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2009 年 10 月の記録
2009 年 10 月の記録 10 月 1 日 午前 8 時からプレゼンが始まった。情報管理、GIS、ストラテジープランなどに関する報 告が幹部職員により行われた。アブシロ氏(Abshiro)は、デピュティダイレクターで 30 代の女性だったが、彼女のストラテジープラン(Strategy Plane 2008-2012)の発表はス マートな印象を受けた。プレゼンの後、チャイタイムの際、ダイレクターと名刺交換を行 い、JOCV による GENBA KAIZEN への提言書の話をすると、JICA に問い合わせて誰が適当か 検討してみるかもしれないと答えた。 また、ウエブサイトを担当しているデニスさん(Dennis)にローカル情報の掲載につい て話をした。ただ、彼女はあまり興味を示さなかったように見えた。 昨日と同様に 4 グループに分かれ、グループディスカッションが行われた。昨日と同様、 各グループの人数が 30 名以上と多すぎたが、共通テーマとして、「どのように解決するか」 といった問いかけを設定したため、議論の内容が前向きなものとなっていることは良かっ た。昨日と同様、プールの横のレストランで昼食をとった後、午後 2 時 30 分より、ナクル 国立公園のゲートまでごみ拾いが行われ、昨日終了後にカウンターで配布されたお揃いの ポロシャツを着て清掃活動を行った。開始後、近くの交差点でダイレクターがマスコミか ら取材を受けた。 今回、3 日間の日程のうち、2 日間だけの参加となってが、以下に感想をいつくか述べる。 ・ダイレクターがカリスマ的存在で、幹部を鼓舞するような発言が多かった。我々は保全 団体として世界のトップを目指す、我々がケニアの経済をひっぱっている、我々のチャレ ンジ精神、モチベーションには問題はない、といった内容の発言が多く、その雰囲気がパ ラミリタリーの組織を象徴しているような気がする。 ・シニアワーデン以上の幹部の多くが積極的に議論に参加していることに驚いた。持って いるアイデアも多く、斬新なものはなかったがしっかりと問題を分析し、政策を検討でき るだけの知識量、経験値は満たしていると感じた。ただ、モチベーションの低い幹部も多 く、その差が気になった。なんで彼らがここまで出世できるのか疑問を感じてしまうが、 それは日本も同じかもしれない。 ・環境教育の具体的な話がなかったこと、JOCV の名前すら出てこなかったことは少し気に なった。 ・逆に、現在 KWS で取り組んでいる重要テーマは、リモートセンシング、GIS、カーボン・ トレイド、獣害の損害補償、レンジャーのバイクの使用、KWS ファンドの運営など。 ・ KWS は、幹部職員とそれ以下の能力、経験の差が大きすぎる。 ・やはり、ケニア人の英語でも長時間集中して聴いていると疲れるし、理解できない部分 が多い。自分の英語力のなさが腹立たしい。 ・ PDCA サイクル、外部評価などは一応考慮されているようだが、詳細について確認する必 要がある。ただ、幹部はかなりのレベルまで考えて計画を立案している。 ・発表では、取り組むべき事柄について羅列するだけで、優先順位をつけたり、具体的な 実施内容について例を挙げて言及することがほとんどない。総花的で具体的なアイデアが 出てこない。結果として、ありきたりの内容になってしまう。 10 月 2 日(金) 朝、ナイロビのスーパーマーケット「ウチュミ」 (Uchumi)でアンケート調査を実施し、 60 部配布し、カスタマーサービスで 11 部の調査票を回収した。この調査を行っている時、 いつも一言も二言も多いケニア人に会ってしまうのだが今日もたちの悪いおばちゃんに引 っかかってしまった。 彼女は、こう言った。 「あなたの方法はだめね。なんでインターネットのメールを使わないの? ケニアでは今 ネットを使っている人が増えているのよ。日本のようにネットの利用がまだ進んでいない と思ってたわけ?名刺にアドレスを書いて渡して、ネットで回答してもらった方がいいわ」 私は彼女の言っていることは理解できたが、意図がよく分からなかった。これはケニアが 途上国だと見られていると感じている彼らの劣等感の反動から来る発言だったのではない かと思い、 「今後、ネットを使います。ありがとう」と言って強引に話を打ち切った。まあ まあ、このような、 「言いたい病」の人は日本でもたくさんいるから個性の一つなんかな。 メルーに到着し、ナクマットに買い物に行くと、偶然入口の前で同期のメルー隊員に会 った。日本人はとても目立つのですぐわかる。彼女は、夜、シンバウエルズに行くので一 緒にどうかと誘ってくれたので、私も少しだけ顔を出すことにした。シンバウエルズは、 クラブ(踊る店)であるが、レストランの料理はかなりうまい。 ナクマットの買い物を終え、明日のミーティングの資料を作成し、印刷した。サイバー カフェは夜 9 時までやっているので救われた気分だ。ミーティングは、Murera Carving School に関する打ち合わせであるが、ジョンから打ち合わせをやりたいと私に提案があっ た。このプロジェクトの関係者の主体性は日に日に高まってきている。 10 月 3 日 今日は午前中、マウアのセントラルカフェで、メルーエコミュージアムの代表ジョセフ と会い、アメルー・エコミュージアム・コンサーバーズ CBO(Ameru Ecomuseum Conservers) の CBO としての認定証を確認した。CBO は、日本の NPO とだいたい同じものと考えてもらえ れば間違いない。どちらも役所に届け出る必要がある。彼はなぜか、KCB 銀行のスタッフと 一緒にやってきて、書類にサインするように頼んできたが、自分は来年日本に帰国するの でケニアに残る住民が署名した方がいいと言うと、彼も納得した様子であった。なんで、 私に署名させようとしたのかは不明だったが、あまり追及しない方が良さそうだった。 11 時からムレラカービングスクール(Murera Carving School)の説明会を行うとジョン からは聞いていたが、9 時 30 分に待ち合わせしていたジョセフは、朝 9 時 15 分に変更して ほしいと SMS を送っていたにもかかわらず、結局 10 時前に到着した。そこで、ジョンに何 時から始まるか確認をとると、11 時半頃に来てくれたらいい、今準備をしていると言う。 私は、ムレラ村に 11 時半過ぎに到着したが、ジョンは、後 30 分後くらいに来てくれたら いいよ、今準備していると言った。いったん家に帰り、30 分後くらいに行くとまだまだ始 まりそうな気配はなく、結論を言えば、遅れてきたコミュニティワーデンを待ってミーテ ィングが始まったのは午後 2 時過ぎであった。コミュニティワーデンにも出席の依頼をし ていたことは関心したし、彼らの活動に対する積極性が嬉しかった。 ミーティングは、KWS のワーデンを迎える際にいつも行われるように、地元 CBO のメンバ ーによる伝統ダンスから始まり、保育園の生徒によるネイチャーゲーム「コウモリとガ」 の実演(これは環境教育の手法の一つで、私が以前、ここの児童にやらせてみたもの。娯 楽性があるのか、今では幹部の接待に使われている)、ジョンによるカービングスクールの 説明、招待者だけでニャマチョマ(焼き肉)パーティといった流れ。公演は、私、チェリ オット(コミュニティワーデン) 、チーフの順番で行い、私は、メルーエコミュージアムの 全体の説明、ここのプロジェクトの紹介、JOCV ボランティア、ワーデン、住民の役割分担 について説明した。配布したレジュメには、各プロジェクトの代表者の氏名と連絡先を記 入し、参加者が各自連絡を取れるように配慮し、ワーデンの役割として地域の情報を収集 し KWS のウエブサイトで紹介することを明記しておいた。ジョンもスワヒリ語で情熱的に カービングスクールの必要性について語っていたが、具体的に何を言っているのか分から なかった(最後に、個人的に確認したが) 。今日のミーティングでは私がかなり期待されて いることが伝わってきた。 10 月 4 日(日) まだ体調が優れない。痰が詰まっていること、鼻水が出ることが主な症状で熱はない。 日曜日だし、体長も良くないので映画を見ることにした。Mr&Mrs スミス、チャーリーズ・ エンジェル、キル・ビルの 3 作を視聴したが、どれもアクション系でこれらを譲ってくれ たメルータウンの隊員の趣味が少し理解できた。久し振りに見る映画はとても良い気分転 換になった。19 時過ぎから食事を済ませ(炒め物とごはんのみ)、しばらくの間、環境教育 分科会のメールに対する返事を書いたり、カメラとレンズの価格を調べて近々ケニアを訪 問する母に伝えたり、日本エコミュージアム研究会の会員登録の手続きをしたり、先日ア ダンが手続きを済ませた「キナエコミュージアム」の銀行口座を掲載しウエブサイトを更 新したり、募金のお知らせを KWS 幹部宛てにメールで、ケニア人向けにフェースブック (facebook)の各グループのメンバー宛てに送信したりした。 昼時、カンティーン(売店)に向かう道との交差点の木の下でツアリズムワーデンが座 っていたので、彼に隊員支援経費の申請に必要な要望書が作成できたかどうか聞いてみた。 彼は、 「俺のパソコンがつぶれてしまって使えないんだよ~、お金がないから新しいのが買 えないの・・・」とわけの分からない言い訳をしたので、それでは誰かにパソコンを貸し てもらえばいいだろうと返答し、低レベルすぎる会話に少しだけ付き合った。彼は、それ は何だ、ジーンズが汚れているぞと言ったので、そこを見たが黒いしみのようなものが少 しついているだけで、それほど汚れているとは思えなかったが、ありがとうと礼を言って 別れた。彼には、彼の休暇明けの出勤日だった水曜日にレターを作成してもらう予定であ ったが、それも無視され、今に至っている。 10 月 5 日(月) 前夜、メールボックスに久し振りにパトリックからメールが来ており、件名の Lidya&Patrick があまり見慣れない言葉であることを気にしつつ、添付ファイルを開いてみ ると、リディアとの結婚式の打ち合わせ会への招待状であった。後で確認すると、本番は 来年 2 月頃に行う予定であるというが、驚いたことは彼がリディアと結婚するということ だ。 リディアは、私にとって扱いにくい女性職員の一人で、彼女はコピー用紙100枚を渡 しに返すことなく、私には既に返したと言い張っている大うそつきである。このような低 レベルな意地悪にまともに対応していると、場所が完全アウェーであり味方になってくれ るケニア人がいそうにないこともあり、私にとって何のプラスもないので黙認することに しているが、彼女への周囲の男性職員の評価は良くない。また、美人というわけでもなく、 女性の魅力を感じることが、少なくとも私にとっては難しかった。 記者のパトリックは、リディアとは正反対で、物腰も柔らかく、親切で、孤児への援助 活動を行うなど優しい側面もある。なぜ、彼がリディアを選んだのか、彼らには申し訳な いが、その理由に大変興味がある。 10 月 6 日(火) 朝、コミュニティワーデンのチェリオットとキナエコミュージアムの打ち合わせの件で 話をして、彼はおそらく木曜日に関係者で話し合いができるだろうと言った。先日、アダ ン(キナエコミュジアム CBO の代表)にチェリオットの連絡先を伝え、直接、ポスターや パンフレットの設置の要望をメルー国立公園にあげてもらうようにお願いしたが、チェリ オットは協議をしたいと言い、その日程調整は私とチェリオットで行うこととなった。