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2008 年 10 月の記録

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2008 年 10 月の記録
2008 年 10 月の記録
10月1日(水曜日)
今日は、ラマダンが終了し、断食明けのお祝いの日である。私の配属先であるケニア・
ワイルドライフ・サービス(KWS)はケニアではかなり大きな組織であり、あらゆる民族のケ
ニア人が務めている。そのため、いろんな民族や宗教の文化に触れることができる。
今朝は、6時に起床して外出の準備をし、昨日トゥワリブから言われたとおり、7時前
からカンティーン(売店)前でバスの到着を待っていた。カンティーンでは、モンバサ出
身のアミシ(Amici)と他に2名の男性がいるだけで、「ほんまに出発するんかな」と一瞬
不安になったが、男性に聞いてみると、バスは数キロ離れた公園の本部で給油してからこ
こに戻ってくるということだった。結局、トゥワリブが言った、午前7時というのは何の
根拠もない数字だったのだ。
今朝のメルー国立公園は、サバンナとは思えぬほどひんやりと肌に涼しかった。海抜が
1,500m 以上あり、日中はうだるように暑いのに朝晩は一気に冷え込む。待たされることに
は慣れており、今日も文庫本を2冊持ってきており、アミナの家族が来るまでずっと読ん
でいた。アミナの家族が来てからは写真撮影の時間になり、ムティンダがシャッターを下
ろすたびに、子どもたちが確認のために群がってきて、デジカメのスクリーンを見て笑い
転げたり、奇声をあげた。アミナも最初は、典型的なムスリムが写真を嫌うように、撮ら
れることに抵抗していたが、途中から積極的に加わってきた。アミナの2番目の妹はピン
クのパーカーに黒のブイブイを付け、一番下の妹はピンクのジャケットに白のブイブイを
かぶっていて、派手な装いにどこか違和感があった。私の固定観念に違いないが、彼女た
ちがどうしても敬虔なイスラム教徒には見えない。しばらくして、ムヤの運転するバスが
到着し、8時30分に出発した。トゥワリブが言った出発時刻から1時間半も遅れた。こ
のバスは、定員70人くらいの大型バスで、普段はツーリズムや教育活動に使用している
公用車である。
いつも通っているキウティニに向かう道路を走り、途中で右折してキナの町に通じるラ
フロードに入ろうとした時、わが目を疑う光景に出くわした。天から降ってきたのか地か
ら湧いて出てきたのか100頭近くいると思われるラクダの群れとそれを引き連れるボラ
ナ族の人々がいた。牛や羊は迫力がないが、このようなラクダの大群となると感激してし
まう。エコツーリズムの資源としても、観光客の垂涎の的だろう。
キナ(Kinna)まで続く道にはラクダの足跡が続いており、砂埃を上げながらバスは進んだ。
殺風景なキナの町に9時半に到着した。その後、みながモスクに行っている間、1時間ほ
ど自由時間をいただき、村内を散策したがとてもシンプルな村で見るものはほとんど何も
なかった。この村には今年の4月頃に電力供給が始まり、ほぼ同時期に携帯の電波塔が建
設された。ここにも、KWS が資金を拠出した病院があるとトゥワリブが言った。銃器を所有
するソマリやボラナの人々が多いことから野生生物との軋轢が問題になっている地域であ
ると先日ルーシーが話していたことを思い出した。ここから15キロ程度離れたガルバト
ゥラはソマリとボラナが人口の大部分を占める地域で、同地域に隣接するドゥセではゾウ
が水を求めて公園内から移動してくるという。これらの地域には10校の小学校があり、
今後そのうち6校を環境教育で訪問する予定であると聞いた。
帰りのバスの車内は、かなり賑やかだった。バスに乗り遅れた職員がいるようで、キナ
の町に戻って、置いてきた職員を乗せるべきかどうかで口論しており、ムティンダは聞く
に堪えないように眉を顰めていた。なぜ、出発する前にしっかりと確認しないのだろうか。
普段、マタツの車内でも、言ってることはよく分からないが、頻繁に口論している場面に
遭遇するので、ケニア人は大声で騒ぎ立てることが多いというイメージを私は既に持って
いた。
途中で、キウティニに寄り、露店で、キビ、ウインビ(wimbi)
、ヤエナリ(green gram)、
メイズなどの穀物が置いてあるのを見て、キビとウインビをポリッジ用に購入した。
夕方、やっと涼しくなってくる5時頃から30分ランニングをして汗を流し、カンティ
ーンに行った。大勢人が集まっており、男性が「コージ、チャクラ!」と言ってピラフを
持ってきてくれた。ランニングの直後でまだ息が切れていたが、少しスパイスの利いたピ
ラフを周りの男性がするように右手で食べた。ムスリムだけでなく、カトリックの職員も
多数集まっていた。厨房にはアミナ達がいつになく忙しそうに働いており活気があった。
ケニアに来て初めておもてなしの心に触れた気がした。アミナは、今日撮影した彼女の
写真を全部ほしいと言ってきた。そのうち、3枚については、ランニングに出る前にムテ
ィンダに頼んで彼女に渡していた。外では彼女の母親(*)が全員に2個ずつキャンデー
を配っていた。彼女がキャンディーを配るのは今日ぐらいなのだろう。夜、厚い闇に塗り
込められ河畔林を見ながらラマダン明けの一日を振り返った。
10月2日
せみの鳴き声が聞こえてきた。日本の初夏を思わせる風情があるが、時々途切れる鳴き
声はどこか乾いた感じがする。日本で大発生したクマゼミやアブラゼミの鳴き声のような
勢いはない。ここのセミは7日間も生きることができないのではないかと感慨にふける。
今日はムティンダと一緒に、キウティニの町から近い St.Mark 小学校とムレラ小学校の
2校にアンケートの調査票を配りに行った。途中で野焼きの現場を数か所見たが、雨季に
入る直前の風物詩で畑地の栄養状態を改善するために行うそうだ。雨期が近づくと、農業
従事者が9割以上を占める村の住民たちは、いつになく元気に見える。
今日は3人のケニア人に3回ソーダを要求された。最初はマウアでムティンダから、次
にキウティニでみすぼらしい中年男性から、最後に公園のカンティーンの売店前でアミナ
から強請られた。彼らは、まるで挨拶のように、
「ソーダをおごってくれ」と軽々しく言う。
ソーダとは彼らにとってどういった存在なんだろうか。
10月3日(金)
キリアナ小学校(Nkiriana Primary School)の6、7年生の生徒と教員のゲームドライブ
に同乗した。ゲームドライブとは、野生獣(ゲーム)を観察するツアーで、日本では「サ
ファリ」と呼ばれる。教育部局の主要なプログラムの一つであるが、確かに実際に野生動
物を観察することで理解も深まることは認めるが、やはりレクリエーションの要素が強い
といつも思う。
今日はバスの中で子供たちがミラーを噛んでいたのが印象的であった。ミラーは覚醒作
用のある嗜好品であり、日本では「麻薬」
。メルーでは、ミラーは重要な換金作物であり、
イギリスやソマリアに輸出して外貨を獲得するため、ケニアでも国策上重要な作物である。
学校の先生が職員室でミラーを噛んでいるのは見たことがあるが、まさか、生徒までその
ような習慣があるとは驚きであった。
ムトゥンドゥ川(Mutundu)で初めてカバを見た。顔だけ水面上に上げて体に比して小さな
耳をパタパタと動かすところがとてもキュートである。子供たちは動物を見るたびに口ぐ
ちに「テラ!テラ!!」と声を出していた。「テラ」とはメルー語で、「あれ」とか「そこ」
といった意味の指示代名詞である。生徒の大半はメルー族であるのでメルー語で会話して
いた。また、男性教員が「ゴーラスボーラ」というメルー語を教えてくれ、言う度に子供
たちが笑ってくれた。これは何かに驚いた時に使う表現で同じくメルー語である。どんな
意味があるのか忘れた。
(*)
夜、雨が降りそうだった。風が急に強くなり、遠くからかすかに雨の匂いが漂ってくる
中で、ムティンダが耕作の準備をしなければと言った。ムティンダは最近よく農業の話を
するし、どことなく楽しそうだ。他の農民たちはこの時期どんな心境なのだろうか。
10月4日(土)
今日は、ニャニュキ(Nanyuki)に余暇を過ごすために行く。朝、ムレラゲートまで歩いて
行くと、トゥワリブとマイクに騙された。マイクは、ルオ族の若いレンジャーで、プライ
ドが高く、冗談が好きな男だ。ルオ族の小学生は他の民族よりもずっと英語ができると彼
はよく自慢してきた。また、「ハクナマタタ」(問題ない)を少し言い換えて、
「ハクナマテ
ィティ」
(胸がない)というギャグを挨拶代わりに言ってくるところなどは少し下品である。
トゥワリブは、「今朝、いきなり大学生のガイドの仕事が入ってきたからおまえも働かな
いといけない」
「仕事とプライベートでは優先順位はどちらが上なんだ」と真剣な顔つきで
言い、マイクは、大学生なので可愛い子もいるかもしれないと下品な彼らしい言い方だ。
私は、前日まで聞いていなかったし、私が一人いなくてもトゥワリブだけで何とかなり
そうな仕事内容だと判断し、彼らの説得に応じなかったが、あまりにもしつこかったので、
今日はニャニュキに行くことはできないなと思って断念しようと考えた時、それまで真剣
な顔つきだった彼らが急に笑いだして、「We are testing!!」と言った。今日はメルーの銀
行でナイロビマラソンの参加費の支払いをしようと考えていたので、低レベルなやり取り
に付き合っている暇はないのだ。
結局、トゥワリブと一緒にムレラからタクシーに乗りマウアに向かった。乗客の一人の
