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エクシィズ ∼超人達の晩餐会

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エクシィズ ∼超人達の晩餐会
エクシィズ ∼超人達の晩餐会∼
シエン@ひげ
タテ書き小説ネット Byヒナプロジェクト
http://pdfnovels.net/
注意事項
このPDFファイルは﹁小説家になろう﹂で掲載中の小説を﹁タ
テ書き小説ネット﹂のシステムが自動的にPDF化させたものです。
この小説の著作権は小説の作者にあります。そのため、作者また
は﹁小説家になろう﹂および﹁タテ書き小説ネット﹂を運営するヒ
ナプロジェクトに無断でこのPDFファイル及び小説を、引用の範
囲を超える形で転載、改変、再配布、販売することを一切禁止致し
ます。小説の紹介や個人用途での印刷および保存はご自由にどうぞ。
︻小説タイトル︼
エクシィズ ∼超人達の晩餐会∼
︻Nコード︼
N2424BX
︻作者名︼
シエン@ひげ
︻あらすじ︼
この世界には2種類の人間がいる。力を持って生まれた新人類
と、そうではない旧人類だ。新人類がヒエラルキーの頂点に立つこ
の世界で、旧人類の少年と同居人の青年はそれなりに平和な時間を
過ごしていた。だが、その平和は一人の王が投げたダーツの矢によ
ってあっさりと崩壊する。これは旧人類の少年と、戦う事に特化さ
れた新人類のふたりの男による反逆の物語である。 ※少し前まで
某所にて投稿していた長編をリメイクした物になります。
1
プロローグ
隣にいる慣れ親しんだ人間が、実は人知を超越した力を持ってい
ますといわれたらどんな気分になるだろう。
自分がアニメや小説、あるいは漫画だったりゲームの中に出てく
る奥儀を取得できるといわれたら、喜んで使い方の説明を問いただ
すだろうとスバルは確信している。カッコよくて美しい異能の力と
言うのは、大体の人間が憧れるのだ。
思春期であるスバルの年齢なら特に。
しかしそれは自分ではなく、別の人間が持っている。
スバルは横で遅めの昼食を取る同居人の青年に視線を送った。弁
当の白米を口に運ぶ同居人と視線が重なる。
﹁⋮⋮なんだ﹂
訝しげな視線を返された。この少し無愛想で、それでいて目つき
が妙に鋭い青年と同居し始めて今年で4年になる。始めて会った時
は視線を送ってくるだけで、常時観察されたのを覚えている。年は
向こうが上の筈なのだが、警戒心の強い子供と暮らし始めたような
錯覚さえ覚えた始末だ。
そんな彼は、力を持っていた。
その事実は街の人間なら誰もが知っている。彼は街で唯一力を持
った人間だった。
だが、力を持っていることは知っていても、それが具体的にどん
な物なのか。 それをスバルは知らなかった。彼との付き合いも長
2
い。いい加減、隠しごとを一切なしにした﹃ハラを割った話﹄とい
う付き合いをしたかった。
﹁アンタはどんな力を持ってるのかなって思ってた﹂
﹁そうか﹂
答えてくれることを少しは期待していたが、ある程度予想した通
りの言葉が返ってきた。彼は話したくない話題になると大体この一
言で済ませてしまう。
明確な拒絶の意だった。
﹁見せてくれないの?﹂
﹁見せる意味があるのか?﹂
﹁いや、無いな。興味があるだけだし﹂
スバルがそこまで言い終えた後、同居人は少々考えるように目を
つむる。
数秒もしないうちにまた瞼を開けた。
﹁見せるような物でもないさ﹂
﹁でも、今見せてもいいかなって考えただろ﹂
食い下がるようにスバルがいうが、同居人はどこか遠くを見つめ
るような、虚しそうな表情をしていた。
﹁確かにそう思ったが、別にいい物じゃない。自慢にもなりはしな
いさ﹂
力を持った青年は、そういって昼食の続きをとる。バイトの休憩
時間が終わるまで10分程度だった。
3
遠く離れた土地では力を持った人間が集まり、自分たちが世界を
おさめるのに相応しいのだ、と主張しているらしいが当の本人であ
る彼はその力について否定的である。
﹁力が地味なの?﹂
気になったので、何も考えずに口に出す。
﹁地味か派手かの問題じゃない。力があるっていうは、お前が思う
よりも楽しくないってだけの話だ﹂
﹁でも、アンタだってそれを使って便利だと思ったことはあるんじ
ゃないの?﹂
結局のところ、人間は自分の持つ特技が強大であればあるほど自
慢したがるものである。少なくともスバルはそう思っていたし、目
の前にいる6つ年上の青年もそうだろうと勝手に思っていた。
﹁無いと言えば嘘になる﹂
﹁ほら、やっぱり﹂
どこか勝ち誇った表情をするスバルに、同居人は怪訝な表情をす
る。
昼食が中々進まないことに対する苛立ちも、多分に含まれている
のだろう。
﹁なにがやっぱりだ﹂
﹁いいなぁ、て僻んでるんだ。俺だって出してみたいんだよ、こう、
ばぁーっ、てド派手なエフェクト出して敵を倒すような大技!﹂
両手を広げてド派手さをアピールするが、青年は特に興味も持た
4
ない様子だった。
ただ、彼が興味を持ったのは別の言葉である。メンチカツを飲み
込み、口元についたソースを拭ってから少年に尋ねる。
﹁お前の敵って、誰だ﹂
﹁え?﹂
﹁お前は今、自然と敵って口にしたな。お前に敵がいたとは驚きだ﹂
やや皮肉っているかのような口調が、スバルに突き刺さる。
同居人は彼の表情が変わったのを確認してから、再び口を開いた。
﹁知ってると思うが、今はお前の同類と俺の同類は戦争中だ。お前
が敵っていうのなら、俺が敵になるな﹂
真剣な眼差しでスバルが射抜かれる。会話だけで見れば、ちょっ
とした冗談だと受け取ることもできたのだが、そう感じるにはこの
男はいささか冗談を言わない上に几帳面だ。
﹁じょ、ジョーク⋮⋮だよ、な?﹂
顔中が汗だくになりながらも、スバルは尋ねる。
それを見た同居人は意地悪な笑みを浮かべた。
﹁別にその気になっても構わないぞ。俺と暮らすのが嫌になったら、
何時でもこい。相手になってやる﹂
多分、彼なりのジョークだ。だが、それにしてはいささか度を越
している上に、やけに自信満々な表情をしているのがスバルには不
気味だった。
5
常々感じていたが、彼と自分たちの間には見えない隔たりがある
ように思える。育ってきた環境が起因しているのか、それとも生物
としてのDNAの違いがそうさせているのか。
いずれにせよ、丁度いいことに彼らとスバルたちを明確に分別す
る言葉がある。
力を持つ新人類と、力を持たない旧人類だ。
6
第1話 vs現代社会
この世界には新人類と呼ばれる超人どもがいる。ある者は背中か
ら翼を生やし、自由に空を飛ぶ。また、ある者は平然とした顔で車
とかけっこする身体能力を持っている。
そんな連中は昔からちょくちょく確認されていたのだが、世界中
にその存在を知らしめたのは16年前に行われたパイゼル共和国の
指導者、リバーラ王の演説だった。
﹃皆さんお元気でしょうか。私は今日も元気にミカン丼を食べれま
す。ハッピーです﹄
全世界に向けてごはんの上に蜜柑を乗せ、挨拶をし始める王。普
通、なにか食べながらの演説など滅多にない。というか、ありえな
い。ついでに言うと蜜柑の汁がカメラに飛び散り、果汁が液晶画面
に張り付いた状態での演説など史上初だった。
しかし、王は一切気にしない。
だからどうしたと言わんばかりに蜜柑を貪りながら続ける。その
度に蜜柑の皮が王の座る炬燵の上に重なっていった。王は炬燵でマ
イペースに貪りながらも、喋りたいことを淡々と喋る。
﹃昔。すっごい昔ですね。宇宙から隕石が飛来しちゃいました。は
い、皆さんご存知ですね。アルマガニウムです。この隕石がどうい
うわけか永久的にエネルギーを発し続けているお陰で、人類はエネ
ルギー不足という問題から解き放たれました。ハッピーですね﹄
その隕石は分割に成功し、今では世界各国で様々なエネルギー資
源として使われている。
7
人体に影響も無く、ただケーブルに繋ぐだけでエネルギー供給が
できるのだから全く都合がいい。しかも隕石が降り注いだ時の被害
は奇跡の犠牲者0人。本当にハッピーな結果だった。
一説によれば、隕石の中に埋まっていたアルマガニウムが防衛機
能を発揮したのではないかと言われているが、それが真実かは定か
ではない。
﹃でも、ですね。皆さんは知らないでしょうが、アルマガニウムの
影響でこの世界には新しい生き物が生まれてます﹄
王の演説は、ここからが本番だった。背後で何人かの科学者らし
き白衣の男たちが集まり、王の背後からホワイトボードと資料を見
せる。
﹃我が国の生物学者は、彼等を新人類と名付けました。ええ、外見
は人間そのものですよ。もしかしたら皆さんの横にいる他人や、友
達さんや、家族さんも新人類かも知れませんね﹄
では新人類とは何でしょう。
王はそう言うと、炬燵の席を科学者の一人に譲った。
﹃お、温いですねリバーラ様﹄
﹃暖かいのはハッピーです。でも炬燵から外に出た私はとてもアン
ハッピーです。だから解説急いで!﹄
﹃ではお言葉に甘えまして﹄
鳥肌を立たせながら解説を急かす王。今更ながらではあるが、服
装は半袖にジャージだった。
どうやらパイゼル共和国の王は庶民感覚を楽しんでいるらしい。
しかしながら、王冠とジャージの組み合わせは少しシュールな光景
8
ではあった。
﹃新人類とは、分かりやすく言えばミュータントです。しかし先程
リバーラ様が仰られましたように、彼等の姿は人間そのもの。外見
だけで区別することは不可能でしょう﹄
彼等の最大の特徴は才能が特化している事である。この時の科学
者はそう明言した。
例えば学問や芸術のセンス、身体能力でも今の人類より遥かに優
れているのだそうだ。勿論、鍛えなければ全て水の泡なのだが。
﹃しかし真に驚くべきことは、彼ら新人類は人類の常識の範疇を超
えた力を持っていることでしょう﹄
映像資料が科学者の横で流れ始める。
その映像には金髪の少年が椅子に座っており、獅子と対峙してい
た。獅子は興奮を抑えられぬ様子で、涎を垂らしながら少年を睨む。
ソレに対し、少年はふてぶてしく椅子に座ったまま。逃げる様子は
一切ない。
それから数秒もしない内、獅子が少年に飛びかかった。しかし獅
子は空中でその動きを止める。 少年の尻から飛び出したロープのような細い物が、一瞬にして獅
子を絡め取り、身動きをさせずにいたのである。
絡め取られ、必死に抵抗する野獣。
しかしいくら暴れても、少年から生えた﹃ソレ﹄から脱出するこ
とができない。
少年が退屈そうに欠伸をする。その直後、獅子の身体が跳ね上が
った。そして動かなくなる。映像はそこで止まった。
9
﹃シンプルな例を見ていただきましたが、彼は尻尾が生えています。
しかもそのパワーは自動車をも弾き飛ばします。ライオンもこの通
り、一発で絡め取られて骨を折られるようですね﹄
このような力を持つ新人類は、既に大勢いる。規模だけで言えば
最低でも万は超えているのだそうだ。
﹃いずれにせよ、今の映像で新人類の力は皆さんにご理解いただけ
たかと思います。では私はこれで﹄
﹃いやはや解説ありがとう。私も寒さから炬燵に戻れてハッピーで
す﹄
どっこらしょ、と再び炬燵に潜る王。彼は威厳も何もありはしな
い幸せそうな顔で、再び蜜柑を貪り始めた。
﹃えーっと⋮⋮さっき私も言ってたように、こういう新人類がアル
マガニウムの出現と同時期に生まれ始めてるんですね。新たな種に
地球はさぞ大喜びでしょう。ハッピーです﹄
アルマガニウムには未だ全てが解明されていない謎のエネルギー
だ。
そのエネルギーの影響でこのような人間が生まれても、パイゼル
王は何の不思議も持たなかったようである。
﹃さて、ハッピーな気分で本題です﹄
王は炬燵に置かれている丼から最後の蜜柑を取り出し、言葉を吐
き出す。
﹃我がパイゼルは先程の新人類1万人を率いて、これより皆さんか
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らアルマガニウムを頂きに参ります﹄
それは堂々の宣戦布告だった。しかも自身の戦力も公に発言して
の、極めて嘗めきった発言である。
﹃皆さんはたった1万の兵で何ができるかと思うかもしれませんね。
でも大丈夫です。ハッピーな事に彼等は1人で1万人分の戦力とな
りえる可能性を秘めているのです﹄
いっつ、ミラクル!
王は勢いよく立ち上がり、天に向かって吼えた。
﹃今日からパイゼル共和国は新人類王国と名乗ります。そして皆さ
んからアルマガニウムを頂きます。私達新人類がハッピーになる為
に、皆さんにアンハッピーになってもらいます﹄
その代り、
﹃皆さんから取り上げた資源で、新人類王国はこの世界を必ず素晴
らしい物にします。確約できます。だって、今の人類より新人類の
方が凄いもの!﹄
子供の様な無邪気な笑顔を見せ、手を振りつつも王は今の人類に
向けてメッセージを送った。
﹃旧人類の皆さん、地球のヒエラルギーの頂点は今日から我々がい
ただきます。今までご苦労様でした﹄
でもご安心ください。皆さんを絶滅させようって訳じゃありませ
ん。
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﹃今日から私達新人類のペットとして、精々愛嬌を振りまいてくだ
さい。今の内に動物園で色々と学んでおきましょうね?﹄
全く持ってふざけている宣戦布告だが、これが本当に16年前に
流れてしまったのである。そしてこの映像が流れた直後、新人類王
国は本当に動いてきた。地図でいう所の右隣の国に攻め込んできた
のだ。
この時侵攻した兵の数は大凡800人と言われている。
しかも戦闘機の類は一切なし。信じられない話だが、全員が生身
な上に徒歩で攻めてきた。当然攻め込まれた方は、遠慮なしに新型
の戦闘機や銃器を構えて発砲する。
だが、新人類王国は犠牲者7人。ソレに対し、攻め込まれた側は
民間人合わせて犠牲者2万越えという悲惨すぎる結果を出してしま
った。
この戦いを報道した当時のニュース番組の現地取材の映像が残っ
ている。
取材班のインタビューに答えたのは、学校からの帰宅中に興味本
位で戦いを見ていた男子高校生だった。
﹃遠目でハッキリ見たわけじゃないんだけど、新人類は1人でこの
通路を塞いでいた兵隊を倒しちまったんだ﹄
﹃ここを守っていた軍は、どの程度の戦力があったか分かりますか
?﹄
﹃戦車もあったから正確な人数は分からなかったけど、大雑把に2
0人はいたと思うよ。この通路でかいし﹄
﹃では新人類はどうやってここの兵隊を倒したのですか?﹄
﹃信じられないかもしれないけど、あいつは何も武器は持ってなか
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った! 信じられるかい? 戦車相手に素手で戦うんだぜ。クレイ
ジーだ!﹄
﹃素手で!? 冗談でしょう﹄
﹃本当だって! 両手に何も持ってなかったんだよ! しかも一発
殴っただけで兵隊がビルに叩き込まれちまった! 銃や戦車の攻撃
を動き回って避けてたし、新人類はニンジャ集団だよ﹄
﹃俄かには信じられない話ですね﹄
﹃俺もまだ目を疑うよ。でも、もっと信じられないのは、あのニン
ジャソルジャーが、子供だってことだ﹄
﹃素顔を見たのですか?﹄
﹃いや、顔はあまり見えなかった。でも周りの兵隊と比べて顔一つ
どころか胴体一つ分小さかったんだ! ニンジャソルジャーは間違
いなく少年兵だよ!﹄
この報道で、世界に更なる衝撃が走った。新人類王国は子供です
ら戦場に出す。しかもその子供が敵を倒し、常識離れした動きを見
せている。戦いの場で結果を残しているのだ。
リバーラ王の宣戦布告で流れた映像にも子供が映っていたのもあ
り、彼等は大人になったらどんな怪物になるのだろう、という想像
が溢れかえっていった。
ニンジャソルジャ
は6歳。16年経った今では立派な大人で、彼等が予想したと
その当時、少年兵として戦いに参加していた
ー
ころの化物になっている年頃だった。
リバーラ王が世界に対し宣戦布告をしてから16年後の現在。新
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人類王国の世界侵攻は未だ続いている。既にこの地球上に存在する
6割のアルマガニウムは奪われ、﹃旧人類﹄は新人類に頭が上がら
ない社会地位が築かれつつあった。
日本と呼ばれる島国もアルマガニウムを新人類王国に奪われた国
家に含まれている。巨大な資源を失った日本は早々に新人類王国の
傘下に入り、彼等から資源を分け貰っている状態だった。
新人類王国に下った国は基本的に拒否権は無い。従って、常に新
人類王国の決定に首を縦に振ることが義務付けられる。そうするだ
けで国として存在することを認められ、紙幣や文化などを統一する
ことは避けられている。もっとも、国の名前が残っていても世間的
には立派な植民地である。例え日本の○○県と紹介されても、その
前に新人類王国の日本、その○○市と付くのは自然な流れだ。
勿論、それに反発する動きが無いわけではない。
しかし一度でも刃向えば、その時は大きな報復が帰ってくるだけ
だ。
既に新人類王国の戦力は16年前の比ではなく、前代未聞のパワ
ーアップを遂げている。戦いに敗れ、多くの犠牲者を出した日本に
は刃向う力も残っていなかった。仮にあったとしても、圧倒的な力
に飲まれてしまうだけである。彼等は反逆者に対して無慈悲なのだ。
そんな日本の田舎町、ヒメヅルシティではこれまでの新人類王国
の歴史を纏めた特番が放送されていた。
ヒメヅル唯一のパン屋、﹃ベーカリー・ホタル﹄を経営する蛍石
家は、家族揃ってその番組を見ている。
﹃既に皆さんご存知かと思いますが! 新人類王国は何が凄いか!﹄
普段お笑い番組ですべっている芸人が、ここぞと言わんばかりに
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勢いよく喋りだす。
多分彼が話すよりも専門家が話した方が分かりやすいのだろうが、
大体そういう機密情報に関われるのは新人類だけだ。
旧人類向けの安い番組に、彼等が出る理由は無い。
﹃開戦から僅か数年間で巨大人型兵器︱︱︱︱通称﹃ブレイカー﹄
を作り上げてしまったところ! たった数年で技術レベルが段違い
!﹄
しかし芸人が言った事もあながち間違いではない、と一家の大黒
柱であるマサキは思う。ブレイカーは先程芸人が紹介したように、
平均約16m程の大きさを持つ巨大ロボットだ。
それまで生身で攻めてきた新人類が、戦車や戦闘機を無視して一
気にロボットを使い始めて来たのには世界中が驚いた。
動力源はアルマガニウムの欠片。それを取り込むことにより、ど
れだけエネルギーを使おうがロボットも半永久的に動き出す。
もっとも、欠片とはいえ貴重なアルマガニウムを巨大ロボの原動
力とするのだ。コストがいささか高すぎる。
そこで生まれたのが、
﹃凄い点その2! アルマガニウム搭載のアンドロイドも作ってし
まった!﹄
これも大きい。等身大決戦兵器、バトルロイドはブレイカーの参
入から更に数年かけて登場したアンドロイド軍団だ。
年々戦争が激化していき、人数が少なくなっていく新人類王国は、
彼等の代わりに前線で戦う機械兵士を用意したのである。
しかも大きさは等身大とだけあって、2mも無い。ブレイカー1
体で30体のバトルロイドが作られるのであれば、こちらが優先さ
れて量産されるのも当然と言えた。
15
﹃戦闘兵器だけでもかなりの改革を起こした新人類軍ですが、勿論
それに合わせて我々のような汚い旧人類も技術力を高めました﹄
時々、テレビでこうやって卑下する言動が見られるのも新人類に
負けた証だった。何とか撃墜したブレイカーを回収し、それを模し
て旧人類側も新たにブレイカーを開発して更に戦いは激化していっ
た︱︱︱︱かに見えた。
﹃ところが、元々の能力に差がある為に、搭乗するパイロットの差
も出てきちゃったんですね∼﹄
結局のところ、抵抗してもするだけ差を見せつけられている。
バトルロイドに関しては鹵獲しても、それを再現するだけの技術
がない。更には敵味方識別パターンすら変更することができない為、
旧人類側は小型の兵器実用化は諦めてしまっている。仮にできたと
しても、相当の月日をかける必要があるだろう。少なくともマサキ
はそう思っている。
﹁なあ﹂
﹁ん?﹂
芸人の作り笑顔から目を背き、マサキの息子であるスバルが家族
に問う。
﹁それだったら、新人類王国はもっと早く世界統一できたんじゃね
ぇの?﹂
技術力や戦闘能力の差は圧倒的だ。それなのに16年経った今で
も世界の4割はまだ新人類王国と戦っている。その事実が彼には疑
16
問だったのだろう。
﹁⋮⋮お前、明日現代社会の試験だったな。そんなんで大丈夫か﹂
﹁え﹂
住み込みバイトから容赦のないツッコミが飛んでくる。マサキも
頭を抱え、溜息。
﹁スバル⋮⋮今も戦っているアメリカは、国産ブレイカーを筆頭に
強力な兵器を持っている。そう易々と落とせないよ﹂
﹁だが、その他にも新人類王国は課題がある﹂
﹁か、課題って何だよ!﹂
若干狼狽えるスバルだが、それを気にする様子も見せずバイトは
言った。
﹁人材が足りないんだ﹂
﹁え、そうなの?﹂
もはやこの世界では常識でしかない事実を、本当に知らなかった
らしい。呆れの表情を隠すこともせず、大人2人は冷たい視線をス
バルに送った。
﹁当時1万居た兵隊も、今ではそこまで多く残っていない。旧人類
より優れてると言っても、死ぬ時は死ぬ﹂
﹁だから占領した国から優秀な新人類や旧人類を本国へ連れて行っ
てるんじゃないか。徴兵令を習わないのか?﹂
明確に、何の為に連れて行くのかは王国側から何も言われないが、
ソレに文句を言おうものなら即座に処理される。この国は提案がで
17
きても、彼等の機嫌を損なう真似はできないのだ。とはいえ、徴兵
令と銘打たれている以上は新人類軍に取り込まれるのだろう。簡単
に予測できることであった。
﹁それに、戦いに行くだけじゃない。国にも住んでる奴がいる以上、
そこに人材は必要だ﹂
傘下に下った国にも監視役が必要だ。そうやって次々と貴重な人
材は削られていき、新人類王国の課題が浮き彫りになっていく。
﹁戦いに強くても、元気よく攻める人数が足りないんだ。だからバ
トルロイドで頑張っている﹂
﹁しかし、向こうで開発されているブレイカーは火力だけでいえば
バトルロイドより上だ。それじゃあ、思うように残りの4割が上手
く行かない﹂
誰もが口にしないが、それが現状だ。少なくとも民間人はそう思
っている。しかし新人類王国は引く気は一切なく、アメリカを筆頭
とした旧人類連合も形勢逆転するチャンスを伺っていた。
﹁植民地だから敢えて全員が口にしない事をお前は⋮⋮﹂
﹁うるせぇよ! 今知ったからいいんだよ!﹂
少年が現実味を持っていないのも当たり前だ。
今の日本はただの植民地。一応、国としての面目を維持してはい
るのだが、仮にそこで戦いが起こったとしても、こんなド田舎に好
きで戦いを仕掛ける奴はいないだろう。
勿論、戦いが起こらないなら好都合だと蛍石家の全員が思ってい
る。別に戦いたいわけでもないし、戦争に積極的に参加したいとも
思わない。ヒメヅルは良い環境だった。
18
強いて懸念点を挙げるとすれば、気まぐれすぎる新人類王が突然
ヒメヅルに何かしらの提案をしてくることくらいだろう。
それさえなければ、恐らく平和な日常が続く。
マサキはその日が来ない事を、祈り続けるしかなかった。
しかし、だ。このままでは流石にやばいのではないかとスバルは
思う。父親と住み込みバイトの二人に常識を疑われたのは結構赤っ
恥だった。これでは社会のテストも危うい。
比較的点を稼ぎやすい現代社会で赤点を取って、夏休み補修です
と言われたら恰好がつかないどころの話ではない。最悪、少ない小
遣いも大幅にカットされる恐れがある。
このテストの出来で、青春を謳歌出来るか否かが決まるだろう。
﹁と、言う訳でカイトさん!﹂
2階の自室で教科書を開き、必勝の文字が入ったハチマキを結び
つつ、スバルは住み込みバイトに懇願する。
﹁俺、勉強するから徹夜で教えてくれ!﹂
﹁⋮⋮⋮⋮﹂
住み込みバイトがとても嫌そうな目で見てきた。
彼は朝から契約している住宅にパンと牛乳を届ける仕事がある。
嫌がるのも当たり前だ。しかもここ最近毎日見てやっている。いい
19
加減寝不足なのだ。
﹁⋮⋮まあ、いいだろう。明日でテスト終わりだし﹂
﹁ありがとう! この恩は必ず返す!﹂
どこか諦めた表情をしている住み込みバイトに対し、涙ながらに
土下座した。一応、彼なりに迷惑をかけている自覚はあるのだ。
しかし、勉強に苦手意識がある以上、自分からなかなか手が付け
られない。どっぷりとハマっている趣味があるのであれば尚更であ
る。
﹁お前もいい加減、ゲームだけじゃなくてこっちも自分で何とかし
て欲しいもんだ﹂
﹁うぐ⋮⋮﹂
ぐさり、と心に突き刺さる台詞だった。スバルはヒメヅル高等学
校では、多少名の知れたゲーマーだった。
特にシミュレーションやアクションゲームでは凄まじいテクニッ
クを披露し、テストプレイしてるだけで稼げるんじゃないかとまで
言われている。
﹁仮想世界でブレイカーを動かせても、現実じゃ役に立たん﹂
﹁仮想世界じゃねぇって! ゲーセンの﹃ブレイカーズ・オンライ
ン﹄では、目の前に別の店のライバルが︱︱︱︱﹂
﹁本物の操縦でもするのか?﹂
﹁⋮⋮しないです﹂
あっさり言い負かされた。
今、スバルがハマっているゲームは先程テレビでも紹介されたブ
レイカーを操縦する3Dアクションゲームである。
20
全国のプレイヤーとのオンライン対戦が可能で、やろうと思えば
店VS店の擬似大戦も可能らしい︵筐体が多い方が有利なのでゲー
センからは嫌われている︶。彼はそれの全国区プレイヤーだった。
﹁だろう? それなら自慢にもなりゃしない﹂
﹁わっかんねぇだろうそんなの! って、もう21時だ! 勉強!﹂
勢いに身を任せて椅子に向かう。
だが勢いに任せ過ぎて、足の小指が机に激突。この痛みを堪えつ
つ、少年は縋るようにしてノートを開いた。
﹁大丈夫か。何か小刻みにぷるぷる震えてるが﹂
﹁だ、大丈夫じゃないけど大丈夫⋮⋮﹂
どっちだろう。カイトはそう思ったが、本人がそう言うなら大丈
夫なのだろう。ならば何の問題も無い。
﹁じゃあ早速始めるとしよう。範囲は︱︱︱︱﹂
﹁なあ。隈が凄いけど大丈夫かい?﹂
﹁大丈夫。運転に支障はない﹂
翌日の朝。ヒメヅル住宅街にて。
結局深夜3時まで現代社会と物理の勉強をぶっ続けでやったせい
で、カイトの目の下にはどす黒い隈が広がっていた。尚、彼の本日
21
の起床時間は5時である。元々目つきも悪く、愛想もそこまでよく
ないので妙な威圧感を放っている状態だった。
幸いながらヒメヅルの配達先は全員顔馴染みなので、そこまで怖
がらなかったわけだが。
﹁今日もスバル君の勉強かい?﹂
﹁ああ﹂
中学の頃からそうだが、スバルの勉強にカイトが付き合い、次の
日に隈が酷いことになっているのは恒例行事である。
これで配達までこなすのだから、契約している人は素直に彼を称
賛する。そして神社で交通安全の祈願をする。
﹁毎度思うけど、マサキさんにお願いして休ませてもらえないのか
い?﹂
﹁いいんだ。好きでやってることだ﹂
契約主は思う。そんな殺気の籠ってそうな怖い目でそういうこと
を言っちゃうからマサキも運転させるんだろうな、と。
﹁でも、そんな状態で運転してたら何時か事故るよ﹂
﹁大丈夫だ。ぶつかる方が悪い﹂
﹁それは大丈夫じゃないよ! ぜぇったい大丈夫じゃないよ!﹂
心なしか目が完全に死んでいる。パン屋の経営と息子の成績が良
くなるのを祈る事しか出来ない自分の無力さか腹立たしい。
﹁うるさい! 朝っぱらから何喋ってるの!﹂
そんな時だ。
22
契約主の家の奥から女の怒声が響く。カイトも何度か声を聞いた
ことがる。この顧客の奥さんだ。名前は知らない。ただ、よくミー
トパイを注文してくるので豚肉夫人と心の中で呼んでいる。
﹁夫人は気が立っているな﹂
﹁ああ、すまないね⋮⋮﹂
顧客に対して失礼な物言いが多いバイトに対し、非難の声を出す
者は少ない。しかし、この夫人は少ない側の一人だった。
﹁またパン屋の男が来たのかい!? 契約切っちまうよ!﹂
﹁それは困る。マサキが泣いてしまう﹂
﹁⋮⋮仕方がないね。マサキは泣かしたくないから契約は続けるよ﹂
ちょろい。
毎回この一言で夫人を繋ぎ止めれる辺り、マサキと言う人物のコ
ミュニティの広さを実感する。しかし、豚肉夫人がマサキを好きで
もカイトが嫌いなのは変わらない。
﹁ただ、今日は本当にお前の顔を見ると嫌な気分になるんだ。早く
出て行っておくれよ!﹂
﹁⋮⋮分かった。次の宅配もあるし、失礼する﹂
チラシを契約主に渡し、一礼。それを見た契約主は申し訳なさそ
うな表情でカイトに話しかけた。
﹁すまん。根は良い奴なんだ。どうか気を悪くしないでくれ﹂
﹁構わない。礼儀がなっていないのは事実だし、夫人が俺を嫌うの
は何時もの事だ﹂
﹁いや、そうじゃないんだ﹂
23
思わぬ否定の言葉に、カイトは首を傾げる。やや間を置いた後、
契約主は寂しそうな表情を浮かばせ、続けた。
﹁今日は、息子の命日なんだ﹂
行く先で顧客から寝不足を心配されつつも、何とか今日の配達を
こなしたカイトは車をパン屋の敷地内に停める。寝不足な彼の耳に
残るのは、豚肉夫人の旦那から発せられた言葉だった。
﹃本当は、妻も分かってる筈なんだ。君を怒鳴っても、どうしよう
もないって、ね﹄
死んだ彼等の息子は帰ってこない。国の為に上京し、骨だけの姿
になって帰ってきた息子。彼の変わり果てた姿は、数年の月日が経
った今でも豚肉夫人の心を傷付けていた。
﹃新人類が全員悪いわけじゃないのは分かってる。君みたいに、何
とか私達の生活に馴染もうと努力している人間がいるのを知ってい
るからね﹄
だが、
﹃でも、妻も私も思うんだ。新人類さえ生まれなければ⋮⋮ああ、
ごめん! 変なことを︱︱︱﹄
24
カイトはこの街で唯一の新人類だった。
何度も謝り倒す契約主はその場で宥めたが、明日から通い辛くな
ってしまった。どういう顔で彼等に合い、パンを渡せばいいのか分
からない。
ポーカーフェイスでも構わない、とマサキに言われたので自然体
で接客してきたが、流石に今回はそのままでも作り笑顔でも不味い
気がする。
﹁やあ、お疲れ﹂
﹁ああ﹂
店内に戻った後、マサキに迎えられる。短い挨拶だけで済ませた
カイトは回収した牛乳の空き瓶を一か所に集め始めた。
﹁⋮⋮また夫人に何か言われたのか?﹂
マサキが話しかける。特に表情に出してない筈だが、核心に近い
言葉を言われた為、思わず彼の顔を見てしまう。
﹁図星、かな﹂
﹁大丈夫だ。あの夫人に何か言われるのは何時ものことだから﹂
豚肉夫人は息子を殺した新人類が嫌いだ。だから同じ新人類であ
る自分が嫌いなのだ。それを直せと言う権利はカイトにはない。
彼女に求めるつもりも無かった。
﹁何故分かった?﹂
﹁寂しそうだったからね﹂
﹁そういう心理学か?﹂
25
﹁まさか。ただの勘だよ﹂
その勘で今の悩みを5割近く当ててくるのだから性質が悪いとカ
イトは思う。そして、その悩みを何とかして解決させてあげたいと
思い、行動するのがマサキという人間なのをカイトは知っていた。
だから、カイトはこれ以上マサキが踏み込んでこないように予防
線を張る。
﹁⋮⋮安心しろ。夫人はああ見えて俺のミートパイを好んでいる。
何とかやっていけるさ﹂
﹁そうか? それならいいけど⋮⋮﹂
この辺は事実だ。豚肉夫人が良く注文するのはカイトが作るパイ
である。それを知ってか知らぬかは話は別だが、取りあえず今はそ
う言っておけば少しはマイナスイメージは解消されるだろうと踏ん
でいた。
﹁だが、君がミートパイを作ってそれを贔屓にしてもらえるとは⋮
⋮時間が経つのは早いね﹂
﹁皮肉か、それは﹂
﹁褒めてるんだよ。あまり自分を卑下しなくていい﹂
﹁⋮⋮そうか﹂
表情を変えないまま、カイトはマサキに背を向ける。マサキはそ
んな彼の姿を見て、思う。
まだこの環境に馴染みきれていないのか、と。
26
新人類王国。その国王であるリバーラ王と、息子であるディアマ
ット王子は親子での食事を楽しんでいた。
椅子に座っているのは彼らのみであり、ディマットの向かい側に
備えられている椅子には誰も座っていない。
﹁ディードよ。アンハッピーな事に、我が新人類王国はこの16年
で世界の4割を手中に収めきれていない﹂
何故か、と続ける前に愛称で呼ばれた王子は答えた。
﹁父上、それは散々言ってきたでしょう﹂
ウンザリした、と言わんばかりにディアマットは言う。心なしか
食事の手つきも乱暴だ。
﹁貴方の考えが甘いからです。早期に世界を手中に収めるのであれ
ば、少年兵の特別部隊なんてものに資金を使わず、もっと実力ある
チームに力を入れればいいのです﹂
﹁でも結果として、当時少年だった子達は今でも最前線で頑張って
るよ?﹂
﹁今、我々に残っているのは後から引き取った兵でしょう!﹂
しかも、開戦当初からいた少年兵はもういない。ディアマットが
成人するより前に全員戦死したとしか聞いていないが、それはそれ
で問題だろう。手塩にかけて育てても、死んでしまっては意味が無
いのだ。
﹁貴方は新人類を過信しすぎている! その過信が原因で無謀な戦
いを仕掛け、我が軍に何人の無駄な犠牲が出たと思っているのです
27
か!?﹂
﹁ディードぉ。それは耳がボロボロになるまで聞いたよ﹂
耳を塞ぎ、大げさに泣きそうな表情を作りながらリバーラは言う。
しかしディアマットは父親の人を馬鹿にしたような台詞や仕草が嫌
いだった。丁度、今見せている感じの演技である。
﹁新人類だって生きている人間なんです。決して神ではない!﹂
﹁だけど、この地球上ではもっとも神に等しい力がある。ううん、
ハッピー!﹂
グラスを掴み、中身を飲み干す。満足したかのような満面の笑み
を浮かべ、リバーラは続ける。
﹁あのね、ディード。我々新人類は決して人類と同じ土俵に立って
戦っちゃいけないの。何故って、そんなの僕達が勝つからに決まっ
てるじゃない﹂
質問してもいない事を付けたし、王は笑う。
﹁それにね。下等な人種に負けて死んでいった時点で、彼等は用済
みなんだよ﹂
﹁それが人の上にいる立場の人間が言うことですか!?﹂
ディアマットは激昂。勢いよく立ち上がり、テーブルに手を叩き
つける。
﹁ディード、人間は不平等だ﹂
しかしそんなディアマットを前にし、リバーラは鋭い眼光を向け
28
る。
先程まで壊れたように笑っていた人物の面影は、一切なかった。
﹁貧富、性別、人種。生まれつき持つポテンシャルは人それぞれだ。
だったら、力を持つ人間が認められて、尚且つそのポテンシャルが
最大に活かせる場所を作る事が、僕等の使命だと思わないかい?﹂
﹁⋮⋮言いたいことは理解できます﹂
ディアマットが無人の椅子に視線を送る。息子の視線に気づいた
リバーラは、﹃ああ、そういえば﹄とわざとらしく話題を変えた。
﹁そろそろ新しい人材を回収しないといけないね﹂
﹁⋮⋮場所はもう決めてあるのですか?﹂
新人類王国の最大の課題は人材不足だ。それは植民地になった国
の田舎町ですら理解していることである。その問題を打開する為に
月に1度、植民地から﹃面白そうな人材﹄を連れてくるのだ。
面白いの定義は連れてくる役目を担う兵士のセンスが問われるが、
リバーラは特に気にしたことは無い。
﹁昨日ダーツを投げて決めたんだよ﹂
そして連れてくる場所は毎回王の気まぐれで決定する。前回はコ
インを投げて、その表裏で決めた。今回はダーツで刺さった場所の
植民地から人材を連れてくるらしい。
﹁今回はねー。アンハッピーだよ。日本のヒメヅルとかいうド田舎
さ﹂
王は欠伸をしながら、今回の気まぐれに付き合わされる場所を示
29
す。それを聞いたディアマットは特に顔色を変えることなく、涼し
い表情のまま口を開いた。
﹁では、現地の大使館で待機している兵に連絡します。日本は確か﹂
﹁誰でもいいよ。どうせ何時もと同じ結果になるんだし⋮⋮何なら、
今回は珍しく旧人類を1人連れてきてみればいいんじゃないかな﹂
今までも旧人類を連れてきたことは何度かある。しかし、王自ら
が旧人類を連れてくることを指名するのは初めてだった。
﹁調べてみたけど、人口は1000人にも満たないド田舎だ。楽し
そうな新人類を期待するだけ無駄じゃないかな﹂
﹁⋮⋮では、そう連絡しておきましょう﹂
言い終えた直後、ディアマットは﹃失礼﹄と言って席を立ちあが
り、そのまま退出していった。
見届けた王は、誰もいなくなった食事の席で呟く。
﹁あーあ。生真面目なんだよね、ディードは。もっと人生をハッピ
ーにする為に頑張らないと! その為に僕もこの戦いを始めたんだ
しさ!﹂
たった一人の空間で楽しそうな笑いが木霊する。
笑いに応える者は、誰一人としてその場にいなかった。
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第2話 vs柏木一家
﹁埋め合わせをしろ。テスト勉強を手伝った分を早々に返せ﹂
テストが終わり、帰宅したスバルを出迎えたバイトの第一声がそ
れだった。
心なしか、目つきが普段の数倍怖い。多分、逃げようものなら関
節技を決められて歩けなくなるだろう。しかしスバルは疑問に思う。
﹁どうしたのさ、急に﹂
もう4年近くもこの家で同居しているが、彼がすぐに貸しを返せ
と言うのは珍しかった。大体ここぞという時か、もしくは予想外の
トラブルに巻き込まれた時にしかカイトは助けを求めないのである。
始めてその権利を使ったのは、電子レンジから黒い煙が出て来た時
だっただろうか。
しかもマサキには黙っているように、と言ってくるのだ。
これでは子供が親に隠れて悪い事をしているかのような付け足し
方である。
﹁何度も言ってるけど、困ってるなら俺よりも父さんに言った方が
いいと思うよ?﹂
﹁マサキにはもうこれ以上無用な負担をかけたくない。後、こうで
もしないとお前の貸しが消化できない﹂
結構痛い点を突かれた。何を隠そう、スバルに出来ることは大体
カイトもできる。普段学業に専念している者と住み込みバイトの違
いと言えば聞こえはいいが、実際スバルが専念してるのは対戦ゲー
31
ムだ。
仕事や家事の面で切磋琢磨に働く新人類に勝てる道理はない。
﹁じゃあ早速返すとしますか。何すればいい?﹂
﹁豚肉夫人宛てのパンを明日から少しの間、お前が運んで欲しい﹂
﹁みーとふじん?﹂
聞いたことのない名前だ。少なくとも、初老の旧人類が大半を占
めるこの田舎町でキン肉星の王子のサポートをする者とその一家は
いなかった筈だとスバルは記憶している。
﹁ああ、確か柏木さんの家の奥さんだな﹂
﹁普通に柏木夫人でいいじゃん!? なんでミート夫人になったの
!﹂
﹁ミートパイばっか頼むから﹂
即座に返された一言に、スバルは納得しつつも思う。この人は名
前を第一印象で呼び続けるタイプなんだな、と。
﹁でも、なんでまた? 嫌われてるって話は聞いたことがあるけど、
今までずっと通ってたじゃん。旦那さんだっていい人だし﹂
﹁昨日、家庭の事情を伺って行き辛くなった﹂
なんじゃそりゃ。首を傾げ、明確な回答を何度も求めたが、カイ
トはそれ以上話す気は無いらしく無言を貫いた。どうやら思った以
上に複雑な事情がありそうだ。
﹁分かったよ。柏木さんの家はケンゴの家も近くだし、通学ついで
に片付けておく﹂
﹁ん。頼む﹂
32
かくして、スバルは翌日の朝から柏木一家にミートパイを運ぶ仕
事を一任されることになった。だがそれが決定した裏で、彼はこん
な事を考えていた。
まだ馴染んでないな、この人は。
次の日の夕方。テストの答案用紙が一通り帰ってきて、決して広
くは無い教室がざわめきながらも帰宅時間になった頃。
スバルはぐったりとした恰好で机の上で項垂れていた。まるで机
の上にスライムでも伸ばしたかのようなぐったり具合は、正しく垂
れスバルと言うのに相応しいだろう。
泥のように動かない彼に、友人である柴崎ケンゴが声をかけた。
﹁どうした? テストの点が悪かったか﹂
﹁⋮⋮それは何とか回避﹂
一応、カイトの寝不足も報われている。これで心を抉るような手
痛い言葉は飛んでこないだろう。
じゃあどうしたのかと言えば、そのカイトが押し付けてきたミー
トパイを届けたことが原因である。
柏木家のチャイムを鳴らし、届け物を届けた後の契約主が、もう
悲惨だったのだ。
33
﹃僕のせいで純粋な青年の心に傷をつけてしまった﹄
﹃なんて最低なんだ僕は﹄
﹃人より優れているとか、いないとか!﹄
と叫びながら、自宅の柱に頭を打ち付け始めたのである。どうや
ら先日のカイトへの発言を気にしているらしいが、その本人が来ず
に自分が来たものだから変な誤解をしてしまったようなのだ。後半
は既に別の世界へ旅立ってた気もする。
﹁宥めるのに2,30分もかかったからその後ダッシュで学校に来
るだろ? でも寝る暇なくテストの答案帰ってくるんだもん。疲れ
るわそりゃ﹂
その割に文句を言う時は結構饒舌になる。現金な奴だなぁと、こ
の時ばかりは親友も思った。
﹁今日はもう、帰って寝た方がいいんじゃね?﹂
﹁そう思う。でも目が覚めたらまた柏木さんが頭を打ち付け始める
から、何か考えないとやばい﹂
結構重傷なようだった。一体柏木旦那はパン屋の住み込みバイト
に何を言ったというのか。と、そこまで考えたところで思い出した。
そういえばスバルの同居人は新人類で、柏木家の息子は新人類王国
との戦争で亡くなっている。
﹁複雑な事情だな﹂
﹁ああ、そうだろうな。若い俺に押し付けないで欲しい﹂
更に言えば、スバルも勉強を徹夜で押し付けたものだから、本人
を前に文句を言えなかった。だからせめて、現状の解決策だけでも
34
出さなければいけないという使命感が湧き上がっているのである。
俗にいう余計なお世話という奴だった。
﹁一番の問題は、カイトさんが馴染んでないことだと思う訳よ。あ
の人、一匹狼路線だし﹂
﹁友達少なそうだよな﹂
実際、この街でカイトの友達はいない。朝から晩までパン屋のお
世話になっている。強いていえば、同じ屋根の下で暮らすスバルや
その友人であるケンゴがそれに当てはまるかもしれない。
じゃあ友達なのか、と問われると自信を持って首を縦に振れない
のだが。
﹁敢えて、柏木さんに謝らせに行くってのは?﹂
﹁多分カイトさんが逃げる。だから余計に後味悪くなる予感がする﹂
スバルが頭を抱え、唸り始めた。なんやかんやで彼も連日寝不足
である。今日は慣れない早起きまでしてるから頭が痛い。
﹁結局のところ、俺達が何悩んでも本人がどうにかしないと駄目な
んだよ﹂
﹁でもお前、結構助けられてるよね﹂
﹁言わないで。カッコよく締めたいんだから﹂
蛍石スバル、16歳。少年は今、大人たちのガラス細工のハート
によって疲労していた。
35
﹁と、言うわけだから何とか仲直りできないか?﹂
﹁無理だ﹂
学校から早々に帰宅したスバルは悩みの張本人に意見をぶちまけ
ることにしたが、あっさりと返された。せめてもう少し悩む仕草と
かしてくれと言いたい。
﹁そもそも喧嘩してるわけじゃない。俺が勝手に拒否してるだけだ﹂
﹁その勝手な拒否で、柏木一家は大黒柱の頭がハンマー連打の刑に
あってるんだぞ﹂
﹁本人が好きでやってるんだから、そうすればいい﹂
なんて冷たい奴だ。柏木旦那はこんな冷たい奴の為に家の柱を頭
で打ち抜くところだったのか。そう思うとスバルは申し訳ない気持
ちになってきた。まあ、言い方が悪いだけで柏木一家に行き辛い理
由は何となく察知できるのだが。
﹁でも、もうここで暮らして4年だろ? 直接アンタが悪いことし
たわけじゃないんだし、こんなんで拒否してたら生活できないぞ﹂
﹁別にいい。家が無くても食べ物があれば生きていける﹂
その言葉は強がりではなく、本気でそう言っているのだから性質
が悪い。
実際、カイトはこの家に拾われる前は完全な野生児だった。人里
で誰かが捨てた弁当やジャンクフードを拾い集め、山の中で食う。
そして運動して寝る。そんな生活サイクルだった。
4年前、偶然蛍石親子がヒメヅルで拾い食いをしていたカイトに
遭遇し、
36
﹃そんな事するくらいならウチで住み込みで働いて、出来立てのパ
ンを食え﹄
とマサキが主張して、そのまま生活し始めたのは今ではいい思い
出となっている。
﹁でも、出来立ての方が美味いぞ﹂
﹁⋮⋮確かに﹂
この元野生児、屁理屈捏ねる割には案外素直な面がある。
なんやかんやで彼もヒメヅルのパン屋と、その周りの環境に居心
地の良さを感じているのだ。4年間も文句を言わず、共同生活を続
けたのはその証拠だといえよう︵その辺を指摘したのはケンゴなの
だが︶。
﹁兎に角、早い所打ち解ける。アンタが新人類でも、腹が減ったら
飯を食うのは同じなんだから﹂
﹁お前、良い事言うな﹂
素直に称賛された。滅多に褒められることが無いから、少し照れ
くさい。
﹁でも、それとこれとは話が別だ﹂
思わずずっこけそうになった。今までの話の流れは何だったんだ。
﹁何でだよ! いい加減、街に馴染めよ!﹂
﹁お前がどう思ってるかは知らん。だが、俺がいることで不快に感
じる奴がいるのは事実だ﹂
37
それに、
﹁柏木一家は悪い奴らではない。そこはいいだろう。だが当の本人
たちが謝りたいとか、そういうことを言ったのか?﹂
﹁そりゃ⋮⋮言ってないけどさ﹂
柏木旦那が行ったのは、自己嫌悪だ。その発言の殆どは自傷的な
物であり、カイトに謝りたいとかそういった発言は見られていない。
﹁ああ、念の為言っておくが別に怒ってるんじゃない。ただ、この
ままやっても柏木一家と溝が深まるだけだと思っただけだ﹂
それなら、なるべく会わない方がいい。少なくとも、カイトはそ
う思った。
﹁⋮⋮アンタはどうしたいんだよ﹂
﹁別に。どうも﹂
顔色を変えることも無く、カイトは話を続けた。その様子は普段
と同じく、機械的に手作業を進める住み込みバイトの物である。
﹁さっきも言ったが、俺は別にこの街に骨を埋めるつもりはない。
出て行けと言われれば出ていく﹂
それが今日になるか、年老いてからになるかは、また別の話だ。
﹁それに、柏木一家だけじゃないだろ。俺がいて嫌な気分になるの
は﹂
﹁4年も一緒に暮らしてるんだぜ。そんなことは︱︱︱︱﹂
﹁この街の何人が、新人類軍に家族を殺されてると思う﹂
38
遮るように言われた言葉は、鋭い視線と共にスバルに切りかかっ
た。
ヒメヅルは若者が少ない。裏を返せば、年寄りが多いことを意味
している。彼等の子供は便利な暮らしを求めて都会に移り住み、そ
して新人類との戦いに巻き込まれた。
﹁それでも、アンタは悪いことしたわけじゃないだろ! じゃあそ
れでいいじゃん!﹂
しかし、だからと言ってカイトが嫌われる理由にはならない。
スバルはそう主張するも、カイトは依然鋭い眼差しのままである。
何か言う気配はない。
場に静寂が訪れた。
しかし、少々の間を置いてからその声は部屋に響く。
﹁二人とも、いるかい!?﹂
マサキだった。彼は息を切らしつつも、ひとまず安堵の溜息をつ
く。
﹁父さん﹂
﹁どうした、年なんだから無理するな﹂
﹁いやいや。まだまだ現役だよ⋮⋮って、そうじゃない!﹂
年寄りの烙印を振り払うようにして手を振りつつ、マサキは言っ
た。
﹁大変なんだ! 新人類王国がこの街にやってきたぞ!﹂
39
柴崎ケンゴ、16歳。生まれはヒメヅル。育ちもヒメヅルな彼は
小さい田舎の世界しか知らなかった。
そんな彼の目の前に今、新人類を乗せた飛行機が着陸している。
全長は恐らく、この辺の民家が20個くらいは入るであろう体積。
それが空を飛ぶと言うのだから世の中は広い。思わず感心してしま
っていた。
﹁おーい、ケンゴ!﹂
田舎の広場に人が密集している中、自分に声をかける者がいる。
振り返ってみると、そこには親友のスバルとその一家が勢揃いして
いた。
﹁おお、スバル。お前も来たか﹂
﹁そりゃあ、こんな田舎に天下の新人類王国が来るなんて滅多にな
いからな﹂
要するに野次馬である。しかし先程カイトも言ったように、新人
類に対していい感情を持っていない人間は、このヒメヅルでは珍し
くない。
ここに集まっているのは、年寄りの仲間入りをしそうな大人から
スバルたちまでの年齢層だった。
﹁で、肝心の新人類軍は?﹂
﹁それが着陸してから全然音沙汰ないんだよ。うんともすんとも言
40
わない﹂
﹁ふぅん。でも本当に何の用だろ﹂
蛍石一家が飛行機を観察し始めたと同時。何処からともなくスピ
ーカーが入るノイズが響く。
﹃あー、テステス⋮⋮ヒメヅルシティの皆さん、美しくこんにちわ
!﹄
美しく挨拶をされた。
スピーカー越しだから相手の姿勢は分からないが、言う以上美し
いのだろう。たぶん。
﹃突然の来訪、誠に申し訳ない! 美しくごめんね!﹄
どんな感じで謝罪してるんだろうな、と野次馬は思った。でも心
なしか声が弾んでいる。
﹃飛行機のマークを見てもらえれば分かる通り、我々は新人類軍に
所属する美しい者だ。ここにはディアマット様の命でやってきた。
美しく﹄
倒置法になった。
しかしそんな事よりもスバルたちの耳に残るのはディアマットの
命令、という言葉だった。その名前は確か、新人類王国の王子であ
る。戦勝国の王子が、敗戦国のど田舎に何の用事があるというのだ
ろうか。
﹃さて、我々の身分が美しく明かされたところで、これから先は顔
を合わせて美しい説明と参ろう。ミュージック!﹄
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スピーカーが切り換わる音がした。その直後、ピアノの音が響き
始める。かの有名なモーツァルトのトルコ行進曲だ。
﹁わざわざ音楽流すのか?﹂
﹁運動会みたいだな﹂
周囲の野次馬がざわめく中、飛行機の扉が開く。
そこから全く同じ顔をした白髪の女性達が次々と現われ、整列を
始めた。
﹁バトルロイドだ!﹂
﹁あれがそうか! 始めてみたぜ﹂
﹁一体欲しいな﹂
﹁掃除できるのかしら﹂
野次馬たちが更にざわつき始める。何人かは電化製品でも見てる
かのような口ぶりだが、彼女たちはそんな生易しい物ではない。
等身大決戦兵器、バトルロイド。立派な戦闘用アンドロイド集団
だ。
﹁全く同じ顔してるのが不気味だな﹂
ケンゴが呟くが、その意見にはスバルも同意だった。
﹁聞いたところによると、新人類の中でももっとも機械的な兵を基
に量産されたんだそうだ。多分、彼女の名残だろ﹂
背中から生えた白銀の6枚翼。そして全員の右腕から生えている
銃口が、元となった女性の機械的な部分を表現している。
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﹁というか、ながい﹂
カイトがうんざりした表情で言う。確かに長い。トルコ行進曲が
流れ始めて既に3分経過。それまでの間、ずっとバトルロイドが飛
行機から飛び出して整列を続けていた。
音楽が終わるんじゃないか、と思い始めた時。ようやく状況に変
化が起こる。
扉からピアノが飛び出した。比喩でもなんでも無く、文字通りピ
アノが飛行機の扉から登場したのである。
しかも、金髪長髪の男性が現在進行形で弾いていた。ついでに言
うと、傍に控えているバトルロイドが真顔でマイクを使い、音を拾
っていた。どうやらスピーカーから流れていた音の元凶はこのピア
ノらしい。
その後に続くようにして、2mは超えるだろう強面の大男と、黒
いローブと三角帽子を被った少女が現れ、ようやく飛行機の扉は閉
まる。
﹁んっはっはっはっは! 初めましてヒメヅルの美しい住民諸君!﹂
金髪男のピアノを弾く速度が加速した。一度聞いただけで変な口
癖だと思える台詞を吐いたし、この男がスピーカーで話しかけてき
た兵なのだろう。
もっとも、身に着けている装飾品が靴から腕時計にかけてブラン
ド品なので兵と言うよりは貴族という印象なのだが。
﹁我が美しき名はアーガス・ダートシルヴィー! 美しき美の狩人、
あぁぁぁぁっがす!﹂
43
ピアノを弾きながら薔薇を咥え始めた。なんなんだアンタ。
﹁さあ、君達も美しく自己紹介したまえ! リピートアフターミー
!﹂
アーガスが背後に立つ大男と三角帽子の少女に自己紹介を促す。
しかし2人は明らかに嫌そうな顔をしており、面倒くさそうに構
えていた。
﹁何故俺達がこんな連中の為に名を名乗らなきゃならんのだ﹂
と、大男。
﹁全くです。つーか、あんた1人で何とかしてください﹂
こちらは三角帽子の少女。どうやらこの2人は、ここに来ること
自体に不満があるようだった。
﹁んんんんんんんんんんんんっ!? 美しくない! 美しくないな
ぁ、マシュラにメラニー! 我々はこれから、彼等に対して誠意を
見せねばならんのだよ!﹂
行進曲がクライマックスに入る。
指を力強く鍵盤に叩きつけながらも、アーガスは続けた。
﹁何故ならば! これから、彼等の仲間を1人頂かねばならないの
だからね﹂
ヒメヅルの野次馬たちは静まり返った。
44
45
第3話 vs新人類王国
ヒメヅルシティ。人口1000人以下の小さなど田舎。
街に住んでいる者は、皆そういう認識だった。
そんな小さな街から、わざわざ1人寄越せと戦勝国の兵隊が言っ
てきたのである。
﹁誠意だと? そんなモン、こいつ等には勿体ないぜ﹂
マシュラ、と呼ばれた大男が前進する。
そして飛行機を囲む野次馬を一瞥し、大声で叫んだ。
﹁お前等知ってるだろ! 定期的に王国が指定した場所の人民を1
人、王国に迎える話だ!﹂
スバルも知っている。
先日、その話を家族としたばかりだ。
確かその内容だと、優秀な新人類が強制的に王国に連れて行かれ
るらしい。
と、なれば白羽の矢が立つのは唯一の新人類であるカイトだ。
﹁王子は10代の旧人類をご所望だ! 名乗りを上げやがれ!﹂
しかし、その予想はあっさりと裏切られた。
身構えていたカイトも、驚愕の表情に染まっている。
﹁新人類を連れて行くんじゃないのか?﹂
﹁10代って、殆どいないぜ!﹂
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﹁王子ってホモなのかな﹂
野次馬が再びざわつき始める。
しかし会話する事すら許さない、と言った口調でマシュラは続け
た。
﹁王の気まぐれだよ! 今回は旧人類だ!﹂
何かしらの力を持っている新人類よりも、彼等にとっては子犬と
も変わらない旧人類の方がスムーズに事が済むのだろう。
元々、この田舎に人材の期待をしていないのかもしれないが。
﹁おら、どうした蟻共! 10代の奴らはさっさと前に出てこい!﹂
マシュラが叫ぶ。
と、同時。後ろに控えていたバトルロイドの何人かが銃口を野次
馬に向けて来た。
﹁ま、待ってよ!﹂
ケンゴが前に出る。
ソレに続くようにして、スバルも人波を掻き分けて前進し始めた。
﹁ううん?﹂
2人の存在を視界に治めたと同時、マシュラが歩み寄ってきた。
近くに立つと、改めてでかい。
高校生の彼ら2人と比べて頭2つ分は大きいのではないだろうか。
自然とマシュラは2人を見下ろす形になる。
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﹁何だお前等﹂
﹁お探しの旧人類10代の若者だよ。ここじゃ珍しいけどね!﹂
都会に近い位置にあっても、人口の大半を占めるのは年寄りであ
る。
彼等が通うヒメヅル高等学校だって生徒数は100人にも満たな
い。
そろそろ廃校になるんじゃないかという噂まであった始末である。
﹁ほう、お前等のどっちかがついて来てくれるのか?﹂
﹁いんや、帰ってもらう﹂
マシュラの言葉を、ケンゴは冷静とは言い切れない態度で返答す
る。
﹁この街の10代は俺達含めて100人もいない! 全員が旧人類
だし、全員普通の学生だ。あんた等が望むような人材はいないぜ!﹂
﹁そうかい﹂
直後、マシュラの巨大な右腕が薙いだ。
﹁がっ︱︱︱︱!﹂
バットが何本か入っているんじゃないかとさえ思える巨大な腕が
ケンゴの身体をいとも簡単に吹っ飛す。
﹁ケンゴ!﹂
地面に叩きつけられたケンゴの元に、スバルが駆け寄る。
それにゆっくりと近づくのは、やはりマシュラだった。
48
﹁生意気だろ、お前。家畜は飼い主への礼儀ってもんを覚えておか
ねぇとな﹂
右腕をぐるぐると回し、マシュラが2人を見下ろす。
それを見たスバルは反射的に、彼の前に立ちはだかった。
両腕を広げ、親友を守るようにして。
﹁何の真似だ?﹂
﹁俺を連れてって下さい! 10代なら文句は無いでしょう!?﹂
その時のスバルは、特に何も考えていなかった。
ただ、目の前でこれ以上親友が巨人に痛めつけられるのを、なん
とか回避する為に体を動かした結果と言えた。
しかしマシュラはその行為すらも鼻で笑う。
﹁ふん。お前も口の利き方がなってねぇな。ここで首でもへし折っ
て⋮⋮﹂
﹁止めないか!﹂
そこに割って入ったのはアーガスだった。
彼は真剣な眼差しで3人を見てから、薔薇を1つマシュラに向け
る。
﹁これ以上の彼等への暴行。美しくない﹂
﹁暴行? コイツは躾っていうんだよ﹂
へらへら笑いつつ、両手を上げる。
﹁なんせ、自分達が無能だって分かりきってる連中だからな。何も
49
できないなら、せめて礼儀くらい教えてやらないと飼い主として失
格だろ﹂
当たり前だろう、とでも言わんばかりにマシュラが言う。
彼から見て、スバルもケンゴも、ヒメヅルの街に住む者は皆ペッ
トに等しかった。
あまり可愛がる気は無いようだが。
﹁何もできなくない!﹂
だがそんな彼の発言に真っ向から立ち向かう声が上がる。
スバルだ。
﹁俺達は無能じゃない!﹂
﹁へぇ。何ができるっていうんだ?﹂
﹁ブレイカーズ・オンライン!﹂
少年から放たれた単語に、マシュラの動きが止まる。
﹁ブレイカーズ・オンライン⋮⋮確か、ブレイカーを操縦する対戦
ゲームだったな﹂
﹁そうです! 俺はこのゲームのトッププレイヤーだ!﹂
マシュラの視線がアーガスに移る。
﹁どうする?﹂
﹁ブレイカーズ・オンラインは元々、新人類王国が効率よくブレイ
カーのパイロットを育成する為に作ったゲームだったね。主力がバ
トルロイドに移り変わったから、一般ゲームとして新人類王国領土
圏内で美しく売り出された、という話は聞いていたが﹂
50
アーガスが言った言葉に、スバルは呆然とする。
そうだったのか、という心情が簡単に読み取れた。もっとも、こ
の事実は軍人にしか知られていないのだが。
﹁メラニー君。美しい確認はとれるかい?﹂
﹁どう確認しろっつーんですかね﹂
メラニーが近づいてくる。
つかつかと歩み寄ってくる小さい少女は男2人を軽くあしらい、
スバルの目の前に立った。
科学の進んだこの現代社会で、ファンタジー小説にでも出てきそ
うな黒ローブと三角帽子という出で立ちがやや不気味ではあった。
﹁出すです﹂
﹁え?﹂
そんな不気味な少女に迫られ、出せと言われた。
何を、と問いかける前にメラニーは言う。
﹁ICカード。持ってるんでしょう?﹂
﹁あ、ああ﹂
何時も肌身離さず持っているブレイカーズ・オンラインのICカ
ードを財布から取り出し、メラニーに手渡す。
それを手に取ったメラニーは、ローブの中から取り出した白い折
り紙を自身の額に当て、瞑想を始めた。
﹁あ、あのー﹂
﹁静かにしてください下等生物。口が臭いんで無駄な話は控えてく
51
ださい﹂
少女は毒舌だった。
その言葉は少年の心を簡単に抉るが、当の本人は気にした様子が
無い。
﹁⋮⋮成程、確かに稼いでいますね。驚いたことに、全国の新人類
相手にも競り勝っています﹂
﹁ほぉ。旧人類の癖にやるじゃねぇか﹂
言葉とは裏腹に、あまり驚いた様子も見せないでカードを返すメ
ラニー。
しかしマシュラの方は満足げな表情を浮かべた。
﹁そんだけあれば充分だろ﹂
乱暴な手つきでスバルの腕を掴む。
大男に掴まれた少年の腕は、小枝のようにか細く見えた。
﹁待ちたまえ﹂
だが、そんな彼の行動に待ったの声が入る。
﹁アーガスさん﹂
声の主にメラニーが視線を送る。
非難するような険しい視線ではあるが、アーガスはそれを物とも
せずにマシュラに言い放った。
﹁誠意を見せろ、と私は美しく言った筈だ﹂
52
﹁俺も言っただろ。ペットに誠意なんていらねーんだぜ﹂
﹁彼等もこの世界に生きる私達の仲間だ。そこに誠意は必要だよ﹂
アーガスがマシュラに歩み寄り、彼の顎先に向けて薔薇を向ける。
﹁それとも﹂
場に緊張が走る。
ただ薔薇を大男に向けただけなのに、何故こんなにも静まり返っ
ているのかスバルには理解できなかったが、マシュラの額から流れ
る汗から﹃シリアスな感じ﹄なんだと理解した。
﹁新人類王国の掟に従い、ここで君と主張を張り合ってもいいのだ
よ?﹂
﹁アーガス、てめぇ⋮⋮!﹂
現場のど真ん中にいる筈なのに状況はよくわからないが、アーガ
スと名乗るナルシストな新人類兵は、旧人類に対してそこまで差別
意識を持っているわけではなさそうだった。
﹁止めるです2人とも﹂
険悪な空気を壊したのはメラニーである。
﹁ここに来た目的はあくまでお使いです。おわかりですか?﹂
﹁違いないね﹂
だが、と言いつつもアーガスは薔薇を仕舞い、スバルに視線を向
けた。
53
﹁彼は勇敢な少年だ。私は彼に対し、せめてもの誠意を送りたい。
私の流儀に倣い、美しく!﹂
大げさに万歳をした。
いちいち表現が喧しい男である。
﹁1日、君に時間をあげよう。もう君がこの大地に立つことは二度
とない﹂
だが先程のテンションとは打って変わり、急に真面目な顔で話し
だす。
﹁申し出たのは君自身だ。だから私達は君を連れて行く。そして君
は新人類王国で美しい一生を終えることになる﹂
﹁⋮⋮分かりました﹂
スバルは拒否することをしなかった。その場の勢いもあったとは
いえ、申し出たのはスバル自身だ。
ならば、それを受け入れなければならない。どちらにせよ、拒否
権などないのだから。
﹁だから、君は残り24時間で家族や、そこで君が庇った友達との
別れの挨拶を済ませたまえ。悔いが無いように、ね﹂
言い終えると、アーガスは指を鳴らした。
その音を合図としてバトルロイドの集団は飛行機の中に撤収し始
め、舌打ちしつつもマシュラとメラニーもそれに続く。
最後にアーガスが飛行機に向かうが、途中で振り向き、尋ねた。
﹁君と、友達の名は?﹂
54
﹁俺は蛍石スバル。こいつは柴崎ケンゴ﹂
﹁そうか。スバル君、そしてケンゴ君。君達は自分よりも体格のあ
る相手に立ち向かう、勇敢な少年だ。実に美しい﹂
だが、
﹁同時に、軽率で愚かだ。言い方を変えれば、無謀だ。それは美し
くない﹂
再び薔薇を口に咥えた。
どうでもいいが、その行為にどういう意味があるのかスバルは激
しく気になった。
﹁君の人生は明日から王国が握る事になるが、その事を胸に刻んで
おきたまえ。早死にはしたくあるまい?﹂
﹁貴方、すっげぇ良い人なんですね﹂
﹁はっはっは、そんな美しすぎて惚れちゃいそうです、なんて褒め
ないでくれたまえよ﹂
誰もそこまで言っちゃいない。
全てを台無しにしながらも高笑いが止まらないアーガスを乗せ、
新人類王国の兵たちはヒメヅルを発った。
55
第4話 vs蛍石家
蛍石スバル、16歳。生まれはヒメヅル。育ちもヒメヅル。
国内旅行経験は指で数えられる程度。海外経験、無し。
そんな彼が明日、新人類王国へと旅立つことになった。
唯一の自慢は対戦ゲームの成績の良さ。しかし彼が得意とするゲ
ームは、陰では人殺しをする為の巨大兵器のパイロット育成ゲーム
だった。
それを得意とするという事は、旧人類でありながらもパイロット
候補として十分な素質があると判断される材料になりえる。
実際、それが後押しして決まってしまったのだが。
﹁アホか、お前等﹂
その日の夕方。
家に戻り、マシュラに殴られたケンゴの手当てをしつつ、バイト
にそう言われた。
言った張本人は何時ものように真っ直ぐ眼を見据え、思った事を
口にしてくる。
﹁テレビを見てるなら知ってるだろ。新人類軍は旧人類を家畜同然
に扱ってる奴が殆どだ。パツキン薔薇野郎がいたからいい物の、奴
が居なかったら二人とも殺されてたぞ﹂
パツキンて。今時パツキンは無いだろ。
﹁でも、急に乗り込まれて殴られるとか普通じゃねーって﹂
﹁田舎者め。少しはニュースでも見ろ﹂
56
そう、普通じゃないのだ。
少なくとも旧人類に対する人権だとか、そんな物を主張するよう
な時代ではなくなった。
新人類はただ無慈悲に旧人類から搾り取るだけなのだ。このヒメ
ヅルでは唯一の新人類であるカイトがそういう事をしない為、若者
はあまり意識が無いのかもしれない。
﹁この世界は、強者と弱者の区別がはっきりしてる場所だ。それを
忘れたら死に繋がる﹂
﹁⋮⋮ごめん﹂
ケンゴが俯き、呟いた。
しかし反省はしても、友達が自分の身代わりになったのは事実だ。
事実は、もう変えられない。
﹁⋮⋮スバル、どうなるんだ?﹂
﹁あのゲームはパイロット育成用のゲームだったらしいな。だとす
れば、本物に乗る事になるだろうな﹂
﹁俺が、本物のブレイカーに?﹂
想像したことが無いわけではない。
ゲームの中で自由自在に動き回る自分の分身として、あのロボッ
トは非常に相性が良かった。
今までカーレースなり、格闘ゲームなり、スポーツゲームなりや
ってきたがここまで己の感覚とフィットするゲームはこれが初めて
だった。
ゆえに、実物に乗ってみたいと思った事はある。
巨大ロボットに乗り込んで空を飛び、大地を駆け巡るのはさぞか
し楽しい事だろう。
57
﹁正確に言えば、人殺しだ﹂
﹁あ⋮⋮﹂
その一言で、一気に現実に引き戻された。
ロボットの単語はロマン溢れる物だと思う。
男なら一度は大きくて強くてカッコいい物に憧れる筈だ。
それはスバルだって例外ではない。
しかし現実にある強くて大きくてカッコいいロボットは、人殺し
の為の兵器だ。
そのパイロットになるという事は、人を殺すことを生業とするこ
とを意味していた。
この日、マサキは帰宅しなかった。
ご近所さんに挨拶回りしてくると言ったきり、帰ってこない。
﹁もう深夜1時か﹂
カイトが時計を見て、そう呟く。
彼が他人を心配する事は新鮮だった。
﹁何がおかしい﹂
﹁え?﹂
表情に出ていたらしい。
58
彼は訝しげにスバルの方を向く。
﹁ああ、いや⋮⋮心配してくれてるんだなって思って﹂
﹁心配させてる張本人が何を言う﹂
それを言われるとぐうの音も出ない。
そのまま沈黙が流れたが、数分してからカイトが再び口を開いた。
﹁お前は明日、学校に行くのか?﹂
﹁うん。そのつもり。先生や皆に挨拶しなきゃ﹂
﹁事情は大体知ってるだろ。この街は狭いんだし﹂
﹁それでも、ちゃんと自分の口でいうよ﹂
﹁そうか﹂
2人の部屋は共用だった。
カイトが居候を初めて、部屋に余りが無いという事でスバルの部
屋が共用になったわけだが、あまり空間に変化はない。強いて言え
ば、2段ベットになったくらいだ。
﹁なあ、カイトさん﹂
﹁ん?﹂
一応仕事がある為、いち早くベットに潜り込み始めるカイトに、
スバルは言う。
﹁ありがと﹂
﹁何だ突然。気色悪い﹂
本気で気味悪がっている。
ベットから出て、部屋の入口まで一瞬で距離を取った。
59
ここまでされると流石に傷付く。
﹁一応、感謝してるんだけど⋮⋮﹂
﹁俺は感謝される事はしてない﹂
﹁アンタがそう思ってないだけだよ﹂
カイトと言う青年は、あまり他人と関わってこなかった為か他人
からの自分への評価は低い物だと思い込む節がる。
先日の柏木一家とのいざこざもそうだ。
妙に自分に引け目を持っている気がする。
﹁新人類であることに負い目があるのか知らないけどさ。それでも
俺はアンタがいてくれて良かったって思ってるよ﹂
﹁何故だ﹂
﹁疑問なんていらないだろ。俺が感謝したいってだけなんだから﹂
﹁お前はよくても、俺はわからん﹂
人間不信なんだろうか。
ストレートに聞かれると、逆に戸惑ってしまう。
やや間をおいて考えを整理し、スバルは言った。
﹁ウチ、父さんと俺だけだからさ。ああ見えて父さんは寂しがり屋
だし、俺もあんま頭良くないから、アンタが居て丁度バランスが良
くなったと思うんだよ﹂
﹁よくわからん﹂
﹁掻い摘んで言えば、アンタが好きだってこと﹂
カイトがジト目で見てくる。
何言ってるんだ、コイツと訴えている目だ。
60
﹁家族的な愛情の話だからな! 恋愛的な物じゃないぞ!﹂
﹁気色悪い。他人に向かってよくそんな事言えるな。ビッチなのか
?﹂
﹁なんでそこまで言われなきゃいけないんだよ! 後、ビッチって
﹃売女﹄と書いてビッチ! 俺、男!﹂
﹁そうか。じゃあ発情した犬なのか?﹂
﹁言い直してそれかよ! 人間ですらなくなったじゃねぇか!﹂
溜息をつき、頭を抱える。
﹁話は戻すけど、俺も居なくなるだろ。そうなったらこの家は父さ
んだけだ。でも、今はアンタがいるだろ。だから心配せず向こうに
行ける﹂
﹁⋮⋮なぜ、信頼する﹂
﹁するんじゃないんだよ。こういうのは自然とできちゃうものなん
だよ﹂
今、自分で良い事を言ったな、と思う。
しかしカイトは首を傾げるばかりだった。
﹁⋮⋮俺にはわかりそうもない﹂
﹁今すぐわかんなくてもいいよ﹂
スバルは上段のベットに上がり、毛布を被る。
﹁母さんも死んじゃったし、父さんだけここに残しておくのは心配
だけどさ。アンタが父さんを嫌いじゃないなら、大丈夫だと思う﹂
﹁⋮⋮﹂
﹁それに、ケンゴや柏木さんもいるし。父さんは大丈夫だよ﹂
61
言われて、カイトは納得する。
蛍石マサキは、雰囲気が穏やかな為か人が集まる。
自分もそれに引き込まれたようなものだ。否定する材料は無い。
そんなマサキを自分が支えるイメージはどうしても浮かばなかっ
たが。
﹁⋮⋮電気、消すぞ﹂
﹁ああ、最後に1ついい?﹂
スバルがベットから起き上がる。
﹁俺、一人っ子だからさ。ずっと兄貴か弟に憧れてたんだよ。友達
もケンゴくらいしかいないし。だから、楽しかったよ﹂
﹁⋮⋮碌な兄貴じゃないな﹂
﹁全くだ﹂
思わず笑っていた。
カイトは振り返らないから表情は見えない。
だが、彼も少しでいいから笑って欲しいと、この時ばかりは思っ
た。
﹁でも、頼りになる兄貴だよ。嫌な顔しても、なんだかんだで最後
まで面倒見てくれるし﹂
﹁そうか﹂
短い一言だった。
しかしそれは話を終了させる為の一言ではなく、何処か受け止め
るような優しさを感じた。
それだけで十分だった。
62
﹁明日、早いんだろ。もう消すぞ﹂
﹁うん﹂
少年の了承を取った後、電灯の明かりを消す。小さな一室が暗く
なったのを確認した後、カイトは二段ベットの下段へと向かう。
ところが、やや間を置いた後、彼は引き返した。部屋のドアを開
け、居間へと降りる。
玄関の扉が開く音がしたのだ。
﹁マサキ、帰ったのか﹂
﹁ん、ああ⋮⋮君か﹂
心なしか、顔色が悪そうに見えた。
顔は真っ赤になっており、足取りも重い。
マサキは酒を飲んでいた。
﹁スバルはどうした?﹂
﹁寝た。明日、早朝から挨拶に回るんだと﹂
﹁ふぅん⋮⋮なぁにが挨拶回りだ!﹂
テーブルをひっくり返さんばかりの勢いで手を振るい、マサキは
吼える。
大分荒れているようだった。
4年間共に過ごしてきたが、彼が物に当たるのはこれが初めてで
ある。
﹁親の気持ちも知らんで、1人で勝手に決めて!﹂
﹁マサキ、もう寝た方がいい﹂
63
テーブルを蹴りつけようとするマサキを背後から抑える。
カイトは4年間共に過ごした一家の大黒柱の、弱々しい姿を始め
て見ていた。同時に、彼の背中がこんなにも小さい物だったのか、
と実感した。
それ程ショックだったのだろう。
恐らく、カイトには想像もできない程に、だ。
﹁明日、俺が代わりに学校に連絡を入れる。だから今は寝ろ﹂
疲れもあったのだろう。
マサキはそれから蹲り、泣きながら眠った。
背中に毛布を被せ、カイトは玄関の戸締りをする。
﹁⋮⋮もう、明日のこの時間には居ないんだな。アイツ﹂
呟いた言葉に反応する者は、誰一人としていなかった。
しかし、その言葉に疑問を抱いたのは他ならぬ彼自身である。
それを意識した瞬間、彼は首を傾げた。
何でそんな事を言うのだろう。
マサキやケンゴが言うのは兎も角、彼等ほど付き合いが長くない
上に、家族なのかすら怪しい関係である。思い出も、どちらかと言
えば世話を焼いた記憶が多い。というか、寧ろ全部そうだ。
ならば居なくなって、少しは楽が出来ると思うのが道理なのでは
ないだろうか。
﹁⋮⋮わからん﹂
後頭部を掻きながら、カイトは鍵を閉めた。
ソレと同時に、思考を切り替える。
64
スバルと顔を合わせるのもこれが最後だ。
今まで面倒ばかり見てきたが、この際最後まで面倒を見てやろう
じゃないか。
先の疑問を拭い去る様にして出した結論は、ある種その疑問に回
答を出していたのに、彼は気づいていなかった。
翌日の朝。
気合を入れて早起きしたスバルを迎えたのは、それ以上に気合を
入れて早起きしていたカイトだった。
﹁⋮⋮何してんの?﹂
﹁朝飯。食え﹂
﹁お、おう﹂
トーストとハムエッグ、そして申し訳程度のキャベツの千切りを
目の前に出される。
それを口に運びつつも、スバルは尋ねた。
﹁⋮⋮どうしたの。急に﹂
蛍石家は基本的にマサキが家事をする。
そしてカイトは宅配を始めとする朝の仕事の大半をする。
この流れが基本だった。
﹁今日は仕事休みだ﹂
﹁え、俺は聞いてないぞ!﹂
﹁当たり前だ。今決めた﹂
65
今かよ。しかもバイトの癖に決定したと言うのか。
﹁マサキは仕事にならん。それにお前も今日で最後だ。臨時休業し
なきゃ俺の身体が持たん﹂
﹁もしかして、気を遣ってくれたのか?﹂
﹁自惚れんなカス﹂
にやにやしながら無愛想な顔を覗き込んだスバルは、顔面に思い
っきりバターをつけられて悶絶した。
﹁ああ、油! 油が目に!﹂
﹁まあ、しかしお前が原因なのは違いない。マサキもすっかりダウ
ンしてるしな﹂
何事も無かったかのようにトーストを貪り、カイトは言う。
﹁今日の用事は俺がしておいてやる。お前は親父と残り時間、悔い
の無いよう話し合っとけ﹂
﹁いや、学校は俺が行かないと⋮⋮﹂
﹁父親だってそうだろう。しかもこっちは重症だ﹂
半ば睨むようにして、カイトは視線を向けてきた。
﹁マサキとはちゃんと向き合ってこい。もう、お前はこの家に帰っ
てこれないんだ﹂
帰ってこれない。
あまり考えないようにしていたが、実際に言われるといよいよ現
実味を帯びてきた。
66
恐らく、その時があるとすれば遺骨になった時だろう。
最悪、それすら残らず消し飛んでいる可能性もあるわけだが。
﹁⋮⋮そうだな。父さんとは、ちゃんと話しとかなきゃ﹂
﹁ああ、お前は後悔するな﹂
そこでスバルは気付く。
﹁アンタは後悔してるのか?﹂
﹁⋮⋮俺とは昨日、もう話してるだろ。今日はもっと大事な奴の為
の時間にしてやれ﹂
やっぱり気を遣ってくれてるんじゃん。
実際に言ったら殴られそうだったので心に留めておくが、せめて
もう少し素直になってくれないかな。
スバルはそう思いながらも、目の前にる新人類の居候に対して笑
みを浮かべた。
もっとも、その後すぐに﹃気色悪い﹄と一蹴されてしまうのだが。
67
第5話 vs物質変換大男
﹁マサキ、この女は誰だ?﹂
カイトが蛍石家で住み込みバイトとして働き始めて、数日経った
頃の事である。
彼は写真立てを指差し、一家の大黒柱に問いかけた。
マサキと、幼い少年と女性が映っている。面影があることから、
少年はスバルだと推測した。
しかしその横で微笑む女性の姿を、彼は見たことが無かった。
﹁ああ、それは私の妻だ﹂
﹁妻⋮⋮スバルの母親の事か﹂
﹁そうだよ﹂
穏やか笑みを浮かべ、食器を片づける。
しかし、やや機械的な新人類は問いかけを続けた。
﹁見ないが、彼女は何処に?﹂
静寂が場を支配する。
水道水の流れる音だけが、妙に耳に残った。
﹁死んだよ﹂
返答は短かった。
マサキの表情は、背後からは読めない。
68
﹁3年前に、事故に巻き込まれてね。私が駆け付けた時は、手遅れ
だった﹂
﹁そうか﹂
その時の自分は、なんて顔をしてたのかわからない。
現在の柏木一家の時のように気まずい顔をしていたのか。もしく
はそのまま無表情で頷いていたのか。
唯一覚えていることは、マサキの身体が震えているという事だっ
た。
﹁妻は、息を引き取る前に何度か私とスバルの名前を口にしていた
らしい﹂
病院から連絡を受けたときの話だ。
それを聞いて、必死になって駆け付けたが、到着した時にはもう
遅かった。
﹁馬鹿な話かと思うかもしれないがね。あの時、10分でも、1分
でも、1秒でも早く間に合っていれば、と思うんだ﹂
﹁早く辿り着けたら、奥さんは助かったのか?﹂
﹁理論的に考えたら、難しいかもね。でも、今みたいに後悔はして
いないと思う﹂
﹁後悔してるのか?﹂
﹁勿論だとも﹂
だから、もし次があるのであれば。
どんな結果になろうと、後悔しない選択をしたい。
マサキが静かに呟いた決意を、カイトは無言で聞いていた。
その言葉は、4年経った今も彼の中に残っている。
69
新人類軍が迎えに来るまで残り3時間。
カイトはヒメヅル高等学校にて、スバルの代わりに教室に君臨し
ていた。
その役割は彼に代わり、校舎内の仲間や恩師達に挨拶することに
ある。
だが、
﹁別に授業まで受ける必要はないんじゃね?﹂
近場の席に座るケンゴがこそこそと話しかけてくる。
カイトはスバルの席にどっしりと構えつつ、その小さな問いに応
じた。
﹁今日の俺は奴の代理だ。だから奴の代わりに最後の授業を受ける
義務がある﹂
﹁何たる不器用⋮⋮!﹂
否、不器用と言うよりは面相臭い。
顔が真顔なのが性質が悪く、教師や周囲の学友も何処かオドオド
していた。
彼の真面目な表情は、結構怖いのである。威圧感があるのだ。正
面の生徒なんか常に震えている。ちょっと気の毒だった。
﹁お前の方こそ、身体は良いのか?﹂
70
﹁お陰様で。というか、今からでもアイツと入れ替わろうと思って
たんだけどさ﹂
﹁止めておけ。お前じゃゲームの腕が違う﹂
そもそもスバルとケンゴでは体格が違う。
時間さえあればゲームをするスバルと、大工の手伝いで身体を鍛
えたケンゴでは話にならない。
そして、それは同年代の仲間達にも言えた。
﹁ヒメヅルみたいなド田舎じゃあ、アイツほどのゲーマーはそうは
育たない。大体自営業してる家族だし﹂
﹁そうだ。そしてバレた瞬間、新人類軍はここに攻め込んでくるだ
ろ﹂
いかなる形での侮辱も、挑発も、騙しすら許さない。
やられたら二度と逆らえなくなるまで殴り続ける。
それが新人類軍だ。彼等のモットーは暴力にあると言っても過言
ではない。
﹁⋮⋮俺のせいなのに、何でこんな無力なんだろうな﹂
ケンゴの呟きは、教室内に響いた。
しかし彼の私語を咎める事は誰もしない。誰が出来たというのだ
ろうか。
﹁そう思うなら、これから強くなれ﹂
代わりに、彼の背中に手を当てたのはカイトだった。
彼は教師の書く黒板に視線を向けつつも、ケンゴに言葉を投げる。
71
﹁俺、旧人類だぜ?﹂
﹁関係ない。アイツは旧人類だからって事を言い訳にしないで、ず
っと画面の中にいるライバルと戦い続けた。そして新人類軍にも一
応は認められている﹂
教室の中の全員が、その言葉に耳を向けていた。
まるで自分に言われているような錯覚を覚えつつも、だ。
﹁お前だって、やろうと思えば出来る筈だ﹂
直後。
ケンゴが力なく机に項垂れる。
﹁うぅ⋮⋮ゴメンよスバル。ごめんよぉ⋮⋮﹂
すすり泣く彼に、誰も言葉をかける事はできなかった。
いくら後悔しても、懺悔しても起こってしまった事は元に戻せな
い。ケンゴが己の正義感に基づいて行動したことは、傍から見れば
立派だったかもしれない。アーガスも称賛していた。
だが、その後先考えない正義感のせいで親友が犠牲になった。彼
の人生すべてが、その瞬間に決まってしまった。
ケンゴは己の行動を恥じ、ただ感情の赴くままに机にしがみつく。
授業の終わりを告げるチャイムが鳴るまでの間、彼は顔を上げる
事はできなかった。
彼が落ち着きを完全に取り戻したのは、下校時刻を少し過ぎてか
らである。
目元を擦り、時間を確認する。親友の見送りの為に学校が下校時
間を早めてくれたことを思い出した。今から家に戻っていては着替
72
える時間も無いだろう。
﹁初めての学校はどうだった?﹂
ケンゴはカイトに声をかける。
一応、これも親友との日課だった。
﹁悪くない。アイツは幸せだな﹂
﹁そこまで言うか? アイツ、中学から結構赤点の常連なんだけど﹂
﹁教師がお前に釣られて泣いてた﹂
﹁マジで?﹂
﹁マジで﹂
それは結構恥ずかしいな、とケンゴは自らの頭を抱える。
余談ではあるが、あの授業の後何人かの生徒は腹痛を訴えてトイ
レに直行したり、保健室に駆け込んでいた。
便利な逃げ場所があるもんだと思う。
﹁他人にそこまで思ってもらえるのは幸せだよ。少なくとも俺はそ
う思う﹂
﹁俺は今、アンタが初めて人生の先輩だって思ったわ﹂
﹁ならもっと敬意を表せ﹂
﹁だって、普段のアンタすげー無愛想で怖いんだもん﹂
テストの時期に至っては運転が怖い。
まるで壊れた機械のようだと、よく比喩されている。
﹁⋮⋮後、1時間か﹂
その言葉に、ケンゴは沈黙する。
73
早ければそろそろ新人類軍の飛行機が到着する頃だ。
﹁見送りの覚悟は決まったか?﹂
﹁んなもん、クラスのお別れカード貰った時に覚悟決めた﹂
その言葉にカイトは深く頷き、重い腰を上げる。
﹁じゃあ、行くか﹂
目覚めたときは長い時間があるように感じたが、24時間という
時間は案外短いもんだと思う。
蛍石スバル、16歳。昨日まで早く授業終わらないかな、とぶつ
くさ呟いていたダメ学生は、僅か1日で24時間という時間の短さ
と大事さを思い知らされた。
何故かと言えば、バイトに気を遣って貰ったのは良い物の、父親
と碌に会話できなかったのだ。
﹁はぁ⋮⋮﹂
思わず溜息が出る。
何度話そうとしても、マサキは言葉を交わそうとしない。
それどころか、視線を合わせてくれない。
まるでスバルがこの世からいなくなったかのように振る舞い始め
たのである。
74
恐らく、彼なりに息子の別れと向き合った結果なのだろうが、完
全に居なかったように扱われるとは。
それはそれで結構辛い。
﹁覚悟は美しく決まったかね?﹂
﹁情けないけど、釘は打ち込まれた気がする﹂
既に新人類軍の迎えは到着していた。
昨日と同じようにアーガスが真正面に立ち、その左右にマシュラ
とメラニーがいる。
背後には相変わらずバトルロイドの群れが整列しているが、約一
名バイオリンを構えていた。
絶対あれを使って演奏を始めるんだろうな、あの薔薇男。
﹁しかし、君は若いのに随分人望があるんだね。家族や友人以外も
多く来ているではないか﹂
﹁父さん居ないけどね! 皆来てくれて嬉しいもんね!﹂
先程ケンゴから渡された﹃お別れカード﹄を掲げて、万歳する。
ちょっとやけくそだった。
それを見て、教師が号泣し始めた。
周囲にいる生徒たちが彼を宥めている。
﹁さて、そろそろ時間な訳だが確認を取ろう。君のこれからの境遇
についてだ﹂
急に真面目な表情になったアーガスは、薔薇を懐にしまう。
﹁ブレイカーズ・オンラインの上位プレイヤーである君は、本物の
機体に乗ってもらう事になる﹂
75
予想が的中した。
ソレ以外何の取柄もないのだから﹃ソレ以外やるよ﹄と言われて
も困るのだが。
﹁勿論、新人類が受けるのと同じ訓練を受けてもらう。仮にそれを
パスしたとしても、何時死ぬか分からない戦場が君を待っている﹂
周りにいるのは新人類。
戦うのは同族の旧人類。
周囲とのコミュニケーションですら、難しい物になるだろう。カ
イトやアーガスはともかく、新人類はマシュラのように旧人類を見
下ろす風潮がある。
﹁分かりました﹂
だが、スバルは表情を変えなかった。
たった一言だけの返事は、彼の決意そのものである。
﹁宜しい。美しいな、薔薇をあげよう﹂
﹁ありがとうございます﹂
灰色の薔薇を渡された。
流石に品種改良なんだろうが、果たしてこの色はどうやって出し
ているんだろう。
新人類の技術は何時見ても摩訶不思議だ。
もっとも、これからその新人類のお世話になるのだ。
彼等の技術がいかに怪しくても、それを信頼しなければこの先は
生きていけないだろう。
76
振り返り、カイトとケンゴの顔を見る。
昨日、彼等と話した時から懸念してた点があった。
パイロットとして新人類軍に入るのなら、人殺しを職にするとい
うことである。
もしも無事に生き残り、凄く偉くなってこの場所に帰ってこれた
としても、胸を張って彼等には会えないだろう。
正直に言えば、ここだけはまだ迷いがある。
だが、やるしかないのだ。
ゲームの世界でも、現実の世界でも引き金を引かなければ、撃た
れるのは自分だ。
だから、そこに関しては軍に行ってから何とかする。
そうしないと先は無い。
﹁皆、お世話になりました⋮⋮!﹂
集まったヒメヅルの住人たちに向かい、一礼。
もう二度と帰ってこれない。
帰ってきたとしても、ここに住んでいたスバルと言う少年の人格
は消え去っているだろう。
全てに諦めをつけたような彼の言葉を受け、何人かが泣きだした。
ケンゴはハンカチで顔を覆っている。
カイトはどこか諦めた表情をしている。ケンゴから受け取ったと
ころを見ると、彼が親友にハンカチを貸していたらしい。
教師は涙と鼻水が入り混じって、人に見せられない顔になってい
た。
柏木旦那は未だに頭を打ち続けている。もう自分を責めないでい
いんじゃないでしょうか。
77
﹁スバル君、君は美しい仲間に恵まれているな﹂
アーガスが笑顔で肩を叩く。
﹁ド田舎ですから。皆顔見知りですし﹂
﹁それでもだよ。誰もが駆けつけてくれるわけではない。ある意味
では君の力だ。それを忘れない為にも、今の内に良く目に刻みつけ
ておくといい﹂
﹁アーガスさん。そろそろ﹂
メラニーが出発を促す。
それに従い、アーガスは飛行機へと戻って行った。
整列していたバトルロイド達も、順番に続いていく。
﹁待ってくれ!﹂
だが、そんな時。
人混みを切り分けて、その場へ駆けつける初老の男性がいた。
マサキだ。彼はエプロンをつけ、紙袋を持っている。普段のパン
屋の恰好そのままだった。
﹁おじさん!?﹂
﹁マサキ!﹂
ケンゴとカイトが驚愕の表情で彼を見る。
だが、それはスバルも同じだ。
﹁父さん!?﹂
﹁待ってください、新人類軍の方々!﹂
78
マサキは中央に駆け寄り、スバルの前に立つような形で彼等と相
対する。
そんなマサキに歩み寄るのは数名のバトルロイドと、メラニーで
ある。
﹁何か?﹂
だが、その言葉は非常に冷たい物だった。
氷のような視線に怯まず、マサキは主張する。
﹁私を代わりに連れて行ってください!﹂
﹁はぁ?﹂
﹁父さん!?﹂
野次馬がざわつく。
しかしそれを許さないと言わんばかりにマシュラが腕を大きく振
り上げ、大地に叩きつけた。
ヒメヅルを振動が襲う。ちょっとした地震だった。
﹁静かにしな! 親父よぉ、お前もな!﹂
﹁いえ。息子はまだ将来があります。私が代わりになれば問題ない
でしょう!﹂
﹁大ありだよ馬鹿野郎! お前がなんの役に立つっていうんだ!﹂
マシュラの威圧にも怯まず、マサキは言った。
﹁私はこの街唯一のパン職人だ! この街のパンは全部私達が作っ
ている﹂
﹁そういうのは、こっちにもいますんで﹂
79
彼等が求めるのは大量に替えが必要な戦士か、もしくは更に超越
された才能のいずれかである。
中途半端な職人は不要なのだ。
﹁ならば、私のパンを試食してみてください! それで合格できれ
ば問題ない筈です!﹂
紙袋から食パンを取り出した。
なんの変哲もないパンだ。普段お店で並んでいるのと、なんら変
わる事は無い。
﹁父さん! 何で︱︱︱︱﹂
﹁馬鹿たれ! 息子が心配で何が悪い!﹂
ずっと答えを探していた。
新人類王国に逆らわず、息子を軍に渡さない方法。
考えに考えた結果、自分が身代わりになるしかないと考えた。
つい10分かそこら前の話だ。
﹁お前をむざむざと人殺しにさせんよ! お前はこの街で生きるん
だ﹂
﹁でも、父さん!﹂
﹁見苦しいですね﹂
食パンを受け取り、メラニーが呟く。
彼女は興味なさそうにそれを一瞥した後、マシュラに渡した。
﹁どうぞ﹂
﹁あん?﹂
80
﹁後を宜しくって事です﹂
短いやり取りだけ済ますと、メラニーも飛行機の中に戻って行っ
た。
取り残されたマシュラと5体のバトルロイドが、蛍石一家を囲む。
﹁ちっ、面倒な仕事押しつけやがって﹂
マシュラはそう言いつつ、食パンに視線を向ける。
しかし彼はそれを口に運ぶどころか、その場で握り潰した。
﹁!﹂
マサキとスバルの表情が変わる。
各々その色は違うが、共にマシュラに向けられた物だ。
﹁おい、連れていけ﹂
﹁了解﹂
命じられた2体のバトルロイドがスバルを捕まえる。
しかし彼はそれを振り解くように、暴れ始めた。
﹁てめぇ! よくも父さんのパンを!﹂
﹁待って! 待ってくださいマシュラ様! 私に出来る事なら何で
もします。だからどうか息子だけは!﹂
息子が怒りを、父が懇願を向けてくる中、マシュラは表情を崩さ
ずヘルメットを被る。そして無言で電源を入れ、通信を入れた。
ヘルメットに登録されている多くの兵の中から選ぶ連絡先は、ア
ーガスだ。
81
﹁⋮⋮俺だ。悪いが、少し面倒なことになった﹂
﹃遅いとは思ってたよ。何があったんだい? メラニー嬢は話して
くれなくてね﹄
﹁ちょっと抵抗にあってな。ガキは送っておく。先に行ってくれ﹂
﹃何をするつもりだい?﹄
視線を一度、マサキに向けた後。
マシュラは歪んだ笑みを浮かばせ、言った。
﹁少し躾をするんだよ﹂
﹃⋮⋮やり過ぎるな。評判に関わる﹄
﹁分かってる。バトルロイドを何体か借りるぞ﹂
それだけ言って、通信を切る。
再びマサキに向き合うと、彼は自らの掌を彼に見せる。
そこには先程握り潰したパンの破片は一つも残っておらず、代わ
りに幾つか赤い結晶が出来上がっていた。
﹁パンよりも、俺の作り出す宝石の方が価値があるとは思わんか?﹂
マシュラは物質を赤い結晶に変換できる新人類だった。
その力を生まれながらにして持っているだけで、彼の人生は成功
していたと言っても過言ではない。少なくとも、それを換金するだ
けで生活に困ることはなかった。
ところが、人間と言う生物は貪欲だ。
それ以上価値がある物があれば、自然と追い求めてしまう。
逆に価値が無いと思う物に関しては、何処までも冷酷だ。
82
﹁やばい!﹂
カイトが叫ぶ。
その声はマサキやスバルの耳にも届いていたが、どういう意味か
は理解できていなかった。
しかしその直後。
﹁あ⋮⋮﹂
マサキの身体が大地に伏した。
彼の胸に黒い穴ができあがっており、そこから赤い染みが広がっ
ていく。
﹁え?﹂
スバルは目の前で何が起こったのか理解できない。
父親が急に倒れて、カイトが駆け寄り、それに続くようにしてケ
ンゴや何人かの人がマサキの周りに集まっていく。
﹁父さん? え?﹂
呆けている中、抵抗する事も忘れたスバルは、バトルロイドによ
り呆気なく飛行機の中へと連れて行かれてた。
﹁マサキ! おい、マサキ!﹂
83
﹁生きてるのか!? なあ、おい。生きてるのか!?﹂
泣きそうな顔でケンゴが問いかけてくる。他の者も皆、似たよう
な感じでこちらを見てくる。
だが、カイトに聞かれても困る。
彼がやっているのは、あくまで呼びかけだけだ。
﹁医者だ! 医者を呼べ、早く!﹂
マサキは撃たれていた。
見ると、マシュラの左手には小さな銃が握られている。
どちらかと言えば、マシュラ自体が大きすぎて銃が小さく見える
だけかもしれない。
その奥に見えていた飛行機は、何時の間にか離陸していた。
カイトはマシュラを睨み、非難するような表情を向ける。
﹁どうした。そんな睨みつけて﹂
﹁貴様、どういうつもりだ﹂
﹁どういうつもりも何も、躾だ﹂
マシュラが手を振る。
その先にいたのは3機のバトルロイドだ。
彼女たちはマシュラの合図に従い、彼の前に立つ。
﹁構えろ﹂
3機のバトルロイドがそれぞれ右腕に装備されている銃口を向け
る。
﹁お前等は本当に救いようのない田舎者だ。誰に逆らっちゃならな
84
いのかってのを身体に叩き込んでやるよ﹂
その為の見せしめか。もしくは、ただのストレス発散口か。
いずれにせよ、マシュラの笑顔は歪んだままだった。
﹁ス、バル⋮⋮﹂
﹁マサキ!?﹂
言葉を発するのも苦しげなマサキの声が聞こえる。
﹁スバルは、どうなったんだ⋮⋮?﹂
﹁マサキ、喋るな﹂
﹁私は、そうか⋮⋮﹂
自分が今、どういう状況に置かれているのかマサキはある程度理
解し始めているようだ。
倒れている自分、周りを囲むスバル以外の関係者たち。
そして自身が血塗れなのだという事が、彼に現実を突き付けてい
た。
﹁すまない。皆に迷惑をかけてしまった﹂
﹁喋るなって言ってるだろ!﹂
﹁ふふふ⋮⋮珍しいな。君が必死になっているとは﹂
何を言ってるんだこいつ、とカイトは思った。
どうして死んでしまうかもしれないこの状況下で、笑っていられ
るのかと不思議に感じた。
﹁カイト。君は、私やスバルが居なくなると寂しいか?﹂
85
今度は問いかけが飛んできた。
しかしその問いは、すぐには答えられなかった。
﹁答えてくれ。私はずっと不安だった。君の為にと思ったことが、
結果的に君を苦しめていないか﹂
﹁今、医者を呼んでいる。質問には後で答えるから待っていろ﹂
だから、はぐらかした。
彼の顔を見まいと、ケンゴに視線を送る。
﹁頼む。俺はアイツの注意を引きつける﹂
﹁引きつけるっつったって⋮⋮相手は兵にバトルロイドが3体だぜ
!?﹂
﹁任せろ。俺なら上手くやれる!﹂
﹁何をゴチャゴチャ言ってやがる! そのガキもいい加減目障りだ。
やれ、バトルロイド共!﹂
マシュラが攻撃の合図をかけた。
ソレと同時に、マサキの周辺にいた者は殆どが伏せたり、悲鳴を
あげて逃げ出し始める。
だが、
﹁できません﹂
﹁何?﹂
砲撃は飛んでこなかった。
バトルロイド達の内の一体は、命令違反の説明を始めた。
﹁我々は新人類への攻撃を許可されていません﹂
﹁あぁん!? 新人類だと?﹂
86
﹁はい。従って、日本支部最高責任者であるアーガス様以上の権限
を持つ方によるご命令でなければ、我々は攻撃出来ません﹂
﹁どいつだ、ここの新人類は!﹂
バトルロイドは銃口を﹃そいつ﹄に向けた。
その先には、マサキの身体をケンゴに預けて立ち上がるカイトの
姿があった。
﹁お前、新人類だったのか!﹂
﹁だとしたら、どうした﹂
マシュラの威圧を受けて、睨み返す。
しかしカイトへの呼びかけはもう一方からも飛んで来た。
﹁カイト⋮⋮行くな。お前まで居なくなる必要はない﹂
﹁安心しろ。誰もこんなデカブツの所に出稼ぎにはいかん﹂
カイトは笑った。
マサキを安心させるように、なるべく無理のない笑みを作る。
そういえば、こうして誰かの為に笑みを作るのはこれが初めてか
もしれない。
﹁そうか。そうだったのか﹂
﹁あ?﹂
カイトはそれを意識したと同時、理解した。
先のマサキの問い。その答えはただ自分が気付いていなかっただ
けだった。
﹁変に気を遣って、慣れない作り笑顔まで作って⋮⋮結局、俺はこ
87
の家が好きだったんだな﹂
カイトは自嘲する。
何でこんな簡単な事に気付けなかったんだろうか。
﹁カイト⋮⋮﹂
その言葉を聞いたマサキは、安堵した表情で頷いていた。
彼の中にある幾つかの憂いの一つが、これで解決したのである。
だがマシュラは、そんな彼に対して苛立ちを隠そうとはしなかっ
た。
﹁何をゴチャゴチャ抜かしてやがる!﹂
マシュラが大きな巨体を揺らしながら襲い掛かる。
棍棒のような大きな右腕が振るわれ、カイト目掛けて繰り出され
た。
﹁!?﹂
だが、その動きは止まった。
右腕の水平チョップは、カイトの右手によって掴まれていたのだ。
﹁何だと!?﹂
マシュラの表情が、驚愕の色に染まる。
しかし、驚きはそれだけに留まらない。
﹁いぎ⋮⋮!?﹂
88
掴まれた腕に激痛が走る。
潰されそうになっているのだ。マシュラの大きな腕が、カイトの
細い右手によって。
﹁ぎ、あああああああああああああああああああああああああああ
あああああああ!!﹂
マシュラの悲痛な叫びがヒメヅルに木霊する。
しかしカイトは力を一切緩めず、逆に力を込めた。
﹁そら!﹂
潰れた。
カイトの掌の中でマシュラの鈍器のような右手が弾け飛ぶ。
トマトを潰したかのような赤い鮮血が、彼等の間で飛び散った。
﹁っああああああああああああああああああああああああああああ
!?﹂
腕が弾け飛び、膝をつく。
そして一旦深呼吸することで、マシュラは目の前にいる新人類を
見る。
見下すのではなく、見上げる形で。
﹁何だ、テメェは﹂
震えが止まらない。
痛みと熱で汗は吹き出し、息も乱れている。
﹁何なんだお前は!﹂
89
﹁カイトだ﹂
簡単に、そいつは言った。
しかしそれだけでは納得できない。
﹁ふざけんな! いかに新人類でも、俺の手をぶっ壊せる野良野郎
なんている筈がねぇ! テメェ、何処の所属だ!﹂
新人類は異能の力や、才能が特化された、優れた人類。
それがマシュラの認識だった。
しかし、それが覆されようとしている。
マシュラは己の全てが否定されるのを拒むように、バトルロイド
に命じる。
﹁お前等、検索だ! コイツの声帯や指紋。容姿でもなんでもいい
! 王国に登録されているデータベースと照合しろ!﹂
そこまで言い終えたと同時。
マシュラの腹に強烈なキックが炸裂した。
﹁がっ︱︱︱︱!?﹂
意識が飛びかける。
身体がよろけ、後はそのまま倒れるだけなのだが、カイトはそれ
を許さなかった。
彼はマシュラの首に手刀を突きつけ、刺し、跳ね飛ばした。
一瞬だった。
たった数秒も無い動作で、マシュラの首は飛んで行った。
相手は武器も何も持っていない新人類。異能の力は使わず、身体
90
能力で圧倒しただけ。
﹁データ登録、あり﹂
マシュラが息絶える前に命じられたバトルロイドが、静かに告げ
る。
トリプルエックス
﹁確率76%で、本人データと一致しました。元新人類軍特殊部隊
﹃XXX﹄所属、神鷹カイト。リバーラ王様が設立した、少年少女
で構築された殲滅チームのリーダーを務めておりました。異能能力
としては自己再生能力を所持しており、運動能力だけなら当時の王
国の右に出る者はいないと記録されています﹂
巨体の血を浴び、真っ赤に染まったカイトが3体のバトルロイド
を睨む。
カイトは︱︱︱︱嘗て、ニンジャゾルジャーと呼ばれた青年は、
敵を黙認した後、疾走した。
91
第6話 vsパツキンナルシスト薔薇野郎 ∼電話編∼
嘗てマシュラと呼ばれていた巨体がヒメヅルの大地に転がり落ち
る。
その直後、彼の付き添いで残っていた3体のバトルロイド達も次
々と破壊されていった。
﹁あ、ああ⋮⋮﹂
だが、その光景は非常に暴力的だったと言える。誰かの命を刈り
取り、破壊し、蹂躙する暴力。
カイトが執行したのは、そんな力だった。彼とはそれなりに友好
な関係を築けていると自負していたケンゴでさえも、その姿に畏怖
している。
ある1体はマシュラと同じように手刀で首を切り落され、ある1
体は蹴りで上半身を切断された。
最後に残った1体は全身をバラバラにされて、今まさにトドメの
手刀を首に受けるところであった。
﹁⋮⋮ふん﹂
オイルか血かも分からない赤い液体を拭い捨て、周囲を見る。
そしてマサキとケンゴの姿を確認すると、無言で近づいてきた。
﹁ひっ!﹂
思わず、そんな言葉が喉から飛び出した。
92
冷静に考えたら失礼だとケンゴは思う。
理由はどうあれ、彼は殺される寸前の自分達を助ける為に動いて
くれたのだ。ソレに対して謝礼があっても、怯えるのは場違いと言
う物だろう。
しかし、頭で理解していても身体はカイトから距離を置きたがっ
ている。
﹁気にする必要はない。当然の反応だ﹂
だが、当の本人は特に気にする素振りも見せず、マサキに視線を
落とす。
﹁見たか。コレが俺の正体だ﹂
凶弾によって倒れたマサキは、薄れゆく意識の中で彼の言葉を聞
いた。
﹁あのバトルロイドの言うように、俺は新人類軍だ。戦って、あん
な感じにぶっ壊す事しか能が無い﹂
﹁そんなことは、無い﹂
自嘲するようなカイトの言葉に対し、マサキは力を振り絞って否
定した。
何時も向けている、優しい笑顔で。
﹁君は他人の痛みがわかる、優しい人だ﹂
一言だけ、そう言った。
言われた本人は、滅多に見せない寂しそうな表情をしている。
93
﹁そうかな? まだ人間の行動はよく理解できてない﹂
﹁君は、自分を無理やり機械にしようとしているだけだ﹂
マサキは瞼を閉じる。
﹁最期に君の本音が聞けた。スバルも寂しくは無い⋮⋮息子を、頼
む﹂
﹁!?﹂
マサキを抱えていたケンゴは、彼の体から力が抜けていくのを感
じていた。
﹁おじさん? おじさん!﹂
何度か身体を揺らしてみる。
それでも反応は無いから、頬を叩いてみる。
しかし、マサキの身体が動くことは無かった。
無責任な家族の形だ、とカイトは思う。
テレビで見たホームドラマなんかで、自分の家族の形を押し付け
る奴が居たら溜まった物ではない。
しかも本人は勝手に何処かに行ってしまった。
彼の代わりになれる人物は、どこにも居ないのに。
﹁⋮⋮ありがと﹂
ただ、カイトはマサキの亡骸に向かって自然とそう口にした。
涙は流れなかった。
世話になった自覚はあるし、彼の為に何かをしなきゃならないと
思ったのも事実だ。
94
しかし、自分の中に広がるのは悲しみではなく、ただの虚無感だ
った。
パンを渡され早4年。共に生活した年月は、新人類軍に立ち向か
う程度の動機に膨らんでいた。
だが、それだけだ。
彼の為に涙を流すことまではできない。
そういう意味では、ケンゴが羨ましかった。
しかし、最期に偉い事を言ってた気がする。
スバルも寂しくないとか。
アホか。ここの住民を守る為とはいえ、マシュラに手を出してし
まった以上、これ以上ヒメヅルに留まるのは危険だ。
一刻も早く離れなければならないのだから、自分も居なくなって
スバルが寂しくないと言うのは発言の流れ的におかしいだろう。
だが、ここでふと思う。
じゃあ、スバルを迎えに行って2人で暮らせ、ということだろう
か。
﹁⋮⋮え、マジで?﹂
割と飛躍した発想だと思う。
95
しかしマサキが後を頼む、と言う発言を残した以上、自分がスバ
ルの面倒を任されたことになる。
でも冷静に考えたら自分は新しい隠れ蓑を探さなくちゃならない
わけで。
更に言えば、スバルも新人類軍に連れて行かれたわけで。
﹁うわぁ。うわぁ⋮⋮﹂
思わず頭を抱える。
考えを纏めてみるとこうだ。
﹁私はもう駄目だー! スバルを助けて、戦いの無い平和な所で一
緒に仲良く暮らしてくれよ。パンの恩を忘れるなよこの野郎ハハハ
!﹂
やや過剰な表現が入っている気がするが、多分こんな感じだと思
う。
想像の中のマサキのなんと爽やかな笑顔よ。無駄に光ってる白い
歯を抜いてやりたい。
﹁⋮⋮でも、しょうがないか。4年間やってきたわけだし﹂
最低でも4年は面倒を見てやろう。
その後の事はその時に考えよう。
結論付けたカイトは、マサキの亡骸を抱えて自宅へと戻って行っ
た。
﹁ま、待った!﹂
96
しかし、そんな彼に静止の声がかかる。
ケンゴだ。
彼はこの数分間で起こった出来事をなんとか飲み込み、その上で
問う。
﹁どうするつもりなんだよ、これから!﹂
﹁どうもこうもない。どんな理由があるにせよ、手を出したのは事
実だ﹂
新人類軍の報復は必ず来る。
しかし、だからと言ってむざむざとやられるつもりは一切ない。
﹁出ていく。その後は適当にどうにかする﹂
﹁シンプルだけど、答えになってないよ!?﹂
﹁その通りだよ!﹂
横から第三者の声が響く。
振り返ると、そこには何時にも増して機嫌が悪そうな豚肉夫人が
いた。
カイトは顔を見るのも久々だった。
﹁アンタが報復を受けるって事は、この街が報復を受けるってこと
じゃないのかい!?﹂
﹁俺は出ていくぞ﹂
﹁アンタはそうでも、新人類王国がそうは思わないわよ! 最悪、
有無を言わさず街が焼き払われるわ!﹂
﹁夫人、アンタ頭いいな。じゃあ今の内に逃げてくれ﹂
﹁おちょっくってるのかい、アンタは!?﹂
97
良く怒鳴るな、とカイトは思う。
しかし不愉快に思われるのであれば、今の内に訂正しておくに限
る。
﹁別にふざけてはいない。豚⋮⋮夫人の言うとおりだと素直に思っ
ただけだ﹂
﹁アンタ今、アタシの事なんて呼ぼうとしたんだい?﹂
夫人の問いは無視した。
﹁冗談でも何でもない。不安なら逃げればいい。俺だけが狙われる
と思うなら、ここで何時も通り過ごせばいい。それだけのことだ﹂
しかし、それだとあまりにも無責任である。
多少は自覚はある為、そこら辺はマサキの信頼の為にもひと肌脱
いでおくべきだろう。
﹁まあ俺もここで4年過ごしてきた。それなりに気に入ってるし、
何とか回避できないか交渉してみよう﹂
﹁交渉?﹂
できるのか、と口に出される前にカイトは行動していた。
彼はすぐさまマシュラの首を拾いに行き、ヘルメットを取り外す。
﹁うげ⋮⋮﹂
その様子を見て、何人かが呻き声をあげたが特に気にしない。
しかし彼等からしてみれば、何でこんな夢にでも出て魘されそう
な光景をギャグテイストで表現されなくちゃいけないんだろう、と
文句もつけたいところである。
98
﹁⋮⋮この辺かな?﹂
カイトはヘルメットの内側を覗き込む。
赤い液体がべっとりとこびり付いていたが、嘗ては旧式とは言え
自分も使用していた機器だ。
どの辺に、どんな機器があるのかは何となくわかる。
中に手を突っ込み少し弄ってみると、電子音が響いた。
﹃マシュラかい? 丁度今、連絡を入れようとしたところだよ﹄
直後、先程まで聞いていた声が流れ始めた。
新人類軍所属、日本を取り仕切る美の狩人︵自称︶アーガス・ダ
ートシルヴィーである。
彼はやや不満げな口調で、既にいない大男に向けて喋り始めた。
﹃スバル君から事情は聞いた。何度も言うが、流石にこれ以上の傍
若無人な行為は美しくない。いかに法律的には許されているとはい
え、君がしているのは虐殺と変わりは無い﹄
至極全うな台詞である。
しかし、街の人々は覚えている。
彼はマシュラを止めなかった。要は自分達が見下されないために、
危険な配下を放ったのである。
今更そんな事を言われても、もう遅い。
﹁デカブツは、躾がなってないって理由で、そいつの親父を殺した﹂
﹃何?﹄
そんな人々の気持ちを代弁するように、カイトが話し出す。
99
﹃誰だ君は?﹄
﹁ダメだろ。躾がなってない奴が、躾を語ったら﹂
﹃誰なのかと、聞いている﹄
電話越しに緊張の色が伺える。
カイトはマシュラにしたのと同じように、本名を名乗ろうとする
が、
﹁?﹂
横でケンゴが大きく両腕を交差させ、×マークを掲げて見せてい
た。
本名を安易に名乗るな、といっているらしい。
﹁ふむ⋮⋮﹂
はて、困った。
いかんせん自分にはカイト以外の名前が無い。
仕方が無いからここは適当な名前を名乗っておくことにする。
﹁山田・ゴンザレスだ﹂
通話の内容を聞いていた何人かがずっこけた。
何でよりにもよってそんな名前なんだ、と全員が思ったのである。
せめて国色に合わせた名前にしろと言いたい。
﹃ほう! 中々美しい名前だ、山田君。親御さんに美しく感謝する
のだな!﹄
﹁何で納得してるんだよこいつうううううううううううううううう
100
うううううううううううううううう!?﹂
ケンゴが思わず突っ込みを入れる。
が、カイトはジェスチャーで黙れと彼に警告した。
﹁俺に親はいない。そろそろ本題に入るが、デカブツは俺が殺した﹂
その瞬間、通話に間が空いた。
カイトの言葉を受けて考え込んでいたのか、それとも様子を伺っ
ているだけなのか。いずれにせよ、会話が続かないことには始まら
ない。
ここは己から突き進む。
﹁新人類王国の条約、第4条は知っているな?﹂
﹃無論だ﹄
新人類憲法、第4条。
新人類同士でのいざこざは、直接対決で決着をつけるべし。
敗者は勝者に絶対服従し、逆らってはならない。
もしも逆らった場合、国家反逆罪に適応される。
﹁俺は今から、お前等日本支部に喧嘩を売る﹂
要するに、街ではなく自分1人を狙うように仕向けているのであ
る。
しかし、こんなわかりやすい挑発に相手は乗るのだろうか。
﹃⋮⋮憲法の適用は双方の合意があった場合のみ、適用される。こ
ちらには断る選択肢があるわけだが?﹄
﹁その場合、お前等を皆殺しにするだけだ﹂
101
全員の度肝を抜く発言が飛び出した。
しかも、言った張本人が真面目な顔をしている。
﹁できないと思うか?﹂
﹃⋮⋮マシュラを殺したのが事実なのであれば、自信はあるのだろ
うね。この通話がマシュラからかけられているのが、証拠ではある﹄
だが、
﹃馬鹿にするな。君如きが我々に敵うと思っているのかい?﹄
﹁じゃあ、その証拠を見せよう。そうだな⋮⋮﹂
指で幾つか数字を数えたのち、再び口を開く。
﹁うん。行けるな。明日までにお前等をぶっ壊す﹂
﹃何だと?﹄
﹁増援でもなんでも準備しといてくれ。どうせパツキンとてるてる
女しかいなんだろ﹂
﹃パツキンって、もしかして私の事か?﹄
﹁ソレ以外誰がいるんだ?﹂
﹃違う! 美しくないな、山田君! 私の名はアーガス・ダートシ
ルヴィー! 天と地と海がこの世界にもたらした美の結晶、奇跡の
産物、世界珍味!﹄
﹁じゃあ用件終わったから切るぞ﹂
﹃何! ちょっと待て、私の美しさの解説の途中︱︱︱︱﹄
有無を言わさず、カイトは通話を切る。
そして通信機が取り付けられているヘルメットを宙に投げる。
直後、ヘルメットが縦に割れた。見れば、カイトは手刀をヘルメ
102
ット目掛けて振りかざしていた。
﹁これで良し﹂
﹁いや、良して⋮⋮﹂
交渉途中なんじゃないのか今のは。
その辺を危惧してると、カイトは言う。
﹁用件は伝えた。後は長くなりそうだから、切った﹂
﹁いや、まあ確かに切ったけどさ⋮⋮﹂
通話的にも、物理的にも。
﹁どちらにせよ、後は俺がやる。これで明日、俺が連中をぶっ壊せ
ば済む話だ﹂
さも当然のように言ってのけた後、カイトは蛍石家に戻って行っ
た。
しかしそれを見届けた後、ケンゴは思う。
﹁明日潰すっつっても、どうやって移動する気なんだあの人⋮⋮電
車でも結構時間かかるんだけど﹂
その質問に対し、カイトが徒歩と答えたのはまた別の話である。
103
第7話 vs黄金の美少女破壊光線
交通都市、シンジュク。
そう呼ばれる理由は、昔から交通が盛んな所に更に人が入り乱れ
るようになったことにある。
空港も完成し、嘗ては東京都の中の一つに過ぎなかった都市は新
しい交通主体の県として見事に独立していた。
新人類王国もこのシンジュクに構えている。
彼等の大使館は、国内に留まらず世界各国から人が入り乱れるシ
ンジュクを絶えず見守っている。
と、言えば聞こえはいい物の、実際問題ここに設置したほうが何
かと都合がいいのである。
人が集まる所には自然と物が集まり、良い物も集中的に出回って
くる。
それらを独占しやすくする為に、彼等は勝者の特権でシンジュク
に大使館を設立したのだ。
さてはて、そんなシンジュクに一人の男がやってきた。
名は神鷹カイト。スバルを取り戻し、尚且つ宣言通り在日大使館
を﹃ぶっ壊す﹄為にやってきた新人類である。
尚、移動手段は徒歩だった。
正確に言えば徒歩と言う名のダッシュだった。
より正確に言えば、ダッシュと言う名の高速移動だった。
その走りを見たケンゴが、﹃あれがリニアか﹄と呟くくらいの速
度でやってきたのである。
尚、あまりのハチャメチャな走りについてこれず、靴はボロボロ
になっていた。
104
そんな要素もあり、カイトがシンジュクに辿り着いてまず行った
事は物資の調達である。
揃えるべきものは予備の靴と、着替えだ。
特に後者は変装の意味合いもある為、帽子や眼鏡と言った装飾品
も含まれている。
もっとも、バトルロイドに指紋や音声を取られただけで正体がば
れるのだ。どちらかと言えば、正体がばれた後に動く為の準備と言
った方がいいだろう。隠す努力はするだけ無駄だ。
スバルを奪取した後は彼の分も必要になる為、2人分だ。
そしてこれが、中々にお金がかかる。
都会の服は、田舎のそれと比べても豪華な上に、素材もいい。
拘らなくてもいいのなら田舎で揃えればいいのだが、恰好が貧し
いと都会では目立つ。
今ある資金を利用して身だしなみを整える必要があった。
しかし、それだけでは終わらない。
カイトは買い物を済ませた後、幾つかのロッカーにそれを詰め込
み、次の準備に入らなければならない。
大使館への侵入だ。
新人類王国の大使館はカードキーを使用して中に入らなければな
らない。
許可の無い者は問答無用でバトルロイドに消し炭にされるわけだ
が、カイトはヒメヅルで倒した3体のバトルロイドが持っていた同
一のカードを、警備員役をこなしているバトルロイドに見せた。
﹁コード認識完了﹂
﹁ちょろい﹂
105
本当にちょろい。道を開けるバトルロイドを前にして、思わずカ
イトは呟いた。
実を言うと、他にも侵入する手段は考えてはいた。
最悪、下水道から穴を掘って入ることまで考えていたくらいであ
る。
しかし、こうも簡単に道を開けられると拍子抜けだった。
﹁ふぅん﹂
エントランスを見渡し、カイトは納得。
そこらじゅうに敷き詰められている見回りはバトルロイドだけ。
本国から兵士の増強はされていないようだった。
それもその筈。
新人類王国から日本に移動する場合、飛行機でも24時間近くか
かる。
宣戦布告してから半日程度で、間に合う道理が無かった。
カードの認識の解除にしても同じだ。
マシュラは恐らく削除されてはいるだろうと踏んでいるが、鼠の
ように群がっているバトルロイドのカードまで停止するのには時間
がかかる。
もっとも、時間をかければ削除されるうえに気付かれている可能
性も高いのだが。
カイトはそう考えると、監視カメラに向かってVサインを送った。
106
﹁イマイチ、馬鹿なのかそうでないのかがよく分からない侵入者で
すね﹂
エントランスから流れてくる監視カメラの映像を眺めつつ、メラ
ニーが言う。
同室にいるアーガスも、そして今はまだ客人として扱われている
スバルも同様だった。
﹁スバル君、彼は君の知り合いだったね。見送りの時に来ていたの
を覚えているよ﹂
﹁はぁ﹂
良く覚えているな、と素直に思う。
あの時、学生も囲んでいたから3,40人はいたと思うのだが。
﹁率直に聞くが、彼はどんな人物なのかね?﹂
﹁よくわからないですね。マジで﹂
嘘ではない。
彼は4年間同居してても、今まで何をしてきたとか、そういった
話をまるでしてこなかった。
強いて言えば、ちょっと天然でおっかないところがあるお兄さん
と言った感じだろうか。
﹁新人類としての能力は?﹂
﹁知らないです。見た事が無いし⋮⋮﹂
アーガスがメラニーに顔を向ける。
彼女も首を横に振り、お手上げの姿勢を取る。
107
﹁残念ですが、大マジのようです﹂
﹁ふむ、メラニー嬢が言うなら間違いなさそうだね。しかし、これ
はこれで厄介な﹂
敵の情報が入ってこない。
しかもその敵はかなり自信がある様だった。
何をしてくるか分からない上に、準備も間に合わない。
﹁推測するに、移動系の能力を持っていると見ます﹂
メラニーは呟く。
﹁ヒメヅルの連絡から、たった半日でここまで移動するのは尋常じ
ゃありません。しかも飛行機や電車も使わずに、ですよ﹂
﹁それでこちらの作戦の一つが完全に意味を成してないわけだから
ね。いやはや、美しくない﹂
カイトの挑戦状から、アーガス達はあらゆる交通機関を念入りに
チェックするように心がけた。
空港や鉄道では録音音声を使った抜き打ち検査が今も行われてい
る。
その録音音声を使って王国の新人類データベースにアクセスして
みたところ、何名か候補が上がったがいずれも決め手に欠けてたの
だ。
それゆえに彼が何者で、どういった事が出来るのかが不明だった。
﹁しかし、映像が改めて手に入った﹂
108
監視カメラに映るカイトの姿を指差し、アーガスはカメラ目線で
ポーズをとりながら叫んだ。
﹁さあ、メラニー嬢及びバトルロイド諸君! 王国に楯突く愚かな
同胞の正体を改めて検索してくれたまえ! 美しくね!﹂
﹁うざいんで、座っててくれませんか﹂
半目で言うと同時、メラニーは白い折り紙を額に当てて瞑想を始
める。
後で知ったことだが、彼女は折り紙の色によって様々な能力を使
いこなすことができるらしい。
白い折り紙はICカードや映像記録等を通じて、あらゆる記録媒
体に検索をかける紙なのだそうだ。
﹁⋮⋮いました﹂
数秒した後、メラニーが反応する。
しかしその表情は、何処か青ざめているように感じた。
﹁いましたが、これは⋮⋮まさか﹂
﹁どうしたんだい﹂
﹁元XXX所属の超実戦派です。しかもリーダー格﹂
アーガスの目が見開く。
唯一その言葉の意味が分からないのは、新人類王国の構造を知ら
ないスバルだけだろう。
﹁何なんですか、その﹃トリプルエックス﹄って﹂
比較的、友好な態度を取っていたアーガスに聞いてみる。
109
﹁新人類王国の中でも、特に暴力的な集団だよ。子供の頃から敵を
殺す訓練を受けていて、侵攻時には必ず最前線で戦う事を義務付け
られていた﹂
訓練と言えば聞こえがいいが、実際は身体能力と異能の力を極限
まで特化した連中である。そこに人殺しに対する躊躇いを無くすこ
とで、彼等は恐るべき人間兵器として完成した。
カイトはそれの頂点に君臨していた兵だった。
開戦当時、他の新人類兵士と比べても活躍した彼は、そのまま少
年兵士軍のリーダーを務めることになったのだと言う。
その後も暴力を続け、蹂躙を執行した。
しかしそんな彼も、6年前に死亡したという記録が残っている。
﹁6年前のアジア侵攻中に、王国陣地内で謎の爆発事件があったそ
うですが、彼を含めて関係者7人が死亡扱いになっています﹂
﹁しかし、現実は生きていて、しかも王国に敵対しようとしている、
と﹂
少々悩んだ後、アーガスは再び口を開いた。
﹁彼のステータスは? できれば捕まえて、直接話がしたい。XX
Xは王のお気に入りだ﹂
﹁6年前の記録ですが、当時のトップワンです﹂
握力、俊敏、反射神経、跳躍力、etc
いずれを取っても、当時の彼の右に出る者はいなかったのだと言
う。
その数値は、今の王国でも間違いなくトップクラスだ。
110
﹁この数年でどれだけ変化してるかは分かりませんが、少なくとも
私達では能力抜きで渡り合える相手ではありません﹂
﹁まあ、そうだろうね。XXXと言えば王国の中でも身体能力がズ
バ抜けている集団だ﹂
﹁更に能力に関しては自己再生能力を保持しているという記録があ
ります。これはかなりのレアスキルですね﹂
アーガスとメラニーが真剣な顔で話し合っている中、スバルは思
う。
何を言ってるんだこの人たちは、と。
話を聞いている限り、6年前のカイトが凄いのは分かった。
しかし彼と同居していた4年間が、それと結びつかないのである。
ズバ抜けた身体能力。確かに時たまかけられたコブラツイストは
痛かった。
集団のリーダー。確かに面倒見はよかったと思う。
自己再生能力。そもそも彼が怪我を負ったところを見たことが無
い。
アジアで行方不明になった。そういえば、日本ってアジアだった。
スバルの中で、カイトと言う青年はどこか天然で、素直じゃなく
て、怖い所もあるけど、それでも真正面から自分と向き合ってくれ
る、頼れる兄貴分だった。
そんな彼が、自分と出会う2年前︱︱︱︱当時、自分と同い年で
そこまでの経歴を誇っていることが信じられない。
誇っているかどうかは、微妙ではあるが。
﹁いずれにせよ、彼の目的はハッキリしてます﹂
111
そんな事を考えていると、メラニーがこちらを見てくる。
﹁彼の父親に頼まれたか、もしくはやり過ぎたマシュラを殺してし
まったが為に、引くに引けなくなったか⋮⋮いずれにせよ、リーダ
ーさんは彼を取り戻すつもりでしょう﹂
﹁全く、マシュラにも困った物だ⋮⋮﹂
アーガスは頭を抱え、溜息。
心なしか、彼の胸ポケットの薔薇も萎れている気がする。
﹁ともかく、彼の正体がソレであるのなら、本国への美しい連絡が
必要だ。メラニー嬢、頼めるかい?﹂
﹁美しくは置いといて、連絡ならお安いご用です。応援の依頼はど
うしましょう﹂
﹁可能なら頼む。XXXクラスの戦士が相手ではバトルロイドも役
に立ちはしないだろうしね﹂
﹁あのー﹂
話に区切りがついたタイミングで、スバルが申し訳程度に挙手を
する。
それを怪訝な表情で返すのはメラニーだった。
﹁何ですか?﹂
﹁結局、俺ってどうなるんでしょう﹂
尋ねられた質問に対し、メラニーではなくアーガスが答える。
﹁当然だが、既に国家の決定がある以上、君を美しく返すわけには
いかない﹂
112
しかし、
﹁彼の最終目標が君であることは美しい事実だ。申し訳ないが、少
しの間個室に閉じ込めさせてもらうよ﹂
大使館は勤めている人間の数が少ない割に広い。
その理由としてはバトルロイドが敷き詰めているからに他ならな
いのだが、そんなところからスバル1人を見つけ出すのは時間がか
かる。
一つ一つドアを開けて、部屋を確認していたら朝を迎えてしまう。
ゆえに、手がかりを探さなければならない。
﹁⋮⋮⋮⋮﹂
無言で地べたに這い蹲り、床の匂いを嗅ぎ始める。
パン屋の息子の匂いがした。具体的にどんな匂いがするかという
と、蛍石家のトイレの匂いがした。
﹁こっちか﹂
そのまま四足歩行で前進。
4年間同居していた匂いを辿り、動物の如く移動を開始した。
113
﹁⋮⋮⋮⋮何ですか、あれ﹂
監視カメラから届いてくる映像は常にリアルタイムである。
なので、彼女が本国と連絡を取っているこの瞬間にも彼はトカゲ
のように地面を這いながら移動しているのだ。
全身黒いので、ゴキブリと言った方が合っているかもしれない。
傍から見ると、中々シュールな光景だった。
少なくとも、人間がやる恰好ではない。
﹃成程、このゴキブリ野郎がさっき話していた奴か﹄
﹁あ、はい。そうです﹂
メラニーはモニターに映る女性に視線を戻す。
彼女の名はタイラント・ヴィオ・エリシャル。長い黒髪に、男顔
負けの凛々しい表情が素敵だった。
メラニーのフィルターによって、映像の向こうにいるタイラント
の周囲は無駄にキラキラと輝いている。俗にいう乙女空間だった。
﹃確かに、奴が生きているならば、いかにアーガスがいるとはいえ
苦戦は免れないな﹄
﹁お姉様はコイツと会ったことがあるので?﹂
﹃ああ。私は別部隊の所属だったが、同年代だったという事で何度
か会ったことはある。凄い奴だったよ﹄
﹁では、本人だと?﹂
﹃面影がある。後は動きを見れば断定はできると思う﹄
114
メラニーは険しい表情になる。
タイラントが他人を褒めることなど滅多にない事だ。彼女の配下
になって数年経つが、自分も数回程度しか経験は無い。
そんな自分の上司が、野生動物感丸出しの男に対して敬意を表し
ていたというのである。
凄い複雑な気持ちになる。
﹁因みにお聞きしますが、当時からこういった奇行はあったので?﹂
﹃奇行と言うよりも、五感が恐ろしく優れているんだ。その為かわ
からんが、時折動物のような仕草を見せる事がある。XXXの連中
は身体能力だけじゃなく、そういった所も特化されているんだ﹄
﹁成程。では今は何をしているのでしょう﹂
﹃多分、匂いを嗅いでお前等を探してるんだと思う﹄
思わず自分のローブの匂いを嗅ぐ。
特に変な匂いはしていないと思いたい。
﹃ついでに言うが、アイツはアルマガニウム製の武器を持ったまま
行方不明になった。注意しろ﹄
﹁了解しました。しかし、解せませんね。そんな奴が死亡扱いにな
っていたとは﹂
﹃それは私も思う。実際生きていたわけだしな﹄
﹁他の6人の死者も、これじゃあ何処かで生きてるかもしれません
ね。もしそうだとすれば、誰かが王国の記録媒体を改竄したことに
なりますが﹂
﹃いずれにせよ、だ﹄
それ以上の問答を切り捨てるように、タイラントは話題を元に戻
す。
115
﹃応援の連絡はする。早く駆けつける事が出来ても時間がかかるの
が気がかりだ﹄
﹁ご安心を。私もこう見えて王国の戦士です。6年前の旧式トップ
ワンに後れを取るつもりはありません﹂
それに、
﹁身体能力は凄くても、それだけでは勝てません﹂
言いつつ、メラニーは赤い折り紙を額に当て、念じる。
直後、彼女の背後に控えるバトルロイド達の瞳が赤く輝く。
﹁出力300%﹂
﹁超稼働モード、各機共に起動確認﹂
﹁負ける気0%、ZARDの名曲﹃負けないで﹄がBGMにかかる
確率0%﹂
﹃いや、そんな微妙な確率出されてもな﹄
タイラントは思う。
このバトルロイド達、時々ちょっとユーモア溢れてるな、と。
彼女達の基になった兵の事は知っているが、こんなジョーク言う
奴だっただろうか。
﹁では、バトルロイドの皆さん。気合入れてこの侵入者をとっ捕ま
えちゃってください﹂
﹃了解!﹄
残像が残るスピードでバトルロイド達は勢いよく部屋から飛び出
していった。
この部屋にいる機体だけではない。
116
大使館に配備されている機械の兵全員が、メラニーの折り紙によ
って従来の数倍以上の力を発揮しているのだ。
しかもそれら全員が、一斉にカイトを敵と認識している。
﹁後はアーガスさんと私で遠くから〆、ですね﹂
ふふん、と胸を張る。
張る程の大きさも無いのが少し悲しい。
﹃メラニー﹄
﹁はい?﹂
早々に勝ち誇っているメラニーを諭すように、彼女の上司は厳し
い視線を送る。
﹃何体居るのかは知らんが、バトルロイドを強化させても時間稼ぎ
にしかならんと思うぞ﹄
﹁でしょうね。しかし、その時間があれば十分です﹂
メラニーは瞬時に36色折り紙セットを取り出す。
いざとなれば、己が持つ秘術の全てを侵入者に向けて叩きつける
覚悟だ。
相手が強大であれば、尚更引く気はない。
﹁ご安心ください。お姉様の名に泥を塗るようなことはしませんか
ら﹂
﹃馬鹿、お前それはフラグだ﹄
﹁そのような事を仰らないでください! これでも真剣なんですか
ら!﹂
117
折角良いところを見せたつもりなのに、全部台無しにされてしま
った。
でも憧れの上司だから全部許す。
これが他の奴だったら八つ裂きにしているところだ。
﹃とにかく、奴の戦闘を捉えた映像はこちらにも送ってくれ。事と
場合によっては、王にご決断を委ねることになる﹄
﹁XXXが王のお気に入りだから、ですか?﹂
アーガスもそんな事を言ってたのを思い出す。
6年前、メラニーはまだ折り紙を使った秘術の訓練に没頭してい
た。
その頃は兵士でも何でもない只の学生であり、当時の王国の事情
など知る由もない。
﹁私はよく存じませんが、XXXってそんなに期待されているんで
すかね?﹂
今のXXXは4人だけの少人数チームだと聞いている。
どんな奴で構成されているのかまでは知らないが、メラニーやス
バルと同年代の少年少女が所属しているのだそうだ。
逆に言えば、それ以外の事を聞いたことが無かった。
具体的に何をしてきたかも知らないし、今も戦っている以外の事
を知らされていない。
﹃XXXは育成にもかなり力をかけていたらしいからな。その分、
王のご期待も大きかったのだと思う﹄
﹁難儀な話ですね。そのXXXのリーダーに裏切られるとは﹂
﹃それは残念がるか、更に面白がるかのどっちかだろうな﹄
118
あの王なら後者も十分あり得ると思う。
壊れた玩具のように笑い、両手両足を器用に使いながら拍手喝采
しそうだ。
﹃だが、期待度が高いのは事実だ。連中は当時としては異例のアル
マガニウム製の武器を支給されている﹄
﹁個人で、ですか?﹂
﹃そうだ。お前の様に、国に認められた戦士にしか支給されないの
が本来の形だが、連中は最初から支給されている﹄
﹁狡いです﹂
﹃そうだな。確かに狡い﹄
言わば、破格の前給料だ。
王国でアルマガニウム製の専用武器、更には専用のブレイカーが
支給されることはある種のステータスである。
それを持っている事が、己の強さと風格を現すのだ。
だが、XXXは最初からそれを備えていることになる。
メラニーに至っては、折り紙を36色揃えるだけでも5年の歳月
を費やしたというのに。
﹃だが、少なくとも今残っているXXXはそれに見合うだけの活躍
をしているよ。約1名、ちょっと心配になる奴がいるが﹄
﹁個人の人格に口を出す気はありませんが、私達と比べて不公平な
んですからキビキビと働いてほしいもんです﹂
まあ、そこは自分にも言える。
そろそろ強化したバトルロイド達がカイトと接触していてもいい
時間だろう。
﹁ではお姉様。私はそろそろ﹂
119
﹃わかった。くれぐれも無茶はするな﹄
﹁この大使館中のバトルロイドの出力を最大以上に高めて、尚且つ
私とアーガスさんも居ます。何時間か程度なら持たせてみせますよ﹂
その時だった。
大使館中に轟音と激震が鳴り響いた。
思わず尻餅をしかけるが、そこは何とか踏みとどまる。
﹁え?﹂
﹃おい、メラニー。お前フラグを立てるの上手すぎるぞ﹄
何かが砕ける音が聞こえる。
それは間を置かずに何度も鳴り響き、徐々にこちらに近づいてき
ている。
﹁ま、まさか⋮⋮?﹂
﹃来るぞ! メラニー、構えておけ!﹄
外壁が凹んだ。その後に続き、横一列を抉るようにして壁が凹ん
でいった。
そしてそれが扉へと到着した瞬間、自動ドアの強固な扉は叩きつ
けられたバトルロイドの残骸と共に吹っ飛ばされた。
﹁いいっ!?﹂
腕と頭部が綺麗に切り裂かれたバトルロイドが、メラニーの足元
に転ぶ。
しかしそれに注視する余裕は、彼女にはない。
﹁うおおおおおおおおおおおっ!﹂
120
侵入者は、野獣のような雄叫びをあげつつ突進。
弾丸のように飛び出してきたソイツの速度は、メラニーの想像を
遥かに超えていた。
しかし事前に折り紙を仕込んでおいたのが功を成したと、この時
ばかりはメラニーも思う。
ばちり、と音が弾ける。
カイトが伸ばした右手はメラニーの首を捉えることなく、その手
前に出現した見えない壁によって阻まれた。
その壁に接触した瞬間、青白い衝撃が周囲に零れ落ちる。
だが、カイトは怯まない。
受け止められた右腕を押し出し、爪先を壁に向けて突き刺してい
く。
﹁例えXXXでも、私の16年が築き上げた壁をそう簡単に破壊で
きません!﹂
﹁悪いがこっちは22年だ﹂
突き立てられた爪が伸びる。
比喩でも何でもなく、カイトの爪が大凡5センチ程伸びてきたの
だ。
伸びた爪は壁にひびを入れ、青白い衝撃を物ともせずに剥がして
いく。
﹁え!? えええええええええええっ!?﹂
﹃やばい、本人だ! メラニー、距離を取れ!﹄
メラニーだってそうしたい。
121
だが後ろに下がろうにも、逃げ場はない。
そもそも出口はカイトの後方にしかないから、逃げようにも向か
ってくる彼を突破しなければならない。
透明の壁は、伸びた爪によって今にも剥がされようとしている。
このまま戸惑っていたら、間違いなく足元に転がっているバトル
ロイドの残骸と同じ目に会う事だろう。
しかし、メラニーの思考は爪が伸びてくる前に切り替わった。
﹁なら、もう出し惜しみ無しです!﹂
金と銀の折り紙を取り出し、素早く額に当てる。
彼女の能力発動の為には、そこから頭の中で能力発動の合図を呟
く必要がある。
要するに、呪文を脳内で唱える必要がある。これが非常に長い。
何度か使っている白い折り紙による情報媒体検索も、簡単に使って
いるように思えるかもしれないが、実際は7ページ分の文章量を頭
の中で唱えているのである。
先に発動させたい銀の折り紙に至っては、10ページ分の呪文を
一語一句間違わずに読み上げなければならない。
しかしメラニー、密かな自慢はどんな状況下でも早口言葉を10
0回間違わずに言える事である。
そんな自分が、命の危険が迫るこの状況下とはいえ呪文を間違え
る事があるだろうか。
否、無い。後ろには大好きなお姉様も︵モニター越しとは言え︶
見ている。
その上、敵は爪で引っ掻いてくるタイプのようだが、美少女の身
体に傷がつくことは天文学的に考えて︵メラニー談︶ありえないの
である。
122
失敗する要素など何一つない。
﹁!﹂
壁が剥がれる。
右腕が顔面目掛けて、真っ直ぐ突き出される。
だが、その先端に光る5本の凶器が少女の皮を抉る直前に、銀色
の柱が立ち塞がる。
﹁お?﹂
何だこれ、とでも言いたげな表情でカイトが柱を見る。
否、輝いていてよく分からなかったが、柱ではなく銀色に輝く大
剣だ。
地面に突き刺さるようにして出現した銀色の大剣。まるでメラニ
ーを守る第二の盾であるかのように思える。
だが、そんな物はなんのその。
カイトの攻撃は止まらない。その大剣ごとメラニーの首を刈り取
らんと、攻撃を仕掛ける。
しかし、そこまでは想定内だ。
銀の大剣は一時的な盾と、攻撃に入る為の準備である。
﹁吹っ飛ぶですよ!﹂
本命は金の折り紙。
脳内で20ページにも及ぶ呪文を一瞬で読み上げ、額に当ててい
た折り紙を大剣に叩きつける。
直後、大剣が発光。金色に輝いたそれは、敵の爪と激突しながら
も次なる役目を果たす。
123
﹁うお!?﹂
光がカイトを飲み込んだ。
通称、黄金の美少女破壊光線。金の折り紙は呪文を唱えた後、金
属を介して前方に光波熱線を放つ事が出来るのである。
一部のクラスタにわかりやすく伝えると、金属に折り紙を叩きつ
ける事でスぺシウム光線を放つ事が出来るのだ。
よって、この光線を浴びた悪の怪獣は問答無用で葬り去られるの
である。
﹁⋮⋮⋮⋮﹂
﹁⋮⋮あれ?﹂
︱︱︱︱筈だったのだが、どういうわけかこの男は生きていた。
しかも無傷である。
思わずカイトの後方を確認する。
美少女破壊光線による熱で壁は跡形も無く消滅しており、床も所
々に穴が開いている。
一応、金の折り紙の詠唱失敗というオチは無いようではある。
﹁満足か?﹂
﹁あ、いや。何で生きてるんですかああああああああああああああ
ああああああああああ!?﹂
﹁生きてちゃ悪いか。オケラだってミミズだって俺だって必死に生
きてるんだぞ﹂
﹁全然そんな風に聞こえないんですよ!﹂
自称、美少女︵黙っていればそれなりに人気はある︶の悲痛な叫
びが響く。
124
銀の大剣を弾き飛ばされ、首を掴まれた少女は足をばたつかせて
抵抗するが、カイトは全く意に介していない。
﹃やはりお前は神鷹カイトか﹄
代わりに、モニターから放たれたタイラントの声に反応する。
﹁お前はタイラントか。懐かしい顔だ。ちょっと老けた?﹂
﹃黙れテメェ、殺すぞ﹄
いまいち緊張感の無い男だ。
6年前もこんなデリカシーの無い奴だっただろうか。
無い奴だったような気がする。
﹁成程、6年も経てば少女もこうなるか﹂
﹃何時まで引っ張る気だこの野郎。いいからメラニーを放せ﹄
﹁何故俺がお前の言う事を聞かんとならん﹂
首を絞める力が強まる。
メラニーの喉が歪み、彼女の苦しそうな嗚咽が聞こえた。
﹃こうしている間にも、緊急応援がそちらに向かっている。貴様に
植え付けられたアルマガニウムの爪がびしょ⋮⋮美少女破壊光線を
弾けようが、現代の王国戦士が総がかりで襲ってきたら溜まった物
ではあるまい﹄
﹁言い難いならそんな技名許すな﹂
﹃わ、私が名付けたんじゃないぞ!﹄
﹁ネーミングセンスを疑うね。美少女なんて生き物はこの世界には
画面の中にしか存在しないと聞いているぞ﹂
﹁むー! むー!﹂
125
メラニーが両手をバタつかせて猛抗議している。
それにしても大分歪んだ情報網である。
現実世界にだって美少女は存在する筈だ。
何を美少女とするかは個人の定義によるのだが。
﹃なんにせよ、お前の足がいかに速かろうが手遅れだ。大使館に勤
めている新人類軍の数は少なくとも、日本にいる新人類軍の数は決
して少なくは無い。その上、本国からもすぐに応援が来る﹄
﹁デカブツやてるてる女クラスじゃ俺を壊せないぞ﹂
悔しいが、事実だ。
今の新人類軍でも、彼を完全に葬り去る事が出来る兵士は少ない
だろう。
その要因となっているのが彼の能力である自己再生能力と、直接
爪として肉体に埋め込まれたアルマガニウムである。
この二つが噛みあった結果、再生能力持ちであるカイトを葬る手
段の一つたる﹃ビームで焼き払う﹄が通用しないのだ。
アルマガニウムの爪はあらゆる攻撃を弾き、敵を切り刻む凶器と
なる。更に爪を埋め込まれた本人が、肉眼で銃弾を見切る反射神経
と運動能力を持っているのだから始末が悪い。
彼が当時のトップワンたる位置に居れたのには、超人的な反射神
経とそういった要素が絡み合った結果でもあった。
﹁それとも、パツキンが俺を壊せる兵なのか?﹂
﹃アーガス・ダートシルヴィーは強いよ。そこに加え、日本にいる
ブレイカー持ちが次々とそこに集おうとしている﹄
もっとも、その巨大兵器でもこの男を倒せるか怪しい物だ。
しかし、話していて確信した。
126
この男は今の自分の格付けをある程度済ませている。
﹁日本はそれなりに産業が有能な国だ。車や米、サブカルチャー⋮
⋮そこの国の大使館がこのレベルじゃあ、俺を倒せそうなのが来る
のは時間がかかる筈だ﹂
気付かれていた。
マシュラやメラニーでは、格が違ってたと言ってもいい程ステー
タスが違うのだ。
それ以外の人員が殆どバトルロイドで占められている現状を考え
ると、その解答に行きつくのも不思議ではない。
応援に来る兵達もちゃんとした戦果を残した上でブレイカーを与
えられているが、この男にとっては最初の通過点でしかない。
6年前に比べて、軍政が殆ど変化が無いのも原因だろう。
﹁ただ、楽に越したことはない。正体も最初からお前達の前では隠
すつもりはないしな﹂
﹃だろうな。お前が相手だと分かれば、話は別だ。これから私達が
総出でお前を潰しにかかる﹄
タイラントが見下すような視線を送る。
ソレに対し、彼女の部下に強烈な膝蹴りを食らわせることで応え
た。
﹁おごっ︱︱︱︱!?﹂
メラニーの小さな体が跳ね上がる。
目の焦点がぶれ、じたばたと抵抗していた手足は完全に動かなく
なってしまった。
それを確認した後、カイトはメラニーから手を放す。
127
力なく崩れ落ちた彼女の口からは、泡が噴き出ていた。
﹁上等だ。出来るもんならやってみろ﹂
タイラントが映るモニターに右手を突き出す。
薄型モニターはバターのように切断され、床に零れ落ちた。
実を言うと、カイトは内心焦っていた。
マシュラやメラニーが相手にならないと発言した辺りは本音だ。
しかしヒメヅルでマシュラが狼狽えていた様子を見るに、最も警
戒しなければならないのはアーガスである。彼は﹃パツキン﹄と称
しながらも、まだ実力が未知数な薔薇男を危険視していた。
そこにタイラントが強い、と評価しているのだからかなりの能力
者だと見ている。彼女は基本的に強弱の判断はしっかりつける女性
なのだ。
アーガスと戦う前にメラニーを抑えることに成功した以上、そこ
まで怯える必要はないのかもしれないが、増援が大量に来られると
流石に危険だ。
持っている情報の殆どは6年前の代物である。それを完全に信用
するのはナンセンスだろう。
現にアーガスやメラニーの情報を、カイトは全く持っていない。
今後も次々と新顔や、過去の強敵たちが集まってくるとなると自
信は無かった。
ゆえに早く決着をつける必要がある。
バトルロイドは赤くなっていて、ヒメヅルに居た個体よりも反応
が良かったが問題にならない。当面の問題はアーガスと時間だけだ。
それを回避するか、処理してスバルを見つけて急いで脱出する。
制限時間は、応援が来るまで。
128
﹁よし⋮⋮!﹂
伸びた爪を元の長さに戻し、カイトは再びスバルの匂いを辿り始
めた。
129
第8話 vsパツキンナルシスト薔薇野郎 ∼壁の隣で編∼︵前
書き︶
※注意!
この回はなるべくお食事をしない時に読むことをお勧めします。
強くお勧めします!
130
第8話 vsパツキンナルシスト薔薇野郎 ∼壁の隣で編∼
トリプルエックス
﹁XXXの生き残りが!?﹂
﹁はい。既に大使館はアーガス以外が全滅⋮⋮というよりも、相手
になっていません﹂
新人類王国、ディアマットの部屋にて。
王子は国内最強と称される兵から予想だにしなかった報告を受け
た。
﹁大使館の責任者であるアーガス・ダートシルヴィーは確か、﹃勇
者﹄と謳われた猛者だったな。件のXXXと戦った場合、君はどち
らが勝つと思う?﹂
タイラントが少し考える仕草を見せるが、数秒もかからない内に
解答を出す。
﹁8:2でXXX有利だと見ています﹂
﹁そこまでか!?﹂
﹁ダッシュの様子を見ましたが、6年前よりも強力になっています。
これが外なら話は別ですが、室内だと身体能力の高いXXXが有利
になります﹂
リバーラ王が開戦当時に、特に力を入れて育てた少年少女の戦闘
部隊﹃XXX﹄。
先日、ディアマットはそこに力を入れるのはナンセンスだと主張
したが、その主力級が王国の一角を崩そうとしている。
笑えない冗談だった。
131
格闘ゲームのダイヤでもそれだけ酷い差は聞いたことが無い。
いや、よくよく考えればバグだらけの格闘ゲームで何度か聞いた
気はするが。
﹁応援は?﹂
﹁間に合うかは五分五分でしょう。しかも、XXX相手に戦えそう
な兵に限定しなければただの足手纏いになります﹂
﹁無駄に兵力を消耗するわけにもいかない、か﹂
王国は人材不足が開戦当時からの課題だった。
そのせいで旧人類からも人材を集めている始末である。
人数を減らすような行動はなるべく避けなければならなかった。
かと言って選出された戦士でカイトを倒す、もしくは捕まえる事
ができるかと言われたらソレも確実とは言えない。
﹁⋮⋮仕方がない﹂
ディアマットが重い腰を上げる。
﹁﹃鎧持ち﹄を出す﹂
﹁鎧持ちを!?﹂
﹃鎧持ち﹄はその名の通り、鎧で身を包む戦士達である。
一人一人が余りにも強すぎる為、本来は実権を握っているリバー
ラ王しか命令を出せない最終兵器なのだが、今はディアマットが一
人だけ使用の許可を持っている。
しかし、タイラントは黙っていられない。
﹁彼等はあの王が使うのも躊躇う、理性と倫理を無くした殺戮兵器
です! シンジュクを血の海にするおつもりですか!?﹂
132
﹁君の案ずる気持ちは分かる。だが、私の元にいる白の鎧はある程
度の制御が効いている﹂
制御する手段は手元にある御札だ。
タイラントはそれを視界に納めるも、見た事も無い文字で書かれ
ていて読めない。
﹁なんと書かれているのですか?﹂
﹁私にも分からない。鎧持ちの管理を務めているノアが言うには、
文字と言うよりも図形らしい﹂
後はその御札に命じることで、鎧持ちはディアマットの命令通り
動くことになる。
要は御札がコントローラーになったラジコンである。
﹁白の鎧は最新型の戦士なのだそうだ。私の無茶振りにどれだけ応
えられるか、特と拝見させてもらうとしよう﹂
急いでスバルを探そうにも、寄り道せざるを得ない状況に陥って
いた。
何故か。いかにカイトが超人であり、新人類の中で特にイカれた
性能を誇っていても、生物の摂理には逆らえないからである。
何が起こったかと言えば、突然の腹痛だった。
要するにトイレに籠っていたのである。
﹁⋮⋮⋮⋮﹂
133
しかし神鷹カイト、この世に生を受けて22年。
想定外の事態に立ち向かう事は今まで何度もあったが、今回はそ
れをも超える規格外の事態に巻き込まれていた。
普段無表情な彼が、口元をへの字にして額から汗を流していると
ころからも事態の深刻さが伺える。
その想定外の事態とはズバリ、
﹁トイレットペーパーが、無い⋮⋮!﹂
用事は既に済ませている。
ポケットティッシュは持っていない。
代わりになりそうな物を探してみたが、財布の中に入っている1
万円札しかなかった。
よりにもよって諭吉かよ、と思う。
せめて野口さんなら少しは躊躇いは無かっただろうに。
野口さんに凄い失礼な事を考えながらも、カイトはどうやってこ
の窮地を脱するか考える。
と、そんな時だった。
軽いノックの音が鳴った。正面からではない。横からである。
﹁失礼。美しき使徒よ﹂
聞いたことがある声だ。
アーガス・ダートシルヴィーその人である。
﹁可能であれば、そちらの紙を美しく頂きたいのだが宜しいだろう
か﹂
﹁⋮⋮﹂
134
カイトは絶句した。
どうしてこうなったんだろう、と思いながら哀愁漂う表情を両手
で覆う。
落ち着いて状況を整理しよう。
今、自分はスバルを取り戻すために大使館にいる。マシュラとメ
ラニーは倒したから、残る当面の敵はアーガスだけだ。
そのアーガスは今、自分の隣の個室で紙を切らしている。
自分もまた、同じ状況だ。
﹁おーい、聞いているか美しき使徒! 山田・ゴンザレス、いるん
だろう!?﹂
そういえばゴンザレスって名乗ってたな、と今更ながらに思い出
す。
一応、敵が横にいるという認識は持っているらしい。
﹁⋮⋮貴様にやる紙なんぞない﹂
﹁なにぃ!? それは無いんじゃないか山田君。困ったときはお互
いに助け合おうって美しく教わらなかったのかね!?﹂
﹁うるさい、知るか。大体、紙を補充しない貴様らが悪いんだろう
が﹂
﹁はっはっは﹂
﹁笑って誤魔化すな。汚い奴め﹂
﹁美しいに訂正したまえ!﹂
﹁ええい、喚くな! 汚い!﹂
良く喋る男だ。死んでもお友達になれそうにない。
なりたいとも思わなかったが。
135
﹁はっはっは、実は君も紙が無いから私に意地悪をするんじゃない
のかね?﹂
﹁⋮⋮﹂
﹁⋮⋮その沈黙は了承と受け取ったぞ。君は美しい事に、素直な心
を持ち合わせているようだ﹂
﹁黙れ﹂
﹁んもう! 山田君は素直じゃないなぁ!﹂
﹁気持ち悪い。止めろ﹂
声を荒げるのも珍しい事だな、と自分で思う。
1枚しかない諭吉を取り出しながらも、カイトは無一文になった
後の対策を考えることを決意した。
男子トイレの個室がスライスされ、切り裂かれた水道管から水が
弾け飛ぶ。
無一文になったカイトの行動は迅速だった。素早くズボンを履き、
ベルトを締めて真横にいる敵を個室ごと切り裂く。
﹁無粋だなぁ、山田君!﹂
しかし、敵は佇んだままであった。
見れば彼の胸ポケットに収まっている桃色の薔薇から無数の花弁
が舞い上がっている。
﹁私と遊びたいなら、素直にそう言いたまえよ!﹂
﹁お前が俺と遊びたいんだろう。わざとらしく紙がないなんてほざ
きやがって!﹂
136
当然のようにズボンを履いたままのアーガスに言う。
彼は最初からこちらと戯れるつもりで便所に来たのだ。
しかもわざわざこんな場所に似つかわしくない薔薇を備えて、だ。
﹁ははははは! 照れることは無い。美しい私は寛大なのだ!﹂
﹁口を閉じろ﹂
心の底からそう思った。
爪を伸ばし、アーガスの顔面向けて突き出す。
しかしその攻撃が届く前に、カイトの身体が宙に浮いた。
﹁!?﹂
﹁飛びたまえよ﹂
見れば、何時の間にか敵の掌に青い薔薇が握られている。
その青い花弁から空気の渦が出現し、突風がカイトに襲い掛かっ
た。
まるで台風だ。青い薔薇から生み出された力強い突風はカイトを
吹き飛ばし、洗面所の鏡に叩きつける。
﹁痛いな、くそ!﹂
ガラスの破片が幾つか身体の至る場所に突き刺さっているが、特
に気にした様子も無く起き上がる。
受けた傷はすぐに塞がり、ガラスの破片は抜け落ちていった。
﹁大した能力だ。だが、君が飛びかかろうものなら何度でも美しく
吹っ飛ばすよ﹂
﹁じゃあ答えは単純明快だ﹂
137
再びカイトは距離を詰める。
青い薔薇から再び強力な突風が襲い掛かるが、カイトは爪を振り
かざし、風を切り裂いた。
更にその時に生じた真空の刃は空気を切り裂き、アーガスの鼻先
を切り落す。
﹁!?﹂
突然の強襲にアーガスの目が見開く。
急に鼻血が出たのだと感じたが、違う。
それもカイトの行った攻撃なのだと理解し、目を疑った。
﹁ちょい、攻撃能力高すぎないかね君は﹂
﹁ああ、6年前良く言われた﹂
﹁今も大して変わりはしないよ﹂
0距離。ラグビーのタックルに近い形での体当たりを受け、逃げ
場が無くなる。
そのまま持ち上げられ、勢いよく頭から天井に叩きつけられる。
否、叩きつけると言うよりも、差し込んでいる、と言った方がい
い。
首の上がまるごと埋まっているのだから、その表現でも決して違
和感はないだろう。
﹁少しそこで頭冷やしておけよ﹂
﹁いや、頭も美しさも十分冷えているよ﹂
天井から静かな声が聞こえる。
次の瞬間、アーガスの服が破け、そこから無数の鞭が飛んできた。
138
﹁うお!?﹂
しかもその鞭全てに棘が生えている。植物の根っこだった。
掠っただけでも皮膚が裂け、出血は免れない。
直撃を受けた場合、身体が削ぎ落とされるのではないだろうか。
誤解されがちだが、再生能力があるからと言って痛みが全くない
わけではない。
現に鏡に叩きつけられた時は痛かったし、メラニーの光線を弾い
た時は︵目立った外傷ではないが︶火傷だってしている。
カイトは痛いのが嫌いだ。決して痛みで興奮を覚えるようなマゾ
じゃない。
だから避けるし、ダメージを抑えたいと思う。
﹁痛みは感じるようだね。美しい事に君を倒す手段はあるというこ
とだ﹂
アーガスが両手の力を使い、天井から頭を引き抜く。
茨の鞭は彼の胴体だけではなく、足や首元に至るまで伸びてきて
いる。
ところどころに色とりどりの薔薇が咲いているのが気色悪い。
﹁植物人間め⋮⋮﹂
恨めしそうに金髪の男を睨む。
突然出現したことを考えれば、あの鞭はアーガスの能力によって
出現した物だと考えていいだろう。
身体から植物を生やすのか、もしくは植物を急成長させるのかは
知らないが、これ以上戦っては無駄に時間を浪費するのがオチだと
139
考えた。
彼は間違いなく多芸だ。
先に使った青い薔薇も彼の能力だとしたら、終わりまで付き合っ
ているとキリがない。
かと言って、相手も思った以上にタフだ。
少なくとも天井に頭を叩きつけただけでは意識を失わない程度に
は。
﹁じゃあ、別の形で意識飛ばしてやる!﹂
カイトは疾走。
ソレに合わせるようにしてアーガスから無数の鞭が飛んでくる。
が、彼はそれを全て両手の凶器で切り刻んだ。
アーガスが次の一手を出す直前、カイトは彼の腹部に爪を差し込
む。
苦悶の表情が浮かぶが、やはり彼の体に巻きつく植物の鞭が防具
の役割を果たしている。
致命傷に至るまで突き刺せていない。
﹁私も至近距離での戦いは得意だよ! 寧ろ美しい事に、何でもで
きる!﹂
﹁もう付き合っていられるか、パツキン野郎﹂
吐き捨てるように言うと、カイトは爪を引き抜いて素早く姿勢を
下げる。
そこから放たれたのは足払いだ。
思わぬ衝撃を受け、バランスを崩すアーガス。
しかしそれを受け止めたのは、予想外な事に足払いを仕掛けたカ
イト本人である。
140
彼はアーガスを抱え、そのまま走り出した。
﹁また頭から叩きつける気かね!? 申し訳ないが、私は美しいダ
イヤモンドヘッドの持ち主とも言われた男。そうそう意識は飛ばん﹂
﹁なら、これでどうだ!﹂
アーガスの頭が床に向けられる。
綺麗に整っていた金髪の先に、ある物が見えた。
便器である。
﹁なああああああああああああああああああああああああああ!?﹂
ソレに気付いたアーガスが絶叫する。
多分次に言うセリフは﹃止めたまえ山田君﹄辺りだろう。
そしてその次に﹃私の美しい顔を汚すな﹄とか言うに決まってる。
付き合いが短いのにイメージできる。
﹁や、止めたまえ山田君! 君は世界遺産並みの美しさを持つ私の
顔に泥を塗ろうとしているのだよ!?﹂
言った。殆ど予想通りのセリフを見事に吐いた。
だが残念。カイトはそう思いながら、意地悪な笑みを浮かべる。
﹁悪い、俺﹃山田君﹄じゃないからお願いきけないや﹂
渾身のパイルドライバーが便器に突き刺さった。
便器の中から水が溢れ出す。
アーガスの手足がばたつき、体中の根っこもそれに合わせて暴れ
だした。
141
うるさいので、大のレバーを回した。
便器の水が吸い込まれ、新たな水が中身を潤す。
﹁あばばばばばばば⋮⋮!﹂
まるで痙攣を起こしたようにアーガスの身体が跳ねる。
しかし便器から飛び出すことはカイトが許さない。
しっかりと押さえ、暴れ終わるまで見守る。
ややあってから、アーガスの肢体と根っこはぴくり、とも動かな
くなる。
両手を放してやると、それらは力なく項垂れた。
﹁よし﹂
勝った。汚い手段だけど、勝利した。
恨むならわざわざこんなところまで出向いた己を恨め。
戦いは非情なのだ。
カイトは出口へと歩を進める。
その瞬間、彼はふとある事を思い出し、振り返った。
﹁⋮⋮そういえば俺、糞した後便所流したっけ?﹂
つい数分前まで自身が座っていた便器に視線を向ける。
アーガスが頭から突き刺さっていた。
今更だが、少し不憫に思えてくる。
その場の勢いで一度流したとはいえ、不純物が詰まった状態だ。
碌に流れた気はしない。
142
なので、もう一度大のレバーを回してからカイトは男子トイレを
出ることにした。
143
第8話 vsパツキンナルシスト薔薇野郎 ∼壁の隣で編∼︵後
書き︶
読者の皆さんはちゃんと用を終わらせたら流しましょう。
筆者との約束だ!
144
第9話 vs鎧持ち
蛍石スバル、16歳。
日本のヒメヅルというド田舎に生まれ、そのままド田舎で育った
彼は日本以外の世界を知らなかった。世界史や現代社会、地理を学
ぶことはあったが全然頭に入っていないのでそれはノーカウントと
する。
そんなスバル少年は今、一国の大使館に閉じ込められていた。
立ち位置は徴兵令で召集された少年だったが、早くも人質にクラ
スチェンジしている状態である。
トリプルエックス
それもこれも、居候の住み込みバイトのお兄さんが王国に戦いを
挑んだのが原因だった。
大使館の人間であるアーガスやメラニー曰く、彼は昔﹃XXX﹄
とかいうチームのリーダーを務めていたらしい。彼等のリアクショ
ンから察するに、XXXというチーム自体がやたらとおっかなくて
強い連中の集まりらしいが、スバルにはあの居候がそんなチームを
纏め上げていたとはとても信じられなかった。
個室に閉じ込められて1時間が経過した今でもそうだ。彼が他人
に暴力を振るう姿を見たことは無いし、何かを意図的に破壊する事
も無かった。精々使い方の分からない電子レンジから黒い煙を出し
ていた程度である。
スバルの中で、カイトと言う人物は他人の目をやたら気にする、
少し頑固な﹃家族﹄だった。少なくとも、スバルは彼を家族だと思
っている。血は繋がってないし、4年間同居しただけだが、その言
葉以外思い浮かばなかった。
145
だからこそ、彼になら父親を任せても大丈夫だと思い、街を出た。
スバルにはもう一つ気がかりな事があった。その父親が、自分が
旅立つ前に血を流して倒れたことだ。恐らくはストレスの溜まった
マシュラにやられてしまったのだろう。だが、問題はその後父親が
どうなったかだ。
マシュラがカイトに殺されたことは、アーガスから聞いた。多分、
やり過ぎたマシュラから街の住民を守る為に戦わざるを得なかった
のだろうというのがスバルやアーガス達の推測ではある。
しかし、その後父親がどうなったのかは分からない。
﹁父さん⋮⋮﹂
連れて行かれる前、カイトが医者を呼ぶのが聞こえた。今頃は病
院だろう。
そこまで考えた瞬間、扉から大きな金属音が鳴り響いた。思わず
飛び上がる。
見れば、扉の隙間を添うようにして刃物のような白い突起物が突
き出ている。
﹁スバル、いるか?﹂
その奥から、丁度噂の人物の声が聞こえた。カイトだ。
﹁カイトさん!?﹂
﹁いるな。今こじ開けるから、離れてろ。危ないぞ﹂
その声に反応して、数歩後ずさった。
直後、カイトは缶詰の蓋を開けるかのようにして扉の側面を一気
に爪で切り裂き、こじ開けた。最終的には力で無理やりこじ開けた
146
ところもあり、中々ワイルドだった。
﹁おう、元気か?﹂
右手を挙げ、道端で出会ったかのような挨拶をされる。
少なくとも気持ちは元気ではなかった。原因の半分はこの男にあ
るのだが。
﹁⋮⋮色々言いたい事があるし、聞きたい事もあるんだけど﹂
﹁後にしろ。時間が無い﹂
見れば、どころどころ服がボロボロだった。
それで皮膚の方に傷跡が見られないと言う事は、彼の能力が本当
に再生能力なのだと裏付けている。彼は本物だった。
﹁じゃあ、せめて移動しながら聞かせてくれよ!﹂
移動し始めた彼は何も答えなかった。NOと言わないので肯定と
受け取り、スバルは一番聞きたい事を聞いた。
﹁ヒメヅルで何があったんだ?﹂
カイトの動きが止まる。
そしてゆっくりと振り返り、口を開く。
﹁マサキが死んだ﹂
﹁え?﹂
その表情からは何も読み取れない。喜怒哀楽の感情が、何も反映
されていなかった。
147
ただ淡々と、事実だけを話す。そこに不気味さを感じつつも、ス
バルは震えた。
﹁死んだって、え? 何で!?﹂
徐々に浸透していった事実に全身が凍えるような錯覚を覚えなが
らも、スバルは殴りかかるようにして詰め寄った。
しかし彼は表情を崩さず、淡々と呟く。
﹁マシュラに撃たれた。医者は間に合わなかった﹂
父が死んだ。王国の兵の心無い暴力により、殺された。
﹁何で!?﹂
﹁何でって、お前も居たから分かるだろ﹂
﹁そうじゃなくて!﹂
いや、その気持ちは無いとは言い切れない。しかしそれ以上に不
思議でならないのは彼の表情がまるで変化しない事だ。
﹁アンタ、何でそんな平気な顔してるんだよ!?﹂
﹁⋮⋮⋮⋮﹂
カイトは何も答えない。
柏木一家の時は跋が悪そうな顔をした癖に、マサキが死んだ事に
は無表情だった。
4年間世話になった癖に。家族だと信じてたのに。
スバルにはそれが我慢ならなかった。彼と生活して、充実感を得
ていた4年間の全てを裏切られたような気持ちになった。
148
﹁死んだんだろ!? 父さんはアンタの前で! なのに、どうして
こんなところで、そんな顔して俺に死んだなんて言えるんだよ!﹂
﹁それが事実だからだ﹂
﹁ふざけんなよ!﹂
﹁ふざけてるつもりはない。俺は大真面目だ﹂
本気で殴り合ったら、彼に勝てる要素は無い。体格も、技術も、
俊敏さも、頭の回転ですら彼の方が格上だ。しかし彼の態度には、
無性に腹が立った。
気付けば身体は勝手に動いていた。渾身の拳をカイトの頬目掛け
て繰り出す。それはカイトの顔面に見事に命中するも、鋼鉄のよう
な硬さに弾かれ、逆に自分の手が痺れる始末だった。
﹁いってぇ⋮⋮!﹂
右手がひりひりする。まるで壁でも殴ったかのような硬さだった。
しかも当の本人は平然とした顔で直立不動。何事も無かったかのよ
うにその場でスバルを見下ろしていた。
﹁なら、どうすればお前は満足するんだ?﹂
不意にカイトが呟く。その表情は、相変わらず感情が読めなかっ
た。
﹁マサキは死んだ。もうどこにもいない。大声で呼んでも返事はし
ないし、家に戻っても笑いかける事は無い﹂
しかし何処か弱々しく吐き出された言葉に、彼なりの意志が込め
られていた気がした。
149
﹁あの時、何もできなかった。だからせめて、マサキの悔いを拭う
事しかできないと思った﹂
だが、
﹁俺は人が死ぬ瞬間を見過ぎた。マサキが死んだ時も、ケンゴのよ
うに泣けなかった。居なくなったんだと、自分の中で納得する事し
かできなかった﹂
まるでそうなる事を望んでいたかのように、彼は言った。そうで
きることが幸せなんだと言わんばかりの勢いである。XXXとして
育てられ、特化された所以の欠落だった。
﹁俺は何をすれば、マサキの為になることをできたと言えるんだ?﹂
スバルは思う。彼は自分が思う通りの考えを持っていた。4年間
の共同生活は、彼の中でもそれなりに大きな物だった。
ただ、それを表現するのが絶望的に下手糞なのである。しかも誰
かの死を常に見てきていて、感覚が自分とはまるで違うのだ。
少し考えたらその気があるのはわかった筈なのに、頭に血が上っ
てつい手を出してしまった。
己の行動を、恥じた。
﹁⋮⋮ごめん﹂
﹁何故謝る。悪いのは俺なんだろう﹂
﹁いや、多分俺が悪かった﹂
﹁⋮⋮そうか﹂
それ以上、カイトは踏み込んでこなかった。ただ一言﹃さっさと
出るぞ。いいな﹄とだけ確認してきたのでそれに了承の意を伝えた。
150
もう父親を殺した男と同じ国の為に働く気にはなれなかった。
廊下に出て、周囲の惨状を見て改めて思う。
どんだけ暴れたんだこの男、と。
右を見ればバトルロイドの残骸。左を見れば抉られた壁。上を見
上げれば崩れ落ちそうな天井。下を向けば所々穴の開いた床がある。
とても一人で戦いを挑んだとは思えなかった。
﹁これ全部アンタがやったの?﹂
﹁俺以外、ここに仕掛ける奴がいるのか?﹂
﹁いや、いないけどさ⋮⋮﹂
﹁ああ、そうだ。トイレには行くなよ。人間盆栽が目覚めたら面倒
だ﹂
﹁人間盆栽?﹂
﹁ああ⋮⋮いや、待て。どっちかというと棘盆栽だな﹂
どういうこっちゃ。とにかく、トイレには近づかない方がいいら
しい。肝に命じておくことにする。
﹁で、どうやって抜け出すつもりなの? というか、抜け出した後
どうするつもりなんだよ﹂
流石にヒメヅルに戻れるとは思っていない。少なくとも、元の生
活は二度と送れないだろう。
151
﹁海外逃亡する﹂
﹁海外!? でも、海外ってどこに!?﹂
﹁アメリカ﹂
数日前、家族でテレビを見てた時のやり取りを思い出す。
アメリカは新人類王国と戦い続けている、﹃旧人類連合﹄の代表
国だ。確かにそこなら新人類王国の追手も暫くは来ないだろう。
﹁でも、どうやって行くの?﹂
﹁ブレイカーを拝借する。地下格納庫に何機かあるのは調べた﹂
﹁動かせるの!?﹂
﹁お前ほど得意じゃないが、訓練でやったことはある。ミラージュ
タイプの特機なら都合がいい﹂
巨大ロボット、ブレイカーには幾つか種類がある。
一回り大きくて馬力のあるアーマータイプ。
小回りが利き、装備品のカスタマイズも豊富なミラージュタイプ。
動物をモチーフとして、野生動物の動きを再現したアニマルタイ
プ。
この3つだ。
﹁ミラージュタイプならスピードも出るし、いざとなれば﹃ステル
スオーラ﹄で隠れ蓑にしやすい﹂
﹁アーマータイプじゃデカすぎるし、アニマルタイプはトリッキー
すぎるしね。物によっては陸上や海上特化しすぎて移動に不便だし﹂
﹁流石に理解が早いな﹂
感心するようにカイトが言う。
今の内に解説をすると﹃ステルスオーラ﹄とはブレイカーに備わ
152
っているステルス迷彩機能である。メカニズムとしてはアルマガニ
ウムのエネルギーを機体の周囲に放ち、透明の膜を作り上げること
によって姿を隠す。イメージとしては透明になる為に己の視界36
0度に球体のバリアを張るような感じだ。
ただ、これには欠点がある。
周囲にエネルギーの膜を張る為、その間あらゆる行動が制限され
る。例えば、武器にエネルギーが回らない。ブレイカーは基本的に
機体内蔵のアルマガニウムからエネルギーを送り、それを武器に流
し込むことで攻撃を行う。ゆえに銃弾も切れる事は無いし、剣の切
れ味も落ちることは無い。
しかしステルスオーラを張っている場合、武器にまでエネルギー
が届かないのである。
逆に言えば、武器を使わないのであればステルスオーラで隠れな
がら移動が可能なのだ。武器ではなく、乗り物として運用すれば良
いと言う発想だった。
﹁次の王国兵がブレイカーに乗って応援に来る。もたもたしてると
囲まれるから急いだ方がいい﹂
﹁わ、わかった!﹂
更に言えば、そのステルスオーラは相手も使ってくる。
今向かってきている筈の応援もブレイカーで迫ってきた場合、こ
ちらに感づかれないためにステルスオーラを纏って近づいてくるだ
ろう。そうなった場合、脱出が難しくなる。スバルはその辺を強く
理解していた。
﹁!﹂
153
だがそんな時である。
廊下の真正面。奥からゆっくりと、白い影が姿を現した。
西洋風の鎧を全身に纏った何かである。中身は鎧の隙間が全く見
えない為、男性が入っているのか女性が入っているのかさえ分から
ない。
強いて言えば、その背中に背負っている約2mもの長剣の存在が、
白の鎧が兵なのだと認識させた。
﹁あんな奴いなかったぞ。誰だ?﹂
スバルが呑気にそんな事を言ってると、先頭に立つカイトが珍し
く焦りの感情を見せた。
﹁鎧持ちだと!? 気でも狂ったか!﹂
﹁え、何それ﹂
﹁王国が誇る殺戮兵器だ。中身はどうなってるか知らんが、1人で
1国の人間を皆殺しにしたらしい﹂
空いた口が塞がらなかった。
なんだそのトンデモ設定。
﹁しかも理性が残っておらず、一度暴れだしたら王でも制御できな
い。その結果、国が一つ血の海に変わった﹂
そんな奴が、目の前にいる。
最強の新人類の兵が誰か、と聞かれればタイラントを始め様々な
名前が出てくるが、最凶の殺戮兵器とは何かと問われれば誰もが鎧
持ちを推薦する。
彼等は兵ではなく、制御できない超兵器のような扱いだった。
154
﹁か、勝てるの!?﹂
﹁さあ⋮⋮戦った事ないから﹂
しかし、鎧を退けなかれば脱出できない。最悪、シンジュクの人
間たちも巻き添えになって殺されるだろう。
スバルはその可能性を視野に入れた瞬間、憤慨した。
兵候補と反逆者の2人の為に、シンジュクの人まで皆殺しにしか
ねない奴まで出してくるのか。何故そこまでして徹底するのかわか
らなかった。そこまで国の面子が大事なのか。
﹁まあ、鎧持ちまで出てくるってことは、それだけ国の威厳がかか
ってるってことだろう﹂
己の考えを見透かしたかのようなカイトの声が発せられた瞬間、
白の鎧が近づいてきた。身の丈以上の長さを誇る長剣に手をかけ、
ゆっくりと。
﹁スバル。端っこに居ろ。背中は絶対に向けるな。向けた瞬間、胴
体が消し飛ぶと思ってろ﹂
﹁お、おう﹂
その言葉に従い、白い鎧と比例するかのように後ろに下がってい
った。
﹁白い鎧は初めて見たが俺が分るか?﹂
試しに尋ねてみる。しかしその言葉に反応する気配は無く、ただ
近づいてくるだけだ。
距離が10m付近になった時点で、鎧は剣を大きく構える。ソレ
と同時、彼の近辺にある壁が粘土細工のように粉々になった。
155
﹁⋮⋮威嚇のつもりか?﹂
﹁単純に振り回しやすくしてるだけだと思うけど﹂
﹁うるさい、茶々入れる暇があれば距離を放せ﹂
その会話が終わったと同時。鎧が大きく踏み込んだ。
﹁!﹂
銀の点がカイトの目前に迫る。それが長い刀の突きなのだと理解
するのに時間は掛らなかった。カイトはそれが顔面に命中する直前
に素手で掴みとる。
﹁うえええええええええええええええええええええええ!?﹂
後ろでスバルが喚く。正直、うるさいと思う。誰を庇いながら戦
わなければならないと思っているのだろうか。
﹁なんでそんな簡単に剣を受け止めるんだよアンタ!﹂
﹁いちいち喚くな。このくらいで驚いてたら身が持たんぞ﹂
それにしても、だ。カイトも噂で聞いたレベルなので、実物がど
の程度の強さなのかと思ったら案外速度やパワーでは通用している。
向こうが手加減している可能性もあるが、それならそれでいい。
手加減している間に倒してしまうまでだ。
同時刻、新人類王国のデイアマットの個室にて。
156
王子は笑みを浮かべつつ、口を開く。
﹁彼が父の創設したXXXの中核か﹂
﹁見えるのですか?﹂
タイラントの問いかけは聞こえているらしく、札を手に取って瞑
想した王子は首を縦に振る。
﹁私の目は白の鎧持ち︱︱︱︱ゲイザー・ランブルとリンクしてい
る。と言っても、私は彼に命令を送るだけだ。それを実行するゲイ
ザーの力を信じよう﹂
しかし、まさか命令した瞬間にテレポートを行うとは思わなかっ
た。
既に出撃した筈の日本国内の兵よりも先に到着したのは、ある意
味幸運と言えるだろう。虐殺の最中に余計な犠牲が出ずに済むから
である。
﹁では、宜しく頼むよゲイザー。鎧持ちの力、存分に見せておくれ﹂
157
第10話 vs白の鎧
カイトがゲイザーを破壊する為に動いたのと、ディアマットが命
令を念じたのは同時だった。
掴んだ剣はそのままで素早く鎧の懐に入り込み、左の裏拳を頭部
に叩き込む。その威力は近くで見ているだけのスバルから見ても相
当な物であると推測できた。ゲイザーの頭部がへこみ、身体がふら
ついたからである。
しかし、カイトの動きは止まらない。
剣を放し、そのまま手刀をゲイザーの右胸に突き刺した。更に左
の爪でゲイザーを刺し、それが終わったと思えば更に右の爪で抉り
回す。それが4セットか5セット目に入った頃にはもう白の鎧は完
全に剥ぎ取られており、ゲイザーの裸体に無数のひっかき傷と刺し
傷が遺されていた。
だが、カイトはまだ攻撃の手を緩めない。
彼は8セット目の連続攻撃の後、勢いよくゲイザーに蹴りを入れ
た。クリーンヒットした白の鎧︵最早残骸に近かったが︶が宙に浮
き、ゆっくりと弧を描きながら吹っ飛ばされる。
﹁まだだ!﹂
吹っ飛ばされたゲイザーを追い抜き、思いっきり蹴り上げる。晒
しだされた傷跡に強烈なキックが突き刺さり、天井へと吹き飛んだ。
﹁げ⋮⋮﹂
158
見るからに痛そうな一撃は、スバルから見ても鳥肌が立った。
鉛筆の芯を削ぐかのような連続引っ掻き。そして天井ごと人体を
軽く吹っ飛ばす脚力。どれを取っても尋常じゃなかった。
スバルから見れば、白の鎧よりもカイトの方が殺戮兵器である。
というか、大層物騒な鎧だと言う話を聞いていたのだがあっさりと
終了してしまった。全く拍子抜けである。
﹁勝ったん、だよな?﹂
息を飲みつつ、確認する。
蹴り上げ、天井を見つめるカイトは己に残る感触を確かめながら
も返答した。
﹁手応えはあった﹂
﹁じゃあ勝ったんだな。な!?﹂
﹁どうだろうな。呆気なさすぎる﹂
彼もスバルと同様の疑問を覚えていた。寧ろ、剣を掴んだ時から
違和感はあった。
だが今の目的はあくまで鎧を倒す事ではなく、逃げる事だ。何時
までも考えている暇はない。
﹁地下格納庫へ急ごう。また別の奴が来るかもわからん。俺から離
れるんじゃないぞ﹂
穴の開いた天井に注意しつつも、二人は廊下を突き進む。
しかし奥の階段を下ったところで、彼等は思わず目を見開いた。
﹁!?﹂
﹁嘘ぉ!?﹂
159
ゲイザーが突っ立っていた。
先程カイトにつけられた傷が残っている。間違いなく本人だった。
﹁何で!? アイツ上に飛ばされた筈だろ。なんで下の階にいるん
だよ!?﹂
スバルの疑問は尽きることなく、悲鳴のように吐き出される。
そこに拍車をかけるのがゲイザーの気味の悪さだ。その肉体は何
度も刻み込まれている筈なのに、平然としている。
﹁隠れろスバル! さっきと同じだ!﹂
半ば突き出す形でスバルを退けたカイトはすぐさまダッシュ。
今度はゲイザーの心臓を手刀で抉り取らんと懐に潜る。しかし、
カイトが右手を突き出すとゲイザーはそれを掴んだ。
﹁!?﹂
ならば左で抉らんとすると、今度はもう片方の腕で捕獲される。
直後、カイトの脳天を衝撃が襲った。ゲイザーによる頭突きだ。
2発目が入り、3発目も入る。先程のお返しとでも言わんばかりの
連続頭突きだった。
﹁野郎⋮⋮!﹂
額から流れる血が目に入る。
その感覚自体が久しい物だったが、カイトはそこで明確に敵意を
露わにした。
捕まれた両手の手首を曲げ、ゲイザーの両手を掴む。その爪先は、
160
確実にゲイザーの両手首を捉えていた。ゲイザーの両手首が切断さ
れる。
﹁これなら、どうだ!?﹂
自由になった右腕がゲイザーの剥き出しになった胸部に突き刺さ
る。腕は背中まで貫いており、完全に貫通していた。
﹁ひぃ!﹂
スバルが怯えにも似た声で腰を抜かす。あまりにグロテスクな光
景ゆえに、完全に腰を抜かしていた。恐らく、今カイトに逃げろと
怒鳴られても動けないままだろう。
﹁⋮⋮!﹂
しかし、当のカイトは困惑した表情を浮かべていた。
スバルの態度に、ではない。刺し貫いた筈のゲイザーが、再び動
き始めたからである。
﹁ゾンビか、お前は﹂
腕を引き抜き、距離を取る。
しかしその動きに合わせたように、ゲイザーがカイトの懐に飛び
込んできた。
ガントレットで覆われた右腕がカイトの胸部に命中する。その一
撃は掬い上げる様にしてカイトを天井へと押し上げ、強烈なインパ
クトと共に炸裂する。
﹁こいつめ⋮⋮!﹂
161
天井に押し付けられながらも、カイトは確認した。
この白い鎧は、意図的に自分がやられたやり方をやり返している。
全く同じという事は流石になかったが、連続攻撃からの天井への叩
きつけは一種の挑発だとカイトは受け取った。
要は﹃お前に出来る事は俺にも出来る﹄と言ってるのだ。非常に
頭にきた。何て生意気な野郎だろうか。その行為はつまり、余裕が
あるという事なのだとカイトは解釈する。
ならばその余裕を先に壊してやろう。カイトはゲイザーを睨む。
その表情は鉄仮面に覆われて見ることはできないが、引き剥がすこ
とはできる。
その手段は蹴りだ。彼は天井に押さえつけられながらも、足を思
いっきり振り上げた。その先端から光る矛先が出現する。足の指か
ら生えたアルマガニウムの爪だった。
鉄仮面が真っ二つに切り裂かれ、残骸が蹴り飛ばされる。
そこから現われたのはゲイザーの素顔だ。
﹁!?﹂
だが、それを見た瞬間カイトとスバルは困惑した。
髪の色は違うが、知っている顔がそこにいたのである。
﹁カイトさんが、二人?﹂
白の﹃鎧持ち﹄ゲイザー・ランブル。
彼の素顔は、神鷹カイトのそれと瓜二つだった。
162
﹁鎧持ちは皆、人工的に生み出された新人類だ﹂
ディアマットは言う。
それに耳を傾けるタイラントは、どこか表情が青ざめていた。
﹁彼等は優秀な戦士たちのDNAで作られ、新たな能力を持って生
まれてくる。とはいえ、完成品として生まれるまでに多くの犠牲が
あったが﹂
トリプルエックス
﹁では、ゲイザー・ランブルとは﹂
﹁彼は今戦っているXXXがDNA提供者だよ。能力は再生能力で、
痛覚が遮断されている﹂
それゆえ、様々な攻撃を受けても立ち上がる。
更には持ち前の再生能力で、それが致命傷にならない。
﹁ただ、再生能力はまだ上手く使いこなせていないようだがね。現
に両腕が再生できても、身体中につけられた切り傷が再生しきって
いない﹂
だがそのスペックは、オリジナルよりも優れているとディアマッ
トは確信していた。少なくとも自己再生以外の能力をオリジナルは
持っていない。
﹁彼は痛みを感じない。死の恐怖を感じることなく、身体は再生能
力で維持できる﹂
﹁そして身体のスペックは伸ばしていけばいい、という事ですか﹂
﹁まだその辺は実戦経験が無いから流石に劣る部分はあるが、オリ
ジナルを見た感じ確実に伸びると思うよ﹂
163
少なくともスピードやパワーに関して言えば、カイトに負けてい
ない。そして今も尚、本物から学習している。
不安要素があるとすればオリジナルにしか埋め込まれていないア
ルマガニウムの爪だが、どんなに刻み込まれてもゲイザーは痛みを
感じずに立ち上がってくる。例え心臓を抉られても、だ。
﹁⋮⋮他の鎧持ちも同様に、新人類軍のクローンなのですか?﹂
﹁ああ。間違い無い筈だ。恐らく、君の鎧持ちもいるだろう﹂
いとも簡単に吐き出された言葉に困惑を覚えつつも、タイラント
は背筋が凍えた。
趣味が悪い、と。この時ばかりは目上の存在であるディアマット
に対して思う。
﹁そもそも、何故そのような連中が必要になったのです?﹂
﹁答えを先に言うと、人材不足に対する最初の解答がクローン人間
を生み出す事だったんだ﹂
ただ、当初それを企画して尚且つ実施させたのはリバーラだ。あ
の男なら﹃面白そうだから﹄という理由で戦士を増やそうとしても
おかしくは無い。そう答えるのは簡単だったが、ディアマットは敢
えて別の解答を出した。
﹁後の調査で判ったことだが、新人類は旧人類に比べて出生率が異
様に低い。異能の力を持って生まれる確率は20万分の1以下とい
うこの数値は、親のDNAが影響しているのか、アルマガニウムの
エネルギーが関係しているのか。原因は未だに不明だが、それだと
我々の課題は何時まで経っても解決しない﹂
そこで白羽の矢が立ったのが新人類のクローン計画だった。
164
しかもとびきり優秀な兵の量産に限定し、更に能力を意図的に遺
伝させるという、夢物語のような企画である。
﹁それが何故あのような恰好で? しかも理性まで消して﹂
﹁⋮⋮念を押しておくが、これはあくまで私が父から聞いた話だ。
事実かどうかはわからない事を前提に聞いてほしい﹂
彼なりに不満があるのか。それとも相手が王国内での地位を確立
しているタイラントだからなのかは分からなかったが、ディアマッ
トは妙に重い口調で語り始める。
﹁事の発端はXXXの育成。その方針の違いだ﹂
﹁育成? 私の知る限りだと、彼等の監督は一人の人間が受け持っ
たと聞いていますが、そこに方針の違いが生じる物なのですか?﹂
﹁今の鎧持ちの管理を務めているノアと、当時XXXの育成・メン
タルケアを担当していたエリーゼは対立関係にあったのだそうだ﹂
ノアの主張はこうだ。
最強の兵器として確立させるのであれば、そこに意思など必要な
い。ただ機械的に敵を殲滅し続ければいい。
ソレに対し、エリーゼの主張はあくまで彼等を最強の人間として
扱う、という物だった。
﹁要は彼等をあくまで武器として使うか、戦う力を持つ人間として
見るかで意見が割れていたんだ。途中、何度か方針転換の機会はあ
ったらしいが、最終的にはエリーゼの方針に沿う事になった﹂
﹁では、その時の反対派が﹃鎧持ち﹄に自分達の主張を反映させた、
と?﹂
﹁ああ。鎧持ちの代表者がノアであることを考えれば、それも納得
できる﹂
165
しかし、その最新型に発端となったXXXの元リーダーのクロー
ンが使われているとは何とも因縁深い話である。どちらの主張が正
しかったのか、ある意味この戦いで決着が付くと思って良いだろう。
もっとも、当人達には知る由もないことだろうが。
﹁一つ、お伺いしても?﹂
﹁何かな?﹂
この話をしてから終始表情が宜しくないタイラントが遠慮がちに
言う。
﹁ディアマット様は、どちらの主張が正しいとお考えですか?﹂
﹁決まっているよ﹂
迷う事も無く、ディアマットは即答した。
﹁勝った方の考えが、正しいのさ﹂
166
第11話 vsゾンビカイト兼病原菌
上半身剥き出しになった白髪の己が、カイトの頭を掴んだ。
その後繰り出されたのは強烈な膝蹴りである。
﹁あが︱︱︱︱っ!?﹂
顔面が弾け飛ぶようにして押し出される。
それを見たゲイザーは歪な笑みを浮かべつつ、再び膝蹴りを放っ
た。
﹁何だ、お前は⋮⋮﹂
しかしカイトの意識は飛ばなかった。血だらけになった顔は今も
尚、敵意に満ちている。その意思をぶつけるようにしてカイトは両
手を振りかざした。
ゲイザーの足が一瞬にして刻み込まれる。だが、それがどうした
と言わんばかりにゲイザーは刻まれた足で再び膝蹴りをカイトに放
った。
今度は胸部に命中した。強烈な圧迫を受けたカイトは、その場で
蹲る事はせずとも思わず苦悶の表情を浮かべて距離を取る。
﹁ふー⋮⋮ふー⋮⋮﹂
身体に熱が籠るのを感じる。激しく動き回ればそれは当たり前な
のだが、同時にある種の悍ましさも感じていた。
自分と全く同じ顔の人間が目の前にいる。しかもよく見れば自分
167
と同じ再生能力をもっているではないか。なんなんだコイツ、とい
う疑問がカイトの脳を縦横無尽に駆け巡った。
しかし、考えても答えが出ない事を彼は理解していた。仮に相手
に問いかけてみたとして、答えることはないだろう。鎧持ちは理性
が無い。ただ無慈悲に敵を倒すだけの存在なのだ。言葉が理解でき
るかすら怪しい。
ならば疑問を疑問のまま置いていくのも偶には悪くない。普段な
らとことん追求するつもりではあるが、生憎その時間は無いし、答
えてくれる相手ではなさそうだった。
問題があるとすれば、どうやって倒すかだ。
身体を刺し貫いてもけろりとしている。両手を切断しても、何時
の間にか元通り。そんな奴を相手にして︵ほぼ自分なのだが︶勝つ
ビジョンが浮かばなかった。
ただ、少なくとも抑え込むのに時間がかかるだろうという予測は
できる。彼は今までのどんな敵よりもタフな上にしつこそうだった。
﹁スバル﹂
ゆえに、カイトはスバルに提案する。先に逃げろ、と。
せめて先に格納庫に向かわせて、どの機体を奪うかくらいはやっ
ておいてもらった方がいいと考えた。
しかし、呼びかけに対してスバルは答えない。
﹁?﹂
右目を器用に動かし、視界を広げる。
168
先程まで腰を抜かしていた少年の姿は、どこにもいなかった。
蛍石スバル、16歳。
初めて目の当たりにした生の殺し合いを前にして、彼は恐怖して
いた。
素顔が明らかになった後のゲイザーの猛攻は、素人目から見ても
凄まじい物だった。序盤、あれだけ圧倒的だったカイトが押されて
いたのもその一因に絡んでいると言ってもいいだろう。
彼の膝蹴り、手刀、頭突き、今は手放しているが長剣による攻撃
が全て自分に向かうと想像する。
全身の鳥肌が止まらなかった。
一度加速した恐怖は、少年の心を簡単に追いつめてしまう。
彼はそれに屈した。
カイトの忠告を無視し、1人で逃げ出したのである。
﹁はぁ⋮⋮! はぁ⋮⋮!﹂
息を乱しながら、我武者羅になって走った。ゲイザーもカイトも
追ってこない。お互いに牽制して、下手に動けない状態なのだろう。
そう思いながらも、スバルはそこで初めて周囲を冷静になって見
渡してみる。大使館の地下だった。
﹁地下⋮⋮!﹂
壁に貼り付けられた見取り図を見て、スバルは思い出す。彼は一
169
度ここに来たことがあった。ここに連れてこられる時に利用した新
人類軍の航空機が格納されているのもこの地下だからだ。
降りた後、アーガス達に案内されて大使館の館内に辿り着いたの
を覚えている。つまり、その時とは逆の道を辿れば格納庫に行くこ
とができるのだ。
﹁えーっと、ここがこうで⋮⋮この空間がこれだな。よし!﹂
位置を確認し、復唱した後スバルは再び走り出した。メラニーに
召集された為、警護をするバトルロイドは一人もいない。彼の邪魔
をする者は誰もいなかった。
脱出できる。カイトのプラン通りでなくても、この危機を乗り越
える事ができる。その時の光景を意識した瞬間、暖かい何かに包ま
れた錯覚さえ覚えた。
憧れだった本物のブレイカーを動かし、ステルスオーラを起動し
ながら新人類軍の手の届かない場所で平和に過ごす。悪くない未来
だった。
しかし、そこで気付く。
想像の中の自分の周辺に、信頼できる人間が誰一人としていない
事に、だ。
﹁⋮⋮⋮⋮﹂
まるで釘でも刺されたかのような気分だった。
自然と走る速度も落ちてくる。
﹁⋮⋮誰も、いないんだよな﹂
170
呟いた言葉に誰も答えてはくれない。
マサキは既に故人。ケンゴ達のような故郷の仲間もいない。
カイトは今、見捨てた。ついさっきゲイザーに怯えた自分が、彼
を助ける事もしないので逃げ出したのだ。
助ける? 俺がか?
馬鹿を言うな蛍石スバル。
相手は超人を超える化物だ。全身凶器のカイトも押され始めた上
に、身体を貫かれても生きてたんだぞ。
そんな相手に何ができると言うのか。カイトだって大人しくして
いるように忠告してきたではないか。
﹁くそっ!﹂
吐き捨てるように言うと、スバルは再び走り出した。
彼は振り返ることなく、格納庫へと向かった。
スバルが逃げ出した事に対して、激怒することは無かった。
寧ろしょうがない事だと思う。初めて目の当たりにした新人類同
士の喧嘩にも似た野蛮な戦いは、いささか刺激が強すぎる。ヒメヅ
ルでのケンゴ達の反応も当然だろう。
カイトは自分でも呆れるくらい甘い考えになっているな、と自嘲
する。
﹁さて、これで遂に1人になったか﹂
171
しかし、逃げるわけにはいかない。
目の前にいる白い自分とはここで決着をつける必要がある。そう
しないと自分もスバルも逃げれないであろう事は、容易に想像でき
た。
﹁おい鎧﹂
人差し指を向け、カイトが言う。
理解する頭があるかは疑問だったが、それでも宣言しておかない
と気が済まなかった。
﹁もう俺には何もない。今、完全にフリーだ。何時倒れてもよくな
ったわけだ。そして非情にムカつくことに、お前はもしかすると倒
せないかもしれない﹂
だから、
﹁最期になるかもしれない。これから思いっきりやるぞ﹂
カイトの目つきが変わる。
ソレと同時に、風が吹いた。大使館の壁は既に切り落されている
状態だ。夜風が吹いても何らおかしくは無い。
だが、不思議な事が起こった。カイトが消えたのである。
﹃なんだと!?﹄
ゲイザーの脳内にディアマットの戸惑いの声が響く。
廊下は一本道だ。見逃す要素は無い。隠れる場所も無い。強いて
言えば切り裂かれた壁や破壊された天井から逃げる事もできなくは
172
ないが、それだとゲイザーの視界に捉えられるはずだ。
消えた理由が説明できない。資料によれば、瞬間移動ができると
いう記述は無かった。
﹃どこに消えたんだ!? 探せ、ゲイザー・ランブル﹄
命じたと同時に、ディアマットは察知した。
風の勢いが増している。それに乗せてきているかのように、殺気
がぶつけられる。直接受けているわけでもないに背筋が凍える思い
をしたのは初めてだった。
豪風がゲイザーを包み込む。
それが過ぎ去ったと同時、ゲイザーが振り返った。
カイトが居た。両手から生えた爪から血を拭い捨てている。
それを黙認した瞬間、ゲイザーが崩れ落ちた。
﹃何!?﹄
何が起こったのか確認した瞬間、ディアマットは己の目を疑った。
ゲイザーの身体が切り裂かれ、ズタズタにされているのである。
傍から見て、一番集中攻撃されているのは足だ。機動力を削るど
ころか一気に行動不能に陥るまで肉を削ぐ。次に手が今にも千切れ
てしまいそうなほど削り取られ、更には胴体にこれでもかと言わん
程の切り傷を与えている。
ハリケーンのような爆風をダッシュのお供にしながらも、カイト
はこれを一瞬で行い、そして敵の後方へと回ったのである。
173
しかも、攻撃を受けたのはゲイザーだけではない。
見ればこの階のありとあらゆる物が切断されている。カイトの後
方にあった筈の階段の手摺まで切り落されていた。
スバルを守りながらでは絶対に放てない技だろう。
そして同時に、ディアマットは察した。
ゲイザーの視界で動きを捉えられなかった以上、もう一度今の技
を出されたら対処の仕様が無い。
少なくとも身体能力では、まだ本物との間に決定的な差があった
事は確かだ。
﹃吹っ切れたか。己が守るべき者を失った代わりに、相当身軽にな
ったようではある﹄
だが、新人類王国に負けは許されない。
一度の敗北ですら汚点なのだ。特に国を背負う王族であるディア
マットにとって、新人類の弱肉強食主義は絶対だった。
ゆえに、彼は命じる。
﹃ゲイザー・ランブル! 壊れてもいい。アイツを倒せ!﹄
ゲイザーの瞳が怪しく輝く。
切り裂かれて動けなかった身体が徐々に再生し、ゆっくりと起き
上がった。
﹁させるか!﹂
だが、カイトも決して今の攻撃で勝利を確信してはいない。
ゲイザーが所謂﹃ゾンビ兵﹄なのは、戦ってよく分かった。殴っ
174
たり、刻んだりして倒せるような敵ではない。
ならばどうするか。再生する前に、全て微塵切りにして消し飛ば
すまでだ。少なくとも、今はそれ以上ベストな回答が出てこなかっ
た。
再び風が吹く。
その流れに合わせるかのようにして、カイトが疾走する。でたら
めな走りによる突撃は、ゲイザーには見えない。
だが、剥き出しになったゲイザーの肌は強風と共に迫ってくるカ
イトの殺意を受け止めていた。彼は学習して、彼なりの対処法を本
能のままに実行した。
例えるなら、今のカイトは無数の刃を引き連れた一本の槍である。
それが遠距離から目に見えない速度で飛んできて、身体を吹き飛
ばそうとしているのだ。
ただ、それには弱点がある。次々と切り刻んでくる刃は全てカイ
トから放たれる。つまり、最初の一撃を捕える事ができれば次の攻
撃は飛んでこない。
ゲイザーの両腕が蠢く。
彼の視界には何も映らない。だが見えない悪意が迫って来ること
を理解している。
その悪意は槍のように真っ直ぐ飛んで来ていた。ゲイザーの脳内
に槍のイメージが湧き上がる。彼が始めて行った想像だった。
両腕を前に突き出し、飛んできた槍を掴む。
﹁!?﹂
槍の動きが止まった。
175
カイトの右腕はゲイザーに捕まりながらも、彼の首に突き刺さっ
ている。
だがそれ以上が動かない。そのまま深く突く事も、横に動かして
跳ね飛ばすことも、引き抜く事も出来ない。
﹁この⋮⋮!﹂
カイトが力を込める。だがゲイザーに掴まれた両手は動かない。
そこに追い打ちをかけるようにして、ゲイザーの両目が動き出す。
血まみれになった顔の中で蠢く白目が、黒目から溢れていくように
黒に染まっていく。
﹁何だ?﹂
それを見たカイトは、思わずそんな事を呟く。何か嫌な予感がし
ていた物の、それから視線を逸らすことができなかった。
ゲイザーの瞳が漆黒に染まりきった瞬間、カイトは己の視界が歪
むのを感じた。
直後、頭に激痛が走る。身体中の体液全てが溢れ出してしまいそ
うな吐き気も同時に襲い掛かってきた。更に厄介な事に、眩暈がし
て敵の姿がまともに見えなくなってきている。
カイトは混乱する。
自分の身に何が起こったのか。敵の目の色が完全に黒一色に染ま
った。変化があったのはそれだけの筈だ。
だが、それだけで眩暈と頭痛、吐き気が一気に襲い掛かってきた。
突然の体調不良にしては出来過ぎだった。
﹁ぐ、く⋮⋮﹂
176
苦悶の表情を浮かべ、ゲイザーを睨む。
徐々に薄れていく意識はゲイザーの首を刎ね飛ばせ、と命じてい
た。多分、これを逃したら次は無い。首に刺さっている己の腕を上
下左右に動かす。だが、その動作は首を刎ねるには弱々しかった。
﹁お前、能力ありすぎ﹂
苦し紛れに、そう呟いていた。ゲイザーは答えない。敵の表情が
歪み、腕の力が弱まっているのを確認した後、カイトの腕を無言で
引き抜いた。穴の開いた首が徐々に塞がっていく。その皮膚の色が
再現された瞬間、カイトは攻め手が閉ざされたことを理解した。
だが、それでもカイトの頭の切り替えは早かった。
病人同然の身体になった状態で、どうやってこの﹃ゾンビカイト
兼病原菌﹄を倒そうかと、動きが鈍い脳みそに檄を飛ばしながら考
える。しかし頭の回転が利かない間にゲイザーは立ち上がり、蹲る
自分を見下ろす図が出来上がってしまった。
最悪だ。自慢の足もこのような体調では逃げられる自信が無い。
敵の姿もぼんやりとしか見えない以上、捕まえるのは困難だと思
って良い。己の手を握り、感触を確かめる。まるで別人になったか
のような錯覚を覚えるほど、弱々しかった。
何かないか、と必死になって周りを探す。
強いて言えば壊された壁から外に逃げるという選択肢があるが、
立って数歩がやっとの状態で振りきれるとは思えない。
ゲイザーはカイトとの戦いで、最初無様にやられていたのが嘘で
あるかのように成長していた。力も俊敏さも、反射神経もかなりの
レベルだ。幾つ能力を持っているのかは知らないが、十分立派な兵
177
器であると言えた。
﹁⋮⋮?﹂
しかし焦点の合わない視界の中、カイトは見る。
大使館に広がる広大な庭が開いていた。まるで巨大な落とし穴を
準備しているかのように存在している機械仕掛けの穴は、地下から
様々な機体を地上に送り出す為のハッチである。新人類軍の飛行機
なんかはここから飛び出してヒメヅルへとやってきた。
﹃カイトさあああああああああああああああああああああああん!﹄
スピーカー越しで聞きなれた声が聞こえた気がする。
思わず目を擦ってみた。
するとどうだろう。
全長が己の10倍以上はあるであろう巨大な黒い影がハッチから
飛び出してきた。
力強く、それでいてごつくない人間のような形をしている。長い
脚に、引き締まっている腰と胸。太くは無いが、かと言って細すぎ
ない絶妙なバランスの両腕。
緑に光る瞳に尖がり過ぎている耳。背中には二つのハサミのよう
な突起物が装着されており、そこから青白いエネルギーの波が噴き
出ている。まるで白い翼でも生えているかのようだった。
﹁ブレイ⋮⋮カー⋮⋮﹂
カイトがソイツの正体を、ぼそりと呟いた。
178
第12話 vsブレイカー
ブレイカーのミラージュタイプに分類される黒い機体。
通称﹃獄翼﹄のコックピットの中で、スバルは息を荒げた。
﹃動いてる。本当に、動いてやがる﹄
つい先日、ゲームセンターで殆ど同じ操縦基幹を握っていた。
対戦の時と同じ感覚で動かすと、獄翼は自分の手足のように動い
てくれる。
感動のあまり、泣きそうになった。彼の憧れだった﹃本物の機体
を動かしてみたい﹄が達成された瞬間である。
だが、泣いてる暇はない。スバルはモニター機能をズーム設定に
し、近くの生体反応を探す。
居た。剥がれた大使館の外壁に、蹲るカイトとゲイザーが居た。
しかもカイトの方は、高熱で魘されているかのような表情をして
いた。何があったのかはわからないが、かなりヤバそうな状況であ
るという事は理解した。
﹃この野郎、そこから離れやがれ!﹄
素早く武装を選択し、腰に装着されてあるナイフを抜き取った。
格納庫で邪魔にならなさそうな範囲で拝借した武装の一つだった。
獄翼はそれを構えたと同時、迷うことなく真っ直ぐゲイザーに向
けて突撃する。
﹃何!?﹄
179
その行動は、新人類王国の王子であるディアマットも驚いた。
いかにナイフとは言え、それはブレイカーが持つ事を前提にした
武器である。何が問題かというと、刃渡りは軽く人間の伸長を超え
てのだ。
それを構えて突撃すれば、カイトだって無事では済まない。考え
ればわかりそうな事なのに、何故それをするのか。あれに乗ってい
るパイロットは馬鹿なのか。
思考するディアマットを余所に、ゲイザーは回避行動に入ろうと
する。いかに相手が人間とは比較にならない加速力を持つロボット
とは言え、ゲイザーだってそれに負けない脚力である。オリジナル
がダッシュで電車を追い越してるのがいい例だろう。
だが、そんなゲイザーの足が掴まれる。
カイトだ。
彼は辛そうな表情を浮かばせながらもゲイザーの足を掴み、逃走
を許さない。
﹁やれえええええええええええええええええええええええええええ
!!﹂
渾身の絶叫だった。
恐らく、彼を知る者が聞いたら大体の人間が﹃始めてみた﹄と漏
らすだろう。それだけ彼も必死だった。
﹃コイツ、自分も一緒に死ぬ気か!?﹄
しかし、ディアマットは見た。
獄翼に握られたナイフは縦向きではない。綺麗な横向きであった。
180
巨大な刃物の切っ先が、ゲイザーに命中する。
床に這い蹲っていたカイトは、ぎりぎりで刃物の命中を避けれた。
正確に言えば最初からナイフが命中しない場所に構えていたという
のが正しいのだが、それが果たしてコックピットに搭乗した同居人
への信頼が果たした結果なのかは、この時ばかりは彼にも分からな
かった。
巨大ナイフで切りつけられたゲイザーが、建物を破壊しながら大
使館の奥へと飛ばされる。
それを押し出すようにして加速する獄翼。一人の人間相手に巨大
ロボットがナイフで切り掛かると言うのも前代未聞だが、スバルの
認識だとゲイザーは人間ではない。
彼はゾンビパニック映画に出てくるゾンビだ。しかもラスボス級
の。
ロケットランチャーが無いなら、巨大ロボットでも引っ張ってき
てやっつけるしかないだろう。
そもそも、今アイツは巨大ナイフを受けても真剣白羽取りみたい
な姿勢で受け止めているのだ。容赦してると、ロボットに乗ってい
るとはいえ何をされるかわかった物ではない。
﹃うわあああああああああああああああああああ!﹄
勢いに任せて雄叫びを上げつつ、ナイフの柄についている引き金
を引く。
ソレと同時に、巨大なエッジから大量の熱量が発せられた。
181
﹁!?﹂
ゲイザーの身体が焼けていく。
指先から胴体にかけて、肌色だった皮膚が黒焦げになる。
﹃い、いかん!﹄
ディアマットの焦りの声がゲイザーの脳内に響く。
ややあってから、ディアマットは歯を食いしばりつつ一つの決定
を下した。
﹃⋮⋮退却だ。戻れ、ゲイザー・ランブル! 時間は十分に稼いだ
!﹄
その声を聴き、ゲイザーの身体は発光。
一瞬にしてその場から消え去ってしまった。
﹃うえっ!?﹄
情けない声を出しつつも、スバルはエッジの熱を切る。
その後、排熱処理をしながらも周囲を確認した。
﹃ど、何処に行ったんだ!?﹄
スバルの不安な心を代弁するように、獄翼がきょろきょろと辺り
を見渡す。
それに静止の声がかかる。
﹁⋮⋮安心しろ、逃げた﹂
182
﹃カイトさん!?﹄
﹁良く聞こえるな。耳がデカイとその分よく聞こえたりするのか?﹂
ふらふらで、今にも倒れそうな状態のカイトをコックピットへと
誘う。
こちらからハッチを近づけなければ、まともに入る事も出来ない
状態だった。
獄翼のコックピットの中に入ったカイトは、目を丸くした。
座席が2つあったからである。
﹁スバル。俺、眩暈するんだが座席が2つ見えるのは気のせいか?﹂
﹁現実だよ。そういうの選んだんだ﹂
﹁成程。メイン操縦席は?﹂
﹁前である程度出来たから、後ろは多分補助席だと思う﹂
実物のブレイカーの内部は流石に始めて見たので、座席が二つあ
る仕様なのかと思っていたが、元新人類軍所属のカイトがこの反応
なのだ。複数の座席は特殊なのだと理解する。
﹃ブレイカーズ・オンライン﹄だと後ろに座席がついて、2人同
時で1つの機体を操作する特殊なパターンが存在する。合体・分離
ギミックを採用してる機体がそれだった。
ただ、獄翼は見た感じそんな機能は無さそうである。
いかんせん、時間が無さ過ぎて機能を全て把握する時間が無かっ
た。小回りが利いて移動しやすいミラージュタイプで、ある程度携
183
帯できる武器を持てればそれでよかったのだ。その上で座席が人数
分あったからラッキー程度に思っていた。
﹁とにかく、今は後ろに座って休んでよ。熱も酷いし⋮⋮﹂
﹁風邪薬はあるか?﹂
﹁無いよそんなの。持ち前の再生能力で何とか治して!﹂
ぐったりとしたカイトを後ろの席に座らせ、ベルトをつける。
その後は自分の座席に座り、いよいよ脱出だ。当初の予定だと本
物を少しは動かしたことがあると言うカイトが操縦予定だったが、
本人が動けない以上自分がやるしかない。
幸いながらも、操縦はゲームで腐るほどやっている。多分、操縦
の経験値ならカイトよりも高い筈だ。本物がゲーム通りに動くので
あれば、やってやれない事は無い。明確な違いがあるとすれば、風
景がCGかリアルかくらいだろう。
﹁あった!﹂
ステルスオーラもちゃんと起動できる。
最低条件は全て満たしていた。これで脱出できる。
テンションが上がってきたスバルがステルスオーラ起動のボタン
を押そうとした正にその瞬間。
巨大な熱源反応が目の前に現れた。
﹁!?﹂
思わず前方を見る。
獄翼よりも一回り大きなブレイカーが、何時の間にか前方僅か5
0m程の距離で佇んでいたのである。三角形に尖った鼻先が、どこ
184
かモグラのように見える。
﹁応援が!?﹂
それが敵の増援だと理解するのに時間は掛らなかった。巨大なブ
レイカーは前方に手を向ける。しかし、向けただけで何も起こらな
い。
スバルは反射的に回避行動に走っていた。
背中の青白いエネルギーの翼が羽ばたき、獄翼の巨大なボディを
浮かばせる。だがそんな獄翼の真横から再び熱源反応が現れる。今
度は5つ同時に出現した。
﹁げ!?﹂
その数に焦るが、回避行動は正確だった。
真横からステルスオーラを解除した巨大なカマキリが、鎌を振り
下ろして襲い掛かる。獄翼はそれを紙一重で回避。反射的に手に取
った小型銃でカマキリに弾丸を放つ。
気分は攻撃を華麗に躱し、大勢で現れた敵を全員撃ち抜こうとす
るカウボーイである。
しかし、放たれた弾丸は全てカマキリに命中する事は無かった。
目の前に透明な壁が立ち塞がったかのようにして、カマキリの直
前で弾けたのだ。
﹁ええ!? 何で!﹂
巨大カマキリの正体はアニマルタイプのブレイカーだと確認して
いる。
185
アニマルタイプは装備が独特過ぎて、バリア等の追加装備を持つ
事ができないという知識をゲームで得ていた。
そのせいでアニマルタイプは﹃ブレイカーズ・オンライン﹄にお
いて所謂弱キャラになっているのだ。
﹁⋮⋮誰かがバリアを張ってるな﹂
﹁カイトさん!?﹂
﹁前見ろ﹂
楽にしていたカイトが、機体の激しい動きに合わせて敵を見つめ
る。数分リラックスしただけで、大分落ち着いた様子だった。普段
と同じテンションで話す余裕ができているのがその証拠である。
現れた増援は巨大カマキリに、獄翼よりも一回り大きいモグラ顔
︵多分、アーマータイプだ︶。
そして巨大カマキリの背後に灰色の量産ブレイカーが4機。何れ
も獄翼と同じサイズで、大きめのライフルを装備していた。こちら
は機動性に優れている支援役のミラージュタイプだろう。
﹁灰色のはバリアが張れるのか?﹂
﹁張れるけど、発生装置を装備してないと無理だよ。それにしたっ
て、他の機体にバリアをつけれる機体なんて聞いたことない﹂
﹁じゃあモグラ頭に乗ってる新人類軍の能力だ﹂
妙に断定して物を言っている。
確かに他の可能性が考えられない以上、それが合っている可能性
が高いが。
﹁なんでバリア張れる新人類だと思うの?﹂
﹁大使館で、似たようなバリアを張るてるてる女がいた。あれの亜
種だと思う﹂
186
てるてる女と言えば、恐らくメラニーの事だろう。
では、彼女がモグラ頭のブレイカーを動かしているのだろうか。
そう思っていると、後ろのカイトがぼそりと呟いた。
﹁多分、ヴィクターだな﹂
﹁知り合い!?﹂
﹁直接の面識はない。だが、6年前の当時はバリア一筋で有名だっ
たし、割と名前は聞いてた﹂
﹁随分と珍しいスペシャリストだな。新人類軍は相手を叩き潰す能
力しか居ないと思ってたけど﹂
﹁奴は注射を打たれたくない、という理由でバリアを極めたそうだ﹂
﹁しょうもねぇな!?﹂
灰色の量産型ブレイカー、﹃鳩胸﹄4機から放たれる銃撃を華麗
に避けつつ、スバルはツッコミを入れた。
何で命がけの場面でこんなことしなきゃならないのだろう。
﹁だが、そのバリアは自由自在に張れて尚且つ強固だ。あれを壊す
手段を考えないと、こいつらを退けるのは難しいぞ﹂
その言葉が、スバルの両肩に重く圧し掛かった。
でもそのバリアを鍛えた理由が注射が嫌いだからだと思うと、や
はりやりきれない気持ちになった。
187
第13話 vsモグラ頭とカマキリと愉快な鳩胸達
鳩胸4機と巨大なカマキリロボットに追われながらも、スバルは
深夜のシンジュクを獄翼で飛びまわる。
幸いながら、出力では鳩胸よりも数段上だ。
今のところ獄翼に追いついてこれそうなのは、先程から素早くジ
ャンプして切り掛かってくるカマキリくらいだろう。
﹁武装は?﹂
後ろのカイトが確認を求める。
ソレに合わせ、スバルは正面モニターの邪魔にならない位置に武
装リストを叩きだした。
﹁ヒートナイフ2本とダガー2本。エネルギーピストルが1丁に、
頭にはエネルギー機関銃が2基ある! 左手にはシールド発生装置
だ!﹂
﹁他は?﹂
﹁無い! 持つ余裕が無かった!﹂
﹁じゃあヴィクターのバリアを正面から破る武装は一つしかない﹂
﹁それは!?﹂
飛びかかってきたカマキリの斬撃を躱し、問う。
ソレに対し、カイトは真顔で応えた。
﹁俺の爪﹂
﹁そこで出る答えが自分自身!?﹂
188
確かにゲイザー戦を見る限り、妙に切れ味の鋭い爪だったとは思
う。
しかし、幾らなんでもブレイカーの巨大なナイフと比べて、カイ
トの爪が強いと言うのは納得がいかない。
そんなに頼りないか、この黒いロボは。
﹁少なくとも、俺の爪はてるてる女のバリアを切り裂いたことがあ
る﹂
訂正しよう。この男も規格外だった。
一言で納得できてしまう要素を言われてしまってはぐうの音も出
ない。
﹁じゃあ、どうするの! この状態でバリアごとカマキリ退治する
!? モンスターハンターみたいに!﹂
﹁そうしてもいいけど、体調不良だから最終手段だな﹂
現在、獄翼は空中戦を繰り広げている。
モグラ頭が手を向けているだけなのが救いとは言え、1対5は中
々辛かった。
スバルは基本、シングルプレイヤーなのである。
﹁ただ﹂
﹁ただ、何!?﹂
まるで曲芸のような目まぐるしい回避行動を取りつつ、スバルは
叫ぶ。
﹁てるてる女のバリアは、防御の対象から何メートルか離れたとこ
ろで発生している。カマキリも同じだ。シャボン玉みたいなバリア
189
で自身を包んだ後、余裕を持って動く為だろう﹂
詰まり、
﹁0距離で捕まえてしまえば、モグラはバリアを張れない筈だ。後、
あそこで構えてるって事は目で見てバリアを張ってると思う。奴の
視界から離れればバリアは張れない﹂
﹁OK、採用!﹂
考えるよりも前に、身体がGOサインを出す。
それを合図として獄翼はビル街に突入。ビルとビルの間の僅かな
隙間を通り、誘導することで鳩胸とカマキリを綺麗な一列に纏めた。
﹁でぇえええええええええええええええええええええええい!﹂
スバルが雄叫びをあげる。
その咆哮に答えるようにして獄翼は180度方向転換。
1列になった鳩胸に向かって真っすぐ突っ込んでいく。その間に
放たれたエネルギー弾による雨嵐は、左手に装着されたエネルギー
シールドを展開させて全て弾いていた。
最新型の強力な電磁シールドだった。
先頭で飛ぶ鳩胸と獄翼の影が重る。
獄翼は素早くダガーを引き抜いて鳩胸の両肩に突き刺した。
灰色の量産機が、悲鳴を上げながら両腕を爆発させた。
190
﹃ヴィクター、鳩胸が落とされた﹄
﹁当然だ。調子に乗って深追いしすぎている﹂
モグラ頭のブレイカー、﹃ガードマン﹄に搭乗したヴィクターが
呆れた表情を通信で送る。
答えた相手は、カマキリのパイロットだった。
﹃だが、XXXは手負いな上にアレのパイロットは旧人類なのだろ
う﹄
﹁そうだ。私は確かに見た﹂
褐色肌に整えられた金髪。油断のない厳格な目つき。
そして放たれる発言全てが、ヴィクターの厳しい性格を表してい
る。
﹁だが、獅子はウサギを狩るのも全力でなければならない。明日の
未来がかかっているからだ。分かるか、エリゴル﹂
﹃ああ、そうだったな﹄
白いメイクを施し、長い髪を逆立てたカマキリのパイロットが答
えた。
中々奇抜な格好だが、付き合ってみると中々気持ちのいい男であ
る。
﹃俺達が王国の為に戦わないと、国の子供たちが元気に学校に通え
なくなる。クリスマスの夜にプレゼントを頼むこともできなくなる
し、誕生日にケーキを食べることもできなくなる。それは間違いな
く不幸な事だ﹄
﹁発想が飛躍しすぎだが、概ねその通りだ﹂
191
多分だけど。
戦わなくても王国の財政ならケーキくらい買えるんじゃないかな、
と思いながらヴィクターは言う。
﹁鳩胸も、王国の技術者が気持ちを込めて作った汗の結晶だ。我々
は大事に、慎重に扱わないといけない﹂
﹃その通りだヴィクター。彼等からしてみれば、鳩胸は大事な子供
も同然。俺はその子の腕を、むざむざと敵に切断させてしまったの
だ﹄
エリゴルの目から涙が流れた。
本気で悔やみ、技術者に対する申し訳ない気持ちに溢れている。
地獄からやってきた悪魔教を布教するバンドみたいな恰好をして
いるが、彼は子供たちの未来の為に己の全てを賭けれる男だった。
それを己の誇りとしていて、他には何もいらないと断言した程であ
る。
誰にでもできるわけではない覚悟を持つ白メイクの男を、ヴィク
ターは尊敬していた
﹃許せ鳩胸。そして技術者。その妻と息子のエミリアン﹄
﹁どこから出てきたんだエミリアンは﹂
﹃エミリアンは小学校三年生、今日も元気に体育でサッカーに励む
王国の健康児だ﹄
﹁住処は?﹂
﹃我々王国兵の心の中だ﹄
ちょっと危ないな、とヴィクターは思った。
この戦いが終わったら本気で精神科を奨めてもいいかもしれない。
ついでに補足しておくと、鳩胸は日本製のブレイカーで、尚且つ
192
日本の工場で作られた。その技術者にお子さんが居ても、多分エミ
リアンという名前ではなく﹃タロウ﹄とかそんな感じだろう。
﹁エリゴル、私も動こう。予想以上に黒い機体はよく動く。他の鳩
胸を落とされたくないのであれば、無暗に追わない事だ﹂
﹃分かった。全ては子供たちの為に!﹄
﹁⋮⋮そうだな。子供たちの為に﹂
心意気は尊敬はしているが、あんな風になりたくはないな、とヴ
ィクターは思う。
エリゴルは号泣しながら敬礼しており、コックピットを包む無数
の子供たちの写真に笑顔を向けていた。
﹁お前、凄いな﹂
鳩胸1機を破壊した後、獄翼のコックピットの中でカイトは素直
に称賛の言葉を送った。
スバルは内心ニヤニヤしながらも、その言葉に応える。
﹁いやぁ、何といっても俺これしか取柄無いしさ。まあ、操縦なら
大船に乗ったつもりでいてくれよ。あの程度なら軽く行動不能にし
てやるぜ!﹂
﹁そうじゃない。俺の勘を確証無しでよく実行出来たな、と思って
るんだ﹂
﹁そっちぃ!? しかも勘かよ!﹂
193
てっきり昔の情報や、アルマガニウムのバリアの特性を知り尽く
しての発言かと思ったが違っていた。何とも無責任な発言である。
確証を取らずに実行した自分も非があるのだが。
﹁だが、これで確証が出来た。バリアはモグラが見ていない場所に
は張れない。その上、灰色はパイロットが乗っていない。恐らく、
人工知能搭載だ﹂
﹁さっき落とした奴、パイロットが脱出しなかったしね﹂
道理で行動が単調な上に、ライフルしか撃ってこない訳である。
統率は取れているが、必要最低限の武装しか用意してない上に攻
撃範囲内であれば率先して攻撃するようプログラムされているのだ
ろう。獄翼の攻撃を全く回避せずに引き金を引いていたのがいい証
拠だ。
﹁と、なるとそろそろ来るな﹂
﹁何が?﹂
スバルが問いかけると同時、今まで佇んだままだった熱源が動き
始めたのをカイトは見た。予想通りである。
﹁結論から言うと、旧人類であるお前は嘗められていた。だが、蓋
を開けてみれば案外動ける奴だったわけだ。そうなると見失う前に
動くしかない。次はモグラも動いて来るぞ﹂
﹁え!? えーっと⋮⋮どうしよう﹂
﹁どうにかしてもらわないと困る﹂
正直に言うと、﹃見えないところから攻撃﹄作戦しか案は無かっ
た。
194
それ以外だと本当にカイトの爪でバリアを切り裂いて貰うしかな
くなってくる。ただ、当の本人がまだ体調不良なのが問題だった。
﹁アンタ、バリア切り裂けるんだろ!? 割と普通に喋れてるし、
意外と体力戻ってたりしないの!?﹂
﹁ぶった切ってやりたい気持ちは山々だが、握力がまだ戻っていな
い﹂
﹁どのくらいかかりそう!?﹂
﹁さあ。いかんせん、初めて受けた攻撃だから⋮⋮﹂
﹁肝心な時に役に立たないな畜生!﹂
ガッテム、と舌打ちしながら視界を広げる。
モグラが巨体を揺らしながらこちらに向かって走ってくる。どう
やら空は飛ばないようだ。
そして後方には動きが大人しくなり、カマキリの後ろに控えた鳩
胸が3機。丁度挟み撃ちになる形だった。
﹁仮に、モグラに乗ってるのがアンタの言う﹃ヴィクター﹄だとし
て﹂
スバルは少しでも攻略法を見つけるべく、カイトに問う。
﹁バリアを張る以外に、攻撃はできるの?﹂
﹁バリアを相手に向けて放つ事で、押し潰すことができる﹂
﹁次のバリアを張るまでのタイムラグは?﹂
﹁仮にも俺を仕留める為に派遣された奴が、そんな弱点を露呈する
とは思えん﹂
妙に自信満々な口調でカイトは答える。そこに付け加える様に、
彼は続けた。
195
﹁加えて、わざわざあんなデカイ代物を持ってくるくらいだ。カマ
キリもそうだが、元々の武装に注意した方がいい﹂
﹁でも、アーマータイプは新人類の能力を最大限ロボに反映される
為に作られた機体だぜ?﹂
ミラージュタイプやアニマルタイプに比べて装甲が厚いのも、ロ
ボの中から能力を使う新人類を守る為だ。そういう意味ではアーマ
ータイプは﹃分厚すぎる鎧﹄と見てもいい。
それも新人類専用の鎧である。
﹁それでも、相手は兵器だ。外見、何も持っていなくても警戒に越
したことはない。カマキリもだ﹂
﹁言いたいことは分かるけどさ﹂
理詰めで正しすぎるカイトの言葉に、スバルは反発した。
﹁実際問題、俺達はモグラ頭のバリアを突破できる武装が無いんだ。
折角見つけた弱点もアイツが動けば問題解決しちゃうし、唯一バリ
アを剥がせるアンタも今は体調不良だし﹂
﹁それは素直に申し訳なく思ってる﹂
本当なんだろうか。どうも先程から彼の発言を聞いていると、小
馬鹿にされている気がしてならない。
﹁無茶をして出てもいいが、コックピットを開ける時に少しでも隙
を見せればカマキリが横からバッサリ持っていくだろうな﹂
﹁そうだろうよ。俺だってそうする。だからどうすればいいのか俺
にはわかんねぇの!﹂
196
コントロールパネルに八つ当たりしかねない勢いでスバルの口調
が荒々しくなる。八方塞りとはまさにこの事だ。
今のスバルは正真正銘、獄翼と運命を共にしていると言ってもい
い。
獄翼が破壊されたその瞬間、スバルの命も爆発に巻き込まれるだ
ろう。
カイトは何だかんだで生きてそうだからこの際あまり考えないこ
とにした。
﹁⋮⋮なら、賭けてみるか?﹂
取り乱す操縦者に向かって、背後座席の男は呟いた。
﹁何に?﹂
妙に真剣な口調で呟かれた言葉に、スバルは思わず聞き返してい
た。
﹁コイツの隠し武器だ﹂
﹁隠し武器だって? そんなのあるの!?﹂
その言葉に合わせてカイトが素早く後部座席のモニターを操作し、
正面モニターの端に武装リストを再表示させた。
最初にスバルが説明した通りの武装の名前が並んでいる、何の変
哲もない武装リストである。
﹁これがどうしたの?﹂
﹁よく見ろ。どう見ても空いている装備ブロックに妙な文字が書か
れてる﹂
197
スバルは横目でその文字を確認する。
確かに両腕の空きブロックに﹃SYSTEM
と書かれていた。
X−WEPONS﹄
だが、その文字が何を意味するか分からない。何かのシステムな
のだと言うのは分かるが、それが外部システムなのかすら理解でき
なかった。
X﹄はこの機体に内蔵されている﹂
﹁お前が連中の相手をしてる暇に、この機体の内臓システムを調べ
た。﹃SYSTEM
﹁じゃあ、それを使ったらこの空きブロックに武器が出てくるのか
!?﹂
﹁確信は無い。あくまで予想だ﹂
だが、
﹁他に武器は無いし、取りに行ってる余裕が無いなら使ってみる価
値はあると思う。後はお前次第だ﹂
﹁やる!﹂
意外な事に、スバルは躊躇いが無かった。
ゲイザーを相手に突撃した時から思ってたが、妙に吹っ切れてい
る気がする。ヒメヅルから出る直前までは、これから兵士として戦
う事に戸惑いを覚えていたと思っていたのだが。
﹁おい﹂
少し危ない感じがした。
故に、カイトは先に釘をさす。
﹁マサキはお前に平和な世界で過ごして欲しいと言ってた。俺とし
198
ては、お前が納得してるなら口出しする気はない。だが、もしこれ
が凄まじい兵器で、モグラ頭やカマキリを殺してしまったとしたら、
お前も俺と同様、後戻りはできないぞ﹂
今ならまだ間に合う。
彼等を退けた上で、今後敵対することがあれば全てカイトが叩き
潰せばいい。少なくとも、ゲイザーに比べればまだモグラ頭とカマ
キリを相手にした方が楽そうだと思っている。恐らく彼等の後に来
るであろう増援も含めて、全て戦うつもりで来ているのだ。
﹁でも、戦わないとどうにもならないんだろ?﹂
だが、それに対してスバルの答えは驚く程に冷めきっていた。
返答に対し、カイトは肯定する。
﹁間違っちゃいない。この世界は弱肉強食だ。何時またマサキの様
に癇癪で殺されるかもわからない﹂
暴力に抗うには力が必要だ。カイトにはそれがある。
だが、スバルには無かった。ゲイザーに恐怖し、逃げた時に彼は
それを欲した。その結果がこの獄翼である。
﹁父さんは、母さんが死んだ時、凄い後悔してた。俺だってそうだ
よ。だからもう後悔したくないんだ﹂
﹁ここで後悔するかもしれないぞ﹂
﹁でも、今ベストを尽くさないと俺は絶対後悔する﹂
実際、後悔はした。逃げ出した後、自分の情けなさを恥ずかしく
思った。
しかし力を得た今、自分にある選択肢に嘘をつきたくない。
199
﹁カイトさん。俺はアンタと戦うよ。父さんの時みたいに見てるだ
けなんて嫌だ。俺だってアンタを助けたい﹂
﹁そうか﹂
短い返答だった。しかし、4年間この問答を繰り返してきたのだ。
このくらいが丁度よかった。この短い﹃そうか﹄の3文字に、カ
X﹄を起動させる。
イトなりの考えが詰まっているのをスバルは知っていた。
﹁起動するぞ。いいな?﹂
﹁どんと来い!﹂
カイトが後部座席から﹃SYSTEM
直後、真上から巨大なヘルメットが二つ降ってきた。
﹁うわ!?﹂
﹁おお!?﹂
二つのヘルメットはすっぽりと前後の座席に座るパイロット達に
被さった。バイザーも何もないボウルのようなヘルメットだった。
しかし、何ともダサいデザインである。頭部から無数にコードが
伸びており、まるで剣山を頭に乗せているかのようだった。
そして不思議なのは、ヘルメットが深すぎて鼻まで収まっている
筈なのに視界が良好だという事だ。普通に前も見えるし、操縦も問
題が無い。
﹁な、何これ?﹂
スバルが思わず呟く。
折角覚悟を決めて一気に反撃と行きたい所なのに、頼りの﹃SY
200
STEM
X﹄から送られてきたのは剣山みたいなヘルメットだけ。
全く拍子抜けだった。
﹃新人類確認。サーチします﹄
﹁何?﹂
だが、機体内部から機械音声が響いたと同時。
後部座席に陣取るカイトの身体が跳ね上がった。急に体を襲う衝
X機動。稼働時間は5分です﹄
撃にカイトは思わず唸る。
﹃SYSTEM
機械音声は淡々と言う。
﹃ブロック解除。可変式ブレード展開﹄
獄翼の左右の腕が光り輝く。
それは徐々に肘まで巻き付いていき、美しい螺旋を描いていった。
しかし長くは続かない。数秒もしない間に、腕を包む光は消え去
って行った。
だが、スバルは見る。
獄翼の指差。そこには先程にはなかった物が生えていた。
まるでカイトの様に生えているソレは、スバルの記憶の中にある
アルマガニウム製の爪だった。
201
第14話 vs﹃SYSTEM X﹄
獄翼に起こった異変を見て、新人類軍は動きを止めた。
ヴィクターの元に通信が入る。
﹃ヴィクター、今のを見たか?﹄
﹁ああ、見たとも﹂
画面に映る白メイクの男に向けて頷く。
鋼の両腕が輝いた後、両手から生える10本の指先に刃が生えた
のを二人は肉眼で確認していた。
﹃あの眩い輝き⋮⋮子供たちの笑顔に勝るとも劣らない。きっと同
調したんだ﹄
﹁例えがわかり辛い﹂
新人類が乗るブレイカーには﹃同調機能﹄と呼ばれるシステムが
存在している。簡単に説明すると、文字通りブレイカーとパイロッ
トを同調させることによって、ブレイカーがパイロットの能力を扱
えるのだ。
実際、ガードマンに搭乗するヴィクターは先程からこの機能を活
かして各機体にバリアを張っている。
獄翼の腕から放たれた輝きは、﹃同調﹄する時に起こるアルマガ
ニウムの発光に似ていた。
﹁しかし、今あれに乗っているのは旧人類の筈だ﹂
ヴィクターの疑問に、エリゴルが首を傾げる。
202
トリプルエックス
﹃もう一人乗っているだろう。XXXに代わっただけではないのか
?﹄
﹁黒い機体はずっと回避行動をとっていたぞ。あれだけ激しい動き
をしてる最中に操縦を交代したと言うのか?﹂
﹃相手はXXXだ。常識で捉えない方がいい。でないと子供たちが
悲しむ﹄
それだけで子供は悲しむのか、とヴィクターは思う。
だがあり得ない話ではない。コックピットに乗り込んだ時のXX
Xは全身ボロボロの満身創痍だった。しかし、彼は再生能力を持っ
ている。復活して、操縦を交代したとしても不思議ではない。
﹁⋮⋮待て、そうだとしてもおかしい﹂
思考を張り巡らせた後、ヴィクターは矛盾に気づく。
﹁道中でXXXの資料を読んだが、アレの能力は再生能力のみだっ
た。アルマガニウムの爪も支給されているらしいが、それは能力で
はなく本人の持ち物にすぎん﹂
同調はパイロットの能力をコピーしても、武器までは反映されな
い。
例えば、今ヴィクターが巨大なロケットランチャーを持ち込んで
いたとしても、ガードマンサイズのロケットランチャーが急に出現
するわけではないのだ。
カイトの正体は少し前に判明した為、渡された物は最低限の資料
のみだが、それでも能力は生まれつきの所有物だ。変わる可能性は
無い。
203
﹃ならば内臓兵器だろう。この﹃ヘルズマンティス﹄の両腕のよう
な物だ﹄
﹁最初からその形のアニマルタイプならいざ知らず、武器を手に取
るミラージュタイプでか?﹂
エリゴルはあくまでそれ以上の追及を行わない方針だった。
しかしヴィクターは違う。獄翼の輝きと、両手から生えた爪は自
分たちにとって脅威となりえる武装ではないかと細心の注意を払っ
ていた。
﹁エリゴル、もしあの爪がXXXの装備と同様の物だとすると厄介
だぞ。私のバリアでも防げるかわからない﹂
﹃バリアに己の命を捧げたお前がそこまで言うのか?﹄
﹁心配性なんだよ﹂
確かにヴィクターの人生、バリアだけだった。
小学校の頃、健康診断の時に受ける血液採取が怖くて、それを防
ぐ為に始めた己の能力を磨く修行。何時の間にか夢中になっており、
気付けばアラサーだと言うのに浮いた話一つなかった。
原因は普段つるんでいる白メイクの友人が子供子供連呼していて、
女性が気味悪がっているだけなのだが本人達はそんな事を知る由も
ない。
話を戻すが、とにかくヴィクターは自分のバリアに自信があった。
しかし世の中には﹃矛盾﹄という言葉がある。今でも王国トップ
レベルになるであろうXXXの爪を確実に弾ける確証は何処にもな
いのだ。
﹃だが、守る事だけ考えていては勝てないぞ﹄
﹁む﹂
204
白メイクの友人が意見を述べる。
彼はヴィクターの目を見て、はっきりと語った。
﹃守りは確かに大事だ。だが、それも戦いを構成する要素の一つで
しかない。攻めと守り。この二つがぶつかり合う事で初めて戦いは
成り立つ。どちらか一つ欠けていても駄目なのだ﹄
そして、
﹃その為に我々は組んだ。違うか?﹄
﹁いや。その通りだ﹂
エリゴルの言う事は正しい。確実に守り通すという姿勢は確かに
大事だ。しかしそれに固執しすぎて敵を倒すという大前提を見失う
所だった。
﹃足りないと思えばお前も攻めに転じろ。逆に守りが足りないと思
えば俺がお前を助けてやる。次の応援もこちらに向かってきている
最中だが、俺達は2人で奴を足止めする為にきたのではない﹄
﹁頼もしい限りだ﹂
﹃そうだろう。何といっても我々は子供達の希望なのだからな!﹄
誇らしげに言うと、エリゴルは笑みを浮かべる。
それに返すようにヴィクターも笑った。
もしも明日、この世界が崩壊するとしたらその時は最後の晩餐を
この友と共に過ごしたいものだ。ヴィクターは心の底からそう思っ
た。
205
スバルは混乱していた。
反撃の糸口を掴もうと﹃SYSTEM
X﹄を起動させたはいい
が、上からコードに繋がれた巨大なヘルメットが落ちてくるし、急
に機械音声に﹃残り5分です﹄と宣言された上に、手に入れたばか
りの獄翼の両手から爪が生えていた。
何が起こっているのか、さっぱりわからなかった。
﹁カイトさん、無事?﹂
後部座席に座る同居人の安否を確かめる。先程殴られたかのよう
に唸っていたが、それから一言も話さない。いかに彼も規格外とは
言え、体調不良であることを考えると心配になってくる。
﹃ああ、酷い目にあったが生きてる﹄
だが、返答は思いもしないところからやってきた。
ヘルメットを通じて、頭の中に直接響いてきたのである。
﹁カイトさん? 後ろにいるんだよな﹂
﹃それが、どういうわけか意識が俺の身体から離れている﹄
﹁は?﹂
全く予想だにしなかった言葉を前にして、スバルはますます混乱
した。
意識が身体から離れてるって、どういう意味だ。
﹃この前テレビであった、幽体離脱ってあるだろ。あれのイメージ
だと思えばいい﹄
206
﹁じゃあ、アンタ今魂が浮遊して天に昇ろうとしてる訳!?﹂
そこまで口にしたと同時、スバルは気づく。
じゃあ何で彼の言葉はこのヘルメットから聞こえてくるんだろう、
と。
﹃幽体離脱と言っても、お前の周りをうろちょろしてる訳じゃない。
何か知らんが、このロボに俺の意識を持っていかれている﹄
要するに、カイトの意識は獄翼に取り込まれている。
彼は獄翼そのものであり、己に装備された爪も含めて殆どが﹃同
調﹄してしまったのだ。
﹁詰まり、カイトさんロボになっちゃったわけ? 爪とかも含めて﹂
﹃そういう事になるな。幸いにも体調不良の不快感は無い﹄
特に危機感の無い口調で、カイトは言う。
彼は彼なりに現状を分析し、自分達の置かれた状況を見つめ直す。
X﹄っていうのは同調だ﹄
少なくとも混乱していたスバルよりも現状を理解しているつもりだ
った。
﹃多分、﹃SYSTEM
﹁新人類の能力をコピーするのに使う奴?﹂
﹃そうだ。それのパイロット丸ごと取り込んだバージョン﹄
操縦席が二つあった理由は、片方が同調してもう片方が動かす為
だろう。それが獄翼の基本なのだと推測する。
﹁じゃあ、5分っていうのは﹂
﹃制限時間だろうな。流石に何時までもこのままじゃ不便だ﹄
207
残り制限時間を確認する。あれこれと話している内に残り4分を
切ろうとしていた。
周りの敵は突然の変化に戸惑っているのか、様子を見ているのか、
襲い掛かってこない。仕掛けるのなら今がチャンスだった。
﹁時間も残り少なくなってる。やるなら今だよ。カイトさんから動
かせる?﹂
﹃やってみよう﹄
直後、スバルの四肢が本人の意思とは関係なく動き出した。
﹁うえ!?﹂
何かに引っ張られるかのようにして動き出した少年の手は、留ま
カイト
る事を知らなかった。
獄翼がその操作に合わせて、ガードマン目掛けて猛ダッシュし始
める。
﹁わ︱︱! わ︱︱︱︱! わ︱︱︱︱︱︱︱︱!﹂
思い通りに動かない両手と獄翼は、焦るスバルを余所に更に爪を
伸ばす。
装備しているナイフ程の大きさまで伸びた爪は、ガードマンの鋼
の巨体を切り裂かんと牙を剥いた。
﹃そうはいかん!﹄
突き出された爪の前に、見えない壁が出現する。
ヴィクターが張り出したバリアだった。爪が壁と接触し、青白い
208
衝撃波が広がる。
﹃そぉら!﹄
しかし獄翼は、それがどうしたと言わんばかりに見えない壁を切
り裂いた。
そのまま両手を前に突き出し、壁を押しのけながらガードマンの
モグラ頭目掛けて頭部エネルギー機関銃を発射する。
ガードマンの頭部が弾けた。しかし、モグラ顔は多少の火傷がつ
いただけだ。鋼の皮膚すら破けてはいない。
﹃感覚は掴んだ。一旦離れるぞ!﹄
ガードマンからの反撃が来る前に獄翼は離脱。
後ろから迫るヘルズマンティスの斬撃をバク転しながら器用に回
避し、再びシンジュクの街に着地した。
行動が遅ければ、そのまま胴体をカマキリに切り裂かれていただ
ろう。
﹁な、何させるんだよアンタは!?﹂
﹃知るか。作った奴に文句言え﹄
狭いコックピット内で回転した為、少し目が回ったスバルが真上
に怒鳴る。しかし、当の本人は悪びれた様子もなく答えた。
﹃やはり、爪もラーニングされてるようだな。足はどうだ?﹄
﹁ちょっと待って!﹂
武装リストを表示させる。起動前まで空きブロックだった場所に、
幾つか﹃X−WEPON﹄と赤く表示されていた。
209
X﹄は5分間の間、新人類
﹁両手に爪が追加! 足も同じ物が追加されてるよ!﹂
﹃なら、予想通りだ。﹃SYSTEM
と完全に同調する機能だ。しかも体調に関係なく、意識だけがこっ
ちに行くから簡単に動かせる﹄
﹁動かしてるの俺だけどな!﹂
うんうん、と頷いて納得している獄翼にスバルが泣きそうな顔で
ツッコミを入れる。
何が悲しくてロボットとこんなやり取りをしなきゃいけないのか。
﹁あれ?﹂
しかし、スバルは気づく。
先程まで4分程度だった残り制限時間が、﹃2:17﹄と表示さ
れていたのである。
﹁嘘!? 時間短くなってる! もう2分も経ったのか!?﹂
今やったことはガードマンにぶつかって、エネルギー機関銃を浴
びせたくらいだ。
回避動作もあったとはいえ、あれだけで2分も経ったとは思えな
い。
﹃成程。俺から動かすことができても、消費エネルギーが甚大じゃ
ない、と﹄
﹁え!? え!? ええええ!?﹂
﹃お前、さっきから大丈夫か。深呼吸でもしろ﹄
先程から大混乱しているスバルを見かねたカイトが深呼吸を促す。
210
スバルは落ち着いて息を吸い、溜息のように口から息を吐いた。
どうやらまだ混乱しているらしい。深呼吸のやり方が違っていた。
﹁⋮⋮詰まり、どうすればいいの?﹂
X﹄とは後部座席に座った新人類と完全に
﹃時間が無いから要素だけ掻い摘んで説明するぞ。今わかっている
事だけだ﹄
1、﹃SYSTEM
同調する機能である。本人の身体に埋め込まれている武装まで完全
再現。
2、同調した張本人の意識は獄翼に取り込まれる。取り込まれた
側から獄翼を動かす場合、メインパイロットの身体を自動的に動か
すことでその動きを再現する。
3、﹃2﹄を行う場合、制限時間が大幅に削られる。
4、恐らく制限時間を過ぎれば元に戻る。ただし、デメリットが
あるかも不明。
﹃つまり、制限時間を守りながら今の武装をキープする場合、お前
が操縦しなければならない。制限時間が過ぎた後、どうなるかわか
らないから残り2分足らずで5機片付ける必要がある﹄
﹁2分で5機!?﹂
難題が飛び出してきた。
単純に割り算をすると1機相手に24秒もかけられない。いかに
獄翼がスピードに優れた機体でも、強力なバリアを張る機体を含め
た5機を相手にこれは辛いのではないだろうか。まあ、カイトが動
かした場合更に時間が短縮するのだが。
﹃悩む時間も惜しい。やれ﹄
﹁ああ、もう!﹂
211
もうやけくそだった。
どうにでもなれ、と思ったし説明書ちゃんと残しておけ製作者、
と恨み言も呟いた。しかし残り時間が少ないのは十分理解していた
ので、スバルは難しく考えることを止めた。
両手を前に突き出し、獄翼を再び動かす。
﹃スバル﹄
﹁今度は何!?﹂
ガードマンが合流し、一塊になった敵の集団に向かって走り出し
たスバルに向かってカイトは語り始める。
﹃今お前が動かしてるのは、俺だ﹄
﹁ああ、わかってるよ!﹂
﹃俺は強いか?﹄
﹁さっき間近で見たから、それも知ってるよ!﹂
簡単な質問に迷うことなく即答する。
それに内心頷いたカイトは、手短な質問をスバルに投げかけた。
﹃俺がモグラ頭とカマキリとその他3機に負けると思うか?﹄
﹁⋮⋮多分、なんだかんだで全部倒してると思う﹂
﹃濁すな。ハッキリと勝つか負けるかだけで言え﹄
やや間を置いてからの答えに憤慨するように、カイトは訂正を求
めた。
時間に板挟みされて焦るスバルは、その態度に怒りながらも答え
る。
212
﹁勝つだろうさ! ああ、負ける要素ないよ! 滅茶苦茶だしバリ
アをマジで切り裂くし、アンタが最強だよ!﹂
﹃そうか。良い答えだ﹄
ならば、
﹃それを動かすお前も、この2分間は最強になる﹄
ガードマンのバリアを切り裂く爪も。
台風のような破天荒な疾走も。
鎧ごと相手を吹っ飛ばす裏拳も、全部スバルが使える。
﹃最強のブレイカーがあるんだ、2分じゃ足りないか?﹄
﹁⋮⋮いや、アンタなら十分だ﹂
スバルは想像する。大使館内で見たカイトとゲイザーの戦い。
序盤の猛攻は恐らく1分も使ってないだろう。だが、その動きが
出来るのであればそこまでやけくそになる必要はない。
神鷹カイトを自分が使うのであれば、寧ろ2分は長すぎる。
スバルは不敵な笑みを浮かべながらも、そう思った。
213
第15話 vsカマキリ
﹁何だ今の動きは!﹂
ヴィクターが獄翼の動きに驚愕する。
全長16,7メートルはあろう巨大ロボットが、ヘルズマンティ
スの鎌を避ける為にバク転を行ったのである。
ブレイカー同士の戦いは何度も経験していたが、こんな動きをす
る奴は初めて見た。
パイロットは相当な修練を積んでいるのか。それとも、ただ後先
考えない馬鹿なのか。
﹃ヴィクター、大丈夫か?﹄
﹁ああ、損傷は蚊に刺されたような物だ﹂
﹃それを聞いて安心した。だが今の動きは⋮⋮﹄
エリゴルも不思議に思っていたようだ。
ヘルズマンティスはカマキリの造形を取り込んだブレイカーであ
る。基本人型のブレイカー戦において奇抜な動きには慣れている筈
だったが、そんな彼から見てもバク転するブレイカーは不思議に思
えたらしい。
﹃奴はミラージュタイプだな。背中には飛行ユニットもある﹄
﹁益々解せんな。先程まで空中で機動力を活かしていた機体が、急
に地上で走り出すとは﹂
まるで人が変わったようだ、と思う。
この場合は機体が丸ごと変わったかのような物だが、その表現し
214
か思い浮かばなかった。
当の獄翼はシンジュクの街に着地した後、再びこちらに向かって
突進してくる。
﹃考えるのは後だ。ヴィクター、奴を抑えるぞ﹄
﹁分かった﹂
ガードマンの右手が獄翼に向けられる。
向けられた掌から青白い光が集い、棒を生成していく。縦の長さ
を極限まで縮めたバリアだった。オマケとして、先端には刃のよう
な形のバリアを作り上げる。
擬似的な見えない槍を作りだし、ガードマンはそれを振り回した。
﹁バリアが役に立たないのであれば、2人で攻めに転じるまで! 敵は私を狙う筈だ。囮になろう。その隙を逃すな﹂
﹃良く言ったヴィクター。それでこそ子供達の希望だ!﹄
鳩胸3機も散開する。
ヴィクターもエリゴルも、ここで獄翼を仕留めるつもりだった。
﹃モグラ頭が何か構えてるのは見えるか?﹄
﹁見えないけど、何か持っているのは分かる!﹂
見えない武器を持った奴とは戦いたくないと言うのがスバルの本
音だ。しかし、最初に倒すべきはモグラ頭のブレイカーだった。
その意見は2人とも変える気はない。防御の要を最初に潰すこと
215
で、他の敵を倒しやすくする為だった。
﹃あれが飛んできたら俺が動いて仕留める。他は頼んだぞ!﹄
﹁任せれた!﹂
見えない槍は、スバルから見ればリーチも分からない驚異の武装
だ。
少なくとも初見なら﹃HPゲージ﹄やシールド等で耐えながら様
子を見る。
だが獄翼となったカイトはそれを肌で感じ取っていた。彼は己の
五感を通じて透明の槍を躱す自信があった。
獄翼が加速する。
周囲を取り囲む鳩胸がライフルを発射するが、大地を疾走する獄
翼はそれを殆どダッシュで回避していた。人工知能の狙いが定まら
ないのである。
何発か命中しそうになったが、それは全て獄翼に装備した電磁シ
ールドで防いだ。
ガードマンに辿り着くまで獄翼は無傷だった。
ガードマンが見えない槍を構え、獄翼に向けて突き出す。
鋼の巨体から放たれた矛先は獄翼の顔面目掛けて真っ直ぐ飛んで
行った。
﹁来た!﹂
﹃任せろ!﹄
しかし槍が獄翼を貫くことは無かった。
あろうことか獄翼は見えない槍を跳躍することで躱し、挙句の果
てにその柄に着地したのである。
216
そのハチャメチャな動きを実現する為に身体を無理やり動かされ
ているスバルは苦悶の表情を浮かばせながらも、笑った。
﹁まるでサーカスだ﹂
﹃じゃあ綱渡りならぬ槍渡りで終わらないところを、見せてやろう﹄
獄翼が槍の柄を伝って走り出す。
まるで時代劇の中に出てくる忍者のような光景だった。
ガードマンが槍を捨て、自らの手前にバリアを展開する。
それは今までのような壁ではなく、獄翼を囲む透明の檻だった。
四方八方にバリアを展開し、獄翼を一部のビルごと完全に閉じ込め
る。
しかし、カイトは﹃己﹄の両腕を何の躊躇いも無く檻に目掛けて
振るった。透明の壁に爪が命中すると同時、青白い衝撃が弾けて壁
が切り裂かれる。
目の前にいるガードマンの両掌が光る。新たなバリアを張る気だ。
そして破壊した檻の方からも熱源反応を察知する。ヘルズマンテ
ィスが鎌を振りかざし、後方から襲い掛かってきた。このカマキリ
は、透明の檻の真上に君臨していたのである。これでは餌場だ。
完全に挟まれた。
しかし獄翼はそれを見て、敢えてヘルズマンティスへと跳躍する。
両腕の巨大な鎌が振り下ろされる。獄翼は鎌の先端に向けて両足
を突き出した。
そこから飛び出したのは両手から生えるのと同じ、アルマガニウ
ムの爪である。足から生えた凶器は、ヘルズマンティスの鎌を弾き
ながらも三角飛びの感覚で巨大カマキリの胴体を踏み台にした。
217
その後の着地先はガードマンの首である。
獄翼はバリアを飛び越えてガードマンの首に両手を置き、逆立ち
の様にバランスを保った。
傍から見れば完全に的でしかない黒いボディを狙い、鳩胸達がラ
イフルの引き金を引く。だがそれらは全てガードマンが展開してい
た壁によって阻まれる。
それを確認した後、獄翼はガードマンの背後に降りた。
その両腕は、ガードマンの両肩から腰にかけてざっくりと突き刺
さっている。ガードマンの瞳から光は失われていた。
﹃俺の仕事はここまでだ。後は任せた﹄
﹁おう!﹂
消化した残り時間は約1分。残り時間も約1分。
しかしそれだけあれば十分だった。バリアを張るガードマンの機
能を停止させたのだから、何時も通り戦えば絶対に勝てる自信がス
バルにはあった。
飛び蹴りを受けてバランスを崩し、起き上がろうとするヘルズマ
ンティスに向けてエネルギーピストルを向ける。
カマキリが飛びかかってくる前に引き金が数回引かれた。弾丸は
カマキリの細い身体に全て命中。
ヘルズマンティスは鎌を振りかざす前に再び崩れ落ちた。
残ったのは鳩胸3機。ボスキャラ2機を片付けたスバルは、残り
時間と戦いながら量産機を片づける為に再び獄翼を疾走させた。
残り制限時間は、55秒。
218
突然だが、読者諸兄はハリガネムシと呼ばれる寄生虫をご存知だ
ろうか。
この寄生虫はカマキリの体内に寄生し、水を感知すると寄生主を
誘導して産卵する。この時、ハリガネムシはカマキリの体内から脱
出する為、寄生されたカマキリは高確率で衰弱死するのだがここは
直接本編とは何の関係も無い事を記す。
大事なのは、この寄生虫を体内に宿してしまうカマキリをモチー
フにした機体が存在しているという事である。
﹃人間ハリガネムシ﹄と呼ばれる新人類、エリゴル・フィンクス
はヘルズマンティスのコックピットの中で頭を揺らす。
獄翼から受けたエネルギーピストルで、巨大カマキリの細い体は
ボロボロだった。
装甲の脆さは覚悟していたが、小さな銃でここまで簡単に倒され
ては流石に悲しい。ヴィクターと組んだ理由は装甲の薄さという弱
点を克服する為だった。
﹁奴らは⋮⋮?﹂
エリゴルは辛うじて生きているメインカメラに視線を向ける。
鳩胸が獄翼に襲われていた。空を飛ぶ鳩胸は獄翼の爪に捕まり、
容赦なく羽を毟り取られる。
これが最後の1機だったらしく、他の2機は既に破壊されていた。
219
﹁おのれ⋮⋮!﹂
鳩胸の痛みがエリゴルの体内に潜む針金のような細い物質に伝わ
ってくる。
白いメイクが歪み、体内が蠢いた。
﹁ヴィクター、聞こえるか!?﹂
﹃ああ、何とか⋮⋮﹄
腕を丸ごと切り裂かれたガードマンが反応し、ヴィクターの映像
が映し出される。
友の無事をエリゴルは喜んだが、次の瞬間には般若のような形相
に変わった。彼の額から血が流れていたのだ。
己の中にある細い肉体が怒りに震えるのを感じる。
﹁大丈夫か!?﹂
﹃頭の皮が切れただけだ。問題は無い﹄
しかし、エリゴルは納得ができなかった。
問題が無い訳がないのだ。彼の身体に傷がつくという事は詰まり、
彼とタッグを組んだ自分の力不足を意味している。
ヴィクターは自身のバリアが敵に通用しない事を知っていた。そ
の上で敢えて囮役を買って出たのである。
それなのに、エリゴルはどうだ。
襲い掛かった筈が、踏み台にされて結局ガードマンを破壊されて
しまった。
エリゴルは己の不甲斐なさを恥じた。そして自身を許せないと、
強く思った。
220
﹁ヴィクター、脱出してあの機体の特徴を報告しろ。アレに搭載さ
れているのは間違いなく新しい同調機能だ﹂
﹃それはいいが、君はどうするつもりだ﹄
怒りに歪んだ表情を見て、心配そうに尋ねてきたヴィクターに向
けてエリゴルは迷うことなく答える。
﹁俺の本当の姿を見せてやる﹂
最後の1機を破壊した時、残り25秒。
鳩胸の頭部に突き刺さったダガーを引き抜き、スバルは一息つい
た。
﹁ふぃー﹂
﹃何をしてる。さっさとシステムを切れ﹄
カイトが急かす。それもその筈、彼はもしかすると一生このまま
なんじゃないだろうな、という焦燥感に苛まされていた。
最初はそれなりに落ち着いてはいたが、時間が30秒を切ると流
石に焦りが出てくる。
本音を言うと、さっさとシステムをカットして元に戻りたい。
221
﹁分かってるよ。分かってるけどさ⋮⋮システム起動させたのアン
タじゃん?﹂
﹃何が言いたい﹄
非常に嫌な予感がした。カイトは耳を塞ぎたい気持ちを抑えつつ
も、同居人の返答を待つ。
﹁いやさ。俺もドタバタしてて全然気付けなかったんだけど、シス
テムのカットってどうすりゃいいんだ?﹂
X﹄を検索しろ。20秒以内に停止方法
詰んだ。残り時間20秒でこの展開か。それは幾らなんでもあん
まりではないだろうか。
﹃急いで﹃SYSTEM
を探せ。俺はこんなところで人生を終わらせたくない﹄
﹁いやいやいや! 幾らなんでも20秒は無理!﹂
﹃それでもやるんだ! 俺が元に戻れる可能性があるうちに!﹄
カイトの悲痛な叫びがコックピットに響く。相当焦っているのが
分った。
その勢いに押され、スバルがモニターを操作して﹃SYSTEM
X﹄を調べ始めた。しかし、やはり時間が足りない。絶対的に足
りな過ぎる。
﹁えーっと、えーっと、えーっと!﹂
﹃急げ急げ! ハリーハリー!﹄
﹁うるさいよ! ちょっと黙って!﹂
X﹄の文字は何度か出てくるが、どれも起動の仕
この人こんなキャラだったっけ、と思いながらスバルは検索する。
﹃SYSTEM
222
方だけでそれ以外の事が書かれていない。割とやばい気がしてきた。
残り、18秒。
スバルとカイトの焦りはピークに達していた。
コックピットの少年は必至な形相になってモニターを睨みつけ、
ロボに取り込まれた青年の精神はイライラしながらもじっ、と堪え
ていた。彼が人間だったら顔面蒼白な上に汗まみれだったことだろ
う。
だから、ギリギリまで気付けなかった。
獄翼の背後からゆっくりとヘルズマンティスの残骸が近づいてく
る。まるで松葉杖のように鎌で己を支える姿は、非常に痛々しかっ
た。
だがエリゴルにとっては幸いなことに、相手は動かない。仕掛け
る分には絶好のチャンスだった。
ヘルズマンティスの外装にひびが入る。
頭を突き破り現れたのは、巨大なハリガネムシだった。頭部が鋭
利な刃物になっているソレは、見方によっては﹃巨大な針金﹄であ
ると言える。
カマキリの身体から徐々に抜け出すハリガネムシは、獄翼に狙い
を定めた。
直後、ハリガネムシは寄生体から勢いよく飛び出す。巨大な針金
が空を切り裂き、獄翼の黒い装甲を食い千切らんと襲い掛かる。
﹃!?﹄
しかし、カイトはハリガネムシの気配を肌で察知した。
223
素早く振り返ると、彼はハリガネムシの首根っこを掴む。
﹁え、ちょ!?﹂
スバルの動きが獄翼に支配される。
巨大なハリガネムシの存在に戸惑いつつも、獄翼はハリガネムシ
をコンクリートの大地に叩きつけた。
それはカイトが無意識に行った動作なのだろう。
装備されたヒートナイフを腰から素早く引き抜き、ハリガネムシ
の頭部に向けて振りかざす。
﹁あ⋮⋮﹂
その時、スバルは見た。
地面に伏せられたハリガネムシ。その透明な頭部を通して、コッ
クピットの様子を見る事ができた。
男がいる。白メイクに髪を逆立てている、ちょっと不思議なビジ
ュアルセンスだった。
だが、その男は何処か諦めたような表情をしてこちらを見上げて
いる。
獄翼のカメラ越しに、男とスバルの視線が合う。
﹃これまで、か﹄
男はコックピットに貼り付けられた無数の写真の一つを手に取り、
呟いた。
同時に、スバルの腕が獄翼に引っ張られる。
﹃すまない。俺は君達の希望になれなかった。許してくれ﹄
224
ハリガネムシのコックピットにヒートナイフの切っ先が叩きつけ
られた。
鋼の頭が弾け、一瞬でコックピットが赤く染まる。中にいた白メ
イクの男は即死だった。
まともな肉片が残っているかすら怪しい。
﹁⋮⋮!﹂
その光景を見たスバルは、息を飲んだ。
殺した。カイトと動きがリンクしているとはいえ、確実に自分が
彼を殺した。ブレイカーの規格外な大きさのナイフをコックピット
に突き刺し、彼をミンチにしたのだ。
しかし、獄翼は納得していなかった。
彼はナイフの引き金を引こうと、スバルの操作を促す。
その瞬間、制限時間が0になった。
コックピットの中に喧しい警告音が鳴り響く。
﹁制限時間が!﹂
直後、少年の意識は暗転した。
まるでモザイクがかかったように、視界が灰色の雲に包まれてい
く。
ただ、薄れゆく意識の中でスバルは己の手に残る﹃ナイフを突き
225
刺した感覚﹄が残っているのを確かめていた。
226
第16話 vs神鷹カイト
暗闇の中でスバルの意識は覚醒した。
だが、そこは先程まで座っていた獄翼のコックピットではなく、
薄暗い部屋の中だった。
﹁何だ?﹂
周りをきょろきょろ見渡し、自分の現状を確認する。
服は普段通り。獄翼のような巨大ロボットも居ない。特に自分の
身体に変わったところも無い。
﹁カイトさん?﹂
自分と共に獄翼に乗っていた︱︱︱︱途中から獄翼になってしま
った同居人の名前を呼ぶ。だが、返事は無い。何度か大声で呼んで
みる物の、帰ってくるのは不気味な静寂だけだった。
﹁何なんだよ、これ﹂
自身が先程行った事を思い出す。獄翼で巨大ハリガネムシの頭を
貫き、中にいた男を殺した。直接それを行ったのはカイトだが、男
がどうなったのかを見たし、その時獄翼を動かしたのは自分だ。レ
バー越しとは言え、今でもナイフをハリガネムシに突き刺した感触
が手に残っている。
その光景がスバルの脳裏にフラッシュバックするが、彼は首を振
ってそれを払った。
227
と、そんな時だった。
呼吸音が聞こえる。
息を吸い、そして吐くだけの簡単な音だ。それがすぐ近くから聞
こえてくる。
自分以外の何者かが、其処に居た。
﹁誰!?﹂
呼吸音が聞こえる方向に振り向く。
そこには椅子に座った少年がいた。背恰好から考えて、恐らく小
学生か中学生くらいの年齢だろう。
そんな幼い少年が、椅子に縛り付けられている。正確に言えば、
全身が見えなくなる程にロープで固定されていた。
挙句の果てには鉄のマスクを顔面に装着されて、喋る事もできず
にいる。こんな物をつけていれば喋れないのも当然だろう。
子供に対し、なんて酷いことをするのだ。
﹁大丈夫か、君!﹂
少年の惨状を見たスバルが駆け付ける。
彼を固定するロープを取り外してやろうと、椅子に手をかけた。
しかし彼の手は椅子を貫通し、触れる事ができない。
﹁え!?﹂
想定外の出来事に、バランスを崩して倒れ込む。
それと同時、真っ暗な空間に明かりが灯された。
﹁彼の罪を言い渡そう﹂
228
それはまるで裁判所だった。
中央の巨大な席に偉そうな男が座り、少年を睨みながら言葉を紡
ぐ。
その左右にはそれぞれ女性が座っており、左右対称の表情をして
いた。少年側から見て右側は心配そうな顔を。左側は詰まらなさそ
うに欠伸をしている。
﹁この少年は訓練中に同じチームの少年を殺しかけている。被害者
の少年は、引っ掻かれた傷が原因で今も目が見えていない。騒動を
止めようとした他のメンバーも重症だ﹂
少年が男を睨み返した。
僅かに見えるそのネームプレートには﹃XXX所属 神鷹カイト﹄
と書かれている。
﹁XXXは次期メンバーが加入されることが決まっている。そんな
中、このような内部崩壊の危険性を持つ者を置いておくわけにはい
かない﹂
その言葉に、カイト少年は何の反応も示さなかった。
興味がない、と言っても差し支えないだろう。少年の視線は男か
ら右側にいる女性へと移っていた。
スバルも自然とその女性を見る。
金髪の綺麗な髪が目に留まる美女だった。身体の美しい曲線を見
るに、恐らくモデルもこなせるだろう。今にも泣きだしてしまいそ
うな悲しい表情をしており、不謹慎だがそれが一層彼女の美しさを
際立てている。
研究者らしい白衣を身に着けているが、それも相まってスバルは
思わず﹃天使かこの人は﹄と口にする始末だった。
229
﹁処分に関して何か言う事は無いかな?﹂
男が左右に佇む女性に言う。
ソレに対し、左側の女は長い欠伸を終えた後に答えた。
﹁処分するのであれば、私が貰いたい﹂
﹁何だと?﹂
男が訝しげな視線を送る。
だが左側の女性はそれを気に留めることも無く、続けた。
﹁感情があるからこんな無用な集会ができるんだ。ならば、それを
無くせばいいと思わないか?﹂
﹁鎧持ちに改造する気か?﹂
﹁さあ、ね。いずれにせよ、彼の再生能力は結構レアなんだ。ここ
で失うには勿体ない﹂
女性が少年に向けて情熱的な視線を送る。そこには個人や異性と
しての興味は無く、まるで玩具を欲しがる子供の様な無邪気さしか
なかった。
しかし少年はそれを無視して、右側の女性を見つめていた。それ
以外が見えていないかのようである。
視線が絡み合うことなく少年にフラれた左側の女性は、右側の女
性に対して問いかけた。彼女は少年の保護者だった。
﹁どうかな、エリーゼ﹂
﹁⋮⋮﹂
エリーゼ、と呼ばれた右側の女性が少年に無言で近づく。
230
左側の女性も、男も、カイト少年も、スバルでさえもそれを黙っ
て見つめていた。
エリーゼがカイトの目の前に立つ。
彼女は少年の目の前で銃を抜いた。
﹁君の手で処分する、と?﹂
左側の女性は先程までの退屈そうな顔が嘘のように笑いながらも、
エリーゼに言う。
﹁彼等の心のケアは私の担当です。幼い彼が問題を起こしたのであ
れば、それは私の責任になります﹂
﹁自分の手でケリをつけたいと言うのか。良いだろう。確かにXX
Xは君の保護下にある。君がやるのが筋という物だな﹂
男がエリーゼの言葉に頷く。
そして静かに発砲の許可を下した。
﹁ありがとうございます﹂
エリーゼは笑みを浮かべ、引き金に指をかける。
カイト少年はそれを無言で見つめていた。彼の視線はエリーゼに
釘づけだった。
﹁頭か心臓に何発かいれろよ。一発じゃ死なないのは確認済みだ﹂
﹁そうですか。では遠慮なく全弾いただきましょう﹂
銃口が少年から離れる。彼女は自身の左足にそれを向けた後、躊
躇うことなく発砲した。エリーゼの身体が静かに崩れ落ちる。
231
﹁何!?﹂
エリーゼ以外の全員の目が見開く。
しかし彼女はそれ以上の問答を切り捨てるかのように、這い蹲り
ながら言う。
﹁確かに、彼の不祥事は監督している私の責任でもあります。です
ので、私が全責任を負います﹂
まるで少年を守る様に、彼女は這いながらも銃口を自身に向ける。
﹁弾丸はまだ5発残っています。彼の心臓に撃ち込むはずだった分
を、全て私が⋮⋮受け止めましょう。どうか、それでお許しを﹂
男も、左側の女性も、カイト少年も、スバルも彼女の行動にただ
呆けるしかなかった。辛うじて男が言葉を紡ぐことができたが、そ
れでも彼女の常識を逸した行動の前に戸惑いを隠せない。
﹁な、何のつもりだ!?﹂
﹁ご覧のとおりです﹂
エリーゼは迷うことなく即答した。
﹁彼は私の夢なんです。だから私が壊させません。もしも壊れる事
があれば私が守らなければなりません。彼等を任された時から決め
ていました﹂
﹁君にとってその夢とは、五体不満足になってでも叶えたいものな
のか?﹂
﹁夢とは、そういうものではないでしょうか﹂
232
彼女の表情と意思は変わらない。
その笑顔が、恐ろしい迫力を放っていた。この場にいる全員が、
彼女に支配されている。
﹁エリーゼ、あなたの夢は何?﹂
左側の女性が問う。
だが、それに対するエリーゼの解答は突拍子も無い物だった。
﹁私の夢は、最強の人間。私は、それが見たい﹂
﹁最強の人間⋮⋮? 私の﹃鎧﹄ではなく、その少年がか!?﹂
﹁ノア。貴女の鎧は確かに凄いわ。でもあれは人間じゃないの﹂
ゆえに、エリーゼはノアの意見を認めない。
彼女が最強の兵器を作ったのであると主張するのであれば、それ
は認めよう。だがエリーゼの終着点は兵器ではない。
﹁私が見たいのは私の﹃最強の人間﹄です。意思の無い鎧では、決
して果たせない夢です﹂
﹁その少年が果たすと言うのか? 仲間を殺しかけるような奴が、
お前の言う最強の人間だと言うのか!?﹂
ノアは憤慨する。だが、エリーゼは彼女の言葉に首を横に振った。
﹁どんな事情があったのかは分かりません。ですが、彼は優しい子
です。私は彼を信じます﹂
その言葉に、カイト少年の目から涙が流れた。
それがエリーゼの解答だった。
233
結局、エリーゼがカイトに撃ちこまれる筈の弾丸を全てその身に
浴びる事でこの裁判モドキは終わった。弾丸は全て彼女の急所を外
していたとはいえ、暫く車椅子の生活を余儀なくされてしまった。
裁判が終わった後、カイト少年は拘束が解かれた。彼は真っ先に
彼女の元に駆け寄り、彼女の為に生きる事を誓った。
生まれて初めて誰かに感謝したいと思った。
彼女の為に全てを捧げようと誓った。
その為に戦って、生きて彼女の求める物になる事を決めた。
神鷹カイトは、この日からエリーゼの物になった。
﹁エリーゼ!﹂
神鷹カイトは獄翼のコックピットの中で飛び起きる。
身体中が汗だらけで、顔色も良くない。悪夢でも見ていたかのよ
うな気分だった。
否、実際アレは彼からしてみれば悪夢だ。
自分の人生の転機となった、最悪の日だった。
﹁⋮⋮スバル﹂
数秒間周囲を確認して、前方のスバルに声をかける。
状況はよく分かっていない。制限時間が0になってからカウント
ダウンが﹃マイナス2分﹄を記録していることから、そう時間は経
過していない事が分る。
234
だが、それ以外何がどうなったのか分からない。
自分が完全に意識を取り戻したのか。もしくは代わりにスバルが
獄翼に取り込まれた可能性もありうる。
確認も含めて、前方に座る同居人の安否を確かめたかった。
﹁スバル?﹂
スバルは返事をしない。
コードが繋がれたボウルのようなヘルメットを被ったまま、ピク
リとも動かない。
だが、彼の口からぼそぼそと何か聞こえてくる。カイトは耳を澄
ました。すると信じられない言葉を聞いた。
﹁エ⋮⋮リー⋮⋮⋮⋮ゼ﹂
﹁!?﹂
全身に雷にでも撃たれたかのような衝撃が走る。
何故スバルが彼女の名前を知っているのか。そもそも彼は今、ど
うなっているのか。
ここで彼は一つの仮説を立てる。
先程、自分もエリーゼが出てくる夢を見た。いや、あれは夢と言
X﹄が二人を繋いでおり、
うよりも思い出だ。カイトが13歳の頃に起こった実話である。
もしも同調機能である﹃SYSTEM
そのせいで同じ思い出を共有しているのだとすれば︱︱︱︱
カイトはスバルのシートに手を伸ばした。
彼に被さっているヘルメットを取り外し、頬にビンタを食らわせ
る。
235
﹁おい、起きろ!﹂
カイトの声が、スバルの意識に響いた。
エリーゼがカイトを庇う形で裁判を終わらせてから、スバルの意
識はまたモザイクに包まれた。次に気が付いた時、彼は廊下のど真
ん中に立っていた。周囲に人の気配は無く、幾つもの個室に繋がる
自動ドアだけがある。
﹁今度は何だ?﹂
きょろきょろと周りを見渡す。
カイトの姿は無い。エリーゼの姿も見えないし、ノアや男︵裁判
長︶の姿も見えない。知っている顔は、誰もいなかった。
かなり衝撃的な映像だった。あれが事実だとすると、カイト少年
は思春期にかなりの美人に守られ、その上彼女の夢の為に生きる事
を決意していたという事になる。同じチームの仲間を殺しかけたと
いうのも気になる話だ。
正直な所、夢にしては中々現実味がある物を見せつけられている
気がする。
だが、カイトの過去を見ているとなると一つの疑問が思い浮かぶ。
アーガス達からXXXの話を聞いてから疑問に思っていたが、そ
もそも何故彼は王国から日本のド田舎に移り住んだのか。
236
爆発事件に巻き込まれて死亡扱いになった、とメラニーは言って
いた。
だが、それで生きていたのならば戻ればいい話ではないだろうか。
裁判沙汰になるような騒ぎは起こしていたようだが、エリーゼが守
ってくれたのであれば彼の居場所はある筈だ。寧ろその居場所に戻
ろうとしないのが不自然だと思う。
先程の映像を前提にした話ではあるが、そんな居場所を捨ててま
でヒメヅルで隠れていた理由がわからなかった。
﹁ん?﹂
熟考している内に、スバルは異変に気付いた。
ある自動ドアの隙間から、黒い霧が溢れている。以前、カイトが
電子レンジを壊して黒煙を家中に蔓延させたことがったが、あれと
は完全に別物なのだとスバルは思う。
全身に寒気がした。
あの扉に近づくな、と本能が警戒している。
しかし、
﹁⋮⋮⋮⋮他に、何も無いしな﹂
何か出来る事がある訳でもない。
他に行く宛てがある訳でもなく、ただ立ち尽くすよりだったら調
べた方がいいと思った。
意を決すると、スバルは黒い霧が溢れる自動ドアを開けた。だが、
室内の様子は一目見ただけでは分からない。黒い霧が暗闇の役目を
果たし、視界を完全に塞いでいた。
ドアを開けた事で霧が抜け出し、暗闇が徐々に晴れていく。
237
カイトの背中が見えた。
今度は見覚えがある。スバルと出会った時のカイトの後ろ姿だ。
この姿を4年間も見てきたのだ。見間違う筈がない。
だが、彼の様子はおかしかった。
全身が震えている。寒いのかと思ったが、彼は冬でも半袖で平気
な顔をしているような奴だ。それはあり得ない。
良く見れば、彼の両手は血塗れだった。
先程まで獄翼の両手に生えていた爪から、赤い液体が滴り落ちる。
この様子から、スバルは一つの回答を得た。
彼が誰かをここで殺した。しかも、狼狽えている。
だが、誰を︱︱︱︱
カイトの膝が折れる。彼の表情が怯えているのが分った。
スバルは恐る恐る、彼の背後から覗き込む。
顔は見えなかった。だが、すぐ横にある車椅子と死体が着ている
白衣。
そして血まみれになった金髪は、先程見たばかりだった。
﹁エリ︱︱︱︱︱︱﹂
﹁おい、起きろ!﹂
238
強烈なビンタを頬に受けて、スバルの頭が覚醒する。
頬が真っ赤に張れ、思わずスバルはそこを抑える。まるで虫歯に
でもなったかのような光景だった。
﹁痛っ⋮⋮あ、あれ?﹂
だが、その痛みでスバルはようやく現実に戻ってこれた。
見れば、目の前にはカイトがいる。そしてここが先程まで操作し
ていた獄翼のコックピット内であることも、ここにきてようやく理
解した。
﹁あ、カイトさん﹂
﹁おい、何を見た?﹂
胸倉を掴まれ、恐ろしい形相で睨みつけられる。
怒っていると言うよりも何処か焦っているかのように見えた。
﹁え、えと⋮⋮﹂
先程見た光景を思い出す。鮮明な映像は頭の中に出てこないが、
アレは間違いなく彼にとって禁忌の代物だ。
本物かどうかは置いといて、その確信がスバルにはあった。
﹁エリーゼって人が、子供を守ってた﹂
﹁それだけか?﹂
﹁う、うん﹂
239
真面目な表情の彼に嘘が通じないのを、スバルは知っていた。だ
から事実を伝える。
それ以降の言葉が彼に通用するかは自信が無い。
刃のような鋭い目つきに睨まれ、まるで彼の爪先を喉に付きつけ
られているかのような錯覚を覚えた。
X﹄に関しては逃げた後じっく
緊張の汗が流れる。彼の返答次第で、己の人生を左右する何かが
動く予感さえした。
﹁⋮⋮わかった。﹃SYSTEM
りと確認する﹂
目つきがやや穏やかになる。
そして一歩引き、後部座席に座る。
﹁また何時敵が来るかもわからん。さっさと飛ばしてくれ﹂
﹁わ、わかった﹂
正直に言えば、聞きたいことは山程ある。
だが、今は逃げるのが先だ。その意見にスバルは同意する。
しかし、獄翼の飛行ユニットを起動しながらもスバルは思う。
本当に彼と共に逃亡生活を送って、無事でいられるのか。先程見
た映像の事を思うと、不安な気持ちを抑える事が出来なかった。
240
スバル、涙の別れ! ∼さようなら、僕のブレイカー∼
時刻は深夜を過ぎ、午前5時。
獄翼はステルスオーラを纏い、山の中に隠れていた。
透明な膜に包まれた鋼の巨人は、今やレーダーにも引っかからな
い優秀なカメレオンであると言える。
同時に、その中にいる事であらゆる外敵から見つからずに済む。
その間は全ての武器が使用不可能となるが、逃げるだけならこれ程
便利な機能は無い。
﹁お湯湧いたよ﹂
﹁ん﹂
そんな獄翼のコックピットの中で、二人のパイロットは遅めの夜
食を食べる。
メイン操縦席には蛍石スバル、16歳。2日前までは故郷のド田
舎で学校に通う生活を送っていたのだが、この1日だけで色んなこ
とがあり過ぎてすっかり疲れ切っていた。
父親の死。規格外過ぎた同居人。その同居人と同じ顔をしたゾン
ビ鎧の出現。憧れだった巨大ロボの操縦。同居人と巨大ロボの融合。
X﹄によって見せられた同居人の過去。
敵とはいえ、人間が死ぬ光景を目の当たりにしたこと。更には﹃S
YSTEM
全て受け入れるには、重すぎる。
﹁なあ、今の内に聞いといていい?﹂
﹁なんだ﹂
シーフードヌードルを啜りながら後部座席に座るカイトに問いか
241
ける。
彼に聞きたいことが山ほどあるのだが、今最も聞いておきたい質
問は一つだ。
﹁何で王国からヒメヅルに?﹂
元々疑問だったのが、彼の過去を覗いたことで更に深まった。
彼が今まで持っていた物を全て捨ててまで日本のド田舎に移り住
んだ理由が、スバルには全く理解できずにいたのだ。
トリプルエックス
﹁どこまで知っている?﹂
﹁XXXの元リーダー。6年前、爆発事件に巻き込まれて死亡扱い
だったってメラニーさんが言ってた﹂
﹁てるてる女か﹂
いちいち人の名前を憶えないで外見的特徴で物を言う男である。
名前でその愛称が出てくるくらいなら最初から名前で呼んであげ
ろよ、と言いたい。
しかし、今話をややこしくするとはぐらかされそうな気がしたの
で敢えて沈黙する。
﹁⋮⋮事実だ。俺は6年前まで新人類軍に居てXXXと呼ばれるチ
ームのリーダーを務めていた﹂
何処か観念したように、カイトは言う。
彼はカップヌードルをモニターの横に置き、何処か遠い目をしな
がら語り始めた。
﹁6年前、ちょっとした事件があってな。あそこに居れなくなった
んだ。それで日本に逃げた﹂
242
﹁何したんだよ﹂
﹁爆発事件。後は言いたくない﹂
ここでそのセリフは狡いんじゃないか、とスバルは思う。
しかし彼は今のスバルの立場になっても﹃そうか﹄の3文字で返
答して、それ以上は聞かないでくれた。
それで彼に助けられたことも、4年間の共同生活で何度もあった。
﹁⋮⋮分かった。それは聞かない﹂
﹁すまない﹂
X﹄で俺が
後部座席に座る彼の表情はこちらからでは見えない。
ただ、声のトーンは重くなった気はする。
﹁じゃあ少し質問を変えるよ。あの時﹃SYSTEM
見たのは⋮⋮﹂
﹁多分、俺の記憶だ﹂
地雷に足を突っ込んだ自覚はあるが、案外素直な返答が帰ってき
た。
一応、最大の地雷である16歳の記憶は彼に話していない。
﹁あの時、俺は13歳だった。訓練中にチームメイトと本気でやり
あったんだ﹂
﹁それで相手の目を潰しちゃったの?﹂
﹁正確に言えば、爪を出して顔を思いっきり引っ掻いた﹂
その光景を想像した瞬間、思わず鳥肌が立った。
もしも自分がそれを受けたとすると、顔面の半分が綺麗さっぱり
無くなっているんじゃないかと恐怖する。
243
﹁なんで訓練中にそんな事したのさ﹂
﹁本気の戦いだったからだ﹂
彼にとって切っ掛けは些細な事だったのかもしれないが、その後
の出来事が重大だった。
﹁エリーゼは、俺達の保護者だった。お前にわかりやすく言うと、
保育園の先生みたいな感じだ﹂
スバルは真っ先に動物園のライオンを相手にする飼育員を思い浮
かべた。
保育園よりはこっちの方が彼には似合っている気がする。
﹁⋮⋮あれ?﹂
﹁?﹂
﹁その後は?﹂
﹁それだけ﹂
飼育員をイメージした後、割と呆気なくその話は終わった。
映像の中のカイト少年は泣きながらエリーゼに駆け寄っていた筈
だ。あの光景を見るに、懐き度が低かったとは思えない。寧ろ愛情
すらあったのではないかと邪推してしまう。
﹁何を期待してるんだ、お前﹂
﹁いや、てっきり好きなのかと思ってた。美人だったし﹂
﹁好きだったよ﹂
これまたあっさりと返答してきた。
どうにも彼の会話のリズムが掴めない。何が彼にとって禁句で、
244
何が大丈夫なのかは共に暮らしてある程度理解したつもりだったが、
この1日で余計に分からなくなった。
﹁少なくとも、あの当時は彼女さえいれば他に何もいらないと思っ
た﹂
﹁⋮⋮13歳だよな?﹂
﹁ああ。我ながら視野が狭いとは思う﹂
見方によっては、相当なピュアだ。
未成熟な13歳だからこそ、その思考に辿り着いた可能性も十分
ある。
﹁じゃあ、今は?﹂
﹁死んだ人間の事は、あまり意識できない﹂
そこでスバルは言葉を詰まらせた。
やはりエリーゼは死んでいたのだ。最後に見たカイト16歳の記
憶。血塗れの彼と、殺された彼女の光景。
やはり彼が殺したのだろうか、と考えてしまう。
﹁何で死んだのか、聞いていい?﹂
﹁⋮⋮どうした。今日はやけに踏み込んでくるな﹂
﹁一杯あったからさ。俺も、アンタも﹂
我ながら上手い言い訳だと思う。
実際その通りだ。可能であれば、今日起こった出来事をきちんと
受け止める時間が欲しい。
﹁⋮⋮悪いが、それを話す時間は終了だ﹂
﹁言いたくないって事?﹂
245
﹁ああ﹂
﹁分かった。ならいいや﹂
これでスバルは大量にある﹃彼への貸し﹄を1つ返却した。
だが、同時に踏み込んではいけない領域から足を退けたといえる
だろう。
﹁それで、結局どうするの?﹂
﹁当初の予定通り、アメリカに向かう。あそこならお前も保護して
もらえる筈だ。俺は知らんがな﹂
自嘲気味に言うと、カイトは正面モニターに地図を映し出す。
今いる場所︵トウキョウ郊外︶が赤く点滅していた。彼等の現在
位置である。
﹁先ずは一旦シンジュクに戻る﹂
﹁えっ!? 折角逃げたのに!﹂
﹁丸腰でアメリカまで行く気かお前は﹂
言葉を詰まらせる。
言われてみれば、これ以上食料も無ければ金も無い。カイトに至
ってはゲイザーとの死闘で身体中ボロボロだ。少なくとも服装は準
備しないと、相当目立つ。
﹁シンジュクで事前に準備してた荷物を幾つかのコインロッカーに
預けてある。今日は仮眠を取って、それを回収する﹂
﹁因みに、何を買ったの?﹂
﹁着替えと日持ちする食料。それから水だな﹂
電気ポッドが獄翼のコックピットにあったのは不幸中の幸いだと
246
言えるだろう。現代社会では携帯電話の充電や何時でもカップヌー
ドルを食べれる為に巨大ロボの中でもコンセントがついているのだ。
ちょっとしたカプセルホテルである。
﹁多分、全部詰めて後部座席がギリギリ満杯になる感じだと思う﹂
﹁逆に言えば、長旅になるから無駄はできないな﹂
スバルはアメリカ大陸に視線を向ける。
そこと日本との間には広大な海が広がっていた。流石にこんなと
ころでコンビニがある訳も無く、ここで準備しておかなければ食料
の補充は困難だろう。
﹁いや、道中で揃える事も出来るぞ﹂
﹁え?﹂
スバルの考えを察したのか、後ろからカイトが指摘を入れる。
﹁アメリカに向かうが、海は極力避ける。ルートとしては中国・ロ
シア経由でアラスカに入る﹂
日本から縦に向かい、ロシアで曲がるルートだった。
恐ろしく寒そうな逃走経路である。
﹁海でまっすぐ向かうとなると、追手から攻撃を受けた際に脱出が
困難になる。それにステルスオーラの事を考えると、隠れ蓑がある
地上の方が便利だ﹂
﹁それでなるべく海は避けるわけか﹂
スバルはその意見に納得した。
確かに合理的で、こちらに都合がいい。
247
﹁ところで、ブレイカーじゃなくて船に乗るってのはダメだったの
か?﹂
﹁ダメだ。船も途中でブレイカーに襲われたらアウトだ﹂
﹁でも、アンタなら船の上でもブレイカーを叩き壊せそうな気がす
るけど﹂
﹁俺は泳げない﹂
その一言で、場に静寂が訪れた。
何となく気まずい。突き放すように言われたカイトの言葉は、少
し怒気を含んでいた。多分、気にしている。
﹁⋮⋮ゴメン﹂
﹁分かればいい﹂
気まずい空気が流れる。だが、そんな中でもカイトは業務的に話
し続けた。
﹁シンジュクに戻った後は、マサキの貯金を全部降ろす。俺も無一
文だし、まともに金を得るにはそれが一番全うな方法だ﹂
﹁差し押さえられてる場合は?﹂
﹁パツキンから盗んだ宝石を売る﹂
どさくさに紛れて何をしてるんだコイツ。
スバルは呆れ返った顔をしつつ、溜息をついた。
﹁後、お前には今の内にやってもらう事がある﹂
﹁何?﹂
これ以上何をしろと言うのだろう。
248
X﹄に関してはカイトが調べる担当である。自
獄翼の基本性能はコントロールパネルから一通り調べた。
﹃SYSTEM
分には操縦以外の仕事があるとは思えなかった。
﹁お前が持ってる情報端末を全部ぶっ壊す﹂
﹁はああああああああああああああああああああああああああ!?﹂
ほぼ24時間起きていると言うのに、良くこんな声出せるなと自
分で驚いた。だがそれ以上に驚いたのはカイトの提案である。
この現代社会でスマートフォンや携帯電話を無くすことは社会に
ついていけない事を意味するのだ。
﹁携帯GPSも差し押さえられたら位置がばれるぞ﹂
﹁あ、そうか﹂
だが、その解答を得てすぐに納得する。名残惜しいが、命には代
えられなかった。ポケットの中に入っていた携帯電話を後部座席の
同居人に放り投げる。
﹁他にもあるだろ﹂
﹁え、何かあったっけ﹂
﹁お前のゲームカード﹂
﹁えええええええええええええええええええええええええええええ
えええええええええええええええええええええ!?﹂
今度こそスバルは大絶叫した。
カイトはその大声で見つかるのではないかと思ったらしく、口元
に指を当てて﹃静かにしろ﹄と警告する。
﹁静かにできるか! あれは俺の命が詰まった代物なんだぞ! そ
249
れを壊せっていうのか!?﹂
﹁お前の気持ちはわかる。だが、一度てるてる女に渡して調べられ
ている以上、何がきっかけで見つかるか分からんぞ﹂
空いた口が塞がらなかった。
カイトの言う事も一理ある。そして一理ある以上、憂いは断って
おくべきだろう。
だが、あんまりだ。
少ないお小遣いを全部叩いて一生懸命育ててきた巨大ロボのデー
タを、ここで壊さなければならない。
スバルは泣きそうになった。というか、目尻からは既に涙が溢れ
ていた。
﹁ひ、ひでぇよ⋮⋮あんまりだよ⋮⋮! この鬼! 悪魔!﹂
﹁無事に逃げれたら新しいカード買ってやるから﹂
﹁俺の数年間を金で買えると思うな!﹂
世の中金と言うが、それだけでは全部買えるわけがないとスバル
は思う。
人間の気持ちは決して金では買い切れないのだ。少なくとも自分
の愛はそんな物の前では靡かない。
そもそも、この男は無一文だった気がするがそこはあえて突っ込
まないでおいた。
﹁今度は本物のブレイカーもあるぞ。何が不満なんだ﹂
﹁不満しかねぇよ! 大体、俺のお好みを数年間かけて実現させて
るんだから、新しいカードやブレイカーで満足できるわけないだろ
! これは俺の相棒なんだ!﹂
カイトは珍しく困り果てた顔をしていた。
250
呆れ返ってた気もするが、この際どちらでもいいだろう。
﹁命とデータ、どっちが大事なんだ﹂
﹁データ!﹂
﹁馬鹿かお前は!﹂
思いっきり拳骨を食らった。
痛い。多分身長が何センチか縮んだ。
﹁うえええええん! 嫌だぁ。俺の﹃ダークフェンリル・マスカレ
イド﹄は不滅なんだあああああああああ! 長嶋さんと巨人軍と同
じくらい不滅なんだあああああああああ!﹂
遂には泣き出した。中々洒落たネーミングセンスしてるな、とカ
イトは呑気に考え始める。
だが、泣き止むのを待つのも心苦しい。
﹁そのダークフェンリル・マスカレイドが、お前を死なせたいと思
ってるのか?﹂
﹁え?﹂
その言葉に、スバルは耳を向ける。
﹁これでも4年過ごしてきたんだ。お前がソレに並々ならぬ感情を
抱いているのは知っている。だが、その機体はお前を不幸にしたい
と思っているのか?﹂
﹁ある訳ないだろ! ダークフェンリルは俺を裏切らない!﹂
﹁そうだろう。ならマシンの気持ちも少し考えろ﹂
何を言ってるんだろう、俺は。
251
脳内でそんな事を思いつつも、カイトは口からそれっぽい事を言
う。
﹁もし、そのICカードのせいで見つかって道中で殺されてみろ。
ダークフェンリル・マスカレイドは自分のせいでお前を殺したと、
一生己を恨み続けるだろう﹂
﹁⋮⋮それも何かカッコいいな! 悲しみの狼的な!﹂
﹁馬鹿。それを受け入れようとするんじゃない﹂
そんな問答を繰り広げていく内に、スバルも徐々に落ち着いてき
たらしい。彼は自身の命ともいえるカードを見つめ、寂しそうな表
情を浮かべた。
﹁⋮⋮俺さ。まともに仕事手伝わないもんだからお小遣い少ないだ
ろ? だから殆どケンゴにプレイ料金借りてたんだ﹂
﹁最悪だな﹂
﹁うん。でも、少ない小遣いでコレだけは最後まで育て上げたよ﹂
ダークフェンリル・マスカレイド。
旧人類最強のプレイヤー、蛍石スバルの駆るミラージュタイプの
特機だ。
狼のような凶暴な顔つきと、牙を象徴するかのような二刀流で彼
は全国のトッププレイヤーと争い続けたのである。
嬉しい時も、悲しい時も彼はダークフェンリルと共にあった。
﹁少し前に、プレイヤー交流会っていう遠征があってな﹂
﹁ああ、都会に出る為にマサキに土下座した奴か﹂
﹁そう、それ。旧人類は流石に俺しか居なくて、物凄い緊張したん
だよ。ほら、新人類って旧人類に対して割と高圧的じゃん﹂
252
そこは流石に個人差はあるが、カイトのように個人として接する
のは非常に稀だ。アーガスのように最初から友好的な態度なのも珍
しいと言える。
﹁でも、初めて自分に自信を持てる事だったから勇気を出して飛び
込んでみたんだ。そしたらさ、同年代の新人類に﹃ファンなんです
! 私にも是非プレイテクニックをご教授ください﹄って言われち
まった﹂
﹁まるで外部講師だな﹂
だが、報われた気がしたのは事実だ。
田舎ではケンゴくらいしかマトモに付き合ってくれなかったけど、
続けてきて良かったと本気で思った。
何度﹃どうせ新人類の相手にならないし﹄と諦めかけたか覚えて
いない。
せめて、最後に輝かしい優勝盾と共に立体化してほしかった。
﹃ブレイカーズ・オンライン﹄のシングル対戦における全国大会
では、優勝者に自身の愛機のフィギュアを贈呈されるのである。
﹁去年は全国大会に﹃旧人類代表﹄としてノミネートされたけど、
結局ベスト8止まりだしさ﹂
カイトは﹃それらしい事﹄を言わなかった。
下手な慰めは無用だと、何となく理解していたのである。言葉に
よっては彼を傷つけかねない。
﹁せめて、最後にお願いしてもいいかな?﹂
﹁なんだ﹂
253
スバルは目元を拭い、ICカードを取り出す。
﹁明日、最後に1戦だけさせてくれ。それが終わったら、俺がコイ
ツを壊すよ﹂
カイトはニヒルな笑みを浮かべながら首を縦に振った。
そしてスバルに向けて言う。
﹁でも金はお前が出せよ﹂
﹁ケチ!﹂
﹁何とでも言え。俺は最後の諭吉を失ったばかりなんだ﹂
一体何に使ったんだ、本当に。
訝しげな目線を彼に送りつつも、スバルは何故か薔薇をくわえた
自称美しき狩人の新人類兵を思い出した。
254
スバル、涙の別れ! ∼さようなら、僕のブレイカー∼︵後書き
︶
戦士達のぼやき
スバル﹁さようなら。僕のダークフェンリル・マスカレイド⋮⋮﹂
カイト﹁何で本当に諭吉しかなかったんだろう⋮⋮﹂
255
第17話 vs黒猫タクシー
交通都市、シンジュク。
この日、街は嘗てない大渋滞となった。原因は深夜に行われたブ
レイカー同士の戦い。そして新人類王国の大使館襲撃。これらの要
素が絡み合い、都市崩壊を引き起こしたのだ。
ビルは壊れ、道路は封鎖。シンジュクに勤める者は三割程が休業
を言い渡された。
その一因となったブレイカー同士による戦いに参加していた機体
がある。
﹃モグラ頭﹄ことガードマンのパイロット、ヴィクター・オーレ
イヴは傷付いた身体を支えるように壁にもたれ掛っていた。
﹁我々の、負けか⋮⋮﹂
エリゴルとマシュラは死亡。
メラニーとアーガス、そしてヴィクターは敗北して負傷。
警護の役目を持つバトルロイド達は全滅。
大規模ではないとはいえ、王国の歴史上で1,2を争う大敗と言
えるだろう。それも、相手は新人類と旧人類のふたりだけだ。
﹁処罰は逃そうにもないな。これではエリゴルに合わせる顔も無い﹂
﹁全くだ﹂
不意に、何者かの声がヴィクターに届く。
見れば、何時の間にかヴィクターの足元にいる黒猫がこちらを見
上げていた。
256
﹁いかに人間ハリガネムシでも、ブレイカーのナイフを叩きつけら
れれば肉塊は避けられん。悲しいが、残念だった﹂
﹁貴方は⋮⋮!﹂
人の言葉を話す黒猫。
ヴィクターは彼の事を知っていた。
﹁ミスター・コメット! 何故ここに﹂
﹁勿論、戦士を移動させるのが俺の役目だ﹂
喋る黒猫、ミスター・コメット。
その正体は人間だと言われているが、黒猫以外の姿で見た者はい
ない。
新人類としての異能の力は空間移動。現実世界とは全く別の異次
元の穴を空け、それを通る事で様々な場所に移動することができる。
王国最強の﹃移動系能力者﹄である。要は﹃どこでもドア﹄を内
蔵したタクシーの運転手だ。
﹁とはいえ、間に合わなかったようだがな﹂
﹁面目ない。我々の力が及ばないばかりに⋮⋮﹂
﹁本当ですね﹂
第三者の声が響く。
ヴィクターが降り向くと、そこには1人の少女が居た。
ローラースケートを履き、風船ガムを吹かしているその少女は彼
に何の興味もなさそうに言った。
﹁せめて足止めくらいきちんとやってくださいよ。そのくらいでき
ないで、よく兵士を名乗ってられますね﹂
257
オレンジ色の長い髪をポニーテールにして纏め、生意気な口を利
いてきた。それだけならまだ良かった。
﹁特に、役目も果たさず死んだなんて⋮⋮本当に役立たずもいいと
ころです﹂
﹁黙れ!﹂
ヴィクターが少女を睨む。
彼は傷ついた身体を動かし、少女に右手を向ける。
﹁我々は確かに、たった一人の新人類と一人の少年に負けた! だ
が、命がけで戦ったエリゴルを侮辱することは許さん!﹂
﹁古臭い﹂
心底どうでも良さそうに少女は言う。
彼女はガムを吐き捨て、ローラースケートの爪先をとんとん、と
コンクリートに叩きつけた。
﹁そういうセリフは、勝ってから言わないと全然説得力ないんです
けど?﹂
﹁戦ってもいない貴様に言われる筋合いはない!﹂
ヴィクターの右手が光る。
そこから放たれるのはバリアだ。完成された薄い防御壁は、少女
に向けて真っ直ぐ放たれる。少女を押し潰すつもりだった。
﹁止せ、ヴィクター!﹂
ミスター・コメットの仲裁が入る。
258
しかし放たれた透明の壁は止まらない。巨大な鈍器となったそれ
は少女を押し潰さんと勢いよく飛んでいく。こうなってしまえば、
もうヴィクターでも止められない。
﹁ふふん﹂
少女は得意げに笑った後、ローラースケートを走らせた。
コンクリートの大地が削られ、少女の姿が風になる。
﹁何!?﹂
ヴィクターは信じがたい物を見た。
少女がローラースケートでバリアの上を走っている。比喩でも何
でもなく、透明の壁を直角に走っているのだ。
しかもぐんぐんと加速していき、一瞬で透明の壁の頂上に辿り着
く。
﹁これだけ?﹂
ヴィクターを見下ろし、少女は呟く。
その直後、彼女はバリアを乗り越えて再びローラースケートを疾
走させた。ヴィクターとの距離が一瞬にして0になる。
彼の顔面に、猛スピードで回転するローラーが迫った。
が、その動きは叩きつけられる寸前で停止する。
﹁⋮⋮!﹂
ヴィクターは己の完全敗北を悟った。
恐らく何度バリアを張ろうと、彼女はこのローラースケートで飛
び越え、走り、最後にはその小さなホイールで敵を削るだろう。
259
抉れたコンクリートのように、だ。
﹁分かりました? アンタ、弱いんですよ﹂
﹁アウラ。そこまでにしろ﹂
アウラ、と呼ばれた少女が黒猫に振り返る。
ヴィクターは静かに膝をついた。
﹁弱った者をこれ以上追い詰めるな﹂
﹁王国兵は強いんでしょう? そしてそれを誇りとしている﹂
新人類王国は常に強者が優先される。
それが国の意向だ。それゆえに、憲法第4条が存在している。
﹁単純に君が強すぎるだけだ﹂
﹁なら、私だけでいいんじゃないですか? その反逆者の新人類達
を倒すのは﹂
アウラはくるん、と一回転してミスター・コメットを一瞥する。
バレエの選手でもできそうな動きだが、中身がお転婆では白鳥の
湖は似合いそうにないと黒猫は思う。
﹁そうもいかない。それに、彼は一筋縄ではいかない﹂
﹁私を誰だと思ってるんです?﹂
﹁XXXのアウラ・シルヴェリアだ﹂
黒猫の呟いた言葉に、ヴィクターは目を見開く。
﹁XXX!? 君がか?﹂
﹁ええ、そうですよ。あんた等とは格が違うんですよ、格が﹂
260
突きつけられる指と、暴言は耳には届かない。
問題は彼女がその前に放った言葉だ。
﹁ミスター・コメット! まさか、XXXを⋮⋮奴の部下を連れて
きたのか!?﹂
﹁そうだ。毒を制するのには毒を使うべきだろう?﹂
﹁? 何のことです﹂
ヴィクターは再び驚愕する。
アウラは誰が大使館を襲撃したのか知らない。しかも彼女の口ぶ
りからして、やってきたのは彼女だけではない。
とんでもない地雷の匂いがした。
﹁下手に連れて来れば、彼女達も裏切るかもしれない! 何故彼の
同類を連れてきたのだ!?﹂
ヴィクターが黒猫に詰め寄る。
そのまま首を絞めかねない勢いにミスター・コメットは困惑する
が、ヴィクターの手を掴む者が現れた。
﹁!?﹂
アウラと同じく、オレンジ髪の少女だった。
長すぎる前髪が完全に瞳を覆い尽くしており、表情が読めない。
ハッキリ言うと、何も言わないのも相まって非常に不気味だった。
夜に出てきたら、幽霊だと騒がれても文句は言えない。
﹁姉さん﹂
261
アウラが彼女に視線を向ける。
姉、と呼ばれた少女は妹に視線を向けると、口を開いた。
﹃アウラ。やりすぎ﹄
なにか喉に仕込んでいるのか、少女の声は酷く機械的だ。まるで
ロボットである。もしかするとバトルロイドよりも機械的かもしれ
ない。
だが、何処となく怒気を孕んだ言葉遣いは逆に感情的であるとヴ
ィクターは感じた。
﹃そして貴方も、今は身体を労わってください。反逆者の追跡は我
々にお任せを﹄
そしてこちらの少女は、風貌に似合わず礼儀をわきまえていた。
その対応で落ち着きを取り戻したヴィクターは、非礼を詫びる。
﹁⋮⋮すまない﹂
﹃いえ。こちらこそ、妹が無礼を﹄
﹁いいんですよ、姉さん。弱い奴が悪いんです﹂
外見は髪の色と長さが相まって何処となく姉妹であると分かるが、
性格はほぼ真逆であるとヴィクターは思う。
しかし油断はできない。この姉も恐らくはあの反逆者と同じXX
Xなのだから。正体を知った瞬間、裏切るかも分からない。
﹁ミスター・コメット。彼女達は反逆者の正体を知らないのか?﹂
﹁ああ。知ると色々と面倒なことになるからな﹂
﹁何を悠長な! どちらにせよ、相対すれば嫌でも分かる!﹂
﹁いや、そうなんだけど⋮⋮﹂
262
ヴィクターは改めてシルヴェリア姉妹と相対する。
﹁君達は敵が誰なのか理解せずに戦おうと言うのか!?﹂
﹁誰でもいいでしょう﹂
﹃命令なら、倒すだけです﹄
姉妹はあくまで拘らない。だが、相手は彼等の﹃元﹄リーダーだ。
どんな懸念点があるかは分からないが、それを知らないで戦うの
は危険だ。裏切りの可能性もあるし、足元をすくわれる可能性もあ
る。
ゆえに、ヴィクターは先に彼女達に警告する。
﹁ここを襲った新人類は、神鷹カイトだ。君達も良く知っている彼
が、我々の敵だ!﹂
彼の発言に、姉妹の身体が反応する。
姉は身体の至る所から電流が流れ始めた。指先に向かって流れる
紫電は、彼女の爪先でバチリ、と音を鳴らして弾ける。
妹の方はローラースケートから、姉と同じ色の電流が溢れ出した。
まるで洪水である。所構わず飛び散る電流を防ぐ為に、ヴィクタ
ーは思わず壁を張っていた。
﹁⋮⋮そうですか。リーダーが﹂
先程までヴィクターを馬鹿にしていたアウラは、人形のような不
気味な表情になる。これが先程までと同一人物だとは、俄かには信
じられない。
﹁姉さん、聞きました? リーダー、つい数時間前までここで暴れ
263
てたんですって。もう少し早く着いてたら、私達も会えたのにね﹂
姉が拳を握りしめ、ビルに叩きつける。
コンクリートの壁が粉砕した。それを見た黒猫が、慌ててヴィク
ターの背後に隠れる。
﹃アウラ。私達、あれから何年この時を待ったか覚えてる?﹄
姉が俯きながら呟く。
その声は、先程のような感情は一切含まれていない、無機質な物
だった。
﹁6年です。私達がリーダーに捨てられてから、もう6年経ちまし
た﹂
﹃そう。もうそんなになるんだね﹄
姉が一歩前に出る。その表情は前髪に隠れて全く見えないが、完
全に﹃キレている﹄ことだけはヴィクターにも分かった。
彼女達の反応は、自分の想像とは真逆だった。
﹁ミスター・コメット。どういうことだ?﹂
﹁だから話さなかったんだ! できるだけ穏便に行きたかったのに
!﹂
ヴィクターの馬鹿、と前足で彼の足を小突く。
声は渋いが、ちょっと可愛らしい。
﹁いいか。彼女達﹃第二期XXX﹄は全員、彼の元で戦いを学んだ。
そして彼を師事していたんだ。ほぼ崇拝してたと言っていい! だ
が、そんな彼は彼女達に何も言わずに立ち去った。王国の施設爆発
264
事件と言う置き土産を残してね﹂
ヴィクターはここにきて理解した。
彼女達は神鷹カイトに捨てられ、ずっとその恨みを糧にして生き
てきたのだ。しかも彼女達の立場を危うくする置き土産まで残して、
だ。
当時、彼女達は10歳。
まだまだ甘えたりない年頃である。彼女達にとって、カイトの存
在がどれだけ大きかったのかは想像できない。
だが、裏切られたショックは強い悪意と憎しみとして今も残って
いる。
﹃安心してください。ヴィクターさん﹄
﹁私達が、リーダーを殺してあげます。泣く暇も無く、喋る間もな
く、土下座する間もなく!﹂
第二期XXXメンバー、カノン・シルヴェリア。
同じく、アウラ・シルヴェリア。
能力は2人共、放電能力。彼女達が放つ稲妻は、肉を焼き、骨の
髄まで痺れさせる。
身体能力、異能の力も共に強大な、申し分ない兵士達だった。
265
第18話 vs着信履歴
午後2時、交通都市シンジュクのとあるコインロッカーで、カイ
トとスバルは預けていた荷物の回収を行っていた。
スバルとしては先程まで戦っていた場所にすぐ戻るのは抵抗があ
ったのだが、カイトの﹃逆に逃げた奴が戻ってくるとは思わんだろ﹄
という意見を尊重して今に至る。
幸いなことにスバルもカイトも東洋系の顔だ。
日本のシンジュクに居ても特別得立つ事は無い。
強いて問題点を挙げるなら、ゲイザーとの戦いでカイトの服装が
所々破けているのが問題だったが、スバルの上着で誤魔化すことで
何とか必要以上に目立つのは避けている。
破けているズボンから偶に見えるパンツの柄が少し心臓に悪い。
周囲から時々視線を受け、やけにそわそわした。
﹁よし、先ずはこれだ﹂
1つ目のコインロッカーから大きな買い物袋を取り出す。
予備に買っておいた服だった。
﹁じゃあ、早速着替えようぜ﹂
﹁ああ、そうだな。交通機関がほぼストップしているとはいえ、何
時勘付かれるか分からん。急ごう﹂
勘付かれる理由があるとすれば、多分彼のズボンからちらりと見
えるパンツだと思うが敢えて口にしない。
あれもある種のファッションだと思えばきっと気にならないだろ
う。
266
数秒して、やっぱりおかしいから妙な思い込みで自分を誤魔化す
ことを止めた。
﹁じゃあこれを履くとしよう﹂
﹁おいここで着替える気か!?﹂
﹁? 別に構わんだろう。迷惑かけるわけでもあるまい﹂
﹁田舎じゃそうだけど、都会じゃ違うんだよ!﹂
ベルトに手をかけるカイトを必死になって静止する。
何でこの男は中途半端に常識が無いのだろう。変に天然な上にち
ょびっと常識があるせいで非常に面倒くさい。
﹁成程。公共の施設では着替えは厳禁なのか。通りで服屋にあった
着替えスペースが無いわけだ﹂
﹁言っておくけど、あれ試着ルームだからな﹂
勉強になった、と勝手に納得しているカイトを余所に購入された
服を見てみる。買い物袋の中に収まっていたのは、どれもそれなり
に高そうな柄のシャツやズボンだった。恐らくはこれから向かう北
国対策であろうダウンまである。まだ世間では夏休み前だと言うの
によく揃えた物だ。
﹁つか、地味に装飾品まで揃えたんだな。サングラスに⋮⋮ペンダ
ントか?﹂
﹁店員に合いそうなのを適当に選んでもらった。値は張ったが、こ
れで違和感はない筈だ﹂
それは高い物を買わされたんだよ、とは言えなかった。
次に現れた全身真っ黒タイツがスバルの目に飛び込んできたから
267
である。
﹁これ何に使うの?﹂
﹁暗いと使うかもしれないだろ。仮装コーナーで売ってた。マスク
もある﹂
仮面ライダーに出てくる戦闘員のマスクを得意げに見せつけられ
る。
いい買い物をした、と言わんばかりに少し胸を張るカイトを、ス
バルはどこか哀れな目で見つめていた。
そういえば彼が買い物をしている姿は見たことが無い。
初めてか久々かは知らないが、多分楽しかったのだろう。
しかし、こう見ると案外余計なものまで入っている気がしないで
もない。
装飾品はまだいいとして、ショッカーのマスクなんて何に使うと
言うのだ。
﹁⋮⋮アンタの諭吉が殆ど飛んだ理由が判る気がする﹂
﹁ああ。都会は良い物が多いが値段が凄いからな﹂
ちげーよ、とは口が裂けても言えない。
やや控えめではあるが、楽しそうで尚且つ買ったものを見せてく
る同居人の姿があまりにも眩しすぎる。まるではじめてのお使いで、
買ったものを両親に報告するかのような錯覚さえ覚える。
彼に残る僅かな純粋な心を打ち砕く気にはなれなかった。
と、そんな時である。
スバルのズボンからスマートフォンの振動が響いた。
本日20回目の着信である。
268
﹁またか﹂
﹁うん。まあ、流石に出れないけど﹂
日が完全に上る前に行う筈だった情報端末の破壊は一旦待っても
らっていた。理由としては、スバルの﹃ネットの知り合い﹄にゲー
ム界からの引退を報告し、その反応を伺う為である。彼は仮眠を取
る前、ブログに最後の活動日記を書いた。
すると交流を深めた事のある全国のライバル達から、予想以上の
反応を受け取っていた。後で纏めて内容を確認して、連絡先を知っ
ているメンバーにはメールを出すつもりだった。
﹁しかし、お前がブログをやっていたとは意外だな﹂
﹁これでも少しは名前が売れてるからね。ゲーセンの店長も、俺が
いたから店畳まないで道楽でやれるって言ってたし﹂
この時、カイトは改めて知ったがスバルは意外と人望がある。
本人は﹃ケンゴしか友達いない﹄と言っているが、知り合いレベ
ルならかなりの数が彼をLIKEだと言うだろう。
実際、カイトも蛍石スバルの事が嫌いかと言われれば答えはNO
だ。
それこそカイトと共に思春期を過ごした為か、相手が新人類でも
比較的ハッキリと物を言えるのが幸いしているのかもしれない。
﹁因みに、何て言って止める事にしたんだ?﹂
﹁父さんが倒れたから家業を継ぐって言っておいた﹂
まあ、無難な解答だろう。
それに本当の事も書かれている。
269
﹁しかし、それにしてはやけに来るな。お前そんな数と知り合いな
のか?﹂
﹁いや、精々指で数えられるくらいしか交流ないよ。そんなに着信
来ることも無いかと思うけど⋮⋮﹂
スバルは自身のスマホを取り出し、メールアプリを起動させる。
すると、彼は思わず絶句した。
着信履歴に並ぶ名前がすべて同じだったからである。メールの送
り主の名前は全て﹃デスマスク﹄とあった。
﹁⋮⋮﹃デスマスク﹄ねぇ。不吉な名前だ﹂
横からカイトが覗き込んで、そんな感想を漏らす。
しかしスバルとしては割と冗談になっていない。
何故か。デスマスクから送られてくるメールのタイトルが以下の
流れになっていたからである。
﹃ブログ見ました。詳しいお話聞かせてください﹄
﹃悩みがあれば相談に乗りますよ!﹄
﹃電話してもいいですか?﹄
﹃出てくれないのには何か理由が?﹄
﹃どうして返信してくれないんですか?﹄
﹃もしかしてこの前私がなれなれしくしたのが原因ですか?﹄
﹃ごめんなさい﹄
270
﹃ごめんなさいごめんなさい﹄
﹃ゴメンナサイゴメンサイゴメンナサイゴメンナサイ﹄
この他の着信は電話だった。
こちらも全て﹃デスマスク﹄で埋め尽くされており、携帯画面一
色を支配している。軽くホラーである。
﹁どうしてこうなった⋮⋮﹂
スバルは﹃デスマスク﹄との交流を思い出す。
出会いはブログでのコメントだった。ゲーセン経由であがった動
画を見て、ファンになりましたと言う言葉には素直に喜んだもので
ある。
その後も度々﹃ブレイカーズ・オンライン﹄の技術を聞きにやっ
てくることがあった。素直に言うと、弟子が出来た気分で鼻が高か
った。
本人と直接会った事もある。
獄翼の中で話した交流会だ。何を隠そう、その時に話した﹃ファ
ン﹄こそがデスマスク本人である。
記念という事で連絡先を教えて、それからはメールで何度か話す
こともあった。その時は割と業務的で、尚且つ礼儀のあった口調だ
ったのだが今はどうだ。
何故こうもヤンデレのようなメールが送られてくるのだろうか。
﹁あ、また来た﹂
カイトが言うと同時、スバルのスマホの画面に﹃デスマスクさん﹄
271
の文字が表示される。
恐らくは先程から何十分かに一回送っている﹃定期チャレンジ﹄
だろう。
だが、出た時が怖い。あまりにも怖すぎる。
恐怖に怖気づいたスバルは、結局このコールも出れなかった。
シンジュクで遅めの昼食を取る為にアウラとカノンはレストラン
に入る。
黒猫はヴィクターを送ってからまた来る、と言って転移した。
彼が戻ってくるまでは暫く自由行動である。
しかし、アウラは先程から心配の種があった。
理由は目の前で今にも﹃この世の終わりだ﹄とでも言わんばかり
に顔色が悪い姉のカノンにある。
﹃この世の終わりだ⋮⋮﹄
言った。機械音声で無機質な声が、完全に沈んでいた。黒猫が消
えて、何気なく携帯電話を開いたらこの有様である。
理由は知っている。彼女の﹃憧れの人﹄が業界から姿を消すのだ。
アウラも姉の付き添いで一度リアルで会ったことがある。
気の良さそうな旧人類の少年だった。ゲームとは言え、旧人類が
新人類を相手に立ちまわっているのには素直に感心した物である。
機械音声で話しかける姉を気味悪がらなかったのもポイントが大
きい。
272
確か名前は﹃仮面狼﹄と言ったか。正式名称は姉曰く﹃マスカレ
イド・ウルフ﹄というらしいが、長いからこれが定着した。
﹁姉さん。別にこれが今生の別れという訳では⋮⋮﹂
﹃でも、さっきから電話にもメールにも、ブログのコメントにだっ
て何も言ってこないんだよ!﹄
姉が携帯を押し付けるようにして見せる。
ズラっ、と並ぶ仮面狼への﹃引退しないでください﹄コールが痛
々しかった。思わず目を伏せてしまう。
﹃やっぱり、私が気味悪いからいけないのかな﹄
﹁いや、それは流石に考え過ぎかと⋮⋮﹂
少なくとも、交流会で会った時やメールやブログでのコメントで
やり取りには問題が無かったように思える。
姉はイチイチそれを妹に見せては鼻を鳴らしていた。
しかし、気持ちがわからない事は無い。彼女は傍から見れば機械
を喉に詰めないと碌に喋れない﹃不気味な女﹄である。
多分、彼女を1人の人間としてまともに接したのはカイト以来だ
ろう。
正直、それが羨ましくもあった。
﹁それに、ブログだと今日は引退試合としてどこかで野良試合する
んでしょう。今頃、そっちに熱出してるんじゃないですか?﹂
﹃成程⋮⋮﹄
我ながらいいフォローだと思う。
ブログのコメントで大暴れする﹃デスマスク﹄を宥める何人かの
273
ブレイカー乗りたちもその可能性を論じている。特に﹃ライブラリ
アン﹄というプレイヤーは2人とも面識があるらしく、大事になら
ないように努めてくれていた。彼のような常識あるプレイヤーに感
謝しなければならない。
﹃赤猿﹄というプレイヤーがその中で最後まで﹃決着つけたかっ
たぜ﹄と悔しがっている辺り、中々空気を読めないのだが。
﹃じゃあ、今から行こう﹄
﹁え?﹂
決意したかのように唇を噛み締め、デスマスクことカノンは言う。
﹃このシンジュクのゲーセンを全部回って、探そう。今すぐに﹄
﹁⋮⋮﹂
思わず頭を抱えた。こんなに姉は一途だったのか。
もしくはカイトに捨てられた反動なのか。
いずれにせよ、今だけは旧人類の少年をアウラは恨んだ。折角頼
んだパフェを台無しにしやがって、と恨み言を呟く。
そうこうしている内に、姉はすでにレストランの出口にいた。
274
第19話 vsブレイカーズ・オンライン
蛍石スバルこと﹃マスカレイド・ウルフ︵通称、仮面狼︶﹄はつ
い先日までブログを経営していた。
掲載内容は対戦ゲーム、ブレイカーズ・オンラインにおける自身
の活動の宣伝と考察である。
旧人類が新人類を相手にしている為か、その考察は参考になると
非常に多くのプレイヤーから重宝されていた。もしも新人類が居な
かったら彼が最強のブレイカー乗りだろうと、ギャラリーから何度
もささやかれている。
そんな仮面狼にはよく雑談するネット上の仲間がいる。
一人は大会の常連であり、よく試合する﹃赤猿﹄。
一人は同じく大会常連であり、同時に司会・解説も務める事が多
い﹃ライブラリアン﹄。
そして最後の一人が仮面狼を師事する﹃デスマスク﹄である。
彼等三人は仮面狼の引退をそれぞれ嘆いていたが、特に酷いのは
デスマスクだった。彼を師事していただけに、余程ショックだった
のだろう。
父親が倒れて、仕事を引き継ぐと言う師匠の言葉を完全に無視し
てコメントで大暴れしていた。
その一部始終をご覧いただこう。
275
赤猿﹃おいおいおいおい、マジかよ。前に親父さんが自営業してる
とは聞いていたが、倒れるってのは相当だな。てか、勝ち逃げかよ
!﹄
ライブラリアン﹃正直、付き合いも長いだけに今回の件は非常に残
念ですが事情が事情ですからね。もしも経営が上手く行き、戻れる
余裕があったらまたお会いしましょう﹄
デスマスク﹃何でですか!? なんでマスカレイド・ウルフさんは
そんな簡単に引退だなんて言えるんですか!?﹄
カラシ大王﹃なんか弟子がヒステリック起こしてる件。引退に関し
ては超乙。楽しかったよ﹄
ヒロ﹃長い間楽しませていただきました。お父さんの件は残念です
が、気落ちせず頑張ってください﹄
デスマスク﹃皆おかしい。何で引退に関してそんなドライなの? 皆マスカレイド・ウルフさんが嫌いなの?﹄
昆布鉄平﹃突然の引退、残念です。もう戻ってくるおつもりもない
のでしょうか? マスカレイドさんの接近戦は、見ていてとても爽
快感があって好きだっただけに残念です﹄
赤猿﹃また戻ってこいよ! 今度こそ俺が勝つからな﹄
ライブラリアン﹃>デスマスクさん 荒らしはまだ来てないから中
傷的な発言は無いけど、このコメント欄見てどうしてそう思うのか
な? 皆、仮面狼さんに頑張って欲しいんだよ。今は彼にとって大
変な時期なんだから、ここは応援してあげるのが筋ってもんじゃな
276
いの?﹄
デスマスク﹃>ライブラリアンさん いいえ、私はそうは思いませ
ん。彼の事を思えば、寧ろ皆で募金して治療費を集めるくらいの事
はしていいと思います﹄
カラシ大王﹃本人がやる、って言ってるんだしいいんじゃね?﹄
デスマスク﹃>カラシ大王さん 突然起こる不幸を貴方は経験した
ことがありますか? 理不尽に何かを捨てるのを見てるくらいなら、
私は保護しても構わないと思います﹄
ライブラリアン﹃>デスマスクさん 問題は金銭的な物ではなく、
お店の信用的なところではないのでしょうかね? 私はデスマスク
さんが何をしている方かは知りませんが、お金だけの問題ではない
と思います﹄
デスマスク﹃>司書野郎 それじゃあマスカレイド・ウルフさんに
二度とゲームするな、というのですか? それはあんまりです。ゲ
スいです。新人類のクズですね﹄
カラシ大王﹃なんか狂気を感じるんだけど⋮⋮﹄
赤猿﹃今更だが、デスマスクは仮面狼をフルネームで呼ぶのな﹄
ライブラリアン﹃>デスマスクさん 誰もそこまで言っていません。
ただ、彼の事を想うのであれば信じて待つ、という我慢も必要だと
思うんですよ﹄
昆布鉄平﹃ライブラリアンさんがゲス呼ばわりされても紳士的態度
277
で泣ける﹄
ライブラリアン﹃>昆布鉄平さん 大人ですから﹄
赤猿﹃まだ学生じゃん。何言ってんの?﹄
ライブラリアン﹃少なくとも君に比べたら大人だよ﹄
だいふく﹃何時の間にかただの喧嘩になりつつある件。仮面狼さん
は本当にお疲れ様でした。新生活でも負けないでください!﹄
この後は延々とデスマスクがコメント欄で喧嘩を売り、ライブラ
リアンがそれ宥めては赤猿が空気を読まないコメントをしていた。
スバルの引退に関しては途中まで騒がれていたが、それ以降は殆
ど触れられていない。ただ罵詈雑言の嵐だった。
﹁⋮⋮こんな子じゃなかったと思うんだけどな﹂
﹁人間、内心何を思ってるか分からんもんだ﹂
コインロッカーに詰まっていた荷物をすべて回収した後、整理し
たカイトが言う。スバルとしては彼も内心何を考えているのかよく
分からないので不気味だったが、今だけはその言葉に納得できる。
﹁で、どうするんだ﹂
﹁どうするって、何が?﹂
﹁これ仕舞ったら出発するぞ。プレイしていかないのか?﹂
大量の買い物袋を抱え、カイトは言う。まるでバーゲンを制覇し
278
た主婦みたいな恰好だったが、彼一人で2人分の旅支度を全て整え
たのだからそうもなる。
だが、スバルにとっては予想外の言葉だった。
﹁⋮⋮プレイしていっていいの? その荷物、俺も運ぶと思ってた
のに﹂
﹁先に運んでおく。流石にこれでゲームセンターは目立つ﹂
確かに、旅行鞄ならともかく現地調達の代物が多かったら嫌でも
目立つ。
何が悲しくてゲームセンターに黒タイツが混じった買い物袋をも
っていかないとならないのか。
﹁俺一人になるけど、大丈夫か?﹂
﹁あまり大丈夫じゃない。何かあれば大声出せ。すぐ駆けつける﹂
﹁でも、普段より人が少ないと言ってもシンジュクは都市だぜ? ソレに音がやたらでかいゲーセンじゃあ⋮⋮﹂
﹁問題ない。意識を集中すれば何とかなる﹂
本気で言っていた。この男、ゲームセンターの音量を侮っている
のではないだろうか。
﹁不安だ⋮⋮﹂
﹁どうしても不安だと言うなら、これを持っていけ﹂
手に収まるサイズのレバーのような棒と、小さな銃を手渡された。
棒の先端には赤いボタンがある。
﹁獄翼の中にあった代物だ。これを押せば、勝手に獄翼はお前の所
に飛んでいく﹂
279
﹁ああ、そういえばブレイカーの特機は何時でも操縦者の所に駆け
つけれるんだっけ﹂
いかんせん、ブレイカーのパイロットは殆ど新人類である以上、
生身での戦闘は決して少なくない。緊急でブレイカーが必要になっ
た時、呼び出す道具が必要不可欠なのだ。その為に呼び出しスイッ
チがある。
これはカイトよりも、生身で戦えないスバルが持っておいた方が
いいだろう。そこは理解できる。
﹁⋮⋮で、この銃の中身は素人が使える物なの?﹂
やや緊張感の籠った顔で、スバルは言う。
周囲に気を配りながら銃を受け取ると、彼は同居人に仕様説明を
求めた。
﹁安心しろ。モデルガンだ﹂
﹁モデルガンかよおおおおおおおおお!? 俺の緊張返せ! 使う
事になったら、と思ってすっごい怖くなったんだぞこの野郎!﹂
﹁馬鹿。カマキリを倒した時の緊張が抜けてない奴に、本物を渡せ
るか﹂
その言葉で、スバルは気づく。
彼は気づいていたのだ。スバルがまだ巨大カマキリと、そのパイ
ロット殺した実感に戸惑っていることに。
﹁気付いてたのか?﹂
﹁直接やったのは俺だが、あの時僅かに緊張感が走った。俺は慣れ
ているから、多分同調したお前のだと思ったよ﹂
280
妙な所は天然でボケてくる癖に、意外としっかり見ていた。
これも4年間の同居生活の賜物だろうか。
﹁悩むな、とは言わない。お前の人生だ。だが、覚えておけよ﹂
カイトは真剣な表情で少年を見つめ、言った。
﹁お前が悩んでいても、敵は待ってくれない。早めに決着をつける
んだな﹂
﹁⋮⋮どうするか決めたつもりなんだけどな﹂
﹁言葉だけで納得できたら苦労はしない。お前は16年間、それと
は無縁で過ごしてきた。身体がそれを受け入れるかは別の話だ﹂
言い終えたと同時、カイトは100円玉をスバルに手渡して回れ
右。
獄翼のコックピットへ荷物を運ぶためにシンジュクから少し離れ
た﹃隠れ蓑﹄に移動する。
﹁金、払わないんじゃないの?﹂
﹁気が変わった。俺からの餞別だ﹂
﹁それはどうも﹂
素直じゃないんだから。
本人が聞いたらすぐさま否定するであろう言葉は、スバルの喉元
で抑えられた。
カイトの背中を見守った後、スバルはゲーセン探しに直行する。
シンジュクでブレイカーズ・オンラインをプレイできる筐体を置
いている店は決して少なくは無い。幾つかのゲームセンターは深夜
の戦いの影響で休業しているが、幸いにも稼働している店が1店空
281
いていた。
今日に限って言えば、この店は大繁盛だった。普段散らばるプレ
イヤーの多くが結集している。ブレイカーズ・オンラインも同様だ。
筐体の順番待ちをしてからスバルは同居人からの餞別を使い、筐
体のスタートボタンを押す。カードの読み込み機が愛機のデータを
読み取り、画面上に黒い狼頭のブレイカーを映し出した。
スバルの愛機、﹃ダークフェンリル・マスカレイド﹄である。二
本の刀を背負い、接近戦に特化されたスピード重視の機体だ。
基本的に装備自体は変更できるのだが、スバルはコンボ重視で最
後に大ダメージを与える事が出来る﹃刀﹄を愛用していた。見た目
もカッコいい。
機体の選択画面がスキップされると、反対側で連勝中のブレイカ
ーが映し出された。こちらはダークフェンリルよりも巨大な鎧の巨
人だ。恐らく、アーマータイプだろう。ダークフェンリルと鎧の巨
人の頭部がズームアップされ、間に﹃VS﹄の文字が入る。
やや経ってから画面が切り替わり、広大な仮想空間の街中に二体
の巨人が降り立った。画面に﹃BATTLE!﹄の文字が出現する。
そこからはスバルと、対戦相手の仁義なき一騎打ちが始まる。
鋼の巨人は肩に背負った大砲を構えながらも、ダークフェンリル
に向けて牽制の機関砲を発射する。
だが基本的な牽制武器でも、そこに僅かながらの硬直が存在する
ことをスバルは知っていた。この手の立体格闘ゲームはダッシュで
行動をキャンセルして回避行動を取れるのだが、相手は防御力の高
いアーマータイプだ。基本的には避けるというより、防御力で耐え
ながら戦う機体と言った方が正しい。
282
武装の硬直時間とベースとなる機体のスペックを知り尽くした上
で、その隙を突き、連続攻撃を入れるダークフェンリルにとっては
相性のいい相手となる。
様子見もせず、ダークフェンリルは牽制を避けて巨人に突撃した。
巨人が行動キャンセルを行い、回避に入る。だができる事は回避
だけだ。背中の巨大な大砲は、威力は凄まじいがボタン長押しで使
用できる武器である。対戦開始直後に発射できる代物ではないのだ。
牽制用の機関銃も、ダークフェンリルの電磁シールドで弾かれる。
回避行動をとった後の硬直時間を、スバルは見逃さなかった。
巨体がずしん、と大地に着陸した瞬間だけは完全にブレイカーは
無防備になる。ダークフェンリルはその体に刀を叩きつけた。
WIN!﹄の文字
そこから次の刀で切りつけ、連続攻撃︵3割ダメージ︶を完璧に
決める。後はこれを続けるだけだ。
ほぼノーダメージ。十数秒後に出る﹃YOU
が表示されるまで、スバルは集中して巨人の隙を狙って切りつけて
いった。
﹁先ずは1勝、と﹂
対戦結果が表示される中、スバルは一息つく。
可能であれば、今日一日中ここで暴れたい気分ではあるが、何時
までもそうしているわけにはいかない。
これはケジメなのだ。彼なりに、愛する機体と決別する為の儀式
なのである。適当に切りのいいタイミングを見つけて、その後カー
ドをへし折るつもりだった。
恐らくカイトが迎えに来るか、強敵と戦って緊張感溢れる戦いを
するかが時間的に良いだろう。前者の場合は急かされそうだが。
283
﹁お、次来たか﹂
筐体画面に﹃挑戦者現る!﹄と表示される。
向こう側の筐体に新たな挑戦者が現れた証だった。表示されたラ
イバルの機体名は﹃ダークストーカー・マスカレイド﹄。パイロッ
ト名は﹃デスマスク﹄と表示されている。
﹁⋮⋮え?﹂
知っている名前が表示されて。思わず間抜けな声を出してしまう。
スバルを師事し、ついさっきまでブログで大暴れしていたデスマ
スク。彼女がこの筐体の向こう側に構えている。
思わず立ち上がり、向こう側の様子を背伸びして見てみる。
﹁あ、やっほ!﹂
交流会で会ったことがある彼女の妹と目があった。思わず苦笑い
してしまう。
その様子に気づいた姉が立ち上がり、無機質な機械音声で話しか
けてきた。
﹃お久しぶりです。マスカレイド・ウルフ師匠﹄
﹁ど、どうも⋮⋮﹂
予想だにしない再会に、思わずお辞儀してしまう。
筐体は挑戦者側さえスタートボタンを押せば、対戦がスタートす
る状態だった。
﹃⋮⋮引退すると言うお話は、本当ですか?﹄
284
﹁マジだよ。だから今日、最後にやりにきたんだ﹂
前髪で隠れているその瞳は、何も映さない。
だが、唇を噛み締めて俯いているところから察するに、何かしら
の葛藤があるのは事実だろう。何時の間に人に影響を与えるプレイ
ヤーになったんだろう、と自分で思う。
﹃では、私が勝ったら引退を撤回してもらいます﹄
﹁え?﹂
﹁ちょ、姉さん!?﹂
スバルとアウラが戸惑うのを余所に、カノンは筐体の席に座る。
有無を言わさずスタートボタンを押し、対戦の意向を示した。ソ
レと同時、スバルの画面も対戦画面へと遷移する。
﹁え!? うわ、狡い!﹂
ダークフェンリルの影響を受けて作られた﹃ダークストーカー・
マスカレイド﹄の囚人のような鋼のマスクが光る。その頭部と、ス
バルのダークフェンリルの間に﹃VS﹄の文字が表示されたのはそ
れから間もない事だった。
285
第20話 vs黒猫と囚人と勧誘話
手早くブレイカーのコックピットに荷物を仕舞ったカイトは、再
びシンジュクの街へと戻ってきていた。この時、時刻は午後三時。
スバルと別れてから30分程経過していた。
﹁⋮⋮さて﹂
大使館の時と同じようにスバルの匂いを辿って探そうかと思って
いたが、彼はそれをしなかった。どうにも先程から誰かの視線を感
じる。しかも敵意をひしひしと感じた。彼はそういう所には敏感に
反応するのである。
﹁⋮⋮⋮⋮﹂
一旦、沈黙。
その後、静かに視線のする方向へと向かって睨みつけてみる。威
嚇だった。
すると、ビルとビルの隙間から小さな黒い影が飛び出してきた。
黒猫である。首輪もつけていない小さな猫は、傍から見れば野生の
子かと思われがちだが、それは大きな間違いだと彼は知っていた。
﹁ミスター・コメット﹂
﹁覚えていたか。大きくなったな、XXXリーダー﹂
喋る黒猫︵実際は人間らしいが、その姿は見たことが無い︶がカ
イトに向かって返答する。実に6年振りの対面だった。昔は彼に連
れられ、色んな戦いの場に招待された物である。
286
しかし、昔を懐かしんでいる場合ではない。
様々な戦士たちの移動を一身に担うこの男がいるという事は、誰
がこの街に来てもおかしくない事を意味するのだ。
﹁元だよ。今では代わりのリーダーか、チームが解散されてるかだ
ろ?﹂
﹁残念だが、XXXは今でも残ってる上にリーダーは名義上、君の
ままさ﹂
﹁意外だな。逃亡した奴にリーダー任せたまんまとは﹂
﹁彼等の強い希望だよ。それが通る辺り、王も適当だがね。今は一
人かい? 旧人類の少年と行動していると聞いたが﹂
﹁さあ。どこかでブレイカーを構えてるかもしれないぞ﹂
黒猫はあくまでカイトしか見つけていないようだった。
スバルがゲームセンターで﹃大事な儀式﹄を行っていることなど
知る由も無いようである。
﹁まあ、いい。君しかいないのなら、それで構わん﹂
﹁俺に用か?﹂
﹁勿論だ。用も無く日本に来るわけがないだろう﹂
黒猫はそう言うと、数歩カイトの元へと歩み寄った。
﹁君を倒せと、王子はご命令だ﹂
﹁王ではなく、王子か﹂
その言葉の意味を、カイトは理解している。新人類王国はなるべ
くリバーラにカイト達の存在を知らせたくないのだ。恐らく、大使
館で鎧持ちを出したのも王子の判断だろう。中々豪快な命令を出す
な、とカイトは思う。
287
﹁嫌でもニュースになると思うが、誤魔化せるのか?﹂
﹁王に届かなければ問題ないよ。彼は興味を待たなければ面倒な事
を言わない﹂
﹁そりゃ、こもっともで﹂
リバーラ王の気まぐれすぎる性格はカイトも知っていた。XXX
は王自らの提案で発足したチームだけあって、何度か会った事もあ
る。その度に無理難題を言われて、雑技団のような扱いを受けたも
のだ。
﹁王に知られれば、何を言ってくるか分からんからね。この大敗北
は﹂
﹁お前等にとって敗北になったか。このシンジュクは﹂
﹁勿論だ。君は知らないだろうが、日本国内の反王国派がこれを機
に動いて来ている。新人類軍もその対応に追われて、日本に向かっ
ている﹂
﹁どうでもいいが、それを俺に教えていいのか?﹂
﹁君はそれとは別の理由で動いているだろう﹂
﹁確かに﹂
否定する要素は無いので、素直に頷く。
黒猫はそれを見て﹃コイツ天然だな﹄と思っていた。
﹁で、ミスター。お前が俺を壊すのか?﹂
﹁まさか﹂
黒猫は首を横に振る。何かで聞いたが、猫と人間を檻に入れて戦
う場合、人間は日本刀を所持していないと互角の勝負にはなりえな
いのだそうだ。
288
しかし、相手は日本刀よりも鋭い爪を持っており、動きも猫以上
だと黒猫は認識していた。フェアじゃない戦いにしかならない。
﹁君を倒す場合、相応の怪物を用意しなきゃならない﹂
﹁ゴジラでも用意したか?﹂
﹁この大都市で大暴れする要素を出す気はないよ﹂
黒猫はただでさえ麻痺している交通都市を、これ以上崩壊させる
つもりは無かった。寧ろそれを危惧している。
可能であればシンジュクから離れた場所で見つける事を期待して
いたが、それが叶わなかった以上、彼を前にして何をしでかすか分
からないシルヴェリア姉妹に頼るのは諦めた方がいいと判断した。
﹁だから、君を静かに倒せる囚人に来ていただいた﹂
直後、黒猫の背後から無数の銀色の線が伸びる。
それを視界に入れたと同時、カイトは飛び退いた。殆ど反射的に
行動していた。
﹁ちぃっ!﹂
囚人、という言葉にカイトは舌打ちする。
新人類王国の囚人はカイトが知る限り手強い者が多い。その強さ
のベクトルは人それぞれだが、才能が特化された集団の中で悪さを
働き、脅威と認識されて捕えられる程の連中なのだ。間違いなくそ
の辺の新人類兵よりも面倒である、と確信する。
﹁仕方がない。来い!﹂
黒猫と、伸びてくる銀色の線に向かってカイトは言う。
289
不本意だが、黒猫の言う通り場所を変えなければ戦うのは難しそ
うだ。少なくとも、今頃ゲームセンターで戦っているであろう少年
を迎えに行く余裕は無かった。
ゲームセンターでの私闘を制したスバルは、姉妹に誘われてカフ
ェに移動していた。これで引退するわけだが、最後のデスマスクと
の一戦は中々緊張感があったとスバルは思う。後一回でも彼女にコ
ンボを決められていれば、敗北しただろう。
自分の引退試合はこれで悪くない、と思っていた。
﹃はぁ⋮⋮﹄
当のデスマスクは、機械音声で溜息をついていた。
今時の機械ってこんなことができるんだな、と呑気に思う。
﹁しかし、何で二人がシンジュクに? 普段は新人類王国で学生を
してるって聞いてたけど﹂
運ばれてきたココアを口に付け、二人に質問する。
姉の方はまだ敗北のショックから立ち直っておらず、答えられる
状態ではなかったので妹が説明をし始めた。
﹁あーっと、何ていえばいいんでしょうね⋮⋮アルバイトみたいな﹂
﹁アルバイトで国境越えちゃうんだ!?﹂
凄まじいアルバイトだ。学生に国を超えさせるなんて田舎じゃ考
290
えられない。
勿論、それもアウラが今考えた大嘘なのだが、新人類王国の内部
に疎いスバルはそれが本当だと信じてしまった。
﹁それで、仮面狼さん引退の記事を見た姉さんがゲーセン回って探
してみようって﹂
﹁すげーな⋮⋮色んな意味で﹂
そこまで聞くと、空いた口が塞がらなかった。
どこのゲームセンターで引退試合をするか書いているわけでもな
いのに、それを探すか普通。
結局見つかってしまったので、結果オーライではあるのだが。
﹁そういえばさっきから気になってたんだけど、妹さんは何でロー
ラースケート履いてるの?﹂
﹁これが仕事着なんです﹂
﹁ローラースケートが?﹂
﹁はい﹂
益々もって何のアルバイトなんだろう、とスバルは首を傾げる。
その頭の上にハテナマークが飛び出しているのが姉妹の目から見
ても明らかだった。結構わかりやすい。
﹁まあ、私達の事は良いです。仮面狼さんはどうするつもりなんで
すか?﹂
﹁俺は⋮⋮ブログに書いた通りだよ﹂
記事には学校を中退して父の仕事を引き継ぐと書いたが、これも
大嘘である。
実際はこれからカイトと合流して、海外へ逃亡するつもりだ。
291
倒れた父は、既に他界している。
﹃⋮⋮師匠﹄
そこで、ようやく敗北のショックから現実に帰還したカノンが顔
を上げてきた。
﹃もしよろしければ、私の貯金を使ってください﹄
﹁え!?﹂
目の前に通帳を差し出される。
しかし、一般的に考えて一人の人間が持つには貴重品過ぎる。ス
バルはそれを本人へ押し戻した。
﹁いやいやいや! 受け取れないよそんなの!﹂
﹃じゃあ、何が必要ですか!? クレカですか!?﹄
﹁益々受け取れねーよ! というか、何でそんな未成年が作れなさ
そうなの持ってるんだよ!?﹂
﹁姉さん、落ち着いて!﹂
今にも暴れだしかねない姉を押さえつけ、妹は再び席に座る。
弟子の意外なテンションの高さを知り、スバルは呆気にとられて
いた。
﹁すみません、姉さんが正気ではなくて﹂
﹁あ、これ素じゃないんだ﹂
﹁多分、仮面狼さんか⋮⋮あの人が関わらないと、こうはならない
です﹂
言い辛そうに呟いた後、アウラはパフェをスプーンで削ぎ始める。
292
芸術品のように積み上げられたクリームやチョコレートが呆気な
く崩され、彼女の口へと運ばれていった。傍から見ると結構豪快で
ある。
﹁俺、そんな大層なことしてないけど﹂
﹃そんな事はありません!﹄
ばしん、とテーブルを叩き、カノンが立ち上がる。
長すぎる前髪が揺れ、少しだけ瞳が見えた。海のように深い青の
双眸が涙で潤っている。
﹃師匠は旧人類という立場でも、新人類の名のあるプレイヤーを相
手に頑張ってきたのを私は知っています! 動画も全部保存してま
すから!﹄
﹁は、はあ⋮⋮﹂
﹃貴方が先陣を切って活躍したお陰で、今のブレイカーズ・オンラ
インがあるんです! 旧人類のプレイヤー層も取り込めたことが、
どれだけ会社に感謝されているか⋮⋮賞状送りなさい制作会社!﹄
﹁姉さん落ち着いて! 勢いに身を任せて喋ってたら、衝撃の事実
に気付いたのは分かるけど!﹂
放っておいたら今にもテーブルをひっくり返しそうである。
スバルは自らのグラスを手に取り、引っくり返らない事を祈りな
がら彼女に言う。
﹁でもまあ、家庭の事情だから﹂
カノンの動きが止まる。
わなわなと震えていた。これは何かの地雷を踏んだかな、とスバ
ルは身構える。
293
﹃勝手に何処かに行って、迷惑かけるような家庭の事情なんか知る
かあああああああああああああああああああああ!!﹄
テーブルがひっくり返された。
まるで﹃巨人の星﹄で有名な卓袱台返しの再現である。尚、テー
ブルの上に乗っていたアウラのパフェは、テーブルと共に宙に飛び、
最終的には営業帰りであろうサラリーマンの禿げ頭の上に着地した。
おっさんに一時的なクリームの髪の毛ができあがる。ちょっと嬉し
そうだった。
﹃師匠! 本物のブレイカーに興味はありませんか!?﹄
テーブルを豪快に吹っ飛ばした後、カノンは少年に詰め寄る。既
に本物に乗った身ではあるが、それでも興味が無いかと問われれば
答えは決まっていた。
﹁そりゃあ、あるけど﹂
﹃なら、私達と一緒に王国で働きませんか!?﹄
スバルとアウラの顔色が変わる。
﹁姉さん、本気!?﹂
﹃本気だよ。アトラスもアキナも、師匠には興味を持っているし。
あそこなら師匠のお父さんの治療だって上手く行く可能性が高いよ
!﹄
﹁そうじゃなくて、私達とリーダーの関係に彼を巻き込むつもり!