た だ、今日再度アダンに連絡を入れ、彼も私の立場を察したのか、彼がチェリオットと予定 を立てると言った。私としては、私抜きでやってもらっても構わないし、その方が望まし い傾向になると思う。 リディアのオフィスでメルーエコミュージアムの協定書の印刷を行い、そのままマウア に行って、レオパードロックホテルの宿泊予約をしようとしたが、どの銀行も他銀の口座 への振り込みができないということだったので、後日メルーで手続きをすることにした。 振り込むための現金 6 万シルを ATM で 3 回に分けて引き落とし、最大通貨が 1,000Kshs で あるため 1cm ほどある分厚い札束を持っていたので少しめんどくささを感じた。ATM も一度 に出せる金額が 2 万シルまでであったので手間がかかる。 昼食をセントラルカフェでとった後、スーパーでハンガーや洗剤など必要なものを購入 し、隣接する市場で人参と玉ねぎを買ってマタツに乗り、ジョセフと打ち合わせを行うた め、キエング(マウアから 50Kshs)に向かった。ジョセフは別件でミーティング中であっ たが、途中で抜け出してくれるという。 キエングに到着し、マタニティ(薬局店)の向いにある「マサイバー」という名の店で ストーニー(炭酸飲料)を注文したが、サイダー類は置いていないと言い、店員は近くの 店まで買ってきて 40Kshs で売ってくれた。 「バリディ」 (冷たい)とはっきりと言ったのに、 彼女は水で表面が濡れた瓶を持ってきて、飲むと全く冷えていなかった。ないならないと はっきり言えばいいのに、なぜ水で温度を下げようと無駄な努力をして、何も言わずに当 然のような顔をして持ってくるのだろう、といつものようにケニア人のいい加減さを腹立 たしく思った。 ジョセフにはこの店のことを伝えていないのに、誰かから聞いたのであろうか彼は急に やってきた。先日彼が登録してくれた CBO の認定証のコピーを見せてくれた。彼にはエコ ミュージアムの魅力的な場所、人の写真をとってもらうが、彼はデジカメを持っていない ので貸すことになっていた。彼は他のケニア人と違ってどこか信頼できるので、カメラを 渡すことができる。ケニア人は、カメラのボタンを押す際、カメラごと下方向に移動させ てしまう人が多いが、その点も彼には注意しておいた。 店を出て、DO(District Officer の略)に会うために事務所まで行ったが、ドアの鍵を かけないまま外出していた。この DO は、10 代にも見える若者で、先日はナイキの T シャツ を着ていて、どうみても公務をなめていると思った男性である。ジョセフは、CBO の会計担 当の女性を私に紹介してくれた。彼女は、がっちりした体格で、笑顔を安心して見られる ような女性で洋服店を経営している。彼女には、DO とチーフ(chief)からサインをもらっ て来てもらうよう頼み、木曜日に私が店まで取りに行く約束をした。 夕方からカンティーンの近くの広場でサッカーをした。10 名程度でミニゲームをしたが、 1 時間弱走っただけで、足をつりかけた。今週末、金曜土曜にメルータウンでスポーツ大会 があり、来月ナクルの本番で誰が出場するか決まるという。 10 月 8 日(木) 今日は、昨日園内で見つかった多数の牛を追い出すため、若手を中心に職員が園内を歩 き、牛を連れ、20 キロ以上の距離を歩いた。 今日は、ジョセフと一緒にメルーエコミュージアムの協定書のサインをもらうため、DO やチーフのオフィスに行く予定であったが、急に牛を追い出す作業の話が入ってきたので、 前回同様の事件が発生した際に参加できなかったこの業務を優先することにした。 公用車の荷台に乗りこみ、草原の状況が見えるように荷台に立った状態で、まず 10 キロ 以上離れた本部に向かった。本部には、既に大勢の職員が集まっており、その中にルーシ ー(カウンターパート)もいた。最近彼女に連絡をとっておらず、先日、久しぶりに携帯 電話の SMS で、日本から取材陣が来たハダカデバネズミの番組の DVD が日本から発送され たことを伝えると、 「ボランティア活動をストップさせるわよ」といつものように制圧的な 返事をもらっていた。しかし、今日、会ってみるとにこやかな笑顔で挨拶してきた。彼女 の目的は、そのような権力を行使した態度や言動を私に向けることであり、私の活動を停 止させることではないようである。 本部から公用車の乗り込んで出発し、大量の牛が侵入し、放置されている現場に向かっ た。現場に到着すると、牛の群れが草を貪っている光景を目の当たりにして、少し違和感 を覚えた。飼い主は当然、どこかへ逃げたが隠れているようで、見つけることはできなか った。我々は車を降り、2グループに分かれて牛を追い出す作業を始めた。 我々のグループは、ニュートンを含む4名であった。各自、草原に落ちている灌木の枝 を見つけ、適当な長さに切って、牛を誘導するために鞭として使用する棒を持った。私も、 木の枝を拾って適当な長さに折って使用した。 最初に周囲に散らばっていた牛を囲い込んでひとまとめにして、車道の方に誘導してい った。牛たちはみなやせ細っており、肋骨がかわいそうなほど浮き出て見えた。逸れた方 向に移動しそうになってりう牛がいれば、回り込んで鞭で叩いて、向かうべき方向に誘導 する。このような作業を延々と繰り返すことで、牛の集団は、まるでひとつの生き物のよ うに、ゆっくりと目的地であるムレラゲートの方向に移動していった。 正直言って、最初は牛のいる場所まで行って、最も近いゲートまで追い出すだけの作業 で数キロ歩くだけだと思っていた。自分の情報収集に落ち度があったことは確かであるが、 なぜ最も近いキナ・ゲートから外に追い出さないのか不思議であった。職員にその理由を 聞いてみると、キナ地域から飼い主に連れられて入ってきた牛なので、そこへ追い出すと 持ち主が再びそれらの牛を所有し、公園に侵入する可能性があるという。彼は、ムレラ側 に追い出しても、そこで持ち主が待っていて、キナに連れ帰る可能性も高いけどね、と付 け加えた。 作業の途中から疲労のためか意識が茫然としてきて、横を何回も通り過ぎていく公用車 を見ながら、別にここであきらめてオフィスで仕事をしてもいいんじゃないかとも思った が、なぜか、このような単調な仕事であっても、途中で逃げ出すと信頼をなくして損する のではないかと思い、最後まで意地で歩きとおした。むしろ、このように職員の人海戦術 で取り組む仕事ほど、職員同士の信頼関係を築くのに重要であり、組織の一員として重要 な任務なのだと思った。 後半になり、やっと給水車が来るようになったので、空になりかけて慎重に計算しなが ら飲んでいたペットボトルの水を一気に飲み干し、給水車のスタッフから水の十分入った ボトルを受け取ると最後まで歩けそうな気がした。彼らはまたすぐに水をもって戻ってく るからと言ったが、彼らは一向に戻って来ず、再び少しずつ慎重に水分補給を行った。水 がなくなり脱水症状になっては、根性だけではゴールできないと思った。 途中で子牛が一頭、立てなくなり脱落した。彼は、何回も立とうと頑張ったが、膝が笑 ってどうしても立てず、失禁してうずくまった。公園外でも道沿いには、家畜の死体が散 在しており、餌不足、水不足は思ったより深刻であり、これらの牛も公園外で過酷な餌不 足を経験して、体力が極端に衰えているに違いない、と思った。私も頑張っているが、牛 たちも堪えてほしい、と変な仲間意識が芽生えてきたのもこの時間帯である。 先日、マサイマラで見たライオン、以前、ここメルーで目撃した1頭のライオンのオス の姿を思い出した。草原を牛と一緒に歩いている時、もしもライオンがいたら私がどうし たらいいのか、とそのような対策については一切指導を受けていない私は不安に思った。 ライオンの個体数が少ないと言われているが、夜には彼らの遠吠えが聞こえてくるし、ラ イオンの幼獣を育てた物語「野生のエルザ」の舞台になった公園であるので、当然、遭遇 する危険性はあった。毒を吐きだすコブラも以前見たが、このように長距離を歩いている とリスクは高まる。 途中から、私はずっと先頭を歩いていた。休憩したいと思い、牛とそれをリードする職 員よりも少し早目に歩いて、距離をあけて木陰で休むことを繰り返した。休んでいると、 ゆっくりであるが安定したペースで近づいてくる牛の群れの「サク、サク、サク」という 足音が大きくなってくる。蜃気楼のようにぼやけて見える、群れの最前列の牛たち、彼ら の周辺に舞い上がる砂埃を見ながら、同じ土俵で戦っているにも関わらず、体力が衰え、 へばって木陰で休んでいる自分と、疲れを感じさせずに確実に迫ってくる彼らの姿を対比 してみると、動物の生命力を強く感じた。 「ここの家畜は強い!」 結局、私は歩きとおすことができたが、カンティーンで休んでいると、ママジョブが、 「ボ ランティアらしい仕事をしたね」とほめてくれた。牛を追い出すという泥臭い作業など、 日本人の私がわざわざケニアまで来てするべきことではない、という思いもあったが、彼 女や他の職員から自分の行動がこのような形で認められると、「ボランティアの役割」につ いて考え直さざるを得ないと思う。確かに、今日ほど達成感のあった日は前にも後にもな い。 10 月 10 日 昼ごろ、牛乳と砂糖を買うためにカンティーンに行くと、やたらと多くの職員が集まっ ていたので、何をしてるのかと売店のムトゥアに聞くと、ビリヤードの練習をしていると いう。明日から、メルータウンで行うスポーツ大会ではビリヤードも種目に入っているそ うだ。カンティーンには、ムルマがいたが、彼は全く話しかけようとはせず、無視してい るように見えた。彼には、教育センターの周囲に設置する防護柵の見積書を準備するよう に言ってあるが、まだ手をつけていないのか全く音沙汰がなかった。頼まれた仕事ができ ないので、私に対して後ろめたい気持ちがあるのだろう、と思うとこちらから話しかける 気にもならなかった。ちなみに、防護柵はバブーンが教育センターの室内に入ってこない ようにするためのもので、JICA の隊員支援経費の申請を考えている。 夜、11 時頃から久し振りに雨が降った。3 月から全く雨が降っていなかったように思う。 夕方から風が強くなってきて雨が降りそうな気配はあった。ただ、この雨も 1 時間ほどす ると止んでしまった。 ムティンダの話では、キナのオフィスでアドミニストレーションオフィサーから、誰の 許可を得てアンケート調査をしているんだ、と私が怒られているという。この職員対象の アンケート調査では、上司との関係に関する意識調査を含んでいる。ちょっと段取りをミ スったなと自戒している。 10 月 11 日(日) 今日、午後からメルー市内で開催されるスポーツ大会に参加するため、バスでタウンに 向かった。午後 2 時に出発予定であったバスは、ケニアではいつもあるように、約 1 時間 遅れてカンティーン(売店)前を出発し、約 2 時間後にはメルータウンに到着した。バス に乗車する前、登録された選手の名前を一人ずつ呼んでいったが、参加表明していない私 の名前は当然呼ばれない。私は、このイベントに関しては、KWS の職員のみが参加できると 聞いており、JOCV は不可だと言われていた。私は、宿泊費は自分持ちで移動だけお世話に なりたいと担当の長身の男性に伝えると、快く了解してくれた。 2 人のムスリムの妻がマウアまで行く用事があるため同乗してが、彼女たちを途中の交差 点で降ろしたことに違和感を覚えた。