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落語と地獄 - GAINAX

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落語と地獄 - GAINAX
TANAKA HIROFUMI
P R E S E N T S
RAKUGO
THE
FUTURE
RAKUGO THE FUTURE
JAPANESE TRADITIONAL
ENTERTAINMENT
このエッセイは
「落語とSF」
がテー
マなのに、
最近、
落語についてまるで触
れていない、
というお叱りの声が多い。
先日も、
栃木県に住む八十五歳のお年
寄りで、
エレキング伊藤
(仮名)
というか
たから次のようなお便りをいただいた
ので全文紹介したい。
文:田中啓文
清らかに 社会はおおらかに 歌は高
らかに スキーは滑らかに」
愛唱歌
は
「コーヒーゼリーは生きている」
)
と申
す者でござい升。
八十五年間の人生の
ほとんどを仕事に費やしてまいりまし
た。
九人兄弟の末っ子で、
口減らしのた
め、
小学校を出るとすぐに浅草の海苔
問屋
〈血海苔屋〉
に奉公に出され、
以来、
六十歳で定年を迎えるまでひたすら働
き働き働きぬきました。
酒も煙草も博
打もヒロポンも女遊びもやらず、
堅物
とか面白みのない奴と陰口を叩かれ
て、
蔵の陰で涙を袖で拭う日もありま
したが、
身を粉にしての忠義が認めら
れ、
丁稚から手代、
番頭と順調に人も羨
む出世を遂げ、
良縁を得て、
一男二女を
もうけ、
定年の後も大旦那様のお声掛
かりもあって嘱託で居残り、
安い給金
ではありましたが七十の声を聞くまで
商い一筋にやってまいりました。
六十
五の時に連れ合いを病で亡くし、
七十
で同店を退職して後も、
息子や娘の世
RAKUGO
拝啓 早や梅の花も膨らみ風に初春
を感じさせる馥郁たる香りが混じる今
日此の頃と成りましたが、
アイマック
ス
(ガイナックスの誤りであろう。
筆者)
の皆様方には御健勝にてお過ごしの御
事とお慶び申し上げ升。
突然のお便り
を差し上げる非礼の段何卒ご容赦下さ
い。
さて小生は栃木県に住まいいたす
老人でエレキング伊藤
(仮名。
通称・げん
やん 水瓶座のO型 ラッキーカラー
は黄緑 好物はミンチのレタス包みと
食パンにマヨネーズを塗った物 酒は
不調法 愛読書は
「鷲は舞い降りた」
座右の銘は
「人生は朗らかに 政治は
第 10 回:落語と地獄
話になるつもりはさらさらなく、ア
パートの管理人をはじめ工事現場の警
備、
ビルの清掃などの職を転々とし、
最
近は風俗店の看板を掲げて商店街をう
ろつくのを生業としており升が、
お迎
えが参り升まで生涯現役を貫こうと頑
張っておる次第であり升。
さて、
本題に
入り升と、
小生は生涯を堅物の一穴主
義で通してきた、
何の取り柄もない朽
木の如き老人でござい升が、
唯一の趣
味は落語鑑賞なのであり升。
奉公に出
た日の晩、
先輩方に寄席に連れていっ
て頂いたのがきっかけで、
以来、
小遣い
が入ると寄席の木戸を潜るのが習慣と
なりました。
志ん生、
文楽の二枚看板は
申すに及ばず、
円生、
三木助、
小さん、
金
馬……数々の名人上手の至芸は未だに
瞼に焼きついており升。
先日、
ある人か
らアイマックスの家頁に落語に関する
随筆が掲載されているとの話を伺い、
早速、
電脳関係に詳しい若い友人の世
話でその内容を入手し、
安藤鶴夫先生
や興津要先生の著作のように、
さぞ落
語に関する様々な蘊蓄が満載されてい
る事であろうと期待に胸を膨らませて
一読して呆然といたしました。
落語の
事など一言も触れられておらぬでは有
りませんか。
表題を見直してみても、
た
しかに