?﹂
これから、彼女達はカイトとの戦いに赴く。
294
彼女達が知る限り、最強の新人類だ。この6年間でどれだけ変わ
ったかは知らないが、それを相手にして生き残る保証はない。部下
だと言って、情けで見逃すなんて以ての外だ。彼は既に彼女達を捨
てている。
﹃なら、チーム方針を変えればいいんだよ。私達XXXは、これか
らブレイカーのテストパイロットとしての特別部隊になればいい!﹄
﹁アトラスはまだしも、アキナは納得しませんよそんなの!﹂
姉妹の言い争いは続く。
だが、そんな姉妹の論争とは余所に、スバルの表情は凍りついて
いた。
﹁とりぷる、えっくす?﹂
XXX。彼の同居人が過去に所属していたチーム。
少年少女で構成された、身体能力と異能の力を特化させた殲滅部
隊。泣く子も黙る、暴力の執行者。
今、彼女はそれの一員だと言った。そして彼女達は新人類王国に
滞在している、と聞いている。
スバルはここで一つの結論に辿り着いた。
彼女達は敵だ。自分とカイトを抹殺する為に送り込まれた新たな
刺客なのだ。
身体の芯から広がってくる緊張の熱と、冷たくなるような恐怖が
自分を支配していく。
実感しつつも、少年はポケットに入れた﹃ブレイカー呼び出し機﹄
に手をつけた。
295
第21話 vsお人形とお人形とお人形のハーレム
やって来たのは、適当なビルの屋上だった。
広くて見晴らしのいい場所なら何処でもよかったわけだが、カイ
トはここに来て自身の身体に違和感を感じていた。
﹁何だ⋮⋮?﹂
視界の焦点がブレる。
大使館でゲイザーとの戦い、彼から貰った病気だった。
頭痛や吐き気は襲い掛かってきてはいないが、眩暈だけが彼の身
体に残っていたのである。どういう能力なのか知らないが、こちら
が考えていたよりも長く体に残る毒だったようだ。他の症状も何時
再発するかわからない。
﹁くそっ! こんな時に﹂
先程まで全く問題は無かった。
しかし、少し緊張感を持って運動しただけでこの有様である。相
手は囚人だ。手を抜いたらこちらが倒される。
﹁具合でも悪いのかい?﹂
背後からミスター・コメットが声をかける。
カイトは身体の異変を察知されまいと、普段通りに振る舞い始め
た。
﹁俺は風邪をひかん﹂
296
﹁具合悪いのか﹂
何故バレた、と言わんばかりの驚きの表情になるカイト。
それを見た黒猫は溜息をついた。こんなにわかりやすい奴だった
のか、この男は。
﹁まあいい。体調が悪いなら好都合だ﹂
﹁せめて薬局に寄らせてほしいもんだがな﹂
﹁無理だ。諦めろ﹂
こんなことなら買い物袋からバファリンくらい持ってきておくべ
きだったな、とカイトは思う。今は優しさに包まれたい気分だった。
﹁そういうわけだ。頼むよ﹂
黒猫が屋上の出入り口に視線を向ける。
そこから顔を覘かせたのは、10人がすれ違えば10人が振り返
るであろう、何処か影のある黒髪の美女だった。否、正確に言えば
恐ろしい程作り込まれている人形だ。一目見ただけではわからなか
ったが、身体中から繋がる銀色の線︱︱︱︱糸に操られているのが
見える。首元から見える関節は完全に人形のソレだった。
﹁エレノア・ガーリッシュか﹂
攻撃は仕掛けてこないが、その完成度が高い人形の制作者には心
当たりがあった。王国最古の新人類と呼ばれる女、エレノア・ガー
リッシュ。王国にいた頃、何度か話したこともある。
当時は新人類王国に住む人形師だったが、まさかそれが囚人にな
っていたとは思わなかった。
297
﹁技術者が囚人になったのか。とんだ転落人生だ﹂
﹁私の人生を語るには本一冊では物足りないね﹂
人形が口を開く。その動きに合わせて、何処からか女の声が聞こ
えてきた。まるで人形が喋っているかのような錯覚を覚えつつも、
カイトは何処かに隠れているであろうエレノア本人を探す。
見晴らしのいい場所を選んだのも、隠れて攻撃してくるであろう
新人類を見つける為だった。
﹁久しぶり、カイト君。私を探しても無駄だよ。そもそも、君は私
と話したことがあっても私に会った事はないよね﹂
﹁気安く君をつけるな﹂
しかし、エレノアの言う事も事実だった。
何度か素体のデザインの参考にさせてくれと頼まれて、彼女の人
形店に招かれ話をしたことがある。しかし話しかけたのは全て人形
だ。
彼女本人と顔を合わせて会話したことは無い。王国最古の新人類
と言うくらいだから、年齢を重ねている筈ではあるが。
﹁しかし、囚人に落ちぶれたのも意外だったが、もっと意外なのは
その人形だ。それが俺を壊すのか?﹂
エレノアの人形は造りが非常に細かい。
始めてカイトが彼女の店に入った時、本物の人間の首を付け替え
たのではないかと疑ったくらいだった。だが、あくまでそれは人形
だ。
人形は誰かが動かして、初めてその真価を発揮する物だとカイト
は思う。だが動かす人物は、周囲を確認した限りどこにも居ない。
糸は繋がっているが、それでマトモに動くとは思えなかった。
298
﹁ああ、連れてきた1万人の私が君を倒すよ﹂
人形が目を見開き、口にする。
それを見た瞬間、カイトは驚愕した。人形の女が笑い始め、こち
らを挑発するかのように妖艶な笑みを浮かべたのだ。まるで生きて
いる人間だった。
ここまでリアルすぎる動きは、見たことが無かった。
﹁!?﹂
だが、異変はそれだけでは終わらない。
ミスター・コメットがカイトを取り囲むようにして幾つもの空間
の穴を空けた。その穴の中から一人、また一人と美女の人形が顔を
覗かせてくる。その造形は一人一人違うとはいえ、全員が目の前に
いる人形と同じ笑みを浮かべている。まるで万華鏡だ。
﹁気に入ったかな、カイト君﹂
最初に現れた﹃エレノア﹄が言う。
一番最初に出現した人形は、エレノアとしてカイトに話しかけて
きた。
﹁男の夢なんだろう? ハーレムって﹂
﹁⋮⋮玩具に囲まれても嬉しくは無い﹂
﹁素直じゃないなぁ。可愛いのが台無しだよ﹂
﹁気色悪いんだよ、おばさん﹂
無数のエレノアに囲まれ、それぞれが持つ武器を向けられた状態
で、カイトは不敵に呟いた。
299
﹁何だあれ?﹂
店内で誰かが呟いた言葉に釣られ、シルヴェリア姉妹とスバルは
上空を見上げる。黒い穴があった。良く見えないが、誰かがそこか
ら這い出てきている。アウラが焦りの表情を見せ、言った。
﹁ミスター・コメットの空間転移術﹂
﹃見つけたんだね。リーダーを﹄
二人の声色が先程まで話していたそれと、全く異なる事にスバル
は気づいた。身体中に広がる緊張の熱が更に高まるのを感じる。も
し自分が火山だったら今頃爆発してるだろう。
﹃連絡は?﹄
﹁来てませんね。多分、ヴィクターから止められたか、それとも連
れてきた別の戦士が先に見つけたか﹂
﹃どうしよう。このままじゃリーダーが取られちゃうね﹄
﹁ですね。私達が潰すつもりだったのに⋮⋮あの黒猫親父、覚えと
きなさい﹂
どちらにせよ、戦いの現場に向かう必要がある。
そして敵を屠る。それが彼女達の仕事だ。それがリーダーなら好
都合である。積年の恨みを晴らす時だ。
300
﹁仮面狼さん。申し訳ありませんが、緊急の仕事が出来たんで私達
は失礼しますね!﹂
﹃例の件、考えておいてください。それでは!﹄
それぞれ挨拶をしてから、姉妹は戦いの場へと向かい始める。
だが、しかし。スバルは彼女達の背中に向かって、思わず呟いて
いた。
﹁どうして、戦うんだ?﹂
その言葉が聞こえたのか、姉妹は振り返る。
﹁君達は新人類軍なんだろ? どうして戦えるんだ﹂
少年の手が震える。先日、巨大ハリガネムシの頭にナイフを突き
立てた感触がまだ残っていた。
彼女達を敵だと認識した瞬間、スバルは己の身体に染み渡ってい
く感情が﹃恐怖﹄だと理解した。そこに対する迷いはカイトが言う
ように自分で答えを見つけなければならないだろう。彼女達に質問
したところで、自分が納得できる回答を得られるとは限らない。
だがそれ以上に、彼女達が躊躇いなく﹃リーダー﹄と戦おうとし
ていることが不思議だった。付き合いも決して浅い訳ではない。割
と自分勝手な話ではあるが、同居人とネット仲間たちが争う姿は想
像できなかった。
彼等はスバルから見れば、決して﹃悪人﹄に分類できなかったか
らだ。
﹁君達のリーダーなんだろ? 何があったか知らないけど、何で戦
うんだ? 仲間なんじゃないのか!?﹂
301
﹁ふざけないで!﹂
少年の疑問は、アウラによって塞がれる。
彼女は旧人類の少年の襟を掴み、今にも噛み付いてきそうな形相
で言った。
﹁仲間? 違うわ、家族よ。そこいらの仕事場の上司と、新入社員
みたいなその場だけの関係じゃないの。一緒に過ごしたし、あの人
の為に戦う事を皆で誓ったわ。彼の為に死ぬことが人生なんだと思
った!﹂
その言葉はスバルの想像とは違う言葉だった。
寧ろ想像を絶している。家族と言うよりも、妄信的な狂信者だ。
しかし彼女達の﹃愛﹄に触れた瞬間、スバルの疑問は益々深まる。
﹁だったら、どうして?﹂
﹁捨てたのよ、アイツは! 私達﹃第二期XXX﹄を!﹂
今にも泣きそうな顔になった少女は、更に力を込めて少年の襟を
締め上げる。姉はそれを見て、黙って俯いていた。
﹁捨てた?﹂
スバルの頭の中でその言葉がぐるぐると回転する。
カイトが何故新人類王国から逃げ出したのかは、まだ分からない。
6年前に起こったであろう何かが理由なのだろうと察していた。
だが、その横で全く予想外の言葉が出てきた。
﹁そうよ! 愛してくれてると思った! 始めて戦った時、私達を
庇ってボロボロになってくれたわ! 私達も彼の愛に応えなければ
302
ならないと思った!﹂
﹃でも、彼は突然消えました﹄
姉の機械音声が響く。
X﹄で見せられた拷問器具と同一の物だった。あれ
彼女は何処から取り出したのか、鉄のマスクを顔に装着する。﹃
SYSTEM
を顔に付けたら呼吸しかできない。彼女はこれ以上喋る事を、無言
で拒否していた。
﹁アイツは自分だけ王国から姿を消したのよ。私達ごと施設を爆発
させることでね!﹂
﹁!?﹂
ハンマーで殴られたかのような衝撃が身体中を襲った。
爆発事件を起こしたことは彼も肯定した。だがわざわざ部下であ
り、彼に懐いていた少女たちも燃やし尽くすつもりでいたのか。
スバルの中にあるカイトのイメージ像にひびが入る。
﹁私はその事件で足を焼かれたわ。でも私達は彼の思惑通りには行
かなかった! 必死になってリハビリしたわ! 何時かアイツの顔
にコイツをぶつける為に!﹂
足に装着されたローラースケートが強烈に回転し始める。
その勢いは、彼女の激情を現していた。小さなホイールから紫電
が唸る。
﹁信じられない⋮⋮!﹂
﹁何も知らないアンタに、何が判るの!?﹂
﹁分かるさ!﹂
303
スバルは先日の出来事を思い出す。
彼は自分の為に勉強を教えてくれた。自分の為に危険を顧みず助
けに来てくれた。一度見捨てたのに、何一つ文句も言わなかった。
蛍石スバルの為に必死になってゲイザーと戦った姿は、カイトと
いう青年のイメージを確立させたと言っていい。その姿を思い出し、
獄翼で戦う事を選んだのだ。
ゆえに、その解答とは真逆である彼女達の話には反発した。
確かに疑念はある。衝撃的で、イメージにひびも入った。
だが彼女達の言葉だけを鵜呑みにして、また彼を見捨てるような
真似をしていいのだろうか。
今ではたった二人の共犯者だ。自分が彼を信じてやらないでどう
する。
彼はああ見えて臆病なのだ。故郷のド田舎で、常に他人の目を気
にしている程度には。
﹁俺は、あんた達3人を知っている⋮⋮!﹂
﹁⋮⋮まさか、貴方が﹂
シルヴェリア姉妹の表情が驚愕の色に染まる。
彼女達も一つの答えに辿り着いたのだ。
﹁俺はカイトさんと4年間過ごした! あの人は、確かに不器用で
時々えげつないし、他人に馴染もうとしないめんどくさい人だよ!﹂
ビル街を突き破り、豪風がカフェを襲った。
透明な膜に覆われた黒い鋼の塊が、地響きを鳴らしながらシンジ
ュクに再度降り立つ。
﹁でも、誰かの為に動ける人だって俺は信じてる! 父さんや俺の
304
為に身体を張って助けてくれたようにな!﹂
突如出現した獄翼に一瞬困惑した隙を突き、スバルはアウラを振
り切ってコックピットへと向かう。
姉妹はそれを追わなかった。
鉄のマスクをつけたカノンが、静かに俯く。その腕に電流が流れ
たことなど、誰も気付かなかった。
305
第22話 vsお人形さん包囲網と101回目のラブコール
腕が刃になっただけの人形が一斉に飛びかかってくる。
カイトは無数に降り注いでくる人形を躱すと、一気に距離を詰め
て1体ずつ手刀を突き刺していった。
﹁⋮⋮そんな悠長に構えてていいのかな?﹂
様子を眺めているエレノアが笑みを浮かべて言う。
ソレと同時、カイトの足元に穴が開いた。その穴の中から人形の
手が伸び、カイトの足を掴む。
﹁げっ!?﹂
穴の中から女の人形が怪しく蠢く。
これでは蟻の巣から這い出てくる兵隊アリだ。どれも顔やボディ
のデザインは秀逸とは言え、群がられている上に全員笑っているの
だから気味が悪い。
﹁1万の兵といったね。ごめん、もっといるかも﹂
全く悪びれた様子も無く、エレノアは言った。
穴から這い出てきた人形がカイトに飛びつき、手足を絡ませてホ
ールドする。俗にいう﹃だいしゅきホールド﹄がこれに近い形だが、
羨ましいと思える要素が全く無い。少なくともカイトにとっては、
だが。
﹁こいつら!﹂
306
振り解く為に力を入れ、抱き着いてきた人形との間に隙間を作る。
その隙間を通じて腕を引き抜き、人形の頭に手刀を突き刺した。
﹁中々疲れるだろう。私の人形たちは﹂
﹁いい素材使ってるのは認めてやる!﹂
眩暈がするのも相まって厄介なのが、人形たち1体1体の堅さだ
った。何度かやりあってみて確信したが、恐らくアルマガニウムの
爪でないと彼女達を破壊することができない。蹴りを食らわせても、
ケロリとしている。同じ人形でも、蹴り一発で大破したバトルロイ
ドとは雲泥の差だった。
﹁こう見えても素材には結構拘るんだ。君もアルマガニウムの大樹
の話は聞いたことがあるだろう﹂
﹁実際に見たことは無いがな﹂
﹁君が抜けた後、その大樹を有する国が新人類軍の手に堕ちてね。
ちょっと素材を使わせてもらう事にしたんだ﹂
また聞いただけでも面倒くさそうな木材だ。巨大ロボットも作れ
るエネルギーを発し続けるアルマガニウムの大樹。エレノアの人形
はそれをふんだんに使用した特別製なのだ。
通常の石の欠片しか使っていないバトルロイドに比べて、遥かに
可能性の大きい人形であることにも納得する。
﹁だが、よく王国が許可したもんだ。アレは確か、完全に処理でき
ないから王国も所有物にするのを諦めたとニュースで聞いたぞ﹂
﹁勿論、勝手に使ったのさ。それで今は囚人になったんだけどね﹂
それでか。カイトは静かに納得しつつも、人形の群れに視線を向
307
ける。
それにしたって多すぎる。確かその国が王国に屈したのは3年前
の筈だ。たった3年間で1万以上の人形を作り上げ、それを全て操
作する技術があると言うのか。
﹁新人類は、やろうと思えばどんどん特技を特化できる。別に驚く
こともないよ﹂
カイトの考えを見透かしたかのようにエレノアが補足し始めるが、
それにしたって特化し過ぎである。
人形の制作技術とその操作にどれだけの人生を賭けたのだろうか。
少なくともカイトは真似できるとは思わなかった。
﹁結構暇な人生送ってるな﹂
﹁その人形をぶっ壊してる君に言われるのも心外だね﹂
エレノアはやや不快そうな表情を浮かべ、カイトと戯れる人形た
ちを見る。実を言えば、相当な赤字なのだ。彼一人を倒す為にかな
りの数の人形を投入している。その人形一つ一つは決して安易に作
れるものではない。いずれも貴重なアルマガニウムと﹃貴重なモデ
ル﹄を素材にした大事な人形である。特に後者は唯一無二の存在で
ある以上、2度と作れる代物ではないのだ。
本来なら、牢屋に入っている時間を削られる、という条件で出す
ような量ではない。しかし、そんな貴重な人形を出し惜しみせずに
使うのにはそれ相応の理由があった。
﹁とにかく、なんでもいいからさっさと捕まって私の物になってお
くれよ!﹂
﹁いやだ﹂
308
10年以上前と同じラブコールが送られ、拒否される。
エレノアはくすり、と笑う。その笑顔は子供のように純粋で無邪
気だった。
﹁いいねぇ。変わらないなぁ。成長したんだろうなぁ。益々欲しい
な、その身体﹂
エレノアは文字通り、彼の肉体を欲していた。
彼が子供の頃から鍛え上げたズバ抜けた身体能力と再生能力に目
をつけており、交渉を行ってきた。だが、保護者のエリーゼは愚か
本人にもフラれ続けている。これで100連敗はいったんじゃない
かな、と彼女は思う。
﹁懲りないな、お前も﹂
人形を組み伏し、次に襲い掛かってくる人形を抉りながらもカイ
トはエレノアを睨む。彼は一途なのだ。身体目当ての女に靡くほど
チョロくは無いのである。
﹁⋮⋮!﹂
しかし、それも強がりになりつつある。
視界が安定しない。襲い掛かってくる人形が分裂し始め、正確に
何処を狙ってくるのか掴めなくなりつつある。
﹁ちっ!﹂
空を切り裂きながら接近する気配を頼りに、人形を切り裂いてい
く。
309
しかし叩き斬られた人形は、身体を切り裂かれても糸がある限り
何度でも立ち上がってカイトに襲い掛かる。アメーバでも相手にし
ている気分だった。
﹁⋮⋮仕方がないな﹂
﹁ん?﹂
周囲360度を、人形に囲まれる。
ある人形は手に刃物を構え、ある人形は銃を構える。あるいは何
も構えずに不思議な動きを続けている者さえいた。そんな中、エレ
ノアとミスター・コメットは目が点になった。
カイトが靴を脱ぎ始めたのである。ご丁寧に、靴下まで脱ぎ始め
る。
﹁何だ、それを私にプレゼントしてくれるのかい? 本命の異性か
らだなんて緊張しちゃうな﹂
﹁何でクネクネし始めるんだお前﹂
横で黒猫が半目でいう。結構危ない発言も多いが、エレノアは男
性経験が殆ど0に近いようである。
これだけ人形作りに没頭してたらそれも納得できるのだが、それ
にしたって照れ過ぎだろう。赤面までしてる。
﹁誰がやるか。買ったばかりなんだぞコレ﹂
革靴を履き捨て、カイトは言う。
履きなれない靴は、結構無茶な動きには窮屈だった。ちょっとだ
け足にダメージが来る。
﹁それじゃあ、裸足を見せてくれるの? 出来れば自分の手で掴ん
310
でみたいんだけどな﹂
﹁今日はよく晴れてるな﹂
エレノアの発言を無視して、カイトは空を見上げる。
太陽がやけに屋上を照らしていた。さんさんと照り輝く、とはこ
のことだろう。
﹁ところで、お前等﹃帰ってきたウルトラマン﹄って知ってる?﹂
﹁リアルタイムで見てたよ。一時期、テレビを見ながら怪獣人形を
作ったこともあるからね﹂
﹁世代のカミングアウトありがとう﹂
神鷹カイト、22歳。幼少の頃の数少ない趣味はビデオレンタル
店を活用して、映画やテレビ番組の全話視聴だった。
特に超人的な身体能力を追及する身としては、日本の特撮は大変
興味があった。リアルなジオラマ、暴れまわる怪獣の臨場感、正義
の味方と言うにはいささか神秘的すぎる宇宙人。今思えば、日本の
特撮が彼のバイブルなのだろう。
﹁それで、どうかした?﹂
﹁帰ってきたウルトラマンこと、主人公の郷さんは地球を去る際に
﹃ウルトラ5つの誓い﹄を唱えて去った。俺はその中の一つを、暇
さえあれば実践しまくった﹂
5つの誓いなのに実行したのは1つなのかよ、と黒猫は思う。
その辺の子供よりも神聖的に見ていなかったようではある。
﹁天気のいい日は裸足で外に出て遊ぶこと⋮⋮だったかな?﹂
﹁うろ覚えかよ﹂
311
地球の為に戦ったヒーローに謝れ、と黒猫は心の中で突っ込む。
だが、カイトは不敵な笑みを浮かべ続けていた。
﹁実は俺、そんな事情で裸足の方が良く走れたりする﹂
﹁何?﹂
直後、風が吹いた。竜巻のような突風がカイトの周囲を包み、彼
の周辺360度に爆散した。強烈な烈風がエレノアと黒猫を襲う。
﹁くっ!﹂
﹁うわ!?﹂
思わず吹っ飛ばされそうになるのを堪えながら、二人は屋上で持
ち応える。まるで台風だ。人間の巻き起こす天然災害である。
﹁⋮⋮げっ!?﹂
そんな中、エレノアは見た。
風に飛ばされ、人形の残骸が宙を舞っている。1体や2体どころ
ではない。彼の周辺を囲んでいたであろう人形たちの全てが、胴体
と頭部、四肢の全てを切り裂かれて宙に舞っていたのである。
﹁なんだ!? 何があった!﹂
強風に襲われながらも、黒猫は叫ぶ。彼は何が起こったのか理解
していなかった。常識で考えられない男だとは理解していたが、そ
れにしたって限度があるだろう。
﹁1万か、それ以上っていったな﹂
312
突風の勢いが収まっていくのに比例して、カイトの動きが止まる。
それを見た瞬間、エレノアは理解した。先程の突風は彼が走って
起こったものだということに、だ。屋上には砂場の様に彼の足跡が
残っていた。所々、穴も開いている。踏込の強さに耐えられなかっ
たコンクリートの馴れの果てだった。
呆れた足腰の強さと脚力に呆然としながらも、次の言葉を聞く。
﹁幾つでも相手してやるよ。10万でも、100万でも、1億でも、
1兆でも。全部ぶっ壊す﹂
腕を組み、その場で佇んでいる。
周囲を囲んでいる筈の人形は、全て木材のゴミと化していた。
﹁⋮⋮あまり体調不良に期待しすぎない方が良さそうだねぇ﹂
﹁例え意識を失っても最後まで戦う自信があるよ。身体が覚えてい
る﹂
右手を彼女達に向け、ちょいちょい、と手招きして見せる。
﹁来いよ。次はお前の相手をしてやる﹂
﹁ダンスのお誘いとは嬉しいね﹂
﹁やめろ﹂
呆れた表情をしながらも、エレノアは嬉しそうだ。何が楽しいの
かは分からない。だが、その態度が酷く寒気がすることは確かだ。
ハッキリ言うと、カイトはエレノアが嫌いである。人形を作って
いるというのがまず不気味だし、身体をよこせと言うのも不気味だ。
大体、よこせと言われて﹃はい、どうぞ﹄と言えるような代物では
ない。
313
﹁つれないなぁ。いいじゃないか、偶には私に合わせてくれても﹂
﹁黙れ。俺はお前が嫌いだ﹂
このやり取りも今日だけで何度やっているか覚えていない。実際
は数回程度なのだが、それだけでも彼にとっては長い年月をかけて
積み上げてきた嫌な思い出に等しい。10年以上前から同じことを
言われ続ければ、尚更だろう。
しかし、このようにハッキリと拒絶の意を示してもエレノアはニ
コニコと笑っている。何がそんなにおかしいのか分からない。同じ
動作しかできない人形の様に、10年前と変わらない笑顔を送り続
けてくる。
﹁私は君が好きだよ﹂
﹁身体目当てのおばさんのラブコールは嬉しくない、と毎回も言っ
てた筈だが﹂
﹁でも、好きなんだからしょうがないでしょ?﹂
曰く、一目惚れだったらしい。王国内でも希有な再生能力を保持
しながらも、回避や防御に優れる特化された肉体。彼女にとって、
それは価値のある素体以外の何者でもなかった。もっとも、それを
説明したところでカイトは理解をしなければ、する気すらなかった
のだが。
﹁せめてなぁ。エリーゼが納得してくれればね﹂
﹁黙れ﹂
その名前が出た瞬間、カイトの顔色が変わったのをエレノアは見
逃さなかった。酷く歪んでいる。彼の視線が﹃黙ってないとぶっ殺
すぞ﹄と語っているのが手に取るようにわかった。
314
﹁どうした。君は彼女が大好きだったろう。私も嫉妬してたんだ﹂
﹁うるさい﹂
﹁君は何をするにしても彼女から離れなかった。こういうのを金魚
の糞っていうらしいけど、ちょっと汚い例えだと思わない?﹂
﹁黙れと言っているっ!﹂
カイトが威嚇するように吼える。しかし、エレノアは全く恐れる
様子も無く、ただ楽しそうに笑っていた。彼女はカイトが怒る表情
を見たことが無かった。新たな一面を垣間見れたことに、歓喜の笑
みを隠せない。
﹁何がおかしい!﹂
﹁いや、ごめん。気を悪くしたなら謝るよ﹂
全然そんな風には見えない上に、エレノアは笑みを止めなかった。
隣にいる味方の黒猫も、真正面から苛立ちを隠さないカイトも、何
が彼女をそこまで楽しませているのか理解できずにいた。
エレノア・ガーリッシュは己の肉体を不要とする新人類だった。
彼女の意思は肉体から離れ、アルマガニウムのエネルギーを発する
あらゆる物に寄生することができる。そのホラーチックな能力から、
彼女の力は﹃憑依﹄と呼ばれた。
人間の肉体は何時か滅ぶ物である。年を取れば身体もそれに比例
して朽ち果てていくし、酸をかければ大火傷を負う。そんな身体に
縛られる事をエレノアは嫌ったのだ。それならば、自分の満足する
肉体で一生を過ごしたい。それが彼女の願いだった。
315
そして、満足する肉体として目に留まったのがカイトである。彼
の肉体は傷ついても修復し、運動も苦ではない。自分が持っていな
い物を持った、宝箱のような素材だった。
彼が欲しい、と強く思った。
それから彼女は、ラブコールを送り続けた。
自分の身体は人形の素体とする為に弄ってしまったから、話す時
は何時も人形を使っていた。会話するという行為においてそれは無
礼なのではと思いつつも、彼女は出来栄えのいい人形で少年を迎え
る選択肢しかなかったのだ。人形の方が顔も綺麗だし、不出来な自
分を見てマイナスイメージを持たれるよりもこちらの方がマシだと
考えたのである。
そんな彼女にとって、今のこの時間は至福だった。6年前、カイ
トが死亡したと聞いた時は非常に悲しんだ物である。人形作りに精
が出ない1ヶ月間、延々と彼が来客した時の事を思い出していた。
これが恋か、と最初は思った。
彼女が欲しかったのはカイトの身体だ。それが何時の間にか彼個
人まで入っているのには驚いたが、どちらかと言えばマトモに話し
てくれる﹃知り合い﹄を求めていたに過ぎない事に気付いたのであ
る。
今も変わりはしないが、彼は思った事を素直に口に出す少年だ。
この世に生を受けて何十年経ったか覚えていないが、魂だけになっ
て延々と人形を作り続ける自分にとって、少年は初めてできたマト
モに喋れる間柄の知り合いだった。
ぶっちゃけた話をすると、一緒に居たいとは思うけど結婚したい
とまでは思わない。彼女の望みは、彼の身体を手に入れたうえで、
彼の意思と共存する事だった。
316
﹁君が怒ったのを見るのは、初めてだね﹂
﹁貴様がそうさせてるんだろう﹂
﹁まぁね﹂
こうして相対し、今まで無関心な表情しか向けてこなかった宝物
が始めて見せた怒り、挑発、そして明確な敵意。それが自分に初め
て向かれたと思うと、人形の中に宿るエレノアの魂が歓喜した。
﹁こうしてると、なんか気を許し合った友達みたいだね。私、友達
いないから嬉しいなぁ﹂
﹁ふざけるな﹂
﹁その通りだ﹂
カイトどころか、黒猫まで訝しげな視線を送ってきた。
ちょっと興奮を覚えた辺り、自分は少し危ない性癖を持っている
のではないかと思う。
﹁何を考えてるんだ、エレノア。彼を殺すのがお前の仕事だ。物量
も通用しなかった以上、逃げた方が得策ではないのか?﹂
﹁いやいや、そんなことはないよ﹂
手を横に振り、にこにこと受け答えする。
確かに当初のプランでは万の人形で彼を包囲し、物量で捕まえて
しまうつもりだった。そうすれば黒猫印の空間転移術で自分の工房
にでも移動すれば全てが丸く収まる。
しかし、そう上手く行くとは思っていない。最初から赤字覚悟で
ここにいる。それだけ彼との触れ合いを楽しみにしてきたのだ。
﹁だって、私は最初からサシでやるつもりだもの﹂
﹁何だと?﹂
317
エレノアの指から銀の光が走る。それがカイトによってバラバラ
にされた人形に繋がっている糸なのは、誰の目から見ても明らかだ
った。
﹁ごめんね、ミスター。実を言うと、彼を倒す気はあっても殺す気
は無いんだよ﹂
数歩前に出る。彼女の姿勢は最初から変わらない。
当初の目的を果たす為に、彼女は1対1の戦いをカイトに臨む。
﹁久しぶりの外出だから、ちょっと張り切って準備運動してみたん
だ。付きあわせてごめんね﹂
﹁どっちに言ってるんだ、それは﹂
﹁両方だよ﹂
悪びれた様子も見せず、エレノアは言う。可能であれば彼に好み
の人形を見つけてもらい、それに憑依しようと思ったのだが、ああ
も躊躇いなくバラバラにされてはそれも叶いそうもない。
﹁⋮⋮何が狙いだ﹂
﹁簡単だよ。というか、君にはわかってほしいんだけどな﹂
ちょっと頬を膨らませて、不機嫌をアピールしてからエレノアは
宣言する。
﹁私と思いっきり遊ぼう、カイト君! 昔は私が一方的に話してた
けど、今日はお互いフェアで行こうじゃないか。再会を祝して、お
友達になろう﹂
﹁帰れ﹂
318
101回目のラブコールは、取り付く暇も無く惨敗した。
319
第23話 vsお人形さん遊び
﹃来いよ。次はお前の相手をしてやる﹄
つい数分前にカイトが言ったセリフである。彼は今、そのセリフ
を撤回したくて仕方がなかった。
理由はただ一つ。目の前で薄気味悪い笑みを浮かべているエレノ
アが、その言葉をきっかけにしてやけに馴れ馴れしく接してくるか
らだ。
もし彼女に尻尾がついていたら、ちぎれんばかりに振り続けてい
ることだろう。少なくとも、6年前はこんなにニコニコとしていな
かった筈だ。
我ながら失言だった、と反省する。まさかエレノアがここまで理
解できない思考の持ち主だとは思わなかった。カイトは知らなかっ
たが、エレノアは彼に対してのみ、常に特殊な反応を示してくるの
だ。
﹁⋮⋮相手したくなくなったから、帰ってくれませんか﹂
試しに懇願してみる。だが、エレノアは満面の笑みで首を横に振
った。
﹁いやだ。最後まで相手してよ。後、貴重な敬語を聞けたから録音
していい?﹂
﹁帰ってくれ。お願いだミスター、連れて帰ってくれ﹂
﹁おお、遂に俺にまで会話の砲丸投げが飛んできたか﹂
320
エレノアの横で佇む黒猫が反応する。ちょっと身体がびくり、と
震えたところを見ると、自分に話が飛んでくるとは思わなかったよ
うだ。
しかし、彼の返答は決まっている。
﹁悪いな。俺は移動係だから、暴れられたらまず勝てない。だから
エレノアの意見を尊重するよ﹂
﹁使えないゴミネコめ﹂
﹁ありがとう、ミスター。後で気に入った人形をプレゼントしてあ
げよう﹂
両者からそれぞれのコメントをもらい、黒猫は再び見物モードへ。
ただ、少し涙目になっていた。暴言にはあまり慣れていないらしい。
﹁と、いうわけだ。素直に私で遊んでくれ﹂
﹁で?﹂
﹁うん。私で﹂
私と遊んでくれ、ならまだ理解できるが﹃で﹄ときたか。それに
どんな意味があるのかは、深く考えてはいけない気がするので気に
しない。
﹁⋮⋮仕方がないな﹂
諦めたように呟いたと同時、カイトの姿がエレノアの視界から消
えた。屋上に新たな足跡が作られ、凄まじい突風がエレノアを襲う。
それを認めた瞬間、彼女は黒い髪をなびかせた。
﹁あはっ﹂
321
明確な歓喜の言葉が紡がれる。その時の彼女の表情は妖艶で、無
邪気で、どこか無機質で、そして悦が入っていた。恐らく人形が表
現できる喜びの表情を全てこの場で晒しだしたのだろう、とカイト
は思う。第三者目線で見ていればよく作り込んだな、と感心してい
るところだ。
しかし、カイトはそれをこれから破壊する。
遊ばないと退かないなら、さっさと壊すに限る。それが彼の出し
た結論だった。
横薙ぎにくりだされた拳が風を切り裂き、烈風となってエレノア
を襲う。爪が彼女の首に突き刺さった。その勢いのまま腕をうずめ、
刎ね飛ばす。
しかし首がなくなった後も彼女の身体はまだ動いていた。首を刎
ね落としたと同時、殆ど0距離になったカイトの身体を抱きしめ、
その後の離脱を許さない。
﹁つぅかまえたっ!﹂
屋上に転がったエレノアの首がご満悦な表情になる。ずっとこの
時を待っていた、とでも言わんばかりにテンションが高い。
その様子を見たカイトは、思わず一言。
﹁ぐろい。貰い手なくなるぞ、無理するなオバサン﹂
﹁君が貰ってくれるから問題ない﹂
﹁いやだよ﹂
全く問題なく無い。なんでそんな流れになっているのだ。
可能であるなら、弁護士を雇って法的に訴えたい。
﹁そんな事いっちゃって、実は年上が好きなんだろう﹂
322
﹁否定はしないが、人形好きなオバサンはボールゾーンだ﹂
言いつつ、カイトは筋肉に力を蓄える。その人間離れした握力で
人形の腕を掴み、力任せに切り落さんと強引に腕を振るう。
﹁⋮⋮っ!?﹂
が、その時である。振るった腕がそのまま下に降ろせない。肩や
肘の関節に命じて力任せに動かそうとするが、停止した右腕は全く
いう事を聞かなかった。
カイトの表情が困惑する。それに対し、エレノアはどこか納得し
たように言った。
﹁ふぅーん。成程ね﹂
﹁貴様、何をした!?﹂
身体が引っ張られる。右腕が見えない腕に捕まったかのような錯
覚を覚えつつ、カイトはエレノアを睨む。しかし、当の本人は彼を
見透かすように答えた。
﹁君、目がよく見えてないんだね。よかったら、私が目を提供して
あげてもいいけど﹂
﹁ふざけるな! そんな物、必要ない!﹂
ばれた。何かしらの体調不良だという事は黒猫に看破されていた
が、こんなにあっさりと現在の症状を見抜かれるとは思いもしなか
った。
人形の胴体が動きだし、人差し指を天に向ける。その動きに合わ
せてエレノアも説明をし始めた。
323
﹁今はいいかもしれないけど、二人の将来を考えるとちょっと不安
だろ?﹂
﹁何の話だ!﹂
苛立ちを隠さす、カイトが怒鳴る。
﹁皆まで言わせるのかい? こういうのは男性の甲斐性の見せどこ
ろだって聞いてるから、もう少し女心を理解しておくれ﹂
﹁⋮⋮それなら俺は一生独身でいい﹂
別に結婚願望ないし。
そう口にしつつも、カイトの身体は後方へと引っ張られていく。
何時の間にか右腕だけではなく、足まで自由がきいていない状態だ
った。まるで協力な磁石にでも引っ張られているようである。
﹁君の視力なら、見えていても不思議ではないと思っていたんだけ
どね﹂
﹁やはり貴様が何かしたのか﹂
﹁何をしたのか教えてほしい?﹂
エレノアが太陽のように眩しい笑顔で問いかけてくる。多分、何
も知らない男が居たら一目惚れしていてもおかしくない程の魅力が
そこにはあった。女の笑顔と涙は何時の時代でも凄く強いのだ。人
形の首だけども。
﹁⋮⋮いや、別に﹂
しかし、カイトはやはりエレノアに甘える事はしない。
それをするくらいなら己の身体を切り取ってエレノアの頭に噛み
つく選択を取ろうと、彼は決意していた。
324
﹁今なら﹃エレノアお姉ちゃん、僕と一緒に暮らそう﹄というだけ
教えてあげるけど﹂
﹁ああ、人形を操っていた糸だろ﹂
﹁なんですぐにネタばらしするんだい!?﹂
にやにやと笑っていた表情が一瞬にして曇る。とても残念そうだ
った。
実のところ、身体が後ろから引っ張られていることで、ある程度
予想はついていた。後方には先程カイトが破壊した人形の残骸が散
らばっているだけである。
﹁人形は微塵切りにしたんだ。後、お前が動かせそうなのは糸しか
ないだろ﹂
﹁ちぇっ、残念だ﹂
心底詰まらなさそうに生首が口をとがらせる。だが、状況がわか
ったとしても形勢逆転はかなり難しい状況である。
そもそも、エレノアの人形のストックは、まだかなりの数が残っ
ている。カイトは特に数えてはいなかったが、1万もの人形を出す
のであればこの屋上はいささか狭すぎるのだ。
更に言えば、カイトの武器が基本的に身体を動かすことにあるの
が問題だった。
殴る、蹴る、かみつき、手の爪、足の爪、頭突き、etc
いずれにせよ、動いて相手を捉えなければ意味をなさない。その
動きを止められたらどうしようもないのだ。エレノアなりの対カイ
ト用戦術だった。
325
﹁無理やり引き千切ろうとは思わない方がいいよ﹂
カイトの考えを見透かすように、エレノアは言う。
﹁その糸もアルマガニウム製なんだ。今は私が丁度いい力加減で締
め付けてるけど⋮⋮あ、やばい。言ってて興奮してきたかも﹂
﹁口閉じてていいけど。むしろ、是非そうしてくれ﹂
﹁いやいや、愛しの君が苦しんでいるなら解説はしてあげないとね。
これで君の好感度は私が頂いた﹂
本気で言ってるとしたら大したもんだな、とカイトは思う。むし
ろだだ下がりだ。
苦しめてるのはエレノア本人の筈なのだが。
そんなカイトの意図を知ってか知らずか、彼女は饒舌に語り始め
た。
﹁例えて言うなら、ピアノ線に絡め取られてると思えばいいよ。無
理に引き千切ろうとすれば、糸のエネルギーに振れて君の肉が削が
れてもおかしくない﹂
﹁忠告どうもありがとう﹂
﹁ほ、褒めてくれた! やったよミスター・コメット! 私、生ま
れて初めて褒められたよ!﹂
嫌味で言った筈なのに、生首が妙にはしゃぎ始めた。黒猫は﹃あ
あ、うん。良かったね﹄と、どうでもよさそうに彼女を見守ってい
た。どこか可哀そうな人を見る目だった。
ついでに補足すると、彼女が操る胴体は首が無い状態で万歳をし
ていた。結構動作が細かい。
﹁うぅ、今日はいい日だなぁ。カイト君に再会できるし、褒められ
326
るし﹂
挙句の果てに、感極まって目尻に涙がにじみ出ている。何となく
だが、カイトから見ても少し可哀そうに思えてきた。不憫すぎて。
﹁⋮⋮よくわからん奴だ﹂
﹁えへっ﹂
﹁かわいくない﹂
わざとらしく舌を出すエレノアを一瞥し、カイトは言う。
人形の顔自体はいいかもしれないが、本人の性格が酷く歪んでい
るのが彼にとってマイナスだった。
﹁でもさ。これ、どうする?﹂
エレノアの胴体が動き出す。その両腕を覆う服が破け、灼熱色の
熱源が露わになっていた。素体となった新人類の能力である。
﹁今の私の人形は、両手の温度が溶岩でできてると思ってくれ。そ
んな状態で君を欲するあまり抱きしめてしまうと、どうなるだろう﹂
﹁⋮⋮どうなっちゃうだろうな﹂
もうマトモに会話する気はさらさらなかった。
だが、両手がマグマになっていると言われて焦らない筈はない。
いかにカイトが再生能力を使おうと、身体が消し炭にされれば再生
できる保証はないのだ。
﹁また強がり言っちゃって。君だって怖いだろう﹂
﹁まあ、否定はしない﹂
327
今度は怖がる姿でも見て、それを快楽にしようという算段なのだ
ろうか。
趣味が悪いが、実際に溶岩が前に迫ってくると考えると完全に否
定しきれない。
﹁だから、助けれくれ﹂
それゆえにカイトは助けを求めた。突然放たれた言葉にエレノア
も黒猫も困惑するが、ただ一人だけ答える人間がいた。
﹃了解!﹄
カイトの後方。ビルの真正面に透明の膜を張っていた鋼の巨人が
姿を現す。全身黒。バランスの整った巨大な人型のロボットは、世
間ではこう呼ばれている。
﹁ブレイカーだと!?﹂
黒猫が驚き、エレノアの表情が凍りつく。
突如として現れた黒いブレイカー︱︱︱︱獄翼は腰に装填してい
るナイフを引き抜いた。
﹁俺の背後に突き立ててくれ﹂
﹃細かいな! 崩れるけど、ちゃんと帰ってきてよ!﹄
コックピットでブレイカーを操縦する少年の声がスピーカー越し
で響く。
その声に合わせるようにして、獄翼は言われた通りにナイフを振
り下ろした。刃渡り2,3メートルはあるであろう巨大なエッジが
屋上をくり抜き、ビルの崩壊を引き起こす。
328
﹁ナイス﹂
身体の拘束が解けたのを確認した後、カイトは跳躍。器用に獄翼
が振り下ろした腕に着地し、ビルの崩壊の巻き添えから脱出する。
﹁いいタイミングだ。それにしても、本当によく聞こえるな、その
耳は﹂
﹃ステルスオーラを備えたブレイカーは隠密行動もできるんだよ。
だからその分、情報収集能力も高いんだ。それこそ、アンタもよく
俺が獄翼を引っ張り出したのに気付いたな﹄
﹁隠してた方角から何か飛んでくる気配はしてた﹂
割とさらっと出てきた発言に、スバルは﹃本当かよ﹄と若干戸惑
った。
だが、別にボケてる訳でもないのは知っているので、それはそれ
で事実であると受け止めておく。あくまで冷静に。
﹃あ、そう⋮⋮というか、アンタ最強の兵だったんだろ? 危なす
ぎやしないか!?﹄
カイトが一瞬黙り込む。結構痛い点を突かれていた。
ゲイザーとの戦いもそうだが、このエレノアとの戦いも押されて
いたのは事実である。挙句の果てに、守る筈の少年に助けを求めて
いる始末だ。
﹁⋮⋮子守しながらは、疲れるんだ﹂
﹃それは何か? 要するに俺のせいだと?﹄
﹁ごちゃごちゃやかましい。早く離れるぞ﹂
329
黒猫とエレノアが居た場所を一瞥する。生首と胴体は既に消えて
おり、黒猫はこちらを見上げていた。動物の表情はわからない為、
何を考えているかは理解できないが、どことなく勝ち誇っている気
はした。
﹁カイト、逃げ切れると思っているのか!?﹂
﹁その為に俺がいる﹂
﹃そのアンタが今回も前回もやられてるんだけどね!?﹄
﹁うるさい。バファリンさえ飲めばこんな連中指先一つでダウンさ
せてやる﹂
どこまで本気なのかわからない発言をして、カイトは黒猫を見る。
﹁確かに遅れはとった。だが、まともな王国兵が動いてこないとこ
ろを見るに、お前さえやり過ごせれば勝機はある﹂
その言葉は、恐らく事実だろうと黒猫は納得する。
現に鎧持ちであるゲイザーしかまともに彼と戦えていないし、そ
のゲイザーとの戦いの後遺症が原因でエレノア相手にも苦戦を強い
られている。
逆に言えば、囚人であるエレノアを出してようやく捕まえられそ
うか、と言ったところまで追い込めているのだ。彼女以上の戦力を
用意するとなると、かなりの手間がかかる上に人選も重要になって
くる。
だが、今回に関して言えばその問題は解決していた。
﹃カイトさん、言い難いんだけど﹄
獄翼越しでスバルが話しかける。彼はかつてない真剣な口調で、
330
静かに言った。
﹃アンタの元部下がいる﹄
﹁何?﹂
直後、ビルからビルへと跳躍してくる二つの影が現れた。
一人は顔に鉄のマスクを装着し、長すぎる前髪をなびかせながら
弾丸のように近づいてきている。もう一人はローラースケートで勢
いよく跳躍し、稲妻のような猛烈なスピードで近づいてきていた。
お揃いのオレンジ髪の二人を視界に納めた瞬間、カイトの表情が
曇った。
﹁あいつら⋮⋮!﹂
その表情にどんな感情が隠れているのか、スバルにはわからない。
まだ彼に対して疑念があるのは事実だし、彼にとってXXXがどん
な物であったのかさえ理解できていない。4年間同じ場所で過ごし
ても、実は彼の事を殆ど知らないのも同然なのを、スバルはここに
きて始めて実感していた。
ただ、もし叶うのであれば彼女たちの言う﹃裏切り﹄が間違いで
あって欲しいと、少年は強く願っていた。
331
第24話 vs姉妹とローラースケートと
二つのオレンジ色の影がイナズマのように駆け、ビルに着地する。
彼女たちは未だ佇んでいる黒猫の横で立ち止まり、獄翼を見上げ
た。
﹁リーダー!﹂
ローラースケートを履いたイナズマ、アウラが敵意をむき出しに
した表情でいう。
彼女から放たれる怒気は、鉄のマスクで封印された姉の言葉の代
弁でもあった。
﹁カノンと、アウラか﹂
それをみて感慨深げな表情をするのは他ならぬ彼女たちの﹃元﹄
リーダー、カイトである。
彼は宙を浮く獄翼の右こぶしの上で、腕を組んで彼女たちを見下
ろす。だが名前を呼んだ後の言葉は出てこない。
﹁何よ、久しぶりに可愛い部下に会ったのよ。しかも立派なレディ
になってね﹂
﹁6年の月日は長いな。そうは思わないか?﹂
アウラの言葉に黒猫が相槌をうちながらも、再びカイトに問いか
ける。
だが、それでも彼は無言を貫いた。何も言うことはない、とでも
言わんばかりに。
332
﹃⋮⋮なあ、折角の再会なわけだし何か言うことないの?﹄
獄翼のコックピットからスバルも解答を促す。彼はぽりぽり、と
頭を掻いてから呟いた。
﹁しいて言えば、アウラ﹂
﹁何よ﹂
ローラースケートを履いた部下に視線を送る。その眼光に彼女は
思わず構えるが、彼の口から出てきたセリフは全員の予想を裏切る
ものだった。
﹁もうオムツから卒業したのか?﹂
﹁ふっざけんなクソりいぃぃぃぃぃだあぁぁぁぁぁぁぁぁっ!﹂
アウラの身体に激しい雷が走る。隣の黒猫は怯え、姉も少々驚い
て身体を震わせていた。
﹁ふざけてはいない。お前は確か8歳になってもおもらしをしてた
から、俺が毎回ベットを乾かしてたのを忘れたのか?﹂
﹁そんな事してたのかお前⋮⋮﹂
﹃妹さん⋮⋮﹄
﹁いや! やめてよ、私をそんな目で見ないで!﹂
黒猫の訝しげな視線と、仮面狼の可哀そうにとでも言わんばかり
の声のトーンがアウラを激しく傷つける。恨めしげな表情で、彼女
はリーダーを睨みつけた。
﹁殺す! 絶対、殺す!﹂
333
﹁で、結局オムツはどうしたんだ?﹂
﹁とっくの昔に卒業してるわよ馬鹿! なんでそんなことをこの場
でカミングアウトしちゃうわけ!?﹂
﹁いや、だってあんだけ定期的に漏らされたらなぁ?﹂
妹の隣で汗を流すカノンに視線を送る。彼女は幼少期、妹と一緒
のベットに寝ることはしょっちゅうあった。ゆえに、隣で寝ている
妹がオネショをしている場合、真っ先に被害に会うのは彼女なわけ
で。
﹁姉さんやめてよ! 私の目を見て!﹂
﹁⋮⋮シュコー﹂
﹁マスクを取ってちゃんと私の目を見て否定して! お願い!﹂
スバルは思う。なんか凄い和んでいるな、と。先程までの殺伐と
した空気がまるで弾けていた。それ以前にあんなにムキになって否
定すると益々不利な状況になるんじゃないかな、と思ったが戦わず
に済むのであればそれに越したことは無いので黙っていることにし
た。
﹁で、おまえら。結局俺を壊しに来たのか?﹂
﹃なんで台無しにするんだよこの空気をおぉぉぉぉぉぉぉっ!﹄
スバルは絶叫する。本当に空気を読んでほしいところだが、時間
の問題だった。
﹁勿論そのつもり!﹂
﹁シュコー﹂
機械の変声機を喉に仕込んだ姉のセリフが完全に統一されたもの
334
になる。
彼女は足を前にだし、力強く跳躍した。
﹃え!?﹄
﹁いかん。スバル、離れろ!﹂
カイトから警告が飛ぶも、彼女の突然の行動に驚くスバルは反応
できずにいた。
それもそのはず。彼女はビルの屋上から獄翼に向かってジャンプ
したのである。カイトが獄翼の腕に後退したのと同じような感覚で、
だ。
﹁いくよ!﹂
アウラもそれに続くようにローラースケートを走らせる。姉が獄
翼の膝に着地したのとほぼ同時に彼女も屋上から飛び出し、巨大ロ
ボットの右肩へと着地した。
﹃う、嘘!? 何だよ今のジャンプ!﹄
﹁お前はさっきまで何を見てた!?﹂
カイトが怒鳴る。彼女達はさきほど、ビルからビルへと跳躍して
この場にやって来た。それを見ていれば、この状況はある程度予想
できただろう。
﹁リーダー、覚悟はいい?﹂
﹁シュコー⋮⋮シュコー⋮⋮﹂
上でアウラが挑発的な笑みを送り、下では姉の不気味な呼吸音が
響き渡る。彼女たちは宙に浮いた獄翼の上でカイトを倒すつもりで
335
いた。
﹃こいつら、ブレイカーの真上で戦うつもりなのか!?﹄
﹁そんなに驚くことじゃない。誰が育てたと思ってるんだ﹂
若干自画自賛な言葉をスバルに送り、カイトは獄翼の上で構える。
﹁スバル、移動しろ。何ならフルスピードを出していい﹂
﹃そんなことしたら、あんたら振り落とされちゃうよ!﹄
﹁いいからやれ! また誰か来たら対処できる保証はないぞ!﹂
今は彼らを見守っている黒猫だが、いつまた戦士を送り出してく
るかもわからない。エレノアも身体がビルの崩壊に巻き込まれたの
かわからないが、姿が見えないのが気になる。
目が不調の中、再び囚人を相手にするのはなるだけ避けたかった。
それがカイトの考えである。
しかしカイトの主張は理解できても、スバルが実行するとなれば
話は別だ。特にこの高さから振り落とすということは、高い崖から
突き落せといっているのにも等しい。スバルは己の身体が固まるの
を実感しつつ呟く。
﹃でも! 彼女たちは︱︱﹄
﹁仮面狼さん。リクエストに応えても大丈夫ですよ﹂
躊躇う少年の背中を押すように、肩に乗ったローラースケートの
少女が言う。
﹁その程度じゃ私たち、全然びびらないんで﹂
336
彼女の表情には自信が満ち溢れている。この獄翼の上でカイトを
倒すつもりでいるのが、カメラアイ越しでも確かに伝わってきた。
しかしカイトとしては、その態度よりも気になることがある。
﹁なんだ、知り合いか﹂
どこか拍子抜けしたかのように肩の力を落とす。
﹁姉さんの師匠ですよ﹂
﹁カノンの? お前が?﹂
獄翼の頭に視線を送る。数日前、必勝の文字が入ったハチマキを
まいて勉強を教えてくれと頼みこまれた光景が浮かんだ。
テスト勉強で毎回頭を下げている彼が、誰かに教えを請われてい
る姿を想像するのは、非常に難しかった。ただ、普段情けない姿を
晒すだけだった彼が新人類の少女︵自分の元部下︶を指導している
というのは事実のようなので、どこか感慨深いものを感じる。
﹁お前、立派になったんだな。マサキも喜んでいるぞ﹂
﹃なんか馬鹿にされてる気がするの気のせい?﹄
﹁気のせいだ﹂
そんなやりとりをした後、黒い巨人の膝に立つカノンが走り出し
た。
彼女は懐に隠し持っていた包丁を抜き、カイトめがけて切り掛か
る。
﹁おっと﹂
しかしカイトは後ろを向きながらこれを回避。限られた足場でく
337
るんと彼女の後ろに回り込むと、その首元に爪を近づけた。
﹃ま、待ってくれ!﹄
今にも少女の首を刈り取らんとする両手の動きが止まる。静止の
声をかけた者に向かい、カイトは無言で顔を向ける。
﹁なんのつもりだ﹂
﹃何もクソもねぇよ! なんでアンタたちはそんな抵抗なく戦うん
だよ! おかしいだろ!﹄
少年の主張にシルヴェリア姉妹も耳を傾ける。しかし視線は常に
彼女たちの敵を向いたままだった。
﹁お前にとってはそうかもしれない。そして、多分一般的な目で見
てもおかしくみえるだろうな﹂
カイトは現状をスバルの目線で見てみる。恐らく、彼女たちと自
分の関係は知っているのだろう。何がきっかけかは知らないが、そ
れは些細な問題でしかない。
大事なのは、まるで兄妹のように育った彼ら3人が殺し合う現実
が、スバルには許しがたい光景なのだということだった。だからソ
レに対して、自分たちが納得している答えを突き付ける。着飾って
いない事実だけを言うしかないのだ。
﹁だが、俺たちはこれしか知らないんだ﹂
言い訳も何もない、小さい言葉だった。しかしそれを聞くカノン
も、アウラも、ミスター・コメットですら黙って彼の言葉に耳を傾
ける。
338
﹁お前は小さい頃、マサキに﹃他人を大事にしろ﹄と言われて育っ
たのかもしれない。それを否定する気はないし、今更変えろと言う
つもりはない﹂
前にも本人に言ったが、スバルが生きる道はあくまで本人が決め
るべきだとカイトは思っている。それゆえに、逆も言えた。
既に決めた道を、今更崩すつもりは毛頭ないのだ。
﹁覚えておけ。お前はまだ退路がある。とても小さい退路だ﹂
故郷に戻ることはもうできない。親友と一緒に学校に通うことも
できないし、父親もいない。彼の一番の楽しみだったゲームも、弟
子が﹃コレ﹄では楽しむ気持ちになれるかどうか怪しい。
だが、それでもスバルには逃げ道が用意されている。カイトはそ
れを若干羨ましいと思いつつも、その事実を少年に差し出した。
同時に、自分にその権利が無いであろうことも言った。
﹁俺はお前とは違う。一杯壊したし、壊す為に特化された。こいつ
らと同じ時間を、そうなる為に過ごしたんだ﹂
﹃ごちゃごちゃうるせえぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇっ!﹄
割と丁寧に説明したつもりだったが、獄翼のスピーカーからスバ
ルの叫びが響く。頭部に近い位置にいるアウラが思わず耳を塞ぐ。
獄翼はサイズ違いの頭を青年たちに向け、そして言った。
﹃大事なのはアンタがこれまで何をしてきたかじゃなくて、これか
らどうしたいかだろ! なんで自分でこれからの可能性を潰すんだ
よ! 自分で諦めちまったら、本当に幸せな未来が逃げちまうだろ
!﹄
339
﹁幸せな未来?﹂
なんだそれ、とでも言わんばかりにカイトが首を傾げる。スバル
は﹃ああ﹄と答えてから、今度は自分が畳み掛ける番だと思いつつ
口を開く。
だがそれ以上の問答を阻止する存在があった。
﹁そんな未来、私たちが許さない!﹂
耳を塞いで悶絶していたアウラがローラースケートを回転させ、
カイト目掛けて突進した。獄翼のボディに稲妻が走り、彼女の軌跡
がそこに残る。
妹の突進を合図として、カノンも再び行動を開始していた。右手
に握られた包丁が再び空を切り、カイトを仰け反らせる。
﹃やめろ! 君たちだって、本当はこんなことしたくは無い筈だ!﹄
﹁何を根拠に!﹂
バランスを崩したカイトの顔面目掛けて、電撃と猛回転するロー
ラースケートのホイールがハイキックの要領でくりだされる。
しかしカイトはそれを片手で受け止め、もう片方の腕でバランス
を支える。足は後方から襲い掛かってくるカノンへの対応に使って
いた。足の爪と包丁がぶつかり、金属音が弾けるように鳴り響く。
アルマガニウム製の刃物同士のぶつかりあいだった。
﹃だって、好きだったんだろ!﹄
﹁⋮⋮っ!﹂
スピーカーから聞こえる少年の声に唇を噛んだ。足から流れる紫
色の電流が、腕を伝ってカイトに襲い掛かる。彼はそれを堪えつつ
340
も、少々苦笑いしていた。
﹃家族だったんだろ! それなら、なんで歩み寄らずに叩き潰す選
択しかしないんだよ! カノンも、妹さんも、カイトさんも!﹄
﹁俺もか?﹂
﹃アンタも!﹄
驚いた表情でカイトが言う。どうやらずっと姉妹に向かって言っ
ている物だとばかり思っていたらしい。
﹁⋮⋮なんでって、知ってるでしょ﹂
アウラの足から溢れる紫電の勢いが増していく。それはまるで雷
の噴水だった。迸る電流は獄翼のボディを離れ、近くのビルへと牙
をむける。
﹁落ち着けアウラ! 敵に当たらなければ意味が無いだろ! ⋮⋮
あ、いや。掴んでるから一応当たってはいるのか﹂
所構わず襲い掛かってくる電流から避難しながら黒猫がいうが、
彼女の耳には届いていなかった。今の彼女の意識にあるのは一つだ
け。
﹁こいつがっ! 私たちを捨てたからよ!﹂
つい少し前、カフェで聞いた言葉だった。
スバルはそれを聞きながらも、カイトに視線を移す。その表情は
どこか苦しそうに見えた。電流をその身に受けているのだから当た
り前と言えば当たり前なのだが、それでもスバルの目には別の何か
に苦しんでいるように見えていた。
341
﹃⋮⋮なぜ、何も言ってくれないんですか﹄
足の爪と攻防を繰り広げたカノンが鉄のマスクを外し、無機質な
機械音声で尋ねる。姉妹に挟まれながらも彼女たちの感情に囲まれ
たカイトは、とうとうその口を開いた。
﹁その通りだ。俺はお前たちを見限った﹂
それは彼女たちの怒りを受け入れる発言だった。前方の稲妻の勢
いが激しさを増す。それは彼女の感情を表すかのように強大になっ
ていった。
﹃やばい! これ以上は獄翼も︱︱︱︱﹄
アウラから放たれる巨大なエネルギー反応に獄翼が警告を鳴らす。
だが、それに対する答えを出したのはカイトだった。
﹁飛べスバル! フルスピードで獄翼を飛ばせ!﹂
﹃でも!﹄
最初の提案が再びカイトの口から飛び出すが、スバルは尚も躊躇
っていた。
もしこのタイミングで飛ばそうものなら獄翼の上で戦う彼女たち
はおろか、カイトも危ない。だがそれ以上に危ないのは獄翼であり、
それに搭乗するスバルだった。カイトが抑えている為か、もしくは
その腕に仕込まれているアルマガニウムの爪が威力を中和している
のか。真相は定かではないが、溢れ出る電撃は奇跡的に命中してい
なかったのである。そんな状況も何時まで続くかわからない。
342
﹁獄翼をここで失う訳にはいかん! 信じろ、俺が育てた部下を!﹂
﹃でも捨てたんだろ、彼女たちを!﹄
﹁そうだ!﹂
﹃アンタ、よくそんなこと言えるな! 見損なったよ!﹄
この時、スバルは特に何か考えて発言していたわけではない。
ただ頭の中に出てきた感情をそのまま口に出しただけだった。だ
が、それゆえに全て事実だった。それらを受け入れるしかカイトに
選択肢はなかった。
﹁見損なってもいい! 後で罵詈雑言、なんでも聞いてやる! 急
げ!﹂
﹃くそっ⋮⋮! 後でちゃんと納得のいく話聞かせろよ馬鹿やろお
ぉぉぉぉぉぉぉぉぉっ!﹄
スバルがコックピットの操作を始めた直後、黒いボディに取り付
けられた背中の羽が展開される。青白いエネルギーを噴出させ、翼
のように羽ばたかせつつも獄翼はシンジュクから飛び立った。
343
第25話 vs姉妹と包丁と
XXXと呼ばれる部隊に入る為には幾つかの条件がある。例えば
リバーラから推薦されたり、単純に能力が強大だったりと様々だが、
シルヴェリア姉妹の場合は後者が当てはまる。
彼女たちの能力は放電。幼い彼女たちは誰の言うことにも従い、
﹃いう事をなんでも聞いてくれる兵﹄として将来を期待されていた。
しかしリーダーを務めるカイトは彼女たちを観察していて、一つ
の結論を出していた。それは戦いの場において致命的な弱点になり
かねないことを知っていたカイトは、XXXの責任者であるエリー
ゼに進言する。
﹁エリーゼ。カノンとアウラはXXXから外すべきだ﹂
﹁なぜ?﹂
﹁XXXは一人でも一つの部隊を壊滅させる集団だ。二人でくっつ
いていたら、それは弱点にもなる﹂
カノンとアウラはお互いに離れることなく、常に寄り添って生活
していた。それが悪いとは言わないが、いざという時に孤立してし
まった場合、彼女たちは戦いの場では生き残れないだろう。
はじめてXXXの施設に入り、道に迷ってはぐれた姉妹の惨状を
思い出す。妹は延々と泣いていた。声の出せない姉も、不安で仕方
がないといった表情だったのを覚えている。
同時に、カイトは彼女たちの精神面の脆さを見抜いていた。
﹁ここにきてもう2ヶ月経っているが、あいつらは一向に離れる気
配が無い。あれじゃいつか壊れる﹂
344
大事な心の支えが無くなったとき、人は簡単に壊れてしまう。
カイトがエリーゼから聞いた言葉だ。それを信じるのであれば、
常にお互いを支え合っている姉妹のバランスが崩れた場合、崩され
た側も立ち上がることなく片割れの後を追うことだろう。
﹁じゃあ、壊れないようになるためにはどうすればいいかな?﹂
エリーゼが悪戯っぽい表情でカイトを見る。
まるでなぞなぞでも出された気分だった。
﹁⋮⋮どうする気だ﹂
﹁要は二人がずっとお互いから離れないからダメなんでしょ?﹂
﹁ああ、そうだ﹂
﹁じゃあその関係にあなたが入ればいいのよ﹂
﹁なに?﹂
ナイスアイデア、と言わんばかりに眩い笑顔を向けてくる保護者
を前に、カイトは怪訝な表情をする。
﹁二人が離れないんだったら、その間にあなたが入って上手く纏め
てあげてね!﹂
﹁いやだ。面倒だ﹂
﹁リーダーでしょ。しっかり新しい子の面倒を見てあげなさい﹂
エリーゼは彼の頭を軽く小突き、笑顔のまま部屋から退出した。
後に残されたのは呆けたカイトだけである。彼は心底困り果てた
表情をしていたが、暫くするといつもの無表情になって静かに呟い
た。
345
﹁⋮⋮エリーゼがそれを望むなら﹂
歪んだ笑顔を剥き出し、彼女が去った扉に視線を送りながらも、
少年は﹃彼女の頼み﹄を引き受けることにした。
彼の動機は、それだけだった。
空中を猛スピードで移動する獄翼にしがみつくカイトとシルヴェ
リア姉妹は、強烈な風圧に押しつぶされそうになりながらも手を放
さなかった。いかに彼らが超人とは言え、パラシュート無しで勢い
よく空から落ちれば無事では済まないだろう。
もっとも、既に皮膚が裂けている指は無事では済んでいないのだ
が。
﹃⋮⋮っ! もう限界だ!﹄
コックピットで獄翼を飛ばすスバルが、しがみついている超人た
ちの苦悶の表情を見て勢いを落とす。
だが、その瞬間にカイトは叫んだ。
﹁止めるな!﹂
﹃馬鹿! もう指が見てられない状態だろ!﹄
﹁問題ない。こいつらを引き剥がせればそれでいい﹂
冷酷な判断だ、とスバルは思う。彼を追い、必死な思いで獄翼に
しがみつくシルヴェリア姉妹。それを空から突き落してやると、こ
の男は言っているのだ。なぜそこまでするのかという疑問の前に、
346
怒りがスバルを沸騰させた。
﹃死ぬだろ、そんなことしたら!﹄
﹁お前とは鍛え方が違う! 安心して落とせ﹂
﹃アンタにとって、彼女たちはなんなんだよ!﹄
冷たすぎる発言を前にして、とうとうスバルは直球の質問をして
しまった。
それは返答次第で姉妹たちの心に更に深いダメージを負わせる危
険すらある。知っている仲だけに、できるだけ穏便に事を進めたか
ったというのがスバルの本音だが、それにしたって冷たすぎる。ボ
ロボロになってまで彼女たちを守ったという話も、これでは疑わし
い。
﹁なんでもない。もう終わった関係だ﹂
﹃アンタはそう思っていても、彼女たちはまだアンタを見てる!﹄
それがどういう意味かを理解できない程、カイトも馬鹿ではない。
ボロボロになった腕を押さえながら体勢を立て直す姉妹を視線に
入れて、カイトは同居人の声を聞いた。
﹃アンタに捨てられて、彼女たちはずっとアンタを探してた!﹄
﹁ああ、憎いだろうな﹂
﹃それだけじゃねぇ! 何も言わずに去ったアンタと、もう一度話
がしたかったんだ!﹄
﹁何故だ?﹂
さきほどからスバルの発言は、全てが彼の想像によるものだ。い
かに顔見知りとは言え、そこまでプライベートに関わる内容をカノ
ンやアウラが漏らすとは思えない。
347
そんな自分勝手な妄想を建前とした説教を聞き入れる気は、カイ
トには無かった。
﹁なんの根拠があってそんなことがいえる! お前は心でも読める
のか!?﹂
﹃そんなもんが無くても、わかる!﹄
すると意外なことに、スバルの返答はすぐに帰ってきた。
﹃確かに捨てられた気持はわかんないよ。だけど、大事な人が居な
くなって、どれだけ寂しい気持ちになるか俺は知っている!﹄
﹁お前、恥ずかしくないのか!?﹂
﹃恥ずかしがってて、人でなしとやりあえるか!﹄
清々しいほど迷いが無い解答である。
4年間の共同生活をしてきて、カイトが押し黙るのは始めてだっ
た。
﹃⋮⋮なんで捨てたんだ﹄
叫んだ影響か、スバルの声に落ち着きが戻ってくる。
逆に落ち着きが無くなってきたのはカイトだった。彼は拳を震わ
せ、力なくつぶやく。
﹁⋮⋮全部ぶっ壊したかったんだ。あの時の俺の全部を﹂
﹃カイトさん?﹄
同居人の顔が、あらゆる感情で歪んでいる。
X﹄で見た血塗れの
それは怒りか悲しみか、スバルには見当がつかない。ただ彼の中
で心当たりがあるとすれば、﹃SYSTEM
348
カイトと死んだ保護者の姿である。
﹁だから俺はあの時︱︱︱︱!﹂
その時だった。眩いフラッシュが彼らを包み込む。
カイトは思わず手で光を遮り、視線をそちらに向けた。カメラを
持った褐色肌の美少女が獄翼の頭部に陣取っている。今時珍しいセ
ーラー服だった。
﹁いい顔だねぇ。そそっちゃう!﹂
けたけたと笑いながら、少女はフラッシュ付きのインスタントカ
メラを懐に仕舞う。
その不快な笑い方を、カイトは忘れていない。
﹁エレノア⋮⋮!﹂
﹁はぁい。エレノアだよ﹂
名前を呼ばれたことに気をよくしたのか、エレノアは笑顔で手を
振りはじめる。
黄金の眼に肩までかかる長さの黒髪。更にはビルの屋上で相対し
た時と比べても幼いその体は、彼女が用意した次の人形に他ならな
い。
﹁貴様、何時の間に張り付いていた﹂
﹁ずっとだよ。前の人形は君たちのせいで瓦礫の中だけど、ミスタ
ー・コメットに頼んで回収をお願いしてるんだ。これで君が前の人
形の方が好みでも安心!﹂
﹁黙れ﹂
﹃黙っててくれよ﹄
349
全く空気を読む気配が無いエレノアを前にして、カイトとスバル
がハモる。カノンとアウラに至っては面倒くさそうな顔をしていた。
立場的には味方の筈ではあるのだが、エレノアの登場は誰一人とし
て歓迎されなかった。
﹁えへへ。でも貴重な写真撮れたもんね﹂
自慢げに言うエレノアだが、カイトの額に青筋がたっているのを
スバルは見逃さなかった。最近知ったが、彼は意外と感情が昂ぶり
やすい。特に追いつめられるとその傾向が強いと、スバルは感じて
いた。
彼は今、あらゆる意味で追いつめられていた。
﹁⋮⋮何をしに来た﹂
﹁勿論、遊びに﹂
直後、エレノアの周囲から無数の銀色の線が伸びる。それは獄翼
を包み込むようにして広がっていき、獲物を捕えんとカイトに襲い
掛かる。
だが、その線がカイトに届くことは無かった。糸が途中でぷつん、
と切れてしまったのである。
﹁あれ?﹂
突然の出来事にエレノアは呆けるが、その直後に彼女の視界が影
に覆われる。
カノンだ。彼女はエレノアが糸を伸ばしたと同時に走り出してお
り、伸びる糸を包丁で捌いていたのである。そして今、カノンはエ
レノアの真正面で喉に刃物を突き立てていた。
350
﹁⋮⋮やだなぁ。怖い顔しちゃって﹂
﹃邪魔をしないでください﹄
ノイズ混じりの機械音声に、確かな怒気が籠る。下手に刺激すれ
ば包丁が喉を貫通するのは誰が見ても明らかなのだが、性格ゆえか
エレノアは緊張感のない困った表情を向けてくるだけだった。
﹁邪魔はしてないよ。私はただ、欲しい物を貰いに来ただけだって﹂
﹃それが、邪魔なんです﹄
手にした刃が人形の喉を刺し貫く。だが相手は所詮人形だ。本体
であり、人形に憑依しているエレノアの魂を砕かない限り彼女は何
時までたっても出現し続けるだろう。
そこでカノンは素早く包丁を引き抜き、人形の喉に手を突っ込む。
次の瞬間、カノンの掌から溢れんばかりに弾ける紫電が、エレノア
の身体を駆け巡った。
人形の指が不規則にぴくぴくと跳ね、紫電は人形内部を容赦なく
焼き払っていく。
﹃今は、私たちとあの人の時間です。邪魔するなら、死んでてくだ
さい﹄
カノンが言い終えたと同時、エレノアの人形を駆け巡った電流の
勢いが止まる。
人形は既に黒焦げだった。先程まで人間そのものとして動いてい
た華麗な造形は、今や見る影もない。内部まで焼き尽くされては魂
も無事なのかあやしいところだ。文字通り糸が切れて倒れた人形を
一瞥してから、カノンはカイトへと振り返る。
351
﹃リーダー、邪魔が入りましたがこれでよろしいでしょうか﹄
カノンから放たれた言葉は、まるで主従関係を思わせるようなも
のだった。しかし当のカイトは何時もの無感情な顔で彼女を見てい
た。
﹁⋮⋮お前の望みは何だ。アウラと同じように、捨てた俺への復讐
か?﹂
﹃勿論それもあります。しかし、さっき確信しました。あなたはそ
うしなければならない何かがあったのですね﹄
それを聞いたスバルは無言で同意する。それだけ彼の態度は普通
ではなかった。同居生活の時、あんなに感情が昂ぶったカイトを見
たことは無い。だが同時に、信頼しすぎてやしないかと思う。確か
にブチギレていたのはアウラで、姉の方はどちらかといえば怒って
いるぞ、というアピールをしていることが多かった。アウラほど声
を大にして彼を許さない、と発言してはいないが、それでも心変わ
りが早すぎる。全く怒っていないと言うわけでもあるまい。
﹃教えてくれませんか。6年前、なにがあったか﹄
﹁⋮⋮言えない﹂
ここにきてまだいうか。機械のようにそれしか言わないカイトに
苛立ちを感じながらも、スバルは思う。
﹃そうですか﹄
だがカノンにはある程度予測されていたようだった。彼女は包丁
を仕舞うと、アウラに目配せする。
352
﹃アウラ、アレを出そう﹄
﹁アレを!? でも、あれは次のオフ会の為のサプライズなんじゃ
ないの?﹂
アウラが仰天するが、カノンは首を横に振る。
﹃私は本当のことが知りたい。6年前何があったのか。どうして私
たちを殺そうとしたのか。そして、リーダーや師匠にとって私たち
はなんだったのか﹄
機械音声が何時にも増して饒舌になる。交流があるカイトとスバ
ルはそのことに驚きながらも、カノンの言葉に耳を傾けていた。
﹃リーダー、私はあなたに捨てられてから何をする気力も湧きませ
んでした。ただ食べて、起きて、また寝るだけの生活が続いていた
と思います。間に闘争を挟んで、その中で何度死を意識したか覚え
ていません﹄
ですが、
﹃そんな私にも、もう一度憧れの人ができました。あなたです、師
匠﹄
突然の名指しに、スバルは思わず飛び跳ねた。
﹃お、俺!?﹄
﹃そうです。たまたま動画で見たあなたの戦いは、私の目に釘をさ
し込みました﹄
もしかすると、幼いころに﹃2人いないと何もできないダメ超人﹄
353
と呼ばれたことがカノンのコンプレックスになっていたのかもしれ
ない。
そんなダメ超人からみた﹃旧人類﹄スバルによる新人類への挑戦
は、革命的だった。持っているのは長年磨き続けたゲームプレイン
グセンスのみ。新人類と旧人類の埋まらない溝を埋める為に、己の
全てを賭けて戦う彼の姿に感動した。気付けば彼が出ている動画へ
のクリックが止まらない。
その日、カノンは朝食に呼ばれるまで動画を見続けた。そして朝
食から戻ってきてからもう一度決勝の動画を見て、また興奮してか
ら寝た。
﹃今だから言いますが、動画を始めてみたとき私は泣きました﹄
﹃マジで!?﹄
﹁マジかよ⋮⋮﹂
﹁マジなんですか姉さん!?﹂
スバルは恥ずかしさで。カイトは呆れで。アウラは驚きでそれぞ
れリアクションする。
﹃ショックでした。私と同じ年頃の旧人類が、ゲームとは言えあん
なに立ち回っていたのが。次の日には私も同じゲームを購入してい
る始末です﹄
カノンは己が頼れる強者を欲していたのかもしれない。予選にお
けるスバルの圧倒的な立ち回りは、彼女にリーダーの影をみせるの
に十分すぎた。
﹃私、本当は不安で仕方が無かったんです。何か気に入らない事を
してしまって、それでリーダーが見限ったんじゃないかとずっと考
えていました。それを考えなくさせてくれたのは、他ならぬ師匠で
354
す﹄
割と都合のいい解釈をされている気がしたが、こう褒められると
流石に照れる。特に女性との付き合い経験が疎いスバルは、思わず
赤面していた。
﹃ですが、その師匠もリーダーと同じように私の前から去ろうとし
ています﹄
カノンの真後ろ。獄翼の背後から超巨大な黒い穴が出現する。そ
こから這い出てきたのは鋼鉄のマスクを装着した、黒い巨人だった。
﹃私が情けないからダメなんでしょうか。それとも、私が根本的に
ダメだから二人とも拒絶するのでしょうか﹄
話が怪しい方向に向かいだしたのをスバルは理解する。目の焦点
が合っていないのがモニター越しでも丸わかりだった。
引退事情はごまかしているとはいえ、ちゃんと説明している。し
かしカイトに捨てられたという事実が、今も根強いトラウマになっ
てカノンにしがみついていたのだ。理由のわからない裏切りが、結
果として彼女を苦しめ続けている。
それは違う、と言ってあげれば済む話ではあるのだが、スバルの
口から否定の言葉はすぐに出てこない。行き過ぎた弟子の迷惑行為
にびびって、電話に出なかった事実が彼の行動を縛っていた。
﹃それなら二人に証明してあげます。私はダメな子じゃないって﹄
獄翼の背後に出現したブレイカーの姿と名前を、スバルは知って
いる。
愛機の﹃ダークフェンリル・マスカレイド﹄を模してデザインさ
355
れた、二本の刀を背負う鋼の重罪人。不気味なマスクをつけ、放熱
する際にマスクから呼吸音のような気味の悪い排出音をならすこと
から、ソイツはこう名付けられた。
﹃ダークストーカー・マスカレイド!? ゲームの機体の筈なのに、
どうして!?﹄
スバルが驚きの声をあげる。彼はつい少し前に画面の中でこの鋼
の罪人と戦ったばかりだった。突然やって来た二次元からの襲撃者
は、スバルの度肝を抜くのには十分すぎた。
アウラがローラースケートを走らせる。彼女はイナズマのような
猛烈なスピードで姉の手を取り、ダークストーカーのコックピット
へと一直線に向かっていった。
だが半ば無理やり連れて行かれた状態でも、カノンは壊れたよう
に呟き続けていた。
﹃そうすれば、リーダーも師匠も私を認めてくれる。もう見捨てら
れないんだ。皆で一緒に⋮⋮﹄
獄翼に向かって伸ばした細い手は、届くことはなかった。
356
第26話 vs姉妹と喧嘩とダークストーカー
独自の空間転移術を操る黒猫、ミスター・コメット。彼の正体は
40代の人間だと噂されているが、その素顔を見た者は未だに存在
しない。古くから王国に仕え、様々な移動を担う彼のことを知らな
い戦士などいないだろう。
特に自由自在に出現させる空間の穴は、一時的にどんな物でも取
り出せるポケットの役目を果たすことができる。この能力で大勢の
兵士を一気に送り込み、敵国を殲滅させるという功績を残したこと
もあった。今回のように巨大ロボットを出現させることなどコメッ
トにとって造作もない事だ。
しかしそれでも、今回の仕事については不安に思う。
巨大決戦兵器、ブレイカーの輸送を申請してきたのはシルヴェリ
ア姉妹だ。そして彼女たちのブレイカーは、オーダーメイドだった。
コメットはよく知らないが、なんでもブレイカーズ・オンラインと
いうゲームでデザインしたカノン専用の機体らしい。そこまでは贔
屓目に見てもいいだろう。
問題は今回の相手だ。敵は縁を切っているとはいえ、彼女たちの
リーダーであるカイト。そして彼女の現在の師匠であるスバルの二
人である。
エレノアから移動した場所を教えてもらい、人気の少ない山道に
転移してきたのは良いものの、まさか彼女たちに因縁深いコンビが
王国に逆らっていたとは思わなかった。
カイトが獄翼のコックピットに駆け寄る。恐らくはダークストー
357
カー・マスカレイドに対抗する為に後部シートに座るつもりなのだ
ろう。
アレに搭載されているシステムは最新鋭の同調機能だ。カイトレ
ベルの新人類を取り込めれば格段に破壊能力が上がる事は目に見え
ている。現に王国屈指の防御力を誇るヴィクターですら敗れた。ま
ともに戦えば勝機はかなり薄いだろう。
もう一つ懸念点がある。シルヴェリア姉妹の精神的脆さだ。嘗て
カイトも指摘していた点ではあるが、彼女たちは極度の依存傾向が
みられる。
XXX時代、その依存関係の解消の為にカイトが二人の間に入っ
たのだが、結果としては逆効果に終わってしまった。彼女たちはカ
イトに付きっきりになり、全幅の信頼を彼に寄せた。もしかすると
カイトはそれが煩わしくなったのかもしれない。最終的には彼女た
ちを切り捨てる事を選んだのだから、少なくとも良い感情を持って
いたかったのは事実だろう。
問題はその後だ。
捨てられた後の彼女たちは彼を恨み、生きていると信じて実戦を
重ねてきた。少なくともコメットの目から見てもそうだったし、ア
ウラは憎愛に身を任せて雷を放ちまくっている始末だ。
しかしカノンはどうだ。彼女はスバルと言う新たな依存先︵弟子
入り︶を見つけた為か、アウラほど怒りに身を任せていない節があ
る。ヴィクターに見せた怒りの拳は本物だと思うが、それにしては
あまりに切り替えが早い。
これはコメットの考えだが、実は彼女の心はとうの昔に潰れてし
アルマガニウム
まっているのではないだろうか。カノンは生まれつき、喉に障害を
持って生まれてきた新人類だ。今は特別製の人口声帯で補助されて
いるとはいえ、それが原因でよく苛められたと聞いている。
358
具体的に何があったのかまでは知らないが、そこに加えてカイト
から捨てられ、師事しているスバルとも敵対することになった。踏
んだり蹴ったりとはまさにこのことだとコメットは思う。
そして恐らく、それらの要素が合わさった結果、彼女はこれ以上
の現実を受け入れる事を拒否したのだろう。ゆえにカイトがまだ自
分に優しくしてくれる筈だと信じてるし、スバルも自分との繋がり
であるゲームを引退したくない筈だと言う気持ちだけが強まってい
く。
不憫な子だとは思う。頼りにしたい人は常に彼女から離れていき、
機械音声ゆえの不気味な声が人を寄せ付けない。人一倍の寂しがり
屋に対して、神は強大な能力と引き換えに人間として形成する為の
要素を消してしまったのだ。
そんな壊れかけている彼女で、1対1最強候補に挙がるであろう
機体とパイロットコンビに勝つ事は出来るのだろうか。
コメットは推測する。申請があって出してきている以上、何かし
らの勝算はあると思いたい。だが彼女の目的は既に王国の意図から
大きく逸脱している。最悪、ヴィクターが言っていたように寝返る
可能性だって十分ありうる。
ならば保険くらいはかけておくべきだろう。
木々の間の闇の中。薄暗い空間の穴の中に隠れ、2体の巨大ロボ
ットが対峙するのを見守るコメットはそう考えていた。
Xなんて代物使えねぇよ!﹄
﹁開けないだと!? 何のつもりだ﹂
﹃この状況でSYSTEM
359
コメットの考察とは裏腹に、獄翼側は再び言い争いが発生してい
た。長い共同生活の中で喧嘩らしい喧嘩をしたことが無い二人だが、
この日は明らかに険悪な雰囲気だった。
議論はカイトをコックピットに入れるか、否かだ。
X﹄は後部座席から
冷酷すぎるカイトの態度に激怒したスバルは、彼をそのまま獄翼
に招き入れる事は危険だと判断していた。
特に獄翼に搭載されている﹃SYSTEM
でも起動が可能だ。それを使われればカイトの意思にコントロール
を乗っ取られ、ダークストーカーごと姉妹を惨殺しかねない。巨大
ハリガネムシの二の舞だけは御免だった。
﹁お前で勝てるのか、あいつに!? 向こうは能力を使うぞ!﹂
﹃アンタの勝利は相手を殺すかどうかなんだろ!?﹄
﹁そうだ!﹂
悩む事も無くカイトが即答する。同時に、相対するダークストー
カーのカメラアイに光が点った。
﹃そんな勝利、俺は欲しくない!﹄
コックピットハッチに詰め寄るカイトをどかすように獄翼が立ち
上がる。カイトはそれで吹っ飛ばされることは無かったが、流石に
動いている獄翼のコックピットに侵入しようとする気はなかったよ
うだ。走り始めた途端に舌打ちし、比較的安全な右肩へと駆け上る。
﹃俺の勝利は、アンタの勝利とは違う!﹄
獄翼が1組のダガーを抜き、構える。ソレに立ち向かうようにし
360
て背中の刀を引き抜いたのはダークストーカーだ。
ダークストーカー︵カノン︶の戦法はスバルと同じように接近戦
主体のコンボ重視。二本の刀で相手をめった切りにし、時折ブレイ
カー自身の格闘コンボを挟むのが基本だ。全部自分が動画の中でや
ってきたことである。
だが、ダークストーカーは抜いた刀を大地に突き刺した。
﹃え?﹄
予想外な行動を前にしたスバルが間抜けな声を出す。カイトはそ
れを見たと同時、次の行動を予想した。
﹁ナイフが来るぞ﹂
ダークストーカーは一旦屈み、足に装填されているナイフを抜い
た。
スバルが初めて見る武装だったが、ダークストーカーのデザイン
には確かに存在している物だった。カノンが意図的に使用していな
かっただけなのかもしれない。
﹃刀じゃない?﹄
﹁元々これがアイツのスタイルだ。ブレードは多分、ゲームから使
い始めたんだろう﹂
実際のカノンはそこまで長い刃を使用していない。しかし、だか
ブレイカー
らといってブレイカー戦でもそれが通用するのだろうか。
パイロットが操縦する代行者による戦いと、生身での戦闘はまる
で違う。スバルだってブレイカーでの戦いが得意でも、実際に殴り
合って戦えるとは思っていない。カノンに至っては長い間ブレイカ
361
ーで刀を振るってきているのだ。わざわざナイフを抜いて自分自身
のスタイルに変える必要はないだろう。
スバルはそう思っていた。
だが引き抜いた瞬間、ダークストーカーの関節部から青白い光が
溢れ出した。霧のように噴出したそれは、同調機能が起動した合図
でもある。握られた刃に紫電が流れはじめた。
だが同時にスバルとカイトは確認する。ダークストーカーの足に
電流が流れている。しかも車輪のような物が足の裏から出現してい
るのだ。
﹁あれは﹂
﹃ローラースケート?﹄
見たことがある。先程までアウラが使っていた代物だ。だが単な
る同調機能では新人類に装備されたアルマガニウム製の武器までコ
X!?﹄
ピーできない。それができるのだとしたら、
﹃SYSTEM
﹁いや、違う﹂
スバルが出す解答を、カイトは即座に否定する。確かにシステム
の特徴としては同じだが、細かい動作が違っている。
﹁⋮⋮アウラは上半身に電流を流せない﹂
﹃え、そうなの?﹄
今までのアウラの行動をスバルは思い出す。ローラースケートを
使って走りまくっているのが印象的だったが、確かに足からしか電
362
流を流していない。だとすればナイフから流れる電流はカノンの物
Xとは違う、別の同調装置だ﹂
という事になる。
﹁SYSTEM
カイトが結論付けたと同時、ダークストーカーがナイフを振り回
し、乱舞する。電流が空を切り、風が伝わった。
﹃うっ⋮⋮﹄
﹁ビビるな。威嚇だぞ﹂
﹃わ、わかってるよ!﹄
﹁今ならまだ間に合う。俺と代われ﹂
素直に言うと、カイトは不安だった。ただのブレイカー同士の戦
いならば、スバルの技量で行動不能に持ち込めたかもしれない。恐
らく彼もそれが狙いだったのだろう。
だが本物のXXX、カノンとの真剣勝負となれば話は違う。シン
ジュクでやりあったモグラ頭や巨大カマキリが赤子に見えてくるだ
ろう。今の内に自分と代わった方がいいと判断した。
しかしスバルの意見は変わらない。
﹃いやだ!﹄
﹁我儘言ってる場合か! 武装の強度が同じとはいえ、敵はXXX
だぞ! しかも二人だ﹂
﹃彼女たちは敵じゃない!﹄
スバル
獄翼が構え直す。ダークストーカーに装備されたローラースケー
トが回転を始め、前進を始めた。
﹁あいつらは敵で、これは戦いだ!﹂
363
カイトがド田舎で育った少年の甘い考えを一喝する。多分、本人
が目の前に居たら胸倉を掴んでいた。相手だってナイフを振りかざ
している。その状況でまだ家族がどうとか言えるのだろうか。
﹃それでも、俺にとっては友達で。アンタにとっては家族だ﹄
﹁俺は違う!﹂
﹃アンタがそう思いたいだけだろ!﹄
獄翼に握られた刃がダークストーカーのナイフとぶつかりあう。
そのまま硬直することなくダークストーカーがエッジを逸らし、
流れるようにして後退する。ナイフで殺しに来ているというより、
ナイフを使ったダンスを披露されている気分になった。
﹁じゃあ、どうして獄翼を呼んだ!? こいつらが怖くなったから
だろ!﹂
スバルが痛い点を指摘され、息を飲む。その場にいなかったくせ
に意外と鋭かった。だがそれが正解なのは事実だ。ゆえにスバルは
それを受け入れる。
﹃ああ、そうだよ、怖かったよ! マジビビりだよ! おしっこち
びりそうになった!﹄
もうヤケクソだった。シンジュクに来てからこんなのばっかりだ
ったが、その方が自分らしさをより一層出せる気がする。ふっきれ
た人間は面倒くさいんだな、とスバルは思った。
﹃でも怖くなって、相手を黙らせるだけじゃダメなんだ! それは
きっと、お互いを不幸にする!﹄
364
﹁どうしてそう言える﹂
﹃もう後悔する選択をしないって、父さんに教えてもらったからだ﹄
カイトの表情が変わった。何時だったか、マサキ本人に同じこと
を言われた気がする。そしてスバルが王国に連れていかれる時、自
分も言った。
﹃アンタ後悔したんだろ!? そして俺に後悔するなって言ったじ
ゃないか!﹄
ナイフがぶつかり合う中、カイトは身動き一つせずに獄翼の頭部
を見つめ続けた。激しく揺さぶられてもバランスを崩さず、まっす
ぐに見つめている。XXXとして特化された身体能力が成せる賜物
だった。
﹃何に後悔してるのか知らないけど、同じ選択しかしなかったら変
われない!﹄
﹁俺はそれしか知らない﹂
﹃何度も聞いてるよそんなもん! でもアンタだって大人なんだろ
!﹄
故郷でときどき偉そうに年上ぶっていたのを思い出す。だが今の
カイトは﹃それ以外の方法を教えてもらってないから知らない﹄と
子供みたいな言い訳をしているように見えた。せめて偉そうにする
のであれば、自分で考えろよと言いたい。
﹃自分の知ってること以外が必要なんだよ! そして彼女たちはそ
れを求めてるんだ!﹄
激しいステップが繰り出され、ナイフが獄翼の装甲を削っていく。
365
明らかに押されていた。その事実にスバルは歯を噛み締めるが、彼
が戦っているのはダークストーカーだけではない。
現時点でのスバルの最強の敵は、カイトの中にこびりついている
彼の常識だった。それを拭い落とさない限り、彼の中にあるであろ
う後悔も、シルヴェリア姉妹とのいざこざも解決しないと思った。
﹁⋮⋮ちっ﹂
一通りスバルの考えを聞いたカイトは、沈黙した後に舌打ちする。
獄翼とダークストーカーの刃が幾度目かの衝突を迎えた。獄翼の
左手に握られていたダガーが弾かれ、スバルは電磁シールドの準備
に入る。
﹃くそっ! ナイフ一本しかない筈なのにここまで押されるなんて
!﹄
﹁当然だ。こいつは生身の方が強い。今は自分の力をお前に示して
るだけだ﹂
言いつつ、カイトが獄翼の肩を降りる。
腕を伝い、交差されている刃へと向かって走り始めた。
﹃な、何してんのアンタ!?﹄
スバルが叫ぶが、気にせず走り抜ける。カイトは獄翼に握られて
いるダガーの上にまで登りあがり、ダークストーカーのナイフめが
けて手刀を繰り出した。均衡を保っていた短刀がポッキリと砕ける。
﹃いぃぃぃぃぃぃぃぃっ!?﹄
スバルが驚き、ダークストーカーが一旦後退する。どこの世界に
366
巨大ロボットの巨大な刃を手刀で切り裂く男がいるだろうか。
ここにいた。それをやってしまうのがカイトという男である。
﹁返す﹂
片手で折れた刃︵巨大ロボ級︶を軽く持ち上げ、手放す。すると
カイト。その場で一回転して刃に向かって蹴りをぶち込んだ。
蹴り放たれた刃はダークストーカーの元にまっすぐ飛んでいき、
その鋼の巨体を刺し貫かんと襲い掛かる。しかしダークストーカー
も刃に向かって回し蹴りを放った。
ローラースケート越しの強烈なキックである。短刀の刃は見当違
いな方向へと返され、そのまま山道の中に突き刺さった。
﹃⋮⋮アンタ、ブレイカー必要ないね﹄
想像以上の超人ぶりを見せつけたカイトにカメラを向け、スバル
が力なく呟く。先日、モグラ頭と巨大カマキリを相手に生身で戦い
を挑むか、と勢い任せで提案したが案外行ける気がしてきた。
﹁当然だ。だがお前の発言には少し腹が立った﹂
カイトが獄翼の腕を伝い、再びコックピット前へやってくる。す
ると彼は迷うことなくハッチへと手を伸ばし、力任せにこじ開けは
じめた。
﹃ちょ、ちょ、ちょっと待った! 何するの!?﹄
﹁玄関の扉があかないんだ。こじ開けるしかないだろ﹂
﹃ないだろ、じゃねーよ! あ、待って! メキメキ言ってる。や
めて、マジでやめて!﹄
367
このままやられたら本当にハッチを力任せにこじ開けかねない。
これから北国に行こうと言うのに何を考えているのか。
普段のカイトが行わないであろう、後先考えない力任せの行動に
戸惑いつつもスバルは観念してハッチを空けた。目の前には機嫌の
悪そうなカイトが佇んでいる。
﹁⋮⋮何してる﹂
﹁あ、いや。殴られるのかな、と﹂
思わず手で防御の姿勢を取っていた。カイトはそれを見て溜息を
つき、無言で後部シートへ座る。
﹁殴られたいなら殴るが?﹂
﹁遠慮しておきます!﹂
先程まで言いたい放題だった少年はどこへ行ったのか、スバルは
すっかり頭が上がらない状態だった。本音を言えばブレイカーに乗
っている状態ならカイトも手出しできないと踏んでいたのだが、甘
い考えだったのだ。
彼は本当に規格外だった。ただ﹃この後﹄があるから力押しをし
なかっただけで、その気になれば生身でブレイカーを相手にする事
なんてなんでもなかったのだ。
その予想の斜め上を行く超人ぶりを垣間見て、スバルは焦ってい
た。
﹁⋮⋮武器だけ貸してやる﹂
﹁え?﹂
だが予想外な事に、カイトはこの戦いで自ら動いて始末をつける
368
Xを稼働させる。5分でアイツを起動不能にしろ﹂
つもりはなかった。
﹁SYSTEM
﹁お、おう!﹂
それはスバルとしては喜ばしい提案ではある。だが突然どうした、
と問いかけたい気持ちになった。先程まであんなに殺す気満々だっ
たというのに。
﹁⋮⋮いいんだな?﹂
確認の為、カイトに尋ねた。彼はやや機嫌が悪そうな表情になっ
たが、やがて観念するかのように溜息をついた。
X﹄を起動
﹁俺が勝手に動かない保証はないぞ。裏切り者だからな﹂
﹁そういう時、アンタは大体素直じゃないんだ﹂
﹁殴るぞ﹂
﹁やめて﹂
軽いやり取りを行った後、カイトが﹃SYSTEM
させた。
彼らの頭上に、無数のコードで繋がれた不細工なヘルメットが落
ちてくる。
﹁⋮⋮アイツらからしてみれば多分、誰でもよかったんだと思う﹂
﹁頼る相手の事?﹂
﹁ああ。俺はリーダーだった手前、新人育成を担う事になった。そ
の結果がこれだ﹂
意識を奪われる寸前、カイトはカメラ越しに映るダークストーカ
369
ーの姿を確認する。その不恰好な黒いボディに、幼かった頃のシル
ヴェリア姉妹の姿がダブった。
﹁ムカつくが、多分お前の言う事が正解だ。俺は叩き潰す事しか知
らない。他にどうすればいいのか、よくわからない﹂
それゆえにカイトは、見て学ぶことにした。どうなるかわからな
いが、現状ではこれが一番ベストな回答だと思っている。
﹁だから、お前の視点でそれを学ぼう﹂
カイトの身体を衝撃が襲う。体が跳ね上がり、その意識は獄翼へ
と吸い込まれていった。
﹁⋮⋮でっかい生徒だなぁ﹂
スバルが思わずぼやく。カイトも獄翼も、果てにはダークストー
カーですら幼い生徒に見えた。はっきり言って、かわいくない。
﹃その代り、次の試験は俺無しで突破してくれ﹄
﹁それは困る!﹂
カイト
生徒兼教師と言う複雑な立場の獄翼を起動させ、スバルは爪を伸
ばした。
370
Xと呼ばれる同調装置が搭載されている。
第27話 vs金メダル5個分の痛み
獄翼にはSYSTEM
これは近年開発された新システムで、後部座席に座る新人類を武装
含めて完全にラーニングする代物である。
同調機能が搭載されている。SYSTEM
Y﹄と呼ばれていた。
Xと同時期に開発され、
ソレと同じように、ダークストーカー・マスカレイドにも新型の
やや遅れて完成したそれは﹃SYSTEM
﹃アウラ。調子はどう?﹄
﹁問題ありません﹂
コックピットの中で無数のコードが繋っている不恰好なヘルメッ
トを被ったシルヴェリア姉妹は、機体とお互いの視界を完全にリン
クさせていた。メイン操縦席にはカノンが座り、通常の同調を反映。
そして後ろに座るアウラはSYSTEM Xと同じように、アルマ
Y﹄は二人の新人類の能力をラーニングし、後
ガニウム製のローラースケートごとダークストーカーと同調してい
た。
﹃SYSTEM
部座席に座るパイロットの武装も反映させる同調装置なのだ。
﹁向こうもやっと同調してきましたね﹂
﹃うん﹄
獄翼の関節部から青白い光が噴出し、指先から刃が伸びてくる。
よく知っているカイトの武器そのものだった。ここからが真剣勝
負だ。あの凶器に立ち向かえる武装は、そんなに多くない。
371
﹃見ててくださいリーダー、師匠。私たちは、二人のお荷物になら
ないくらい立派になりました。まだ戻れるんです﹄
その呟きに、アウラは何も言えなかった。
16年この姉と共に過ごしたが、彼女の考えが理解できないと思
った日は今日が初めてだ。共にカイトを憎み、裏切った報いを与え
る為に生きているであろうと信じてここまで戦ってきた。
ところがこの姉は、まだ心のどこかでカイトを信じている。彼ら
の元にいたいと。それに相応しい力を持っているのだとアピールし
ようとしている。それはアウラの目的とは別のベクトルへと向かっ
ている願いだった。
しかし、もう今となってはどうしようもない。
相手はカイトだ。既にカノンとアウラを捨てた男なのだ。アウラ
だって叶うのであれば彼と仲が良かった頃に戻りたいと思う。
だが、彼が自分たちを拒絶する理由がさっぱりわからない。それ
がわからない限りは謝る事もできないし、許してくれとだっていえ
ない。
それを理解したと同時、アウラは己の中に渦巻いていたカイトを
殺したいと言う気持ちが何時の間にか治まっていることに気付いた。
﹁⋮⋮どうして、こうなったんだろう﹂
誰にでもなく、アウラは呟いた。
だがその返答に応えるべき人物は、彼女たちに凶器を向け続ける
だけである。
372
﹃今朝話した通りだ。SYSTEM
ヘルメットを外せ﹄
﹁わかってる!﹂
Xを切る時は意識がある時に
獄翼のコックピット内部では簡単な打ち合わせだけ行われた。
そこには作戦らしい作戦なんかない。ただカイトの武器をスバル
X﹄の制限時間とその機
が使って、ダークストーカーを行動不能にする。
それだけである。
もっとも懸念すべきは﹃SYSTEM
能切断だが、これに関しては調べたカイト曰く、強制的に落とすの
であればヘルメットを外せ、ということだった。
これさえ外してしまえば二人の意識は共有されず、どちらかに引
っ張られることは無い。
そればかりか、切断の仕方がわからずに制限時間を過ぎるだけと
いう間抜けなオチも回避できる。手段は割と強行ではあるが、この
際切れればなんでもいいのだ。
﹃今回はなるべく我慢してよう。死ぬと思ったら遠慮なく反撃する
からな﹄
﹁アンタの出番を出す気はないよ!﹂
ダークストーカーが山道に突き刺さっている刀に手を伸ばしたの
と同時、獄翼は走り出した。
飛行ユニットを背負っているにも関わらずに大地を駆け抜ける姿
は中々滑稽ではあったが、この速度が馬鹿にならないくらい早い。
伸ばされた爪がダークストーカーに届き、接触する。それを感じ
たのか否か、ダークストーカーは刀を手に取らずに一気に離脱した。
373
﹁離れるの早っ!﹂
﹃当たり前だ。誰の爪使ってると思ってるんだ﹄
その威力はカイトの事を知る者であれば、誰もが知っている。
寧ろその切れ味を知っていて、刀を回収しようとした行動が不審
だった。
﹃⋮⋮ふぅん﹄
﹁なんだよ﹂
刀を視界に入れ、カイトは納得したように頷く。
ソレに対し、やや苛立ちを含めた言葉をぶつけるのはスバルだ。
何を1人で納得しているのかと言いたくなる。
﹃別に。今日の俺はあくまで貸すだけだ。後は自分で考えてくれ﹄
﹁超ムカつくんですけど!﹂
これはささやかな仕返しだったりするのだろうか、とスバルは思
う。全く可愛げがない上に危機感が無い。
恐らくカイトは本当に生命の危機だと判断しなければ自分で動く
気はないのだろう。本格的にスバルに任せる気満々だった。
﹃よそ見してる暇はないぞ﹄
﹁わかってるよ!﹂
ダークストーカーが迫る。ナイフも何も持たずに攻める彼女たち
の武装は、足に装着されているローラースケートと手から溢れる電
流だ。
これが距離の離れた場所からでも届く攻撃の為、中々面倒くさい。
374
獄翼の武装で唯一遠くからでも攻撃できるのはエネルギーピストル
のみだが、携帯銃でダークストーカーを仕留められるとは思わなか
った。
逆に言えば、彼女たちに致命打を与えられる武装は切れ味鋭いカ
イトの爪しかないことを意味している。ナイフ一本で押されている
始末なのだ。他の携帯武器で戦えるほど楽な相手ではないだろう。
それは同時に、ダークストーカー側にも言える事だった。
アルマガニウムの爪を獄翼が装備している以上、装甲の薄いミラ
ージュタイプでは一撃が致命傷になる。﹃ブレイカーズ・オンライ
ン﹄において、ミラージュタイプの機体同士が戦う場合、常にダメ
ージ量の計算との戦いになってくるのだ。
特にゲームの中でダークストーカーと戦ったことがあるスバルは
ある程度知っているが、ダークストーカーに装備されている武装は
その殆どが接近戦用である。これはカノンの好みもあるのだろうが、
戦略基準を機動力とコンボ重視にした結果、そうなったといえた。
先程デザインのみで全く使用されていないナイフなどがあったが、
流石に巨大なミサイルがこの華奢なボディから出現するとは思えな
い。
要するに、巨大ロボ同士による接近戦だった。
しかもお互いに極上の凶器を使用し、一撃でもまともに受ければ
その瞬間にゲームオーバー必須のサドンデスバトルである。
スバルは今の自分にHPゲージがある物だとは思っていない。
相手も含め、気分は刹那の居合切りだ。一撃を受ければその瞬間
に緑色の体力ゲージは無くなり、赤になって消滅する。
それを頭の中でシュミレートし終えると、スバルは己が不利な状
況であることに気付いた。
375
﹁カイトさん。爪、伸ばせない?﹂
蹴りを浴びせてくるダークストーカーから一旦離れ、威嚇のエネ
ルギー機関銃を放ちながらも問いかける。
彼らの持つ凶器は短い。手から直接伸びているとはいえ、刃渡り
は恐らくナイフくらいしかないだろう。対してダークストーカーの
リーチは足一本。挙句の果てにそこから放たれる電流は、機械の身
体にはいささか刺激が強すぎるように思える。
もしも可能であるなら、爪を伸ばして多少リーチの差を縮めたい
ところではあった。
﹃無理だ。これが限界﹄
﹁世界で一番爪の長い人間は、自分の身長以上伸ばしたって聞いて
るけど﹂
﹃ウルヴァリンを知ってるか? 長けりゃいいってものではない﹄
そういえばこの男はリアルウルヴァリンだ。スバルは納得すると、
質のいい爪を再び構える。
同時に彼は一つの結論を導き出した。それは今後の活動に支障を
きたす恐れもあるので、事前にカイトの承諾を得る必要がある。
﹁先に言っておくよ、カイトさん﹂
﹃何だ﹄
﹁痛かったらゴメン﹂
了承の返答も聞かず、獄翼はダークスト︱カーへと突進する。
対する黒い囚人はそれを見た瞬間、右手をこちらに向けて身体中
に流れる電流を集め始めた。ダークストーカーの右手に電流が渦巻
く球体が完成される。
376
﹁あれを受けたらさ﹂
それを見たスバルは、思わずカイトに尋ねた。
﹁痛いか!?﹂
﹃痛い。頭は痺れるし、身体は雷に焼かれる。獄翼は一瞬でスクラ
ップだ﹂
﹁じゃあ避ける!﹂
痛くないなら受ける気だったのか、というカイトの呟きを無視し
てスバルは目を凝らす。ダークストーカーの掌から光が飛び出した。
それを見逃さず、獄翼は横っ飛び。放たれた放電は獄翼がいた場
所を通り抜け、空を切る。もはや横向けの雷だった。
﹁よし!﹂
自身の目の良さを心の中で称賛しつつ、獄翼は再び攻撃態勢に入
る。人為的とはいえ雷を避けたのだ。これはちょっとした自慢にな
る。
高揚していく気持ちを押さえつつも、スバルはダークストーカー
の掌に注視しながら再び接近戦を試みる。
﹃⋮⋮!﹄
カイト
だが獄翼自身は身に迫る危機を肌で感じていた。
それよりも僅かに遅れて電子機器のアラート音がスバルに危機を
伝える。
﹁えっ!?﹂
377
身体が引っ張られる。それに合わせて獄翼は横に逸れるが、その
胴体目掛けて勢いよく刃物が飛んできた。ダークストーカーが山道
に突き立てた刀だ。
シルヴェリア姉妹の磁力に吸い寄せられた刀は、獄翼の華奢な胴
体を僅かに切り裂き、ダークストーカーの手に収まる。
獄翼のコックピットが激しく振動する。体感したことのない揺れ
を受けてスバルが操縦席から落とされそうになるが、身体に巻きつ
けているシートベルトがそれを押さえつける。
﹁くそっ⋮⋮! 何だ、今の!﹂
僅かに頭を打ち、悪態をつく。しかし一方のカイトは感心したよ
うに呟いた。
﹃へぇ、あんな事できるようになったのか﹄
﹁感心してる場合か! 斬られたんだぞ!﹂
再びコックピット内に喧しい警報が響く。モニターの左側に獄翼
の全体図が表示され、その右腰に赤い点がマークされていた。さき
ほどダークストーカーによって切り裂かれた箇所である。
もしもカイトが動かなかったら確実にコックピットを貫かれてい
ただろう。それを自覚すると、身が震えた。
﹃お前だって斬る気だろ﹄
Xで取り込んだカイトの再生能力により、浅い損傷が修復さ
ダメージを表示する赤い点が徐々に小さくなっていく。SYST
EM
れているのだ。
378
スバルはすっかり忘れていた同居人の異能の力を思い出しつつも、
彼の言葉を聞いた。
﹃相手を傷つけるっていうのは、そういうことだ。武器を取って我
を押し通すなら、恐れる事は許されない﹄
相手だって負ける為にブレイカーに乗っているわけではない。
もしも追い詰めたら、それこそ何をしでかすかわかったものでは
ないのだ。最悪、自爆も考えられるとカイトは思う。
﹃相手はこれで最高のコンディションになった。お前は、あれと斬
りあえるか?﹄
﹁やるさ﹂
自身の顔を叩き、スバルは再びダークストーカーと相対する。
その表情には怯え、恐怖、戸惑いと言った感情は見られない。
﹁俺はあの子の師匠だ。そしてアンタはあの子たちのリーダーだ。
立ち向かう義務がある﹂
﹃相手は自分の力を示す為に、もっとえげつないことをしてくるか
もしれないぞ﹄
﹁なら、その前に動けなくするだけだ!﹂
残り時間、2分15秒。
刀を取ったダークストーカーが黒い装甲に電流を纏いながら突撃
してきた。さながら、雷のマントである。
それを確認したスバルは同居人へと叫んだ。
﹁最後の質問だ! アンタの能力があれば、獄翼はどこまで耐えれ
ると思う!?﹂
379
オマエ アルマガニウム
﹃脳と心臓が耐えられる限り﹄
﹁なら、耐えて見せらぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ
っ!﹂
スバルが吼える。彼は電気を纏うダークストーカーに向かって、
迷うことなく獄翼を進ませた。
その距離が0に近づいた瞬間、ダークストーカーの手に握られた
アルマガニウム
刀が縦に振り下ろされる。この時スバルは気づいていなかったが、
この刀は特別製である。カイトの爪に対抗する為、まっさきにダー
クストーカーが取りに戻ったのがこの刀だった。その事から推測し
ても、そこは間違いないだろうと言うのがカイトの見解である。
しかし、同時にカイトは思う。
自分が彼女たちを捨ててから、一体どれだけの戦績を納めてきた
のだろう、と。
王国兵がアルマガニウム製の武器を入手するのは、それ相応の評
価が必要だ。シルヴェリア姉妹の場合、わかっているものだけでも
カノンの声帯器と包丁、アウラのローラースケートとダークストー
カーと揃い踏みしている。そこに加えてブレイカーサイズの刀まで
用意させたとあれば、カイトも驚きを隠せない。
二人がかりとはいえ16歳という若さで、このラインナップは異
常だった。XXX時代、カイトに支給されたアルマガニウムが身体
に埋め込まれた爪のみであることを考えれば自然にその凄さはわか
るだろう。オリンピックでいえば二人で金メダルを5枚取っている
ような物だ。
﹁うおりゃあああああああああああああああああああああああああ
あ!﹂
その金メダル5枚分はあるであろうシルヴェリア姉妹の斬撃を、
380
スバル
獄翼は両手の爪で弾いた。
続いて繰り出されたローラースケートによるハイキックは獄翼の
ボディ全体を使って受け止め、ダークストーカーへと密着する。
ダークストーカーの装甲から溢れる電流が、一斉に獄翼へと襲い
掛かる。機械の身体が悲鳴をあげるのを耳に入れながらも、スバル
はダークストーカーを放さなかった。
﹁痛いか、カイトさん!﹂
しかし、痺れるのは獄翼だけではない。
当然ながらそれに意識を取り込まれているカイトもその痛みを実
感するし、コックピットにいるスバルだって痛い。寧ろ喋れるのが
驚きだった。
﹃⋮⋮痛いよ﹄
﹁だろうな! けど、彼女たちはもっと辛い痛みを味わったんだ!
アンタの言う﹃痛み﹄とは違う痛みだ!﹂
言いつつ、獄翼は両手でダークストーカーを強く抱きしめた。
肩にかけた爪先は黒の囚人の両腕を切り裂いており、ダークスト
ーカーの両腕と共にアルマガニウムの刀が木々の間に落下する。
﹁⋮⋮我慢してくれよ﹂
申し訳なさそうにスバルが言うと同時、獄翼の頭部から無数のエ
ネルギー弾が火を噴いた。ダークストーカーのゴツイ鉄マスクが剥
がされ、頭部は見る影も無く削られる。恐らく、両肩に爪を差し込
んだ瞬間からコックピットには相当な衝撃が襲い掛かっているだろ
う。
381
機能を停止したダークストーカーが獄翼にもたれ掛る様にして倒
れ込む。
Xの残り時間はま
それを見たスバルは、エネルギー機関銃の発射ボタンから手を放
す。
﹁はぁ⋮⋮はぁ⋮⋮はぁ⋮⋮﹂
ほんの少しの間だけの接触だった。
時間にすると一分も無い。現にSYSTEM
だ1分50秒以上残されている。
しかしそれ以上に身体を襲う衝撃。そしてダークストーカーに繰
り出した無我夢中の一撃による興奮が、少年の息を切らしていた。
今スバルが流す汗は、恐らく彼の人生の中で最も多い量になっただ
ろう。
﹁いきてる?﹂
コードが繋がれたヘルメットを取り外し、息を整える。
まだ機能している獄翼のカメラアイが外の映像をコックピットに
いる少年と同居人へ届けるが、スバルの疑問への解答にはならなか
った。
映っているのはダークストーカーの黒いボディだけで、中のコッ
クピットの様子までは見れないのだ。これでは中にいるシルヴェリ
ア姉妹の状態がわからない。
﹁カノン、妹さん。俺達の勝ちだ。もう終わりにしよう﹂
スピーカー越しにスバルが語りかける。
ダークストーカー側の通信は、辛うじて生きていた。
382
﹁全部水に流すのは難しいと思う。カイトさんもこんなだし﹂
後部座席に座るカイトの意識がそこで戻った。そして戻った瞬間、
軽い人格否定をされた。
彼は少々気難しい顔をしながらも、スバルの通信を無言で聞く。
﹁でも、歩み寄ろうとしないと戻れないんだ。本当はそれを望んで
いるのに、それをしようとしないなんて間違ってると俺は思う﹂
難しい問題なのは事実だろう。カイトの問題もいまだにわからな
いままだし、再び聞いたところで答えてくれるとは思わない。
8、9割くらいはカイトが悪いと判断しながらも、スバルはダー
クストーカーに誘いをかけた。
﹁今すぐがダメなら、俺が間に入るからさ。仲直りしてもらえない
かな。カノンも、妹さんも、カイトさんも﹂
スバルがそういうと、やや静寂の時が訪れた。
ダークストーカー側からは、何の返事も帰ってこない。後ろに座
る同居人も、何も言い返してきてはこなかった。
383
第28話 vs無関心
壊れたプラモデルのように動かないダークストーカーを抱える形
で、獄翼はシルヴェリア姉妹からの返答を待つ。恐らく彼女たちは
高確率で昔の関係を取り戻したい筈だと考えるスバルは、コックピ
ットが開くのを今か今かと待ち侘びていた。
﹁⋮⋮まだかな﹂
自然と口にまでだしていた。
それを見たカイトが﹃乙女かお前は﹄と野暮なツッコミをしてき
たが、気にしない。
今はそれだけカノンとアウラが気がかりだったのだ。寧ろ後部座
席に座るこの男が元凶なのだから、反省の色を見せてほしい。
﹁気にするのはいいが﹂
無視されたカイトはやや半目になりながらもスバルに言う。
﹁幾らなんでも近すぎやしないか﹂
﹁そうかな?﹂
頭部と両腕を取り除いたとはいえ、ダークストーカーは接近戦重
視のブレイカーだ。
それを抱きかかえるような形で支えているこの状況が好ましくな
かったのである。
﹁まだ足と胴体が残ってるぞ。駆除しないとなにをするかわからん﹂
384
﹁幾らなんでも潔癖症過ぎやしない?﹂
﹁そんなことはない。現にコイツは足にナイフを隠してただろ﹂
言われてスバルは思い出す。
ダークストーカーの足にはスパイアクション映画に出てくるエー
ジェントのように武器が仕込まれているのだ。
挙句の果てに、足にはローラースケートがついている。足に装着
されたままの加速装置は、まだ消えていない。
﹁まだソイツは武器を持ってるぞ﹂
﹁でも、もうナイフを取る手は無いぜ。足だってこの距離じゃマト
モに上げれない﹂
だから大丈夫だ。彼女たちはまだ武器を持っているが、それでも
襲い掛かってくることは無いだろう。
そう結論付けたスバルに、カイトは軽く舌打ちした。
﹁どうなっても知らないぞ﹂
﹁どっちかっていうと、問題あるのはアンタなんだけどね﹂
﹁何が問題だと言うんだ﹂
﹁全部﹂
迷うことなくそう断言した。これには流石のカイトも押し黙り、
後部座席に引き籠る。今にも不貞寝しそうな態度だった。
それを見て少し言い過ぎたかな、とスバルは思うが、どう考えて
も今回の一件はカイトが肝心な事を話そうとしないのが悪い。それ
さえハッキリさせてしまえばもっとスマートに姉妹の件は解決でき
ていた筈だ。
そう思うと、あまり悪い気分じゃなくなってきた。
385
それにしても、ダークストーカー側の返答は一向に来ない。
アウラは兎も角として、カノンの態度を考えればこの話に飛びつ
いてくるのではないかと思っていたが、その予想は完全に外れてい
た。
呼びかけてから10分が経過。
だがその10分がスバルにとっては何時間にも感じられる。こう
している間にもあのコックピットの中では姉妹が相談し合っている
のだろうか。
もしくは結論を既に出し終えているのだろうか。
いずれにせよダークストーカーが殆ど戦闘兵器として機能しない
以上、彼女たちの意思は直接本人達から聞くしかなかった。
暇を持て余しているカイトが、やや苛立った口調で尋ねる。
﹁⋮⋮どの程度待つ気だ﹂
﹁アンタが待てない時間でも俺は待つさ﹂
﹁それはマズい﹂
なにが、と口に出す前にカイトは答えを出した。
﹁次の追手が来る﹂
状況は昨夜から何一つ変わっていないことを考えると、当たり前
の答えではある。事実、エレノアもすぐに追いかけてきている始末
だった。
彼女がこの場に別の人形で現れたという事は、空間転移術の使い
手も既に追いついていると考えていい。
﹁今回はエレノアとこいつらが追手だった。次の目途が立ち次第、
すぐ来るぞ﹂
386
﹁その時は、また倒す﹂
スバルの口から、自分が思っている以上に迷いのない暴力的な発
言が飛び出した。
﹁今、二人にとっても俺達にとっても大事な分岐点なんだ。ここで
俺達だけ逃げたら、今度こそあの二人とは戻れない気がする﹂
﹁何故そう思う?﹂
﹁俺の勘だよ﹂
﹁不確かだな﹂
カイトが馬鹿にするように軽蔑の眼差しを送るが、それだけだっ
た。
ついさっきまでのように食い下がってこないし、力尽くでスバル
を押さえようともしない。
﹁だが、俺よりはマシかもしれないな﹂
それがカイトの答えだった。彼は自分の発言を忠実に守ったので
ある。
この件はスバルに任せて、カイト自身はそれを見て学ぶ。カイト
は自身の持つ常識が、周囲の人間のそれと多少ズレていることを自
覚していた。
正直に言うと、今回の件も敵を潰すと言う結論以外出てこない。
ならばそれ以外の選択を選んだスバルが、どうやって向き合うつも
りなのか。興味が湧いた。
少なくともカイトは、スバルと言う少年の精神的強さを高く評価
していた。
シンジュクの大使館でゲイザーに立ち向かったのはその証明だと
思っている。
387
﹁⋮⋮お前に任せると言った手前、最後まで付き合おう。ヤバくな
ったら全力で逃げるぞ﹂
スバルは静かに首を縦に振る。恐らく、あのダークストーカーの
コックピットの中で姉妹は今後の人生を左右するであろう選択肢を
必死になって選んでいるのだろう。
既に時間としては10分経過しているが、ギリギリまで悩ませて
あげたかった。
彼女たちにも、後ろの同居人にも後悔して欲しくない。スバルは
その一心で、ダークストーカーのコックピットを凝視していた。
結論から言おう。ダークストーカー・マスカレイドには、まだ獄
翼を葬り去る武器が存在している。
それは直接手に取る物でなければ、ミラージュタイプのブレイカ
ーに標準装備されているエネルギー機関銃でもない。
膝に仕掛けてある隠し武器、光波熱線で敵を焼き斬るレーザーカ
ッターである。獄翼との距離は殆ど0。倒れそうな体勢を支えられ
ている今の状況だと、膝蹴りを放てばそれだけでコックピットを貫
く事ができる。
だが、カノンにはできなかった。
くどいようだが、彼女の夢は元の生活に戻る事だ。
アウラと今までのように一緒に暮し、そこにカイトもいて優しく
してくれる。
388
一緒にゲームをするスバルもいる。
彼女にとって、スバルの出した﹃仲直りの提案﹄はとても魅力的
な物だった。
しかし、それだけに不安要素があまりに重い。
後ろでコードに繋がれたヘルメットを脱ぎ捨てたアウラもそれは
同様だった。
﹁今更、できるわけないでしょ﹂
吐き捨てるように放たれた一言は、どこか強がっているようにも
聞こえた。アウラもこの提案に揺さぶられているのだ。もしもこれ
が豪勢な料理を食べさせてやるぞ、とかなら犬のように尻尾を振り
ながら飛びついていただろう。
ところが、飛びついた先にナイフがあるとすれば素直に喜べない。
彼女たちの懸念はただ一つ。カイトが果たして元に戻ってくれる
かどうかである。
XXX時代、彼は先輩としてシルヴェリア姉妹の面倒を1から1
0まですべて見てきた。それこそアウラがいい年こいてやらかした
オネショの始末までしてくれている。
そんな彼が、何の前触れも無く急にシルヴェリア姉妹を切り捨て
てきた。アジア某所の王国関係施設は大破。原因はカイトによって
持ち出された爆弾とされていた。証拠品として、彼が武器保管室か
ら爆弾を持ち出した瞬間が納められている映像も提出されている。
カイトが自殺を図り、それに何人かが巻き込まれたというのが王
国側の出した結論だった。
彼らの保護者であるエリーゼもこの一件で死亡。同じ区間に居た
389
第一期XXXの残りメンバーも死亡扱いを受けてこの一件は幕を下
ろした。
かに見えた。
この一件の被害はそれだけに収まらず、隣の第二期XXXの住居
スペースにまで影響を及ぼしていたのだ。彼女たちの部屋の近くに
爆弾は意図的に取り付けられていたのだろう。専門家による爆発位
置の予測がそれを裏付けていた。
結果、アウラは足を焼かれて長い治療生活を強いられることにな
り、同時に被害者という立場に回る事になった。しかし第二期XX
Xのメンバーに対する風当たりは、明らかに棘があるものへと変貌
したのだ。
ある者は人体実験のサンプルとして引き取りたいと言ってきたら
しい。あまりにも率直過ぎて度肝を抜かされたのは今でも覚えてい
る。彼女たちに人権はなくなった。全てカイトが壊していったのだ。
だが、6年経った今でもまだ信じられない。少し前に本人から認
める発言が出たが、それでも尚信じられなかった。
好意を寄せていた筈だったエリーゼを殺し、住んでいた場所を捨
て、今は旧人類の少年と一緒に王国へ反逆し、国外逃亡を図ろうと
している。
何が彼をそこまでさせるのか。カイトが何を考えているのかが、
さっぱりわからない。
衝動的なのか。もしくは昔からそうだったのか。
彼にとって自分たちは何だったのだ。体のいい部下か。それとも
妹分か。力を示しても、彼は大きなリアクションを取ってくれなか
った。
無関心だったのだ。6年ぶりの再会でもそうだ。彼は長年付き添
390
ってきたカノンとアウラを見て、何の言葉も掛けずに見下ろすだけ
だった。恐らくスバルがいなければ、何も言わないでそのまま戦っ
ていただろう。
﹃リーダーは﹄
カノンが重い口を開く。
﹃私たちを必要としてくれるかな﹄
結局のところ、必要とされたいのだ。仮に必要とされずに、怒ら
れたとしてもそれでいい。直していけばいいだけの話だ。
今、希望があるとすればスバルの存在だろう。カイトと対面して
意見をぶつけ合う事ができる少年が間に立ってくれるのであれば、
もしかすると可能性はあるかもしれない。
カノンはその可能性に賭けたいと思う反面、不安に思っていた。
後ろのアウラが振り絞るように言った。
﹁そんなわけ、ないじゃない﹂
その表情はカノンからは見えないが、6年前にカイトから捨てら
れ、ショックで放心状態だった時と同じ表情をしているんだろうと
いう確信があった。
﹁あの人は、アイツは⋮⋮私たちを捨てたんだ﹂
自分に言い聞かせるようにして、アウラは言う。
彼女は激しく揺れる己の眼を姉に見られまいと、両手で自分の顔
を隠した。
391
﹁いらない子なんだ。リーダーにとって、私たちは⋮⋮!﹂
﹃アウラ、大丈夫だよ。師匠もいるから﹄
カノンが怯える子供をあやすように言う。
するとアウラは両手の指の間から目を覗かせ、カノンに向けて呟
いた。
﹁無理だよ﹂
まるで崖にでも突き落とされたかのような錯覚を覚えた。
視界が、妹を中心に暗闇に飲み込まれていく。
﹁もっと早くに気付くべきだったんだよ。私も、姉さんも。もうリ
ーダーはあの頃に戻らない。私達も戻れないって﹂
力は示した。ダークストーカーの存在。幾つものアルマガニウム
製の武器の所持。昔は使えなかった能力の応用。
しかしカイトはそのすべてに対し、何も言ってくれはしなかった。
そこに関心が無かったのだ。
それなら、いい。
必要とされないなら、そんなリーダーは消えてしまえばいい。必
要とされない私も、いらない。
アウラは後部座席のタッチパネルを操作し、ダークストーカーを
起動させる。攻撃を仕掛けるつもりかとカノンは思ったが、違った。
392
ダークストーカーのコックピットブロック。そのハッチが開いた
のである。
﹃アウラ、どうするの?﹄
姉の問いかけに、妹は何も答えない。
アウラは後部座席から立ち上がり、カノンの前へと出る。コック
ピットから這い出たアウラは、獄翼のコックピットを一瞥し、呟い
た。
﹁⋮⋮仕方ないじゃない。リーダーが愛してくれないんだもん﹂
ローラースケートが回転する。
様々な感情を詰め込んだ、歪んだ表情をしながらもアウラは獄翼
を見る。
そして静かに目を閉じた後、彼女はダークストーカーのコックピ
ットから身を投げ出した。
393
第29話 vs元に戻れない関係
愛ってなんだろう。今日は懐かしい顔ぶれからそういう言葉を聞
く気がすると、カイトは思う。
子供の頃に見た宇宙刑事は﹃躊躇わない事さ﹄と教えてくれたが、
それが人を狂気に走らせるかは非常に疑問ではある。
いや、確かに躊躇わなければ人間はなんでもできてしまうだろう。
しかしそれで自身を殺す選択を取るのは、果たして愛と呼べるのだ
ろうか。
後で調べたが、一般的に愛とは相手を守ってあげたいと思う気持
ち。
いとしいと思う気持ち。
かわいらしいと思う気持ちを指すらしい。
では果たして愛してるとか、愛して欲しかったと言った少女の事
をカイトはどう思っているのだろう。
結局のところ、一番肝心な点はそれなのだ。
カイトがそれをハッキリさせないから、話の流れが妙な展開にな
っている。別に嫌いならハッキリとそう言えばいい。それはカイト
だって理解している筈だ。もしも理解していないのであれば、彼の
保護者であるエリーゼの人格を疑うレベルである。彼の同居人であ
るスバルは、今回の一件をそう捉えていた。
だがここにきて始めて、カイトは戦う以外のアクションを起こし
た。
アウラがダークストーカーから身を投げて、ようやくである。彼
はアウラと同じように後部座席からコックピットを開き、獄翼から
394
飛び出す。
﹁あ、アンタこの一大事に何する気!?﹂
後ろからスバルが何か言ってくるが、すべて無視した。対応して
いる時間すら惜しい。
カイトは獄翼の腕を伝い、全力で走った。そして勢いをつけ、ア
ウラと同じように飛び出した。
身体が弾丸のように空を切る。アウラとの距離は見る見るうちに
縮まっていき、伸ばした手が彼女の腕を掴んだ。
﹁リーダー?﹂
瞼を閉じたアウラが目を開き、腕を掴む存在に驚愕する。思わず
何度か瞬きをしていた。それほど意外だったのだろう。
それもその筈。カイトだって自分のやっている行動が意外だった。
気が付けば、すでに走り出していたのだ。そして理性がどうこう言
う前に、飛び出していた。理性が自分に抗議し始める頃には、既に
彼女の手を取っていた。
﹁何やってるんだろうな、俺は﹂
自分に言い聞かせるようにカイトは言う。獄翼とダークストーカ
ーのコックピットは地上10m以上。XXXとして鍛えられた身な
らば、着地は容易だろう。
ところが、今回に限ってはそうはいかない。アウラは頭を意図的
に地上に向けていた。これで大地に叩きつけられれば、いかに新人
類とは言え何のダメージも無いとは思えない。更に言えばダークス
トーカーが落とした巨大な刀も転がっている。もしもここに落ちた
ら体は真っ二つになっているだろう。
395
敵なんだろう。ならそれでいいじゃないか。
カイトの中の理性がそう叫んだ気がした。
だが身体が言う事を聞かないので、勝手にしろと命じた。すると、
カイトは自然とアウラの手を引っ張っていた。
﹁どうして?﹂
﹁体が勝手に動いてた﹂
アウラの疑問は、そのままカイトの疑問だった。
6年前、全部見切りをつけたつもりだった。ゆえに今更情が湧く
わけがないと強がっていたのだが、案外そうでもなかった。
結論から言おう。カイトはシルヴェリア姉妹が嫌いである。
始めて会った時からよく泣くし、付きまとうし、おねしょはする
し、任務で失敗はするし、口を開けば﹃リーダー﹄としか言ってこ
ない。
うるさかった。何度か耳栓を持参したこともあったが、耳を塞い
でも視界の中に入ってくるので無視もできない。当時はエリーゼの
頼みという事もあり、無下にはできなかったのもある。
もしも彼女から頼まれなかったら、誰か適当な同期に面倒を押し
付けていただろう。彼女たちの一方的な好意は、カイトにとって迷
惑以外の何物でもなかった。
ところが、それなりにいい年になった今。カイトはその姉妹の片
割れを助けようとしていた。これには自身でも驚いている。
シルヴェリア姉妹に対する哀れみがそうさせたのか、それとも情
が今更湧いてきたのか、もしくは何も言わないで別れたことを後悔
していたのかもしれない。
396
だが、全部今更だ。
今回は身体が勝手に動いた。カイトが自分の起こした行動を上手
く言葉にできない以上スバルの望んだ答えではないし、カイト自身
が納得する回答ではないと思っている。
強いて言える事があるとするならば、カノンもアウラもしばらく
見ない間に大きくなったな程度だ。
逆に言えば、そう思うくらいの関心がカイトにはあった。
もっとも、当の本人はまだ無自覚だったのだが。
﹁離してよ﹂
﹁やだ﹂
﹁やめてよ! なんで今になって手を伸ばしてくるのよ! ずっと
待ってたのに!﹂
アウラは泣き叫びながらも、カイトの手を放そうとしなかった。
離せと言いながらも、本人が離す気が無いなら意味ないな、とカ
イトは思う。
﹁じゃあお前から離せよ﹂
﹁いやよ!﹂
﹁おい﹂
なんだその返しは。
カイトは思わず困惑した。支離滅裂どころではない。なんで数秒
前に離せと言ったくせに、今度は離したくないと言い出すのか。
397
﹁またどこかに行っちゃうんでしょ!?﹂
その問いかけに、そうだ、と答えるのは簡単だ。しかしカイトは
すぐにそれをしなかった。
何故ならば、彼は自身の身体に僅かながらの違和感を覚えていた
からである。背中が宙に引っ張られ始めているのだ。
﹁⋮⋮リーダー?﹂
カイトの困惑が伝わったのか、アウラが不思議そうな顔をする。
その瞬間、彼の身体に繋がれた無数の銀の線が走り、カイトの肉体
を締め上げた。
﹁︱︱︱︱っ!﹂
声にならな痛みがカイトの身体を駆け抜ける。彼は焦点の定まら
ない目を必死に凝らし、何時の間にか真上にいた攻め手を睨む。
﹁またお前か、エレノア﹂
その名前が出た瞬間、カイトとアウラの落下が停止する。二人は
視界に捉えるのすら難しい銀の糸に絡め取られており、全身を締め
上げられている。
さながら、蜘蛛の巣に引っかかった獲物のようであった。
﹁カイトさん!﹂
﹃アウラ!﹄
二機の黒いブレイカーから、スバルとカノンが叫ぶ。二人には何
が起こっているのかわからなかったが、第三者がこの場に介入して
398
きたのだという事だけは理解していた。
そしてやや時間を要した後、犯人が誰であるかも理解する。
﹁はぁい。エレノアだよ﹂
カイトの真上。上空に黒い穴が浮かび上がり、その中から美女が
這い出てくる。3体目の人形は、前の2体とはまた違った特徴があ
った。
しかし最早個人の特徴では収まりきらなくなりそうなので、カイ
トはそれ以上のツッコミを入れないことにする。
﹁まだ生きてたのか。人形ごと焼かれたと思ったが﹂
﹁残念だけど、人形のストックがある限り私は不死身なんだ。つま
り、君がいる限り私は死なない﹂
﹁やめろ﹂
なにが悲しくて人形オバサンのストックにならなければいけない
のか。もしもこれが就職先なら、こちらからお断りメールでも出し
てやりたいところだ。
しかし今回はメールを出す手間は省ける。ブレイカーに乗ってい
る同居人の少年に頼んで、エレノアを追っ払ってもらおうとカイト
は思った。
﹁スバル﹂
﹁止めておきなよ﹂
カイトの考えをあっさりと見抜いたエレノアが、彼を静止する。
こちらを見下ろしていたスバルとカノンの動きが止まった。
二人の首に、小さな蜘蛛が飛びついてきたのである。蜘蛛の尾か
ら小さな針が飛び出し、スバルとカノンの首筋につきつける。エレ
399
ノアの作り出した小さな玩具だった。
﹁もう巨大ロボットの介入なんてコリゴリだからさ。保険は掛けな
きゃね﹂
﹁⋮⋮人形専門だと思ってたが﹂
﹁専門は人だよ。でも、それ以外も作るさ﹂
恐らくはアウラとカイトがコックピットから出て行った際に仕掛
けておいたのだろう。復活の早さも去ることながら、用意周到であ
る。
特にエレノアは、先程自分を刺したカノンのことを決して忘れて
はいなかった。彼女が身体に電流を流す前に牽制を行うのを忘れな
い。
﹁あ、そうそう。根暗ちゃんに言うの忘れてたけど、妹ちゃんとカ
イト君を助けたかったら妙な真似しない方がいいよ﹂
アウラの首に巻きつく糸が締まる。首筋から赤い染みがじんわり
と浮かび上がり、アウラは悶絶した。
﹃貴様⋮⋮﹄
﹁君にやられたの、結構痛かったんだよね。一応立場的には味方だ
けど、さきにやったの君だし文句ないだろ?﹂
無い筈がない。文句大ありである。
しかし悔しい事に、エレノアの言葉は大体正しかった。アウラだ
けではなく、カイトやスバルまでもが一瞬で彼女の手に収まってい
るのである。カノン1人が暴れたところで、彼女の手が届かない誰
かが犠牲になるのは目に見えていた。
400
﹁ああ。そういえば﹂
カノンに言ってから何かに気付いたエレノアは、わざとらしく手
を﹃ぽん﹄と叩くと挑発的な笑みを作った。
﹁痛かったので思い出したけど、そういえば私、アレで結構ムカつ
いてたんだよね﹂
エレノアが右手を挙げる。ソレと同時にアウラの身体がぐるん、
と逆さまになった。アウラの長い髪は宙に垂れ下がり、動きやすさ
を重視したスパッツがもろに姿を現す。
普段ならここで血相を変えて激怒するところだが、今のアウラに
はそんな余裕はない。身体中を締め上げる銀の線が、彼女に苦悶の
表情以外の動作を許さなかった。
﹁君の妹ちゃんも首からいっとく? ポキって﹂
その一言にカノンが激怒して首筋から電流を流したのと、カイト
が動き出したのは同時であった。
カイトはエレノアの挑発にカノンが乗るだろう、と考えたうえで
行動を開始していた。あの娘は表情が読みにくい髪形をしてるくせ
に、非常にわかりやすいのである。
先ず彼が行った事は、自身に絡む糸の駆除だった。力づくで糸か
ら腕を引き抜き、爪を伸ばして上半身の糸を叩き斬る。
﹁あ!﹂
エレノアがそれに気づいた時には、既にカイトは糸を頼りにアウ
ラの元へと飛び付いていた。カノンの電流に気を取られた、一瞬の
401
出来事だったのである。
﹁借りるぞ﹂
カイトが切断した糸を手に取り、アウラのローラースケートに巻
き付ける。それを見て焦るのはエレノアだった。彼女はカイトが何
をしようとしているのか、理解していた。
アウラが何か言いたげに表情を緩めた後、口を開く。
﹁あ︱︱︱︱﹂
﹁喋るな。喉が千切れるぞ﹂
アウラを止めた後、伸びた爪がローラースケートに振りかざされ
る。
折角用意した蜘蛛の操作も忘れて、エレノアが新たな糸をカイト
に向けて伸ばしてくるが、もう遅い。彼の爪はローラースケートに
叩きつけられ、その小さな車輪は猛烈な勢いで回転を始めた。
先端に括り付けられた糸が、ローラースケートの回転速度と比例
して巻き取られていく。
﹁うわっ!?﹂
エレノアの身体が急速に引っ張られた。彼女の糸はアルマガニウ
ム製である。あまりに細く、場合によってはピアノ線のように見え
るソレは、いかなる場面でも人形を操作する為に滅多な事では千切
れない。
職人、エレノアの拘りの逸品だ。これを一瞬で千切れるとしたら、
それは同じくアルマガニウムを使用した武器か、巨大な質量で引き
千切られるかだろう。現にカイトは何度もそれでエレノアから脱し
ている。
402
だがカイトは同時に、それが彼女の弱点でもある事を理解してい
た。
この糸は頑丈ゆえに、自分からすぐに手放すことはできないので
ある。だからこそ彼女の周りには常に人形がいた。どんな時でも第
三者視点に切り替える為に、だ。
そして今回も、恐らく潜んでいるだろう。
カイトはエレノアの落下に従い、糸が緩んだ瞬間に山道を見渡す。
この広大な木々の間に、コメットが潜んでいる筈だと彼は睨んでい
た。
実際、その通りである。コメットは木々の間に浮かぶ影の中に隠
れるようにして状況を見守っていた。そしてエレノアが危機だと知
った瞬間、空間に穴を空けて新たな人形を用意し始める。シルヴェ
リア姉妹は既に頼りにならない。アウラはまだ使えると思っていた
が、彼女まで王国の目的から逸脱した行動をとるのであれば、リー
ダー共々エレノアに倒してもらった方が手っ取り早い。コメットは
そう考えていたのだ。
そして落下した瞬間を狙って、コメットが新たな人形を配置しよ
うとしたその瞬間、彼は滝のような汗を全身から噴き出した。
カイトと目が合ったのである。
思わず口元がひくついたのを、コメットは自覚した。
それを見たカイトが不敵に笑う。
﹁いいところにいるじゃないか、ゴミネコ﹂
403
カイトの呟きは、コメットの耳には届かない。しかし黒猫の小さ
な体に猛烈な寒気が走った。何かやる気だ。その確信が、彼にはあ
った。
だが、ただ落下していくだけのカイトに何ができるというのか。
上には同じく糸を引っ張られ、落下してくるエレノアがいる。真っ
先にこちらを倒しに来るのであれば、その瞬間にエレノアと挟み撃
ちになる。そうなればコメットたちを倒すどころではない筈だ。
大丈夫だ。彼がいかに規格外とは言え、まだ焦る必要はない。
エレノアが破壊された瞬間を狙って、次の人形を冷静に配置すれ
ばいいのだ。コメットはそう考えると、深呼吸。自身の役割を果た
す為、状況をギリギリまで見極めることに徹し始めた。
カイトがアウラを抱きかかえ、右手を伸ばす。
その大きな手は山道に降り立ち、指は大地を抉ってカイト自身と
アウラのバランスを支えている。簡単に言えば、片手で逆立ちして
いる状態だった。
一方、アウラのローラースケートの回転は止まらない。
エレノアの糸はその回転によって絡め取られ、浮いていた人形を
カイト達の元へと引き寄せていく。
彼女は人形から伸びる糸を切り離せない。できたとしても、それ
は他の糸でカバーして順番に切り離す必要がある。ローラースケー
トの車輪に結ばれた糸は、2,3本だけではなかった。
カイトは一瞬でその辺の使えそうな糸を手繰り寄せ、それを結ん
でいたのである。既にローラースケートは集まった糸によって毛玉
のような形状に変化しており、不細工な造形となっていた。
﹁くっ!﹂
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エレノアが焦りの表情を止められないまま、ローラースケートの
影と重なる。その直前に、カイトの身体がしなった。
彼は右足を勢いよく振りかざし、片手で自身とアウラを支えた体
制のまま、エレノア目掛けてそれを叩き込む。強烈な蹴りがエレノ
アの頭部を砕き、人形を勢いよく吹っ飛ばす。ローラースケートの
車輪が、今度はエレノアに引っ張られて逆回転をし始める。カイト
は足から爪を伸ばすと、空に蹴り上げてローラースケートに絡む糸
を切断した。
今度はエレノアだけが横に落下していった。
その先に居たのはコメットである。
彼は隠れ蓑からその様子を見ており、エレノアが蹴り飛ばされた
瞬間には己に襲い掛かる人形の未来予想図が頭の中に完成していた。
急いで転移して、この場から離れようと身を翻す。
だが穴に飛び込む直前、吹っ飛ばされたエレノアの人形が小さな
黒猫の身体を押し潰した。強烈な衝撃が黒猫を襲う。薄れゆく意識
の中、黒猫は自身が空間転移の穴の中に飲み込まれたことを理解し
た。
それは同時に、今来ている追手全員がカイトとスバルに敗北した
のを意味している。
次に意識を戻した時、ディアマットやタイラントにどう言い訳す
るか考えながらも、コメットの意識は闇の中に沈んでいった。
スバルは首にこびりついていた蜘蛛の人形が動かなくなったのを
確認すると、それを思いっきり放り投げる。
彼は獄翼のコックピットから降り、同居人と弟子の妹の元へと真
っ先に走って行った。
405
﹁カイトさん、大丈夫か!?﹂
﹁⋮⋮疲れた﹂
スバルの顔を見て、真顔でカイトは言う。それを見たスバルは﹃
まだ大丈夫そうだな﹄と思いながらもアウラの方を確認する。彼女
の方は重症だった。エレノアによって締め付けられた身体は、致命
傷になりかねない程のダメージを与えていた。
特に喉が酷い。締め上げられた跡がまだ残っており、皮膚には血
の痕跡がある。素人目から見ても、呼吸困難になっている可能性す
らある。彼女の目は何処か虚ろだった。
だが、もう一人目が虚ろになっている人物がいた。
カノンである。彼女もまたダークストーカーから降り、カイトと
アウラの下へとやってきていた。ただ、一つスバルとは違う点があ
る。
彼女の手に、包丁が握られている事だった。カイトの爪とやりあ
っている、アルマガニウム製の凶器だった。
﹃リーダーは、もう私たちを必要としてくれない﹄
ぶつぶつと機械音声の電子音が鳴る。ゆらり、とふらつきながら
近づく姿は非常に危なっかしく見えた。
﹃アウラも私から離れた。師匠も。もう私には、なにもない﹄
ならばどうするのか。エレノアの手が下されなくても、アウラは
あのままいけば、また身投げと同等の自虐を行うだろう。最後まで
共にいる筈だった最愛の妹まで、手の届かないところに行ってしま
った。
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それを理解した瞬間、カノンは嘗てないほど揺さぶられていた。
心は激しく動揺し、それに比例するように電流が包丁を駆け巡る。
﹃なら、せめて幸せだった頃のまま﹄
カノンが包丁を握り直し、走り出す。
狙いはカイトとアウラだ。妹の望みは完全に断たれてしまった。
それで絶望し、身投げしたのだ。ならば彼女の為に、その手伝いを
してやろう。
カノンはそう思いながらも、まっすぐ突進していく。
だが、彼女の前に影が立ち塞がった。スバルである。
彼は両手を広げ、倒れたアウラとカイトを隠すようにしてカノン
の前に出た。少年の鼻先で包丁が止まり、カノンが言う。
﹃退いてください﹄
﹁いやだ﹂
明確な否定の言葉だった。カノンは師に向かい、尋ねる。
﹃それは、私が嫌いだから拒否するんですか?﹄
﹁違うよ。妹さんやカイトさんもそうさ﹂
﹃でも、リーダーは私たちに関心を示してくれない。それじゃあ意
味が無いんです﹄
﹁関心なら、あるだろ!﹂
コックピットから真っ先に飛び出した姿を思い出す。
そしてカイトはダークストーカーとの戦いの中で、﹃あんなこと
もできるようになったのか﹄とぼやいていた。それだけ見れば、関
心が無いなんて言えない。
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﹁君には見えなかったのか!? あの人が真っ先に妹さんに手を伸
ばしたんだぞ!﹂
﹃!﹄
カノンが息を飲む。その腕が震えはじめたのをカイトは見たが、
それを知ってか知らずか、スバルは続けざまに言った。
﹁無茶して目が見えなくなりかけてるけど、そんな身体になっても
まだ妹さんを助けてくれたんだぞ! すっごくわかりづらいし、何
も言ってくれないけど、この人がやってくれたんだ﹂
﹃う、うぅ⋮⋮!﹄
カノンの身体が震えた。正直なところ、傍から見れば誰もカイト
が目の不調を抱えているとは思わないだろう。スバルも大使館での
戦いを実際に見ていなければ、気付けた自信は無い。
﹁もう君の望む関係には戻れないかもしれない。でも、信じてやれ
よ! 大切な家族なんだろ!﹂
それが致命傷になった。カノンが崩れ落ち、両手が地につく。幾
つかの水滴が両手の間に零れ落ちたが、それを見たのはスバルだけ
だった。
﹃なんでですか、リーダー。どうしてあの時、何も言わずに消えた
んですか⋮⋮﹄
幾度目かの問いかけを聞いたカイトは、何も答えなかった。
408
第30話 vs勝利者
この戦いに勝利者がいるとすれば、それはスバルだ。膝をつき、
崩れ落ちたカノン。かつての部下の姿を見てカイトは思う。彼はカ
イトが取らなかった選択肢を選び、この場を治めたのだ。
もっとも、カイトの行動がそれに直結しているのだが、彼自身は
重要視してはいなかった。
﹁⋮⋮大した奴だな﹂
包丁が迫る中、スバルはそれを身体を張って止めた。誰にでもで
きることではない。もしもカノンが止まらなければ、刃物がぶすり
と突き刺さっていたことだろう。
仮にカイトがスバルの立場だったとして、彼のように立ち向かえ
たかはわからない。恐らくは怖気づいているとは思うが。
そんな絶賛称賛中のスバルは、若干青ざめた表情でカイトに向き
直る。
﹁ごめん、カイトさん﹂
﹁なにがだ﹂
訝しげな表情を向けたが、すぐにスバルの異変に気付いた。
﹁落ち着いてからでいいからさ。コインランドリーに寄らせてもら
っていいかな﹂
蛍石スバル、16歳。
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彼のズボンは目の前に迫る恐怖によって濡れていた。わかりやす
くいえばお漏らししていた。カイトは頭を抱え、好きにしろと呟く。
﹁褒めたのが馬鹿みたいだ﹂
﹁うん、なんかゴメン﹂
勝利者︵カイト談︶の少年が申し訳なさそうな表情で頭を下げる。
ただ、それもズボンの染みが全てを台無しにしていた。まあ、包丁
をつきつけられて恐怖を感じるなと言う方が無茶ではあるのだが。
﹃⋮⋮リーダー﹄
そんなやり取りをしていると、カノンが話しかけてきた。
彼女は一度思いっきり泣いた後、気持ちの整理が少しはついたよ
うである。呼吸も落ち着いた様子で、真っ直ぐカイトとスバルを見
据えていた。
﹃今日は私たちの負けです。だから、帰ります﹄
果たして敵対している者からこんなセリフが出てくるだろうか。
どちらかといえば、学校の部活動で競い合ったような言葉である。
だが、実際彼女は帰らなければならなかった。妹のアウラは重症
だ。彼女をどこかの病院に連れて行き、王国に状況を説明する義務
がカノンにはあった。戦っている最中は殆ど王国のことなど頭にな
かったのだが。
﹃でもその前に、どうしても聞きたいんです﹄
﹁なんだ?﹂
﹃私たちを捨てた理由を聞かせてください﹄
410
先程もカノンが崩れ落ちた時に聞かれた質問だった。カイトが目
を逸らすと、アウラと目が合った。何時の間にか呼吸は落ち着いて
おり、口は開かないが真剣な眼差しでこちらを見てきている。これ
なら病院は必要無さそうだな、と呑気に思いながらも、カイトは溜
息をついた。
﹁言いたくな︱︱﹂
﹁もうそれは通用しないよ、カイトさん﹂
言い切る前にスバルが遮った。シルヴェリア姉妹にとって、これ
は﹃そうか﹄の3文字で済ませれる問題ではないのだ。
﹁逃げ道はないよ。それに、一回言いかけたじゃないか﹂
﹁お前、ねちっこいな﹂
なんでそんな細かいところまで覚えているんだ、というのがカイ
トの意見だが、話題から逸れる為スバルからスル︱される。
﹁全部嫌になったって言ったろ。それがアンタの答えだった﹂
ならそれで大体わかる。あくまで想像だが、スバルは一つの仮説
を立ててみた。
﹁自殺か?﹂
﹁⋮⋮お漏らしした癖に﹂
﹁関係ねーだろ今は!﹂
こんなに話を逸らそうとするカイトは始めてだった。よほど話し
たくない内容のようだが、一度口を滑らせてしまった以上、スバル
はどこまでもしがみつくつもりだった。そうでないとカノンもアウ
411
ラも納得しない。
カイトもそれは理解していた。ただ、まだ心の整理がついていな
いのである。スバルの勢いに流されてしまったのは、彼にとって一
生の不覚だった。やや時間をおいてから、カイトは観念したように
口を開く。
﹁⋮⋮そうだよ。6年前、爆発事件が起こったのは俺の自殺が原因
だ﹂
﹁でも生きてるじゃん﹂
スバルが鋭いツッコミを送るが、カイトは呆れたような目で彼に
返答した。
﹁俺の力を忘れたのか﹂
﹁爆発の中でも生きてるの?﹂
カイトの能力をラーニングした獄翼を見上げる。ダークストーカ
ーによって切り裂かれた胴は何時の間にか修復されており、最初か
ら刃が刺さってなかったかのように元通りになっていた。DVDの
巻き戻しボタンを押したようだ。
﹁試したことは無かったが、実際やってみたら大火傷で済んだ。後
は時間が経てばこの通りだ﹂
﹁あんた死ぬのか?﹂
﹁死にかけただろう﹂
大使館でのゲイザーとの戦いを思い出せば、彼も最低限痛みを感
じる存在なのだと思いだせる。しかし仮にも軍の施設を爆発させる
ような威力に巻き込まれて生きているのであれば、彼を殺すことな
ど不可能なのではないだろうか。
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少なくとも、当時のカイトも同じ結論に至ったようである。
﹁その後は、流石に戻る気にはなれなかった。取りあえず顔で目立
たないアジアで飯を食って、日本の山に住み付いたらお前らに拾わ
れた﹂
要するに、カイトは自殺を諦めたのだ。流石に至近距離から爆弾
が爆発すれば肉片も残らず死ねると思っていたのだが、実際は火傷
止まりだ。しかも少し放置しただけで元に戻ってしまう。
それならば、何時かの日に宣告された﹃心臓か頭に全弾ぶち込ま
ないと死なない﹄というのも怪しいものだ。
﹁じゃあカノンたちを殺そうと思ったのは?﹂
スバルが核心に足を踏み込む。多分、ここ次第でまた一悶着起こ
っても不思議ではない。最悪、カノンはまた暴れ出すだろう。
その時はまた身体を張ってなんとか止めるしかない。スバルはそ
う覚悟を決めていたのだが、ここで予想だにしない解答がカイトの
口から飛び出した。
﹁殺す? 誰が﹂
なんの話だ、とでも言わんばかりの口調でカイトが言った。
これには黙って聞いていたシルヴェリア姉妹も目を見開く。
﹁いや、だってアンタ⋮⋮あんなに殺すって言ってたじゃねーか!﹂
スバルが反論するが、カイトは特に迷うことなく答えた。
﹁だって敵だろ。お前にとっても、俺にとっても。こいつらは新人
413
類軍所属なんだから﹂
﹁いや、まあそうだけどさ⋮⋮﹂
﹃では、お伺いします﹄
現在の立場という観点で話すカイトに、カノンが尋ねた。彼女は
カイトへの質問のアプローチを少し変える。
﹃私たちの部屋の近くに爆弾を仕掛けた理由はなんですか﹄
﹁なんの話だ﹂
だがそれに対しても、彼は目を丸くするだけだった。
アウラとスバルも目を丸くするが、驚きのベクトルはカイトとは
全く異なる方向へと向かっている。
﹃あの日、爆発は2か所で起こりました。第一期XXXと、第二期
XXXの就寝ルームです﹄
﹁なんだと?﹂
カイトが表情を変えた。彼は驚きの色を隠さず、カノンの言葉に
耳を傾けた。
﹃王国では二つの爆発はリーダーが全てやったと見ています。武器
管理庫に出入りしていた監視カメラの映像が残っていました﹄
﹁盗ったのは一個だけだ。それ以上取る理由は無い﹂
﹃では、私たちを捨てた理由は?﹄
﹁俺が死ぬつもりだったからだ﹂
会話のキャッチボールが、どんどんドッチボールになりつつある
のをスバルは感じていた。見れば、倒れたままのアウラもどこかう
ずうずしているように見える。彼女も言いたいことが沢山あるのだ
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ろうが、喉への負担を避ける為に我慢していた。偉いな妹さん、と
素直に思った。
﹃では、私たちの方に仕掛けられた爆弾はなんですか?﹄
﹁知るか﹂
カイトが一蹴する。彼は本当に第二の爆弾の存在を知らなかった。
嘘をついている可能性もあるが、彼が自らアウラを助ける為に飛
び出したことを考えると、精神的な面から考えて難しいのではない
かとスバルは思う。
﹃⋮⋮良かった﹄
カノンが再び膝をつき、カイトの顔に手を添える。
長い前髪で覆われた表情の中で、彼女は再び涙を浮かべた。
カイトは彼女たちを殺す気は無かった。ただ己を消してしまいた
かったという、自殺願望があっただけだ。
この6年間、ずっと彼が第二期XXXメンバーを恨んで殺しに来
たのではないかという不安があった。だがそれは杞憂に終わったの
である。それを実感した瞬間、カノンはずっと繋がれていた拘束具
が解けたかのような解放感に包まれた。
﹃本当に、良かった﹄
カイトの胸に顔を埋め、カノンが嗚咽する。
鬱陶しいと思いながらも、カイトはそれを無下にはできなかった。
その理由はアウラの時のように上手く言葉にはできなかったが、少
なくともスバルが本当にこの戦いの勝利者なのだということだけを
実感する。結局、最後に通ったのはスバルの主張だったのだ。
415
同時に、カイトは自分が敗北したことを悟った。彼はスバルのい
う﹃家族なんだろ﹄の一言を断ち切れずに行動してしまった。それ
を恥だとは思わないが、なにか釈然としない物を感じる。
﹁⋮⋮難しいな﹂
上手く整理できない感情を全部ひっくるめて、そう呟いた。
しばらくカノンがカイトの胸の中で泣いて、アウラがそれを羨ま
しそうに見つめ終わった後、シルヴェリア姉妹は新人類王国に帰っ
た。
最大の誤解は解けて、自分たちも逃亡についていくと言い出し始
めたのだがカイトが﹃じゃあ王国の中で情報を垂れ流してくれ﹄と
言ったので、彼女たちは喜んでそれに従ったのである。
いいのかそれで。スバルは心底そう思う。
まだ問題は山積みの筈じゃないのか。どうしてカイトが自殺を図
るに至ったとか、アウラの首の傷はどうするとか、沢山ありそうな
気はする。
特に前者はカイトが切り出せなかった話題に他ならない。これが
あるから今回の一件はややこしい方向へと向かって行ったのだ。
しかしシルヴェリア姉妹にとって大事な事は動機ではなく、カイ
トが第二期XXXを恨んでいないと言うことなのである。それがわ
かった時のはしゃぎようといったら、まるで犬や猫がしゃれついて
くるかのような興奮っぷりだった。
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﹁あれで王国にどう言い訳する気なんだ﹂
呟かずにはいられなかった。獄翼のコックピット内に響いたその
呟きに、後部座席に座るカイトは応える。
﹁エレノアがアイツらを襲ったのは事実だ。だからそれをチクれば
多分何とかなる﹂
﹁本当かよ⋮⋮﹂
また適当な事を言ってるんじゃないだろうな、と思いながらスバ
ルは半目になる。カイトは割とその時に感じたことを何の確証も無
しに言ってくるのだ。
﹁じゃあ、二人も居なくなったから改めて聞くけどさ﹂
かなりプライベートな面まで関わってきた為か、スバルは躊躇わ
ずに次の質問をする。
﹁結局、アンタはあの二人の面倒見ててどうだったの?﹂
﹁うるさかったし、面倒くさかった﹂
ああ、やっぱり。
スバルは肩を落とした。ある程度予想できた答えではある。彼の
対応の仕方は誤解が解けた後、妙に適当だったからだ。
誤解が解けた後、まるで昔の関係を取り戻したのだと言わんばか
りに喜びながら王国に戻った姉妹を不憫に思う。単純すぎる、とも
いえるのだが。
﹁当時、エリーゼは俺に二人の面倒を求めた。だから面倒を見てい
たが、口を開けば﹃リーダー﹄としか言わない。そして常に半径1
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0m以内にいないと死ぬんじゃないかと思うくらい、近くで構える
ようになってた﹂
スバルは思う。前言撤回だ。それは確かにウザいだろう。
なんとなくヤンデレっぽいというか、依存傾向があるなとは思っ
ていたがそこまで付きまとうか普通。
﹁俺が死んだ後は、他の第一期XXXが面倒を見ればそれで解決す
ると思ってた。アイツらの方が俺よりずっと面倒見がいい﹂
﹁その第一期XXXってどうなったのさ﹂
第一期XXX。要するにカイトの同僚である。カノンとアウラの
口ぶりから察するに、甘えられる環境ではなかったのはスバルにも
予想はついた。
﹁多分、あの様子から察するとアイツらもいなくなったんだろうな。
俺の爆発に巻き込まれて死ぬとは思えんし、自分の意思で逃げたん
だろ﹂
スバルはメラニーの言っていた﹃死者7人﹄を思い出す。この時
死者として登録されていた中にカイトと第一期XXXが含まれてい
たのだろう。だとすれば、王国がそれに気づかないのも不思議な話
だと思う。
メラニーもその可能性を疑っているのだが、王国内で記録の改竄
が行われているのではないだろうか。恐らくその犯人が、第二期X
XXの寝室の近くに爆弾を取り付けたのだろう。そこに何の意図が
あるのかスバルにはわからなかったが、もしそうだとすれば気味が
悪い。
﹁⋮⋮誰がカノンたちを襲ったんだろう﹂
418
﹁さあな。だが、一つ言えるとしたら﹂
カイトの目つきが険しくなる。
﹁そいつは何時かまた動いて来るぞ﹂
なにをしてくるかはわからない。どんな目的があるのかもわから
ない。
だが、きっと碌な事ではないだろう。二人はそう思いながらも、
獄翼越しに透明のオーラを纏った。
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第31話 vsディアマットと新人類王国の戦士たち
カイトとスバルの二人が追手を退けて3日ほど経過した新人類王
国。
王子のディアマットは頭を抱えて、私室に招いた発言力の高い人
材達に言った。
﹁大使館メンバーのみならず、現XXXと囚人まで出して倒せなか
ったと言うのか⋮⋮!﹂
王子の自室にはタイラントを初めとした国の代表的な戦士が4人
集まっている。
鎧持ちの管理を務めているノアもそのひとりだ。彼女は事の状況
を興味深げに聞いていた。立場上、兵という訳ではないのだが、そ
れでも一度鎧持ちを出撃させて、それが返り討ちにあったという現
実から、彼女もこの件に興味を抱いているのだ。
ディアマットは苦悩に歪めた表情をあげ、部屋に招いた信用に値
する兵達を一瞥する。
﹁幸いながら今回は死者が出なかったとはいえ、このままでは奴ら
を増長させてしまうだけだ﹂
かと言って、兵を大隊的に出撃させるわけにはいかなかった。
この件は王国にとって歴史的大敗である。弱肉強食を謳う新人類
王国にとって、カイトとスバルに負けたままでは国の威信に関わる
大問題となるのだ。が、それでも直接王国を纏めるリバーラに気付
かれないまま彼らの始末を行う必要がある。
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﹁父にこの件を知られれば、また妙な思い付きで世界を混乱に陥れ
るだけだ。国の精鋭たちよ、民に無用な神経を使わせないためにも
君たちの力を私に貸してほしい﹂
﹁はっ!﹂
タイラントを先頭として、何人かの兵が頭を下げる。
忠誠心があって素直な兵隊だ、とノアは思った。しかもこの1人
1人が恐るべき才能を持って生まれた﹃天災﹄である。彼らを従え
ていればこの世界の覇者になる事は約束されたも同然だろう。
ところが、今回の相手もその﹃天災﹄に他ならない。しかも切れ
味は抜群だ。既に何名もの国の勇者たちを退けており、犠牲者も出
ている。ディアマットの部屋に招かれた兵はタイラントを初めとし
て全員が国を滅ぼした実績を持っているが、相手は6年前その位置
を総なめにしていた人材なのだ。死にたくないのであれば、彼らも
必死にならざるを得ない。
﹁ところで﹂
ノアが場の空気を濁すように口を開く。彼女はディアマットの方
を見て、先程から疑問に思っていたことを聞いてみた。
﹁現XXXも敗れたと聞いていますが、彼女たちはこの場に招かな
くても良かったので?﹂
﹁今は二人纏めて療養中だ。残る者については⋮⋮語るまでもある
まい﹂
カノンとアウラの二人は、エレノアに襲われて退却せざるをえな
い状況にまで追い詰められた、と国に報告していた。
彼女たちの帰国から遅れて意識を取り戻し、国に戻ったコメット
421
もそれを認めている。コメットとしては彼女たちは裏切って、その
まま敵対してくると思っていただけに帰国していたことには驚いて
いたようだった。
ただ、それでもコメットは現在のXXXメンバーが裏切らない保
証はないと考えている。彼の目の前で繰り広げられた寸劇を見れば、
そう思う理由も頷ける。彼女たちは王国の為に戦う気などないのだ。
ディアマットもその辺は認めていた。しかし実際問題、カノンと
アウラは数々の戦いで功績を残しており、幾つものアルマガニウム
を得るほどには王国に貢献した戦士である。その彼女たちをすぐに
追いだす、もしくは処刑するわけにはいかなかった。それこそ王に
何か言われれば、そこで今までの苦労は水の泡である。
エレノアが戻らないのも悩みの種だった。
彼女はコメットが空間の穴を空けた隙に、行方をくらませていた
のだ。これも王に知られると不味い。思い出しただけでディアマッ
トの頭痛は激しくなった。
﹁とにかく、今の問題はXXXのリーダーと旧人類の少年だ﹂
ディアマットが話の軌道を修正すると、集まった兵は我こそは、
と名乗りを上げる。
﹁お許しさえいただければ、私が彼らを塵芥にしてみせましょう﹂
﹁鎧を数で出すのであれば、喜んで﹂
﹁ディアマット様。ここは正義の名の元に、この私めを!﹂
しかしその中でただ一人、沈黙を保った存在がいた。ディアマッ
トはその人物に視線を送り、尋ねる。
422
﹁グスタフ。あなたは?﹂
﹁望みとあれば、私も出ましょう﹂
グスタフ、と呼ばれた強面の老兵士がディアマットに顔を上げる。
彼はミスター・コメットと同じく王国最古の戦士と呼ばれ、数々の
戦いで国を勝利へと導いてきた英雄である。今は前線から退き、国
から指揮を出す側に回っていたが、その力は今でも健在だ。
少なくとも、ディアマットは今集まっている4人の中で確実にカ
イトとスバルを倒せるのは彼だろうと思っていた。仮にこの4人を
新人類四天王と名付けるのであれば、彼はその頂点に君臨する存在
なのである。
そんな彼が、この一件についてはかなり渋っている気がする。デ
ィアマットはそれが疑問だった。
﹁気乗りはしないようだが、理由をお聞かせ願えるだろうか﹂
国と言う組織の中にいる以上、ディアマットはグスタフの上にい
る立場だ。しかし彼はこの老兵士を心から尊敬していた。幼い頃、
彼に文武の手解きを受けたのが理由である。
そんなグスタフは少々間を置いた後、王子に自分の考えを隠さず
に話し始めた。
﹁⋮⋮王子。この一件、本当にXXXと少年を倒せば終わりなので
しょうか﹂
﹁なに?﹂
グスタフは厳しい表情で続ける。
﹁6年前の爆発事件はXXXの自殺だった。そこはいいでしょう。
しかし、それが生きており、尚且つ今まで普通に過ごせていたとい
423
うのが私には信じられないのです﹂
﹁どういう意味ですか﹂
グスタフの横で控えるタイラントが尋ねた。老兵士は﹃わからな
いか﹄と半ば呆れつつもディアマットに向き直る。
﹁日本は王国の領土です。彼が長い間潜伏していたヒメヅルという
街が、長い間王国の目に留まらないようなド田舎だったとしても、
そこに人間が暮らす以上は﹃市民権﹄が発生するのです﹂
その言葉で合点が着いた。
今も昔もあまり変わらないが、国で暮らす場合は市役所に届けを
出して国民として登録を行う必要がある。それはド田舎に暮らして
いたとしても、カイトだって例外ではない。
﹁本人が誤魔化した可能性は勿論あります。しかし、聞けばXXX
はあろうことか本名を使っていたと聞きます。これで王国の管理を
務めるコンピュータが誤魔化されていたというのが信じられない﹂
新人類王国のセキュリティは、世界の最先端を走っている。
あらゆる分野で特化した人材を集めている以上、そういった国民
データベースと過去にいた人間との間に生じる矛盾を無視するよう
な出来事が起こるとは、俄かには信じがたかった。
彼らは知らないが、カイトはヒメヅルで車の運転だってしている
のである。
﹁それをいえば、奴が生きていたのにも驚きです﹂
タイラントが言う。彼女は大使館でメラニーと共にデータベース
が改竄されている可能性がある事に触れていた。
424
﹁誰かが内部から国の情報を弄っていると言うのか? XXXの都
合のいいうように﹂
要約してしまえば、そいういうことになる。
勿論、これは単純にグスタフとタイラントが疑念に感じているだ
けで、実際は思っていたよりもセキュリティに穴があるだけなのか
もしれない。
ただ、それならそれで大問題である。
﹁いずれにせよ、一度洗い直す必要があるかと思います﹂
﹁⋮⋮成程。ではグスタフ。その件はお願いできますか?﹂
﹁はっ!﹂
グスタフは王子の前で頭を下げ、一歩引く。彼は王子が自分に敬
語を使うのを好まなかったが、本人が断固として直そうとしなかっ
たので諦めてしまった。逆に言えば、それが無ければ今回のように
王子に意見を述べて、受理されることなど難しかっただろう。
現にディアマットは目の前にある障害を忘れていない。その為の
刺客の厳選も彼の頭の中で済ませてある。
﹁ならばXXXと少年の処理は⋮⋮サイキネル。頼めるか﹂
タイラントとノアの間で構えていた青年が顔を上げる。
やや幼さが残る顔つきに、笑みが浮かんだ。
﹁はっ! 必ずや仕留めてみせます!﹂
﹁ただし、だ﹂
ディアマットが釘をさすように言う。
425
﹁前回は数で押そうとして、結果的には負けた。それはXXXの隣
にいる旧人類の少年が戦えない人間ではないからだ﹂
コメットと生き残ったヴィクターの証言から、この少年は旧人類
でありながら新人類とブレイカーで渡り合える逸材だというのを認
識している。本来なら新たな人材の発見に喜ぶべきなのだろうが、
それが既にエリゴルを倒し、カノンとアウラのダークストーカー・
マスカレイドを倒しているのだから笑えない。
最新鋭の同調装置を取り付けているのも後押ししていた。もっと
も用心すべきカイトも凶器として参戦してくるのである。恐らくミ
ラージュタイプのブレイカーの中で、1対1で渡り合える存在は居
ないだろう。
ならば念には念を入れ、確実に倒す為に特化する。
前回の数がダメならば、今回は﹃質﹄で勝負だ。
﹁タイラント。シャオランとイゾウの二人も使うぞ﹂
﹁えっ!?﹂
言われたタイラントだけではなく、サイキネルとグスタフまでも
が王子の決定に驚いていた。
ただ唯一、ノアだけが面白そうに笑みを浮かべている。
﹁もう手段を選ぶ余裕はない。一部隊を倒せるXXXと囚人が負け
た以上、我々も可能な限りの最高戦力をそこに集わせる﹂
ゲイザーやタイラント、グスタフも投入したいと言うのが本音で
はある。しかしゲイザーは大使館での戦い以降から再調整を行って
おり、タイラントとグスタフに至っては他の激務がある。それを無
426
視してまでどこに隠れているかもわからない二人を探しだし、戦う
のは王の視線を向ける危険性を孕んでいる。
言っちゃあなんだが、部下も持っておらず、比較的余裕のあるサ
イキネルに各方面で戦う事に特化された兵をつけるのが無難だった。
もしもこの場に王が入れば﹃甘いよディート! ミルクより甘い
!﹄とか言って滅茶苦茶な提案を出してくるのだろうが、知った事
か。例え天地が引っくり返ってもリバーラの思うようにさせたくは
なかった。
﹁勝て、サイキネル。私が求めているのはそれだけだ﹂
﹁勿論です﹂
ディアマットの険しい視線が青年に突き刺さる。
だがサイキネルはそれを受けても物怖じせず、自信満々な表情で
答えた。
﹁この正義のサイキックパワーで、必ずXXXを倒してみせます﹂
ディアマットの部屋でサイキネルが意気込みを語っている、まさ
にその時。同時刻ではカノンが自室へと戻ってきていた。
エレノアにやられたアウラは病院に寝かせてある。医師が言うに
は、暫く安静にしていれば大丈夫という事だった。自分たちのこと
についてはディアマットも納得している。コメットやエレノアに何
か言われたとして、直接裏切ったわけでもない以上、とやかく言わ
れることはないだろう。
427
問題があるとすれば、一つ。
﹃アキナ﹄
﹁あ、カノンお帰りー﹂
二段ベットの上で呑気に漫画を読んでいる少女が手を振ってきた。
真田アキナ。第二期XXXでカノンの同期にあたる。
﹁報告は聞いたよ。リーダー、生きてたんだって?﹂
﹃うん﹄
﹁そっか。生きてたかー﹂
長い黒髪を扇のように広げ、笑いながらベットの上を転がる。
だが、それが歓迎の笑みではない事をカノンは知っていた。
﹁じゃあ、いつかアタシも戦えるかもしれないよね。すっごい楽し
み!﹂
バトルマニア
前の任務さえなければ、と心底残念そうにアキナは言う。
彼女は戦う事を至上の喜びとする戦闘狂だった。強い敵と戦える
のであればなんでもいい。そこに戦いがあれば喜んで参加して、叩
き潰す。アキナはそういう戦士だった。
だから相手がカイトでも、遠慮は無い。寧ろ強い敵が現れた事実
を知って喜びを感じている。
﹁ねえ、リーダー強くなってた?﹂
﹃⋮⋮そうだね。少なくとも、弱くなってるとは思わなかったな﹄
﹁うっひょー! 最高じゃん!﹂
428
枕を抱き、再びベットの上でころころと転がる。
見るからに楽しそうだが、カノンとしては面白くなかった。
﹃そんなにリーダーと殺し合いたい?﹄
﹁んー。別にリーダーである必要はないけどさ﹂
ただ、とアキナは前置きを入れる。
﹁強い奴と戦って、どっちかが死ぬっていう実感が湧いた時? す
っごい興奮して、生きてるって気持ちになるの。わかる?﹂
﹃少しは﹄
彼女の美学は、カノンも少しは理解がある。
所詮は同じ穴のムジナなのだ。同じ人物を師事し、同じ教育を受
けたのだから自然と共感できる部分ができあがっているのだろう。
ただ、その対象が大恩あるスバルとカイトに向けられるとなれば
話は別だ。それだけは何としても阻止しなければならない。
﹃でも、リーダーを殺したら許さない﹄
彼女なりに同僚に釘をさす。長い前髪の間から放たれた殺気は部
屋全体を覆い、アキナを一瞬にして包み込んでいった。
﹁面白いじゃん。なんなら、カノンからいっとく?﹂
凶暴な犬歯を剥き出しにして、アキナがベットから起き上がる。
爛々と光る眼光を向けられ、カノンは包丁を取り出した。
﹁ストップ﹂
429
そこに静止の声がかかる。
二人が声のする方向に視線を向けると、そこには﹃白衣を纏った
長い金髪の女性﹄がいた。白衣の胸についている名札にはエリーゼ、
と記されている。
﹁ダメですよ、アキナ。大恩あるリーダーを殺すなんて真似は、私
が許しません﹂
もしもスバルがこの人物を見れば、目を丸くしていたことだろう。
それはカイトも同様である。
ソイツは身なりから言葉づかい、体格に声色、挙句の果てには性
別すら彼女たちの保護者に似せていた。本物のエリーゼと違うとこ
ろを挙げるとすれば、それはこの人物が現XXXという立場にある
事だ。
﹁アトラス。いいとこなんだから邪魔しないでよ﹂
﹁そうはいきません﹂
アトラスと呼ばれたエリーゼのそっくりさんが親指と人差し指で
輪を作る。
それを見た瞬間、アキナは血相を変えてベットから飛び降りた。
アトラスの指が弾けたと同時に、先程までアキナがいた場所が爆発
する。火花が飛び散った後、ベットに焦げ目がついた。
﹁私にはリーダーが戻ってくるまで、このXXXを誰一人欠けるこ
となく保持する義務があります。いなくなった全員を含めて、ね﹂
アトラスが満面の笑みを浮かべる。
それは例えようによっては天使、と呼べるものかもしれない。ど
こか神々しいオーラすら感じた。
430
しかしカノンとアキナには、それが禍々しい物にしか思えなかっ
た。
﹁リーダーが生きていたなんて、今週は素晴らしい1週間ですね!
信じていましたよ、私は﹂
アトラス・ゼミルガー。
カノンが最も警戒しなければならないのは、この﹃男﹄である。
彼は徹底した新人類主義者であり、同時に旧人類を嫌悪していた。
﹁あ、でも今は旧人類の少年と行動を共にしてるんでしたよね。ア
キナ、それは殺して構いませんからね﹂
何の迷いも無く、アトラスはそういった。
反射的にカノンは抗議する。
﹃待って。彼はリーダーの友達です﹄
﹁リーダーの?﹂
﹃ええ、無暗に燃やしたらリーダーが悲しみます﹄
実際はもう少し複雑な関係かもしれない。
ただ、彼らが時折交わす会話はそう例えても良い筈だ。カノンは
そう思っていたが、アトラスはわなわなと肩を震わせ始める。
﹁り、リリリリリィィイイダァァアアアに、トモダチ? あの汚い
下等生物である旧人類の、友達がいる!?﹂
アトラスの目がぐるぐると回る。
信じられない、とでも言わんばかりの勢いでその場に崩れ落ち、
事実を嘆き始めた。
431
﹁何という事でしょう。あの一匹狼を素で行くリーダーに友達がで
きたのは喜ぶべきことです﹂
しかし、
﹁偉大なルィィィダァアアアアアアアアアアアアアの為には! 互
いに助け合え、支える事が出来る実力を持った優秀な人材が相応し
いのです﹂
偶に﹃リーダー﹄がシャウトするのが彼とエリーゼの決定的な違
いだな、とカノンは思う。
そして同時に、彼が異常なまでにカイトに執着しているのもそう
だ。
カノンやアウラもその辺は特に人の事は言えないのだが、それで
もアトラスは酷いと思う。
彼はカイトに好かれる為、自分の全てをエリーゼにしてしまった
のだ。
挙句の果てに、戦果として得られるアルマガニウムは受け取らず
に自身の戸籍を女性に変える始末である。これには流石のカノンも
引いた。
カノンは家族としての愛をカイトに求めた。しかしこのアトラス
は、それ以上の物を求めてしまった。それが世間的に認められない
物だと知った時、彼はカイトが唯一愛した女性に変わるしか道は残
されていないと思い込んでしまったのである。
その結果が、これだ。
﹁待っていてください、リーダー。必ず私が迎えに行きます﹂
432
綺麗に揃えられた金髪の奥に宿る、炎のような赤い双眼が濁る。
カノンはこの時、自分の発言が完全に地雷であったことを悟った。
彼女は旧人類の師匠に対しての申し訳なさと、自分への不甲斐なさ
でがっくりと項垂れていた。
433
EXTRA1 vs珍獣
それは日本の山道でダークストーカー・マスカレイドとエレノア
の襲撃を退けた後の話である。
蛍石スバル、16歳。
彼はこの日、一種の死刑宣告を受けた気持ちだった。
なぜか。いかに彼が生死を潜り抜けた少年とは言っても、羞恥心
には勝てなかったのだ。具体的に言えば、濡らしてしまったパンツ
が彼の目の前に広げられているのである。
﹁と、いうわけで今日から少しの間はノーパンでいてもらう﹂
目の前の同居人が宣言する。カイトは真顔のまま、それでいて冷
静な表情でスバルのパンツにペットボトルの水をかけている。なけ
なしの水分だった。
﹁なんでだよ!? こういう時の為にパンツの替えがあるんじゃな
いのか!?﹂
﹁俺が買ってきたのはあくまで上着だ。そう何度も漏らされては堪
らん﹂
﹁人をオネショの常連のように言うな!﹂
スバルの名誉の為に言っておくが、彼は断じてオネショをしたわ
けではない。眼前に包丁を突き付けられ、びびってしまっただけな
のだ。恐怖の余り漏らしてしまうというシチュエーションは映画の
中で何度か見たことはあるが、まさか自分があんな情けない姿を晒
すとは夢にも思わなかった。
434
﹁だが漏らしたのには変わりがない﹂
﹁ぐぅ⋮⋮!﹂
事実なので、なにも否定できない。苦悩する少年を余所に、カイ
トは淡々とこれからの予定を告げ始めた。
﹁取りあえず、これからの予定だが﹂
﹁うん﹂
﹁少しの間、ここでサバイバルを体験してもらおうと思う﹂
﹁なんで!?﹂
言うまでもないが、彼らは反逆者である。新人類王国の大使館に
喧嘩を吹っ掛け、逃亡中の身なのだ。こんなところでのんびりとサ
バイバルなんかしている暇はない。
﹁国外逃亡はどうした!?﹂
﹁すぐにでもそうしたいところだが、この食料で最後まで持つのか
?﹂
的確なツッコミに対し、カイトは真顔のまま答え始めた。
﹁獄翼だってずっと正常に稼働している保証はないんだ。いざとな
ったら歩いてでもアメリカまで辿り着かねばならん﹂
﹁あ、歩いて⋮⋮﹂
スバルは日本からアメリカに向かう自分たちの姿を想像する。な
ぜか砂漠でのたれ死んでいる光景が頭に浮かんだ。
﹁数が限られた水も、お前がこうして台無しにしている﹂
435
﹁頼んだ覚えないよ! コインランドリーに寄らせてくれって言っ
たのに!﹂
﹁馬鹿。それをする金すら惜しいんだぞ﹂
財布の中身を広げ、スバルに見せる。お札が全く入っていない財
布が、虚しさを感じさせた。
﹁兎に角、貴様にはサバイバルをやってもらう。これはいざという
時の食料の確保と、水や火が必要になった時の対応だと思え﹂
﹁それはいいんだけど、わざわざここでやらなくてもいいんじゃな
い?﹂
﹁やれるうちにやっておいた方がいい。それに、王国もまさか俺達
がまだ日本にいるとは思うまい﹂
確かに、とスバルは心の中で納得する。
もしも自分が新人類王国側であれば、嫌でも海外に目を向けるだ
ろう。何時までも日本にいること自体、ナンセンスなのだ。
﹁汚れも出るから、服はなるだけ軽装にしてもらう。ノーパンはそ
の一環だ﹂
﹁じゃあアンタもノーパンにしてよ﹂
﹁俺は既にノーパンだ﹂
﹁マジで?﹂
﹁マジだ﹂
神鷹カイト、22歳。彼はやると決めたら羞恥心を即座に捨て去
る事ができる男である。元からあるのかは疑問だが、ここまであっ
さりと言ってのけることに驚きを隠せない。
﹁忘れたか。俺は元々野生動物同然の生活をしてきた。今ある服は、
436
拾って貰ってから手に入れたものだぞ﹂
﹁⋮⋮別に少しくらい汚れてもいいじゃん﹂
﹁馬鹿め。衛生面でよろしくないだろう﹂
意外ときっちりとしている男だった。スバルの反論を寄せ付けな
いまま、カイトはパンツを広げた。
﹁本当なら洗剤で洗った方がいいんだが、今は石鹸とシャンプーし
かない。石鹸の一つを服に使い、これを一時的に洗剤代わりとする﹂
﹁⋮⋮もう好きにしてよ﹂
お母さんかコイツは。
幼い頃に事故死した実の母ですらここまで細かく言われたことが
ないし、父マサキもそんなに厳しく言わなかったことを、まさかコ
イツに言われる日が来るとは思ってもみなかった。
﹁では、早速サバイバルを体験してもらうとしよう﹂
スバルの言葉を肯定と受け取り、パンツを岩の上に置いて乾かし
始める。
そのまま放置し、カイトはゆっくりと辺りを見渡した。
﹁まず、一番覚えておかないといけないことは周囲に敵がいるかい
ないかを確認する事だ﹂
﹁敵?﹂
﹁ここで言うと、野生動物だな。判りやすく言えば熊や猪といった
ところだ﹂
これが海外まで目を向ければ、ワニやサソリといった危険度が高
い動物が混じってくるのだが、それを言ってしまえばスバルがびび
437
るだけだ。最初から必要以上に驚かせる必要はない。
﹁今は俺がいるからなんとかなるが、もしかしたらその内お前ひと
りで戦わなければならないかもしれない﹂
﹁戦ったら確実に俺が死ぬんだけど﹂
﹁誰もマトモに戦えとは言っていない。事前に察知し、気付かれな
いまま逃げるのも立派な手だ﹂
だが、それでも万が一ということがあり得る。ゆえにカイトは提
案した。
﹁丁度、この辺に熊を見つけている。近くまで行き、危機を肌で感
じてもらおう﹂
﹁ええっ!?﹂
今にも嫌だよ、とでも叫びそうなリアクションだった。
﹁嫌だよ! なんでわざわざ危機に近づかなきゃいけないんだ! さっきと言ってること違うじゃん!﹂
言った。大凡、想像通りの文句がスバルの口から飛び出す。
﹁お前は割と無茶をする奴だ。危険を肌で感じ、敏感になっておく
べきだろう﹂
なにが、とは言わない。
先日のシルヴェリア姉妹との一件は、カイトにそう言わせるほど
の無茶だった。スバル本人としてもその自覚があるのだろう。ちょ
っと気まずそうに俯いた後、がっくりと肩を落とした。
438
﹁⋮⋮見つかったら助けてよね﹂
﹁勿論だ。問題は今どの辺に熊がいるか、だが﹂
その時だった。
近くの茂みからガサガサと音が鳴る。
﹁ひっ!?﹂
熊の話題が出たのもあり、スバルが飛び退く。
﹁早速現れたか﹂
嗅覚に意識を集中させ、カイトは匂いを嗅ぎ集める。森に包まれ
た、独特の匂いだ。野性的と言い換えてもいい。
﹁人間じゃないな﹂
﹁わかるの?﹂
﹁少なくとも、あんなに森の匂いが染み込んだ奴は都会で見なかっ
たな﹂
恐らく、茂みの奥からこちらの様子を伺っているのだろう。それ
なりに知能がある獣だと予想できた。
﹁⋮⋮では﹂
近くの石ころを拾い上げ、手の中で転がす。
指でつまみ、そのまま茂みに向かって投げつけた。
﹁むっ!?﹂
439
だが、カイトは異変に気付く。動物が投擲を回避し、茂みの中か
ら勢いよく姿を現したのだ。
﹁あ、あれは!?﹂
スバルも見た。茂みの中から現れた野生動物の正体。その姿を視
界に入れた瞬間、スバルは反射的に叫んでいた。
﹁ババアだ!﹂
まるでキノコのように広がった髪の毛を揺らしながら、ババアは
四つん這いになって走り出す。両手両足をフル回転させ、カイトと
スバル目掛けて猛突進。石と砂を巻き上げつつ、猛烈な勢いを見せ
ながら体当たりを敢行する。
﹁危ない!﹂
カイトが呆けたままのスバルの襟を掴み、引っ張る。
身体ごと持っていかれた後、ババアは大地を抉りながら猛進。先
程までふたりがいた場所を通過し、まっすぐ別の茂みの中へと入り
こんだ。
﹁⋮⋮え、なんなの﹂
しばしの静寂が流れた後、スバルが開いた口をそのままにしてよ
うやく言葉を紡ぐ。傍から見れば非常に間抜けな顔をしていたのだ
が、今回ばかりはカイトも呆然とするだけである。
﹁見たことがない猛獣だな。古くからツチノコなる幻の珍獣がいる
と聞いたことがあるが、あれがそうか﹂
440
﹁あんなツチノコがいてたまるか!﹂
力の限りツッコみ、スバルは通過していった謎の生物の姿を思い
出す。キノコ髪。しわしわの身体。荒い鼻息。不気味に輝く眼光。
口元から溢れ出す吐息。石と土を巻き上げるパワー。どれをとって
も普通じゃない。
﹁では、あれはババアだな﹂
﹁あんなババアがいてたまるか!﹂
﹁しかし、ツチノコでないならババアとしか言いようがないぞ﹂
この男の中の未確認生物はツチノコとババアしか存在しないのだ
ろうか。
スバルが頭痛を抑えるも、カイトはスルー。真顔のままババアが
抉って行った地面を見やった。
﹁あ﹂
そこでようやく彼は気づく。
先程乾かしておいたスバルのパンツ。あれが消えているのだ。正
確に言えば、ババアが通過していった直線状に置いてあったのだが、
ババアが通過した今、その進路の上には布きれすら落ちていない。
﹁スバル﹂
﹁何!? 俺、いま現実を整理するのに忙しいんだけど!﹂
﹁お前のパンツ、ババアに食われたんだが﹂
﹁いいよそれくらい! ババアにパンツ食われるくらい、屁でもね
ぇよ!﹂
コイツ逞しいな。
441
混乱していてまともに思考回路が回っていないだけなのだが、そ
れでもスバルを称賛せずにはいられない。
なぜならば、
﹁お前、あれしかまともなパンツがないんだぞ﹂
﹁ん?﹂
ここでようやくスバルの頭がクールダウンを始めた。
彼はこの一瞬で起こった出来事を振り返り、更にカイトの言葉を
受け止めたうえでガタガタと震えだす。
﹁さっきまでノーパンに抗議していたから、てっきり取り戻したが
ると思ったんだがな。いや、お前が納得するならいいんだ。葉っぱ
一枚あればいいって言うし﹂
﹁葉っぱ一枚あったって役に立たないよ!﹂
一部の葉っぱ愛好家に喧嘩を売りかねない台詞を吐きだし、スバ
ルがババアの通り過ぎた道を睨む。
﹁待て、ババア! 俺のパンツ返せえええええええええええっ!﹂
少年の懸命な叫び声が山の中に木霊する。
その声は切なく、同時にどこか情けなさを感じる物があった。
﹁で、結局なんでババアがこんなところにいるんだ?﹂
カイトが疑問を呟くも、誰もその問いかけに答えてはくれなかっ
た。
442
EXTRA2 vsババア・ストーキング
ババアのつけた痕跡は深い。
どのくらい深いかと言えば、石や土を掘り返して少年のパンツを
奪っていくくらい深かった。なにゆえ他に目もくれずパンツを狙っ
たのかは不明なのだが、きっとババアなりの理由があるのだろう。
﹁世の中には変わった趣向の人間がいるものだ﹂
アーガスの顔を思い出しつつカイトは言う。あれも相当な趣味の
持ち主だったが、このババアも変わり者だ。
﹁まさか16の男のパンツを奪っていくとは。つくづく理解できん
趣味だ﹂
﹁多分、それを理解できる奴の方が異常だと思うよ﹂
奪われた張本人が死んだ目で呟いた。他人目線で見ればかなり愉
快な出来事なのだろうが、奪われた側からしてみれば堪った物では
ない。いかんせん、今あるパンツはババアが取って行ったものしか
ないのだ。もしも取り返せなかった場合、スバルはノーパンのまま
逃亡生活を強いられることになる。
現代に生きる人間として、それだけはなんとしてでも阻止したい。
﹁用心しておけよ﹂
使命感に燃えるスバルに警告の声が投げられた。
先頭に立ってババアの足痕を辿るスバルが、ゆっくりと振り返る。
443
﹁投擲とはいえ、俺の一撃を避けた。あのババア、かなりの新人類
だと見た﹂
﹁新人類ぃ!?﹂
﹁他に何があると言うんだ﹂
いや、まあ確かに旧人類であれだけの動きができるババアがいた
ら怖い。
傍から見ればジブリに出てきても遜色のない化物のような動きを
するババアなのだ。運動神経の良さ。無駄に溢れ出るバイタリティ
ーからもそれが伺える。
しかし、蛍石スバル。
彼は目の前で起きた珍事が人間の手によって起きたのだと受け入
れきれていなかった。
﹁えーっと。原始人って可能性は?﹂
﹁今が西暦何年だと思ってるんだ﹂
﹁実はツチノコとか﹂
﹁お前、さっきそれを否定しただろ﹂
﹁だってそうじゃないと人間がパンツを奪う理由なんかないだろ!﹂
スバルの主張はこうである。
あのババアは動物が擬態した何かなのだ。カイトの投擲を受け、
草むらの茂みから飛び出したが、取りあえず逃げねばと判断した為
目の前にあったパンツを奪ってしまった。そう思いたかった。
﹁まず、根本的な所に無理がある﹂
希望を持って訴えてみたが、主張は呆気なく崩された。
444
﹁あれは人間だ﹂
﹁いや、人間が俺のパンツを奪う理由がない!﹂
﹁野生動物だとしても奪う理由がないな。寧ろ、そういう趣味の人
間なのだと解釈した方がまだ理解できる﹂
﹁止めろ! 想像したくないんだから!﹂
では読者の皆さんに想像してみていただきたい。
普段自分の履いているパンツが、乾燥させている最中にババアに
奪われる。しかも暴走した某新世紀アニメの主役のように息を荒げ
つつ、四つん這いになって、だ。
それが何の意味があるのかと聞き、趣味であると答えられて見ろ。
ただただげんなりする。
﹁まあ、何に使われるのかは大体予想は出来る。所詮は生地だ。口
の汚れを落としたり、手洗いや拭きものにされているに違いない﹂
﹁生々しい想像しないでよ!﹂
スバルが心の命じるままに叫ぶが、その主張がカイトに届く事は
無かった。
﹁静かに﹂
口を塞ぎ、カイトが先頭に立つ。
急に真剣な表情に変わった同居人の姿を見た瞬間、スバルは﹃標
的﹄を捕捉したのだと理解した。
﹁⋮⋮どこ?﹂
﹁あそこ﹂
顎を前にやり、視線を促す。
445
前方に視線を集中させてみた。
﹁⋮⋮え?﹂
そこでスバルが見たのは信じがたい光景だった。先程、四つん這
いになっていたババアが木から木へと飛び移っていたのである。さ
ながら猿の如く。
﹁なにあれ﹂
﹁見ての通り、ババアだ﹂
そこは見れば分かる。問題なのは、どうしてあんなにまでバイタ
リティーに満ち溢れているのかということと、何故ババアが自身の
パンツを咥えているのかという疑問だった。
﹁安心しろ。一応水洗いはしてある﹂
﹁なんの慰めにもなりゃあしねぇ!﹂
﹁何を言う。洗っているのとそうでないのとは大違いだぞ﹂
﹁アンタもう主夫にでもなれよ!﹂
さっきからカイトの心配事は健康面ばかりで、スバルのパンツな
どどうでもよさそうである。伊達にノーパンは言う事が違った。
﹁まあ、一旦落ち着け﹂
どうどう、と宥めてからカイトは改めてババアの姿を目視する。
﹁いいか、今回の敵はババアだ。先ず、それを認めろ﹂
﹁ババアが忍者みたいに飛び移るわけないだろ!﹂
﹁お前、どんどん現実を受け入れなくなってきてるな﹂
446
これまで新人類の繰り出すトンデモ現象を目の当たりにしてきた
癖に、強情な男である。そんなにパンツを取られたことがショック
だったのだろうか。
﹁兎に角、奴の様子を見る限り意図的にとったのは間違いないだろ
う﹂
仮にスバルの主張が合っていたとしても、動物が口に何か咥える
のはそれを必要としたときに他ならない。食事と同じだ。
﹁相変わらず意図は読めんが、今は後をつけた方が賢明だ﹂
﹁ここで仕留めたら駄目なの?﹂
かなり暴力的な意見が飛び出した。
﹁何も殺せとまでは言わないけど、捕まえるくらいならできるんじ
ゃない?﹂
﹁確かに出来なくはないが、仮にお前の主張が正しかった場合はア
レの亜種がいる可能性があるぞ﹂
想像し、スバルは身震いする。
自分のパンツを狙うババアとその仲間たち。暗闇に佇む獄翼を囲
み、装甲にしがみつく様をイメージした。正直、ただのホラーでし
かない。
﹁奴の行動はかなり原始的だ﹂
一方のカイト。こちらは他人事なのいいことに、冷静に分析を開
始している。
447
﹁さっきも言ったが、奴は完全に森と匂いを同化させている。遠く
に離れられたら場所を察知するのは難しいだろう﹂
﹁つまり、ここに居座って長いってこと?﹂
﹁理由はわからんが、そう考えられる。他にも四つん這いになって
の突進力。そしてあの跳躍力。健康的だ﹂
だからどうした。心の底から訴えたいところだったが、言ったと
ころで堂々巡りになるのは目に見えているのでスバルは敢えて別の
問いを投げることにした。
﹁どっちにしろ早く後を追わないと見逃しちゃうってことでしょ﹂
﹁あの健康力から察するに、主食は牛乳であると見た﹂
﹁どうでもいいよそういう考察は!﹂
心からの叫びだった。スバルは速足でババアの後を追い始める。
茂みを抜け、木々の間を抜けていく。しばし移動していくと、ある
空間に辿り着いた。
﹁これは﹂
﹁水か﹂
カイトが言うように、水たまりが存在していた。池や川、滝とい
ったような広い水たまりではないが、子供が遊ぶくらいのスペース
だと考えれば十分すぎるほどの空間である。
雨水で溜まった小さな水たまりだった。
﹁で、ババアは?﹂
﹁あれ!﹂
448
スバルが指差し、ババアの姿を確認した。彼女はスバルのパンツ
を大きく広げると、水たまりの中へと押し付け始める。
﹁⋮⋮何かの儀式か?﹂
カイトが首を傾げ始めるが、それだけはないと信じたい。
祈るような気持ちでババアの動向を探るふたり。するとババア、
指を大きく広げて手をかざし始めた。
﹁なにあれ﹂
﹁さあ﹂
バトルアニメでありそうな演出だった。残像が残るかのようなゆ
っくりとした手の動き。指先に至るまでに洗練された無駄な動作か
ら、どこか逞しさを感じる。
﹁かあああああぁ⋮⋮!﹂
ババアが奇声を発し始めた。
記念すべき台詞一号が奇声というのも不憫な話なのだが、それで
もババアはマトモな台詞を吐こうとしなかった。
﹁シャオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ
オオオオオオオオオオオオオっ!﹂
どこかの拳法家のように叫ぶと、ババアは手刀を繰り出す。
水たまりに浮かんだスバルのパンツに炸裂した。水飛沫が巻き上
がり、周囲に飛び散っていく。
﹁⋮⋮俺のパンツは何に使われてるんだ﹂
449
ここまで観察したが、いまいち何をしたいのかがよく分からない。
そもそも目的も不明なのだから察しようがないのだが、実際の使用
用途を見ても混乱は加速するばかりだった。
﹁いや、待て﹂
そんなスバルの肩に手が置かれる。
カイトはやや困惑した表情のままババアを見続け、やがてある結
論に達した。
﹁あれ、洗濯してるぞ﹂
﹁はぁ!?﹂
改めてババアへと視線を向けた。
凄まじい勢いで揉み洗いを繰り出すババアの姿がある。しかも、
どういうわけか泡が溢れていた。
﹁洗剤なんか持ってたっけ﹂
見たところ、それらしき物はどこにもない。スバルのパンツもま
だ石鹸を使う前なのだ。泡が出てくる要素などひとつもない。
﹁いや、見ろ! あのババア、手から泡を噴出してる!﹂
﹁ええっ!?﹂
そんな滅茶苦茶な。新人類じゃあるまいし。
⋮⋮いや、まさかそんな。
﹁じゃあ、何。あのババアの正体って本当に新人類なの?﹂
450
﹁それだけじゃない﹂
確かに力のある新人類なら泡立てをするくらい朝飯前だろう。し
かし、それも特化されたからこその話だ。基本的に、新人類とは特
化されすぎたその道のエキスパートであることを指す。彼らが持つ
異能の力は生まれ持っての才能であり、同時に道しるべでもあった。
﹁あのババア、洗濯に特化された新人類だ﹂
あんまりな結論を前にして、スバルは開いた口が塞がらなかった。
451
EXTRA3 vs洗濯光線
洗濯。
それは洗い物の代名詞。
洗濯。
それは汚れを取る戦いの名称。
洗濯。
それは健康を勝ち取る為の儀式。文明人の誇りである。
﹁⋮⋮じゃあ、つまりなにか?﹂
目の前でババアが己のパンツを洗濯している。それに至るまでの
出来事を思い出しながらもスバルは言う。
﹁あのババアは洗濯したいが為に俺のパンツをとって行ったわけ?﹂
﹁状況だけ踏まえるとそうなる﹂
﹁えぇ⋮⋮﹂
力が抜けていくのが手に取るようにわかる。あの理解の及ばない
珍獣は何を思ったのか、パンツを洗う為だけに四つん這いになって
突撃してきたのだ。しかも石と地面を巻き上げつつ。
﹁何があのババアをそこまで駆り立てるんだよ﹂
こんなの、ただ一言﹃洗濯させてくれ﹄と言えば済む話である。
その筈なのだが、ババアはどういうわけか野生動物のように襲い掛
452
かってはパンツを奪い取ると言う暴挙をしでかしていた。
﹁いや、もしかすると﹂
同じ思考に辿り着いたのだろう。カイトは顎に手をやりつつも、
考えを口にする。
﹁あれはただの前座なのかもしれん﹂
﹁前座?﹂
﹁つまり、パンツを使って何かする為の前準備なのではないかとい
うことだ﹂
﹁何かってなんだよ﹂
﹁俺が知るか。だが、洗濯の為だけにあんな真似をすると思うか?﹂
それを言われたら納得してしまう。
蛍石スバル、16歳。彼は結構流されやすい男であった。
﹁前座か⋮⋮﹂
もしもこの先に﹃本番﹄があるとして、一体何が起こるのだろう。
想像力を働かせ、思考をフル回転させてみる。
不気味な手の動きを加速させ、格闘技のデモンストレーションを
し始めるかもしれない。最初に繰り出した手刀といい、あのババア
はなにかしらの格闘技の心得がある可能性がる。
もしくは最初にカイトが言った通り、なにかの儀式に使う前準備
なのかもしれない。具体的に何かと問われれば全くわからないのだ
が、指先から泡を出す野生老婆なのだ。悪魔を儀式召喚しても違和
感はない︱︱︱︱と思う。
﹁ぐぬぬ⋮⋮!﹂
453
逞しく想像力を働かせる度、スバルはババアに敵意ある視線を送
り続ける。あのババア、俺のパンツに何する気なんだ。ノーパンに
なって海外逃亡の旅路に出るか否かがかかっているのもあり、目が
真剣である。
﹁ああ、もう見てられない!﹂
そしてとうとう我慢は限界へと到達した。
﹁やい、ババア!﹂
スバルが飛び出し、ババアに向けて指を突き付ける。
﹃あのバカ﹄と頭を抱えるカイト。驚愕し、洗濯の手を止めるバ
バア。彼らのリアクションを気にすることも無く、スバルは本能の
叫ぶままに主張する。
﹁よくも俺のパンツ盗みやがったな! それは俺の大事なパンツだ。
間違っても魔王降臨の生贄になんかさせねぇぞ!﹂
﹁どういう想像してるんだお前﹂
結構焦るタイプの少年だとは思っていたが、ここにきて頭の混乱
が臨界点を突破したらしい。
﹁勝負だ、ババア! 俺が勝ったら有無を言わさずパンツを返して
もらう!﹂
指を突きつけ、ババアを挑発する少年。このままいけば老人虐待
と騒がれそうな光景だった。
ところがどっこい、ババアはどっしりとした構えでそれを迎え入
454
れた。さながら相撲の構えのように腰を落とし、少年のパンツを懐
へとしまう。
﹁どうやらやる気の様だな﹂
不敵な笑みを浮かべるスバル。こちらも妙に自信に満ちた表情だ。
ババアの方は身体能力が高いのが証明済みなのだが、スバルの方に
勝算があるとは考えにくい。彼は万年体育の成績が低いのだ。
﹁やる気になったのはいいが、どうやってあのババアに勝つ気なん
だ﹂
﹁もちろん、手段はひとつさ﹂
スバルは指を天に突き付けた後、ゆっくりとババアに向ける。
﹁行け、カイトさん!﹂
﹁なぬ﹂
スバルは カイトを くりだした!
﹁先手必勝だ! カイトさん、アルマガニウムクロー!﹂
﹁なんだそれ﹂
﹁持ち前の爪があるでしょ! 兎に角、ババアと戦うんだよ!﹂
﹁自分でやれ! なんで俺がお前のパンツの為にババアと戦わなけ
ればならんのだ﹂
カイトは いうことを きかない!
﹁ふば!﹂
﹁ああっ、ババアが動いた!﹂
455
ババアの せんざいこうせん!
﹁うおおっ!?﹂
こうかは ばつぐんだ!
カイトは たおれた!
﹁カイトさあああああああああああああああああああああああああ
あああああああああああんっ!?﹂
スバルのてもちには たたかえる しんじんるいがいない!
スバルは めのまえが まっくらになった!
﹁なぜ貴様がそこで倒れる﹂
寸劇から思考を切り替え、洗剤まみれになったカイトがゆっくり
と起き上がる。泡だらけになった超人爪男は青筋を立てながらもス
バルの襟首を捕まえ、無理やり起こさせた。
﹁でも、カイトさんはもう洗剤まみれで戦闘不能だよ。ルールに従
って俺が賞金を払わなきゃ﹂
﹁いい加減現実に戻ってこい﹂
拳骨。いい音が鳴った直後、スバルは頭を左右に振りながら周囲
をきょろきょろと見渡し始めた。表情が普段のそれに戻っている。
どうやら混乱から覚めたらしい。
﹁こ、ここは⋮⋮﹂
﹁やっと戻ってこれたか﹂
456
﹁あれ、カイトさん。なんで泡だらけなの。羊みたいなんだけど﹂
﹁お前が急にポケモンごっこをやり始めた結果がこれだ。見ろ、バ
バアはまだ戦闘態勢を解いていないぞ﹂
ババアが両手をかざし、洗剤を撒き散らす。再び起き上がったカ
イトに驚きながらも、再び必殺の奥儀を繰り出すつもりだった。
﹁ねえ、掌から光が出てるの気のせい?﹂
﹁気のせいじゃないぞ。あれは光と一緒に洗剤を押し流す技だ。さ
っき食らったからよくわかる﹂
﹁かめはめ破かなんか?﹂
﹁目と口は閉じておけよ。死ぬほど苦いからな﹂
まさか飲んだのか。
泡だらけになった同居人が青い顔になったのを見て、スバルは直
感的にそう感じた。
﹁まあ、そこまで心配はしなくていい﹂
同居人が右手をかざす。そのまま爪を伸ばすのかと思ったが、彼
は凶器を取り出さないまま手招きをし始めた。
﹁ぶっはぁ!﹂
するとババア、鼻を鳴らしながら両手を前へと突き出す。掌の中
で渦巻いていた洗剤の荒波が解き放たれ、カイトとスバル目掛けて
流れ始めた。
﹁のわああああああああああっ!?﹂
457
その勢いは、さながら勢いよく押し寄せる大洪水。辺りを泡で包
み込み、泡という泡で大地を白色に染め上げていく。
﹁息を止めておけ。泡まみれになってるだろうが、死にはしない﹂
そう、勢いは強いがあの技に害はない。精々洗剤が口に入ったら
とんでもないことになるといったレベルで、受けたから身体が消し
飛ぶわけではないのだ。
だが、それでもあのババアは止めねばなるまい。
﹁これ以上、洗い物を増やされてたまるか﹂
カイトの眼光がぎらりと輝く。彼は上着を脱ぎ捨てると、力の限
り大地を蹴り上げた。跳躍。青空へと跳び上がった青年はババアの
洗濯光線を回避し、そのままスピン。身体に纏わりついていた泡を
空で拭い捨て、そのまま急降下を始めた。
﹁うおおおおおおおおおおおおおおおおおっ!?﹂
当然、その場に取り残されたスバルは泡の波に飲み込まれていく
だけである。白い滝に打たれ、少年は悶えた。だが息を止めるべき
時間は彼が想像するよりもずっと短かった。
﹁ババア、迷惑だ。今度から洗濯したい時は事前に断りを入れてお
け。そうでないとアイツが暴走する﹂
上空からカイトが迫り、腕を交差させた。
ババアは素早く天へと掌をかざす。洗剤の波が噴出し、カイト目
掛けて襲い掛かった。
458
﹁丁度いい、これも洗っておきたかったところだ﹂
指先から爪が伸び。両手から伸びた10本のそれは空に一閃。白
の荒波を縦に切断する。
﹁ふぁっ!?﹂
ババアが驚愕。綺麗に切断された洗濯光線の間から迫るカイトに
対し、有効打が無くなった。
﹁ふん!﹂
カイトの両手が振り降ろされた。直後、青年の身体がババアの背
後に着地する。
﹁あ、ぐぐ⋮⋮﹂
﹁安心しろ。峰打ちだ﹂
ババアの身体が崩れ落ちた。ばしゃん、と白の水たまりが飛び散
る。カイトはババアの身体を持ち上げ、スタスタとスバルがいた場
所へと歩き始めた。
﹁おい、生きてるな﹂
﹁な、なんとか⋮⋮﹂
洗剤の中から起き上がり、スバルは纏わりついた泡を払い始める。
ちょっと口に入ったらしい。ぺっ、と吐き出しつつも少年は暫く嗚
咽が止まらなかった。
﹁しかし、アグレッシブなババアだったな﹂
459
吐き出し終えた後、スバルは言う。
﹁なんだってこの人はそんなに洗濯に拘るんだ? 俺のパンツなん
かとったところでなんの得にもなりゃあしないだろうに﹂
﹁さあ。そこはさっきも言ったが、本人にしかわからないことだ﹂
ただ、このまま殺してしまっては目覚めが悪い。
一体このババアがどこの誰で、何の目的があってスバルのパンツ
を奪ったのか。きっちりと聞いておかないとまた第二第三のババア
がやってきては同じことの繰り返しになる予感がした。
﹁目覚めたら直接本人に聞こう。それが一番手っ取り早い﹂
﹁⋮⋮まさかと思うけど、王国の追手じゃないよね?﹂
﹁もしもそうだとしたら俺は人選を深く疑うね﹂
心底そう思いつつも、カイトはババアを抱えながら振り返る。靴
の中が泡まみれになっている不快感と戦いながらも、彼らは獄翼を
置いた場所へと戻って行った。
こうして蛍石スバルのサバイバル生活1日目は幕を閉じる。
460
EXTRA4 vsハナオ
閉じられた瞳に光が戻る。
﹃きゅいん﹄と妙な擬音が響きわたると同時、ババアは覚醒。何
故かバク転を挟んでから飛び起きると、辺りをきょろきょろと見渡
した。
﹁元気だな﹂
﹁サンライズ音みたいなのは一体なんなのさ⋮⋮﹂
声に反応し、ババアが振り返る。
スバルとカイトがいた。彼らはたき火で暖を取りつつ、何かを貪
っている。細目で観察してみた。焼きミミズだった。
﹁ミミズは良いぞ。タンパク質がある﹂
﹁俺、慣れる気がしねぇ⋮⋮﹂
愕然と肩を落とすスバル。まさか食生活がこんなにみすぼらしく
なるうえに完全現地調達なのだとは予想できなかったようである。
﹁食べる?﹂
余ったミミズを差出し、カイトはババアに勧めてみる。
ババアがミミズを手に取った。そこから先の表現はスバルの精神
に打撃を与える可能性がある為省略させていただくが、受け取った
時点でお察しである。
﹁聞きたいことがある﹂
461
ババアに向かい、カイトが問う。今更聞くのも馬鹿馬鹿しい話な
のだが、どうしても本人に確認をとっておかねばならないのだ。
﹁コイツのパンツを盗んだのは⋮⋮やはり趣味か?﹂
﹁聞き方悪いだろそれ!﹂
どう考えても聞き方が悪い。事情を知らない第三者が見れば変態
なのかと疑われてもおかしくない会話だった。
だがババア。これに頷く。
﹁うえええええええええええええええええっ!?﹂
スバル、驚愕。度肝を抜かし、座っていた石の上から転がり落ち
る。
﹁そうか、趣味か﹂
感慨深げに深々と納得し始めるカイト。腕を組み、真顔で頷く様
は妙に悟っているように見えなくもない。
﹁ついでに聞きたいんだが、洗濯以外の使用用途は?﹂
この問いに対し、ババアは首を横に振った。
この瞬間、スバルは不思議な安堵感に身を包まれていく。
﹁では、本当に洗濯が目的だったと?﹂
ババアが深く頷いた。どうやら本当に他意はないらしい。
462
だが、それならそれで気になることがある。
﹁では、なぜパンツを強奪した。そこまでして洗濯する理由がある
とは思えん﹂
﹁というか、そもそもあんた誰なの﹂
もっともすぎる指摘がふたりから飛んだ。ババアはしばし迷うよ
うに悩み始め、首を傾けるもやがて観念したかのようにズボンのポ
ケットから紙切れを取り出した。
﹁なんだそれ﹂
﹁メモ帳だな﹂
あれだけ激しく洗剤をぶちまけた癖によく持てた物である。感心
していると、ババアがペンを手に取ってすらすらと書き始めた。
﹃花王﹄
見せつけられた文字に対し、ふたりはしばし固まる。
何を伝えようとしているのか。そもそも何を意味しているのかが
よくわからない単語だった。
﹁もしや、ババアの名前か﹂
﹁いや、どう考えても会社の名前だと思うんだけど﹂
いずれにせよ、ババアはまともに喋る気配が一向にない。その為、
ここは名義上﹃ハナオ﹄とした形で進めていくことにする。
﹁で、ハナオさんはこんな山奥でなにしてるの?﹂
463
ハナオの返答はこうだ。
昔あった新人類軍の侵攻で家族と家を亡くし、それ以来宛てもな
く彷徨い続けた結果、洗濯だけが生き甲斐になったのだという。
﹁なんでまた洗濯なんだ﹂
﹁新人類としての能力だろう。特化されれば、それだけ他のことに
意識が向けられなくなってくる。ハナオの場合、それが洗濯だった
んだ﹂
難儀な事情だった。
元々は洗濯を極めた主婦だったのに、今では山に住みつく珍獣で
ある。死んでも死にきれない事情だ。スバルは心の底から深く同情
した。
﹁当時に限った話ではないが、新人類軍は昔から人材不足が課題だ
った。ハナオの能力は戦闘向けではないかもしれんが、目を付けら
れれば徴兵されていただろう﹂
洗剤も使いようによっては十分な兵器になり得る。あの洗剤光線
を正面から受ければ窒息死だって可能なのだ。
それを察したハナオの夫は、別れ際に彼女にこう提案したと言う。
逃げろ。
逃げろ。
そして地平線の彼方まで人々の為に洗濯をし続けろ。
夫の言いつけを守り、ハナオは街から姿を消した。新人類軍の目
を逃れるべく、なるべく人目のつかない場所へと逃げ続けたのだ。
﹁なるほど。それでこんな山奥に﹂
464
カイトが納得し、辺り一面を見渡す。この辺は山道しかなく、近
くにガソリンスタンドも無ければコンビニもない。強いて言えば車
が横切る程度の場所なのだ。ハナオが隠れるにはもってこいの場所
だったと言える。
だが、そんな静かな場所にとうとう来訪者がやってきたのだ。
﹁じゃあ、俺たちはハナオさんが隠れてるところに来ちゃったわけ
?﹂
﹁そういうことになるな。しかもこんな物までこさえてるんだ﹂
後ろに佇む獄翼を指差した。この日本でブレイカーなんて物騒な
代物を持っているのは軍隊関係者なのが常識だ。新人類軍に占領さ
れた手前、ブレイカーに乗ってやってきたのは新人類軍だと思われ
るのが普通だろう。
彼らに家を焼かれたハナオが警戒するのも無理はない。
﹁しかも、丁度汚れ物を洗濯しているところに遭遇してしまった﹂
﹁あ﹂
ここで場面は最初に戻ってくる。
何の因果か、来訪者は洗い物をし始めたのだ。しかも洗剤を所持
しておらず、石鹸を代わりに扱おうとしているではないか。ここで
ハナオの本能に火が付いた。長年抑え込んでいた洗濯マスターとし
ての誇りが一気に爆発してしまったのだ。
﹁その結果があのジブリに出てくる化物のような走りだ﹂
﹁もうちょっとオブラードに包んで話そうよ﹂
﹁山の中で逞しく、健康的に過ごした結果ともいえるな﹂
465
まあ、要するに。溜まった鬱憤を晴らす為、新人類軍と思わしき
少年のパンツを奪い取り、生き甲斐だった洗濯に勤しみ始めたと言
う訳だ。
﹁⋮⋮なんか話だけ聞いてると俺達が悪いような気がする﹂
﹁元は勘違いなわけだがな﹂
ハナオもなんとなくではあるが、スバル達がただの新人類軍とは
少し違うと察してくれているらしい。そもそも、彼らはパイロット
スーツですらないのだ。
﹁さて、ハナオ。なんとなく察してるかもしれんが俺達は新人類軍
じゃない。確かに俺は新人類だが、こっちは旧人類だ﹂
ここからはただの身の上話だ。スバルのこれまでの事情をカイト
が話し、自分のことはオブラードに包んで状況を説明する。これに
よりハナオも合点が付いたらしく、その後の彼女は攻撃を仕掛ける
ことは無かった。
﹁それで、ハナオさんはこれからどうするの?﹂
仲良く夕食を食べていると、不意にスバルが疑問を投げた。
﹁俺達、この国から逃げようと思ってる。ハナオさんの事情も、多
分俺達と一緒だ﹂
言葉を忘れるくらい山の中にいて、寂しかったかもしれない。
もしも自分が彼女と同じ立場だったら耐えきれるだろうか。友人
もおらず、たったひとりだけの空間。想像したら、胸が痛んだ。
466
﹁よければ、一緒にいかないか。旅は道ずれっていうし﹂
﹁⋮⋮﹂
誘いに対し、ハナオはしばし考え込む。即答しないのは意外だっ
た。もしも自分が彼女なら、きっと喜んで跳びついていただろうに。
﹁⋮⋮⋮⋮﹂
やがて結論を出したハナオは、ゆっくりとメモ帳に答えを出した。
﹃気持ちは嬉しい。でも私はいかない﹄
何故、と問いかけようとするも文章には続きがあった。下に続く
それを見つけ、スバルは目を走らせる。
﹃海外逃亡をすれば、もう日本に戻る事はないと思う。私は此処を
離れるつもりはない﹄
﹁なんで﹂
﹃ここが好きだから﹄
彼女が培ってきた思い出がどれほどの物なのか、スバルは知らな
い。だがハナオは海外逃亡と日本を天秤にかけ、後者を選んだ。
﹃貴方達を否定するつもりはない。しかし、私はもう年を取り過ぎ
た。貴方たちの足手纏いになるだろうし、この日本に長く足をつけ
すぎている﹄
﹁足手纏いになる事は絶対にないと思う﹂
真顔で言ったはいいが、ハナオの意思は変わる気配はない。結局
のところ、一番の理由は故郷が恋しいからなのだ。長い間人と関わ
467
る事が無くても居座っているのがいい証拠だった。
﹁なら、これ以上俺達と関わらない方が身の為だろう﹂
ハナオの意思を汲み取り、カイトは提案する。
いかに隠れる自信があっても彼女を巻き込まないという確証はど
こにもないのだ。同じ場所にいたら、それこそお互いの為にならな
い。
﹁棲み分けをしよう。俺とスバルは1週間ばかし隣の山で生活をす
る。ブレイカーと武装も持っていくつもりだ﹂
もうこの山には戻らない。足も踏み入れない。お互いに干渉する
こともない。
﹁迷惑をかけたな。明日の朝一でここから消える。達者でな﹂
言うだけ言うと、カイトは立ち上がって獄翼のコックピットへと
向かう。後に取り残されたスバルは居心地の悪さを感じながらもハ
ナオに向き直った。
﹁ごめん。あの人、愛想なくてさ﹂
﹃気にすることはない。私は彼の立場でも、きっとそうしている﹄
ハナオは理解のいいご婦人だった。ペンを走らせ、スバルに対し
て最後のメッセージを送る。
﹃洗濯は基本的なマナー。やってもらって当然のことだとは思わな
いで。汚れがついた服を着る人の気持ちになってやってみなさい﹄
468
超人、洗濯ババアからの最後のメッセージだった。
彼女の洗濯に対する熱い情熱と心遣いを受け取り、スバルは思わ
ず目頭が熱くなってくる。
﹃元気でやりなさい。幸運を祈ってる﹄
﹁⋮⋮うん、ありがとう!﹂
目元を拭い、スバルとハナオは固い握手を交わした。
明日は同居人に頼んで洗濯のやり方を教えてもらおう。スバルは
そう考えつつも、ハナオの表情を深く心に刻んだのである。
そして後日。快適な目覚めを迎え、背伸びをしているスバルに向
かってカイトが言った。
﹁ところでさ﹂
﹁なに?﹂
﹁お前、結局パンツ返してもらえたのか?﹂
﹁あ﹂
こうして第二次パンツ争奪戦が幕を開けかけたのだが、それはハ
ナオが洗濯しなおして乾かしたパンツを渡してくれるまでの短い誤
解で終わった。
469
ようこそ混沌の街へ! ∼メイドさんには要注意∼
エレノアとシルヴェリア姉妹を退けてから1週間が経過しようと
していたある日の正午。海外逃亡を図っている筈のカイトとスバル
は、まだ日本にいた。
ブレイカーもあるんだからさっさと移動しろよ、とツッコミを入
れそうになってしまうが、それなりに理由がある。
旅の資金が底をついているのだ。
シンジュクで荷物の回収をした後、どこか適当な場所でマサキの
貯金を崩すか、大使館で盗んだアーガスの宝石を換金するかで何と
かする予定だったのだが、エレノアとシルヴェリア姉妹の襲来がそ
れを台無しにしていた。
この件で時間を取られている間にマサキの口座は新人類王国に抑
えられており、宝石は何時の間にか無くしていたのである。エレノ
ア戦で激しく動き回っていた際か、もしくは獄翼にしがみついて猛
スピードで移動した際のいずれかで落としてしまったのだろう。カ
イトの胸ポケットには何時の間にか穴が開いていた。
ならばどうするか。
金が無くても生きていけるよう、少年に最低限のサバイバルを体
験してもらい、何が食えるのかを学んでもらおう。
カイトはそう結論付け、実行に移したのである。
﹁だからってさぁ﹂
スバルが7日目のサバイバル研修を終えて、げんなりとした表情
をカイトに見せる。この数日間で少年はちょっと逞しくなったが、
470
同時に少々痩せ衰えていた。普段使わない筋肉をふんだんに使った
せいで、筋肉痛も酷い。
﹁なんでよりにもよって毎日ミミズと野草を食わなきゃいけねぇん
だよ﹂
一応、獄翼にはインスタント食品や栄養食。ペットボトルもスト
ックがある。しかしそれらは初日しか手を付けておらず、それ以降
はずっとそんなものを食べていた。水に至っては山で流れる天然水
を見つけ出し、それを使っていた始末である。16年の人生で雨が
ありがたいと思えるのはこの1週間が始めてだった。
﹁身体で覚えておいた方がいいだろ。知識だけ持ってても身体がつ
いて行かなきゃ意味が無い﹂
その理論は多分正しいだろう。悔しいが納得もできる。
ただ、原因はカイトにあるのだから100%納得できるわけでは
ない。
﹁それにしたって、とっとと出発しないとまた見つかるんじゃない
か?﹂
﹁その通りだ。だから明日の朝には出る﹂
﹁俺が言うのもなんだけど、もういいのか?﹂
﹁ああ。こっちの整理も終わった﹂
カイトが後ろに控える獄翼を指差す。黒い鋼の巨人は、新たな武
装として刀を背負っていた。
カノンたちのダークストーカー・マスカレイドが使用していたア
ルマガニウム製の刃物である。1週間前、破壊されたダークストー
カーを回収しようにも、それができるコメットが気絶していた為、
471
今の内に使えそうな物を取って行って下さいとカノンは言った。
それで遠慮なく刀を貰ったわけだが、果たして本当にいいのかと
スバルは疑問に思う。
﹁幾らなんでも軽すぎるだろ﹂
﹁良くも悪くも、あの二人は単純なんだ﹂
一旦心を開いた相手にはとことん尽くすのがシルヴェリア姉妹の
信条のようだ。
若干行き過ぎなところもあるが、その好意を無下にするとまた拗
れかねないので受け取る以外の選択肢がなかったのもある。
﹁それに、調べ物もしたかったから丁度いい﹂
誤解してはならないが、彼らはこの1週間サバイバルだけしてい
Xを再
たわけではない。ダークストーカーの刀に獄翼のアルマガニウムを
登録させたり、まだ完全に解明できていないSYSTEM
び調べたり、更にはスバルがシミュレーションソフトを起動させ、
リアルとゲームのギャップを少しでも取り除くために訓練に励む場
面もあった。そんな中でも一番の収穫は、世間で出回っているニュ
ースである。
連日シンジュクを襲った黒いブレイカーは大きく報道されており、
ソレに乗り込んだスバルの姿もばっちり撮影されていた。このまま
出発して、うっかり顔を見られようものなら、海外にでても捕まっ
ていた可能性は高い。最悪、スバルだけ獄翼の中でずっと生活して
もらう可能性もある。
しかし、ここでカイトが大量に買い込んだ無駄な装飾品が役に立
つ。単純にサングラスや帽子を被り、少々分厚いコートを着たとこ
ろで人間そこまで気にしたりはしない。同時に、そこまで上半身を
472
包んでしまえば顔写真を思い出す奴なんていないだろう、というの
がカイト談である。
唯一気を付けなければならないとすれば、バトルロイドに音声を
録音されることくらいだ。
ではそこまでして、彼らは先ずどこへ向かうのかというと、
﹁じゃあ、明日アキバか﹂
﹁ああ。早めに売りつけておいた方がいいし、日本でやっておきた
い﹂
知る人ぞ知る電気街。二次元文化の街、アキハバラ。
コンピュータの専門店からアイドルグループの本拠地、オタクの
聖地とまで言われた、中々混沌とした街である。
そんな場所に何をしに行くのかと言えば、売りに行くのだ。それ
こそカイトが購入してしまった無駄に有り余る高価な服を。
顔写真まで出回っているのだから、海外に逃亡してから売ればい
いじゃないかという意見が出てくるかもしれない。だが悲しい事に
この辺りでは円が一番価値があるのだ。この先何があるかもわから
ない逃亡生活を送るからこそ、一番価値のある紙幣を入手しておき
たかった。
もっとも、こうなったのは殆どカイトのせいである。
その為、最後の日本。どこに売りに行くかはスバルに決めさせて
あげようと思った。カノンとアウラの件では彼に大きな借りも作っ
ている。
そのくらいの無茶は叶えさせてあげてもいいと、カイトは大目に
見ていた。
その結果が、アキハバラである。
473
﹁しかし、俺は始めてなんだがアキハバラとはどういうところなん
だ?﹂
カイトがスバルに尋ねる。
常々噂には聞いたことがあった。年末やお盆には本屋に蟻の大群
の如く人が押し寄せるなり、女が男をひっかけて足ふみマッサージ
をする場所だと聞いたこともある。更に言えば、仮装も気軽に行っ
ている人間がいるらしい。ヒメヅルやシンジュクを見た限りではあ
まりイメージできない空間に、カイトは首を傾げた。
﹁聞いた話だと、海外からも人が来るらしいな﹂
﹁うん。珍しくは無いと思う﹂
スバルがアキハバラを指定した理由は単純だった。行ってみたか
ったのである。ブレイカー乗り仲間の﹃赤猿﹄や﹃ライブラリアン﹄
を始めとするネット仲間からこの地の遠征に誘われたのだが、金が
無いと言う理由で断ったのを、彼は気にしていた。
﹁俺も始めて行くけど、まずシンジュクと違うのはメイドがいるこ
とだな﹂
﹁ほう﹂
メイドといえば、あれか。
新人類王国に勤めていた時に何度か見たことがある、白と黒のエ
プロンのようなデザインの服を着て、主人の身の回りの世話をする、
あれだろうか。
幼少の頃、リバーラの周りの世話をしていたメイドの姿を思い出
す。王の突然の思い付きに振り回され、ゴリラのモノマネをさせら
れていた。
474
あれが大量に居るのかと思うと、妙に動物園くさい匂いがしてき
た。
﹁バナナが大量に散らかっていそうだな﹂
﹁なんでさ﹂
かなり偏見のあるメイドのイメージ図を浮かべるカイトに、スバ
ルが怪訝な表情を浮かべる。
﹁一応言っておくけど、そのメイドってのは客引きするんだよ﹂
﹁それは主人の命令でウホウホやるのか?﹂
﹁ウホウホはしないな﹂
というか、ウホウホってなんだ。女性になにをさせるというのだ。
﹁言ってしまえば、そう⋮⋮キャバクラみたいな感じかな﹂
自分で言ってみてなんだが、スバルはちょっと悲しい気持ちにな
った。
物の例えとは言え、そういうと妙に冷める物を感じてくる。所詮
奉仕してくれる本物のメイドなんて日本では絶滅危惧種なのだ。た
ぶん。
﹁キャバクラ。聞いたことがある。異性に貢ぐ場所だと豚肉夫人が
言っていたな﹂
﹁なにをほざいてるんだあの人﹂
違うよと言い切れないのが悔しい。
しかしここで釘を刺しておかないと、この男はどこに行くかわか
ったものではない。何といってもシンジュクで無駄な買い物をして
475
は財布の中身を0にしているのである。
ここでメイド喫茶に入ってみろ。ドリンク代だけでなけなしの5
00円玉が空になるのは目に見えている。
﹁いいか、カイトさん。だからメイドと目が合っても、絶対に店に
は行っちゃだめだ。金を毟り取られるぞ﹂
﹁恐ろしい所だな、アキハバラ。何を好きこのんでそんな場所に人
間が集まるんだ?﹂
﹁オタクの性だよ、多分﹂
自身も半分そこに足を入れているスバルとしては、心の中で乾い
た笑みを浮かべる事しかできなかった。
さて、そんな会話をした次の日。
獄翼を飛ばし、人目につかない場所に隠してから二人はアキハバ
ラに君臨した。片方は既に2着もの着替えを台無しにした神鷹カイ
ト。もう片方はサングラスに帽子と、ここにマスクでもつければ完
全に犯罪者感丸出しの蛍石スバルだ。
彼らの使命はここでいらない荷物を換金し、街並みを少し楽しん
でから日本をおさらばすることである。
そんな彼らの前に、第一の関門が立ち塞がる。
チラシを配り、喫茶店の客を集めるメイドさんである。時折巫女
服になると言う噂もあったが、今の彼女たちはメイドさんだった。
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もしもスバルが観光に訪れていたのであれば、興味蔭位でチラ見
していたことだろう。しかし今の彼には、何の罪もない彼女たちが
悪魔の化身のようにも見えた。心なしか、メイドたちが怪しい笑み
を浮かべては﹃金を出せ﹄と囁いている気がする。
しかし蛍石スバル、16歳。
ここで負けてたまるかと決意を露わにする。
チラシを渡されては﹃なんだこれ﹄と言って、そのまま案内され
てしまいそうな天然同居人を連れてこの通りを突破しないと、お金
は手に入らないのだ。
ならば手段は一つ、話しかけられる隙も無く強行突破するしかな
い。
﹁カイトさん、ここはメイドたちに声をかけられないくらい速足で
行くしかないな﹂
隣の同居人と軽い打ち合わせを行う。
︱︱︱︱筈だったのだが、スバルの小声は彼に届いていなかった。
﹁あれ?﹂
メイド喫茶がある十字路。その手前で身を潜めながら、カイトが
メイドたちの様子を伺っているのである。傍から見れば不審者オー
ラ全開だった。全身黒づくめでその行為はビジュアル的にまずい。
﹁ちょ、ちょっと! 何してんだよ!﹂
スバルが速足でカイトの元に近づくと、彼は口元に指を当てて沈
黙を求める。
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﹁静かに﹂
その様子は真剣そのものだった。目つきの鋭さが増し、1週間前
にシンジュクで繰り広げた激戦をスバルに思い出させる。
﹁どうしたの?﹂
彼の隣に隠れ、小声で訴えかける。
するとカイトは、同じく小声で答えた。
﹁知った顔がいる﹂
彼が言う知った顔。スバルが知る限り、こんな表情で言う﹃知っ
た顔﹄は碌な奴ではない。
﹁新人類軍?﹂
﹁俺の同期だ﹂
﹁はぁ!?﹂
簡単に飛び出した予想外な回答に、スバルが間抜けな声を上げる。
が、カイトがすぐに口を塞いで﹃しーっ﹄と己の口に指を当てて
警告した。
カイトの同僚、第一期XXX。
彼が自殺を図った際の爆発で王国から消えた超人軍団。そして1
週間前に襲い掛かってきたカノンとアウラの先輩戦士でもある。
それが、このアキハバラにいる。
478
﹁⋮⋮どれよ﹂
﹁あの青髪だ﹂
基本的に日本人は黒髪か、もしくは染めて金髪か茶髪にするのが
主流である。その中で青髪は、一際目立っていた。
﹁スコップセットをよろしくおねがいしまーす!﹂
ソイツは笑顔でチラシを配り、道行く男たちに声をかけられ、時
折写真も撮られているくらいには人目についた。
なんといっても青髪である。肩にかかるセミロングの青髪少女が、
ロングスカートのメイド服に身を包んでいるのである。目立たない
訳が無かった。右側頭部から尻尾のように垂れ下がっている金髪も
チャームポイントとして機能している。
スバルでさえも﹃二次元からの侵略者か﹄と、わけのわからない
ことを呟いている始末だ。
﹁あれが、第一期XXX?﹂
﹁ああ、間違いない﹂
トリプルエックス
メイドか。ローラースケートに包丁を持ったゲーマーの次は、青
髪美少女メイドなのかXXX。人選がマニアックすぎやしないか。
﹁でも、第一期って事は彼女は俺より年上だろ。そうは見えないけ
どな﹂
カノンとアウラの第二期XXXがスバルと同年代だったことを思
うと、彼女はそれよりも年上ということになる。
傍から見て、身長もそんなに高くない上に幼さも残る。並んだの
であればカノンの方が年上に見えない事もない。
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﹁俺と同い年だ﹂
﹁22!?﹂
﹁後、勘違いしてるみたいだけど、アイツは男だ﹂
﹁男ぉっ!?﹂
ボクシングのワンツーを受けた気分になった。
これは所謂﹃男の娘﹄とでも言う奴なのだろうか。偶にネット上
で女よりかわいい女装写真なんかがアップされているが、実物を見
るのはスバルも始めてである。
﹁しかし、何故アイツがこんなところに。しかもキャバクラの真似
事までして﹂
﹁⋮⋮そうは見えないけどね﹂
単純に可愛いエプロンドレスを身に纏い、喫茶店の案内をしてい
るように見えなくはない。彼女、いや彼は仕事中なのではないだろ
うか。
﹁しかし、スコップセットとか言ってたぞ。聞くからに暴力的だ﹂
﹁ランチテーマだろ、たぶん﹂
確かにスコップの単語は気になる。気になるがしかし、それにし
たって警戒し過ぎではないだろうか。
1週間前、自分以外の第一期XXXも居なくなったのではと推測
したのは何を隠そうこのカイトである。ならばあの青髪メイドも、
王国からの脱走者ではないのか。
﹁俺が行って、少し話してくるか?﹂
﹁よせ、アイツが追手だとすると相当マズイ﹂
480
カイトが困り果てた顔をする。
最近こんな表情をよくするな、と思いながらもスバルは尋ねる。
﹁どんな人なの?﹂
﹁名前は六道シデン。確か、趣味は可愛い物集めと言ってた。能力
は気温や体温とかを一気に凍らせる凍結能力。能力のパワーだけで
いえばXXXトップクラスだ﹂
﹁カイちゃんに比べたらボクはそんな凄くないよ﹂
﹁いや、奴は以前おやつに取っておいたプリンを他のチームメイト
に食われた際、腹を立たせてそいつを氷漬けにした。少なくとも身
内ではアイツの右に出る能力者はいない﹂
﹁いやぁ、そう言われるとちょっと照れちゃうね﹂
﹁ねえ、俺どっからツッコめばいい?﹂
そこでようやくカイトは気づいた。
先程から第三者の声がする。しかも気のせいでなければ、丁度噂
をしている人物の物だった。
カイトはゆっくりと、声のする方向を向いてみる。
﹁やっぱりカイちゃんだ! 久しぶりぃー!﹂
20センチくらいは身長差があるだろうシデンが、眩しい笑顔で
カイトの手を握る。そのまま有無を言わさずブンブンと上下に振っ
た。
﹁離せ﹂
﹁ああん、いけずぅ!﹂
手を払われ、わざとらしく泣き崩れる。結構芸達者な人なんだな、
481
とスバルは思った。
﹁もう、折角の再会なのに冷たいじゃん。というか、何してるのこ
んなところで﹂
頬を膨らませ、カイトに抗議し始める青髪メイド︵22歳、男︶。
これが中々様になっているからメイドは怖いな、とスバルは思っ
た。
﹁それはこっちのセリフだ。貴様こそこんなところで何をしている﹂
﹁あ、結局聞くんだ﹂
するとシデンはチラシをカイトに手渡し、笑顔で言った。
﹁お仕事。ついてきてよ、案内するからさ﹂
チラシには﹃スコップセット 680円﹄と書かれており、10
0円割引のサービス券もついていた。
そしてチラシに映っている写真には、カツ丼と味噌汁。そしてキ
ャベツの盛り合わせという、割と理想的な丼の定食があった。
1週間の間、ミミズと野草しか食べていないカイトとスバルの腹
が滅多打ちにあったかのように鳴り響いた。
482
第32話 vsカツ丼屋
メイド服に身を包んだ元チームメイト︵22歳、男︶に連れられ、
カイトとスバルはアキハバラの狭い道を歩く。てっきり近くのメイ
ド喫茶にでも連れて行かれるのかと思ったが、全く違う方向に向か
っていた。
つまり、シデンはわざわざ他の店の近くに出向いてチラシを配っ
ていたのである。これは営業妨害なんじゃないかとスバルは思うが、
彼がどんな人間なのかもわからないままツッコミを入れると危険な
気がしたので何もしゃべらずにいた。
カイトが無言でコブラツイストを決めてくるのだ。同期であるこ
の男女がマッスルスパークを決めてきてもおかしくはないだろう。
﹁ついたよ。ここがウチ﹂
そんな事を考えていると、シデンの足が止まった。
ソレに釣られ、二人の足も止まる。そして目の前にそびえる建物
と、看板に視線を向けた。
﹁カツ丼屋?﹂
﹁ぼろっちぃ一軒家じゃないのか﹂
﹁両方正解だよ。ほら、そこに看板あるじゃない﹂
スバルの目の前にあるスコップの形をした看板に﹃ちからみなぎ
る カツ丼があいてだ!﹄と記されていた。
これが店名なのだろうか。これをみただけではなにかのパロディ
と勘違いされて、そのまま素通りされるのがオチな気がする。だが
それ以前に店として致命的なのは、殆ど民家と変わらない作りであ
483
ることだ。玄関先に暖簾でもたらせばまだ違うだろうに、スコップ
型の看板しか置いていない。
果たしてシデンが客寄せして、リピーターがつくのかどうか疑わ
しい。
﹁というか、ウチって言ったなお前﹂
カイトが半目でシデンを見る。
すると彼は笑顔で﹃うん﹄と頷いた。
﹁王国を出てから買った、自慢の一軒家。どんな豪邸よりも素敵に
見えるよ﹂
﹁中古で幾ら?﹂
﹁⋮⋮さ、入ってよ﹂
カイトの野暮すぎる質問に一瞬身を凍らせた後、シデンは木造の
ドアを開けて中へと入った。この時点でもはや店ではなく、ただの
ボロい一軒家である。カイトとスバルは思わず顔を見合わせてしま
った。
﹁ここ、カツ丼屋なんだよな﹂
﹁ああ、あいつが配ったチラシの地図もここで矢印が付いている﹂
カイトがチラシに目をやる。可愛らしくプリントされた女の子と
カツ丼のラインナップがこれでもかと言わんばかりに並べられてい
る、中々目まぐるしいチラシだった。カツ丼と女の子のどちらをプ
ッシュしたいのか、いまいちわからない。
﹁二人とも何してるのさー! 早くしないと冷めちゃうよー!﹂
484
カイトが中で少し暴れただけで壊れてしまいそうな一軒家の奥か
らシデンが二人を呼びかける。どうやら頼んでもいないのに既に作
っているらしい。こちらはマトモに払える金も少ないと言うのに、
勝手な物だ。
﹁⋮⋮勢いで来たけど、今が逃げるチャンスだな﹂
﹁またそんな事を言う﹂
カイトはシデンを新人類軍からの刺客ではないかと疑っていたが、
スバルはそうは思っていない。その辺も含めて本人に話を聞いてみ
ないとわからないことだ。それに少々強引ではあるが、ご飯を食べ
させてくれると言っているのだ。無下にするのは失礼と言うものだ
ろう。
﹁カノンと妹さんの時もそうだけど、なんで昔の仲間に対してそん
なキツイのさ。自殺しようと思ったのがそんなに負い目なわけ?﹂
あまりに進歩がない。というか、前回の失敗を改める気配が無い。
その態度に少しムカついたスバルが、少し意地悪な質問をした。
すると予想外な事に、カイトは迷う事も無く即答した。
﹁別にそれで居辛いわけじゃない。ただ、俺とアイツらは仲間じゃ
ないだけだ﹂
﹁どうせまたアンタが勝手にそう思ってるだけじゃないの?﹂
﹁お前に何がわかる﹂
﹁少なくとも、俺は嫌いな奴に飯は出さないよ﹂
スバルはそう言いながらもドアを開ける。それを見届けてから暫
くして、カイトも舌打ちしてから店の中に入って行った。やや遅れ
てから一軒家ともカツ丼屋とも取れる室内に入ったカイトは、テー
485
ブルに置かれたカツ丼と味噌汁。そしてキャベツの盛り合わせを見
る。
﹁いらっしゃーい!﹂
手を合わせ、シデンがそれを出迎えた。メイド服でありながらも
﹃お帰りなさいませご主人様﹄と言わないのは、あくまで彼がメイ
ドではなく単純な趣味で着ているからなのだろう。
もっとも、それ自体もちょっとした偏見ではあるのだが。
﹁⋮⋮ふん﹂
カイトは睨みつけるようにして食卓をガン見する。目の敵にして
いるのか、単純に食べたいからなのかはわからなかったが、少なく
とも苛々していることだけは事実なのだろうとスバルは思った。
しかし、仮にもカツ丼屋を謳っていると言うのにテーブルが食卓
一つだけとはどうなのだろう。
﹁さあさあ、二人とも座って! そして冷めないうちに食べてよ!﹂
シデンはカイトの態度に気付かないのか、妙にニコニコしながら
彼の背中を押す。最終的には無理やりスバルの隣に着席させた後、
自分は向かい側に座った。両手に顎を乗せ、笑顔で眺めてくる。
食べてよ、と言ってはいるがこんなに見つめられては食べにくか
った。
スバルは困ったような表情をした後、カイトの方を向く。
﹁⋮⋮なんだよ﹂
﹁いや、どうにかしてくれないかな、と﹂
486
見るからに不機嫌そうに腕を組み、食卓で構えるカイト。彼とし
てもこの状況は好ましくない筈だと思っていたが、直前の言い争い
が彼をイラつかせていたらしい。カイトは﹃あ、そう﹄とだけ言っ
てシデンへと向き直った。
﹁言っておくが、金は無いぞ﹂
﹁いいよそんなの。今日は記念すべき6年ぶりの再会なんだし、久
々に3人で語り合おうよ!﹂
その言葉にカイトの目つきが更に鋭くなる。
﹁3人?﹂
言いつつ、カイトは横にいるスバルに指を向ける。それを見たス
バルが反射的に自分に指を向けるが、シデンは首を横に振った。
﹁ここ、ボクとエイちゃんの家なんだ。このカツ丼も彼が用意した
物だよ﹂
言い終えると同時。カイトが勢いよく食卓から立ち上がった。
あまりにも勢いがつきすぎて、彼が座っていた椅子が転倒する。
﹁⋮⋮エイジがいるのか﹂
﹁うん。今は台所で後片付けしてると思うよ。なんなら、呼んで来
ようか?﹂
﹁いらん!﹂
そういうとカイトは食卓から離れ、真っ直ぐ玄関へと向かって行
く。明らかに速足だった。
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﹁ちょ、ちょっとカイトさん!﹂
ただでさえご機嫌斜めな彼の態度が更に傾いたのを見て、スバル
が慌てて止めに入る。
﹁どうしたんだよ、急に﹂
﹁帰るぞ﹂
﹁え!?﹂
一応、カイトはここに来ることを渋っていた。だからそう言いだ
すのはある程度予測はついていたのではあるが、キッカケが予想外
だった。急に出てきた﹃エイジ﹄なる人物の名前で、カイトの態度
は豹変したのである。
﹁カイちゃん!﹂
シデンが寂しそうな表情をカイトに向ける。だが彼はそれを気に
する様子も無く、再び玄関に向けて足を前に出した。その表情に何
の変化も無い。
﹁お、なんだ。もう帰るのかい﹂
と、そんな時だった。
食卓の奥からゆっくりと男が姿を現した。左目に何かで切り付け
られた痕跡が残っており、それと少々大きめな身長が威圧感を出し
ていたが、スバルの第一印象としてはその程度だ。旧友に再会した
かのような喜びの表情が、それを軽く上書きする。
目に傷があることを除けば、気さくそうなお兄さんであるとスバ
ルは思う。
488
﹁よっ! 久しぶりだな﹂
エイジが右手を挙げ、カイトに呼びかける。
それに背を向けたままのカイトは、無言で彼に視線を送る。
﹁⋮⋮っ!﹂
だが、それだけだった。
カイトはすぐに首を元に戻すと、玄関へ歩いていく。心なしか、
それが逃げているようにスバルには見えた。
﹁先に用事だけ済ませる。飯を食いたいなら好きにしろ。1時間後
に拾いにいく﹂
﹁お、おう﹂
スバルに向けて言うと、カイトはカツ丼屋から出て行った。
暗に放ったらかしにするぞ、と言っているような物ではあるのだ
が、彼の言葉には有無を言わせない迫力があった。この1週間で彼
と言い争っていたスバルも、素直に頷いてしまう。
﹁⋮⋮なんだよ。愛想ない人﹂
カツ丼屋に取り残されたスバルは、玄関から消えたカイトの背中
に向けてそう呟いた。それに乾いた笑いをかけるのはエイジである。
﹁まあ、アイツがそういう奴なのは知ってるよ。知ってるから、お
前は特に気にすることはねぇさ﹂
肩をぽん、と叩き彼は笑顔で言う。
489
﹁しかし、驚いたな。まさかあの野郎が連れを作ってるとは﹂
倒れた椅子を元に戻したシデンも、その言葉に頷いた。まあ、そ
の気持ちもわからないでもない。ヒメヅルに暮らしていた時も割と
一匹狼だったのだ。誰かと一緒に行動しているのは珍しいだろう。
自分からついて行ったカノンとアウラに比べると、今のスバルの立
場は大分特殊な物であると言えた。
﹁お前、名前は?﹂
﹁スバル。蛍石スバルだ﹂
﹁俺は御柳エイジだ。よろしくな!﹂
エイジが握手を求めてきたので、それに応じる。
がっしりと掴まれ、力強く腕を振るった。思わず肩が取れるんじ
ゃないかと思うような衝撃がスバルを襲うが、幸いにもちょっと痛
む程度で留まった。
﹁アイツとつるんでるって事は、もしかして俺達の事も知ってるの
か?﹂
﹁うん、まあ少しは﹂
肩を押さえつつ、スバルは応える。
﹁知ってて自分から残るのか。大分度胸座ってるな、お前﹂
﹁慣れたんだよ。後、あの人に比べたら人を見る目はあるつもりだ
よ﹂
肩をぐるんと回し、違和感が少なくなったところでスバルは再び
着席。
箸を持ち、手をわせてから﹃いただきます﹄とカツ丼を貪り始め
490
る。よほど空腹だったのだろう。彼の丼は一瞬の内に白いご飯が消
え去っていた。
﹁俺からも聞いていい?﹂
﹁なんだ﹂
丼をテーブルに置いた後、スバルは少し気になったことをカツ丼
屋の二人に尋ねた。
﹁なんであの人、あんなにムキになってるんだ?﹂
あくまで感じただけだが、カノンとアウラが襲来してきたときに
比べても嫌悪感。もしくは距離を置きたがっていたように見える。
あんなにヒステリックな態度の彼を、スバルは初めて見た。
﹁そうだなぁ。あくまで多分だけど﹂
すると、エイジとシデンは腕を組んでしみじみとした表情を天井
に向ける。遠い昔を思い出しているかのような顔だった。
﹁アイツの中で、俺たちは13歳の時から何も変わってないのかも
しれねぇな﹂
491
第33話 vs残してきた傷口
結局のところ、査定が終わるのに1時間もかからなかった。
カイトが売りに出したのは値段5桁はくだらない時計が2点に、
首飾りとサングラスの計4点である。合計で6桁を超える値段がか
かったのだから、最低でも諭吉の1枚くらいは回収できると踏んだ
結果、これがカイトとスバルに選定されて売りに出されることにな
った。4年間働いて稼いだお金で買ったおしゃれ用品がわずか1週
間で紙幣に変わるのは中々心苦しい物があったが、カイトはそれを
ぐっと堪えた。
店から出た後、カイトは財布の中身を確認する。諭吉が10人ば
かし引っ越してきていた。
取りあえずはこれで何とかするしかあるまい。24時間飛行しっ
ぱなしと言うのはスバルの身体が持たない筈だから途中で休憩する
としても、何日かかるかわからない旅だ。あまり楽観視はできない。
それでも資金ができたのには喜ぶべきだろう。
さて、用件も終わった以上、早い所アキハバラから出ていきたい
というのがカイトの本音だが、そうもいかない。
連れのスバルは先程、エイジとシデンが経営するカツ丼屋︵ぼろ
い一軒家︶に置いてきてしまった。我ながら浅墓な行動だと反省す
る。
1時間後に迎えに行くと言ったのはいい物の、気が進まない。昔
のチームメイトは、カイトの目から見ても決して悪い連中ではなか
った。問題があるとすれば、きっと自分自身にある。カノンとアウ
ラの一件もあり、そこは理解しているのだ。
ところがいざ対面してみると汗が止まらず、ついついきつい口調
492
で突き放してしまう。
要するに、非常に気まずいのである。
シデンはまだいい。もう一人のチームメイト、御柳エイジが問題
だった。
彼は非常に気さくな新人類である。第一期XXXの中ではムード
メイカー的な立ち位置で、一癖も二癖もある新人類の子供達を上手
リーダー
く纏め上げてきたのは彼だった。
一応、指揮はカイトに委ねられていたが、それはあくまで戦闘能
力だけで見られた結果だ。人間的魅力で言えば、自分よりも御柳エ
イジの方が遥かに優れた新人類であるとカイトは自覚している。彼
は誰とでも仲良くなれる、自分にはない才能の持ち主だった。チー
ムの誰かが不安や恐怖に押しつぶされそうになったとき、必ず最初
に声をかけるのがエイジなのである。彼はそういうのを察するのが
非常に上手いのだ。
実際、カイトは依存しきったシルヴェリア姉妹の面倒を彼に見さ
せた方がいいのではと何度も思っている。その結果、自殺した後の
面倒は特に心配していなかった。
それがまさか、こんなキャバクラまがいの街で︵カイト談︶シデ
ンと共にカツ丼屋を営んでいるとは夢にも思わなかった。
そこまで思考を働かせたとき、カイトは気づく。
そういえば自分はまだ飯を食べていない。カツ丼を目の前に出さ
れた時は酷く腹が鳴ったものだが、また戻った時に鳴ると非常に恰
好がつかない。
ここは収入も得た事だし、どこかのコンビニでおにぎりでも買っ
て手短に済ませるとしよう。そう思いながらカイトが手近なコンビ
ニを探し始めると、背中から急に引っ張られる。
493
﹁ん?﹂
力強く引っ張られた訳ではない。
寧ろ、何かに引っかかった感じだった。その違和感を察したカイ
トは無言で背後を見る。
女がいた。帽子を深々と被り、メガネをかけた女がこちらを真っ
直ぐ見ている。今のスバルみたいな恰好をした彼女はこちらに近づ
いてくると、ゆっくりと口を開いた。
﹁やあ﹂
その声には聴き覚えがある。1週間前、襲い掛かってきた人形師
の声だ。
﹁エレノア、何の用だ﹂
カイトは特に驚いた様子も無く、彼女に言った。
﹁あれ、気付かれちゃった? 私の熱視線はそんなにわかりやすい
かな﹂
﹁引き留めておいて何を言う﹂
気配もなくカイトの背後に糸を取り付けるような技巧派は、彼が
知っている中だと彼女が一番だった。それゆえに知らない女の顔で
も特に驚くことは無かったが、目的次第ではまた蹴り飛ばしてやろ
うとカイトは思う。丁度苛立ってもいた。
﹁何も無いなら、このまま見る影も無くなってもらう﹂
﹁いやだな。今日は戦いに来たんじゃないよ。寧ろ、私も逃走犯だ
494
しね﹂
くくく、と含み笑いを浮かべてエレノアは言った。彼女は元々囚
人である。それが逃げ出したところで特に疑問を抱かないが、だと
しても同じく逃亡者であるカイトに接触してくる理由が判らない。
カイトが彼女の人形の素体となるには、どうあがいても戦う以外の
プロセスを踏むことなどありえないのだ。
﹁俺は今日、ムカついてるんだ。用が無いなら消えろ﹂
﹁それだよ、私の用事は﹂
エレノアが人差し指をぴん、と突きつける。
﹁何をそんなに苛立ってるんだい﹂
﹁わざわざそれを聞きに来たのか﹂
﹁そうとも。君のことはなるべく知っておきたいし、9年前と比べ
てあまりに態度が違うからね﹂
その言葉に、カイトは目を見開く。
﹁見ていたのか﹂
何を、とは言わない。彼女の言う昔とは、当時接触していた時期
に他ならないのだ。第一期XXXにおけるカイトの立ち位置は、当
然ながらストーカーであるエレノアも知っている。
﹁御柳エイジと六道シデンは、同い年で日系新人類という事で君と
よくつるんでいた。偶に外に出てキャッチボールもやっていたね﹂
﹁昔の話だ﹂
﹁そう、昔の話だ。君たちがボール遊びに興じて10年以上も経っ
495
ている。疎遠になっていても不思議じゃない。だがそれにしたって、
君の彼らへの対応は1日でがらりと豹変した﹂
第二期XXX。要するにカノンたちが加入した時には、既にカイ
トの対応はこんな感じだった。彼は第一期XXXを避け始め、特に
エイジとは絶対的な壁を作っていた。エイジが何を話しかけても、
徹底的に無視を決め込んだのである。
﹁勿論、子供の話だ。些細な切っ掛けで大喧嘩になる事もある。だ
があれから9年も経って、君たちはまだその時の再現をしている。
6年の空白もあるっていうのにね﹂
まるで彼らだけ時間が止まってしまったようだ、とエレノアは指
摘した。
カイトは何も言い返さなかった。ただ無言で、しかし真剣に聞い
ていた。
御柳エイジも六道シデンも、子供の頃から何も変わっていなかっ
た。それこそ外見だけ成長して、中身がそのままだったと言っても
いい。だからこそカイトもすぐに人混みの中からシデンを見つけて
しまった。
懐かしい気持ちに囚われると同時、責められた気分になった。
﹁⋮⋮で、結局お前は何が言いたい﹂
﹁忠告だよ。それなりに好意を抱いている君への、ね﹂
エレノアはカイトに背を向ける。
﹁友達は大事にした方がいいよ﹂
﹁もう友達じゃない﹂
496
﹁そっか。じゃあそれまでだ﹂
でもさ、
﹁他人も自分も信じられないって、凄い寂しいよね。あんなに手を
さしのばしているのに、君は自分から払いのけるんだもの﹂
﹁いやに饒舌じゃないか﹂
エレノアが人混みの中に消えていく。彼女は本当に戦う気はなか
ったようで、手をひらひらと振ってカイトから離れていく。
﹁経験者だからね﹂
ぼそりと呟いた彼女の言葉に、カイトは言葉を失った。何時も軽
口しか言わない彼女が、この時初めて自分の中にある黒い感情を吐
き出したかのようにも見える。
﹁まあいいや。選ぶのは君だし、そんな君とやっていくのは彼らだ﹂
そういうと、エレノアは姿を消した。
カイトはこの時、生まれて初めて彼女の言葉に重みを感じていた。
人生経験の長さは伊達ではないのだろう。
だが、余計なお世話という物だ。
カイトは自分の中に沸き立っていく苛立ちを押さえながらも、コ
ンビニ探しを再開した。
悔しいが彼女の言う事も一理ある。
エイジもシデンも、自分ですらも9年前と同じままだった。あの
時と同じ再現をしている。エイジとシデンが何事も無かったかのよ
497
うに話しかけてきて、自分がそれを避ける。ただそれだけの連鎖だ。
しかし、ならばどうしろというのだ。
9年前、カイトは訓練中にエイジの顔を思いっきり引っ掻いた。
その結果、エイジの顔には今も消えない傷跡が残り、他のメンバー
にも迷惑をかけた。
エリーゼも自分の為に銃弾を自ら受けた。
それなのに、あろうことかチームメイトたちはそれを非難しなか
ったのだ。せめてお前が悪い、と言ってくれればよかった。そうす
ればまだ気持ちは楽だったと思う。
しかし実際は、彼ら全員が普段と変わらない対応をしてくるだけ
だった。エイジは気軽に遊びに誘ってくる。しかし彼に残った傷跡
がカイトを攻め立てていた。エイジの顔をした何かが、彼本人の言
葉とは別にカイトを非難する。大げさかもしれないが、それが﹃い
つか復讐してやる﹄とさえも感じた始末だ。
自然とカイトは、エイジたちを避け始めた。無言の非難を受ける
よりも、孤独を選んだのである。
だが9年経った今、彼の顔をまだ直視できない。カイトが遺した
傷跡が﹃逃がさないぞ﹄と迫ってくる錯覚すら覚えた。
当人たちはあの頃と変わらない対応をしてきている。それが逆に、
カイトの足取りを重くさせていた。
498
第34話 vs神鷹カイト ∼やっぱりあの人が原因なんじゃん
編∼
﹁結局のところ、大体あの人が悪いんじゃん﹂
それが9年前の出来事を聞いたスバルの感想だった。エイジとシ
デンの話を要約すると、カイトがエイジの顔を引っ掻き、それ以来
気まずい関係が続いているという事だ。どう考えても手を出してき
た上に、謝る気配の無いカイトが悪い気がする。
というか、シルヴェリア姉妹の一件もそうだがあの男はリーダー
の癖に厄介事を抱え過ぎではないだろうか。4年間の同居生活で借
金のように膨れ上がった貸しをここで一気に返済しろとでも言わん
ばかりに、彼が撒き散らしていたトラブルを回収している気がする。
しかし意外な事に、スバルの一言を聞いて苦笑いを浮かべたのは
被害者であるエイジだった。
﹁まあ、そう言ってやんな。あいつも辛いんだ﹂
﹁なんでよ﹂
この店の中に入ってまだ30分程度しか時間が経っていないが、
スバルはすっかり溶け込んでいた。彼がXXXの事情をある程度知
っているのもあるが、それ以上にエイジとシデンの二人がスバルを
歓迎しているのが大きかった。まるで友達の友達は友達だ、とでも
言わんばかりにオープンだったのである。普通ならこんなプライベ
ート全開な話を食卓ですることはないだろう。
スバルはまだ気付いていないが、彼らに対して結構遠慮が無くな
っていた。
499
﹁大体、あんたらがもっと怒らないから、あの人だって何時までも
そのままなんじゃないの?﹂
﹁オメェ、結構遠慮が無いな﹂
﹁人でなし相手に遠慮なんかしてたら、ロボットだってぶっ壊され
ちまうよ﹂
どこか悟った目で天井を見上げるスバル。
なにがあったんだろうな、と思いながらもシデンが口を開く。
﹁でも、ボクたちもそんなに強く言えない現実があるんだよね﹂
﹁あの人がリーダーだからか? ならそんな上司、殴っちまえ!﹂
﹁過激だね、君﹂
1週間前の戦いとサバイバルはスバルを成長させていた。それが
いい方向か悪い方向かは置いておいて、確実に逞しくなっている。
物理攻撃で敵わないなら、せめて口だけでも反撃しておかなけれ
ば。あの同居人は己の行いを反省しないのだ。思えば、シンジュク
の買い物だってそうだ。本人は満ち足りた表情をしていたが、4年
間スバルの家で働いて得た収入を僅か1日で殆ど使い切ってしまう
とは頭が悪いとしか言いようがない。
自分の家の金が、数秒の内に時計に早変わりしていれば憤慨もす
るという物だ。
﹁結構真面目な話すると、ボクらは全員彼に命を助けられてるんだ
よね。多分、彼は意識してないけど﹂
﹁命を助けて貰ったら、何をされても構わないのか?﹂
﹁そうは言わないけど、あの時は彼を責める事なんて考えられなか
った。彼はそれまでの間、ボクたちの為に身を削ってくれていたか
らね﹂
500
トリプルエックス
XXXは別に史上最強の格闘技集団というわけではない。ただ単
純に身体能力と、新人類としての力を常識はずれなレベルまで引き
延ばすことを目的とした集団だった。
その為、育成の過程に過度な調整が入った。その度に実験台を買
って出たのは、何を隠そうカイトだったのである。
﹁身を削ったって言っても、何したんだよ﹂
﹁具体的に言うと、大量の薬物接種に始まって、拷問を耐えたり、
迫ってくる戦車をひっくり返したりとかそんな感じ。後、目の前で
銃弾をぶっ放されて、それを避けるっていうのもあった﹂
メイド服に身を包んだ可愛らしい表情から、次々と物騒な単語が
飛び出してきた。特に最後はなんだ。そんなことしたら死ぬだろ普
通。彼らの監督をしていたエリーゼは何を考えているのだ。
﹁あ﹂
だがそこで気付いた。
彼は死なないのだ。自殺を図っても死ねなかった程度には、彼の
能力は便利な力だったと言える。
﹁察した通り、彼は研究者の知的欲求に答え続けてきたんだよ﹂
ただ、それは決して他のメンバーを守る為ではない。他の仲間た
ちがやるくらいなら自分がやった方が生き残る可能性が高いと言う、
義務感から来た結果だった。
﹁理由はどうあれ、ボクたちはソレに救われたんだ。文字通り、死
なずに済んだ。そしてボクらが死ぬ分だったダメージを、彼は受け
た﹂
501
﹁ボロボロになったアイツを見て、俺はいつも思ったよ。コイツの
為になんかできねぇか、ってな﹂
エイジが腕を組み、溜息をついた。
戦いの場で彼をフォローするだけではなく、彼が辛い事はなるべ
く軽減してやりたいとエイジは思っていた。彼に比べたら、笑いか
けることくらいしか取柄が無い。ならばそれでカイトの為にできる
ことをやろうと決意し、実行に移した。
﹁だが、逆効果だった﹂
少なくとも、訓練の時にカイトが爪を使ってエイジを切り裂いた
時、普段通りに接したのはまずかった。
カイトはそれからチームメイトたちと距離を置き、四六時中エリ
ーゼの傍にいるようになったのだと言う。
﹁それっきりだ。それからアイツは第二期の連中とエリーゼに付き
っきりになっちまった。顔を合わせたり、同じ任務で出た時は目線
を合わしちゃくれない。久々の再会で少しは許してくれたかと思い
きや、甘かったわ﹂
﹁全然笑い話にならないよ、それ﹂
苦笑するエイジを余所に、スバルは真剣に切り出した。
彼は困り果てた表情をしながらも、呟く。
﹁アンタらもそのままじゃ嫌なんだろ。仲直りしたいなら無理やり
でもやらなきゃ、あの人は聞かないぜ﹂
なんといっても頑固なのだ。シルヴェリア姉妹との戦いのとき、
激しく口論するくらいには。
502
﹁つっても、アイツ聞いてくれるかな﹂
﹁聞かせるんだよ。縄で縛ってもいいし、直接顔を合わせないで手
紙でもいい﹂
だが、
﹁それでも、最低限の誠意は相手に見せるべきだ﹂
﹁せーい?﹂
﹁誠意。君と本当に仲良くやっていきたいんだ。水に流そうぜって
いう、誠意﹂
首を傾げるエイジと、携帯電話を取り出してなにやら検索をかけ
始めるシデン。まさかこいつら、単語の意味を知らないと言うのだ
ろうか。
同居人と同じく、どこか偏っている二人を前にしてスバルは思わ
ず頭を抱えた。最近、こんなのばっかりだった。
新人類王国が誇る喋る黒猫、ミスター・コメット。
その正体は40代のおっさんで、趣味はパチンコらしいのだが誰
もその正体を見たことは無いという。彼は王国七不思議のひとつで
あると同時に、国の戦士たちの移動をその身で行う空間転移術の使
い手でもあった。
そんな彼は今、今回の乗客の一人であるサイキネルの指示でアキ
ハバラに出向いていた。街中を彩るアニメキャラクターのポスター
503
が目に痛い。
﹁ここに件のXXXと少年がいるわけか。中々個性的な街ですね、
ミスター・コメット﹂
黒猫の隣で、カジュアルな服装に身を包んだサイキネルが爽やか
な笑みを浮かべる。
﹁サイキネル、俺はお前の力を信用していないわけじゃないが、本
当にこの街にアイツらがいるのか?﹂
コメットが思った疑問をぶちまけた。
彼の力は﹃サイキックパワー﹄と呼ばれる、己の意思の力で物質
を突き動かす超常現象である。俗にいう念力というものなのだろう
が、サイキネルはそれを正面から否定する。
曰く、サイキックパワーは念力に加えて他人の意思の流れすらも
把握することができるらしい。この力を使えば相手が何を考えてい
るか、もしくは相手の精神に直接干渉することも可能なのだと言う。
今回、彼がカイトとスバルを見つけたのもこの力の賜物だった。
﹁もちろんですよ、ミスター。私のサイキックパワーは瞬時にアル
マガニウムの力を察知して、その力の流れを頼りに人間の意思を読
み取れる。XXXの考えなど、お見通しなのですよ﹂
﹁そうかい。じゃあ早い所やってくれ﹂
小難しい話はコメットには理解できない。精々﹃超凄いサイコキ
ネシス﹄くらいの認識だったが、サイキネルは特に気にとどめた様
子も無く答えた。
504
﹁では、手筈通りいきましょうか。既に他の二人もスタンばってく
れていますし﹂
サイキネルが両手の人差し指を己の頭に突き付ける。まるで両手
の銃を自分の頭に向けているかのような光景だが、両手から送られ
てくるサイキックパワーはサイキネルの脳を経由し、波紋のように
アキハバラ中に広がっていった。
﹁私からの挑戦状です。逃げられるとは思いませんよね﹂
サイキネルが笑みを浮かべたと同時、アルマガニウムの影響を強
く受けた人間たちは次々とサイキネルのサイキックパワーを感知し
始めた。
エレノア・ガーリッシュが、
御柳エイジが、
六道シデンが、
神鷹カイトが一斉にサイキネルに捕捉される。
彼らはどこからか飛んできた寒気に気付くと同時、サイキックパ
ワーを通じて送られてくるサイキネルの言葉に反応した。
﹁見てますよ﹂
サイキネルの視界には、既に4人の姿は見えている。
サイキックパワーが彼らに触れた瞬間、彼の念動力はカメラの役
割を果たしていたのだ。もっとも、空気中に伝わるサイキックパワ
505
ーを彼らが視認することは無いのだが。
カイトが険しい顔できょろきょろとしている。
エイジも、シデンにしたってそうだった。唯一、エレノアだけが
涼しい表情で立ち読みをしているが、彼女はいいだろう。少なくと
も今は用事が無い。
目的の人物はカイトと、後二人と一緒にいる旧人類の少年だ。な
ぜスバルがカイトから離れ、新人類の二人と行動を共にしているか
は知らないが、共に行動をしていないのであれば先に倒しに行くだ
けだ。
﹁旧人類の少年が別の場所にいますね。急いで回収したほうがいい
ですよ。辛い鬼ごっこになると思いますから﹂
カイトを挑発するように言うと、サイキネルは頭から手を放す。
ソレと同時に、﹃鬼ごっこ﹄は始まった。カイトが走り出すのを
パワーのカメラで確認した後、サイキネルはコメットにいう。
﹁XXXと旧人類の少年は、あっちにいますね﹂
サイキネルが静かに指を指す。その方向はアキハバラの裏通りに
なっており、殆ど人が通わなさそうなところだった。
﹁イゾウとシャオランも、いいですね﹂
空気中に満ち溢れる念力を通じて、サイキネルが呟く。
すると、同じく空気から声が反射されてきた。
﹃了解﹄
﹃⋮⋮確認するが、好きにして構わんのだな﹄
506
機械的で簡単な返事の後に確認を求める声が響く。
この会話はサイキネルたち4人しか聞こえない。その内、実際に
戦闘を担当する3人は新人類王国でも1,2を争う程の﹃戦いたく
ない相手﹄として有名だった。
その中の一人、月村イゾウが続けて話す。
﹃某は貴様らと連携を組める自身はないゆえ、可能であれば単独で
切り捨てる許可が欲しい﹄
﹁いいですよ。許します﹂
サイキネルはこの中の誰よりも階級が高い兵士だった。
同時に、この中の誰よりも若い。サイキックパワーの強大さだけ
でここまで上り詰めた、正真正銘の異能者である。
そんな彼は、部下を持っていなかった。普通なら階級が上がるに
つれて部下ができるものなのだが、いかんせんサイキネルは若すぎ
る。彼自身、その自覚もあった。
それゆえに、サイキネルはこういう場で各々の意見を尊重する。
﹁シャオランさん。あなたも好きにしてくださって構いませんよ﹂
﹃了解です。お心遣い、感謝します﹄
どこか無機質な印象を受ける女の声が響くと同時、イゾウが駆け
る。
ソレに続き、シャオランも走り出した。二人はサイキネルが示し
た場所に向かい、まっすぐ向かって行ったのである。
﹁さて、私たちも参りましょうか﹂
507
サイキネルの足が宙を浮く。それに釣られるようにして、コメッ
トの小さな体も空中へと浮かびはじめた。周りの観光客やオタクた
ちがそれを見てざわつく中、サイキネルは空中を走り出す。
﹁やはり空中走法はわくわくしますね、ミスター・コメット。こう
いうの、時をかける少女みたいじゃないですか?﹂
﹁知らないよ、なんだそれ﹂
﹁娯楽を知らないと損をしますよ。こんな感じです﹂
サイキネルが近くにあるビルにプリントされているアニメキャラ
クターに視線を送り、それに手を伸ばした。
すると一瞬の内にキャラクターのデザインはぐにゃり、と曲り、
新しい絵としてデザインが完成される。まるで今まで立てかけられ
ていた絵が穴に吸い込まれて、その穴から新しい絵が飛び出してき
たかのようだった。
ビルにはサイキネルが例えで出したアニメ作品の有名な1シーン
が映し出された。先程までそこにいた筈のアニメキャラクターは、
どこにもいなかった。
﹁ああ、それか。絵しかみたことないが、確かに空中を走るってこ
んな感じだな﹂
﹁そうでしょう!﹂
﹁でも、元に戻しておけよ﹂
ちょっぴりしかられた後、サイキネルは少し残念そうな顔をして
から、再び手の伸ばした。
空中を走っていると言うよりも、跳躍しているような少女の絵が
再び書き換えられた。
508
509
第35話 vs昔の縁
シデンとエイジの顔色が変わる。
彼らは周辺に気を配りだすと、すぐさま部屋の戸締りを確認し、
外部からの接触を閉ざすようにしてカーテンを閉める。
﹁どうしたの?﹂
明らかな態度の変化に戸惑いながらも、スバルは声をかける。
その問いかけに答えたのは、先程まで笑顔を絶やさなかったシデ
ンだった。目つきは鋭くなり、厳しい表情でスバルに視線を向ける。
あまりの冷酷な視線に、スバルは思わず怯んだ。
﹁誰かが見てる﹂
﹁誰か?﹂
﹁わかんねぇが、多分やばい奴だな﹂
そういうとエイジは台所へと向かい、そちらの確認を行う。
サイキネルによって発信された挑戦状は力のある新人類にしか届
いていなかった。その為、スバルには聞こえなくても彼ら二人には
バッチリ聞こえている。そんな二人が真っ先に考えたのが、新人類
軍の追手が﹃今になって﹄やって来たことだった。
﹁頭に直接喋ってきやがった。XXX時代でもあんな奴見たことが
ねぇ﹂
数分経った後、台所から再び顔を出したエイジが呟く。
その言葉に反応して頷くのはシデンだった。先程まで話の主導権
510
を握ってきたスバルは殆ど蚊帳の外である。
﹁今になってボクらを見つけたのかな?﹂
﹁その辺は本人に聞いてみたいとわかんねぇが、多分目的はコイツ
だろうな﹂
二人が同時に視線をスバルに向けた。
その張本人は全く会話についていけず、頭の上にハテナマークを
浮かばせた状態で己に指を向ける。
﹁俺?﹂
﹁正確に言えば、カイトだな。恐らく新人類軍は逃げたXXXを回
収していて、カイトの奴を追っていた。そしたら俺達も見つけたっ
てところだろうな﹂
なので、カイトも先程の宣戦布告を聞いた筈だ。
スバルを置いて来ている以上、こちらに戻ってきている最中だと
思いたい。いずれにせよ、脱走している時点で既に敵だ。彼らは一
切容赦せず、襲い掛かってくる事だろう。
エイジはそう考えていた。シデンも同様である。
しかしそこまで聞いて、スバルは理解した。
早速次の追手がやって来たのだ。しかも今度の相手はカイトの同
僚二人を真剣にさせるほどの能力者である。彼は状況を理解し始め
ると同時、ポケットに入れてあるスイッチに手を伸ばす。
だがスイッチを入れようとした正にその瞬間、玄関から扉を叩く
音が響いた。三人が一斉に玄関の方を見る。
﹁スバル、いるか!?﹂
511
カイトだった。彼は用件を済ませた後、サイキネルの宣戦布告を
受けて真っ直ぐスバルを回収しに来ていた。
今、状況を最も理解しているのはこの男だった。
﹁カイトさん!﹂
﹁カイちゃん!﹂
スバルが乱暴に扉を叩く同居人の登場に気付いたと同時、シデン
が玄関の鍵を開ける。ボロっちいドアが今にも壊れそうなところを、
寸でのところで止める事に成功した瞬間だった。
しかしカイトは出迎えたシデンを突き飛ばすと、速足で一軒家の
中に突撃する。
﹁スバル、やばいのが来た! 逃げるぞ!﹂
﹁おい、カイト!﹂
だがそんな彼の前に、エイジが立ちはだかった。
彼は昔のチームメイトに怒鳴ると同時、胸倉を掴んで一喝する。
﹁オメェ、何のつもりだ!? 苛立ってるのかは知らねぇけど、シ
デンに当たるんじゃねぇよ!﹂
﹁今はそんな状況じゃない!﹂
カイトが目を逸らす。エイジの手を払いのけつつも、彼はチーム
メイトの顔を直視できなかった。9年前につけてしまった傷跡が、
見えない重圧を覆い被せてくる。
カイトはそれを振り払うかのようにして、エイジをやり過ごした。
﹁来い﹂
﹁ちょ、ちょっと!﹂
512
スバルの手を掴み、有無を言わさず連れ出す。
そんなカイトに対し、エイジが叫んだ。
﹁カイト! お前だけの問題じゃねぇだろ、これは!﹂
﹁俺とコイツの問題だ! 何を勘違いしてるか知らんが、お前等は
隠れてればいい!﹂
﹁隠れてやり過ごせる相手だと思うか、あれが!﹂
カイトの息が詰まる。そう、エイジの言う通りだ。
千里眼でも持っているのか知らないが、今回の相手はどこにいる
のかもわからないカイトたちの居場所を見抜いたうえで、頭の中に
直接語りかけてくるという離れ業をやってのけている。
そんな相手に対し、隠れてやりすごせるかと言えば答えはNOだ
った。
﹁一緒に戦おう。あの時みたいに﹂
動きが止まったカイトの肩にエイジが手をかける。
その瞬間、カイトの身体が震えたのをスバルは見逃さなかった。
﹁カイトさん?﹂
カイトの様子を見て、スバルが首を傾げる。
彼とエイジの間に起こった事件は大体聞いている。その上で多分、
気まずくて意地を張っているんだろうな、という予想もあった。
しかし彼の様子は、どう見ても意地を張っているという物ではな
い。まるで何かを酷く恐れているかのように、彼の表情は歪んでい
た。
513
そんな彼の様子を知らないエイジが、後ろから続けて発言する。
﹁カイト。俺もシデンも逃げ出した身だ。お前と同じ立場なんだ﹂
﹁違う⋮⋮﹂
﹁何も違わねぇよ!﹂
﹁違うんだ!﹂
再びカイトがエイジの手を振り払う。
だがソレと同時に、カイトの手はエイジを突き飛ばしていた。
﹁あ⋮⋮﹂
カイトが呆然とする。エイジは転倒し、食卓に頭をぶつけていた。
当の本人は﹃いてて⋮⋮﹄と言いながら頭を擦っているところを
見るに、大してダメージは無さそうである。
だが、しかし。
突き飛ばし、尻餅をついたエイジの姿が9年前の感触とダブる。
それはカイトの掌からじんわりと染み込んでいき、彼の身体を一
瞬にして覆い尽くした。カイトの目には、顔から大量の血を流して
蹲る友人の姿が映っていた。
﹁エイジ⋮⋮﹂
﹁あん?﹂
名を呼ばれたエイジが顔を上げる。
だがそれを見た瞬間、カイトは再び目を背けた。
しかしそんな彼の前に、もう一人のチームメイトが立ち塞がって
彼の行く手を阻む。
514
﹁⋮⋮どけよ﹂
﹁本当なら退いてあげたいけどね﹂
玄関先で突き飛ばされたシデンは、少し溜息をついてからカイト
を見上げる。
﹁多分、今君を行かせたら二度と会えない気がする﹂
﹁それでいいだろう﹂
﹁いやだよ。ボクもエイちゃんも、また君と一緒にキャッチボール
がしたいんだ﹂
両手を広げ、シデンは続ける。
﹁仲直りしようよ。ボクたちに非があるなら謝る。でも君が、ただ
昔を毛嫌いしているだけだったとしたら、水に流してほしい﹂
彼なりに考えた、誠意の見せ方だった。
多分、ここで彼を行かせたら二度と戻っては来ないだろう。ここ
はシデンとエイジの家であっても、カイトの家ではないのだ。そこ
に戻ってくる通りは無い。
二度と会えなくなり、後悔し続けるくらいであればここで全員が
小さな戦争に巻き込まれてもいいと、シデンは思っていた。
﹁⋮⋮どいつもこいつも﹂
しかしカイトは苛立った口調でシデンに詰め寄る。
そのままエプロンを掴むと、力任せに壁へと叩きつけた。
﹁うわっ!?﹂
﹁カイトさん、アンタ何してんだよ!﹂
515
ソレに対して非難の声を浴びせるのはスバルである。
しかしそれ以上の問答を、カイトは許さなかった。
﹁じゃあな﹂
背後で起き上がるエイジと、苦悶の表情を浮かばせたシデンに向
けてそう呟き、カイトはスバルを連れてカツ丼屋から出て行った。
彼は最後まで振り返ることはしなかった。
﹁⋮⋮カイト﹂
一瞬にして家の中から消えたカイトの姿を前にして、エイジが小
さく呟いた。
﹁そんなに昔の縁が嫌いなのかよ、オメェは﹂
明確な拒絶の意を受けた。
先程シデンに対して行った行動は、そうとしか言いようが無かっ
た。
ずっと友達だと思っていた。
例え今は気まずくて声をかけてくれなくても、何時の日かまた一
緒に笑いあえると信じてきた。少し前まで、今日再会できたのは幸
運だったと思っていた。
だが、それは全部幻想だったのだろうか。
スバルが言っていた﹃誠意﹄というのは、まだよくわからない。
だがそれは全て、共通の友達であるシデンが身を挺してやってく
れた。それでも、彼には届かなかった。
516
﹁⋮⋮ばっか野郎が﹂
思わず、そう呟いていた。
それ以外、何も言葉が思い浮かばなかった。そんなに縁を切りた
きゃ勝手にしろと、半ばやけくそになって怒鳴り散らしたい気分だ
った。
﹁まだだよ﹂
だがそれに対して待ったの声がかかる。
メイド服に付いた埃を払いつつも立ち上がったシデンである。
﹁まだボクは、彼にありがとうも言えていない。縁を切るなら、ず
っと守ってくれた恩を全部返してからにしたいな﹂
彼はそういうと、食卓へと戻ってくる。
そのまま奥の方へと歩を進めると、掃除用具が締まっている押入
れの扉を開けた。
﹁まあ、それでも少しはイラつくからさ。ついでに大暴れしてもい
いんじゃない?﹂
そこから雪かきにでも使いそうな柄の長いスコップを取り出し、
エイジへと放り投げる。
床に落ちたスコップを見て、エイジはにやりと笑みを浮かべた。
﹁自分で言うのも何だけどよ、つくづくお人よしだよな。俺らも﹂
言いつつ、エイジは倒れたテーブルを元に戻す。
517
そして転倒した際に床に落ちた丼や割れた茶碗を拾い始めた。そ
れらに紛れて、崩れ落ちた本や新聞紙の束がある。
その中でも割と新しめの新聞紙には、﹃黒いブレイカー、シンジ
ュクを襲撃﹄という見出しと共にバッチリ撮影されているスバルの
姿があった。
﹁ん?﹂
エイジがソレに気付く。
そしてやや首を傾げて考え込んだ。新聞に映っているこの少年、
なんかどっかで見た気がする。
というか、つい最近まで見ていた気がする。
﹁⋮⋮あ!﹂
ぽん、と両手を叩いた。
この瞬間、エイジの中で全てがつながった気がした。気分は名探
偵。じっちゃんの名に懸けて、何故カイトがあんなにも焦っていた
のかを理解した。
518
第36話 vsサイキックパワー少年ボゥイ
アキハバラの人混みを掻き分け、時折突き飛ばしながらもカイト
はスバルを引っ張って走る。彼のダッシュはハッキリ言うと台風の
ようであった。
カイトがそこを通り過ぎるだけで豪風が街を包み、酷い時は店頭
で宣伝されている電気屋のモニターを風圧で破壊している。挙句の
果てに道中で突き飛ばされたオタクなんかは、大人向けのゲーム店
に吹っ飛ばされ、むふふなパッケージの中に沈んでいった始末であ
る。アキハバラはカイトによって天災的な被害を受け始めていた。
勿論、そんなカイトによって引っ張られているスバルも無事では
済まない。
傍から見れば今のスバルの状態は、まるで風船である。カイトが
手を放した瞬間に、糸が切れた風船のようにどこかに飛んで行って
しまう。そんな儚さがあった。
もっとも、手を離さなくても風圧で腕が千切れそうだったのだが。
﹁ま、待った! ちょっとたんま!﹂
体感したことの無い風圧に負けじと口を開き、スバルが訴えた。
しかしカイトはそれを敢えて受け入れない。
﹁後にしろ! 止まったら殺されるぞ!﹂
今にもアンタに殺されそうだよ、とスバルは突っ込みたかった。
しかし事態は彼が想像するよりも深刻である。カイトはただ一人、
一身に受け続ける3つの殺気から逃げ続けていたのだ。
519
彼らはそれぞれ猛スピードでこちらに向かってきており、その距
離は突き放すどころかぐんぐん迫ってきている。
足の勝負なら、カイトは誰にも負けない自信があった。
だがそんなカイトの逃走に対し、負けじと迫ってくる3つの気配
が彼を焦らせていた。直前に行われたシデンとエイジの一件も、そ
れに拍車をかけていたといっても過言ではないだろう。
﹁くそ⋮⋮っ!﹂
走りながらもカイトは直前のやり取りを思い出す。
なぜあんなことをしてしまったのだ。エイジを突き飛ばし、シデ
ンに苛立ちをぶつけてしまった事に対する自己嫌悪である。
こんなにも自分は不器用で、強情だったのかと呆れ返った。
エレノアの忠告に従うのは非常に癪だったが、彼女の言う事も一
理ある。自分は9年前に犯した過ちを、必要以上に恐れている。エ
イジとシデン、更に広げてしまうとその他の第一期XXXは、もの
の数日でそれを乗り越えてしまった。
だが、自分の今の姿はなんだ。もう22歳なんだぞ。
それなのに、どうしてまだ古傷一つに目を向ける事ができないの
だろうか。
こんな時。
もしも自分が、蛍石スバルだったらどうしているだろう。
柴崎ケンゴでもいい。この際故人ではあるが、マサキでもいい。
部下だったシルヴェリア姉妹でも、アキナやアトラスでもいい。
自分でも呆れるくらい意地を張っているこの状態で、彼らに許し
てもらう為になにをすればいいのかを教えてほしかった。
520
﹁見つけましたよ﹂
﹁!?﹂
そんな事を考えている内に、真上から声が聞こえた。
空を移動する青年と黒猫の姿があった。青年の方は知らないが、
黒猫の方は見たことがある。王国の刺客、ミスター・コメットだ。
﹁なんだと!?﹂
その姿を認識した瞬間、カイトは驚愕する。
何故ならば、あらゆる場所に瞬時に現れるコメットがいるにも関
わらず、彼らはそれを使わないでカイトの前に出現したからだった。
露骨な能力アピールである。
﹁先輩、かくれんぼはそろそろ止めません?﹂
空中を滑るようにしてカイトの真上に位置する青年︱︱︱︱サイ
キネルが前方に手を翳す。同時に、近くの曲がり角で停車している
トラックが前触れも無く転倒した。
﹁あ、でもこれじゃ突破されるな﹂
ならば、とでも言わんばかりにサイキネルは翳した手で握り拳を
作る。その直後、転倒したトラックが突然爆発した。
﹁!?﹂
カイトの動きが止まる。
急ブレーキをかけた為に、慣性の法則に従って何メートルか前方
に引っ張られるが、幸いにも爆発の影響は残骸が飛んできた程度だ
521
った。
カイト目掛けて勢いよく飛んできたトラックのドアは、あっさり
と手刀によって切り裂かれる。
﹁いやぁ、お見事ですね。噂通りだ﹂
サイキネルと黒猫が、カイトたちの背後に着地する。
それを見てカイトは早速構えるが、風圧地獄から解放されたスバ
ルは思いっきり咳き込んでいて、それどころではなかった。ずっと
引っ張られていたのもあり、腕も痛い。暫くの間、スバルは右腕を
ぷらぷらと回して感触を確かめ続けていた。
そんなスバルを一瞥し、サイキネルは再び口を開く。
﹁災難でしたね﹂
﹁全くだ⋮⋮﹂
無理して喋ろうとした為か、声も満足に出ない。
そんなスバルに対し、サイキネルは再び右手を突き出し、叫んだ。
﹁サイキック・ヒールウェーブ!﹂
突き出された右腕から桃色の鱗粉らしき粒子が舞う。
それはゆっくりとスバルを包み込むと、彼の身体を楽にさせた。
﹁あれ?﹂
腕の痛みが引いていく。それどころか、声も普通に出せるように
なっていた。
522
﹁痛くねぇ、アンタ何したんだ﹂
﹁簡単な事。私のサイキックパワーによって、貴方のダメージは取
り除かれたのです﹂
なんだサイキックパワーって。
スバルとカイトが訝しげな視線を送ると、サイキネルの横に控え
る黒猫は憤慨する。
﹁サイキネル、なんであの少年を助けた﹂
その疑問はカイトたちとしても不思議に思っていたことである。
いかに旧人類とは言え、スバルはブレイカーに乗せれば王国兵と
渡り合える少年である。超人に引っ張られた腕のダメージなら、寧
ろ残しておいた方が好都合ではないのだろうか。
﹁勿論、私たちと満足いくまで戦ってもらう為ですよ。王国が受け
た屈辱を、しっかりと利子を付けたうえで返す。その為には彼もベ
ストコンディションでいてもらう必要があるのです﹂
﹁いや、そりゃそうだけどさ﹂
どこか納得いかない表情のコメット。それもその筈。サイキネル
の解答は、プライド重視の新人類としては合格でも、目的を果たさ
なければならない兵士としては追及点が出される物だった。もしも
スバルの腕が治ったことで足元をすくわれたらどうするつもりなの
か。
﹁勝てるんだろうな。後の二人も追いかけてきているとはいえ、相
手は王国最強の身体能力の持ち主と、旧人類最強のパイロットだぞ﹂
﹁ぜんっぜん、問題ありません﹂
523
サイキネルが天に向かって人差し指を突き付けた。
そしてそのままゆっくりと、己の眼前に下げていく。
﹁何故ならば、私のサイキックパワーは正義の名の元に絶対無敵!