その交差点からマウアまで 1 キロほどしか離れてお らず、わざわざ降ろして、マタツの金を払って移動させるようなことをする理由が分から なかった。別に急いでいるわけでもないのだし。私も、以前、公用車に乗せてもらった時 に同じような扱いを受けたので、彼女たちに同情した。 横の男性レンジャーは、携帯電話に登録してある音楽を聴きながら、体をゆらし歌って 少しうるさかったが、あまりにも気持ちよさそうにしていたのでほっておいた。車内は、 まるで高校生の修学旅行のような雰囲気で、みんな好き勝手なことを言って騒がしく、と ても社会人の集団には見えなかった。メルータウンに行く前に、メルースクールに行って、 グラウンドの使用登録をするために、用紙に全員が名前を記入していったが、各地区ごと に用紙が用意されたものの、それらに全員が記入を終えるまでに結構な時間がかかった。 なぜ事前に済ませることができなかったのかと、いつものように彼らの要領の悪さ不満に 思った。 10 月 12日(月) 昨日からメルータウンにいる。メルー高校で開催される KWS(ケニア野生生物公社)のス ポーツ大会に参加するためで、今日は、バレーボール、サッカー、陸上(100m, 400m, 800m, 1,500m)などの競技が行われた。 8 時半から始まると聞いていたので、9 時頃に会場に到着した。マクタノジャンクション にあるガソリンスタンドの脇は、以前はストリートチルドレンのたまり場になっており、 多数のチルドレンたちがボンドの入ったペットボトルを大事そうに持って、シンナーをチ ュウチュウと吸って、暇そうに居座っていた。ただ、いつからか有刺鉄線が張られ、子供 たちが入れないようになってからはめっきり数が減って、どこにいったのだろうか、と少 し不思議に思っていた。今日、ジャンクションに向かう途中、多くのストチルがたまって いる場所を見つけ、意外と近くに場所を見つけたんだと、疑問が解けたような気がした。 会場のメルー高校のグラウンドでは、既に参加者が集まっており、グラウンドでグルー プになって散らばり、スワヒリ語で談笑していた。そのうち、陸上の 100m の種目を始める とアナウンスがあり、まず女性職員がスタートを合わせ始めたので、カメラを持って見に 行った。女子の 100m は、一人の職員が圧倒的なスピードで一位になり、他の選手を寄せ付 けなかった。次の男子 100mを見たが、これが国の外郭団体である KWS の職員の体力とは思 えないくらいのスピードで、思わず「早い!!」と日本語で叫んでしまった。 バレーボールは男子だけだったが、みな楽しそうにやっていた。陸上の 1,500 は、第 2 位までが 3 分台後半の記録であったが、第 1 位の Kiblok さんは、メルータウンで毎日トレ ーニングをしていると話していたが、それでも 3 分台は早すぎる。サッカーは、今日の午 後あるとか、明日開催されるとか話が錯綜していたが、担当のムルマに聞くと、まだ分か らない、決まったら知らせると言った。 複数の参加者から、サッカーは明日の午前中に行われるという話を聞いたので、午後か らレオパードロックホテルの宿泊料の振込や、ホームルールチャーターの参加者数を DO へ 通知するための文書の発送などの雑用を済ますため、メルータウンに行った。用事が済ん でナクマットに行くと、KWS の公用車が見えたので運転手と話したところ、今日の午後 4 時 からサッカーの試合があると言うので、ナクマットの喫茶店で仕事をしてから、メルー高 校の会場に行った。 グラウンドでは、既にチームのメンバーを決めるため中央に集まっており、急いでそこ まで行き、参加の意思を伝えると、彼らは相談して私をサブとして登録すると言った。コ ンタクトレンズをつけてしばらくアップをしたり、試合を見たりして準備をしていたが、 そのうち、結局試合には出れないのではないかと思い始め、隣のグラウンドでサッカーを して遊んでいた高校生と一緒にゲームに参加することにした。小学校からサッカーをして いるという職員も参加し、ミニゲームを楽しんだが、グランドの広さといい、高校生のレ ベルといい、こっちの方が楽しめたような気がした。ただ、やはり、公園職員からの疎外 感を感じざるを得なかったが。 夕方、グラウンドの端の方で、AD と話をしたが、彼は、 「今日はお前が活躍している姿を 見なかったぞ、明日 3,000m に出場したらどうだ」といつものように冗談かどうかよくわら かない表情で言い、私が「今日は試合に出たかったが、機会がなかった・・・」と率直に 打ち明けると、明日サッカーに出場しなかったらペナルティを与えるぞといつものように 威圧的な言葉を吐いた。 10 月 13 日(火) 今日は、KWS の西部保護区(Western Conservation Area)のスポーツ大会の 2 日目であ った。午前 7 時から始まり、男女の 3,000m、サッカー、400m と 1,600m のリレーがそれぞ れ行われた。 昨日もサッカーの試合があったが、私はサブメンバーに入れてもらったものの、出場す ることはできなかった。事前に登録する必要があったことすら知らず、なぜ誰も教えてく れないんだと不満に思っていたことも確かであるが、昨日はしつこく、「サッカーに興味が ある」 「できれば出場したい」と監督のムルマや他の職員に言った結果、サブとして参加さ せてくれたが、体力のあるケニア人は誰一人としてばてたり、怪我をすることがなく、交 代する理由がなかった。 今日は、先発メンバーに加えてもらい、前半の 30 分だけプレーした。やはり日頃の運動 不足のせいもあり、思うように体が動かず、ボールを触った回数も数えるほどだったが、 活躍できなかったマイナス点よりも、他の職員と一緒にプレーできた喜びの方が勝ってい た。何だか、KWS の職員のみんなに対する感謝の気持ちが沸き起こってきた。 選手のチームワークもよく、運動量も豊富でアフリカのサッカーが注目されている理由 も分かるような気がしたが、なぜケニアのナショナルチームは弱いのかと疑問に思った。 ある職員に聞いてみると、KENYA FOOTBALL FEDERATION(KFF)では不正が多く、代表チーム (ハランベスターズ)の選手選考で不正があるため、能力のある選手が選ばれないという ことも一因らしい。KFF は、基金の横領、補助金の不正使用などの汚職がたびたびマスコミ に取り上げられており、組織の体質は、サッカー選手の育成の不備と並んで、ケニアのサ ッカーの不振の主な原因となっている。ケニアでは、KFF と Football Kenya Limited(FKL) が主なサッカーの組織で、FIFA からの助成金、スポーツ省の予算、試合の入場料などの収 益などで国際試合の交通費などの経費が賄われている。 リレーが終わり、 3 時頃から閉会式が行われた。閉会式では、AD をはじめ、本部から Deputy Director のカギリ氏(Dr.Kagiri)も来られ、挨拶をした。その後、5時半まで食事のための 休憩時間がもたれ、マクタノ交差点の近くにバスを停めて、自由行動の時間となった。私 は、ナクマットで買い物をした後、シンバウエルズで食事をとったら、ララとその部下も 食事をとるために来店していたので、その隣の席に座った。 もちろん、バスが5時半に出発することはなく、6時過ぎにようやく出発した。 10 月 14 日(月) 昨日からメルータウンにいる。メルー高校で開催される KWS(ケニア野生生物公社)のス ポーツ大会に参加するためで、今日は、バレーボール、サッカー、陸上(100m, 400m, 800m, 1,500m)などの競技が行われた。8 時半から始まると聞いていたので、9 時頃に会場に到着 した。会場のメルー高校のグラウンドでは、既に参加者が集まっており、グラウンドでグ ループになって散らばり、スワヒリ語で談笑していた。 10 月 15 日(木) 今日は、アダンと話をするためにキナに行った。 午前中、ゲート前からバイクタクシーでキウティニに向かい、キナへの道との交差点を 少し過ぎた当たりで、前方からバスが走ってくるのが見えて、急いでバイクを止めてもら い、バスに乗り換えた。 普段は、KWS の公用車で直接行けない場合は、最寄のキウティニの町まで一回出て、そこ で長時間車を待ち、バスを使用するかヒッチハイクしてキナに向かっているが、今日はた またま運良く、スムーズにキナに到着することができた。 交差点からキナの町に向かう道は灌木の多い、サバンナの中を突き抜けている。今まで 何回もこの道を通ったが、今日は家畜の死体の数がやたらと多いことに驚いた。特に小さ な幼獣の死体が多く、先日、違法に園内に侵入した家畜を追い出すだめにサバンナの中を 延々と歩いている時、何回も起き上がろうとしては崩れるように倒れる幼獣の姿を思い出 した。今年の 3 月頃から続いている干ばつの影響の深刻さを思い知った。 キナタウンに到着後、しばらくの間、いつもいく食堂で軽く食事を済ませた。その際、 先日の結婚式で会った新郎の親戚の男性がいて、彼らといろいろと話をした。日本の自衛 隊の話に興味を持ったようで、敗戦後アメリカが作った憲法の話や専守防衛の話をすると、 彼らは興味深そうに聞いていた。彼らにとって、国が軍隊を所有することは当たり前であ り、持たない国があること自体、理解に苦しむようである。 夕方、あるレンジャーの職員から、シニアワーデンがコーラ国立公園(Kora NP)に異動 になることを聞いた。既に AD オフィスの前の掲示板に張り出されているという。以前、ア ダンが、シニアワーデンのチェリオットは以前から知っているが、彼は他の国立公園に異 動になったと聞いていた、と言ったことを思い出した。アダンの言った通りだ。このよう に人が私に伝えたことが未来にその通りになることは稀で、 「さすがアダン!」と極端に喜 んでしまった。また、他の職印から聞いて知っていたが、アダンは、 「マーク・チェリオッ トは実はシニアワーデンではなく、シニアオフィサーであり、ランクは、シニアワーデン の一つ下の Warden 1 である」と教えてくれた。そして、次に本部から異動してくる職員は ランクも正真正銘のシニアワーデンであるという。Kenya Wildlife Act によると、職員の 職位は以下のとおり。 (a) Officers of Field Rank: Director Deputy Director Senior Assistant Director Assistant Director Senior Warden (b) Senior Officers: Warden I Warden II Junior Officers Assistant Warden I Assistant Warden II Assistant Warden III Field Assistant Rangers Ranger Sergeant Major Senior Sergeant Sergeant Corporal Ranger 帰宅後、メールをチェックすると、調整員からメールが届いていた。『生物資源の保全と 持続的利用』に携わるボランティア・ミーティングに関する照会に続いて、別件として、 KWS 本部のボランティア担当の幹部ブグゥア氏からの相談の内容が書かれていた。要約する と、私の公園での活動内容について彼から相談を受けたということ、カウンターパートと 良好な関係をつくる努力を怠っていることをブグゥア氏が危惧しているということが書か れていた。 ボランティアの側から良好な人間関係をつくる努力をするしか解決策はなく、配属先の プライドの高い幹部が、立場の弱いボランティアに頭を下げて歩み寄りの姿勢を示すこと が考えにくい。