中年女性の頭髪は、派手なエクステンションにコーンロウでおしゃれだったが、黒い縮れ
毛が生え際に見えていて、自分の母親の不完全な白髪染めを思い出した。
「どうせやるんな
らもっと徹底的に、完璧を目指して!」と心の中で激励してしまう。キウティニの辺りで
は道路や土の色から判断して、雨が降っていたことが分かった。トゥワリブが公園とキウ
ティニでは気象が異なることを説明してくれた。実際に、公園はからからの天気だった。
キウティニからは、目の大きな口をずっと半開きにしている心に何か問題を抱えてそう
な運転手が運転するマタツでマウア向かった。運転手が違うだけで、安心感が全く違って
くることが面白い。テレビの報道でも、本当によく事故の映像を見るので交通事故に対す
る恐怖心は日本にいた時とは全く違う。
マウアに到着する直前に、トゥワリブがいつものように、ビールをおごってくれと言っ
たが、マウアでメルー行きのマタツに乗り換える際に時間がなかったので、無理だと断っ
た。この時は、奢らなかったことを彼が翌日以降も根に持つことになるとは知る由もなか
った。彼らは、外国人から具体的な何かを得たことを武勇伝のように自慢したいという思
いしかなく、私を一人の「人」として見てくれていない、と切なく思う。
メルーからニャニュキに向かうマタツは230KShs で、トゥワリブが高くても 150KShs
と言った予想は完全に外れた。彼は何を根拠に物事を考えているのか疑問に思う。横には
ストレートヘヤーの女性が座っているが、財布の中の銀行のキャッシュカードの写真が本
人の顔と違いすぎて面白かった。ケニア人の女性の間では、カツラなどを付けて髪型を変
えることが流行っており、最近は美白ブームで黒い肌を少しでも薄く見せようと化粧品を
塗りたくって頑張っている若い女性も多い。そのため、証明写真が本人の顔と全く違うこ
ともよくあるのだろう。
その女はキャンディーを何個も食べて、包装紙を走っている車から外にポイポイ捨てて
いた。ケニア人の環境意識は日本人と比べてかなり低い。このマタツにはテレビがついて
いて、音楽のプロモーションビデオが流されていた。男女のグループが腰を振ってダンス
を踊っているのを見て、大学時代カメルーンで研究をしていた友達が久しぶりに日本に帰
ってきてクラブで披露したアフリカスタイルのダンスを思い出した。彼はその時、クラブ
の中で一人だけ浮いていたが、ケニアに来てみるとなるほど彼のような踊り方をよく目に
する。ニャニュキに到着する前にケニア山を眺めるつもりで左端の席に座ったが、天候が
非常に悪くて徒労に終わった。
ニャニュキに到着後、アミナからメルーにいることを伝える電話があった。アミナは従
兄の結婚式に参加するため、今日メルー国立公園を発ち、故郷のマルサビット(Marasabit)
に帰省すると聞いていた。
最初に入ったバーでは、白いパーカーのフードを被り、ジーンズのハーフパンツを短距
離選手のような足に無理やり履かせた20代の女性が一人で働いていた。張り裂けそうな
ジーンズがかわいそうに思える。ジーンズが泣いている。カウンターには40歳くらいの
男性2人が黙って座っており、店内には10人くらいの客がいた。店員も客も音楽に合わ
せてリズムをとるように頭を動かしたり、テレビを見たりしていた。音を聞いて、自然と
体が動くところがケニア人らしい。「オバマ」を連呼するレゲーミュージックが流れてくる
と、カウンターの男性が立ち上がり踊り始め、店員はやさしい目でそれを見ていた。
町を散策していると、肉屋があったので細い通路を通って中に入ると、建物の中は意外
に広くホテル(カフェ)になっていた。5,6人の男性がマグカップで液体を飲んでいた
ので、それは何かと質問すると「スープ」と返ってきた。伝統的な飲み物であることを確
認し、部族語で何と呼ばれているのかと質問すると、「スープはスープだ!」というような
ことを言った。何か特別な呼び名があることを期待していたので面白くなかった。男性た
ちに勧められたので、不衛生な気がしたが、経験が重要だと判断し、15KShs でそれを買っ
て飲んでみることにした。店員は液体の入った容器を地面に叩きつけながらよくかき混ぜ
ている。叩きつけることと、中の液体がよく混ざることはあまり関係ないのではと冷めた
目でそれを身ながら、ふと横に目をやると、洗い場にヤギのヘッドが2つころがっていて、
顔をこっちに向けている方は、生気のない目が半開きになっている。横に座っている男性
は、内臓やエルボー、ヤギのヘッドも材料になっていると説明してくれた。ヤギの体のあ
らゆるパーツが材料になっている。私は「ヤギのヘッド」と聞いて急にスープの味が不味
くなったような気がした。
しばらく散策してから、ホテル近くの公園に行った。公園では男性ばかりのグループが
バレーボールを楽しんでいた。ベンチで本を読んでいると登山のガイドをしている男性が
声をかけてきた。この町はケニア山登山の拠点として有名であり、登山客らしいヨーロッ
パ人数名の姿も目にした。
7時頃にホテルで食事をとっていると気分が悪くなってきて、部屋に戻ってから下痢が
止まらなかった。体がだるくて何もする気にならないのでそのまま寝た。おそらく、メル
タウンのホテルで食べた内臓スープか、さっき食べたヤギのヘッドのスープのどちらかが
原因と考えられるが、おそらく後者だと思う。あのヤギの目がニヤッと笑っているのが思
い浮かぶ。
10月5日(日)
昨晩から食中毒っぽい下痢が続き、今朝も体がだるく町を散策する気にもならなかった。
意識は朦朧としており、ホテルのレストランでチャイを飲んでからチェックアウトし、町
を散歩した。途中、ホテルでまたチャイを飲んでマタツに乗り午前10時頃には、早々と
ニャニュキを出発した。明らかに食中毒の症状で厳しすぎる。
メルーに向かう途中マタツの中からゾウを見た。ゾウは単独個体で、幹線道路に隣接す
る林縁で樹木の葉を食んでいた。人間の生活圏でゾウを見たのは今日が初めてであった。
こんな場所にゾウがいたら、住民は非常に迷惑だろう。
メルーに到着してから、マタツを乗り換え、石を持ち上げてロボットのように歩いてい
るホームレスの男性の横を通り過ぎてマウア(スワヒリ語で花という意味)に向かった。
あのホームレスの男性は、あの石を誰にぶつけるのだろう。ケニアでは、常軌を逸した人
がうろうろしている姿を街中でよく目にする。
マウアで再度マタツを乗り換え、キウティニに到着した時、またホームレスのようなみ
すぼらしい女性がいて、歌を歌うグループとそれを取り囲む観衆から 10m ほど離れた所で
一人で踊ったり、無意味に小石を集めたりしていた。ケニアの浮浪者やストリートチルド
レンは各町に溶け込んでいるような気がする。明らかに精神的に不安定であることは間違
いないが、そのような彼らでも、社会の中で過ごすことが許されている。逆に、今いるケ
ニアの日常から見ると、日本では、心理的に完全にシャットアウトしているのではと思え
てしまう。例えば、任地では、カフェ(ケニアではホテルと呼ばれる)で休憩していると、
そのようなホームレスのような人が普通に、しかも特別な用事もないのに店内に入ってく
ることがあるが、店員も客も追い出そうとはしない。彼らの生活は、貧困層が大半を占め
るこれらの町の時の流れの中に自然な姿で溶け込んでいるような気がした。
夜、羽アリが外灯に大量に飛来した。雨が降った影響かもしれない。夕方のセミの鳴き
声も3日前より種類が増えてきたような気がする。昆虫を通して季節の変化を感じる。昆
虫好きの私にはたまらない。
10月6日(月)
朝、教育ホールで、トゥワリブが、土曜日に私がビールを奢らなかったことについて文
句を言ってきた。彼は、
「俺たちは悪い友達関係だ」と嘆くような表情で言った。外国人は
私一人、残りはすべてケニア人のこの状況で、こんな幼稚なれレベルではあるが、敵をつ
くることは非常にまずい。彼は、この状況につけ込んで、わざと「悪い友人関係」という
言い方をしたのだろうか。このように、彼が自分を試しているのかもしれないと思ったが、
やはり真意は分からない。英語で聞いても、彼は英語で嘘をつくかもしれないし、言葉の
壁、人種の壁、いろんな壁がある中で、本心を探り当てることはとても難しい。本気でビ
ールを奢らなかったことに腹を立てているのだろうかとも思ったが、彼らの財布になるつ
もりは全くない。同棲しているムティンダも最近、
「ケニアのスピリットにシェアリングが
ある」と言って、何でも二人で共有したがる。ムティンダと一緒にマウアなどの町にマタ
ツで出て、自分だけソーダを買って飲んだ日は、自宅に帰宅してからも、彼は「今日はコ
ージだけがソーダを飲んでいた」と小さな子どものようにしつこく言ってくる。現在の周
辺数十キロに日本人一人の状況では、日本の価値観を持ち出して議論する気力を失ってし
まう。でも、同じ人間なのに、こんな些細なことに私が配慮を示す必要があるのだろうか。
答えはなかなか出ない。
11時頃、ムティンダが教育ホールに現れた。彼は先週末から故郷のカニンゴ(Kaningo)
に帰省し、畑地の状況の確認、作物の決定、ウシを使って鋤で耕す方法の指導、作業員の
選出(300KShs/day)などを妻と一緒に行ってきた。彼は日曜か月曜に帰ると言っていたが、
私は彼が言い訳をしてしばらく帰ってこないのではないかとも思っていた。だが、彼はち
ゃんと私のところに戻ってきたのでとりあえずほっとした。
先日、ムティンダを通してADの秘書リディアに調査票のコピーをお願いした際、18
0枚の用紙を渡したが、そのうち100枚が勝手に使われていてなくなったことがムティ