サイキックパワーがある為に今日も地球は平和だし、サイキック
パワーがある為に太陽は回っているのです!﹂
もう意味がわからなかった。
この青年が何を訴えたいのか、そして結局のところサイキックパ
ワーってなんなんだ、という疑問がスバルたちの頭の中で飛び交っ
ていく。
ただ、そんな中明らかにイラついた口調でカイトが言った。彼は
この日、ずっとこんな感じである。
﹁正義? 正義と言ったか!﹂
声を荒げ、サイキネルを批判するようにカイトは続ける。
﹁ならば、貴様が正義だとでも言うのか﹂
﹁正義は常に強き者にある。そして私のサイキックパワーは無敵。
ならば私が通る道には、常に正義が光り輝く!﹂
サイキネルが右腕を振るう。
その手首にアルマガニウム特有の青白い粒子が集い、自身の身の
丈ほどはあろう光の刃を生成させる。
﹁サイキック・メガカッタアアアアアアアアアアアアア!﹂
技名が叫ばれると同時、光の刃がカイト目掛けて放たれた。
それを見たスバルと野次馬たちが慌てて身を屈めるが、カイトは
524
動じずに右手を振るった。こちらは毎度御馴染み、アルマガニウム
製の爪である。
カイトの爪がサイキック・メガカッターとぶつかり合う。
一瞬、青白い衝撃が周囲に飛び散ったが、光の刃はあっさりと砕
け散った。
それを見たサイキネルは、素直に感嘆する。
﹁おお、凄い!﹂
﹁感心してる場合か!﹂
横の黒猫が突っ込む。本当にコイツに任せて大丈夫なのかと、真
剣になって考え始めた。もうこの際、他の二人を回収して来て一斉
に襲い掛かった方が効率がいいのではないだろうか。
﹁無粋な真似は無用です、ミスター・コメット﹂
だがサイキネルはそんな黒猫の思惑を知ってか知らずか、振り返
りもせずに答える。
その表情は、妙に冷静だった。
﹁確かに彼は凄い。しかし、凄いだけなんですよ。アルマガニウム
の爪も、身体能力も凄いだけ。そんなんじゃあ、私のサイキックパ
ワーには勝てないんです﹂
多分、他の二人ならそれでも十分通用するだろう。
だがそれは同じ土台に上がって勝負するからこそ成り立つ。サイ
キネルとカイトでは、そもそも特化した方向性が全く違う。
﹁実際に見て、確認しました。他の二人が来る前に、私がちゃっち
ゃと終わらせてしまってもいいのですが、それでは折角来ていただ
525
いた二人に失礼という物です﹂
﹁いや、ちゃっちゃと終わらせてよ。お願いだから﹂
﹁正義は、目上の方の意思を尊重します!﹂
﹁なら俺の言う事聞いて﹂
なんか完全にムードが和み始めている。
だが、その態度は明らかに強者特有の余裕ムードという物だった。
スバルは思わず、同居人に声をかける。
﹁か、カイトさん。勝てるのか?﹂
カイトが余裕そうにしている場面なら、何度も見ている。
だが逆のパターンというのは、非常に珍しかった。強いて言えば、
ペースを崩されたゲイザー戦がソレに近い。しかもその時、カイト
は殆ど負ける一歩直前だった。
あまりいい思い出ではない記憶が、スバルの中で蘇る。
もしかすると本当に負けてしまうのではないかという懸念が、彼
の中で生まれていた。
﹁⋮⋮やってみないと、わからないな﹂
﹁無理ですよ。チョキしかない人では、変幻自在のグーチョキパー
を兼ね揃える一手に勝てないのです﹂
わかりやすい挑発をサイキネルが投げかけたと同時、カイトは無
言でダッシュした。
その場にいる大勢の視界から、カイトの姿が消える。先程まで彼
が立っていた場所には綺麗な足跡のみが残っていた。
一方のサイキネルは、目が点になった。
526
﹁おや﹂
﹁やばい、くるぞ!﹂
コメットはその光景を見たことがあった。
突然視界から消えて、次の瞬間にはエレノアの大量の人形が滅多
切りにされていた事がある。恐らくは、その時と同じ﹃技﹄を出す
気なのだと、コメットは直感的に察していた。
しかし当のサイキネルは、全く危機感がない表情である。
彼は余裕の笑みを崩さず、コメットに向き直る。
﹁ふふふ。私のサイキックパワーは周囲360度、どこにでも、ど
んな形でも展開が可能なのです。しかも不可視にすることも可能な
のですよ!﹂
得意げに言うと同時、サイキネルの真横で青白い衝撃波が響く。
無言で展開していたサイキックパワーによるバリアと、不可視の
超スピードで動き回るカイトの爪が激突した瞬間だった。
だが激突の衝撃は、青白い発光が起こっただけで終了する。
﹁このように、超強力なバリアも出せちゃうのです﹂
嘗てバリアのスペシャリストと称されたヴィクターと戦ったスバ
ルから見ても、サイキネルが作り上げたと言う360度の防壁の堅
さがわかる。
ヴィクターの作り上げたバリアが一瞬で切り裂かれたことを考え
れば、寧ろそれ以上だと言えた。カイト曰く、彼はバリアを極めた
兵という事だったが、このサイキネルはそれをも上回る最新型のハ
イブリット兵であることが伺える。
527
だが、それでも。
﹁まだだ⋮⋮﹂
スバルは握り拳を作り、サイキネルを見る。
否、正確に言えば彼の周囲を猛スピードで駆け巡るカイトを、見
えないながらも必死になって後押ししようとする。
﹁そんなんじゃ、終わらないだろ!﹂
﹁当然だ﹂
スバルの訴えにも似た叫びに、カイトが答える。
次の瞬間、サイキネルの周囲360度が一斉に弾けた。アルマガ
ニウム同士がぶつかり合う瞬間に起こる、青白い衝撃波の発生だっ
た。
しかし、別段驚くべきことでもない。
サイキネルから見ても、カイトの運動能力は凄い。多分、かけっ
こしたら絶対に勝てないだろうと言える自信があった。
だが、結局それだけなのだ。例え足が速く、一瞬で360度に渡
って攻撃を仕掛けていたとしても、所詮はバリアが割れなければ意
味は無いのだ。
﹁えっ!?﹂
サイキネルの表情が変わったのは、その自信に満ちた思考から僅
か0.1秒程であった。
見えないドーム状のバリアに、ひびが入っているのである。
しかも一つや二つではない。それこそサイキネルとコメットを取
り囲むようにして、ひびは全体に広がっていた。
528
﹁ま、まさか⋮⋮破れると言うのですか、私のサイキック・エナジ
ーウォールを!﹂
﹁技名言えばいいってもんじゃないぞ﹂
ドーム状の見えないバリアが割れる。
直後、風が吹いた。明らかに勢いが増した暴風がサイキネルを包
み込んでいく。
カイトが爪を立てる。その矛先はサイキネルの首に目掛けて、真
っ直ぐ飛んでいった。
直後、金属同士がぶつかり合う衝撃音が鳴り響く。爪はサイキネ
ルの身体を貫かず、突如として現れた一本の刀によって防がれてい
たのである。
サイキネルまであと一歩、というところまで迫ったカイトは、目
の前に現れた刀と、それを持つ男に向かって呟いた。
﹁誰だ、お前﹂
刀を持ち、無精髭を生やした男がソレに答えた。
﹁貴様を、斬る者だ﹂
男が刀を振り上げ、カイトを払う。
その行為に合わせてカイトは一度スバルの元まで下がった。戻っ
てきたカイトにスバルは尋ねる。
﹁誰あのサムライ。知り合い?﹂
﹁まさか。知らない顔だ﹂
しかしサムライか。スバルの例えは、中々的を得ているかもしれ
ない。
529
手には刀。腰には帯と鞘。長い頭毛は後ろに纏めてぶら下げてお
り、無精髭と相まって最近の時代劇で出てきそうな﹃サムライ﹄の
イメージがぴったりと当て嵌まった。着物に袴という出で立ちもそ
れを引き立てている。
唯一違和感があるのは、彼の足下がスニーカーだったという事だ
ろう。中途半端に現代の技術が入ったサムライだった。
﹁しかし、なんだ。正義の味方にサムライとは、今回の追手は中々
濃いな﹂
それがサムライを改めて視界に入れたカイトの感想だった。
横でスバルが﹃あんた等も十分濃いよ﹄と呟いていたが、それは
無視した。
﹁某はサムライのような立派な物ではない。別に武士道を重んじて
いるわけではない故﹂
﹁あ、そう﹂
サムライ︵本人は否定︶が呆けているサイキネルの前面に出て、
刀を構える。彼の持つ凶器はこれ一本だった。
﹁イゾウ。すまない、助かった﹂
放心してまともに喋れないサイキネルに代わり、黒猫がサムライ
︱︱︱︱イゾウに向けて感謝の言葉を送る。
すると、イゾウはサイキネルを一瞥して鼻で笑った。
﹁悪い癖はまだ抜けないようだが、今回の相手は貴様の想像以上だ
ったようだな﹂
530
だが、
﹁面白い﹂
イゾウが笑みを浮かべ、カイトを見る。
明らかに危険な笑みだと、スバルは思った。それはカイトも同様
だろう。1週間前に襲来してきたエレノアを髣髴とさせるような、
凶悪な笑みである。あれは自分の快楽を満たす相手を見つけた、非
常に面倒くさい類の笑みだった。
﹁シャオラン、次は某がこの物の怪と仕合いたいと思うのだが、貴
様はどうする﹂
イゾウがカイト達の方向に向かって話す。
しかし放たれた言葉は、明らかに別人に向けられた物だった。
カイトが慎重に、スバルが恐る恐る背後を見る。
野次馬から一歩前に出て、気怠そうな表情をする白髪の女がいた。
しかし彼女の目は、死んだ魚のように生気が無い。それに加え、男
物のYシャツとジーパンというファッションのミスマッチが、彼女
の異質さを際立たせている。
﹁⋮⋮いい。好きにすると良い﹂
﹁かたじけない﹂
シャオランと呼ばれた女は口を開くのも面倒くさい、とでも言わ
んばかりにローテンションだった。
一応、サイキネルと連絡していた時には機械的にキビキビと対応
していたのだが、先にカイトを取られてやる気をなくしていたらし
い。誰の目から見ても、彼女のやる気は限りなく0だった。放って
531
おいたら今にも昼寝しそうである。
﹁⋮⋮やっぱり、今回の追手濃いわ﹂
そんなシャオランの様子を見て、スバルはそう呟いた。
流石混沌の街、アキハバラ。
敵も味方のチームメイトも、結構濃い。もしもこれが意図的に仕
組まれた物だとすれば、恨み言でも言ってやりたい気持ちになった。
532
第37話 vs物怪
新人類王国にある指揮官用の事務室で、タイラントが大量の書類
に目を通す。
彼女のデスクの上に置かれているプリントの量は、そのまま彼女
の部下の数と戦績に比例しており、紙がデスクの真横に12列くら
い並んでいることからも激務の様子がわかるだろう。
しかし、今にもプリントに押し潰されそうになっている筈のタイ
ラントは、業務に身が入っていなかった。というか、四六時中そわ
そわしていた。書類に目を通している最中にも、ちらちらとスマホ
を視界に入れている始末である。露骨ではあるが、それが誰かから
の連絡待ちだというのは明らかだった。
﹁何をしている﹂
王国が誇る最強の女戦士が見せる忙しない様子に、グスタフが呆
れた視線を送る。彼の書類はすでに半分以上に印鑑が押されており、
デスクの周辺に置かれた紙の量はタイラントのそれと比べても余裕
がある感じだ。
しかし彼女の業務能力に誓っていうが、タイラントは決してデス
クワークが嫌いという訳ではない。一応、仕事が進まないのにはそ
れなりに理由があった。
﹁⋮⋮なんというか、その。気になってしまいまして﹂
﹁まあ、気持ちはわかる﹂
次の書類に手を付け始め、グスタフは言う。
きっかけは数日前にディアマットから言われた一言だった。王子
533
の悩みの種となっているカイトとスバルの二人を倒す命を受けたサ
イキネルのお供に、なんとタイラントの部下を指名してきたのであ
る。
サイキネルが部下を持っていない上に、敵が強いのはよく知って
いる。
だからタイラントやグスタフから部下を貸し出すことになるとは
思っていたのだが、まさかその人選にシャオランとイゾウの二人が
選ばれるとは思っていなかった。
念の為補足すると、シャオランがタイラントの部下でイゾウは囚
人だった。正直に言うと、囚人がついてきている時点で胃が痛い。
﹁特にサイキネルはムラが激しい。力があるのは認めるが、いかん
せん彼はまだまだ子供だ﹂
﹁それだけではありません。イゾウも今は大人しくしているとはい
え、何時また味方に切りかかってくるか⋮⋮﹂
頭痛の種は、挙げていけばキリが無かった。
サイキネルもイゾウも力を持っているとはいえ、自己主張が激し
いのが足を引っ張っているのだ。
彼女は知らないが、こうしている間にもサイキネルは持ち前の妙
な自信のせいで窮地に陥りかけ、イゾウは王国の意思を無視して己
の快楽を貪らんと刀を振るい始めている状態である。
せめて彼らが自制できれば、と切に思うところだった。
﹁⋮⋮いや。それよりも﹂
タイラントが顔を上げる。
よほど心配なのか、顔中汗まみれだった。
534
﹁そんな連中と一緒に、あのシャオランを付き添わせるのは⋮⋮﹂
﹁不安か?﹂
グスタフがそう尋ねると、タイラントは無言で首を縦に振った。
﹁彼女は他の二人と比べ、まだペースが緩やかです。しかしその分、
一度タガが外れたら大変な事になってしまいます!﹂
グスタフもその辺の事情はよく知っていた。
イゾウもそうだが、シャオランも強い戦士をこよなく愛し、そし
て戦う事を至極の喜びとしている。その間に違いがあるとすれば、
我慢できるか、できないかだけなのだ。
実際、イゾウは我慢できずに味方を切り殺し、牢屋に入れられて
いる。
﹁確かに、今回のメンバー構成は力押しだ﹂
送り込まれた3人の刺客の性格や能力、武器を頭の中に思い浮か
べながらグスタフは言う。ムラがあるとはいえ、彼らは味方を震え
上がらせるスペックと思想の保有者だ。恐らく、今のXXXと並べ
ても決して見劣りはしないだろう。
﹁ならばこそ、反逆者を確実に打ち取れると期待される。違うか?﹂
﹁ですが、それならば私が﹂
﹁タイラント﹂
尚も食い下がる女戦士を宥めるように、老戦士は彼女の名を呼ぶ。
﹁ディアマット様が何を望んでいるか、わかるか﹂
﹁国の勝利です﹂
535
﹁正解だ。しかし、それでは50点しかやれないな﹂
新人類王国のモットーは弱肉強食である。
既に何度も語られてはいるが、新人類は優秀であり、それの頂点
に立つ王国は負けてはならないというのが国の考え方だ。
同時に、刃向ってくる反乱分子は徹底的の処分して見せしめにす
る。そうやって王国は敗者の牙を奪っていった。
﹁必要なんだ。国の威信の為に、敵の血が﹂
サイキネルも若いが、タイラントもまだ若い方だ。
彼らが今の王国をグスタフと並んで支えているのは、一重にリバ
ーラによる少年兵への投資が大きい。だがその投資は、ここにきて
最強の反逆者を生み出してしまった。
﹁今回は特に、身から出たなんとやらだ。彼を慕っていた部下もこ
の国に残っている以上、第二第三のカイトが出てくるかもわからな
い﹂
だからこそ、それを防ぐ為にも徹底的に叩き潰す必要がある。
それこそ細胞の一つも残さないくらいに。
﹁ですが、それでもシャオランは﹂
﹁心配なのは分かる﹂
タイラントの口を閉じらせ、彼女の言葉を代弁する。
彼女と共に行動するイゾウは我慢をしない殺戮者だ。敵で満足し
なければ味方を切り捨て、仮に敵と戦って満足しても味方を切り殺
す。
そして﹃自称、正義のサイキックパワー﹄使いの青年もまた、集
536
団行動には向かない思想の持ち主だった。普段はなるべく紳士的な
態度に勤めているが、それが崩された場合は敵も味方もお構いなし
に破壊してくる。
強い王国の戦士が3人がかりで反逆者を倒しに行ったと言えば聞
こえはいいかもしれないが、とんでもない。そこにカイトを加えて
始まるのは、仁義なきバトルロワイヤルだ。敵味方の関係ない、強
い奴だけが生き残る血を賭けた戦いである。
だが同時に、そのメンバーに選ばれたことは王子に強者だと認め
られたことを意味している。誇る事はあっても、非難することはあ
ってはならない。
﹁だが、お前も王国の戦士だろう。それなら強い者として認められ
たシャオランを信用してやれ。例え彼女がどんな姿になって帰って
きても、お前は上官としてそれを迎えてやる義務がある﹂
もしかしたら、身体の全部が無くなっているかもしれない。
逆に全身血塗れで、他の三人の遺体を持って帰ってくる可能性だ
って十分あり得る。
﹁それに、だ﹂
だが、ここまではあくまで懸念点で膨らんだスーパー超人大戦の
想像にすぎない。サイキネルが冷静でい続け、イゾウが敵に満足し、
シャオランが喜びに満たされることがあればそんなことは起こらな
いだろう。
﹁必ずしもそうなるとは限らない。サイキネルもああ見えて、なん
とか国の為にと考えて行動している。それならば、無意味に王国の
評判を下げるような真似はするまい﹂
537
﹁それはまあ、確かに﹂
希望的観測ではある。
だが、タイラントは送り出した部下が無事に帰ってきてくれるの
であればなんでもよかった。
彼女は1週間ほど前、目の前でメラニーを倒されたばかりだ。
何もできない場所で、部下が倒されるのを黙って見ているのは苦
痛でしかなかった。メラニーと比べたらシャオランはかなり強いと
自信を持って言えるが、それでもカイトやイゾウ、サイキネルと同
時にぶつかり合うとなるとどうしても不安に思う。
﹁⋮⋮帰ってきてくれれば、それでいいのですが﹂
窓の方向に顔を向け、静かに言う。
そこから見える地平線の向こうで、今頃彼女は必死になって戦っ
ているのだろう。
国の為に。そして、勝利の為に。
そう思うと、タイラントは彼女の為に静かに祈り始めた。
ところがどっこい、シャオランは呑気に見学モードに入っていた。
歩行者天国と呼ばれた道路で彼女は体育座りをし、心底眠そうな
表情でカイトとイゾウの戦いを観察している。
アキハバラのお昼下がりは、タイラントの予想に反して平和だっ
た。
トラックが爆発している時点で平和ではないと思われるかもしれ
ないが、少なくとも血で血を洗う残忍なバトルショーは始まっては
538
いなかった。
実際、アキハバラに集まる観光客やオタクたちはこぞって彼らの
戦いを遠巻きに見学している。
彼らから見ると、サムライモドキと超人爪男の戦いは興奮を呼び
起こすショーでしかなかった。しかし戦っている張本人のイゾウと
しては、面白くない。彼は序盤、猛スピードで刀を振るってきてい
たのだが、途中からペースが緩んでいた。
﹁どういうつもりだ﹂
幾度目かの刀と爪の激突の後、イゾウは問う。
カイトは不思議そうな顔をして、答えた。
﹁どうするもなにも、普通に捌いてるだけだ﹂
﹁それが気にいらぬと、某は言っている﹂
カイトは本気じゃない。ただイゾウが繰り出す斬撃を避け、時に
は弾いてカウンターを狙いにいっている。勿論、その反撃が命中す
れば痛いどころでは済まないのだが、サイキネルを仕留めにかかっ
た動きと比べれば明らかに見劣りしていた。要するに、手加減され
ているのである。これがイゾウには我慢ならなかった。
しかし、カイトとて決して手を抜いているわけではない。
いかにイゾウが1対1の勝負に拘ろうと、相手は3人いる。否、
ミスター・コメットが構えている以上3人以上いると考えている。
そんな状態でスバルを無視して戦えばどうなるか、分からない訳
でもない。今はサイキネルが放心し、シャオランも体育座りで見学
している状況だが、この二人が何かやろうと思えばスバルはすぐに
でも血祭りに上げられてしまうだろう。
539
ちらり、とカイトはネックとなっている少年に視線を送る。
彼は今、非常に気まずそうな表情をしていた。どうやら自分がお
荷物となっているのを気にしているようだが、それ以上にシャオラ
ンがすぐ近くで体育座りしているのが気になるようである。
まあ、サイキネルがまだ呆然としていて黒猫に小突かれている状
態なのだ。最後に現れたシャオランを警戒するのは当然かもしれな
い。
﹁よそ見している場合か?﹂
モノノケ
イゾウによる斬撃か下から振り上げられ、カイトの顎をかすめる。
﹁目の前の敵1人に集中できんか、物怪﹂
﹁誰が化物だ﹂
﹁貴様だ!﹂
つい先週には人格否定をされたが、とうとう敵からは存在自体怪
物にされてしまった。カイトは肩を竦め、溜息をつく。
﹁まあ、流石に3人に睨まれたらな﹂
﹁謙遜はよせ。汝の腕なら我ら全員が一斉にかかったとしても、そ
う易々と死にはしない。手合せして確信している﹂
﹁なら、なぜそうしない﹂
どうにも疑問だったが、サイキネルといいイゾウといい、やたら
とサシの勝負に拘っているように思える。
いや、シャオランもそうか。彼女はどちらかといえば出遅れた側
だ。
それにイゾウの口ぶりから察するに、3人同時でかかればまずカ
540
イトは倒せるだろうという確信があるようだった。そこまでイメー
ジできているのであれば、なぜ最初からそうしないのか。
﹁汝は﹂
すると、イゾウは刀を下す。
﹁目の前にカレーライスとサラダを出されたとすると、どちらを先
に食べる﹂
﹁は?﹂
何やら妙な例え話に発展した。
そして同時に、面倒くさそうな匂いがする。なので、そこは適当
に喋って誤魔化すことにする。
﹁⋮⋮先ずは水かな﹂
﹁成程。喉を潤すか⋮⋮それもまた、一つの解なり﹂
なんか納得し始めた。一人でうんうん、と頷いているサムライモ
ドキは満足したような笑みを浮かべる。
ついでに捕捉しておくと、シャオランも納得したように頷いてい
た。
なんなんだこいつら。
﹁某はな。いや、某だけではないか﹂
イゾウがサイキネルとシャオランに視線を送る。
﹁我らは、皆真っ先にカレーライスを貪るタイプだ﹂
﹁それがどうした﹂
541
﹁分からんか?﹂
﹁分かるか普通﹂
﹁そうか﹂
どこか残念そうな顔で肩を落とし、イゾウは再び刀を構える。
﹁目の前に大好きなカレーライスがいるとすれば、某らは飛びつき
たくなるという事だ。誰にも邪魔されずにな﹂
文字通り、イゾウが飛び出した。
カイトは憤慨する。
﹁俺はカレーライスか!?﹂
﹁名に鷹の字が入るならば、チキンカレーと見たり!﹂
力任せに飛んできた突きを避け、カイトはぐるんと身体をイゾウ
に寄せる。その表情は、やはりどこか納得していない様子だった。
﹁俺は鶏肉じゃない!﹂
イゾウの腕を掴み、勢いを殺さぬまま彼の背後へと回り込む。
そのまま首に目掛けて爪を伸ばした。
が、
﹁左様、汝は食われるだけの鶏肉ではない。物怪よ﹂
ぞっ、とするほどの低いトーンでイゾウが呟く。
何が楽しいのか、その瞳は爛々と輝いていた。
542
﹁物の怪とは、怪異なり。決してこの世に生まれることがあっては
ならない災害に他ならぬ﹂
しかし生命として生まれた以上、自ら死を求める選択肢はない。
ゆえに抗い、周囲に恐れられる。
人間とカテゴライズされず、あくまで化け物として。
﹁某はその災害を⋮⋮人以外の物を斬りたい。それだけだ﹂
直後、カイトの腹部に激痛が走った。
刈り取る一歩直前まで迫った身体に、何かが突き刺さっている。
それがなんなのかは、すぐにはわからない。
何故ならば、腹の皮膚を突き破りカイトを抉ったそれは、目には
見えない透明な刃だったからだ。イゾウの左手には何時の間にやら、
逆手で柄だけが握られている。刀身は見えないが、位置と向きを考
えればこの柄から刃が伸びていればカイトの腹に突き刺さる計算だ
った。
﹁忘れたか。某は武士道のような立派な物を持たぬ﹂
カイトが透明な刃を引き抜き、後ずさる。
イゾウはそんなカイトに向き直り、宣言した。
﹁汝は物怪だ、XXX。他者を理解しようとせず、孤高に生きる﹂
誰も同族だとは思わない。
一人で全てを滅しようとする超人的パワー。
そうやってカイトは、敵を滅する。それは人間ではなく、物怪の
︱︱︱︱災害の行動であると言えた。
543
﹁某は、災害と斬り合いたい。本気で来ないのであれば、某の焦が
れるこの気持ちはどこへぶつければいいのだろうか﹂
イゾウは我慢をしない男だ。
目の前に物怪がいれば、それを欲望のままに斬り捨てる。
そしてそれは、シャオランやサイキネルも同様である。この二人
とイゾウに違いがあるとすれば、我慢できるか否かの違いだった。
﹁なあ、XXXよ。我らを満たしてくれないか﹂
イゾウの眼光が光る。
両手に持った刀と、透明の刀がカイトに向けられた。
﹁⋮⋮いやだな﹂
遠回しに人間失格の烙印を押されたカイトは、刺された脇腹を押
さえながらもイゾウを睨む。
ふと、シャオランの方にも視線を向けてみた。
先程とは打って変わり、真剣な表情になっていた。相変わらず目
は死んでいるが、少なくとも眠そうに見えるほど瞼は下がっていな
い。
彼女なりに思う事はあるのだろうが、目に生気が無いだけ不気味
だった。
﹁なんで俺がお前たちの活力にならなきゃならんのだ﹂
﹁嫌なら、ここで死ぬだけだ﹂
﹁それはもっと嫌だな﹂
先程イゾウは言った。
他者を理解しようとしない、孤高に生きる物怪。それが自分だと。
544
なるほど、言い得て妙だ。昔の仲間の誠意を理解しようとせず、
部下の気持ちも無視してきた。それに憤りを感じたスバルの意見す
らも、極力流そうとしていた。
しかし、まあ。
例えそんな化物でも、ちょっとは悩んだりはする。
丁度、今日の出来事で悩むくらいには。
﹁⋮⋮なあ、チョンマゲ﹂
呟いてから、ややあってイゾウが反応する。
髪を後ろに纏めている﹃ちょんまげ﹄は彼だけだった。
﹁お前の言う通り、俺は物怪かも分からん。だが、仮にそうだとし
てもこれだけは言える﹂
﹁なんだ﹂
カイトが脇腹を抑える手を放した。
出血は止まり、痛みもある程度引いたことを確認するとカイトは
イゾウに向けて構える。
﹁好きで相容れない訳じゃないんだよ。こう見えても﹂
カイトの目つきが変わる。
彼は右手をイゾウに見せつけるかのようにしてかざすと同時、爪
を伸ばした。
﹁やっとその気になったか﹂
待ってました、と言わんばかりにイゾウが構え直す。
545
どちらからでもなく、二人は大地を力強く踏み込んだ。周囲の野
次馬やスバルの視界から、彼らは一瞬にして消え去る。
その刹那。
アキハバラ中に激しい金属がぶつかり合う音が鳴り響いた。
546
第38話 vsサイキックパワー僕ちゃんボゥイ
蛍石スバル、16歳。
彼は今、アキハバラのど真ん中で困惑していた。正面にはサムラ
イと斬り合う同居人。後ろには体育座りをして見学モードに入って
いるシャオラン。
更に同居人の向こう側には、まだ呆けたままのサイキネルとコメ
ット。完全に取り残されている。そして同時に、いつ襲われても文
句は言えない状態になっていた。
生身で彼らと戦えるかと言われれば、当然答えはNOである。
スバルは一般人だ。更に付け足すと、50メートル走のタイムが
クラスの中でビリだったくらいには運動が苦手である。今はよく動
いてるから少しはタイムが縮まったとは思うが、それでもコンボ主
体の高速格闘ゲームの中に出てきそうな連中と張り合える自信は無
かった。
それゆえに、襲われれば確実に死が待っている。
彼らと抗う為には武器が必要だった。その武器も一応持ってはい
るのだが、下手に出せないのが今の現状である。
なんといっても、獄翼を自動操縦でここまで呼び出したとしても
時間は掛る。ポケットに忍ばせてあるスイッチを押したことに気付
かれれば、ロボットが到着するまでの間に人生終了だ。
﹁⋮⋮出せば?﹂
﹁え?﹂
難しい顔で考え込むスバルに、体育座りしていたシャオランが言
547
った。
﹁⋮⋮ブレイカー。君が持ってるんでしょ?﹂
バレた。いや、まあカイトが生身でブレイカーとも張り合ってい
る以上、スバルが護身用の武器をなるべく持っているのが自然では
あるのだが。
それでも、敵に対してそれを出すと言うか普通。
疑念の視線をシャオランに向けると、彼女は面倒くさそうに続け
た。
﹁⋮⋮多分、そろそろ爆発するから﹂
﹁は?﹂
なにが、とは尋ねる事はできなかった。
シャオランの気怠そうな視線はスバルを見ておらず、カイトとイ
ゾウの向こうにいるサイキネルに向けられている。その両肩は、わ
なわなと震えはじめていた。
﹁⋮⋮君がブレイカーに乗って、戦うのは知ってる。それで美味し
そうなら、相手してあげる﹂
不吉な台詞が飛び出してきた。
まるで料理にでも例えられた気分になる。しかしこれは好機でも
ある。
﹁後悔しても知らないからな﹂
﹁⋮⋮楽しければいいよ、私は。今は暇だし﹂
その言葉を聞き、スバルは絶句する。
548
シャオランはこれまで出会ってきた兵達とは、明らかに違う態度
である。国の為、あるいは新人類としての誇り、もしくは過去の因
縁と様々な刺客を見てきたが、彼女のそれは類を見ないタイプだっ
た。
それが、とても不気味に思う。
﹁⋮⋮くそっ﹂
かと言って、スバルに他の選択肢がある訳でもなかった。
やや迷うそぶりを見せた後、スバルはポケットに手を突っ込む。
次の瞬間にはレバーのような棒の先端についているボタンに触れ、
それを力強く押した。
同時に、アキハバラから僅かに離れた廃工場で獄翼の瞳に光が点
る。
心無い無人の機体は主に呼び出され、彼の危機に駆けつける為に
工場から飛び出した。
そして数分が経過した時、その飛行音はアキハバラに届いてくる。
﹁お、おい! アレを見ろ!﹂
ギャラリーの中から誰かが天を指差し、そこに映る黒い影を指摘
する。
﹁あれはなんだ!?﹂
﹁カラスか?﹂
﹁それともVF−29かな?﹂
﹁いやいや、バットマンでござるよ﹂
﹁いんや、あれは︱︱︱︱!﹂
549
ざわめくギャラリーが徐々に近づいてくるそれを視界に入れ、叫
んだ。
同時に、つっこんでくるソイツの被害を避けるように避難しはじ
める。
﹁ブレイカーだ!﹂
誰かの叫びが聞こえたと同時、獄翼はアキハバラの大地に着地し
た。
コンクリートが揺れ、カイトとイゾウの走行を支える足場が激し
く振動する。
﹁む!?﹂
﹁来たか﹂
足場を崩したイゾウに見切りをつけるようにしてカイトが離れる。
彼はスバルに近づくと、やや距離を置く場所で足を止めた。
﹁とっとと乗れ。俺がこいつ等を足止めする﹂
﹁分かった!﹂
獄翼のコックピットが開き、スバルを歓迎する。
それを見たスバルは獄翼から伸びるウィンチロープを掴み、コッ
クピットへと昇っていった。ここまでイゾウとシャオランによる攻
撃は無し。
寧ろイゾウは獄翼を眼中に入れてない様子だった。彼の両手に握
られる刃は、変わらずカイトのみを捉えている。
変化があったのは、シャオランだった。
彼女は体育座りの姿勢を解き、ゆっくりと立ち上がる。そして獄
550
翼を見上げると、ぼそりと呟いた。
﹁ウイング展開﹂
直後、シャオランの背中を突き破るようにして白い翼が出現する。
一枚一枚の羽が鋭利な刃物のようにも見えるそれを大きく広げ、
シャオランは羽ばたいた。
﹁目標捕捉﹂
シャオランの死んだ魚のような瞳に、光が映る。
それは同時に、彼女の視界に様々な電子文字を表示させていった。
﹁こいつは︱︱︱︱﹂
それを見たカイトは理解する。シャオラン・ソル・エリシャル。
今まで気付かなかったが、彼女はバトルロイドだ。
背中に生えた機械の六枚翼は、大使館で数えきれないほど破壊し
てきたそれと同じ物だったのだ。
﹁まさか、オリジナルか!?﹂
﹁左様﹂
飛び立った白髪の女を見上げたカイトの視線を戻したのは、イゾ
ウの言葉である。
﹁あの女はバトルロイドの基になった新人類よ。言わば、バトルロ
イドとは量産型シャオランという事になる﹂
それだけ聞くと弱そうに思えるかもしれない。何せ大使館に配備
551
された彼女のそっくりさんは、皆カイトに破壊されてしまった。
だが、オリジナルがコピーと比べて劣っているかといえば、それ
は場合による。
シャオランの場合、量産しやすいようにバトルロイド達の出力は
ある程度制限されている。使用されているアルマガニウムも必要最
低限だということを考えれば、彼女とバトルロイドの差は明らかだ
った。
﹁しかし、それも今の我らには関係の無い事よ。それとも心配か、
XXX﹂
いや、とイゾウは区切る。
﹁物怪にその気は無いのだったな﹂
﹁勝手に決めるな﹂
両手の爪をイゾウに見せつけ、カイトは構える。右足は獄翼側を
向いたままだ。何かあっても、すぐに駆けつけられる体勢だった。
﹁では、邪魔が入らぬうちに再び死合おうぞ﹂
イゾウが構え直す。
ソレと同時、スバルは獄翼のコックピット内で操縦桿を握りしめ
た。獄翼の瞳が再び輝き、それが決戦の合図となる。
﹁参る!﹂
そのタイミングを見計らったかのようにイゾウの姿がブレ始める。
552
来る。
カイトはそう意識しつつも、背後でシャオランに向き直る獄翼へ
も注意を向けた。
だが、その決戦の合図に待ったをかけるようにして、
﹁うわあああああああああああああああああああああああああああ
ああああああああああああああああああああああああああああああ
あああああああああああああああああああああああああっ!!﹂
アキハバラの道路に、断末魔の叫びにも似た絶叫が木霊した。
その場にいた全員が戦う姿勢を取ったまま、そちらに視線を向け
る。
サイキネルだった。
﹁こ、こここの僕の! サイキックパワーが、敗れた!﹂
頭を抱え、空を仰いで絶叫する。
1人称も私から僕に変わっているところを見ると、かなり混乱し
ているようである。横の黒猫も、慌てて彼のフォローに入った。
﹁お、おいサイキネル。そんなショック受けんでも﹂
﹁否! 否否否否否否否、いなぁっ!﹂
聞いちゃいなかった。
彼は鬼のような形相でカイト達を睨み、続ける。
﹁僕のサイキックパワーは無敵なんだ! お前みたいなゴキブリ野
郎になんか、負けないんだ!﹂
553
﹁ゴキブリ⋮⋮﹂
既にイゾウによって人間失格の烙印を押されたカイト。
そんな彼がとうとうゴキブリまで落ちぶれた瞬間である。
﹁集え、サイキック・プゥァワアアアアアアアアアアアアアアアア
アアアアアアアアアアアアアアアアアっ!﹂
サイキネルは拳を突き上げ、空気中に漂っていたサイキックパワ
ーを己に集約させる。その影響か、徐々にサイキネルの髪色は黒か
ら赤へと変色していき、逆立っていった。
﹁はあああぁっ﹂
サイキックパワーを全身に集め、サイキネルが一呼吸置く。
そして改めて、眼前にいる敵を見た。カイトと、何時の間にかブ
レイカーを呼び寄せたスバルがいる。
更には味方のイゾウとシャオランもいる。
﹁食らえ、必殺!﹂
だがサイキネルは、味方がいるにも関わらず大きく振りかぶった。
まるで弓を引くかのように右手を下げ、その拳にサイキックパワ
ーを凝縮していく。
﹁お、おいサイキネル!﹂
コメットが慌てて仲裁に入ろうとするが、サイキネルは彼の存在
をガン無視していた。
554
﹁ちっ、もうしまいか﹂
﹁⋮⋮緊急警告。サイキネル氏がマジになられたご様子﹂
イゾウとシャオランがそれぞれ残念がるようにして、サイキネル
の視界から去る。それを見て未だに行動できないのはスバルだけだ
った。
﹃え? え?﹄
折角ブレイカーに搭乗して、やってやるぞと活き込んでいたのだ
が完全に出鼻を挫かれた状態になった。
そんなスバルに対し、カイトは叫んだ。
﹁避けろ、馬鹿!﹂
﹁サイキック!﹂
だが、もう遅い。
サイキネルは引いた拳を前に突き出し、吼える。
﹁バズウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウゥカアアアア
アアアアアアアアアアアアアアアアアアァッ!﹂
空気が歪み、強烈な圧迫感がカイトを襲った。
そして彼らは見る。サイキネルの拳から、赤い閃光が放たれたの
を、だ。
﹃あれはなんの光!?﹄
﹁くそっ!﹂
勢いよく飛んでくる赤い閃光を前にして、ただただ混乱するスバ
555
ル。
そんな彼の前に立つカイトは両手を前に突き出して、赤い閃光に
立ち向かった。
赤い閃光がカイトを前にして弾丸のように渦巻き、抉るようにし
て襲い掛かる。カイトは爪を伸ばし、赤い弾丸にそれを突き刺した。
﹁ぐうっ!﹂
吹き飛ばされてしまいそうな圧力がカイトを襲う。
しかしカイトはなんとか踏み止まり、爪を突き刺した個所を起点
として亀裂を生む。
直後、カイトの両手が大きく左右に広げられた。
同時に赤い弾丸は左右に引き千切られ、それぞれ破られた方向へ
と飛来する。
破砕音が二つ、鳴り響いた。
獄翼の後方にそびえ立っていたビジネスビルと、電気屋が崩れ落
ちていく。
﹁ファッキン!﹂
必殺の一撃を破られた。その事実がサイキネルを更に苛立たせ、
落ち着きを無くさせる。表面で飾っていた自信家で紳士的な態度は
そこにはなく、完全に力任せのヤンキーみたいなセリフになってい
た。
コメットはそれを見て、後ずさっていた。
﹁僕のサイキック・バズーカをよくも切り裂いたな! なんで大人
しく当たらないんだ、ええ!?﹂
556
﹁当たるか、馬鹿﹂
言ってることが滅茶苦茶である。
元々よくわからない上に自信に満ち溢れていたが、長い放心時間
を経た後、人は此処まで変貌できるものなのか。
恐らく、こちらが素なのだろうが。
﹃カイトさん、手は大丈夫なの!?﹄
ここにきてようやく状況の整理が出来たスバルが、カイトに問う。
カイトはゆっくりと両手を広げ、確認した。
左右の掌は、真っ黒に焼き焦げている。それでも尚、手としての
形と保っているのは彼が持つ再生能力の賜物だろう。
だが、それでも。
﹁⋮⋮ちょっと、きついかな﹂
正直に言うと、それが本音である。
今の技を連発されるとなると、かなり厳しい。一つ防ぐだけで吹
っ飛ばされかけて、尚且つ両手もこの有様では身が持たない。
加えて、敵はサイキネルだけではない。イゾウとシャオランも、
まだ健在なのだ。
﹁浮かないか、XXX﹂
﹁両手にダメージを確認。しかし細胞の再生が行われている様子で
す﹂
そんなことを考えていると、二人が戻ってきた。
557
彼らはサイキネルとカイトの間に現れ、各々思った事を呟いてい
る。
﹁どけぇ、貴様ら!﹂
だが彼らに対し、敬意を払っていたサイキネルは暴言を吐き始め
た。
最早、完全に我を失っている。コメットも慌てふためいているだ
けだった。
﹁ソイツは僕が倒す!﹂
﹁某の獲物だ﹂
﹁⋮⋮できるなら私も、戦ってみたいです﹂
三者三様に引く気は無く、数秒間の睨み合いが始まった。
そして全員がカイトに視線を戻し、ある結論を導き出した。
﹁では、早い者勝ちだな。協調性の無い奴らめ﹂
サイキネルが言う。
﹁某は元々言っていた。合わせる自信は無い、と﹂
イゾウが刀を抜く。
﹁妨害は?﹂
シャオランが翼を広げ、二人に尋ねる。
その質問に対し、二人は迷うことなく言った。
558
﹁問題あるのか?﹂
﹁異存はない。某は斬る相手が貴様らでも、特に構わぬ故﹂
﹁⋮⋮では、始めましょう﹂
三人が一斉にカイトとスバルを見る。
王国の為に戦う兵にしては異質すぎる迫力を前にして、思わず後
ずさった。
﹁こいつ等⋮⋮!﹂
﹃カイトさん、乗って!﹄
Xだ! ここなら、カイトさんの腕がやられても
そんなカイトに対し、獄翼からスバルが叫ぶ。
﹃SYSTEM
戦える!﹄
﹁そうしたいが、果たして許してくれることやら⋮⋮﹂
自嘲気味にカイトがいう。
笑うしかなかった。ゲイザーによってかけられた病はいまだ健在
である。エレノア戦に比べれば発症は遅いが、何時症状が再発して
もおかしくは無い。
サシ
そんな状況で、この3人を相手にしろと言うのか。
直接対決でも苦労しそうな、この3人を。
エレノアの時、負けそうになったのだぞ。
﹁さて、どうするか﹂
心底困り果てた顔で、カイトは言った。
同期のカツ丼屋に戻る直前、風邪薬は一通り飲んではいるが、果
559
たしてそれがどれだけ持ってくれるだろう。
状況は割と最悪な方面に向かいつつある。いかに巨大ロボットが
あるとはいえ、既に情報が行き渡っている相手にそれが通用すると
は思えない。
﹁行くぞぉ!﹂
サイキネルが吼える。
その咆哮を第二ラウンドのゴングとするように、イゾウとシャオ
ランも動き始めた。
だが、その瞬間。
アキハバラに鋭い叫びが木霊した。
﹁ちょっと待ったああああああああああああああああああああああ
ああああああああああああああああああ!﹂
その場にいる全員の動きが止まる。
中断を求める声は、これまで戦いの中で聞かない者の声だった。
﹁パーティーなら、俺達も混ぜてくれよ。なぁ?﹂
﹁全くだね。勝手に盛り上がっちゃって、酷いや﹂
獄翼の足下。そこからひょっこりと、二つの影が姿を現した。
一つはエプロンの付いた長いスカートのメイド服に身を包んだ、
青髪の少女︱︱︱︱に、見える男だった。
彼とはほんの少し前まで同じ建物の中にいた。スバルはモニター
越しでその姿を認めた瞬間、彼の名を叫ぶ。
﹃シデンさん!﹄
560
﹁やあ、スバル君。助けに来たよ﹂
メイド喫茶前でチラシを配っていた時と同様の笑顔を見せつつ、
手を振ってきた。もう片方の手には、どういうわけか小指が届く位
置に二つ目の引き金がある銃を握っている。
﹃じゃあ、もう一人は﹄
視線をもう一つの影に移動させる。
だが、そこでスバルが見たのは予想とは別の姿をしていた。
﹁おうおうおう! どぉーした、カイトぉ! 妙にやられてるじゃ
ねぇか。ちょっと弱くなったか!?﹂
その声は紛れも無く御柳エイジのものである。
間違いない。
ただ、どういうわけか彼は全身黒タイツで、目の位置に二つの穴
が開いたマクドナルドの紙袋を被っていた。
﹁助けに来てやったぜ。感謝しな!﹂
﹁⋮⋮誰、お前﹂
馴れ馴れしく肩を叩いてくる紙袋男を前に、カイトは半目で言う。
いや、こいつが誰なのかは分かっているのだ。声や、隣にシデン
がいる事から間違いないだろう。
だが、それにしたってこの格好は無いんじゃないだろうか。見る
からにダサい。せめてショッカーのマスクならお洒落なのだが、と
カイトは思う。
561
﹁貴様、何者だ﹂
予想だにしなかった乱入者を前にして、サイキネルが尋ねる。
すると紙袋男は腕を組み、3人に向かって口を開く。
﹁俺の名はアキハバラを守る正義の味方、ダンボールマン!﹂
獄翼のコックピットの中で、スバルがずっこけた。彼にはダンボ
ール要素が一つも無かった。
ダンボールマンは得意げにカイトの肩を組み、告げる。
﹁そしてこいつは俺の親友、スター★ハゲタカ!﹂
﹁え?﹂
何それ、と言わんばかりにカイトがダンボールマンを見る。
傷口が見えなければ、あの圧迫感も襲ってはこなかった。それゆ
え、カイトは実に9年ぶりにチームメイトの目を正面から受け止め
たのだが、これは一体なんの茶番なのだ。
﹁そしてボクがアキハバラを守るヒロイン、ジャッカルクイーン!﹂
シデンがカイトの横に立ち、三人が並ぶ。
ただ一人、カイトは困惑したままだった。
﹁これで丁度3対3だ。俺とジャッカルクイーンが二人、受け持つ
ぜ﹂
﹁待て。勝手に決めるな﹂
﹁その代り、最後の一人はハゲタカとこの黒いロボットのセットだ。
お得だろ?﹂
﹁おい﹂
562
スター★ハゲタカにされたカイトの異論は無視された。
王国からの刺客である3人は一同、顔を見合わせると無言で拳を
突き出した。仁義なきシャンケン勝負である。
乗るのかよ、この提案に。
モニター越しでツッコむスバルだが、これは見方によれば好機で
ある。
﹃⋮⋮か、カイトさん! 兎に角今の内に乗って!﹄
﹁いや、でもお前﹂
﹃でもも何もないでしょうが! 手が痛いなら、とっとと戻る!﹄
困った表情を浮かべるカイトに、ダンボールマンが肘で小突いて
きた。
遠回しに行けよ、と言っているらしい。
﹁⋮⋮何のつもりだ﹂
紙袋を被ったチームメイトに、カイトは言う。
だがダンボールマンとジャッカルクイーンは、迷うことなく答え
た。
﹁イラついたのは事実だからさ。ちょっとした仕返し﹂
﹁その紙袋は何だ﹂
﹁お前、まだ昔の事気にしてるようだからな。なんか被れそうなの
探したら、出てきた﹂
まあ、兎に角。
ダンボールマンはスコップをコンクリートに突き立て、3人の敵
を見る。
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丁度ジャンケンが終わったようである。
﹁ただの偶然で再会できただけかもしれねぇけど、俺はお前の為に
カツ丼を作った。せめて感想くらいは聞かせてもらわないと、帰せ
ないわな﹂
﹁⋮⋮善処する﹂
そう言うと、カイトは獄翼に向かって走り出した。
エイジとシデンは、思わず顔を見合わせる。
﹁聞いたか?﹂
﹁うん、聞いた﹂
にやけ笑いが止まらなかった。
エイジは紙袋で表情が見えないとはいえ、多分自分と同じ顔をし
てるんだろうな、とシデンは思う。
﹁善処するってよ。アイツにしては前向きな発言じゃねぇか!﹂
﹁じゃあ、こっちも善処するとしましょうか﹂
シデンの正面にサムライモドキが。
エイジの正面に白い翼を広げた女が移動する。それぞれの相手を
認めると、二人は武器を構えた。
﹁おら、いくぜぇ!﹂
彼らにとって、6年ぶりの戦いが始まった。
当時と変わらずにカイトを含めた戦いが、幕を開けた。
564
第39話 vsイーグルとシャークとパンサーとパンダ
獄翼のコックピットが開かれたと同時、カイトは跳躍。ウィンチ
ロープも使わずにスバルの下へ着地する。
それを見届けたジャンケンの勝利者︱︱︱︱サイキネルは、右手
を天に突き上げ、叫んだ。
いちいち空に向けて手をかざす男である。
﹁ふぅーっはっはっは!﹂
彼は高らかに笑い、そして獄翼を睨む。
巨大ロボットを前にして尚も笑っていられる余裕が、彼にはあっ
た。
﹁僕のサイキックパワーに怖気づき、そんなところに隠れても無駄
だ!﹂
何故ならば、
﹁この僕には頼りになる優秀な仲間たちがいるからだ﹂
イゾウとシャオランのことではない。
彼らは既に乱入者との戦いに突入している上に、サイキネルは彼
らごと纏めて葬り去ろうとしているからだ。
では、その仲間とは誰のことか。
彼は遠巻きに見ている黒猫に視線を向け、叫ぶ。
565
﹁ミスター・コメット!﹂
﹁は、はい!﹂
呼ばれた黒猫がびくり、と起き上がる。
明らかに迫力が違った。小学生の時、何時までゲームをやってる
んだいとお母さんに叱られた記憶が蘇る。
﹁僕のブレイカーを出してくれ! ジャンケンの勝利者たるこの僕
が、あいつをけちょんけちょんの、ごっちゃごっちゃの、ぎったぎ
たにしてやる!﹂
﹁お、おう﹂
テンションが高すぎてついていけなかった。
コイツこんな奴だったのか、と思いながらもコメットはアキハバ
ラの上空に巨大な空間の穴を空ける。
その穴に向かい、サイキネルは叫んだ。
﹁さあ、集まれ! 念動獣達よ!﹂
突き出された拳から赤い閃光が飛び出し、穴の中へと吸い込まれ
ていく。
直後、穴の中から眩い光が広がり、それがアキハバラの街を包み
込んでいった。
﹁なんだ?﹂
スバルが獄翼のハッチを閉め、モニター越しでそれを確認する。
Xの使用タイミングはこちらが指示す
怪獣でも下りてきそうな雰囲気がそこにはあった。
﹁注意しろ。SYSTEM
566
る﹂
﹁了解!﹂
只ならぬ空気を感じたのは後部座席に陣取ったカイトも同じだっ
た。
彼はタッチパネルを使って周囲の状況を確認しつつも、穴とサイ
キネルから目を離さない。
﹁エスパアアアアアアアアアアアアアアアア・イーグル!﹂
サイキネルが叫ぶ。
ソレと同時、空に広がる穴から一羽の鳥が飛び出してきた。
﹁あれは!﹂
スバルが穴から出てきた影を視認する。
その声に応えるようにして獄翼のカメラがズームアップされ、鳥
の姿を明確に捉えた。
﹁ブレイカーだ!﹂
﹁アニマルタイプか!﹂
念動獣、エスパー・イーグル。
全長10メートルほどの機械の鳥は呼び出した主の下に着地し、
その頭部に乗せる。
﹁まだまだ行くぞ!﹂
ブレイカー
サイキネルを乗せたエスパー・イーグルが羽ばたく。
ソレと同時、穴の中から第二、第三の念動獣が飛び出した。
567
﹁エスパー・パンサー! そしてエスパー・シャーク!﹂
穴の中から同じく全長10メートルほどの豹型ロボットと鮫が出
現する。
豹は大地に着地した後、イーグルの後に続くようにして疾走した。
そして鮫はまるで海を泳ぐかのようにして尾びれを動かし、飛行
する。
﹁まだまだぁ! トリを務めるのはお前だ! エスパアアアアアア
アアアアアアアアアアアアアアアアアア・パンダ!﹂
﹁パンダ!?﹂
予想外の動物の名前を聞き、スバルが驚愕する。
後ろのカイトは﹃ファンシーだ﹄と呟いていた。
そんな彼らの驚きに応えるようにして、穴の中から巨大なパンダ
型のブレイカーが顔を覗かせる。
ただ、それがまたでかい。
恐らく、今出現したパンダの顔面だけでエスパー・イーグル並み
の大きさがあるのではないだろうか。
﹁あ、可愛い﹂
﹁パンダの星からの侵略者か?﹂
獄翼の周りで戦闘を開始した筈のシデンとエイジすらも、そんな
感想だった。
それほどまでにこのエスパー・パンダは空気に馴染んでいなかっ
た。
少なくとも、獄翼と同じ技術で作られた機械の塊だとは思えない。
568
まあ、それはアニマルタイプ全般にいえることなのだが。
﹁むぅ、ちと面倒なことになったな﹂
﹁場所を変える事を提案します﹂
だが、エスパー・パンダの出現によってイゾウとシャオランは顔
色を変えていた。少し分が悪くなった、とでも言わんばかりに表情
が硬い。
それは詰まり、面倒な展開になるという事だ。
﹁じゃあ、移動する?﹂
﹁どっちにしろ、ブレイカーの足下じゃ踏みつぶされる危険だって
あるしな﹂
彼らの言動から状況の変化を察したシデンとエイジは、シャオラ
ンの提案に乗りかかる。
いすれにせよ、ブレイカーの足下で戦うのは危険行為だ。
流れ弾の直撃を受ければ、最悪味方に殺されたなんて間抜けなオ
チもあり得る。
﹁じゃあお二人さん。アキハバラ観光へと行こうか﹂
﹁よかろう。存分に死地を選ぶがいい﹂
シデンとイゾウが獄翼の後方へと走り出す。
エイジは獄翼を見上げ、ややあってからシャオランへと向き直っ
た。
﹁お望みの場所はあるか?﹂
﹁⋮⋮特には﹂
﹁なんだ、面白みねぇな。じゃあ俺がとっておきの場所に案内して
569
やるよ。付いてきな!﹂
エイジが獄翼に背を向ける。
だが彼は振り向き、静かに呟いた。
﹁無茶はするんじゃねぇぞ﹂
その呟きは、獄翼には届かなかった。
だが、それでいい。真面目に返されても困るし、自分が言いたか
っただけだ。中にいる本人に影響を与える必要はない。
彼はただ、彼のままであればいい。エイジはそう思っていた。
エスパー・パンダの巨体がアキハバラの街に落下する。
他の3機とは違い、パンダは途中でバランスを整える事もせずに
ただ落下するだけだった。
幾つかのオフィスビルを踏みつぶしながらも、エスパー・パンダ
はゆっくりと起き上がる。
﹁でかっ⋮⋮!﹂
エスパー・パンダを改めて視認したスバルの第一感想がそれだっ
た。
周囲に集うイーグル、シャーク、パンサーと並んでもその巨体は
際立っている。多分、全長40メートルはあるのではないだろうか。
﹁だが、あのパンダは何をする気だ﹂
570
後部座席でカイトが観察する。
エスパー・パンダは起き上がったとはいえ、下半身はまだ座った
ままだ。
このまま寝そべり始めても違和感が無い光景である。それこそ動
物園のパンダの如く。
﹁あの中にもパイロットが乗っているのかな?﹂
﹃否ああああああああああああああああああああああああああああ
ああああああああああああああああああ!﹄
スバルの疑問に答えたのは、エスパー・イーグルに乗り込んだサ
イキネル本人だ。
きーんっ、と耳鳴りがする。変貌した後の彼の声は、よく響くよ
うになっていた。
﹃僕には人間の仲間もいなければ、部下もいない。パートナーはた
だ4人。それこそがこの念動獣!﹄
堂々としたぼっち告白である。
スバルはちょっと悲しい気持ちになった。まあこの性格なら友達
がいないのも頷けるのだが。
﹃だが、ブレイカーだからと言って侮るな。僕と念動獣達の間に結
ばれた熱きサイキックパワーの絆が、お前たちを打ち砕く!﹄
﹁すんげー熱血してるね﹂
﹃熱血こそがサイキックパワーの力の源なのだ!﹄
﹁そうなんだ﹂
益々サイキックパワーが何なのか、よく分からない。要するにテ
571
ンションが高ければ高いほど勢いが増す力なのだろうか。
﹃お喋りは此処までだ! 行くぞお前たち!﹄
自分から通信を繋げていたのだが、サイキネルは一方的に通信を
切ると念動獣たちに呼びかける。
それに応えるようにして、周囲に集う4匹の機械の獣が吼えた。
﹁な、なんだ!?﹂
真中にいるパンダはゆっくりと立ち上がる。
すると、全長40メートルはあろう巨体が跳躍した。
﹁おお!?﹂
﹁⋮⋮おお﹂
先程までの、のっしりとした重量感からは考えられない跳躍力。
それを目の当たりにしたスバルとカイトは、それぞれ感嘆の表情を
隠せない。
﹁圧し掛かりか?﹂
カイトが呟くが、しかしエスパー・パンダは上空で四肢を広げ、
他の3機を待った。
直後、その巨大な四肢に噛みつくかのようにしてエスパー・パン
サーとエスパー・シャークが飛びかかる。
だが、パンダとの距離が0になった瞬間、奇跡は起きた。
なんとパンサーとシャークの身体が真っ二つになり、それぞれパ
ンダの両手両足にくっつき始めたのである。
572
﹁合体した!﹂
その機能は、まさに合体である。
古くからロボットに伝わる浪漫。男なら誰もが憧れる言葉だった。
マジンガーZを始め、今の戦隊モノに至るまで男の子の心を掴んで
離さなかった驚異の技術が、今スバルの目の前で繰り広げられてい
るのである。
﹁⋮⋮ただシャークとパンサーが割れて、それを装備しただけなん
じゃないか?﹂
後ろでカイトが台無しにするようなことを言うが、そんな事は無
い。
たとえ単純な合体でも、その機能が存在しているという事に意味
があるのだ。スバルはそう思う事で、同居人の言葉を誤魔化した。
そんな事をしている内に、エスパー・イーグルも突撃する。
パンダの巨大な顔がスライドして胸部へと移動し、空いた頭部へ
と着地する。そのまま巣の中で羽を休めるようにイーグルが羽を収
容すると、長い頭部が割れて一つの表情を作り出した。
一連の合体プロセスが完了した瞬間、イーグルのコックピットの
中でサイキネルが叫ぶ。
﹃念!﹄
パンダの腕に装着されたシャークの牙が唸る。
﹃動!﹄
パンダの足に装着されたパンサーの脚部が、大地に降り立つ。
573
ねんどうしん
﹃しいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいい
いいいいいいいいいいいいいいいぃん!﹄
パンダの頭になったイーグルの瞳が、赤く輝く。
こうしてアニマルタイプブレイカーの集合体、﹃念動神﹄はアキ
ハバラの大地に降臨した。
ご丁寧な事に、決ポーズとしてファイティングポーズを構えてい
る。
思わず拍手したくなった。
﹁⋮⋮8割パンダじゃねぇか﹂
後ろでやはり同居人が台無しにする台詞をいうが、気にしちゃい
けない。
確かにパンダの短い手足を補うようにして、シャークとパンサー
が装備されている。元々巨体であるがゆえに、念動神はほぼエスパ
ー・パンダだと言っても過言ではないだろう。
だが見よ、この圧倒的迫力を。
40メートルは超えるであろう巨体に、両腕には敵を噛み砕くシ
ャークの牙。そして短足を補うかのようにして生える、パンサーの
しなやかな足。更には眼光だけで敵を威圧するイーグルが、パンダ
の欠点をことごとくカバーしているのだ。機械同士とは言え、助け
合う姿には熱い友情すら感じる。
﹁⋮⋮元からパンダじゃないのをセレクトしていればいいんじゃな
いのか?﹂
574
やはり後ろでいらないことを呟く同居人。
彼はパンダがネックなんじゃないかと、気になって仕方がない様
子だった。
﹁いいんだよ。合体すれば、それだけでパンダも強くなるんだから﹂
﹁いや、だから最初からパンダじゃなくて﹂
﹁いいんだよ!﹂
無理やり黙らせた。
同居人は納得できない様子で、腕を組んで念動神を見る。
﹁⋮⋮迫力ねぇなぁ﹂
なんといっても胸にエンブレムの如く輝く、エスパー・パンダの
顔である。その呑気な表情が、どうにもやる気を削いでくるのだ。
もっとも、その点はスバルも同意だった。
﹃はっはっは! 僕の念動神を前にして、ビビッて呆然としている
ようだな!﹄
器用に指︵鮫の牙︶を突き刺し、獄翼を挑発する。
その大きさは獄翼の大凡2.5倍。今はまだ遠いから大して凄く
は見えないが、獄翼の装備の大半を占めている接近戦に持ち込んだ
場合、それがどれほどの威圧感を放つかは想像するに容易い。
だがそれ以上に、巨大なブレイカーに乗る事で厄介な点が一つ。
﹃ならばこちらから行くぞ! ひいいいいいいいいいいっさつ!﹄
念動神が右拳を引き、鮫の牙にサイキックパワーを凝縮させる。
575
渦巻く空気の流れは、先程カイトが受け止めた物と全く同じだっ
た。
﹁げぇっ!?﹂
﹁あの巨体で撃つ気か、あれを!﹂
サイキネル本人から受け止めた時、カイトの両手は黒焦げになっ
た。
ならばその時よりも巨大なブレイカーが、全く同じ技を放ったら
どうなるか。
想像すると、嫌な汗が流れた。
﹃サイキック!﹄
念動神の右拳が突き出される。
それを見た瞬間、カイトは素早くタッチパネルを操作した。
X起動﹄
獄翼の内部で無機質なサポート音声が響く。
﹃SYSTEM
﹃バズウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウ
ウウウウウウウウウウウウウゥカアアアアアアアアアアアアアアア
アアアアアアアアアアアアアアアアアアアアァッ!﹄
獄翼の関節部が光り輝くのと、赤い閃光が念動神の拳から放射さ
れるのはほぼ同時だった。
青白い発光が収まった直後、獄翼は素早く鞘に収まっていたアル
マガニウムの刀を引き抜き、赤い閃光に向かって切りかかる。
避けるようなスペースなど、そこには存在していなかった。
576
第40話 vs念動神
念動神の右腕から放たれた赤い閃光が扇状の波となり、アキハバ
ラの街を飲み込んでいく。光によってアスファルトは引っくり返り、
ビルは弾け、カラスが必死に逃げ惑う。
そんな赤い光に立ち向かう、黒い影があった。
全長17メートルの黒い巨人は刀を振り抜くと、赤い閃光をその
刃を持って受け止める。
﹃む!?﹄
サイキネルがその装備に反応した。
先程まで合体に夢中で全く気付いていなかったが、渡された獄翼
の資料にはあんな刀はない。大使館から持ちだされた装備はナイフ
や小型銃、後は精々電磁シールドくらいだった筈である。
どこから調達したのだろうという疑問が浮かんだ。
更に付け加えると、その刀が自分の技を受け止めているのだから
腹立たしい。
直後、獄翼が受け止めたエネルギーを受け流し、刀を切り上げる。
赤い閃光は空へと飛び立ち、その破壊の渦は虚空へと霧散してい
った。
﹃ファッキン!﹄
一度ならず、二度までも。
技を防がれた悔しさのあまり、サイキネルは念動神のコックピッ
トの中で地団太を踏んだ。
577
その動きに合わせ、念動神も地団太を踏み出した。
50メートルはあろう巨大ロボットの地団太はやけに街を揺らす。
Xを起動させ、獄翼の脳となったカイトがぼそり
﹃なんなんだ、あいつは﹄
SYSTEM
と呟く。
見るからに情緒不安定だった。
ただ、その分力を持っているのが非常に面倒くさい。今の技だっ
てそうだ。先週のシルヴェリア姉妹との戦いでアルマガニウムの刀
を貰っていなければ、捌ききれなかっただろう。
他にサイキックパワーと戦えそうな武器は自前の爪しかないが、
後部座席で意識を失っている自分の両手が黒焦げになっていること
から、それを使った場合の展開がよく分かる。
と、そんなことを考えているうちに、
Xの制限時間を知らせるタイマーが、早くも制限
﹁4分切るよ!﹂
SYSTEM
時間の五分の一の使用を知らせてくる。
スバルの知らせを聞いたカイトは内心舌打ちしつつも、メイン操
縦席に座る少年に告げた。
﹃このまま切り掛かれるか?﹄
﹁できるかわかんないけど、やるしかないでしょ!﹂
スバルが決意表明を出すと同時、獄翼が走る。
超人、カイトを取り込んだ今の獄翼はダッシュするだけで念動神
との距離を詰める。
578
﹃ぬ!?﹄
低空飛行でもしたのか、と勘違いする速度で迫ってきた獄翼に対
し、念動神は巨体を曝け出すだけだった。
﹁もらった!﹂
念動神の右足に刀が振り下ろされる。
だがソレと同時、
﹃サイキック・ダアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア
アアアアアアアアアアアアアアアアッシュ!﹄
念動神が一瞬にして後退した。
残像を残しつつも、50メートル級の巨体が猛スピードでアキハ
バラの街を駆けまわる。
振り下ろした刃が空を切ると同時、スバルはその奇怪な動きを見
て唖然とした。
﹁なんじゃこりゃあ⋮⋮﹂
目の前には、残像を残しながら移動する念動神の姿が見える。
相手が逃げるなら追いかければいいだけの話なのだが、これがそ
うもいかない。あまりの超スピードで動く念動神の姿を捉える事が
出来ないのだ。
今、スバルの視界には念動神の姿が10体近く見えている始末で
ある。
﹁ど、どれ攻撃したらいんだカイトさん!﹂
579
﹃落ち着け﹄
分身の術に戸惑う、忍者のやられ役はこんな気持ちなのかとスバ
ルは思う。少なくとも50メートル級の巨体から繰り出されていい
動きではない。
これがブレイカーズ・オンラインに出てくるプレイヤーキャラだ
ったら確実に強キャラだ。そう言い切る自信がスバルにはあった。
少し動かれただけで分かる念動神のスペックの高さに、あんぐり
と口を開くだけである。
﹁落ち着いてらんねぇよ! マシンスペックの差が激しすぎる!﹂
速度はスピード自慢のミラージュタイプを翻弄するレベル。しか
も分身持ち。
更には必殺の奥儀、サイキック・バズーカの威力だ。この動きで
サイキック・バズーカを連発されてみろ。それこそアキハバラは荒
野と成り果てる。
ほんの少しやりあっただけでこの有様なのだ。他にもまだ何かあ
ると思っていい。
そんな相手を前にして、落ち着いていられなかった。
﹃それでも、落ち着け﹄
だが、同居人はあくまで冷静だった。
シンジュクでシステムのカット方法が分からず、慌てふためいて
いたのが嘘のようである。
﹃動きは俺が見る﹄
﹁分かるの!?﹂
﹃ああ﹄
580
だが、
﹃お前の言う通り、マシンスペックの差が激しいのも事実だ。行き
当たりばったりになるが、情報を引き出しながら戦おう﹄
同居人の言葉に頷きかけるが、ちょっと待ってほしい。
確かに念動神のスペック、サイキネルの能力を含めて情報は欲し
い。
だが、それをどうやって引き出すと言うのだろう。
﹁情報の宛ては?﹂
﹃回線を繋げ。コードは︱︱︱︱﹄
指示に従い、淡々と紡ぎだされた文字と数字を入力し、回線を繋
げる。喧しいノイズ音が流れた後、徐々に回線が安定した後聞こえ
てきたのは、やはりノイズ混じりの音声だった。
﹃はい、こちらカノン﹄
﹁カノン!?﹂
通信の相手は、機械音声の女。カイトの部下、カノン・シルヴェ
リアその人だった。
そういえば1週間前、カイトに﹃情報垂れ流してくれ﹄とか言わ
れて新人類王国に帰っていった気がする。
︱︱︱︱するのだが、本当に垂れ流させる気か。敵の本拠地にい
るのだから、ばれたらただでは済まないのではないだろうか。
﹃あ、師匠。ご機嫌いかがですか?﹄
﹁早速刀が役に立ったよ、ありがとう!﹂
581
﹃やった!﹄
回線越しで機械音声の声が弾むのがわかる。
一方のこちらはその刀で念動神のエネルギー機関銃を躱している
というのに、気楽な物だ。
﹃質問と、敵に観察に集中したい。回避と防御を全部任せていいか
?﹄
﹁得意分野だから任せて!﹂
﹃え、何の話ですか? なんか爆発音が聞こえますけど﹄
念動神の腕から放たれる牽制のビームを避けつつ、スバルは思う。
回線相手とのテンションの差が酷いな、と。
﹁今、戦闘中なんだ! 悪いけど、カイトさんがこれから質問する
から答えてくれない!?﹂
﹃了解です! リーダーと師匠の為ならばこのカノン、例え火の中
水の中あの子のスカートの中!﹄
Xのヘルメットを乱暴に脱ぎ捨てながらも、スバ
﹁君、そんなテンションな子だったっけ!?﹂
SYSTEM
ルは弟子の豹変っぷりに戸惑っていた。
確かに少し爆発する時はあったが、基本大人しいタイプの子だっ
た気がする。心のつっかえが取れただけで、人間とは此処まで変わ
る事が出来るのだろうか。
ややあってから、スバルは思う。
ああ、うん。できるや。目の前の敵がそれだし。
﹁カノン、確認するが周りに誰もいないだろうな﹂
582
獄翼から意識を取り戻したカイトが、その瞳に念動神を見据えつ
つ部下に問う。
﹃勿論です。新人類王国に戻って以来、何時でもリーダーから設定
されたコードに出られるよう、ネズミ同然の生活を送っています﹄
﹁ならよし﹂
﹁汚いから、ちゃんと毎日風呂で洗えよ﹂
まさかと思うが、下水道や民家の屋根裏なんかで回線を繋いでる
のではあるまいな。
献身的すぎてちょっと引いちゃう行動をする系女子を前にして、
スバルは不安に苛まされる。
﹁早速だが、今俺達が戦ってる新人類についての情報が欲しい﹂
﹃何者ですか?﹄
﹁サイキネルとか名乗っていた﹂
回線の向こうにいるカノンが、僅かに息を飲む音が聞こえた。
﹃⋮⋮まず、新人類王国の中では五指に入る程の戦士だと言われて
います﹄
﹁そういうのはいい﹂
知りたいのは、サイキネルが全体で何位の実力者なのかという事
ではない。彼が何を出来て、何を弱点としているかだ。
しかし、これに関しては流石のカノンもお手上げだった。
﹃ごめんなさい。彼が持つサイキックパワーというのがその⋮⋮よ
く理解できなくて﹄
583
﹁気持ちわかるわぁ﹂
﹃ただ﹄
実際に見たことがある訳ではない。
サイキネルは部下を持たない代わりに、ワンマンプレイヤーだ。
それで戦果を残す為、色んな噂が飛び交う。
﹃聞いた話によると、彼が使うサイキックパワーとは念力のことら
しいです﹄
﹁あれが念力?﹂
﹁スバル、一番右だ﹂
指示された方向から飛んでくるエネルギー機関銃を回避し、念動
神から距離を取る。
﹃勿論、ただの念力ではありません。人間の意思次第で力はぐんぐ
ん高まると聞いていますし、やろうと思えば他人の意思を読み取っ
てそれすら力にするらしいです。彼のブレイカーも、それの増幅に
一役買っているというお話を聞いています﹄
﹁無茶苦茶だ!﹂
﹁それであんなにテンション高いのか、あいつ﹂
今にも叫びすぎて血管が切れるんじゃないかと思うレベルだった。
もしかすると、念動神の攻撃を耐え続けていれば自然と自滅して
くれるかもしれない。
だが、それを待つのはこちらの自滅行為にも近いだろう。
﹁今度は左から3体目、サイキックなんちゃらカッター来るぞ﹂
カイトから指示が飛ぶ。
584
念動神の左手が振るわれ、指先︵鮫の牙︶から光の刃が放たれた。
それを見たスバルは刀を振るって刃を切り払う。
﹁流石に、ずっとこの攻撃を耐えれる自信は無いけど?﹂
﹁だろうな。俺でもいやだ﹂
いかにスバルがブレイカー乗りとして優れており、カイトが新人
類として完成された身体能力を持っているとしても、限界がある。
サイキネルはその限界を超えてくる凶悪なスペックと、破天荒な
思想の持ち主なのだ。少し会話して、戦っただけでそれは理解でき
る。
ならばどうするか。
決まっている。こちらから攻めて、念動神を切り落すしかない。
情報を引き出したのはいい物の、ここにきて理解できたのは相手
がテンションに任せれば任せるほど強くなるという事くらいである。
その勢いを削ぐためにも、攻撃して相手の手を止める必要があっ
た。
﹁刀と爪しか奴を倒す算段は無いが、あの図体を相手にいけそうか
?﹂
﹁でかさは問題ないけど、ネックなのは桁違いの火力と足だな﹂
遠距離から放たれる必殺技の威力は、知っての通りだ。
一撃を入れる前に、確実に襲い掛かってくるであろうあの大技を
回避、あるいは受け流さなければ獄翼は一瞬でスクラップになって
しまう。
だが、そこはブレイカーズ・オンラインで何度も通ってきている
道だ。
厄介な問題点は、足。先程から残像を残して移動するパンサーの
足を止めないと、狙いを定めて切り掛かりに行くことができない。
585
少なくとも、加速力勝負では確実に負けている。
獄翼の売りの一つが、ここで負けてしまっているのだ。
﹁なら、足を止めよう﹂
カイトが言う。
彼は再び同調機能の起動に手を付けた。
﹁そこは俺がやる﹂
﹁何か作戦があるの?﹂
スバルは反射的に尋ねた。
確かに彼も足が速いとはいえ、その身体が獄翼に当て嵌まる以上、
念動神とのスペック差は埋まらないのではないだろうか。
そんな懸念がスバルの中にはあったのだが、カイトはソレに対し
て簡潔に答える。
﹁ない﹂
﹁え!?﹂
﹃リーダー!?﹄
彼は無策だった。だが、無策でも自分がやらなければならない。
そう思う理由がある。
﹁今、念動神の動きを目で見て追えるのは俺だけだ。俺が見て、実
際に動いた方がタイムラグが少なくて済む﹂
﹁そりゃそうだけど、時間が﹂
﹁調整は上手くやる。アナウンスは任せた﹂
言い終えたと同時、カイトは再びシステムを起動させる。
586
X起動﹄
それを確認すると、スバルは急いで取り外したヘルメットを拾い、
被った。
﹃SYSTEM
返答も聞かずに起動されたシステムの無機質な音声がコックピッ
トに響く。
﹃またそれか!﹄
念動神からサイキネルが叫んだ。
どうやら獄翼の関節部から青白い発光が出たらしい。それは同調
が完了した合図だった。
﹃旧人類が来ようが、XXXが来ようが、僕のサイキックパワーの
敵ではない!﹄
﹃ほざくのは寝言だけにしておけよ。僕ちゃん﹄
獄翼が刀を鞘に納める。
代わりに出した凶器は、両腕から生える爪だ。
﹁大丈夫、だよな﹂
スバルが息を飲む。
ソレに対し、同居人は静かに答えた。
﹃安心しろ。時間は掛らん﹄
﹁そういう事聞きたいんじゃないんだけど﹂
時間は問題ではないのだ。
587
無策の状態で、あの念動神の足を破壊。もしくは勝つ事が出来る
のか、とういう疑問である。
﹃やることは変わりないんだ。なんだっていいだろ﹄
確かにカイトは無策だ。念動神の足を止めるのに、特別な事は考
えていない。
ただ自然に、自分が走って切り裂く。
何時もと同じことをするだけだ。ゲイザーやエレノアと戦った時
と同じ様に、全力で走って敵を抉る。
違いがあるとすれば、今回はブレイカーに乗ってそれを行うとい
う事だろう。
﹁⋮⋮まさか、あんた﹂
﹃そのまさか﹄
スバルがカイトの考えに気付く。彼は一度、遠巻きとは言えエレ
ノアとの戦いでそれを垣間見ていた。
しかしその動きをブレイカーで再現するとなれば、どうなるか。
先ず確実に、パイロットの身体が強烈な加速で引っ張られる気が
する。それこそ、サイキネルに襲われる直前までカイトに引っ張ら
れていた自分のように。
だが気付いた時にはもう遅い。
彼の手は獄翼によって引っ張られ、操縦桿を握りしめる。
﹃一応言っておく。耐えろ﹄
﹁命令形!? っていうか、今言うのかそれを!?﹂
﹃舌噛むぞ﹄
588
ただ一言、理不尽にそう言われたと同時。
スバルの身体を、強烈な加速が襲った。
589
第41話 vs不気味ちゃんとスニーカーサムライ
御柳エイジは走る。
背後に一定の距離を保ちつつも、背中に生える機械の六枚翼を大
きく羽ばたかせながら自身を追うのはシャオランだ。
彼はそれを一瞥して、言う。
﹁へい! 優しいな、撃ってもいいんだぜ!﹂
彼女がバトルロイドの基になった女性なのは知っている。
バトルロイドの腕は、ある時は銃に形を変え、またある時は実体
剣になって敵を切り裂くことが可能となる。
ただ、それもこれも全てこのシャオランが機械人間として特化さ
れた結果だと言える。
﹁⋮⋮じゃあ﹂
遠慮なくいきますね、と言わんばかりに右腕を突き出し、皮膚が
弾ける。
肌色の腕の中から出現したのは、銀色の銃口だった。
﹁マジで遠慮してたのかよ!?﹂
﹁⋮⋮空気を読みなさいと、よく言われたんで﹂
軽い気持ちで言わなければよかった、と内心反省しつつもエイジ
は振り返る。
彼はスコップを構え、迎撃態勢に入った。
590
シャオランの右腕に光が集い、球体となって解き放たれる。
獄翼に装備されたエネルギーピストルを小型化させた、エネルギ
ー弾だった。
﹁うおりゃあ!﹂
だがそれを見たエイジは、スコップをフルスイング。
まるで野球の如く、発射されたエネルギー弾を弾き返した。
﹁!﹂
想定外だったのが、シャオランが僅かに口を開く。
だが彼女は弾き返されたエネルギー弾を左手で払った。起動を変
えたエネルギー弾がアスファルトに着弾し、二人の間に破砕音を響
かせる。
﹁それは﹂
シャオランの視界に光が灯る。
電子機器が作動し、カーソルがエイジのスコップを捉えた。
﹁アルマガニウムの確率87パーセント﹂
﹁隠す気はねぇよ。こいつはアルマガニウムのスコップだ﹂
その返答に対し、シャオランは王国のデータベースに検索をかけ
た。
特殊金属資源を使用した武器は、王国内でも数が多い。特殊な物
としてはローラースケートまで存在している程だ。
だがそんな中でも、スコップに使われているという話は聞いたこ
とが無い。直後、それを証明するかのようにしてデータベースの検
591
索結果が0件であることを彼女は知った。
﹁音声、及び体格から推測﹂
紙袋によって姿を誤魔化したダンボールマンの正体を検索する。
スコップがデータベースにヒットしなかった以上、残されたこの
二つで彼の正体を知るしか道は無かった。
﹁おいおい、そんなに俺が誰だか気になるのか?﹂
ちょっと得意げに言ってみる。
すると、シャオランは死んだ魚のような眼を彼に向けた。
﹁一応、邪魔する方は報告する必要があるので﹂
﹁あ、そう﹂
業務的な台詞ではある。しかしイゾウもそうだが、彼女にしたっ
て折角楽しみにしていた獲物をどこの馬の骨ともわからない紙袋男
とメイドに邪魔されているのだ。
実を言えば、内心非常にムカついている。その為、この紙袋男が
誰なのか知りたくなった。
もしも名も無い新人類か、旧人類であれば消し炭に。
そうでなければ﹃餌﹄にしようと、彼女はそう考えていた。
﹁確率として可能性が高いのは、﹂
視界に映る電子文字が検索結果を表示させる。
﹁元XXX所属。御柳エイジである可能性が濃厚﹂
592
この結果を見た瞬間、シャオランは己が歓喜していることを悟っ
た。
直接表情には出さないが、今にも齧り付きたくてうずうずしてい
るのが自分でも理解できる。もしもここで紙袋に隠された彼の表情
を照らし合わせ、確信を持てれば飛びついていた事だろう。
この結果は、それだけ彼女にとっては朗報だった。
当の本人も特には否定せず、寧ろそれを受け入れるかのように口
を開く。
﹁そうだとしたら、どうする﹂
スコップを握り、それをシャオランに向け直す。
どことなくその動作が、槍を振り回しているようにも見えた。
﹁⋮⋮満足させていただければ、幸いです﹂
﹁あ?﹂
何を言ってるんだ、こいつ。
そう思った、その瞬間だった。
シャオランの背中に生える6枚の白い翼が展開し、加速する。
追いかけてきた時の比ではない速度を前にして、エイジは目を見
開いた。
反射的にスコップを振りかざし、勢いをつけてシャオランの脳天
に叩き込む。
力任せに突進してきたシャオランの身体が、アスファルトの大地
に叩きつけられた。
が、しかし。
﹁!?﹂
593
スコップで押し付けた白い身体が、むくりと起き上がってきた。
先程まで無機質だった目には、有機物特有の光が灯り、嬉しそう
に口を開いている。
随分前に行って以来、久々の﹃笑み﹄と呼ばれる動作だった。
﹃頭部損傷率22パーセント﹄
シャオランの視界の隅っこに、そんな警告文字が表示される。
普段なら気を遣う所だが、しかし。今の彼女にとってはそんな物
はただの風景でしかなかった。
﹁GO﹂
突撃せよ、と身体に命令する。
その言葉に反応するようにして背中の翼が再び展開した。
﹁この野郎!﹂
﹁訂正を求めます。野郎ではないので﹂
﹁だったら不気味ちゃんに改名してやる!﹂
エイジの目から見て、彼女は不気味だった。
自慢ではないが、彼はXXXの中でもある一点に極端に特化され
た存在である。
その点とは、力だ。
ドーピングで
彼は腕力というその一点のみに極端に鍛え上げ、他のメンバーと
明確な差別化を図った。カイトという無理矢理引き延ばした例もあ
り、オンリーワンの立ち位置にはなれなかったが、それでもXXX
内では十分すぎる立ち位置を確保していたし、力比べという点にお
いてはゴジラでも来ない限り負けない自信があった。
594
しかし目の前にいる不気味女は、無理やり突進してその力と張り
合っている。
それを見たエイジは、暫く見ない間に王国でこんな奴が育ってい
たのか、と思った。少なくとも、6年前と比べると多くの若い兵達
が大成したのだろう。
﹁何笑ってるの!﹂
そんな事を考えていると、後ろから手厳しいツッコミが飛んでき
た。
ちらりと後ろを見れば、そこには銃でサムライとやりあっている
シデンの姿がある。
彼は踊るようにステップを踏みながらイゾウの斬撃を躱しつつ、
引き金を引いていた。もっとも、その弾丸もことごとく見えない刀
によって斬り捨てられているのだが。
﹁あれ、なんでお前ここにいるんだ!?﹂
﹁知らないよ!﹂
こっちのセリフ、とでも言わんばかりにシデンが言う。
確か、記憶違いでなければ違う方向に敵を誘導していた筈だ。な
のになぜ、自然と合流する形になるのだろう。
その謎に答えたのは、イゾウだった。
﹁貴様らはまだ怪物ではないからよ﹂
﹁ああん!? なんだそりゃ!﹂
短く紡がれた言葉に、エイジは苛立った声をあげる。
595
﹁繋がりを断てないのであれば、それが貴様らの限界だという事だ﹂
拍子抜けだ、とでも言わんばかりにイゾウは白けた表情を向けた。
ソレに対して舌打ちをしたのは彼と相対するシデンである。
﹁何? 要するに1人で戦える俺かっけー、って奴? 友情否定形
?﹂
ちょっとした自己満足だ。
少なくともシデンはイゾウの言葉を、そう受け止めていた。
しかしその解釈が非常に腹立たしい。誰が好きでこんな中途半端
なサムライモドキから仲の良さを否定されなければならないのかと
思う。
﹁おい、あんま気にするな﹂
後ろのエイジがシャオランを押さえつけつつ、言った。
しかしシデンはそれを無視し、スカートをたくしあげる。
﹁ぬ?﹂
綺麗な素足が露わになったかと思いきや、そこから見えたのは非
常に物騒な代物だった。
銃口である。ガーターベルトにこびりつくかのようにして装着さ
れた6つの銃が、イゾウに狙いを定めていたのだ。
右足に3つ、左足に3つも凶器を装填したガーターベルトこそが、
彼に支給されたアルマガニウムの装備なのである。趣味全開だった。
﹁なんと!﹂
596
お手入れしてるのかというレベルではない。
どこまでも容姿に拘り、それにフィットする武装を選んだ結果が
これだ。
﹁ハチの巣になっちゃいなよ﹂
手に握られた銃。その小指に引っかかった第二のトリガーが押さ
れる。
ガーターベルトに装備された6つの銃が、サムライ目掛けて一斉
に牙を剥いた。
﹁これは、﹂
その弾丸一発一発を超人的な動体視力で認識し、イゾウは呟く。
﹁氷か﹂
嘗て、推理ドラマなんかでは氷でできた弾丸を暗殺に用いる事で、
証拠も残さず殺すことができると言う力技があった。
実際にやった場合、氷が銃の衝撃や熱に耐えられないのではない
かということなのだが、それを可能としたのがアルマガニウム製の
ガーターベルトと六道シデンの新人類としての異能の力である。
⋮⋮といえば多少は聞こえはいいが、結局のところ力技だ。
シデンが氷を作って、それをアルマガニウムの銃口に詰める事で
一時的にエネルギーの膜を張る。そして引き金が引かれた瞬間、膜
は自然とエネルギー消失して中身だけ発射される。
結局のところ、これだけなのだ。
これだけなのだが、それが中々性質が悪い。弾丸を作るのはシデ
ンの力によるものだ。それゆえ、彼が倒れない限り弾切れをおこさ
ない。
597
挙句の果てに6つの銃口が稼働することも可能なのだ。要するに、
360度の視界をこのガーターベルトがカバーするのである。
﹁相変わらず、えげつねぇ下着﹂
エイジが思わずぼそりと呟く。
多分、世界で一番強い下着だ。間違いない。
一方、それに立ち向かうイゾウとしては、
﹁面白い﹂
涼しげな表情をして、捌きにかかっていた。
右手には刀。左手には透明の刀を握り、スニーカーサムライが縦
横無尽にアキハバラの街を駆け巡る!
﹁逃がすか!﹂
シデンが手に握る銃口をイゾウに向ける。
それを追いかけるようにして、ガーターベルトの銃口も移動する
イゾウの方を向いた。赤外線を利用した自動追跡機能だ。
﹁ふっ︱︱︱︱﹂
氷の弾丸がイゾウの軌跡を抉る。
しかし街に並ぶ電化製品を穴だらけにすることは出来ても、肝心
のイゾウに致命傷を与えるに至っていない。
彼は何発か氷の弾丸を身に受けつつも、その疾走を止めなかった
のである。
﹁死ぬよ、お侍さん!﹂
598
﹁元より死など怖くない﹂
メイド姿の銃器が吼える。
だが、イゾウはそこから放たれた無数の氷の弾丸を両手の刃で次
々と斬り捨てる。
突撃。
彼は身体の至る所に氷の塊を受けつつも、シデンへと迫った。
シデンの表情がみるみるうちに歪んでいく。
﹁くっ!﹂
激突。
右の刀を銃身で受け止め、透明刀を握る手を冷えた手で掴むこと
で致命傷を逃れる。
﹁大した名刀だよね、それ﹂
殆ど0距離。
少しでも力で負けてしまえば切り裂かれる状況で、シデンはそん
な事を呟いた。
﹁この刀は名刀、東尾レイ﹂
ムラマサとか、そんな感じかなと思っていた名前は外れた。
代わりにイゾウの口から放たれたのは、シデンとエイジの度肝を
抜く言葉である。
﹁自身を極限まで刀として鍛えた結果、意思までも刀と成り果てた
新人類よ﹂
﹁新人類!? これが?﹂
599
思わず銃身で受け止めている刀に視線を送る。
この刃物が、元は人間だったというのか。
﹁驚くことはあるまい。新人類は特化すればするほど、力を伸ばす。
刃物人間が刀として特化されれば、こうもなる﹂
その辺に関しては、ぐうの音も出ない。
実際特化された人間がXXXであり、後ろのシャオランであり、
そしてイゾウだった。彼らは皆、特化された新人類なのだ。
﹁じゃあ、透明な方は?﹂
﹁そちらは名刀、東尾ジロウ﹂
﹁安直なネーミングありがとう﹂
多分、ジロウの方はレイに比べてひねくれた性格をしていたんだ
ろうな、と思う。刃が見えないのがいい証拠だ。
刀と成り果てる前までは姿を消して女湯にでも忍び込もうとして
いたのかもしれない。
しかし、どちらにせよこの状況はマズイ。
﹁エイちゃん、そっちなんとかなりそう?﹂
﹁骨折れそうだな﹂
かっこつけて増援にきたのはいいが、意外に敵が強い。
少なくとも6年前はここまで戦える連中はいなかった筈だ。自分
たちのブランクもさることながら、個人レベルでXXXと張り合え
る新人類を前にして二人は思わず息を飲む。
600
﹁あの野郎、面倒なの連れてきやがって﹂
エイジが毒づく。
現状、お互いに敵を抑え込んでいる状態ではある。
しかし僅かでも押し負ければ、そのまま致命傷を負いかねない体
勢だった。対カイト用として選出された現代の王国兵は伊達ではな
かったのである。
﹁多分、今まで戦ってきた中で一番面倒くせぇ﹂
﹁褒められた、と解釈します﹂
エイジに抑えられた状態で、シャオランが呟く。
﹁国もそれだけ必死ってことでしょ。あの二人、相当暴れたみたい
だし﹂
﹁後悔するか? 繋がりを捨てきれないのが貴様らの弱さとなる﹂
シデンに防がれた姿勢で、イゾウが己の美学を語る。
この状態がいつまでも続かないであろうことは容易に想像がつい
た。
何かの切っ掛けが起こっただけでこの4人の中の誰かが殺される
だろうという、妙な緊張感がそこにはある。
全員がその自覚を持ったうえで、各々の正面にいる敵を見据えて
いた。
そんな時である。
風が吹いた。
まるで巻き込む者全てを吹き飛ばさんとするような勢いのある風
601
カイト
は、あっさりと切っ掛けを与えにやって来たのである。
それを行ったのは、獄翼の疾走だった。
602
第42話 vs足の関節
BK−M−99223。通称、獄翼。
開発者の日本人が﹃新人類軍め、地獄へ送られな!﹄と皮肉を口
にしたことがその名の由来なのだが、開発者の独り言などいちいち
記録しているわけでもないので、別に咎められているわけではない。
しかし、運命とは奇妙な物で。
新人類王国への恨みと皮肉を込めて名付けられた機体は、今まさ
に全身の関節を軋ませながらも、王国へ反旗を翻していた。
﹁う、︱︱︱︱わ!﹂
獄翼に取り込まれたカイトの意思が、スバルを引っ張って全力の
疾走を見せる。
彼の走りは、それこそ一人だけ重力を無視しているのではないか
と思える程のスピードを叩きだす。
獄翼の足が一歩前に踏み出すごとに大地は揺れ、コンクリートは
砕かれた。そして疾走によって吹き荒れる旋風が、アキハバラの街
を覆い尽くす。
﹃サイキック・ダアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア
アアアアアアアアアアアアッシュ!﹄
機械の巨人が行うにはいささか暴力的な爆走を前にして、サイキ
ネルと念動神が動く。
足に装着されたパンサーが念動神の周囲の重力をコントロールし、
50メートル級の巨体を軽くする。残像が残る超スピードの正体は、
これだった。
603
﹃馬鹿め! この念動神を相手に、スピードで勝負できるか!﹄
サイキネルが勝ち誇ったように言う。
Xの消化時間は既に1分を経過していた。
が、その瞬間にも獄翼は烈風をお供に駆け抜ける。この時、SY
STEM
﹁後、4分切った!﹂
獄翼の加速によって、かつてない力を全身に感じるスバルが振り
絞るように言う。
今更ながら、このアキハバラで一度彼に引っ張られた経験が役に
立っている気がする。何も知らずにこれを出されたら、多分重力で
押しつぶされていたのではないだろうか。
﹃警告!﹄
そんな事を考えていると、スバルの目の前にでかでかとそんな電
子文字が表示された。
詳細を開くと、モニターに獄翼の全体図が表示されて、足の関節
部と機体の各部に赤い斑点が点滅している。損傷、もしくは関節が
壊れる危険性があることを意味しているのは、一目瞭然だった。
﹁嘘だろ!? 走っただけじゃないか!﹂
この警告が表示されるまで、念動神から一度も攻撃を受けてはい
ない。
獄翼が行ったのは、ただ走ること。それだけだった。それだけな
のにも関わらず、この警告である。どんだけ機体に負担をかけてい
るというのだ。
604
﹃再生は!?﹄
警告音が聞こえたのだろう。
カイトがどこか苛立った口調でスバルに尋ねる。
﹁始まってるけど、追いついていない!﹂
損傷率を数値化したメーターがぐんぐん回復していく。
それがカイトを取り込んだことによる異能の力なのは周知の事実
だが、それでも爆発的な加速による損傷と比べると進みが遅い。
﹃足が壊れるのが先か、時間が切れるのが先か。もしくは捕まえる
のが先かですね﹄
通信回線を繋げたままのカノンが、ここまでの流れを理解した上
でそんなことを呟いた。選択肢にしては分が悪い。前者二つは確実
にこちらの敗北を意味している単語だ。
しかし、
﹃それでも、耐えて貰わないと勝てん!﹄
結局、そうなってしまうのである。
パンサーの足を止めない限り勝機が無いのであれば、それに勝て
る可能性があるカイトの足に賭けるしかない。
その足を使って機体が壊れるようであれば、どうしようもない話
なのだ。
最悪、足が壊れた場合はランドセルと成り下がっている飛行ユニ
ットと腰のバーニア等を駆使して移動する。今のところ、それしか
彼らに選択肢は無かった。
605
獄翼が再び構える。
それが第二の疾走の合図であることを、スバルは理解していた。
彼の足は、カイトの脳に引っ張られてアクセルを踏み込んだまま
である。
﹁耐えてくれよ、獄翼!﹂
名前も知らない技術者が作った、華奢なボディを信じるしかない。
本来は地上を目まぐるしく走る機体でないのは十分承知だ。しか
しそれでも、神鷹カイトに合わせるしかない。
﹃んんんっ! 中々。中々に鋭いダッシュだった!﹄
念動神からサイキネルの自信に満ちた声が響く。
パンダ顔の胴体をゆっくりと稼働させ、彼は言う。
﹃だが、しかぁしぃ! 僕のサイキックパワーは無敵なのだ!﹄
先程避ける為に構えたのは足だけだった。
今度は両腕を構え、拳を貯めるようにして引いている。
次は避けながら攻撃が飛んでくると、スバルは理解した。
﹁来るよ!﹂
﹃覚悟の上だ!﹄
獄翼が一歩を踏み出し、黒の巨体を前に出す。
ソレと同時、スバルの正面にあるモニターに文字が走った。
﹃X−RAY−ASSULT﹄
606
それが何を意味するのかは、分からない。
しかしその文字が表示されると同時、獄翼は明確な殺意を持って
念動神へと襲い掛かった。
視界から獄翼が消え去ると同時、念動神が動く。
﹃砕け、必殺!﹄
構えた右腕が突き出される。
﹃サイキック・ファング・ナッコオオオオオオオオオオオオオオオ
オオオオオオオオオオオオオオオオ!﹄
装着されたシャークのパーツが腕から飛び出し、獄翼目掛けて襲
い掛かってきた。俗にいうロケットパンチと言うものである。
﹁ロマンあふれてるううううううううううううううううううううう
うううううう!?﹂
コックピットで激しい揺れと加速に耐えつつも、スバルは叫ぶ。
念動神は合体から必殺技、果てにはロケットパンチと古き良きス
ーパーロボットを体現していた。
こんな形で出会わなければ、もしかするといい友達になれたかも
しれない。
繰り出されたサメの牙つきロケットパンチが獄翼の横を通り過ぎ
る。
直線上に繰り出された攻撃を前にしてカイトが避けたのだ。
だが、しかし。
607
﹁警報!?﹂
接近してくる熱源を獄翼が察知する。
その警告よりも前に、獄翼本人は既に迫ってくる物体を理解して
いた。
﹃追いかけてくる!﹄
残像を残しながら重力を無視する念動神を追いかける獄翼。
それを追いかけるシャークの牙。こちらも残像を残していること
から考えて、パンサーと同じ機能を使っていると見ていいだろう。
﹁3分切った!﹂
スバルが残り制限時間を叫ぶ。
実際の時間は、恐らく1分も経過していないだろう。しかし同化
したカイトによって動かされる獄翼は、走る速度と比例するかのよ
うに制限時間を解かしていた。
﹁やっぱ、あれを追うのは無理なのか!?﹂
カイト曰く、肉眼では見えているらしい。
だがそれを実際に追いかけるとなれば、話は別なのだろうか。
獄翼の脚部にかかる負担もある。実際の機体とリンクしている彼
ならば分かるだろうが、普段の肉体にかかっている負担に比べて相
当な痛みが襲ってきている筈だ。
﹃⋮⋮スバル﹄
608
恐らく、同じことで悩んでいるであろうカイトが語りかける。
﹃思ってたよりも奴を捉えるのが難しいから、頼みがある﹄
﹁なんだ?﹂
﹃足が壊れた後は再生するまで、何とか耐えてくれ﹄
﹁え?﹂
どういうこと、と問いかける前に獄翼の疾走が更に加速する。
シートに叩きつけられるようにスバルの身体が押し付けられると、
通信相手のカノンが一言。
﹃ふ、ファイトです師匠! リーダーが本気になったらどんな奴で
もイチコロですので、我慢は一瞬です!﹄
なんの慰めにもならねぇよ。
というか、これからが本気なのか。
本気で足が壊れる勢いで走る気なのか。
その後、足が修復するまでの間は固定砲台として守りきれと言う
のか。
考えがぐるぐるとスバルの頭の中で交差していく。
だが、お世辞にもあまり要領がいいとは言えない彼が納得するよ
りも前に、カイトは動いていた。
足に亀裂が走るような痛みが響く。
勢いを緩めなければ、今にもパズルのように下半身が崩れてしま
いそうな錯覚すらあった。
しかし背後から襲い掛かるサメの牙。そして正面で重力を無視し
た念動神を捕まえるチャンスは残り3分。2分が一瞬で溶けたこと
を考えると、今決めるしかなかった。
609
この時、サイキネルしか理解していなかった事ではあるが。
念動神を包むサイキックパワーにより、彼の周囲の重力は月面以
上に抵抗が少なくなっている。
いかに目の前にいるのがロボットであろうとも、ダッシュで念動
神が負ける通りは無い。
無いのだが、しかし。
突然、サイキネルの視界に映る獄翼の速度が爆発的に上がった。
それだけではない。あろうことか、黒いブレイカーは念動神に背を
向けたのである。
﹃何っ!?﹄
直後、獄翼を襲っていたシャークの牙が割れた。
文字通り、縦にぱっかりと。
飛んで行ったロケットパンチが爆散し、黒い影が再び念動神に向
かい走り始めた。既に足の関節から火花らしき損傷が見られている。
手からは爪が伸び、それがシャークを切り裂いたのだとすぐに理解
できた。
﹃よくも﹄
サイキネルが激昂する。
瞳から涙が溢れ出し、その感情の高ぶりを表すかのようにして念
動神のオーラが膨れ上がった。
赤い湯気が、50メートル級の巨大ロボットから噴出する。
﹃僕の、シャークを!﹄
もう片方の腕が唸る。念動神を包む赤いオーラが一瞬にして左腕
610
に集まり、念動神が必殺の一撃を放った。
﹃サイキック・バズーカアアアアアアアアアアアアアアアアアアア
アアアアアアアアアアアアっ!﹄
もう片方のサメの口から流れだすかのように、赤いエネルギーが
噴出される。
しかし対する獄翼は刀を抜いてそれを捌く事も、ましてや防御す
ることもなかった。姿勢を低くし、赤いシャワーを掻い潜るかのよ
うにして滑りこむ。
﹃︱︱︱︱っ!﹄
サイキネルが目を見開く。
そして同時に、思った。
やられた。
滑り込むようにして足下に潜りこむ黒い機体。念動神と比べても
小さい巨人だからこそ、足元まで一気に潜り込むことができる芸当
だった。
鋭利な爪がパンサーの両足に突き刺さる。
切断。
獄翼が念動神の背後に回り込み、ブレーキをかけた。
直後、黒い巨体が崩れ落ちる。足と腰を繋ぎ止める関節部は、ば
ちばちとショートしていた。
なんとか意識を最後まで持ち続けたスバルの目の前に、次々と電
子文字が表示される。
611
﹃脚部損傷﹄
﹃稼働不可﹄
﹃脱出せよ﹄
次々と新規表示されるウィンドウに若干の苛立ちを覚えつつも、
スバルは回復メーターを見る。
再生は既に始まっていた。1週間前のダークストーカーとの戦い
からの回復も考えると、1分もあれば取りあえずは立てるだろう。
問題は、
﹁1分切ってる!﹂
残り制限時間までに、修復は叶わないことだろう。
メカニックいらずの再生能力が、メーターが満タンになる前に消
えようとしていた。
﹃システムカット﹄
﹁でも、足が︱︱︱︱﹂
﹃背中についてるのでなんとかしろ。カット!﹄
黙らせるように紡がれた言葉に、スバルは頷くしかなかった。
コードに繋がれたヘルメットを外す。一息つくように肩を下すが、
そんな彼に喝を入れるように呼びかける声があった。
通信回線越しにこちらと会話している、カノンである。
﹃師匠、サイキネルは?﹄
﹁そうだ、あいつ!﹂
足と、右腕を切断した。
少なくともこれで機動力と、右手からの武装は使えない筈だ。
612
こちらの機動力も落ちているが、飛行ユニットがあるなら足は必
要ない。最悪引きずるまでだ。
そう考えて鞘から刀を引き抜いた。
その時である。
﹃うわあああああああああああああああああああああああああああ
あああああああああああああああああああああああああああっ!﹄
思わず耳を塞いだ。
念動神から鼓膜を突き破らんばかりの叫びが轟く。
サイキネルの悲嘆だった。
﹃よくも、よくもよくもよくも! パンサーとシャークを殺したな
ぁ!﹄
念動神が足を動かさずに振り返る。
宙を浮きながらもこちらに殺気を怒るその巨体は、先程の迫力あ
る造形と比べて非常に不気味だった。追加で装着された足と手を失
っただけで、ここまで印象が変わるものだろうか、とスバルは思う。
﹃許さないぞ! ゆるざなああああああああああああああああああ
あああああああああああああああああああああああい!﹄
念動神の頭部を形成していたエスパー・イーグルの瞳が光る。
直後、異変は起きた。念動神がうつ伏せになるようにして、大地
に倒れたのである。
﹁どうした﹂
意識が戻ったカイトが、現在の状況を見てそんな言葉を漏らした。
613
しかし、聞きたいのはこっちも同じだ。まさか今になって、両足
の切断が効いたとは思えない。
疑念の答えは、サイキネルの口から答えが出た。
﹃サイキック・ウイング!﹄
エスパー・イーグルの翼が巨大化する。
ぐんぐんと大きくなっていくソレは、やがて取り付いているパン
ダの背中から生えるかのようにして自らのボディを伸ばし、エスパ
ー・パンダの背部と結合した。
それを合図とし、エスパー・イーグルの頭部が元の鳥の形に戻る。
﹃天!﹄
直径80メートルにもなった巨大な赤い翼が広がる。
﹃動!﹄
左手に装着されたシャークの部品が外れ、元の肢体に戻ったエス
パー・パンダの手足が大地を揺らす。
てんどうしん
﹃しいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいい
いいいいいいいいいいいいいいいいん!﹄
巨大化し、パンダの胴体を乗っ取った鳥頭が吼える。
今、このアキハバラの大地に翼の生えた鳥パンダ︱︱︱︱天動神
が降臨した。
﹁嘘!? まだあんの!﹂
614
と、スバルが仰天する。
キメラ
やっとの思いで2体の念動獣を破壊したというのに、今度は余っ
た獣でちょっとした合成獣を生み出した始末だ。
これでは拉致が明かない。
﹁⋮⋮やばいな﹂
後ろのカイトもぼやく。
彼の目から見ても、天動神を纏う赤いオーラの濃さが尋常ではな
かった。真っ赤に燃え盛るような赤の濃さは、鮮血のようにも見え
る。
﹁シャークとパンサーがやられた反動で、凄く怒ってる﹂
﹁と、いうことは?﹂
﹃サイキックパワーは、更に強大になるということです﹄
カノンの言葉に、スバルは息を飲んだ。
念動神でギリギリの戦いをしているというのに、まだパワーアッ
プすると言うのか。気が遠くなってしまう。
﹃トリプルエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエ
エエエエエエエエエエエエエックス!﹄
サイキネルが名指しでカイトを呼んだ。
その張本人は訝しげな表情を天動神に向けると、それを察知した
かのようにサイキネルは続ける。
﹃貴様は、ずぇったいに! この僕と、残された天動神がぎったぎ
たのぼっこぼこの、がったがたにしてやる!﹄
﹁⋮⋮ああ、そう﹂
615
そんなコメントしかできなかった。
擬音で表現されても困るのである。
﹃そう、だと! 友達が殺され、それを嘆くことがそんなにおかし
いか!?﹄
﹁いや、誰もそこまで言ってないよ﹂
テンションが高まってきた為か、思った事を兎に角口にするサイ
キネル。
スバルのフォローもお構いなしに彼は続けた。
﹃そうか。そうだったな! 貴様はそうやって大事な人が死んでも、
平気な顔が出来る奴だ! 好きな人を殺してまだ呑気に暮らしてる
んだものな!﹄
カイトの表情が凍りつく。
スバルも、そして街中で王国の戦士を押さえつけているエイジと
シデンも、それに反応した。
﹃僕のサイキックパワーが読み取ったぞ! お前の奥底に眠る意思
の乱れを!﹄
カノンは言った。
サイキックパワーは他人の意思すら読み取ってそれを力にする、
と。
人の心を除き、そこに潜む感情を栄養とする。
サイキネルはそうやって他人の心に潜む心理的外傷を引きずりだ
し、敵わない敵に勝利してきた。
要するに、トラウマの再現である。
616
﹃忘れてるなら、もう一度見せてやる!﹄
﹁やめろ﹂
カイトが小さく呟いた。
後部座席に座る彼の様子を、スバルは見る事が出来ない。だが、
こんなにも弱々しく、怯えるようなか細い声を聞いたことが無かっ
た。
﹃サイキック﹄
﹁やめろ!﹂
天動神の翼から赤いオーラが立ち上る。
それは雲へと到達し、瞬時に空の色を赤に染めていった。
﹃イマジン﹄
視界に赤い靄がかかる。
Xの制限時間が切れた時、モザイクに覆われた時
スバルは似たような現象を知っていた。
SYSTEM
と全く同じ感覚が、彼を包み込んだ。
617
第43話 vsエリーゼ
何度も通った廊下を1人、歩く。
彼の周辺に人がいないのは非常に珍しいことだった。大体何をす
るにもシルヴェリア姉妹が近くにおり、そうでない場合でも同期の
メンバーが打ち合わせや訓練と言った理由で近くにいる。
しかしこの日、彼は一人だった。
一人で出向かわなければならない理由があった。
﹁エリーゼ﹂
呼び出した人物の名を口にしながら、彼は扉をノックする。
今の姿よりも若干幼さが残る表情には、どこか期待に満ちた笑み
が見えた。
彼の名は神鷹カイト。この時16歳。
この日、彼はXXXの監督であるエリーゼに呼び出された。用件
はわからない。ただ、一緒に夕食を食べているときに呼び出された
だけで、それ以外は何も言わなかった。
だが、理由なんてどうでもよかった。
例えどんな理由があろうと、彼女が自分を求めて呼び出した。そ
の事実が、カイトの心を満たしたのだ。
﹁俺だ。入るよ﹂
﹃どうぞ﹄
扉の奥から彼女の声が聞こえる。
カイトはその言葉に従い、扉を開けた。
618
部屋の中は真っ暗で、ただ彼女が作業で使うノートパソコンだけ
が淡い光を灯している。
﹁エリーゼ、目が悪くなるよ﹂
﹁うん﹂
﹁電気つけようか﹂
﹁ううん﹂
椅子を回転させ、エリーゼが振り向く。
彼女の椅子は車椅子だ。三年前、カイトが受ける筈だった銃弾を
全て受けた結果がこれである。
エリーゼはその時の傷が原因で、車椅子生活を余儀なくされてい
た。
もっともそれは3年前の話であり、今はリハビリも進んで車椅子
が必要という訳ではない。
それでも使い続ける理由としては、思い入れがあるから、という
ことだった。
﹁鍵、締めて貰っていい?﹂
暗がりの中でも分かる、彼女の笑み。
それを断る力はカイトにはなかったし、断る理由も無かった。
彼は彼女にぞっこんだった。他の人間の頼みなら、部下に任せる
等して切り抜けていただろう。例えそれが、鍵を閉める程度の小さ
な頼みでも。
﹁かけたよ﹂
﹁そう。ありがとう﹂
エリーゼが再び、微笑む。
619
暗がりで僅かに見えるそれを目にして、思わずカイトも表情が緩
んだ。
幸せだった。彼女の優しい笑みを見るだけで満足していた。
第一期XXXとは仲違いし、第二期XXXに付き纏われてうんざ
りしていても、彼女だけがいればそれでいい。
彼女が一喜一憂し、その横に自分が居れれば、それだけで。
﹁エリー
乾いた音が、暗い空間に響いた。
﹁ゼ?﹂
何の音だろう。
きょとん、とした顔をしながらもカイトはエリーゼを見る。
銃があった。暗いけれども、見間違えるはずがない。あれは3年
前、自分を庇ったときに彼女が手に取った代物だ。
それが、彼女の右手に収まっていた。
﹁それは﹂
何、と問う前に第2射が放たれる。
銃口から発射された弾丸は真っ直ぐカイトの胸を貫き、彼の身体
に穴を空けた。出来上がった穴から、真っ赤な血が流れ出す。
﹁え?﹂
思わず、そんな間抜けな声を出した。
燃えるような痛みを発する右胸に手をやり、そして見る。
血だった。エリーゼに撃たれて、できた血だ。
620
撃たれた自覚が頭に芽生えたと同時、カイトの膝は崩れ落ちる。
﹁ふふ﹂
それを見たエリーゼは戸惑う事も無く、引き金を引く。
3発目。
4発目。
﹁や、やめて﹂
肩を撃ち抜かれ、足を撃たれたカイトが言う。
しかしエリーゼは微笑を崩さないまま、弾薬が空になるまで彼を
撃った。
それでも満足しないのか、彼女は机の上に置いてあった弾倉を装
填しなおす。
﹁エリーゼ、なんで?﹂
涙目になりながらも、カイトは問う。
だがエリーゼは何も喋らない。一つも表情を変えずに、再び全弾
カイトに浴びせた。
カイトの身体が再生するも、今度はそれでも致命傷になる様に一
点に集中して撃ち続けたのである。
まるで釘を打ち付けるかのように、何度も。
﹁エリーゼ、やめて! やめてよ!﹂
殺される。
621
そう思いながらも、カイトは手を伸ばした。
本能的に弾丸から身体を守ろうとしたのか。それとも彼女を突き
飛ばそうとしたのか。今となっては、どちらか分からない。
ただ、この時確かに起こった事実がある。
﹁死なないね、やっぱり﹂
エリーゼが口を開いて、そう呟いた。
笑みを絶やさずに、だ。
﹁凄いね。私は致命傷を避けても、あんなに痛かったのに﹂
それなのに、まだ叫ぶ余裕があるんだ。
変わらない微笑で、彼女は言った。
それを見たカイトは思う。
コイツは誰だ。エリーゼをどこにやった。
なんでいきなり撃ってきた。
疑問と葛藤が何度も渦巻くが、明確な答えは出てこない。
そうしている間にも、彼を襲う銃弾は留まる事を知らなかった。
蹲っているのをいいことに、銃口を胸に突き付けた状態で引き金
が引かれる。カイトの身体が跳ね上がった。しかしエリーゼは、そ
れでも弾倉の入れ替えを怠らない。
﹁まだ、だよね﹂
彼女は知っている。
622
カイトの能力がどの程度まで耐えれて、どこまでが限界なのかを。
﹁直接当てて、ようやくだよね﹂
エリーゼが再び銃口を突き付ける。
そのまま引き金を引いた。カイトの肉体が再び痙攣するかのよう
に跳ね上がる。
﹁これで穴が開くから、ようやく心臓に届くよね﹂
カイトは理解する。
彼女は、本気だ。本気で自分を殺しに来ている。
再生能力の把握が、彼女が本人なのだということの決定打となっ
た。
カイトは全身に立ち籠る熱を感じつつも、混乱する。
なぜ。
どうして。
あの時救ってくれたのに。
その時から俺は︱︱︱︱僕は、エリーゼの為に生きてきたのに!
彼女の為に生きてきたこの3年間が、全部否定された。
それを実感した瞬間、身体中で感じる熱が一瞬で消え去ったこと
を実感する。そして同時に、身の毛のよだつ程の寒気を感じた。
怖い。
この時、カイトはそう思った。
目の前にいる女が、人間の皮を被った何かに見えたのだ。
623
だからこそ、彼は引き金が引かれる瞬間に残りの力を振り絞った。
﹁!﹂
素早く起き上がり、エリーゼの懐に飛び込む。
銃口から放たれた弾丸の一発が、胸に穴を空ける。だが同時に、
彼女の胸にも穴が開いた。
カイトの爪である。必死の抵抗の結果、彼はエリーゼを突き飛ば
した。
だがその10本の指から生える鋭利な爪は、彼女の胸を突き刺し
ていたのだ。
﹁あ﹂
エリーゼの身体が崩れる。
一歩、また一歩と後ろにさがり、車椅子に躓いたところで、彼女
の身体は完全に転倒した。
まるで溜池のように、彼女の身体から赤い液体が漏れていく。
﹁⋮⋮エリーゼ﹂
一瞬にして撃たれた傷が塞がり、カイトが呟く。
彼は両手を広げ、そして見た。
そこにこびり付いている赤い液体を。
いまだに残る、彼女の感触を。
﹁エリーゼ﹂
その時の自分は、なんて顔をしていたのかは分からない。
ただ、この時。どんな理由があったにせよ、彼女に拒絶されたこ
624
とを悟った。
呼び出している時点で明らかな計画なのだ。突発的な実験という
訳ではないだろう。
それにしたって、なぜ。
自分が見た限りではあるが、そんな前兆は無かった。
他愛のない雑談をして、チームの報告をして、偶に食事をして、
映画も一緒に見た。その時の自分は充実した満足感を得ていたが、
彼女は違ったのだろうか。自分に付き合ってくれた時に見せた笑顔
は、全部偽物だったのか。
なら、3年前助けたのはなんだ。
3年経って、見切りをつけたとでも言うのか。
震えが止まらない。
訳も分からず彼女に殺されそうになったという事実が、カイトを
得体の知れない恐怖に掻き立てる。
暫く経って、カイトはエリーゼの部屋から出た。
その時の彼の表情は、喜怒哀楽の感情を全て捨て去った人形のよ
うに無機質だった。
赤い靄が晴れる。
意識を取り戻した御柳エイジは、スコップでシャオランをさえつ
けた体勢のまま、言う。
625
﹁何だよ、今の﹂
彼の背後でイゾウを抑えたシデンも、どこか青ざめた表情だった。
そんな彼の気持ちを代弁するかのように、エイジは続ける。
﹁なんなんだよ、今の!﹂
素直な気持ちだった。
突然赤い靄に視界を奪われたと思えば、いきなりとんでもない映
像を見せられた。しかも、内容は非常に趣味が悪い。
﹁サイキネル氏は、﹂
そんなエイジの疑問に答えたのは、ハエ叩きで潰されているかの
ようにして地面に叩きつけられているシャオランだった。
彼女は何色にも染まらぬ表情で、淡々と告げる。
﹁敵の深層心理にまで潜り込み、その精神の揺れすら力に変換しま
す﹂
﹁じゃあ、今見たのはカイちゃんを怒らせる為の映画って事?﹂
シデンが思った疑問を言う。
だがソレに否定の言葉をかけたのは、イゾウだ。
﹁否。サイキネルはそこまで器用ではない。今我らが見たのは、間
違いなく物怪の記憶﹂
サイキネルはそれを引きずりだし、カイトの動揺を狙う。
それゆえに、事実を見せなければならなかった。それが一番感情
を昂ぶらせやすいのだ。
626
﹁アレが、本当にあったことっていうの?﹂
﹁そんな馬鹿な事あるわけねぇだろ!﹂
エイジが吼える。
彼らは知っていた。友人が幼いながらも一人の女性の為に、献身
的に行動していたことを。
そして彼女もまた、その友人を必要としていた。己の夢の為に。
だというのに、その二人の結末がアレだと言うのか。
﹁理由は!? エリーゼがアイツを襲う理由は何もねぇ!﹂
﹁付き合いがある貴様が言うのであれば、その通りなのであろう﹂
だが、
﹁事実は小説よりも奇なり。人の心はふとしたことで魔物となり、
他者の理解を得られない怪異となる﹂
事実、この出来事をきっかけにしてカイトは極端に他人の目を気
にするようになった。
彼らは知らないが、ヒメヅルの柏木一家とのいざこざがいい例だ
ろう。
﹁黙れよ﹂
冷たい一言がイゾウに投げかけられる。
見れば、彼の左手を握っているシデンの手から氷が溢れ出してい
た。イゾウには左手の感覚が残っていない。
﹁気付いてあげられなかった。自分たちの事しか目が行ってなくて、
627
彼の中にある本当の痛みに目が行かなかった﹂
そうはいっても、気付けと言うのが無茶な話である。
あの男は基本的に何も言わないのだ。思い出したくないだけなの
か、それともまた裏切られるのが怖いのか。もしくはそれ以外なの
かもしれない。
しかし六道シデンはこの時、彼との間にある溝しか目が行かなか
った自分の視野の狭さに、心底呆れていた。
﹁そんなんじゃ、﹃せーい﹄を見せても仲直りできるわけないじゃ
ないか⋮⋮!﹂
目の前にいるイゾウを睨む。
その鋭い目つきは、まるで獣だった。
﹁はっ﹂
イゾウが満足げな笑みを浮かべる。
己の左腕にひびが入っていると言うのに、それを一切気に留めて
いなかった。
﹁良き目をするようになったな﹂
﹁お前を満足する為に生きてるんじゃないんだ、ボクは!﹂
イゾウの左手が砕け散る。
だがそれによって左半身が自由になったイゾウは鋭い踏み込みを
見せた。
﹁だが、貴様はまだ物怪には程遠い﹂
628
残された名刀、レイを振るう。
反射的に右手に持つ銃をイゾウに向け、シデンは引き金を引いた。
弾丸がイゾウの頬を掠める。だがその後に繰り出された縦の斬撃
も、シデンの皮膚を切り裂いていた。額から鼻にかけて、鮮血が弾
ける。
﹁シデン!﹂
背後の親友がよろけるのを見たエイジが、叫ぶ。
﹁大丈夫。掠っただけだから﹂
にしては結構大げさに仰け反った気がする。
本当に掠っただけなのだろうか。
﹁力の緩みを感知﹂
だがその瞬間。
スコップで押さえつけていたシャオランが、翼を大きく広げてき
た。
﹁いぃっ!?﹂
﹁エイちゃん!?﹂
勢いをつけ、体当たり。
両手に持っていたスコップが放り出され、エイジの身体が宙へと
投げ出された。
629
第44話 vs神鷹カイト ∼怖くて悪いのか編∼
﹁なんだよ、それ﹂
蛍石スバル、16歳。
赤い靄が晴れ、視界が良好になった途端に彼は呟いた。
サイキネルの力によって掘り起こされた同居人の過去。それが6
年前の自殺につながる程なのだから、余程衝撃的な出来事があった
のだと勝手に想像していたのだが、しかし。いざ見せられるとなる
と、それは想像を遥かに超えたものだった。
﹁こんな馬鹿みたいなことが、あったっていうのかよ!﹂
彼が子供の頃、どれだけエリーゼに懐いていたのかは想像するに
容易い。
不祥事から庇ってくれて、目の前で自分を守ってくれた彼女を、
彼は神聖視していた。本人の口からもそれを認めるような発言があ
ったのだから、そこは間違いないだろう。
だと言うのに、彼はそんな彼女から殺されかけた。
わけもわからず、一方的に。
そして最終的には抵抗して、死なせてしまった。
これがスバルの見た、6年前の真実だった。
﹃お前は﹄
アキハバラの空を、先程見た光景と同じ赤色が染め上げる。
それを行う天動神に乗るサイキネルが、彼らに言った。
630
﹃人の痛みがわからない人間だ。誰かの死を前にして、泣く事すら
できない﹄
マサキの時もそうだ。
だからカイトは否定しなかった。いや、正確に言うと否定する余
裕が無かった。彼は先程から黙って、後部座席で俯いている。どん
な表情をしているのかはスバルからは見えなかった。
﹃壊す事しかできない、哀れな男だ。知らず知らずのうちに、彼女
もそんなお前に愛想を尽かしていたんじゃないのか?﹄
いや、とサイキネルは続ける。
﹃哀れでも何でもない。お前は自分でそうするように生きてきた﹄
他者との関わりを極力避け、一触がありそうな相手からは予防線
を張る。
そして自分に近しい所に来た人間は、壊れていく。
﹃周りには何も残らない。お前は一人で寂しく死んでいくのがお似
合いだ!﹄
カイトは何も言わない。
そして通信で一連の流れを聞いていたカノンも、何も言わなかっ
た。
﹃いや、お前にはまだ一人いたな﹄
思い出したようにサイキネルは言う。
631
﹃だが彼も同じだ。いずれにせよ、お前の目の前で壊れていくだけ
だ! 違うなら、なんとか言ってみたらどうだXXX!﹄
サイキネルが嘲り笑う。
そこまで好き勝手言われて、カイトはようやく言葉を発した。
﹁俺は﹂
そこで一呼吸置かれる。
言葉を選んでいるのか、ひどくぎこちない表情で彼は言う。
﹁死ぬのが、怖かったんだ﹂
﹃怖い? お前が? ⋮⋮ははっ﹄
サイキネルの笑いは止まらない。
相手は不死の超人。銃で何度撃たれても死なず、ひたすら敵を葬
る技術を積み重ねた殺戮兵器である。恐らく、死の淵に瀕するより
も相手を殺した数の方が圧倒的に多い筈だ。
その彼が、死ぬのが怖いと言った。全くナンセンスだとサイキネ
ルは思う。
﹃死なない戦士が聞いて呆れるな。常に最前線で戦ってきて、何人
もの敵を屠り、言う事がそれか!﹄
彼は他人とは違う、力を持った新人類だ。
生まれ持った不死身の力がある限り、死ぬ確率は限りなく低いだ
ろう。もっとも、そんな彼から放たれる感情の動揺がサイキックパ
ワーに蓄積され、それが勝敗を決することになるのだが。
そう思うと、サイキネルは笑いが止まらなかった。
632
だがその笑いを閉ざす声が響く。
﹁何もおかしくはないよ﹂
スバルだ。
彼は真っ直ぐ天動神を視界に入れながらも、続けた。
﹁誰だって死ぬのは怖い。当たり前のことだろ!﹂
経験があるからこそ分かる。
寧ろ、それを恥だと言うのであれば自分こそ責められるべきだと
スバルは考えた。
﹁俺も怖い。怖かったから、カイトさんを置いて逃げた﹂
懺悔するように彼は言う。
大使館の戦いで現れたゲイザーに恐怖して、自分を守る為に戦っ
ていたカイトを見捨てたのだ。結果としては獄翼を頂いて戻ってき
たとはいえ、逃げ出した事実には変わりがない。
﹁怖かったから、友達を相手に獄翼を呼んだ!﹂
自分を師匠と呼ぶ少女とその妹は好意的に接してくれた。
しかしそんな彼女たちの正体を知った瞬間、迷うことなくスイッ
チを押してしまった。
﹁でも、だからこそ思う。もう後悔なんかしたくねぇ! やり直す
チャンスがあるなら、俺は全力でそれにしがみつきたい。全部返し
たとは思ってないけど、そう思って俺はカイトさんや友達を取り戻
633
せた﹂
﹃師匠﹄
カノンが縋りつくように呟くと、スバルは宣言する。
﹁カイトさんも後悔した人だ。だからこの人も、やり直せる!﹂
その言葉に呼び寄せられるようにして、カイトが顔を上げた。ス
バルは後ろから見られているという意識を持ちながらも続ける。
﹁その為にもお前に負けない。この人が後悔した過去の出来事も全
部ひっくるめて、俺たちは勝つ!﹂
﹃旧人類の子供の分際で偉そうに!﹄
﹁口を開いて悪いか!?﹂
﹃生意気なんだよ!﹄
天動神の口が開かれる。その中心に赤い光が集い、巨大な破壊の
エネルギーを蓄積していく。
﹃サイキック・バズゥカアアアアアアアアアアアアアアアアアアア
アアアアアアアアアアアアア!﹄
鳥頭の口から、必殺の一撃が放たれる。
足の関節は修復の途中だ。もう走って避けることは出来ない。
だからこそスバルは、鞘に収まった刀を抜いた。彼が後悔したく
ないと願った一心が通じ、友達から貰った品物である。
獄翼が刀を握ると、それを大地に突き立てる。
そしてその後ろに隠れるようにして左腕を構えた。電磁シールド
とアルマガニウムの刀を利用した二段構えの盾だ。
634
﹃そんな物で、今の僕を止められると思うな!﹄
赤い光が刀に直撃する。
光が弾け、破壊のエネルギーが拡散した。だがしかし、最初に受
け流した時に比べて明らかに押されている。
コンクリートに突き刺した刀が揺れ、その隙間を縫うかのように
破壊のエネルギーが獄翼に襲い掛かる。小さな赤い矢が、電磁シー
ルドに着弾した。
どしん、という振動がコックピットを襲う。
明らかに溢れ出した水しぶきを浴びたような物なのだが、それで
これか。
直撃を受ければ、間違いなく電磁シールドごと獄翼は破壊される
だろう。
﹁カイトさん!﹂
そんな事を考えながらも、スバルは言う。
﹁行って!﹂
﹁なんだと?﹂
疑問の声が投げられる。
まあ、それはそうだろう。敵の攻撃はまだ続行中だ。そのうえ、
獄翼も修復は終わっていない。普通なら、今の内に再接続だとでも
言うのがセオリーの筈だ。
﹁アンタを待ってる人がいるでしょ!﹂
635
だが、今回は先約がある。
スバルは順番待ちが出来る男だ。それに、一度﹃耐えろ﹄と言わ
れた以上は耐えて見せないとかっこがつかない。
﹁だが、俺は﹂
﹃私はリーダーに後悔してほしくありません﹄
躊躇うカイトを押し出すようにカノンが言った。
Xは
﹃思う事があるのであれば、どうか行ってください。私がなるだけ
サポートしてみせます﹄
﹁お前、今ここに居ないだろ!﹂
至極全うな台詞である。新人類が居なければSYSTEM
使えない。
アルマガニウムの刀があるとはいえ、完全に翻弄されたスバル一
人で勝てる相手だとは思えないのも当然だ。
﹁いいから!﹂
スバルがシートベルトを外し、立ち上がる。
獄翼の動きを固定させて完全に盾に仕立て上げた彼は、背後にい
るカイトへと振り返った。
するとどうだろう。そこには、見た事も無い表情をした同居人が
いた。
泣きそうとは違う。どこか困惑もあるその表情は、どうすればい
いのか分からないと言ったような表情だった。困り果てて途方に暮
れる、幼い表情だとスバルは思う。
だがそれを恥ることなどない。笑い飛ばすこともない。
寧ろようやく見れた彼の弱さを、嬉しく思った。
636
﹁⋮⋮アンタもそんな顔できるんだな﹂
﹁悪いか﹂
﹁自覚があるなら、どうすればいいかわかるだろ﹂
正面から向かい合い、急かす。
しかしカイトは、どこかバツが悪そうに顔をしかめた。
そんな彼に向かい、スバルは言う。
﹁俺は、アンタに助けてもらった﹂
だから、
﹁今度は俺がアンタを助ける番だ。アンタの苦しみを少しでも和ら
げる手助けがしたい﹂
﹃私も、したいです﹄
カノンが援護射撃をするかのように続いた。
だがカイトはまだ納得がいってない様子だった。彼にも意地があ
るのだろう。迷惑をかけた自覚はあるし、まだ怖いと思う気持ちが
あるのも事実なのだ。
﹁今じゃなくてもいいだろ﹂
﹁あの二人は、今来てくれた。今じゃなきゃダメだ﹂
そういうと、スバルの正面にあるコックピットが開く。
刀と電磁シールドによって破壊の光を防ぐ光景が、そこにはあっ
た。
﹁行ってくれ。今だけでもいい。カノンたちとやった時みたいに、
637
俺を信じてほしい﹂
カイトが押し黙る。
そして数秒程した後、彼は前に出た。
﹁⋮⋮任せていいんだな﹂
﹁ああ﹂
小さなやり取りだけが行われる。
スバルが頷くのを視界に納めると、カイトはコックピットから飛
び降りた。そして急ぎ、嘗てのチームメイトたちが走り去った方角
へと向かっていく。
﹃何処に行く気だ!﹄
サイキネルが吼える。
ソレと同時、刀にぶつかる赤い光の勢いが強まった。
﹁早速ピンチかよ!﹂
コックピットを閉め、背中に装着された飛行ユニットが火を噴い
た。
青白い羽のような光が噴出すると、獄翼は浮遊。そのまま天動神
から距離を置き始める。
﹃逃がさん!﹄
念動神の口から放たれる破壊の波の勢いがさらに強まる。
受け止めていた刀は支柱を失い、ぐらぐらと揺れ始めた。
数秒もしないうちに、刀が弾け飛んだ。コンクリートから引き抜
638
かれた刃はくるくると宙を舞い、やや離れた場所に再び突き刺さる。
防ぐ物を無くした赤い光が、アキハバラの街を駆けた。
それは空を飛ぶ獄翼を抉るようにして走り抜けるも、獄翼は左腕
の電磁シールドをそれにぶつけて自身を逸らすことに成功する。
が、
﹃損傷率26パーセント!﹄
モニターにウインドウが開き、被害報告を知らせる。
電磁シールドの発生装置が、今の接触で爆発していた。
﹃師匠!?﹄
﹁大丈夫、揺れただけだ!﹂
修復しきっていない足で無理やりバランスを保ちつつ、獄翼が羽
ばたく。
赤い閃光をやり過ごした黒い機体は、離れた個所に突き刺さった
刀の下へと飛び、その柄を握る。
﹃ファッキン!﹄
それを見たサイキネルが、悔しそうに地団太を踏む。
その動きに合わせて天動神の両前足も暴れはじめた。
﹃おのれ、旧人類の癖に僕の必殺の一撃をやり過ごすなんて!﹄
サイキネルが憤慨する。
だが耳に届いてくる彼の憤りも、スバルは軽く受け流していた。
639
﹁持たせてみせる。あの人たちが戻ってくるまで﹂
無謀な戦いだった。
ある意味、相当無茶な意地を張っている気はする。
だが、ここで身体を張れなかったら死んだ父親に顔向けは出来な
いだろうな、とスバルはどこか達観したような表情で思った。
4年間積み重ねてきた同居生活で膨れ上がった彼への貸しは、ま
だ全部返していない。
身体を張る理由は、それで十分だった。
640
第45話 vs御柳エイジ
なんで爪まで使うくらい真剣な勝負が行われることになったのか
は、覚えていない。
ただ、自分は持てる全てを使って彼を倒そうと思ったし、彼もそ
れは同じだった筈だ。当時、彼が使っていた槍を構えられた記憶が
あるから、間違いない。そう思うに至った理由は分かる。
自分が御柳エイジに嫉妬していたのだ。
彼は気さくで、面倒見がいい。新人類王国の兵としては思想、能
力の不自由さの面で評価は低かったが、彼の人間性と特化された力
は大いに評価されていたのはよく覚えている。どのくらい評価が高
かったのかというと、XXXの中で唯一ドーピング無しでカイトと
同じくらいまで身体能力を伸ばした男、という形だ。一方でそれ以
外が極端に低い成績だった為、一部では落ちこぼれと言われていた
が、例えそうだとしても立派な特化され具合である。ある意味では
新人類の有様を体現していると思う。
今思えば、尖がっているとはいえそういう評価があるのは結構シ
ョックだった。
別段、ドーピングしてたのは事実だから否定はしない。怖かった
のは彼が自分と同じ位まで足を踏み入れてきたことだ。
もしも彼が自分を倒す力を持っていれば、エリーゼから必要され
なくなる。自分が誇示することができるのは力だけだ。その力で誰
かに負けようものなら、一体何が残るだろう。
もしかすると彼は気にしないかもしれない。
他のメンバーも、誰も気にしないかもしれない。しかしそう思う
為には、カイトは自分を信じきれていなかった。
641
御柳エイジは、カイトから見てそれだけ凄い奴だった。
彼を倒さなければ自分に居場所は無い。
そう思っていた。
そして自分の持てる全てを駆使して、彼に挑んだ。
その結果が、今の現状に繋がっている。
結論から言うと、エイジがカイトと張り合えるのは﹃腕力﹄とい
う特化された技術只一つだけなのだ。
その力を受け流し、爪を伸ばした結果、エイジの顔は一瞬にして
赤く染まった。呆気ない戦いだった。いや、戦いとも呼べるもので
はない。カイトはエイジから何のダメージも受けなかったからだ。
しかしそこまで完璧な勝利でも、気分が晴れる事は無い。
思ったよりも力の差はあり過ぎた。エリーゼにもそうだが、彼に
も悪いことをしたという罪悪感が芽生えた。きっと彼は自分を恨ん
でいる事だろう。
ただ、そこに関してはそんなに重要視していなかった。
恨まれ役になるのは始めてではない。数少ない友人がこれでまた
1人減るだけだと、そんな風に自己完結させることで罪悪感を閉じ
込めたのだ。
ところが、である。
後日、顔を包帯でぐるぐる巻きにしたエイジはシデンを引き連れ
て、カイトの元にやってきた。そして言ったのだ。
﹃よぉ、今日は何して遊ぶ?﹄
その言葉を聞いた時、己の耳を疑った。
なぜそんな事を言えるのかと、本気で思った。
642
一歩間違えれば死にかけてたんだぞ。どうしてそんな相手に、何
時もと変わらない態度でいれるのだ。
疑問が湧き上がるカイトは、ふとエイジの顔を見た。
自分が遺した生々しい傷跡があった。それを視界に納めた瞬間、
思わず目を逸らした。直視できなかったのだ。
カイトに壊されてこんな風に接してくる友人は彼が始めてだった。
多分、だからこそ抑え込めていた筈の罪悪感も溢れ出したんだと思
う。
ただ、まだ幼いカイトはその罪悪感との付き合い方に不慣れだっ
た。
だから、予防線を引いた。相手側から入ってこれないように距離
を置き、もし向こうから近づくものならまた距離を取り、再び線を
引く。そんなやり方しか、できなかった。
しかし、まあ。無知とは恐ろしいもので、それから9年経過した
今でもカイトはそんなやり方を続けている。
柏木一家然り、シルヴェリア姉妹然り、エイジとシデン然り、常
に線を引いていた。
そんなやり方に今になってケチをつける奴が現われた。
今思うと同居人の少年と自分が傷をつけた友人は似ている気がす
る。新人類と旧人類という差はあるが、思想が割と似通っているの
だ。友人が自然と集まっていくのも酷似していると思う。
そんな彼に言われたからこそ、余計に堪えた。不思議な事に、彼
といると自然と本心を剥き出しにされる気がする。
いや、別段不思議でもなんでもない。自分がどうしたいのか、本
当は自分でも分かっているのだ。
他人の痛みに敏感なあの少年が、それに気づくことなど容易いの
である。
643
しかし、だ。
放り出され、その場に流されて走っているとはいえ。
今更、なんて言って二人に謝ればいいのだろうか。9年前のこと
だけではない。この街についてからも、感情に任せて二人には酷い
事をした。
それらを全て返済する為にどうすればいいのか、カイトには想像
もつかなかった。
腹部にシャオランの頭が突き刺さるような形で、エイジがビルに
激突する。彼女が仕掛けたのは、頭から突撃する単純な体当たりで
あったが、激突したビルの壁に簡単に穴が開いたことからもその破
壊力が伺えるだろう。
もちろん、それに背中からぶつかったエイジも、ただでは済まな
い。
﹁いってぇ!﹂
痛いのである。壁に叩きつけられ、背中を強く打てばそれは痛い。
勿論、エイジだって痛いのは嫌いだ。だからこそ、この突進から
逃げようとする。
﹁調子に乗るなこの野郎!﹂
﹁野郎ではありません。訂正を求めます﹂
﹁どっちでもええわ、そんなもん!﹂
意外と細かいシャオランのツッコミを流しつつも、エイジは両手
644
を伸ばす。それを敵の脇腹に回すと、彼は思いっきり背中を曲げた。
﹁あ﹂
間抜けな声を上げながらも、シャオランの疾走が中断される。
持ち上げられているのだ。地面に足をつけずに、両手の力だけで。
それを認識すると、シャオランは素直に拍手を送る。
﹁⋮⋮凄いですね、と称賛します﹂
﹁どーも﹂
純な感想を貰ったと同時、床に足をつけたエイジは彼女を地面に
叩きつける。俗にいうパイルドライバーと呼ばれる技だった。
シャオランの白い髪が床に激突する。直後、彼らが突入したオフ
ィスビルを激しい振動が襲った。シャオランの頭が突き刺さった個
所を中心として、ちょっとしたクレーターが出来上がる。
だが、恐ろしい事に。
それほどハチャメチャな大技を受けても、彼女の上半身はただた
だ拍手を送り続けていた。まるで壊れた玩具のように、何回も。
﹁ええい!﹂
それを見たエイジが歯噛みする。
利いていない。久々に思いっきり決めた大技でスカっとしていた
のだが、、この拍手で全て台無しになっていた。唯一の長所が、こ
の女に通用していないのである。
どれだけ防御が優れて、尚且つタフなのだろうか。
悲しい話ではあるが、御柳エイジはXXXでは落ちこぼれと呼ば
645
れるポジションに陣取っていた男である。カイトから長所を称賛さ
れてはいるが、彼はそれ以外が極端に成績が振るわないタイプなの
だ。
逆に言えばそれは、伸ばしてきた長所以外の武器が無いことを意
味している。勿論、新人類として生まれた以上、特化される事は大
きな武器だ。だがエイジはそれが極端なのだ。カイトのように全体
的に伸ばしてきたわけでもなく、シデンのように能力が強大な訳で
もない。
力が通用しなければ、彼はただの木偶の坊と変わりなかった。
だが、それでも。これしかないのだ。鍛え上げたそれが通用しな
ければ、御柳エイジには何も残らない。それでは折角かっこつけて
参戦したのが台無しである。
﹁んなろぉ!﹂
右手を振り上げ、殴りかかる。
仮に相手がとんでもない防御に特化された新人類だとしても、こ
の力で立ち向かうだけだった。殴って、殴って、殴り続けて最終的
にはぶっこわす。
文字通りの、力技である。
しかし、シャオラン的にはそれを何度も受けるわけにはいかない。
﹁!﹂
顔が床に突き刺さったままの体勢で両腕を前に出す。
直後、彼女の両腕が銀色に変色し、一瞬にして形を再構成する。
右手は鋭利な刃に、左手は最初に繰り出したのと同じ銃口に変化し
た。
銃口がエイジの拳と重なる。光の弾丸がシャオランの左手から解
646
き放たれ、エイジを飲み込んだ。
吹っ飛ばされる。避難して誰もいなくなった喫煙ルームに叩きつ
けられつつも、エイジは頭を擦った。
﹁いってぇ⋮⋮!﹂
多分、少し前まで誰かが吸っていたのだろう。
煙草の匂いが充満する小さな空間でゆっくりと起き上がると、彼
は見る。
シャオランが翼を展開させ、無理やりはばたかせて床から飛びあ
がったのを、だ。
﹁うへぇ。アクロバティックな起き上がり方﹂
実際羽が生えているのだからアクロバティックもクソも無いのだ
が、エイジはげんなりとした表情を向けるしかなかった。
ただ、表情には出さないが気持ちとしてはシャオランも同じであ
る。
﹁軽傷と推測します﹂
殆ど0距離でエネルギー弾を受けた筈だった。カウンターとして
は、割と綺麗に決まっていたと思うのだが、意外と元気そうである。
全身タイツだった為に、ところどころ破けて筋肉が露わになって
いるが、そこも僅かに血が滲んでいる程度だった。これでは自転車
から転んだようなもんだ。倒すにはまだまだ程遠い。
ならば、手段は一つである。
﹁出力アップ﹂
﹁なにっ!?﹂
647
簡単に、彼女はそう言った。
背中に生えた白の機械羽が、一瞬にして鋭い刃のような鋼色に変
色する。
﹁お腹が空くので、早めにお食事させてください﹂
彼女は低燃費主義だった。だがそんな低燃費でもここまで戦えた
のだ。力を出し切れば、勝てる。何度も命中したら壊されるであろ
うパンチを確実に避ける意味も含めて、安全に仕留めにいくことに
する。
羽ばたきの突風でシャオランの前髪が浮き上がった。
直後、狭いオフィスビルで彼女の身体が宙を浮く。
突進!
先程までの速度とは比べ物にならない白の弾丸が、強烈な風に包
まれながらエイジに襲い掛かる。
﹁ふぅ﹂
だが、それを見てエイジは深呼吸。
次の瞬間、彼は僅かに脇を広げ、一瞬にして回り込んでいたシャ
オランの剣を挟む。
﹁!?﹂
その行為に驚いたのは、正に出力を上げて本気で仕留めにかかっ
てきたシャオランに他ならない。
先程仰天したばかりだというのに、あっさりと対応してきたのだ。
648
反応と行動のギャップが激しすぎる。
﹁馬鹿め! 何年あの野郎の動き見てると思ってやがる!﹂
エイジがにやり、と笑う。
正直な所、出力アップと聞いてどれほど早くて強くなるのかと思
っていたが、なんてことはない。﹃彼﹄と比べれば、まだまだだ。
脇で剣を掴んだエイジは、もう片方の腕を振るって裏拳をシャオ
ランに叩き込む。その一撃は彼女の顔面にクリーンヒット。頭部損
傷率を計算する数字を視界に納めながらも、今度はシャオランが吹
っ飛ばされる。
が、しかし。彼女の意識は失われてはいなかった。
シャオランは吹っ飛ばされつつも左手の銃口をエイジに向ける。
そこから溢れる光を視界に納め、エイジが不敵に笑う。
﹁それはもう見切ったぜ!﹂
﹁では、こうします﹂
腕を真上に向ける。
それから間もなくして、光が解き放たれた。
﹁やば!﹂
光の柱が天井を突き破り、消えていく光景を見てエイジは焦る。
そして彼の動揺を表すかのようにして、ビル全体が振動し始めた。
天井にはところどころにひびが入り始め、原材料となっているので
あろう砂が上から零れ落ちる。
直後、エイジに無数の瓦礫が襲い掛かった。
649
650
第46話 vs貸し
アキハバラとカンダの丁度中間地点程の位置にある、黒のビルが
崩れ落ちる。
轟音を響かせながらも、無残に崩壊するそれを見て焦りの表情を
浮かばせたのはシデンだった。
﹁エイちゃん!﹂
額から血を流しつつも、シデンは倒壊したビルへと駆けつける。
そんな彼に向かってイゾウが叫ぶ。憤りを込めた声は、失望の念
だった。
﹁背を見せるか。XXXで何を学んできたのだ!﹂
﹁何も学ばなかったよ、あそこは!﹂
それは紛れもなく本音である。受けたいと思う授業は無く、興味
のあるお洒落も満足に出来やしない。ストレスが溜まる職場である
と自信を持って言えた。
﹁そうか。貴様ではやはり、怪異の域に達せられぬわ﹂
心底つまらなさそうに、イゾウは言う。
左腕を凍らされ、砕け散ってもまだそんなことが言えるのは彼の
美学の賜物だろう。少なくともシデンには、このスニーカーサムラ
イが妄執で動いているように見えた。同時にそれが、酷く不気味に
思う。
いずれにせよ、今は彼との無駄な言い争いよりも親友の安否の方
651
が心配だった。
﹁ふんぬ!﹂
そんなシデンの心配に応えるようにして、瓦礫が浮かび上がる。
力任せにそれらを全て放り投げ、ビルの残骸の中から現れたのは
他ならぬエイジである。頭にかぶっていた紙袋は流石に破けたらし
く、素顔まるだしだ。呼吸を荒げつつも、彼は周囲の状況を確認す
る。まず最初に視界に納めたのは、シデンとそれを睨むイゾウであ
る。
﹁シデン﹂
﹁エイちゃん、大丈夫!?﹂
﹁おう、俺は不死身だ。誰と戦って生還したと思ってやがる﹂
一撃でやられた上に、すぐに医者のお世話になったじゃないか、
とは言えなかった。野暮なツッコミはしないのが友達に対する礼儀
なのである。
﹁不気味ちゃんは?﹂
﹁まだ瓦礫の中じゃないの﹂
そんな会話の直後、エイジの正面に積み重なっていた瓦礫が一気
に弾けた。砂埃をまき散らしながらもそれを行ったのは、つい先程
まで相対していた銀色の翼に他ならない。エイジはぼそりと呟いた。
﹁6年も見ない間に、頑丈な奴が増えたな﹂
瓦礫の中からシャオランが起き上がる。彼女の視界で蓄積ダメー
ジの再計算が行われるが、今は不要だと思うのでクローズした。各
652
関節が動き、視界が良好なら何も問題ないと判断したからだ。
﹁ほんっと、嫌になっちゃうくらい頑丈。ゴキブリみたい﹂
シャオランとイゾウを一瞥してシデンが言う。
台所で時々現れては、身体を潰されてもしぶとく生き残る黒い天
敵を思い出した。割と悪意を込めて言っている。
しかし、傍から見てそう思うのは無理もない話かもしれない。
シャオランはエイジに殴られ、顔面が砕けている。肌色の皮膚は
破れ、機械の表面と思われる銀色の皮膚が青白い電流を流しながら
露わになっていた。
一方のイゾウに至っては更に酷い。左腕が凍らされ、既に粉々に
なっている。それどころか、身体の至る所に弾丸を受けても平然と
した表情で刀を振るってきているのだ。見たところ、弾丸を受けた
際に出来た穴が塞がっている様子はない。カイトと同じ能力をもっ
ている新人類と言う訳ではなさそうだった。
﹁勝てそう?﹂
﹁あー⋮⋮行けるとは思うけど、ちょっと面倒くせぇかな﹂
勝敗に関して言えば、そんな感想だ。
ただ、シャオランは明らかに目の色が違う。最初にアキハバラに
現れた時に見せた魚のような目はどこにいったのか、今では獲物を
見つけたライオンのように爛々と輝いている。あれは面倒くさいタ
イプだ。間違いない。
﹁奇遇だな、某も同意見だ﹂
そんなエイジの思考に同調したのは、イゾウだった。
653
レイ
彼は片手で名刀を構え、言う。
﹁気は乗らぬが、勝てると踏んでいる﹂
﹁私も同意見です﹂
シャオランがイゾウの言葉に頷く。
そして改めてエイジの顔を見て、言った。
﹁ただ、彼らがこうだとすると味見してみたいですね﹂
シャオランは遠目でアキハバラの方角を見る。
天動神から放たれる攻撃を懸命に躱す獄翼の姿がそこにはあった。
モノノケ
﹁確かに、こやつらは物怪ではなかった。やはり奴が、某の渇きを
潤してくれる﹂
挟まれる形でエイジとシデンがそれぞれ凶器を向けられる。
だが彼らは怯むことは無かった。逆に、口を動かす余裕まで見せ
ている。
﹁口を開けばもののけ、怪異。そんなにSFが好きなら、円谷プロ
にでも行けば?﹂
﹁空想には興味がない。我らが求めるのは、あくまでそこに存在す
る圧倒的天災ぞ﹂
エイジとシデンは、敵になりえる。
それは間違いないだろう。だが、満足感を得るのにはまだ足りな
い。シャオランがどう思うかは知らないが、少なくともイゾウは腹
を満たせるとは思っていなかった。
なぜならば、彼らは他者を信頼しているから。斬り捨てる事も出
654
来ず、危機になった時にすくいあげるような甘ちゃんなのだ。イゾ
ウは覇気を持った、非情な戦士との血にまみれた決戦を望んでいる。
彼らでは、それになりえない。
その点、彼らが現われるまでに戦った男はマシだと思えた。
彼の過去を垣間見て、イゾウは知ったのだ。神鷹カイトは好きな
人を殺してしまっても、それで涙すら零さなかったのだと。それこ
そ、他者を切り捨てることができる強さの証明ではないだろうか。
あの再生能力がある為に、本性は中々引っ張り出せないが、いざ
生命の危機に瀕して余裕が無くなれば必ず本性を表すはずだと、イ
ゾウは期待を抱いている。
﹁あれは人の痛みを知らぬ、まさに災いとなる為に生まれた魔人よ﹂
まさに運命の出会いである、とイゾウは思う。
これほど相性のいい出会いは、今後あるかどうかも分からない。
満足のいくまで、存分に切りあいたいと思うものだ。それこそ本能
のまま、純粋に。
﹁それはちょっとちげぇと思うな﹂
そんなイゾウの言葉に待ったがかかる。
エイジだ。彼は正面にいるシャオランから視線を話さず、背を向
けた状態でイゾウに反論する。
思わぬ横槍が入ったイゾウは、不機嫌な表情になりながらも彼を
睨む。
655
エイジの発言を聞いたカイトは足を止めた。丁度ビルの陰になる
位置で、4人から見えない場所で身を潜める。
本当なら一番近くにいる敵であるイゾウに切りかかるべきなのだ
ろうが、彼の正面に構えるエイジが素顔なのを見た瞬間、彼の足は
止まった。思わず自身の足下に視線を向け、歯噛みする。
いつまで拘っているんだ、俺は。
情けない。あまりに情けなすぎる。
スバルには散々偉そうなことを言っておきながら、いざ自分が窮
地に立つとこれだ。
そう思うと、全身の力が抜けてきた。
﹁アイツは多分、お前が思ってるよりもいい奴だよ﹂
﹁戯言を﹂
全くだ。
お人好しなのは知っているが、そこまで言うか普通。
あるいは誰が顔面を包帯巻きにさせたのか、彼は覚えていないの
か。
﹁⋮⋮仲は悪くなった、と聞いていますが﹂
同じ疑問を覚えたのだろう。
データベースを検索して、過去のつながりを調べたのであろうシ
ャオランが問いかける。
﹁んー。まあ、傍から見ればそう思うかもしれないけどよ﹂
656
﹁目線も合わせなかったよね、確か﹂
その通りだ。たぶん、エイジとまともに目を合わせて会話したの
が今日で9年ぶりとなる。しかも紙袋を被ってもらって、やっとだ。
そうやって傷口を隠してもらわないと、拒絶反応が起こる。
﹁そうだな。確かに色々と人としてまずいところはあるかもしれね
ぇけど、アイツだっていいところあるんだぜ﹂
例えば、
﹁意外と気が利くんだ。飯が足りなくて腹が減った時には、ほうれ
ん草をくれるし﹂
馬鹿め、それは嫌いな物をおしつけただけだ。
﹁後、率先して前に出てくれるから割と安心してつっこめる﹂
単純に一番足が速いから自然とそうなるだけだ。
﹁しかも、その時きちんと後ろも見てるんだよな。だから面倒見も
いいと思う﹂
まあ、一応指揮任されてるから後ろがどうなっているのかとか、
指示飛ばす為にも後ろを見る必要があるから。
﹁ついでに、あいつのいいところとしては差別しないんだ。男だろ
うが女だろうが、新人類だろうが旧人類だろうがあくまで個人だけ
見てくれる﹂
657
あまり意識したことないけど、そう見られているのかもしれない。
スバルとの付き合いもあるし。
﹁でも、一番いい所は誰かの為に身体を張れることだな﹂
︱︱︱︱本当にそうだろうか。
エリーゼやマサキに言われたことがある。
君は他人の痛みがわかる、優しい子だと。
今なら、そんなことはないと言い返せる。だってそうだろう、お
前たちが死んだとき泣けなかったんだから。
それに、他人の痛みがわかるのなら、同時にその解決法も気付く
筈ではないのか。
自分はまだ分からない。土下座をして、許してくれと言えばいい
のか。それとも、何時か見た極道映画のように腹を切って詫びれば
いいのか。
彼らは気にしていないのかもしれない。
だがここに、自分のしでかしたことに対して一番罪悪感を抱いて
きた男がいるのだ。しかも抱えている悩みは、爆発寸前である。
﹁奴は旧人類のガキを助けるくらいの甲斐性がある﹂
やめろ。俺はそんな立派なもんじゃない。
ただ、マサキの世話になったからせめて何かしてやろうと思った
だけだ。それに直接的な原因は、別にある。
﹁そうせざるをえなくなっただけでは?﹂
白い女の言う通りだ。どちらかといえば、後戻りできなくなって
しまった感じが強い気がする。
確かにあの家族と、ド田舎は好きだった。それを荒らしたマシュ
658
ラを許せないと思った。その彼を殺してしまった勢いで、スバルを
引き取っただけなのだ。そう言われても、否定はしない。
﹁そうだとしても、それでもいいさ﹂
エイジが笑った。
壁越しで彼の表情は見えない筈なのに、明るい声が聞こえただけ
でその表情がイメージできてしまう。
﹁人間は誰にだって良い所と悪い所がある。お前らだってそうだし、
散々持ち上げられてきたあの野郎だって一緒だ﹂
だから、
﹁もし、俺が感じる長所が全部間違いだとしたら、その時はまた良
い所を探せばいい。んでもって、悪い所も全部ひっくるめてアイツ
なんだって納得するよ﹂
頭を抱えた。
理解に苦しむ。何故ここまでするのだ。自分はそこまで信じても
らうような価値がある人間ではない。
むしろ、彼らに対して酷い事をしてきた。挙げていけばキリがな
いが、そんな奴と無理をしてつるもうとする必要はない筈だ。
﹁納得できるのか。奴は貴様が求めるような質のいい人間ではなく、
某が求める物怪かも分からんぞ﹂
﹁友達に質もクソもあるかい?﹂
その言葉で、カイトは崩壊した。
俯き、両目から熱い何かがこぼれ始めてくる。
659
なんで、まだ友達だっていうんだ。
俺はお前たちにあんなにひどい事をしてきたじゃないか。
どうして非難しないで、そうも肯定してくる。
﹁9年前、俺は危うくアイツに殺されかけた。でもそれはもう終わ
ったことだ。俺は今では元気でぴんぴんしてるし、あいつもここに
いる。不幸な事故だと思って、納得するしかない﹂
﹁なぜ、そうも奴に肩入れする﹂
﹁昔、アイツにでっかい貸しを作っちまったからだ﹂
その貸しは、彼らXXXにとって一生をかけても償えない大きな
ものだった。
自分たちの痛みをすべて引き受けてくれた彼の為に、何かが出来
ないかと一生懸命考えた。
そして決めたのだ。
﹁俺達がそんなアイツの為にできることと言ったらよ。アイツが寂
しくないように最後まで信じてやる事だけなんだ﹂
﹁まあ、これが最後かもしれないけどさ﹂
いろいろと回り道はしてしまった。
だが、これが今の二人の戦う理由だ。
全く、馬鹿だ。
9年前よりももっと昔のことを、ここで出してくるか普通。
しかも彼らが言う﹃貸し﹄は、自分が一番適任だと思った結果だ。
特に気にしてない。
気にしてはいないが、しかし。そんな彼らの信頼に対し、自分は
なにかしてやれただろうか。
660
いや、その考えも今となってはおこがましいかもしれない。
そう思うのであれば、どうすればいいのか。
もう分からないなんて言って、有耶無耶にはできない。例えそれ
が間違っていたとしても、自分が正しいと思う事をやるしかないの
だ。
少なくとも、彼らは考え抜いてその結論に達した。
今度は自分の番だ。ただ能力に恵まれただけで、彼らの信頼を勝
ち取った自分が、何かをしてあげたい。
もう後悔なんてしたくはないから。
目元を拭い、腰を上げるとカイトは一歩前に踏み出した。
661
第47話 vsはじめての土下座
ビルの陰からカイトがゆっくりと姿を現す。
それを見て即座に反応するのは、彼を真正面で視認するシデンだ
った。
﹁か、カイちゃん!?﹂
﹁何!?﹂
彼の背後でシャオランと睨めっこしてたエイジも、思わず振り向
く。
いた。少し前に、肩を思いっきり叩いたチームメイトがそこにい
る。同時にエイジは気づく。今、自分は紙袋を被っていないのだ。
彼が異様に自分の顔を恐れていることは知っている。正確に言え
ば、幼いころにつけられた傷が原因なのだが、いずれにせよ顔を合
わせただけで気まずいリアクションを取ってくるのだ。隠すに越し
たことはないだろう。
ところが、そんなエイジを目視してもカイトは涼しい表情をして
いるように見える。
﹁貴様、何をしに来た﹂
イゾウが言う。
彼は旧人類の少年も含めてサイキネルが担当することになった。
それに不満がないとは言わないが、それを投げ出してまで此処に来
た理由が彼には見当がつかなかった。
﹁⋮⋮精算かな﹂
662
﹁なに?﹂
簡潔に紡がれた言葉に、イゾウが目を丸くする。
﹁9年前、俺は知らないうちにでっかい貸しを作った﹂
どことなくデジャブを感じる台詞だ。だが、今の気持ちを表現す
るなら、これが簡潔だった。
﹁俺はそれからずっと目を背けてきた。やれ最強の人間だ、物怪だ
ともてはやらされても、その陰でずっとこいつ等に怯えてたんだ﹂
そう、怯えていたのだ。姿の見えない敵を抱えたまま、カイトは
ずっとソレに怯え続けていた。
9年間もである。何年か空白の年月があったとはいえ、その間ず
っと彼らを避け、時としては傷つけて突き放した。
それを自覚した瞬間、あまりの情けなさに惨めになった。
﹁でも、逃げるのは今日で終わりだ﹂
カイトが顔を向ける。
未だに呆けるままのチームメイト二人と目が合った。親友の顔に
付いた傷が、カイトに叫ぶ。
お前のせいだ、と。
カイトは、それから目を背けなかった。
今もまだ怖くないかと言われたら、自信をもってYESとは言え
ない。現に少し汗が流れている。
しかし、それに対して何かしらの行動を起こさないと、もう彼ら
663
と向き合えないのも事実だった。
それゆえに、カイトは口を開く。
﹁ごめん!﹂
短いが、よく響く声だった。
彼は肩を震わせながらも、続ける。
﹁ずっと意地張ってた! 本当は嫌われたと、俺が思い込んでた!﹂
膝をつき、敵の前で頭を下げた。
詫びの代名詞、土下座である。カイトはそれを行うのは始めてだ
った。
これが正しい謝罪なのかはわからない。
だが、彼らに対する申し訳なさを思えば、同じ視線で物を喋れな
かった。
﹁ふざ、け︱︱︱︱﹂
そんなカイトに敵意のまなざしを送るのはイゾウだ。
﹁ふざけるな!﹂
自身の奥に渦巻く感情が、許せないと叫ぶ。
彼はカイトを人一倍買っていたのだ。あくまで勝手な期待を押し
付けていただけなのだが、その期待を裏切られたのである。
自分の崇拝していた何かを汚された気がして、怒りが収まらない。
﹁獣よ、貴様は人の痛みなぞ知らぬ筈だ!﹂
664
それなのに、その行為はなんだ。
なぜ悔い改めるように、頭を下げる。それでは物怪ではなくなっ
てしまう。
イゾウの心の叫びを聞いたカイトは、彼には答えない。
青年が続けた言葉の向かう先は、苛立ちをぶつけていた二人に向
けられていた。
﹁すまない。本当に、すまなかった。許してくれ﹂
顔を上げる気配は全くない。
今にも切り掛かってきそうなイゾウを前にしても尚、カイトは土
下座の姿勢を解かなかった。
一方、許しを請われた二人はただ目を丸くするばかりだった。
思わず二人して顔を見合わせる。
﹁えっと⋮⋮﹂
突然の土下座は、彼らを困惑させるには十分すぎる破壊力を秘め
ていた。
あの神鷹カイトである。いかなる時も己の道を突っ走り、比較的
傍若無人に生きてきたこの男が、土下座をしたのだ。
そして、これまでの非礼を許してくれと言った。そりゃあ唖然も
する。なにせシルヴェリア姉妹の件でも、結局最後まで謝らなかっ
た男だ。
﹁ど、どう思う?﹂
﹁どうってお前⋮⋮そりゃ、あれだ﹂
665
かなりきょどっている。
そんな中、もっとも被害を被ったであろうエイジは口を開いた。
﹁﹃せーい﹄が通じたんだ。多分﹂
かなりのタイムラグがあった気がする。
しかし形はどうあれ、きっと彼にそれが伝ったのだろう。9年の
月日は長かった。気が遠くなるくらい長かった。その間にエイジは
カツ丼を作るようになり、シデンはアキハバラの女帝と呼ばれるよ
うになっていたり、カイトはド田舎のパン屋で眠気と戦いながら車
の運転をしていた。
お互いの知らない一面を持つようになり、それでも尚手を取り合
える。
まったく、人生ってのはなにがあるのか分からない。
孤児として新人類王国に引き取られ、XXXとして様々な苦行を
受けた時は運命に恨み言も呟いた。
だがこの時は、ウェルカム運命。
この素晴らしい再会と、仲直りの前兆に是非とも乾杯したい。
﹃せーい﹄という言葉を教えてくれた、スバル少年には感謝する
べきだろう。きっと彼が根回ししてくれたのだ。
﹁あれ?﹂
だが、そこでエイジは気づく。
スバル少年が居ない。その事実を確認した後、アキハバラの街を
見渡した。天動神の口から放たれるビームを、必死に避ける獄翼の
姿がある。
666
﹁お、おい!﹂
ここで状況に気付いたエイジが、カイトに声をかける。
﹁あいつは!? お前、あいつを置き去りにしてきたのか!?﹂
﹁え!?﹂
シデンも気付いたらしい。
彼の隣にいたスバル少年は、今まさに獄翼に乗って一人でサイキ
ネルと戦っているのだ。彼も途中まで搭乗していた筈だが、そこか
ら抜け出してわざわざここに来たと言うのか。
﹁大丈夫だ﹂
だがどこか非難するような問いかけを前にして、カイトは動揺も
無く答える。
﹁アイツが大丈夫だと言った。俺はそれを信じた。それだけだ﹂
﹁いや、それだけだって⋮⋮﹂
土下座の姿勢のまま、随分簡単に纏めてきた。
だが、カイトにとってこれ以上の答えはないのだ。
﹁でも、もしも許してくれるなら恥を承知で頼みがある﹂
頭を押し付けたまま、カイトは言う。
﹁アイツを、助けてやってくれ﹂
持たせると、スバルは言った。
667
その言葉に嘘はない。現に今、この瞬間にも彼は立派に生き残っ
ている。
だが、それも長くは続かないだろう。電磁シールドを失い、刀し
か天動神と渡り合う武装がない獄翼では、いつかやられる。
早く戻って、誰かが助けてやる必要があった。
Xを使おうものなら、今度こそ獄翼を壊しかねない。それ
その役目は自分でもいいだろう。しかし、自分がこれ以上SYS
TEM
は避けなければならなかった。
なぜならば、
﹁アイツも友達なんだ﹂
彼には、大分助けられた。
本人は否定するかもしれないが、シンジュクにおけるゲイザー戦
やエレノア戦、果てにはシルヴェリア姉妹とのいざこざまで、彼が
いたからこそ上手くいっている。
それを気にしないカイトでもないのだ。
﹁助けてやりたいって、本気で思う。もう迷わない﹂
思えば、本心で彼らと話すのも久しぶりだ。
だからこそ、自然とカイトの言葉にも力が入る。
﹁力を貸してくれ。頼む⋮⋮﹂
断られる可能性があるのは、十分承知だ。ソレに対して文句を言
うつもりもない。彼らはここに駆けつけてくれただけで、十分貸し
を返してくれている。
668
だが、答えは思いの外あっさりと帰ってきた。
﹁いいぜ﹂
﹁後ろに同じく﹂
二つの足音が、こちらに近づく。
イゾウ
イゾウの横を通り過ぎ、エイジとシデンはカイトの真横に立った。
道中にいる敵なぞ、目もくれていない。
﹁⋮⋮頼んできたって事は、ボク達はスバル君をまっすぐ助けに行
けばいいんだよね﹂
﹁ああ﹂
シデンの声が隣で聞こえたのを意識すると、カイトは立ち上がる。
そこでようやく、彼はチームメイトの顔をまともに見る事ができ
た。実に9年振りである。
﹁⋮⋮なんだ﹂
やっと気づいた。六道シデンは、6年間と比べて顔が全然変わっ
ていない。本当に22歳か、こいつ。
そして御柳エイジの傷は、殆ど塞がっていた。昔は包帯で完全に
隠れていた目が、こちらをじっと見つめている。
﹁目、大丈夫なのか﹂
﹁おう﹂
罪の痕跡は、何も言ってはこない。
許してくれたのか。それとも最初から気にしていなかったのか。
もしかすると、まだ許してくれていないのかもしれない。
669
だが、例えそのいずれかであったとしても構わない。
もう迷わないと、後悔しないと決めたのだ。今度こそブレないで、
最後まで戦い抜いてみせる。
誰かの意思ではなく、自分の望むままに。
﹁今まで迷惑をかけた分、俺がこいつ等を倒す﹂
ぼそりと呟いた言葉に、イゾウとシャオランの二人が反応する。
なにを言ってるんだ、コイツというような表情だ。
﹁任せていいんだね?﹂
﹁ああ﹂
﹁じゃあ、また後でな﹂
エイジとシデンがそれぞれ片手を上げる。
それを見たカイトは、無言で両手を胸の位置にあげた。
﹁えい!﹂
﹁おら!﹂
直後、二人は思いっきりその手を叩いてきた。
ハイタッチならぬ、ロータッチである。思いの外強く叩かれ、ち
ょっと手がひりひりした。
﹁じゃあ行ってくるね!﹂
﹁負けるんじゃねぇぞ馬鹿!﹂
思いっきり叩き終わった後、二人は疾走。
獄翼の下へと向かい始める。
670
﹁⋮⋮⋮⋮誰に物言ってやがる﹂
叩かれた両手に視線を落とす。
じんわりと痛むその感触が、なぜだかとても嬉しく感じる。
﹁俺が勝たなきゃ、誰が勝つっていうんだ﹂
自信に溢れた表情が、牙を剥いた。
カイトは笑みを浮かべながら、イゾウとシャオランを視界に入れ
る。
﹁貴様でも笑うか、物怪﹂
﹁ターゲット、XXX神鷹カイト﹂
彼ら二人は元々、カイトが目的でここにきた戦士だ。
それゆえに、この状況は望むところではある。望むところなのだ
が、直前の茶番が楽しみを汚していた。
﹁失望したぞ。貴様は孤高に生きる野獣などではなく、他者と寄り
添わなければ生きられない軟弱者だ﹂
イゾウが蔑むような視線を向ける。
が、カイトは笑みを崩さなかった。
﹁そうだな﹂
かつてないほど活き活きとした口調だと、自分で思う。
サイキネルの変貌を見て、思わず呆然としていたが案外自分も人
の事は言えないかもしれない。傍から見れば多分、気持ち悪いくら
い笑っているんだろう。
671
﹁でも、それっていけないことか?﹂
不思議と、身体が軽い。
XXXに所属していた時でも、ヒメヅルで働いていた時でも、こ
んな体中から力が漲ってくることがあっただろうか。
﹁牙が抜けた野獣など、敵ではない﹂
もっともなことをイゾウが言う。
だがカイトは思う。例え牙がなくても︱︱︱︱少なくとも今だけ
レイ
は、自分は無敵だ。なにが来たとしても、負ける気がしない。
﹁お前が俺を壊すのか?﹂
﹁容易い﹂
心にもない問いを投げると、イゾウが刀を向ける。
既に片腕を失い、身体中血塗れだというのに元気な事だ。少し前
の自分ならば、倒すのに時間がかかっていたかも分からない。
﹁悪いが、今日の俺は負ける気がしない﹂
ゆえに、
﹁1発だ﹂
勝ちに行った。
イゾウ目掛けてカイトが疾走する。
672
月村イゾウの世界から、カイトが消えた。
文字通り、姿形が視界の中から消え去ったのである。だが、別段
それに驚きはしない。彼は今まで、そうやって視認不可の超スピー
ドで敵を葬ってきたのだ。
だが、そんな彼を捉える方法がある。
それは殺気を素早く感じ取る事だ。
相手を殺す気でかかってくる以上、嫌でも殺気と言うのは飛んで
くるものだ。それはイゾウもそうだし、シャオランだってそうだ。
誰だって殺意を抱いて武器を向けると、自然とその殺意も相手に向
かうのである。
ところが、ここでイゾウは予想だにしない物を感じていた。
﹁なんだ?﹂
風が吹いた。
それは台風のような破壊をお供にする災害ではなく。
かと言って、アスファルトを抉る鋭利な旋風でもなかった。
暖かな春風が、撫でるようにイゾウを包み込む。
心地いい温もりがイゾウを眠気へと誘う。少しでも気を緩めれば、
その瞬間に身体を大の字にして眠ってしまいそうなほど、それは心
地良かった。
﹁これは︱︱︱︱﹂
673
戦いの場にはあまりに場違いな風に、イゾウが困惑する。
なぜならば、敵が放っている筈である殺気を全く感じないからだ。
自分をどこかに連れて去ってしまいそうな心地良さ。それがこの
仕合いに不気味な静寂をもたらしていた。
直後、イゾウの身体に変化が起きる。
刀を握っている右手が、一瞬にして削ぎ取られていたのだ。
その痛みを感じたと同時、腕から広がっていくかのようにして全
身に痛みが伝染していく。
斬られた。
痛みの正体を理解したと同時、イゾウは思う。
今のはなんだ、と。
今まで幾つもの﹃物怪﹄を切り捨ててきた。常に生と死の狭間に
身を置いて来たゆえに、殺意のぶつけ合いには慣れていた。
その衝突には、一種の哲学を見出している始末である。
そんな自分が、攻撃に全く気付けなかった。
﹁そうか、理解したぞ⋮⋮!﹂
イゾウの身体が宙に浮く。
全身を刻み込まれ、肉と言う肉を削ぎ落されて殆ど骨が丸見えに
なっている赤い塊が、不気味に笑う。
︱︱︱︱汝は、物怪を超えた更なる強者であったか。
自分が求めていた、その先にあるもの。まさかここまでの境地に
674
達することができる者がいるとは、まったく驚きだ。
叶う事ならば、今度はコレを切り捨ててみたいものである。
全身血塗れになったイゾウは、意識を闇に飲まれつつも、笑い続
けた。
飽くなき強敵への欲求が、彼の喉を乾かし続けた。
675
第48話 vsハングリーガール
新人類王国が誇る喋る黒猫、ミスター・コメット。
その正体は40代のおっさんで、趣味はパチンコと競馬との噂が
あるが真相は定かではない。
そんな彼は今、アキハバラの隅っこで震えていた。
今回連れてきた戦士の一人︵今は囚人なのだが︶、月村イゾウが
あっさりと目の前で血祭りにあげられていたからだ。
イゾウは直前、ボロボロになりながらも元XXXの六道シデンと
渡り合っている。
サシ
その戦いぶりは、決して見劣りする物ではなかった筈だ。寧ろ勝
てる予感さえした。直接対決での勝負に関して言えば、イゾウは王
国内でもかなり高い成績の持ち主なのである。
だが、しかし。
同じXXXのカイトにより、彼は呆気なく吹っ飛ばされ、赤い塊
となってアスファルトに叩きつけられた。
僅かに呼吸音が聞こえる事から死んではいないようだが、それで
もこれ以上戦うのは誰がどう見ても無理だろう。
﹁ゴミネコ、いるんだろ﹂
カイトがコメットに呼びかける。
﹁とっとと回収して帰れ。そして二度と関わるな。でなければ、お
前も全身の皮をひん剥かれることになる﹂
赤く染まった右手を掲げ、言う。
676
それを見たコメットは、思わず頭を抱えて身を隠した。明らかに
1週間前と違う。エレノア戦で見せた暴風は一切纏わない、見た事
も無い疾走だった。
あんなものまで見せられ、しかもイゾウすら殆ど瞬殺なのだ。さ
わらぬ神に祟りなしというが、今目の前にいる魔人がそれに当ては
まるのかもしれない。
だが、びびりまくりのコメットに対して優しく語りかける女の声
が響いた。
﹁お気になさらず﹂
シャオランだ。彼女はどこから取り出したのか、赤い折り紙を3
枚握ってカイトの目の前に佇んでいる。
﹁私、勝ちますから﹂
﹁へぇ﹂
妙に自信満々なその態度に、カイトが僅かに口元を歪ませる。
﹁お前が俺を壊すのか?﹂
﹁いえ﹂
首を横に振ると、彼女は宣言する。
﹁満たさせていただきます﹂
直後、3枚の折り紙を口に投げ込んだ。
それを歯で刻み込み、舌で丸めてからよく味わうようにして飲み
込む。
677
﹁ヤギかコイツ﹂
カイトも思わずそんなコメントを残す始末である。
だが丸まった紙の塊がシャオランの喉を通った瞬間、カイトはあ
る新人類を思い出していた。
メラニーである。シンジュクの大使館で戦った彼女は、折り紙の
色ごとに様々な超常現象を巻き起こす兵だった。
もしもあの赤い折り紙が、その紙と同じ物だとすれば。
﹁⋮⋮んぐ﹂
シャオランの視界に映る無数の電子文字が加速する。
次々と横に流れて表示されるそれは、さながらジェットコースタ
ーのようだ。それだけ彼女の演算処理が加速されていることを意味
している。普通なら高熱に耐えきれず、オーバーヒートしそうだが、
それも赤い折り紙のお陰でなんとかもっているような物だ。
﹁リミッター解除﹂
シャオランに飲み込まれた赤い折り紙が、胃袋の中で輝き始める。
それに呼応するかのようにして、シャオランの身体もまた赤く輝
き始めた。何時か見た、大使館のバトルロイド達と同じ、フルパワ
ーモードである。
﹁⋮⋮そういえばあったな、こんなのも﹂
赤いオーラを撒き散らしながらも広がる翼と、爛々と輝く目線を
受けながらカイトは思う。
ちょっと面倒くさそうだな、と。
678
﹁ゴミネコ。廃棄物一つ追加してやる。丁寧にゴミ分別するんだな﹂
ちょっと皮肉を込めて言ってみる。
が、シャオランは特に気にしていない様子で身体の感触を確かめ
ていた。
軽く拳を握り、力加減を確認する。
﹁問題なし﹂
その他にも、視界にリミッター解除による不安要素が次々とテキ
ストになって帰ってくる。その殆どは問題なしの解だったが、唯一
問題があるのは、
﹃空腹の危険性、確定﹄
警告されるかのように告げられたその文字に対し、シャオランは
答えた。
﹁問題なし﹂
機械の目玉がゆっくりとカイトを捉える。
直後、彼女は動いた。翼を広げ、豪風を撒き散らしつつも突撃す
る。
﹁!﹂
強風がカイトを襲う。
大地を抉りながら突撃してくるその様は、さながらドリルである。
シャオランは破壊をお供に突撃しながらも、右腕を剣に構成した。
カイトとの距離が詰まる。
679
剣が振り降ろされた。
カイト目指して振り下ろされたソレは、空を切り裂くと同時、彼
の背後に備え付けられていた自動販売機を剣圧で押しつぶす。
だが肝心のカイトは、それを紙一重のタイミングで回避。
右腕を振り降ろしたシャオランの横に軽くステップを踏んで近づ
き、爪を伸ばす。
﹁弾けて︵バースト︶﹂
刻み込まれようとしたその瞬間、赤く発行した翼に異変が起こる。
その付け根から生える羽の1枚1枚が、弾け飛んだのだ。羽毛が
飛び散り、カイトの視界を覆う。
﹁そんな目くらましで!﹂
﹁それだけで、こんな真似はしません﹂
こちらに飛び散ってきた羽ごとシャオランの皮膚を刈り取らんと
していたカイトが、目を見開く。
羽が一斉にこちらに飛んできたのだ。しかも周囲全体に散らばっ
ていた筈の羽、全てである。
﹁これは﹂
赤く輝くそれが、鋭利な光を帯びているのが見える。
例えて言えば、それらは一つ一つが鋭利なナイフだった。しかも
こちらを追尾してきている。
﹁くそ!﹂
伸ばした爪が、羽の処理に向かう。
680
激しい金属音を鳴らしつつも、50枚近くの空飛ぶ刃が次々と捌
かれ、地に落ちる。
ロック
﹁捕捉﹂
﹁!﹂
だがそんな事をしている間に、シャオランの左腕から構成された
銃口がこちらを向いていた。赤い光が銃口に集っている。カイトは
この時知らなかったが、エイジと戦っていた時よりもチャージ時間
は短くなっていた。
﹁発射﹂
銃口から赤く輝くシャワーが放たれる。
先程まで戦っていたサイキネルのサイキック・バズーカと若干デ
ジャブを感じる光景だ。
﹁⋮⋮んにゃろう﹂
やや舌を上げつつ呟くと同時、カイトは突撃する。
逃げる気など、さらさらなかった。ただ彼がとった選択肢は、再
生能力に物を言わせた突撃である。広範囲に広がる破壊のシャワー
を躱すのは難しいと判断しての行動だった。
﹁︱︱︱︱っ!﹂
赤い閃光が肩を貫く。
痛みと共に熱を感じながらも、カイトは前進した。そうする間に
も、足を貫かれ、腕を焼かれ、頬に焦げ跡が入っていく。
だが、急所さえ無事ならカイトは死なない。そういう恵まれた身
681
体構造を活かし、我慢しながらも彼の足は前へと進んでいった。
﹁しつこい﹂
中々倒れないカイトに痺れを切らしたシャオランが、短く呟く。
それと同時、アスファルトに散らばっていた羽が再び動き始める。
﹁!?﹂
背後から空気を切り裂く気配がする。
それを察した時、カイトの足は既に穴が開いていた。まともな回
避行動ができない。
背後から羽が突き刺さる。
50枚もの刃が右腕に集中攻撃を仕掛けてたのだ。一瞬にしてで
きあがった腕の剣山を前にして、カイトは苦悶の表情を浮かべる。
﹁⋮⋮悲鳴をあげないのが、貴方の流儀?﹂
左腕のエネルギー砲が止む。
チャージ分を放射し終え、その分の攻撃を受け切ったカイトをど
こか呆れたような表情で見る。
﹁痛い痛いと騒いだところで、どうしようもないだろ﹂
羽がカイトの肉体に深く入り込む。
激痛を感じつつも、カイトは悲鳴をあげる事は無かった。しかし、
身体の方はエネルギー砲を浴びたのもあり、相当堪えている。
彼を支える足は、膝からゆっくりと崩れ落ちていた。突き刺さっ
た羽が、彼を押し倒すように前進してくる。
682
﹁凄いですね﹂
恐らく、彼が感じている痛みは想像を絶する物の筈だ。
だが、身体が崩れ落ちても悲鳴を上げないその精神は、感銘に値
する。
シャオランはこの時、素直にこの相手が凄い奴なんだと思った。
身体がそれに敬意を表し、拍手を送る。
﹁⋮⋮嬉しくは、ないな﹂
足に空いた穴が徐々に塞がっていく。
だが、それでもカイトの膝は立ち上がらない。それどころか、こ
こにきて一番懸念していた事態が起こっていた。
シャオランの姿がブレ始めたのである。
1週間前、シンジュクでゲイザーの黒い眼差しを受け、そのまま
受け取ってしまった病気だった。
戦いの直前に飲んできた風邪薬は、優しさの効力で1時間くらい
カイトの身体を守ってくれたのである。これは素直に感謝したい。
だが、いかんせんタイミングが悪い。
何故よりにもよって状況が宜しくない時に限ってこうなるのかと、
訴えたい気持ちになった。しかもより悪い事に、相手は視界を遮る
技︵武装︶を持っている。羽然り、腕から放たれるエネルギー砲然
りだ。
それで姿をくらまされてみろ。この視界の悪さで相手を発見でき
るかどうか、怪しい物だ。
683
﹁どうかしましたか?﹂
カイトの異変を察知したのか、シャオランが問いかける。
勘付かれまいとカイトは足を整えるが、
﹁無駄です﹂
腕に突き刺さった羽がカイトを押さえつける。
まるで後ろから抑え込まれるかのようにして圧し掛かってくる力
が、小さな羽から伝わってきているとはとても思えない。塵も積も
れば山となるというが、僅か50枚近くの羽だけでここまで押し出
されるものなのか。
﹁捕まえました﹂
カイトがアスファルトに磔にされる。
否、正確に言えば右腕が縫い付けられたのだ。何度も引き抜こう
と力を入れるが、びくともしない。寧ろ出血が激しくなるだけだ。
これはちょっとやばい。
やや焦りの表情を見せ、カイトは縫い付けられた右腕を引き剥が
そうと奮闘する。
だがそんな彼を嘲笑うかのようにして、シャオランは再び剣を向
けた。
赤いオーラを纏った風が、カイトの頬を伝う。
﹁くっそ!﹂
本来なら避けたいところだ。
先程、剣圧で後ろに設置されていた自販機が破壊されている。そ
684
んな一撃をまともに受ければどうなるか、想像するに容易い。
一瞬にしてカイト産のトマトジュースができあがるのがオチだ。
左手の爪を伸ばす。
するとカイトは、躊躇うことなく己の右肩にそれを突き刺した。
﹁︱︱︱︱っ!﹂
嘗てない痛みが襲い掛かる。
電流のように流れてくる痛みと、吹き出す熱に耐えながらもカイ
トは肩と腕を接合する骨を断ち、そして腕を切り取った。
﹁!﹂
自由になったカイトが転がり、シャオランの一撃を避ける。
振り降ろされた一撃が大地を切り裂き、その先にあるビルを切断
した。倒壊音と同時に、砕けたコンクリートによる粉塵が巻き起こ
る。
間一髪だった。だがその代償は、あまりに大きい。
﹁ぐっ⋮⋮くっ⋮⋮!﹂
右肩の切断面から、鮮血が滝のように流れ落ちる。
少しでも出血を抑える為に左手で覆うが、それでも溢れ出るのが
現状だ。
﹁アタック、不発﹂
シャオランが切り落された右手に視線を向ける。
それを縫い付けている羽が即座に離れ、彼女の背中へと戻って行
685
った。
翼が再び構成されたシャオランがズタズタになった右手を摘み、
持ち上げる。
﹁⋮⋮くっつくんですか、これ﹂
﹁さあ、試したことないから﹂
こうしている間にも血は止まり、切断面が塞がろうとしていた。
恵まれた身体の構造をしているとは今日改めて思ったが、果たし
て再生しきった後、切断した腕が結合するかは不明なのだ。それを
試す為にも、彼女には腕を返してもらいたいわけなのだが、
﹁⋮⋮⋮⋮﹂
当のシャオランは興味深げに腕をぶら下げ、まじまじと見物して
いる。
そんな面白い物でもないだろう、と言いたい。
だが彼女は、そんなカイトの思考など知るかとでも言わんばかり
にそれを口元へと運んだ。
そして舌を出し、羽によって流れた血液を舐めとる。
﹁︱︱︱︱!﹂
シャオランの肢体が痙攣した。
相当な衝撃を受けたようで、彼女の顔は天を仰ぎ、心なしか恍惚
とした表情を浮かばせている。
その光景を見たカイトは思う。ああ、これはまずい奴だ、と。
イゾウも相当にまずい奴だった。サイキネルも中々の変人で、結
構まずい奴だったと記憶している。
686
だがこのシャオラン・ソル・エリシャルは、その二人が霞むよう
な﹃まずい奴﹄だと、カイトは直感的に理解していた。少なくとも、
彼はこの時右腕の奪還を諦めている。
どこか引きつった表情を見せたカイトを余所に、シャオランは再
び右腕を口元へと寄せた。
そして、なぜか緊張しながらも口を開く。
﹁い、いただきます﹂
血を舐めとった時点で、ある程度予測は立てていた。まさか食う
んじゃないだろうな、と。
まさかとは思ったが、しかしカイトの悪い予想は見事に的中して
しまったのである。
食べ始めた。
まるでフライドチキンに齧り付くかのようにして歯で皮を削ぎ、
肉を胃に流し込み、そして骨になるまで残さず貪る。
﹁うげ⋮⋮﹂
その光景を目の当たりにしたカイトは、絶句していた。
映像で肉食動物が草食動物を捕え、貪るのを見たことはある。
そして実際に目の当たりにしたこともある。
だが、自分の腕が目の前で食べられているという事実に対して、
カイトは寒気を感じた。
否、感じる他無い。
冷や汗を流しつつも、カイトは数歩後ずさった。
687
この時彼が冷静であれば、好機と捉えて一気に攻撃を仕掛けにい
っただろう。
しかしそれができない。
足がすくみ、喉が詰まる緊張感を味わいながらも視線を逸らすこ
とができない。
それを加速させたのは、貪る度にどんどん嬉々としていくシャオ
ランの表情の変化だった。
猛烈に嫌な予感が加速する。
最後の指の先まで食べつくし、骨と爪を吐き捨てて口の周りが血
まみれになったシャオランはこちらに再び視線を向け、呟いた。
﹁ごちそうさま﹂
ご丁寧な事に手を合わせ、食物への感謝の意を口にする。
﹁貴方は、久々の美味でした﹂
爛々と輝いた瞳を向け、シャオランがこちらを見る。
まるで欲しい物を見つけた子供の様に無邪気に笑いながら、彼女
は口の周りについた血を舌で舐めとった。
﹁今度はどこを食べようかなぁ。頭かな? 足かな? それとも残
った腕かな?﹂
機械的で、どこか礼儀のなっていた口調が完全に変貌した。恐ろ
しい事を呟きつつも、笑みを絶やさないのが非常に不気味である。
サイキネルと言い、どうにも性格が掴めない。
688
﹁⋮⋮負けたら、食われるわけか﹂
カイトは思う。
アクションゲームなんかでは無敵モードは、長くても数分したら
切れるもんである。だが自分の場合、イゾウ1人を倒した時点で終
了するのか、と。幾らなんでも燃費が悪いんじゃないだろうか。
というか、気のせいでなければ相手も無敵モードに突入している
気がする。自分と言う極上の餌を貪り、再びそれを食う為に身体中
のエネルギーが活性化しているようにも見えた。
﹁冗談じゃない!﹂
食われてたまるか。
これが罪だと言うのなら、まあ仕方がない。過ぎた事だし、甘ん
じて受け入れよう。だが謝ったばかりで食われては、カッコがつか
ないと言う話ではない。
そう言い聞かせつつ、カイトは立ち上がる。
﹁お前の胃袋、満たしてたまるか﹂
﹁次は、お口かな?﹂
カイトが一歩踏み込む。
同時にシャオランの羽も広がり、加速。
アキハバラの街に、衝突音が響いた。
689
第49話 vs六道シデン
﹁カノン、あれから何分経った!?﹂
﹃そろそろ15分です﹄
コックピットを振動が襲う。
今日幾度目かの揺れを懸命に耐えながらも、スバルは天動神から
放たれる無数の光線をやり過ごしていた。
ただ、その有様はカイトを見送った時と比べて明らかにひどい。
獄翼自体はそこまでダメージはないが︵というか、直撃を受けた
ら多分一撃で沈む︶、スバル本人にかかる負担が激しいのだ。
全身汗まみれで、息も絶え絶えである。今にも熱中症で倒れてし
まうのではないかと思えるほど、彼は真っ赤だった。
そんなスバルがここまで戦えているのは、一重に会話相手の存在
が大きい。
﹁戻ってくるとして、どんくらいかかると思う!?﹂
﹃リーダーがもたもたしなければ、もうすぐ帰ってくるかと﹄
﹁じゃあ、もたついてたら!?﹂
﹃え、えーっと⋮⋮恐らく、1時間﹄
﹁野球中継より短けりゃ、まだマシだ!﹂
15分間。通信に出てからそろそろ20分くらいは経つが、その
間声でフォローしてくれているカノンには感謝しなければならない
だろう。
多分、1人でずっとやりあっていたら今頃病気になっていると思
う。ゲームしかやってこなかった少年が、1週間程度のサバイバル
で無尽蔵のスタミナなんぞ手に入る訳がないのだ。
690
﹃なんとか攻撃が出来ればいいのですが﹄
﹁あの弾幕じゃあ、突っ込めねぇよ!﹂
スバルの神経を削っている要因の一つが、これである。
天動神に空いている穴と言う穴から無数に飛び出してくる閃光が、
接近戦しか取柄の無い獄翼を牽制しているのだ。
とはいえ、ダークストーカーから入手した刀があるだけまだマシ
な方だ。
今、獄翼が持つ武装で唯一バリアを破れるのはこの刀だけ。後は
カイトが乗ってくれないと、バリアを展開する相手はどうしようも
ない。
﹃ブレイカーズ・オンライン﹄において、スバルはこういう敵へ
の対処法を幾つか所持している。だが、それはいずれも無敵時間と
硬直時間に物を言わせた、ゴリ押しである。
天動神は光線を放った後、続けて別の光線が発射される無数の固
定砲台だった。
その中に刀を持って突っ込めと言うのは、少々分が悪い。それこ
そ、弾幕の雨嵐を掻い潜れるであろうカイトの足が欲しい所だ。
﹃ふぅーっはっはっは! さっきまでの威勢はどうした、下等人類
!﹄
一方のサイキネルはご機嫌だった。
カイトを逃し、必殺のサイキックバズーカをスバルにやり過ごさ
れた時は地団太を踏みまくっていたものだが、獄翼が近づけずに困
っているのを見ると、この喜びようである。
ご機嫌すぎてセリフが完全に悪役だった。
﹁ちょっとは街の迷惑考えろ、ビーム脳!﹂
691
﹃何を言う。復興するからこそ建設会社は儲かるのだ。言わばこれ
は、破壊と再生による文化の発達。それの支援!﹄
分かってはいたが、言ってることが滅茶苦茶である。
天動神から放たれた破壊の閃光は無差別に降り注ぎ、アキハバラ
の街は甚大な被害を被っていた。
その殆どは赤く染まった空に霧散していったのだが、幾つかのビ
ームは光の雨となって街に襲い掛かったのだ。
勿論、スバルとしてはそれを黙って見ているのは面白くない。
面白くないのだが、しかし。どうしようもない現実があった。
天から降り注いでくる光の矢と、天動神から直接放たれる閃光の
嵐を同時に避けるだけで精一杯なのである。
唯一の防御手段である電磁シールドが破壊されたのも大きい。刀
一本でこれを全て捌けと言うのは、無茶という物だろう。
せめて、隙が欲しい。
天動神の視線を逸らすだけではダメだ。身体全体を、一瞬でいい
から押さえつけれる何かが欲しい。
﹁カノン、ダークストーカーに乗ってここまで応援に来れる?﹂
﹃し、師匠が望むなら24時間で到着します!﹄
﹁ごめん、現実見なかった俺がダメだったね﹂
無茶振りにも対応しようとする弟子の健気さに泣けてくる。
しかし、割と真剣にダークストーカーレベルの応援が欲しい。せ
めて敵の狙いを別方向に定める事が出来れば、まだ戦いようがある
のだが。
と、無い物ねだりを始めたそんな時であった。
692
﹁ちょっと待ったああああああああああああああああああああああ
ああああああああ!﹂
天をつんざくような大声が、アキハバラの赤い空に待ったをかけ
る。
﹃何奴!?﹄
視線を向けるサイキネル。
同時にスバルも、声のする方向にカメラアイを向ける。
御柳エイジだった。彼は何時の間にやら、天動神の真横に位置す
るビルの屋上に佇んでいた。そこはあまりの至近距離で天動神の砲
撃の影響を受けていない場所でもある。
﹁エイジさん!﹂
﹃エイジさん!? エイジさんがいるんですか師匠!﹄
やや興奮気味で食いつくカノン。
そういえば、こいつはエイジとシデンの二人がこの街にいるのを
知らないんだった。友好関係的にはカイトにべったりのイメージだ
ったが、意外なことに思い出すくらいの関係は構築していたらしい。
﹁やいやい、鳥頭! この街の平和を乱す奴は、俺が許さんぜ!﹂
回収したスコップを背中に担ぎ、天動神を指出す。
﹃なんだと! 貴様、偉そうに!﹄
紙袋は紛失し、シャオラン戦を経た結果タイツは所々破けている。
693
傍から見れば完全に不審者なのだが、この状況下では誰もその事
について触れてくれなかった。ゆえに、エイジは己の恰好を一切気
にせず、行動する。
﹁テメェこそデカイ図体して、やることがせこいぜ。男なら、自分
の力で勝負してみな!﹂
言い終えると同時、エイジはダッシュ。
そのまま勢いよく屋上から跳躍し、天動神に頭めがけてスコップ
を叩きつける。
直後、天動神が崩れ落ちた。
文字通り、脳天を叩かれて地面に伏したのである。
﹁えええええええええええええええええええええええええええええ
えええええええええええええ!?﹂
﹃師匠、どうしたんですか!? 何が起こってるんですか師匠! 解説プリーズ!﹄
あまりの光景に、スバルが仰天する。状況を掴めないカノンに至
っては、混乱していた。
なんで生身で、しかもスコップを脳天に叩きつけただけで天動神
のような巨大ロボットの頭をへこませれるというのだ。
﹁スバル君、こっちこっち!﹂
混乱するスバルの元に、再び聞き覚えのある声が届く。
見れば、獄翼のほぼ真下にシデンがいた。
﹁ボクとエイちゃんがサポートに回るよ! 回収できる?﹂
﹁今ならいけるよ! 急いで!﹂
694
ややあってから、獄翼が着地。
コックピットハッチを開くと、シデンはやはりカイト同様、跳躍
して座席に乗り込んできた。ウィンチロープが完全にスバル専用に
なったことを証明した瞬間である。
﹁これ、後ろに座ればいいの?﹂
﹁そう! 後はシデンさんの能力を獄翼にラーニングさせれば、き
っと!﹂
カイト曰く、シデンはXXXの中でも特に異能の力を磨き上げて
きたのだと言う。そんな彼の能力を取り込むことが出来れば、もし
かすると活路を開けるかもしれない。
そして御柳エイジの、あの常識離れしたパワーだ。
流石に彼まで回収する暇はないし、あの原始的な手段が二度と通
用するとは思えないが、それでも他の場所に天動神の視線を移動さ
せてくれるのであれば、かなり状況が優位になる。
﹃シデンさん! お久しぶりです﹄
﹁あれ、もしかしてその声はカノン? 久しぶりぃ、元気してた?﹂
﹁なんで女子会みたいな会話してるの!? 敵が起き上がるから、
早く後部座席について!﹂
スバルが怒鳴る。
かつてない緊張感の無さだ。後部座席に座る人間が変わるだけで
こうも雰囲気が変わるのだろうか。
と、ここでスバルは気づく。そういえば、今まで獄翼の後部座席
を独占していた同居人の姿が見えない。
﹁カイトさんは!?﹂
695
﹁チョンマゲと不気味ちゃんを引き取ってくれてる。ボクらは皆で
協力してアイツ﹂
﹃協力ですか! シデンさんとエイジさんと師匠が協力して、サイ
キネルを倒すんですね!﹄
通信越しの機械音声が、やけに興奮気味だった。
多分今頃、どこかの下水道で鼻息を荒くしてるんだろうなと思う。
﹁エイジさん! シデンさんと合流したよ。タイミングを見計らっ
て回収するから、それまで無茶しない範囲で援護宜しく!﹂
﹁おう、任せとけ!﹂
スピーカーから響くスバルの声を聴き、大地に着地したエイジが
手を振る。その後ろにいる天動神が起き上がると、彼はその巨大な
足を小突いてから走り去っていった。余談だが、その時の一撃で天
動神の足にちょっとしたくぼみができた。
﹁よし、これで!﹂
﹁ねえねえ、ボクはどうすればいいの?﹂
気を引き締めるスバルを余所に、シデンは後部座席に君臨した後、
完全に自由モードになっていた。なんというか、落ち着きがない。
今も身を乗り出し、スバルの横から正面モニターを見ている状態
だ。ちょっといい匂いがするが、邪魔である。
﹁とりあえず、座ってて。後、モニターなら後ろにもタッチパネル
あるでしょ﹂
﹁あ、本当だ﹂
素早く身をひっこめると、シデンは言われた物を発見する。
696
余談だが六道シデン、俗にいうタッチ式の画面の経験が浅い。彼
が持つ携帯は今でもガラケーだし、新人類王国にいた頃はタッチパ
ネルが普及するよりも前の話だ。精々ニンテンドーDSで触ったこ
とがある程度である。
さて、そんな彼だが決して目新しい物への興味が薄い訳ではない。
寧ろお洒落の最先端を常に雑誌で確認するくらいには、流行には
敏感だ。ただ、それを揃える為には金がない。今持っている携帯だ
って、可能であればタブレットにしたいくらいだ。
そんな彼の目の前に、いかにもハイテクな代物が。
試しに触れてみる。ロックが解除され、モニターとカメラアイの
視線が連動した。小さく、薄い液晶画面に敵の姿と変わり果てたア
キハバラの惨状が映し出される。
﹁うわぁ⋮⋮!﹂
凄い。これは本当に凄い。
文化に取り残された男女、六道シデンは現代発明品の素晴らしさ
に感激した。きっとプレイステーション4なんかはもっと凄いんだ
ろうな、と勝手に思いながらも彼はタッチパネルに指をあてる。
そんな時である。
彼の目に、あるアプリが入り込んできた。
﹁ねえ、スバル君。タッチパネルにあるこれは何?﹂
﹁後部座席のはカイトさんが弄ってたから、俺も詳しくは分からな
いよ。実物見れば分かると思うけど﹂
﹁ふぅん﹂
シデンは思う。
あのカイトがショートカットを作ったと言うのか。要するに、そ
697
れだけこのアプリを彼は好んでいると言う事になる。
ちょっと気になる。いや、ちょっとどころではない。かなり気に
なる。
溢れ出る好奇心に逆らえず、シデンは躊躇なくアプリを起動させ
X起動﹄
た。すると同時に、獄翼のコックピット内に無機質な音声が響く。
﹃SYSTEM
﹁え?﹂
スバルが間抜けな声を出すと同時に、それは起こった。
二人の真上から無数のコードに繋がれた、ボウルのようなヘルメ
ットが降ってきたのである。
﹁きゃ!﹂
突然の出来事に、シデンが黄色い悲鳴をあげる。
きゃ、か。うわぁ、とかじゃなくてそっちなのかとスバルは思う。
﹁というか、何してるのシデンさん!﹂
﹁だって、目の前にアプリがあったら起動するでしょう?﹂
﹁状況をもうちょっと考えてよ! いや、まあどっちにしろこのシ
ステム起動させるつもりだったんだけどさ!﹂
﹁ならいいじゃ︱︱︱︱﹂
言い終えるよりも前に、シデンの身体が崩れ落ちる。
それを見たスバルは決して慌てる事はない。このシステムを起動
させた後、後部座席に座る新人類がどうなるのかを彼は知っていた。
﹃あれ?﹄
698
シデン
獄翼から、少々幼さを残す声が響く。
獄翼目覚めの瞬間だった。関節部が青白く光り、両足に銃が生え
始める。
﹃え、何? 何これ!?﹄
突然のことに慌てるシデン。
そんな彼を諭すように、スバルは説明を開始した。
シンクロ
﹁新型の同調機能だよ。知らない?﹂
﹃知ってるけど、ボクが知ってるブレイカーにはこんなの搭載して
なかったよ﹄
そりゃあそうだ。彼と同時期に抜けたカイトですら知らなかった
のである。
﹁簡単に説明すると、これを起動させてる間の5分間。この獄翼は
後部座席に座っている新人類の意識を取り込んで、思うままに動か
せるんだ。所持してる武装や、能力もひっさげてね﹂
﹃に、しては足がちょっと部細工なんだけど﹄
﹁直前まで乗ってた人がダメージ与えちゃったからさ﹂
シデンの武装は、ガーターベルトにくっつけられた6つの銃口と、
その引き金となる銃だ。だが不幸な事に、もっとも火力が出るであ
ろう足が、カイトのせいでダメージが残っている状態なのである。
﹃要するに﹄
簡単なスバルの説明を受けたシデンが、思考を纏める。
699
﹃5分の間で、なるだけ足を動かさずにあの鳥頭を倒せばいいんで
しょ?﹄
﹁できる?﹂
﹃誰に言ってるのさ﹄
Xによって生成された、彼愛用の銃である。
獄翼が刀を鞘に仕舞い、銃を抜く。
SYSTEM
﹃見せてあげるよ、ただの固定砲台でも特化すればミサイル100
発にも負けないってね!﹄
直後、スバルの身体が引っ張られる。
急速に制限時間が減り始めたのを確認したスバルは慌てながらも、
補足状況を見る。
天動神に無数の点が灯っていた。1つや2つではない。それこそ
夜空に輝く星々のように、一目見ただけでは数えきれない量の光で
ある。銃を構え、目標を補足してこの状況。
これは指が壊れる。
口元が引きつり、汗が流れるのを感じながらも。
スバルの指は、無慈悲にもシデンによって嘗てない乱射を要求さ
れた。
700
第50話 vs天動神と
獄翼の関節が光り、脚部に六つの銃口が生える。
だが、それを向けられてもサイキネルは特に危機感を持たなかっ
た。
新たな新人類を取り込んだからと言って、それが自身と相方であ
シンクロ
る天動神に通用するとは限らないからである。
同調で出現した銃なのだから、当然普通のそれとは違うのだろう。
しかし遠距離での決戦であれば、優位なのはこの天動神に他ならな
い。なぜならば、天動神には必殺の一撃が存在するからだ。
﹁撃ち合いを挑むなら、受けてたとう!﹂
サイキネルが身体から溢れるサイキックパワーを天動神を注ぎ込
む。
コックピットに空いている穴に腕を突っ込み、機体にエネルギー
を回しているその姿は、なんとなくガソリンスタンドに似た光景だ
った。
﹁食らえ、必殺!﹂
獄翼が刀を収め、銃を構えた。
それを見た瞬間、サイキネルは勝利を確信する。
馬鹿め、僕の一撃はそんな銃から放たれる弾丸とは違うのだ。
なんといっても、破壊の濃度が違う。
701
﹁サイキック﹂
必殺の言葉が紡がれると、相方の鳥頭の口が展開する。
その口内から溢れ出る赤い光は、まさに高濃度の破壊の源に他な
らない。
放たれれば、何発飛んで来ようが銃弾を一気に蒸発させて獄翼を
消し炭にできる自信がある。
ゆえに、サイキネルは続けた。
敵を葬る、必殺の言葉を。
﹁バズ︱︱︱︱!﹂
だが、その言葉が最後まで言い終わる事は無かった。
何故ならば、彼の前面に警報音とエラーメッセージが表示された
からだ。
﹃ちょいと待った!﹄
﹃発射できないよボス!﹄
﹁ファッキン!﹂
いいところで。
寸止めを食らったサイキネルは、思わず地団太を踏んだ。一体何
があったと言うのか。
苛立ちを隠さない表情でモニターに視線を向けると、天動神のコ
ックピットは詳細を彼に伝えた。
﹃エスパー・イーグルの口内に不純物が詰まっています。退かさな
いと撃てないよボス!﹄
﹁不純物だとぅ!﹂
702
なんだそれは、と問う前にモニターが表示される。
第三者視点で物事を見る事が出来る、サイキックパワーを活用し
た念力のカメラだ。
それが映し出した映像には、サイキネルの予想を上回る物が映っ
ていた。
氷である。
エスパー・イーグルの巨大な口に、これまた巨大な氷塊が突っ込
まれているのだ。見れば天動神のボディもところどころ凍り付いて
おり、足元なんか凍結して動かない。翼も少し羽ばたかせれば、氷
が飛び散るくらいには冷えている。
﹁何が起きている!?﹂
サイキネルは問う。
すると天動神に搭載されているAIは、瞬時に答えを叩きだした。
﹃相手の新人類の能力ですボス!﹄
﹁敵の新人類だと! 何者だ!﹂
モニターがカメラでとらえた、新たな新人類の顔を表示する。
恐らくは当時の写真だろう。顔つきはそこまで大差が無いが、服
装は新人類王国で使用された古いタイプの軍服だった。
﹃元XXX所属、六道シデンのデータです。凍結能力を保持してい
る、新人類の中でもかなり強力な能力者です﹄
﹁トリプルエックス! つまり、アイツの仲間か!﹂
ただの陽気なアキハバラのコスプレ戦士かと思いきや、意外なこ
703
とにガチな経歴だった。
﹃ボス! 撃たれますぜ!﹄
﹁副サイキックバズーカでけしとばせぇ!﹂
獄翼が乱射する。
7つの銃口から一斉に氷柱の弾丸が発射され、次々と天動神に降
り注ぐ。
サイキネルはあくまで返り討ちに拘っていたが、AIからの返答
は期待を裏切る物だった。
﹃無理、発射できないよ!﹄
﹁なにぃ! 何故だ、天動神!﹂
無数の氷を全身に受け、コックピットに振動が響く。
同時に、サイキネルの胴体も激しく揺れた。
﹃砲台全部に氷が詰まってて、発射できないんだよボス!﹄
﹁気合で溶かせ! サイキック・ファイヤーボディだ!﹂
﹃無理! サイキックパワーを表面に送る為の回路も、冷え切って
麻痺しちゃってるよ!﹄
﹁ファッキン!﹂
AIによる報告に、サイキネルは歯噛みする。
何時の間にここまで凍らされていたと言うのだ。いかに相手が同
調で獄翼と一体化し、間接的に巨大化したからと言って一瞬でここ
まで出来る物なのか。
﹁⋮⋮こうなったら﹂
704
やや考えてから、サイキネルは決断する。
あまりの悔しさに、唇は歯噛みした瞬間に切れていた。口元から
たらりと流れる血液が、サイキネルの苦悩を表している。
﹁天動神。さようなら﹂
﹃さようなら、ボス。今まで楽しかったですぜ﹄
陽気なAIはモニターにそんな文字を表示させると、穴に収まっ
ていたサイキネルの両腕が解放される。直後、彼が座っていたシー
トは回転。そのまま振り返ることなく、サイキネルを運んでいく。
﹁シャークとパンサーに続き、天動神までも⋮⋮許さん!﹂
エレベーターに辿り着き、サイキネルを乗せたシートが下へと移
動する。
真上から爆発音が聞こえたのは、それからほどなくしてからのこ
とだった。
﹁⋮⋮!﹂
拳を握りしめ、俯く。
嘗てこれほどサイキックパワーが無力だと思った事はない。
だが、それでも自分にはサイキックパワーしかないし、この力こ
そが最強の証だと信じている。確かに機械の友を失い、見るも無残
なスクラップにされはした。
しかし、勝負はこれからだ。
﹁許さんぞ、トリプルエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエ
エエエエエエエエエエエエエックス!﹂
705
喉が張り裂けんばかりの雄叫びが、頭部の吹っ飛んだ天動神の内
部で轟いた。
何度トリガーを引いたのかは、覚えていない。
普段ならすぐにでも残弾を確認するのがセオリーなのだが、今使
っている銃は恐ろしい事に弾丸をその場で瞬時に生成している。
ゆえにエネルギーチャージ時間も気にせずに撃ちまくれるのだが、
指が痛くなるまで連射する日が来るとは思わなかった。多分、今日
はマトモに箸を持つ事が出来ないだろうな、とスバルは思う。
﹃どんなもんさ﹄
シデンが言うと、獄翼は器用に銃をくるくると回転させてから腰
に収める。まるでカウボーイだ。
いや、カウボーイと言うよりは猛吹雪と言った方がいいかもしれ
ない。
今収めた銃で見るも無残な姿にされた天動神を見ると、スバルは
そうとしか思えなかった。
﹁中身も死んだんじゃないか、これ﹂
なんといっても、天動神の全身から滝のように氷柱が伸びている
のである。それは地面にまで届いており、見ただけで寒そうだった。
しかも氷柱の雨に襲われた際に、頭部を含めた各所のボディが崩
れ落ちている。頭部をつかさどるエスパー・イーグルにサイキネル
が乗りこんでいたことを考えると、パンダの足下に転がっている氷
706
漬けの鳥頭の中にまだサイキネルがいる可能性が大きい。
﹃いや﹄
スバルの考えを、シデンは否定する。
なぜならば、天動神の胴体をつかさどるパンダに動きがあったか
らだ。
﹃まだみたいだね﹄
四足歩行の天動神が起き上がる。
胴体にスライドしていたパンダの顔はそのままで、首と四肢、そ
して羽を失ったそれは、最初に戦った念動神の無残な姿に他ならな
かった。
﹁胴体だけになっても、まだ戦えるってわけか﹂
スバルは思い出す。
そもそも念動神、天動神は彼が呼び出したアニマルタイプのブレ
イカー。その集合体だ。それを構成する一体一体が戦えない確証な
ど、どこにもない。寧ろ合体ロボのお約束から考えても、単体で戦
える可能性が大きいのだ。
﹃と言っても、パンダの方も大分冷やしたけど﹄
冷蔵庫の化身が呟いたように、エスパー・パンダの巨体も全身か
っちかちに凍り付いていた。少し胴体を動かすたびに身体にこびり
付いた氷にひびが入る。
﹃冷凍庫の中に突っ込まれる感じだけど、パイロット君も頑張って
707
るね﹄
﹁あんな一瞬で凍らせれるもんなの?﹂
﹃まさか。君に拾われる前に事前準備してたんだよ﹄
﹃カッコいいです、シデンさん!﹄
カノンが惚れ惚れとする口調で言う。
だが、スバルは思う。えげつねぇ、と。
事前準備で50メートルはあろう巨体を凍りつかせ、挙句の果て
に一部だけとはいえアキハバラに氷塊を作り上げたと言うのか。ど
んな事前準備をしていたのだろう。
﹁少し気になるんだけど、その気になったらどこまで寒くできる?﹂
﹃試したことはないんだけど、このまま力を伸ばせば南極がもう一
個出来るも夢じゃないって言われたね﹄
地図を塗り替えるのかよ。
思わずスバルは心の中で突っ込んだ。心の中で、日本地図の緑色
が白に塗りかえられていく。
﹁人間災害だ⋮⋮﹂
﹃失礼な。こんなに可愛いのに﹄
自分で言うんじゃないよ、とぼやく事は無かった。
目の前で動くエスパー・パンダの頭部に、ひびが入ったのだ。ひ
びは頭から胴体に向かって縦に走り、パンダの巨体を真っ二つに切
り裂いていく。
まるで脱皮だ。目の前で繰り広げられる光景を前に、スバルとシ
デンは意識をシンクロさせた。
﹃よくもやってくれたな、XXXのメイド戦士!﹄
708
ひびが割れ、エスパー・パンダの巨体に穴が開く。
その中から声を出したのは、やはりサイキネルだ。パンダの中か
らサイキネルの声を発する新たな人形が、その姿を現す。
﹁まだなんかあるの⋮⋮﹂
﹃マトリョーシカみたい﹄
パンダの中から出現した新たなブレイカーの登場に、スバルはげ
んなりとした表情を浮かべた。3連戦である。しかも前の2回で、
死にそうな目にあっているのだ。そりゃあ力も抜ける。
﹃でも、前と比べて弱そうだよ﹄
シデンがコメントする通りではある。
パンダの中から出現したブレイカーは、傍から見れば人形の素体
のように質素だった。カラーリングも地味なグレー。特筆するべき
特徴がある訳でもない。強いて言うなら、何の武装も装備していな
いミラージュタイプのブレイカーがそのまま出てきたと言う所だろ
うか。
﹃サイキックパワー、全開ぃ!﹄
だが、彼らのそんな感想はすぐに打ち消される。
サイキネルの咆哮が轟いたと同時、アキハバラの赤い空に広がっ
ていた雲に巨大な穴が開いた。その穴から赤い光が降り注ぎ、滝の
ような勢いで灰色のブレイカーに浴びせられる。
﹃きたきたきたあああああああああああああああああああああああ
ああ!﹄
709
灰色のカラーが見る見る内に赤く染まっていく。
これでは赤い光によって変色しているようだ。
﹃激!﹄
滝のようにも見える赤い光の柱から、20メートルほどの巨体が
一歩を踏み出す。
﹃動!﹄
構えられた両腕から、炎のような赤いオーラが溢れ出す。
げきどう
﹃しいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいい
いいいいいいいいいいいいいん!﹄
頭部が展開し、兜のような飾り付けが展開する。
しん
今ここに、エスパー・パンダの中で眠り続けたブレイカー、激動
神が君臨した。
﹁隠しすぎだろ、ブレイカーをさ!﹂
エスパー・パンダの中に潜んでいただけあって、その大きさは念
動神や天動神と比べても小さい。獄翼よりもやや大きい、といった
ところだろうか。
逆に言えば、平均的な大きさのブレイカーにやっと戻ってきた。
この激動神の中に更に何かが潜んでいる事はないだろうと思いた
い。
﹃流石にこれが最後でしょ﹄
710
﹁そう思うよ、俺もさ﹂
シデンと同じ結論に行きつくと、スバルは残りの制限時間を確認
する。
カイトの時と比べて、そこまで大きなアクションをしていない為
か、比較的まだ余裕がある。先頭の数字はまだ﹃2﹄だった。
﹃なら、消し飛ばすだけだよ!﹄
制限時間の説明を受けていないシデンが、再び銃を構える。
同時に、凍てついた空気が激動神の周辺を取り囲んでいく。
が、
﹃サイキック・ヴォルケイノ!﹄
激動神が両腕を引き締めると同時、その赤いボディから同じ色の
オーラが波のように溢れ出す。その正体にいち早く気付いたのは、
実際に激動神と相対しているシデンだ。
﹃炎だ!﹄
﹁ブレイカーが火を噴いたってのかよ!﹂
一応、ブレイカーの武装として火炎放射器も存在している。
存在しているが、しかしどう見てもアレは異質な炎だ。機械の身
体から炎を吹き出すなんて、初耳である。
﹃これで、もう氷漬けには出来まい﹄
激動神が指を突き付け、獄翼に宣言する。
711
寒くて凍り付いてしまうのであれば、熱を込めればいい。発想自
体は誰にでも出てくるものだ。
﹃ありゃま﹄
﹁ありゃま、じゃねぇよ! 何か策は無いの!?﹂
シデンを取り込んだ獄翼の掃討力はかなりの物だ。
接近戦主体のスタイルであるスバルでも、それは素直に思う。し
かしその中核を担うのは、彼の力である凍結能力が相手に深刻なダ
メージを及ばせているからだ。それが通用しないとなると、氷の弾
丸すら相手に及ばない。
とはいえ、仮にもシデンはXXXである。
能力を磨き上げてきたのであれば、炎対策の解答の一つくらい準
備している筈だ。そう思った。
﹃ないよ﹄
﹁ねぇのかよ!﹂
期待は思いの外あっさりと打ち砕かれた。
しかもこの返答の仕方には、なんとなくデジャブを感じる。カイ
トと同じように、能力に任せたゴリ押しで勝負する気ではあるまい
な。
﹃でも、怖がる必要は特にないかなぁ﹄
呑気にシデンは言う。
スバルがその意図を問いただす前に、激動神は動いた。
﹃ならば、怖がらずに燃え尽きろ!﹄
712
赤い両腕が前に突き出される。
左右の掌から炎の柱が噴出し、お互いに絡まりながらも真っ直ぐ
獄翼へと襲い掛かる。獄翼は引き金を引くこともしなければ、避け
る気配もない。
﹁来る! 来るって!﹂
焦るスバル。思わず飛行ユニットを起動して飛び立とうと、操縦
桿を握るが、
﹃大丈夫﹄
シデンが諭すように言う。
直後、炎の渦は獄翼の手前で弾け飛んだ。火花が獄翼にかかるが、
鋼のボディは無傷である。
﹁え?﹂
﹃何ぃ!?﹄
面食らうスバルとサイキネル。
反面、状況を唯一理解しているシデンは上機嫌だ。
﹃ほら、大丈夫だ。ねえ、エイちゃん﹄
獄翼が横のビルに首を向ける。すると、何時の間に上っていたの
か、御柳エイジがその屋上で佇んでいた。
﹁俺が間に合わなかったら、どうするつもりだったんだ?﹂
﹃助けてくれなかったエイちゃんを恨んで、スバル君と一緒に毎晩
713
化けて出てくるよ﹄
﹁こえーよ!﹂
﹁というか、俺を巻き込むなよ!﹂
凄く緊張感のないやり取りが行われる。
一度溜息をついてから、スバルはエイジに問う。
﹁エイジさん、今何かしたの?﹂
シデンの反応から察するに、激動神の炎を打ち消したのはエイジ
で間違いない筈だ。本人の反応からしても、たぶん間違いじゃない。
﹁ああ、俺は火が操れるんだ﹂
あっけらかんと、そう言った。
しかしスバルは思う。それってかなり強力な能力なんじゃないか、
と。
﹁じゃあ、さっきの激動神みたいな事も出来るの?﹂
﹁やろうと思えば出来なくはないぜ。でも俺、発火はできないんだ
よな。だから火の発生は他に任せるしかないんだけど﹂
だから限定的な能力だと、XXX内で大きく取り上げられなかっ
た。
マッチを渡しても根元でへし折る上に、ライターもスイッチを押
したら容器がへし折れてる始末なのだ。御柳エイジが己の意思で炎
を出す手段は、当時では皆無に等しかった。
﹁⋮⋮どうやら、やっこさんは俺と相性が良さそうだぜ﹂
714
発火する手間なく、能力を最大限に活かせる相手。
それは正しく、自ら発火してくれる敵に他ならない。かなり限定
的で都合がいいが、そんな奴が目の前にいた。
﹁おい、次は俺を乗せな!﹂
﹁お、おう!﹂
獄翼がコックピットを開く。
それを見たエイジはにやり、と口元に笑みを浮かばせて跳躍した。
﹃ま、またアイツか!﹄
それを見て、苛立ちがエスカレートするのはサイキネルである。
イゾウとシャオランは何をしているというのだ。あの二人を担当
することになったのは、ジャンケンの敗者である彼らではないのか。
彼らが上手く二人を叩いてくれていれば、天動神を失う事も無かっ
たはずである。
﹃ファッキン!﹄
そう思うと、口癖となっているこの台詞が飛び出した。
コックピット内で恒例の地団太を踏むと、サイキネルはコックピ
ットに乗り込んだタイツ男に視線を向けた。
カイトと言い、旧人類の下等生物と言い、XXXのメイド戦士と
言い、あのタイツ男と言い、次々と自分の必殺技を防いだり妨害し
たりしてくる。全く、嫌になってくるし気分がもやもやとする。
こんな時はやはり、気分よく必殺の一撃を放つに限る。
﹃貴様が炎を操れると言っても、これを防ぐことは出来まい!﹄
715
激動神の二つの拳に、赤い光が灯る。
螺旋状に渦巻く二つの破壊のエネルギーの源は、既に何度も放っ
ている必殺の一撃だ。今まではその度に避けられたり、防がれたり
してきたが今度は違う。
﹃サイキック・ツイン・バズゥウウウウウウウウウウウウウウウウ
ウウウウウウウウウウカアアアアアアアアアアアアアアアアアアア
アアアアアアアアアア!﹄
渾身の雄叫びと共に、激動神の両拳から赤い閃光が解き放たれた。
今度は無力化できる炎ではない。刀で弾こうものなら、一つで押
されている内にもう一つがクリーンヒット。氷で発射口を塞ぐよう
な真似は、この激動神には通用しない。アルマガニウムの爪の保有
者は、この場におらず。
完璧だ。完璧すぎる勝利のビジョンしか思い浮かばない。
﹃防ぎきれまい! この完璧すぎる必殺の二連撃は!﹄
サイキネルが笑う。
勝利を確信しての笑みは、豪快な笑いへと進化していった。
それゆえに、彼は気づかない。
その必殺の二連撃の前に一陣の風が通り過ぎたなど。
716
第51話 vsはじめてのチュウ
少々時間を戻そう。
スバルが天動神を相手にしていた頃まで時間は遡る。アキハバラ
から少々距離を置いたカンダの街では今、黒と白の稲妻が駆け巡っ
ていた。
黒の稲妻、カイトの膝蹴りがシャオランの腹部に突き刺さる。
同時に白の稲妻であるシャオランの視界にダメージ計算が走るが、
彼女は計算が出る前に﹃問題なし﹄と勢い任せに呟いて演算を中止
させた。口元からはオイルとも血とも取れる赤い液体が流れている。
問題ない訳が無かった。
﹁問題なし﹂
壊れた機械のように、シャオランはそれしか呟いていない。
正直に言うと、ここまでカイトが強いとは思わなかった。片腕が
無くなってからも、リミッターを解除した自分とここまで張り合え
るとは。しかもこちらはただのリミッター解除ではない。赤い折り
紙は、妹分のメラニーから貰った代物だ。1枚で通常の3倍の出力
は出せる。それを3枚飲み込んでいるのだ。
9倍もの出力になりながらも、カイトはそれに食らいついてくる。
﹁どうすれば問題でてくるんだ、お前!﹂
息を切らしつつも、カイトが苛立った口調で言う。
彼の現状も、割と悲惨だった。片腕を失い、顔中血塗れ。再生能
力が働いているとはいえ、身体中に歯形がついている恨みもあるだ
717
ろう。全身食われかけ、彼は冷静ではいられなかった。
﹁貴方を壊すまで、問題は起こりません﹂
対し、シャオランに蓄積されたダメージはコンピュータの計算に
よると5割を超えている。彼の一撃は重い。一撃一撃がほぼ必殺な
のだ。爪を剥いたパンチを受けただけで、首は切断されてしまう。
だが、恐れることはない。
これは狩りだ。極上の御馳走を得る前の、儀式に等しい。獲物は
強ければ強いほど、美味なものだ。
そう思うと、思わず舌なめずりしてしまう。
口元から流れた赤い液体を舐めとった後、シャオランは再び突撃。
羽をはばたかせカイトに向かい、右手から生える剣を構える。
二人の影が重なる。カイトは突き出された剣に掌底を当て、シャ
オランの軌道を僅かに逸らした。
﹁予想範囲内です﹂
が、シャオランは軌道を逸らされても尚、無理やり脚部を前に突
き出すことでカイトに攻撃する。突撃しながらのハイキックだ。
﹁がっ︱︱︱︱!﹂
強烈な蹴りを受けたカイトが宙を舞う。
しかし、彼は吹っ飛ばされた先の信号機に手を伸ばす。掴んだ。
そのままぐるん、と一回転して信号機の上に着地する。
﹁こいつめ﹂
718
吹っ飛ばされたカイトの後を追うシャオランが、信号機目掛けて
左の銃口を構える。赤い閃光が信号に目掛けて放たれた。
しかしその上にいるカイトには命中しない。彼は命中する直前に
信号機から降り、シャオラン目掛けて疾走していた。
﹁そぉら!﹂
お返しだ、とでも言わんばかりにシャオランとの距離を詰める。
エネルギー砲が噴出している左腕はそのままで、カイトは左手で
シャオランの顔面を握る。強烈な圧迫感が彼女の頭部に襲い掛かり、
頑丈な頭皮にひびを入れた。
﹁あ、が︱︱︱︱!﹂
苦しい。
痛い。
弾けてしまう。
嘗て味わった事のないパワーが、彼女の頭を押し潰そうとしてい
た。
そのままアスファルトに押し倒される。支える力を奪われた左の
エネルギー砲があらぬ方向へと倒され、遠くのオフィスビルが焼き
払われた。
﹁この赤いのは血か? オイルか? それともトマトジュースか?﹂
指と指の間から赤い液体が流れて来たのを見て、カイトが意地悪
な質問をした。だがソレに対し、シャオランの返答は一つだ。
719
﹁私の、体液﹂
どストレートな返答をしたと同時、カイトは気づく。
彼女の背中に生える無数の羽がない。掴み倒した時は確かに生え
ていた筈だが、今の問答をやっている間に本体から離脱したと言う
のか。
直後、羽がカイトの背中に突き刺さった。
無数の鋭利な刃物が、再び彼を襲う。
﹁ぐ︱︱︱︱!﹂
だがカイト、これを懸命に堪える。
前に突き刺さった時は、そのまま押し倒されてコンクリートに縫
い付けられた。そしてそのまま片腕を亡くしている始末だ。今度こ
そ耐えきって見せる。でなければ、コイツは何をしてくるかわから
ない。
﹁うあ、ああああああああああああああああ!﹂
シャオランの頭が押さえつけられ、頭皮から青白い発光体がばち
り、と弾ける。彼女の悲痛な叫びがカンダに木霊した。聞いただけ
で痛々しい。しかしカイトは、この好機を逃さない。
﹁潰れろ、不気味女⋮⋮!﹂
左手に更なる力が籠る。
小さな爆発が白い頭髪で発生するも、カイトは手を離さない。こ
のまま握り潰してやる、と前に身体を押し出す。
720
﹁!﹂
が、そこで気付く。
シャオランの右手の剣が何時の間にやら己の懐に潜り込んできて
いる。そのまま振り上げれば、彼の左手を切り裂ける位置だった。
﹁う︱︱︱︱﹂
思わず手を放した。
振り上げられた剣は空を切り裂き、シャオランが密かに狙ってい
たカイトの左腕切断はかなわない。だが、強烈なパワーから解き放
たれただけで十分だ。
解放されたシャオランは素早く起き上がり、殆ど距離が無い状態
で再びカイトに突撃。がっしりと彼の身体をホールドし、締め上げ
る。
更には彼との接触を利用し、肩に噛り付いてきた。
﹁いづっ!﹂
背中がへし折れるかのような強烈なパワーが締め上げてくる。蛇
に絡みつかれたネズミはきっとこんな気分なのだろうな、とカイト
は思う。挙句の果てに食われるのだから、尚更だ。
ただ、食われる気は一切ないし、負けるつもりも毛頭ない。
カイトは躊躇うことなく口をシャオランの肩へと持っていき、彼
女の右肩に噛みついた。噛みつき返しである。
﹁︱︱︱︱!﹂
シャオランの身体に電流が走る。
721
歯が思いっきりお互いの肉体に侵入し、血液を沸騰させた。未知
なるやり返しを受けたシャオランが、思わず手を放す。
そのまま転がり込み、己の肩を見やる。
﹁あ、う?﹂
何が起こったのか理解できていない、と言った様子である。
これまで色んな敵と戦って、そして食らってきたが噛みつき返し
てきた奴はこの男が始めてだった。
﹁んぐ⋮⋮まず!﹂
一方、カイトは口からシャオランの肉片を吐き出していた。
ばちばち、とショートしている。刺激的な味がしたに違いない。
﹁まずい?﹂
﹁激マズ﹂
簡単なやり取りだけ行われ、カイトが口元を拭う。
食い千切られた肩は、既に歯形すら残っていない。
﹁貴方は美味でした﹂
﹁全然嬉しくない﹂
褒め言葉として受け取るには、大分ねじまがった根性じゃないと
無理だろう。だが、どういうわけかシャオランは自分が美味でない
ことに憤慨していた。
﹁あなたは美味しい。では、なぜ私は不味いのでしょう﹂
722
シャオランには、イゾウと同じように美学を持っている。
ここまで読んできた読者諸兄ならある程度予想はついているかも
しれないが、それこそが﹃弱肉強食﹄である。強い奴が弱い奴を食
らい、栄養として生き残る。それこそが自然界の摂理だとシャオラ
ンは思っている。
まあ、その賛否はこの際置いておこう。
ただ、問題なのはその過程において﹃美味な奴ほど強い﹄という
独自の解釈が存在している点である。要するに、強い奴であればあ
る程美味しいのだ。
しかし目の前で、始めて自分を食べた男は言った。
まずい、と。
﹁私は、弱い?﹂
﹁知るか!﹂
首を傾げたシャオランを前にして、好機と見たカイトが疾走する。
強烈なダッシュだがしかし、その一歩一歩は静寂だった。音もな
く気配も無く、瞬時にシャオランの前にカイトは拳を突き出した。
﹁!﹂
爪が突き出され、腹部に突き刺さる。
その痛みにより、シャオランが僅かに苦悶の表情を浮かべるも、
﹁く、ふ⋮⋮ふふ、うふふふふ⋮⋮﹂
すぐに不気味な笑い声を漏らし始めた。
素早く両手でカイトの頭を捉え、己の頭部をぶつける。頭突きだ。
強烈なそれを受けたカイトの頭部が仰け反るが、シャオランの両手
723
が離れることを許さない。
﹁私は、まだ弱い﹂
驚喜的な笑みを浮かばせ、シャオランは呟く。
﹁貴方は強い﹂
だからこそ、美味しい。
恐らくこの先、一生出会う事が無いグルメだろう。
ならばそれを食らい、栄養としたとき。自分はどれ程強くなれる
のだろう。彼を得た、最強の自分を想像する。興奮が高まり、身体
に熱が籠るのを感じた。
﹃クールダウン推奨!﹄
﹁問題なし﹂
空気を呼んでくれないエラーメッセージが、煩わしい。
今だけはこの機能を全てシャットアウトさせてしまいたい気分に
なった。
折角高揚してきた、この胸のときめきを返せと言いたい。
いや、よくよく考えれば返してもらう必要はない。
今から味わえば済む話だ。
﹁いただきます﹂
﹁んぐ︱︱︱︱!?﹂
腹部を貫かれた状態で、彼女は額から血を流す敵の頭を顔面に持
ってくる。
724
次の瞬間、二つの頭は重なった。
唇と唇が触れる。シャオランとカイトの脳に、それぞれ電流のよ
うな衝撃が降り注ぐ。
﹁んんっ!﹂
息を詰まらせるように抵抗するのは、カイトだ。
突然の奇行に頭が真っ白になるも、彼はシャオランの行動理由を
徐々に理解していった。
コイツは今、自分の唾液を飲んでいるのだ。
舌を突っ込まれ、口の中を蹂躙してきている。更に唇を前に突き
出し、歯が口内に侵入してくる。自分の舌と、シャオランの歯が触
れた。
その瞬間に、カイトは猛烈な寒気を感じる。
食い千切られる。
直観的にそう思った。
だが振り解こうにも、腕は彼女の胴体に突き刺さっている。
もう片方の腕は食われた。頭を振り解こうとしても、両手でしっ
かり押さえられている。
ならば、手段は一つしかない。
悩むことなく、カイトは疾走した。彼の視界には、シャオランの
他にもう一つ見えている物がある。
隣町でもしっかりと見える天動神の巨大なボディと、それに立ち
向かう獄翼である。
725
時間は元に戻り、現在。
天動神の中から出現した︵正確に言えば、エスパー・パンダの中︶
新たなブレイカー、激動神から二つの赤い閃光が放たれる。
﹁やばい!﹂
ソレに気付いたスバルが、戦慄する。
一個だけでも受け流すだけでかなり浪費する上に、もし受けなが
す力の向き先を間違えれば、それだけで獄翼は大破してしまう。
今度は炎ではない。御柳エイジの力は、通用しない。
﹁シデンさん!﹂
﹃確かに、ちょっとやばそうだね!﹄
どうにかしてくれ、ともどうする、とも言えなかった。
ただ目の前に迫る脅威を取り除かないと、死ぬ。
その意思が伝わったのか、シデンがサイキック・ツイン・バズー
カを避ける為に一歩を踏み出す。
が、
﹃脚部、行動限界!﹄
﹁げぇ!﹂
念動神との戦いで負担をかけ過ぎたツケが、ここできた。
獄翼の足の関節を繋ぐパーツが悲鳴をあげ、遂に破裂してしまっ
たのである。
726
﹃痛っ!﹄
その痛みは、機体と一体化したシデンも感じたのだろう。
バランスを崩しながらも状態を逸らし、なんとか赤い閃光を避け
れないかと試みる。17メートルほどの黒い巨体が、アキハバラの
大地に倒れ込む。
石に躓いた人間のように、繊細な行動だった。
﹁おい、とべねぇのかこれ!﹂
コックピットに振動が伝わっている最中に、乗り込んだばかりの
﹁SYSTEM
Xは後部座席に乗り込む新人類を取り込み、その
Xを使ってる最中だと、飛べないんだよ!﹂
エイジが怒鳴る。
SYSTEM
武装と能力を得る。だが、その状態の獄翼は自分の持っている武装
の使い方しか分からないのだ。要するに、外部接続されている飛行
ユニットなんかは、この状態だと完全にお荷物なのだ。
取り込まれた新人類が、飛行ユニットの使い方をマスターすれば
話は別なのだが、シデンは今日獄翼に乗ったばかりである。カイト
ですらまだ使用を躊躇っているのに、彼がすぐに使いこなせるとは
思えない。
﹁くそ!﹂
だが、文句を言っても仕方がない。
スバルとシデンはお互いに獄翼のボディを動かす。
が、足りない。倒れているお陰で一撃は避けれるが、もう一つが
軌道上重なっている。このまま行くと、右肩にかけて貫かれる。
727
赤い閃光が、目の前に飛び込んできた。
思わずスバルが目を瞑る。
﹁あ!﹂
だが、そんな彼の真横でエイジは見た。
獄翼に襲い掛かる赤い閃光。ソレに向かって飛び出す、二つの影
があった。恐らく自分と同じようにビルを駆けのぼり、飛び出した
のだろう。
神鷹カイトがシャオランを刺し貫いた姿勢のまま、獄翼の前に飛
び込んだのだ。
﹃カイちゃん!﹄
﹁カイト!﹂
﹁え、カイトさん!?﹂
﹃リーダー!?﹄
獄翼側の4人が、それぞれカイトに反応した。
今のサイキックバズーカは、念動神が放った時に比べれば大分小
さい。
太さは、縦に大凡4,5メートルと言った所だろうか。
﹁待ってたぞ、この攻撃を!﹂
10分以上シャオランに捕まりながらも、ここまで全力疾走を続
けたカイトが笑みを浮かべる。
シャオランはタフだ。蹴っても、殴っても、貫いても元気だ。
今もこうして自分の舌先を食い千切り、ご機嫌な表情をしている。
恍惚とした表情を浮かべ、意識は別の世界へと旅行していた。ここ
728
まで呑気に味わっていると、呆れてくる。
だが、それならば。
味方の﹃必殺の一撃﹄では、どうだろう。
﹁あ?﹂
満足げにカイトの味を堪能していたシャオランが、かなり遅れて
現実に引き戻される。真後ろには、味方の激動神。それから放たれ
る、必殺のサイキックバズーカ。
それを視界に入れた瞬間、シャオランの表情が焦りの色に変わる。
﹁食事中でも、ある程度周りに気を配れよ﹂
﹁ずるい、です﹂
﹁トリップして気付かないお前が悪い﹂
シャオランの背中に赤い光が命中した。
光が弾け、獄翼の眼前が爆発する。この介入によって、僅かに﹃
細くなった﹄赤い閃光が獄翼の右肩を通過した。
が、それもやや真上を通り過ぎるだけだ。獄翼の肩と横顔に焦げ
目を残し、赤い閃光はアキハバラの街を通り過ぎて行った。
729
第52話 vsカイト弾
アキハバラから地上十数メートル程の位置で、爆発が起こる。
神鷹カイトはその爆発の中心にいながらも、生きていた。生きた
まま吹っ飛ばされた彼は、そのまま背後に構える獄翼にキャッチさ
れる。
黒い巨人の掌で身体がバウンドした。痛い。火傷の痕跡と、噛み
千切られた舌も相まって、かなり痛かった。
﹁おい、生きてるか!?﹂
コックピットが開く。そこから声をかけてくるのは、御柳エイジ
だった。
何時の間に搭乗していたのか、シデンも奥にいる。メイン操縦席
に構えるスバルに至っては、カイトの痛々しい姿を直視できずにい
た。
﹁⋮⋮死にそう﹂
辛うじて、それだけ言えた。
身体を引きずり、獄翼の指の隙間を覗いてみる。地面にはシャオ
ランが転がっていた。
他人の事は言えないが、呆れたタフさである。背中の羽は焼き焦
げ、右足が完全に消し飛んでいたのだが、それでも彼女は生きてい
たのだ。
辛うじて繋がっている両手を前に伸ばし、必死になって前進して
いる。
しかし、あれではもう戦えないだろう。よくて避難をするのが精
730
一杯の筈だ。
﹁⋮⋮直撃を受けて、よく生きてるな﹂
﹁お前もな﹂
エイジが言う。徐々に傷が再生しているとはいえ、彼の惨状も酷
い。何といっても、片腕が無くなっているのだ。どれだけの代償を
支払い、シャオランとイゾウを撃退したのか想像するに余りある。
﹁まあ、なんにせよこれで全員集合だな!﹂
﹃全員集合ですか! リーダーにシデンさんとエイジさんと師匠が
揃い踏みしてるんですね!﹄
﹁すんごい嬉しそうだね、君﹂
エイジの一言に、やたらとテンションが上がるカノン。
彼女から見れば、今の獄翼のコックピットの中は軽いオールスタ
ー状態なのだろう。ただ、スバルはその3人とひとまとめにされて
いることに納得がいっていないようで、少し半目になっていた。
﹃残るは、アイツだね﹄
未だ獄翼に取り込まれたままのシデンが呟くと同時、スバルは己
の頭に被さっていた剣山ヘルメットを脱いだ。残り制限時間も1分
になっている。今の内に同調を切り替えなければ、激動神と戦って
いる最中にタイムリミットをオーバーする可能性があった。
それゆえ、彼は新たなラーニング先を招く。
﹁カイトさん! こっちきて!﹂
操縦を担当するスバルが選んだのは、カイトだった。
731
なんやかんやで一番戦闘スタイルが合っているのもあるが、何と
言っても脚部の損傷を修復する為には彼の協力が必要不可欠なのだ。
﹁いや、今選ぶべきなのは俺じゃない﹂
だが、当の本人はその提案を拒否した。
彼は真っ直ぐ激動神を見つめ、何か決意したように睨みつける。
﹁エイジ、頼む﹂
﹁お! やっぱ俺だな。分かってるじゃねぇの!﹂
カイトに指名されたエイジが、待ってましたと言わんばかりに盛
り上がり始めた。スバルとしても、異論がある訳ではない。激動神
が炎を纏えるブレイカーであるのなら、彼の力は確かに有効だ。少
なくとも、相性は抜群だろう。
﹁えーっと、これ被ればいいのか?﹂
﹁ううん⋮⋮﹂
スバルからの異論がない為、了承と受け取ったエイジが、シデン
を退かして後部座席に座る。退かされたシデンは、荷物のど真ん中
でごろんと転がり始めた。
目を擦り、控えめの欠伸をして起き上がる。
﹁エイジ、それを被る前に俺の提案を聞け﹂
﹁あん?﹂
﹁提案?﹂
﹁ふあぁ⋮⋮状況はどうなったの?﹂
頭が覚醒したばかりのシデンが問いかけた直後、カイトは言った。
732
﹁7歳の誕生日の時、お前が考えた合体技で仕留めるぞ﹂
﹁え、何それ﹂
その言葉に真っ先に反応したのはスバルだ。
なんだ、合体技って。XXXではそんなものを仕込んでいると言
うのか。そんな雑技団じゃあるまいし。
﹁⋮⋮あれか!﹂
ややあってから、エイジが合点付いたように言う。
それと同時に、彼の表情が僅かに曇った。
﹁いや、でもアレはお前にかかる負担が相当ヤバいぞ! しかも、
お前片手斬られてるじゃねぇか!﹂
﹃り、リリリリーダーの腕が斬られた!?﹄
回線越しのカノンが慌て始める。
よほどショックだったのだろう。﹃あわあわ﹄と口で言った後、
がつん、と衝撃音が響いた。どうやら卒倒したらしい。何度か呼び
かけてみたが、反応が無かった。
﹁それでも、今回は俺がケジメをつけないといけない﹂
カイトは振り返らない。
同居人が訝しげに首を傾げても、親友二人が心配そうな視線を送
っても、ダメな部下が通信越しで意識を失っても、彼はまっすぐ敵
を捉えていた。
﹁安心しろ﹂
733
後ろで不安がる友人たちの気持ちも、わからんでもない。
あれは子供の発想から生まれただけあって、かなり無茶な連携攻
撃である。
やったその後は、ボロボロになった自分ができあがるだけだ。
試しに一度だけ訓練で試してみたが、その後の惨状が原因でひた
すらエイジに謝られたのは、今となってはいい思い出である。
ただ、その分手っ取り早く終われる。
その利点を考えれば、ボロボロになるのも案外悪くない。
それに、今日の自分はそれがデメリットにならない。
﹁今日の俺は無敵だ﹂
﹁⋮⋮その恰好でよく言えるよな﹂
スバルが珍しく野暮なツッコミを入れた。
背中に突き刺さっている羽型刃物が痛々しい。
﹁どちらにせよ、この一撃で終わらせる。やってくれ﹂
﹁⋮⋮ほんっとうに良いんだな?﹂
﹁ああ﹂
念入りに確認するエイジに振り返りもせずに答えると、カイトは
獄翼の掌で軽くジャンプした。
どうやらコックピットに戻るつもりはないらしい。
その意思を汲み取ると、エイジはスバルに行動を促した。
﹁閉めろ。アイツの意思を尊重するぞ﹂
﹁え? でも﹂
﹁でもも何もねぇ。俺はアイツを信じる﹂
734
そういうと、エイジはコードに繋がれたヘルメットを被った。
数秒もしない内に彼の肩の力は抜け、身体はだらりと崩れ落ちる。
﹁え、何? なにするのさ!﹂
寝起きのシデンも何も言わない。完全に3人だけで意思疎通され、
仲間外れにされたスバルは困惑していた。
何をするつもりなんだ、こいつら。
﹁スバル、バランスを保たせろ。上半身に力が入る様にすればいい﹂
﹃それはいいけど、アンタ何する気なんだよ﹄
コックピットを閉じ、スピーカー越しで問いかける。
彼らの幼い頃の思い出など何一つ知らない少年に、カイトは簡潔
に答えた。
﹁体当たり﹂
﹃はぁ!?﹄
エイジ
スバルが驚愕すると同時、獄翼は起動した。
脚部損傷の関係で立ち上がれないが、膝を折って座り込む体勢に
なることで多少バランスを安定させる。
﹃俺が投げる﹄
﹁俺が投げられる﹂
言っている意味がよく分からない、と無言で訴えるスバルに彼ら
は補足してあげた。
しかし、お世辞にも状況の把握力が良いとは言えない少年は、や
735
はり納得できないようで。
﹃いやいやいや、何考えてんだよ! そんな事したら、﹄
﹁そうだ。そんな事したら俺はただでは済まない﹂
エイジが馬鹿みたいな力を持っているのは、スバルも知っている。
そんな彼が、ブレイカーの身体を借りて等身大のカイトを投げ飛
ばす。そして投げられたカイトが、激動神に体当たりをぶちかます。
彼らのプランは非常にシンプルかつ、非常に現実離れしたものだ
った。
﹁でもまあ、大丈夫だ。今日の俺は無敵だ。負けなければ、なんと
でもなる﹂
﹃こんな事言っちゃってるけど、本当に大丈夫なの!?﹄
どこか非難するようにスバルは同席する二人に言うが、彼らはあ
くまで友人の意思を尊重する方針だった。
それに、一撃で仕留めれるに越したことはない理由がある。
﹃スバル君さぁ、この足が修復するまでの間、あれが呑気に待って
くれてると思う?﹄
﹃今、すっげぇ地団太踏んでるから、この隙になんとかなると思う﹄
相対する激動神は、彼らが話し込んでいる間も﹃ファッキン﹄と
叫びつつ憤慨していた。この悪癖を直せば、きっとサイキネルは勝
ててるんじゃないかな、と呑気に思う。
﹁残念。切り替えて来たぞ﹂
カイトが言うと同時、激動神の動きに変化が起こる。
736
両腕が赤く発光し始めたのだ。次の邪魔は飛んでこないと踏んで
の行動だろう。実際、もう一度あの技を放たれると、結構厳しい。
﹁じゃあ、早めに頼む﹂
﹃あいよ!﹄
﹃ああ、もう! こうなったらヤケだ! 死なないでよ!﹄
﹁そう言われたのは、始めてだな﹂
多分だけど。少なくとも、ここ最近は言われたことはないと思う。
そう思うと、不思議と笑みが浮かんでくる。
﹁⋮⋮大丈夫だ﹂
激動神の両腕に赤い光が集う。
何時突き出されてもおかしくない破壊のエネルギーを前にして、
カイトは不敵に笑う。
﹁負けられるわけないだろ。やっと友達だって、自信を持って言え
たんだ﹂
だから、負けない。
絶対勝つ。今は無敵モードだ。
シャオランと戦っている最中に途切れていたとしても関係ない。
誰が何と言おうと、今の自分は無敵モードなのだ。
﹃食らえ、XXXお誕生日記念!﹄
昂ぶる気持ちに応えるように、獄翼が上半身を捻る。
風圧がカイトを襲った。彼は笑みを消し、残された腕の爪を伸ば
す。
737
﹃カイト弾だぁっ!﹄
ネーミングセンスは、ド直球。
その速球ぶりを再現するかのようにして、カイトは巨大ロボット
の腕から飛び出した。
黒づくめの青年が、彗星になる。
己が誇る疾走を超えた速度をひっさげて、カイトは激動神に襲い
掛かった!
激動神の両腕が、突き出される。
両手の掌に集った赤い螺旋が、獄翼目掛けて放射される。
だが、遅い。
激動神が腕を完全に突き出す直前、カイトは振りかぶった。
次の瞬間、激動神の腹部が大きく抉られる。バランスを支える胴
体が崩れ落ち、赤い閃光がアキハバラの上空に霧散していった。
﹃ふぁ﹄
崩れ落ちる上半身が、アスファルトに激突する直前。
コックピットで驚愕の表情を作るサイキネルは、思わず叫んだ。
﹃ファッキン!﹄
その叫び声が響いたと同時、カイトもまた都内のビルに激突した。
何度か身体が跳ね上がり、激しく転がり回る。
ビルの壁を突き破り、また新たなビルへと突撃してようやく彼の
勢いは停止した。
738
﹁⋮⋮終わったぁ﹂
溜息をつくようにして、肩の力を落とす。
無数のプラモデルが並ぶショーケースに背中から激突し、逆さま
になったカイトは、自分が空けた穴から外の様子を見た。
上半身を切り取られた激動神の姿がある。残された下半身からは
バチバチと青白い電流が流れ始め、ややあってから爆発した。
その光景を見て、ようやく長いようで短かったこの戦いが終わっ
たのだと実感する。
﹁エリーゼ﹂
カイトは誰にでもなく呟く。
本音を言うと、もう彼女のことを思い出したくなかった。
しかしそれでも、彼女のことを忘れる事が出来なかった。今でも
あの頃のように恋い焦がれる気持ちを持っているかと言われれば微
妙だが、それでも彼女には報告せねばなるまい。
例え彼女の意思がどうあったにせよ、始めて自分を見てくれたの
は彼女なのだ。
﹁⋮⋮友達、できたよ﹂
力なく呟いたその表情は、どこまでも晴れやかだった。
739
第53話 vs3人と
トリプルエックス
﹁ふ、増えただと!? XXXにいた反逆者が、3人になったと言
うのか!﹂
﹁そ、その通りです!﹂
新人類王国、本国にあるディアマットの部屋にて。
事の結末を見届けたミスター・コメットは、負傷者を回収して王
子に結果を報告していた。
月村イゾウは全身を包帯巻きにされて入院。
シャオラン・ソル・エリシャルは身体欠落で、修理が行われてい
る。
唯一、五体満足で帰還したサイキネルも、支給されたブレイカー
を全機破壊されると言う悲惨すぎる結果を残してしまった。簡単に
言えば、敗北である。
その結末を辿った最大の要因が、御柳エイジと六道シデンの参戦
だった。
この二人さえいなければ、直接対決で押されていたカイトとスバ
ルは倒せていたかもしれないが、もう終わってしまった事だ。そん
なことを掘り返したところで結果が変わるわけでもない。
﹁それで、倒せたのか?﹂
﹁⋮⋮唯一、神鷹カイトの肩腕を切り落せただけです﹂
残した戦果も、こんなもんである。
王国が誇る3人の戦士を向かわせ、得た結果がこれなのだ。
あまりにもしょぼい。
740
腕を切り落す為にブレイカーや莫大な修理費をかけているわけで
はないのだ。
﹁なんということだ⋮⋮﹂
しかしディアマットはそれを咎めようとはしなかった。
所謂﹃運び屋﹄であるコメットに文句をいった所で、何も変わら
ないのは理解している。直接参加しているわけではないグスタフや
タイラント、ノアといった代表者たちに言ったところで、それは同
じだ。
﹁⋮⋮敵の戦力は?﹂
﹁新人類が3人。旧人類が1人。そしてブレイカーが1機です﹂
﹁そう。たったそれだけだ﹂
それだけなのだが、しかし。それが倒せない。
恐ろしい事に彼ら一人一人がきちんと戦力として成り立っており、
それが王国の強者を撃退しているのだ。その事実がある限り、新人
類王国の面子は揺らいだままである。
﹁たったそれだけの相手に、サイキネル達は負けた。タイラント、
彼らは弱者だったか?﹂
﹁いいえ﹂
横に控えるタイラントは、王子の問いに答える。
﹁寧ろ、鎧を抜いて考えれば王国でも群を抜いています﹂
﹁では、なぜ彼らは負けたと思う?﹂
﹁それは﹂
741
タイラントは王子の疑問に、僅かに口籠る。
答えるのは簡単だ。彼らがそれよりも強かったからですと、そう
言えばいい。少なくとも、彼ら全員が共通認識としている。
それを言えないのは、もちろん理由があった。
認めたらその瞬間、彼らの反逆を止めれる人材が更に限られてく
るからだ。ここに召集されたサイキネルが敗北した以上、タイラン
トやグスタフ、果てには正規の鎧が出陣したとして勝てるかどうか
疑わしい。
それ自体は特に問題はないのだ。
問題はそのレベルの人材が出陣するとなると、嫌でもリバーラ王
の目に付くことである。いかに王が気分屋とはいえ、限度がある。
遠い日本のことに疎くても、自国でそれなりの地位を築いている者
がいなくなれば嫌でも気付く。
もしも王に気付かれれば、世界はどうなるか。
考えただけでもおぞましい。
﹁簡単ですよ﹂
中々言葉を発しないタイラントの代わりに、入口から新たな声が
発せられる。
不意の言葉に、その場にいる全員が視線を送った。
﹁単純に、強いんですよ。あの方々は﹂
白衣を纏った、金髪の女性だ。
少なくともタイラントの目にはそう見える。
﹁不届き者が。ここを何処だと思っている!﹂
742
グスタフが怒鳴る。
だが、不届き者は怯む気配も無く王子に発言した。
﹁ディアマット様、残念なお知らせです﹂
その言葉に、全員が息を飲んだ。
彼女︱︱正確に言えば彼になるが︱︱アトラスは彼らが息を飲む
猶予を与えるように間を設けると、焦らすようにして続けた。
﹁リバーラ様は既にこの件をご存知ですよ﹂
﹁⋮⋮っ!﹂
一国の王子が、一部隊の代表を睨みつける。
本来なら無断入室だけでも重罪となりかねないが、アトラスの後
ろには更に偉いリバーラの影があった。既に3度の敗北を経ている
ディアマットは、何を言われても文句は許されない。それが新人類
王国に生きる者に課せられるルールなのだ。
﹁王の伝言をお伝えしましょう﹂
緊張が場を支配する。
﹁面白くなりそうだから、暫く放置だそうです﹂
﹁なんだと?﹂
緊張の糸が、僅かに切れた。
ディアマットは重い腰を上げ、アトラスに問い詰める。
﹁何故だ! 彼らは反逆者だぞ。しかも︱︱︱︱﹂
﹁さあ、流石にそれは本人にお伺いください。身内な訳ですし、ね
743
?﹂
身分の違いを全く恐れずに、アトラスは王子に進言する。
綺麗な顔立ちに反し、口は恐ろしいほどに生意気だ。この場で首
を切られても文句を言えない筈なのに、彼の態度は妙に堂々として
いる。
﹁だが、失敗に対してあの父が何も言わないなど﹂
﹁勿論、ペナルティーはありますよ﹂
そう言うと、アトラスは一旦入口に戻る。
ドアの陰になっている場所に手を伸ばすと、そこから人間の身体
を引っ張り出した。
﹁ご安心ください﹂
アトラスは笑う。
見れば誰もが振り返りそうな、優しい微笑を浮かべながらも、彼
はそれを王子の部屋に招き入れた。
﹁うっ⋮⋮!﹂
ミスター・コメットが唸る。
明確に拒絶意思を示したのは彼だけだったが、その場にいるアト
ラス以外の全員が目を見開いた。
なぜなら、部屋の中に招かれたソレは、首から上が消し炭になっ
たサイキネルの変わり果てた姿だったからである。
﹁ここまでの間で負けた皆さんの分の罰は、全部彼に支払ってもら
いました﹂
744
彼を処刑した張本人は、あくまで微笑を崩さない。
しかし目の前に放り捨てたそれを一瞥すると、一瞬にして表情を
崩す。
まるでゴミでも見下ろすような、汚い表情。先程の優しい微笑の
面影は、そこに一切残っていない。
﹁気が遠くなりそうですよ。私の目の前で、あの方を侮蔑するなん
て﹂
コメットは思う。
恐らく、倒すチャンスが何度もあったに関わらず、仕留め損なっ
たサイキネルは王と彼の目の前で、カイト達の暴言を吐いたのだろ
う。
それがこの男の逆鱗に触れた。王はそれを解放する事を許した。
冷静でいられなくなったサイキネルは言葉遣いが悪くなるのは知っ
ていたが、この状況ではそれが致命的なミスに繋がってしまったの
だ。
﹁死んで当然だ﹂
アトラスの周辺に冷たい空気が流れる。
彼は今、間違いなく王子の部屋を支配していた。
王国が誇る戦士や、王子を前にして尚、彼らを威圧し続けたのだ。
その事実がどれだけディアマットにプレッシャーを与えたか、当の
本人には計り知れない事である。
745
アキハバラの決戦から2日が経過したある日。
蛍石スバルと神鷹カイトは、獄翼に乗って日本を脱出していた。
サイキネルとの戦いで損傷した個所を、カイトの自己再生能力をラ
ーニングすることで修復を終わらせると、彼らは急いでこの島から
出て行ったのである。
とはいえ、目的地のアメリカまで遠い。
24時間獄翼をフルパワーで飛ばし続ければ違うだろうが、時々
休憩を挟む上に睡眠時間も取る必要がある。まっすぐ海を突き進め
ば多少は違うのだろうが、可能な限り陸を渡って隠れながら進むと
言う方針を取っている以上、時間は掛るのだ。
﹁なるだけ新人類軍と遭遇せずに、尚且つ睡眠も考えると後5日く
らいはこの生活が続くと見ていい﹂
﹁飛んでるけど、レンタカーで縦断してるような気分になるな﹂
しかし、獄翼を隠すために纏うステルスオーラは発生させるだけ
でかなりのエネルギーを食らう。獄翼の売りの一つである速度も、
ある程度落としていかないと見つかる危険性を孕んでいるのだ。
折角隠れても、急いで見つかれば元も子もない。
﹁まあ、そこはいいけど問題はやっぱり﹂
メイン操縦席で獄翼を動かすスバルが、やや半目になる。
彼は振り返りもせずに、後ろにいる﹃3人﹄に言った。
﹁食費が大幅に増えた事じゃねぇの?﹂
後部座席に仕舞われたバッグを座布団代わりにしているエイジと
746
シデンが、心外そうな表情をする。
﹁失礼な。レディーに対してそういう事言うのは嫌われるよ﹂
﹁男でしょアンタ﹂
﹁成長期なんだ。仕方がないだろ﹂
﹁どっちかっていうと、俺の方が成長期なんですけどねぇ!﹂
結論から言うと、御柳エイジと六道シデンの二人もこの逃亡劇に
同行することになった。
まあ、あんなに激しく暴れ回った上に堂々と指名手配犯の手伝い
をしたのだ。これ以上あの国にはいられないだろう。それなら一緒
に行動したほうが都合がいい。
戦力の増強にもなるし、知らない仲でもない。
そんな理由で男四人の逃亡生活が幕を開けたのだが、はっきり言
って狭い。ただでさえ荷物を押し込んで窮屈なスペースなのだ。そ
こに四人が寝泊まりするのである。寝る場所にもよるが、偶に寝相
で頭を打ったりするくらいには寝苦しい空間になってしまった。
﹁⋮⋮腕、大丈夫なの?﹂
そんな狭い空間で、生活の支障が発生する可能性がある男がいる。
カイトだ。
あれからすぐにシデンが骨と爪の残骸を発見したが、獄翼のよう
にくっつければ自動的に再生が働くことは無かった。完全に傷口が
塞がっている上に、骨となっている方も肉片が殆ど残ってなかった
のである。
﹁まあ、なんとかなるだろ﹂
当の本人は、特に気にしていない様子である。
747
この2日間、何とか生活してみせているのがいい証拠だろう。強
いて言えば、着替えるのが少し面倒くさい程度である。
彼は腕が無くなっても、あまり変わらない生活リズムを送ってい
た。
﹁それに、いざとなればお前らが助けてくれるだろ?﹂
いや、変化はあった。
あの決戦から、心なしか素直になってきた気がする。
少し前なら、絶対に聞けなかった言葉だ。
﹁⋮⋮が、頑張る﹂
慣れない彼の態度に、ちょっと虚を突かれた。
そんなスバルを見て、後ろの三人が笑った。
明日にも終わるかもしれない旅路で、その笑いがだけが狭いコッ
クピットに響く。
彼らが飛ぶ空は、どこまでも美しい青空が広がっていた。
748
かつて勇者がいた国 ∼ファイナル横綱vsブルーベリー親方∼
初めての海外経験は国外逃亡である。
蛍石スバル、16歳。彼は今、故郷の日本を離れてアメリカに逃
亡中だ。
アキハバラの死闘から3日。今日も獄翼は安全運転で、なるべく
敵に見つからないルートを選びながら飛行中だ。
﹁ところでさ﹂
操縦桿を握りながらも、スバルは後方の3人に話しかける。
言っちゃあなんだが、この狭いコックピットでは娯楽が少ない。
せめて話しながら操縦でもないと、精神的に参ってしまいそうだ
った。暇は蓄積すると人間を狂わせるのである。
2日目にして足で操縦桿を操作し、獄翼のバランスが大きく崩れ
たのは苦い思い出だ。
﹁カイトさんはある程度知ってるけど、二人は何で王国から日本に
?﹂
トリプルエックス
正確に言えば、第一期XXXが王国から逃げ出した経緯と言って
もいいだろう。彼らがカイトの起こした爆発に紛れ、逃げ出したの
は知っている。
お陰でカノンたち第二期XXXは色々と苦労してきたのだ。
そのせいで死にそうな目にあった身としては、きちんと真相を知
っておきたい。
﹁元々、逃げようって話は俺達の中であったんだ﹂
749
その疑問に答えたのはエイジだ。
彼は当時を懐かしむように腕を組み、頷きながらも続けた。
﹁店の中でも話したけど、カイトの野郎も見ていて痛々しかったし、
このまま居たら遅かれ早かれ殺されるって思ってたからな。他の仲
間と一緒に相談してたんだ﹂
﹁初耳だぞ﹂
横のカイトが訝しげな目でエイジに訴えるが、その頃彼はエイジ
たちとの接触を極力避けてきた。
チームメイトの動向に疎いのは当然と言える。
なので、彼の非難の表情は当然のように無視された。
﹁で、機会をうかがってたんだけど⋮⋮﹂
﹁それでカイちゃんがあの騒動を起こしたってわけ﹂
エイジと反対方向に陣取るシデンが、画用紙にハサミを入れなが
ら続けた。さっきから何をしてると言うのだこの男女は。
﹁シデンさんはさっきから何してるの?﹂
﹁暇だから、紙相撲でも作ろうかなって。カイちゃん、相手してよ﹂
﹁いいぞ。俺のファイナル横綱に勝てるかな?﹂
﹁何をしてるんだよアンタ等は!﹂
真後ろの後部座席に座るカイトは、自慢の爪を駆使して﹃ファイ
ナル横綱﹄なる画用紙の力士を作成済みだった。
自分たちが運転しないからって気楽なもんである。こっちは操縦
に集中して、両手は完全に塞がっていると言うのに。
750
﹁話を戻すけど﹂
唯一、腕を組んで画用紙を手に取っていないエイジが続ける。
﹁その後、他に脱出した連中がどうなったのかは知らねぇ。俺とシ
デンは東洋系の顔だったから、なるべく住みやすそうな日本を選ん
だだけだしな﹂
﹁考える事は一緒だよね、カイトさん﹂
﹁そうだな﹂
ファイナル横綱をタッチパネルの上に乗せ、片手でトコトコと叩
くカイト。リズムに乗せているところを見るに、ちょっと楽しそう
である。
だが不意に目線を鋭くし、彼もエイジに問う。
﹁因みに、お前らと一緒に逃げたのは?﹂
﹁ヘリオンにウィリアム。それとエミリアの3人だ。第二期の連中
も拾おうと思ったが、道中が爆発して近づけなかった﹂
なるほど、それで第二期メンバーの回収を断念したのか。
スバルがそう思う一方、カイトはその名前の一つ一つを振り返っ
ていた。
少し前は嫌でも顔を合わせていた仲間である。
﹁懐かしい名前だ。あの当時生き残った、第一期XXX﹂
結成当時、同期にはもっと多くの子供がいた。
だが、気付けば生き残ったのは僅か6人。第二期で追加されたメ
ンバーも含めると、たったの10人だ。
今となっては妙に感慨深い。
751
﹁⋮⋮なんかさ。このまま道中でまた会うんじゃないの?﹂
スバルがぼやく。
ここ最近、シルヴェリア姉妹とシデン、エイジと連続してXXX
のメンバーと再会している。
このまま行くと、次に到着する街でも再会するんじゃないかと思
ってしまう。
﹁絶対にないとは言わないけど﹂
そのぼやきに応じたのはシデンだった。
彼はハサミで力士を作り上げると、マジックで色を塗り始める。
﹁多分、この近辺には居ないと思うよ﹂
彼らが向かうはロシア。そこを横に曲がり、旧人類連合を事実上
纏めているアメリカに保護を求めるつもりだ。
だがそのロシアの周り︱︱︱︱今彼らが飛んでいる周辺が、新人
類王国の領土だった。
西洋系の顔つきをしている他の仲間は、恐らくそれ以外の場所に
逃げている事だろう。
﹁EU諸国、アフリカ。ユーラシア大陸。この辺は7,8割が王国
の傘下だ﹂
残りの2,3割の中の一つがロシアになる。
多分、残りの仲間がいるとしたらこの辺りになる筈だ。
それならば、ここに保護を頼んでもいいかもしれないが、それを
するには余りあるリスクがあるというのがカイトの見解だった。
752
﹁ロシアには、付近にトラセットがある﹂
トラセット。北の大地に根付いた緑溢れる小さな国である。
この小さな国には世界中が注目する、ある代物があった。
アルマガニウムの大樹である。あのエレノアも絶賛し、素材とし
て愛用するほどの宝の宝庫が、世界地図にぽつんと光る大地に存在
しているのだ。
﹁今は新人類王国に塗りつぶされているが、今もここを攻め込んで
大樹を狙う国は多い。ロシアなんかは代表例だ﹂
まあ、近くにエネルギーの宝庫があるのだから、それを無視する
ほど呑気ではないのだろう。
自分の住んでいる場所の近くに油田があるようなものだ。
﹁そんなところに行ったら、すぐにトラセットに突っ込まされるの
がオチだと思う﹂
﹁大変なんだな、世界も﹂
﹁呑気な台詞だよね﹂
紫色のマジックで腰回りを塗り終え、シデン作成﹃ブルーベリー
親方﹄がタッチパネルの上に降臨した。
ファイナル横綱と対面した紫色の力士が、画用紙ながらも果敢に
立ち向かっていく。
﹁でもこの前、ネットでチラッとみたんだけどよ﹂
カイトとシデンが遊び始めた為、エイジが話題捕捉を行う。
もっとも、彼が話す内容はカイトも知らないことだった。
753
﹁トラセットは今、反新人類王国の流れらしいぜ﹂
﹁そうなの?﹂
インターネットはスバルも良く使う。
ただし、趣味限定だ。世界史の授業を受けているだけで、世論に
興味も持たなかったスバルが、上からの圧力で揉み消されているメ
ディア以外の情報を得ることは難しい。
﹁元々、トラセットは大樹を保有したことをきっかけに独立した国
だからな。比較的新しい国だったし、それですぐ占領されたら文句
もいいたいところだろ﹂
﹁ふぅん﹂
軽い社会の授業を受けるスバルは、思わずそんな言葉を漏らした。
しかしこの流れは、彼も無関係ではない。
﹁何を﹃そうなのかー﹄みてぇな面してるんだ。その流れを作った
のはお前らだぞ﹂
﹁へ?﹂
カイトとスバルによる小さな反逆は、反新人類王国派の活動を活
発化させていった。ただの旧人類の少年が、新人類の助けもあった
とはいえ新人類軍と戦い、勝利しているのである。
これには彼らも素直に思ったのだ。
戦っても、勝てる相手なのだと。
﹁海外のサイトなんかじゃ、ちょっとした英雄扱いだぜ。アメリカ
では﹃勇敢な少年が、卑劣な新人類王国に戦いを挑む!﹄なんて記
事を作ってる始末だし﹂
754
﹁アメコミのヒーローじゃないんだからさ﹂
とはいえ、称賛されて嬉しくない筈はない。
勿論、新人類王国を叩き潰す為に戦っていると言う訳ではないの
だが、高い評価を受けているのは気分が良い物だ。
﹁⋮⋮その話が本当なら﹂
スバルが密かに鼻を伸ばしていると、タッチパネルを軽快に叩き
ながらカイトが話にのっかかってきた。
遊びとは言え、コイツらに叩かれたらパネルが壊れるのではない
だろうか。
﹁一旦、トラセットで食料の補充をしていいかもしれない﹂
当然のことだが、男2人が加入したことで食料の消費量は想定よ
りも激しくなっている。
どこかで買い足しておかないと、目的地に到着する前に空腹で倒
れてしまうというのが今の現状だった。
﹁それに、アルマガニウムの大樹があるトラセットなら、俺の右腕
をカバーする何かがあるかもしれない﹂
﹁おお、なるほど﹂
カイトも右腕を切り落して以来、生活に支障をきたしているわけ
ではない。わけではないのだが、いざ戦闘となると何時も通りにい
く保証はない。
多少危険でも、後のことを考えると早いうちに解決させておきた
い問題だった。
755
﹁じゃあ、次の目的地は﹂
﹁トラセットだ。だが、一応今は王国の領域だ。なるだけ目立たな
いようにな﹂
かくして、一向はトラセットへと獄翼の軌道を向けた。
それと同時、ファイナル横綱のバランスがわずかに崩れる。
﹁げ﹂
﹁今だ! のこったのこったぁ!﹂
これをチャンスを見たシデンが、すかさずパネルを叩きまくる。
焦るカイト。例え遊びでも、彼は負けるのが大嫌いなのだ。
ゆえに、彼は提案する。
﹁スバル、右に機体を揺らせ!﹂
﹁紙相撲でそんなスマブラのステージみたいな要求しないでよ!﹂
卑怯な提案をしている内に、ブルーベリー親方が攻め入る。
ファイナル横綱は今にも紫色の力士に押し潰されそうになってい
た。
﹁負けるな! 踏ん張れ、ファイナル横綱!﹂
﹁いっけぇ、ボクのブルーベリー親方!﹂
遂には名前を呼んで応援までしている始末である。
これはミニ四駆か何かだっただろうか。
スバルがジト目になってそんなことを考えていると、決着の瞬間
が訪れた。
ブルーベリー親方に押し込まれ、後ろに転倒するファイナル横綱。
756
だがそれを見た瞬間、カイトは思いっきりパネルに拳を叩き込ん
だ。
どしん、という振動が獄翼を襲う。タッチパネルは削げ落ち、紙
でできた二人の力士は土台から一気に床へと転げ落ちていった。
﹁⋮⋮はい、俺の勝ちー﹂
﹁カイちゃんズルい!﹂
真顔で勝利宣言をするカイト。確かに見方によれば、彼がすべて
の決着をつけたと言ってもいいだろう。現に二人の力士は揃って転
倒している始末だ。相撲と言うスポーツにおいて、敵を転がすとい
う行為は勝利につながるのである。あくまで一般認識のイメージの
話だが。
﹁⋮⋮トラセットに到着する前に、この機体持つかなぁ﹂
大人気ない暴力によって悲鳴をあげる黒い機体が泣いている気が
した。
スバルは相方の悲しみに共感するようにして、正面のモニターを
撫でてやる。
その表情は、哀れみの感情で満ちていた。
﹁ご迷惑をおかけしました!﹂
一方の新人類王国。その中でも最強の戦士の一角として名高いタ
757
イラントの部屋に、一人の兵が復帰挨拶にやって来た。
幼さが残り、ぶかぶかとしたフードと三角帽子という、絵本の中
の魔女みたいな恰好をした少女。名をメラニーと言った。
﹁このメラニー、長い治療と謹慎生活を終えて今日よりお姉様の下
で改めて働きます﹂
﹁ああ、よろしく頼むぞ﹂
厳しい表情で、しかし優しい視線でタイラントは部下を出迎えた。
彼女はシンジュクでの戦いでカイトに敗れ、王国で治療を受けて
いたのだが、それがやっと帰ってきたのである。
とはいえ、日本の大使館が機能していない以上、彼女の勤務先は
しばらくの間、直属の上司であるタイラントの秘書と言う形になる。
本来はその位置も高演算処理を行うシャオランが担当していたの
だが、その彼女もカイトに敗れ、現在修理中だ。彼女が戻ってくる
までの間、メラニーにはシャオランの仕事を担当してもらうつもり
でいた。
﹁それで、その⋮⋮シャオランお姉様の容態は?﹂
﹁案ずるな。致命傷を受けてはいるが、修理にそんなに時間は掛ら
ないとのことだ﹂
﹁そうですか﹂
ほっ、と胸をなでおろす。
入院中に赤い折り紙を3枚、何時でも使用できる状態で渡してい
たのだが、それでも負けたという報告を聞いた時は耳を疑った物で
ある。
どれほどえげつないというのだ、あの化物は。
﹁しかし、アイツらを放っておいて本当に大丈夫なのでしょうか﹂
758
王の指示により、スバルやカイト達の追跡が暫く中止になったの
はメラニーも聞いている。
だが、その理由は﹃面白そうだから﹄の一言だ。その一言で自分
やシャオランの受けた痛みが帳消しにされるのは、王とは言え納得
がいかない。
﹁国の威信を考えると、危険だ。現にトラセットのような国では、
反旗の匂いすらあるらしい﹂
新人類王国の威厳は、確実に弱まってきている。
例えメディアを規制しても、今はやろうと思えばネットを通じて
海外から情報を拾える時代なのだ。都合の悪い事実を全て押し殺す
事は、非常に難しい。
﹁アルマガニウムの大樹を保有している土地ですね﹂
﹁ああ。多くの移民で構成された場所だが、アルマガニウムが確立
しているだけあって、エネルギーという点においては他の追随を許
さないほど優位だ﹂
この点においては、大樹を切り落せない時点で王国側でも干渉で
きない。
彼らがトラセットを押さえつけれるのは、力でねじ伏せたからに
他ならないのだ。
だがカイトとスバルの活躍により、抑え込んできた勢いが盛り返
し始めてきている。
﹁近々、出ることになるかもしれないな。トラセットに﹂
どこか遠い目で窓を見つめる。
759
あの国は今、王国と張り合えるだけの戦力は無い。かつては最後
まで王国に抵抗をし続けた﹃勇者﹄がいた。
だがトラセットを守り続けた最強の勇者は今、王国に仕えている。
敗戦国から徴収された勇者は、不平不満を言わずに働き続けている
のだ。
それも少しでも祖国の為になれば、という考えの基だろう。なん
とも献身的だ。
﹁そういえば﹂
ふと、メラニーは思い出す。
確か自分と同時期に王国に運ばれた戦士が一人、﹃里帰り﹄をし
ているんだった。
立場上、もっとも重い責任がのしかかってくる彼の謹慎期間はメ
ラニーの比ではない。その間、彼は王の許可を得て故郷に帰ったの
だ。
お土産を楽しみにしているように、と高らかに笑っていたのを思
い出す。
﹁アーガスさん、トラセットの出身でしたね﹂
トラセットの勇者、アーガス・ダートシルヴィー。
もしも彼がこの勢いに乗り、王国を裏切って反旗を翻したとした
ら非常に面倒くさいことになる。
トラセットのエネルギー資源も、他の国に渡すわけにはいかない。
それを手放しただけで、王国は大きな打撃を受けること必死だ。
﹁なに、もし牙を剥いたとしても問題はない﹂
タイラントはメラニーに振り返り、言う。
760
﹁その時はまた、私が叩き潰すだけだ﹂
761
第54話 vsNOと言えない日本人
北国といったらどんな場所を想像するだろうか。
場所や季節にもよるだろうが、﹃北国﹄という単語だけで問われ
た場合、恐らく大半の人間が雪と氷に染まった白の世界をイメージ
する事だろう。
蛍石スバルも例外ではなかった。北半球に位置するトラセットと
言う小さな国も、きっとアルマガニウムの大樹があるだけで基本的
に雪が積もってるんだろうな、と勝手にイメージしていたのだ。
ところがどっこい。
そんな彼の目の前に広がるのは、雪や氷で覆われたアバウトな北
国ではなかった。
近くの岩陰に獄翼を隠し、街へと入った四人を歓迎したのは無数
の花々である。
﹁⋮⋮ここって、北国だよな?﹂
﹁ああ﹂
﹁勿論そうだぜ。日本より北だ﹂
﹁何を当たり前の事言ってるの? 飛んできたの君でしょ?﹂
軽く確認を行った筈なのに、同伴する三人全員から首を縦に振ら
れた。
最後の男女に至っては若干非難めいている。
﹁いや、なんというかこう⋮⋮こんなに植物が生えるもんなの?﹂
スバルたちの眼前では、一面を﹃緑﹄が覆い尽くしていた。
762
例えて言えば整備されている巨大な植物園と言っても過言ではな
いかもしれない。トラセットの大地には一面美しい花々が咲き誇り、
街に至るまで続いていた。
更に言うと、街の中でも植物が覆い茂っている。木造建築の民家
から花が生えているのを始めてみた。
﹁トラセットは1年中植物が育つ街だ。この土地で育った薔薇は、
枯れるのに5年かかるとも言われている﹂
﹁へ、へぇ⋮⋮﹂
いってしまえば、アルマガニウムの影響を受けて生まれた新人類
ならぬ﹃新植物﹄といったところだろうか。
トラセットと呼ばれる土地には、このような生命力の強い植物が
多く存在しているのだという。
﹁一応言っておくが、一人で行動するなよ。聞いたところだと、整
備されていないところには人を食う植物まで居るらしい﹂
﹁ファンタジーかなんか?﹂
日本にいた時とは比べ物にならない常識を前にして、スバルは問
う。
﹁そうだな。ここだけファンタジーだ﹂
カイトは呟くと同時、周囲を見やる。観光客や出店が賑わい、ヒ
メヅルやシンジュク、アキハバラといったこれまでの場所とは違う
雰囲気を出していた。この空気だけでも、軽いファンタジーと言え
るかもしれない。
トラセットは国と言う形をとっていたが、その実態は大樹の近く
763
に位置する都市が独立しただけである。人口は僅かに2万人。国と
しての面積も小さい方から数えた方が早いレベルだ。
都市や街も、この国では2つしか存在しない。
首都のトラセインと、そこから少し離れた場所にある住宅街中心
の街、トラメット。カイト達が訪れたのは大樹もあり、都市として
設備もそれなりにしっかりしているトラセインの方である。
﹁しかし、びっくりしたな。まさか観葉野菜とかいうのまであると
は思わなかったぜ﹂
これまで碌に海外観光をしてこなかったエイジも、目の前に広が
るファンタジーにすっかり飲まれていた。
まさか食べられる人参と、食べられない人参の需要がはっきり分
かれているとは思わなかったのだろう。しかも後者にもきっちりリ
ピーターがついているのだと言うのだから驚きだ。
﹁アルマガニウムの影響だろうね。人間が食べるよりも、生活に役
立てる方面の植物として認識されてるみたい﹂
シデンが出店から貰ってきたチラシを眺めつつ、言う。
電灯リンゴなる、ランプの役割を果たす果物の紹介がされていた。
﹁海外ってすげぇんだな﹂
チラシを横目で盗み見たスバルは、思わずそんな感想を漏らす。
だが、そんな彼に厳しい言葉を投げかけたのはカイトだった。
﹁あんまりきょろきょろするな。観光客も多いとはいえ、ここは王
国の管轄内だぞ﹂
﹁に、してはそれっぽいの見えなくないか?﹂
764
少なくとも、王国の人材不足を補うバトルロイドのようなアンド
ロイド集団は見られない。更に言えば、王国の制服を着た新人類の
姿も見られなかった。
﹁馬鹿。そんな堂々とバトルロイドが徘徊するようなのは映画くら
いしかないぞ。ここはあくまで戦争も起きてない市街地だ﹂
﹁う⋮⋮﹂
正確に言えば、昔戦争が起きたわけだがそれも過去の話だ。
王国に負けた以上、トラセットも必要最低限の戦力が在住してい
るだけで、必要以上に国を徘徊する必要はない。
特に彼らが興味を持っているのはアルマガニウムの大樹だ。
実際、大使館もそこに設置されている。彼らの興味対象と防衛優
先はあくまでこのエネルギー資源なのだから、そこに近づかなけれ
ば勘付かれることもないだろうというのがカイトの考えである。
﹁正直、観光場所としては興味あるけどな﹂
エイジが目を凝らし、手を額に当てて遠くを見る。
彼らが目で確認できる位置に、問題の大樹はあった。遠目で見て
も妙な存在感がある。まるであの巨大な木から黄金のオーラでも噴
き出ているかのようだ。
﹁でもまあ、これ以上近づくのは流石に危険かな﹂
﹁ああ。早い所脱出しよう﹂
食料はなんとか揃えた。
目下の課題は、カイトの右腕に変わる彼の武器の調達である。
トラセットは日本のように銃刀法違反が存在している国ではない。
765
専門店もあれば、普通に販売もされている。
﹁ところで、どんなの買うつもりなの?﹂
スバルが問う。
簡単な問いではあるが、問われた本人はあっさりめに答えた。
﹁ナイフ﹂
色々と考えた結果、これが一番適任だと判断した。
両手足から刃物が伸びる以上、切り取った右腕のフォローをする
のもそれに近い物が望ましい。
﹁できれば、大きめなのが欲しい﹂
﹁大きめ、ねぇ。まあ頑丈な植物を切ることもあるだろうから、な
い事も無いとは思うけど﹂
とはいえ、この男の望みに叶う切れ味の刃物があるかどうか。
元々の爪がブレイカーですら切り裂いてしまうのだ。その辺の刃
物は、彼の前ではなまくらに等しい。
﹁兎に角、探してみよう。そういうのを取り扱ってそうな店は⋮⋮﹂
店を探そうと周囲を見るカイトは、そのタイミングで気付く。
女がこちらを遠目で観察していた。
パンを置いている出店のカウンターからこちらを見る赤毛の女は
悩みながらも、目が合った事で意を決したのか、店を出てカイト達
へと近づいてきた。
﹁あ、あの⋮⋮﹂
766
﹁?﹂
4人の男に訝しげな視線を一斉に向けられ、女は身体をびくつか
せる。
ちょっと威圧感を受けたらしい。
彼女は涙目になりながらも、彼らに問う。
﹁も、もしかして⋮⋮日本からいらっしゃった方々でしょうか?﹂
涙目になりながらも女は言った。恐らく、家業の手伝いをしてい
る街娘なのだろう。年端もいかない容姿は、どちらかといえば少女
と呼ぶのにふさわしい。
しかしこの状況。傍から見るとこちらが脅しているように見えな
くもない。
やや困惑しながらも、カイトは3人の仲間に無言で問いかける。
どうしよう、と。
あまりに分かりやすい困惑の視線を察した3人はしかし、全員が
無言の視線で彼に訴えた。
いいから適当に答えて追い返せ、と。
明らかに面倒事の匂いがプンプンしていた。
このトラセットでは、反新人類王国の流れがあると聞いている。
だからこそ、ここでなら新人類相手でも通用する武器が入手できる
と踏んできたのだが、しかし。面倒事に巻き込まれるのであれば、
話は別だ。
ここで下手に正体がバレて、騒ぎにでもなってみろ。
この地に在住する新人類軍が黙ってはいないだろう。
767
そんな意思を乗せた視線が、カイトに届く。
彼は少し考える動作を見せてから、少女に向き合う。
﹁⋮⋮そうだけど﹂
﹁じゃ、じゃあ!﹂
赤毛の少女が目を輝かせ始める。
先程まで怯えていた姿はどこにいったのやら、彼女はズイッ、と
前進しては質問を続けた。
﹁皆さんはこの新聞の方々なんですね!﹂
エプロンにしまっていた新聞紙を広げ、見出しを指差す。
日本の高層ビルに囲まれながらも、鳩胸を倒している獄翼の姿が
映っていた。見出しにはでかでかと﹃旧人類による反逆! 新人類
軍、遂に敗北か!?﹄とあった。
思いっきり当人たちのことである。
違う写真には、ばっちりとカイト達の写真も写っていた。こちら
はアキハバラでの戦いだろう。写真の中のカイトが片腕だけである。
﹁おい、聞いたか?﹂
﹁ああ、来てるらしいぜ。あの王国に喧嘩を売ってる連中が!﹂
﹁噂通り、隻腕だぞ。きっと想像もできない死闘を繰り広げたに違
いない!﹂
少女の興奮気味の声に釣られ、周りの観光客や商人たちも集まり
始めた。
周囲を人に囲まれ、何時の間にやら逃げ場なしの状態になってい
る。
768
﹁ああ、あんたはさっきウチで人参を買ってくれた人だね! 頑張
っておくれよ、これサービスするから!﹂
﹁あ、すまねぇな﹂
エイジたちの事も認知されているようで、正体を認識したおばち
ゃんが反逆者たちにブロッコリーを手渡していった。別に本人達が
認めたわけでもないのにも関わらず、である。
それに続くように、商人たちが自分たちの自慢の商品を渡してい
く。
両手に次々と荷物が増えていく中、スバルは思う。なんだこの行
列は、と。
﹁ねえ、めっちゃ目立ってない?﹂
﹁うん、凄い目立ってるね﹂
シデンとスバルが頷きあう。
これはひょっとしなくても、結構マズいパターンだ。
このまま人が集まれば、自分たちの存在が大使館に知れ渡る可能
性も高い。
なんとかこの勢いを止めようと、スバルは赤毛の少女に誤解だと
話しかけようとするが、
﹁あ、もしもしゴルドー様ですか! はい、そうです。日本から反
逆者様がいらしています!﹂
﹁なんで電話してんのさ!﹂
しかも様付けをしているところを察するに、相当偉い人であるこ
とが予想できる。
毎度恒例となりつつあるが、思わず頭を抱えるスバル。なんで確
769
認が取れていないのにも関わらず、そこまで連絡が回るのか。日本
から来て、片腕なら誰でも反逆者になるのかこの国は。
ややあってから少女は﹃わかりました。ご案内いたします﹄と言
って電話を切る。
﹁反逆者の皆さん!﹂
マイナスイメージである筈の単語を呼ぶ少女の表情は、やけに明
るい。
﹁ようこそ、緑と大地のトラセットへ! 私たちはみなさんを歓迎
します!﹂
少女が言うと同時、周囲を取り囲んでいた商人たちが歓喜の雄叫
びをあげた。観光客もその勢いに流されているのか、腕を上げて﹃
うおおお﹄と言っている始末である。なんで観光客と現地の人間が
肩を組んで仲良さそうに喜んでいるのかは、この際深く考えないこ
とにした。
しかし、想像以上の歓迎ぶりである。
トラセットが反新人類王国の思想を持っており、スバルたちを半
ば英雄扱いしているのでは、という話は聞いていた。
聞いていたのだが、この歓迎ぶりは予想以上だ。街ぐるみでこち
らを騙しているのではないかとすら疑ってしまう。
﹁ねえ、反新人類王国の思想ってどこもこんななわけ?﹂
﹁いや、流石にボクもそこまでは⋮⋮始めてきたし﹂
シデンに耳打ちすると、彼も困った顔をして少女を見る。
問題の中心にいる彼女は﹃ばんざーい!﹄と力いっぱい両手を挙
770
げていた。反逆者が来て、ここまで喜ばれるというのも奇妙な話で
ある。
﹁ぜーぜー⋮⋮と、言う訳で皆さん﹂
息を切らし、再びニコニコ笑顔でスバルたちを見つめる少女。
喜びを身体全身で表現すると、人間はこうも簡単に疲れるのかと
身を以て理解した瞬間であった。
﹁トラセットの最高権力者であるゴルドー様が、皆さんに是非お会
いしたいと言う事です。私がご案内しますので、皆さんついて来て
ください﹂
﹁いや、それは流石に﹂
遠慮しておくと呟きかけたスバルだが、周囲の人間たちも揃って
目を輝かせている。
今まで経験したことのないプレッシャーが、スバルを押し潰しに
かかって来た瞬間だった。思わず汗が流れ、口元が引きつる。
﹁⋮⋮よろしく﹂
﹁はい。こちらになります﹂
赤毛の少女が先頭に立ち、四人の反逆者を案内し始める。
その背中を眺めながらも、カイトはスバルに向かって呟いた。
﹁⋮⋮お前、弱いな﹂
﹁仕方ないだろ。こんなに大勢に囲まれたら断れないよ⋮⋮﹂
これがNOと言えない日本人か。
そう思いつつ、勝手に納得するとカイトは黙って少女の後に続い
771
て行った。
﹁おい、行っていいのか? この調子だと、また騒動になるかもし
れねぇぞ﹂
後ろからエイジとシデンが追いかけ、素早く耳打ちする。
カイトは溜息をつき、呟く。
﹁この女が必要以上に騒がなければいいだけの話だ﹂
それに、
﹁一番偉い奴と話せるなら、俺達の助けになる情報を知ってるかも
しれないだろ﹂
片腕が通っていない袖をぷらん、と垂らしつつも、彼は歩を進め
た。
そして早い段階で、彼は警告する。
﹁おい、あまり騒がしくするなよ。新人類軍がかぎつけたら面倒だ﹂
それは自分たちの正体を認める発言なのだが、ここまで騒がれれ
ば今更だろう。
だが、そんな彼らの心情を知ってか知らずか、赤毛の少女は笑顔
で振り返り、言う。
﹁大丈夫です。今はこの街の勇者様が滞在しています。あのお方が
いる以上、皆さんに指一本触れる事も叶いません﹂
﹁勇者?﹂
772
その単語に、訝しげな表情を向ける四人。
益々ファンタジー溢れる単語である。この国は異世界なのだろう
か。
﹁はい。今は身を王国に差し出しましたが、現在は謹慎を受けてこ
の街に滞在しておられます﹂
しかし、その意思はあくまで祖国が優先の筈。
ならば何の問題もないだろう、というのが少女の意見だった。
﹁お名前だけでも御存知ありませんか? アーガス・ダートシルヴ
ィー様というのですが﹂
その名前を聞いた瞬間、カイトとスバルの足が止まった。
﹁ん?﹂
﹁どうしたの二人とも﹂
今度はエイジとシデンが二人を不思議そうな表情で見やる。
それからやや時間が経過した後、スバルは思わず叫んだ。
﹁あの人勇者なのおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお
おおおおおっ!?﹂
その絶叫に続き、カイトが頭を抱えながらも﹃マジかよ﹄と呟い
た。
773
第55話 vs勇者の弟
アーガス・ダートシルヴィー。
その名を忘れる筈がない。あれほど強烈なキャラクターは生まれ
始めて出会ったとスバルは記憶していた。
シンジュクの大使館に連れて行かれた際、彼には良くしてもらっ
た物だ。
メラニーが毒を吐きまくる中、彼は割と気にかけてくれた気がす
る。
かと言って、決して愉快な思い出だけではない。
何を隠そう、スバルの父であり、カイトの恩人である蛍石マサキ
はアーガスの管轄下で殺されたに等しい。
そんなアーガスは実は勇者で、こちらの安全を保障してくれると
言われてもあんまりいい気はしないのだ。
﹁というか、いるんだよな。ここに﹂
﹁⋮⋮そうなるな﹂
隣を歩くカイトが、険しい表情を見せる。
彼もアーガスに多少の苦手意識を持っているようだ。
スバルは知らないが、カイトとアーガスは大使館のトイレで激戦
を繰り広げ、結果的にはパイルドライバーを炸裂させて勝利してい
る。
結構汚い思い出の為か、カイトも渋い表情を見せていた。
﹁どんな奴なんだ?﹂
774
何も知らないエイジが問いかけてくる。
すると、二人は事前に打ち合わせをしていないにも関わらず、ハ
モりながら答えた。
﹃自己主張の激しいナルシスト﹄
﹁お、おう⋮⋮﹂
あのサイキネルとやりあった二人が、揃ってこう明言しているの
だ。
きっと凄く濃いんだろうな、とエイジは心の中で納得する。
﹁でも、逆に不味いんじゃないそれ?﹂
険しい表情でシデンは言う。
﹁だって、カイちゃんに負けたわけでしょ? それで謹慎してるっ
て事は、恨まれてたりするんじゃない?﹂
﹁勇者様は心の広いお方です﹂
そんな危惧を真っ向から否定するのは、彼らの先頭に立つ赤毛の
少女だ。
このトラセットで長い間暮らしてきた少女は、勇者を疑う気など
微塵もないらしい。
﹁トラセットは王国の管理下になる前も、様々な国に狙われ続けま
した。幾度にも続く戦いから私たちを守ってくださったのは、他な
らぬ勇者様です﹂
その為、アーガスの人望はこの国では群を抜いている。
トラセットは大樹がある物の、文化レベルでは王国を始めとする
775
先進国にかなり後れをとっていた。国産ブレイカーだって作れてい
ない。
そんな国を守り通してきたのが、アーガスである。
彼は祖国に降りかかる火の粉をひたすら振り払い、退けてきた。
たった一人で30機のブレイカーを撃墜したのは、国の中では伝
説となっている。
﹁一人で30撃墜ぃ!?﹂
その驚異的数字に目を丸くしたのが、操縦担当のスバルだ。
制限時間があったとはいえ、シンジュクで6機相手をするのにか
なり神経を使ったいるのだ。単純計算で5倍の神経を使っているこ
とになる。
﹁生身か?﹂
﹁勿論です。残念な事ですが、王国に敗北するまでブレイカーは一
機も存在していませんでしたから﹂
その言葉に思わず腕を組み、物思いにふけるのがカイトである。
あのパツキンがそこまでの戦闘力を誇っているのであれば、シン
ジュクでは手を抜かれていたのだろうか。彼がその気になれば、大
使館ごとカイトをぶっ飛ばすことも可能だった筈だ。
もしもそうだとすれば気分が悪いが、どういうつもりなのだろう。
﹁到着しました﹂
勇者の話をしながら歩いていくこと数十分。
一行は豪邸の前で立ち止まる。他の民家と比べて、明らかに風格
776
が違った。
家の面積の数倍近くの庭が広がっており、そこで何人かの庭師が
花々を手入れしていた。日本では滅多に見れない光景である。
﹁お待ちしておりました、反逆者様﹂
門の前に移動すると、一人の青年に出迎えられた。
背中まで伸びている長い黒髪をなびかせながらも、スーツで着飾
ったその姿は妙に様になっている。
﹁アスプル様、反逆者様御一行をお連れしました﹂
﹁ご苦労です、マリリス。そろそろお戻なさい。ゾーラさんの手伝
いがあるでしょう﹂
アスプルが微笑みながら言うと、マリリスはエプロン姿のままお
辞儀をする。
﹁では皆さん、私がご案内するのは此処までです。機会があれば、
ゾーラのパン屋に是非いらしてくださいね﹂
ちゃっかり宣伝をすると、手を振りながらマリリスは商店街の方
角へと走り去っていく。
それを見届けた後、アスプルは改めてこちらに向き直った。
﹁改めまして、ようこそトラセットに。私はアスプル・ダートシル
ヴィー。この家の主でるゴルドーの息子です﹂
﹁ダートシルヴィー?﹂
﹁もしかして⋮⋮﹂
﹁はい﹂
777
訝しげに首を傾げると、アスプルは笑顔で答えた。
﹁勇者アーガスは、私の兄です﹂
数秒してから、カイトとスバルはお互いに顔を見合わせる。
兄。そう、兄弟の兄だ。
紛れも無く先に生まれた来た方である。
ならば目の前にいるこの礼儀良さそうな青年は、あのアーガスの
弟だと言うのか。
あの大使館のトイレに顔面を突っ込まれて、見事に散って行った
アーガスの弟だと言うのか!
﹁いかがなさいました?﹂
﹁⋮⋮いや、DNAって不思議だなって﹂
﹁似ていない、とはよく言われていますよ﹂
アスプルは微笑。
カイトが不思議そうな表情で観察し始めるも、意に介す様子はな
い。
﹁というか、アスプルさんの家って事は﹂
﹁はい。一応、私は国の最高権力者の息子と言う事になりますね﹂
誘拐しても構いませんよ、と付け足しながらアスプルは門へと振
り返る。
軽く手を叩き、合図を出すと閉ざされた門が開き始めた。
﹁おお、西洋風﹂
﹁ボク、こんなゲームみたいな豪邸始めて﹂
778
門が開くだけで初々しい反応を見せる4人の反逆者。
それもその筈。こいつら揃いも揃って貧乏なのだ。テレビの億万
長者特集にでも出てきそうな豪邸を生で見ると、今まで戦った事の
ない未知の圧迫感を覚え始める。
﹁どうぞ、ご遠慮なく﹂
ちょっと躊躇している反逆者に対し、敷地内へ招き入れるアスプ
ル。
その表情は、あくまで冷静で笑顔だ。
本当に客人を招いているように見える。
しかし、解せない。
いかに反新人類王国の風潮があるとはいえ、この国は王国の傘下
にある。
それによるデメリットは当然あるあろうが、メリットも勿論ある
筈だ。
現にメリットを稼ぐ為に、国の勇者であるアーガスがせっせと働
いている。その勇者を倒し、国の英雄を乏しめた反逆者相手にここ
まで丁寧にする理由が判らない。しかもアスプルは彼の血縁だ。
ゆえに、カイトは問う。
﹁⋮⋮何が目的だ﹂
﹁なにが、とは?﹂
﹁とぼけるな。俺たちは別にこの国の英雄じゃない。王国を滅ぼす
戦争屋でもない﹂
先頭に立ち、アスプルと相対する。
﹁それとも、兄貴の屈辱を晴らすか?﹂
779
﹁なるほど﹂
聞き終えると、アスプルは納得したように頷く。
同時に何人かの庭師がアスプルの前に駆けつけるが、彼はそれを
片手で制した。
﹁客人だ。手荒な真似はしないでくれ﹂
庭師たちが数歩身を引く。
腰に手をもっていった者がいたところを察するに、ただの庭師で
はなさそうだ。まあ、警備員が見当たらないことを見るに、その役
割を兼ねているのかもしれない。
その辺を踏まえたうえで、カイトはかまをかけてみる。
﹁銃がある庭に誘い出して、どうする気なんだ?﹂
﹁大変失礼しました。非礼をお詫びしましょう﹂
すると、アスプルは胸ポケットに収まっている薔薇を手に取った。
次の瞬間、彼はそれを自らの手の甲に思いっきり突き刺す。
﹁う、づ⋮⋮﹂
掌を薔薇が貫通している。
アスプルは痛みを堪えつつも、薔薇を引き抜く。
そして深く頭を下げ、言う。
﹁申し訳ございませんでした﹂
その一連の動作にスバルは驚愕する。
頭を下げるのはまだ分かる。
780
だが、その為にけじめとして、そこまでやるのか。責任感が強す
ぎるという話ではない。
﹁誤魔化すな﹂
しかし、一方のカイトはあくまで本題を急かす。
彼は詫びを求めてはいない。向こうが勝手にやった不始末など、
興味はない。
﹁この国は俺達を担ぎ上げて、なにをする気だ﹂
﹁⋮⋮皆さんに危害を加えるつもりはありません﹂
アスプルが頭を上げる。
その表情は、真剣そのものである。
﹁ただ、ほんの少しだけこの国に滞在していただきたいのです﹂
﹁なぜだ﹂
﹁それは私の口ではなく、父から聞いた方が説得力があるでしょう。
どうぞ、こちらへ﹂
アスプルはあくまで反逆者を招き入れるつもりだった。
正面玄関の前に立ち、扉を開いてこちらの来訪を待っている。
﹁⋮⋮どう見る?﹂
見方によれば一途。見方によれば機械的とも捉えれるアスプルの
対応を見たカイトが、チームメイトと同居人に意見を求める。
﹁怪しい﹂
﹁まあ、怪しいよね﹂
781
﹁スバルは?﹂
﹁正直、すっげぇ怪しいと思う﹂
話し合う余地も無く、4人とも万場一致である。
そうなってくると自然と躊躇ってきてしまうのだが、
﹁でも、あの人は信じてみてもいいと思う﹂
そこにスバルが意見を出してきた。
3人の超人に視線を向けられながらも、彼は続ける。
﹁何ていえばいいのかな。放っておけない感じがするんだよ﹂
﹁アイツがか?﹂
同居人の言葉に首を傾げ、カイトが改めてアスプルを見る。
出で立ちはご立派なスーツ。
国の最高権力者の息子。兄は勇者。使用人もいるし、マリリスと
のやり取りを見た感じでも問題があるようには見えない。
寧ろ、将来的にはかなり安泰の勝ち組ではないだろうか。
﹁生真面目な坊ちゃんだとは思うが﹂
﹁うーん⋮⋮﹂
スバルも上手く言葉に出来ない為、悩む。
ややあってから彼は一つの言葉を導き出し、紡いだ。
﹁あ、そうだ。昔のカイトさんに何となく似てるんだよ﹂
﹁なんだと﹂
そのセリフに憤慨する。
782
あのパツキン薔薇野郎の弟と自分が似ていると言うのか。
ふざけた事を言うんじゃない。
そう反論しようと思ったが、
﹁あ、わかるぞ﹂
﹁確かに似てるね。なんか思い詰めてるオーラが出てる﹂
チームメイト二人からも賛同の言葉が出て、思わず肩を落とした。
﹁多分、俺たちにとってはそうでなくても、この国の人にとって一
大事な何かが起きてるんじゃないかな﹂
﹁それで勇者を倒した俺達を頼ろうってわけか?﹂
ただの反新人類国家ならまだ分からんでもない。
しかし向こうの英雄が良くも悪くも曲者である。この英雄を倒し
た反逆者に頼るという時点で、キナ臭さがぷんぷんする。
﹁⋮⋮ここに来る前はああ言ったが﹂
カイトが口を開く。
ゴルドー邸に足を運ぼうと提案したのは彼だ。
しかしアスプルの態度と、アーガスの存在が引っかかって仕方が
無いようである。
﹁俺はパス。お前らだけで話を聞いといてくれ﹂
﹁うん、わかった﹂
あっけらかんとスバル達は納得する。
疑念があるのは彼らとて同じだ。そんな中で集団行動するのは危
険だと、全員が判断したのである。
783
﹁待ち合わせは⋮⋮マリリスとかいう女がいたパン屋でいいだろ﹂
﹁じゃあ、こっちの話が終わったら連絡するね﹂
﹁頼む。俺は周辺を見てくる﹂
シデンとエイジにスバルを任せ、カイトは足早とゴルドー邸を去
って行った。
周りを見てくる、とは言ったものの、彼の中にある疑念は全く別
の方面にある。それは他ならぬアーガスの存在にあった。
あの目立ちたがり屋が。
日本のド田舎にピアノまで持ち込んできた、あのパツキンナルシ
スト薔薇野郎が、果たして謹慎期間や故郷だからと言って大人しく
している物だろうか。
彼のことをよく知っているわけではないが、勝手なイメージなが
ら絶対にありえないとカイトは思う。
何か企んでいるな。
しかも家族ぐるみで。
簡潔に思考を纏めると、カイトは匂いを辿る。
忘れようはずもない、あの強烈なナルシストの匂いを嗅ぎつける
と、彼はパツキンナルシスト薔薇野郎のもとへと向かって行った。
784
第56話 vsダートシルヴィー家とトラセット文化
トラセットは国民も認める、緑溢れた植物の国である。
だが、同時に芸術の国としても有名だ。この国から排出された音
楽家は世界中でコンサートを開き、画家が何か描けば高い値で売れ
る。陶芸家は王国に出向いて王の像を作ることまでしたのだそうだ。
そんな国の最高責任者の豪邸の中は、想像以上に芸術品が並んで
いる。
﹁うわぁ⋮⋮﹂
招かれたスバルも絶句する品の数々。
右を見れば絵画が存在しており、左を見れば何故かパイプオルガ
ンが置かれている。絨毯に至っては金色だった。ここまでくると趣
味が悪い気さえする。
﹁どうぞ、おくつろぎください﹂
招き入れたアスプルがそう言うが、見るからに金ぴかなソファー
とテーブルが並んでいる中、どうリラックスしろというのだろう。
眩しすぎて具合が悪くなりそうだった。
﹁なんというか、こう⋮⋮典型的な金持ちの家って感じがするね﹂
シデンの感想に、エイジとスバルは無言で頷く。
ここまでくるとコップも金色に輝いているのではないだろうか。
そんな予想を立てた時だった。
785
﹁レディイイイイス、アアアアアアアアアアアアアアンド! ジェ
ントルメェン!﹂
突如として、屋敷の中に大声が木霊した。
どうでもいいが、彼らの中に﹃レディー﹄は一人もいない。レデ
ィーっぽい男はいるが。
﹁なんだ?﹂
﹁父ですね﹂
﹁お父さん!?﹂
あっさりとアスプルが認めたと同時、それは起きた。
四人が入ってきた扉が勢いよく解き放たれる。何事かと思い、来
客はそちらを見やった。
するとどうだろう。そこから人が入ってこない代わりに、何処か
らともなく音楽が流れ始める。運動会の時にでも流れてきそうな、
非常に陽気な曲である。
﹁トラセット民謡です﹂
﹁民謡なの!?﹂
律儀に解説するアスプルをよそに、扉からメイドが姿を現した。
何故かくるくると音楽に合わせて回転し、器用に足首をひねる事
で部屋の中へと移動している。バレエかなんかか、これは。
﹁あ、またきた﹂
そのメイドを先頭として、次々と同じ回転移動で部屋へとやって
くるメイドたち。服装の色が違うのが個性的である。趣味の悪い黄
786
金の部屋を色鮮やかにするように、彼女たちはカラフルな衣装を身
に纏い、踊っていた。
﹁ようこそおぉぉぉぉぉっ!﹂
色鮮やかなメイド舞踏会に目を奪われた反逆者たちを歓迎したの
は、最後に部屋に入ってきた大男だった。
鼻先から存在感をアピールするガイゼル髭、身長もエイジを超え
て2メートルはあるんじゃないかと思える巨体。何よりも目を引く
のは、部屋と同じ黄金に輝くスーツ。無駄に眩しい。
しかし巨体に似合わず、透き通った声をしている。
急な出来事にも関わらず、その美声に思わず三人は聞き惚れてし
まった。
﹁反逆者様の皆さんんんんんんんっ!﹂
音楽に合わせて声を伸ばす大男。
周りで一律した踊りを見せるメイドたちを含めたら、完全にミュ
ージカルである。
﹁早速ですがあぁぁぁぁぁっ、おもてなしをおぉぉぉぉぉぉっ、お
受けくださいいぃぃぃぃぃぃぃぃっ!﹂
ちょっと無理やり声を伸ばすと同時、スバルの手が引っ張られる。
﹁え?﹂
見ると、何時の間にやら真横に移動していたメイドが少年の手を
取っていた。そのまま勢い任せに引っ張られ、スバルはダンスメイ
ド軍団に引き込まれる。
787
﹁え? え!? ええっ!?﹂
リズムに合わせ、ステップを踏みながら微笑むメイド。
まさか踊れというのか。自慢じゃないが蛍石スバル、16歳。ダ
ンスは未経験である。
見れば、エイジとシデンも別のメイドに手を取られてダンスに誘
われていた。二人ともちょっと戸惑っているが、メイドの動きに合
わせて見よう見マネでステップを踏み始める。なんて器用な奴らな
んだ。恐るべしXXX。
﹁お、俺フォークダンスとかやったことないんだけど!?﹂
焦り、かっこ悪い台詞を吐く少年。
しかし狼狽えるスバルをよそに、メイドはくすりと微笑んだ。
﹁大丈夫です。力を抜いて。私に任せてください﹂
小声で呟くと、彼女は少年の腕を引いた。
助言に従い、力を抜くスバル。するとどうだろう。少年の身体は
コマのように回転し、横で踊るメイドへとパスされた。
﹁え!?﹂
﹁次、いますよー﹂
メイドに抱えられ、ダンスで言う所の女性を受け止める姿勢にな
ったスバル。完全にヒロイン役である。
ところが、そのヒロインは次々とメイドたちに引っ張られては抱
えられるという、比較的ぞんざいな扱いを受けた。傍から見れば高
速でフォークダンスをしているように見えなくもないのが恐ろしい。
788
そんな流れで最初に手を取ったメイドの下へと戻ってきて、見事
に部屋を一周した瞬間に音楽は止まった。
完全に目が回ったスバルは最初のメイドに抱きかかえられ、手足
を絡まれて強制的にポーズを取らされる。
﹁おお、ブラボー! ブラボー!﹂
ずっと歌い続けた黄金のスーツを身に纏った大男︱︱︱︱ゴルド
ーが感極まったと言わんばかりの表情で拍手を送る。
エイジとスバルもダンスパートナーとなってくれたメイドに一礼
し、はにかんでいた。そんな楽しそうな空気の中、スバルは思う。
なんで俺はこんなベーゴマみたいな役なんだ、と。
見方を変えれば、複数人のメイドさんとダンスをしたと言えなく
もない。
言えなくもないがしかし、ずっと回されっぱなしである。途中か
ら相手の顔なんか見る暇は無く、ただ引っ張られ続けただけだ。
他の二人がちゃんとダンスをやっていた為、ちょっと納得がいか
ない。
﹁では、メイドダンス部隊。撤収を﹂
ずっと真顔で一連のなんちゃってミュージカルを見物していたア
スプルが命ずると、メイドたちは無言で一礼。
しかし最初にスバルの相手をしたメイドが近づき、こっそりと彼
に耳打ちする。
﹁反逆者様、ダンスは社交辞令ですよ。嗜むことをお勧めしますわ﹂
789
余計なお世話だ馬鹿野郎。
可愛く微笑むと、メイドは笑顔のまま無言で退出していった。
なんだったんだ、今の。
﹁いかがでしたかな、反逆者様。トラセットに伝わる芸能文化に触
れた感想は﹂
﹁いい趣味してると思うぜ﹂
割と満足したようで、エイジは親指を立ててゴルドーの質問に答
えた。
それに気をよくしたのか、ゴルドーはうんうんと頷く。
﹁それはよかった。ところで、連絡をいただいた時、反逆者様は四
人と伺っておりましたが?﹂
﹁一人は別行動中です。偏ると、面倒になりそうなんで﹂
若干濁しつつも、シデンは言う。
やや残念そうな表情を見せると、ゴルドーはアスプルの方を見や
る。
﹁おい、反逆者様にお茶を出すのだ﹂
﹁わかりました﹂
丁寧にお辞儀をし、アスプルは退出する。
だがこの瞬間、スバルはちょっとした違和感を覚えた。
このゴルドーと呼ばれるアスプルとアーガスの父親は、息子の名
前を呼ばないんだな、と。
単純にタイミングを逃したのか。それともスバルが考え過ぎなの
か。
いずれにせよ、マサキが行ってきた対応と比べると若干のズレを
790
覚える。
﹁ん? どうした﹂
﹁いや⋮⋮なんでもない﹂
考えても仕方がない。
今は目の前の金ぴか親父の話を聞こうじゃないか。
彼らがどういうつもりで自分たちを呼び出し、滞在を勧めるのか。
それ次第では、彼らともっと深く関わる事になる。
自分の感じた違和感を追及するのは、その後でいい。
この時スバルは、そう考えていた。
アーガス・ダートシルヴィーの朝は早い。
早朝、起きて洗顔をした後、彼は鏡へと向かって自身の美しい顔
立ちを確認する。
﹁うむ、今日も私は美しい﹂
一目で自画自賛すると、ダートシルヴィー家に代々誇る伝統、胸
ポケットに突っ込まれた薔薇を口にくわえてポーズをとりはじめた。
様々な角度から己の美しい立ち姿を確認し、美貌を磨く。
美は一日にしてならず。彼は自身の美しさを極める鍛錬を怠った
ことはない。
一時間ほど鏡と睨めっこをし終えたアーガスは、第二の日課を行
動に移す。
大使館にひしめくバトルロイドを引き連れ、外に出ると彼らは出
791
て来たばかりの太陽に向かって歌い始めた。
タイトルは﹃美しき赤きアーガス﹄という。国の作曲家に作らせ
た自身のテーマソングだった。
﹁の∼らい∼ぬ、よりもぉ﹂
バトルロイドの1体が鍵盤ハーモニカでリズムを作り、もう1体
がリコーダーを吹いて音色を生み出す。
そんなトラセットの早朝に響く、勇者とアンドロイドの群れによ
る賛歌。
ちょっとシュールである。
﹁う∼つく∼しす∼ぎるぅ⋮⋮私ぃっ!﹂
﹃ア∼ガ∼ス﹄
背後に並ぶバトルロイド達の無機質なハモりが響くと、アーガス
は満足げに両手を挙げて撤収を促した。
鍵盤ハーモニカとリコーダーの担当はちょっと残念そうにしなが
らも、全機に撤退の合図を出す。
さて、この時点で聡明な読者の皆さんはご察しかも知れないが、
アーガスは現在、実家ではなくトラセットの新人類大使館で寝泊ま
りしている。
リバーラ王から直接帰郷の許可を貰っているとはいえ、一応この
国の最高権力者の息子にして、勇者とまで言われた男だ。
トラセットが反旗を翻す可能性が高い今、英雄であるこの男を自
由に遊ばせることは王国としては望ましくないのである。更に言え
ば、あくまで謹慎中の身分で自由に行動させるのは、他の者に示し
がつかない。
それでも帰郷が出来るのは、彼が数年の間に築き上げたキャリア
792
が幅を利かせているのが大きかった。兵としてはわずか数年の彼が、
小さい頃から雑用をしているメラニーを配下にして、大使館の責任
者にまで伸し上がった事からもそれは覗える。
とはいえ、彼は割と自由だった。
見ての通り、朝早く起きては鏡の前で決めポーズをとり、勝手に
バトルロイドを徴収して飽きもせずに同じ歌を歌ってばかり。
その後はバトルロイド付き添いの下、大樹の周囲で植物を育てた
り、街中に出て住民と挨拶をする。一通り故郷を満喫すれば、大使
館に帰って飯を食べて寝るという、あまり英雄とは思えない生活サ
イクルを送っていた。
この日のアーガスも、例外ではない。
隣にバトルロイドを従わせ、適当に街をぶらつく。
その後は大樹の前で祈り、自身の活動を報告する。この程度だ。
﹁⋮⋮ふむ﹂
だが今日に限って言えば、何時もと少し違う事がある。
自分を見守る視線が、何時の間にか増えているのだ。途中から突
然現れ、それ以降ずっとついてきている視線は、少なくとも好意的
な感情を持っていない。もし持っていたら、こんなに鳥肌が立つこ
とはないだろう。追跡者の視線は、常に殺気を放っていた。
﹁アーガス様、いかがなさいました?﹂
﹁いや、なんでもない。美しく次へ行こう。気品を忘れるなよ﹂
バトルロイド達はこの視線に気づいていない。
いや、正確に言えば自分にのみ向けられた物だろう。
明らかな挑発だった。
793
問題があるとすれば、それを放ってくるのが誰なのか、というこ
とだ。
自分で言うのも何だが、アーガスはトラセット国内に住む人間は
皆自分のことが大好きだと思っている。
同時に、アーガスはそんなトラセットが大好きだ。ゆえに、彼は
勇者として君臨し、戦ってきた。感謝される覚えがあっても、誰か
に疎まれる覚えはない。
︱︱いや、よく考えれば一つある。
謹慎を受ける前、ヒメヅルと言う日本のド田舎で、彼はある失態
を犯した。その失敗のせいで一人の少年が父親を亡くし、一人の超
人の逆鱗に触れることになったのは、今でも鮮明に記憶している。
﹁⋮⋮そうか、彼か﹂
逆に言えば、それくらいしか心当たりはなかった。
あの人のよさそうな旧人類の少年に、人を殺す勢いで視線を向け
ることなどできはしまい。それならこの視線の主は、XXXの方だ
ろう。
﹁独り言ですか、アーガス様。気持ち悪いです﹂
物思いにふけっていると、隣で歩くバトルロイドが勇者の心を抉
ってきた。雑兵の癖に中々生意気である。
しかし、勇者はくじけない。
強き者は、弱き者の前では常に見本でなければならないと言うの
が、彼の持論だ。ゆえに、故郷の前では泣かない。苦しくったって、
悲しくったって。
794
﹁おほん﹂
一度咳払いして、心を落ち着かせる。
だが、この視線をぶつけてきているのが、あのXXXの青年だと
仮定しよう。わざわざ自分に何の用だろうか。
仮にも今のアーガスは王国兵と言う身分だ。謹慎中とはいえ、地
位もそれなりに築いている。一度負けているとはいえ、そんな奴に
わざわざ用事があるとはとても思えない。
もっとも、彼が出てこないのは隣にバトルロイドがいるからだろ
う。
王国の管轄下であるこの国で、妙な騒ぎを起こせばそれだけでお
縄に付くことになる。
と、いうことはだ。
彼は自分が一人になるのを待っているのではないだろうか。
﹁ふぅむ⋮⋮敵という立場でありながら、相手に求められる私。美
しい﹂
﹁アーガス様、キモイです﹂
自分勝手な妄想に耽っていると、横のバトルロイドが容赦のない
ツッコミを入れてきた。しかしアーガスは負けない。苦しくったっ
て、悲しくったって。
それはさておき、人を待たせるのはアーガスの主義に反する事だ。
しかもここは自身の故郷である。その故郷で妙な真似をされるの
も癪なので、視線の主に面会を求めようと思う。
﹁バトルロイド君、できれば一人になって物思いに浸かりたいのだ
が﹂
﹁それは出来ません。目を離すな、と言われてますので﹂
795
まあ、そりゃそうだ。
彼女たちは命令に忠実である。一度﹃目を離すな﹄と命令すれば
お食事中だろうが、薔薇風呂の中だろうが、ベットの中だろうが見
守ってくるのだ。中々融通の利かない機械の典型的な例である。
﹁ううん、しかし美しい私としては、自らの美しさを保つ為に一人
にならなければならないのだよ﹂
﹁どうでもいいので﹂
一応上司の筈なのだが、バトルロイドは容赦が無かった。
元となったシャオランもここまで毒舌ではなかったと思う。
﹁仕方がないなぁ。バトルロイド君、美しくなる秘訣は人の言う事
をよく聞くことが大事なのだよ﹂
本当かよ、と言いたくなることを呟きながらアーガスは右手を開
く。
なにも握っていなかった筈の掌の中から、突如として白い薔薇が
出現した。まるで手品である。
子供たちに見せたら、それなりに喜んでもらえそうな一芸ではあ
るが、しかしバトルロイドは動じない。その辺は承知の上だ。
﹁少しの間、美しく眠ってくれたまえ﹂
ぷすり、と薔薇の棘をバトルロイドの頭に突き刺す。
あまりに簡単に機械の頭を貫いたそれは、まるでダーツのようで
あった。
﹁あ﹂
796
バトルロイドの瞳から光が失われていく。
力なく呟いた直後、彼女の電源が停止した。頭に突き刺さった薔
薇は、何時の間にやら白から黒へと変色している。
﹁すまないね。後で美しくアルカリ電池を買ってあげるから、許し
てくれ﹂
本人が聞けば憤慨するであろう台詞を吐きながらも、アーガスは
殺気が放たれる方面に視線を向ける。
電源が切れたバトルロイドを寝かせた後、彼はその方向へと向か
って行った。余談だが、久々に一人になった彼はうきうき気分でス
キップを踏んでいたと言う。
797
第57話 vsパツキンナルシスト薔薇野郎 ∼義務編∼
殺気を放つ来訪者がいるであろう方面に向かい、アーガスはスキ
ップする。
しかし、即座に対面することは無かった。
警戒しているのだろう。途中からスキップする自分を、彼が追い
かけてくる形になっていた。
それならそれで、望むところだ。
用件がわからない以上、街中で下手に会わない方が得策だろう。
タイラント
彼と再び相対することになれば、その時はこの街を守り通す自信は
ない。
現に勇者アーガスは、王国が誇る最強の女戦士と直接対決をして
敗北しているのだから。
﹁⋮⋮っ!﹂
当時のことを思い出すと、悔しい気持ちが溢れかえってくる。
自分の奥底に閉じ込めた筈の憎い感情が、ひっくり返されたよう
だ。歯噛みしたことなど、何時以来だろう。
﹁⋮⋮ここまで来れば、問題あるまい﹂
振り返り、周囲の背景を確認する。
彼が立つのは、トラセットの街から離れた花畑だった。ここなら
街に被害は出ない。それに、言い訳もできる。小さい頃、彼は弟と
使用人を連れてこの花畑で遊んでいた。
今でこそ整備がされて、無粋な道路が敷かれてしまっているが、
798
それ以外は当時と何も変わらない風景だ。
ここならば、当時を懐かしみたいと思って散歩に出たら襲われた
ということができる。
﹁出てきたらどうかね、山田君﹂
﹁誰が山田君だ﹂
思い出溢れる花畑に、黒い旋風が巻き起こる。
軽い着地音を響かせると、つい少し前に大使館を襲った青年が再
びアーガスの前に姿を現す。
﹁久しいな、山田君﹂
﹁だから、山田君じゃない﹂
そんな事を言われても、彼が自分自身を﹃山田・ゴンザレス﹄と
名乗ったのは事実だ。その事実がある以上、彼はアーガスの中では
何時までも山田君のままである。
﹁まあ、そこは美しく置いておこう。美しい私は寛大なのだ。どう
かね、我が故郷は﹂
﹁貴様の弟に会った﹂
どんな相手でも、余裕を見せて雑談を楽しむのがアーガスのモッ
トーである。
だが彼は違った。
雑談に付き合う気が無い山田君は、率直に本題を切り出す。
﹁何を企んでいる﹂
﹁何を、とは?﹂
﹁俺達をここに留めて、どうする気だ﹂
799
その言葉を聞いた瞬間、アーガスの目は見開く。
彼が言うことが正しければ、弟のアスプルは反逆者たちをこの街
に招き入れ、暫く滞在を勧めるつもりらしい。
そんな話は初耳だった。無理もない。彼らは入国して間もないの
だ。
﹁弟は出来がいのだ。私の美しい脳みそでも、奴が考える事はわか
らん﹂
﹁父親も知ってるようだぞ﹂
﹁ほう﹂
淡々とした対応に、山田君は訝しげな目を向ける。
﹁それに、貴様も妙な行動が多いと聞く﹂
﹁ほう、私が美しくないとはどういうことかな?﹂
﹁そっちじゃない﹂
発見する前、カイトは街でそれとなくアーガスのことを聞いて回
った。その感想は殆どがマリリスが言ったように、英雄としての称
賛の嵐である。
ただ、その中で一つだけ気になることがあった。
﹁謹慎処分になった貴様は、黒い花を大樹に置いて祈るそうだな﹂
﹁それがどうかしたのかな? 美しい私は、故郷のエネルギーを司
る大樹に感謝することも欠かさないのだよ﹂
﹁美しいかどうかはどうでもいい﹂
この男も真顔で結構酷いことを言ってきた。
一番拘ってる点を、そんなぞんざいに扱わなくなっていいじゃな
800
いか。思わず泣きそうになるが、しかしアーガスは挫けない。
苦しくたって、悲しくたって。
﹁問題は貴様が供えた、黒い花だ﹂
﹁⋮⋮ほう﹂
悲しみに明け暮れかけたアーガスが、一瞬で現実に引き戻される。
真剣な表情に変わった彼は、無言で続きを促した。
﹁住民から聞いたぞ。英雄の黒い花は禁忌の色だとな。何故そんな
物をわざわざ使う﹂
﹁私の黒い花は、美しい事に強烈な威力なのだよ。君も見ただろう﹂
確かに、カイトも見た。
アーガスはバトルロイドの動きを停止させる際、薔薇を使った。
その薔薇は最終的に黒く染まり、バトルロイドはぴくりとも動か
なくなったのだ。
﹁俺が聞きたいのは、使用済みを使っている理由だ﹂
﹁む﹂
だがカイトは、同時に見ている。
黒い薔薇は、使用される前は真っ白な色をしていたのだ。それが
黒に染まる時、誰かのエネルギーを吸い取った証になる。
それを大樹に捧げていると言う事は詰まり、アルマガニウムのエ
ネルギーを大樹に注いでいることになるのだ。
﹁貴様はここに帰ってきてから、殆ど毎日黒い花を供えたらしいな﹂
﹁⋮⋮美しくないな。何が言いたい﹂
﹁俺達からもエネルギーを奪うつもりか﹂
801
アーガスが肩を落とす。
そして溜息をつき、言った。
﹁山田君、君のイマジネーションは美しいな。よくぞ少ない情報で
そこまで察知できたものだ﹂
﹁認めるのか?﹂
﹁ああ。もっとも、君たちが来ていたのはついさっき知った﹂
ゆえに、彼が認めるのはエネルギーを吸収した花を大樹に供えた
ことだけだ。しかしそれを認め、家族が自分たちを足止めしようと
している。その要素が組み合わさった結果、なにがおこるのか。
いかに歓迎されていようが、この街は王国の管轄下だ。目の前に
いる英雄も、そんなに仲が良い訳ではない。
﹁もし、ここで帰ると言ったら?﹂
確認する意味も含めて、問いかける。
するとアーガスは、不敵に笑みを浮かべた後、掌から赤い薔薇を
出現させた。
﹁美しい私は寛大だ。しかし、いかに私が美しいと言っても、知ら
れていい秘密と悪い秘密がある﹂
赤い花弁が散る。
その先端から、銀色に光る白銀のレイピアが収まっていた。
傍から見れば、手品でしかない。
﹁父と弟が何を思って君たちを足止めしようとしているのかは、美
しい私にもわからない。わからないが、しかし!﹂
802
右手のレイピアが唸る。
空を貫き、顔面目掛けて飛んできたそれは、光の点となってカイ
トに襲い掛かった。
だがカイトは軽く首を横に倒し、その一撃を回避する。
﹁私には、義務がある﹂
﹁義務?﹂
殆どゼロ距離。
レイピアが避けられ、勢いのまま突進したアーガスは自然にカイ
トと接近する形になる。彼の一撃の威力を知っているにもかかわら
ず、だ。
﹁そう、義務だ。嘗て新人類王国に負け、国を差し出した。私が義
務を果たせなかったからだ﹂
至近距離で映るアーガスの表情には、余裕が無い。
こんなに真剣で、若干追いつめられているアーガスの表情は珍し
いのではないかと、カイトは思った。
彼の下で働いていたメラニーやマシュラも、もしかすると知らな
いかもしれない。
﹁今なら取り返せるとでもいうのか?﹂
﹁それを見届ける為にも、私は帰ってきた!﹂
アーガス左の掌が炸裂する。
その中から出現したのは、何時か見た青い薔薇だった。
﹁!﹂
803
至近距離でそれを見たカイトは、思わず飛び退く。
前回戦い、勝利したとはいえ、彼の状態は以前と同じではない。
ゲイザーに﹃呪い﹄をかけられ、シャオランとの戦いで右腕を失っ
ているのだ。
﹁許せ、XXX。私とて本意ではないのだ﹂
アーガスの両目から涙が流れる。
真剣な表情で流れるそれは、恐らくは彼の本心を表しているのあ
ろう。
だが、カイトには解せない。
﹁なぜ、悔いるのを分かってそれを実行しようとする﹂
﹁例え外道の道でも、私が果たさねばらない。力を持つ英雄が、血
肉と誇りを賭けて戦わなければならん!﹂
直後、アーガスの青い薔薇が雄叫びをあげた。
シンジュクで放たれた時とは比べ物にならない威力の突風が、カ
イトに襲い掛かった。
﹁ご存知かもしれませんが、トラセットは反乱の機会を伺っており
ました﹂
金ぴかのソファーに座り、スバル達はゴルドーの話に耳を傾ける。
804
﹁しかし、在住している王国兵は強い。大使館の責任者であるギー
マの手により、装備を整えていた反乱軍もその殆どが死亡。もしく
は重症になりました﹂
﹁なるほど。そのギーマって奴を倒して欲しいってわけか?﹂
一通り話を聞いたエイジが結論を出すと、ゴルドーは首を横に振
る。
﹁いえ、仮にギーマを倒せたとしても、今度は国を追い詰めた張本
人が来るだけです﹂
﹁国を追い詰めた?﹂
﹁⋮⋮正確に言えば、息子のアーガスを倒した兵ですな﹂
トラセットは文化レベルが低い国だ。
芸能という分野においては第一線で活躍しても、戦いと言う分野
においてはまるで得意ではない。
そんな中、奇跡のような人材が国の為に立ちあがった。
それこそがトラセットで唯一、戦う力を持ったアーガスだったの
だという。だが、そのアーガスも王国が誇る最強の戦士、その一角
に敗北してしまった。
王国の進軍を許したトラセットは、無条件降伏を余儀なくされて
しまったのである。
﹁我が国は反省しました。息子の力がいかに強大だったとはいえ、
その肩に全てを託し過ぎた﹂
ゆえに、アーガスが徴収された後、密かに戦力を揃えはじめた。
幸いにも貿易相手には困らなかったし、エネルギー面でも大樹と
いう心強い味方がある。戦力の増強は順調に見えた。
だがそこで勘付かれ、大使館のギーマに反乱軍は手痛い攻撃を受
805
けてしまったのだ。
﹁幸いにも、反乱軍は国の正規の軍という形はとっていません。そ
の為、制裁は逃れましたが﹂
﹁次にボロを出したら、ただじゃ済まないってわけだね﹂
﹁でも、それなら俺達を滞在させる理由は何だ?﹂
寧ろ、滞在して存在がギーマにバレたら面倒になるのではないだ
ろうか。
いかに勇者アーガスがトラセットの味方でも、誤魔化しには限度
がある。反逆者であるスバル達を匿えば、その時点で十分攻撃され
る理由になってしまう。
﹁ほんの数日でいいのです。皆さんには、街の住民の希望となって
いただきたい﹂
﹁この街の?﹂
﹁希望?﹂
﹁ボクらが?﹂
いまいちピン、とこない言葉を前にして三人は思わず自分たちの
顔を見合わせた。
希望と言われても、ここにいるのは元高校生とカツ丼屋とコスプ
レイヤーである。ここにいない男も、パン屋の住み込みバイトだ。
そんな連中が、希望になる。イメージできないのも、仕方がないか
もしれない。
﹁街というより、既に国全体がその空気になっていますが、先の戦
いで住民は多くの犠牲を払いしました。その為、トラセットでは一
刻も早い王国からの離反が求められているのです﹂
﹁でもよ。そんな簡単な話じゃねぇだろ﹂
806
﹁勿論、その通りです。ですが、力なき国である我々は、すがるし
かできない﹂
唯一の戦力、アーガスは負けた。
反乱軍も王国の残した戦力にボロボロ。
それなら、外の反逆者に望みを託したい。王国に快い感情を持た
ないトラセットの住民から見れば、当たり前の反応なのかもしれな
かった。
﹁皆さんはあくまで逃走が優先です。しかしその時間をほんの少し
だけ、我がトラセットの為に活用していただくことはできないでし
ょうか﹂
ゴルドーが静かに頭を下げる。
ソレに対し、エイジとシデンは困ったような表情を見せた。
ゴルドーの話を要約してしまえば、自分たちを偶像として奉る事
で国民の反旗の感情を維持したい。ただのマスコットとして利用さ
せてくれないかと、そう言っているのだ。
﹁どうする?﹂
二人の間に座るスバルに、エイジは問う。
するとこの少年は、迷うことなく答えた。
﹁いいと思うよ﹂
﹁おお、誠ですか!?﹂
旧人類の快い承諾の言葉に、思わず立ち上がるゴルドー。
しかし横にいる二人の新人類は、複雑そうだ。
807
﹁本当にいいのかい?﹂
﹁俺達になんのメリットもないし、見つかったらやべぇぞ﹂
二人が耳打ちする。
スバルだって馬鹿ではない。この話が、向こうの都合だけで進め
られていることは百の承知だ。
しかし蛍石スバル、16歳。人のいい彼は、頼まれたら中々NO
といえない男なのである。
﹁でも、なんか断れないじゃん。こんな話聞かされたら﹂
それに、
﹁俺達がいて、話を聞いて街の人が元気出してくれるなら、こんな
に嬉しい事はねぇよ﹂
﹁⋮⋮君、お人好しって言われない?﹂
﹁何回かカイトさんから言われた﹂
ただ、そのお人好しのお陰で今のカイトがあり、エイジがあり、
シデンがあるのだ。
白い目で見ても、文句は言えない。
これが彼の魅力なのである。困ってる人がいたら、自然と目を向
けてしまうのだ。ここまで来たら、彼の美徳と言ってもいいだろう。
﹁ご安心ください。なるだけ騒がしくしないよう、国民に注意はし
ます﹂
﹁もう結構騒いでたけどね﹂
この点に関しては、既に手遅れじゃないかな、と思う。
808
﹁寝泊まりは気にしないでください。この家も、我が家のようにく
つろいでいただいて構いませんぞ﹂
﹁いやぁ、流石にそれは遠慮します﹂
金色のベットで寝るのは御免である。
宿に関して言えば、どこか適当な場所で部屋を借りるか、もしく
は獄翼まで戻って寝れば済む話だ。
﹁じゃあ、早速街に出ようぜ﹂
﹁そうだね。連絡もしないと﹂
﹁もうお帰りですかな? では、反逆者の皆様を送りましょう﹂
おい、とゴルドーは視線を扉に向ける。
アスプルが直立不動で、そこに立っていた。
﹁反逆者様がお帰りになる。街を案内して差し上げるのだ﹂
﹁かしこまりました﹂
親子のやり取りを見て、スバルは思う。
やっぱりなんか変だな、と。
気のせいかもしれないが、アーガスとアスプルに対するゴルドー
の反応が違う。
父親が話すアーガスの奮闘物語は、最終的に敗北するとはいえ中
々饒舌だった。ソレに対し、アスプルはどうだ。
名前の一つさえ呼ばず、使用人のように扱っている。片方が勇者
と言う扱いを受けている為に特別扱いしているのだろうか。
その辺の違和感が、どうにも気になる。
﹁アスプルさん、ちょっといい?﹂
809
﹁なんでしょう?﹂
深入りしようとするのは、もしかすると自分の悪いところかもし
れない。
ただ、目に留まってしまった。
この一途で、ちょっと不器用そうな男は、ほんの少し前までの同
居人と似ている。
それだけで、放っておけなかった。
﹁後でいいからさ。ちょっと話させてもらってもいい?﹂
﹁構いませんよ﹂
アスプルが微笑む。
だがその直後、スバルの予想だにしなかった言葉を、彼は口にし
た。
﹁私も、あなたとは個人的にお話ししてみたかったので﹂
810
第58話 vsミュータント
穏やかな香りが漂う花畑を、突風が襲う。
力を抜けば吹き飛ばされてしまいそうな風が押し寄せてくるが、
カイトはそれを大した脅威とは感じていない。
いかんせん、威力が増していようともあの技︵武器と言えるかも
しれない︶は一度見ている。
﹁嘗めるな。それで俺を仕留められると思っているのか﹂
直後、カイトは突風に向かって一歩、前に出る。
同時に、アーガスの視界から彼の姿が消えた。
﹁なに?﹂
消えたこと自体は、特におかしいとは思わない。
彼は視覚不能の超スピードで接近してくる、加速野郎だ。その踏
込による爆発力はよく知っている。
だが、その爆発力のある踏込で巻き起こる筈の、強烈な突風が飛
んでこない。
寧ろ、心地良ささえ感じる。花畑に相応しい、温かな風がアーガ
スを包み込んでいく。
﹁⋮⋮っ!﹂
その心地良さに、思わず体を委ねて寝転がってしまいそうになっ
たが、しかし。アーガスは素早く体勢を立て直し、右のレイピアを
振るった。
811
銀の細剣がカイトの左肩を貫き、伸ばしてくる凶器の突進を抑え
込む。
心臓目掛けて飛んできた左手からは、忘れもしないあの爪が伸び
ている。
﹁あ、危ないな君は⋮⋮!﹂
思わず苦笑してしまう。
アーガスの右の小指。その爪が弾け飛んでいなかったら、今頃痛
みを感じることなく全身を切り刻まれていただろう。
その光景を思うと、ぞっとする。
﹁⋮⋮チョンマゲは今ので倒せたんだがな﹂
対して、仕掛けたカイトは少々落胆した表情でアーガスを見た。
肩を貫かれたにも関わらず、その表情はなんとも涼しいものであ
る。本当に痛みを感じるのか、この男は。
まあ、いずれにせよ彼を倒す手段はある。
お膳立ても済んだ。
﹁残念だが山田君﹂
﹁山田君じゃない﹂
本日三度目のやり取りを行い、明らかに不機嫌な表情になるカイ
ト。
肩を貫かれても表情を変えなかったくせに、こういう時は意外と
素直になる。
﹁失礼。だが、美しい事にこの瞬間、私の勝利は確定した﹂
﹁なんだと﹂
812
直後、カイトの足に何かが絡みつく。
その違和感を瞬時に察知すると、思わず飛び退こうと下半身に力
を入れるが、
﹁なんだこれは﹂
動かない。
足下に生える無数の花々から根っこが生え、それがカイトの足首
に絡みついているのだ。
離れようと力を入れても、それに負けじと絞殺さんばかりの勢い
で巻き付いてくる。強烈な圧迫感が足首を襲い、思わず苦悶の表情
を浮かべた。
﹁ほう、私の美しき剣で顔色を変えずとも、故郷の仲間による一撃
は痛みを感じるようだな﹂
﹁故郷の仲間?﹂
そうだ、とアーガスは言う。
﹁君もある程度理解している筈だ。私の美しい力を﹂
そのセリフに、カイトは思わず舌打ちした。
実際、彼の言う通りなのだ。シンジュクで戦った際、アーガスは
身体の至る所から植物を急成長させ、こちらの攻撃に対応してきた。
今回もそうだ。彼は基本的に、身体から奇妙な植物を生成し、そ
こから超常現象を巻き起こす。
だが、それだけではなかった。
﹁私の美しい力の影響が及ぶ範囲は、半径2キロ﹂
813
﹁2キ⋮⋮!﹂
想像以上の力だ。少なくともこの一帯は、アーガスのテリトリー
ということになる。
しかも足下には、彼の力の影響を受けた無数の花々。
これでは棘の山の上を歩いているようなもんだ、とカイトは思う。
﹁君の最大の武器は止めた﹂
﹁嘗めるなと言った筈だ﹂
カイトの足の爪先から、アルマガニウム製の爪が生える。
その鋭利な刃は、絡みついた根っこをいとも容易く切り裂き、再
びカイトを自由にする。
が、
﹁無駄だよ﹂
再び足を地面に置いた瞬間に、次の根っこが飛びかかる。
一瞬で絡みつき、今度は胴体や左腕にまで束縛は及んだ。身体の
自由が利かず、締め上げられる。
﹁この大地にいる限り、君に勝ち目はない。諦めたまえ﹂
﹁そうはいかない﹂
締め上げられた左腕に、根っこが食い込む。
棘も生えているそれが皮膚に食い込む様子は、中々にえぐい光景
だった。
しかしそれでも、カイトは抵抗をやめない。
﹁こう見えてもな、死ぬのは怖いんだよ。だから精一杯抵抗しない
814
と、悔いが残るだろ?﹂
清々しいまでに、苦し紛れの笑みだ。
だがアーガスは思う。
美しい、と。
足掻くことは、生きる者に許されたチャレンジスピリッツである。
今の彼も、報告を受けてる限りのスバル少年もそれを体現してい
ると言ってもいいだろう。
その愚直なまでに真っ直ぐな闘志が、なんて羨ましい。
﹁⋮⋮最後まで戦い続けようとするその精神。美しい﹂
右のレイピアが枯れた植物のように崩れ落ち、灰となる。
代わりに握られたのは、白い薔薇だった。
アーガスはそれをカイトに突き付け、呟く。
﹁叶う事なら、私も君たちのように強くありたかった﹂
﹁お前は英雄だ。強いだろ﹂
﹁その通り﹂
そう、自分は英雄だ。
大地を歩めば花が咲き、触れれば果物は実る。
自然に愛されたこの力を持つ自分は、確かに英雄と呼ぶに相応し
い存在なのかもしれない。
﹁だが、守れなかったのだ﹂
20年以上培ってきた自信と誇りは、そこで完全に砕かれた。
それがすべてだ。
815
後にはもう、何も残っていない。
﹁私は英雄だ。だが同時に敗者なのだ。例え故郷の人々や家族が何
と言おうとも、その事実は変わらない。私が国を守れず、犠牲者を
出した﹂
それゆえに、
﹁今度こそ、愛する故郷を守り抜いてみせる。例えどんな手段であ
ろうとも﹂
その表情は、歪んでいた。
少なくともカイトから見て、余裕あるマイペースなアーガスは目
の前には居ない。
今、自分に白い薔薇を突き付けているのは、カイトの知る新人類
王国のパツキンナルシスト薔薇野郎ではなかった。
﹁許せ、XXX。君の力、貰い受ける!﹂
白い薔薇がカイトの胸に突き刺さる。
直後、彼の体内に流れる血液が一斉に沸騰し始めた。
﹁あっ︱︱︱︱!?﹂
身体が燃えてしまいそうなほど熱い。
視界に映るアーガスの姿はブレ始め、意識が朦朧としてくる。
ゲイザーの黒い眼に見入られた時と同じ様な、不快な感覚がカイ
トを襲う。
﹁その白い薔薇は、君が予想したように突き刺した者のエネルギー
816
を奪う﹂
アーガスが呟くが、それも耳に入らない。
まるで火がついたように、全身から熱が溢れ出していく。
﹁そして生体エネルギーが強ければ強いほど、花弁は黒く染まる﹂
そういう意味では、バトルロイドに使われている欠片ほどしかな
いエネルギーなど、たかが知れている。
ソレに比べ、目の前にいる男は呆れるくらいに極上だ。
突き刺しただけで花弁は真っ黒に染まってしまっている。墨汁を
そのままかけたら、きっとこんな感じになるのだろう、とアーガス
は思う。
﹁XXXよ、私を恨むなとは言わん。だが私は君に最大限の敬意を
払い、せめて約束しよう﹂
今まで幾人もの戦士に付き刺し、生命力を奪い続けた薔薇を引き
抜く。その花弁は、黒曜石のように深く染まっていた。
﹁美しき勝利を、我らに!﹂
意識を失い、倒れ込んだカイトに向かって黒く染まった薔薇を持
ち上げた。彼の性格から考えて、祝福はしてくれないだろう。
しかし、それでいい。
勇者だ、英雄だと持ち上げられたところで、自分がしていること
は強盗と変わりはない。
憎んでくれるのであれば、胸の中から込み上げてくる罪悪感も多
少は報われるという物だ。
817
﹁君ならば、数日もすれば目が覚めるだろう。その間に、私が美し
く決着をつける﹂
意識を失ったカイトに向かって、勇者は呟く。
その背中は、どこか哀愁が漂っていた。
新人類王国、国王の間にて。
王子のディアマットは、この部屋の主に呼び出しを受けて参上し
ていた。
彼は三度、反逆者への制裁に失敗している。
その﹃おしおき﹄はサイキネルが受けたとはいえ、気は晴れない
物だ。
果たして今度はどういった思い付きを口にして、国を困らせるつ
もりなのか。
ディアマットにとって、父親との対面は頭痛の種でしかなかった。
﹁やあやあ、待たせてしまったねディード﹂
ハンカチで手を拭い、いそいそと玉座に座り込む王。
のんびりとした歩みを見て、ついイラっとしてしまう。
﹁父上。何用でしょうか﹂ ﹁いやぁ、そろそろ説明が必要だと思ってね﹂
ややきつめな口調で問うと、意外な事にリバーラ王は先日の反逆
者不問の件を説明し始めた。
818
これはディアマットにとって、かなり気になっていた点である。
新人類王国は反乱に敏感だ。不穏分子がいれば即座に処分しなけ
ればならないという掟がある。例えそれが、この国の最高戦力の一
角を担っていたXXXの戦士達だとしても、だ。
﹁お聞かせいただけるのですか。正直、流石の私も今回は空いた口
が塞がりませんでしたよ。まさか、彼らがXXXという理由だけで
見逃したと言うわけではありますまい﹂
﹁勿論だよぉ﹂
へらへらと笑いながら、王はハンカチを仕舞う。
国王がする動作とは思えない。そんなのは普通、使用人にすぐ渡
して洗わせるものだろう、とディアマットは思う。
﹁ディード、君はトラセットと言う国は知っているかい?﹂
﹁無論です。人口や国の大きさは小さいながらも、芸術や植物で賑
わう豊かな国です。アルマガニウムの大樹もあり、今でもそれを狙
って他国が目を光らせている始末﹂
﹁うん、結構﹂
王は満足したように頷くと、言う。
﹁その大樹なんだけどさ。ここ最近エネルギーの放射量が活発化し
てるんだよね﹂
﹁大樹の恵みを受けた新人類、アーガスが帰郷したからでは?﹂
﹁勿論、それはないとは言い切らないよ。でも、僕の予想はそうじ
ゃあないんだな﹂
よいしょ、と立ち上がり、玉座にセットされているリモコンを操
作する。
819
直後、二人の間に穴が開き、そこから巨大なモニターがゆっくり
と登場した。
モニターに光が点滅する。映し出されたのは、先程の話にも出て
きたアルマガニウムの大樹だ。
﹁父上、これとXXXに何の関係が﹂
﹁僕はね、ディード﹂
問いかけようとするも、王は明後日の方向を向いて一方的に話し
始めた。
こうなっては、質問する余地はない。
ただ黙って、彼の説明を気の済むまで聞き続けるだけだ。
﹁この地上を支配する、所謂ヒエラルギーの頂点っていうのは一つ
の優秀な生物が立つべきだと思うんだよ﹂
そんなことは言われるまでもない。
ディアマットは幼い頃から、この父親に延々と聞かされ続けてき
たのだ。
その持論があるがゆえに、新人類王国は新人類を持ち上げ、ヒエ
ラルギーの頂点に君臨しようといしている。
﹁でも、新人類よりももっと凄い生命体が生まれたとしたら、君は
どうする?﹂
﹁なんですって?﹂
﹁おいディード。質問に疑問符をつけて返すんじゃないよ。それは
相手にとってはアンハッピー。無礼な行為さ﹂
ちょっとしかられてしまった。
だが、そんな事は問題ではない。
820
目の前にいるこの男は今、新人類王国の根源を覆すことを口にし
ようとしているのである。
﹁新人類を更に超えるミュータントが確認されたのですか!?﹂
もしもそうだとすれば、国の威信に関わるどころの問題ではない。
新人類を超える新種の誕生は詰まり、﹃優秀な奴が支配者になれ
ばいい。だから俺達が支配するな﹄という新人類王国の主張の意に
反するものだ。
旧人類軍との戦争や、反逆者への対応など問題ではない。
国の存在自体を脅かしかねないそのミュータントを、いち早く始
末するべきだ。
焦るディアマットは、王に進言しようと一歩前に踏み出す。
﹁もしもそうであるなら、大至急攻撃するべきです!﹂
﹁まだ確認されているわけじゃないよぉ﹂
だがそんなディアマットの勢いも、王が発するのんびりとした返
答の前に削がれてしまう。
﹁ただ、予兆があるってだけさ﹂
﹁それでも十分な脅威です! トラセットにその予兆があるのであ
れば、全兵力を以てして滅するべきでは﹂
﹁落ちつきなよ、ディード。まだ生まれてすらいないんだから﹂
必要以上に落ち着いている王は、固い椅子に背中を押しつけなが
らも続ける。
﹁結論から言うとね。最近、トラセットの大樹から巨大な生命反応
が出てるんだ﹂
821
﹁大樹から? 虫ではないのですか﹂
﹁解析班の結果を聞くに、大樹の中で眠っているんだそうだ。その
全長は約100メートルと推測されている﹂
﹁ひゃ、ひゃくメートル!?﹂
でかい。あまりにもでかすぎるスケールだ。
怪獣映画の世界に放り投げても、違和感なく暴れられる大きさで
ある。
﹁ただ、ムラが激しいみたいでね。何度か反応も微弱になったかと
思えば、急に元気になったりしてる﹂
﹁⋮⋮住民が餌を与えている、と?﹂
﹁そう考えるのが自然だろうねぇ。大樹のエネルギーが供給されて
ないとは思えないし﹂
と言っても、大樹の中にいる生命体を相手にどうやって餌を与え
ているのかは疑問が残る。
それに、相手の正体も不明のままだ。
﹁その生命体と言うのは、その⋮⋮どういった形状をしているので
?﹂
﹁解析班の資料を見るに﹂
王がリモコンを操作し、モニターを切り替える。
推測される﹃ミュータント﹄の予想図だろう。CGで作成された
怪物の姿が、そこには映し出されていた。
その形状は一言で言えば、
﹁芋虫。詰まり、幼虫のように細長い形状である可能性が非常に高
い﹂
822
﹁では、こいつは蛹になり、最終的には蝶にでもなるというのです
か!?﹂
﹁そこまでは知らないよ。もしかすると、もっと違う形かも知れな
いしね﹂
ただ、
﹁少なくとも、このサイズの生命体がトラセットに眠っているのは
確かなんだよねー。しかも、アルマガニウムの大樹の中に﹂
トラセットの名物にもなっているアルマガニウムの大樹は、樹高
200メートルを超える、この世界最大の木である。
そんな木の中で、未知の生命体が眠っている。
今はまだ寝ているだけいい。問題はコイツが成長し、外に出た瞬
間何が起こるか、だ。
物が物だけに、全く予想が出来ない。
ただの巨大芋虫ならよし。アルマガニウムの影響をふんだんに受
けて生まれた、新たな生命であるなら、新人類王国の威信をかけて
排除しなければならない。
﹁やはり、今の内に焼き払った方がいいのでは?﹂
﹁それは無理な話だ。あの大樹は滅多な事じゃ倒せないよ﹂
﹁それこそ、鎧を使えばいいのでは﹂
﹁はっはっは。過激だねぇ、ディード﹂
その辺の心配は、特にしていない。
何故ならば、
﹁君が逃がした反逆者がいるでしょ?﹂
﹁んな︱︱︱︱!?﹂
823
今度こそディアマットは頭を抱えた。
ハンマーで頭を殴られたかのような頭痛が、重くのしかかる。
﹁よりにもよって、彼らを手駒にする気なのですか!? だが、彼
らは﹂
﹁まあ、先ず話を聞きなさい﹂
珍しく真面目な表情になり、目を細めて息子を見据える。
その鋭い眼光に射抜かれ、ディアマットは身震いした。
﹁もし、その中にいる生命体が、僕の予想するようなミュータント
の一種だとしよう。それはそれで、新たな生物の誕生の瞬間だ。う
うん、ハッピー!﹂
だが、とリバーラは続ける。
優れた生物は必然的に賢いものだ。
ゆえに、生まれてくる彼もすぐに思う事だろう。
﹁こんな陳腐な連中よりも、私が代わればもっと良い世の中が出来
るってね﹂
だからこそ、すぐに新人類に襲い掛かる。
優秀な新人類を狙い、自分が凄いのだと見せつける。
﹁確か、彼らが逃げたのはトラセット方面が濃厚なんだろう?﹂
﹁⋮⋮確かに、もし近々生まれるとしたら、ぶつかってもおかしく
はないと思います﹂
﹁そうだろう、そうだろう。ハッピーな事に、我々は兵を消費しな
いで様子を見る事が出来るんだよ!﹂
824
壊れた玩具のように拍手をし始め、笑い始めるリバーラ。
何時もの光景ではあるが、果たしてそう上手くいう物だろうか。
ディアマットは考える。
もしも運よく﹃虫﹄が生まれ、XXXと遭遇し、戦ったとしよう。
そしてXXXが虫に負けたとする。
そうなってしまえば、新人類王国にとって十分な脅威と証明され
ることになる。
ディアマットは王とは違い、楽観的に物事は見ない。
脅威となる物があれば、徹底的に叩き潰すだけだ。
それが例え、生まれる前の化物であったとしても、である。
彼は父が笑い転げる中、一人の兵の顔を思い浮かべる。
トラセットを陥落させた王国最強の女、タイラント。
彼女をもう一度、トラセットに向かわる。
例え住民が止めて来ようが、知ったことではない。
あの国は勇者を含め、誰もがタイラントの相手にならなかったの
だ。
彼女を止める人材は、あの国には居ない。
そう考えると、ディアマットは無言で決定を下した。
825
第59話 vsトラセット地理
ゴルドー邸を後にした反逆者たちは、アスプルに連れられて街を
歩く。
その道中で、スバルは彼に問う。
彼の実家で感じた違和感を、だ。
﹁アスプルさんは﹂
﹁呼び捨てで構いませんよ。同世代ですし﹂
﹁え、そうなの!?﹂
問おうと思ったら、意外な事実が判明して思わずたじろいでしま
った。
見れば、横を歩くエイジとシデンの二人も間抜けに口を開いてい
る。
立派なスーツに身を包み、大人びた雰囲気が出てるからだろうか。
彼が年下であることに少しばかり衝撃を覚えたようである。
﹁えーっと⋮⋮それならアスプル君ももっと気さくに話しかけてい
いよ﹂
呼び捨てで構わない、と言われてもすぐに対応するのは難しい。
精々君付けが限度である。しかしアスプルはそれに気をよくした
のか、口元を緩めた。
﹁では、こちらもスバル君で﹂
﹁お、おう﹂
826
何故だか恥ずかしい。
異国のお偉いさんにこんな気軽に話しかけられるのが、こんなに
も緊張するとは思わなかった。
﹁それで、なんだい﹂
﹁⋮⋮アスプル君は、家庭の事どう思ってる?﹂
遠回しに言おうと思ったのだが、どう表現したらいいのか分から
ない為、直球で質問してしまった。
すると、当の本人は少々考える素振りをみせて言う。
﹁そうだね。兄は言わずとも分かると思うけど、自慢の兄弟だった
よ﹂
まあ、その解答は予想していた。
ナルシストなのが傷だが、彼はこの国では英雄扱いである。
﹁少し年も離れてるしね。色んな面で頼りにしてたよ。勉強も兄に
教えてもらっていた﹂
その言葉に、スバルはデジャブを感じた。
同じだったのだ。
アスプルの持つ兄弟の思い出は、ヒメヅルで暮らしていた自分と
カイトの同居生活に似ている。年も大体同じくらい離れている為か、
妙に親身になって話を聞く事が出来た。
﹁まあ、比べられることは結構あったよ。英雄の弟なのに、お前は
無能だな、とか﹂
﹁誰がそんな事を﹂
﹁勿論、父だよ﹂
827
意外にあっさりと彼は口にする。
その表情には、特に恨みや憎しみと言った感情は見られなかった。
ただ、どこか諦めが入っていたように見える。
﹁まあ、そこは仕方がないんだ。兄は新人類としてかなり優れた部
類だったし、実際優秀だった。でも私は、何の取柄もない旧人類だ
った。父の扱いがあんなに変わるのも納得だ﹂
﹁え?﹂
スバル達は同時に思った。
こいつ、旧人類だったのか、と。
てっきりアーガスが新人類だったから、その弟である彼も新人類
なのかと思っていたが、違うのか。
﹁あ、その表情はもしかすると、皆さんも私を新人類だと思ってま
した?﹂
﹁いや、その⋮⋮﹂
﹁失礼ながら⋮⋮﹂
﹁思ってました⋮⋮﹂
土下座をするように深く頭を下げ、謝る3人。
﹁構いませんよ。慣れていますから﹂
しかしアスプルはやはり苦笑しただけで、特に気に障った様子は
ない。
もっとも、機械的に無表情になるアスプルだ。その苦笑もフェイ
クなのかもしれない。
828
﹁でも、そんなに驚くことではないでしょう。君だって旧人類じゃ
ないか﹂
﹁え、俺?﹂
思わぬ言葉を前にして、反射的に自身の顔を指差してしまう。
確かにスバルは旧人類だ。二人の超人に挟まれ、若干浮いている
と言ってもいい。
﹁なぜ君たちがあんなに歓迎されたと思う?﹂
﹁あー、そういうことね﹂
シデンが納得したように手を﹃ぽん﹄と叩く。
彼はスバルに視線を送り、解答を呟いた。
﹁旧人類であるスバル君が、新人類を。しかも凄く強いのと戦って、
勝ったからだ﹂
﹁ええ。ネットで情報を仕入れた後は大騒ぎでしたよ﹂
今まであまり意識したことはないが、スバルが戦ってきた相手は
どれも強敵ぞろいである。
シンジュクでは﹃鎧持ち﹄ゲイザーに、第二期XXXのカノンと
アウラ。アキハバラでは国内五指に入る能力者と評されたサイキネ
ルともやりあっている。
カイトの手助けが大きかったとはいえ、能力をお構いなしに使っ
てくる彼らに立ち向かい、結果的に勝利したのは旧人類側としては
確かな追い風となったのだ。自然と旧人類の人々は﹃自分も戦える
んだ﹄と意識し始めてくる。
﹁反乱軍も、その殆どがスバル君のファンでしたからね﹂
﹁よかったじゃねぇか﹂
829
﹁⋮⋮ちょっと複雑﹂
しかし、そんな事実もゴルドーの話を聞いた後だと自慢できない。
反乱軍は結果的に、この国に滞在する新人類によって殲滅されて
いる。自分が彼らに対して何かできたわけでもない。寧ろ、中途半
端に活躍してしまったせいで変な希望を持たせてしまった気がした。
Xという同調装
シンク
それに、スバルが自分の力だけで撃退したのはシンジュクで遭遇
した量産機、鳩胸だけである。要は雑魚だ。
ロ
結果だけ見れば勝利ではあるが、SYSTEM
置を使っている以上、彼らに勝ったのはカイトと言えるのではない
だろうか。
そう思うと、心苦しくなってしまう。
﹁あまり謙遜しないでくれ。例え君がどう思っていたとしても、君
がやったことで一部の旧人類が希望を持った﹂
アスプルが笑う。
その笑みは、今日始めて会った時の業務的な物ではない。
思わずこちらも笑い返してしまいそうになるくらい、彼の笑顔は
清々しいものだった。
﹁もちろん、私も﹂
﹁アスプル君も?﹂
シンボル
僅かに頷くと、アスプルは国の大樹を見やる。
﹁私は、私のやり方でこの国を守るつもりだよ。兄にはできない方
法で﹂
だから、
830
﹁君も自分の戦いをしてくれ。そして結果がどうあれ、恥じないで
欲しい。少なくとも、今は君のお陰でこの国は夢を見ていられるん
だ﹂
もちろん、私もね。
アスプルは笑顔のまま、そう呟いた。
アスプルと別れた後、三人は当初の予定通り﹃マリリス﹄と呼ば
れる少女が勤めていたパン屋の前に待機する。
時刻は既に夕暮れだった。そろそろ宿を探すか、獄翼に戻って話
を纏めたいところではあったのだが、
﹁⋮⋮ダメだ。やっぱ出ない﹂
﹁俺もだ﹂
両手を挙げてわざとらしく﹃お手上げ﹄のポーズをとり、エイジ
とシデンがお互いの携帯電話を仕舞う。
﹁何してるんだ、あの人﹂
スバルが一人、愚痴った。
彼らが店前で待っているのは、ゴルドー邸に入る前に分かれたカ
イトに他ならない。
831
他ならないのだが、その彼が何時まで経っても店前にやってこな
いのだ。
それどころか、携帯電話に連絡しても出ない。
完全に連絡が取れない状態になってしまったのだ。
﹁スバル君、携帯は?﹂
﹁GPSで逆探知されるとか言われたから、ぶっ壊された﹂
当時のことを思い出し、ちょっと不貞腐れた。
その様子を見て、二人の超人も思わず苦笑する。ある程度察して
くれたらしい。
﹁しかし、そこまで徹底してる奴が連絡の一つも寄越さないとなる
と⋮⋮いよいよもってやばいか?﹂
エイジが漏らした言葉に、二人も真顔で頷く。
思えば、あの男が別行動を取るたびにトラブルが起こっている気
がする。
その事実をスバルが思い出すと、彼は顔中汗まみれになった。
﹁⋮⋮今更だけどさ。隻腕で日本人って凄い目立つよね﹂
﹁まあ、人種が違う上に腕が無けりゃあな﹂
﹁もしかして、捕まった?﹂
シデンが全員の心情を代弁する。
だが、いかに目立つ容姿をしているとはいえ、彼が簡単に捕まる
とは考えにくいのも事実だ。
いかんせん、殺しても死にそうにない男である。
ソレに加え、片腕だけでも極上の凶器は健在だ。
そんな彼が僅か数時間の別行動で、何の音沙汰も無く連絡を断っ
832
た。
﹁⋮⋮単純なトラブルじゃなさそうだぜ﹂
﹁携帯を落としただけっていうのは?﹂
﹁だとしたら、此処にいてもおかしくないだろ﹂
兎にも角にも、かなりの時間が経った上に連絡も通じない仲間が、
約束の場所に訪れていないのは事実である。
自然と三人は顔を見合わせ、周囲を警戒し始めた。
﹁気をつけろ、歓迎しててもここは敵地だ﹂
﹁スバル君。ボクらから離れないで﹂
﹁おう﹂
三人でお互いの視界をカバーし合い、周囲をまんべんなく見やる。
だが、スバルはここにきて改めて思う疑問があった。
﹁ねえ。やっぱりこの国、静か過ぎじゃない?﹂
その質問の意図を汲み取ったのだろう。
シデンは今日一日の出来事を思い返し、頷く。
﹁確かにね。街はともかく、ゴルドーさんの家の周りにバトルロイ
ドがいないのは不自然だ﹂
国民の歓迎の嵐と、ダートシルヴィー家の賑やかなミュージカル
に誤魔化されて気付けなかったが、仮にもゴルドーは国の最高権力
者である。
ソレに加え、反乱軍なんて物騒な軍団がいたのだ。警戒して、監
視している様子がないというのは不自然だと三人は思う。
833
﹁という事は、騙されたのか?﹂
エイジが言う。
新人類王国とダートシルヴィー家はグルで、のこのことやってき
てしまったカイト達を捕まえる為に自宅に案内したのではないか。
それがエイジの考えである。
﹁⋮⋮俺はアスプル君を信じるよ﹂
その意見に反論したのはスバルだ。
﹁それに、仮にグルだったとしたらあの家で俺達は襲われてたと思
う﹂
﹁ああ、そりゃそうか﹂
再び悩むエイジ。
だが、そうこうしている間に時間は無情にも過ぎ去っていく。
夕日が姿を隠そうとする時間になっても、カイトはまだ現れなか
った。
彼らの考えもまとまらず、立ち往生してしまう。
﹁返信は?﹂
﹁来ない。LINEも既読にならないし⋮⋮﹂
姿だけではなく、連絡もないままだ。
暗くなるにつれ、賑わっていた商店街から人の姿が消えていく。
一人、また一人と帰路に向かう人の姿が、妙に目についてしまう。
と、そんな時だ。
834
﹁あれ?﹂
不意に、女の声が彼らの耳に留まる。
視線を向けると、ぽかんとした表情で今朝の大騒ぎを起こした張
本人が立っていた。マリリスである。
﹁皆さん、店の前でなにをしているんですか?﹂
不思議そうな顔をして近づいてくるマリリス。
どうやら出店の後片付けをしているらしい。両手で担がれたバケ
ツと、その中に沈んでいる汚い雑巾が彼女の作業の証拠を残してい
た。
﹁友達と待ち合わせしてるんだ。腕が無い方なんだけど、見なかっ
た?﹂
﹁いえ。皆さんを送った後は見てませんけど﹂
スバルが尋ねるも、期待した返事は返ってこない。
﹁既に宿を取られているのでは?﹂
﹁一人でか?﹂
﹁ボク達、今日初めてこの国に来たんだけど﹂
﹁ううん、それを言われると⋮⋮﹂
困った表情になると、マリリスはこの国のホテル事情を話してく
れた。
トラセットは観光地としても有名である。その為、ホテルがある
こと自体は珍しくないのだが、基本的に満室であり、宿泊する場合
は予約が必須なのだそうだ。
835
﹁なので、事前に連絡を取っていないとなると、ホテルではないと
思います﹂
﹁街から出た可能性は?﹂
﹁ないとは言い切れませんけど⋮⋮そうなると、捜索依頼を出した
方がいいのでは?﹂
至極まっとうな台詞である。
彼らはこの国に来て日が浅い。地理も分からないし、行方不明に
なっているカイトのように、匂いを辿って相手の場所を探り出すよ
うな真似が出来るわけでもない。
しかし、国のお偉い方に不信感を募らせている今、あんまりそっ
ちの方面は宛てにしたくないとういうのが本音だ。
スバルが聞くと憤慨するかもしれないが、エイジとシデンはそう
思っている。
﹁マリリスちゃん⋮⋮で、いいんだよね?﹂
﹁はい。私、マリリス・キュロと申します﹂
ダートシルヴィー家で彼女の名前は聞いている。
アスプルを除けば、彼女がこの国で一番交流のある人物だった。
ゆえに、地理が分からない以上は彼女に頼るほかない。
そこまで考えると、シデンはどこか諦めた表情でマリリスに提案
する。
﹁ボクたち、宿をとってないんだけど、今日泊めて貰えないかな?