ただ、このメールを読んで、ブグア氏が一ボランティアの私の対応につい て、ボランティアの調整員に相談してきたことが腹立たしく思えた。結局、ボランティア にはほとんど発言権がなく、配属先の状況を受け入れて、小さなことをちまちまと続ける ことが JICA からも配属先からも求められており、配属先としては、ボランティアを受け入 れてやる代償として、資金の支援を期待している、としか思えない。 ブグア氏については、先日、ウエブサイトでの地域情報の発信に関する協力や、マニャ ニでの環境教育の発表の段取りについて依頼しているが、彼がそれらに真剣に取り組んで いるようには思えない。彼が調整員といくら議論をしても、ボランテャアの活動を各国立 公園および KWS 全体の改善に生かすという意味で、何らかの前向きな動きが生まれるとは 到底思えない。ブグア氏は、ボランティアともっと交流して、現場の課題、改善策を吸い 上げ、各公園に発信する役割を担ってもらいたいが、この重要で、革新的で、さらに面白 い役割は、残念ながら調整員の仕事に含まれていないように思える。 10 月 16 日(金) 朝、AD の秘書リディアに会い、休暇申請書、ティーチャーズガイド、雑誌「クロスロー ド」でルーシーについて掲載されたページのコピー、JICA から届いた休暇取得に係るレタ ーをルーシーに渡すよう彼女に言づけて置いていった。それから、早めにナイロビに着き たいと思ったので、10 時頃にはムレラゲートの屋根の下で待っていた。 いつものように、ゲートの守衛を担当しているレンジャーが数名と、ニュートンや他の 職員がおり、車を待っていた。レンジャーの一人、マイクが私が配布したアンケート用紙 の件で話をしてきた。 「あのアンケート調査はあれからどうなった?順調か?」 私は、彼がシニアワーデンから全職員に対して、私のアンケートに回答しないこと、調 査票を破棄すること、などの指示があったことを知って、私にこのような聞き方をしてき たものと察し、 「いや、実は知っていると思うけど、無許可で調査を始めたため、シニアワーデンから調 査を打ち切るように言われている。ただ、調査票の内容から言って、幹部が調査の実施を 許可するとは思えなかった。だから、無駄足は踏みたくなかったから、許可もわざわざ取 ろうとしなかったんだ。そうは言っても、決められた手順を踏まなかった自分に落ち度が あることは認めるよ」云々といったことを話した。すると、彼は、 「あの調査自体は我々にとってとてもいい機会だ。普段幹部に言えないことを訴えること ができる。ところで、おまえはシニアワーデンから各部署に送られてきたレターを見たか」 と言って、紙切れに手書きで書かれたレターを見せてくれた。普通、公文はタイピングし て作成するものと思っていたが、公園内で緊急の場合は紙に書いて送る。シニアワーデン はよっぽど慌てて送ったものと考えられる。マイクは、この通知が全職員に回っている事 実をどう思う、これでみんながおまえを疑い始めるぞ、と薄笑いを浮かべながら言った。 ゲートにいたノビア人の女性レンジャーは、以前私が送ったレポートに同僚の仕事の怠 慢ぶりが書かれていたことを指摘し、おまえはひどい人間だと言ったが、彼女の場合、半 分冗談で言っているものと感じた。しかし、後日、そうでもないような気がしてきた。 10 月 17 日(土) 今日はナイロビにいる。 午前中、ヤヤセンターに行って、キナエコミュージアムの広報用の資料を印刷し、同セ ンターの中の郵便局で発送した。今日送付したのは、観光関係の政府機関(Ministry of Tourism and Wildlife)、 国際博物館会議(International Council of Museums)、キナの 村長(Chief of Kinna Location)、Kenya Tourist Board、 ケニア国立博物館(National Museum of Kenya)の 5 団体である。印刷は、コピーを専門に扱っている店で行ったが、担当してく れたスタッフは、両面印刷をするのに片面が印刷された用紙を再度トレーに差し込んで手 動で印刷したり、横向き印刷の設定方法が分からず他のスタッフに質問したりと、仕事に 慣れていなかったため時間がかかった。 それでも、11 時前にはセンター前からバスに乗ってナイロビタウンに向かうことができ た。タウンでは、「視察の旅」という「協力隊を育てる会」のプログラムで母と訪問するア ンボセリのツアー料金の支払いを済ませた。 アダンから SMS で、彼がキナ出身の国会議員(MP)に会ったこと、パンフレットを渡すと、 MP はエコミュージアムの取り組みを褒めて、「どのような補助がほしい」と言ったので、メ ルー国立公園やホテルにパンフレットやポスターを設置することをお願いしてほしいと頼 んでおいた、と私に連絡した。活動に政治の力も使いたいと考えていたが、果たして効果 はあるのであろうか。 10月19日(月) ドミトリーのジャカランダが満開である。だいぶ散ってしまった感はあるが、一昨日に は、中庭にはアスカリが花びらを掃いて作った道が見られ、風情があったという。昨日は、 私の任期では最後のジャカランダということで、数枚の写真をとった。私は来年の6月に はケニアを去る。自分の写った写真はアスカリにとってもらったが、やはり少し傾いてい た。ケニア人は、カメラの扱いに慣れておらず、シャッターを押す際、カメラごと下に移 動させてしまうため、写真が上下にブレてしまうことが多い。 今日は、午前中、先日起きたトラブルについて担当調整員と話をしようかと考えていた が、調整員が休暇をとっているため、JICA 事務所には行かなかった。先日ケニアの到着し た短期隊員2名はブリーフィングの最終日のため、ドミトリーを出て、JICA 事務所に行っ た。どちらの女性も国際感覚の豊かな方で、一人はケニアで4年間 NGO の活動に携わって おり、もう一人は直前までタンザニアで隊員として活動していた。青年海外協力隊に限ら ず、国際協力の舞台では、女性の活躍が目立つ。こういう言い方をしている時点で男女差 別ともとられかねないが、逆に言えば、男性の割合が低くなっている現状から、男性が活 躍しにくい状況を作り出す構造があるのではないかという男性蔑視あるいは軽視の要因が 想像できる。 JICA 事務所は、午後時間があれば行くことにして、ナイロビタウンで、視察の旅でメル ー国立公園に行く際にチャーターする車の手続きを済ませることにした。母には、ぜひ、 私が活動している任地、メルー国立公園と周辺で生活する人々との交流を満喫してもらい たい。いつも利用するヒルトンホテルの前のコーヒーワールドで仕事をしながら、チャー リーを待って、彼と一緒に彼が友達だという女性の会社オフィスに行った。喫茶店の斜め 向かいのビルの8階にあるツアー会社のオフィスで、不自然に愛想が良いように思えるそ の女性と値段交渉をしたが、3万9千シル以下に下げることはできなかった。 その後、バスで KWS 本部に行った。最初にルサカ協定タスクフォース(Lusaka Agreement Task Force)を訪れた。この機関の本部は KWS 本部の中にオフィスを構えている。この機 関は、動植物の違法取引を取り締まるため、1992 年、ザンビアのルサカ(Lusaka)で行われ た東南アフリカ 8 カ国の保全機関の会議の後、各国合同の対策機関として、国連環境計画 の援助を受け設立された。現在、職員は、コンゴ人、ザンビア人、タンザニア人などケニ ア以外の政府から出向できている方が多く、国際色豊かである。メルーレポートの作成は いつも遅れがちであるが、今回も遅れていて、現在野生生物の違法取引に関するデータを 集めているところである。ただ、当然今日はいきなりオフィスに行ったので、職員は何一 つ 質 問 に 答 え て く れ ず 、 そ の 場 で ダ イ レ ク タ ー 宛 て の レ タ ー を 書 い て 、諜 報 部 職 員 (Intelligence Officer)の Larl 氏に渡した。彼は、質問にはダイレクターが答えるべきだ、 職員に聞くと間違ったコメントをする可能性がある、メールか電話で返答すると答えてく れた。 その後、シニア・サイエンティストの Solomon Kyalo 氏(Biodiversity Conventions) にお会いし、ケニアでの動植物の違法取引の現状、現在作成中のプランや進行中の計画に ついて話を聞くことができた。彼は Convention on the International Trade in Endangered Species of Wild Fauna and Flora(CITES)の担当であり、興味深いデータをパソコンの画 面上で見ることができたが、公表されていないものが多く、提供してもらうことはできな かった。彼にも私の定期レポートが届いているようで、彼はハダカデバネズミの話が気に入っ ているようであった。 次に、マルチメディアオフィスに行き、シニアワーデンの Charles Ooro 氏にお会いし、 以前から話しているポスターとパンフレットの作成について質問すると、彼は、チームワ ークが大切だ、既にルーシーから我々が作成したポスターの承認を得ている、どっちのポ スターを作成すればいいのだ?、と迷惑そうに言った。彼に、このポスターのことは、彼 女から何も聞いていないので、彼女に私に相談するように伝えてほしいと言うと、すぐに メールで彼女に指示を出してくれた。あまり、彼女を飛び越えて、上のランクの職員に愚 痴を言うことは良くないが、チームプレーを重視していないとまで言われると正直に言う しか仕方がない。 私は、ルーシーにポスター作成の話はしてきたが、彼女からマルチメディアオフィスに メルー国立公園のポスターを作らせていることは聞いていない。KWS 本部のマルチメディア オフィスが主体的に各国立公園の広報用ポスターを作成するのはすばらしく良い傾向だと 思うが、そうなると、ボランティアの私がポスターを作成する必要性がなくなる。それは 仕方がないのだが、問題は、ポスターの内容に、メルー国立公園の職員や私のようなボラ ンティア、そして地域住民の意向が全く反映されていないことだ。組織の中で、このよう な中央集権的な動きがあることに不安を感じる。 これで帰ろうと考え、ゲートの前まで歩いていったが、急にブグア氏が調整員に私の言 動の件でクレームをつけていることが気になり、ブグア氏に直接会って話をすることにし た。彼のオフィスはいまだにどこにあるのか覚えられる、職員に場所を聞いてたどり着く と、彼は私を一瞥し、少し不機嫌そうな顔をしてから、メールを書く作業を続けた。最初、 彼に、調整員に話をしたことを調整員から聞いたこと、自分の行いにより迷惑をかけたこ とを詫び、彼と話を続けた。彼は、一番言いたいことは、本部の複数の幹部に直接メール を送ることはやめてほしい、これからは彼を通して送ってもらいたいということであった。 そのあと、ルーシーは女性だ、女性は根に持つことが多いから、人間関係には気を付けろ、 と日本でも男性同士でよくある内容のアドバイスをもらった。今日、彼と会ったことで得 た一番の収穫は、彼が今月の28日にマニャニでスーダンから来た学生にプレゼンをする ので、一緒に行かないかとお誘いを受けたことである。彼はその場で、マニャニの担当者 を電話で話をし、私が1時間弱のプレゼンを行うことの承諾を得てくれた。近日中に、彼 にプレゼンのデータを送る必要がある。