、参加者はじっと聞き入る。質
んな彼らの日本での研修に対する熱
する開発途上国の現状、そして、そ
た。参加者にとって、メリットとな
心の高さがうかがえた。
国際協力の出会いの場となる
イベントに
る イ ベ ン ト で な け れ ば 意 味 が な い。
容を紹介。フィリピンへのパソコン
善会など5団体がそれぞれの活動内
福岡市内で国際協力に取り組む学生
寄付、スタディーツアー、合同勉強
続く第2部では、九州大学国際親
団体に声を掛け、研修員が話した後、
会など、活動の形態はさまざま。参
そこで思いついたのが、国際協力の
ワークショップを開くことになった。
加 者 た ち は﹁自 分 な り の 国 際 協 力﹂
〝出会いの場〟を作ること。そこで、
﹁い ろ い ろ な 人 の〝生 の 声〟を 聞
のヒントを見つけられたようだっ
研修員の生の声を伝えたい
﹁J ICAの研修員の〝生の声〟を、
一般の人に聞いてもらおう!﹂
す べ て は 今 年 2 月、
J ICA九 州
に来た2人のインターン生の声から
始まった。研修業務課の配属となっ
た彼らは、担当の稲垣良隆職員から
せよ﹂というミッションを与えられ
﹁J ICAの 研 修 員 受 入 事 業 を 広 報
た。
﹁2 週 間 の イ ン タ ー ン、何 か 目
標になるものがあればと思ったんで
す﹂と 稲 垣 職 員。
﹁あ と、学 生 に は
とにかくパワーがある。何か面白い
ことをやってくれるのではないかと
い う 期 待 が あ り ま し た﹂
。彼 自 身 も
日々の業務の中で、どうすれば研修
員受入事業をより多くの人に知って
もらえるかを模索していたところ
だった。
インターン生の一人、九州大学
世紀プログラム課程3年の山内優希
さんは沖縄県出身。高校時代に カ
21
とを願う。
大きな〝力〟がはぐくまれていくこ
ぶことにより、途上国の未来を担う
らも、多くの研修員が日本各地で学
ら生まれる研修員受入事業。これか
地域の特性や人々とのつながりか
そろえる 。
う、周りに広めていきたい﹂と口を
らも地域の中で理解者が増えるよ
は、私たちの財産でもある。これか
ました。日本で研修を受けた人たち
人の力で成り立っていることを知り
員、研修実施機関など、さまざまな
リ ー ダ ー、研 修 監 理 員、
J ICA職
さ ん。
﹁J ICAの 研 修 は、コ ー ス
修コースを視察した山内さんと足立
インターン中は、実際に4つの研
ベントは大成功に終わった。
参加者は関係者を含めて約 人。イ
ったというが、ふたを開けてみると、
た。最初は人が来てくれるか不安だ
学アジア太平洋学部4年の足立伸也
ンターン生、立命館アジア太平洋大
インターン期間中、もう一人のイ
りたい﹂という思いから応募した。
も﹁いずれは国際協力の分野に携わ
んです﹂
。
J ICA九州のインターン
には、私も何かしなければと思った
し た。
﹁現 実 を 知 っ て し ま っ た か ら
時、日常で貧富の差を目の当たりに
月間フィリピンの高校に留学した
10
イベントの実行委員の面々。山内さんが声を掛け、九州大
学の11人が集まった。右端の前から山内さん、稲垣職員、
当日は大分から駆け付けた足立さん
大分県
いてもらって、国際協力への一歩を
80
鹿児島県
11
講演をしたホンジュラスの研修員、
ウマーニャさん
(左)
。
「日本という国の美しさ、人々の勤勉さに驚きました。
日本で学べることを誇りに思います」
福岡県
佐賀県
九 州 地 方
第2部では国際協力に興味を持つ学生
たちが活発な議論を行った
インターン中に同行した研修の視察先
電源開発
(株)
若松総合事務所にて
18
October 2009
October 2009
19
全国17カ所にあるJ
ICAの国内機関が主導で実施している。
しかしどの地域でも、
まだまだ研修の存在を知らない人が多いのが現実。
そこで、
この事業を多くの人に知ってもらうため、
J
ICA九州のインターン生が立ち上がった。
参加団体の一つ、福岡大学のサークル
「アフリカくらぶ」の活動紹介。エコキャッ
プ回収運動など、
さまざまな取り組みを実
施している
10
地域ぐるみで
地域
で 研修
研修を支えよう
J
ICAの研修員受入事業は、北は北海道から南は沖縄まで、
技術を身に付けて
途上国で仕事がしたい
﹁ナマステー!︵おはよう!︶
﹂
朝7 時、町外れにある小さなスラ
ムに入っていく山形洋一さん。そこ
に、彼の姿を見つけた子どもたちが、
わーっと駆け寄ってくる。このスラ
ム は、山 形 さ ん の 朝 の 散 歩 コ ー ス。
﹁最 初 は か な り 警 戒 さ れ て た ん で す
よ。でも〝怪しいやつじゃない〟と
分かってくれたのか、だんだん受け
入れてくれるようになって。今では
み ん な 友 達 で す﹂
。イ ン ド 中 部 の マ
ディア・プラデシュ州で﹁リプロダ
クティブヘルスプロジェクト﹂に携
わって4年。彼らとの触れ合いは欠
かせない日課だ。
山形さんが〝国際協力〟と出会っ
たのは約 年前。ネパールのNGO
で働く大学の先輩を訪ねたことが一
つのきっかけだった。現地の人々の
ため、医療活動に汗を流す先輩の姿
を 見 て、
﹁自 分 も 何 か 技 術 を 身 に 付
け て、開 発 途 上 国 で 仕 事 が し た い﹂
と 強 く 思 っ た。
﹁そ れ と、へ き 地 と
呼ばれるところに長く住んでみたか
っ た ん で す︵笑︶
。若 い こ ろ か ら と
にかく好奇心旺盛でした﹂
。
初めて国際協力の実務に携わった
のは、害虫学を研究していた大学院
時 代。1 9 7 6 年、
J ICAが グ ア
テマラで実施している﹁オンコセル
カ症研究対策プロジェクト﹂に専門
家として派遣された。そこでまず取
患者と最も近い立場にある﹁准看護
︱。山形さんは現場視察を繰り返し、
っています﹂
。
るプロジェクトにしていきたいと思
からいい。インド人の〝顔〟が見え
そんな彼の夢は、この仕事を引退
筆でどう描かれていくのだろう。そ
修に取り組むことにした。血圧の測
の答えは、数十年後の彼のスケッチ
インドのマディア・プラデシュ州
の講師が手本を示し、それを見て自
ブックの中にあるはずだ。
ユの分布図の作成。気が遠くなるよ
分自身で試しながら学ぶ方式。その
したら画家としてインドに永住する
実践に即した内容、親身になって指
こと。この国の未来は、山形さんの
﹁これはチャンスだ﹂
導してくれるプロジェクトのスタッ
り 方、胎 児 の 心 音 チ ェ ッ ク の 方 法、
バイザーのポストに手を挙げた。
﹁実
山形さんは、真っ先にチーフアド
フ に 対 し、
﹁J ICAの 研 修 は〝味〟
でJ ICAの﹁リプロダクティブヘ
た め ア フ リ カ に 赴 任。
﹁欧 米 人 の ス
︵WHO︶のプロジェクトに参加する
は学生時代、バックパッカーの旅を
がある﹂と評判も高いという。
うな作業に顔をしかめる研究者もい
タッフと肩を並べ、ダイナミックな
か り 魅 せ ら れ て し ま っ て。い つ か、 プロジェクトチームは、山形さん
したとき、インドの〝深さ〟にすっ
必ず全員でブレインストーミングを
赤ん坊のくるみ方など、まずは現地
仕事ができた﹂と言うが、
﹁その分、
絶対にここで仕事がしたいと思って
ルスプロジェクト﹂の構想が動き始
現地の人とのかかわりが少なかっ
い た ん で す﹂
。専 門 員 の 任 期 も 残 す
そして 年、今度は世界保健機関
た。
〝国際協力は草の根レベルから〟
行う。
﹁常にポジティブに、
﹃何か新
人。ア イ デ ア に 詰 ま る と、
という考えがあったので、どこか違
ところ 年余り ︱。すべてをインド
11
ス 病 対 策 な ど の プ ロ ジ ェ ク ト で は、
ニアのマラリアや中南米のシャーガ
専門員︵以下、専門員︶ に
※。タンザ
にも足を運べるJ ICAの国際協力
亡率の高さが深刻な問題となってい
サービスは劣悪。中でも、妊産婦死
の一つ。地方に行けば行くほど医療
ドで最も貧困層が多いとされる4州
マディア・プラデシュ州は、イン
る。お互いに学び、成長していきた
かった細部にも手が届くようにな
っ た。
﹁こ れ ま で 私 た ち が 気 付 か な
に青年海外協力隊4人の赴任が決ま
っ て い ま す﹂
。こ の 秋 か ら は、新 た
しいことができる﹄という考えでや
それまでの経験が大いに役に立っ
た。
年前から独学でスケッチを始め