友達は明日、アスプルに相談してみるよ﹂
﹁え!?﹂
836
その提案に目を丸くしたのはスバルである。
ホテルが無理だと聞いた彼は、てっきり獄翼まで戻って寝泊りす
るものかと思っていたのだ。更に言うと、カイトの件を明日まで引
き延ばすつもりなのに納得がいかない。こうしている間にも、彼の
身に何があったのかも分からないのだ。
思わぬ提案を聞いたスバルは、シデンに問い詰めようとするが、
﹁後で説明する。今は俺達に任せろ﹂
隣に立つエイジに抑えられ、耳打ちされた。
しかしそれでも、スバルは納得がいかない。
﹁任せろって言われても、いきなり日本人三人を泊めてくれるとこ
ろなんかあるわけないだろ﹂
﹁構いませんよ!﹂
﹁いいのかよ!﹂
思わぬ即答。
眩しすぎる笑顔で言われた歓迎の言葉に、スバルは思わずツッコ
ミを入れてしまった。
﹁大丈夫ですよ。家は広すぎるくらいです。皆さんを泊めるくらい
わけありません﹂
﹁でも、君以外の家族の人もいるんじゃないの?﹂
﹁ゾーラおばさんなら、寧ろ﹃困ったらお互い様だよ﹄とか言って、
遠慮なくスープを出してくれますよ﹂
﹁あ、そう⋮⋮﹂
これまた思わぬ待遇である。
年頃の娘のいる家に、反逆者の野郎が3人。
837
日本なら芸能人でもない限り、即座にお断りを受けそうなものだ
が、これも文化の違いだろうか。
﹁それじゃあ、付いて来てください﹂
マリリスが振り返る。
すぐ目の前にある木製の扉に手をかけると、三人の反逆者はその
後に続いて行った。
838
第60話 vs手術とスープ
目覚めるのに数日の時間を要するだろう、とアーガスは口にして
いた。
ところがどっこい、神鷹カイトはその日の深夜に目が覚めてしま
った。ぼんやりとした意識は瞬く間に覚醒し、自分の身に起こった
出来事を思い出す。
﹁!?﹂
飛びあがるようにして上体を起こす。
だがそんな彼を押さえつけるようにして、見えない何かが背中を
引っ張った。
﹁ここは﹂
見えない力によって再び横にされたカイトが見た景色は、意識を
失う前にいた場所のそれとは全く違う物だった。
まず、外ではない。目の前に広がる岩でできた天井は、まるで見
覚えが無かった。
また、今横になっているのも堅いベッドである。
記憶が正しければ、花畑の中で倒れ込んだ筈だ。それがなぜ、こ
んな場所にいるのだろう。
﹁⋮⋮まさか﹂
その謎を解くカギは、先程自分を押さえつけた見えない力だ。
カイトは過去、同じような引っ張られ方をした経験がある。あれ
839
は確か、アキハバラで一人換金を行った時のことだ。
﹁エレノアか﹂
自分以外誰もいない、薄暗い岩の部屋の中でぼそりと呟く。
するとどうだろう。真横に見える扉の奥から﹃がたっ﹄と何かが
倒れる音が響く。直後、ドタドタと立ち退きまわる音に変わるが、
それから数分してようやく扉が開いた。
﹁はぁい。エレノアだよ﹂
﹁何してたんだお前﹂
﹁愛しの君が名前を読んでくれたから、思わず椅子から転げ落ちち
ゃった。てへ﹂
こつん、と自分の頭を小突いて舌を出す。
これが俗にいう﹃テヘペロ﹄という奴だろうか。
一方通行のラブコールを送ってくる人形オバサンにやられたとこ
ろでまるで嬉しくないのだが、今に始まった事ではないので、カイ
トは敢えて沈黙を守る事にする。
﹁ねえ、リアクションくれないと寂しくてどうにかなっちゃうんだ
けど﹂
﹁⋮⋮いや、コメントする程の感動は無い﹂
﹁ちぇ﹂
心底残念そうに唇を尖らせた。
目の前で動いているエレノアはアキハバラで出会った人形と同じ
だったが、相変わらず妙に人間臭い動きができる逸品である。
カイトはエレノア本人に対し、そんなに好意を抱いてはいないが、
彼女の作る人形のクオリティの高さには素直に称賛の意を送ってい
840
た。例えそれが元々生きていた人間を使っているのだとしても、だ。
そこまで思考を回したところで、カイトはふと思い出す。
そういえばこのトラセット。エレノアが人形の素材を仕入れてい
る場所だった。確か、国のシンボルと言えるアルマガニウムの大樹
を材料にして人形を作ったのだと言っていた気がする。
﹁貴様の現地工房か、ここは﹂
﹁お、よく気付いたね﹂
残念がっていたエレノアがその言葉で表情を緩める。
何が嬉しいのか分からないが、聞いてもいないのに嬉々として工
房の説明をし始めた。
﹁ここは私の作業場だね。今君が横になっているのが、解剖場所﹂
﹁よし、ぶっ殺す前に今すぐ解放しろ﹂
早速紡がれた物騒な単語を前にして、カイトが苛立ちの感情を隠
さずに言う。
﹁うふふ。そんなに痛々しい姿になって、まだ私の糸から抜け出せ
ると思ってるの?﹂
﹁切断する事ならできる﹂
﹁知ってるよ。だから念入りに縛ってるんじゃないか﹂
縛っている、といっても原材料はあのアルマガニウム製の糸だろ
う。
目を凝らさなければ見えないレベルで細く、頑丈なその糸は人形
の操り糸として、またある時はピアノ線の如く敵を絞め殺す凶器と
して機能する。
841
彼女がその気になれば、この解剖台ごとカイトをミンチにするこ
とも可能だろう。
既に縛り付けられている状態では、糸を切り裂く前に己の肉が切
り裂かれるのは明白である。悲しいが、抵抗するとこちらが不利な
状態だ。
﹁⋮⋮で、何の用だ﹂
溜息をつき、カイトは尋ねる。
現状を見る限り、アーガスと戦った後の自分を回収したのは他な
らぬ彼女なのだろう。
﹁解剖台に寝かされてるんだ。何をされるかわかるだろ?﹂
エレノアが次々と仕事道具を目の前の持ち出してくる。
糸、木材、刃物、ノコギリ、ネジ、etc
見るからにやばい代物のオンパレードだった。見ただけでこれか
ら仕事をするんだろうな、と推測できる。
﹁安心してね。私の作業は一日もかからないから⋮⋮ああ、ダメだ。
興奮してきた﹂
エレノアの魂魄を宿す人形の目玉が、見るからに凶器の色で染ま
っている。心なしか目玉がぐるぐると渦巻いている気がした。口元
から涎が垂れ、両手をわきわきと動かしながら近づいてくる。
﹁じゃ、じゃあ早速手術するからね。改造しちゃうからね。立派な
物に仕上げてあげるからね!﹂
﹁やめて﹂
842
目の前で息を荒げつつ、迫るエレノアに危機意識を持つカイト。
明らかに正気ではない。
顔と顔が近づき、少しでも押し出せば鼻がぶつかりそうな距離で
涎がかかる。人形でも液体を流すあたり、かなり凝っていると思う。
彼女の職人としての技術の高さが、改めてよく分かる。
だが、自分がその仲間入りを果たすのは断固として拒否したい。
﹁やめろ。やめて。やめてください。お願いしますやめてください
エレノアさん!﹂
プライドも意地も何もかも殴り捨てた。
見れば、彼女の右手にはノコギリが。左手には加工済みの木材が
握られていた。
これはマズイ。
この前、アキハバラで右腕を切断したからこそ分かる。今彼女が
やろうとしていることをこの身に受けたら、滅茶苦茶痛いだろう。
それどころか、人間の姿を捨てることになりかねない。
﹁あ、あはっ。あははは! 夢にまで見た時が来たんだよカイト君。
私と君の新しい門出に乾杯!﹂
顔に唾がかかった。
目薬を指すかのようにして目にかかったそれを振り払うと同時、
エレノアが右腕を振りかざす。
直後、岩の空間に悲鳴が響き渡った。
彼がこんな叫び声を放ったのは、この世に生を受けて22年。コ
レが始めてである。
その切ない叫び声が同時に、エレノアの興奮を更に高めたことは
言うまでもないだろう。
843
一方、その頃トラセットのゾーラ宅。
マリリスを頼り、彼女の自宅で泊まる事になったスバル達一行は
温かいスープを御馳走になっていた。コーンポタージュである。
ここ最近、節約と場持ちの為に殆どカップヌードルしか食べてな
かった為か、妙に身体に染みる暖かさだった。
﹁美味しい!﹂
﹁うめぇ!﹂
﹁おばさん、お代わり!﹂
﹁はいよ、まだまだあるからたんとお食べ!﹂
当初、スバルは年頃の娘がいるお宅に泊まることを渋っていたが、
コーンポタージュを口に運んでから全くそんな気配をみせなくなっ
た。
エイジとシデン同様、ただ貪欲に食欲を満たす餓鬼の如くパン屋
のおばちゃんにたかっていたのである。
既にマリリスの数倍の量をたらいあげ、ジュースでも飲むかのよ
うに胃に流し込む光景を目の当たりにすると、少しは遠慮しろよと
言いたくなるところだ。
﹁良い食べっぷりだねぇ。男の子はこうでなきゃ﹂
ところが、家主であるゾーラの態度はマイルドだった。
寧ろ、急に押しかけてきた彼らを歓迎している。彼らが国に活気
をもたらした反逆者と言うのもあるが、純粋に困っている人を見捨
844
てられない人種なのだろう。
食卓の場も、自然と彼女とマリリスの話になる。
﹁このパン屋は二人で経営してるの?﹂
﹁はい。私とゾーラおばさんで、もう4年になります﹂
女二人での経営。
しかも4年前、マリリスはまだ小さな子供だ。
ゾーラがこの数年間、どれだけ苦労したか想像するに余りある。
特にスバルは同業者だ。カイトが来る前まで殆ど男手ひとつで経営
してきた父、マサキのことを自然と思い出してしまう。
アスプルの家族環境といい、この国はやけに自分の家を思い出さ
せるな、とスバルは思った。
﹁他の家族は?﹂
﹁⋮⋮新人類王国侵攻の際に、亡くなりました﹂
一気に空気が重くなった。
横に座るシデンとエイジから冷たい視線を受け取ったスバルは、
慌てながらも続ける。
﹁ご、ごめん! そんなつもりじゃ⋮⋮﹂
﹁いえ、いいんです。もう4年も経ちますし。それに、おばさんが
いますから﹂
聞けば、親を亡くしたマリリスは昔から顔見知りだったゾーラの
家に引き取られ、そのまま家族同様の暮らしをしているらしい。
男手はなく、不便な一面もあるらしいが、そこはアルバイトの協
力を得てなんとかやってきているのだそうだ。
845
﹁⋮⋮いい話だなぁ﹂
﹁そうか?﹂
その話を聞き、思わず涙ぐむスバル。
横のエイジが怪訝な表情で見てくるが、気にしない。
カイトがやってくるまでの蛍石家も、割と苦労してきたのだ。そ
の苦労を知る者として、感情移入せずにはいられない。
もっともこの男、学生と言う身分をいいことに家事の殆どをカイ
トに任せて趣味に没頭していたのだが。
﹁それにしても、お友達の件を相談しなくていいのかい?﹂
厨房からゾーラが顔をだす。
少々小太りなのが目につくが、気のいい初老の女性は椅子に座る
と反逆者たちを一瞥した。
そんな彼女の疑問に回答したのは、シデンである。
﹁彼は基本、一匹狼ですから﹂
﹁それでも、お友達は大事にしてあげないとダメだよ﹂
﹁分かってますよ﹂
そのセリフは分かってない奴の発言ではないだろうか。
未だに彼らの狙いがわからないスバルは、隣に座るエイジに言う。
﹁ねえ、なんで明日にするの?﹂
﹁夜は街に人も出ないから、襲われやすい。ついでに言うと、もう
ちっとこの街について知りたい﹂
パンに噛り付き、スバルの疑問に簡単に答えるとエイジはマリリ
スに視線を向ける。
846
﹁マリリス。明日、街をもう一度案内してもらってもいいか? で
きれば、今度は大樹がある方面で頼む﹂
﹁明日は休日なので構いませんけど、いいんですか?﹂
マリリスが三人に疑問の眼差しを送る。
この国のシンボルであり、巨大なエネルギー資源である大樹は新
人類王国の目が常に行き渡っている。そこに行きたいというのは、
わざわざ敵地に出向きたいと言っているのと同義なのだ。
アスプルも夕方の道案内では、わざわざそこを避けてくれている。
﹁勿論、帽子とか被ってカモフラージュはするけどな﹂
﹁それに、一番面倒な場所がそこなら初めに確認しておきたいです
し﹂
二人の発言で、スバルにもようやく彼らの目的がわかってきた。
ゴルドー邸に配置されていないバトルロイド。新人類王国に捕ま
ったのかも分からないカイトの行方。夕刻に感じた疑問を解消する
為にも、一度新人類王国側の現状を目で確認しておこう、というの
だ。
﹁そうだねぇ。仮に大使館に友達が捕まってるとしても、今はアー
ガス様があそこに滞在しているし、無暗に命を奪う事はないと思う
よ﹂
本当にそうだろうか。
スバルは思う。彼の指示の下、父は死んだ。
アーガスが大使館に滞在しているのは、ゴルドー邸で遭遇しなか
ったことからある程度予想はしていたのだが、その彼をどこまで信
用すればいいものかいまいち判断がつかないのだ。
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﹁⋮⋮そうだといいんだけどね﹂
スプーンをお皿の上に戻し、スバルは呟く。
トラセットの勇者、アーガス・ダートシルヴィー。もしかすると
明日にも彼と再会するかもしれないと考えると、気分は落ち込むば
かりだった。
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第61話 vsチューリップ
トラセットの首都、トラセインは四つの区画によって分けること
ができる。
第一に、マリリス達が働く商店街ブロック。
次にゴルドー邸が存在し、多くの住民が住む住宅ブロック。
そしてホテルなどで賑わう観光ブロックだ。
この三つは円を描くようにして最後の区画を囲っており、街の中
心地を経由することでどの区画にも通いやすい構造になっている。
﹁で、その最後の区画があれか﹂
目を凝らし、スバルは見る。
まるで山のような存在感を醸し出す、この国のシンボル。大樹だ。
トラセインの街は大樹を囲むようにして形成されているのである。
﹁中心地には何があるの?﹂
﹁大樹のほかには、大使館に墓地。他にはチューリップがあります﹂
﹁チューリップ?﹂
突然現れたメルヘンな単語を前に、スバルは首を傾げた。
それは大使館や墓地に並んで特筆すべき点なのだろうか。
﹁チューリップ畑があるってこと?﹂
同じく疑問に思ったシデンが言う。
すると、マリリスは僅かに首を横に振った。
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﹁大樹の前に生えている、世界最大のチューリップです。丁度墓地
の近くに生えているのもあって、お亡くなりになった人へのお祈り
をそこで行う人も珍しくないんです﹂
﹁墓地じゃなくて、チューリップにそれをするの?﹂
想像すると、なんともシュールな光景だ。
線香をあげて﹃なんばんだぶ﹄と呟く喪服の関係者。そして墓地
代わりに巨大チューリップ。少なくとも、日本式の葬式が似合う代
物ではないと思う。
﹁そこまで本格的な物はありませんよ。お花をお供えするくらいで
す。最近、アーガス様もチューリップの周りにお花を植えているそ
うです﹂
﹁へぇ、あの人が﹂
スバルの記憶にあるアーガスは、常に薔薇を背負っているような
派手な人間である。その彼が花を供えていると聞くと、どうにもカ
ラフルな薔薇しか思い浮かばない。品種改良で作られた七色の薔薇
が供えられても、絶対驚かない自信があった。
﹁で、大使館周辺の警護はどんな感じなの?﹂
﹁えっーと、流石にそこまでは⋮⋮私たちは滅多な事が無い限り、
近づきませんし﹂
そりゃあそうだ。
パン屋で働く街娘が、大使館に赴く用事など滅多にないだろう。
ゆえに、シデンは質問を変える。
﹁ここの新人類軍は、普段街には出てこないの?﹂
﹁あまり見かける事はありませんが、大体大樹の調査やゴルドー様
850
のご自宅の近くに控えています。警備の役目も果たしてるとか﹂
その言葉に、スバルとエイジは思わず顔を見合わせた。
先日のゴルドー邸では、そんな奴の姿なんかみていない。
精々中にメイドが控えていて、外の庭師が銃を隠し持ってたくら
いだ。
﹁因みに、それってバトルロイド?﹂
﹁その筈ですけど、そういえば見ませんでしたね﹂
﹁うん、全然﹂
﹁うーん、アーガス様が帰郷されてるから、大使館の方に召集され
たのかもしれませんね。最近、あのお方はバトルロイドを集めて何
かしているらしいですし﹂
その﹃何かが﹄がまさか朝のテーマソング合唱とは、夢にも思う
まい。
だが、何も知らない彼らは﹃アーガスは何を企んでいるんだ﹄と
真剣に考えていた。実際やらせていることはリコーダーと鍵盤ハー
モニカを使ったノイズ混じりの合唱なのだが。
﹁じゃあ、警備自体は手薄なわけ?﹂
﹁そう思います﹂
肯定してみせたが、しかし。マリリスは滅多な事が無い限り大使
館には近づかない。アーガスが帰郷して以降、大使館に何かがあっ
たのは確かだろう。街中のどこにもバトルロイドを見かけないとこ
ろから、それが伺える。
﹁じゃあ、まずは大樹で様子を見ようか﹂
851
シデンが言うと、一行はその言葉に頷いた。
それから歩いて少し経過すると、一行は国のシンボルへとたどり
着く。
﹁うっへぇ﹂
遠くから見ても結構なでかさだった。
しかし近くで見れば、迫力が段違いである。目の前にあるのは物
言わない樹木の筈なのだが、踏みつぶされてしまうではないかとい
う圧迫感があった。
﹁怪獣みたいだな﹂
﹁どんくらいあるの、これ﹂
蟻の気分を味わっている反逆者たちがマリリスに問う。
﹁細かいところは不明ですが、確か東京タワーよりやや小さい程度
だった筈ですよ﹂
﹁でけぇよ!﹂
大きいのは知っていたが、予想以上の大きさである。
ガイドブックなんかには約200メートルと記述されているが、
300メートルと記述したほうが正しいのかもしれない。
﹁こんなん、よく管理できるな﹂
﹁できていませんよ。現に新人類王国は今も人員を派遣して⋮⋮あ
れ?﹂
そこでマリリスは気づく。
普段は観光客を大樹に近づけさせないためにバトルロイド達が警
852
備をしているのだが、今日はそれを見かけない。
昨日まではいた筈なのだが、今日見ているのは朝から墓地へ参っ
ている国民や、わざわざ大樹を拝みに来た観光客くらいである。
﹁バトルロイドさんがいないですね﹂
﹁なんだと﹂
その言葉でエイジは周囲を見渡した。
確かにバルロイドはいない。いないがしかし、まだ早朝である。
交代か何かで入れ違いになっただけではないかという疑念が彼の中
ではあった。
﹁今日はまだ来てなかったりするんじゃねぇか?﹂
﹁エイちゃん、バトルロイドは24時間稼働しっぱなしが普通だよ﹂
﹁それに、此処を警備するバトルロイドさんは数十機はいます。そ
れが今日に限って見当たらないなんて⋮⋮﹂
それを聞くと、確かに不自然である。
マリリスの記憶が確かなら、昨日までは確かに配置されていた筈
なのだ。
大樹が貴重なエネルギー資源である以上、ここを放置することは
ありえない。戦争までして獲得した代物である。これで突然﹃捨て
る﹄なんて言われたら、親を失ったマリリスは怒りを通り越して愕
然とするところだ。
﹁他に変わったところは?﹂
﹁ううん、ここからだと何とも⋮⋮大使館や墓地を見てみないこと
には﹂
﹁じゃあ、墓地へ行ってみようぜ﹂
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スバルが提案する。
現状、バトルロイドが一番配置されている可能性が高いのが大使
館である。しかしアーガスがそこで寝泊まりしているという事実が、
彼に墓地への様子見を提案させた。
﹁わかりました。参りましょう﹂
そんなことなどいざ知らず、マリリスは反逆者たちを墓地へと案
内する。
そこに辿り着くまでに10分もかからなかったのだが、その間も
彼らはバトルロイドと遭遇することは無かった。
﹁ここが墓地になります﹂
柵で囲まれている平原の前に立ち、マリリスは言う。
﹁どうだ。何か変わったところはあるか?﹂
﹁一応、この入口もバトルロイドさんが見張ってるんですけど⋮⋮
やっぱり今日は見かけませんね﹂
街の中心区からバトルロイドの姿が消えた。
しかも、一番警備していなければならない筈の大樹を放ったらか
しにしているのである。
﹁どういうことだ?﹂
﹁ううん⋮⋮﹂
不可解な現実を前にして、全員が唸る。
ここにきて、まさか謎が増えるとは思わなかった。
一体トラセインに在住している新人類軍に何があったと言うのだ
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ろう。
﹁ところでさ﹂
そんな事を考えていると、ちらちらと視線を横に送りつつもスバ
ルが口を開いた。
彼はやや遠慮しがちに指をさし、マリリスに問う。
﹁もしかして、さっき言ってたチューリップってあれ?﹂
﹁あ、そうです。あれですよ!﹂
スバルの指さす方向には、大樹から毛が生えるような形で咲いて
いる巨大なチューリップがある。
その周辺には観光客や国民たちから定期的にかざられているので
あろう、花が供えられていた。
しかし、そのチューリップがまたでかい。
多分先端まで10メートルはあるのではないだろうか。花弁の中
から人間が出てきてもおかしくはない大きさである。
﹁よくあんなに育つね﹂
﹁マリオにでも出てきそうだな﹂
反逆者一行の脳裏に、土管から出てきて赤い帽子を被った配管工
に襲い掛かる巨大な食人植物の姿が浮かんでくる。
しかしそれを聞いて憤慨するのは、長い間この国に住んでいるマ
リリスだ。
﹁大丈夫ですよ! 私が生まれた頃には既にあんな感じでしたし﹂
﹁じゃあ、あの花は10年以上枯れてないのか?﹂
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そう考えると、また不気味な話である。
いかにトラセットの植物が他国のそれと比べて長寿でも、マリリ
ス以上の年となるといささか不気味だ。大きさも相まって、等身大
の怪物のように見えなくもない。
﹁というか、あの怪物花の周りにある黒い薔薇は何だ?﹂
エイジが顎を向け、視線を促す。
その先には彼の言うように、チューリップを埋め尽くすかのよう
にして黒い薔薇がひしめいていた。チューリップの巨大さに目を奪
われていたが、一面真っ黒なこの薔薇も中々不気味である。墓地の
前にあるのもあって、中々ホラーチックな雰囲気を漂わせていた。
﹁恐らく、あれは勇者様のお供えした薔薇ですね﹂
﹁あれが?﹂
に、しては数が多すぎないだろうか。
地面を真っ黒に覆い尽くしているソレは、例えようによっては海
を作っているように見えなくもない。
﹁近くで見ると分かりますよ。勇者様の薔薇は艶が違いますから。
と、いうわけなので見てみません?﹂
﹁見たいの?﹂
﹁はい!﹂
笑顔で言われてしまった。
この国の住民にとって、アーガス・ダートシルヴィーはアイドル
的な存在なのだろう。そんな彼が作った薔薇を間近で見るチャンス
は、彼が王国に勤めるようになってからは珍しい事だった。
しかし、スバル達はあくまで余所者である。
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﹁悪いけど、俺はパス。あの人とはいい思い出が無いし﹂
﹁俺達も何か手がかりがないか、少しこの辺で様子を見ておくよ﹂
﹁そうですか⋮⋮﹂
しゅん、と俯いて悲しそうな表情になった。
何か悪い事をしてしまった気がする。
﹁じゃあ、私一人で見に行きますよ! 行っちゃいますよ!?﹂
﹁お、おう﹂
連れて行きたいのだろうか。
チューリップの方向へ数歩進んだ後、彼女は何度かこちらを振り
返り、最終的には黒い薔薇を間近で見学し始めた。
何度か向けられた物寂しそうな視線が、中々心に突き刺さる。
﹁⋮⋮お母さんと一緒に本を読みたがる子供みたいだな﹂
﹁分かり難い例えだね﹂
しかし、マリリスの反応から察するにチューリップの方もこれと
いった変化はなさそうだ。
勇者によってお供えされた黒い薔薇も、若干異質ではあるが直接
疑問に繋がるわけではない。
﹁取りあえず、後は大使館か﹂
腕を組んで、エイジが呟く。
大樹と墓地からバトルロイドが消えた以上、残る可能性は大使館
に集合しており、何かしらの理由で動けないことくらいだろう。
それこそカイトが捕まっているのであれば、彼が暴れはじめて全
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機召集されたと考えると納得がいく。
だが、そうだとしても静か過ぎる。
もし戦闘が起こっているのだとしたら、大使館の方角から激しい
轟音が響いてもおかしくない。だが昨晩から今朝にかけて、街は静
寂そのものだった。
﹁どっちにしろ、見てみないと始まらないな。少なくとも、お供え
をしているからアーガスさんはいる筈だけど﹂
と、スバルが呟いた。正にその瞬間だった。
﹁ん?﹂
彼の正面に、見知らぬ少女が突っ立っていた。
やや遅れて、エイジとシデンも彼女の存在に気づく。
年はスバル達と同じくらいだろうか。彼女の金色の瞳は真っ直ぐ
こちらを見て離さない。
﹁どうしたお嬢ちゃん。俺達になんか用か?﹂
無言でこちらを見続ける少女に対し、エイジが尋ねる。
すると彼女は、ゆっくりと口を開いた。
﹁皆さんの仲間は無事ですよ﹂
﹁何!?﹂
短く紡がれた言葉は、三人の予想に反した物である。
反射的にエイジは詰め寄り、威嚇するように吼えた。
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﹁お前、何か知ってるのか!?﹂
年頃の娘なら、その言葉と凶暴な目つきだけで卒倒してしまうか
もしれない。少なくとも、スバルは今の言葉でびくり、と身体が震
えた始末だ。
だが少女は、全く怯まずに続ける。
﹁心配せずとも、近いうちに皆さんのところへ帰ってきます﹂
そう言うと、少女は回れ右。
腰にまで届きそうな青い髪を靡かせながらも、反逆者たちから離
れていく。
﹁待て! テメェ、何もんだ!﹂
エイジが少女の肩を掴み、問いただす。
だが彼女は振り返らぬまま、彼に言った。
﹁私よりも彼女に目をかけた方がいいのではないでしょうか?﹂
﹁彼女?﹂
﹁ええ﹂
どういうことだ、と問う前に。
異変は起きた。
﹁きゃあああああああああああああああああああああああああぁぁ
ぁぁぁぁぁぁっ!﹂
耳をつんざくような悲鳴が響き渡る。
反射的に三人が振り返った。
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そこには信じられない光景があった。
巨大チューリップが花弁を広げ、マリリスに覆いかぶさっていた
のだ。
﹁なっ!?﹂
なんだあれは、と口にする前に異変は次のフェイズへと移る。
花弁は口を閉じるようにマリリスの肢体を締め付け、そのまま元
の体勢へと戻って行ったのだ。
まるで恐竜映画に出てくるティラノサウルスが、獲物の頭をかじ
ってそのまま勢いよく飲み込むかのように。
﹁マリリス!﹂
スバルとシデンが走る。
直後、マリリスの足の爪先までもが花弁の中に飲み込まれる。
﹁スバル君、退いて!﹂
視界の前を走るスバルにそう指示すると、シデンは右腕を大きく
振るった。彼の掌から冷気が溢れ、鞭のようにチューリップへと襲
い掛かる。
次の瞬間、巨大チューリップの花弁が一瞬にして凍結した。
ドライフラワーになった大きな花が、萎れてスバル達の前へと倒
れ掛かる。
それを見るや否や、スバルは巨大植物へと走り出す。
﹁マリリス? マリリス!﹂
﹁花弁を剥がすよ。手伝って!﹂
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シデンの出す指示に従い、スバルは花弁を砕き始める。
その光景を見たエイジ。こんな力仕事こそ自分の出番である。彼
は名乗りを上げる為、少女に釘をさすことにした。
が、
﹁あれ?﹂
既に少女の姿は無かった。
一瞬である。たった一瞬、マリリスの悲鳴で後ろを振り向いた瞬
間、彼女は姿を消してしまったのである。
思わず墓地へと駆け出し、彼女の姿を探す。
しかし、どれだけきょろきょろと見渡しても結果は変わらなかっ
た。
そして数分後。
少女の姿を完全に見失ってしまったエイジは、二人の仲間からマ
リリスが消えたという報告を受けた。
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第62話 vs粘液
﹁消えただぁ!?﹂
それが二人の報告を聞いたエイジの第一声だった。
﹁あんなでかいチューリップに飲み込まれて、すぐに凍りつかせた
んだぞ! 何処に消えたっていうんだよ!﹂
﹁こっちが聞きたいよそんなの!﹂
スバルが声を荒げる。
混乱しているのは彼とて同じだ。目の前で巨大チューリップに襲
われたマリリスは、花弁を全て剥がしても見つからなかった。
とはいえ、そもそもこのチューリップが突然人に襲い掛かったこ
と自体が不自然なのだ。
長い間この場所に生えているが、それでもマリリスが近づいてい
ったのがいい証拠だろう。
彼らの混乱は、どんどん大きくなっていく。
﹁常識的に考えて﹂
他の二人が慌てる中、比較的冷静にシデンは分析する。
﹁いかに植物とは言え、食べられた後すぐに消化されるとは思えな
い﹂
それこそ、飲み込まれてから凍りつかせるまでのタイムラグは殆
どなかった。
862
にも関わらず、彼女が見つからないと言う事は、
﹁胃にまで落ちた可能性が高いと思うんだけど、どうかな?﹂
﹁胃?﹂
﹁チューリップだぜ、これ﹂
﹁分かってるよ、そんなの。例え話さ﹂
だが、仮に食べられたとして。
飲み込まれた物はどのように伝っていくか。
シデンはこの巨大チューリップを人体に例えて説明する。
﹁先ず、あの花弁が口だとする﹂
﹁うん﹂
それは分かる。
なにせマリリスを持ち上げた光景は、正に飲み込むといった表現
がふさわしかったのだ。
﹁で、丸飲みした後通じるのは大体食道。そして最終的に胃に辿り
着く。それをこのチューリップで言い表すと﹂
花弁から運び出されたとして、最終的にマリリスの身体が向かっ
た先。
それは植物の根基に他ならない。
﹁詰まり、根っこの部分ってことか﹂
地面から生える茎と葉っぱに向かい、エイジが歩み出す。
﹁よぅし﹂
863
袖をまくり、逞しい腕を露わにする。
その瞬間、この男が何をする気なのか二人は理解した。
﹁ちょっと離れてろ。泥がかかったらあぶねぇからな﹂
﹁スコップ持ってこようか?﹂
﹁いや、いい﹂
掘り出す気だ。しかも素手で。
こんな時こそ彼がアキハバラから持ち出したスコップの出番なの
だが、不幸な事にそういう大きな荷物は全て獄翼の中に置いて来て
しまっている。
﹁じゃあやりますか﹂
エイジの指が茎を掴む。
石柱のような太いそれは、彼が力いっぱい引っ張り出すと、一瞬
にして引っこ抜かれた。根っこにこびり付いた泥が、辺り一面に飛
び散っていく。
﹁マリリス!﹂
スバルが根っこに近づき、泥を叩き落としていく。
だが彼がいくら頑張って払い落としても、彼女の姿は出てこない。
その様子を見たエイジは、チューリップの生っていた地面に目を
向け、一言。
﹁⋮⋮洞窟になってるな﹂
﹁え!?﹂
864
その呟きに、他の二人が思わず駆け寄った。
見れば、根っこが埋まっていた筈の地面には巨大な穴が広がって
いる。それこそ人一人が通っても問題なさそうな大きさだった。
﹁ここを通ってったのかね?﹂
﹁決めつけるのはまだ早いと思うよ。根っこの泥も全部落とせてい
ないし﹂
シデンが巨大チューリップを一瞥する。
傍から見れば、巨大イカを引き上げたかのような光景だ。
大きく広がっている根っこが、扇子のように広がっている。
その殆どに泥がこびり付いており、その中のどれかにマリリスが
絡まっている可能性もまだ捨てきれないのだ。
﹁よし、じゃあ俺はこのまま洞窟を調査するぜ。お前らは泥落とし
を頼む﹂
﹁それはいいけど、一人で大丈夫?﹂
勇ましく立候補するエイジだが、スバルには不安な事があった。
いかんせん、他のXXXとは違って彼だけ武器を持っていないの
である。
腕力が売りだとは聞いているが、まともに能力も扱えない状態で
こんな未知の穴に突撃するのは無茶だと、スバルは考えていた。
﹁点火係がいた方がいいんじゃないの﹂
﹁おいおい、俺が火も灯せないような人間に聞こえるからやめろよ﹂
﹁実際つけれねぇんだろアンタ!﹂
そう、御柳エイジは炎を自在にコントロールできる力を持ってい
るが、肝心の発火が出来ない。
865
マッチを擦れば棒がへし折れ、ライターで灯そうとすれば常識離
れした握力で握り潰してしまい、必然的に誰かが﹃発火係﹄を担当
する必要がある。
また、穴の中は真っ暗だ。
何が潜んでいるかも分からないのに、明かりも無しに突撃するの
は誰がどう考えても危険だ。
﹁じゃあ、スバル。灯りは任せるぜ﹂
﹁分かった。何かあったら頼むよ﹂
我ながら完全に他力本願だな、とスバルは思う。
だが仕方がない。彼は他の三人のようにハチャメチャな異能の力
を持っているわけでもないし、特別身体を鍛え抜いたわけでもない。
生身で危機に陥ったら、彼らに助けてもらうしかないのだ。
﹁なんだ、溜息なんかついて﹂
﹁別に。じゃあシデンさん、根っこはお願い﹂
﹁うん。気を付けてね﹂
シデンが軽く手を振るのを見届けると、スバルは携帯ライターを
取り出して着火させる。
小さな灯りが空洞を照らし、僅かながらに視界が良好になった。
﹁未成年が持ってるもんじゃねーぞ﹂
﹁カイトさんに持たされたんだよ﹂
カイト曰く﹃エイジと行動する場合は、持っていて損はない﹄と
のことである。全くその通りなので、エイジは何も反論できなかっ
た。
しかし、カイトと言えば気になる点が一つ。
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﹁⋮⋮さっきのガキはなんなんだろうな﹂
﹁ううん、少なくとも俺は会った事ないけど﹂
空洞を進みながらも、二人は先程遭遇した少女について話し合っ
た。
彼女の態度から察するに、自分たちのことを知っているように思
える。
だが、自分たちは彼女に対する面識がまるでないのだ。
少なくとも、記憶に残ってはいない。彼女のような綺麗な金色の
瞳を持っていれば、嫌でも記憶に残りそうなものなのだが。
﹁新人類軍⋮⋮だとすると、俺達を放っておく意味もねぇよな﹂
﹁しかも、なんか予知してたっぽいよね﹂
彼女の口ぶりを思い出す。
あの時、少女は明らかにマリリスの近くにいるチューリップを危
険視していた。現地住民でも気付かなかった危険性に気づいていた
点が、彼女の異質さをより一層際立たせる。
﹁少なくとも、住民じゃなさそうだな﹂
﹁でも、俺たちが知りたいことを一通り知ってるのは間違いない筈
だよ﹂
正直な所、この国は謎が多い。
昨日から続く国への不信感、行方知らずになったカイト。消えた
バトルロイドの警備。突然人間に襲い掛かった巨大チューリップと
捕食されたマリリスの行方。更には謎の少女の出現と、並べただけ
でてんこ盛りである。
考えただけで頭がどうにかなってしまいそうだった。
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﹁兎に角、アイツは次に現れた時にとっ捕まえるしかねぇな﹂
それがエイジの結論だった。
少女に関しては身元も不明な以上、また現われるのを待つしかな
い。
その時に問いただすのみだ。
ゆえに、今は目の前の疑問に集中する。
﹁お﹂
歩いて数十分。
どこまで続いているのだろうかと思い始めた時に、それは現れた。
﹁なんか広い所に出たな﹂
人が通れるくらいの洞窟が終わりを迎え、突如として出現した広
い空間に二人は足を踏み入れる。
だが、その中も暗闇が支配している為に、中の様子がどうなって
いるのかは分からない。
﹁映画だと、こういう時はどこかに電気のスイッチがあるもんだけ
どな﹂
﹁そんな秘密基地じゃないんだから﹂
地面に手を伝わせ、電源が無いか探し始めるエイジに、スバルは
半目になって言う。
﹁でもよ。どう考えても、ここだけ整備されてねぇか?﹂
868
それを言われると、そんな気がする。
巨大チューリップの根元から続く穴を辿ってここまで来たのだが、
明らかにここだけ広い。それこそブレイカーが中に納まっていても
違和感がないレベルだ。
﹁⋮⋮まさか、ね﹂
大樹は現在、新人類王国の管理下に置かれている。
そんな大樹の地下に、彼らが倉庫を作っていても不思議ではない。
大樹のエネルギーを解析し、新しいブレイカーがあっても、広い
この空間なら幾らでも収まる筈だ。
なんたって全長40メートルのエスパー・パンダの中から出現し
た激動神という例もある。
﹁エイジさん。火をでかくできない?﹂
﹁いいけど、離れた方がいいぞ。危ないからな﹂
その言葉に頷くと、スバルは適当な場所でライターを地面に突き
刺した。
ダッシュでエイジの下へ駆け寄ると、彼は﹃オーケー﹄と小声で
呟く。
﹁よし﹂
エイジが手を前に突き出し、握り拳を作る。
すると同時に、ライターの先端から控えめに点火していた火が溢
れ出した。パラシュートのような巨大な炎の球体を作りだし、周囲
一面を灯りが照らす。
﹁あ!﹂
869
その瞬間、スバルは声を荒げる。
明かりが灯ったことで、ようやく彼らの目的を果たせたからだ。
﹁マリリス!﹂
しかし、見つけ出した彼女は一言では形容しがたい状態に陥って
いる。
先ず、彼女は水槽のように見える球体の中で黄色い液体に浸され
ていた。恐らく意識を失っているのだろう。彼女の瞳は閉じたまま
である。
そんな状態でも溺れていないのは、彼女の鼻と口に繋がっている
ホースのような細長い何かが空気を送り続けているからだと推測で
きた。現に、繋がっている個所から﹃こぽこぽ﹄と気泡が溢れてい
る。
﹁あの一瞬でどうしてこうなってるんだよ!﹂
﹁俺が聞きたいよ!﹂
エイジとスバルが駆け寄る。
彼女を閉じ込めている透明の球体を叩いて返事を促すが、マリリ
スは全く気付いていない様子だ。
﹁ていうか、口から出てるアレなんだ?﹂
間近で見ると、スキューバ・ダイビングにでも使いそうな酸素マ
スクに見えなくもない。
だが、そこから酸素を送り続けている細い物体は真上へと続いて
おり、限られた空間しか灯りがともせない状態ではどこから伸びて
いるのか分からなかった。
870
﹁んなことはどうでもいい。気泡が出てるって事は、生きてるって
事だ﹂
退け、とエイジは呟く。
その言葉に従い、スバルは慌てて球体から離れた。
直後、エイジは右拳を突き出した。透明な球体が派手に壊され、
中から黄色い液体が流れ出す。
﹁うえ!? なんだ、この匂い!﹂
間近でそれを浴びたエイジが、思わずそんな感想を漏らす。
スバルもその悪臭を前にして、鼻を摘まんでしまっている。中学
の頃に行った理科の実験で、アンモニア水を作った事を思い出す匂
いだ。
﹁んでもって、何かべたべたするな﹂
鼻を摘まみながらもマリリスの下へと駆け寄り、彼女の様子を確
認するスバル。服にこびり付いた液体に触れてみると、そこから粘
液が付着して光る糸を作り出す。
マリリスの服が若干透けてるのもあって、少しいけない気持ちに
なってしまった。特に口元に付着している粘液がやばい。
ごくり、と固唾を飲む。
こうして見ると結構可愛い。普段はボロボロになったエプロンを
かけている為にあまり意識してこなかったが、黙っていると中々に
美人だ。
顔立ちも整っているし、スタイルもそこそこ。ドレスでも着飾れ
871
ば、テレビにでて女優をやっていてもおかしくない。シンデレラっ
ていうのはこういうことをいうんだろうなぁ、と勝手に思う。
﹁おい、何してんだ。早く運び出すぞ﹂
﹁お、おう!﹂
彼女を担ぎ出そうと、摘まんでいた鼻を離す。
刺激臭がスバルの鼻穴に侵入し、嗅覚を刺激した。
むせた。
﹁お、おい大丈夫か!?﹂
﹁あ、あいむおーけー⋮⋮﹂
なんで英語なんだろう、とエイジは思った。
そして同時に思う。ちょっと鼻血でてないかな、と。
訝しげな視線を向けられていることなど気付かずに、スバルはマ
リリスを担ぎ、エイジに向き直る。
﹁よし、早い所脱出しようぜ!﹂
﹁それはいいけど、お前鼻血でてるぞ﹂
その言葉に反応したスバルが、反射的に鼻元を擦る。
マリリスの服から付着した粘液が鼻について、鼻水が垂れている
ような状態になった。
﹁どう?﹂
もう鼻血が流れていないか、確認してくるスバル。
更にカッコ悪い状態になっているのだが、これ以上つっこんでい
くとキリがなさそうなので、エイジは﹃大丈夫だ、行こう﹄と彼に
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行動を促した。
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第63話 vsマリリス・キュロ
目覚めたマリリスが真っ先に視界に収めたのは、見知った自宅の
天井だった。
しばし呆然となって天井を見つめていたが、しばし経ってから自
分の身に起こった出来事を思い出す。
﹁わ、私︱︱︱︱!﹂
﹁お、気付いたか﹂
自室の扉を開き、一緒に行動していた三人の反逆者とゾーラが入
ってくる。
﹁マリリス!﹂
ベットから起き上がった彼女を見るや否や、ゾーラは駆けだして
彼女を抱きしめた。タックルでも決めそうな勢いである。
﹁大丈夫だったかい? どこか身体が痛んだりする?﹂
﹁ううん。大丈夫。ありがとう、ゾーラおばさん﹂
微笑み、体調の良さをアピールする。
事実、彼女は身体に違和感を感じていなかった。
特にダルくはないし、寒気も感じない。健康そのものである。
﹁何があったのか、覚えてる?﹂
﹁はい。おぼろげに、ですが﹂
874
シデンからの質問に答えると、安堵していた反逆者たちは真剣な
表情に早変わりした。
﹁一応確認しておきたいんだけど、あのチューリップって人に襲い
掛かってきたことはあるの?﹂
﹁いえ。聞いたことがありません﹂
﹁私も始めて聞いたよ。この国に移住してきた時から、そんな話聞
いたことが無いわ﹂
やっぱそうか、とエイジが呟く。
あのチューリップは突然人間に襲い掛かった。そして洞窟に運び
だし、ホルマリン漬けのようにして保管していたのである。
どういう習性でそれを行っているのかまでは分からないが。
﹁じゃあ、地下にでかい空間があるところって心当たりある?﹂
﹁地下ですか⋮⋮一応、避難場所としてどの家にも地下があります
けど﹂
﹁そういうのじゃなくて、ブレイカーとかが何機も保管されてそう
な所﹂
その質問に、マリリスとゾーラは頭を捻った。
理由は簡単。
﹁実際見たことはないから、なんともいえないんだけどね。やっぱ
り大使館じゃないかね﹂
ゾーラが言った。
まあ、普通に考えたらそれが真っ先に出てくるだろう。
実際、日本の大使館も地下に倉庫を作っていた。獄翼もそこから
奪い取った代物である。
875
だが、あの地下空間は人工的な作りとはとても思えない。今時土
のままの地下倉庫なんてあり得るのだろうか。
そんな時である。
来訪者を告げるチャイムが鳴り、入口から男の声が響いた。
﹁ごめんください﹂
アスプルだ。
何度か軽いノック音もした辺り、律儀である。
﹁巨大チューリップにマリリスが襲われたと聞きました。詳しいお
話をお伺いしたいのですが﹂
国の代表を担うダートシルヴィー家の人間としての責務を果たし
に来たのだろう。彼の訪問は当然だ。
だが、事の事情を知っているのは家主のゾーラではなく反逆者一
行である。
﹁しゃーねぇ。一旦落ち着いてからまた話し合おうぜ﹂
﹁そうだね。マリリスも起きたばっかりだし﹂
それに、この件で聞きたいことがあるのは彼らも同じだ。
あの空洞の正体が何なのか、ダートシルヴィー家の人間なら知っ
ていてもおかしくない。
それに、消えたバトルロイドの行方も気になる。
﹁私なら大丈夫ですよ。直接アスプル様にお話を﹂
﹁いいから、黙って寝てなさい﹂
876
無理やり起き上がろうとするマリリスを、ゾーラが制止する。
彼女はマリリスを抱えるようにして優しくベットに倒し、毛布を
かけてあげた。
﹁今は私と反逆者様に任せて、あなたはゆっくりと寝ておくこと。
いいわね﹂
﹁一応、あんな目に会ったばっかなんだから休んでおいた方がいい
よ﹂
﹁⋮⋮はい。ありがとうございます﹂
あんな目に会った、といっても具体的に何をされていたのかは分
からない。だが、大事をとっておいて損はないだろうというのが全
員の見解だった。
マリリスもその意図は理解できていたようで、素直に甘える事に
する。
﹁飲み物は置いておくから、喉が渇いた飲んでね﹂
﹁すみません。お客様なのに﹂
﹁気にすんなって﹂
ベットの横にある小さなテーブルにペットボトルとコップを置き、
反逆者たちは部屋を出る。それを見届けた後、ゾーラはマリリスの
表情を確認した。
﹁マリリス。念を押すようで悪いけど、本当に体調は何ともないん
だね?﹂
﹁もう。おばさん、私は大丈夫ですよ﹂
﹁心配にもなるさ。アンタは私に残された最後の家族なんだよ﹂
どこにも行ってしまわぬようにしっかりと手を取り、彼女は続け
877
る。
﹁もしアンタにまで何かあったら⋮⋮﹂
﹁おばさん﹂
マリリスは彼女の手を優しく掴み返し、微笑む。
彼女の気持ちは痛いほどよく分かる。新人類軍の侵攻でゾーラは
夫と娘を失い、マリリスは両親を失った。戦前から顔見知りだった
彼女たちはお互いの傷口を舐めあうようにして、共同生活を始めた
のだ。
互いの寂しさを紛らわせ、家族を埋めあう事で彼女たちは今日ま
で生きてきた。もしどちらか片方が消えれば、その瞬間に残された
方は砕け散ってしまうであろうことも、容易に予想できる。
ゆえに、マリリスは即答する。
﹁私だって同じだよ﹂
﹁なら、くれぐれも無茶はしないでね。私はもう行くけど、ちゃん
と休んでるんだよ﹂
﹁うん。ありがとう﹂
そういうと、マリリスは毛布を被り横になる。
安らかな表情で瞼を閉じる姿に安堵したゾーラは、そこでようや
くマリリスの自室から出て行った。
彼女は階段を下り、反逆者とアスプルの待つ食卓へと向かう。
﹁申し訳ございませんアスプル様。遅れてしまいました﹂
﹁いえ、構いません。事情は大体分かっているつもりです﹂
既に椅子に座り、三人の反逆者たちから詳しい話を聞き始めてい
たアスプルはゾーラを歓迎した。
878
しかしその表情に、何時もの微笑は無い。
彼なりに、今回の件を深刻に受け止めていた。
﹁よもはや、あの花が人を襲うとは﹂
﹁トラセットには、食人植物がいるって聞いてるぞ。あれも似たよ
うなもんじゃねぇのか?﹂
驚きよりも、不信の感情の方が強いのだろう。
アスプルは俯き、黙ってエイジの言葉を聞いた。
﹁だとしても、大樹の真下にある空洞にまで餌を連れて行く習性が
ある植物なんてものは、大樹の歴史上はじめてです﹂
﹁あの空洞はなんなんだ?﹂
﹁あくまで私の予想ですが﹂
空洞は現在、アスプルの部下が調査中である。
トラセットの歴史のみならず、この国が独立する以前に遡っても
あんな空間は始めてなのだと言う。
そこから導いた答えは、
﹁恐らく、大樹の餌場かと﹂
﹁餌場!?﹂
﹁そうです。チューリップは近づいてきた餌を食らい、それを大樹
の下へ送り届ける。そして大樹はその餌の養分を吸う。こう考えれ
ば、ある程度説明はつくでしょう﹂
確かに、違和感はない。
大樹はいまだにその生態が明かされていない未知の植物だ。
何があったとしても不思議ではない。
879
﹁でも、なんでそれが今になって機能したんだ?﹂
﹁わかりません。そこは調査団の結果を待つしか﹂
﹁いや﹂
待つ必要はない、と言わんばかりにシデンがアスプルの正面に立
つ。
身長が小さく、女性のような顔つきでも表情には確かな威圧感が
あった。彼はアスプルを︱︱︱︱ダートシルヴィー家を怪しんでい
る。
﹁他に知っていそうな方がいるでしょう。そこから情報を貰ったら
いいと思うけど﹂
シデンの瞳が、正面を射抜いた。先日は温厚だった彼も、行方を
くらませた友人と今回の一件で不満を抱え込んでいる。怪しいと踏
んでいる一家の代表格が出てきたら、問いただしたい気持ちが溢れ
かえったのだろう。
僅かながらにアスプルの肩が震える。
﹁貴方は知っている筈だ。新人類軍が何故大樹から兵を引いたか。
そのタイミングに合わせて今回の件。偶然とは考えにくいとボクは
思うんだけど﹂
﹁私はそこまで新人類王国と関わっていません。その辺の事情に詳
しいのは、どちらかといえば兄です﹂
そんなことはシデンとて百の承知だ。実際に勤めているアーガス
の方が事情に詳しいに決まっている。
だが、
﹁でも、君の家もバトルロイドが在住してる筈なんだろう。昨日来
880
たときには居なかったけど、まさかあの庭師やメイドがそうだとは
言わないよね﹂
﹁⋮⋮皆さんをお迎えするのに、あれはいささか無機質でしょう。
なので、一旦帰宅してもらいました﹂
﹁始末した、と?﹂
﹁まさか。確かに新人類はこのトラセットには何名かいます﹂
だが、この国に生まれた新人類の大半は芸術に秀た超人である。
アーガス
その他は全員が旧人類の弱者だ。殴り合ったり、撃ち合ったりし
たら返り討ちになってしまう、弱者ばかり。
だからこそ英雄が生まれた。戦う力を持った勇者が必要だった。
﹁皆さんもご存知でしょう。皆さんのように戦え、優れた力を持っ
て生まれる新人類は出生率が低い。大樹があるとはいえ、この国も
例外ではありません﹂
﹁反乱軍はバトルロイドくらいなら蹴散らせるんじゃないの?﹂
﹁冗談を仰らないでください。あなたは我々に、生身でプレデター
と戦えと言うのですか﹂
シデンとアスプルの論争はヒートアップしていくばかりだ。
双方の友人であるスバルとしては、聞くに堪えない言い争いに聞
こえてしまう。
﹁なあ、おばちゃん﹂
そんな言い争いに終止符をうったのが、エイジだった。
彼はゾーラに視線を向け、言う。
﹁実際、この国の新人類と旧人類の比率ってどんな感じなんだ?﹂
﹁そうだねぇ。大体2:8ってところだと思うよ﹂
881
﹁へぇ。ついでに、おばちゃんやマリリスはどうなんだ﹂
﹁私もあの娘も生粋の旧人類だよ。やっぱり、目立った新人類はア
ーガス様だけだね。他は大体が作曲家や画家って感じかしらね﹂
﹁そっか。サンキュー﹂
笑顔で言うと、エイジは論争に熱中しはじめていた二人に向き直
る。
﹁てなことだから、この話題は一旦切るぜ。埒があかねぇ﹂
スバルは思う。
ナイス、エイジさん。
思わず親指を立てて、彼の仲裁を喜んだ。
心なしか、彼の右手から小さいピースが見える気がする。
﹁兎にも角にも、新人類軍だ。大樹の研究はコイツらが一番やって
たんだろ﹂
﹁その通りです﹂
アスプルが頷く。
大樹の研究という点では、新人類王国は侵攻当時から念入りに行
ってきた。悲しいが設備や頭脳も彼らの方が一枚上手である。何か
知っているとしたら、彼ら以外にありえない。
﹁なら、俺は提案するぜ。大使館に依頼して、この件を調査しても
らうんだ﹂
﹁エイちゃん!?﹂
シデンが驚き、詰め寄る。
882
﹁何考えてるの。みすみすボクらの存在を知らせるつもり?﹂
﹁俺達はここだとただの旅行者だ。そうだな、アスプル﹂
﹁ええ、その通りです﹂
筋書きはこうだ。
観光に来た彼らは、善意に溢れたパン屋の娘に道案内をされて大
樹を見に来た。
ところが、名物である巨大チューリップが突然襲い掛かってきた。
娘は無事に助け出され、花の周辺を調べたら謎の空間があった。
﹁おおまかに、こんな感じだな﹂
﹁なんとか俺達の存在をぼかして、向こうに報告するわけか﹂
﹁ああ。どちらにせよ、この件は報告せざるを得ないだろ﹂
そしてあわよくば、接触した時に新人類軍の現状も調べる。
実際に大使館の中に入る可能性は確実とまでは言わないが、相手
の状態である程度推測できるはずだと言うのがエイジの考えだ。
ゆえに彼は、報告の際には身分を隠して付き添うか、どこかに隠
れて盗み聞きをするか提案するつもりだった。
が、しかし。その提案があげられることは無かった。
何故なら、丁度この瞬間にガラスの破砕音が上から響いてきたか
らである。
﹁っ!?﹂
この場にいる全員が真上に視線を向ける。
上にいる人間は一人しかいない。ゾーラとスバルが素早く階段へ
と足を運ぶが、
883
﹁きゃああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁっ!﹂
﹁ば、化物だ!﹂
外から次々と悲鳴が木霊する。
その必死な叫びは、話し合いを中断させるには十分過ぎる威力を
持っていた。
時間は少し遡る。
瞼を閉じ、リラックスして再び眠りに付こうと思ったマリリスだ
が、中々寝つけずにいた。もちろん理由がある。目を閉じた瞬間、
巨大チューリップに襲われた光景を思い出してしまうからだ。
﹁⋮⋮ふぅ﹂
一旦上体を起こし、深呼吸。
毛布を少し剥がすと、身体中に熱が籠っているのがわかった。何
時の間にか着せ替えられていたパジャマにも、うっすら染みが出来
ている。
確か、横に設置された一人用のテーブルにシデンが水を置いてく
れた筈だ。それを思い出したマリリスは、ペットボトルに右手を伸
ばす。
直後、異変が起きた。
右手が伸びたのである。
884
ゴムのように勢いよく飛び出し、掴もうとしたペットボトルを弾
いてしまった。
﹁え!?﹂
その光景に面食らったのは、マリリス本人だった。
あまりの出来事に、思わず自身の腕を何度も見る。さっきまでつ
いていた筈の五指が完全になくなっていた。
伸びた右腕はまるで軟体動物のようにうぞうぞと跳ねあがり、中
に蛇でも入っているのではないかと思えるほど縦横無尽に動く。勿
論、これは彼女が腕をこう動かそう、と脳に命令したからこそ動い
ているのだが、目の前で起こる出来事に混乱した彼女は、そんなこ
とを考える余裕が無い。
それどころか、その混乱に比例するように伸びた右腕が暴れ狂う。
﹁ひっ︱︱︱︱﹂
立ち上がり、反射的に逃げようとする。
だが、勢いよく立ち上がった瞬間にバランスを保つ事が出来ず、
倒れ込んでしまった。
何故か。異変は彼女の脚部にまで及んでいたのだ。
﹁いたた⋮⋮えぇっ!?﹂
転んだ際にぶつけた顔面を大事にしつつも、自分の足を見る。
膝が本来とは逆の方向に曲がっていた。それどころか、肉付きも
不自然なまでに細くなっている。傍から見ればバッタかカンガルー
の足のようにも見えた。
﹁何これ。なんなのこれぇっ!﹂
885
横になっていた時までは普通だった筈だ。
反逆者の三人が運んでくれて、尚且つ懐疑の視線を送ってこなか
ったのだ。きっとそれは間違いない筈である。
だが、彼女の疑問は止まらない。
これ以上の身体の変化を恐れながらも、彼女はベットを支えにし
て何とか立ち上がる。
必死な形相になって起き上がろうとするその口からは、時折嗚咽
が漏れた。
そんな彼女に、変化した脚は無情にもその真価を発揮する。
﹁へ︱︱︱︱?﹂
やっとの思いで立ち上がり、何とか一歩を進めようと踏み込んだ
瞬間。
必要以上にしなやかになった足は、バネのように彼女の身体を前
方に放りだしたのだ。
﹁ひぃっ!﹂
前方には、窓ガラス。
放り出されたマリリスの身体は窓へと叩きつけられ、宙を舞う。
綺麗な放物円を描きながらも、彼女は地面に激突した。
重量感のある衝撃音が響くと同時、砂埃が巻き起こる。
﹁な、なんだ?﹂
﹁どうしたんだ﹂
その音を聞きつけて、近くの住民が集まってきた。
886
騒音で意識を取り戻すと、マリリスは唯一まともに使える左手で
ゆっくりと身体を持ち上げる。
﹁あ、あれ⋮⋮?﹂
だが、そこで彼女は気づいた。
人に見られたことではない。衝突の際に突き刺さったカラスの破
片が、自分の身体から抜けていく。傷口は徐々に閉じていき、流れ
出していた筈の血も止まっていた。それどころか、地面に叩きつけ
られた際に生じた痛みも、最初に激痛が襲い掛かってきた後、まる
で痛みを感じない。
どうなってしまったというのだ、この身体は。
﹁きゃああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁっ!﹂
﹁ば、化物だ!﹂
砂埃が落ち着き、彼女の姿が国民の目に晒された。
鞭のように長い右腕。膝の向きが逆さまの足。それらがあまりに
グロテスクで、彼らの嫌悪感を刺激する。
﹁え?﹂
しかし、そんな視線と悲鳴にマリリスはすぐに気付けないでいた。
周囲にいた人間が、自分から遠ざかっていくのを感じる。見れば、
彼らは全員意図的に自分から距離を置いていた。
﹁あ、あの。私!﹂
違うんです、と口にしようとした時である。
自宅の扉が開かれ、彼女の知った顔が集まってきた。
887
﹁どうした!?﹂
﹁何の騒ぎですか﹂
アスプルを先頭に、シデンとエイジが顔を出す。
遅れてスバルとゾーラもダッシュで駆けつけてきた。
﹁大変だ! マリリスが部屋からいなくなった!﹂
﹁ああ、だろうな﹂
スバルが深刻な表情でエイジに伝える。
が、彼らが視界に収めた物を見て、スバルは遅れて絶句した。
﹁マリリス?﹂
﹁ち、違うんです! これは、その﹂
懐疑的な視線を受けて、たじろぐマリリス。
なんとかこの状況を説明しようと身体を動かすが、左手一本では
なかなか身体のバランスが整えれられない。
上半身を支えきれず、左手が崩れる。ソレに合わせて、彼女の身
体も倒れ込んだ。
﹁きゃっ﹂
﹁ま、マリリス!﹂
﹁スバル君、待って!﹂
思わず駆け寄ろうとするスバルだが、後ろからシデンに羽交い絞
めにされて動けない。
身長差は20センチくらいあった筈だが、呆気なく抑え込まれて
しまう。
888
﹁離してよ!﹂
﹁落ち着いて! 明らかに普通じゃないよ、今の彼女は!﹂
そう、今のマリリス・キュロは普通ではなかった。
先程ゾーラは言った。自分もマリリスも旧人類だ、と。だが、今
の彼女の姿はなんだ。あれが旧人類の姿と言えるのか。
同時に、新人類とも言えるのだろうか。
﹁動物に擬態する奴は見たことがあるけど、あんな変化は初めて見
るぞ﹂
エイジが呟くと同時、マリリスが呻きながらも力を振り絞って起
き上がった。綺麗な顔は砂にまみれ、目尻から涙が滲み出ている。
﹁違うんです。違うんです⋮⋮!﹂
何が、とは言えない。
だが彼女には、周囲から向けられる視線に耐えるだけの力は無か
った。
ある者は好奇心。ある者は畏怖し、ある者は蔑むような視線を向
けてきた。目の前にいる気持ち悪い生物を侮蔑するように、彼らは
距離を置いたのだ。
そして叫ばれた。化物、と。
言葉や視線に紛れて、見えない石が彼女に投げつけられる。
﹁ちがっ、違うんです﹂
本当は指が生えているんです。
本来なら、皆と同じような足なんです。
889
本当は痛くて痛くて仕方ない筈なんです。
皆さんと同じなんです。
言いたいことは湯水のように溢れかえっていく。
だが、口が上手く形容してくれない。伝えたいことがあるのに。
ちゃんと説明したいのに、身体は言う事を聞いてくれなかった。
﹁退きなアンタ達!﹂
そんなマリリスに助け舟を出すように、怒鳴り散らす声。
ゾーラだ。彼女は反逆者を押しのけ、周辺で群がる者を蹴飛ばし
ながらも、マリリスへと向かって行く。
﹁なにさ、寄ってたかって女の子を苛めてそんなに楽しいかい!?﹂
彼女の一喝に、周囲を取り囲んでいた国民は黙り込む。
それをつけ入れる隙と見たのか、彼女は続ける。
﹁この子は化物じゃないよ。皆知ってるだろ、この子はね。私の娘
なんだよ!﹂
胸を叩き、ゾーラは真っ直ぐマリリスを見つめた。
滲み出ていた涙が、溢れ出した。
﹁おばさん⋮⋮おばさぁん⋮⋮!﹂
﹁大丈夫だよ、マリリス。私だけは何があってもアンタの味方だか
らね﹂
変わり果てた姿の娘に躊躇うことなく近づき、ゾーラは優しく抱
擁した。
890
再び倒れてもおかしくない上半身を、ゾーラが支えてくれている。
ああ、なんて暖かいんだ。
そして何より、落ち着く。ベットに寝かされた時もそうだったが、
まるで本当の母親のように、彼女は優しかった。
こんな訳のわからない姿になっても、それは変わらない。
その事実が、何て頼もしい。
﹁ありがとう。おばさん﹂
いや、もうこんな他人行儀な言い方はやめよう。
この人に失礼だ。それに、前からそう呼びたかったはず。
﹁おかあさん﹂
ゾーラの温もりに抱かれ、それを離すまいとするようにマリリス
は残された腕を彼女の背中に回した。
静寂の時間が流れる。
一人の勇気ある女性が起こした行動が、ここにいる全員の視線を
釘づけにさせた。その目の色は、先程までの蔑んだような物ではな
い。
スバルを羽交い絞めにしていたシデンも力を緩め、彼を介抱して
いた。もうそんな必要など、どこにもない。
だが、
﹁ダメだあああああああああああああああああああああぁぁぁぁぁ
ぁぁぁぁぁぁっ!﹂
静寂を引き裂くようにしてスバルがマリリスに向かい、叫ぶ。
891
﹁え?﹂
その叫びに反応したマリリスが呟く。
同時に、彼女が抱きしめていたゾーラの身体が、大きく傾いた。
倒れる。ゾーラの上半身が。下半身を残したまま。
﹁え⋮⋮?﹂
何が起こったのだろう、と思う前に。
マリリスの目に、ある物が飛び込んできた。
大きな鎌が見える。曲刃には切っ先から根元にかけて赤い液体が
付着していた。
そして同時に、その大鎌は自身の左腕が﹃変化﹄した物だった。
腕から生える曲刃の根元が、動かぬ証拠となってマリリスを追い
詰める。
﹁い︱︱︱︱﹂
新たな異変が娘に起きた。
だが、ゾーラは何も言わない。
言ってくれない。
そして、もう二度と喋ってくれない。
彼女の胴体は、左手の大鎌が真っ二つにしてしまった。
﹁いやあああああああああああああああああああああああああああ
あああああああああああああぁぁぁぁぁぁっ!﹂
892
第64話 vsパツキンナルシスト薔薇野郎 ∼勇者の宣言編∼
蛍石スバルの目覚めは悪い。普段、狭いコックピットで寝泊まり
して身体が悲鳴をあげているのが大きな理由なのだが、この日はそ
れとはまた違う理由があった。
同居人のカイトが見つからないのも理由の一つなのだが、大きい
のは昨日起こったマリリスの異変とゾーラの死にある。
﹁おはよう、スバル君﹂
﹁⋮⋮アスプル君﹂
洗面所で顔を洗っていると、背後から話しかけられる。
スバル達は結局、家主がいなくなった家から退散せざるをえなく
なった。
そして行き着いた先が、ダートシルヴィー邸である。
本来なら大使館を調べたかったのだが、マリリスの異変を考える
と彼女から目を離すべきではないと判断したのだ。
その誘いに最後まで渋い顔をしていたのはシデンだったが、﹃こ
うなったら徹底的に調べてやる﹄と言ってぷんすか怒りながらお泊
りした。
恐らく、徹夜で調べ回っている事だろう。昨夜、寝る時にベット
に居なかったし、起きた時もベットに居なかった。
﹁よく眠れては⋮⋮いるわけないか﹂
﹁⋮⋮うん﹂
我ながら、深く沈んだ物だと思う。
だがそれ以上にショックを受けているのは、マリリス本人の筈だ。
893
彼女はあの後、自分からアスプルに﹃牢に入れてくれ﹄と願い出
た。何度か様子を見に行ったが、地下の個室の中で体育座りをして、
何を話しても空返事するだけである。
用意された食事にも、手を付けていない。
﹁ねえ。マリリスはどうなっちゃうのかな﹂
目の前にいる国のお偉いさんに問う。
アスプルは顔をしかめ、やや悩んでから答えた。
﹁恐らく、あのままいけば彼女は死ぬだろう。我々がどうするかで
はなく、己の意思で﹂
ある程度予想した答えだった。
だよな、と呟いた後深く溜息をついてしまう。
彼女については、身体に起きた異変も含めて調べる必要があるの
が現実だ。このままいけば、数日もしない内に新人類軍に引き渡さ
れ、モルモットにされるのは目に見えている。
﹁心に負った傷は、すぐには癒えない﹂
﹁うん﹂
それは理解している。
スバルの身の回りにも、そんな奴が大勢いた。
だが、このまま黙って引き渡してしまって本当にいいのだろうか。
﹁それでも、このままじゃあまりにも可哀そうだ﹂
﹁スバル君﹂
マリリスとゾーラの事情は、多少は聞いている。
894
一晩だけとはいえ、宿泊させてもらった身だ。隅から隅まで知っ
ているわけではないが、互いに必要としていた筈だった。
それなのに、マリリスは殺してしまった。
意図していなかったとはいえ、その手で殺めてしまったのである。
﹁んで、次期領主様﹂
そんな事を考えている内に、洗面所に新たな客がやって来た。
エイジだ。彼もあまり眠れなかったようで、目の下にはどす黒い
隈ができあがっている。
﹁マリリスの件は、国の連中にどう説明する気なんだ﹂
﹁私は次期領主ではありません﹂
﹁かわんねぇだろ。お前しか継ぐ奴がいないんだ。で、どうなんだ
よ﹂
アスプルは反論したげにするも、肩を落としてから質問に答える。
﹁⋮⋮今日、父が国民の前で発表します。彼女のことと、あの空洞
のことを。その上で空洞を立ち入り禁止にします﹂
マリリスは元々旧人類である。
それがあのような姿に変貌したのは、どう考えても巨大チューリ
ップとそれが繋がっていた空洞に関係があるとしか思えない。
その空洞の立ち入りを禁止にするのは、当然の配慮と言えた。
﹁マリリスのことはどう説明するんだ﹂
﹁怖がる必要はない、と言うつもりです。現に彼女には戦意がある
わけでもない。ですが問題なのは﹂
﹁実際、街の連中がどう思うかは別。だよな﹂
895
アスプルの言葉を奪い、エイジは続けた。
﹁まずいことに、あの現場は大勢が見ちまった。人によっては、あ
いつを新人類軍より目の敵にしてくる筈だぜ﹂
﹁そんなのってないだろ!﹂
スバルは憤慨する。
それは幾らなんでも、酷い。一番苦しんでいるのはマリリス自身
の筈だ。
なのに、何故彼女をそんなに目の敵にする必要があるのか。
﹁皆、お前のように物わかりが良い奴だったらいいんだけどな﹂
どこか落ち着いた目で見られると、スバルは頭に手を乗せられる。
﹁な、なんだよ!﹂
﹁そう思うなら、お前はアイツの味方になってやれ。多分、今アイ
ツに必要なのは怖がらずに手を取ってくれる仲間だ﹂
﹁言われるまでもないよ﹂
その返答に満足したのか、エイジは手を退かした。
ゆっくりと洗面台に近づき、水道を捻る。
﹁エイジさんは味方になってくれないのか?﹂
﹁俺よりお前の方が適任だろ﹂
水をすくい、顔にかける。
何度か同じ動作を繰り返して水道を締めると、彼は笑顔で少年に
言った。
896
﹁お前はあの時、他の誰よりも早く駆け寄ろうとした。だからきっ
と、お前の方がいい﹂
勿論、出来るだけの手助けはするつもりだ。
マリリスは過去に例を見ない変化を遂げている。それに興味を引
かれて、よからぬことを考える者は出てくるだろう。
たぶん、スバルにはできないことを誰かがやってあげる必要があ
る。
﹁俺やシデンはお前に出来ない事をする。あの野郎もな﹂
﹁やってくれるかね、あの人﹂
絶賛行方不明中の同居人の顔を思い浮かべる。
彼がいなくなってから色んな事が起こり過ぎた。実際は二日だけ
だが、体感としては数年近く会っていない気さえする。
彼女たちの事情も何も知らないあの男が、果たしてマリリスの為
に動いてくれるだろうか。
﹁やってくれるだろ﹂
タオルで顔を拭いつつ、スバルに向き直る。
﹁お前が守りたいっていうなら、あいつはきっと力を貸してくれる
と思うけどな﹂
897
時刻は過ぎ、お昼。
ゴルドーが国民に事情を説明する為の集会が開かれる。集会場所
は中央区の大樹前。そこに設置された演説台だ。既に住民たちは男
女問わず集まっており、中には観光客と見受けられるカバンを背負
った男まで見受けられる。
スバル達もやや離れたところからゴルドーの演説場所を見守って
いた。
当初は関係者としてアスプルの隣で座る事を勧められたが、万場
一致で遠慮した。
必要以上に目立つのを避ける意味もあるが、それ以上に理由があ
る。
﹁やっぱり、ゴルドーは信用できない﹂
シデンがぼそり、と呟く。
彼の苛立ちを代弁するかのように、掌に握られたオレンジジュー
スが氷菓子になっていく。
﹁何か掴めたの?﹂
﹁いや、なにも﹂
証拠も無しで疑うのかよ。
スバルは訝しげに彼を見る。
﹁でも、気になる事はあるかな﹂
﹁なんだよ﹂
﹁演説の隙を狙って屋敷をもう一度探索しようと思ったんだけどさ。
今、屋敷は鍵がかかってるし無人なんだよね﹂
﹁それっておかしいことなのか?﹂
898
スバルは問う。
ゴルドーが演説を行うのであれば、当然その使用人たちもついて
くる筈だ。一旦、地下に閉じ込められたマリリスも今は猛獣が閉じ
込められていそうな移送檻の中に入っている。
﹁ボクがおかしかったら言って欲しいんだけどさ。普通、あんな大
きな屋敷を留守にする場合、警備の人くらい残すもんじゃないの?﹂
﹁え、それすら無しで誰もいないの!?﹂
始めてダートシルヴィー邸に来た時のことを思い出す。
確か庭師やメイドたちがいた筈だ。前者は警備の役目を果たして
いたし、後者は結構な人数がいたと記憶している。
そんな外と中を守るべき彼らが、全員屋敷を留守にしているとい
うのか。
﹁そう。まるで、もう屋敷に戻る事がないみたいだよね﹂
﹁⋮⋮引っ越しするようには見えなかったな﹂
少なくとも、荷物を抱えているようにも見えない。
だが確かな事があるとすれば、
﹁アスプルは知らないけど、ゴルドーは何かを知っている。しかも
ボクらに話したくない内容だ﹂
﹁なんで話したくないんだよ﹂
﹁もちろん、都合が悪いからでしょ﹂
では、なぜ都合が悪いか。
シデン達を敵に回すことが、デメリットだからだ。
﹁だから、今は大人しく聞いてようじゃん。この国のトップが何を
899
考えていて、どうするつもりなのかをさ﹂
どこから取り出したのか、フォークを振り上げてカップの中で出
来上がった氷菓子を砕き始める。
たまりにたまった不満をぶつけているのだろう。
力いっぱい振り上げられたフォークは、氷菓子に深く突き刺さっ
た。
﹃レディイイイィィィィス、アアアアアアアアアアアアアァァァン
ド! ジェントルメェン!﹄
マイクで拾われたノイズ混じりの挨拶に、三人が振り向く。
演説台には何時の間にやら、ゴルドーが立っていた。
彼の横にはボディーガードの如くアスプルが突っ立っている。
だがスバルの視界には、予想に反した者も映っていた。
﹁アーガスさん!﹂
﹁何!?﹂
アスプルの反対側。
丁度ゴルドーの右手側に位置する場所で、国の英雄が微笑を浮か
べていた。
あの整った顔立ちと綺麗な長い金髪を忘れるわけがない。
﹁間違いない。アーガス・ダートシルヴィーだ。でも、なんでここ
に﹂
﹁アイツがそうか。思ったより似てねぇな﹂
﹁そんなことはどうでもいいよ﹂
野暮な会話が始まる反逆者一行。
900
彼らの会話ペースなどお構いなしに、ゴルドーは演説を始めた。
﹃皆さんにお集まりいただいたのは他でもありません。既に聞いて
いる者も、見ている者もいらっしゃることでしょう﹄
それを踏まえたうえで、ゴルドーは先日の出来事を話し始めた。
巨大チューリップの捕食。
地下に存在していた謎の空洞。
取り込まれた娘が、異形の姿に変化していった事。
そして一人の国民が死んだこと。
﹃さて、皆さん疑問に思うことでしょう。なぜ、マリリスは変化し
たか﹄
襲われた現場を直接見たスバル達は、ある程度予想できている。
だが、なぜそんな事が行われているのかまではわからない。
そこに関しては調査が必要だろう。
﹃説明しましょう﹄
﹁え!?﹂
その言葉は、まさに予想外の言葉だった。
思わず面食らうスバル。
﹁おい、こいつは﹂
﹁うん﹂
彼の横でエイジとシデンが目配せする。
真剣な眼差しで行われるアイコンタクトが、物々しい雰囲気を作
り出す。
901
﹃新人類軍を代表して、息子︱︱︱︱皆さんには勇者と言った方が
馴染み深いだろう、アーガス・ダートシルヴィーに説明をお願いし
ます﹄
押し寄せていた国民から、湧き上がらんばかりの拍手喝采が鳴り
響いた。
その歓声に応えるように、勇者は演説台へと向かって行く。
﹃トラセット国民の諸君。美しくこんにちわ!﹄
﹃こんにちわああああああああああああああああああああぁぁぁっ
!﹄
歓声の激しい音波が、びりびりと伝わってくる。
まるで強風を浴びたかのような錯覚が、スバルを襲った。
マリリスの説明から﹃アイドルみたいな扱いなのかな﹄と思って
いたが、予想以上だ。彼が挨拶をすれば国民も挨拶をし返す。彼の
機嫌を損ねないように大声で、元気よく。
﹁な、なんかの宗教かこれ!?﹂
圧巻の人気を前に、エイジが呟く。
勇者による説明の場は、その機会だけで国民を沸かせたのだ。
﹃諸君、マリリス君の変化は一言で説明すれば、美しい細胞の再構
築によるものだ﹄
アーガスの説明はこうだ。
マリリスが運ばれた空洞は、大樹のエネルギーを注入する場であ
り、それを注入された者は細胞が変化するのだと言う。
902
それこそ旧人類から新人類へ変貌するかのように。
だが、マリリスはその注入が不完全なまま引き剥がされてしまっ
た。その為、自分の意思で上手く細胞の組み換えがコントロールで
きないのだ。
﹃これはまだ推測だが、彼女が能力を物にし、鍛えあげれば私を超
える戦士に成長することだろう﹄
アーガスの言葉に、国民はざわめいた。
勇者より強くなれる。あの歪な姿になってしまった街娘が、だ。
その光景にはギャップしかない。
更に言えば、もし彼女がアーガスを殺してしまったらどうなって
しまうのか、という不安もある。
﹃美しき祖国の諸君﹄
だが、アーガスは国民の戸惑いを一言でシャットダウンした。
﹃案ずるな。彼女は私の︱︱︱︱君たちの敵ではない﹄
なぜならば、
﹃彼女こそが我々の美しい反撃の切り札になるのだ!﹄
アーガスが高らかに叫んだ。
それは、堂々とした独立宣言だった。
﹃国民諸君。君たちは悔しい思いをしてきたことだろう!﹄
四年前、エネルギー資源をよこせと言って﹃奴ら﹄はやってきた。
903
そして容赦のない暴力をしかけてきたのだ。トラセットは可能な
限り立ち向かったが、それでも戦力の差は圧倒的だった。
肝心のエネルギー資源である大樹が解析できず、戦力を整える事
が出来なかったからだ。
﹃思い出せ、炎の日を!﹄
国土を荒らされ。
緑を焼き尽くされ。
住む場所を壊され。
愛する人を失った。
その怒りを。
悲しみを。
憎しみを。
アーガスは大樹に集まった国民たちから、湧き上がらせていく。
大きく振り上げられた右手には、黒い薔薇が握られている。
﹃既に大使館のギーマと、バトルロイドは私が排除した!﹄
英雄が帰還を宣言する。
更には逆襲の為の切り札も、彼は用意していた。
﹃マリリス君だけではない。既に私の配下の者達も大樹のエネルギ
ーを受けている﹄
勇者を超える人材が育ち始めている。
しかも一人や二人ではない。それどころか、望めば誰もがその可
能性に触れる事が出来る。
憧れの勇者と共に、国の為に戦える。
904
その響きが、国民たちの闘争本能に火をつけた。
﹁アーガス様! 私もなりますぞ!﹂
﹁俺もだ!﹂
﹁国の為に!﹂
﹁家族の仇を!﹂
﹁我々の恨みを!﹂
国民たちの怒声が、確かな意思となってアーガスに伝わる。
それを聞いたアーガスは思った。
美しい、と。
同時に、醜いとも思った。
目の当たりにした、愛する祖国の国民たちの憎悪。
その怒りは、本来なら守るべきことが出来なかった自分が受ける
べきものだった。
しかし、今。自分はどの面を下げて彼らに戦おうなどと言ってい
るのだろう。
アーガスはこの時、始めて己の行動を醜いと恥じた。
そしてこれから、彼は更に﹃醜い﹄発言をしなければならない。
そこまでが父との約束だった。
﹃ありがとう、美しい国民諸君! 君たちの気持ち、この私が確か
に受け取った!﹄
だが、
﹃大樹がエネルギーを注入する為には、アルマガニウムのエネルギ
ーが必要なのだ! 諸君を覚醒させる為には、今のエネルギーでは
905
とても足りないだろう﹄
そこで、
﹃強力な新人類を捕まえて、我々の前に美しく差し出すのだ! 既
に見当は付けている!﹄
アーガスが大衆の中を指差す。
その指はいつかの日に日本で出会った気の良さそうな少年にまっ
すぐ向けられている。
﹃新人類王国への反逆者達よ。恨むなら私を恨め﹄
勇者は懺悔する。
異国の少年と、勇気あるXXXの仲間たちに。
﹃君たちの仲間と同様、大樹の栄養となってくれ﹄
国民たちが一斉に﹃反逆者様﹄に視線を向ける。
直後、彼らは暴徒となって反逆者たちに襲い掛かった。
906
第65話 vs勇者の弟 ∼なにもない編∼
マリリスは見る。
暴徒と化した国民を。
自分と同じ国で暮らす者が、この国に立ち寄っただけの反逆者た
ちに襲い掛かる異様な光景だった。
﹁アスプル様。これはどういうことなんですか!?﹂
檻に閉じ込められた状態で、彼女は問う。
疑問に思うのは彼女だけではない。ここに集まった国民の全員が
暴徒と化したわけではないのだ。突然のことに戸惑う者も、同じ疑
問を抱いている。
そこまでしなければならないのか、という良心との葛藤だ。
﹁彼らはこの国に害を為す方々ではない筈です!﹂
﹁その通りだね﹂
アスプルが振り向き、檻に近づく。
変わり果てたマリリスの姿を視界に収めながらも、彼はゆっくり
と答える。
﹁でもね。彼らは最初から餌だったんだ﹂
﹁餌?﹂
アスプルは頷く。
﹁君も聞いただろう。大樹は餌を求めているんだ。そして進化して
907
いる﹂
﹁なにを仰られているのですか?﹂
アルマガニウムのエネルギーが必要なのは、先程アーガスが説明
してくれた。
だが、相手は所詮植物の筈だ。
例え食べたとしても、いずれは枯れ果てる宿命ではないのか。
﹁君にはこれが、ただの植物に見えるのかい?﹂
凍りついた目で、アスプルが睨みつける。
思わず背筋が凍えた。
屋敷で優しい笑みを浮かべる好青年の姿はどこにもない。
まるで親の仇でも見るかのような目で、彼はマリリスを捉えてい
る。
﹁やめないか﹂
檻が無ければそのまま首を締めに来ているのではないかと思える
程の勢いで詰め寄ってきていたアスプルを宥めるように、アーガス
は近づく。
﹁アスプル、彼女を連れて行くよ。彼はまだ空腹だ﹂
﹁⋮⋮分かってるよ﹂
アスプルは手を振り、使用人たちに合図をする。
何人かの男が集まって移送檻の運搬が始まった。マリリスの視界
が、徐々に暴徒と反逆者たちから遠ざかっていく。
思わず彼らのいる方向に顔を向けた、その時だった。
908
﹃アスプル君!﹄
きぃん、とノイズ音が響く。
暴徒を食い止めるエイジとシデンの陰に隠れながらも、彼は拡声
器を使ってこの国の友人に呼びかけた。
﹃俺達を騙したのか!? あの時一緒に散歩して、話し合った事も
全部ウソなのかよ!﹄
背中を向けたアスプルが歩を止める。
ゴルドーやアーガスに訝しげな視線を向けられるが、それでも彼
は悩むように立ち止まっていた。
﹃最初から俺たち全員を餌にする気だったのか!? マリリスが苦
しんだ姿を見て、その力に頼る為に!﹄
彼の言葉が、胸に突き刺さる。
全ては父親の言いつけだった。
偶然やってきた極上の餌を逃すまいとする父の為に彼らを祀り上
げ、そして滞在するように勧めたのだ。
結果的に、一人だけで事足りたのだが。
﹃何とか言えよ!﹄
異国の少年が声を震わせる。
彼との交流は、たった数日だ。
だがそのたった数日で、彼はこんなにも呼びかけてくる。
暴徒に揉まれながらも、懸命に。
﹁アスプル!﹂
909
気付けば、身体は振り返っていた。後ろから兄が叫ぶが、知った
事か。
彼は父親の立っていた演説台に上がると、マイクの電源を入れる。
﹁嘘なものか!﹂
アスプルは叫んだ。
その咆哮を聞いた暴徒たちが、思わず動きを止めて次期当主に振
り返る。
﹁確かに最初から餌にするつもりだった。だが、君と個人的に話し
たことは紛れも無く私の本心だ﹂
﹃だったら!﹄
﹁だからこそ私は、ここで夢を果たしたい!﹂
スバルは絶句する。
彼の気持ちは本物だった。同時に、彼の覚悟も確立している。
﹁私は君が羨ましい。君には仲間がいる。旧人類という生まれでも、
戦う術がある。だが私には何もない!﹂
兄、アーガスは勇者だった。
彼は全てを持っている。
人望も。
力も。
美しさも。
父親の信頼も、彼が持っている。
旧人類として生まれた自分には、何もなかった。
910
﹁私は、兄にはできないやり方をやるしか己の存在を誇示できない。
だが、その為の先駆者となる事はできなかった﹂
僅かにマリリスに視線を向ける。
その眼光に気づいた少女が、僅かに身震いした。
﹁スバル君、例え歪んだ道だとしても祖国の為に戦いたいと思う気
持ちはいけないことか?﹂
﹃そ、それは⋮⋮﹄
異国の友人が口籠る。
彼は優しい少年だ。疑うことなどせずに、こちらの誘いに乗って
くれた。
そして自分に出来た初めての友人でもある。
もしも餌としてではなく、友人として一緒に戦ってくれと言った
ら彼はどうしていただろう。
自分が選ぶ道を、祝福してくれただろうか。
﹁私は戦う。兄にはできない手段で、大樹のエネルギーを使って!﹂
﹃それで悲しんでいる子が、君の目の前にいるんだぞ!﹄
確かにマリリスとゾーラの一件は、不幸な出来事だった。
彼女たちの事を想うと、胸が痛くなる。
だがそれ以上に、
﹁だが、その力こそ私が長年欲しかった物なんだよ!﹂
﹃アスプル君!﹄
﹁私を止めたいなら、止めてみてくれ。君が新人類軍を止めたよう
に!﹂
911
言い終えると、アスプルはマイクの電源を切る。
それを合図とするようにして、国民たちは再びスバル達に押し寄
せてきた。次期当主の覚悟を、そのまま自分自身の意思とするよう
に。
その光景を見届けた後、アスプルは背を向けて家族と共に大樹へ
と向かっていく。
﹁くっそ! めんどくせぇな!﹂
﹁いっそのことここで止めちゃう?﹂
﹁殺さないでよ。そんな事したら、もう手を取り合えない!﹂
カイトが栄養にされた、という言葉を聞いて苛立ちが増し、力を
使おうとする二人をスバルが押し留める。
﹁けど、このままだと何時かは捕まっちゃうよ!﹂
シデンが肩を掴んできた男を投げ飛ばしつつ、言う。
彼らXXXは身体能力を極限まで高めた超人部隊である。
だが、そこに手加減と言う文字は存在しない。人を殺さない威力
まで弱めた能力の加減は出来ないし、このまま格闘戦で応戦してい
ったらいずれ骨をへし折りかねない。
更にいうと、スバル少年を多方面から守りながら、自分の守りも
対応しなければならないというのが辛かった。
﹁⋮⋮仕方がねぇな﹂
エイジが諦めたように舌打ちする。
彼は近くにあったテーブルを掴むと、それを大きく振り回して暴
徒たちを牽制した。
912
﹁おい、スバル! ここは俺とシデンが引き受けた。お前はアイツ
らを追え!﹂
﹁え!?﹂
﹁エイちゃん!?﹂
彼の出した提案に、二人は目を丸くした。
よりにもよってここでスバルを単身で向かわせると言うのか。
﹁向こうには国の勇者がいるんだよ!? それどころか、大樹のエ
ネルギーを注入されたマリリスみたいな使用人もいる筈だよ!﹂
﹁それでも、俺はコイツを推すね!﹂
エイジは知っている。
彼があの頑固者のカイトを動かしたことを、だ。
それに今ここで守られているばかりでは、きっと彼は後悔すると
思う。
﹁ダチなんだろ? だったら﹃せーい﹄見せて、身体を張ってみろ
よ﹂
それは忘れる筈もない、エイジが教えてもらった仲直りの方法だ
った。
今の状況にスバル理論が当てはまるかはさておき、この中でアス
プル達を追うべきなのはこの人のいい少年だろう、とエイジは思う。
﹁突っ込む方法については、俺に考えがある。滅茶苦茶痛いけどな﹂
﹁よし、乗った!﹂
﹁乗るの!?﹂
913
スバルは即答する。
考える素振りすら見せずに、少年はエイジに問う。
﹁で、どうすればいい!?﹂
﹁シデン、少しの間ここ任せるぞ!﹂
ただ一人、困惑したままのシデンが﹃ええ!?﹄と非難の声を上
げる。
とは言っても、小さな体で暴徒たちをしっかりと押さえつけてい
る辺り、きちんと頼みは引き受けていた。
﹁いいか、きっと連中は俺達が知っているのとは別のルートで大樹
の中に向かって行ったはずだ﹂
そりゃそうだ。
大樹のエネルギーを注入する為に、わざわざ屋敷に戻る必要はな
いだろう。
﹁だが、こっからその入り口は見えない。だからお前には、空洞を
通ってもらう﹂
﹁でも、ここから空洞まで距離があるよ!﹂
同じ中央区とは言え、今は暴徒の波が押し寄せて前に進める状態
ではない。
今から獄翼を呼んで飛び越えたところで、空洞の中に入れないの
がオチだ。
﹁そうだ! だからお前は飛べ!﹂
﹁はぁっ!?﹂
914
胸倉を思いっきり掴む。
エイジは少年の身体を片手で掴むと同時、回れ右。
空洞があった方向へと、視線を向けた。
﹁ま、まさか⋮⋮!﹂
スバルはこの体勢に覚えがあった。
アキハバラで激動神を倒したXXXの禁断奥儀。
カイト弾の体勢である。
﹁すっげぇ痛いぞ! いいか、ちゃんと受身取れよ!﹂
﹁いやいやいや! 無茶言わないで!﹂
仮にエイジが手加減してくれたとして、だ。
あれはカイトが投げられるからこそ成り立つ必殺技である。
力任せに人を投げ飛ばせば、衝突の瞬間に骨が折れておしまいだ。
それが分からない程、スバルは馬鹿ではない。
﹁友達とマリリスが待ってるぞ!﹂
﹁⋮⋮分かった、やって!﹂
﹁いいの!?﹂
暴徒たち懸命に捌きつつ、シデンがつっこむ。
だが、悩んでる余裕が無いのは事実だ。
例え骨が折れようと、足が動く事が出来ればいい。
それくらい開き直らないと、もうこの状況を打破できないとスバ
ルは覚悟した。
﹁おっしゃ、よく言った! 行ってこい、必殺!﹂
915
必殺をつけたら死ぬの俺じゃないかな。
そう思いながらも、スバルは身体の力を抜く。
﹁スバル弾だぁ!﹂
勢いよく、少年の身体が飛び出す。
スバルの身体は空を切り、空洞目掛けて投げ出された。
強烈な風圧が、少年の顔面に襲い掛かる。
﹁ぐっ︱︱︱︱!﹂
僅かながらに目を開けるのが精一杯だったが、それでも何とか激
突までの間に視界を広げて、受身をとらねばならない。
ダメージを最低限に抑え込む事が出来なければ、全身骨折が待っ
ている。
彼らの後を追う事が出来なくなるのだけは、勘弁だ。
懸命に腕を伸ばし、スバルは受身を取るべく力を入れる。
﹁あほ﹂
と、そんな時。
聞き慣れた声が、一陣の風と共にスバルの耳元に囁かれる。
﹁え?﹂
身体が抱え込まれた。
誰かに掴まれた、と理解したのは黒い旋風が地面に下りったのと
同時である。
﹁あ!﹂
916
投げ飛ばされた身体が大地についたのを確認し、スバルは顔を上
げた。
するとどうだろう。
彼の目の前には、何事も無かったかの様子で神鷹カイトがいた。
﹁か、カイトさん!﹂
﹁よう。待たせたな﹂
本当だよ、と言いかけたところでスバルは口籠る。
というのも、彼の身体には本来ない筈のものがついていたからだ。
﹁ど、どしたのその腕?﹂
彼の右腕が、生えていた。
あのアキハバラの戦いで切り落した筈の右腕が、彼の肩から伸び
てきているのである。
混乱するスバルを余所に、カイトは言う。
﹁話は後だ。あんな馬鹿みたいな投げ方をしたってことは、お前は
先を急いでるんだろ﹂
空洞の前に暴徒たちが群がり始める。
国の為に少年を捕まえようとすると彼らの前に、カイトが立ち塞
がった。
﹁行け﹂
﹁で、でもアンタ栄養にされたって﹂
﹁俺を誰だと思ってる。一日寝たらどうってことない﹂
917
本気で言ってるのだから始末が悪い。
しかも目がマジだ。どこまで本当なのか、表情から伝わりにくい
のも相まって非常に面倒くさい。
﹁⋮⋮本当の、本当に大丈夫なんだよな?﹂
﹁ああ﹂
同居人の少年に背を見せ、カイトは短く答える。
﹁お前は、自分のできる事をしろ。それができればいい﹂
その言葉に無言で頷いた直後。
スバルは空洞の中へと駆け出して行った。
918
第66話 vs神鷹カイト ∼飛ばせ鉄拳編∼
それは、スバル達が巨大チューリップ騒ぎに巻き込まれた時刻ま
で遡る。
神鷹カイトはこの日、過去22年で1,2を争うであろう最悪の
目覚めを迎えていた。
﹁⋮⋮なんだ﹂
﹁え、えへ。えへへ⋮⋮﹂
何が最悪っていえば、目覚めたら隣で幸せそうな顔をしているエ
レノアがいるのである。その表情のとろけ具合は、まるで熱に炙ら
れたチーズのようだ。
しかし過去に何度も説明しているように、カイトはエレノアが嫌
いである。
何が悲しくて昨晩改造手術を施してきた奴に一日中見つめられて
いなければいけないのか。
﹁ふへへ⋮⋮と、ところでさ。どうだい、それの調子は﹂
一方のエレノアは、既に感極まったとでも言わんばかりに蕩けて
いた。
何故か。
先日、彼女はカイトの腕にある物を取り付けたのだ。
義手である。大樹から作りだし、加工して完成させたカイト用義
手。
本人曰く、﹃DNAは採取済みだから、それも破損したら修復が
勝手に始まるよ﹄とのことだが、カイトからしてみれば何時の間に
919
摂取したんだと言う話だ。
ただ、丁度欲しいと思っていたのは事実である。
﹁⋮⋮まあ、悪くはない﹂
﹁本当かい!?﹂
素直な感想を述べると、エレノアは今にも鼻と鼻をぶつけんばか
りの勢いで迫ってきた。
吐息が口元に伝わってくる。
人形の筈なのだが、妙に生暖かい。
﹁近い。退け。早速これで殴るぞ﹂
右腕に取り付けられた﹃黒い腕﹄を振りかぶり、エレノアを威嚇
する。
彼女はしぶしぶと元の位置に戻りながらも、次の感想を求めた。
﹁爪は何時もと変わらず出るかい?﹂
その言葉に従い、失う前と同じ感覚で脳から命令を送る。
本来生えている左手から出現するのと同じ、5つの光が爪先から
飛び出してきた。
﹁大丈夫そうだね。ああ、よかった﹂
﹁おい、これはどこからとってきた﹂
安堵しているエレノアに向かい、カイトは問う。
この爪、確かアキハバラでシャオランと戦った際に骨と一緒に吐
き捨てられた筈だ。その後は骨と一緒に回収され、まだ武器になる
だろうと判断したので獄翼のコックピットの中で保管している︱︱
920
︱︱筈なのだが、同じ加工をされた刃物が、なぜか目の前にあった。
﹁そりゃあ、君たちのコックピットの中には私の特性ハエ型人形が
住み付いているからね! 会話を始め、中に何があるのかまでお見
通しなんだよ﹂
﹁テメェ、盗りやがったな﹂
今度コックピットの中を徹底的に掃除して虫一匹はいらないよう
にしてやろう。カイトはこの時、強く決心した。
荒ぶる気持ちを落ち着かせ、カイトは頭を抱える。
﹁いや、まあそこは1兆歩くらい譲って良しとしよう。貴様には聴
きたいことがある﹂
﹁なに? なになに?﹂
﹁顔を近づけるな﹂
再度生暖かい息が口元にあたったので、押し退ける。
人形は﹃ああん﹄といいながらその場に倒れ込んだ。いちいち芸
が細かい。
﹁そもそも、これは何のマネだ﹂
ツメ
失った右腕と変わらない装備を手に入れた。
正直な所、そこは素直に嬉しい。なんやかんや言いつつも彼女が
作る物の完成度の高さについては、一目置いている。
だが、こんなものを送ってくる理由が判らない。
﹁昨日はあのまま人形にされるかと思ったぞ﹂
﹁当然、私としてもそうしたかった﹂
921
様々な人形のデザインが描かれているデッサン画をちらつかせな
がら、彼女は答える。やけに生々しい物をみせられたが、あえて突
っ込むまい。
だが、そんな物を用意している以上、カイトを素材にした人形の
作成と言う目標はまだ捨てていないようだ。
﹁でも、一応仕事だから﹂
﹁仕事?﹂
﹁そう、私は今雇われの身なんだ。君たちの力になる為のね﹂
記憶違いでなければ、彼女は元々囚人で、しかも脱走した身であ
る。
そんな彼女にわざわざ接触して、自分たちの支援をするように頼
み込んだ物好きがいると言うのか。
カイトは少々考え込み、幾つか候補を立てる。
﹁まさかと思うが、トラセットの住民か?﹂
﹁いや。寧ろ、そっちは今君が一番警戒しなきゃいけないところだ
ね﹂
そりゃあそうだ。
なにせカイトを行動不能にまで陥れているのはトラセットの誇る
勇者様である。
﹁クライアントが気になるかい?﹂
﹁⋮⋮まあ、な﹂
右肩から生える黒い腕に視線を向ける。
ガントレット
肌触りは木材からできているとは思えないほどゴツゴツしており、
まるで籠手がくっついているかのような錯覚を覚えた。
922
強度の方はまだ検証していないので何とも言えないのだが、カイ
トのDNAを加えて自己修復が出来るならあまり気にならないと思
いたい。
まったく、よくできていると思う。
﹁資材は全部そのクライアントが調達したのか?﹂
﹁うん。私がちょろまかしても良かったんだけど、生憎囚人になっ
てからマークが厳しくてね﹂
﹁そのまま牢屋に行ってていいぞ﹂
﹁またまた。そんな心にもない事をいうんじゃないよ﹂
心からの言葉なのだが、笑顔でスル︱された。
だが、仮にも貴重なエネルギー資源であるアルマガニウムの木材
を入手する為には非常に高い金額が必要なはずだ。
少なくとも、一般的に取引されているようなものではない。
実際、カイトは商店街で品物を一通り見ている。
﹁⋮⋮誰がクライアントだ﹂
研ぎ澄まされた刀のような眼光がエレノアに向けられる。
彼女はそれに気づくと、笑みを浮かべて返答した。
﹁イルマ﹂
﹁いるま?﹂
意外とあっさり吐き出されたクライアントの名前に、カイトは首
を傾げる。
聞いたことが無い名前だった。
﹁誰だ﹂
923
﹁あれ、知らないの?﹂
意外そうな顔をしながらも、エレノアはポケットの中から小さな
紙切れを手渡す。
名刺だった。
手に取って読んでみると、カイトの目が大きく見開かれる。
﹁アメリカ大統領⋮⋮秘書!?﹂
それがどれほどの肩書か、知らないカイトではない。
アメリカ大統領。イメージとしてはアメリカで一番偉そうにして
いる人物だ。同時に、旧人類連合の実質的なリーダーになる。
そんな人物の秘書が、わざわざ自分に義手をプレゼントする為に
エレノアと接触した。
俄かには信じがたい。
﹁⋮⋮これ、本物なんだろうな﹂
訝しげに目の前の人形を見つめると、彼女は肩を落とした。
﹁証明する手段はないよ。ただ、言伝があるね﹂
﹁言伝? 本人はもう帰ったのか?﹂
﹁さあ。私は君の腕の修復と、伝言を頼まれただけだよ。後、報酬
としては君の小さい頃の写真を貰った﹂
﹁なんだと!?﹂
反射的に立ち上がり、問い詰めようとする。
だが冷静になって考えてみると、疑問が浮かび上がった。
仮に本物の大統領秘書だったとして、だ。
そんな奴が何故、自分の写真を持っているのか。真っ先に思い付
924
いたのは、イルマ・クリムゾンという人物が昔の仲間である可能性
だった。
﹁⋮⋮そのイルマっていうのは、どんな奴だ﹂
﹁うーん。特徴としては、目が金色だったね﹂
確かに特徴的ではある。
トリプルエックス
カラーコンタクトでもしているのだろうか。
カイトの中の記憶にいる同級生の中に、そんな人物はいない。
﹁年齢は俺と同じくらいか?﹂
﹁いや。寧ろ第二期と同じくらいじゃないかな﹂
第二期というと、スバルやカノンたちと同じく16歳前後になる。
だがカイトは思う。その年齢で大統領秘書なんかやれるのか、と。
不幸な事に、敵国の情報が出回らない日本のテレビではアメリカ
の政治家が出てきても大統領本人や国防長官の顔ばかりだった。秘
書にまで気を回したことはない。
﹁⋮⋮考えても仕方がないか。で、言伝はなんだ﹂
カイトは思考を切り替える。
右腕を持ってきたということは、その分の見返りは求められる筈
だ。
タダより高い物なんてないのである。
﹁近々、勇者が新人類王国に反旗を翻すんだって﹂
﹁⋮⋮ほう﹂
勇者の本音を聞いたカイトには、ある程度推測できた言葉だった。
925
ならば、旧人類連合の代表としてはそれに加勢しろとでも要求し
てくるのだろうか。
﹁それの邪魔をして欲しいとさ﹂
﹁なに?﹂
意外な言葉だった。
世界中探しても他に見る事が出来ない資源、大樹を保持している
トラセットの反旗。この反逆が上手くいけば、旧人類軍としてもい
い風向きになってくるのではないだろうか。
例えやり方がいけすかなくても、だ。
﹁どういうことだ﹂
﹁彼女が言うには、木が暴れ出すのを抑えてほしいんだって﹂
﹁木?﹂
しかも、指定してきた相手はトラセットの反乱軍や勇者と言った
戦力ではなく、木。
食人植物がいるとは聞いたことがあるが、まさかそれの駆除をし
ろと言ってきているわけではないと思いたい。
﹁私もどういう意味かは分からない。ただ、彼女曰く。反乱が始ま
ったら、それ以上のことが起こる可能性が高いってさ﹂
﹁反乱以上の可能性⋮⋮﹂
カイトは考える。
戦争のことではなさそうだ。
では、それ以上のこととは何か。
口ぶりから察するに、それはアメリカ︱︱︱︱旧人類連合から見
て、新人類軍を相手にするよりも脅威であるように思える。
926
﹁どうする? 正直、不透明な部分が多いからクライアントのお願
いを聞くかどうかは君が判断しちゃっていいと思うけど﹂
適当に投げやりな事を言うエレノア。
確かに状況はよく見えない。だが、解答自体は既にカイトの中で
は決まっていた。
﹁受けるよ﹂
さて、場面は現在に戻る。
空洞の中にスバルを誘導したカイトは、両手から爪を伸ばすこと
で暴徒たちを威嚇しながらもエイジたちの視界に入るように移動し
ていく。
歩を進めながらも、空洞に近づこうとする者から目を離さない。
﹁おい、このアホ!﹂
エイジが見える位置まで移動すると、カイトは叫んだ。
その声に反応し、二人の友人が振り返る。
﹁あれ、カイト!?﹂
﹁カイちゃん、大樹に食べられたんじゃないの?﹂
﹁食われてたまるか。それより、さっきのあれはなんだ。俺が来な
かったらスバルが死んでたぞ﹂
927
会話し始めたのを好機と捉えたのか、暴徒の一人が空洞に突撃す
る。
直後、一気に距離を詰めてきたカイトによって足払いを受けた。
転倒する暴徒。その足を担ぎカイトは暴徒の波の中へと放り投げる。
﹁大丈夫だ。覚悟が出来た奴は死なねぇ! アキハバラで売ってる
本じゃ常識だ!﹂
放り投げられた先にいたのはエイジだ。
彼はよくわからない理論を口走りながらも、投げ飛ばされた暴徒
をキャッチ。そのまま近くの建物の屋上に目掛けてぶん投げた。暴
徒の悲鳴が木霊し、どさりと生々しい音が響き渡る。
その光景を見た他の暴徒達が、たじろぎ始めた。
﹁あれ、お前右手どうした!?﹂
攻めあぐねる暴徒を余所に、エイジは友人の変化を確認する。
本日二度目の問いに対し、カイトは簡潔に答えた。
﹁改造手術を受けた﹂
﹁え、なにそれ!?﹂
﹁すっげぇ! 変身とかできるのか!?﹂
真顔で言ってのけた友人に、それぞれ疑問の言葉と歓喜の表情が
投げつけられる。
後者は特撮番組か何かと勘違いされた気がしなくもないが。
﹁変身は出来ないぞ﹂
﹁なぁんだ﹂
928
肩を落とし、大きく溜息。
露骨にがっかりされた。
それはそれでちょっと悲しい。
﹁変身は出来ないが﹂
暴徒達に背を向け、カイトは大樹を見上げる。
右腕を用意してくれたクライアントは、この木を危惧しているよ
うだ。
いや、今となっては木の力を利用しているゴルドーとその息子た
ち。そして木にエネルギーを注入されたマリリスの事を指している
のかも分からない。
どちらにせよ、木は邪魔なのだろう。
カイトはそう判断すると、右手を大樹に向けて伸ばす。
﹁できる事は増えた﹂
直後、カイトの右腕が勢いよく飛び出した。
肘の先が分離し、右拳のグーパンチが大樹に向かって真っすぐ飛
んでいく。
﹁はぁ!?﹂
﹁おおっ!?﹂
その光景をみた友人二人と、暴徒達は驚愕する。
カイトの右腕が飛び、大樹に向かってパンチをしかけたのだ。
等身大ロケットパンチだった。
渾身のグーパンチが大樹に命中する。
ずしん、という振動がトラセインの街に響いた。
929
見るからに重そうな一撃が放たれたのを確認すると、カイトは呟
く。
﹁おお⋮⋮本当にいい仕事してるな、あいつ﹂
肘に仕掛けられた糸が高速で回転する。
大樹に命中した右腕がその勢いによって引き戻され、あっという
間にカイトの右肘と結合した。
友人たちが暴徒達を退け、急ぎ足で彼に駆け寄ってくる。
﹁す、すすすすっげえええええぇぇっ!﹂
エイジが湧いた。明らかに目がキラキラしている。
先程落胆した表情はどこへ行ったのやら。
﹁カイちゃん、ちょっと見ない間に少し変わったね﹂
シデンはあまりの光景に、目を擦っていた。
それを聞いたカイトは思う。
これは少し変わった程度なんだな、と。
﹁やいやい住民共。このロケットパンチを食らいたくなければ、道
を開けやがれぇ!﹂
エイジが先頭に立ち、カイトを指差しながら暴徒達に向かって叫
ぶ。
カイトは自分たちの光景を客観的に見て思った。
印籠持って周りの連中を土下座させる時代劇みたいだな、と。
とはいえ、突然のロケットパンチは効果抜群だった。
930
暴徒達は攻めあぐね、押し寄せるような勢いは完全に失っている。
畳み掛けるなら今がチャンスだ。
﹁ん?﹂
反逆者3人がそう思った時である。
彼らは周囲を取り巻く異変に気づいた。暴徒達も同じだ。
﹁お、おい。なんだこれ﹂
大地が揺れる。
徐々に地面が膨れ上がり、まるで何かが土の中で泳いでいるかの
ようにしてヒビが走った。
それが幾つも出現し、波のようにトラセインの街を揺さぶってい
く。
直後、ヒビが割れて大地から長い影が飛び出した。
﹁あれは︱︱︱︱!﹂
シデンとエイジは、その正体を知っていた。
つい昨日、あれと似たような細長い物を見たばかりである。
﹁根っこだ!﹂
正体を見たエイジが叫ぶ。
その掛け声が中央区に響き渡ると同時、トラセインの街を無数の
根っこが呑み込んだ。
931
第67話 vsサソリ女
トラセインの街に無数の根っこが溢れかえる。
その根っこの一つ一つの大きさは、先日見た巨大チューリップの
比ではない。建物の隙間を縫って蠢くそれは、見方によっては巨大
な蛇が前進しているようにも見えた。
﹁うっへぇ、きもっ!﹂
その様子を見たエイジの第一声がそれだ。
彼の言葉に賛同するようにしてシデンとカイトも続く。
﹁B級映画みたい﹂
﹁モンスターパニックなんかだと、人に襲い掛かってくるものだが﹂
﹁おい、止めろよ。本当に襲い掛かってきたらどうするつもりだ!﹂
比較的冷静に物を言うカイトに、エイジは怒鳴る。
現在、トラセインの街に出現した根っこは動いているだけで、そ
れ以外の動きが見られない。
大樹にグーパンチを放ったカイトに襲い掛かってくることもなく、
ただ巡回しているだけだ。
だがいかんせん、この巨体である。
一本だけでも太さ6,7メートル程はあろう巨大な根っこが街中
を移動するだけで民家は崩れ落ち、住民は逃げ惑う大パニックとな
った。
﹁やっぱり、俺がパンチかましたからか?﹂
﹁今の所、それ以外原因が思い浮かばないけど⋮⋮﹂
932
トリプルエックス
呑気に首を傾げるXXXの面々。
だが、そんな時間も長くは続かない。
﹁ぎゃあああああああああああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ
!﹂
中央区に断末魔の叫び声が木霊する。
三人が一斉にそちらの方向に視線を向けた。
するとどうだ。巨大根っこの先端が割れて、一人の住民の頭に齧
り付いているのである。
﹁いいっ!?﹂
﹁食ってやがる!﹂
齧り付いた根っこは、そのまま勢いよく住民を丸飲み。
そのまま満足することなく、近くで腰を抜かしている次の獲物へ
と近寄っていく。
﹁ひ、ひぃっ! 来るな! 来るなああああああああああああああ
あああああああああっ!﹂
震えた叫びは、目前に迫る恐怖に抗えず、立つ事ができない住民
のたった一つの抵抗だった。
だがそんな彼の叫びに応えるように、三つの人影が迫る。
﹁うおりゃ!﹂
巨大根っこの先端にエイジが殴り掛かった。
ぱっかりと割れた先端が大地に叩きつけられ、悶える。
933
その隙にカイトが疾走し、根っこに手刀を叩き込んだ。巨大な根
が切断され、樹液とも取れる透明な液体が溢れ出す。
﹁君、大丈夫?﹂
﹁あ、ああ。ありがとう﹂
シデンは腰を抜かした若者を立たせ、周囲を警戒。
第二、第三の根っこが彼らを取り囲むが、彼がそれらに向けて右
手をかざすと、あっという間に凍り付いて動きを停止した。
氷漬けになった根っこが倒れ込むのを確認すると、シデンは住民
の背を押して避難を急かす。若者は焦りながらも走りだしていった。
﹁おい、エネルギーの注入っていうのはガチ捕食なのか!?﹂
一先ずこの場にこれ以上根っこがいないことを確認すると、カイ
トは問う。過去の事例を見たことがある二人は、その質問に首を振
った。
﹁ああ。それで空洞に連れて行かれて、ホルマリン漬けみたいにさ
れる。そうすれば自然とブツが完成ってわけだ!﹂
﹁なるほど。ついに動き出したか﹂
カイトは理解する。
この根っこが動き始めたと言う事は、自分に義手を授けたイルマ
が危惧する事態が動き出したことに他ならない。
﹁どうする? 正直、向こうが住民を取り込むだけだったら、この
隙にボクらもスバル君を追って親玉を狙うべきだと思うんだけど﹂
シデンの提案は合理的だ。
934
確かに今からスバルを追って行けば、早い段階で合流できるだろ
う。
だが、
﹁いや、根っこを叩き潰そう﹂
クライアントからの依頼は、更にその根源︱︱︱︱要するに大樹
の存在にある。その根っこがエネルギーを注入する為に住民を無差
別に食らうのであれば、早い段階で阻止するに限る。
﹁向こうの戦力を増やしてやる必要はない﹂
﹁それはそうだけど、本当にスバル君一人で大丈夫なの?﹂
シデンが危惧していることは、ただの旧人類であるスバル少年を
先行させていることにあった。
根っこが動いてきた以上、内部に何か変化があってもおかしくな
い。
ブレイカーに乗っているわけでもない彼が内部で襲われた場合、
誰も助けることができないのだ。
﹁アスプルならまだ話し合いで何とかなるかもしれないけど、この
アナコンダみたいな根っこがスバル君のトークに付き合ってくれる
とは思えないんだけど﹂
﹁確かに。よし、そっちは俺が行く﹂
カイトは立候補する。
他の二人としても異存は無いようで、エイジは拳を。シデンは銃
を構え、それぞれ振り返った。
﹁気をつけろ。アーガスの話だと、何人かの使用人が注入されたら
935
しい﹂
﹁具体的にはどんな感じになるんだ?﹂
カイトが問うと、エイジとシデンは頭を捻らせる。
マリリスの形状を説明すればいいんだろうが、それが中々言葉で
は形容できないのだ。
ややあってから、彼らは一つの答えをだし、同時に言う。
﹃わかんない!﹄
﹁役立たず﹂
カイトは冷めた目で二人を見た。
なんというか、もうちょっと説明してくれてもいいんじゃないだ
ろうか。
まさか丸投げされるとは思わなかった。
﹁おら、いいからさっさと行け! こうしてる間にもアイツが食わ
れてるかもしれねぇぞ!﹂
エイジが叫び、次の根っこを殴り倒す為に走り出した。
それに続くように、シデンもスカートを托しあげてガーターベル
トに装着された6つの銃口を露わにし、駆け出す。
今更だが、この男はトラセットでもずっとコスプレしていた。ブ
レない男である。
﹁⋮⋮で、結局どんな感じになるんだよ﹂
カイトは首を傾げつつ、空洞へと走り出す。
彼の独り言にも似た疑問に答えてくたのは、根っこが大地を這い
ずる音と悲鳴だけだった。
936
僅かな明かりだけを頼りに、スバルは空洞を突き進んでいく。
ここまで休憩なしで走り続けた彼は、既にマリリスが捕えられて
いた空間に辿り着き、奥にあった階段らしき凹凸を駆けあがってい
た。
しかし、これがまた長い。
蛍石スバル、16歳。彼はお世辞にも体育の成績はそんなにいい
わけではない。寧ろ、長い間ゲームしかやってこなかった物だから、
クラスの中でも下から数えた方が早いレベルだった。
最近はカイトにつき合わされたり、新人類軍から逃げたりとして
いる内に少しずつ筋肉がつき始めているが、それでもスタミナには
限りがある。しかも既にガス欠気味だ。
彼はひぃひぃ言いながら走っていた。
そして汗だくの表情で思う。
まだあるのかよ、と。
階段の先は、まだ見えない。
元々薄暗い空間の為、小さなライターの明かりでは上の構造まで
見えないというのもある。
要するに、ゴールが見えないという焦燥感がスバルの疲労を加速
させていた。
つい先程、大樹を振動が襲い、何段か転げ落ちてしまったのも理
由の一つだ。同居人によるロケットパンチのせいだった。
﹁畜生! こんなことなら獄翼で突っ込んで刀ぶっさせばよかった
!﹂
937
貴重な資源に向けて、とんでもない発言を残すスバル。
この発言を各国の首脳陣が聞けば、正気かと疑われる事だろう。
しかし蛍石スバル。彼は常に大真面目である。
疲労による苛立ちは、誰もいない筈の空洞にいるスバルに独り言
を発させる程度には積もっていた。
出来る事なら、獄翼に乗り込んで一気に上まで飛んでいきたい気
分である。
ポケットの中に突っ込まれているスイッチに手を伸ばす。
果たして大樹の内部で押した場合、獄翼が駆けつけてくれるかは
微妙だ。
だがこれ以上走り、足が棒になるよりはマシなのではないだろう
か。
次第にスバルはそう考えるようになる。
やや間をおいてから、スバルは決意した。
押そう。
今は大樹の内部だが、獄翼が自動モードで突っ込めばきっと穴く
らい空くだろう。スバルはそう考えて、スイッチに手を伸ばした。
この時、少年は仮に穴が出来上がったとして、衝撃で自分も吹っ
飛ばされる可能性がある事にはまるで気づいていない。
ところが、だ。
大樹がそんなスバルの行動に怖気づいたかのように、彼の視界に
ある物が映った。
光だ。
薄暗い空洞。その端から続く階段に、真上から光が差し込んでき
938
ているのである。
﹁お、おお⋮⋮!?﹂
それは、太陽の光が当たっていることを示す。
地下から続く巨大空洞。その終点と思われる光が今、彼の目の前
にあった。押しかけたスイッチを再びポケットに押し込み、スバル
は光の方向へと向かう。
﹁うっ⋮⋮!﹂
迷うことなく光の下へと向かったスバルは、一瞬にして身体を照
らされたことで軽い眩暈を引き起こす。
だが僅かに目を擦らせ、慣らすことでこれに順応させた。
視界が安定した後、スバルは周囲を見渡す。
光の奥へと足を踏み入れたスバルが目にしたのは、巨大な広場だ
った。
足場は根っこが絡み合い、葉が何重にも重なり合う事で床と言う
空間を保っている。彼の横にある壁や、これまで登ってきた階段も
また同じだった。
﹁お待ちしておりました、反逆者様﹂
広場の観察を続けるスバルに、女性が呼びかける。
ふと、スバルは辺りを見渡した。
右。誰もいない。あるのは壁だけだ。
939
左。やはり誰もいない。こちらには螺旋階段のような巨大な階段
が存在しており、その先には扉がある。
本当にここは大樹の中なのかよ、と疑問に思った。
しかし、声の主はここにもいないようだ。
ならば後ろか、と思い背後を見る。
自分が通ってきた道があるだけだった。
人影はない。
﹁こちらですよ。足下をご覧ください﹂
﹁足下?﹂
その指示に従い、視線を下へと向ける。
床から女の顔が浮かび上がっていた。一瞬、お面が落ちているの
かと思ったスバル。これには流石に驚き、後ずさる。
﹁どわああああああああああああああ!?﹂
﹁そんなに驚かないでくださいまし。傷つきますわ﹂
女性が這い出てくる。
床を構成する根が穴を開き、彼女は颯爽とスバルの前にその全身
を曝け出した。
いや、彼女だけではない。女性の登場を合図とするように、次々
と女たちが床から飛び出してくる。
まるで高速で植物が生え始めているかのような光景だった。
﹁またお会いしましたね、反逆者様﹂
﹁き、君は⋮⋮﹂
940
にこり、と微笑む女性。
スバルは彼女を知っていた。ダートシルヴィー邸に足を運んだ際、
突然開かれた歓迎のミュージカル。
あの場でスバルのダンスパートナーを務めた、メイドだ。
﹁使用人のシャウラと申します。以後、お見知りおきを﹂
軽くドレスの先を摘み、お辞儀をする。
シャウラの礼に続き、床から生えてきたメイドたちが一斉に礼を
した。
流されるようにスバルも礼をしてしまった。この男、結構律儀で
ある。
﹁お、俺は蛍石スバルだ!﹂
そして、律儀に名乗る。
いい加減、﹃反逆者様﹄と呼ばれ続けるのはむず痒い。
﹁ふふふ、良いお名前ですね。スバル様﹂
一度だけのダンスパートナーは笑みを崩さず、優雅に笑う。
﹁退いてくれ。俺は︱︱︱︱﹂
﹁残念ですが、貴方をアスプル様やマリリス様のいるところへ通す
わけにはまいりません﹂
シャウラが笑みを崩す。
それと同時、彼女の長い髪の中から黒い尾が飛び出した。
先端に光る巨大な針が、スバル目掛けて向けられる。
その姿は、まるでサソリ。ポニーテールにして纏めた髪の中に針
941
を隠し持つ、サソリ女だ。
﹁ゴルドー様とアーガス様は貴方を懸念材料としておられます。申
し訳ございませんが、ここで私達が排除させていただきます﹂
シャウラが一歩前に踏み出す。
彼女の背後に甘える使用人たちも、各々の細胞を変化させていく。
その変貌を目の前にしたスバルは、思わず一歩下がった。
﹁アンタ達は、全員あれを受け入れたのか?﹂
﹁そうです。祖国の為に、私たちはこの身を差し出しました﹂
全ては祖国の為。
新人類王国に敗北し、死んでいった者の恨みを晴らす為。
そして、主君の為。
﹁主従関係や愛国心に疎い、日本の貴方には分からないかもしれま
せん﹂
だが、分かってもらおうなどとは思わない。
例え目の前にいる少年が、国に害を為す存在でなかったとしても。
﹁それでも、貴方がアスプル様を惑わすのであれば。ここで抹殺し
ます!﹂
﹁︱︱︱︱っ!﹂
シャウラの後頭部から伸びる尾が、真っ直ぐスバルの心臓目掛け
て飛んでいく。
﹁今度生まれ変わる時は、ダンスをもう少し嗜むことをお勧めしま
942
すわ﹂
﹁余計なお世話だ!﹂
真っ直ぐ飛んできた針を、両手で弾く。
それは反射的な行動だった。勢いよく飛んで行ったシャウラの尾
は、あらぬ方向へと突き刺さる。命中した壁が、徐々に紫色に変色
していった。
﹁惑わす気なんかない!﹂
﹁では、何故ここに来たのです?﹂
﹁友達が止めて見せろって言った! 何とかしたいと思うのは当然
だろ!﹂
清々しいほどに真っ直ぐな回答だ。
シャウラは思う。アスプルが彼と個人的な友好関係を結んだ理由
が、何となく分かる気がする。
だが同時に、ゴルドーがこの少年を危惧する理由も察した。
﹁それがアスプル様の決意を揺らがせる﹂
﹁力があれば、何をしてもいいのか!? その力で泣いた子がいる
んだぞ!﹂
﹁それを成したのが、新人類王国です!﹂
﹁犠牲者のアンタ等が、同じことをするのか!?﹂
﹁力を振るう相手に、それ以上の力を使わずに何で対抗すると言う
のですか!﹂
シャウラが再び後頭部を揺らす。
壁に突き刺さった尾が、再びスバルに襲い掛かる。
だが、それはまたしても少年に命中することは無かった。
943
尾の先端についている巨大な針が、第三者によって掴まれたから
だ。
﹁貴方は⋮⋮!﹂
﹁か、カイトさん!﹂
少年と使用人たちは見る。
ここまで、全力疾走で駆け上がってきた超人の姿を、だ。
見れば、彼の足下には焼き焦げたような足跡が残っている。どれ
だけの脚力でここまで走ってきたと言うのだ、この男は。
﹁なるほど。あれが注入された連中か﹂
そしてカイトは見る。
大樹の力によって変貌した、人間たちを。
力を求め、細胞を変質させたミュータント。
彼女たちは最早、旧人類とも新人類とも区別できる存在ではない
のかもしれない。
﹁パツキン共はどこだ?﹂
﹁パツキン?﹂
カイトの問いに、使用人たちは首を傾げる。
どうやらあまり使われない用語らしい。カイトは補足を入れた。
﹁この国の勇者だ。黒薔薇の仮りを返しに来た﹂
両腕から爪を伸ばす。
僅かながらに、彼らを取り囲む使用人たちが震えた。
944
﹁⋮⋮そして、コイツは進ませてもらうぞ﹂
シャウラの尾を放り捨て、カイトはスバルの背中を押す。
その意図を察した少年は次の扉がある階段へと進み始めた。
﹁させません!﹂
シャウラがスバルに向けて、指を指し向ける。
彼女の背後に控えていた使用人が飛び出し、スバル目掛けて飛翔
した。
背中に生えるトンボのような四枚の翼が羽ばたき、一気にスバル
との距離を0に縮める。
﹁お覚悟を!﹂
トンボメイドがナイフを振りかざす。
が、
﹁とろいぞ﹂
﹁な!?﹂
眼前に、カイトの姿が映った。
直後、彼女の腹部に鉄拳が突き刺さる。
﹁!? 何時の間に︱︱︱︱﹂
まるで瞬間移動したかのような、視認不可の超スピード。
大樹の力で細胞を変化させた彼女たちの目でも、捉える事が出来
ない。
945
﹁カイトさん、殺さないで!﹂
﹁なに?﹂
振り返らずに扉へと向かう同居人のリクエストに、カイトは訝し
げに答える。
﹁お前を殺そうとした連中だぞ﹂
﹁いや、一応知り合いなんだ。ダンスもしたし﹂
﹁こいつら全員とか?﹂
悶絶するトンボメイドを突き飛ばし、カイトは周囲を見る。
軽く3,40人くらいだろうか。
﹁え? うん、まあ⋮⋮そうだね﹂
﹁⋮⋮お前、尻が軽いな﹂
﹁どういう意味だよ! 後、アンタが考えてるようなことはしてな
いぞ!﹂
﹁酷いですスバル様! 私とあんなに情熱的に足をからませたのに
!﹂
﹁アンタも誤解を受けるような発言をしないで!﹂
サソリメイドがおよよ、と嘘泣きをし始めた。
なんて女だ。サソリの女は怖い。スバルは今、心の底から思った。
﹁⋮⋮お前のリクエストはわかった。要するに、﹃コイツら全員、
俺の女だから大事に扱え﹄と。そういうことだな?﹂
﹁だから、ちげぇっての!﹂
同居人も同居人で、妙な勘違いをし始めている。
だが、彼はそれなりにスバルを気遣う男だった。少なくとも、現
946
在は。
﹁いいだろう。お前には借りがある。なるだけ善処しよう﹂
﹁だから⋮⋮ああ、もうそれでいいよ!﹂
これ以上の問答は時間をかけるだけだ。
そう判断すると、スバルは全てを諦めて受け入れた。
少年は虚像のハーレムを抱えつつ、異国の友人のもとへと向かう。
﹁⋮⋮意外に手が早い奴だ﹂
その後ろ姿を見て、同居人は少年に対する認識を僅かながらに変
えたのであった。
947
第68話 vsメイド昆虫記
カイトを取り囲む使用人たちが、息を飲む。
理由は簡単だ。彼の拳を受けて倒れた仲間が、未だに地に伏した
まま起き上がった来ないからである。
僅かながらに呼吸音が聞こえるので、生きている筈ではあるのだ
が、しかし。
大樹によって細胞を変化させ、人間のソレを遥かに超える強度を
持った皮膚をもってしても、このダメージ。
﹁これは、一人でどうにかなる相手ではなさそうですね﹂
シャウラは思わず苦笑する。
敵は新人類。それも、かなり手強い部類だ。
発言から察するに、勇者ともやりあった経験があるのだろう。
﹁怪我したくないなら、大人しく待っていろ。昆虫女の大群とやり
あう趣味は無い﹂
﹁まあまあ、そこはなんとか﹂
しかし、解せない。
彼がその気になれば、少年を連れてここを突っ走る事も出来なく
はない筈だ。
というか、少年の方は素直に非難をさせておいた方がいい気がす
る。
﹁彼を高く評価しているのですね﹂
﹁⋮⋮そうだな﹂
948
﹁一人で行かせてもいいのですか?﹂
﹁大丈夫だろ﹂
特に悩む事も無く、カイトは言った。
﹁アイツは強いよ。多分、俺よりも﹂
それは腕っ節の話ではない。
あの少年が、それ以外で強い事はシャウラも十分承知だ。
﹁人間は弱い﹂
つい最近、カイトはそれを思い知った。
だがその弱さを受け入れたのは、間違いなくあの少年だったのだ。
弱さは恥ではない。
彼はそれを、カイトに教えた。
﹁俺は最強の人間になる為に鍛え抜かれた﹂
それは義務だった。
同時に、彼に課されたすべてだ。
﹁だが、俺は弱い。アイツも、弱い﹂
しかし自分は弱い。敵を倒すことはできても、完全な強者ではな
いことを思い知った。
繋がりを断ったはずの部下との戦いも、友人との再会も。
あの同居人がいなかったら、多分今ほど上手くはいっていないだ
ろう。
949
自分とスバル少年を比べたとして、だ。
果たしてどちらが優秀なのかと疑問づけたら、答えは出ないだろ
う。
神鷹カイトは蛍石スバルにはできないことができる。
逆もまた然りだ。
だからこそ、弱い自分と同列になって彼も弱い。
だが、それは恥ではない。
彼がそれを自覚しているのを知っているし、弱いなりになんとか
しようと必死になっているのも知っている。
﹁弱いから、人は強くなろうとする。周りに助けを求められる﹂
結果的に言えば、力を求めて大樹のエネルギーを注入することを
選んだ彼女たちがいい例だろう。
客観的に見ておぞましい姿になっても、その道を選んだのだ。
誰が何と言おうと、彼女たちは己の姿を誉に感じる事だろう。
それを咎めることはしないし、咎めようと思わない。
﹁アイツは俺に出来ない事が出来る。だから、それが出来ればいい﹂
カイトは静かに構える。
伸ばした爪をひっこめ、ただ拳を向けるだけの簡単な構え。
﹁そして俺は、アイツに出来ないことをするよ﹂
言い終えたと同時。
使用人たちの視界から、彼の姿が消えた。
代わりに、凄まじいまでの風圧がメイドたちを襲う。
950
﹁全員、警戒を怠るな!﹂
シャウラが叫ぶ。
だがその掛け声に応えることなく、何人かのメイドが上空に吹っ
飛ばされる。
﹁なっ︱︱︱︱!?﹂
見れば、メイドたちの中心地にカイトは居た。
しかも彼の踏込により、大樹の床に穴が出来上がっている。
シャウラは理解する。あまりに強力な踏込の余波で、先程まであ
の場にいたメイドたちが吹っ飛ばされてしまったのを、だ。
踏込だけで壁に叩きつけられたメイドたちが、それぞれ苦悶の表
情を浮かばせながらカイトを睨む。
﹁意外と頑丈だな﹂
先程の一撃で気絶させれると踏んでいたのだろう。
少々困ったような表情で、カイトは使用人たちを見渡した。
﹁いいだろう。少しだけその気になる﹂
カイトが睨みつける。
そして挑発するようにして、彼は左手をちょいちょい、と手招き
した。
﹁きな﹂
小さく呟かれた一言に、何人かのメイドたちが青筋を立てる。
951
だが、すぐに突撃するほど単細胞ではない。各々の武器を形成し、
威嚇するようにしてカイトに見せつける。
ある者はカマキリのような鎌であった。
また、ある者はクワガタのような大きなハサミを両肩から突き出
している。ある者に至っては、蛇のように長い舌をチラつかせてい
る。そこから垂れる涎は床に付着したと同時、強烈な刺激臭と共に
湯気が浮かぶ。
その光景を見たカイトは、思わず苦笑する。
﹁動物園でも経営した方が天職じゃないか?﹂
その一言が、号令となった。
使用人たちが一斉にカイト目掛けて襲い掛かる。
﹁もしくは、ファーブルメイド昆虫記とでも命名するか?﹂
振り上げられたカマキリメイドの鎌を回避し、彼女の足下へと潜
りこむ。
反射的にスカートを抑えるが、カイトは彼女の下着には目もくれ
ずに背後に回り込み、肘打ちを食らわせた。カマキリメイドの身体
がくの字に曲がり、倒れ込む。
そうしている間にも、次の使用人が襲い掛かってくる。
ハサミを展開したクワガタメイドと、口元がストローのような長
い針に変化しているモスキートメイドだ。
だが彼女たちの武器をカイトは躊躇うことなくキャッチ。
﹁え!?﹂
952
﹁きゃっ!﹂
クワガタメイドとモスキートメイドが、各々驚愕のリアクション
を取る。
それぞれの武器を片手で捕まえたカイトは平然とした表情で、腕
に力を加えた。右手で捉えられたクワガタのハサミが、木端微塵に
砕け散る。
﹁ヘレン!﹂
﹁余所見してる余裕はないぞ﹂
仲間の悲鳴に気を取られたモスキートメイドが、顎に蹴りを受け
る。
綺麗な放物線を描きつつ、蚊使用人は床に叩きつけられた。
﹁自分の身は自分で守りなさい! 他の者へと攻撃を恐れず、全員
でかかるのです!﹂
シャウラが号令を出す。
数人程度で襲い掛かったとしても彼に勝てないと踏んだのだろう。
残りの数十人に対し、一斉攻撃を提案する。
﹁恐れるな! 我らは力を得た!﹂
その言葉が、次の襲撃の合図となった。
雪崩の如く襲い掛かるファーブルメイド昆虫記集団が、各々の細
胞を活性化させて力の限り突撃する。
﹁力を得てゲテモノになるだけか﹂
953
しかし、カイトは一蹴する。
文字通り、十数人がかりの突進を物ともせず、蹴りの一撃で全員
を吹っ飛ばしてみせたのだ。
その余波は、直接受けていない筈のシャウラにも及ぶ。
﹁はぐっ!﹂
びりびりと空気の振動が伝わってくる。
直接蹴られた訳ではないにせよ、全身に衝撃が重くのしかかった。
踏ん張らないと、どこか遠くへ飛ばされてしまうような錯覚さえ覚
える。
﹁はぁ⋮⋮はぁ⋮⋮!?﹂
シャウラが受けたダメージは、この程度だ。
客観的に内容だけで挙げるなら、外傷を受けたと報告するほどで
もない。
なにせ、敵が行った事はただのキックなのだ。下から上に向けて
蹴り上げるだけの、簡単な動作。
だが、それならばなぜ。自分はこんなにも汗を流し、狼狽してい
るのだろう。
﹁どうした。何人か息があがってるぞ。まだやりあってない奴もい
るだろう﹂
その通りだ。
事実、シャウラは直接キックを受けたわけではない。
だが他の使用人も含め、﹃変化﹄した者の全員が彼に圧倒されて
しまった。空気に飲まれたと、そう表現していいのかもしれない。
954
﹁これで根をあげるなら、お前らじゃ俺を壊せない﹂
自信に満ちた表情でそう宣告する彼に対して、誰も何も言い返せ
ない。
この瞬間、勝敗が決したことをシャウラは悟った。
大樹の力を注入されても、鍛え抜かれた新人類1人に勝つ事すら
できなかったという事実が、使用人たちの肩に重く圧し掛かる。
その重圧に押し潰されるようにして、彼女たちは崩れ落ちた。
一方でカイトは考える。
この程度なのか。
アーガスやゴルドーが大層な自信を持って新人類王国への反旗の
切り札とした物は、予想よりも呆気なく片付いてしまった。
確かに外見だけでいえば立派に怪物をやっている。だが注入され
たばかりの兵でこの程度なら、能力を洗練してきた新人類を相手に
戦えないのではないだろうか。その体現者のカイトでこの有様なの
だ。他の戦士と戦って、彼女たちが勝ち残る映像が思い浮かばない。
では、彼らのあの自信はなんなのだろう。
確実に勝てるとでも言わんばかりに住民を盛り上げた彼らの言葉
は、どこに真意があるのか。
少なくとも、この場で考えるだけでは理解できそうにない。
カイトはメイドたちを一瞥すると、階段を駆け上って行った。
アスプル・ダートシルヴィーは長い間、己に存在価値を見出せな
いでいた。
そのことを相談したことはない。
955
言ったところでどうしようもないことだし、評価が変わるわけで
はないと思ってきたからだ。
なぜなら、彼の兄は英雄だった。
偉大なる兄は新人類として生まれ、国の誰よりも強力な戦士とし
て成長していった。
対して自分は、旧人類として生まれた。兄に比べて特筆すべき点
は無く、性格面もどちらかといえばネガティブな部類に入る。
周囲の人間からの評価は、一目瞭然だった。
そんなアスプルに、兄と変わらず接してきた人間がいる。
﹃バトラー﹄と呼ばれる老執事だ。幼い頃からダートシルヴィー
の家に仕えてきた彼は、当主の息子であるアスプルと多く触れあっ
てきた。
ある時、彼はアスプルの態度に疑問を抱く。
真顔で机を凝視続ける幼い少年に向けて、執事は尋ねた。
﹁アスプル様。何をお悩みになっておられるのでしょうか﹂
﹁バトラー。人間はなぜ生まれるんだろう﹂
アスプル・ダートシルヴィー、8歳。
早すぎる哲学の時間だった。
﹁人間は不平等だ。僕がどんなに頑張っても、兄さんのように花は
咲かない。買ってもらったサボテンも僕が水をあげて咲かないのに、
兄さんが少し近づくだけで花が咲く﹂
強いて平等な点をあげるなら、それは一日に過ごす時間が24時
間だということだろう。
956
逆に言えば、それ以外は全て不平等だと思っている。
今でもこの考えは変わっていない。
﹁僕は兄さんより凄くなれない。兄さんがいれば、この国は安泰だ﹂
だが、それならば。
﹁僕はなぜ、生まれてきたんだ﹂
アスプルの肩が震える。
目尻に涙を浮かべ、徐々に表情を崩していくその姿はバトラーも
初めて見るものであった。
彼は年頃の少年にしては、要求しない上に無表情だったのだ。
﹁人間はいつか死ぬ。遅くても、早くても。男性でも女性でも。父
上でも、兄さんでも、僕もいずれ死ぬ﹂
アスプルには何もない。
誇れる特技が無ければ、才能があったわけでもない。
国が誇る芸術もあくまで嗜むレベルだし、文武に至ってはご察し
だ。
彼はからっぽだった。
﹁何も無いなら、どうして僕は生まれてきたんだろう。いずれ死ぬ
だけの人生で、空っぽのまま生きていくのは⋮⋮僕には耐えられな
い﹂
俯くアスプルに、バトラーは優しく肩を叩いてあげた。
後にも先にも、アスプルが涙を見せたのはこのバトラーだけであ
る。
957
﹁アスプル様、例え今はからっぽでも、いつか意味が芽生える時が
来ます﹂
﹁⋮⋮僕に、来るのかな﹂
﹁待つのではありません。掴むのです﹂
バトラーが握り拳を見せる。
その手は、彼はこれまで見てきたどんな掌よりも大きく見えた。
﹁貴方の言う通り、人間はいつか死ぬ。私も何時の日か、皆様とお
別れする日が来るでしょう。私も旧人類、このご時世では決して恵
まれているわけではありませぬ。使用人としての階級も低いままで
すしな﹂
しかし、
﹁それでも私は墓に入る時、笑っている事でしょう﹂
﹁なぜ?﹂
﹁今は無理に分かろうとしないでも宜しい。ですが貴方が大人にな
る時にはきっと、気付いていると思います﹂
願わくば、それまでの間は生きていたいものです。
バトラーは笑いながら言った。
そして数年後、彼は帰らぬ人になった。
新人類軍の侵攻の際、住民の避難を率先して指揮している最中に
瓦礫の下敷きになってしまったのだという。
大勢の使用人と、主人に見守られながら彼の葬儀は行われた。
だが、アスプルは思う。
958
彼は果たして笑っているのだろうか、と。
決して恵まれたとは言えない人生だった。
彼にももっとやりたいことが沢山あった筈だ。
それも果たすことが出来ず、中途半端に逝ってしまった。
自分もいずれ、彼のように中途半端なまま死ぬのだろうか。
何も残せず。からっぽのまま。
それはとても悲しくて、虚しいと思う。
ただ死ぬのを待つだけの人生なんて、何時か来る死に怯えるだけ
じゃないか。
そんな疑問を抱いた、ある日のことだった。
アスプルが屋敷の整理を手伝った際、倉庫の中からバトラーの遺
品をみつけたのだ。
とはいえ、彼は身内がいるわけでもない。
悲しい事に、天涯孤独の身だった。もしかすると、陰ながら自分
を息子のように思っていたのかもしれない。
兄、アーガスしか見てこなかった父に比べて、彼と話した時間は
限りなく長いと言い切る自信があった。
だからだろう。
そんな第二の父の為に、贈り物を届けてやろうと思った。
アスプルは夜中にこっそりと屋敷から出ていき、バトラーの墓地
を掘り返した。彼の棺の中に、こっそりと遺品を収める為だ。
ところが、である。
掘り起こしてみると、そこには棺が存在せず、ただ巨大な穴がで
きあがっていただけだった。
959
洞窟のように深い穴を発見したアスプルは戸惑いながらも、単身
その穴へと入り込んだ。どうせ自分の身になにがあっても、兄がい
る。そんな気持ちから、彼は己の犠牲を恐れずに探索を開始したの
である。
だが、その探索も僅か1時間足らずで終わった。
なぜなら、穴から続く巨大な空洞の奥底には彼の想像を超える物
が眠っていたからだ。
﹁お、おお⋮⋮!﹂
その巨体に、思わず腰を抜かしてしまった。
持ってきた懐中電灯では逆さまにつられている頭部しか灯すこと
は出来なかったが、それだけでも十分すぎるインパクトがある。
ソイツは、例えるなら巨大な虫だった。
恐らく幼虫なのだろう。小さい頃、兄に見せてもらったカブトム
シ。その幼虫の頭部に似ていた。
強いて違うところを挙げるなら、周辺に蠢く無数の根が口部と繋
がっていた事だろう。
まるで入院中の時に使う酸素ボンベのようだった。
﹃⋮⋮タ﹄
﹁ん?﹂
眼前の巨大生物の口が、僅かに開く。
すると信じられない事に、アスプルの耳に何者かの声が聞こえて
きた。
﹃⋮⋮オナカスイタ﹄
960
﹁なっ⋮⋮!?﹂
それはまごうことなき、未知の生物からのコンタクトだった。
やたらと甲高く響いてきたそれは、明確に己の意思をアスプルに
示してきたのである。
そして同時に、この日からトラセットによる逆襲と、アスプルに
とって﹃掴み取るべきチャンス﹄を巡る日々が始まったのだ。
961
第69話 vs大樹の中の彼
大樹の芯を目指し、アーガスは歩を進める。
隊列としては彼の後ろには灯りを照らすゴルドー。マリリスを運
ぶ移送檻と、その担い手の使用人が二人。最後にマリリスと相対す
る形でアスプルが最後尾についている編成だった。
﹁この大樹に、巨大生物が?﹂
移送檻に閉じ込められたマリリスが、きょとんとした顔でアスプ
ルを見る。
彼が語った思い出話は、途中から突拍子もない方向へと向かって
行った。
このまま彼らの移動も明後日の方向へ行くのではないかと、少々
心配になる。
﹁そんな⋮⋮まさか﹂
﹁父も最初はそういったよ。君もこの先に進んでいけばわかる﹂
喜怒哀楽の見えない無表情で、アスプルは言う。
彼は当時を思い出しつつも、彼女を変貌させた力の正体について
語った。
﹁彼と遭遇した私は、暫くパニックになった。情けない話だが、み
っともなく腰を抜かして倒れてしまってね﹂
﹁それはまぁ⋮⋮仕方がない事だと思います﹂
想像してみて欲しい。
962
推定3,40メートル程あるであろう、巨大な幼虫の頭が頭上に
いる。しかも話しかけてきたのだ。これを目の前にして、腰を抜か
さない方が凄いとマリリスは思う。
﹁落ち着くまで、どのくらい時間をかけたかは覚えていない。その
間も、彼はずっと待っていてくれた﹂
﹁少し気になるんですが、言葉が分かるんですか?﹂
﹁彼は人智を超越した存在だ。大樹越しで伝わる人の話し声を長年
聞いて、我々の言語を会得したのだそうだ﹂
少なくとも、頭脳面においては非常に優秀であると言える。
彼は人間だけではなく、虫や地中の動物の言葉も理解し、コミュ
ニケーションをとっているのだと言う。
﹁そんな彼には、悩みがあった﹂
出会ったとき、彼は空腹だった。
何日も。何カ月も。何年も。それこそ生まれた時からだったのか
もしれない。
兎に角、常に空腹なのだと言う。
アスプルは問われた。君を食べたら、私は動けるようになります
か、と。
﹁な、なんて答えたんですか?﹂
﹁わからないと答えた。私なりに正直に答えたつもりだよ﹂
﹁正直すぎると思いますけど⋮⋮﹂
﹁だけど、彼は私を食らわなかった。代わりに、なにか食べ物を要
求してきたんだ﹂
恐らく、自らの意思でここまでやってきたアスプルを体のいい宅
963
配便か何かだと思ったのだろう。
ひょっとしたら、地下で遭遇したモグラやミミズといった生物よ
りも遥かに融通の利きそうな人類に興味を持ったのかもしれない。
真相はどうあれ、アスプルは彼の口に合うかも分からない様々な
食料を用意した。食べられるかどうかも分からない、金属や植物も
含めて。
﹁その中で、もっとも彼の口に合うのが兄の使う白い薔薇だった﹂
﹁アーガス様の?﹂
先頭に立って、誘導する英雄に視線を向ける。
﹁兄が咲かせた白薔薇は、エネルギーを吸収する性質がある。新人
類軍との戦いで黒に染まったそれは、彼の口に合う上に効率よくエ
ネルギー補充ができるものだった﹂
以来、彼は黒く染まった薔薇を所望するようになった。
もちろん、ただではない。
﹁私は尋ねた。もしも空腹でなくなれば、君はどうなるのかと﹂
彼は言った。
きっとこの世界にいるどんな生物よりも強い生物になる、と。
﹁だから私は⋮⋮私たちは、彼と契約したんだ。もしも腹を満たす
ことが出来れば、トラセットの為に共に戦ってくれないか、と﹂
﹁それで、答えは?﹂
﹁了承してくれた。彼にとって、目先の問題を解決させることが最
優先だったんだろう﹂
964
しかし染まりきった薔薇の数には限りがある。その上、それを咲
かすことができるアーガスは徴収されてしまった。
素直にそのことを話すと、彼は提案した。
﹁彼は自給自足を提案した﹂
﹁自給自足ですか? でも、大樹の中に埋まってるんですよね﹂
いい方は悪いが、所詮は図体が大きい芋虫である。
知能が高い存在であろうが、そんな奴が畑を耕したりできるとは
到底イメージできなかった。
﹁もちろん、彼が土を耕すのではない。寧ろ、もっとエグい方法だ﹂
﹁え、エグいんですか?﹂
﹁エグい﹂
言い切ったみせた。
悩む間もなく、直球である。これ以上聞くのが怖いが、アスプル
は途中で開放する気などなく、お構いなしに話し続けた。
﹁彼は自分の生体エネルギーを他の生命体に注入し、それを食らう
ことを提案したのだ﹂
マリリスの表情が凍りついた。
その言葉が意味する物とはつまり、自分のような存在を作りだし、
そして食らうのだと言っているのと同義だった。
マリリス・キュロは彼に食われる為に﹃注入﹄された、餌なのだ。
﹁そ︱︱︱︱!﹂
﹁提案を受ける代わりに、私も彼に提案した﹂
965
何か言いたげにするマリリスをよそに、アスプルは無表情のまま
続ける。
﹁いや、提案よりも先に質問した。そんな事をしたら、君の生命力
は減ってしまって本末転倒ではないのか、と﹂
彼は言った。
確かにリスクはある、と。
だがこれ以上ここに埋まっていては、何時まで経っても外に出る
ことは出来ないであろうことを、彼は悟っていた。
アーガスの薔薇によって蓄えられたエネルギーのお陰で力はある。
だが、その在庫がなくなった以上、新たな餌が早急に必要になっ
た。
﹁そんな折、兄が反逆者たちに敗北し、帰省することになった﹂
それは嬉しいニュースだった。
英雄がいれば薔薇は生成できる。
彼曰く、何人かの強い新人類の生体エネルギーを吸い取れれば、
人間にも自分の力を注入できるとのことだった。
﹁幸か不幸か、我々のもとにやってきた反逆者はギーマよりも強い
生体エネルギーがあった。反逆者の生命力を吸った彼は、その活動
範囲を地中から地上にまで伸ばしたのだ﹂
その結果が、マリリスである。
地中から根っこ同士を繋ぎ、間接的にチューリップを操作するこ
とができるようになった。
その時、偶然にも目の前にいたのがマリリスだった。
彼女は彼によって運び出され、始めての注入者となったのだ。
966
﹁じゃあ、私は⋮⋮﹂
﹁そうだ。君は餌だ﹂
冷酷な宣言が、マリリスを貫いた。
顔色から生気が無くなっていき、次第に青ざめていく。
﹁じゃあ、国の皆に言ったアレは!?﹂
﹁もちろん、餌の補充だ﹂
マリリスが檻に掴みかかる。
今にも襲い掛かってきかねない距離にまで迫ると、檻越しで彼女
は言った。
﹁どうして!? 皆、あなたを信じたのに! どうしてこんな事が
できるんですか!?﹂
﹁彼らが信じたのは私ではない﹂
アスプルがちらり、と先頭に立つアーガスを見やる。
このやりとりも聞こえている筈なのだが、兄はなにも言ってはこ
なかった。
﹁彼らは兄の言葉を信じた。そして彼に食べられる。最終的に彼は
大樹から解き放たれ、国は新人類王国に宣戦布告する﹂
大雑把だが、それがダートシルヴィー家のシナリオだった。
アスプルから視線を逸らし、マリリスは英雄へと問う。
﹁アーガス様、なぜですか!?﹂
﹁⋮⋮﹂
967
英雄であり、勇者と呼ばれた男は何も答えない。
ならば、と言わんばかりに彼女はその後ろにいる当主へと質問の
矛先を向けた。
﹁ゴルドー様は!? あなたも国民を見捨てるおつもりなのですか
!?﹂
﹁見捨てるのではない﹂
ゴルドーは振り返ることなく、答える。
﹁これは新たな時代が来るための、小さな犠牲なのだよ﹂
﹁何を仰られているのですか?﹂
﹁分からないかね? まあ、それもいいだろう﹂
興奮を抑えきれぬ口調でゴルドーは言う。
その目は、まるで今か今かと待ち侘びる子供のように無邪気だっ
た。
﹁君も見れば分かる。彼の前では、我々も新人類もちっぽけな存在
なのだ。現に、君もちょっと調味料をかけられただけでこの有様だ﹂
マリリスの出で立ちは、既に人間のそれとは遠くかけ離れたもの
にまで変貌していた。
瞳の色は七色に染まり、頭からはカブトムシのような一本角が生
え始めてきている。
このやり取りを行っている口も、今では人間の口というよりもア
リのアゴと言った方が形容しやすい。上下の歯に並んで、左右にハ
サミを連想させるアゴが飛び出していた。手を近づければ、今にも
挟まれてしまいそうである。
968
﹁私は見たい。彼が成長すればどうなるのか。我々は彼のもとで、
どう変化していくのか!﹂
ゴルドーが振り返り、マリリスを見る。
さぞ愛おしそうに彼女を見つめ、彼は言った。
﹁君は幸福に包まれる。彼の一部となり、人類を導く存在となるの
だよ。嘗て新人類王国のリバーラ王は、新人類こそがヒエラルギー
の頂点に立つべきだと言ったが、それは違う﹂
なぜなら、
﹁新人類よりも大きな可能性が詰まる彼こそが、地球の頂点に立つ
生命に相応しいからだよ!﹂
ゴルドーは笑う。
笑いながらも、大樹の中で蠢く彼を求めて前進する。
その姿を見たマリリスは、愕然とした。
そんなことの為に、自分は食われなければならないのか。
力など欲しいとは思わなかった。
ただ、何時もの暮らしが出来ればそれでよかったのだ。
それなのに、ただ近くにいたと言う理由だけで大好きなおばさん
を殺してしまい、挙句の果てには餌として未知の生物に献上される
始末。
あんまりだ。
ひどすぎる。
自分が何をしたと言うのだ。
969
常に誠実に生きてきた。悲しい事があっても、笑いながら楽しく
乗りきっていこうと、ゾーラと共に誓い合った。
その行きつき先が、これか。
訳の分からない生物に魅せられた当主と息子たちに連れられ、餌
として差し出されるこの結末が。
こんなものが、自分の運命だというのか。
悔しさの余り、言葉が出ない。
震えが止まらない。
どうしようもない悲しみがマリリスの中心で渦を巻き、彼女の心
を荒廃させていく。
そんな時だった。
叫び声が響く。若い少年の、振り絞ったような咆哮だった。
﹁まてえええええええええええええええええええええええええええ
えええええええええええええええっ!﹂
その場にいる全員が、後ろを振り返る。
暗くてなにがいるのかはわからない。
だが、あの声は聞いたことがある。
﹁スバル君⋮⋮﹂
﹁あの少年か﹂
ダートシルヴィー兄弟が、静かに呟く。
後方から近づいてくる少年の気配を確かに感じつつも、マリリス
は力の限り叫んだ。
助けてください、と。
970
第70話 vsパツキンナルシスト薔薇野郎 ∼勇者の苦悩編∼
ダートシルヴィー家にとって、当面の邪魔者は4人の反逆者達だ。
その中でもっとも単体戦力で弱いのは蛍石スバルであるとアーガ
スは考えている。だが同時に、キーマンになるのも彼であることを
アーガスは予測していた。
恐らく他の三人よりも、スバル少年に絡まれる方が厄介なことに
なる。それを感じていたからこそ、アーガスは提案した。
﹁私が残ります﹂
集団の先頭に立っていたアーガスが、最後尾へと移動する。
彼はアスプルを一瞥した後、呟く。
﹁案ずるな。殺しはしない。ただ、残りの時間を美しい夢の中で過
ごしてもらうだけだ﹂
英雄の左手に青薔薇が出現する。
それを確認すると、アスプルは無表情のまま兄へ言う。
﹁たった一人の旧人類を足止めする為に、英雄が残るのですか?﹂
﹁意地悪だな、アスプル。だが君の願いを叶える為には私は邪魔な
はずだ﹂
﹁⋮⋮私は兄さんのそういう所が嫌いだ﹂
﹁そうか。一人の兄として、美しい気遣いのつもりだったのだが﹂
言いつつも、アーガスは苦笑。
眼前にいる弟と本音で言葉を交わすのは、これが始めてだった。
971
喜ばしい事だが、この数日で少し変わったな、とアーガスは思う。
﹁彼の影響か?﹂
﹁私は彼のファンです﹂
意外な言葉が飛び出した。
てっきり友人か、もしくは割り切って敵ですとでもいうのかと思
ったが。まさかファンと言い切るとは。
﹁意外だな。君が誰かに憧れるとは﹂
﹁あの場で叫んだのは本心ですよ。私は彼が羨ましかった。旧人類
でありながら、諦めない彼が﹂
随分と昔の話だが、街で話題になったことがある。
内容は新人類に挑み続ける旧人類、というものだった。
プロスポーツ選手に始まりブレイカーの開発者に至るまで、新人
類の中で結果を出し続けた旧人類の戦士たちの名前が、次々とあげ
られていった。
そんな中でアスプルが注目したのは、自分と年齢が変わらない日
本の少年である。
﹁私は生まれてすぐに諦めた。あなたという偉大な先駆者がいたか
らだ﹂
隣に超人がいた点ではスバルとて変わらない。
ブレイカーズ・オンラインと呼ばれるお遊びは、全国大会入賞者
の9割以上が新人類で埋め尽くされている。そんな中で少ない1割
未満に入りこんだあの少年にアスプルは羨望の眼差しを送った。
彼の身の回りにはXXXの神鷹カイトもいる。彼との共同生活の
中で、決して埋まらない才能の壁を感じたことがあるだろう。
972
しかし彼は、今この場にいる。戦う力を持って、カイト達と肩を
並べていた。その事実が何よりも衝撃的だった。
﹁私にはその諦めの悪さが、泣きたいほどに羨ましい﹂
﹁アスプル﹂
弟の本音を、アーガスは静かに受け入れる。
思えば、彼がこんな風に感情を露わにすることは非常に珍しい事
だった。
﹁だからこそ、お前は先に進むべきだ。違うか?﹂
アーガスが弟に囁く。
彼なりに、アスプルの苦悩は知っているつもりだった。
また、彼が何をしたいのかも。
﹁兄さん﹂
﹁なんだ?﹂
アスプルが兄を呼ぶ。
小さな呟きだったが、しかし。アーガスはその声を聞き逃さなか
った。
﹁さようなら﹂
﹁ああ。さらばだ﹂
アスプルが英雄に背を向ける。
父と移送檻を追いかけ、アスプルは駆けだした。それを見届ける
と同時、アーガスは青薔薇を改めて前面に向ける。
暗闇の奥から追ってきているであろう少年に向けて、英雄は武器
973
を振りかざした。
﹁はっ!﹂
左に握られた青の花弁から、空気の渦が巻き起こる。
渦は次第に膨れ上がっていき、アーガスの前方へ押し出されてい
った。決して広いとはいえない空間に、嵐が充満していく。
﹁どわぁ!?﹂
暗闇の奥から、間抜けな叫び声が響いた。
どうやら思ったよりも接近していたらしい。その事実を認識する
と、アーガスは日本で出会った少年に向けて口を開く。
﹁久しいな、スバル君。美しい私を覚えているかね?﹂
やや間をおいてから、暗闇から答えが返ってくる。
﹁アーガスさん!﹂
﹁その通り。私はアーガス。美しき美の狩人、このトラセットが誇
る英雄であり勇者! アーガス・ダートシルヴィー!﹂
﹁その勇者がこんなところで何をしてるんだよ!﹂
﹁もちろん、君の足を止めるのだよ﹂
暗闇で覆われ、少年の顔は見えない。
だが、会話が成立している以上そこまで離れていない筈だ。
スバルも同様の答えに辿り着いたのだろう。多少なりとも因縁の
ある勇者に向けて、彼は叫ぶ。
﹁俺の足止めに勇者が出張るか普通!?﹂
974
﹁卑下することはない。私はこうみえても君を高く評価しているの
だよ﹂
先程、弟が話した言葉を思い出す。
出会った時は、ただ人がいいだけの少年だと思っていた。
それがまさかここまで来るとは。まったく、人生とは何があるの
か分からない。
﹁君は強い。自分が思っている以上に、君には力がある!﹂
﹁アンタには劣るよ﹂
﹁そうだろうね﹂
あっさりと頷くと、青薔薇の花弁が大きく揺れた。
その動きに比例して、空気の渦は勢いを増していく。暗闇の向こ
うにいる少年が苦悶の叫びをあげた。
﹁どわぁ!﹂
﹁君は天然だ。だからこそ、私は君が恐ろしい﹂
﹁人をタラシみたいに言わないでくれる!?﹂
つい先ほど、同居人に妙な勘違いをされたことを思い出して憤慨
する。
当然ながらそんなこと知ったことではないアーガスは、マイペー
スに続きを口にした。
﹁弟が演説台に向かったとき、私は理解したよ。君はただ守っても
らうだけの少年ではなかった﹂
彼は弟の心を動かし、日本においては新人類王国が誇る戦士達に
向かい果敢に挑んだ。
975
その後ろに誰かの支えがあったとはいえ、立派な物だと思う。
﹁放っておけば、それこそ旧人類連合の象徴になるかもしれない。
それは本来、我が国にとっても望ましい事だろう﹂
だからこそ、国民たちは彼らの来訪を喜んだ。
こころから万歳をし、観光客まで巻き込んで。
だが、トラセットには既に救世主がいた。アーガスよりも遥かに
高次元に存在する生命体が、知らない内に存在してたのだ。
正直、アーガスとしてもどれだけソイツを信用していいのか分か
らない。
餌をやる際、一度間近で見たが英雄の目にはただの化物にしか見
えなかった。トラセットを守る英雄と言う肩書を捨て去っていなけ
れば、すぐにでも攻撃を仕掛けていたと言い切る自信がある。
それだけあの巨大幼虫は気味が悪い物だった。
だが同時に、父やアスプルが取り付けた約束が果たされるもので
あれば、それに越したことはないとも思った
アーガスは敗者だ。
新人類王国に勇敢に戦いを挑み、敗れた。いわばスバルの先駆者
である。
﹁だが私は、第一に国の存亡を考えなければならない﹂
﹁国民の女の子が苦しんでいるのにか!﹂
英雄の癖に。
勇者の癖に。
国民の一人も守らず、わけのわからん大樹の力に頼ろうとする姿
勢に、スバルは憤怒した。
976
﹁アンタには力があるだろ! 俺と違って!﹂
﹁だが私は敗者だ。分かるか、スバル君﹂
数日前に彼の同居人に言った言葉が、再び解き放たれる。
暗闇の中であの少年はどんな顔をしているだろうか。
もしかすると蔑むかもしれない。だがそうされても仕方がないと、
英雄だった男は思う。
﹁私は守れなかった。私にこの国を導く資格はないのだよ﹂
﹁そうやってすぐ見捨てるのかよ。父さんの時のように!﹂
少年の言葉が、己に深く突き刺さったことをアーガスは感じた。
身体の芯から恐怖にも似た悪寒が押し寄せてくる。
﹁すまないと思ってる﹂
﹁思ってるんだったら!﹂
なぜ向かわない。
たった一度の敗北で、なぜ英雄は己の責務を放棄するのか。
スバルには理解できない。
﹁女の子を泣かせて、日本で俺の生活を奪っておきながら、すまな
いで済むと思ってんのか!﹂
﹁⋮⋮変わらないな、君は﹂
アーガスが自嘲的に笑った。
始めてこの少年と会った時を思い出す。あの時、彼は怖いもの知
らずの友達を庇う為に身を挺した。
自分よりも遥かに力のある新人類に向かって行った頃と、全然変
わっていない。何度も死にそうな目にあっておきながら、彼は愚直
977
に進んでいった。
﹁今なら私も、君のファンになりそうだよ!﹂
右手からも青い薔薇が咲き、前面へと突き出した。
二つの青薔薇が重なり合い、渦巻く強風が激しさを増す。彼らを
取り囲む大樹の壁が風によって削がれ始めた。
巨大な木を揺るがす強風は、スバル少年の身体をいとも簡単に引
き飛ばす。
﹁うわ!﹂
﹁美しく飛びたまえよ。そして君はそのままの君でいてくれ。君の
ような美しいまでに愚直な人間が、世界には必要なのだ﹂
嘗て、アーガスはそれを愚かだといった。
だが英雄だった男は気づく。自分こそがそれを一番欲しているこ
とに。
それはもう、今の自分では届かない。打ちのめされた自分には、
手の届かない場所にある。
﹁安心しろ。君がここに戻る前に、彼が全てを終わらせるだろう﹂
それは祖国の繁栄か。新人類王国の破滅か。それにとどまらず、
生物の生態系をまるごとひっくり返す破壊の化身になるかもわから
ない。
どちらにせよ、世界は変わる。
﹁所詮、強者を倒すのは強者でしかない。その役目を果たすのは敗
者ではないのだ﹂
﹁なら誰がやるんだ﹂
978
暗闇の奥から、聞き覚えのある青年の声が響く。
はっ、と顔を上げる。
まさか、そんな馬鹿な。あの男はつい二日前に生体エネルギーを
奪った筈だ。
いかに再生能力があるとはいえ、大使館を預かったギーマですら
衰弱死した一撃を受けて、たった二日で復活したと言うのか。
﹁君は⋮⋮!﹂
闇の中から人影が姿を現す。
間違いない。つい二日前に戦った超人が、吹っ飛ばされた少年を
抱えて登場した。
﹁また会ったな、パツキン﹂
二日前には無かった右腕が、アーガスに向けられる。
反射的に彼は言った。
﹁どうしたのだね、その腕は﹂
本日三度目の質問。
いい加減、同じ解答を投げるのも面倒になったカイトは至極どう
でもよさそうに呟いた。
﹁くっつけた﹂
いつから此奴はプラモデルになったのだろう。
そう思いつつも、アーガスは両手の薔薇を再びカイトに向ける。
再び豪風を巻き起こさんと花を揺らすが、しかし。
979
そんなアーガスの顔面に、前触れも無く飛び込んだ物があった。
カイトの右腕である。
﹁ほあぁ!?﹂
突然発射された右腕に戸惑いつつ、間抜けな声をだしながらすっ
転ぶ。
顔面目掛けて飛んだロケットパンチは虚しく空を切り、闇の奥へ
と飛んで行った。
パンチが飛んだ方向に視線を向け、再びカイトに視線を戻す。
見れば、彼に担がれているスバル少年も唖然としていた。
﹁き、君。腕はどうしたのだね?﹂
反射的に、そう聞いてしまった。
だがカイトは仏頂面のまま、間抜けにこけた英雄を見やる。
﹁くっつけたんだ﹂
980
第71話 vs痛み
﹁カイトさん、もう本格的に人間辞めはじめてきてるよね﹂
抱えられた同居人の少年が呆然とした表情でぼやく。
カイトは顔色を変えないまま、スバルを下す。
﹁失礼な。この広い世界、探そうと思えばロケットパンチくらい普
通だろ﹂
﹁ぜぇーったい普通じゃないぞ!﹂
つい先日戦った新人類達が破天荒だったからか、大分常識が崩れ
ている気がする。
いや、コイツは天然だったか。
そう思いながらも、スバルは頭を抱えた。
﹁それにしても﹂
そんなスバルを余所に、カイトは英雄と少年をみやる。
方や旧人類で、ただ口が達者でブレイカーがないと戦う術を持た
ない少年。もう片方は国の英雄とまで呼ばれ、異国の地で大使館の
責任者にまで上り詰めた新人類。
それなりに因縁があるとはいえ、あまりにもマッチしていない組
み合わせだ。
﹁豪華な足止めだな﹂
﹁本来、この国の防人は私だ。ならば、私が出るのが筋だろう﹂
﹁それは否定しないが、こいつを相手にそれを言うか?﹂
981
親指を投げつけるようにしてスバルに向ける。
だがアーガスも一度言ったように、スバル少年はもう十分戦力と
なるだけの存在となっているのだ。
﹁君も理解しているんだろう。だからこそ彼を先行させたんだ﹂
﹁結果的に、3回もコイツの面倒を見てるがな﹂
﹁うるさいよ﹂
先行させたのは事実だ。
だが後から合流するたびに誰かに絡まれている少年を助け、毎回
先に進むよう促せている。
理由としてはアーガスが言うように、彼がアスプルを制する力が
あるからに他ならない。遠くから演説を見たカイトにも、それは理
解できている。
﹁だが、いい加減この流れも飽きたな﹂
カイトがスバルの前に立つ。
どうやら今回、スバルを先行させるつもりはないらしい。
﹁カイトさん、ここで時間をかけたら!﹂
﹁わかってる﹂
﹁本当に分かってるの!? アンタ肝心な時にいなかったけどさ!﹂
﹁全部は理解してないが、大体わかる。お前の考えそうなことはな﹂
どうせあのままダートシルヴィー邸に入ってアスプルと仲良くな
って、メイド軍団といちゃこらして、マリリスの異変と出くわして、
そして今に至るんだろう。
カイトはそう考えている。
982
その考えはほぼ命中していた。
﹁連中がなんで街娘だけを奥につれていこうとしているのかは知ら
んが、お前的にはゴルドーたちのやり方が気に食わんわけだろ﹂
﹁まあ、そうだけどさ⋮⋮﹂
後は、その場の勢いだ。
あのまま中央区に残ってたら大樹の栄養になっていたであろうこ
とを考えると、それが正解だったのかもしれないが。それにしたっ
て後先考えなさすぎである。
少し前の自分なら、罵倒しまくった後に引っ叩いていた事だろう。
﹁それでいい﹂
しかしカイトは変わった。
そんな後先考えない少年の行動で、救われた気持ちになったのだ。
それなら、もう少し付き合ってやってもいい。
﹁お前は自分の信じる物を貫けばいい。喜びたい時は笑えばいいし、
許せない事があれば怒ればいい﹂
それがこの少年の戦い方だ。
相手を屈服させるだけの力は無い。ただ訴えるだけの力なき抗い
方。
カイトやアーガスは思う。力が無い者による発言が、今の世でど
れだけの力を発揮できるのだろうか、と。
時と場合によっては暴力によって彼の主張は押しつぶされてしま
うだろう。
だが、そんな彼には味方がいる。
983
﹁俺はお前に出来ない事をするだけだ﹂
﹁ふっ、なるほど。強力な代打だ。だが、折角くっつけた右腕。も
っと大事に使ったらどうだね﹂
アーガスが笑みを浮かべ、体勢を整える。
先程はロケットパンチによって無様に転んでしまったが、今度は
そうはいかない。
あれは奥に目掛けて飛んでいった以上、もう使えない。
寧ろ、折角くっつけた右腕を再び失ってしまったのだ。狭い空間
とは言え、植物が周囲を取り囲んでいるこの状況。アーガスは自身
の優位性を確信している。
﹁いや﹂
カイトはその考えを否定した。
視線は真っ直ぐアーガスを射抜き、表情一つ変えずに続ける。
﹁これでいい﹂
﹁なに?﹂
彼の言わんとする言葉が、アーガスには理解できなかった。
スバルも同様である。
見た限り、くっつけられた義手は爪も再現されているように思え
た。それなら無暗に飛ばしてしまうのは失策ではないかと、少年は
思う。
だがアーガスの方は、ほどなくしてその疑問の回答を得た。
﹁⋮⋮ん?﹂
暗闇の中に、一筋の光が走る。
984
途切れたカイトの右腕からまっすぐ伸びるそれは、アーガスを飛
び越えてさらに向こう側へと繋がっていた。
﹁⋮⋮しまった!﹂
カイト達の反対側。
そこは紛れも無く、アスプル達が先行した方向に違いない。
歯噛みしつつ、英雄はカイトを睨む。
﹁君は最初から、私を狙ってなどいなかったというのかね!?﹂
﹁顔面を潰せばラッキー程度だ。後は後ろの連中の位置を探る意味
もあったけど﹂
右肘から伸びる糸が猛烈な勢いで回収される。
アーガスの後方から、腕が戻ってくる。
﹁あ、あれは!﹂
スバルは見る。
カイトの右腕が戻ってきた。それだけではない。マリリスを閉じ
込めた檻を掴み、そのまま引っ張り上げたのである。
﹁は、反逆者様!﹂
檻の中にいるマリリスが、妙にオドオドとしながら彼らを視界に
入れる。
突然現れたロケットパンチは、彼女の度肝を抜かしていた。今日
初めて見たメンバーは大体びっくりしているので、当然である。
迫ってきた檻をアーガスはギリギリで避け、檻の中にいるマリリ
スはカイト達の目の前に回収された。
985
﹁スバル、彼女を頼む。右手から爪を出しておくから、上手く檻を
バラせ﹂
﹁お、おう!﹂
スバルが駆け寄ると、マリリスは改めて問う。
ロケットパンチを眺めつつ、唖然としながら。
﹁あ、あの。これってなんですか?﹂
﹁男の浪漫﹂
﹁男の方って浪漫で腕を飛ばすんですか!?﹂
盛大な誤解が広がりそうだが、この場にいる男たちは何もツッコ
まなかった。
代わりに、アーガスが問う。
﹁マリリス君。父上たちは?﹂
﹁さ、さあ。いかんせん、後ろから突然檻を掴まれたので﹂
本当に不意のことだったのだろう。
後ろから腕を飛ばし、直接檻を掴んで引っ張り上げる奴がいる事
なんて誰も想像してなどいなかったのだ。
だからこそここまで簡単にマリリスを取り戻されてしまったのだ
が、しかし。父は黙ってはいない筈だ。
﹁⋮⋮やってくれるな、山田君﹂
﹁山田君?﹂
スバルが訝しげな視線をカイトに向ける。
始めて聴く名前だった。だが当の本人はその問いかけに答える気
986
は一切なく、アーガスに対して言う。
﹁気安く君をつけるな。生意気だぞ﹂
﹁この代償、高くつくぞ﹂
﹁なぜ彼女に拘る﹂
檻の前に出て、カイトは左手をアーガスに向ける。
﹁単純にエネルギーを注入した奴が欲しいだけじゃないだろ﹂
カイトは思う。
トラセットの切り札は、大樹にエネルギーを注入された人間では
ない筈だ、と。演説で当主と英雄が言った言葉は、嘘っぱちだ。現
にカイトの相手をしたメイド集団なんかは、殆どキックだけで戦意
喪失している始末である。
﹁目的は何だ。貴様らはこの大樹で何をする気だ﹂
﹁反逆者様﹂
その疑問に答えたのは、スバルによって解放されたマリリスだっ
た。
彼女はよろけつつも、解放した少年に右肩を貸すことでなんとか
立ち上がっていた。その表情は、どことなく苦悶の色が伺える。
﹁私がお話します﹂
﹁お前が?﹂
﹁はい。道中で聞いたことを、全てお伝えさせてください﹂
﹁そんな暇を与えると思うかね!?﹂
アーガスが正面を睨むと同時、彼らを取り囲む大樹の壁が大きく
987
蠢く。
表面から巨大な棘が飛び出し、少年少女を貫かんと襲い掛かる。
﹁いいぞ。気にせず話せ﹂
カイトが冷静に言うと同時、棘が崩れ落ちる。
見れば檻を掴んでいた右腕がカイトの肘と接合され、振り上げら
れていた。空気を切り裂いた際に巻き起こる真空の刃が、二人を守
護するようにして棘を分解していく。
﹁は、はい!﹂
マリリスは己の知る事実を、余すことなく二人に伝えた。
アスプルが大樹の奥にいる謎の生命体を発見したこと。
彼がエネルギーを欲している事。
エネルギーを取り込み終われば、どんな生命体よりも強くなれる
であろうこと。
そして自分たちは、そんな彼の為に用意された餌であること。
﹁⋮⋮餌、だって?﹂
スバルが愕然とした表情でアーガスを睨む。
マリリスは終始苦しそうな顔をしていた。
﹁国民を餌にしてまで、そんな奴を目覚めさせるっていうのか!?﹂
﹁ゴルドー様は、それが名誉ある事だと仰っていました﹂
苦々しく少女はいう。
今でも当主の嬉々とした表情が頭から離れない。なぜ、彼はそん
な生命を受け入れたのだ。いや、生命に興味を持つこと自体はいい
988
だろう。
だがその為の餌として、自国の国民を差しだそうとしている。
﹁私には、もうあの方々が何を考えていらっしゃるのか理解できま
せん﹂
同じ苦しみを味わった筈だった。
新人類王国の侵攻によって受けた傷跡は、共有物だった。
現にアーガスの一言で国民の大半は注入を歓迎している。
だが、そんな国民を裏切って彼らは虫に献上しようとしているの
だ。
﹁これが英雄のやる事かよ!﹂
﹁言った筈だ。私には国を存続させる義務がある﹂
﹁国民を犠牲にした国を維持して、どうなる!?﹂
アーガスが静かに拳を握る。
見れば、彼の両肩は震えていた。
﹁私とて、可能ならこんな手を使いたくは無かった﹂
だが、帰郷した時には既に準備が行われていた。
生命体に見入られた父は、彼の為に様々な資源を投入した。
そして弟は、もう後戻りしない道を選択していたのだ。長い間国
を留守にしていたアーガスに、口出しするだけの権利など、どこに
もなかった。
﹁私は敗者だ。私が国を守れなかったばかりに、民は犠牲になった﹂
﹁今また同じことが行われるんだぞ! それでいいのかよ!﹂
﹁いいわけがないだろう!﹂
989
いいわけなどない。
ある筈がない。アーガスはトラセットを愛していた。国に住む彼
らの為に命を賭して戦うのが己の使命だと信じ、そして負けた。
﹁だが、父の復讐心は本物だった。その引き金を作ったのは私だ。
分かるか、スバル君﹂
﹁分かりたくもねぇよ!﹂
そうだろう。彼はそういう少年だ。
だが自分は、この少年のように割り切る事ができなかった。
どこかで責任を取らなければならないと、感じていたからだ。
自国の立場をよくするためにアーガスは新人類王国で働き、結果
としては日本の管理を務めるまでになった。だがそれもカイトとス
バルによって打ち壊され、これまで築きあげたキャリアが水泡に帰
した。
彼に残されたのは、国に残った恨みの念だった。
﹁この戦いは私の敗北から引き起こされた。ならば私は、その戦い
を背負って再び戦うのみ!﹂
﹁アスプル君もか!?﹂
﹁⋮⋮弟は﹂
言うべきか否か、迷った。
だが彼が躊躇っている中で、スバルの疑問に答える声があがる。
マリリスだった。
﹁恐らく、あの方は自ら餌になるおつもりです﹂
﹁え!?﹂
990
マリリスは思い出す。
彼は自分に対し、異様な執着を見せていた。自分たちの先駆者に
なりたいとも宣言したほどである。
だがその座はマッリリスに奪われ、彼は今でも人間のままだ。
﹁注入された力は、きっと浸透するのに時間がかかるのでしょう。
1日経った私が、ここまで変化しているのですから﹂
彼女の姿は、昨日のそれとは比べ物にならない程の変貌を遂げて
いた。
見れば、彼女の瞳の色は元の面影が無い。身体の各部も、昆虫の
集合体といった風貌だ。
﹁だからこそ、皆さんは私を率先して運ぼうとしていたのではない
でしょうか?﹂
﹁その通りだ﹂
諦めたようにしてアーガスは言う。
﹁彼は言った。注入され、24時間経ったらエネルギー体としては
理想になるはずだ、と﹂
実験用のモルモットを使った結果が、それだった。
同じ理論で行けば、人間もそうなるであろうというのが生命体の
考えである。
﹁どうしてアスプル君は餌になりたがるんだよ!﹂
スバルが憤慨する。
だがアーガスは思う。それは当然なのだ、と。
991
﹁君にはわからないだろう。特に気にしたこともないだろうからね﹂
アーガスは知っていた。
アーガス
アスプル
弟が長い間、苦しんでいたことを。彼は幼少のころから、己の人
生に意義を欲していた。
自分がそうさせたのだ。
生まれつき力を持っていた兄が、力を持たずに生まれた弟を追い
詰めていったのである。その結果、彼は人生の終着点を定めたのだ。
﹁なら質問を変えよう﹂
カイトが問いの角度を変えた。
アスプルに関して言えば、ここで問答を行っても仕方がないと考
えたのだろう。この場に本人は居ないのだ。
﹁その生命体とは、何者なんだ﹂
﹁さあ。ただ、私の目には強大な化物に見えた﹂
タイラント
嘗て、国を襲った新人類軍。
アーガスはたった一人の女兵士に敗北した。
あの圧倒的な支配力は、今でも鮮明に記憶している。正直な所、
生きているのが不思議なくらいだ。
だが、﹃彼﹄は。そんな物が気にならなくなるような程の、悍ま
しい何かを感じる。
﹁彼は完全な自我が確立していない。頭脳が発達していても、我々
のように複雑な思考は出来ないのだ﹂
それこそ怒ったり、泣いたりといった喜怒哀楽。
992
そういった感情が彼にはない。それを知らずに、外に出ることを
望んでいる。
﹁いわば、無邪気。赤ん坊のように純粋だ。きっとそれを理解した
瞬間に彼の存在は大きく変わる事だろう﹂
ゆえに、正しく導いてやらねばならない。
アーガスはそれこそが己の使命だと考えていた。父ゴルドーは妄
執に取り付かれている。アスプルの犠牲を以てして生まれるであろ
う強大な力をコントロールしてやる必要がった。
﹁だからこそ私が!﹂
﹁お前がやっても同じことだ﹂
カイトが一言で叩き斬る。
﹁お前は誰かを犠牲にすることを選んだ。なら、そいつも同じよう
にして犠牲にする﹂
仕方がないと自分を勝手に納得させて。
他者の痛みから目を背ける。
カイトは昔の自分の事を思い出す。無性に腹が立ってきた。
﹁それだけじゃない。異国の気のいいパン屋の親父を殺した﹂
﹁それは﹂
﹁確かにお前が直接手を下したわけじゃない。だがお前はやろうと
思えば、止めることくらいは出来た筈だ﹂
アーガスに視線が突き刺さる。
父を失った少年と、彼に信頼を寄せていた青年の恨みを一身に受
993
け止めていた。
﹁その時受けた痛みは、俺やコイツにしかわからない﹂
﹁⋮⋮申し訳ないと思っている﹂
カイトはカイトなりに、マサキの死を受け止めた。
スバルも彼なりに、父の悲報を聞いた。
だがその時に感じた気持ちは、決してアーガスのものではない。
﹁想像することは出来るかもしれない。だが、それが必ずしも正し
いとは限らない﹂
ゆえに、
﹁もし俺が虫だったら、分かっているつもりになったお前に導かれ
たいとは思わないね﹂
﹁なら、どうしろというのだ!﹂
アーガスが右手に赤薔薇を出現させる。
彼の感情を表現するかのようにして、花弁が散る。その中から姿
を現したのは、レイピアだ。
細長い一本の刃が、カイトを襲う。
﹁私が悲劇を招いた! 父は恨みに支配され、弟は私がいたために
苦悩に囚われた! 私は国の為に何をすればよかったのだ!﹂
アーガス・ダートシルヴィーは英雄だった。
同時に、敗者だった。
彼が孕んできた問題は、英雄という言葉が持つ華々しいイメージ
とは懸け離れている。
994
﹁私は敗者だ。弱きものでは、抗えない!﹂
﹁だが、その時感じた痛みはお前のものだ!﹂
レイピアが弾かれる。
カイトが懐に潜り込む。腹部に右の鉄拳が叩き込まれた。
﹁がはっ!?﹂
強烈な衝撃がアーガスを襲う。
嘗てシンジュクで受けたそれとは比べ物にならない威力だ。
自動防御の役割を果たす身体に巻き付いた棘が飛び出すも、カイ
トはそれを避ける事もしない。棘が彼の皮膚を切り裂き、暴れ狂う。
﹁同じ痛みを受けたくないなら、その時感じた事を決して忘れるな﹂
罪はずっと付いて回る。
自分たちは超人だといっても、過去に起きたことを無かったこと
にはできない。
カイトも、アーガスも。
そしてマリリスも、スバルも。
ならせめて、今を悔いのないように生きたい。
その為にどうすればいいか。
﹁お前も、もう分かってる筈だ﹂
右拳が再び叩き込まれる。
大地に突き立てるようにして放たれたソレは、英雄の身体を床に
叩きつけるには十分すぎる威力を持っていた。
995
第72話 vs新人類最強の女
叩きつけられた床に亀裂が入る。
大きく揺れた大樹が悲鳴をあげ、小さなクレーターができあがっ
た。
中心地でそれを作り上げた張本人はゆっくりと立ち上がり、振り
返る。
大の字になって倒れ込んだ英雄は、口から泡を吹いて気絶してい
た。これだけの威力を叩きこまれてこの程度で済んでいるのだから、
程々頑丈である。
﹁し、死んだの?﹂
﹁呼吸音はある﹂
呆然としているスバルとマリリスによる共通の疑問に、カイトは
簡潔に答えた。
答え終わった後、彼は言う。
﹁妙だな﹂
﹁え?﹂
何が、と問う前にカイトは続けた。
己の感じる違和感を説明し始める。
﹁追手が来ない。マリリス、パツキンと別れたのは何時だ﹂
﹁パツキン?﹂
マリリスが僅かに首を傾げる。
996
カイトはメイド軍団とのやり取りを思い出す。そういえばこの国
ではパツキンと言う単語はあまり流行っていないのだった。別に現
代日本でも特に流行ってるわけではないのだが。
その事実を思い出すと、彼は無言で親指を英雄に突き付けた。
意地でも名前を呼ぶ気はないらしい。
﹁え、えーっと⋮⋮﹂
困り果てた表情でマリリスがスバルを見る。
恐らく悪口を言っているのを理解したのだろう。いかに酷い目に
あったとはいえ、長い間英雄として崇めた男に対してそう簡単に悪
口を叩けないのである。
﹁アーガスさんと何時別れたの?﹂
﹁つ、ついさっきです﹂
スバルが改めて質問してあげた。
マリリスは少し胸を撫で下ろすと、答える。
尚、そのやり取りを見たカイトは﹃俺、何かしたのか﹄と自分の
行動を思い返していた。記憶が正しければ、この街娘との接点は殆
どなかったはずだ。なんでちょっと距離を置かれたのか、少し納得
いかない。
﹁⋮⋮こいつを必要としてるなら、戻ってきても良い筈だが﹂
﹁あ﹂
疑問を口にすると同時、スバルも気付く。
成熟した注入体を欲している以上、マリリスはうってつけの人材
の筈だ。それを奪われて、先行したアスプル達がなんのアクション
も起こしてこない。
997
﹁スバル。アスプルは注入されているのか?﹂
﹁昨日は殆ど一緒だったから、多分無いと思うけど⋮⋮﹂
アーガスは言った。
彼は虫の餌になるつもりなのだ、と。
ならば注入するにしても日を置く必要があるのではないだろうか。
少なくともこの場では、彼は餌として相応しくない。
﹁アーガス様を信頼していらしたのでは?﹂
﹁どうだろうな﹂
カイトはアーガスを一瞥した。
シンジュクであった時に比べ、彼は落ちぶれていた。迷いがあっ
たのが原因だろう。
﹁今のコイツは英雄じゃない。負けたショックで自分の全部を押し
殺している﹂
傍から見れば、それは明らかだった。
しかも彼の性格を考えれば、今回の一件は自責の念が無い限りは
非協力的な物だった筈である。
﹁俺だったらコイツに任せっぱなしにはできない﹂
﹁でも、戦えるのはアーガスさんだけの筈だろ?﹂
﹁それは昔の話だ。メイドも昆虫になった以上、ついていった使用
人もそうなってると考えていい﹂
その使用人も追ってこない。
では、どういうことか。
998
﹁使用人が1日経ってるかもしれない﹂
﹁え!?﹂
マリリスが驚愕する。
それもその筈。彼女は間近で檻を運ぶ使用人を見ていたが、そん
な素振りは一切見せなかった。少なくとも、自分のように酷く形態
が変化しているわけではない。
﹁で、ですが私の見た限り彼らにそんな雰囲気は﹂
﹁注入された奴は個人差が出る﹂
直前に出会ったメイド集団を思い出す。
彼女たちは全員が共通した変化ではなかった。寧ろ、隠そうと思
えばいくらでも変化した部位を隠すことは出来る。
それは一日経過しても同じなのかもしれない。
少なくとも、カイトから見てマリリスの姿は派手だった。
﹁議論してても仕方がない﹂
カイトはスバルを見やる。
﹁どうする。娘は回収したぞ。それでも追うか?﹂
﹁⋮⋮うん﹂
やや間をおいてからスバルは答える。
﹁多分、アスプル君は俺を待っている気がする﹂
﹁なぜそう思う﹂
﹁止めて見せろって言ってたから﹂
999
演説台で叫んだ異国の友の姿が、スバルの脳裏にちらつく。
彼の言葉は何処までが真意なのかわからない。それなら、行って
確かめるしかない。
﹁目を背けたら、俺きっと後悔すると思う﹂
﹁そうか﹂
簡単な答えだった。
しかしそれだけで十分だ。彼は常にこの短い三文字で応えてくれ
た。
﹁お前は立てるか?﹂
﹁⋮⋮申し訳ございません。上手く足が立てなくて﹂
マリリスに視線を移す。
彼女の足は、膝の向きが通常のそれとは逆の向きに折れている。
まるでバッタだ。もしくはカンガルーか。いすれにせよ、慣れな
いと立ち上がる事は難しいだろう、とカイトは思う。
﹁置いていくわけにはいかないか﹂
﹁まあ、流石にな﹂
スバルも困り果てた顔で言う。
折角回収したのに、ここで置いて行って食べられてしまいました
なんてオチでは示しがつかない。
﹁仕方がない。苦しいかもしれないが、我慢しろ﹂
﹁へ? わぷ!﹂
1000
カイトがマリリスを抱え上げ、もう片方の手でスバルを掴む。
蛍石スバル、16歳。この時、アキハバラの悪夢が蘇った。
﹁ね、ねえカイトさん﹂
﹁なんだ﹂
﹁何する気?﹂
﹁お前たちを担いで走る﹂
﹁あ、やっぱり﹂
これは風圧がやばい事になる。
既に何度か経験して身を引き裂かれるような思いをしているスバ
ルは、息を飲んで覚悟を決めた。
﹁あ、あの! 私重いですから!﹂
﹁いや、比較的軽いぞ。ごちゃごちゃしてるけど﹂
マリリスが慌てながらカイトに言うが、当の本人は聞く耳持たず
だ。
じたばたと暴れることをしないのがカイトとしては好印象である。
その理由は左手の鎌にあるのだが、そこまで察することは彼にはで
きなかった。
﹁しかし、二人も担いでは貴方が疲れてしまうのでは﹂
﹁マリリス﹂
見当違いな気遣いをするマリリスに、スバルは半目で言う。
どこか遠くを見るような、そんな済んだ瞳だった。
﹁多分、口を閉じておいた方がいいと思うよ﹂
﹁へ?﹂
1001
先駆者のアドバイスに、マリリスは首を傾げる。
直後、彼女の頬に風が伝わった。
﹁あの、これは︱︱︱︱﹂
﹁口閉じとけ! 舌噛むぞ﹂
カイトが忠告すると同時、穏やかな風は強風となった。
マリリスの頬が歪む。強烈な風が、彼女の顎を打ち抜いた。
街の周辺を見渡してみる。
一通り周りの根っこを殴り倒した御柳エイジはその辺の民家によ
じ登り、他の根っこを探す。
﹁エイちゃん、調子どう?﹂
﹁お、シデン。こっちは大体片付けた感じだぜ﹂
見渡した限り、根っこは殆ど活動を停止させている。
シデンの方もこちらと合流して残った根っこを探す余裕がある。
一先ず、混乱は収まったと思って良いだろう。
﹁問題は向こうだな。何が起こってるんだかイマイチよくわかんね
ぇし﹂
﹁まあ、カイちゃんがいるし大丈夫でしょ⋮⋮!﹂
1002
シデンの瞼が僅かに細くなる。
彼の視界は、遠くの民家の屋上に起こったある異変を捉えていた。
墨汁を垂らしたかのような黒い点。
彼らはそれの正体を、嫌と言うほど知っている。
﹁エイちゃん、お客さんだよ﹂
﹁あん?﹂
顎を向けて相方の視線を促す。
エイジが振り返ると同時、黒い点から人影が姿を現した。
遠くで正確な出で立ちはわからないが、見た限り2人。
﹁新人類軍か。このくそ面倒くさい時に!﹂
﹁どうする?﹂
﹁どうするって言ってもよ⋮⋮﹂
正直、どうしようもない。
トラセインの街は混乱。巨大な人食い根っこも一通り片付けたと
はいえ、何時増援が現われるかも分からない。
そんな状態で新人類軍の精鋭と戦う余裕は、流石にない。
無いのだがしかし、向こうが襲い掛かってくるのであれば選択肢
は一つしかない。
﹁戦うしかないだろ﹂
﹁向こうが狙ってくるなら、だけどね﹂
幸か不幸か、先に彼らを発見したのはこちらだ。
ならば本格的な行動を開始するよりも前に、姿を隠すしかない。
相手の戦力は未知数。下手に喧嘩を吹っ掛けるべきではないと、
1003
エイジは思う。
﹁兎に角、今は根っこ優先だ。連中もこんな状況じゃ俺達を狙って
なんか︱ー︱︱﹂
いいかけた、その時。
二人の視界を光が覆った。
﹁え?﹂
﹁お?﹂
前方から照らされた光が、大地を走る。
それはまるで、海を走るサメの背びれだった。
大地を切り裂く光の柱が、周囲の根っこや建物を次々と破壊しな
がら二人のいる方向へと向かってくる。
﹁狙ってる余裕あるみたいだよ!﹂
﹁マジかよ! お構いなしか!﹂
二人が建物から飛び退く。
直後、彼らが居た民家が木端微塵になって砕かれた。
窓ガラスは粉砕し、コンクリートの壁が塵になって街に降り注ぐ。
そんな民家だった物の手前に着地し、エイジは言う。
﹁シデン、無事か!﹂
﹁なんとか﹂
ぎりぎりで攻撃を回避できた。
避けることは出来たのだが、それでも突然すぎる。いかに根っこ
はほぼ駆逐済みとはいえ、街が混乱しているのは倒れた根を一目見
1004
れば分かる筈だ。
それどころか、向こうは到着してすぐに攻撃を仕掛けてきている。
無差別攻撃なのか、それとも狙ってやったのか。
﹁ほう、ディアマット様の仰られた通りか﹂
破壊の痕跡が残る街に、凛とした女の声が振りかけられる。
二人がその声に視線を向けた。
腕を組み、蔑むようにして顎を上げ、こちらを見下す女の姿があ
った。
太腿まで届くであろう漆黒のロングヘアー。ジーパンと黒の半袖
と言うラフな出で立ち。
だが野獣のような眼光と、僅かに見える尖った犬歯が確かな敵意
をこちらに送りつけてくる。
トリプルエックス
﹁XXX、お前たちもここにきていたか﹂
﹁お前は﹂
見覚えがある女だった。
エイジは少し物思いに耽るようにして考え込む。
ややってから、彼は両手を叩いて納得する。
﹁あー! タイラントか!﹂
﹁へー。おっきくなったね﹂
新人類王国が誇る女傑、タイラント・ヴィオ・エリシャル。
彼女は少々苛立った口調で、彼らに言う。
﹁御柳エイジに六道シデン⋮⋮なるほど、あの子が負けたのも分か
る﹂
1005
﹁あの子?﹂
﹁私の身内だ。お前たちは特に気にかける必要はない﹂
﹁へぇ。で、君が来た理由は何? ボクたちを倒すため?﹂
﹁いや﹂
タイラントは王子の伝令を受け、この国へとやって来た。
その命令とはズバリ、大樹に潜む巨大生物の駆除だ。俄かには信
じがたい話だったが、トラセットには新人類の立場を危うくする怪
物が眠っていると言う話だった。
わざわざ資料まで用意され、見せられたのだ。そこにディアマッ
トの真剣な眼差しが加われば、疑う要素はない。
そこにトラセットの反旗の予兆だ。彼らが再び戦う意思を見せる
と言うのであれば、一度この国を壊滅にまで追い込んだ自分が出陣
するのが筋という物だろう。二度目の情けをかける気など、一切な
かった。
だがその前に。
眼前に妹分を叩きのめしたXXXの戦士がいる。
実際にメラニーとシャオランを倒したのはカイトの功績なのだが、
片棒を担いでいる以上、彼らも立派な仇だ。
﹁私が承った任務は別にある。が、私はこう見えても感情的でね﹂
犬歯が牙を剥く。
拳が握られ、彼女の周辺に漂う空気の流れが一変した。
まるで彼女から逃げ惑うかのようにして、彼女を中心として強風
が巻き起こる。
﹁目の前に仇がいて、我慢できるほど大人じゃないんだよ﹂
﹁兵士としてはいまいちだぜ﹂
1006
﹁構わん。どうせ貴様らは報告する間もなく、塵芥になる﹂
タイラントが二人目掛けて突進する。
右拳が突き出され、突風が二人を襲う。
﹁くっ!﹂
反射的にシデンが両手を構える。
直後、タイラントを覆う大気が瞬時に凍結する。腕を氷が覆い込
み、タイラント本人すらも包み込んで氷の彫刻を作り出す。
だが、彼女は止まらない。
突き出された腕はそのままで、口元に笑みを浮かべる。
﹁効いていない!﹂
その事実を理解すると同時に、タイラントを覆い込んでいた氷に
ひびが入る。
その後、間もなくして氷は砕け散った。
タイラントが二人目掛けて殴りかかる。
﹁やろぉ!﹂
エイジが前に一歩踏みでる。
タイラント目掛けて目掛けて拳を振るい、突き出す。
激突。
轟音。
破砕。
ぶつかりあったのは、決して爆薬ではない。
1007
ただの生命体の拳と、拳なのだ。
しかしその二つがぶつかっただけで、周辺の民家は愚か根っこま
ですべてが消しとんでしまった。
できあがった光景は、クレーターと呼ぶにふさわしいものだった。
近くにいたシデンもなんとか踏ん張って堪えたとはいえ、防御の
姿勢をとったために両手ともボロボロだ。気のせいでなければ、皮
膚が破けている。
直撃を受けたわけでもないのに、この有様だ。
では中心地にいた御柳エイジはどうか。
彼はタイラントと拳を突き合わせた状態で、静止していた。
クレーターの尤も奥深い中心地で、彼は苦笑する。
﹁技を磨いてきやがったな﹂
﹁当然だ。私はお前たちの知っている私ではない﹂
タイラントがにやり、と笑う。
勝ち誇ったように浮かぶ笑みは、激突の結果を物語っていた。
﹁お前の腕、砕いた﹂
彼女が言い終えると同時、エイジの右腕が弾けた。
皮膚が破け、血液は飛び散り、爪も砕かれる。エイジは腕を抑え
つつ、一歩後ずさった。
﹁いぎっ⋮⋮!﹂
﹁エイちゃん!﹂
激痛が走る。正直な所、腕がまだ繋がっているのが不思議なレベ
1008
ルだ。
エイジは激痛を堪えつつも、己が受けたダメージを推測する。
これ、多分骨までイってやがる。
そんな彼の苦悶の表情を見て、タイラントは言う。
﹁それでも、骨がつながっているのは流石だ。本来なら今のでお前
の右腕は消し飛んでいる予定だった﹂
﹁生憎、頑丈なのが取柄なんだよ﹂
負け惜しみのセリフだと、自分で思う。
だが正直、敵の力を見誤っていたのは事実だ。
彼女は出会ったときに比べて、格段に強くなっていた。それこそ、
エイジの想像を遥かに超えて。
﹁確かに、昔の私なら一撃でお前の腕を此処まで破壊できなかった
だろう﹂
だが、今のタイラントは違う。
ただXXXの演習を遠くで眺めているだけの少女兵ではないのだ。
彼女は己の力を格段に昇華させた。10年前は触れた物に亀裂を
入れる程度の能力は、今では触れた物を﹃破壊する﹄という域にま
で到達している。
﹁だが今の私に、壊せない者はない! この地も、お前たちも!﹂
﹁大口叩くじゃねぇか﹂
エイジが睨む。
大の大人が見たら思わず卒倒してしまいそうな、凶悪な視線。
1009
だがタイラントはそんな物を受けても、どこ吹く風である。
﹁脂汗を流したお前に凄まれても、全然怖くないな﹂
﹁怖がる必要はないぜ﹂
なぜなら、
﹁次でお前を倒してやる﹂
﹁なんだと?﹂
右手を抑えた状態で、エイジは笑った。
訝しげな視線を向けられても、その自信に満ちた表情が崩れるこ
とはない。
ただ、その様子を見たシデンは思う。
勝てない、と。
能力のレベルが違う。いかにエイジが力だけを磨いてきた新人類
とはいえ、まともにぶつかりあったらタイラントの破壊の力の前で
は無力だ。
インパクトが彼女に届く前に、圧倒的な力がエイジを破壊しつく
してしまう。
明らかに今まで戦ってきた誰よりも手強い能力者だ。
はっきり言って、勝つビジョンが思い浮かばない。
﹁エイちゃん、ボクも﹂
﹁お前は来るな、シデン﹂
駆け寄ろうとした親友を、エイジは制止させる。
そして視線をタイラントに向けたまま、言った。
1010
﹁こいつは俺が倒す﹂
﹁でも!﹂
﹁お前の力はアイツに通用していない。俺がやる﹂
真顔でそう言い切ったエイジを見て、シデンは青ざめた。
彼は死ぬ気だ。己の全てを振りしぼって、この最大の敵と相打ち
しようと考えている。
少なくともシデンの目には、彼の冷静な態度はそう見て取れた。
﹁倒せるものなら、やってみろ!﹂
挑発を受けたタイラントが再度突撃する。
振り上げられるのは、破壊を司る右拳。触れた相手を粉砕し、蹂
躙するだけの最強の矛。
それがエイジに目掛けて、再度向けられた。
1011
第73話 vs勇者の弟 ∼兄にはできない事編∼
タイラント・ヴィオ・エリシャル。
ダートシルヴィー家の人間は一日たりともその名前と容姿を忘れ
たりはしない。黒い雌豹をそのまま人にしたかのようなほっそりと
したボディからは想像もできない破壊能力。
彼女が拳を振り上げ、大地に叩きつけただけで何人の人間と建物
が破壊されたことだろうか。
その再現が今、ゴルドーとアスプルの目の前で行われていた。
﹁アスプル。見ろ﹂
大樹の中枢。
そこから窓のようになっている透明の壁を通すことで、彼らは戦
いの様子を見る事が出来た。
﹁タイラントだ。彼女がやって来た﹂
﹁はい﹂
アスプルは静かに頷き、そして見る。
破壊の化身が、反逆者と拳を交わしていた。激突で巻き起こる衝
撃が、トラセインの街を飲み込んでいく。
まるで大津波だ。ただのパンチの衝突で破壊の波が踊り狂い、あ
っというまに街を飲みこんでしまう。
﹁4年前と同じように、あいつは我々を破壊しつくすつもりだ﹂
ゴルドーは思い出す。
1012
アーガス
息子の骨を砕き、中央区まで一気に進軍した黒の女の姿を。
犬歯剥き出しで、国民全員を見下す肉食獣の笑顔を。
﹁思い出すだけで、私のボデーは身震いするよ﹂
アスプルは父を見やる。
鳥肌が立っていた。それが過去の悪夢の為か、それとも頭上に控
えている巨大生命体の存在がそうさせるのか。
アスプルには理解できないが、いずれにせよ自分が行う事は変わ
らない。
思考を切り替えると同時、彼の意識に呼びかけるようにして物音
が響く。
﹁⋮⋮終わったか﹂
背後にぱさり、と落ちた物体を視界に入れる。
衣服だ。濡れた執事服と、腕時計。そしてナプキン。これらは使
用人のたしなみだった。
アスプルはそれを拾うと、静かに黙祷を行う。
ややあってから、彼は真上の協力者へと声をかける。
﹁外で暴れている女の存在がわかるかい?﹂
問いかけに対し、巨大な頭部は口を大きく開く。
僅かながらに見える歯に、先程落下した執事服と同じ生地が挟ま
っているのが見えた。
そんなことを気にする素振りも見せずに、彼は答えた。
﹃リカイシテイル﹄
﹁あの女がこの国を壊滅に追い込んだのだ。もし君が外に這い出た
1013
として、勝てるか?﹂
﹃カノウダ﹄
考える間をおくこともなく、巨大生物は答える。
﹁理由を聞いていもいいかな﹂
﹃カノジョハフツウノニンゲントハチガウデンパヲハッシテイル﹄
曰く、新人類は微力ながら特殊な電波が発せられているらしい。
それは生きる為のエネルギーの発散のようなもので、普通人類に
は気付く事が出来ないものらしい。
だが、彼は感知できる。
それどころか、その流れを狂わせることができると言うのだ。
﹁狂わせたら、どうなる﹂
﹃タイナイエネルギーノジュンカンガクルイ、セイメイトシテノバ
ランスガクズレル﹄
要約すれば、衰弱していくとも取れる。
彼が解き放たれれば、新人類は絶滅の危機に直面するのだ。
﹁ンマアアアアアアアアアアアベラス!﹂
淡々と紡がれる説明を聞いて、嬉々として近づいてくるゴルドー。
彼は子供のような無邪気な笑みを浮かべつつも、彼に言った。
﹁では、君が覚醒すれば我々は彼女に勝てるのだね!﹂
﹃ソノトオリダ。ダガ、マダタリナイ﹄
彼が根を伸ばす。おかわりの催促だった。
1014
﹃キョウハヤクソクノジカンダ。キョウコソハデル﹄
ハングリーな事だ、とアスプルは思う。
注入された使用人だけに飽き足らず、街中にまで触手を伸ばして
食らい、まだ足りないと言うのか。
まあ、当然かもしれない。
彼が貪り続けるのは、偏ったエネルギーバランスの物ばかりだ。
事実上、餌として完成しているマリリスがいない以上は仕方がな
いのだろう。
だが、マリリスは奪われた。
その現実がある以上、差し出せる物は全て曝け出す必要がある。
とはいえ、奪われた物は多分、もう間もなく戻ってくる筈だろう。
追って来いといった友人がすぐ近くにいるのに、彼女を連れてむ
ざむざと引き戻るなど、あの異国の友人が出来るとは思えない。
﹁もうすぐ客人が来るんだ。すまないが、少し待っていてくれるか
な﹂
﹃キャクジン?﹄
巨大生物が首を傾げるようにして、疑問符を打つ。
僅かに相槌をしてから、アスプルは続けた。
﹁最後になるから、見届けてほしいんだ﹂
﹃サイゴ、トハ?﹄
﹁次は私が君の餌になろう﹂
己の胸に手を当て、アスプルは自らを曝け出す。
だがその身を完全に差し出す前に、彼は条件を付けてきた。
1015
﹁だが最後に、少しだけ言葉を交わしたい相手がいる。それが終わ
るまで、少し我慢してほしい﹂
﹃ソレハデキナイ﹄
巨大生物はアスプルの願いを拒否する。
彼は肩をすくめ、小さく溜息。
﹁どうしても今食べたいかい?﹂
﹃アナタヲタベルコトハデキナイ﹄
﹁なんだって﹂
予想を裏切る回答が巨大な虫から放たれる。
彼は口部を蠢かしつつも、続けた。
﹃ワタシニハマダ、アナタガヒツヨウダ﹄
﹁馬鹿な。私が君にとって、餌以外のどんな価値があると言うのだ﹂
﹃ワタシヲミチビイテホシイ﹄
その言葉に、アスプルは驚愕した。
いや、彼だけではない。彼の横で覚醒を今か今かと待ち続けるゴ
ルドーも、唖然としていた。
﹁それは私ではなく、兄に頼むべきだ﹂
﹃アナタデナケレバナラナイ﹄
﹁なぜ﹂
﹃ワタシトデアイ、フツウニセッシタカラダ﹄
一応、腰を抜かしてはいる。
だがその後のアスプルの対応が、彼にとっては好印象だったのだ。
1016
﹃ワタシハヒトリダ。マダコノセカイデホカノナカマガイルトモカ
ギラナイガ、イナイノカモシレナイ﹄
そうなった場合、この世界に順応する必要があると彼は考えてい
る。
その為に必要なのは、彼にこの世界の仕組みを教える事ができる
者だった。
﹁貴方は我々を導いてはくださらないというのか!?﹂
ゴルドーが巨大生物に向けて訴える。
どこか悲痛に聞こえる叫び。だが巨大生物はまるで意に介さない。
﹃ワタシハコノセカイニイキル、セイブツノイッシュダ﹄
ただの生命体。その主張を、彼は覆そうとはしない。
彼から見て、いかに脆弱で矮小な人間でも、この地上に文明を築
き上げたのはあくまで人間だった。彼はその事実を肯定し、学ぶべ
きだと考える。
﹃オシエヲウケルベキハ、アナタダトハンダンスル﹄
その為に指名したのは、アスプルだ。
だから彼を食うことは出来ない。それが巨大生物の返答である。
﹁私は空っぽだ﹂
﹃ソウダトシテモ、アナタガイイ﹄
生まれて初めて、他者に求められた。
1017
その事実が、アスプルの決意を大きく揺るがし始める。
﹃ワタシハココマデノアイダ、タベルコトニヨッテニンゲンヲリカ
イシハジメテキタ﹄
巨大生物は語りだす。
彼は捕食を行う事で、人格を学びつつあった。
栄養として肉体を循環した捕食対象がそうさせているのかは分か
らない。
だが、突如として芽生え始めたそれに彼は混乱した。
﹃ワタシハダレナノカヲ、カクリツサセルヒツヨウガアル﹄
自分ではない誰かが、少しずつ自分に忍び寄って支配する感覚。
それが彼にとって、恐怖以外の何もでもなかったのだ。
ゆえに、彼は望んだ。早期の人格の確立を。
そしてもう一つ。これ以上誰かを食らい、人格を取り込むのであ
れば、確実にエネルギーを得る事が出来る餌が欲しいのだ。
﹃タベルノハアトイチドダ。ソレデウゴク﹄
その後こそ、アスプルの助力を受けて学習を行いたい。
彼が意思を伝えるべく口を開くと同時、中枢の入口から強風が巻
き起こった。
﹁む!?﹂
アスプルとゴルドーが視線を向ける。
少年と少女を抱えたまま、カイトが乗り込んできた。彼はアスプ
ル達から10メートル以上距離を居た場所で二人を降ろす。
1018
スバルは背伸びをして身体を整えるが、マリリスは目が回ったよ
うで、すぐさまぶっ倒れた。
﹁スバル、彼女を頼む﹂
﹁わかった﹂
そしてなんとなくそうなる予感はしたので、スバルは急いでマリ
リスの頬を叩き、意識に呼びかける。
だがそうやっている内に、彼は頭上で蠢くある物体に気づいた。
﹁ん? ⋮⋮ぎぇええええええええええええええええええええええ
えええええええええええええええええ!?﹂
﹁うるさいぞ﹂
口だけ顔を出す巨大生物にびびるスバル。
だがカイトは冷静な表所のまま、アスプルとゴルドーを見やる。
﹁これがこの国の救世主か﹂
﹁そうだ。不甲斐ない息子に代わる、この世界の支配者だ!﹂
ゴルドーが前に出て、﹃彼﹄を指差す。
カイト達が到着した時点でアーガスが敗北したことに気付いたの
だろう。それにしたって、あんまりな言い草だと思うが。
﹁貴様はパツキンを支配者にでもしようとしていたのか?﹂
﹁昔はそうだ。だが今は違う!﹂
新人類の中でも特に優れた部類である息子、アーガス。
彼は自慢の息子だ。一人でブレイカーすら叩き落とす息子さえい
れば、国と己の威信は保っていられると考えていたのである。だが
1019
息子は負け、折角独立した国の威信は転落してしまった。
国民も街も破壊され、ゴルドーの国はこれでもかと言わんばかり
に叩き潰された。
﹁だが見よ、この神々しい姿を!﹂
そんなゴルドーの前に現れたのが、新人類の後に現れた新たな種
族だ。
彼の力を借りることで、トラセットは再び独立し、今度は新人類
王国すら取り込んでやろうと、ゴルドーはそう考えるようになって
いった。
次第に、彼の目には巨大な生物が神様にでも見えてきたのだろう。
とても正気とは思えない目で、彼は言った。
先程自身の望みは拒否されたようなものではあったが、後に彼を
導く役目をもう一人の息子が背負うのであれば、どうとでもなる。
﹁この新人類すら超えた新たな生物こそが、我々の勝利を示してい
る!﹂
カイトとスバルが無言で化物を見やる。
その視線に気付いたのか、彼は再び口を開いた。
﹃サイゴノエサカ﹄
空間に響くその声に反応し、二人は身構える。
だが巨大生物に対し、待ったの声がかかった。
﹁私の客だ﹂
﹁アスプル君﹂
1020
カイト達に向けられた根が、ひっこめられる。
意外な事に、巨大生物はアスプルのいうことを素直に聞いていた。
﹁兄を倒したのですか﹂
﹁奴は弱くなった。それだけだ﹂
素直に思ったことをいうと、アスプルは静かに溜息をついた。
﹁そうですか。あの兄が﹂
﹁次はお前らを止める﹂
﹁止める必要もありません﹂
アスプルは笑みを浮かべつつ、言った。
﹁私たちがあなたと戦えるはずがないでしょう﹂
﹁上の化物は違うだろ﹂
その言葉を聞くと同時、アスプルは僅かに頷いて納得する。
成程、彼らは大樹に潜んでいる生命体について知っていたのか、
と。
だが知っているのであれば、マリリスを連れてくるのは悪手だろ
う。
﹁彼女を連れてきたのは失敗ではないですか。彼が何なのか、御存
知なのでしょう﹂
﹁知ってるからこそ、勝手に食われないために連れてきた﹂
それに、
﹁ここで駆除すれば済む話だろう﹂
1021
カイトが両腕を構える。
10本の指からそれぞれ刃が出現し、アスプル達を牽制する︱︱
︱︱筈だった。
だが、アスプルは全く怯えない。
隣にいるゴルドーは﹃ひぃ﹄と情けない声をあげて後ずさったと
言うのに、かなり肝が据わっているように見える。
﹁正直に言いますとね。私はもう負けてるんですよ﹂
﹁なんだと﹂
どこか諦めたように肩を竦め、アスプルは敗北を宣言する。
その言葉に反射的に叫んだのはゴルドーだ。
﹁アスプル! 裏切るのか!?﹂
﹁裏切る? まさか。私にそんな勇気はありません﹂
異様に肝が据わっているように見えるが本当かよ、とカイトは思
う。
彼の真意を問う為、直接質問を投げつけてみた。
﹁では、この虫は駆除しても﹂
﹁できるのであれば、するといいでしょう。だが彼はハングリーだ。
あなたが動いたと同時、根を伸ばして彼女を食べに来るでしょう﹂
どうにも投げやりである。
やり難さで言えば、アーガスよりも上手だ。なんというべきか、
感情が読めない。
﹁なら、お前の言う敗北とは何だ﹂
1022
﹁国の為に死ねない事﹂
いともたやすく紡がれた言葉に、その場にいる全員が絶句した。
丁度目覚めたマリリスも、目を擦ってゆっくりと起き上がってく
る。
頭上にいる化物と目が合った。反射的に叫びそうになるのが、ス
バルが口を塞ぐ。
﹁私は彼の餌になりたかった﹂
だがそれは拒否られた。
どういうわけか、彼は自分を教育役として指名してきたのだ。
確かな自我を確立させる為に選んだ、と言ってくれた。人格的に
は信用されていると思って良いだろう。
だが、
﹁私は力としては必要とされていない﹂
﹁いけないのか、それは﹂
﹁遺す、という意味では当てはまるでしょう。しかし、私が欲しか
った名誉はそんなことではない﹂
嘗て、お世話になった老執事は中途半端に生きて死んだ。
彼のような人生を歩みたくないと、強く思った。
なぜか。己がからっぽの人間だからだ。そんな自分が巨大生物に
何かを残す自信など無い。
アスプルはからっぽでも、結果的に自分が生きた証が欲しかった。
もっとも盤石な形で、だ。
﹁なんで死にたいんだ!﹂
1023
アスプルが己の意図を話すと、スバルが問う。
若干、怒気を含んだ声で。
﹁この化物を育てるのはダメなのかよ!﹂
﹁スバル君。人間が最も充実する瞬間とは何だと思う﹂
﹁へ?﹂
半ば怒りをぶつけるようにして放たれた問いは、冷静な態度によ
って紡がれる新たな問いの前に塗り潰される。
答えを躊躇っていると、アスプルは静かに答えた。
﹁魂の燃焼だ﹂
﹁燃焼⋮⋮?﹂
﹁そう。何かを成し遂げたとき、人間は充実感に包まれることがで
きるんだと私は思う﹂
﹁それとこれに何の関係があるんだよ﹂
﹁私は燃焼させたまま死にたいのだ﹂
アスプルは劣等感の塊だ。
自分になんの自信も持てず、偉大な兄に隠れて毎日を送る日々。
毎日呟かれる英雄への賛美の言葉は、自分を惨めにさせた。
アーガス様はお美しい。
︱︱︱︱私は醜いね。
アーガス様はお強い!
︱︱︱︱私は弱い。
アーガス様は選ばれた新人類だ! あのお方が入れば我々は戦え
る!
1024
︱︱︱︱私は何もできない。
比較し、自覚するたびに思う。
ああ、私はなんてつまらない人間なんだろうな、と。
﹁私が充実感を得る時。それはきっと、兄に出来ない事を成した時
だ﹂
国の英雄である兄は、生きなければならない。
例え国民を騙した身なのだとしても、彼は人々の希望の星だ。
なら、その逆ならば。
﹁兄は死ぬことが許されない人だ。だから私は、国の為の死を望む﹂
だが、その願いも頼るべき死神に拒否されてしまった。
こうなってしまえば、どうしようもない。
﹁彼は私を食べないと言った。私の負けだ﹂
﹁⋮⋮じゃあ、国の為に戦うっていうのは﹂
﹁彼の血となり肉となり、骨の一部となればそうも言えるだろう﹂
異国の友の願いは、スバルの理解の範疇を超えていた。
彼の願いを拒絶する事も出来ずに、ただ呆然と立ち尽くしてしま
っている。そんな彼に代わり、言葉を投げかけたのは頭上に控える
巨大な虫だ。
﹃アナタハ、ワタシノネガイヲキョヒスルノカ?﹄
教師役に選んだ男の願いは、明らかに自分の意思とは反する物だ
った。
1025
問いかけに無言で首を縦に振る。
彼が信頼していた人物は、無言で拒絶した。ただ、己の望む死を
欲した為に。
﹁許せ。君に選ばれたことは嬉しかった。だが私は、ほんとうにど
うしようもなく無能なのだ﹂
全てにおいて兄の劣化。
父の期待に添える事も出来ない。だが妄執に囚われた男の期待に
添える気にもなれない。
中途半端に生きているという実感だけが、ただただ虚しい。
﹁君がこれ以上の食事を恐れるのを知った上で、改めて願おう。私
を注入し、食らってくれ﹂
協力者が見上げてくる。
その願いは、己の存在を大きく揺るがすことになりかねない。
本来なら拒否したいところだ。
だが、
﹃イイダロウ﹄
彼の自我が交わるなら、それもいい。
教師役に選んだ男であれば自我が緩んでも、間違った行動はとる
まい、と。巨大生物はそう思った。
﹃サヨウナラ﹄
﹁ありがとう﹂
満面の笑みで、彼は礼を言う。
1026
彼らを取り囲む無数の根がアスプルに迫る。
﹁ダメだ!﹂
根がアスプルに向かって飛んで行ったのと同時。
反射的にスバルは飛び出していた。
1027
第74話 vs幸せ
﹁馬鹿、よせ!﹂
同居人が制止の声をかける。
だが異国の友へと走り出したスバルは止まらない。
真上から滝のように降り注いでくる無数の根っこに向かって少年
は走り続けた。
﹁くそ!﹂
カイトは悪態をつく。
それもその筈。スバルがアスプルに向かって走って行ったものだ
から、必然的にカイトがマリリスのお守りに付かなければならない
のである。
飛び出してきた根っこは、この空間一面を支配しかけていた。こ
の場で食べれる奴を丸のみにでもする気なのだろうか。
﹁動くなよ。身の危険を感じたら悲鳴を上げろ﹂
﹁もう身の危険MAXなんですけど!﹂
涙目になって訴えるマリリス。
彼女の前に降りかかって来るのは先端を大きく広げて捕食しにか
かってくる根っこばかりである。もう怖い上に腰が抜けて立ち上が
れないのだ。元々足が立ちにくいのもあるのだが。
﹁じゃあ無事に生き残るまでずっと騒いでろ!﹂
﹁わー! きゃー! いやー!﹂
1028
襲い掛かる根っこを目掛けて腕を振り、次から次へと切り落とす
カイトの横でマリリスがやけになって叫び始める。
勿論根っこは容赦なく襲い掛かってくるのだが、カイトによって
次々と三枚に下ろされていった。その度に気色の悪い樹液が降り注
ぎ、マリリスの神経を刺激する。
だがカイトにはマリリスを気遣う余裕はない。
﹁おい、離れろ。食われるぞ!﹂
﹁いやだ!﹂
なぜなら、スバル少年が根っこに絡みつかれているアスプルを捕
まえて離さないからだ。
マリリスを抱えて彼の所まで行くという手段もないことはないが、
片手を塞がれている状態で量を相手にするのは中々辛い。
﹁スバル君﹂
そんなスバルに、根っこに絡まれたアスプルが話しかける。
﹁食われる前に、君に聞いてみたいことがる﹂
﹁食われずに帰ったら幾らでも答えるよ!﹂
どういうわけか、根っこはスバル目掛けて襲い掛かってこなかっ
た。
アスプルの客人と言う事を考慮してか、それともただの旧人類に
興味がないのかは分からない。
そんな中でも、アスプルはマイペースに口を開くばかりだった。
﹁君は新人類をどう思う?﹂
1029
﹁どうって!?﹂
根を引っ張り、なんとかアスプルを解き放とうとするスバル。
だが彼の健闘も虚しく、根はびくともしない。
﹁不公平だと思わないか。生まれた時から力を持っている彼らに対
し、我々は無力だと痛感したことはないかい?﹂
﹁今それを話す時か!?﹂
もうちょっと場を考えろよ、と言いたくなる。
いや、彼なりに最後のやり取りを考えた結果がこれなのだろう。
性質の悪い自殺願望者による問いかけは、旧人類共通の課題でもあ
った。
﹁どうなんだ?﹂
﹁⋮⋮ないわけがないだろ!﹂
実際、スバルもズルいと感じた事はある。
共同生活の中で、カイトは特に力を発揮したわけではない。ただ、
新人類というキーワードを持っているだけで、彼と自分は別の生き
物なんだと感じる事は多々あった。
﹁俺の身の回りの新人類は皆かっこいいし、頼りになる奴らだよ!
俺だってなれるならそうなりたいって思う!﹂
しかし、スバルと彼らの間には絶対的な境界線が敷かれている。
生き物としての差だった。
もしくは才能と言い換えてもいいのかもしれない。生まれつき力
を持って生まれる新人類が優位に立つこの時代で、旧人類として生
まれる事はなんのスティタスも生み出さないのだ。
1030
﹁でも、皆友達なんだよ! 俺を認めてくれて、皆で一緒に遊べる
気のいい連中なんだ! ⋮⋮まあ、ちょっと面倒くさい人もいるけ
ど﹂
﹁なんでそこで俺を見る﹂
マリリスを守るために根っこを刈り取っているカイトが、訝しげ
な視線を向けてきた。しかしスバル。これを敢えてスルー。後で殴
られること覚悟で、思った事を口にしまくる。
﹁それに、新人類だってそんないいもんじゃねぇ! 俺たちと同じ
ように失敗するし、悩みもする! 家電用品だってぶっ壊すし、稼
ぎもあっさりと時計に使っちまってすっからかんだ!﹂
﹁おい﹂
こんな状況でもはっきりとわかる。
あの野郎、自分の悪口いってやがるな、と。
カイトの眼光が光り、スバルに向かって威圧感を放ち始めた。尚、
それを真横で見ていたマリリスは根っこ以上に怯えていた。
﹁と、とにかくだ!﹂
極力同居人の顔を見ないようにして、アスプルの問いかけに答え
る。
果たして彼の望む答えになるのかは分からないが、自分が思う新
人類との付き合い方をはっきりと彼に示すつもりだった。
﹁何が言いたいかっていうと、旧人類だろうが新人類だろうが俺達
は同じ空気を吸って生きてる!﹂
1031
カイトから放たれた威圧感が徐々に治まってきたのを感じる。
ちょっとは許してくれたらしい。
﹁確かに皆普通とは違う力を持ってたり、不公平だったりする。こ
んな世の中だ。それを鼻にかけて力を振るいっぱなしにする奴だっ
ている!﹂
それが自然と心無い暴力になり、力の無い旧人類を締め付ける現
実がある。スバルも、アスプルもその犠牲者だ。
﹁でも、皆が皆そうじゃないだろ! 君が触れあった新人類は、そ
んなに嫌な奴だったか!?﹂
﹁まさか。兄さんも、御柳さんも六道さんもとても素晴らしい方だ。
お世辞抜きでね﹂
そのやり取りを聞いている最中、カイトは思う。
なんで俺の名前が出てこないんだろう、と。
落ち込む彼に、マリリスが背中を優しく撫でることで慰めている。
ちょっと微笑ましい。
﹁でもね、スバル君﹂
アスプルが寂しげに友人の方を向く。
﹁私の目の前にいたあの人は、偉大な英雄だったんだ﹂
﹁アーガスさんはナルシストで残念でおバカっていう弱点があるよ
!﹂
﹁ははは。それはそれでいいところだけどね﹂
その一言に、スバルは焦った。
1032
もう彼は、行こうとしている。友人との会話を切り上げ、彼の餌
となる為に。
見れば、アスプルに絡みついている根っこの幾つかが身体に突き
刺さっている。注入が始まったのだ。
﹁待って! まだ行くな!﹂
異国の友との出会いは、僅かに二日前の話だ。
自分と彼は似ている。プライバシーを話した時、そんな印象を持
った。
だがここまで彼を追ってきて、自分と彼は全くの真逆であること
を知った。
スバルは新人類の友人に恵まれ、彼らとの生活を心地良く送る。
その一方でアスプルは、常に劣っていることを見せつけられるのだ。
なまじ兄が優秀過ぎたがために。
﹁スバル君。私はね。決して兄に嫉妬してなんかいなかったと思い
たいよ﹂
強く否定はできない。
だが、兄が嫌いでなかったのは事実だ。彼は頼りにある兄で、同
時に良き模範となる兄だった。
時々奇天烈な行動を起こす時もあるが、それらも全部ひっくるめ
て素晴らしい存在であると、自信を持って言える。
﹁でもこれだけは言えるんだ。もし私が力を持っていれば、あの時
兄は苦しまずに済んだのではないかと﹂
﹁⋮⋮俺だって、父さんが死んだって聞いた時同じ事を思った!﹂
﹁そうか。スバル君、なぜ私たちは力が無かったのだろうな﹂
1033
アスプルの身体が項垂れる。
心なしか、呼吸も荒い。注入を受けたことで身体に異変が起こり
始めているのだ。彼の黒の髪の毛が、徐々に白く染まっていくのを
スバルは見逃さない。
﹁そうだよな。神様は不平等だ! でも、例え不平等だとしても生
きていればきっといいことがあるだろ!?﹂
人間は不平等だ。
例え彼らが逆立ちをしたところでカイトやアーガスのようになれ
るわけではない。生まれた時から決まってしまう、残酷な刻印なの
だ。
スバルは思う。なんでこんなことで、彼は苦しまなければならな
いのだ、と。どうして死に可能性を見出してしまったのだろう、と。
﹁まだ俺達友達になったばかりだろ!? 一緒にゲームしようぜ。
カイトさんや、アーガスさん達も誘ってさ﹂
﹁そうだな。きっとそれは、素晴らしい事だ﹂
想像する。
きっと集合場所は、マリリスの家のように質素で、それでも賑や
かな家なのだろう。
二階の個室でスバルがコントローラーを握る。対戦相手はカイト
か。いや、兄かもしれない。そして自分は彼らの後ろで口を出す。
﹁⋮⋮それは、いいなぁ﹂
暖かい気持ちになる。身体中の力が抜け、今にも羽ばたいていけ
そうな気さえした。
1034
﹁なんで私はこんな簡単な光景さえも思いつかなかったんだろう﹂
アスプルが遠くを見つめる。
視線の先にいるのは、協力者である巨大生物の口。絡みついた根
は、あの中に自分を放り込もうとしている。自分がそれを望んだの
だ。
だがその望みとは別に。
アスプルの中で、もう一つの望みが生まれていった。
﹁そうだなぁ。遊びたいなぁ﹂
彼がそう言い終えたのと同時に、アスプルの身体が遂に宙へと浮
いた。
スバルの手を離れ、当主の息子は巨大な穴の中へと運ばれていく。
熱弁してる最中に流した汗だった。
﹁なあ。バトラー﹂
嘗てお世話になった老執事は、死すとき幸せだったろうか。
彼は言った。最後は笑って逝くことでしょう、と。
瓦礫に潰されてしまった彼が、果たして最後は笑顔だったのかわ
からない。
だがこの時、アスプルは確かに笑みを浮かべていた。
﹁幸せとは、こういう気持ちをいうのかな﹂
望んでいた物とは、ちょっと違う。
それでも笑みがこぼれてきてしまうのだ。あの老執事は、あの時
こんな気持ちがある事を教えようとしたのだろうか。
1035
からっぱな気持ちを埋めてくれる暖かさを、知っていたのだろう
か。
だとすれば、
﹁私は幸せだ。最後にこんな気持ちになれた。もう、からっぽじゃ
ないよ﹂
直後、アスプルの身体が巨大な口の中へと消えていった。
﹁あ︱︱︱︱?﹂
一瞬だった。手が滑って、アスプルの身体が宙に浮いた。
そして声をかける間もなく、彼は闇の中へと運ばれる。巨大生物
の口の中から、僅かな赤が漏れた。
﹁あ、あああ⋮⋮っ﹂
己の手を握りしめ、スバルは蹲る。
身体の内から沸々と湧き上がる熱と、同時に襲い掛かってくる寒
気を感じながらも、彼は吼えた。
お、とも。あ、とも聞こえる少年の叫びが、場を支配する。
そして彼の慟哭を聞くまいとするようにして、根っこが下がって
いった。
﹁あ、アスプル様⋮⋮﹂
1036
﹁⋮⋮スバル﹂
マリリスとカイトが少年と頭上の虫を見やる。
まだ当面の脅威が消え去ったわけではない。ないのだが、なんと
声をかけてやればいいのかわからなかった。
特にカイトは、マサキの件もあって慎重にならざるをえない。
言葉を選ばずにただ思った事をいってしまうと、それが時として
深く他人を傷つけることを彼は知っていた。
﹁よくやった。アスプル﹂
そんな中。
ただ一人、嬉々として息子の死を喜ぶ男がいた。
﹁お前の肉体はこのお方に捧げられた。お前は最高の肉体となった
のだ。脆弱な肉体は最高の血となり、骨となり、肉となって幸福に
包まれるのだ!﹂
ゴルドーの言葉に、スバルが握り拳を作る。
殴りたい。殴り飛ばしてしまいたい。
息子の苦悩を知ろうとせず、あくまで己の妄執を最優先しようと
するこの男が憎い。なんでこんな奴が、あの二人の父親なのだ。
アーガスは祀り上げられ、敗北したことで自身を追い詰めた。
アスプルは父親に認めてもらえず、偉大な兄の陰に怯え続けた。
だが彼ら兄弟は、それでも最後まで精一杯なにかを成そうとした
だろう。例えやり方が歪んでいたとしても、必死に悩んで答えを出
したはずだ。
﹁息子は捧げた。さあ、新生物よ! 約束の時は近いぞ!﹂
1037
だというのに。
なんで父親のコイツは、まだそんな事が言えるのだ。
国民を犠牲にして、息子まで犠牲にして。
どうして、そんな平気な顔が。
﹁後は娘を食えば、お前の力で外に出れる筈だ! その時こそが、
新人類王国最後の時となるのだ!﹂
そんなにこの新生物とやらが大事なのか。
アスプルを食らい、マリリスの人生を狂わせたこいつが。
ただでかいだけの化物に、そこまでして期待すると言うのか。
こんな奴の為に、彼らは犠牲になったのか。
﹁⋮⋮カイトさん!﹂
ゴルドーの笑いにも似た言葉を遮るように、スバルは同居人へと
呼びかけた。
﹁大樹を、切ってくれ﹂
﹁なに﹂
﹁ヒビだけでもいい。コイツを外に出してくれ﹂
﹁で、ですがそれは!﹂
﹁分かってる!﹂
この巨大生物を外に出すと、何が起こるか。
約束を果たす為に新人類王国を破壊しつくす可能性もあるし、自
我が崩壊して本能のままに暴食の限りを尽くすのかもしれない。
しかし、スバルの答えは決まっていた。
1038
﹁俺がこいつを倒す﹂
放たれた言葉は、普段の少年からは想像もできない程冷たいもの
だった。
カイトが真剣な目つきで尋ねる。
﹁わかってるのか。こいつが外に出た後、どうなってしまうのかも
分からないんだぞ﹂
﹁それでも倒す!﹂
倒さないといけない。
あいつがいたから、こんなことになってしまった。
絶対に許せない。
そんなスバルの気持ちが、短いながらも痛いほどに伝わってくる。
﹁⋮⋮分かった﹂
拒否したら、多分彼はどうしようもないだろう。
スバルがどう足掻いたところで、カイト本人に勝つことは出来な
い。
だがカイトは、彼に借りを作ってしまった。己の人生を左右しか
ねない、大きな物だ。
だから彼がこれ以上後悔しない為にも、今やれることはやらせて
やりたい。
﹁言うからには、勝てよ﹂
﹁うん﹂
正直。本当にこれでいいのかわからない。
1039
彼の為と言いつつも、実はこの選択が彼を更に追いつめてしまう
のではないか。
一抹の不安を拭いきる事も出来ぬまま、カイトは床に向けて爪を
振りかざした。
1040
第75話 vs終末論
トリプルエックス
タイラントとXXXにはちょっとした因縁がある。
何を隠そう、彼女もXXXの候補生に挙げられた一人だ。彼女の
能力は触れた物を破壊するという、非常に強力な物だった。
当時は今ほど強力ではなかったとはいえ、本人を鍛え上げれば人
体を軽く破壊できる暗殺者に育つと言われており、将来を期待され
ていたものだ。
実際、現在の彼女は王国の中核をなす人物である。
まだ20代とは言え、多くの部下を従えている上に王子から直接
呼出しを受ける程には偉い。
比較してみれば、結果的にはXXXよりも明るい未来を歩んでい
ると言ってもいいだろう。
しかし彼女はXXXという集団には決して快い感情を持っていな
い。
リーダーを務めるカイトに妹分のシャオランとメラニーが倒され
たのもあるが、最大の理由は過去に行われた交流戦にあった。
そもそも彼女がXXXに所属しなかったのには、理由がある。
そこに配属されるよりも前に、彼女にお声がかかったのだ。自分
の所で戦ってみないかという、スカウトである。当時、ただの少女
でしかなかったタイラントは素直に喜んだものだった。それが尊敬
する女性兵からなら尚更である。
当時、新人類王国には女性を中心にした戦闘部隊があった。
そのリーダーで且つ、タイラントをスカウトした人物こそがプレ
シアと呼ばれる王国の英雄だ。
1041
王国で戦う女性兵は、その多くが彼女を憧れとしていた。凛とし
て戦い抜く姿は誰よりも美しく、配下には多くの部下を従えていた
のである。
王の気まぐれな行動を制することができるのも、彼女が圧倒的な
人気を誇っていたからだった。一部では彼女こそが女王になるべき
だという声まで挙がった始末である。王政なのにそれはどうなのか
と首を傾げる状態ではあるが、それだけ人気が高かったのだ。
彼女の配下になることは、女性兵にとって高級ネックレスを購入
するよりも大事なスティタスとなった。そんな彼女に、タイラント
はスカウトされたのだ。しかも彼女直々に。飛びつかない理由が無
かった。
だが、僅か数年後。
彼女の︱︱︱︱彼女たちの信じる物を根源から覆す大事件が起き
てしまった。
1年に1度行われる各部隊の交流戦。代表として出場したプレシ
アが、たった一人の少年兵に敗北したのである。
しかもその少年兵は、その年に﹃腕試し﹄という名目で王から参
加を推薦された少年だった。XXXのリーダー、神鷹カイトが新人
類王国の兵達の前で初めてその真価を発揮した瞬間でもある。
試合時間、僅か6秒。
相対したプレシアの一撃を回避し、彼女の背後に回りこんで首を
絞めた。内容としてはこれだけだった。
ここまでならまだ良かったのだ。ところが、試合終了後にカイト
は首をへし折ったのである。新人類王国でも発言力が高く、多くの
人望を一身に受けていた人物を、あろうことか交流戦で殺したのだ。
これにはタイラントを始めとした部下一同や、グスタフのような
古くから仕える戦士もカンカンになって飛び出したのだが、
1042
﹃いいよ。不問!﹄
内部戦争にまで発展しかねないこの殺人を、王はこの一言で済ま
せてしまったのである。勿論、いかに王とは言え文句は言いたくな
る物だ。
だが、新人類王国にはルールがある。
﹃まあ、怒るだろうけどね。この国だと勝った奴が勝つの。君たち、
プレシアを倒したこの子に勝てるの? それに負けちゃった以上、
プレシアはそれまでだったわけだしね﹄
その一言で、タイラントたちは押し黙ってしまった。
当然ながら、それでもカイトに戦いを挑んだ戦士もいる。だがそ
ういう兵は、全員倒されてしまった。彼が当時、王国最強の兵と呼
ばれたのはこの辺のエピソードが影響している。
この件でXXXは王国の中でもトップクラスの戦闘集団として立
場を確立させ、発案者のリバーラ王は発言力をますます高めていき、
絶対王政としての方針を完全なものとした。
要するに、プレシアは王の立場をより一層強める為のダシに利用
されたのである。その事実が、プレシアの部下たちにかつてない衝
撃を与えた。
彼女の腹心であった女性は、ショックを受けているタイラントに
こう語っている。
﹃辛いかもしれない。だがタイラント。お前は決してこの現実に負
けてはならない﹄
﹃なぜですか?﹄
1043
年端もいかない少女の問いかけに対し、彼女は残酷な願いを口に
した。
﹃アレに勝てるのは、今の私たちではお前しかいない。お前はアレ
と殆ど年が変わらない。同時に、私たちの中でも一番若い﹄
新人類は鍛え上げればその分だけ力が特化される。
もっとも若く、プレシアに直接スカウトを受ける程見込まれてい
たタイラントならば、あの化物じみた少年に勝てるだろう、と。彼
女はそう見込んでいた。
﹃プレシア様の仇を取りたいか?﹄
﹃はい。勿論です﹄
﹃ならば強くなれ。私がプレシア様に代わってお前を鍛え上げる。
そしてXXXとかいうふざけた連中を叩きのめせる程の強さを手に
入れたとき。その時こそが、お前が王国最強の戦士になった証とな
るのだ﹄
それから時は流れ、現在。
何の因果か、当時のXXXの中核をなす人物は王国から離反した。
それだけではない。自分の部下であるシャオランやメラニーを酷
い目に合せている。プレシアの件も合わせて全部カイトがやったこ
となのだが、誰がやったかなどは彼女にとって問題ではなかった。
タイラントにとって、XXXという集団そのものが既に恩師の仇
なのだ。
ゆえに、カイトでなくともその仲間がいれば滅するつもりだった。
現に今、目の前にいるXXXの男はボロボロである。
﹁こいつは俺が倒す﹂
1044
だが、そんなボロボロな男はこういってみせた。
右腕はもはや使い物にならないレベルにまで砕け、苦悶の表情を
浮かべたままの男は、まだ自分を倒すつもりでいるのだ。
﹁倒せるものなら、やってみろ!﹂
その言葉に、いらっと来た。
トラセットの大地を一歩踏み出し、タイラントが再びエイジに突
進する。
振り上げた右拳が、破壊のオーラを身に纏いながら繰り出された。
﹁冗談とか、そんなんじゃないぜ!﹂
だがエイジ。その右腕目掛けて、左の肘と左足を同時に繰り出し
た。
二つの突がタイラントの右腕を挟み、肉を超えて骨を砕く。
﹁あぐっ︱︱︱︱!?﹂
右拳が纏っていた破壊のエネルギーが漏れる。
吹き飛ばされるようにして霧散していったそれを確認しつつも、
タイラントは右腕を抑えて後退。
﹁ぐっ⋮⋮ぁ!﹂
肘打ちと膝蹴りを受けた個所が赤く腫れ上がっている。
それどころか、違和感を感じる。試しに何度か肘を折り曲げてみ
ようと思ったが、腕は全くいう事を聞いてくれなかった。代わりに
返ってきたのは痛みだけである。彼女の右腕は、折れていた。
1045
﹁き、さま⋮⋮!﹂
﹁へへっ、どうよ﹂
勝ち誇ったような表情で彼女を見る。
だがエイジの方も、全くのノーダメージではなかった。
﹁正直、割に合わねぇけどよ。このくらいぶつかる覚悟じゃないと、
お前を追い返せないだろ﹂
彼女の右腕を潰した代償は深刻だった。
左肘は弾け、膝からも出血が始まっている。彼女の右腕に触れた
瞬間、破壊されたのだ。まともにぶつかった右腕よりはマシなダメ
ージだが、それでも左手を曲げる度に激痛が走り、歩こうとすると
倒れそうになる。客観的に見て、どちらが深刻なダメージを受けて
いるかは一目瞭然だろう。
﹁減らず口を。私にはまだ左腕と二本の足が残っているぞ﹂
﹁なら、また潰すだけだ⋮⋮!﹂
再度左腕を構え、挑発し続けるエイジ。本気で彼女の四肢を全て
潰すつもりだった。
﹁エイちゃん。次はボクが!﹂
﹁引っ込んでろ。二人してコイツに命かける必要はねぇよ﹂
横で今にも泣きそうな表情をしたシデンが言うと、エイジは即座
に切り捨てにかかる。
﹁それに、王国側はもう一人来てる。ここで二人揃ってボロボロに
なってみろ。後の一人が好き勝手できちまう﹂
1046
﹁それは⋮⋮そうだけど﹂
彼の言葉は決して間違っていない。
間違っていないのだが、しかし。このままでは先にどちらが潰れ
るのか、一目瞭然だった。
﹁ふざけるな! ただの構成員の雑魚に、私がやられてたまるか!﹂
タイラントが吼える。
彼女の激情に呼応するようにして破壊のエネルギーが彼女を包み
込んでいき、周囲の建築物を木端微塵に粉砕していった。
彼女の叫びに恐怖した空気が逃げ惑い、強風となってエイジの肌
を襲う。
﹁ほれ、やっこさん超やる気出してるぜ。退いてないとお前も酷い
目にあうぞ﹂
﹁それでもいいよ! このままだと君、死んじゃうよ﹂
﹁死んだらそれまでの人生だったって訳だ。残念だけどな﹂
えらいあっさりと認め、涼しい表情になるエイジ。
覚悟完了にしては潔すぎる。
﹁けどよ。ただで死ぬ気はないぜ!﹂
直後、エイジは牙を剥く。使い物にならなくなった右腕をぷらん、
と垂らしながらも彼は構えを維持した。
﹁今度は貴様の身体全部を消し飛ばす!﹂
﹁そりゃあ流石に困るな。お前の骨折れなくなっちまう!﹂
﹁減らず口もいい加減聞き飽きた!﹂
1047
滝のように流れ出る破壊のエネルギーが、左拳と共に突き出され
る。
その勢いに押し出され、破壊力がエイジに襲い掛かる︱︱︱︱筈
だった。
だがタイラントの拳は、完全に押し出されることは無かった。
丁度その瞬間、大樹が大きく震え上がったのだ。
樹皮にひびが入り、アルマガニウムの大樹が膨れ上がる様にして
破裂する。
﹁いいっ!?﹂
﹁な、なにあれ!?﹂
その中から地上に現れたのは、彼らの想像を大きく超えた物だっ
た。
全長100メートルはあるであろう、巨大芋虫である。グロテス
クな口部を蠢かせつつも、そいつはトラセインの街に降り立ったの
だ。
嘗てその名を轟かせた生物学者、シュミット・シュトレンゲルは
自伝にてこう明言している。
﹃私は終末論が好きだ。もし人類が滅ぶ可能性を挙げるなら、私は
個人の興味の意を含め、生物学者としても三つ。可能性を示したい
1048
と思う﹄
一文を読んだだけで結構絶望的だな、とメラニーは思う。
タイラント共にトラセインの街に降り立った彼女は、街に伏した
根っこを眺めつつもページをめくる。
彼女の仕事は、タイラントが戦っている間に新生物の詳細を調べ
る事だった。その為の参考になりそうな本を探している内に偶然見
つけたのが、シュミットの自伝である。
生物学者でありながら人類滅亡説を唱えた彼の自伝になら、何か
しらのヒントがあるのではないかと思って購入したのだ。
では実際、ヒントはあったのか。
一つ目から順番にメラニーは黙読する。
﹃一つは隕石の衝突。かつて地上を支配していた先駆者ともいえる
恐竜がこれで絶滅したのは有名な話だ。詳細は省くが、これは説明
不要と見ていいだろう﹄
この辺は直接関わりはないと見ていいだろう。
アルマガニウムが宇宙から降り注いだ隕石に詰まっているという
現実はあるが、これが新生物の正体とは考えにくい。
なにせ、傍から見ればただの石ころなのだ。
﹃二つ目に、疫病の流行﹄
メラニーはこの点に着目する。
新生物というからには、生命体なのだろう。そして病原菌も見方
によっては立派な生物と言えるのではないだろうか。
池の中に住むアメーバのような微生物を頭の中で想像しつつ、メ
ラニーは続きに目を走らせる。
1049
﹃人類が新人類へとステップアップしたのと同じように、他の生物
がステップアップする可能性は十分あるだろう。私が脅威だと感じ
るのは、鳥インフルエンザのような病気がパワーアップして人類に
襲い掛かってきた場合だ﹄
人類の医療技術も進歩している。
だが進化した病原菌が流行るスピードはそれ以上であると、シュ
ミットは明言する。というか、そうでないと人類滅亡は成立しない。
﹃新人類が生まれたことを考えると、悪い想像は幾らでもできる。
繁殖力だけではなく、人類にとっての殺傷力もその辺の刃物より高
くなる可能性は十分ある。最悪、菌が付着しただけで死に至るだろ
う﹄
過去、宇宙人が地球に侵攻してくる映画があった。
その映画のラストは結局どうなったのかというと、野生動物の運
んできた菌が宇宙人に感染し、全滅したというものだった。
突然変異によって生まれた病原菌が、そのような大量殺戮を人類
に対して行わないと言う確証が何処にあるだろう。
﹃勿論、この可能性に関しては私の妄想である以上、良い方向に想
像することもできる。例えば菌を取り込むことで旧人類が新人類の
ように変化する、といったような感じだ。要は病気にかかることで
人を強制的に進化させるということだ﹄
もしかすると、いまだに解明されない新人類の出生はこの辺が関
係しているのかもしれない。
親のDNAによる関連付けが薄いと言われている以上、非情に弱
い菌が胎児に付着して、結果的に新人類として生まれてくるのでは
1050
ないだろうか。
そんな推測が延々と書き綴られているが、その辺も確証が薄い話
だ。
メラニーはシュミットの熱弁を聞き流すようにしてページを飛ば
すと、最後の可能性の項目へと目を向ける。
﹃最後の可能性としては、新人類を超えた種の誕生だ﹄
ドンピシャだった。
﹃現在の旧人類と新人類の関係。そして最初は等しく海の中で暮ら
していた生物が、進化したら何時の間にやら食らいあっている。こ
の現実を無視せず、この可能性は切り捨てられない﹄
もしも旧人類と新人類。その次に来る形で新たな種が誕生すれば、
そこまで大きな問題にならないかもしれない。
問題は相手が新人類すら大きく超える力を持っていた場合だ。
シュミットはこの生物が、現代に生まれてしまったと仮定してシ
ミュレートしている。
﹃まず、現在の地球は人類が支配している。だがその人類も、今や
大きく二つに分かれて争っている。その理由も﹃私たちが優秀だか
ら、君たちは従え﹄というものだ﹄
新生物が同じ思想を持たないと言い切れるだろうか。
ましてや、この地上に多くいるのは劣っていると言われる旧人類
だ。新生物から見れば、地上に君臨している多くの生物が蟻のよう
に見える事だろう。
1051
支配欲があるかはさておき、少なくとも玩具レベルにまでは見下
される筈だとシュミットは考えていた。
﹃もしくは体のいい餌かも分からない。少なくとも、我々人類は現
在地上にいるどの生物よりも恵まれた栄養を取り入れているのだ﹄
もしもそんな奴が現われたとして、果たして勝てるのか。
シュミットは自身で挙げた課題に対し、このような回答を残して
いる。
﹃例えば教育を施して人類に刃向わないようにするとしよう。だが、
そうしたところで何がきっかけになって人類に興味を失うか分から
ない﹄
で、あれば。
﹃手っ取り早いのは、戦う事だ。戦って勝つ事で、脅威を駆除する。
カウボーイが銃を持つのと似たような理由だ﹄
ただ、懸念点が一つある。
﹃人類の持つ技術を彼らに見せる事は、非常に危険な事だ。なぜな
らば、先人の渡ってきた失敗を何も知らないまま、彼らはその技術
を得る事が出来るからだ﹄
技術を得た彼らが、人類と比べてどんなスピードで進化していく
のか。
例えばより高性能のブレイカーを信じられないような短時間で作
り上げたり、人類だけを抹殺する生物兵器の開発だってできてしま
うかもしれない。
1052
人類が技術を見せる事で、その手助けをするのだ。
﹃できないと言い切る保証は誰にもできない。彼らは我々の想像を
遥かに超える生命体であり、同時に神秘なのだ。新人類のような存
在が現われた以上、どうして非現実だと笑う事が出来ようか﹄
実際その通りだ、とメラニーは思う。
この世界は少し前まで通じた常識が、完全に通用しない世界にな
ってしまった。
そんな世界で﹃非常識﹄を訴えたところで、笑い飛ばされるのは
目に見えている。
それに、新生物は姿を現している。
真っ二つに割れ、大樹をへし折りながらも這い出てくる巨大生物。
あれが新生物だとすると、非常に面倒なことになる。
シュミットの考察が未来予知の如く的中していたとして、あのサ
イズの芋虫を駆除するにはブレイカー辺りの兵器を出したいのが本
音である。
だが彼の考察によれば、ブレイカーのような兵器を出すこと自体
が危険なのだと言う。単純な殴る、蹴るといった暴行で果たしてあ
れを倒すことができるのだろうか。
メラニーがそう考えていると、彼女は街に侵入してきた黒い飛行
物体に気付いた。
思わず頭を抱えてしまう。
折角先人が考察に考察を重ねたうえで注意してくれているのだか
ら、それを素直に聞いておけよ、といいたい。
もっとも、今飛来してきた技術の塊︱︱︱︱獄翼はかつてシンジ
1053
ュクで自分たちを酷い目に合せた男たちが奪取した機体だ。
どうなろうと構いはしない。
懸念点があるとすれば、あのロボットを見て巨大生物が何を学ぶ
か、であった。
1054
第76話 vs巨大生物
割れた大樹に寄り添うような形で、獄翼がコックピットを開く。
その漆黒のボディの真後ろには、まさにこの大樹から解き放たれ
たばかりの巨大芋虫がいるわけだが、どういうわけか襲い掛かって
くる気配が無かった。
念願の外に出たことで、解放感を得ているのか。
もしくはアスプルを得たことで自我が完全に崩壊したのか。いず
れにせよ、乗り込むチャンスであることには変わりがない。
﹁スバル﹂
マリリスを担ぎ、後部座席に乗り込んだカイトが口を開く。
スバルはメイン操縦席に陣取ると同時、黙って頷いた。
﹁分かってる。俺は今、超クールだ﹂
﹁クールな奴はあんなこと言わない﹂
コックピットハッチが閉じる。
始めて搭乗するブレイカーに興味を示し、きょろきょろと見渡す
マリリスを横に置き、カイトは続けた。
﹁いいか、これは忠告だ﹂
倒すと言った以上、彼の意思は尊重する。
だが、今の彼は危なかったし過ぎた。振り返らないのでその表情
は見えないが、確実にキレているのが分かりきっている。
1055
﹁もし危険だと判断すれば、俺が勝手に出るぞ。いいな﹂
﹁⋮⋮分かった。その時は頼む﹂
そしてスバル自身も、少なからずとも自覚があった。
口でなんと言おうとも、内から湧き出てくるこの感情を止めるこ
とは自身にはできない。かといって、抑え込む気も無かった。
少なくとも、今この場に関して言えばこの感情を全部あの芋虫に
叩きつけるつもりだ。
﹁マリリス、身体を固定しておいた方が⋮⋮無理か﹂
﹁お、お恥ずかしながら﹂
彼女の腕の状態を思い出し、スバルは溜息。鎌と鞭の手では周囲
の突起物を掴んで体勢を維持することも難しい。
すると、カイトが後ろから口を出す。
﹁仕方がない﹂
シートベルトをはずし、彼は立ち上がる。
有無を言わさずにマリリスを座らせ、自分はその横に立った。
﹁これでいいだろ﹂
﹁え、でも﹂
﹁いいんだ﹂
申し訳なさからだろう。そのままいけば謝罪の言葉に繋がるであ
ろう彼女の言葉を、カイトは無理やり閉じさせる。
﹁飛べる状態なら、コックピットはジェットコースターより目が回
る﹂
1056
﹁へ?﹂
﹁飛ばせ﹂
﹁OK!﹂
操縦桿を力強く握りしめた直後、獄翼の瞳が光る。
背中に接続された飛行ユニットが展開し、青白い光の翼を羽ばた
かせた。へし折れた大樹の周りをフルスピードで一周し、巨大芋虫
へと飛んでいく。
﹁んぎぃ︱︱︱︱!?﹂
突然襲い掛かってきた圧力に怯えつつも、懸命に悲鳴を噛み殺す。
両手でしがみつく事が出来ない以上、彼女が信頼できるのはカイ
トによって繋ぎ止められたシートベルトのみだった。これが千切れ
たら彼女は顔面からメイン操縦席に叩きつけられる事だろう。
﹁このやろおおおおおおおおおおおおおおお!﹂
そのメイン操縦席に座る少年が吼える。
二日間の付き合いだが、人の良さそうな彼がこんなに感情任せに
なって叫ぶとは、マリリスにはイメージできなかった。
﹁ど、どう戦う気なんですか!?﹂
獄翼が上空から芋虫目掛けて突撃する。
真下に落下する感覚に戸惑い、ずり落ちそうな体をカイトに支え
られつつも彼女は問う。
このまま体当たりでもしでかしそうな勢いだった。
激突した瞬間をイメージして、思わず表情が固まってしまう。
そんな彼女の危機意識を察知してか否か、スバルは簡潔に答えた。
1057
﹁接近して滅多刺し!﹂
﹁残酷ですね!?﹂
﹁それしかないんだよ!﹂
悲しいが、大マジである。
獄翼はシンジュクで奪取されて以降、少しずつ装備を失っては手
に入れてきた。現在の装備はダークストーカーから譲り受けたメイ
ンウェポン、アルマガニウムの刀。そしてヒートナイフにダガー、
頭部に搭載されているエネルギー機関銃とピストルだった。
唯一遠距離から攻撃できるのは後者二つなのだが、これらを致命
傷にするためには相手の装甲を削る必要がある。戦いの際、スバル
がゲームの経験則から選んでいたとはいえ、今までの敵の中でこれ
らが通用した敵は、いずれも装甲が薄いブレイカーだった。
では今回はどうか。
ずばり、相手は生物である。機械のボディは持っておらず、肉と
毛に包まれたグロテスクな巨大生物だ。
あれに獄翼の遠距離武器が通用するか否かは、正直分からない。
だが、怪獣映画ではこの手の武装が通用しないのはお決まりだ。
しかも相手は未知の生物である。貧弱な武装は、最初の手札に存
在していない。
そんな中でスバルが選んだのは、友人︵弟子︶から貰ったアルマ
ガニウムの刀である。
﹁くらいやがれ!﹂
刀を突き立て、真下に目掛けて突撃する。
下に目掛けてダーツを投げるかのようにして、獄翼は巨大生物の
1058
胴体に突き刺さった。刀が命中した皮膚が裂け、虫の血が噴水のよ
うに噴きだしてくる。
﹁ひっ!?﹂
モニターで映るその光景に拒絶反応を示すマリリス。
だがそんな彼女のことなどお構いなしに、鮮血は獄翼の黒いボデ
ィをダークレッドに染め上げていく。巨大生物が痛みを訴えるよう
にして雄叫びをあげた。
Xに繋げることで修復させていた。
余談だが、後部座席のモニターはトラセットに辿り着く前にカイ
トをSYSTEM
﹁痛いか!? 痛いだろうよクソッタレ!﹂
柄を握り直し、刃の向きを頭部へと向ける。
﹁お前が食った奴も、痛がってたんだぞ! 分かるのか、芋虫!﹂
スバルが叫び、刀を突き刺したまま獄翼を突進させる。
刃が巨大生物の背中を切り裂き、頭部に渡って線を引く。先端ま
で届いたのと同時、獄翼を刀を振り上げた。引き抜かれた切っ先か
ら鮮血が飛び散り、街中に赤が降り注ぐ。
﹁来るぞ!﹂
﹁っ!?﹂
カイトが言うと同時、獄翼の背後から巨大生物の反撃が飛ぶ。
巨大な尾から放たれる鞭のような一撃。己の頭上で容赦なく切り
つける獄翼目掛けて飛んできたそれを見て、スバルは飛行ユニット
の出力を高めた。
1059
青白い光の翼が羽ばたき、黒い巨体が再び宙を浮く。直後、巨大
生物の放った一撃が空を切った。
﹁⋮⋮あの程度なのか?﹂
空中から巨大生物を観察するカイトが呟く。
正直、思ってたよりも拍子抜けだった。もっと口からビームを吐
くとか、無数の触手が襲い掛かってくるとか、そういった物をイメ
ージしていたのだが、全くそんな気配はない。
新生物はただ巨大で、知恵が回るだけの芋虫に過ぎないのだろう
か。
﹁どっちでもいいよ。雑魚なら雑魚のまま、斬り捨ててやる!﹂
カイトの疑問ごと切り捨てにかかる勢いでスバルが荒ぶる。
傍から見て、非常に暴力的だ。まるで威嚇の為に吼え続ける狼で
ある。普段の彼が温厚な柴犬なら、今の怒りに身を任せた彼はそう
例える事が出来た。
カイトはシンジュクでの戦いを思い出す。
カマキリ型のブレイカーを破壊した際、彼は人を殺した罪悪感に
悩んだ。その解答は後の二つの激戦を繰り広げた今でも出てきてい
ない。
そんな彼が、こんな形で相手を叩き潰すような戦いを仕掛けると
は。
これまで有耶無耶にしてたツケなのかもしれない。だが長い間彼
の面倒を見てきたカイトとしては、あまり心地いい光景ではない。
ただ敵を潰すだけの暴力的な彼を、見たくなかった。
だが彼の気持ちが痛いほど理解できるのもまた事実だ。ゆえに、
1060
今だけは目を瞑る。
﹁そうだな﹂
回避成功した後、再び滅多切りを行おうとするスバルを止める事
はしない。隣にいるマリリスが残忍な光景に怯えるも、これが戦い
である以上我慢してもらうしかない。彼女を気遣うなら、なるだけ
早い時間で終わらせるに限る。
﹁早めにケリをつけれるならそうしろ﹂
﹁了解!﹂
獄翼が再び刀を向ける。
光の翼が広がり、巨大生物の顔面へ向けて真っ直ぐ突っ込んだ。
巨大生物とモニターのスバルの視界が交差する。その表情は徐々
に大きくなり、数秒もしない内にモニターは怪物の顔面ドアップに
支配された。
同時に、怪物の頭部から赤い液体が噴出する。
獄翼が刀を深く突き立てたのだ。
﹁︱︱︱︱︱︱!﹂
巨大生物が悶絶する。
頭部に異物を突き立てられ、激痛が彼を襲った。
しかしスバルは、彼を許す気はない。
﹁まだだぞぉ!﹂
素早く刀を鞘に収める。
1061
その後獄翼が取り出したのは、腰に装填された2本のヒートナイ
フだった。ナイフの柄に指をひっかけ、エッジが膨大な熱量を発生
させる。
﹁食らえ!﹂
両手に握られた2つの熱が、巨大生物の脳天に深く突き立てられ
た。
徹底した頭部狙いだった。虫の肉が焼け、血液が焦げはじめる。
焦げ跡が広がるのに比例し、虫も悶絶を繰り返した。
﹁このまま脳みそをウェルダンにしてやる!﹂
獄翼が翼を羽ばたかせる。
ヒートナイフが押し出され、怪物の肉へと深く突き刺さっていく。
﹁⋮⋮引け!﹂
だがそんな折、カイトが叫んだ。
﹁え!?﹂
﹁いいから早く! ナイフごと取り込まれるぞ!﹂
一瞬我に返ったようなリアクションを取りながらも、スバルは操
縦桿を引いた。その動きに合わせ、獄翼はナイフを手放して交代す
る。
﹁あれは⋮⋮!﹂
操縦席のモニターがズームになる。
1062
見れば、巨大生物に突き立てられた2本のヒートナイフが肉に埋
もれ始めていた。赤く光っていた刀身が包み込まれ、怪物の体内へ
と侵入していく。
もしあのまま突撃を繰り返していれば、獄翼もナイフと同じ運命
を辿っていた事だろう。
﹁吸収してるのか?﹂
﹁いや﹂
後方のモニターを操作し、怪物の全体図を映し出す。
変化があったのは頭部だけではなかった。怪物の巨大な肉体が解
け始め、粘土のように丸まって一つの塊になろうとしていたのだ。
﹁サナギだ﹂
﹁サナギぃ!? あれが!﹂
﹁そうとしか思えん﹂
スバルの知るサナギとは、幼虫が糸を吐いたりして身を包むこと
である。
だが目の前にいるあのサナギは、どう見ても肉団子になったとし
か思えない。
﹁奴は最初から戦う気などなかった。進化を優先したんだ﹂
﹁進化だって? どう進化するっていうんだ﹂
﹁見てれば分かる﹂
カイトが息を飲む。
その音が僅かにコックピット内に響いた。普段聞かない彼の戸惑
うような行動を察したスバルも、これが尋常じゃない事態に繋がる
のだと気づく。
1063
肉団子が徐々に凝縮されていったのだ。
臓器を連想させるような嫌悪感のする赤の塊が、少しずつ小さく
なっていく。あまりの悍ましい光景に、スバルは思わず吐きそうに
なった。
背後のマリリスに至っては頑なに目を瞑ったまま開こうとしない。
﹁⋮⋮!﹂
そんな中、コックピットで最も冷静な態度を保っているカイトは
見た。
肉団子が形を形成し始めたのだ。大凡20メートルほどの大きさ
だろうか。そのサイズにまで縮んだ赤の塊は、一つの球体から5つ
の突起物を出現させる。
﹁こいつ!﹂
その意図を、カイトは理解した。
彼が答えを口に出すと同時、真上の突起物から2本の角が生える。
﹁獄翼を真似るつもりだ﹂
﹁はぁ!?﹂
スバルが驚愕の声をあげると同時、下に飛びだしている2つの突
起物が徐々に細まり、引き締まっていった。
真横に飛び出した突起物も同じである。これではまるで、腕と足
だ。
﹁嘘だろ⋮⋮﹂
1064
空いた口が塞がらない。
四肢と頭部を作り出した球体が蠢く。中に入っている何かが激し
く躍動するかのようにして膨らんだと思えば、一気に萎んだ。その
後に完成するのは、筋肉を連想させるボディである。見れば、背中
にはカブトムシを連想させる甲羅が形成されていた。
仕上げとしては、頭部に浮かび上がった青い結晶だ。
まるで口を連想させるようなそれは、淡く光り輝くと同時に怪物
を稼働させる。
100メートル級の芋虫が、20メートル級の巨人へと進化を果
たした瞬間だった。
﹁気をつけろ。合わせてきたってことは、敵って認識されたことだ
ぞ!﹂
後ろでカイトが叫ぶ。
操縦桿を握りしめる事で肯定すると、スバルは鞘から刀を引き抜
いた。
抜かれた音に気付いたのか、巨人が獄翼へと首を向ける。
﹁うっ⋮⋮!﹂
今まで見たことが無い、未知の生物。
その現実を思いっきり見せつけられた。芋虫の時とは比べ物にな
らない不気味なオーラが、スバルの背筋を凍えさせる。
そんなスバルを余所に、巨人もまた武器を抜いた。
先端がとがっている両手から、一本の刃が肉を切り裂きながら出
現する。先程取り込んだ獄翼のヒートナイフだった。
1065
左右のナイフが発熱を開始すると同時、巨人は背中の外甲を展開
して透明の翼を広げる。
﹁来るぞ!﹂
巨人が飛翔する。
これまで受けた痛みをお返しするとでも言わんばかりに、巨人は
獄翼をまっすぐ見据えていた。
1066
第77話 vs巨人
巨人が飛翔する。
虫をイメージさせる透明の羽を動かし、獄翼へと向かって羽ばた
いてくる。
その両手から生えるのは膨大な熱を発する小さな刃だ。
﹁接近戦で来るぞ!﹂
﹁くそっ! 人様の装備奪いやがって!﹂
毒づきながらも獄翼は刀を構え直す。
巨人が両手の刃を振るうと同時、漆黒の巨人は刀を振るってその
一撃を弾いた。トラセットの上空に金属がぶつかり合う音が響き渡
る。
﹁俺のだぞ、それ!﹂
弾き、空中でバランスを崩した巨人に向かって、叫ぶ。
﹁返せ!﹂
先に体勢を立て直した獄翼が構え直し、巨人に向かって突進。
刀の切っ先を向け、巨人の胸を狙う。一方の巨人はその間も動く
気配が無い。
獄翼との距離が0に詰まる。
命中。刀が巨人の右胸を刺し貫き、数度目の鮮血を街に降らせた。
﹁うおおっ!﹂
1067
柄を握り直す。力の向きを変えた刃は巨人を突き刺したまま、上
へと切り上げた。胸から肩にかけて巨人の身体が切り裂かれ、宙へ
と放り捨てられる。
﹁はぁ⋮⋮はぁ⋮⋮どうだ。化物!﹂
スバルが勝ち誇った笑みを浮かべ、斬り捨てられた巨人を見やる。
が、その時だ。巨人がくるん、と宙で回転し、再び獄翼に顔を向
けてきた。
﹁なっ!?﹂
突き刺さった形跡がある。
今も巨人の右肩はばっくりと裂けている状態だ。おびただしい量
の血を見ても、ダメージが無いとは思えない。
では、なぜあれはこうも平然と体勢を立て直してこれるのだ。
﹁痛覚がないのか?﹂
スバルの後方でカイトが観察する。
彼の脳裏に浮かんだのは嘗てシンジュクで戦った白の鎧、ゲイザ
ーだった。だがその考えはすぐに訂正することになる。
﹁︱︱︱︱!﹂
巨人が吼えたのだ。
まるで痛みを訴えるかのように、獣のような悲鳴を響かせる。
そうしている間に、巨人の肩の傷がみるみるうちに塞がっていっ
た。幼虫が巨人へと変態を遂げた時と同じ様に、傷口に肉が移動す
1068
ることによって、だ。
﹁⋮⋮あるみたいだな﹂
その様子を見たカイトが、ぼそりと呟く。
だが実際に戦っているスバルは苛立ちが募るだけだ。
﹁刀が通用しないなら、どうやって戦えばいいんだよ!﹂
獄翼が装備している武装の中で、もっとも強力な武装が刀である。
その切れ味は、かつてアキハバラにおいて新人類王国の中でも随
一のワンマンプレイヤーと呼ばれたサイキネルとも渡りあった程だ。
その刀で致命傷を与えられないとなると、自動的にお手上げにな
ってしまう。
﹁だがノーダメージではない﹂
﹁え?﹂
後ろで紡がれた同居人の言葉に、スバルは思わず振り返りかける。
そんな彼の顔を正面に向け直したのはマリリスの一声だった。
﹁ま、前! 来ます!﹂
﹁ぐっ!﹂
視線を正面に戻すと、巨人が再び突撃を開始していた。
傷口は既に塞がっており、僅かな痕跡が残っている程度である。
ならば再びその傷口を広げてやろうとスバルは刀を向ける。
﹁いいか、奴は恐らく学習中だ﹂
﹁学習!? 何を学ぶって!?﹂
1069
巨人の両手から生えるヒートナイフが獄翼に目掛けて突き出され
る。
両手を正面に向けて突撃するその姿は、先程幼虫に仕掛けた獄翼
をそのまま再現したかのような光景だ。
﹁戦い方だ﹂
﹁!﹂
巨人の突撃を回避し、スバルはカイトの言葉を聞く。
その間、少年は刀を振るう気になれなかった。彼の内で暴れ出し
た黒い感情が、この時だけ影を潜める。
﹁分かるか。奴はお前から戦い方を学ぼうとしている﹂
﹁そんな⋮⋮だって、相手は虫ですよ!?﹂
﹁そうだ。新しい虫だ。人間と話して、コミュニケーションをとる
上に摂取エネルギーも馬鹿にならない﹂
その分ポテンシャルは高い。だからこそゴルドーはこの虫を﹃救
世主﹄として息子の代わりに崇めるようになった。
だが、長い間大樹とトラセット国内に閉じ込められた彼は無知以
外の何物でもない。
﹁アスプルからは人格を学ぼうとした。そしてお前からは、戦い方
を学ぼうとしている﹂
﹁なんのために?﹂
﹁もちろん。敵を排除する為に﹂
スバルの瞳孔が大きく映し出される。
1070
﹁つまり、それはなにか?﹂
あの化物は獄翼を倒す為に、獄翼を真似ていると言うのか。
その為にわざわざ姿をこちらに合わせ、武器も取り込んで利用し
ていると。
それは少年にとって、こう捉える事が出来た。
﹁体のいい練習相手ってことか!?﹂
﹁学習対象として丁度いいと判断したんだろうな。現に今のはさっ
きお前がやった動きだ﹂
﹁ふざけやがってぇ!﹂
少年の内側で潜んでいたどす黒い炎が再び燃え上がる。
恨みの視線は真っ直ぐ巨人を剥き、憎しみの力は指先を辿って操
縦桿を通じ、獄翼へと注がれる。
﹁馬鹿にするなよ、お前のせいで泣いた奴がいるんだぞ! お前の
せいで死んだ奴がいるんだぞ!﹂
少年の慟哭がコックピットに響く。
彼の後ろでその言葉を聞いた少女は、黙って俯いていた。
﹁俺は怒ってるんだぞ! 何を悠長にやってるんだ!﹂
背中から噴き出している青白い翼が、大きく広がった。
それは獄翼の黒いボディを加速させ、少年のどす黒い感情を巨人
へと運んでいく。
﹁お前にも味あわせてやる!﹂
1071
痛みを。
例え何度回復しようが、関係ない。ダメージが通るならその度に
斬り捨てるだけだ。
何度でも。何度でも。何度でも。
奴の胴体を切断し、頭を切り落し、四肢を切断して。そうやって
あいつに分からせてやる。
﹁食らえええええええええええええええええ!﹂
刀が巨人に向けて振り下ろされる。
刀身が脳天を叩き割り、腹部にまで到達した。
だが巨人はそんな状態にも関わらず、両手を獄翼の肩へと伸ばす。
﹁なっ!?﹂
発熱したナイフが両肩に突き刺さる。
コックピットに大きな振動が襲いかかると同時、耳障りなアラー
ト音が鳴り響く。正面モニターにダメージ警告が表示される。
﹃関節部損傷! 被害甚大!﹄
﹃装備切り替え推奨!﹄
でかでかと表示されるポップアップ画面に苛立ちを覚え、スバル
は叫ぶ。
﹁うるせぇ!﹂
操縦桿に引っかかった親指を押し込む。
獄翼の頭部に装備されているエネルギー機関銃が、至近距離で巨
1072
人の割れた頭を吹き飛ばした。
だが、それでも巨人の動きは止まらない。
ヒートナイフを突き刺した体勢のまま獄翼を押し倒し、そのまま
地上へと落下を図る。
﹁スバル!﹂
﹁分かってる!﹂
ユニット
同居人に急かされながらも背中の調整を急ぎ、体勢を整えようと
する。
しかし巨人はそれを許さない。
彼は頭部を復元させながらも、右のナイフを引き抜いて更に奥へ
突き刺した。飛行ユニットへの直撃である。
﹃外部ユニット損傷!﹄
﹃飛行不可! 機体の安全を保つ事を優先されたし!﹄
﹁今やってんだよ、おんぼろ!﹂
スバルが画面に向かって叫んだと同時、獄翼と巨人は街中に激突
した。
アーガスが頭を抑えながら中枢へと向かう。
大樹を振動が襲った際、彼は大きく頭を打って意識を取り戻して
1073
いた。
気絶した後、大樹に何があったのか。
巨大生物は。
XXXとあの少年は。
家族は。
数々の疑問を抱えつつも、アーガスは歩を進める。
﹁父上⋮⋮﹂
中枢だった場所に到達すると、そこには悲惨な光景があった。
壁が割れ、外が思いっきり見える。まるでビルの外装が破壊され
たかのような光景だった。
そんな中枢のど真ん中で、父ゴルドーが佇んでいる。
﹁見ろ、アーガス。あれが我々の望んだ救世主だ﹂
ゴルドーが外へ指を向ける。
その方向に視線を誘導していくと、そこにはアーガスの想像以上
の光景が待ち受けていた。
巨人だ。
全長大凡20メートル程であろう、赤い巨人。
全身が引き締まった筋肉を連想させるがっちりとしたボディが、
あれを生物だと認識させる。
少なくとも、ブレイカーではない。
もし機械の巨人であるならば、腹に刀が突き刺さった状態で平然
と立っていられるわけがない。
1074
﹁あれが、彼なのですか?﹂
反射的に英雄は口にしていた。
あまりに違い過ぎる。この大樹に閉じ込められていた時は、芋虫
のような頭部をしていた筈だ。それどころか、あの頃よりもスリム
に見える。
面影が無いどころの話ではなかった。
﹁そうだ。使用人とアスプルを取り込み、彼は外へと出た﹂
父の答えを聞いて、英雄は僅かに唇を噛み締める。
ほんの数刻前に言葉を交わした弟と、使用人たちの姿が彼の脳裏
にフラッシュバックして消えていった。
﹁だが、まだだ﹂
だがそれでも足りない。
彼はまだ極上の餌として用意していたマリリスを食らっていない。
今の形態はまだ不十分なままなのだ。
それをXXXの青年が無理やり外に連れ出したに過ぎない。
﹁さあ、救世主よ!﹂
ゴルドーが両手を挙げ、新生物の注意を誘導する。
巨人の顔面に浮かび上がっている青い結晶体が、僅かにこちらへ
と向けられた。
﹁その鋼の扉をこじ開け、中にある最後の餌を食らうのだ! その
時こそ、お前はこの世界の誰よりも強くなる!﹂
1075
アーガスが巨人の足下へと視線を落とす。
かつて自分の大使館で預かっていた黒の巨人が、大の字になって
倒れていた。
しかも見たところ、肩と背中からは火花が散っている。
あれでは立ち上がったとしても、勝負にすらならないだろう。
﹁まさか、彼らを倒したと言うのですか。未完成の状態で!﹂
﹁そうだ﹂
アーガスが信じられない、とでも言いたげな表情でゴルドーを見
やる。
﹁あの方は不死身だ。何度斬り捨てられても復活し、徐々に学んで
強くなる。見ろ、もはや刃を受けても平然とした顔をしていらっし
ゃる﹂
顔をしている、と言われてもアーガスの目には只の結晶体が光っ
ているようにしか見えない。
反逆者を倒したことで、本格的に神様として崇める気なのだろう
か。
そうだとしたら、まだ気が早い。
﹁⋮⋮父上、残念ですがまだです﹂
あれには恐らく、スバル少年が乗っているのだろう。
ならば彼の隣に陣取るあのXXXの男も、必ずそこにいる筈だ。
﹁不死身の戦士は、もう一人います﹂
﹁なに!?﹂
1076
ゴルドーが驚愕の眼差しを息子へと向ける。
詰め寄り、彼は責めるようにして問いかけた。
﹁誰だ!? 誰なんだその新人類は!﹂
まだ一人いる、としか言っていないのに既に新人類と断定してい
るのはもはや病気ではないだろうか、とアーガスは思う。
実際、当人は新人類なのであえてなにもツッコまないでおくが、
それにしたって食らいつきすぎだろう。とはいえ、このままにして
おくと首を絞められかねない。
﹁あそこにいますよ﹂
なので、教えてあげることにした。
アーガスは外へと首を傾げ、その存在がいるであろう場所を示す。
﹁なんだと﹂
怪訝な表情でゴルドーが外を見る。
丁度その時だった。獄翼の関節部が青白く光り出したのは。
﹁むお!?﹂
一瞬、光がトラセインの街を包み込む。
目を刺激され、軽い眩暈を覚えたゴルドーが数歩後ずさった。
﹁な、なんだあれは!?﹂
﹁あれが新人類最強の戦士です。少なくとも、私の知る中では﹂
アーガスは見る。
1077
ゆっくりと立ち上がり、両手から爪を伸ばす漆黒の巨人を。
背中の飛行ユニットは切り離し、負傷した両肩も徐々に復元して
いる。あれこそまさに不死身の証明だ。
彼を倒さずして、最強で不死身の生命体などといった称号は得ら
れない。
﹁さて、山田君。君ならどう戦う?﹂
口元に笑みを浮かべつつ、アーガスは獄翼を見やる。
内心、僅かに期待を寄せながら。
﹃山田君じゃない﹄
すると、黒い巨人がこちらに指を向けて話しかけてきた。
なんたる地獄耳。まさか今のが聞こえていたと言うのか。
﹁き、君。美しい聴覚をしているのだね?﹂
﹃よく聞こえるんだ。コレをやると﹄
まあ、それはいい。
カイトはそう呟いてから、巨人へと向き直る。
﹃よくもやってくれたな。今度は俺が相手だ﹄
﹁︱︱︱︱﹂
巨人が両手のヒートナイフを構え、再び発熱させた。
どうやらまだ戦う気がある事は理解できているらしい。しかも、
次は﹃中身﹄が違う。
﹃勉強できるとでも思ってるか?﹄
1078
カイト
獄翼が問う。その質問に対し、巨人は何も答えない。
﹃暇なんか与えてやらないよ﹄
直後、トラセインの街に突風が巻き起こる。
黒い巨人は一瞬でその姿を消し、超スピードの弾丸となって巨人
に襲い掛かった。猛烈な風を全身に受け、巨人が空への離脱を試み
る。
だが羽ばたき始めたのと同時、巨人の足が獄翼に捕まれた。その
まま思いっきり大地へと叩きつける。
激突。
激しい破砕音が響き渡ると同時、獄翼は巨人のマウントポジショ
ンを取る。その後行われたのは、両手から伸びる爪によって行われ
る解剖ショーだ。
腹部に突き刺さったままの刀を引き抜いた後、獄翼は両手の爪で
巨人の身体を削り取っていく。
﹁い、いかん!﹂
巨人の肉片が飛び散る中、ゴルドーが叫ぶ。
﹁このままではあの方が⋮⋮!﹂
どこか懇願するような彼の声に応えるかのようにして、巨人の顔
面が輝きだした。顔面の結晶体から光が溢れ出し、獄翼を覆い始め
る。
が、獄翼はそれを察知した瞬間にすぐさま離脱。空を切った光は
1079
雲の中へと消えていき、ややあってから爆炎と共に轟音を響かせた。
﹃それだけか!?﹄
離脱した後、器用に足を捻らせる。
折り返し地点を曲がったかのような直線移動だった。しかもその
動作の一つ一つが、スピーディすぎる。
巨人がまるで追いついていない。しかも厄介な事に、今度の武器
は刀に比べて射程範囲が短い。
短い刀身を身体に取り込む前に引き抜かれてしまい、また新たな
刃を突き立てる事で巨人の取り込み動作をシャットダウンしている
のだ。
巨人は困惑していた。
というのも、明らかに翻弄されている。スバルの時は刀の無力化
につとめて、それが成功したことで撃退する事が出来た。
だがカイトは違う。こいつを同じ方法で無力化することができな
い。
今の彼は、カイトにされるがままに踊り続けていた。先程のよう
になんとか隙を作って立ち上がっても、すぐさま蹴りを入れる事で
再び連続攻撃に移行してしまう。
巨人には彼を止める手立てがなかった。
こうしている間にも、どんどん身体が削ぎ落とされていく。
﹃残り時間は?﹄
﹃まだ3分以上ある!﹄
カイトの問いかけに対し、中でカウントダウンと睨めっこしてい
るスバルが答える。
1080
バトンタッチした後の彼は、案外素直に引き下がっていた。
自分でも熱くなりすぎた自覚があったためか、今はカウントダウ
ンの中止に専念している。
だが、今この場だけで限って言えば。
そのやり取りが致命的なミスにつながってしまった。
巨人の耳には今、無数の音が聞こえている。
中でもっとも大ボリュームを占めていたのは逃げ惑う人々の悲鳴
だったのだが、それに混じって僅かながらにノイズが響いている。
彼は知っていた。新人類と呼ばれる種族は、旧人類と呼ばれる人
種とは違って特殊な電波を発していることに。
このノイズは、それだ。
先程のやり取りを聞くことでノイズを察知した巨人は、目の前で
戦っている﹃中身﹄が新人類であることを確信した。
それならば、手段はある。
巨人は顔面に光る結晶体を照らしつつ、僅かに前かがみになった。
それを好機と捉えたのか、獄翼が疾走を開始する。顔面に向けて
両手の爪が向けられた。
だが、それも正面まで迫って来ただけの話だ。
巨人は怯える事も無く、攻撃を実行する。その攻撃手段は、音波
だ。
﹃なんだ?﹄
きぃん、という鳥肌が立ちそうな音が響く。
それは獄翼のコックピットを貫通し、トラセインの街全体へと響
き渡った。
1081
﹃ぐ⋮⋮﹄
だが、それだけの異変にも関わらず、獄翼は地面に膝をついてし
まった。
ヘルメットから響く同居人の苦悶の声を聞いたスバルが、安否を
確かめようと声をかける。
﹃カイトさん、どうしたんだ!?﹄
﹃あ︱︱︱︱ぎゃああああああああああああああああああああああ
あああああああ!?﹄
返答は、彼による断末魔の叫び声だった。
カイトと一体化した獄翼は、苦しみを再現するかのようにして頭
を抱え、その場で悶えはじめる。
﹃カイトさん!﹄
﹃どうしたんですか一体!﹄
マリリスが問うも、スバルにだって理解できない。
黒板を引っ掻いたような音が聞こえたと思ったら、いきなり同居
人が苦しみだした。これだけだ。
これだけなのだが、苦しみ方が尋常ではない。
見れば、マリリスの横でヘルメットを被ったカイトの身体が跳ね
上がっている。血管が浮かび上がり、震えながらぱくぱくと口を開
け閉めしているその姿は、過去に例を見ない状況だった。
﹃ま、まさか⋮⋮﹄
悪い予感がした。
1082
その答えを確認するべく、スバルはSYSTEM
Xをカット。
ヘルメットを放り捨て、カメラの視界を街全体へと走らせる。
数秒もしない内に、目的の人物たちを見つけた。
御柳エイジと六道シデンだ。
だがこの二人もカイト同様、頭を抱えて苦しんでいる。彼らの目
の前にいる女性も同様だった。
﹃やっぱり! 新人類全体に攻撃を仕掛けてやがる﹄
その答えが出たのと同時、カイトの意識が自身の身体へと戻って
くる。
マリリスの横で身体の姿勢を整えていた彼の身体は、意識を取り
戻した瞬間に崩れ落ちた。
﹃お、おい!?﹄
﹃しっかりしてください!﹄
たちまちパニックとなる獄翼。
だがそんな中で、音波の影響を受けていない新人類が一人いた。
アーガス・ダートシルヴィーその人である。
彼は音波が響くと同時に、全身に巻き付いている根を絡ませるこ
とによって自身を覆い隠したのだ。反射的に行っていた防御だった
が、今はそれが功を成して音波の影響を受けずにすんでいる。
﹁なんということだ﹂
根の中でアーガスが汗を流す。
これは生物兵器を作り出すとか、戦い方を学ぶと言う話ではない。
彼は既に新人類用の生物兵器として完成していたのだ。もしも彼
が新人類王国へと乗り込み、この音を発すればそれだけで大半の新
1083
人類が死滅してしまうことだろう。
﹁まさか、ここまでとは﹂
﹁んマアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアベラス!﹂
下手をすれば自身すら殺されかねない状況に怯えるアーガスを尻
目に、ゴルドーは笑っていた。
﹁素晴らしい! 素晴らしいぞ! この力さえあれば新人類王国は
全滅だ。あなたは熟成した餌など使わなくても、既にこの星の頂点
であらせられる!﹂
ゴルドーが言い終えたのと同時。
音波は止んだ。獄翼の瞳から光は消え去り、街中で戦いを繰り広
げていた王国の女傑も倒れたまま動かない。彼女と戦っていた反逆
者も同様だ。
﹁無事なのは我が息子只一人。これならば!﹂
勝てる。あの新人類王国に。
その確信を得たゴルドーは、根を解除したアーガスの横で高らか
に宣言した。
﹁ふははははは! 新人類王国最後の日だ!﹂
勝ち誇った言葉だった。
だがその言葉を紡ぎ終えたのと同時に、ゴルドーの身体が宙を浮
いた。
﹁ほあ?﹂
1084
空に向かって宣言した為に気付けなかった。
巨人の頭部にある結晶体。そこが割れて、無数の根っこが飛び出
していたのだ。根はゴルドーを捕え、少しずつ巨人の口へと運んで
いく。
﹁な、何をするのだ! 君はエネルギー効率の悪い我々を食う事は
︱︱︱︱﹂
最後まで言い終える事は無かった。
悲鳴をあげつつも、ゴルドーは穴の中へと放りこまれたのだ。飛
び出していた根っこが穴の中に回収され、結晶体が元の位置にスラ
イドする。
﹁ち、父上!﹂
あっと言う間の出来事だった。
アーガスの目の前で、父親が食われた。その行動に様々な疑問が
浮かび上がるが、それでも彼としては反射的に構えを取らざるを得
ない。
﹁⋮⋮私も、美しく捕食するつもりかな?﹂
アーガスが聞いた話だと、あくまで彼が効率よくエネルギーを得
る為には因子を注入された人間である必要がある。
だが、ゴルドーはただの人間だった。それを容赦なく食らうとは、
何の心境の変化だろう。
﹁︱︱︱︱﹂
1085
巨人が無言のまま、アーガスへと向き直る。
圧倒的な存在感を誇る巨体に見下ろされ、英雄は一歩後ずさった。
だが、彼が食われることは無かった。
しばし無言で見つめ合った後、巨人は羽を広げて飛翔。倒れ込ん
だ獄翼に興味を示すことも無く、他の街人を食らう事も無く、雲の
中へと消えていった。
﹃カイトさん! エイジさん! シデンさん!﹄
トラセインの街に、スバル少年の悲痛な叫び声が響く。
彼が何度必死になって呼びかけても、友人たちは何も答えなかっ
た。
﹁⋮⋮どうなっているのだ﹂
アーガスがぼそり、と呟く。
新生物は予想以上の力を秘めていた。途中からしか見ていないと
はいえ、それだけは認めなければならない。
だが、明らかに様子がおかしい。
なぜゴルドーを食らい、やろうと思えばトドメをさせた獄翼を葬
らなかったのだ。果てには、自分を食べなかった理由も説明が出来
ない。
そもそも、彼は知能を持った生命体だった筈だ。大樹に収まって
いた頃、あんなに喋り続けた彼が、なぜ何も話さずに怪物のような
唸りをあげたのだろう。
アーガスは思う。
もしかすると、自分たちは起こしてはならない者を起こしてしま
ったのかもしれない。
1086
それも本人が自覚してないような、強力過ぎる生物を、だ。
1087
一夜明けて ∼ある弱き勇者の懺悔∼
首都、トラセインより離れた場所には住宅都市のトラメットがあ
る。
大樹が割れ、謎の生命体が出現してから一夜明けたこの日。トラ
メットは避難民であふれかえっていた。
その避難民の中には、謎の生物と戦った少年も紛れ込んでいる。
混雑している病院のベットに三人の新人類を寝かせ、彼は医者の
言葉を待った。
﹁⋮⋮どう、でしょうか﹂
﹁ふむ⋮⋮﹂
朝からフル稼働で勤務し、疲労の色が見える初老の男性が静かに
頷いた。
一番奥に眠るエイジの診察を終えた後、彼はスバルとマリリスに
向き直る。
﹁正直に申し上げますと、設備が足りな過ぎます。彼らのどこに異
常があり、何時目覚めるのかは断言が出来ません﹂
﹁生きてはいるんですね!?﹂
﹁心臓が動いています。それは間違いないでしょう﹂
ただ、
﹁今の彼らの状況を一言で表すなら、植物人間です﹂
その状態になった人間のことは、スバルも知っている。
1088
よく交通事故などに巻き込まれて意識を失い、永遠に眠り続ける
人間のことだった。少なくともスバルの認識では、奇跡でも起きな
い限り彼らは目覚める事は無い。
﹁ご存知かと思いますが、点滴をしない限り彼らは生きていられな
いでしょう。例え彼らが新人類でも、です﹂
重い現実がスバルの両肩にのしかかる。
再生能力を保持しているカイトですら、点滴を受けないと栄養失
調で死に至る現状にまで追い込まれてしまった。彼らは動物として
の大事な要素を取り除かれたのだ。
﹁受けられるんですか?﹂
﹁⋮⋮大変申し上げにくいのですが﹂
医者が僅かに視線を逸らした。
﹁今、この国はどこも怪我人で溢れかえっています。彼らに回せる
分はとても⋮⋮﹂
﹁そうですか⋮⋮﹂
予想できなかったわけではない。
実際、ここに辿り着くまでに目の当たりにした人間の殆どは包帯
を巻いているか、傷を負っていた。ゴルドーによる演説が行われた
為、国の大半の人間がトラセインに集まっていたのだ。
ベットが使えるだけでもありがたい話だった。
﹁行こう﹂
﹁でも⋮⋮﹂
﹁いいから。先生、すみませんがベットだけ貸してください﹂
1089
﹁分かりました。そちらの方は宜しいのですかな?﹂
医者がマリリスに視線を向け、言う。
今の彼女は外見の変化を誤魔化す為、布で身体全身を覆っている
上に車椅子に座らされていた。逆に言うと、そこまでしないと彼女
の変化を誤魔化す事が出来ないのだ。
﹁大丈夫です。それでは、また﹂
車椅子を引き、二人が退出する。
そのタイミングで話しかけてきたのはマリリスだった。
﹁あの。どうするんですか、これから﹂
﹁取りあえず、なにか持ってきて無理やり食べさせよう。獄翼の中
にカロリーメイトがあるから、それを砕いて押し込むだけでも大分
違う筈だ﹂
まさか自分があの3人を介護する日が来るとは思わなかった。
実際にやっている光景を思い浮かべると、違和感しか感じない。
だがそれ以上に感じるのは、己の不甲斐なさ。
あの生物を解き放つように願ったのは自分だ。その結果がこれで
ある。戦いを挑んだスバルは負け、代わりにカイトたちが意識を刈
り取られた。
それどころか、街までボロボロにしてしまった。病院を埋め尽く
す怪我人の存在が、自分を責めるように口を開けているような錯覚
さえ覚える。
自然と車椅子を押す力が強まっていった。
﹁あ、あの!﹂
﹁ん?﹂
1090
僅かな勢いの違いを感じ取ったのだろう。
布で覆いかぶさった視界から彼の表情は見えないが、マリリスに
は彼の苦悩を敏感に感じ取る事が出来た。
﹁あなたは、悪くないですから﹂
﹁⋮⋮ありがとう﹂
無理やりはにかんで見せる。
だが折角の言葉も、慰めになる事は無かった。恐らくは自分以上
に苦しんだであろう彼女に気を使わせてしまったという事実が、余
計な重しになって彼に圧し掛かる。
重い足取りで病院から出ると、入口の前で一人の少女が彼らを待
ち構えていた。
﹁お久しぶりです﹂
﹁え?﹂
完全に不意を打たれて、思わず間抜けな声を出してしまう。
だが冷静になって見返してみると、彼女とは面識があった。サイ
ズの合っていない長すぎるローブと、絵本の中に出てきそうな三角
帽子を被った少女の名はメラニー。
アーガスと同じく、日本以来の再会だった。
﹁め、メラニーさん!?﹂
﹁唾飛ぶとばっちぃんで、口閉じてくれませんか?﹂
酷い言われようである。
ちょっと心にダメージを受けつつも、スバルは彼女に言った。
1091
﹁何してるの。こんなところで﹂
﹁勿論、調査です。何をとまでは、言わずともわかりますね?﹂
無言で溜息をつくと、彼女はそれを肯定と受け取ったのか一方的
に会話を続ける。
﹁正直な所、アレの存在は王国としても緊急事態です。殲滅優先度
は堂々のトップワンです。首位です。野球で言えばV9時代の巨人
軍です﹂
﹁野球好きなの?﹂
﹁物の例えです。後、息が臭いから許可がない限り貴方から話しか
けないでください﹂
酷い言われ草だった。
そんなに匂うかな、と思い手を口元に当てて呼吸をしてみる。別
段、窒息してしまいそうなほどではないと思いたかった。
﹁兎に角、アレをなんとかしてぶっ殺しちゃわないと王国どころか
新人類が絶滅しかねません。それはアンタとしても不本意なはずで
す﹂
反逆者と言われても別にスバルは新人類を目の仇にしているわけ
ではない。実際、カイトを始めとした面々は良い友人である。まだ
意識を刈り取られていないシルヴェリア姉妹や新人類のゲーム仲間
まであの巨人の手にかかる事だけは、なんとしても避けたかった。
﹁なので、共同戦線を張りましょう﹂
﹁え?﹂
﹁ついてきてください。詳しい話はそこでしますから﹂
1092
言いたいことだけを言うと、メラニーは回れ右。
ローブを翻しながら住宅街の街を進んでいく。こちらの意思など
お構いなしだった。
﹁どうしましょう﹂
﹁⋮⋮正直に言うと、俺あの人結構苦手だから付いていきたくない
んだよな﹂
ダークフェンリル
今にして思えば、彼女の要求に応えて素直にカードを渡してしま
った物だから画面の中の愛機を破壊される羽目になったに等しい。
元々の毒舌も相まってあまり気は進まなかった。
進まないのだが、しかし。スバル一人であの巨人を倒せるかとい
えば、また別の話だ。
﹁言ってられる場合じゃないよな﹂
呟くと、彼はメラニーの後に続いて車椅子を押し始めた。
車椅子を押して30分程歩いていると、前を歩くメラニーの歩が
止まった。
彼女はあるマンションの前で立ち止まると、呼び出し機に手をか
ける。
ボタンを何回か叩いたのち、小さな呼び出し音がスピーカーから
漏れ始めた。ややあってから呼び出し機は若い男性の声を響かせる。
﹃私だ﹄
1093
電子音に紛れているが、その声ははっきりと覚えている。
国の英雄、アーガス・ダートシルヴィーその人だ。大樹の中でカ
イトに叩きのめされた筈だったが、無事だったようである。
どうやって巨人の怪音波からやり過ごしたのかという疑問はあっ
たが、この場で聞いても仕方がない事なので敢えて口を閉じている
ことにした。本人の尊厳の為にも補足しておくが、決してメラニー
に何か言われるのを恐れてではない。
﹁連れてきました。開けてください﹂
﹃いいだろう。玄関に入る時は美しい合言葉を忘れるな。なんなら
ここで復唱しよう。ビューティフルパーティカル︱︱︱︱﹄
﹁開いたんで先行きますよ。ついて来てください﹂
﹃ああ、こらメラニー嬢! 仮にも上司に向かってその態度は美し
くないんじゃないかと私は思うのだが!﹄
抗議をかましてくる上司︵金髪︶の叫びを無視して、メラニーは
スバル達を引き連れて玄関へと進んでいった。
エレベーターを使って最上階まで登り、そのまま突き当りの一室
まで進んだところで彼女は立ち止まる。
﹁ここが﹃プチ連合軍﹄の集会所です﹂
﹁プチ?﹂
﹁プチです。今あれの相手を出来るのは、貴方がたと私とあのナル
シストさんしかいません﹂
視線も合わせないでそう言い放つと、彼女は袖の中から灰色の折
り紙を取り出す。
そのままドアに貼り付けると、がちゃり、という音を響かせて扉
が開いた。
1094
﹁車椅子は気を付けてください。ちょっと段差がありますので﹂
﹁あ、ありがとうございます﹂
毒舌少女に気遣われたマリリスが遠慮がちにお辞儀をする。
それを見届けた後、スバルは無言でマンションの一室へと入室し
た。日本の玄関とは違って靴を脱ぐ習慣がないのにちょっと戸惑い
つつも、少年は居間へと向かう。
﹁やあ、スバル君。そしてマリリス君。また会ったね﹂
いた。ソファーに座ってこちらを見つめるパツキンナルシスト薔
薇野郎が、鋭い視線と共に彼らを迎え入れた。
だがスバルは勿論のこと、マリリスとしても今更彼に出迎えられ
たところで嬉しくもなんともない。寧ろ心中は非常に複雑だった。
﹁⋮⋮よく無事で済んだよな﹂
﹁とっさに防御反応をとったのだよ。メラニー嬢もそうやってあの
場を生き延びた﹂
﹁いらん情報のやり取りは省いてもらえませんか?﹂
メラニーが半目になってアーガスを睨むが、彼は全くひるむこと
なく反論した。
﹁いらん、ということはない。少なくともあの怪音波を防ぐ手段な
のだからね﹂
﹁こいつには必要ないです﹂
﹁確かにその通り。だが、あの生物が今度は旧人類を破壊する音波
を放ってくるとも限らない。知っておいて損はないという物だ﹂
﹁俺が言いたいのは、そういうことじゃねぇよ!﹂
1095
少年が叫んだ。
横でアーガスとやり取りをしていたメラニーもびくり、と身体を
振るわせて若干飛び退く。
﹁⋮⋮よくもまあ、俺達の前にまた顔を出せたもんだよな﹂
﹁⋮⋮許してくれとは言わない。君やマリリス君が私を恨むのは当
然だし、もし私が君の立場なら、殴っていた事だろう﹂
だが、
﹁今、この国には君の力が必要なのだ。そして私の力も﹂
﹁そうやってアンタの親父は俺達を騙したぞ。そしてアンタ等の目
論見通り、虫は外に出た﹂
﹁だが、その力は我々の予想をはるかに上回る物だった﹂
アーガスの表情に陰りが見え始める。
視線を落とし、どこか懺悔するような彼の態度が、余計に少年の
苛立ちを加速させた。
﹁勝手な事言うなよ! その為にアンタの弟は死んだ! 彼女だっ
て!﹂
﹁やめてください!﹂
このまま喋り続ければ本当にアーガスを殴りつけていたであろう
スバルに静止の声が投げられる。
彼に押された車椅子に座る、マリリスだった。
彼女はゆっくりと布を脱ぎ、変わり果てた顔面を露わにして英雄
を見据える。
1096
﹁私たちは、本来なら忌み嫌いあって当然の関係かもしれません。
ですが、今私達が争ったところで根本的な解決にはならない筈です﹂
﹁それは⋮⋮そうだけど!﹂
彼女の言う事は一理ある。
だがその言葉がいかに正しくとも、アーガスの姿を視界に入れて
溢れ出るどす黒い感情を抑えられない。
﹁お熱な所、申し訳ありませんが﹂
軽い咳払いをしてからメラニーが彼らの間に移動する。
三人を視界の両端におさめつつも、彼女は言う。
﹁私達には時間がある訳ではありません。そして互いの共通の敵は
ただ一つ﹂
﹁その通り﹂
アーガスが頷き、立ち上がる。
﹁非常に勝手で醜い申し出なのは理解している。だがあの虫を放っ
ておけば、我がトラセットだけではない。人類が滅びるかもしれな
いのだ﹂
﹁その為に駆除をしようっていうのか⋮⋮!? あんだけ国民を犠
牲にしておいて﹂
﹁蔑むといい。私は醜く、弱い人間だ。だが今だけは、戦う相手を
見定めているつもりだよ﹂
数歩前に出て、彼は正座をする。
﹁彼に殴られ、私は考えた﹂
1097
カイトは言った。痛みは自分だけにしかわからない、と。
今、彼は身体中が悲鳴をあげていた。勿論、カイトに殴られた痛
みが抜けきっていないのもある。
だがそれだけではないのを、英雄は理解していた。
﹁私は弱いままだ。その弱さが、家族と国民を殺した﹂
もっとしっかり言っておけば。
あんな化物に頼ることなどないと強く言っていれば、こんなこと
にならなかったかもしれない。
だがいくら後悔したところで、彼らは帰ってこない。
その事実がアーガスの心に消えない傷跡を残した。傷跡がじんわ
りと染み込んでいくようにして、彼の全身に広がっていく。
﹁今度こそ国の為に戦いたいのだ﹂
深々と英雄が土下座をした。
日本に伝わる頼み込みと誠意の示し方だった。
﹁全部終わったら私を殺してくれても構わない。頼むスバル君。ど
うかこの国の為に、私に力を貸してほしい﹂
もう同じ痛みなど、味わいたくはない。
一晩考え、その結果がこれだ。この少年と少女にとって、それが
どれだけ身勝手な願いなのかは十分承知している。
しかし、だからといって放っておくことなどできない。彼らが受
けた傷は、自分の罪だ。
罪と向き合わなければ、もう二度と国の為に戦うことなどできな
い。ただ弱いままの自分が居るだけである。
1098
この時、アーガスはそう考えていた。
やや間を置いた後、スバルは返答する。
﹁⋮⋮ごめん﹂
﹁そう、か﹂
覚悟していた解答だった。
だが実際に耳に入れると、思っていたよりも傷口が広がる物だ。
もっと罵倒されても文句は言えなかったのだが、それがないだけ
まだ救われているのかもしれない。
﹁外の空気を吸って、少し考えさせてほしい。いいかな?﹂
﹁私に君を止める権利はない。行くといい﹂
アーガスの許しを得たスバルは、マリリスに視線を向けて呟く。
﹁マリリスはどうする?﹂
﹁ご同行させてください。私も少し考えを整理したいので⋮⋮﹂
﹁わかった。行こうか﹂
車椅子を押し、玄関へと向かう。
そんな彼らに対し、メラニーは静かに言葉を投げつけた。
﹁アイツは、今度この街に来る可能性が高いです﹂
当然と言えば当然だ。
トラセインから一番近い人里がこのトラメットである。新生物が
人間を餌にする以上、空腹を満たすために狩りを行うのは自然な流
れといえた。
1099
﹁何時来るのかは私にもわかりません。もしかすると、貴方の故郷
や私の故郷に現れるかもしれません﹂
お忘れなきよう。
その言葉を耳に入れた後、スバルは無言で部屋から退出した。
1100
第78話 vs姉妹と恩人と
トラメットは住宅都市でもあるが、同時に鋼壁都市とも呼ばれて
いる。
住宅街を丸ごと覆うようにして聳え立つ鋼の壁が街を守り、敵の
侵攻を防ぐ役割を果たしているのだ。これはトラセットが独立する
よりも以前、大樹目当ての進軍を恐れた国が施した処置でもあった。
もっとも、バトルロイドやブレイカー、果てには戦闘機といった
飛行する破壊兵器の前では軽く飛び越えられてしまい、無力である。
近年では精々爆風から守れればいいと言う風潮もある始末だ。
それに今回に関して言えば、街を守る為の壁が仇となってしまう。
もしも新生物がここに飛来してきた場合、人間は壁を超えて非難
しなければならない。その時にかかるロスタイムでモタついていれ
ば、それだけで捕食されてしまうのだ。
そういう観点から考えても、唯一ブレイカーを動かせるスバルの
存在はこの街を守る為には大きなキーパーソンであると言える。
いかにアーガスやメラニーが力を持っているとはいえ、彼らでは
街で戦闘を繰り広げた時点で壊滅の未来しか見えない。あの巨体と
渡り合って、外におびき寄せる体のいい巨体が必要だった。
スバルもその辺は理解している。あの巨人がまた姿を変えて人類
クラスにまでサイズを小さくしてくれるのであれば話は別だが、た
だ捕食を目的とするだけなら巨人のままでも行える事は実証済みだ
った。
わざわざ姿を合わせてやる必要は、今の彼にはない。
﹁︱︱︱︱そんなわけで、今は俺以外みんな寝込んじゃってる。ご
1101
めん﹂
スバルたち
そんな中でスバルは獄翼のコックピットまで戻り、通信を行って
いた。
相手は勿論、獄翼と繋がりを持っている人物︱︱︱︱カノン・シ
ルヴェリアだ。
﹃り、りりりりリーダーたちが植物人間になっちゃったんですか!