ンダを通して分かった。彼に何でそうなったのか確認したが、「I don’t Know」の一点張
りであった。ムティンダは、リディアが直接持ってこいと言っているとも伝えた。雑用を
ムティンダに頼むことが良くないのかもしれない。もしかすると、用紙を勝手に使ったも
のケニアの「共有の精神」なのかもしれないと考えると残念である。ただし、この一件は、
後日事件に発展してしまう。
夕方、カンティーンでトゥワリブがビールをおごってほしいと言ってきた。彼は、ほの
暗い大木の下のベンチでひしゃげたような笑いを見せながら、暗くなるのを待ってから買
ってほしいと言った。一応ムスリムなので一目を気にするようだが、そんな気になるなら、
自分で買って家でこっそりと飲んだらいいのにと思う。私はとりあえず、奢ってみてから
様子を観察しようと考えたが、結局、ビールの在庫がなくて買うことができなかった。
10月7日(火曜日)
今日は、住民対象の意識調査票をマウアの印刷屋「トレビル」
(ネットカフェを兼ね、コ
ピー機が数台置いてある)でコピーした後、マタツで移動し、幹線道路沿いの2校に調査
票を配布しに行った。トレビルは、マウアで唯一のネットカフェであり、任期中は店主と
トラブルも多かったが、大変お世話にもなった。
調査票は大量に印刷する必要があり、印刷の相場ははっきりしないので、マウアにある
3つの印刷店で見積書を徴取することにした。当然、見積書の様式もなく、見積書など作
成したことがない店ばかりなので手間取った。結果、両面印刷で4シルが最低ラインだっ
た。
調査票を生徒用100枚、教員用20枚印刷してから、マタツステージに向かう途中で、
いつもカンティーンの前でスクマを売っているママジョブの妹、ピウリティ(Piulity)に
出会った。彼女は20歳くらいで、平日はママジョブの息子と娘と一緒にマウアで生活し、
週末に子供を連れて、母親であるママジョブが暮らすメルー国立公園に行くという。学校
がマウアにある息子にとっては寮生活のような感覚だろう。ママジョブの髪型はコーンロ
ウで流行に乗っているが、妹は付け毛やカツラを付けることもなく、全く自然な状態で、
髪型だけ見ると性別が見分けられない。
今日訪れた学校は、セントマーク小学校(St.Mark Primary School)、セントアドリュー
小学校(St.Adrew pri school)、ムレラ小学校(Murera Primary school)でどれも幹線道
路沿いにあった。職員室で先生たちに自己紹介と調査目的の説明を行い、今週末に取りに
来ると伝えた。
夕方、いつものようにカンティーンに行ってソーダを飲んでいると、ママジョブが、キ
リスト教では、嘘をつくこと、物を盗むことが禁じられていると畏まって話し始めた。そ
して、仏教でもそのような決まり事があるのかと尋ねられたが、仏教において在家の信者
が守るべきとされる五戒について、はっきりと答えられなかった。
私は情けなく思い、仏教について調べてみた。
一般的な「在家の五戒」は、
・不殺生戒(ふせっしょうかい) - 生き物を殺してはいけない。
・不偸盗戒(ふちゅうとうかい) - 他人のものを盗んではいけない。
・不邪淫戒(ふじゃいんかい) - 不道徳な性行為を行ってはならない。これは、特に強姦
や不倫を指すが、他にも性行為に溺れるなどの行為も含む。
・不妄語戒(ふもうごかい) - 嘘をついてはいけない。
・不飲酒戒(ふおんじゅかい) - 酒を飲んではいけない。
不妄語戒は、人は嘘を言ってはいけないという解釈ではなく、そもそも、嘘を付かなけ
ればならなくなるような言動は慎め、ということらしい。嘘をつく方はいつまでも良心の
呵責を残し、つかれた方は不愉快な気分が残る。この両者の複雑な感情そのものが仏教の
教えに反するらしい。
また、仏教でいう不偸盗戒は、盗むという意味を広く考えているようだ。他人の心や考
えを盗む、他人の配偶者を盗む、人の知識や無形の財産を盗むこともそこには含まれる。
10月8日(水)
昨日のトゥワリブから送られてきた携帯電話のショートメッセージ(SMS)によると、今日
は7時に教育センターを出発するということであったので、それまでに教育センターに到
着し待っていると、7時になっても彼は来なかった。7時20分頃に電話がかかってきた
ので、こっちから「どこにいる?」と聞くと、彼は「教育センターにいる」と嘘を言った。
昨日、キリスト教徒は「嘘をついてはいけない」という教えがあると聞いたが、ムスリム
の彼にも一人の人間としてそんなことくらい守ってもらいたいと思った。
それから、彼がセンターまでゆっくりと歩いてくるのを待ち、何時に出発するのか彼に
改めて聞いてみると、
「車はまだ到着していない。さっき、キナゲートを出発したところだ」
と言った。ここケニアでは、出発時刻を決めることが難しいようだ。彼に、出発まで2時
間ほどかかることを確認してから、調査票のコピーのためにムレラゲートの近くにある執
務室が集まった建物まで行き、リディアのいるADの秘書室でコピーした。結局、予定よ
り3時間以上経過した10時30分に出発した。
今日はトゥワリブとムティンダ、先日一緒に学校訪問したサンブル族の運転手と私の4
名で、その運転手の担当する公用車(ランドクルーザー)を使って向かった。カウンター
パートのルーシーはイタリア出張から帰った後、長期休暇に入ったし、同僚のキメトーは
家庭の事情で故郷のエルドレッドに帰っている。今日の運転手は、先日アウトリーチを行
った日の夜、今日も乗っている公用車で事故に遭い、病院に収容された。今日、彼は大事
故に遭遇したとは思えないほど元気そうであったが、公用車のフロントガラスには大きな
罅が数本入っていた。訪問した学校は、午前にカミルル小学校(Kamiruru Primary School)、
午後からセラ小学校(Theera primary School)であったが、当初の計画では9月18日に訪
問する予定となっていた。
最初のカミルル小学校はキウティニとマウアの間の幹線道路沿いにあり、会場は学校に
隣接する教会であった。教会でプログラムを行うのは初めてであった。生徒数はいつもと
同様に100名以上で、また、いつもと同様に、ほぼ職員が一方的に生徒に話し続けるワ
ンウェイタイプの講義であり、教員は時々児童に質問を投げかけた。
プログラムは通常通り、講義と「Super Predator」のビデオ観賞の2本柱で行った。い
つもと違うことと言えば、校舎とグラウンドがある敷地から会場の教会が離れているため、
車でテレビや発電機などの機材を移動させる途中、道路から脇道に入る部分にある水路で
車が脱輪し、タイヤが泥濘にはまるというアクシデントがあった。偶然付近にいた住民や
先生と協力して、みんなで車を押しながら脱出を試みたがタイヤはどんどん深みにはまっ
ていった。最終的に時間がないのでテレビや発電機などを生徒たちと一緒に 100m ほど離れ
た教会まで持ち運び、トゥワリブたちは近くで土木作業中の車両で牽引してもらうためお
願いに行った。そもそもこうなった原因は明らかにトゥワリブの判断ミスであり、冷静な
日本人ならこのような悪条件の道は通らない。
セラ小学校(Theera
Primary School)でも 200 名以上の生徒に同じような形式でプロ
グラムを行った。ここではグランドの端にある数本の樹木が集まった場所で行い、先生が
12名ほど来ていたが、新聞を読んだり、地面に寝ころんで仮眠をとったりとあまり関心
がないように見えた。開始前にある若い数学の男性教員と話をしたが、「この仕事はしんど
くないし、とても気に入っている」と満足げだった。普通、仕事を自慢する時は、やり甲
斐とか給料とかポジティブな観点から話すことが多いと思っていたが、「楽である」ことも
仕事の魅力の一つなのだ。この学校でも先生たちは鞭を持って、家畜を扱うように子供た
ちを誘導していた。100名以上の子供たちがグラウンドを何周も制服のまま走っていた
が、チンタラ走っている生徒は一人もおらず全員がマラソンランナーのように見えた。こ
の学校に庭にはミラーが植えられており、生徒の中にもミラーを噛んでいる者がいた。後
でムティンダに聞いたところ、生徒の中には、
「ミラーがないと集中できない」と言ってい
る者もいたそうだ。ミラーは覚醒作用があり、日本では麻薬の扱いである。ミラーを噛む
と集中できるというのは、完全に依存症になっているということだろう。
夜8時頃、バンダスに帰ってからゾウを見た。最初に発見したのはムティンダで、私が
室内で食事をしている時に「コージ、エレファント」と囁くような声でドアの外から教え
てくれた。外に出ると、一頭のゾウが森の縁のいつも小川にかかる木道に向かう時に通る
道の付近で樹の葉を食んでいた。暗くてはっきり見えなかったが、グレーのシルエットと
白い象牙が確認できた。暗くても、白い牙ははっきりと確認できる。不気味な河畔林のそ
ばだったこともあり、ゾウが森から湧き出てきた化け物(あるいは神)のようにも思えた。
先日もニャニュキからメルーに向かう幹線道路沿いで一匹のゾウを見かけたが、家のす
ぐ横でしかも夜に遭遇すると受ける印象が違う。フラッシュを使って撮影したがはっきり
映らなかった。ゾウは急にこちらに向いたので、その悠々とした姿に圧倒され、カメラを
持ったまま後方と地面を交互に確認しながら後ずさりしてしまった。ゾウはそのまま教育
ホールの方に向かって歩いて行ったが、ゆっくりした動作に比して歩くスピードはものす
ごく早く、その間写真は1枚しか撮れなかった。
今日もカミキリ数個体を確認した。先日雨が降ってから昆虫の種数、個体数が急激に増
えている。昆虫好きの私にとっては夜が待ち遠しい季節である。