「落語とSF」
となっており、
別の
随筆と間違えたわけでもなさそうで
す。
一回だけの事かとバックナムバー
を読み返してみても同じ事。
著者の田
中氏は落語の知識が欠落しておられる
のかそれとも我々のような市井の落語
愛好家を馬鹿にしておられるのか。
落
語を表題に掲げて中身は何の関連もな
いとは、
まさしく羊頭を掲げて狗肉を
売るの類。
我が愛する落語をかかる下
らない駄文に利用するとは、
全国一億
八千万の落語愛好家に対する冒涜であ
り、
全くもって許し難い裏切り行為と
愚考するが如何な物か。直ちにアイ
マックス並びに著者である田中氏の存
念をお聞かせ願いたい。
小生とて悪戯
TANAKA HIROFUMI
P R E S E N T S
RAKUGO
THE
FUTURE
RAKUGO THE FUTURE
JAPANESE TRADITIONAL
ENTERTAINMENT
に事を荒立てるのを好む者ではない
が、
著者の返答次第によっては当方に
も考えがある。
早急なる返答をお待ち
申し上げる。
敬具
文:田中啓文
が、
内科医の専門用語で、
大腸カタルで
長い引用
(通常、
引用はあまり長くな
死んだことを
「カタル死す」
、
食べすぎで
いほうが良い、
とされている。
著作権の
死んだことを
「食らい死す」
と称するら
問題が発生するからだが、
引用しても
しい。
それと、
本当は助かるはずの病人
構わない目安はだいたい五行ぐらいだ
を医療ミスで殺してしまった時なども
という。
これを引用五行説という)
に 「カタルシス」
という隠語を使うが、
これ
なったが、
エレキング伊藤氏の熱い思
は
「助かる死」
という言葉のアナグラム
いはたしかに伝わってくる。
私は、
この
であるという。
あ、
またまたまたまた余
手紙を読んで、
思わずはらはらと落涙
談だが、
隣の主婦が
「夕食の準備をして
した。
世の中にはこのような落語ファ
たんだけど、お酢を切らしちゃって
ンもいるのだ。
落語という芸はこのよ
……」
と言って酢を借りにきた時に
「酢、
うなすばらしいファンたちによって支
貸したる」
というのもカタルシスのア
えられているのだ。
私はこれまでのこ
ナグラムである。
あ、
またまたまたまた
とをおおいに反省し、
今回からは徹底
また余談だが、
国際寿司同盟
(略称KS
的に徹頭徹尾ひたすら一分の隙もなく
D)
というところが出している販促物
ただただ落語に関して語ろうと決意し
に
「寿司カルタ」
というものがあるが、
こ
た
(余談だが、
「語ろう」
に
「す」
を付けれ
れまた
「カタルシス」
のアナグラムに
ば、
「肩ロース」
になる。
あ、
また余談だ
なっている。
ついでに幾つかその内容
が、
「肩ロース」
と
「カタルシス」
は似てい
をご紹介しておくと、
あ・あがりといえ
る。
あ、
またまた余談だが、
「カタルシス」 ばお茶のこと。
い・犬も食べれば鯖に当
は
「語る」
と
「死す」
という二つの日本語
たる。
う・迂闊に頼むな、
時価とお任せ。
に分解できる。
あ、
またまたまた余談だ
え・遠慮しないでトロをおあがり。
お・お
RAKUGO
栃木県栃木市栃木町栃木丁目栃木番栃
木号
エレキング伊藤
(仮名。
通称・げんやん 水瓶座のO型 ラッキーカラーは黄緑
好物はミンチのレタス包みと食パン
にマヨネーズを塗った物 酒は不調法
愛読書は
「鷲は舞い降りた」
座右の
銘は
「人生は朗らかに 政治は清らか
に 社会はおおらかに 歌は高らかに
スキーは滑らかに」
愛唱歌は
「コー
ヒーゼリーは生きている」
)
尚、
小生宅、
恥ずかしながら電話がござ
いませんので、
連絡は手紙にてお願い
申し上げ升。
第 10 回:落語と地獄
あいそといえば精算だ。
か・……まだや
るか?)