28日は母がケニアを訪問する「視察の旅」の最 終日であるが、そのことを気にすることもなく、彼の誘いに快諾してしまった。これで、 最終日に母を誰かに預けないといけないことになった。 帰り、ナイロビタウン前で道が異常に渋滞していて、バスがほとんど動かなかった。ナ イロビ駅に近くで線路沿いに植わっているジャカランダの花がとてもきれいで、思わず写 真を撮ってしまった。18時30分になってもバスは駅前で止まったままであったので、 そこでバスを降り、タクシーを待ってドミに戻った。遅くなっていまい、予定していた調 整員と会う約束は反故になった。 10月20日 今日は、 「視察の旅」でケニアを訪問する隊員の家族を迎えに空港まで行った。私の母も このツアーに参加しており、私はこれまでホテルや航空機の予約などの準備をしてきた。 このツアーの引率は、最近帰国したマリンディ国立公園の環境教育隊員、O さんである。 母とは、1年3か月ぶりの再会であった。空港ロビーに一団が到着した際、母ともう一 人の参加者のカバンが開けられたと騒いでおり、あまり感動的な再会とは言えなかった。 また、母は手荷物カートに手提げバッグを入れた状態で、スーツケースの蓋を閉めよう とし始めた。この状況は、置き引きを企んでいるものからすると、隙だらけであった。ス ーツケースは、故意に開けられたのか、それとも、蓋が完全に閉まっていなかったため自 然に開いてしまったのか判断しかねたが、中に入っているというパソコンのバッテリーが 一番高価なものであったので、私はそれだけが気になった。 そのまま、バスに乗って、シルバースプリングスホテルまで直行し、引率の O さんの指 示でチェックインの手続きを済ませ、部屋でしばらく休憩した。夕食は、みんなで注文し て食べたが、ブュッフェ形式の方が効率的で良かったのかもしれない。親同士で、ブュッ フェにするか、メニューを見て注文するかで意見が分かれているのを見て、この親たちは 関係がうまくいってないなと直感が働いた。 その後、客室に移動し、母はかなり疲れているようで、すぐに寝てしまった。 10月21日(水) 今日は、視察の旅2日目。 朝、8時30分にシルバースプリングスホテルのロビーに集まり、9時頃にバスで JICA 事務所に向かった。私は、オフィスで仕事を続け、隊員の家族は、事務所で所長と面談し た後、大使館に表敬に行った。正直言って、こんな事務的な訪問は必要ないと言う人も多 いが、専業主婦の私の母にような参加者にとっては、こんな機会は皆無に近く、意義のあ る経験になったと思う。 表敬終了後、JICA 事務所を出て、ナイロビタウンで母を連れ回し、いくつかの手続きを した。観光客らしからぬ行動であるが、ケニアの現実を少しでも体験することができるの で、母にとっても悪くはないと考えた。最初に郵便局に行き、滋賀県国際協会から送られ てきた、既にケニアで通関手続き中だという郵便物がどこにあるのか確認した。結局、郵 便局に既に届いていたが、まだ JICA には連絡していないことが分かった。職員の不注意で 連絡を怠っていたのではないかと疑った。次に、旅行会社ファルコンに行って、アンボセ リ国立公園のチケットの説明を受けた。担当者の日本人スタッフからは、直接ウイルソン 空港のカウンターに行くようにと言われた。その後、喫茶店 Nairobi Java House でサンド イッチを食べて、これからどこに行くか母と相談した。 結局、タクシーで国立博物館 National Museum に行くことにし、途中で Norfork Hotel に立ち寄り、Deluxe Rooms というカテゴリーの部屋を予約した。この部屋は、有名な中庭 に面しており、その眺望が楽しめるということだ。博物館で人類の進化の展示、野性生物 の剥製、多種類の鳥類の剥製、壁画の模型、などを見学した。そのあと、土産物を見て、 ソープストーンなど魅力的な商品もあったが、何も買わずに出てきた。ソープストーンは、 ケニア西部のキシー地方で発掘される滑石の 1 種。石鹸のような質感・色なので”ソープ ストーン”の名前がつけられているらしい。 そのあと、Westlands にある工芸品を中心とした土産物が充実しているマーケットに行き、 母はいくつか小物類を買い、私も小物入れのケースを買った。 次に、そこから徒歩で、Mall Shopping Centre にある Haandi というインド料理の店に行 ったが、そこは19時に開店するそうで、その隣のイタリア料理の店に入り、そそくさと 夕食を済ませた。 10月22日 アンボセリ国立公園へ(第1日目) 6時半にシルバースプリングスホテルを出て、ウイルソン空港までタクシーで移動した。 エア・ケニアのカウンターに行き、前日に旅行代理店の日本人スタッフから言われたとお り、他の航空会社 SAFARILINK のカウンターまで連れていかれた。スタッフからは、利用客 が少なかったため、2台の飛行機に乗せる予定であったが、1台で済ませることになった と聞いていた。我々が利用した小型のセスナは、客席が12席あり、最初の搭乗者は、ア ンボセリ国立公園でバブーンの研究をしているという学生の女性と、一般客らしい男性、 女性2人のグループ、我々の合計6名であった。途中、2回滑走路に着陸し、停まり、1 回目は女性グループを下ろし、2回目はイタリア人らしき男性を乗せた。飛行機なのにマ タツのようなシステムで、乗客の立場を無視した無神経な対応が笑えてきた。 アンボセリの滑走路に到着する直前、湿地帯にゾウが見え、その前にはキリンがいたと 母は言った。私にはキリンの姿は見えなかった。結局、7時半に出発し、9時過ぎに到着 した。本来であれば45分で到着するはずであった。何はともあれ、到着後、母のみ12 0ドル支払い、待っていたセレナホテルの車に2人だけで乗り込んでホテルまで送っても らった。私は、レジデント(ケニア在住者。ID カード保有者)として扱われ、ID を提示す れば、格安で国立公園に入場できる。 ホテルに到着すると、まず外でおしぼりを渡された。最高級の「おもてなし」だ。そし て、部屋に行く前に、朝食をどうぞとレストランまで案内され、私たちはケーキとコーヒ ーをいただいた。10時30分からゲームドライブがあるとういことで、少し部屋で休憩 してからロビーに戻った。 10時半から12時までゲームドライブを楽しんだ。ライオンこそ見れなかったが、ゾ ウ、バッファロー、ウォーターバグ、ワイルドビースト、イボイノシシ、シマウマなど多 くの動物を見た。シマウマが大量に死んでいたことには驚いた。そのあたりには、死臭が 漂い、自然の墓場のように、無数の死体が転がっている場所もあった。ガイドいわく、干 ばつの影響だというが、とてもひどいものであった。 昼食をとり、休憩後、4時からベルギー人のカップルと一緒にゲームドライブを楽しん だ。写真で見たことのある緑色の美しい湿地では、無数のゾウ、バッファローを見ること ができたし、トムソンガゼルを咥えて歩く雌ライオンや、ライオンの子供たち(生後4か 月くらいらしい)、アダムと呼ばれる巨体を持つゾウなど、魅力的な動物たちを見ることが できた。 ゾウにより破壊されたとガイドが説明する疎林を見た。日本では、シカやクマが樹皮を 剝いで植栽木を枯らしてしまう「皮剥ぎ」被害が深刻だ。日本では、防護柵を設置したり、 テープを樹幹に巻き付けたりして防除対策を講じている。ただ、日本の場合、経済林での 被害なので税金を投入する大義名分があるが、ケニアの自然林の場合は対策を実施する理 由づけが難しい。 ベルギー人の女性は、とても社交的で、我々がライオンを発見して喜んでいる姿を見て、 一緒になって良かったねと喜んでくれた。この男女の関係はよく分からなかったが、ホテ ルに到着してから、手をつないでホテルに入って行ったところを見ると、ハネムーンで公 園を回っているのかもしれない。彼女の話では、今回はケニアの国立公園めぐりの一つ目 の公園で、この次はサンブル国立公園に移動するという。 10月23日 今日はアンボセリ国立公園で思う存分、サファリを楽しんだ。アンボセリ2日目である。 午前6時半から早朝サファリがあり、8時まで車で公園内を回った。そこには、ライオ ンの家族がおり、雌ライオンが小さなトムソンガゼルを加えて運んでいる場面も見ること ができた。また、別の場所では若い2頭の雄ライオンを見たが、彼らの前足は血の色に赤 く染まっていた。ただ、1頭の首にはテレメトリー調査のための発信機が取り付けられて いたことが少し残念。ガイドのジェームスの話では、調査中のオスは依然にも発信機を取 り付けられたが、成長に伴いサイズが合わなくなったため、それを取り外し、現在の機械 と取り付けたという。そのため、人間に対して警戒心を持っていると話してくれた。その 調査中のオスは、我々が接近すると、ゆっくりと立ち上がり、別のオスの横まで行って寝 ころんだ。 その他、湿地で水浴びを楽しみながら餌を食むゾウの家族や、バッファローかヌーの死 んだ個体の肉を貪るハゲワシの仲間など、興味深い動物を観察することができた。 8時半にホテルに戻ってビュッフェ形式の朝食を済ませ、10時からマサイ族の2名の 男性の案内で、ウォーキング・サファリのツアーに参加した。湿地の横を歩いたが、場所 によっては、地面がクッションのように弾力があって気持ちよかった。ここでも、シマウ マが死んでいる現場をいくつか確認できた。干ばつと餌不足の影響はすさまじい。また、 彼らは鳥に詳しいようで、何種類かの鳥の名前を教えてくれたが、興味深く、面白い生態 の説明などはなく、物足りなさを感じた。母はマサイ族と写真を撮って楽しそうにしてい た。帰りはホテルの車で送ってもらった。 13時から昼食をとり、ホテルで休憩して、16時から夕方のサファリに参加した。こ こでは、我々は展望台のある丘の麓まで車で移動し、そこから階段を上って丘の上まで歩 いていった。展望台からは、周囲を見渡すことができ、湿地の草の緑とそれ以外の場所の むき出しの地面の薄茶色のコントラストが美しかった。湿地で水浴びを楽しむバッファロ ーやゾウを確認することができ、双眼鏡はここでも役立った。キリマンジャロは雲に覆わ れており、麓の一部を除いてほとんど見ることができなかった。しばらくして、上ってき た白人の年配の男女のグループと入れ替わるように、我々はその丘を降り始めた。 19時からブッシュバーベキューが外であった。肉は固く、ウインナーはよく焼けてお らず、料理はいまいちであったが、雰囲気はまずまずであった。終盤で、マサイ族の男女 がダンスを披露してくれた。男性は驚異的なジャンプ力で跳ね、女性は歌のリズムに合わ せて、首にかけたビーズをふんだんに使用した輪を上下に揺り動かしていたことが印象的 であった。その「輪」の揺れ方が激しかったのだ。 10月24日 今日はアンボセリからナイロビに移動した。 朝、7時30分、セレナホテル(Amboseli Serena Lodge)を発ち、8時20分発の AirKenya の飛行機に乗るために、滑走路に向かった。途中、キリマンジャオ山の山頂がはっきりと 見えたので、ジェームスに車を停めてもらい、写真を数枚撮った。8時前に滑走路に到着 し、そこで再度、キリマンジャロ山をバックに母の写真などを数枚撮影した。母が、アフ リカ大陸最高峰のキリマンジャロどをどの程度評価しているかは不明であるが、キリマン ジャロや天気のおかげで母親孝行することができた。ジェームスが、8時過ぎになっても 飛行機が来ないから、SafariLink という会社のセスナで移動することになるかもしれない、 と言ったが、案の定、そのとおりになった。