10月9日(木)
午前中、図書室で事務作業、午後から先日配布したアンケート用紙の回収するため、
St.Mark pri school、St.Adrew pri school、Murera pri school の3校を訪問した。国立
公園の周辺地域を動くと、自然と人脈が広がるような気がする。その人脈は、任期の中盤
以降にきっと役立つに違いない。
10月10日
今日は Moi day というモイ大統領が就任した記念日で祝日である。1978 年 8 月、ケニア
独立後の一代目大統領ケニヤッタが死去し、副大統領を務めたダニエル・アラップ・モイ
副大統領がケニア二代目の大統領として後を継いだ。
午前中、ボランティアの自宅のセキュリティチェックをする JICA の現地人スタッフ2名
がメルー国立公園を訪れた。彼は、私の家の周辺と横の河畔林を見てから、周辺に住民が
いないこと、ライフル銃を持った警備員を配備していないことを確認してから、「すぐにシ
ニア・ワーデン(公園の長)のところに行こう。ここでライオンが現れたらとても危険だ。」
と言って私たちを車に乗せて10キロ以上離れた本部まで連れて行った。シニアワーデン
は外出中であったが、軽飛行機に乗って戻ってきて、その男性スタッフの話を聞いてくれ
た。
本部は公園の中心部にあるが、そこで衝撃的な経験をすることになった。日本にいる時
からフンコロガシを見ることを楽しみにしていたが、今日偶然2匹の成虫が糞を転がして
いるのを目撃した。私は、幼い頃から、よく昆虫採集に連れていってくれた父の影響があ
ってか、昆虫が大好きで、百科事典は昆虫のページだけがズタズタに汚れていたほどだ。
最初、芝生のところでモグラくらいの物体が動いているのを見て、モグラが地上を歩い
ているのかもしれないと思い小走りで近づいてみた。すると、丸い物が跳ねながら転がっ
ていて、それを押しているのが虫であることを確認して、「フンコロガシだ!」と心の中で
叫んだ。凄すぎる。後ろ足で糞を押しており、虫を手に取りひっくり返してよく観察して
みると、脚の先端の形が他の甲虫と明らかに違う。体色は日本のセンチコガネのような金
属光沢を持っているが、体長はそれよりもはるかに大きい。ムティンダ曰く、何色かの種
に分かれており、中には角を持っている種もいるという。ケニアには何種類ものフンコロ
ガシがいるようだ。その事実を図鑑を見たことがないムティンダの口から出てきたのも冷
静に考えると驚きである。
個体を手にとって観察してから、地面に落ちているバッファローの糞に体を軽く押しつ
けてみて、糞を集めたり転がしたりする作業を始めるか試してみた。当然、何物かにより
体を糞に押さえつけられている状況は異常であり、この危機的状況で糞を転がしている場
合ではないと判断したようで、何回試しても彼は糞そっちのけで逃げようとした。今日は
カメラを持ってきていなかったのが残念であるが、雨季になると大量に発生するそうなの
でその時は動画も撮ってみたい。
フンコロガシとの出会いは良いものであり、戦慄を感じるほどであった。しかし、夜、
玄関である昆虫によりものすごく痛い思いをさせられた。それは、ゴミムシの仲間で体調
が 3cm くらい、頭部はオトシブミのようにくびれていて、目が出目金のように出っ張って
いる。写真を撮っておけばよかったが、撮る前にえげつない攻撃を顔面に受けてしまった。
その昆虫は動きがすばやくてなかなか捕まえれなかったが、泥落としマットのところでね
じ伏せてなんとか捕まえることができた。そして照明の真下のテーブルのところまで持っ
てきて眺めていると手が滑って虫が地面に落ちたので再度地面に押さえつけるようにして
掴んだ。その時、「プシュ!」という音が聞こえたのと同時に顔面に鋭い刺激を感じ、目に
もピリピリと激痛が走った。これはやばいと思い、すぐに部屋に入り洗面所でメガネをと
って顔を洗った。メガネをかけていたことと、水洗いできる場所まで近かったことが幸い
して大事には至らなかった。最近、雨季が近付いてきて、いろんな昆虫が続々と湧き出て
きているように感じる。
10月12日
今、夜の11時である。30分ほど前から続いている停電のため、久しぶりにランタン
の灯りをつけている。斜め後ろのベッドからは、ハウスキーパーのムティンダの寝息が聞
こえてくる。ムティンダはいつも私より早く就寝し、また私より早く起床する。故郷のム
インギでは電気のない生活をしている農民であり、その習慣が体に染みついているらしい。
今日は午前中に生徒と教員対象のアンケートの調査票の修正作業を行った。前回、アン
ケートの目的を聞かれたので調査票の前半部で、調査の趣旨を説明する文章を追記した。
また、先進国の観光客が期待しているものについて、子どもたちがどのように考えている
の知りたいと思ったので、質問項目を一つ追加した。さらに、見たことのある野生生物に
関する多肢選択の設問の選択肢にヘビとフンコロガシを追加した。このように工夫を凝ら
して意識調査を進めている。意識調査というツールを通して、私は今後の活動のヒントを
得ることができると考えている。
午後からはムティンダと二人でマウアに行った。目的は自転車を購入することと午前中
に作成したアンケートの調査票を必要部数コピーすることであった。キリスト教徒の多い
ケニアでは、日曜日は多くの店舗が休業するので、念のためにムティンダにマウアの買い
物の可否を確認すると、空いてる店もあるし、サービス(礼拝)が終わったら店を開ける
から大丈夫と、やや自信のある顔つきで言った。彼は、自信に満ちた表情をしていたので、
私も彼を信じた。
しかし、実際にはマウアに行ってみるとほとんどの店が閉まっており、いつも利用する
片面2シルの印刷屋さえも閉店しており、仕方がなかったので、たまたま開いていた片面
3シルの印刷店で200枚の調査票をコピーした。ムティンダは、「店を開けない店員が悪
い」
「コージも公園にいる時には予想できなかっただろう」といつものように言い訳を言い、
まるで私に責任転嫁するような雰囲気であった。彼は、言葉足らずであるし、言っている
ことが正確とは言えない。分からないことは、「分からない」と言ってほしいが、常にはっ
きりとした答えを求める私の威圧感にも問題があると反省した。
ムティンダについては、午前中にも耳を疑いたくなるようなことを言った。乳児を連れ
た西洋人の家族がバンダスの前を歩いてきて、ムティンダに日陰のある場所はないかと質
問し、彼は隣接する河畔林の遊歩道を案内した。しばらくして、彼は帰ってきてから、
「彼
らが乳児の食事を温めたいと言ってたけど」と言ったので、私は「ガスコンロを使わせて
あげよう」と言うと「タダで?」と彼は驚いた表情で言った。いつも、ムティンダは口癖
のように、ケニア人にはシェア(共有)の精神があると誇らしげに言っているので、どこ
か腑に落ちなかった。もし、彼には、私がそのような冷たい態度をとるような人間に普段
から見えているとしたら、とても残念な誤解である。
さて、結局、このままではマウアまで来た意味がないと考え、パブでビールを飲んでか
ら、何もせずにキウティニまで帰ってきた。マタツで移動途中、ムティンダが虹が出てい
ることを教えてくれた。右手には、約90度に開いた大きな虹が見えて感動した。先日ム
ティンダがキウティニで購入した虹色の傘をすぐに思い出し、彼にそのことを伝えたが彼
の反応は鈍かった。ただ、虹を見て感動するということは、ケニア人も日本人も変わらな
いようだ。
今日公園を出る時、ニュートンと会い、キウティニでビールを奢ってほしいと言われて
おり、彼との約束は守られた試しがないので期待せずにマタツを降りたが案の定彼はいな
かった。キウティニで買い物をしている時、雨が降ってきたので急いでタクシーに乗り込
んだ。ムレラに到着した時、雨は降っておらず地面も乾燥していた。キウティニとムレラ
では微妙に気候が異なるようである。
キャベツ(1こ)35KShs で4日分、キャロット(6本)20KShs で4日分、ポテト(8
こ)40KShs で4日分、トマト(24こ)20KShs で4日分、アボカド(2こ)20KShs、
ゴート(500g)120KShs で4日分、牛乳(3パック)75KShs で3日分、ライス(2袋)
130KShs で5日分
10月13日(月)
午前中、教育センターでアンケート調査の集計作業を行った。ムティンダには、カミル
ル小学校(Kamiruru Primary School)まで先日配布した調査票を取りに行ってもらった。
彼には12時までに戻ってくるように伝えておいてが戻ってきたのは午後1時半頃であっ
た。時間がかかり過ぎだと思い、私は怒って理由を聞くと、学校に到着した時に全く記入
されておらず、彼は職員室で教員が持ってきたチャイとパンを食べながら約3時間待たさ
れていたためと言った。アンケート調査の記入を怠っただけではなく、調査票を取りきた
ムティンダを3時間以上も待たせておく教員たちの顔が見たいと思った。しかも、ムティ
ンダが持ち帰った結果を見ると、教員が適当に生徒に回答させたためか、いくつかの設問
ではほぼ全員が同じ選択肢を選んでおり、全く参考にならなかった。ひど過ぎる。
午後2時からはムレラ村のイベントに参加した。昨日、村の男性2人(一人は Kauiria
という農民)が誘ってくれたものだ。午前中、トゥワリブにイベントの参加の可否につい
て相談した際、彼がムレラの住民の多くは「バットピープル」だと言ったことが引っ掛か
っていた。バッドピープルと断定的に言われる村人が悪人じゃなければ、そう言ったトゥ
ワリブはかなりの嘘つきである。