﹁国 際 協 力 は 現 地 に 自 分 の コ ピ ー
す﹂
。
それを確認する作業でもあるんで
分がどこまで理解できているのか︱
い る。
﹁外 の 世 界 と 向 き 合 っ て、自
た風景、出会った人々などを描いて
た山形さんは、行く先々で、目にし
い﹂と意気込む。
にささげることに決めた。
を含む
和感があったんです﹂
。
たが、山形さんは率先して地図を片
助産師﹂に目を付け、彼女たちの研
「途上国の仕事は“違い”を尊重してこそ一つになる」
めた2000年 月 。
インド人の〝顔〟が
見えるプロジェクトを
Yamagata Yoichi
手に急な山道を走り回った。
り組んだのが、感染の原因となるブ
JICA国際協力専門員
た。ま ず 何 か ら 改 善 す れ ば い い か
そんな思いから、 年、自ら現場
7
を作っても意味がない﹂と強調する
タンザニア
トーゴ
山形 洋一さん
10
20
October 2009
October 2009
21
インド
ホンジュラス
25
山 形 さ ん。
﹁そ れ ぞ れ に 違 い が あ る
グアテマラ
スラムの子どもたちと。
山形さんのスケッチブッ
クは、彼らの似顔絵でい
っぱい。2 0 0 7 年には、
デリー市内でこれまで描
いたスケッチの個展を開
いた
(撮影:久野真一)
(上)
プロジェクトで試験的に導入した「母子
健康カード」について准看護助産師たちと話
し合う
(下)研修では、
プロジェクトで考案されたさま
ざまな教材が使用されている。
「 実践的で分
かりやすい」
と評判(撮影:久野真一)
やまがた・よういち
1946年大阪府出身。東京大学大学院農学研
究所博士課程修了。77∼79、81∼84年、
グア
テマラ
「オンコセルカ症研究対策プロジェクト」に
JICA専門家として赴任。85∼89年、世界保健
機関のプロジェクト
(ブルキナファソ、
トーゴ)
に参
加。91年より現職。タンザニアのマラリア対策、
中南米のシャーガス病対策など数々のJICAの感
染症対策プロジェクトに尽力。2005年より、
イン
ドのマディア・プラデシュ州の「リプロダクティブヘ
ルスプロジェクト」
( www.jicamprhp.org/)
のチ
ーフアドバイザーを務める。著書に『国際協力専
門員』
(共著・新評論)
ほか。
※JICAが実施するプロジェクトの計画・実施・評価に
おけるアドバイザーと、
プロジェクトマネージャーとして
現地で中心的に活動する専門家の業務を兼任する。
91
ゲンバの風
単身赴任の山形さんを気遣い、お昼には
スタッフが料理を持ち寄って食卓を囲む。
「優秀なスタッフに囲まれて幸せです」。山
形さんの家族も、
日本から彼の活動を応援
している
(撮影:久野真一)
エルサルバドル
11 回
第
国際協力の世界に足を踏み入れて30年以上―。
人生の大半を開発途上国での仕事に費やしてきた山形洋一さん。
中南米、
アフリカで感染症対策に取り組んだ後、
若いころからあこがれていたインドで、
妊産婦と赤ちゃんの命を守るため、
日々汗を流している。
ブルキナファソ
40
85
った。
ほ ど 、G E N の 活 動 は 苦 労 の 連 続 だ
にここで始めなかった﹂と振り返る
変な仕事だと分かっていたら、絶対
ことで、少しずつ信頼を得ていくし
摯に植林に取り組む姿を見てもらう
人がいる。村人と徹底的に話し、真
緒に働くことを親戚に猛反対された
れがあるため、在来種を中
虫が発生すると全滅する恐
辺倒の緑化はいったん病害
いる。政府が進めるマツ一
でいるのだ。
のモデルづくりに取り組ん
心に多様性のある森林再生
活動が本格化してからも試練は続
かなかった。
日中戦争の暗い影が色濃く残るこ
の地では、人々との関係づくりも、
年に大同の農民や日本人ボ
反 日 感 情 が渦 巻 く 中 で
無 から 始 めた 植 林 活 動
との管理棟の周りでも、スタッフら
の多様化が進んでいる。また、ふも
同で、共に木を植える日中両国の
た。憎しみと悲しみが溢れていた大
ます﹂と高見さんが笑みを浮かべ
ん 。G E N を 支 え て い る の は 、 日 本
が作ったリンゴ畑を日本人専門家の
樹や植物の知識を学びながら李さん
と一緒に植えられている。
22
October 2009
北 京 か ら 西 へ3 0 0 キ ロ 。 年 間 降
水 量 40 0 ミ リ の 黄 土 高 原 に は 、 保
水力を失った土が雨と風に流されて
できた﹁浸食谷﹂と呼ばれる峡谷
が、大地に無数に刻まれている。そ
の昔は都が置かれ、文明が栄えたこ
の地を荒涼とした風景に変えたの
は、木を切り、家畜を放牧
し、山を削って畑を耕した
人間の営みだった。
年間、砂漠化防止に取
高原の玄関口・大同の地
で
り組んできたのが、認定N
PO法人緑の地球ネットワ
ーク
︵G E N ︶ 事 務 局 長 の 高
見邦雄さんだ。﹁人の手で壊
したものは人の手で回復さ
せ よ う ﹂ と 、 こ れ ま で 植 え た 木 は1
7 0 0 万 本 。 乾 燥 に 強 い3 種 類 の マ
ツや低木などを植えて水や土の流出
を防ぐとともに、漢方薬や化粧品の
原料として売れるアンズを植えるこ
とで人々に現金収入の道を開き、生
活 を 変 え た 。 2 0 0 4 年 か ら の3 年
間は、J ICAの草の根技術協力事
業を活用して小学校に果樹園を作
り、その収益の一部を教育支援にも
充てた。
しかし、高見さんが﹁これほど大
ラ ン テ ィ ア と 一 緒 に 植 え た6 万 本 の
A 草の根技術協力事業の支
いた。
ートだった。1992年、一人で
アンズ。順調に育っていたにもかか
援を受けているが、北向き
が信じられない。どちらが夢か現実
ゼロというよりマイナスからのスタ
村々を回る高見さんを、村人は﹁日
わらず、野ウサギに苗木をかじられ
斜面では、3種類のナラやシナノキ
年から二度目のJ IC
本鬼子︵リーベン・クイズ︶﹂と呼
た り 、 ア ブ ラ ム シ の 影 響 を 受 け 、2
か、時々ふっと区別がつかなくなり
が土や栽培方法を変えながら育苗試
人専門家や、大同市青年連合会内に
一人がたまたま見つけ、﹁この畑は
変えたい﹂という皆の希望が、苗木
人 々 。﹁ 砂 漠 化 し た 黄 土 高 原 を 緑 に
返しだ。
験を行っている。地道な作業の繰り
び、子どもたちは﹁打倒日本︵ダー
などが育ち始めており、確実に植生
石を投げつけるまねをした。今でこ
そG E N の 取 り 組 み に 賛 同 し 、 共 に
活動するスタッフの中にも、身内を
日本兵に殺された人や、日本人と一
しかし、﹁先入観もこだわりもな
設 け ら れ たG E N の 担 当 部 署 ﹁ 緑 色
本物。作った人を見つけ出して仲間
元々、地元の農民だった。独学で果
地 球 網 絡 大 同 事 務 所 ﹂︵ そ の 後 、 大
に入れるべき﹂と高見さんに勧めた
ここの責任者である李向東さんは
同市総工会に移管︶の中国人スタッ
のが縁で、GEN のメンバーに加わ
い素人だったからこそ、さまざまな
フ な ど 。﹁ 偶 然 と は 思 え な い ほ ど 人
っ た 。﹁ 本 当 に 植 物 が 大 好 き 。 植 物
北京
人たちの協力を得られた﹂と高見さ
に恵まれ続けた﹂という環境が築い
以外目に入らない、変わったヤツな
山西省
中国
た日中両国のネットワークだ。
んです﹂と目を細める高見さんの信
帰 り の 車 中 、﹁ 苦 労 の 連 続 だ っ た
頼は厚い。
は、高低差を利用して在来種の植物
昔を思うと、仲のいい人たちと今、
ヘクタールの自然植物園で
遷移を観察したり、隣接する地方か
大同市
﹁人に恵まれた﹂
日中両国のネットワーク
年後にほぼ全滅した。
砂漠化と水不足が深刻な中国・黄土高原。その玄関口に位置する山西省大同市で、
緑の地球ネットワークは、環境破壊と貧困の悪循環を断ち切るため、
緑の再生に取り組んでいる。
ダオ・リーベン︶﹂とうたいながら
本業は看護師(現在は副院長)
ながらボランテ
ィア通訳として初期から高見さんを支えてきた
王萍さん
(右)
と、緑色地球網路大同事務所
の二代目所長を務める武春珍さん
黄土の大地に
緑と希望が根を下ろす日を
こうして一緒に木を植えていること
中、約
大同市南部の霊丘県太行山の山
木の状態を見て回る自然植物園責任者の李さん。寡黙な人柄だが、彼の植物
への深い愛情と探究心は人一倍
07
らも植物を導入し試験栽培を行って
86
October 2009
23
94
17
認定NPO法人