?﹄
﹁落ち着け! 取りあえず深呼吸!﹂
ただ、スバルは現在進行形で彼女に現状を教えたことを激しく後
悔していた。
まさか尊敬するリーダーがやられたことでここまで取り乱すとは。
﹃はわわ﹄と言いつつまた頭を打って気絶するか分からないのが怖
い。
しかし気絶する前に、彼女には確認をとっておきたいことがあっ
た。それを聞かずして倒れられると、色々と拙い。
﹁それで、新人類王国の動きに何か変わったことはあるのか?﹂
﹃ひっひっふー⋮⋮﹄
﹁それ赤ちゃん産むときの奴だからな﹂
﹃大丈夫です。落ち着きました。それで、王国の方の動きですが⋮
⋮﹄
本当に落ち着いたのかな、と首を傾げるスバルだったが、その後
カノンから得た情報は意外とまともな物だった。
﹃えーっとですね。まず、各国に散り散りになった代表的な兵が続
々と帰還して来ています﹄
1102
﹁代表的な兵?﹂
﹃分かりやすく言うと、大使館を預かっているレベルですね﹄
確かにわかりやすい。つい先ほど会話していたアーガスがいい例
だ。
﹃そして、予定されていた出撃の大半が様子見に変更されています。
ほぼ戦力を揃えたうえで待機していると見ていいでしょう﹄
﹁お偉いさんから説明はないの?﹂
﹃ええ、何一つ。XXXもそんな虫の存在なんて何一つ聞いていま
せん。多分、王子が独自に出撃させた兵が何人かいる程度だと思い
ますが、師匠のお話を伺う限り、そのメラニーとかいう子以外は全
滅したと思われます﹄
この時、スバルは失礼ながらもカノンが冷静に状況を分析し始め
ていることに感心していた。
さっきまで﹃りりりりリーダーがあああ!﹄などど言って慌てふ
ためいていたのが嘘のようである。
﹁でも、あんなドでかい生物が出てきて何の説明もなしってのはど
うなんだ? というか、納得できるわけ?﹂
﹃さあ。王の考えは私達には理解できませんから﹄
割と本音を含んでいる。カノンが今まで出会ってきた人間の中で
も、リバーラ王は群を抜いて何を考えているのか分からない。
恐らく家族も含めてそうだろう。王子のディアマットが彼を忌み
嫌うのもその辺が理由だ。
﹃いずれにせよ、仮にその巨人が王国に襲いかかってきたら殆どの
新人類が死滅するでしょう。私達もきっと例外ではありません﹄
1103
彼女はあくまで冷静だった。
元上司たちが倒されて取り乱してはいたが、自分が倒されること
に対しては妙にクールだ。
﹁防ぐ手立てはないのか?﹂
﹃あるとすれば、自分で防御の手段を持ってることです。ですがそ
れが出来る新人類は基本的に王の護衛に回る筈なので、私たちは黙
って倒れるしかないわけです﹄
ただ、唯一防ぐ手段があるとすれば、
﹃もしくは、やって来たところを倒します﹄
﹁⋮⋮それしかないよな﹂
結局はその二択なのだ。怪音波を受けて倒されるか、音波を出す
暇なく倒してしまうか。
しかし相手は恐ろしい速度で学習し、細胞を進化させている。
デタラメ
カノンから譲ってもらったアルマガニウムの刀ですら、あの巨人
には既に通用しない。頼みの綱である新人類トリオは全員ベットで
ダウン。ここで頼らなければならないのが、シンジュクで因縁のあ
るアーガスとメラニーの選択肢しかないのだから困った。
﹁なあ。もし刀が通用しない奴を相手にする場合、カノンならどう
する?﹂
﹃金タマ蹴り上げて、そのまま電流を流します﹄
﹁刺激的だね﹂
少し前に斬り合ったダークストーカーが獄翼の股を蹴り上げ、そ
のまま電流を流す光景を思い浮かべる。
1104
想像しただけで少年の股間が萎縮していった。表情も徐々に青ざ
めていく。
しかし、大体スバルが予想した通りの答えである。
﹁他の武装より、そっちを選ぶ?﹂
﹃状況にもよりますけど、刀は今の師匠の機体や私の機体の最強武
装です。これが通用しないのであれば、違う方向から攻めるしかあ
りません﹄
そりゃあそうだ。
切れ味においては劣化でしかないダガーや、エネルギー機関銃で
あれを倒せるとはとても思えない。
Xがある。だ
必要なのだ。刀と同等か、それ以上の攻撃方法が。
シンクロ
獄翼の場合、その役目を果たす為にSYSTEM
がスバル一人では同調機能を起動させても意味がない。
誰か他の新人類の協力を得る必要があった。
﹁わかった。ごめんな、変な事聞いて﹂
﹃いえ﹄
﹁そっちも時間かける訳にはいかねぇだろ。また連絡するな。妹さ
んにも宜しく﹂
﹃了解しました。お気をつけて﹄
通信を終えると、スバルは溜息をついた。
弟子の話を聞いて、改めて思う。やはりあの二人の新人類の協力
がないと勝つ事はできない、と。
彼女の手前、例え話と切り出したが刀が通用しないのは事実だ。
いかにダメージを与える事が出来ても、最終的に倒す事が出来なけ
れば意味がない。
1105
だがその為にあの二人と︱︱︱︱故郷に襲来した新人類軍と手を
組むのは、どうしても躊躇われた。
﹁どうしました?﹂
そんな少年の苦悩を察したのか、マリリスが声をかける。
獄翼のコックピットで布をとり、七色に輝いた不気味な瞳がスバ
ルを映し出す。
﹁現実を思い知らされたって感じだな。改めて﹂
相談と確認の意を込めておこなった連絡も、やってみれば肩が重
くなっただけだ。気乗りがしないと言えば聞こえは悪いが、父親を
殺した男の仲間と手を組まなければならない状況が少年の溜息をど
んどん深い物にさせていく。
﹁俺、受け入れられるのかな﹂
無意識のうちにぼやいていた。
自分が熱くなりやすい性格なのは先日痛いほど理解している。そ
んな自分が、彼らとうまく連携をとって戦えるだろうか。
頭では理解している。今は彼らの力が必要不可欠だ。メラニーに
関しては、恐らく恥を忍んで頼んできたのだろう。
﹁⋮⋮私が口を出すべきではありませんけど、難しいと思います﹂
マリリスも同意だった。
一度手痛く裏切られた身としては、英雄の土下座も半信半疑にな
ってしまう。例え彼らの気持ちが本物だったとしても、だ。
仮に百歩譲って共同戦線を張るとしよう。だが少なくとも、背後
1106
に乗せて戦うことを許せなかった。
﹁言ってる場合じゃない事はわかってるんだけどさ。面倒くさいよ
な、俺﹂
ぼやいたところで無い物はねだっていられない。
だがそんな現状とは裏腹に、彼らの受けた痛みはただ無言で訴え
続けるだけだった。
カノン・シルヴェリアは考える。
先程師匠と連絡を取り合った際に出てきた例え話。そして先輩戦
士であるカイト達が倒された現状から考えて、恐らく獄翼の武装は
Xは使用できず。後ろに乗れるのもスバル
通用しなかったのだろう。
頼りのSYSTEM
と敵対してた新人類のみ。状況が状況とは言え、もしも今回の一件
に決着がついたらどうなるか分からない。
ゆえに、カノンは退院したばかりの妹に提案した。
﹃アウラ。有休をとろう﹄
﹁へ?﹂
怪訝な表情で妹が顔を向ける。
いよいよもって姉の人口声帯が狂い始めたか、とでも言わんばか
りの目だった。
1107
﹁いきなりどうしたんですか、姉さん。確かに私たちは有休が溜ま
っていますけど、別に今消費しなくても﹂
今更補足するまでもないが、彼女たちは未成年である。
だがしかし、最前線で戦ってきた立派な戦士でもあった。給料も
そこいらの会社員より格段に上である。新人類王国は強い者に寛大
な国だ。強者が望めば、休暇は貰える。
実際、彼女たちがオフ会と称してブレイカーズ・オンラインのネ
ット仲間たちと遊びに行けるのもこの有休あってのことだった。
それゆえにアウラは、大規模なオフ会に備えて無駄な申請はすべ
きではないと考えている。
﹃リーダーたちがやられて、師匠がピンチになってるのに?﹄
﹁いきましょう姉さん﹂
即答だった。
詳しい話を問う事も無く、現状を軽く説明しただけでこのやる気。
よくできた妹であるとカノンは思う。
﹁敵の詳細は?﹂
﹃巨人﹄
﹁なら、ダークストーカーの使用許可を貰わないといけませんね。
アトラスに申請を出しましょう﹂
あっさりと紡ぎだされた非現実的な敵の詳細を前にして、アウラ
は冷静にスマートフォンを取り出し、リーダー代理を呼び出した。
敵の正体に関しては特に疑問に思わなかった。彼女たちにとって
大事なのは、リーダーたちがやられ、大恩あるスバル少年が危機で
1108
あるということだけなのだ。
その為ならば例え火の中水の中。どこであろうとも全力で駆けつ
ける所存である。
3コールもしない内に、今のリーダーが呼び出しに応じた。
﹃アトラスです。何か御用ですか?﹄
﹁アトラス。緊急事態よ。私たちの有休とダークストーカー出撃の
許可をよこしなさい﹂
﹃有休はまだいいとして、ダークストーカーまで持ち出せませんよ。
ゲームならちゃんと画面の中の方を使ってあげてくださいね﹄
ダークストーカー・マスカレイド。
カノンがプレイする対戦ゲーム、﹃ブレイカーズ・オンライン﹄
で使用されている機体を再現させたブレイカーだ。
功績を残したシルヴェリア姉妹のリクエストによって開発された
機体ではあるが、オーダーメイドの為、整備にはコストがかかる。
アトラスがダークストーカーを出撃させるのに躊躇うのはその辺が
理由だ。
何か故障が生じた場合、その分チーム全体に配分されるお給料に
Y
も響いてくる。現に獄翼につけられた損傷を修復させる為に、かな
りの資金が投じられている。殆ど誰も使用しないSYSTEM
なんて代物の整備がそれを加速させていたのだ。
その為、アトラスとしてはダークストーカーを出撃させる場合、
それ相応の戦場でない限り許可を出さないつもりなのだが、
﹁リーダーがやられたの。敵は巨大生物よ﹂
﹃許可を出しましょう﹄
即答だった。
1109
本当にこれでいいのか第二期XXX。
この場にスバルがいようものなら、そう思っていたであろう展開
だった。
﹃いいですか。偉大なるリーダーを酷い目に合せた奴です。殺して
しまいなさい!﹄
﹁分かってるわ。タマキン蹴り上げてそのまま雷落としてあげる﹂
可愛らしい声して言う事がえげつないリーダー代理の声に、迷う
ことなくアウラは了承の意を伝える。
それに満足したのか、若干声を荒げかけたリーダー代理が落ち着
きを取り戻し始めた。
﹃ならいいでしょう。残念ですが、私は王の命令で暫く動けません。
アキナもまだ戦場から戻ってきてない以上、二人が頼りです﹄
﹁任せておいて。期待に応えてあげるわ。後処理の方は宜しくね﹂
言い終えると同時、アウラは素早く受話器マークをタッチ。
上司への許可を貰うと、不敵に笑う。思い返してみれば、あの男
とこんなにスムーズに会話が行われたことは初めてかもしれない。
﹁姉さん。OK!﹂
﹃アトラスはこういう時、話が分かるからいいよね﹄
﹁全くです。ところで、場所は?﹂
﹃正確な場所まではわからないね。だけど、王子の命令を受けた新
人類兵がいるみたい。彼らの移動手段は最近だとミスターだけだと
思う。私達もそうだったし﹄
﹁じゃあ、とっ捕まえて電気流してビビらせれば一発だね﹂
それから約1時間後。
1110
新人類王国の喋る黒猫による悲痛な叫び声が王国内に木霊したの
はまた別の話である。
1111
第79話 vs蛍石スバル ∼今日から俺は編∼
少し考える時間をくれ、とは言った。
だが今の状況を考えると、時間はあまりない。頭では協力すべき
だと理解している以上、どこかで妥協点を作っておかなければ延々
と同じことで悩み続けるだろう。
マンションから出て2時間が経過。スバルとマリリスの頭痛の種
が取り除かれることは無かった。車椅子を押す少年の足取りは重く、
二人は特に語る事も無いまま街をさまよい続けている。
無言の為か、スバルは無意識のうちに街を見渡していた。
左を見れば民家がある。右を見れば、また民家がある。トラメッ
トは住宅都市だ。人が住む家を数えていけばきりがない。
逆に言えば、その分だけ人間が暮らしている証拠だった。トラセ
インに働き手として出ている家も珍しくは無く、先日の混乱に巻き
込まれて家族を失った家もある。
どこからかすすり泣くような声が、街の中に響き渡った。
﹁⋮⋮﹂
﹁スバルさん。あなたのせいでは﹂
無言のまま立ち止まり、声のする方向に首を曲げた少年。
マリリスが反射的に言うも、その言葉だけでは彼の支えになりき
れないことを少しずつ自覚してきていた。この言葉も、今日だけで
何度目だろう。
﹁⋮⋮今ならアスプル君がどうしてあんなことしたのか分かる気が
する﹂
1112
﹁え?﹂
呟いた言葉に、マリリスが振り返る。
﹁俺達は無力だ。アスプル君はそれを早い段階から思い知って、俺
は今思い知った﹂
力があると思っていた。
だが実際はどうだ。スバルができることなど、ブレイカーの操縦
だけだ。少年を動かして敵を殲滅させてしまう相席がなければ、自
分の力など大したことはない。
デカイ口を叩いて﹃俺が倒す﹄なんて宣言してみた物の、結果は
どうだ。
相席は全滅。見ず知らずの家庭すら壊してしまった。
少年の中に生まれた暗い感情が渦巻き始め、身体中に広がってい
く。
彼は力が無かった。
ただのほほんと過ごしていく内に何時の間にか磨き上げられてい
た操縦テクニックがあるだけ。それが役に立たない以上、自分に何
があるだろう。
もしもあの時、少しでも冷静になって口を閉じていれば、あの家
の主は悲しみの声を漏らすことなどなかったのかもしれないのに。
﹁神様って不平等だよな。本当に﹂
悔しさを噛み殺すように、そう言った。
マリリスは何も言い返せない。下手な慰めは逆効果だと、彼女は
自身の経験から強く理解している。
1113
﹁そう、不平等です﹂
そんな時だ。
不意に、女の声が二人に投げかけられた。反対側に建っていた民
家の玄関からツカツカと歩み寄ると、彼女はスバルの前で言い放つ。
﹁不平等だから、人間は争います。そして力を欲するのです。私た
ちのように、手段を問わず﹂
﹁君は⋮⋮﹂
最初は誰なのか分からなかった。
だが間近で話していく内に、彼女が大樹の中で自分に針を向けて
きたメイドだと言うことに気付く。メイド服が印象的だったからか、
私服で登場されても全然気付けなかった。お世辞にもセンスがいい
とは言えないボロッちぃ服装を前にして、スバルは確認の意を込め
て言った。
﹁確か、シャウラさんだっけ﹂
﹁そうです。忘れられたのかと思いましたよ﹂
くすり、と微笑むとシャウラは少年を改めて見やる。
ダートシルヴィー邸や大樹で対面した時に放っていた存在感は、
すっかり影を潜めていた。
﹁なんというか、牙が抜けちゃいましたね﹂
挑発するように口元を釣り上げると、長い髪の毛の中からサソリ
の尾が姿を現す。だが目の前に現れたそれに対し、スバルは逃げよ
うとはしなかった。
1114
﹁主の意思を守るのか?﹂
﹁まさか。私達も命からがら逃げだしたんですよ? それにアーガ
ス様が戦うと決めた以上、私たちはそれに従うまでです﹂
﹁でも、使用人の服装じゃないだろ﹂
﹁いいじゃないですか。実家に戻る機会を与えられたのですから﹂
寄りますか、とサソリメイドは自宅を指差す。
周りの民家に比べ、引けを取る事が無い立派な家だった。庭もあ
るし、車も置いてある。
﹁いいよ。家族と過ごせるんだろ。大事な時間にしな﹂
﹁家族は居ません。先の戦争で亡くなりました﹂
突き放すように拒否すると、サソリメイドはあっさりとカミング
アウトしてきた。
あまりにあっさりと言うものだから、二人も思わずポカンとした
表情を浮かべてしまう。
﹁別に珍しくもなんともないですよ。あの戦いでそれだけ犠牲者が
出たんですから。それに、反逆者様も戦っている以上はご存知でし
ょう?﹂
そりゃあそうだ。
スバルとマリリスも両親を失った身である。そういう事は予想で
きるが、しかしシャウラの態度はあまりにも軽薄だった。
﹁⋮⋮まあ、正直な所﹂
そっぽを向き、サソリ女は言う。
1115
﹁そんなに親は好きじゃありませんでした。でも4年前のあの日、
家が燃えているのを見て、どうしてこんなに私は無力なんだろうっ
て思いましたね﹂
あの日以来、友達も何人か行方が分からない。
まだ学生だった彼女も、働かなければ食べていけない状況にまで
追い込まれてしまった。加えて土地の管理費なども支払わなければ
ならず、必然的に稼ぎのいい仕事を見つけるしかない。
﹁アタシさ﹂
急に彼女の口調が変わる。
恐らくはこれが彼女の本当の顔なのだろう。稼ぐために大金持ち
の家で働く為には、彼女の目つきは威圧感があり過ぎた。
﹁本当はメイドなんかやりたくなかった。昔はなんか別の事やろう
と思って勉強してたのは覚えてるけど、生きてくために稼ぎのいい
仕事見つけて、必死に覚えていく内に全部忘れちゃった﹂
自嘲しながらも、彼女は続けた。
﹁アタシも思い知ったよ。神様は不平等だってね﹂
もしも今、神様が目の前に現れたとしたら恨み言を呟きながら針
を刺してしまうだろう。
だが後になって作り直させることなどできはしない。
﹁でも、生まれて来ちまったんだ。精々足掻いて、差を埋めていく
しかないんだよ﹂
﹁その為に君は注入を受けたのか?﹂
1116
﹁ああ、そうさ。餌になるつもりなんかこれっぽっちもなかったけ
どね﹂
彼女たちも騙された身だ。
しかし、それでも細胞の変化は自身の望んだことでもある。今更
元に戻る気などないし、後悔するつもりも無かった。
彼女には、まだ戦う選択肢が残されている。
﹁そういう意味では、アンタが羨ましかった﹂
﹁俺が?﹂
散々好き勝手に弄ばれた気がするが、冗談じゃないだろうか。
そんな事を思っていると、シャウラは苦笑。
﹁馬鹿にされたと思ってるだろ﹂
﹁そりゃあな﹂
﹁アンタはこの国ではちょっとしたヒーローだ。立ち向かう力を持
った奴が、どんな奴なのかと思ってちょっと悪戯を仕掛けてみたん
だけど⋮⋮﹂
まさか、予想していたよりも情けない少年だとは思わなかった。
ブレイカーに乗らない限り、彼はどこまでも非力だ。大樹に辿り
着いた時は芯のある男だと思って感心していたが、今の現状を見る
とそれも撤回したくなってしまう。
まあ、その辺は口にすると面倒なことになりそうなので敢えて口
にしなかったが。
﹁まさか、今になって落ち込むとはね﹂
﹁⋮⋮﹂
1117
少年は何も言わない。軽めに挑発したつもりだったが、俯いたま
ま何も喋ろうとしなかった。
﹁メイドさん。彼は今、必死になって自分に出来る事を探そうとし
てるんです。あまり厳しい事は﹂
﹁笑わせないで﹂
マリリスがフォローに入るが、あまりの女々しさを前にして腹立
たしくなってきた。
サソリメイドは少年の胸倉を掴み、彼の顔を自身の方へと向けさ
せる。
﹁自分に出来ることだって? アンタが今できることなんて誰がど
う考えたって一つしかないだろ﹂
﹁⋮⋮そうだよ。分かってるよ!﹂
﹁ちっとも分かってないね。目的がある奴っていうのは、手段を問
わずに全力でかかるもんさ。それが生き物なんだよ!﹂
唾が飛び散るのが分かる。
もしこれが勤務中であれば、首を切られても文句は言えない。
﹁俺に、父さんを殺した連中と手を組んで戦えっていうのか。この
国をこんなにしてまで﹂
﹁じゃあ一生そうやって悩んでな﹂
シャウラの眼光がスバルを捉える。
そのまま針に貫かれてしまうのではないかと思う程、彼女の表情
には凄味があった。
1118
﹁符抜けて、落ち込んで、泣いて。それで一生悔やみ続ければいい。
いいか、戦える力を持ってるくせに戦おうとしないなら、悩む前に
さっさと消えな。邪魔だ﹂
胸倉を放すと、少年はそのまま数歩後ずさる。
息を整えつつも、彼はメイドを睨んだ。
﹁お前は卑怯だ。自分を正当化して、いざ自分がその立場になった
ら何にも行動が出来ない。それでよくアスプル様にあんな偉そうな
ことが言えたね﹂
その言葉が、何よりもずっしりと重く圧し掛かった。
スバルの脳裏に、大樹の演説台で行われたやり取りが浮かび上が
る。
彼は言った。やり方が間違っていても、力が欲しいと思う事はい
けないことなのか、と。
ソレに対し、スバルは口籠った。彼の苦悩を察するあまり、答え
る事が出来なかった。
﹁同情も中途半端だ。なんでお前があの人の友人面してるのか、理
解できないよ﹂
﹁止めてください!﹂
スバルとシャウラの間に、マリリスが割って入る。
彼女は布越しでメイドを睨みつつも、どこか震えた声で言う。
﹁彼は目の前で友人を失いました﹂
﹁私たちだって同じだよ﹂
﹁その通りだ⋮⋮﹂
1119
力なく立ち上がりつつ、スバルはメイドの言葉を肯定する。
﹁彼女たちは立ち向かおうと思って、力を欲した。俺はその気持ち
を否定しきれなかった﹂
結果的に、それが今回の件に繋がった。
もし、やりきれていたとしても上手くいった保証はない。だが後
悔とは不思議な物で、その時最善を尽くしたつもりでも後になって
戻りたくなってしまう。やり直す為に、だ。
人間が時間を巻き戻せない以上、その時の後悔は永遠に心の中に
残ってしまう。消えない傷跡として。
胸の奥がずきり、と痛むのを感じた。
嘗て感じた事のない、激しい痛み。小さい頃、注射を受けたとき
に感じた激痛などこれに比べたら屁でもない。
あまりに痛すぎて、少年の身体は動くのを止めた。
﹁スバルさん?﹂
だがそれから数秒経った後。
少年はマリリス達に背を向けると、ゆっくり歩きだす。
﹁スバルさん、どこへ!?﹂
﹁マンション﹂
悩む間もなく、スバルは答える。
つい先ほど悩んでいたと言うのに、一瞬で考えが切り替わったこ
とにマリリスは驚愕した。
﹁た、戦うんですか!?﹂
1120
﹁痛いんだよ。ここがさ﹂
自身の胸に指を突き付ける。
全然質問の答えになっていない。
﹁すんごく痛くなって、爆発しそうになった。だから俺は今、それ
なら爆発しちまえって思った。中途半端で、邪魔なだけならそれで
いいだろって﹂
ところが、だ。
﹁俺、馬鹿だからさ。考えるのを止めたら、なんか身体が勝手に歩
いてた。つまり、そういうことなんだ﹂
﹁ど、どういうことなんですか!?﹂
﹁ここで帰るよりかは、最後まで足掻きたがってるんだよ。俺の身
体が﹂
頭がイチイチ喚いてくる。
だが、身体は自然とアーガス達が待つマンションへと向かって行
った。
嫌いなんだろう。
自分は力が無いんだろう。
それなら行かない方がいいんじゃないかと、脳内で理性が叫ぶ。
しかし、蛍石スバル。
彼は頭で考えるよりも身体が先に動くタイプだった。
理性が訴えるよりも先に動いた足が、きっと自身が望む道なのだ
ろう、とスバルは思った。
だからこの際、考えずに馬鹿らしくやろうと思う。
1121
﹁俺は今から馬鹿になる﹂
﹁は、はあ⋮⋮﹂
聞き方によっては誤解を招きそうな言葉だった。
だがこの言葉が少年にとってどれほど大事なことを意味している
のか、二人の女は知らない。
﹁そうか﹂
スバルはその意味を、身体よりも遅れて理解する。
お世辞にも要領がいいとは言えない少年は、嘗て故郷でカイトと
交わした言葉を思い出す。
︱︱︱︱お前は後悔するな。
身体が求める方に行けば、少なくとも悩まずに済む。
自分は頭で悩んでいたら、答えが出ている事にすら行動に移せな
い。それなら何も考えず、馬鹿になればいい。
昔のSF映画に出てくる緑肌の老人はいい言葉を遺した物だ。
感じるのだ、と。
﹁そうだったんだ。馬鹿になれば、やるしかなくなるんじゃん﹂
﹁ま、まあ⋮⋮そう、ですね﹂
なんて答えたらいいのか分からず、マリリスは口元を引きつらせ
ながら言った。
あまりの極論を前にして、空いた口が塞がらない。
見れば、シャウラも唖然としている。まさかここまで綺麗に開き
直るとは思いもしなかったのだろう。
1122
﹁は、はは⋮⋮そうだよ。なぁんだ、簡単な事だったんじゃないか
!﹂
先程まで自分を苦しめてきた肩の重みと胸の痛みが、和らいでい
った気がした。
スバル少年は大きく背伸びし、叫ぶ。
﹁父さん! カイトさん! エイジさん! シデンさん! 俺は馬
鹿になるよ!﹂
傍から見れば、もう十分馬鹿な行動である。
だが、見るからに清々しい笑顔で叫ぶ彼を、誰が止める事ができ
るだろうか。太陽のように眩しく、曇りのない綺麗な瞳を前にして、
誰が野暮なことをいえるだろう。
﹁馬鹿ってすげぇ! 自分の気持ちに気付く事が出来る。自分のや
りたいことがわかる!﹂
不思議と、力が漲ってくる。
内から溢れ出る物は、先日彼の身体を支配していたどす黒い物で
はなかった。
﹁待ってろよ虫野郎! 俺がぶっ倒してやるからな。覚悟しやがれ
!﹂
大空に向かって叫ぶと、スバルは前進していった。
心なしか、その一歩が﹃ずしん﹄と大きく大地をうならせている
ように見える。
﹁⋮⋮人って、あんなに開き直れるものなのですね﹂
1123
﹁そうね。炊きつけておいてなんだけど、アレはちょっと⋮⋮﹂
残された女たちは、理解が完全に追いついていなかった。
もっとも、追いつこうとも思わなかったのだが。
﹁あ、すみません。私もいかないと。スバルさん、待って︱︱︱︱﹂
﹁待つのはアンタよ﹂
布を引っ張られ、マリリスの車椅子がシャウラの下へと押し戻さ
れる。
圧迫感を受けたらしく、咳き込んでいた。
﹁な、なにをするんですか!?﹂
﹁アンタには個人的な話があるの。悪いけど、ちょっと付き合って
もらうわ﹂
﹁でも、今のスバルさんを一人にするのは凄く不安があるんですけ
ど!﹂
﹁我慢しなさい﹂
そういうと、シャウラは車椅子を引いて自宅へと引き返す。
ダートシルヴィー邸で稼いだ給料と借金でなんとか立て直した扉
の前まで行くと、彼女は静かに呟いた。
﹁もしかしたら、アンタがこの国を救うかもしれないんだから﹂
小さく聞こえた言葉に、マリリスは僅かに身体を震わせた。
1124
第80話 vsプチ連合軍
﹁たのもおおおおおおおおおお!﹂
ずばん、と集会所の扉が開かられる。
中で打ち合わせを行っていたアーガスとメラニーは目を点にしつ
つも、来訪者に視線を送った。
つい数時間前に、この部屋から出て行った少年だった。
﹁おお、スバル君。どうしたのだね﹂
先程の険悪な雰囲気はどこへいったのやら。
再びマンションにやってきた少年に対し、アーガスはできるだけ
明るく対応した。ずかずかと奥に入り込んでくる少年が、やたらと
ほがらかな笑顔なのも不気味である。
﹁て、いうか。﹃たのもー!﹄って道場破りじゃないですか﹂
少年の発する異様なオーラを敏感に察知したメラニーは、半目に
なりながらスバルに言った。
アーガス
彼女の本能が告げている。目の前に新しい馬鹿がいるぞ、と。
メラニーは仕事の都合で馬鹿との付き合いが長い。その為、馬鹿
の見分けには少々自信がある。自慢できない特技ではあるが、そん
な彼女の嗅覚が静かに告げていた。
この少年は暗黒馬鹿空間に飲まれたのだ、と。
つい数時間前までは、そんな気配はなかった。
1125
それなのに再び戻ってきたと思えば、24時間笑いっぱなしでは
ないかとさえ感じる笑顔で接近してきている。
はっきりいうと、怖かった。
﹁アーガスさん。俺も戦うよ﹂
﹁おお!﹂
2時間前、英雄に怒鳴ったとは思えない程の清々しい笑顔である。
﹁どういう心変わりですか? まあ、こっちはブレイカー動かせれ
る人間がいた方がいいですけど﹂
﹁馬鹿になる事にしたんだ﹂
﹁は?﹂
本当に馬鹿になって帰って来たらしい。
返答が理解不能だった。何か意図があるのではないだろうか、と
思って頭を捻ってみたが、やはり何も思い浮かばない。
﹁俺って奴は頭でうじうじ考えてても仕方ないんだよ。だから身体
に任せることにした﹂
﹁一皮むけたようだな、スバル君。今の君はヒメヅルで見た時に比
べ、美しく光り輝いているぞ﹂
先程まで恨みをぶつけてきていた相手と、がっちり握手する英雄。
軽い。なんというか、これでいいのか。
﹁正直な所、それでもアンタ等と一緒に戦うのに抵抗が無いってわ
けじゃないんだ﹂
握手をしたまま、スバルが言う。
1126
笑顔に若干陰りが見え始めてきていた。少し落ち着いてきたよう
に見えなくもない。
﹁でも俺にやれることがあるなら、最後までやりたい﹂
﹁わかった。改めて、ようこそ蛍石スバル君。我々は君を歓迎しよ
う﹂
﹁我々っつっても、二人しかいませんけどね﹂
メラニーが野暮なツッコミを行うも、二人の馬鹿は意に介した様
子はない。
その態度に若干の苛立ちを覚えるが、メラニーはあることに気付
いてスバルに話しかけた。
﹁布きれ女は?﹂
﹁あ﹂
﹁ちょっと﹂
ここでその一言は無いだろう。
メラニーは頭を抱えながら馬鹿を見やるが、アーガスは対照的に
どこか納得した様子だった。
﹁ふむ。まあ、それが美しい選択だろう﹂
今度の戦いは恐らく、彼女を庇いながら行えるものではない。言
い方は悪いが、戦えない者は邪魔でしかないのだ。
それならば、最初から居ない方がいい。倒れた仲間たちの様子を
見ることができる者も必要だ。
﹁あ、後で本人にきちんと謝るよ! それで、状況は!?﹂
﹁うむ。先ず、ネックなのが避難だ﹂
1127
テーブルの上に広げてあるトラメットの全体図を示し、勇者は説
明する。
この街は鋼の壁に覆われた住宅都市だ。だが、あの巨人のように
空を飛んで侵入されればひとたまりもない。
﹁彼らにも生活がある。なるべく非難するように言っているが、2
4時間で行えるものではないだろう﹂
ゆえに、最悪住民が逃げている途中で戦う事を想定する。
その為に必要となる要素は、巨人を街の外へと押し出す事だ。
﹁分かってるは思いますが、これはアンタにしか任せられない仕事
ですよ﹂
﹁ああ﹂
メラニーによる厳しい視線を受け止めつつ、少年は頷く。
巨人の体格に対抗できるのは、現状ではブレイカーのみ。この中
でそれを最も上手く行えるのは、彼だった。
﹁獄翼は常に街の中に配置しておきたまえ。巨人が現われたら、す
ぐさま飛びかかって壁の外へと放りだすのだ﹂
そうすれば、少なくとも住民たちが食われる心配はない。
自分たちが負けなければ、の話ではあるのだが。
﹁その後は?﹂
﹁⋮⋮一度、交渉してみるつもりでいる﹂
相手は知能がある。
1128
話しかければ応じるし、逆に向こうからコミュニケーションをと
ってくることも可能だった。
だが、大樹の外に出てからの彼の様子は明らかにおかしい。
アスプルを食らって自我が完全に崩壊したのか分からないが、怪
獣のように唸りをあげるばかりだ。果たして今の彼がアーガスの言
葉に応じるのか、疑問はある。
﹁ダメだったら?﹂
﹁総出で戦う。美しいとは言えないが、今はこれしか無い﹂
全く作戦とは言えない作戦だった。
勿論、時間が許す限り考えるつもりなのだが、それでも頼れる戦
力が少なすぎる。
そして新人類王国は動く気配なし。
自国の守りに専念する構えだ。メラニーも今回は王子の独断に付
き合って出撃している以上、下手に応援を呼ぶことができない。
﹁他に頼る手段があるとすれば、音波にやられた者の協力を得る事
だ﹂
アーガスは思い出す。
神鷹カイトが取り込まれた獄翼を相手にして、巨人はされるがま
まだった。もしも彼らを復活させることが出来れば、勝率はグッと
上がる筈である。
﹁そういえば、音波にやられた連中は具体的にどうなってるんだ?﹂
一応、スバルは医者に病状を聞いてはいる。
だが限られた設備しかない病院では、彼らの容態を詳しく調べる
1129
事が出来なかった。例えで植物人間と言われたが、正確な病状があ
るのであれば知っておいて損はない。
﹁⋮⋮今、この街で一番大きな病院で彼女の上司が眠っている﹂
その彼女を調べた結果、俄かには信じられない事が起こっている
ことが判明した。
﹁スバル君、人間の身体が脳からの命令で動いていることは知って
いるね?﹂
﹁ああ。それがどうしたんだ?﹂
﹁彼らは今、その伝達をかき乱されている。喋ろうと思っても喋れ
ず、動こうとしても動けないのだ﹂
再生能力を保持しているカイトですら未だに昏睡状態にあるのは
これが原因だった。
自動的に傷を治せと細胞に命じるも、その伝達が届いていないの
である。
その他の動作も同様だ。
﹁彼らは今、自分のやりたいことが完全にできない状態だ。もし彼
らの伝達機能を修復できれば、可能性は広がる﹂
しかし、彼らを治す方法があるのか言えば、そうではない。少な
くとも今のこの状況で、彼らが復活する可能性は絶望的だ。
﹁まあ、ここはあくまで現状の確認を含めた希望的観測だと思って
くれたまえ。何か質問はあるかな?﹂
﹁質問っていうか、お願いなんだけど﹂
1130
スバルは獄翼の装備を思い出しながら、言う。
﹁装備を整えさせてほしいんだ。トラセインの大使館で使えそうな
武器をかき集めて来たいんだけど、いいかな?﹂
現在の獄翼の武装はヒートナイフを失い、刀とダガー、そして頭
部エネルギー機関銃にピストルというラインナップである。
この中でもっとも強力な武装は刀なのだが、それが通用しなかっ
た以上、他にも活用できる武装が欲しい。背中に取り付ける飛行ユ
ニットに至っては半壊している。損傷してからすぐに切り離してし
まった為、カイトの力が及ばなかったのだ。
﹁少なくとも、飛行ユニットは代わりが欲しい。でないと、飛べな
い﹂
﹁残念だが、それは難しい﹂
深く考え込みつつも、アーガスは答える。
﹁昨日の騒動で、大使館の地下は完全に根が入り込んでいる。倉庫
は既に崩壊している認識でいてもらいたい﹂
﹁マジかよ⋮⋮﹂
武器だけではない。倉庫が封じられた以上、他のブレイカーをそ
こから準備することもできないのだ。
スバルが頼られた理由は、こういった点もある。
﹁因みに、この国で他にブレイカーを所持しているのは?﹂
﹁ない﹂
即答されてしまった。
1131
かつては反乱軍と呼ばれる軍事組織もあったようだが、彼らの集
めてきた武器は殆どギーマによって破壊されてしまっている。
つまり、自前で何とかするしかないのだ。
﹁他の国に申請できないのか?﹂
﹁やることだけは可能だが、巨人のことを信用してもらえるとは思
えん。証拠を集めて提出したとしても時間がかかるし、仮に信用し
てもらえたとしても自国の守りに専念したいことだろう﹂
新人類王国がいい例だった。
実際、彼らは襲い掛かってきたところを迎え撃つつもりでいる。
巨人が飛翔し、何時、何処に現れるか分からない以上、自国の守り
に徹するのは当然の流れと言えた。
﹁でも、流石に飛べないのは辛いと思います﹂
珍しくメラニーがスバルの意見に同調する。
客観的に見ても、飛べないブレイカーが飛んでいる巨体を抑え込
むのは難しい。
﹁だが、なんとかするしかあるまい。我々の手で﹂
﹁我々の? 誰がやるんです﹂
﹁もちろん、美しい私と君だよメラニー嬢﹂
何を言ってるんだ、とでも言わんばかりの勢いでアーガスが少女
を指差した。
﹁巨人が空を飛ぶなら、それを叩き落とすのは我々の役目だ﹂
﹁ハエ叩きと同じじゃないんです。あの図体で! しかも縦に切断
されてもぴんぴんしてるようなのを、私たちでどうやって落とすっ
1132
ていうんですか!?﹂
もっともすぎるメラニーの疑問。
しかしその言葉を受けて、アーガスはすぐさま答えを切り出した。
﹁だが、我々以外の者に任せる訳には行くまい﹂
それが現実なのだ。
誰かがやらねばならない。だが他に頼れる者がいない。
ならば、自分たちがやる。当然の流れであると、アーガスは言う。
﹁そりゃあ⋮⋮まあ、そうですけど﹂
バツが悪そうにメラニーは俯く。
獄翼と比べても遠距離で攻撃を仕掛ける事が出来る上に、身を守
る事が出来るこの二人が巨人を地面に降ろす事が出来なければ、獄
翼は空しくピストルを乱射するだけである。
﹁だが正直な所、メラニー嬢が言いたいことも分からんでもない﹂
こうして話し合ってみると、どうしても戦力不足を実感せざるを
得ない。
せめて飛行ニットさえあれば、巨人を街の外へと押し出す算段も
整えるのだが。
三人がそう思っていた、まさにその時である。
どしん、と地響きが鳴り響いた。
マンションの一室が揺れ、体勢を崩しながらもスバルが言う。
﹁も、もう来たのか!?﹂
1133
浮かび上がる可能性は巨人の襲来。
つい先日、トラセインに降り立った新生物の飛来を、三人は同時
に予想した。
﹁くそっ!﹂
毒づきながらもスバルが言うと、ベランダへと走って周囲を見渡
す。
マンションから見てやや左側に位置する場所に、そいつは降り立
っていた。
﹁あ、あれは⋮⋮!﹂
スバルは見る。その巨人の姿を。
忘れる筈もない。あの戦いを。
少年は引き締まっている黒いボディを目視すると、その巨人の名
を叫んだ。
﹁ダークストーカー・マスカレイド!?﹂
なんでこんなところに。
いや、確かに現状は教えたけども。それにしたって王国は待機命
令が出ている筈だし、幾らなんでも到着が早すぎる。
まさか偽物ではないだろうな。
スバルがそう思っていると、ダークストーカーのごっつい頭部が
彼に向けられた。
﹃師匠ー! 助けに来ましたよ!﹄
﹃仮面狼さん、お久しぶりです!﹄
1134
﹁マジで来ちゃったのかよあの姉妹!?﹂
スピーカーで呼びかけつつも、ダークストーカーが手を振ってく
る。
どこか囚人を思わせるマスクを装着したブレイカーが友好的にぶ
んぶんと手を振っている光景は、非常にシュールだった。
﹁いや、正直今は味方が一人でも多く欲しかったところだけど⋮⋮
待機なんじゃないの?﹂
そう聞いていたからこそ、スバルは素直に助けてくれとは言えな
かった。
一応、彼女たちはXXXというチームに所属している身分である。
王国が各部隊に待機命令を出しているのであれば、それに従わなけ
れば不味いと思っていたのだが。
﹃有休貰いました!﹄
﹃たっぷり1週間です!﹄
﹁本当にたっぷりだね!﹂
スバルは思う。待機命令中なのに有休なんか貰えるもんなのか、
と。
まあ、常識が通用しない新人類王国の勤務体制である。深く考え
ても意味がないと思い、スバルは早めに現実を受け入れることにし
た。
彼は馬鹿になることで適応力が高まったのである。
﹁おお、スバル君。これは思いもよらない嬉しい誤算だ﹂
後ろからアーガスが顔を覗かせ、ダークストーカーを見る。
1135
その巨人の背中には、まさに飛行ユニットが接続されているでは
ないか。喉から手が出る程欲しかった、飛行できる機体。
それが今、わざわざ有休までとってきて応援に駆け付けてくれた。
そう思うと、英雄は笑みを隠せない。
﹁これで我々の手札は増える。スバル君、彼らを招き入れてくれた
まえ﹂
﹁了解だ、アーガスさん!﹂
ベランダでハイタッチを交わす二人を見て、メラニーは思う。
また馬鹿が増えたのか、と。
果たして彼らと一緒に戦って、本当に大丈夫なのかという不安が
彼女を覆い尽くそうとしていた。
1136
第81話 vs姉妹と再会と
旧人類代表、蛍石スバル。
トラセットの英雄、アーガス・ダートシルヴィー。
新人類軍所属、メラニー・フォン・エリシャル。
新人類軍XXX所属、カノン・シルヴェリア。
その妹、アウラ・シルヴェリア。
プチ連合軍における現在のメンバー構成である。恐らくはこんな
事態でもなければ協力しえないメンバーだろう。
特に旧人類と新人類が争っているこの現代において、新人類軍に
所属している者が旧人類と協力しているのは、ゴシップ記者ならす
ぐさま飛びつくびっくりニュースだ。
﹁いやぁ、でも本当によく来てくれたな。正直助かったよ﹂
シルヴェリア姉妹をマンションに迎え入れ、スバルは言う。
その歓迎を受けて、カノンとアウラは思わずはにかんでしまった。
﹃えへへ⋮⋮師匠とリーダーたちの為なら例え火の中水の中あの娘
のスカートの中。どこにだって駆けつけちゃいます!﹄
﹁姉さん、最後の一つは色々と拙いのでやめましょうね﹂
機械音声で喋る姉を軽く小突いて、アウラが言う。
彼女の首もまだ包帯が残っているが、どうやらエレノアにやられ
た傷は喋れる程度には回復しているらしい。
﹁妹さんも傷は大丈夫なのか?﹂
1137
﹁はい。お陰様で何とか。それに﹂
アウラが若干表情を暗くする。
﹁リーダーたちがやられたとあっては、私たちは黙っていられませ
ん﹂
氷のように冷え切った瞳を向けられ、反射的にたじろぐスバル。
正確に言えば、あくまで巨人に向けられた物なのだが、結果的に
正面にいる少年を射抜く羽目になってしまった。
﹃それで、師匠。リーダーたちは?﹄
カノンも同様だ。彼女の瞳は長すぎる前髪で覆われている為、ど
んな目をしているのか見えないのだが、その奥に潜む怒りの感情は
爆発寸前である。
もしこの場に巨人がいれば、宣言通り股間に蹴りを入れて電撃を
流しに行くことだろう。
﹁⋮⋮今も眠っている﹂
﹁医者が言うには、脳の伝達を狂わされたらしい。巨人による音波
攻撃の影響だ﹂
後ろにいるアーガスがシルヴェリア姉妹に近づくと、灰色の薔薇
を渡した。
﹁持っていると良い。小さいながらもバリアを発生させる美しい薔
薇だ。君たちにとっては防護服代わりになる﹂
﹁あれ?﹂
1138
その薔薇を見た時、スバルは思い出す。
ヒメヅルから離れる際、彼に手渡された物と同じ代物だった。
﹁その薔薇って、そんな機能があったの?﹂
﹁うむ。まあ、今まで君が美しく戦ってきた連中の本気を受けたら
ひとたまりもないがね﹂
一応、当時は身を案じてくれていたらしい。
まさか彼にとっても、この少年とこんなところで共同戦線を張る
など夢にも思わなかっただろう。
﹁さあ、役者はそろった﹂
英雄の眼光が鋭く光る。
自信に満ちた笑みを4人が確認すると、全員がアーガスの言葉に
耳を傾けた。
﹁数えられる戦力は五人。直接巨人の相手をすることになるであろ
うブレイカーは二機﹂
いずれも装甲が薄いミラージュタイプ。
一撃を受ければ、そこでお終い。現に獄翼もナイフの一突きで飛
行ユニットと肩を負傷している。これがアーマータイプだったらも
う少し耐えれたのだろうが、ミラージュタイプなんだから仕方がな
い。
﹁敵は空を飛ぶ。空中戦になった場合、来たばかりで非常に心苦し
くはあるが君たちに任せることになる﹂
この場にやって来たばかりのシルヴェリア姉妹が、揃って真剣な
1139
表情を向ける。彼女たちも覚悟の上だ。敵が何者で、この場が今ど
うなっているのか師匠から聞いている。
ダークストーカー
だからこそ、無理を言って超特急で準備をした。
そして持ってきた。今持ち得る最高の武装を。
﹁やってくれるか﹂
﹃了解﹄
﹁こっちは最初からそのつもりよ﹂
場の雰囲気から、なんとなく指揮官はアーガスだと理解している
らしい。
彼女たちは迷うことなく英雄の言葉に頷いた。
﹁うむ。美しい返事だ﹂
何故か胸ポケットに差してあった薔薇を抜き取ると、口に咥えは
じめる英雄。客観的に見て、非常にキザである。
だが何時ものことなので、スバルもメラニーはなにもツッコまな
かった。
横でカノンとアウラが﹃何アレ﹄﹃きっとガムみたいに噛んでな
いと落ち着かないんですよ姉さん﹄などと囁き合っていても、彼は
たじろぐことなく続きを口にする。
﹁地上からは東にスバル君。君は奇襲に全力を注げ﹂
﹁オーケー﹂
主力になりえるダークストーカーの参戦は、少年の負担を大きく
減らすことになった。
飛行できない今、彼に出来る事は地上に降り立った巨人に切りか
かる事だろう。それもいるのといないのとでは大きく違う。
1140
﹁スバル君とは反対の位置。西側にメラニー嬢﹂
﹁了解です﹂
机の上に広がっているトラメットの地図に三つの点が描かれる。
アーガスはそれらを線で結ぶと、最終的にはその中央に新たな点
を記した。
﹁私は遊撃に入る。中央は私だ。敵を確認できた時点で、私が呼び
かける﹂
﹃無視された場合は?﹄
スバルとメラニーが問うた問題を、カノンが再び問う。
だが仮に弟と父親の意思が残っていたとしても、これ以上国に仇
を成すのであれば答えは一つだ。敗戦勇者の腹は決まっている。
﹁総攻撃だ。私だけではない。君たち全員の持ちえる全てを使って、
奴を倒す﹂
その為にも、準備は更に万全にしておかなければならない。
アーガスはこの場にいる者に向け、言う。
﹁総員、直ちに配置へつくのだ。連絡はメラニー嬢の折り紙を服に
仕込み、念ずることで行う。ダークストーカーと獄翼は今の内に装
備の組み合わせも検討しておくといいだろう﹂
タイムラグを考慮した結果だった。
名を呼ばれた三角帽子の少女は、手の中に5枚の折り紙を収めて
いる。
1141
﹁各々、傍にいなければならない人がいるだろう。今日は解散とす
る。巨人が現われたら全員で連絡を取り合うこと。現れない場合、
明日は朝九時に一旦この場に集合だ﹂
その決定に、全員が静かに頷いた。
解散後、スバルとシルヴェリア姉妹は機体を移動させて、トラメ
ットの東側の鋼壁へとやってきていた。
スバルは獄翼のコックピットの中で改めてダークストーカーを眺
め、思う。
最終決戦に出向くシュワちゃんみたいだな、と。
ダークストーカー・マスカレイドが持ってきた武装は、関東の山
奥で戦ったときに比べても量が多い。機体名に﹃決戦仕様﹄と追記
されても違和感のない出で立ちだ。
第一に、大砲の砲身なんじゃないかと思える巨大な銃を担いでい
る。
そして腰にアルマガニウムの刀を携え、両腕には二基の電磁シー
ルド。足にはナイフも装填されている。スバルは知らないが、膝に
は隠し武器としてもレーザーブレードも準備されている。
﹁すっげぇな。よくこんなに持ってこれたもんだ﹂
以前、オフ会に出発した際の自分の出で立ちを思い出す。
気合を入れすぎて全身を着込み過ぎ、達磨のように膨れ上がった
苦い経験だった。
1142
﹁仮面狼さんもあれから大分装備を失ったと聞いたので、多めに持
ってきました﹂
﹁え、俺の為に!?﹂
﹁そうですけど?﹂
獄翼の後部座席に座るアウラが、何を言ってるんだとでも言わん
ばかりに首を傾げる。彼女は現在、獄翼のサブパイロットにならざ
Xがどこ
るを得ない場合に備えて、後部座席の仕組みを勉強中だった。とは
いっても、精々モニターの動かし方とか、SYSTEM
で起動されるか程度しかやることはないのだが。
﹁いやぁ、なんか悪いな。で、どれを使ったらいいんだ?﹂
﹁望むなら、ダークストーカーに搭乗しても構いませんよ﹂
﹁いや、流石にそれはな﹂
ゲームの中の弟子の専用機である。
わざわざ現実世界に再現させたものを、おいそれと他人に譲った
らいけない気がした。
それ以上にあの機体は新人類が二人上乗る事で真価を発揮する。
旧人類であるスバルが乗ったところで、あの機体のポテンシャル
を発揮させることはできない。
﹁取りあえず、気になるのはあのドでかい銃だな﹂
獄翼と同じく、ダークストーカーは加速力勝負の接近戦を得意と
する機体である。
言っちゃあなんだが、その機体が自身の身の丈以上もの長さを誇
る砲身を抱えて勝負できるとは思えない。というか、あんなのあっ
たっけというレベルだ。
1143
﹁あれは今日、王国から拝借しました﹂
﹁どうでもいいけど、有休なのによくこんなフル装備のダークスト
ーカーを持ってこれたよね﹂
傍から見れば立派な決戦兵器である。
あれが街中で暴れただけで、その日のニュースの一面はいただき
だろう。
﹁ほら。有休中に何かあったらいけませんから﹂
﹁護身用のレベル軽く超えてるよこれは!﹂
特に刀と砲身。前者は一本を貰った身なので、その切れ味は十分
承知である。
だが今回取り出してきた砲身は明らかに護身用の範疇を超えてい
る。
人間で言えば象用ライフルだ。どこに旅行したらこんな物騒な代
物を使う機会があると言うのか。
﹁⋮⋮まあ、今まさに使う所なんだけどさ﹂
﹁うふふ。じゃあ、あれは仮面狼さんに差し上げます﹂
シンジュクではあまり見れなかった笑顔を見せ、アウラは言った。
不意打ちにも近いそれを後方から受けた少年は思わず赤面するが、
同時に思う。
なんか彼女たちも大分柔らかくなったな、と。
少なくとも妹のアウラと自分の関係は、カノンに比べてそんなに
深くは無かった。今思い出しても、少し距離を置かれていた気がす
る。
1144
まあ、カノンがぐいぐい接近してきちゃうタイプなので、十分近
い位置にいたのかは分からないのだが。
﹁なあ、妹さん﹂
﹁なんです?﹂
﹁ちょっと棘が無くなった?﹂
試しに率直に問うてみた。
すると、後方に陣取る彼女の機嫌は悪くなっていく。僅かに頬を
膨らませ、﹃む﹄と小さく呟いてからアウラは言った。
﹁どういう意味です、それ﹂
﹁いやさ。シンジュクじゃそんなに笑ってくれなかったなぁって﹂
﹁そうでしたっけ?﹂
首をひねり、アウラは思い出す。
言われてみればそうだった気がする。アウラの頭の隅にあったの
は、常にカイトへの葛藤であり、ちょっぴり残念な姉への気遣いで
あり、同時にこの頼り無さそうな少年の観察だった。
しかしそれも今となっては、姉への危惧を残すのみとなっている。
﹁んー。まあ、悩みが二つ減ったからですかね﹂
﹁二つもあったっけ?﹂
スバルが知る彼女の悩みは、カイトの一件のみである。
その為、彼は自然に質問を投げかけた。自分がその張本人などと
は露とも知らずに。
﹁あったんですよ﹂
1145
多分、実際に組み手をしたら彼はあっさりと負ける事だろう。
そういう意味では彼に敬意を抱けない。
だが、
﹁感謝してるんです。一応は﹂
﹁何か言った?﹂
﹁いーえ。別に﹂
今、アウラの眼前に座る少年は以前あった時に比べて格段に頼も
しく見えた。
関東の山奥で姉に包丁を突き付けられた際、あまりの恐怖におし
っこを漏らした人とは思えない︵漏らすなというのが酷な話だが︶。
﹁⋮⋮ちょっとかっこよくなりましたよねぇ﹂
﹁へ?﹂
﹁前見て作業しましょうね﹂
くすくすと笑いながら、アウラは少年の背中を見守る。
視線を向けると同時、顔に少しずつ熱が籠っていったのだが、彼
女はそれに気づくことなく視線を送り続けた。
1146
第82話 vs当たりくじ
マリリス・キュロは一人、トラメットの街中を車椅子で移動して
いた。幸か不幸か、彼女の座る車椅子はボタン一つで前進する優れ
ものである。なんとか鞭になった右手を巻きつかせてそれを器用に
操作しつつも、彼女は人混みの中を直線に進んでいく。
布で覆いかぶさった顔からは、表情は読み取れない。ただ、時折
吐き出される溜息が彼女の重苦しい精神状態を表現していた。
ダークストーカーが出現するよりも数十分前に、メイドのシャウ
ラとの語り合いは終わった。
だが、一方的ともいえるその会話は、彼女にとって重り以外の何
者でもない。
﹁⋮⋮なんで私が﹂
誰に向かって吐き出した言葉でもない。
ただ虚空へと向けて呟かれた小さな声は、風の音にかき消される。
彼女は冷たい空気を感じながら、シャウラの自宅でのやり取りを
思い出す。
確か、自宅に招待されてからすぐに紅茶を出された。
しかしながら、マリリスの現状は両手が無いのに等しい。無言で
それを訴えると、シャウラは悪びれた様子も無くストローを用意し
てきた。
1147
﹁これで飲める?﹂
﹁え、ええ⋮⋮まあ﹂
﹁そう、よかった﹂
それだけ言うと、サソリメイドはストローを乱暴な手つきでカッ
プの中に突き入れた。普段からこんな勤務態度なのかと疑いつつも、
マリリスは遠慮がちに問う。
﹁あ、あの。さっきのはどういう意味でしょう﹂
﹁そのままの意味よ﹂
自宅に招かれた際、マリリスは言われた。
もしかすると、お前がこの国を救うのかもしれない、と。正直な
所、心当たりがある訳でもないし、出来るとも思えない。
﹁私、アーガス様や反逆者様と比べても弱いです﹂
身体が変化した今でも、それは自信を持って言える。
大樹の中で見せつけられた人外魔境の戦いを見て、自分は到底あ
そこに立ち入りできる人間ではないと実感していた。最初から立ち
入る気など毛頭ないが、少なくともこの瞬間のマリリスはそういう
力を求められているのだと思っていた。
﹁知ってるわよ、そんなの﹂
しかしシャウラはその言葉をあっさりを受け入れる。
﹁アタシも大樹の中で反逆者が戦う様を見てる。あんなの、急場凌
ぎの昆虫人間が何人束になったところで勝てやしないよ﹂
﹁だったら﹂
1148
﹁まだ気付かないの?﹂
シャウラの長い髪の中に隠れたサソリの針が、マリリスの目の前
に放りだされる。
針の先端が机に突き刺さり、紅茶が入ったカップが僅かに揺れた。
﹁あんた、注入受けて何日目?﹂
﹁⋮⋮今日で二日目です﹂
正直な所、マリリスは注入関係の話を聞きたくない。
あんなものを取り込んでしまったせいで四肢は変わり果て、瞳の
色は不気味になり、果てには大好きだったおばさんを殺してしまっ
た。あんなもの、最初からなくなってしまったらいいとさえ思う。
﹁アタシ、注入を受けてから今日で24時間なの﹂
﹁⋮⋮それがどうしたんですか?﹂
﹁はぁー﹂
察しが悪いマリリスに呆れたのか、メイドは深いため息をついて
から向き直る。心なしか、少し苛立ちを感じさせる表情をしていた。
﹁わかんないの? アンタは明らかに他とは違う進化をしてるのよ﹂
﹁進化?﹂
その言葉に、思わず首を傾げた。
進化。頭の中に思い浮かぶのは、サルがどんどんアウストラロピ
テクスへと姿を変えていく人類のルーツの映像だ。
そんな映像を切り替えさせたのは、次のシャウラの言葉である。
﹁アタシは注入を受けて、すぐにこの針が生えた。でも他は何も無
1149
し﹂
﹁え?﹂
それはおかしい。
24時間経過した後、マリリスはまだ身体の変化に頭を悩ませて
いた。
それだけではない。注入を受けた以上、頭から針が飛び出す程度
では済まない筈だった。少なくとも、マリリスは身体全身に影響を
受けている。
後頭部だけで済んでいるシャウラが、羨ましく思える程だ。今自
身を覆い隠す布を取り外したら、マリリスは自分の姿を直視できる
自信がない。
﹁それは︱︱︱︱﹂
﹁おかしいのよ。アンタだけ、明らかに異質な進化を遂げている﹂
確かに、聞いている限り非常に異質である。
だがそれよりもマリリスの耳に残るのは﹃進化﹄というキーワー
ドだ。
﹁進化とはどういう事ですか?﹂
﹁言葉通りよ。あれに注入を受けると、細胞が異常活性化されて、
進化するの。ほら、魚も足が生えて陸にあがったっていうじゃん﹂
﹁こんなものが!﹂
シャウラの例え話を聞いた瞬間に、マリリスの理性は吹っ飛んで
しまった。彼女は両腕の布の中から両腕をメイドに見せつけ、左の
鎌を机の上に叩きつける。
﹁こんなのが、進化なんですか!?﹂
1150
﹁そうよ。望んだからアンタの腕はそうなった﹂
一般的に。
進化とは生物が世代を渡るたびに起こしていく変化のことを指す。
シャウラの言うように﹃望んだからそうなっていった﹄という主
張は一概にそうは言えないが、キリンが首を伸ばした理由が高い所
にある食料を得る為であることを考えても、あながち間違いではな
いかもしれない。
ただ、今この現状において、マリリスはその言葉を受け入れるこ
とができなかった。
﹁じゃあ、私は望んでおばさんを殺したんですか!?﹂
﹁結果的にそうなるわね﹂
七色に光る瞳がシャウラを射抜く。
当の本人は全くひるむことなく、マイペースに話し続けた。
﹁話は戻すけど、少なくともアンタは今まで注入を受けた誰と比べ
ても変化が激しいの。それこそ24時間経過した後でもまだ進化を
続けてるわけだしね﹂
ゆえに、シャウラは思う。
﹁アンタがその気になれば、あの化物と正面から戦えるように進化
すると思うの﹂
﹁︱︱︱︱わ、﹂
﹁いいわ、何も言わなくても﹂
正直、突拍子の無い話だと自分でも思う。
1151
確証のある話でもない。だが、言っておきたかった。
﹁アンタが羨ましいの﹂
﹁やめてください!﹂
﹁いいえ、やめない﹂
彼女には酷かもしれないが。
マリリス・キュロが受けた注入は宝くじの一等だった。
国の誰もが見せつけられた、英雄の敗北。圧倒的すぎる敵の力。
それに立ち向かえるだけの細胞の組み換えが、可能になる。
﹁私たちは自分で志願したわ。結果的には騙されたけど、戦える力
を得る事が出来るならそれで構わないって思った﹂
だが実際戦ってみればどうだ。
新人類の男一人に大人数で襲い掛かっておきながら、なんのダメ
ージも与える事が出来なかった。自分たちは外れくじを引いたのだ。
﹁神様は不平等よ。望んだ奴の所に当たりなんて来ない﹂
当たりを引いたのは、平凡を望んだ少女だった。
その事実が、シャウラには堪らない。もし盗める物であるのなら、
スってしまいたいとさえ思う。
﹁アンタが当たりを引いた。それが全部よ﹂
﹁⋮⋮どうしろっていうんですか、私に﹂
外れくじを引いたサソリメイドは意地悪な笑みを浮かべつつも、
言う。
1152
﹁戦いなさい﹂
それはあまりに冷酷な言葉だった。
マリリスは戦いを志願したわけではない。この力で戦いたいと思
ったことなど、ない。
捨てて、誰かに渡せるなら今すぐにでも渡してやりたいとさえ思
う。
だが今回の当たりくじは、そういう少女の所に舞い込んだ。
﹁分かってるんでしょ。もう他の連中がどんなに頑張っても、アレ
に勝てないって﹂
﹁まだアーガス様もスバルさんも生きてます!﹂
﹁同じことよ﹂
仮にも主君であり、国の英雄であるアーガスに対してこの態度。
休暇を貰ったサソリメイドは、とことん自由に振る舞い続けた。
﹁縦にぶった切られて﹂
マリリスの脳裏に、縦に割れたまま動き出した巨人の姿が浮かび
上がる。
﹁身をガンガン削られて﹂
新人類の中でも屈指の攻撃力を誇る男に身体を削がれつつも、反
撃の機会を伺った巨人の姿が浮かび上がる。
﹁それでも、まだ。アイツは生きてる﹂
例え昏睡状態に陥った新人類が復活しようと。
1153
英雄が本気で挑もうと。
旧人類希望の星の少年がその気になっても、勝てない。
アレはそういう生き物だ。そして大きなダメージを負うたびに、
どんどん強くなる。
﹁誰も勝てないなら、せめて宝くじに賭けてみたいと思わない?﹂
力ない笑みを向けられた。
マリリスは反射的に目を逸らし、再び腕を布の中へと押し入れる。
﹁まだ、皆が戦ってくれます﹂
﹁そんな事言うんだ﹂
彼女はあくまで戦士たちが勝利すると考えたいようだ。
望むのは別にかまわない。だが、それ以上にむかついたのは、自
分の可能性に目を背け続けることだ。
﹁やれることは全部やっちゃった方がいいと思うわよ。少なくとも
アタシはそうやって志願したし、彼もそうだった﹂
サソリメイドの言う﹃彼﹄が正確には誰のことを示しているのか、
マリリスにはわからなかった。
分かりたいとも思わない。
﹁私に、同じものを求めないで!﹂
辛うじて、それだけ言えた。
マリリスは車椅子に乗ると、振り返ることなく玄関へと進んだ。
その間、シャウラの瞳がずっとこちらを見ていたのだけは、なんと
なく分かってしまった。
1154
彼女の視線から逃げるようにして飛び出してからは、ただ時間を
浪費するかのようにして街を徘徊するだけである。
周囲を見渡すと、何時の間にか獄翼と見知らぬ黒い機体が寄り添
いあって武装の交換をしていた。長い砲身を手渡しているのに目が
行く。恐らくあれがスバル少年の持つ第二の切り札になるのだろう。
だが、サソリメイドはいった。
それでも勝てないだろう、と。
マリリスの目から見ても、今獄翼が握った砲身は20メートル以
上はあるように見える。そんな巨大な砲身から放たれる一撃はどれ
程の物か、想像するに容易い。
だが例えそれを受けたとしても、あの巨人は︱︱︱︱
﹁!?﹂
その光景を想像しかけたところで、首を横に振った。
己の脳にこびりついたイメージを振り払うようにして顔を背ける
と、彼女は空を見上げる。
なぜ、自分なのだろう。
戦えと言うのは、簡単だ。だが自分はあの少年のように開き直れ
る気がしない。
もしも彼らが本当に負けてしまったとき、この街はどうなってし
まうのだろう。
自分はどうなってしまうのだろうか。
言葉にならない不安が、マリリスを埋めていく。
1155
そんな彼女の視界に、黒い点が映った。
﹁え?﹂
最初は鳥か何かだと思ったが、違う。
雲の中から現れたソイツは、黒い斑点となってまっすぐ街の中に
降ってくる。
落ちてくる。
飛んでくる。
﹁⋮⋮きた﹂
トラセインを襲った巨人が、地響きを起こしつつも住宅街のど真
ん中に着地した。
頭部にくっついている青い結晶体が淡く輝くと同時、巨人は大き
く背を伸ばして雄叫びをあげる。
堂々とした、新生物の登場だった。
1156
第83話 vsパツキンナルシスト薔薇野郎 ∼巨人と家族編∼
﹁もうきやがった!?﹂
ダークストーカーから受け取った大口径エネルギーランチャーを
構え、スバルは言う。
獄翼のモニターには、見間違えるはずの無い巨人が映し出されて
いた。
﹃あれがそうですか、師匠!?﹄
ダークストーカーからカノンの通信が入る。
スバルは短く﹃そうだ﹄とだけ答えると、視線を巨人に固定させ
た。昨日から外見に変化はない。
人間を思わせるような肢体と、黒い胴体。
指の無い両手に、顔面に張り付いている青く輝く結晶体。全てが
昨日のトラセインにおける再現だった。
その時のことを思い出し、スバルは反射的に操縦桿を強く握りし
めるが、
﹁全員、そのまま合図が出るまで待機だ﹂
エネルギーランチャーの引き金に指をかけた獄翼を静止させる声
が響き渡る。アーガスだ。彼は解散前に配られたメラニーの折り紙
を通じ、全員に同じ指示を出す
操縦桿を押し倒したら、すぐにでも引き金を引くであろう機械の
巨人の動きが、僅かに震えた。しかしその動作は数秒もしない内に
1157
止まり、獄翼は長い砲身を構えた姿勢のまま待機する。
﹁メラニー嬢、被害は?﹂
﹁民家が何件が踏み潰されてます。近隣住民は急いで避難を開始し
ていますね﹂
街全体に折り紙を張り付けまわっていたのだろう。
メラニーがすぐさま状況を把握し、報告を終えるとアーガスは口
を開いた。
﹁なるほどね。では当初の予定通り私が美しく参るとしよう﹂
予定では、巨人が現われた場合は先ず交渉することになっている。
だがスバルたちは実物を前にすると思う。そんな悠長な事をして
いる暇があるのか、と。
﹁お言葉ですが司令官。中央区にいるあの怪物が、人の言葉を理解
できるとは思えません﹂
ダークストーカーの後部座席に移動したアウラが問うと、英雄は
すぐさま返答を出す。
実物を見れば、こういった質問が来るであろうことは予測済みで
あった。
﹁それでも、幼虫の時は会話を求めてきたのだよ﹂
信じられないかもしれないが、事実である。
彼はコミュニケーションが取れる生物だった。大樹の中で人の言
葉を学習し、実際に話したこともある。
1158
﹁兎に角、今は住民の避難も行っている。美しい私に任せたまえ﹂
﹁任せたまえって言っても、暴れられたら皆死んじまうぞ﹂
至極全うな台詞だった。
巨人は無差別に人を襲い、食らい始める。新人類でも旧人類でも
注入された人間でも構いはしない。人類は彼の餌以外の何者でもな
くなったのだ。
﹁なぁに、注目を集める術は知っているつもりだ﹂
英雄から放たれた言葉に、四人は深く頷いた。
そりゃあ確かに。この男がそれを理解していなかったら、誰が目
立つ技術を学んでいるのか疑問である。
﹁でも、何する気なんだ?﹂
スバルは思う。
アーガス・ダートシルヴィーはブレイカーの準備もせず、生身で
ある。同じ巨体なら巨人も必然的に目を向けるだろうが、いかんせ
ん生身のアーガスでは蟻のようにしか見えないのではないだろうか。
少年がそう危惧している内に英雄はマンションのベランダから跳
躍。
そのまま民家の屋上へと着地すると、まるでスキップでもするか
のような軽快なジャンプで一気の巨人への距離を詰めていく。
巨人との距離が殆どない、ある民家の屋上へと着地し終えると、
アーガスは右向け右。くるん、と身体を巨人に向け、高らかに笑い
始めた。
﹁はっはっはっはっ!﹂
1159
誰がどう見ても何時ものノリだった。
途端に半目になり、頭を抱えるメラニー。
ところが。
どういうわけか、巨人は足下で騒ぎ始めるパツキンナルシスト薔
薇野郎に視線を向けた。
﹁ちゅ、注目を浴びているぞ!﹂
﹃凄いです! 未知との交流ですね!?﹄
﹁んなアホな⋮⋮﹂
そのまま踏み潰されてしまうのではないかと危惧していただけに、
これは予想外だった。思わず熱くなり始める仮面狼とその弟子。
﹁大きな巨人さん。いや、それとも元協力者さんと言った方がいい
かな?﹂
そんな彼らのリアクションを知ってか知らずか、英雄はなぜか胸
ポケットにしまってあった灰色の薔薇をとりだし、口に咥え始めた。
﹁私のことを覚えているか!? この天と地と海が生み出した超人。
奇跡の子。天然記念美貌! それがこの私、美しすぎる使徒。アア
アアアアアアアアアアアアアアアアアッガス!﹂
目立つ為か、うざさも過去最大級であるとメラニーは思った。
ご丁寧な事に、あの司令塔は敵のド真ん前で﹃サタデーナイトフ
ィーバー﹄のポーズをとっている。客観的に見たら、ただの変人以
外の何者でもないのだが、今はそれが功を成していた。なんか納得
いかないが。
1160
﹁ううむ、やはりピアノが無いと美しくない。メラニー嬢、ピアノ
!﹂
﹁私にどうしろっつぅんですか、この屑上司!﹂
返答を聞いたアーガス。
ちょっと落ち込み始めた。綺麗に決まっていたサタデーナイトフ
ィーバーは徐々に崩れ始め、体育座りへとシフトしていく。
英雄はちょっとだけメンタルが弱かった。
﹁酷いじゃないか⋮⋮そりゃあ私だって失敗はするよ? でも毎日
を一生懸命に生きてるんだよ。それを屑って酷いと思わないかい?﹂
﹁巨人が見てるんですよ! どうにか我慢してくださいピアノくら
い!﹂
完全にコントとなりつつある流れだが、この間巨人はずっとアー
ガスを見つめている。この隙にとでも言わんばかりに住民たちは避
難を進めていき、巨人の足下にはとうとうアーガス以外誰もいなく
なってしまった。
﹁凄い。巨人の注意を完全に住民から逸らしています﹂
﹃この状況の中、あそこまで計算しつくしていると言うのでしょう
か。凄い人ですね﹄
そしてこの功績を前に、ダークストーカーに搭乗する純粋な姉妹
はただ敬意の眼差し送っていた。
それを見たスバルは﹃いつも通りなだけじゃないかな﹄と捕捉し
たかったのだが、ブレイカー越しから伝わる姉妹の﹃この人凄いや﹄
オーラに押されて何も言う事ができなかった。この姉妹、いつか悪
い奴に騙されはしないだろうかと不安になる。
1161
スバルがそんなことを考えていると、アーガスは俯いた顔を上げ、
メラニーに問う。
﹁ところでメラニー嬢。住民の避難はどれだけ終わったかな?﹂
﹁え? えーっと⋮⋮もう巨人の足下はアンタしか居ません﹂
﹁よろしい。協力ありがとう。美しく感謝する﹂
してやられた、と言わんばかりの溜息が折紙越しで聞こえる。
アーガスはそんな元部下の態度に満足しつつも、改めて巨人へと
向き直った。
﹁ああ、巨人君。美しく待たせて済まなかった。私の部下は聞き訳
が無くてね﹂
とんがり帽子を被った少女による猛抗議が折紙から聞こえ始める
が、アーガスはこれを涼しい顔で無視。
騒がしいBGMだと思いつつ、巨人へ言葉を送り続ける。
﹁さて、改めて質問するが、君は私が分かるかね?﹂
核心を突いた質問を送ってみる。
アーガスは巨人がこの街にやってくるであろうタイミングを、大
体掴んでいた。幼虫の頃、彼に餌を与えていたのはアーガスである。
その頃と大して変わらない時間に食事を行いに来たということは、
習性的な部分はあまり変化がないと結論付けていた。
ならば、意識もそこまで変化がないのかもしれない。
もし意思を保ち続けているのであれば、話し合いを持ちかけて﹃
約束﹄をチャラにしてもらう。彼に新人類抹殺を依頼した男は、既
1162
にもうこの世にはいない。
﹁⋮⋮⋮⋮﹂
だが、アーガスの思考とは裏腹に、巨人はただひたすら無言を貫
いていた。﹃進化﹄したことで言語機能を完全に失ったのかと感じ
たが、それならそれで彼なりのコミュニケーション方法を模索する
筈である。
彼はそうやって学習することで、生き物としてステップアップを
果たしてきたのだ。
﹁どうした。私と君は何度か顔も合わせている。もしやと思うが、
私の美しすぎる顔を忘れたわけではあるまい﹂
その発言に反応するようにして、頭部の結晶体が眩く輝き始めた。
青い光がアーガスを包み込む。
思わず防御の姿勢を取るが、巨人の頭が光り輝いた後、特に何も
襲い掛かってはこない。
﹁⋮⋮ニイサン﹂
﹁!?﹂
代わりに飛び出したのは、言語だった。
巨人の頭部が僅かに発光し、こちらに言語を伝えてきているので
ある。
いや、それも驚きではあったのだが、それ以上に驚愕なのは彼が
アーガスをどう呼んだか、だ。
﹁ニイサン﹂
1163
巨人が再度、同じ言葉を投げかける。
声色はこの世の物とは思えない程悍ましく、甲高いものではあっ
たが。
アーガスにその言葉を向ける人物は、一人しか心当たりがない。
﹁アスプル、なのか?﹂
問いかけつつも、アーガスは巨人を見上げた。
彼だけではない。巨人の言葉を聞いたスバルも、その挙動に大き
く注目していた。
﹁アスプル君!?﹂
だが彼は、食われた筈だ。
己の意思で新生物の血肉となる事を望み、その願いのまま口の中
に運ばれていった。その光景を、スバルはしっかりと目に焼き付け
ている。
スバルは獄翼の指にかけられている長い砲身を降ろすと、画面に
再び注視した。
﹁ニイサン﹂
﹁そうだ。私は君の兄だ、アスプル! 聞こえているのか!?﹂
思わぬ展開になってきた。
巨人にはアスプルの意思がある。ならば、他の人間たちの意思も
あるのかもしれない。
彼らの意思を信じつつも、アーガスはゆっくりと語りかけた。
﹁頼みがある。今、君はトラメットを襲おうとしている。分かるか、
1164
我々の暮らしてきた国だ﹂
﹁ク⋮⋮ニ⋮⋮﹂
﹁そうだ。我々が守りきれなかった国だ﹂
タイラント
アーガスの脳裏に、王国に敗北した映像が浮かび上がる。
彼は唇を深く噛みしめつつ、言った。
﹁あの敗北は私が弱いために引き起こしてしまった。そしてその時
のショックが、また新たな悲劇をこの国に呼び起こそうとしている﹂
否、正確に言えば既に悲劇は起きている。
首都、トラセインは崩壊し、多くの住民の生命が犠牲になった。
その有様を、二度と再現させまいとアーガスは心に誓う。
﹁アスプル、もう止めよう。住民を犠牲にした上で我々が王国に勝
利しても、後に残るのは空しい街だけだ﹂
そんなものは、決して自分たちの望んだ物ではない筈だ。
数多の犠牲をだし、国を壊滅寸前にまで追い込んで得る勝利。そ
んなもので、この国や自分たちの受けた痛みが解決するとは思えな
い。
﹁本当なら、もっと早く言うべきだった。間違ってると﹂
だが、アーガスには言えなかった。
家族の暴走は自分が引き起こした物だと、責任感を感じてしまっ
たからだ。ならばその為に自分も手助けをするべきだと考えたが、
今は違う。
﹁しかし。もう失ってからでは遅いのだ﹂
1165
弟に向け、アーガスは優しく語りかける。
同時に、厳しい眼で巨人を見つめた。
﹁お前の望みとは別の答えになるかもしれない。だが、新人類王国
を倒したところで、このまま突き進めば人類が滅びるだけ。国の栄
光など、ありはしない﹂
巨人の頭部に光が集中し始める。
何かしらの動揺か、感情の変化を表したものだと思いたい。これ
でアスプルが答えてくれないのであれば、今度はスバル少年に交渉
役を代わってもらう事も視野に入れる必要がある。
そう考えながらも、英雄は巨人に対して呟いた。
﹁やり直そう。我々家族で﹂
本心を口にしたつもりだ。
もしもこれで届かないなら、スバルに全てを托そう。
アーガスが半ば祈りながら巨人を見つめると、彼はゆっくりと言
葉を発した。
﹁ニイサン⋮⋮ニイサン⋮⋮﹂
﹁アスプル?﹂
様子がおかしい。
アーガスは覗き込むようにして巨人を見つめると、彼の頭部が突
如として赤く輝き始めた。
巨人は言う。
1166
﹁ニイサン⋮⋮シンジンルイ﹂
﹁あ、アスプル!?﹂
こちらを見つめていた巨人が、ゆっくりと右腕を振り上げた。
英雄の表情が青ざめる。
﹁ホロベ! ゼンメツ! ハカイ!﹂
腕が振り降ろされた。
それを確認すると、アーガスは悔しげに顔を歪ませながら避難を
開始する。
﹁シネ! キエサレ!﹂
腕が民家に叩きつけられた。粉砕された民家の残骸がアーガスの
周辺に飛び散る中、彼は折紙に向けて叫ぶ。
﹁交渉は︱︱︱︱断念する!﹂
その決定が下された直後、中央区を囲んでいた三つのシルエット
が一斉に動き始めた。
1167
第84話 vs姉妹と怪物と
アーガスの言葉を合図として、待機していた四人が動き出す。
そんな中で僅かに動きが遅れた機体が一つ。スバルが乗る獄翼だ。
彼はエネルギーランチャーを担ぎ、照準を合わせつつもアーガスに
向けて叫ぶ。
﹁おい、今のはなんなんだよ!?﹂
つい数秒前。
照準に合わさった巨人は、亡き友人の言葉を語り始めた。動揺が
スバルの身体に取り付き、蜘蛛の糸のように絡みついてくる。
﹁あれはアスプル君なのか!?﹂
﹁あれは弟であり、弟ではない!﹂
同じ動揺を抱いたのだろう。
間近でそれを見ていたアーガスが、すかさず己の解答を出した。
﹁奴は食った人間の栄養だけではなく、意識も取り込んできた。そ
れこそ、己の自我が崩壊する危険があるほどに!﹂
例えて言えば、大量の絵の具を注いで一気にかき混ぜたような物
であるとアーガスは思う。
掻き混ぜられた後の絵の具は元の色を留めておらず、ただ真っ黒
になるだけだ。あの巨人も、食らった人間の意識が混ざり過ぎて意
識が真っ黒になっている。
1168
﹁だが、その中でも多くの人間が確立してきた意思がある!﹂
新人類王国への復讐。
自分たちと同じ痛みを、アイツらにも。
そんな憎しみが、新生物の中にどんどん蓄積していってしまった。
アーガスが住民を暴徒とさせる為に炊きつけたのだ。
﹁奴は新人類を抹殺するつもりだ! もはや私が誰であるかも、理
解していないだろう﹂
ジェノサイドマシーン
それはまさに、本能の赴くままに敵を倒し続ける殺戮兵器である。
新人類は根こそぎ破壊対象にされ、残された人類も巨人の前では
餌同然。
﹁あれをこれ以上この街に留めておくわけにはいかない。ダークス
トーカー、獄翼。街の外へと追い出すのだ!﹂
﹃了解!﹄
元気のいい返事が聞こえると同時、巨人の真横から黒い影が襲い
掛かってきた。
瞬時に巨人は振り向くも、遅い。顔面の﹃赤い﹄結晶体にナイフ
が突き立てられた。結晶体から赤い液体が吹き出し、巨体がよろけ
る。
﹁姉さん、そいつ顔面抉られても死んでない!﹂
﹃最初から通用するなんて、思ってないよ!﹄
シンクロ
カノンが言うと同時、ダークストーカーの関節各部から青白い光
Yが起動し、姉妹を取り込むことで二人の身体を1つの機
が溢れ出した。同調機能だ。ダークストーカーに搭載されたSYS
TEM
1169
体へと集約させる。
その異変を察知したのか、巨人はよろめきながらも反撃の体勢に
入った。
指の無い両手の先端がぼこり、と音を立てながら崩れ、皮膚を貫
いて刃が出現する。獄翼から取り込んだヒートナイフだ。
巨人の両手から生える刃が、発光しはじめる。熱が空気を伝いつ
つも、巨人はそれをダークストーカーへと向かって振りつけた。
﹃それ、師匠のですよね﹄
カノンの機械音声がトラメットの街に響く。
一応、巨人と獄翼による第一ラウンドの全貌は覗っている。その
戦いの中で、ナイフを奪われたことも聞いていた。
﹃お前が持つなよ、それを!﹄
発光したままのダークストーカーが、右足を繰り出した。
それと同時、光り輝いていた右足の形状が変化する。足底に車輪
が出現したかと思えば、それは猛回転をし始めた。勢いよく回転し
つつも繰り出された右の回し蹴りは、突き出されたナイフをへし折
りながらも、巨人の首元を切り裂く。
﹁︱︱︱︱ッ!﹂
今度こそ巨人が雄叫びをあげつつ、大きくよろめいた。
へし折られた二本のヒートナイフが、コンクリートの大地に突き
刺さった。
﹃くらえ!﹄
1170
両手の武装をへし折ったのを好機と捉え、ダークストーカーが突
撃。
一瞬にして間合いを詰めると、頭部に突き刺さったナイフを引き
抜きながら再び右足を繰り出した。
狙いはずばり、スバルに話した通り。
巨人の股間である。
命中。
僅かに巨人の身体が宙を浮くも、ダークストーカーはそのままで
は終わらない。ダメ押しとでも言わんばかりに足から放電を開始し、
巨人の黒い身体に電流を送りつけた。
巨人の胴体が激しく揺れる。
それが強烈な電気ショックを受けたために起こった事なのは一目
瞭然なのだが、手前の一撃があったがためにそっちの威力が凄いの
だろうか、と邪推してしまう光景ではあった。
﹃師匠、パス﹄
﹁お、おう!﹂
打ち合わせも無く急に振られた為、若干戸惑うスバル。
だが蹴りを入れたままのダークストーカーが、サッカーボールを
軽くパスするかのようにして巨人を放り出すのを見ると、瞬時にそ
の意図を理解する。
﹁こいつは昨日の分だ。受けてみやがれ!﹂
操縦桿を押し倒し他と同時、獄翼が引き金を引いた。構えられた
1171
巨大な砲身。その先端に光りが集い、咆哮をあげる。
宙に放り出された巨人に向かって、光の柱が噴出される。
角度は、おおよそ45度。綺麗な半直角だったが、光は巨人にク
リーンヒット。黒い腹部を抉りつつも、そのまま巨体を街の外へと
押し出していった。
﹁流石に師匠と弟子を名乗るだけはある。美しいコンビネーション
だ﹂
二機の行動を見たアーガスの第一声がそれだった。
股間を抑えながらだったので、少々カッコ悪い状態ではあったが、
彼の目から見て十分すぎるコンビネーションだったらしい。
もっとも、スバルとしては無理やり出番を作ってもらったに等し
いのだが。
﹁なあ、カノン﹂
﹃なんですか師匠﹄
﹁今のって、俺が撃つ必要なかったよね?﹂
排熱作業を行うエネルギーランチャーをおろし、問う。
先程の一撃を見るに、やろうと思えばダークストーカーはあのま
ま巨人を外まで引っ張っていけた筈だ。
それをやらずにわざわざ獄翼へとパスしたのは、何か意図があっ
てのことだろうか。
﹃ああ、ほら。あれです。折角リアルで師匠と同じ軍に所属して戦
えるんですから、こういうのやってみたいなって﹄
﹁余裕だね、君﹂
1172
聞いてみれば、理由は結構趣味に走った物だった。
今にも舌を出して﹃てへ﹄とでも言いそうに首を傾げ、頭を抱え
るポーズが中々様になっている。
﹃二人とも!﹄
そんな会話を断ち切り、二人の意識を戻す声が聞こえる。
アウラだ。彼女の叫びが聞こえると、二人は揃って体勢を整え始
めた。
﹃もう! 相手はリーダーたちを行動不能に追い込んだ化物ですよ
!? 何を呑気にトークしてるんですか!﹄
﹁まあまあ﹂
信じられない、とでも言いたげな口調で二人を責めるアウラだが、
アーガスの仲裁が入ることで徐々に落ち着きを取り戻し始めたらし
い。
その後、彼女の声のトーンは通常のそれに戻って行った。
﹃第一、あの刀で切られて生きてる化物ですよ。腹を抉られた程度
で死ぬとは思えません﹄
普通は死ぬダメージである。
寧ろ、ダークストーカーの手によって叩きつけられたナイフだけ
でも既に行動不能になっていてもおかしくはなかった。
﹁だが、外に出たのは事実だ。後は奴を再び街に侵入させないこと
に全力を注ぐだけ﹂
アーガスが言うと、彼は疾走。
1173
街を覆う壁の前まで辿り着くと、跳躍することで一気に壁の上ま
で上り詰める。
彼は僅かに身を乗り出し、巨人を見る。
﹁!?﹂
息を飲んだ。
その音が折紙を通じて聞こえたのだろう。ブレイカーに搭乗して
いるメンバーや、こちらに向かって駆けつけているメラニーが訝し
げに問いかける。
﹁どうしました、アーガスさん﹂
﹁メラニー嬢! 街に防御の紙だ。急げ!﹂
﹁え?﹂
壁を伝い、こちらに走ってくるメラニーを制止するようにして手
を振ると、アーガスは血相を変えて指示を出した。
﹁奴はぴんぴんしているぞ!﹂
その言葉を耳に入れると同時、スバルとカノンは同時にカメラア
イをズームに切り替える。
壁の向こうに吹っ飛ばされた巨人の姿が見える。抉られた腹部に、
切り裂かれた首元の肉が徐々に繋がっていった。
それだけではない。ダークストーカーによって抉られた両腕を前
に突き出し、銃口を作り上げているのだ。
比喩ではない。両腕の肉が絡み合い、そのど真ん中に巨大な穴を
作り上げているのだ。その穴から徐々に溢れ出してくる青白い光が、
アーガスの額から汗を流させる。
1174
﹁学習したのだ、あいつは!﹂
エネルギーランチャーと言う、遠距離からの武装の知識を得た。
同時に、それがどういうものなのかも。
その事実が、彼らの表情を凍りつかせる。
﹁メラニーさん!﹂
一番防御に優れた新人類の名を呼ぶ。
が、その本人は焦りの声で返答するのが精一杯だった。
﹁ま、待ってください! 時間が︱︱︱︱﹂
﹃それなら!﹄
機械の声が少女の呟きを遮る。
壁の中から飛行ユニットを展開させ、ダークストーカーが飛翔し
た。
﹁よせ! もしエネルギーランチャーと同等のものだとすれば、電
磁シールドで弾ける物ではない!﹂
折紙を口元へ持っていき、アーガスが警告する。
が、ダークストーカーは鞘から刀を引き抜き、突撃す。
﹃防げないのなら!﹄
﹃切り落して、発射口を曲げる!﹄
姉妹が出した解答は、果たして正しいのか分からない。
だが今はそれが一番正しい選択だと感じたダークストーカーは、
迷うことなく刀を向ける。狙いは、両腕に集う光の塊。
1175
﹃はあぁぁぁっ!﹄
姉妹の声がシンクロした。
距離はほぼ0。潜り込むようにして懐に入り込んだ黒い罪人が、
思いっきり切り上げた。
が、
﹃えっ!?﹄
受け止められた。
否、正確に言えば切れないのだ。刀身は確かに命中している。だ
が、その刃は巨人の皮膚を切り裂くことなく、その場で動かない。
﹃そ、そんな!?﹄
ブレード
思わずカノンが動揺する。
刀はダークストーカーと獄翼の所持している武装の中でもトップ
クラスの切れ味を誇っている代物だ。王国内を探しても、恐らくこ
れと並ぶ切れ味の刃は存在しないだろう。
それを身体で受け止めるなど、想像もできない。いかんせん、た
だのナイフで頭を貫かれているのだ。にも拘わらず、刀に対しては
この強度。
﹁学習したんだ⋮⋮!﹂
巨人は昨日、獄翼との戦いを経て何度も同じ刀に切断されている。
その時の体験をもとに、刀に対する対策を練ってきたのだ。そう
としか考えられない。
1176
﹁だ、だけど! ナイフや電流は効果抜群の癖に、刀に対してだけ
堅いとかありか!?﹂
普通に考えて、切れ味が異常に鋭い刃を受け付けないのなら他の
攻撃も受け付け無さそうではある。
あるのだが、しかし。目の前にいる巨人は普通じゃなかった。
こいつは武器単位で学習を行い、それが出てきた際の対処法を導
き、実行している。しかも、学習スピードは明らかに昨日に比べて
早い。
﹁カノン、退け!﹂
いずれにせよ、だ。
このままではやばい。巨人の両腕から作られる光の塊が放出され
れば、ダークストーカーは無事では済まない。
﹃ぐうっ!﹄
指示に従い、ダークストーカーが腰を捻らせ、地に伏す。
直後、巨人の両腕から光が解き放たれた。光の波が噴出し、ダー
クストーカーを飛び越えて一直線にトラメットへと向かってくる。
その二つの間に、新たな影が飛び出した。
一歩遅れて壁を乗り越えた獄翼だ。スバルは素早く刀を抜くと、
迷うことなく大地に突き刺し、その背後でダークストーカーから譲
り受けた電磁シールドを展開する。
﹁凌いでやる!﹂
1177
以前、アキハバラで天動神のサイキックバズーカを防いだ布陣と
全く同じものだった。
だが、スバルは覚えている。あの時、完全に防ぎきれなかったこ
とを。
持たせて、精々数十秒と言った程度だろう。だがそれだけの時間
があれば十分だと思う。
メラニーさえ間に合えばいい。
少なくとも、今この場であの攻撃を凌ぐためには彼女の為に時間
を稼ぐ必要がある。
﹁スバル君、よせ!﹂
﹁無茶よ、旧人類!﹂
後ろの壁で、新人類の二人が何か言っている。
だが、無茶だの一言で止めれない。相手は新人類を超えた新生物
だ。旧人類の自分に出来ることなど、無茶して全力を出す以外の何
があると言うのだろう。
﹁来い!﹂
巨人に向けて、叫ぶ。
直後、光が突き立てられた刃に命中した。
1178
第85話 vs姉妹と師匠と英雄と
刀身に弾かれた光の水飛沫が、獄翼に降りかかる。
何時かのデジャブを感じながらもスバルは電磁シールドでこれを
防御。同時に大きな衝撃が獄翼を襲うが、構ってなどいられない。
﹁か、壁はまだ!?﹂
﹃話しかけないでくだださい! 気が散ります!﹄
服に仕込んでおいた折紙から、とんがり帽子を被った少女の悲鳴
にも似た叫びが聞こえる。
彼女も必死なのだ。何時もなら理由も無く吐かれる暴言が飛び出
してこないのがいい証拠である。
メラニーの状況を問いつつも、スバルは獄翼の被害状況を表示さ
せた。
僅かに電磁シールド越しに着弾したが、機体損傷率はそこまで深
刻な物ではない。直撃を受けているわけではないので、当たり前と
言えば当たり前だ。
しかし、何時でも確認できるようにしていなければ不安でたまら
ない。
今は刀身が耐えてくれているとはいえ、巨人から発せられる光の
波が何時まで続くのかも分からない。刀身で全部受け切れたらよし。
そうでない場合は、その時が来るまでにメラニーの壁が張り終わる
のを祈るほかない。
﹁うわっ!?﹂
1179
獄翼を再び振動が襲う。
再び刀身から漏れ出したエネルギーの波が牙を剥いてきたのかと
思ったが、
﹁あ、あれ?﹂
違う。
よく見れば、こちらに向かって発射されている巨人式エネルギー
ランチャーの向きが少しずつ上に向けられている。
横ならまだ分かる。
だがそれで上に向ける選択肢を、なぜ巨人が取るのだろうか。
疑問は、すぐに解消された。
巨人の足下に寝転がるダークストーカー。漆黒の罪人が両足を巨
人の銃口に向けて放っていたのだ。
蹴り上げられた銃口が天に向けられ、光の柱が雲を貫く。
﹃人の師匠に何してるんですか、このツノゴキブリ!﹄
﹃切れないなら、力で押しきるまでです!﹄
ダークストーカーに搭乗するシルヴェリア姉妹が、それぞれ巨人
に向けて敵意を送る。
﹃アウラ﹄
﹃オーケー、姉さん!﹄
姉が名を呼びかけると、妹はそれだけで意図を理解した。
蹴り上げ、巨人が後退すると同時にダークストーカーは突進。ア
ウラを取り込んだ際に具現化したローラースケートによる加速の賜
物だ。
1180
﹃せぇい!﹄
アウラが吼える。
ダークストーカーの操縦は、後部座席に座る妹の意思に託されて
いた。彼女は普段の戦闘と同じ感覚で足を前に突き出し、巨人に向
けて蹴りを放つ。
その意思を汲み取り、ダークストーカーが彼女の求める動きを再
現した。
足底で回る車輪が巨人の肌に押し付けられる。一度はその回転に
よって肉を抉ったが、今度は力任せに蹴り上げるだけだ。
強烈なハイキックを受けた巨人が両腕を解き放ち、大の字になっ
て転倒する。
﹃お待たせしました。攻撃に移ってください﹄
メラニーから通話が入る。
その声を聞いたと同時に、獄翼は展開させていた電磁シールドを
オフに切り替えた。
﹁くそっ!﹂
窮地はなんとか逃れることは出来た。シルヴェリア姉妹による素
早い転機のお陰だ。
しかしそれでも、スバルは悪態をつくことしかできない。
既に考える事を放棄しているとはいえ、あの化物には驚かされっ
ぱなしだった。獄翼とダークストーカー最大の強みである刀が通用
していないと言う事実が、少年の焦りを加速させている。
﹁アーガスさん、なんか良い手はないの!?﹂
1181
今、この場で一番巨人について詳しそうな男に問うてみる。
だが、英雄から返ってきた答えは予想に反してあっさりとしたも
のだった。
﹁ある﹂
﹁あるの!?﹂
﹁うむ。奴の細胞を塵ひとつ残らず消し飛ばすことだ﹂
あっさりと言ったが、非常に難しいリクエストである。
エネルギーランチャーで穴をあける事ができたとはいえ、その後
平然とした顔でやり返すような生物なのだ。しかも学習次第で皮膚
も堅くなると言うおまけつきだった。
﹁これまでの奴の行動を見るに﹂
そんなスバル少年の焦りを、声色で感じ取ったのだろう。
アーガスは少しでも少年の不安を和らげるために、口を開いた。
﹁特定の武器に対して身体を順応させる為に、一日の猶予が必要と
みられる﹂
つまり、だ。
﹁今、あいつに始めて見せた武装こそが奴を倒す手段となりえるの
だ﹂
スバルは反射的に放り捨てていたエネルギーランチャーを見やる。
こいつだ。こいつをぶっ放して、塵一つ残さずに焼き尽くす。現
状、スバルに残された手段はこれだけである。
1182
﹁カノン、聞こえた!?﹂
﹃はい、師匠﹄
Xに比べて制限時間
通信が聞こえてきたと同時、ダークストーカーの関節部から溢れ
出していた発光が止まった。
同調機能を切ったのだろう。SYSTEM
が設定されているのかは知らないが、巨人が大の字になって倒れて
いる最中に体勢を立て直している。
そりゃあ俺だってそうすると、スバルは思う。
﹁刀は効かない! 電気とローラースケート、もしくは俺が持って
ない武装でカタつけるしかないぞ!﹂
指示を出した。
するとダークストーカー。再び関節部が発光しはじめ、足底に車
輪が具現化する。
﹃了解!﹄
ある程度予想していたが、有効打になりうる攻撃を仕掛けるには
やはり同調しなければならないようである。
元々ダークストーカーはカノンがスバルに憧れたために、彼の好
みに合わせた武装が揃えられていた。その為、獄翼が装備していな
い武装に限定して攻撃を仕掛けろと言うと、非常に限られてくる。
﹃姉さん、制限時間は?﹄
﹃1分回復してる! 後2分30秒!﹄
本来の活動時間の半分程度。
1183
接近戦で戦うのであれば、一撃で仕留めなければならないような
時間だ。
しかしそれをするには、相手は少々分が悪い。そんな相手を倒す
のに相応しい武器は持ってきてはいるが、それも師匠に預けてしま
った。
﹃師匠、私たちが動きを封じます﹄
スバル
だから彼女は、師匠に託す。
その意思を具現化せんと、ダークストーカーは掌を巨人に向ける。
黒い指先からばちり、と紫電が溢れだした。
それは徐々に膨れ上がっていき、次の瞬間には巨人に突き出され
る。狼のように牙を剥き、紫電は巨人に噛みついた。
巨人の身体が大きく震える。
﹃持って二分です!﹄
﹃早く!﹄
﹁よっしゃあ!﹂
それ以上の言葉はいらなかった。
前線に出て戦う三人は共通認識しているのだ。あれを完全消滅さ
せるような大層な武装は、もうエネルギーランチャーしかない、と。
スバルはダークストーカーにそういう武装がないかと若干期待し
ていたが、それは儚く散って行った。
﹁今度こそ︱︱︱︱﹂
慎重に、それでいて迅速に照準を巨人に合わせる。
先程は腹を抉る程度にとどまったが、今度は大の字になって倒れ
ている分、身体全体にビームを当てやすい。
1184
射線上に上手く身体全体が入り込むような位置をイメージしつつ、
少年は巨人の身体を睨む。
﹁終わりだ!﹂
照準を固定させた。
後は引き金を引くのみ。迷うことなく引こうとした、その時だっ
た。
﹁︱︱︱︱!?﹂
音が聞こえる。
コックピットという閉鎖空間にも関わらず、関係なしに響いてく
る。黒板を爪で引っ掻いたような不快感のするノイズ。
スバルはその正体を知っていた。
﹁音波だ! カノン、妹さん!﹂
﹁心配無用だ!﹂
対新人類用の殺戮兵器。
あのXXXの先輩戦士達や王国の誇る戦士ですら昏睡状態に陥れ
た必殺の奥儀も、アーガスの自信に満ちた言葉の前に霞んでいく。
﹁私の貸し与えた灰色の薔薇は、この程度の音波の侵入を美しく許
さんよ!﹂
現にダークストーカーは体勢をそのままにして、電流を流し続け
ている。
カイトの時のことを考えれば、頭を抱えて苦しそうにのた打ち回
っていても不思議ではなかった。
1185
それをしないということはつまり、効果が無いと言う事だ。
それを意識すると、スバルは無意識のうちに安堵する。
が、
﹁あれ?﹂
そこで少年は気づいた。
目の前が真っ暗になっている。照準を合わせた筈の巨人の姿はな
い。
軽く周囲を見渡してみる。誰もいない。
トラメットの街も、アーガスも、メラニーも、ダークストーカー
も、巨人でさえも。
何も見えない。
なにも映らない真っ暗な空間の中に、少年の意識はトリップして
いた。
﹁なんだ!? 何があった!﹂
折紙に向けて叫ぶ。
だが、紙の向こうからの返答は何も聞こえない。ならば、と思い
獄翼のスピーカーを通じて叫ぼうとするが、
﹁ない!?﹂
さっきまで握っていた筈の操縦桿が無い。
座っていた筈のメイン操縦シートも無い。
獄翼すらも、無くなっている。
1186
気付けばスバルは、ただ一人真っ暗な空間の中に放り出されてい
た。
巨人による新たな攻撃かと思い、警戒する。
が、神経を尖らせて周囲を観察しても、彼を歓迎するのは無音の
み。何かが殴ってくる事も無ければ、誰かが襲い掛かってきたわけ
でもない。
﹁どこだ!? いるんだろ!?﹂
少年が叫ぶ。
その声は響く事も無く、ただ少年を息苦しくさせただけだった。
同時に、混乱もさせた。
一体何が起こったのか。他の皆は大丈夫なのかと思っているとき。
それは突然、彼に襲い掛かった。
﹁︱︱︱︱︱︱︱︱!﹂
激痛だった。
真上から槍で突き刺されたかの様な激痛が、少年を襲う。
痛みに耐えきれず、少年は悲鳴をあげた。今までの16年間であ
げたことのない、動物の叫び声のような悲鳴を、力の限り吐き出し
た。
痛みは頭から全身に流れてくるようにして少年の身体を覆い、意
識をブラックアウトさせていく。
堪える術も持たなかった少年は、痛みに屈して転倒した。
1187
﹃師匠! どうしたんですか、師匠!?﹄
ダークストーカーから悲痛な呼び声が響き渡る。
カノンが必死に呼びかける中、後部座席に座るアウラは司令官に
呼びかけた。
﹃司令官、仮面狼さんの様子が!﹄
﹁分かっている!﹂
アーガスが毒づく。
数秒前にスバルはダークストーカーの身を案じた。だがその直後、
彼から動物の叫び声のような悲鳴が響き渡ったのである。
﹁アーガスさん、まさか!﹂
その現象に、メラニーは心当たりがあった。
勿論、アーガスも同じ考えを持っている。
持っているが、しかし。
あれは新人類用の技ではないのか。
相手の脳を刺激し、昏睡状態に陥れる強烈な音波。少なくとも、
昨日の段階ではスバルに影響は無かったはずだ。
﹁確認する!﹂
1188
アーガスが息を切らしつつも、叫ぶ。
彼は超スピードで獄翼の足下まで駆け寄ると、そのまま跳躍。だ
らん、と垂れ下がった獄翼の腕に着地すると、そのまま腕を伝って
コックピットまで移動した。
﹁失礼⋮⋮﹂
本来はこういう力任せの行動は、彼の主義に反することだ。
だが今は、状況が状況である。
ハッチに手をつけると、綺麗な顔つきからは想像もできない怪力
で、コックピットをこじ開けた。
﹁⋮⋮!﹂
いた。大凡想像通りの惨状になった少年が、コックピットの中で
意識を失っている。
アーガスは素早く乗りこんだ後、スバルの頬を叩いて呼びかけた。
﹁スバル君、気をしっかり持ちたまえ!﹂
音波を防ぐ灰色の薔薇は、ヒメヅルに迎えに行った際に手渡して
はいた。
だがあの後、父親を殺された彼が、何時までも仇から貰ったプレ
ゼントを保持しているわけが無かったのである。
彼の身は無防備だった。
同時に、巨人の学習力を甘く見ていた。
アーガスは返事のない少年を後部座席に運ぶと、拳を震わせつつ
言う。
1189
﹁やられた﹂
その言葉に、覇気は無い。
ブレイカーに乗らなければ戦力として数える事の出来ない、この
中で最も非力だった少年が最初にやられた。
その事実が、アーガスの責任感を大きく揺さぶった。
﹁スバル君も、脳をやられた﹂
一瞬、静寂が場を支配した。
ややあった後。その事実を受け入れるのを拒むようにして、ダー
クストーカーから悲痛な叫びが上がる。
﹃あれは旧人類には効果が無いんじゃないんですか!?﹄
﹁奴にとっては初めから関係なかったのだ! そんなものは!﹂
やろうと思えば、彼は旧人類だろうが新人類だろうが脳に攻撃す
ることができた。いや、もしかすると今日、やっとできるようにな
ったのかもしれない。
いずれにせよ、巨人にとって﹃区別﹄など必要ないのだ。
﹁昨日は山田君が脅威だったから新人類に攻撃した! 今日はスバ
ル君が脅威だったから旧人類に攻撃した! それだけのことだ﹂
ダークストーカーの腕から放たれる電撃が、弱まっていく。
制限時間が近づきつつあるのだ。それ以外にも、動揺が強いのだ
ろう。彼女たちはその後、無言だった。
﹁⋮⋮許せん!﹂
1190
代わりに唇を噛み締めたのは、アーガスだ。
彼は後部座席から身を翻すと、メイン操縦席に着席する。
﹁カノン君、後どれくらい巨人を拘束できる!?﹂
﹃ぐじゅ⋮⋮も、もう限界です!﹄
折紙の向こうで、鼻水混じりの叫びが返ってくる。
だが、アーガスは敢えて言った。
﹁10秒でいい! 持たせろ!﹂
アーガスが操縦桿を握り、獄翼の腕が再びエネルギーランチャー
を構える。
照準は既に、理想的な場所にセットされていた。
流石だ。
アーガスは少年の腕前に感心した直後、彼に代わって引き金を引
いた。
1191
第86話 vs黄金の美少女破壊光線 ∼特大版∼
アーガス・ダートシルヴィーは偉い人だ。
どのくらい偉い人かと言えば、新人軍に所属してから僅か4年と
いう短いキャリアでありながら、異国の地で大使館を任されるくら
いには偉い。
彼はブレイカーの動かし方も理解していた。
それだけに特化された新人類に比べたら操縦テクニックは落ちる
が、それでも引き金を引くくらいはできる。
だから、操縦席に座ること自体は特に抵抗は無かった。
抵抗があったのは、本来この場所に陣取るべき少年がこの戦いで
犠牲になった事だ。
アーガスは彼に対し、後ろめたさを持っている。
彼の管轄内で少年の父は死に、友人も死んだ。そして彼の仲間も
皆、今回の一件で倒れてしまっている。全て自分たちがしでかした
ことだ。
アーガスはただ思う。
すまない、と。
それ以外の言葉を吐き出すことが出来なかった。
あの少年や、同居人の超人。果てには巻き込まれた街娘や国民た
ちの事を思うと、胸が痛む。心が軋む。
どうしてあの時、間違っていると言えなかったのだろう。
どうしてあの時、彼らのように身体を張ってまで立ち向かう事を
1192
しなかったのだろう。
トリプルエックス
今は倒れた、XXXの超人は言った。
痛みはお前の物だ、と。
それを背負って今を生きていくためには、どうすればいいか。罪
に対し、罰を負えというのであれば、喜んで受け入れよう。
だが、その前に。
己の心に、貫くような痛みを与えたアイツを野放しにしておくこ
とだけは、許せない。
あれは自分の罪の化身だ。だからこそ、自分が倒さなければなら
ない。
﹁オ、オオオオオオォォォォォォォッ!﹂
英雄が吼えた。
そんな彼の一面を見るのは、元部下のメラニーでさえも初めての
ことであった。
激情が英雄から放たれる。彼の怒りをそのまま背負い、獄翼から
放たれたエネルギーランチャーの光が巨人を襲う。
命中。
光の先端が巨人に着弾したのを、アーガスは見た。
どうだ。
己の視力をフルに生かし、アーガスは巨人を見やる。
だが、彼の視線の先にいたのは巨人などではなかった。
赤い肉団子。
トラセインに解き放たれた巨大芋虫が獄翼に切られ、苦しみ悶え
1193
ながらも形を変えた姿だった。
﹁このタイミングで!?﹂
事の一部始終を見守っていたメラニーから聞いている。
あの巨人は、芋虫から肉団子になる事で己の肉体を凝縮し、今の
巨人の形になっていると聞いた。
その形態になったと言う事は、また形態を変化させるつもりなの
か。
エネルギーランチャーの直撃を受け、皮膚が焼かれているこの状
況下で。
﹁司令官、アレはヤバいんじゃないですか!?﹂
襟の中から僅かに角を見せる折紙から、そんな声が聞こえてくる。
同調を解除したダークストーカーからだった。スバルがやられた
ショックから少しは立て直したのか、鼻水の音までは聞こえない。
もっとも、あの時鼻水を流していたのは人口声帯で喋る姉の方で、
今声をかけてきたのは妹の方なのだが。
﹁ああ、ヤバいだろうね!﹂
そんな妹の声に、アーガスはそう答える事しかできなかった。
巨人の身体は大凡20メートル。このままの大きさであれば、射
線を調整することで十分身体全体を消し飛ばす事もできる。
ただ、身体を変貌させて凝縮していた肉が解き放たれた今の新生
物は、直径40メートル近く。ここまで巨大になられてしまっては、
精々穴をあける程度しか期待はできない。
せめてもっと巨大な射撃兵器が欲しい。
1194
考えられる可能性として、元の芋虫ですら飲み込んでしまいそう
な巨大な兵器。すぐさまアーガスが思いついたのは、宇宙を漂うデ
ブリを落とすというものだったが、そう都合よく宇宙からの支援攻
撃が飛んでくるとは思えない。
やはり今ある物でなんとか工夫して、あの肉団子を焼き払う手段
を考えなければ。
そんな使命感をアーガスが感じ始めると同時、折り紙から少女の
声が響く。
﹁二機とも、すぐに退いてください!﹂
トラメットの壁にいるメラニーが叫ぶ。
モニターを拡大してみれば、彼女は額に金色の折り紙を当ててい
る。あの折り紙を使った場合、どのような超常現象が起こるのか、
元上司であるアーガスはよく知っていた。
そして都合のいいことに、壁の前にはスバルが街を守るために突
き刺したままになっている刀が一本。
﹁ダークストーカー、聞こえたかね?﹂
﹁は、はい! でも、どうする気なんですかあの娘!?﹂
アウラが問う。
するとアーガスは今この場にあるあらゆる可能性を吟味したうえ
で、こう言った。
﹁恐らく、我々に残された最後の手段だ!﹂
だから彼女の射線上に入ってはならない。
短い言葉にそんな意志を強く埋め込むと、獄翼は後退。突き立て
1195
られた刀の横に陣取る位置で、体勢を立て直す。
ダークストーカーも同様だった。機体ダメージはそこまで激しく
ない筈だったが、心なしか動きにキレがない。精神的なダメージが
そのまま機体に反映されているように見えた。
アーガスは思う。彼女たちは不安定だ、と。
この短い間、よく頑張ってくれたがパイロットに限界が見えてい
る。厳しく言ってしまえば﹃それでよく兵士として務まるな﹄と言
えるのだが、善意で駆けつけてくれた彼女たちにそれを言うのは非
常に心苦しい。
それに、今もはそれを指摘するべき場面ではない。アーガスはそ
れを深く心に刻むと、メラニーに向けて言った。
﹁こちらは何時でも大丈夫だ、メラニー嬢。美しく決めたまえ!﹂
﹁どうきめろっつーんですかね!?﹂
言いつつも、メラニーは心の中で詠唱を済ませた金色の折り紙を
壁から放り投げる。
すると、折紙は吸い寄せられるようにして地面に突き刺さった刀
へと向かって行き、刀身へと張り付いた。
直後、刀が発光。
眩い光を放つそれは、刃先に向けられている肉団子に向けて大き
く口を広げた。
﹁私の破壊光線は、貼り付ける対象がでかければでかい程、渦巻く
パワーも大きくなります﹂
メラニーが勝ち誇ったような表情で言う。
彼女としては、既に勝利を確信しているらしい。
1196
﹁その図体で、足も無く、羽も無い! 避けれますか、この黄金の
美少女破壊光線特大版!﹂
ネーミングは、できればもう少々捻ってほしかったところではあ
る。
しかしそのパワーについては、まさに﹃折紙つき﹄。
刀から特大の光が、扇状に広がっていった。光は大地を抉り、木
々を焼き払い、空気に熱を伝えながらも、真っ直ぐ肉団子へと襲い
掛かる。
﹁うっ!﹂
眩しい。
特大版と自負するだけあって、眩さも最高クラスだとアーガスは
思う。
少なくとも、共に勤務してきた中ではこんなに眩いことなど一度
も無かった。
反射的に目を抑え、光が弱まるのを待つ。
ややあってから、その時は訪れた。
正面に広がる光の世界が収まるのを確認すると、アーガスは視線
を改めて前方へと向ける。
﹁⋮⋮やった、のか?﹂
見た限り、正面に見えるのは焼野原だけだ。
黄金の美少女破壊光線︵特大版︶によって荒野は広がり、その先
に生命は生きていない。残っていたとしても、それは灰になった骨
だけだろう。
1197
﹁どーですか! この天才美少女メラニーさんが、しっかりと引導
を渡してあげましたよ!﹂
技を仕掛けたメラニーは得意げである。
だが鼻を伸ばす彼女を余所に、ダークストーカーは振り返ること
なく正面を見続けていた。
﹁どうしたのだね﹂
その様子を不審に思ったアーガスが、姉妹に尋ねる。
僅かながらに震えた声が、襟の中から届く。
﹁ねえ、司令官。それと美少女さん。さっきのあれって、辺り一面
を焼き払ったのよね?﹂
アウラの問いに、メラニーは笑みをこぼしながら答える。
﹁トーゼンです! あれをマトモに浴びて生きてるなら、それこそ
生物として終わってますよ。色んな意味で﹂
﹁ダークストーカー。まさか、奴はまだ生きていると言うのかね?﹂
考えられる限り、最悪の可能性をアーガスが挙げる。
今ので死んでいないのであれば、打つ手なしだ。エネルギーラン
チャーに対する回答は出され、巨大な敵を倒せる特大版破壊光線す
ら通用しないのであれば、もう何を持ってあの生命体を戦えばいい
のかわからない。
どうか間違いであって欲しいと願いつつも、英雄はダークストー
カーからの返事を待った。
1198
﹁じゃあ、あれは何よ﹂
アウラが言う。
彼女の声は、完全に震えていた。何かに恐怖した、という表現が
当てはまりそうな、そんな声。
彼女の意思を反映させるようにして、ダークストーカーは前方を
指差す。
砂塵が舞ってよく見えなかったが、指し示されたことで﹃それ﹄
はよく見えるようになった。獄翼とメラニーの視界にも、それは映
り込んでくる。
﹃⋮⋮穴、です﹄
荒野の中にただ一つだけ開いている、巨大な穴。
信じられない、とでも言いそうなトーンで人口声帯が口を開いた。
﹃答えてください。今のは、穴の中でも効果があるのですか?﹄
問われた言葉に、メラニーは反応できなかった。
否、答えなんて判りきっている。彼女の無言が、ダークストーカ
ーに答えを出していた。
﹃そうですか﹄
どこか諦めたようにカノンが呟くと、ダークストーカーは静かに
ナイフを抜いた。
同じように、獄翼もエネルギーピストルを抜く。
今日、始めて獄翼に搭乗したアーガスは急いで装備を確認するが、
残された武装で新生物に使用しなかった武装はこれとダガーのみ。
なんとも心もとない装備だった。
1199
﹁ダークストーカー、これ以上の武装を用意することは出来るか?﹂
﹃王国にでも帰らない限り、厳しいですね﹄
﹁なるほど。では別の方向で攻略法を探そう﹂
アーガスは考える。
新生物が地中に逃げた。その事実は、彼女たちの戦意を大きく削
ぎ始めている。
なんとかして攻略法を見出し、目標だけでも立てなければならな
い。
直観的にアーガスは提案した。
﹁再び敵を捕まえることはできるか?﹂
﹃SYSTEMが活動限界時間を迎えています。もう一度使う為に
は、少なくとも5分は空けないと﹄
﹁なるほど。ではそれまでの間、全力で足掻くとしよう﹂
一応、手はある。
地中に潜った新生物を再びダークストーカーが捕獲し、今度は電
流を流した状態でメラニーに大技を放ってもらう。
これなら地中に潜る術も無く、焼き払える筈だ。
課題は、彼女たちがやられないこと。
﹁これ以上、誰一人として欠ける事は許されない。全員、それを強
く意識してほしい﹂
アーガスが言うと、折紙から三つの少女の声が響く。﹃はい﹄と
いう、了承の意思だ。
それを聞いたアーガスは静かに頷くと、周囲に意を配る。
1200
﹁⋮⋮いました!﹂
最初に異変を察知したのはメラニーだ。
彼女は地面に突き立てられた刀を指差し、叫ぶ。
﹁刀の真下です!﹂
獄翼とダークストーカーが振り向くと同時、刀が突き刺さってい
る個所が盛り上がった。
膨れ上がる大地に向けて獄翼は素早くピストルを向け、発砲。
大地の中に潜む何者かにダメージを与えるも、地中からの蠢きは
止まらない。
﹁むっ!?﹂
直後、地面から黒い影が飛び出してきた。
それはピストルの射線上を掻い潜り、素早く獄翼の肩を貫いてい
く。振動がコックピットを襲い、アーガスを揺らした。
彼の正面モニターに被害報告が出される中、英雄は見る。
﹁⋮⋮また、酷く悍ましいな﹂
地中の中から、巨人の頭が見えた。
首から繋がる胴体も健在である。ただ、肉団子よりも前の形態と
比べて違うのは、胴体から生えるのが四肢ではなく、無数の黒い触
手だった事。
黒い線は巨人の身体を支え、蜘蛛の足のように大きく広げる事で
安定性を保っていた。
アーガスは思う。
1201
なるほど、あのたくさんある足を使って穴をあけたのか、と。
あの一瞬でよくもここまでやれるものだ。ここまでくると、呆れ
て物が言えない。
だが、嘆息するよりも前にアーガスは叫んでいた。
﹁絶対に街の中に入れてはならん!﹂
地中を掘り進んでいった新生物が、壁の目前にまで移動してきた。
その事実が、彼らを更に追い込み始める。
だが新生物は、それでもまだ足りないとでも言わんばかりに。頭
部に張り付いている赤い結晶体を発光させた。
﹁えっ︱︱︱︱!﹂
新生物の頭部から閃光が放たれる。
それをブレイカーに乗るパイロットたちが認識したと同時、トラ
メットを囲んでいる壁の一角が爆発した。
ついさっきまで、メラニーがいた場所だった。
1202
第87話 vsマリリス・キュロ ∼運ぶくらいなら編∼
マリリス・キュロは呆然としながら壁を眺めていた。
つい少し前のことだ。街中に聞き覚えのある、不快感の塊のよう
な音が響き渡った。彼女はそれをよく知っている。巨人による音波
攻撃だ。
幸いにも街にはメラニーの手によって防御の折り紙が貼り付けら
れており、住民に目立った被害は見られない。
だが、前線で戦うメンバーは違う筈だ。
前回は運よくアーガスやメラニーが難を逃れたとはいえ、次もま
た逃れる事が出来る保証などどこにもない。
漠然とした不安感が、マリリスを覆い込んでいた。
それに拍車をかけたのが、先程起こった爆発である。
彼女は車椅子を移動させ、爆発が起きた場所の真下にまで移動し
ていった。せめて外で何が起こっているのか、この目で確認したか
ったのである。
果たしてスバルは。アーガスは。メラニーは。あの見知らぬ黒い
機体は、どうなってしまったのだろう。
あの場所に行けば、何か手がかりがつかめるのでは、と思いなが
らマリリスは車椅子を動かす。
到着した時。彼女の視界はある物を映し出していた。
瓦礫である。爆発した壁から吹き飛ばされた瓦礫が、そこら中に
散らばっていたのだ。
そしてその中に、とても瓦礫とは思えない影も混じっている。
1203
﹁だ、大丈夫ですか!?﹂
うつ伏せになって倒れている長いローブに身を包んだ少女を、マ
リリスは知っていた。メラニーと名乗る、絵本の中に出てくる魔法
使いのような恰好をした少女である。
マリリスは彼女に近づく。
それを察知したのか、メラニーは震えながら顔を上げた。
唇が切れていた。たらり、と流れる少女の血痕は口元からゆっく
りと地面に落ちていき、擦り傷と火傷の痕を刺激する。
﹁⋮⋮超いってぇです﹂
﹁で、ですよね!﹂
大丈夫か、と問うておきながら実際に痛いと言われてしまうと、
どうすればいいのか分からない。
車椅子の上でマリリスは勝手にテンパり始めた。
メラニーはそんな彼女を半目で睨みながらも、腕を立てて起き上
がろうとする。
﹁あいた⋮⋮!﹂
腕立てをするようにして身体を支えた右腕が崩れおちた。
少女の整った顔が再び地面に叩きつけられる。なんとも痛々しい
光景だった。
﹁見てないで、起こすの手伝ってください。もう、誰も欠けれない
んですから⋮⋮﹂
﹁は、はい!﹂
1204
車椅子を近づけ、マリリスはメラニーに右手を伸ばす。
今の自分の状況を思い出し、少々迷ったが、結果的には右腕を伸
ばすことでメラニーは車椅子にもたれ掛る事に成功した。
﹁歩けそうですか?﹂
﹁無理ですね﹂
今にもマリリスの膝の上に倒れ込んできそうなメラニーは、力な
い笑顔でそう言った。
マンションに向かう道中で見た、強気な少女の姿はどこにもない。
少女は片足でしか立てない状態だった。
﹁お医者さんのところに行きましょう。急いでみて貰えばきっと⋮
⋮﹂
﹁んな時間ねーんですよ⋮⋮!﹂
少女が吼えた。
今にも消え去ってしまいそうな、小さな咆哮ではある。それでも
街娘を委縮させるには十分すぎる力を持っていた。
﹁もう、すぐそこまで迫ってるんですよ! あの化物が、ここに!﹂
防御の紙は貼っておいた。
決して手を抜いたつもりはない。だが実際は、頭が少し光っただ
けでこの有様だ。
折紙を張り付けておかなかったら、果たしてどれだけの被害が出
た事だろう。それを想像するだけで、メラニーは軽く恐怖する。
﹁私がトドメをさすんです。運んでください﹂
﹁いけません。怪我を見てもらわないと⋮⋮﹂
1205
﹁命かけて倒れたんですよ! 旧人類が!﹂
後一歩、という所まで追い詰めて、志半ばで倒れた少年のことを
メラニーは思い出す。
﹁アレに笑われるような無様な真似は、したくねぇです﹂
﹁⋮⋮旧人類?﹂
メラニーが声を荒げて言うと、マリリスの脳裏に少年の顔が思い
浮かんだ。
まさか彼もやられたというのか。
他の誰よりも傷付き、心身ともに疲弊しきっていた少年。最終的
には無理やり自分の思考を切り離したうえで、巨人へと向かって行
った。
そして、倒されてしまったというのか。
﹁⋮⋮う、うううぅぅぅ﹂
言葉に出来ない。
彼らは、たまたまこの国に訪問してきただけだった。
マリリスの記憶が正しければ、4人とも本当にいい人だったと思
う。
御柳エイジは笑いかけ。
六道シデンは愛嬌を振りまき。
神鷹カイトは無愛想ながらに、仲間のことを第一に考えた。
そして蛍石スバルは、自分とアスプルの為に身の危険も厭わずに
戦ってくれた。
そんな彼らが、皆倒されてしまった。
1206
実感したと同時に、マリリスの胸の奥から冷え切った何かが広が
っていく。
﹁くっそムカつきますけどね﹂
マリリスの心情を察したのか、メラニーは彼女の顔を直視しなか
った。
だが、敢えて言いたいことを言う。
﹁もう、誰かに頼れないんですよ﹂
メラニーがこの世界で最も頼りにしている女性は、今は病院のベ
ットで寝たきりだ。
彼女を守る為にも、あの化物をこの街の中に入れる訳にはいかな
い。
そしてその怪物を屠る為に残された手段が、自分とシルヴェリア
姉妹の連携次第なのだと強く理解していた。
﹁アンタのことは聞いています﹂
少女の強い瞳が、街娘に向けられる。
マリリスはそれを直視することは出来なかった。
﹁戦えとは言いません。ですが、せめて私を運んでください﹂
﹁え?﹂
その言葉は、マリリスにとって想定外の物だったのだろう。
逸らされていた七色の瞳が、メラニーに向けられる。
﹁私を責めないんですか?﹂
1207
﹁ドMですか? そんなに罵倒されたいなら、遠慮なくいきますけ
ど﹂
﹁い、いえ! そういう趣味はありません!﹂
慌てて否定すると、メラニーはなぜか残念そうに唇を尖らせた。
中々危ない趣味をお持ちなのかもしれない。
﹁ただ﹂
マリリスは思う。新生物が襲い掛かってくるよりも前に、サソリ
メイドに言われた言葉を。
戦え。
お前には戦える力がある。
アンタは当たりくじだ。
﹁私が行ったら、スバルさんは倒れずに済んだのでしょうか﹂
そう思うと、悲しくなってくる。
マリリスの胸に広がる冷たい感情が、熱を出して目尻から溢れ出
した。
﹁戦いたくない奴が戦っても、結果はかわんねーです﹂
そんなマリリスに、メラニーは厳しい言葉を投げつけた。
﹁誰だってあんなのと戦うのはこえー筈です。ましてや、アンタみ
たいな臆病な娘なら尚更です﹂
年はそう変わらない筈なのに、言いたい放題である。
1208
だがマリリスはそんなことを咎めるつもりにはなれない。
﹁怖いと、足が震えるんです﹂
経験談だろうか。
メラニーはどこか遠い目でマリリスを見つめ、語りだす。
﹁ガチガチに固まって、何もできねーんですよ。そんなのが戦いに
出て、クソ程の役に立てるとは思えねーです。だから、例えアンタ
が戦える人だとしても、無理してくる必要は皆無なんです﹂
だから、
﹁怖いなら、ただ守られればいーんじゃねぇですか?﹂
彼女たちの後ろに聳え立つ壁が、どしん、と大きな音を立てて揺
れ始める。
マリリスは無言で立ち上がり、メラニーを抱え始めた。
﹁立てたんですか、アンタ﹂
﹁はい。これを隠したくて﹂
足まで届いていた布のスカートを露わにする。
関節の向きが逆になった、カンガルーのような足であった。
﹁でも、もう言ってられないなって﹂
﹁怖くはないんですか?﹂
﹁怖いですよ﹂
あっさりと言うと、マリリスはフードを外す。
1209
七色に輝く不気味な瞳と、口の中から飛び出した顎。挙句の果て
には額から突き出た角と、どこかのモンスターパニック映画にでも
出てきそうな顔が露わになる。
失礼だが、メラニーにはとても女性の顔とは思えなかった。
﹁でも、誰かがやらなきゃいけないんです﹂
僅かにマリリスの肩が震えたのを、メラニーは敏感に感じ取った。
ついさっき、震えた奴がどうなるのかを教えたというのにこの様
だ。呆れて溜息が出てしまう。
﹁た、戦うのは無理です!﹂
彼女の溜息を感じたマリリスがそう言うと、改めて壁の上を見や
る。
﹁でも、運ぶだけなら私にだって!﹂
﹁んじゃあ、お願いします﹂
決意表明としては、それくらいで十分だろう。
メラニーは静かに袖の中から金色の折り紙を額に付けると、意識
を紙に集中させる。爆風に巻き込まれた際、殆ど折紙が散ってしま
った。恐らく、金色の折り紙もこれが最後だろう。
時間も、既に5分は経過している筈だ。
彼らが耐えてくれているなら、ダークストーカーとの連携で今度
こそ消し飛ばして見せる。
﹁どーぞ﹂
﹁んっ!﹂
1210
メラニーの準備が終わると、マリリスは力強く頷いて両足に力を
込める。
細い膝が、軋む。
直後、少女の身体はバッタのように大きく跳ね上がった。
﹁わ、わ︱︱︱︱!﹂
流石にまだ二回目だ。
上手い具合にコントロールが利かず、少女の身体は見当違いな方
向へと飛んでしまう。
具体的に言えば、反対側の壁だ。なんともまあ、ここまで不器用
だと逆に尊敬してしまう。
ため息交じりに、メラニーは言う。
﹁足を壁に向けて﹂
その指示に従い、マリリスは壁に足を向けた。
直後、足の裏に着地した感覚が残る。
﹁そのまま、もう一回!﹂
今にも折れてしまいそうなか細い足が、再び跳んだ。
少女の身体は大きく弧を描きながらも、新生物がいる方向の壁へ
と向かって行く。
﹁上出来です﹂
だが、それだけでも十分すぎる仕事をしたと、メラニーは思う。
ここまで跳ね上がれば、壁の向こうの様子も分かる。現に彼女の
1211
視界には、あの気持ち悪い新生物の頭と無数の触手が見えた。
﹁後は私が決めます﹂
詠唱を終えた金色の折り紙が、新生物へと向けられる。
後はアーガスかカノン。アウラでもいい。彼らに命じて、刀と電
気を用意してもらうだけだ。
だが、そこで。彼女は気づく。
服に仕込んであったはずの、連絡用の折り紙が無いのだ。爆発に
巻き込まれた時、燃えてしまったのだろう。
そうやって無理やり納得させると、彼女はマリリスに次の指示を
出す。
﹁前、どうなってるか見えますか!?﹂
まだ元いた場所に着地できていない。
空でジャンプしているままで。ましてや抱えられている状態のメ
ラニーでは、新生物の周辺がどうなっているのか詳しくは確認でき
ない。
﹁あ︱︱︱︱﹂
だが、指示を受けた少女は絶句していた。
それから数秒もしない内にマリリスの身体は壁の上へと着地し、
メラニーは改めて周囲の状況を確認する。
﹁そんな⋮⋮﹂
それは、あまりに無残な光景だった。
獄翼は壁に磔にされるかのようにして、無数の触手に貫かれてい
1212
る。見たところ、コックピットに突き刺さっているわけではない。
中にいるパイロットはきっと無事だろう。
その一方で。最後の作戦の鍵を握っていたダークストーカーは、
大破していた。
足をもがれ、右腕を引き千切られているその姿は、壊れた人形以
外の何者でもない。見れば、こちらはコックピットブロックのハッ
チが開いたままになっている。中にいた姉妹も、一応は無事なのだ
ろう。
だが、これで完全に詰んだ。
ダークストーカーも獄翼も動けないのであれば、刀は用意できな
い。
この大きさの新生物を捕まえる為には、シルヴェリア姉妹の協力
も必要だ。だがそれを活かす為のブレイカーも、ない。
﹁終わりです。もう、打つ手が⋮⋮﹂
しがみついていたメラニーの両手が離れ、そのまま崩れ落ちる。
少女は己の中で、大切な何かがぽっきりと折れたのを自覚しなが
らも続けた。
﹁ここまで運んでくれて、こんなこと言うのもなんですけど﹂
マリリスを見る。
あまりに悍ましい新生物と目が合い、足がすくんでいた。唇も震
えて、悲鳴をあげる事すらできていない。
運ぶことですら、ただの街娘には荷が重すぎたのか。
メラニーは乾ききった唇を強く噛みしめた。
1213
﹁逃げるのを、超お勧めします!﹂
服の中にある僅かな折紙を取り出し、メラニーが詠唱を開始する。
どれもこれも対人用の折り紙だった。こんな巨大な化物に通用す
るとは思えない。
だが、何もしないでいるよりはマシだ。
触手を伸ばす新生物に向けて、詠唱が終わった折紙を飛ばす。
間に合え、と心の中に強く叫んだ。
そんなメラニーの心の叫びを嘲り笑うかのようにして、針のよう
に尖った黒い触手がマリリスと接触した。
1214
第88話 vs進化
進化とはなんだろう。
その定義こそ様々だが、敢えて一言で表すのであれば﹃理想の自
分への変身﹄であると私は思う。
生物は本能的に餌を求め、人間は便利を求めて文明を進化させて
いった。
そこに理想があったからだ。
だが、現実は残酷である。
例えば私が今この場で、イケメンに進化したいと考えたところで、
すぐさま顔の造りが美しくなるわけではない。声色も綺麗になるわ
けではないし、たるんだ贅肉がしぼむこともあり得ない。
進化とは、時間を対価にして行われるものだ。
少年少女に判りやすく言えば、レベルを上げる事でより強力な姿
に変化するモンスターを育てるゲームがあっただろう。あのように、
レベルを上げるという﹃時間﹄を浪費し、対価として支払うことで
彼らは進化する。
現実の動物や、人間も同じだ。
理想のウェストを求める為に、人間は時間を対価にしてダイエッ
トをする。
テストの成績を伸ばしたいから、時間を対価にして勉強をする。
そうやって我々生物は進化していったのだ。
ゆっくりを時間をかけて、サルがアウストラロピテクスへと変わ
っていったように。
1215
では、果たしてそれは前述した新生物にも当てはまるのか。
答えはズバリ、NOだ。
先ず新生物はそもそもの定義として、我々の予想を大きく上回る
存在である。彼らが我々人類やその他の生物のように、ゆっくりと、
のうのうと時間をかけて、ちんたら進化すると思うだろうか。
私は思わない。
いかなる可能性にも、瞬時に対応できるからこその新生物なのだ。
で、あるならば進化も当然瞬時に行われる事だろう。
少し話は変わるが、読者の皆さんは映画﹃ターミネーター2﹄を
御存知だろうか。
その作品中に、私のイメージする新生物の像がある。
あの映画の中で出てくる敵は、液体金属で構成され、未来からや
って来た殺人マシーンである。いかなる状況でも適応し、場合によ
っては触れた相手に化ける事も可能だ。
身体が溶けて、主人公を抹殺する為に身近な人に変身する場面な
んかは、多くの人が恐怖したことだろう。
あれと同じことが、新生物にもできる。
流石に全く同じであるとは言わない。
映画も新生物も、あくまで現代ではただのフィクションでしかな
いのだ。
だが考えてみても欲しい。
例えば身体のラインを細くしたいと念じて。
翼をください、と望み。
ウルトラマンのようにでっかくなりたい思えば、それだけで新生
1216
物は望んだ自分になってしまうのだ。
なんとも夢のある話で、なんとも優遇された話である事だろう。
彼らは対価を支払う必要も無く、望んだ姿になる事ができるのだ!
我々人類は果たしてそんな彼らとまともに戦ったとして、勝てる
だろうか。
少なくとも、私は人類がターミネーターに勝てるとは思っていな
い。
あなたは自在に進化し続ける生物と戦って、勝てると思うか?
もし、そんな奴に勝てる人間がいるとしたら。
それはきっと、新生物のように進化した人間なのだろう。人類が、
その枠を超えて進化をしているかは疑問だが、少なくとも対等の立
場であれば、きっと負けることはないのではないだろうか。
進化を制する者が、新生物との戦いを制するのだ。
シュミット・シュトレンゲルの自伝、﹃私の愛した終末論﹄より
抜粋。
マリリス・キュロは決して恵まれているとは言えない街娘である。
幼い頃に両親を亡くし、ゾーラと二人でパン屋を経営していった
彼女は、子供のころから何かを欲しがることはなかった。
クリスマスの時期、ゾーラが気を利かせてサンタさんへのプレゼ
1217
ントは何がいいかと尋ねたことがある。
すると、マリリスはこう答えた。
﹃私だけじゃなくて、世界中の皆のポケットに平和が入りきればい
い!﹄
なんとも純粋な子供である。
他人を思いやる女児の一言に、ゾーラは感動した。彼女を優しい
子のまま成長させたいと、強く思った。
そして時が経ち。
育ての親の願いどおり、マリリスは本質が変化しないまま育って
いった。若干天然な所もあり、やや子供っぽさが目立つところもあ
るが、まだ思春期の娘なのだ。
これから彼女なりに人生を謳歌してくれればいい。
成長したマリリスを見て、ゾーラはそう思った。
だが彼女は知らない。
学校に通っていない彼女が、密かに街の中で虐めの対象とされて
いたことに。
虐めと言っても、同世代の学生から陰口を叩かれたり、偶にバケ
ツを倒されるといったレベルの物だ。民衆の前で悪口を言うような、
目立つものではない。
それでもマリリスの身近にいたゾーラが、最期までそれに気付け
なかったのには理由がある。
マリリスが耐えていたのだ。
彼女は虐めに立ち向かう事もせず、ただひたすら嫌がらせに耐え
た。
そして地味な出店のカウンターで、笑いかけて言うのだ。
1218
﹃いらっしゃいませ。今日のお勧めはアップルパイです。美味しい
ですよ!﹄
マリリス・キュロはそういう娘だった。
嫌な事があったら、解決する為に暴力は振るわない。誰かに相談
することもしない。
ただ嫌な気分になるのが自分だけなら、幾らでも誤魔化せる自信
があった。少なくとも、身近な人が嫌な気持ちになるよりだったら、
その方がいいと考える。
微塵にも表情に出すことが無く、誰かを不安な気持ちにさせるこ
とはしない。
それが彼女の戦い方だった。
マリリスにとって、身の回りの人間に起こる不幸は何よりも辛い
物だ。
育て親、ゾーラは不幸な出来事で殺してしまい。
同世代の領主の息子、アスプルは新生物に食われ。
知り合ったばかりの反逆者達も脳をやられてしまった。
彼女の周りで笑いかけてくれる大事な光が、一つずつ消えていく
のが分かる。まるで蝋燭の火が、少しずつ削れていくかのように。
マリリスは思う。もしもこの火が消えてしまったら、もう自分に
は何も残らないのだろう、と。
そして同時に、この国で一緒に過ごしてきた色んな人たちも同様
なのだと思った。
固まった身体に呼びかけるようにして、誰かに言われた言葉が頭
をよぎる。
︱︱︱︱アンタは当たりくじを引いたんだよ。
1219
当たりくじ。
ああ、なんて甘美な言葉だろう。
色んな人がこの一等賞を欲して、出来る限りのことをやってきた
に違いない。
でも、ごめんなさい。
マリリスは背中から突き刺さる視線のような物を感じながらも、
懺悔した。
彼女が欲しかったのは、邪魔者を薙ぎ倒す鞭ではない。
壁を問び超えるジャンプ力でもない。
どんなカラーコンタクトよりも派手な瞳の色でもないし、髪飾り
にしては斬新すぎる角でもない。
ましてや、大好きなおばさんを切り殺してしまう刃なんて、もっ
ての外だ。
彼女が欲したのは、そんなものではない。
敵を倒す強力な武器じゃなくて、誰かを助けられる何かになれれ
ば。
それだけで、どんなに幸福だろう。
マリリスは眼前に迫る新生物の矛先に怯えつつも、心の中で叫ん
だ。
こんな一等賞なんていらない、と。
もしもあのサソリメイドの言うように、自分が望む方向へ進化で
きるのであれば、マリリスは切に願う。
1220
どうか皆をお守りください、と。
他の力がどうなろうと構わない。戦えなくなっても構わない。
せめて幸せな日常を送る事が出来るのなら、それが願いだ。それ
ゆえ、マリリスは望む。
﹁皆を、かえせえええええええええええぇぇぇぇっ!﹂
全身が凍りついたように動かない中、マリリスは辛うじてそれだ
けを口にした。
直後、彼女の身体が眩く輝き始める。
﹁うえっ!?﹂
近くで体勢を崩していたメラニーが驚愕する。
同時に、マリリスに襲い掛かろうとした新生物もその動きを止め
た。触手の中を潜り抜けるようにして、メラニーが投げつけた折紙
が新生物の身体に張り付く。
だが、そんなことも確認できないまま、メラニーは眼前の少女の
変化に目を奪われていた。
彼女の身体全身に寄生していたような悍ましい変化が、徐々に身
を潜めていく。角と顎は溶けるようにして光の粉となって霧散し、
瞳の色は元のブルーに変色し、四肢は人間のソレへと形を変えてい
った。
そんな中、彼女の身体に新たな変化が起こる。
背中から羽が生えているのだ。しかもそれは、今までのような嫌
悪感を刺激するような物ではない。
﹁綺麗⋮⋮﹂
1221
メラニーは思わず見惚れていた。
マリリスの背中から突き出た、純白の羽。団扇のように広がり、
黒い線が模様となったそれは、まるでモンシロチョウのようだ。
﹁あ、れ⋮⋮?﹂
一歩遅れてから、マリリスは自信の変化に気付いた。
両手が元に戻っている。足も変な方向に曲がっていない。顔をぺ
たぺたと触ってみる。唇から変なのが飛び出していなければ、頭か
ら何かが出てきているわけでもない。
﹁め、メラニーさん! 大変です。私、元に戻りました! どうし
ちゃったんでしょう!﹂
﹁背中! あんた自分の背中大変なことになってますよ!﹂
先程まで震えあがっていた少女はどこに行ったのか。
新生物が横にいる事も忘れて、マリリスは背中に手を回す。
﹁⋮⋮え、何ですかこれ!? メラニーさん、私なんで羽が生えち
ゃったんです!?﹂
﹁知らねぇですよそんなの!﹂
妙な肌触りを察知したのだろう。
マリリスの表情が徐々に曇っていった。彼女の感情に反応するか
のようにして羽がパタパタと動き始める。
ちょっと可愛かった。
﹁ん?﹂
だがそこでメラニーは気づく。
1222
つい先程マリリスに襲い掛かってきた新生物が、突然動きを止め
ているのだ。羽が生えてから既に1分くらいは立っている。その間、
この悍ましい生物が何もしかけてこないのは、逆に不気味であると
言えた。
しかしその直後。
新生物の胴体が、突然爆発した。
﹁え!?﹂
のた打ち回り、転倒する新生物。
触手と胴体が痛みでもがいているところを見るに、死んでいたわ
けではなさそうだ。
それにしたって、今のは一体何だ。
今まで巨大ロボットの攻撃を受けて、平然としていた新生物がな
んだってまた突然爆発なんか起こしたというのだろう。
﹁⋮⋮ああ!﹂
メラニーは一人、納得する。
マリリスに襲い掛かった際、巨人に向けて放った折紙。あの中に
は、爆弾の役割を担う黄色い折り紙が混じっていたのだ。
それが新生物に張り付いていたのであれば、確かに爆発はするだ
ろう。
だが、それでもまだ疑問は残る。
ここまでどんな攻撃を受けても耐えてきた新生物が、あんな物で
ここまで痛がるものだろうか。
何度も刃で切られ、その身を焼かれながらも起き上がってきた異
形の化物。なのに今、その化物は小さな折紙の爆発で激しくのた打
1223
ち回っている。
意外な大ダメージを前にして、メラニーは思わずマリリスと顔を
見合わせた。
彼女も同様の疑問を覚えたのだろう。
不思議そうに首を傾げつつも、背中の羽をぱたつかせた。
羽からは、まるで宝石のような光り輝く鱗粉が撒き散らされてい
た。
トラメットのとある病院に勤める初老の医師が、慌てて廊下を走
る。
彼は今、激しい後悔に駆り立てられていた。
新生物の襲来を受けて、街は今避難の号令が出ている。だという
のに、この病院に運び込まれた寝たきりの新人類達は誰にも運ばれ
ることなく、ベットの上で眠り続けていると言うのだ。
入院中の患者を全員運び出したつもりが、手違いがあったらしい。
だが、今となってはそうも言っていられない。彼は危険を承知で
三人の新人類が眠る病室へと駆け込んだ。
﹁ふぉっ!?﹂
ドアを解き放ち、病室を開けると医師は思わず間抜けな声を出し
てずっこけてしまった。
居なかったのだ。
この病室のベットの上で眠っている筈の3人の新人類が、どこに
も。
1224
﹁そ、そんな筈は⋮⋮﹂
慌てて病室を確認しながらも、医師は思う。
彼らは植物人間のような状態になってしまい、ずっと眠ったまま
の筈だ。
百歩譲って、眠りから覚めたとしよう。
だが、それならなぜ三つともベットがもぬけの殻なのだ。しかも
わざわざ彼らの為に着せた入院用のパジャマが脱ぎ捨てられ、畳ん
であった私服が無くなっている。
それはつまり、あの三人が同時に着替えたことを意味するのでは
いのか。
混乱しつつも、医師はベットの一つに手をやった。
僅かだが、何度も感じてきた人体特有の温もりが残っていた。
医師の頬に、心地のいい風が伝わってくる。
窓に視線を向けた。
解き放たれた窓から、綺麗な光が見える。
まるでダイヤモンドで形成されているかのような、美しい光の結
晶だった。医師はそれに見惚れながらも、窓に近づいていく。
﹁あ!﹂
窓から顔を覗かせると、医師は見た。
本来ベットで寝たきりになっている筈の三人の若者が、街の中を
駆け抜けていたのだ。
1225
第88話 vs進化︵後書き︶
︵追記︶
ちょっと長くなってしまってる為、次回は木曜の朝投稿予定。
1226
第89話 vs鱗粉
新生物が爆発によって倒れた際、獄翼に肩に突き刺さっていた黒
い脚は引き抜かれていた。
それまでの間、ずっと磔になっていた巨体が大地に崩れると同時。
コックピットの中で気絶していたアーガスが目を覚ます。
﹁う⋮⋮﹂
軽い衝撃を覚え、頭を抱える。
そして彼は記憶を確かめ、気を失う前に何があったのかを思い出
す。メラニーが爆発に巻き込まれたのと同時、新生物が一斉に足を
延ばしてきたのだ。
装甲が薄いミラージュタイプである獄翼は、当然ながら避ける選
択肢を取るべきである。だが、爆発的な加速力を生み出す飛行ユニ
ットは無く、操縦経験も殆ど訓練を受けているだけのアーガスにそ
れを避ける術は無かった。
結果的に、気付けば壁に磔にされていたと言う訳だ。
だが、それから解放されたのには疑問が残る。
見れば、自分たちを苦しめていた新生物は地面に転がってのた打
ち回っていた。その昔、暇つぶしに見ていた刑事ドラマで毒薬を飲
んだ被害者が苦しむ姿を思い出す光景である。
しかし、まさかこの新生物が毒で苦しんでいるわけではあるまい。
そんな推測を立てていると、アーガスは外にある変化が起きてい
ることに気付く。
﹁これは⋮⋮﹂
1227
最初は雪かと思ったが、よく見れば違う。
雪の様な白ではない。敢えて言うのであれば、光の結晶だ。米粒
よりも更に小さい。
﹁︱︱︱︱美しい!﹂
見惚れ、アーガスは呟く。
彼は誘われるかのようにしてコックピットのハッチを開き、外に
出る。
そして両手を重ね、前に突き出した。
掌でできたお皿の上に、光の結晶が落ちる。直後、光が弾けた。
﹁おお!?﹂
突然のフラッシュに、反射的に顔を伏せた。
刺激を受けた瞳の痛みが引いてきた後、アーガスは改めて外を観
察する。
どこからこの光が舞っているのかは分からない。
だが、少なくともこの頭上から降り注いできた光の雨が、新生物
を苦しめているのであろうと言う確信があった。光をその身に浴び
る度に新生物の身体が焼け始め、苦しんでいるからだ。
﹁う、ううん⋮⋮﹂
﹁なっ!?﹂
冷静になって外を観察し始めたアーガスが、真後ろでもぞもぞと
動き始める陰に驚いた。
後部座席に寝かせておいたスバル少年が起き上がったのである。
1228
彼は軽く背伸びし、欠伸をしてからアーガスを見る。
﹁あれ? アーガスさん、なんでここに﹂
﹁スバル君。大丈夫なのかね!?﹂
凄まじい形相になって少年に詰め寄ってきた。
つんざく様な強烈な香水の匂いに鼻を抑えながらも、スバルは答
える。
﹁な、なにが?﹂
﹁何がって、君。覚えていないのか?﹂
そこまで言われて、スバルは思い出す。
10分かそこいら前、巨人による超音波攻撃を受けたのだ。その
音を聞いた後、新人類の仲間たちの心配をして、最終的に頭が割れ
るような激痛が襲いかかってきた。
あの痛みを思い出し、軽い眩暈が少年に襲い掛かる。
﹁あー⋮⋮なんか思い出してきたかも﹂
額に手をやり、スバルはぼんやりと思い出す。
直前まで巨人に向けて引き金を引こうとしていたのも含めて、だ。
そこまで頭が回り始めると、彼はようやく眠気が吹っ飛んだようで、
逆にアーガスに問い始める。
﹁あ、あいつは!? 戦いはどうなったんだ!?﹂
﹁アレをみたまえ﹂
両肩に掴みかかった少年を外に導き、アーガスは指を向ける。
人差し指は、いまだに苦しみ続ける化物へと向けられていた。
1229
﹁な、なんだあれ﹂
﹁巨人が進化した姿だ。お世辞にも美しいとは言えない姿だが、勢
いは凄まじかった﹂
獄翼もダークストーカーも大破。
メラニーに至っては爆発に巻き込まれてしまった始末である。
そういえばスバル少年の目覚めに気を取られて忘れていたが、ダ
ークストーカーに乗る姉妹は果たして無事なのだろうか。
ダークストーカーはコックピットが開いている為、恐らく無事な
のだとは思うが。
アーガスは襟に仕込んだ折紙に口を近づけ、言葉を紡ぐ。
﹁各自、無事か?﹂
折紙から若干のノイズが響いた。
やや間をおいてから、凛と響いた女の声が返されてくる。
﹁司令官、こちらアウラです﹂
﹁おお、ダークストーカー。そちらのお姉さんの方は無事か?﹂
﹁はい。私も姉さんも脱出した後は壁の前で直接足止めに務めてい
ました﹂
成程、生身であの気色悪い化物蜘蛛の相手をしていたのか。
道理で自分たちがやられた後、化物が街の中へ上がっていないわ
けだ。アーガスは勝手に納得すると、続けた。
﹁外の異変は見えてるね?﹂
﹁はい。でも、これなんでしょう﹂
1230
客観的に見れば、綺麗な光の雪か雨といった感じだ。
だが、その一方で新生物を苦しませている。アウラやアーガスの
目には、一種の毒薬に見えなくもない。
﹁私にもわからない。目覚めたときには、既に降っていた﹂
同時に、アーガスは思う。
まさかスバル少年の意識を覚醒させたのはこの光の結晶なのだろ
うか。
彼が起きたタイミングから考えても、ありえない話ではない。し
かし、化物と人間で作用が違う結晶なんてあり得るのだろうか。こ
れでは新生物用の殺戮兵器兼、人類の栄養剤である。
﹁だが、スバル君が目覚めた事を考えると、彼らも目を覚ましてい
るのかもしれない﹂
﹁え、仮面狼さん目が覚めたんですか!?﹂
アウラがそう言うと、折紙に若干のノイズが走った。
それから数秒の間をおいてから、今度は姉の機械音声が響く。
﹃し、ししししし師匠! じじょう!﹄
﹁お、おう。師匠だ﹂
鼻水と涙が入り混じっているのであろう、機械音声の震え声に若
干戸惑いつつもスバルは答える。
その声を確認すると、カノンはわんわん泣き始めた。
ノイズが走っているせいか、耳によろしくない。
弟子に申し訳なさを感じつつも、少年は耳を塞ぎながらアーガス
に向けて問いかけた。
1231
﹁メラニーさんは?﹂
﹁彼女は⋮⋮壁の爆発に巻き込まれた﹂
英雄の表情が曇る。
彼はつい先ほどの悲惨な光景を思い出しながらも、続けた。
﹁ズームで確認したが、壁の上にいたメラニー嬢の姿は確認できな
かった。消し飛んだか。あるいは壁の向こうに吹き飛ばされたか。
どちらにせよ、彼女は無事ではないだろう﹂
冷たいようだが、彼女のスペックを知っている上司としてはそん
な予想しか立てる事が出来ない。
メラニーは身体能力を鍛えてこなかった新人類だ。
単純に殴り合いで喧嘩になれば、最悪スバルにも負ける可能性が
ある。彼女は運動音痴なのもあり、あまり動くことを好まなかった。
そんな彼女が、あの位置で爆発に巻き込まれて生きている可能性
は非常に小さい。もし生きていたとしても、無事では済んでいない
だろう。
ところがどっこい、メラニーは無事だった。
アーガスが想像した通り、歩く事が出来ないくらいのダメージは
負った。
しかし、目の前で化物がのた打ち回ってからやや経過した現在。
彼女の身体は、不思議なくらいぴんぴんしていた。
1232
﹁お、おお⋮⋮!﹂
両足で立てることに感動し、顔についた擦り傷が無くなっている
事実に感謝する。
彼女は横でぽかん、としているマリリスへと向き直り、その両手
を掴んだ。勢いのままぶんぶんと上下に揺さぶり、喜びを表現する。
﹁あ、アンタすっげーですよ!﹂
﹁は、はあ⋮⋮?﹂
表現された感謝の意は、マリリスには伝わらない。
それもその筈。彼女は自分が何をしたのか、まるで理解していな
いのである。
張本人のマリリスよりも、完治させたメラニーの方が状況をよく
理解しているのだ。
﹁わかんないって顔してますね﹂
﹁⋮⋮恥ずかしながら﹂
申し訳なさげな表情で、マリリスが俯く。
しかしメラニー。そんな彼女の顔を両手で掴み、無理やり前を向
かせた。
﹁いいですか! これはすんごい能力です!﹂
﹁は、はい!﹂
妙に迫力のあるメラニーに気圧されるようにして、マリリスは頷
いた。
﹁アンタの羽から飛び散っている鱗粉は、多分毒です﹂
1233
﹁ど、どどどどど毒!?﹂
毒。その単語にいいイメージを持っている人間は、決して多くな
い。
それを摂取すれば人は死ぬのだ。子供だって知っている一般常識
である。
﹁まあ、毒と言っても物の例えです。もしかすると、実際は細菌か
もしれません﹂
﹁さ、細菌ですか!?﹂
どっちにしろ、あまりいいイメージではない。
傍から見ればとても幻想的な光の結晶だが、その正体が毒なり細
菌だと言われたら非常にがっかりする。
というか、自分の身体の一部からそんな物が出ているとは思いた
くない。
﹁そうです。奴の身体や病原菌を食い殺す細菌です﹂
もっとも適切な言葉を言い表せば、ウィルスの散布とも言えるの
かもしれない。放たれた病原菌は新生物とその因子をターゲットと
し、怪物に牙を剥く。
その一方で、人類の傷を治す。
説明している途中で、ふとメラニーは気づく。
﹁私の傷が治ったって事は、もしかすると音波にやられたお姉様も
⋮⋮!﹂
彼女はこの世でもっとも敬愛する女性の凛々しい表情を思い出し
つつも、マリリスに背を向けた。
1234
﹁ど、どこにいくんですか!?﹂
マリリスが声をかけるも、メラニーは振り返らない。
さっきまで歩けなかったのが嘘のように、彼女は病院へと走って
行った。そのままどこかに飛んでいきそうな勢いすら感じられる。
逆に言えば、ここまで元気に走り回れるのであれば、恐らく彼女の
予想は正しいのだろう、とマリリスは無理やり己を納得させた。
だが、しかし。
この時、マリリスもメラニーも。果てには壁の向こうで状況を確
認しあっているアーガスやスバル達もそうなのだが。
彼らは完全に失念していることがある。
相手は新生物なのだ。敵が現われれば、それに合わせて進化を繰
り返してきた化物だ。
そんな彼が、細菌の付着でやすやすと自然死していくだろうか。
その問題に、否と答えるかのようにして咆哮が轟く。
マリリスは驚き、振り向いた。視線に映るのは、震えながらも起
き上がる新生物。彼は細胞を変化させ、最初にトラメットに出現し
た時と同じ巨人の姿へと変化していた。
それでも、完全な耐性がついたわけではない。
巨人の身体に光の結晶が付着すると、その部分はどろりと溶けて
しまう。
街娘と巨人の視線が、再び絡み合う。
思わず息を飲んだ。
彼女の喉が鳴るのに反応したのか、巨人が一歩を踏み出す。
大地が唸りをあげた。
1235
マリリス
ずしん、と響く強烈な踏込は小さなクレーターを作り上げ、巨人
の身体を前へと押し出す。
巨人の腕が振り上げられた。狙うは、壁の上にいる天敵。
彼女の羽が己を追い詰めていることを理解しているのだ。
﹁ひっ︱︱︱︱!﹂
羽が生えたからと言って、マリリスに何が出来る訳でもない。
四肢がすべて元に戻った今、彼女には抗う術が無かった。反射的
に叫びそうな悲鳴が、彼女の身体を中途半端に支えて離さない。
もうだめだ。直感的に、そう思った。
﹃させるかあああああああああああああああああああああ!﹄
少年の叫びが聞こえた。
その声に、ハッと我に返って顔を上げる。
獄翼が巨人に向かって体当たりをかましていた。
﹁あ﹂
巨人と共に獄翼が倒れ込む。
身体を張ったタックルを仕掛けた鋼の巨体に向け、マリリスは叫
ぶ。
﹁スバルさーん!?﹂
機械のノイズが走る。
一瞬、耳を塞ごうかと思ったが、後から聞こえてきた少年の声が
それをさせなかった。
1236
﹃マリリス! 無事か!?﹄
﹁す、スバルさんこそ⋮⋮!﹂
数日前に国にやって来た、旧人類の反逆者。
メラニーからは音波を受けて昏睡状態に陥ったと聞いていたが、
彼は見事に復活を果たしたのだ。
マリリスの羽から舞い上がる、鱗粉によって。
﹁よかった﹂
彼に向かって言いたいことは、色々とあった。
だが何よりも優先されて吐き出されたのは、この一言である。特
に何か考えたわけではない。自然と口の中から紡ぎだされたのだ。
そんな彼女の安堵の溜息を、巨人はただ眺めていた。
彼は改めて天敵を見やり、観察する。そして一つの結論を導き出
した。
あれは害を撒き散らすだけで、戦う術は何もない。
この黒い機械のように、抵抗することができない。無抵抗のまま
目を閉じたのがその証拠だ。
巨人はその答えに辿り着くと、頭部に張り付いている結晶体をス
ライドさせる。
﹁え?﹂
割れるようにして開いた頭には、一つの穴が蠢いている。
その中から飛び出したのは、何本かの触手だった。触手は突撃し
てきた獄翼には目もくれず、真っ直ぐ天敵へと向かってとんでいく。
1237
﹃しまった!﹄
﹃いかん、逃げるのだマリリス君!﹄
何時の間にか獄翼に搭乗していたアーガスが、マリリスに逃亡を
促す。
本来ならこうしている間にも伸びる根を切り裂ければいいのだが、
生憎獄翼は両腕とも貫かれて動かない。
倒れた体勢では、簡単に根を捕まえることは出来なかった。
英雄の言葉に背中を押され、巨人に背を向けるマリリス。
そのまま駆け出すが、彼女が走るよりも遥かに早く、根っこはマ
リリスの身体へと迫る。
﹃カノン、妹さん!﹄
﹁くっ、間に合わない!﹂
ダークストーカーから降りて身軽になったシルヴェリア姉妹も、
壁の上で起こる逃走劇を見守るのが精一杯だった。壁の下にいる彼
女たちでは、上るのに時間がかかるのだ。急ぎ、アウラがローラー
スケートを回転させて助走に入る。
彼女たちがモタついているのと同時、根がマリリスの首に触れた。
﹁ひぃ!?﹂
一瞬触れた、肌障りの悪いざらざらとした感触が少女を襲う。
思わず振り返ってしまった。蛇のようにうねりながらも、根っこ
がマリリスに向かってくる。その距離、僅かに数メートル。ちょっ
とでも走るのを緩めたら最後。
身体を貫かれるか、叩き落とされるかの二択だろう。
いずれかの光景を想像し、マリリスの表情が青ざめる。
1238
再び正面を向き、走り出す。
すると、だ。正面から人影が見えた。
メラニーが戻ってきたのかと思ったが、違う。向こう側から向か
ってくる人影は三つあった。
﹁あれ?﹂
三つ。
その数にマリリスは心当たりがある。
まさか。彼らはまさか。
近づくにつれ、予感は確信へと変わった。
先頭に神鷹カイト。
その後ろに続くようにして、六道シデンと御柳エイジが走ってき
ている。
カイトが走りながら右手をかざし、マリリスへ叫ぶ。
﹁伏せろ!﹂
昨日、獄翼の中で倒れた青年の元気な声を聴いて、マリリスは心
の底から安堵した。
少女は青年の指示に従い、迷うことなく身を伏せる。
直後、前方から風が吹いた。
空気が凝縮され、正面から走るカイトが疾風の槍を身に纏い、突
撃。
危うく一撃がマリリスを貫く前に、根を切り刻んだ。
先端が切り裂かれたことで巨人が悲鳴をあげ、残りの根が回収さ
れていく。
1239
﹁おい、生きてるか﹂
真正面に立たれたのが分かる。
マリリスは伏せた顔を上げると、カイトに笑みを浮かべる。
﹁よかった。皆さんも無事だったんですね﹂
﹁そりゃあ、こんなナイスガイが簡単にくたばるわけがねぇだろ﹂
マリリスの一言に鼻を鳴らし、力こぶを作る事で余りある元気を
アピールし始めるエイジ。正直、非常にむさくるしい。
﹁まあ、でも間に合ってよかった﹂
その横で涼しい顔をしていたシデンは、巨人に視線を向けた。
彼はにっこりと笑顔を作りながら言う。
﹁ボク、こう見えても結構根に持つタイプなんだよね。先にくたば
ってなくてよかったよ﹂
﹁おい、俺の獲物だぞ﹂
ニコニコ顔で物騒な事を呟くシデンに、カイトが言う。
彼らが意識を失う直前、巨人と戦っていたのはカイトだった。彼
にしてみれば、再戦の権利は当然自分にあると思っているのだろう。
﹁折角骨がつながってるんだ。動いてるうちに俺にも殴らせろよ﹂
ところが、エイジも今回ばかりは譲る気が無いらしい。
ここまで仲良く走ってきた三人はお互いに顔を見合わせ、無言で
抗議をし始めた。アイコンタクトによって行われる激しい議論が数
1240
秒程続くと、彼らは一斉に巨人へと注目。
先頭に立つカイトが怨敵を見下し、言う。
﹁みんな一緒で行くか﹂
﹁賛成!﹂
﹁よっしゃ! 腕が鳴るぜ!﹂
僅か数秒の間に何があったのか、彼らは一斉に牙を剥いた。
巨人にもたれ掛っている獄翼は眼中にないらしく、三人は爛々と
目を輝かせながら壁を下り始める。
この間、マリリスはぽかんと口を開けたままだった。
﹃か、カイトさん!? 皆!?﹄
数分前、獄翼の中で彼らの復活を喜んでいたスバルの額に一筋の
汗が流れる。
これはやばい。
彼らの目に、自分たちは映っていない。
このまま巨人の上で倒れていれば、巻き添えを食らってどんな酷
い目に合うかわかったものではなかった。
生身で20メートル級の巨人に立ち向かうのか、というツッコミ
はない。
彼らがデタラメなのは、此処にいる全員がよく知っていた。
﹃待って! ストップ! お願い!﹄
スバル少年の悲痛な叫びがトラメットに木霊する。
しかしその懇願を彼らが聞き入れ、動きを止める事は無かった。
1241
第90話 vsXXX ∼三匹の大逆襲編∼
スバルは慌てながらもスイッチを弄る。
これまでの戦いで飛行ユニットを接続してた為、あまり目立たな
かったが一応本体にもブースターがついているのだ。主に下半身に
接続されたソレを点火させることにより、獄翼は巨人の上から浮き
上がる。
両腕がまともに動かない為、何時もと比べて若干慎重に動かして
いた。
それは今回初めて彼の操縦を間近で見るアーガスにも分かる事で
ある。スバル少年の顔色は明らかに焦りに支配されていた。
まあ、それも無理はない。
巨人に向かってくる三匹の野獣が、あまりに恐ろしいのだ。
アーガスの目から見ても、彼らは怖い。心なしか数日前に相対し
たよりも目つきが鋭い気がする。
先頭を走るカイトを見て、アーガスは肩を落とした。
﹁普段からこんな感じなのかね?﹂
﹁まさか﹂
言ってからスバルは思う。
意外と普段通りかもしれない、と。
それゆえに、もっとも相応しい言葉を彼らに送る。
﹁獣の方が優しい﹂
﹁だろうね﹂
1242
どこか納得したようにアーガスは頷いた。
獄翼に乗る二人から獣認定されたところで、三人は巨人へと襲い
掛かる。
﹁いっちばーん!﹂
先制攻撃を仕掛けるのは先頭を走るカイトではなく、彼の後方で
立ち止まったシデンだった。
メイド服を靡かせ、両手を顔の前に近づける。
直後、掌の中に球体が生成されていった。水晶玉のような、透明
の球体。玉の周囲から冷気が渦巻くと、シデンの足下が凍りつき始
めた。
その寒気を察知したのか、カイトとエイジはシデンの射線上から
離れていく。
﹁せーの!﹂
ふっ、と。息を吹きかけた。
冷気の球体が弾け飛び、猛吹雪が巨人へと襲い掛かる。巨人へと
続く道が白に染まった。
巨人の身体が凍り付いていく。
足から徐々に冷えてきて、氷の魔の手は巨人の頭へと到達した。
シデンから放たれた白の道は巨人を通り越し、背後の木々すら一
瞬で凍てつかせる。
﹁やりぃ!﹂
長らく眠っていた為か、放たれた一撃は過去の凍結攻撃と比べて
も非常に強力である。
とはいっても、スバルはアキハバラで見た記憶しかないのだが、
1243
それに比べても凄い。あの時は天動神だけを氷漬けにしたはずだが、
今回は生身で巨人を凍らせている。しかも周囲の自然まで巻き込ん
で、だ。
以前、本人から聞いたセリフを思い出す。
︱︱︱︱試したことはないんだけど、このまま力を伸ばせば南極が
もう一個出来るのも夢じゃないって言われたね。
成程、これは出来るかもしれない。
能天気にそんな事を思いつつも、スバルは巨人を見やる。
氷像となった巨人は、ピクリとも動かない。人類もそうだが、生
物は基本的に寒さに弱い物だ。一部例外はあるが、冬になれば大抵
の動物が冬眠を開始する。
新生物が寒さに弱いかは定かではないが、見たところ虫がベース
なのは確かだ。冬に活動する虫をイメージすることができないスバ
ルとしては、このままで勝てるんじゃないかと思い始めた始末であ
る。
﹁おらぁ! 次は俺だ!﹂
そんなスバルの考えを、一人の男が粉砕する。
エイジだ。彼はシデンの砲撃を避けた後、真っ直ぐ巨人へと向か
って走っていた。そのまま氷漬けの巨人に近づき、右足を大きく振
り上げる。
﹁でりゃあああああああああああああああああぁ!﹂
氷像が蹴り上げられた。
1244
凍結していた巨人の足が砕け散り、20メートルもの巨体が宙を
浮く。
だがエイジの攻撃は終わらない。
彼は力強く跳躍すると、宙に浮く氷像へと近づいた。その距離、
ほぼ0。
なんでシャンプしただけであんなところまで跳べるんだとスバル
は突っ込みたかったが、考え始めた時点で彼は思考を放棄した。考
えるだけ無駄だと理解したのだ。慣れとは恐ろしい。
﹁へい、パス!﹂
鉄拳が振り降ろされる。
直後、氷漬けの巨人が荒野へと殴り飛ばされた。氷像が真っ直ぐ
地面に向かっていく。
そんな氷像が落ち着く先に、これまた一人の男が突っ立っている。
﹁オーライ﹂
カイトだ。
彼は叩きつけられた氷像を前にして、大きく右腕を構える。
爪が飛び出した。カイトがそれを振りかざすと同時、まるで隕石
が振ってくるかのようにして氷像が襲い掛かる。
直後、カイトの右腕が振り降ろされた。
巨人の氷像が縦にスライスされ、カイトに直撃する前に二つに割
れる。ぱっかりと割れた氷の塊が二つ、荒野に叩きつけられた。
﹁ナイスパス﹂
﹁へーい!﹂
﹁やったね!﹂
1245
カイトの元へ走った二人が、喜びのハイタッチを交わす。
一連の光景を見届けたスバルは、無表情のまま呟いた。
﹁何なのあれ﹂
一度思考を放棄した。それは事実だ。
考えても無駄だと感じ、彼らのデタラメぶりを改めて感じさせて
もらおうと、そんな気持ちで総攻撃を見守る事にしたのだ。
ところが、実際に見てみると己の目を疑ってしまう物である。少
なくとも、重力の法則は完全に無視されているとしか思えない。
﹁⋮⋮俺達、あんなに苦労したのに﹂
その事実を思うと、悲しくなってきた。
間にマリリスの覚醒を挟み、巨人が弱体化していたとはいえ、だ。
あそこまでお手玉にされてしまうと自信を無くしてしまう。
この光景を見届けた、同じ死線を潜り抜けた者たちはどう思うだ
ろう。
試しに後ろのアーガスへと振り向いてみる。
予想に反し、彼の表情は硬いままだった。
﹁どしたの?﹂
﹁状況は先程から大きく変わった。それは美しい事実だ﹂
トリプルエックス
幸いにも、流れはこちらに来ている。
XXXたちの猛攻は、それを見事に表現していると言えるだろう。
﹁だが、我々は奴に致命傷を負わせる事が出来ていない﹂
1246
﹁あ﹂
カイト達の激しい活躍によってあまり意識できなかったが、それ
が結論だった。マリリスの放つ鱗粉が確実に巨人を弱らせていると
はいえ、それでも新生物の再生は止まらない。
縦に割られたとしても、同じことだ。
﹁我々に必要なのは、あれを消滅させる武器か技なのだ。だが残念
なことに、それができるメラニー嬢は居ない﹂
正確に言えば、どっか行ってしまっただけである。
だが、彼女が戻ってくるまでの間に新生物が進化を果たす可能性
も0ではない。
それを考えると、今が絶好のチャンスなのだ。
﹁スバル君、なんでもいい。あれを完全に消滅させるのだ!﹂
﹁そりゃあ分かるけどさ﹂
言いたい事は理解できる。
が、悲しい事にそれを実行できるかといえば話は別だ。唯一通用
しそうだったエネルギーランチャーだが、これは両腕が動かない以
上使用できない。
ブレイカーの乗り換えを行おうにも、ダークストーカーは大破。
﹁後、残されてるのは﹂
Xだ。後部座席に陣取る新人類の異能力を取り込
ちらり、と視線をXXXの面々に向ける。
SYSTEM
む同調ならば、まだ獄翼は戦える。
だが、満身創痍の獄翼が迎え入れるべき人物はカイト以外に居な
1247
い。
今ある選択肢は、一つしかなかった。
﹁カイトさん、修理お願︱︱﹂
外で盛り上がり始めている友人たちに向けて話しかけると同時、
スバルは気づく。
真っ二つにされた氷像が、一つになるように移動しているのだ。
何時の間にか氷は解け始め、腕だけが必死になって動き回ってい
る。
﹁再生が始まったぞ!﹂
スバルが叫んだ。
同時に、その場にいる全員が巨人へ視線を向ける。
﹁あの野郎、もう動けるのかよ!﹂
﹁見た目と言い、ゴキブリがベースになって進化したんじゃないの
?﹂
それはゴキブリに対し失礼なんじゃないかな、と思うがそうも言
っていられる状況ではなくなってきた。
弱っているとはいえ、あれが口笛を吹くかのようにして音波を出
すだけで、こちらは全滅してしまう可能性がある。生きている限り、
スバル達に安息の時などないのだ。
一度脳をやられたスバルは、それをよく理解している。
﹁カイトさん、早く戻ってきて!﹂
それゆえ、少年は早期の再生を求めた。
1248
今、腕を治すことができるのはカイト一人だけである。彼らの技
や武器が通用していない以上、やはり獄翼がエネルギーランチャー
を背負って新生物を焼き払うしかない。
そう思っている時だった。
﹁いやだ﹂
同居人から想定外のセリフが飛んできたのである。
彼は獄翼に視線を移し、言った。
﹁今から戻るのが面倒くさいし、パツキンが座ってた椅子に座りた
くない﹂
﹁ここにきて好き嫌い言ってる場合じゃないでしょ! あんた状況
分かってんの!?﹂
スバルが怒鳴ると、彼は無表情のまま言い返す。
あくまで淡々と、マイペースに。
﹁少なくとも、お前より分かってる。腕を治したいんだろ?﹂
﹁ああ、そうだよ。だから早く戻ってこいって!﹂
﹁必要ない﹂
あっさり言ってのけた。
カイトは表情を崩すことなく、視線を僅かにずらす。
﹁他に適任なのがいるだろ﹂
﹁適任?﹂
スバルはアーガスと顔を見合わせ、首を傾げる。
獄翼が負傷した今、それを修復できるのはカイトだけだ。その状
1249
況で、他に適任のラーニング先なんていただろうか。
アキハバラで似たようなやり取りがあったことをスバルは思いだ
す。
最後に残った敵、激動神と相対した時のやり取りだ。カイトは今
のように獄翼に乗る事を拒否した。
理由は敵を倒す為である。カイトは獄翼の修復よりも攻撃に主軸
をおき、作戦を立てるタイプだった。
ならば現在。両腕が動かなくても、その人物をラーニングすれば
巨人を倒せるのだと、彼は言いたいのではないだろうか。
心の中で結論付けると、スバルは問う。
﹁誰だ。適任って﹂
その言葉を聞いた瞬間、カイトは溜息をついた。
彼は呆れ顔を曝け出したまま指差し、その人物を示しだす。
﹁そいつだ﹂
獄翼のメインカメラから送られてくる映像をズームにし、カイト
の指の向く先を計算する。
シデンやエイジではない。指の向く先は、彼らがいる場所よりも
上を位置していた。そのまま獄翼を通り過ぎると、指が示した方向
には一人しかいない。
﹁ま、まさか⋮⋮﹂
デタラメトリオ
スバルの動きに合わせるようにして、獄翼が振り向く。
壁の上でXXXの一連の動きを目の当たりにし、呆然としたまま
1250
のマリリスがいた。
﹁そうだ。そいつだ﹂
ようやく気付いたか、と言わんばかりにカイトが頷く。
獄翼が街娘に視線を向けると、口を開けたままのマリリスがよう
やく我に返った。
﹁へ?﹂
気付けば、自分に視線が向けられている。
XXXの面々は生身の為、米粒くらいのサイズでしか見えなかっ
たのだが、心なしか複数の視線を受けている気がした。事実、彼女
はその場にいる全員の視線を一身に受けている。
状況を飲み込めていない彼女に向かい、カイトは思いっきり叫ん
だ。
﹁乗れ! そしてアイツを倒せ!﹂
よく通る声だった。
青年の叫びが聞こえたと同時、マリリスは獄翼に視線をやり、そ
の後再生し始める巨人へと視線をやった。
何度かそれを繰り返していく内に、マリリスはどんどん表情が青
ざめていった。
1251
第90話 vsXXX ∼三匹の大逆襲編∼︵後書き︶
次回投稿は日曜の朝を予定
1252
第91話 vsダークグリーン
獄翼がブースターを点火させ、壁に近づく。
スバルはコックピットを開くと、壁の上で真っ青な表情になって
いるマリリスに視線を向けた。
﹁⋮⋮いけそう?﹂
先程、カイトに言われたことだ。
彼の提案はこうである。マリリスから舞い上がる鱗粉が新生物に
対して効果が抜群なら、それを獄翼が取り込むことで更に効果が高
まる。
そうすれば巨人を確実に倒せるはずだろう、と言ってきているの
だ。
多分、言っていることは正しいだろうとスバルは思う。現状、新
生物を相手にして勝率が一番高いのはマリリスだ。本人に戦闘経験
はないが、彼女の羽から飛び散る鱗粉があるだけで状況は大分違う。
あれが獄翼に備わっているだけで、きっと勝てるだろうと思う。
だが、しかし。
彼女をラーニングして新生物を倒すことはつまり、マリリスが誰
かを殺すことを意味する。
スバルの脳裏に、二日前の悲劇がフラッシュバックした。
胴体が切断され、そのまま物言わない身体になってしまったゾー
ラ。彼女があの光景を克服できたとは、到底思えない。
﹁私にしか、出来ないんですね? それならやります﹂
1253
そんな心配そうなスバルの表情を余所に、マリリス本人は前向き
な発言だった。表情は未だに青いままである。膝もガタガタ震えて
いるところを見ると、かなり緊張しているらしい。
﹁無理しなくていいぜ。消し飛ばす手段は他にもあるし﹂
﹁本当にそうなんですか?﹂
足が震えたまま、マリリスは問う。
交流は他のメンバーに比べて浅い上に会話も少ししか交わしたこ
とがないが、それでもカイトと言う人物がどんな人間なのか理解し
ているつもりだった。
﹁あの人が私を指名したっていう事は、私が一番可能性が高いから
なんじゃないんですか?﹂
﹁それは⋮⋮﹂
マリリスの目から見て、神鷹カイトは無愛想なお兄ちゃんといっ
た印象だ。だが、少なくとも反逆者一行が彼を信頼していることは
確かである。それは今までカイトが期待に応えてきた証拠ではない
だろうか。
そんな彼が、こんな大事な時に適当な事を言うとはとても思えな
い。
ここでスバルが口籠ってしまっているのがいい証拠だ。
﹁⋮⋮ごめん﹂
﹁スバルさん、正直ですね﹂
悩み、正直に話すべきかどうか迷ったのだろう。
だが結局のところカイト理論に行きついてしまうのだ。マリリス
のお陰で新生物が弱っているとはいえ、手持ちの武器でどうにかで
1254
きる相手ではない。
彼女の鱗粉を更に強め、最後の一撃を与える必要があった。
抵抗力を身につけ進化するよりも前に、だ。
﹁⋮⋮判りました。やります﹂
言うと、マリリスはジャンプ。
壁の上から獄翼のコックピットへと飛び込んだ。その様子を見て、
スバルとアーガスは慌てふためく。
﹁ば、馬鹿! 危ないだろこんなところで!﹂
近寄り、直接話をしていたとはいえ、だ。
ここは地上から何十メートルも上に位置する壁である。そんなと
ころでジャンプして、誤って落下してみろ。常識的に考えて、大怪
我どころでは済まない。
﹁大丈夫です。前、家から飛び出した時は痛くありませんでしたか
ら﹂
にこり、と微笑んでマリリスは後部座席へと向かう。
しかしよく見れば、相変わらず表情は硬いままだ。気持ち、まだ
震えが見える。
﹁マリリス﹂
﹁はい?﹂
ゆえに、スバルは口を開いた。
なるだけ彼女の気持ちを落ち着かせようと、慎重に言葉を選ぶ。
1255
﹁今からやるのは君とこの機体の一体化だ。だから君は少しの間、
Xの稼働を間近で見ている。
俺に勝手に身体を動かされるし、逆に俺を支配することもできる﹂
実際、彼女はSYSTEM
無数のコードに繋がれたヘルメットを被る事で、後部座席に座る
人物がどうなってしまうのかはこの説明で大体イメージができるだ
ろう。
﹁君は何も動かなくていいから。俺がけじめをつける﹂
本音を言えば、これ以上の負担をかけたくはなかった。注入され
た力は、彼女の最愛の育ての親を殺してしまった。その力を放出し
続けるだけで彼女は精神的に参っていることだろう。
それに、彼女は人一倍怖がりだ。
獄翼が昨日、一際残忍が攻撃をしかけたのを間近で見ているのも
ある。必要以上の暴力を、この街娘が振るえるとは思えない。
アーガスが無言で席を立つと、マリリスは表情を少し和らげてか
ら着席する。
﹁私もやります!﹂
席に着いた後、彼女の口から放たれたのは決意表明だった。
しかし、顔を真っ青にしたままでそんな言葉を言われても無理を
しているようにしか見えない。
﹁マリリス君。無茶はしない方がいい。体に毒だからね﹂
﹁それでも、私がやらなきゃダメなんです﹂
マリリスは後部座席からモニターを見やる。
1256
縦に真っ二つにされた巨人が、頭をくっ付けている。まるでゾン
ビだ。グロテスクな光景を改めて目に入れて若干の吐き気を催すが、
そうも言っていられない。
﹁ゾーラおばさんは、私が殺しました﹂
俯き、紡がれた言葉に二人は絶句する。
一番触れてはいけない事に、彼女自身が触れたのだ。
﹁今でも体が覚えています。抱きしめたと思ったらぬるって感触が
して、その後は⋮⋮﹂
その後は言葉に出来ない。
思い出すだけで鳥肌が止まらないし、お腹の中身が口から溢れ出
してしまいそうになる。
マリリスは内から溢れ出す気持ち悪さを必死に押し留め、言う。
﹁正直、恨みました。なんで私なんだろうって。何度も、何度も、
何度も﹂
そのことを﹃当たりくじ﹄と例えられたことには、憤りしか感じ
られなかった。
自分は決してこの力を欲したわけでもないし、欲した人物は悉く
はずれくじを引かされる。こんな不平等は無いと、素直に思う。
だが、それでも。
﹁それでも、誰かの為に何かがしたいんです﹂
スバルがやられたと聞いた時、激しい後悔が彼女に襲い掛かった。
もしも自分が率先して戦いに出ていれば、彼らが酷い目にあう事
1257
も無かったのでは、と考えてしまう。
マリリス・キュロは暴力を以ての解決を良しとはしない女の子だ。
それでも、自分の身の回りの大切な何かが壊れていくのは、耐え
られない。彼女は16年の人生で初めて、自ら武器を手に取ったの
である。自分の大事な物を守る為に。
﹁⋮⋮分かった﹂
彼女の言葉に、スバルは思う事があった。
境遇は少し違うとはいえ、自分と彼女は似ている。流されるがま
まに大事な物を失って、気付けば抗う力が目の前にあった。
大事な物を続けてぶっ壊そうとする相手を前にして、二人が取っ
た選択は同じものなのだ。
﹁アーガスさん﹂
嘗てはぶっ壊す側だった男に、スバルは言う。
心なしか、英雄の表情が少しさびしげな物に変わった気がした。
﹁ここまでありがとう。後は俺たちでやるよ﹂
﹁そうか﹂
獄翼のハッチの前まで移動すると、アーガスは軽くジャンプ。
マリリスと入れ替わる形で壁へと降り立つと、スバル達へ振り返
る。
少年と少女の顔を確認すると、彼は一本の薔薇をコックピットへ
放り投げた。
﹁うわっ!?﹂
1258
顔面に飛び込んできたそれを、スバルは見事にキャッチ。
少しとげが刺さったが、触っても特に害が起こる代物ではないら
しい。彼の薔薇は様々な超常現象を巻き起こす為、このような無害
の薔薇を放り込まれても反射的に構えてしまうのだ。
﹁なにこれ﹂
ダークグリーンの薔薇を手に取り、スバルが問う。
客観的に見て、花弁と棘の色が殆ど同じなので見分けがつかない
不思議な花だった。
﹁少し前に君に言った言葉を覚えているかな?﹂
﹁少し前?﹂
﹁その様子だと、どうやら忘れられたらしいね﹂
アーガスは自嘲気味に笑みを浮かべると、少年の視線をまっすぐ
受け止める。
パラサイトローズ
﹁その薔薇は通称、寄生薔薇と言ってね。文字通り、肉に寄生する
花なんだ。根の部分は花弁とリンクしていて、毟り取るだけで根が
こびり付いた物はぐちゃぐちゃになる﹂
﹁なんでそんな物騒なモンここで渡すんだよ!﹂
B級映画に出てくる食虫植物のような気味の悪い花である。
マリリスに手渡すわけにもいかず、スバルは薔薇をモニターの横
に置いてから言った。
アーガスは微笑しつつも、答える。
﹁今、その薔薇の根はね。私の心臓に巻きついているのだよ﹂
1259
﹁え?﹂
英雄は己の心臓に手を当て、目を閉じる。
自身の心臓の鼓動を感じながらも彼は続けた。
﹁戦いはもう終わる。君と彼女の手で、美しく﹂
で、あれば自分の出番はもう終わりだ。
彼はこの街でスバルと再会した時に吐き出した言葉を思い出しな
がら、再び同じ言葉を少年に送る。
﹁君たちは私を恨んでいる事だろう。ゆえに、全部終わった後もま
だ私を許せないのであれば、その花弁を毟り取って私を殺すと良い﹂
それは旧人類であるスバルが確実にアーガスを葬る方法でもあっ
た。
英雄の身体は、防御の根が常に自動で張りついている。こんな手
でも使わない限り、彼に自分を殺させる方法はないだろう。
﹁時間がない。行きたまえ。立ち止まらせて悪かった﹂
﹁あ、ああ﹂
静かな決意を前にして、スバルは何も言う事が出来なかった。
正直な所、アーガスを許せるかそうでないかと言われたら、複雑
な思いである。今回の一件は彼も犠牲者の一人だと思うし、人柄も
誠実だ。ここで死すべき人物ではない。
だが、それとは裏腹に。
スバルの心の中で、小さくなっていく父親の姿がいまだに残って
いるのも事実なのだ。
1260
﹁っ!﹂
父親の幻影を見たところで、スバルは己の頬を叩いて気合を入れ
直す。
しっかりしろ蛍石スバル。戦いはまだ終わっていない。
この薔薇のことをどうするかは、全部に決着をつけた後に考えて
からでいいだろう。
否。お前はそもそも、考えたら泥沼に嵌ったかのようにして延々
と答えが出ないじゃないか。
直感を信じるって、今日決めたばかりだろ。
そんな事を思い直していると、背後から遠慮がちな声が響いた。
﹁スバルさん﹂
マリリスだ。
振り返らずに﹃なんだ﹄と呟くと、彼女は震えた声で言う。
﹁どうするんですか、その薔薇は﹂
マリリスとて心当たりがないわけではない。
ダークグリーンの薔薇はスバルに手渡された物とはいえ、事実上
二人に渡されたような物だった。
﹁マリリスはどうしたい?﹂
﹁私は、返すべきだと思います。本音を言えば、あの方を殺すなん
てできないっていうのがありますけど﹂
ただ、それを抜きにしてもアーガスは国に必要な人材だ。
1261
ゴルドーとアスプルが亡き今、国の中心に立って指揮を出せる人
物が必要だった。新生物の登場で、国は殆ど壊滅状態に陥っている
と言ってもいい。こんな状態で、英雄まで失ったら国はどうなって
しまうのか。
結果は見ずとも分かる。
﹁ただ、それは国に住んできた私の意見です﹂
異国の地で暮らし、たまたま寄って来ただけのスバルには関係の
ない話だ。それを抜きにしても、彼とアーガスの因縁は自分が関与
できるものではないと思う。
﹁無責任かもしれませんけど、貴方が決めるべきだと思います。私
たちは皆さんに多大な迷惑をかけましたし﹂
﹁もう気にしてないよ﹂
そこでスバルは始めて、能天気に笑って見せた。
﹁まあ、なんにせよさ。無責任だよな。こういうの﹂
正直、託されるようなキャラではないと自分で思う。こんなもん
はカイト辺りに渡した方がいいんじゃないかと思ったが、ややあっ
てからそれは完全な人選ミスだと思い直す。性格的にも、因縁的に
も。
Xの稼働を確認する。
﹁⋮⋮まあ、それも含めて終わった後に考えよう﹂
モニターを弄り、SYSTEM
お喋りの時間は、もうおしまいだ。
1262
﹁行くよ﹂
﹁は、はい!﹂
真上からヘルメットが落ちてくる。
X起動﹄
二人の頭にすっぽりと収まった後、コックピット内に無機質な音
声が響く。
﹃SYSTEM
直後、獄翼の関節部が青白い光を解き放つ。
背中から突き破るかのようにして白い羽が飛び出し、縦へと展開
する。マリリスの羽を再現する為に出現した、アルマガニウムの光
だった。
光は徐々にラーニング先の特徴を捉えていき、形を形成していく。
数秒もしない内に、獄翼の背中から青白い蝶の翼が形成された。
光の羽が僅かに羽ばたく。光の結晶をふんだんに含んだ、美しい
風が吹いた。
1263
第92話 vs償い
荒野で分断された新生物が接合し、氷を砕きながら起き上ってく
る。
それを視界に入れ、カイトは肩を落とす。もう自分が何をやって
も時間稼ぎにしかないであろうことを、カイトは十分理解していた。
恐らく、後ろの二人も同様だろう。新生物を完全に倒せるのは、
巨人にとっての猛毒を噴出し続けるマリリスだけである。
﹁カイちゃん﹂
﹁分かってる﹂
巨人が雄叫びをあげ、起き上がる。
だが、カイト達にはそれが泣いているようにも見えた。弱小生物
を威嚇するような凶暴性はそこにはなく、ただ痛みに身を焦がした
哀れな化物。
獄翼から噴出される鱗粉を身体に受け、巨人の身体が溶け始める。
蝋燭のように流れるそれは、見方によれば涙のように見えるかもし
れない。
﹁終わりだ。これで﹂
確信があった。
一度は起き上がった巨人が、どんどん溶けていく。もうこれ以上
戦う必要はないし、この化物に怯える心配もない。
﹁リーダー!﹂
﹃リイイイイイイイイイイイイイイダアアアアアアアアアアアアア
1264
アア!﹄
どこか黄昏た表情を作っていると、背後から聞き覚えのある女の
声と、ノイズ混じりのキリキリ声が轟いた。
反射的に耳を閉じようとしたカイトだが、その前にちらりと目線
を向ける。カノンとアウラだ。その姿を確認すると、カイトは一言
つぶやいた。
﹁あれ、お前らいたの?﹂
酷過ぎる言葉だった。
こちらに向かって駆けつけてきた姉妹が、流れるようにしてずっ
こける。顔面から荒野にダイブした二人が、滑りながらもカイト達
の足下へと到達した。
﹁おい、幾らなんでも酷くないか﹂
﹁そうか?﹂
訝しげな目線をエイジが向けてくるが、カイトとしては何時の間
にいたんだという話である。
当然と言えば当然だ。シルヴェリア姉妹が駆け付けた際、カイト
は歯昏睡状態にあった。その上、復活した後は頭に血が昇って新生
物しか見ていない。見るも無残にされたダークストーカーの残骸な
んか、気にする暇なんてないのだ。
﹁わぁ、二人ともおっきくなったね﹂
唯一、シデンだけがフレンドリーな態度で姉妹に接している。
といっても、二人とも砂とキスしたまま固まってしまっている為、
返事は返ってこなかったのだが。
1265
﹁謝っといたほうがいいんじゃない?﹂
﹁俺、なんか変な事言ったか﹂
﹁言ったと思うぞ。確実に﹂
﹁そうか﹂
まあ、態度は確実に変わっていないだろう、とエイジは思う。
カイトは昔から第二期XXXに対しては素気なかった。しかし態
度は冷たくても、面倒はきちんと見る男である。神鷹カイトは他人
との距離の取り方が下手糞なのだ。
本人も、一応その自覚はある。
自覚はあるので、カイトは跋が悪そうにしながら姉妹を見下ろし、
言った。
﹁悪い。言い過ぎた﹂
﹁カイちゃん、それ心が籠ってないよ﹂
﹁棒読みだもんな﹂
親友二人から軽いブーイングが飛んできた。
ぐぬぬ、と唸ってからカイトが頭を下げる。その姿は非常に情け
ないものだった。
ちらり、と壁の方を見やる。鱗粉を飛ばす獄翼の隣で、手足をも
がれたダークストーカーの姿があった。ここでようやくカイトは彼
らの奮闘を理解する。
﹁⋮⋮よく頑張ったな﹂
風に掻き消えてしまいそうな、小さな呟きだった。
カイトの口が閉じたその瞬間。彼の足下で地面に埋まっていた姉
妹の顔が、勢いよく飛びあがった。
1266
﹁はい、リーダー! 私たち頑張りました!﹂
﹃御無事で何よりです!﹄
﹁お、おう﹂
ちょろい。この姉妹、心に傷を負っても次の一言を受け入れれば
すぐに尻尾を振ってくる。長い付き合いからそのことを理解しては
いたが、こんなに簡単では将来が心配になってしまう。
﹁︱︱︱︱!﹂
姉妹の将来に不安を覚えていると、彼らの背後で怪物の唸りがあ
がった。
全員が振り返ると、丁度巨人の頭部が崩れ落ちる瞬間を目撃する。
頭部に張り付いていた結晶体が赤から青に変色し、自然と光が失わ
れていく。
﹁終わったんですね﹂
XXXの面々が思う事を、アウラが代弁する。
こう見ると、呆気ない物だ。この二日間、好き勝手暴れてきた新
生物の馴れの果てがこれである。
意識を失い、ただ取り込んだ新人類への恨みが募った怪物。
直接その光景を目の当たりにしたカノンとアウラは、どろどろに
溶けて蒸発していく怪物の正体は新生物ではなく、人間の悪意の塊
なのではないかとさえ思い始めていた。
ゆえに、カノンは言う。
﹃いや、アウラ。多分、終わらないよ﹄
1267
今回は新生物が体現してしまっただけだ。
トラセット国民のように、新人類王国に恨みを持つ人間は多い。
﹃どこかで誰かが止めない限り、きっとあの化物みたいなのは何度
でも出てくると思う﹄
それが比喩も含んでいることを、カイト達も理解していた。
もしもここがヒメヅルだと思ったら、それだけでカイトは寒気が
する。気のいいケンゴ少年や、豚肉夫人を始めとするご近所さんた
ちが、想像の中で新生物に食われていった。
想像の中で起こる悲劇を追振り払うようにして、カイトは化物か
ら目を背ける。すると、見知った男が突っ立っていた。
﹁だが、止める事が出来たのも事実だ﹂
アーガスだ。
彼はXXXの面々を通り過ぎると、そのまま溶けていく巨人へと
向かって行く。
﹁おい、どうする気だ﹂
﹁あれは私の罪の証だ。最後は私が見届けなければならない﹂
言いつつ、アーガスは巨人の前で立ち止まった。
光を失った結晶体を見やり、アーガスは呟く。
﹁許してくれ﹂
それはまごうことなく、巨人に向かって放たれた謝罪の言葉だっ
た。
アーガスは知っている。彼が純粋に外に出たがっていたことを、
1268
だ。
彼が外に何を求めていたのかは知らない。
しかし、そんなの純粋な願いを黒い意識で押し潰したのは、他な
らぬ自分たちだ。同時に、それを止める事が出来たであろう自分が、
何もできなかったのが悔しくて仕方がない。
﹁君を殺したのは私だ。私が弱かったがために、皆を⋮⋮﹂
英雄は俯き、消えていった人たちの顔を思い浮かべる。
戦争で死んだ国民。従者。父。弟。そして新生物。もう彼らは戻
ってこない。どんなに逆立ちしても。どんなに願ったとしても、二
度と会う事はない。
﹁山田君。痛みと言うのは、どうしようもない物なのだな﹂
溶けきった巨人を見て、アーガスは振り返らずにそう言った。
彼が今、どんな表情をしているのかは分からない。だが、少なく
とも大樹の中で相対した時のような、情けない姿ではないのだろう
とカイトは思った。
同時にカイトはもう一つ思う。
﹁俺は山田君じゃない﹂
﹁ふっ、そうか﹂
鼻で笑われたことに、少し苛立った。
反射的に爪を出して腕を振るいかけるが、周りにいる四人に羽交
い絞めにされることでなんとかこの場は収まりがついた。
同時に、巨人の結晶体が砕け散り、風に飛ばされていく。
溶けた巨人の身体も全て蒸発しきってしまった。正真正銘、巨人
1269
の最期である。その瞬間を見届けると、アーガスは振り返る。
一人一人の顔をじっくりと眺め、アーガスは言った。
﹁君たちにも世話になったな。礼を言おう﹂
﹁お前が一番礼を言わなきゃいけない奴は、ここにはない﹂
アーガスの一言をばっさりと斬り捨てるようにして、カイトが反
論する。彼は背後で光の羽を展開する獄翼を指差し、続けた。
﹁今回の件で一番傷付いたのは、アイツらだ。俺たちはただ昼寝し
てただけで、何も失っちゃいない﹂
﹁そのとおりだ。私は彼らに対し、償えない罪を背負ってしまった﹂
それ故に、ダークグリーンの薔薇を授けた。
彼らになら殺されても文句は言えない。その一心が、薔薇を渡さ
せたのだ。
﹁だから私は︱︱﹂
﹁アイツらは多分、優しい奴だ﹂
アーガスが何かを言う前に、カイトがそれを遮る。
﹁娘の方はよく知らん。だが、スバルはな。馬鹿の癖に妙に考え込
んで、背負わなくてもいい物を纏めて背負うとするくらい不器用な
奴なんだよ﹂
﹁お前がそれを言うか﹂
横でエイジが何か言っているが、無視。
表情を変えないまま続ける。
1270
﹁お前らから逃げた後、俺はアイツを守るつもりでいた﹂
ところが、だ。
蓋を開けてみれば、予定とは違う展開がカイトを待っていた。
﹁だが、守られたのは俺の方だった﹂
後ろでカイトを覗き込むシルヴェリア姉妹の頭を掴み、優しく撫
でる。まるで小動物をあやすかのような光景だったが、アウラもカ
ノンも落ち着かない様子だった。当然と言えば当然である。彼女た
ちは頭をなでられた経験がないのだ。
﹁俺の周りにこいつ等がいるのがその証拠だ。だから、俺はアイツ
の為に何かが出来ればいいって思ってる﹂
ゆえに、カイトは願う。
﹁アイツを困らせないでやってくれ。もう、十分すぎる程傷付いた
だろ﹂
カイトの言葉を聞いた後、その場にいる全員が凍りついたように
動きを止めた。そして驚愕の表情でカイトを見る。
﹁⋮⋮なんだ﹂
その視線を受け取ったカイトが、訝しげな顔で見返した。
すぐさま全員目を逸らす。ただ一人、彼の横で陣取ってたシデン
がぽりぽりと頬を掻きながら言った。
﹁いやぁ、なんというか⋮⋮人間、変われば変わる物だなぁって﹂
1271
﹁どういう意味だ﹂
ちょっと前まで絶対に言いそうにない台詞である、と彼らは思う。
頭をなでられたシルヴェリア姉妹に至っては﹃リーダーがデレた
!﹄﹃まさかの攻略可能キャラですか姉さん﹄とわけのわからない
会話をしている始末だ。
そんな中、ただアーガスだけがカイトを正面から見据える。
﹁⋮⋮山田君。私は二人に謝っても許されないことをしてきたと思
ってる﹂
﹁山田君じゃない﹂
半目になって訂正を求める。
何を気にいったのか、この英雄はどうしても自分を山田君にした
いらしい。睨んでも全然気にしない態度なので、一旦カイトは自分
から折れる事にした。
﹁俺だって同じだ。謝ったけど、それでこいつらにチャラにしても
らったなんて思っていない﹂
﹁ねえ、カイちゃんがデレ期なんだけど!﹂
﹁貴重ですよシデンさん! 写メしましょう写メ!﹂
後ろで外野が騒がしくなるが、やはり無視。
後で携帯を取り上げて全部へし折ってやろうと思いつつ、カイト
は続ける。
﹁要は何を求められて、何ができるかってところなんだと思う﹂
﹁何を⋮⋮?﹂
﹁お前が獄翼で何をしたかは知らん。だが、アイツらがそれを望ん
1272
でいるかは別問題だ﹂
シルヴェリア姉妹の頭から手を放すと、カイトは回れ右。
獄翼へと向かって、歩を進める。
﹁まあ、また変な事を考えて、俺達を巻き込まなければなんでもい
いがな﹂
手を振り、カイトはアーガスに向けて言い放つ。
それ以上言う事はない、とでも言わんばかりに彼は仲間達を引き
つれ、スバルの待つ獄翼の下へと向かって行く。多分、アーガスが
この後何を言ったとしても振り返らないだろう。
﹁⋮⋮まだ、私は美しいのとは程遠いかもしれないね﹂
ただ、肩を落としてそれだけ言うことは出来た。
よくよく思い返せば、全部終わった後で薔薇を差し出せばよかっ
たと切に思う。これではただ自分の我を押し通そうとしているだけ
の我儘お兄さんだ。自覚し、アーガスは苦笑する。
﹁アスプル。私はまだ、抜けているらしいよ﹂
心なしか、弟が笑いながら背中を叩いた気がした。
それが幻覚なのだと理解していても、背中から暖かい何かが広が
ってくる。
温もりをしっかりと感じながらも、アーガスは守られたトラメッ
トの街を見た。
﹁!?﹂
1273
壁を囲むようにして、無数の黒い渦が巻き起こった。
アーガスはそれを知っている。四年前の悪夢の始まりを、忘れた
ことなど片時もない。
黒い渦は新人類王国の戦士たちが攻めてくる前兆。
どんな物でも瞬時に移動できる、空間転移術だ。
ほんの少しだけ時間は遡る。
丁度、カイト達が巨人に対して攻撃を行っている辺りになる。
トラメットで一番大きい病院には、半ば隔離された部屋がある。
普段は大きな病気にかかったり、感染症などにかかった人間がここ
に閉じ込められるのだが、今ここで入院中の女性はそれらとは違う
病状を患っていた。
彼女はベットから起き上がると、動きにくいパジャマを脱ぎ棄て
て普段着に着替える。
彼女の名はタイラント・ヴィオ・エリシャル。新人類王国でもっ
とも強いと言われた女性である。
﹁なるほど、状況はわかった﹂
昨日、トラセインで巨人の音波を耳にした新人類は昏睡状態に陥
ってしまった。最強の女としてその名を知られる彼女とて、それは
例外ではない。
目覚めたばかりのタイラントは手袋をはめると、迎えに来た部下
︱︱︱︱メラニーに向き直る。
﹁では、あの化物の処理は﹂
﹁程なく終わるかと思われます﹂
1274
元々、タイラントとメラニーがこの国にやって来た理由は新生物
の駆除にある。その裏には様々な思惑があり、結果的には彼女たち
しか来れなかったわけだが、それでもタイラントの怨敵ともいえる
XXXの面々に貸しを作ってしまった。
その事実が、今だけは無性に腹立たしい。
﹁そうか。ご苦労だった﹂
﹁いえ。私は壁を作っただけです﹂
﹁それでもお前は自分の役割を最低限果たした。それができればい
い﹂
部下のメラニーは音波攻撃をやり過ごし、生き残った面々と共に
新生物を迎え撃っていたのだそうだ。街への被害を抑えた彼女の働
きは、素直に評価できるとタイラントは思う。
もっとも、今では反逆者の街なのだが。
﹁お姉様﹂
複雑な表情を作っていると、彼女の後方に控えるメラニーが口を
開く。
膝をつき、頭を僅かに上げた部下のグリーンの瞳が見えた。
﹁どうなさるおつもりですか?﹂
彼女たちが受けた任務は、間接的に成功する事だろう。
少なくともマリリスがいる以上、それは確定されたことだとメラ
ニーは思う。ならば、新生物駆除の任を引き受けた自分たちはこれ
以上留まるべきではないのでは、というのがメラニーの見解だった。
﹁確かに、お前の話を聞く限り、新生物はあの連中が倒してくれる
1275
ことだろう﹂
拳を握りしめ、感覚を確かめる。
身体の奥から湧き上がる破壊のオーラが充満し、掌に集中してい
く。弾くようにして掌を解放した。中に集中していた破壊のエネル
ギーが解き放たれ、病室の壁が粉砕される。
能力も問題なしで使える事を確認すると、タイラントは犬歯を剥
き出しにして笑う。
﹁だがな、メラニー﹂
満足げに頷いてから部下へと振り返る。
﹁お前はアイツらに受けた恨みを忘れたか?﹂
﹁いいえ。決して﹂
メラニーは覚えている。
シンジュクの大使館での大敗。そして姉と慕うシャオランの大破。
いずれも許しがたい結末だ。
﹁そうだろう。私も同様だ﹂
タイラントはそこに加え、憧れの上司の仇もカウントする。
目と鼻の先に彼らがいるとなると、穏やかになることなどできは
しない。彼女は打倒XXXを掲げて10年以上も鍛え上げてきたの
だ。
彼らには、償いをしてもらわなければならない。
﹁メラニー、ミスター・コメットに連絡しろ﹂
1276
タイラントの表情から笑みが消えた。
犬歯と共に敵意を剥き出しにし、彼女は続ける。
﹁レオパルド部隊を出撃させるぞ﹂
レオパルド部隊。尊敬するプレシアから腹心に引き継がれ、そこ
から更にタイラントへと引き継がれた戦闘部隊である。構成員は全
員女性だが、侮る事なかれ。彼女たちは歴戦の女傑たちの目に叶い、
選ばれた超エリート集団である。その規模は小さく、僅かに30人。
しかし、それでも十分だとタイラントは思う。
一番厄介なXXXを自分が始末すればそれだけで済む話だからだ。
一度御柳エイジと拳を交えたが、初めから全力で細胞を消し飛ばし
にかかれば、全く問題にならない。その為の手段も用意させてある。
﹁全員、飛行できるブレイカーに乗せろ。そうすれば敵のマシンを
相手に、優位がとれる。XXXの相手も無駄にする必要が無く、消
耗を最低限に抑える事が出来る﹂
﹁お姉様。流石です﹂
メラニーは笑みを浮かべ、﹃お姉様﹄を見る。
その表情は蕩けているとさえ表現することができる程、熱が籠っ
ていた。
﹁私たちは皆、貴女の言葉を待っていました﹂
メラニーがゆっくりと立ち上がる。
﹁待機しているメンバーは全員、何時でも出れるよう待機させてい
ます。お姉様のお声一つで出撃できるように﹂
1277
それがどれだけのことか、タイラントはよく理解していた。
彼女の部下は皆、一日中ブレイカーの中で待機していたのだ。何
時、誰が呼び出されても瞬時に対応できるように。
もしかしたら永遠に呼び出しが無いかもしれない。にも関わらず、
彼女たちは待ってくれた。その事実を、ただ嬉しく思う。
﹁私はいい部下を持った。本当に﹂
ならば、そんな彼女たちに報いなければならない。
待ち続けた雌豹の為に、獲物を定めてやる。それはボスであるタ
イラントの役目だ。
﹁敵はXXXだ。覚悟はいいか?﹂
﹁はい。全ては貴女の望むままに﹂
言い終えた直後。
メラニーは静かに携帯電話をプッシュした。
1278
第93話 vsレオパルド部隊
巨人が崩れ落ち、蒸発していったのを確認すると、スバルはホッ、
と安堵の溜息をついた。
獄翼が行った攻撃は羽ばたきだけだったが、鱗粉を直接吹きかけ
るだけで終わったのは幸運だったと思う。これで倒しきれなければ、
マリリスに銃を持たせる羽目になっていたところだ。無垢な街娘に
Xを強制終了させる。
それをさせるのは心苦しかったため、ピストルやランチャーの出番
が無くて良かったと心底思う。
﹁お疲れ、マリリス。切るよ﹂
﹃はい﹄
ヘルメットを外し、SYSTEM
手に取ったそれを足元へ置くと、スバルは改めてモニターを見た。
完全に溶けて、蒸発しきった巨人がいた場所に視線が向けられる。
肉片すら残っておらず、頭に張り付いていた結晶体も砕け散って
しまっていた。巨人がこの世にいた証は、消滅してしまった。
﹁⋮⋮終わったんだな﹂
誰に向けるわけでもなく、呟く。
その事実を意識した瞬間、操縦桿を握っていた腕の力が一気に抜
けるのを感じた。そのまま頭から正面モニターに突っ込みそうにな
るのを堪えていると、コックピットが警報を発する。
﹁えっ!?﹂
﹁きゃ!?﹂
1279
喧しいサイレンにも似た警告音が鳴り響く。後部座席で意識を取
り戻したマリリスも突然の警報に驚き、飛びあがる。
﹁な、なにがあったんですか!?﹂
目覚まし時計の音にも似た不快音が、決していい知らせではない
ことをマリリスは理解していた。
彼女が問いかけると、スバルは素早く周囲の状況を確認する。
正面モニターにトラメットの映像が映し出され、警告音を発令さ
せた相手の存在を二人に知らせた。
﹁空間転移術だ﹂
ごくり、と喉を鳴らす。
気の抜けた腕に再び力が入り、スバルは覚醒。マイクに口を当て
ると、彼は叫んだ。
﹁カイトさん、新人類軍だ!﹂
﹁分かってる!﹂
トラメットを無数の黒い渦が取り囲んでいる。
一つ一つがしっかり渦巻いているソレは、まるで暗雲が立ち込め
ているようにも見えた。
数を計算してみる。コンピュータが映像に赤い斑点を表示させて、
解答を出した。その数、実に30。
﹁数は30!﹂
分かっている事実を、外にいる仲間達へと伝える。
1280
その知らせを聞き、獄翼の下へと向かうカイト達は思わず顔を見
合わせた。
﹁ここで30!?﹂
アウラが顔をしかめる。彼女は新人類王国の現在の事情をある程
度知っている。王国は現在、殆どの兵士を待機にさせているのだ。
その理由は恐らく新生物の襲来に備える為ではないかと踏んでいる
のだが、真相は定かではないので、そこらへんの議論は敢えてしな
いでおく。
だが、確実に言えることが一つ。
﹁幾らなんでも早すぎるんじゃないの!?﹂
新生物が溶けて、まだ10分も経っていない。
にも関わらず、空間転移術が展開された。しかし、ただの旅行者
が30もの空間転移を使うとは考えにくい以上、考えられる可能性
は一つ。
﹁どっちにしろ、王国がここに来る!﹂
そうなった場合、獄翼はいい的も同然だ。何度も激戦を切り抜け
てきた鋼の巨人は、今や満身創痍である。
奪取した時の装備は殆ど失い、両腕も貫かれ、飛行ユニットも大
破。機動力が売りのミラージュタイプが、空も飛べずに腕も動かせ
ないと言うのはどう考えても不味い。
﹁カノン、アウラ﹂
﹃はい、リーダー!﹄
﹁なんでしょう!﹂
1281
カイトはこの先のことを見据え、後をついてくる二人の部下に向
けて言う。
﹁お前たちは下がれ。王国の中で使える手札が欲しい﹂
その為にも、彼女たちを戦闘に巻き込ませるわけにはいかなかっ
た。このまま戦いに発展すれば、もうシルヴェリア姉妹は王国には
居られない。既に十分危ない気がするが、それでもここで失うわけ
にはいかない重要な駒であった。
﹁いいか。お前等はパツキンと一緒に隠れてろ﹂
﹁しかし、リーダー! 今は少しでも数が多い方が︱︱﹂
﹁命令だ!﹂
突き放すように言うと、アウラは押し黙った。
彼女はローラースケートの動きを止め、悔しげに歯噛みする。そ
れからややあってから、カノンも足を止める。
完全に納得しきっていないだろうが、彼女たちが言う事を聞いて
くれたことだけを確認できればそれでよかった。二人が離れたのを
確認すると、残る三人は走る速度を速める。
﹁隠れられると思う!?﹂
﹁この辺の地理に詳しいパツキンなら何とかなる筈だ。奴はああ見
えて意外と律儀だ。すぐに恩を仇で返したりはしないだろ﹂
﹁案外、信用してるんだな!﹂
後ろから聞こえるエイジの言葉に、カイトは僅かに首を横に振る。
﹁性格から考えただけだ!﹂
1282
それを信用してるっていうんじゃないかとエイジは思ったが、口
には出さなかった。
空間の穴の中から、鋼鉄の巨人が姿を現したからだ。30ある穴
の全てから、ブレイカーの姿が出現する。
﹁おい、やべぇぞ!﹂
降り立つブレイカーの姿を黙認し、エイジが叫ぶ。
30ある穴の中から出現したブレイカーはいずれも統一性の無い
機体だった。全機が特機だったのだ。量産機無しの精鋭部隊の登場
に、三人が戦慄する。
そんな中、カイトは精鋭部隊に一つの共通点を見つけた。
右肩にペイントが施されているのだ。黒い豹が大地を疾走してい
るマーク。ブレイカーのタイプや形状は違っていても、そこだけは
全機共通している。そしてカイトは、そのシンボルに心当たりがあ
る。
﹁レオパルド部隊か!﹂
その詳細について、勿論カイトは知っている。
かつて自分が国王から直々の任務を受け、直接対決をした女戦士。
プレシアの作り上げた女だけの精鋭部隊だ。
﹁ってことは、呼んだのはタイラントか!?﹂
﹁あるいは、てるてる女かもしれん﹂
いずれにせよ、彼女たちが呼び寄せたのであれば納得できる。
同時に、目的も理解できた。
1283
﹁狙いは何だと思う﹂
﹁言うまでもないんじゃねぇの?﹂
﹁8割くらいは君が原因だしね﹂
カイトがシデンとエイジに向かって問うと、彼らは迷うことなく
答えた。
なんと言っても、心当たりが多すぎる。新生物が襲来する直前に
タイラントの襲撃を受けた身としては、早すぎるリターンマッチに
溜息しか出てこない。
﹁あいつ、どうあっても俺達を此処で仕留めるつもりなんだよ!﹂
エイジが言うと同時、レオパルド部隊の各機体が飛行ユニットを
起動させてトラメットを囲んでいく。獄翼はそれを見上げながらも、
頭部に搭載されているエネルギー機関銃を構えた。現状、スバルが
空飛ぶ相手に使える武装はこれだけである。
これがブレイカーズ・オンラインなら、かなりキッツイなぁと思
う。
﹁すまん、待たせた!﹂
﹁本当に待ったよ!﹂
何時でも発射できる姿勢のまま、スバルが言う。
獄翼の足下に集まったXXXの三人を見やると、スバルは無言で
ハッチを開く。
﹁早く乗って!﹂
﹁そうはいかん!﹂
カイト達の搭乗を促すスバルの言葉を遮るようにして、凛とした
1284
女性の叫びが響いた。
声のする方角へ、全員が視線を向ける。
トラメットを囲む壁の上に、女性が佇んでいた。腰まで届きそう
な黒い髪に、豹を連想させるしなやかなボディ。そして剥き出しに
なった犬歯が印象的な、なんとも勇ましそうな女性である。
彼女の姿を黙認したスバルは﹃宝塚にでもいそうな人だな﹄と呑
気な事を思いながらも、もう一人の女性の存在に気付く。
まるで従者のように付き従う黒いローブ姿の少女は、つい先ほど
まで一緒に新生物と戦っていたメラニーに他ならなかった。アーガ
スの口からは無事では済まないだろうと聞いていたのだが、ぱっと
見た感じ健康そうに見える。一先ず彼女の無事を喜ぶと、スバルは
そのまま彼女たちに言った。
﹁誰だよアンタ!﹂
黒髪を靡かせる、獣のような女に問う。
後ろに座るマリリスが、震えた声で呟いた。
﹁た、タイラントです⋮⋮!﹂
﹁たいらんとぉ?﹂
直訳すれば、暴君だったろうか。
あまり女性らしくないネーミングを聞いて訝しげに首を傾げると、
マリリスは身を乗り出して言った。真っ青になった顔がスバルに近
づく。
﹁4年前、単身でこの国を制圧した人です!﹂
﹁へぇ、そうなんだ⋮⋮⋮⋮ええっ!?﹂
僅かに遅れて、スバルは驚愕。
1285
マリリスを見てから、再びタイラントに視線を向ける。どこから
どう見ても、男らしい女性にしか見えなかった。
﹁何を驚いてるですか。アンタの足下にいる連中だって、同じこと
をしてきたのを知ってるでしょう﹂
﹁いや、まあそりゃそうだけど﹂
メラニーのツッコミに、スバルは半目になって答える。
これ以上トンデモな奴が増えて堪るかと言った感情が、明らかに
見て取れた。
そんなスバル少年の怪訝な表情を気にする素振りも見せず、タイ
ラントは壁の上から大地を見下ろす。視界に入るのは、獄翼の足下
にいる三人の新人類だ。
﹁こうやって直接顔を合わせるのは久しぶりだな、神鷹カイト﹂
﹁タイラント⋮⋮﹂
お互いの視線が絡み合い、激しく火花が散る。
緊張感漂う空気の中、先に口を開いたのはタイラントの方だった。
﹁分かっているよな。私がレオパルド部隊を呼んだ理由が﹂
﹁ああ。俺がお前の立場でも、多分そうしている﹂
傍から見ているスバルとマリリスにも、はっきりと分かる。
この二人の間には、他人には立ち入れない因縁がある。その因縁
がこの場を覆い込んでいる緊張感を更に重苦しい物にさせていた。
﹁なら、私がお前を消し飛ばしても文句は言わないよな﹂
﹁まさか﹂
1286
タイラントが言い放った言葉に、カイトは苦笑。
見上げ、挑発的に視線を向けて言い返す。
﹁寂しいのなら、お前もあの女と一緒の所に送ってやろうか﹂
正直に言うと、スバルはカイトとタイラントによる因縁がどのよ
うな物なのかを知らない。知らないが、しかし。確実にカイトが悪
役をやっていると、自信を持って言えた。
その証拠に、タイラントの身体が震えている。彼女を心配げに見
やるメラニーがやたら献身的に見えるのだから、相当だと思う。
﹁き、さまぁ⋮⋮!﹂
タイラントの表情が歪む。
彼女の身体から波のように青白いオーラが噴出した。足下が崩れ、
流れに逆らわないままタイラントが壁を下る。
﹁覚悟はできてるんだろうな!﹂
﹁できてるわけないだろ。まだ死ぬ気はないんだ﹂
女傑が吼える。獣の雄叫びのような叫び声が轟くと同時、トラメ
ットを取り囲んでいた30機ものブレイカーが、一斉に銃口を向け
た。
﹁攻撃開始ぃっ!﹂
﹁エイジ、シデン。スバル達を頼む!﹂
カイト達目掛けて拳を振り上げたまま、タイラントが壁を降りて
くる。
その動きに合わせるようにしてカイトも爪を光らせた。
1287
﹁待ちな﹂
が、カイトの腕が振り上げられることは無かった。
エイジだ。彼がカイトの腕を掴み、引き留めたのだ。
﹁おい、何の真似だ﹂
﹁お前は大樹の中にいたからわかんねぇかもしれねぇけどよ。一応、
アイツとやりあってたのは俺なんだよ﹂
一歩前に踏み出す。
カイトを押しのけるようにしてタイラントの真正面に立つと、エ
イジは拳を握った。
﹁アイツは俺がやる﹂
﹁ちょっとエイちゃん!?﹂
シデンが驚いたように声をあげた。
その様子を見て、カイトは不安げに問う。
﹁俺から見ても能力が相当パワーアップされてるのが分かる。勝つ
手はあるんだろうな?﹂
﹁お前と同じだよ﹂
エイジが口元を釣り上げ、笑いかける。
それを見た瞬間、カイトとシデンは表情が凍りついた。
﹁よせ。俺はある程度なら耐えられる。俺がやるべきだ!﹂
﹁安心しろ。死ぬ気はねぇからよ!﹂
1288
カイトとシデンを振り払うかのようにして、エイジは疾走。
それを見たカイトは、思わず舌打ちした。
﹁あのバカ!﹂
時間稼ぎができればいいと思っていた。
カイトがタイラントと戦い、引き留めている間にシデンとエイジ
がなんとか獄翼と連携をとって周囲のブレイカー30機を落とす。
現実的ではないが、現状ではこれがもっともベストだと考えていた。
ところが、この作戦は御柳エイジに完全に見透かされていたのだ。
まあ、ちょっと考えれば分かりやすいのかもしれない。なまじ再
生能力が強力な為か、カイトは己の身を顧みない傾向がある。
その結果、エイジがカイトの代わりを買って出たのだ。
カイトが踏み出し、エイジを追う。
﹁シデン、ここは任せる!﹂
返事を待っている余裕などなかった。
先に破壊の化身へと突撃したエイジが、拳を振り上げる。
﹁第二ラウンドと行こうぜ!﹂
﹁邪魔だあああああああああああああああああああああっ!﹂
タイラントの拳が、前に突き出された。
二人の影が重なる。
直後、破壊のエネルギーが荒野を突き抜けた。青白い閃光が大地
を駆けぬき、抉る。その痛みに泣き叫ぶかのようにして、大地が揺
れた。
1289
﹁がっ⋮⋮!﹂
エイジの脇腹に、タイラントの右ストレートが叩き込まれる。
肉に滲み込んだ破壊のオーラが、血管を通り抜けて骨と臓器へと
侵食する。エイジはその感触を確かに感じながらも、笑みを浮かべ
る。
﹁いってぇな、くそったれ!﹂
エイジの口から血が吐き出された。
同時に、彼はタイラントの右頬を思いっきり殴りつけた。
﹁おお!?﹂
破壊の化身が荒野に叩きつけられる。
想定外の光景を目の当たりにしたカイトは、思わずブレーキ。そ
の間も、エイジはずっと勝ち誇ったように笑みを浮かべ続けていた。
しかし、彼はノーダメージではない。拳を受けた腹からは血が流
れだし、口からもだらだらと垂れている。
﹁かっかっか⋮⋮テメェの攻撃を何度か受けて、どんくらい痛ぇの
か俺は知ってるんだぜ﹂
頬を拭い、混乱しているタイラントに向けてエイジは言う。
﹁だがな。その痛みが来るまでちょっとだけタイムラグがあるんだ﹂
詰まり、
﹁骨や臓器がぶっ壊される前に殴れば、問題なし! そして、来る
1290
ダメージは大体わかったから我慢だ!﹂
問題あるぞ、その作戦は。
がっはっは、と高らかな笑いを響かせるエイジを見て、カイトは
思わず額に手をやった。
尚、カイト自身同じような作戦を考えていたのだが、誰もそこに
触れてくれなかった。
1291
第93話 vsレオパルド部隊︵後書き︶
次回は木曜日の朝に更新予定。
1292
第94話 vs戦いだけの世界
さて、これまで散々新生物の脅威について語ってきたが、そもそ
も彼らが人類と敵対する可能性はどれほどであろうか。
前述しているが、私はほぼ確実にぶつかりあう運命にあると思う。
悲しいかな。人類は今、大きく二分された状態だ。旧人類だ、新
人類だと騒ぎ、どちらが優秀かそうでないかで争い、戦争にまで発
展している。
子供は先人を見て育つものだ。果たしてこんな理由で戦争に明け
暮れる人類を見て、新生物が最初に何を学ぶのか。想像するに容易
い。
分かり合えないとは、悲しい事だ。
例え見よう見真似であったとしても、現在の地上のトップワンに
君臨している人類から学ぶであろうことが、戦いだなんて。
同じ星に生まれ、同じ時代に生きる仲間の筈なのに、なぜそうな
るビジョンが思い浮かぶのだろう。
誤解を与えるかもしれないので、一応断っておくが、人類は決し
て悪い生物ではない。諸君らも経験があるとは思うが、誰かを愛し
たり、敬う気持ち。あるいは熱い友情を育み、感動で涙する事もあ
るだろう。それらは決して悪い物ではない。
だが、同時に良い生物でないのも確かだ。そもそもにして善悪で
分けようとするのがおかしい話で、人間は誰にでもいい一面と悪い
一面があるもんである。
ある程度知能が発達したからだろうか。
エトセトラ
人間は時に、残酷な事をやってしまう。
殺人。強盗。恐喝。裏切り。陰謀。etc。
1293
悪意に取り込まれた人間は、常識では考えられない事をしでかし
てしまうものだ。そう言う意味では、彼らは異常者かもしれない。
だが、安心するな。君たちも、そして私も、常に彼らと同じ様に
なってしまう可能性を孕んでいる。
そうなってしまえば、我々は自分の意思で戦いに赴く事だろう。
戦いは生物として生まれた以上、必然だ。
野生動物の多くは群れを守るために戦い、あるいはハンティング
の為に攻防を繰り広げる。
例え凶行に行きつくまでのプロセスにどんな悲劇があったとして
も、我々は戦いから目を背けることなどできない。
そして時として戦いは、悪意を生む。
新生物は可能性の塊である。
もしも彼らが人類を見限るか、もしくは見よう見真似で戦いを仕
掛け、そして滅んだ場合。我々は自分たちの手で殺してしまったと
言う事を決して忘れてはならない。
大人でも子供でも、男でも女でも。皆が意識するべきだ。
新生物が人類によって滅ぼされた時。
人類の飽くなき戦いへの欲望が勝利した結果となるのだ。
それは同時に、人類の持つ悪意が勝利したともいえよう。
メビウスリング
もしもこれが、戦いと悪意が結びつく無限によって描き出された、
動物の変わらない習性なのだとしたら。
私たちは、戦いを止めることなどできるのだろうか。
今、この瞬間にも。我々人類は争っている。
悪意を撒き散らしながら。
1294
シュミット・シュトレンゲルの自伝、﹃アイラブ、終末論﹄より
抜粋。
戦い。
戦い。
戦い。
上を見ても、横を見ても、真下を見たって戦いだ。振り返ってみ
ても、そこには新生物との戦いが記憶に残っている。
視界の周りには、戦い以外に何も無かった。
マリリス・キュロは獄翼の後部座席から送られてくるその光景か
ら、思わず目を逸らす。
カメラアイから送られてくるタイラントの怒りの咆哮。
そして彼女の号令によって向けられた無数の銃口が、マリリスに
無言の圧力をかけたのだ。
もちろん、レオパルド部隊の一人一人に聞いて回ったとして、マ
リリスに恨みを持つと答える人物は一人もいない。メラニーに至っ
ては命の恩人ともいえる人物だ。
だが彼女たちは、問答無用で戦いを仕掛けてくる。
1295
そして銃口を向けられれば、人は否応なしに嫌悪感を覚える。引
き金を引かれたらどうなるかなんて、子供でも知っている事だ。
真っ向から矛先を向けられたスバルは、額に一筋の汗を流しつつ
も叫ぶ。
﹁寄ってたかってさぁ!﹂
ブレイカー単位で数えれば、1対30である。
機体ダメージも大きい中、これだけの数を相手にするのは辛い。
いや、辛いどころではない。
無理だ。
スバルの脳裏に、その一言が渦巻いていく。
だが、例え無理だと分かっていても。不思議と身体はエネルギー
機関銃のトリガーを引いていた。
獄翼の頭部に備わっている機関銃から無数の弾丸が発射され、真
正面にいるブレイカーに襲い掛かる。
だが、所詮は威嚇用の低威力。近くで発射すればそれなりの威力
にはなるが、遠くから狙うには向いていない。当然、相手のブレイ
カーに命中しても火傷の痕跡が着いた程度で終わってしまう。
﹁くそっ!﹂
スバルは憤りを隠さないまま叫ぶ。
今にもモニターに殴りかかるのではないかと思える程、彼は苛立
っていた。後部座席から見守るマリリスが、目を背けたいと思える
程に。
マリリスは思う。
1296
どうして彼らは戦うのだ、と。
まあ、色々と事情はあるのだろう。先程のカイトとタイラントの
やり取りを聞く限り、彼らの間には浅からぬ因縁があると思われる。
だが、ついさっきまで同じ敵に立ち向かった仲ではないか。スバ
ルとメラニーに関して言えば、それは見事に当てはまる筈だ。
にも関わらず、彼らは獣のように叫びながら戦いを展開していく。
まるでそうしなければならないのだという、脅迫概念があるかの
ように。
獄翼のカメラアイによって送られてくる映像に、改めて視線を向
ける。
先ず目に入ったのは、六道シデンによる単身特攻だった。彼は新
生物にやったのと同じようにして吹雪をお見舞いし、ブレイカーを
凍りつかせている。
だが、疲労の色が激しい。
いかに彼も超人とは言え、生身でブレイカーの攻撃を避けながら
能力を酷使するのは体力を消耗するようである。
無論、そのお陰で獄翼は今も立っていられるといっても過言では
ない。
シデンが狙うのは、基本的に獄翼に銃口を定めたブレイカーだっ
た。
次に目に入ったのは、やはり生身で単身ブレイカーに立ち向かう
カイトである。彼はタイラントからの恨みを買われている為か、多
くの攻撃を貰っていた。だがエネルギーピストルや機関銃を華麗な
ステップで避け、瞬く間に真っ二つにしていく勇士は流石と言える。
まだ彼にはシデンをカバーする余裕もあった。
1297
だが、
﹁神鷹カイトおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお
おおおおおおおっ!﹂
憎悪の籠った叫びが、荒野に轟く。
振り返るまでもない。タイラントだ。彼女は御柳エイジとやりあ
いながらも、カイトを狙うことを諦めていない。
﹁お前の相手は俺だ!﹂
﹁退けぇ!﹂
カイトに襲い掛かろうとする女傑の前に、エイジが立ち塞がる。
彼は既に全身血塗れだった。破壊のエネルギーを身に受け、我慢
するにしても限界があるのだ。当然と言えば当然なのだが、それで
もエイジは我慢することを止めようとしない。
幾度目かとなるクロスカウンターを炸裂させ、エイジはタイラン
トを後退させる。
だがそれから数秒もしない内に、攻撃を受けた個所から肉が弾け
飛ぶ。
﹁ぐぁっ!﹂
膝をついた。
最初に受けた場所と同じ、脇腹を食らったのだ。そこを支えなが
らも、エイジは歯を食いしばり、タイラントを睨む。
﹁が、我慢⋮⋮!﹂
﹁エイジ!﹂
﹁まだまだ行けるぜ、俺は!﹂
1298
カイトが心配そうに声をかける。
彼もマリリス同様、これ以上見ていられなかった。エイジの下に
駆け寄り、傷を見る。
﹁もう立つのもやっとだろ。後は俺が︱︱︱︱﹂
﹁お前じゃ、ダメだ﹂
片手でカイトを制し、エイジが前に踏み出す。
﹁折角腕が直ったんだ。またぶっ壊されたくねぇだろ﹂
﹁待て﹂
エイジの肩を叩き、無理やり振り返らせる。
彼はされるがままだった。
﹁まさかお前。それだけの為にこんな身体張ってるんじゃないだろ
うな﹂
﹁悪いか?﹂
﹁アホ﹂
心底そう思った。
確かにいい義手を手に入れたと思う。だが、身体の付属品を気に
されて身代わりになるなんて馬鹿らしいにも程がある。
﹁腕なんて壊れてなんぼだ。俺は特に﹂
﹁アホはお前だ。アキハバラでお前が意地張った結果、どうなった
か忘れたのか﹂
﹁お前も今、意地を張ってるだろ﹂
1299
エイジが言いたいことはわからんでもない。
確かに、アキハバラでは結構な無茶をしたと反省している。結果
として、腕も無くした。
だが、それを気にされて同じことをエイジがしたら、それこそ自
分以上の大ダメージが残るだけだ。
﹁ああ、意地を張ってるな﹂
脇腹を抑え、再びエイジがタイラントへと向き直る。
彼女も体勢を整え直したようだ。眼光をぎらつかせながら、ゆっ
くりと近づいてきている。
﹁でもよ。お前が俺ならどうする?﹂
﹁⋮⋮﹂
カイトは返答しなかった。
口を閉ざし、ただエイジの顔をまっすぐ見据える。その表情の裏
にどんな感情があるのか、エイジにはわからない。
ただ、首を傾げないからなんとなく言いたいことは伝わってくれ
たんだな、と思った。それだけで十分だった。
﹁何とかギリギリまで殴り合って、アイツの体力を削ってみる。そ
の後は、頼む﹂
肩に置かれた腕を払いのけ、エイジは一歩踏み出す。
そのまま前進していくと、彼は走り出した。
カイトは拳を握りしめ、歯噛みしたままだった。
﹁うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお
おおおおおおおおおおおおっ!﹂
1300
どちらが叫んだのかも分からないような、獣めいた雄叫びが荒野
に響き渡る。
エイジかタイラント。もしくはシデンか、スピーカーからスバル
が叫んだのかも分からない。
カイトはその叫び声に導かれるようにして、エイジへと視線を向
けた。
二匹の獣が、丁度衝突した瞬間だった。
二人を中心に、砂塵が舞いあがる。目を凝らしてなければ、彼ら
の様子を見る事さえできない。
﹁⋮⋮ん?﹂
だが、そこでカイトは気づく。
お互いに拳を突き出す二人の間に、小さな影が見えたのだ。
まさか、あの中に誰かが割って入ったと言うのか。
タイラントの能力は触れた物を破壊する力である。ソレに加え、
御柳エイジもXXXの中では怪力で名をはせた男だ。
そんな二人の拳の間に入り、しかも身体の造形を保っていられる
人間がこの場にいる。
その事が、カイトには信じられずにいた。
タイラントとエイジも同じだ。二人は拳を受け止めた﹃少女﹄に
驚愕の眼差しを送りながらも、その姿を見る。
出で立ちは全身をコートで覆っていた為、詳しい特徴を見ること
は出来ない。精々、乱入者が自分たちよりも頭一つ分くらい身長が
小さいくらいだ。
1301
﹁新人類王国のライタント・ヴィオ・エリシャル。そして元XXX
の御柳エイジ様。そして︱︱︱︱﹂
フードによって覆われた表情が、僅かにエイジの方を向いた。
その瞬間、彼は見る。フードの中で輝く、黄金の瞳に。嫌でも目
立つであろうその瞳には見覚えがあった。
﹁お前は!﹂
トラセインの墓地で、彼女と出会っている。
カイトの無事を予言し、マリリスがチューリップに襲われること
を言い残して去った謎の少女。そいつが今、目の前に再び現れたの
だ。
﹁貴様、何者だ!﹂
だが、タイラントからしてみれば初めて遭遇する謎の乱入者に他
ならない。反射的に、名乗りを求めた。
少なくとも彼女の部下で、破壊の力を受け流せるような人材はい
ない。新人類王国を探しても精々何人か見つかる程度だろう。
ところが、この乱入者は破壊のオーラが充満しているタイラント
の拳を右手で受け止めて、平然とした様子だった。
しかも破壊の力が浸透する様子もない。明らかに彼女の能力が通
用していないのだ。
﹁⋮⋮皆さん、お引きください﹂
﹁ああっ!?﹂
﹁何を!?﹂
だが少女は返答をせず、停戦を申し出てきた。
1302
冗談じゃない。ここまで来て、むざむざ恩師の仇を逃して堪るか。
タイラントは怒りを露わにしながらも、一言。
﹁ふざけるな﹂
﹁ふぅ﹂
その返答をある程度は予想していたのだろう。
少女は軽く溜息をつくと、タイラントの拳を払い退けた。もう一
方の左手はそのままゆっくりと降ろし、エイジの身体を脱力させる。
﹁誰だ、お前﹂
﹁私は︱︱︱︱﹂
少女がフードを脱ぎ棄てる。
そこから露わになった長い髪がふぁさ、と空気に舞い上がると同
時。彼女の黄金の瞳が見開かれた。
﹁イルマです﹂
﹁イルマ? イルマ・クリムゾンか!?﹂
その名前に、カイトは反応する。
彼の一言に反応し、エイジが振り返った。
﹁知ってるのか!? というか、知り合いか!?﹂
﹁直接会ったことはない。だが、今の右腕を提供したのはソイツだ﹂
その為にわざわざ脱走したエレノアを雇い、︵多分︶大金を払っ
て素材を用意させ、義手を完成させた。
本音を言えば、それだけでも十分不思議な行動なのだが、更に彼
女の不思議さを加速させる要素はもう一つある。
1303
﹁後、ソイツはアメリカ大統領秘書だ﹂
﹁秘書!?﹂
その単語が、どれだけ凄そうな役職なのかはエイジには想像がつ
かない。
ただ、アメリカで一番偉そうにしている大統領。その横で何かメ
モってたり、スケジュールの把握なんかしてる、有能な人なんだ程
度の認識である。
﹁ま、待て。え、マジ? すっげー幼く見えるんだけど﹂
﹁マジです﹂
イルマが感情を表に出さないまま、そう呟く。
そして視線をカイトへと移し、続けた。
﹁こうして会うのは始めてですね﹂
﹁ああ。お前には感謝してる﹂
偽りない本音である。義手に関して言えば、これ以上ない最高の
物を用意してもらった。その恩を忘れなかったからこそ、新生物や
トラセットの反乱に対して動いたのだ。
﹁だが、何故俺に接触してきた﹂
目的は何となく分かる。
恐らく、旧人類連合でも新生物の存在をキャッチしており、それ
に対する戦力が欲しかったといった所だろう。
だが、ピンポイントで自分に接触してきた理由が判らない。
カイトが腕を切断してから、1週間程度しか時間は経っていない
1304
のだ。にも関わらず、彼女は最初からカイトの為に義手の素材を集
めていたかのような準備の良さだった。
最初から当てにされていたのだとは思うが、そこまで買われた理
由が判らなかった。
﹁貴方が最も信頼できると判断したからです﹂
﹁初対面の筈だが﹂
﹁貴方はそうかもしれませんが、私はそうではありません﹂
カイトが首を傾げる。
なんだ、こいつは。エレノアに続くストーカーじゃあるまいな、
と怪訝な顔になるが、当の本人は全く気にした素振りもみせないで
いる。
﹁詳しくお話をする前に、こちらを沈黙させた方が良さそうですね﹂
一応、説明する気はあるらしい。
イルマはタイラントに視線を向けると、構えをとった。
﹁⋮⋮なあ、何する気?﹂
﹁勿論、帰って貰うために戦います。これ以上ここで戦闘をしては、
トラメットに甚大な被害が出るだけです﹂
﹁いや、そりゃそうだけど﹂
言う事はもっともだ。しかしタイラントの相手をすると言っても、
イルマはあまりにも小柄である。
傍から見れば、スバル達と同じく16歳程だろうか。
無駄に幼さを残したシデンに比べれば多少マシかもしれないが、
それでもタイラントの相手としては心もとない。
1305
﹁ご安心ください﹂
そんなエイジの心配を察したのだろう。
彼女は何の表情も浮かばせないまま、ただ己が事実だと感じた物
だけを呟く。
﹁私は負けないようになっているので﹂
直後、イルマの姿が僅かにブレた。
彼女だけがレンズの中に入ってしまったかのように、姿がぼやけ
て見える。
だが、それも長くは続かなかった。
徐々に焦点が安定を保ち始め、再び視界に女の姿が露わになる。
﹁うえっ!?﹂
ところが、だ。
エイジの目の前に再び姿を現したのは、イルマ・クリムゾンでは
なかった。
タイラント・ヴィオ・エリシャル。
暴君の名を欲しいがままにしている新人類軍屈指の女傑が、エイ
ジたちを守るかのようにして﹃タイラント﹄と相対している。
﹁新人類か⋮⋮!﹂
カイトは理解する。
イルマにタイラントの能力が通用しなかったわけを。
タイラント本人になることができるからだ。彼女本人ならば能力
の使い方は分かる。破壊の使い方も、消滅も。
そうやって彼女は本物のタイラントの攻撃をやり過ごしたのだ。
1306
﹁コピー能力者!﹂
突如として現れた自分自身の姿を目の当たりにし、タイラントは
僅かに狼狽する。
だからと言って、引くわけにはいかなかった。
イルマがどれ程自分をコピーしたのかは知らない。どのタイミン
グでコピーし、どういった条件でコピーするのかなども興味がある
が、今だけは意味のない話だ。
﹁お前たち。こいつ等は私がやる!﹂
タイラントは部下たちに命令する。
例えイルマが自分の全てを模造していたとしても、相手が自分自
身である以上、抑え込む自信はあった。
ゆえに、彼女は命ずる。
﹁ブレイカーに攻撃を集中させろ!﹂
標的を壊れかけのブレイカーに絞る。
既に満身創痍の機体では、一斉攻撃を捌ききれまいと言う判断だ
った。
例え六道シデンや神鷹カイトがカバーに入ったとしても、30ほ
どの猛攻撃を生身で捌ききるなどできはしない。
﹁やはりそう来ますか﹂
だが、その辺はイルマとて百の承知だ。
タイラントが徹底抗戦に出るであろうことは、彼女とカイトの因
縁を聞いた時から予想していた。
1307
だからこそ、彼女も呼び出す。タイラントの姿を映しだしたまま、
自身の味方へ。
﹁出番です﹂
短く紡がれた言葉。
だが、その一言は獄翼の手前にある物を召喚させた。
﹁うお!?﹂
﹁きゃあ!﹂
前方を警戒していたスバルとマリリスが驚き、その動きに合わせ
て獄翼が後ずさる。
まるで透明の壁が崩れ落ちていくかのようにして、彼らの前に一
体のブレイカーが姿を現したのだ。ステルスオーラを解除しただけ
なのだということはスバルにも理解できる。
だが、この混戦の中、何時の間に自分たちのド真ん前に。
少年の疑問は、目の前に聳え立つ巨大なブレイカーへと向けられ
た。
全長は大凡30メートル。
獄翼の1.5倍程はありそうな巨大ロボットは、全身を鎧で覆っ
たような大きな図体をしており、静かに腕を組んでいた。
アーマータイプ
一見しただけで分かる武装はなし。
この手の装甲重視機体は基本的に内蔵武器で戦うのがセオリーな
のだが、見たところそんな物は見当たらなかった。
強いて言えば、両肩からやけに目立つ突起物がでてきていること
くらいだろうか。だが、古今東西様々なブレイカーを︵趣味で︶調
べてきたスバルの知識の中でも、このような武装の存在は知らない。
それは同時に、青でカラーリングされたアーマータイプのブレイ
1308
カーが、自分の知らない系統に属することを意味している。
要は獄翼と同じく、世間で公開されていない新型なのだ。
﹁そちらはお願いします、ゼッペル。退かないようであれば、全機
破壊していただいても構いません﹂
﹃了解した﹄
鎧で覆われたブレイカーから、男の声が響く。
彼はイルマからのリクエストに了承の意を伝えると、自身が駆る
巨人を稼働させる。
組まれていた腕が、解かれた。
オーガ
﹃ゼッペル・アウルノート。鬼、掃討を開始する﹄
1309
第94話 vs戦いだけの世界︵後書き︶
次回は土曜日の朝更新予定
1310
第95話 vs鬼
ゼッペル・アウルノートは大きく息を吸い、周りを見渡す。
トラメットを囲み、無数のブレイカーが各々の武器を構えていた。
オーガ
肩のペイントや機体の統一性の無さを見るに、恐らくは特機で揃え
られた一つの部隊なのだろうと予想できる。
だが、彼は恐れなかった。
組んでいた腕を解き、無言で構える。
ゼッペルがファンティングポーズをとると同時、鬼も同じ構えを
とった。
鬼は獄翼とは違い、操縦席が無い。
後部座席も無ければ、操縦桿すらない。鬼はパイロットの動きを
真似して動く、モーショントレースシステムを導入した機体だった。
ゼッペルはただ鬼のコックピットで突っ立ち、視界全体を覆い尽
くすモニター画面で敵を観察しているのだ。
だが、攻撃命令が出た以上、これ以上の観察は不要だ。
ゼッペルは顔の右半分を完全に覆い尽くしている前髪を揺らしつ
つ、右腕を捻る。
同時に、鬼も同様の動きをとった。無数の赤外線によって読み込
まれた超人の動きを忠実に再現し、鬼は拳を突き出す。
﹁破ッ!﹂
ゼッペルが拳を突き出した。
直後、鬼の右拳が肘を離れて飛んでいく。勢いよく右拳だけを飛
ばす古き良きスーパーロボットの代名詞、ロケットパンチだった。
1311
だが鬼は右腕だけでは満足しない。
まるで連続してパンチを繰り出すようにして、左の拳もレオパル
ド部隊に向かって発射する。
﹃そんな古典的武装で!﹄
両拳が向かう先にいるのは、鬼と同じくアーマータイプのブレイ
カーだ。
両肩に大砲を担いだブレイカーは、真っ直ぐこちらに飛んでくる
ロケットパンチに照準を合わせ、引き金を引く。肩に装着されてい
る二つの大砲から光が溢れる。
僅かなチャージの後、大砲からビームが発射された。
狙いは狂うことなく、パイロットが狙い定めた両手へと向かって
く。
だがビームが届くよりも前に、拳に変化が訪れた。
両手の甲から結晶体が噴出したのだ。それは瞬く間に鬼の拳を覆
い込み、先端に槍のような棘を生成する。
﹃なんじゃあれ!?﹄
鬼の後ろで、スバルが叫ぶ。
彼は以前、ロケットパンチを使うブレイカーと遭遇したことがあ
った。その時はサメの頭が襲い掛かってきたので、殆ど肉食動物か
ら逃げる感覚だったのだが、アレは明らかに違う。傍から見れば拳
が凍りついたように見えなくもない。
だが、スバルの想像とは裏腹に。
透明の槍を構えた両腕は、勢いよく回転をつけてビームを弾く。
1312
﹃何!?﹄
遠距離からの攻撃を弾いた両腕が、敵のブレイカーの胴体に突き
刺さった。腕はぐるぐると回転しては鋼の巨体をくり抜き、最終的
には背中から飛び出していく。
パイロットと思われる女性の悲鳴が響き渡った。
荒野に木霊すそれは、戦いの場を騒然とさせるだけの威力を発揮
させる。少なくとも、獄翼の中で怯えたままのマリリスは耳を塞い
でいる状態だ。
一機目を貫いた拳は、まるで何かに導かれるかのようにして他の
敵機に牙を剥く。
﹃アーマータイプは退避を! ミラージュタイプで翻弄するぞ!﹄
敵機の誰かが言った。
鬼の両拳はアーマータイプの装甲を軽く貫く鋭利な槍である。な
らば、飛んでくるそれを回避しながら本体を攻撃しようというのだ
ろう。
空中からミラージュタイプの特機が、飛行ユニットを稼働させつ
つ接近してくる。それぞれ銃を構えており、その数は大凡15機。
﹃おい、両腕ないけど大丈夫!?﹄
鬼の後ろで膝をついた獄翼が尋ねてくる。
だがゼッペルはその言葉に耳を傾ける事は無かった。彼がゆっく
りと右膝を上げると、床から小さな棒が飛び出す。
鬼も同じだ。右膝を軽く上げ、僅かに存在している収納スペース
から小さな棒を射出する。棒が勢いよく宙へ飛び出すと、ゼッペル
は迷うことなくそれを口に咥えた。
1313
﹃すっげぇ、まるで人間みたい﹄
スバルは思わずそんな感想を口にしていた。
口が開く人型ブレイカーなんて初めて見たし、挙句の果てにその
口で何かを咥えるなど想像したことが無かった。
ただ、鬼が口に咥えた棒を見たスバルは、同時にこうも思ってい
た。
あれって剣の柄だよね、と。
﹁はぁあ︱︱︱︱﹂
ゼッペルは咥え込んだまま、深呼吸。
空を浮くミラージュタイプの群れに微動だにすることなく、精神
を統一させる。その間も、ずっと両拳は暴れまわっていた。
このままあれを放っておくだけで何とかなるのではないかとスバ
ルが思った時、異変は起こる。
鬼の口部に収まっていた柄から、剣が伸びたのである。
その刀身は透明だがしかし、太陽から降り注ぐ光を反射させるこ
とで辛うじてその形状を確認する事が出来た。
﹁うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおっ!﹂
ゼッペルが吼える。
彼は上半身を前に突き出すと、鬼の背部に取り付けられた飛行ユ
ニットが火を噴いた。30メートルを超す巨体が宙に浮き、砂埃が
大きく舞い上がる。
﹃うわっ!?﹄
1314
砂塵の直撃を受けた獄翼。メインカメラが曇るのを確認すると、
スバルは大慌てで視界の回復を図った。
シデンとカイトが何機か破壊しており、鬼の両腕が大暴れしてい
るとはいえ、敵機の数はまだ20機程いる。ライフルを空中から連
射されれば、それだけで大破してしまう恐れがあるのだ。早めに映
像を安定させないと、殺されてしまう。
スバルは砂塵の渦から急ぎ足で獄翼を動かす。
視界に大きな青空が広がったと同時、何かが爆発する音が上空で
響いた。
﹃!?﹄
カメラアイを真上に向ける。
するとどうだろう。鬼が空中で剣を振るい、ミラージュタイプの
敵機を真っ二つに切り裂いているのである。
剣を振るったと言えば、ある程度はかっこよく聞こえるかもしれ
ない。
だが鬼はあくまで口で剣を咥え、それを振るったに過ぎない。逆
に言えば、それだけでブレイカーを真っ二つにしたことになる。
﹃⋮⋮っ!﹄
スバルが息を飲みこむ。
空から降り注ぐミラージュタイプの残骸が、鬼の咥える剣の威力
を物語っていた。
もしもあれを受ければ、同じミラージュタイプの獄翼も胴体を真
っ二つにされて大破は逃れられない。
1315
﹁次はどいつだ﹂
ゼッペルが周囲を取り囲むブレイカー達を睨みつける。
一応、鬼は黒豹のシンボルマークがペイントされているブレイカ
ー達に囲まれている状態だ。本来であれば、追い詰められたのは鬼
であって然るべき状況ではある。
だが、鬼が放つ圧倒的なオーラがそれを逆転させていた。
解き放たれた腕は未だにブレイカー達を追い続け、彼女たちに安
息の時を許さない。
しかも両腕は射撃攻撃が通用しないときた。
それならば必然的に本体を攻撃しようと言う流れになるのだが、
﹃各機、私が仕掛ける。援護を︱︱︱︱!﹄
﹁貴様か﹂
勇み出た者は、瞬時に切り裂かれる。
鬼が刃を振るうまでの間に、狙われたブレイカーを含み全機が一
斉射撃すればいいかもしれない。
﹃着弾は!?﹄
﹃してるわよ! してるけど、﹄
だが、しかし。
鬼の装甲は、いかなる物も受け付けない。
実弾兵器も。エネルギーピストルも。
﹃無傷なのよ、あのブレイカー!﹄
言い終えたと同時、鬼に挑みかかったブレイカーが剣によって胴
体を真っ二つにされる。
1316
鬼による支配力が、また格段に強まった瞬間でもあった。
﹁次は誰だ﹂
鬼が再び睨む。
その様は、ある意味処刑人のように見えた。一人一人をじっくり
と眺め、前に出た者を瞬時に刈り取る死刑執行人。
あらゆる攻撃を受け付けず、ただ一方的に攻撃を仕掛ける驚異の
存在。
その姿を見た者は、全員が圧巻の表情だった。
﹁勝てるな、これは﹂
カイトが呟く。
その言葉を否定せんとタイラントが彼を睨むが、
﹁⋮⋮くっ!﹂
言葉に出来なかった。
強い。あまりに強すぎる。イルマに連れてこられたアーマータイ
プのブレイカーは、タイラントが知る限り、最強のブレイカーだっ
た。
それこそ、散々﹃旧人類NO1﹄と王国内で言わしめたスバルさ
えも超えて。
もしもアレを動かしているのが新人類だとして、何かしらの能力
を使って部下たちを蹂躙してるのだとしよう。
果たして勝てるだろうか。
グスタフに自分、神鷹カイト。そして他のXXXのメンバーに鎧
持ち。
1317
強力な新人類がランクインする脳内掲示板に、青いブレイカーに
乗るであろう誰かの影が入り込んでくる。
彼女の脳内ランキングの、堂々の上位の位置に。
﹁どうします、ミス・タイラント﹂
自分そっくりの姿に変身したイルマが、青白いオーラを発しなが
ら警告する。
﹁あなたは部下を大事にする信条だと伺っています。ここで退くな
らよし。さもなければ、ここで全員鬼に潰されることになります﹂
﹁オーガ⋮⋮それがアイツの名か﹂
イルマを見やると、タイラントは冷めきった表情で続ける。
ゆっくりと右手をあげ、カイトを指差しながら。
﹁一つだけ聞きたい。お前たちは、ソイツの味方か?﹂
﹁はい﹂
﹁そうか﹂
迷うことなく紡ぎだされた言葉に、タイラントは笑みを浮かべる。
だが、その笑みも一瞬だ。彼女はすぐに表情を引き締め、舌打ち
をしてから叫ぶ。
﹁撤退だ!﹂
号令を聞いたブレイカー達が、戸惑いをみせながらも命令に従っ
ていく。
後方にさがる最中にオーガに襲われないかと警戒しながらも、だ。
鬼の両腕が肘に戻り、結合する。一応、鬼側は逃げるのであれば
1318
これ以上戦う気はないらしい。
やや経った後、再びトラメットの上空に黒い渦が発生する。
生き残ったブレイカーの一機に飛び乗り、タイラントとメラニー
がカイト達を見やる。
﹁屈辱は必ず晴らす。私の手で﹂
そう言い残した直後、タイラントたちは渦の中に消えていった。
タイラントたちが消えてから数分程周囲を警戒した後、緊張の糸
を解くかのようにしてオーガが着地する。
それを戦いの終幕だと受け取ったスバル達もようやく獄翼から降
り、カイト達と合流する事が出来た。
﹁カイトさん﹂
﹁まあ、待て﹂
面と合わせて再会を喜ぼうとするスバルを手で制止する。
カイトはイルマへと視線を向け、言う。彼女は既にタイラントへ
の変身を解き、元の大統領秘書の姿へと戻っていた。
﹁味方だと言ったな。あれはそのまま受け止めてもいいんだろうな﹂
﹁勿論です。その為に私たちが来ました﹂
鬼が僅かに頷く動作を見せる。
青いブレイカーのパイロットは、中から出てくる気配が無かった。
﹁アメリカが迎えに来たと思って良いのか?﹂
﹁アメリカと言うよりは、私たちの上司が皆さんをお迎えしたいと
願っている。そう言った方がいいでしょう﹂
1319
﹁上司?﹂
訝しげな視線をカイトが向けると、イルマは相も変わらず無表情
なまま答える。
﹁今、旧人類連合は事実上、一人のリーダーによってまとめられて
います﹂
﹁なんだと﹂
そんな筈はない。
カイト達は無言でそんな反論をイルマに示す。
﹁確かに、旧人類連合はアメリカを始めとした多くの国によって成
り立っています。ですが、それが一人の新人類の手によって既に掌
握されているのです﹂
イルマはカイトの瞳を見据え、続ける。
﹁元XXX所属、ウィリアム・エデン。旧人類を操る催眠術を扱う
彼が、我々の指揮をとっていると言えばお分かりでしょうか﹂
カイトの。いや、XXXに所属していた者達の表情が一斉に凍り
ついた。
その変化を見逃す筈も無く、スバルは聞く。
﹁ど、どうしたんだよ。仲間なんだろ?﹂
ウィリアムという名には聴き覚えがある。
確か、トラセットに来る前に聞いた残りのXXXのメンバーの名
前だ。
1320
共に脱走した仲間であるのなら、もっとウィリアムの差し金に喜
んでもいいはずだと。スバルはそう考えていた。
﹁ああ、そうだな。確かに仲間ではある﹂
今にも崩れそうな身体をシデンに預け、エイジが呟く。
その顔色は悪く、青ざめている原因がタイラントから受けた傷の
せいではないことを理解することが出来た。
﹁ウィリアムさんと言う方は、どんな方なのですか?﹂
スバルと同じく疑問に思ったのだろう。
マリリスが顔を覗きこみ、カイトに問いかける。
﹁ウィリアムは⋮⋮一言で言えば、反旧人類思想の持ち主だ﹂
反旧人類思想。
要約すれば、旧人類は新人類の下で一生奴隷として過ごせと言う
ような主張の持ち主である。その考え方には個人の差は生じるが、
基本的に旧人類には良い感情をもっていない。
そんな奴が、よりにもよって旧人類連合を掌握している。
内部でどんなことが起きているのか、想像するだけで恐ろしい。
﹁まあ、色々と思う事はあるでしょう﹂
彼らの不安を察したイルマが、敢えて否定することなく言葉を紡
ぐ。
その態度は、ウィリアムの根源が変化していないことを裏付けて
いた。
1321
﹁本人からメッセージも預かっています。どうか一度、我々の船に
来ていただけないでしょうか﹂
﹁船?﹂
﹁はい﹂
イルマが頷くと同時、彼女は大空を見上げる。
その動作に釣られ、スバル達も一斉に上を見た。
﹁げっ!?﹂
すると、だ。
ステルスオーラを解除し、透明の膜が溶ける事で彼らの目の前に
巨大な影が映り込む。
全長300メートル以上。鬼が10体並んでも尚、余りある巨大
な船影が空に出現する。誰がどう見ても、それは空飛ぶ戦艦だった。
﹁飛行戦艦、フィティングです。着艦しますので、参りましょうか﹂
名前なんか誰も聞いちゃいなかったが、イルマは至極丁寧に教え
てくれた。
そして同時に、誰も一緒に行くとは言っていないのにスタスタと
移動し始めている。
﹁な、なあ。着いて行っていいの?﹂
流石に突然の飛行戦艦の出現には呆気にとられた。
スバルはカイト達に耳打ちし、確認を取る。彼らの反応から察す
るに、ウィリアムと言う人物はどうにもヤバそうだ。
少なくとも、反旧人類思想であるなら、スバルは非常に危うい立
1322
場になる気がしてならない。
﹁⋮⋮行く以外の選択肢はないだろ﹂
溜息をつき、カイトは顔を横に向ける。
もうマトモに動く事が出来ない程くたくたになり、飛行ユニット
も無くなった獄翼の惨めな姿があった。
1323
第96話 vsパツキンナルシスト薔薇野郎 ∼美しき私へ編∼
飛行戦艦が飛び立つ。
砂埃を大きく巻き上げつつ、ゆっくりと浮き上がるそれはトラメ
ットから離れ、雲の中へと消えていった。
その様子を眺めていた影が三つある。
その中の一人︱︱︱︱アーガス・ダートシルヴィーは静かに呟い
た。
﹁行ったか﹂
自分が乗り、大きなダメージを負ってしまった獄翼もあの飛行戦
艦に回収されたのを確認している。
と、いうことは詰まり、彼らはアレに乗って新たな旅路へと向か
ったのだろう。もしかすると、旅の終点になるのかもわからないが。
﹁ふっ、別れの挨拶もろくにせずに出るとは。せっかちな物だ﹂
お陰であの少年に詫びる事が出来なくなってしまった。
心残りがあるとすれば、それだけだ。彼には頭を下げても下げた
りない。
果たしてこの先再開するかも怪しいものだ。二度と顔を合わせな
いのであれば、こんなに悔いが残る最後は無いだろう。
﹁司令官、この先どうするのですか?﹂
背後から声をかけられる。
振り返れば、一旦こちらに戻ってきたアウラがカノンと絆創膏を
1324
貼りあいながら質問してきている。
﹁どうする、とは?﹂
﹁勿論、これから新人類軍としてどう動くのか、です。反乱宣言を
しちゃったと伺ってますが﹂
シルヴェリア姉妹とは違い、堂々とした宣戦布告だ。
それを公衆の前で行ったのだから、言い逃れは出来ないのだろう。
﹁言い訳をするのは美しくないな。私はあの時、私なりに本音で戦
いを挑んつもりだったよ﹂
﹁しかし、このままではもう⋮⋮﹂
﹁覚悟の上だ﹂
英雄が故郷の街を見やる。
恐らく、連行しにくる兵がやってくるまでの期間は長くはない筈
だ。新生物が消滅したことを知ったレオパルド部隊が帰国したのだ
から、自分のことは既にリバーラ達に知られていると思ってもいい。
﹁ウチの今のリーダーに口添えすれば、多少は融通が利くかもしれ
ませんが﹂
﹁気持ちだけ受け取っておこう。美しい私は、自らの罪を少しでも
償わなければならん﹂
その為にスバルとマリリスの二人に自分を殺すよう勧めたのだが、
それは二人にとって重しになってしまったかも分からない。
少なくとも、今こうして自分の身が無事なのだから、彼らに渡し
たダークグリーンの薔薇は手を付けられていないのだろう。彼らが
許してくれたのかは分からないが、それでもアーガスは自分を許せ
る気にはなれなかった。
1325
﹁君たちも、もう行きたまえ。何時までもこの美しすぎる裏切り者
と一緒に居ては、必要以上に目立ってしまうぞ﹂
ふははは、と笑いつつアーガスはシルヴェリア姉妹を置いてトラ
メットへと歩を進めた。
メラニーの光波熱線によって荒野となった大地を一歩一歩踏みし
める。
直後、彼がつけた足跡から緑が生え始めた。まるでアーガスが大
地をペイントしていくかのように、緑が荒野を染め上げていく。
﹃綺麗﹄
カノンの機械音声が僅かに響いた。
簡単な感想だったが、アーガスはそれでも満足げに笑みを浮かべ、
思う。
当然だ、と。
何故ならば、自分こそが英雄として謳われた男。
天と地と海が作り上げた奇跡の産物。天然記念美貌。
アーガス・ダートシルヴィーその人だからだ。
例え自分の未熟を恥じ、少年と少女に許しがたい行為を働いてし
まったとしても。それでもこの大地と、磨きあげてきた美しさは本
物だ。
今回、自分が犯した罪は非常に重い。重すぎて、押し潰されてし
まいそうになる程に。
それでもアーガスは、美しくあれと思う。
﹁ああ、アスプル。見ろ﹂
1326
今はもういない家族に向けて、英雄は言った。
雲の中から顔を出した太陽に照らされ、トラメットの街が輝く。
ここは緑と大地の国、トラセット。
復讐と悪意が入り混じり、ダークグリーンに染まった国。
苦しく、辛い事があった。泣き叫び、己の非力さを呪った。
故郷を見ると、それらの辛い思い出が胸に釘を刺す。
しかし、ならばこそ自分が新たなグリーンに染め上げればいいだ
けの事。アーガスに残された時間は限りがある。その時間を有効に
活用して、昔の美しい緑を再現していこう。
その頃の緑色を思い出しつつ、アーガスは笑う。
﹁私たちの国は、美しいな﹂
それから三日後。
復興作業に勤しむ首都、トラセインに再び新人類軍はやってきた。
反乱を仕掛けた自分たちを粛清しに来たのだと街は騒ぐが、それ
が実現することはなかった。
この国の罪を、一人の英雄がすべて背負ったからだ。
彼は残った使用人に後の指揮を任せ、王国へと帰還することにな
る。
そこで言い渡されたのは、終身刑だ。
残りの人生を全て冷たく暗い牢屋で送る人生。裁判官から言い渡
された残酷な仕打ちに対し、アーガスは無言で従った。その素直さ
には、裁判官だけではなく傍聴しにきたメラニーですら驚いていた
という。
1327
後日、元部下のよしみで面会に来たメラニーは、アーガスに問う
た。
﹁辛いんじゃないですか﹂
こういうのも何だが、彼は華やかなのが大好きである。
服装も囚人のそれに変えられ、光り輝く装飾品も全て取り上げら
れた。こんな状態で残りの長い人生を暗く、じめじめとした牢屋で
送れる筈がない。そう考えていた。
恐らくは裁判官も同じだろう。
だからこそ、直接的に死刑にするのではなく身も心も疲弊する終
身刑に処されたのだ。
そんな考えを持つ元部下に対し、英雄は満面の笑みで応える。
﹁いや、まさか﹂
晴れやかな笑顔だった。
ヒマワリのような満面の笑みは、共に日本で働いた時には拝んだ
ことが無い。
﹁例えどこであろうと、私がやる事は美しく変わりが無いよ﹂
朝起きて、自身の美しさを高める美貌の熟練度上げ。
その後はテーマソングを一人で歌い、時折自由時間中に生け花を
する。
アーガスはトラセットにいた頃と全く変わりのない生活を送って
いた。
1328
﹁国は心配じゃねーんですかね?﹂
﹁もちろん、全然心配していない訳ではない。だがここにいる以上、
それを考えても意味が無かろう﹂
ゆえに、祖国のことは住民に任せるしかない。
一応、できることは全部やってきたつもりだ。隣国から狙われる
エネルギー資源、大樹も割れてしまった以上、あの国を攻め立てる
物好きはもういないだろう。
﹁ところで﹂
思い立ったようにして、アーガスが話題を変える。
﹁君は未だに彼らを追い続けているのかね?﹂
アーガスがもっとも気がかりなのは、飛行戦艦に乗ってそのまま
飛び去ってしまった反逆者一行。その末路についてだ。
復興中の街でマリリスを見かけなかった。恐らく、彼らについて
行ったのだろう。その選択は多分正しい。
マリリスの身体は今や新生物の忘れ形見でもある。新人類王国を
始め、様々な国家が彼女の力を欲して動いて来ることだろう。
同時に、マリリスは己の罪の証でもある。
彼女と反逆者たちの無事を祈る事だけが、アーガスにできる唯一
の罪滅ぼしだった。
﹁⋮⋮私がここにいるなら、答えは分かってるんじゃないですか?﹂
仮にも上司だった男に対し、メラニーの返答はあくまでそっけな
い。
当然と言えば当然だ。彼は既に部外者で、反逆者の捜索と撃破は
1329
ディアマット
王子直々の指令である。そう簡単に話すわけにはいかない。
いかないのだが、しかし。メラニーにしてみれば、これほどナン
センスな質問はない。
メラニーはこう見えて、王国最強の女と呼ばれるタイラントの秘
書を務めるくらいには優秀である。そんな彼女がタイラントから離
れ、こうして面会に来ている以上、答えは一つしかない。
もしも出撃があったなら、こんな場所に来る筈が無かった。
﹁まあ、それでも私の下で一時的に勤務してたわけだからね﹂
﹁大きなお世話ですよ。全く﹂
理由はなんにせよ、反逆者への追撃は再開されていない。
その事実にアーガスは僅かに安堵する。その様子をチラ見したメ
ラニーは思わず半目になり、元上司へ言葉を投げる。
﹁⋮⋮変わってますよね、アンタ﹂
﹁そうかい?﹂
﹁そうですよ。元々変人ですけど、正直意味わかんねーです﹂
﹁変人とは失礼な。こんなに美しくて美しくて美しいのに!﹂
牢屋の中でもアーガスは絶好調だった。
下手に相手をするとただウザいだけなのはよく知っているので、
敢えて食い掛からないで冷静に対応する。
﹁アンタもシンジュクで酷い目にあったじゃないですか。それに今
回の件だって、アイツらが来なかったらもっと上手い方向に行って
たかもしれません﹂
結果論ではあるが、蛍石スバルやXXXの反逆者たちが、マリリ
スやアスプル達に接触しなければ、今頃新生物はまだ生きていただ
1330
ろう。
正直な所、あの新生物を相手にして新人類王国が勝てたかは非常
に怪しい。放っておけば、トラセットの復讐は果たせた可能性が大
きかった。
﹁恨んでるんでしょう。私たちを。それなら︱︱︱︱﹂
﹁それでも、だ﹂
メラニーの言葉を遮り、アーガスは口を開く。
﹁それでも私は、手段を選ぶ﹂
メラニーが言いたい事はわからんでもない。
事実、徴兵された時は腸が煮えくり返る思いだった。どれだけ気
丈に振る舞い、能天気に見えていても、それだけは決して変わらな
い。
﹁勝利という言葉は甘美なものだ。今の世界は、結果的に勝つ事が
出来ればなんでも許されるようになってしまった﹂
それは新人類王国が敷いたレールでもある。
彼らが定めた﹃絶対強者主義﹄は、勝利者が物を言うのだ。敗者
には何かを言う権利すら残されていない。
﹁だからと言って、そこで手段やモラルが損なわれてしまっては⋮
⋮ただ痛みを撒き散らすだけだ。私たちのように﹂
そんなものは、もうたくさんだ。
戦争と反乱でアーガスはこれでもかと言わんばかりの痛みを経験
した。それを新人類王国に向けたところで、何が変わるだろう。
1331
きっと満たされるのは自分の復讐心だけだ。
それでは、美しいとは言えなかった。
﹁私はアーガス・ダートシルヴィーだ。私は常に己が美しいと思え
ることをする信条なのだ﹂
ゆえに、美しくないことはしない。
例えそれが効率的で、確率が高い物だったとしても、それをやっ
てしまうことで自分は醜くなってしまう。
それではあまりに情けなく、恥ずかしい。
﹁もう迷わないよ。ここで同じことを繰り返しては、弟に笑われて
しまう﹂
例えこの先、一生牢屋の中でも構わない。
自分に嘘をついて生きていくよりかは、ずっとマシな人生だ。
そんなことを考えている内に、看守が近づいて声をかけてくる。
面会終了の合図だった。
﹁ああ、もうこんな時間か。悪かったね、メラニー嬢。最後は私の
長い話につき合わせてしまった﹂
﹁別にかまいませんよ。もう来ることも無いでしょうし﹂
﹁そうか。残念だ﹂
共に勤めていたマシュラも死んだ以上、もうアーガスに会いに来
る物好きは居ないだろう。兵としての経験年数が少ない為、彼は王
国での知人が少ないのだ。
その事実を意識すると、少し寂しくなる。
﹁ではメラニー嬢。すまないが、最後に一つだけ聞いていいかね?﹂
1332
﹁なんでしょう﹂
とんがり帽子を被った少女が席を立ち、訝しげにアーガスを見る。
彼女の双眸を見つめ、アーガスは問う。
﹁今の私は、美しいか?﹂
何を馬鹿な事を聞いてるんだ、とメラニーは思った。
突拍子もない質問を前にして彼女は頭を抱えるが、しかし。自分
自身でも驚くくらいに、自然と答えは返していた。
﹁この前に比べたら、多少はマシじゃないですかね﹂
﹁ふっ、なるほど。では私はこれからも精進し続けるとしよう﹂
満足げに笑みを浮かべ、アーガスは面会室から消えていく。
その後ろ姿は昔に比べて華やかさは無い。
ただ、それでも今の方が活き活きとしている。メラニーの目から
見ても明らかだった。
きっとアーガスが今の自分の姿を見れば、うっとりとした顔で呟
くのだろう。
今日の私は、世界で一番美しい、と。
1333
第96話 vsパツキンナルシスト薔薇野郎 ∼美しき私へ編∼
︵後書き︶
﹃敗戦勇者と勇気なき街娘編﹄完結!
次回より始まる﹃星喰い編﹄にご期待ください。
1334
同級生からの秘書さん ∼リーダー、私をお使いください∼
飛行戦艦フィティング。全長350メートルの巨大な船はトラメ
ットを発ち、アメリカへ向かって移動中である。イルマ曰く、目的
地までは1日も経たずに到着するとのことだ。
そんなフィティングの住居スペース。鋼の廊下を歩くカイト達に
向かい、イルマは提案する。
﹁仮にもここは新人類王国の領土ですので、安全が確保される場所
までは治療を施しておくのが最善かと思われます﹂
イルマの提案は、至極全うなものであった。
御柳エイジはタイラントと戦い、満身創痍。ここまで反逆者一行
を懸命に運んでくれた獄翼も、今はスクラップ一歩手前である。こ
の状態で新人類軍との戦闘になったら辛いどころの話ではない。
﹁でも、いいの?﹂
そんなイルマの提案に疑問の声をなげたのはスバルだった。
彼はここにいる全員が感じた違和感を口に出す。
﹁新人類軍の領土なんだろ? 仮にも敵対してるんだから、勝手に
領土侵入してドンパチ起こしたのはまずいんじゃないのか﹂
もっとも、そのお陰でスバル達が無事に生きているのも事実だっ
た。
あのままレオパルド部隊と戦闘を続けていれば、遅かれ早かれ甚
大なダメージを受けていただろう。最悪、全滅する可能性すらあっ
1335
た。だが、それを抜きにしても国の問題と言うのは複雑である。
社会情勢には疎いスバルだが、険悪な雰囲気が続けば戦争は激し
くなるだろうと予想することくらいはできた。
﹁⋮⋮驚きました。旧人類の癖にそこまで考える頭があるとは﹂
﹁失礼じゃないそれ!?﹂
旧人類の少年から放たれた疑問に対しての第一声がこれである。
仮にも旧人類連合を纏める国のトップ。その秘書から放たれる言
葉とは思えない。
イルマ・クリムゾン。立場は旧人類よりでも、その本質は反旧人
類思想を持つウィリアムと通じているのかもしれない。
彼女とスバルのやり取りは、反逆者一行に深い不信感を植え付け
はじめた。
﹁まあ、仰っていることはわかります。世間一般でも、新人類軍と
旧人類連合は戦争真っ只中ということになっていますし﹂
﹁なっている?﹂
引っかかる言い回しである。実際、ヒメヅルに在住していた頃の
スバルやカイトの元にはそういった報道があったし、アキハバラで
生活していたシデンとエイジも同じだ。反新人類勢力に押されてネ
ットの情報を度々漁っていたトラセットに住んでいたマリリスも例
外ではない。
﹁世間で出回ってる情報とは事情が違うのか?﹂
﹁と、いうよりも。つい先日、停戦を申し込みました﹂
一瞬、場が凍りついた。
5人の反逆者一行がお互いの顔を見合わせ、再びイルマへと視線
1336
を向ける。想像を超える言葉に対し、先陣を切ったのはシデンだっ
た。
﹁それは受理された訳?﹂
﹁はい。リバーラ王はそれはもう快く﹂
それだけではない。曰く、密かに開かれたリバーラ王との停戦協
議では幾つかの約束事が取り決められたとのことだった。
その中の一つが、カイトやスバル達の保護である。
﹁待って﹂
そこで食いつくのはやはりシデンだった。
というか、全員が食いつく話題である。なんといっても、彼らは
つい先ほどまでその新人類軍と交戦していたのだ。どう考えても思
いっきり約束を破られている気がする。
﹁もしかして、本来ならあそこで戦わなくて済んでたわけ?﹂
﹁その筈ですが、ミス・タイラントの様子を見る限り、王から何も
知らされていないみたいですね﹂
溜息をつき、王国の実態に呆れるイルマ。
リバーラ王の性格を知るカイトは、その様子を簡単にイメージす
る事が出来てちょっと悲しくなってきた。
﹁じゃあ、俺からも聞かせてくれ。お前たちはあの化物の存在を知
っていたのか﹂
次にイルマへ質問を投げかけたのは、今にも倒れてしまいそうな
エイジだった。イルマは彼を一瞥すると、何時の間にか到着してい
1337
た医務室の扉を開ける。
﹁質問の答えとしては、YESです﹂
ドクターの姿が見当たらない医務室で、イルマがデスクの引き出
しを開ける。中から包帯と消毒薬を取り出すと、それを無言でマリ
リスへ手渡した。
﹁ドクターは居ないのかこの船﹂
﹁私が兼任していますが、彼女がいるならそれくらいで大丈夫でし
ょう﹂
視線を向けられ、マリリスは﹃え﹄と驚愕する。
体のいい傷薬として扱われているのが一目瞭然だったが、実際彼
女の鱗粉でエイジは一度粉砕された骨が繋がっているので、確実な
手段と言えた。
﹁大統領秘書って、医者もできなきゃいけないの?﹂
﹁別にそんなことはありませんが、何分私は便利なので﹂
言いつつ、イルマの姿がブレる。モザイクがかかった姿は一瞬に
して再構成され、メガネをかけた白衣の女医へと早変わりしていた。
オスカーもびっくりな変身であると、カイトは思う。
﹁マリリス、頼めるか﹂
﹁は、はい﹂
エイジをベットに寝かせ、彼の治療をマリリスに託すと、カイト
は再びイルマへと向き直った。横にスバルとシデンを従え、本格的
に話を切り出すつもりである。いかんせん、彼らに対する情報が少
1338
なすぎるし、何を信用していいのかさっぱりだった。
﹁話を戻させてもらうが、構わないだろうな?﹂
﹁勿論です。どうぞ何なりとご質問ください﹂
了承すると、イルマは医師の姿から元の少女の姿へと戻る。
この時、スバルはなんとなくではあるが違和感を感じていた。彼
はシデンにそっと耳打ちし、意見を求める。
﹁なあ、なんかカイトさん相手の時だけ妙に畏まってるの気のせい
?﹂
﹁気のせいじゃないと思うよ。明らかに彼女はカイちゃんに対して
媚を売ろうとしてる﹂
二人のこそこそ話を気にすることは無く、当のイルマは質問を歓
迎していた。ならば、と言わんばかりにカイトは最初の問いを出す。
ラジャ
﹁ウィリアムのメッセージとやらがあるらしいな。見せろ﹂
﹁了解﹂
妙に畏まった礼をしてからイルマは医務室のモニターに触り始め
る。ただ、礼を受けた張本人は非常に居心地が悪そうな表情をして
いた。
モニターの準備を完了させ、リモコンを手に取ったイルマが再び
カイトへと視線を移すと、そこでようやく彼女は気づく。
﹁申し訳ございません﹂
﹁何がだ﹂
﹁私が至らないせいで、あなたの機嫌を損ねたようです。しかしな
がら、私はまだ未完成品です。ご迷惑でなければ、何がいけなかっ
1339
たのか指示していただけると助かります﹂
これにはカイトも面食らった。
訝しげにイルマを凝視した後、スバルとシデンに振り返る。彼は
無言で二人に訴えかけた。
おい、これはなんなんだ、と。
だが、そんな救助を求めるような視線を向けられても困るのであ
る。シデンもスバルも、殆ど初対面に近い相手なのだ。イルマがど
ういう思想を持ち、何をカイトに求めているかなんて理解できるは
ずがない。
ただ、強いて言うのであれば。彼女の上司だと言うウィリアム。
そのメッセージを見れば、何か分かるかもしれない。
﹁まあ、今はいいでしょう。初対面なんだからさ﹂
シデンが二人の間に入り、その場を落ち着かせる。
そう言いながらも、一応カイトにこっそりと耳打ちして確認は怠
らない。
﹁ねえ、本当に彼女は初対面なんだよね﹂
﹁勿論だ。あんな目立つ目ん玉してて、記憶に残らない筈がないだ
ろ﹂
イルマ・クリムゾンは非常に目立つ容姿の持ち主だ。後ろ姿だけ
見れば髪の長い女子で終わるが、正面を向けば真っ先に黄金の瞳に
目が行ってしまう。今時、カラーコンタクトでもこんな目玉は滅多
に見ない。
聞けば、彼女のそれは天然なのだと言う。
1340
﹁⋮⋮判りました﹂
少々納得のいかなさそうな表情になり、無言の抗議を続けたイル
マだが、その抵抗も数秒程度で終わった。
イルマがリモコンを操作すると同時、モニターの表示が切り替わ
る。映像は横になったエイジにも見える位置で光が灯り、ある人物
の姿を映しだした。
全身ブラックのスーツ姿。ネクタイを締め、金色の髪形もきっち
りと整えた白人男性である。清潔感溢れるその男の姿を見た瞬間、
カイトは呟く。
﹁ウィリアム﹂
ウィリアム・エデン。元XXXに所属した、カイト達の同期であ
る。
スバルはまじまじとその容姿を観察し始めるが、横にいるシデン
によって視界を遮られてしまい、細かいところまで観察できずに終
わった。
﹁な、何すんのさ!﹂
﹁いいから。カイちゃん﹂
﹁ああ﹂
二人だけで分かるやりとりが終わったタイミングを見計らったか
のようにして、映像の中のウィリアムが口を開く。ビデオ通話では
なく、あくまで向こうのメッセージを収録した録画だけのようだ。
﹃やあ、カイト!﹄
1341
彼ははにかみ、昔の同級生へと挨拶をする。
道端で偶然出会ったかのような気さくさを残したまま、彼は続け
た。
﹃久しぶりだね。大体10年ぶりくらいかな⋮⋮兎に角、無事に生
き残ってた事を嬉しく思うよ。君は自分の身を省みない男だからね﹄
﹁大きなお世話だ﹂
﹁カイトさん、これ録画だから﹂
大マジな口調で言い返す同居人にちょっとした不安を抱きながら、
スバルは言う。
ただ、ウィリアムという人物はスバルの予想に反して明るい声だ
った。反旧人類を主張していると聞いていたので、口を開けば﹃お
ら、ぶっ転がすぞ!﹄などと発言するのではないかと思っていたが、
杞憂に終わりそうである。
﹃さて、突然のことだから君にとっては分からないことだらけだろ
う。最初に説明しておくと、第一期XXXは皆脱走したんだ。僕以
外のメンバーがどうなったかは知らないが、こうして生きてるんだ。
皆、無事に脱走していると信じているよ﹄
﹁これは今から10日ほど前に録画された物です﹂
イルマが補足を加える。
その時期はシルヴェリア姉妹との一戦を終え、山で体勢を整えて
いた頃だ。シデンとエイジの二人が加わったのは、それから数日後
のことである。
そういった理由もあり、ウィリアムはカイトのみに向けて発言を
続けた。
﹃次に、今の僕の立ち位置だが⋮⋮今はアメリカの政府に溶け込ん
1342
で、ガードマンとして働いている。勿論、能力をフルに使って環境
は整えているけどね﹄
スバルは思い出す。トラメットでイルマが言った、ウィリアムの
異能の力。
旧人類に対する催眠。
催眠、という単語だけ聞くと眠らせる人のように思えなくもない
が、その力がどれだけ強大で、ウィリアムの生活を豊かにしている
のかは想像するに容易い。
﹃お陰で旧人類連合のお偉いさんも大体僕の手足だ。あ、誤解しな
いでほしいんだけど、僕は決して旧人類連合を牛耳ろうとか、内部
から崩壊させたいと思ってるわけじゃないんだよ。ただ、平穏に暮
らしていく為に新人類軍の情報が欲しくてね﹄
十分牛耳っているような気はしたが、相手は画面の中なので何を
言っても無意味である。未だにシデンによって視界を覆われている
為、仲間たちの表情は読めなかったが、横にいるシデンが僅かなが
らに溜息をついたのが分かった。
﹃ただ、その中で気になる情報を見つけたんだ﹄
ウィリアム曰く。新人類軍に忍ばせておいたスパイがある日、信
じられない物を発見したのだと言う。
それこそが大樹に眠る新生物であり、それが人類にとって脅威と
なりえる存在かもしれないことを、彼は知った。しかも住民の調査
を秘密裏に行った所、トラセットは反新人類の熱気にあふれ、大樹
にエネルギーを集め始めていたと言う。
﹃そこまで聞けば、何が起こるかは大体想像がついた。しかし知っ
1343
ての通り、能力だけ鍛え上げた僕が直接動いても意味はない。新人
類のリバーラ王へも大統領を通じて掛け合ってみるが、間に合う保
証はどこにもなかった﹄
そこで偶然耳にしたのが、カイトとスバルの反逆だった。
ウィリアムはその情報を聞き、すぐさま彼らに頼る事を思いつい
たのだと言う。
﹃僕の知る限り、あなたは最強の兵だ。その存在をキープできれば、
新生物に対しては一先ず大丈夫だと思ったわけだ。詳しい事はイル
マに聞いてくれ﹄
全員が一斉にイルマへと視線を向ける。
既に新生物の件が終わっている以上、何も説明する必要が無い。
彼女はただ頭を下げて一礼するだけだった。
﹃彼女についても説明が必要だね﹄
ウィリアムの話は、とうとうイルマへと及ぶ。
モニターの端っこにイルマの顔写真が表示され、その詳細がリス
トアップされていった。年齢、性別、血液型、体重、スリーサイズ、
出身地、学歴が一斉に表示され、イルマという存在が赤裸々に暴か
れていく。
﹃イルマ・クリムゾンは僕がこちらに来てから見つけた新人類だ。
旧人類連合も、結構えぐいことをしててね。施設に預けられた孤児
の新人類を回収して、人体実験なんかをしてたらしい﹄
まるでXXXみたいなことをするね、とウィリアムは付け足した。
1344
﹃だからこそ、僕は彼女を第三のXXXとして引き取った﹄
﹁なんだと﹂
本人に聞こえる筈もないカイトの講義にも似た声が、医務室に響
く。
イルマが俯き、居心地が悪そうに視線を逸らしたのには誰も気付
かなかった。
﹃既に見たかもしれないが、彼女の能力はかなり強力なものだ。新
人類王国で確認されていたら、間違いなくXXXに抜擢されていた
だろう﹄
ゆえに、ウィリアムはイルマを見出し、自らの片腕として抜擢し
た。
だが彼がイルマに求め、命じたのはそれだけではない。
﹃また、彼女は管理能力に優れていてね。立派に大統領秘書を務め
ているのがいい証拠だ。きっと君のいい秘書になるだろう。彼女は
再会を祝した僕からのプレゼントだ﹄
﹁は?﹂
何言ってるんだ此奴。
とうとうカイトはモニターを掴み、画面の中にいる同級生へと怒
鳴り始めた。
﹁おい、ウィリアム。どういう意味だ。ふざけるんじゃないぞ、ウ
ィル! 何が悲しくてまた新しい新人類の面倒を見なきゃいけない
んだ!﹂
﹁カイちゃん、幾ら言っても聞こえないって!﹂
1345
今にもモニターが破壊されかねない勢いだった。慌てながらもイ
ルマは録画映像を停止させ、カイトに近づく。
﹁申し訳ありません。私が至らないばかりに﹂
その場で膝をつき、頭を下げる。
光景だけ見れば、主に忠誠を誓う騎士のようにも思える光景だ。
しかし神鷹カイトに﹃騎士﹄が必要かと問われれば、友人たちは首
を横に振らざるを得ない。
それはXXXの事情に疎い蛍石スバルも同様である。
ヒメヅルのパン屋で働いていた際、彼は自分の仕事をなるだけ自
分で済ませ、手が空けば店主の仕事すら巻き取るほどなのだ。要す
るに、自分の身の回りのことは自分でなんとかしちゃうのである。
そんなカイトに秘書がつくと言われても、イメージが湧かない。
﹁⋮⋮貴様はそもそも、自分の何が至らないと言うんだ﹂
﹁いえ。私にもわかりません。リーダーが私のことを気に入らない
のだと言う事は理解できたので、そういうことなのだと解釈してい
るのですが﹂
違うのでしょうか、とイルマは不安げに見上げる。
リーダー呼びもしていることから、かなりXXX向けに躾けられ
ているんだなぁ、とスバルは思う。言い方は悪いが、シルヴェリア
姉妹を見ているような錯覚を覚えた。
﹁俺は秘書なんぞいらん。大人しく大統領やウィリアムの秘書をし
ていればいいだろ﹂
﹁ウィリアム様曰く、リーダーこそが仕えるに相応しい人物だと言
う事です﹂
1346
カイトは頭を抱えた。
シデンの両手から解放され、スバルが周囲を見渡してみるとエイ
ジとシデンも頭痛に悩んでいるかのようにして頭を押さえている。
﹁ねえ、もしかしてウィリアムさんってカイト教の人?﹂
カイト教。
シルヴェリア姉妹を在籍させた、カイトに対して異様な執着を見
せる団体さんのことである。彼を狂信する信者たちを一纏めにした
単語がこれだった。
﹁ううん、そんな傾向は無かったけど⋮⋮ただ、誰か有能な部下が
つくべきだとは常々口にしていたね﹂
﹁なに﹂
カイトが呆れ顔でシデンに振り向く。
彼は当時、第二期XXXの育成と御柳エイジとの﹃喧嘩﹄が原因
で同級生たちと距離を置いていた為、分かれる直前の彼らの思考に
は疎かった。
﹁第二期の連中が割とぽんこつだったからな。アトラスは、まあ出
来る奴だったけど、やっぱ1日中べったりな姉妹がな⋮⋮﹂
つい先ほどまで共に新生物に立ち向かった姉妹の顔が思い浮かん
だ。
メリーゴーランドのようにカイトを囲い、ぐるぐると回転し始め
る光景を思い浮かべる。カイトの苛立っている表情が、いとも簡単
に想像できた。
﹁イルマ⋮⋮さんはどう思ってる訳? この決定に﹂
1347
若干遠慮がちにスバルが問う。
見た感じ、イルマとスバルはほぼ同年代だったが、いかんせん持
っている肩書が肩書だけあって、名前を呼ぶのに少々気後れを感じ
る始末である。
﹁もちろん、私が持てる全てを駆使してリーダーをサポートします。
望むのであれば、ここで裸になってボンオドリをしても構いません﹂
空いた口が塞がらなかった。
マリリスに至っては完全にドン引きしている。
﹁⋮⋮俺はお前を信用したわけじゃない﹂
﹁では、どうすれば私を使っていただけますか?﹂
新手の悪徳セールスみたいな会話だな、とカイトは思う。
個人的に、自分を道具のように売り出す姿勢が気に食わないのも
あり、カイトはイルマを受け入れる気は無かった。
しかしこの手のタイプは口で言っても中々諦めてくれない。エレ
ノアやシルヴェリア姉妹の顔を思い出しつつ、彼は口を開く。
﹁口では何とでも言える。行動で忠誠を示せ﹂
﹁ちょっとカイトさん!﹂
非難めいた顔でスバルが言う。
いや、実際非難していた。年端もいかない女性に変な真似をさせ
るのは、道徳的に考えてマズイ。
﹁安心しろ。難題を突き付けて諦めさせる﹂
﹁大丈夫なんだろうな⋮⋮アンタの周りの女の人、変なのしかいな
1348
いし﹂
びくり、とマリリスが震えた。
もしかして自分は変な人なのだろうかという不安が、彼女に襲い
掛かる。だが、ここにいる全員がカイトとイルマの挙動に注目を集
めていたので、誰も慰めてくれなかった。
おばさん、私は変な子じゃないよね。
﹁確かに変なのしかいないし、根性も捻くれてるのが多いのは認め
る﹂
後ろでマリリスががっくりと肩を落とした。
だが、やはり誰も気付かないままカイト達へと視線を向ける。
﹁アイツも何故か知らんが、妙に秘書としてのやる気を出している。
だが俺がそれに値しない奴だと分かれば、きっと今のポジションで
満足する筈だ﹂
﹁ねえ、それフラグじゃない?﹂
﹁フラグだな。間違いなく﹂
﹁やかましい﹂
友人二人による無粋なツッコミを睨みつけ、カイトは改めてイル
マへと向き直る。
彼女にも会話は筒抜けだった。カイトがどういう考えをもって自
分に難題を押し付けるのかも含めて。
しかし彼女はそれですら受け入れる覚悟がある。
﹁例えどんな難題でも構いません。私は貴方の所有物です。なんな
りとご命令を﹂
1349
その言葉を聞いたカイト。
自分の後ろをそのままついてきた頃のシルヴェリア姉妹を思い出
し、軽い眩暈がした。もう2度と部下なんか持ちたくないというの
が彼の本音だ。
同級生には悪いが、何とか諦めてもらうしかない。
その為に先ず、イルマへと出された指令がこれだ。
﹁では、まずここでゴリラのモノマネをやってみろ﹂
後に、仲間内で笑い話の定番として語られることになる﹃イルマ・
クリムゾンのちょっといいとこ見てみたい!﹄。
その出来事の幕開けである。
1350
同級生からの秘書さん ∼リーダー、私をお使いください∼︵後
書き︶
次回更新は水曜日の朝を予定。
1351
第97話 vsイルマ・クリムゾン ∼私はあなたの所有物編∼
神鷹カイトとイルマ・クリムゾンの両名の名誉にかけて言わせて
もらうが、これはお互いの意地をかけた戦いである。
はっきり言って馬鹿らしいと思うかもしれない。現にスバル達は
全員白けていた。
しかし二人は大真面目である。
カイトは部下が欲しくない一心で。イルマは仕えなければならな
いという一直線すぎる使命感が、この血の流れない戦いに無駄な油
を注いでいた。
そしてカイトから放たれた一撃が、コレだ。
﹁では、まずここでゴリラのモノマネをやってみろ﹂
偉そうに指を突き付け、カイトが言った。
周りの友人たちは揃って訝しげな視線を向けるが、本人とイルマ
は至極真面目な顔である。
ラジャ
﹁了解﹂
するとイルマ。しゃがみこんだと思いきや、上半身を前かがみに
して拳を作った。小さな両拳はイルマの身体を支え、少しずつ前進
する。
﹁ウホッ! ウホホッ、ウホーイ!﹂
大統領秘書のセリフであった。
真顔で言うあたりがなんとも言えない。しかしながら、周りを囲
1352
む友人たちから見れば﹃よくやるよ﹄の一言に尽きた。
正直、この行動だけでも拍手を送りたくなってくる。だが、カイ
トは納得しない。
﹁貴様はゴリラだ。ゴリラはゴリラらしく、ドラミングをしてみろ﹂
﹁ちょっと﹂
結構な無茶振りであるようにスバルには聞こえた。
見れば、後方で様子を見ているマリリスも無言で抗議の視線を送
ってきている。
﹁仮にも相手は女子だよ。もうちょっと手加減してあげたらどうな
の﹂
﹁女子だから手加減?﹂
信じられない、とでも言いたげな顔でカイトはスバルへと振り向
いた。
今にも殴られるんじゃないかと思えるような怒気に満ちた表情が、
スバルを硬直させる。
﹁お前はシンジュク以降、どんな女に絡まれてきたのか忘れたのか﹂
言われてスバルは思い出す。
メラニー、シルヴェリア姉妹、エレノア、シャオラン、メイド昆
虫軍団、タイラント、レオパルド部隊。おまけで六道シデン。
碌な奴がいなかった。少なくとも、彼女にしたいと思える女子は
この中に一人もいない。寧ろ全力で逃げ出したい女子だらけだ。約
一名、女子ではない奴が混じっていたが、特に違和感はないので気
にしない。
1353
﹁思い出した﹂
﹁女子に手加減は必要か?﹂
﹁ないね﹂
あっさりとした返答である。
早すぎる返答の取り下げはシデンにエイジ、マリリスを驚愕させ
たが、真顔で引き下がったスバルに突っ込みを入れることなどでき
なかった。少年の身体から放たれる哀愁が、それとなく同情を誘う。
さておき、ドラミングだ。
一般的に、ゴリラのドラミングは己の拳を胸に叩きつけることで
相手を威嚇する動作として知られている。
だが、イルマは女性だった。アスリート体系というわけでもなく、
外見からして筋肉が目立つボディービルダー系でもない。
寧ろ少女体系と言っても過言ではなかった。そんな彼女にドラミ
ングをさせるのは、なんというか非常に心苦しい物がある。
しかしイルマは動じない。
彼女は控えめな胸部をやや前に出すと、激しく両拳で叩きだした。
その動きの激しさたるや、まさしくドラムを叩いて音を鳴らしてい
るかのようだ。
﹁⋮⋮おい、どう思う﹂
﹁いや、どうって言われても﹂
振り返り、カイトが友人たちへと意見を求めた。
しかし、ゴリラのモノマネを指示したのがカイトである以上、意
見を求められても困る。何をコメントすればいいのだ。
﹁奴の俺に対する好感度は下がったと思えるか?﹂
1354
﹁現在進行形で、私はあなたの思考に疑問を抱いています﹂
﹁そうか﹂
マリリスの訝しげな視線に気を悪くした様子も無く、カイトは頷
く。
同じ女性である彼女がこうなのだ。恐らくイルマも神鷹カイトと
言う男に対して嫌悪感を抱き始めているに違いない。
まあ、真顔でドラミングしているので表情から判別できないが、
きっとそうだろう。
しかし、こんなものはただのジャブである。
彼女の言う﹃貴方の所有物﹄発言がどれ程の忠誠心を持っている
のかは知らないが、カイトは真正面からそれを破壊し尽くすつもり
でいた。
その為の鍵となるのが、同じ女性目線を持つマリリス・キュロの
貴重な意見である。
ラジャ
﹁止めて良し﹂
﹁了解﹂
唸りを上げるようにして胸を叩いていたイルマが、すっと立ち上
がった。
何事も無かったかのような無表情でカイトを見つめ、次の言葉を
待つ。
﹁そのまま俺が許すまで動くな。ぶった斬るぞ﹂
言うと、カイトはイルマへと歩いていく。
彼は背後へと回り込むと、イルマの長い髪を乱暴に掴んだ。力任
せに引っ張られ、イルマの口から僅かばかりに﹃ん﹄と声が零れる。
1355
﹁ああ、カイちゃん! それはダメだよ!﹂
そんなカイトの動作に猛抗議をし始めたのは同じ女性目線を持つ
マリリス・キュロ︱︱︱︱ではなく、同級生の六道シデンだった。
﹁髪は女の子の命だって聞いたことないの!? そんな乱暴な手つ
きで扱うだなんて信じられない!﹂
過去に例を見ない怒り方だった。
ずかずかと二人の下へと近づいていくと、シデンはカイトの腕を
掴み、睨みつける。
﹁凍らせるよ﹂
﹁だが﹂
﹁だがもなにもない! 部下を持ちたくないのは分かるけど、女の
子の気持ちも分からないような屑が一人前に何かできると思ってる
わけ!?﹂
結構痛い点を突かれた。
思わぬ口撃を受け、たじろぐカイト。一人前云々や女の子の扱い
云々よりも、屑呼ばわりされたことがぐさりと心に突き刺さった。
崩れ落ち、俯き始める超人の姿は惨めの一言に尽きる。
ただ、スバルもエイジも女の子の気持ちがわかるわけじゃないの
で、半ば同情の視線を向けてくれていた。
﹁イルマちゃん、大丈夫だった? 痛んだりしてない?﹂
﹁⋮⋮⋮⋮﹂
心配げにイルマの顔を覗きこみ、シデンは問いかける。
1356
しかし本人からの返答は無かった。それだけではない。口を動か
さないばかりか、眉毛をぴくりとも動かさずにいたのだ。
﹁あれ、イルマちゃん?﹂
なんの反応も起こさない秘書の態度に疑問を覚え、シデンは何度
か彼女の目の前で手を振ってみる。
やはり何のアクションも無い。まるで彼女だけ時間を止められた
かのように、静止し続けている。
﹁ん?﹂
しかしそこで、スバルは気づく。
つい先ほどのカイトのセリフだ。
﹃そのまま俺が許すまで動くな﹄
まさか。
いや、そんなまさか。
猛烈に嫌な予感がした。まさかこの有耶無耶になりそうな雰囲気
で、先程の指令を実行し続けているというのか。
スバルは速足でカイトの元へと近づき、彼の耳元で囁いた。
﹁ねえ、カイトさん。イルマさんが全然動かないんだけど﹂
﹁⋮⋮それがどうした﹂
声に元気がない。約10年越しの仲直りの後に行われた口喧嘩は、
彼の心を大きく抉っていたようだ。思っていた以上にこの男も面倒
くさいなぁ、とスバルは思う。
1357
﹁アンタ命令出したでしょ。動くなって﹂
﹁⋮⋮出したかもしれない﹂
﹁出したんだよ!﹂
こんなにカッコ悪い同居人の姿を見たのは初めてかもしれない。
やる時はきっちりとやる男だった筈だが、こんなにやわだっただ
ろうか。
﹁取り下げてやりなよ。ここままだと話が前に進みやしない﹂
﹁⋮⋮動いて良し﹂
小さく呟かれると同時、イルマはまっすぐカイトの横へと移動し
た。
心配してくれたシデンは完全に眼中になく、カイトの横で話して
いるスバルを押しのけてから彼女は言った。
﹁元気を出してください。あなたが元気を出してくれないと、私も
悲しいです﹂
﹁⋮⋮勝手に悲しめばいいだろ﹂
客観的に見ても酷い言い草であると、スバルは思う。
そんなんじゃまたシデンに怒られるんじゃないかと声をかけよう
としたが。
彼は見てしまった。
俯き、他の連中には表情を覗きこまれない位置で。カイトが真顔
のまま次の指令を送る所を。
﹁俺のことを想って悲しむのなら、ここで泣いてみろ﹂
1358
こいつ最低だ。
蛍石スバル、16歳。この時、真剣にカイトとの付き合い方を考
かみのけ
え始めた瞬間であった。
女の命を切る指令が失敗したとはいえ、この空気の中まだ指令を
続ける辺り、カイトも相当頑固である。
だが逆に言えば、こんな空気だからこそ彼女がどこまでできるの
かの意思を確認できるという物だった。
カイトは思う。
自分は泣くのが下手糞な男である、と。
恩人のエリーゼやマサキが死んだとき、素直に泣くことができな
かったのは、未だに悔いが残る。だが、それでもこの鉄仮面女に比
べれば、自分はまだ感情豊かな方である、とカイトは自負していた。
故に、イルマが自分の不得意分野である﹃泣く﹄をクリアするこ
となどできる筈がないと。そう思っていた。
﹁えぐっ⋮⋮﹂
﹁え?﹂
ところがどっこい。
イルマがゆっくりと嗚咽を漏らし始めた。
スバルが驚き、彼女を見やる。目尻には既に水が溜まりきってお
り、何時でも決壊できる状態に仕上がっていた。
﹁ふぇ⋮⋮うわああああああああああああああああああぁん! リ
ーダーがぁ! リーダーが苛められたぁああああああああああ!﹂
カウントダウンするまでも無く、イルマは崩壊した。
先程までの無表情な顔からは想像もできないような大号泣である。
瞼から頬を伝い、飛び散る塩辛い液体が床やカイトの身体へと飛び
1359
散っていく。
誰がどう見ても苛めているのはカイト以外の何者でもないのだが、
勝手に苛めっ子にされてしまったシデンは慌てながらもイルマのご
機嫌をとり始めた。
一方のカイト。この時、非常に焦っていた。
そんな馬鹿な。俺でも滅多にできないことを、いとも容易くやっ
てのけるとは。
正直、甘く見ていた。
同時に、ちょっと怖い。
諦めが悪いのか、余程の演技派なのかは分からない。
だがマリリス視点でも十分に嫌悪感を抱くゴリラのモノマネを眉
一つ動かさずにやってのけ、ずっと動かず待機し、挙句の果てに泣
いて見せた。
なんでここまでしてウィリアムの命令に従い、自分の秘書という
ポジションに誇示するのか分からない。
思い当たる節は全くなかった。シルヴェリア姉妹のように1から
10まで面倒を見ていたわけでもない。かといって、マリリスのよ
うに居場所がない為に同行しているわけでもない。
にも関わらず、言葉一つでここまでガチ泣きされてしまうと流石
に怖い。
何が目的なんだろう。まさか本当にエレノアに続く第二のストー
カーなのではと本気で疑い始めた時。カイトの肩に手が置かれた。
﹁カイトさん、もういいじゃん﹂
同居人の少年が、何かを諦めたような口調で語りかける。
1360
﹁これ以上は流石に不毛だと俺は思うよ﹂
﹁⋮⋮まだ三つだけだ﹂
﹁同じだよ。だって今までやったの全部、アンタが出来るとは思え
ないし﹂
ぐうの音も出ないとは、まさにこの事だった。
百歩譲ってゴリラのモノマネやずっと制止し続けるのはいい。そ
れくらいなら、多分できる。
しかし最後の号泣ができるか否かと言われれば、首を横に振らざ
るをえなかった。
神鷹カイト、敗北の瞬間である。
彼はその事実を噛み締めると、イルマへ泣き止むよう命令を出し
た。
すぐに泣き止むことは無く、徐々に嗚咽が抑え込まれていく。
イルマが完全に泣き止むまでの間、カイトは﹃なにをやらせてる
の君は﹄と憤るシデンにより、強烈な平手打ちを食らいまくった。
1361
第98話 vs思考教育
ウィリアムからのメッセージには続きがある。
カイトとイルマによる壮絶な戦い︵?︶が終わった後、映像は再
び表示された。
映像の中で微笑むウィリアムは、カイトに向けて言う。
﹃もしかしたら、君は迷惑に感じるかもしれない。第二期の面倒を
見ていた君は、カノンとアウラと⋮⋮いや、これ以上はよそう﹄
含みのある言い方である。
そんな焦らすような言い方をされると気になる物だが、シデンと
エイジがぎこちない笑顔を作っていたので、多分自分は知らない方
がいい事実なんだろうな、とカイトは無理やり納得した。
﹃とにかく、君は部下を毛嫌いしていた。そんな君にイルマを与え
るのは、実を言うと若干心苦しくもある﹄
なら今すぐプレゼントを撤回しろといいたい。
言いたいがしかし、イルマの﹃忠誠心﹄を相手に敗北を認めたの
は事実なので、何も言えないのだ。親の仇でも見るかのようにして
イルマを睨むが、彼女はにこりと微笑んでスケジュール帳に何かを
書き込んでいた。早速管理され始めたのだ。あくまで秘書の筈なの
だが、檻に入れられた動物のような気分を味わうのはなぜだろう。
﹃だが、君もいい大人だ。本格的に誰かの上に立ち、導いていくの
もいい経験になるだろう。寧ろ、イルマは君の助けになると思うぞ。
強いし﹄
1362
﹁ああ、強かったよ馬鹿野郎﹂
﹁カイトさん、ちょっとカッコ悪い﹂
﹁やかましい﹂
相変わらずシデンによって目を覆われたままの状態のスバル。発
言だけでも落ちぶれた同居人の姿がイメージできてしまった。そし
ていい加減、ウィリアムの容姿がちょっと気になる。
それとなくシデンに提案してみた。
﹁ねえ、5秒だけでも見ちゃダメ?﹂
﹁ダメ。旧人類は例え映像だとしても、ウィリアムの目を見ただけ
で術にかかっちゃうんだよ﹂
思っていた以上にえげつない能力である。
カイト曰く、XXXのチーム内で最も能力を磨き上げたのは六道
シデンということではあるが、それに匹敵するのではないかと思う。
少なくとも、旧人類が敷き詰めた空間でテレビ映像でも流せば、
それだけで洗脳することができちゃうのだ。想像を超えるウィリア
ムの強大さに、スバルは身震いする。
そんな旧人類の少年のことなどお構いなしに、映像の中のウィリ
アムは喋り続けた。
﹃ただ、僕がイルマをあげると言ったのは、何も君のことだけを考
えたわけではない。これはイルマの為でもある﹄
カイトが再びイルマへと視線を向けた。
先程までの鉄仮面が嘘のように、にこにこと微笑んでいる。やっ
ぱりストーカーなんじゃないだろうか。
﹃彼女の新人類としての能力は、コピー。要するに、特定の相手に
1363
変身することができるんだ。しかも、一度コピーした相手は何時で
も再利用可能だ。声、体格、記憶、能力、筋力、殆ど完璧にコピー
していると思ってくれていい﹄
それは詰まり、イルマはやろうと思えば何時でもタイラントに変
身することができると言う事だ。
そう思うと確かに強いと思う。
だが、彼女には致命的な欠陥があった。
﹃ただ、一見すれば便利に見えるこの能力にも欠点がある。それが
記憶の混在だ﹄
イルマは変身を繰り返せば、その度に変身した者の記憶もラーニ
ングしてしまう。まだ幼く、自我が形成できていなかった彼女がそ
の才能を乱発させた結果、自分が誰なのか分からなくなってしまっ
たらしい。
﹃今、君たちの目の前にいる彼女も、そういうキャラクターを演じ
ているだけに過ぎない。クールでなんでもこなす秘書っていうね。
だが、やろうと思えば彼女はなんにだってなれる。それこそ、ダム
が決壊したかのような号泣だって前触れなくやってくれるだろうね﹄
実際やられたから堪ったもんじゃなかった。
誰にでも変身する事ができて、どんな自分にでもなることができ
る少女、イルマ・クリムゾン。
彼女の持つキャラクターは、カイトの想像を遥かに超えたもので
あった。
自我が確立せずに、記憶が混在してしまったという点に関しては、
新生物とも繋がる物がある。そうなってくると、タイラントの記憶
に流されてしまい、最終的には襲い掛かってくるんじゃないかとい
1364
う懸念もある。
﹃そこで、解決策として君の秘書をやることを提案した﹄
﹁なに?﹂
どうしてそうなった、と無言で訴えるカイト。
彼の非難の眼差しを察知したかのように、ウィリアムは説明し始
めた。
﹃当時、イルマはまだ11歳だった。僕は幼い彼女に対し、24時
間君のデータを見せ続けた﹄
うげっ、と言いながらカイトはたじろぐ。
それは立派な洗脳活動ではなかろうか。
﹃君の昔の写真。君の戦闘記録。思考。僕の持つ思い出話。例えイ
ルマが誰に変身したとしても、僕は彼女に見せ続けたよ。寝る時も、
イヤホンで君の音声データを聞かせ続けた﹄
﹁待て、待て待て!﹂
流石に気味が悪い。
エレノアから感じた気味の悪さも相当だったが、この話も結構怖
い。鳥肌が立っているのが自分でも分かるなんて、久しぶりだった。
﹁これは本当か﹂
﹁本当です﹂
迷う間もなく、イルマは即答した。
彼女はカイトが知りたいであろう情報を補足する為、続けて口を
開く。
1365
﹁旧人類連合でも、XXXの存在は知られていました。資料として
残されている戦闘データを見て私たちは戦いを学び、声を聞くこと
で私は己の存在の全てをあなたに捧げることを理解しました。思考
の全てをあなたに向けた結果であると言えます﹂
聞いているだけで頭痛が止まらない。
気のせいでなければ、ウィリアムの録画メッセージが始まってか
らずっとこんな調子である。
﹁音声データとやらはどこで手に入れた﹂
﹁ウィリアム様が当時のXXXの様子を撮影した映像資料を所持し
ておりました。その音声データだけを抜き取り、加工することであ
なたの声だけを耳に届けているのです﹂
﹁気持ち悪い﹂
心からの言葉だった。
こればかりは後ろで陣取るスバル達も同意見である。やっている
ことが完全に個人の人格を潰しにかかっているのだ。例えそれのお
陰で助けられたのだとしても、気分は悪くなる。
﹁あのブレイカーのパイロットも、そうやって育成されたのか﹂
﹁ゼッペルは私とは違います﹂
オーガ
今も鬼のコックピットで待機し、何時でも出撃できるように準備
をしている青年の姿を思い出しつつもイルマは言った。
﹁彼もあなた方の戦闘資料を見て育ちましたが、それを抜きにして
も旧人類連合の兵として育てられた新人類です﹂
1366
その役割は、戦闘にこそある。
それゆえ、イルマのように過度なサポートに誇示することは無く、
ただ戦うことだけに思考が特化された。
イルマがカイトのサポートに特化された新人類だとすれば、ゼッ
ペルはXXXを敷居にした戦闘特化の新人類なのだ。
﹁そういえば、あのブレイカーも凄かったよね﹂
話がゼッペルへと移ったところで、スバルは気になることを打ち
出してみる。
﹁あれって最新型なの?﹂
今更言うまでもないが、スバルはブレイカーに感じてはそれなり
に詳しい。ブレイカーズ・オンラインでは、日々アップデートによ
って新たな新型機がライバルとなって参戦してくるのだ。ゆえに、
本物のブレイカーやその装備、性能のチェックは欠かさない。
流石に念動神のような破天荒な機体は知識にないが、鬼もあの部
類に入るのだろうか。
﹁そうです。名前は鬼。ゼッペルが乗る事を想定された、旧人類連
合の切り札の一つです﹂
旧人類連合の切り札。
ブレイカー一機にその称号は大げさな気もしたが、トラメットで
繰り広げた鬼神のような戦いは、確かな説得力を持っていた。
レオパルド部隊の精鋭たちを寄せ付けず、ただ蹂躙を行うだけの
青い魔人の姿を思い出す。戦う為に特化された新人類というに相応
しい存在感であった。
1367
﹁そのゼッペルとやらは、ここにはこないのか﹂
﹁今は出撃に備え、待機しています。新人類王国と停戦を結んだと
は言え、王以外の者は知らないようなので。追ってこないとも限り
ませんし﹂
本来なら条約違反だといって戦闘を仕掛けてもおかしくはない出
来事なのだが、イルマ達の目的はあくまで新生物の駆除とカイト達
の保護であった。
新人類軍屈指の戦士であるタイラントも居た以上、下手に長居せ
ずに退いてもらった方がお互いの為だと。イルマはそう判断したの
だ。
﹁だが、お前はやろうと思えばあのままタイラントを抑える事が出
来た筈だ﹂
カイトがツッコミを入れる。
ウィリアム曰く、コピーしたイルマは対象の能力まで使用できる
らしい。記憶や筋力もコピーしてしまう以上、彼女がタイラントを
相手にして負けるとは思えない。少なくとも、あの場にいた全員が
タイラントに攻撃を仕掛ければ、レオパルド部隊を倒す事も夢では
なかった。
ネックだったブレイカーの大群も、ゼッペルと鬼によって壊滅さ
せることが出来たように思える。
﹁レオパルド部隊を逃がしたのは何故だ。約束を破ったのは向こう
だぞ﹂
いや、そもそも。
なんだってまた休戦を提案し、王国内に浸透していないとはいえ
リバーラもそれを受諾したのだろう。
1368
無言で送られた疑問は、イルマによって丁寧に解剖されていった。
﹁理由はいくつかあります。1つは、鬼がまだ試作品であること﹂
﹁試作品!? あれがか!﹂
興奮を抑えきれぬ様子で食いつくスバル。
客観的に見て、一方的に攻撃を仕掛ける機体が試作品だとは思え
ない。
﹁武装は3割にも満たせていません。鬼はゼッペルと同じく、一点
特化で強化されたブレイカーであることがコンセプトなのです﹂
そんな未完成の鬼を何時までも戦場に出しておくと、どんな手痛
いしっぺ返しをくらうか分からない。
それが一つの理由だった。
﹁もう一つは、新人類王国と協力して、人類の敵と戦う必要がある
からです﹂
﹁人類の敵ぃ?﹂
新生物のことではないのか、と誰もが首を傾げる。
実際、イルマ達がトラセットへと出向いた目的は新生物の駆除で
あった。だが新生物は既にスバルとマリリスの二人によって蒸発し
てしまった。
居ない奴を相手に戦うことなど、できはしない。
﹁新生物は、キッカケに過ぎません﹂
イルマは淡々と呟き、モニターの電源を消した。
これ以上見せる必要がないと判断した結果であった。
1369
﹁私が皆さんを迎えに来たのは、安全の確保ともう一つ。共に戦っ
ていただきたいからです﹂
﹁あのゴキブリ魔人以外の、人類の脅威に?﹂
﹁はい﹂
つい先程戦ったばかりの、新生物の姿が彼らの脳裏にフラッシュ
バックする。
これまでの戦いの中でも、一番の強敵であるとスバルは確信して
いた。
なんといっても、マリリスがいなければ全員殺されていたのだ。
そんな新生物がただのキッカケでしかなく、まだとんでもない化物
がこの地球のどこかにいる。
考えただけで、貧血を起こしそうになった。
﹁ソイツの正体は﹂
﹁それはウィリアム様の口から直接語っていただくことになってい
ます。そちらの方は、まだ時間に猶予がありますので﹂
それより、と言ってからイルマは振り返る。
彼女は僅かに上を向き、時計を確認した。時刻は夕方。もうそろ
そろ外も暗くなるころである。
﹁皆様、新生物との戦いでお疲れでしょう。お部屋へと案内します
ので、どうぞおくつろぎください﹂
こうして、スバル達の激動の1日は終わりを告げた。
かに見えた。
新生物を撃破したこの日の晩。まさしく悪夢ともいえる出来事が
1370
スバルに襲い掛かろうなど、この時は誰も予想できなかった。
1371
第99話 vs疫病神
誰が言ったのかは知らないが、こんな名言がある。
すべての事柄に意味のないことなどない。あるのは必然のみであ
る。
ちょっと違ったかもしれないが、昔それと似たような言葉を聞い
て、子供ながらに﹃へえ﹄と頷いていたものだった。
しかし、もしもこの言葉が本当に正しいのであれば。
スバルは開きっぱなしになっている扉から声援を投げてくる三人
の仲間の顔を見ながら、思う。
果たしてこれも必然なのだろうか、と。
﹁照らします! 私がスバルさんを照らします!﹂
﹁出せ! 出すんだスバル!﹂
﹁大丈夫、ボク達がついているからね!﹂
恨めしげな視線を向けられていることなど、彼らは一切気にして
はいない。エイジも、シデンも、マリリスも、みんな懸命にエール
を送り続けているのだ。それ自体は非常に嬉しい。
嬉しいが、しかし。
時と場所を考えてほしかった。
蛍石スバル、16歳。
彼は今、男子トイレの個室にいた。状況だけ掻い摘んで説明する
と、スバルは男子トイレの個室で、仲間達︵女子含み︶から喧しい
ほどの声援を送られているのである。
1372
最悪だ。はっきり言って最悪の気分だ。
こんな状況では落ち着いて用を済ませることも出来ない。いった
いなぜ、こんなことになってしまったのだろう。
考えるまでもない。
イルマの話が終わり、休憩を促されて部屋に案内された。すべて
はそこから始まっていたのだ。
スバルはその時のことを思い出し始める。
あれは確か、夕方を回った辺りだっただろうか。イルマに連れら
れ、フィティングのゲストルームへと案内されたスバル達は、三つ
の扉の前で立ち止まった。先頭に立つイルマが振り返り、立札の﹃
GUEST﹄の文字を確認しながら言った。
﹁こちらの三部屋が皆さんに使っていただくお部屋になります。ベ
ットは2つなので、ふたりずつ分けれれば丁度いいでしょう﹂
﹁ふたりずつ?﹂
カイトが首を傾げる。彼は仲間達へと振り返ると、丁寧に一人ず
つ指で数えていった。自身を含めて5人しかいないのは、指で数え
なくてもわかる単純な計算である。
﹁ひとり余るが﹂
﹁私とリーダーは必然的にセットなので、この組み合わせで問題あ
りません﹂
﹁なんでだ﹂
﹁私は常にリーダーの傍で控え、役に立つという義務があるからで
す﹂
あっさりと言ってのけた同室宣言に、カイトはがっくりと項垂れ
1373
た。
もうなにを言ってもこの女には通用しないんだろうな、という諦
めの感情も含まれているのだろう。大きく吐き出された溜息が、彼
の気苦労を表現していた。
特にカイトは第二期の面々よりも鬱陶しいであろうイルマに、ち
ょっとした嫌悪感を抱いている。ゆえに、彼女からリーダー呼びさ
れても全然嬉しくない。このままいけば、今度シルヴェリア姉妹に
再会した時にストレスをぶつけてしまう恐れがある。
ゆえに、彼は提案した。
ラジャ
﹁今から俺のことはボスと呼べ﹂
﹁了解、ボス﹂
﹁いいんだ、それ﹂
だが、呼び名がボスへと変わったところで本題が終わったわけで
はない。誰がどういう組み合わせで寝泊まりするか、非情に困った
ことになった。
と、いうのもマリリスを一人にさせるのが非常にあぶなっかしい
のだ。今や彼女は新生物の影響を受けた、貴重な生物である。いか
にイルマが友好的な態度を示しているとはいえ、一人にさせるのは
なるだけ避けたかった。
﹁どうする?﹂
﹁そうだな。やっぱ俺やスバルよりだったら、シデンと一緒の方が
幾分か楽じゃねぇか?﹂
医務室のベットで寝ている間にマリリスの鱗粉を受け、再び骨が
繋がったエイジとシデンが話し込む。
だが、そんな会話に待ったをかける声が響いた。
1374
﹁全員で一つの部屋がいい﹂
スバルだ。
彼はわざわざ挙手し、自分の意見を発表したのである。
突然の﹃みんな一緒に寝ようよ﹄発言は混乱を呼んだ。特にマリ
リスに。
﹁す、スバルさん! 不潔です!﹂
﹁いや、そういう意味じゃなくてね﹂
どういう意味かはきちんと理解しているわけではないのだが、顔
を真っ赤にしながら抗議してくるマリリスを見るに、ちょっとえっ
ちな妄想が働いちゃったんだろうな、とスバルは思う。
本音を言えばラッキースケベなら大歓迎なのだが、それ以上に気
がかりなことがあった。
﹁この人と離れたら、多分俺達はまたトラブルに巻き込まれるぞ﹂
﹁なぬ﹂
カイトを指差し、スバルは言う。
思わぬところで指を突きつけられた張本人は、心外だとでも言わ
んばかりの口調で反論した。
﹁失礼な。俺は疫病神じゃないんだぞ﹂
﹁だって考えてみてくれよ。これまでの行動を﹂
ヒメヅルではスバルが徴兵された際、マシュラを殺して騒ぎをお
こした。
シンジュクではスバルをゲームセンターに行かせている間、エレ
ノアの襲撃を受けた。
1375
アキハバラでも同じだ。こちらはエイジたちを避け、別行動をと
っている間にサイキネル達の襲撃を受けた。
そして最近のトラセットでは、一人だけ別行動している間にアー
ガスに倒され、スバル達は色んなトラブルに巻き込まれた始末であ
る。
エイジとシデン、更にはマリリスが半目になってカイトを見た。
若干非難めいている視線を受け、カイトは居心地の悪そうな表情
をつくる。
﹁⋮⋮カイト﹂
﹁カイちゃん﹂
﹁カイトさん﹂
三人の男たちが追いつめるようにして一歩踏み出したと同時、彼
らはハモりながらカイトに迫った。
﹃今日は皆で一緒に寝るぞ!﹄
﹁お、おう﹂
こうして彼らはこの日、全員が一緒の部屋で寝泊まりすることに
なった。
ふたつあるシングルのベットはマリリスとイルマが使うことにな
り、男性陣はそれぞれソファーや床で、他の部屋から毛布を拝借す
ることでなんとか暖をとろうという話で落ち着いた。
そして夜も更け、仲間達も寝静まった頃。
神鷹カイトは一人、ゆっくりと目を覚ました。彼は床で眠るエイ
ジを起こさないように、そっと毛布をどかすと慎重な足取りで出口
へと近づいていく。
抜き足、差し足、忍び足とはまさにこのようなことをいうのだろ
1376
う。
﹁どちらへ?﹂
そんなカイトの背中に、小声で話しかける人物がいた。
振り返るまでもない。押しかけ秘書が起きてきたのだ。タイミン
グを考えても、最初から起きていたとしか思えないのだが。
﹁音を出すな。このまま部屋を出るぞ﹂
﹁了解﹂
だが、カイトにとってはこれも想定内である。
眠りにつく仲間達を一瞥しながらゲストルームから抜け出すと、
カイトは改めてイルマへと向き直り、言う。
﹁貴様にいくつか確認したいことがある﹂
﹁なんでしょう、ボス﹂
﹁この艦の乗組員はどうなっているんだ?﹂
このゲストルームに来るまでの間、彼らは他の乗組員と一切出く
わさなかった。強いて言えば、食堂でコックと出会ったくらいだ。
仮にも飛行する戦艦を動かすのだから、かなりの大人数が勤務し
て然るべきではないかというのがカイトの意見だった。
﹁乗組員は、コックや私を含めて36名です﹂
﹁⋮⋮ほう﹂
大体、学校の1クラス分くらいの人数であろうか。そう考えれば
それなりの数がいるかもしれないが、しかし。今はスケールが違う
場所にいるのだ。
1377
イルマやコック以外の30人で、350メートル級の船を動かし
ているとは到底思えない。例えアルマガニウムを搭載していたとし
ても、メンテナンスや操縦といった部分にはどうしても人手が必要
なのだ。それを30人程の人数で行っているとは、にわかに信じが
たい。
﹁その辺は明日、艦長に挨拶をすればわかると思います﹂
﹁なぜすぐに艦長のところに挨拶しにいかなかった﹂
﹁あの時間、とてもくさいですから﹂
なにをいっているのだ、こいつは。
イルマの口から出た答えに対し、カイトは訝しげな目線を送るだ
けだった。
﹁夜、清掃が行われます。朝はまだ大丈夫なレベルなので、その時
にまたご案内します﹂
﹁⋮⋮じゃあ、その時を楽しみにしておいてやろう﹂
これ以上話すと、またわけのわからない事態に発展しかねない。
艦内の乗務員については、機会があるということなので大人しく
それを待つ事にしよう。
﹁じゃあ次だ﹂
﹁はいボス。なんなりと﹂
黄金の瞳がカイトに向けられる。
どことなく期待に満ちた輝きを前にして、カイトは僅かに目を逸
らした。
オーガ
﹁鬼のパイロット⋮⋮ゼッペルとか言ったな。今も起きているのか
1378
?﹂
﹁はい。彼は不眠不休で戦える兵士ですので﹂
不眠で戦う戦士というのは、カイトも初耳である。
XXXとして身体能力を極限まで伸ばしてきた自分たちでさえ、
不眠不休で戦い続けることは不可能なのだ。最低限の栄養補給と、
睡眠が無ければいつか倒れてしまう。
だが、イルマは言った。ゼッペルはそれすらやってのける、戦う
事に特化された新人類なのだと。
﹁会わせろ。今すぐにだ﹂
興味が湧いたというのもある。
だが、それ以上に。XXXすら超えているかもしれない、戦う事
に特化された兵士。そいつがどんな考え方を持ち、どんな顔をして
いるのか。それを早い段階で確認したかった。
﹁構いませんが、他の皆さんは宜しいのですか?﹂
﹁いい。みんな疲れてるのは事実だ﹂
それに、
﹁疫病神扱いされて、文句がないわけじゃないんだ。俺がいなくな
った途端にトラブルが起きるなら、ここで証明してもらう﹂
要は何事もないことを証明して、疫病神なんて不名誉な称号を蹴
り飛ばしてしまいたいのだ。
例えスバル達が認識していなくても構わない。彼らが﹃疫病神﹄
と自分を呼ぶたびに、鼻で笑ってやれるくらいの余裕を持つ。それ
ができればいい、と。
1379
この時はそのくらいの気持ちで考えていた。
こうして、火種は振りまかれていった。
もぞもぞ、と毛布にくるまった何かが蠢く。
今にもソファーから転がり落ちてしまいそうになりながらも、毛
布の中身が顔を出した。目元を抑えつつ、スバルは言う。
﹁⋮⋮トイレにいきたい﹂
彼の呟きにも似た一言は、周りで寝ていた仲間たちを現実の世界
へと引き戻す。特に隣で寝ていたシデンは、ちょっと不機嫌気味だ
った。彼はジト目でスバルを睨みつつ、言った。
﹁ちょっと。折角寝てるんだから、もうちょっと綺麗に表現してく
れない?﹂
﹁⋮⋮具体的には?﹂
﹁お花畑に囲まれたいとか﹂
乙女チックな表現である。
オブラードに包んではいるが、それは自分には合わないな、とス
バルは思った。
﹁⋮⋮あれ?﹂
目元を擦り、スバルは気づく。
1380
シデンとは反対側に寝ていた筈のカイトがいないのだ。ご丁寧に
毛布をどけて、中身だけが綺麗に消えている。
そこでスバルとシデンの意識は完全に覚醒した。彼らはソファー
から飛びあがると、迷うことなく部屋の明かりを点ける。
﹁んぐ⋮⋮!﹂
﹁うぅー!﹂
床で寝るエイジが寝返りをうち、ベットの中で眠るマリリスが毛
カイト
布の中にもぐりこんだ。典型的な動きではあったが、今はそれどこ
ろではない。疫病神が消えたということは詰まり、トラブルの始ま
りを意味しているのだ。
呑気に寝てなんかいられない。
﹁大変だ、カイトさんが消えた!﹂
﹁ええ!?﹂
﹁なんだとぉ!?﹂
事の重大さを知るエイジとマリリスが飛びおきた。
そのタイム、わずかに1秒。
﹁どこにいきやがった、あの疫病神は!﹂
﹁わかんない。俺達が起きた時は、こんなんだった﹂
エイジとスバルがやり取りしている中、シデンは時計を確認する。
時刻は深夜2時。まあ、トイレを催して一人で行くのであれば納得
できる時間帯ではあるのだが、
﹁大変です! イルマさんもいません!﹂
1381
押しかけ秘書もセットでいないとなると、話は別だ。
彼らが知る中でもっともトラブルを起こしそうな人材がイルマ・
クリムゾンである。彼女は不気味なうえに、不安要素の塊でもあっ
た。
﹁おい、やべぇぞ。このままだと、人類の脅威って奴が来ちまうん
じゃねぇのか?﹂
夕方にイルマから説明された、人類の脅威。
その正体は不明だが、新人類王国と共に戦わなければならないと
判断された程の存在である。もしも本当にこのタイミングでこられ
たら、最悪であった。
﹁皆さん、何か変わったことはありませんか?﹂
とりあえず、現状でなにも起こっていないかを確認する為、マリ
リスが問う。
男性陣が周りの状況を見渡し、部屋の中にこれといった異変がな
いと確認したところで、
﹁あ﹂
と、スバルがなにかを思い出したかのように言った。
三人の仲間たちはスバルに詰め寄り、問いただす。
﹁どうしたの、スバル君!?﹂
﹁なんだ! なにが起こった!?﹂
﹁スバルさん、大丈夫です。みんな一緒なら赤信号だって怖くあり
ませんよ!﹂
1382
今にも顔と顔がぶつかるんじゃないかという勢いで迫る三人から
若干の距離をとり、スバルは遠慮がちに言った。
﹁⋮⋮トイレに行きたいけど、道わかんない﹂
1383
第99話 vs疫病神︵後書き︶
次回更新は土曜日の夜か日曜日の朝を予定。
1384
第100話 vs仲間たち ∼神様、僕はいい仲間に恵まれたけ
どさぁ編∼︵前書き︶
※注意!