イベントには、コミュニティーワーデンのンジェー(Njue)とハブディ(Abud lama、ア
ミナの父親)(*)も参加していた。ンジェーはモイ大学を卒業しており、20代で幹部の
座にいる。KWS では、大卒の職員は昇進が早いようだ。ハブディは終始上機嫌で激しく手を
叩いて大声をあげたり、急に立ち上がって村人の踊りに参加したりととても明るく振る舞
った。彼は、普段からとても陽気であり、よく私に声をかけてくれる。彼らは、今後、観
光客に踊りを披露していくそうだ。
途中で村の保育園の先生(*)が園児を連れて出てきて、ネイチャーゲーム「コウモリと
ガ」を披露したが、何の意図があったのか分からなかった。このネイチャーゲームは、先
日、当保育園を訪問した際、環境教育の手法として紹介したものであるが、先生は見せ物
として興味を持ってくれたようだ。その後、私は滞在期間中に数回、園児による「コウモ
リとガ」の実演を鑑賞することになった。
10月14日
今、朝の8時である。今日の職場の雰囲気はとてもひどい。いや、今日もひどい。
さっきまで職場にいたトゥワリブは、図書室でポルノの DVD をパソコンで視聴していた。
彼はクリス(キクユ族のドライバー)と一緒に見ていたが、私が、明日ナイロビに向かう
際、途中のマウアかメルーまで向かう公用車があれば便乗したいと要望すると、「私的な用
事には公用車は使わないようにするべきだ」とポルノを見ながら言った。その後、「昨日は
メルーやナイロビに向かう車両があったのに、タイミングが悪いな」と嫌味っぽく言った。
今は、クリスだけが黙って画面を見つめている。
さて、昨日は久しぶりにアウトリーチプログラムに行った。カブクロ(Kabukuro)とマ
ティリネ(Matirine)の両小学校であり、どちらも幹線道路から車で数分の場所にあり、
交通の便が良い。昨日、トゥワリブは明日車が確保できた場合は SMS で連絡すると言って
いたが、車が確保できたことを朝図書室に行ってからキメトーと一緒に聞いた。ただ、車
両が来たのが10時頃で、さらにカンティーンで11時頃まで待機してから、ワークショ
ップに行って、車両を担当する運転手に使用の許可をもらってから出発した。
カブクロ小学校では時間がないという情けない理由で、ビデオ上映だけ行って引き揚げ、
次のマティリネ小学校では講義とビデオの視聴という通常のスタイルで行った。ただ、マ
ティリネでプログラムを実施している間、ドライバーのチャールズ(Charles)、ジェラル
ド(Gerald)、ムティンダと私の4人はマウアに行き、私とムティンダは帰りにカウィル小
学校(Kawiru Pry School)で、先日ムティンダが配布した調査票の回収に行った。 マウ
アに到着した際、ムティンダに学校に電話してもらい、調査票の記入が完了したか確認し
てもらったところ、ちょうど記入している最中であったので、他の児童の回答を写さない
こと、相談しないこと、質問の意味を生徒に説明すること、嘘をつかないことを念押しし
ておいてもらった。このような基本的な態度についてもケニアでは説明しなければならな
いことは、これまでの調査結果を見て明らかになってきた。
さて、今日までに見えてきたアウトリーチプログラムの課題は以下のとおりである。
・車両の故障が原因で実施できない日が多いが、ビデオプログラムがなくてもマタツなど
公共交通機関を利用して実施できるようにするべきである。順延になったプログラムの予
定日に環境教育の職員が怠慢な行動(オフィスでのビデオ観賞が多い)をとることは問題
である。
・講義とビデオの手法というシンプルな手法をとっているが、生徒の主体的な議論の時間
および生徒主体の振り返り、感想や意見の共有の機会がないことが気になる。
・多くの生徒が筆記用具を持ってこないため、内容を記録することができない。これは学
ぶ側の姿勢として基本的なことである。
・参加者数が平均100名以上と多すぎる。学校によっては、保育園児からクラス8まで
の幅広い年齢層が狭い教室で窮屈そうに受講している場合がある。ある程度年齢層のター
ゲットを絞って、プログラムの目的を明確にするべきである。
10月15日
10月16日
今日はナイロビまで移動した。
7時前にムレラのタクシー乗り場に行くと、タクシーが去って行くのが見えた。とても
残念な気持ちになった。超過疎地で袋小路にあたるこの村では、タクシー利用頻度がかな
り低い。1時間以上待たされそうな気がしたし、ナイロビの銀行(Commercial Bank of Africa)
で現金を下ろしたかったので、普段の約8倍の 300KShs を払ってタクシーを貸し切り、キ
ウティニに向かった。タクシーを貸し切る行為は、金にものを言わしているようで、ボラ
ンティアで活動している隊員には奨励されるものではない。
7時半にマウアに到着した時、町は霧の中でとても神秘的な風景であった。キウティニ
を少し超えた辺りでマタツに乗り込んできた KWS の職員(年配のムスリム)は休暇でナイ
ロビに向かい、若い職員は故郷のナクルに帰省すると言っていた。9時過ぎにメルーのマ
タツ乗り場に到着したが、またまた運悪くナイロビ行きのマタツが出発してしまい、9時
45分まで待つはめになった。私は、ケニアで活動する隊員の中では、最も、ナイロビか
ら任地までで乗り換えの多い隊員であり、距離もそこそこあるので、やたら移動に時間を
要する。
結局、14時前にナイロビ中心部に到着し、タクシー(300KShs)で JICA 事務所近くの CBA
まで行って、800$をドル口座の小切手で引き出した。再び、ナイロビタウンに戻り、ヒル
トンホテルの近くの両替商で 75.8 のレートでケニアシリングに両替し、至るところにある
フライドチキンの店の一軒でチキンを食べてから、ヒルトンホテル内の CBA で現金をシリ
ング口座に振り込んだ。
その後、46番のバスでヤヤセンター(ショッピングモール)まで行き、ナイロビ在住
の日本人が生産している味噌(ケニアではここでしか買えない。500g で 360KShs)を3つ
購入し、オレンジ、ミルク、菓子パンも合わせて購入した。4時半頃にセンターを出よう
とすると、雨が降っていたので、しばらくの間、1階中央部にある喫茶店で、白人やイン
ド人の多い店内を見ながらコーヒーを飲んだ。雨宿りをしている白人やケニア人が店の玄
関前に集まっており、5時過ぎになり人垣が少なくなるのを待って店を出た。
5時半にドミに到着し、コンピューター隊員のS原さんと話をした。6時頃にバスで一
緒にマリンディまで行く予定の環境教育隊員のA木さんが到着した。彼女の作ってくれた
パスタを3人でいただき、映画「深夜特急」を視聴した。主人公が「目的地に到着せず」
とローマで言ったセリフをつぶやいたり、主人公がなぜ旅をするのだろうと疑問を持った
り、話し相手もおらず言葉もろくに話せない状態で旅を続ける主人公の姿が自分に重なっ
た。
10月17日
6時起床で8時発のマリンディ行きの長距離バスに乗った。通路を挟んで隣の席には、
手の平と甲に赤紫色のタトゥーをした女性が聖書を読んでおり、よく見ると指の先端、爪
の裏も赤紫色に染まっている。隊員に聞いてみると、宗教上の理由で色を塗っているだけ
だという。
11時頃になると、灌木の点在しアリ塚が目立つ草原が両側に広がるサバンナに入り、
しばらく単調な景観が続いた。
12時前にイマリ(Emali)という町に到着したが、その直前から急に道路の状態が良く
なり、バスのスピードも上がったように思う。道路沿いの市場では、高く積まれた玉ねぎ
がやけに目立つことが気になったが、ちょうど収穫期なのだろうか。1時半頃に休憩があ
り、そこで串焼きを注文し時間がなかったので車内に持ち込んで食べた。14時頃、KWS の
トレーニング場のあるマニャニ(Munyuni)を通過した。この辺りまで来るとバオバブの木
が目立つが、パイナップル畑に点在するバオバブの風景を写真に収めることができなかっ
たのが残念だ。結局、マリンディに到着した時には19時を回っていた。
10月18日(土)
今、日曜日の朝6時の海岸にいる。白いアンダーシャツに黒いトラウザー姿の男性が2
0台ほど並んでいるビーチチェアーを観察している。さきほど、ハバリザアスブヒ(おは
よう)と挨拶を交わした男性であるが、何を確認しているのであろうか。水平線の上には
細長く雲がかかり、太陽の一部がはみ出ている。数分後、その男性の姿が見えなくなり、
瞬く間に水平線に広がる雲の上に太陽が3分の2ほど顔を出した。これほど日本と気候、
文化、人種の違うケニアで日の出を見ていると、宇宙のレベルで見ると当たり前の話であ
るが、日本とケニアの物理的距離が近いことを忘れていた自分に気がついた。砂浜には体
長4cm ほどの中型の淡黄色をしたカニが体長からは想像でいないほど俊敏に動いており、
椅子に寝そべって目線を地面に近づけると、思ったより個体数が多いことに気がつく。砂
浜の表面をよく見ると、無数の引きずったような跡があり、このカニが歩いた痕跡である
ことが想像できた。このカニ達は、ケニアに来て最初に見た日の出に感動している私の気
分とは対照的に、それぞれさまざまな方角を向いており、無数にある巣穴に片足を引っか
けた状態でいつでも逃げれる体制で餌を集めている個体も多い。さきほど通りかかった隊
員は、
「おはよう」と挨拶してそのまま前を通り過ぎて行った。20分ほどして太陽は二つ
目の雲の帯に隠れ、右からの風が強くなってきたように感じた。
昨日は、6時半に起床し、8時頃ビーチに出てネイチャーゲームの参加者の到着を待っ
た。9時過ぎに子供たちが到着した。ネイチャーゲームは、Kenya Wildlife Service(KWS)