緑の地球ネットワーク
国 際 協 力 の 担 い 手 た ち
成長したマツの横で笑顔を見せる高見
さん。直射日光が強すぎて植林に向か
ない南向き斜面で、畝状に土手を作り
水分をためる方法を採用した
険しい浸食谷が広がる大地
暗い空に、たくさんモノが
飛んでいた
﹁ようやく現地と連絡が取れた!﹂
万 人 という 甚
年から支 援 を 続ける
けた心の傷も相当なものだろう。
し か し、タ ン リ エ ン 地 区 に は ど こ か
らも支援の手は差し伸べられていなか
った。
TPAKは、インターネットなど
を使って資金を募り、2週間後、伊吾田
さ ん が 現 地 に 飛 ん だ。ヤ ン ゴ ン の 町 か
ら 多 く の 緑 が 消 え、い つ も の 美 し い 町
並みは一変していた。
﹁夕 方 か ら 風 と 雨 が 強 く な っ て き て、
後 ろ の 建 物 に 逃 げ た ん だ。空 に い ろ ん
な も の が 飛 ん で い て 怖 か っ た よ。み ん
な、ぶるぶる震えていた﹂
歳の少年は恐怖の体
験 を 話 し て く れ た。緊 急 の 支 援 が 必 要
孤児院に住む
だった。
ま ず、子 ど も た ち が 安 心 し て 眠 れ る
気付かない多くのことを学ばせてもら
援 す る 人 々 が い る。伊 吾 田 さ ん た ち は
が い る。そ し て 復 興 プ ロ ジ ェ ク ト を 支
隣の人々も収容できるシェルターの建
その一つが、〝地域の人々がお互いを
りの栄養をもらっている。
今、タンリエンの人々から、心にたっぷ
﹁国際協力の現場で、私たちは、普段
タンリエン孤 児 院の緊 急 支 援に立ち上がった。
CTかながわ
︵TPAK︶も
助 隊︵ 医 療チーム︶
を派 遣 。NPO法 人 地 球 市 民A
大 な 被 害 を もたらした。J I C Aは国 際 緊 急 援
﹁ ナルギス﹂は、死 者・行 方 不 明 者
2008年5月2日 、ミャンマーを襲ったサイクロン
サイクロン救援活動で学ぶ、
思いやりの心
N P O 法 人 地 球 市 民 AC T か な が わ
︵TPAK︶事務局長の伊吾田善行さん
が 一 息 つ い た の は、〝巨 大 サ イ ク ロ ン、
ミ ャ ン マ ー 南 部 を 直 撃〟と 報 道 さ れ て
か ら 1 週 間 後 の 5 月 9 日 だ っ た。そ の
間、メディアで伝えられる死者、行方不
明 者 の 数 は 増 え 続 け る。そ れ も 並 み の
キ ロ、
T P AK が 支 援 す る タ ン リ
数 で は な い。中 心 都 市 ヤ ン ゴ ン か ら 南
へ
エ ン 孤 児 院 に は 2 45 人 の 子 ど も た ち
が暮らしている。子どもたちは、お坊さ
んたちは、無事だろうか? 伊吾田さん
の胸にはさまざまな思いが巡ってい
た。
幸 い 孤 児 院 は 高 潮 の 被 害 か ら 免 れ、
死 者 を 出 す こ と は な か っ た。猛 威 を 振
る っ た サ イ ク ロ ン の 中 で、こ れ は 奇 跡
的といえる。しかし、敷地内に9棟ある
建物は6棟が全壊、3棟が半壊。水道は
壊れ、菜園も水没した。子どもたちが受
家と、水道設備を修復した。そして1ト
ン の コ メ を 運 び 込 ん だ。避 難 し て き た
周辺住民を含む、約1000人、200
世帯の1週間分だ。また、マラリアやデ
ング熱といった感染症のまん延を防ぐ
ために、蚊帳や石けん、洗剤なども孤児
院に配布した。それが、タンリエン地区
に入った最初の支援となった。
国際協力は〝半径3メートルから〟
始まっている
T P AK は 2 0 0 5 年 か ら 、 子 ど も
た ち に 手 洗 い、歯 磨 き、爪 切 り を 指 導
し、安 全 な 水 を 供 給 す る た め の 設 備 を
年 1 月 1 日、子 ど も た
の 被 害 を 目 の 当 た り に し て、新 た な 支
設 が 始 ま っ た。強 い 暴 風 雨 に 耐 え ら れ
支え合う思いやりの心〟だという。孤児
ち の 教 室 と 寮 も 兼 ね、万 一 の 時 に は 近
年が明けた
援 が 必 要 な こ と を 痛 感 す る。い つ か ま
るように、地下1・5 メートルからコ
っていると感じています﹂
た襲ってくるに違いないサイクロンに
院 に は 寺 子 屋 が 併 設 さ れ、貧 し く て 学
校に行けない子どもたちにも教育の機
会を提供している。また、被災後に緊急
支 援 と し て 配 ら れ た 1 ト ン の コ メ は、
混乱することなく貧しい家庭から順番
「JICA寄付サイト」
からお申し込み下さい。
クレジットカードによる決済
や、銀行・郵便振込みなどがお使いいただけます。
JICA寄付サイトURL:http //www.kifu.jica.go.jp/
ン ク リ ー ト で 基 礎 を 打 ち、1 階 の 床 を
地 上 か ら 1 メ ー ト ル 上 げ た。こ の 基 礎
と1階部分の建築費にJICA基金が
年5 月に、全面鉄筋コン
利用された。そして4カ月後、被災から
1年を経た
に配布されたという。
の で は な い で し ょ う か。地 域 へ の 愛 着
﹁私 た ち は 思 い や る 心 を 忘 れ が ち な
ク リ ー ト 製 の 頑 丈 な2 階 建 て の 建 屋 が
完 成。
T P AK は 事 業 計 画 か ら 建 設 業
も 薄 れ て い ま す。自 分 を 中 心 に 半 径 3
メートル。そこにいる家族や友人、隣人
を思いやる心を持つことが国際協力へ
と踏み出す第一歩なのだと思います﹂
これまでに経験したことのない未曾
お寄せいただいた寄付金は、途上国の貧困削減、医療や教育の提供、
環境問題の解決などに取り組むNGOの活動に充てられます。各支援
活動や寄付金事業収支についてのご報告は、
「 JICA寄付サイト」
で公
表します。
寄付の方法
建 設 す る な ど、衛 生 環 境 の 改 善 を 中 心
ネーピードー
∼届け 私たちの思い∼
に孤児院を支援してきた。しかし、今回
ミャンマー
者の選定、工事の進行、事業・決算報告
など、一連の工程でサポートしてきた。
し か し、あ く ま で こ の プ ロ ジ ェ ク ト の
中心となったのは、僧侶や檀家の人々、
そして地域住民だった。
﹁いつも思うことですが⋮﹂と前置き
タンリエン孤児院の子どもたち。
6段階の正しい手洗いを、歌とジェスチャーで学ん
でいる
2009年5月に完
成した全面鉄筋
コンクリート製の
寮兼シェルター
タイ
ヤンゴン
14
有の災害から立ち上がろうとする人々
寄付金の使われ方
05
24
October 2009
October 2009
25
10
JICAでは、国際協力に関心のある日本の皆さまからの寄付
を、開発途上国の貧困削減や環境保全への取り組みに活用
する「 世界の人びとのためのJICA基金 」で受け付けていま
す。皆さまのご支援をお待ちしております。
09
09
して、伊吾田さんが語る。
世界の人びとのためのJICA基金
食事は質素でコメと野菜のみ。衛生環境
が悪く、素手で食べるため、下痢などの感
染症に苦しんでいる子どももいた
ココロ と ココロ
備えて強固な建物を建設しよう。
僧侶や檀家の方々など。
タンリエン地区での協力者の皆さん
地 元 の 人々の
協力で、寮兼シ
ェルターの建設
が進む
あなたの小さな一歩から始まる国際協力
40
北澤豪さんが見た
アフリカの光
と、一緒に旅したスタッフに
れは素晴らしかったよなぁ﹂
すべては水から始まった⋮
﹁あ
語り掛ける北澤さん。セネガルでの
感動はまだ続いている。農村の自立
を支援するJ ICAのプロジェクト
を訪れ、地域の人々の活動を知った
ときの驚きだ。
﹁安 全 な 水 を 確 保 す る た め に、立
派な給水施設が造られていた。それ
も大変なことだけど、すごいと思っ
IFAワ ー ル ド カ ッ プ が 開 催 さ れ
ーより、勉強にかける時間の方が多
は言っていたよ。養成校ではサッカ
北澤さんは続け
﹁しかし⋮﹂と、
﹁みんな 情 熱 的で 、す ごいパワーを 持っていた ﹂
6月 末から7月にかけて南アフリカ共 和 国 とセネガルを 旅した
JICAオフィシャルサポーターの北 澤 豪さん。
JICAの支 援 を 受けて活 動 するアフリカの人たちは、
﹁ 生き 生きして 、楽しそうに自 分たちの取り組みを 自 慢 するんだ ﹂。