この回はなるべくお食事をしない時に読むことをお勧めします。
強くお勧めします!
1385
第100話 vs仲間たち ∼神様、僕はいい仲間に恵まれたけ
どさぁ編∼
蛍石スバル、16歳。
16歳である。一般的にこの年齢の男子が、トイレに行きたいな
どどと呟いたところで、周りの友人は﹃わかった。じゃあ行って来
い﹄と送り出すのが普通だろう。
だが今回に限ってしまえば、普通ではない要素がいくつか揃って
いる。
第一に、道が分からないこと。これは彼らがずっと道案内をして
きたイルマに連いていったのが原因であり、この時間になるまでの
間、スバルが一度も催さなかったのも一因だった。ようするに、誰
かに道案内してほしかったのだ。
﹁仕方ねぇな﹂
頭を掻きながらも、エイジが言う。
勢いをそがれつつも、彼は提案した。
﹁じゃあ、全員で行くか﹂
﹁全員で!?﹂
口から放たれた提案に、スバルが驚愕する。
普通じゃない状況の第二の要因は、疫病神こと神鷹カイトの不在
にあった。トラセットで一人別行動をしている間、残されたスバル
達がどんな大変な目にあったのかは今更語るまでもない。
本音をいうと、若干トラウマになりかけていた。
﹁しゃーねぇだろう。あいつが居ないこの間にも、人類の脅威って
1386
奴が準備を整えて襲い掛かってくるかもしれねぇんだ﹂
まるでカイトがいなくなったから﹃人類の脅威﹄が襲い掛かって
くるかのような言い方である。
しかし、悲しいかな。これまでの戦いは大体カイトが別行動をし
ている間に起こっているので、あまり強く否定できない。
﹁わかりました。みんなで行きましょう!﹂
﹁そうだね。スバル君だけにすると、ちょっと心配だし﹂
そして第三の不安要素が、このフィティングをどこまで信用して
いいのか測りかねることにあった。昔の仲間が助け舟を出してくれ
たと表現すれば聞こえはいいが、ウィリアムが反旧人類思想を持っ
ているのが不安を植え付ける。
疫病神がさっそくやらかしやがった今、もはやなにがおこったと
しても不思議ではないのだ。それこそ、地球が割れたとしても驚か
ない自信がある。
﹁よし、ついてきな。場所は大体覚えてるからよ﹂
エイジが先導してゲストルームから出ると、それに続いてスバル
達も部屋を出る。灯りがついている廊下を数分程歩いていくと、お
手洗いの伝統的な男子マークが見えてきた。
﹁ここだ。いくぞ﹂
﹁ちょ、ちょっとたんま!﹂
男子トイレの場所を確認し、すぐさま突撃しようとするエイジを
止め、スバルは言う。
1387
﹁まさか、中までついてくる気なの!?﹂
今更確認するまでもないが、男子トイレに用事がるのはスバルだ
けである。エイジもシデンもそんな様子はなく、マリリスに至って
は女子だ。これ以上の発言はセクハラになりかねないので、あえて
深くはつっこまないが、ぞろぞろと引きつれてトイレに入るのは流
石に抵抗がある。
﹁そうだけど、なんか問題あんのか?﹂
﹁大ありだよ!﹂
﹁大丈夫。見守ってあげるだけだから﹂
見守ってあげると言われても困るのだ。
特に女顔のシデンに言われても、微妙な気持ちになるだけである。
何が悲しくてトイレの様子まで見守られなきゃいけないのだ。
﹁それに、ひとりじゃ不安だろ?﹂
﹁いや、俺はただ場所がわからないから案内してくれって言っただ
けで、別に中にまでついてきてくれとまでは︱︱︱︱﹂
言いつつ、スバルは壁際の電灯スイッチに手を伸ばす。
明かりをオンにしたのと同時、彼はある違和感に気付いた。
﹁あれ?﹂
トイレが明るくならない。
試しになんどかスイッチを連打してみる。天井についているラン
プが明るくなることはなく、男子トイレは暗闇が立ち込めたままだ
った。
1388
﹁あ、そういえば﹂
エイジがなにかを思い出したように手を叩く。
﹁俺が来たとき、電灯の電気が消えたんだよな。イルマに相談した
ら、明日付け替えますって言われたけど﹂
﹁えええええええええええええええええええぇっ!?﹂
それはつまり、暗闇の中で用を済まさなければならないことを意
味している。しかも今回、スバルが用があるのは個室の方だ。密閉
された暗い場所に閉じ込められるのは、なんというか気が気ではな
くなる。
﹁えと⋮⋮ごめん﹂
蛍石スバル、16歳。たいへん情けないことではあったが、暗い
場所のトイレはちょっと怖かった。
ゆえに、彼は仲間たちに提案する。
﹁灯り照らしてもらっていい? 部屋に緊急用の懐中電灯があった
と思うんだけど⋮⋮﹂
﹁おう、いいぞ﹂
このやり取りから僅か5分後。スバルは己の発言を激しく後悔す
ることになった。
なぜか。電灯を用意してきた仲間たちは、結局男子トイレの中に
突撃してきたからだ。それ自体はいい。他に利用者もいなかったし、
明かりを照らしてほしいと言ったのは自分だ。だからスバルとして
は、身長のあるエイジが上から覗き込むような形で灯りをつけてく
れれば、それだけでよかった。
1389
だが、しかし。
彼の願いは、見事に砕かれた。懸命な表情で懐中電灯を握りしめ
る、ひとりの少女によって。
﹁ねえ、マリリス﹂
個室の扉を閉める為にドアを抑えるスバルが、引きつった笑みを
浮かべながら言う。
呼びかけられたマリリスは、ドアを解き放つべく反対側から力を
加えている。
﹁なんですか、スバルさん﹂
﹁どうしてドアを閉めさせてくれないの?﹂
﹁どうしてって、それじゃあ私が照らせないじゃないですか!﹂
なにをいっているのだ、と言わんばかりの勢いで押し切られた。
必死な表情で言われたので、もしかして自分がおかしいのかな、
とスバルは唸り始める。やや考え込んだが、どう考えてもマリリス
が照らす必要性はない。
﹁なんでよりにもよってマリリスがそれをやろうとしてるんだよ!﹂
﹁いや、俺もそう思ったんだけどさ﹂
マリリスの横で彼らの寸劇を見学しているエイジが、頭をぽりぽ
りと掻きながら言った。
﹁私が照らしますっ、て妙に気合い入れてるんだよな。それを無下
にするのもなんか悪いじゃん﹂
1390
なんでだよ。
心からそう思った。記憶違いでなければ、マリリスはそれなりに
常識を持った女の子だったと思う。部屋割りの時、みんなで寝よう
と提案したら顔を真っ赤にしていたのだ。ある程度の節度は持って
いる筈である。
しかし、なぜそれが男子トイレの扉をオープンにしようとしてい
るのか。
例え彼女が女子であり、男子の生態系に疎いのだとしても、だ。
男子がトイレに入ったらなにがおこなわれるのかくらい、想像でき
ないわけではないだろう。
﹁スバルさん!﹂
﹁な、なに!? 話は後で聞くから、今は俺を独りにしてくれない
!?﹂
﹁スバルさんは以前、トラセットで私を支えてくれましたね。あの
巨人との戦いで、身体を張って私を守ってくれました﹂
﹁トイレの中っていうのは、会話する場所じゃないの。オーケー?﹂
﹁だから今度は私が、スバルさんを助けます! 私がスバルさんを
照らします!﹂
聞いちゃいなかった。
どうやらこのマリリスという少女。一度使命感に目覚めたら暴走
しがちな性格をしているようである。始めてトラセットで出会った
とき、人の話を聞かずに万歳をしていた無垢な少女の姿を思い出し、
脱力した。
﹁安心してください、スバルさん。私が照らしますから! だから、
やっちゃってください!﹂
やっちゃってください、て。
1391
ドアの間から笑顔でそんなことを言われても、どうしろというの
だ。心なしか、目がぐるぐると黒く渦巻いている気がする。そこか
ら発せられるどす黒いオーラが怖くて、マリリスを直視できなかっ
た。
﹁見てないで助けてよ、アンタ等もさ!﹂
ドアを押しながらマリリスの暴走を抑え込むスバルが、悲痛な叫
びをあげる。同時に、お腹も悲鳴をあげた。ちょっと足がすくみ、
力が抜ける。そのタイミングを見逃さず、マリリスは一気に攻め込
んだ。
﹁照らします! 照らします! 照らします!﹂
ドアが大きく解き放たれる。
照らされるスバル。同時に、マリリスの目に便所が飛び込んだ。
ここにきて、ようやく少しずつ理性を取り戻してきたのだろう。
みるみるうちに顔は真っ赤になり、自分がなにをしてしまったのか
理解する。
﹁⋮⋮あ、ああああぁ﹂
あまりの恥ずかしさに、両手で顔を抑えながら崩れ落ちた。
これを見たスバルはチャンスだと思い、ドアを閉めて鍵をかけよ
うとするが、
﹁げ!?﹂
ドアが外れた。
扉を固定する為のネジが、さきほど大きく解き放たれた衝撃で外
1392
れてしまったのだ。なんとか扉を接合できないかと思って立ててみ
るが、どうしてもバランスが保てない。
﹁⋮⋮照らしてやるから、気にせずやれよ﹂
﹁気にするよ!﹂
むしろ、状況は悪化しただけだ。
マリリスだけではなく、エイジやシデンにもモロに見られる位置
である。これで気にせずやれというのが無理な話だった。
﹁もう、隣の部屋でやるからさ! エイジさんは上から懐中電灯だ
けかざしてくれたらいいよ﹂
﹁ダメです! それだけはいけません!﹂
ちゃんと扉が接合されている個室へ移動しようとすれば、我に返
ったマリリスがスバルを止めた。
彼女は真剣な表情で、スバルに言う。
﹁もうなにが起こっても不思議じゃないんですよ! ひとりでトイ
レに行って、なにか起きてしまってからでは遅いんです!﹂
﹁起きるかよ、こんなところで!﹂
﹁言い切れますか、本当に!?﹂
顔を真っ赤にしつつも、必死に説得しにかかる少女。そういえば、
彼女もひとりで行動しているところで、不幸が始まってしまったの
だ。誰かをひとりにすることは、彼女の本能が許さないのかもしれ
ない。
だとしても、もうちょっと場所を考えてほしかったのだが。
﹁だから、私たちが扉ひとつないこのトイレを見守ります。安心し
1393
てやっちゃってください!﹂
﹁安心できねーっての! ていうか、これ逆セクハラなんじゃない
のか!?﹂
喉の奥で押し留めていた言葉を、とうとう吐き出した。
だがマリリスを非難するようにして紡がれた言葉も、二人の超人
に効果があるわけではない。
﹁いや、マリリスの言うことも一理あるよ﹂
﹁ねぇだろ、どう考えても!﹂
なぜか凄い真剣な表情で語り始めたシデン。彼は扉が外れた個室
を一瞥し、呟く。
﹁昔、トイレのホラー特集っていうのがあってさ﹂
﹁ここでそれを話したら、俺はどんな目に合うんだよ!﹂
しかも、気のせいでなければ話の流れが完全に別の方向へと向か
って行っている。スバルとしては早いところマリリスだけでもどか
して用事を済ませたいのだが、仲間たちはそれを妨害していた。意
図的なのかそうでないのかは知らないが、少なくともこれまでの行
動は妨害以外の何物でもないだろう。
﹁なあスバルよ。お前の言いたいことはわかるけど、我儘はこの際
我慢しねぇか?﹂
ついには我儘扱いされた。
俺、なにか間違ったことを言ったかな、と思いながらエイジを見
上げる。どことなく哀愁が漂う瞳に、エイジは深く同情した。
1394
﹁悪い。語弊があったな。お前の気持ちは⋮⋮まあ正直言うとわか
んねぇ﹂
﹁ちょっと﹂
﹁わかんねぇけど、この場でこいつ等が譲るように見えるか?﹂
シデンとマリリスを見やる。
二人とも、妙に真剣な表情でスバルを見つめていた。なんという
か、その気迫が逆に怖い。
カイトはイルマからこんな恐怖感を味わっていたんだな、と思い
ながらスバルはエイジに言った。
﹁俺、なんも悪いことしてないよな﹂
﹁ああ。むしろここまでよく頑張ってきたと思うよ﹂
心からの言葉だった。
エイジは優しく少年の肩を叩き、これまでのスバルの奮闘を思い
出す。強敵、サイキネルに立ち向かい、未知の生物ともやりあった
勇敢な姿だった。
できれば、このまま安息の時を送らせてやりたい。
しかし疫病神が災厄を振りまいてしまった今、どんな些細なきっ
かけで危機に陥ってしまうかわからないのだ。ゆえに、彼は少年に
もうひと踏ん張りしてもらう。
﹁やれ、スバル。お前は俺達が困ってる時に、全力でぶつかってく
れた。今度は俺達がお前を見守る番だぜ﹂
﹁安心して。みんなが君を守るからね!﹂
﹁私が照らしますから!﹂
だからそれがダメなんだって。
そう言いたくて仕方がないのに。彼らの純粋に心配する瞳を見る
1395
と、無下にできなくなってしまう。これが友情によって育まれた絆
の力なのだろうか。
便器へと振り返り、そしてジト目になってから仲間達を見る。
今だけはその絆を水で流してしまいと、切に思った。
だが蛍石スバル。彼は友情に熱い男である。出会って間もない男
の為に泣けるくらいには、彼もお人好しなのだ。
そんなスバルが仲間たちの気持ちを無下にして、自分の羞恥心を
優先することなどできなかった。
スバルは、覚悟を決めた。
ゆっくりとベルトを外し、ズボンに手をかける。背後で陣取るマ
リリスがどんな顔をしているのか、ちょっと気になった。
ちらり、と視線を送ってみる。真っ赤になりながらも凝視してい
た。もしかしたら、意外とむっつりなのかもしれない。
﹁マリリス、ちょっと見ないでもらっていい?﹂
﹁ダメです! 私が目を離した隙に、トイレットモンスターが襲い
掛かってくるかもしれません! 大丈夫です。私は気にしませんか
ら、早く!﹂
俺が気にするんだけどなぁ、とは口に出せなかった。
多分、この先ずっとこの出来事を引きずりながら生きていくんだ
ろうな、と思うと胸が苦しい。なぜこんな目に合わなくてはならな
いのだろう。これまで懸命に頑張ってきて、時には仲間と衝突する
こともあったが、割と誠実に生きてきたと自負している。
それがこの扱い。
神様、自分はいい仲間に恵まれました。しかし、いい仲間すぎて
涙が止まりません。
1396
天を見上げ、うっすらと涙ぐむスバル。
だがここまで現実逃避したところで、彼はひとつの結論に達した。
それもこれもあの同居人が勝手にどっか行ったせいだ、と。
思えば、ここまであの男が変な実績を立てなければ疫病神扱いも
されなかったし、エイジたちがここまで真剣になることもなかった
のだ。
もしも次に会うことができれば、思いっきり文句を言ってやろう。
スバルはそう決意すると、ズボンを脱いだ。
﹁カイトさんの馬鹿やろおおおおおおおおおおおぉぉぉぉっ!﹂
この世にあるすべての理不尽を、スバルは憎む。
カイトを疫病神に認定したのは他ならぬスバルなのだが、そんな
ことも忘れて、彼は理不尽を撒き散らす同居人への文句を全力で叫
んだ。
1397
第101話 vsゼッペル・アウルノート ∼戦闘に特化された
男編∼
﹁へっくし!﹂
深夜のフィティング艦内。その格納庫の入り口を跨いだタイミン
グで、カイトはくしゃみをした。時刻で考えれば冷え込んでもおか
しくはないが、空調が利いている艦内で急に風邪を引くのはどうに
も解せない。
﹁風邪ですか、ボス﹂
﹁⋮⋮誰かが噂でもしてるんじゃないか?﹂
余談だが、シンジュクでゲイザーと戦って以来、風邪薬は毎日飲
んでいる。
それでも突然視界が安定しなくなる現象は収まらないのだが、何
も飲まないよりはマシだった。
鼻を押さえ、イルマを睨むとカイトは言う。
ラジャ
﹁風邪薬は自分のを使う。貴様は黙って案内しろ﹂
﹁了解、ボス﹂
まあ、案内といっても既に格納庫に入っているのだ。
この艦に収納されているブレイカーの数が限られており、尚且つ
探し人が乗る機体が特機であることを考えると、探し出すのはそん
なに難しいことではない。
﹁あれか﹂
1398
オーガ
実際、カイトがきょろきょろと見渡せばすぐに見つかる始末であ
る。
彼はイルマの案内に頼ることなく、速足で鬼のもとへ向かう。
﹁ぬ﹂
が、しかし。
そんなカイトの進行を塞ぐようにして、イルマが立ち止まった。
彼女はゆっくりとカイトに振り返ると、鬼を指差し言う。
﹁ボス、ゼッペルはあの鬼のコックピットにいます。付いて来てく
ださい﹂
﹁いらん。貴様に合わせる理由がない﹂
﹁付いて来てください﹂
﹁自分のペースで行くと言っているんだ﹂
﹁付いて来てください﹂
﹁どけ﹂
﹁付いて来てください﹂
﹁⋮⋮﹂
﹁付いて来てください﹂
5回である。よもはや、これだけ自分の意思をゴリ押してくる秘
書もそうはいないだろう。
イルマ曰く、﹃私はあなたの所有物です﹄とのことだが、早くも
その言葉に疑問を覚えた。
﹁お前、もしかして俺の言うことがきけないのか?﹂
ぴくり、とイルマの肩が震えた。
彼女は首を横に振ると、カイトの言葉を否定する。
1399
﹁まさか。私はボスの為に存在しています。ボスの決定に文句を言
う輩がいるのであれば、それを制裁するのが私の役目です。逆は決
してありえません﹂
よくもまあ、そんな口を叩けたもんである。
カイトは呆れながらも、イルマの歩行ペースに合わせて鬼へと向
かうことにした。舌戦でこの女に勝てないのは、夕方証明されたば
かりだ。
﹁どうでもいいが、なぜ5回も同じことを言った?﹂
﹁なんのことでしょうか﹂
﹁おい﹂
意外といい根性をしていやがるな、とカイトは思う。
ただ、彼の不機嫌さを察知したのか、イルマは声のトーンを若干
落として言った。
﹁ただ、私はこの5年間ボスの為に生きてきました。ボスとしては
納得できないかもしれませんが、一度勝負をして納得していただい
た以上、あまり無下にして欲しくはありません﹂
﹁⋮⋮善処しよう﹂
これが本音か。
自分の都合の悪いことは誤魔化したままでいる辺り、ちょっと捻
くれているが、その気持ちがわからんでもない。
イルマがこの5年間、具体的にどのような日々を過ごしてきたの
かは知らないが、彼女の言葉にはカイトにも覚えがある。今では遠
い思い出だが、自分がエリーゼに抱いていた気持ちも、言葉にすれ
ば似たようなものになっていただろう。
1400
それを思うと、あまり無下に扱うのも躊躇われた。
特に自分とエリーゼの結末を考えれば、余計に。まあ、イルマが
全く同じ感情を自分に抱いている確証はどこにもないのだが、当時
の自分と重ねてしまったのは確かだ。
なので今はそれ以上なにもいわず、イルマの言葉を少しだけ尊重
する。
﹁ボス、会話ついでにお伺いしたいのですが﹂
﹁なんだ﹂
イルマは先導したままカイトに問う。
﹁ゼッペルに会って、どうするのです? ボスの秘書は私だけいれ
ばいい筈ですが﹂
﹁調子に乗るな。ついでに言えば、俺は元から秘書など必要じゃな
い﹂
そんな柄でもないし、秘書が必要になるほど労働をしているわけ
でもない。
イルマみたいなのが増えたとしても、迷惑なだけだ。だが、その
ような答えを呟いたところでイルマは納得しないだろう。ゆえに、
カイトは本音を答えを口にする。
﹁だが、そうだな。敢えて言えば、どのくらい強いのかを見てみた
い﹂
トラメットでレオパルド部隊を相手に戦った時、カイトは誰かが
犠牲になる可能性を覚悟していた。否、覚悟せざるをえなかった。
新生物との戦いの後で獄翼がスクラップになりかけていたのが一因
だが、その状況から一気に逆転してみせたインパクトは大きい。
1401
そして恐らく、鬼を操縦している新人類も同じくらい強いのだろ
う、とカイトは予想していた。もしもゼッペルが自分たちに襲い掛
かってきたとして、果たして抑えることができるのか。頭の中では
そんな考えが一人歩きしている。
﹁本人に興味が湧いたって言うのが、一番適しているかもしれん﹂
﹁なるほど﹂
頷きつつも、イルマは問う。
﹁では、ボスは私にも興味を抱いてくれているのですね?﹂
﹁いや別に﹂
カイトの前方を歩くイルマの肩が、がっくりと項垂れたのが見え
た。
神鷹カイト。同情はしても、根は素直な男である。
﹁納得がいきません。ボス、訂正を要求します﹂
﹁どの辺に訂正があると言うんだ﹂
﹁ボスにとって一番役に立つのは私の筈です。腕の精算も全部私が
やりました﹂
﹁別に俺はゼッペルにそういう感情を抱いているわけじゃないぞ﹂
露骨に対抗心を燃やすイルマを余所に、ふたりは鬼の真正面に到
着する。
イルマは面白くなさそうな表情のまま鬼に振り向くと、中にいる
であろう兵に呼びかけた。
﹁ゼッペル・アウルノート。出てきてください。ボスがお呼びです﹂
1402
場を静寂が支配した。
鬼から返答はない。本当にコックピットにいるんだろうな、とさ
え思える程、格納庫は静かだった。
だが、静寂は長くは続かない。たっぷり1分くらいだろうか。イ
ルマの言葉からそのくらい経過した後、鬼から青年の声が響いた。
﹃ボス?﹄
﹁このお方です﹂
リーダーと呼ぶと怒られると思ったのだろう。
イルマは敢えて昔の呼称を使わず、カイトを直接見せることでゼ
ッペルに認識させる。
﹁あなたに会ってみたいのだそうです﹂
﹃それはご苦労なことだ。しかし、もう少し時間を考えてほしいも
のだな﹄
少し言葉を聞いて、カイトは理解する。
ゼッペル・アウルノートはイルマと比べても、思考を教育された
わけではない。彼女に施された教育の分もすべて戦闘につぎ込まれ
たのだ。だとすると、イルマのように付き従うことを喜びとはして
いない。気に入らないと思えば、そのまま襲い掛かってきても不思
議ではないのだ。
﹁夜分遅くに来たことは謝る。だが、お前がまだ起きていられると
聞いてな﹂
﹃あなたは、起きていられないのか?﹄
﹁少なくとも、いつか寝ないと倒れる﹂
1403
恐らく、ゼッペル程戦うことに特化された新人類はこの世に存在
しない筈だ。不眠不休で戦い続ける戦士など聞いたことがないし、
新人類王国で務めていた頃でもそんな戦士の存在は耳にしたことが
ない。
そういう意味では、カイトはゼッペルを﹃オンリー1﹄であると
認識している。
﹁それに、今を逃すとお前と喋る暇がなくなりそうだ﹂
﹃そこまでして私と接触する理由を伺ってもいいかな?﹄
﹁最強の兵と呼ばれるお前に興味がある﹂
﹃あなたが最強の兵と呼ばれたからか?﹄
﹁それもある。だがそれ以上に興味があるのは、ゼッペル・アウル
ノートがどれだけ凄い奴なのかっていうことだ﹂
その言葉に対し、返答はなかった。
代わりに口を開いたのは、鬼のコックピット。そのハッチがゆっ
くりと開く音である。露わになったコックピットブロックから、ひ
とりの青年が身を乗り出した。
﹁お前がゼッペル・アウルノートか﹂
青年の姿を、カイトはまじまじと観察する。
見たところ、年恰好は自分たちと同じくらいだろうか。整った顔
立ちに、顔の右半分を完全に覆っている前髪が特徴的な男である。
男はカイトを見上げると、ぼそっと言う。
﹁そうだ﹂
それだけ言うと、ゼッペルは跳躍。
綺麗な放物線を描きつつ、カイト達の横の通路へと着地した。
1404
﹁なにかご感想は?﹂
笑みを浮かべ、ゼッペルは問う。
その微笑が妙に挑発的に見えるのは、きっと己の力を誇示しての
ことだろうな、とカイトは思った。もしかしたら知らない内にこの
男に対抗意識を燃やしている可能性も捨てきれないのだが、カイト
はあくまで冷静な態度のまま、ゼッペルの第一印象を口にする。
﹁髪。邪魔じゃないのか﹂
﹁そうでもない。意外となんとかなるものさ﹂
現にレオパルド部隊を相手にしたとき、まるで意に介した様子は
ない。ゼッペルのスティタスの高さがそれとなく伺える要素ではあ
った。
﹁それで、私が鬼のコックピットから出てきたところであなたはど
うする? このままお茶会でもしようか﹂
﹁では、私は紅茶を﹂
﹁いらん﹂
放っておけば本当にイルマが淹れて来そうなので、それを阻止す
る。
﹁⋮⋮お前から見て、俺の感想はどうだ﹂
﹁意外と馬鹿っぽそうかなって思ってるよ﹂
遠慮のない男だ。
面と向かって、そこまでいうか普通。
1405
﹁後、﹂
だが、ゼッペルの言葉は終わらない。
彼は左目にカイトの顔を映しながらも、言った。
﹁私の方が強そうかなって﹂
大した自信だ。カイトは心底そう思う。
だが同時に思った。見る目、あるかもしれない、と。
﹁試してみるか?﹂
笑みを浮かべつつ、ゼッペルを挑発する。
実際、どちらが強いのかは興味があった。それはゼッペルも同じ
だろう。一瞬、彼が歓喜の笑みを浮かべたのを、カイトは見逃さな
かった。
﹁では、お言葉に甘えて﹂
笑みを浮かべたまま、ゼッペルが疾走する。
青年の長い前髪が跳ね上がると同時、黄金に輝く両目がカイトを
捉えた。
風圧が圧迫感となり、カイトを襲う。彼は右手の人差し指を構え
ると、その一本だけに刃を出現させた。
直後、カイトは突っ込んでくるゼッペル目掛けてその一本を振り
降ろす。
鈍い衝突音が響いた。
カイトから身体ひとつぶん離れた場所で、ゼッペルが制止する。
彼の人差し指からは、カイトと同じように一本の刃が出現していた。
1406
だが、全く同じ刃ではない。
透明に輝くそれは、まるでガラス細工のような美しさを放ちなが
らも、カイトの刃を受けてびくともしていない。
カイトとゼッペルは、お互いの人差し指の凶器と力の均衡によっ
てバランスを保っていた。
﹁は、は︱︱︱︱!﹂
乾いた笑いが、人気のない格納庫に木霊する。
歓喜の笑みに揺れながらも、ゼッペルは指を弾き、後退した。
﹁流石だ。ただの指の一突きとはいえ、私の一撃を受け止めたのは
あなたが始めてだよ﹂
﹁ただの指の一突き?﹂
嘘をつけ、とカイトは非難する。
暗がりだったが、カイトは確かに見た。ゼッペルの人差し指から、
ガラスのような透明の刃が出現したことを。
同じような透明の刃が、鬼から出現したのも覚えている。
﹁今のがお前の能力だな。物騒な野郎だ﹂
この日、カイトは新生物を一度真っ二つにしている。
その爪とぶつかりあって刃零れひとつないとは、まったく恐れ入
る力であった。しかも、本人はまだまだ余裕たっぷりな表情をして
いる。再び構えをとり、再度の攻撃を仕掛けようと一歩を踏み出し
た。
が、次の一撃がカイトに届くことはなかった。
1407
﹁ゼッペル!﹂
間にイルマが割って入ってきたのだ。
彼女はタイラントへと姿を変え、突撃してきたゼッペルを抑えに
かかる。
﹁なにを考えているのですか、あなたは! ボスは︱︱︱︱﹂
﹁君に言われるまでもない!﹂
邪魔をされたゼッペルがイルマを睨み、叫ぶ。
﹁だが、彼が言ったのだ! 試してみるか、とな。だから私は試す
! 自分の力が、あの男を相手にどれだけ通用するのか!﹂
ずっとカイトの戦闘資料と睨めっこして、この男と肩を並べろと
ウィリアムに言われ続けた。だが、特化していくたびにゼッペルは
思う。肩を並べたところでどうするのだ、と。
﹁私は知りたい!﹂
この世界は戦いだらけだ。
戦いから身を守るために力を伸ばす。あるいは、戦いに勝つ為に
能力を伸ばす。特化していく理由は、兵士の数だけ存在する。
だが、その中にもひとつだけ心理が存在しているのだと、ゼッペ
ルは思う。
勝利者と、敗北者の関係だ。
トリプルエックス
﹁XXXよりも戦闘に特化された私が、本当にこの男を超えること
ができたのかを!﹂
﹁ゼッペル、あなたは自分の言っていることがわかっているのです
1408
か!?﹂
﹁戦えば誰かは負けるし、誰かが勝つ﹂
ゼッペルの言葉を代弁するかのように、カイトは一歩踏み出す。
その足音に、ゼッペルとイルマは視線を釘づけにされた。
﹁お前は勝利者になりたいのか?﹂
﹁私は、ただ自分がやって来たことが本当に正しいのかが知りたい。
その為に、私は今日まで戦い続けてきた﹂
それは終わりのないマラソンのようなものだった。
カイト
どんなに戦ったとしても、敵が現れる以上終わりなどない。もし
もこのマラソンにゴールを設けるとしたら、原点こそが相応しいと
ゼッペルは定めた。
﹁自分がやってきたことなど、自分で測ることなどできない。数学
の答え合わせじゃないんだ﹂
ならば、誰かに付き合ってもらうしかない。
ゴールと見定めた男が誘ってきてくれたのなら、こんなに喜ばし
いことはないだろう。
﹁神鷹カイト。私はずっとあなたの戦いを見て、それに並ぶために
教育を受けた。だが、並んだところでどうする?﹂
折角この世界に生まれてきたのだ。
やるからには、もっと楽しみたい。並ぶのも、まあいいだろう。
問題は並んだ後、どうするかだ。
そんなわかりきった答えなど馬鹿げている。
1409
﹁さっきの一撃で確信した。私とあなたが戦えば、きっとどちらも
大きく傷つくだろう﹂
﹁だろうな﹂
カイトの同意は、ゼッペルに大きな安堵感を与えた。
自分が彼に並んだであろうことが、証明された瞬間だった。
﹁私は誰よりも強い。その証が欲しい﹂
﹁その為の獲物が俺か﹂
﹁あなたが私を育てた。一番シンプルなのはあなただ﹂
﹁勝手に育てられておいて、よく言う﹂
いや、彼らを非難するのはお門違いか、とカイトは思う。
ゼッペルやイルマに自分を提供したのはウィリアムだ。果たして
彼にとって、ゼッペルは期待通りに育ってくれたのだろうか。もし
も期待通りだとすれば、ますます不信感が募っていく。
いったいあの同級生は、人類の脅威とやらに立ち向かった後、自
分をどうする気なのだろう。
明らか過ぎるウィリアムの視線を敏感に感じ取ると、カイトは身
震いした。
﹁お前の人格は大体理解できた。今までいろんな奴に会ってきたが、
お前は純粋だな﹂
ゼッペルの本音を聞いた感想がこれだ。
カイトはそれだけいうと、ゼッペルに背を向けた。
﹁試すのは終わりだ。悪かったな、中途半端に燻らせて﹂
﹁なんだと﹂
1410
後ろで納得がいかないとでも言わんばかりに、ゼッペルが威圧感
を放つ。
﹁逃げるのか?﹂
﹁そうじゃない。俺もお前も、まだ大仕事があるだろう﹂
﹁人類の脅威ですね﹂
イルマが言うと、カイトは頷いた。
その詳細はまだよく知らないが、今の大義名分を考えれば、自分
の力もゼッペルの力も必要なのだとウィリアムは考えているに違い
ない。
脱走した新人類軍にすら強力を求めているのだ。どれだけ危険視
しているのか、想像するに容易い。
﹁⋮⋮いいだろう﹂
カイトが言いたいことを遠まわしに理解したゼッペルは、イルマ
から離れて後退する。
だが、その目線はカイトの背中に釘づけだった。
﹁何時かあなたと戦える日を楽しみにさせてもらう。それくらいな
らば、構わないだろう?﹂
﹁その日が来ないことを祈っておく﹂
ぶっきらぼうに手を振りながら、カイトは格納庫を後にした。
後ろから早足でイルマがその背中を追いかける。
﹁ボス!﹂
﹁なんだ﹂
1411
﹁申し訳ございません。まさかゼッペルがあんな願望を持っていた
なんて⋮⋮﹂
﹁いい。お前が気にすることじゃない﹂
むしろ、向けられた感情は好意的な方であると、カイトは思う。
少なくとも﹃敵﹄とカテゴライズしているわけではなく、どちら
かといえば己の力を持て余しているようにも思える。
問題があるとすれば、彼らの方針を定めたウィリアムの方だった。
﹁イルマ。着いたらウィリアムが直接、これからのことを説明する
と言ったな﹂
﹁はい、ボス。確かに言いました﹂
﹁後どれくらいかかりそうだ?﹂
問われ、イルマは腕時計を確認する。
時刻は午前2時30分。途中で台風などでも起こらない限り、
﹁おおよそ7時間です﹂
長い空の旅は、まだ終わりの気配が見えなかった。
1412
第101話 vsゼッペル・アウルノート ∼戦闘に特化された
男編∼︵後書き︶
次回投稿は火曜の朝を予定
1413
第102話 vsキャプテンと鳥と戦艦と
朝7時。
この日、カイトら反逆者一行は飛行戦艦、フィティングのブリッ
ジに案内されていた。しかし、彼らの表情は明るくない。特にスバ
ルは誰の目から見ても明らかに弱っていた。
﹁おい、大丈夫か﹂
肩を叩き、カイトが確認する。
だがそんな彼の気遣いも、火に油を注ぐだけだ。
﹁アンタのせいだ。アンタのせいで俺達は⋮⋮﹂
﹁おい、昨日なにがあった﹂
ぶつくさと呟いてはどす黒いオーラを放つスバルを一瞥してから、
カイトはその他の仲間たちを見やる。
彼らは揃って目を伏せた。
﹁戦ったんだよ、こいつは﹂
と、エイジ。
﹁そうだよ。ボクらはみんな、彼の死闘の見届け人だよ﹂
と、シデン。
﹁私が照らしました⋮⋮私が⋮⋮﹂
1414
と、マリリス。彼女に至ってはなぜか昨日から顔が真っ赤で、熱
があるのかと聞いても必死になって否定しにかかってきた。
だが、時折譫言のようになにかをぶつぶつと呟いているのが非常
に不気味である。
深夜、部屋に戻ってきたと思ったら急にスバルに叱られたのだが、
いったいなにがおこったのだろう。見たところ、深い傷を負った者
がいるのも確かなようなのであまり深くは突っ込めないのだが。
﹁皆様、よろしいでしょうか﹂
しかし彼らが体調不良だとしても、時間が押しているのも事実だ
った。
後数時間もすれば目的地には到着する。その前に、この艦の責任
者と挨拶を済ませるのが最低限のマナーであろう。その為に彼らは
ブリッジに来たのだ。
﹁でもよ。艦長に挨拶って、普通はすぐにやることだよな﹂
エイジがぼやくが、彼の言う事も一理ある。
カイト達がフィティングに乗り込んですぐにやったことといえば、
ウィリアムのビデオメッセージを見たくらいだ。
﹁確かに、普通はそうです。ただ、この艦は普通ではないので﹂
カイトは思い出す。
昨日、乗組員について説明を求めてみたら﹃くさい﹄という理由
で後回しにされてしまった。
においが問題だというのも確かに普通ではないと思うが、それほ
どまでに問題視すべきところなのかは疑問である。
1415
﹁入る前に、皆さんにこれを渡しておきます﹂
ブリッジの扉の手前で立ち止まると、イルマは5人に白いマスク
を手渡した。
間接的ににおい対策をしてるのだとは理解できたが、これが必要
レベルでくさいのだろうか。
夜の間、ブリッジは清掃をしている、とイルマは言っていた。そ
して今は朝の7時だ。艦長たちが何時から勤務しているのかは知ら
ないが、この短い時間でこんなものが必要になると考えると、少々
気が重い。
いかんせん、カイトは鼻が利くのだ。
﹁あれ、もうつけるのか?﹂
﹁⋮⋮保険で﹂
誰よりも早くマスクをつけたカイトを四人が訝しげに見やると、
イルマはそれを覚悟完了の合図と受け取った。
彼女は5人の意見を特に聞かないまま扉を開け放ち、ブリッジか
らの空気を解放する。
﹁うお!?﹂
﹁んぐぅ!?﹂
早速漂ってきたブリッジのにおいに鼻を抑えたのは、カイトの次
に嗅覚が発達しているエイジとシデンである。
だが、鼻を抑えながらもふたりは思う。なんか思ってたのと少し
違うにおいだな、と。
ひとことで異臭と言っても様々な刺激がある。
1416
例えば納豆のくささと、香水のくささではにおいのベクトルが違
う。彼らが察知した匂いは、覚悟していた類の物ではなかったのだ。
具体的にいってしまうと、反逆者一行は﹃くさい﹄と聞いて艦長
たちが風呂に入っていないのだと考えていた。だが、実際は少々違
った。
落ち着いて深呼吸することで、エイジとシデンはにおいに順応し
ていく。そして彼らは改めてブリッジを見やった。
羽だった。
色とりどりの羽毛が飛び散り、ブジッジの床を埋め尽くしている
のである。においの正体とは、ブジッジで羽ばたく十数羽の鳥類で
あった。
﹁動物園か、ここ?﹂
﹁いえ、間違いなく艦長室です﹂
ようやく意識が現実世界に戻ってきたスバルが、まじまじとブジ
ッジを観察し始める。
床は既に羽毛が散らばっており、足の踏み場も残っていない状態
だった。これでは羽毛を気にせずに前に進むしかないのだが、羽毛
アレルギー持ちには地獄以外の何物でもない。
﹁で、誰が艦長なんだ﹂
スバルに続き、カイトがブジッジへと入る。
彼の視界には人間がいなかった。どういうわけか様々な鳥が艦内
の作業を実施しているのである。
例えば、通信。こちらは席に陣取るアヒルがヘッドフォンを器用
に立てながら﹃がぁがぁ﹄と鳴いていた。傍から見れば、仕事をし
1417
ているように見えるのが怖い。
﹁いや、ていうか待って! なんか平然と受け入れつつあるけど、
なんで鳥がこんなところで仕事をしてるんだよ! というか、仕事
してるのこれ!?﹂
カイトの一言で我に返ったのだろう。
ブジッジに広がるバードゾーンを前にして、スバルは思いっきり、
それこそ力の限りツッコんだ。嘗てない異様な光景であった。
﹁当然です﹂
そんな異様な光景を前にしたツッコミに対し、イルマは表情を変
えないまま解説を始める。
﹁彼らは鳥ですが、頭脳だけなら人間以上と呼ばれる鳥部隊。まと
もにテストの点数で勝負しようとすると、赤っ恥になりますよ﹂
まあ、既に新生物という前例がいるのでそういう鳥が生まれても
おかしくはないと思う。
だがいかんせん鳥である。これがイルカであればまだ納得できる
のだが、﹃鳥頭﹄と揶揄されることもある動物が賢いですと言われ
ても、イマイチぴんとこない。
﹁現実を受け入れろ、スバル﹂
だが、そんな疑問を浮かばせているのはスバルだけだった。
カイトもエイジもシデンもすんなりとこの状況を受け入れており、
マリリスですら操舵手と思わるフクロウに向かって挨拶をしている。
1418
﹁あの新生物を忘れたわけじゃないだろ。動物だって立派な頭脳を
持って生まれてくる。いつ人間の天下が終わってもおかしくない﹂
﹁そりゃあ、ありえないとは言わないけどよ⋮⋮言葉わかんの?﹂
もっともな疑問である。
先程からフクロウに挨拶しているマリリスも、﹃ホ、ホゥ!﹄な
どと言われて首を傾げているのだ。
翼を広げているので、なにかしらの意思を示しているのだと思う
のだが、いかんせん言葉がわからないことには意思疎通は出来ない。
それは通信の向こう側の人間も同じだし、イルマとて同じ筈である。
﹁当然ですが、わかりません﹂
その疑問は本人の口により、あっさりと認められた。
﹁しかし、だからといって理解する手段がないわけではありません。
艦長は鳥類の言葉がわかるお方ですので﹂
﹁は?﹂
なにをいってるんだ、こいつ。
イルマに対して何度同じことを思ってきたのか、数えただけでも
きりがないが、本当に理解の及ばない言葉を口にしている気がする。
少なくとも、スバルは頭の周りにハテナマークが浮かんでは回転
しており、理解が全く追いついていない様子だ。
﹁動物と会話することに特化された新人類なのか?﹂
﹁いえ、旧人類です﹂
﹁旧人類!?﹂
ますますスバルの周りにハテナマークが点滅する。
1419
彼の視界には、鳥と共に叫びながら宙を飛ぶターザン姿のマッチ
ョマンの幻影が映っていた。
﹁旧人類でも言葉はわかるものなのか?﹂
﹁ムツゴロウさんという方が代表例だと伺っております﹂
本当に大丈夫なのか、カイト達も不安に思い始めてきた。
彼らはみんなお互いに視線を交わし合い、無言の内に意思をシン
クロさせる。うさんくせぇ、と。
﹁で、どれが艦長なんだ。鳥しかいないぞ﹂
カイトが訝しげに問うと同時。
その声は艦内に響き渡る。
﹁がっはっはっ! 俺様に用があるようだな!﹂
男の声だった。多分、声色を聞いた限り相当な年齢だと思われる。
だが、同時にスバルは思った。いかん、変人のにおいがするぞ、
と。
基本的に、高笑いする奴は変なのしかいないのだ。アーガス然り、
サイキネル然り。
﹁ようこそ、俺の艦へ! 歓迎してやる﹂
艦長と思われる男の声が、反逆者一行を歓迎する。
その声がブジッジに木霊すと同時、勤務中の鳥類が一斉に羽を広
げて鳴き始めた。どういう意味があるのかわからないが、艦長の声
は鳥類になにかしらの影響を与えるらしい。
1420
﹁これ艦長?﹂
﹁艦長です。スコット・シルバーというのですが、見当たりません
ね。声はしますが﹂
イルマもきょろきょろと艦長を探し始める。
だが、彼女の目から見てもスコット・シルバーの姿は見つけられ
ずにいた。
﹁がっはっは! ここだ!﹂
直後、床が突然開いた。
直径2メートルほどの大きな四角い穴が突然開いたかと思うと、
周囲に散らばっていた羽毛が一斉に穴の中へと降り注ぐ。
﹁むっほおおおおおおおおおおおおおおおおお!?﹂
艦長と思われる男がむせた。
多分あの中にいるんだろうな、と思いながらもスバルは尋ねる。
﹁ねえ、なにあの穴﹂
﹁ブリッジに積もった羽毛を吸い取る掃除機を格納している穴です。
開いた瞬間に一気に羽毛を吸い取るのですが、どうやら私たちが来
ることを知って隠れん坊をしていたようですね。艦長はおちゃめな
方なので﹂
ただ、その隠れん坊で予想だにしていないダメージを負ったよう
だ。
むせ返る艦長。その表情は見えない為、どれほど苦しいのかは理
解できないが、暫く咳が続きそうであることだけは予想が出来た。
1421
﹁ホ!?﹂
そんな艦長の大ダメージを察したのだろう。
操舵手を務めるフクロウがハンドルを自動操縦に切り替えると︵
足でボタンを押した︶、穴へと飛んでいく。
﹁ホッ! ホゥ!?﹂
穴の中を覗き込み、フクロウが鳴く。
なんとなく﹃大丈夫か﹄と言っているような気がした。穴の中か
ら野太い男の声が帰ってくる。
﹁がっはっは! 心配するな、オウル・パニッシャー! 俺の身体
はお前たちの羽毛ではビクともしない!﹂
それを聞いたオウル・パニッシャー。納得したように頷くと、自
分の指定席へと羽ばたいていった。
﹁あいつ、パニッシャーっていうのか﹂
﹁中々洒落たネーミングセンスしてるな﹂
﹁仲間想いのいい子だよね﹂
一連の出来事を眺めたXXXの感想がこれであった。
どうやらフクロウと人間による会話はそんなに気にしていないよ
うである。
﹁がっはっは! お前たちにも心配をかけたな、反逆者御一行!﹂
穴の名から小麦色の健康的な腕が伸びる。
スバルの1.5倍くらいはあるんじゃないかと思える大きな掌が
1422
広がると同時、スコットは腕の力で一気に穴の中から這い上がって
きた。
その出で立ちは、戦艦の艦長というよりかは船乗り︵セーラー︶
に近い。
妙にお洒落な円形サングラス。白と青を基調としたセーラーから
今にも零れ落ちてしまいそうな、自己主張の激しい筋肉。太陽に照
らされて光り輝くハゲ頭。お手入れがされていない無精髭に羽毛を
張り付けながらも、スコットは笑みを欠かすことなく体勢を整える。
﹁改めて自己紹介をしよう。俺は館長を務めるスコット・シルバー
だ! 俺のことは親しみと敬意をこめてキャプテンと呼んでくれ!﹂
己の顎に親指を突き付け、スコットは言った。
見せつけられた上腕二頭筋が膨れ上がり、自己アピールをしてき
た。一気にむさくるしい。
﹁キャプテン。早速だが聞きたい﹂
筋肉が溢れかえり、太陽光が妙に反射するスコットに物怖じする
ことなくカイトが言う。
﹁アンタは鳥の言葉がわかるのか?﹂
﹁勿論だ。俺はコイツらを纏める為に呼ばれた専門家⋮⋮要はエキ
スパートなんだよ!﹂
スコットの後ろで勤務する鳥類が一斉に翼を広げ、ポーズをとり
始めた。各々鳴き声を発し、自己主張し始める。
﹁丁度いい。お前らに紹介しよう﹂
1423
スコットが通信席にいるアヒルを指差し、言う。
﹁こいつは通信担当のダック・ケルベロスだ﹂
﹁クァ!﹂
強そうな名前だ、とスバルは思う。
そして同時に思った。果たしてこいつと通信する相手は言葉がわ
かるんだろうか、と。
﹁次に操舵士。フィティングはコイツが動かしていると言っても過
言じゃない。オウル・パニッシャー!﹂
﹁ホゥ﹂
ハンドルの上にとまったフクロウが小さく挨拶をした。
彼は器用に足を動かしながらハンドルを回し、フィティングの体
勢を整えている。技巧派であった。
﹁そしてメカニック。本田ペン蔵だ﹂
﹁クァー!﹂
甲高い鳴き声をだしながらも、ずっと端っこで待機していたペン
ギンが敬礼をした。日本名なのがちょっとだけ親近感がわく。
﹁最後に砲撃責任者を紹介してやるぜ! コイツの逆鱗に触れたら
ミサイルは覚悟しておきな、チキンハート・サンサーラ!﹂
﹁コケコッコー!﹂
赤いとさか頭がトレードマークの鶏が鳴いた。
鶏の逆鱗に触れた瞬間にミサイルが飛んでくるのを想像すると、
もうフライドチキンは食べられそうにないな、とスバルは思う。
1424
﹁他にもいっぱいいるが、大体の責任者がこいつ等だ。フィティン
グで困ったことがあれば、こいつらに相談すればいいだろう﹂
この豪華なメンバーに何を相談しろと言うのだろうかこのマッチ
ョマンは。訝しげな視線を向けられるが、キャプテンはまったく気
にした様子も見せずにビルドアップをし始めた。この動きに何の意
味があるのかはわからないが、仮にも艦長がやることなのだから多
少は艦の為になっているのだろう。たぶん。
﹁おい﹂
カイトがイルマを手招きし、耳打ちする。
﹁まさかと思うが、この鳥限定ターザンを呼ぶ為にウィリアムが力
を使ったわけじゃないだろうな﹂
﹁いえ、正解です﹂
期待を裏切る発言に、カイトは溜息をついた。
なんだってまたこんな鳥の飼育園みたいなことになったのか、非
常に疑問が残る。
﹁結論から申し上げますと、フィティングは旧人類連合の船ではあ
りますが、まだ正式に登録されていないのです。軍部はおおよそ掌
握したとはいえ、下手に兵を割くわけにもいかず﹂
﹁それで鳥を配備したわけか﹂
なんとも頭の悪い話である。
だが、現に彼らの活躍でフィティングが飛行し、自分たちが助け
られている事実があるのでなにも言えなかった。
1425
進化ってすごい。改めてそう思う。
﹁因みに、構成員からなんとなく察していただけるとは思いますが、
鳥はしょせん鳥です。彼らは軍に縛られた人間ではないので、割と
自由に動かす事が出来ます﹂
﹁何が言いたい﹂
﹁人類の脅威と戦う時、艦長とボスが彼らに指示を出すことになり
ます﹂
今度こそカイトは頭を痛めた。
彼はこの日、生まれ始めてストレス対策に胃薬を買う事を決意し
た。
1426
第103話 vs反旧人類思考
キャプテンことスコット・シルバーと愉快な鳥類たちの自己紹介
が終わった後、飛行戦艦フィティングはそれほど時間をかけずに目
的地へと到着した。
場所はワシントン州。そこに存在する旧人類連合の基地らしい。
らしい、というのもイルマの口からそう聞いただけなので、実際は
アメリカの空軍基地かどこかなのだろう。
﹁こちらです﹂
フィティングから降りた反逆者一行はイルマの先導に従い、用意
されていた車へと乗りこむ。助手席に座ったイルマが運転手にぼそ
ぼそと話しかた直後、エンジンが鳴り響いた。
﹁これから皆さんには、会議室で待っているウィリアム様にお会い
していただきます﹂
車が唸り声をあげ、整備されたアスファルトの上を走る。
そんな中、イルマの口から紡がれた同級生の名前を聞いて問いを
出したのはカイトだった。
﹁アイツはもうここにいるのか?﹂
﹁はい。到着15分前に連絡をしましたが、既にお待ちしているそ
うです﹂
なんともまあ、律儀な男である。思えば、昔から約束事には早め
に参加し、時間をきっちり守る男であった。
1427
ウィリアムは自分の計画をきちんと立て、その上で行動に起こす
トリプルエックス
タイプである。その性格ゆえか、彼はよく作戦指揮を執りたがって
いた。XXX時代、カイトのもとに何度も足を運んでは作戦プラン
の提案を立てた事もある。その姿勢は素直に評価していた。
みなごろし
だが、姿勢の評価とは裏腹に内容はえぐいものばかりである。ウ
ィリアムが提案する作戦内容は、どういうわけか決まって敵の壊滅
が含まれているのだ。
それをエリーゼに報告すると、彼女はとても悲しそうな顔をした
のをよく覚えている。
だから、カイトはウィリアムをあまり快くは思っていなかった。
エリーゼを困らせる嫌な奴だと、心の中で呟いていたのを記憶して
いる。
カイトは当時のことを思いだし、我ながら陰険なガキだな、と自
嘲した。
﹁どうしました、ボス﹂
バックミラーでその様子を見られていたらしい。
助手席に座るイルマが、振り返ることなく問いかけてきた。素直
にウィリアムが嫌いだったというのは簡単だったが、一応彼女はウ
ィリアムの部下でもある。己の中にあった感情はオブラードに包み
込み、それっぽく話すことにした。
﹁昔のことを思い出していた。ウィリアムはあの時からどう変わっ
たのか、少し楽しみではあるな﹂
その言葉には本音も含まれている。
カイトは横に座るスバルとマリリスを一瞥し、思う。
果たして幼少期に徹底した﹃旧人類狩り﹄を提案してきた男が、
1428
このふたりを受け入れるのだろうか、と。
マリリスはまだ可能性があるかもしれない。なんやかんやで彼女
Xが起動したのがいい証拠である。
は旧人類としてカテゴライズするよりも、新人類よりの人間だ。S
YSTEM
問題は生粋の旧人類であり、割と熱血気味な性格をしているスバ
ルだった。計画と確実性を重視するウィリアムと、直観と感情を大
事にするスバルは相性が非常に悪い。合わせたらどんな拒絶反応が
起こるのか、想像すらできなかった。
それはカイトのみならず、シデンとエイジも同じである。彼らも
また、ウィリアムのやりすぎとしか言いようがない旧人類狩りには
ドン退きしていたのだ。
﹁なあ、このままウィリアムに会っていいと思うか?﹂
小声でエイジが語りかける。
イルマがいる手前、あまり大声では言い辛いのだろう。実際、カ
イトも面と向かっては言い辛い。だが、今の内に身の振り方を決め
ておいた方が堅実だと思うのも、また事実だった。
﹁正直、不安しかない﹂
﹁ボクも。下手したらみんなの前でスバル君を拘束するのもありう
るよ﹂
流石にそこまで過激な行動はしないと思いたい。
だが、それはあくまで願望であり、ありえないと言い切れないこ
とが悲しくもあった。
蛍石スバルはXXXのメンバーやアーガスを始めとした新人類の
戦士と出会い、逞しく成長したと思う。だが、彼らはまだ優しい方
なのだ。
父親のマサキを躊躇わずに殺してしまったマシュラと比べても、
1429
ウィリアムはえぐい。変に心を許してしまい、催眠術を施されては
殺されてしまう可能性だって十分に考えられた。
現にウィリアムは任務中に、そういうことをしでかした前例があ
る。謹慎処分にならないよう、任務中にわざと襲わせるように仕向
けて自作自演をしていたのはXXXのメンバーの全員が知っている
ことだった。
﹁⋮⋮全員で行くのは流石に危険すぎる﹂
相手は元同級生。
本来であれば、素直に再会を喜びたいところだ。例え苦手意識を
持っていたとしても、共に苦難を乗り越えたチームメイトである。
だが、空白の6年間で彼がどう変化したのかも見えないまま会う
のは、あまりに危険な賭けだった。
﹁イルマ﹂
﹁はい、なんでしょう﹂
ゆえに、カイトは提案する。
監視の目を含めて、なるだけウィリアムと接触させない。その為
には、
﹁シデンと一緒にこいつ等の面倒を見ていろ。ウィリアムには俺と
エイジが会う﹂
﹁え?﹂
それまで横で行われていたひそひそ話を訝しげに眺めていたスバ
ルが、抗議の声をあげた。
﹁なんでだよ。人類の脅威って聞くからにやばげな名前だぜ!? 1430
みんなで聞いた方が手っ取り早いだろ﹂
﹁語弊があったな。シデンと一緒にスバルとマリリスを守れ。俺と
エイジが合流して、今後のプランが決まるまでだ﹂
結構長い期間である、とスバルは思う。
よくよく考えれば、説明を受けた後で自分たちがどうなるのか何
も聞いていない。
﹁そういえば、俺たちってどうなるんだ?﹂
思わず口に出してしまっていた。
当初は旧人類連合に保護してもらう事を目的として旅を続けてき
た。だが、蓋を開けてみれば人類の脅威とやらとの戦いに駆り出さ
れている始末。なんだか体のいい傭兵のような扱いを受けている気
がしないでもない。
﹁それすらも、まだ聞いていない﹂
本来ならウィリアムではなく、実際に保護した戦艦の責任者であ
るスコットが上から指示を仰ぎ、その判断を仰いだうえで決まる筈
だ。
だが、軍部の殆どをウィリアムが術で掌握してしまっている以上、
それは通用しない。掌握しているのが軍部だけならまだいい。もし
かしたら政治や、国民にまでその範囲は及んでいる可能性がある。
もしもウィリアムの目にスバルが適わないようであれば、アメリ
カ中の住民がこぞってスバルに襲い掛かってくるという、地獄絵図
のような光景ができあがってしまうのだ。しかもその光景は、現実
となる確率が高い。
﹁お前たちは身体を休ませていろ。あの化物との戦いでの疲労は、
1431
1日じゃ取れんだろ﹂
﹁いや、そりゃあ⋮⋮そうだけど﹂
実際、スバルもマリリスも眠たげであった。
昨夜遅くに起こったトラブルが原因であまり眠れておらず、そん
なに休めていないのだ。
表面上の理由としては、それだけで十分だった。
無言のままシデンを見やる。彼は真剣な眼差しで頷き、カイトの
頼みを快く引き受けてくれた。疫病神呼ばわりしていても、その辺
はきっちり把握してくれているようで少し安心する。
後の問題があるとすれば、イルマが大人しくその命令に従ってく
れるかだ。
ラジャ
﹁⋮⋮了解﹂
やや間をおいてからイルマは了承の返事を出した。
この小さな静寂の間で、彼女が何を考えているのかはわからない。
ただ。サイドミラーを覗き込んでみた限りでは、あまり面白く無さ
そうな顔をしている。
昨夜、彼女の一面を垣間見たカイトは、そんな感想を持った。
﹁不満そうだな﹂
﹁なんのことでしょうか。私はボスの所有物です。例えボスのお傍
にいられないショックでくらくらしてしまっても、命令とあらば全
力を尽くします﹂
後ろから覗き込まれるカイトの視線から逃げるようにして、イル
マは視線を下に移した。手元で開かれた手帳が目まぐるしいスピー
ドで捲られていく。落ち着く為の儀式かなにかだろうか。
1432
だが、例え彼女の言葉が本音であったとしても、だ。
カイトの中の認識において、イルマ・クリムゾンは﹃ウィリアム
側﹄の人間である。口ではカイトの秘書だ、所有物だと言ってはい
るが、いざという時にどう動くのかはまるで理解できない。
ゆえに、カイトはイルマに深く釘を刺す。
﹁もしも二人に何かあったら、お前を一生許さないぞ﹂
﹁︱︱︱︱っ!﹂
イルマの肩がびくり、と震えあがった。
サイドミラーから表情を確認する。始めてみる困惑の顔だった。
﹁ちょっとカイトさん、言い過ぎじゃない? いかに気に入らない
からってさ﹂
﹁⋮⋮ふん﹂
﹁ああ、もう!﹂
座席に深く腰掛け、カイトはスバルの講義を受け流しながら思考
する。
今の反応を見る限り、恐らくイルマからのアクションは無いと思
いたい。あの顔は見覚えがある。まだヒメヅルにいた頃、電子レン
ジを壊してしまい、困惑していた時の自分にそっくりだった。あの
時は我ながら情けない表情をしていた物だとカイトは思ったが、そ
れゆえにイルマの抱く感情もなんとなく理解している。
嫌われるのを恐れているのだ。
だが、その為にはどうしたらいいのかわからない。そういった、
困惑の表情。
それを今出したのであれば、彼女にとって都合の悪いなにかがあ
るのだろう。それがわかっただけでも収穫であると、カイトは思っ
1433
た。
だが、カイトは気づいていない。
否、彼だけではなく、全員が気付けずにいた。
助手席で、誰にも聞こえない程に小さく。それでいて今にも消え
去ってしまいそうな声で呟いている少女がいたことに。
﹁いやだ⋮⋮いやだ⋮⋮戻るのはイヤ⋮⋮﹂
誰にも聞こえない不気味な小声は、ウィリアムが待つ会議室の手
前に到着するまで続いた。
小さすぎる悲鳴に気付いた者は、ひとりもいなかった。
1434
第104話 vs映像記録
トリプルエックス
ウィリアム・エデン。年齢、24歳。
XXXの中では一番年上であるが、戦場において前線に出しゃば
ったことはない。
生まれ持った異能の力は催眠術。催眠にかかった旧人類は永遠に
彼の手駒になり、死ぬまで操り人形のままである。
その特性ゆえに、彼は後衛であることを望んだ。ウィリアムは身
体能力に特化された新人類ではなく、前線で戦えば足手纏いになる
チーム
ことがわかりきっていた。だからこそ己の立ち位置を早い段階で決
めて、サポートに回る事を望んだ。XXXの勝利は最大の喜びであ
り、自分がその輪にいる事実が幸せだった。
そんなウィリアムが新人類王国から逃げ出したのには理由がある。
リーダーを務める年下の少年、神鷹カイトが受けた過度なまでの
調整だ。その内容は思い出すだけでも寒気がする。
何度か敵兵に同じことをやらせてみたが、とても人間がやるよう
な実験ではなかった。カイトが再生能力の保持者でなければ、今頃
こうして到着を待つ事もなかっただろう。
ウィリアムは会議室のど真ん中でおもむろに手鏡を取り出し、身
だしなみを確認する。
寝癖なし。髭もきちんと剃ってある。ネクタイもばっちりだ。
6年ぶりに再会する仲間に見せる自分は、しっかりしたものでな
ければならない。身だしなみは最低限のマナーだ。清潔感のある服
装と容姿に整えることで、嫌悪感をなるだけ削っていく。
ウィリアムは己が嫌悪感を持たれていることを知っていた。
仲間たち。特にカイトからは、時々叱られていた。理由は簡単だ。
1435
旧人類に術をかけ、無意味に殺していったからだ。
民間人に自害を迫った時なんか一晩中カイトに叱られた。年下に
怒られる姿は、客観的に見て非常にカッコ悪い物であっただろう。
だが、それでカイトに嫌悪感を抱いたかと言われれば、答えはN
Oである。彼は自身の身を削り、自分たちを救ってくれたからだ。
それはきっと、エイジやシデン達もそうだろう。
ゆえに、ウィリアムは感謝こそすれど恨むことはしない。
仮に6年ぶりの再会を果たし、カイト達がまだ自分に嫌悪感を抱
いていたとしても、だ。
そんなことを考えていた時である。
﹁失礼します﹂
会議室の扉から軽いノック音が聞こえた後、﹃元部下﹄の声が聞
こえてきた。ウィリアムは手鏡を仕舞うと﹃どうぞ﹄と答えて来客
の訪問を歓迎する。
会議室の自動ドアがスライドした。
その真正面にいる青年が鋭い視線をウィリアムに送ってから、部
屋へと入る。
あの眼光。
間違いない。
ウィリアムは青年の姿を視界に収めると、椅子から立ち上がった。
﹁やあ、カイト﹂
6年ぶりの再会である。
前に会ったのは16歳の時だから、今の彼は22歳の筈だが、時
1436
の流れは意外と人を変えないものだ。
ウィリアムの目の前にいる青年は、6年前に比べてあまり違和感
が無かった。ほんの少しだけ纏う空気は変わっているのだが、容姿
は殆ど変らない。よくもこれで今まで王国を誤魔化してきた物だと、
素直に思う。
﹁ウィリアム。久しぶりだな﹂
﹁よぉ!﹂
軽い挨拶をしたカイトの後に続き、もう一人青年が足を踏み入れ
てきた。
身長180センチ越えで、目元に残る切り傷。彼もまた、6年前
のチームメイトであることをウィリアムは記憶している。
﹁エイジ。元気だったかい﹂
﹁お陰様でな﹂
ぷらぷらと手を振ると、エイジは手頃な椅子に着席。
豪快に背伸びをした後、早速本題に移った。
﹁で、人類の脅威ってなんなんだ?﹂
前置きも何もない、直球の質問である。
もっとなにか言われるのでは、と身構えていたウィリアムも、こ
れには面食らった。カイトが静かにエイジの隣に座るのを確認する
と、ウィリアムは口を開く。
﹁他に何かないのかい?﹂
﹁人類の脅威以外に、大事な話があるのか?﹂
1437
至極全うな台詞である。
元々、彼らを呼び出した理由は人類の脅威に立ち向かう為に力を
貸してほしいと言ったからだ。それを全面に出されると、ウィリア
ムとしては頷かざるをえない。
だが、それは抜きにして気になる事があった。
﹁シデンに、イルマはどうした? 旧人類も2人ほど連れてきてい
ると聞いたが﹂
会議室の自動ドアを再び見やる。
カイトとエイジ以外に誰も入ってくる気配は無く、元部下のイル
マでさえも部屋の中に入ってこようとはしなかった。
﹁俺達が代表で話を聞く﹂
﹁代表?﹂
訝しげにドアを見つめるウィリアムに向けて、カイトは言う。
﹁話を聞くだけなら、全員でやる必要はない。それに、トラセット
でみんな疲れてる﹂
もっともな台詞だな、とウィリアムは思う。
トラセットでの戦いの結末がどうなったのか、ウィリアムもイル
マから聞いている。ゆえに1日で旧人類であるスバル達の疲れが抜
けないのは納得できるが、カイト達の心の奥底にそれ以上の感情が
潜んでいることをウィリアムは理解していた。
まあ、それは仕方がない。
自分の今の立ち位置を含め、彼らにはわからないことだらけだろ
う。いきなり人類の脅威が現われたから一緒に戦おうなんて言った
1438
所で、素直に﹃はい、そうですね﹄と納得してくれる性格でないの
は十分承知だ。
要するに警戒されているのでる。イルマも近づけさせず、2対1
にさせたのがいい証拠だ。
本来ならもっとフレンドリーに、順序を踏んでから本題に入りた
かったが、こうなっては仕方がないだろう。下手に機嫌を損ねれば、
この二人を敵に回しかねない。
それだけは何としても避けたかった。
﹁わかった。では早速話をしよう﹂
本来ならイルマに操作させる予定だったノートパソコンを起動さ
せ、会議室の中央に備えられていたモニターが光る。
ウィリアムはそのまま会議室の明かりを弱めると、パワーポイン
トを起動させた。事の顛末を説明する為に用意した、簡単な資料だ
った。
だが、それでも簡単な挨拶だけで再会を果たすのは心苦しい。
ウィリアムは話を始める前に、二人の顔を眺めてから言った。
﹁まず最初に、二人とも⋮⋮いや、シデンを含めて三人か。よく無
事に生きていてくれたね。あの爆発の中、みんなの安否を確認でき
なかったから心配だったんだ﹂
﹁好きで生きてたわけじゃないがな﹂
そっぽを向くようにして視線を逸らすカイト。
その態度に思わず首を傾げるが、エイジがすかさずフォローに入
った。
﹁みんなの安否って事は、ヘリオンやエミリアがどうなったのかわ
1439
かんねぇのか?﹂
﹁ヘリオンはわからないが、エミリアとは途中まで一緒だったよ。
ただ、追手の目を誤魔化すために別行動をして、それ以来さっぱり
だ﹂
なるほど、とエイジは頷いてから会議室のモニターに視線を向け
る。
挨拶はそろそろ終わりにして、はやいところ本題に入れと言う無
言の合図だった。その意思を汲み取ったウィリアムは、最低限の昔
話を惜しみながらも切り上げ、話し始める。
﹁結論から言うと、人類の脅威とは﹂
パワーポイントの見出しが捲られ、早速結論が提示される。
そこにはでかでかと、嫌でも目立つような文字でこう記されてい
た。
﹁地球外生命体だ﹂
﹁ちきゅうがいせいめいたいぃ?﹂
エイジが顔をしかめがら言う。
その言葉の意味がわからないわけではない。だが、突然言われて
もリアティが無さすぎるのだ。
﹁それは宇宙人なのか?﹂
腕を組みつつ、カイトが問う。
だがその質問に答える為に、ウィリアムは数秒の時間を要した。
どう表現すればいいのか、迷ったのだ。
1440
﹁どちらかといえば、隕石だ﹂
﹁は?﹂
なんじゃそりゃ、といった様子でエイジが身を乗り出した。
見れば、カイトもリアクションに困っている。エイジはともかく、
カイトのこういった表情は見ていてとても新鮮だった。だが、ウィ
リアムは楽しんでこんなことを言っているわけではない。
﹁アルマガニウムの隕石の話は知ってるだろう﹂
﹁当然だ。一般常識だぞ﹂
今からおおよそ一世紀ほど前。地球に隕石が降り注いだ。
後に地球最大のエネルギー資源となるアルマガニウムの原石を積
み込んで、だ。
﹁その中にあったのがアルマガニウムの原石だけではなかったとし
たら、どうする﹂
カイトの眉が僅かに動いた。
目は大きく見開かれ、驚きの表情を作り出す。
﹁⋮⋮もしもそれが本当だとして、だ﹂
﹁勿論、証拠はある﹂
カイトの台詞は予想済みだ。
むしろ、カイトでなくとも同じような反応があがるのは目に見え
ていた。それゆえ、ウィリアムはあらかじめ準備を終わらせている。
﹁これを見て欲しい﹂
1441
映像が切り替わり、動画再生アプリが起動し始めた。
ややあってからプレイヤーの表示部分に、ある物が映し出される。
銀色の山だった。
周囲を森に囲まれながらも、どっしりと構える巨大な山脈。傍か
ら見れば綺麗な雪山に見えるかもしれない。
だが、よく目を凝らしてみてみると、
﹁金属か、これは﹂
﹁そうだ。巨大なアルマガニウム反応も出ている。それに、生命反
応も﹂
一見、雪に見える銀の輝きは、自然の中では見ることがない輝き
を放っていた。山脈は他の色を纏う事は無く、上から下まで全てが
銀色で構成されている。
だが、山ほどの大きさのアルマガニウムが森の中に存在している
なんて世間一般では知られていないことだ。
﹁現在、この場所は立ち入り禁止区域に指定してある。マスコミは
全て僕が抑えた﹂
﹁場所は﹂
﹁グルスタミト。旧人類連合では、この山のことを﹃遊園地﹄と呼
んでいる﹂
その呼称が出てきたところで、カイトとエイジはお互いに顔を見
合わせた。
まあ、その気持ちはわからんでもない。
軍部がそういう決定を出した時、ウィリアムも﹃どっちかといえ
ばマウンテンじゃないのか﹄と思った。
1442
だが、そう呼ばれるだけの理由がある。
﹁次にこれを見てくれ﹂
様々な視点から映し出される銀色の山の映像が切り替わり、突然
画面がブラックになる。
別の動画ファイルが再生されたのだとカイト達が気付いたのは、
音声が流れてきてからだった。
﹃これより、山脈の調査を行う。β︵ベータ︶チームの記録係は私、
ミッチェル・グレイ少尉が担当﹄
若い青年の声だ。
音声だけが流れる中、画面はまだブラックのままである。次の映
像に切り替わるまで、ウィリアムは補足を行う。
﹁5年前の6月18日。山脈に調査団が派遣された。チームは3つ、
メンバーは15名﹂
﹁映像が暗いのは何故だ﹂
﹁山脈には幾つかの大きな洞窟が確認されていて、中に突入したの
はブレイカーだったからだ﹂
﹁じゃあ、これはブレイカーの視点映像を録画した物か﹂
エイジの言葉にウィリアムが頷く。
彼は重々しく首を動かすと、視線を僅かに下に向けた。
﹁生還できたのは、グレイ少尉を含めて2名﹂
﹁なんだと﹂
﹁ついでにもう少し補足しておくと、グレイ少尉が搭乗していたブ
レイカーは録画を目的としていたので、彼以外にもうひとり、操縦
1443
に専念するパイロットがいた。つまり、生き残ったブレイカーは1
2機中1機だけだ﹂
つまり、グレイ少尉が乗った記録用のブレイカーが運よく撃墜を
逃れ、命からがら生還したわけである。
その為、これから流れる映像だけが山脈の中の様子を記録してい
た。この映像を事実であると認識しなければ、山脈について語る事
が出来ないのだ。
﹃おい見ろよ!﹄
映像が切り替わり、山脈の中の様子が映し出される。
だが、グレイたちの前に広がった光景は彼らの予想を逸脱した物
であった。
﹃グレイ少尉! お前の目には何が見える!?﹄
﹃ゆ、遊園地です! それだけじゃありません!﹄
カメラが揺れ、上下左右に動きだす。
パイロットの心理がダイレクトに伝わってくる、動揺のカメラワ
ークだった。
﹃空も! 山も! 自然もあります!﹄
上を向けば夜空に染められた雲が。
下を向けば黒い森が。
左右を向けば、そこには山がある。
正面には、明かりが付いた遊園地。
穴の中に入ったかと思いきや、彼らを待ち受けていた物は﹃外﹄
だったのだ。
1444
﹃オズワルド、今何時だ!﹄
﹃まだ昼の12時だ! 夜になるには早すぎる!﹄
グレイは同じコックピットに搭乗した同僚に確認することで、カ
メラ時刻に異常がない事を理解した。
同時に、ここが自分たちの住む世界とはまるで違う所なのだとい
うことも。
﹃β1より各機へ。一旦、深呼吸だ﹄
慌てふためく隊員たちに、部隊長を務める男が声をかける。
隊員たちはその指示に従うと、部隊長は一つずつ状況を確認して
いった。
﹃β2、α︵アルファ︶部隊とγ︵ガンマ︶部隊の反応は?﹄
﹃両方とも健在です。我々も含め、全てが山脈の中で健在﹄
﹃了解。みんな、聞いての通りだ﹄
穴に飛び込んだつもりが、どういうわけか外にいた。
だがここはまだ山の中である。その事実を確認すると、部隊長は
チームに指示を出す。
﹃ここは俺達の想像を超える場所らしい。しっかりと記録をとって
帰るぞ。β4、わかったな﹄
﹃了解!﹄
部隊長からの念押しにも似た指示に、グレイとオズワルドが了承
の言葉を投げる。
それに満足すると、部隊長はもっとも目立つ建設物に注目した。
1445
﹃β4、あのイヤでも目につく遊園地をよく撮っておけ。もしかす
ると、あれがあるのは俺達の場所だけかもしれん﹄
﹃了解﹄
その言葉を反映するかのようにして、カメラ映像がズームアップ
される。
グレイの操作するカメラは遊園地にあるアトラクションを1つず
つ、確実に捉えた。
コーヒーカップ。
メリーゴーランド。
ジェットコースター。
海外の建築物を模したアトラクション。
ゴーカートもある。
それら全てが、無人で稼働していた。
周囲は真っ暗だが、遊園地は宝石のように光り輝き、その存在感
を放っている。注目してくださいと言わんばかりだ。
グレイも気になっていたのだろう。カメラは時折、無人の操作室
をゆっくりと通り過ぎて行った。
そうやって一通りのアトラクションを撮影したところで、カメラ
は遊園地のシンボル、観覧車へと視線を移す。
この遊園地で一番印象深いのが、観覧車だった。
なんといっても、建築物として一番大きい。ズームにする前、遠
くから見ていても存在感が他のアトラクションと違って段違いなの
だ。
﹁前もって言っておく﹂
1446
グレイのカメラが観覧車のゴンドラを映し始めたと同時、ウィリ
アムは口を開いた。
映像に釘付けになっていたカイトとエイジは、視線をそのままに
して耳だけを傾ける。
﹁これはすべて実際に起こった、無編集映像だ。断じて特撮などで
はない﹂
カメラがゴンドラの中身を映しながら、一つずつ観覧車のてっぺ
んへとカメラを上げていく。
﹁よく覚えておけよ﹂
カメラがてっぺんのゴンドラを映した。
その瞬間、音声が僅かに乱れる。
﹃隊長! 隊長!﹄
﹃どうした、β4、なにがあった!?﹄
映像に何が映ったのかも知らず、部隊長がグレイに語りかける。
今この瞬間にも、カメラはグレイに恐怖を与えていた。そしてそ
の映像は、この場でカイトとエイジを唖然とさせている。
﹃ひ、人がいます! 観覧車のてっぺんに、人が! お、女が!﹄
﹃なんだと!?﹄
部隊長を含め、この時同行していた者はオズワルドを除いて知る
事も無かったのだが。
てっぺんのゴンドラには、グレイの言う通り女が座っていた。
白いドレスを身に纏い、黄金のティアラで着飾っている美しい女
1447
性。その出で立ちは、まるで結婚式で着用するウェディングドレス
である。
だが、ただの女でないのは一目瞭然だった。
場所が場所なのもそうなのだが、何よりも不気味だったのはその
瞳。
女は真っ黒な目玉に赤い瞳孔を剥き出しにして、カメラに視線を
向けていたのだ。
まるでこちらを見ているかのように。
直後、女は笑みを浮かべた。
舌なめずりしながらも、にっこりと。
﹁これが、人類の脅威だ﹂
グレイの狂ったような悲鳴が、動画ファイルから溢れだした。
1448
第105話 vs人類の脅威
ミッチェル・グレイ少尉の悲痛な叫び声が会議室に木霊する。
彼が見たであろう、ゴンドラの中の女は笑みを浮かべたと思いき
や、徐々に体が崩れていった。女だけではない。ゴンドラ、観覧車
までもが溶け始め、遊園地そのものが形を変えていく。
﹁これは﹂
グレイがカメラの調整を忘れて叫びまくっている為、細かい様子
はわからない。
だが、グレイと同じ機体に乗っていたオズワルドがブレイカーの
視点を切り替えたお陰で、辛うじて遊園地全体の状況を確認するこ
とができた。
アトラクションは完全に溶解している。
きらきらと眩いほどの明かりを放っていたジェットコースターや
観覧車は鋼の水に姿を変え、再び形を形成していく。
これと似たような光景を、トラセットで見たことがある。
﹁新生物の進化と似てるな﹂
﹁つぅことは﹂
溶けた後、何になるのか。
一度前例を見ている以上、想像するのは容易い。きっと目の前に
現れたブレイカーをモデルにした姿に変身するのだろう。
カイト達はそう思っていた。
﹁残念だが、今回はスケールが違う﹂
1449
だが、その予想はウィリアムによって簡単に打ち砕かれた。
映像の中の遊園地が銀色の液体になり、どんどん膨らんでいく。
ここまでの過程は新生物と同じだ。
﹁お、おい。なんかデカくねぇか?﹂
唯一の違いがあるとすれば、そのサイズ。
トラセットの新生物は大凡40メートルほどの巨大な肉団子とな
り、様々な進化を果たした。
だが、今回は軽く見積もってもその倍以上はある。オズワルドの
視点になって見上げると、その大きさがよりリアルに伝わってきた。
﹁ウィリアム。調査に駆り出されたブレイカーの全長は?﹂
﹁資料によれば、この時使われたのはミラージュタイプの量産機﹃
蜂鳥﹄。全長は17メートル程だ﹂
全長17メートルといえば、獄翼と同じサイズである。
その大きさの巨人が見上げてしまうほどに、銀色の球体は膨れ上
がっていた。
だが、巨大化も長くは続かない。
一定のサイズにまで膨れあがった後、球体にひびが入った。
まるで卵が割れるようにして一気に殻が砕け、球体から中身が出
現する。
﹁推定、おおよそ200メートル﹂
背中に生える、蝙蝠のような禍々しい羽。
長い尾の先端で光る、槍のような突起物。
恐竜図鑑の中のティラノサウルスのような巨大な顎と牙。
1450
それらの要素を全て纏めたうえで、この生物を表現するのであれ
ば、
﹁大怪獣だ﹂
映像の中で例えられた大怪獣が、挨拶をするように雄叫びをあげ
た。
グレイが撮影しているカメラが、怪獣の咆哮で揺れる。それから
間もなくして映像が途切れた。
﹁映像はここで止まっている。恐らく、パニックになったグレイ少
尉が途中で止めたのだろう﹂
﹁あれが人類の脅威か?﹂
﹁そうだ。無事に山脈の穴の中から戻ってきた二人のパイロットは
重症を負い、特にグレイ少尉は精神崩壊を起こしている﹂
﹁精神崩壊だと?﹂
さっきの怪獣に襲われて、怪我を負ったのであればわからんでも
ない。
しかし実際にグレイを襲ったのは精神崩壊である。パニックで気
が狂っただけかと思ったが、ウィリアムの口ぶりから察するにそれ
は違うのだろう。
﹁多分、ゴンドラの女に見られたのが原因だ﹂
動画が巻き戻され、ゴンドラで一時停止される。
黒目と赤い瞳孔が印象的な、不気味な女がカイト達に微笑みかけ
た。
﹁イルマから聞いたが、トラセットの新生物は音波で君たちを植物
1451
人間にしてみせたそうじゃないか。それの亜種だと考えてもいいと
思う﹂
﹁なら、こいつもアルマガニウムの影響で生まれた新生物なんじゃ
ないのか?﹂
カイトが疑問を投げる。
だが、ウィリアムは首を横に振る事で回答した。
﹁山脈で採掘された石を調べたところ、アルマガニウムの原石が埋
まっていた隕石と同じ成分が検出された。専門家曰く、これは地球
では確認されていない物質だ﹂
では、どこから運び出されたのか。
決まっている。原石と共に地球の外から来たのだ。そうとしか考
えられない。
﹁じゃあ、この女は宇宙人なのか?﹂
エイジが新たな疑問を投げた。
ウィリアム曰く、人類の脅威とは地球外生命体であるらしい。な
らば大怪獣に変身して見せたこの女こそ、そう呼ぶに相応しいので
はないかと考えたのだ。
目玉の不気味加減も、ミステリアスっぽくて違和感がない。
﹁調べてみたが、彼女はこの遊園地で勤務していた役者だと思われ
ている﹂
﹁え?﹂
宇宙人と呼ばれた女の表情とは別に、女の顔写真が表示された。
名前はマリア・バスカル。記録によれば、遊園地が閉園になって
1452
間もなくした頃、他の従業員と共に行方不明になっているらしい。
ゴンドラの女と並べてみれば、確かに同一人物と思えるくらいに
二人は似ていた。
﹁あの遊園地は実在したのか﹂
﹁山脈が無ければ、あの場所には遊園地があった。近隣住民に確認
はとれている﹂
それゆえに、信頼できる情報でもある。
﹁元々森林区域にある遊園地だったから客の出入りはそこまで良く
なかったらしい。交通の便もよくないし、閉園前は電源関係のトラ
ブルもあったそうだ﹂
今にして思えば、その電源のトラブルこそがこの山脈の影響なの
だろう。
閉園した後はたまに関係者で集まって、昔を懐かしんでいたのだ
そうだ。
﹁なるほど。同窓会で集まっていたら、山脈に取り込まれたってわ
けか﹂
﹁恐らく。そして山脈は、徐々に大きくなっている﹂
映像が再び切り替わる。
今度は山を真上から眺めた写真だった。写真は2種類あり、上の
写真と比べて下の写真は明らかに山の範囲が大きくなっている。近
くの山とぶつかっているほどだ。
﹁上は去年の写真だ。下は今年に入ってからになる﹂
﹁1年でこれだけ活動範囲を大きくしているのか⋮⋮﹂
1453
まるで近くにある山を食べる為に、腕を伸ばしたようだとカイト
は思う。
実際その通りなのだろう。銀の山と﹃遊園地﹄は餌を求め、活動
範囲を広げている。
このまま放っておけば、地球全体が覆われてしまうかもしれない。
﹁しかし、わっかんねぇな﹂
一通りウィリアムの話を聞き終えたエイジが、腕を組みながらぼ
やく。
﹁こいつが本当に隕石と同じタイミングで地球にやってきたとして、
だ。100年もこいつは地球に潜伏してたわけだよな。誰にも見つ
からなかったのも不思議なんだけど、どうして今出てきたんだ?﹂
﹁さあ、流石にそれは正確な答えを出せない﹂
だが、想像することはできる。
ウィリアムはこれまで出てきた情報を再度集め、イメージした。
﹁まず、隕石が落下した。この時、被害は奇跡的に最小限で済んだ
と言われている﹂
海に落下した際、津波すら襲ってこなかったのはまったく奇跡だ
としか言いようがなかった。
後に、その理由は隕石の中にあったアルマガニウムが安定性を保
とうとしたからではないかと推測されたのだが、ウィリアムの考え
は違う。
﹁その衝撃の際、隕石から中身が出てしまった。それがこの怪物だ﹂
1454
その際、隕石墜落のショックで自分が死なないように力場を安定
させる。こうすることで化物も地球も無傷で済み、結果的には隕石
とアルマガニウムの原石だけが残ることになる。
﹁隕石から抜け出た後、こいつは地中に潜っていたんだと思う﹂
﹁地中に?﹂
﹁ああ。山脈は地面からでてきていることは確認されている。あれ
を作ったのも化物だと考えるなら、前の住処は地中だと考えるのが
自然だ﹂
では、地中で何をしていたのか。
ここに関しては証拠がある訳でもないので断定的に言う事が出来
ないのだが、敢えて候補をあげるのならば、
﹁地球に落ちた時に出来た傷を癒すか。それとも土の中で地球のエ
ネルギーを食べていたか﹂
﹁エネルギーって?﹂
﹁そのままの意味だよ。地中でそれとなく地球を食べていたってこ
と﹂
いずれにせよ、明確な答えはない。
ただ、それがある日突然地上に姿を現し、堂々と餌を求めるよう
になった理由はある程度見当がつく。
﹁今、地上はアルマガニウムで満ちている。用途はそれぞれだが、
昔の寝所と同じにおいがする場所は落ち着きがある筈だ﹂
﹁なるほど。大体わかった﹂
完全に﹃遊園地﹄の目的を知る為には、本人の口から聞く以外に
1455
ない。
ゆえに、これ以上話題を続けても不毛だ。カイトはそう感じると、
すぐさま別の質問を投げた。
﹁では、改めて聞こう。お前は俺達に何をさせたい﹂
﹁先程もちらっと説明したが、山脈の中から生きて帰ってこれたの
は今の所2人だけだ。だが、あの中に入らないことには化物と戦う
事も出来ない﹂
﹁山脈を爆撃するのは?﹂
﹁やったが、効果は無かった﹂
やったのかよ。
先程流れた銀の山の映像を見る限り、焼野原すら見当たらなかっ
たのだが、つい最近の出来事なのだろうか。
思ってたよりも行動的に動いている同級生に驚きつつも、カイト
はウィリアムの言葉を待った。
﹁恐らく、今の旧人類連合で遊園地に挑めるのはゼッペルくらいだ
ろう﹂
﹁回りくどいな。もっとはっきり言え﹂
﹁ならそうしよう。新人類軍と協力して遊園地に入って、化物を倒
してもらいたい﹂
最初からそう言えばいいのに、とカイトは思う。
ウィリアムの言葉はどうにも勿体ぶる傾向がある。もっとゆっく
り話したいのかは知らないが、シデン一人にスバル達の面倒を押し
付けてしまっている手前、あまり長々と話す気は無かった。
﹁それは旧人類代表として、か?﹂
﹁そうだ。XXXの指揮を務めていた君に、代表として出てもらい
1456
たい。勿論、イルマもつける。そうすれば問題なく代表としては振
る舞えるはずだ﹂
器用に変身する大統領秘書の顔を思いだし、カイトは少し苛立っ
た。
確かに大統領秘書を務めた経験があるイルマが近くに居れば、あ
る程度はなんとかなるだろう。だが、代表としての面子を気にする
ならイルマ本人にやらせればいい。
﹁俺が代表になるメリットがない﹂
﹁君にはない。だが、旧人類連合にはある﹂
﹁どんな理由か聞いていいか?﹂
﹁新人類王国が、始めて異端分子を取り逃がしたことになる﹂
実際、既に取り逃がしてしまっているわけなのだが。
それが旧人類連合の代表として立てば、相手側にプレッシャーを
かけることができるとウィリアムは考えている。
しかも代表として立つのは、嘗て新人類最強の男として王国に君
臨したカイトだ。彼の影響力がどの程度の物か、ウィリアムはよく
知っているつもりだった。
﹁少なくとも、第二期XXXは僕らに協力してくれる筈だ。それだ
けでも王国を支え続けた絶対強者主義は揺れて、民は強い不安に煽
がれる﹂
いや、民とまでは言いすぎかもしれない。
どちらかといえば、新人類軍に務める兵士達だろう。自分たちは
常に勝者であるべきという姿勢が、始めて完全に打ち砕かれるのだ。
それがあるか、ないだけでも今後の戦いに大きく関わってくる。
1457
﹁ウィル﹂
そこまで語ったところで、カイトが不意に愛称で呼び始めた。
ウィリアムは知っている。カイトが自分を﹃ウィル﹄呼ばわりす
る時。
それは、怒っている時だ。
﹁お前は俺をどうする気なんだ﹂
﹁敢えて言うなら、こちらの司令塔になって欲しい﹂
﹁断る﹂
あっさりとした回答だった。
昔のように怒鳴られることは無かったが、視線からもひしひしと
感じる事が出来る怒気が、確かにウィリアムを捉えている。
﹁もうこれ以上、ボロボロになるのは御免だ﹂
﹁そうさせない為に、僕はイルマとゼッペルを派遣したんだ﹂
﹁ウィル!﹂
これ以上の問答は不要である。
一言でその意思を叩きつけると、カイトはウィリアムを睨んだ。
﹁今の事情はわかった。確かに、このままいくとアレは人類の脅威
になるかもしれない。今回だけは引き受けてやる﹂
だが、
﹁それ以上は無しだ。俺たちは王国や旧人類連合とは関わらない。
誰一人としてだ﹂
1458
最後の言葉を特に念入りに押していくと、カイトは席から立ち上
がる。
それを会議終了の合図と受け取ったエイジも、続けて立ち上がっ
た。
﹁カイト﹂
そのまま立ち去ろうとするカイトの背中に向け、ウィリアムは語
りかける。
﹁僕はリバーラ王のいう絶対強者主義は、的を得ていると思ってい
るよ。この世界を収めるのは力ある者がするべきだ﹂
だが、今の世界でその座に就くのに相応しいのはリバーラではな
い。
特定の政治家が座るべきかと言われれば、それも違う。口だけで
戦う彼らよりも、もっと痛みを知っていて、同時に相手を黙らせる
力がいる。
今、目の前にいる男のように。
﹁僕が知る限り、君が一番適してると思うよ。君は最強の人間なん
だからね﹂
﹁聞かなかったことにしてやる﹂
振り返る事はなく、カイトは会議室から出ていった。
一応、エイジは顔をしかめながらフォローに入る。
﹁もうアイツにとってエリーゼ関係は禁句だ。気を付けておいた方
がいいぞ﹂
﹁何かあったのかな?﹂
1459
﹁言いふらすようなもんじゃねぇよ。取りあえず、詳しい日程と計
画が決まり次第また連絡してくれ。じゃあな!﹂
エイジが会議室から退出すると同時、ウィリアムは軽く溜息をつ
いた。
詳しい日程やプランもなにも、先程説明したのが殆どそれなのだ。
拒否された以上、新たに練り直すしかないのだが、そのあたりを理
解しているのか疑問である。
﹁仕方がない﹂
ウィリアムは肩をすくめ、ノートパソコンを叩く。
開いていたファイルが一通り閉じられ、新たなファイルがクリッ
クされる。
ファイル名は﹃第二プラン﹄と示されていた。
1460
第106話 vsXXXリーダー代理
新人類王国。
国王の間にて、国の代表的な従者たちが集まっている。
基本的に、リバーラ王が彼らを招集してなにかを発表するのは非
常に珍しい事だった。なにかしら連絡がある場合、ディアマットか
用のある兵個人に直接語りかけるのだ。
だが、今回はそれをしなかった。
理由は単純。彼らに説明しなければならないことは、言葉だけで
は表現しきれないと思ったからだ。
﹁と、いうわけで﹂
玉座の間に備え付けられたモニターが映像を流し終え、リバーラ
王が改めて従者たちを見る。
全員、呆然と口を開いたまま面白い表情をしていた。隣で控える
息子の顔を覗きこんでみる。開いた口が塞がっていなかった。これ
はこれで面白い光景だったが、この映像の中身には勝てないだろう
とリバーラは思う。
﹁僕らは旧人類連合と協力して、怪獣と戦います!﹂
モニターから流れた映像は、ウィリアムがカイト達に見せた代物
と全く同じものだ。旧人類連合の調査部隊が遊園地に辿り着き、襲
われるだけの映像。
映像を自分以外が見るのは、これが始めてだった。
﹁ち、父上。これは何の冗談ですか?﹂
1461
こめかみを抑えつつ、ディアマットが震えた声で語りかける。
﹁冗談? 冗談は君たちの顔にしておきなさいディード﹂
酷い言われようだが、それくらい新人類王国の戦士たちは無様な
表情を晒し出していた。何人か涼しげな表情をしている者もいるが、
ぱっと見た感じ指で数えられそうな人数しか居ない。
﹁君も新生物のことは知っているだろ﹂
﹁あれとコレとではサイズが違い過ぎる上に、非常識さも上回って
います!﹂
新生物は100メートル級の芋虫だった。それ自体は、まあいい。
やることなすこと非常識だったが、結果として存在もしていた。
だが、今度はそれ以上に非常識だ。人間の姿をしており、遊園地
と一体化。挙句の果てに住処の山をどんどん広げているときたもん
だ。
ディアマットの気持ちもわからないでもない。
﹁まあ、君の言うことはもっともだ﹂
けどね、
﹁残念ながら、新生物と比べて発見が遅くなった分、こいつは更に
えげつなく育っちゃったっぽいんだよねぇ。ううん、アンハッピー﹂
﹁大体、こんな大事なものがあるのなら、なぜもっと早く教えてい
ただけなかったのですか!﹂
ディアマットの興奮は収まる事を知らない。
1462
カイトとスバルが日本で反逆を起こしているときに、この映像と
同盟を組んだのだとリバーラは説明している。
つまり、王はやろうと思えばもっと早くこれを公開する事が出来
たのだ。だがリバーラは悪びれた様子も見せず、笑いながら言った。
﹁教える前に、もっと具体的に動いてきたところがあったからね﹂
﹁トラセットですか﹂
召集された従者の一人、タイラントが重い口を開く。
彼女は新生物の脅威を目の当たりにした代表者だった。
﹁そう! 可能ならあれを見たうえで検討したかったんだけど、せ
っかちな君たちは勇み足で挑んじゃって、しかも負けちゃったでし
ょ。これを見せるべきか迷ったんだよね﹂
ディアマットの新生物駆除命令は、当然の如くリバーラに筒抜け
だった。
カノンとアウラの有休申請を出したアトラスが、その辺の事情も
喋ってしまったからである。
そのアトラスが前に一歩踏み出し、王に問う。
﹁では、リバーラ様。映像の怪獣は、トラセットの新生物よりも強
力なのだと考えても宜しいのでしょうか﹂
﹁普通に考えたらそうだろうね。コイツは100年も潜伏してた上
に、サイズも新生物と比べて巨大だ。内に秘めたパワーは、常識で
判断しない方がいいってものだよ﹂
怪獣のパワーに話題が移ったところで、リバーラは本題を切り出
した。
彼らを招集させたのは、映像鑑賞の為ではない。
1463
﹁さて、この怪物がいるのはアメリカのグルスタミト。言うまでも
無く、旧人類連合の領土内だ﹂
新人類王国のモットーはひとつ。
自分たちこそが強者であると証明する事だ。新生物が倒れた今、
その存在を脅かすのはこの大怪獣ということになる。
﹁行きたい人は手を上げて!﹂
まるで学校の役員を決めるかのようなノリで、リバーラは元気よ
く右手を挙手した。
召集された王国兵達は、誰もそれに乗ってはくれなかった。
ノリの悪い従者たちを睨み、リバーラは口を尖らせる。
﹁ちょっと君たちぃ! 折角ハッピーな化物退治にいけるっていう
のに、なんで誰も手を上げないのさ!﹂
﹁その前に、幾つか質問させていただいても?﹂
物怖じずに口を開いたのはアトラスだった。
彼は王に向かい、言う。
﹁旧人類連合の領土なのですよね。それに同盟も結んでいると伺っ
ています﹂
﹁そうだよ。僕としては家畜でいいと思うんだけど、一応今回はお
邪魔する立場だからね﹂
珍しくリバーラ王が相手を尊重したことに、ディアマットが僅か
に驚愕の表情になる。
だが、アトラスはそんな物はどうでもいいとでも言わんばかりに
1464
質問を連発した。
﹁では、旧人類連合と協力して怪獣を倒すって事でいいんでしょう
か﹂
﹁その認識で構わないよ。ただ、幾らか制約があってね﹂
まず、第一に。怪獣がいる山の中に突入できる者には制限がかか
ること。
穴の大きさは推定20メートルちょっとしかない為、それ以上の
サイズとなると中に入る事が出来ない。
ミスター・コメットに頼んで一気に戦力を送り込む方法もあるの
だが、それを提案したら慎重なディアマットが何を言うかわかった
ものではないので、リバーラは黙っておくことにした。本音を言え
ば、今すぐ全員で殴り込みをかけたいくらいなのだ。
﹁相手は200メートルはあるであろう、大怪獣だ。生身よりも少
しはマシになるブレイカーで突入するのが望ましいと思うよ﹂
しかも、そのブレイカーも限定される。
少なくとも、巨大なサイズが多いアーマータイプは突入不可能だ
ろう。必然的にミラージュタイプか、小さいアニマルタイプを支給
された兵士に絞られてくる。
﹁後、もう一つ大事な点があってね﹂
この点がミソである。
横でディアマットが﹃そういうのは早く言ってください﹄とぼや
くが、リバーラは気にせず、笑顔のまま喋った。
﹁これは旧人類連合との共同作戦になるの。だから、向こうの指揮
1465
官とはある程度仲のいい人に行って欲しいな!﹂
そこまで口に出された直後。
リバーラの横で話を聞いていたディアマットがはっ、と何かに気
付き、父親へと詰め寄ってきた。
﹁父上。まさかとは思いますが、その指揮官とは⋮⋮!?﹂
﹁交渉に当たった大統領秘書って子は、XXXのカイト君と旧人類
の少年を推してたね。ま、実現するかどうかは知らないけど﹂
﹁やはりそうでしたか!﹂
ディアマットが憤慨したように顔を歪ませる。
とてもじゃないが、王子という華々しい立ち位置に座る者の顔に
は見えない。
まあ、それも無理はない。これまで4度も屈辱を味わったのだ。
並々ならぬ感情があるのは当然といえる。
﹁その為にあなたは王国に泥を塗ったのですね!? 自分が掲げた
絶対強者主義と、新人類王国の信念をお忘れか!?﹂
﹁もちろん、忘れることはないよぉ﹂
ただ、新人類王国のモットーの一つ、絶対強者主義を考えれば。
神鷹カイトと旧人類の少年のふたりと協力しても、差支えが無い
と考えている。
﹁だって、ディードは負けたよね﹂
それが真理なのだ。
ディアマットはこのふたり︵正確に言えばまだいるのだが︶に敗
北し、撤退を余儀なくされた。
1466
それも4回。
仏の顔も三度までとはどこの国の言葉だったか忘れたが、その数
を超えてしまった以上、反逆者一行は﹃強者﹄であると言えた。
﹁ディードだけじゃない。王国に名を連ねる面々が、揃いも揃って
負け面を晒してしまった﹂
リバーラ王の正面に立つタイラントが、反射的に顔を伏せた。
4回の敗北の内、3回は自分と部下たちが関与しているからだ。
だからといって、周りの者がタイラントを責めれるかといえば話は
違う。
仮に自分たちが出向いたとして、勝てた保証は限りなく0に近か
ったのだ。周囲の兵にそう思わせるだけの力を、タイラントたちは
持っていた。
﹁ふふっ﹂
そんなタイラントの耳に、微笑が届いた。
ふと顔を上げてみれば、横に構える現XXXのリーダーが控えめ
に笑みを浮かべている。
﹁そんなに落ち込むことはありません。前も言ったでしょう。みな
さんが負けたのにはきちんとした理由があるんです﹂
アトラスは王の前で天を仰ぎ、なにかに訴えるようにして吼えた。
一つ間違えれば、無礼千万と言われて即座に首を刎ねられてしま
ってもおかしくない所業である。
﹁だって、あの方は強いから!﹂
1467
美しく、可憐な容姿からは想像できない、狂喜に満ちた笑顔。
その表情を目にした途端、リバーラは手足を叩いて喜び始めた。
﹁そうだ! そうだね、君の言う通りだ!﹂
相手が強いから負ける。
絶対強者主義の理論で行けば、負けたディアマットやタイラント
たちは大人しくカイト達の命令に従う他ない。
それを面と向かって言われてしまえば、彼らは成す術なくカイト
達に服従する形で作戦に参加しなければならなくなる。
その光景を想像したのだろう。タイラントが歯を食いしばり、唇
から僅かに血が流れた。
﹁でもね﹂
屈辱の怒りに思えるタイラントを宥めるようにして、リバーラは
口を開く。
﹁流石にこのままは困るんだよね。僕も絶対強者主義を唱えた手前、
あんまり強くは言えないんだけどさ。このままだと新人類王国の威
厳が地面から地中にまで埋もれちゃうんだよ﹂
既にリバーラにとって、王国の威厳は地に落ちたも同然であった。
その威厳をこれ以上落とす事は、国として許したくない。
﹁誰か上手いことやり込めてくれないかと思うんだけどねぇ﹂
﹁は、はは⋮⋮! お任せください、リバーラ王﹂
壊れた玩具のように、きりきりと笑いながらアトラスは進言する。
1468
﹁この私が、新人類軍の代表としてアメリカへ参ります。い、い、
い、い、い、偉大なるあのお方に失礼なく接することができるのは、
私を置いて他には居ません﹂
そりゃあいるわけがない。
アトラス・ゼミルガーの持つカイトへの信仰心は、ディアマット
達の想像のつかない場所へと辿り着いている。
彼に受け入れられるために自分の全てを﹃エリーゼ﹄に変えてし
まった辺りからも、その崇拝ぶりの異常さが伺えた。この瞬間にも
声が震えているのがいい証拠である。
﹁アトラス﹂
だが、ここにいる兵が揃って不安に思う事が一つだけある。
兵達を代表し、グスタフが声をかけて本人に確認をとった。
﹁まさかとは思うが、裏切るつもりはないだろうな﹂
アトラスに限った話ではない。
第二期XXXのメンバーは真田アキナを除き、全員がカイトに異
常な執着を見せている。もしもこのままカイトに会えば、王国の戦
力の一角がまるごと敵に回る可能性が大いにあった。
﹁裏切る? 裏切ると仰いましたか﹂
アトラスは口元に浮かぶ微笑を崩すことなく振り返る。
彼は綺麗な金髪を乱暴に垂らしつつ、ぎょろりと目玉を回した。
視線の向く先には、声をかけてきたグスタフの姿が映り込んだ。
﹁私の感情は、そんな安っぽい言葉では決して表現することができ
1469
ない﹂
女のような華奢な身体が震える。
アトラスの振動と共に、空気が震えはじめた。ぴりぴりとした空
気を肌に感じつつも、兵達は息を飲む。
﹁私はあの方を愛している。だが、愛してるなんて言葉で表現して
ほしくはない﹂
言ってることが滅茶苦茶だ、とグスタフは思う。
果たして脳が正常に動いているのか、少し不安になった。
﹁あのお方さえいれば私は何もいらない。何もだ! 何もかも、全
部! 全て! この命さえも!﹂
漫画やドラマでも滅多にお目にかかれない決死の告白が繰り出さ
れ始める。聞いていてあまりに痛々しいが、本人のマジすぎる表情
が兵達の口を黙らせていた。
﹁この感情を理解した時、私はこの身を爆発させたかった。あのお
方は男として生まれ、私も男として生まれてしまった。その時点で、
この身は既に不要なのです﹂
︱︱︱︱お前たちにわかるか。このどうしようもない想いが。
髪を掻き毟り、瞳孔が揺れる。
当時の事を思いだしたのだろう。アトラスを襲ったショックは、
正直に言うと想像もつかない。
というか、想像したくなかった。
なにか危ない一線を越えてしまうような気がして、迂闊な事をい
1470
うこともできない。
﹁わかるとも。僕には君の情熱がよぉくわかる!﹂
ただひとり、リバーラ王を除いて。
彼はアトラスに向けて拍手を送りながらも、笑顔を向けた。
﹁新人類王国からの代表は君だ。君が好きなようにメンバーを選出
して、作戦指揮を執りたまえ﹂
その言葉は、アトラスにとってどれほどの至福を与えたのだろう
か。
今にも髪の毛ごと皮膚を引き千切るのではないかと思われたアト
ラスの手が止まり、再び女神のような眩しい笑顔が作り出された。
﹁ありがたき幸せでございます﹂
﹁リバーラ様!﹂
だが、王が納得しても不安は残る物だ。
グスタフは身を乗り出し、アトラスの隣で再び構える。彼にして
は珍しく狼狽えている様子だった。
﹁畏れ多くもこの者は﹂
﹁あー、みなまで言わなくても結構﹂
リバーラは軽く手を振り、グスタフの懸念を振り払う。
まるで心配などなにもない、とでも言わんばかりの行動である。
実際、リバーラは心配などしていなかった。
﹁心配しなくても、アトラスが旧人類連合につくことはないよ。絶
1471
対にね。そうだろう?﹂
﹁はい。流石はリバーラ様。よく御存じで﹂
首を傾げるグスタフに向けて、アトラスは微笑む。
﹁グスタフさん。よぉく考えてみてください。なぜ、私が旧人類な
どと仲良しごっこに興じなければならないのでしょうか﹂
アトラス・ゼミルガー。
その心は新人類王国から遠く離れた場所を見つめていても、主義
は王国に最も近い場所にある兵士。
その揺らぐことのない主義こそが、リバーラの信頼を掴んでいた。
1472
第107話 vsでこぴん
﹁うっ⋮⋮﹂
スバル達と合流した途端。カイトは早々に蹲り、口元を抑えた。
まるで二日酔いでもしたかのような光景である。
﹁ど、どうしたのカイトさん﹂
﹁具合が悪いんですか? 羽出しましょうか﹂
﹁⋮⋮いや、いい﹂
青ざめた表情でスバル達を見やると、カイトはよろよろと前進。
横に構えるイルマが今か今かと命令を心待ちにしており、いつで
も薬を出す準備をしているのがちょっと不気味だった。
﹁おい、どうした急に。さっきまですっげぇ元気だったけど、例の
眩暈か?﹂
エイジが肩を掴み、尋ねる。トラセットではそこまで長時間にわ
たって戦っていたわけではないので発作は起こらなかったが、カイ
トはシンジュクで﹃病気﹄を患わっている。
だが、本人が感じている寒気はそれとはベクトルが違った。
﹁⋮⋮たぶん、エレノア辺りが噂してるんだと思う﹂
﹁⋮⋮ああ、そういう﹂
全身がぞくぞくするような寒気の原因を伝えると、エイジは妙に
納得した。後ろを見れば、付き合いの長いスバルとシデンも納得と
1473
いった表情をしている。
言っておいてなんだが、それで納得されるのも少し悲しい。
﹁カイトさん、変な電波飛ばす人に好かれるから﹂
やかましい、と斬り捨てたいところだがそんな元気も無かった。
実際問題、イルマという新しい﹃電波塔﹄も増えたので何も言い
返せない。カイトは諦めて溜息をつくと、本題を提示することにす
る。
﹁⋮⋮とりあえず、状況はさっき言った通りだ﹂
口元を抑えながらスバル達に切り出す様子は、とても痛々しい。
横に構えるイルマが紙袋を取り出したので、とりあえず吐き出し
ても問題はないと思うが、目の前で魂を解放されても困る。
困るのだが、この男を単独行動させるとさらに困ることになるの
で、迂闊に休ませるわけにもいかなかった。なので、スバル達はそ
のまま話を続けることにする。
﹁その、人類の脅威ってのはそんなにでかいの?﹂
﹁ああ。推定200メートルだってよ﹂
200メートル。
その大きさをスバルは想像する。つい先日戦った新生物の巨人が
獄翼よりもやや大きかったので、それを20メートルと仮定しよう。
なんと大きさは10倍だ。必然的に、凄さも10倍だと感じると
鳥肌が立つ。
﹁まあ、東京タワーよりもちっちゃいと考えると、大きさはそこま
ででもない気がするけどよ﹂
1474
問題は遊園地に突入した後、その怪獣がどのタイミングで出現す
るのかわからないことだ。映像を見る限り、女を発見すれば良いの
だと思うが、常にゴンドラに乗っている保証はどこにもない。
﹁それに、女に睨まれた兵士が精神崩壊を起こしてるらしい﹂
﹁じゃあ、怪獣になる前に睨まれたらそこで一人脱落ってこと?﹂
納得できない、とでも言わんばかりの勢いでシデンが抗議する。
実際、スバル達だって納得できない。いかになんでも、目と目が
合っただけでノックダウンするのは不公平という物だ。
迂闊に探索だってできやしない。
﹁そ、その辺に関しては考えがある⋮⋮﹂
ぷるぷると肩を震わせ、カイトが立ち上がる。
精一杯の空元気だが、顔色が青い。獄翼の中の酔い止めを持って
きた方がいいと思うけど、果たして間に合うだろうかとスバルは思
う。
﹁か、カイトさん。大人しく寝ておいた方がいんじゃない?﹂
﹁大丈夫だ⋮⋮きっと1時間もすれば敵の口も止まって治まる﹂
その間に開放しちゃうんじゃねーかと思うが、意識させるとヤバ
い気がしたので敢えて口にしない。
﹁要は目を見なければいいんだ。そして人間じゃなければ、多分通
じない﹂
﹁そんな簡単に言うもんじゃないと思うけど﹂
1475
目を見ないっていうのはまだ理解できる。
だが、人間じゃないのを連れていけばいいという案は中々乱暴だ。
カメラ越しでパイロットが発狂しているというのに。
﹁いや、ひとり適任な奴がいる﹂
﹁え、居たっけそんなの﹂
スバルが周囲の仲間たちの顔を見る。
とてもじゃないが、その条件を満たすことができる奴がいるとは
思えない。
そんな少年の不安を余所に、カイトは淡々と確認を取る。少しは
落ち着いたらしく、口調は大分安定していた。
﹁イルマ。今回の突入メンバーは俺が決めてもいいんだろうな﹂
﹁もちろんです﹂
その言葉だけ貰うと、カイトは満足げに頷いた。
﹁よし。獄翼も修理と改修をしておきたい。情報収集も含めて、準
備期間がいるんだが王国は何て言ってるんだ﹂
﹁半年もあれば、討伐用の新型ブレイカーも作れると言っています﹂
半年ときたか。
準備期間にしてはいささか長すぎる気はするが、突入用のブレイ
カーを1から準備するのであれば寧ろ早すぎるぐらいである。
﹁わかった。じゃあこっちも半年でなんとかしよう﹂
ウィリアムに聞かれれば、敵に塩を送る行為だと言われるかもし
れない。彼が旧人類連合に身を潜めているのは、ココが一番安全と
1476
オーガ
感じたからだ。下手に時間を与えてしまうと、王国の技術力が鬼す
ら超えてしまうかもわからない。
しかし、便宜上こちらから共同戦線を申し込んでいるので、我儘
を言うわけにもいかないのだ。政治っていうのはめんどくさいと思
いながらも、カイトはぼんやりと空を見上げる。
﹁向こうの代表は決まってるのか?﹂
﹁まだ聞いていません。今頃は決まってる筈ですので、定期集会で
顔を合わせる機会もあるかと﹂
﹁何時あるんだ、それは﹂
﹁1週間ごとに行う予定です。次回の集会は4日後になります﹂
4日後。そこで新人類王国と改めて対峙することになる。
カイトは思った。誰が来たとしても、険悪なムードの中での戦い
になるだろう、と。
自分たちがこれまでどういう戦いを展開してきたのかは知ってる
し、その結果、王国の面子がどれだけ潰されてきたのかも理解して
いるつもりだ。同時に、新人類王国がなによりも大事にしているの
が誇りとプライドであることも。
そんな大事なものを何度も踏み潰してきた連中と一緒に大怪獣と
戦うのだ。良い気持ちになるわけがない。カイトはまだ見ぬ新人類
軍の代表に同情した。
﹁スバル。マリリス﹂
﹁なんだ?﹂
﹁私たちにご命令ですか、指令!﹂
何故か妙にやる気になっているマリリスが、固い表情で近寄って
きた。
訝しげに見やった後、カイトはふたりに向けて言う。
1477
﹁お前らは今回、無理についてこなくていいぞ﹂
﹁え﹂
意気込んで身構えていたマリリスが、拍子抜けしたように間抜け
な表情を晒した。マリリスだけではない。スバルとて同じである。
﹁な、なんでだよ!? 俺だって立派な戦力だぞ!﹂
﹁私だって立派な⋮⋮えっと、その。あれです! 薬草です!﹂
それはそれで悲しくないか、と思いつつもカイトは続けて口を開
く。
﹁ふたりは元々、保護対象だ﹂
特にスバルに至っては、最初は旧人類連合に保護してもらうため
に戦い始めた。
確かに彼はパイロットしての成績は優秀かもしれない。だがそれ
以上に民間人で、保護対象なのだ。少なくとも、カイトの目から見
ればの話だが。
﹁大怪獣と戦ったら、お前らはもう後戻りできない﹂
ウィリアムの口ぶりから察するに、彼は自分たちをこのまま旧人
類連合に組み込むつもりなのだろう。カイトはそれが気に入らなか
ったし、他の仲間も同じだと思っている。自分たちは戦い続ける為
に反逆しているのではなく、あくまで平穏な暮らしを求めて戦わざ
るをえなかったのだ。
﹁俺達はまだいい。やろうと思えば何時でも安全な場所に行ける﹂
1478
ウィリアムの前では拒否もしている。
だが、彼がそう簡単に引き下がるとは思えない。どれくらいの執
念があるかは知らないが事と場合によっては、躊躇うことなくスバ
ル達に手を出してくるだろう。
戦いから遠ざけるのであれば、ここでスバルとマリリスを切り離
すのが一番ベストなタイミングだ。自分たちはその後でいい。
﹁はい、そこまで﹂
寒気から治まったばかりの身体で考えるカイトにでこぴんをかま
し、スバルは怒ったように言った。
﹁痛いぞ﹂
﹁あのね! もう俺達もここまで来た手前、引き下がれないでしょ
うが﹂
﹁しかし﹂
﹁しかしもへったくれもあるか馬鹿! 大体、今更アンタ等を放っ
たらかしにして、どっか行けるわけないだろ!﹂
それができたら、もうとっくの昔にそうしている。
今まで何度もそういう機会はあったが、その度に引き返しては酷
い目にあっているのだ。損な性格をしているとは思うが、自分の気
持ちに嘘をついて生きていくほどスバルもマリリスも器用ではない。
﹁オメーの負けだよ、カイト﹂
エイジがはにかみながら言った。
﹁こいつ等、もう俺達と一緒に死ぬ気らしいぜ﹂
1479
﹁いや、死ぬ気はないよ﹂
水を差すような一言に、エイジは困惑した。
本人としては、折角いい台詞を言ったつもりなのだろうが、台無
しである。
﹁俺達みんなで生きる。みんなと一緒でも、死ぬなんて真っ平御免
だ﹂
数日前、異国の地で新生物に飲み込まれた友人の姿を思い出す。
彼のことを思いだすと、胸が震える。なんでもっと上手くできな
かったんだろうと、自分の手を呪いたくなってしまう。
﹁だから、俺は俺のやれることをやるだけだよ﹂
﹁わ、私だって同じです!﹂
スバルの勢いに乗りかかる形でマリリスが続く。
﹁皆さんの足を引っ張らないよう、精一杯務めさせていただきます
から!﹂
﹁だってさ、カイちゃん﹂
跋が悪そうに座り込むカイトに向かい、シデンが言う。
言われた方とは対照的に、とても楽しそうだ。
﹁因みに、ボクは最初からみんなと一緒に戦い抜くつもりだよ﹂
﹁俺もだぜ!﹂
幼馴染もスバル達の側についてしまい、ますますカイトは立つ瀬
が無くなってきた。ややあってから、カイトは頭を押さえて言う。
1480
﹁わかった。もうこの手の話題は言わない﹂
指の隙間からちらり、とスバルの顔を見る。
小さなガッツポーズをとっていた。少し前、敵パイロットを殺し
たショックで悩んでいた姿が嘘のようだ。あれから様々な戦いに巻
き込まれ、慣れてしまったのだろうか。
だとすると、少し寂しいものだ。
自分の嫌なところをどんどん吸収していったような気がして、軽
い眩暈を覚える。
﹁その代り、やるからにはマジでやってもらうぞ﹂
﹁おう、任せとけ!﹂
妙にやる気に満ちた返事を受け取り、カイトは目を伏せた。
1481
第108話 vs再会
﹃遊園地﹄突入作戦。
旧人類連合側の代表にカイトが選ばれてから4カ月ほど経ったあ
る日のこと。スバルとシデンは改修が終わったという獄翼を見に、
フィティング艦内を訪れていた。
﹁クァー!﹂
﹁あ、どうも﹂
格納庫を訪れた少年を快く迎えるメカニック、本田ペン蔵。
不思議なもので、最初は何を言っているのかわからなかったのだ
が、交流を重ねていく内になんとなくわかるようになっていった。
進化って凄いと、切に思う。
因みにこのペンギン。艦長曰く、人間年齢で換算すると40代後
半らしい。その事実を突き付けられると、ついついお辞儀をしてし
まう。
﹁それで、どんな感じで改修が行われたの?﹂
シデンは挨拶も程々にし、早速生まれ変わった獄翼︱︱︱︱もと
い、マイホームの見学を提案する。
数日程度しか暮らしていないとはいえ、狭いコックピットでの生
活はそれなりに気に入っていたのだ。愛機というよりは、最早テン
トに近い感覚である。
﹁クァー! クァ!﹂
1482
ペン蔵に案内されるがままに二人は格納庫を歩いていく。
数分もしない内に獄翼が収納されたブロックに辿り着いたが、そ
こで二人は目を丸くした。
﹁うわぁ﹂
﹁あは﹂
マイホーム
4カ月前の新生物との戦いで無残な姿になった獄翼。
穴だらけになった腕は見事に修復し、傷だらけの胴体もぴっかぴ
かに輝いている。しかし、その中でもひときわ目を引いたのが、
﹁ペン蔵さん、背中にくっついてる飛行ユニットは今まで使ってた
奴じゃないよね﹂
﹁クァ!﹂
スバルの疑問に、ペンギンは首を縦に振った。
これまでの獄翼の背中には、箱のような形の飛行ユニットが取り
付けられていた。しかし、新生物との戦いで飛行ユニットは損傷。
結果として、破棄されることになったのである。
その代わり、新たに取り付けられたのが今の飛行ユニットだった。
これまでの飛行ユニットがランドセルだとすると、今回の飛行ユ
ニットはハングライダーのように見える。最初からウィングが展開
されており、出力を調整することで更に敏捷な動きや加速が可能に
なった、というのはペン蔵談だ。
﹁クァ。クァー!﹂
﹁まあ、そうだろうね。こんなおっきなウィングなんか付けたら目
立つし、出力も馬鹿にならないだろうし﹂
ただし、その分パイロットに求められる技能も跳ね上がる。
1483
Xでカイトを
強烈なGは既にカイトで慣れているとはいえ、それを制御できる
か否かはこれからの訓練次第なのだ。SYSTEM
取り込んだ際、スバルは全力の彼を制御したことはない。
﹁他に何か変わったところは?﹂
﹁クァ﹂
ペン蔵がハッチへと案内した。
実は回収が始まる前、シデンからある提案があがったのだ。
︱︱︱︱みんなで座るの狭いから、コックピット広くできない?
そもそもにして、獄翼はふたり用である。
ふたつしかない座席の後ろに敷き詰めた荷物を座布団代わりにし
て、ほか数人が座っていただけなのだ。
そこに、仲間たちがこぞって座ったとしよう。メイン操縦席に座
るスバルを含めて6人である。狭すぎるって話ではない。
﹁どう考えてもカイちゃんが後ろに入ったら、イルマちゃんも隣に
来るだろうからね﹂
﹁そこにマリリスも加わるであろうことを考えると⋮⋮入んなくね
?﹂
そう。入らないのだ。
4人の時点で既に限界があった。そこに少女とは言え、ふたりが
加わるスペースなんぞないのだ。
﹁クァ!﹂
﹁あ、やっぱりその辺の改修は無理だったんだ﹂
1484
残念そうに俯くペンギンを前にして、シデンは肩を落とした。
しかしながら、ペン蔵もプロのメカニックである。リクエストに
答えられなくても、妥協案くらいは実施している。
﹁クァ、クァー!﹂
﹁え、そうなの?﹂
梯子を伝い、コックピットハッチを開ける。
するとどうだろう。これまで何人もの新人類を乗せてきた後部座
席が、三つに増えているのだ。
﹁え、どうなってんのこれ!?﹂
中の光景を見たスバルが驚愕する。
見れば、三つの座席は並んでいるわけではない。一本の柱を囲む
ようにして取り付けられており、まるで三つ葉のクローバーのよう
にして並べられていた。
﹁クァ!﹂
コックピットに入り込み、ペン蔵がメイン操縦席へと座る。
ヒレを伸ばした。ボタンに届かない。しばしジタバタと動くペン
蔵。ややあってから、彼は名残惜しそうにしてメイン操縦席から去
った。
X起動アプリの下に新しいアプリが追加されたの
ペン蔵はコックピットから出ると、スバルへと向き直る。
﹁クァー!﹂
﹁SYSTEM
?﹂
1485
我ながらなんで言葉が理解できるのだろう、と不思議に思う。
彼らのジェスチャーは意外とわかりやすいとはいえ、ここまで正
確に理解できると、ちょっと気持ち悪い。
ペン蔵たちが聞いたら怒りだしそうなことを思いながら、スバル
はメイン操縦席に座る。実に4カ月ぶりの感触だった。
﹁さっき押そうとしてたボタンは、これか?﹂
明らかにタッチパネルとは別に新しいボタンが追加されており、
それを押してみる。
すると、だ。
正面モニターに3D映像が映し出された。後ろの後部座席の状況
である。見れば、ボタンを押したと同時に後ろの三つの座席が回転
し始めた。要は予め三人の新人類を座らせ、ボタン一つでラーニン
グ先を変更できるようにしたのだ。
﹁うわぁ! 楽しそう!﹂
メリーゴーランドのように回転する三つの座席を見て、目を輝か
せるシデン。彼はさっそくスバルの上を跨ぎ、後部座席の一つへと
着席した。
上を跨がれた際、ちょっとだけ良いにおいがした。スバルは僅か
に振りまかれたフェロモンを払うと、シデンに感想を求める。
﹁どんな感じ?﹂
﹁うーん。座席自体は前に座ってたのと比べても、あんまり違和感
はないかな﹂
それよりも、
1486
﹁さっきボクのパンツ見たでしょ﹂
﹁見てない﹂
﹁黒だけど﹂
﹁カミングアウトするなよ! アンタは俺に何を求めてるんだ!﹂
﹁新鮮なリアクション﹂
真顔で即答されてしまった。
どうやらこの男女の期待を裏切ってしまったらしい。いや、だか
らといって、どうということはないのだが。それでも、男とわかっ
ていて赤面してしまうのが悲しい。
﹁そういうのは俺じゃなくて、カイトさんとかに言ってくれよな。
あの人のを見れた方が面白いんじゃないの﹂
﹁確かにカイちゃんのウブな姿を見れたら楽しいけど、そんな暇も
ないからねぇ﹂
神鷹カイトは今、旧人類連合の代表として引っ張りダコである。
一応、疫病神のジンクスを打ち消す為にエイジとイルマを付き添
わせているとはいえ、この数カ月はまともに顔を合わせることも少
なかった。少し前まで、毎日顔を合わせていたのが嘘のようである。
﹁まあ、忙しい原因はどう考えても最初の会議でしょ﹂
シデンが懐かしむようにして虚空を見上げた。
言われた出来事を思い出し、スバルも眉をひそめる。
彼は少し前に起きた、﹃あるトラブル﹄のことを、ゆっくりと思
いだし始めた。
1487
新人類軍と共同作戦において、両者の意思疎通は避けては通れな
い道である。カイトは反逆者一行とイルマを引き連れ、会議の席に
ついていた。
﹁ねえ、エイジさん。本当に大丈夫だと思う?﹂
席に座り、新人類軍側の代表者たちの到着を待つまでの間、スバ
ルは横に陣取るエイジに小声で話しかけた。
何を隠そう、今回の会議場所は新人類軍側の領域で開かれている。
つまり、つい先日まで敵だった国の陣地へと招待されているのだ。
リバーラ王との条約締結が旧人類連合の領域で行われた為、今回
はこちらで行おうという提案である。
﹁ま、流石に条約がある以上は問題ないと思いてぇけど⋮⋮いかん
せん、相手があの王だからなぁ﹂
ぼやきが聞こえたのだろう。
リバーラ王の人格を知るカイトとシデンも、途端に難しい表情に
なった。
﹁これがタイラントやグスタフあたりだと、まだ信頼できる﹂
﹁そうだね。昨日の約束もその場の気分で無しにするような人だか
ら﹂
嫌な信頼感だった。
小さい頃に王と交流がある者はみんな、そのような感想を持って
いる。
1488
﹁しかし、あれを放っておけば新人類王国にとっても痛手なのは事
実です﹂
カイトの後ろに控えるイルマが、はっきりと言った。
﹁実際、新生物との戦いでミス・タイラントも戦闘不能に陥ってい
ます。彼女の影響力は相当なものです﹂
﹁同種なのかは知らんが、そういった生命体が見つかったら駆除は
必至⋮⋮そういうわけか﹂
ここで問題になるのが、新人類王国がより確実な手段をとるのか、
それともプライドを大事にするのかと言う点である。
前者なら、多分共同戦線は順調に運んでいくはずだ。彼らの最大
の問題は人材不足である。下手に兵を危険な目に会わせたくはない。
仮に後者であるなら、面と向かってそう言ってきてもおかしくは
ないだろう。新人類王国とはそういう国だ。
﹁でも、それって会話からわかりそうなものなの?﹂
﹁それでも実際に顔を見て、話してみないことにはわかんねぇよ﹂
エイジが尤もな台詞を吐いたと同時。
彼らの正面にある自動ドアがゆっくりとスライドした。その奥か
ら現れたのは、つい先日に会ったばかりの王国兵である。
﹁タイラント﹂
﹁⋮⋮待たせたな﹂
むすっ、とした表情でタイラントが会議室へと入室する。
彼女を先頭とし、何人かの王国兵が続いた。その中にはスバルも
1489
見知った顔がある。
﹁あ、あんたら!﹂
﹁どーも﹂
﹁⋮⋮ご無沙汰してます﹂
タイラントのすぐ後ろについてきたメラニーとシャオラン。この
二人の顔はスバルの中では記憶に新しい。
だが、その後に続いて入室してきた、黒のゴスロリ服に身を包ん
だ少女は知らない顔だった。顔つきを見た感じ、東洋人っぽい。年
齢も多分、幼い方であると思う。少なくとも並んで見る分ではメラ
ニーとそうは変わらない身長だ。
﹁はぁい、みなさん。久しぶりぃ!﹂
やけに陽気な声で少女が語りかける。
タイラントに負けず劣らずの長い黒髪をかきあげつつも、彼女は
カイト達へと視線を向けた。
﹁⋮⋮お前、アキナか﹂
﹁へぇ、でっかくなったな﹂
﹁良いセンスの服着てるね。どこで買ったの? しまむら?﹂
カイト達、元XXXの面々が三者三様の感想を漏らした。
どうやらこのアキナと言う少女も、カノンたち第二期XXXの一
員らしい。しかし、アキナの態度にスバルは少しばかり違和感を覚
えていた。
と、いうのも。
カノンやアウラのように、カイトに対して何かしらに執着を持っ
ているようには見えなかったのである。一応人間関係的に言えばそ
1490
れが普通ではあるのだが、これまで出会ってきた新人類がそれなり
にぶっ飛んでいた為、なにかしらの異常性癖でも持っていないと違
和感を覚えるようになってしまったのだ。慣れとは恐ろしい。
﹁代表はお前か、タイラント﹂
そんなスバルの思考を余所に、カイトは淡々と進めていく。
久々に会った元部下のアキナと話す事も無く、彼はタイラントを
睨んだ。
﹁残念だが私ではない。お前も良く知っている奴だ﹂
﹁なに﹂
かつん、と音が鳴った。
自動ドアの奥から最後に現れた王国兵が、軽い足音を鳴らして会
議室へと足を踏み入れる。
﹁ええっ!?﹂
﹁うっそ!?﹂
﹁まさか!﹂
だが、﹃彼女﹄が入室したその瞬間。
会議室は騒然とした。正確に言えばスバルとエイジ、シデンが仰
天としていただけなのだが、彼らのリアクションだけでも十分会議
室には響き渡っている。
﹁お知り合いですか?﹂
マリリスがきょとん、とした表情でカイト達を見やった。
しかし、彼女の疑問にカイト達は答えない。
1491
代わりに答えたのは、入室してきた張本人だった。ソイツは綺麗
にカットされた金髪の奥に潜む、淡いブルーの瞳をカイトに向け、
言った。
﹁お久しぶりです、リーダー。私を覚えていらっしゃいますでしょ
うか﹂
その声を聞いた瞬間。
カイトは己の胸が焼けつくような熱に支配されたのを感じた。ゲ
イザーにかけられた﹃病気﹄とは違う、もっと別な何か。
例えるのであれば、身体中の血液が逆流していくような気持ち悪
さ。カイトは喉までやって来た不快感を必死に抑えつつも、女の姿
を見る。
そいつの言葉は、耳に入ってこなかった。
ただ、第一声とその容姿だけが自分をどんどん追い詰めていくの
だけを感じる。
女はそんなカイトの様子に気付かず、ただ笑顔を振りまいていた。
﹁私です。アトラス・ゼミルガーです﹂
﹁アトラスぅ!?﹂
﹁ど、どうしたのその恰好!﹂
﹁生まれ変わったんですよ、リーダーの為に﹂
あっさりと言ってのけた仰天の台詞も、カイトの頭には入ってこ
ない。
彼の意識を支配するのはただ一つ。6年前、目の前にいる女と全
く同じ形をした女が、自分に銃を向けたこと。
﹁そう、私はリーダーの為に全てを捧げたのです﹂
1492
捧げた。
そう、確かに捧げた。カイトはかつて、彼女に自分の人生の全て
を捧げたのだ。だが、その気持ちが実る事は無かった。彼女はそん
な自分に銃を向けて、引き金を引いてきたのだ。
当時の痛みが、今になって疼き始める。
﹁⋮⋮︱︱︱︱﹂
﹁え?﹂
カイトの口から、小さな言葉が紡がれる。
だが、あまりに小さすぎる声は、彼女の姿をした何かには届かな
い。女の浮かべている笑顔が、カイトの神経を逆撫でした。
﹁出ていけ!﹂
声を大にして、今にも飛びかからん勢いで爪を伸ばす。
スバルとエイジ、シデンの三人が総動員になってカイトの身体を
押さえこんだ。がっしりとホールドされた青年が、気が狂ったよう
に吼える。
﹁消えろ! 消えろ!﹂
﹁お、落ち着け!﹂
﹁カイちゃん! 大丈夫。あれはエリーゼじゃないよ!﹂
耳元で宥める友人たちの声も、耳に入っていない。
カイトは敵意丸出しの視線をアトラスに向け、言った。
﹁今更、俺に何の用だ!﹂
﹁わ、私は⋮⋮﹂
1493
視線を向けられたアトラスも困惑している。
彼だけではない。アトラスと同じくカイトの部下であったアキナ
でも、こんなにヒステリックになった元上司の姿は初めて見る。
アキナの記憶の中でも、カイトがエリーゼに抱いている感情は明
らかな恋心以外の何物でもなかった。それが6年経てば、消えろと
までいう始末である。一体この6年の間に、彼らの間に何があった
と言うのだろう。考えたところで、アキナには想像も及ばないこと
だった。
﹁消えろ!﹂
﹁⋮⋮はい﹂
しゅん、と悲しそうな表情で俯いた直後、アトラスは会議室から
静かに退出した。
﹁ごめん、タイラント。後、宜しく!﹂
﹁わ、わかった﹂
呆然としているタイラントに会議室のことを任せると、アキナは
アトラスを追った。自動ドアを出てすぐのT字路の前で、彼は倒れ
込んでいた。すすり泣く様な音が、伏せられた顔から空しく響く。
﹁⋮⋮アキナ、頼みがあります﹂
﹁なに?﹂
顔を伏せたままで、アトラスは同級生へ懇願する。
﹁ハサミを持ってきてください﹂
﹁別にいいけど、どうするつもり?﹂
1494
訝しげに向けられた視線に気付いたのか、アトラスはゆっくりと
アキナに振りむいた。
顔面蒼白とは、まさにこんな表情を言うのだろう。
溢れ出した涙は滝のように流れ落ち、悲しみの感情を表に出しな
がらも、表情は一斉の変化がない。
﹁受け入れられなかったんです。もうこんな女、不要だ﹂
ぞっ、とする程に寒気がする瞳。
向けられただけで凍り付いてしまいそうなそれを見た瞬間、アキ
ナは有無を言わずに走り出していた。
結局、その後アトラスは自室に閉じこもって会議は中断となった。
その時の亀裂が原因でタイラントの事情説明や、予定のズレが起
きてしまい、カイトは大忙しの生活を送る事になる。
だが、その後の会議にアトラスが顔を出したことは一度もない。
作戦決行までの間に何度も行われた定期会議だが、新人類軍側の代
表の席は常に空席のままであった。
この4カ月の間だけではない。
その次も。更にその次も。アトラスは定期会議に顔を出さなかっ
た。
そうやって時を重ね、最後の定期会議も終わり。
遂に、作戦決行の時が来た。
1495
第109話 vs最終確認
時刻は正午。
この日、戦艦フィティングの格納庫ではこれから行われる﹃遊園
地突入作戦﹄の最終確認が行われていた。
作戦決行の三時間前のことである。
﹁言うまでもないが、俺達の最終目的は遊園地ではなく、あくまで
怪獣だ﹂
格納庫に集う乗組員たちの正面に立ち、パイロットスーツに身を
包んだカイトが説明を行う。放っておけばそのままヘルメットを被
り、バイクで走り出しそうな衣装である。だが、今この場に限って
言えば、彼の服装は正装であるといえた。
フィティングの格納庫に置いて、パイロットスーツを着用してい
ない者はいない。それこそ、着用していないのは動物やキャプテン
だけだろう。
﹁今回の作戦では目的をハッキリさせる為に、場所と目標の名前を
きちんと区別することにした。目的地は﹃遊園地﹄。目標は﹃星喰
い︵スターイーター︶﹄と命名している﹂
放っておけば住処の山がどんどん広がり、地球自体が呑み込まれ
るであろうという予想から生まれた名称だった。集まった兵達の中
に紛れ込んでいるスバルも、その名前を耳にした瞬間、嫌でも実感
する。本格的に地球の命運を分ける戦いなんだ、と。
﹁場所はグルスタミト。ヴァージニア州にある立入禁止区域だ。遊
1496
園地がある山を取り囲む形で、俺たちと新人類軍の艦が並ぶ﹂
そうやって、山から出てきた怪獣を一網打尽にする準備を整える。
逃げる場所など無い様、空の向こうから衛星も目を光らせているほ
どだ。
だが、これはあくまで前準備である。
真剣な作業が待ち構えているのは、ここからだ。
﹁今回の作戦の肝は、星喰いを山の中から誘き出すことにある。ま
ず、最初にこちらから4機。新人類軍から4機、先行部隊が穴の中
に突撃を開始する﹂
カイトは目の前に並ぶ屈強な兵士たちを一瞥すると、突入メンバ
ーを一人ずつ発表していった。
﹁オズワルド・リュム大尉﹂
﹁はっ!﹂
初老の白人男性が敬礼し、僅かに一歩前に出る。
彼は5年前に遊園地へと辿り着き、五体満足で生還できた唯一の
兵士だった。今回の作戦は彼が入った穴の中に再び突入する為、必
然的に経験者が選ばれる。しかし、オズワルドが突入メンバーに選
ばれた理由はそれだけに留まらない。
彼はスバルを含んだパイロットたちとの演習で高い得点を獲得し、
見事突入隊の指揮官に任命されたのである。要するに、経験と技術
のふたつを兼ね揃えているのだ。これにはスバルも文句はなく、拍
手を送らざるを得ない。本職とはいえ、彼がブレイカーのゲームで
旧人類と引き分けたのは始めてだった。
﹁次。蛍石スバル﹂
1497
﹁お、おう!﹂
﹁スバル君。敬礼しておきなって。凄く浮いてるから﹂
名前を呼ばれて、反射的に身体が震えたスバルを、シデンが小声
で諭した。
そのアドバイスを受け、少年はぎこちない敬礼を作ってみせる。
周囲の兵士たちは、民間人である彼の存在になんの疑問も抱いてい
なかった。彼らは皆、ウィリアムの術に落ちた扱いやすい兵なので
ある。
しかし、彼の目に適っただけあって、ブレイカーの操縦に関して
はプロフェッショナルだ。そんな中でトップクラスのオズワルドと
引き分けたスバルの存在は、徐々に彼らに受け入れられていった。
小さな拍手が沸き起こり、少年のメンバー入りを歓迎する。操られ
ているとはいえ、中々気のいい連中だった。
﹁尚、搭乗される獄翼には、更に3人乗る﹂
今回ラーニングすることができる新人類の紹介だ。
ここに関しては、スバルも最後まで聞かされていなかった。彼は
オズワルドの隣で固唾を飲みながらも、カイトの言葉を待つ。
﹁パターン1、マリリス・キュロ﹂
﹁は、はい!﹂
名前を呼ばれたマリリスがスバルの隣へと移動した。
余談だが、フィティングの格納庫に集められた戦士たちはその9
割が男性である。残り1割に女性もいるのだが、パイロットという
職業柄か、中々屈強な女性が揃っているのである。きっつい眼光と、
鍛え上げられたボディが男たちを寄せ付けない。
そんな環境の為か、マリリスの登場は男たちから盛大に歓迎され
1498
た。ぴちぴちのパイロットスーツに、男たちによる野獣のような視
線が突き刺さる。いたたまれないような表情で困惑しつつも、マリ
リスは堪えた。
だが、そんな視線も司令官の次の一言で別の方角へ向けられる。
﹁パターン2、俺﹂
ここは鉄板の選択肢であった。
なんやかんやでカイトと組むのが一番落ち着くし、戦闘スタイル
も一番合っている。なによりオズワルドに何かあった際、彼が直接
指示を出せるメリットがあった。
﹁パターン3、エレノア・ガーリッシュ﹂
﹁へ?﹂
3人目の名前が発表された瞬間、スバルは間抜けな声をあげた。
だが、彼の困惑に誰もつっこまない。そのまま少年の疑問を押し
流すようにしてカイトは続けた。
﹁スバルに続く突入メンバーを確認する。3人目はカルロ・シュバ
イカー少尉﹂
﹁はっ!﹂
カルロ、と呼ばれた黒人青年が前に出る。
スバルはこの数カ月の訓練で、今回の突入メンバーと交流があっ
た。当然、カルロともある。だが、彼との会話は最低限のものだけ
だ。
プライベートに関する会話は他の二人と比べても一切なく、ただ
寡黙だったのである。長めの黒髪なのもあり、なんとなくカイトに
似てるというのがスバルの印象だった。
1499
﹁そして最後の一人は、ミハエル・リオルド曹長﹂
﹁はっ!﹂
やや幼さを残した声が格納庫に響く。
屈強な戦士たちの中から選ばれた、小柄な少年。オズワルドと並
んだら完全に父親と息子にしか見えない彼こそが、最後の突入メン
バーであった。
少し補足説明をしておくが、旧人類連合においてブレイカーの操
縦資格は﹃曹長﹄以上の階級にのみ与えられる。ミハエルやスバル
べにくじゃく
のような、ブレイカーが操縦できる少年兵はこうした理由で曹長の
権限が与えられている。
﹁スバル以外の三人には新人類連合の新型ブレイカー、﹃紅孔雀﹄
が支給されている。各自、機体チェックは怠るな﹂
﹁はっ!﹂
三人の突入兵が一斉に返事をした。
カイトの言葉の意味は、ウィリアムの術にかかっていながらも理
解しているのだ。今は味方とはいえ、仮にも敵からのプレゼントで
ある。出撃前に用心をするにこしたことはないのだ。
一応、中身を念入りに調査して自爆装置などが無い事は確認して
いるが、それでも用心を怠るべきではないというのが彼らの考え方
だった。ただ、紅孔雀の性能は確かである。何度か演習でスバルも
操縦したが、加速力、攻撃力を比べても獄翼と引けを取らない。寧
ろ飛行ユニットが接続型ではなく、直接固定されているタイプであ
ることを考えれば、獄翼よりも操縦が楽であると言えた。
僅か6ヶ月で、よく1から機体をロールアウトしたもんだと、素
直に思う。
1500
﹁この第一突入部隊が遊園地に突入。女を発見次第、現われるであ
ろう星喰いに狙いを定める﹂
﹁もしも女を発見して、星喰いが現われなかった場合は?﹂
スバルが質問する。
まだ質疑応答の時間ではなかったが、カイトは特に咎める事もせ
ずに説明しはじめた。
﹁女と会話を試みる。いない場合は遊園地を徘徊し、女を見つける﹂
﹁遊園地に攻撃はしないのですか?﹂
﹁恐らくだが、あれは意思を持っている﹂
カイトは知っている。トラセットの新生物は会話するくらいには
コミュニケーション能力が発達していた。
新生物は意思が安定していなかったが、果たして今回も同じかは
わからない。
﹁可能であれば、話し合いで何とかしたいと思ってる﹂
﹁それは新人類軍側も承知ですか?﹂
オズワルドが真剣な表情でカイトに視線を向ける。
過去に仲間を殺された恨みもあるのだろう。僅かながら憤慨を、
カイトは受け取っていた。
﹁ああ、向こうも承知済みだ。意思疎通が可能で、退いてもらえる
のであればそれにこしたことはない﹂
要するに、可能であれば地球から出て行ってくれないかと交渉し
ようというのである。それが叶わなければ、実力行使。
なんとも自分勝手な話だが、それだけ危険視しているのだ。寧ろ、
1501
新人類軍が星喰いを逃がすのを許したのが意外だった。
﹁よくあの王が許したよね﹂
﹁恐らく、リバーラ王というよりは兵の総意に近い筈だ。連中も新
生物の一件であの手の化物の相手はしたくない筈だからな﹂
それに、実際に宇宙に逃げられたら手出しは出来ない。
言い訳は幾らでもできてしまうのだ。
﹁作戦開始時間は午後3時ジャスト。先発隊が入った後、30分経
過するか、連絡を入れ次第、第二部隊が突入する﹂
カイトが先程と同じ様に、次なる突入部隊のメンバーを確認して
いく。
そんなことしないでもすぐに突入すればいいかもしれないが、い
かんせん山の中の穴が狭いのだ。ミラージュタイプが入って、激し
く動き回るスペースもない。10機以上のブレイカーが一斉に突撃
したところで、トラブルに対応できず、ドミノ倒しのように倒れて
いくのは目に見えていた。
トラブルが起こる事が前提条件なのが悲しいが、相手が既にトラ
ブルの化身のようなものなので、あまり変わりはしないだろう。
﹁第二部隊には、新人類王国側の代表も突入する手筈になっている。
山脈を破壊するのは第二部隊の仕事だ﹂
その言葉が紡がれた瞬間。
スバル達の表情が僅かに変わった。カイトについていき、最初の
会議に参加した面々は知っているのだ。向こうの代表と、大きなト
ラブルがあったことを。
1502
彼女は︱︱︱︱いや、彼は最後の会議の出席せず、部屋に閉じこ
もっていたらしい。
﹁来れるの?﹂
﹁⋮⋮さあな﹂
拒絶した張本人の態度は、あくまでそっけない。
あの後知った事だが、エリーゼの恰好をした人物は第二期XXX
で、シルヴェリア姉妹以上にカイトに敬愛の情を抱いていた人物な
のだと言う。
自分を丸ごとエリーゼにしてしまった狂気の沙汰には、彼をよく
知るエイジとシデンもドン引きしていた。カイトに至っては、完全
に錯乱した始末だ。
﹁フォローしてあげた方がいいんじゃない?﹂
﹁⋮⋮面と向かう勇気はない﹂
司令官という立場の癖に、兵士たちの前で堂々と弱気な発言をし
てしまった始末である。彼らはウィリアムの力に陥ってカイト達の
存在に特に疑問を抱いていないとはいえ、司令官のテンションが低
くなると流石に不安になってくる。
﹁とにかく、その件は後だ。名前を呼ばれなかった者は山で待機。
状況が変わり次第、イルマとダックに指示を与えるからソレに従え。
何か質問がある奴はいるか?﹂
﹁はい﹂
一通り作戦会議が終わった後、太い腕が伸びた。
カイト達は一斉に振り向く。セーラースタイルから溢れんばかり
の筋肉を曝け出したままの姿で、フィティング艦長のキャプテン・
1503
スコット・シルバーが挙手していた。
﹁はい、キャプテン﹂
﹁待っている間、俺は何をすればいいんだ?﹂
﹁ビルドアップでもしておいてくれ﹂
﹁がっはっは! 任せろ、得意分野だ!﹂
得意分野を任され、急に元気になって笑い出すハゲ頭のマッチョ
マン。
格納庫の電灯によって照らされた、ぴっかぴかの胸板が妙に眩し
い。正直に言って、目に悪かった。
余談になるが、カイトは指揮を出す立場にある手前、フィティン
グのブリッジメンバーとある程度の交流を深めている。その中で彼
が学んだのは、意外とブリッジを任せられた猛禽類たちが、ジェス
チャー上手だと言う事。
そして艦長であるスコットが、翻訳以外はビルドアップしている
だけだということだ。
カイトはスコットに対し、何も期待していなかった。
1504
第110話 vs女難
アメリカ、ヴァージニア州にはグルスタミトと呼ばれる立入禁止
区域が存在している。現在、そこにそびえ立つ銀の山を取り囲むよ
うにして旧人類連合の飛行戦艦と新人類王国の飛行戦艦が並んでい
た。
傍から見れば、これから戦争でもおっぱじめるのかと思える光景
だが、彼らの目的は共通である。
﹁発進準備は出来てる。何時でもいけるぞ﹂
そんな飛行戦艦の中の一つ、フィティングの格納庫ではスバルが
愛機のコックピットに座り、シートベルトを整えたところだった。
背後の三つの後部座席にはマリリスとカイト、エレノアが座って
いる。
﹁てか、この人本当にいたんだ﹂
スバルは振り返らないまま、さも当然のように居座っているエレ
ノアへと言う。少し前、彼女に殺される一歩手前まで追い詰められ
ていたのだ。そんな相手が背後にいると思うと、気が気ではない。
余談になるが、彼女が憑依している人形はアキハバラやトラセッ
トで現れたのと同じタイプの物である。ゆえに、カイトはこの人形
をエレノアだと認識できたのだが、スバルとマリリスは﹃誰だアン
タ﹄と突っ込んでしまった。
﹁うふふ、カイト君がいるなら、当然、私もそこにいるんだよ﹂
1505
笑顔でとんでもないストーカー発言をぶちまけた。
カイトが項垂れているのがわかる。振り返ることなどしなくても、
彼女の発言が同居人にどういう影響をもたらすのか、知っているつ
もりだった。
﹁カイトさん。この方はカイトさんの恋人さんですか?﹂
シートベルトを締めたマリリスがエレノアの顔を観察しながら、
とんでもない質問をぶちかます。その質問は、ある意味ではミサイ
ル級の破壊力だ。カイトがエレノアのことをどう思っているのか、
スバルはよく知っていた。
だが、よく知っているからこそ疑問に思う。
なんでまた、エレノアを乗せることを提案したのか。彼女がここ
にいることに関してはもう﹃カイトのストーカー﹄だからとしか言
いようがないので、深くは考えないことにしたのだが、その辺だけ
が解せない。
﹁マリリス、もう一度同じことを聞いたらお前の口を剥ぎ取る﹂
﹁ええっ!? え、と⋮⋮じゃあ、お友達ですか!?﹂
﹁帰ったら口を裁縫で縫ってやる﹂
﹁そんな!?﹂
スバルが黙って考察している間にも、カイトはマリリスに対して
あんまりな仕打ちを敢行しようとしていた。
まあ、一般的に考えて嫌いな相手と恋人なり友達と勘違いされた
ら、いい気分はしないだろう。しかし冷静になって考えてみると、
そんな相手を同席に乗せるような真似はしない。
﹁嫌いな奴なんでしょ。なんで乗せたのさ﹂
﹁こいつが人間じゃないからだ﹂
1506
理由としては、比較的あっさりとしたものだった。
あまりに淡々とした言葉を受けてエレノアは肩をすくめる。
﹁素直じゃないなぁ。みんなの前だからって遠慮することはないよ。
言っちゃいな、私と一緒じゃないと不安で仕方がないから乗せたっ
て﹂
﹁例のゴンドラ女に睨まれても、人形のこいつなら効果がないかも
しれない。それに、いざとなれば糸を伸ばして遊園地中を探索する
ことができる筈だ﹂
﹁いけずなところも好きだよ﹂
エレノアの台詞をことごとくスルーしたカイトを見て、マリリス
はこのふたりの関係を大雑把に察したらしい。気まずそうな表情を
作ると、エレノアから視線を背けた。
﹁新人類王国の方はもういいわけ?﹂
﹁私は元々囚人だからね。君たちに負けた後、適当に逃げてきたん
だ。そしてイルマ君にスカウトされて、今ではカイト君の専属人形
師⋮⋮あ、ごめん。言ってたら興奮が抑えきれなくて口の辺りから
色んな体液が﹂
﹁涎は自分で拭けよ﹂
まあ、こんな感じのやり取りをしていく内に、スバルはこの人形
師が相変わらずであることを理解する。変わらずカイトのストーカ
ーなので、彼の隣の席に座るだけで、恍惚とした表情を浮かべたま
まガタガタと震えていた。少し振動が伝わってきて、気持ち悪い。
だが、そんなやり取りをしていく内に、刻一刻と時間は過ぎてい
く。
1507
﹃がっはっは! 諸君、作戦開始5分前だ!﹄
正面モニターがブジッジにいるキャプテン・スコット・シルバー
の暑苦しい姿を映しだした。横には団扇を携えたイルマとエイジ、
シデンがマイペースに煽いでいる。どうやらブジッジの体感気温は
こちらの想像以上らしい。
﹃ボス。新人類軍から連絡が入りました、向こうの先発隊も準備が
完了しているそうです﹄
﹁了解した。外の方は任せるぞ﹂
イルマとシデン、エイジの三人は第二突入部隊にも参加しない。
彼らの役目は外の防衛と、星喰い︵スターイーター︶が外に出てき
た際の総攻撃だ。
﹁第一突入部隊、発進用意﹂
カイトの命令に従うように、格納庫からブレイカーが移動してい
べにくじゃく
く。リフトに乗り、出撃カタパルトの上に乗った獄翼。既に先頭に
は﹃経験者﹄であるオズワルドの紅孔雀がおり、後ろにはカルロと
ミハエルの機体も並んでいる。
新型ブレイカー、紅孔雀について解説しよう。
紅孔雀は新人類王国産のミラージュタイプで、今回の作戦の為に
開発された機体だ。経緯が経緯な為、生産された数には限りがある
が、その分高い運動能力と、高威力の武装を兼ね揃えている。
その特徴は、飛行ユニットを接続していない点にあると言っても
過言ではない。元々ミラージュタイプは装備のカスタマイズ性が売
りなのだが、紅孔雀は飛行ユニットを含め、全て固定装備で固めら
1508
れているのだ。
ウィング
その名の通り、孔雀のように広がる翼。
脇に抱えるエネルギーランチャー。腰に携えたアルマガニウム製
の剣。どれをとっても一級品である。想定相手が同じブレイカーで
はなく、﹃巨大な怪獣﹄であるからこそ、高威力と高出力が求めら
た。その結果であるといえる。
﹃カウントを開始するぞ!﹄
モニターに映るスコットがマッスルポーズを決めながら、秒読み
に入る。
あまりに暑苦しいので、カメラの位置を移動させてほしかった。
だが、パイロットたちの願いも虚しく、スコットは元気よくポーズ
を決めて秒読みする。
大人しくカイトの命令通りにビルドアップ﹃だけ﹄しておけばい
いものを、と叫びたい気持ちがあったが、スバルの心の中にしまっ
ておいた。
﹃3!﹄
直後、スコットの上半身を包んでいたセーラースーツが、胸板に
よって弾け飛んだ。
﹃2!﹄
スコットの巻いていたベルトが千切れ、カメラにぶつかった。
﹃1!﹄
スコットのツルピカ頭が、午後の太陽に照らされて眩く輝く。
1509
﹃作戦開始ぃ!﹄
スコットの怒声にも似た大声が響いたと同時。
獄翼の前に並んだ紅孔雀のウィングが光を放つ。
﹃オズワルド機、出撃するぞ!﹄
ベテランパイロットを乗せた、赤い孔雀が飛び立った。
それを見たスバル。初めて目の当たりにする﹃巨大ロボットの発
進シーン﹄に感動しつつも、自分も続く。
﹁蛍石スバル。獄翼、いっきまーす!﹂
一度言ってみたかった台詞を吐きだした直後、獄翼がカタパルト
の上を滑りだす。アニメで見たロボットアニメの名シーンを思い出
しながら、スバルは笑った。
﹁いやっほーい!﹂
やけにテンションの高いスバルの勢いに釣られるようにして、獄
翼が飛翔する。
その光景を見た、後部座席の三人は同時に思った。
楽しそうだなコイツ、と。
﹁はしゃいでるところ悪いが、目的地までは緊張感を持ってくれよ﹂
﹁わかってるってぇ!﹂
絶対わかってないな、とカイトは思った。
彼はこめかみを抑えつつも、先行するオズワルドに通信を送る。
1510
﹁オズワルド、新人類軍の機体は見えるか?﹂
﹃もう肉眼で捉えることができている﹄
﹁オーケーだ。合流次第、穴へと向かう。手筈通りに先頭は任せる
ぞ﹂
﹃了解だ﹄
そのやり取りの後、フィティングから出撃した4機は銀色に輝く
山の上空で新人類軍の突撃メンバーと合流。7機の紅孔雀と獄翼は
5年前にオズワルドが通った穴の中へと移動を開始した。
突入から間もなくした後、オズワルドは全機に声をかける。
﹃一応言っておく。5年前、この穴は遊園地に繋がっているだけだ
った。だが、あれからどんな変貌を遂げたか分からない。みんな、
注意して付いてきてくれ﹄
﹃了解した﹄
﹃わかりました﹄
カルロが真っ先に返答し、その後新人類軍を代表して女が返答す
る。
その声にスバルは聞き覚えがあった。シャオランだ。バトルロイ
ドのモデルとなった機械女が、新人類軍側の突入部隊に抜擢された
のだ。
半年前のアキハバラで遭遇した際、カイトがどんな酷い目にあっ
たのかは今でも鮮明に覚えている。
﹃スバル君﹄
そんな事を考えていると、獄翼のもとに通信が入る。
獄翼の後方からついてきている、ミハエルからだった。幼さを残
1511
した少年兵は、数少ない同年代の少年に言う。
﹃新人類軍の方は、あまり気にしない方がいいと思うよ﹄
﹁でも、今は味方だぜ﹂
﹃今は、ね。信用しすぎると、後で背中から撃たれちゃうかもって
話だよ。さっきも司令官が話してただろ﹄
後ろに本人がいるのだが、その辺はお構いなしでミハエルは続け
た。
カイトも特に突っ込む気はないらしい。彼は黙って腕を組み、後
部座席のモニターと睨めっこしていた。
﹁わかってるけどさ。知ってる奴がいると、どうしても意識しちゃ
うんだよな﹂
﹃知り合いなの?﹄
﹁まあ、前にちょっとね﹂
スバルとミハエルは、同世代というのもあって雑談を交わす仲だ。
アスプルを失い、カイト達とも年が離れている為、もう少し話や
すそうな相手がいるのではないかとカイトが感じ、ウィリアムに手
配した結果だった。無論、スバルがそれを知る術はない。
﹁つぅかさ﹂
そんなスバルが、途端に半目になる。
彼はシャオランを始めとした、この作戦関連で出会った女性たち
の顔を思い出しながらも、カイトに向けて言った。
﹁カイトさん。アンタ幾らなんでも、女運なさすぎだろ﹂
﹁うるさい。気にしてるんだ﹂
1512
思い返せば、今回の件はカイト関連のいざこざを抱えた女が多い。
アトラスなんかがその代表例だ。実際は男なのだが、スバルはそ
の辺の事情を知らないので、特に何か言う必要はないだろう。
﹁カイト君、ダメだよ私を蚊帳の外にしちゃあ﹂
隣で退屈そうに足を組むエレノアが、流し目でカイトを見る。
﹃ボス。そちらは今のところ何も問題ないでしょうか。流石にエレ
ノアの隣に座るのは、衛生管理上よろしくないかと思います﹄
いきなり通信に割り込み、イルマが一方的にカイトに問う。
﹃やあ。お久しぶり。君の味は美味しかったよ。また味わいたいな。
あじわいたいな。アジワイタイナ?﹄
これまた通信に割り込み、シャオランが安定しない口調で話しか
け始めた。
なんというか、濃い。
各々独自のオーラを放っている為か、スバル達は一瞬ながら身震
いしてしまった。
傍から見れば、カイトが三人の女に好意を寄せられているように
見えなくはない。
見えなくはないが、しかし。彼女たちの背後にある感情をある程
度知っているスバルとしては、全く羨ましくない光景だった。
一人は欲望の赴くままに。
一人は忠誠心の叫ぶままに。
1513
一人は減ることのない食欲を満たすために、カイトを取り囲んで
いる。
そんな黒い渦のど真ん中に巻き込まれたカイトを、羨ましがるな
んてできなかった。むしろ、深い同情すら覚える。彼にはエリーゼ
と言う前例もあった。
たぶん、この先ずっと女運に恵まれないんだろうな、と思いなが
らスバルはぼやく。
﹁カイトさん。せめて幸せになってくれ﹂
﹃司令官。ご武運をお祈りします﹄
﹁おいこら﹂
年下の少年たちからあんまり嬉しくないエールを貰ったカイトは、
半目になって抗議した。
余談だが、このやり取りが続く間、マリリスはずっと﹃3人、い
や4人もの女の人を泣かせたんですか!? 不潔です﹄などと大変
な勘違いをしていたのだが、その誤解が解けるのはまた別の話であ
る。
1514
第111話 vs遊園地
べにくじゃく
穴の中に突入して、どのくらいの時間が経ったのかは覚えていな
い。
スバルに出来る事は操縦桿を握り、前を進むオズワルドの紅孔雀
についていくだけだった。今は前進することが彼の仕事なのである。
だがその仕事も、間もなく終わりを迎えようとしていた。
﹃見えたぞ!﹄
オズワルドが前方に見える光を捉え、全機に発信する。
程なくして、8つの機影は光の中へと飛び込んだ。直後、出口と
思われる光が嘘のように消え去り、一瞬にして闇が空間を支配する。
﹁えっ!?﹂
一応、何度か映像は見せてもらっている。
穴の中に入ったら、その奥には空と大地と遊園地があることくら
い知っているのだが、実際目の当たりにするとどうしても驚いてし
まう。不思議の国のアリスとは、正にこのことだった。
﹁現在、15:21です﹂
後部座席の一つに陣取るマリリスが時計と睨めっこし、報告する。
穴の中に広がる世界は、太陽の光が一切あたらない夜の世界だっ
た。上を見れば雲はあるが、暗闇だけが覆っている。
いや、一つだけ光はあった。
1515
森の中にぽつんと存在する、遊園地。アトラクションに取り付け
られた無数のライトが眩く輝き、存在感をアピールする。
﹁オズワルド。あれが目標で間違いないな﹂
﹃間違いない。5年前、自分が遭遇した建築物と全く同じ代物だ﹄
その言葉を聞いた瞬間、スバルは固唾を飲んだ。
他のパイロットたちも同様だろう。彼らも皆、5年前の映像を見
せられている。あの遊園地にいる女に見つかった瞬間、どうなって
しまうのかはよく理解していた。
無論、旧人類代表の司令官としてこの場にいるカイトとて例外で
はない。理解しているからこそ、女の力が通用しなさそうな人材を
引き連れてきたのだ。
﹁エレノア。サブカメラで観覧車を確認してくれ﹂
﹁もっと可愛くお願いしてくれたらやってあげよう﹂
﹁ならシャオラン。観覧車を﹂
﹃後で何か食べさせてくれますか?﹄
﹁⋮⋮﹂
なんでこちらが命令しているのに、逆に要求されているのだろう。
カイトは疑問を抱きつつも、妥協案を出した。
﹁後で鼻糞をくれてやる﹂
﹃了解しました。楽しみにしておくので、作戦終了後は私のところ
まで来てください﹄
いいんだ、それで。
横で訝しげな視線を送ってくるマリリスと、不貞腐れたエレノア
をスルーしながらもカイトは肩を落とした。
1516
﹁スバル。後で鼻を貸せ﹂
﹁いやだよ! 自分で提案したんだから自分で何とかしろよな!﹂
スターイーター
獄翼が騒がしくなるも、他の機体は緊張感が漂うままだ。
何時現われるかもわからない大怪獣に備え、何機かはエネルギー
ランチャーの引き金に指をかけている。
ややあってから、シャオランが報告した。
﹃こちらシャオラン。カメラで観覧車を観察しましたが、映像の女
は確認できず﹄
﹁他に人影は?﹂
﹃観覧車内の全てのゴンドラを確認しましたが、確認できません﹄
突入時に見られた口調の不安定さはどこに行ったのか、シャオラ
ンは淡々と質問に答えていく。
﹁他のアトラクションはどうだ﹂
﹃それをやるのであれば、追加報酬を要求します﹄
﹁なんでだ﹂
とうとうカイトがマジ顔でツッコんだ。
この男がここまで後手に回るのも珍しい、とスバルは思う。
﹃最初の報酬は観覧車の対価です。それ以上を求めるのであれば、
私もそれ以上を求める権利がある筈です﹄
﹁⋮⋮じゃあ、髪の毛をセットでつけてやる﹂
﹃了解しました。遊園地内をくまなく撮影してみます﹄
いいのか、本当に。
1517
ふたりの会話を聞きながらも、スバルはそう思った。
カメラ越しとはいえ、目と目が合ったら命が無いかもしれないと
いうのに、そんな報酬で承諾する神経がわからない。彼女の胃袋は
どうなっているのだろうと、切に思う。
﹁ねえ、カイト君。私も撮影に参加するから、報酬をおくれよ﹂
隣の人形も対抗意識を燃やし始めてきた。
何時の間にかできていた、ベクトルの違うライバルの出現に憤り
を感じている。
だが、カイトの提案を真っ先に断ったのは彼女だ。ゆえに、カイ
トはエレノアに対して無言を貫く。
﹁⋮⋮どうだ﹂
しばしの静寂を挟んだ後、カイトが尋ねる。
問いかけに対し、シャオランは僅かに沈黙してから答えた。
﹃⋮⋮敵影、発見できず﹄
遊園地に女がいない。
星喰いもいない。
第一突入メンバーの間に、緊張が漂った。
﹁エレノア﹂
﹁やっと私の出番だね。私にも彼女と同じものを頼むよ﹂
﹁聞かなかったことにしてやるから、さっさとやってくれ﹂
Xの稼働音が響くと同時、
エレノアが唇を尖らせて抗議しにかかるが、それよりも前にカイ
トがアプリを起動させる。SYSTEM
1518
スバルとエレノアの真上から無数のコードによって繋がれたボウル
のようなヘルメットが落下してきた。
﹁わっ!?﹂
すっぽりと覆い被さったそれに驚きながらも、エレノアは周囲を
見渡す。
﹁ふふふ⋮⋮ダメじゃないかカイト君。こういうプレイは部屋に戻
ってからで﹂
﹁スバル。遠慮することはない。思いっきり糸を伸ばしてやれ﹂
﹁ああ、もう。いけず︱︱︱︱﹂
Xを稼働さ
言い終わる前に、エレノアの意識が獄翼へと送り込まれる。
スバルとしても、まさかこんなに早くSYSTEM
せるとは夢にも思わなかった。しかも今回のラーニング先はエレノ
アである。勝手に暴れられた場合、嫌な予感しかしない。
﹃ふぅ、やれやれ。あの機械女には君の細胞を提供するのに、一番
貢献している私には無償で働けっていうのかい? 酷いと思わない
か、スバル君﹄
﹁とりあえず、何か言う前に手を動かしたらカイトさんの好感度が
上がると思うよ﹂
とうとう会話の砲丸投げがスバルへと飛んできた。
アブノーマルな会話はまっぴらごめんなので、適当にそれっぽい
ことを言うことで誤魔化し始める。後ろでカイトが凄まじい形相で
睨んできていたが、全力で気にしない方針だった。
﹃それもそうだね。では、やるとしますか﹄
1519
エレノア
そういうと、獄翼は両手を広げる。
10の指先から銀色の線が発射され、森の中を一気に駆け巡った。
向かう先は、無人の遊園地。
﹁制限時間、気を付けてよ﹂
﹃わかってるよ。私は今までずっと君たちの戦いを見ていたんだ。
それこそこのコックピットに細菌クラスの人形を仕込んでね﹄
﹁聞かなかったことにしてあげるよ﹂
何時の間にそんなもん仕込んでたんだ、とは突っ込むまい。スト
ーカーに特化された新人類の馴れの果てを垣間見て、スバルは諦め
にも近い溜息をついた。
﹃うーん﹄
一方のエレノアは、何やら難しい表情をしているかのような口調
で唸り始める。
﹁どうしたの﹂
﹃遊園地に飛ばした糸が、一本千切れた﹄
﹁え!?﹂
アルマガニウム製の糸が切り裂かれた。傍から見ればピアノ線に
見えないこともない程に小さな糸だが、そんじょそこいらの刃物で
切れないのはスバルだって十分承知である。
﹁女か?﹂
﹃その可能性は十分あるね﹄
﹁場所の特定は﹂
1520
﹃ちょっと待ってね﹄
その言葉に従い、数秒ほど次の言葉を待つと、エレノアの口が再
び開く。
﹃ごめん。他の糸を向かわせてみたけど、捕まえる前に逃げられた
みたいだ﹄
﹁⋮⋮なるほど﹂
カイトが腕を組み、思考する。
そんな彼に対し、他の機体から提案が投げられた。
﹃やはり、遊園地そのものを攻撃してあぶりだした方がいいのでは
?﹄
﹁いや、それは危険だ。あの女と星喰いの関連性すら確定していな
いんだぞ﹂
女と星喰いについては様々な仮説が立てられてきたが、実際のと
ころどういう関係なのかはわかっていない。
最悪、実は星喰いとは無関係の第三者が勝手に住み付いているだ
けだという考え方だってできてしまうのだ。
﹁よし。乗り込もう﹂
﹁えっ!?﹂
お世辞にも時間をかけたとは言えない思考時間で導き出された解
答を前にして、スバルは驚愕する。スバルだけではない。オズワル
ドを始めとした突入メンバーも、なにをいってるのだと言わんばか
りに﹃ええ!?﹄と叫んでいた。
1521
﹁どちらにせよ、遊園地の調査も必要なんだ。カルロ、ミハエルと
新人類軍を何機か連れて山脈の調査をしてくれ。爆破ポイントを確
定させ次第、第二突入メンバーに連絡を入れろ﹂
﹃それは構いませんが、遊園地には誰が行くのですか。カメラ越し
で精神崩壊をおこすような女と正面から遭遇しては、何が起こるか
わかりませんよ﹄
言葉遣いは丁寧だが、憤慨の感情が見え隠れする台詞である。
だが、カイトは特に気にした様子も見せずに切り返した。
﹁だから人間じゃない奴を連れてきたんだ。まあ、正直気は進まな
いけど﹂
眉をしかめ、カイトは横のエレノアを見やる。
そのままヘルメットを乱暴に取り外すと、カイトは心底嫌そうな
顔で呟いた。
﹁俺とエレノア。そしてシャオランが遊園地に突入する﹂
﹁ええっ!?﹂
﹁正気ですかカイトさん!﹂
スバルとマリリスが憤慨した。
確かに人外なのはそのふたりだ。相手の目を合わせずに対応でき
そうなのも、カイトくらいである。
だが、しかし。仲間たちは忘れていない。彼には疫病神のジンク
スがあるのだ。
﹁俺とマリリスも行くぞ! アンタを一人で行動させたら絶対不幸
なことがおこるんだからな!﹂
1522
こんな状況で﹃ジンクス﹄を信じているのも馬鹿らしい話なのだ
が、これまでのトラブルの殆どはそれがきっかけなのだから笑えな
かった。
しかしカイトの表情はあくまで冷静そのものである。
﹁スバル。ひとつ言っておく﹂
彼は後部座席のモニターから獄翼のコックピットを開くと、宣言
した。
﹁ジンクスっていうのは、破る為にある﹂
﹁言ってることはかっこいけどさぁ!﹂
﹁カイトさん。今ならまだ間に合います! どうか、どうか私たち
を!﹂
意識が戻ってきたエレノアは、目の前で起こる寸劇を見て思う。
なんだこれ楽しそう、と。
﹁ねえねえ、何を話してるの? 私を仲間に入れておくれ﹂
﹁いいだろう﹂
﹁え、マジ!?﹂
まさかのデレ発言に、エレノアは嬉々として喜んだ。
彼と面識を持って早16年。一つの念願が叶った瞬間であった。
感極まって、涙が出てしまう。
﹁ほら、これでエレノアは今だけ仲間だ。これで文句ないだろ﹂
﹁アンタ最低だな!﹂
﹁カイトさん、不潔です!﹂
1523
感涙するエレノアを余所に、カイト達は好き勝手に騒いでいた。
その会話は周りのパイロットたちにも筒抜けである。スピーカー
からは、オズワルドを始めとした面々から溜息が聞こえてきた。
﹁まあ、割とマジに話すとだ﹂
エレノアとシャオラン以外の面々からの非難を受け流すようにし
て、カイトは言い放つ。
﹁足手纏いだろ、お前らじゃ﹂
﹁んぐ!﹂
それを言われたら痛い。
遊園地を探索する以上、どんな危険が待っていたとしても生身の
方が活動しやすい。それは事実だ。
そして危険が待ち構えているのが目に見えているからこそ、ある
程度生身でも実力がある者がいくべきであった。
残念ながら、スバルとマリリスはその基準を満たしていない。本
人達もその自覚があるので、何も言い返すことができずにいた。
﹁意気込むのはいいが、現実を見てから物をいうんだな﹂
スバルの頭をぽん、と叩いてからカイトはコックピットハッチか
ら身を乗り出す。
﹁安心しろ。不名誉な仇名は今日でぶっ壊してやる﹂
それこそがフラグではないだろうか、とスバルは言いかけたが、
言葉が喉にまで届いたところで塞き止めた。
口に出したら本当にトラブルが起きそうで、自己嫌悪に陥ったの
1524
である。
﹁じゃあ、行ってくる﹂
何も言われないことを、了承と受け取ったのだろう。
カイトは軽く右手を掲げると、コックピットから飛び降りていっ
た。
1525
第112話 vs報酬
﹃なにぃ!? あのバカ早速乗り込んだのか!?﹄
外にいるフィティングに通信を入れ、状況を説明した後の第一声
がこれである。モニターの向こうで目を丸くしたエイジが、続けざ
まに叫んだ。
﹃で、お前等どうしてるんだよ!﹄
﹁一応、俺とオズワルドさんとバトルロイドが待機してる。他は外
壁調査﹂
べにくじゃく
聞けば、シャオラン以外の新人類軍は紅孔雀のコックピットにバ
トルロイドを乗せているらしい。
彼女たちは命令には敏感だが、その命令を出せる人物はシャオラ
ンか新人類軍側の軍人に限定される上に、量産型ゆえにカイト達に
ついてくることもできなかった半端ものだった。
﹁ねえ、あの人の作戦って毎回こうなの?﹂
先程の、割と一方的だったカイトの指示に呆れを覚えつつもスバ
ルは問う。
トリプルエックス
﹁XXXのリーダーやってたって聞いてるけど、俺の知ってるリー
ダーと少し違うんだけど﹂
﹃そりゃあそうだ﹄
定義は組織によるが、リーダーという立ち位置にいる人間は基本
1526
的に部下を使って行動させる。
時には部下の情報を収集してその後の行動を促したり、時として
は叱ったりと様々だ。人の上の立場になると、こういった仕事が常
に付きまとう。
ところが、である。
神鷹カイトのそれは殆ど指揮とはいえず、どちらかといえば自分
自身が道を切り開いて、部下を後からついて行かせる方針であった。
少なくともスバルのイメージにある上司の姿とは、少し違う。
﹃アイツの基本方針は、できる奴がやれ、だからな。部下がやるよ
りも自分がやった方が確立が高いなら、そうする奴だ﹄
﹁でも、それだと部下の立場が無くない?﹂
﹃いや、そうでもないよ﹄
少年の素朴な疑問に答えるのは、扇子で自分を煽いでいるシデン
だ。
格納庫で着ていたパイロットスーツは何時の間にか脱ぎ去り、普
段のメイド服を着用している。むさくるしい男と猛禽類が映る中、
彼の存在は癒しであった。
﹃指導者の理論で、自分が手本を見せるタイプの指導もちゃんと確
立されてるらしいよ。彼は典型的なそのタイプ。第二期の子も、基
本的にはカイちゃんの戦法に近いことをやってくるしね﹄
言われてスバルは思いだす。
カノンとアウラのダークストーカーは速攻型だ。スバルの影響も
受けたとはいえ、その前に彼女たちの指導を行っていたカイトの影
響を受けていれば、あんな接近戦主体の機体ができあがるのも頷け
る。
1527
﹃何も命令を出すだけがリーダーの仕事じゃないのさ。君だって、
自分より弱い人がリーダーやってたら少し複雑でしょ?﹄
﹁そりゃあ⋮⋮まあ、そうだけど﹂
﹃ならいいじゃない﹄
ただ、懸念があるとすればひとつ。
﹃でも、連れて行ったのがあのふたりなのが問題だね﹄
エレノア・ガーリッシュとシャオラン・ソル・エリシャル。双方
ともにカイトに向けて異常な執着を向けている女だ。
特にシャオランの方は、アキハバラでカイトの腕を食った前例が
あった。放っておけば、今度は頭から丸かじりされかねないのでは
ないかと不安になってしまう。
﹁エレノア⋮⋮さんについては、知ってるんだっけ?﹂
﹃年上だからって、無理にさん付けしなくていいぞ﹄
言いつつも、エイジはどこか遠い目で天井を見上げた。
﹃直接会ったことはない。まあ、カイトの野郎も本人と直接会った
ことはないだろうが、人形越しでなら何度か会ったことがある﹄
﹃彼女も懲りないよね。16年ストーカー続けてるんだから﹄
16年。
その言葉を聞いた瞬間、スバルの肩に重い何かが圧し掛かった気
がした。ふと後ろを見れば、マリリスもどうコメントしたらいいの
かわからない、とでも言わんばかりに顔をしかめている。
今から16年前と言えば、スバルとマリリスは丁度生まれた頃で、
カイトに至ってはまだ6歳だ。ストーカーだとは聞いていたが、ま
1528
さかそんな小さい頃からの追っかけだとは知らなかった。
﹁ついでに、カイトさんはデレたことあるの?﹂
﹃言う必要ある?﹄
素朴な疑問は、たった一言で解決した。
エレノアのストーカー歴だけ生きてきた少年は、溜息をつく。馬
鹿な質問だったと、己の行動を省みた。
﹃まあ、何にせよ。確かに今突入した面子だとその3人が適任だろ﹄
組み合わせにはかなり不安が残る。
しかしながら、何が起こるかわからない場所に向かう力があるの
も、その三人だけなのだ。
﹃大丈夫。シャオランはアキハバラで見た感じ、多少ネジは外れて
ても任務には忠実っぽそうだ。エレノアも状況くらい弁えてくれる
だろうよ﹄
﹁⋮⋮本当にそうかなぁ﹂
嫌な予感という物は、古来からなぜか的中しやすいものである。
遊園地に辿り着いたカイトは、早速中に入ろうとしたところ、背
後から腕を掴まれた。シャオランによる束縛だった。
﹁なんだよ﹂
1529
﹁⋮⋮なんで腕があるんでしょう﹂
相変わらずのYシャツジーパンという、ファッションセンスの欠
片も無い服装に、ダルそうな瞳。前に出会ったとき、その双眸は眠
気を放っていた筈だが、目の前にあるそれはやけに活き活きとして
いるように見える。
﹁私が取り付けてあげたんだよ﹂
そんなシャオランの横から、得意げな顔でエレノアが近づいてき
た。
彼女は反対側の腕を掴み、自身の胸の中へと抱き寄せ始める。が、
カイトが両方の腕を無理やり解いた。
﹁さっさと行くぞ﹂
﹁⋮⋮お待ちください﹂
二度目の突入が再度拒まれ、カイトは苛立ちの表情を露わにして
振り返る。
﹁こんどはなんだ﹂
﹁先程のお仕事のご褒美を所望します﹂
ここでそれを要求するのかよ、とカイトは唸った。
確かに少し前、この遊園地を探ってもらった。その結果、自分た
ちが突入することになったのだ。依頼したことは忘れはしない。
だが、よりにもよってエレノアの前でそれをするか。
額に汗を貯めつつも、カイトはエレノアに視線を送る。歯ぎしり
をしていた。かなり悔しそうである。なんで鼻糞と髪の毛でそんな
に悔しがるのかは理解できないが、彼女にも譲れない物があるのだ
1530
ろう。きっと。
﹁⋮⋮ちっ﹂
舌打ちして悪態をつくと、カイトは髪の毛を一本抜いた。
それをシャオランに向けて乱暴に投げつける。犬のように飛びつ
き、口でキャッチして見せた。
いつから自分の頭髪はビーフジャーキーになったのだろう、と疑
問に思えてくる。
﹁んぐ⋮⋮んぐ⋮⋮﹂
そして気のせいでなければ、シャオランが口の中で何かを味わっ
ている。まるで飴を含み、舌で転がしているような光景であった。
だが、彼女が先程口にした物は︱︱︱︱いや、これ以上はよそう。
﹁カイト君! 私にもなにかおくれ。友達記念!﹂
﹁お前はあれでいいのか﹂
﹁だって羨ましいじゃないか! 目の前で好物を貪られていたら!﹂
友達記念の単語も含み、突っ込みどころ満載のエレノア。
彼女はシャオランを指差し、地団太を踏んでゴネはじめた。こん
な大きな子どもとペットがいたら嫌だな、と思いながらカイトは肩
をすくめる。
蔑むような視線をエレノアに送ってから、カイトは再度遊園地の
入口へと近づいた。
﹁ああ、今のいいよ! 凄くよかった! 写真に収めたいからもう
一度やって。プリーズ!﹂
1531
後ろがなにかと喧しいが、気にする素振りも見せないまま遊園地
の中へと侵入する。
当然ながら警備員の姿ない。
入場券の確認を取る係員もいない。
風船を持ってくるマスコットさえもいない。
華やかに光り輝く無人の遊園地は、不気味なほど静寂に包まれて
いた。
遊園地の中に侵入したカイトは、早速あるものを探す為に移動を
開始する。
﹁ねえねえ、カイト君。私、遊園地始めてなんだよね﹂
﹁ほう、意外だな。ババアでも未経験なことがあるのか﹂
何時の間にか背後にぴったりとくっついてきたエレノアが、元気
よく首を縦に振った。
﹁だから、あれ乗らない?﹂
エレノアが指差した方向を見てみる。
メリーゴーランドだった。白馬と籠がぐるぐると回転しているそ
れを一瞥してから、カイトは表情一つ変えずに言う。
﹁やだ﹂
﹁じゃあ、あれは!﹂
ジェットコースターが高速でレールの上を走っていた。
﹁やだ﹂
1532
﹁⋮⋮あの。私はアレに乗ってみたいです﹂
背中から白い翼を羽ばたかせ、シャオランが着地した。
遊ぶ流れに便乗してくるとは夢にも思っていなかったカイトは、
呆れて眉を八の字にねじらせる。
﹁遊びに来たんじゃないんだぞ﹂
﹁しかし、私はまだ鼻糞を頂いておりません﹂
一応、今は上官の立場なので、あくまで敬語のままシャオランは
報酬を求めてくる。だが、肝心の報酬の程度があまりに低すぎる。
問題はそれだけではないのだが、本当にそれでいいのかと聞きたか
った。
だが、これ以上彼女たちのお気楽な戯言に付き合ってい暇はない。
カイトは今回の人選を恥じながらも、歩を進めた。
﹁なんか探してるの?﹂
﹁ああ﹂
﹁糸が千切れた方向はあっち側だけど﹂
カイトが向かう方向とは反対側を指差し、エレノアは言う。
だがカイトは﹃それでいい﹄と呟くだけだった。
﹁今探してるのは監視カメラだ﹂
監視カメラ。その用途については語るまでもないだろう。今では
設置されていない場所を見つける方が難しい。
5年前から変わりがないとはいえ、遊園地にも当然設置されてい
る筈の代物だった。
1533
﹁女がこの遊園地とどんな繋がりがあるのかはわからない﹂
だが、映像の中の彼女の様子を見る限り、施設そのものの用途を
把握していると考えられる。ならば当然、外からの侵入者を見つけ
る役目を果たす機器がどれなのかは知っているだろう。
﹁カメラから呼びかけてみる﹂
カイトが足を止める。
見上げた先には、探していた物体が電柱らしきものに括り付けら
れていた。赤いランプが点灯しているが見える。どうやら、まだ動
いているらしい。
﹁おい、黙って俺についてこい﹂
後ろについてくる気味の悪い女たちに言うと、カイトはカメラの
視界から離れた。
すると、監視カメラはカイト達の方へと向きを曲げる。
﹁確定だな。あの監視カメラ、誰かが見てる可能性が高い﹂
﹁⋮⋮追尾用かもしれませんが﹂
﹁本来、人が多く出入りする遊園地でそんな代物を使うか?﹂
それ以上、シャオランは何も言ってこなかった。
なにか納得したように手を叩くと、無言でカメラを見上げる。
﹁おい、見てるなら出てこい﹂
試しに呼び出してみる。
直後、カイト達の背後にあったメリーゴーランドが急停止した。
1534
﹁ぬ?﹂
背後の違和感を感じとり、カイトは後方を振り向く。
するとどうだろう。先程見た時には誰もいなかった筈の白馬の上
に、白いドレスを身に纏った女が跨っていた。
その姿を確認すると、カイトは僅かに女から視線を逸らす。
彼女の目を上手く見ないように視界を調整すると、再び呼びかけ
た。
﹁お前、怪獣か?﹂
突拍子もない質問だと、自分で思う。
だがそれ以上に適切な言葉が思いつかなかったのも事実だ。そも
そも言葉がわかるのだろうか、という疑問が後から出てきたが、今
はこれで押し通すしかない。
﹁⋮⋮⋮⋮﹂
だが、問いかけに対して女は沈黙したままであった。
彼女は赤い瞳孔をカイト達に向けると、にやりと笑みを浮かべる。
エレノアとシャオランに変わった様子はない。
﹁あ!﹂
女は返答しないまま、カイト達に背を向けた。
だが逃げるわけではなさそうである。彼女は動きづらそうなドレ
スを引きずりながら、ゆっくりと歩いていた。
1535
﹁どういうこと?﹂
﹁⋮⋮恐らく、付いて来いと言っているのではないかと思われます﹂
シャオランの視界の中で、地図アプリが展開される。
遊園地の簡単な図解が視界の中に映し出され、今の現在地を確認
した。それから間もなくして、女の移動予想位置を割り出し始める。
出力結果が出た。シャオランは、ゆっくりとそのアトラクション
の名前を呟く。
﹁⋮⋮ミラーハウスです﹂
1536
第113話 vsミラーハウス
ミラーハウス。
鏡張りの通路を移動し、探索する、あるいは出口を探し彷徨うア
トラクションとして知られる建物である。一見幻想的に見えるが、
何気に行方不明者が出ていることでも知られており、遊園地の中で
も気を付けておきたい場所の一つだ。
カイトとエレノア、シャオランの三人は白いドレスの女を追いか
けてミラーハウスに突入すると、早速鏡で覆われた通路に直面する。
一面銀世界。視界のトリックによって、先の通路もわかり難いた
め、目標を追いかけにくい場所だった。
﹁おや﹂
﹁どうした﹂
最初の通路を曲がって行った女を追いかけようとするカイトだが、
エレノアの声に反応して立ち止まる。
返答が届く前に異変に気付いた。アトラクションに入る為の入口
が消え、鏡の壁で塞がれていたのだ。
﹁閉じ込められたっぽいね﹂
﹁ふん﹂
なぜか嬉しそうに笑みを浮かべたエレノアを一瞥した後、カイト
は壁へと振り向く。鏡に向けて拳を思いっきり叩きこんでみた。ガ
ラスが粉砕され、水飛沫のようにカイトの足下へと滴り落ちる。
1537
﹁ぬ﹂
だが、穴の開いた壁はカイトが通り過ぎるを防ぐようにして、瞬
時に新しい壁を目の前に出現させる。まるで他の壁が細胞を分裂さ
せて、傷を治していくかのような光景であった。
﹁⋮⋮どうやら、ただのミラーハウスじゃないようだな﹂
﹁ミラーハウスだけではありません﹂
最初に映像で見た通り、遊園地のアトラクション全体が不可思議
な現象に包まれている。カイト達はそれを大怪獣、星喰い︵スター
イーター︶と命名しているが、本当に怪獣が遊園地に化けているの
かも定かではない。
﹁⋮⋮とにかく、今は彼女を追うことを考えた方がいいでしょう。
我々の足なら、まだ追いつく筈です﹂
﹁お前、急に仕事モードになるな﹂
シャオランに訝しげな視線を送り、カイトがぼやく。
つい先ほどまで髪の毛をよこせ、鼻糞をよこせと言ってきた人物
とは思えない真面目顔だった。だが、今は彼女の言うことも一理あ
るので忠告を素直に受け取っておくことにする。
﹁エレノア、いくぞ﹂
﹁行く必要はないんじゃないかな﹂
もう一人の同行者に行動を促した直後、エレノアは壁を触りなが
ら言う。
﹁なんか、くるみたい﹂
1538
﹁なんかって?﹂
聞き返した直後。それはカイト達へと覆い被さってきた。
鏡だ。彼らを取り囲んでいた鏡の通路が、まるで回転するかのよ
うにして迷路を組み替えていく。
﹁道を塞ぐつもりか﹂
﹁いや﹂
すぐさま思いつく妨害方法は、あっさりと否定された。
エレノアは小さく呟くと、移動していく鏡の通路を見ながら続け
る。
﹁たぶん、私たちは⋮⋮招待されたんだ﹂
その言葉を裏付けるように、通路の変化が止まった。
形成された空間は、鏡の迷路などではなく、鏡で覆われた巨大な
空間。道に迷わせるつもりなのかと身構えていたカイトも、目の前
に現れた鏡の部屋には唖然としていた。
だが、同時に疑問も湧く。カイトはエレノアへと振り返り、問う。
﹁なぜわかった﹂
﹁壁を触って理解したんだ。ここのミラーハウスはアルマガニウム
のエネルギーで覆われている。やろうと思えば、私が憑依すること
も可能だ﹂
ゆえに、彼女は理解した。
このミラーハウスそのものが、意思を持っていることに、だ。試
しに憑依しようとしたら、既に中にいる何者かの意思に拒絶されて
弾かれたのである。
1539
﹁カイト君、よかったじゃないか。君の願いどおり、彼⋮⋮彼女か
も知れないけど、話し合う機会を設けてくれたようだよ﹂
﹁と、いうことは言葉は理解できるわけか﹂
この時点で、相手の知能は自分たちの同等以上だと考えていいだ
ろう。
問題はコミュニケーション方法だが、果たして会話できる相手な
のだろうか。
なんにせよ、善は急げと言う。
カイトは悩む前に早速行動に出た。
﹁おい。俺の質問に答えられるか?﹂
カイトが鏡の部屋に向かって問いかける。
しばしの静寂が訪れた後、ある鏡に文字が浮かび上がった。自分
たちが日常生活で使っている文字そのものである。
﹃それ自体は容易である﹄
書かれた文字は、まさにカイトの質問への返却に他ならない。
その事実を目の当たりにすると、三人はお互いに顔を見合わせた。
直後、エレノアが表情を緩ませる。
﹁なんかこういうのいいよね。阿吽の呼吸って感じがして﹂
﹁俺はエイジやシデンといつもこんな感じでやってる﹂
突き放したつもりだが、エレノア的には大満足らしい。
恍惚とした笑みを浮かべ、体をくねらせ始めた。気持ち悪いので、
カイトは改めて鏡へと向き直る。
1540
﹁俺達はお前のことを知りに来た。幾つか質問をしてもいいか?﹂
﹃断る﹄
でかでかと書かれたその返答を視界に入れた瞬間、カイトは理解
する。
こいつは最初から話し合う気が無いタイプの化物なのだ、と。
﹃我々は貴方との会話を求めない﹄
﹁では、なぜ俺達を此処へ﹂
結局は質問になるのだが、それでも言っておいた方が後々後悔せ
ずに済むと言う話だ。何事も伝達が肝心なのである。
﹃我々は貴方達を脅威に思う。だからずっと、ここにいる﹄
返された返答は、思いの外シンプルなものであった。
しかし、先程から気になるのは﹃我々﹄という表現である。当初、
映像記録から星喰いの正体は女に取り付いた地球外生命体なのでは
ないかと推測されていたのだが、それ以外にもいるというのだろう
か。
﹁我々とはどういう意味だ。お前は複数いるのか?﹂
﹃貴方の問いには答えない﹄
﹁なら、私の質問はどうだい?﹂
まるで言葉遊びに興じるかのようにして、エレノアが己を指差し
提案してきた。
﹃我々は貴女に恐怖した。貴女は隔離する﹄
1541
﹁へ?﹂
想定外の返事に間抜けな声を出した直後。
正面の鏡が不気味に輝き始め、エレノアの姿を映しだした。光は
一本の柱となってエレノアに向かって行き、彼女の胸を簡単に撃ち
ぬいていった。
カイト達が突入してから20分が経過。何事も無ければ、10分
後には第二突入部隊がやってきて山脈を破壊する手筈になっている。
もっとも、それもカルロ達が山脈を破壊する手立てを見つけるこ
とが大前提なのだが。
﹁⋮⋮連絡、ないですね﹂
スバルの背後で、ただ一人残っているマリリスが寂しげに呟いた。
先に突入したカイトからの連絡はない。カルロ達からの連絡も無
かった。双方ともに、仕事が上手くいっていないならまだいい。
もしも彼らの前に星喰いが現われ、襲われているのだとしたら。
そんな想像がマリリスの頭の中を駆け巡っている。
そんな折だ。
スバルのもとに通信が入った。名前の表示欄には﹃カルロ﹄とあ
る。名前を確認すると、スバルは通信スイッチをオンにした。
﹃こちらカルロ。山脈破壊に関してだが、ひとつ発見がある﹄
1542
﹃発見?﹄
オズワルドが興味深げに問う。
5年前、彼は逃げ回るだけで山の内部を碌に観察できずにいた。
当時の彼の仕事でもあった為か、やや楽しそうである。
﹃なんだ、それは﹄
﹃我々の真上にある雲だが。あれを映しているのは、ガラスだ﹄
一瞬、スバルは首を傾げた。
カルロの言う空を見てみる。夜の暗闇の中に、ただただ白い雲が
浮かんでいた。
﹁あれがガラス?﹂
だとすれば、この空間には天井があるということになる。
いや、山の中なのだから天井があって然るべきなのは確かなのだ
が、だとすればあの上空に浮かぶ雲はなんだというのだ。
﹃近くで見ればわかるが、透明なガラスの中に雲が描かれているだ
けだ﹄
その言葉がどういう意味を持っているのか、わからないスバルで
はない。
要するに、今まで上空に浮かんでいたと思われる雲は、ただのア
ートなのだ。それも、近くで見なければわからないほどにリアルな。
﹃破壊できそうか?﹄
﹃ミハエルが剣で損傷させることに成功している。第二突入部隊に
破壊特化の新人類がいると聞いた。ソイツの力を使えば、たぶん天
1543
井に穴をあけることができると思う﹄
タイラントの顔を思い出し、スバルは控えめに頷いた。
確かに彼女や他のXXXの力ならば、ひびの入ったガラスを破壊
するくらいわけないだろう。これで作戦のひとつに、終了の目途が
付いた。
﹁す、スバルさん! 前方に巨大な生体反応です!﹂
後方のマリリスが叫ぶ。
コックピットに喧しい警報音が鳴り響く中、スバルは見た。
遊園地がどろどろと溶け始めている。観覧車が、ジェットコース
ターが、メリーゴーランドが、銀の水滴になってひとつの塊へと変
貌した。
﹃星喰いだ!﹄
オズワルドが叫ぶと同時、彼の周囲に浮かんでいた紅孔雀が一斉
にエネルギーランチャーを構える。
銃口は遊園地の方角へと向けられており、引き金を引けばいつで
も発射できる状態であった。だが、獄翼だけはその準備ができてい
ないままである。
﹃獄翼、どうした! 構えろ!﹄
﹃でも、あっちにはまだカイトさんが!﹄
﹃言っている場合か! 目の前に奴がいるんだぞ!﹄
怒鳴り声が響いた直後、オズワルドはカルロへ命令を出す。
カイトがいない今、指示を出す権利を持つのは階級が最も高い彼
だった。
1544
﹃カルロ、ミハエルは外に連絡して第二突入部隊の要請を出せ。星
食いはそれまでの間、我々で食い止める!﹄
﹃食い止められるのですか!?﹄
ミハエルが正直な疑問を投げた。
映像の通りだとすれば、星喰いの全長は200メートルを超えて
いる。対して、紅孔雀と獄翼は20メートル以下だ。一度でも直撃
を受ければ、装甲の脆いミラージュタイプでは致命傷にしかならな
い。
ただし、それは普通のミラージュタイプのブレイカーならば、の
話だ。
﹃その為に、今回は敵にそういう物を用意してもらったんだ!﹄
紅孔雀は今回の作戦の為に用意されたブレイカーだ。
はちどり
その機動力、所持している武器の破壊力は並みのブレイカーの比
ではない。少なくとも、5年前にオズワルドが搭乗していた蜂鳥な
どは論外だ。
あの時に比べると、今回はようやく﹃戦える﹄状態になったと、
オズワルドは思う。彼はあの頃の記憶を思い出しながらも、眼前に
佇む異形の怪物の姿を見る。
老兵の眼前に、5年前の悪夢が再び立ち塞がった。
蝙蝠を連想させる歪な翼。振り回しただけでブレイカーを木端微
塵にしてしまう尻尾。そして巨大な牙。全てがあの当時と同じだ。
だが、オズワルドの方は違う。
﹃全機に通達する! 一撃でも受けたら、機体と自分は死ぬと思え
1545
!﹄
かなり無茶な警告であるという自覚はある。
だが、実際問題。軽く手で握られただけでもブレイカーは潰され
てしまい、コックピットは爆発する。あれはそういう理不尽な生命
体なのだ。
攻略法はただ一つ、当たらないこと。
それを実現するだけの鋼の巨人も、手元にある。
﹃攻撃よりも回避だ! いいか、それだけを念頭においておけ!﹄
星喰いが一歩前に出る。
それを合図とするようにして、紅孔雀たちと獄翼は一斉に散った。
1546
第114話 vs目玉
カイト達が遊園地突入作戦を開始した時刻まで遡る。
時刻と言っても、新人類王国とグルスタミトでは時差がある為、
全く同じ時間というわけではないのだが、丁度そのあたりの時間を
見計らってディアマットは眼前にいる女を呼び出していた。
彼女の名はノア。
新人類王国、最強の集団である﹃鎧持ち﹄の管理を務めている女
性である。
﹁なにかご命令でしょうか﹂
一見畏まっているような挨拶だが、態度は目に余る程にふてぶて
しい。
仮にも目上の立場の人間に対して、腕を組んだまま壁に背を預け
ている態度はどうかと思う。だが、ディアマットは彼女を咎める為
に自室に呼び出したのではない。
﹁ノア、単刀直入に言おう。君はあの化物を知っているのではない
か?﹂
あの化物、というのがどの化物なのかは言うまでもない。
今、新人類王国でもっともホットな話題はアメリカのある山の中
を住処としている大怪獣である。
﹁私が例の星喰いを知っていると思う理由をお尋ねしても?﹂
ノアはくるくると前髪を弄りつつ、王子に問う。
1547
やや面倒くさそうにしている態度が、ディアマットの予感を確信
へと変えた。
﹁あなたは鎧の管理者だ﹂
﹁確かに、言うまでもありませんね﹂
﹁ならば、以前私が使ったゲイザー・ランブルのことを覚えている
だろう?﹂
半年前、シンジュクに送り込んだ純白の鎧。頭痛の種であったカ
イトを直接対決で圧倒して見せたあの力は、素直に評価するべきこ
となのだろう。
しかし、最初から最後までゲイザーが優勢だったわけではない。
むしろ、最初だけで言えば完全に圧されていた。もしも今、もう一
度戦わせてみろと言えば、勝敗がどうなるかはわからない。
まあ、その辺は一旦おいておこう。
話の観点はゲイザーではあるが、問題は彼の目玉にあった。
﹁シンジュクで私はアレを操作した。だからこそ、他は知らなくて
も私が知っていることがある﹂
もしかすると、リバーラも知らないことかもしれないが。白の鎧、
ゲイザーは今回現われた化物と同じ類の瞳術を使うのではないか、
とディアマットは予想していた。
﹁ゲイザーの目は、どこから持ってきた﹂
鎧持ちは新人類のクローンである。
王国内で代理が利かない強い戦士を複製し、そこに新たな新人類
の異能の力をプラスさせて生まれた、正真正銘の理想の戦士。
1548
ゲイザー・ランブルの場合は、神鷹カイトをモデルとして月村イ
ゾウの痛覚遮断能力が備わっている。そこまではディアマットには
調べがついていた。だが、オリジナルを追い詰めた黒い目玉につい
てはその出所がわからないままである。
新人類の中には、身体に変化を及ぼす人間がいる。
例えば翼が生えるシャオランであったり。感情の昂ぶりがそのま
まオーラとなり、全身が赤に染まるサイキネルなんかもいる。
だが、目玉が変色など新人類の歴史において過去に存在していな
い。ディアマットが己の持つ権限を全て使って調べた結果であった。
﹁私の予想が正しければ、鎧持ちの目玉は星喰いの同種が持ってい
るのと同じものだ。違うか?﹂
﹁いいや、合ってますよ。たぶん﹂
思いのほか、あっさりと認めてきた。
しかしその返答は歯切れが悪い。
﹁たぶん、とは﹂
﹁あそこまで成長した例が見たことが無いので、流石に同じだとは
判断できないんですよ。赤い瞳孔も、今の鎧持ちの中だと誰も出て
こない﹂
ノアは肩を落とし、やれやれと溜息をついた。
どうやら色々と気苦労のある話のようなのだが、ディアマットに
とって大事なのは彼女の実験成果とその過程などではない。
﹁では、質問を少し変えよう。鎧に使われた目玉は、どういったも
のなのだ﹂
1549
シンジュクで扱った際は、目の前に敵がいたためにあまり気にし
ていなかったが、こうなってくると気になって来る。
その心情を察したのか、ノアは含み笑いを浮かべながら王子に話
し始めた。
﹁一世紀程前。隕石が地球に衝突したのはご存知ですね﹂
﹁勿論だ﹂
この辺は、今の社会では一般常識レベルだ。この問題に答えられ
ないようでゃ、中学入試も失敗する。
﹁では、その後の過程は少々飛ばしますが⋮⋮実は隕石を調査して
いる内に、ある物が見つかったのです﹂
﹁それも知っている。原石だ﹂
これも一般常識問題だ。
なぜ、そんな簡単な質問をするのかと少々苛立ちを募らせた直後。
ノアはくすり、と笑みを浮かべてから悪戯っぽく囁いた。
﹁残念ですが、それでは50点ですね﹂
﹁なに?﹂
﹁原石だけではないのですよ。あそこで見つかったのは﹂
ノアは当時のことを詳しくは知らない。
全ては先人が始めたことだ。彼女はあくまで、研究を引き継いだ
に過ぎない。だが、当時の情報を知る事はできる。
﹁当時、あそこで見つかったのは、アルマガニウムの原石だけでは
なく小さな卵が12個ほどあったと聞いています﹂
﹁卵!?﹂
1550
デイアマットの目が丸くなった。
当然だ。隕石の中に卵があるなど。これではSF映画にでてくる
モンスターだ。
﹁2代ほど前の研究責任者は、それを持ち帰ったのだそうです。誰
にも気づかれることなく、ね﹂
﹁まさか。そんなことが可能だったと言うのか?﹂
﹁当然ながら、他の研究者の目はありました。ただ、卵自体はそこ
まで巨大ではなかったため、無事に持ち帰れたそうです﹂
あ、そうそう。
ノアは何かを思い出したかのように手を叩くと、ディアマットの
返答を待たないまま続けた。
﹁あの時、割れた卵が発見されてるんですよ。もちろん、公に公表
されてはいませんけどね﹂
﹁な、なんだと!?﹂
割れた卵。
中身が何にせよ、ゲイザーの目玉の提供者が持ち去られた卵の中
身なのだとしたら、それの中身がどうなったのかは大体見当がつい
た。
﹁では、それが!﹂
﹁恐らく、今話題になっている星喰いなのでしょうなぁ。地球との
衝突の際に割れたのだと当時は考えられていたそうですが、今の現
状を見る限り、それも怪しい﹂
ここまでの情報を整理して考えるなら、むしろ地球との衝突の際
1551
に卵の中身が生まれたと考えた方が自然に思える。その中身が海に
逃れ、遊園地なんて住処までこさえるようになったのは感慨深いも
のがある。
ノアは先代の研究所長が大喜びするであろう光景を思い浮かべ、
苦笑した。
﹁なにがおかしい﹂
﹁いえ、少々知り合いの気持ち悪い顔を思い出しましてね﹂
﹁不謹慎な。状況がわかっているのか、君は﹂
言われて、ノアは笑みを深めた。
彼女は思う。恐らく、この世界で一番現状を理解しているのは自
分である、と。
﹁王子、宜しいでしょうか﹂
﹁なんだ﹂
﹁話を少し戻しますが、王子が察したように、鎧持ちは卵の中にい
た生物の目玉をそのまま移植しています﹂
その過程においては、様々な失敗があった。目玉から溢れ出る高
出力のエネルギーにより、クローンの身体が崩壊する事なんぞ日常
茶飯事で、その度に巨額の資金が消し飛んだものである。
いかに新人類の科学の結晶といえども、鎧を量産することは難し
い。
今でこそ回収された12組の目玉が移植完了し、安定した動きを
見せてはいるが、この次も確実に成功できるかと言われたら、確約
はできないのだ。
だが、
1552
﹁確実に言える事は、星喰いの目玉は鎧のそれよりも強く成長して
いる事です。本来の持ち主が、成長プロセスに従ってきたのですか
らね﹂
ならば、もしそれを回収することができれば。
その時は、最高の﹃鎧﹄が完成するのではないだろうか。ノアの
脳裏に、まだ見ぬ13人目の鎧の幻影が浮かび上がる。
﹁わくわくしてきませんか。そんな力を持つ人間を﹂
﹁⋮⋮少なくとも、私は国の方が大事だ﹂
﹁そうですか。残念です﹂
理解を得られず、肩を落とす。
だが、ディアマットはノアのいいたいことを完全に否定したわけ
ではなかった。
﹁もしも、だ。もし、星喰いの目を回収することができたとして。
肉体の当てはあるのか?﹂
﹁ええ、もちろんですとも﹂
たぶん、その﹃当て﹄が上手く目玉と結合すれば、ノアの夢はか
なう。
最強の人間。かつては大学で同じテーマを掲げて研究したエリー
ゼが、最後まで届かなかった未知の領域。
鎧持ちは確かに強い。強いのだが、それでもまだ戦うことができ
る人間がいる。
ノアが見てみたい最強の人間とは、何者をもひとりで破壊し尽く、
悪魔のような戦士であった。そこに意思も何もなく。ただ、戦いと
いう舞台の上でひたすら破壊を繰り返す。そんな人間が、見てみた
1553
い。
﹁ですので、王子。お願いがあります﹂
ディアマットの興味がそれほど深まっているのかはわからないが、
途中で身体について聞いてきたことから、皆無ではないのは確実で
あると言えた。
ゆえに、ノアは図々しくも懇願する。
﹁どうか星喰いの目玉と、新たな鎧の身体を私にいただけないでし
ょうか﹂
やや間を置き、ディアマットは小さく呟く。
﹁⋮⋮よかろう。それで、身体の当てとは﹂
﹁それは︱︱︱︱﹂
そんなものは、ひとりしかいない。
わざわざ発表するのも馬鹿らしくなってきたが、それでも王子は
まだそこまで理解が及んでいないようだ。
だが、冷静に考えればそんな王子でもわかる。あまりに簡単すぎ
るクイズを前にして、ノアは失笑しながら答えた。
トリプルエックス
﹁元XXX所属、神鷹カイト。彼の強靭な体と、再生能力があれば、
きっと﹂
かつて、学友であったエリーゼが育てた﹃最強の人間﹄。
だが、彼はまだ完全ではない。ならば、最強の人間には自分が仕
上げてやろう。
1554
﹁きっと、いい鎧になることでしょう﹂
心底そう思いながらも、ノアは進言した。
1555
第115話 vs右腕
鏡で囲まれた空間が激しく揺れる。
外で何かが起こっのだとは理解できるが、見えない以上は状況の
把握すらできなかった。
先程まで語りかけてきた鏡の板も、今は沈黙している。
﹁交渉は最初から無理だったか﹂
﹁⋮⋮まあ、最初からそんな気はしましたが﹂
カイトの横で壁を調べているシャオランが呟いた。
その言葉自体は、否定しない。5年前に突撃してきたオズワルド
達は目が合っただけで襲われたのだ。最初から人間を食うエイリア
ンという認識でいた方が、まだ状況の悪化は防げたと思う。
ただ、半年前のトラセット反乱の件を考えると、一概にそうだと
は言えなかった。
当事者であったアーガスのことを思えば、同じ轍を踏むのも情け
ない。
﹁やらないよりはマシだ﹂
結果としては失敗に終わったが、改めて確認できることもあった。
それを確かめらただけでも、十分な収穫である。
﹁取りあえず、外に出ないことには始まらん。奴の態度を察するに、
遊園地はまた怪獣になってスバル達に襲い掛かっているかもしれん﹂
もしも予想通りだとすると、ここは星喰い︵スターイーター︶の
1556
体内ということになる。どろどろに溶けた銀色の体液を思い出すと、
あんまりいい気分はしない。
ついでに言えば、カイトは自分が置かれた状況にも嫌悪感を抱い
ていた。
﹁で、お前は何時までここにいるつもりなんだ?﹂
己の右腕に視線を向け、語りかける。
傍から見れば﹃何してんのこの人﹄﹃しーっ! あれが俗に言う
廚二よ!﹄などど言われてもおかしくない行動ではあった。
だが、カイトの言葉に対して右腕は返答する。別に口が生えてい
るわけではない。右腕からラジカセのようにして、声が響いてくる
のだ。
声の主︱︱︱︱エレノアは、妙に活き活きとした口調でこう答え
た。
﹁いやぁ。正直、もう一生このままでいいかと思ってるんだけど﹂
﹁出ていけ﹂
星喰いに最大の脅威と認識されたエレノア。
彼女の新人類としての異能の力は、アルマガニウムエネルギーを
発する物体への憑依である。この遊園地自体乗っ取りかねないその
力を察知した星喰いが真っ先に彼女を狙うのも頷けた。現に少し前、
﹃エレノアの身体﹄は撃ちぬかれて倒れてしまっている。
ところが、だ。
エレノア・ガーリッシュの厄介なところは、身体の残機がある限
り何度でも復活することにある。星食いは前の身体を倒しただけで
満足し、この部屋から意識を消し去ったようではあるが、まだこの
部屋には残機が残っていた。
1557
アルマガニウムの大樹を素材とした、カイトの右腕である。エレ
ノアは前の身体で動くのが不可能だと察した直後、カイトに取り付
けた義手へと憑依したのだ。
﹁あっちにも取り付けそうな素材があるぞ。身体がある方が便利だ
ろ﹂
しかしカイトとしては溜まった話ではない。過去に何度も語られ
てはいるが、彼はエレノアが嫌いである。16年間も付きまとわれ
ているのだ。それがここにきて更に密着するような形で憑依される
など、冗談ではない。
カイトはシャオランを指差した。彼女もまた、全身にアルマガニ
ウムのエネルギーが満ちた新人類である。身体の各部を再構成する
機械女は、それこそ扱いやすいのではないかとカイトは思う。本音
を言えば、ふたりとも苦手だから潰しあってくれという狙いもある
のだが。
﹁はあぁ⋮⋮カイト君の中、あったかいナリィ﹂
﹁とお﹂
左の指から伸びた爪を、右腕に突き刺した。
エレノアの悲鳴が響いた。
﹁な、何するんだい!? いかに私がそっちの趣向も行けるとはい
え、痛いじゃないか!﹂
趣向あるんだ、と思いながらカイトは真顔で返答する。
知りたくもない新事実であった。
1558
﹁やかましい。早く出ていけ。俺の腕はお前の家じゃないんだぞ﹂
﹁居心地のいいソファーって、ずっと寝てたいよね﹂
﹁知るか。あっち行け﹂
﹁⋮⋮あの﹂
右腕と滑稽なやり取りをしているカイトを一瞥し、シャオランは
言う。
﹁私に取り付いたところで、彼女は自由に扱えないと思います﹂
﹁なんでだ﹂
﹁加工されていませんから﹂
結局のところ、それが全てであった。
確かに憑依しようと思えばシャオランに取り付けない事もないだ
ろう。だが、彼女はエレノアが操作しやすいように加工された人形
ではない。
ソレに対し、カイトの右腕はエレノアのお手製だった。多少の不
都合があれど、どちらが居心地良いかは明白である。
﹁⋮⋮それに、意思のある物体との共存は難しそうであると判断し
ます﹂
﹁そうだよ。それで私はミラーハウスの憑依を諦めたわけだからね﹂
もっとも、それが星喰いにとっては脅威だったのだろう。
自分以外の異物が意識の中に入ってくるというのは、怪物にとっ
ても嫌悪感を抱いたに違いない。カイトは大怪獣に深く同情しなが
らも、頭を抱えた。
﹁⋮⋮今日だけだぞ﹂
﹁いやぁ、カイト君。今日だけとは言わず、ずっとこのままでも構
1559
わないよ。こう見えても私は便利な女だからね﹂
﹁今日だけな﹂
右腕がわきわきと動きだし、器用さをアピールしだす。
一生腕の人生でいいのか、こいつは。いや、それを抜きにしても
一生共同生活するのは断固として御免なのだが。
﹁ところで﹂
寸劇を終わらせるように切り出したシャオランが、訝しげな視線
を送ってくる。
﹁どうやって脱出しましょう﹂
﹁決まってるだろ﹂
エレノア
閉ざされた鏡の壁に向かい、カイトが右腕を振り上げた。
右腕が慌てながら言う。
﹁ね、ねえ。一応、私が今は右腕なのは知ってるよね?﹂
﹁もちろん。痛みを抑えたいなら、変な抵抗しない方がいいぞ﹂
笑顔で言うと、カイトは右腕を壁に叩きつけた。エレノアの悲痛
な叫びが聞こえたが、カイトはこれを無視。
鏡が砕け、壁の奥が露わになる。次なる鏡の壁が見えると、カイ
トは再び右腕を突き出した、拳は握りしめられ、真っ直ぐ突き出さ
れる。またしてもエレノアの悲鳴が聞こえたが、やはりこれも無視。
右腕の肘から先が、文字通り飛び出した。右腕から放たれたロケ
ットパンチは壁を突き破り、更にその奥の鏡の壁を何枚もぶち破る。
﹁⋮⋮なるほど。それで構わないのであれば、私も手伝いしましょ
1560
う﹂
シャオランが右腕を構える。直後、彼女の細胞が渦を巻き、巨大
な銃口が生成された。右腕に空いた穴から、赤い光が溢れ出す。
光がカイトの開けた穴の隣に突き刺さった。鏡どころか、壁を何
枚もぶち破りつつも、彼女は顔色一つ変えないまま前に進む。
﹁穴掘りですね﹂
﹁ああ。だが、急いだ方がいい﹂
拳で砕いた穴を見る。
周囲の鏡が溶けだし、新たな鏡の壁を再構築しようとしていた。
それ自体はいい。また壁が出来るなら、壊すだけだ。
問題は、ミラーハウスから出た後、外がどういった状態に変化し
ているかだった。
﹁外で既に星喰いが暴れていた場合、面倒なことになる﹂
﹁映像の通りだと考えれば、星喰いの正体は遊園地そのものとなり
ます﹂
では、その中のアトラクションであるミラーハウスから脱出を図
った場合、どうなるか。
恐らく、外で大暴れしているであろう全長200メートル級の怪
物の身体から外にでることになる。破壊した鏡の壁の奥がどこに繋
がっているのかはわからないが、外で暴れている以上、スバル達が
応戦している筈だった。
﹁流れ弾には気を付けてろ。紅孔雀はエネルギーランチャーを装備
している﹂
1561
こうなってくると、強力な武装のみを選んで装備した紅孔雀の存
在がネックになってくる。しかも巨大すぎる星喰いに対抗する為に
は、動き回るしかない。四方八方を飛び回り、攻撃を仕掛けようも
のなら巻き添えを食らう恐れもある。
﹁第二突入部隊も来れば本格的に囲まれることになる。その前に、
早く行くぞ﹂
﹁了解﹂
機械的にそういうと、シャオランは再び銃口を構えた。
星喰いは撃墜したブレイカーを食らう為に襲い掛かってくる。
5年前、実際に遭遇したオズワルドから聞いた話であった。彼は
訓練中のスバル達に、当時の事を語っている。
﹃ブレイカーが、アルマガニムを動力源にしていることは知ってい
るだろう。奴は、その動力源を食らっている。アルマガニウムは、
奴の餌なんだ﹄
ウィリアム曰く、星喰いはアルマガニウムの原石と共に隕石に乗
って地球にやって来たのではないかとされている。
納得できない話ではなかった。
﹁だからってさぁ!﹂
1562
獄翼のコックピットの中で、スバルは毒づく。
オズワルドから聞いた話を思い出しながらも、星喰いの周りと高
速で移動していく黒の巨人。普段なら自由に飛び回るその姿も、星
喰いの前ではハエも同然であった。
﹁これを相手に一発でも貰ったら、死ぬって反則だろ!﹂
﹁スバルさん! 前、前見てください!﹂
これまでの相手を振り返ってみる。
シンジュクで遭遇した、ガードマンが全長30メートルほど。
ダークストーカーが17メートル。
念動神が推定40メートル。
トラセットの新生物が、一番大きな形態で100メートル。
星喰いは、そのどれをも大きく上回っている。
そもそも重力とか大丈夫なのかと言いたいところではあるが、言
ったところで向こうは襲い掛かるのを止める訳でもないので、それ
は後で文句を言いたい時の為にとっておくことにした。
﹁マリリス、カイトさん達の反応はないの!?﹂
﹁せ、生体反応が隠れてて見えません!﹂
カイト達の生体反応は、星喰いの巨大すぎる反応に上書きされて
しまっている。ゆえに、彼らが生きていたとしても、死んでいたと
しても、星喰いを退かさなければ位置の確認ができないのだ。
しかも現状、カイト達は星喰いの中にいる可能性が大きい。
﹁こうなったら、刀で刻んで中身を⋮⋮﹂
﹃よせ、下手に近づくな!﹄
1563
鞘に収まっている刀を引き抜こうとした瞬間、オズワルドから静
止の声がかかる。
﹃忘れたのか。奴は身体をどろどろの液体に変化させることができ
る。そんな物を至近距離で振り回せば、捕まって食われるのがオチ
だ!﹄
﹁でも!﹂
﹁スバルさん﹂
オズワルドに食って掛かる様にして顔を前に押し出すスバルに、
Xです!﹂
マリリスが声をかけた。彼女は決意に満ちた顔で、少年に言う。
﹁やりましょう。SYSTEM
﹁え!?﹂
ここでか、と言いかけたが寸でのところで抑え込む事ができた。
スバルは改めて星喰いの周りで飛びまわるブレイカーを確認しつ
つ、マリリスに答えた。
﹁でも、まだ誰も負傷してないよ!﹂
﹁いいんです。私の羽が、あの怪獣を一時的に⋮⋮と、溶かすこと
ができれば!﹂
マリリスの羽は新生物を溶かした。ならば、その同種と考えられ
る星喰いにも効果がある筈である。彼女の主張は、大雑把にいえば
こんな感じであった。マリリスが常に進化する人間であるのなら、
それも十分可能だろう。
ただ、スバルとしては不安が残る。
マリリスが勇気を振り絞って提案したのは嬉しい。だが、声は完
1564
全に震えあがっていた。
﹁マリリス、SYSTEM
Xは痛みもフィードバックする! も
し攻撃を受けたら、君は︱︱︱︱﹂
﹁あなたを信じます!﹂
パイロットの少年に有無を言わせる暇も無く、マリリスはタッチ
X起動﹄
パネルを走らせる。
﹃SYSTEM
コックピットに無機質な起動音が響く。その直後、スバルとマリ
リスの真上から無数のコードに繋がれたヘルメットが落下してきた。
﹁⋮⋮信じられた!﹂
それだけ言うと、スバルは改めて星喰いへと視線を送る。
彼が操縦桿を強く握り直したと同時、獄翼の巨大なウィングから
青白い羽が出現した。それは縦へと大きく展開し、次第に蝶の形へ
と変貌していく。
﹃いけます!﹄
﹁よぉし!﹂
背中に生えた光の羽を大きく羽ばたかせる。
光の結晶を含んだ風が、星喰いを襲った。
1565
第116話 vs星喰い
マリリス・キュロはイメージする。
過去二回の進化を遂げ、己の細胞は願望を形にする可能性がある
のだと悟った彼女は、早速羽に命じた。
眼前の巨大な怪物。あれを溶かせ、と。
マリリス
獄翼の羽が大きく煽がれる。風が渦巻き、光り輝く鱗粉を巻き込
みながら突風が吹く。
鱗粉が怪物の皮膚に触れた。その瞬間、星喰い︵スターイーター︶
と命名された大怪獣が悲痛な叫びを上げる。
皮膚が焼け、鱗粉が触れた個所が溶け始めた。
﹁︱︱︱︱!﹂
その叫びは大怪獣の定番であるがお、か。
もしくは人間と同じようにぎゃあ、と叫んでいるのかはわからな
い。痛みを感じているのだという実感を味わうと、罪悪感を覚えて
しまう。
マリリスは敢えてその叫びを聞き入れまいと、耳を閉じた。その
意識を受け入れるようにして獄翼が両手を耳に当てる。
こうなると、武器を持つ必要がない自分の羽が案外便利に思えた。
﹃いいぞ、効果がある!﹄
溶け始めた星喰いの皮膚を確認すると、オズワルドが興奮隠せぬ
口調で言う。
1566
﹁効果はあるけど﹂
だが、間近で星喰いを睨むスバルは理解していた。
確かに効果はある。鱗粉が触れた個所が焼け、溶け始めているの
だ。効果がない筈はない。
ただ、対象があまりにも巨大すぎる。
大きさが10分の1程度しかない獄翼から放たれた鱗粉は、風に
煽がれようが全体には命中しない。星喰いは苦しみながらも、前進
してきているのだ。
﹁足止めできない!﹂
200メートル級の巨体から、腕が伸びる。
巨大な隕石が襲い掛かってくるかのような錯覚を覚えながらも、
スバルは操縦桿を引いた。獄翼の背中に取り付けられた飛行ユニッ
トが稼働し、大きく飛翔。
上昇した獄翼に向けて、怪物の拳が軌道修正される。
脚部が僅かに掠った。
﹃きゃっ!﹄
右足の表面に、焼け跡が残る。それが怪物の拳を掠めた際におき
た、摩擦熱による被害であることは一目瞭然であった。
﹁マリリス、大丈夫か!?﹂
﹃い、痛いです!﹄
流石にすぐに大丈夫、と言えるわけがなかった。
これまで乗せてきたのは常識はずれの超人ばかりである。身体を
1567
作り変えられたとはいえ、限りなく一般人のままのマリリスでは負
担が大きい。本人曰く、身体は頑丈になったらしいが、それでも同
居人たちと比べたら立派な女の子である。
﹃スバルさん、絆創膏を貼らせてください!﹄
﹁それってどこまでが本気!?﹂
訂正しよう。多少、天然が入った女の子である。
まさかブレイカーに意識を持っていかれながらも、絆創膏を求め
てくるとは。
﹁フィティングに戻って、ペン蔵さんに修復してもらわないと!﹂
﹃ブレイカーって不便です!﹄
﹁そういう事を言わないの! みんなお給料もらってるんだ!﹂
この会話を聞いている筈のオズワルドが沈黙しているのが、妙に
悲しくなってくる。スバルは会話の方向転換をする為、攻めの話題
を切り出した。
﹁鱗粉ってどこまで出せそう?﹂
﹃スバルさん、痛いです⋮⋮﹄
﹁ああ、星喰いは新生物と比べてもおっきいからね。前と同じよう
に羽ばたいただけだと、一部しか溶かせない﹂
﹃痛いんです⋮⋮﹄
どんどん低くなる声のトーンが痛々しい。
察するに、これまでに感じたことがない痛みのようだ。マリリス
Xの筈であっ
自体が頑丈でも、実際の身体を司る獄翼が負傷することで大きなダ
メージがきてしまう。覚悟のうえでのSYSTEM
たが、彼女の覚悟を超えた痛みであった。
1568
﹃スバルしゃあん﹄
﹁カイトさんを助けたら即修復するから頑張って!﹂
今にも泣きそうな声で言われたら、流石に無視するわけにもいか
ない。スバルは同居人ほど鬼にはなれなかったし、非情にもなれな
いのである。
﹁オズワルドさん、第二突入部隊は!?﹂
﹃もうそろそろ来る筈だ。彼らに攻撃が飛ばないようにする為にも、
我々で足止めをするんだ!﹄
足止めをするんだって言われても。
スバルは困り果てた表情で星喰いに視線を向けた。鱗粉によって
溶けた個所は、すでにただの火傷の痕となっている。ずしんずしん、
と地響きを立てながら前進する巨大生物の姿を見ると、止められる
気がしなかった。
周囲に飛び回っている紅孔雀のエネルギーランチャーも、蚊の刺
す如くである。ダメージとしては全く期待できずにいた。
﹃それでも、注意を引くことは出来る!﹄
オズワルドの紅孔雀がエネルギーランチャーを構える。
巨大な銃口から放たれた赤い光が、星喰いの左目に直撃した。水
飛沫のようにして光が弾け、星喰いの目玉に焼け跡を作る。
﹃我々だけでは消滅しきれないのは重々承知だ。だが、外に開放す
ればまだ勝機はある﹄
今、銀の山の周辺には10もの飛行戦艦が取り巻いている。
1569
それらが一斉に砲撃を開始し、星喰いに大打撃を与えるのがプラ
ンだった。その為の第二突入部隊であり、その為の第一突入部隊で
ある。
第一突入部隊は調査を行い、耐える必要があるのだ。星喰いの巨
体から繰り出される攻撃を延々と回避し続けるだけの、苦しい作業。
﹃スタミナが切れた瞬間、死ぬぞ!﹄
﹁くっそぉ! 分が悪すぎるぜ!﹂
分かってはいたが、相手はでかすぎて理不尽となると毒づきたく
もなる。押してダメなら引いてもダメ。あくまで視線を向けるだけ
で、後は逃げ切るだけの延々とした鬼ごっこなのだ。第二突入部隊
や戦艦が失敗してしまったら、それこそ永遠と続くことになってし
まう。
だが、それでもやるしかないのだ。
﹁マリリス。もう一回いける?﹂
﹃お、お任せします!﹄
強がりな台詞だとは理解していたが、了承を貰えた以上は文句は
ない。
スバルは操縦桿を引き、背部に出現した光の羽を再び羽ばたかせ
る。
だが、それと同時に。星喰いもアクションを起こした。
﹃なんだ?﹄
最初に異変に気付いたのはオズワルドである。うっすらと。本当
に薄くて、気付きにくいのだが。星喰いの周りに赤い壁が張られて
1570
いる。
円錐の形で星喰いを覆うそれは、獄翼から放たれる鱗粉を寄せ付
けていなかった。オズワルドは叫ぶ。
Xをカットする。
﹃星喰いがバリアを張ってるぞ! 総員、攻撃中止だ!﹄
﹁りょ、了解!﹂
その言葉に従い、スバルがSYSTEM
だが、全員が彼のように攻撃を中断できたわけではない。星喰い
の周りに飛んでいた、バトルロイドの乗る紅孔雀がそれである。
彼女はタイミングが悪い事に、オズワルドの静止の声がかかった
瞬間に引き金を引いてしまっていた。
この場に残っていたバトルロイドが操縦する紅孔雀が、赤い壁に
向けてエネルギーランチャーを照射する。壁に着弾した光の柱が砕
け散り、霧散していった。
﹁うそぉっ!?﹂
その光景を見たスバルが、驚愕する。
彼はエネルギーランチャーがどの程度の威力があるのかを知って
いた。狙いどころが良ければ、戦艦だって沈める事が可能だ。ブレ
イカー単騎で持つには、いささか過ぎた武装ではある。
だが、それが簡単に弾かれた。その事実に、スバル達は身震いし
た。
そしてついに、最初の戦死者が出る。
星喰いの巨大な左腕が、バトルロイドの紅孔雀を掴んだ。
巨大な親指がコックピットを押し潰したのが見えた。爪先から紅
孔雀の中身が零れ落ちる。
1571
﹁オズワルドさん!﹂
﹃焦るな!﹄
叱咤の言葉は、自分も含めて言ったものであった。5年前、仲間
たちが次々に食われていった記憶が、ベテラン兵を攻め立てたのだ。
﹃さっきまでは普通に攻撃を受けてたんだ! そこかで必ずバリア
を発生させている部位がある。そこを突く!﹄
﹁突くって、どうやって!?﹂
﹃見つけた後に考える!﹄
その後は、紅孔雀と獄翼がバリア越しで手を伸ばしてくる星喰い
から逃げ回るだけの時間であった。
文字だけで表現すると簡単だが、それを長い間続けるとなると疲
れは蓄積してくる。時計の針が4分の1も進んでいない状態で、息
を切らしたのはスバルだった。
﹁かっ、はぁ!﹂
大きく息を吸い、酸素を心臓に送り込む。
Xを使えば、私
一瞬、脳と臓器が活性化するが、すぐに少年は息切れした。送り
込んだ酸素が一気に抜けていく錯覚さえ覚える。
放っておけば今にも倒れそうであった。
﹁スバルさん、私が代わります!﹂
﹁え、マリリスって操縦できるの!?﹂
﹁できないですけど、あれです! SYSTEM
も空を飛べます!﹂
1572
マリリスの提案は魅力的なものだ。魅力的だが、しかし。彼女が
背中の羽で空を飛ぶ光景なんて、この半年間で見たことがない。
しかも背後から僅かに感じ取る、黒いプレッシャー。ちらり、と
背後に控える少女の姿を確認する。
瞳孔がぐるぐると渦巻いていた。
﹁気持ちだけ受け取っておく﹂
﹁ええっ、なぜ!?﹂
﹁怖いんだよ!﹂
何が、とは言えない。マリリスは彼女なりになんとか現状を打破
しようとして、自分に出来る最善の策を考えてくれたのだ。それを
棒に振るのは心が痛むが、無茶をさせて撃墜されても意味がない。
だからと言って、現状がかわるわけでもない。このままでは自分
たちはもちろん、オズワルドや調査に入っているカルロ達までやら
れてしまう。
スバルは恨めしげに星喰いを見上げた。
﹁ん?﹂
そこで彼は気づく。
星喰いの頭上に、小さな影が立っているのである。スバルはモニ
ターをズームにし、影の姿を確認した。
﹁あ!﹂
女だった。白いドレスに身を纏った、黒い目の女。今は瞼を閉じ
ているが、間違いない。映像の中に映っていた女と同一人物であっ
た。
1573
視線を向けられるよりも早く、スバルはズームカメラをシャット
ダウンする。
﹃どうした、スバル。何を見つけた﹄
﹁オズワルドさん。星喰いの頭の上に、例の女がいる!﹂
一瞬、沈黙が流れた。確かめたい衝動に掻き立てられたのだろう。
だが、ドレスの女と目を合わせたらどうなるか、彼が一番よく知っ
ていた。
﹃くそっ!﹄
友人を病院送りにした元凶が目の前にいる。それなのに、引き金
を引くどころか顔を見る事も叶わないとは。
悔しさの余り、彼は舌打ちをするしかなかった。
そんな時である。
﹃ん?﹄
正面モニターに、熱源反応が出た。
星喰いと比べると遥か小さいが、間違いない。大怪獣の頭上に、
誰かいるのだ。しかも﹃ふたり﹄。
オズワルドがドレスの女を避けて視線を向ける。
直後、星喰いの頭部が弾け飛んだ。内側から抉られた銀の皮膚は
宙に飛び散り、中から青年と女性が姿を現す。
﹁お?﹂
﹃げっ!﹄
1574
思わず、そんな失礼な声を出してしまった。
神鷹カイトである。星喰いが現われる直前に遊園地に乗り込んだ
男と、シャオランと呼ばれた女性が、どういうわけか星喰いの頭の
中から姿を現したのだ。
なんであんなところにいるんだ、あいつら。
﹁おお、比較的いい場所に出たな﹂
周囲を見渡し、カイトは軽く状況を確認する。
紅孔雀と獄翼の姿を視界に収めた後、カイトは正面で背を向けて
いる女を見やった。
果たして彼女は驚いているのだろうか。
それとも、自分たちがこの場所に出てくるのも計算の内なのか。
だが、どちらにせよひとつだけわかる事がある。
﹁カイトさん! たぶん、そいつがバリアを発生させてるんだ。そ
れを解かないと、俺たちお手上げだよ!﹂
どうにも、みんな困っているようだ。
それならば、遅れて登場した身としては仕事をせねばならない。
﹁おい、手伝え。そろそろ第二突入部隊︱︱︱︱お前の上司が来る
時間だ。いいところ見せてやれ﹂
﹁⋮⋮了解しました﹂
シャオランがカイトと女の間に立ち、視線を塞ぐ。
背中から純白の翼が出現し、両腕を再構築して戦闘態勢に入る。
一歩、前に踏みこむ。
1575
ドレスの女が振り返ったと同時、星喰いの頭上で風が舞い上がっ
た。
1576
第116話 vs星喰い︵後書き︶
次回は木曜の朝投稿予定。
1577
第117話 vs銀の女と大怪獣と
第二突入部隊の構成は、第一突入部隊と比べると少ない。
先に突入したメンバーが旧人類連合側寄りなのもあり、第二突入
部隊のメンバーも新人類軍よりになっているのも大きい。彼らの仕
事は山脈の破壊ゆえに、力のない旧人類と組むよりかは、同じ新人
類と組む方が効率がいいのだ。
べにくじゃく
しかし、その中で。タイラントは居心地の悪さを感じていた。
なぜか。彼女の隣で飛行する紅孔雀に乗る、新人類軍の代表。彼
が放つ無言の威圧感が、強烈な寒気となってタイラントに襲い掛か
ってきたのだ。
﹁⋮⋮大丈夫なんだろうな﹂
念を押すように、タイラントは問う。
数分も穴の中を移動すれば問題の遊園地に着く。先行部隊の話に
よれば、既に星喰い︵スターイーター︶は目覚めており、戦闘が開
始されているのだそうだ。
その中で、タイラントたちは加勢するのではなく、山を破壊しな
ければならない。
だが、半年ほど前の会議で、代表同士のいざこざが起きてしまっ
た。
あの後、結局わだかまりが消えた気配は無く、アトラスは部屋に
閉じこもったきりだったのだが、今日になって彼は朝一で紅孔雀の
コックピットに搭乗していた。果たして、彼の精神はどこへ辿り着
いているのだろうか。表情も見えないコックピットからでは、それ
が分からない。
1578
﹃ご心配は無用です﹄
そんなタイラントの不安を余所に、アトラスは普段通りの口調で
言う。
﹃あの件に関しては、ご迷惑をおかけしましたね。申し訳ありませ
ん﹄
﹁そう思うのであれば、これまでの間なにをしていた﹂
﹃儀式です﹄
返却された答えは、タイラントには理解できない言葉だった。
﹃リーダーを怒らせたことは私の一生の恥です。そこに関しては、
咎められても仕方がないでしょう﹄
タイラントもその時の現場にいたが、どちらかといえば問題があ
るのはカイトのような気がする。アトラスがそれに気付いているの
が、盲目的に献身しているのかはわからないが、どちらにせよ彼が
詫びるのは見当違いに思えた。
﹃しかし、二度目はあってはなりません﹄
ただ、当の本人にとっては死活問題以外の何物でもなかった。
アトラスは二度と過ちを犯さないために、儀式を執り行ったのだ
ろう。
﹁お前とアイツの問題だ。何をしたのかは敢えて聞くまい﹂
﹃お心遣い、感謝します﹄
1579
光が見えてきた。
穴の奥の世界は夜の世界が広がっていると聞くが、先発隊の報告
によれば、出口には光がさしていたらしい。ならば、今回の戦場の
入口はあの光で間違いないだろう。
タイラントはそれを確認すると、雑談を終えにかかる。
﹁だが、仕事は仕事だ。己の任務がなにか、忘れるな﹂
﹃勿論です﹄
光の中に紅孔雀が突入した。
直後、タイラントたちは目の当たりにする。眼前で暴れる大怪獣
の姿を。その周辺で飛び回る友軍に姿を。
そして、大怪獣の頭上で戦いを開始した妹分、シャオランの姿も
見た。
﹃タイラント様。合流ポイントに友軍機が待機しています。まずは
そちらに﹄
﹁了解した﹂
本当なら、すぐにでも駆けつけてやりたい。
行って、彼女が戦いを仕掛けている相手を思いっきりぶん殴って
やりたい。だが、今は仕事だ。シャオランとて子供ではない。自分
の役目は理解しているし、上司であるタイラントの仕事が何なのか
を理解している。
その上で、シャオランは第一突撃部隊に配属されたのだ。
﹁アトラス、いくぞ﹂
それはアトラスとて同じである。
1580
彼の敬愛する﹃リーダー﹄もシャオランと共同戦線を展開し、怪
物の頭上で戦っていた。彼が言う儀式は全てカイトの為に執り行わ
れた物である。駆けつけて、戦いたい気持ちが溢れかえっている事
だろう。
その気持ちは痛いほど理解できた。
﹃タイラント。私の任務はただ一つです﹄
アトラスが小さく呟く。
彼が駆る紅孔雀のウィングが火を噴き、加速した。向かう先にあ
るのは、星喰い。
﹁お、おい!﹂
﹃あのお方の為に生きる事だ!﹄
止めようと手を伸ばすが、時すでに遅し。
アトラスの紅孔雀は星喰いのもとに全速力で加速していった。
﹃止めなくていいんですか!?﹄
﹁⋮⋮誰が止められると言うんだ﹂
アトラスの精神は、既にタイラントたちの計り知れない場所へと
到達している。彼の言う﹃儀式﹄がそれを更に昇華させたのだろう。
まさか目の前で司令官を務める立場にある者が、こうも堂々と仕事
を放棄するとは。
﹃しかし⋮⋮﹄
﹁では、お前は追いかけられるのか?﹂
ついてきた兵の言いたいこともわかる。
1581
だが、最新型で尚且つ最大速度の紅孔雀に追いつける機体など存
在しないのだ。同型機に乗るのであれば、尚更である。同じ速度で
走ったら、先にスタートしたアトラスには追いつけない。
﹁放っておけ。奴にとってはこの戦い、私たちには理解できないほ
どに神聖なんだろう。山の破壊は我々で行うぞ﹂
﹃⋮⋮了解しました﹄
やや間をおいてから、タイラントについてきた兵が納得した。と
は言っても、完全に納得したわけではないだろう。だが仕方がない。
これも新人類王国が敷いてきた絶対強者主義の弊害なのだ。
ただ、その中でも唯一信頼できるものがあるとするならば。
アトラス・ゼミルガーがどれだけ﹃あのお方﹄を崇拝していよう
と、当の本人と主義は合わない。その確信だけが、タイラントの中
にあった。
神鷹カイトは星喰いの頭上で上着を脱ぎ、素早く袖を切り裂く。
﹁なにしてんの﹂
右腕が話しかけてくる。ただ、行動の邪魔にならないよう、動作
はこちらに任せてくれている辺り、空気は読んでいるようだ。
﹁目隠し﹂
﹁やだ、そういうプレイ? 燃えてくるね﹂
﹁黙れ﹂
1582
喋ったことを心底後悔した。ハチマキを締めるようにして目を覆
うと、カイトは再び女を睨む。
﹁見えるの?﹂
﹁見えない﹂
だが、見えなくとも肌が感じる事ができる。
鼻でにおいを追う事はできる。
耳で音を察知する事ができる。
﹁だが、問題ない﹂
シャオランに続く形でカイトが疾走する。
先に突撃したシャオランは、左手で生成した剣で女に切りかかっ
ていた。だが、その斬撃が肉を切り裂くことはない。
女の身体が泡のように膨れ上がり、シャオランの一撃を防いだの
だ。
﹁!﹂
突けば弾けてしまいそうな銀の泡。
だが、その硬度は剣を弾くほどには堅い。シャオランはその事実
を認めると、飛翔しもう片方の腕を構える。銃口となった右腕に赤
い光が集い、女だった物の脳天目掛けて照準を合わせる。
﹁ターゲットロック﹂
シャオランの視界に映る捕捉オブジェクトが、泡を捉えた。
同時に、泡が一気に凝縮されていく。5秒もしない内に早変わり
1583
したその姿は、先程まで突っ立っていた女の姿ではなかった。
フェイス
まるで鎧を着こんでいるかのような銀色のボディ。
輝く顔面に、不気味に光る黒い目玉。客観的に観察すると、先程
の女が銀色の何かに包まれ、戦闘態勢に入ったように思えた。
現に彼女の右手には、剣が握られている。
黒曜石のような輝きを放つそれを振り回しつつも、銀の鎧は真上
に退避したシャオランへと跳躍する。
﹁発射﹂
だがシャオラン。跳躍して接近してくる銀の鎧目掛けて、赤いシ
ャワーを浴びせる。
右腕の銃口から放たれた光の雨は瞬く間に銀の鎧を飲み込み、星
喰いの鼻先を焦がしていく。大怪獣が痛みを訴えるようにして叫ん
だ。
﹃敵影健在。危険!﹄
﹁照射終了﹂
シャオランの視界にエラーメッセージが走る。
強制表示されたポップアップ画面を閉じると、破壊のシャワーか
ら生還した銀の鎧がそのまま襲い掛かってきた。
しかしシャオランは慌てない。彼女は両手を元の形に戻すと、そ
のまま黒い剣に向かわせる。直後、刀身がシャオランの両掌に挟ま
れた。真剣白羽どりである。
﹁キャッチなう﹂
﹃その後の選択は﹄
頭の中に仕込んである電子頭脳が問いかけた。
1584
問いに対する選択肢は幾つかあるが、ここで応えるべきは、
﹁パスします﹂
言葉が紡がれた瞬間、背後から迫るカイトも跳躍する。
彼は飛翔するシャオランの肩まで跳び上がり、その肩を蹴り上げ
ると鎧の頭上にまで跳び上がった。その後繰り出されたのは、爪を
向けての顔面蹴り。
﹁︱︱っ!?﹂
カイトの爪が顔面に直撃する。
鼻があるであろう部位が潰れ、銀色の液体を吹き出しながら鎧が
吹っ飛ばされた。
﹁ねえ、今のずるい! 凄いコンビプレーっぽい! 私もやりたい
!﹂
﹁やかましい﹂
ただ、蹴りあげた張本人は緊張感ゼロである。
右腕に憑依したストーカーがうるさくてシリアスになりきれない
のだ。
﹁やーりーたい! やーりーたい!﹂
空中で右手がぶんぶんと上下運動する。
自分の意思とは無関係に行われるそれに軽い怒りを覚えたが、今
言ってもどうせ聞きはしないのでカイトは諦める事にした。代わり
に、この苛立ちは敵にぶつける事にする。
1585
カイトの耳が激突音を拾い上げた。
何かが落ちた音である。しかも自分の真下だ。その位置に叩き落
とした物体は、一つしかない。
その事実を認識すると、カイトは器用に身体を曲げて回転。
勢いをつけてから星喰いの頭上へと突撃する。
﹁!﹂
鎧が起きあがり、見上げる。
改めて黒い剣を握り直すが、時すでに遅し。彼女がそれを振るう
前に、カイトの手刀が脳天に直撃した。その感触を素早く確かめる
と、彼はそのまま縦へと一閃。
﹃うげっ﹄
遠くから電子音交じりで、うめき声が聞こえた。
近くを飛び回るスバルか、オズワルドのどちらかだろう。眼前で
何が起こったのかもわかる。目隠しをしていても手ごたえを感じた
のだ。
﹁バリアは!?﹂
振り向き、シャオランへと確認する。
﹁発生中です。恐らく、まだ仕留めきれていないか。もしくは星喰
い自体が発生させているかと思われます﹂
﹁なるほど﹂
前者であれば、このまま攻撃を続けるだけだ。
だが後者であるなら、少々分が悪い。バリアの中で行動できるの
1586
が、生身のカイトとシャオランだけだからだ。質量があまりに違い
過ぎる。
せめて、ブレイカーでも欲しい所だ。なんとかバリアの穴が出来
ればいいのだが。
カイトがそう考えている時である。
﹁紅孔雀、接近﹂
﹁なに﹂
新たな機影を、シャオランが察知した。
カイトは無意識のうちに右手を抱え、風が吹く方向へと向ける。
目隠しをしている分、エレノアに詳しい解説を求めているのだ。そ
して彼女も、無言でその役目を引き受ける。飽くなき好感度アップ
の為に。
﹁あれ、多分フルスピードだね。このままだと突っ込むよ﹂
﹁通信回線は開いてるのか? オズワルド、スバル。奴を止めろ!﹂
﹃りいぃぃぃぃぃぃっだあぁぁぁぁぁぁっ!﹄
止めにかかった二人が、その動きを止めた。
星喰いに突撃しにかかった紅孔雀から轟く方向に、身震いしてし
まったのである。
﹃な、なんだ!?﹄
﹃あれは!?﹄
オズワルドとスバルを振り切り、紅孔雀が星喰いの頭部へと突撃。
それを見た星喰い。餌が突っ込んできたことにより、口を大きく
開いた。頭部に続くバリアを解除し、開いた穴の中へ紅孔雀を招き
1587
入れる。
﹃は、ははっ!﹄
壊れたような笑い声が、僅かにスピーカーから響いた。
﹃馬鹿め! お前なんかに、私はくれてやらない! 私の命は、あ
のお方の為にあるのだ!﹄
紅孔雀が星喰いの牙に手を伸ばす。
全速力で突っ込んだ深紅の巨人が、巨大生物の牙と牙の間に挟ま
った。直後、コックピットが展開する。その中から躍り出たのは、
赤い仮面をつけた﹃女﹄。彼女は操縦桿のような棒を握り締め、怪
物の喉にそれを見せつける。
殆ど口の中なので、カイト達からは中に誰が乗っているのかは確
認できない。
だが、その声には聴き覚えがあった。
﹁アトラスか!?﹂
﹃私たちの前から消えろ、怪物。目障りだ﹄
次の瞬間。
紅孔雀が、星喰いの口の中で爆ぜた。アトラス・ゼミルガーが握
りしめていたのは、自爆装置だった。
1588
第118話 vs爆焔の心
現実っていうのはいつだって敵だ。
アトラス・ゼミルガーの人生は常に悲しい現実に包まれている。
少年時代、新人類王国に占領されたばかりの北欧某国にて、新人
類の回収が行われたことがある。当時、新人類と旧人類の見分けは
中々つかなかった。今ではバトルロイドが簡単に区別してくれるが、
10年以上も前では無差別に人間を回収しては取り調べを行う他な
かったのである。
アトラスはその時、両親と引き離された。
だが、同時に最も抵抗したのがアトラスであった。彼はそこで初
めて、己の能力を使った。
新人類軍のトラックは爆発し、炎上。兵も重傷を負う程の大惨事
である。
だが、アトラスは家族のもとに戻ることは出来なかった。
父と母が向けてきた眼差しは、息子に向ける物ではなかったので
ある。まるで化物を見るかのような、冷めた瞳。
周囲360度を取り囲む凍てついた視線が、少年の心を凍りつか
せた。
始めて使った異能の力は、彼を故郷から追放させた。
誰も庇ってくれない。
誰も迎え入れてくれない。
誰も笑いかけてくれない。
当時、敗戦したばかりで反新人類の勢いがあった故郷に、彼の居
場所などどこにもなかった。アトラスは失意のまま護送車に入れら
1589
れ、王国へと送り届けられたのである。
しかし、結果として。
そこで彼は運命の出会いを果たすことになった。
トリプルエックス
新人類王国の特殊部隊、XXXの抜擢。
そしてリーダー、神鷹カイトとの出会いである。出会った当初、
アトラスはそこまでカイトを神聖視していたわけではない。
上司、という立ち位置も幼い少年ではあまり理解は出来ず、精々
﹃世話を焼いてくれるお兄ちゃん﹄程度である。実際、彼は第二期
としてXXXに入ってきた自分たちの面倒をよく見ていた。
シルヴェリア姉妹のベットを毎日のように乾かし、アキナの熱心
な戦闘意欲も満たし続けている。そう言う意味では、彼は優秀な保
護者であった。
印象ががらりと変わったのは、始めて戦場に出た時である。
今回の遊園地突入作戦のように、カイトは先陣を切って突撃した。
そして自身が敷いたレールの上を走らせ、まずは初心者であるアト
ラス達に慣れさせようとしたのである。
ただ、その中で。
アトラスはカイトの敷いた道ではなく、彼自身の姿をずっと見て
いた。
魅入っていた、といっても過言ではないかもしれない。敵を薙ぎ
倒し、戦車相手にも立ち向かい、へまをして殺されかけた自分たち
を庇ったその姿を見て、アトラスは尊敬の意をカイトに送っていた。
一生この人についていこう。
例えそれが彼の仕事であったとしても、語りかけてくれたのは彼
だ。身体を張ってくれたのも、彼だ。
1590
彼だけだったのだ。
あいつら
自分の力を知った途端に、嫌な目で見てくる旧人類じゃない。
その事実を噛み締めた途端、アトラスは己の中に燃え上がるよう
な何かを感じた。
アトラス・ゼミルガー、9歳。
美少年兵とちやほやされた少年が、恋心を抱いた瞬間であった。
否。アトラスは己の中に燃え上がった﹃モノ﹄を、言葉で表現で
きるとは思っていない。彼はテレビを通じて、知っていたのだ。
恋とは冷める物なのだ、と。
例えそれが、どんなに美味しい食材を調理して運ばれてきた高級
ディナーだとしても、毎日食べ続ければ飽きる。愛だって、おんな
じだ。だから人間は新しい刺激を欲する。
アトラスは恋とはそういうものだと認識していた。
だからこそ、そんな安直な言葉で括ってほしくはない。
現に見るがいい。自分のこの忠誠心を。あのお方の為に怪物の口
の中に飛び込み、自爆してみせた。
お前に出来るか。己が死ぬかもしれない境地に陥ってでも、誰か
の力になりたいと思うことが、お前に出来るか。
アトラスは誰にでもなく、そう呟く。
そして彼は今、紅孔雀の爆発の中から落下していた。至近距離の
爆発だったにも関わらず、アトラス・ゼミルガーは火傷で済んだの
である。
その背景には身体中にメラニー印の折り紙を仕込んでいたり、爆
風を能力である程度コントロールしたりと裏事情が色々とあるのだ
が、今は置いておこう。
大事なのは、﹃あのお方﹄に仇名す大怪獣に一泡吹かせてやるこ
1591
とだ。
見よ。
今、この瞬間にも星喰い︵スターイーター︶は顎を打ち抜かれた
ようにして倒れようとしている。
スバル達が散々手こずったバリアを物ともせず、ダメージを与え
てみせた。その事実に、アトラスは優越感を覚えた。
見たか、旧人類のサルめ。
お前が何十分もかけてできなかったことを、私は物の数秒でやっ
てみせたぞ。
あまりの出来事に呆然とている獄翼は、何も答えない。
だが、それでいい。あの中にどんな奴が乗っているのか知らない
が、自分がもっと強いのだと証明してみせたのだ。獄翼がノーリア
クションなのが、その証拠である。アトラスはそう思った。
思いながらも、その身体は木々に引っかかって勢いが殺される。
そしてところどころ枝に身体を預けつつ、最終的には地面へと落
下した。脳からの命令を聞かない身体が、懸命になって受身を取る。
やがて訪れた痛みは、アトラスを心地いい夢の世界へと誘おうとし
ていた。
だが、眠気は振り解かれる。
彼の名を呼ぶ声が聞こえたのだ。
﹁アトラス!﹂
聞き忘れる筈がない。
あのお方だ。半年前、アトラスはもっと彼に大切にされたい。も
1592
っと彼の望む姿になりたいと願い、彼が愛した女の姿になった。
だが、それは彼の逆鱗に触れた。なぜ彼が、敬愛していたエリー
ゼに嫌悪感を示したのかわからない。
わからないが、しかし、
機嫌を損ねたのは、間違いなく自分の失敗であった。最悪、もう
二度と彼と共に歩むことはないと覚悟もした。
だが、どうだ。
今、この瞬間にもカイトは自分の名を呼んで駆け寄ってくる。
派手に倒れ込んだ星喰いの地鳴りが響く。アトラスは心の中で﹃
黙れよ﹄と叫んだ。うるさくて、あの美しい声が聞こえない。
美化された青年の声が再び聞こえるまで、そう時間は掛らなかっ
た。
視界に待ち望んだ男の姿を映り込んだ瞬間、アトラスは歓喜の涙
を漏らす。
﹁アトラス!﹂
ああ。
なんてことだろう。これは夢だろうか。
あのお方が、目の前で倒れた敵よりも自分を心配してくれている。
こんなに嬉しい事はない。
﹁無事⋮⋮なんだそれは﹂
アトラスを見つけ、駆け寄ったカイトの第一声がこれである。
今のアトラスは、半年前に再会した時の初恋の人ではなかった。
赤いお面で顔を覆い、素顔を見せまいとしている。ただ、その隙間
から透明な液体が流れているので、何かしらの感情の変化があった
のは事実のようだ。
1593
﹁儀式です﹂
﹁儀式?﹂
訝しげに元部下を見やるカイトに、アトラスは答える。
﹁半年前、私はあなたを怒らせてしまった。あなたが喜んでくれる
と思ってやったことは、全て無駄だったのです﹂
エリーゼの存在は、アトラスからすれば羨ましいだけであった。
彼女が微笑むだけで、カイトは満たされる。自分が欲しい物の全
てを、あの女は持っていた。妬ましかったが、それよりも先に笑み
がこぼれたのはよく覚えている。
彼が満足なら、それでいいのだから。
だが、そんなエリーゼも随分昔に死んでしまった。
ゆえに、カイトが戻ってきた時の為にエリーゼが必要だった。そ
してあわよくば、自分が愛されたいと欲を出してしまったのである。
その結果が、これだ。
アトラスは己の罪の証を、カイトに見せる。
お面を外したアトラスの素顔は、半年前の原形を留めていなかっ
た。刃物のような物で切り刻んだ、生々しい痕跡が顔中に残ってい
る。
見れば、長く揃えられていた金髪もショートにまでカットされて
いた。
﹁お前﹂
﹁私は、ずっと信じていました﹂
1594
6年前、XXXのメンバーを襲った爆発事件。
その主犯はカイトであり、仕掛けた張本人も死亡したとして新人
類軍は片付けにかかったが、アトラスは受け入れなかった。
彼は生きている。生きて、きっと帰ってきてくれる。
何の根拠もない信頼だけを携えて、アトラスは6年間生きてきた
のだ。
﹁あなたは生きていた。生きていてくれた﹂
カイトの上着を掴み、アトラスは必至な表情で訴える。
まるで、逃がさないように捕まえているかのような光景だった。
﹁だというのに、私は︱︱︱︱私の誇りと、私の全てが、あなたを
傷つけてしまった﹂
耐え難い現実であった。
現実は何時だってアトラスの敵だ。味方になってくれたことなど
ない。アトラスは現実って奴が大嫌いだ。
だからこそ、彼は願いに生きる。
そうやって、あのお方が受けた心の痛みを、己の罪として受け入
れた。
﹁すまなかった﹂
﹁え?﹂
だが、そんな﹃あのお方﹄から紡がれたのは、アトラスが思って
もみなかった言葉であった。
﹁知らなかったとはいえ、お前を苦しめた。俺のせいだ﹂
1595
カイトはアトラスの前髪を払い、顔をじっくりと眺める。
それだけでも恥ずかしい、儀式を執り行う必要があったとはいえ、
無様な顔を晒してしまった。アトラスは数分前の己の浅墓な行動を
恥じる。
﹁本当に、似ているな﹂
半年前どころではない。
XXX時代でも見せたことが無いような。カイトの優しい微笑。
まるで自分を労ってくれるような言葉に、アトラスは崩壊していっ
た。目頭が熱すぎて、まともに前が見えない。
﹁頑張ったな、アトラス。俺を許してくれるか?﹂
﹁そんな⋮⋮私が最初から悪いに決まってるんです﹂
言いつつも、アトラスの手には力が入る。
放っておけば、今にも腕の中に飛び込んできそうな体勢だった。
ただ、それをするにはアトラスの身体はダメージを受け過ぎている。
﹁立てるか?﹂
﹁申し訳ありません。今の私では、足手纏いにしかならないでしょ
う﹂
震える足に喝を入れたところで、立ってくれたりはしない。
アトラスは自分の身体に呆れつつも、カイトを見上げる。至近距
離に彼がいるという事実が、こんなに腕を漲らせているというのに。
﹁わかった。俺にできることなら何でも言え。6年苦労をかけたぶ
ん、なんでもやってやる﹂
1596
その言葉は、カイトの懺悔でもあった。
半年前、シルヴェリア姉妹と再会した際に第二期に何があったの
かを知り、そして己の考えの甘さを思い知ったのだ。
決め手は、親友への土下座である。
あれで彼は自分の背負った﹃借金﹄の向き合おうと決めたのだ。
本当なら、再会した半年前に全部済ませるべきだったのだが、アト
ラスの顔に我を忘れてしまった。
それが結果として、部下をもっと悩ませることになった。反省し
てもし足りない。
﹁なんでも?﹂
﹁ああ、なんでも﹂
言質を取る様にして、アトラスが復唱する。
カイトが了承の意を伝えると、彼は赤面しながらも懇願した。
﹁なら、抱きしめてください。たぶん、それで足が動きますから﹂
我ながら無茶なことをお願いしたな、とアトラスは思う。
だが彼の後悔とは裏腹に、﹃あのお方﹄は迷うことなくその華奢
な体を抱きしめた。
﹁え? ええっ!?﹂
アトラス、困惑。
悩む間もなくやってのけた事実に驚きながらも、全身に伝わる彼
の鼓動に歓喜した。
夢にまで見た、あのお方の呼吸。
体温。心臓の鼓動。肌の感触。ゼロ距離。
1597
﹁あ、あああああ︱︱︱︱︱︱!?﹂
アトラスの顔面が、トマトみたいに真っ赤に染まった。
全身に稲妻が走るのがわかる。心臓がばっくんばっくん、と鼓動
が早くなっている。
このまま放っておいたら、自分はどうなってしまうんだろう。
自然発火して、地球と一緒に爆発してしまうのかもしれない。い
や、それすら超えて来世の自分とバトンタッチできる予感さえした。
﹁あ、ふぁ﹂
蕩けた表情を晒しながらも、アトラスはカイトを見る。
もしかしたら。もしかしたら、だが。
長年、夢見てきた光景が実現するかもしれない。
彼に好きな人がいるがために、懇願できなかった願いがある。
そして己が彼の﹃優秀な部下﹄であるために、踏み出せなかった
領域があった。
アトラスは己の中に燃料が入っていくのを感じると、その願いを
口にする。
﹁キスが欲しいです﹂
﹁あ?﹂
至近距離で、僅かにカイトが退いた。
ああ、やっぱり。アトラスは後悔を感じながらも、さらに一歩踏
み出した。半分、ヤケになりながら。
﹁お願いします。リーダーのエネルギーが注入されれば、私は無敵
1598
になれるんです﹂
﹁無敵って⋮⋮﹂
そういえば、ちょっと前に自分もそんなことがあったなぁ、とカ
イトは思い出す。
しかし、それにしたってキスか。
余談になるが神鷹カイト。ちゅーにはいい思い出が無い。ファー
ストキスは鉄の味がしたのだが、笑い話にすらなりはしないのだ。
﹁!?﹂
しばし固まっていると、ふたりを見下ろすようにして巨大な影が
起き上がる。星喰いだ。紅孔雀の自爆から回復し、立ち上がってき
たのである。
﹁リーダー⋮⋮﹂
潤んだ瞳を向けられた。
カイトは思う。
この状況はやばい、と。
何がやばいかっていうと、最大の標的である星喰いが再びバリア
を張ろうものなら、今度こそ中からどうにかしなくてはならない。
外から何度も紅孔雀が自爆するなんて真似はできないし、いたず
らに兵を殺すだけだ。それに、黒目の女と怪物の関連性もまだ見え
ない。
カイトは改めてアトラスへと振りむき、問う。
1599
﹁無敵モードになれば、勝てるか?﹂
星喰いを指差し、視線をぶつけた。
﹁ちょろいですね﹂
小さな口から放たれたのは、余裕の笑み。
いいだろう。今は戦力が少しでも欲しい。オズワルドとズバル、
シャオランだけでは心もとないのだ。使える戦力であるのなら、猫
の手でも借りたいくらいである。
ゆえに、返答を聞いた後のカイトは迷わなかった。
﹁え、ちょ、ちょっと!? マジで!? やっちゃうの? やっち
ゃうんですかああああああああああぁ!?﹂
右腕が喚くが、気にしない。
カイトは嘗ての思い人の面影を残す唇に向けて、己の口を押し付
けた。
1600
第119話 vs乙女パワー
蛍石スバル、生まれてこのかた16年。
この16年で色んなことがあった。特にこの半年は、自分の人生
の中において激動であると断言できる。
そんな彼の激動の人生に、新たな衝撃的映像が加わった。
﹁⋮⋮なにしてんの、あの人ら﹂
ちゅーである。
文化人っぽく言えば、接吻だ。少年が覗き込む正面モニターで、
同居人と傷顔の女が唇を押し付け合っている。
これが恋愛映画よろしく、ロマンチックな結末であるのなら野暮
なツッコミはしない。恋愛なんてのは、振り向かないことなのだ。
だが、今回に関して言えば振り返って欲しかった。なぜならば、
彼らの真後ろ。振り返ったらすぐ目の前に、全長200メートル級
の大怪獣、星喰い︵スターイーター︶がいるからだ。
﹁これは⋮⋮声かけた方がいいんだよね?﹂
﹁た、たぶん﹂
後部座席に座るマリリスが、心底困ったような表情で言う。
ややあってから、オズワルドが通信回線越しに答えた。
﹃リア充はあのまま踏み潰されていいと思う﹄
﹁2対1で声かけるのに決定ね﹂
オズワルド大尉はアラフォーだった。大人は時として、子供より
1601
も現実から目を逸らす。だが、目の前で繰り広げられている珍事を
そんな大人の勝手で潰される訳にもいかない。
﹁カイトさーん!﹂
スバルがスピーカーの音量をMAXにして呼びかけた。
モニターの中に映るちゅーしてる二人。微動だにせず。
﹁なあ、どう思う?﹂
﹁ど、どう思うと仰られても⋮⋮﹂
傍から見れば男と女のキスである。野暮な事は言いたくない。
﹁も、もう一度声をかけてみては?﹂
﹁そうだな。よし、今度は今の状況も伝えて﹂
再度スピーカーの電源をオンにし、スバルは二人に語りかける。
﹁おーい! 星喰いが目の前にいるぞ!﹂
二度目の呼びかけにして、遂に反応がおきた。
神鷹カイトの右腕が上がったのである。しかし、彼のリアクショ
ンは右腕を上げただけだ。ぶんぶんと腕を振り回すその姿は、心な
しか慌てふためいているようにも見える。
﹁なんだ?﹂
訝しげにモニターを注視するスバル。
だが、ここで事件は起きた。アトラスがカイトの頭をがっしりと
固定し始めたのである。そのまま押し倒され、草をベットにするカ
1602
エレノア
イト。覆い被さるアトラス。助けを求めるカイトの右腕と左腕。ゼ
ロ距離でくっついたまま離れない頭と頭。
﹁待て! 待て待て待て!﹂
蛍石スバル、16歳。青少年にこの光景は刺激が強すぎた。後部
座席のマリリスを含め、顔が真っ赤である。
﹁何やってるのアンタ等! ねえ、何してるの!?﹂
スバルの疑問に、アトラスは答えない。
ただ、モニターを通じて彼らの口の隙間から唾液が流れたのが見
えた。
﹁あ、あれはまさか⋮⋮フレンチ!?﹂
﹁ふれんち!?﹂
フレンチ。それは大人の証明である。
軽く口付けをするキッスを、ウブなお子様の証明だとすれば、フ
レンチキスは欲望のままに口の中を貪る、激情の証だった。
そういえば、前にアキハバラでカイトはそれを食らってたんだっ
け、とスバルは思い出す。
﹃あの﹄
﹁うわぁ!?﹂
そんな事を思いだしてると、通信回線に第三者が割り込んできた。
シャオランである。半年前、カイトのファーストキッスを奪った女
だった。ついでにいえば、カイトの身体の一部を食った女であり、
行為に関しては色気が一切なかったことを記しておく。
1603
﹃楽しそうなので、混ざってきてもいいですか?﹄
﹁これ以上話をややこしくしないでよね!﹂
半年前のあの件は食事だと聞いているが、まさかそれが病み付き
になったというのか。スバルはげんなりと肩を落としつつも、年上
のパイロットに意見を仰ぐ。
﹁オズワルドさん。これ、どうすればいいと思う?﹂
﹃爆発すればいいと思う﹄
﹁畜生、役に立ちゃあしねぇ!﹂
べにくじゃく
さっきまで頼りになっていたベテラン兵士はどこに行ってしまっ
たのだろう。スバルは近くを飛行する紅孔雀を睨みつつも、頭を抱
えた。
﹁あ、スバルさん。大変です!﹂
﹁今度は何!?﹂
﹁カイトさんの手が止まりました﹂
マリリスの言葉を受け止めると、スバルは再びモニターを見る。
抵抗を試みたカイトの腕は、ぐったりと倒れていた。彼自身も顔
が青に染まりきっており、呼吸が止まったのではないかと心配にな
る。
尚、この間もアトラスはずっと想い人に吸い付いていた。まるで
蜜を吸いに来た昆虫である。
﹁きた﹂
名残惜しそうに唇を離し、アトラスはゆっくりと起き上がる。
1604
押し倒されたカイトは痙攣していた。ぴくり、ぴくり、と指が跳
ねる。
﹁ふ、は︱︱︱︱は、はははははははっ!﹂
狂気的な笑顔を剥き出しにして、アトラスは笑う。
状況を飲み込めない4人と大怪獣は、それを見ている事しかでき
なかった。とても話しかけられる雰囲気ではない。
﹁勝った﹂
傷だらけの表情。その中から青い眼光が大怪獣に向けられる。
視線を向けられた瞬間、星喰いは遂に動いた。前足を一歩踏み出
し、目の前で佇む女へと振り降ろす。
﹁あっはははははははは!﹂
迫る巨大な足の裏。踏みつけられれば、瞬く間に潰されてしまう
であろうその物体を前にして、アトラスは笑った。
次の瞬間、アトラスは親指と人差し指で小さな輪を作る。
ぱちん、と弾いた。
直後、星喰いの足の裏が大爆発を起こす。爆風が巻き起こり、炎
が銀の足裏を焦がしていく。
﹁︱︱︱︱!﹂
星喰いが仰け反り、悲痛な叫び声をあげる。
だがアトラス。まだまだ許す気はない。
1605
﹁お前、今踏み潰そうとしただろ﹂
鋭い眼光が星喰いを捉える。アトラスは両手を構え、再び輪を作
った。
﹁死ね﹂
弾く。
弾く。
弾く!
リズミカルに音を立てていくと同時に、星喰いの巨体を次々と爆
発が襲った。恐らく、その一つ一つはそんなに大きなものではない
だろう。しかし、塵も積もれば山となるという言葉があるように、
何度も同じ爆発を連続して受けていくと、自然と傷が出来てくる。
﹁すげぇ! 星喰いの身体が崩れてる!﹂
こんな光景、誰が予想しただろうか。
住処を破壊し、外に出して全機一斉攻撃。当初のプランはこうで
ある。逆に言えば、カイト達はこれでようやく倒せる相手だと踏ん
でいたのだ。
ところが、どうだ。
戦艦10隻を外に待機させておきながらも、アトラス一人で星喰
いを押しのけ始めている。恐らく、彼の上司であるカイトも予想だ
にしていなかったことだろう。
﹁これは恋の力ですね﹂
後ろでマリリスがぼやく。
1606
訝しげに振り向くと、彼女はやけに納得した様な顔で頷いていた。
﹁彼女は、きっと愁いを全部振り切ったんです。恋する乙女は、大
怪獣にだって負けないんですよ!﹂
マジかよ。乙女ってすごい。
スバルは心底そう思った。これまで出会ってきた女性の9割9分
9厘が獰猛な肉食獣だったのもある。まともな乙女との付き合いが
浅い彼では、マリリスの言う恋する乙女理論は理解しにくいのだ。
だが、まさか覚醒した乙女パワーがここまで凄まじいとは。
尚も星喰いをよろけさせ、猛烈な攻撃を仕掛けるアトラスをモニ
ターに映しながらも、スバルは﹃乙女を怒らせない方がいいな﹄と
深く心に刻んだ。
今は戸籍上、女だけど本当は男だったんだよ、とは誰も教えてく
れなかった。
その光景は、最強の兵と呼ばれることも多いタイラントから見て
も凄まじい物であった。
身長160センチメートルほどの人間が、全長200メートルを
超す大怪獣を相手に、押しているのである。客観的に見て、明らか
に有利なのはアトラスであった。想像の斜め上に突き抜けた戦いぶ
りを前にして、新人類軍屈指の女傑は呟く。
1607
﹁嘘だろ⋮⋮﹂
﹃残念だが、現実だ。さっき頬を抓ってみたが、痛かった﹄
状況はいい方向に向かっている。それは事実だ。
だが、いい状況の筈なのに、悪い物を見てしまったような気がす
るのもまた事実であった。上空で合流した山脈破壊組と、待機組は
揃ってこの世界が現実なのかを確かめる始末である。
﹃カルロさん。思うんですが、山を破壊しなくても勝てるんじゃな
いでしょうか﹄
﹃奇遇だなミハエル。俺もそう思う﹄
本来ならば敵であるはずの旧人類連合ですらもこんな感想なのだ。
遅れてやって来た第二突撃部隊と、外で待機している10もの戦艦
の立場が全くない。
﹁いや、それでもだ﹂
タイラントは首を横に振り、我に返ってから上空を睨む。
﹁ここは破壊しておくべきだ﹂
いかにアトラスが凄いとはいえ、出来過ぎである。
タイラントはそこまで現実を甘く見ていないし、信用もしていな
いのだ。むしろこの状況を好機と捉えて、本来の仕事を全うすべき
である。
彼女はよくできた社会人であった。
﹁おい、この雲は本当にガラスで覆われているんだろうな﹂
﹃ええ。コレを見てください﹄
1608
雲を指差すと、ミハエルを乗せた紅孔雀が観察データを送信する。
ひびが入った雲が映し出された、画像データだった。
﹃紅孔雀の剣でついた傷です。ご覧のように、上空には天井があっ
て、それを巧妙に隠しているのがそのガラスなんだと思います﹄
確かに、亀裂が入った上空の映像は、ひびが入ったガラスそのも
のである。言われてみれば、そう見えなくもないのだ。
﹁では、さっそくそれを破壊しよう。案内してくれ﹂
﹃はい、こちらです﹄
ミハエル機を先頭にして、紅孔雀たちがガラスで覆われた空を移
動する。
ややあってからミハエルは動きを止め、問題の場所を示した。
﹃あれです﹄
正面モニターの映像がズームになる。
先程ミハエルから送られてきた画像と全く同じ光景が、そこには
あった。
それだけあれば十分である。タイラントはモニターに映るアプリ
をタッチすると、静かに呟いた。
﹁よし、作戦を開始する。お前たち、死にたくなければ退いていろ﹂
紅孔雀の関節部から青白い光が溢れ出す。
タイラントは己の破壊のエネルギーが紅孔雀にまで浸透している
のを感じつつも、機体を加速させた。
1609
扇状に広がるウィングが破壊の光を噴出しつつ、亀裂へと迫る。
紅孔雀が右腕を突き出した。
掌に集う、青白い球体がばちばち、と音を立てながら亀裂へと撃
ちこまれる。
炸裂!