と Wildlife Clubs of Kenya(WCK)の共催で行われ、環境教育隊員も数名参加した。実施す
るネイチャーゲームは、最初にアイスブレーキングとして Wild animal scramble、次に Web
of life、Field bingo の順番で行った。
Wild animal scramble は自分の背中に貼った紙に描かれた動物を当てるゲームで、参加
者はイエスかノーで答えられる質問をして、自分がどの動物か類推していく。約30名(2
校から参加)の子供たちを3組に分けて行った。最初に隊員と KWS 職員が説明し、質疑応
答の後、スタッフが生徒の背中に動物を描いた紙を掛けていった。説明の際はケニア人の
職員によるスワヒリ語の解説が分かりやすく大変助けられた。また、2名の隊員による実
演を交えた説明も分かり易かった。職員による説明の後に、生徒数名を指名して実演させ
てみても良かったように思う。海洋と陸上の動物が混在していたのはゲームの難易度をあ
る程度高めるために必要であったと思うが、参加校が2校と少なかったことが残念であっ
た。最後にどのような質問が印象に残ったか発表してもらっても面白かったように思う。
次の Web of life は、各種の動物の描かれた紙を持った参加者が円になり、紐を自分と
関係する動物を演じる人に手渡していき、食物網のつながりを体感するというものである。
最初に海と陸の2組に分けて、それぞれ職員と隊員が趣旨を説明した。動物を描いた紙は
先生が子供たちに手渡していった。スタッフが子供たちに配るのではなく、子どもたちの
方から、ボックスに入れた紙を取りに来てもらうという方法の方が主体性を考えると良か
ったのではないかと思った。子供たちの表情を観察していると退屈そうにしている子供も
多かったように思う。食物網を理解できていない子供は、自分とまったく関係のない生物
とつながろうとしたが(例えば、「クジラ」が「クラゲ」を食べる!)、ある程度の知識レ
ベルが要求されるのではないだろうか。このゲームには正解があるので、間違った子供に
対する対応については注意が必要である。玉を渡されて考え込んでしまう子供も多かった
が、そのような時に周りの生徒や職員がどのようにフォローするのか事前に議論しておく
必要もある。職員も理解できていない部分があり、事前に十分打ち合わせをすることが必
要だと思われた。旅行者が来てサンゴ礁を破壊した後に海洋生態系にどのように影響が広
がっていき、結局すべての生物が絶滅することが示されたが、実際にはそのような単純な
ものではなく、生態系をかなり簡略化したゲームであり、一歩間違うと誤解を生んでしま
う。ある生物が死滅するとその生態系のすべての生物に影響が及ぶことを説明することに
どんな意味があるのかよく分からないが、逆に例えば植物、ゾウ、フンコロガシだけの生
態系を仮定してスタッフが実演し、その後に10種くらいの種で子供たちに実施してもら
い、多様性が生態系の安定に寄与することを体感してもらうといった方法もあったのでは
ないだろうか。ゲーム終了後、スタッフが子供たちに問いかけていたが、教科書的な優等
生の回答しか得られず、どこまで彼らが食物連鎖の重要性を実感できなのか疑問が残る。
物理的な問題として、紐を使って多くが交差しているので、参加者の一人が紐を引っ張る
と接触している全く関係のない人の紐まで動かしてしまっていた。
Field bingo では、A~E の5組に分かれて、各グループごとに磯で色、形、においなど
を手掛かりに生物を見つけ出す。生徒の中には長ズボンの裾を捲りあげて海に入るものも
おり、事前に磯で遊ぶ時の服装について十分指導しておくことが必要である。このビンゴ
の時間が一番子供たちが生き生きしていたように思う。ウツボやカニを必至に穴から引き
出そうと鉛筆を突っ込んでいる姿が印象に残った。
全体を通して、ケニア人のスタッフによるスワヒリ語の説明は子供たちに分かりやすか
ったが、この説明時間が意外と長く、我々日本人スタッフが手持無沙汰になった時間もあ
ったことから、事前にケニア人スタッフと日本人スタッフの役割分担をしっかり決めてお
くことは重要だと思った。
13時に門前に集合し、トゥクトゥクで食事に向かった。とてもオシャレなイタリア料
理店でパスタ、リゾット、ピザを食べた。今日参加した子供たちが利用する通りなので、
店の奥のテーブルを選んだ。国立公園に帰ってから、A 隊員、F 隊員、O シニアと私の4名
で泳ぎに行った。
一人のケニア人男性が海に飛び込み、DARAS と書かれた船に向かって泳ぎだした。今から
船を操縦するのかと思い見ていたが、彼はその船を通り過ぎ、U ターンして戻ってきた。た
だ、泳ぎたかっただけのようだ。
10月19日(日)
11時頃、種類は分からないが巨大な体長1mの魚を隊員の O さんと一緒に船まで運ん
だ。私は頭部を持っていたが指をひっかける場所がないと思いながら両手で抱きかかえる
ように持っていると、ある職員が指を魚の両目に食い込ませて持って、持ち方を教えてく
れた。目に指をねじり込むのは何だか抵抗があった。
船が止まっているのは砂州の海岸から離れた辺りで頭部が重いため最後の方は少々疲れ
た。船の近くで、中年太りの白人男性が若いケニア人女性と一緒に散歩しており、その男
性が興味深そうに魚を購入した場所やどこで調理するのかといったことを質問してきた。
我々は側面に JICA と書かれたその船に乗り込み、イタリア人らしき男女の乗った船舶を追
い越し、右手の伝統家屋をイメージしたホテルの林立する半島に岸に沿って遊覧を楽しん
だ。途中、船尾で職員が魚を調理し始め、魚のウロコを削り落すガリガリという音や身を
包丁で切り刻むバンバンという音が聞こえてきた。その時、包丁を船体で研いでいるのが
目につき、そのワイルドさが面白いと思った。
1時間近くかけて目的地の白砂の島にたどりついた。海鳴りは聞こえず、遠くに見える
白人客の声も届かないのでとても静かだった。生物はヒトデやカンザシを除いてあまりい
なかった。海草が群生している辺りにも動物は認められず人工的な感じもするが、有機物
が少ないため食物連鎖が成立しないのだろう。しばらく泳いでから、職員と隊員がバーベ
キューセットの周辺に集まっていたので行ってみると、焼きあがった魚の切り身が盛られ
ており、パンを両面焼いているところだった。広い中州の端の方で白人たちが同じように
集まっているのが見えた。1時にムスリムの職員が白砂の上で額を地面につけてお祈りを
始めた。とっさに写真を撮ろうとカメラを構えると、横にいたO奥隊員が「撮らないであ
げて下さい」と言って私を制止した。お祈りの後、彼は額に砂をつけたまま、食事を済ま
せた。
島を出て、魚の観察ポイントとして知られる地点まで行き、しばらくシュノーケリング
を楽しんだ。合計3隻の船が停泊しており、乗客の多くは黒人であった。魚は期待したほ
ど個体数が多くなかった。
10月20日(月)
今日はマリンディからボイに移動し、途中のモンバサで数名の隊員と食事をした。マリ
ンディ国立公園のイベントの参加者は同年代の方も多く、折り目正しく接してもらえて気
持ちよかった。私の協力隊に対するいささか勝手なイメージからすると、みな紳士的な感
じがする。
モンバサからボイに向かうマタツに乗った際、200Kshs と言っていたが、途中で運転手は
つっけんどんに 250Kshs と言って聞かなかった。色が白いだけで損することが多い。料金
について蒸し返しても仕方がないので、我々はすんなりと受け入れた。
しばらく走ると、砂塵の舞うサバンナ地帯に入っていった。モンバサなどの沿岸部はケ
ニア内では数少ないオアシスで、ほんの少し内陸に入るとカラカラの乾燥地帯に変化して
いる。ケニアでは理論上、夕日が海に沈むことはないが、西の空の夕映えが連なる山々の
背景とマッチしてとても美しかった。
10月21日(火)
8時頃、ボイのソフィアに住むコンピューター隊員のN村さんの家を出て、ナイロビ行
きのバス(700Kshs)に乗り込んだ。途中、雨で未舗装の道路がぬかるんで通行不能と
なった車が原因で、大渋滞が発生している場所があり、そこでかなりタイムロスがあった
が、午後3時くらいにはナイロビに到着したと思う。その後、任地のメルーではあり付け
ないフライドチキンを食べて、ATM で CBA のシリング口座から初めて預金(20,000Kshs)を
引き出した。最近、ナイロビに来るとフライドチキンをたらふく食べることが習慣になっ
てきた。
バスで JACII(スワヒリ語の語学学校)の近くのスーパー Uchumi まで行って、ネギ、ピ
ーマン、ニンニク、牛乳、そしてギネスビールをひと缶買い、ドミに着いてから先週購入
したインスタントラーメンにこれらの食材を入れて調理した。7時頃にシャワーを浴びて
から、モンバサから到着した一緒に土曜日のイベントに参加した女性隊員(KWS)が帰って
きていたので挨拶をした。
その後、青少年活動の若い男性隊員が戻ってきた。彼は足の傷口から菌が入り、患部が
はれ上がる感染症を患っており、その治療のために先週からナイロビに戻ってきていると
いうことであった。彼は、その後もあまり運が良いとは言えなかったが、彼がその後、殺
人未遂事件に巻き込まれることになるとは誰も想像できなかった。ケニアはやはり日本と
比べると治安は悪い。
10月22日(水)
今日はナイロビからメルーに向けての移動に一日を費やした。
早朝、ドミトリーを出発する際、庭のジャカランガが半分くらい散っているのが印象に
残った。ケニアで雨季が始まるこの時期は日本の春に似ている。最近、国立公園のバンダ