北 澤さんはアフリカの旅で 、どんな〝 情 熱 〟
に出 会ってきたのだろう 。
たのはそこから先なんだ﹂
北澤さんはそう言って話し始めた。
﹁メ ー タ ー を 設 置 し、使 っ た 量 に
応じて料金を取るようにしたんだ
ね。そこからいろんなことが始まる
んだよ。みんな水を無駄にしないで
大切に使うようになる。お金がかか
るからね。さらに、集まったお金の
使い道は村の人たちがアイデアを出
し合って決めている。村の養鶏所や
製粉所はそうやって建てられたん
だ。水 の 確 保 か ら 始 ま っ た も の が、
コミュニティー全体を良くしていこ
うという取り組みに広がっているん
だ。これって、すごいことでしょ﹂
北澤さんはこれまでに何度もアフ
リカを訪れている。しかし今回ほど
〝一 つ の 試 み が 地 域 全 体 に 広 が っ て
いくパワー〟を感じたことはなかっ
たという。
セネガルで訪れたもう一つのプロ
る。アフリカ大陸で初めてのことだ。
﹁ボールがな
る。
ね﹂
ジェクトは、農地を塩害から守るた
いんだ。サッカーの技術も大切だけ
﹁そ の 寸 劇 を 僕 た ち の 前 で 披 露 し
の人たちに木を植える〝意味〟を寸
るもの。そこでは、コミュニティー
ー選手養成校を訪問した。
元代表の選手たちが運営するサッカ
セネガルでは、フランスで活躍した
リ カ 代 表 と な っ た シ ャ バ ラ ラ 選 手。
人居住区︶出身でサッカーの南アフ
南アフリカでは、ソウェト︵旧黒
﹁僕 は よ く、訪 ね た 地 域 で 子 ど も
アフリカ全土に広がる大きな夢だ。
る。南アフリカという国の枠を超え、
どもたちに夢を与える大会でもあ
ワールドカップは、アフリカの子
カーボールがな
﹁どうしてサッ
くない﹂と言う。
な話で済ませた
贈るという単純
いからボールを
てくれたんだ。木を植える意味、森
同じ目的意識を持つための工夫なん
表現している。地域の人々みんなが
で麻薬や少年犯罪から救われる子ど
て い る。
﹃サ ッ カ ー に 熱 中 す る こ と
﹁サ ッ カ ー は 少 年 た ち に 夢 を 与 え
フリカには、その地域にサッカーボ
サッカーボールを寄贈してくる。ア
たちとサッカーをやるんだ。そして、
たいと思ってい
で考えてもらい
こまで踏み込ん
い ん だ ろ う、そ
だね﹂
ールが一つしかないことが多いから
根 技 術 協 力 事 業 と し て、
J ICAが
また、南アフリカ共和国では草の
NGOのアジア・アフリカと共に歩
む会と協働で実施している、ズバネ
小学校の健康教育と菜園プロジェク
トを訪れた。菜園づくりを通して農
業を学ぶ取り組みだが、その成果は
学校給食の質や量の改善に結び付
き、子どもたちの生活環境と健康状
態の改善に大きく貢献している。
だよ。自分たちがやっていることを
﹁と に か く、み ん な 楽 し そ う な ん
話 し て く れ る 姿 は 誇 ら し げ だ し ね。
うん、あれは自慢だな。どうだ、見
てくれってね﹂
なぜ、サッカーボールを
贈るのか
2010年6月、南アフリカでF
ている。
た人々を思いながら、今、心躍らせ
は、セネガルや南アフリカで出会っ
全土を照らすに違いない。北澤さん
らに大きな広がりを持ってアフリカ
ルギーがワールドカップを機に、さ
リカの人々の明日に向けられたエネ
の広がりを実感した北澤さん。アフ
るいパワーとJ ICAの支援の成果
いくつかの現場を訪れ、人々の明
⋮﹂
ッカーボールのことを考えながらね
てほしいと思うんだ。ほんの少しサ
南アフリカのチームにも声援を送っ
みんな日本を応援するでしょ。でも、
ールドカップでは、日本の人たちは
治安の問題かもしれない。来年のワ
るんだ。理由は貧困かもしれないし、
もたちがいるはずだ﹄とシャバララ
劇で教えている。
を守る大切さをとても分かりやすく
だね﹂
ど、まずは人間形成という考えなん
特別レポート
北澤さんは、今回の旅でサッカー関
南アフリカ共和国
係者とも会っている。
プレトリア
めにユーカリなどの樹木を植え、天
セネガル
然資源の持続的管理や生活改善を図
寸劇を使って森の大切さを伝える活動に感動した北澤さん。熱心にその演技に見入る
(セネガル)
(上左)
ストリートチルドレン保護施設の代表と、南アフリカ共和国の子どもたちが置
かれている状況について意見交換する北澤さん
(上右)
セネガルでは青年海外協力隊と話す機会も多かった
(下)
農村の人々の自立支援について、水管理委員会から説明を受ける北澤さんの
表情は真剣だ
(セネガル)
26
October 2009
October 2009
27
ダカール
南アフリカ共和国では子どもたちと
サッカー交流も
ティーに入って 地元の人たち
開 発 途 上国の農 村やコミュニ
ナーの共 催。毎 年6月に仙 台で 行 わ
例えば、
一般 向けのイベントやセミ
日 本の市民の参 加やつながりを大 事
と と もに 地 域 開 発 に取 り 組 ん だり、
え るこのイベントは、︵財︶仙 台 国 際
や日 本 と 世 界のつな がりについて 考
つで す。学 生や 市 民 が 途 上国の課 題
れる﹁ぐ ろーかるサ ミット﹂も その一
交 流 協 会、︵特 活︶国 際 ボランティア
にしながら国 際 協 力 を推 進している
協 力 の 重 要 な 担い 手 で す。
JICA
している もので、地 域 から国 際 協 力
センター山 形 とJICA東 北 が共 催
NGOは、市 民 社 会 を 代 表 す る国 際
さまざまな形で事業を行っています。
を 発 信 す る 場 と し て、地 元 のNGO
は、そ う し たNGOを パート ナーに、
をはじめ、多 くの 参 加 者 を 集 めてい
このように、さま ざ まな 連 携 事 業
事業﹂
。これは、
NGOが自分たちの技
を円 滑に行 う ためには、対 話 や 情 報
代 表 的 なものが﹁草の根 技 術 協 力
基 づき、
NGOとJICAが共 同で 事
交 換、信 頼 関 係 が 必 要 で す。そこで
ます。
業 を 実 施 するという もの。常に現 場
JICAでは、
﹁NGO ︱JICA協議
会﹂を年に4回開催。
NGO関係者と、
やコミュニティーに直接行き届きやす
連 携のあり方や国際 協 力への市民 参
に密着しているNGOの支援は、人々
期待できます。
かし な がら、より 市 民 に開 かれ た国
NGOとJICA、双方の強みを生
ています。
加などをテーマに、活発な議論を行っ
いという 点で、より 効 果 的 な 成 果 が
件
貧困削減、環境、教育、保健などの分
若手NGOスタッフの育成と組織力向上を目
的に、国内外で1年弱かけて行われる研修。
際 協 力の実現のため、今 後 も 効 果 的
●NGO人材育成研修
NGOらしいき め 細 かな 支 援 につな
NGOの途上国での活動や国内での団体
組織力の強化をサポートするため、専門知
識を持つアドバイザーを派遣。
な 連 携 を 進めていきたいと 考 えてい
●NGOへのアドバイザー派遣制度
ます。
市民からの寄付金で、
NGOの活動と連携
(24ページに関連記事)
。
がっていま す。また、こう し たNGO
相 談に応じる﹁NGO ︱JICAジャ
●世界の人びとのためのJICA基金
め、現 地の 情 報 を 提 供 し たり、個 別
パンデスク﹂を設置しているJICA
の海外事務所もあります。
一方国内でも、積極的にNGOとの
連 携 を 図ってい ま す。日 本 のNGO
は、日 本の 地 域 や 市 民 とのつな がり
あり、国 際 協 力 を 市 民に開かれたも
のもとで 活 動していることに強みが
との連携が不可欠だからです。
のにするためには、このようなNGO
そのほかにも…
の活 動をより効 率 的なものにするた
野において、現場のニーズをよく知る
程 度の 新 規 案 件 が 採 択 されており、
この 事 業は、公 募により 年 間
30
28
October 2009
A
術や経 験を生かして企画した提 案に
大学卒業後、1989年にJICAに就職。
研 修 事 業 部 、評 価 監 理 室(いずれも当
時 )などを経て、旧 国 際 協 力 銀 行 へ 出
向。インドネシア事務所、JICA東北などを
経て、2008年7月より現職。
「NGOとの連携によって
より市民に開かれた国際協力を目指します」
Q&A
JICAはNGOと
どのように連携しているの?