亀裂は蜘蛛の巣のように天井全体に広がっていき、音を立てなが
ら崩れ始める。山脈が銀の瓦礫となって崩れ落ちていった。
﹁呆気ないな、思ったよりも﹂
アプリを終了させると、タイラントは勝ち誇ったような表情で呟
いた。
ガラスの中に映し出された偽りの夜が砕け散り、本物の太陽が光
を灯す。
目標地点﹃遊園地﹄。夜しかない不気味な空間に、光が灯った瞬
間であった。
1610
第120話 vs銀女
銀の山が崩壊する。
その光景は、さながら火山が爆発したかのような状態であった。
山のてっぺんが爆発し、それを起点として大地が砕けていく。
﹁やった!﹂
作戦の第一段階が成功したのだ。
外で待機していた戦艦の一つ、フィティングからもそれは確認で
きる。
﹁グァ!﹂
キャプテン
オペレーターのダック・ケルベロスが通信を受け取り、報告する。
僅かなアヒル語を受け取った我らが艦長、スコット・シルバーが
ビルドアップをしながらも叫んだ。
﹁星喰い︵スターイーター︶確認! 各員、攻撃態勢に入れ!﹂
その言葉を受け、砲撃担当のニワトリ、チキンハート・サンサー
ラ。
嘴をドクロマークがついているボタンに向けて構えると、次の言
葉を待った。
﹁200メートル級の化物か。今、どうなってるんだ﹂
ブリッジで事の状況を見守っていたエイジとシデンが、食い入る
1611
ようにして映像を注視した。彼らだけではない。共に突入すること
が叶わなかったイルマもまた、ボスの無事を祈りながらも紫煙を眺
めている。
煙の中から、巨大な影が浮かび上がった。
山脈があった場所から現れたそれは、大きさから考えて人間の物
ではない。
﹁あいつか、星喰いってのは!﹂
﹁オウル・パニッシャー! 奴の攻撃が来るかもわからん。厳重に
注意しろよ!﹂
スコットの命令を受けた操舵担当のフクロウが僅かに頷き、足で
器用に操縦桿を固定する。
だが、間もなくして現れた大怪獣の姿は彼らの想像とはかけ離れ
た姿だった。
﹁なんじゃありゃあ﹂
唖然とした表情でエイジが呟く。
200メートルを超えた巨体は、確かに目の前にいた。だが、驚
いたのはそんな周知の事実ではない。
既にその巨体が、崩れる一歩手前にまでダメージを受けている事
であった。
﹁再生は?﹂
半年前に戦った新生物の特徴を思い出し、シデンが問う。
星喰いは新生物と同種だと考えられている。あれと同じ特性を持
っているのであれば、ここから一気に元通りになる事も可能だろう。
1612
ところが、それを防ぐ一手があった。
爆発である。傷口を塞ごうと活性化する星喰いの皮膚が、休むこ
となく爆発を受ける事で傷ついているのだ。結果として、星喰いは
身体が崩れる一歩手前まで来ている。
﹁あれは﹂
﹁間違いない。アトラスだ﹂
エイジとシデンは、それが可能であろう新人類の存在を知ってい
た。
トリプルエックス
アトラス・ゼミルガー。自分たちの後輩であり、今の新人類王国
においてXXXの代表を務めている男︱︱︱︱女である。
﹁でも、あんなに連射できたっけ?﹂
シデンは知っていた。
アトラスの能力は爆発。視線でとらえた対象を爆発させ、吹き飛
ばす恐るべき能力だ。例えて言うのなら、ダイナマイトを至る所に
設置できる力だと思ってもいい。
しかし、その力は一撃が重い分、ロスタイムが必ずある。
この6年間で弱点を克服したのかは知らないが、それにしたって
連射が利きすぎていた。以前がライフルだとすれば、今はマシンガ
ンばりの連射である。
﹃こちらスバル! フィティング、応答願う。緊急事態だ!﹄
後輩の呆気にとられる大活躍を前にして唖然とするメンバーに、
少年の声が響いた。通信回線を繋いだダック・ケルベロスがブリッ
ジ全体に繋げたのである。
1613
﹁どうしたスバル! 中で何があった!?﹂
﹃カイトさんが倒れたまま動いてない! 酸欠だ!﹄
﹁なに、あいつが!?﹂
﹃後、なんかよくわかんないんだけど、右腕がうねうねと動いてる
!﹄
﹁なに、あいつの腕が!?﹂
﹃もっと言っちゃうと、キスした後アトラスって人が凄い元気にな
って、シャオランさんが露骨にがっかりしてる!﹄
﹁なに、あいつの唇が!?﹂
﹁ねえ、状況が大変なのは伝わるんだけど、詳しい事情が全く見え
ないよ﹂
恐らく、スバルも混乱しているのだろう。ただ、スバルの様子を
見るに、とにかくカイトが大変なことになっているようだ。
想像を超えるような何かが遊園地で起きたに違いない。
﹁纏めると﹂
スバルから伝わる混乱がブリッジに溶け込んでいく中。ただひと
り、顔色を変えないまま一歩を踏み出す影があった。
イルマ・クリムゾンだ。いつもの鉄仮面スマイルをモニターに向
け、彼女は確認する。
﹁ボスが危機的状況にある、と。そう捉えていいのですね?﹂
﹃ああ! 星喰いもまだ健在だ。応援を頼む!﹄
﹁応援って言っても、もう放っておけば死にそうだけど﹂
シデンが改めてモニターに映る星喰いを眺めつつ、言う。
アトラスによる猛攻は今も健在だ。これを受け続ける限り、星喰
1614
いに勝機は無い。新人類軍側も同じ判断をしているのだろう。下手
に割って入れば、爆発に巻き込まれて無用なダメージを受けるだけ
だ。
﹃女の方は、まだぴんぴんしてるよ!﹄
その言葉を聞いた瞬間。エイジとシデンはブリッジから飛び出し
た。
連続爆発の猛攻を受けて、よろける大怪獣。
もはや星喰いを倒す為にアトラスに加勢する必要はない。巨体の
横を羽ばたくシャオランはそう思っていた。
その代わり、別の仕事がある。一度カイトに縦に切断された、銀
の鎧。あれが星喰いの頭上で再び立ち上がったのだ。
﹁ターゲット、再度確認﹂
本来、女と星喰いは同一の扱いとして一斉に砲撃するつもりだっ
た。
だが、予想は外れた。蓋を開けてみれば、女と星喰いは別個体だ
ったのだ。今思い返せば、ミラーハウスでは﹃我々﹄と言っていた
ので、そういう意味だったのだろう。
シャオランの視界に、銀の女が映り込む。目標がロックされ、対
エネミー
象名称が表示される。未登録だったので、﹃???﹄となっていた。
ネーム
面倒なので、シャオランは適当に名前を付けることにする。個体
1615
シルバーレディ
名、銀女と命名されたそれは背部を溶かし、翼を構築して飛翔した。
彼女はシャオランを認識すると、そのまま突撃していく。
﹁敵対個体と認識します﹂
銀女の登録データを各機に送ると、銀女は正式に個別の敵だと認
識される。シャオランは剣を作り、迎撃に入った。
白と銀が激突する。
鉄仮面で包まれた銀女が黒い目玉をぎょろつかせるのを見ながら、
シャオランは思う。
斬撃は効果がないだろう、と。既にカイトによって真っ二つにさ
れたことがあるのだ。それでも尚、生きている。そんな相手を倒す
のであれば、斬撃は無用だ。最低限、防御に使う程度でいい。
﹃高エネルギー反応察知﹄
シャオランの頭に緊急警報が入る。見れば、視界に映る黒の刀身
から赤い湯気のようなオーラが溢れ出ていた。かつてアキハバラに
共に出動したサイキネルを思い出しつつ、彼女は危機感を覚えた。
ぶつかる剣を弾き、銀女から距離を離す。
だが、銀女はシャオランを逃さない。
銀の翼を大きく広げ、突撃。黒の剣を構え、槍の如く突撃する。
ぶつかる。
その後起こるであろう、己の悲惨な姿を回避する為に彼女は剣を
振るった。刀身同士がぶつかる。
直後、シャオランの腕がもげた。
﹁あっ﹂
1616
﹃損傷!﹄
視界の端っこに、被ダメージを伝える小さなポップアップ画面が
開く。
普段なら﹃問題なし﹄と呟いてもう片方の腕を構えようとするが、
銀女は眼前に居ない。
彼女の身体が黒い霧になり、シャオランの背後へと回り込んでい
たのだ。霧が背後に集い、再び銀女の姿を形成する。
﹃背後注意!﹄
﹁バースト!﹂
背後から空を切る気配を感じた。
縦に一閃される嫌な音を耳で受け止めつつも、シャオランの純白
の羽が爆発した。銀女の視界を、羽毛が埋め尽くす。
だが、女の一撃は止まらない。
無数の刃となった羽が突き刺さる前に彼女の身体に突き刺さる直
前、シャオランの背中は大きく抉られた。黒の剣に叩きつけられた
シャオランは羽のコントロールを失い、落下。
そのまま地面へと叩きつけられた。
﹁あぐ⋮⋮﹂
﹃背部ウィング損傷。飛行不可。修復を推奨します﹄
推奨しますと言われても困るのだ。
背中に受けた斬撃は、剣と言うよりはドリルに近い。切断という
よりかは、触れた物を問答無用で抉る獲物だと考えなければならな
いのだ。過去の戦いでカイトの爪と同等の戦いを繰り広げた剣でさ
えも、一撃でへし折られてしまった。
間違いなく強敵である。
1617
マトモに戦っては勝ち目がないと考え、本格的な戦闘モードに姿
を変えたのだ。身体を霧状に変えたのを見るに、物理攻撃も通用し
ないと考えていい。
﹁どうしましょう。司令官﹂
困り果てた顔を向け、シャオランは隣に横たわるカイトに尋ねた。
彼女は偶然ながらもカイトの横に落下したのだ。
﹁司令官?﹂
しかし、カイトはピクリとも反応しない。口元から体液が流れ、
白目をむいていた。先程からずっとこんな感じなのだが、彼はそん
なに大きなダメージを受けたのだろうか。
アトラスとの口付けは彼の想像を絶する衝撃だったのだろう。
﹁⋮⋮司令官﹂
ただ、その事実を認めるとちょっと腹が立った。シャオランはカ
イトが大好きである。自他ともに認めるグルメである彼女は、最近
大好物は何かと問われると﹃カイト﹄と答えるのだ。
それもこれも、彼の唇に吸い付いて舌を食い千切ったり、切り落
された腕の味が絶品だったからだ。あの味を思い出すと、涎が出る。
ただ、御馳走が他の奴に奪われるのは少々腹が立った。
ゆえに、シャオランは這う。腕の力だけで大地を這いあがり、カ
イトの元へ向かい続ける。
﹁しれぇかぁん﹂
1618
ノイズが入り混じった声で、シャオランがカイトの顔を見上げる。
もしも彼が意識を保っていれば、全力で退かしただろう。だが、
不幸な事にカイトには意識が無かった。
ゆえに、シャオランは本能のままに彼を求める。
下を首筋に這わせ、懸命に舐めた。アイスクリームを舐めとるよ
うにして顔の味を堪能する。
﹁う⋮⋮﹂
だが、その感触でカイトの意識は覚醒した。
アトラスの吸い付き攻撃によって息を止められてしまい、そのま
まノックダウンしてしまったが、遂に目が覚めたのだ。彼はぼんや
りとした頭を起こしつつも、状況を確認する。
シャオランが舌を這わせ、舐めていた。訝しげにそれを見やると、
カイトは言う。
﹁⋮⋮なにしてんだ、おまえ﹂
﹁味見です﹂
﹁どけ﹂
﹁ああっ﹂
なぜか凄く残念そうな悲鳴を上げつつ、シャオランをどつく。
そこでカイトは気づいた。シャオランの腕と、背中がなにかに抉
られたかのようにして取れているのだ。前に彼女と戦ったカイトは
知っている。シャオランをノックダウンさせることは至難の技なの
だ。彼は結局、最後まで自分の力ではシャオランを倒す事が出来な
かったのである。
﹁どうしたんだ、それ﹂
﹁女です﹂
1619
言うと同時、真上から風が吹いた。
強烈な突風を帯びながら迫りくるは、銀女。シャオランを模した
銀の翼と黒の剣をひっさげて、そのまま二人へと襲い掛かる。
﹁星喰いはご覧のとおり、アトラスがなんとかしているので。我々
は銀女をどうにかしましょう﹂
﹁お前、動けないだろ﹂
言うと同時、カイトは右腕を叩く。
エレノアの意識が覚醒するのを待ちつつも、彼は呟いた。
﹁俺がやる﹂
アトラスとの寸劇の間、目を覆っていた目隠しを取り出す暇はな
い。
カイトはスバル達に宣言した通り、相手の目を見ないままに戦闘
を開始した。
1620
第121話 vs黒眼
シルバーレディ
銀女と名付けられた女がカイトとシャオランに迫る。既に満身創
痍のシャオランは立ち上がる事もせず、カイトに敵の撃退を托した。
﹁物理攻撃はあまり効果がありません﹂
﹁だろうな﹂
悩む間もなく、カイトは納得する。何を隠そう、星喰い︵スター
イーター︶の頭上で銀女を切断したのはカイトなのだ。それで復活
してきたのであれば、物理はあまり役に立たないのだろう。
しかし、カイトには物理しかない。
アトラスのように敵を爆発させることができるわけではない。
エイジのように火をコントロールするわけでもない。
シデンのように氷漬けにできるわけでもない。
神鷹カイトは再生能力と圧倒的身体能力で勝ち続けた男なのだ。
物理攻撃でなんとかするしかないのである。しかも今回は、相手の
目を見てはならない。もしも目と目が合ったとき、カイトはミッチ
ェル・グレイの後を追う事になる。
﹁剣に触れたら、一撃で砕かれると思います。私がそうだったので﹂
貴重なアドバイスであった。
カイトは素直に感謝をすると、改めて銀女に構えを取る。
目を閉じた状態で、だ。
﹁流石に厳しくない?﹂
1621
エレノア
右腕が話しかけてくる。
カイトは振り降ろされた刀身を避けつつも、その問いに答える。
刀身が叩きつけられた大地が、大きく爆ぜた。
﹁まあ、厳しいな﹂
﹁どうするの。君の仲間が助けてくれるのを期待するかい?﹂
山脈は吹っ飛び、仲間たちは全員突撃してこれる状態だ。
それをしないのは、アトラスがひとりで大怪獣を倒してしまいか
ねない猛攻とプレッシャーを放っているからに他ならない。逆に言
えば、アトラスの性格や能力を把握しているチームメイト達なら、
もしかすると来てくれるかもしれなかった。
ただ、同じ土台に立てるかと言えば話は別だ。
﹁期待しても、一番戦えるのは多分俺だ﹂
銀女の鎧で覆われた頭部。その隙間から僅かにみえる黒い瞳をギ
ョロつかせている。直接視界に認識せずに高速戦闘を繰り広げるな
んて芸当は、カイトにしかできなかった。だからこそ、カイトはス
バル達に助けを求めない。
﹁だから、弱点を見つけて俺がやる﹂
﹁いやぁ、素敵な決意表明だね。感動して涙が出てきそうだよ﹂
﹁腕の癖になに言ってるんだ﹂
気配を頼りに、左の手刀を突きだす。
が、銀女は己の身体を霧状にすることでこれを回避。
﹁ぬ!?﹂
1622
それを直接見ていないカイトは、空振りに違和感を覚えつつも周
囲を警戒する。だが、彼が銀女の襲撃に気付いたのは右腕のアドバ
イスがあってのことであった。
﹁正面、来るよ﹂
﹁!﹂
黒い霧が眼前に回り込んでくる。
黒くて丸い物体が見えた瞬間、カイトは身体を無理やり捻った。
サーカスの数回転ジャンプのようにして繰り出された跳躍は、銀女
との距離を一気に突き放す。
﹁今、何があった﹂
﹁教えてほしいなら、後で私の頭をなでなでしてくれ﹂
﹁ならいいや﹂
憤慨する右腕を余所に、カイトは考える。
敵は確かに間近にいた。当たる方向に突きも繰り出した。だが、
結果はこの通りである。
身体を貫かんばかりの勢いで突き出された一撃はあっさりと空振
りし、銀女はカイトの目の前にいた。しかも霧状になって、だ。
﹁これは、中々骨が折れるな﹂
﹁いかに君でも、厳しいかな?﹂
エレノアが話しかけてくる。
カイトは首を横に振り、己の出した結論を簡単に伝えた。
﹁最低でも、ダメージを与えることは出来る筈だ﹂
1623
﹁へぇ、意外だね。物理攻撃が通じる相手とは思えないけど⋮⋮何
か考えがあるのかい?﹂
﹁ある﹂
あっさりと言ってのけたカイトに向かい、再び銀女が突撃する。
カイトは後ろを振り向いたまま、淡々と口を動かした。
﹁さっき、霧が俺の前に出た時だ﹂
背後から迫る斬撃を避けつつ、背中を向けたままカイトは言う。
﹁目玉がちらっとだけ見えたが、あれは霧が集まった姿じゃない﹂
紡がれた言葉が響いた瞬間、銀女の動きが止まった。
カイトに向けられた激しい斬撃の雨は勢いを止め、距離を取る。
彼の言葉を警戒するかのように、ゆっくりと後ずさる。
﹁恐らく、目玉は奴の核だ﹂
﹁へぇ﹂
エレノアが興味深げに相槌を打った。
もしもそれが正しいのであれば、狙うべき場所は絞られる。その
上、物理攻撃が通じる唯一の箇所を発見したことになるのだ。
思えば映像の中の女もゴンドラに溶ける際、身体が溶けるのは確
認できたが、目玉が溶けるのは確認していない。溶けたまぶたに飲
み込まれて、目も溶けたのだと勝手に勘違いしていたのだ。
しかもシャオランとエレノア以外は、マトモに女の姿を見ること
ができない状況にある。
﹁今まで気付けなかったが、もしそうだとすれば勝てる﹂
1624
問題があるとすれば。
それはカイトが銀女の目を見てはいけないということだ。勝機を
見出しても、状況は何も変わっていないのである。
いかにカイトが新人類随一のスピード自慢であったとしても、闇
雲に攻撃を仕掛けて命中するとは思っていない。
﹁⋮⋮不本意だが、頼みがある﹂
﹁え?﹂
右腕が不思議そうに聞き返してきた。
カイトは心底嫌そうな顔をしつつも、エレノアに言う。
﹁見てほしい﹂
﹁私はいつだって君を見てるよ。お食事の時も、お風呂の時も、寝
るときだって﹂
﹁そっちじゃない﹂
少々行き違いがあるようなので、カイトは言葉を付け足すことに
した。
面と向かって。いや、腕と向かってこんなことを言うのは非常に
癪なのだが、頼れるのはエレノアしかいないのだ。例え彼女の発言
のひとつひとつにツッコミどころがあったとしても、である。
ゆえに、カイトはプライドを捨てて懇願する。
﹁俺の代わりに、アイツを見てくれ﹂
﹁なにをくれるの?﹂
ほらみろ。
予想通りの返答を貰ったカイトは、半目で右腕を見ながら思う。
1625
遊園地に突入した時、彼女は色々とねだってきた。
報酬を与えられたシャオランを見て、心底悔しそうにしていた。
何度も言うように、エレノアはカイトのストーカーである。一緒
にいたい人の物は、どんな物であろうとも共有したいのである。カ
イトには理解できない心理であった。
﹁俺の好感度が少しだけ上がる﹂
﹁あぁ! それは素晴らしいね!﹂
苦し紛れに吐き出された提案に、エレノアは文句も言わずに飛び
ついた。本当になんでもいいんだな、と思いながらカイトは右腕を
見やる。軽蔑の眼差しを送りながら。
﹁ああ、その目いいね! ぞくぞく来るよ! 君と私の思い出のア
ルバムに乾杯!﹂
右腕のテンションがやけに高い。正直に言うと、付いていけなか
った。
しかし、その気になったエレノアの集中力は凄まじい。ひとりで
何百体もの人形を操るスキルを持っているのだ。少なくとも、手先
の器用さと繊細さに関しては彼女の上を行く者は居ないであろう、
とカイトは思う。
だが、これだけはハッキリ言っておきたい。
カイトは背後に佇んだままこちらの様子を観察している銀女に向
けて、右腕を向ける。彼は右腕に向かい、叫んだ。
﹁調子に乗るな!﹂
右肘から先の拳が握りしめられ、発射される。
1626
ロケットパンチ
エレノアの意識を宿した右拳が、銀女に向かって飛んでいく。
﹁!﹂
それを見た銀女。再び身体を霧状にして回避を試みる。
敵の狙いは、既に明らかだった。ゆえに、彼女は頭を横にずらし
て霧散していく。顔面目掛けて飛んできたロケットパンチが、先程
まで銀女の首があった位置を通り過ぎていく。
﹁あはっ﹂
だがその直後。
右腕は大きく指を広げ、その指先から光の線を射出する。
糸だ。
エレノア自慢の、アルマガニウム製の糸。さりげなくカイトの義
手にも仕込んでいたそれを展開させると、糸は銀女の足に絡みつく。
霧状に姿を変えるよりも先に糸が足を捉え、それを軸として右腕が
引っ張られる。
﹁やっぱり、私がベストパートナーだよ!﹂
右腕が叫んだ。
方向転換した鉄拳が、再び突き出される。狙う先は、銀女の顔面
があった個所。そこに漂う黒い霧。より正確に言えば、その中に隠
れる黒い目玉。
次の瞬間。
鉄拳が霧を貫いた。
銀女が姿を変えた黒の霧に穴が開き、その中からエレノアが戻っ
1627
てくる。カイトは確かな手応えを掴みながらも、右腕を元に戻した。
腕と肘が結合する。
指が動くのを確認すると、カイトはエレノアが掴んだそれを見や
った。
黒の目玉がふたつ。
赤い瞳孔が生々しい輝きを放つそれを確認しながら、カイトは勝
ち誇った笑みを浮かべる。
﹁期待以上だな﹂
﹁まあね。これで君の好感度は私の独り占めってわけさ﹂
エレノアの言葉を躱しつつ、掴んだそれを銀女に見せつける。
目玉を見ても、シンジュクの時のような嫌悪感は感じない。具合
が悪くもならない。トラセットで起きた頭痛もない。
カイトとエレノアは、﹃ゴンドラ女﹄の目玉による精神攻撃を封
じたのだ。
﹁どうした、やけに苦しそうだな﹂
そう言うのにも、理由がある。
目玉をくり抜かれた後、銀女が霧状から元の女の姿に戻ったので
ある。両目を覆い悶えているその光景は、見方によれば苦しみ転が
っているように見えなくもない。
﹁む﹂
そんな時。
異変が起こった。銀女の身体から黒い煙が噴き出したのである。
まるで湯気のように溢れ出したそれは、銀女の身体を削り取ってい
1628
く。
身体が崩壊しているのだ。
液体のように女の身体が溶け始め、断末魔の悲鳴をあげる。
﹁︱︱︱︱︱︱!﹂
この世の物とは思えない、甲高い咆哮だった。
そしてそれが、銀女の放った最初で最期の言葉になった。悲鳴を
あげた後、銀女の身体は完全に溶けきり、吹き出していた黒い煙も
霧散してしまった。後に残されたのは、エレノアの中に握られたふ
たつの目玉だけ。
﹁カイト!﹂
ふぅ、と一息つこうとした瞬間、背後から声をかけられた。
振り返ってみると、木々の間からエイジとシデンが駆け寄ってく
る。彼らは息を切らしつつも、カイトに問う。
﹁女は?﹂
﹁安心しろ。さっき倒した﹂
﹁唇は無事!?﹂
﹁なぜそれを知っている﹂
本題は銀女の撃退の筈なのに、どういうわけか山脈が健在の時に
起こったアクシデントに触れられた。
思い出すとまた窒息してしまいそうなので、カイトは敢えて何も
答えずに無視することにする。
﹃カイトさーん!﹄
1629
表情が凍りついたカイトの元に、新たな声がかかる。
スバルだ。彼を乗せた獄翼がカイト達を見下ろしつつ、次の言葉
を放った。
﹃女はどうなったの!?﹄
﹁問題ない﹂
左手を高々に掲げ、勝利宣言をするカイト。
残るは星喰いのみだ。爆発する方向に視線を送る。アトラスは変
わることなく、大怪獣をひとりで抑え込んでいた。
指ぱっちんから放たれる爆発が星喰いの巨体を揺さぶり、反撃を
許さない。
﹁よし、チャンスだ﹂
銀女は当初、予定していないアクシデントであった。
だが星喰いをアトラスひとりで抑え込んでいるのは嬉しい誤算で
ある。その為にカイトのセカンドキスと大切な何かが失われたが、
人類の安泰の前には小さいことだ。カイトはそう思うことで、無理
やり自分を納得させた。
﹁スバル、回線を繋げ。これで終わらせるぞ﹂
﹃オーケー!﹄
スバルを通じて、カイトは命令を下す。
標的は星喰いただひとつのみ。全艦、攻撃開始、と。
その言葉が両軍に伝わってから数分もしない内に、山を取り囲ん
でいる10の戦艦が一斉に砲撃を開始した。
獄翼と紅孔雀の攻撃を防いだバリアは展開されなかった。星喰い
1630
は爆発に加え、10戦艦分の主砲を受けて悶絶する。
直後、全長200メートルもの巨大な生物が大きく爆ぜた。怪物
を構成していた銀の肉が、グルスタミトの自然の中に飛び散ってい
く。
再生する気配は、まったくなかった。
数分程様子を見た後、獄翼の中でスバルのサポートを務めていた
マリリスが呟く。
﹃生命反応の消失を確認。星喰い、消滅しました!﹄
思ってたよりもずっと呆気ない結末に苦笑しながらも、カイトは
ふたりの同級生とハイタッチを交わした。
1631
第121話 vs黒眼︵後書き︶
︵追記︶
次回は水曜日の朝に投稿予定。
1632
第122話 vs人質
新人類王国では、ディアマットとノアによる会話が続けられてい
た。
と、いっても本題は随分前に聞き終わっている。それでもなお、
ディアマットがノアに問うのは王国の鎧と、星喰い︵スターイータ
ー︶と命名された化物の関連性に興味を抱いたからである。
﹁そもそも、なぜ目玉なのだ﹂
ディアマットは星喰いが出現する映像を見ている。
あれを見るかぎり、その正体はゴンドラに乗っていた白ドレスの
女である可能性が濃厚だった。
﹁鎧に移植したら、確かに強くなるだろう。それは認める﹂
実際、シンジュクではそれが功を成している。もしも目玉の移植
を行っていなかった場合、ゲイザーはカイトに負けていただろう。
だが、移植すればいいのはなにも目玉に限ったことではない。
﹁あの皮膚なんかどうなんだ。リアルターミネーターができあがる
ぞ﹂
﹁意外ですね。王子が映画を御存知とは﹂
遠回しに娯楽に興味がない堅物だと言われたので、少々苛立つ。
しかしディアマットはそれを咎めることなく、ノアに聞いた。
﹁茶化すな。今後のことを考えれば、星喰いを我が軍に引き込むこ
1633
とも十分可能かもしれないだろう﹂
﹁それが無理なんですよ﹂
ノアはどこか遠い目で窓を見やり、語る。
﹁卵から生まれた化物は、各々が力を持っていました。それこそ、
まともに目を合わせたら旧人類連合のパイロットのように病院送り
にされてしまう﹂
恐らく、防衛本能だったのだろう。
ハリネズミが防衛の為に針を使うように、彼らは目を向けること
で相手を撃退する。それが武器であれば、当然の心理だ。
﹁結果を言うと、身体を詳しく調べる為に目を取り除いたところ、
怪物の身体は一瞬で崩れ去ったのだそうです﹂
﹁崩れ去った? どういうことだ﹂
﹁私も当時のメンバーではないので何とも言えないのですが、資料
によると、身体が固まって崩れ去ったのだそうです。イメージする
に、砂のような感じでしょう﹂
当時の研究資料を見る限り、怪物の目は心臓も同然だったのだろ
う。
強力なエネルギーを発し続けると同時、身体を維持する生命線に
もなっていたのだと思う。
﹁彼らの心臓は、目だと言うのか?﹂
﹁そもそも、彼らに心臓という概念があるのか疑問ですがね﹂
相手は地球外生命体なのだ。
地球の生物のことも全て把握していない地球人が考えるだけ無駄
1634
という物である。
﹁だが、もし仮に星喰いが同種なのだとすれば﹂
﹁その場合は、目を抜き取れば勝利することになりますね﹂
なんとも、呆気のない話である。
旧人類連合と協力し、戦艦を何隻も出撃させ、6ヶ月で最新機ま
で作り上げ、挙句の果てには国の威信を地まで落とした反逆者も放
ったらかしにした﹃人類の脅威﹄の弱点が、目玉だとは。
ディアマットは身体の力が抜けていくのを感じつつも、口を開く。
﹁君は勿論、そのことを知っていたのだな?﹂
﹁ええ。ですが、星喰いが本当に同種族なのかわからない上に、成
長もかなり進んでいる個体。すべてが未知数な以上、迂闊な事は言
えません﹂
なんともそれっぽい言い訳だ、と思いながらもデイアマットは溜
息をついた。新生物という前例もあるので、その可能性も確かに否
定はできない。
ただ、それでも星喰いの﹃目玉﹄が鎧に用いられているエネルギ
ータンクと同じタイプである可能性は非常に高い。だからこそノア
は興味を抱き、目の確保を依頼した。
﹁目玉の確保については?﹂
﹁既に出撃したメンバーに伝えてある。急場で申し訳ないが、なん
とかしてみるそうだ﹂
タイラントの困った表情を思い出す。
既に作戦中だというのに、このタイミングで追加注文をしてくる
など普通ありえない。用件を伝えた後、困惑した表情で言われた﹃
1635
だんだんお父上に似てきましたね﹄という言葉が忘れられない。一
生の恥だった。
﹁目玉を抜き取ることに成功したのであれば、もう作戦が終わって
いてもいい頃だ﹂
時計を見やる。
既に作戦開始から50分近くが経過していた。そろそろ時計が1
週する刻だ。
﹁しかし、それではこの戦いは終わらない﹂
ノアの呟きに、ディアマットは僅かに首を振る。
そう。この戦いは人類の存続を賭けた戦いなんて建前があるが、
その裏ではもっとえげつないことが起きようとしている。
新人類王国に所属する最強の殺戮兵器、鎧持ち。地球外からやっ
てきた化物の生命線を目として移植し、王国内でも特に理想の戦士
たちを組み合わせて誕生したクローン集団。
現時点で12も存在すると言うそれに、新たなひとりを加えたい。
その為の素材と、メンバーを回収しなければならない。
﹁彼を捕えられると思うか?﹂
その為の難題を、ディアマットは問う。
素材として最適だと言われた神鷹カイトは、恐るべき生命力と身
体能力を持っている。聞けば、鎧の改造にはかなりのリスクが付き
まとうのだという。彼ならばそれに耐えれるかもしれないというの
は、確かにわからんでもない。
だが、その鹵獲は難しい。
恐らく、人類の脅威などと謳われた化物を倒すよりも。
1636
﹁以前の奴ならば、今回の作戦に同行させた連中を一斉に襲わせれ
トリプルエックス
ばなんとかなったかもしれない﹂
だが、今は違う。
彼の周りには仲間がいる。XXXとして力を磨き上げた新人類。
ブレイカーの操縦がぴかいちな旧人類。新生物を排除した街娘。旧
人類連合のバック。
いずれも強力であった。まともに戦えば、いかに優秀な新人類王
国でさえも玉砕覚悟で挑まなければならないだろう。
﹁しかし、王子。それは時として弱点になります﹂
ノアは思う。
神鷹カイトは弱くなったのだ、と。
少年時代、彼は理想の兵の一歩手前まで来ていた。友人を殺しか
けた9年前の少年兵は、ノアの目からしてみれば理想の素材以外の
何物でもなかった。
だが、それも昔の話だ。彼は符抜けた。エリーゼによって。第二
期によって。旧友によって。そして、旧人類の少年によって。
﹁別に彼以外を狙えばいいだけの話なんです。彼はもう、一匹じゃ
ないんだから﹂
グルスタミトの森林地帯で、通信が入った。
1637
フィティングからだ。無事に作戦が終了したので、戻ってこいと
のことである。スバルがそれを了承し、外にいる同居人たちへと伝
えようとした時だった。
﹃ん?﹄
異変が起きた。
獄翼の周りを、なにかが高速で回転している。輪を描くようにし
て空を飛ぶそれの正体をスバルは知っていた。彼の後ろにいるマリ
リスも、見たことがある。
﹃折紙!?﹄
﹃高エネルギー反応! 折紙が来ます!﹄
マリリスが言うと同時、獄翼を取り囲んでいた色とりどりの折り
紙が一斉に襲い掛かった。
鋼のボディに取り付いた紙片はシールのように張り付いたかと思
うと、一瞬﹃ばちっ﹄と音を鳴らして電流を流した。直後、獄翼の
モニタアイと飛行ユニットから輝きが失われ、巨体が落下する。
素早く操縦桿を握り直すが、コントロールが利かない。
﹁スバル!﹂
突然のことに仰天するカイトとエイジ、シデンの三人。
彼らは獄翼が落下した場所へと足を向ける。
﹁待った﹂
三人に静止の声が降りかかる。
声のする方向から巨大な影が投げつけられた。真っ先にそれに反
1638
ハルバード
応したカイトが、飛びかかってきた影を掴む。斧剣だ。現代で使用
するにはいささかゴツすぎる凶器をキャッチしたカイトは、投げつ
けてきた方向へと視線を向ける。
﹁アキナか﹂
﹁ハロー、リーダー。腕が鈍ってないみたいで安心したわ﹂
斧剣を放り捨て、カイトは部下だった少女を睨む。
そういえば、この少女も会議には来ていたがこの作戦では見かけ
なかった。
﹁おい、カイト﹂
﹁行ってくれ。ここは俺が﹂
﹁そうはいきません﹂
エイジとシデンに獄翼の救助を托そうとしたカイトの言葉が、横
から遮られる。木々の中からアトラスが姿を現し、言う。
﹁申し訳ありません。みなさんにこんなご無礼を﹂
﹁アトラス。何の真似だ﹂
深々とお辞儀してみせたアトラスに対し、カイトが言う。
彼はこの作戦最大の貢献者であり、同時にもっとも本能のままに
動いた兵であった。激情のまま唇を貪ってきた事件は、記憶に新し
い。
そんな彼が、ここにきて﹃無礼な真似﹄を働いてきた。なんのつ
もりなのか、さっぱり理解できない。
﹁なんのことはありません﹂
1639
アトラスは礼をした体勢のまま、上司達に向けて言った。
﹁私は、みなさんに帰ってきていただきたいのです﹂
帰る。
どこへ、と野暮なことは聞かない。アトラスの帰る場所なんてひ
とつしかないのだ。
﹁実力行使で俺達を連れて行こうってのか?﹂
﹁まさか。我々のような雑魚が何人束になってかかったとしても、
みなさんに勝てる訳がありません﹂
よくもまあ、いけしゃあしゃあとそんなことが言えたもんである。
アトラスがその気になって襲い掛かってきたら、三人は玉砕覚悟
で戦いを挑むしかない。星喰いすら抑え込んだ彼の能力は、それほ
どまでに強大になっていたのだ。
同時に、彼の隣にはアキナもいる。6年間でどれだけ進化したの
かもわからない彼女も含めて相手にするとなると、かなり厳しい。
問題はまだある。
﹁なので、彼にもご協力していただきたいと思いまして﹂
獄翼が落下した場所に、紅孔雀が降り立った。
新人類王国の突入組が使っていた代物だ。見れば、オズワルド達
もタイラントが放っている破壊のオーラに気圧されて、動けない状
態にある。
﹁休戦は終わりってわけ?﹂
﹁いえ。私はただ、マシントラブルを起こした友軍の機体を、我々
1640
で直そうと提案しているんですよ﹂
機械的な笑顔を向け、アトラスが顔を上げた。
口の減らない奴に育ったもんだ、とカイトは思う。
﹁どう見たってあれはお前らのところのだろうが!﹂
﹁エイジ、待て﹂
だが、いかに苛立ちを募らせる物言いだとしても下手に手出しで
きない状況にあるのは確かである。
政治的な問題もあった。だがそれ以上に、獄翼を抑えられた事実
に変わりはない。もしも三人でこの場を切り抜けたとして、制御を
失ったスバルとマリリスはどうなるか。
想像するに容易い。
﹁⋮⋮俺達が王国について来れば、ふたりの安全は保障するんだろ
うな?﹂﹁もちろんです。私の権限のすべてと、皆さんへの敬意に
誓って﹂
アトラスは小さい時から旧人類を嫌悪していた。同時に、先輩戦
士たちに敬意の眼差しを送っていたのは知っている。
山脈でのカミングアウトのこともあった。彼の発言は信じてもい
いと、カイトは思う。
﹁だが、お前が誓っても王はどうだ﹂
﹁確かに。リバーラ様が口を出せば、私の権限などちり紙にも等し
いでしょう﹂
ですが、
1641
﹁もしもそうなれば、私はその場でリバーラ様にこの指を向けるこ
とを誓います﹂
﹁ちょ、ちょっと!﹂
その大胆すぎる発言に、周囲に隠れていた何人かの新人類兵が驚
愕する。折角身を隠していたのを台無しにされた怒りもあり、全員
がアトラスを訝しげに見やった。
﹁私は本気です。リバーラ様が提唱する主義は、確かに私の理想と
するところだ﹂
だが、その理想に必要なのはリバーラではない。
アトラスにとって必要なのはXXXの仲間であり、彼らとの日常
が戻るのであれば問題はないのだ。ディアマットからの要請は、ア
トラスにとって願っても無いチャンスだった。
﹁邪魔をするなら、全員灰にするだけです﹂
周囲の王国兵を睨み、アトラスが指を掲げる。
その姿に畏怖しつつも、新人類軍は後ずさった。
代わりにアトラスへ抗議の声を送ってきたのは、遥か遠く。フィ
ティングのスピーカーからである。
﹃その提案は受け入れられません﹄
イルマだ。フィティングのブジッジで待機している秘書が、アト
ラスの要求に待ったをかけた。
﹃先程の獄翼への一打はこちらで確認しました。立派な条約違反で
1642
す﹄
﹁だとすれば、どうだというのです?﹂
アトラスの挑発的な発言に、イルマは即座に回答を出す。
余談だが、アトラスの声がフィティングに聞こえるのも現代科学
の発達による成果であった。なにも遠くの人間のお喋りを拾い上げ
るのは、ブレイカーの専売特許ではないのだ。
オーガ
﹃鬼を出します﹄
イルマの言葉に、空気が震えた。
特に上空でオズワルド達を抑え込んでいるタイラントは、動揺を
隠せない。
﹃ご存知のように、鬼は新人類軍のエリート部隊を一機で叩き潰す
性能を持っています。そちらが望むのであれば、こちらはこの場で
全面戦争を仕掛けても構いません﹄
﹁反逆者の少年はどうなってもいい、と?﹂
﹃ええ﹄
イルマは淡々とした口調で続ける。
﹃こちらはボスたちが優先なので﹄
﹁へぇ⋮⋮﹂
その言葉になにか感じるものでもあったのだろうか。
アトラスは親指の爪を齧り、僅かに肩を震わせる。
﹁待て!﹂
1643
今にも爆発しかねないふたりに、カイトが怒鳴った。
彼はアトラスを睨み、イルマがいるフィティングを睨んだ後、深
いため息をついた。
﹁⋮⋮わかった。行けばいいんだろ﹂
﹁お分かりいただけましたか!﹂
﹃ボス!?﹄
その言葉にアトラスは歓喜し、イルマが困惑する。
わかりやすい対比だった。
﹁イルマ、前も言った筈だ。コイツらに何かあったら許さないって﹂
﹃しかし﹄
﹁口答えするな﹂
イルマの反論を無理やり閉ざすと、カイトはエイジとシデンを引
き連れて獄翼のある方角へと向かう。彼は背を向けたまま、アトラ
スに言う。
﹁お前もだ、アトラス。今回は折れてやるが、次は無いぞ﹂
﹁⋮⋮肝に銘じておきます﹂
アトラスが再びお辞儀をする。
だが、アキナは見た。アトラスの瞳が僅かに濁り、カイトの奥に
ある木々を睨みつけたのを。否、その奥にある獄翼を、だ。
かわいそうに。
アキナは思う。なまじ、カイトと仲がいいだけにアトラスの逆鱗
に触れることになってしまった。カノンとアウラの友人だとは聞い
ているが、アトラスは屈指の旧人類嫌いである。
1644
そんな彼が、スバル少年に対してどんなことをするのか。
カイトと約束した手前、いきなり殺したりはしない筈だ。
恐らく何かと理由をつけて牢屋にでも入れるのだろう。あそこな
らいかにXXXのリーダーといえど、管轄外になる。
牢屋に入れられた囚人は基本的に軍法と王族の決定によって裁か
れる。もしアトラスがそのつもりならば、スバル少年は暗い地下牢
で黙殺されて一生を終えてしまうだろう。
限りなく高い可能性を思い、アキナは唇を尖らせた。
面白くない。
折角近くに楽しめそうな相手が来るというのに、ただ弱らせるだ
けだなんて。
蛍石スバルは同期のカノン・シルヴェリアにブレイカーの操縦を
教えた張本人だ。そこに加え、カイト達にも一目置かれた旧人類で
ある。
例えブレイカーに乗っていてもいい。
一度戦ってみたい。
溢れ出る興奮を抑えながらも、アキナは肩を落とす。
きっと叶わぬ願いであろうと落胆してから、彼女は自分の艦へと
戻って行った。
1645
第122話 vs人質︵後書き︶
星喰い編完結。
次回よりスタートする﹃邪眼編﹄にご期待ください。
1646
神鷹カイト、帰郷 ∼そして僕は牢屋に入れられる∼
6年ぶりの自室は、最悪の気分であった。
トリプルエックス
長い空の旅を経たカイトが招かれたのは、新人類王国。その場内
に構えられている、XXX時代に使っていた自分の寝室である。ご
丁寧な事に、掃除もされてぴかぴかだった。
﹁流石に悪いだろ。俺の前に使ってた奴が悲しむぞ﹂
入り口で立ち尽くすカイトが、皮肉を込めて言う。
受け止めたアトラスは微笑を絶やさないまま答えた。
﹁ご安心ください。リーダーが去った後、誰もこの部屋を利用して
いません﹂
聞けば、新人類王国にある第一期XXXの部屋はずっとそのまま
なのだという。掃除も全部アトラスがやってたのだそうだ。あまり
の献身ぶりに口元を引きつらせつつも、カイトは溜息。
﹁で、俺をどうするつもりだ﹂
カイトは数時間前、新人類王国と敵対していた身だ。
それどころか、半年前はお尋ね者である。そんな国でゆっくりす
るほど、彼は呑気ではない。
﹁いや、そもそも誰の命令だ。流石にお前の独断とは思えない﹂
﹁王子です﹂
1647
あっさりとした返答に面食らいつつも、カイトは考える。
王子。その単語には何度か聞き覚えがある。というか、小さい頃
に会ったことがある。何度か幼い彼の前でサーカスを繰り広げたの
も、今ではいい思い出だ。
トランポリンも使わない大ジャンプを見ては、大喜びで拍手をし
ていた気がする。当時は父に似て、王子も無邪気であった。
だが、そんな王子も時が経てば大胆になる。
シンジュクでは国の威信を優先して鎧を派遣し、追手として囚人
の採用。果てには独断で新生物退治までやろうとしている。
そんな大胆王子の命令で自分を連れてきたとなると、何が起こる
か予測が出来ない。
﹁しばらくすれば、お迎えが来ますのでそれまでおくつろぎ下さい﹂
﹁その前に聞きたいことがある﹂
お辞儀をして去ろうとするアトラスに、カイトが声をかけた。
﹁王子の用は、俺だけか?﹂
﹁ええ。私はそう伺っています﹂
自室に招かれたカイトは、ひとりだった。
一緒に連れてこられたエイジやシデン、マリリスにスバルは一緒
に連れてきていない。彼らは途中で別の道へと案内され、離ればな
れになってしまったのだ。
もしかしたら、自分と同じように個室に閉じ込められているかも
わからない。
﹁⋮⋮わかった。行っていいぞ﹂
﹁では、失礼いたします﹂
1648
踵を返し、背を向けるアトラス。
そのまま数歩進んだ後、彼はカイトへと振り返って宣言した。
﹁リーダー。ご安心ください。例え王子が何を考えていようとも、
私が必ずお守りします﹂
﹁⋮⋮期待しないでおく﹂
淡泊な返事を返すと、アトラスは今度こそ部屋から出ていった。
正直に言うと、助けが欲しいのは自分ではない。どちらかといえ
ば、敵の本陣に放り込まれたスバルとマリリスの方が心配だった。
エイジとシデンがついているのであれば、そこまで問題はないだ
ろうと思う。だが、ひとりずつ閉じ込められたとなると話は別だ。
スバルなんかは餌も同然である。
今、こうしている間にも仲間たちの身に何が起こっているのか、
非情に気がかりだった。
しかし、だ。
こういう時の為にカイトは部下を残してきた。アトラスとは違い、
スバルとも非常に仲のいい部下である。
彼女たちが今回の件をどれだけ知っているのかはわからないが、
獄翼が運び込まれたとなるとすぐにでも行動に移してくる筈だ。少
々どんくさいのが傷だが、あれでも根は真面目である。今はシルヴ
ェリア姉妹を信じて、時が来るのを待つしかない。
そんなことを考えていた最中、扉から軽いノック音が響いた。
カイトは小さく﹃どうぞ﹄と呟くと、自動ドアがスライドする。
﹁やあ、久しぶりだね﹂
1649
白衣を身に纏った黒髪の女性であった。
彼女は旧友にでも会ったような笑みを浮かべつつ、カイトに言う。
﹁⋮⋮⋮⋮お前は﹂
彼女の存在を思い出すのに、カイトは数秒の時間を要した。
会った事があるのは確かだ。9年前、裁判モドキにかけられた時
にエリーゼの隣にいた﹃左の女﹄である。
カイトは彼女の名前を知らなかった。
﹁ノアだ。一応、エリーゼの同級生と言えばわかりやすいかな?﹂
﹁そうか﹂
再びノアを観察して思う。
結構年がいっているな、と。恐らくだが、30代の後半くらいは
あるんじゃないだろうか。エリーゼが生きていれば彼女と同じよう
に年を取ったのかと思うと、少し悲しい。
﹁で、俺に何の用だ﹂
イメージした悲しい幻想を振り払うようにして、カイトが問う。
ノアはまるで自分の部屋のようにリラックスすると、ベットに腰
かけた。
﹁私が依頼したんだ。君を回収してほしいって﹂
﹁ほう﹂
訝しげに見やるが、心当たりがないわけではない。
9年前、御柳エイジとの事件を起こした際、カイトは軍法会議に
かけられた。まあ、会議とはいえない一方的な内容であったが、そ
1650
の中で彼女はカイトが欲しいと言ってきたのである。
ノアは鎧持ちの責任者だ。体のいい実験用具として見られていた
のが容易に想像できる。
﹁それだけの為にわざわざ王子まで言いくるめたのか。熱心な事だ﹂
鎧持ちの中には、既にカイトのクローンであるゲイザーがいる。
にも関わらず、カイトを欲するとは。余程執念深いのか。それと
も単に諦めが悪いのか。どちらにせよ、これ以上のストーカーはノ
ーサンキューである。
﹁もう俺は間に合ってたと記憶してるが﹂
﹁そういえば、君はゲイザーとやりあったんだったか﹂
思い出した、とでも言わんばかりにノアが食い掛かってきた。
﹁あの後、調整が大変だったんだ。どうしてくれる﹂
﹁こっちの台詞だ﹂
シンジュクでゲイザーに襲われた後、カイトは風邪薬を持ち歩く
生活が続いている。今もポケットの中に突っ込んでおり、いつでも
飲める状態であった。
最近は再発の兆しがないため、飲む機会も減っており、中々いい
ペースで回復してると思いたい。
﹁まあ、いい。ゲイザーとやりあえたんだ。十分素質があるよ﹂
﹁いやな素質だ﹂
心底そう思う。
誰が好んで鎧になんてならなきゃいけないのか。半年前に出会っ
1651
た白い鎧の不恰好さを思い出しつつも、カイトは顔をしかめる。
﹁要するに、俺を改造する為に招いたわけか﹂
﹁まあ、そういうことになる。断る権利が無いのは、よく分かって
いると思う﹂
ノアが部屋のリモコンに手を付けると、取り付けられたモニター
に電源を入れた。ボタンを何度か押下し、チャンネルを切り替える。
薄暗い鉄の個室が表示された。
その隅っこには、布に包まれた誰かがうずくまっている。
俯いており、表情は見えない。
﹁なんだこれは﹂
﹁タイトルをつけるとすれば、一方その頃って奴かな﹂
訝しげに見やったカイトに向けて、ノアはくすりと笑った。
﹁ちょ、ちょっと! もう少し優しく人を運んでくれませんかねぇ
!﹂
スバルが叫ぶ。
バトルロイドによって連れてこられた少年は、乱暴な手つきで個
室に叩き込まれた。手錠をはめられ、自由が利かない身体は無様に
床に叩きつけられる。
﹁大人しくしておくことを推奨します﹂
1652
﹁推奨しますって、ここどこ!?﹂
叩き込まれた部屋を見渡し、スバルは言う。
扉以外はなにもない殺風景な部屋だった。窓も無ければ机も無く、
ベットも無い。部屋の明かりも、心なしか最低限のパワーだ。よく
見れば、天井には換気扇と監視カメラが回っている。
もしかしてここは。
スバルが汗を流しながら一つの答えを出すと、バトルロイドが答
え合わせをしてくれた。
﹁牢屋です﹂
﹁で、ですよねぇ⋮⋮﹂
﹁あなたはここに閉じ込めておけ、とのことですので遠慮なくぶち
込みました。では、快適な牢屋ライフをお過ごしください﹂
快適な牢屋ライフってなんだよ。
そう思いながらも、スバルはツッコめなかった。相手はバトルロ
イドである。何を言ったところで機械のように命令を遂行するだけ
なのだ。自分がいくら声をかけても、牢屋に入れた時点で彼女の仕
事は終了している。
バトルロイドが鍵をかけ、部屋から立ち去った後、スバルはゆっ
くりと立ちあがった。
改めて周囲を見渡してみる。
本当に何もなかった。牢屋と言えば、藁の寝所がありそうなもの
なのだが、それすらも見かけない。後で用意してくれることを期待
しつつも、スバルは扉から僅かに外を見渡せる鉄檻部分を覗き込む。
同じような扉だけがあった。
1653
視線を左右に向けても、同じ感じである。ただ、思ったよりは騒
がしくない。あくまで勝手なイメージなのだが、牢屋は囚人が﹃出
せやおら!﹄などと騒いでる場所だと思っていたのだが、実際に入
ってみると案外静かな場所であった。もしもここに御柳エイジが連
れてこられた日には、それこそ大暴れして快適な牢屋ライフは送れ
なかっただろう。
そういえば、仲間たちは無事だろうか。
カイトとは途中で別れた。その後、他の三人と行動を共にしてい
たのだが、先程のバトルロイドに﹃あなたはこっちです﹄と有無を
言わさず連れてこられた次第である。
エイジとシデンはそこまで心配していないが、マリリスは嫌でも
心配になる。彼女は新生物の影響を受けた数少ない人間だ。実験サ
ンプルだとか言われて、モルモットにされてしまわないか不安にな
る。
﹁⋮⋮おい﹂
﹁へ?﹂
考え込み、唸っているスバルに声がなげかけられた。
声のする方向に振り返る。
同じ部屋の端っこ。光も碌にあたらない、闇の中にそいつはいた。
溶け込み過ぎて気付けなかったくらいには、その男は黒づくめであ
った。
﹁多少、静寂を意識してはどうだ。思考が口から洩れておるぞ﹂
﹁え、マジで?﹂
いつのまにかぶつくさと独り言にまで発展していたようだ。
緊張と不安と恥ずかしさが入り混じって、スバルは狼狽する。
1654
﹁ご、ごめん! 別に昼寝の邪魔をするわけじゃないからさ!﹂
﹁⋮⋮ふん﹂
どうやらこの牢屋には、先に住人がいるらしい。
機嫌が悪そうに鼻を鳴らす彼に向けて、スバルは申し訳なさげに
いう。
﹁ごめんってば。俺も無理やりぶち込まれて︱︱︱︱﹂
﹁そうであろう﹂
スバルの言葉を最後まで聞かぬまま、男は言った。
もののけ
﹁小僧、ここは貴様のような青二才がくるところではない。だが、
物怪を引きつけるその才は、確かな力也﹂
妙に時代がかった物言いであった。
男が立ち上がり、改めてスバルを見る。全身を包帯で身を包んだ、
ミイラ男であった。どういうわけか牢屋で刀を携え、袴を着込んで
いるその男。
スバルは青ざめながらも、男に言う。
﹁⋮⋮ねえ、気のせいかもしれないんだけどさ。アンタ、前に俺と
会ったことある?﹂
半年ほど前。
スバルは時代錯誤の出で立ちをしたチョンマゲ男と出会った。
刀を携え、袴を着て、スニーカーでアキハバラを駆け巡ったスニ
ーカー侍。カイトを物怪呼ばわりしては、見えない名刀で切り掛か
った新人類軍の囚人。
1655
その男の顔を思い出しながら問いかけたスバルに、包帯男はゆっ
くりと答えた。
﹁左様。某は半年前、貴様らを追って刀を振るった﹂
名は月村イゾウ。
半年前、カイトによって桂剥きにされた囚人がスバルの目の前に
いた。
﹁久しぶりだな、小僧。こんなところでまた会うとは思わなかった
ぞ﹂
なぜか鞘から刀を抜き、名刀を抜くイゾウ。
慌てるスバル。彼は腰を抜かしつつも、素早く扉の方まで下がっ
た。
﹁な、な、な、な、なんでアンタは武器持ってるの!? ここ、牢
屋だよね!?﹂
﹁左様。だが、某は特例として武器の携帯を許されている﹂
月村イゾウは味方殺しの囚人兵である。
彼と同室になるとということはつまり、看守が殺しを許可したこ
とに他ならない。もちろん、合図が出たらの話だが。
イゾウは改めてスバルを見下ろす。情けない恰好であった。尻餅。
今にも泣きそうな表情。刀を向けられ、震える両肩。
ここに入れられたのだから、多少は楽しめるのかと思ったが。拍
子抜けである。
看守からの殺しOKのサインであるランプも点かない。イゾウは
肩の力を抜くと、刀を鞘に納めた。
1656
﹁やはり、貴様は物怪ではなかったか﹂
﹁モノノケになってたまるか﹂
どうやら減らず口を叩く余裕はあるようである。
イゾウは苦笑すると、その場に座り込んだ。
﹁まあよい。ここに入れられた者はみな、某の刀の錆になるのが運
命﹂
凍りついた顔でスバルが距離を置く。
だがイゾウは、そんなスバルに目を向けることなく言い放った。
レイ
﹁だが、貴様では我が刀の餌にもなりえぬわ﹂
蛍石スバル、16歳。
生まれて始めて、ディスられてよかったと思った日であった。
1657
神鷹カイト、帰郷 ∼そして僕は牢屋に入れられる∼︵後書き︶
次回更新は土曜日を予定。
1658
第123話 vs神鷹カイト ∼俺の仕事編∼
﹁あいつ、また捕まったのか﹂
モニターに映し出されたスバルの情けない姿を確認し、カイトは
呟く。
思えばここに連れてこられる原因もスバルだし、シンジュクで暴
れることになったのもスバルが連れ去られたからだ。人質が板につ
いて来てるな、と切に思う。
だが、今回は場所が悪い。
走って行けばそんなに時間がかからない場所とは言え、新人類王
国の牢屋。しかも相室しているのがあのスニーカー侍ときたら一筋
縄ではいかないだろう。
ノアの言う通り、拒否権はないらしい。
﹁なるほど。確かに、俺に拒否権はないらしい﹂
今はスバルが映し出されたが、エイジにシデン、マリリスも同じ
ように人質にされている可能性もある。
下手な口出しや行動は出来ない。今までとは違い、ここは新人類
王国の本拠地なのだ。
﹁理解して貰えたようで嬉しいよ﹂
﹁だが、それでもわからないことがある﹂
モニターからノアに視線を向け、カイトは口を開く。
1659
﹁さっきも聞いたが、俺のクローンが作れるなら素材は問題ない筈
だが﹂
﹁完全に君をコピーしてたらよかったんだけど、実際はそうはいか
なかったんだよ﹂
ノアが新たな鎧候補としてカイトを選んだのには幾つか理由があ
る。
ひとつは能力の完全癒着だ。カイトのクローンであるゲイザーは
再生能力をオリジナルほど上手に扱えない。
次いで、今回の移植に使うのは成長した目玉である。どんなアク
シデントが起こるかもわからない以上、少しでも成功率を上げる為
には神鷹カイトの力が欲しいのだ。
﹁それに、クローンには莫大な資金がかかる。既に予算の12体分
も回してもらった以上、また1から延々と作り続ける余裕はないの
さ﹂
﹁結局カネか﹂
なんとも世知辛い世の中である。
﹁ちなみに、成功率は3割だと私は睨んでいる﹂
﹁なに﹂
唐突に吐き出された成功率は、予想よりもずっと低い物だった。
自慢ではないが、カイトは自分の再生能力は結構強力であると自
負している。少なくとも、心臓でも潰されない限りはずっと生きて
いる自信があった。
そんな自分でさえも、成功率3割。
鎧持ちとは、そこまで狭き門なのか。
1660
﹁もちろん、君が一番成功率が高い。要は死ななきゃいい話なんだ
からね﹂
﹁それで3割か。心臓に釘でも打ち込むのか?﹂
﹁まさか。埋め込むのはこれだ﹂
ポケットから瓶を取り出し、カイトに見せつける。
透明な瓶の中に入っていた物体は、カイトも良く知っているもの
だった。少し前、自分がくり抜いた代物だからだ。王国に到着する
シルバーレディ
までの道中で改修されてしまったのだが、まさかこんなところで見
ることになるとは。
﹁星喰い︵スターイーター︶、もしくは銀女なんて呼ばれてるそう
だね、これの持ち主は﹂
にやついた笑みを浮かべるノアを一瞥し、カイトは思う。
これを埋め込む気なのか、と。確かに星喰いや銀女はその生態が
明らかになる前に消えた。その上、彼らは不思議な力があった。唯
一残された細胞である目玉を調べればそのヒントは得られるかもし
れないが、いかになんでも直接埋め込むのは乱暴すぎやしないか。
﹁不満そうだね﹂
﹁不満しかない﹂
﹁まあ、そう言わずに聞きたまえよ。この目玉、実は新人類王国に
似たような物が12組あってね。それが全部鎧に使われているのさ﹂
カイトは淡々と語られる鎧持ちの誕生秘話を聞いた。
隕石の中にあった12の卵。
地球外生命体の誕生。
その生物が様々な怪現象を起こしたこと。
彼らの目玉をくり抜いたら、死んでしまったこと。
1661
そして、目を使った強化人間の誕生。
﹁なるほど。道理で似てると思った﹂
ノアの話を一通り聞いたカイトの第一声がこれだ。
シンジュクで襲い掛かってきたゲイザーの目と、銀女の目は似て
いた。細かい特徴は違うが、目を合わせた瞬間にダメージをうける
のは類似点であると言える。
﹁だが、いいのか。そんな物を俺にくれても﹂
不敵な笑みを浮かべつつ、カイトは言う。
ノアの言いたいことは何となく理解している。
要約すると、新しい鎧持ちが欲しいからモルモットが欲しい。実
験を受けろ。拒否すればどうなるかわかってるんだろうな。
簡単に纏めてしまえば、こんな感じだ。
だが、この要求には大きなリスクが付いて回る。
﹁もし成功したら、ここがどうなるかわからんぞ﹂
﹁当然だな﹂
当たり前すぎるリスクを前にして、ノアは平然とした態度で答え
た。
﹁だから、手術現場には鎧を同伴させる﹂
﹁ぬ⋮⋮﹂
鎧持ちの同伴。彼らの強大さはよく知っているつもりだ。ゲイザ
ーと同程度の戦力だと考えても、まともにやりあいたくない相手だ。
1662
﹁完全に抑えられる保証はどこにもない。だが、抑止力としては妥
当な人選だと思わないか?﹂
﹁⋮⋮それで俺が死んだらどうする﹂
﹁もうひとり、興味深い娘を連れてるだろう? 私としては彼女に
これを移植しても構わないんだけど﹂
瓶の中に詰め込まれた黒い目玉を掲げられる。
今、マリリスはどうなっているのかはわからない。こうしている
間にも手術台に寝かされているのだろうか。
﹁他の連中は無事なんだろうな﹂
﹁そこは保障しよう。牢屋であんな目にあっているのはあの少年だ
けさ﹂
﹁証拠は﹂
﹁この後会せよう。彼らも君と同じように、昔の部屋に戻っている。
娘もセットさ﹂
その言葉を聞いてから、カイトは考え込む。
口元に手を当て、しばし経ってから彼は首を縦に振った。
﹁わかった。話は後で聞く。先に案内してくれ﹂
トリプルエックス
基本的に、XXXではふたり一組の部屋が用意されている。シデ
ンとエイジが案内された部屋も例外ではなかった。6年前までふた
1663
りが寝泊まりしていた部屋は、殆ど当時のまま何も変わってはいな
い。
あえてあげるとすれば、エイジが昔使っていたベットは今はマリ
リス専用になっている事だ。
﹁おお、カイト。無事か!﹂
部屋に入ったカイトを見るや否や、三人の仲間たちは一斉に彼の
もとに集った。隣にいるノアには目もくれていない。
﹁ごめんカイちゃん。スバル君の件だけど﹂
﹁いい。今は無事だ﹂
﹁お隣の方に聞いたのですか?﹂
﹁正確に言えば、見せられたって言った方がいいが⋮⋮﹂
マイペースに鼻歌を鳴らしながらノアはエイジたちの部屋に侵入。
そのままベットに腰かけ、早速リラックスモードに入る。ここで
は彼女はただの同席者であった。
エイジたちの疑問はノアではなく、一度別行動をしていたカイト
へと向けられる。
﹁で、どうなんだ﹂
簡単な質問であった。それでいてアバウトだが、何を聞きたいの
かはそれだけで大体理解できる。
﹁状況は最悪だ﹂
カイトは自分の知っている大まかな事をエイジたちに話した。
淡々と話し続けるカイトは、最後に自身の感想を付け加える。
1664
﹁︱︱︱︱と、いうわけだ。俺としては、受けても受けなくてもデ
メリットしかないと思っている﹂
﹁メリットはあるさ。私の夢がまた一歩進む﹂
﹁お前のメリットなんぞ知るか﹂
あくまで己の目標にストイックなノアに言うと、カイトは語る。
デメリットについて、だ。
﹁スバルは牢屋だ。しかも、あのチョンマゲが相部屋になっている﹂
シデンの表情に影が浮かぶ。
アキハバラで彼と戦い、仕留めることができなかった思い出が蘇
った。
﹁チョンマゲさんとは、どういった方なのです?﹂
﹁スニーカー侍﹂
﹁決闘至上主義の変態﹂
﹁ミイラになってた﹂
﹁そ、そうですか⋮⋮﹂
唯一、イゾウに会った事がないマリリスが興味本位で聞いてみる
も、一瞬で表情が凍りついた。碌な奴じゃないって事だけがよく理
解できた。
﹁チョンマゲは躊躇が無いタイプだ。奴がスバルを殺すのに躊躇う
理由はないし、正直切ってないのが不思議な状態だ﹂
あんまりな言い草ではあるが、誰も否定しなかった。
一応、仲間であるはずのノアも頷いている。マリリスは﹃チョン
1665
マゲ﹄なる包帯ぐるぐる巻きの人物が、涎を垂らしながらスバルに
迫る光景を思い浮かべはじめた。どんどん顔色が青ざめはじめた。
その光景は軽いホラーである。
﹁じゃあ、仮にカイちゃんが手術を受けてもスバル君は﹂
﹁斬られる可能性が高い。あの狭い部屋じゃ逃げれないだろ﹂
かと言って、受けなかったら今スバルが斬られるだけだ。
どちらに転んでも、自分たちに不利な状況に変わりはない。
﹁おい、おばさんよ﹂
エイジがノアへと振り返る、詰め寄る。
おばさん呼びされたことに少し青筋を立てつつも、ノアは言う。
﹁なんだ﹂
﹁スバルの無事を約束できんのか、そっちは﹂
﹁イゾウが斬りかからなかったから、約束は守れる筈だよ﹂
なんだその返答。
愕然とするエイジを余所に、ノアは続けた。
﹁正直に言うと、少年の方は見せしめのつもりだった。王子も、彼
については処分するようにと命令を出している﹂
ゆえに、本当に人質として使う予定だったのはエイジたちだ。
マリリスは最後まで残し、エイジとシデンを弄っていくつもりだ
った。しかし、イゾウは斬らなかった。彼は美学に五月蠅い男であ
る。斬るに相対しないと判断すれば、命令が出るまで斬らないのだ。
旧人類とはいえ、これまで数々の強敵と戦い抜いてきた少年であ
1666
る。多少は彼の目に適うのではないかと王子は睨んでいたようだが、
その判断は外れた。
﹁まあ、結果はご存知の通り。運よく生き抜いたあの少年が、これ
また運良く生き残る為には君の協力が必要なんだ。わかるよねぇ?﹂
﹁いいだろう﹂
﹁ええっ!?﹂
挑発するように放たれた言葉だったが、本人はあっさりと承諾し
た。
さっきまでデメリットしかないとか言ってたくせに、変わり身が
早すぎる。
﹁おい、考え直せ。生還率3割だろ!?﹂
﹁そうだよ。あのチョンマゲが自分から斬らないっていうんなら、
その間にボクらでなんとか﹂
﹁今答えなくても同じことだ﹂
もしこの瞬間、NOと言えばすぐにでもスバルは切り捨てられる。
答えを無理に引き延ばそうとしても、同じことだ。彼は王国にと
って、そこまで貴重な人質ではない。
﹁⋮⋮それなら私がやります!﹂
妄想世界から帰ってきたマリリスが挙手し、真剣な目つきでカイ
トを見る。
﹁もしかすると、私なら耐えきれるかもしれません。可能性が低い
よりは、その方が﹂
﹁ダメだ﹂
1667
提案はあっさりと却下された。
カイトはマリリスに向き直り、肩を叩く。
﹁こういうのは、俺の仕事なんだ。悪いな﹂
有無を言わす間もなく、カイトはノアへと視線を向けた。
﹁手術の日程は?﹂
﹁明日の早朝を予定している﹂
﹁ずいぶん遅いな﹂
﹁私は今すぐ取り掛かってもいいんだけど、なにぶんみんな星喰い
との戦いから戻って来たばっかりだからね。君も、休養はいるだろ﹂
﹁そうか。なら、遠慮なく休ませてもらおう﹂
言い終えると、カイトは回れ右。
自室に戻って早めの休養へと入ろうとするが、
﹁おい、待て!﹂
腕を掴まれ、静止する。エイジだ。
﹁またそうやって、自分を傷つけんのか!?﹂
エイジは知っている。
神鷹カイトは己の身を省みない。なまじ再生能力なんか保持して
いるせいで、自分が我慢すればいいと考える節がある。
幼い頃から、そうやって彼に守ってもらった身としては黙ってい
られない。
1668
﹁ガキの頃、俺たちがどんな気持ちでお前を見てたか知ってるだろ
!?﹂
﹁ああ﹂
知らない筈がない。
そのお陰で、彼らには見えない貸しを作ってしまったのは記憶に
新しい。
﹁もちろん、知ってる。だから敢えて言うぞ。もう一度だけ、俺を
信じてくれ﹂
ノアを一瞥し、睨む。
眼光に気付いたのか気付いていないのか、ノアは呑気に口笛を吹
いていた。
﹁⋮⋮今までで一番分が悪い賭けだとは思ってる。だが、それでも
可能性が一番高いのは俺なんだ。こいつに任せるわけにはいかない﹂
幼い街娘に視線を向けてから、カイトは級友ふたりを見る。
あの頃と違うことがあるとすれば、素直に頼れることだ。時の流
れを実感しつつも、カイトは小声で言う。
﹁なるだけ持たせてみせる。なんとか向こうを頼む﹂
﹁⋮⋮ちっ﹂
舌打ちしつつも、エイジは手を離した。
﹁死んだらあの世で針1000本飲ませてやる﹂
﹁それは怖いな﹂
1669
笑みを浮かべると、カイトは今度こそ回れ右。
自動ドアを開け放ち、自室へと帰って行った。
﹁へぇ。彼、あんな顔もできたんだ﹂
ノアがベットから立ち上がり、カイトの後に続く。
興味深げに三人を見やる。
﹁噂には聞いてたけど、本当に丸くなったのか﹂
﹁彼はああ見えて中々いいところあるんだよ。ゲテモノ限定とはい
え、モテるしね﹂
シデンの一言を聞き、ノアはくすりと笑う。
﹁なにがおかしいのさ﹂
﹁いや、別に﹂
ただ、
﹁これから君の言う﹃いいところ﹄っていうのを、全部塗り潰すん
だと思うとね。腕が鳴るわけだよ﹂
言い終えると、ノアは速足で部屋から去って行った。
彼女に殴りかかろうとするシデンを抑え込む為に、エイジとマリ
リスが入り口を塞ぐ。
ドアが閉まる音が、虚しく響いた。
1670
第124話 vs姉妹とパツキン囚人と命令と
牢屋の中に叩き込まれてからどれだけの時間が経過しただろうか。
時計も無ければ窓もないこの空間では、現在時刻の推測すらでき
ない。
﹁⋮⋮あー﹂
相室の包帯男に何か話しかけてみようかと、わざとらしく困った
ような声を出した。
下手に話しかけて機嫌を損ねれば切り捨てられてしまうのがオチ
なのだが、今のスバルはそれすらも忘れてしまう程に暇であった。
﹁イゾウ、さん﹂
﹁なんだ﹂
意を決して話しかけてみる。
簡単な返答と共に鋭い眼光が少年を貫いた。寒気が走る。喉元に
刀を突きつけられたかのような錯覚を覚えつつ、スバルは続けた。
﹁牢屋って、普段どんな感じで1日を過ごすの?﹂
純粋な質問であった。
蛍石スバル、16歳。当たり前のことだが、牢屋は始めてである。
戦慄の牢屋デビューを果たした少年は、果たして適用されるのかも
わからない囚人スケジュールを気にしはじめていた。
すると意外な事に、イゾウは渋い顔をすることなく答えてくれた。
1671
﹁基本的に、皆早起きだ﹂
﹁早起きって言っても、ここ時計ないけど﹂
﹁アナウンスが流れる。起床時間は朝6時、就寝は22時だ﹂
﹁はえぇ!﹂
睡眠時間が8時間確保されているのは嬉しいが、スバルとしては
起きるのと寝るのが早すぎる。彼は基本的に遅寝遅起きなのだ。
﹁貴様の生活ペースは知らぬ。だが、ここでの生活は全て一律とな
る﹂
イゾウのような囚人は例外だが、通常の牢屋と言うのは社会復帰
や危険人物の監視を目的とした空間である。刑期が切れるまでの間、
彼らには社会復帰する為の訓練が課せられるのだ。
﹁俺もソレに参加すんの?﹂
﹁知るか。看守に聞くがいい﹂
いつのまにか大分フレンドリーに話しかけてきているスバルを訝
しげに見つつも、イゾウは続ける。
﹁だが、起床と就寝以外にも決まった時間に行われる行事がある﹂
﹁なんだよ、それ﹂
﹁食事とラジオ体操だ﹂
﹁ラジオ体操ぅ?﹂
前者はまだわかる。人間が生きていくためには欠かせない生活プ
ロセスだ。だが、ラジオ体操である。やたら早起きするのはそれの
せいか。
余談だが、朝は寝ることを信条とするこの少年。ラジオ体操が大
1672
嫌いである。
﹁最近取り入れられたシステムになる。昔は労働前の準備運動で身
体を慣らしていたものよ﹂
どこか遠い目で天井を見上げるイゾウ。
彼も囚人生活が長いのだろう。色々と思う事があるに違いない。
﹁だが、奴が来てから牢屋は変わった﹂
﹁奴?﹂
﹁そうだ。半年前に牢屋に入れられたあの男がラジオ体操を提案し、
囚人の義務として取り入れたのだ﹂
﹁新しい看守の人⋮⋮じゃないよね?﹂
イゾウが首を横に振った。
彼の言い回しから考えるに、どちらかといえば新しい囚人に思え
る。
﹁囚人のアイデアって取り入れられるわけ?﹂
﹁左様。新人類王国は強者こそが掟。その考え方が優れていると判
断されれば、誰の考えであろうと採用される﹂
その昔、婚活したいと叫んだ囚人のお陰で牢屋お見合いなんかが
開催されたのは苦い思い出であった。
当時のことを思いだし、イゾウは口を閉じた。
﹁はぁ。誰だか知らんけど、余計なことをしてくれたもんだぜ﹂
一方のスバルは扉を見やり、廊下を挟んだ奥にいるであろう他の
囚人たちに向けて恨み言を呟いた。関係ない奴からすれば完全にと
1673
ばっちりなわけなのだが、ここにはイゾウしかいないので悪口が聞
こえる訳でもない。
﹁小僧、貴様も知っている男だ﹂
﹁は?﹂
だが、吐き出された悪口はイゾウによって思わぬ方向へと向かお
うとしていた。
﹁聞けば、貴様は日本の大使館で暴れたと聞く﹂
﹁ああ、確かにそうだけど⋮⋮え、大使館の人?﹂
そうなれば思い浮かぶ人物は三人。
その内ひとりは死亡。もうひとりの三角帽子女は、先日の星喰い
戦でタイラントの横についていた筈だ。牢屋に入っていっるとは考
えいにくい。
と、なれば消去法で残るのはただひとり。
﹁はっはっはっはっは!﹂
あまり思い出したくない男の顔を思い浮かべたと同時、扉の奥か
ら笑い声が聞こえてきた。最近分類に成功した、馬鹿特有の笑い方
である。この笑い方と声を、スバルはよく知っていた。
﹁ま、まさか!﹂
立ち上がり、扉を覗き込む。
鎧窓越しで見えた金髪の男は、なぜか口に薔薇を加えながらもこ
ちらを見ていた。
1674
﹁アーガスさん!﹂
﹁おお、スバル君! 久しぶりだな、美しく変わりはないかね!﹂
アーガス・ダートシルヴィー。
そうだ、この男がいてもおかしくはないのだった。半年前に王国
に対し、反乱宣言をした英雄の姿を思い出す。嘗ては大使館の責任
者だった男も、今では立派な裏切り者である。
その証拠に手錠がかけられており、服装はみすぼらしい囚人服だ。
﹁なるほど。看守の噂で君たちが捕まったと聞いていたが、事実だ
ったか﹂
﹁え? てことは、俺達の現状は知ってるのか?﹂
﹁アバウトに、だがね。しかし疲れた顔をしているな。若いのだ、
もっと健康と美容に気をつけたまえ。香水をかけてあげよう﹂
﹁いらねぇよ! ていうか、どっからだした!﹂
力の限りツッコんだのだが、顔面に香水攻撃を食らってスバルは
飛び退いた。くさい。あまりに強すぎる香気の直撃を受けて、少年
の嗅覚は尋常じゃないダメージを受けてしまった。
イゾウが哀れみの視線を向ける。見かねた包帯男は鎧窓に視線を
向けると、一言つぶやく。
﹁また作ったのか﹂
﹁おお、イゾウ君。そうなのだよ。先程の自由時間で新しい香水を
使ってみたのだが、これが中々美しい香りを運んでくれるのだよ。
みたまえ、彼もあまりの美しさに目が眩んでいる﹂
思いっきり鼻を抑えて蹲る少年の姿がある。
どう見ても目が眩んでいるようには見えなかったが、彼が言うな
らそうなのだろう。たぶん。
1675
﹁しかし、ここに入れられたと言う事は﹂
そんなやり取りをしている途端。アーガスの視線が戦士のそれに
変わった。彼はイゾウを睨み、牽制するように言い放つ。
﹁これから処刑かな?﹂
﹁上はそのつもりであろう﹂
月村イゾウのことはアーガスも良く知っている。彼は新人類王国
では有名人なのだ。同室に入れられれば、国から死刑宣告を受けた
とさえ言われた男である。
モノノケ
﹁だが、某が斬るのは物怪のみ﹂
﹁そうだろうな。どちらかといえば、君の好みそうなのは山田君だ
ろうね﹂
山田君って誰だ、と思いながらもイゾウは眼光を飛ばす。
確かな殺気が扉越しでアーガスに伝わり、ふたりの間に緊張が走
る。
﹁某は貴様が相手でも一向に構わぬぞ﹂
腰に携えた柄を握り、構えに入った。
この牢屋で斬ってみたい囚人。それこそがこのアーガスであった。
王国に敗北するまでの間、たったひとりでトラセットを守り抜いた
英雄。その実力がどれ程のものか、是非見てみたい。
﹁悪いが、私は望まぬ戦いはもうしないと決めたのでね。美しい私
は無暗な殺生を好まないのだよ﹂
1676
ただ、イゾウのアプローチも英雄は軽く受け流すだけである。ア
ーガスの興味はただひとつ。蛍石スバルの存在と、彼の仲間たちの
現状である。
﹁スバル君﹂
相変わらず悶えている少年に向け、アーガスは提案する。
﹁もうそろそろ夕食の時刻になる。私は自分の部屋に戻るが、早朝
はラジオ体操があるので多少は時間が出来る筈だ。よければ、ゆっ
くりと話をしないかね?﹂
スバルはその提案に対し、鼻を抑えながら言った。
わ、わかった。おえ、と。
敵の本陣ともいえる新人類王国では、自分たちは自由に動けない。
ただ、ここに残した仲間は別だ。頼りのシルヴェリア姉妹がエイ
ジたちに接触してくるまで、時間は掛らなかった。
ただし、部屋に監視カメラあるのは彼女たちも知っている。
ゆえに、シルヴェリア姉妹はある仕込みをおこなってきた。
﹁申し訳ありません。遅くなりました﹂
﹁なんかあったのか?﹂
﹁姉さんの人口声帯の調子が悪いんで、メンテナンス中なんですよ﹂
1677
やってきたカノンとアウラは、半年前にトラセットで会った時と
なんら変わっていない。カノンの首に包帯が巻かれていること以外、
だが。
因みに、喋れないというのは本当である。カノンの人口声帯は特
別製だ。修理が必要となると、代理品が完成するまでの間は無言を
貫くしかない。同時に、これこそが彼女たちの秘策であった。
王国が自分たちを疑っているのは十分承知だ。なにせ、第二期X
XXは基本的にカイト至上主義者の集まりである。彼の危機だとす
れば、真っ先に警戒されてもおかしくない。
だからこそ、敢えてカノンを目立たせた。口で喋れないのいいこ
とに、口パクや携帯してきたニンテンドー3DSのイラストに注目
させる。そうすることで、少しでも監視カメラの目をカノンに向か
わせようというのだ。
﹁なので、姉さんは今日喋れません﹂
アウラが補足を入れると、カノンは携帯してきたニンテンドー3
DSを広げた。お絵かきソフトで描かれた、ゆるキャラっぽいカノ
ンが申し訳なさげに土下座をしていた。ゲーム画面とはいえ、意外
とイラスト上手であった。
﹁カイちゃんにはもう会った?﹂
﹁はい。状況も大体理解しているつもりです﹂
カメラは回っているが、これは本当のことである。
本国の守りに務めていたシルヴェリア姉妹は今回の件について詳
しくはなかった。それだけに、突然の帰郷にはびっくりしたもので
ある。決して嬉しいニュースではないが。
1678
﹁じゃあ単刀直入に聞くけど、スバル君を君たちの権限で出してあ
げる訳にはいかないの?﹂
シデンが直球な質問をしてくる。
それを聞いたアウラの眉が、僅かに動いた。監視カメラがあると
いうのにそんなことを聞いて来るのか。
であるならば、自分たちに依頼したいのはスバルの救出ではない
のだろう。
そう判断すると、アウラは冷静に答える。
﹁残念ですが、私たちは王国での立場がそこまで上なわけではあり
ません。アトラスならまだ違うと思いますが⋮⋮﹂
﹁難しいだろうな。あれは﹂
顔をしかめ、エイジが言う。
彼の旧人類嫌いは相当なものだ。ソレに加え、カイトと仲のいい
旧人類とくれば嫉妬に狂ってなにをしでかすかわからない。星喰い
︵スターイーター︶すたひとりで抑え込んだ爆発力を暴走させてし
まったら、誰も彼を止めることはできないだろう。
﹁では、なんとかして手術を止めさせることはできないでしょうか﹂
部屋の隅っこに設置された冷蔵庫から水と氷をコップに入れつつ、
マリリスが問う。来客に対して飲み物を出すのは彼女なりの礼儀で
あった。
テーブルの上に置かれたそれを手に取り、口に含めてからアウラ
は答える。
﹁王子の決定ですからね。我々が何を言ったところで無駄でしょう﹂
﹁リバーラ王は今回の件を知ってるの?﹂
1679
﹁恐らく。ですが、リスクは相当高いと判断されているようです﹂
星喰いとの戦いが終わったばかりだというのに、守りは厳重にな
っているのだ。王なりに内部の怪物誕生を警戒してのことだろう。
﹁噂では、それこそ鎧持ちも警備に出すんだとか﹂
﹁こっちでもか⋮⋮﹂
カイトの鎧手術を鎧が見守り、更に場内の見回りにも鎧持ちが加
わる。もしも戦闘がおきれば、周りの兵どころか民間人すら巻き込
みかねない。
﹁配置は?﹂
﹁知っていたとしても、喋る事はできませんよ﹂
﹁そりゃそうだったな﹂
一応、立場上シルヴェリア姉妹は王国側の人間である。
フレンドリーに見える会話でも、カメラが回っている場ではその
立場を貫き通さねばならないのだ。
﹁ただ、部下としては心配ではあります﹂
﹁それはアトラスの暴走がか? それとも、カイトの安否?﹂
﹁仮面狼さんを含めて、全部です﹂
マリリスに出された水を飲みほし、カノンも続けて頷く。会話に
参加できない以上、彼女ができることは妹の返事に相槌を打つこと
くらいだった。
﹁アキナは知りませんが、アトラスはリーダーを神聖視しています。
ご存知だとは思いますが、その⋮⋮戸籍や身体を変えてしまうくら
1680
いには﹂
﹁あれは衝撃的だったね。ちょっとそっちの気があるのかとは思っ
てたけど、あれだけマジだったとは思わなかったよ﹂
散々な言われようだが、それだけにアトラスがどう動いて来るの
か読めない。彼は今、爆発寸前のダイナマイトのような状態であっ
た。取扱説明書があるのであれば、どんな仕組みで爆発するのか知
っておきたい。巻き添えを食らうのはまっぴら御免である。
﹁いずれにせよ、リーダーに危害を加えるのが明らかな状況で彼が
黙っているとは思えません。必ず、何かしらの行動を取るかと﹂
﹁問題が山積みだな。嫌になってくるぜ﹂
蛍石スバルの救出。
アトラス・ゼミルガーの動向。
神鷹カイトの移植手術阻止。
場内を警備する屈指の新人類軍と鎧持ち。
ざっ、と挙げただけで4つもある。
どれもこれも骨が折れる作業だが、この状況を切り抜ける為には
目を背けることはできない課題である。
ただ、当日までに残された時間が限られているのも確かだ。その
限られた時間でシルヴェリア姉妹がやるべきことは、
﹁⋮⋮なんとかアトラスを抑え込めないか?﹂
﹁アトラス、ですか﹂
味方にすればこれほどまでに頼もしい人物はいない。
だが、なにをしでかすのかわからないままだと両陣営に問題が発
生しかねない。スバルが手の届かない場所にいる以上、避けられな
1681
い問題だった。
新人類軍の立場から考えても、願ったりの提案だろう。妥当な対
応であると言えた。
﹁わかりました。少し本人と話してみて、様子を確認します﹂
﹁ああ、頼むぜ﹂
﹁姉さん。行きましょう﹂
軽く挨拶をすると、カノンとアウラは先輩戦士たちの部屋から出
ていった。廊下の監視カメラをやり過ごすと、陰に隠れてふたりは
相談し始める。
﹁姉さん。例の物は?﹂
妹が問うと、姉は口の中から異物を取り出した。
氷である。マリリスが用意した﹃おもてなし﹄に混じっていた代
物だった。六道シデンがいる場で氷を出され、言語を封じられた場
合、こうやってメッセージのやり取りを行うのがXXXの決まりご
とであった。
カノンは無言のまま氷を砕く。
氷の中に閉じ込められたカプセルが、掌の中に姿を現した。
﹁私の方は口の中で砕いて、なにもないことを確認してます。たぶ
ん、それにみなさんからの命令が書かれている筈です﹂
カノンは妹の言葉に頷くと、カプセルの中身を空ける。
米粒ほどの大きさの紙切れが落ちてきた。だが、アウラの超人的
視力はそこに書かれている小さな文字を見逃さない。
1682
6時までにカメラを無力に。
それがシルヴェリア姉妹に与えられた、懐かしき上司達からの命
令だった。
1683
第125話 vs姉妹と警備と老兵と
日付は代わり、時刻は朝5時。
監視カメラの無力化。
単純に目的だけを達成するなら、エイジたちの部屋のカメラを壊
してしまえば済む話かもしれない。だが、状況はそんなに宜しくな
い。
﹁状況を考えれば﹂
カメラの視線を避けつつ、アウラは言う。
﹁場内の監視カメラを全てストップさせるのが好ましいです﹂
妹の提案に、カノンは頷く。彼女の人工声帯はまだ取り付けられ
ておらず、喋る事は叶わない。だがコミュニケーションをとらなけ
ればならない相手が妹に限定されるのであれば、そこまで困る事で
はなかった。アウラとの付き合いは長い。目を合わせただけでも意
思疎通できる自信があるのだ。
﹁作戦の遂行の為にはセキュリティルームの占拠が望ましいですね。
そこで電源を落とすことができれば、皆さんも動きやすくなるはず
です﹂
しかし口で言うのは簡単だが、そう簡単に占拠できるわけではな
い。今にも城の中で怪物が生まれるかもしれない状況下だけあって、
警備はこれまでに比べても厳重だ。普段は眠っている兵も、この時
ばかりは夜勤にまわって職務を全うしている。
1684
セキュリティルームとて同じだ。そこまでに続く道にも厳重な警
備があるし、入口には立ち塞がっている。
一応、カノンとアウラは新人類軍の人間だ。ゆえに、通ることは
できる。だが中に入れるかとなると、それはできない。どこもそう
だが、許可された人間以外が立ち入ることなどできないのだ。ある
程度自由に動けると言っても、限度がある。
﹁見張り兵は⋮⋮4人、ですか﹂
それとなくセキュリティルームの目の前を通り過ぎ、T字路を曲
がったところでアウラは確認を取る。普段はふたりしかいない守り
も、今日はその倍だ。恐らく、中にも兵がいると見た方がいいだろ
う。仮に外の兵を倒したところで、騒ぎが大きくなってしまうだけ
である。
﹁どうします、姉さん﹂
アウラ個人としては、扉を守っている兵はそんなに問題ではない。
ネックなのは中の様子がわからないことだ。守りの兵を瞬殺して、
勢いよく中に入った途端に鎧持ちがいましたなんてオチだったらシ
ャレにならない。
一応、行動に移す前に問題になりそうな兵の待機場所を確認して
はいる。ただ、その中でも鎧持ちの動向は誰にもわからなかった。
﹁⋮⋮﹂
カノンも同じ感想を持っていた。ゆえに、可能であればセキュリ
ティルームの中は見ておきたい。
彼女は天井を見上げる。その後、アウラに視線を向けた。
1685
﹁やっぱり、そうなります?﹂
頭を抱え、アウラは嫌そうな顔をした。
姉が何を提案したのかは、言葉が無くともわかる。スパイアクシ
ョンのお約束、天井裏からの潜入である。
﹁あんまり髪を汚したくないんですよね⋮⋮﹂
﹁⋮⋮﹂
げんなりとする妹を余所に、カノンは早速天井裏への移動を開始
した。こういった状況も、カイト側に着いた時から想定している。
どこから天井裏に繋がっており、どう移動すればセキュリティルー
ムに到着するのかはバッチリ把握していた。
﹁姉さん、よく抵抗ないですよね﹂
てきぱきと天井裏に上り、ほふく前進で移動する姉に向けてアウ
ラは言う。基本的に、天井裏は掃除がされていない。至る場所に埃
は積り、蜘蛛の巣が張られていることなど日常茶飯事である。
アウラもガサツに見えて、女の子だ。できるだけ汚れは避けたい。
﹁⋮⋮﹂
一方のカノンは、喋れない為に無言のまま前進していった。ただ、
彼女はあまり汚れを気にしないタイプの人間である。
下水道にも平気で入るし、ドブネズミ同然の生活だってやっての
ける。姉ながらとことん任務にストイックな姿勢には、頭が下がる
ばかりだ。
﹁!﹂
1686
カノンが僅かに振り向き、アウラに待ったの手をかける。
思考を中断し、姉の命令に無言で従うアウラ。妹が動きを止める
のを確認すると、カノンは真下のセキュリティルームの様子を覗き
込む。
何時の間にか作っていた覗き穴であった。ふだんちょっと抜けて
いるが、大事な所はしっかりと抑えているのだ。
﹁⋮⋮!﹂
覗き穴から見える僅かな世界を視界に入れた途端。
カノンの表情が僅かに凍りついた。後ろにいるアウラにもその緊
張感は伝わってくる。
果たして彼女は何を見たのだろう。自分たちの想像を超えるなに
かが、このセキュリティルームにあると言うのか。
﹁⋮⋮﹂
カノンは覗き穴から顔を上げると、メモ用紙を取り出す。
胸ポケットに突っ込んでいたペンを抜いてささっとなにかを書く
と、後ろにいるアウラへとパスした。
キャッチするアウラ。折りたたまれた紙片を開くと、そこにはこ
う書かれていた。
﹃グスタフがいる﹄
グスタフ。
その名は、当然アウラも知っている。新人類王国の中でも発言力
が大きく、長い間国で働いてきた老兵だ。タイラントを女子の兵士
団長だと例えると、彼は男子の兵士団長である。
1687
なぜ彼がこんなところに。聞いていた警備ポイントとは全く違う
場所だ。
姉妹の間に困惑が広がっていく。ここにきて、意外なボスキャラ
が構えていたのだ。
若いシルヴェリア姉妹は、既に前線を引いているグスタフの戦う
姿を見たことがない。見たことはないが、しかし。噂を耳にしたこ
とはある。
曰く、開戦当時は彼がひとりで王国を守り抜いた。
曰く、彼がひとりで敵国の大地を丸ごと抉り抜いた。
どこまで本当なのか疑わしくなるが、タイラントな並みの能力者
であることは容易に想像がつく。その上、彼は王子の世話をしてい
た経験もある。王族を任されるだけの信頼と実績を積み重ねてきた、
堅実な実力を持っていると判断していいだろう。
それだけに状況は悪化したといっても過言ではない。
カノンとアウラも数々の実績を残した兵士だ。だが、この場でグ
スタフとやりあうのは非常にマズイ。姉妹のミッションは監視カメ
ラの無力化だ。遂行の為には、このボスキャラを退かすほかない。
アウラは腕時計を見やる。
そろそろ時計の長い針が一周を終えようとしていた。タイムリミ
ットまで、後10分。残された時間は、あまりに短い。
﹁姉さん﹂
アウラは覚悟を決め、小声で語りかける。
1688
﹁やろう。もう時間がない﹂
前にいるカノンが、僅かに頷く。
勝てる保証もないし、やりあった経験も無い。はっきり言って、
未知数の相手だ。
だが残り時間が10分しかないことを考えると、足踏みしている
時間すらない。一か八か、グスタフを足止めしてセキュリティルー
ムを無力にする。
比較的脳筋な姉妹は、覚悟を決めるとお互いの身体を発光させた。
グスタフはここ最近、セキュリティルームに入り浸っていた。
きっかけはなんのこともない。ただ、気になったことを調べるだ
けだ。随分前に話題になった、新人類王国のデータベースへの介入。
その疑問は未だに解決していない。
正直な所、自分1人では膨大過ぎるアクセス経歴を調べきれない
と言うのが本音だ。だが、かといって大きな声で手伝ってくれとは
言えない。
空いている時間をフルに使って、セキュリティルームに保管され
ている過去のアクセス記録を調べていくしかないのだ。
しかし、時間には限りがある。
この日は早朝から化物の移植手術が始まる。恐らく、手術の開始
までそんなに時間はかからないだろう。
同時に、襲撃があるとしたらこの時間帯であった。
カイトと共に王国へと帰郷したエイジたち。牢屋に入れられたス
1689
バル。内部でなにをしでかすかわからないアトラス。これらに気を
配りつつも、無事に手術が終わるのを願うしかない。
﹁⋮⋮鎧、か﹂
誰に向けるでもなく、グスタフはぼそりと呟いた。
神鷹カイトとは何度か面識がある。当時、彼はまだ年端もいかな
い少年であった。当時の﹃最強の女﹄を一瞬で殺してしまったあの
少年が、鎧になろうとしている。
その事実を想像すると、寒気がした。
聞けば、提案したのは鎧持ちの管理者であるノアらしいが、OK
サインを出したのはディアマットなのだという。少しでも強い戦士
が欲しい気持ちはわからんでもない。
アーガスが反乱で牢屋に入れられ、サイキネルは死亡。加えて、
カイト達によって国の威信は地にまで落ちてしまった。ここで実績
が欲しいのも頷けるというものである。
もしも実験に失敗しても、スバルの処刑をするだけである程度の
回復は見込めるからだ。
ただ、そもそもの話。
グスタフは鎧持ちと言う存在が好きになれなかった。人間として
の感情を排除し、ただ命令されるがままに攻撃を繰り返すだけ。下
手なロボットよりも立派な兵器である彼らには、恐ろしさを感じる
他ない。
もちろん、12人の鎧持ちが全員そうだというわけではない。
特殊な例だが、ノアの気まぐれで感情を持ち、考えて行動を取る
鎧もいる。ただ、それでも怪物の目玉を埋め込まれた影響か、性格
面に多大な亀裂が生じてしまった。安定しない心は戦いの場へと向
かわず、ただひたすら調整を受けるだけだった。
1690
果たして神鷹カイトも、あの鎧と同じように感情や記憶を残した
ジェノサイドマシーン
ままで生まれ変わってしまうのか。
それとも、名実ともに殺戮兵器と成り果てるのか。
その昔。
グスタフは﹃最強の人間﹄を見たいというふたりの女性から話を
聞いたことがある。
ただの興味本位から降った話題だった。
﹃君たちの言う、最強の人間はあまりにも違い過ぎる。方や育成に
専念し、もう片方は人間らしさを排除しようとさえ思える。君たち
は何を目指しているのだ﹄
エリーゼは言った。
﹃私の目指す最強の人間は、強さも弱さも兼ね揃えた、人の気持ち
がわかるスーパーマン。誰かの為に戦える、優しい子です﹄
対して、ノアは言った。
﹃私が目指すのはガンダムだ﹄
﹃ガンダム?﹄
﹃そう。スペックは最強。それでいて、操る人間が優秀であればそ
れだけ無双ができる。私の目指す最強の人間は、兵器としての完成
型だ﹄
なるほど、双方のいいたいことはわからんでもない。
確かにどちらも最強の人間だろう。
ただ、何の因果か。エリーゼが手塩にかけて育てた最強の人間は、
対極にあるノアの最強の人間になろうとしている。果たして、今こ
1691
の場でエリーゼが生きていたらなんと言っていただろう。
彼女の行動は矛盾が多かった。
XXXの少年少女を大事にしているのかと思いきや、突然人が変
わったかのように激しい訓練をさせる。
特に神鷹カイトに行った数々の訓練は、とても人が耐えうるもの
ではなかった。薬物摂取までやって行われたそれは、訓練と言うよ
りは拷問と言ってもいい。
強さと優しさを兼ね揃えたスーパーマン。確かにあの拷問を耐え
きればスーパーマンになるだろう。
しかしそこに優しさがあったかといえば、疑問だった。
少なくともカイト少年は懐いていたようではある。だがフスタフ
の目には、エリーゼが人間の皮を被った何かに思えてしまう。
もしも彼女が今も生きていたならば。
これから更にでたらめな強さを持った人間になってしまうかもし
れないカイトを祝福したのだろうか。
あるいは︱︱︱︱。
﹁むっ!?﹂
がたん、と音が鳴った。
背後から鳴り響いた物音に素早く反応したグスタフは、身を翻す。
﹁お前たち!﹂
セキュリティルームに乗り込んできた双子の姉妹が、身体を発光
させながらグスタフに襲い掛かる。
第二期XXXの反逆であった。彼女たちはお互いの身体から放た
1692
れる電撃を解き放ち、グスタフにそれを向けた。
ふたつの稲妻が駆け抜ける。
グスタフは物怖じする事も無く、腕を大きく振るった。
﹁︱︱っ!﹂
﹁きゃっ!?﹂
直後、シルヴェリア姉妹の身体が上から押し付けられた。
強力な重力が見えないハンマーとなって姉妹に襲い掛かる。
前線から引いた老兵の持つ異能の力は、重力操作。ありとあらゆ
る重力をコントロールし、全てを押し潰す。
姉妹が投げつけた電撃は、グスタフが起こした重力の波に飲み込
まれた。
1693
第126話 vsパツキンナルシスト薔薇野郎 ∼美しき閃光の
私編∼
囚人の朝は早い。
早朝の6時に始まるラジオ体操に参加する為、必然的にそれより
も早く起きなければならないのだ。
蛍石スバルと月村イゾウとて例外ではない。
囚人の中では特殊な立場である彼らでさえもラジオ体操は強制参
加であり、果たさなければならない義務なのだ。
﹁納得いかねぇ﹂
﹁文句はあの男に言うがいい﹂
目の下にどす黒い隈を作り、スバルが言う。
堅い床の上では、なかなか寝つけないのだ。これでは獄翼のコッ
クピットで寝てた頃の方がマシである。
﹁というか、今更なんだけど﹂
外に出て、周囲を見渡してからスバルは言う。
それは己の状況や、周囲に群がる囚人たちの状況から来る疑問で
あった。
﹁手錠外されるんだ﹂
﹁ラジオ体操をするのには邪魔だと言う理由で、この時間だけ外さ
れるのだ﹂
普段、囚人の中で唯一手錠をはめていないイゾウも、この時ばか
りは他の囚人たちと公平になる。
1694
刀を携えていても、庭に召集されればラジオ体操の義務付けが行
われるのだ。
﹁逃げたりしないの?﹂
﹁当然、この時が脱走のチャンスになる﹂
だが、脱走に成功した者はいない。王国側も、これが脱獄のチャ
ンスだと知っているからだ。庭の周辺には新人類軍の兵士たちが取
り囲んでおり、なにか不穏な動きを見せればすぐに取り押さえられ、
その場で銃殺される。
﹁逃げたとしても、城から抜け出すためには数々の兵を突破せねば
ならぬ。小僧、貴様も良く知っている連中だ﹂
﹁うへぇ⋮⋮﹂
待ち構える新人類軍の戦士たちの姿を思い浮かべる。
これまで現れた連中のことを考えると、ボスラッシュ以外の何物
でもなかった。捕まった瞬間に消し炭にされる未来が鮮明に予測で
きる。
﹁はっはっは! 今日はまたいい天気だ。太陽さんは我々を美しく
照らしてくれるぞ、奴隷諸君!﹂
イゾウとそんな話をしていると、ラジオ体操の考案者が囚人たち
の前に立つ。みれば、彼の隣にはなぜかピアノが置いてあった。
そういえば、ヒメヅルに始めて降り立った時もピアノを弾いてい
た気がする。
﹁まさか、自前で弾くの?﹂
﹁早朝はラジオ体操から始まるが、ラジオ体操が始まる10分前に
1695
あの男のテーマソングが始まる﹂
げんなりとした。
肩から力が抜けていき、膝をつく。なにが悲しくて朝っぱらから
ナルシストのテーマソングなんぞ聞かねばならんのだ。
見れば、周りの囚人たちもうんざりとした表情であった。
この半年間、彼らはよく耐えてきていると思う。軽い拷問であっ
た。
﹁囚人、そして看守の諸君!﹂
アーガスはピアノに座る直前、この場に集う者すべてに語りかけ
る。
﹁すでにご存じかと思うが、昨日から我々と共に過ごす仲間がひと
り増えた。美しく紹介しよう、蛍石スバル君だ﹂
金髪の男が笑顔で言い終えると、乾いた拍手が鳴りひびいた。
嫌々やらされている感がひしひしと伝わる、なんともやる気の感
じられない拍手である。
﹁さあ、スバル君。前に出たまえ!﹂
﹁え?﹂
なんでだ、と突っ込む暇すら無い。
見れば、スバルの周りにいた囚人たちは皆、彼を避け始めており、
アーガスにまで続く道を空けてくれていた。さながら、モーセの十
戒の如く。
ただし、彼らの視線からひしひしと伝わる﹃はやく行って終わら
せて来い﹄オーラが酷かった。溢れ出る負の感情が、スバルのテン
1696
ションをどんどん下げていく。
﹁⋮⋮行かなきゃダメ?﹂
助けを求めるかのようにしてイゾウに問う。
包帯侍は視線を逸らし、一言。
﹁貴様がいかねば、奴は延々と待ち続けるぞ﹂
﹁うへぇ﹂
ありうる。邪気のない笑顔でこちらを誘導してくるアーガスなら
ば、何時までも待っていそうな予感がした。
仕方がないので、スバルは自ら英雄のもとへと歩いていく。
ピアノ横に並んで立つと、アーガスは少年の肩を強く叩いてから
言った。
﹁君にこれを贈呈しよう﹂
一枚のプリントであった。
見出しにはでかでかと﹃閃光のアーガス ∼天と地と海とあなた
の奥に輝くビューティフルスパーク∼﹄とあった。
どうしろというのだ、これを。
﹁なに、これ﹂
全ての感情を押し殺した目でアーガスに問う。
﹁これこそが朝の牢屋テーマソング。作詞作曲編曲をすべて私が担
った美しいメロディー! 閃光のアーガスなのだ!﹂
1697
要約すると、自分のテーマソングだった。
タイトルの下には長々と歌詞が続いている。きのせいでなければ、
4番まであった。何分続く歌なんだこれ。
﹁今日は特別にそれを見ながら歌う事を許そう。さあ、私の奏でる
ミュージックに続けて歌うのだ!﹂
﹁歌うのこれ!? ていうか、なんでこれを歌う事が許されたんだ
よ!?﹂
見れば、歌詞の一部には﹃きらりーん!﹄という擬音まである。
早朝に歌うような曲ではない。アーガスはピアノを準備しているが、
スバルは直感的に理解した。
これは電波ソングだ。間違いない、と。
﹁レッツ、ミュージック!﹂
スバルの文句を耳に届けることもなく、アーガスは力強く鍵盤に
指を向ける。囚人たちが揃って嫌そうな顔を上げ、深呼吸をした。
なんだかんだで付き合ってくれるこの囚人たちも、案外いい奴らで
あった。
しかし、アーガスの指がその美しいリズムを刻むことは無かった。
どしん、と振動が鳴り響いたのだ。
﹁何事だ!?﹂
看守のひとりが叫ぶ。
比較的年季のあるその男の問いに答えるようにして、若い看守が
簡潔に答える。
1698
﹁あれを!﹂
看守が指差した方向に、庭にいる全員が視線を向ける。
アーガスだけは折角の音楽タイムを台無しにされた恨みがあるか
らか、不貞腐れた顔をしていた。
﹁あれは⋮⋮﹂
スバルは見る。
新人類王国のシンボル、リバーラ王の城。その城壁が崩れ落ち、
黒煙が溢れ出ているのである。
﹁火事だ!﹂
誰かが叫んだ。
何人かの看守が慌ただしく場内に入って行く。中の様子を確認す
る為だろう。
﹁ふむ⋮⋮﹂
目立つ機会を奪われ、不貞腐れていたアーガスが顎に手をやる。
彼はやや考え込むと、スバルにだけ聞こえる程度の小さな声で呟
いた。
﹁恐らく、山田君だろう﹂
﹁カイトさんが!?﹂
﹁そうでなくとも、あの場であんなことができるのか君の仲間しか
いないだろうね﹂
まあ、確かにそのとおりだ。
1699
ここは世界の半分を制覇した国である。そんな場所の本拠地に、
あんな真似をする﹃反逆者﹄がいるとしたら、それは自分たちに他
ならない。
﹁どうするのだね、スバル少年﹂
呆然と立ち尽くす少年に向かい、アーガスは問う。
どこか試すような、挑戦的な物言いだった。
﹁君は今、幸いなことに自由の身だ。もちろん、美しい私を含めて﹂
先日嵌められた、忌々しい手錠は無い。
看守たちは突然のことに混乱。情報が完全に行き届いていない今
こそが、脱走のチャンスであった。
遠回しにそう伝えると、アーガスは提案する。
﹁どうだろう。ここはひとつ、私に貸しを返す機会を与えてみる気
はないかね?﹂
﹁貸し?﹂
﹁うむ。君には故郷で随分迷惑をかけてしまった。そして、彼らに
も﹂
胸がずきり、と痛んだ。
僅か半年前に起こった、トラセットの惨劇。スバルにとっても、
アーガスにとっても苦い思い出だ。
だからこそ、忘れてはならない。
一生抱えて生きていかねばならない。
﹁スバル君。君はここで潰えるべきではない﹂
﹁でも、俺ひとりじゃ﹂
1700
﹁だからこそ、私が山田君の代わりに君の矛となろう﹂
ピアノから立ち上がり、アーガスの右手から青い薔薇が出現する。
それを見た看守が、驚愕の表情を浮かべた。
﹁ここで潰えるのも、また運命かと思っていたが﹂
薔薇が振りかざされる。
青い花弁が強風を巻き起こし、囚人と看守が集まる庭に衝撃が降
り立った。直後、渦巻く暴風が庭を抉った。吹っ飛ばされた看守た
ちが地面に叩きつけられ、悶絶する。
﹁どうやら、まだ私が枯れる時ではないらしい﹂
﹁勝手にやっといてよく言うよ!﹂
全くその通りである、とアーガスは思う。
提案に対し、スバルは了承の意を出してはいない。ただ、今のチ
ャンスを逃せば次は無いのは確かだ。
城で暴れているのが誰なのかはわからない。
その誰かが王国兵達に捕まるまでにスバルを送り届け、なんとか
ここから逃がす。今、アーガスができる事はそれだけだ。それしか
罪を償う手段が思い浮かばなかった。
同時に、スバルに突き付けられた選択肢もひとつしかない。
﹁ああ、もう!﹂
どちらにせよ、死刑を待つだけの身だったのだ。逃げる機会があ
るなら積極的に狙うべきだし、今がその時だと理解している。
同時に、スバルは己が無力な人間であることを知っていた。
生身で戦う術を持たない以上、誰かに頼るしか選択肢がないので
1701
ある。それにアーガスが立候補してくれたのだ。願っても無い、最
大のチャンスである。
﹁さあ、走りたまえ! いかに私が美しいと言っても、鎧持ちやタ
イラントたちが出てきては君を守りきることはできんぞ!﹂
﹁脅しなの、それ!?﹂
﹁必死になれと言っているのだ!﹂
青薔薇が再度、空を切る。
騒ぎを駆けつけた看守たちに突風が牙を剥き、出口に群がってい
た敵を一掃した。
スバルは思う。
ここまでできることを分かってたんだから、なんでこの人を自由
にさせていたんだろう、と。今まで大人しくしていたにせよ、彼も
立派な危険物なのだ。ラジオ体操のためとはいえ、手錠を外したの
はいささか早計だったとしか言いようがない。
だが、次の瞬間。
出口に続く道を、包帯侍が塞いだ。彼はゆっくりと刀を抜き、ア
ーガスに構える。
﹁貴様らの方針は理解した。ならば、某とも必死にやりあってくれ
るだろう?﹂
包帯越しの見える口元が歪む。
イゾウから立ち上がる悍ましいオーラを感じ、びびりながらもス
バルは言う。
相部屋になってしまった危険人物とどうやって打ち解け、無力化
するか。
スバルは16年も生きていない頭をフル回転させ、ひとつの答え
1702
に辿り着いていた。上手くいくかは定かではないが、今こそがそれ
を試す時である。
少年はイゾウに向け、己の言葉を抜いた。
﹁イゾウさん、アンタおかしいよ!﹂
﹁小僧が某に説教をするのか?﹂
﹁そうじゃねぇって。アンタ、強い奴と戦いたいんだろ!?﹂
ぴくり、とイゾウが反応する。
それだけ見る事ができれば、十分だった。
﹁カイトさんは確かに強いよ。でも、それより強い化物がここにい
るだろ! なんでそっちに立ち向かわねぇんだ!﹂
城を指差し、スバルは続ける。
彼は知っていた。6年の歳月の内にカイトすら凌ぐ、正真正銘の
怪物があの中で生まれていたことを。
モノノケ
﹁俺達と付いてきたら、戦えると思うぜ! 一級品の物怪とな!﹂
﹁ほう﹂
興味深げにイゾウが頷いた。
この小僧の言う事を要約すれば、こうなる。
﹁きび団子やるから、仲間になれよ! 団子っつっても、物怪だけ
どな!﹂
勧誘してきたのだ。よりにもよって、目の前で武器を構える敵に
対して。
1703
しかも彼が差し出したきび団子には相応の魅力がある。
強者と戦うのが月村イゾウの望みだ。己が生きる場所は戦いの場
であり、死ぬ場所もまた同じである。
神鷹カイトや六道シデンは、かなりの強者だ。一度戦った事があ
るからこそ理解できる。彼らとまた戦えると誘われれば、イゾウは
喜んで力を貸すだろう。
だが、それ以上に。
そんな彼らを抑え込むために送り出された新人類軍と戦う事がで
きるぞ、と言われてしまえば。その誘いに乗らざるを得ない。
強力な物怪と相対できる機会がある程、イゾウの心は傾くのだ。
﹁⋮⋮小僧、貴様は某の喉を潤す物怪に心当たりがあると言うのか
?﹂
﹁前はタイラントが来た! その前に、鎧持ちも来てる!﹂
﹁ほう﹂
鎧持ち。実物は見たことがないが、望むのであれば戦ってみたい
と思っていた相手だ。
新人類王国の中でも純粋な殺戮兵器である彼らとの死闘。
さぞかし美味で、素晴らしい瞬間なのだろう。
﹁よかろう! 小僧、貴様に乗る﹂
﹁さんきゅ!﹂
イゾウの横をスバルとアーガスが通り過ぎる。
彼らの背中を見守る様にして振り向くと、イゾウは少年に続いて
走り出した。
﹁スバル君、君はやはり大した男だ。まさかイゾウ君の眼光を物と
1704
もせずに味方に引きずり込むとは!﹂
目の前で起こった勧誘劇に、アーガスが唸る。
だがスバルは乾いた笑みを浮かべつつも言う。
﹁まあ、ちょっと漏れたけどな!﹂
蛍石スバル、16歳。
今年二度目のおもらしであった。
1705
第127話 vs移植手術
時間はほんの少しだけ遡る。
神鷹カイトはノアに連れられ、彼女のラボにやってきていた。時
刻は午前5時20分。ラジオ体操が始まるよりも、もっと早い時間
だ。
太陽の光も満足に見えやしない。
﹁さて、早朝だがこれから移植手術を開始しようと思う﹂
﹁随分早いな﹂
早朝だとは聞いていたが、予想よりも遥かに早い時間である。
せめて朝食は食べられるんじゃないかと思っていたのだが、期待
はあっさりと裏切られた。
﹁まあ、そう言うな。こっちにも事情があるんだ﹂
﹁どんな事情だ﹂
﹁私だ﹂
ラボの奥。椅子に座る、ひとりの青年が立ち上がりカイトを睨む。
敵意が混じった瞳を受け止め、カイトは男へと振り向いた。これ
まで会った事のない男である。
ゆえに、彼は問う。
﹁誰だ﹂
﹁忘れても無理はない。ディアマット王子だ﹂
﹁ほう﹂
1706
ディアマット。あの男がリバーラ王の息子。新人類王国の王子様。
顔を見るのは随分と久しぶりである。最後に会ったのは16年近
く昔だったろうか。いずれにせよ、少年時代にちらっと見かけた以
来である。
トリプルエックス
﹁久しぶりだな、XXX。君は私を覚えていないかもしれないが、
私は君のことをよく覚えている﹂
シンジュクでの戦いを思い出す。ゲイザーの視界を通じてこの男
と戦ったのは、間違いなくディアマット自身であった。地球外生命
体の目玉が無ければ、確実に負けていた相手である。
言わば、ディアマットに始めて土をつけた男であった。それから
連鎖反応の如く王子は敗北を喫し、遂には新人類王国の威信が地に
潰えたとまで国王に言われる始末である。
そんなディアマットが、わざわざこんな朝早くから何をしに来た
のか。
決まっている。屈辱の源の末路を見届ける為だ。
﹁私は君たちと違い、業務がある身だ。外交だってやっている。こ
んな時間しか付きえないんでね﹂
﹁別に付き合う必要はない﹂
﹁まあまあ。お互いに思う事はあるだろうが、ちゃっちゃとやるこ
とをやらせてくれ﹂
王子と新人類最強の男に睨まれても怯むことなく、ノアは割って
入る。
彼女はカイトを手術台へと誘導すると、横になるように促した。
﹁今更言う必要はないだろうけど、拒否権はない。後、暴れようと
1707
も思わない事だ﹂
ノアがラボの奥に視線を向ける。
反射的にカイトもそちらの方向を見やる。鎧がいた。それも4人。
﹁ここの守りに鎧持ちを4人?﹂
いかに生まれ故郷とは言え、贅沢な使い方であるとカイトは思う。
彼らは一人一人が王国トップラスの実力を持っている。この場で
暴れられれば、新人類王国とてただでは済まないだろう。最悪、グ
スタフやタイラントたちが束になってかかっても潰される可能性す
らある。
彼らの持つポテンシャルは、それほどまでに高いのだ。実際に戦
った事があるカイトはよく理解しているつもりだった。
﹁王子様がいるんだ。そんなにおかしい話じゃないとも﹂
﹁俺はてっきり、城内をうろついてるんだと思ったが﹂
﹁もちろん、城にも何人かいる。もしも君が耐え切れずに死んでし
まった場合、お友達を呼んでくれる算段になっている﹂
﹁頼んだ覚えはないぞ﹂
﹁サービスだよ。君たちはエリーゼの忘れ形見だ。それくらいはし
てあげないと、天国の彼女が悲しむというものだ﹂
エリーゼの名前が出た途端、カイトの顔つきが変わった。
その表情は、少年時代に表に出していた親愛の情ではない。むし
ろ、聞きたくない。これ以上話したくないと言った、無視の姿勢で
あった。
ところがどっこい、ノアは捻くれ者である。
目の前で聞きたくないと言う態度をとる者がいれば、いらないお
せっかいを焼きたくなってしまうのだ。
1708
﹁私はエリーゼと付き合いが長くてね。大学時代、同じ研究テーマ
を掲げて議論したこともある﹂
それこそが、
﹁最強の人間だ﹂
瞼を閉じた筈のカイトの目が、再び開かれる。
突拍子も無く放たれた話題は彼の興味を掴むには十分すぎる威力
を持っていた。
﹁⋮⋮最強の人間﹂
﹁思い当たる事は多いだろう﹂
そりゃあ、そうだ。
神鷹カイトはソレになる為、様々な訓練や実験を耐えてきた。全
ては最強の人間になって、エリーゼを喜ばせる為に。
ただ、それが具体的にどんな人間だったのかと問われれば、カイ
トは答える事ができない。彼自身、最強の人間という存在がどうい
うものなのか理解できていなかったのだ。
成長し、世間一般で大人と呼ばれる年になってもそれは変わらな
い。
﹁私とエリーゼの目指す物はブレなかった。私はガンダムを。彼女
はスーパーマンを作り上げる為に、新人類王国で成果を出してきた﹂
スーパーマン。
その一言に、カイトの目は丸くなる。
1709
﹁エリーゼが、スーパーマンを?﹂
﹁ああ。彼女はあくまで、迷いながらでも勝利をおさめる人間を求
めていたようだね﹂
神鷹カイトの記憶に、そんな光景は無かった。
彼女の口からそんな単語を聞いた記憶もない。疑問に思うカイト
に、ノアは続けた。
﹁まあ、勝利を掴んできたという意味で言ってしまえば君は間違い
なくスーパーマンだ﹂
だからエリーゼの夢は叶えられた。
ノアはそう言った。
だがカイトは、その言葉に首を縦に振る事ができない。
本当に、彼女の夢が叶えられたのだろうか。
カイトは昔の自分が、完成形だったとは思っていない。それに、
彼は知らない。
エリーゼの凶行。その意味に。
あれもスーパーマンを作り出す為に必要なプロセスだったのだろ
うか。今の話を聞く限りだと、それが一番近いように思える。
だが何の為に。
疑問は湧き出ても、答えは出てこなかった。
﹁だが、スーパーマンでも負ける時がある﹂
カイトの意識が、ノアの言葉によって引き戻される。
﹁君は一度、これに負けた﹂
1710
瓶の中で不気味な輝きを放つ、黒い目玉。
シンジュクでやられた手痛い思い出が、カイトの苛立ちを加速さ
せていく。よく見れば、待機している鎧持ちの中にはあの時と同じ
白の鎧がいた。
﹁勝つ手段は簡単だ。同じ土俵に立てばいい。そうすれば君が負け
る道理はない﹂
﹁スーパーマンにしては悪役の目玉だな﹂
﹁私が目指すのはあくまでガンダムだ。今は私の目標の為に身体を
張ってもらう事を忘れないでほしい﹂
言い終えると同時、横になったカイトの四肢が封じ込められる。
手術台から出現したアルマガニウム製の錠である。がっしりと肢
体を捕まえる特殊金属の鍵が、カイトの自由を奪った。
﹁気分は悪いだろうが、我慢してほしい。そうしないと、被験者が
暴れて何をしでかすか分からないから﹂
瓶の中から目玉が取り出され、手術台の横にあるデスクに乗せら
れる。
﹁まず、片目だけ移植する。身体が慣れてきたら、今度はもう片方
だ。どっちからがいい?﹂
﹁好きにしろ﹂
﹁なら、そうさせてもらおう﹂
カイトの顔面にラボの明かりが集中する。
あまりの眩しさに目が眩み、反射的に瞼を閉じるが、
﹁む?﹂
1711
何時の間にか手術台から飛び出してきた、金属の腕。
針金を繋ぎ合わせたような細い腕がカイトの瞼を掴み、無理やり
全開にする。
﹁おい、なんだこいつは﹂
﹁私の助手だ。これまでクローンの資金のお陰で人件費を削りまく
っていったからね。結果的に、最低限のことをやってくれる彼らが
残ったわけだ﹂
﹁ブラック企業め﹂
﹁この会社は私だけがいればいいから、特に問題ないね﹂
ノアが白衣を身に纏い、マスクを装着する。
モニターに向かって行くと、慣れた手つきでキーボードを叩く。
﹁お待たせしました、ディアマット様。これより移植手術を開始し
ます﹂
﹁どのくらい時間がかかりそうだ?﹂
﹁これまでの鎧持ちと同じなら30分で片目が慣れ、もう30分で
完成するでしょう。問題があるとすれば、最初の目玉を身体に入れ
た時、この男の肉体が耐えれるか、です﹂
﹁いいだろう。その時間なら父上が余計な茶々を入れてくる事もな
い。やってくれ﹂
﹁了解しました﹂
手術が開始される。
全開になったカイトの左目に向かい、またしても針金らしき金属
で繋ぎとめられた金属の腕が出現する。天井から現れたそれは、先
端に取り付けられた3本のアームをゆっくりと開きつつ、カイトの
眼球へと迫る。
1712
アームの狙いはずばり、左目。
﹁言い忘れたが、麻酔はかけないぞ。君は耐性があるから、使った
ところで経費の無駄だ﹂
ブラック企業め。
再度放たれようとした文句は、カイトの口から出てこない。
代わりに吐き出されたのは、僅かな悶絶。
3本のアームはカイトの左目に触れると、肉を抉りながら眼球を
掴みにかかったのである。
﹁んん︱︱︱︱っ!?﹂
その光景を見たディアマットは思う。
予想していたよりもずっとエグイな、と。
同時に、悲鳴すらあげないか、と感心する。
単に我慢強いのか、あまりの激痛に言葉が出ないのかはわからな
い。
ただ、それにしたって異物が眼球を抜きとらんと襲い掛かってき
ているのだ。痛くない筈がない。
しかしカイトは、それでも無言で耐えてみせていた。
まるでミミズが地面の中に潜るかのようにして、アームはカイト
の左目の中へと入りこんでいく。
鮮血が飛び散った。
左目から噴き出した赤い液体がカイトの服を汚し、手術台に滴の
痕跡をつけていく。
1713
﹁⋮⋮ふん﹂
今、神鷹カイトはディアマットの想像を遥かに超える激痛と戦っ
ているのだろう。目玉を貫かれても尚、気を失わない精神力は大し
たものだ。6年前とはいえ、新人類王国最強の男と謳われたことだ
けはある。
だが、ここからが本番だ。
アームが左目からゆっくりと引き抜かれる。
3本の鉄の爪が、血まみれの眼球を掴んでいた。
﹁よし﹂
それを確認すると、ノアは素早く黒の目玉を掴む。
荒い呼吸をして息を整えるカイトの頭を固定し、彼女は小さく呟
いた。
﹁いいかい。これから君が体験するのは、過去に受けたことが無い
ような痛みだ。それに耐えない限り、君は生きて戻ってくることは
できない﹂
ディアマットとしては別にそれでも構わない。カイトは国の敵だ。
死んだところでプラスしかない。
しかしノアにとっては違う。彼は大事な研究サンプルであると同
時に、夢への片道切符だった。もしもカイトがここで激痛に屈し、
死んでしまったら。
その時は、ノアの夢は振出しへと戻る。
だからこそ彼女はこう言ってカイトを送り出した。
1714
﹁また会おう﹂
黒の眼球がカイトの左瞼に挿入される。
眼球から根が生えるようにしてカイトの細胞と繋がって行き、感
覚のリンクを行うべくカイトの中へと侵入する。
﹁うあ︱︱︱︱っ!?﹂
その瞬間。
カイトの身体が手術台から飛びあがった。常識を逸する跳ね上が
り具合を前にして、見学をしていたディアマットも驚愕する。
気のせいでなければ、背中が直角に折れ曲がっていた。もしも手
足を錠で固定していなければ、そのまま天井まで吹っ飛んで行った
のではないかと思う。
﹁あああああああああああああああああああああああああああああ
あああああああああああああああぁっ!﹂
その後訪れたのは、怨敵の大絶叫である。
アームに眼球をくり抜かれた時に比べて、あまりにもオーバーリ
アクションであった。これにはディアマットも呆然と見守るしかな
い。
﹁⋮⋮い、生きているのか?﹂
辛うじて、震える声で問う事ができた。
電気ショックを受けたかのようにしてカイトの身体が痙攣する。
悲鳴が収まった後、ずっとこんな調子だ。もしかすると、既に死ん
でしまったのではないかとさえ思う。
1715
﹁生きています。心電図はまだ0になっていない﹂
ラボに備えられた幾つものモニター。
そこに表示されていた光の折れ線グラフが、カイトの生命の無事
を表している。ノアはこのグラフがただの直線にならない限りは、
己の勝利だと信じていた。
﹁神鷹カイトは死ぬことがない不死身の戦士。彼の細胞を使って生
まれたゲイザーが耐えれたのであれば、きっと堪え切れる筈﹂
ディアマットは出口を守る白の鎧を見やる。
他にも3体ほど鎧がいるが、彼らはみんなあのようなことをやっ
て目玉を移植してきたというのか。
正直に言うと、移植の痛みは想像する事しかできない。ゆえにデ
ィアマットは、カイトが受けている痛みを正確には理解できない。
だが、その様子からイメージすることはできる。
これまで様々な敵と戦い、その度にボロボロになりながらも勝利
をおさめてきた新人類。その彼が、悲鳴を上げながら懸命に闘って
いる。
まるで毒を飲みこんだかのような光景であった。
もしもあれを自分が受けたら、果たして耐えれるだろうか。想像
して、首を横に振る。
そもそも眼球を抜き取るだけでも耐えれる気がしない。
推測だが、それ以上の痛みを30分近くも耐えるというのは、と
ても想像できなかった。
だが、カイトは1秒ずつ耐えていた。
時折唸り声をあげ、歯を食いしばり、両手両足から爪を出現させ
ることで痛みに耐えているのである。
1716
耐え抜くか、助けが来ると信じて。
﹁もう少しだ。もう少し!﹂
興奮を抑えきれぬ様子でノアが言う。
移植から既に20分以上経過していた。早ければ目玉が身体に順
応し、呼吸が安定し始める頃だ。
早く来い、とノアは念じる。
目の前まで迫った夢の始まりを前にして、彼女は口元の緩みを抑
えきれていなかった。
そんな時である。
モニターから不快な電子音が鳴り響いた。
何かを知らせるかのようにして鳴り響くそれに導かれ、王子は立
ち上がる。
﹁どうした!?﹂
警報ではない。火災警報装置はもっと喧しく鳴り響き、アナウン
スが流れる筈なのだ。
では、カイトの仲間たちが襲撃してきたのか。
僅かに視線を出口へと向ける。ラボを守る4人の鎧持ちは、誰一
人として身動きしない。
ディアマットの短い問いに、ノアは答えない。
立ち尽くしたまま動かない彼女の背中をみやると、王子は背伸び
をして遠目で覗き込む。
心電図の右上に表示されている心拍数が0を表示していた。
1717
心電図波形を表す光のラインも、まっすぐな直線を描いている。
呆然とした表情のまま、ディアマットはカイトを見る。
懸命に抵抗し続けた最強の新人類の腕が、力なく伏した。
1718
第128話 vs走馬灯
その痛みを例えるのであれば、腹の中に納まったウニが一気に棘
を飛ばしてきたかのようなイメージであった。
身体の芯から飛び出す針によって手足は貫かれ、頭から足の指に
至るまで激痛が走る。ただのイメージでしかないそれは、まるで自
身が現実なのだとアピールすかの如くカイトを痛めつけた。
カイトはそれに耐えた。
ただひたすらに耐えた。
そして痛みが消えるまで耐えた結果。
彼の意識は、黒の世界の中に消えていった。
見渡す限り一面の闇。自分が何処にいるのかもわからない。身体
を動かそうとしても、手足は言う事を聞いてくれない。
抵抗することもできないまま、彼は闇の中へと意識を沈めていく。
どこまで落ちていくんだろう。
カイトは思う。まるで海の中に突き落とされたようだ、と。どこ
までも底が見えない、闇の海。
このまま落ちていくと、自分はどうなるのだろうか。
そんなことを考えながらも、彼はある言葉を耳にした。
﹃また会おう﹄
覚えている。
手術台の上に乗せた、左側の女だ。
なぜ今、彼女の顔を思い出したのだろう。そう思いつつも、カイ
1719
トは次々と聞こえる言葉と映像を認識する。
﹃ハロー、リーダー。腕が鈍ってないみたいで安心したわ﹄
真田アキナが、
﹃なら、抱きしめてください。たぶん、それで足が動きますから﹄
アトラス・ゼミルガーが、
﹃僕が知る限り、君が一番適してると思うよ。君は最強の人間なん
だからね﹄
ウィリアム・エデンが、
﹃ようこそ、俺の艦へ! 歓迎してやる﹄
スコット・シルバーが筋肉を曝け出しながら、
﹃何時かあなたと戦える日を楽しみにさせてもらう。それくらいな
らば、構わないだろう?﹄
ゼッペル・アウルノートが、
﹃例えどんな難題でも構いません。私は貴方の所有物です。なんな
りとご命令を﹄
イルマ・クリムゾンが、
﹃何かを成し遂げたとき、人間は充実感に包まれることができるん
1720
だと私は思う﹄
アスプル・ダートシルヴィーが、
﹃私は国の為に何をすればよかったのだ!﹄
アーガス・ダートシルヴィーが、
﹃皆さんはこの新聞の方々なんですね!﹄
マリリス・キュロが、
﹃もし、俺が感じる長所が全部間違いだとしたら、その時はまた良
い所を探せばいい。んでもって、悪い所も全部ひっくるめてアイツ
なんだって納得するよ﹄
御柳エイジが、
﹃やっぱりカイちゃんだ! 久しぶりぃー!﹄
六道シデンが、
﹃やめてよ! なんで今になって手を伸ばしてくるのよ! ずっと
待ってたのに!﹄
アウラ・シルヴェリアが、
﹃私が情けないからダメなんでしょうか。それとも、私が根本的に
ダメだから二人とも拒絶するのでしょうか﹄
1721
カノン・シルヴェリアが、
﹃君は、私やスバルが居なくなると寂しいか?﹄
蛍石マサキが、
﹃俺、勉強するから徹夜で教えてくれ!﹄
蛍石スバルが、
﹃どんな事情があったのかは分かりません。ですが、彼は優しい子
です﹄
そして最後に。
神鷹カイトの視界に、ひとりの女性の姿が映った。
彼はぼそりとその名を呟く。
エリーゼ、と。
呼びかけに答えるようにして、記憶の中の彼女は言った。
﹃私は彼を信じます﹄
カイトの視界にひびが入った。
ガラスが砕け散る様にして彼女の笑顔が崩れていく。
崩れ去った笑顔の中から現れたのは、別の顔をしたエリーゼだっ
た。
﹃これで穴が開くから、ようやく心臓に届くよね﹄
1722
銃を持ち、心臓に突き付けた。
あの時の彼女の顔は、一生忘れないだろう。こうして闇の中に落
ちていっても。一生このままだとしても、きっと。
どうして、と疑問を抱きながら。
考えても答えが出ない疑問を覚えつつも、カイトは新たな声を聞
いた。
今度は誰だ。
タイラントかシャオラン辺りでも来るか、と身構える。走馬灯の
中で出会うには、あまりに乱暴なラインナップだ。
なるだけ関わりたくない相手なので、大人しく目を閉じる。
﹃不細工!﹄
ところが。
カイトが耳にしたのは、幼い子供のそれであった。
違和感を感じ、瞼を開く。
闇は晴れていた。
ぼんやりと映っていた走馬灯は消え去っており、夕焼けに照らさ
れた女の子と、それを取り囲む女子たちが言い争っている。カイト
の記憶にない光景だ。
﹃アンタ気持ち悪いのよ!﹄
﹃いつも人形なんか持ち込んでさ。お子ちゃまじゃあるまいし﹄
取り囲まれた女子は、見たところまだ10代になったばかりか、
それ以下かといったところだろう。
自分よりも体格のいい相手に囲まれながらも、彼女は興味なさげ
に人形を握りしめていた。少女は上級生に苛められていたのだ。
1723
﹃スカしてんじゃないよ!﹄
﹃知ってるよ。アンタの家、人形を作ってるんだって? 娘のアン
タが一番出来のいい人形を作るからお父さんが家出しちゃったんだ
よね。可哀想﹄
その言葉を耳にした瞬間。人形を握りしめる腕に、力が入った。
木でできた人形の手足が僅かに軋む。
﹃帰ってくるもん⋮⋮﹄
前髪が長すぎるせいで、彼女の表情がどうなっているのかはわか
らない。
ただ、その両肩は震えていた。
﹃パパはいつか絶対に帰ってくるもん!﹄
少女は上級生たちに背を向け、走り出す。
年上の女たちは品のない笑い声をあげながら、少女を指差してい
た。
一連の映像を見たカイトは思う。
あの人形を握りしめた少女。背を向けて走り出した瞬間、ちらっ
とだけ素顔が見えた。カイトはその顔に覚えはないが、名前を知っ
ている。
彼女のことを、知っていた。
﹁エレノア﹂
映像が切り替わった。
1724
今度は別の知り合いの昔話でも見せられるのかと身構えるが、違
った。暗がりの部屋に招待されたカイトが見たのはやはり、先程ま
で見ていた少女であった。
彼女は明かりも点けずに人形を作り続けていた。
周りには完成した人形が散らばっている。カイトはそれを拾い上
げようとしたが、それは叶わなかった。触れる前に手がすり抜けた
のだ。
﹁エレノア﹂
試しに、少女に向かって呼びかけてみる。
少女が振り向いた。だがそれはカイトに向かって、ではない。
﹃ガーリッシュさん、こんばんわ﹄
﹃⋮⋮こんばんわ﹄
女の子である。年はエレノアとそう変わりがない、小さな少女だ。
彼女は部屋の中に入っていくと、エレノアの手を掴む。
﹃もう授業が始まっちゃうよ。ずっと空き教室に籠ってたらお勉強
できないわ﹄
﹃いらない﹄
教室なのかよ、ここ。
名も知らぬ少女の一言でその事実に気付いたカイトが、改めて周
囲を見渡す。人形が所狭しと置かれているので気付けなかったが、
それらが置かれたデスクは確かに勉強に使われる類の物であった。
﹃あたし、テストの点はいいから﹄
1725
﹃ダメよ! テストの点がいいだけじゃ学校を卒業できないの。美
術とか﹄
﹃得意よ﹄
﹃音楽とか﹄
﹃この前、先生から教える事は何もないって言われた﹄
﹃⋮⋮た、体育とか﹄
﹃徒競走であたしに勝った生徒、見たことない﹄
﹃うう⋮⋮﹄
エレノア・ガーリッシュは最古の新人類と呼ばれている。
実際どうなのかは知らない。だが、彼女が子供の頃。新人類と言
う存在が世間で認識されていたかといえば、違う。
それがどんな存在なのかも、この当時は知られていなかった筈だ。
恐らく、エレノア本人でさえも。
彼女は新人類らしく、優秀な女子だったらしい。同世代の子供達
を軽々と凌駕する神童へと成長していたエレノアは、次第に妬まれ
るようになったのだろう。
上級生や、果てには親に至るまで。
ただ、それでも気にかけてくれる存在は居たらしい。この少女の
ように。
﹃もういいでしょう﹄
人形を器用に動かし、エレノアは学友へと警告する。
﹃あたし、飛び級するの。ここって退屈なのよ﹄
遠回しな拒絶だった。
いくら頑張っても一緒の土俵じゃない。自分はもっと凄い場所へ
1726
行く。一緒に卒業できないどころか、先に学校から去る。
だから仲良くするだけ無駄だ、と。
彼女はそう言った。
﹃え、飛び級!?﹄
しかし、エレノアの予想とは裏腹に少女は目を輝かせた。
彼女はエレノアの手を取り、言う。
﹃凄い! まだ私と同じ4年生なのに。どこに行くの!?﹄
﹃ぱ、パイゼルアカデミー﹄
パイセルって確か新人類王国の旧称だったな、とカイトは思い出
す。
当時の新人類王国はアルマガニウムの研究を積極的に行っていた。
もしかすると、エレノアの存在にいち早く気付いていたのかもしれ
ない。
まあ、その辺の真偽はともかくとして。
エレノアは飛び級することになった。その事実は、それだけ彼女
が優秀なのだと裏付けることになったのだが。
少女はそれを憧れの眼差しで見てきたのである。
﹃ねえ、どんなことを勉強するの!? オリンピックとかの参加資
格は!?﹄
﹃⋮⋮参加しないわ、そんなの﹄
今更ながらにカイトは思う。
こいつ、本当にあのエレノアなのか、と。
1727
なんで彼女の過去らしき物を見ているのかはわからない。
だが、カイトの知るエレノアはなんというか、こう。もっとテン
ションがおかしな方向へとぶっ飛んでいる人物である。
やたら馴れ馴れしく話しかけてくるし、趣味も悪いし、腕も改造
してくるし、必要以上に絡みたがる。彼が知るエレノア・ガーリッ
シュは、ここまでローテンションではなかった。大人びている、と
言った方が正しいかもしれないが。
﹃でも、そうね。アカデミーを卒業したら、経歴書上は何の問題も
ないから。強いて目的を挙げるのなら、卒業することかしら﹄
﹃ガーリッシュさん、大人になりたいの?﹄
当時、パイゼルにおける成人の条件は一定以上の学問を修めるこ
とであった。普通に学校に通うと、22歳で成人になる。
ただ、稀に天才と呼ばれる人間が出てくる場合もあった。彼らは
なまじ成績が良いために、他の人間よりも早く大人として認められ
るのである。
﹃そうよ。あたしは早く大人になりたい﹄
大人になれば、権利を行使できる。
自分名義のお店を出すことも、十分可能だ。自分の名前を出して、
もっと凄い人形を作る。リアルで、限りなく人間に近い人形。
それが実現すれば、きっと。
﹃そうすれば、きっとパパは帰ってきてくれるもの﹄
エレノアが少女にはにかんで見せる。
始めて見せた、年相応の笑みであった。
1728
しかしこれより6年後。
無事にアカデミーを卒業し、念願のお店を持ったエレノアを待ち
受けていたのは、帰宅を待ち続けた父の変わり果てた姿だった。
酔っぱらって外に出た瞬間、階段から転げ落ちてしまったらしい。
身元が判明するのにはかなりの時間を要したのだそうだ。
エレノアの父は、骨になって彼女の元へと帰ってきた。
人形作りを教えてくれた父の温もりは、もう感じられない。
優しく笑いかけてもくれない。人形が完成しても、頭を撫でてく
れない。褒めてもくれない。
小さな箱に詰め込まれた父だった物を手に取り、エレノアは店の
中で静かに泣いた。
エレノア・ガーリッシュ、16歳の春の出来事である。
1729
第129話 vsエレノア・ガーリッシュ
直立不動のまま心電図を眺めるノアの隣に、ディアマットが移動
する。
間近に来たところで改めてモニターを見た。心電図は山なりにラ
インを描くことなく、ただひたすらに直線。数字も0を示している。
この状態になった人間がどうなったのかは、今更説明するまでもな
いだろう。
ノアの夢は進むことなく、また振出しに戻ったのだ。
﹁⋮⋮奴も耐えきれなかったか﹂
だが、何もカイトに限った事ではない。これまで目玉を移植され、
死んでいったクローンは何人もいる。むしろ12回も成功している
現状の方が奇跡なのだ。移植の光景を目の当たりにすると、それが
よく実感できる。
﹁まあ、いい﹂
ディアマットの横で深いため息をついた後、ノアは改めて心電図
に向き直る。失望と疲労の入り混じった目を向けつつも、彼女は言
う。
﹁奴が耐えられなかったというなら、エリーゼの目の付け所は間違
ってただけのこと﹂
方向性の違いからいがみ合う事は多かったが、ノアはエリーゼの
人柄を高く評価していた。彼女なりに成果を出そうとしていたのは
1730
知っていたし、実際に成果が出ていたのだ。そこに自分が見つけた
最強の人間の可能性を融合させてみれば、と思ったが、どうやら期
待外れだったらしい。
﹁遺体はまだ研究サンプルとして使える筈だ﹂
﹁その通りです。ジェムニ、抜け殻を運んでくれ﹂
向き直り、待機している鎧に命令を出す。
すると、だ。
ノアとディアマットは予想だにしなかった物を見た。
﹁なっ!?﹂
素っ頓狂な声をあげ、ディアマットが一歩後ずさる。
そのままモニターに背中をぶつけつつも、ディアマットは眼前に
ある物に指を向けた。
﹁なんで⋮⋮?﹂
手術台。その上に神鷹カイトが座っていた。
先程まで横にされ、手足を固定されていた筈の男が座っているの
だ。錠のロックは外れていない。それなのに、彼の手足は手術台の
ロックから脱出している。破壊された痕跡がないにも関わらずに、
だ。
いや、そもそもにして。
こいつは息絶えたんじゃないのか。
ディアマットとノアは慌てながらも心電図に振り返る。相変わら
ず光の線は直線を描くだけだった。
1731
﹁馬鹿な。なんで生きている!?﹂
理解できない現象を前にして、ふたりは慌てふためく。
ノアも長い事移植手術を行ってきたが、一度息絶えた者が復活し
てくる︱︱︱︱所謂ゾンビを見たのは初めてだ。
彼女は死人に向け、問う。
﹁⋮⋮生きているのか? いや、そもそも我々を理解しているのか
?﹂
それができているかすらも怪しい。
カイトは俯いており、顔色は見えない。見えないがしかし、どこ
か危うい雰囲気を放っていた。手術台に座っているだけの男は、身
体から溢れ出る存在感で場を支配していたのだ。
﹁⋮⋮ふっ﹂
カイトが笑った。
僅かに肩が揺れ、顔を上げる。妖しい三日月型の笑みを浮かべつ
つも、彼は血塗れになった左目をノアに向けた。
瞼に押し込められた黒の目玉は、完全にカイトの左目にはめ込ま
れている。正真正銘の手術の痕跡だった。
彼は耐えきっていたのだ。怪物の目玉を自分の物にしてみせたの
である。
﹁おめでとう。また会えたことを嬉しく思うよ﹂
一先ず手術の成功に喜ぶノア。
だが、内心複雑であった。口ではこう言ってみた物の、カイトが
どうなってしまったのかがわからないのである。
1732
言葉に反応を示し、動き、笑ったのだから生きている筈だ。0に
なったままの心電図はたぶん、あれだ。壊れたのだ。機械なんて壊
れてあたりまえなんだから、そういう事もあり得る。
無理やり納得しつつも頷くノアに対し、カイトは口を開いた。
﹁私は嬉しくないなぁ﹂
﹁ん?﹂
口調に違和感を覚える。心なしか声色も変化があるような気がす
る。
ディアマットも同じだ。彼は首を傾げると、訝しげな目でカイト
を見る。
﹁⋮⋮ノア。目玉を移植されると、人間は声が変わるのか?﹂
﹁少なくとも、私のこれまでの成果にそういった物はありません﹂
違和感の正体。それは口調だけではない。一人称、声。それらが
つい先ほどまでのカイトとはまるで違う物だったのだ。
ふたりは顔を見合わせ、再びカイトを見る。
﹁悪いけど、私は鎧になるなんてまっぴらごめんだ﹂
カイトが右手をかざす。
反射的にふたりは身構え、この部屋の守りを務める4人のガード
マンの名を叫ぶ。
﹁ゲイザー!﹂
﹁ジェムニ、トゥロス、アクエリオ!﹂
四方で構えていた鎧が、一斉にカイトを睨む。
1733
だが、襲い掛かってくる事は無かった。
﹁なに?﹂
命令厳守をモットーとする鎧が動かない。
疑問に思いつつも、ノアは見た。カイトの右腕。その指先から伸
びる、無数の銀の線を。
光の線は何時の間にかラボの至る所に巻き付いており、蜘蛛の巣
のように鎧持ちを絡め取っている。彼らは動きたくとも動けないの
だ。
﹁あれは、まさか!﹂
ディアマットも遅れて気付く。彼は銀の線の正体を知っている。
アルマガニウム製の糸だ。以前、反逆者抹殺の為に送り出した囚人、
エレノアが所持していた物である。
その事実から、ディアマットは一つの答えに辿り着いた。
﹁お前、エレノア・ガーリッシュか!?﹂
自分で言っておいてなんだが、ディアマットは己の発言の馬鹿さ
加減に呆れて物が言えなかった。
目の前にいるのは間違いなく神鷹カイトだ。さっきまで手術台に
寝かされていたし、目玉を挿入されたのも彼である。ディアマット
はしっかりとその光景を見守っていた。
﹁はぁい、エレノアですよぉ﹂
ところが。
なんということだろう。両手を小さく振りながらも、カイトはそ
1734
う言ったのだ。カイトは︱︱︱︱エレノアは、無邪気な笑みを浮か
ばせつつ、続けた。
﹁しかし、これはもしかしてあれかい?﹂
周囲をそれとなく見渡す。
アルマガニウム製の糸で絡め取られた、4体の鎧持ちがいる。実
物を見るのは初めてだが、凄まじいパワーだった。少しでも気を緩
めれば、糸を引き千切られて一気に迫られてしまう。
無機物を作るのは趣味だが、迫られるのは彼女の趣味ではなかっ
た。
﹁私がカイト君の命を預かってる状態だったりするのかな﹂
シルバーレディ
彼女は現状をよく理解していなかった。
先日の銀女との一戦を終えた後、彼女は蓄積した疲労を取り払う
べく、深い眠りへと落ちたのである。
要するに、エレノアはずっとカイトの右腕として活動しっぱなし
だったのだ。カイト本人は王国に戻る最中に何度か出ていくよう声
をかけていたのだが、それすらも届いておらず今日を迎えてしまっ
たのである。
きっかけは目玉を挿入された時に生じた、激しい痛み。
あれでカイトの意識は深い闇の中に飲まれ、奥底で眠っていたエ
レノアがたたき起こされたのだ。そのまま立場が変わるかのように
してエレノアはカイトの身体に意識を移していたのである。
それ自体は、いい。
むしろ喜ぶべきことだ。彼との共同生活は今の夢であったし、彼
の身体が欲しいと思っているのは紛れもない事実である。そう言う
意味では、現状に感謝していた。
1735
ただし、だ。
今、この場で確保されてしまうというのであれば話は別である。
周囲を取り囲む鎧持ち。目の前には管理者のノアと、ディアマッ
ト王子。手術台の上で寝かされていた自分。なんともまあ、状況を
見ただけでキナ臭い匂いがプンプンする。
﹁私、こう見えて今の生活に充実感を持ってるんだよね。だから、
好きなようにしてあげない!﹂
悪戯っぽくあっかんべーを決めると、エレノアは逃走。
素早く起き上がり、鎧持ちたちの横を通り過ぎる。
﹁待て!﹂
﹁ちっ!﹂
対してノアとディアマットは見ているだけだ。なんでエレノアの
人格が表だって出てきたのかは知らないが、相手は新人類でも屈指
の実力者である。勝てる道理がない。それがカイトであろうとエレ
ノアであろうと変わらないのだ。鎧持ちの動きを封じられた時点で、
ふたりは逃走を許したと言っても過言ではなかった。
しかし、だからと言って黙って逃がす気はない。
正直、混乱はしたままだがエイジたちやスバルと合流されたら少
々面倒くさい展開になってしまう。
ゆえに、ノアはラボの通信をオンにしつつ王子に提案する。
﹁ディアマット様、非常事態です﹂
﹁言われなくともわかっている! どうするのだ、この失態を!﹂
1736
どちらかといえば、事故に近い物だったのだがそれを言っても王
子は納得しないだろう。ならば、彼が納得する答えを出すまでだ。
﹁私の能力を使います。許可を頂きたいのですが﹂
その発言に、ディアマットの表情が僅かに動いた。
彼は少々悩むも、数秒ほどしてから答えを出す。
﹁許可する。奴らを絶対に逃がすな﹂
言われなくとも、ノアはそのつもりだ。
彼女は瞼を閉じて、意識を集中させる。手がモニターに触れた。
直後、ラボの壁がぐにゃり、と歪む。
どろどろに溶けるかのようにして部屋は崩れていく。ラボだけで
はない。城内の全てが、ノアに浸食されていっている。
閉ざされた両目が、再び解き放たれる。
歪な形になったラボが、再び元の形を取り戻した。だが、全てが
元通りになったわけではない。糸に絡まれた4体の鎧持ちの姿が忽
然と消えていたのだ。
そのことを確認すると、ディアマットはラボのマイクを手に取り、
城内に己の言葉を伝える。
﹁親愛なる我が王国兵諸君。緊急事態が発生した﹂
彼は一呼吸置くと、城内で警備に当たっている兵に向けて言う。
トリプルエックス
﹁先日捕えたXXX、神鷹カイトが脱走した。現在の場所は不明だ
が、今は城が迷宮と化している。まだその辺をさまよっている筈だ。
1737
見つけ次第、行動不能にしろ。そいつは貴重な資材を持っている。
絶対に殺すんじゃないぞ﹂
傍から聞けば、理解不能な言葉である。
だが王国兵達は迷宮の一言で事態の深刻さを理解してくれたはず
だ、とディアマットは思う。
ラビ
ノアの新人類としての力は、建築物の構造をまるごと入れ替える
リンス
能力である。あたゆる迷路を作り上げることから、彼女の能力は迷
宮と呼ばれていた。
その迷宮は、ノアが念じない限り元に戻る事はない。
彼女の思念が構成した迷宮は、城に入り込んだ敵の逃走経路を奪
うのだ。これほど今の状況に適している能力はないだろう。
同時に、城を迷宮化させなければならない状況になったというこ
とはつまり、絶対に逃がすなという思惑があることを意味している。
それがわからない新人類軍ではないし、カイトとエレノアでもない
だろう。鎧持ちも解き放たれた今、城内は戦場と化したも同然だっ
た。
﹁今、城内を回っている鎧は何体だ﹂
通信を終え、マイクを置いてからディアマットは問う。
﹁さっき送り出したのも含めて、5体。そして部屋で待機している
のが1体です。それ以外は全員調整中になります﹂
つまり12人の内の半数が、一気に解き放たれたことになる。
先程は捕まったが、常に戦闘状態に入った彼らであれば後れを取
る事はないだろう。ディアマットがそう思っていると、ラボに激震
1738
が襲いかかった。
何事か。
モニターに表示されている警報シグナルが、喧しいほどに鳴り響
く。
滅多に使われない敵襲警報だった。ディアマットはその警報が何
処から発せられているのかを確認する。
発信場所はセキュリティルームだった。
1739
第129話 vsエレノア・ガーリッシュ︵後書き︶
次回更新は土曜の夜か日曜の朝を目途に。
1740
第130話 vs姉妹と老兵と超重力
目には見えない重りが身体に覆いかぶさり、アウラの動きを抑え
込む。カノンも同じくだ。彼女たちはグスタフの放つ超重力の波に
対して、抗う術をもっていない。
それでも彼の前に出たのは勝機あってのことである。シルヴェリ
ア姉妹の目的はセキュリティルームと、それに繋がる監視カメラの
無力化だ。これを潰すだけで新人類王国の﹃目﹄は潰すことになる。
トリプルエックス
中にいるのがグスタフだけなのは予想外だったが、機械類を破壊す
るのであれば彼女たちの能力は効果テキメンであった。
ゆえに、敵わないとしても機械を破壊できる、と。
そう考えた。
だが現実はいつだって厳しい。
グスタフは前線を引いてから長いと聞いていたが、能力はXXX
と同等か、それ以上まで引き延ばしていた。彼の放つ重力波は、ふ
たりの電流を決して見逃さない。
﹁むんっ!﹂
グスタフの両手から黒の波動が放射される。
波はシルヴェリア姉妹から発せられる紫電をあっさりと飲みこみ、
ふたりを壁に叩きつけた。そのまま壁に固定され、身動きが取れな
くなる。
﹁いつかこんな日が来るとは思ったが、やはりお前たちもそうか﹂
壁に磔にすると、グスタフは口を開く。
1741
彼はXXXの責任者となったアトラスを信用できる王国兵だとは
思っていない。カノンとアウラ、アキナに至ってもそうだ。どうに
も昔からXXXは自分本位である。リバーラの方針もあったとはい
え、それで鼻を伸ばしていては何時か寝首を狩られるのは明白だっ
た。
彼女たちはまだ、神鷹カイトに敬意を示しているのだから。
﹁アトラスの命令か?﹂
﹁⋮⋮っ!﹂
疑問に対し、口は開かない。
言う必要はないし、言ったところで信用は得られないのは目に見
えていた。正面から戦うと決めた以上、彼女たちに残された道はた
だひとつしかない。
状況はシルヴェリア姉妹に有利だ。
グスタフの力はシルヴェリア姉妹やシデンと同様、身体から放出
するタイプである。ゆえに、この狭い一室では満足に戦えない。し
かもここは王国の目を司るセキュリティルーム。迂闊な破壊は、自
軍の足を引っ張る事になりかねない。
だからこそ、積極的に狙う。
狙うのだが︱︱︱︱
﹁おっと﹂
﹁うあぁっ!﹂
アウラの足が捻じ曲がった。文字通り、本来曲がらない方向へと、
だ。
妹の悲痛な叫びを耳にし、カノンが睨む。
1742
﹁悪いが、君もだ﹂
﹁︱︱︱︱!﹂
カノンの腕に超重力の弾丸が撃ち込まれた。
両腕が折れ曲がり、満足に動かせない。激しい痛みに悶絶し、気
を失いそうになりつつも、彼女たちはグスタフを睨み続けた。
﹁睨んだところで、もう君たちは怖くない﹂
なぜか。
シルヴェリア姉妹が不完全なのを、グスタフは知っているからだ。
彼女たちはグスタフとは違い、身体の至る所から力を放出できるわ
けではない。
姉は上半身から。妹は下半身からでしか雷を出せないのだ。射出
口を潰してしまえば、電撃は脅威ではなくなる。
それどころか、動きも封じて一石二鳥だ。
グスタフは近くのモニターへと移動し、キーボードを叩き始める。
警報アプリを起動したのだ。セキュリティルームでは監視カメラ
の映像を確認した後、問題があるようであればその位置を知らせる
事が出来る。
ただ、現在は既に非常警報が出された状況だ。
神鷹カイトの脱走と、逃走を妨害する為におこなわれた城の迷宮
化。外の兵たちがここまで辿り着けるかはわからないが、第二期が
裏切った事実だけでも伝えなければならない。まだ外にはアトラス
とアキナがいるのだ。そちらも念入りに見ておく必要がある。
そう思い、グスタフはマウスをクリックした。
警報アプリが作動し、報告場所の確認メッセージが出現する。緊
急事態なのだからこんな物を出すんじゃないと苛立ちつつも、彼は
1743
アプリの操作を進めた。
だが、
﹁ぬっ!?﹂
身体のバランスが崩れた。
足が払われ、身体が床に向かって宙を舞う。なにがおきたのだ、
と疑問に思うよりも前に、襲撃者の姿を認識した。
カノンだ。
言葉を腕を封じられた少女が、歯で包丁を加えて襲撃してきたの
である。彼女はグスタフの足を払うと同時、口でくわえた包丁を顔
面目掛けて振り下ろす。
﹁ぐぅっ!﹂
反射的に、真上に向けて重力を放り投げた。
重力の弾丸はカノンの顔面にクリーンヒット。口に咥えられた包
丁はあらぬ方向へと吹っ飛ばされ、床に突き刺さる。
直後、グスタフの身体は床に倒れ込んだ。背中に痛みが生ずるが、
それも一時的な物である。彼は吹っ飛んだカノンを一瞥すると、一
言。
﹁しぶといな、君たちも﹂
油断があったのは紛れもない事実である。
能力を扱う最大の発射口を潰したのは事実だが、彼女たちも身体
能力を相当鍛えられた戦士なのだ。機動力を殺しきらなかったのは、
失態以外の何物でもなかった。グスタフは己の浅墓さを恥じると、
1744
後ろで倒れたままのアウラも含めて視線を移す。
マウスの右クリックが押された。セキュリティルームに︱︱︱︱
新人類王国全体に、警報音が響き渡る。
﹁これでセキュリティルームに誰か来れば、それでXXXはお終い
だ。迷宮化している手前、すぐに来るのはまず無理だろうが﹂
だが、それまでの間は自分が彼女たちを監視すればいいだけのこ
と。
セキュリティルームが彼らにとって邪魔なのは百も承知だ。それ
ゆえに、ここには屈強の戦士が必要なのだ。普段ここで勤務する者
がいないのも、それが理由である。グスタフが本来の防衛担当の兵
士と交渉し、守る位置を交換してもらったのだ。タイラントは自分
から動くのを好む兵だ。ならば不動で守る役目を担うのは自分こそ
が相応しい。
﹁その身体では、お前たちも逃げることが不可能なはず﹂
﹁ええ、逃げれないでしょうね﹂
呼吸を荒げつつ、アウラは言う。
その瞳には、戦闘意欲が満ち溢れていた。
﹁でも、いつまでも役立たずのままだったらカッコ悪いじゃない?
だから戦うのよ﹂
﹁往生際が悪いぞ。その足でどうするつもりだ﹂
アウラの両足は相変わらずへし折れたままだ。
立ち上がる事さえもままならない。しかしそれでも、力を使うこ
とは出来る。
1745
﹁足掻くのよ﹂
アウラは不敵に微笑んだ。
足に装着されたローラースケート。その車輪が激しく回転し、ば
ちばちと電流を流す。
﹁どこまでもみっともなくね!﹂
﹁やらせん!﹂
下半身から溢れんばかりの電流が放出され、セキュリティルーム
全体を覆い尽くす。
正面からそれを阻止するべく、老兵は手を前方に出した。彼は気
絶した状態のカノンに気を配りつつも、力を放出する。重力の波が
アウラを覆い、電撃の放出を押し留めた。
﹁無駄だと言ってるのがまだ分からないか!?﹂
﹁無駄じゃないわ﹂
アウラの笑みは崩れない。彼女は絶対の自信を持って、グスタフ
に言う。
﹁別に私が壊さなくてもいいんだもの﹂
﹁ぬ⋮⋮っ!?﹂
そこでようやく、グスタフは気づいた。
アウラの放電を抑え込む為に放出され続けている重力波。それが
セキュリティルームの備品を破壊し始めていることに、だ。
﹁年はとりたくないわねぇ。周りに目がいかないって怖いわ﹂
1746
勝ち誇ったようにアウラは言った。
足をへし折られ、放電も抑えこまれている。これがただの戦闘で
あれば絶体絶命の危機だったのだろう。しかし、この場に限って言
えばアウラは絶対的に有利な状況だった。
グスタフは電撃を止める為に重力波を放たなければならない。
その威力は強めでなければ放電を抑え込むことはできないのだ。
かといって、威力を弱めれば電撃がセキュリティルームを破壊し尽
くす。
﹁ならば﹂
﹁無駄よ。私を殺したところで、アンタが不利なのは変わらないわ﹂
背後で物音がしたのを察知した。
振り返ってみる。カノンが起き上がっていた。彼女はボロボロに
なった上半身から電気を流し、放出の準備に入っている。
﹁その体勢で私を殺そうなら、姉さんがここを壊す。両方を殺そう
とすると、ここをアンタが壊す﹂
グスタフの能力は強大だ。想像してたよりも、ずっと。
前線から引いて王子の指導をしていた間も、鍛錬は怠っていなか
ったのだろう。
しかしそれが逆に彼を追い詰めていた。
﹁さあ、どうする?﹂
アウラが問う。
突きつけられた答えは、3通りだ。
このまま均衡を保ち、カノンに破壊されるか。
1747
己の能力で破壊するのを恐れて威力を弱め、アウラに破壊される
か。
もっと強力な一撃を放つ事で反逆者を殺し、自分が破壊するか。
﹁どっちにしろ、アンタに勝ち目はないわ!﹂
﹁ならば私が取るべき道はひとつ!﹂
グスタフが牙を剥く。
彼は大きく目を見開くと、重力波の勢いを増大させた。
﹁ここで貴様らを倒し、私が不穏分子を直接抑えこむ!﹂
グスタフの身体から黒い衝撃波が放たれた。
老兵を中心に波状で広がるそれは姉妹を覆いつくし、セキュリテ
ィルームごと破壊していく。
﹁きゃ、ああああああああああああああああっ!?﹂
アウラとカノンが再び壁に押し付けられる。
それだけではない。今度は彼女たちの身体のどこからでも電撃が
出てきてもいいように、フルパワーだった。全身の骨が悲鳴をあげ
ているのが、姉妹には手に取るようにわかる。
意識が遠のき、身体中の力がどんどん抜けていくのがわかった。
視界がブラックアウトする直前。アウラは見る。セキュリティル
ームに設置されているモニターが、次々とグスタフに破壊されてい
くのを。
︱︱︱︱勝った。
1748
生き残っているモニターは存在していなかった。カイトは逃げだ
し、エイジたちもそれに続くことができる。そして仮面狼さんもき
っと、逃げ出すチャンスを作れるはずだ。
姉と自分は、ここで倒れる。
だが勝負には勝った。後は彼らを信じよう。
そう思いながらも、アウラは痛みに身を任せて目を閉じた。
直後である。
﹁失礼﹂
﹁え?﹂
﹁なに!?﹂
セキュリティルームの扉が開いた。
外を守っていた兵がやっと異変に気付いたわけではない。外は迷
宮化されている。城にある無数の部屋がランダムに設置しなおされ
た以上、すぐに駆けつけるのは不可能だ。
では、誰か。
やってきた人物は指で小さな輪を作り、グスタフに向ける。
﹁お、お前は︱︱︱︱!﹂
﹁さようなら、グスタフさん。あなたは王国のことを第一に考える、
王国兵の模範のようなお方だ。何があっても敵を倒すその姿勢は、
敬意を抱いていました﹂
ですが残念です。
超重力の波が渦巻く空間を眺めながらも、ソイツは︱︱︱︱アト
ラス・ゼミルガーは心底残念そうに呟く。
1749
﹁灰になれ﹂
指で作られた小さな輪が、弾かれた。
重力の暴風雨を貫通し、指ぱっちんで紡がれた爆発がグスタフを
襲った。
爆風によって老兵が倒れる。
呪力の風が勢いを弱めていき、次第にセキュリティルームは元の
姿を取り戻して言った。中の被害は、相当なものだったが。
﹁カノン、アウラ。生きてます?﹂
アトラスが一歩、セキュリティルームに入る。
紡がれた言葉に対し、姉妹は口を開く元気は残っていなかった。
ただ、指を少し動かす程度で生存をアピールする。
﹁ならば結構。通路が迷宮になった時はどうやってここに行くべき
かと考えましたが、近くに移動していたのが幸いでした﹂
ノアの能力、迷宮化は通路を再構成し、部屋の場所をランダムに
組み替える。その為、見覚えのある部屋を空けても全く知らない部
屋を公開してしまうこともある。
だが今回の場合、激しい戦闘音が響いたのが功を成した。偶然に
も近くを通っていたアトラスはそれを聞きつけ、駆けつけた次第で
ある。
﹁ご安心ください。リーダーは私が助けます﹂
同時に、迷宮化の時点で彼の道は決定していた。
1750
己の全てを捧げると決めたあのお方の為に。そして彼が帰ってく
るべきXXXに手をかける者を一人残らず消し炭にする。消し炭に
なったグスタフと同じように、だ。
﹁おふたりはお休みください。グスタフさんも消えた今、ここに新
人類軍の誰かが来ても誤魔化すことは容易でしょうから﹂
言動を耳に受け入れつつも、アウラは思う。
彼は自分たちとは全く違う方向しか見ていない、と。アトラスが
見ているのはカイトとXXXのみ。それ以外の人間には、全く興味
を抱いていない。
尊敬しているなどと言いながらも、あっさりとグスタフを殺した
のがいい証拠だ。
﹁いやぁ、でも助かりました。ふたりが抑え込んでていてくれたと
はいえ、面倒なのを始末できましたよ。これは喜ぶべきことです﹂
アトラスは無邪気な笑みを浮かべつつも、言う。
とても尊敬していた相手に言うセリフではないと、アウラは思っ
た。
1751
第131話 vs新人類軍の事情
天井のランプが消えた。
時刻は午前6時。何度か城内を襲った激震を耐え抜いた監視カメ
ラが、遂に沈黙したのである。
﹁よし!﹂
ベッドから飛び起きると、御柳エイジは自室の扉を開け放つ。
そこに広がっていたのは四方八方に広がる廊下だった。右を見れ
ばT字路、左を見れば十字路、正面を見ても十字路である。
﹁な、なんですかこれ?﹂
後ろに続くマリリスが驚愕の表情を浮かべる。
彼女は迷宮の初体験者だ。いかに始めてきたところでも、昨日と
全く違う景色が広がっていれば誰だってこんなリアクションを取る。
だが、今は説明してあげている時間すら惜しい。
なので、簡潔に纏めてあげることにした。
﹁ここお城!﹂
と、エイジ。
﹁ここ迷宮!﹂
と、シデン。
1752
﹁どっちなんでしょう!﹂
結果としてはマリリスの頭を更に混乱させることになってしまっ
た。これまで多くの新人類を目の当たりにしてきたが、迷宮を作り
出す新人類がいるなんて想像だしにていないのだろう。
﹁ええっと、とりあえず迷宮っていう認識で大丈夫なんですね﹂
﹁ああ。出口はどこにあるかわかんねぇし、その辺のドアを開けた
らどこに繋がってるのかもわかんねぇ﹂
﹁それでふたりを探し出せるんですか?﹂
率直な疑問だった。
傍から見ても、王国内は複雑に入り組んでいる。一本の通路だけ
でも縦横無尽に入り組んでしまっているのだ。途中で仲間を拾い、
出口を目指すのはかなり困難なように思える。
また、当然ながら邪魔をする兵もいる筈だ。先程のディアマット
のアナウンスを考えれば、敵がわんさかいるのは想像するに容易い。
﹁大丈夫だ。奴のにおいを辿ればいける﹂
﹁え?﹂
真顔で言ってのけたエイジに対し、マリリスは首を傾げる。
疑問が尽きない台詞だったので、反射的に聞き返してみた。
﹁あの、よく聞こえなかったのでもう一度お願いできます?﹂
﹁においを辿る。そうすれば迷うことなく一発で探し出せるって寸
法よ﹂
本気で言ってるのかこの男は。
呆然と立ち尽くすマリリスをよそに、シデンは言う。
1753
﹁まあ、流石に近くにいかないとわかんないけどね。今は揺れがあ
った方に走ってる﹂
﹁ああ、なるほど﹂
妙に納得できた。
よくよく考えてみれば、当たり前である。いかに彼らが超人とは
いえ、この迷宮を匂いで攻略できたらトラセットでカイト探しなん
かしなかった筈である。
﹁でもまあ、少しでも匂いがすれば当たりなはずだ。それまでは当
たりがありそうな方向に行くしかねぇ﹂
完全な運任せだった。今はまだ当てがあるとはいえ、そこが外れ
だった場合はどうする気なのだろう。
そんな事を考えていると、前を走る二人の足が止まった。
﹁どうしました﹂
﹁お客さんだ﹂
エイジが言うと同時、シデンが銃を抜く。
しかしすぐにトリガーを引くような真似はしない。
マリリスはシデンの背後に隠れながらも、そっと相対する相手の
顔を見た。メラニーだ。見覚えのある三角帽子を確認すると、マリ
リスはすぐに顔を伏せた。
﹁立場上、お客さんになったつもりはねーんですけど?﹂
長すぎるローブを羽織った少女は、既に折紙を構えている。
色とりどりの折り紙がどれ程の力を持っているのか、マリリスは
1754
よく知っているつもりだった。
﹁その紙、どうするの?﹂
﹁こうします﹂
シデンが問うと、三角帽子の少女は迷うことなく紙片を放り投げ
た。
指に挟まれていた4枚の折り紙が一斉に襲い掛かる。
﹁や、やばいですって!﹂
マリリスがシデンの袖を摘み、退却を促す。
メラニーの投げた折紙の中には黄色い紙片が混じっていた。貼り
付けると、対象を爆発させる恐ろしい紙である。
﹁そう?﹂
しかし、シデンとしてはどこ吹く風だ。
彼は表情を変えないまま、折紙を睨みつける。直後、投げつけら
れた折紙が宙で停止した。勢いを失った4枚の紙は床に落ち、ガラ
スのように砕け散る。
﹁悪いけどさ、君じゃボクには勝てないかな﹂
﹁⋮⋮はぁ、やっぱそうでしょうねぇ﹂
不敵な笑みを向けられ、意外にもメラニーはあっさりと引き下が
った。
彼女は帽子を深くかぶり、数歩下がる。
﹁どうぞ﹂
1755
﹁え?﹂
通路の端へと行き、侵攻を促す。
三人はお互いの顔を見合わせ、もう一度メラニーを見た。指に折
り紙を挟んではいない。
﹁急いでるなら、さっさとした方がいいんじゃねーですか?﹂
﹁いや、そりゃそうなんだけどさ⋮⋮﹂
なんでそんな簡単に通すのか、と首を傾げてしまう。
その意図を察したのだろう。彼女は深いため息をついてから三人
に向けて言った。
﹁私、正直今回の件は納得できてねーんですよね﹂
メラニーは頭を抱え、腕を組む。
ちらっと監視カメラを盗み見た。彼女はランプが点灯していない
のをいいことに、貯め込んでいた不満をぶちかます。
﹁別に、あの乙女の敵や旧人類の糞野郎がどうなろうが知ったこっ
ちゃないです﹂
酷い言われようだった。
特に前者。あの人はメラニーさんに何をしでかしたんでしょう、
と疑問に思いながらもマリリスは耳を向ける。
﹁ただ、まあ。何ていえば良いんですかね。ぶっちゃけた話、アン
タ等を連れてきた時点でこんな状況になるのって、わかりきってた
わけじゃないですか﹂
﹁まあ、そりゃそうだ﹂
1756
仮にカイト以外を連れて行ったとしても同じことだ。
生きる為に必死になって、全力で抗う。生き物の本能だ。無抵抗
のまま、ただ殺されていく人間なんてそうはいない。
﹁自業自得かなって﹂
﹁お前、それ新人類軍としてどうなんだ?﹂
﹁私、あくまでお姉様の部下なんで﹂
﹁タイラントも同じことを考えてるって事?﹂
﹁私の口からは何も言えません﹂
十分喋ってるわけだが、ここでそれを指摘してもメラニーはどこ
吹く風だろう。
﹁さて、無駄話をしてる暇はねーんじゃないですか? 早く行かな
いと、あのふたりがどうなってるか保障できませんよ﹂
﹁おお、そうだった。行くぜ、ふたりとも!﹂
﹁マリリス、後ろはボクが回るから、前に行って﹂
﹁は、はい!﹂
指示に従い、マリリスはエイジの後ろに続いて走る。
その背後に続き、シデンが駆けた。彼はこちらの背中を見守るメ
ラニーをずっと睨みつつも、足を動かしていた。
﹁⋮⋮本気なのかな﹂
十字路を曲がって少女の姿が見えなくなったところで、シデンが
口を開く。とうとう彼女は次の攻撃を仕掛けてこなかったのだ。も
っとも、なにかやってきても全て完封する自信はあったが。
1757
﹁さあな。どっちにしろ、あいつは身の程を弁えたって事だろ﹂
﹁まあ、負ける気はしなかったけど﹂
あのまま戦っていれば、メラニーは何もできずに倒されていた。
彼女の攻撃の9割は折紙から始まる。それを封じられれば、なにも
できない。六道シデンとの相性は最悪だと言えた。
だが、それにしたってあんなに呆気なく引き下がる物だろうか。
﹁新人類軍って、国に忠誠を誓った戦士なのでは?﹂
﹁一部は、な﹂
あくまでエイジたちが幼少期の頃の話だが、王族にそこまで忠義
を尽くす者はいなかった。それこそ命じさえすればなんでもやって
くれる鎧持ちが当てはまる。
では、実際の兵はどうなのか。
﹁いかんせん、リバーラ王があんなだからな。付いていける兵は少
ない﹂
﹁では、なぜ新人類軍はここに所属してるんですか?﹂
﹁理想に一番近いからだよ﹂
後ろにいるシデンが言う。
﹁民間人も含めて、新人類王国にいる人間っていうのは基本的に選
ばれた人間なんだ。彼らは旧人類の中で埋もれていくのを嫌って、
もっと自分の力を活かせる場所に行きたいって考えてる﹂
その根本にあるのが、
﹁絶対強者主義。これがある限り、みんなリバーラ王についていく
1758
よ。本人にどれだけ不満があってもね﹂
﹁リバーラ王は、そんなに凄いんですか?﹂
理屈はわからんでもない。
ただ、話を聞いてる限りだとリバーラ王は﹃気まぐれすぎる王様﹄
であった。歴史の教科書をひも解いてみると、そういう王様は大体
反乱で殺されてしまう。現に今も、大絶賛反乱中だ。
﹁さあな﹂
﹁さあ、って!﹂
期待を裏切る返答を耳にして、マリリスは憤慨する。
だがエイジとしても、これ以上の答えようがなかった。彼はリバ
ーラ王が戦う姿をみたことがあるわけではないのだ。
﹁ただ、今の新人類王国の環境を作り上げたのは間違いなくあのお
気楽なオッサンだよ﹂
﹁⋮⋮!﹂
だから、なんとなくわかってしまう。この男は凄い奴なのだと。
単純な殴り合いではない。それ以上の、もっと別の力があるのは
確かなのだ。力が強者の国を作り上げ、地球を飲み込もうとしてい
る。
結果的に国民や兵は、リバーラ王の側についていく。強者の国は
優秀な者に対して寛大なのだ。
﹁結局のところ、みんな強者の側にいたいのさ﹂
﹁では、メラニーさんは﹂
﹁問題があるとしたら、王子だな﹂
1759
王国にうんざりしたのかと期待したマリリスの言葉を待たずに、
エイジは切り出した。
﹁たぶん、王子は焦ってる筈だ。これまでの失敗を取り戻そうとし
て、今回は遂に強行手段に出たんだ﹂
だが結果的にはカイトは脱走。
それどころか、﹃貴重な資源﹄も持ち去られている。全部彼が巻
き起こした不祥事だった。
﹁王子にそこまで義理でもない限り、今回の件はモチベーションが
下がるぜ﹂
﹁だからと言って、あんなにあっさりと通しちゃっていいんですか
?﹂
﹁普通はダメだろうね。でも、ここだと許されるんだよ﹂
なぜか。
新人類王国が絶対強者主義だからだ。例えどんな立場にある者で
も、負けたらソイツの責任になる。
王子とて例外ではない。今、王国でもっとも危うい立場にあるの
は彼だった。
﹁まあ、あのテルテル女が本当にそうなのかは知らねぇ。敵わない
と知って、自分の命をとったっだけかもしれねぇしな﹂
﹁でも、彼女って確か﹂
﹁ああ。タイラントの腰巾着だ﹂
タイラントは今や相当な発言力を持った人物である。
少なくとも、女子人気は圧倒的だろう。直属の部隊も持ってる。
そんなタイラントの秘書を務めるメラニーが、職務放棄をしたのだ。
1760
邪魔になりそうなのは、大分限られてくる。
﹁注意しなきゃいけない奴は大分絞れた。いくぜ!﹂
先陣を切り、正面をまっすぐ見据える。
だがエイジは思う。メラニーが道を空けたが、果たして彼女の上
司はどうだろう。
XXXに愛する上司を殺された女も同じように道を空けることは
あり得るのだろうか。
もしも彼女がまた襲来してきたら、その時は︱︱︱︱
エイジの目尻が鋭くなった。
1761
第132話 vsパペット・メモリーズ ∼その1∼
ラボらしき部屋から逃げてからどのくらいの時間が経過したのだ
ろう。
エレノアには時間を確かめる術はない。ただ、神鷹カイトの身体
を借りているというのにもう息を切らしているのは中々情けないと
自分で思う。
彼は運動神経が抜群だ。
自分がその身体を借りたところで、上手く使いこなせないのだと
言う実感が嫌でも湧いてくる。距離があると、強く感じた。
﹁は、は﹂
乾いた笑いが廊下に響く。
彼女はひとりだ。身体を支配していても、カイト本人が助けてく
れるわけではない。彼らの仲間もきっと同じだろう。
一度芽生えた虚しさは、波紋のように広がっていった。
﹁こんな日が来るなら、もっとデレてもらえるようにしとくんだっ
た﹂
恨み言を呟いたところで、なにかが変わってくれるわけでもない。
思えば、昔から友達を作ろうにもどうすればいいのかわからなか
ったものだ。アカデミー時代は本を読んで学習し、現代ではネット
を使って﹃友達とは﹄と検索したが全く理解できない。実践しても
カイト相手に使ってはあまり効果が無かった。彼はコミュ障なのだ。
同時にエレノアも立派なコミュ障である。その自負があった。
1762
ジュニアスクール時代から声をかけてきてくれた同級生はいた。
だが、彼女はもういない。結果的に、親しい人物はいないと言え
た。そういえば、ジュニア時代の自分とカイトは少し似ているな、
と思う。愛想が無い所なんか特に。
きっとそれも彼とお近づきになりたいと思った理由なのだろう。
そう考えると、自然と笑みがこぼれてくる。類は友を呼ぶというこ
とわざがあるが、今は素敵な響きに聞こえる。
思考を走らせつつも、エレノアは進む。
やや歩いていくと、彼女は行き止まりへと辿り着いた。周囲を見
渡してみるが、抜け道や扉、エレベーターらしきものはない。
残念だが、一度引き返す他にルートはないようだ。
﹁そのままでいてもらおう﹂
﹁おや﹂
振り返ると、声をかけられた。
見れば、ひとりの新人類軍がこちらを睨んでいる。非常に特徴的
な肌の男だった。首から下は褐色肌でありながら、顔面に白メイク
を施しているという変わり種である。
﹁君、誰だい?﹂
首を傾げ、聞いてみる。
男は目つきを鋭くし、白の表情を歪ませた。
﹁覚えていないのも、知らないのも無理はない。私はあの時、ブレ
イカーに乗っていた﹂
﹁じゃ、知らない人だ﹂
﹁そうだな。実際、私とお前は初対面だ﹂
1763
もちろん、男とカイトのことを言っている。
ややこしいが、男はエレノアと会話している気は一切なかった。
エレノアもその辺を理解した上で、敢えて問う。
﹁何か恨みを買ってたりする?﹂
﹁恨みだと﹂
男は憤慨した。というか、台詞が挑発的すぎた。
白メイクの男は両腕を前に突き出し、叫ぶ。
﹁あるに決まってるだろうが!﹂
直後、エレノアの眼前に何かがぶつかった。
鼻を押さえ、一歩引く。壁だ。目の前に見えない壁が出現し、そ
れがぶつかってきたのである。
シルバーレディ
顔面激突しても鼻血が出る程度で済んだのは、流石の身体だと思
う。
エレノアは鼻を拭うと、右手の爪を出現させる。
﹁じゃあ、どうするの。やる?﹂
﹁当然だ。私はこの時を半年も待ったのだ﹂
先程ぶつかった透明の壁が、再び迫る。
エレノアは迷うことなく爪を振るった。切り裂き方は銀女との戦
いで学習済みである。右腕を使ったアクションであれば、ある程度
カイトの身体を自由に扱える。
﹁やらせん!﹂
﹁およ?﹂
1764
振りかざした右腕の動きが止まった。
否、右腕だけではない。左手、首、両足が。すべて動かなかった。
よく目を凝らしてみてみる。手首に透明の錠が嵌められていた。
﹁なにこれ﹂
﹁思いださないか。私の技を見ても﹂
白メイクの男は自嘲気味に笑う。
﹁まあ、それも仕方がない。あの時の戦闘ではそんな芸当までは出
来なかった。わからなかったとしても無理はない﹂
﹁⋮⋮ねえ、本当に誰﹂
エレノア・ガーリッシュはカイトのストーカーである。
そのストーカー歴は実に16年。少年時代、そして半年前に再会
するまでの空白期間はあるが、その期間を除けば彼女はずっとカイ
トを見ていた。
当然、印象的な敵の顔も見てきている。
しかしながら、エレノアの記憶にこんな白メイクの男は存在して
いない。
﹁誰か、か。記憶の片隅にも残らない程の雑魚だったとは、私も地
に落ちていた物よ﹂
﹁それなりに有名なのかな﹂
﹁貴様と比べるとそれほどではない。だが、シンジュクで巨大カマ
キリと共に貴様を倒しに来た者だと言えば、わかるか?﹂
﹁わかんないや﹂
﹁そうか。ならばこれ以上の問答は必要ないな﹂
1765
白メイクの男は︱︱︱︱ヴィクターは右手を前に突き出し、透明
の槍を生成する。矛先もリーチも見えない武装だが、既に身体を固
定されているエレノアにはあまり関係のない話だった。
﹁いかに貴様が超再生能力を保持していても、心臓をぶち抜かれて
は生きてはいまい!﹂
子供達の笑顔の為に散った友の為に、死ね。
ヴィクターが槍を飛ばした。透明の矛先は壁を貫通し、エレノア
の右胸目掛けて真っ直ぐ飛んでいく。
﹁むっ!?﹂
だが、その動きは途中で止まった。
透明槍と、それを握る右腕が動かないのである。ヴィクターは目
を見開きつつも問う。
﹁何をした﹂
先に身体の自由を封じたのはこちらの筈だ。現に敵は一歩も動け
ていない。
しかし、どういうわけか自分の身体もぴくりとも動かなくなって
しまっている。まるで何かに身体を掴まれているかのようだ。
﹁んふふ。私、こう見えても指が動くだけで敵を殺せるんだよぉ﹂
気持ち悪い笑顔である。けたけたと笑うカイト︵エレノア︶の表
情を見て、ヴィクターはそう思った。これではまるで口のパーツが
壊れた人形である。
1766
﹁馬鹿な。私の壁は完璧なはずだ。それに、データだと貴様は右腕
の義手以外は接近戦のみの男の筈﹂
﹁古い。古いよそれ﹂
まあ、古いと言っても現在の最新型カイトは少し前に完成したば
かりである。それを含めて最新のデータをとれというのは無茶な話
なのだ。
それはそれで、エレノアの得意技の餌食になるだけである。カイ
トとエレノアでは戦い方がまるで違う。カイトが動きまくって永久
コンボを決めるキャラクターだとすれば、エレノアは動かずにして
永久コンボを決める。動と静。相反するふたりがくっついた事実は、
王国内でも限られた人間しか知らない。
﹁私は君個人に何の恨みも無いけど、殺されるつもりもないし殺さ
せてあげるつもりもないんだ。ごめんね﹂
指先から伸びる光の線が締まった。
ヴィクターの首に絡みついていたそれは肉に食い込んだ。白メイ
クの表情が苦しそうに蠢く。
﹁ま、だ、だ!﹂
呼吸するのも辛い首絞めを食らっておきながら、ヴィクターは握
り拳を作る。直後、エレノアの首にかかっていた透明の錠が一気に
サイズを縮めた。
﹁かは︱︱︱︱!﹂
縮んだ輪のバリアはエレノアの首を絞めつける。息を吸えない苦
しみを味わいながらも、彼女は糸を操作し続ける。
1767
首絞め対決だった。
エレノアの糸が勝るか。ヴィクターのバリアが勝るか。お互いに
罵倒する元気すらなくなった今、静寂だけが場を支配する。
﹁んんんんっ﹂
白メイクが汗だくになりながらも、拳に力を込める。
爪が食い込んでいるのだろう。彼の右手からは赤い液体が流れて
いた。しかしヴィクターは流れ落ちる熱い血液に気付くことなく、
エレノアを締め続ける。
バリアがさらに狭まったのを感じた。
首だけではなく、肢体にかけられた錠も一気に締め付けられる。
酸素を身体に送る事が出来ず、眩暈がしてきた。
糸を切り離しそうになりつつも、エレノアは指を動かすのを止め
ない。
彼女なりに、負けられない理由があった。
エレノアが店を持って6年が経過した。
当初は近づき辛かった性格も大分落ち着きを取り戻し、売り上げ
もそこそこである。リピーターをつける為にはある程度の愛想も必
要なのだ。
しかしカイトはここまでエレノアの記憶を見てきて、ひとつ思っ
1768
た事がある。
こいつマジで友達いないんだな、と。
お店にはエレノアがひとりだけ。自営業なのでアルバイトなんか
いないし、掃除や食事も全部自分でやっている。意外な事に、彼女
は家事全般をそつなくやってのけていた。
ただ、あまりに完璧すぎてエレノアひとりで全部片付いてしまう
のである。そんな彼女の周りに友人と言えるような友人はおらず、
どちらかといえば引き籠りのような生活が続いていた。
ただ寝て、起きて、食事をして、お店の看板を﹃OPEN﹄に建
て替えて、営業をして、終了時間になったら家事をやってのける。
そして最終的にはまた寝る。エレノアの生活パターンは簡潔だった。
簡単だったが為に、刺激のない人生である。
そのことを指摘した人物がいた。スクール時代、エレノアを授業
に出席させようとした同級生である。
彼女はアカデミーを卒業した後も、エレノアのお店によく顔を出
していた。
﹃ガーリッシュさん、売り上げはどうなの﹄
﹃君に心配される程じゃないと思ってるんだが﹄
この頃、エレノアは既にこんな感じの口調だった。
お店を持つ事で学んだ営業術や自分の中の店主のイメージを合わ
せた結果らしい。妙に馴れ馴れしいが、経営学で学んだのであれば
効果はあるのだろう。たぶん。
﹃掃除は毎日やってるし、睡眠もきちんととっている。食事だって
そうさ。それ以上、君が私の何を心配すると?﹄
1769
ただ、馴れ馴れしい口調でも棘は残ったまんまであった。
彼女は父親の骨を収めて以来、必要最低限の会話しかしていない。
要は極力引き籠っていたいのだ。この日も、エレノアは買い物をす
る気配がない同級生に向かって言った。
﹃もういいだろう。用がないなら帰ってくれないかな。一応、今は
仕事中なんだけど﹄
﹃私の知ってるガーリッシュさんは、仕事中でも人形作りに対して
は真剣だったわ﹄
責めるような口調に対し、同級生は物怖じせずに言い返した。
﹃売り上げがあるのは確かかもしれないわね。でも、こんなのただ
の人形じゃない﹄
﹃当然だろう。ここは人形を売ってるんだ。それ以外に用があるな
ら、大人しく商店街の出店でも見て回るんだね﹄
同級生は手に取った商品を店主の前に置き、懐から小さな木の人
形を取り出して見せる。
﹃あなたがジュニアスクール時代に作った物よ﹄
﹃忘れたよ、そんなの﹄
﹃そうでしょうね。貴女にとっては小さな、粗末な人形だった﹄
でも、
﹃それでも一生懸命、理想を求めていた筈よ。ガーリッシュさん、
貴女はこの粗末な人形から、どう進化したの?﹄
﹃⋮⋮﹄
1770
エレノアは級友の言葉に応えない。
カイトの目から見て、ジュニア時代の人形も商品も似たようなも
んだった。大きさ以外で何が違うのか、さっぱり理解できない。
﹃ガーリッシュさん、私は︱︱︱︱﹄
﹃言いたいことは大体わかった﹄
エレノアは席から立ち上がり、外に出る。
看板を裏返しにすると、彼女は再び店内へと戻ってきた。
﹃今日は店じまいだ﹄
﹃私、納得できる答えが出るまで帰る気はないわ﹄
﹃なんでそうも私に付き纏う。君くらいなものだぞ、まだそんなの
持ってるの﹄
そのセリフをお前に言い返してやりたいよ、とカイトは思う。
言葉にしたところでこのエレノアに聞こえないは立証済みなので、
ちょっともどかしい。
﹃だって、ガーリッシュさんが始めて私にプレゼントしてくれたも
のよ。友達が作ったものを、どうして捨てられるの?﹄
﹃⋮⋮わっかんないや﹄
頭を掻きながらも、エレノアは工房へと足を進める。
﹃そこまで言うなら今の私の過程を見せよう。好きにすればいい﹄
遠回しな警告であった。
既に級友の答えは決まっていそうなものなのに、わざわざまた選
択肢を設けたのだ。
1771
カイトは思う。あまり見せたくない物なんだ、と。
﹃わかったわ﹄
その意思が級友に伝わったのかどうか、わからない。
彼女はエレノアに従って地下の工房へと降りていく。灯りのない
階段を下ると、厳重に締め切られた扉へと辿り着いた。当時では珍
しい5重ロックである。
﹃ガーリッシュさん、どこもこんな管理をしているの?﹄
﹃ここは特に厳重なんだ。あんまり、人に見せたくないから﹄
エレノアは鍵をひとつずつ外していく。
最後の鍵を外し終えると、扉が開いた。中に入ると、エレノアは
部屋の明かりを灯す。
一連の動作を招き入れる合図と受け取ったのか、級友は躊躇い事
無く入って行った。
そこで彼女は、椅子に座らされた人影の存在に気付く。
﹃⋮⋮これ!﹄
﹃そうだよ﹄
人間だった。
椅子に座らされた、まごうことなき人の姿。
髭を生やし、やせ細った男が椅子の上で眠っている。否、眠って
いるという表現には語弊があった。あくまで眠っているように見え
るだけだ。上半身に着せられた半袖から見える腕は、球体関節だっ
たのだ。
﹃この6年で作った、私の成果さ﹄
1772
レプリカ
特に誇らしげにすることも無く、エレノアは言う。
目の前にある人形は、生前の父親。その複製品だった。もちろん、
どれだけ外見がリアルでも中身は人形である。擦っても目を開ける
事はないし、口を開くことはない。
﹃ガーリッシュさん﹄
﹃私を憐れむかもしれないね。君は他人をひとりにさせたくない子
だからさ﹄
でもね、
﹃最近、私ができる事は人形を作る事だけじゃないって気づいたん
だ﹄
﹃え?﹄
﹃見てて﹄
エレノアが瞼を閉じる。
ややあってから、彼女の身体が倒れ込んだ。旧友の表情が一変し
た。がたん、と派手な音を立てて倒れたエレノアの身体を抱え込み、
級友は叫ぶ。
﹃ガーリッシュさん!? ねえ、ガーリッシュさん、どうしたの!
?﹄
傍から見れば、救急車を呼びたくなる光景だろう。
急に倒れたエレノア。必死に解放しようとする級友。立派な負傷
者とその友人である。
カイトは退屈そうな表情でその光景を眺めていた。彼は知ってい
るのだ。エレノアが何をしたのかを
1773
﹃ここだよ﹄
人形が動きだした。
級友がエレノアの身体を支えたまま、彼女の父親の形をした人形
を見やる。
目が開いていた。
それだけではない。口が動き、手で取っ手を支え、立ち上がる事
も出来た。
旧友は呆然とした顔で、人形を見る。
空いた口が塞がらないとはまさにこのことだ。
﹃ガー、リッシュさん?﹄
﹃そうだよ。私だ﹄
父親の人形が笑みを浮かべる。ぎこちない笑顔だった。
﹃最近知ったんだけど、特殊な素材を使った人形に対して意識を移
しかえすことができるみたいなんだ。ま、見ての通りまだ完璧に身
体を扱えるわけじゃないけどね﹄
﹃ガーリッシュさん、あなたは⋮⋮﹄
級友は絶句し、次の言葉を紡げなかった。
言うだけなら簡単である。理解ができない、と。そう言ってしま
えばいい。これは夢なのかしら、と言ってもいいかもしれない。
だが残念なことに、これは現実だった。
人類最古の新人類、エレノア・ガーリッシュ。彼女はアルマガニ
ウムを素材にした人形に対し、自由自在に意思を移すことができる
のだ。
1774
﹃残念だけど、言葉で説明することは出来ない。私はテストの成績
はよかったが、これを文章で表現するとなると﹃人形になることが
できます﹄としか言いようがないからね﹄
なんとも平凡な方言だ、とエレノアは苦笑する。
﹃⋮⋮それで、あなたはどうしたいの﹄
時間をおいてから徐々に現状を理解した級友が、エレノアに言う。
﹃お父さんを生き返らせるのかしら﹄
﹃まさか。私は霊媒師じゃない﹄
﹃じゃあ、その人形はなんなの?﹄
﹃しばらくショックで立ち直れなかったからね。リハビリがてら、
父そっくりの人形を作ろうと思って全力を出してみたんだ。素材も
過去最高傑作さ﹄
球体関節などの欠点はあるが、それでも彼女の人形は過去最高ク
ラスの出来栄えである、級友の目から見ても、目の前にいるのは人
間以外の何者でもなかった。
お店の商品の質が落ちたのも、これにかかりっきりだったからだ
ろう。
そう思うと、級友は安堵した。父親の件を引きずって商売に精が
出ないのだと心配していたのだが、杞憂におわったのである。
﹃でもさ﹄
そんな彼女の思考をかき消すように、エレノアは言う。
﹃最高傑作ってさ。作り終えた瞬間、もっと凄い物を作れそうな気
1775
がするんだよね﹄
技術を積めば積むほど進化していく、新人類ならではの発想だっ
た。
既に彼女の中では﹃最高傑作﹄の設計図は出来上がっている。だ
が、それを完成させるには途方もない時間が必要だと感じた。
﹃人のままだと、私はおばあちゃんになってるかもしれない。もし
かしたら白骨死体になってるかもね。でも、最高傑作を作るには私
の身体は必要不可欠だ。可能であれば私は自分の身体をそれにした
いと考えてるし、作る為にはどうしても慣れている身体がいる﹄
所謂、矛盾である。
エレノアは己の身体を人形にしたいと言った。彼女の才能があれ
ば今は無理でもいつかは可能になるだろう。
だが、自分の身体を人形にする為には同じ技術を持つ身体が必要
になる。
エレノアが級友に視線を送った。
どこか怯えた表情をしている級友に向けて、彼女は言う。
﹃君、綺麗だよね﹄
率直な感想だった。
級友は肌が綺麗だった。髪も、爪も、瞳も、歯に至るまで。
全部が宝石みたいに輝いていると、エレノアは思った。彼女も一
応、女の子である。綺麗になりたいと思う時くらいある。
﹃欲しいなぁ、その身体﹄
1776
父親の人形が動きだした。
級友はエレノアを突き飛ばすと、急いで部屋のドアノブを回す。
開かない。焦りながらも、何度も回す。
そんなことをやっている内に、エレノア本人の身体が起き上がっ
た。
﹃友達なんだよね。形式上、プレゼントもあげたこともあったね﹄
どこから取り出したのか、片手にスタンガンを持って立ち上がる
人形師。
級友は扉に背を向け、言う。
﹃いや、こないで!﹄
﹃どうして?﹄
心底不思議そうに、エレノアは首を傾げた。
﹃君が近づいてきたんだろ。放っておいてほしいって言ったのに。
けど、その度に君は土足でズカズカと踏み入って来ただろう﹄
﹃謝るわ! 謝るから、許してよガーリッシュさん!﹄
﹃許す? いやだなぁ﹄
ふたりの影が重なる。
ばちり、と音が鳴ってから級友の身体は崩れ落ちた。
﹃私は別に怒ってないよ。君は友達だったしね。ああ、でも﹄
エレノアは笑みを浮かべ、言った。
﹃私、君から何も貰ってないや。プレゼントをあげたのも私だけだ
1777
ね。酷いよね。友達なのに﹄
だからこそ、
﹃今日は君から貰うね。君の全部、私が貰うから﹄
その日、級友はエレノアになった。 1778
第133話 vsパペット・メモリーズ ∼その2∼
父が死んだ後、エレノア・ガーリッシュには新しい夢が出来た。
最高の人形。至高の身体を手に入れる事だ。白骨死体となって帰
ってきた父親を見た時、彼女は思った。
人間とはなんて脆いのだろう、と。
考えても見れば、人は銃で撃たれると死ぬ。
刃物で切り付けられても死ぬ。
火に炙られると死ぬ。
長時間水の中にいると死ぬ。
奇跡的に生き延びたとしても、なにかしらの後遺症は残る。
残念な事実だが、人間はエレノアが思う程に頑丈ではなかった。
素材さえなんとかすれば自身が作る人形の方が長生きだったかもし
れない。
いずれにせよ、彼女はそんな人間の身体を不憫だと思った。
幼い頃、自分に人形作りを教えてくれた父はあまりに変わり果て
ていたのだ。父のことは尊敬していたが、あんな風になりたくない
と強く思う。
同時に、年をとっていく母親の姿もまた惨めだった。
増えていくシワ。曲がる腰。耳も遠くなるし、頭もボケてきてい
る。
人間は消耗品でもあった。機械のように、長く使えば使うだけボ
ロボロになっていく。
例えオリンピックで金メダルを取るような凄い奴でも、100年
経てば死体か老人かの2択である。
1779
エレノアは今後の人生設計を考えるうえで、その2択に辿り着い
た。
果たして死ぬのが何年後になるかは知らないが、できるだけ両親
のようにはなりたくないと思う。
彼女は生物が辿り着く終末を、拒否したのだ。
その結果が、至高の身体の作成である。
エレノアが追及する肉体は、いくつかの条件があった。
ひとつは傷つかない事。もしくは傷ついても問題ない事。
もうひとつは、自分の身体をベースに改造していくことであった。
既に彼女は人体を素材にしての人形作成を成功させていたのである。
限りないリアルを追及していった結果、本人すらも人形の素材と
してしまったのだ。狂気の先に辿り着いた人形作りは、とうとう自
分の身体にまで矛先を回したのである。
彼女は非売品の人形に憑依し、己の身体の改造に着手した。
素材に関しての宛てはある。人形に改造した作業員が全国の素材
を送り届けてくれているのだ。文字通り、裏で糸を引いていたので
ある。
しかし、そうやって素材の問題を乗り越えても現実は味方をして
くれない。至高の身体の作成は、困難を極めたのである。
1から死なない身体を作り上げるのは、彼女の力だけでは無理が
あったのだ。
この当時、既に新人類という存在は世界中に知れ渡っていた。
祖国のパイゼルは新人類王国と名乗り、全世界に挑戦状を叩きつ
けた。その尖兵として送り出されたのが、新人類軍である。
彼らはエレノアと同じ種類の人間だった。
異能の力を持って生まれた才能の塊を前にして、エレノアは興奮
を抑えられなかった。
1780
自分の力で人形制作に失敗したエレノアは、期待を寄せながらも
思う。
彼らの中になら、自分の理想に近い身体を持つ人間がいるのでは
ないか。
エレノアはその日から1週間、店を閉めた。
その間、彼女はずっと新人類王国と交渉し続けたのである。こん
な能力を持った兵は居るか、と。
当然ながら、個人情報である。
彼女はこの日、番兵から追い返された。
しかしエレノアはめげなかった。
彼女は翌日、兵に向かって言った。
﹃私の要件を聞かないのであれば、実力行使に入るぞ﹄
﹃なにを言っている。お前はどこに何を言ったのか、理解している
のか﹄
当然理解している。
国だ。世界に挑戦した国を前にして、エレノアは更に挑戦状を叩
きつけたのだ。
幸いながら新人類王国は絶対強者主義である。
負けなければエレノアは咎められることはない。
そして彼女が見事に勝利してみせた。番兵との1対1の決闘で、
堂々と。彼女は過去最大の注目を浴びた。古い人形店の店主が新人
類軍の兵士に勝ったと、そう報じられた。
この騒ぎは大きく、王の耳にも届いた。
三度の飯よりもハプニングが大好きな王は笑顔で言った。
1781
﹃いいじゃない! 紹介してあげなよ。勝ったんだからご褒美をあ
げないとね!﹄
王は勝利者には寛大で、話の分かる男であった。
こうして後日、エレノアの元にひとりの新人類が送り出されたの
である。
﹁⋮⋮ふぅん﹂
延々と続くエレノアの歴史ダイジェストを体感しているカイトは、
心底退屈そうに呟いた。
この先、なにがおこるのか彼は知っているのである。
何を隠そう、王の紹介で派遣されたのが神鷹カイトその人だった
からだ。この時カイト、僅かに6歳。
﹁わっか!﹂
場面が切り替わり、エレノアの店をノックした少年時代の己。
保護者のエリーゼを同伴させたその姿は、まるでお母さんと子ど
もである。実際、この時の彼は子供だった。戦場や訓練以外の外出
はこれが始めてだったのだ。
あまりにも未熟すぎる自分の姿を前にして、カイトは肩を落とす。
﹃はいるぞ﹄
愛想の欠片も無い挨拶をしてから、お店のベルを鳴らす。
後ろのエリーゼが頭を抱えているのが見えた。礼儀作法もなって
いない、生意気な子供だった。彼女が溜息をつくのも頷ける。我な
がら手間のかかる子供であった。
1782
﹃やあ、いらっしゃい﹄
無数の人形に囲まれたお店のカウンターで、エレノアと思われる
布の塊が語りかける。
顔は見えなかった。
あれも人形なのか、と思いつつもカイト少年は問う。
﹃誰だお前﹄
﹃私の名前はエレノアっていうんだ。君をここに招待したのは私だ
よ﹄
﹃ふぅん﹄
興味が無さそうにカイト少年は言う。
彼の興味を引いたのは、店の中に敷き詰める人形たち。それぞれ
が今にも動き出してきそうな、リアルすぎる玩具。
ただ、どういうわけかそれらは全て女性であった。
カイトはこの時の気持ちをよく覚えている。多くの人間に見られ
ているようで、落ち着かなかったのだ。
﹃気に入ったのはあったかい?﹄
﹃いや、別に﹄
﹃そうか。残念だなぁ﹄
﹃ガーリッシュさん、宜しいでしょうか﹄
﹃なんだい﹄
マイペースにカイト少年と会話をするエレノアに、保護者が話し
かけた。
彼女は眉を吊り上げながらも言う。
1783
﹃素体のデザインの依頼とお伺いしましたが﹄
﹃そうだよ﹄
﹃具体的に何をするおつもりなのか、お伺いしても﹄
﹃君に言う必要はないと思うなぁ。これは私と彼の間におきようと
している交渉なんだよね。ていうか、君だれ﹄
そこで初めて、布の塊はエリーゼの姿を認識した。
保護者を務める女性は、呆れたとでも言わんばかりのローテンシ
ョンで答える。
﹃エリーゼと言います。彼の保護者です﹄
﹃なるほど、なら話は早いね﹄
布の塊がカウンター席から立ち上がり、近づいてくる。
フードのように被っているだけなのかと思っていたが、想像とは
違った。彼女は上から下に至るまで布に包まれており、まるで絵本
の中にでも出てきそうな悪い魔法使いのようなファッションだった
のである。
﹃お顔は見せてくれないのですか?﹄
﹃見せてもいいけど、彼がいる前だと少し照れちゃうな﹄
﹃子供相手に何を言ってるのですか貴女は﹄
﹃そうだね。でも、何を言おうが私の自由さ。だから、そのまま自
由に君にお願いをしよう﹄
布の中から右腕が飛び出した。
白い、綺麗な細腕である。エリーゼの目の前に差し出された手は、
なにかを要求するかのように胸の位置で動きを止めた。
﹃おくれよ﹄
1784
﹃は?﹄
﹃カイト君を私に頂戴、と言ってるんだ﹄
エリーゼが訝しげな目つきでエレノアを見る。
なにをいってるんだ、こいつ。
﹃お金なら出そう。今はもう、腐るほど貯金があるんだ﹄
﹃そういう問題ではありません!﹄
突拍子もない提案を前にして、エリーゼが憤慨する。
彼女が感情剥き出しで声を荒げるのは、非常に珍しい事だった。
﹃カイト、帰っていいわよ。あなたがいるべき場所ではないわ﹄
﹃大変だ、エリーゼ。この人形、唾液が出るぞ﹄
﹃何をしてるの!? 早く帰りなさい!﹄
そういえば、彼女にしかられたのはこれが始めてだったっけ。
現代カイトは居心地の悪そうな顔をしながらも、少年カイトの後
ろ姿を見守る。少年は渋々人形から離れると、エリーゼの言いつけ
どおり出て言った。
﹃なんのつもりだい。折角彼が私に興味を持ってくれたのに﹄
﹃興味を抱いたのは、あくまで人形の方でしょう﹄
﹃いんや、あれも全部私だよ﹄
睨むエリーゼを余所に、エレノアは布を脱ぎすてた。
現代カイトは驚愕する。この時、彼女が使っていた人形は大分昔
に手をかけた級友のものだった。
見覚えのあるエメラルドグリーンの瞳が、エリーゼを射抜く。
1785
﹃こうしてみればわかるかな?﹄
エレノアは袖をまくる。
球体関節が見えた。確かな証拠と事実を突き付けられたエリーゼ
は、驚愕の表情のまま言う。
﹃⋮⋮人形ならなんにでもなれると?﹄
﹃そうでもないさ。ちゃんと自分の身体はあるし、素材は特注品じ
ゃないと動かせない。まあ、新人類を使ってれば問答無用で動かせ
るんだけどね﹄
﹃なるほど。そういうことですか﹄
エリーゼはその言葉に納得すると、再度人形を睨む。
﹃彼は渡しません。絶対に﹄
﹃君の許可は絶対必要ってわけじゃないよ。彼がその気になってく
れさえすれば、ね﹄
﹃幼い彼を騙し、人形にするつもりですか?﹄
﹃ただの人形と一緒にしないでくれないか。私の人生だよ﹄
﹃否定はしないのですね﹄
﹃事実だからね﹄
淡々とした会話だった。
しかし会話自体はスムーズに運んでいるように見えても、現代カ
イトにはふたりの間に激しい火花が散っているように思える。
﹃それに、聞いたよ﹄
エレノアが口を開く。
1786
﹃彼は既に色んな人体実験を受けているそうじゃないか。他にもス
ペアがいると聞いてる。それなら、彼の能力を欲する私が貰っても
構わないだろ﹄
﹃ダメです﹄
﹃どうして? こう見えても、私は物持ちが良い方なんだ。初めて
の友達だって、こうやってずっと保存している﹄
﹃友達? それが、ですか﹄
半目で目の前の人形を睨み、エリーゼがまじまじと観察する。
確かに大切にされてはいるようだ。傷跡も見られないし、お手入
れもされている。本人を人形の素材にしているのであれば、ここま
で長持ちさせているのはそれなりの感情の表れだと思って良いかも
しれない。
だがエリーゼは、あえて踏み込み斬りかかる。
﹃あなたは友達を人形にするのですか﹄
﹃そうだよ。私は彼女から何も貰った事が無かったんだ。だから身
体を貰った﹄
今だからわかるが、なんとも屁理屈な理論である。
完全なるギブアンドテイクの関係だ。エレノアの言う友人関係は、
それで成り立つ物として認識されている。
カイトは思う。友達ってそういうのだったっけ、と。
アキハバラでエイジやシデン、スバルを助けたいと思ったとき。
カイトは決して見返りが欲しいとは思わなかった。
現代カイトの意思を肯定するかのようにして、エリーゼは言って
のける。
﹃それは友達ではありません﹄
1787
﹃なんだって?﹄
﹃あなたは技術者としては一流かもしれません。夢もあり、目標を
持って頑張れる。それは素晴らしい事だと思います﹄
ですが、
﹃人としての大事なものが欠落しているあなたに、あの子を任せる
つもりはありません﹄
﹃言ってくれるじゃないか。自分が人間として完成しているとでも
言うのかい?﹄
﹃少なくとも、私が目指す最強の人間はあなたではないことは確か
です﹄
﹃なにそれ﹄
﹃言った所で、あなたに理解できるとは思えません﹄
エリーゼが踵を返す。
そのままドアノブを握ると、振り返らないままエレノアに言った。
﹃今日はこれで失礼します。恐らく、あなたがそのままである限り、
素体の件は許可が出せません﹄
﹃王から許可はもらってるんだけど﹄
﹃保護者は私です﹄
力強く言い放った。
エリーゼがどれだけ自分の力に自信を持っているのかは知らない。
現代カイトも、彼女が戦う姿を最後まで見たことが無かった。た
だ、彼女は確かな自信を持って口を開く。
﹃例え王が相手でも。他の新人類が相手でも。旧人類が相手でも。
あなたが実力行使で来たとしても、私が彼を守ります﹄
1788
現代カイトの眉が、僅かに動いた。
彼は静かに呟く。誰にも届く事のない、疑問の声を。
﹁⋮⋮なんだと﹂
疑問の言葉はエリーゼには届かない。
彼女はエレノアの視線を一身に受けつつも、宣言して見せた。
﹃私が生きている限り、彼をあなたの好きなようにはさせない。私
が死んだとしても、それは同様です。そのつもりで次回の交渉に挑
んでください﹄
﹃⋮⋮ふぅん﹄
エレノアの呟きを聞くと、エリーゼは店から去って行った。
後に残されたのは、店主と現代カイト。
前者は詰まら無さそうな顔で店の奥へと姿を消した。
後者は人形に囲まれた空間で、身動きせずにいる。
﹁うそつきめ﹂
カイトは吼える。
彼女から受けた痛みを思いだし、身体中から溢れる感情を抑える
事もせず。
ただ本能のまま叫んだ。
﹁嘘をつくなっ!﹂
虚構の世界がひび割れた。
カイトをとり残し、エレノアの歴史を記した世界が光の中へと消
1789
えていく。まるでカイトの叫びに驚き、逃げていったかのように。
カイトは震えつつも、周囲を見渡す。
最初と同じ様な暗闇の世界が広がっていた。
だが、彼は見る。
逃走していった世界とは別の方向から光が差し込んでくるのを、
だ。
カイトは戸惑った。また、嫌なものを見せられるのかもしれない
と。そう思うと、足が思うように動かない。
それでも他にやることも無いのは事実だ。
何もせずに死んでいくよりかは、多少は﹃変化﹄を望む。
カイトはゆっくりと、重い足取りで進んでいった。
1790
第134話 vsパペット・メモリーズ ∼その3∼
光の中に足を踏み入れる。
再び見覚えのある場所に辿り着いた。エレノアのお店。その地下
にある彼女の秘密工房だ。
いい加減、うんざりだった。
﹁⋮⋮またか﹂
現代カイトは再び迷い込んだエレノアの歴史ダイジェスト空間で
足を止め、溜息をつく。
移植手術を受けて自分が死んでしまったのかもわからないこの現
状で、何が悲しくてエレノアの思い出を淡々を見続けなければなら
ないのだ。これならDVDをレンタルする自由が欲しい。
﹁今度は何だ。囚人になった思い出でも見せるか?﹂
誰にでもなく、カイトは言う。
今更言うまでも無く、彼はエレノアが嫌いである。ひとりの技術
者としては尊敬しているが、だからと言って彼女のラブコールはも
う聞きたくなかった。
口を開けばべたべたしてくる。
見かければちょっかいを出してくる。
勝手に改造手術をしかけてくる。
それで助かった事もあったが、しかし。ほぼ10割にいい思い出
が無い。
なにより楽しくなかった。積極的に近づいてくる人間の存在は、
1791
百歩譲って良しとする。だがそれがまったく楽しくない上に実りが
ないとすれば、カイトだって反吐がでる。
﹁いい加減にしろ!﹂
カイトの苛立ちはピークを迎えようとしていた。
先に見せられたエリーゼの一件が着火元とは言え、その原因もエ
レノアの思い出にある。もうこれ以上、自分に何を見せようと言う
のか。
﹁俺はまだやることがあるんだ! まだアイツらと一杯遊びたいし、
やりたいことが沢山ある!﹂
そうだ。
だからこそ、死にたくない。
みんなの助けになりたい。
こんなところで足踏みをしている場合ではないのだ。理解すると
同時、カイトは吼える。
﹁エレノア、俺に何をさせたい!?﹂
シルバーレディ
これを見せているのが彼女なのかは疑問だった。
だが銀女との一戦以降、彼女は右腕に憑依したままである。目玉
移植の激痛で意識を失ったのをいいことに、身体を乗っ取っている
可能性も十分考えられた。
逆に言えば、そうでもなければさっきから見せられている出来損
ないのダイジェストの説明がつかなかった。
﹁なんとか言ったらどうなんだ。エレノア・ガーリッシュ!﹂
1792
行き場のない怒りは嫌いな人形師へと牙を剥く。
すると、どこからか声が聞こえた。
﹃⋮⋮はぁ。こんなんじゃ、だめだ﹄
溜息であった。カイトは睨みつけるようにして声のする方向を見
やる。
エレノアがいた。
彼女は椅子に座り、道具を床に置いてから一息ついている。
珍しい事に、その表情は妙に疲れ果てていた。彼女の反対側には
作成途中の人形が放置されており、頭部のパーツが無造作に散りば
められていた。まるでパズルのピースのようである。このパーツの
ひとつひとつがどういう役割を果たしているのかは、エレノアにし
かわからないのだろう。
そんな作成途中の人形を前にして、エレノアはぼそりと呟く。
独り言だった。
﹃⋮⋮上手くいかない時って、あるんだ﹄
彼女はスランプだった。
全身の力を抜き、天を仰ぐ。珍しい事に、彼女は長年欠かしてい
なかった掃除を行っていなかった。天井には蜘蛛の巣が張り付いて
いる。
エレノアの魂を宿した級友の顔が、ゆっくりと視線を降ろす。カ
レンダーに目がいった。特に何の予定も書かれていない1ヶ月の日
付に、ひとつだけ赤い×マークが描かれている。
﹃カイト君、あれからもう1ヶ月だ﹄
﹁俺かよ﹂
1793
訝しげな目を向け、カイトがツッコむ。
だが悲しい事に、彼の言葉はエレノアには届かない。
﹃君が死んで1ヶ月。時間が経つのだけは、早いんだなぁ﹄
懐から写真を取り出す。
神鷹カイト、16歳の写真だった。その写真とキーワードを重ね
あわせ、カイトはこの時の時間を大雑把に知る。
6年前だ。自分がエリーゼに襲われ、失意のまま自爆した頃であ
る。
当時のことを思いだし、カイトは僅かに震えた。
﹃結局、君は一度も私の提案に首を縦に振ってくれなかったなぁ。
100回も頼んだっていうのに﹄
この時点でもう100回だったのかよ、と思いつつもカイトは顔
をしかめた。
﹃なんで仲良くなれないんだろうなぁ。玩具もプレゼントしたし、
デートも提案してみたりしたんだけど﹄
そりゃあ、その裏にある感情を知っていたら誰だって首を縦に振
らない。
更に言えば、この時のカイトはエリーゼにぞっこんだった。エレ
ノアがつけ入れる隙はほぼ無かったと言っていいだろう。
﹃ねえ、カイト君。君は卑怯だ﹄
﹁なにがだ﹂
1794
いきなり卑怯者呼ばわりされ、現代カイトは穏やかではない。
ただでさえ苛立っているのに意味の分からない独り言に付き合わ
なければならないのだ。偶に苛立ちがピークを越えて、大マジな顔
でツッコんでしまう。
﹃君が私にそっけなくするたびに、私は君を見ていた﹄
エレノアは言う。
彼女は幻想の中の少年に向けて、延々と呟いた。
いつも背中を見ていた。
いつも顔を見ていた。
君が好きな物の調査をした。
君がエリーゼを愛しているのも知っている。
チームメイトと仲がよくないことも知ってる。
君はクソ生意気なガキんちょだったが、同時に私が本気で知りた
いと思った人間だった。
﹃ずるいよ、君は﹄
人形の目元が潤む。
力ない笑みを浮かべ、彼女は言う。
﹃私をこんなに夢中にさせておいて、自分は手の届かないところに
行っちゃうんだ﹄
当初、カイトの人形をつくることで心の喪失を埋めようと思った
が、それが上手くいかない。
彼は特別な人間だった。
1795
姿形を真似た人形を作ることはできても、彼の本質まではそこに
刻み込めないのだ。父や級友のように、型に収めることができない。
初めてだった。
完全再現することができない人形が、始めて目の前に現れたのだ。
原型がないとはいえ、その事実に悔しさが湧き上がる。同時に愛
おしさも感じていた。彼を欲する願望が、益々強くなったのだ。
もっと彼を知りたい。
もっと語り合いたい。
もっと触れてみたい。
もっとぶつかってみたい。
もっと、もっと、もっと、もっと、もっと︱︱︱︱!
﹃君が、欲しい﹄
ハッキリと、そう告げた。
写真の中にいるカイトに向けて手を伸ばす。だがその手もレンズ
の中の世界には届くわけでもなく、ただ撫でるだけに終わった。
こんなんじゃ満足できない。
ドキドキもしないし、感動もない。
﹃ねえ、知ってるかい。君が居なくなった後、色々と勉強したんだ。
君と仲良くなれる方法﹄
本棚には人形の製造法の本と、人体の構造を解説した図鑑のほか
に﹃友達100人できるかな!﹄﹃意中の彼ともっと仲良くできる
方法﹄﹃コミュニケーションが苦手なあなたへ﹄と言ったタイトル
が並んでいる。少し前には見つからなかった類の本だ。
1796
﹃⋮⋮それでも、君がいない﹄
人形が泣いた。
綺麗な級友の姿をした人形。その目尻から透明な液体な頬を伝い、
唇を濡らす。
﹃ねえ、友達になろうよ。ビジネスの話は極力避けるからさ﹄
友達だった子は、ひとりだけいた。
だが彼女も、最期には﹃許してくれ﹄と懇願している。
カイトも自分を避けてきた。その理由は共通している。どちらも
人形になりたくなかったのだ。
しかしエレノアには人形しかない。
彼女は昔、天才と呼ばれた少女だった。それでも彼女には人形し
かない。それだけに力を注ぎ続けたのだから、当然である。
だが人形が﹃物﹄である以上、ギブアンドテイクでなければ物々
交換は成り立たない。与えないと、何も得られないことをエレノア
は知っていた。
人形作りはエレノア・ガーリッシュの存在意義であり、至上の喜
びである。それの共有が彼女の思う最大級の喜びである以上、他に
与えられる物なんてない。
もしもあるのであれば、誰かに教えてほしかった。
﹃私のぜんぶをあげるからさ⋮⋮ぐずっ。帰ってきてよぉ﹄
蹲り、人形がすすり泣く。
カイトはそれを眺めつつも、彼女と再会した時のことを思いだし
た。
1797
シンジュクで追手として現れたエレノアは、こう言ってみせた。
︱︱︱︱再会を祝して、お友達になろう
あの言葉の裏には、どんな感情があったのだろう。
短いやり取りの中で彼女は何を思っていたのだろう。
不思議と、苛立ちは収まっていった。
カイトは目の前の人形を眺め、哀れみの視線を送る。
彼は思う。こいつも程々面倒くさい奴だよな、と。
居心地の悪さを感じつつも、彼は踵を返した。
たぶん、これは自分が見てはいけないものだ。そう思いながらも、
彼は言う。ここに自分を閉じ込めた誰か。存在するかもわからない
ソイツに向けて、カイトは訴えた。
﹁もういいだろ﹂
これ以上は、彼女の聖域だ。
例え自分が知る権利があったとしても、そう易々と足を踏み入れ
ていいものではない。
もしも自分が同じ立場であったとして、カイトは誰かにエリーゼ
との一件を見せたくなかった。
﹁俺を帰してくれ。何時までもここにいるわけにはいかない﹂
きっと自分の帰りを待っている連中がいる筈だ。
マリリスも、エイジも、シデンも、カノンやアウラ、アトラスも、
スバルも、きっと心配している。
もしかしたら、彼女も。
1798
天井から光がさした。
地下に設置されているにしてはあまりに不自然な、カイトのみを
照らす光。
それに温もりを覚えつつも、カイトは最後に振り返った。
静かに嗚咽を漏らすエレノアに向けて、彼は聞こえる筈もない言
葉を送る。
﹁また、6年後に会おう﹂
もうここに来ることもないだろう。
根拠もない確信が、カイトの中に芽生えた。
1799
第135話 vs神鷹カイト ∼今日の俺は右腕編∼
いかにエレノアが人形に憑依でき、生きていられるとしても生身
である以上は呼吸しなければならない。
彼女の肉体は普段使っている人形ではなく、神鷹カイトの肉体だ
った。
彼の中に永住するのは、近年の願いである。ゆえに、他の身体に
憑依することはしなかった。むしろ、今回に限って言えば彼を助け
たと言っても過言ではなかった。
あのまま放っておけば、彼はバラバラにされて体のいい実験素材
となっていた事だろう。自分だったらそうする。
だがそれをするのはあまりにもったいない。
エレノアはその一心で表に出てきた。本来は憑依している腕しか
動かせない筈が、人格そのものまで交代できたのには驚きだったが、
自分で直接動かせる分には何の問題も無い。
後は彼の仲間と合流して事情を話し、ここの迷宮と化した城から
脱出できれば万々歳だ。
もっとも、現在進行形で殺されそうになっているわけだが。
﹁︱︱︱︱っ!﹂
首にかかった透明のリング︵バリア︶が一段と狭まる。
長年呼吸を忘れた生活を送ってきたエレノアであるが、呼吸困難
に陥るとこんなに苦しいんだと始めて実感する。不憫な痛みであっ
た。
しかしこのまま黙って窒息死を待つつもりはない。その手の分野
1800
なら彼女も得意だ。こんなこともあろうかと右手に取り付けておい
たアルマガニウムの糸がバリアの僅かな隙間を潜り抜けて、敵を捕
らえている。
ところが、即死には至らなかった。
ヴィクターは般若のような形相で拳を突き出し、エレノアの身体
全体をバリア付けにしては締め付けている。
本来、壁の役割をするバリアをこんな風に使う人間など彼くらい
なものだろう。
﹁む、ぬ⋮⋮!﹂
﹁く、く⋮⋮っ﹂
お互いに会話らしい会話はない。
それどころか、両者ともに限界が近かった。両者の首からは血も
流れており、このまま放っておけば首が飛ぶのが目に見えている。
そんな状況に置かれていても尚、ふたりは手を緩めなかった。首
絞めの均衡が続く。
だが、そんな均衡も長くは続かない。
﹁うっ!?﹂
行動を起こしたのはエレノアだった。
正確にいうと彼女の右腕なのだが、その指先から伸びる刃から黒
い湯気が溢れ出したのである。
薄れゆく意識の中、ヴィクターは思う。
また何かの手品なのか、と。
ところが、エレノアにとってもこの事態は想定していない事だっ
た。というか、そもそもの話。この右腕は彼女の意思に沿って動い
1801
ていない。
まるで何者かの意思が宿ったかのようにして勝手に動きたした右
腕に対して、エレノアは驚愕の目を向ける。
﹁き、みは⋮⋮﹂
心臓が止まった、とは聞いていた。
しかしこの身体を動かすことができるのはエレノアを除くと、も
う彼しかいない。
﹁⋮⋮なんじゃこりゃ﹂
神鷹カイトの目覚めであった。
彼の意思はエレノアと交代したがために、彼女が住み付いていた
右腕に追いやられていたのである。
当然ながら、目覚めたばかりのカイトも困惑を隠せない。
ただ、目の前に己がいた。
そして向こうには、白メイクの男が苦しそうに拳を突き出してい
る。
カイトは冷静に。あくまで冷静に状況を理解し、言う。
﹁戦闘中か﹂
﹁っ!?﹂
首を絞められ、まともに声を出せないヴィクターも驚愕した。
手が喋ったのである。黒いオーラを纏いながらも動く右腕を前に
して、彼も動揺を隠せない。
﹁なるほど﹂
1802
そんな彼らを一瞥した後、カイトは言う。
﹁どうやら俺が何とかするしかないようだな﹂
バリアの錠で繋がれていた右腕。
だがその錠にひびが入った。筋肉が膨れ上がり、袖の中から溢れ
てくる黒のオーラ。霧のようにも見えるそれに触れた瞬間、バリア
の錠はひびが入り、あっさりと砕け散ってしまう。
﹁ば、かな!﹂
目を見開き、ヴィクターが言う。
喉を締め付けられても思わず言葉を発してしまう程に、信じがた
い光景だった。あまりの破壊力で砕かれたことはある。切り裂かれ
たこともあった。
ところが、触れた瞬間に砕け散るのは始めてのことである。しか
も攻撃ではなく、あくまで腕から溢れる黒い霧に触れただけなのだ。
納得がいかないって話ではない。
﹁︱︱︱︱はぁっ﹂
首にかけられたバリアも砕け散り、エレノアが深呼吸する。
息を吸う事に対し、快感を覚えたのはこれが始めてだった。だが、
その余韻に浸る余裕はない。
﹁いくぞ﹂
﹁え?﹂
右腕がぐいぐいと引っ張っていく。
1803
エレノアの承諾を得ないまま右腕はヴィクターに突撃した。ふた
りの間になったバリアの壁は、あっという間に切り裂かれる。妙な
黒い霧が出ていても、爪の切れ味は健在だった。
﹁ぐぅ!﹂
首は絞められたまま、ヴィクターの元にカイトが迫る。
彼は残った意識を振り絞り、先手を取った。透明槍である。バリ
アで生成した棒と矛を用いて作られた武器。
これをカイト目掛けて投げつけた。距離は殆どないに等しい。以
前は避けられたが、こんな狭い区間と距離では難しいだろう。
そう思った。
エレノア
しかし右腕だけになってもカイトは化物である。
本体の目も借りないまま、右手が透明槍の矛先を掴んだ。勢いを
殺された槍が突撃を停止し、カイトの中で収まる。
﹁いま、なにしたの?﹂
エレノアには何がおこったのかわからない。
彼女は目の前に迫る透明槍のリーチも、矛がどの程度まで迫って
いたのかも理解できなかった。
精々、ヴィクターがなにかを仕掛けたんだな程度である。
そんな彼女の疑問に対し、カイトは平然とした態度で答えた。
﹁キャッチしたんだ﹂
指の隙間に槍の棒を挟み、器用に回す。
完全にリーチがわかっている動きだった。
1804
﹁う、う⋮⋮﹂
対し、ヴィクターは打ちのめされたかのような表情になる。
バリアが効かない。見えない武器も効果がない。圧縮可能な新技
も、妙なオーラで役立たず。
彼にはもう、打つ手がなかった。
﹁うおおおおおおおおおおおおっ!﹂
ヴィクターが吼えた。
喉から血が噴き出す。もう己の命はないのだと理解しつつも、彼
は最後に残された力を目の前にいる魔人に向けた。
廊下を覆い尽くす巨大バリアが生成される。それはトラックのよ
うに猛烈な勢いでカイトに襲い掛かった。
﹁ふん!﹂
右手が蠢く。
五本の指から生えた刃が振るわれた。直後、バリアが木端微塵に
砕け散っていく。まるでガラス細工のように。
今度こそヴィクターは終わりだ。もう残された手段はないし、力
も残されていない。意識も旅立とうとしている。
なぜだ。
ヴィクターは思う。
どうしてこうも力に差があるのだ。
同じ新人類だろう。誰にも負けないように鍛え上げた力の筈だろ
エリゴル
う。だというのに、どうして彼と自分にはこんなにも差があるのだ。
半年前は友人と共に戦った。あの時のことは鮮明に覚えている。
1805
支給されたブレイカーは破損。エリゴルは変わり果てた姿となり、
敗北した。
今回も負けた。
友の仇も討てず。彼の望みも叶えられないまま。力の差は開いた
ままで負けた。
失意のまま、ヴィクターは崩れ落ちる。
膝が床に着く直前に、壁に叩きつけられた。カイトだ。彼の右手
がヴィクターの胸倉を掴み、壁におしつけているのである。もう片
方の手に、透明槍を抱えたまま。
直観的に理解する。
これから死ぬんだな、と。意識した瞬間、自分でも不思議なくら
い穏やかな気持ちになった。
左手に収まった槍が放たれた。
己が生成した矛は、ヴィクターの腹をなんの躊躇いもなく貫く。
色のついていないクリアな柄を、ヴィクターの血が染め上げてい
った。
﹁︱︱︱︱っ!﹂
白に塗られた顔面が悶絶する。
ややあってから、彼は絶命した。壁に串刺しにされた兵の肢体が、
ぶらりと項垂れる。
﹁ねえ、彼って知り合い?﹂
全部終わった後、エレノアが問う。
右腕は少々考え込むようにして無口になったが、数秒もしない内
に答えを出した。
1806
﹁いや。知らない顔だ﹂
﹁そう﹂
﹁それよりも、だ﹂
エレノアが話題を切り上げようとするよりも前に、カイトは食っ
て掛かる。右手がエレノアの胸倉を掴みんだ。まあ、要するに自分
自身の胸倉なのだが、相手がエレノアなのもあってカイトは手加減
しなかった。
自身の肉体に強烈な圧力が襲い掛かる。
﹁じ、自分の身体だよ。もうちょっと大切に労わった方がいいんじ
ゃないかと思うんだけど﹂
﹁黙れ。いいからさっさと出ていけ﹂
神鷹カイト、彼は同情はするが情けは無い男である。
エレノアが自分の意思で過去を見せたのかは知らない。ちょっと
不憫に思ったのは事実だ。だが、それとこれとは話が違う。
可哀そうだからと言う理由で身体は与える気にならないし、何時
までも右腕として彼女と同居する気も無かった。
﹁ここは貴様の故郷だ。憑依できるスペアくらい用意してるだろ﹂
﹁まあ、確かに⋮⋮仕込んであるけど﹂
﹁じゃあ出ていけ。いますぐに﹂
﹁ねえ、このままふたりで同じ身体を共有してみる気にならないか
な。星喰い︵スターイーター︶の時、結構相性は良かったと思うん
だけど﹂
﹁出ていけ﹂
﹁⋮⋮はい﹂
1807
非常に面白く無さそうな顔をしてから、エレノアの魂が放出され
る。
身体から青白い発光体が出現したかと思うと、カイトの背中から
蜘蛛の形をした人形が飛び出した。あまりに小さくて気付けなかっ
たが、どうやら彼女は密かに仕込んでいたらしい。まったく、油断
も隙もあったもんじゃなかった。
﹁よし﹂
もしかしてずっと右腕なのでは、と密かに不安を抱いていたカイ
トだったが、その不安も杞憂に終わった。エレノアが出ていった後、
本来の人格が右腕から身体全体に浸透していく。
普段通りの感覚に戻るまでに、そう時間は掛らなかった。
両手を動かし、軽くジャンプをして感触を確かめる。変わったと
ころがあるとすれば、左目に変な目を移植されたことくらいだった。
﹁⋮⋮一応、視界も問題ないみたいだな﹂
﹁へぇ、傍から見るとそんな感じになるんだ﹂
蜘蛛の人形がカイトを観察し、ぼそりと呟く。
先程までカイトの身体をいいように使っていた彼女だが、実際に
移植された後の風貌を見るのはこれが始めてだった。
なんというか、黒い目に赤い瞳孔は中々に目立つ。もう片方が普
通の目なら尚更だ。
﹁さっきの奴もその目のお陰かな?﹂
﹁さっきの?﹂
﹁わからないかな。君が腕の中で意識を取り戻した時、ぶわーっ、
と黒い霧みたいなのが溢れ出したんだけど﹂
1808
顎に手をやり、考える。
あの時、右腕だけになった自分は目の前にいる敵を倒すという一
心で向かっていった。その過程で身体を縛り付ける透明錠が邪魔だ
と思ったのは事実である。
そういえば、新生物やマリリスの身体は本人の意思によって変化
するのだと聞いたことがあった。あれと同じようなものなのだろう
か。
いずれにせよ、風貌的にとても目立つことだけは確かである。
﹁まあ、いい。考えるのは後だ。それよりも先にみんなと合流して
脱出しないと﹂
﹁ねえ、心臓は動いてるの?﹂
踵を返し、己の胸に手をやってみる。
どくん、と鼓動を感じた。動いているのは間違いないらしい。
﹁動いているが、それがどうした﹂
﹁いや。動いてるなら、それに越したことはないや﹂
やけに嬉しそうな口調になると、エレノアはカイトの肩へと飛び
かかった。が、カイトはこれを叩き落とす。エレノアは床にバウン
ド。
﹁いたぁっ!? なにするのさ。折角マスコットキャラとして君の
肩を占拠しようと思ったのに!﹂
﹁黙れ。これ以上貴様の相手なんかしてやれるか﹂
同情はしたが、カイトはエレノアが苦手だ。それだけは変わらな
い。
彼女を再び右腕に住まわせる気も無ければ、これ以上一緒に行動
1809
する気も無かった。
﹁身体を運んでくれたことには感謝する。だが、それだけだ。お前
はお前のルートで逃げろ。俺は俺なりに逃げる﹂
﹁ちぇっ。わかったよ﹂
意外な事に、引き際がよかった。
エレノアは方向転換し、壁をよじ登り始める。この迷宮で蜘蛛の
姿をしている彼女を見つけだし、わざわざ殺そうとする奴は居ない
だろう。
ある意味もっとも安全を確保した存在であると言えた。
カイトは己の身体に糸が付いていないかを確認してから、再び前
進する。
今度こそ元通りだ。エレノアに憑依されてから面倒な事態が立て
続けに起こっている気がするが、今の状況さえ乗り越える事が出来
ればなんとか立て直せる。
軽くエレノアを疫病神にしたところで、カイトの足は止まった。
﹁!?﹂
﹁うわぁ!﹂
背後からエレノアの慌てる声が聞こえる。
直後、カイトの身体が勢いよく引っ張られた。見えない何かに引
きずられて尻餅をつくと、カイトの顔面にエレノアが落ちてくる。
﹁おい、まだ糸つけてるのか!?﹂
﹁ち、違う! 私も急に引っ張られたんだ!﹂
カイトが怒鳴り、エレノアはすぐさま体勢を戻す。
1810
彼女は珍しく真剣な口調で訴えかけた。
﹁君に繋がる糸は全部切った。いや、本当はあるけどこんな身体じ
ゃ君を引っ張る事なんてできるわけないだろ!?﹂
﹁⋮⋮﹂
どこからつっこめばいいんだろう。
訝しげにエレノアを見やると、カイトは頭を抱えた。
まあ、本人の様子を見る限り、彼女にとっても予想外の出来事だ
ったようだ。糸がまだついたままなら、彼女が引っ張られるのもわ
かる。
しかし全長が10センチにも満たない非力な蜘蛛の人形が、成人
男性を引っ張る事が出来るかといえば確かに首をひねるところだ。
お互いに引っ張られたとしても、体格のバランスが取れていない。
そんな事を考えていると、ふと気づいた。
エレノアの小さな体から赤い線が放出されているのだ。それは糸
シルバーレディ
のように伸びており、まっすぐカイトの左目と繋がっていた。
移植された銀女の目玉。どこまでも深い赤の瞳孔の中に吸い込ま
れるかのようにして、カイトとエレノアは繋がっていた。
﹁こ、これはまさか﹂
エレノアもその存在に気付いたようだ。
彼女は身震いしながらも、今の状況を言葉にする。
﹁う、運命の赤い糸!?﹂
﹁そんなものがあってたまるか!﹂
彼女の言葉を切り捨てるようにして、カイトは立ち上がる。
1811
ずかずかと歩き、エレノアから離れていく。
5メートルも移動しない内に、彼は再び強烈な力で引っ張られた。
左目から伸びる赤い糸は、エレノアから離れるのを拒むようにして
カイトを押し戻し続けた。
1812
第136話 vs運命の赤い糸
運命の赤い糸。
なんともロマンチックな言葉だ。夢がある。乙女だったら、きっ
と誰もが一度憧れるシチュエーションなのかもしれない。運命の人
と結びついた絆がはっきりと目で見れる。
シデンやマリリス辺りはこういうのが好きそうだと、カイトは思
う。
だが、自分にそんなものが結ばれてもぜんぜん嬉しくない。むし
ろ反吐を吐いてもいい程だ。
左目からレーザーポインタのように照射されている赤い線を見な
がらも、カイトは睨む。赤い糸でつながった蜘蛛の人形を。
﹁むふ。むふぇ。うへへへへへっ!﹂
すごくうれしそうだった。
これ以上ないってくらいに興奮している。長い付き合いなのだ。
例え今の肉体に表情がなくとも、どんな気持ちなのか大体理解でき
る。
いや、できてしまう。
﹁いやぁ。いやぁ。いやぁ!﹂
﹁うるさい﹂
嬉しさなのか興奮なのか。
そのどちらも入り混じっているのだろうが、エレノアの言語機能
は既に理解できない領域へと飛び出していた。
1813
彼女の感情は既にロケットの如く天をつっきっており、次から次
へと溢れ出してくる言葉には喜びが満ち溢れている。
﹁いやぁ、ははっ!﹂
﹁おい、さっきから他に言う事はないのか﹂
﹁あるのかい? これを一言で表すような言葉が!﹂
小さな蜘蛛の人形が飛び跳ねた。
一度叩き落とされたカイトの右肩に着地すると、人形が囁く。
﹁もう君と私は離れることはない。精々5メートル。それ以上遠ざ
かると、引き戻される。いやぁ、素晴らしいシステムだ﹂
﹁納得いかん﹂
﹁ま、原因は考えるまでもないんじゃないかな﹂
現在進行形でカイトの左目から伸びる赤い光から考えると、可能
性は自然と絞られる。
﹁移植手術って、結果的に君だけじゃなく、中で眠っていた私にま
で影響が出ていたんだね﹂
﹁⋮⋮くそっ﹂
住み付かせるんじゃなかった。
つい先日におきたミラーハウスでの出来事を思い出し、カイトは
憤慨する。あの時、無理やりにでもシャオランの方に住み付かせて
いればよかったと心底後悔した。
あの時の油断が、まさかこんな形で共同生活に結びつくなんて。
お互いに夢にも思わなかったアクシデントであった。
﹁まあ、前向きに考えようよ。ね?﹂
1814
﹁ここでお前を殺せば、実は全部解決するんじゃないか﹂
﹁前を向いてふたりの未来を考えよう!﹂
爪を伸ばした瞬間、エレノアは慌てながらも提案した。
﹁その為にも、まずは脱出だ﹂
﹁ああ。ちゃんと他の連中を回収してな﹂
﹁当然、君の意思は尊重する。私はこう見えても器量のいい女なん
だ﹂
本当かよ、と疑問の眼差しを送る。
これまでの行動を思い返すと、結構自由人な上に自分の欲望を重
視していた気がした。
﹁考えがあるんだけど、聞いてみてくれないかい﹂
﹁聞くだけ聞こう﹂
﹁見たら判ると思うんだけど、今は城内が迷宮になっている。敵味
方ともに城からの脱出は困難な訳だ。例外はいるけどね﹂
﹁例えば?﹂
﹁迷宮を作った張本人﹂
ノアの顔を思い浮かべ、カイトは顔をしかめた。
彼女の新人類としての力についてはそんなに詳しくない。
﹁彼女については、あんまり知らないみたいだね﹂
﹁兵なら知ってるが、流石に関わりが浅い奴らとなるとな﹂
﹁迷宮は彼女の意思で自由に動く。だから、どこに部屋が移動した
のか。どんな構造になってるかは彼女が把握してるってわけ﹂
﹁現在進行形で迷宮は変化するのか?﹂
﹁彼女が望めば、きっとそうなる﹂
1815
脱出の可能性が限りなく低い迷宮だ。そこから抜け出す方法は、
軽く考えた限りだと1つしか思い浮かばない。
﹁壁をぶっ壊していくしかないか﹂
﹁そうなるね﹂
エレノアも同意する。考え方としては、間違いではなかった。
ノアの迷宮はあくまで壁や部屋の構造を入れかえるだけであり、
異次元に繋がっているわけではない。
中を進んで迷うのであれば、ひたすら壁を破壊して進んだ方が効
率がいいのだ。その方が目印にもなる。
﹁だけど、気を付けなきゃいけない点がある﹂
﹁それは?﹂
﹁外に出た兵が待機しているであろうこと﹂
カイト脱走の報告は新人類王国全体に伝わっていると考えていい。
外には彼らを捕獲する最終防衛ラインとして、あらゆる兵が召集
されている事だろう。
﹁そして今、鎧も出ている﹂
﹁あいつらか﹂
ラボの中にいた、4体の鎧を思い出す。
彼らのオリジナルが誰なのかは知らないが、その内のひとりは自
分であることは知っている。見つかれば無事では済まない上に、仲
間を呼ばれて一気に不利になってしまう。
﹁鎧持ち以外にも何人かいる筈だよ。そこで、提案なんだけど﹂
1816
というよりも、ここからが本番である。
エレノアは勿体ぶりながらも言った。
﹁武器庫に寄ってもらえないかい﹂
﹁なぜだ。こっちは牢屋に捕まってる奴がいるんだぞ﹂
﹁君を捕まえるまでは手を出さないだろ。逃げ出したのはあくまで
私であって、君ではない﹂
﹁⋮⋮武器庫に行ってどうする﹂
﹁私の本体がそこに保管されてるんだ。前に君を襲撃した時、ミス
ターが転送しやすくするためにね﹂
本体。
その言葉に、カイトの眉が動いた。
﹁お前の本来の身体か﹂
﹁そう。こうなった以上、もう戻ってくる事がないだろうし、回収
しておきたいんだ。結構使いやすいように弄ったし、きっと損はし
ないよ﹂
﹁もう処分されてるんじゃないのか﹂
﹁私の人形が何で作られてるのか忘れたのかい?﹂
そう言われると、カイトも納得せざるを得ない。
エレノアの素材は今や希少価値が付いたアルマガニウムの大樹。
その木材だ。ほぼ入手不可能になったそれを破棄する真似を王国が
するとは思えない。少なくとも、自分なら取っておく。カイトはそ
う思うと、渋々納得した。
﹁⋮⋮場所はわかってるのか﹂
﹁本体の場所は常に感知できるんだ。私のオリジナルの部分だから
1817
かね﹂
﹁いいだろう。武器庫から面倒な武器の無力化もできるし、拝借も
できる。方向は?﹂
﹁ずっと右側。ここを抜けて、結構あるよ﹂
蛍石スバルは目を見張る。
仲間たちと合流する為にボディーガードをふたりほど連れて城に
突撃したのはいい物の、肝心の城内が非常に﹃ぐちゃぐちゃ﹄なの
だ。
牢屋に連れて行かれた時に城内を軽く見渡してはいたが、えらく
様変わりしている。
ラビリンス
﹁迷宮か﹂
﹁らびりんす?﹂
﹁文字通り、建築物の中身を迷宮にする力だ﹂
先頭に立つイゾウが言う。
﹁一度足を踏み入れた者は滅多な事では脱出できん。できたとして
も、外には貴様らを抹殺する準備を整えた兵が構えているという寸
法よ﹂
﹁じゃあ、脱出不可能だってわけじゃないんだな﹂
﹁私も一度聞いたことがある。迷宮は常に能力者の意思によって変
化しているが、元となる空間に出入り口がある以上、必ずどこかが
でそこに通じているらしい﹂
1818
新人類軍の経験者ふたりがいうのだ。
脱出は十分可能だと考えていい。
﹁だが、小僧。貴様に脱出の算段はあるのか?﹂
﹁ある﹂
案外さらっと言われた言葉に、イゾウは関心の眼差しを送る。
アーガスも興味深げだ。
﹁では、君の美しいプランを聞いてみてもいいかな?﹂
﹁獄翼のスイッチを取り返すんだ。あれを押せば、格納庫に押収さ
れている獄翼は俺のところまで飛んできてくれる﹂
﹁なるほど﹂
イゾウは納得する。
確かにブレイカーを格納庫から直接呼びよせれば、外壁の破壊は
可能だ。結果的に城を破壊することになるが、目立つ事も出来るの
で仲間からも注目をえられる。分解された可能性も考えられなくは
ないが、彼が駆る機体はこれまで何度も強敵を打倒してきた現場の
たたき上げである。行動不能になるまで分解されているよりかは、
中のデータの抽出をされている筈だ。
雑ではあるが、悪くないプランだと思う。
その方が﹃物怪﹄の注目を集められるという物だ。
﹁しかしスバル君。それは牢屋に入れる時に押収されたのだろう﹂
﹁そうなんだよな⋮⋮だから、どうにかして格納庫に辿り着くか、
押収されたスイッチを回収するかをしなきゃ話にならないんだよ﹂
﹁ならば簡単だ﹂
1819
イゾウは近場の扉を睨み、近づく。
﹁扉をしらみつぶしに開けていけばいい。そうすればいつかきっと
目的地に出る事が出来る﹂
気の遠くなる作業ではあるがな。
そう呟くと、スバルは早速扉に手を付けた。
﹁スバル君、もう少し慎重になりたまえ。ここが何処に繋がってい
るのかもわからないのだよ﹂
迷宮化された城内では、扉を開けたところで目的地に繋がってい
る保証はどこにもない。最悪、元の場所に逆戻りする可能性だって
ある。
だが、スバルは扉を開ける事を止めようとはしなかった。
﹁でも、開けてみないと何も始まらないよ﹂
結局のところ、外に出るという大前提がある以上、いつか必ず開
けなければならない。要は運勝負なのだ。開けて悪夢が待っている
なら撤退し、なにか発見できればそれでよし。そうやって納得しな
がら進んでいかないと、先に進めない。
﹁某もその意見に賛成だ。だが小僧、貴様ではなにかあった時に対
処できまい。正面は某が務めよう﹂
﹁お、おう﹂
意外な事に、イゾウはかなり協力的だった。
鎧持ちと戦えるかもしれないこの状況を心から楽しんでいるよう
にも思える。実際、楽しいのだろう。傍から見て、包帯侍はうきう
1820
きしていた。
きっとこの扉の向こうにも、なにかしらのえげつない化物がいる
ことを期待している。
﹁仕方があるまい。スバル君、私の視界から決して離れるな。でな
ければ、美しくフォローできないからね﹂
アーガスが納得の言葉を呟く。
ちょっと言動が怪しい時があるが、味方にすれば頼もしい限りだ。
スバルはこの時、自分が鉄壁のバリアで囲まれているかのような錯
覚を覚えた。
﹁では、開けるぞ﹂
イゾウが自動ドアを開ける。
スバルが身構え、アーガスが中の空間を睨みつける。
﹁ここは⋮⋮牢屋、か﹂
身構えた後方のふたりは、一旦構えを解く。
スバルはイゾウの後ろからこっそりと中を覗き込んでみた。する
とどうだろう。部屋のど真ん中に鎖で繋がれた囚人服の少女がいた
のだ。
天井から伸びる鎖で両手を縛りあげられ、床から伸びる鎖は足を
繋ぎとめている。どう見ても自分が経験した以上の仕打ちだった。
﹁お、おい! 大丈夫か!?﹂
年端もいかない少女が悲惨な目にあっているのを目の当たりにし
て、スバルは真っ先に突撃する。
1821
後方からイゾウ、アーガスの順番に部屋に入り、一度自動ドアを
閉めた。
﹁ひっでぇな。新人類軍って、囚人全員をこんな目に会わせるのか
?﹂
﹁程度にもよる。放置して王国の為にならぬと判断されれば、某の
部屋に直行するか、弱らせて処刑を待つかの二択になる﹂
だが、イゾウは少女を観察しながら思う。
鎖で繋がれてるところから判断して、少女は処刑確定の要注意人
物なのだろう。終身刑のアーガスでさえも、手錠だったのだ。
しかし、それにしたって綺麗すぎる。
殴られた形跡は見られない。寧ろ肌が綺麗すぎて、本当に囚人な
のか疑うほどだ。
﹁アーガス、貴様が兵を務めていた頃。このような少女が処刑にな
るという話を聞いたことは?﹂
﹁いや。私も聞いたことがない﹂
アーガスもイゾウと同じ疑問を抱いていた。
少女は鎖で繋がれ、意識を失っている。スバルが何度か呼びかけ
てみたが、起きる気配がない。相当深い眠りについているようだ。
しかし彼女の身だしなみはあまりに清潔過ぎた。胸まで伸びてい
る黒い髪も手入れがされており、白い肌に傷跡ひとつない。囚人服
もどちらかといえば新品で、綺麗な部類だ。この服をドレスに変え
れば、それだけでお姫様ができあがる。
﹁年齢はスバル君よりも少し下、くらいかな﹂
﹁なあ、この子連れて行こうぜ。このままだと弱って死んじまうよ﹂
1822
スバルの提案に、イゾウは僅かに顔をしかめた。
溜息をつき、つまらない物を見るような目で見下される。露骨に
嫌がっているのが丸わかりだった。
﹁なんだよ。ダメなのか!?﹂
﹁小僧、貴様は自分の立場が分かっているのか?﹂
憤慨する少年に対し、イゾウが諭す。
貴重なシーンだった。人殺しが少年を説得するなんて、前代未聞
であるとアーガスは思う。
﹁もちろん分かってるさ。だからこそ、この子もつれて逃げる!﹂
﹁その女が誰なのかも知らぬのだぞ﹂
﹁いいじゃねぇか! どっちにしろ、こんなところに居たら殺され
るぞ!﹂
スバルが改めて周囲を見渡す。
壁には無数の破壊の痕跡が残されていた。何か鋭い爪で壁を引っ
掻いたかのような痕が無数に存在している。
きっとイゾウのように、この部屋を支配している人間が付けた痕
跡なのだろう、とスバルは直感的に考えていた。
﹁考えてる時間も惜しい﹂
堂々巡りになりそうなふたりを前にして、アーガスが言った。
彼は前進すると、少女の身体を繋ぎとめていた鎖を手で引きちぎ
る。容姿に似合わず、大胆なパワーと行動だった。
﹁スバル君、言いだしっぺは君だ。連れて行くなら君が背負ってい
きたまえ。発言した以上、責任を取るのが美しい者の定めというも
1823
のだ﹂
﹁アーガス、だがこれは︱︱︱︱﹂
﹁わかっている﹂
なおも食い下がるイゾウに対し、アーガスは耳打ちした。
﹁確かに君にとってはお荷物になるかもしれない。しかし、彼女が
何者であるにせよ、こんな場所に入れられたのには何か理由がある
筈だ﹂
﹁どんなわけがあってこんな場所に来たと言うのだ﹂
﹁それはわからない。しかし、彼女は過去に例を見ない扱いを受け
ている囚人なのは確かだ。君も、そこは理解しているだろう﹂
イゾウは黙り込んだ。
それを肯定と受け取った上で、アーガスは話を続ける。
﹁恐らく、彼女は新人類王国でもかなり優遇された存在なのだろう。
身なりの状態からもそれは覗えるし、シャンプーのにおいもした﹂
﹁つい最近入れられたのではないのか﹂
﹁で、あるのであれば部屋に彼女のにおいは深く染み込んでいない﹂
犬みたいなことをいう男だ。
イゾウは訝しげにアーガスを見やるも、彼はまったく気にしてい
ない。
﹁どちらにせよ、だ。私の目的はスバル君の美しきボディガードで
あり、君は寄りかかってくる災いを切り捨てる事にある。ならば、
彼が道中で誰かを助けようと言うのなら、その意思はなるだけ尊重
すべきではないのかね? 我々は彼の保護者ではないだろう﹂
﹁⋮⋮随分と理解があるのだな﹂
1824
﹁はっはっは。勿論だとも﹂
アーガスは豪快に笑うと、はっきりと言ってのける。
﹁彼らしくて実にいいではないか。こういうのは﹂
半年ほど前、自分はそれを愚かだと言って注意したが、今となっ
ては美徳である。こういう少年がもっといれば、きっとこの世界は
もう少しやりやすかったはずだ。
根拠もない思考を頭の中で呟きつつも、アーガスは満足げに微笑
んだ。
1825
第136話 vs運命の赤い糸︵後書き︶
次回の更新は日曜の夜か月曜の朝のタイミングを予定。
1826
第137話 vs棺桶
武器庫。ブレイカーのような巨大兵器とは違い、人間が手で持っ
て使用する事を想定された兵器が眠っている場所である。
新人類軍の兵士は各々が強力な能力を持っているが、それを最大
限引き出す為に特定の武器を所持する者も珍しくないのだ。
囚人として駆り出されていたエレノア・ガーリッシュにしても同
じである。
彼女の扱う人形は様々な種類があるが、人間として憑依する人形
は運び出すことができない大きさだ。
どれもこれも、その辺にいる女性と変わらない体格なのである。
それを一度に全て持ち運びしようというのは、中々無謀な話だった。
ただ、この時。
エレノアが回収したいと思える人形は一体のみである。
赤い糸で結ばれたカイトに運び出してもらうという状況ではある
が、彼ならば人形の一体を運び出すくらいわけないだろう。
﹁おい、もしかして俺が運ぶのか﹂
問題の武器庫に辿り着いた瞬間、カイトがぼそりと呟いた。
エレノアの心中では当然の決定事項だったために、予想だにしな
い問いである。
﹁当然だろう。君と私の現状を忘れたの?﹂
﹁貴様が憑依すれば俺が運ぶ必要がないだろう﹂
﹁それはそうだけど、5メートルしか離れられない状態でそれを言
う?﹂
1827
5メートルだ。
この距離だけを聞いて十分な距離があるか否かを判断するのは読
者の皆様の感覚にもよるのだが、カイトとエレノアの中ではほんの
ちょっとの距離である。
特にカイトの一歩はエレノアの数十歩にも匹敵するのだ。速攻が
得意で、誰よりも素早いこの男と離れられないこの状況。下手に身
体を用意するよりも、彼に運んでもらった方が安心という物だった。
二人三脚をしたところで足を引っ張る未来しか見えない。
﹁私はそれでもいいんだよ。並んだ状態で君が突撃して、引き戻さ
れて頭と頭がごっちん、と﹂
﹁いいのか、お前は﹂
﹁もちろんだとも。君は健全な青春アニメを見ないのかい? トー
ストを咥えた女子と遅刻気味の男子が身体的接触を起こしてだね﹂
﹁入るぞ﹂
﹁ああ、ちょっと! まだ話は終わってないよ!﹂
無理やり終わらせにかかったカイトが武器庫を観察する。
統一性のない、華やかな武器庫だった。剣があり、銃もあり、バ
イクがあり、バズーカもある。古典的なものから近年の代物まで揃
っている空間だった。
﹁で、どれだ﹂
﹁目の前に棺桶があるでしょ﹂
一際存在感を放っている、巨大な置物を視界に入れる。
カイトが入ってもまだ余裕がありそうなスペースがある、巨大な
棺桶だった。そのまま埋葬されても違和感がない。
1828
﹁趣味が悪い入れ物だな。この中に貴様の本体があるのか﹂
﹁そうさ。べっぴんさんだよ﹂
﹁⋮⋮ふぅん﹂
どうでもよさそうにカイトが頷く。
彼は直前に見せられたエレノアの歴史ダイジェストを思い出す。
思えば、あれは左目に移植された黒眼が完全に二人を繋いだ証でも
あったのだろう。
その時に見せられた本来の彼女は、前髪が異様に長い、影のある
女性だった。知り合いで近いビジュアルを連想させれば、異様に暗
いカノンと言った感じである。
ただ、その本体がどのように改造されたのかは知らない。
級友の身体を乗っ取ったエレノアは、どんな風に自分の身体を弄
ったのだろう。シンジュクで戦った時に使おうとしなかったのだか
ら、余程大事にしているとみれる。
ちょっと興味が湧いた。
閉ざされた棺桶に手を付ける。
﹁ちょっとたんま﹂
﹁なんだ﹂
﹁もしかして、中身を見るつもりかい?﹂
﹁当然だ。俺が運ぶのであれば、中を確認する権利がある﹂
本心であった。
いかにエレノア本来の身体と明言されていても、彼女の人形であ
る以上何を仕込んでいるのかわからないのだ。
以前戦った彼女の人形は、身体が溶岩になる機能がついていた。
同じものを背負って走る程、カイトはお人好しではない。
1829
ところが、だ。
﹁いやだ! だめ! 見ないで!﹂
右肩に乗った蜘蛛の人形が、激しく拒否してきた。
訝しげに見やると、カイトは一言。
﹁そんなに不細工なのか﹂
すごく失礼な発言だった。
カイトは思う。歴史ダイジェストの中のエレノアは陰湿ではあっ
たが、そんなに人前に見せられないレベルの容姿ではなかった筈だ。
寧ろ店主として人形店に構えていたことを考えると、抵抗がない
方がふつうである。
﹁エッチ! 変態!﹂
﹁なんでだ﹂
しかしこのエレノアの抵抗だ。
なにか見られたくないものでもあるのだろうか。
心底不思議そうに首を傾げるカイトを横目に、蜘蛛の人形は深呼
吸をしてから告白し始める。
﹁はぁ⋮⋮冷静に考えてほしいんだけどさ﹂
﹁うん﹂
﹁いかに私の本体とはいえ、人形化する為に改造をしているわけだ
よ﹂
﹁そうだな。そこはさっき聞いた﹂
﹁で、だ。改造する為には中身を弄らなきゃならない﹂
﹁勿体ぶるな。もっとはっきり言え﹂
1830
﹁⋮⋮! う、ううう﹂
エレノアが唸る。彼女がここまで狼狽えるのは非常に珍しい事だ。
少なくとも、カイトはこの16年で見たことがない。
﹁ふ、服が⋮⋮﹂
﹁貴様のファッションセンスは元から期待してないから安心しろ﹂
﹁服着てないんだよ!﹂
全く見当違いの方向で解釈してくるパートナー︵仮︶を相手に、
とうとうエレノアが怒鳴った。
しかしカイトは全く反省の色がない。なんだその程度か、とでも
言わんばかりに彼は落ち着いた態度だった。
﹁なんだ、その程度か﹂
言った。
あっけらかんと解き放たれた言葉は、エレノアに大きな一撃を与
えてしまう。蜘蛛人形が力なく倒れ込んだ。
﹁何を脱力している。大体、貴様が憑依していない人形がすっぽん
ぽんなのは今に始まったことじゃないだろ﹂
﹁そうだけどさ! そうなんだけどさ! 私の本体なわけだよこれ
は!﹂
他の人形とは違い、自分の裸体を晒すのは抵抗があるらしい。
カイトに言わせれば既に散々好き勝手やってきているので、今更
何を言ってるんだといったところではある。
﹁そんな大事なものなら、なんで服を着せないんだ﹂
1831
﹁こんなことになるなんて、私が予想できるわけないだろぉ⋮⋮わ
かってたらもっとお化粧させて、ファッション雑誌でも買ってお買
い物してるよ﹂
﹁似合わないからそこまで考えなくてもいいぞ﹂
﹁酷い! 君も一緒に買いにいこうよ!﹂
﹁やだね﹂
さりげないデートのお誘いを軽くスルーした後、カイトは棺桶を
抱える。中身は本人の意向に沿ってみないであげることにした。こ
れ以上喧しくされたら溜まった物ではない。
﹁意外と軽いな﹂
﹁当然さ。私が入るんだよ?﹂
﹁なら、もっと重くて良い筈だ﹂
﹁どういう意味だい﹂
肩に乗っている蜘蛛の人形から軽い殺意を向けられた。
しまった口が滑ったか、などと考えつつもカイトは無言で振り返
る。
﹁⋮⋮おいおい﹂
踵を返した瞬間、見たくない物を見てしまった。
フルフェイス
鎧だ。出口を塞ぐようにして突っ立っている、全身を包む込む紫
オリジナル
の鎧。ゲイザーと同じように、その顔は鎧によって包まれている為
に原型が誰なのかはわからない。
が、最悪な追手がきたのは確かであった。かしゃん、と音が鳴る。
鎧がカイトの姿を見て、踏み出してきた。
﹁エレノア、邪魔にならないようにしてくれ﹂
1832
﹁じゃあ、このままでいることにしよう﹂
腰に備え付けられたナイフを、鎧が引き抜く。
振りまわすにしてはごっつい格好だと思いながらも、カイトは爪
を伸ばした。片手で抱えていた棺桶を放り投げる。
﹁ああ、ちょっと! もっと大事に扱おうよ!﹂
﹁やかましい。文句があるなら後で聞いてやる﹂
棺桶が床に落ちる。
床に倒れた音を合図とするかのようにして、ふたりが激突した。
カイトと鎧の一歩がふたりの間にあった距離を0に圧縮し、鋭い刃
が交差する。
金属音が鳴り響いた。振り降ろされたカイトの爪を、鎧はナイフ
で受け止める。
﹁むっ!?﹂
堅い。予想はしてたが、爪を受け止めてきた。
ただのナイフではないし、受けたらひとたまりもない。想定され
る威力をしっかりと叩き込んだうえで、カイトは身を翻す。勢いを
利用し、鎧の胴体に向かって蹴りが放たれた。
﹁︱︱︱︱がっ!?﹂
鎧が苦悶の悲鳴を漏らしつつも、吹っ飛ばされる。立てかけられ
た剣の群れに激突。積み重ねられたダンボール箱が、次々と倒れて
いった。
武器庫の荷物に押し潰され、鎧の姿が見えなくなる。
1833
﹁⋮⋮やった筈ないよね﹂
﹁あれで倒せたら、シンジュクで苦労はしていない﹂
敵は鎧持ちだ。
シンジュクで現れたゲイザーと同程度の力は持っていると考えて
いいと、カイトは判断していた。
﹁気を引き締めておけ。鎧持ちはこれからが本番だ﹂
ダンボール箱を突き破り、紫色の鎧が起き上がる。
甲冑で覆われた左腕がカイトに向けて突き出された。肩から腕に
かけて、紫電の稲妻が迸る。
﹁あれは、﹂
﹁君の妹分のと同じだね﹂
エレノアが冷静に分析し終えた直後、鎧の腕から電撃が飛んだ。
腕から放たれた紫色の稲妻が、伸縮自在の刃となってカイトに飛
ぶ。反射的に右手を構えた。稲妻を爪に着弾させた瞬間、カイトは
思いっきり振りかぶる。
電撃が弾けた。
切り裂かれた雷の牙が水飛沫のように飛び散り、あらぬ方向へと
消えていく。
﹁なるほど、あいつらか﹂
眼前で腕を突き出したままの鎧を睨み、カイトは断言する。
上半身に帯電する紫色の光。そして下半身から流れる、同様の紫。
あの鎧はカノンとアウラのクローンだ。
1834
双子の部下の姿を、眼前の鎧と重ねあわせる。
﹁見つけました﹂
鎧はある程度自動で動いてくれる。
だが、自分で鎧を操作したい場合は特別製のお札が必要だった。
ラボにいるノアは額に4枚のお札を当てた状態で呟く。
即座に反応したディアマットが顔を上げ、問う。
﹁場所は﹂
﹁武器庫です。ジェムニが発見しました﹂
﹁私にはゲイザー以外の鎧の区別はつかん。色しか判断基準がない
からな﹂
実際は鎧の造形や体格、持っている武器などで判別は可能なのだ
が、ディアマットはすべての鎧を認識しているわけではない。精々
自分で動かした経験があるゲイザーくらいなものだ。
﹁ジェムニは不完全と呼ばれた新人類をカバーした鎧です﹂
﹁不完全? そんな奴がここにいるというのか﹂
﹁昔はそう呼ばれていたのですよ。XXXの双子はね﹂
﹁双子⋮⋮彼女たちか﹂
ディアマットは思い出す。
半年前、大使館を襲ったカイト達を倒す為に同じXXXの戦士を
1835
送り出した。電撃を操る、双子の姉妹である。
﹁だが、彼女たちは負けた。オリジナルがそれでは、例え優秀なク
ローンの鎧でも歯が立たないのではないのかね?﹂
﹁もちろん、身体能力では彼に敵わないでしょう﹂
﹁では、早いところ他の鎧も急行させた方がいいのではないか﹂
﹁まあ、落ち着いて聞いてください﹂
宥めるように言うと、ノアは他の3枚のお札を下げた。
残ったジェムニの札を額に当てたまま、彼女は言う。
﹁身体能力で分があるのは相手です。彼はゲイザーとも互角に渡り
合った。味方もいなければ、彼のポテンシャルは最大限に発揮され
る。目の移植も済ませた以上、化物の目玉も効果があるとは思えま
せん﹂
ディアマットが歯噛みした。
半年前の苦い思い出が蘇るも、その映像を遮るようにしてノアは
続ける。
﹁一方のジェムニですが、こちらにも分はある﹂
﹁それは?﹂
﹁新人類としての能力と、身体能力の差を埋める武装です﹂
紫色の鎧持ち、ジェムニ。
第二期XXX所属、カノンとアウラの双子の姉妹を元に育ったク
ローン戦士。彼女はオリジナルの中途半端な能力を全て受け継ぎ、
お互いの不足分を補える。
﹁姉は上半身のみ。妹は下半身のみ能力の使用が可能という、中途
1836
半端な能力者でした。能力自体が強力なのに、身体全体で使えない
のはいただけない﹂
だが、それをプラスさせてしまえばどうだろう。
不足分を補えた戦士は、完璧な超電磁戦士となれるのでは。
﹁また、彼女たちは互いの長所を伸ばすための武装も用意してきま
した﹂
﹁それも装備している、と?﹂
﹁その通り。今、彼の前にいるのは文字通りの理想の戦士。試験相
手としては、もってこいだとは思いませんか?﹂
試験相手。面白いものを見るような表情で紡がれた言葉に、ディ
アマットは汗を流した。
﹁もし、敵が勝ったらどうする﹂
﹁その時はその時ですよ。私は自分の作り上げた理想の戦士と、目
の前にいる可能性のどちらが理想に近いのかを確かめたいのです。
それは結果として新人類王国の為になる。違いますか?﹂
首を横に振ることはできなかった。
移植手術を許可したのはディアマットだ。彼には結末を見る責任
がある。具体的な報告ができなければ、父親への言いわけもできな
い。
もしも全てが終わった時、本当に移植手術をしてもよかったのか
と問われて責任を追及されるのはディアマットなのだ。
一国の王子として生まれた男は、流れるようにして首を縦に振っ
た。
1837
第138話 vs理想の戦士
︱︱︱︱まだカイトが新人類王国に勤務している頃。
カノン・シルヴェリアとアウラ・シルヴェリアはカイトの管轄の
もと、スパーリングをおこなっていた。相手は同期のアトラスとア
キナ。
一見、ふたりとも同期を相手にハイレベルな攻防を繰り広げてい
るように見える。アトラスとカノン。アウラとアキナで別れたリン
グ上では、訓練と言う名の直接対決が行われていた。幼いながらも
残像が残るその動きは、とても子供が出す技には見えない。
ただ、カイトは彼女たちの戦う姿を見ながら思う。
単体戦闘能力において、カノンとアウラは他のメンバーよりも劣
る、と。今回のスパーは能力の使用を封じた、身体能力のみの実戦
想定テストである。カイトはエリーゼに代わり、部下たちの動作を
評価していた。
カノンとアウラは下2位をキープしている。
﹁やあ、首尾はどうだい﹂
﹁⋮⋮ヘリオンか﹂
評価シート片手にボールペンを握るカイトに声をかける若者がい
る。
ヘリオン、と呼ばれた金髪の少年は気さくに笑いながらも近づい
てきた。
﹁何の用だ﹂
1838
﹁後輩の成績をつけてるって聞いたから、それの見学。ついでに言
えば、君が人手不足だと感じたら僕を使ってくれとエリーゼが言っ
た﹂
﹁そうか﹂
目も合わせないままカイトは返答した。
ヘリオンは相変わらずな少年の態度に溜息をつきつつも、話題を
戻す。
﹁それで、実際のところどうなんだ。この4人は﹂
﹁総合的に一番理想的な数値を叩きだしてるのはアトラスだ。奴は
呑み込みが早いし、手がかからない﹂
﹁へぇ。君がそんな評価を出すとは、相当できると見ていいね﹂
まあ、第二期の中では唯一の男性である。
同じ環境ではどうしても男女の差という物がでてきやすい。しか
し、それを抜きにしても、アトラスは﹃出来る奴﹄だった。
﹁学力試験も最高得点でパスしている。文句のつけようがない﹂
﹁アキナはどうだい。かなり個人練習をせがまれているようだが﹂
﹁あれはただの狂犬だ﹂
不機嫌そうな表情を隠そうともせず、カイトは断言する。
﹁ただ、毎日マンツーマンの戦闘をせがむだけあって、運動神経は
いい。これでもう少し大人しくなったら成績は伸びるんだがな﹂
﹁じゃあ、残りのふたりは?﹂
ヘリオンがオレンジ髪の姉妹に目を向ける。
リングの上で同期と向かい合う少女たちは、明らかに劣勢だった。
1839
既に何度か膝をついている。
﹁⋮⋮中途半端だな﹂
﹁厳しいコメントだな。間違っても本人達に言うなよ﹂
﹁なぜだ﹂
﹁なぜでも﹂
ヘリオンが強調して言うと、カイトは不思議そうな表情で聞き返
してきた。ああ、やっぱりと項垂れてからヘリオンは溜息。
トリプルエックス
﹁たとえ事実でも、面と向かって言っていい事と悪い事がある﹂
﹁俺達はXXXだ。求められるのがなんなのか、お前はよく知って
ると思うが﹂
﹁⋮⋮どこが中途半端だというんだ、彼女たちは﹂
﹁天性的な問題だ﹂
双子ゆえの特性なのかはわからないが、シルヴェリア姉妹は強力
な異能の力を持ってるにも関わらず、それが綺麗に分散されてしま
っている。
その点が成績低下に拍車をかけていた。
﹁身体能力では、アキナがとにかくハングリーだ。座学でもアトラ
スが全教科トップ。他にふたりが勝てるのは能力とコンビネーショ
ンしかない﹂
﹁その能力も、生まれつき不自由。唯一成績の差をカバーできるコ
ンビネーションも、XXXではそこまで重要視されない﹂
﹁わかってるじゃないか。そういうことだ﹂
ただ、裏を返してしまえば。
彼女たちがひとりになってしまえば、その問題は無くなることに
1840
なる。あくまで妄想であることは十分承知なのだが、もしもシルヴ
ェリア姉妹が上半身からも下半身からも電流を流せ、依存する相手
を完全になくした時。
どれほどの戦士が生まれるのだろうか、と想像した。
﹁どうした、カイト﹂
﹁⋮⋮いや、なんでもない﹂
空想の中の戦士は、ヘリオンの一言によってかき消される。
だがカイトは幼いながらに、その存在は十分脅威であると感じて
いた。果たして弱点を失ったシルヴェリア姉妹に、アトラスとアキ
ナは勝てるだろうか。
第一期のメンバーは。
そして、自分は。
シルヴェリア姉妹は弱点が目立つ新人類である。
その弱点を克服した時、彼女たちはどこまで強くなれるのだろう
か。
もしかしたら、だが。
エリーゼの言う最強の人間とは、ふたりをひとりの人間とした存
在なのかもしれない。
再びリングに目を向けたカイトは、必死な表情で同期に食らいつ
く姉妹を観察しながらもそう思った。
1841
それから、約8年。
想像の中の戦士は、あろうことか本当に姿を現した。新人類王国
が誇る最恐の戦士、鎧持ちのひとりとして。
﹁どうしたんだい﹂
右肩の上に乗ったエレノアが囁く。
﹁部下のクローンだってわかると、躊躇っちゃう?﹂
﹁⋮⋮かも、な﹂
らしくない台詞だ、と自分で思う。
眼前の存在をイメージしていたころならば、こんな言葉は出てこ
なかった筈なのだが。
﹁まあ、力だけは確かに強力なんだ。目をつけられない筈がない﹂
それに、彼女たちの長所と欠点をレポートに纏めて提出したのは
自分だ。欠点の欄には﹃双子として生まれた事﹄と書いたことは今
でも覚えている。我ながら、今までの人生で一番ひどい解答だった。
生まれてくる事の否定とも取れる。
そんな最低の評価からこの鎧が生まれたのだとしたら、だ。
果たして彼女は、自分の想像を超える﹃最強の人間﹄なのだろう
か。その点に、興味が湧く。
﹁⋮⋮お前が俺を壊すのか?﹂
﹁オオオォォォッ︱︱︱︱!﹂
1842
野獣のような雄叫びが響き渡る。敵の疑問に答えるようにして、
紫色の鎧︱︱︱︱ジェムニが突撃する。全身の鎧に紫電を流しつつ、
ナイフを構えた。
﹁壊れないよね!?﹂
﹁善処するとも﹂
エレノアが肩で不安げな声を出した。先程のカイトの台詞に一抹
の不安を覚えたらしい。
だが、カイトも当然ながら負けるつもりで戦うわけではなかった。
彼は両手の爪を伸ばすと、ジェムニに向かって突撃。再度、鎧と
激突する。
﹁むっ!?﹂
だが、ぶつかる直前。
ジェムニが僅かに屈んだ。そのまま跳躍してもおかしくない姿勢
を前にして、カイトは見る。
鎧の下半身。その一番下の、足の裏。底が展開すると同時、車輪
が出現したのだ。
﹁ローラースケート︵それ︶もあるのか!﹂
車輪が猛烈な勢いで回転する。
ばち、と音を鳴らしながらもホイールに電流が巻き付いていく。
ジェムニがハイキックを放った。
足の裏から出現した車輪が、紫電が弧を描く。
カイトは左腕を構えた。
ジェムニの蹴りが、左手にクリーンヒットする。足から流れた電
1843
流が左手を伝い、カイトの身体を襲う。
﹁づぅっ!﹂
強烈な熱と痺れが、左腕から流れ込んでくる。
明確に痛みを受けたのがわかる、苦痛の表情。それでもジェムニ
の本命は、右のナイフであった。
﹁ナイフが来るよ!﹂
﹁わかってる﹂
銀の刃が突き出される。
閃光を放ちながらも飛んでくるそれは、確実にカイトの顔面へと
繰り出されていた。
だが、危うくぶつかるその瞬間。
ナイフは動きを止めた。カイトの歯に挟まれ、動きを停止したの
である。
﹁ちょ、ちょっとぉ!?﹂
横のエレノアが喚いた。
﹁そんなことしたら、電流が︱︱︱︱﹂
蜘蛛人形の発するであろう言葉を、カイトはある程度予想してい
た。
実際、全身がめちゃくちゃ痛い。唇に至っては焼けている。早く
距離をとり、再生しないと危うい。
そんなことはカイトだって理解している。相手はクローンとは言
え、よく知った仲なのだ。どの程度の力を持っているのかは理解し
1844
ているつもりだった。それでも尚、こんな行動を取ったのには理由
がある。
歯でナイフを掴み、左腕で蹴りを止めた体勢のまま。
カイトは右手でジェムニの左腕を掴む。それに気付いた紫色の鎧
が素早く足をひっこめようとするが、
﹁!﹂
カイトの右足が振り上げられた。
縦に一閃されたソレは、先端から鋭利な爪が5本伸びている。ジ
ェムニの身体は縦に切り裂かれた。縦に割れた鎧から鮮血が溢れ出
す。
ややあってから、彼女は倒れた。
それにあわせてカイトは後退。全身の痺れを実感しつつも、後ろ
にさがる。
﹁無茶するね、君﹂
﹁残念だが、こういうやり方しか知らないんだ﹂
﹁良いと思うよ。君らしくて﹂
オート
焼き焦げた肌を再生させる。
自動的に作動するその力は、カイトの意思とは関係なく肌を元に
戻していく。
一方、縦の斬撃を思いっきり受けたジェムニは起き上がる気配が
ない。
﹁死んだのかな﹂
﹁⋮⋮さあ、な﹂
1845
死んだと判断するには、あまりにも早計である。
鎧持ちはオリジナルには無い能力を持っているのだ。半年前、カ
イトはそれを嫌と言うほど味わっている。
﹁俺の力が付加されてたら、多分起き上がる﹂
﹁そうでない場合は?﹂
﹁それでもたぶん、起き上がってくる﹂
﹁マジで?﹂
﹁経験則だ。俺のクローンと戦った時の﹂
﹁そりゃあ、君のクローンなら殺したって死にはしないさ﹂
本音を言えば。単体で戦った感想としては、死なない分ゲイザー
の方がえげつなかった。
しかしながら、カイトは鎧持ちと戦った経験がそれしかない。
こんな簡単に倒せる存在なのだろうか、と疑問を抱いてしまう。
﹁⋮⋮﹂
﹁睨んだって無駄だよ。脳天が切り裂かれて生きてる人間なんて、
君しかいないんだから﹂
酷い言われ草である。
俺を何だと思ってるんだこいつは、と思いつつもカイトは抗議の
声をあけようとした。
が、
﹁う、う﹂
呻き声が聞こえた。
カイトとエレノアがジェムニに目を向ける。彼女は生きていた。
1846
縦に割れた身体を無理やり起こし、立ち上がる。
﹁く、か! ひゃ、ひゃはっ! はははっ!﹂
直後、ジェムニが笑う。
彼女は縦に切り裂かれた己の顔面に両手を突っ込むと、力いっぱ
い横に引っ張った。紫色の鎧が、綺麗にふたつに分断される。
﹁⋮⋮!?﹂
分断された左右の胴体。
その身体から、それぞれ手足が生えてきた。
左半身からは右手と右足が。右半身からは左手と左足が出現する。
﹁嘘⋮⋮﹂
エレノアが呆然とした口調で言った。
紫色の鎧、ジェムニ。彼女は自らを縦に割った後、ふたりに分裂
したのである。まるでアメーバのような分断だった。
バランスを失った鉄仮面が床に落ちる。
長い間面倒を見てきた、オレンジ髪の双子の姉妹。左右のジェム
ニが、部下の顔をそっくりそのまま引っさげて、凶悪な犬歯を向い
た。
1847
第139話 vs判断
﹃くくっ⋮⋮そりゃあ驚くよねぇ。こんなの見せられたら﹄
ジェムニの視界を介して、ノアが笑いを堪えながら言う。
紫色の鎧持ち、ジェムニ。その特性は複数への分裂が可能なこと
にある。過去にカイトがシルヴェリア姉妹の評価をレポートして提
出したが、そこには﹃双子として生まれたことが足を引っ張ってい
る﹄と記述されていた。
あんまりな評価である。双子として生まれた事実そのものが罪と
でも言わんばかりの勢いであった。
ただ、事実シルヴェリア姉妹は双子であるがゆえにお互いに依存
しきっている。その傾向は、今も治っていない。戦いの場において、
ふたりのどちらがやられたら著しく戦力低下することが見込まれる
﹃兵器﹄を投入するのは馬鹿がやる事だ。
それを使うくらいであれば、コスパのいい優秀な戦闘機を出す。
それが普通だ。
しかし、だ。
もしもその弱点を排除したらどうなるだろう。
ノアは思う。彼女たちの弱点は、ふたりでいることなのではない。
トリプルエックス
共依存してしまうメンタル面の脆さにあるのだ、と。
スーパーマン
﹃XXXでは、個人での戦闘力が重要視される。確かにそのとおり
だ。エリーゼが望んだのは、ひとりで解決できる英雄だからね﹄
だが、鎧持ちは違う。
1848
彼女たちは何をしても、どんな手段を使ってでも勝ちに行くクロ
ーン集団である。個人技だろうがコンビネーションだろうが、なん
だっていいのだ。
﹃もちろん、ジェムニにお互いを頼りあう依存精神は無い﹄
そういう、不要な物は全部排除した。彼女は最高のポテンシャル
サシ
のまま分離し、ふたりがかりで攻める事が出来る。
恐らく直接対決でやりあってもっとも勝率が高いのは、不死身の
戦士であるゲイザーか、このジェムニであろう。
実際、ジェムニの視界を通じて見ても彼女たちの猛攻は凄まじい
物であった。全身麻痺したままのカイトに執拗な攻撃を仕掛け、反
撃を許さない。
ひとりがローラースケートで隙を作ると、すかさずもうひとりが
致命傷を与える。
﹁がぁっ︱︱︱︱﹂
カイトが壁に叩きつけられた。
両腕をナイフで刺し貫かれ、磔にされる。力任せに引き抜こうと、
彼は腕を引っ張った。
だが引き抜くよりも前に、ふたりのジェムニがローラースケート
を履いた足でカイトの腹を蹴りつける。チェーンソーのように回転
する車輪が、肉を抉った。
﹁はははははっ!﹂
﹁うふふふふっ!﹂
部下の面影を残すふたりのジェムニが笑う。武器庫に響く笑い声
1849
は、まるで音楽を奏でるかのようにして車輪の回転音と交わってい
く。
﹁うお、おおおおおおおおおおおおっ!﹂
腹を抉られながらも、カイトは磔にされた両腕を引き抜いた。
力任せにナイフから引き千切った両手から、おびただしい量の血
が流れる。まだくっついているのが不思議なくらいだった。
爪をジェムニの足に向けて振りかざす。
が、振り降ろされるよりも前に鎧は足をひっこめた。代わりに突
き出されたのは、左右の腕。
﹁くるよ!﹂
﹁わかってる!﹂
ふたりのジェムニがそれぞれ突き出している腕。そこからばちん、
と音を立てながら電流が迸った。
紫色の光がジェムニから放たれる。カイトには避ける力が残って
いなかった。両手を串刺しにされ、腹の肉を削がれた状態では満足
に動けないのだ。いかに彼が再生能力を持っていても、である。
強烈な光のストレートが、カイトに突き刺さった。
紫の光がカイトを覆い込む。焼き焦げるにおいが充満していく中、
お札を介してノアはジェムニに命令した。
﹃出力を上げろ﹄
電撃の勢いが増した。ホースから水を流すかのようにして浴びせ
られる電流が、ジェット噴射のような激しさに変わる。
1850
ジェムニの腕から零れる電流の水飛沫が、床に落ちた。
﹁︱︱︱︱!﹂
カイトの悲鳴にも似た雄叫びが響き渡る。
最早ただしく聞き取る事も出来ないそれは、彼が痛みを受けてい
る証拠でもあった。
﹃君の部下は凄いね。その気になれば、君をここまで追い詰める事
が出来るんだ﹄
ひとりだと負ける。ならば、ふたりにすればいい。
攻略法としてはいささかお粗末である。だがその分、非常にシン
プルで強力だった。
﹁⋮⋮痛っ!﹂
ただ、単純に強力でもカイトの戦闘意欲は失われていない。
彼は電撃を受けたままの体勢で、一歩前に出る。
﹁痛いぞ、この野郎﹂
そのままふたりのジェムニに飛びかかる。
電流を浴びながらも真っ直ぐ突っ込んでくるそれを前にして、ジ
ェムニは怯える様子も無くただ突っ立っているだけだった。
﹃やれ﹄
ノアが命じる。
彼女は思う。恐れるに値しなかった、と。
1851
電撃を受けても向かってくる姿勢と体力。その点においては流石
だと思う。しかし動きにキレが残っていない。
一歩を踏み出しただけで台風が襲ってきたのかとでも錯覚しそう
な暴風を巻きあげる。それが彼だ。弱々しい踏込では、カエルだっ
て潰せない。
﹁くすくす﹂
﹁うふふ﹂
ジェムニが微笑する。
彼女たちは電撃を流すのを止めると、カイトの横へと回り込んだ。
左右のジェムニが両腕を支え、そのままへし折る。
直後、ふたりの鎧は左右反転の踊りを披露した。
流れるようにしてカイトの背後に回り込んだ彼女たちは、勢いを
殺さぬままに蹴りを放つ。
﹁っ︱︱︱︱!﹂
ローラースケートの車輪が、背中を抉る。
背後に回るふたりのジェムニの足が交差された。背中に赤い×の
字を描かれつつも、カイトは今度こそ地に伏せる。
﹁はぁ⋮⋮はぁ⋮⋮﹂
だがその意識は、なおも健在であった。
我ながら呆れた体力だと思いつつも、カイトは呼吸を整える。
﹁ね、ねえ。勝てそう?﹂
右肩に乗ったままのエレノアが問う。
1852
﹁⋮⋮正直、厳しい﹂
本音だった。再生能力があるとはいえ、今の彼は満身創痍である。
武器庫に入った時の状態でふたりに挑むのであれば、まだ話は別
だ。しかし、カイトはジェムニ単体と戦った際、電流を浴びてしま
っている。その時の身体の麻痺が、どんどん戦いに影響を出してき
ているのだ。
再生を待ちたい所ではあるが、敵はお構いなしに攻撃してくる。
しかもオリジナルに比べて﹃隙﹄がない。
正直に言おう。同じ状況でシルヴェリア姉妹を相手にするよりも、
はるかに手強い相手だ。
お互いに全く同じスペックを持っているのが大きい。弱点を無く
した彼女たちは、オリジナルが成せなかった完全な放電能力を身に
着けてきたのである。それがふたりがかり。全く同じ武装で襲い掛
かってくるのもあり、面倒くささは段違いである。
﹁⋮⋮あれ?﹂
そんな中、カイトはぼんやりと思う。
﹁なんでお前、ぴんぴんしてるんだ﹂
右肩に乗ったまま話しかけてくる蜘蛛の人形。
記憶違いでなければ、エレノアはずっと肩に乗ったままだった。
当然、自分が受けたのと同じ分だけ、彼女も痺れた筈だ。
それなのに、人形は焼け跡一つ残っていない。
﹁前の人形は、カノンに簡単にやられた筈だぞ﹂
1853
﹁彼女にやられちゃったからこそ、電撃に耐性をつけたんだよ。同
じ痛みを受けるのは御免だからね﹂
そんな簡単にできるものなのか、と問おうとしたが止めた。
新人類にそれを聞くだけ無駄なのは、カイトもよく知っている。
﹁もしかして、本体も?﹂
﹁当然。だけど︱︱︱︱﹂
エレノアがちらり、と背後を見やる。
ふたりのジェムニの後ろに転がる巨大な棺桶。あの中にも同じ処
理を施された本体があった。
ただ、今の彼女はそれを使えない。
﹁君も知ってるだろう。私と君は、5メートル以上離れられない﹂
そのうえ、敵が持っているのはアルマガニウム製のナイフである。
お世辞抜きでいって、エレノアはXXXの面々と比べて身体能力
が高い訳ではない。糸で絡めるのが失敗したら、確実に命はない。
﹁それに、本体に憑依したところで私じゃ君の動きについてこれな
い。残念だけどね﹂
﹁⋮⋮いや﹂
やや間をおいた後、カイトは口を開く。
心底嫌そうな顔をしながらも、彼は言った。
﹁手がない訳でもない﹂
﹁え?﹂
﹁だが、これは⋮⋮なんというか、賭けだ。かなり分が悪い﹂
1854
カイトにしては珍しく歯切れが悪かった。
エレノアの知る神鷹カイトは、割と物事をはっきり言ってのける
男である。先程の服の件もあり、彼女は意地悪っぽく聞き返す。
﹁分が悪くても、今の状況だとやるしかないね。言ってみなよ﹂
﹁⋮⋮︱︱︱︱︱︱る﹂
﹁え、なんだって?﹂
﹁俺が、人形になってやるって言ってるんだ!﹂
観念したように、カイトは自分の考えを述べた。
ジェムニ攻略の為には、どこからでも放たれる電撃を浴びても無
事な体が必要だ。カイトでは一時的に耐えられても、その後の後遺
症が尾を引いてしまう。
かと言って、電撃に対して抵抗のあるエレノアの本体が出張った
ところで状況は変わらない。エレノアでは鎧持ちの身体能力につい
ていけず、ナイフで刻まれるのが目に見えている。
ならば、どうするか。
エレノアの身体に、神鷹カイトを加える。
これしか、ない。
非常に。非常に遺憾な話ではあるが!
それでも、この場ではそれ以上ベストな答えが出てこない。
神鷹カイト、22歳。彼はプライドよりも大切なものがある青年
だった。
﹁え? え?﹂
対し、エレノアは思いっきりきょどっていた。
1855
しかしながら、時間が経つにつれて徐々に状況を飲み込めてくる。
彼の提案は、長年の夢の達成でもあった。
﹁うっひょおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお
おおおおおおおおおおおおおおおおっ! マジでええええええええ
えええええええええええええええええええっ!?﹂
かつてないテンションの高さである。
やかましい。思わず耳をふさぎたくなってしまう。
﹁いいの!? いいんだね!? もう返してあげないからね!﹂
﹁できることなら返してくれ!﹂
﹁いやだよ! もう絶対に離さないもんね!﹂
ちくしょう、こうなると思ってたから嫌だったんだ。
カイトはがっくりと項垂れた。そのまま戦闘不能になりそうな勢
いである。
﹁でも、目の前に敵がいる状態でどうやって一体化するつもりなの
?﹂
エレノアは思う。
贔屓目に見ても、自分は一流の職人である。本体とカイトの合体
くらい、すぐにやってみせよう。
だが、いかんせん敵のド真ん前である。呑気に作業を許してくれ
るとは思えなかった。
﹁それはな﹂
カイトが無理やり上半身を起こした。
1856
ふたりのジェムニが迫る。今度こそ確実にトドメを刺さんと、ナ
イフを握って。
﹁こうするんだ﹂
左目に埋め込まれた黒い目玉から、霧が噴出される。
同時に、カイトは残された力を振り絞って右手を構えた。拳を握
る。肘から先の拳が、ジェムニに向かって放たれた。
反射的に、ジェムニのひとりが鉄拳を避ける。
それでいい。
その光景を目の当たりにしたカイトが、不敵な笑みを浮かべた。
そして溜息をつく。
さようなら、俺の平穏な生活。
ようこそ騒がしい共同生活よ。
黒の目玉は己の思考を読み取り、イメージを具現化する力を持つ。
ヴィクターと戦ったときに学んだことだ。
もしもそれが本当なのだとしたら、エレノアとの一体化は程なく
済む。
﹃なに?﹄
ジェムニの視界を見るノアが、目を見開く。
カイトの身体が霧になっていった。まるで目玉が放出する闇に飲
み込まれるようにして、溶けていく。
﹃馬鹿な、奴が消えた!?﹄
否。消えたのではない。
1857
カイトの身体は黒の目玉が出した霧と一体化し、ジェムニの間を
通り過ぎる。そして霧は糸を辿り、棺桶へと辿り着く。
ジェムニのひとりが振り返った。
巨大な棺桶に、カイトの右腕が突き刺さっている。先程はなった
ロケットパンチだ。これだけが、霧にならずにそのまま残っている。
棺桶の蓋の中から、黒い煙が溢れ出している。
﹃なんだ、これは!?﹄
シルバーレディ
長いこと地球外生命体の目玉を研究してきたノアでさえも、始め
てみる現象だった。単純に霧になるだけなら、既に銀女がやってい
る。
しかしカイトがやってのけたことは、それを上回ることだった。
過去に前例のない、全く新しい使い方。
カイトだけではない。エレノアもいたからこそできる、究極の荒
業。
その答えが、棺桶の中から姿を現す。
蓋が開かれた。
黒い霧に紛れて、銀の光が一斉に解き放たれる。棺桶の中からゆ
っくりと伸びてくる人形の腕。その先端についている五本の指から、
無数の糸が武器庫を支配する。
棺桶を叩き潰そうと動くジェムニも、一瞬で絡め取られた。
お互いに持つナイフを近づかせ、糸を切ろうともがく。
﹁あははははははははははははははははっ!﹂
1858
やたらと機嫌のいい、歓喜に満ちた笑い声が木霊する。
棺桶の中から二本目の腕が飛び出した。同じく指の先から糸を伸
ばし、それがジェムニを更に絡め取る。
動けない。
ただの光の線にしか見えない、細すぎる凶器を前にしてノアは叫
ぶ。
﹃入れ替わったのか!?﹄
答え合わせをするかのようにして、棺桶の蓋が解き放たれた。
ひとりの女性の人形がいる。彼女はゆっくりと一歩を踏むと、己
の身体の感触を確かめた。
黒い左目。赤い瞳孔。
伸びるだけ伸びた、手入れのされていないウェーブのかかった紫
髪。
三日月形に歪む口元。前髪に隠れながらもはっきりとわかる、ど
す黒い隈。
これこそがエレノア・ガーリッシュの本体である。
彼女はカイトから譲り受けたパイロットスーツを身に纏い、呟く。
﹁さいっこうの気分だ﹂
ぎょろり、と左目が回る。
その動きに合わせるようにして、彼女は首を回した。
﹁ねえ、カイト君。どう料理してあげる?﹂
﹃気安く君をつけるな﹄
﹁そうだね。私と君は、もうそんな距離のある関係じゃないもんね
1859
!﹂
﹃距離は感じてくれ﹄
頭の中に彼の声が響く。
なんと甘美な状況だろう。これは夢の中か。
もしも夢なら醒めないでくれ。
エレノアは願った。
彼が欲しいと。
彼に生きていてほしいと。
己の全てを捧げても構わないとさえも思った。
元はといえば、全てが興味本位から始まった事だ。
しかし、今この瞬間。彼女の中の魂が昇華されていく。長い年月
をかけて、ようやくたどり着いた理想のカタチ。
これで機嫌が悪いわけがない。
気分は最高。これ以上上がらないってくらいに高揚しているのが、
手に取るようにわかる。
今の気持ちを言葉にするなら、こう言えた。
﹁今日の私は無敵だよ﹂
﹃おい、俺の台詞だ﹄
﹁いいねぇ。私たち、相性いいよ!﹂
そんなやり取りをしている間にも、ジェムニがもがく。
繭のように絡め取られた彼女たちは、お互いにナイフを突き刺す
ことで脱出を図ろうとしていた。
﹁逃がさないもんね﹂
1860
エレノアが両手を引く。
同時に、ふたりのジェムニの身体が宙を浮いた。糸に絡め取られ
た肢体は抵抗することも許さないまま、ふたりの鎧を背中合わせに
して固定する。
﹃エレノアが出てきたところで、お前では決定打はないぞ!﹄
ノアが叫ぶ。
その声はエレノアには届かない。
﹁んふ﹂
しかし、ノアの叫び対して反論するかのようにしてエレノアは笑
みを浮かべた。ジェムニの身体が天井へと押し付けられる。
エレノアが跳躍した。
左目から再び黒い霧が溢れだし、彼女の身体を包み込む。
﹃やばい!﹄
霧の中から出現した右腕と、その先端から出現する刃を目の当た
りにした瞬間。ノアは思わず身を乗り出していた。
霧の中からエレノアに代わり、神鷹カイトが出現する。
人形使いの姿はどこにもない。彼女が操っていた糸は、全てカイ
トの指から放たれている。
床に押し付けられたジェムニの胸に、カイトの腕が突き刺さった。
鋭利な爪はふたりの心臓を丸ごと抉り、貫く。
﹁︱︱︱︱っ!﹂
1861
ふたりまとめて吊るされたジェムニが、悶絶する。
彼女たちは口と胸から赤い液体を垂らしつつ、ふたり同時に力尽
きた。
カイトが着地する。
真上から振りかかる赤いシャワーをその身に浴びつつも、彼は頭
の中でエレノアの声を聴いた。
﹃やっりぃ! やっぱり私たち、相性最高だと思わないかい?﹄
﹁うるさい。だまれ﹂
人生二度目の同居人は、非情にうるさかった。
カイトは切に思う。スバルは良識がある良い奴だったのに、と。
もう戻ることのない懐かしい思い出に浸りつつも、カイトは己の
判断が本当に正しかったのかを疑問視する。
1862
第140話 vsアンハッピー
ノアは額に当てていたお札をデスクの上に置いた。
その様子を黙って見ていたディアマットは、敢えて問う。
﹁どうなった﹂
先程の彼女の様子はただ事ではなかった。
やばい、と口走った矢先のことなのだ。なにか宜しくない出来事
が起こったに違いない。ディアマットは己の予想する最悪のケース
を踏まえながらも、続けた。
﹁まさか、負けたのではないだろうな﹂
﹁そのまさかです﹂
ノアが真顔のまま振り返る。その表情は悲しんでいるとも、喜ん
でいるともとることはできなかった。
﹁ジェムニが負けました。神鷹カイトとエレノア・ガーリッシュに﹂
﹁なんだと!?﹂
リアクションを見た瞬間、まさかとは思ったが。
本当に負けてしまったのか。あの鎧持ちが。新人類王国の誇る、
泣く子も黙る決戦兵器、鎧。12ある内の一角が、崩された。しか
も早々に、だ。
﹁馬鹿な。戦闘開始から10分も無いぞ!﹂
1863
これがどういう意味を持っているのか、わからないディアマット
ではない。彼は今、焦っていた。責任問題云々ではない。
それ以上に重く圧し掛かる、鎧持ちの敗北。
地球外生命体の目玉を埋め込んだ鎧持ちは、新人類王国の切り札
である。これまで負け続けていた王国が支配者としての面目を保っ
てれれたのも、鎧持ちと言う切り札が控えていたからだ。
ゲイザーが結果を出していたのがそれを後押ししていた。
ところが、だ。
その鎧持ちが負けてしまった。それも、自分たちが施した移植手
術で。
こんなに間抜けで、馬鹿げた話もあるまい。
﹁目の使い方を学んだようだな。思考が回る分、鎧持ちよりも有効
活用できるのだろうか﹂
そんなディアマットの不安を余所に、ノアはぶつぶつと独り言を
口走っている。
シルバーレディ
﹁身体の霧化に関しては銀女をよく調べる必要があるな。実際に接
触したシャオランにも話を聞かねばならん。いや、それ以上に興味
深いのは物質との一体化だ。あれはどういう力なんだ? エレノア
の人形と融合した後、元に戻ることも可能だった。人形以外ともく
っつくことができるのか? それとも彼とエレノアのみのイレギュ
ラーなのか⋮⋮どちらにせよ、霧化は体内の細胞を再構成している
と見ていい。ジェムニにつけられた傷が残っていないし、奴の再生
能力にしては早すぎる﹂
﹁おい!﹂
すっかり自分の世界にはまってしまっているノアを現実世界に引
1864
き戻すと、ディアマットはそのまま怒鳴りつけた。
﹁考察するのは結構だ。だが、鎧持ちが倒された今。もはや一刻の
猶予もならん!﹂
鎧持ちが勝てない。
それはつまり、従来の王国戦士では勝てないことを意味している。
彼らは王国の切り札であると同時に、畏怖されるべき守り神でもあ
るのだ。
もう逃がさないなんて悠長なことは言ってられない。
﹁殺せ。残りの鎧持ち全部を率いて、奴を倒せ!﹂
﹁まあ、落ち着いてください王子﹂
﹁落ち着けるか! 大体、貴様は何故そうも冷静なのだ! 大事な
クール
鎧が消されたのだぞ!﹂
﹁そんなときこそ、冷静になるんですよ﹂
ノアの態度はあくまでやんわりとしたものだった。
彼女が噛みつく事もせず、胸倉を掴んできた王子を宥め始める。
淡々と、現状を説明しながら。
﹁まず、残りの鎧を全て出すという提案ですが⋮⋮それはできませ
ん。今出ていない鎧は全て調整中。安定していない体調なのです﹂
﹁確か、後5体が城内を徘徊してるんだったな﹂
﹁1体は外で待機しています。出口を見つけた時の為に、保険をか
けておかないと﹂
﹁では、残りの4体を一斉にかからせろ! もはや一刻の猶予もな
いぞ!﹂
﹁3体までなら可能です﹂
﹁残りの1体はどうした!?﹂
1865
ディアマットの表情がますます歪んでいく。
綺麗な顔立ちの面影はそこにはなく、代わりにあるのは般若の形
相だけだ。まったく、誰に似たのだろうとノアは思う。
﹁1体はあなたの命令では動くことができない鎧なのです﹂
﹁なんだと。どういう意味だ!?﹂
﹁そのままの意味です。あれは意思を持って、自分で動いてる。だ
からこそ札も必要がない﹂
鎧持ちは基本、命令待ちの人形である。
ただ、その中にも自分の意思を持っている例外が存在していた。
自分の意思で考えて行動するその存在はノアの理念とは異なる物だ
が、そういう異物を放り込んで観察するからこそ実験は捗るのであ
る。
﹁わかりますか? 誰にも縛られない超戦士なのですよ﹂
﹁だが、そんな制御も利かない鎧が⋮⋮﹂
﹁ご心配なのは理解できます。ですが、あれが覚醒してから今日ま
でずっとこの城は平穏を保たれています。なぜだか、理解できます
か?﹂
謎かけのように紡がれる言葉。
ディアマットはノアを締め上げる力を緩めると、少々間をおいて
から答えた。
﹁⋮⋮新人類軍だから、か?﹂
﹁正確に言えば、国家の人間だから。といったところでしょうか﹂
なんとも合点のいかない答えであった。
1866
まあ、それはいい。どちらにせよ、意思のある鎧は国の人間なの
だ。その上で安全が確保されていると言うのであれば、
﹁何者であれ、国の脅威になる人物は撤去する。そう判断していい
のだな?﹂
﹁その鎧の判断を信じるのであれば﹂
﹁⋮⋮いいだろう。私は国の人間を信じる﹂
だが、本題とこの件はまた話は別だ。
これで動ける鎧持ちは残り3体。その3体をフル稼働させて、カ
イトとエレノアを倒さなければならない。新人類王国の威厳とプラ
イドを保つ為にも。
﹁残り3人を一斉に集めて、奴を誘導しろ。殺せ﹂
﹁しかし、目玉が﹂
﹁構わん﹂
ノアに反論を許す間もなく、ディアマットは即答した。
彼の興味は既に﹃目玉﹄という資源にはない。彼が見ているのは
敵の抹殺だ。
﹁資源なら右目もある。研究には事足りる筈だ﹂
﹁それは、まあ。そうかもしれませんが﹂
﹁ならばさっさと命令しろ。そして迷宮を作り直せ。奴の居場所は
わかってるんだろう?﹂
ノアはジェムニを介して、カイトの場所を見ていた。
そして彼女が作り出す迷宮は、常に彼女の意思で作り替わる。都
合のいい場所に繋がる一本道に塗り替えることなど、わけもないこ
となのだ。
1867
溜息をつきつつ3枚の札を抜き、ノアは思考する。
城内の各所にいる鎧たちが、一斉に身を震わせた。
﹁む﹂
先頭を走る月村イゾウが足を止める。
壁が歪んでいるのだ。廊下そのものが波のように凹凸し、足場を
崩していく。
﹁体勢を整えろ。迷宮が作り替わるぞ﹂
﹁つ、つくりかわるって!?﹂
言った傍から転倒しそうなスバルが問う。
おんぶしている囚人服の娘は、いまだに眠ったままだった。スバ
ルは背中に預ける少女の身を床に落とさぬよう、必死に堪える。
そんな彼の肩に手を差し伸べ、固定させてくれたのはアーガスだ
った。
﹁迷宮はひとりの能力者によって作り変える事が出来るのだ。せっ
かくなので、配色も多少美しくしていただきたいのだが⋮⋮﹂
廊下の歪みが戻っていく。
無数の分かれ道があった廊下が、今度は一本道が続くだけの素気
ない物へと変化する。残念ながら廊下の配色はもとのグレーだった。
華やかさのない鉄臭い色に、アーガスは肩を落とす。
1868
﹁いかん! いかんと思わんかねスバル君。私は前から提言してい
るのだが、誰も聞き入れてくれないのだよ。もっと美しい風景画な
んかを飾るべきだとは思わんかね?﹂
思わんかね、と言われても困るのである。
どうコメントしろと言うのだ。新人類王国の廊下のアート事情な
んて知ったこっちゃない。
ただ、絵でも飾っていれば目印になっただろう。少なくとも、今
の現状では非常に助かる。
﹁そうだね。まあ、多少は必要だと思う﹂
﹁おお、そうかね! 君は美について素養がありそうだ。良きこと
だぞ!﹂
なんだかすごい気に入られた。
急に元気になっては薔薇を撒き散らし始めるアーガスを尻目にス
バルは正面を向く。
﹁ん? どうしたの﹂
イゾウが立ち止まったまま、なにか考え込んでいる。
こちらを哀れみの目で見ているわけではない。
﹁⋮⋮妙だな。迷わせる為に廊下を増やしたのではないのか﹂
﹁あ﹂
言われてみれば、おかしな話だ。
迷宮とはその名の通り、迷うべき場所だからこそ名付けられるも
んである。少なくともスバルの中の認識ではそうだ。
1869
しかし、今は一本道とその奥に扉があるだけ。
どう見ても誘導されている。
﹁では、この奥にいるのは﹂
﹁左様﹂
イゾウに巻かれている包帯。その隙間から僅かに見える口元が、
歪んだ。
﹁物怪よ。どれ程奥かは知らんが、確かな気配を感じる﹂
﹁ホントかよ﹂
訝しげに見やるが、イゾウの歓喜の笑みは消えることはない。
我ながらとんでもない奴を引き込んだもんだと思いながらも、ス
バルは後ろを見る。行き止まりだった。壁に扉はなく、先に進む為
には奥にある扉を開かなければならない。
﹁神様、お願いします。変なのがいませんように﹂
目を瞑り、縋る様に言ってからスバルは思う。
そういえば変なのしかいないところだったな、ここ、と。
彼は首をぶんぶんと横に振ってから言い直す。
﹁神様、お願いします。まともなのが出てきますように﹂
﹁軽く人格否定を受けた気になるのは気のせいかね﹂
横のアーガスが笑いながら問いかけるが、スバルはこれを無視。
決意を固め。扉に向かう。
1870
﹁よし。お祈りは済ませた。行こうぜ﹂
﹁う⋮⋮ん﹂
そんな折だ。
折角決意を固めたところで、背中がもぞもぞと動いてくる。おん
ぶしていた少女が目覚めたのだ。
首を横に振った際、スバルの髪が顔にかかったのである。
目元を擦りながら、少女は目を開けた。
﹁ここは⋮⋮?﹂
鎖に繋がれていないことに違和感を覚えたのだろう。
少女はきょろきょろと周囲を見渡したのち、自分が知らない男に
囲まれていた事実に驚愕する。
﹁わっ、わっ!? だ、誰!?﹂
﹁お、落ち着け! 俺たちは味方だ!﹂
背中で暴れ出す少女に対し、反射的にそう答えた。
まだ彼女の素性が明らかではないので本当に味方なのかは疑問が
残るが、この状況では彼を攻めきれない。善意で牢から連れ出すこ
とを提案したのはスバルなのだ。
﹁み、かた⋮⋮?﹂
きょとん、とした顔でスバルの顔を覗きこむ。
その次にイゾウ。そしてアーガスを見やった。囚人服を着た彼ら
の存在を見て、少女は言う。
﹁囚人?﹂
1871
﹁その通り!﹂
問いに元気よく答えたのはアーガスだ。
彼はなぜか薔薇を口に咥え、その場で回転し始める。バレエでよ
く見る、片足立ちであった。回転する足が空を切る。
僅かな風を浴びつつも、スバルは真顔で少女を降ろす。
﹁立てる?﹂
﹁え? ええ﹂
足も鎖に繋がれていた為、立つ事が出来るかも不安だったのだが、
それも杞憂に終わった。少女は床の上に立つと、改めてスバルを見
る。
﹁みなさんは⋮⋮どなたさん?﹂
﹁えーっと、俺、蛍石スバル!﹂
﹁覚える必要はない﹂
﹁我が名は美しい美の狩人、アーガス・ダートシルヴィー! 遠慮
なくビューティフルさんと呼んでくれたまえ!﹂
2名ほどマイペースな自己紹介を済ませた後、スバルが総括して
言う。
﹁えっと、状況が複雑でうまく纏められないんだけど、君に危害を
加える気はない。寧ろ、一緒に逃げようと思って﹂
﹁逃げる?﹂
少女が首を傾げた。
心底不義そうな顔のまま、彼女は再び問う。
1872
﹁なにがあったの?﹂
﹁城が迷宮になったんだ。なんとかここから脱出して、仲間と合流
しないと⋮⋮﹂
言ってから、スバルは思う。
これって全部こっちの事情を知らないと理解できないよな、と。
しかしながら、彼らが持つ事情は複雑極まりないうえに、スバル自
身も状況を全部把握しているわけではない。
しかしながら、少女は理解が早かった。
スバルの言葉を飲み込むと、彼女は無言で頷く。
﹁これが迷宮なのね。事態は深刻そうだわ﹂
﹁わ、わかってくれたか!?﹂
﹁ええ。迷宮は私も知ってるもの﹂
どうやら少女は新人類王国の事情にも、それなりに通じている人
物らしい。
迷宮のキーワードを聞いただけで、城内の状況をある程度察して
くれた。
ただ、それならそれで疑問が残る。
﹁すんごく失礼な質問するけど、君って王国の人?﹂
﹁え?﹂
頭によぎった疑問を、そのまま素直にぶつけてみる。
少女は真顔でスバルの顔を眺めた。
﹁知らないで連れ出したの? 鎖は? あれを外せるのは幹部クラ
スの力がないと無理な筈⋮⋮﹂
1873
﹁あ、私がちぎっておいたとも!﹂
元幹部のアーガスがポーズをつけながら挙手をした。
トラメットの街でも見たことがある、サタデーナイトフィーバー
のポーズである。気に入ってるんだろうか。
﹁⋮⋮幹部の人なの? そうは見えないんだけど﹂
少女がジト目でスバル達を見る。
不審者に向けるような視線に射抜かれ、スバルは半笑い。口元を
引きつらせながらも、疑問に答えた。
﹁幹部の人じゃないかな。どっちかっていうと、あの人は元幹部だ
し﹂
﹁ふーん⋮⋮﹂
珍しい物を見るかのような目つきで、少女がアーガスを観察し始
めた。
調子に乗るアーガス。次々と新しいポーズをとりつつも、少女の
視線を釘付けにする。
﹁まあ、いいわ﹂
釘付けにした時間、僅かに5秒。
英雄はちょっぴり落ち込んだ。
﹁見たところ若そうだし、私のことを知らないのも無理ないわね﹂
アンハッピーだわ。
少女は不機嫌そうに顔をしかめた。
1874
﹁じゃあ、命令。私についてきなさい。事情は歩きながら聞かせて
もらうわ﹂
﹁え?﹂
急に強気な態度になると、少女はスタスタと前を歩く。
﹁そういえば、まだ名乗ってなかったわね。物を知らないってこと
はアンハッピーだから、しっかりと耳に刻み付けておきなさい﹂
少女は振り向き、刃のような視線をスバルに送る。
彼はこの手の目つきを見たことがあった。
敵と戦う時の、カイトの目つき。獰猛な肉食動物を連想させる、
威圧感に満ちた眼光がそこにはあった。
﹁私はペルゼニア。ペルゼニア・ミル・パイゼル。新人類王国、王
位継承順位の2位よ﹂
直後、スバルが卒倒した。
1875
第141話 vs斬撃姫
迷宮の構造が変わる。
振動のあった場所に駆けつけようとしたエイジたちは、その現象
が起こると同時に身構えた。壁が歪み、床が波打つ。支えがないと
床に飲み込まれそうになる錯覚を覚えつつも、彼らは迷宮が作り終
わるまで堪え続けた。
﹁⋮⋮終わった、か﹂
構造が作り替わったのを確認すると、エイジがぼそりと呟く。
乱雑していた十字路はなく、あるのは真っ直ぐの一本道のみ。後
ろを振り返って確認してみれば、先程通ってきた道が行き止まりに
なっていた。
﹁この先に進むしか選択肢がないってわけかい﹂
﹁急に一本道になったね﹂
先程までの迷宮は、内部の敵を外に出さないために様々な通路を
用意していた。それが一変し、今度は直線の道のみ。明らかにどこ
かへ誘導されている。
﹁城の中にいる誰かを特定の場所に案内したい⋮⋮そんな匂いがぷ
んぷんするぜ﹂
﹁え? そうなんですか?﹂
マリリスがくんくん、と壁のにおいをかぎ始める。
特に臭いとは感じなかった。彼女は首を傾げ、エイジとシデンに
1876
振り返る。
﹁なるほど! この匂いなら道案内をされるんですね! 勉強にな
ります!﹂
﹁⋮⋮君って、たまに世間知らずだよね﹂
﹁え!?﹂
呆れの目を向けられ、慌てだす。
匂いがする、というからかいでみたのだが、何が間違っていたの
だろうか。真剣に悩み始めるマリリスを余所に、エイジは正面に用
意された扉に向かって歩き出す。
﹁迷宮は能力者の意思で作り替わるって聞いたことがある。それが
マジなら、例えカメラが無くても特定の場所におびき寄せる事が出
来るぜ﹂
それこそ、城の中の廊下を全てその空間に繋げるようにしてしま
えばいいだけなのだ。
ならば、この先に進めば嫌でも誰かに会う事になる。
﹁アナウンスが確かなら、カイトの野郎は逃げ出してる。隠れてや
り過ごしてたら話は別だが、そうでない場合は﹂
﹁この先で落ち合える⋮⋮そういうわけだね﹂
ならば話は早い。
奥に何が待ち構えているのかは知らないが、いずれにせよ通らな
ければならない道なのだ。それならば遠慮するだけ無駄という物で
ある。
互いに無言で納得すると、エイジとシデンは走り出した。
一歩遅れて、マリリスがそれに続く。
1877
﹁あ、あの! 私、ふと気になったことがあるんですけど!﹂
﹁なに?﹂
また変な事をしでかさないか警戒しつつも、シデンが対応する。
﹁新人類王国には、王子様がいらっしゃるんですよね?﹂
﹁そうだね。カイちゃんを捕まえるように命令したのは、王子のデ
ィアマットらしいし﹂
﹁その名前は私も聞いたことがあります。でも、王族って普通、も
っとたくさんいるものじゃないですか!﹂
あくまでもマリリスのイメージになるが。
王族は確実に子孫を残さなければならない。理由は国によって様
々だが、一般家庭に比べれば産む理由は大きいだろう。
しかし、マリリスはディアマット以外の子供の名前を聞いたこと
がない。
﹁もしもディアマットさんに何かあって、それで王位継承者がいな
くなった場合どうするんですか﹂
メラニーは言った。
王子のやり方が気に入らない、と。もしもその流れが新人類王国
全体に広まった場合、国に彼の居場所はないだろう。最悪、王位継
承権をはく奪されることも十分考えられる。
もしもそうなった場合、誰がリバーラの後の王位を継ぐのか。
純粋に疑問に感じた、国の事情である。
﹁⋮⋮マリリス。今から言う事は他言無用だよ﹂
1878
シデンが唇に指を押し当て、絶対に外では喋るなとジェスチャー
する。
マリリスは疑問に思いながらも頷いた。
﹁リバーラ王には子供が10人いる﹂
﹁10人ですか!? 凄いです。絵本の中の大家族みたいで!﹂
マリリスの脳裏に、たくさんの子供に囲まれた太った王様の姿が
映し出される。玉座に集まる子供たちみんな、笑顔で王に寄り添っ
ていた。大家族なりの、幸せそうな雰囲気である。
﹁その内8人と、それらのお母さんは死んだ﹂
﹁えっ﹂
幸せな王様と子供達のイメージ図が一瞬にしてぶち壊される。
凍りついたマリリスの笑顔を一瞥すると、シデンは言う。
﹁本来末っ子になる予定の子が生まれて、王妃に抱きかかえられた
ニューマンアクシデント
時にね。赤ん坊の能力が発動しちゃったんだ﹂
﹁それって、異能力災害ですか?﹂
異能力災害。自分の持つ新人類としての力に自覚のない者が引き
起こしてしまう、人的災害である。
自覚症状のない子供に多く、多くの場合は異能力災害をきっかけ
にして新人類王国へのスカウトが来るのだ。マリリスの覚醒も、広
く分類してしまえばここにあてはまる。
﹁そう。本来王位継承権最下位の彼女は、その事件で一気にライバ
ルを8人蹴落としたんだ﹂
﹁世間じゃ絶対知られないニュースだ。こんな大ニュース知られち
1879
ゃ、国につけ入れる隙ができるからな。ディアマットが蹴落とされ
たら、尚更だぜ﹂
﹁国民の不安も高まるよね。下手に知られると、それこそ暴動が起
こって大混乱になっちゃうかも﹂
もしそうなれば、粛清という名の下に新人類軍が容赦なく襲い掛
かるだろう。彼らは例え国民でも、国を守る為には容赦のない守り
神を要しているのだ。
シデンが他言無用と言ったのはこの辺が理由である。
﹁その赤ん坊は、どうなったんです?﹂
﹁今もいるよ﹂
どこに。
反射的に問おうとしたマリリスは、反射的に口元を抑えた。
考えるまでもない。新人類王国に生まれたお姫様なら、彼女の帰
る場所はひとつしかないのだ。
﹁⋮⋮ここに、いるんですか?﹂
﹁姿を直接見たことはないけど、生きてれば今年で14になると思
う﹂
14歳。
まだまだ甘えたりない年頃である。能力の暴発とはいえ、身内を
殺した罪悪感は心に一生の傷を残しただろう。マリリスもその一例
だった。
﹁ただ﹂
﹁ただ?﹂
1880
シデンが歯切りの悪い口調で続けた。
この先は、あくまで彼も噂で耳にした程度である。
﹁一番厄介な事に、彼女はそれに対して一切責任をとろうとしなか
ったらしいんだよね﹂
﹁責任って⋮⋮まだ幼い子供ですよ﹂
責任を問われたのが何歳のときなのかは知らないが、いかんせん
14歳である。能力の暴発で死んでしまった王位継承者達と王妃殺
害の責任をとれと言われても、どうしようもない気がする。
﹁言いたいことはわかる。ボクも正直なところ、子供相手に何言っ
てるんだって思った﹂
しかし、
﹁彼女は言ったらしいんだ。﹃私に負けるお母様たちが悪いのです﹄
って﹂
﹁え?﹂
耳を疑うセリフだった。
なにかしらの葛藤があってもいい気がするが、それさえも感じさ
せない言葉である。
﹁新人類王国らしいよな。そういうの﹂
﹁リバーラ王の血が色濃く受け継がれたのは事実だと思うよ。まあ、
王妃や他の継承者を殺したのは事実な上に能力も自分でうまく制御
できないくらい強大な物だったから、自分で幽閉されることを望ん
だらしいけど﹂
1881
本来、王族にはつきっきりの教師役が付くものだ。実際、ディア
マットにはグスタフがいていた。
しかし彼女には︱︱︱︱ペルゼニアには、それすらもいない。
近づいた瞬間に殺されてしまうからだ。実際、彼女が幽閉された
牢には、彼女自身の異能の力の痕跡が残っているらしい。手足を縛
られた生活をしていると聞くが、それでも痕跡が残るのだ。
天性の能力者だと思っていい。
王国の強者の誰もが、彼女の世話係を拒否したほどである。
﹁で、でも。牢屋にいるなら襲い掛かってきませんよね!?﹂
﹁どうだろうね﹂
扉の前で三人が立ち止まる。
シデンが悪戯っぽく笑った。
﹁案外、この扉を開けたらその牢屋だったりして﹂
﹁ひいいいいいいいいいいいいいいいい!﹂
頭を抱え、涙目になりながら震えはじめた。
ちょっとかわいそうな事をしちゃったかな、と反省しつつ、シデ
ンは言う。
﹁まあ、四肢を繋がれて身動きはとれないって噂は聞いてるよ。だ
から不用意に近づきすぎなければ、大丈夫だと思う﹂
問題があるとすれば。
この迷宮化された城に設置された扉は、そのすべてがペルゼニア
と通じている可能性がある事だ。もしもカイトや囚われたスバルが
間違って開けてしまった場合、大変なことになる。
1882
新人類王国、王位継承者の第二位。
プリンセススラッシャー
ペルゼニア・ミル・パイゼル。通称、斬撃姫。
触れる物全てを真空の刃で切り裂いてしまう、地雷。
カイトならまだいい。もしも事情の知らないスバルが彼女と遭遇
してしまえば、どうなってしまうのか。
シデンは少年と地雷原が遭遇しないことを祈りながらも、自動ド
アを開けた。
﹁あなた、私が怖くないの?﹂
同時刻。ペルゼニアは横に並んでいるスバルに問いかけた。
先程、自分の正体を知った瞬間に彼は腰を抜かて無様に大ゴケし
ている。当初、それは自分への畏怖がそうさせているのだと思った
が、違った。
﹁びっくりしたけど、怖くはないよ﹂
﹁なんで?﹂
﹁だって、もっとおっかねぇの見てきてるもん﹂
スバルはペルゼニアの能力を知らない。
新人類軍の中では新入りに分類されるアーガスもその辺の事情に
は詳しくないし、イゾウはお姫様に何の興味も抱かなかった。
その為、特にペルゼニアの力に関しては何も触れられずに話は続
いていく。
1883
﹁王国兵もおっかなかったけど、巨大芋虫や200メートル級の怪
獣ともやりあってるんだぜ? ソレに比べたら可愛いって﹂
﹁⋮⋮かわいい、の?﹂
お世辞かもしれないが、可愛いと言われたのは生まれてはじめて
であった。牢屋の中に入る直前に読んでた少女漫画では、こんな境
遇の時に胸が高鳴るもんである。比較対象が芋虫や怪獣なのはどう
かと思うが、それでもきっとそうなのだ。
ペルゼニアは自分の胸に手を当て、心臓の音を聞いた。
期待していたのとは違う、普通の鼓動音である。何年も飽きるほ
どに聞いた、自分の生きる稼働音。
﹁なんか違う﹂
﹁え?﹂
﹁いいの。こっちの話﹂
ペルゼニアはロマンもへったくれもない己の心臓に呆れると、ス
バルに問う。
﹁で、あなたは結局ウチのなんなの?﹂
﹁えーっと、お宅の⋮⋮囚人です﹂
なんとも奇妙な関係である。ここで思い切って兵だと言い切れば
まだ疑問の眼差しは向けられなかったとは思うが、いかんせん囚人
服だ。
スバルは私服のままでも、他のふたりは違う上に﹃囚人だ﹄と言
い切ってしまっている。
﹁ただの囚人なはずがないわ。だいたい、囚人がどうやって牢から
抜け出すのよ﹂
1884
﹁ラジオ体操の時、手錠を外してもらった﹂
﹁なにいってるの?﹂
﹁俺もそう思うよ﹂
よかった、この子はまともだ。
スバルはその事実に安堵し、感涙する。新人類王国には変態か獰
猛な肉食獣しかいないのではないかと思っていたのだが、こうも会
話が成立するときがくるとは。
﹁ねえ、彼はなんで泣いてるの?﹂
﹁知るか﹂
﹁泣かせてあげたまえ。彼には想像を絶する苦労があるのだ⋮⋮!﹂
我関せずな態度のイゾウ。
ハンカチで目元を抑えるアーガス。
両者の態度は極端であった。その分だけ好感度が違うのだな、と
ペルゼニアは思う。
﹁ところで、ペルゼニア君﹂
﹁⋮⋮なに?﹂
﹁君は何故、あんな牢にいたのだね。とても王位継承者が入る場所
には思えなかったが﹂
アーガスが鋭い指摘を送る。
まあ、疑問に思わない筈がないだろう。常識的に考えて、王族が
囚人服を着て自国の牢屋に繋がれている筈がない。
﹁元幹部だって聞いたけど、頭がアンハッピー?﹂
﹁面目ないが、幹部でも新入りな方でね。ディアマット王子以外の
子供の事情については詳しくないのだ﹂
1885
子供、というキーワードにペルゼニアの眉が反応する。
僅かにハの字になった眉を吊り上げつつも、王女はこの濃い面々
を観察した。
まずはアーガス。
こいつは馬鹿だ。それは間違いない。間違いないが、しかしスペ
ックは高い新人類だ。幹部クラスの力がないと外せないと言われた
錠をちぎったのであれば、必然的にそうなる。
次にイゾウ。
こいつは獰猛な獣だ。自分のことなど、まるで興味がない。会話
に混ざる気配がないことから考えても、他の二人とそこまで友好的
ではないと思える。
そして最後に、スバル。
こいつが問題だった。新人類王国の牢屋に入れられる程の重罪人。
しかも、迷宮化がされたどさくさに紛れて脱走を図るような奴だ。
絶対に碌な奴ではない。
ところが、その裏で話をしてみると。
この少年は驚くほど気さくだった。これまで戦ってきた﹃おっか
ない連中﹄がよほど応えたのか、敵国のお姫様に見つかっても堂々
とした態度。
今にも殺されるかもしれない状況下において、この落ち着きは一
体なんなのだろうか。同時に、ペルゼニアを助け出す意味が理解で
きない。なんでわざわざお荷物になりそうな女の子を助けて、一緒
に逃げようとするのか。
どこからその発想が出たのかが、わからない。
もしも、今ここで自分の能力を明らかにしたら彼はどんなリアク
1886
ションを取るのだろうか。
掴みどころのない異国の少年を前にしながらも、ペルゼニアは答
えた。
﹁⋮⋮異能力災害よ。それで人を殺したの﹂
﹁君が、かね?﹂
﹁ええ。それから私、誰にも能力のコントロールを学んだことがな
いわ﹂
それはつまり、このまま彼女と共に行動すれば能力を暴発させる
恐れがあることを意味している。
アーガスとイゾウが、反射的に己の武器を持ったのを見た。
だが、それがペルゼニアに向けられることはない。
﹁大丈夫! なんとかしようと思い続ければ、きっと力を制御でき
るさ﹂
﹁え?﹂
スバルだ。
彼は泣き止むと、笑顔のままペルゼニアの肩を叩く。
﹁だって、学ばずに牢屋に入ったって事は、自分を制御しようとし
たってことじゃないの?﹂
﹁⋮⋮まあ、そうだけど﹂
その辺は事実だ。
当時、ペルゼニアはあまりに強力過ぎる真空の刃を放つ為、学べ
る環境ではなかった。ならば国の迷惑にならないようにしようと思
い、自ら牢屋に入ったのである。
その間は、やることがないから自分の力と向き合ってきた。
1887
﹁じゃあ、それを意識し続けてれば大丈夫だって。うまくいかない
ことも、きっとなんとかなる﹂
﹁なんでそんな適当な事が言えるの?﹂
﹁だって、そうでもないと悲しすぎるだろ﹂
真顔で言い返された。
ペルゼニアはきょとんとした顔でスバルを見る。背後から、アー
ガスが肩を叩いた。
﹁あれがスバル君だ。君の国に仇を成すと判断された少年だよ﹂
﹁⋮⋮とてもそうは見えないけど﹂
﹁そう思うだろう。私もただの甘ちゃんだと思ってたよ﹂
﹁だとしたら、なんで手を貸すの?﹂
﹁そういう甘いところを大事にしていて、それを当たり前のように
言える人間は不思議な力があるんだ。私はそれに救われた﹂
どうだろう。
アーガスは僅かにペルゼニアの顔を覗きこみ、提案する。
﹁今だけでいい。彼を観察するつもりで、大目に見てもらう訳には
いかないかな?﹂
﹁私、こう見えてもお姫様なんだけど﹂
﹁知ってるとも。だが、君は彼を図りかねている。違うかい?﹂
﹁⋮⋮﹂
その無言を肯定と受け取ったのか、アーガスは満足げに前進して
いく。
ただひとり、イゾウだけがペルゼニアの後ろにいた。
1888
﹁あなたも、彼に救われたの?﹂
﹁某は違う。だが、あの小僧は口だけのガキでないことは確かだ﹂
事実、サイキネルとやりあってみせた上にここまで生き残ってい
る。
口車に乗せられたとはいえ、彼に加担したいと思ったのも事実だ。
内容はイゾウ好みに改変されていたわけだが。
﹁どうする。某は物怪とやりあえるのであれば、誰でもいいぞ﹂
﹁⋮⋮遠慮しとくわ。立場上、3対1だものね﹂
くすり、と笑ってからペルゼニアは前に進む。
イゾウが背後から声をかけた。
﹁力のコントロールは?﹂
﹁もしもどうにかなったら、あなた達が止めて頂戴。そうしないと、
彼がミンチになるわよ﹂
﹁いいだろう。貴様の物怪の皮、剥ぎ取ってくれる﹂
なんともまあ、頼りになる仲間に囲まれてる少年である。
これに加えてまだ仲間がいると言うのだから驚きだ。聞けば、彼
らはその殆どが王国からの離反者なのだという。
新人類王国から抜けてまでこの少年に加担するのは、いったいど
ういう事だろう。ペルゼニアは明確な答えを持っていない。
ゆえに、興味が出てきた。
蛍石スバルが本当に王国の脅威となるのか、否か。
ミンチにするのは、それを見極めてからでも遅くはない。
﹁アンハッピー⋮⋮ふふっ﹂
1889
他者と触れ合うのは、7年振りだった。
久々に味わった温もりと興味本位が、彼女に笑みをもたらす。
ミンチになるかもしれない少年の末路を思うと、彼女の笑みは歪
みを増した。
1890
第142話 vs白と青と黄金と仲良しトリオ
神鷹カイト、22歳。
この日、彼は人生最悪の気分を味わっていた。つい先ほどまで新
人類王国が誇る鎧持ちと戦い、これに勝利したばかりなのだ。もう
ちょっと喜んで良い筈なのだが、それでも彼の気は晴れない。
寧ろ吐き気を催してそうな顔であった。全面ブルーで、居心地の
悪そうな表情が、彼の心境を物語っている。
理由は簡単だ。
﹃どうしたのさ! せっかく鎧持ちを倒しんだ。もっと喜びを分か
ち合おう!﹄
先程から頭の中で鳴り響く女の声。頭痛の10割はカイトの身体
の中に完全に寄生したエレノアのせいであった。
何度も細かいが、カイトはエレノアが嫌いである。
なにかにつけてちょっかいを出してくるし、面倒くさいし、面白
くないし、勝手に改造手術を提案してくる。
だが今回ばかりは、そんな彼女の協力が必要だった。ひとりでは
紫の鎧持ち︱︱︱︱ジェムニには勝てなかっただろう。人形と糸の
技術を提供してくれた彼女には、素直に感謝している。
だがそれだけだ。
用が終わった以上、身体の中からさっさと出てきてほしい。
﹁貴様と分かち合うものはない﹂
﹃そうだよね! だってもう私たち一心同体だもんね! もんね!﹄
かつてないうざさであった。
1891
あのアーガス・ダートシルヴィーを超えて、カイトの中の﹃うざ
いランキング﹄堂々の一位である。
移植された目の力の使い方は、ジェムニとヴィクターのふたりと
戦ってある程度理解している。その力を利用して何度か精神を分離
させようと試みたが、エレノアがそれを拒否してきた。
もはや目玉を移植されたのはカイトだけではなく、エレノアも同
様の力を植え付けられたも同然である。
﹁⋮⋮せめて黙っててくれないか。気が散る﹂
﹃この私のテンションの高み! それを目の前にして、大人しくな
んかしてられないさ!﹄
耳を閉じても聞こえるのはなにかと厄介であった。
このまま共同生活が続けば、いつか病院のお世話になる予感がす
る。
﹃ねえ、今日の晩御飯なにがいい? 私はカレーがいいなぁ。アー
ンってしてくれる?﹄
高度なプレイだ、とカイトは思う。
しかし、かまってしまうとエレノアはずっとやかましいままなの
で、武器庫の中で徘徊することにした。
口に出さないのも一つの抵抗なのだ。
﹃ねぇ、なにしてるの? 早くいこぉーよぉー﹄
﹁⋮⋮﹂
がさごそと武器庫のダンボールを片づけ始めるカイトに向かい、
エレノアが言う。先程からカイトは武器庫に保管されている武器を
かき集めはじめていた。煙幕、携帯爆弾、閃光弾。これらはいい。
1892
しかしながら、爪を所持している癖にナイフまで貰っていく意味が
理解できない。
﹃君にそんなの無用だろう? いらないじゃん、どう考えても﹄
﹁⋮⋮﹂
カイトは何も答えない。
代わりに目にしたのは、見慣れたスイッチだった。レバーの先端
についているそれを手に取ると、カイトは一言つぶやく。
﹁獄翼のか﹂
﹃へぇ。彼の﹄
ブレイカー呼び出し機である。このスイッチを押せば、新人類王
国のどこかに格納された獄翼が飛び出してパイロットを迎えにいく。
だが、本来の持ち主は此処には居ない。おそらく、捕まった時に
没収されてい待ったのだろう。彼や仲間たちと合流するまで、これ
は自分が持っていた方がいい。
カイトはそれを胸ポケットに突っ込むと、改めて出口へと向かう。
﹃やっとここから出るんだ。さあ、早く外に出て君と私の素晴らし
い同居生活を始めようじゃないか!﹄
﹁⋮⋮﹂
﹃ねえ、なにかリアクションをおくれよ﹄
こらえ性が無いな、とカイトは思う。
まだ無口になってたった数分程度である。それなのに、もうこれ
か。いかになんでも面倒くさすぎる。
﹁⋮⋮ん?﹂
1893
﹃なに!? なになに!? どうしたの!﹄
ふと、廊下の異変に気付いたカイトが周囲を見渡すと、エレノア
が素早く食らいついてくる。脳内が騒がしいと考えも中々纏まらな
かった。カイトは一度自分の頭に拳骨を入れると、何事もなかった
かのような涼しい顔で言う。
﹁廊下が変わってる。一本道だけだ﹂
﹃ねえ。今のって、傍から見たら凄い間抜けだよね﹄
﹁黙れ。今度騒いだら自分の身体だろうが容赦なく抉る﹂
﹃それは勘弁!﹄
同じ身体を共有するにあたって理解したことは、どちらかがダメ
ージを受けたらもうひとりも同じ分の痛みをうけることであった。
自分で自分を殴ると、そのぶん相方にダメージが及ぶ。再生能力
を所持している分、カイトが絶対的に有利であった。
まあ、それはさておき迷宮である。
無数にあった廊下が消え、今度は一本道。しかも扉はひとつだけ。
﹃誘ってるよね。どう考えても﹄
エレノアの意見に賛成だった。
賛成だが、それを口にするとまた騒がしくなるのが目に見えてい
るのでカイトは無言で考える事にする。
先程までの迷宮は侵入者を外に出さない為の処置だった。実際、
エレノアの本体も、本人が察知できなければ永遠に探し続ける羽目
になった事だろう。
では、今度はどうか。
1894
エレノアの言う通り、特定の場所へと誘導されているのは確実だ
ろう。だが、今更何の為に?