スの外灯に集まる昆虫の種数・個体数が増えてきたし、セミも鳴き始めた。このジャカラ
ンカの花色は紫で桜とは異なるが、花の量や散り方、雨水に濡れてべっとりの地面にへば
り付いている様などは桜とよく似ている。このドミのジャカランガも来週再び戻ってきた
時にはほとんどの花が散ってしまっていることだろう。
7時にドミトリーを出てバスに乗り、計画では8時前にマタツでナイロビを発つ予定で
あったが、実際にはナイロビタウンを出発したのは10時であった。7時半頃、マタツス
テージ(乗り場)に到着してから、メルー行きのマタツの乗客の入りが悪く、7席ほど空
席があったので、近くの喫茶店で朝食を取った。定員約20人のマタツは満員にならない
と出発しない。喫茶店で、カチュバリとマダツ、チャイを注文し20分ほどしてからマタ
ツ乗り場に戻ると、既にさきほどのマタツは出発したという。結局、ほぞをかんでも遅く、
次のマタツが満員になるまで待ち、出発が10時になってしまった。ケニアでのタイムマ
ネッジメントは日本よりも難しい。
バスやマタツの乗っていると、ケニア人と日本人の振舞い方の違いを感じることがある。
ドミトリーからタウンに向かうバスの中で、既に一人男性が座っている2人掛けの座席に
座ろうとすると、その男性は座った状態で足を通路方向に捻じ曲げて微妙な隙間を開けた。
当然、体が接触してしまうが、ケニア人はあまり気にしないのかもしれない。マタツは、
左側に一人掛け、右側に二人掛けの座席が配置されているが、その間の通路に尻の端を辛
うじて座席にひっかけるようにして座る人も多く、時にはその状態からさらに一人がなな
めになりながら上体を2人に預けて乗り込む場合がある。公園の最寄のムレラ村に向かう
12人乗りタクシーはさらにひどく、このような車内では体の密着は避けられない。ただ、
このような状態の車内で不愉快そうな顔をしているケニア人がいるのを見ることもある。
そんな時、満員電車で不快な顔をする日本人を思い出し、日本の状況とそれほど違わない
のかもしれないと思う。
また、ナイロビタウンを走っていると、ケニアの道路は車優先であることが分かる。運
転手は、車がある程度近づけば歩行者は当然避けることを前提としているようである。猥
雑な繁華街などでは、慣れていない日本人は集中して歩かないと危ない。
今日は雨が降っていたので傘を持っている人も多かったが、マタツに乗っている時、そ
のうち何人から傘の先端を乗客の目線くらいの高さで前方に向けた状態で乗り込んできた
時は驚いた。日本では箸ですら、先端を人に向けることなどは無礼な態度とされているが、
ケニアの庶民の多くは気にしないし、日本人の私からすると粗忽な振る舞いが多いような
気がする。ただ、日本人が細かい点を気にしすぎる国民なのかもしれないのだが。
ナイロビタウンでマタツの車内で出発を待っている時、いつもようにバナナ、マンゴな
ど果物や新聞の売り子や靴下などここで売る必要はないのではないかと思うような商品を
持ってくるスーツ姿の男性もいた。その中に、ムスリムであることを示す帽子をかぶり、
署名用紙を持って学校の授業料を集めに盲目の男性がいた。横の男性(後でメルーのキャ
メレロセカンダリースクールのジェームズ先生であることを知った)が寄付したが、自分
はいつものように相手の顔をじっくり見て考えてから、ケニアに来て初めて寄付をした。
署名を求められたので何も考えずにアルファベットで記入した。彼に署名用紙を返そうと
すると、彼は顔を振って後ろに回すように言ったので後ろのきっちりした服装の女性に手
渡すと小銭だけ渡し、署名を拒否するように顔を横に振った。男性はなおも署名をするよ
うに求めたので、なかなか後にひかなかった女性も最後にはしぶしぶ署名した。何気ない
やり取りであったが、その女性の控えめな態度には、ケニアに来て久しぶりに好感が持て
た。
マウアに戻ってきてから、市場で食材を求めて買い物をしていると、国立公園の職員が
声をかけてきた。その時誰か分からなかったが、聞きそびれて今も彼が誰か分からない。
ただ、私はメルー国立公園で唯一の外国人なので、ほぼ全職員が私のことを知っている。
その2人は、マウアから公園に向かう公用車があることを教えてくれたので、後で落ち合
って同乗することにした。結局、マウアから公園までキメトーや他の職員と一緒に帰って
きた。乗車前にデビッドという男性(*)と一緒にバーで一杯やり、ビールを2本奢って
もらった。ケニア人から奢ってもらうことは非常に珍しい。彼はレンジャーであるが、シ
ューティングの大会で優勝した話を自慢げに話してくれた。レンジャーは、密猟者と銃撃
戦になることがある。
バンダスに到着すると、ムティンダが玄関の外の椅子に座ってぽつねんとしてたたずん
でおり、彼と握手しながら挨拶を交わした後、彼は嬉しそうに日本のカブトムシくらいの
大きさの黒色のフンコロガシを2個体見せてくれた。その時とても感激した。虫は洗面所
に置いてあった直径1mほどの容器の中で元気よく動いていた。すぐに手にとってみたが、
脚は先日本部の近くで見た緑色の金属光沢を美しいフンコロガシと同じような形体をして
いた。彼は、私が留守にしている私を喜ばすことを楽しみにしていたと思うと、男性が好
きな女性を抱きしめるように抱擁したいと思えるほどであった。バンダスの玄関前の外灯
には、先週と比較して違いが一目で分かるほど多くの甲虫が集まっていた。ただ、やはり
コガネムシが多く、奇抜な色彩・形体の昆虫は、ムティンダの見つけてくれたフンコロガ
シ以外には見られなかった。
10月23日(木)
今日な終日事務作業に追われた。
10月24日(金)
朝7時過ぎにキャメラノセルフヘルプグループのジェームズから電話があり、植林活動
があるからぜひ指導してほしいと有難いお誘いがあった。昨日は、キナの Kubadida Cultural
Village を訪問すると聞いていたが、直前で車が確保できかなったという理由でキャンセル
になった。もう、このようなドタキャンにはだいぶ慣れてきた。ただ、今日は場所も近い
ということだし、車両があったので行くことになった。
場所はメルー国立公園からマウアにつながる幹線道路沿いにあるカイパンガ村
(Kaipanga)の湿地である。そこは、集水地(Water catchment)であるらしい。今日は、
Cordie abyssinca、Croton、Jatropha(バイオディーゼルの原料にもなる)、クワ科の一種、
grevellia(外来種)、カシュアリナ(外来種)などで100株ほどの植物を植えた。参加者
は、コンゴ(Kungu、KFS から派遣、51歳)とその部下2名、レンジャー、運転手、ムティ
ンダ、私の7名で、住民団体「Meru environment and cultural dancers」のメンバーの女
性たち10名あまりが参加した。この団体は、2003年に創設され、現在、女性14名、
男性6名(18歳から80歳と年齢層も広い)で活動を実施しているらしい。CBO(Community
Based Organization)登録されており、メルー国立公園と協働して植林活動等に取り組んで
いる。
8時から12時頃まで植林を実施したが、参加者は顔見知りということもあり和気あい
あいと楽しみながらやっていたと思う。このような団体の活動を実際に見るのは初めてで
あったが、日本のボランティア団体と同じような雰囲気を感じた。この水源域は政府
(Ministry of Water and Land)が管轄しており、植林地は柵で囲ってあった。周辺には
住民も住んでおり、彼らは保全に協力的ではなく、KWS と対立しているという話を聞いた。
今後植林対象地を拡大していく計画であるというが、周辺住民との軋轢が気になる。
今日はバンダス付近で初めてフンコロガシが糞を転がしている現場を目撃した。早朝出
発前にビデオカメラを持って観察に行くと教育センターの近くで糞に向かって歩いてくる
個体を発見し、転がして丸まった糞を地面に埋める段階まで撮影した。夕方にもバンダス
に戻る途中にバッファローの糞に集まっている3個体のフンコロガシを発見した。
10月26日
ナイロビマラソンに参加した。5時に起床し、5時半に11名でタクシー3台で出発し
た。6時過ぎに会場の NYAYO スタジアムに到着し、スタジアム内のスタンドでしばらく休
んだ。レースは、フルマラソン(車いす含む)、ハーフ、10km、ファミリーラン(3km)の
5種類用意されており、隊員の内訳はそれぞれで 1 名、3 名、6 名、1 名であった。フルマ
ラソンが7時5分、ハーフが7時20分出発だったので、残りの隊員でスタートラインの
Uhuru Highway まで見送りに行った時、ジャイカの職員数名にお会いした。フルマラソンに
参加する方が2名おり、ハーフにも所長をはじめ数名が参加していた。フルマラソンのス
タートの合図の後、列の後方に並んでいた参加者の多くが両手を挙げて歓声を上げている
のを見て気持ちが和んだ。
我々の参加する 10km は Aerodorome Road で7時40分からのスタートであったが、スタ
ート地点に到着した時には、既に参加者でごった返しており、スタートラインは 200m ほど
離れたはるか前方に見えた。3km に出場する一人の隊員が見送りに来てくれていたが、しば
らくするとお互いに移動したので姿が見えなくなった。斜め前には、ムズング(白人)の
おばあさんが2人並んでおり、靴は白ソックスにサンダルでとても 10km を走れるような状
態には見えなかった。
スタートの合図は聞き取れなかったが、参加者の列が前方に動き出し、時計は45分を