Q
開発途上国の現場はもちろん、
日本国内でも、市民とともに活動を展開するNGO。
国際協力に不可欠なプレーヤーとなっているこのNGOと、JICAはさまざまな形で連
携を強化している。
(上)
ラオスで公共図書館や移動図書館の整備を行う
(社)
シャンティ国際ボランティア会の草の根技術協力の様子
(左)地元NGOと連携し、仙台で開催された「ぐろーかるサ
ミット」
では、
フェアトレードショップも設置された
JICA国内事業部連携調整課
課長
高城 元生
PROFILE
8月
日、東 京・有 楽 町
日本
世 界 も、 自 分
朝 日ホールで、 国 際 協 力 トー
クイベント﹁
も 、 変 え る シ ゴ ト。
も 元 気にす る 海 外 ボランティ
ア﹂︵ 主 催 JICA、 共 催
朝 日 新 聞 社 ︶が 開 催 さ れ ま
した。
の 中 田 宏 さんが、﹁ 日 本 の 地
訪 問 事 業 な どの 支 援 を 通 し 、
一人一人 の 命 が 輝 け る 社 会 を
築いていき たい﹂と 抱 負 を 語
りました。また、 日 系 ブラジ
ル人の子 ど もたちが多 く 学ぶ
愛 知 県の小 学 校で日 本 語 教
師 を 務 め る 関 谷 たかね さ ん
活 してきた ブラジルでの 経 験
は、﹁ 自 分 が 外 国 人 として 生
を 生かし、 日 系 人の子どもた
ちが 将 来 の 夢 を 持 て るよ う 、
のにするためには、このようなNGO
との連携が不可欠だからです。
ヨルダンでは 、全 人 口の約3
万 人 が生
カ所のパレスチナ
分の2をパレスチナ系の国 民が
占め、国 内
難 民 キャンプに 約
活しています 。そこに住む子ど
もたちには、学 校が夏 休みに入
ると、遊んだり体を動かす場 所
がありません。
年 海 外 協 力 隊の短 期 隊 員︵ 青
そんな子どもたちのため、青
少 年 活 動 ︶ 人が7∼8月にか
けて派 遣され、
スポーツイベント
市民か
(24ペ
NGOの
組織力
識を持
月
日 より 募 集 しま す 。募 集
日︵ 月 ︶
http://www.
03-3406-9900
JICAボランティア募 集
TEL
選考窓口
問
︶
をご覧ください。
jica.go.jp/
募集期間
月 1 日︵ 木 ︶∼
ホームページ︵
資 格 、募 集 分 野などの詳細は、
月
とした短 期ボランティアも 、
ば 参 加できるという 方 を 対 象
いま す 。また 、1 年 未 満 であれ
2009 年 度 秋 募 集 を 行って
隊・シニア 海 外 ボランティアの
JICAは 、青 年 海 外 協 力
若手N
的に、国
10
●NG
10
域の活 性 化 と 国 際 協 力 ∼ 青
地 域 とともに支えていきたい﹂
が開かれました。
隊 員たちは3つの難 民キャン
プに 分かれ 、男 子 にはサッカー
を 、女 子にはドッジボールを 指
導 。競 技を通じ、体を動かす楽
しさやチームプレーの 意 義 、皆
で 何かを 成 し 遂 げることの 喜
日には、各 キャンプの
びを伝えてきました。
8月
代 表 選 抜 による キャンプ対 抗
戦 を 首 都アンマンで開 催 。日 本
の運 動 会のように選 手 宣 誓 と
準 備 体 操 を 経て 始 まった 各 競
技では、子どもたちが協 力し合
いながら 力いっぱい体 を 動かし
ていました。
JICAヨルダン 事 務 所 で
は、今 後も体 育や美 術 、音 楽な
遣 を 通 じ 、子 ど も た ちの 健 全
どの情 操 教 育 を 行 う 隊 員の派
30
33
●世界
9
年 海 外 協 力 隊への期 待 ∼ ﹂ を
していきたい﹂と述べました。
り入れた地 域の活 性 化に貢 献
促 し、﹃よ そ 者 ﹄の 視 点 を 取
は、﹁ 外 部 の 人々と の 交 流 を
活 動 を し てい る 田 谷 徹 さ ん
て 地 元に根 付いたさま ざまな
を 受け入れたり、 農 業 を 通じ
と話しました。
テーマに講 演 。 協 力 隊 経 験 者
などの職 員 採 用 を 推 進してき さ ら に、 福 井 県 で 農 園 を
営 み、 海 外 か ら 農 業 研 修 生
た 経 験 について 触 れ、﹁ 開 発
途 上 国で 貴 重 な 経 験 を 積み、
たくましい﹃人 間 力﹄を養って
き た 協 力 隊 経 験 者 は、 日 本
の 地 域 に 必 要 と さ れ る 宝 だ。
彼 らのよう な 人 材がさまざま
な 場 所できちんと 生かされる
社 会 をつ くっていか な け れ ば
ならない﹂と呼び掛けました。
続 く 第 2 部 で は、 朝 日 新
聞 社 論 説 委 員の脇 阪 紀 行 さ
ん を 進 行 役 に、 地 域 社 会 で
活 躍 する3人のJ I C Aボラ
ンティア 経 験 者 が 参 加 す るパ
ネ ルト ーク が 開 か れ ま し た。
現 在 、 助 産 師 として 活 躍 し、
助 産 院 ﹁いのち 輝かせ屋 ﹂ を
大 阪 府 で 営 む 小 川 圭 子 さん
パレスチナ難民キャンプの子どもたちに楽しみと喜びを
03
青年海外協力隊
シニア海外ボランティア募集開始!