。
さて、
括弧の中で何やら長引いたよ
うだが、
あそこは時空連続体の外だか
ら、
気にせずさくさく話を進めよう。
さて。
世の中にはいろいろな地獄がある、
という
(いきなり話が変わりましたな)
。
作家には
「締め切り地獄」
。
サラ金に手
を出すと
「借金地獄」
。
不倫の泥沼に陥る
と
「愛憎地獄」
。
受験生は
「受験地獄」
。
不
況になると
「リストラ地獄」
。
これらは全
て
「生き地獄」
という種類の地獄であり、
本当の地獄は一旦死なないと体験する
ことができない。
でも、
できれば生きて
いるうちに一度地獄を見て、
死んだ時
の予行演習をしておきたいではない
か。
というわけで、
やっと今回の本題に
入ることができた。
地獄と極楽につい
てである。
この連載の第二回
「異界への旅」
の時
TANAKA HIROFUMI
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RAKUGO
THE
FUTURE
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RAKUGO THE FUTURE
文:田中啓文
第 10 回:落語と地獄
に少し触れたが、
上方落語屈指の大ネ
あるが、
やはり長さからいっても内容
東京落語はそういうものを「無駄な
タに
「地獄八景亡者戯
(じごくばっけい
の凄まじさからいっても
「地獄八景」
が
ギャグ」
として切り捨ててしまってい
もうじゃのたわむれ)
」
というのがある。 ピカイチである。
何しろ、
この落語を聞
るが、
関西人としては
「もったいない」
の
その中には、
地獄へ至る道すがらの風
くだけで、地獄の様子はたいがいわ
である。
「饅頭こわい」
を聞けばよくわか
物や三途の川、
六道の辻、
閻魔の庁など
かってしまうというぐらい細かい描写
る)
。
の様子が細かく描写されており、
まさ
の連続で、
今でいう
「ガイドブック」
的な
にダンテの神曲の日本版である。
これ
性格のネタである
(旅ネタというのは ・ギャグが、
ほとんど駄洒落と下ネタで
こそ
「見たこともないものを、
さも見て
どれもそうである)
。
ある
(くだらない駄洒落を話のメイン
きたように言う」
というSFの王道を行 「地獄八景」
というネタは上方落語を象
に堂々と置き、
それに全ての力を傾注
く作品といえる。
北極や南極への旅で
徴するような話である。
その理由は、
するのも上方落語の特徴である。
吉本
すら、
実際に体験しさえすれば情景を
新喜劇にも通じるところである。
また、
描写することはできるが、
この世にな ・はめもの(下座)が大々的にフィー
大小便、
放屁などの尾籠なネタをたく
い場所、
ありえざる場所への旅を描く
チャーされている
(話の中に三味線や
さん詰め込んであるのも上方落語の特
にはよほどの想像力を要求される。
落
笛などが入り、
演者のしゃべりと有機
徴
(余談だが、
尾籠の度合いのことを尾
語には、
この
「ありえざる場所」
への旅を
的に結合して盛り上げるのが上方落語
籠度という)
。
下ネタが中心になった噺
描いた作品が多く、
それらは現代の目
の大きな特徴である)
。
は数多いが、
この
「地獄八景」
はその集大
から見ると立派なSFである。
米朝師匠
成ともいうべき
「きったない、
えっげつ
が復活させた
「地獄八景」
がSF落語とし ・話がむちゃくちゃ長い
(同じネタでも、 ない」
話である。
東京落語では、
下ネタは
て高い評価を受けているのも当然とい
東京落語に比べると かに長くなるの
ほとんど使われないし、
使われても上
えよう。
地獄を扱った落語には、
「地獄八
が上方落語の特徴。
というのも、
話の中
方落語のように
「これでもか!」
というて
景」
の他に
「死ぬなら今」
「
、善光寺骨寄
に、
笑わせるためだけのギャグがやた
んこもり的使い方にはならない。
上方
せ」
「
、
(新作だが)
茶漬けえんま」
などが
らと入るからである。
粋な笑いを尊ぶ
では、
たとえば人間国宝の米朝師匠で
RAKUGO
も絶対に下ネタを削ったりしない。
米
朝師匠は、
下ネタが人間の笑いの根源
の一つであり、
しかも、
不快感なしに扱
うにはかなりの芸の力を必要とするこ
とを知っているからであろう。
ついで
にいうと、
群馬県で産する太い白ネギ
を下ネタネギという)
。
これらの理由から、
「地獄八景」
はまさ
に上方落語を代表するネタであるとい
えるのである。
今回、
何とも内容がアカ
デミックであるが、
皆さん、
ついてきて
る?