指していたのでレースが始まったような気がした。カメラを持っている隊員がいたので、
写真を撮ったりしながらスタートラインに近づいていき、みんなでゆっくりと走り出した。
5分ほど走って、多くの隊員と逸れ、メルー隊員の一人としばらく並走した後、一人で走
った。連れと思われる参加者と並んで走っている集団や不規則に動く子供、歩いたり止ま
ったりしている人々の間をすり抜けるようにして走ったが、一回一回の交わす動作で体力
を消耗していくような気がした。途中歩くこともあり、中高の陸上部時代の自分と比べる
と、体力の衰えを痛感した。ただ、歩いている時に、参加者と交流することも楽しかった。
ナイロビ在住のムスリムの女性は、「20 キロに参加しているよ。まだ半分以上あるよ。」と
疲労を感じさせない笑顔で答えてくれた。交通規制されている官庁街を走ったが、普段は
車の排気ガスで汚染されている空気がとても澄んでいるように感じられた。給水ポイント
が数か所にあったが、使用済みのペットボトルや蓋がコースに散乱していて、とても走り
にくかった。また、コースをはっきりと覚えていなかったこともあり、途中で警備員に後
何キロあるのか少々情けない質問をしてしまったが、彼は知らないと返してきた。スタッ
フであれば、自分が何キロ地点に立っているのか把握しておいてほしいものである。結局、
スタートラインに立っている時計の針が8時45分を指していたので、1時間くらいでゴ
ールしたことは分かったが、正確なタイムは分からなかった。
ゴールしてから、多くの人が並んでいるのでその理由をスタッフに聞くと、完走証書を
もらうために並んでいるというが、最前列が見えないくらい長い列であったので並ぶのを
あきらめた。後で完走証書をもらうためにブースに行くと、そこは男女でブースが分けら
れており、証書をもらいに来た参加者が我先にと争うように集まっていた。列を作ろうと
はしなかったが、我々が証書をもらってから、「私たちは列を作っています。」と大声で呼
びかけている男性がいた。登録番号によって担当するスタッフ(10人弱)が分かれてお
り、効率的にもらうためには自分の番号はどのスタッフが担当しているのか確認する必要
があったが、日本にあるように番号の区分を示す表示はどこにもされていなかった。
隊員で一人だけフルマラソンに出場した方がおられた。他の種目に参加した隊員は全員
走り終えていたので、しばらくスタジアムのベンチで彼の到着を待っていた。フルマラソ
ンを含む各種目の表彰が行われていることが、名前やタイムを知らせる放送から知ること
ができた。また、表彰台のあると思われるグラウンドの中央付近にはステージがあり、ケ
ニアでは有名だと思われる団体がライブを行って、観客も盛り上がっていた。フルマラソ
ンの参加者がどんどんスタジアムに帰ってきたが、その中にはレインボーフラッグを持っ
て走る白人が何名かいたり、スタジアムにいる同僚と思われる集団に手を振って走ってい
るケニア人もいた。隊員がなかなか帰ってこないのでどこかでリタイアしたのかもしれな
いと思ったが、12時前になってトラックの反対側を走っている隊員を確認した。スタン
ドの我々は立ち上がり、手を振って彼を迎えた。
10月27日(月)
午後8時に公園に到着した。ナイロビを出発したのが12時前であったから、マウアで
買い物をしていた約1時間を差し引いても移動に7時間費やしたことになる。マタツでマ
ウアからキウティニに向かっている際、左後輪に異常があったようで何回も停止しコンダ
クターが確認していた。車両を輸入する際の関税が100%のケニアでは、サードハンド
の中古車が日本の中古車と同等の価格で販売されており、マタツのメンテナンスも大変だ。
ナイロビからメルーに向かうマタツは、一人掛けの助手席に座らせてもらい、窓が開かな
かったことを除いては、ゆっくり新聞や本を読めたので快適であった。
10月28日(火曜日)
今日から活動再開だ。ただ、10分ほど前にバンダ(自宅)の中で、風呂敷に包んだ衣
類を取り出そうと結び目を解こうとした際、チクッと人差し指の付け根辺りに痛みを感じ
たので、蜂でもいるのかなと思って確認すると体長 1cm ほどのサソリであった。今日、人
生で初めてサソリに刺された。
10月29日
昨日から同僚が忙しそうにしている。国際動物愛護基金(IFAW: International Fund for
Animal Welfare)の査察が入るということで、昨日の午前中は、キメトーが中心になって
図書室のドアについていた金網を取り外し、雑巾で丁寧に拭いたり、本棚の新聞を新聞社・
月別に並べ替えて整理したりしていた。
午後は、入口の外に並べて置いてあるバッファローやアフリカゾウの頭がい骨を乾拭き
したり、紙やすりで磨いたりした。今日の午前中は、図書室の外の草刈りをパンガと呼ば
れるメルー族の大多数が持っている鉈を使って行った。午後からは彼らは書類の整理をし
ていたが、私は新聞に投稿する原稿の執筆をした。パソコンに向かって英語の原稿を作っ
ていると、トゥワリブが書類を丸めて何回も投げて、私の仕事の邪魔をしてきたが、冗談
であるとは言え気分が悪かった。KWS は、いくつもの援助機関から支援を受けてきたが、そ
の中でも IFAW は大口援助機関の一つである。
今晩、玄関で体長10センチくらいの立派なサソリを見た。ザリガニのような立派な鋏
を持っていたし、彼に刺されたら死ぬかもしれない。
10月31日
明日からハウスキーパーのムティンダがいなくなり、一人で生活することになった。最
初は1か月間の予定であったが、結局3か月間寝食を共にすることになった。公園に来て
から、観光客用の宿泊施設であるバンダで生活することになったが、予想以上にその期間
が長引いている。バンダ自体には問題はないが、その場所が職員住宅から離れていること
や、横に深い河畔林が横たわっていることなど、その立地はケニアで2年間だけ生活する
外国人にとって良いものではない。ムレラ村からも離れており、村までの道で野生獣に遭
遇する可能性も高い。夜、村人と酒を飲むこともできない。要するに、貴重な2年間をこ
のような孤立した場所で過ごすことがもったいないと思えてしまうのだ。ただ、そのよう
な生活環境であっても、ムティンダと同居することでかなり有意義に過ごすことができた。
今日は2校のプライマリースクールにアウトリーチプログラムに行った。
10時に1校目の学校に到着した。キメトーと運転手、ムティンダ、私の4名で訪問し
たが、最初キメトーが女性の校長と話をしているのを聞いて、予約なしで来たことを知っ
た。校長は急に来られても困るといったような顔をして、申し訳なさそうに頼みこんでい
るキメトーの話に付き合っていた。きっちり予約をして、生徒の人数や使用する教室の大
きさなども確認しておくべきである。10時半からレクチャーを始める前に生徒にはノー
トと筆記用具を持ってくるように言ったので、今までのように何も持たずに聞いているだ
けの生徒はかなり減った。キメトーは、生徒に何回も質問をして、一方通行の講義になら
ないように注意をしていたので、彼が私が伝えたことを参考に少しでも改善しようと努力
していることがよく分かった。彼は講義の中で、KWS では、観光収入が2億シルになること
に触れたが、数字の桁が大きいので、何かと比較して説明すると生徒にも分かり易かった
のではないかと思った。今日からビデオ上映で使用するビデオを「スーパー・プリデイタ
ー」からサイの保全に関するものに変えた。このことは事前に知らされていなかったが、
関係者で打ち合わせをするべきである。このようなことを私に言わず、職員だけで決めて
いることを知り、私を議論に入れないことに腹が立った。講義終了直後に生徒から質問の
書かれた紙を回収し、ビデオ上映中にスタッフで確認して最後にいくつかの質問に回答し
ていたが、このアイデアをキメトーが思いついたことは印象的であった。同僚はいつも受
け身で仕事をやらされているようなイメージが強かったので、積極的な姿勢が見えたこと
は良かった。また、今日から新たなアンケートを行うことになった。これも事前に知らせ
られていなかったが、最近本部から実施するようにと指示があったそうだ。10枚ほどし
か配っていなかったが、彼らにはサンプル数の重要性が分かっていないようなので今後説
明していこうと思う。今まで実施してきたアンケートについては、プログラム用の調査票
を12部配布・回収し、教員および生徒の環境意識調査の調査票をそれぞれ5部、20部
学校に残して行った。
終了後、マウアに行って昼食を済ませ、2時30分から2校目のプログラムを開始した。
場所は学校に隣接する教会で教員4名、生徒は630名以上いた。参加者数を制限しない
理由をキメトーに聞くと、教員ができるだけ多くの生徒に受けさせたと言うからと責任転
嫁のような返事をした。広い教会で後方の席の生徒は明らかに横を向いたり、歩きまわっ
たりして講義に集中できていないのに教員はほとんど注意しない。キメトーも運転手もム
ティンダも注意しようとはしなかった。16時からビデオショーが始まったが、勝手に教
会から外に出て行く生徒が目立った。最後に、本部から配られてきたアンケートを5名の
生徒に行っていたが、トゥワリブからは本部からの命令だから仕方がないと言い、彼から
は受け身の「やらされ感」がプンプンと漂ってきた。
夜、モンバサのカレッジの学生20名ほどがバーベキューに来ていた。酒を飲まないし、
ボトルを触るのも嫌だというムティンダは、学生のほとんど全員がポンベ(酒)を飲んで
いたと驚いた。
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