「NG
より
02
な成長を支援していきます。
11
10
10
|
●NG
対抗戦で、
力強くボールを投げる女の子たち
19
|
第 1 部 で は、 前 横 浜 市 長
国際協力トークイベント「日本も元気にする海外ボランティア」開催
30
は、﹁ 協 力 隊 で 視 野 が大 き く
前横浜市長の中田宏さんが講演
01
広 がった。 育 児 中 の 母 親への
October 2009
29
JICA UPDATE
OCTOBER 2009
新 着 情 報
M
B
OVIE
『ウイグルからきた少年』
OOK
『リーダーシップと国際性
』
国際文化会館新渡戸国際塾講義録1
中国の新彊ウイグル自治区からカザフスタンに逃れたも
「 新渡戸国際塾 」は、国際社会で活躍する次世代のリーダーを育
のの、大人の思惑により自爆攻撃者に仕立て上げられ
成するため、企業やNGO、研究機関などで実務経験があり、国際
ていくウイグル人の少年、裕福な家庭に育ちながらも無
的な視野での社会貢献に関心を持つ人々を対象に、
2008年に
為な生活を送るカザフ人の少年、養父に性的虐待を受
開始されたもの。講師には元国連事務次長の明石康氏、東京女
け、家を飛び出し街娼として生きるロシア人の少女。カザ
子大学理事長で元検事総長の原田明夫氏、JICA副理事長の大
フスタンの廃屋で生きる3人の子どもたちが、純粋ゆえに
島賢三氏など、
そうそうたる顔ぶれが並ぶ。本書は08年9月から約
絶望へと進んでいく姿をカメラが静かに見つめ続ける。現
半年間にわたり行われた、真の国際人としての在り方を問う数々の
役自衛官の佐野伸寿監督が、
カザフスタンとイラクに滞
講義録を再構成したもの。第一
在した経験をヒントに、中央アジアの現状を描いた作品。
線で活躍した人生の大先輩の
言葉には、未来のリーダーへ向
けての力強いメッセージが込め
られている。
この本を
1人の方に
プレゼント
詳細は
38ページへ
降旗高司郎 編
アイハウス・プレス
1,600円
(税込)
映画「ウイグルからきた少年」
より
2008年/日本・ロシア・カザフスタン/65分
監督・脚本・編集:佐野伸寿
撮影:ボリス・
トロシェフ
公開:10月3日
(土)
より渋谷アップリンクほか、
全国順次公開
URL: http://www.uplink.co.jp/uyghur/
B
OOK
『地域をつなぐ国際協力』
“国際協力”
というと海外が現場であり、
日本に暮らしながら参加す
E
るのは難しいと考えがちだ。
しかし著者は、
「 国際協力は日本の地
VENT
域をも活 性 化させる」
と訴える。本 書では、
フィジーやトンガなどの
JICA研修員に、地域資源を活用した地域振興を伝える長崎県の
国際協力の第一歩を踏み出そう
人口80人の大島や、街を挙げて国際交流を促進する北海道滝川
●国際協力フォーラム −世界を変える初めの一歩
市の試みなどを例に、国際協力が日本の地域にもたらした成果を
福 留 功 男さんをナビゲーターに、自分スタイルの国 際
紹介。興味深いのは、異なった価値観を持つ研修員の目を通し、
日
協力を始めた人たちが語り合う。
日時 : 10月18日
(日) 14時∼16時30分(入場無料)
会場 : JICA地球ひろば 3階講堂(東京都渋谷区)
問 : JICA地球ひろば 市民参加協力促進課 TEL : 03-3400-7254 http://www.jica.go.jp/hiroba/
本人が地元での生活価値を見
出している点だ。地域の魅力を
改めて気付かせてくれる−それ
が国際協力であることを本書は
教えてくれる。
●ワールド・コラボ・フェスタ2009
今年で6回目を迎える国際交流・国際協力・多文化共生
がテーマのイベント。JICAもブースを出展予定。
日時 : 10月24日
(土)
・25日
(日) 10時∼18時(入場無料)
会場 :オアシス21「銀河の広場」、久屋大通公園「もちの木広場」
(愛知県名古屋市)
問 :ワールド・コラボ・フェスタ実行委員会事務局
([財]名古屋国際センター)
TEL : 052-581-5689 http://www.world-collabo.jp/
この本を
1人の方に
プレゼント
詳細は
38ページへ
西川芳昭 著
創成社
840円
(税込)
October 2009
30
vol.13
Myanmar refugees
in Thailand
[タイに暮らすミャンマー難民 ]
文・写真=渋谷 敦志(フォトジャーナリスト)
マ・ピョーさんの娘、サー・ク・ワーさん
(22)
が
生まれたばかりのムラ・
トー・シちゃんに授乳
まだ見えぬ
明日を信じ
地球ギャラリー
A.前夜祭で催された伝統舞踊「ドーンダンス」のコンテスト
D.ラクキジュで腕にひもを巻き祈願する
タイ北西部、ミャンマーとの国境
の町メソトから車で2時間ほどで、
ウンピアム難民キャンプに到 着 す
る。山の斜 面にびっしり と並ぶ高
床式の住居には、ミャンマーから戦
火などを逃れてタイへ越境して来た
カレン族など約2万人が暮らす。
8月の満 月の日、カレン族の伝
統行事﹁ラクキジュ﹂
︵﹁8月にひ
も を 巻 く ﹂の意 味 ︶が 催 されると
いうのでやって来た。前夜祭はドー
ンダンスと呼ばれる伝 統 舞 踊のコ
ンテストで始まった。広場では青年
グループが屋 台 を出し、どこか日
B.カレン語で歌を披露する高校生。難民だからこそ民族の文化を継承しようという思いは強い
C.ラクキジュの前夜、
キャンプ広場の屋台は住民でにぎわっている
本にも似た特別な祭りを、子ども
からお年寄りまで皆が楽しんでい
た。
夜が更けて日付が変わるころ、
行事を切り盛りするカレン族の女
性マ・ピョーさんが、妊娠中の娘を
病院に運んでほしいと言ってきた。
予 定日を前に破 水したという 。す
ぐにキャンプ内にあるクリニックに
車で搬送した。
翌朝、子どもが産まれたかどう
か気にしつつ、ラクキジュの儀式を
撮 影 する。普 段はTシャツ姿の若
者もこのときばかりは伝統服を着
E.機織り工房で布を織る。衣類やかばんなど
になってキャンプ内で売られる
F.ウンピアム難民キャンプ。山の斜面にかや
ぶき屋根の高床式の住居が並んでいる
用し、供 物 を盆に乗せ、手 首にひ
う知らせを受けた。ムラ・トー・シ
ちゃんと名 づけ られた。カレン語
で﹁ムラ﹂は﹁希望﹂、﹁トー﹂は
﹁ 真 実 ﹂の 意 。マ・ピョー さ ん は
﹁この子の人生が真の希 望で満 ち
たものであってほしい﹂との思いを
込めた。そして、難民としてイギリ
スで暮 らす 彼 女の母 と姉に、いつ
かひ孫を会わせることを夢見てい
る。
E
もを巻き、身 体にいい魂が宿るよ
う祈願する。
分に無事210
18
0グラムの女の子が産まれたとい
その後、 時
17
F
他方、夢を描くことさえできな
い人 もいる。ソーさんとその家 族
だ。ミャンマーからタイへ来たのは
昨年6月。サイクロン﹁ナルギス﹂
で被 災し、家 も仕 事 もすべて失っ
た。オーストラリアに住 む姉から
人でタイへ逃れること
タ イの 難 民 キャン プのこ と を 聞
き、家 族
を決 意した。雨の中 、幼い子 ども
と荷 物を背 負いながらジャングル
をさまよい、4日後にキャンプにた
どり着いた。
しかし彼らは難民として認めら
れなかった。戦 火や迫害から逃れ
てきたわけではないからだ。認 定
されなければNGOからの食料支
援 も 受 け られない。﹁ すべては子
祖 国 に 戻 れる 見 込 み が ない中
一家のように自然災害の被災者も
の地を求めたが、現 実は日々の食
で、2005 年から第三国 定 住プ
どもの未 来のため﹂という 覚 悟で
料にも 事 欠 く 毎日だ。﹁キャンプ
ログラム ※が始まった。アメリカや
いるのが現状だ。
から追い出されるのが心配で眠れ
オーストラリアなどの欧米諸国が
祖国を捨て、難民キャンプに安 住
ない夜もある﹂と、ソーさんは不安
多くの難民を受け入れているが、
の枠組みに参画する。
2010年度からは日本政府もこ
を口にする。
年 。キャンプは9つと
国境沿いに最初の難民キャンプ
がで きて
は﹁難民﹂である前に﹁人間﹂だ。
当然のことだが、やって来る人々
ンプの中で生まれ育った若者も多
明日を描けない彼らの思いにどう
なり、計 万人以上が暮らす。キャ
い。新たにやって来る難民も、その
J.キャンプ内にある教会。住民の約4割がキリスト教徒、3割が仏教徒で、残りはイスラム教だ
K.8月は雨期の真っ只中。毎日雨が続く
L.学校の昼休みに売店でおやつを買う
M.保育園で給食の準備中
向 き 合っていくのか、問 われる時
K
理 由が政 治 的か経 済 的かを 線 引 き
N.4時に学校が終わり、下校する小学生たち
O.キャンプの住民のおよそ半分が18歳未満の子どもたちだ
M
期に来ている。
vol.13
地球ギャラリー
O
N
J
H
L
することは容 易でなく 、ソーさん