セスナ機の小さなプロペラ、車輪を出した状 態で空気抵抗を受けて飛ぶ機体を考えるだけで不安になる。しかし、いったん、その飛行 機が砂地の地面をガタガタいいながら走り始めると、投げやりな気持ちになってしまう。 結局、9時過ぎに飛行機で出発し、円形の生垣で覆われたマサイ族の家々や蛇行する河 川、火災が発生したためか赤土が露出している地域と隣接する緑で覆われた地域のはっき りとした境界線など、日本ではなかなか見れない面白い風景を楽しみながら、空の旅を満 喫した。ある場所では、マサイ族の集落がまるで顔のような形に見えて笑ってしまった。 乗客は、2人組の白人女性のグループ、一人旅の学生らしい若い女性と我々であった。 ウイルソン空港に到着後、ノーフォークホテル(Norfolk hotel)にタクシーで直行した。 チェックインを済ませ、部屋に荷物を置き、隣接する劇場 Kenya National Theatre で公演 のスケジュールを確認すると、今日は午後3時と5時半から「the Home Coming」というタ イトルの劇が上演されるというので、一人400Kshs と若干高かったが見物してみること にした。その前に、私たちはサリットセンター(Sarit Centre)で買い物をした。 サリットセンターはフードコートが有名であるが、お洒落で洗練された雑貨屋や本屋も あり、いろんな楽しみ方ができるショッピングセンターである。最初に本屋に入り、11 月に誕生する弟夫婦の初孫のために買うものはないかなどと言いながら、絵本などを見て いたが、英語の本が乳幼児のために役立つはずがない。でも、母の頭の中は、初孫のこと が大部分を占めているようである。本屋の中を見てまわってから、以前隊員に紹介しても らった雑貨屋に行った。母はそこで木目のついて国産材で作られた写真立てを買い、私は 初孫のためにキリンの形をした身長の測れる壁掛けを買った。ただ、今となっては、その 壁掛けが実際に弟夫婦に使われるかどうかは大変怪しい。買い物を一通り済ませてから、 ガイドブックにお勧めの店として掲載されていた Hidden Agenda pub-restaurant で昼食を とった。料理が出てくるのが非常に遅く、母も何をしているんだろうと不思議がっていた。 この店ではチキンを食べたが、味はまずまずであった。 劇場に戻り、30名以上の若い役者が登場する演劇を楽しんだ。大部分が英語であった が、一部スワヒリ語が混じり、正直言うと、あまり内容が理解できなかった。西洋人の観 客は私が見た限り、1組のカップルだけであった。私も母も途中睡魔に襲われ、何回か意 識を失ったが、そのような状況でのなんとか内容を理解しようと頑張った。この劇の中で は3つの異なる状況が同時並行で演出されていた。それぞれに共通することは、男性の女 性に対する扱いが悪いことで、最終的にこの3人が法廷で裁かれ、火あぶりの刑に処せら れて劇は終了した。 劇が終了してから、隣接するホテルまで徒歩で帰り、ホテルの庭で、結婚式を終えた新 婦が写真撮影を行っているところや、参加者がマスコミのインタビューを受けてる光景を 目撃した。このホテルはケニアでも格式のあるホテルで、有名人の結婚式が行われたのか もしれないと思った。いったん部屋に戻ったが、せっかくなので、既に薄暗かったが、庭 を見ながらコーヒーを飲むことにした。昼食が若干遅かったせいもあり、母は夕食をとら ずに寝ることにした。私もそれほど空腹ではなかったので、部屋でもうすぐマニャニにあ る KWS 訓練施設で訓練生対象に行うプレゼンテーションの準備をして、それからホテルの バーに行き、サッカーの試合を見ながらブランデーを飲んだ。コルドンブルーの2ショッ トの値段が約 3,000Kshs とケニアでは破格の値段で、請求書を数字を見たときには正直戸 惑った。 10月25日 今日は、ナイロビからメルーに移動した。 我々が昨日から宿泊しているホテルは、ナイロビで一番古く植民地時代に建築されたと いうノーフォークホテル(Norfolk Hotel)である。ツインではなく、ダブルで部屋をとっ たため、幼少期以来久しぶりに母の横で寝たので不思議な気分であった。今朝、朝食をホ テルのレストランでいただいた。ビュッフェ形式で食べ放題であったが、卵料理を焼いて くれるコーナーがあったり、サーモンの刺身があったり、チーズもカマンベールだけでな く数種類用意されおり、パンやケーキも多彩でとても贅沢な気分を味わうことができた。 8時にツアー会社(Australken Tours & Travel Ltd)でチャーターした車が到着すると聞 いていたので、早めに食事を済まそうと思っていたが、結局ゆっくりと朝食を撮っている うちに、会社の女社長 Zippy 氏(Managing Director)が我々のテーブルまでやってきたの で、時計を見ると午前8時直前になっていた。そのまま部屋に戻り、昨日の夕方少しだけ しかホテルの敷地内を見れなかったので、庭で数枚写真を撮ってから玄関前に駐車してあ ったサファリ用のバンに乗り込んだ。Zippy 社長をナイロビタウンの彼女のオフィスの前で 降ろし、運転手に案内されて、ケニア国際会議場(Kenyatta International Conference Centre)を訪問した。裁判所と会議場に面した広場には、初代大統領のジョモ・ケニヤッ タ大統領の銅像が置かれていた。この会議場のあるビルは、ケニアで一番高く屋上には展 望台がある。そこに登ろうと考えていたが、母が既に JICA 事務所からナイロビ市内の遠望 は見ているということもあり、地上から見上げるだけにとどめた。 次に、ナイロビの高級住宅街であるカレン地区に移動し、博物館「Karen Blixen Museum」 とキリンとイノシシが見れる Langata Giraffe Centre を訪問した。 Karen Blixen Museum は、「Out of Africa」の著者として有名な Karen Blixen が 1914 年 から 1931 年の 17 年間に住んでいた家で、独立時にデンマーク政府からケニア政府に寄贈 された。ちなみに、カレン(Karen)という地域の名前は彼女の名前に由来している。カレ ン は 、 デ ン マ ー ク 出 身 で 、 最 初 に 結 婚 し た 男 性 と 離 婚 し た 後 、 イ ギ リ ス 人 の Benys Finch-Hatton と恋に落ちたが、彼もツァボ国立公園(Tsavo National Park)に向かう途中、 飛行機事故で亡くなった。 このカレンの住んでいた古びた家の前で写真を撮った後、入場料(外国人 800Kshs、ケニ ア人 100Kshs)を払い、博物館の中に入った。アメリカ人の女性グループの観光客が訪れて おり、彼女たちと一緒にガイドの説明を聞いたが、説明が早すぎて通訳が難しかった。ケ ニアに来て英語漬けの毎日を送っていたので、語学力が伸びたことを実感しているが、ま だまだ伸びしろは大きい。カレンは、狩猟が趣味であったことから、家の中には剥製やラ イオンの毛皮の敷物などが置かれており、愛煙家であった彼女が煙草を吸っている姿を描 いた肖像画も興味深かった。 次に行ったジラフセンター Langata Giraffe Centre は、野生生物保護基金「African Fund for Endangered Wildlife(AFEW)」によって運営されており、カレン博物館と同様の入場料 を支払って入場すると、園内には、子ども連れの白人のグループや中国人の家族などがキ リンに餌をあげたり、幼獣のキリンやイボイノシシを興味深げに見ている姿が確認できた。 ジラフセンターは、日本にいる時から知っていたが、思ったよりも小さな施設であった。 キリンにやる餌は、ドッグフードのようなものであり、園内は奈良公園でシカ煎餅をあげ ているような雰囲気であった。キリンは、器用に長い舌を使って掌に置いた餌を掬いあげ ていったが、よだれを垂らしたり、手のひらにざらついた舌が接触したりして、あまり気 持ちのいいものでなかった。餌で手なずける関係は、犬や猫、小鳥の人間の間の関係と全 く変わらない。スタッフが気を利かして写真を撮ってくれるといい、カメラを渡して母と 二人でえさやりをしているところを撮ってもらおうとしたが、なぜかカメラを向けた瞬間 から、キリンが我々を敬遠し出して、隣にいた白人女性のグループの方に歩いていってし まった。客が多いと、キリンの愛想の奪い合いになってしまうのが残念だ。 ジラフセンターを出発し、アフリカ最大のスラムといわれるキベラスラムの遠望できる 場所で停車して、そのトタン屋根の家々が密集しているスラム街をしばらく眺めてから、 メルーに向けて出発した。途中、様々に変化する景観を楽しみ、キエングでジョセフから デジタルカメラを返してもらうために10分ほど時間を費やした。ジョセフは、母と挨拶 を交わし、なぜ私の家に立ち寄ってくれないんだと英語で話しかけた。ジョセフは母を家 に招待したかったのかもしれないが、彼の家は電気もあく、マラリアに感染する危険性も あり、居心地が良いとは言えないし、時間もなかったので断った。午後5時前にムレラ村 に到着すると、ダンスを披露してくれる住民団体のメンバーだけではなく、村人が大勢集 まっていることに驚き、少々戸惑った。私はもっとこじんまりとしたダンスショーを想像 していたのだ。 我々は、ビニールシートを屋根にした東屋の椅子に腰をかけ、ダンスを見学した。女性、 男性の割礼のダンス、借金のダンスなどがあり、母も踊るように促されたので、不器用な がらもステップを踏んで踊っていた。母は、自宅で近所の住人と対象にヨガ教室を開催し ているが、その母が「ダンス」を踊る姿は全く想像できない。母が踊ると、その踊り方が 面白いからか、見物したいた住民は大笑いしていた。中でも、子供たちの笑い声がよく聞 こえた。ダンスはメルー族のものだけでなく、カンバ族のものも含まれており、複数の民 族のダンスを見れることを売りにしているらしい。それならナイロビのボーマスオブケニ アで見物することができるし、観光客がこんな片田舎で体験する意義は少ないと私は反発 した。私が意外に思ったのは、途中で貧困者にお布施をするダンスがあり、そのダンスが 始まる前に、リーダーの男性が、 「次のダンスはお布施のダンスだ。お母さんには、お布施 をする金持ちの座る席に座ってもらう。」と言った時であった。なぜ、観光客から金をとる ことを目的にしたダンスをわざわざ考えるんだ、と憤慨した。ただ、この時は思い出せな かったが、実は私が最初にメルー国立公園に来た時、彼らは同じダンスで私を歓迎してく れていたのだ。 このグループは以前から、借金のダンス、HIV のダンスなど意図的に観光客の同情を誘う ようなテーマのダンスを当然のように行っているが、今回は私が母が来るからダンスを披 露してほしいと直接リーダーに頼んで実現したもので、我々から金を巻き上げるような対 応は許せない、と思った。母が座った椅子の前で、物乞いに扮した女性が倒れ、彼女の頭 の横に置かれた入れ物に、母は当然のように1ドル札を入れた。母のバックの中から、米 ドルの札束が見え、その瞬間、グループのメンバー全員が物乞いに思えた。 ダンスショー終了後、ジョンが木工作品を展示している場所に案内してくれた。ジョン は、ダンスの最中に、「後でお母さんに作品を見てもらって購入してもらえるとうれしい」 と耳打ちをしていた。その時、絶対に買わせてなるものか、と心の中で思った。実際に彼 の作品を見ても、オリジナリティあふれるものはなく、メルーの地の利を生かした作品は なかった。