(とうに誰もいなくなってたりし
て)
。
もし、
米朝師匠のレコードかビデオ
を入手することができるなら、
とくに
SFファンには聞いていただきたい。
1時間があっというまである。
ある落
語家の奥さんが、
「これまでは死ぬのが
怖かったが、
米朝師匠の地獄八景を聞
いて、
あんな楽しいところなら、
と思え
て、
死ぬのが怖くなくなった」
と言った
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RAKUGO THE FUTURE
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という。
落語という笑芸の効能の一つ
だろう。
具体的な地獄の詳細については
「地
獄八景」
を聞いていただくとして、
ここ
では概略を述べよう。
たいがいの人間は
(というか、
全ての
人間は)
地獄を実際には見ていないは
ずである。
と書くと
「いや、
俺は見た。
三
年前、
会社が倒産して家のローンが払
えず、
身重の女房と病気の子供を抱え
て夜逃げ同然で……」
というようなこ
とを言い出すやつがいるかもしれない
が、
私が言いたいのは本物の地獄のこ
とである。
と書くと、
「そうだ。
俺が見た
のは本物の地獄だった。
三年前、
会社が
倒産して家のローンが払えず、
身重の
女房と病気の子供を抱えて夜逃げ同然
で……」
というようなことを言い出す
やつがいるかもしれないが、
私が言い
たいのは本当の地獄のことである。
と
書くと……ま、
皆さんに回線を切断さ
れないうちにこのへんでやめよう。
と
文:田中啓文
第 10 回:落語と地獄
にかく、
この世に生きている人間は誰
も地獄を実際に体験していない
(と書
くと、
俺は実際に体験した、
と……もう
いいか)
わけだから、
それを疑似体験さ
せてくれるこういった落語は非常に有
益ではないかと思われる。
死んだ時も
あわてることなく、
冷静に対処ができ
るはずである。
だいたい地獄というところは、
どこ
にあるのだろう。
字面からいって、
地面の底にでもあ
りそうだ。
反対に、
極楽は空の上にある
ようなイメージだが、
古今の書物をひ
もといて、
その謎を探ってみよう。
昔、
バロウズ
(エドガー・ライス・バロ
ウズですよ。
ほら、
江戸川乱歩の名前の
元ネタの人)
の小説で
「地底世界ペルシ
ダー」
というのがあったが、
あれはたし
か地球空洞説に基づいたような話だっ
た
(ちがったかもしれない)
。
ということ
は、
地球の内部に巨大な空洞があり、
そ
こが地獄であるとは考えられないだろ
RAKUGO
うか。
しかし、
「月は地獄だ」
という作品
の思想は、
東洋だけでなくアメリカ文
もあった。
地獄は月にあるのか。
「地獄の
学や演劇にも大きな影響を与えてお
ハイウエイ」
というのもあったし、
「地獄
り、
「西方浄土」
でのできごとを描いた作
の黙示録」
とかいう映画もあった。
「地獄
品がいわゆる
「西部劇
(ウエスタン)
」
で
の辰捕物帖」
という小説もある。
「船底一
ある。
また、
「西方浄土」
に住む貧乏な若
枚下は地獄」
という言い回しもあるし、 者たちの苦悩を描いたミュージカル作
「地獄の沙汰も金次第」
ということわざ
品がブロードウェイでも上演された
もある。
このあたりで推測できるのは、 が、
それが皆さんもよくご存じの
「ウエ
地獄というところは月の船底のまだ下
スト・サイド物語」
である。
にあって、
ハイウエイが走り、
書店には
閑話休題。
黙示録が置かれ、
辰という人が住んで
日本人である我々が地獄と聞いて
おり、
何事も金次第である……そうい
真っ先にイメージするのは、
三途の川
う場所であろうか。
かなり変な場所の
であろう。
これは、
渡る場所が三カ所あ
ようだが、
「地獄変」
というぐらいだから
るためのネーミングで、
三瀬
(みつせ)
川
変であたりまえなのだ。
ともいう。
川のほとりには衣領樹
(え
どうやら書物からは地獄の位置を推
りょうじゅ)
という樹があり、
その下に
測することはむずかしいようだ。
宗教 「だつえば」