I .サイクロンで被
災して難民となっ
たソーさん一家
G
G.キャンプ内の小学校で足し算のテスト中
H.小学校の校庭で休み時間に遊ぶ子どもたち
17
14 25
※母国に帰国することも、避難している国に安住することもできない難民を
第三国で受け入れる国際的枠組み。
エーヤーワディ・デ
ルタ地 域で、マング
ローブの植樹を行う
人々
JICAの活動
地球ギャラリー
in ミャンマー
Vol.13
Myanmar
未来の
国づくりのための
基礎を築く
ミャンマー
Illustration / Hori Takao
中国
民主化の進展と社会的安定の実現に基づいたミ
ャンマーの国づくりを支えようと、JICAは人道的な
視点からさまざまな支援を実施し、将来の社会を担
う人材の育成に協力している。
JICAの支援で整備された井戸で、水
浴びをする子どもたち
従来の暗記型の教育をやめ、児童が生き生
きと学べるよう、初等教育の改善を支援
(注)
今回の地球ギャラリーの撮影地はタイで
すが登場人物がミャンマー人のため、
ここでは
ミャンマーについて紹介します。
インレー湖
ネーピードー
ミャンマー
1981年に日本大使館の技術協
さらにJICAは、
ミャンマーの未来を
開していく計画だ。
力部門として事務所を開設して以来、
また、
マングローブの過剰な伐採の
担う子どもたちの教育の改善にも力を
長年にわたりミャンマーへの支援を続
影響もあり、
サイクロンで甚大な被害
入れている。一人一人の興味・関心、
けてきたJ
ICA。現在は、同国の政治
を受けたエーヤーワディ・デルタ地域
考える力を最大限に引き出す児童中
情勢を見守りながら、人道的で緊急
では、住民が主体となってマングロー
心型教育の普及・促進を目指し、現
性の高い支援、民主化・経済構造改
ブを再生し、持続的に森林を保全・利
職教員への研修体制や教育大学で
革に貢献する人材の育成などに協力
用していけるよう、住民参加型のマン
の教員養成体制の強化、教員による
している。
グローブの維持・管理体制づくりを進
自主研修活動体制の構築、教師用
特に2008年5月のサイクロン「ナ
めている。
指導書の作成などを支援している。
ルギス」では、主要な交通インフラで
一方、乾期になると慢性的な水不
ある内陸水運施設が大きな被害を受
足に見舞われる中央乾燥地域では、
け、被災地域への支援物資や生活
国境地域少数民族開発省の職員や
■JICAの協力実績
(人数ベース)
物資の運搬に支障をきたした。それ
住民を対象に、既存の井戸の修繕や
2009年9月1日現在
が、被災者の生活再建のネックにな
新しい深井戸の掘削技術の移転、井
っていたことから、JICAは、水運施設
戸の維持管理能力の向上を図り、安
の短期・中期的な復旧計画の策定を
定した水供給システムの構築に取り
支援。今後はさまざまな技術協力も展
組んでいる。
累計
研修員受入
350人
4,991人
専門家派遣
152人
2,096人
タイ
エーヤーワディ・
デルタ地域
首都:ネーピードー
2
面積:68万km(日本の約1.8倍)
人口:5,322万人
(2004年)
公用語:ミャンマー語
宗教:仏教
(90%)
、
キリスト教、回教ほか
1人当たり国民総所得(GNI)
:推定 386ドル
(07年)
経路:日本からの直行便はなく、バンコク、
シンガポール経由が一般的
通貨:チャット
(Kyat)
1Kyat=約15円
(09年8月現在)
気候:南部海岸地域は熱帯モンスーン気候で、
南西モンスーンの吹く5∼9月は
特に雨量が多い。内陸部はサバナ気候で、
乾期が長くなり気温もやや低くなる。
ミャンマーには130を 超 える民 族が
暮 らし、そ れ ぞ れが 独 自の食 文 化 を 持
つ。
﹁びるまの竪 琴 ﹂で味 わ えるのは、
ヤ
ンゴン出 身のモーココさんが作るビルマ族
の家 庭 料 理 。日 本 人 向 けに特 別 なアレ
ンジはしてお ら ず 、
モーココさんが 慣 れ
親しんだ家 庭の味 を 堪 能できる。
家 庭 で は ポ ピュラ ー な﹁ ガ ー シ ー ピャ
今 回 教 えて も らったのは、
ビルマ族の
ン﹂。味 付 けはナンプラー、塩だけ とシン
プル。
﹁これ をベースに、そ れ ぞ れの好み
で 魚 や 鶏 肉 、豚 肉 を 入 れて 食べるんで
す 。辛いのが 好 き な 人 は 唐 辛 子 を 入 れ
て もいいで す よ ﹂。店のメニューにはない
が、身 近 な 食 材でミャンマーの味 が 楽 し
める一品 。
︿ガーシーピャン﹀
タマネギ1個/ショウガ1カケ/ニンニク
︻ 材料︵2人前︶︼
シュトマト1 個 ︶/ 白 身 魚︵ ブリ︶
の切り
2カケ/トマト缶3分の1
︵またはフレッ
身2切れ/コリアンダー少々/ナンプラ
ー小さじ1/塩少々/サラダ油大さじ2
/パプリカパウダー少々/ ターメリック
少々
1.
フライパンにサラダ油をひき、
みじん切
︻ 作り方 ︼
入れ、
パプリカパウダー、
ターメリックを
りにしたタマネギ、
ニンニク、
ショウガを
火でいためる。
ふって、
タマネギがあめ色になるまで中
2.
1にトマト缶 を 入れ、ナンプラーと 塩
蒸す。
で 味 を 調 えたらフタをしてしばらく
して2∼3分蒸す。
3.
白 身 魚の切り 身 を 入れ、再 びフタを
たら 火 を 消し 、蒸 らしたら 出 来 上が
4.
刻んだコリアンダーを入れてフタをし
り。
☆ 魚の代わりに、鶏 肉や豚 肉を使っても
October 2009
O K 。その際 、肉の臭みを 取るために調
37
味料と 一 緒にローリエを2枚入れる。
びるまの竪琴
〒150-0013
東京都渋谷区恵比寿2-8-13 アクセスビル1F
TEL:03-5420-1686 URL:http://www.biruma.com
平日:11時半∼14時/18時∼23時
土曜・祝日:18時∼23時 定休日:日曜日
2008年
メソト
ヤンゴン
ミャンマー料理
魚の蒸し煮
「ガーシーピャン」
October 2009
36
[ 7月 号﹁ はじ めてみよう!あ な たの国 際 協 力 ﹂特 集へのコメント]
38
October 2009
■ 今 回 の特 集 は ちょう ど 気 に なってい た テ ーマだったので 、ス
ミ ズミ まで 読 ませていた だ き まし た 。 ま だ 、学 生 なので 直 接 、
協 力 がで き る わ け で は ないので す が、 そ ん な 私 た ち で も で き
る ﹁ 国 際 協 力 ﹂ がい くつも あった の で 、 ど ん ど ん 参 加 し て い
き たい と 思 い ま し た 。 今 、 こ の 瞬 間 に も 世 界 の ど こ か で 、 国
歳・女性・中学生︶
際 協 力 が 進 め ら れ ている と 思 う と 、 私 も 早 く そ こ に 加 わ り た
いと 思 えて き ま す 。︵ 神 奈 川 県 ・
■ あ と 1 年 で 退 職 を 迎 え る に 当 た り 、 シニア 海 外 ボ ラ ン ティ
か 考 え る と 、 もっと 身 近 な 所 で で き る 事 を ⋮ と 思って い た 矢
アの 資 料 を 読 ん だ り も し ま し た が 、 体 力 の 不 安 、 家 庭 事 情 と
先 、 今 回 の 記 事 が 大いに 参 考 に な り ま し た 。 目 立った 形 で な
く 、 す ぐ 身 近 に 待って る 人 が 仲 間 がい る 。 社 会 の た めに 他 の
歳・女性・公務員︶
開発途上国の気候変動対策を支援する
JICAの取り組みを紹介します。
3
た め に で き る こ と 、 沢 山 あ り ま す ね 。 ない も の を 数 え る の で
ま す 。 幸 せは 心 が決 める 。︵ 福 井 県 ・
■ 今 回の JICA's World
は 全 て の記 事 に 関 心 、 感 動 が あ り 、
スラ スラ 読 ん で し まい ま し た 。 今 、 災 害 が 多 く なって 、 被 災
と す る 活 動 が あ る 事 に 感 心 、 自 分 も 自 分の為 だ けで な く 人 の
し た ら と 思 う と 不 安 で な ら ないが、 沢 山 の人 の命 を 助 け よ う
① インドハーブ入浴剤
② 書籍『リーダーシップと国際性』
(p30参照)
③ 書籍『地域をつなぐ国際協力』
(p30参照)
申 込 先 (株)国際開発ジャーナル社 業務部(発送代行)
住 所 〒107-0052 東京都港区赤坂2-13-19 多聞堂ビル
T E L 03-3584-2191
F A X 03-3582-5745
E m a i l [email protected]
支払方法 「ゆうメール」の着払いとなりますので、
本誌と引き替えに200円をお支払いください。 Email : [email protected]