ダンス終了後、リーダーに金額がいくらか聞いてみると、「イレブン、サウザン ト!!!」とはっきり言ったので、今度支払うとだけ言って、その時は、その法外な金額 に対し文句は言わなかった。 そのあと、私の自宅に立ち寄り、荷物を置いて、母に少しだけ部屋を見てもらい、隣人 のチェリオットに挨拶をしてから、レオパードロックホテルに向かった。 運転手のジョンは、道が分からなかったらしく、一回公園本部に行って、近くの食堂(カ ンティーンと呼ばれる)でサッカー観戦をしていた職員の一人を説得し、車に同乗してホ テルまで案内してもらった。 ホテルには19時過ぎに到着した。玄関の外では、スタッフが待機しており、アンボセ リのセレナホテルと同様におしぼりを手渡してくれた。夕食までの間、部屋で待機するこ とになったが、ホテル側のミスで、2台のベッドのうち1台のサイズが小さく、スタッフ は、しばらくの間この部屋で待機してもらい、後で別の部屋に移動して下さい、と頼んで きた。滞在している観光客は私たちだけといった超余裕のあるはずの状況で、いきなりの 不手際が起こったことに驚いたが、ここはケニアなのでごくありふれた問題なのかもしれ ない。スタッフ5名が我々の荷物を持って、レストランからかなり離れた場所にある、最 初に案内された建物で、母には先にシャワーを浴びてもらい、私はマニャニの発表の準備 を少しだけした。 しばらくして、スタッフが部屋に来て、今晩宿泊する部屋に案内してもらったが、その 建物は受付やレストランが入っている建物からすぐ近くのところにあり、救われた気がし た。ただ、シャワーのお湯の出が悪く、太陽光発電による節電のため、11時に電気が使 えなくなってしまうなど、施設の低レベルなサービスには疑問を感じた。 10月26日 今日は、メルー国立公園のレオパードロックホテルを拠点に行動した。朝、6時から客 室でコーヒーをいただき、6時30分に出発した。それから、ムリカロッジ(昔、無理か ロッジと呼ばれる宿泊施設があった地域)の辺りまで行き、キリンやシマウマ、バッファ ローなどを見物した。バッファローの個体数は非常に多く、車道を横断しようとしている 動物は、ファッションショーのモデルの女性が観客を魅了するように、ゆっくりと時には 立ち止まりながら、道路を渡って行った。ムリカロッジの周辺は、ハウスキーパーをして いたムティンダや他の職員の話によると、ライオンがよく出没するそうで、今日も期待し ていたが見ることはできなかった。9時頃にホテルに戻り、川の横でサル(特に Vervet Monkey が多かった)やカワセミなどの美しい鳥を見ながら、朝食を食べた。 それから少しだけ休憩をとり、10時からさらにゲームドライブに出かけた。これから 13時までの間に、河岸からカバの見えるスポット「Hippo Pool」を訪れること、メルー 国立公園本部でシニアワーデンに母を紹介すること、が主な目的であった。 ホテルを出発してすぐ、10時過ぎにライオンを見た。赴任して1年以上経つ私でも、 今までライオンを1頭(オス)しか見たことがなかったし、その時は、職員と仕事でキナ に向かっている途中で、車は猛スピードでその横を通り過ぎていってしまった。じっくり と、ライオンを観察するのは今回は初めてであった。ライオンは5頭が灌木の木陰で寝転 がっており、全員メスであった。また、そこから道をはさんで反対側の1本のアカシアの 巨木の下には、1頭の雌ライオンがおり、すぐ近くにバッファローが横たわっているのが 見えた。周囲を見渡すと、全部で5頭のバッファローが死んでおり、ガイドは、彼らがラ イオンのテリトリーに入ってきたために殺害されたのだと語った。 灌木の下のライオンの家族のうち、右側の3頭はまだ若いように見えた。母は、ライオ ンが子供たちに狩りの仕方を教えるために、このように多くのバッファローを倒したので はないか、と言った。私は、両親から何を学んできたんだろう、と思った。 その後、死んで牙をもぎ取られたゾウが倒れている場所を偶然通り、ヒッポープールに 行ったが、カバの家族は生憎、草原に餌を食べに出かけているため、川には見当たらなか った。ただ、そこには大型のワニが対岸で休んでいる姿が観察された。母に、対岸のあの 場所にヒッポー(カバ)の足跡が見えるが、そこから毎日上り下りしている、といった説 明をした。ここに来る途中で、川で休んでいるカバを見ることができたことは何よりであ った。 その後、本部でシニアワーデンに挨拶をしようとしたが、彼はナイロビに出張で出かけ ており、不在であった。隣の部屋で雑談していた幹部に会ったが、彼らは母と握手を交わ し、何となく嬉しそうに見えた。そこにいたコミュニティワーデンのチェリオットが、シ ニアワーデンのオフィスで、母からの和菓子のプレゼントを受け取り、写真を撮れという ので、2枚だけ撮影した。写真まで撮らなくてもいいのではないかと思ったが、彼に言わ せるとそれが重要らしい。やはり、「母」という存在は、ケニア人も日本人と同様に限りな く大きいようだ。 それから、ゾウが死んでまだ死臭の漂う場所を通り、インパラ、ガゼル、シマウマなど の動物を見物しながらホテルに向かった。途中で、ダチョウの家族に出会ったが、母はこ のダチョウがアンボセリで見たものと異なることを指摘したので、わたしは、これがアン ボセリなどのケニア南部には分布していないソマリオーストリッチという名前のダチョウ であることを説明した。母は意外と鋭い観察力を持っているようだ。ダチョウは走って逃 げていったが、足だけみると後ろ走りをしているようで面白い。 ホテルに戻り、我々2人だけの貸し切り状態のレストランで、一番眺めの良い特等席に 座り、昼食を楽しんだ。ボーイは、料理を出す前にテーブルに来て、両手を腰前で組みな がら、昼食のメニューの説明をした。そして、説明の最後にいつも、コーヒーと紅茶はこ ちらでもそちらのバーでも飲むことができます、と言って締めくくった。ボーイの態度や 話し方にはどことなく品があるようにも思えたが、ケニア国内の他のレストランと比べて の話である。料理に関して言えば、ビールグラスの大きさが2人で異なっていたり、ハム がビニールがついた状態(取り忘れたに違いない)で調理されており、ニンジンが十分火 が通っていないため硬かったり、臭みのあるマトンに骨が多すぎて肉も硬かったり、とい くつか問題を挙げることができるが、ここがケニアであることを考えれば十分容認できる 範囲であった。ボーイは、手つきを上品に見せようとしていることが伝わってきたが、テ ーブルの上で食器を運ぶ彼らの手つきは不器用で、置いてあるグラスに何回も持っている 皿をぶつけていた。ただ、その努力している姿が面白かった。 昼食を済ませ、部屋で休憩してから、午後 3 時にホテルを出発し、ボラナ族のダンスを 見学するため、マルカ(Malka Bisanadi Cultural Village)に向かった。今朝、一緒に同行 できないかと尋ねてきたホテルのスタッフと一緒に行った。彼は、ダンスショウの料金を グループのリーダーに直接渡すのではなく、彼に一回渡してからグループリーダーの女性 に支払うことも提案してきたが、女性がその方がいいと言っていることを聞いて、どこか 訝しく感じながらも了承した。このホテルは、マルカのダンスショウの見学ツアーのサー ビスも行っており、宿泊客をそこまでガイドしているという。私自身、グループとは、今 まで直接交流があったので、事前に母が来るので観光客として正規の料金で見学させてほ しいと頼んでいた。ただ、マルカがホテルと契約関係にあることも知っていたので、マル カの運営に悪影響を与えるようなことは避けたかった。 ボラナ族のダンスショウは、小さな伝統家屋の吹き抜けの建物の中で行われた。そこで、 ゾウやバッファローのダンス、結婚にまつわるダンス、雨乞いのダンスなど何種類ものダ ンスを披露してくれた。昨日のムレラ村のダンスと同様、母と私が途中からダンスに加わ る場面もあった。ダンス終了後、ハネムーンのための伝統家屋の中で、建物や家具の説明 を受けて見学し、その建物のすぐ横に置いてあるテーブルに並べられた土産物を見た。土 産物は、ナイロビで見たようなものばかりで、ボラナ族独自の作品はなかったので、買う 意欲がどうしても湧いてこない。グループのリーダーの女性に日本からの土産物として八 橋を手渡し、ホテルのスタッフに見学の料金を支払い、ホテルに向かった。途中で、キリ ンの家族の前で停車し、ホテル「エルザスコプジェ」から来た観光客と一緒にしばらく観 察したが、幼獣はとても可愛く見えた。 10月27日 明日から、出張でツァボ西国立公園の近くにあるマニャニという町にあるマニャニ・ト レーニング・センター(Manyani Field Training School)に滞在する。今日までは、母が 参加した「視察の旅」に同行したが、明日の朝から半日は、隊員に母を任せることになる。 英語もできず、道を歩くとケニア人にぶつかりそうになるような母なので多少不安である が、隊員とその家族にはいくら感謝してもし過ぎることはない。 視察の旅は、社団法人「協力隊を育てる会」のプログラムで、協力隊派遣20周年を記 念して、隊員の留守家族や友人が任地を訪問し、活動を視察するツアーとして、昭和61 年に始まった。以来、毎年200~300名前後の方が隊員の任地を訪問している。計画 は年1回、治安上問題のある国を除く全派遣国に対して行われている。 今日は、早朝7時にレオパードロックホテル(Leopard Rock Lodge)を出発した。昨日、 ホテルのスタッフから、別の女性スタッフをナイロビまで乗せていってくれないかと頼ま れていたので、その大柄な女性を助手席に乗せ、4人でナイロビに向かった。途中、カウ ンターパートの教育部長(Warden Education)ルーシーに挨拶するため、ムレラゲート近 くのオフィスに行った。オフィスには、ワーデン・コミュニティのチェリオットやムティ ンダの親戚のマシオキなどがおり、ルーシーの居場所を確認すると、彼女は家に戻ったと 言った。チェリオットは、昨日も母が挨拶を交わしたが、母も彼を覚えていたようで、彼 も昨日と同様、丁寧にもてなしてくれた。ケニア人は、「お母さん」には特別の対応をとる ようで、最高の敬意を示してくれる。 ルーシーの家に行くと、中から水の音が聞こえてきたので、洗濯かシャワーの最中かも しれないと言いながら、ノックをして待っていると、5分以上して彼女が出てきた。母は、 「出て来るの遅いね~」と驚いた様子で言ったが、彼女はいつも遅く、あまりドアを叩き すぎるとヒステリーになって態度が悪くなるので、我慢してしばらく待とうと母を説得し た。やっぱり、ケニア慣れしていない日本人はそう思うよなと再確認できた。 ルーシーが家から出てくると、彼女に母のことを紹介し、英語ができないことを伝えた。 ルーシーの「どこを旅行してきなのか」「いつ日本に帰るのか」「メルーではゾウは見れた か」といった質問に対し、母への通訳をしながら答えた。毎年、雨期にはゾウが公園外に 移動してしまうことを知っているので、彼女もそれを心配してくれたようだ。メルー国立 公園の中には、河川や森林が多く、周辺地域が水不足になる乾季には公園内の動物の個体 数が増えるが、雨季になると、ゾウなどは公園外に移動するらしい。 彼女は、今日、来週からフラミンゴで有名なナクルで始まる、KWS(Kenya Wildlife Service) の運動会のための早朝練習を終えて、シャワーを浴びた後であること、今日はカシシネ小 学校に行き、植林の準備をすること、日本テレビからメルー国立公園で撮影されたハダカ デバネズミの番組の DVD が届いたことなどを話してくれた。 