というのがいる。
え? 脱エ
に目を転じてみると、
仏教の方では
「彼
ヴァというのは、
ポスト・エヴァンゲリ
岸は西の果てにある」
という。
彼岸とい
オンの社会現象のことだって? ちゃ
うのはあの世のことであるが、
それが
うちゃう。
奪衣婆
(だつえば)
というの
「西の方」
にあると昔の人は考えたので
は、
亡者の着物をはぎ取り、
樹の枝に
ある。
「西方浄土」
という言葉もある。
こ
引っかける役目の婆さんのことだ。
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FUTURE
RAKUGO THE FUTURE
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その後、
亡者たちは、
鬼の船頭が操る
渡し舟に乗って三途の川を渡る。
この
時、
渡し賃が必要であるということか
ら、
死者を葬る時に棺桶の中に小額の
金を入れるという風習ができた。
これ
を
「六道銭」
という。
ここで気をつけなく
てはならないのは、
絶対に舟から落ち
て川にはまったりしてはいけない、
と
いうことだ。
なぜなら、
「はまったら生き
る」
からである。
向こう岸には天道、
人道、
修羅道、
畜生
道、
餓鬼道、
地獄道の六つの道が集まる
六道の辻があり、
その先に閻魔の庁が
ある。
こちらでいう最高裁判所のよう
なところで、
亡者一人一人の生前の罪
状を調べあげるのだが、
嘘をついても
無駄である。
浄玻璃の鏡というやつが
あって、
それに顔を映すとその亡者の
生前の悪行が何もかも映し出されてし
まうのである。
いわゆる嘘発見機であ
る。
その結果、
罪の軽い者は極楽へ送ら
文:田中啓文
第 10 回:落語と地獄
れ、
罪の重い者はその罪状に応じて、
そ
れぞれ内容が細分化された八大地獄と
いうところへ送られ、
赤鬼や青鬼によ
る拷問を受ける。
八大地獄というのは、
等活地獄、
黒縄地獄、
衆合地獄、
叫喚地
獄、
大叫喚地獄、
焦熱地獄、
大焦熱地獄、
阿鼻地獄の八つで、
何しろここで亡者
が責め苦を受ける期間は、
一番短いの
が等活地獄の千二百五十万年で、
黒縄
地獄はその八倍の一億年、
衆合地獄は
その八倍の八億年、
叫喚地獄はその八
倍の六十四億年……と順次八倍になっ
ていくのである。
これでは、
最初の人類
であるクロマニヨン人が地上に登場し
たのがたかだか十万年ほど前だから、
そいつが罪を犯して等活地獄に落ちて
いたとしてもまだ千二百四十万年残っ
ているわけで、
人類はじまって以来ま
だ誰一人として地獄から出たものはい
ないということになる。
ことほどさよ
うに恐ろしい地獄の責め苦であるが、
マゾの人なんかにはかえって喜ばれる
RAKUGO
のではないだろうか。
「この苦しみはあ
と六十四億年続くのよ」
と鬼の女王さ
まに言われただけでいってしまったり
して。
中には、
ひたすら糞尿を食べ続け
なければならないというような地獄も
あるらしいが、
スカトロな人にはまる
で苦痛ではなかろう。
しかし、
一般の人にとってはやはり
六十四億年続きます、
と言われたら非
常につらいわけで、
中には蜘蛛の糸に
すがって地獄から脱出しようと試みる
者もいる。
あの時、
どうしてカンダタの
糸を切ったのか、
と蜘蛛に問いただし
てみたところ、
カンダタとカンジダを
まちがえて、
感染したらやばい、
と思っ
てのことだったそうだ。
地獄に関してはだいたいおわかりい
ただいたかと思うが、
極楽のほうはど
うであろう。
地獄が、
微にいり細にわ
たってその光景が描写されているにも
かかわらず、
極楽のほうは
「桃色の雲が
たなびき、
蓮の花が咲いている」
という
程度の情報しか伝わってこない。
極楽
とはどこにあるのか。
最後にここまで読んでくれた読者の
皆さんにこっそりお教えしよう。
この
エッセイを読んで、
あほな気分になる
こと。
それこそが極楽なのだ。
その証拠
に、
この落語エッセイの連載も今回で
九回目。
ゴクラクを反対から読んだら、
クラクゴ、つまり、九落語となるで
しょ? わかりましたか?
え? 十回目だっけ。
Fly UP