F A X : 03-3582-5745(『JICA’
s World』編集部宛)
氏名・住所・電話番号・ご希望の号
数 もしくは 送 付 期 間 を 明 記 の
上、下記にお申し込みください。
◎応募締切: 2009 年 11 月 15日
申込方法
添付のアンケートはがき、Eメール、FAXから、本誌に対す
るご意 見やご感 想 、
またJ I C Aへのご質 問を、氏 名・住 所・
電話番号・職業・年齢・性別・ご希望のプレゼントを明記の
上、お送りください。ご記入いただいた個人情報は統計処
理およびプレゼント発送以外の目的で使用いたしません。
当選者の発表は発送をもってかえさせていただきます。
し合う
は な く 、 今 あ る ものの多 さに気 づき 、 感 謝 し 、 share
そ うい う 世 界 に な れ る に は 、 小 さ な 事 か ら 始 め ね ば ⋮ と 思い
仕 事 を もっと 紹 介 して ほ しいで す 。
︵ 愛 知 県・ 歳・女 性・主 婦 ︶
来 る の で す 。 本 誌 で は あ ま り 知 ら れ て い ない こ う し た か げ の
事 を し て く れ て は じ めて 表 方 の 仕 事 が 成 果 を 上 げ る こ と が 出
方 を 支 え る と て も 大 切 な 仕 事 なので す ね。 裏 方 が しっか り 仕
ま し た 。 医 療 チ ー ム、 救 助 チ ー ムが 表 の 仕 事 と 言 う な ら ば 裏
■︵ 国 際 緊 急 援 助 隊の︶﹁ 業 務 調 整 員 ﹂の仕 事 を はじ めて 知 り
[ 8 月 号 ﹁ 命 をつな ぐ 国 際 緊 急 援 助 ﹂ 特 集へのコメント ]
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為 に動こ う と 思いまし た 。 あ り がと う 。︵ 北 海 道・ 歳・女 性・
アルバイ ト ︶
22
2
1
60
本誌をご希望の場合は
送料ご負担(200円)
にて
お送りいたします。
プレゼ
ント
付き
本誌へのご意見・ご感想や
JICAへのご質問を
お寄せください。
14
次 号 予 告(2009年11月1日発行予定)
ひとつしかない地球のために
OCTOBER 2009 No.13
編集・発行/独立行政法人 国際協力機構 Japan International Cooperation Agency : JICA
〒102-8012 東京都千代田区二番町5-25 二番町センタービル1∼6階 TEL:03-5226-9781 FAX:5226-6396 URL:http://www.jica.go.jp/ 本誌掲載の記事、写真、
イラストなどの無断転載を禁じます。
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2009
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インドのハーブ湯で心まで温かに
2006年、三浦さんらの指導のもと、村
ハーブの木。首都デリーから電車で約
の青年や女性たちによる
“お風呂ハー
9時間。
インド北東部のアラハバードで
ブ”
づくりが始まった。
は、
レモングラスやニームの木をあちこ
ハーブの葉を収穫して天日に干し、
ちで目にする。
日本でもおなじみ、癒や
白い布の袋に詰めていく。すべてが手
し効果で人気の薬草だ。
作業だ。
「最初は、袋の中身の重さも
このアラハバードで、JICA草の根技
ばらばらでした。でも、
それでは商品に
術協力事業の支援を受けながら、農
はならない。デジタル式のはかりを導
民の生計向上に取り組むNPO法人ア
入するなど、改善を続けました」
と、現
ーシャ=アジアの農民と歩む会。現地
地スタッフの町上貴也さんは話す。
で活動を続ける中、理事の三浦照男
入浴剤のセットは、
インディアンロー
さんは農民が利益を実感できるような
ズ、
レモングラス、
ニーム、
ヒマラヤ岩塩
商品を開発できないかと模索していた。
の4種類。農薬や加工物は一切使わ
「将来、彼らが自分たちの手で続け
れていない、純粋な自然の産物だ。
ていくためにも、村にあるものを使って
1日の終わり―。
インドの村から生ま
何かに挑戦したいと。そこで、ハーブを
れたハーブのお湯につかると、何だか
使った入浴剤を思い付いたのです」。
心まで温かくなるような気がする。
収穫したハーブを天日干しにする女性たち
問:アーシャ=アジアの農民と歩む会
URL:http://ashaasia.org/
インドハーブ入浴剤は、
( 株)
ミウラトレーディング
(日
本販売代理店)
で購入可能。50袋入り15,750円
(税・送料込)
、
1袋630円(税込・送料別)。
TEL:0566-96-1855 Email:[email protected]
★インドハーブ入浴剤を8人の方にプレゼント!
詳細は38ページへ→
インド
ウッタル・プラデシュ州
アラハバード
Vol.13 インド
IC ,
As
MON
R
OBE
OCT O.13
©Yuki Asada
真っ青な空の下、辺り一面に広がる
Wor ld
I
ND
J
MY
ACTION
同じ地球に住む人たちのために
女優
Vol. 13
菊川 怜
KIKUKAWA REI
2009
OCTOBER
No.13
[ジャイカズ ワールド] 平成21年10月1日発行(毎月1回1日発行) 編集・発行/独立行政法人 国際協力機構
〒102- 8012 東京都千代田区二番町5-25 二番町センタービル 1∼ 6階 TEL 03-5226-9781 FAX 03-5226-6396 http://www.jica.go.jp/
PROFILE
1978年埼玉県出身。東京大学工学部建築学科卒
業。主演映画「めおん」が来春公開予定。2005年1
月、国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)のスペ
シャルサポーターに就任。
c OSCAR PROMOTION
○
ISSN 1883-2768
2005年から国連難民高等弁務官
で、バケツの水を一滴も無駄にすまい
医者さん」
「スポーツ選手」
「政治家」
事務所(UNHCR)のスペシャルサポ
と、大切に使っている姿が印象的で
など、
キラキラした笑顔で答えてくれま
ーターをさせていただいています。そ
した。
した。
こんな状況の中でも、明日への
れまで、ニュースなどを通じて難民の
キャンプの子どもたちに「ふるさと」
方たちの映像を目にすることはあった
をテーマに絵を描いてもらったのです
んです。
のですが、それが一体どんなことなの
が、銃を持った兵士や血を流している
私が見てきた途上国と平和な時間
か、身近に感じていませんでした。
人など、悲しい絵が多くて驚きました。
が流れる日本。
どちらも現実なんです。
最初に訪れたのは、
ケニアのダダー
こんなに小さな子が、
こんなにも深い
これは遠い国で起こっていることじゃ
ブ難民キャンプ。初めてアフリカの大
心の傷を負っているのだと・
・
・。何とも
ない。一つの地球の上に住む私自身
地に足を踏み入れた時の衝撃は、今
言えない気持ちになりました。
の問題なんです。水、食料、医療、難
でも鮮明に覚えています。人生で体験
学校でもボロボロになった教科書を
民、環境など、取り組むべき課題はた
したことのない暑さ、そして、
目の前に
何人かでシェアしていたり、病院でも
くさんあります。私もUNHCRのスペシ
広がる大自然。でも私がいるのは、確
床で寝ている人がいたりと、頭の中で
ャルサポーターとして、少しでも多くの
かに同じ地球にある国なんだって。不
想像していた光景が目の前で起こっ
人に、
この現実を伝えていくお手伝い
思議な感じでした。
ているんです。
「私にできることは何だ
ができればと思っています。
首都ナイロビから小型飛行機で1時
ろう」と思いながら、そこでははっきり
私たちにできるのは、
まずは
“知る”
間行ったところに、
ソマリア難民など
した答えを見つけることができません
ということではないでしょうか。そして、
約27万人の人々が暮らすキャンプが
でした。
どんなに小さくてもいいから、何か一
ありました。そこは、小さな家に大家族
彼らはこのキャンプで生まれ育ち、
歩踏み出してもらえたらうれしいです。
が肩を寄せ合って生活していて、十分
いつ自分たちの国に帰れるのかも分
それは、私たち自身の未来のためにも
な食料もないような状況。水も配給制
からない。でも将来の夢を聞くと、
「お
なると思うから。
“希望”
へ向かって、力強く生きている
環境に配慮した植物性大豆
油インキを使用しています。
本誌は再生紙を使用しています。
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