公園を出発する際、ゲートレンジャーに八橋をプレゼントした。ケニアでは味わえない 食感、風味であるため、彼らの口に合うか不安ではあるが、レンジャーで分けて食べるよ うに伝えて手渡した。ホテルを出る直前にムティンダには私の家の前で会おうと伝えてお いたが、結局彼は来なかった。 ナイロビでは、当初、民間の動物孤児院「David Sheldrick Wildlife Trust」と民族舞踊 を見学できる劇場「ボーマスオブケニア」 (Bomas of Kenya)に行くことを考えていたが、 ホテルのスタッフをナイロビタウンのど真ん中で降ろし、道も少々混んでいたため、13 時過ぎにやっとナイロビ国立公園に到着した。タウンで、KWS の管轄する孤児院 Animal Orphanage に幼獣がいるかもしれないと思い、KWS 本部で獣医の職種で活動する同期隊員の 女性に確認してみると、チーターの子供がいることが分かったので、母をひとまずそこへ 連れていくことにした。 KWS 本部に到着し、隊員のいるであろうオフィスに行き、挨拶を交わしてから彼女に案内 されて動物孤児院に行った。動物孤児院は日本の動物園のような施設で、バブーン、ヒョ ウ、チーター、ライオンなどの動物が飼育されている。その多くは、病気や密猟などのた め、親を亡くした孤児である。我々が向かったのは、その奥にあるオフィスの中で、そこ で2名の現地人スタッフにより、チーターの幼獣を抱かせてもらうことができた。日本人 スタッフの女性が1名いたが、彼女は現地の旅行会社で働く方で、ここでボランティアと して活動しているという。その方を部屋ですれ違ったが、なぜか向こうからは挨拶はなか った。 チーターの赤ちゃんと抱いて、しばらく施設内の動物を隊員の解説つきで見学した。そ の後、隊員の勧めで、公園内のレストラン Rangers で食事をとってから、先日訪問した博 物館 Karen Blixen Museum と同じカレン地区内にある土産物屋「ウタマドゥニ」(Utamaduni) に行くことにした。 Rengers では、ドライバーのジョンが対面に座り、私と母は横に座った。最初、ジョンが 今回の旅の感想を聞いてきたので、動物が多く見れて良かったことなどを伝えてからは、 彼と我々の会話はほとんどなかった。レストランからは、動物も見えるし、料理の味も店 員の接客もなかなか良かった。 次に、Utamaduni に行った。結局、ボーマスオブケニアは今回は見送ることにした。母は 既に昨日までに、マサイ、メルー、ボラナのそれぞれの民族のダンスを見学しているし、 こ れ 以 上 見 る 必 要 も な い 。 食 事 が 終 っ た 時 点 で 1 6 時 前 に な っ て お り 、 1 8 時 から MISONO(御園)で懇親会があるため、時間が押していた。最初気がつかなかったが、Utamaduni は、アンボセリのツアーでお世話になった Falcon Travel Service の日本人スタッフの方 が お 勧 め し て く れ た 見 ど こ ろ の 一 つ で あ っ た 。 我 々 が 以 前 訪 れ た Langata Giraffe Sanctuary の近くにあり、植民地時代に作られた古びた建物の中の16室の部屋は、ケニア 国内のあらゆる工芸品が整然と並べられている。収益の一部は、Kenya Wildlife Foundation に寄付されるという。この店で、妹用のネックレス、文鎮にも使えるライオンの置物、コ ーヒー、紅茶などを買ったが、残念ながら、また途上国ケニアではよくあることでもある が、商品の品質はあまり良くなかった。 買い物が終わり、急いでシルバースプリングホテル(Silver Springs Hotel)に向かった。 ホテルでチェックインすると、玄関でアバーディア、モンバサ隊員の2名とその家族に会 い、彼らがドミトリー経由で懇親会の会場に向かうと聞いた。我々が会場のレストラン御 園に到着すると、担当の大奥さんが店の前で待っており、彼女と少し話をして必要な会計 を済ませ、店内に入った。空いている席の関係で、母が所長の対面に座り、私はその横に 座ったが、所長と話がかみ合うかどうかかなり不安であった。そもそも、母の話を息子の 私が聞くのは一向に構わないが、他人と話をする母の会話をその横で聞くのは、どこか恥 ずかしさを感じてしまう。 食事は、刺身や天ぷら、味噌汁などが出てきたが、遅い昼食を摂った後であったので、 箸が進まなかった。最初に歓談してから、隊員の家族が今回の旅行の感想を述べ、そのあ と、隊員が順番に感想を発表した。 その後、ホテルに戻り、母は疲れていたのか、すぐにベッドに入り、寝息を立て始めた。 私は、明日のマニャニでのプレゼンテーション(発表)の準備が終わっていなかったため、 母の横で12時頃まで準備に追われた。 10月28日 今日まで母とケニア旅行を楽しんだ。私が協力隊員として途上国で現場レベルの活動に 取り組み、ここケニアでは日本に桜に例えられ、紫色の美しい花びらをつけるジャカラン ダの花が満開になる季節であるという時の利。また、野性生物の宝庫であり、42部族の 民族が固有の文化を受け伝えてきたケニアという意味での地の利。このメリットを最大限 に生かせた旅になったとい思っている。 昨晩から、シルバースプリングスホテル(SILVER SPRINGS HOTEL)に宿泊し、朝食を済ま せた後、午前8時過ぎにホテルを出て KWS 本部に向かった。朝食時、モンバサ隊員の母親 と合席したが、母がその女性の話を聞いていないのか、会話の最中に若干ずれた返答をし ていることが気になった。以前から、相手の話を聞かずに一方的に話す傾向があったが、 それが身内との会話であればともかく、それ以外との会話を横で聞いているのはかなり苦 痛で恥ずかしかった。80歳の祖母に似てきたとも思った。レストランの入り口で、母を 最期の挨拶を交わし、ホテルを出て、KWS の本部に到着したが、タクシーの運転手に領収書 を書かせると、金額を1000ケニアシリングと書いたので、「ホテルからここまでの距離 でその金額?」と語気を強めて言うと、その男性は怖気づいたのか、ペンで横線を引き、 800シルと書きなおした。罪悪感があったのかもしれない。 8時半に一緒にマニャニに行くブグアさん(Assistant Director)は、私が挨拶をする と、まだ準備ができていないんだよね、9時半に出発するよ、と久しぶりに再会した母を ホテルにおいて急いで来た私の気持ちを知らずにのんきなことを言った。また、以前にも 彼には伝えたが、再度パワーポイントを使用することを伝えると、彼は電話でマニャニ・ トレーニング・センターの担当者に確認した後、マニャニにはプロジェクターがないよう だから、マルチメディアオフィスから1台持っていくよ、メルー国立公園にある機械と同 じ種類だから扱い方はわかるよね、と言った。しばらくして、マニャニでのプレゼンの件 で、彼の部下らしき男性と話をしていたが、ボランティアに講義をさせるのはどうかと男 性が疑問をぶつけたことに対し、ブグア氏はボランティアもここにいる限りは一般の職員 と同様に扱うべきだとはっきりと言ってくれた。結局、10時頃にナイロビの KWS 本部を 彼と運転手、私の3名で出発し、14時過ぎにマニャニに到着した。途中、ツァボの手間 の町 Mutito Andei の食堂でチキンとチャパティの昼食を摂った。 マニャニ・トレーニング・センター(Manyani Field Training School)はケニア野生生 物公社(KWS)の所管する国立公園/保護区おいて KWS 施設の運営維持管理や密猟パトロー ルを担う制服組職員を養成する準軍事訓練施設である。到着後、すぐに講義用の建物に案 内されたが、吹き抜けで、日差しが差し込んで明るく、スクリーンもなかったので、少し 狭い講義室に移動することになった。その講義室でプロジェクターの準備をしたが、ケー ブルの接続が悪いためか最初10分ほど手こずった。パワーポイントを使うことができな いのではないかと一瞬不安にもなった。パワーポイントを使用せずに説明することは、今 の語学力を考えるとかなり難しい。また、移動する際、指導教官に指示された訓練生たち はきびきびと行動していた。 私が担当したクラスは、コプロ(Corporal)からサージェント(Sergeant)に昇級する職員 のクラスで、31名の職員に講義を行った。KWS の職位は以下のとおり。 Officers of Field Rank: Director/Deputy Director/Senior Assistant Director/Assistant Director/Senior Warden Senior Officers: Warden I/Warden II Junior Officers: Assistant Warden I/Assistant Warden II/Assistant Warden III/Field Assistant Rangers: Ranger Sergeant Major/Senior Sergeant/Sergeant/Corporal/Ranger この時期、120名ほどのレンジャーと、60名ほどのコプロが訓練を受けており、終了 後はそれぞれコプロ、サージェントに昇級する。 何とかプロジェクターの設定が完了したが、スクリーンに投影された画像は赤色で電気柵 や野性動物の写真が鮮明に映らなかった。発表は日本の獣害対策に関するもので、1時間 程度行い、質疑応答には30分ほど費やした。質問は以下のとおり。 ・日本には、特定鳥獣に指定されている動物以外にどのような大型哺乳類が生息している のか。 ・象牙の輸入を規制するための日本政府の取組について。 ・日本の国立公園に来る観光客は何を目的に訪問するのか。 ・国と地方行政の役割分担について。日本は中央集権なのかどうか。 ・水稲獣害補償制度を利用できない貧困層に対する政府の対策はあるのか。 ・獣害被害の統計値を示してほしかった。 このクラスの担当者からプレゼンのデータがほしいと頼まれたので、彼にはデータを提 供した。 18時30分頃までメスでテレビを見ながら休憩したが、急に敷地内の写真を撮りなく なったので外に出た。外では、ブグアさんとツァボ西国立公園の教育ワーデンらが話をし ており、そのうちの一人が、JOCV の環境教育隊員がサッカーの練習のためマニャニに来て いると言い、彼に電話をかけてくれた。19時過ぎに隊員がメスに現れ、しばらく話をし た。メスの近くの宿舎に泊まったが、室内に蚊がやたらと多く、蚊帳も短くてベッドに届 かなかったため、安眠できなかった。次の日の朝は、5時にランニングを開始した訓練生 の掛け声で目が覚めた。 <その他> ムンギキが kirinyaga west, kirinyaga central, karatina でメンバーが殺害されたこと に対する報復の行う可能性があり、今日も脅迫するビラがまかれた。この地域で活動する 隊員は注意するようにという SMS が届いた。 10月31日 今日、キベラでルオとキクユの対立があり、死者とけが人が出たと JICA から SMS で連絡 があった。11月1日は、キベラ周辺には近付かないようにと JICA 側から指示が出た。ま た、パトリックから SMS で結婚式に関する連絡があり、12月31日までに寄付を SMS で 入金してもらいたいという依頼と、11月21日にメルーサファリホテルで結婚式の準備 の打ち合わせを行うという案内があった。