既に新人類王国屈指の守り神である鎧持ちは、その一角が崩れた。
今更兵が出てきて、押さえつけにかかってきてもどうしようもな
いだろう。
﹃ねえ、割と真面目な提案だけどさ。壁を切って、別の道を行くの
ってダメ?﹄
﹁俺がノアだったら、他の道も全部同じ場所に繋がる様にする。ど
こに移動しても、最終的に行き着く場所は同じなはずだ﹂
で、あるのなら。
﹁正面から潰すだけだ﹂
カイトは扉に手を触れる。
人体の温度を感知した自動ドアが、組み込まれた命令通りにスラ
イドする。
﹁ここは﹂
見覚えのある場所へと躍り出た。
玉座である。王様が謁見などに使用する、無駄に装飾品で飾られ
た立派な椅子。こんな目立つ物がある場所など、ひとつしかない。
﹁王の間か﹂
新人類王国でもっとも広い場所。それこそが王の間である。
リバーラ王が演説するのが面倒という理由で作られた、広すぎる
スペースだ。
1895
ここなら何人でも人が入る。
思う存分動きやすい。
﹁へぇ﹂
王の間を見渡し、カイトは理解する。
エレノアも同じだ。
﹃ここで一気にカタをつけるつもりだね﹄
﹁ああ﹂
右を見る。
青い鎧がいた。両手で壺を抱えたまま突っ立っているそれは、カ
イトの姿を見ると鉄仮面を上げる。
150センチくらいしかない、小さな体格であった。
左を見る。
黄金の鎧がいた。大きな体格だ。傍目から見て、ジェムニや青の
鎧に比べても遥かにでかい。多分、身長は3メートルくらいはある。
鉄仮面の頭部から伸びる二本の角が、鎧の雄々しさを引き立てて
いた。
青の鎧を見た後だと、その巨体がより一層わかりやすい。
そして正面を見る。
白の鎧がいた。右腕にはかつて持っていた長剣をそのまま振りか
ざし、オリジナルを見つめる。
カイトは彼を知っていた。この半年間で新生物と並び、自分を追
い詰めた男だ。
﹁豪華な面子だな﹂
1896
﹃殺しに来てる?﹄
﹁確実にそうだろ﹂
鎧持ちが3人がかりでひとりに襲い掛かるなんてことは、前代未
聞だった。
しかもそのうちのひとりは、かつて自分を追い込んでいる。
﹁紫色を倒されて、向こうも焦ってるんだ。恐らく、今出せる最大
戦力がこれだ﹂
﹃じゃあ、逆に言えば彼らを退ければ﹄
﹁ああ。脱出できる﹂
もっとも、前提条件として仲間たちとの合流はあるが、城がすべ
て一本道になっているのなら彼らもいずれここに辿り着く筈だ。牢
屋に捕まったスバルの安否は気になるが、それを確認する為にも彼
らを退けるしかない。
3体の鎧を睨み、カイトは右手を構える。
ちょいちょい、と手招きすると、彼は敵意を込めて言った。
﹁こいよ﹂
その発言に真っ先に反応したのが、青の鎧だった。
カイトが挑発した直後、彼は抱えていた壺を手放す。壺が割れた。
中に納まっていた水が滴り始め、床一面を水が覆い尽くしていく。
﹃なにあの壺﹄
エレノアは驚愕する。
明らかに壺の堆積に収まらない量の水だ。既に王の間一面に水が
1897
張り、水がない個所が玉座くらいになっている。
﹃四次元ポケットじゃあるまいし﹄
﹁だが、わざわざ水を張った理由は何だ?﹂
青の鎧が右手を構えた。
手のひらを上に向け、その中に白い結晶が集っていく。鎧の足下
が凝結し始めた。
﹁あいつは⋮⋮!?﹂
カイトはその光景に見覚えがあった。
否、正確に言えば青の鎧の体格。構え。これから放つ技。それら
すべてが、記憶の中にある。
﹁シデン⋮⋮!﹂
黄金の鎧の半分くらいしかない、小さな青の鎧。
アクエリオと名付けられたそれは、右手に凝縮された氷の結晶に
息を吹きかけた。水晶玉のように膨れ上がった透明の球体がひび割
れ、砕け散る。
直後に襲い掛かるのは、猛吹雪。
水で張った床が、一気に凍りついていく。
﹁くそっ!﹂
足を止められることを恐れたカイトが吹雪から逃げる。
だがそんな彼の前に、巨大な壁が立ちはだかった。黄金の鎧持ち
だ。
1898
﹁どけ!﹂
﹁︱︱︱︱!﹂
胴体目掛けて、カイトが鉄拳を振りかざす。
黄金の鎧もそれに合わせ、拳を振るってきた。ふたりの拳がぶつ
かる。
﹃⋮⋮これって、さ﹄
﹁⋮⋮言うな。わかってる﹂
足が凍る。カイトの足も、3人の鎧の足下が凍り付いていく。
身体が冷え込んでいくのが理解できた。
黄金の鎧とぶつかった右腕を引く。ぶらん、と垂れ下がった。何
度か構え直そうとしてみるが、腕が言う事を聞かない。
﹁折れたか。流石だ﹂
力任せに氷の床から足を引き抜いた。
その動作に合わせるようにして。三人の鎧たちも氷の床から跳躍
する。
着地した瞬間、氷の破片が飛び散った。
改めて目の前に着地した黄金の鎧︱︱︱︱トゥロスを見て、カイ
トが苦笑する。
﹁⋮⋮エイジ﹂
そして、こちらを睨み続ける白の鎧︱︱︱︱ゲイザーを一瞥し、
カイトはそれぞれの鎧に自分たちの姿を重ねあわせた。
﹃かつて新人類王国でも最高の仲良しトリオと呼ばれた、君たち3
1899
人のクローンか。前の紫色よりも強敵だね﹄
﹁俺達、そんな風に呼ばれてたの?﹂
ほんの少しだけ幼稚なネーミングセンスを、目の前にいる鎧たち
に重ねてみる。
違和感しかなかった。
1900
第143話 vs主張
扉の向こうにはまた一本道が続いており、一番奥にはまた扉があ
る。
本当に終わりなんかあるのかな、と思いながらもスバルは廊下を
歩き続けた。道中、飽きることはない。なぜなら、彼の隣に陣取っ
たお姫様がやたらと質問してくるからだ。
﹁あなた、勉強はできるの?﹂
﹁いや、特には﹂
﹁見かけによらず、強いとか?﹂
﹁まさか。そこのふたりにかかったら瞬殺されるよ﹂
﹁スパイとかかしら﹂
﹁ジェームズ・ボンドを頼ってくれ﹂
ペルゼニアの質問は、その大半がスバル個人に対する興味から来
るものであった。自分の国に喧嘩を吹っ掛けてきたのだ。旧人類な
がら相当な猛者なのだろうと勝手に考えていたのだが、彼女の期待
はことごとく外れていった。
﹁じゃあ、あなた何が得意なの?﹂
﹁ゲーム﹂
﹁は?﹂
やっと引っ張ってこれた得意分野は、ペルゼニアの想像とは大分
違う物だった。彼女はやや考え込んだ後、首をひねる。
﹁サバイバルゲーム、とか?﹂
1901
﹁違うよ。俺、インドア派だからさ﹂
﹁⋮⋮もしかして、ブレイカーズ・オンライン?﹂
﹁ああ、大得意!﹂
なるほど、とペルゼニアは納得する。
ブレイカーズ・オンラインの存在は彼女も知っていた。巨大兵器、
ブレイカーを動かす為のシミュレーションソフトを、一般向けに出
荷したゲームである。
この少年はそのゲームを得意分野としていた。あのゲームを達人
級までやり込んでいたとすれば、確かに新人類王国にとっては厄介
なパイロットになるだろう。
納得すると、笑みがこぼれた。
﹁何を考えているのかは知らねぇけど、俺はゲーセンの筐体専門だ
からな﹂
﹁へ?﹂
ゲームセンターの筐体。それがなんなのかを理解できないペルゼ
ニアではない。問題は本物のブレイカーではなく、ゲームセンター
の方が得意だと言ってのけたことであった。
彼は純粋な遊び人だったのである。
﹁因みに、本物のブレイカーに乗った経験は?﹂
﹁半年くらいかなぁ﹂
頭を掻きながら言ってのけたスバル。
実戦経験の内容が濃すぎる為か、あまり長くは感じない。あくま
で彼の態度は呑気であった。
しかし、ペルゼニアは違う。
1902
本物のブレイカーに乗った経験が僅かに半年。逆に言えば、彼は
たった半年で新人類王国を脅かす戦士に成長したということになる。
﹁因みに捕捉しておくが、彼が始めてブレイカーに乗って戦ったと
き、既に評価はかなり高かった﹂
﹁な、なんですって!?﹂
前を歩くアーガスが付け加えると、ペルゼニアは露骨に驚いた。
今にも目玉が飛び出さんばかりの勢いでびっくりしている。
﹁そんな驚くべきこと?﹂
﹁アンハッピー! あなたは普通の新人類兵がどのくらいの訓練期
間を積むと思ってるの?﹂
﹁でも、俺は何年もゲーセンで鍛えてきたわけだし﹂
﹁ゲームセンターの筐体と、本物の感覚は違うわ﹂
﹁ほら。俺は回避には自信があるから﹂
﹁そんな答えで納得できないんだけど﹂
ペルゼニアはジト目でスバルを見る。
自分よりも少しだけ年上の少年だ。兄のディアマットに比べて便
りが無く、だらしのない顔である。得意分野はあくまでゲーム。ブ
レイカーの操縦よりも、ゲームセンターの筐体の方が専門なのだと
いう。
こんな奴に、自分の国は追い詰められたのと言うのか。
傍から見れば、ただのゲーム好きなガキである。自分が能力を振
りかざせば、たちまち微塵切りになってしまいそうだ。
結論から言おう。
ペルゼニアが想像していた以上に、彼は貧弱だった。周りに強力
1903
な仲間を従えている以上、実は隠された実力なんかがあるんじゃな
いかと勘繰っていたのだが、それも全て空振りに終わったのである。
しかしながら、それならそれで疑問も残る。
彼はブレイカーに乗れば戦える人間に変貌する。だが、今は生身
だ。それこそ、ペルゼニアが暴れればそれだけで彼は胴体を真っ二
つにされる。
﹁どうして、そんなに堂々としてるの?﹂
思い切って、聞いてみた。
スバルは顎に手を当て、深く考え込む。
﹁ううん、何て言えばいいのかな。上手く言葉にできねぇ﹂
﹁あなた、おかしいわ。ここでうろついてたら、新人類軍に殺され
るわよ﹂
﹁でも、ペルゼニアは襲ってこないだろ?﹂
﹁それは⋮⋮﹂
痛い点をつかれ、ペルゼニアは口籠る。
彼女は知っているのだ。スバルの周辺にいる﹃おっかない大人﹄
が強すぎて、雑兵がまるで相手にならないことに。
いや、それだけではない。彼女自身、スバルに攻撃を仕掛けよう
と思う気になれなかった。当初の目的である観察は果たしたと言っ
ていい。
スバルの﹃程度﹄は理解できた。
取るに足らない一般人だ。わざわざ処刑場に立たすまでもない。
反乱した見せしめにするというのなら、そのまま銃で撃ち殺してし
まえばいいと思う。少なくとも、新人類王国全体が、そこまでやけ
になるような男ではない。
1904
﹁なんで⋮⋮﹂
ところが、だ。
ペルゼニアにはスバルを攻撃できなかった。イゾウとアーガスが
構えていたのもある。
彼女は自国に敵対する者はみんな死ねばいいと思っているくらい
の新人類思想だった。
絶対強者主義の元に生まれた彼女は、両親や兄弟たちを自身の能
力災害で殺してしまった。だが、それは仕方がない事なのだ。だっ
てそれで死んでしまうってことは、弱かったっていう証明だから。
弱い奴はこの国にはいらない。無能は不要なのだ。
﹁どうしてあなたを攻撃できないのかしら﹂
ペルゼニアが悩む。
能力は不完全でも、出すことは出来る。だが、今はそれさえもで
きない。
この少年とはつい先ほど出会ったばかりだ。なんの貸しもなけれ
ば、恩義も無い。
﹁ペルゼニア君。君は気づいていないみたいだね﹂
アーガスが口を開いた。
﹁君は彼と話している間、ずっと楽しそうだったよ﹂
﹁え⋮⋮﹂
言われて、気付いた。
つい数刻前。スバルのことを知ろうと質問していったとき、頬が
緩んでいた。笑顔だったのだ。
1905
その事実を意識した瞬間、ペルゼニアは真っ赤になって後ずさる。
﹁⋮⋮っ!﹂
﹁ど、どうしたん?﹂
きょとん、とした顔を向けられた。
どうしよう。ペルゼニアは焦る。スバルの顔を直視できない。
恐るべき話術だ。まさかたったの数分でこちらの興味心を掴みと
るとは。
実際は彼女が勝手に興味を持っただけなのだが、誰もそのことに
触れることは無かった。
ただ、ペルゼニアは恥ずかしさを紛らわすために、強めの口調で
言う。
﹁あ、アンハッピー!﹂
﹁お、おう﹂
凄く微妙な顔をされた。
どう返したらいいんだろう、と言った顔である。
思えば、自分とこんなに対等に話してくる人間は彼が始めてだっ
た。曲がりながらもペルゼニアは王族である。同時に、人との交流
経験が著しく浅い。
そんな彼女にとって、スバルとの会話は全てが新鮮だった。最近
だともっとも充実した時間でもある。ただ、それを理解できても受
け入れることができるかとなると話は別だ。
﹁アンハッピー⋮⋮﹂
ややトーンを落としつつ、ペルゼニアは呟く。
1906
お姫様は痛感した。人間とは、こんなに人肌を恋しがる物なのか、
と。今の状態に少なからずとも満足感を得ている自分がいることに、
衝撃を覚えた。
たぶん、この少年にそれを打ち明けたらこう言うだろう。
﹃いいじゃん別に! 別にひとりで生きてるわけじゃないんだし、
俺でよかったら手助けするぜ﹄
大凡、こんな感じであろう。
そして最終的には手を差しのばしてくるはずだ。彼は困ってる人
間を見ると、余程のことがない限り手を伸ばそうとする人間である。
ペルゼニアはそう考えていた。
実際、彼は初対面であるペルゼニアを助け出そうとしている。
だが、その手は取ってはならない。
新人類は︱︱︱︱いや、強者は絶対なのだ。絶対的な存在でなけ
ればならない。
そしてスバルは弱者であった。ブレイカーに乗っていれば話は別
だろう。しかし生身の少年では、ただの蟻にも等しい。
そんな弱者の手を取っては、自分の存在意義を否定することにな
る。
ペルゼニアは多くの王位継承者の命を奪った。兄のディアマット
が王位を継げなかった場合、自分が覇者とならねばならない。
新人類王国は絶対強者主義だ。弱者の手をとり、その主張を尊重
することは許されない。
ペルゼニアにはそれ以外の道など存在していないのだ。
﹁おい、どうした﹂
1907
徐々に肩を震わせ始めるペルゼニアを見て、スバルが心配げに近
づく。
だが、その行動をペルゼニアは手で制した。
﹁近づかないで!﹂
﹁えっ?﹂
突然の拒絶。まあ、立場を考えたら当り前ではある。
だが、先程まではそれなりに普通に話せていた筈だ。それなのに、
今では親の仇を見るような目つきでスバルを見ている。
﹁ペルゼニア、どうしたんだよ!﹂
﹁どうしたもこうしたもあるまい﹂
彼女に態度を疑問を覚えているのはスバルだけだった。見れば、
アーガスとイゾウが鋭い目つきでペルゼニアを見ている。
敵を見る、威嚇の目つきだ。
﹁忘れたか、小僧。この娘はこの国の血を引く女。たったふたりだ
けの王位継承者なのだぞ﹂
﹁そ、それがどうしたってんだよ!﹂
﹁貴様にとっては、知り合いに含まれるやもしれぬ。だが、この女
にとっては違う。最大限譲歩してきたが、流石に限界のようだ﹂
﹁残念だが﹂
イゾウの説明に同調し、アーガスが続く。
﹁新人類がみんな、君のような思想を持ち合わせているわけではな
い。ましてや、彼女は王位継承者。王国の主義主張が絶対だと、骨
1908
の髄まで叩き込まれている﹂
﹁そんなことって﹂
﹁スバル君。君とて理解している筈だ。トラセットで私が何をした
のか、忘れたわけではあるまい﹂
﹁だからって、手を弾いたらずっとそのままだろ! 俺はもう、ア
スプル君の時みたいなことは御免だ!﹂
それを言われてしまうと、アーガスは何も口に出せない。
思えば、この少年を見直すことになったのも、今は亡き弟が抱え
る願望があってこそであった。
﹁ペルゼニア。俺の存在が許せないか?﹂
﹁ええ、正直あなたと出会った事は、私にとってアンハッピーだと
思う﹂
ただ、人間として初めて接してくれたのは他ならぬ彼であったの
も事実だ。そう言う意味では、ハッピーだと思う。
﹁せめてあなたが新人類なら、こんなに悩む事なんてなかったかも
しれない﹂
﹁なんでだ!? そんなに大事なのかよ。新人類王国ってのは!﹂
耳にタコができる程聞いてきた、新人類軍に所属する戦士たちの
主張。
ある者は自分たちを家畜といった。
ある者は生意気なんだよと、力づくで消しに来た。
そういった主張は、暴力という形で飛んでくる。父、マサキもソ
レに飲み込まれて消えていった。
スバルはその主張を、受け入れる気になれない。
1909
﹁俺だって勝ちたいって思う。でも、勝負がある以上は負ける奴が
出てくるのは当たり前じゃないか。なんで劣ってる奴をしいたげる
必要があるんだ!﹂
﹁アンハッピー⋮⋮理解のできない人﹂
心底呆れたような表情で、ペルゼニアが顔を上げる。
﹁そういう問題じゃないの﹂
﹁じゃあ、何が問題だってんだよ﹂
﹁私にはね。もう選択肢がないのよ﹂
﹁どういう意味だね﹂
スバルの眼前にアーガスが立つ。何時でも彼をカバーできる体勢
に入ったところで、彼は問う。
﹁君は新人類王国の主張以外の生き方を知らないだけだ。だが、外
に出れば多少は︱︱︱︱﹂
﹁その選択肢が、ないって言ってるの﹂
ペルゼニアの両肩から空気が渦巻く。
廊下に強風が吹き荒れ、身を打ち始める。
﹁だって、私は﹂
ペルゼニアが口を開いた瞬間であった。
城内がどしん、と揺れる。
﹁むっ!?﹂
地面から伝わる振動を真っ先に掴んだのはイゾウだった。彼は足
1910
元のバランスを意識しつつも、廊下の奥へと視線を送る。
﹁⋮⋮戦闘だ! この奥から強烈な敵意を感じる!﹂
間違いない。イゾウの求める物怪が、この扉の奥にいる。
歓喜の表情に満ち溢れると、イゾウはペルゼニアを無視して扉の
方へと突っ込んでいった。
﹁ちょ、ちょっとイゾウさん!?﹂
﹁放っておきたまえ! 彼はもともとそういう約束でついてきた!﹂
﹁そうだけどさ! 白状すぎやしない!?﹂
﹁淡泊でないと人斬りを楽しみになんてできないとも!﹂
妙に説得力がある言葉であった。
スバルは脱力すると、改めてペルゼニアを見やる。
だが、そこには既に少女の姿は無かった。
﹁ペルゼニア!?﹂
﹁馬鹿な。イゾウが横を通り過ぎた時には確かに居た筈!﹂
そのとおりだ。スバルも、それを目撃している。
だがイゾウがそのまま扉を開けるのに目を向けた瞬間。その一瞬
だけで、彼女の姿は消えてしまった。
壁も、床も、天井も破壊された形跡がない。吹き荒れる突風も、
徐々に勢いが落ちていった。
﹁ペルゼニアー!﹂
少女がいなくなった一本道の廊下で、スバルは叫ぶ。
1911
消えた少女に届けばいいと思いながら、彼は言う。
﹁俺、認めないからな! 優れた奴が、何してもいいなんて主張は
!﹂
少年の声が迷宮に木霊する。
叫びに対し、声が返ってくる事はなかった。
1912
第143話 vs主張︵後書き︶
︵追記︶
次回の投稿は月曜の昼か夜を予定
1913
第144話 vs交代
神鷹カイト。
御柳エイジ。
トリプルエックス
六道シデン。
いずれもXXXに所属している新人類として名を馳せた兵達だ。
カイトは身体能力と不死身の兵として。エイジはパワーマンとして。
シデンは強力な能力者として、それぞれ力を伸ばしてきたのだ。
﹃冷静に考えてみれば、君たちのクローンを作っていても何ら不思
議は無かったわけだ。君の部下がいたくらいなんだからね﹄
﹁⋮⋮ふん﹂
頭の中でエレノアがぼやくと、カイトはそっぽを向く。
砕かれた右腕が、徐々に感覚を取り戻しつつあった。何度か拳を
握りしめることで感覚を確かめつつも、眼前に降り立った三人の鎧
を睨みつける。
﹁そういえば、訓練で1on1をするときはあったけど、こうして
数人がかりなのは初めてだな﹂
﹃そりゃそうだ。君が君と戦えるわけがないんだ﹄
幼少期、よくつるんでいた三人だった。
今の身長の半分くらいしかない頃は、毎日キャッチボールに興じ
ていたもんである。それしか遊ぶものがなかったとはいえ、よくも
まあ、飽きることなく投げ続けていたと思う。
あの時、ずっとそんな関係が続くのだと信じていた。
1914
疑う事もせずに、ただ純粋に毎日を過ごし続ける。
ところが、そんな日にも終わりがきた。彼ら二人と対立してしま
ったのだ。仲直りをしたのはそれから9年後のことである。
もしもあの時、仲違いをせずにもっと素直になれていたら、こん
な感じで並んでいたのだろうか。
三人の鎧が、やけにダブってしまう。
﹃一応、聞いておこう。戦えるんだろうね﹄
身体に寄生しきったエレノアが尋ねる。
彼女は危惧していた。下手に自分たちの姿を重ねあわせて、攻撃
を躊躇うのではないかと。
﹃今、君たちは超仲良しだからね﹄
﹁そうだな。お前よりもあのふたりと融合したかった﹂
﹃なんですと!?﹄
想定外の返事を受けて、エレノアはちょっとだけ動揺した。
﹁だが、それとこれとは話が別だ﹂
ようやく動き出した右腕を掲げ、爪を伸ばす。
三体の鎧がそれぞれカイトを見る。
﹁敵なら倒すよ。相手はあくまでクローンだ﹂
体勢が僅かに屈む。床が一面氷漬けなので、靴が若干滑るのが難
点であった。
1915
﹁地上はまずいな。あいつがいる﹂
横一列に並ぶ鎧たち。その右端にいるアクエリオを視界に入れる。
カイトは思う。もしも自分が三人で戦いを仕掛ける場合、シデン
を主軸にするであろう、と。
彼の能力は広範囲に影響する。いかに王の間が馬鹿みたいに広い
とはいえ、覆い尽くすのは容易い。いずれは床だけではなく、壁に
すら冷気が侵食し、部屋の中が猛吹雪で覆い尽くす事だろう。
﹁エレノア。狙いはあいつだ﹂
﹃青いのだね。他は?﹄
﹁金ぴかは一撃も貰うな。どれだけ素早い動きでもだ﹂
﹃白いのは?﹄
﹁あいつは⋮⋮俺に代われ。なんとかする﹂
真中に陣取るゲイザーを睨む。
あれが誰のクローンなのかは、半年前に知った。同時に、動きや
プラスアルファの能力も知っている。エレノアに任せるよりかは、
経験がある自分がやった方が効率がいい。
﹃死にかけたって話を聞いてるけど?﹄
﹁誰が言った﹂
﹃王子とスバル君﹄
﹁よし、スバルは後で久しぶりにコブラツイストを決めてやる﹂
﹃あら、大胆。私にもやっておくれよ﹄
今となっては高度なプレイ以外の何者でもないので、カイトは敢
えてスルー。その代わり、エレノアには交代を要求する。
1916
﹁なるだけ床は避ける。上に足場を作れ﹂
﹃了解﹄
左目から霧が溢れ出る。
螺旋階段のようにカイトを取り囲んでいくソレは、次第に身体全
体を覆い尽くす。直後、霧の中から腕が伸びた。五指の先から細い
光が走り、王の間を駆け抜ける。
﹁︱︱︱︱っ!﹂
霧が晴れたと同時、鎧たちは動いた。
氷の床の上を難なく走り抜けるゲイザーとトゥロス。彼らは真っ
直ぐ霧の中へと向かい、それぞれ一撃を振りかざす。
ゲイザーは剣で。トゥロスは拳で黒い霧を切り裂いた。
﹁あっぶな!﹂
霧の中から女の声が響く。
霧散した黒の中から、エレノアが飛び出した。2人の鎧の一撃を
かわしたエレノアは両腕を前に突き出した状態で糸をのばし、天井
へと貼り付ける。
天井にかかった糸が回転し、エレノアの身体を持ち上げた。ゲイ
ザーはそれを確認した直後、跳躍。自身の身の丈よりも長い長剣を
振りかざし、王の間に張り巡らされた糸を切り落していく。
﹁急場で足場は作った! 壊される前にあいつを何とかして!﹂
﹃わかった﹄
まるでサーカスの綱渡りのように張り巡らされた、糸の足場。そ
の中の一つに着地すると、再びエレノアを霧が多い囲む。彼女と交
1917
代したカイトは、すぐさま霧の中から飛び出していくと、長い剣を
振り回すゲイザーへと向かっていった。
細い糸の綱を渡り、カイトは疾走する。
﹁!﹂
ゲイザーがカイトを睨む。
彼はオリジナルの姿を確認すると、剣を真上に構えた。
そのまま突きの体勢で糸の上に着地すると、ピエロも真っ青のバ
ランス感覚で突進する。まるで地上にいるかのようにゲイザーは振
る舞っていた。
カイトとゲイザーが糸の上で激突する。
振り降ろされた長剣をカイトが左手で掴み、もう片方の腕で腹部
を刺し貫いた。
﹁︱︱︱︱っ!﹂
鎧が悶絶する。
しかし、腹を抉っただけではゲイザーは死なない。カイトはそれ
をよく知っている。
だからこそ、彼は左目に移植された目玉に命じた。
浸食しろ、と。
その名に応じるようにして左目から黒い霧が溢れ出した。同時に、
今度は涙を流すようにして痣が浮かび上がる。
目の下から口元にまで繋がる、切り傷のような黒のライン。
そのラインが僅かに赤く発光すると同時に、抉られたゲイザーの
腹部が爆発を起こした。
体勢を崩し、床に落ちるゲイザー。
1918
一度バウンドした後、身体に空いた穴から黒煙が溢れ出した。
﹃やったの?﹄
﹁いや、あれは死なない﹂
カイトが断言すると、その発言に応じるかのようにしてゲイザー
が起き上がった。腹に空いた穴がじょじょに塞がっていく。
﹁奴はゾンビだ。たぶん、俺より長生きする﹂
﹃じゃあ、どうやってこの場を切り抜ける気なの!?﹄
﹁考えはある﹂
カイトは思う。
自分はいかにして殺すことができるのかを。
そして過去の経験から、それが可能であることを知った。
﹁体そのものを吹っ飛ばす﹂
﹃考えがえぐいんだけど﹄
﹁貴様に言われたくはない﹂
だが、思いつく方法としてはこれしかなかった。
半年前にゲイザーが撤退した理由は、全身で受け止めたヒートナ
イフの熱量に耐えきれないからだ。つまり、全身を一気に消し飛ば
せば再生は出来ない。
﹃でも、そんなことができるの?﹄
﹁目の力を使って試してみたが、威力を抑えられた。奴の目が防衛
本能で働いてるんだろう﹂
しかし、それも想定の範囲内だ。
1919
カイトはラボでゲイザーの姿を見た時から、彼に有効打を与える
為の方法を考えていた。
その結果こそが、
﹁武器庫で小型爆弾を手に入れてる。あれをさっきの要領で身体の
中にぶち込めば、無事では済むまい﹂
問題があるとすれば、残りのふたり。
糸の上から三人の鎧を纏めて見下しつつも、カイトは思う。
果たして彼らも自分の力が付加されているのだろうか、と。持ち
運びのこともある為、爆弾は一つしか持ってきていない。
もしも他のふたりに同じ力が備わっている場合、高確率で手詰ま
りになってしまう。
﹃あのふたりは糸を昇ってこないね﹄
﹁金ぴかはあの図体だと難しいだろ。青いのは遠距離でも凍らせて
くるだろうが⋮⋮﹂
要は時間との勝負だ。
糸まで冷気の浸食が及ぶ前にアクエリオを倒し、その後にトゥロ
スを観察しつつゲイザーを仕留める。
﹁幸い、糸を登ってきたのは白いのだけだ。青いのは能力専門。金
ぴかはパワー要員。バランスはいいかもしれんが、ここだと俺と白
いの以外は入ってこれない﹂
王の間の天井に張り巡らされた、蜘蛛の巣のような闘技場。
あまりに細すぎる足場では、人並み外れたバランス感覚が物を言
う。アクエリオが本気になったらこの足場も凍りつくだろうが、少
なくとも3メートルの巨体を持つトゥロスがここまで来れるとは思
1920
えない。
跳躍して届いたところで、まともに近づいてこれる姿はイメージ
できなかった。
︱︱︱︱が、それもイメージの話だ。
トゥロスが両拳を握りしめ、姿勢を屈める。
﹃金色が来るよ!﹄
﹁わかってる!﹂
跳ぶ気だ。姿勢を見たカイトは、直観的にそう思った。
ところが、である。
黄金の鎧。その背部から突起物が飛び出してきた。
﹁なに?﹂
なんだ、あれは。
そう呟く前に、カイトはその正体を知った。
翼だ。黄金の鎧の背後から、金色の翼が出現したのである。大き
く広がった翼はゆっくりと羽ばたくと、トゥロスの巨体を宙に浮か
ばせた。
﹃あいつ飛べるの!?﹄
﹁いかん!﹂
猛烈な勢いで金の鎧が突進する。
そのまま糸で張り巡らされた闘技場を破壊せんばかりの勢いで、
トゥロスはカイト目掛けて突撃した。
兜から飛び出す二本の角が、カイトの身体を貫く。
1921
﹁うがっ︱︱︱︱!﹂
そのまま弾き飛ばされそうになるのを堪えつつも、カイトは上半
身を伸ばした。
トゥロスの巨体。その腰回しに両手を伸ばすと、カイトは一気に
爪を突き刺した。黄金の鎧が悲鳴をあげ、バランスを崩す。
﹁エレノア、交代だ! 優先順位は青いのだぞ!﹂
﹃オーケー!﹄
カイトの身体が霧状に変化し、トゥロスの胴体をすり抜けていく。
黒の霧は黄金の鎧の背部で再生成されると、今度はエレノアの身
体を構築する。彼女は糸を伸ばすと、躊躇いなくトゥロスの首に巻
きつける。
﹁ちょっと待っててねぇ﹂
歪な笑みを浮かべつつも、エレノアは跳躍。巨体の背中を蹴り上
げ、アクエリオの方へと跳んだ。
糸に引っ張られ、トゥロスが首を巻きつけられた状態で上昇する。
アクエリオが右手を構える。掌を広げ、氷の球体が出現した。
﹁本体になった私を嘗めないでよね!﹂
指先から光る線が駆け抜ける。
五指から放たれたソレは容赦なくアクエリオの身体を貫くと、一
瞬にして身を縛り付けた。
そしてエレノアは、トゥロスを締め上げた糸とアクエリオを締め
上げた糸を繋ぎ合わせる。小さな青の鎧が、天井に吊るされた巨体
に引っ張られてた。
1922
﹁あっ!﹂
しかし、アクエリオが天井に辿り着くよりも前に糸が千切れた。
ゲイザーが起き上がったのだ。再生が完全に済んだ白の鎧は即座
にアクエリオにひっかけられた糸を切り裂き、救出する。
それだけではない。
スケートのようにして氷の床を滑ると、彼はエレノアに向けて長
剣を振り抜いた。
﹃よけろ!﹄
﹁くっ!﹂
頭の中でカイトの叫びが響くと同時、エレノアは身を引いた。
切っ先がエレノアの指を掠める。木材でできた人形の皮膚からは
血は流れないが、糸を切断することには成功した。
天井に張り巡らされた糸の闘技場が崩れ、吊るされていた黄金の
巨体が落下する。
そこに追い打ちをかけるのは、アクエリオだ。
糸の束縛から解かれた青の鎧は両手をエレノアに向けて冷気を解
き放つ。掌から白の暴風が噴出する。
﹁うわぁっ!?﹂
とっさに腕を交差させて猛吹雪をガード。
腕が凍り付いていくのを感じつつも、エレノアはカイトに言った。
﹁ごめん、しくった!﹂
﹃糸を張れるか!?﹄
1923
﹁流石にこの風の中で新しく張るのは無理!﹂
今、王の間は強烈な猛吹雪が交差していた。
縦横無尽に駆け巡る寒さがエレノアの人形の身体に襲い掛かり、
身体の自由を奪っていく。
逃げることは出来ない。既に足下が凍り付いている。
エレノアのパワーでは、凍りついた床から脱出することができな
いのだ。
﹃交代だ! 俺が脱出する﹄
﹁いや、どっちが出ても⋮⋮今の状態は辛いと思う﹂
エレノアは真っ白になった視界を見て、思う。
この部屋は今、何度なんだろう、と。
﹁君の身体で、この空気に長時間さらされるのは⋮⋮危険だね﹂
﹃鼻から氷柱できてる状態で言われても説得力がないぞ﹄
﹁それでも、だよ。こう見えても私は尽くす女なんだ。せめてあの
青いのに目に物見せてやるとも﹂
﹃手はあるのか?﹄
﹁あるとも﹂
言うと、エレノアの脚部が展開した。
直後、下半身だけを切り離し、上半身が射出される。それだけで
はない。凍りついた両腕を外すと、彼女は歯をもって糸に噛みつい
た。
アクエリオの首に括り付けられていた糸だ。
吹雪の中でも未だに吹き飛ばされていなかったそれに噛みつくと、
エレノアは左目に命じる。
1924
﹁弾け飛べ!﹂
左目を介し、糸を伝って黒い霧がアクエリオに向かう。
導火線のようにして終点に向かうそれは、吹雪の中邪魔されるこ
となくアクエリオへと到着した。
黒の霧がアクエリオの鎧の中に浸透する。
爆発。
青の鎧が木端微塵に砕け散った。
鉄仮面だけになったアクエリオが床に叩きつけられる。
﹁後⋮⋮よろしく﹂
﹃任せろ!﹄
上半身だけになったエレノアの身体が黒に包まれ、カイトとなる。
満身創痍のエレノアと違い、下半身も両腕もそのままのカイトは
氷の床を疾走した。
倒れたアクエリオに向かい、爪を伸ばす。
吼えた。
獣のような咆哮を轟かせつつ、カイトは爪を振りかざす。
爪がアクエリオに振り降ろされる直前、破砕音が聞こえた。
横目で確認する。
トゥロスだ。氷の床を突き破り、黄金の鎧が立ち上がったのだ。
腰から出血しているにも関わらずに構えを取ると、黄金の巨体はカ
イト目掛けて突進する。
それでも、カイトは狙いを変えなかった。
1925
トゥロスがカイトに激突するよりも先に、アクエリオに爪が当た
る。確信していた。それが十分可能な距離である。
例え背中の黄金の羽を羽ばたかせようと、素早さではこちらが一
枚上手だった。
﹁︱︱︱︱!﹂
だが、鎧の素早さ担当も黙っていない。
再び破砕音が響き渡った。鎧についた氷を粉砕した後、ゲイザー
がカイトに迫ったのである。
彼はトゥロスが辿り着く前に、カイトの影と重なっていた。
振り降ろされるカイトの右腕を掴み、頭突き。
﹁がっ︱︱!﹂
そのまま膝蹴りを食らわせると、ゲイザーは盾にするようにして
カイトを抱きかかえた。
痛みを堪えつつも、カイトは見る。
真正面に映る黄金の角を。
﹁くそっ!﹂
抵抗を試みるが、ゲイザーのパワーの前ではびくともしない。
腕はがっちりと固定され、足も組み伏せられている。このままで
はゲイザーもトゥロスによって串刺しにされるか、吹っ飛ばされて
しまう状態だった。
だが、彼はそれが問題にならないのだ。
ゲイザーは痛みを捨てた戦士である。再生し、痛みも感じない身
体を酷使し、積極的に敵を捕まえに来た。
1926
﹁離せ!﹂
﹁⋮⋮⋮⋮﹂
リアクションが返ってくるわけでもなく、ゲイザーはカイトを固
定し続ける。
そして直後。
黄金の角がカイトに襲い掛かった。勢いよくぶつかってきた巨体
はカイトとゲイザーを抉りつつも、上空へ吹っ飛ばす。
﹁お⋮⋮あ⋮⋮﹂
宙に飛ばされつつも、カイトは全身に感じる痛みに抗い続けてい
た。
床に激突する前に体勢を整えようとするが、間に合わない。身体
が言う事を聞かない。
全身に痺れるような痛みを帯びたまま、カイトはゲイザーと共に
床に激突した。
氷の床が弾け飛び、破片が散る。
頭から激突したカイトの血が、氷を赤く染め上げた。
﹁く⋮⋮﹂
騒いできそうなエレノアの声が聞こえない。
先程の猛吹雪を浴びて、意識が飛んでしまったのだろうか。これ
では交代もできない。
そんな彼を追い詰めるようにして、立ち上がる影があった。
ゲイザーだ。痛みを感じない白の鎧は、足の骨が繋がると同時に
起き上がってきたのである。
そのまま長剣を抱えると、ゲイザーは大きく振りかぶった。
1927
第145話 vsそっくりさん
長剣が振り降ろされる。
カイトやゲイザーの身の丈よりも長い刀身が、カイトの首を落と
さんと迫る。空気が切り裂かれていくのを感じたカイトは、静かに、
それでいて歯噛みしつつも思う。
これは死んだか、と。
いかに再生能力を有した自分でも、首を刈り取られれば死ぬかも
しれない。
死んだ後は凄く痛くて、苦しいんだろうなとおぼろげに思った。
﹁カイちゃん!﹂
﹁!﹂
薄れていく意識が、不意にかけられた言葉で覚醒する。
直後、銃声が鳴り響いた。首に迫ったゲイザーの剣が弾き飛ばさ
れ、氷の床に突き刺さる。
﹁!?﹂
ゲイザーが振り返った。
カイトも倒れこんだ姿勢で眼前の来訪者を見やる。
銃口を向けたシデンがいた。彼の横にはエイジとマリリスもおり、
一目散にこちらへと向かってきている。
﹁シデン、そいつら任せたぞ!﹂
1928
﹁うん。カイちゃんをお願い!﹂
ゲイザーとトゥロスが動き出す。
彼らは銃を持つシデンをターゲットにし、再び足を動かし始めた。
﹁し、シデン⋮⋮逃げろ﹂
﹁君を助けて、スバル君も助けてから逃げるよ!﹂
言ってから、シデンはスカートを托しあげる。
ガーターベルトに装填された6つの銃口が顔を覗かせると、突撃
してくる鎧にむかって一斉に牙を剥いた。
﹁おい、カイト無事か!﹂
﹁カイトさーん!﹂
ゲイザーとトゥロスをシデンが引き受けた事で、エイジとマリリ
スがカイトの元へと駆けつける。
﹁え、エイジ⋮⋮お前も行け﹂
﹁うっわ、お前血だらけだぞ!﹂
﹁そんなことはどうでもいい! アイツらは鎧だ!﹂
近寄ってきたエイジの肩を掴み、カイトが語りかける。
鎧の単語を聞いた瞬間、エイジの表情が凍りついた。
﹁鎧持ち⋮⋮アイツらがそうか!﹂
﹁な、なんですか!? そのヨロイというのは!﹂
わけのわからないといった表情をしながらマリリスが問うも、説
明している時間がない。
1929
アクエリオはエレノアがダウンさせているとはいえ、まだ息があ
る状態だ。いつまた復活し、三人で襲い掛かってくるかもわからな
い。もしそうなったら、いかにシデンでも殺される。
カイトとエイジは瞬時にそう理解した。
﹁俺の傷は、時間があれば治る。だがシデンはそうはいかない。わ
かるだろ?﹂
﹁⋮⋮マリリス、説明は後だ。カイトを頼むぜ!﹂
エイジがそっとカイトの手を離すと、真剣な表情のまま立ち上が
る。
﹁も、もしかして相当やばかったりするんですか?﹂
﹁タイラント級が3人いると思ってくれていいぜ!﹂
マリリスに伝わりやすいであろう例を口にしてから、エイジは突
撃。
拳を振るいつつも、白と金の鎧に立ち向かっていく。
﹁金色からは一発も貰うな! パンチひとつで骨が砕けるぞ!﹂
﹁た、た、たたたたたたタイラント級!? それが3人も!?﹂
カイトが最低限伝えておかなければならない情報を送ると同時、
マリリスが青ざめた表情で頭を抱える。
かつて祖国を滅ぼした、新人類王国の女傑。それと同等か、それ
以上の兵が3人いるとカイトが言ったのだ。
﹁か、勝てるんですか!? 勝てるんですよね!﹂
﹁向かった結果がこの様だ。ひとりは倒して、もうひとりはダウン
させたが、流石に多数相手だと分が悪い﹂
1930
マリリスが改めてカイトの惨状を観察する。
腹部からはおびただしい量の血が流れていた。手で出血を抑えて
いるが、まだ出血は止まっていない。あのカイトがこれほどのダメ
︱ジを受けて、なおかつ怪我が治っていない現実。マリリスは無言
で鎧持ちのパワーを理解した。
一旦、深呼吸をする。
王の間は冷え切っており、マリリスの口から僅かに白い息が吐き
出された。
﹁私も治療に回ります。傷を見せてもらっても構いませんか?﹂
﹁頼む。大分力が戻ってきたが、腹が繋がっていない﹂
腹部を抑えていた右手を取り払った。
脇腹が完全に抉られている。文字通り、抉り取ったと表現できる
傷跡を前にして、マリリスは僅かにたじろいだ。
彼女は踏み止まると、何度か首を横に振る事で集中力を高めてい
く。
﹁いきます!﹂
祈る様にして手を合わせた直後、マリリスの背中から透明の羽が
出現した。雪のような結晶が羽から噴出し、カイトの身体に降り注
ぐ。
﹁怪我は⋮⋮頭も、ですね﹂
頭も強く打ったらしく、血が流れている。
マリリスはカイトの前髪を払った。星喰い︵スターイーター︶と
1931
の戦いで見た、黒と赤の瞳孔が姿を現す。
﹁え!?﹂
﹁⋮⋮ああ、これか﹂
驚愕するマリリスを余所に、カイトはマイペースに話す。
﹁話すと長いんだが⋮⋮なんていえば良いかな。エレノアとくっつ
いた﹂
﹁え?﹂
﹁くっついてしまったんだ﹂
ぽかん、とするマリリス。
いったいどういう意味なんだろう、と真剣に考え始めた。
一般的に﹃くっつく﹄と言えば、文字通り何かが付着しているこ
とを意味している。しかし、今のカイトの状況を見ている限りエレ
ノアが付着しているようには見えない。
では、どういった意味なのか。
マリリスはどこか抜けている頭脳をフル回転させ、考える。短い
付き合いだが、エレノアはカイトに対し、積極的にアプローチをし
てきた。
その事実から推測するに、
﹁も、もしや婚約!?﹂
マリリスの背後に雷が落ちた︱︱︱︱気がした。
彼女の妄想世界にウェディングドレスを纏ったエレノアと、抱き
かかえるカイトが降臨する。祝福するエイジとシデン。ブーケを受
け取らんと身構える自分。なぜか神父役をこなすスバル。
純白の教会に描かれる幸せな光景が、マリリスを覆い尽くしてい
1932
く。
﹁お幸せに!﹂
﹁死ね﹂
﹁酷い!?﹂
ただ、神鷹カイトは冗談でもそんなことを言われたくは無かった。
彼は心の奥で﹃こいつの口を針で縫おう﹄と深く決意してからぼ
やく。
﹁とにかく、治すのに集中してくれ。早いうちに加勢しておきたい﹂
﹁でも⋮⋮﹂
ちらり、とマリリスが横目でシデンとエイジの戦いぶりを見る。
シデンはゲイザーと。エイジはトゥロスにかかりっきりのようだ。
双方ともタイラント級の相手と聞いていた為、びびりまくっていた
わけだが、実際にふたりが戦えているのを見ると安心してしまう。
﹁なんとかなりそうじゃないですか?﹂
﹁馬鹿。鎧の恐ろしい所は適応力と生命力の高さだ。新人類として
は能力もハイブリッドな上に、プラスアルファが付加されている﹂
﹁ぷらすあるふぁ?﹂
いまいちピンとこない表情を尻目に、カイトはふたりの戦いを見
守る。
今の所、ふたりとも互角に戦っているように見えた。
エイジはカイトの忠告を守り、ひたすらトゥロスの拳や突撃を交
わし続ける。シデンも同じだ。単純な身体能力ではかなわないと見
たのだろう。激しく動き回る白の甲冑を相手に、彼は銃と凍結能力
で迎え撃っていた。
1933
倒すチャンスがあるならば、一気に決めなければならない。
アクエリオが倒れた今、能力の面ではシデンが有利だ。軽くやり
あっただけではあるが、ゲイザーとトゥロスにはシデンの凍結能力
に対して相性が悪いように見える。突撃を繰り返す彼らが氷漬けに
されれば、為す術はほぼない。
﹁とらぁ!﹂
金色の巨体から繰り出される拳をかわし、エイジが滑り込むよう
にして蹴りを入れる。強烈な衝撃が命中し、大木のような右足が揺
らぐ。
﹁よし、いける!﹂
確かな手ごたえを感じ、エイジは拳を握った。
倒れ込む巨体に向け、拳を突きあげる。アッパーカットだ。金色
の鉄仮面が軋む。
﹁ぬっ!?﹂
だが、巨体は宙に浮かない。
踏み止まったトゥロスはエイジの身体をがっしりと掴む。そのま
ま持ち上げたと思いきや、床に叩きつけられた。
﹁どわぁっ!?﹂
背中から叩きつけられ、エイジは悶絶。
﹁エイちゃん!?﹂
1934
﹁大丈夫だ! そっちは集中しろ!﹂
呼びかけたシデンはアドバイスに応じ、ゲイザーの蹴りを避ける。
左手を翳し、冷気をゲイザーの胴体に送り込んだ。吹雪が鎧に命
中し、白の鎧が凍り始める。
﹁もらった!﹂
至近距離で銃口を突き付け、シデンが微笑む。
ゲイザーの運動能力は目を張る物がある。この氷の床の中、よく
も7つの銃口を躱しつづけた。素直に称賛する。流石は王国の中で
も名を轟かせた鎧持ち。掠ってでも生き延びた人間はいても、この
環境でシデンから逃げ続けた者は居なかった。
だが、これで最期だ。
引き金にかかる指が動く。
﹁よせよシデン﹂
︱︱︱︱刹那。
シデンの中の時間が停止した。
﹁え?﹂
誰だ、今語りかけてきたのは。
いや、誰かは分かっている。今のはカイトの声だ。しかしカイト
は後方で治療に専念している。
近くにいるマリリスなら兎も角、こんな時に話しかけてくる筈が
ない。
1935
じゃあ、今のは誰だ。
疑問が湧き上がる頭に、ひとつのビジョンが飛び込んでくる。
目の前にいる白の鎧。物言わぬはずの無機質な戦士の姿が、カイ
トとダブった。
ゲイザーが顔を上げる。
﹁ありがとう、シデン﹂
﹁!?﹂
喋った。
間違いなく、神鷹カイトの声で。
戸惑うシデンを余所に、ゲイザーは体勢を立て直す。凍りついた
脇腹を庇いながらも、シデンの腹部に回し蹴りを叩き込んだ。
﹁あがっ︱︱︱︱!﹂
﹁シデン!?﹂
﹁シデンさん!﹂
シデンの身体が吹っ飛ばされる。
口から血を吐きだしつつ、氷の床の上を滑って行く。
﹁おい、シデン! なんで今躊躇った!﹂
トゥロスを抑えつつ、エイジが叫ぶ。
彼の目にはシデンが戸惑っているように見えた。鎧を仕留める絶
好の機会を、みすみす水に流したのだ。
﹁シデンさん、どうして⋮⋮?﹂
1936
遠目でこの状況を見守るカイトとマリリス。
マリリスはエイジと全く疑問を覚えていた。視力を鍛えていなく
てもわかる、明らかなライムラグであった。
﹁⋮⋮まさか﹂
だがその一方で、カイトはどんどん顔が青ざめていく。
今、シデンは明らかに躊躇った。
何故か。それは敢えて敵の正体を黙っていた理由に直結する。
シデンは気づいてしまったのだ。
ゲイザー・ランブルがカイトのクローンであることに。もしかし
たら、自分と同じように姿がダブってしまったのかもしれない。
つまり、
﹁俺を撃てなかったのか⋮⋮!﹂
歯を噛み締める。
腕を立て、起き上がった。
﹁ダメです! まだお腹の傷が⋮⋮﹂
﹁言ってられる状況か、これが!﹂
マリリスを退けると、カイトはもたつきながらも疾走する。
トリプルエックス
﹁シデン、俺はここだ!﹂
六道シデン。
彼は能力を磨き上げたXXX最強クラスの戦士である。だが、彼
1937
には致命的な弱点があった。
味方に対し、引き金を引けないのだ。
アキハバラでカイトが暴力を振るった時、彼は最後まで抵抗しな
かった。
﹁ソイツを撃て、シデン! 殺されるぞ!﹂
蹴りを受けたシデンに、立ち上がる気配はない。
見れば、床にうずくまったまま蹴られた箇所を抑えている。
骨が折れていた。
シデンはじんわりと感じる熱と痛みに悶えつつも、ゆっくりと近
づいてくるゲイザーを睨む。
﹁お、お前はカイちゃんの⋮⋮﹂
﹁そうだよ。俺は神鷹カイトのクローンだ﹂
白い鎧があざ笑うかのように見下ろしてくる。
﹁どうして? 鎧持ちには自分の意思気が無い筈じゃ﹂
﹁あったら悪いのか?﹂
乱暴に髪を掴むと、ゲイザーはシデンの小さな身体を持ち上げる。
手刀を首に当てると、白の鉄仮面は呟いた。
﹁大変だったぜ、生まれてからずっと馬鹿の振りをしてきたのはよ﹂
﹁まさか⋮⋮ずっと意識のない振りをしてきたっていうの?﹂
﹁そうさ。俺は頭の中で喚く王子やノアの声を聴きながらも、ずっ
と自分で考えて戦ってきた。半年前にオリジナルと戦った時もだ!﹂
1938
今頃、ノアも面食らっている事だろう。
まさかただの人形だと思っていた人間が、意思を隠し通してきた
など夢にも思うまい。
﹁その半年前の戦いで、俺は実力面では圧倒された。俺が想像して
いた以上に、オリジナルは強かったんだ﹂
目玉の力を使って撃退したものの、あんなものはただの苦肉の策
でしかない。まともなぶつかりあいだと、完全に負けていた。
そして、今も。
だからこそ動揺を誘った。
カイトの身の回りにいる人間については調べがついている。六道
シデンは、強力な能力者であると同時にもっとも﹃甘ちゃん﹄であ
った。
彼を殺す事が出来れば、自分はカイトよりも強くなれるかも入れ
ない。
そんな期待が、ゲイザーの中で大きく膨れ上がる。
﹁汚いぞ、クローン﹂
﹁何とでも言え。戦いの最中に隙を見せた貴様が悪い﹂
手刀が振りかざされる。
白の刃はシデンの首を切り落とさんと、鞭のようにしなった。
﹁某も同感だ﹂
﹁む!﹂
だが、その一撃は途中で中断される。
刀だ。真横から勢いよく飛んできた斬撃が、ゲイザーの腕を貫い
ている。
1939
﹁誰だ。お前﹂
再び現れた第三者に向かって、ゲイザーが問う。
全身に包帯を巻いた、袴姿の男が笑みを浮かべた。
モノノケ
﹁名などどうでもいい。某はただ、物怪を斬りたいだけよ﹂
言い終えると同時、イゾウは刀を引き抜いた。
腕が斬り飛ばされ、シデンの身体が再び崩れ落ちる。
1940
第146話 vs無能な王様
﹁へぇ⋮⋮﹂
3枚のお札を額に当てた状態で、ノアは唇を尖らせる。
明らかに不機嫌な表情だった。普段は比較的マイペースに振る舞
う彼女が苛立ちの感情を見せるとは珍しい。
﹁どうした﹂
﹁鎧にしてやられました。ゲイザーは意思を持っている﹂
﹁なに!? 何時からだ!﹂
﹁生まれた時からです﹂
白の鎧持ち、ゲイザー。
半年前、ディアマットも彼の操作をしている。
﹁私も一度動かしたが、そんな素振りは⋮⋮﹂
言ってからディアマットは気づく。
いかに王子と呼ばれていようと、彼が鎧持ちを操作したのは半年
前のカイト戦が最初で最後なのだ。比較対象がいないのであれば、
自分の発言はあまりに意味がないものである。
﹁いや、いい。問題はゲイザーの目的だ﹂
管理者のノアとしては面白くない結果だろう。
彼女は意思のない鎧持ちこそが最高だと信じている。だが、ディ
アマットにしてみればどちらでも構わない。彼が味方ならばよし。
1941
敵ならば排除する対象になるだけなのだ。
﹁我々に敵意は?﹂
﹁今はありません。むしろ、半年前にやられたことを強く根に持っ
ているようです﹂
﹁ほう、ならば都合がいい。早速許しを出してやれ。殺せとな﹂
﹃いらん﹄
お札から男の声が響いて来た。つい先ほども聞いたことがある、
カイトと同じ声質。
驚き、ノアがその札を額から外す。
﹁貴様、我々の会話を聞いていたのか﹂
﹃聞かれたくないなら、とっととその紙を処分するんだな﹄
なんとも生意気な口の利き方であった。口ぶりがやや暴力的であ
る事をふまえても、オリジナルより気品が無い。
﹁それよりも、どういう意味だ。折角思う存分に戦わせてやろうと
言うのに﹂
﹃貴様に許しを請う必要はない。俺は戦いたい奴と戦う﹄
﹁なんだと﹂
生意気なのは口の利き方だけではなかった。
態度も含めて、ゲイザーは新人類王国に対する敬意や畏怖といっ
た感情がない。どちらかといえば、暴れたい時に暴れるというチン
ピラ的な発想である。
﹁では、これまで言う事を聞いていた理由は何だ?﹂
﹃自分の身体を知る為だ﹄
1942
ゲイザーは言う。
物心ついた時、彼は偶然耳にしていた。自分たちがクローンであ
り、同時に意思を持つべき存在ではないことに。
彼は考えた。意思を奪われるとはどういうことなのだろう、と。
実際にやられたことはないから、正直な所よくわからない。ただ、
本能が危険だと察知していた。
ゲイザーはその直感に従い、自身の感情を隠すことにしたのだ。
﹃幸いにも、周りは木偶人形だらけだ。モノマネするのには事欠か
さん。そうやって時間を稼ぐ間に、俺は自分のことを知っていった﹄
﹁知ってどうする﹂
﹃俺がなんなのかを知りたい﹄
﹁貴様は鎧持ちだ。考える力を失う代わりに、我らに勝利を与えて
くれる最強の兵器なんだ﹂
ノアの発言は、己の願望を表現していた。
しかしゲイザーは、親の発言を正面から叩き斬る。
﹃糞食らえだね﹄
﹁なに﹂
﹃俺はそんなもんに興味はない。興味があるのは、俺をタイマンで
追いつめたあの野郎とデカブツを叩き潰す事だけだ﹄
ゆえに、ゲイザーは願う。
神鷹カイトとの再戦を。蛍石スバルとの再戦を。
彼らの信頼する仲間との決戦を、ただひたすらに望んだ。
白の鎧が渇望するのは、国の勝利ではない。
﹁なぜ、彼らに拘る。お前が始めて戦った敵だからか? それとも、
1943
オリジナルだからか?﹂
﹃さあ。上手く言葉にはまとめられない。ただ、そのどっちも正解
なんだろう﹄
ノアは理解する。
ゲイザーは戦いに飢えているのだ、と。鎧持ちに課した調整がそ
うさせたのか、DNA提供者の月村イゾウの本能がそうさせるのか
はわからない。
ただ、どんな理由があったにせよ彼が強敵との戦いを望み、そし
て見つけたのであろうことが予想できる。
﹁⋮⋮いいだろう。研究には異端分子も必要だ﹂
ゲイザーのお札を丸めると、ノアはどこか諦めたように呟く。
﹁好きにするといい。その代わり、負けたら私が調整する﹂
﹃いいだろう﹄
その言葉だけで満足したのか、ノアはお札をゴミ箱の中に捨てた。
ディアマットが慌て、声をかける。
﹁いいのか?﹂
﹁様子だけならトゥロスやアクエリオの視界を通じて見ることがで
きます。それに、今ゲイザーを失ったら我々としては分が悪い﹂
アクエリオはほぼ再起不能。
トゥロスもエイジに抑えられている。新生物の因子を受け継いだ
娘と、復活しかけているカイト。更には乱入してきたイゾウを相手
にひとりで立ち向かわせるのは中々厳しいだろう。
1944
﹁要は月村イゾウと同じ思考なのです。ゲイザーは強者と戦いたい﹂
﹁何の為に﹂
﹁己の存在を確立させるために﹂
あくまでノアの推論である。しかし、新人類王国の兵には同じよ
うな願望を持つ者がいるのも事実であった。
﹁月村イゾウや、XXXの真田アキナなんかがそれです。シャオラ
ン・ソル・エリシャルもその気がある﹂
﹁野獣のオンパレードだな﹂
﹁その通り。奴は野獣そのものです。ですが、ああいうのに限って
王は気に入るものなのはご存知かと﹂
瞬間、ディアマットがノアを睨んだ。
彼女は殺意の籠ったメンチに怯むことなく、続ける。
﹁そういうことです。王は彼の存在を容認する可能性が高い。感情
の赴くままに行動する、獣のような人間が好きなのです。私とは真
逆ですね﹂
だからこそ、
﹁複雑ですよ。今になってようやく獣となった彼の存在を喜んでい
いのか、私の理想と遠ざかるのが悔しいか﹂
﹁素直に悔しがればいいだろう﹂
﹁残念ながらそうはいきません。王は鎧持ちに対し、そこまで良い
感情を抱いていないので﹂
そういえばそんな話があったな、とディアマットは思い出す。
リバーラは普段、戦力の出し惜しみはしない方だ。逆らう者には
1945
容赦なく制裁を下すのだが、その義務を果たすのは大体王国兵達で
ある。地球外生命体の力を受け継いだはずの鎧持ちではない。
なぜ鎧を積極的に出さないのか。
理由はわからなかった。昔から鎧持ちは意思のない殺戮人形だと
呼ばれ続けている。それを使うのが人道的に反する事なのかと、自
然に思っていた。
﹁一応、私も王の許可を貰って研究をしている立場ですので。ある
程度のご機嫌とりはしないと﹂
﹁それはおかしな話だな﹂
ディアマットは思う。
父、リバーラはわりと素直な性格だ。素直すぎて幼稚な面が見れ
る程である。
そんな彼が、躊躇する兵の研究に支援を出しているというのだ。
普段の王であれば、すぐに廃止してもおかしくない。
﹁なぜ父が鎧持ちに協力するのだ。ただのクローンならいざ知らず、
鎧持ちはどういうわけか父も使うことを躊躇している﹂
シルバーレディ
今思えば、ノアが銀女の目玉の移植をディアマットにもちかけた
のは、そっちの方がやりやすいからだろう。
リバーラに提案すれば、却下される可能性が濃厚だったからだ。
﹁もちろん、リバーラ様が鎧持ちを否定できない理由があるんです
よ。あなたはご存じないようですがね﹂
﹁是非聞きたいな。あの父がどんな弱みを握られているのか﹂
﹁弱みだなんてそんな。ただ、子供の命を私が預かっているだけで
1946
す﹂
予想の斜め上の発言が飛んできた。
あまりにも物騒な単語を前にして、ディアマットの顔に張り付い
ていた冷静な笑みは消えうせる。代わりにやってきたのは、激昂。
﹁貴様、私に何かしたのか!?﹂
いまにも胸倉を掴まれ、そのまま殴り飛ばされてしまいそうな勢
いで近寄ってきた。
それでもノアの態度は変わらない。彼女はゲイザーの本性が露呈
した時以来、マイペースさを保ち続けていた。
﹁くくく⋮⋮﹂
﹁なにがおかしい!?﹂
﹁いや、本当に何も知らないんだなぁって思いまして。もう成人も
してますし、リバーラ様から直接お伺いしているかと思いましたが﹂
﹁やはり私の身体に何か仕込んだのか!?﹂
﹁妹君の方ですよ﹂
あっさりと返却されてきた言葉に、ディアマットは力がどんどん
抜けていくのを感じた。
﹁ペルゼニアに、か?﹂
﹁そうです。正確に言えば、私ではなくペルゼニア様が直接依頼し
たのですがね。私はそれを快く承諾したのですよ﹂
﹁言え! ペルゼニアは貴様に何を依頼したのだ!?﹂
﹁それはですね、﹂
続きを紡ごうとした瞬間、ラボの中を強風が包み込んだ。
1947
ノアの白衣とディアマットの貴族服が風になびく。
﹁お兄様、こちらにいらしたのですね。丁度良かった﹂
風が吹き荒れる中、ディアマットは少女の声を聴く。
ペルゼニアだ。何度か牢屋に食事を運んであげて、会話したこと
がある。この世で血を分けた、ただひとりの妹だ。
しかし、なぜか彼女がこんあところに。妹は自ら牢屋に入って以
来、そのままの筈だ。
﹁ペルゼニアか!? 今、丁度お前の話をしていたところだ﹂
﹁まあ、そうでしたか﹂
﹁ペルゼニア。なぜここにいる﹂
率直に疑問を投げる。
すると、ペルゼニアは答えることなく後ろからディアマットを抱
きしめた。
﹁ペルゼニア?﹂
﹁アンハッピーです、お兄様。こんなことになってしまって、本当
にアンハッピー﹂
ディアマットの胴に回す腕の力が、僅かに強まった。
﹁聞きましたよ。今の王国の騒動はお兄様が招き入れた反逆者のせ
いなんですって﹂
﹁⋮⋮どこでそれを?﹂
﹁本人から直接﹂
カイトの周りには誰もいなかったとノアは話している。
1948
それなら、彼の仲間の誰かがペルゼニアを解放して事情を話した
のだろう。額から脂汗を流しつつも、ディアマットは振り返る。
﹁ペルゼニア、これは国の為には必要な事だったのだ﹂
言い訳じみているのは百の承知だ。
しかし、そこに偽りがあるかと言われれば答えはNOだ。彼は目
玉とカイトを直結させ、そのデータをとることができれば王国の安
泰に繋がると本気で思っていた。そのついでに反逆者一行を死刑に
させてしまえれば御の字でる。
﹁そうですよね。お兄様がなんの考えも無しにこのようなアンハッ
ピーを招き入れる筈がありません﹂
ペルゼニアもその辺は納得している。
納得しているが、しかし。
﹁ですが、結果はこの有様﹂
囚人には逃げられ、城内では離反したXXXの戦士が好き勝手に
大暴れ。
既に犠牲者すら出ている。
﹁いかにお兄様と言えど、これではお父様もアンハッピーでしょう﹂
﹁父に何か吹き込まれたのか!?﹂
﹁ここに来る前、お会いしました。父は仰ってましたよ﹂
ディードにはがっかりだ、って。
全身に鳥肌が立つのを感じる。
1949
強風とは別の、もっと恐ろしいなにかがディアマットを包み込ん
でいく。
﹁や、やめろ! ペルゼニア、お前は自分が何をしようとしている
のか理解しているのか!?﹂
﹁勿論です、お兄様。この国にはアンハッピーで無能な王はいりま
せん﹂
後ろから抱きつく妹の顔を見た。
黒の眼球。鎧持ちに移植されたと言う、地球外生命体の目玉があ
った。
﹁残念です。他の王位継承者はみんな死んでしまったから、せめて
お兄様だけはと思ってこの身を封じたのに。国の為を思い、邪魔者
と無能を排除する為に移植手術に志願したというのに!﹂
﹁な、なんだと︱︱︱︱!?﹂
ディアマットがノアを睨みつける。
視線からぶつけられる敵意は、紛れもなく本物であった。
﹁貴様、なぜペルゼニアに移植した!﹂
﹁先程も言ったでしょう。本人のお強い要望ですよ。私はそれに応
え、ペルゼニア様は耐えられただけです﹂
もっとも、その代償として彼女は調整を受け続ける身体となった。
ペルゼニアは常にノアがいなければ生きられない。新人類王国で
目玉について熟知しているのは彼女以外に居ないのだ。
すべては国の為に。
愚かな弱者を屠り、よりよい王国を築く為に。
1950
﹁あなたでは、この国をアンハッピーにします﹂
冷たい風がディアマットの身体を通り過ぎる。
直後、ディアマットの上半身が崩れ落ちた。
下半身だけを抱きしめたまま、ペルゼニアが呟く。全身に兄の返
り血を浴びながら。
﹁さようなら、お兄様。この国はペルゼニアが立派にしてみせます
わ。どうか天国で見守っていてください﹂
しゃがみ、胴体を刻まれた兄の亡骸に手を触れる。
見開いたままの瞼を閉じてあげると、彼女はノアに向かって言っ
た。
﹁ノア、調整を依頼したいんだけど﹂
﹁私は構わないのですが、よろしいので? リバーラ様は渋い顔を
しますよ﹂
﹁お兄様が亡くなられた今、私が完璧になる必要があるの。他の鎧
持ちの誰よりも強くならなければ、この国の威信は取り戻せないの﹂
﹁では、もうコードネームは必要ありませんか?﹂
問われ、ペルゼニアは僅かに考える素振りをみせる。
ややあった後、彼女はにっこりとほほ笑んだ。
﹁いいえ。まだ一度も使っていない名前よ。使ってあげなきゃアン
ハッピーだと思わない?﹂
﹁わかりました。では、﹃カプリコ﹄。急ぎ、準備をしましょう﹂
﹁お願いね﹂
1951
そそくさとノアが準備に入ると、ペルゼニアは俯く。
つい先ほど談笑した少年の姿を思い出す。
血塗れの王女は口元にべっとりとついた返り血を舐めとると、静
かに呟いた。
﹁さようなら。アンハッピーボーイ﹂
1952
第147話 vs理解と判断と
﹁カイトさーん!?﹂
イゾウが先行した自動ドアを解き放ち、スバルは王の間へ突撃す
る。
部屋中を覆い尽くした冷気が、訪問者に襲い掛かった。氷の床に
足をついた瞬間、スバルはすってんころりんと倒れ込む。
﹁あいたぁ!?﹂
﹁す、スバル君!?﹂
一歩遅れて部屋に入ったアーガスが少年を立たせる。
スバルは頭を擦りながらぼやいた。
﹁いてて⋮⋮なんだよこれ!﹂
王の間を見渡すまでも無く、この空間は軽い北国であった。
氷の床。凍りついた壁。白い吐息。どう見ても室内とは思えない。
﹁小僧、やっと来たか﹂
﹁ん?﹂
後ろから声をかけられ、スバルは振り向く。
イゾウだ。物怪を求めて先行した包帯侍が刀を構えている。相対
するのは、半年前に襲い掛かってきた白の鎧。
﹁いいっ!? あ、あいつは⋮⋮﹂
1953
﹁知ってるのかね?﹂
﹁知ってるも何も、俺は半年前こいつに殺されるかと思ったんだよ
!﹂
ゲイザーを指差し、スバルは訴える。
思えば、暴力的で超人的な殺し合いを目の当たりにしたのも同居
人とこの鎧が戦ったのが最初だった。あの時、同居人は後一歩と言
う所でやられてしまったが、果たしてイゾウが勝てる相手なのだろ
うか。
よく見れば、周りにはやたらとデカイ黄金の鎧もいる。
﹁ん?﹂
だが、黄金の鎧の他にも見慣れた影が幾つかある。
金の巨人に近い位置で構える御柳エイジと、倒れているシデンを
抱えるカイト。そしてやや離れたところで怯えているマリリスであ
る。
見慣れた面々であった。
﹁みんな!﹂
﹁スバルさん!﹂
﹁おお、スバル! 無事だったか!﹂
地下に閉じ込められたスバルの無事を確認し、安堵するエイジと
マリリス。
だが無事を歓迎する声だけではない。
カイトは半目になって問いかける。
﹁おい、なんでそいつらと一緒にいるんだ﹂
1954
アーガスとイゾウを睨む。
どちらもカイトとしては因縁のある相手だ。面倒くさかったと置
き換えてもいい。
正直に言うと、出来る限り相手をしたくないふたりであった。
しかし、どういうわけかスバルはそのふたりを引き連れて王の間
にやってきている。心なしか、護衛として。
﹁パツキンはまだわからんでもない。だが、チョンマゲがなぜ俺達
に味方する﹂
﹁決めつけはよくないぞ﹂
スバルが答えるよりも前に、イゾウ本人がカイトの言葉を否定す
る。
彼はあくまで眼前にいる鎧を視界に入れながら、かつての化物の
問いかけに返答した。
﹁某はあくまで物怪を求めるだけ。それらと出会うにはどうすれば
いいのかを考えた結果だ﹂
﹁なるほど。確かにこいつは変なのに好かれやすい﹂
﹁アンタにだけは言われたくなかったよ﹂
蛍石スバル、16歳。
ここまで鏡を向けてやりたい場面は無かった。確かに、妙なのに
懐かれている気はするが、それでもカイトに比べたらまだ話が通じ
るだけマシというものである。
少なくとも改造手術やカニバリズム至上主義を持ち出してこない
だけ、良心的であると言えた。
﹁某は目的を果たした。後は心行くまで死合うのみよ﹂
﹁勝手に決めるな﹂
1955
白の鎧が言葉を発する。
イゾウが僅かに驚愕するが、すぐに口元の笑みを作った。
﹁ほう。近頃の鎧は言霊を扱うか﹂
﹁コトダマだがなんだか知らんが、俺の標的は貴様じゃない﹂
ゲイザーがちらり、とスバルに顔を向ける。
目を向けられた少年がびびって、再びこけた。
﹁あのガキとオリジナルが俺の目標だ。貴様はお呼びじゃないんだ
よ﹂
﹁そうはさせん﹂
右手で構える名刀が床を一閃する。
間近で放たれた斬撃を前にして、ゲイザーは反射的に飛びのいた。
﹁小僧、約束通りこの場は某が貰い受ける!﹂
﹁イゾウさん!﹂
﹁イゾウ君!﹂
イゾウが何を考えて攻撃を仕掛けたのか、スバルとアーガスはよ
く理解している。
彼はこの場で、全ての鎧と戦うつもりなのだ。
少年たちを助ける為ではない。あくまで己の欲望の捌け口として。
﹁でも、あんたひとりで敵う奴らじゃないぜ! ふたりいるし!﹂
﹁正確には三人だ﹂
カイトが補足を入れる。
1956
﹁チョンマゲ、そこで寝ている青いのはまだ息がある。いずれ起き
上がってくるぞ﹂
﹁忠告、かたじけない﹂
イゾウが素直に礼をする。
カイトにはそれが意外だった。ぽかん、と口をあけて目を丸くす
る。
﹁案外義理堅かったりするのか?﹂
﹁馬鹿な話はやめてもらう。某はただ、物怪と戦いたい。貴様が獲
物でもよかったのだが、やはり獲物は常に極上であるほうがそそる
ものよ﹂
ゆえに、イゾウはこの場を他の誰にも譲る気はない。
﹁行け。行けぬのなら、ここで貴様らに刃を振るうまで﹂
﹁死ぬぞ﹂
率直に、カイトは言う。
鎧とイゾウ、両方と戦った事があるからこそ言える結論だった。
だがイゾウは、カイトの言葉を聞いて笑みを浮かべる。
﹁それもまた、一興﹂
﹁⋮⋮いいだろう。感謝する!﹂
カイトはシデンを抱きかかえ、エイジとマリリスに行動を促した。
﹁逃げるぞ! マリリスは俺とシデンの治療へ。エイジは先頭を頼
む﹂
1957
﹁カイトさん!?﹂
同居人の判断に憤慨し、スバルはカイトの近くまで歩み寄る。
すぐ近くには鎧持ちもいたのだが、それを気にする余裕もなかっ
た。
しかしカイトはスバルの憤りを無視すると、懐から彼の持ち物を
渡す。ブレイカーの呼び出し機であった。
﹁これは﹂
﹁武器庫で見つけた。これで獄翼を呼べる﹂
それがどういう意味を持つか、理解できないスバルではない。
シルバーレディ
彼の考えていた脱出プランは、獄翼があってこそだ。仲間も勢揃
いした今、当初の予定通り逃げればいい。
しかし、
﹁でも、イゾウさんが!﹂
﹁スバル﹂
押し黙らせるような厳しい目を、少年に送る。
ここでスバルは、カイトの変わり果てた左目を見た。銀女と同種
の、黒目と赤い瞳孔。
何があったのかはわからないが、自分の想像を超えるような何か
が彼の身に起こったのであろうことは予想できた。
﹁あいつの意思だ﹂
﹁で、でもこのままだと殺されるって!﹂
カイトの放つ迫力に押されそうになりつつも、スバルは訴える。
1958
月村イゾウ。半年前に襲撃してきた、新人類王国の兵士兼囚人と
いう変わり種である。
カイトやエイジ、シデンの中で彼は敵としてカテゴライズされた
ままなのであろう。だが、スバルの中では違う。
﹁短い間だけど、この人も一緒に戦った仲間なんだ! 助けてやっ
てよ!﹂
カイトだけではなく、エイジやアーガスにも顔を向けてスバルは
訴える。
彼も頭の中では理解しているのだ。このままイゾウが戦っても殺
されるだけであろう、と。
それを黙って見てられるほど、少年は非情ではなかった。
﹁小僧﹂
そんなスバルに向けて、イゾウが言葉を吐く。
﹁貴様はおかしな男だ。某はあくまで貴様の案に乗っただけ。貴様
は目的を果たし、某は望みを叶える。何の不満があると言うのだ?﹂
﹁不満しかねぇよ! 確かに提案したのは俺だけど、あんたを見殺
しにしてまで逃げたいと思ったわけじゃねぇ!﹂
﹁小僧、貴様良い奴だな﹂
褒められた。
こんな時に何を言ってるんだというツッコミと、褒められて素直
に嬉しくなってしまう自分がいて少し悲しくなる。
﹁だが覚えておけ、小僧。世の中は貴様と同じ考えを持つ人間ばか
りがいるわけではない。そして某は、貴様の望みを断とう﹂
1959
言うと同時、イゾウは背後に向かって刀を振るった。
イゾウとスバルの間にある床が切断され、彼らの間に崖を作り出
す。
﹁イゾウさん!﹂
﹁小僧、そしてXXXの物怪よ。貴様らが言うように、某は死ぬや
もしれぬ﹂
言うと、イゾウは僅かに背後を振り向いた。
包帯越しに見える眼光が、ぎらぎらと輝いている。
﹁戦いの果てに死ぬのであれば、それもまた某の本望なり﹂
﹁なんで!?﹂
﹁某の人生だ。某の望みのままに生きる﹂
イゾウは思う。
人生なんて一度きりだ。
輪廻転生なんて言葉があるが、そんな不確かな話を真に受けて次
の人生を全うする気なんて起きない。
どうせ死ぬなら、思いっきり使い果たしたいのだ。
己に残る、全てのエネルギーを。
﹁小僧。よぅく目を凝らし、覚えておけ!﹂
視線を鎧たちに向ける。
ゲイザーが肩を回し、トゥロスが拳を突き合わせて戦闘態勢に入
った。
﹁これこそが、戦いに飢えた者の末路よ!﹂
1960
イゾウが走る。
振り返りもしないまま、鎧に向かってまっすぐ突撃した。
呆気にとられる少年の肩を叩き、アーガスが呟く。
﹁スバル君。君には理解できないかもしれない。だが、あれが月村
イゾウという男なのだ﹂
﹁⋮⋮戦いって、そんなにいいものなのか?﹂
﹁私はそうは思わない。だが、人の求める美とは常に多様なのだ﹂
﹁それはわかってるよ! わかってるつもりだけど⋮⋮簡単に納得
なんかできねぇ!﹂
拳を震わせ、スバルがイゾウの背中を睨む。
たぶん、もう彼と会う事はないのだろう。
短い付き合いであった。時間に換算すると、24時間程度でしか
ない。半年前は刀を向けられたこともある。
それでも、この迷宮を共に潜り抜けた仲間だった。
彼はどう思っているのか知らないが、その仲間ともう二度と会え
ないと思うと、寂しい。
﹁スバル君、確かに納得できないのかもしれない。だが、決断も時
としては必要だ﹂
﹁そうやって、アンタはアスプル君を見殺しにしたのか!﹂
﹁では、君は他の仲間を更に危険に巻き込むつもりなのか!?﹂
強めの口調で言われた言葉に対し、スバルは何も言い返せなかっ
た。
アーガスは弟の姿を思いだし、ぐっと拳を震わせながらも続ける。
1961
﹁君も見ただろう。六道君はやられ、山田君も重傷を負う程の相手
だ。御柳君と私が加勢したところで、後ろには君とマリリス君がい
る。ここが敵の本拠地である以上、少しモタついただけで危険はす
ぐにやってくる﹂
﹁それは⋮⋮﹂
理解できる。
今、何をすべきなのか。何の為に脱出しようとしているのか。
我を忘れて感情の吼えるままに戦った結果、悲惨な光景を生み出
したことをスバルは忘れない。
﹁何をしているスバル! 早く来い!﹂
先行するカイトが吼えた。
スバルはやや間をおいてから振り返り、カイトに続いて走りだす。
最後の自動ドアを潜り抜ける前にもう一度振り返った。
包帯侍がふたりの鎧を相手に斬りかかっている姿が見えた。
笑いながらも凶器を振り回すイゾウの姿を目に焼き付け、スバル
は同居人たちに続く。
走り出してややあった後。
スバルは手渡されたスイッチを押した。
1962
第147話 vs理解と判断と︵後書き︶
次回は日曜日の朝に更新予定
1963
第148話 vsチョンマゲ
人間の心なんて砂漠のような物だ。
モノノケ
何を欲し、得たところで欲望が渇くことはない。
今の自分もそうだ。
何度敵を斬り倒し、物怪を屠ってきても満足できない。
月村イゾウは己の30年近い人生を思い返し、不敵に笑う。
﹁なにがおかしい﹂
相対するゲイザーはイゾウの態度に疑問を覚える。
トリプルエックス
今のイゾウは一言で言えば、絶体絶命の窮地に立たされているよ
うなものである。いかにXXXと戦い、負傷しているとは新人類王
国の切り札である鎧持ち3人との戦い。
自分で言うのもなんだが、笑みを浮かべるような相手ではなかっ
た。
﹁勝てると思ってるのか?﹂
﹁某の頭にあるのは、勝つか負けるかではない﹂
再度、名刀を構える。
イゾウの笑みの歪みが増した。
﹁いかにして斬り捨てるか。それのみよ﹂
﹁サイコヤローめ﹂
﹁鎧に褒められるとは、光栄だ﹂
﹁誰も褒めてねーよ﹂
1964
話してみると、意外と鎧は気さくに対応してきた。
これまでの人生、人形の振りをしてきたことを考えると鬱憤がた
まっていたのかもしれない。
﹁だが﹂
ちらり、と横にいる金色の巨人を見やる。
カイトとエイジにやられた傷がまだ残っていた。特に腰回りから
流れる血が酷い。たぶん、鎧でなければ立っていられないだろう。
﹁休んでろ。俺がやる﹂
﹁⋮⋮﹂
ボロボロになって倒れているアクエリオにしてもそうだが、彼ら
には休養が必要だ。
ここで倒れてしまっては、ノアに何を言われるかわかったもので
はない。
だが、ゲイザーの提案はイゾウを憤慨させる。
﹁なんだと。貴様、仲間を思いやる気か?﹂
﹁まさか。ただ、上が口やかましくてな。これ以上やられたら敵わ
ん﹂
それに、
﹁俺も丁度実験台が欲しいと思ってたところだ﹂
﹁なに?﹂
ゲイザーが白の鉄仮面に手を付ける。
1965
かちゃかちゃと音が鳴った後、彼は鉄仮面を脱ぎ捨てた。
﹁ほう、貴様あの男のクローンか﹂
﹁ああ﹂
その素顔を見たイゾウは驚愕する。
だが、それ以上の驚きが彼を待っていた。
﹁これで貴様を倒す﹂
直後、ゲイザーは自身の髪の毛を一本引っこ抜いた。
20センチにも満たない白の毛が、イゾウの前にちらつかせる。
﹁何の冗談だ﹂
﹁冗談じゃない。俺は大まじめだ﹂
これが冗談以外の何に見えるだろうか。
イゾウの武器は刀。しかも過去、六道シデンともこれで渡り合っ
ている。銃弾をすべてかわしたうえで彼を斬った功績もあった。
ソレに対し、ゲイザーは髪の毛一本。
床に落ちた剣を拾う事も無く、選んだのは髪の毛であった。しか
も味方の手出しを制した上で、である。
﹁貴様は神鷹カイトのクローンだ。奴の髪は凶器にでもなるのか?﹂
﹁冗談は止してくれ。もしそうなら、とっくの昔に散髪させている
さ。それに、俺のDNA提供者は奴だけじゃない。7割は奴のもの
だが、貴様の遺伝子も含まれている﹂
﹁なに﹂
﹁痛みを感じないんだ。俺は﹂
1966
痛覚遮断。
月村イゾウが持つ、新人類としての能力。
いかなるダメージを与えても、本人には決して痛みの感覚は無い。
それに加えてカイトの再生能力までゲイザーは保有している。
なるほど、組み合わせたら確かに凄そうだ。
﹁なるほど。さぞかし優秀な子のようだ。だが残念なことに頭が少
々弱いらしい﹂
﹁どうかな﹂
直後、ゲイザーの眼の色が黒に染まった。
斑模様のようにぽつぽつと斑点したかと思いきや、一瞬にしてゲ
イザーの白目を黒一色に塗り潰す。
﹁俺は密かにデータを眺めた。オリジナルに勝つ為にはどうすれば
いいのか﹂
単純に考えれば、同じ手を使えばいい。
傍から見て勝ったのはゲイザーだ。しかし、彼本人がそう思えな
い理由がある。
﹁俺達の目は成長しきってない化物から移植したもんだ。意識を揺
らがせても、精神を砕くには至らない﹂
シルバーレディ
星喰い︵スターイーター︶と銀女の資料を見た感想でもあった。
成長しきった目玉を持つ彼らは、カメラ越しでミッチェルを精神
崩壊に追い込んでいる。しかしゲイザーの場合、効果があるのは1
週間程度。
1967
﹁気に入らんが、俺の目は奴に移植された物に及ばない。だが、使
い方次第でこれからもっと強くなれる﹂
﹁何が言いたい﹂
問うと同時、ゲイザーは不敵に笑う。
﹁こうするのさ﹂
毛を手放す。
直後、ゲイザーの両目が不気味に輝いた。黒の眼に睨まれた髪の
毛が伸びた。
﹁なに!?﹂
それだけではない。
伸びた髪の毛は肥大化し、鋭利な刃となって生まれ変わる。全て
が一瞬の出来事だった。
その昔、テレビで見た手品で似たような物を見た記憶があるが、
しかし。
﹁髪の毛を剣に変えた⋮⋮!?﹂
そんな芸当ができるというのか。
予想をはるかに超えた超現象を前にして、イゾウは開いた口も塞
がらない。
しかし、呆然と開いた口は自然と笑みにシフトする。
﹁面白い﹂
﹁言うと思った。流石俺のDNA提供者だ⋮⋮行くぞ!﹂
1968
ゲイザーが突撃する。
足が動いたと同時に、風が吹いたのを肌で感じた。
﹁なるほど﹂
イゾウは思う。
確かにカイトベースのクローン人間だ。走った時に伝わる衝撃ま
で同じである。
しかし、ふたりの間に決定的な差があった。
戦った事があるから、わかる。
﹁その程度であれば、某の射程範囲!﹂
仲直りをした後のカイトの走りは止める事が出来なかった。あま
りに穏やか過ぎて、敵意を察知できないからだ。
しかしゲイザーは逆に殺意に満ち溢れている。まるで周囲からマ
シンガンを向けられたかのような感覚だ。
それなら存分に戦える。例え目で追えない速度であろうと、肌で
感じられる。
﹁そこだ!﹂
風に向かい、刀が振られる。
がきん、と金属音が鳴り響いた。刀と剣がぶつかったのだ。
﹁どうした。鎧とはその程度か!?﹂
斬撃を受け止め、イゾウは心の底から失望していた。
この程度なのか、と。
1969
もっと圧倒的なパワーが襲い掛かってくるものかと思えば、案外
普通である。これならXXXと戦っているのと大差がない。
﹁それとも、オジリナルに手ひどくやられたか?﹂
﹁馬鹿を言うな。確かに一撃を受けたが、俺に物理的ダメージは意
味をなさない。それに、貴様はまだ自分の立場ってもんを理解して
いないようだ﹂
﹁随分と口が動くな﹂
﹁口を封じてればお喋りになるさ﹂
ゲイザーは余裕を含めた笑みを浮かべ、言う。
﹁貴様は前座だ﹂
﹁どういう意味だ﹂
﹁そのままの意味だ。これはあくまでデモンストレーションなんだ。
見ろ﹂
言われ、刀に視線を送る。
すると、イゾウは見た。ゲイザーの剣とぶつかった名刀、レイが
刃こぼれしているのを、だ。
﹁なに!?﹂
イゾウは今度こそ驚愕する。
確かに何度か振るってはいた。しかし、ゲイザーの剣とぶつかっ
たのは一度だけ。
﹁馬鹿な! 我が名刀、レイがたった一度の激突で⋮⋮﹂
﹁ふふふ⋮⋮ぬん!﹂
1970
ゲイザーが力強く踏み込んできた。
振り降ろされた剣が黒いオーラに包まれる。剣から放たれたオー
ラが、次第に刀を覆い込んでいった。
刀にひびが入る。
﹁!﹂
名刀、レイが砕け散った。
木端微塵になった刀身が、イゾウの足下に空しく崩れ去る。
﹁その程度なのかって聞いたな﹂
後ずさりしたイゾウを見下しながら、ゲイザーは言う。
﹁そのセリフ。そのままそっくり貴様に帰してやるぜ。その程度な
のか、お前﹂
﹁くっ⋮⋮﹂
イゾウが歯噛みする。
予想を大きく上回る事態だ。まさか髪の毛で刀を砕くとは。
いったいどんな能力の類なのだろう。
﹁くくく⋮⋮﹂
考えるだけで、面白い。
内から溢れ出す歓喜の感情を抑え込むことができず、イゾウはぎ
らついた眼光を向ける。
﹁いいぞ。そうでなくては!﹂
﹁どうする? なんなら、別の刀を準備してもいいんだぜ。まだま
1971
だやれることはたくさんあるんだ﹂
﹁いい﹂
﹁なに?﹂
笑いながら吐き出された言葉に、ゲイザーは反応した。
驚きの感情を隠さないままこちらを見る鎧に向けて、イゾウは笑
みを浮かべながら言う。
﹁不要だ。某が持っているのは、その名刀のみ﹂
﹁ならどうするんだ。まさかと思うが、丸腰で俺に挑む気じゃある
まいな﹂
﹁そのまさかよ﹂
﹁⋮⋮貴様は素手の方が強かったりするのか?﹂
﹁いや。某は刀が無ければ何もできぬ。人を殺せぬ﹂
眼光の輝きが増した。
明らかに喜び満ちた表情を前にして、ゲイザーは狼狽える。
なぜそんな顔を晒すのだ。
なぜ圧倒的不利な状態で戦おうとする。
﹁どうした鎧。怯えているぞ﹂
﹁俺が怯えているだと? 誰にだ﹂
﹁⋮⋮なるほど。今理解した﹂
輝きに満ちた眼光の勢いが止んだ。
目に見えて歓喜に満ちていた筈のイゾウの表情が、明らかに失望
の色に変わって行く。
﹁貴様の底が見えた﹂
1972
﹁なに!?﹂
つまらない。
イゾウの目が、急にそう訴えてきた。
﹁ふざけるな! 今、この場で優位なのは俺だ!﹂
﹁そうだ。違いない。だが、貴様では某は満足できん。寧ろあの金
ぴかや青い方が獲物として優れている﹂
﹁馬鹿な事を! 貴様を追い込んだのはこの俺だ!﹂
正解だ。
その点において、イゾウは心の底からそう思う。
だが、戦いの結果とイゾウの求める物は必ずしも比例しない。
﹁貴様は中途半端だ﹂
﹁⋮⋮!?﹂
﹁鎧持ちは確か、感情を殺されるのであったな。なるほど、これで
は確かに底の浅さが知れる﹂
﹁黙れ!﹂
﹁無念だ。強敵によって屠られたかったが、最期の相手が貴様のよ
うな者だとは﹂
﹁黙れと言った!﹂
ゲイザーが吼える。
剣が振りかざされた。それを見て、イゾウは微動だにしない。彼
の敗北は、刀を破壊された瞬間に決まっていたのだ。
残念な結果だ、とイゾウは思う。
しかしこれが自分の末路だ。素直に受け入れるしかない。
1973
失望の眼差しを送り続けたまま、イゾウが貫かれた。
月村イゾウ。
その人生は常に名刀、レイと共にあった。
己を刀に変化させる新人類。それこそがレイだ。
幼馴染だった彼らは、同じ新人類ということもありよく剣術道場
で組むのも多かった。
﹃イゾウ。聞いたか﹄
ある日、訓練の特訓中にレイが話しかけてきた。
彼の言いたいことは、自分もよく知っている。道場に通う他の者
も同じだろう。世間ではあるニュースで賑わっていた。
﹃⋮⋮新人類軍が攻めてくる話か﹄
﹃そうだ。俺たちも新人類。このままいけば、日本の自衛隊に組み
込まれるのは目に見えている﹄
いや、その先のことを考えれば新人類軍だ。
彼らは優秀な人間をスカウトし、自分たちの兵にするのだと聞い
たことがある。彼らの目に適えばの話だが、イゾウもレイも戦闘向
けの能力だ。興味を持たれない理由がない。
1974
﹃なあ、イゾウ。俺たちってこのままでいいのかな﹄
﹃どういう意味だ﹄
﹃ただ流されるようにして生きているだけの毎日。それって本当に
幸せなんだろうか﹄
ふたりは親の勧めから道場に通わされた。
半ば強制的に通わされていたが、幸いにも身体能力はぐんぐん高
くなっており、このままいけばオリンピックも夢ではないと言われ
たこともある。
﹃戦争になって、勝ったしても負けたとしても、俺達に待っている
のはちっぽけな未来だ﹄
当時、新人類と旧人類は同じ舞台で争っていた。
野球にしろ、サッカーにしろ、バスケにしろ、新人類と争ったら
旧人類に勝ち目はない。実際、前回のオリンピックの優勝者は揃っ
て新人類であったと大きく報道されている。
﹃自分よりも弱い奴と戦って、楽しいか? 俺は面白くないね﹄
レイは飲み干したスポーツ飲料のペットボトルを握り潰した直後、
言い放った。
﹃俺達はまだまだ強くなれる。限りなく、無限に! 俺は最高の刀
として。お前は痛み知らずの戦士として!﹄
﹃しかし、刀になっている間はお前の意思はないぞ﹄
﹃喋る刀なんぞ何の役に立つ。道具は所詮道具だ﹄
だからこそ、レイは思う。
1975
﹃イゾウ。俺達がどこまでやれるのか試してみないか﹄
﹃試す?﹄
﹃そうだ。俺達がやろうと思えば、ただの新人類如き⋮⋮いや、戦
えば物怪だって倒せるはずだ!﹄
﹃モノノケ⋮⋮﹄
物の怪。
あらゆる怪異や、理解を超えた物のことを、一般的にそう呼んで
いる。
﹃このまま優秀な人間として終わっていいのか。たった一度しかな
い人生だぞ﹄
﹃レイ。お前﹄
﹃泣いても笑っても、人は何時か死ぬ。俺は戦争に巻き込まれて、
流れ弾で死んでいくのは御免だ﹄
イゾウとて同じだ。
誰だって死にたいとは思わない。死にたいとは思わないが、しか
し。
﹃最終的に死んじまうのなら、せめて自分が何処までやれるのかを
見てみたい。俺が物怪を斬る事が出来るのか。それとも、できない
のか﹄
﹃レイ、案ずるな﹄
幸いにも、レイの心中はよく理解できた。
イゾウも前から疑問に思っていた事だからだ。
﹃某もまた、同じ思い﹄
﹃イゾウ!﹄
1976
﹃レイ。お前は最高の刀になれ。お前を振るう事で、某は物怪を斬
ろう﹄
手を差し伸べた。
ペットボトルを放り投げた親友が握手に応じと、ふたりは自然と
笑みになる。
﹃イゾウ。俺が最強の刀になろう。この意思までも﹄
﹃そして某が存分に振るおう。我らは一心同体﹄
﹃ああ。どこまでも修羅の道を駆け抜けていくだけ!﹄
ふたりは誓い合った。
例えレイの意思が完全に刀そのものになろうとも。
イゾウが倒れたとしても、戦いを望もうと。物怪を求め続け、戦
いの中で生きようと。
もしもその誓いが砕けることがあったとすれば、それはきっと刀
とイゾウが砕け散った時だ。
その時までは戦い続けよう。
己の望む理想の敵を探し続けて。
叶う事なら、最期の時は強大な敵に葬られたい。
心も体も強さも揺らぐことのないような、強い奴に。
1977
第149話 vs異次元空間
握りしめていた柄を手放す。
黒の刀身に貫かれたイゾウは、ぴくりとも動かないまま仁王立ち
していた。
﹁⋮⋮ふん﹂
ゲイザーがぱちん、と指を鳴らす。
黒の眼の力によって剣となっていた髪の毛がその姿を取り戻した。
蓋の役割をしていた刀身が消え去ったことで、イゾウの穴から鮮血
が噴き上がる。
いかに痛みを感じないとはいえ、これでは生きていまい。実際、
彼の心臓は動きを止めている。
しかし、勝ったと言うのにこの虚しさは何だ。
完全なる勝利だった筈だ。イゾウの武器を砕き、他の誰にも邪魔
されることなく終わった。直接対決においては、完全にゲイザーの
勝利と言っていい。
その筈なのだが、彼の気分は浮かない。
トドメを刺す際にイゾウに言われた言葉がぐるぐると頭の中で回
転する。
﹁くそ!﹂
メリーゴーランドのように回り続ける捨て台詞を振り払うと、ゲ
イザーは周囲を見渡す。
トゥロスもアクエリオも、一応生きている。
1978
生きているが、しかし調整が必要だ。ふたりとも身体に受けたダ
メージが大きい。
﹁ノア、聞こえてるんだろ﹂
﹃ああ。勿論聞こえている﹄
虚空に向けて叫ぶと、間を置かずに返答がくる。
比較的近くで休んでいるトゥロスから響いてきた返答だった。
﹁こいつらの回収を頼む。俺は連中を追うつもりだ﹂
﹃残念だが、それはできない﹄
﹁なに。なぜだ﹂
イゾウを倒した今、脱走中のカイト達を追えるのはゲイザーしか
いない。
他の鎧持ちは倒れており、普通の新人類兵でカイトを倒せるとは
思えないからだ。少なくとも、ゲイザーはカイトをそう評価してい
る。
﹁連中を逃がすなと命令したのはお前の筈だ﹂
﹃その通り。上もその意向だ﹄
﹁だったら俺が行く。今頃、連中はブレイカーで外に出てもおかし
くはない﹂
﹃そうだよ。だからこそ、もう誰も外に出さないんだ﹄
﹁どういう意味だ﹂
﹃既に新人類王国は空間転移を行っている﹄
﹁!?﹂
空間転移。
ミスター・コメットが得意とする、異次元空間を通る事で行う瞬
1979
間移動だ。それを現在進行形で行っているのだと、彼女は言う。
だが、それにしたって疑問はある。
﹁どこに飛ぼうと言うのだ﹂
﹃どこにも﹄
﹁貴様、まともに答える気があるのか?﹂
﹃まともなんだよ。つまり、この答えが正解。リバーラ様は王国を
国ごと空間転移させるけど、どこに移動する気もないんだ﹄
﹁移動しない空間転移だと﹂
国ごとの空間転移。
実際にできるかは見たことがない。見たことはないがしかし、新
人類王国はその本拠地を小さな島に構えている。
その島を、ブレイカーのように転移させることができればやって
やれないことはない筈だ。
要するに、新人類王国は襲撃を受けたとしても、即座に避難する
ことができるのである。
ただし、内部から襲撃を受けたら話は別だ。
今回のように、内部で暴れる害虫もそのまま転移させてしまえば、
何の解決にもつながらない。
﹁⋮⋮そうか。読めたぜ﹂
ゲイザーが納得したように頷く。
非難する王国が、害虫をくっつけたまま空間転移をする意義。そ
れは一つしか考えられない。
﹁外に出れなくするのか﹂
﹃そうだ。空間転移中の出口は、空間を作り出したミスター・コメ
1980
ットしか知らない﹄
これはあくまで聞いた話なのだが、空間転移中の異次元空間は勢
いの強い波のような物であるらしい。
下手に飲み込まれたら最後。どこともわからない場所に飛ばされ
てしまうのだ。この情報はコメットを利用したことがある者なら、
誰でも知っている。もちろん、カイトやアーガス達もそうだ。
﹃それに、白の外にはエアリーがいる﹄
﹁奴だけでどうにかなるかな? 敵は今頃ブレイカーの中だぞ﹂
﹃鎧用のブレイカーができたんだよ﹄
﹁なんだと?﹂
てっきり、生身でブレイカーに戦いを挑むのかと思っていた。
鎧持ちはその性質上、巨大ロボットを支給されることがない。既
に彼ら自身がそれを破壊できるパワーがあるからだ。
しかし、ゲイザーは知っている。巨大ロボットでも戦い方によっ
ては撃退することができる、と。
当然ながら、管理者であるノアも百の承知だ。
だからこそ、作った。
鎧の為のブレイカーを。その力が存分に発揮される、最高のブレ
イカーを。
﹃まあ。オリジナルが使っていたマシンを改良しただけなんだがね。
それでも凄い出力が出るから、なるだけ単騎で戦わせたい﹄
﹁外に出たら俺も死ぬと言うのか?﹂
﹃そうとも。既に外で待機していた新人類兵には通達している。最
終兵器を出すから、死にたくなければ城の中に戻れってね﹄
1981
実際、鎧持ちやグスタフ級の兵士でなければ殆ど瞬殺されている
というのが現状だ。1対多数を得意とするアーガスが合流した以上、
雑兵を外に置いていても何の意味も持たない。
それならせめて、最高戦力をそこに配置する。
シンプルな戦闘理論であった。
壁を突きやぶり、獄翼がスバルの前に降臨する。
天井を崩しながらもコックピットのハッチが開き、搭乗者を招き
入れた。
﹁よし。特に弄られてない。武装も遊園地に突撃した時と同じだ﹂
一通り装備と機体状況をチェックした後、スバルは後ろの三人に
振り向いた。
﹁何時でも出せるよ!﹂
﹁よし、飛ばせ﹂
獄翼の後部座席は現在、みっつある。
その中のひとつにカイトが。交代先としてマリリスとシデンが座
っている。彼らは怪我人と治療組だった。
﹁でも、エイジさんとアーガスさんは大丈夫なの?﹂
﹁この程度で吹っ飛ばされるほど軟じゃないさ﹂
﹃おう。俺達を信用しろよ!﹄
1982
﹃そうとも! 私の美しさで風圧も消し飛ばして見せよう!﹄
獄翼の肩の上でエイジとアーガスが元気よく吼える。
獄翼のコックピットは狭い。元々乗れても4人が限度だったのを、
最大限使っているのだ。それ以上の人数を乗せる空間なんてないの
である。
その為、比較的健康体であるエイジとアーガスは獄翼にしがみつ
いて脱出することになった。
﹁なんか前もこんなことあった気がするな﹂
﹁いいから飛ばせ。さっさとここからおさらばするぞ!﹂
﹁わ、わかった!﹂
本当に大丈夫なんだろうな、と思いながらもスバルは操縦桿を握
る。
獄翼の巨大な身体が外壁を砕き、迷宮をこじ開けていく。壁とい
う壁をエネルギー機関銃で破壊していくと、ほどなくして彼らは城
の外へと脱出した。
﹁え?﹂
が、そこに広がる光景はスバルの予想に反した物であった。
青い空が無い。長い間迷宮で彷徨っていたとはいえ、今はまだ午
前中だ。ラジオ体操に招待されて外に出た時も、晴天だった。
それなのに、空が青くないのはおかしい。
というよりも、虹色に輝いているのがおかしい。例えるのであれ
ば、空が一面オーロラに包まれているような幻想的光景なのだが、
突然それと遭遇しても困るだけなのだ。
1983
﹁な、なにこれ!?﹂
あまりの超常現象を前にして戸惑うスバル。
そんな彼の疑問に答えたのは、元新人類軍に所属していたカイト
とシデンだ。
﹁これ、もしかしてミスターの空間転移じゃない?﹂
﹁くそ! 外に出られたときの対策も練られてたか!﹂
珍しく荒れるカイトを尻目に、スバルが改めて問う。
﹁空間転移って、シンジュクやトラメットでブレイカーを送り込ん
できたアレ?﹂
﹁そうだ。あれの通り道だと思ってくれていい﹂
﹁そんな⋮⋮だって、ここ大陸ですよ!?﹂
マリリスが困惑しながらも叫ぶ。
当然だ。彼らの真後ろにはお城があるし、すぐ近くには街も見え
る。陸地だってある。
これまでの区間転移では考えられない、大規模なものであるのは
明らかだった。国を丸ごと転移させてしまうなんて、聞いたことが
ない。
﹁だが、新人類王国は地図でいうと小さな島でしかない。巨大なト
ンネルで覆ってしまえば、国は何時でも異次元の中に避難できる﹂
﹁で、でもさ! 出口があるんだろ﹂
これまでの新人類軍の登場パターンを考えるに、この異次元を通
り抜けてワープしてきているのは事実だった。
ならば、どこかに地上に通じる出口がある筈だ。そうでなければ、
1984
これまで襲い掛かってきた連中の出現に納得できない。
﹁出口は⋮⋮言ってしまえば、この空がそうだ﹂
﹁え?﹂
﹁昔、ミスターに聞いたことがあるんだ﹂
シデンが言う。
彼らXXXは幼少期、この異次元を通ることで様々な戦場に赴い
た。その際、コメットに注意を促されたことがある。
﹁この空間はどこに繋がっているかもわからない激流なんだ。もし
も座標を特定しないまま突っ込んじゃうと、大変な場所に出ちゃう
かもしれない﹂
﹁た、大変な場所って?﹂
﹁火山の中。地中。宇宙空間もありうる﹂
﹁う、宇宙空間!?﹂
﹁ま、マグマの中に落ちちゃうかもしれないんですか!?﹂
あまりにスケールの大きい出口に、スバルとマリリスは驚愕する。
﹁それだけならまだいい。太陽系の外に出ちゃうかも⋮⋮﹂
﹁じゃ、じゃあ新人類軍はどうやってこの穴を使ってたんだよ!﹂
﹁人の話聞いてた? 座標を特定するんだよ﹂
﹁座標の特定って言われても⋮⋮﹂
具体的にどんな座標なのかがわからない。
蛍石スバル、16歳。彼は数学が苦手であった。座標の計算をし
ろと言われても、間違いなく計算式に当てはめられない自信がある。
﹁⋮⋮それを特定して、出入り口を作るのがコメットの能力だ﹂
1985
﹁じゃあ﹂
﹁コメットを捕まえないと、俺たちは高確率で死ぬ﹂
無限に広がる宇宙の中から地球を引き当てる確率。
そこから更に地上を引き当てばければならない。命を懸けるには、
あまりにも分が悪すぎた。
どれだけ低確率なのか、スバルにだって容易に想像がつく。
﹁じゃあ、戻ってそのコメットっていうのを捕まえないと﹂
﹃残念だが、そうもいかねぇらしいぜ﹄
獄翼の耳元でエイジが囁く。
同時に、熱源反応が光った。敵のブレイカーが出現したのだ。距
離はかなりあるが、数はひとつしかない。
だが、遠くからでもそのシルエットははっきりとわかった。
巨大な四本足。大きく広がる赤い翼。そして見覚えのある鳥頭。
ぱっ、と見た感じ全長は40メートルほどだろうか。
ブレイカーにしてはやけに大きい。
﹁⋮⋮嘘でしょ、ちょっと!﹂
見間違えであって欲しいと願いながらも、スバルはカメラをズー
ムに設定する。
正面モニターと後部座席のサブモニターに、敵影の鮮明な姿が映
し出された。
﹁うわ!﹂
﹁こいつか⋮⋮﹂
﹁え? え!? みなさん御存知なんですか、この鳥さんを!﹂
1986
唯一、遭遇経験のないマリリスだけが焦りながら周囲を見渡す。
彼女の困惑を感じ取ったシデンが、諭すように呟いた。
﹁大丈夫。前に勝ったことがあるから﹂
﹁そ、そうなんですか? それにしては、やけに元気がありません
けど﹂
ロック
がっくりと項垂れているカイトとスバルが、同時に顔を上げた。
カイトは脂汗を流しつつも、口元を釣り上げる。
﹁あいつには嫌な思い出があるんだ﹂
﹁後ろに同じく﹂
獄翼が刀を抜く。
切っ先を遠くにいるブレイカーに向けると、スバルは目標を捕捉
した。
嘗て戦った事がある為、ロックされたブレイカーには赤い文字で
機体名が表示される。
表示名は﹃天動神﹄であった。
1987
第149話 vs異次元空間︵後書き︶
次回の更新は水曜日の朝を予定。
1988
第150話 vs火力サンド
天動神。
高さ40メートル。
翼を広げた際の横幅は推定80メートルにも及ぶ、巨大ブレイカ
ー。その実態はアニマルタイプのブレイカー、エスパー・パンダと
エスパー・イーグルの合体した姿である。
﹁ここで天動神が出てくるのかよ⋮⋮!﹂
獄翼のメイン操縦席でスバルが頭を抱える。
この半年間、様々なブレイカーを見てきたが、一番破天荒で碌な
思い出が無いマシンだった。その恐ろしさも十二分に理解している。
﹁馬鹿な。こんなところで天動神を出すのか﹂
﹁他の機体反応は?﹂
後部座席のカイトとシデンもがっくりと項垂れる。
唯一、天動神と遭遇経験のないマリリスだけが困惑しながらモニ
ターを眺めていた。
﹁その他の機体反応はありません。あの天動神っていうアニマルタ
イプだけです﹂
﹃確かに、あいつの機体性能を考えると他の機体は邪魔でしかない
からな﹄
獄翼の肩に乗ったエイジが頷きながら続けた。
1989
﹃基本的にビームしか撃ってこないし、全方位にぶっ放してくる。
他の機体を構えたところで巻き添えになるのがオチだ﹄
﹁実際、アキハバラでは一体しか出てこなかったからね﹂
当時のことを思いだし、天動神の脅威のスペックに戦慄する。
彼らの難しい表情を垣間見たマリリスも、よくわからないなりに
﹃凄いマシンなんだ﹄と納得していた。
﹁しかし、解せんな﹂
そんな天動神参戦に疑問を覚えたのはカイトである。
彼は顎に手をやり、言う。
﹁天動神の売りは殲滅力の筈だ。ここは領土どころか、城や街のド
真ん前だぞ。下手にビームをぶっ放せば城が崩壊する﹂
﹁そ、そうか!﹂
その言葉ではっ、と顔を上げたスバル。
刀を構えたままの姿勢を保ちつつ、獄翼をバックさせる。
﹁背中に城があったら、奴は獄翼を撃てない! 近づいて来るしか
選択肢はねぇ!﹂
﹁なるほど。そこを斬ればいいんですね!﹂
﹁馬鹿。そんな簡単な事、敵だって理解している筈だ﹂
名案だと思った戦術は、後ろからあっさりと叩き折られた。
スバルとマリリスががっかりしていると、肩に乗るエイジが叫ぶ。
﹃おい、急いで離れろ!﹄
﹁え?﹂
1990
緊急離脱を要請された。
一体なぜ。ここにいれば天動神は襲ってこない筈なのに。
疑問を口にする前に、アーガスが叫んだ。
﹃スバル君、城からタイラントが見える!﹄
﹁なにぃ!?﹂
反射的に操縦桿を握り、獄翼を飛翔させる。
城から距離をとった後、改めて城をカメラでとらえた。獄翼で破
壊した外壁をズームで映す。
人影があった。
今にも拳を突き出さん姿勢で右腕をひっこめている、タイラント
だ。
﹁前に天動神。後ろにはタイラントか﹂
﹁最悪のサンドイッチだよ!﹂
冷静に状況を把握するカイトに対し、スバルは力の限り叫んだ。
前方には歴代最高火力のブレイカー、天動神。
後ろには歴代最高火力の新人類、タイラント。
どう動いても最高火力を相手にしなければならない流れであった。
本音を言えば、どちらも相手にしたくない。
﹁なるほど。前に天動神を置いたのは、タイラントならビームを弾
けると信頼した上でか。城自体にも防衛装置はあるだろうから、厄
介な配置だ﹂
﹁どうする? あのふたりを相手にしないとミスターを捕獲できそ
うにないけど⋮⋮﹂
1991
強いて言えば、天動神の巻き添えを恐れて数が出ていないのが救
いだった。
しかし、いかにスバルがブレイカーの操縦に関して絶大な信頼を
背負っていたとしても、このふたりを相手に戦えと言うのは無茶だ。
半年前、彼は天動神を相手にして生き残るだけで精一杯だったので
ある。
そんな時だ。
エイジが声を張り、肩の上から飛び降りた。
﹃俺に任せな!﹄
返事を聞くまでも無く、エイジは着地。
そのまま外壁を下っていくと、タイラントのいる穴へと移動して
いった。結構な高さから落ちた筈だが、怪我ひとつないのが恐ろし
い。
﹁エイジさん!﹂
﹃任せとけって。もう2回も戦ってるんだぜ? 3度目の正直って
奴さ﹄
その3度目の正直で殺されたらどうするつもりだ、と言いたい。
だが、こうなった彼は中々頑固だ。
﹁任せよう﹂
﹁いいの!? トラセットじゃ死にかけてたよ!?﹂
﹁アイツを信じるしかない﹂
﹃その通り! そして美しき私も参ろう!﹄
1992
これまた返答を聞く間もなく、アーガスが肩の上から跳躍した。
くるくると無駄な回転と薔薇の花弁を撒き散らしながらも、英雄
が城壁へと着地する。
﹁アーガス様!﹂
﹁ああ、もう! どいつもこいつも⋮⋮﹂
頭を抱えて現状を嘆くスバルだが、実際のところありがたいのが
本音だった。生身とは言え、タイラントは破壊のオーラを身に纏う
女兵士である。
彼女がその気になれば、ブレイカーを破壊することなど容易い事
だろう。それならば、まだ戦闘経験がある天動神がやりやすい。
まともに動く人間を相手に、刀を振り回すのも躊躇われた。
Xはフル稼働で行くからそのつもりでよろしく!﹂
﹁仕方がない! こっちは天動神を片づける。みんな、SYSTE
M
﹁その前に、だ﹂
元気よく戦闘態勢に入る直前、カイトが制止の声をかける。
﹁どうしたの﹂
﹁忘れ物を渡さないと﹂
言い終えると同時、獄翼のコックピットハッチが展開。
﹁ええっ!? ちょ、ちょ!﹂
ゆっくりと開いていく出入り口にスバルが驚きながらも、カイト
はそれを完全に無視。
後部座席から立ち上がると、スバルの席を跨いでコックピットか
1993
ら身を乗り出した。
﹁ねぇ、ちょっと! この体勢で攻撃されると避けられないんだけ
ど! ねぇったら!?﹂
完全にカイトの足で天動神の姿を遮られ、スバルは憤慨。
しかしカイトはやはりこれをスルー。片手に持ったスコップを振
りかざし、思いっきり放り投げた。
﹁エイジ、忘れもんだ!﹂
獄翼からスコップが放り投げられる。
雨のように斜めに降ってきたスコップはエイジの足下に突き刺さ
り、持ち主に握られる為に出現したかのようにエイジの行動を待っ
た。
﹁へっ! ナイスコントロールだぜ﹂
スコップの期待に応えるようにして柄を引っこ抜く。
現れた武器に一瞬戸惑いつつも、タイラントはすぐさま平静を取
り戻す。
﹁なんだ、それは﹂
﹁部下の不気味ちゃんから聞いてないのかよ。俺の武器をさ⋮⋮そ
1994
ういや、アイツ見ないな﹂
﹁残念だが、シャオランは修理中だ﹂
シルバーレディ
妹分のシャオランは銀女との戦いで負傷し、技術屋に修復を依頼
している最中だ。傷は深く、まだ復活はしていない。
﹁しかし、貴様ら如き私一人いれば片付く話だ。例えお前が珍妙な
武器を持ってたとしてもな﹂
タイラントの全身から青白いオーラが吹き出し、噴水のように霧
散していく。威圧感の籠った眼光もあり、迫力満点な光景だった。
トラセットで見ていなかったら、今頃腰を抜かしていたかもしれな
い。
﹁けっ、ほざきやがったな!﹂
﹁確かに我々は過去、君に敗北を喫した。しかしあの時と今では状
況が違うのを美しく理解していただきたいものだね﹂
﹁おい、金髪。俺はまだ負けちゃいないぞ﹂
横で薔薇を加えながら佇むアーガスに対し、エイジは唇を尖らせ
る。
ただ、過去2回の戦いは客観的に見てどちらもエイジの負けに等
しい物だった。当然ながら本人にもその自覚はある。
だからこそ、
﹁今度こそ決着つけてやる﹂
﹁いいだろう。お前の顔もいい加減飽き飽きしてたところだ﹂
﹁しかし、君もまた無茶な戦場に召集された物だ﹂
口に咥えた薔薇を手放し、アーガスが皮肉っぽく言う。
1995
﹁天動神の殲滅力は私も耳にしたことがある。まさか君があれと協
力して我々を倒しにくるとは思わなかったよ。一歩間違えれば君が
吹っ飛ぶ上に、サイキネル君は君の苦手そうな人間だからね﹂
﹁何を勘違いしている﹂
凶暴な犬歯を剥き出しにし、タイラントは姿勢を下げる。
今にも走りだし、飛び込んできそうな構えだった。
﹁私はあくまで自分の意思でお前たちと戦いに来た。壁を破壊して
奪取するのはある程度予想できていたからな。激突音を聞きつけた
ら、後はそこに走ればいいだけの話だ。もっとも、外でアレが構え
ているのは知っていたがね﹂
﹁ほう。では、君は天動神の巻き添え覚悟で我々を倒しに来たと﹂
﹁そうでなければ、もう二度と機会はあるまい﹂
もしもその機会を逃せば、タイラントは一生後悔する。
恩師の仇。妹分の仇。
そしてなによりも、自分へのケジメ。
全てをぶつけて帳消しにするには、真っ向勝負を仕掛けて勝つ以
外にない。タイラントはそう思っていた。
﹁それと、お前らはもうひとつ勘違いをしている﹂
﹁なんだよ。まだあんのか﹂
﹁サイキネルはお前たちに負けた後、処刑された﹂
一瞬、静寂が場を包み込んだ。
﹁処刑だと? 彼が、か﹂
﹁そうだ。王の前でアトラスの逆鱗に触れ、そのまま殺された。半
1996
年前の話だ﹂
エイジはぼんやりと思い出す。
天動神とサイキネルの関係性について、だ。記憶が正しければ、
サイキネルとそのブレイカーは、サイキックパワーと呼ばれる能力
の増幅に関わるらしい。
実際、サイキックパワーを存分に使ったアキハバラでの戦いでは
苦労した物だ。
逆に言えば、サイキックパワーが使えないと天動神は本来のスペ
ックを十分に発揮できない。そしてサイキックパワーという摩訶不
思議な力を持った新人類など、サイキネルしか居ない筈だ。
﹁馬鹿な。ではあれに乗っているのは誰だね? まさか無人で動い
ているのではあるまいな﹂
﹁それはない。無人ではエネルギーが供給されず、ただの鉄クズだ﹂
いるのだ。
サイキネル以外のサイキックパワーを持った人物が、天動神を動
かしている。
﹁まさか⋮⋮鎧か!﹂
ここでエイジは正解に辿り着いた。
﹁そうだ。あれに乗っているのはサイキネルの鎧だ﹂
﹁⋮⋮だとしたら、大したことねぇな﹂
強敵、サイキネルのコピー。
その可能性に気付いた瞬間、エイジは戦慄したがすぐに落ち着き
を取り戻していた。
1997
なぜなら、サイキックパワーは人間の感情の揺れ幅に大きく影響
するからだ。理論は知らないが、パワーを最大限に高める為にサイ
キネルは終始テンションが高かったのを覚えている。
ゲイザーのような例外でない限り、感情を捨てた鎧がコントロー
ルできる代物とは思えない。
﹁サイキックパワーを使うなら、テンションがハイじゃなきゃなら
ねぇ! 本物が身を持って実践してくれたぜ!﹂
﹃ファッキイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイ
イイイイイイイイイイイイイイイン!﹄
言い終えたと同時、天地をつんざく様な甲高い声が轟いた。
再び静寂が訪れたかと思うと、エイジとアーガスは反射的にお互
いの顔を見合わせる。
﹁私もさっき聞いて驚いた。その為にわざわざイレギュラーな鎧を
作ったらしいからな﹂
﹁⋮⋮どの辺がイレギュラーなのか聞いてもいいか?﹂
﹁ずっとハイテンションらしいぞ﹂
前言撤回である。
感情を無くしたアクエリオ達や、イレギュラーのゲイザーよりも
性質の悪い鎧だ。
ずっとテンションが高いままということは、常に天動神はフルパ
ワーで動き続けると言う事ではないか。
アキハバラを襲った野太い赤のビームを思いだし、エイジが身震
いする。
﹁わかったか。私も命がけでここにいるんだ。嫌でも決着はつけさ
1998
せてもらうぞ﹂
﹁⋮⋮バックミュージックが最悪な決着だぜ﹂
﹁まったく、美しくないね。品性を疑う﹂
直後、タイラントが大きく一歩を踏み出した。
エイジとアーガスが各々の武器を構え、迎撃態勢に入る。
その間、彼らのずっと後方にいる天動神からはバックミュージッ
クが流れていた。
サイキネルを元にした鎧、エアリー。
言語を﹃ファッキン﹄のみに縛られた、あまりにも可哀そうすぎ
るクローンが力の限り連呼する。
感情的すぎるBGMが流れると同時、天動神の巨大なボディも赤
く輝き始めた。
1999
第150話 vs火力サンド︵後書き︶
仕事の関係上、次回の更新は金曜日か土曜日の更新になります。
2000
第151話 vs天動神リターンズ
﹁⋮⋮ねえ、今のってさ﹂
﹁言うな﹂
獄翼のコックピットの中で冷や汗を流すスバルに対し、カイトは
真顔で告げる。
エイジとアーガスが降り、これから天動神とやりあおうって時に
響き渡った﹃ふぁっきん﹄の叫び声。
聞き覚えのある絶叫を前にして、彼らは半年前の悪夢を思い返し
ていた。
﹁いや。でもすっげー赤くなってるよ天動神!﹂
﹁言うな! わかってるから!﹂
天動神というよりかは、それを構成するエスパー・イーグルとエ
スパー・パンダの二機に言えた事なのだが、これらはパイロットの
サイキックパワーを注入することで無尽蔵のパワーを発揮する。
特にパイロットのテンションが高ければ高い程に威力は高まるの
だ。
その度に聞こえる掛け声は決まって﹃ファッキン﹄だったのはよ
く覚えている。
﹁兎に角、奴の注意をこちらに引きつけろ。エイジたちがいること
を忘れるな!﹂
﹁お、おう!﹂
半ばやけくそ気味に操縦桿を握りしめると、獄翼は背中の飛行ユ
2001
ニットを大きく展開。ハングライダーのような背部から青白い光が
噴出すると同時、ウィングが大きく羽ばたいた。
それを目にした天動神。
獄翼が羽ばたき、上昇したのを見ると頭部の鳥頭が大きく口を開
いた。嘴の中から赤い光が凝縮され、光の球が生成されていく。
﹁くるぞ!﹂
﹁早速だね!﹂
﹁くるってなにがでしょう!?﹂
﹁三人いっぺんにまとめて喋んなくていいよ!﹂
後部座席に座る三人の仲間たちが、喋るチャンスを逃すまいとせ
んばかりに一斉に口を開いた。正直喧しい。
﹁それに、見たら判る!﹂
天動神の口から放たれようとしている砲撃は、よく覚えている。
直撃を受ければ獄翼が大破するであろうことも想定済みだ。だか
らこそ回避に集中する。
﹃ファッキン!﹄
パイロットが叫ぶと、天動神の口から赤の光が雄叫びをあげた。
野太い赤の柱が獄翼目掛けてまっすぐ飛んでくる。
半年前の目の当たりにしたサイキネルの必殺奥儀、﹃サイキック・
バズーカ﹄だ。
だが、半年前と比べて明らかに違う所がある。
2002
﹁でけええええええええええええええっ!?﹂
太いのだ。
普通のサイキックバズーカも十二分に野太いビーム砲だったのだ
が、これは前に見たそれに比べて1.5倍は太い。
飛行ユニットを走らせ、獄翼が更に上昇する。
赤の光が、わずかに黒の装甲を焼いた。
獄翼のコックピット内に警報音が鳴り響く。
﹁当たったの!?﹂
シデンが叫ぶと、真っ先にマリリスがダメージの確認に入る。
すっかり獄翼のサポートが板についていた。
﹁損傷軽微。行動に支障は出ません﹂
﹁ふぅ⋮⋮﹂
危うく直撃を受けそうな一撃を目の当たりにして、スバルが肩を
降ろす。
﹁馬鹿! まだくるぞ!﹂
﹁そ、そうだった!﹂
後ろから檄を飛ばされ、少年が再び臨戦態勢に戻る。
天動神のビーム発射口は頭部だけではないのだ。全身の至る場所
に砲身が用意されており、そこからビーム砲を発射することができ
る。
先程の一撃を見る限り、他のビームも野太くなっていると思って
良いだろう。
2003
だが、天動神の胴体から放たれる無数の光の砲撃は雨にも等しい。
単純に躱すだけならまだしも、後ろにある城を巻き添えにするな
と言うのは無茶がある。半年前、スバルは避けるだけで精一杯だっ
たのだ。
ただ、苦労したのは半年前の話である。
﹁マリリス、いくよ!﹂
﹁は、はい!﹂
突然呼ばれて反応すると、マリリスは背筋を伸ばす。
直後、後部座席の席がぐるんと回転し、マリリスを中心に添えた。
真上からコードに繋がれたヘルメットが落下し、マリリスの頭に
すっぽりと収まる。メイン操縦席のスバルも同様だ。
ヘルメットが視界を追い被さった瞬間、メインモニターから無機
X、起動﹄
質な機械音声が響きわたる。
﹃SYSTEM
その音声が発せられると同時、獄翼の関節部から青白い光が噴出
する。
背部の飛行ユニットから噴出する光の翼が縦に広がり、徐々に形
を変えていった。
まるで蝶のように広がった翼は、瞬時に羽ばたいて鱗粉を飛ばす。
﹁威力を弱める! ずっと羽ばたかせるよ!﹂
﹃はい! でも、その後はどうするんですか?﹄
﹁背中に飛びかかる!﹂
﹃ええ!?﹄
2004
コックピットにマリリスの悲鳴が轟いた。
当然だ。天動神の背中には砲身がある。
﹁俺だってできるならやりたくねぇよ! でも、接近戦じゃないと
あれを無効化できないんだ!﹂
﹁馬鹿みたいにぶっぱなしてくるからね⋮⋮﹂
﹁実際馬鹿だ﹂
残りのふたりがわりと酷いコメントを残す中、天動神の瞳が怪し
く光る。
胴体に備え付けられた無数の砲身が獄翼に向けられた。
﹃ひいぃ!﹄
﹁ビビるな! 自分の力を信じて!﹂
いかに同調したとはいえ、鱗粉はマリリスの意思で効果が変化す
る。
新生物を溶かし、仲間たちの治療もできる万能鱗粉なのだ。
それを羽ばたかせることで、敵のビーム砲撃を弱体化させようと
いう狙いだった。ゆえに、マリリスが弱気になっては困る。
﹃ファッキン!﹄
そんなマリリスを脅すかのようにして、天動神が吼える。
取り付けられた無数の砲身から赤い光が放射され、弧を描きなが
ら獄翼へと振りかかる。
﹁マリリス!﹂
﹃んっ!﹄
2005
半ばやけくそに力む。
声が小さく零れると、獄翼の背中から噴出する光の羽から一斉に
鱗粉が撒き散らされる。
輝きを放つ結晶が赤の閃光と衝突した瞬間、光の柱が霧散した。
一瞬の出来事だった。
﹁よし、今だ!﹂
﹁オーケー! このまま砲身を無効化するよ!﹂
﹃あの! 今更なんですが、これってカイトさんに避けてもらっち
ゃだめなんですか!?﹄
割と今更な上に当然な疑問がマリリスの口から発せられる。
その問いかけに対し、当の本人は表情を変えないまま答えた、
﹁ダメだ﹂
﹃なんで!?﹄
﹁避けただけだと城にぶつかる﹂
﹃あ、なるほど﹄
﹁これ、ちらっと言った気がするんだが﹂
﹁この子、天然だからさ﹂
シデンがぼそりと口添えしすると、後部座席が再び回転。
今度はシデンが中央に移動する。
﹁あれ、ボクの出番?﹂
﹁前にこれ倒したの誰だよ!﹂
﹁もちろん、ボクだけど!﹂
胸を張って自己主張しはじめた。
2006
﹁じゃあ今度もやっつけてよね!﹂
﹁オーケー、任せてよ! また氷漬けにしてあげる﹂
﹁飛びついた後は任せるからね!﹂
獄翼が天動神の真上まで移動すると、マリリスの頭に被さってい
たヘルメットが僅かに宙を浮いた。
コードによってぶら下がったヘルメットがシデンの頭上に移動す
X、再起動。カウント、再開します﹄
ると、躊躇うことなくその上に覆いかぶさる。
﹃SYSTEM
マリリスを取り込んでいる間に減っていた残り時間が一時的に時
間停止したと思えば、再びカウントダウンが再開する。
残り時間は、3:45。
﹁時間はないよ。わかってるよね!﹂
﹃三分でできるところまでやってみるよ﹄
シデン
獄翼が背中に飛びついた。
彼は迷うことなく天動神の巨大な頭部によじ登り、鳥頭の嘴に手
を突っ込む。
傍から見れば、子供が大人の口に手を突っ込んで横に伸ばしてい
るように見えなくもない。
﹃この!﹄
天動神の頭部に氷の塊が出現した。
口の中に巨大な氷塊が生成され、発射口の機能を麻痺させていく。
2007
しかし、天動神も負けてはいられない。
巨大な前足をバタつかせ、首にしがみつく獄翼を振り解こうと奮
闘する。
﹃ちょっと、時間ないんだから大人しくしてよ!﹄
敵にそんなこと言ってどうするんだとスバルは思うが、その考え
を見通すかのようにシデンが行動に出る。
天動神の口から手を解いたかと思うと、獄翼は地面に跳躍。
暴れる両前足に掌をかざした。
﹃そぉれ!﹄
獄翼の両手から氷の球体が現われた。
占い師が使うような、透明な球体。それが天動神に向けられると、
球体にひびが入った。
ばりん、と音を立てて割れる。
木端微塵になった球体から、猛吹雪が生成された。掌から放たれ
る白の暴風が天動神の前足に接触し、徐々に凍りつかせていく。
﹁残り1分切った!﹂
﹃ああん! これ絶対ボクと相性悪い! スバル君、どうにかして
よ!﹄
﹁俺に言うな! メカニックに言ってくれ!﹂
この制限時間で苦しんだ経験はスバルにもある。
それこそ、この天動神との戦いがそれだった気がした。
﹁こいつの相手をすると、時間がいくつあっても足りないんだよ!﹂
﹃じゃあ、後パス!﹄
2008
﹁カイトさん、残り20秒!﹂
﹁十分だ﹂
後部座席がまたしても回転する。
中央にカイトを移動させ、コードに繋がれたヘルメットが覆い被
カイト
さった。
獄翼が起動すると同時、彼はスバルの操縦を受け付けないまま右
手を振るう。
﹁後、10秒!﹂
右手の五指から爪が伸びる。
それをまっすぐ天動神の顔面に向けた。
回避行動を取りたい天動神ではあるが、両足が凍り付いて動けな
い上に、後部も凍り付いて攻撃が出来ない。
﹃そぉら!﹄
獄翼が天動神の顔面目掛けて跳躍する。
嘴に巨大な氷塊を突っ込まれた鳥頭の位置まで到達すると、右手
を脳天に突き刺した。
獄翼の手刀が天動神の頭部を一閃する。
振り抜かれた一撃は、巨大な胴体を縦に割った。
2009
第151話 vs天動神リターンズ︵後書き︶
次回は土曜の夜に更新予定
2010
第152話 vs激動神リターンズ︵?︶
天動神の頭部が割れる。
Xを停止
ゆっくりと地に崩れ落ちるその姿を眺めつつも、獄翼は着地。飛
行ユニットの出力を上げる事もせず、ただSYSTEM
させる。
﹁ふぅ⋮⋮まずは一撃﹂
ヘルメットを外し、スバルが一息つく。
取り込まれていたカイトの意識も本人の身体に戻っていき、後部
座席の三人も無事だ。後遺症もない。
見れば、モニターに表示されている残り時間は﹃0:03﹄だっ
た。
久しぶりにギリギリの戦いだと、素直に思う。
﹁や、やりましたね! あれならババァーンって発射されるおっき
いのは出ません!﹂
﹁擬音で表現されてもね⋮⋮﹂
後ろのマリリスが勝利に浮かれる。
だが、それにはまだ早い。彼女以外の3人は、いずれも知ってい
る。
﹁あれ? 皆さん、どうしたんですか。折角倒したのに⋮⋮﹂
まわりの態度を不審に思ったのだろう。
マリリスは訝しげに正面のスバルに視線を送る。
2011
﹁うう⋮⋮ど、どうなった!?﹂
﹁第二ラウンドにはまだ入ってないよ﹂
横でカイトの意識が完全に覚醒する。
だがマリリスは彼の帰還ではなく、シデンが発した言葉に反応し
た。
﹁え、第二?﹂
﹁天動神は中ボスなんだ﹂
半年前、アキハバラに現れた巨大鳥頭。
やっとの思いでそれを倒したと思えば、更なる敵が待ち構えてい
たのをよく覚えている。
﹁当然、激動神もいる筈だ。一度やられている天動神をわざわざ出
してきている以上、ただ砲撃が強化されているとは思えん﹂
﹁うん。実際、タイムアタックが出来る勢いで倒しちゃったからね﹂
その辺は一度戦い、特徴を見抜いているのもある。
だがそれ以上に大きな勝因になったのは、敵の主要武器を弱体化
できるマリリスの存在が大きい。
﹁もうアイツもマリリスの存在を理解した筈だ。次は、こうはいか
ない﹂
﹁あ、あの。皆さん先程からすっごい不穏な会話をしていますけど、
倒してますよね? ね?﹂
マリリスが現実を見ようとしないが、無慈悲にも天動神の胴体に
ひびが入った。
2012
﹁え?﹂
﹁来た!﹂
天動神の胴体から、機械の腕が出現する。
まるで動物のお腹の中から這い出てくるようにして、腕は胴体の
皮を引いさく。
﹁な、ななななななんですかアレぇ!?﹂
機械でなければあまりのグロテスクさゆえに気を失っていたかも
しれない。横で喧しくなるだけのマリリスを尻目に、カイトは呟く。
﹁あれが本当の敵だ。天動神も前座でしかない﹂
天動神はあくまで入れ物である。
真に恐るべきはサイキックパワーはその身に凝縮させた、20メ
ートル級のブレイカー、激動神だ。
﹁全長は獄翼と同じ程度しかない。だが、サイキックパワーを全身
に浴びた激動神は信じられんパワーを発揮する﹂
出力だけで言えば、獄翼の比ではない。
なんの武装も持たずに必殺の一撃を出すのだ。まともな馬力勝負
をしたところで負けは目に見えている。
﹁どうする? また、あれをやる?﹂
﹁いや。あれをここでやると⋮⋮俺が異次元空間に突入して生きて
帰れなくなると思う﹂
2013
前に激動神を倒した方法をそのまま採用しようものならば、カイ
トの犠牲は必須だった。
ここには発射された彼の胴体を受け止めてくる建物は無い。
﹁ん?﹂
そんなことを考えている内に、天動神の腹部からブレイカーが姿
を現した。20メートル級の灰色の機体だ。ここまでは以前現われ
たのと変わらない。
変わったのは、そのフォルム。
﹁⋮⋮檄動神じゃないのか?﹂
半年前に戦ったブレイカーは、獄翼に近い人型だった記憶がある。
だが、眼前に現れたブレイカーは頭から肩にかけて角が生えてい
た。
﹁あんな角あったっけ?﹂
﹁い、いや。あんな特徴的なのがあったら忘れないと思う﹂
ただでさえ激動神は破天荒なブレイカーなのだ。
唯一、インパクトが薄いとすれば外見が地味なくらいである。し
かし、その外見にもアクセントが加えられていた。頭から伸びる角
は肩の位置まで垂れ下がっており、そこからまた跳ね上がっている。
﹁羊か、あれ﹂
﹁見た感じ、激動神をカスタムしてるっぽいけど﹂
面影があるので、そこは間違いないだろう。
そこに羊のような角が加えられた程度のアクセントだ。それに何
2014
の意味があるのかはわからないが、一度破れた相手をそのまま出し
ている以上、何かあると思って良い。
﹁油断するな。回避できないと判断したら、俺がまた出る﹂
﹁う、うん﹂
相談をし終えると、タイミングを見計らったかのようにして激動
神らしき機体が構えを取る。
﹃ファッキイイイイイイイイイイイィン!﹄
﹁あいつさっきから何であれしか喋らないんだよ!﹂
当然のツッコミを行うと同時、激動神のボディーから赤いオーラ
が弾け飛ぶ。まるで火山噴火だ。檄動神から放たれる赤の柱が天ま
で昇る。
直後、激動神に変化が訪れた。
灰色のボディーがみるみるうちに白へと変色し始めたのである。
﹁赤じゃないんだ﹂
半年前に見た光景が、若干の変化を取り入れて再現されていく。
足の爪先まで白に変色すると、輝いた右足が一歩前に出る。
﹃ファッキン!﹄
唯一、灰色のまま変色のない角が肩で揺れる。
﹃ファッキン!﹄
輝く頭部。そのカメラアイが赤い輝きを放つ。
2015
﹃ファッキイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイ
イイイイイイイイイイイイイィン!﹄
はくようしん
今、ここに檄動神を改造して生み出された鎧専用のブレイカー、
﹃白羊神﹄が降誕した。
勿論、名前を叫んだところでスバル達には全く伝わらない。
ただ、なんとなく機体名を叫んだんだろうなぁ、とは思った。
﹁今、絶対に名前を言った﹂
﹁奇遇だな。俺もそう思った﹂
﹁ボクも﹂
﹁え!? なんで皆さんわかるんですか!?﹂
自分だけ仲間外れでマリリスは涙目になった。
そんな彼女の主張を無視して、カイトは真顔で観察する。
﹁激動神のままだと思ってると痛い目を見そうだな﹂
﹁どういうこと?﹂
﹁お前は半年前に負けた奴を相手に、ペイントと角をつけたら勝て
るのか?﹂
﹁アニメだと赤に塗れば三倍の速さになる奴がいるけど﹂
﹁それで三倍で走れるなら、俺だってペンキ被って角もつける﹂
想像してみた。
角をつけて、全身真っ赤に染め上げた神鷹カイト。
﹁⋮⋮なまはげ?﹂
﹁何を想像した﹂
2016
まあ、それは置いておこう。
重要なのは目の前にいる﹃元﹄激動神だ。
﹁スペックがわからない。だが、確実に前以上の出力はある筈だ﹂
﹁じゃあ、距離を置くのは﹂
﹁危険だな。少なくとも、あの必殺技は強化されてると思う﹂
﹁どっちにしろさ!﹂
やることは変わりが無い。
スバルはそう判断すると、獄翼のウィングを再度展開。出力を上
げると、白羊神に向かって真っすぐ飛んで行った。
鞘から刀を抜き、切っ先を向ける。
﹃ファッキン!﹄
白羊神が右手を前にかざした。
直後、凄まじい強風が放たれる。
﹁うお!?﹂
獄翼が押し戻された。
僅かに操縦桿に抵抗が発生したのを感じると、スバルは目の前の
敵が何かやったのだと理解する。
具体的に何をしたのかまでは理解できなかったが、ただ操縦桿を
動かして近づける相手ではないらしい。
﹁カイトさん!﹂
﹁いいだろう。奴の力、見極めてやる﹂
後部座席に座るカイトがアプリを起動させる。
2017
﹃SYSTEM
X、起動﹄
ヘルメットが再びカイトの頭にすっぽりと収まった。
獄翼の関節部が青白く光ると同時、カイトの意識は黒の巨人とリ
ンクする。
﹃むっ!?﹄
飛行ユニットの出力を下げ、地面に着地した瞬間、カイトは感じ
た。
白羊神から放たれる暴風を。
あらゆる物を吹き飛ばさんとする力を正面から受け、吹っ飛ばさ
れそうになってしまう。
﹃まるで台風だな﹄
﹁アンタだって似たようなもんでしょ!﹂
﹃失礼な。台風に比べたら良識はある﹄
﹁アンタに言われちゃ台風もお終いだよ!﹂
スバルの主張を聞いたシデンとマリリスが無言で頷いた。
どうやら自分は何時の間にか災害と対等な立場になっていたらし
い。
﹃なら、試してみるか!﹄
足を踏み出し、ダッシュする。
強烈な暴風を身体に浴びつつも、獄翼は進みだす。
それこそ疾風の如く、だ。
2018
10秒もしない内に白羊神との距離が詰まる。
﹁やっぱアンタ、台風よりも凶悪だ!﹂
﹃喧しい!﹄
結果はこちらにとって都合がいいのだ。
いちいちそんなことを突っ込んでいると、倒せる物も倒せない。
﹃食らえ!﹄
獄翼の五指から爪が生える。
10の光の刃は、微動だにしないまま突っ立っている白羊神へと
向けて振りかざされた。
﹃ファッキン!﹄
だが、それが命中する直前。
白羊神の手前に赤透明の壁が出現した。
それがなんなのかを確認する必要はない。バリアだ。あれで爪で
刻まれるのを防ぐつもりなのだ。
﹃嘗めるなよ。今更そんな薄っぺらいので!﹄
しかし獄翼は躊躇うことなく、爪を壁に突き刺した。
﹃⋮⋮!﹄
堅い。
直に爪を突き刺したカイトの第一感想がそれだった。
爪は確かに壁を切り裂いてはいる。だが、剥ぎ取る事が出来ない。
2019
これまではどんなバリアでもバターの如くスライスしてきたが、
こんなに抵抗力があるのは始めてだった。
﹁カイトさん、そのまままっすぐいけばこちらの勝ちです!﹂
﹁カイちゃん、根性見せて!﹂
マリリスとシデンが好き勝手言っているが、彼女達の願いが叶う
事は無かった。
なぜなら、白羊神が左手を構えたからだ。
脇腹で一旦貯める動作を行う、その構えには見覚えがある。
﹃いかん﹄
﹁サイキック・バズーカだ!﹂
真っ先に気付いたのはカイトとスバルだった。
カイトはバリアに突き刺していた腕をひっこめ、スバルは操縦桿
を動かて距離を離す。
﹃ファッキイイイイイイイイイイイイイイイイイイン!﹄
白羊神の左手が突き出された。
拳の先から赤の光が凝縮され、破壊のエネルギーとなって前方に
放射される。
眼前に張られていたバリアを突き破っての、力技だった。
﹁ぐううっ!﹂
赤の閃光が獄翼の右手を掠める。
コックピットを振動が襲うと、無機質な機械音が被害を知らせた。
2020
﹃右腕大破!﹄
﹁カイトさん!?﹂
﹃大丈夫だ! 右腕がすっ飛ぶのは二回目だからな﹄
全然大丈夫じゃねぇよ、それ。
声を大にしてそう言いたかったが、今はそれどころではないのは
理解している。右腕を消し炭にされたのだ。
こうなってはカイトを取り込んでも再生できないし、装備されて
いる大半の武器も制限される。獄翼は基本的に手で持って攻撃する
武装が大半なのだ。
それならば、腕を使わない武器で戦うまで。
﹃シデン、交代だ! 今ならバリアも無い。ぶちかましてやれ!﹄
﹁スバル君!﹂
﹁わかった!﹂
カイトの提案を聞き、スバルが素早く後部座席を入れ替える。
コードに繋がれたヘルメットがカイトからシデンへと覆い被さり、
獄翼の意識を再起動させた。
それに合わせ、獄翼の両足に六つの銃口が現われる。
﹃もう一度食らってみなよ!﹄
左手で素早く銃を握ると、獄翼は発砲。
引き金を引くと同時、両足の銃口を含めた七つの凶器が火を噴い
た。銃口から氷の弾丸が発射される。
﹃ファッキン!﹄
だが、それらの弾丸は白羊神に到達する前にその動きを止めた。
2021
回転が止まり、地に落ちる事も無く眼前で留まり続ける。
﹁嘘!?﹂
﹁何あれ、マトリックスかなんか!?﹂
マリリスとスバルが驚愕の表情を晒し出す。
すると、白羊神は掲げていた右手で握り拳を作り出した。
一瞬で拳を解き放つ。
指を弾くような動作だった。しかし、その指に押し出されるよう
にして、氷の弾丸が獄翼に向かって反射する。
﹃ええっ!?﹄
想定外の展開を前にして、次の引き金を引こうとしたシデンが慌
てふためく。
跳ね返された氷の弾丸が、獄翼の胴体を掠めた。
2022
第153話 vs因縁
コックピットが激しく揺れる。
シートベルトで抑えなければモニターの中に頭をぶつけてしまう
のではないかと思える衝撃を身体に浴びつつも、スバルは被害状況
を確認した。
右腕は大破。
それ以外の箇所も赤い斑点が浮き彫りになっている。認めたくな
いが、攻撃が跳ね返されたことで獄翼の各部にダメージが発生した
ようだ。
﹁システムカット! 体勢を整える!﹂
ヘルメットを無理やり外したのち、スバルは素早く操縦桿を握っ
て巨大ロボの姿勢を安定させた。
シデンが連射しなかったのがせめてもの救いだろう。獄翼は各部
に損傷を抱えながらも、まだ動く事が出来た。
﹁スバルさん。次は私が︱︱︱︱﹂
﹁よせ。お前が行っても同じだ﹂
マリリスが提案するも、隣に座るカイトによってあっさりと取り
下げられる。
﹁飛び道具は奴に効果がない。今のを見ただろう﹂
﹁でも、かと言って近づけるとは思えません﹂
つい少し前にカイトが近づいて見せたが、あれはマリリスの中で
2023
は接近戦にカウントされないらしい。
まあ、実際にダメージを与えているわけではないので当然と言え
ば当然なのだが。
﹁それでも、一番まともにやれるのは俺だ﹂
﹁確かにそうなる!﹂
白羊神から放たれる暴風を堪えながら、スバルが頷く。
唯一、ダメージを与えられそうに見えたのがカイトのみであった。
遠距離攻撃がマトリックスばりに弾き返される以上、なんとか接近
戦に持ち込むしかない。
もとより獄翼の武装の大半は接近主体なのだ。
スバルとしては望むところである。
﹁スバル。さっき俺はどの程度タイムを消耗した?﹂
Xには制限時間が設けられている。
﹁近づくだけで3分くらい!﹂
SYSTEM
その時間は僅かに5分。その時間内であれば、獄翼は後部座席の
新人類の力を取り入れることができる。
だが、取り込まれた人物がスバルの意思とは関係なしに動く場合、
そのタイムはさらに縮まる事になるのだ。
﹁攻撃を仕掛けて、あれに一撃を与えるには時間が欲しいな﹂
﹁でも、あれ以上時間をかけたらまた同じことの繰り返しだよ! それとも、何か作戦がある訳!?﹂
﹁今のままだと、ない﹂
﹁ねぇのかよ!﹂
﹁ないんですか!?﹂
2024
わかってはいたけど、ここまで即答されるといっそ清々しい。
半年前、同じようなやり取りをしたことを思い出してスバルは頭
を抱えた。あの時は力技で解決しにかかったが、今回はそれが通用
するとは思えない。
というか、実際にやってみたら駄目だったパターンだ。
﹁とりあえず、目下のミッションは、だ﹂
カイトが口を開くと同時、白羊神は両腕を深く落とす。
両手の握り拳に赤い光が凝縮されていき、螺旋状に回転し始めた。
﹁あれをなんとかして止めよう﹂
﹁真顔で言うな! どうやって止めればいいんだよ!﹂
﹁さっき勢い殺しただろ。あれと同じようにして、半年前と同じ防
御をやればいい﹂
半年前と同じ防御。
刀を地面に突き立て、シールドで余波を防ぐ。危険極まりない防
御方法だった。
﹁避けるのじゃダメなんですか!?﹂
﹁後ろを見ろ﹂
言われて、マリリスが背後をモニターに映す。
城があった。そして外壁で戦いを展開する、エイジとアーガス、
タイラントの三人。
﹁生身であれを避けられるか?﹂
問いかけに対し、マリリスは無言になった。表情がどんどん青ざ
2025
めていくところを見るに、現状が最悪な方向に向かいつつあること
を理解したらしい。
﹁で、でも! お城に向かって攻撃するのは流石に⋮⋮﹂
﹁リバーラ王や主要メンバーが退避してたら、建物はどうなっても
構わない筈だ。5分もあればここの連中は非難ができる﹂
それに、サイキネルのサイキックパワーはありえないことを可能
にする超常現象である。
外壁で戦っている連中だけを消し炭にして、攻撃を止める事も十
分可能かもしれない。
﹁いずれにせよ、攻撃するって事は構わないって事だ。たぶん﹂
﹁今から避難を呼びかけたら!?﹂
スバルが別方向から提案する。普通の人間だと避けれないかもし
れないが、外壁で戦う3人はいずれも常識はずれの新人類である。
彼らなら、走れば案外なんとかなるのではないかとスバルは考え
ていた。
﹁なら、やってみるといい﹂
淡々とした口調で、カイトは答える。
﹁タイラントがそれを許すとは思えんがな﹂
﹁やらないよりはマシでしょ!﹂
スバルがマイクをオンに設定すると、大声で叫んだ。
﹁おい、攻撃が飛んでくるぞ! 一旦戦闘を中止して逃げてくれ!﹂
2026
その言葉に反応し、エイジとアーガスがこちらに振り向く。
白羊神が拳を握りしめているのを見て、ふたりとも驚愕していた。
彼らは城壁を移動していき、なんとか直撃コースから逃れようと懸
命に走る。
﹃そうはいかん!﹄
そんなふたりの前に降り立ったのはタイラントだ。
彼女は拳から放たれる破壊のオーラを前方に射出し、ふたりの逃
げ場を塞ぐ。
﹃おい、テメェ! どういうつもりだ!﹄
振り返り、エイジが睨む。
﹃お前も消し炭になるぞ!﹄
﹃笑わせるな。お前たちとは根本的に違うんだ。あんなビーム砲で
は私は殺せない﹄
直後、タイラントの身体を包み込むようにして青白い球体が出現
した。
球体に触れた外壁が崩れ落ちる。それが破壊のオーラによってつ
くられたバリアなのは、一目瞭然だ。
﹁⋮⋮思った通りだ﹂
その光景を眺め、カイトは腕を組む。
彼があくまで冷静な態度で状況を観察し、評価する。
2027
﹁タイラントは耐えるつもりでいる﹂
﹁生身でアレを耐えられるの!?﹂
﹁少なくとも、死ぬ気はないだろう。だが、多少はダメージを受け
る筈だ﹂
逆に言えば、タイラントはそれを覚悟でこの場に立っている。
﹁どう足掻いても、あいつはここで決着をつけるつもりだ﹂
それこそ、自分が死ぬまで続けるつもりなのだろう。
カイト達が生きている限り、彼女は戦い続けるつもりだ。その果
てに何があっても、それが絶対に正しい事なのだと信じている。
執念だった。
大昔、XXXとして初めて王の命令を実行した。その時の名残が、
目の前に転がっている。
﹁⋮⋮どう考えても俺に責任あるよなぁ﹂
頭を抱え、ぼやく。
隣に陣取るマリリスとシデンの視線を感じつつも、カイトは溜息
をついた。
﹁仕方がない。俺が何とかしよう﹂
﹁え?﹂
突然吐き出された言葉に対し、スバルは困惑を隠せなかった。
なにせ、ついさっきまで﹃半年前と同じ方法で何とかしろ﹄と言
ってきた男である。どういう風の吹き回しなのだろうか。
﹁どうしたの、急に﹂
2028
﹁あそこで暴れている女は、多分俺のせいで執念深くなっている﹂
﹁またアンタのせいなの!?﹂
これで何度目になるかもわからないカイトの尻拭いを目の前にし
て、スバルは反射的に吼えた。思えば、トラセットでレオパルド部
隊の襲撃にあったが、あれもこの男のせいなのかと思うと無性に腹
立たしくなってくる。
﹁そういえば、あの時タイラントさんはすっごいアンタを敵視して
たよね。何したんだよ! ちゃんと謝れ!﹂
﹁アイツの上司を殺した﹂
﹁おい!﹂
冗談で済まされない話だった。
なにかしらの因縁はあるんだろうな、程度の認識だったのだが、
まさかここまで根深い確執が潜んでいるとは夢にも思わなかったの
である。
彼の隣で座るマリリスなんかはあまりのショッキングな事実に気
を失いかけている。
﹁じゃあ、なにか!? あの人、上司を殺したアンタを殺すために
わざわざこんなところまで出て来たって事!?﹂
﹁それだけじゃない。半年前、新生物との戦いが終わった後に自分
の軍を動かしてきたのもそれが理由だろ﹂
﹁完全にアンタのせいじゃないかよ!﹂
﹁そうだ。だからこそ、俺がこの場を何とかしようと言っている﹂
﹁どうする気なんだよ。まさか、殺されに行くわけじゃないでしょ
!﹂
﹁当然だ。俺はまだ死ぬ気はない﹂
2029
だが、だからと言ってエイジたちをむざむざ殺させるわけにはい
かない。
故に、カイトは提案する。
﹁俺があの白い激動神のバリアを突破する。その後はお前らに任せ
た﹂
﹁任せたって⋮⋮バリアを破る当てでもあるの!?﹂
﹁ある﹂
﹁ほら、ないんじゃ︱︱︱︱ええっ、あるの!?﹂
さっきと言ってること違うじゃん、とは突っ込まない。
その前にカイトが口を開いたからだ。
﹁⋮⋮俺の勘が正しければ、これで行ける筈だ﹂
前髪を掻き上げ、黒く染まった左目を見せる。
赤の瞳孔が、不気味に輝いた。
獄翼から僅かに聞こえた友人のぼやきを耳に受け入れ、エイジは
息を飲みこむ。額から冷や汗が流れるのを感じつつも、彼は口を開
いた。
﹁成程。そんなに決着をつけたいのか。まったく、モテる男はつら
いぜ﹂
﹁美しいことはまったく罪だね﹂
2030
何故かアーガスが隣で得意げに髪を掻き上げた。
その態度を前にして無性に殴りたくなったが、今は味方なのでじ
っとこらえる。
﹁誰が貴様らのような品のない男に興味を持つか﹂
﹁こいつと一緒にするな!﹂
﹁はっはっは。この美しき私を見てツンになることはないぞ!﹂
なぜか妙に自信満々の笑みを浮かべてアーガスがいう。
どこからその自信が来るのか、一度聞いてみたかった。
﹁つーか、マジで時間無さそうだな﹂
背後で拳を構える白羊神を視界に尻目に、タイラントに身構える。
後ろから感じる﹃殺気﹄を確かに感じつつも、エイジは正面に構
える女傑を睨みつける。
﹁できれば、決着は自分ひとりでつけてぇんだけどな﹂
﹁それは私とて同じだよ﹂
高笑いしていたアーガスがぴたり、と動きを止めた。
彼は真顔になってタイラントを見ると、ぼそりと呟く。
﹁今更君に故郷のことを離す必要はないだろう。だが、私は毎日夢
見てきた。祖国を滅ぼした奴を、この手で倒したいと﹂
﹁けっ、譲る気はねぇわけだ﹂
ならば、決着の方法はひとつしかない。
エイジは誰よりも先に一歩踏み出すと、スコップを振り回しなが
ら突撃した。
2031
﹁早いもん勝ちだもんね!﹂
﹁あ、ずるいぞ! 私も美しく参戦させたまえ!﹂
一歩遅れて、アーガスが続く。
かつて王国を震撼させたXXXに所属していた青年と、トラセッ
トの英雄のコンビ。
傍から見れば十分な脅威なのだろうが、タイラントはそれらを見
て、まるで脅威を感じていない。
﹁一度負けてる癖に、私に適うと思っているのか!﹂
﹁負けてねぇっての!﹂
エイジがスコップを振りかざす。
横薙ぎに振るった刃先が、青白い球体のバリアに命中した。
﹁む!?﹂
バリアが砕ける。
球体がすべて崩れ落ちたわけではないが、スコップと激突した個
所は確実に砕け散っていた。
﹁なんだ、そのスコップは!﹂
﹁俺の武器だっつってんだろ!﹂
バリアに穴が開いたのを確認すると、エイジはスコップの柄を握
り直す。
横薙ぎから持ち直されたそれは、正面に構え直される。突きの構
えだ。反射的にそれを理解すると、タイラントは己の身体に破壊の
オーラを纏い始める。
2032
青白いオーラが螺旋状にタイラントを包み込んでいき、ドレスの
ようにして纏われた。
﹁むん!﹂
﹁てぇりゃ!﹂
突き出されたスコップの刃先と、オーラに包まれた右拳が衝突す
る。
火花が散った。
エイジが仰け反り、再度スコップを構え直す。
﹁まだだ!﹂
もう一度スコップを突き出した。
だが、その一撃はタイラントの左手によって軽くあしらわれる。
刃先を掴み、彼女はもう一方の手をエイジの顔面へと突き出した。
﹁はっ!﹂
﹁むっ!?﹂
そんなタイラントの眼前に、なにかが飛び込んだ。
薔薇だ。花弁が白で染まっている一輪である。目の前に飛んでき
たそれを、タイラントは躊躇うことなくキャッチする。
左手で掴んでいたスコップを力一杯突き放すと、彼女はアーガス
を睨んだ。
﹁血迷ったか、アーガス。私にお前の植物は利かん﹂
﹁その通り。4年前、君と始めて戦い、私はかつてない絶望を味わ
った﹂
2033
故郷の侵攻を受けた際、英雄と称されていたアーガスは潔く戦い
に向かった。そこで出会ったのが、同じく侵攻の先陣を切っていた
若き司令官、タイラントである。
敵対していた二人の英雄は、必然的に戦う事となった。
結果がどうなったのかは、今更語るまでもないだろう。アーガス
の力は、破壊の化身であるタイラントを前にしては相性が悪すぎた
のだ。
﹁だからこそ、品種改良に品種改良を重ねて今の美しい私がある。
私は常に美しさに磨きをかけるのだ!﹂
﹁ならば、その顔ぶん殴ってやろうか!﹂
﹁できるものなら﹂
自信に満ちた笑みが浮かんだ。
訝しげに見やると、右手に異変が起こる。
﹁なに!?﹂
キャッチした白の薔薇が輝きだした。
同時に、タイラントを包む青白いドレスが発光する。ばちばち、
とノイズを響かせながら分解していき、白の花弁の中へと吸収され
ていく。
﹁貴様、なにをした!﹂
﹁別に何も﹂
そう、アーガスは何もしていない。
強いて言うのであれば、タイラントが触ってしまった事に問題が
ある。
2034
﹁山田君すら耐えられなかった薔薇に、君が勝手に触れただけのこ
と﹂
﹁おのれ!﹂
この薔薇はやばい。
直感で理解したタイラントは、薔薇を投げすてる。
放り捨てられた薔薇の花弁は、白から黒へと変色していた。
﹁隙あり!﹂
﹁!?﹂
スコップを持った男が、刃先を顎目掛けて振り上げる。
オーラを身に纏うまで時間がない。必然的に回避行動に出なけれ
ばならなかった。
タイラントは僅かに後ろにさがり、スコップ攻撃を回避する。
﹁へ⋮⋮っ!﹂
エイジが笑みを浮かべた。
それを目の当たりにした瞬間、タイラントは思う。
しまった、と。
一歩下がる事でスコップ攻撃から回避することは出来る。
だが、まだこの男の射程距離内だ。僅かに下がるだけでは、エイ
ジのパワーを回避したとは言い切れない。
スコップが空を切った際の風圧が、タイラントの鼻先を抉った。
顔面を斬られたのではないかと思える痛みが襲い掛かってきたと
同時、エイジが右足をタイラントに叩きこんだ。
2035
僅かな嗚咽が漏れた直後、新人類王国最強と呼ばれた女傑が、外
壁の上を転がって行った。
2036
第154話 vs執念
外壁から転がり落ち、時折身体をぶつけながらもタイラントは落
下する。
腰まで届く長い髪は埃まみれで、気品の漂う凛々しい表情は欠片
も感じられない。彼女の表情は、痛みによって歪んでいた。
地面に思いっきり叩きつけられたのち、彼女は苦悶の声を漏らす。
﹁がぁ⋮⋮!﹂
腹部に込み上げてくる痛みに耐えつつも、深呼吸。
息を整えてから、改めて立ち上がろうと足を曲げる。
﹁痛っ﹂
全身打撲。そして新人類の中でも五指に入るであろう怪力の持ち
主である、御柳エイジの蹴り。それらを受けた今、彼女の身体は悲
鳴をあげるばかりだ。まともに起き上がる事さえ、身体が拒否して
いる。
タイラントは思う。
レオパルド部隊の責任者は、こんなもんで泣き言を言わないだろ
う、と。
前任者が受けた痛みはこんなものではない。
彼女が首を圧迫され、息をすることさえできずに殺されたのだ。
ソレに比べれば、この程度の痛みはなんてことはない。
腕がへし折れてもそうだ。
2037
足が切断されてしまったとしても、首が吹っ飛んだとしても最後
まで戦いぬいてみせる。
﹁︱︱︱︱!﹂
タイラントは吼える。
言う事を聞かない身体に喝を入れ、無理やり立たせた後、彼女は
城壁に向かって掌底を叩き込んだ。
破壊のエネルギーが掌から外壁に伝わる。
﹁ん?﹂
その様子を外壁の上から覗き込んでいたエイジが、僅かに首を傾
げた。
彼女が何をしたのか、すぐには理解できなかったのである。
だが、直後。
足場が崩れ始めてきたのを感じ、やっと理解が及んだ。
﹁やば! 足場を崩してきたぞ!﹂
言うや否や、石でできた外壁が崩れ落ちる。
瓦礫の破片が飛び散る中、エイジとアーガスがそれらに飛び乗り、
次々と着地していくことで落下から逃れた。
﹁む!?﹂
跳躍を続ける中、アーガスは見る。
足場を崩してきたタイラントがジャンプし、落下してくる瓦礫を
踏み台にすることでこちらに近づいてきているのだ。
2038
﹁まだ動けるのかね!﹂
﹁相変わらず、すんげぇ執念!﹂
アーガスの薔薇にエネルギーを吸われ、エイジの蹴りを受けて地
面に叩きつけられた。それでも尚、彼女は向かってくる。
心なしか、彼女の胴体を覆う破壊のオーラが、いつもよりも黒く
濁っているように見えた。
﹁おおおおおおおおおおおおおおおおおっ!﹂
獣のような咆哮をあげ、タイラントが振りかぶる。
上から下に向けて腕を振り抜いた。掌の中で破壊のオーラがボー
ル状に凝縮され、エイジたちの足下に散る瓦礫を砕く。
﹁げっ!?﹂
空中で足場を無くした。
それがそれだけ深刻な事態なのか、わからないエイジではない。
瓦礫とはいえ、足場を砕かれてしまえば移動することができなくな
ってしまう。
要するに、回避が出来ないのだ。
﹁御柳君!﹂
アーガスが薔薇を口に咥え、エイジの救援に向かう。
だが金髪の囚人がそこに到着するよりも前に、タイラントがエイ
ジとの距離を詰めた。
足場も無い空中で、新人類最強と呼ばれた女傑が殴り掛かってく
る。
2039
犬歯剥き出しで飛びかかってくるその姿は、獲物に襲い掛かる肉
食獣のようにも見えた。
﹁来るならきやがれ! 次こそ決着つけてやる!﹂
スコップを構え、エイジが迎撃態勢に入った。
青白いオーラを纏った、発光する拳が迫る。ソレに対し、エイジ
はスコップをフルスイング。
足場がないため、腰と腕の力のみでタイラントの力と勝負する。
ばちん、と音が鳴った。
ふたりの衝突で周囲に青白い火花が散り、眩い光が溢れ出す。
﹁どわぁ!?﹂
﹁ちぃ!﹂
衝突に押し出されたのはエイジだった。
なんとか直撃は逃れた物の、肝心のスコップがタイラントのパワ
ーに耐えきれなかったのである。力強く握っていた柄は、破壊のオ
ーラに触れてぽっきりと折れていた。
一方のタイラントは空中でバランスを崩しつつも、まだ戦闘態勢
を解いては居ない。彼女はエイジやアーガスとは違い、身体全てが
凶器なのだ。能力で身を纏ってしまえば、肌に触れるだけで破壊し
尽くす自信がある。
エイジのスコップが折れたのなら、尚更だ。
一撃で仕留めきれなかったのには舌打ちしてしまったが、今度こ
そトドメを刺してやれる。過去2回にわたる屈辱を晴らすためにも、
真っ先に狙ったのはエイジであった。
2040
﹁トドメだ!﹂
タイラントが空中で拳を振るう。
近距離であろうが遠距離であろうが、彼女には関係ない。身体か
ら放たれる破壊のオーラを身に浴びれば、皮膚や肉、骨に至るまで
砕かれるのみである。
アーガスはそれを知っているからこそ、急ぐ。
﹁間に合え!﹂
口に咥えているのは白薔薇。
かつて、新人類の中でも屈指の生命力を誇るカイトですらダウン
させたことがある強力な棘だ。新人類王国に大敗を喫した後、アー
ガスが作り出した最終兵器である。
これならタイラントを倒せるはずだと信じて育て上げた、最高の
一輪。
現に彼女の能力でさえも吸い取って見せた。
これを直接、彼女の肌に突き刺す事が出来れば勝てる。
その確信がアーガスにはあった。それがどれだけ至難の業だと理
解していても、だ。
力では自分よりも遥かに優れているエイジが、力勝負で負けたの
だ。
接近した瞬間、一気に不利になるのは見ただけで理解できる。
﹁⋮⋮ん?﹂
そんな思考を片隅に寄せたうえで、アーガスは見る。
落下していくエイジ。その人差し指が僅かにくいっ、と上を向い
ているのだ。
2041
これはまさか。
視線をわずかにズラし、エイジの顔を見る。
こちらを凝視していた。なにかを期待し、同時に絶対に成功させ
ろと言う脅迫概念にも似たような思い詰めた表情である。
﹁君は︱︱︱︱﹂
呟きかけ、アーガスは口を閉ざした。
皆までは言うまい。自分の予想が当たっていれば、彼はこれから
命がけの勝負に出ることになる。
アーガスができるのは、それが成功した時の為に準備を整えてお
くことだけだ。
己の脳裏によぎった考えを纏めて、僅かに頷く。
それを見届けたエイジは、にかっ、と笑った。
﹁よっしゃ、決着つけようぜ!﹂
タイラントが眼前に迫る。
タイラント
足場も無く、武器もない。落下していく背中。その向こうには地
面がある。
今から着地しようとしたところで、後から降ってくる隕石の一撃
をかわすことなど不可能だろう。
それなら、ここで倒す。
過去2回の戦闘を経て、エイジは使命感に掻き立てられていた。
コイツは俺が倒す、と。タイラントの執念は本物だった。本物だ
からこそ、どんな手段を使ってでも仲間を殺しに行くだろう。
2042
しかし、その仲間の元には近づけさせない。
過去、親友とタイラントの間に何があったのかは知っている。
正直に言えば、同情できるのはタイラントの方だ。気の毒な話だ
と思うし、できることなら仇をとらせてやりたいと思う。
ただし、思うだけだ。
タイラントがカイトの首をへし折っている姿を想像してみると、
無性に嫌な気分になった。
現金な話なのは百の承知だが、それがすべてなのだ。
エイジはその光景を現実にしたくない。だからこそ、立ち向かう。
﹁潰れろ!﹂
発光する右拳がエイジに迫る。
タイラントの落下スピードは速い。このままいけば、後数秒で接
触するだろう。
﹁3度目の正直だ﹂
エイジはぼやく。
過去2回の戦いで、エイジは正面から彼女に戦いを挑んだ。その
結果どうなったのかは、今更語るまでもない。
なら、今回はアーガスの手を借りてふたりがかりで倒すのかと言
われたら、少し違う。
﹁今度こそ、俺の勝ちだ!﹂
身体を捻り、両足をタイラントの拳へと突き出す。
2043
光の腕と接触した瞬間、靴の革が吹っ飛んだ。同時に、靴から漏
れた余波がエイジの足を襲う。
しかし、エイジはぐっと我慢。
蹴り上げた勢いを利用したまま、頭をタイラントの胴体へと向け
る。
﹁あんなもので私の視界を封じられる物か!﹂
﹁そうだろうな!﹂
元からそんなものでやり過ごせるなんて思っていない。
エイジの頭にあるのは、ただひとつ。純粋な勝負のみであった。
彼は腕を突き出し、タイラントの頭を狙う。
﹁なに!?﹂
その行動は彼女の予想外の行動であった。
エイジは過去、タイラントと勝負して2回ともパワー負けしてい
る。だからこそカイトから武器を貰ったし、アーガスも駆け付けた
のだ。
自棄にでもなったのだろうか。
それならそれで、やることに代わりは無い。
タイラントはそう思うと、エイジの手に拳を振るう。
﹁忘れたか﹂
エイジがにやりと笑う。
彼は腕を伸ばした体勢のまま、更に体を蹴り上げた。僅かに身体
2044
が宙に浮く。もう片方の腕が、タイラントの足を捕まえた。
﹁俺、我慢強いのが取柄でよ!﹂
伸ばした腕が発光する拳を受けながらも、タイラントの髪を掴む。
そのまま体勢を整えると、エイジは着地体勢に入った。敵の頭と
足を捕まえて、仰向けにする。
アルゼンチン・バックブリーカーっぽい体勢だった。
少年時代に見た、強そうな必殺技。おぼろげな記憶だったが、確
かこんな感じだった筈だ。
かなり荒っぽいかけ方だが、相手は暴れ回る肉食獣である。荒っ
ぽく行かないと、上手くいくはずがない。
﹁キサマッ!﹂
﹁覚えておけよ。俺、こう見えても執念深いんだぜ!﹂
エイジが地面に着地した。
着地の衝撃で大地が悲鳴をあげる。その衝撃を利用し、タイラン
トの身体は反り返った。エイジの頭を支店にし、女傑の背中がへし
折れる。
獣の鳴き声のような叫び声が響いた。
全身に響き渡る激痛に意識を奪われつつも、タイラントは見る。
空から一輪の花が振ってきた。
白い花びらの、美しい薔薇だ。薄れゆく意識の中、どこかで見た
ことがあったかと頭を回転させる。
だが、ぼやけて見えるそれは彼女の思考を余所に、胸に突き刺さ
った。
﹁うあっ!﹂
2045
僅かな悲鳴が漏れる。
タイラントの身体が痙攣した。残っていた力が急に抜けていくの
を感じる。
﹁あ⋮⋮あ⋮⋮﹂
腕を伸ばす。
七色に輝く天空に向かって、ゆっくりと。
﹁待て、よ﹂
神鷹カイトの背中が見えた。
彼は振り返ることなく、空の中へと消えていく。
追いかけようと思った。
追いついて、尊敬するあの人の仇を取るのだ。
そう思って身体を動かそうとするが、どこも言う事を聞かない。
徐々に感覚が薄れていく。
﹁勝負、だ。わたしが⋮⋮あの方や、シャオラン達に代わって、お
まえを︱︱﹂
伸ばした腕が、力なく項垂れた。
胸に突き刺さった白の花弁は、黒へと変色しきっていた。
2046
第154話 vs執念︵後書き︶
次回は木曜の朝に更新予定
2047
第155話 vs光の球
﹁無事かね、御柳君!﹂
アーガスが華麗に着地を決めると、エイジのもとへと駆け寄る。
傍から見ればエイジの技は見事に決まっていた。事実、タイラン
トの背中もくの字に曲がっているし白薔薇も突き刺さっている。
死んではいなくても、気を失うくらいまでは追い詰めた筈だ。
だが、エイジの受けたダメージも大きい。アーガスは素直にそう
分析していた。
靴は弾け飛び、皮膚が剥き出しになっている。所謂、裸足という
やつなのだが破壊のオーラに触れた足は既にボロボロだ。
火傷したかのように黒焦げで、見るからに痛々しい。よくもまあ、
こんな足で着地したもんだ。
﹁歩けるか?﹂
﹁⋮⋮ちょっと、無理かも﹂
タイラントの身体を乱暴に放り捨てると、エイジはふらついた足
取りで前進する。
このままだと遅かれ早かれ倒れてしまうだろう。一目見ただけで
分かる。
﹁さあ、肩を貸したまえ﹂
﹁いやだよ。おめー、なんか匂いがきついし﹂
鼻を抑えて拒絶された。
2048
それはそれで悲しいが、今はそれどころではない。タイラントを
なんとか退けた今、急いでこの場を避難しなければならなかった。
﹁言っている場合ではないぞ御柳君。美しい我々は戦友の邪魔にな
ってはならんのだ﹂
﹁え、お前戦友だっけ?﹂
真顔で言われた。
アーガスは笑顔のまま凍りつく。自然と体育座りへとシフトして
いった。
どんよりとした暗いオーラを醸し出しつつも、地面に﹃の﹄の字
を書き始める。
﹁酷い⋮⋮酷いじゃないか。そりゃあ、私は最初君たちに迷惑かけ
たよ? でも、ここまで一緒に戦ったじゃないか。雨の中、風の中、
雪の中、迫りくる怒涛の敵の中を突っ切っていった美しい記憶はど
こへ捨ててしまったんだい?﹂
そんな記憶あったっけ、とエイジは首をひねる。
半年ほど前にこの男と始めてであった時のことを思い出し、それ
から現在に至るまで記憶を早送りしてみた。
どう考えても一緒に戦ったのは新生物の一件だけだった気がする。
しかもこの男は首謀者だ。
﹁⋮⋮あー﹂
その事実を言葉にしようとして、喉元で抑え込む。
多分、言ったら面倒なことになる。短い付き合いだが、この男の
機嫌を損ねると非常に面倒くさい展開になるのは簡単に予想できた。
それに、今回タイラントを倒せたのは彼の協力によるところが大
2049
きいのも事実である。
認めたくはないが、それだけでも死線を共に潜り抜けたと言い切
る事が出来た。
﹁悪かったよ。お前のおかげで助かった。さっさと退散しようぜ﹂
﹁うむ、そうしようではないか兄弟!﹂
すっく、と立ち上がり風のような速さでエイジの肩を持つ。
立ち直りの早い男であった。隣に立たれた際に猛烈な悪臭がエイ
ジの鼻に襲い掛かるが、ぐっと我慢。
悔しいが、早くこの場を離れなくてはならないのだ。自分たちが
いたせいで獄翼が無茶をして大破してしまっては、元も子もない。
﹁おい、タイラントは倒したぞ!﹂
獄翼に視線を向け、エイジが叫ぶ。
肉声が巨大マシンに届くのかは少々疑問ではあったが、ブレイカ
ーは隠密行動も想定されている為、外の人間の声も聞き取れるのだ
と聞いたことがある。で、あるならば特に問題はないだろう。
問題があるとすれば、獄翼の体勢にある。
﹁⋮⋮おい、なにしてんだ﹂
獄翼の構え。
左腕を腰まで引っ込めて、今にも正拳突きを繰り出してきそうな
光景だった。
というか、眼前にいる白羊神がまさにその体勢である。向こうは
両拳に赤い光を放っているが、まさかあれに拳で対抗する気ではな
いだろうな。
額から嫌な汗が流れる。獄翼から返事は返ってこない。いったい、
2050
あの中では何をやろうとしているのだろうか。
﹁確か、敵は鎧持ちだったね﹂
エイジに肩を貸しつつ、アーガスは呟く。
﹁ああ。アキハバラで俺たち4人がかりで倒した化物だ﹂
﹁なるほど。彼は君にそう言わせるか﹂
﹁知ってるのか﹂
﹁時田君とは多少話したことがある。可能性の溢れる新人類だった
よ。それだけに、処刑されたのは美しくなかったがね﹂
タイラントの言葉を思い出す。
半年前、アキハバラで好きなだけ大暴れしていったサイキネルが
処刑されたのだと、彼女は言った。エイジにはそれが信じられない。
イゾウとシャオランが生きており、好きなように暴れていたのだ。
当然、サイキネルも平然と生きていて、何時かまた目の前に現れる
んだろうと考えていたのだが、しかし。現実には一番手強かった男
が真っ先に殺されてしまった。
﹁もしかして、王国的に評価が低かったりしたのか﹂
﹁まさか。タイラントも言っていたが、彼は逆鱗に触れてしまった。
それだけだよ﹂
﹁それだけだよって⋮⋮あいつ、相当強かったぞ。少なくとも、街
一つを荒野にするくらい余裕だろ﹂
﹁もちろん。彼のレベルだとそれも容易い。だからこそ鎧の候補に
選ばれた﹂
要するに、処刑された経緯はどうあれ彼の実力は本物だったのだ。
逆に言えば、鎧という代用品ができたからこそ不要になってしま
2051
ったのかもしれない。
﹁⋮⋮質問してみてもいいか?﹂
﹁なんだね﹂
サイキネルの評価を踏まえたうえで、敢えてエイジは問う。
﹁サイキネルの野郎と正面からぶつかって、勝てる奴はいるか?﹂
﹁1on1なら難しいだろうね﹂
あっさりとした返答だった。
同時に、ある程度予測できた返答ではある。
﹁やっぱり?﹂
﹁時田君のパワーは美しきオンリーワンだ。お世辞抜きでね。やろ
うと思えば、ひとりでなんでもやってしまうだろう﹂
ただ、
﹁逆に言ってしまえば、正面からソレに勝つ事が出来れば⋮⋮この
勝負、我々の勝ちだ﹂
獄翼のコックピットで、スバルがひとり汗を流す。
Xを稼働させ、己の意思でカイトは獄翼を動かしている。
神鷹カイトの提案は、正気を疑うものであった。既にSYSTE
M
止めようと思っても、スバルは彼の意のままに操縦桿を握るだけ
2052
だ。
できることなら、少し前の時間に戻ってカイトの意思を信じた自
分を殴ってやりたい。
﹁いくらなんでも、正面からあれとやりあうなんて無茶だって!﹂
スバルが叫ぶ。
だが、カイトは一言つぶやくだけだった。
﹃うるさい。集中力が乱れるから黙れ﹄
﹁本当にあの星喰い︵スターイーター︶並みのパワーが出るわけ!
?﹂
﹃黙れと言っているんだ!﹄
Xで自分ごと地球外生命体の超パワーを取り込み、
カイトの提案はいたってシンプルである。
SYSTEM
それを白羊神にぶつけるというものだ。実際に怪物とやりあった事
Xを稼働させた時にこの男は言いや
があるスバルやマリリスにしてみれば、納得できる攻略法ではある。
ただ、実際にSYSTEM
がったのだ。
﹃もし上手くいかなかったら、その時はなんとか避けてくれ﹄
なんて丸投げな発言だろう。
長年の付き合いが無ければキレているところだ。自分が提案した
のだから、その内容をちゃんと保障しろと言いたい。
﹁スバル君﹂
2053
憤りしか感じられないスバルに、背後から声をかける者がいた。
シデンだ。彼は真剣な眼差しでスバルを射抜くと、小声で語りか
ける。
﹁彼を信じよう﹂
﹁信じようって言われても、シデンさんも知ってるだろ。アレの威
力﹂
﹁当然。戦ったのはボクだからね﹂
だが、同時にカイトとエイジも戦った張本人である。
その本人が言うのだから、十分当てはある筈だ。
﹁どちらにせよ、あいつを倒さないとボク等は動けない。そして、
避けるだけじゃ勝てない。違う?﹂
﹁そうだけどさ⋮⋮﹂
現実は非情だ。
ゲームの中のようにタイムアップで粘るなんて選択肢はない。勝
ち負けが決まるまでの徹底的なバトルだけが求められるのだ。
生きる為には、白羊神を倒さねばならない。そして、その当てが
あるのがカイトだ。残念だが、今の所それ以外に選択肢はない。
﹁⋮⋮頼むぜ、ホントに﹂
﹁神様、お願いします!﹂
スバルが観念し、マリリスがお祈りし始めた。
彼らにできることはない。ただ、カイトが上手くやってくれるの
を願うばかりである。
﹁⋮⋮ん?﹂
2054
マリリスの祈りに同調して神頼みをしようと思った、そんな時だ。
獄翼のコックピットから警報音が鳴り響いた。カイトに身体を乗
っ取られ、身動きの取れないスバルに代わってシデンがモニターを
確認する。
﹁⋮⋮なにこれ!?﹂
﹁どうしたの!﹂
﹁獄翼の出力が上昇中! 上昇しすぎてアラートが出てる!﹂
﹁はぁ!?﹂
出力上昇。ここはいい。嬉しいことだ。
だが、それで警報が出るとはどういうことなのだろうか。以前、
カイトが全力疾走をしたせいで獄翼の脚部が倒壊寸前まで追い詰め
られたことがあるが、今はそんなに激しい動きをしているわけでは
ない。
﹁ねえ、スバル君。なんか横にある赤いメーターが振りきれてるん
だけど、これ大丈夫?﹂
﹁それってダメージ蓄積率じゃねぇの!?﹂
シデンの言葉通りであるなら、間違いないだろう。
なんてことだ。攻撃をする前から獄翼が悲鳴をあげている。これ
ではいざ攻撃する時に機体が耐え切れないのではないか。
﹁カイトさん、出力落として! このままだとみんな爆発する!﹂
﹃断る﹄
﹁おい!﹂
﹃その前に、アイツを倒す﹄
2055
ダメだ。もはやこの男は目の前の敵しか見えていない。
スバルは表情を引きつらせつつも、残り制限時間に目をやる。ま
だ本格的に動いていないとはいえ、既に1分が経過していた。
この間、よく白羊神も待ってくれていると思う。
﹁カイトさん、後4分!﹂
﹃いいだろう。その時間で始末する﹄
獄翼の背部から稼働音が漏れ始めた。
背中に取り付けられた大型ウィング搭載の飛行ユニットが切り離
され、地に落ちる。
ずしん、と音が鳴り響く。
その音がゴングとなった。獄翼は力強く地面を蹴ると、左手を振
り上げて白羊神へと向かっていく。
同時に、白羊神も動いた。
凝縮された赤を前面に突き出したのだ。
﹁ここで!?﹂
﹁そりゃあ、チャージ終わってたんだから撃てる時に撃つよ!﹂
きっとタイミングを見計らっていたのだろう、とシデンは予想す
る。
カイトの左目から溢れ出すパワーは異常だ。ミラージュタイプが
出せる出力を軽く上回っている。
白羊神はそれを感じ取っていたのだろう。サイキックパワーを通
じてか、センサーを通じてかは知らないが。
﹃騒ぐな! タイムだけ気にしてろ!﹄
2056
カイトが怒鳴る。
赤の閃光を前にして、彼は怯む気配がない。
獄翼の左手が振り降ろされる。五本の指から黄緑色に光る爪が伸
びてきた。
爪は掌の中で凝縮され、球体となる。
普段使っている凶器とは別の代物だった。
﹃食らえ﹄
左手に黄緑色に輝く光球が出現する。
人間で言うところのバレーボールのサイズにまで膨らんだそれを
宙に浮かせると、カイトは赤の閃光に向かってそれを思いっきり叩
きつけた。
光球が唸りを上げつつ赤の螺旋に吸い込まれる。
﹁ま、負けたんじゃないの今の!?﹂
スバルが喚く。
どう見ても今の球は攻撃なのだろう。しかし、それもサイキック・
バズーカの赤い螺旋の中に消えていっただけだ。
残り時間は﹃3:13﹄。腕の装甲も悲鳴をあげている。
﹃いや﹄
カイトがぼそり、と呟いた。
彼の言葉に呼応するようにして赤の渦巻きが弾け飛び、霧散して
いく。
﹁え!?﹂
﹁嘘!﹂
2057
突然の消滅に、スバル達は揃って驚愕した。
しかし、敵の攻撃が突然消えた事に驚く一方で、また別の事実に
戸惑いを隠せない人物がひとりいる。
シデンだ。彼は後部モニターで見た。光の球がサイキック・バズ
ーカに飲み込まれた後、赤いエネルギーの渦の中を切り裂いて白羊
神に襲い掛かったのを、だ。
肝心の光の球は間一髪のところで避けられてしまったが、回避行
動に出たと言う事は相手側に十分な脅威なのだと思わせるだけの威
力がある証明である。
丁度赤の螺旋が邪魔してスバルやマリリスには見えなかったよう
だが、シデンは鍛え上げた視力がある。
彼の目は白羊神の技を打ち破った事実を、確かに目に焼き付けて
いた。
シデンは思う。
勝てる、と。
獄翼の装甲がカイトのパワーに耐えきれず、負荷がかかっている
のがネックではあるが、どちらにせよ時間は残り少ないのだ。
﹁カイちゃん、左手の負荷率が高い! さっきのは撃ててもう一発
が限界だよ!﹂
﹃わかった﹄
了承の意を伝えると、カイトは再び白羊神に向かって走り出す。
勢いに押され、強烈なGがスバルに襲い掛かった。顔の皮膚が歪
んでいくのを感じつつも、彼は言う。
﹁勝て勝て勝て勝て!﹂
2058
カイトの意思に反応して、スバルの腕が超反応で操縦桿を操作す
る。
己の手足の感覚がなくなりそうになりつつも、彼は眼前に迫る勝
利にしがみつく様にして呟き続けた。
2059
第156話 vs白羊神
敵を倒す武器としてイメージしたのは剣だった。
左手から無限に伸び続ける、光の刃。白羊神の赤い閃光が野太い
ビーム砲であれば、それすら超える野太い剣を放出してみせる。
カイトはそんなイメージを続けながら、白羊神に接近戦を試みた。
﹃ファッキン!﹄
必殺の一撃を防がれた直後、白羊神の背部が砕け散る。
比喩ではない。文字通り、背中のパーツがパージされたのだ。
﹁なんだ?﹂
その後生えたのは、光の翼。
まるで血が噴出しているかのように赤い輝きを放ちつつ、翼は大
きく羽ばたき始める。風圧を受けるのを感じた。
直後、肌に焼き焦げるような感覚を覚える。
﹁熱風です! 近くで浴びれば装甲が溶けかねません!﹂
コックピットの中でマリリスが叫ぶ。
その忠告を聞き入れると、カイトは勢いをつけたまま急ブレーキ。
﹁激動神モドキから超エネルギー反応! もう一度さっきのが来ま
す!﹂
﹁今度は空からかよ!﹂
2060
白羊神が上空に浮かび上がり、両拳を構えだす。
半年前なら今頃﹃ファッキン! なぜ当たらないんだ、畜生!﹄
などと言って地団太を踏んでいたんだろうな、とカイトは呑気に思
う。
﹃⋮⋮いや﹄
だが、同時に思った。
そういえばサイキネルにしてはやけに大人しい気がする。確かに
ファッキンの言葉は聞こえるが、それ以降がないのだ。
あれだけ感情豊かで、尚且つ武器にしている人間が馬鹿の一つ覚
えのように特定の言語しか話さなくなった。同時に、ブレイカーの
出力だけが大幅に上がっている。
まるでサイキネルの形をした人形と戦っているようだ、と感じた。
﹃そうか。あいつは鎧か﹄
﹁ヨロイぃ!?﹂
﹁あれも!?﹂
カイトが出した結論に、コックピットが騒がしくなる。当然だ。
彼らは先程、その鎧に殺されかけたばかりである。
﹃本物より大人しくて、冷静に戦う事に務めているように見える。
たぶん、間違いないだろ﹄
﹁確かに、本物は挙動がイチイチ激しかったからね⋮⋮﹂
地団太が唯一の弱点にして、こちらの命を救っていたとスバルは
思う。
その動作を一切排除すれば強いに決まっていた。
2061
﹁いや、でも! そうだとすればやばくないか!?﹂
﹃なぜ﹄
﹁なんでって⋮⋮鎧なんだろ! めちゃめちゃ強いんだろ!?﹂
あんまり理由になっていない気がするが、スバルが危惧する理由
もわからんでもない。始めて遭遇した時に﹃こいつは危険だ﹄と教
えたのはカイトだし、実際自分は負けた。
シデンも負けた。
そして己の欲望のまま彼らに勝負を仕掛けた、月村イゾウも︱︱
︱︱
﹁まさかと思うけど、アンタ半年前に負けたからムキになって戦っ
てるんじゃないだろうな!﹂
﹃馬鹿を言うな。それなら俺だってチョンマゲと一緒に残ってる﹄
なにやら思う事があるのだろう。
スバルの口調が責める方向へと向かっていた。しかし、カイトに
してみれば勘違いもいいところである。
なぜなら、
﹃それに、もう一匹倒した﹄
﹁え?﹂
そうだ。紫色の鎧は倒した。
だから、ブレイカーに乗っていようが、あいつを倒すこともでき
る筈だ。
中の友人たちのリアクションが大マジに発展する前に、カイトは
行動に出た。
腰に装填されたダガーを引き抜き、宙へ放る。
直後、獄翼は刃に向かって蹴りを叩き込んだ。ダガーが鋼の蹴り
2062
によって弾き飛ばされる。
刃先が向く先には、白羊神。
﹃ファッキィン!?﹄
心なしか、発音に変化があったように思えた。
驚いたように白羊神が後ろに引くと、ブレイカーのボディを丸ご
と赤い光がつつむ。飛ばされたダガーは、光に接触して弾かれてい
った。
﹁ああ、おしい!﹂
﹃これでいい﹄
最初からダガーで倒せる相手だと思っていない。
攻撃態勢に入った以上、バリアを張って確実に防ぐだろうなと思
っただけだ。カイトの狙いはそこにある。
﹃自分を包むバリアなんだ。移動できないだろ﹄
獄翼が再び跳躍する。
ばちばち、と音を立てながら左腕が輝き始めた。黄緑色に輝くそ
れを前に突き出すと同時、光が掌から勢いよく飛び出していく。
それを一言で言うのであれば、剣であった。
獄翼の左腕から伸びる、巨大な剣。黄緑色に輝くそれは、ぐんぐ
ん伸びては白羊神に接近する。
だが、問題があった。
﹁バリアあるよ!﹂
﹁赤いのも突き出されます!﹂
2063
スバルとマリリスが各々感じた問題点を挙げていく。
それらに対し、カイトは一言で返した。
﹃まとめてぶった斬る!﹄
白羊神の両拳から、赤の螺旋が解き放たれる。
ルビーのような輝きを放ちつつも、巻き込んでいくものを全て破
壊し尽くす殺戮の赤。
襲い掛かってくる殺意の塊を前にして、カイトは左腕を大きく振
りかぶった。
﹁2分切った!﹂
問題ない。
少し前はあの技に両手を焼かれたこともあった。実際、獄翼が直
撃を受ければパイロットごと消し炭になっていることだろう。
しかし、負ける気がしない。
左腕に凝縮されたイメージの結晶を振りかざし、カイトは思いっ
きり叩きつけた。
赤の殺意と黄緑の殺意が激突する。
眩いフラッシュが炸裂した。
﹁うわ!﹂
﹁きゃぁ!?﹂
﹁くっ⋮⋮!﹂
あまりに強烈な輝きに目が眩み、コックピットの三人は瞼を閉じ
2064
る。
反射的な行動であった。
しかし、メイン操縦席に座るスバルの両手はその間もずっと操縦
桿を握りしめている。自分の意図しない方向に、大きく腕を曲げる
のを感じた。
以前にも似た動作を行った記憶がある。
あれは確か半年前のアキハバラ。
檄動神とやりあった頃の出来事だった。
今、思い返しても非常に馬鹿馬鹿しい﹃技﹄ではあったが、カイ
トを放り投げた事がある。
あの時の動作は、野球のピッチャー宜しく振りかぶっては、その
まま上から下に投げつけるような感じであった。
操縦桿の握りは、丁度今のような感じだ。
﹁⋮⋮勝った﹂
目を閉じたまま、スバルは呟く。
ややあった後、スバルは目を開けて眼前の光景を確認する。
身体の右半分が綺麗さっぱりなくなった白羊神が宙に浮いていた。
拳を突き出したままの体勢でいるそれは、まるで時間が止まって
しまったようにも見える。白羊神はそう思える程、ぴくりとも動か
なかった。
ばちん、と火花が散る。
青白い発光が見えた直後、白のブレイカーが爆炎に包まれた。
﹁⋮⋮ふぅ﹂
2065
やっと解放される。
その安堵からか、溜息が出た。
﹃機体限界!﹄
﹁え?﹂
勝利の余韻に浸かる間もなく、警報音が鳴り渡る。
ヘルメットを乱暴に脱ぎ捨てた後、スバルはモニターに新たなア
イコンが飛び出しているのを確認した。メッセージアイコンを表示
させる。
﹃左腕損傷率88パーセント!﹄
﹃危険! 急ぎ、外部ユニットに接続してください!﹄
﹁え? え?﹂
ぶわっと飛び出してきたエラーメッセージを前にして、慌てるス
バル。
そんな彼に憤りの感情を隠さないまま、シデンが蟀谷を抑えつつ
教えてくれた。
﹁ね、ねえスバル君﹂
﹁どしたのシデンさん。そんな青筋立てちゃって。可愛い顔が勿体
ないよ!﹂
我ながら臭い台詞であった。
しかし、そうでも言っておかないとシデンが殴り掛かってきそう
で怖かったのである。
見れば、シデンの横でマリリスがオドオドしていた。
﹁今、獄翼ってどんな状態?﹂
2066
﹁左手がオーバーヒート。そんでもって⋮⋮﹂
その前に受けたダメージのことを思いだす。
右腕の大破。熱を受けて溶けかかった装甲。弾丸のかすり傷。そ
して切り離した飛行ユニット。
﹁あ﹂
そこまで思考を働かせた瞬間、スバルは理解する。
彼が口を開く前に、獄翼から意識が戻ってきたカイトがヘルメッ
トを放り捨てつつ怒鳴った。
﹁おい、なんでシステムをカットした!? 今、俺達が宙にいるの
を忘れたか!?﹂
﹁飛行ユニット切り離したの忘れてた!﹂
悲鳴が轟いた直後、獄翼が落下する。
カイトの脚力で跳躍した獄翼は、バランスを失いながら地面に叩
きつけられた。
﹁ぼふぁ!﹂
パイロットを衝撃から守る為のエアバックが顔面に炸裂する。
一瞬、息が止まりそうになったのに冷や汗をかきながらスバルは
後方に振り返った。
﹁みんな、大丈夫!?﹂
﹁貴様のせいで大丈夫じゃない﹂
﹁なんで飛行ユニット外したの忘れてるのさ⋮⋮﹂
﹁ごめん。いつもついてたからてっきりついてるもんだと⋮⋮﹂
2067
最初のアラートはあくまで左腕の損傷を訴えるだけの物だった。
しかしながら、緊張の糸が切れた少年は何事も無かったかのよう
に宙でヘルメットを外してしまったのだ。
後部座席に座る友人たちのジト目がスバルに突き刺さる。
﹁ていうか、カイトさんもなんで飛行ユニットを切り離したのさ!﹂
﹁邪魔だろ、あんなデカイ物背負ってたら!﹂
確かにでかい。
ハングライダーを背負いながら素早い動きができるかと言われた
気がした。それを思うと、スバルはカイトを非難しきれない。
﹁す、スバルさぁん⋮⋮機体損傷率が7割を超えました﹂
エアバックに顔面を叩きつけられ、軽く涙目になった状態でマリ
リスが報告する。
機体損傷率70パーセントオーバー。
白羊神から受けたダメージは殆ど致命傷には至っていないことを
考えると、カイトの左目から取り込んだエネルギーが相当負担にな
っていたらしい。
﹁カイトさん、治せる?﹂
﹁無理だ。俺を取り込んで修復するなら、もうとっくに治ってる﹂
﹁じゃあ、獄翼は︱︱︱︱﹂
﹁残念だが、な﹂
﹁⋮⋮そう、か﹂
修復が難しく、現在地が敵地。
しかも出口の当てがない。これではデカイ的以外の何者でもなか
2068
った。
﹁とにかく、一旦エイちゃんと金髪のふたりと合流しよう。何時ま
た次の敵が出てくるかもわからないし﹂
﹁そうだな。スバル、獄翼から一旦避難だ。隠れながら状況を見極
めるぞ﹂
﹁いいけど、具体的にはどうするつもり?﹂
コックピットのハッチを開きつつ、スバルが問う。
彼らが閉じ込められた空間の穴は非常に厄介な場所であった。出
口がわかるのはコメットのみ。そのコメットを探し出す為には、も
う一度城の中へと戻らなければならない。
﹁また戻ったら、何の為にイゾウさんは⋮⋮﹂
﹁それを含めて今から考えるんだ。いいな﹂
﹁⋮⋮うん﹂
開ききったハッチから身を乗り出し、スバルはウィンチロープを
掴む。
ただ、彼の気は晴れなかった。
月村イゾウが別れ間際に言ったセリフが脳内に響き渡る。あの時、
自分はイゾウの意思を尊重することを選んだ。
だというのに、こうも簡単に引き返そうとしている。
カイトはああは言った物の、現状を考えたら引き返さねばならな
い事くらいスバルにだってわかる。
なんのためにイゾウを見捨ててしまったのだ。
少年の両肩に、言葉にならない重圧がのしかかった。
だが、その時であった。
2069
﹁スバルさん、前!﹂
後ろからマリリスが叫ぶ。
振り返る間もなく、スバルは影に包み込まれた。
﹁え?﹂
ウィンチロープを掴んでいた腕が引っ張られる。
強力なパワーで外に放り出された後、スバルは自身を抱きかかえ
た人物を見た。
アトラス・ゼミルガーだ。
彼女︵彼︶が獄翼のハッチまで跳躍し、身を乗り出したスバルを
捕まえたのである。
そして抱きかかえて外に連れ出した。
﹁スバルさん!﹂
﹁アトラス、何のつもりだ!﹂
シートベルトを急いで取りはずし、三人が顔を覗かせる。
その様子を見て、アトラスは僅かに俯く。
﹁申し訳ありません、リーダー。色々と考えたのですが﹂
アトラスは心底申し訳なさそうに俯いたのち、スバルの顎を抑え
る。
力づくで自身の顔に向けさせると、続けた。
2070
﹁あなたに戻ってきていただく為には、やはり彼は邪魔なんです﹂
﹁何を言ってるの、君﹂
﹁リーダーのいない王国なんて、どうでもいい。でも、旧人類のサ
ルにいいように使われているあなたを見るのは、我慢ならない﹂
アトラスは見ていた。
カイト達が脱出した後、迷宮が溶けたら、これ幸いとでも言わん
ばかりに外へと飛び出したのだ。
そして彼は獄翼と白羊神の戦いを見た。想像とは懸け離れた、あ
まりに情けない姿に愕然とした。
スクラップ寸前の獄翼を指差し、アトラスは言う。
﹁一緒に乗ってる新人類の力を借りなければなにもできない。皆さ
んはいいように扱われているだけだ!﹂
その事実が、アトラスには我慢ならない。
尊敬するカイトやシデン、エイジたちがこんな奴の為に命を賭け
なければならない理由が、見当もつかなかった。
ゆえに、アトラスは提案する。
﹁だから私はここで彼を殺します。皆さんの為には、彼は邪魔なん
ですよ﹂
報告によれば、カイトが反乱を起こした理由はこの少年にあるの
だという。
ならば、彼がいなくなればリーダーは旧人類の連中の側に立つ事
はない。
アトラスはそう考えた。
﹁そんなわけだからさ。みんなの為に死んでよ﹂
2071
アトラスの表情が歪む。
悪意も何も感じられない無垢な微笑を前にして、スバルは何も言
い返すことができなかった。
2072
第156話 vs白羊神︵後書き︶
次回は日曜の朝に更新予定。
2073
第157話 vs﹃じゃあな﹄
蛍石スバル、16歳。
この半年間の間に生命の危機に瀕したことは幾数度あれど、ここ
まで明確に殺意を抱かれた経験は始めてである。
なんといっても﹃死んでくれないかな﹄だ。その言葉を放たれた
瞬間、アトラスがどんな感情を自分に抱いているのかを知った。
旧人類である自分に、新人類のカイト達が仲良くしている。
そして自分が彼らの力をうまく利用していない。これらの要素に
腹を立てているのだろう。
しかし、そんなことを言われたってどうしようもない。
スバルだって好きでやっているのではないのだ。
﹁あ、あのさ﹂
﹁黙れ﹂
何か反論しようと思って口を開いた瞬間、力づくで唇を塞がれた。
スバルの意見を聞く気など、この女には毛頭ないらしい。
﹁アトラス、俺は言ったはずだぞ﹂
そんなスバルに代わり、獄翼のコックピットから降り立ったカイ
トが言う。
﹁そいつに何かあれば許さないって﹂
﹁ええ、確かに仰いました﹂
2074
そもそも、この新人類王国に連れてこられたのもスバルが原因だ。
この旧人類の頼り無さそうな少年を助ける為に、カイトはわざわ
ざ敵地にまで招待されたのである。
﹁ですが、その代償は何でしょうか﹂
アトラスが恐れる気配も見せずに言った。
スバルの顔を無理やりカイトの方面に向けると、視線を無理やり
固定させる。
﹁いいですか。リーダーはお前の為にここにきた。お前の為に目玉
をくり抜かれたんだ!﹂
﹁⋮⋮!﹂
カイトの左目に埋め込まれた黒の眼球が不気味に輝く。
そういえば、なんであんな眼を埋め込まれたのかは具体的に聞い
ていなかった気がする。
﹁お前が無様に人質になってしまったせいで、リーダーは奴らのい
いなりだ。その結果がこれだ。わかるか?﹂
﹁人質にしたのは貴様だろう﹂
スバルに言いきかせるように呟くが、アトラスの意識はカイトの
言葉によって遮られる。
﹁貴様が国の命令に従ってなければこうならなかった。そうも言え
る気がするんだが﹂
﹁⋮⋮ええ、仰る通りです﹂
自覚はあった。
2075
自分が欲を出して、彼らに帰ってきてほしいと望んだ。その結果
が、カイトのこの変わり果てた顔面である。
ゆえに、アトラスは覚悟があった。
﹁私のせいでこうなったのは十分理解しています。全てが終わった
後、どうか⋮⋮どうか、私に然るべき罰をお与えください﹂
アトラスは俯き、涙する。
声が震えていた。
スバルは思う。この人は自分の選択を心底後悔しているのだ、と。
﹁全部が終わってからだと遅い。それに、貴様が罰を受けるのにそ
いつを巻き込むな﹂
﹁リーダー、どうして彼に拘るのです﹂
﹁友達なんだ﹂
﹁トモダチ?﹂
アトラスが首を傾げる。
なにを言っているのか理解できない、とでも言いたげな態度だ。
実際、アトラスは己の耳を疑っている。
﹁⋮⋮あ、そういえば前にカノンが報告してましたね。リーダーに
旧人類の友達がいるとか﹂
ぼそり、とアトラスは呟く。
だがその直後、スバルの頭を乱暴に掴み直すと、少年の頭をその
まま地面に叩きつけた。
﹁うわっ!﹂
﹁スバル君!﹂
2076
﹁スバルさん!﹂
スバルが漏らした悲鳴に、シデンとマリリスが反応する。
彼女たちの声に応えるようにして、アトラスはスバルの髪の毛を
ゆっくりと持ち上げた。
﹁だらしがない。こんなダメージで鼻血を垂らすなんて﹂
﹁う、うう⋮⋮﹂
唾を吐き捨てるかのような嫌悪感。
悪意が込められた言葉を受け、スバルが呻く。
﹁リーダー、ご覧になった通りです。彼では、あなたの隣に立てな
い﹂
﹁⋮⋮言いたいことはそれだけか?﹂
カイトの目つきが鋭くなる。
両腕から爪が伸び、10の刃が輝きを解き放った。
﹁⋮⋮どうしてご理解していただけないのですか?﹂
悲しそうな表情でアトラスはカイトを見る。
大粒の涙がこぼれ始めていた。
﹁あなた程のお方が、どうしてこんな少年に拘るのです!? 彼は
ひとりではなにもできないでしょう! ここまでの戦いは、皆さん
がいたからこそ勝てたものだ!﹂
聞きながら、スバルは思う。
そういえばそうだなぁ、と。
2077
一番初めのシンジュクでは、気合を入れて獄翼を飛ばした物の、
結果的にはカイトを取り込むことでガードマンとヘルズマンティス
を倒す事が出来た。
いや、そもそも彼がいなければあの戦いは負けていただろう。
背後から接近するヘルズマンティスに気付けたのは、カイトが気
配を察知するのに敏感だったからだ。
その後のシルヴェリア姉妹の襲来。
アキハバラの騒動。
トラセットの反乱。
星喰い︵スターイーター︶の覚醒。
自分の力で解決できたことなど、なにひとつない。
新生物の一件に至っては、自分が無茶をしたせいで無関係な人の
生活までも奪ってしまった。
﹁そうだ。そいつは俺達みたいに頑丈じゃない﹂
スバルの思いを肯定するように、カイトが頷いた。
﹁4年間、俺が勉強を見てきた。俺たちみたいに理解不能なパワー
がある訳でもない﹂
﹁だったら﹂
﹁自惚れるな﹂
畳み掛けようとするアトラスの言葉を、カイトが一喝する。
彼は一歩踏み出すと、左目から黒いオーラを噴出しながら歩き始
めた。向かう先にいるのは、アトラスだ。
﹁それがどうした。お前から見れば、そいつはダニにも劣る小さな
2078
生物なのかもしれない。それはいいだろう﹂
﹁い、いいのかよ⋮⋮﹂
蛍石スバル、16歳。
微生物以下に認定された瞬間であった。
﹁だが、俺にとってはかけがえのない友人だ。それを悪く言うのな
ら。お前でも容赦しない。最初に言った通りだ﹂
﹁リーダー!﹂
﹁俺が友達になりたい奴は、俺が決める。なんでお前が勝手に決め
ようとしてるんだ﹂
アトラスが僅かに後ずさった。
左目から溢れ出す、カイトの気味の悪いオーラに気圧されている
のかもしれない。
﹁やめて⋮⋮やめてください。あなたが旧人類の肩を持つなんて、
私には耐えられない﹂
﹁なら、それまでだ﹂
カイトが腰を落とし、疾走する。
草原が揺れ、強烈な突風がアトラスとスバルを覆い尽くす。
﹁り、リーダー!﹂
﹁アトラス!﹂
アトラスはやろうと思えばスバルの頭を爆発させることができた
のだが、それをやることはできずにいた。
神鷹カイトが殺意を放ってきたからだ。
しかも自分に、である。恐らくこの世界でもっとも彼に忠誠を誓
2079
っている部下だろう。アトラスにはその自負があった。
同時に、その要素はアトラスの誇りでもあった。
だが、その誇りは無残にも砕け散っていく。
星喰いとの戦いに備える共同会議で起こったような、空回りでは
ない。
明確にカイトがアトラスを﹃敵﹄として認識した瞬間であった。
その事実を眼前に突き付けられた瞬間、アトラスの全てが崩壊し
ていく。
﹁じゃあな﹂
拒絶の言葉が、アトラスに突き刺さった。
真正面まで迫ったカイトが、アトラスを見下す。
少し前なら見惚れていたかもしれない、素敵な姿であった。しか
し今は、絶望感しかない。
騙されているんだと、自分なりに説得しにかかったつもりだ。
それでも、彼はこの旧人類の少年を選んだ。
長年、彼の為に尽くしてきたのに。
﹁リ︱︱︱︱﹂
言葉は、最期まで紡ぎきれなかった。
せめてもの情けなのだろう。爪ではなく、顔面へ拳が炸裂した。
昔の想い人の姿をした人間が、宙に浮く。
綺麗な弧を描いたのち、アトラスは地面に倒れ込んだ。
﹁おい、顔大丈夫か﹂
﹁お、俺はね⋮⋮﹂
2080
鼻を押さえ、スバルがトラスを見る。
なんだか申し訳ない気持ちになった。アトラス・ゼミルガーが見
せたカイトへの忠誠心と愛は本物であったと、スバルは思う。
星喰いをひとりで抑え込んで見せた辺りは圧巻であった。
﹁ねえ、本当によかったの﹂
﹁なにが﹂
﹁アトラスさんのところに帰らなくて﹂
﹁帰るも何も、もうここに俺の居場所はない﹂
獄翼のコックピットの中からマリリスとシデンが降りてくる。
駆け寄ってくるふたりを余所に、カイトは城を見上げながら言っ
た。
﹁それに、今俺がやらなきゃいけないことは別にある﹂
カイトの答えは変わらなかった。
あくまで王国から逃げる。それ以上の解答はない。
﹁はーはっはっは! 無事かね、山田君!﹂
決意を新たに固めた瞬間、場をぶち壊すかのような独特の笑い声
が響き渡った。
合流したシデンと、カイト。そしてスバルがジト目で声のする方
向を見る。アーガスがエイジを担ぎ、歩いてきた。
﹁ふむ。無事に倒したようで実に美しい﹂
﹁おい、エイジ大丈夫か﹂
﹁ああ、なんとかな。ついでと言っちゃあなんだが、タイラントも
2081
再起不能にまで追い込んだ。これで当面の追手は片付けたことにな
るぜ﹂
﹁そうか。と、なると後の問題は一つか﹂
﹁あの。私の存在を無視しないでくれないかい?﹂
無駄に綺麗な歯を剥き出しにして、存在をアピールし始めた。
タイラントを倒した最大の功績者は彼なのだが、それを知る由も
ないカイト達はさも当然のようにアーガスをスルーして状況の整理
をし始める。
﹁とりあえず、これで指揮系統が麻痺した筈だ。アトラスとタイラ
ント。それに鎧までやられちゃ、奴らも慌てるだろ﹂
﹁じゃあ、この隙に?﹂
﹁あのゴミネコを探し出す。これしかない﹂
簡単に状況を整理すると、結論はあっさりと出された。
宛ても無く異次元の波に飛び込むことは自殺行為以外の何者でも
ないと知っているからだ。
無言でカイトが全員の目を見る。
誰も首を横に振らなかった。それを肯定と受け取ると、カイトは
即座に指示を言い渡す。てきぱきとした頭の回転であった。
﹁俺とシデンでまた城の中に行く。マリリスはエイジの︱︱︱︱﹂
と、そこまで言いかけた時であった。
待機状態となった獄翼の左肩を、光が貫いた。爆発音が鳴り響く。
﹁な、なんだ!?﹂
スバルが爆炎の向こうに視線を向ける。
2082
すると、そこにはブレイカーがいた。1機や2機ではない。10
機程のブレイカーが隊列を組み、獄翼に照準を合わせていた。
﹁レオパルド部隊か!﹂
タイラントの腹心、レオパルド部隊。
隊長がやられるまでずっと待機していたのだろう。恐らくは白羊
神の巻き添えになるのを恐れて。
半年前に見た時に比べて数は減ったが、それでも彼女たちの存在
は非常に脅威である。
﹁エイジ、走れるか!?﹂
﹁悪ぃ。流石に無理だ﹂
﹁安心した前。美しいこの私がおぶっていこうではないか!﹂
己の顎に親指を差し、アーガスが宣言する。
カイトが一瞬嫌な顔を向けるが、すぐに真顔に戻ると軽く頷いて
見せた。
﹁頼む。お前ら、逃げるぞ!﹂
﹁逃げるってどこに!?﹂
スバルが叫ぶが、彼の疑問に答える余裕はなかった。
ただひとつ言える事は、
﹁タイムオーバーだ﹂
もう戻っている余裕はない。
時間をかければレオパルド部隊の殲滅は可能かもしれないが、既
に獄翼もスクラップ同然。
2083
御柳エイジはタイラントと戦って負傷。
マリリスが傷が治せると言っても、その力にはどうしても時間が
かかる。シデンだってまだ体調が万全ではないのだ。
と、なれば戦えるメンバーはカイトとアーガスのみ。
だが、向こうにはまだ生きている鎧が10人いる。これ以上ここ
にいたら、やられるのを待つだけだ。少なくともカイトが指揮官で
あれば、レオパルド部隊が攻撃している隙に﹃次の鎧﹄を出す。
﹁でも、コメットがいないと!﹂
﹁わかってる! わかってるが、もう時間がないんだ!﹂
スバルとマリリスを抱え、カイトが走り出す。
脇腹を抑えながらシデンがそれに続き、アーガスがしんがりを務
めた。
﹁ど、どこにいくんです!?﹂
抱えられたマリリスが問う。
﹁⋮⋮賭けだ﹂
崖の手前まで来て、カイトが立ち止まる。
彼の肩の上から、スバルとマリリスが下を覗き込んでみた。七色
に光る異次元空間。海のように広がるそれを垣間見て、ふたりの表
情は一瞬で青ざめた。
﹁山田君。やるんだな?﹂
﹁ああ。もう助かる道があるとすればこれしかない﹂
﹁まあ、向こうもコメットを狙ってくるなんてわかりきってるだろ
2084
うからね。だからこそタイラントがここにいても許されたんだろう
し﹂
肩を落とし、シデンが諦めたように溜息をつく。
見れば、アーガスとエイジも真面目な表情であった。ただひとり、
恒例ながら呑み込みの悪いスバルが問い続ける。
﹁ね、ねえ。なんか、すっげー嫌な予感がするんだけど、何するつ
もり?﹂
﹁ダイブ﹂
﹁我々による美しきジャンプだ﹂
﹁困った時の神頼み﹂
﹁自分の運を信じようぜ﹂
あんまり聞きたくない返答の数々であった。
最後に至っては、この6人が集まっても全然戦力になる気がしな
い。運が良ければこれまでの苦労なんてないのだ。
念の為、確認の意を含めてスバルが言う。
﹁宇宙に繋がってるかもしれないんだよな﹂
﹁海底かもな﹂
﹁火山かも﹂
﹁美しき地面の中かもしれない﹂
﹁大空に羽ばたけるかもな﹂
はっきり言ってしまえば、確率でいうとこれらに出る方が高い。
人間が住む地球。陸地は僅か3分の1なのは有名な話である。
﹁飛びこんだら何が起こるかわからん。みんな、しっかり手をつな
2085
いでおけよ﹂
緊張感が6人の間に走った。
こうしている間にも後ろからレオパルド部隊が迫ってくる。
ただ、彼女たちの標的は置いてきた獄翼であった。機体トラブル
かなにかと勘違いしてくれたのかわからないが、同じくらいの身長
のブレイカーが、ここまで一緒に戦ってきた相棒を斬りつけている。
スバルは後ろで広がる相方の無残な姿を見て、唇を噛み締めた。
その後、息を飲む。
﹁⋮⋮わかった﹂
カイトに担がれたまま、マリリスの手を握る。もうひとつの手を
カイトの肩にやると、それを合図と受け取ったカイトが叫ぶ。
﹁よし、いくぞ!﹂
6人が一斉に崖の上から飛び降りた。
飛び降りてからやや経った後、黒の機体が悲鳴をあげる。
獄翼が頭部から胴体にかけて叩き斬られた。
2086
第158話 vs女王
神鷹カイト脱走事件から三日が過ぎた。
メラニーは他の兵と共に王の間へと召集され、背筋を伸ばしてい
る。普段なら﹃また王と王子の親子漫才が始まるのか﹄などとぼや
くところなのだが、今日に限って言えばそんな戯言を口にする気に
はなれなかった。
﹁さて、よく集まってくれたね。さっそくだが、この前の脱走事件
の被害状況の確認をとろうか﹂
重い足取りでリバーラ王が玉座に座り、報告書が読み上げられる
のを待つ。
本来ならディアマットや、グスタフが勤めていたのだが、彼らは
もういない。
なので、グスタフの腹心だった男が代理で読み上げ始めた。
﹁はっ。まず、城の被害報告になりますが︱︱︱︱﹂
淡々と読み上げられる報告を聞きながら、メラニーは思う。
よくもまあ、一番被害を受けたであろう場所でそんなことを確認
が取れるな、と。王の間はカイト達と鎧持ちが戦闘を行った場所で
ある。
床が氷漬けになり、切断もされるといった状態だったのだが、新
人類王国が誇る頼れる大工さんたちの活躍によって三日間で修復さ
れてしまったのだ。
逆に言えば、三日が治せるものは全て治してしまっている。
ここで確認しなければならないのは、治らなかった物だ。
2087
﹁鎧持ちはコードネーム、ジェムニとエアリーが死亡。⋮⋮グスタ
フ様もお亡くなりになっています。また、一般兵もヴィクター・オ
ーレイヴを始め13名ほど死亡していると報告が﹂
一瞬、王の間がざわめいた。
鎧持ちとグスタフの死である。彼らが新人類王国で持っている影
響力は計り知れない。特にグスタフに関しては長い間国を支えてき
た支柱と言ってもいいだろう。
﹁また、タイラント様も意識不明の重体。現在、病院で昏睡状態に
陥っており、何時目を覚ますかは不明だそうです﹂
報告を耳にした瞬間、メラニーが拳を握りしめた。
親愛なる上司の敗北。レオパルド部隊の他のメンバーから聞いた
話によると、自分が通してしまった御柳エイジによって倒されたら
しい。
どうしてあの時、自分は面倒くさがらずにちゃんと職務を全うし
なかったのか。そんな苦悩が、とんがり帽子の中の小さな頭に訴え
かける。
﹁そして⋮⋮ディアマット様もお亡くなりになりました﹂
リバーラの顔色を伺いつつも、兵は報告書を読み上げる。
ディアマットの死に関しては王国に務めている者の全員が知って
いた。ただ、それを聞いた後のリバーラの反応が読めない。
怒り狂うのか。それとも侮蔑するのか。もしかしたら何時もの様
に笑いまくるのかもしれない。いずれにせよ、息子が死んだ上に正
当な王位継承者もいなくなった。
メラニーもおぼろげに﹃荒れるだろうな﹄と溜息つをつくことし
2088
かできない。
今回の脱走は新人類王国にとって過去最大の打撃だ。
まあ、これまでの戦いも﹃過去最大の打撃﹄ではあるが、今回は
結果だけで見れば正真正銘の過去最大級である。幹部クラスが揃っ
て倒され、比較的まともに兵を指導していたディアマットも死亡。
守り神とも呼ばれる鎧すら負けた。
文字通り、お先真っ暗である。
﹁そうかぁ。知ってたけど、ディード死んじゃったかぁ﹂
何度か頷いてから王は報告書を読み上げた兵を下がらせる。
その表情は真顔。喜怒哀楽の感情を感じさせない鋼鉄の顔に、メ
ラニーは寒気すら感じた。
﹁ま、でも仕方ないよね!﹂
メラニーの寒気が全身に回ってくる。
真面目な表情で玉座に陣取っていた筈の王が、急に笑い始めたの
だ。普段のように、手足をシンバルのように叩きながら。
﹁元々、ディードは失敗続きだったわけだし。彼に愛想尽かしてた
兵も少なくないでしょ。丁度いいんじゃないかな?﹂
リバーラ王の視線が僅かにメラニーを貫いた。
反射的に、とんがり帽子を深くかぶり込んでしまう。メラニーは
己の心臓の鼓動が早くなっているのを感じた。
なんだ、あの男は。
自分の息子が死んだのだぞ。どうしてそうも笑えるのだ。
2089
息子よりも自分の国の鉄則が大事だというのは、王国兵のメラニ
ーですら理解できない狂喜の領域であった。
﹁でも、大丈夫! 今日からディードに代わって新たな継承者が来
るからね。ついでに、王位もここで渡したいと思うよ﹂
﹁ええっ!?﹂
今度こそメラニーは驚きの声を口にした。
別の王位継承者と、指導者の交代。どちらも非常に大事な事だ。
だが、それにしたって一気に飛躍しすぎである。
メラニーでなくとも驚く。見れば、王の間に集まった兵は揃って
唖然としていた。
﹁まあ、今度は安心していいよ。君たちも色々とディードには思う
ことはあっただろうけど、彼女はすんごい能力者なんだ。おいで、
ペルゼニア﹂
王が背後を振り向く。
直後、玉座の隣に風が集った。空気が螺旋状に渦巻き、人の身体
を構成していく。
新人類王国、最期の王女。ペルゼニアの登場であった。
﹁みなさん、アンハッピー﹂
にやり、と笑みを浮かべてペルゼニアは前に一歩出る。
満足げに立ち上がると、リバーラは娘に玉座を譲った。豪勢な椅
子に着席すると、ペルゼニアは報告係だった兵に視線を向ける。
﹁そういうわけで、今日から私が女王としてここに君臨するわ。同
時に、組織図の組み換えもするから、そのつもりでね。お願い﹂
2090
﹁は、はい!﹂
再び報告係が一歩前に出る。
彼も面食らっているのだろう。事前の打ち合わせも無いまま、新
たな指導者に向けて緊張を含んだ声を放った。
トリプルエックス
﹁ま、まず各部隊の組織図ですが⋮⋮鎧はノア様が変わらず管理。
グスタフ様の代理には一時的にXXX代表のアトラス様がつくこと
になります。タイラント様の代理は、シャオラン様が﹂
まあ、妥当な修正であった。
鎧の管理はノアにしかできないし、レオパルド部隊は国の兵とい
うよりは私兵に近い。タイラントが倒れた今、彼女の腹心であるシ
ャオランが預かるのが都合がいいのだ。
そしてグスタフの代わりを務められる強者は、この国ではXXX
以外に居ない。
もっとも、グスタフを殺したのはそのアトラスなのだが、その事
実は知れ渡っていない。
﹁ふぅん。ねえ、もうひとつ聞いていい?﹂
﹁な、なんでしょうか﹂
一通り説明を受けたペルゼニアが、不満げに問いかける。
﹁一番の問題は、国にここまで大打撃を与えた連中を始末する事だ
と思うの。彼らが本当に捜索不可能な場所に出ちゃったのか、よく
探してね。そうじゃないと、今度はみんながアンハッピーになっち
ゃうわよ﹂
2091
ゲーリマルタアイランド。
南半球に存在する、小さな島国である。特にこれといった観光ス
ポットもないが、あまりの小ささのお陰で新人類王国と旧人類連合
の争いに巻き込まれていないのが魅力の国だ。
そんな魅力に惹かれて、毎日多くの避難民がここに集まってくる。
いつか来るであろう戦乱の日に怯えながらも、なるだけ戦いから
遠いところに住みたいとは誰もが思う事なのだ。
ヘリオン・ノックバーンもそのひとりである。
王国に嫌気がさし、逃げてきた彼はこの国に辿り着き、今では立
派に社会人として活躍していた。
理想の生活だと自負している。
唯一、不満があるとすれば共に逃げた筈の仲間とはぐれてしまっ
たことだろう。彼らの安否はわからないし、後輩たちも無事なのか。
たまに不安で仕方がなく、夜も眠れない日がある。
今日が正にそれだ。
眠そうな瞼を擦りつつも、ヘリオンはパジャマから私服に着替え
る。
﹁時間は⋮⋮まだ6時か﹂
早起きしすぎてしまった。
だが、今日は9時から約束がある。このまま二度寝するよりかは、
なんとか目を覚まして早めに出発準備をするのがいいだろう。
そう思っていた時だった。
2092
﹁ぎぃえええええええええええええええええっ!﹂
﹁おおっ!?﹂
この世の物とは思えない、恐ろしい悲鳴が聞こえた。
ヘリオンは急いで玄関の扉を開け放つと、階段を下りていく。ア
パートの1階に辿り着くと、﹃大家の部屋﹄とプレートがかけられ
ている部屋を軽くノックした。
﹁大家さん、何事ですか!?﹂
ややあってから、大家の部屋が勢いよく開いた。
しわが目立ち始めた中年のおばちゃんが青ざめた表情で出てくる
と、ヘリオンにすがりつく。
﹁へ、へへへへヘリオンちゃん! 大変なんだよ。う、うちの。家
のトイレから腕が!﹂
﹁う、腕!?﹂
一体どういうことなのだ。
首を傾げつつも、大家が言った言葉は間違いなく超常現象である。
まさか、遂にこの国にも新人類王国の侵略の手が迫ってきたのだ
ろうか。トイレと腕に関連した能力者に心当たりは無かったが、ヘ
リオンは僅かに緊張感を滲ませると﹃見てきます﹄と断ってから部
屋の中に入る。
開けっ放しの扉があった。
わかりやすい。あそこがトイレなのだろう。
心なしか、なにやら物音が聞こえてくる。何かがいるのは間違い
2093
なさそうだ。
ヘリオンはゆっくりと扉に手を付けると、トイレの中を覗き込む。
﹁うっ!?﹂
腕だった。
便器の中から、確かに腕が伸びてきている。しかも手招きしてい
た。なんというか、非情にホラーめいた光景である。
かつて新人類軍の兵として働いたことがあるヘリオンでも、この
光景の前には一歩たじろいだ。
だが、冷静になって見てみると腕の周りには何人かの人間の姿が
見える。
まず嫌でも目についたのが金髪の男性だった。なぜか口に薔薇を
咥えている男は、隣で困惑している赤毛の少女と東洋系の少年に命
令し始めた。
﹁す、すまないが君たち。退いてくれないかね﹂
﹁す、すみませんアーガス様。退きたいのは山々なんですけど⋮⋮﹂
﹁この体勢じゃ動けねーよ!﹂
トイレにいるのは腕だけではなかった。
その右側には金髪の男と少女、そして大男が挟まっており、反対
側にはメイド服姿の青髪と東洋系の少年のふたりが挟まっている。
腕も含めれば合計6人だ。そりゃあ、トイレにこれだけの人数が
挟まっていたら狭い。抜けないのも当然だ。
なんでこんな水道管しかなさそうな場所に挟まっているのかは疑
問だったが、ヘリオンは敢えて口にしないでおいてあげた。彼は空
気が読める男なのだ。
2094
﹁ん?﹂
ただ、冷静になって観察したことでヘリオンは気づいた。
メイド服姿の青髪。そして金髪と一緒になって挟まっている大男。
この男たちに見覚えがある。
﹁も、もしかしてシデンとエイジか!?﹂
﹁え?﹂
﹁んごぉ!?﹂
メイド服が顔を上げる。
大男の方は顔面を押し付けられている為、振り返ってくれなかっ
たが、なんとか声だけは出そうとしてくれたところをみるに、反応
はしてくれたみたいである。
﹁ああっ、ヘリオン!﹂
﹁シデン! 六道シデンじゃないか。元気⋮⋮じゃないな。うん﹂
そりゃあ誰がどう見ても元気な訳がない。
水道管しか入らなさそうな場所に挟まっているのだ。これで元気
な奴がいれば、きっとそいつはトイレの精霊なのだろう。
﹁⋮⋮すると、この腕はまさか﹂
ヘリオンがまじまじと腕を観察する。
直後、腕の先端から爪が伸びた。それを見ただけで、ヘリオンは
腕の正体を理解してしまう。
﹁ああ、やっぱり!﹂
2095
腕が大きく振るわれた。
トイレを切り裂き、水道管が割れる。水浸しになった狭い一室に、
堂々とした態度で歩くひとりの男が降臨した。
﹁⋮⋮ヘリオン、久しぶりだな﹂
﹁ああ。うん、久しぶり﹂
神鷹カイト。この男には昔、命を救われたこともある。
今何をしているのだろう、と考えた事は何度もあったが、まさか
こんな形で再会できるとは夢にも思わなかった。
﹁早速だが、ここはどこだ。今は何日だ。そしてなんか臭いぞ﹂
﹁そりゃあ臭いだろうよ﹂
鼻を摘まみ、ヘリオンは一歩後ろへ退いた。
背後から大家のおばちゃんが駆け寄ってくる。彼女はトイレの中
から現れた爪魔人の姿を目にすると同時、気を失って転倒した。
2096
第158話 vs女王︵後書き︶
これにて﹃邪眼編﹄完結!
次回より始まる﹃スバルvsカイト編﹄にご期待ください。
2097
NEXT、始動 ∼自宅警備員たちの憂鬱∼
新人類王国での決死の脱走劇から早1週間。
ゲーリマルタアイランドのあるアパートでは、ちょっとした歓迎
会が開かれていた。
﹁それじゃあ、新しい住民にかんぱーい!﹂
それなりに年を重ねていらっしゃる大家のおばちゃんがコップを
掲げると、周りを取り囲む若者たちもコップを持ち上げる。
全員の容器がかつん、と音を立てた直後、彼らはジュースを口に
含み始めた。
﹁いやぁ、あらためてようこそゲーリマルタアイランドへ。あたし
ぁ、歓迎するよ!﹂
幸いなことに、大家のおばちゃんは話が分かるご婦人であった。
新人類王国から逃げてきたと素直に話してみたところ、彼女は涙
ながらに﹃そうかい、あんた達も大変だったんだね﹄と同情してく
れて、部屋を提供してくれたのだ。突然トイレの中に登場したこと
はツッコんでこなかったが、本人が気にしてないならいいだろう。
たぶん。
﹁で、ヘリオン﹂
そんなおばちゃんの御好意を受け取っておきながら、陰でぼそぼ
そと戦友に耳打ちする黒い影があった。
神鷹カイトその人である。植え付けられた左目が異様に目立つ為、
2098
無理やり包帯を巻く事でなんとか誤魔化してはいるが、本人として
はいちいち巻くのが面倒なのでマスクでもしたいところであった。
﹁このおばちゃんは、どこまで俺達の事情を知っている﹂
﹁昔のクラスメイトだって紹介しておいたよ。流石に何をしてきた
のかまではいえないだろう﹂
金髪をオールバックにして整えたクラスメイトの姿は、立派な社
会人であった。彼にも新しい生活がある以上、汚点はなるだけ隠し
たいのだ。
ヒメヅルで暮らしていた頃のカイトにも同様の経験があるので、
その辺は素直に頷いておく。
﹁まあ、君たちがこの半年間で何をしてきたのか聞いた時には、僕
もびっくりしたがね。君の性格の変化も含めて﹂
﹁⋮⋮ふん﹂
これまでの出来事は、ある程度ヘリオンに話してはいる。
それこそ最後に会った日から最近の脱走に至るまで、全部だ。時
々﹃作り話じゃないだろうね﹄と確認してきたが、全部実話なので
首を横に振ったことを覚えている。フィクションであるなら是非そ
うしていただきたい現実であった。
﹁俺としては、お前がきちんと働いている方が驚きだがな﹂
﹁失礼な。君が働けるなら僕だって正社員になれるとも﹂
﹁嫌味か﹂
﹁昔のお返しだ﹂
聞いたところによると、ヘリオン・ノックバーンは教員免許を取
得して教師になったらしい。他の仲間たちの歩んだ進路と比較する
2099
と、一番マトモだった。
﹁個人情報とか大丈夫なのか﹂
﹁ここは戦争の被害から逃げた多くの難民で賑わっている。国外か
ら戸籍を移動する手間もかかるから、移住の際に新しく戸籍を発行
してもらえるんだ﹂
﹁じゃあ、俺達も可能なのか﹂
﹁やろうと思えばね。その分、犯罪も多いけど君たちがそれを心配
する必要はないだろう﹂
まあ、巻き込まれたとしてもなんとかする実力はある。
問題は稼ぐ方だ。聞けば、ヘリオンの給料は自分ひとりの面倒で
精一杯らしい。
﹁君たちも早く定職に就いた方がいいぞ。本来なら学生であるふた
りのことを考えるならね﹂
﹁ぬ⋮⋮﹂
教育免許を持ってる奴が言うと説得力が違う。
昔は人付き合いができる奴、程度の認識だったのが、気付けば一
番の常識人になっていた。是非ともウィリアムに爪の垢を煎じて飲
ましてやりたい。
しかし、金銭の問題は無視できない。
いかにこの国が外からの移住者に寛大でも、自分の生活は自分で
なんとかしなければならないのだ。
﹁それで、みんなはこれからどうするんだい?﹂
ヘリオンがカイトから視線をずらし、他の4人に問いかける。
2100
難しい顔をして頭を掻いたのはスバルだった。
﹁うーん、特に考えてないな。部屋の整理に忙しかったし、この半
年間はずっとブレイカーの操作してたし﹂
蛍石スバル、16歳。
本来なら学生として青春を謳歌する予定ではあったが、たった一
本のダーツで運命を狂わされた哀れな少年。
戦いに慣れ過ぎた影響で、彼はこれからどうすればいいいのかを
考えていなかったのだ。
それはきっと他の仲間たちも同様だろう。
スバルはそんな期待を胸に秘め、他の仲間たちに視線を送る。
だが、
﹁一応、私はアルバイトを見つけたので、そこのお世話になろうか
と﹂
マリリスはレストランでのアルバイトを決めており、
﹁ボクもOLとして正式に合格通知が来たよ﹂
六道シデンはあるオフィスビルに勤務することが決まって、
﹁昨日から建築現場で働いてるぜ﹂
御柳エイジは一足早く労働に着手しており、
﹁はっはっは! 私はノックバーン君の紹介で学校の用務員をする
ことになっている。私が勤務する以上、学園は常に美しくある事が
2101
約束されたのだ!﹂
アーガス・ダートシルヴィーに至っては、なんかやらかしそうな
くらい気合を入れている。
意外とみんなは陰ながら頑張っていた。
ちょっと口元を引きつかせつつ、スバルはカイトを見る。
視線に気づいたカイトは、気まずそうに呟いた。
﹁⋮⋮警備員﹂
﹁マジで!?﹂
まさかこの男ですら新たな生活の地で職を入手したと言うのか。
この中の誰よりもコミュ障であるカイトが!
仲間外れを食らったと思い、スバルは肩を落とす。
﹁何度も言ってるけど、家に警備員を雇うお金はないよ﹂
ショックを受けていると、横からおばちゃんが白い眼をカイトに
向けた。
青年の肩が僅かに震えるのが見える。スバルは一瞬にして表情が
明るくなった。
﹁なぁんだ、警備は警備でも自宅警備員か﹂
﹁うるさい。色々と受けたが、ダメだったんだ﹂
一応、カイトも住み込みな上に拾ってもらったとはいえ、アルバ
イト経験がある。履歴書には﹃パン屋勤務経験あり﹄とか﹃運転で
きます﹄といったアピールも書けるし、リーダー経験だってあるの
だ。
アピールできる点はいくらでもある。
2102
それでも採用されない理由は、彼の容姿にあった。
﹁まあ、そんなかっこじゃな﹂
エイジが指を突き付け、カイトの顔を指摘する。
包帯である。顔面の左半分を包帯でぐるぐる巻きにしているのだ。
嫌でも目立つ上に、本人が割と暗い性格なのでちょっとした威圧感
を受ける。
しかも、外したら外したで露わになるのは黒い眼球に赤の瞳孔だ。
びびるどころの話ではない。
﹁カイちゃん、お化け屋敷なら結構稼げるんじゃない?﹂
﹁実は遊園地で面接を受けた﹂
受けたんだ。
意外にも自分を冷静に解析しているカイトに向けて、一同そう思
った。
﹁ただ、俺の中にはまだエレノアがいてな﹂
﹁⋮⋮ああ﹂
これまた複雑な話なのだが、カイトの身体にはふたつの人格が住
んでいる。ひとつはカイト自身。もうひとつは移植手術の際に離れ
られなくなってしまったエレノア・ガーリッシュのものだ。
﹁あいつ、急にしゃしゃり出てきていらんことを喋りまくったんだ﹂
﹁大変だな、君も﹂
同情するヘリオンが肩を叩く。
エレノアの存在はヘリオンも知っている。カイトに対して異様に
2103
執着している女性であった。
まさか彼女がカイトに憑依していて、かつカイトがそれを許して
しまう日が来るとは、夢にももわなかった。人生って何が起こるか
わからない。
﹁まあ、とにかくそんなわけで俺が二重人格で、しかも片方がやば
い性格だって知れ渡っちゃったらしい。あれ以来、書類審査で落と
されるようになった﹂
﹁何を言ったんだよ、アイツは﹂
﹁⋮⋮言いたくない﹂
おでこに手をあて、カイトが溜息をつく。
ただでさえコミュ障なのに、人格破綻者がその中に潜んでいると
あってはまともに就職活動ができるわけがなかった。当然ながら、
他の仲間と比べても出遅れる。
﹁仕方ないねぇ﹂
一通り話を聞き終えた後、おばちゃんが椅子から立ち上がる。
﹁アンタとスバル君はお庭の掃除でもしておくれよ。本来なら定期
的に業者に任せてるんだけど、ヘリオンちゃんのお友達が困ってる
とあれば、ね﹂
﹁すみません、大家さん﹂
ヘリオンがカイトの頭を押さえつけ、お辞儀した。
その動作に流されるようにして、スバルも頭を下げてしまう。
それもこれも、ヘリオン・ノックバーンが大家の信頼に値する人
間だったからだ。人格破綻者に囲まれている中、本当にXXXとし
て活動していたのかと疑問に思えてしまうが、カイト達の様子を見
2104
るに、ヘリオンはそこまで変化がないらしい。要はXXXでもレア
な人格者なのだ。
異次元空間のダイブした時はどうなるかと思ったが、彼の元に転
移できたのは幸運であると言えた。
ただ、流されるようにしてアパートの手伝いが決定してしまった
が、住処がこのアパートになった以上は自宅警備員と大して変わら
ない現実がある。
なんとかしてニート予備軍から脱出し、これからの身の振り方を
真剣に考えなければ。
スバルは強く決心すると、ジュースを一気に飲み干した。
その翌日。スバルは特に目的も無く街を歩いていた。
いざ実行に移そうにも宛てがあるわけでもない以上、迂闊に動け
ない。
自分も学校で働かせてもらえないかとヘリオンを頼ってみた物の、
既にアーガスを採用した時点で定員は満たしていた。他の仲間たち
の職場も同様である。
ヘリオンからは学生に戻ってもいいんじゃないかと提案されたが、
故郷の学校を一度退学している以上、あんまり気は進まなかった。
それに、長い間ブレイカーを操縦してきていると、シャープペンシ
ルよりも操縦桿を握りたくなる。
かと言って、この辺でブレイカーを操縦するとなると軍しかない。
2105
折角脱走に成功したのに、またむざむざと戦いに戻ると言うのも
気が引けるのだ。
﹁はぁ⋮⋮﹂
愛機の獄翼を失った以上、自前のブレイカーを使ってのデリバリ
ーサービスも行えず、スバルは溜息をつくばかりである。
そんな時だ。
ふと、ある看板が目に留まった。
﹁ゲーセンか⋮⋮﹃ブレイカーズ・オンラインNEXT導入﹄⋮⋮
NEXT!?﹂
でかでかと太い赤字で強調されている文字に反応する。
ブレイカーズ・オンラインNEXT。あのブレイカーズ・オンラ
インの正当な続編である。ここ最近、戦い続きで全く気付かなかっ
たが、遂に続編が稼働したのだ。
気になる詳細を間近で見ようと、スバルは文章に目を光らせる。
いつになく真剣な表情であった。
﹁へぇ。前回のカードもそのまま使えるんだ⋮⋮﹂
この手のゲームはプレイヤー情報やスコアと言った情報を登録す
るカードが存在している物であるが、スバルが数年かけて築き上げ
た栄光は戦いの中でへし折られてしまった。
その事実に気付くと、肩の力が一気に抜けてしまう。
﹁はぁ⋮⋮俺のダークフェンリル・マスカレイド﹂
まあ、溜息をついていても仕方がない。
2106
愛する機体は2機とも破壊されてしまったのだ。心機一転、ここ
いらで新しいカードを作ってプレイし始めてもいいかもしれない。
そう思うと、少年の足は自然と店内の中へと踏み入れていた。
﹁おお。すげぇ人﹂
案の定、ブレイカーズ・オンラインNEXTの筐体の前には人が
ごった返していた。バランス調整も入り、自分の機体がどれだけ影
響を受けているのかを確認したいのだ。とてもじゃないが、こんな
に人がいる中で新しい機体を作ってテストする余裕があるとは思え
ない。
ただ、案の定旧作の筐体にはあまり人が入っていなかった。
席に誰もいないのを見るや否や、スバルは素早くカードを作り、
筐体の前に座る。機体データを作成するだけなら旧作でもできるか
らだ。
スバルはコインを投入すると、早速機体データの作成画面に入る。
基本となるのは当然ミラージュタイプ。カラーリングを黒に変色
させると、機体名の入力画面へと切り替わる。
ここでスバルは少し悩んだ。
本来なら前の機体名を入れるべきなのだろうが、長い間苦楽を共
にした獄翼も捨てがたい。どちらの名前を継承させるべきか、非情
に悩む。
と、そんな時だ。
﹁おい、見たか﹂
隣から話し声が聞こえる。
NEXTの観戦客が、友人同士で話し込んでいるのだ。
2107
﹁ああ。これで反対側のプレイヤーが167連勝だろ﹂
耳を疑う発言であった。
ゲーセン通いしてた頃のスバルですら、そんな連勝数を記録した
ことはない。というか、そんなに連勝していればバランス修正の把
握も新武装や新機体の性能チェックも無い気がした。
﹁しかも機体がさ﹂
﹁ああ、鳩胸でだぜ。信じられねぇ﹂
ミラージュタイプの代表的量産機、鳩胸。
シンジュクでスバルも戦った事がある、灰色の量産機だ。お世辞
でも高性能の機体とは呼べない。少なくとも真剣勝負の対戦では、
そんな機体を選んだ瞬間に舐めプだと判断されるだろう。
しかし、聞けば反対側の筐体のプレイヤーはそれで勝てているら
しい。
世の中には弱キャラを好んで使用するマニアックなプレイヤーも
いるにはいるが、それでもこの連勝数は異常だ。少なくとも、スバ
ルの知るブレイカー乗り仲間でもここまで成績がいい奴は居ないだ
ろう。
一体どんな奴がプレイしているのか、少し気になった。
徐に立ち上がり、背伸びしてみる。
向こう側で座っている男の姿がちらっと見えた。
見えたのだが、しかし。
そいつの顔を見た瞬間、スバルの表情が一気に青ざめた。
何故なら、そこに座って3桁連勝を叩きだしている化物こそが、
顔の半分を包帯で覆っている神鷹カイトだったからである。
2108
第159話 vs始めてのブレイカー
それはスバルが店にやってくるよりも遥かに前の話である。
この日、仲間たちは勤務で出かけて部屋におらず、大家から貰う
予定の仕事はまだ先であった。
ぶっちゃけてしまうと、非情に暇だったのである。
その為、スバルと別れてひとり当てもなく歩いていたのだが、
﹃どうしたのさ。そんなにしょげてちゃあ、人生楽しめないよ﹄
頭の中に女性の声が響く。
その声が聞こえた瞬間、カイトは反射的に吼えた。
﹁貴様のせいだろうが!﹂
己に向かって叫んだ言葉は、周囲にいる人間たちを軽く戸惑わせ
る。
幼い子供は頭に包帯を巻いている青年を指差し、
﹁ママー、あのお兄ちゃんひとりで怒ってる﹂
﹁しっ、見ちゃダメです。あの人にも人に言えない悩みがあるのよ﹂
と、世間の荒波を垣間見ていた。
因みに、親子のやり取りはばっちり聞こえている。カイトは歯噛
みしつつも、黙ってエレノアに訴えることにした。
脱走した後に気付いたことだが、心の中で何かを考えると、自然
とエレノアにも伝わっているらしい。プライベートもクソも無い生
活だった。
2109
﹃何が悲しくて面接官に﹃お前も人形にしてやろうか﹄と叫ばなき
ゃならんのだ﹄
﹃それ、もしかして私の声マネ?﹄
﹃うるさい。兎に角、あれのせいで俺は危険人物扱いだ。どうして
くれる﹄
﹃いいじゃない。危険人物なんだから﹄
カイトからしてみれば、エレノアの方が危険人物である。
他人を人形にする為に16年もストーキングを続けてきた女なの
だ。どう考えても自分より気が狂っていると思う。
﹃それに、眼のこともあるからね。下手に世間慣れするよりは、な
るだけ人目に触れない場所にいる方がいいと思うよ﹄
人格否定をした直後であったが、エレノアは意外と今後のことを
考えていた。
﹃それにさ。折角の共同生活なんだよ? ふ、ふたりっきりの時間
は多いに越したことはないと思うんだよね。フフフ⋮⋮﹄
﹃感心した俺が馬鹿だったよ﹄
ただ、エレノアの言う事ももっともであった。
日常生活を送る為には、この左目は目立ちすぎる。ただの廚二病
患者呼ばわりで済めばいいが、カラーコンタクトでもなく本物の目
玉なのだから困った。
﹁お﹂
と、そんな時であった。
2110
看板が見えた。見覚えのある単語を含んだ看板である。
﹃へぇ。ブレイカーズ・オンラインNEXTね﹄
﹃ああ。スバルがやってるゲームだ﹄
﹃入荷したばかりみたいだけど?﹄
﹃新作なんだろ。しかし、ブレイカーか﹄
ブレイカーと言う乗り物に関しては、カイトも思うところがある。
と、いうのもここまでの戦いを共に潜り抜けてきた獄翼が破壊さ
れてしまったのだ。長い間慣れ親しんだ機体が目の前で破壊される
のは、中々堪える。
実際に操縦していたスバルなら尚更だ。以前、彼が大事にしてい
たカードをへし折ったことを思いだし、カイトは跋が悪そうな表情
になる。
﹃君でも思い入れっていうのが出来る物なんだね。少し意外だよ﹄
﹃寝泊まりだってしてるんだ。俺の中では家だぞ﹄
それに、実を言うと興味を抱いている。
約半年もの戦いを潜り抜けてきたが、常にスバルの後ろで操縦を
見てきたのはカイトだった。彼がそこまでのめり込むゲームの続編。
気にならないと言えば、嘘になる。
﹃しかし、スバル君も大変だね。お金の余裕が無いのに、やりたい
であろうゲームが出るなんて﹄
﹃奴もここにつくまで頑張ってきた。今日くらいはリラックスして
もいいだろ﹄
我ながら大甘な台詞だと、カイトは思う。
しかしアキハバラに観光に行ったときも、結局サイキネルたちの
2111
襲来にあって休む暇がなかったのだ。それからも殆ど訓練と実戦の
毎日だったので、心身ともに疲れ果てている筈だった。
本人はあまり表情に出さないが、元々はただのゲーマーなのだ。
戦いから離れる機会に恵まれた以上、息抜きは忘れてはならない。
﹃まあ、確かに彼にとってはいい休暇になるだろうね。で、ついで
に聞きたいんだけどさ﹄
﹃なんだ﹄
﹃どうして君が店内に入ってるわけ?﹄
さも当然のようにゲーセンに入店したカイトに向けて、エレノア
が尋ねる。表情は見えないが、なんとなくジト目で見られている気
がした。
﹃偶には俺も息抜きをしてもいいだろ﹄
﹃へぇ、君がゲームをね﹄
﹃意外か?﹄
﹃意外だね。手先は器用だけど、あんまり現実に役に立たなさそう
なのはやらないのかと思ってた﹄
そこに関しては否定しない。
実際、カイトはヒメヅルで生活していた頃にスバルに向けて勉強
を促したことがある。その際、ゲームをやって将来稼ぐ気なのかと
聞いてみたこともあった。結構いじわるな問いかけであったと、今
なら思う。
﹃見聞を広める為には、普段やらないことをするのも必要だ。そう
だろう﹄
﹃なるほど、素晴らしい意見だ。それなら帰ったら私とリアルおま
まごとでもどうだい?﹄
2112
﹃今となっては高度なプレイだ﹄
心の中でぼやきつつも、カイトは筐体の前へと辿り着く。
既に人が入り乱れており、限られた筐体は全て占拠されている。
平日の午前だというのに、ご苦労な事だ。
﹃この人たちは、これの為に有休をとったのかな?﹄
﹃学校のズル休みもいる筈だ。制服姿がちらほら見える。帰ったら
ヘリオンにチクってやろう﹄
軽くとんでもないことを考えつつも、カイトは人の集団の中に突
撃する。
物凄い熱気であった。元々人混みは嫌いなのだが、こうも肌がぶ
つかりそうな距離になると暑い。見れば、ギャラリーの何人かはペ
ットボトルを持参していた。
前にいるギャラリーの頭と頭の間を除いてみると、前のめりにな
ってゲーム画面に張り付いているプレイヤーの姿も見える。
﹃⋮⋮私、君があんなのになるのはやめてほしいな﹄
﹃安心しろ。少し土産話にするだけだ﹄
ただお土産にするだけなら、隣の旧作に行けばいい。
しかし折角目の前に新作があるのだ。こちらの方が話としては盛
り上がる筈であると、カイトは睨んでいる。
﹃ところで、これって順番待ちしてるわけ?﹄
﹃さあ。基本的に、負けたら交代の筈だが﹄
ひとりでゲームセンターに立ち寄るのは初めてだが、マナーくら
いはカイトも知っている。
2113
なので、待っていれば自然とプレイすることができる筈なのだ。
そしてその時は、案外あっさりとやって来た。
﹁どうぞ﹂
﹁いいのか?﹂
席が空いた瞬間に、前で見学していたギャラリーがカイトに譲る。
﹁俺はもうやったからさ﹂
﹁そうか。悪いな﹂
他人の善意を素直に受け取り、カイトは始めての筐体へと着席す
る。
懐からコインを入れると、スタート画面が表示された。
﹃今更なんだけどさ﹄
適当なボタンを押下して、画面が黒になったところでエレノアが
語りかけてきた。
﹃君ってこのゲームの操作方法を知ってるわけ?﹄
﹃まさか。席に座ったのすら初めてだ﹄
ただ、ブレイカーズ・オンラインは基本的に現実のブレイカーの
操縦方法を元にしていると聞いたことがある。
操縦桿を模したコントローラーに手を付けると、エレノアに向け
て一言つぶやく。
﹃見様見真似だ﹄
﹃だとすると、動かす機体は大分限られるね﹄
2114
カイトはこのゲームのカードを持っていない為、機体と装備は1
から選ぶことになる。スバルの動きを参考にして操作するのであれ
ば、自然と獄翼に近い機体を選ぶ必要があった。
ただ、悲しいことにカイトはそこまでブレイカーについて詳しい
訳ではない。ミラージュタイプを使うところまでは決まっているの
だが、機体の数が多すぎてどれを使うべきか決めかねてしまうのだ。
余談になるが、このブレイカーズ・オンラインNEXT。機体数だ
けでいえば80機以上もの数が登録されている。
﹁こいつだな﹂
しばし画面と睨めっこした後、カイトはある機体にカーソルを合
わせて決定ボタンを押下した。
同時に、彼の後ろに控えるギャラリーがざわつく。
﹁おい、今の⋮⋮﹂
﹁うん。鳩胸だぜ﹂
量産型ミラージュタイプ、鳩胸。
ブレイカーの中ではもっともコスト面で優秀であり、スタンダー
トな機体である。
カイトがこの機体を選んだのには理由があった。彼が唯一、性能
を知っているのがこの鳩胸だからである。可能であれば獄翼や紅孔
雀といった機体があれば嬉しかったのだが、あれらは現実の最新機
だ。獄翼に至っては脱走に使われている始末である。そう簡単にゲ
ームに登録されているわけがなかった。
﹃装備は?﹄
﹃このままでいい﹄
2115
機体カスタム画面をスキップし、標準装備のままでロード画面へ
移行する。こうしている間にも、ギャラリーのざわつきは激しさを
増しつつあった。
﹁今作の鳩胸って、強いの?﹂
﹁wiki開いてみたけど、情報はまだだな﹂
﹁前作だと下から数えた方が早いんだよな。その分、ミラージュタ
イプに触るなら理想の機体ではあるけど﹂
﹁でも、標準武装だろ。単純に初心者なんじゃねーのか?﹂
こうした評価が来るのも、まあ仕方がないだろうとカイトは思う。
鳩胸が量産機であり、このゲームの常連さんは基本的に﹃専用機﹄
を準備してきているのは承知の上だ。性能で勝ろうとは思わない。
元よりちょっと触る事ができたらいいかな、程度なのだ。
流石に瞬殺されると憤りは感じるとは思うが、実際に動かしてみ
て感じる世界がどんなものなのかを体験できればそれでいい、と。
この程度の目標で筐体に座っているのである。
﹃ま、店の回転率もあるからね﹄
エレノアも同様の感想を持ったようであった。
いかにカイトが優れた新人類であり、常識はずれな身体能力を持
っていたとしても初めてのゲームで経験者に勝てるとは思えない。
スバルの操縦を長い間見ていたとしても、同様だ。
展開は目に見えている。
ゆえに、エレノアはこの茶番に刺激を投下してみることにした。
﹃折角だし、賭けてみない?﹄
﹃賭けだと。ここでか﹄
2116
﹃うん。カイト君が勝てたら今日は一日中君の身体から出ていくこ
とを約束しよう。どうだ、面白そうだろう?﹄
その提案がエレノアの口から放たれた瞬間、カイトの目つきが急
に鋭くなった。獲物を見つけた猛禽類を思わせるような眼光が、ロ
ード画面に表示された対戦相手を映し出す。
﹃その代わり、君が負けたら今日は一緒にお風呂に入ろうかな﹄
﹃いいだろう﹄
意外な事に、カイトはあっさりと承諾した。
普段なら真顔のまま白けた視線を向けるか、怒鳴るかの二択なの
だが、どうやらカイトにとっては非常に魅力的な賭けだったようだ。
﹃勝ったら俺の身体から出ていけ。忘れるんじゃないぞ﹄
﹃う、うん。⋮⋮流石にそこまでマジで言われると傷付くんだけど
ね﹄
傷心しつつも、エレノアは思う。
ムキになっちゃう辺りもまた、かわいいんだよなぁ、と。
どう考えてもカイトに勝つ要素はない。
ただ目の前にある欲に対し、素直になっているだけだ。カイトが
凄まじい形相で画面を睨んでいるが、そんなことをしたところで勝
敗に影響がある訳ではない。
自分の勝利は揺るぎのない物である。ゆえに自信に満ちた笑みを
浮かべながら見学することにした。
やがて、真っ黒になった画面が3Dで表現された砂漠の戦場へと
遷移する。
2117
﹃BATTLE!﹄の文字が出現した。
相手のブレイカーは、僅か26秒でKOされた。
2118
第160話 vs決闘宣言
時刻は過ぎ、夜。
アパートでは大家の部屋に住民たちが集まり、みんなで夕食を食
べていた。カイト達がやってくる前はヘリオンしか住んでいなかっ
た為、自然と付いた習慣なのだそうだ。
それなりにお年を重ねていらっしゃる大家のおばちゃんは、久々
に入居してきた来訪者をえらく気に入っていたのである。ヘリオン
の仲間も話の流れで住み付くようになれば、彼らも巻き込んで一緒
にご飯を食べるのも当然だ。おばちゃんにとって、夕食の場は住民
たちとのコミュニケーションの場なのである。
﹁それで、誰なんだいこの女の人﹂
そんな夕食の席に、またしてもおばちゃんの知らない人間が現わ
れた。
カイト達に連れてこられた、白い肌とどす黒い隈が印象的で不健
康そうな女性である。彼女は妙にカイトに近い位置をキープしつつ
も、
﹁彼のコレです﹂
と言って小指を立てた。
顔面にカイトの裏拳が炸裂する。女性が悶えながら倒れ込むと、
カイトは真顔のまま紹介した。
﹁寄生虫だ。わけあって俺からそんなに遠く離れることができない﹂
﹁アンタ、女の子泣かせたのかい。ダメじゃないか、ちゃんと話し
2119
合わないと﹂
なぜか白い目で見られらた上に叱られてしまった。
凄まじい勘違いをされている予感がするので、カイトは慌てて訂
正に入る。
﹁夫人、なにを勘違いしているのか知らんがこいつは正真正銘の人
間のクズだ。俺を追い込むことを生きがいにしているヤバい奴だぞ﹂
﹁人間のクズなんて軽く言えるアンタの方が問題あるんじゃないの
?﹂
正論であった。
カイトも自分がまともな人間でない自覚はある為、迂闊に反論で
きない。見れば、席について食事をしている他の仲間たちもみんな
頷いていた。
﹁この子がいるのは構わないから、ちゃんと将来について話し合う
んだよ! いい年した男子が婚約破棄なんて世の中どうしちゃった
んだい。まったく!﹂
ぷんすかと怒りながらおばちゃんが箸を持ち直し、ご飯に手を付
ける。
勘違いが凄まじい勢いで加速していた。これは早い所なんとかし
ないと、エレノアとゴールインしてしまう。
青い顔で口を開けると、カイトの口に鶏肉が突っ込まれた。
何時の間にか席についていたエレノアが、にこにこと笑いながら
食べさせている。
﹁んぐ⋮⋮何の真似だ﹂
﹁将来の練習?﹂
2120
﹁殺す!﹂
﹁まあまあ、落ち着け﹂
今にも爪を伸ばしかねないカイトを、後ろからエイジとヘリオン
のふたりが抑えにかかる。体格でふたりに劣るカイトは観念すると、
文句を言いたげに着席した。
﹁くそっ。まさか一度取り込んだ人形のまま出てくるとは⋮⋮﹂
賭けに勝利した後、カイトはすぐさまエレノアの分離を要求した。
その結果がこれである。分離した後、エレノアは嫌でもカイトの
目につく位置に陣取るようになったのだ。まあ、移植された化物の
目玉の影響で5メートルも離れられないのだ。オリジナルの身体ご
と出てこられたら、目につくのも当然であると言える。
﹁それにしても、カイちゃんがゲームねぇ﹂
分離した経緯を聞いた後、シデンがぼやく。
OLとして初勤務を果たした彼は、女性用のビジネススーツで食
事をとっていた。今更だが、この男がOLをやると聞いて誰もツッ
コミをいれることはなかった。
﹁スバル君なら兎も角、あんまり想像つかないなぁ﹂
﹁実際、俺もあのゲームは始めてだよ﹂
﹁初心者でも勝てる物なのですか?﹂
﹁難しいと思うよ。たぶん、本物の操縦経験がなかったら負けてた﹂
同じくゲーム初心者のマリリスが問うが、対戦ゲームで初心者と
経験者の溝の差というものは大きい。詳しくは省くが、知識や経験
が違えばそれだけ選択肢も増える。なにもかもが新鮮な初心者にと
2121
っては、動かすだけで精一杯なのが普通なのだ。
ところが、カイトの場合は少し状況が違う。
彼の場合はゲームの操作は未経験なのだが、本物のブレイカーの
操縦経験があることが大きかった。
そもそも、最初はカイトがブレイカーを操縦してスバルを逃がす
予定だったのである。激しい動きは出来なくとも、基本的な操縦方
法は知っていたのだ。
そこに加わるのが、半年間観察してきた旧人類屈指のブレイカー
乗りであるスバルの操縦だった。
常に後ろからではあるが、彼がどんなタイミングでなにを操作し
ているのか、ある程度理解できている。
なので、本番でもそれを行ってみた。
最初は決まったモーションでしか動かないことに戸惑いも覚えた
が、やってみれば意外となんとかなってしまったのである。
もちろん、カイトが鍛えてきた反射神経と記憶力と応用力の賜物
なのだが、その根本はこれまで生死を共に過ごした少年の技量だ。
そう言う意味ではスバルに感謝せねばなるまい。
彼の操縦を見ていなければ、今頃エレノアとの賭けに負けて散々
な目にあっているところだ。今も大して変わらないが、一緒にお風
呂に入るよりは遥かにマシである。
しかし、当のスバル本人は先程から妙に沈黙していた。
ブレイカーズ・オンラインの話題ならすぐさま飛びついてきそう
なのだが、黙って箸を進めては何か考え込んでいる。
﹁どうしたのだね、スバル君。元気がないなら私の特性アロマを試
してみるといい。朝の目覚めが美しく冴えわたるぞ﹂
﹁⋮⋮いや、いい﹂
2122
普段ならすぐさま飛んできそうな文句やツッコミも、今日は冴え
が無かった。
それもその筈。
彼は今、悩んでいたのだ。
ブレイカーズ・オンラインの続編が出た事は知っている。
スバルもゲーセンに立ち寄ったクチだ。あまりの人数が立ち込め
てプレイは出来なかったが、明日にでも手を付けるつもりでいる。
問題は、これまでずっと後ろで待機していた神鷹カイトがとてつ
もなく強かったことだ。
まあ、彼が常識外れの戦士なのは知っている。最近は化物の目玉
とストーカーを取り込んで人外ぶりに益々磨きがかかってきたもの
の、以前と変わらず頼りになる兄貴分だと思ってるし、最高の仲間
だと思っている。
しかしブレイカーの操縦まで化物じみてきたとなれば話は違う。
始めてブレイカーズ・オンラインを触ったのは何時だったか覚え
ていないが、稼働当初からスバルは楽しんでプレイしていた。勝つ
為に色んな研究をしてきたし、少ないお小遣いをやりくりして機体
データを整えていったのも記憶に新しい。
スバルは新人類がひしめくこの弱肉強食の世界で、彼らと対等に
戦うだけの努力をしてきたのだ。
それなのに、この男は。そんな自分の領域にわずか半年で追いつ
いてきた。本当は謙遜してただけで、操縦が物凄く上手だったのか
もわからない。
﹁納得いかねぇ﹂
ぼそり、と呟いた言葉にテーブルを取り囲んでいる仲間たちが反
2123
応した。
訝しげな視線に気づくと、スバルは慌てて取り繕う。
﹁な、なんでもない! いやぁ、いいな! 俺も早く触りたい!﹂
我ながら無理のある笑顔だったかもしれない、と思う。
だが、仲間たちがこれ以上ツッコんでくる事は無かった。獄翼や
イゾウの件もあり、多少遠慮しているのだろう。
その証拠に、ゲームセンターにいくだけのお小遣いをエイジたち
から貰っている。既に働いている身とはいえ、同世代のマリリスに
まで貰ってしまったのは情けなかった。思い出しただけで溜息をつ
きそうになってしまう。出かかった負の吐息を喉元で抑え込むと、
スバルは自然な流れでカイトに話を振った。
﹁それで、カイトさんは何を選んだの?﹂
﹁鳩胸だ﹂
﹁へぇ、量産機じゃない。なんだってまた﹂
﹁あれしか知ってる機体が無かったんだ。これまで戦ってきたのは
殆どが専用機だし、紅孔雀のような最新機種は登録されていなかっ
た﹂
そんなことだろうな、とスバルは思う。
彼はカイトが鳩胸を使ってショッププレイヤーたちを虐殺してい
く姿を見てきたのだ。あまりの戦いぶりに言葉を無くした後は、声
をかける元気も無いまま帰宅してしまった。
鳩胸は決して悪い機体ではない。
古今東西、ブレイカーズ・オンラインに登録されている機体につ
いてあらゆる知識を保有しているスバルだが、カイトが使った機体
に関してはこんな言葉でしかフォローできない。
2124
シンジュクで戦った事があるとはいえ、所詮は量産機だ。優先さ
れるのは火力や機動力よりもコスパである。その為、ゲーム内に置
いては初心者専用マシンとまで呼ばれていた。
動かしやすいのが特徴ではあるが、並み居る専用機を量産機で蹂
躙していく姿に戦慄を覚えたのである。もしも自分がカイトと同じ
ように鳩胸を使ったとして、あそこまで戦えるだろうか。
﹁ただ、まあ触って思った事はある﹂
スバルの思考を遮るようにして、カイトが口を開いた。
隣から鶏肉を口移しさせようと迫るエレノアを抑えつつも、彼は
言う。
﹁意外となんとかなるぞ、あれ﹂
﹁あ?﹂
その一言で、スバルの中の大事な何かに切れ目が入った。
明らかに口元が引きつっている。そんな彼の態度に気付かぬまま、
カイトは朝の出来事を思い出す。
﹁操作は癖があるが、少し動かしていけばそこまで難しくない。鳩
胸であれなら、俺が獄翼を操縦しててもそれなりに戦えたはずだ﹂
切れ目がぷつん、と音を立てて千切れた。
スバルは反射的にテーブルを叩く。並べられたお皿が僅かに揺れ、
後には静寂がやってきた。
﹁す、スバル君?﹂
真正面に位置するアーガスが、俯いたままの少年の顔を覗きこむ。
2125
笑っていた。
口元だけを見ればそうなのだが、目が笑っていない。
﹁そうまで言うなら、勝負しようじゃねぇか﹂
﹁は?﹂
ゆっくりとカイトに振り向き、スバルは宣言する。
﹁勝負だよ、勝負! どっちがこの中で一番うまくブレイカーを操
縦できるのか!﹂
トリプルエックス
﹁いや、そんなことはやらずとも⋮⋮﹂
﹁ああ、そうかい。XXXのリーダー様は俺みたいな旧人類なんぞ
眼中にないってか!﹂
﹁誰もそこまで言ってないだろう﹂
﹁うるさい! とにかく、アンタがそんな事言うなら、証明しよう
じゃねーか! 本当にアンタが俺よりも上手く動かせるのかを!﹂
その一言で、周りの仲間たちは合点がついたように頷いた。
要は自分の役目だと思っていたポジションがカイトに奪われそう
になっているのを見て、苛立っているのだ。カイト自身もそれを匂
わせる発言をしてしまった為、爆発してしまったのだろう。
ところが。
﹁いいだろう。偶にはお前と真剣勝負をするのも悪くない﹂
﹁ええっ!?﹂
空気を読んでいるのかいないのか、カイトは勝負を了承してしま
った。
これでは空気が悪くなるだけである。困惑する仲間たちを余所に、
2126
﹃決闘﹄の日付は淡々と決まっていった。
﹁何時やる?﹂
﹁来週の日曜。朝一で﹂
サシ
﹁ルールは﹂
﹁直接対決だ。アンタが今日やったシングル戦でいく。筐体は勿論
NEXTで﹂
﹁わかった。機体はどうする﹂
﹁1週間で好きなの使ったらいいだろ!﹂
それだけ言うと、スバルは勢いよく大家の部屋から飛び出してい
った。
後に残った者の視線が、自然とカイトに集中していく。
﹁⋮⋮どうした﹂
﹁あー。なんというか、あれだ。僕は君と彼の関係に詳しくないか
ら大きな声では言えないんだけど﹂
ヘリオンが遠慮がちに目を伏せつつ、言う。
﹁君、もう少しデリカシーを学んだ方がいいぞ﹂
﹁そうか? これでも大分人付き合いはよくなったと思ってるんだ
が﹂
﹁嘘つけ﹂
その場にいる全員から非難の視線を受け、カイトは僅かにたじろ
いだ。
2127
第161話 vs自己嫌悪
勢い余って飛び出した後、スバルは自室のベッドの中へと潜り込
んだ。
我ながら子供っぽい行動だと思う。そもそもスバルの部屋はカイ
トとエイジのふたりと共用なのだ。
夕食を食べ終えれば、必然的にカイトもここにくる。非常に気ま
ずい。
﹁⋮⋮どうしよう﹂
気まずい表情を隠すように毛布を被る。
今、自分はどんな顔をしているのだうか。きっとこの16年で一
番カッコ悪い顔をしてるんだろう、と思う。
完全な八つ当たりであった。
別にカイトがスバルを追い詰める為にあんなことを言ったわけで
はないことは十分承知している。彼は思った事を素直に口にする人
間なのだ。
だがそれゆえに、敏感に反応してしまう。
本当にカイトの方が操縦が上手いのだろうか、と思うと不安は溢
れるだけであった。この半年間、懸命にやってきたことが全部否定
されたような気がして、嫌な気持ちになる。
もしもカイトが乗っていれば、獄翼は破壊されなかったのだろう
か。
トラセットの無関係な人間を巻き込まずに、新生物を倒しきれた
だろうか。
いや、彼ひとりであればもっと上手く日本から逃げる事が出来た
2128
筈だ。
シンジュクで呑気に﹃引退式﹄なんかやっている内に、敵の襲来
にあってしまった。思い出せば思い出すほど、足を引っ張っている
気がする。
自分自身に嫌気がさしてくると、スバルは目を瞑って無理やり眠
りにつくことにした。寝れば今日の内はカイトの顔を見ずに済む。
それだけを希望にして、スバルは力を抜いた。
そんな時だ。
タイミングを見計らったかのようにして、玄関からノック音が聞
こえた。
﹁ちょっと、いいかな﹂
ヘリオンだった。
その声に反応して起き上がるが、出るべきか迷う。もしも玄関か
ら飛び出て、カイトがいたらどうすればいいだろう。まともな顔で
話せる気がしない。
﹁大丈夫、カイトは居ない。どうだろう、親睦を深める意味を含め
て僕の部屋に来ないか? なんなら、決着がつくまで居座ってくれ
てもいいけど﹂
その提案を聞いた瞬間、スバルは迷うことなく玄関の扉を開けた。
無言のままドアから飛びだした彼を見て、ヘリオンは苦笑。
﹁早くないか、決断が﹂
﹁即断即決は大事だよ﹂
﹁それもそうだ。誘ったのは僕だしね﹂
2129
速足で玄関から離れるスバルを見やると、ヘリオンは少年の後を
追って自室へと向かう。
ゆっくりとした歩みを見つつも、スバルは聞いた。
トリプルエックス
﹁ねえ、なんで俺に味方するの?﹂
﹁僕はみんなの味方だ。XXXはもちろん、大家さんや職場の仲間。
生徒たち。そして君も。強いて理由を言えば、偶然目についたから
かな。それに、君の方が困ってるように見えた﹂
流石は教師。
人格破綻者に定評があるXXX出身にして、出会って間もないと
言うのに一瞬で悩みを見抜かれた。まあ、スバルがわかりやすいだ
けだと言ってしまえばそれまでなのだが。
﹁着いたよ。どうぞ﹂
自室に到着し、鍵を開けるとヘリオンはスバルを歓迎する。
招かれるがままに部屋の中へと入っていくと、整理整頓された綺
麗な一室がスバルを出迎えた。
ひとり暮らし用のベッド。来客が来ても話せるテーブルにテレビ。
当然ながら、部屋の中に干された洗濯物なんかひとつもない。三人
でぎゅうぎゅう詰めになりながら寝ている自分たちとはえらい違い
だと、スバルは思う。
﹁飲み物を入れよう。コーヒーでいいかな?﹂
﹁う、うん。ありがとう﹂
電気をつけた後、ヘリオンはキッチンへ。
190センチ近い巨体が小さな空間の中に消えていくと同時、ス
2130
バルはテーブルの席についた。
ヘリオン・ノックバーン。
第一期XXXの生き残りにして、カイト達の同級生。こうして二
人っきりになるのは始めてであった。
今まですっかり忘れていたが、ヘリオンも立派な新人類である。
どんなびっくり能力があっても不思議ではない。こうして二人っき
りになってしまうと、嫌でも意識してしまう。
﹁お待たせ。お好みで砂糖もどうぞ﹂
﹁どうも﹂
ヘリオンが二人分のコーヒーを持って席に着く。
スバルは砂糖を軽く振りかけると、早速本人に聞いてみた。
﹁ねえ、ヘリオンさんってどんな能力者なの?﹂
﹁またえらく突然だな⋮⋮﹂
﹁だってみんな何も言わなかったし﹂
実際、ここに来てからずっとヘリオンの能力には触れられていな
い。
彼の力を知るカイト達ですらも、敢えて触れないようにしている
程であった。
﹁⋮⋮どうしても言わなきゃダメか?﹂
ヘリオンが苦々しく笑みを浮かべ、縮こまる。
その様子を見るに、あまり触れてほしくない話題なのだろう。彼
には助けてもらった身だ。無暗に嫌がることはしない方がいいだろ
う、とスバルは自己解決させる。
2131
﹁いや、いいよ。ちょっと気になっただけだから﹂
﹁すまないね。大家さんや生徒たちにも、ただの新人類で通してる
から、あんまり力のことは触れないでほしいんだ﹂
﹁そこまで徹底して自分のことを隠そうとしているの?﹂
﹁どちらかといえば、嫌いなんだよ。XXXも抜けたいと昔から思
っていた﹂
ただ、自分の能力が嫌なだけで外に出たいと思ったわけではない。
同じ場所で仲間として育ったXXX。彼らと共にまっとうな生活
を送りたいと思ったのが大きい。
﹁脱走計画は僕も絡んでいてね。プランはウィリアムが立てて、準
備は他のみんなが手伝う感じ⋮⋮ウィリアムやエミリアは知ってい
るんだったかな?﹂
﹁ウィリアムさんはわかるけど、エミリアさんは会ったことないや﹂
﹁⋮⋮そうか。彼女も無事だといいんだが﹂
ブラックコーヒーを口に含み、ヘリオンは仲間の無事を祈る。
ただ、彼の懸念はまだ行方がわからないままのエミリアだけに留
まらない。
﹁第二期の連中にも会ったことがあるんだっけ?﹂
﹁カノンとアウラは友達だよ。他のふたりは⋮⋮あんまりいい思い
出ないや﹂
﹁ははっ、そうか。仲良くしてやってくれ。ああ見えて、とても繊
細な子達なんだ﹂
繊細なのは否定しないが癖が強すぎやしないだろうか。
カイトもよくあの連中の世話ができたもんである。今なら素直に
2132
称賛できてしまう。
﹁⋮⋮ねえ、ヘリオンさん﹂
﹁ん?﹂
神鷹カイトの顔が脳裏に浮かんだ瞬間、スバルは俯きながら口を
開いた。
﹁カイトさんって、ヘリオンさんから見たらどんな人?﹂
その問いに対し、ヘリオンは一瞬驚きながらも腕を組んで考え始
める。
ややあってから、金髪の同級生がカイトに対する評価を語りだす。
﹁捻くれていたが、素直で頼りになる子だったよ。矛盾してるが、
君ならなんとなくわかるだろう?﹂
﹁まあ、ね。やっぱりあんまり変わってない?﹂
﹁いや、多少は変わった。中身はそこまで激変してないが、心境に
変化があったのは間違いない。勿論、彼にとっていい意味でだ﹂
ヘリオンが感じる現在の神鷹カイトは、スバルが考えるカイト像
とさして変わりがない。それを確認したところでスバルは改めて問
う。
﹁じゃあ、あの人がブレイカーを上手く操縦できるって言ったのも
マジだよね﹂
﹁⋮⋮まあ、手応えは感じただろうね﹂
言うべきか言わないべきか迷ったが、ヘリオンは観念したように
喋った。
2133
そもそも100勝以上してる癖に下手糞なのだと評価しようもの
なら、自分はどうなんだという話である。
ヘリオンはそんな評価ができる程ブレイカーについて詳しいわけ
ではない。
﹁あまり考え過ぎない方がいい。彼だって悪気があったわけじゃな
いんだ﹂
﹁そうだろうね﹂
あっさりと認める発言をしたスバルに驚きつつも、ヘリオンは続
ける。
﹁じゃあ、なんであんなことを﹂
﹁何て言えばいいんだろうな。こう、頭に血が昇ったって奴? だ
から顔も合わせづらいし、正直助かったって思ってる﹂
要は勢い任せの喧嘩だ。
破壊された獄翼のことや将来について考えてナーバスになってい
たところに、得意分野に対してちょっかいを出してこられた。それ
だけの話なのだ。
﹁今からでも謝った方がいいんじゃないか?﹂
﹁絶対にイヤだ!﹂
ただ、一度爆発してしまった物はどうしようもない。
カイトも了承した以上、もう引っ込みはつかないのだ。何より、
負けたくない。
﹁ここで謝ったら、なんかカイトさんに負けた気がする。だから勝
負の決着がつくまで俺は謝らないし、カイトさんにもこの話題で謝
2134
らないでほしい﹂
﹁アイツ、謝る気配なかったけど﹂
﹁それならそれでいいよ。俺から一方的に振った喧嘩だし﹂
近くで見た感想としては、カイトの腕は相当なものだ。冷静にな
ってシミュレートしてみても、これまで戦ってきたどの敵とも渡り
合える技術があると思う。
しかし、たったの半年で自分を追い抜いただなんて思って欲しく
なかった。ただ守られるだけの存在にはなりたくないし、守ってや
るだなんて大層な事を言いたくもない。
﹁たぶん、なにか大きな変化があるわけじゃないんだ。でも、どう
しようもない不安しかない。そうなっちゃったら、もう向かってい
くしかないじゃん﹂
だって、それしか取柄が無いんだもん。
言いつつも、スバルは無理やりはにかんでみせた。
2135
第161話 vs自己嫌悪︵後書き︶
次回の更新は土曜日の夜か日曜の朝を予定
2136
第162話 vs赤猿
神鷹カイトの駆る鳩胸による、ショッププレイヤー虐殺事件︱︱
︱︱通称、ポッポジェノサイドから一夜明けた。
スバルからの決闘宣言を受け取ったカイトは、仲間たちからの白
い視線を浴びつつも黙々と戦闘準備を整えていた。フリーターなの
をいいことに、彼は今日もゲーセンに入り浸るつもりなのである。
余談になるが、プレイ料金はそれなりに貰っていた。昨日のでき
ごとを終始見守っていた大家のおばちゃんが﹃いいねぇ! 男はこ
うやって大きくなっていくんだよ!﹄と妙に興奮気味に食らいつい
てきた結果だ。理解のある大家で助かった。
﹁私が言うのもどうかと思うけど、大人気ないと思わない?﹂
カードを発行していると、横に立つエレノアが問う。
彼女は今日もカイトの元を離れ、自らの肉体に憑依した状態であ
った。体内に寄生されるよりはマシなのだが、目の前に自分と全く
同じファッションをしている女がいるのも気味が悪い。
カイトの身体から出てきた際、彼の服装を左目の力で複製したの
だ。ご丁寧な事に、左目を覆う包帯までコピーしている。傍から見
れば痛いアベックだった。
﹁なにが﹂
﹁あの子を相手に大マジになっちゃうところ﹂
エレノアがふてくされた顔で言ってくる。
私の相手をしてくれよ、とでも言わんばかりの表情だった。真意
を読み取ったカイトは敢えてその意思を無視。エレノアの問いのみ
2137
に焦点を当て、淡々と答えていく。
﹁あの時言った通りだ﹂
﹁どんな通りなのさ﹂
﹁たまにはあいつと真剣に勝負をするのも悪くない。それ以上の他
意はないね﹂
発光されたカードを受け取ると、カイトはNEXTの筐体に向か
う。
既に筐体の前にはブレイカー乗りたちが集まっており、各々の機
体を操作していた。
﹁まだ平日の朝なのに、元気なもんだ﹂
﹁昨日は君がやらかしたからでしょ﹂
そんなやり取りに反応し、ギャラリーの何人かがこちらに振り向
いた。
途端に、彼らの表情が驚愕の色に染まっていく。
﹁ポッポマスターだ!﹂
﹁やばい、また虐殺されるぞ!﹂
﹁しかも女連れだ!﹂
﹁美人だぞ!﹂
﹁おい、ペアルックだ!﹂
﹁顔に包帯なんか巻きやがって、かっこつけてるのか!?﹂
﹁よし、俺が相手だ。戦場に女を連れてくる甘ったれた野郎に、戦
いってもんを教えてやる!﹂
エレノアの姿を目にした瞬間、彼らはなぜか大いに盛り上がりを
見せ始めた。カイトから見ればやたら肌が白くて隈が黒い不健康そ
2138
うな女以外の何者でもないのだが、それでも彼らにとっては美人だ
った。男は美人が絡んでくると欲望を剥き出しにするのだ。
﹁うふ、美人だって。嬉しい?﹂
﹁なぜ俺に聞く﹂
﹁だって君が羨ましがられてるんでしょ。感想くらい言ってやりな
よ﹂
﹁なるほど﹂
言われて納得すると、カイトはずかずかとギャラリーを押しのけ
ながら筐体の前に立つ。経緯はどうあれ、受け取った喧嘩は買うの
が彼の流儀であった。
ただ、これ以上エレノアとの関係を妙な方向へ持っていかれるの
は我慢ならない。ゆえに、カイトは筐体の向こうにいる対戦相手に
向けて言う。
﹁おい﹂
﹁なんだよ﹂
﹁俺の横にいるコイツだがな。趣味は人体改造だから碌な奴じゃな
いぞ﹂
﹁美人に改造されるなら本望だ!﹂
火に油を注ぐとはこのことだった。
筐体の向こう側にいる対戦相手は妙な気迫を身に纏い、やる気を
出し始めている。
﹁というか、ちょっと待て! アンタ、もしかしてその美人さんに
改造手術を受けたのか!?﹂
先の発言を受け、対戦相手が立ち上がって指摘する。
2139
カイトは思う。いかん、また話が妙な方向に流れ始める、と。
どうやってこの場を切り抜けようと考え始めたカイトを余所に、
エレノアはやけに上機嫌な態度で対戦相手に言う。
﹁いやぁ、運命の赤い糸で結ばれた仲だからね。身体の調整をする
のも、パートナーの務めだろう?﹂
﹁か、かかかかかか身体の調整ぃ!?﹂
仰け反り、オーバーリアクションを披露する対戦相手。
そしてざわつくギャラリー。がっくりと頭を落とす神鷹カイト。
割と事実だから否定する材料が見つからなかった。
どうやってこの女を黙らせようかと考えていると、向こう側の筐
体にいる対戦相手が煮え切った表情のままずかずかと近寄ってきた。
学生服を身に纏った、少々小柄な男である。
恐らくサボタージュ中なのであろう彼は、カイトの胸倉を掴むと
一喝し始めた。
﹁お、お前! 彼女とそんなことまでしておきながら、なんでこん
な朝っぱらからここにいるんだよ!﹂
﹁お前はどうなんだ﹂
平日の朝、ゲーセンで学生に説教されてもまったく説得力がない。
自分のことを棚に上げたまま、学生は続けた。
﹁いいか! 女と付き合うってことはだな。彼女の為に自分の時間
を割くことが大事なんだ、わかるか!?﹂
﹁言いたいことはわからんでもない﹂
﹁そうだろう! だからポッポマスター、こんなところで油を売っ
てる暇があったら彼女の為に婚約指輪でも買って来い! そして式
には呼べ! 彼女さん、お友達にフリーで可愛い子がいたら紹介し
2140
てくださいお願いします!﹂
﹁誰がポッポマスターだ﹂
突っ込みたい要所はたくさんあったが、その中で敢えてカイトは
この単語を炙り出した。他の要素を指摘しても泥沼に嵌るだけなの
は十分理解したつもりである。
﹁さっきから聞いていれば好き勝手に人を呼んでるじゃないか。も
っとイカす名前は思いつかなかったのか﹂
﹁だって鳩胸だしさ⋮⋮﹂
どうもカイト本人よりも鳩胸を使って勝利した方がインパクトが
強かったらしい。カイトとしては自分よりも鳩胸の方が評価されて
いるようで、ちょっと面白くなかった。
﹁大体、俺は鳩胸専門じゃないんだぞ﹂
﹁え、そうなの?﹂
思いっきり首を横に傾げられた。
周りを見れば、取り囲んでいるギャラリーの何割かも驚いている。
﹁おい、マジかよ。あれだけ戦えるのに鳩胸専門じゃないだとさ﹂
﹁じゃあ、専用機に乗ったらどんだけつぇえんだよ⋮⋮﹂
﹁赤猿でも勝てないんじゃないか﹂
﹁うるせぇ、余計な事は言わないでいい!﹂
ギャラリーに名指しで呼ばれた赤猿が怒鳴る。
カイトの目の前に詰め寄っている学生服を着た対戦相手こそが赤
猿だ。
言われてみれば、彼は赤髪である。それになんとなく猿っぽい顔
2141
をしている気がした。ゆえに、カイトの中では目の前の学生=猿の
図式が出来上がっていく。
﹁お前、サルっていうのか﹂
﹁赤猿な。因みに、登録名だ。流石にそんな名前を親から貰ったら
今頃グレてるぜ﹂
朝からゲームセンターにいる時点で十分グレている気がするが、
敢えて口にしないことにしてあげた。
﹁で? 鳩胸を専門にしてないなら何が専用機なんだ。お前もブレ
イカーズ・オンラインで連勝をするほどのプレイヤーなんだ。余程
名前が知れてるパイロットなんだろう?﹂
﹁いや、別に﹂
﹁謙遜する必要はないぜ。昨日は来れなかったから直接お前の戦い
は見れなかったが、この赤猿様が打ち立てた連勝記録を塗り替える
だけでも相当な手練れだと予想できるってもんよ﹂
﹁昨日始めたばかりだ﹂
﹁へぇ、昨日始めたばかり。確かにそれだと専用機はないよな⋮⋮
って、なにぃ!?﹂
見事なノリツッコミであった。
狼狽え、若干仰け反りつつも赤猿はカイトに問い詰める。
﹁昨日始めてこのゲームやったってのか!? 前作の経験は0って
ことか!?﹂
﹁そうだ。見学はしたが﹂
嘘は言っていない。
カイトは常にスバルの傍にいた為、彼の操縦を真似ているだけな
2142
のだ。ゆえに、基本以上の動作ができる。
とはいえ、こんなことを素直に言ったところでしょうがない。誰
でもできることではないのだ。カイトがでたらめの塊みたいな奴だ
からこそできる芸当である。
﹁じゃあ、カードは﹂
﹁これから登録していく﹂
つい先程発行したばかりのカードを赤猿に見せる。
赤猿はまじまじとカードを見ると、観念したように溜息をついた。
﹁マジっぽいな⋮⋮どんな化物の所で見学したのかは知らないけど、
登録するなら旧の方でやってくれ。他のみんなもNEXTの筐体で
プレイしたいんだ﹂
﹁残念だが、今日は登録だけをしに来たわけじゃない﹂
赤猿の言いたいことはわかる。
ゲームセンターはあくまで公共の場であり、そこに設置された筐
体を使って遊ぶのはお客さん全員に与えられた特権なのだ。決して
カイトひとりが扱う為の物ではない。
ただ登録するだけなら、旧の方にいって然るべきだろう。その方
が他のお客さんも新作のプレイができる。
﹁俺は真剣勝負に挑む為に練習と知識をつけなければならない。悪
いが、暫く使わせてもらう﹂
凄まじくふてぶてしい発言だった。
人によってはマナー違反だと叫ぶ奴もいるだろう。
しかし、赤猿は真剣勝負の単語に興味を示した。
2143
﹁勝負? これでか﹂
NEXTの筐体を指差し、問う。
カイトは静かに頷くと、事の詳細を簡潔に説明し始めた。
﹁昨日、俺がプレイして連勝したって話したら、操縦を教えてもら
った奴から決闘を申し込まれた﹂
一瞬、ギャラリーがざわついた。
昨日虐殺の限りを尽くしたポッポマスター。それに操縦を教えた
︵実際は見せていただけ︶ブレイカー乗りとの真剣勝負。
想像するだけで鳥肌が立った。
ゲーム初心者とは言え、神鷹カイトは間違いなくこのゲームセン
ターで上位に食い込むプレイヤーとなっている。近年まれに見る頂
上決戦の予感がする。
ブレイカー乗りたちはこの話を聞いた瞬間、野次馬根性が爆発し
た。
﹁なるほど。確かにガチをやるならもっとこのゲームを知りたいだ
ろうな﹂
赤猿も納得の表情だ。
彼が納得したところで、カイトは改めてNEXTの筐体に座ろう
とする。
だが、着席は赤猿によって静止を受けた。
﹁待ちな﹂
﹁なんだ﹂
﹁アンタ、確か機体選びから始めるんだったな。それなら俺がレク
チャーしてやるぜ﹂
2144
﹁お前が?﹂
自身に指を突き付け、自信たっぷりの表情でカイトを誘う赤猿。
﹁できるのか﹂
﹁馬鹿にするな。こう見えても俺はここに避難する前は全国区プレ
イヤーだったんだぜ﹂
全国区プレイヤー。
要するに、世界中にいるブレイカー乗りの中でも上位に食い込む
戦士を意味している。
ふと、カイトは思い出した。
そういえばスバルのネット仲間に﹃赤猿﹄って奴がいたなぁ、と。
﹁機体の知識なら俺だってあるさ。お前に合ったブレイカーと装備
を、俺が選んでやるとも﹂
﹁それなら心強いが、相手はスバ︱︱︱︱マスカレイド・ウルフだ
ぞ﹂
本名を知っているのかわからなかったので、カイトは敢えてスバ
マスカレイドウルフ
ルの登録名を口にした。赤猿が目を丸くする。予想だにしなかった
名前らしい。ギャラリーたちも同様だ。仮面狼の名を知らないブレ
イカー乗りは少ない。彼の動画はいまだにブレイカーズ・オンライ
ンのバイブルとして多くの支持を集めているのだ。
﹁あいつかぁ! 成程、確かに新人類がアイツの動きをトレースし
たら強いわ!﹂
納得すると、赤猿は益々面白そうとでも言わんばかりに目を輝か
せ始める。どういう事情でこの島にいるのかは知らないが、旧人類
2145
最強クラスのブレイカー乗り、蛍石スバルと彼をよく知る新人類に
よる真剣勝負。
呆れや友情といった感情よりも、興味が勝った。
﹁いいぜ。あいつが相手なら半端は通用しないからな。俺たちがし
っかりセコンドして、今世紀最大のエンターテイメントを完成させ
てやるよ。なあ、みんな!﹂
赤猿の号令で、ギャラリーたちが湧き上がった。
なぜかゲームセンターの店員まで賛同しており、カイトは戸惑い
を隠せない。
﹁別にエンターテイメントにする必要はないぞ﹂
﹁今世紀最大のベストマッチだぜ? 俺なら大晦日の特番よりもみ
たいね﹂
﹁大袈裟だ。俺はそこまで足を踏み入れていない﹂
﹁なら、これから踏み入れてもらう﹂
赤猿がにやりと笑う。
年相応の悪戯っぽい笑みであった。
﹁あいつは友達じゃないのか?﹂
﹁ダチだよ。実際、遊んだこともあるしな﹂
だが、友情と真剣勝負は話が違う。
目の前に面白そうなイベントが転がっており、それをみすみす腐
らせるような赤猿ではないのだ。
彼の信条は﹃常に面白くあれ﹄である。ゲームは面白くないと、
つまらない。だからこそ赤猿は真剣に遊びに興じるのだ。
2146
﹁でも、折角やるならより楽しくなる方がいいと思わないか? お
前もダチとゲームやるなら、そう思うだろ﹂
不思議と、説得力があった。
カイトは笑みを浮かべると、ひとことで返す。
﹁ああ、思うね﹂
こうして、戦況はスバルにとって少しずつ思いがけない方向へと
向かい始めた。
2147
第163話 vs機体選び ∼カイト編∼
旧作、ブレイカーズ・オンラインで選択できる機体総数は60機
近くに及ぶ。次回作であるNEXTには僅かに劣る物の、特徴や武
装を探る分では前作の筐体でも十分だった。
新作であるNEXTの情報がまだ出回っていない為、新機体を紹
介しづらいのもある。
﹁とりあえず、ポッポマスター﹂
﹁誰がポッポマスターだ﹂
前作の筐体に移動し、本格的にゲームの登録作業を行うカイト。
隣でレクチャーし始めるサボり学生、赤猿を訝しげにみやると、
名前の登録を行い始めた。
﹁基本的に、ゲームで登録する名前はスコア一覧でも表示される。
あんまり恥ずかしくない名前にしろよ﹂
﹁じゃあ、ポッポマスターは論外だな﹂
﹁俺は結構好きなんだけどな﹂
﹁貴様の好みなんぞ知るか﹂
一蹴すると、カイトは適当に名前を決定させる。
登録名は﹃ハゲタカ﹄だ。
﹁結局鳥の名前が入るんだ﹂
﹁ポッポマスターよりはマシだ﹂
やや獰猛な猛禽類にクラスチェンジを果たした後、カイトは機体
2148
の選択画面に入った。本来、ブレイカーズ・オンラインではメイン
となる機体を選び、その後装備するパーツを選んでから戦闘画面に
入る。
その為、普通にプレイする分には準備に時間がかかるゲームなの
だが、その手間を省く役目をカードが果たしているのだ。専用カー
ドにデータを登録することで、準備画面を飛ばして戦闘に入る事が
出来る。時間圧縮に一役買っているのだ。
そして、カイトの場合はここからが本題だった。
﹁さて、ハゲタカよ﹂
律儀に登録名で名前を呼び直してくれた赤猿が、腕を組んでレク
チャーを開始する。
﹁ブレイカーズ・オンラインでは大きく分けて3種類のブレイカー
を扱う事になる﹂
﹁知ってる。本物のブレイカーに乗ったことがあるし、戦った事も
ある﹂
﹁なるほど、なら話は早い⋮⋮って、戦った事があるぅ!?﹂
赤猿にとって完全に想定外な事実が飛び出した。
彼だけではない。後ろから全国区プレイヤーのレクチャーを盗み
聞きしようと集まったギャラリーも同様だ。彼らは全員、画面の中
のブレイカーしか動かしたことがないのである。本物の起動兵器は
一種の浪漫だった。
﹁そ、それはあれか!? お前が動かして倒したのか!?﹂
﹁なんて言えばいいんだろうな。俺が自分から動いたっていえば良
いのか﹂
2149
ただ、戦闘の様子を一言で説明するのは非常に難しい。
生身で倒した例もあるが、専用機を倒した経験はほぼスバルに依
存している。
﹁もしかして、アンタどっかの国のレジスタンスとかそんな奴か?﹂
赤猿がジト目になって聞く。
反乱者呼ばわりされたこともあるので、間違っていない気がした。
﹁まあ、それだと思う﹂
﹁アイツはどんな友好関係してるんだよ⋮⋮引退したって聞いてた
のに﹂
﹁色々とあるんだ。俺にもアイツにも﹂
﹁そうそう。私と彼のようにね﹂
相変わらずカイトの隣をキープし続けるエレノアが、余計な事を
口にし始める。一度搭乗したことがあるとはいえ、彼女はブレイカ
ーの知識を持っているわけではない。ゆえにこの場では、ただの見
学に徹する事しかできないのだ。
﹁貴様は黙る事を知らんのか?﹂
﹁だって寂しんだもん。ウサギは寂しくなると死んじゃうんだぞ﹂
隈で染まった右目で軽くウィンクしてきた。
気付きつつも、カイトはそれを指摘しないでおく。付き合いの長
そうな雰囲気を出しているふたりに、赤猿が歯噛みし始めた。
それはさておき、機体選びだ。
読者諸兄には説明するまでもないが、ブレイカーは大きく分けて
2150
3つに分類することができる。
火力重視のアーマータイプ。
速度重視のミラージュタイプ。
癖の強いアニマルタイプの3種類。
﹁仮面狼とやりあうなら、体力が少ないミラージュタイプは避けた
方がいい。アイツは最初の一発を当てるのが上手いんだ﹂
﹁なるほど﹂
レバー
頷きつつ、カイトは操縦桿を動かす。
使用機体カテゴリがミラージュタイプにセットされた。
﹁俺の話聞いてた?﹂
﹁当たり前だ。隣で喋っておいて何を言う﹂
﹁じゃあ何でミラージュタイプを選んでるんだよ!﹂
﹁それしか動かし方を知らない﹂
シンプルで単純な答えだった。
カイトはスバルがミラージュタイプ以外を動かしている姿を見た
ことがない。ゆえに他のタイプを選択すれば、まず操作技術を学ぶ
だけで時間がかかるであろうと考えた。
﹁サル。貴様は普段何を使ってる﹂
﹁誰がサルだ。⋮⋮使ってるのはミラージュ﹂
﹁相応の実力を持つアーマータイプ使いがいるなら話は別だが、そ
うでないならミラージュで正面から勝負してやる。真剣勝負なら、
なるだけ同じ土台でやりたい﹂
因みに、アニマルタイプは根本的に弱キャラであると言う話を以
前スバルから聞いたことがある。
2151
なので、カイトとしては最初からミラージュタイプ以外の選択肢
は無かった。カイト本人の戦闘スタイルと一番合っているのも理由
である。
﹁問題はミラージュタイプで登録されている機体のどれが俺に合う
か、だ。アイツとの相性はどうでもいい﹂
﹁なるほどね。自分のやり方に合った方法で勝負するわけか﹂
確かにその方がのびのびと戦える。
赤猿は納得すると、今度こそ己の知識が必要な領域へとステップ
を進めた。
﹁アンタの戦い方って、どんなのが望み?﹂
﹁アイツみたいなの﹂
マスカレイドウルフ
﹁私のことかな?﹂
﹁仮面狼のことだ﹂
アバウトな質問だったが、カイトは的確に答えてくれた。
これまでの会話からある程度察してはいたが、彼と仮面狼は大分
似通った戦闘方法を好んでいる。
だとすれば、必然的に辿り着く機体も同じものだ。
﹁それなら、これしか選択肢はないな﹂
画面の中に並ぶ20機近くのブレイカー。
その中のひとつに指を向けると、赤猿はそいつの名前を呟いた。
やてんろう
﹁正式名称は﹃夜天狼﹄っていうんだ。アイツの愛機の元となった
機体だよ﹂
﹁ほう⋮⋮﹂
2152
カード
かつて、敵に見つかると厄介だと言ってへし折ったスバルの愛機。
その姿を拝むことは無かったわけだが、こうして元となった機体を
見ると中々感慨深いものがある。
これに改良を重ねていった結果が、スバルのダークフェンリル・
マスカレイドなのだ。そういえば、カノンのダークストーカーとも
どことなくデザインが似ている。
﹁ダークストーカーに似てるな﹂
﹁あれ、デスマスクを知ってるのか?﹂
﹁元、部下だ﹂
﹁⋮⋮なんていうか、世間って狭いんだな﹂
赤猿の疑惑の眼差しを無視し、カイトは改めて夜天狼を眺める。
引き締まった黒いボディは鍛え上げられた戦士を連想させ、頭部
から僅かに見える牙が狼のような凶暴さを意識している。だが、初
期武装を眺めているとカイトはある点に気付く。
﹁飛行ユニットは無いのか?﹂
﹁夜天狼は元々地上で戦う機体なんだ。飛行ユニットなしでもすば
しっこく動けるし、本来は避けながら地上戦を制する機体だよ。空
を飛んでる相手が殆どだから、そういうのにはジャンプして跳びつ
くか大砲で撃ち落とすとかしてやんなきゃダメだけど﹂
だが、スバルはそのセオリーを無視し、空中での接近戦特化に仕
上げた。
飛行ユニットを装備させ、地上戦で優位に動ける足をコンボパー
ツとして組み込んだのである。
﹁ダークフェンリルの武装は?﹂
2153
﹁ナイフとダガー。刀が2つ。遠距離用にはコストの低いエネルギ
ーライフルを持たせて、防御はシールド発生装置って感じ﹂
獄翼を奪った時に装備していたのとほぼ同一のラインナップだっ
た。
どれだけダークフェンリルに拘っていたのか、よく理解できる。
だが、今度スバルが画面の中で用意する機体はダークフェンリルで
はない。
カイトと同じように、1から新たに作り上げる機体だ。果たして
それがダークフェンリルや獄翼と全く同じ形に収まるのかと考える
と、カイトは違うと思う。
スバルの戦法を誰よりも近くで観察してきたのはカイトだ。
そのカイトが、ほぼ完全に動きをトレースしてしまっているのだ。
そんな奴を相手に、同じ戦法を仕掛けてくるだろうか。
﹁サル。アイツは接近戦以外は強いのか?﹂
﹁こなせるよ。近距離から遠距離までなんどもござれ。ただ、一番
得意なのが近距離だな。遠距離は使えなくもないけど、外した時が
デカすぎるから﹂
隙を狙われるのをなるだけ避ける為、機動力に物を言わせたミラ
ージュタイプを選ぶ必要があった。旧人類である彼が、特化された
新人類達に立ち向かう為には限られた環境をフルに活用しなければ
ならない。今も同じだ。
だが、この時に限って言えば相手はブレイカーズ・オンラインに
特化された新人類ではない。
﹁⋮⋮素直にこれを使ってくるかな﹂
﹁なんか言ったか?﹂
2154
﹁いや﹂
とりあえず、スバルが愛した機体を知ろう。
無言でそう考えると、カイトは夜天狼をセレクトした。
1週間後、戦いの舞台に立つ﹃THE・イレイザー﹄の基盤が誕
生した瞬間である。
2155
第163話 vs機体選び ∼カイト編∼︵後書き︶
次回の更新は水曜の朝を予定
2156
第164話 vs武器選び ∼スバル編∼
蛍石スバル、16歳。
この日、彼は仕事で遠出する六道シデンに連れられ遠くのゲーム
センターまで足を延ばしていた。アパートから近いゲームセンター
は名実ともにカイトの独占状態である。実際、今日もカイトはあの
ゲームセンターで練習しているのだろう。
彼に勝利する為には、なるだけ情報を隠す必要があった。当然、
それ以上に気まずい雰囲気が嫌なのもあるのだが。
﹁じゃあ、ボクはこれから仕事だから﹂
﹁うん。ここまで送ってくれてありがとう﹂
バスから降りて近くのオフィスビルへと向かっていくシデンを見
送ってから、スバルはゲームセンターへと歩んでいく。
なぜか自然とOLとして就職したシデンがゲームセンターを紹介
してくれたのは素直にありがたい話である。彼がバス停の前にあっ
たゲームセンターを発見してくれなかったら、今頃カイトと一緒に
気まずい雰囲気のまま練習に励んでいた事だろう。カイト本人は気
にしないかもしれないが、自分が耐え切れない。
シデンの定時は夕方の18時になっている。
それまでの間は筐体でひたすら修行時間だ。しばらくゲームの世
界から離れていた為にブランクがあるので、なんとかして取り戻し
ていかないといけない。実戦とゲームではまるで感覚が違うのだ。
カイトのように反射神経と感覚ですぐに修正が利くものではない。
だがその前に、対カイト用のブレイカーをこしらえてやる必要が
2157
ある。
先日、以前の愛機であるダークフェンリル・マスカレイドを再現
しようと思ったが、やめた。
今までの自分の戦法でカイトに勝てる見込みが全くなかったから
である。ここに来る前、試しに仲間たちにアンケートを募ってみた。
普段自分が操縦していた獄翼と、カイトを取り込んだ獄翼のどっ
ちが強いか、と。
以下がその返答である。
﹃そらぁ、カイトだろ。新生物だって圧倒してたし﹄
御柳エイジは即答だった。
﹃カイちゃん。だって、念動神を倒せたのは彼のお陰でしょ?﹄
六道シデンも同様である。
思えば、専用機持ちの撃墜数は彼の方が多い気がした。
﹃山田君だろう。多数を相手にするなら知らないが、直接対決で彼
に勝てるのはそうはいまい。まったく、私に断言させるとは美しく
罪な男よ﹄
アーガス・ダートシルヴィーはなぜか身体中からヒマワリを咲か
せつつも断言した。
﹃そりゃあ、彼でしょう。私がカイト君以外を支持するわけがない
じゃん﹄
エレノア・ガーリッシュには何で聞いたんだろう。
2158
﹃え、ええっと⋮⋮私はふたりともカッコいいと思いますよ!﹄
挙句の果てに、マリリス・キュロには気を遣われてしまった。
はっきり言って、気持ちが落ち込む。先日の一件でこちらを擁護
していたように見える彼らも、根は正直だった。正直であるがゆえ
に、少年の傷はどんどん深まっていく。
﹁見てろよ⋮⋮! 今にぶっ倒してやるからな!﹂
全員に目に物見せてやる、とでも言わんばかりにスバルが握り拳
を振り上げる。
いきなり叫んだせいで店員さんに怒られた。
へこへこと謝り、もうしませんと口約束を果たした後にスバルは
目的の筐体を発見する。
ブレイカーズ・オンラインNEXTの筐体だ。
1週間後、カイトと戦う決闘場である。稼働当初ということもあ
り、人は多い。自分の番が回ってくるまで、時間がかかるだろう。
しかしスバルは待った。
装備を整えることもせず、ひたすらNEXTの筐体に座る時間を
待った。
なぜか。
スバルの頭の中ではカイト対策の機体を選び終えているからだ。
また、その機体はNEXTになってから追加された新機ブレイカー
である。旧作では準備する事はできない。
﹁失礼﹂
2159
十数分程待った後に、出番が回ってきた。
スバルは筐体に座ると、早速ワンコインを投入。昨日買ったばか
りのカードをセットし、改めて機体登録画面へと遷移した。
余談だが、今回彼が使用する登録名は﹃マスカレイド・ファルコ﹄
だ。前と大して変わりゃあしない。
マスカレイドファルコ
そんな仮面隼は機体選択画面に入ると、迷うことなくミラージュ
タイプを選択する。新規追加されたダークレッドの鋼の巨人にカー
ソルをセットした。赤に染まったドレスのような腰が印象的な機体
である。
じゃろう
正式名称は﹃蛇楼﹄。近年開発された試作機だが、コスト面の都
合で主力機の座を奪われた幻の機体だ。恐らくだが、実際の次期量
産機には紅孔雀が選ばれるのだろう。マニアにしか詳細がわからな
い機体だった。
そんなマニアであるスバルは、この機体に内蔵されている特殊機
能に目をつけている。リミッター解除だ。一時的に出力を極限まで
上げる代わりに、性能が著しくダウンする高機動ブレイカー。それ
が蛇楼だ。
通常の機体が出せる速度では、カイトの反射神経を捕えることは
サシ
できない。狙撃なんて論外だ。仲間のサポートがあれば話は別かも
しれないが、今回の対決はあくまで直接対決である。現実でもゲー
ムでも機動力の高いカイトをひとりで狙撃するなんて不可能である
と、スバルは結論付けていた。
ならばどうするか。
圧倒的な出力で捕まえて、高火力を叩きこむ。
2160
スバルが知る中で、それができるのは一時的とはいえ最高速度を
叩きだせる蛇楼のみであった。カイトが重量級を使ってくる可能性
も0ではないのだが、彼の性格と本人の戦い方をイメージするに、
それはないと考える。
あの男なら、力任せに速度とパワーでねじ伏せにかかってくるだ
ろうと予想した。それなら同じ分野で勝負してやる。ただし、真正
面からではなく絡め技で。
﹁ククク⋮⋮﹂
まだ見ぬカイトの機体がいたぶられる姿を想像し、不気味な笑み
が浮かぶ。傍から見れば不気味以外の何者でもなかった。後ろで見
守るギャラリーたちがちょっと退き始める。
そんな彼らのリアクションに気付くことなく、スバルは武器選択
画面に入った。機体も大事だが、ここからも大事だ。蛇楼でカイト
に貼り付けても、致命打を与える武器がなければ話にならない。
﹁こいつだ﹂
当然ながら、スバルの頭の中では武器の選択も済ませている。
選んだ武器はチェーンアンカー。敵を捕まえて、こちらに引き寄
せる武器だ。そして普段のメイン武器として使用する刀、ダガー、
ナイフの三点セット。
左腕には電磁シールド発生装置。
普段なら遠距離への牽制としてライフルのひとつも所持するのだ
が、想定する敵にそんな物を持って行っている余裕はない。それを
切り離してでもチェーンアンカーを持っていかなければ、カイトを
一撃で倒しきれないのだ。少なくとも、自分の直感がそう囁いてい
る。
2161
スバルの想定する戦術を説明しよう。
まず、想定するカイトの速度は全盛期の仮面狼よりも早い物であ
ると考えている。同時に、彼はその速度を最大限活かしてくるだろ
う。
以前までのダークフェンリルは高機動の機体だが、きっとそれよ
りも素早い。何度もコンボを入れてHPをゼロにするのは困難だ。
その点に関しては、過去最難関であると言える。
そこで出番が来るのはリミッター解除とチェーンアンカーである。
一時的に全ブレイカー中︵あくまでゲーム内で登録されているブ
レイカーの話だが︶最大の出力を発揮し、カイトの攻撃をなんとか
やりすごす。その使用時間は、時間にして30秒が限界である。
スバルはそれだけの時間でカイトを倒さなければ、チャンスはな
いだろうと考えていた。
カイトに最初のダメージを与えて1コンボを与えたら、チェーン
アンカーで捕まえて引き寄せる。その後は蛇楼が出せる最高速度で
突っ込むつもりだ。そうやって無理やり距離を詰めて、体勢を立て
直す前にもう一度コンボを叩き込む。スバルの必勝プランであった。
ネックがあるとすれば、30秒で仕留めきらなければならない事。
そして実際にその超コンボが実現可能なのかと言うことだ。蛇楼
は今回初めて登録された機体である。現実の機能はともかく、ゲー
ムでどこまで再現されているのかわからない。
後は実際に戦闘で使用し、感覚を確かめるだけだ。装備を確定さ
せ、カードの中に機体データを保存してから戦闘画面へと遷移して
いく。
しばし待機していると、ダークレッドの巨人と黒の巨人がポリゴ
2162
ンの大地に降り立った。戦う二機の頭部がでかでかと画面中央に表
示され、間に﹃VS﹄の文字が飛び出す。
直後、試合が開始された。
スバルは普段の調子で蛇楼の飛行ユニットを稼働させ、宙へ浮く。
対戦相手も同様だ。少し観察してみたところ、相手はミラージュ
タイプのカスタム機らしい。きっと長い間愛用してきた機体なのだ
ろう。元のデザインと比べ、若干の変更が見て取れた。
しかし、ミラージュタイプなら美味しい実験台だ。
スバルは舌なめずりすると、相手の威嚇射撃を躱しながら接近を
試みた。操縦桿の動きに比例し、蛇楼が相手に向かっていく。
相手は接近をぎりぎりまで許していた。増備品を見る限り、対戦
相手も接近戦に特化しているのがまるわかりである。自分の間合い
に引き込んだところで、一気に加速して勝負を仕掛けてくるつもり
なのだろう。
そこで、スバルはリミッターを解除してみた。
蛇楼にのみ許された特殊コマンドを入力すると、ダークレッドに
塗装された鋼のボディが輝き始める。青白い光を関節部から噴出さ
せつつも、蛇楼は一気に対戦相手との間合いを詰めた。一瞬のでき
ごとに、相手は反応しきれていない。新規追加機体がやってくる特
殊システムは、完全な初見殺しだった。
チャンスだ。
相手が対応しきれてないのをいいことに、スバルは初撃を打ち込
んだ。ダガーとナイフで刻み込み、刀でダメージソースを稼いでい
く。
銀の刃が相手の細いボディを一閃した後、敵が吹っ飛ばされた。
そのまま行けばダウンし、起き上がりまでに無敵判定がつくことだ
2163
ろう。だがスバルはそれを許さない。リミッターを解除し、武器の
発生速度が上がったのをいいことにチェーンアンカーを差し込んだ。
まっすぐ飛んで行ったアンカーが対戦相手を捕まえ、蛇楼に引き寄
せる。
再び加速すると、蛇楼は先程と同じコンボを相手に打ち込んだ。
コンボの締めを斬り終えた際、スバルは確かな手ごたえを感じなが
ら息を飲む。
行ける。
これならダークフェンリルの時よりも確実に、そしてワンチャン
スで相手を仕留められる。コンボの研究こそ必要だが、リミッター
解除時に武器の発生が短くなっているのであれば、可能性が大幅に
広がってきた。
今の装備に拘らずとも、様々な組み合わせで一撃必殺を狙える。
この日、スバルは歓喜の笑みでNEXTの筐体を触り続けた。
占拠し続けてマナー違反だと騒がれ、店員さんに二度目の注意を
受けるまで彼の快進撃は続く。
一週間後、決戦の舞台に上がる事になる﹃ダークヒュドラ・マス
カレイド﹄誕生の瞬間だった。
2164
第165話 vs姉妹と悪口と病原菌
新人類王国史上、最悪の失態から1週間以上が経過したある日の
ことである。カノン・シルヴェリアとアウラ・シルヴェリアは姉妹
仲良くベットの上で寝転んでいた。ただ惰眠を貪っているのではな
い。彼女たちはふたり揃って包帯だらけだった。
﹁姉さん、リンゴとって﹂
﹃ん﹄
機械音声が僅かにノイズになって響く。
カノンは歩けない妹の為にうさぎさん状に切りそろえられたお見
舞いの品を取ってあげると、再びベットに腰を下ろす。怪我の状態
だけで言えば、カノンの方が軽傷だった。グスタフによってへし折
られた腕は首からぶら下がっている物の、アウラのように足を固定
しなければならない状態ではない。自由に動けるだけマシというも
のだ。
心底つまらなさそうな顔でフォークを突き刺すと、アウラは口を
開いた。赤い耳を口に含む前に、姉に問いかける。
﹁組織形態が変更されるって本当?﹂
﹃うん。アトラスから聞いた﹄
予想しなかったわけではない。
王国の顔のひとつともいえるグスタフを倒したのは自分たちだ。
トドメを刺したのはアトラスだが、そこに至るまで追い込んだのは
間違いなく自分たちなので、その辺は胸を張っておく。
2165
﹃グスタフは死んで、タイラントは意識不明の重体。王子のディア
マットは死亡だって﹄
﹁3分の1は私たちの手柄だけど、ここまでやられちゃ流石の新人
類王国もすぐには立ち直れないでしょ。特にグスタフとタイラント
はすぐに代わりの人材が見つかるとは思えないし﹂
﹃国王が代わったのには驚いたけどね﹄
怪我で倒れてていたシルヴェリア姉妹の耳にも、ペルゼニア女王
降臨のニュースは届いている。既に彼女の指揮の元、カイト達の捜
索は開始されているのだそうだ。
ただ、そう簡単に見つかるとは思えない。
彼らは異次元の波の中に飛びこんだのだ。広大な大地どころか、
銀河までも続くと言われている亜空間の穴。そんな場所から生存し
ているかもわからない彼らを探すのは、ほぼ不可能だ。瓦礫の山の
中から一粒の砂を探し当てるような作業である。それこそ、向こう
から連絡でも取ってこない限りは見つけられないだろう。
﹁姉さん。あれからリーダーたちから連絡は?﹂
﹃ないよ﹄
不貞腐れた表情のまま、アウラが問う。
頬を膨らませる気持ちもわかる。折角命がけでグスタフと戦った
のに、カイト達は何も言わないまま逃げ出してしまったのだ。途中
で迷宮が造り替えられたとはいえ、置いてけぼりにされたのはちょ
っとムカつく。これが大恩あるカイトたちでなければ、雷を落とし
ていたところだ。
まあ、それでも連絡を取ってこないことを咎められない理由があ
った。
この半年もの間、彼らは死ぬ物狂いで戦ってきたのだ。生きて逃
2166
げ切れた保証はどこにもないのだが、仮に生き延びていたとしたら、
どうか平和な場所で穏やかに暮らしてほしいと思う。
その場所に自分たちがいないのは寂しいが、彼らが平和であれば
それでいい。カノンとアウラの両者の見解であった。ゆえに、アウ
ラも不貞腐れた顔のままではない。
リンゴを貪り終えると、フォークをお皿の上に放り投げてから再
びベットへと倒れ込んだ。
﹃行儀が悪いよ﹄
﹁いいんですー! 私たちだって名誉ある負傷なんですよ? これ
を機にリラックスしましょ﹂
この前取得した有給休暇も、新生物に食い散らかされて大変だっ
た。お陰でダークストーカーは大破。帰ってから始末書を書かされ
た始末である。
﹁そういえば、アキナとアトラスはどうしたんですか?﹂
何気なく聞いてみる。
聞けば、アトラスはカイトに殴られたという。病的なまでの信仰
心を持つアトラスが、明確に拒絶されてしまったのだ。今度は誤解
もなにもありゃあしない。
正直に言って、次は何をしでかすか全く読めない。
それが不気味で仕方がなかった。
﹃グスタフの後釜に任命された後は、公認手続きとかで忙しいみた
い。急な交代だから、すぐに行動に移すことはないと思うよ﹄
﹁その場合、私達も駆り出されそうなのが辛いですよね﹂
﹃そういう意味で言うと、当面の問題はアキナだね﹄
﹁なにかやらかしたんですか?﹂
2167
﹃逆。迷宮の中でリーダーたちと遭遇できなくて、すっごく悔しが
ってた。八つ当たりしそうなくらいに﹄
﹁うわぁ⋮⋮﹂
現在どんな姿勢で仕事に向かっているのかは知らないが、お見舞
いに来て欲しいとは思えない情報だった。彼女のことは決して嫌い
ではないのだが、感情の向く先がストレートすぎるのが偶に傷であ
る。
彼女が荒れれば、それだけこちらが被害を被るのだ。
﹁退院したら即トレーニングにつき合わされそう﹂
﹃そんなことしてる余裕もないと思うな。ブレイカーが支給される
らしいし﹄
﹁え、そうなんですか!?﹂
それは初耳だった。
元からブレイカーに興味を抱いていた自分たちなら兎も角、あく
まで己の身体を使った勝負を好むアキナにブレイカーが支給される
とは思いもよらなかった。アキナ本人もブレイカーの所持は否定的
である。
﹁なんだってまた﹂
﹃ブレイカーさえあれば、星喰い︵スターイーター︶や新生物との
戦いでも出撃できたし、今回の件でも積極的に前に出てこれたから﹄
トリプルエックス
理由を聞いて納得できてしまった。
アキナはXXXの中でも特に戦闘狂だ。自らの闘争本能を満たす
為なら、なんだって使う。毛嫌いしていたブレイカーでさえも、だ。
だが、アウラは此処でひとつの可能性に辿り着く。
2168
﹁姉さん。もしかして、だけどさ。アトラスも?﹂
﹃うん﹄
予想通りの返答が頷きと共に返ってきた。
﹃グスタフの後釜に就任した後、すぐに命令を出したそうだよ。技
術チームが早速着手してる﹄
﹁今から着手させてるって事は、間違いなく新型ですよね⋮⋮よほ
ど仮面狼さんにリーダー取られたのが悔しいのかな﹂
誤解を招きそうな発言だが、大体あっているのでカノンは敢えて
なにも否定しない。ただ言える事は、アトラスやアキナがブレイカ
ーに乗ってスバル達を襲撃しようものなら身体を張って止めなけれ
ばならないと言う事だ。
彼らはきっと、どこかで無事に暮らしている。
だが、平穏な時は長くは続かない。もしも見つかれば、その時は
彼らの粛清が入るだけだ。
その時に備え、自分たちもしっかりと準備をしておかなければな
らない。
﹁姉さん、携帯鳴ってますよ﹂
﹃うん﹄
思考を中断させる振動音が鳴り響くと、カノンは片手で器用にロ
ックを解除する。メール発信者の名前は﹃赤猿さん﹄だった。予想
だにしなかった連絡先に驚き、カノンは画面を開く。ここ最近、戦
争に巻き込まれそうだから避難すると言って音信不通になったばか
りだった。
﹃赤猿さんからだ﹄
2169
﹁オフ会のお誘い?﹂
﹃待って﹄
メールを展開し、本文を黙読する。
興味深い内容のメールだった。
﹃弟子が全国区プレイヤーに勝負を挑むんだって﹄
﹁弟子って、赤猿さんの?﹂
アウラが顎に指を当て、赤猿と名乗る少年の顔を思いだしはじめ
た。
名前通り、猿っぽい顔をした男だった気がする。後、女性にとて
もだらしない。オフ会当日、早速姉に手を出してこようとした男だ
った。
そんな赤猿が、避難先で弟子を作って全国区プレイヤーと勝負す
る。
正直に言ってしまうと、アウラにはあまり興味が湧かない話だっ
た。
﹃避難先のゲーセンを貸し切って決闘するんだって。知り合いには
動画にして送ってくれるみたい﹄
﹁なに、姉さん興味あるんですか?﹂
﹃うん。とっても﹄
我が姉ながらになんとお人好しなんだろう。
アウラは溜息をついた。女性であれば即座にナンパしにかかるよ
うな品性の欠片も無いサルの弟子くらい、放っておけばいいのに。
どうせ赤猿に似て、女にだらしのない奴なのだろう。まだ見ぬ赤
猿の弟子の顔を勝手にイメージしつつ、アウラは言う。
2170
﹁じゃあ、動画を楽しんでください。相手が私の知ってる人かは知
りませんが、尻の赤いお猿さんの弟子に期待するだけ無駄かと思い
ますよー﹂
﹃私たちの上司だって名乗ってるらしいけど﹄
ベットの上で寝転がっていたアウラが、血相を変えて起き上がっ
た。
一瞬で顔面が汗だくになっている。
﹁じょ、じょじょじょじょ上司ぃ!?﹂
﹃うん。因みに、対戦相手は登録名をマスカレイド・ファルコって
改名したんだって﹄
﹁何してんのよあの人たちは!﹂
アウラは力の限り叫んだ。
その一言には様々な感情が入り乱れているのが見て取れるが、一
番の興奮材料はやはり、
﹁なんでよりもよって赤猿の弟子なのよ! 誰!? 誰なの、姉さ
ん。赤猿の弟子にまで落ちぶれた人は!﹂
﹃アウラ、あんまり人の悪口言うのはよくないよ﹄
﹁姉さんはもう少し友達になる人を選ぶべきです! いや、仮面狼
さんは合格だけど!﹂
興奮冷めやらぬアウラを宥めつつも、カノンは思う。
果たしてカイトが弟子入りしたと伝えていい物だろうか、と。妹
が赤猿を毛嫌いしているのは知っていたが、まさかここまで拒絶反
応が来るとは思わなかったのだ。
恐らく、赤猿本人も理解していまい。
2171
彼はアウラに連絡先を教えた直後、即座にブロックされた実績を
持っていた。
﹁姉さん、電話させて! 今すぐ赤猿に雷落としてやるから! リ
ーダーたちをあんな奴に接触させたら駄目。身体が腐ります!﹂
﹃アウラ。人をそんな病原菌のように言っちゃだめだよ﹄
今にも骨折した足のまま飛び出しかねない妹を宥めつつ、カノン
は思う。
まさかアトラスやアキナが暴れ出す前に、妹が暴れ出すとは。世
の中って何が起こるのかわからない。
親愛なるリーダーと師匠の激突も含め、心底そう思った。
2172
第166話 vs姉妹と赤猿と生存報告
特訓を終えた夜のことだ。
この日、スバルは住民たちに話しかけることなく無心のまま夕食
をとっていた。集まった住民たちの目から見ても、明らかにハイペ
ースである。昨日と同じようにカイトを避けようとしているのだろ
う。
ただ、昨日と違う点がある。
食べる量が明らかに増えた事だ。
﹁スバル君、もっとよく噛まないと私のように美しくなれないぞ!﹂
真正面に座するアーガスが高笑いしながら言うが、スルー。
スバルは黙々と食料を胃に流し込んでいった。まるで次の日に備
えて栄養を過剰に補給しているようにも見える。日本人である彼の
為に用意された御飯茶碗には、既に五杯目の白米が盛られていた。
﹁どうしたんだ、あいつ﹂
嘗てない食欲を目の当たりにして軽く退いているエイジが、小声
でシデンに問いかける。ゲーセンの特訓帰り、スバルの様子を見た
のは近くの職場で務めるシデンだけだ。
﹁なんか今日はコツを掴んだらしいから、明日は送り迎えしなくて
いいって言ってたよ。御飯もいらないって﹂
﹁それじゃあ、明日の分も食ってるって事か?﹂
なんとも馬鹿らしい話であるが、見てるだけで胸焼けしてくる食
2173
いっぷりを披露されると否定できない。ぶくぶくとお腹だけが膨ら
んでいく姿は、まるで風船のようにも思えた。
﹁いいねぇ、スバルちゃん! もっと作るからじゃんじゃんお食べ
!﹂
﹁ありがとう、おばちゃん!﹂
大家のおばちゃんも本来は健康面を考えて止めるべきなのだろう
が、戦いに挑む青少年の背景を知っているので全力で応援にかかっ
ている。おばちゃんは若者が後先考えず頑張る姿が大好きなのだ。
これだけでご飯を三杯はたらいあげられるらしい。
﹁ところで、﹂
そんな中、食卓を静寂のどん底に陥れる声が響いた。
神鷹カイトである。彼はマイペースに米粒を貪りつつ、スバルに
話しかけた。
﹁お前の友人と会ったぞ﹂
﹁あ?﹂
空気を読んでいるのかいないのか、彼はいつものペースのままだ
った。まあ、言い方は悪いが気まずくなっているのはスバルだけで
ある。当のカイト本人は、スバルに対して憤りなど全く感じていな
いのだ。
スバルにとってはそれ自体が憤りを感じる話なのだが、それでも
彼の話には耳を傾ける価値がある。
﹁友人?﹂
﹁ああ。サルとか名乗ってた﹂
2174
﹁赤猿君だね﹂
第一印象で名前を決める癖は健在なようで、最初は首を傾げると
ころだったが、やはりカイトの隣に陣取るエレノアがフォローして
くれたおかげで誰のことなのかすぐに理解できた。
途端に、スバルの表情が明るくなる。
﹁赤猿!? あいつ、ここに住んでるの!?﹂
﹁少し前に避難してきたんだそうだ。俺が通ってるゲームセンター
に入り浸ってるらしい﹂
学校をさぼって、とは付け加えなかった。
現役教師であるヘリオンがいたからである。カイトの特訓を見て
もらう代わりに、サボタージュを黙っていてくれと頼まれたのだ。
ヘリオンが彼の教師なのかまでは知らないが、念には念を入れて
おく。
﹁誰なの、その動物園にでもいそうな野生児﹂
﹁言っておくけど、本名じゃないからね﹂
友好関係に若干の疑問を抱き始めたシデンに対し、スバルは手早
く赤猿のフォローに入った。
﹁赤猿は俺のネット仲間だよ。ブレイカーズ・オンライン全国大会
で知り合って、そのまま意気投合したんだ﹂
﹁会ったことあるのか?﹂
﹁あるよ。その時にカノンや妹さんと知り合いになったし﹂
﹁じゃあ、対戦とかもやったことあるんだ。戦績はどうなの?﹂
﹁一応、俺が勝ち越してる﹂
2175
その一言が出た瞬間、カイトが僅かに唇を尖らせた。
彼はこの日、夜天狼の稼働テスト名目で行われた赤猿とのマンツ
ーマンバトルに負け越していたのだ。その辺のショッププレイヤー
を瞬殺できても、全国区となるとまだまだ立ち回りが甘いのだと思
い知らされた。夜天狼と装備の扱いに慣れていないのもあるのだが、
負けは負けである。明日すぐに取り返す、とムキになって考えてい
ると、話題の続きがあるのを思いだした。
﹁その赤猿だが、来てるぞ﹂
﹁来てるって、どこに?﹂
﹁近所の公園﹂
﹁はぁっ!?﹂
なんで話さないんだよ、とでも言わんばかりにスバルが勢いよく
立ち上がった。
﹁あの。なんでもっと早く話さなかったんですか?﹂
お腹が膨れ上がっているスバルに代わり、マリリスが問う。
すると、カイトは真顔のまま答えた。額に一筋の汗が流れる。
﹁随分長い間食べてたから、話すタイミングを逃がした﹂
﹁お前、結構抜けてるよな⋮⋮﹂
訝しげな視線がカイトに突き刺さったと同時、スバルは両手を合
わせて席を立った。
2176
時刻は夜の19時。
季節も変わり、肌寒くなってくる頃だ。食べたばかりで膨れ上が
ったお腹には中々堪える。
ちょっと吐き出しそうになるのを我慢しつつ、スバルは公園へと
と辿り着いた。少々急いできた為か、若干息が上がっている。
﹁よう、久しぶり!﹂
﹁赤猿!﹂
待ち人はすぐに見つけた。
学生服を着崩しており、少々背の小さい赤毛の少年はスバルに笑
いかけながら近づいてくる。
﹁ごめん。待たせた?﹂
﹁いんや、全然。まあ、立ち話もなんだしこっち来いよ﹂
近くに設置された椅子に誘導すると、ふたりの少年は腰を下ろし
た。
息を整え、スバルは話を切り出す。
﹁避難したって聞いたけど﹂
﹁ああ。故郷が宣戦布告されてな。家族まるごと引っ越してきた﹂
﹁そうなんだ。大変だったんだな﹂
約1年ぶりに顔を合わせた友人との再会は、素直に喜べるもので
はなかった。この島国には戦火から逃れる為、様々な国から避難民
が集まってくる。そうした事情は聞いていたが、まさか友人も巻き
込まれていたとは。
2177
そういう話を聞いてしまうと、他人事とは思えなくなる。
﹁お前だって大変だったんだろ。色々と聞いたぜ﹂
赤猿の発言に、スバルは胸を痛めた。
彼にスバルのことを伝えたのは、考えるまでも無くカイトだ。彼
が何処まで喋っているのかは知らないが、逃げる為に嘘をついたこ
とを責められるのではないかと身構えてしまう。
﹁親父さん、もう亡くなったんだってな﹂
﹁⋮⋮うん﹂
﹁なんで話してくれなかったんだよ。みんな心配してたんだぜ﹂
﹁ちょっと、そんな余裕も無くてさ﹂
その辺については事実だった。
連絡を取ろうにも、次々と現れるトンでも集団を相手にしていて
そんな暇は無かったし、そもそも連絡手段はカイトがぶっ壊してし
まっている。
﹁携帯は?﹂
﹁壊れた﹂
﹁じゃあ、貸してやるよ﹂
スマートフォンを差し出された。
突然手を突き出され、どうしたのかと首をひねる。
﹁連絡しとけよ。他はともかく、こいつは暫く荒れてたんだからさ﹂
電話帳を開くと、赤猿はある人物のプッシュした。
﹃デスマスクちゃん﹄である。通話待ちの画面になると、赤猿は
2178
無言のままスバルに手渡した。彼なりの気遣いである。
ただ、デスマスクことカノンがスバル引退の件で荒れた後、再開
して大暴れしたのは記憶に新しい。
どうやら赤猿はあのままカノンと連絡を取り合っていない物だと
思っているようだ。それならそれで遠慮しようかと思ったが、よく
考えたら王国から逃げた後に連絡を取っていない。脱走した後の王
国の情勢も含め、一度連絡した方がいいと考え始めた。
赤猿からの好意を受け取ると、スバルはスマートフォンを耳に当
てる。
ややあった後、回線が繋がるノイズ音が聞こえた。
﹁もしもし︱︱︱︱﹂
﹃くぉらぁ、赤猿! アンタ、ウチの上司に変な事をしてないでし
ょうね! 弟子をとるならアンタに御似合いの子がいるから動物園
のゴリラでも勧誘しときなさい!﹄
きーん、と耳鳴りがする。
横で聞いていた赤猿ですら耳を塞いでいた。スバルは耳に残る痛
みを堪えつつ、回線の向こうにいるであろう人物に話しかける。
﹁あ、あの。妹さん?﹂
﹃あ、あれ? もしかして仮面狼さん?﹄
﹁うん。そうだけど⋮⋮どうしたの一体。カノンは?﹂
﹃あ、あの。これは、その! 違うんです!﹄
﹃アウラ、どうしたの? 顔が凄い真っ赤になってるけど﹄
横からカノンのノイズ音が聞こえた。
スバルは代わるように伝えようとするが、その前にアウラが泣き
2179
そうな口調で姉に懺悔する。
﹃姉さん、どうしましょう。私、仮面狼さんに怒鳴っちゃった⋮⋮﹄
﹃ええっ、師匠が!? か、代わって!﹄
カノンも赤猿名義の電話からスバルが出てくるとは夢にも思わな
かったのだろう。自己嫌悪に陥っている妹のフォローをする余裕も
ないまま、彼女は電話に出る。
﹃もしもし、師匠ですか!?﹄
﹁お、おう。師匠だよ﹂
﹃うわあああああああああああああああああん! 師匠、生きてて
よかった!﹄
二度目の耳鳴りがした。
しばし落ち着くのを待った後、スバルは咳払いをしながら話しか
ける。
﹁もういいかな?﹂
﹃は、はい。すみません、取り乱しました﹄
﹁いや、いいんだけどね。連絡をよこさなかった俺達も悪いんだし﹂
この辺に関しては特に申し訳ないと思っている。
1週間忙しかったとはいえ、まともに連絡をとらなければ心配さ
せるだけだ。念の為言っておくが、決して存在を忘れていたわけで
はない。決して。
﹃ところで師匠。赤猿さんからお伺いしたのですが、﹄
早速近状報告をしようと口を開きかけた瞬間、弟子が切りだして
2180
きた。
﹃どうして師匠とリーダーが戦う流れになってるんですか?﹄
﹁うっ﹂
﹃う?﹄
いきなり痛い点を突かれて、スバルが唸った。
反射的に隣の赤猿を睨みつける。彼は笑顔のままガッツポーズを
していた。なにを勘違いしてるのか知らないが、無性に殴り飛ばし
たい。
﹁う、うう⋮⋮実は﹂
非常に情けない話なので言いたくは無かったが、ここ最近無視し
てしまった為に強く言い返せず、ついつい本当のことを話してしま
った。
それこそ、自分の格好悪い本音を含めて全部である。
﹃リーダーがゲームをやり始めたんですか!?﹄
ただ、カノンの興味を引いたのはスバルの自己嫌悪ではなく、カ
イトがブレイカーズ・オンラインをプレイし始めた点だった。
やっぱりカイトさんなのかな、と思いつつもスバルはカノンの言
葉を待つ。
﹃意外ですね。小さい時は、どっちかというと特撮とか見ている方
でしたから。いやぁ、でも次に会う時が楽しみですね! 私とも是
非勝負していただきたいです!﹄
﹁な、なあカノン?﹄
2181
盛り上がり始めるカノンに向けて、スバルはおずおずと切り出し
た。
﹁カノンのイメージでいいんだけどさ。俺とカイトさんがやりあっ
たらどっちが勝つと思う?﹂
﹃リーダーじゃないんですか?﹄
即答されてしまった。
信頼ある弟子だと思っていたのに、1秒も迷うことなく返答され
た。蛍石スバル、16歳。今までで一番ショックが大きい。
﹃でも、私としては比べる意味はないと思いますよ﹄
﹁⋮⋮なんで?﹂
力なく聞き返すと、カノンはこれまた迷うことなく続ける。
﹃だって、師匠はリーダーを倒す為にゲームしてたわけじゃないん
ですよね?﹄
﹁それは、そうだけど﹂
﹃師匠は確かに凄いお方です。でも私とって、リーダーも同じくら
い凄いお方です﹄
﹁同じくらいなのに、負けるのは俺なの?﹂
﹃戦いの分野であの人に勝てる人は居ません﹄
﹁待って﹂
聞き方が悪かったのか、なんだかすごい勘違いをされているよう
な気がした。
スバルの静止の声を無視したまま、カノンは己の言葉を紡ぎ続け
る。
2182
﹃師匠は、リーダーに勝ちたいんですか?﹄
﹁⋮⋮うん﹂
﹃リーダーはいかなる戦いでも勝つ為に育成されてきました。師匠
は、あの人の何に勝ちたいんでしょうか﹄
﹁なに、に?﹂
﹃それが見えないと、勝てる勝負も勝てません﹄
﹁⋮⋮カノンさ﹂
珍しく意地悪な言い回しをする弟子に対し、スバルはちょっとし
た苛立ちを覚えながら問う。
﹁なんか楽しそうだよな﹂
﹃あ、すみません。お気を悪くしないでください。ちょっと、羨ま
しいなって思っただけですから﹄
﹁羨ましい?﹂
﹃はい。だって、私たちはリーダーに面倒を見てもらった経験があ
っても、遊んでもらったことはないですから﹄
遊んでもらったことがない。
その言葉が、スバルの中に浸透していく。
やがて彼は、誰にでもなく呟いた。
﹁⋮⋮そういえば、俺。あの人とまともに遊んだことないや﹂
毎日一緒にいるのが当たり前すぎて気付けなかったが、振り返っ
てみれば、4年もの共同生活であの男と一緒に何かに興じた事はな
い気がする。
その事実に気付いた瞬間、少年は肩から力が抜けていくのを感じ
た。
2183
第167話 vs楽しみ
﹁4年間同居して遊んだことがないっ!?﹂
あまりの発言を前にして、エイジが机を思いっきり叩く。
人数分配られたコップが一瞬宙に浮かび、再び着地した。容器の
中に注がれたオレンジジュースが揺れる。
﹁冗談でしょう?﹂
﹁本当だ﹂
シデンの疑いの眼差しを受けつつも、カイトは腕を組んだまま答
える。
彼はあくまでマイペースに、冷静な態度のまま続けた。
﹁蛍石家に転がり込んだ時、アイツは12歳だった﹂
﹁まあ、計算したらそうなるね﹂
﹁当時の俺は拾ってもらった手前、なんとか働いて飯の分を返さな
ければならないと躍起になっていた。だからスバルよりもマサキに
足が行く﹂
何度かスバルに助けを求めることもあったが、それらは全てビジ
ネス上での副産物だ。カイトは自分から遊びに誘った事はない。こ
の当時はエリーゼとの一件もあり、カイトは他人との距離をとりた
がっていた。
﹁ついでに言うと、スバルには既に友人がいた。俺が働いている間、
アイツは友達とゲームをしてる。帰ってもゲームをしてる。アイツ
2184
は俺が家にいても、やることが特に変わらない﹂
強いて言えば、勉強の手助けくらいだろうか。
中学に入学してテストの点数が重要視されてから、やけに教えて
くれとせがまれた気がする。スバルと長い間会話したのも、テスト
勉強くらいだった筈だ。受験シーズンは濃厚な時間を過ごしたと思
う。思い出しただけで隈が出来てしまいそうだ。
トリプルエックス
﹁信じられません。あんなに仲が良さそうなのに﹂
﹁確かに。君たちの間には、XXXとは違う信頼関係があるように
思えたのだがね﹂
マリリスやアーガスが疑問の言葉を投げるが、それでも事実は変
わらない。長時間勉強を教えた事で多少懐かれたのだろうが、それ
だけだ。
その関係に少し変化が訪れたのは、マサキの死後になる。
﹁マサキが死んだとき、俺は世話になった蛍石家の為にスバルを助
け出さないといけないと思った﹂
ところが、だ。
そこから予定外の出来事が多々あった。スバルによってゲイザー
をやりすごし、シルヴェリア姉妹やエイジたちと和解するきっかけ
ができた。
ずっと隠してきた弱みを見せても、彼は変わらず接してくれた。
﹁多分、アイツを友達だって認識したのはアキハバラでサイキネル
とやりあってた時だ﹂
﹁ああ、お前が土下座した奴か﹂
﹁あれはカイちゃんが9年ぶりにデレた貴重なシーンだったね。今
2185
度ヘリオンの為にも録画しようよ﹂
﹁やかましい﹂
﹁そんなことがあったのか⋮⋮﹂
ちょっと残念そうに俯くヘリオンを睨み、黙らせてからカイトは
続ける。
﹁でも、考えてみたらアイツと友達らしいことをした記憶は何一つ
ない﹂
﹁ううん、言われてみれば確かに⋮⋮﹂
カイトと比べれば付き合いは短いが、それでも半年近くふたりの
近くにいたエイジたちですら唸り始めた。アメリカで星喰い︵スタ
ーイーター︶との戦いに備えていた時、カイトはほぼイルマに付き
纏われて司令官としての仕事をこなしていた。
トラセットでの新生物の一件でも、早い段階で別行動をとってい
たのだ。アキハバラから芽生えた感情なのだとしたら、確かに遊ぶ
時間が無かったように思える。
﹁だから、今回の件は正直に言うと楽しみなんだ﹂
楽しみ。
そんな言葉がカイトの口から出たことに、仲間たちは騒然となる。
隣で退屈そうにあやとりをしていたエレノアに至っては、椅子から
転げ落ちていた。
﹁なんだ、その反応は﹂
﹁いや、なんというか⋮⋮ちょっと、意外で﹂
てっきりいつもの調子で﹃来るなら来い。ぶっ壊してやる﹄と言
2186
わんばかりの勢いでスバルを叩きのめすつもりなのかと思ってしま
った。ヘリオンは申し訳なさげに後頭部を掻くと、確認の意を込め
て問いかける。
﹁じゃあ、スバル君を怒らせるように誘導したのかい?﹂
﹁まさか。そこまで器用じゃない﹂
ただ、思う事があったのは事実だ。
﹁獄翼やチョンマゲの一件で、アイツは精神的に相当参っていた。
だから、職に就けなかった俺がなんとかフォローできればいいと思
ってな﹂
﹁それで普段やらないゲームに手を付けたわけ?﹂
﹁ああ。アイツに何かあった時のことを考えて、常に獄翼の操縦に
は目を光らせていたのが幸いしたよ﹂
幸いというよりかは、不幸であると仲間たちは考える。
なんの因果か、スバル負傷の時のことを考えてブレイカーの操作
を観察していたのが本人を追い込んでいようとは。皮肉であるとし
か言いようがない。
﹁アイツが俺に対して憤りを感じているのは理解している﹂
カイトはトラセットでの出来事を思い出す。
自分が眠っている間に、スバルは同じ旧人類の友人を得た。だが
彼は新人類の優秀な兄に対し、コンプレックスを抱いていたのだ。
結果として、それが災いに発展してしまったのはよく覚えている。
﹁今のアイツはアスプルに似ている﹂
﹁ほう﹂
2187
兄のアーガスが僅かに眉を動かす。
﹁多分、似たような悩みを抱えている筈だ。なんとなくだが、雰囲
気が似ている﹂
﹁⋮⋮だとすれば、危険ではないかね﹂
弟の末路を知っているがゆえに、アーガスは慎重になる。
というか、そこまで理解できているのであれば少しはフォローし
ろと言いたい。
﹁カイト。僕はアスプルという人物について深くは知らないから言
及する気はない﹂
ヘリオンが眉間にしわを寄せ、射抜くようにしてカイトを見る。
僅かに放たれた威圧感を物ともせぬまま、カイトはヘリオンの言
葉を待った。
﹁だが、そこまで気付いているのならもう少し彼のプライドを尊重
してやったらどうだ。付き合いが長いなら、君の方がよく理解でき
ているだろう﹂
たった1週間程度の付き合いしかないヘリオンだってスバルが悩
んでいるのを理解してしまったのだ。誰よりも近くにいたこの男が、
少年の逆鱗に気付かない訳がない。
ところが、
﹁なぜだ﹂
﹁なぜって﹂
2188
﹁勝負を仕掛けてきたのはアイツだ。俺にとっては願ってもない話
だが﹂
﹁なんとか解決した後に、また誘えばいいだろう!﹂
﹁それだと意味がない﹂
今にもカイトに飛びかかってしまいそうなヘリオンを一瞥し、カ
イトは言う。
﹁アイツは今、心のどこかにある爆弾を抱え込んでいる﹂
﹁爆弾?﹂
﹁自分が壊れる爆弾だよ﹂
なにかの比喩だろうか。
珍しくハッキリしない物言いをするカイトに訝しげな視線が集中
する。
﹁昔は⋮⋮いや、ちょっと前かな。俺もそうだった﹂
エイジとシデンに視線を向け、またヘリオンに戻す。
半年前に襲い掛かってきた圧迫感は、あれから一度も襲い掛かっ
てはこない。
﹁でも、それは自分の首を絞めてるだけなんだ。自分で勝手に結論
付けて、自分で苦しんでる﹂
﹁それなら、尚更﹂
﹁だから、自分で気付かなきゃいけない﹂
言っちゃあなんだが、スバルは自分以上に頑固だというのがカイ
トの評価である。今、自分が言葉を投げてもきっと逆効果だろう。
多分、スバルには言葉以外の方法が一番いい。
2189
﹁なあ、ヘリオン。お前、友達いるか?﹂
突拍子もない質問だった。
問われた本人は戸惑いつつも、ここに来てから出会った何人かの
人物の顔を思い浮かべつつ、いう。
﹁いるよ﹂
﹁そうか。なら、友達と遊んでる時って、自然と楽しくなると思わ
ないか?﹂
﹁それは、﹂
状況にもよるのではないか、と言いかけたところでヘリオンは気
づく。
カイトがやろうとしている﹃荒治療﹄に、だ。
﹁待て。僕は君の考えに賛同できない﹂
﹁まだ何も言ってないが﹂
﹁なんとなくわかった。正直、君がそんな精神論で来るとは意外だ
ったよ﹂
﹁変わったんだよ。良い傾向だろ?﹂
﹁ああ、確かに。できればもっと早いうちに今の君と出会いたかっ
たね﹂
﹁そうか﹂
ちょっとした皮肉で言った冗談も、カイトは平然とした態度で受
け流した。こんなところは何時も通りだった。
﹁これはゲームだ。君は知らないかもしれないが、ゲームが発端に
なって友人同士が絶縁状態になることだってある﹂
2190
教育者としての経験だった。
ヘリオンは過去に、そういった出来事で疎遠になってしまった子
供の姿を見たことがある。
﹁やるにしても、もっと手段を選ぶべきだ﹂
﹁選んでるよ。だから赤猿はアイツと友人になれた。カノンも、ア
ウラも﹂
俗に言う友情破壊ゲームが存在していることはカイトも承知済み
だ。
しかしブレイカーズ・オンラインに関して言えばそんな心配はし
ていない。既にスバルが実績を立てている。
﹁それに、アイツが抱えてる爆弾はこのゲームに関係している。俺
とこのゲームから目を離すようなことがあると、そのままズルズル
と引きずるだけだ﹂
だからこそ、決闘宣言は都合がよかった。自分の目的とも合致し
ていてわかりやすい。
意識していなかったとはいえ、スバルを傷つけたのは素直に申し
訳ないと思っている。だが遅かれ早かれ、いずれ訪れた問題のよう
にも思えた。
﹁ヘリオン、俺は真剣にアイツと向き合うよ。その為にこの1週間、
本気でこのゲームをやるつもりだ﹂
﹁君が勝ったら、彼はどうなる?﹂
﹁真剣勝負で手を抜かれて、それで勝ったところで嬉しいと思うか
?﹂
2191
首は縦に振る事が出来なかった。
今日のスバルの様子を見ても、真っ向勝負に対する入れ込み具合
は半端ではない。だからこそ不安に思う。傍から見て、スバルのゲ
ームに対する情熱は異常だ。ヘリオンは湧き上がる頭痛を抑えるよ
うにして、手を添えた。
﹁彼は、自分にはこれしかないって言ってたぞ。ああいうタイプは
思い詰めたら厄介なんだ﹂
﹁そうだろうな。実際、否定材料はあんまりない﹂
ヘリオンの不安を感じとったのか、カイトは柔和な笑みを作る。
穏やかな表情のまま紡がれる言葉は、ヘリオンの感じる不安要素
を吹き飛ばすかのようにして放たれる。
﹁でも、俺はアイツと本気で遊べるのを楽しみにしてるよ。俺がそ
ういう気持ちになってるっていうのじゃ、説得力に欠けるか?﹂
ヘリオンは溜息しか出てこなかった。
2192
第168話 vs勝ち負け
この4年間を思い返してみれば、自分の人生は常に画面の中を睨
みっぱなしだ。
蛍石スバル、16歳。住み込みバイトと共に長い間過ごしてきた
が、その視線は常にゲームを注視していた。本音で語り合った事も
あるが、ぶつかったことはない。
当たり前だ。
トリ
自分と彼とでは経験値が違い過ぎる。スバルがレバーを動かして
プルエックス
いる間、カイトは生きる為に様々な所業をおこなってきたのだ。X
XXの身体育成はそれだけえげつなく、確かなものだ。始めてやっ
たゲームでさえも活かされる程に。
﹁⋮⋮もしかして、あの時の台詞ってそういう意味?﹂
頭を抱え、決闘宣言を受け入れたカイトの言葉を思い出す。
偶にはお前と真剣に興じてみるのも悪くないとか、とんな感じの
ことを言ってた気がする。若干上から目線なのが非常に気に入らな
いが、長い付き合いの中で遊んだことがないのは確かだった。
少なくとも、それらしいことをした記憶がない。
﹁よく知らないけど、あの人何者なんだ? 前のオフ会には来てな
かったけど﹂
﹁ウチの店で働いてたバイト﹂
赤猿の疑問に簡潔に答えつつ、スバルは思う。
4年間共に生活してきたと言っても、カイトはアルバイトだった。
勉強を教えて貰ったり、雑談したことはあっても遊んだことはない。
2193
スバルが学校から解放されれるまでの間、彼は仕事をしてるし、解
放された後も同じだ。
﹁あれ、レジスタンスとか聞いてたけどな。だから、てっきりお前
もそういう組織に組み込まれたのかなとか思ってたけど﹂
﹁⋮⋮悪い。この辺はあんまり深く話せないんだ﹂
﹁なんだ。内緒って奴か?﹂
﹁というより、話せば日が暮れる﹂
ただの住み込みバイトと店主の息子でしかなかった関係に変化が
あったのは、あの運命の日からだったとスバルは認識する。
アーガスが、メラニーが、マシュラがやってきて、父が死んだ。
その時、何が起こったのかは細かくは知らない。スバルはその時、
バトルロイドに連れられて大使館へと運ばれていった。
そんなスバルを解放しに来たのがカイトだ。彼は王国最恐と呼ば
れる鎧を前にしても怯むことなく、スバルを逃がすことに全力を注
いでいたのである。
そしてスバルは、彼を助ける為に武器をとった。
ただの店主の息子とアルバイトは、お互いに助け合う間柄へとシ
フトしていったのだ。あまり自覚は無かったが、シンジュクからア
キハバラにかけて妙に距離が縮んだ気がする。
﹁それならそれでいいけどよ。お前、難しく考えすぎなんじゃねぇ
の?﹂
返してもらったスマートフォンをポケットにしまい、赤猿はベン
チから立ち上がる。
﹁隈が凄い姉ちゃんから聞いたんだけど、喧嘩したんだって?﹂
﹁⋮⋮うん﹂
2194
俯き、スバルは頷く。
いつも隣にいた威圧感のある兄貴分は、気付けば自分の一番大切
なものを脅かそうとしていた。それも天然で、だ。
﹁俺も実際その場にいたわけじゃないから偉そうなことは言えない
けどよ。お前、このままでいいのかよ﹂
﹁このままって?﹂
﹁気付いてないのか? どうしたらいいのかわかんねぇって顔して
るぞ﹂
その辺に関しては自覚がある。
だが、一度導火線に火がついてしまった以上、引っ込みがつかな
くなってしまったのも事実だった。
火はスバルの抱える見えない爆弾に一直線に進んでいく。
﹁ま、俺に言えるアドバイスはひとつだけだ﹂
赤猿はにやりと笑みを浮かべると、親指を立てながら腕をスバル
に突き付ける。
﹁迷ったら、一番やりたいことをやるんだよ!﹂
﹁一番やりたいこと?﹂
﹁そうさ。例えば目の前にお近づきになりたい綺麗なお姉さんがい
るとする。俺はその人と仲良くなりたい。だから話しかけるんだ。
どうよ、簡単だろ﹂
﹁⋮⋮そうだね﹂
ちょっとだけかっこよかったのに、自分でぶち壊していった気が
した。
2195
ただ、彼が言わんとしていることについては理解できる。悔しい
が、納得もできる。もしも自分が赤猿の立場でアドバイスをするな
ら、同じような事を言ってる気がした。
﹁今日知り合ったばかりだけどさ。あの人、本気だぜ﹂
赤猿の目つきが険しい物に変わる。
危険を訴える物ではなく、あくまで真面目に伝える態度であった。
割とだらしのない彼がここまでマジ顔になるのも珍しい。
サル顔のイケメン面だ。
﹁俺も結構長い間、いろんなプレイヤーを見てきたけどよ。1週間
で全国区に追いつこうとしてる奴は初めて見たわ﹂
そりゃあ、普通に考えたらそんな奴は居ない。
経験や技量が違うのだ。どんなに短く見積もったとしても、1週
間では無理がある。
だが、それをやろうとしているとんでもない奴がいるのだ。
しかも手先の器用さと反射神経、動体視力に関しては新人類トッ
プクラスなのだから困った。教える事が日に日に少なくなっていく
だけである。
このままいけば、数日後には赤猿もカイトにごぼう抜きされるだ
ろう。
﹁折角レクチャーしてやってるんだが、このままいくと俺が負ける
な﹂
﹁⋮⋮悔しくないの?﹂
﹁そりゃあ、悔しい﹂
スバルほど執着を持っていないとはいえ、赤猿もブレイカーズ・
2196
オンラインにはかなりの時間とお金をかけている。初心者である筈
のカイトに簡単に追い抜かれるのは、堪える物があった。
だが、赤猿はそこまで重く受け止めていない。
﹁でも、これは勝負だ。ゲームって土台で戦っていれば、絶対に負
ける奴が出てくる。例え初心者と全国区だろうが、勝つときは勝つ
し、負ける時は負ける﹂
勝負に必要なのは知識と経験。
それ以外にも大事な要素があると赤猿は考えている。プレイヤー
本人の技量と時の運だ。
特に運が関わってくる以上、例え初心者が相手でも負けることは
あると赤猿は考える。
﹁あの人がすげぇ反射神経と、モノマネが上手い奴だってのは理解
できた。でも、後は運だよ。今回の件でどっちが勝つかなんて予想
は出来ても、確証は持てない﹂
﹁⋮⋮なんでそんなに割り切れるんだ﹂
﹁俺は神様じゃないからな﹂
いかに頑張ってデータを揃えようが、
反復練習をしてコンボの精度を上げようとも、
負ける時は負ける。
一発勝負なら尚更だ。
勝負の世界は何時だって一発勝負。待ったもなければ、腹痛だな
んて言って棄権することもできない。
相手の行動を予測したって、外れたら手痛い反撃を受ける。
2197
前日にたっぷり睡眠時間をとっても、具合が悪くなったらそれで
終いだ。
理不尽だとは思う。
だけども、それが現実として降りかかってくるのだ。
それを決めるのは自分じゃない。
もしも全部決める力があるのだとしたら、きっと神様だとか運命
って奴の仕業なんだろう。
﹁なんでお前がそんなに拘ってるのかは知らない。俺はお前じゃな
いからな﹂
赤猿は微笑みかける。
﹁でも、これはゲームだ。負けたら命が取られるわけじゃない。だ
ったら楽しんだ奴が勝つのさ。画面にWINって出なくてもな﹂
だからこそ赤猿は勧める。
一番やりたいことを実行に移す。真剣にやるなら、やりたいこと
をやれたら勝ちだ。
﹁折角始めてもらったんだ。あの人には自分の楽しみを見つけて貰
って、最高のコンディションでお前と戦ってもらうよ﹂
赤猿から言えるのはそれまでだった。
一応、友人とはいえ今回はカイトのセコンドのような物だ。迂闊
に口を開くと、情報を漏らしかねない。楽しみと奇跡は常に知らな
いからこそ起きる。そういったスリルが、最高のカンフル剤だ。
﹁じゃ、言いたいことも言ったし俺はそろそろ帰るわ。当日、また
2198
会おうぜ﹂
﹁あ、おい!﹂
﹁心配しなくても、スパイとかおくりゃしないって。安心して励め
よ﹂
好き勝手言いながら、赤猿は帰路についた。
嵐のような男であった。自由な奴だとは感じていたが、まさかこ
こまで好き放題言って帰っていくとは。一応、1年ぶりの再会の筈
なのにやけにあっさりとしている。
ただ、彼の言葉はスバルの中に楔を叩き込んでいた。
﹁負けても命を取られるわけじゃない、か﹂
確かにそのとおりだ。
ここ最近、命のやり取りしかやってこなかったからか物騒な考え
に行きつくようになってしまったのかもしれない。
それに、カイトに負けることに対して恐怖を抱いた理由もなんと
なく見当がついた。
怪物の口の中に消えていった異国の友人の姿を思いだし、スバル
は力なく笑う。
﹁アスプル君、人間って本当に不平等だよな﹂
ベンチから夜空を見上げ、スバルは言う。
もう二度と会えない人に向かって。
2199
第169話 vs挨拶
時間が過ぎるのは何時だってあっという間だ。
1週間と指定しても、7日寝ればすぐにやってくる。
決闘当日。スバルは最高の目覚めを迎えていた。
﹁気分は?﹂
﹁超最高﹂
部屋を提供してくれたヘリオンに礼をすると、スバルは朝食をと
る。
当初の予定だと休日の朝一でカイトと戦う予定だったが、営業時
間を過ぎた後に貸し切りの状態を作ってくれた。赤猿が根回しした
結果だった。一介の学生の癖になんでこんなに発言力があるのか疑
問だが、好意は素直に受け取っておくに限る。
﹁閉店時間は夜の22時。それまでの間、どうするつもりだい?﹂
﹁もちろん、練習﹂
この1週間、やれるだけのことはやった。
自分の気持ちにも向き合ってきた。残りわずかな時間でできるこ
とがあるとすれば、自分の調子を上げる以外にない。
やることがはっきりしてくると、妙にすっきりしてきた。
﹁⋮⋮僕の気苦労だったかな﹂
﹁何か言った?﹂
﹁いや、別に﹂
2200
1週間前に比べて、明らかに影が無くなってきたスバル少年の顔
を見てヘリオンは安堵の溜息をつく。何があったのかは知らないが、
赤猿とかいう友人と会ってきてから妙に明るくなった気がする。
気持ち、前向きになったとでも言ったらいいのだろうか。
いずれにせよ、この様子ならヘリオンが危惧したようなことには
ならないだろう。
﹁とりあえず、悔いのないように吐き出して来い。それができれば
僕からは言う事はないよ﹂
﹁うん。ありがとう﹂
食器を片づけると、スバルはお礼を言ってから部屋から出ていっ
た。
トリプルエックス
飛び出すようにしてドアを開け放った少年の背中を眺めつつ、ヘ
リオンは思う。
アイツは良い友人に恵まれたな、と。
本音を言えば、不安だった。
新人類の存在自体が受け入れられつつあるとはいえ、XXXの面
々は更に化物じみた力を持っている。一度は受け入れられたとはい
え、折角外に逃げ出してまで手に入れた関係が崩れていくのは、見
ていられなかった。
傍から見れば、超人爪男が暴れる姿なんて卒倒ものだろう。
特に戦う姿とあればなおさらだ。彼は身体をえぐられても、中身
を露呈したまま突進していく。グロテスク極まりない光景を晒すだ
けだ。避けられて当然なこともしている。
それを知っていても尚、受け入れてくれる人間がいる。
ヘリオンはそんな現実がある事に、安堵していた。
2201
一番心配だったカイトでも上手くやっている。本人にも良い傾向
の変化があった。仲間たちは上手くやっている。
それなら、今度は自分が勇気を出す番だろう。
ヘリオンは自室のある空間に目を向けた。スバルを中に入れた事
がない、正真正銘の自分の部屋である。普段は仕事用のデスクとし
て使っているが、その上には写真立てが置かれていた。
ヘリオンと女性が腕を組みながら、笑顔で映っている写真である。
自分の食器を片づけた後、ヘリオンはデスクに座った。
無言のまま引き出しを開ける。中にしまっているのは、丁寧な包
装が施されている小箱だった。掌に収まるような小さなサイズであ
る。
小箱を開けた。
中に入っている指輪を眺め、ヘリオンは一言つぶやいた。
﹁よし!﹂
指輪をもう一度小箱の中にいれると、引き出しの中にしまう。
カレンダーを見やると、何枚かページをめくり始めた。
時刻は過ぎ、22時。
カイトが通い続けたゲームセンターでは、ギャラリーと関係者が
ごった返していた。本来なら閉店時間でアナウンスが流れている筈
2202
なのだが、今日に限って言えば特別である。
今日のイベントを提案した張本人、赤猿がマイクを握る。
﹁レディース、エェーンドゥ、お前らぁ! 元気かこらぁ!﹂
集まったブレイカー乗りたちから割れんばかりの大歓声が湧き上
がる。男たちの熱気と喧しい大声が響き渡り、ゲームセンターは軽
い嵐のような状態だった。
わざわざ個別モニターをこさえ、筐体前に設置された司会テーブ
ルに着席しつつ、赤猿は言う。
﹁はっはっは。むさくるしい返事ありがとう。さあ、明日は月曜日。
各々思う所はあるだろうが、今日は最高の決戦を見て明日への糧と
してほしい﹂
言いつつ、赤猿は思う。
多分、全国大会でも滅多に見れない展開になるのだろう、と。
この1週間、赤猿は神鷹カイトにできる限りの知恵を授けた。そ
して練習相手を務めていった結果、彼は誰も使用しなかった恐ろし
い機体を作り上げたのである。
イレイザー
赤猿の経験上、あんな機体を動かせるのはカイト以外にいないだ
ろう。文字通りの襲撃者を相手に、赤猿は負け越してしまっている。
果たして旧人類屈指のプレイヤーであるスバルがあの﹃The・
イレイザー﹄をやりこめるか否か。赤猿はその点に深く注目してい
る。
﹁今日の実況はこの俺! 島国が誇る赤い閃光、赤猿がお送りする
ぜ!﹂
2203
ギャラリーが湧いた。
サボり学生は妙な所でカリスマ性を発揮し、絶大な支持を得てい
たのである。ゲームセンターは既に彼の庭だった。
そんな彼の横には、イベントを盛り上げる第二のカリスマの存在
が。
﹁そして解説はこの男! 最近街中に現れた謎のマスクメン!﹂
会場にやってきた者の視線が赤猿の真横に集中する。
上半身裸で、プロレスにでも使いそうな白マスクを被った男がい
た。後頭部から溢れる長い金髪が、男の清潔感を漂わせる。逞しい
筋肉からは、どういうわけか薔薇が咲いていた。会場の熱気と合わ
さり、フローラルな香りが場を覆い尽くしていく。会場にいる何人
かがちょっと気持ち悪くなってきた。
﹁天と地と海の狭間から生まれた奇跡のビューティフルウォリアー、
石鹸仮面だぁああああああああああああああっ!﹂
﹁諸君、美しくよろしく﹂
石鹸仮面が右手を挙げる。
再度、ギャラリーから大歓声が沸く。謎の人気だった。
やや距離のあるところから観察していたエイジとシデンが、汚い
物を見るかの様な濁った目を向けた。
﹁⋮⋮何やってるんだアイツ﹂
﹁どうして脱いでるんだろう﹂
﹁あれ、お知り合いですか?﹂
ふたりの横で背伸びしているマリリスが、無垢な瞳を向けてきた。
知り合いどころか、どう見てもあの変質者はマリリスの国が誇る
2204
英雄なのだが、敢えて口にしないでおく。黙っておいてあげるのも
時には優しさなのだ。
﹁しかし、あんな変質者でも解説に呼ばれたって事はある程度知識
はあるんだろうな﹂
﹁そりゃあね。多分、ボクらの見てないところでプレイしてたんだ
よ﹂
どういう経緯であの場所にいるのかは知らないが、解説の場にい
ると言う事はそういうことだ。この場所はブレイカーズ・オンライ
ンを使用した決闘所である。それ以外の知識が必要になることなど、
ない。
﹁最近、街で悪者をやっつけては警察や近隣住民の皆さんから感謝
の言葉が送られている石鹸仮面さんですが、ゲームについてはどう
なんでしょうね。石鹸仮面さん、プレイヤースキル的にはどの程度
なのでしょうか﹂
﹁うむ! 全くの初心者だ!﹂
自信満々な態度の石鹸仮面の発言に、ギャラリーがずっこけた。
赤猿も苦笑いしている。なんでコイツを呼んだんだ。
﹁しかし、本物を動かした経験はある﹂
﹁おお!﹂
取り繕うような石鹸仮面の言葉に、ずっこけたギャラリーたちが
復活した。割と現金な連中だった。
﹁そして美しい私は、今回戦うふたりの選手と面識がある。ゲーム
については赤猿君には及ばぬが、別のアプローチで解説することが
2205
できるだろう﹂
﹁なるほど。では期待しておきましょう!﹂
なんであんなに自信満々なのかは理解できないが、実況と解説の
紹介が終わったところでようやく本番だ。
赤猿が司会席に足を置き、高らかに宣言する。
﹁それでは我々の自己紹介を終えたところで、早速選手紹介と移り
ましょう! まずは青コーナー!﹂
クラッカーが鳴る音が響き渡った。
何事かと思って後ろを振り向けば、2階からゆっくりとした足取
りでカイトが降りてくる。
﹁1週間でショッププレイヤーを殲滅した最悪のジェノサイドマシ
ーン! ポッポマスターだ!﹂
﹁誰がポッポマスターだ。ちゃんと名前を登録したぞ﹂
﹁いや、でもこの方が人気あるぜ?﹂
真顔のままで吐き出された文句に、赤猿は冷静に対応する。
見れば、ギャラリーからは﹃ポッポマスターコール﹄が湧き上が
っていた。楽しそうだったからか、マリリスもその中に混じってい
る。やっぱりあの娘は口を縫い付けておくべきだったか。
物騒な事を考えながらも、カイトは溜息。
赤猿に誘導され、筐体の席の前へと移動する。
﹁続きましてはぁ、赤コーナー!﹂
再びクラッカーの音が響いた。
ギャラリーが首を振り、音がする方向へと視線を向ける。男子ト
2206
イレからスバルが登場した。
彼は憤りを隠さぬ表情のまま、すたすたと司会席へ向かっていく。
﹁ポッポマスターと同じく、突如として島にやってきた凄腕プレイ
ヤー! その名も、﹂
﹁おい!﹂
マイペースに実況を続ける赤猿の胸倉をつかむと、スバルは吼え
た。
﹁なんで俺の待機場所が男子トイレなんだよ!﹂
﹁いや、お前。隠れられる場所がそこしか﹂
﹁同じ場所で良いだろ! なんで2階じゃないんだ! というか、
この演出はなんなの!﹂
まるでプロレスだ。
実況のノリも、ゲームと言うよりかはプロレスのそれに近い。余
談だが、赤猿の実況をスバルは聞いたことがなかった。
﹁盛り上がるだろ、この方が!﹂
﹁そうだぞ、マスカレイド君﹂
反論する赤猿に同調し、石鹸仮面が立ち上がる。
身体中からオブジェの如く咲いている薔薇が、甘いフレグランス
を漂わせてきた。露骨に嫌そうな顔をすると、スバルは一歩後ずさ
る。
﹁明日が月曜だと言うのに、みんな来てくれたのだ。それならば、
少しでも盛り上げていくのが出演者の美しき定めではないのかね?﹂
﹁別にここまで盛り上げなくても⋮⋮﹂
2207
﹁馬鹿! エンターテイメントは騒いでなんぼだろ!﹂
大分偏ったエンターテイメントの形だと思う。
できればここまで騒がしい場ではなく、もう少し集中できる環境
にしてほしかった。
とはいえ、この場を貸し切る事が出来たのは素直に感謝している。
どういう人脈があるのかは知らないが、確実に戦う機会が巡ってき
たのだ。
﹁⋮⋮わかったよ。今回はお前の流れに任せる﹂
﹁ありがとう!﹂
﹁ありがとう、マスカレイド・ファルコ君!﹂
﹁近いのにマイクで喋るな!﹂
なんでアーガスと組んでいるのか疑問だが、うざさが倍増したよ
うに思える。嵐に嵐が重なるときっとこんな感じなのだろうと勝手
に納得し、速足でその場から離れるとスバルはカイトの正面に立っ
た。
住み込みバイトだった男と視線が絡み合う。
これまで様々な強敵に向けられてきた、威圧感ある眼光が飛んで
きた。
反射的に後ずさる。
わかっている。あれは威嚇だ。これから戦う相手を睨みつけ、品
定めするかのような眼光は何度も見てきている。
今までは自分を含めた仲間たちの為に放たれてきたあの威圧感を、
今度は自分が全部受け止めなければならない。
息を飲んだ。
2208
正面からカイトの威圧感を受け、そのまま彼の元へと歩み寄って
いく。
﹁なんだ﹂
僅かな身長差によって見下ろされる。
男子高校生としてはそれなりに背はある方だと自負しているが、
残念なことにこんなところでもこの男には負けていた。きっと、こ
れから色んなところで劣等感を覚えたり、いらっと来たりすること
もあるだろう。
ただ、それでも。
今、この時だけは最高の瞬間を送りたい。
スバルは右手を差しだし、笑顔で言った。
﹁俺、本気でやるからな﹂
それが精一杯だった。
これ以上の言葉は出てこない。だから後は、カイトのリアクショ
ン待ちだ。
﹁⋮⋮ああ。望むところだ﹂
彼もまた、笑顔で右手を差しだす。
触れあった指ががっしりと繋がり、握手となって膨れ上がる。
﹁戦闘前の挨拶は大丈夫か!?﹂
﹁ああ!﹂
﹁問題ない。始めてくれ﹂
2209
司会者がふたりの準備終了を確認する。
直後、握手を解いたふたりは真剣な表情のままそれぞれの筐体へ
と座った。カードをセットし、データが読み取られる。
﹁さあ、カードからブレイカーのデータが転送される!﹂
瞬間、ディスプレイに二機のブレイカーが出現した。
エイジとシデン、マリリスは改めてふたりのブレイカーを見やる。
﹁どっちも獄翼とは似ても似つかないな﹂
﹁うん。ふたりとも、お互いにとって最善の機体と武器を選んだみ
たいだね﹂
Xの作動先をカイトにしていた
とはいっても、基本的に彼らは似通った戦い方を好んでいる。
スバルは積極的にSYSTEM
し、カイトもそれを受け入れていた。その上で、自分にはできない
ことを実現させる仲間たちを同席させている。
﹁だが、今度は誰かに頼る事なんかできねぇぞ﹂
筐体に座るのはあくまでスバルとカイトだ。
この勝負に関して言えば、カイトの身体に寄生しているエレノア
ですら手出し無用と注意深く言われている。交代なんてありえない。
﹁それでは開始の宣言をするぞ! レディィィッ︱︱︱︱ゴオオオ
オオオオオオオオッ!﹂
赤猿が吼える。
スバルとカイトが、ほぼ同時に決定ボタンを押下した。ふたりの
意思を代弁する鋼の巨人。その頭部が大きく画面に映り込み、間に
2210
﹃VS﹄の文字が入る。
2211
第170話 vs襲撃者と影蜘蛛と妖精と
後のことを全てマサキに託された時、カイトはかつてない重荷を
背負った気持ちになった。22年の人生で他人の面倒を見たことは
スバル
あれど、過去に例を見ない大荷物を背負った錯覚に陥ったものだ。
だが、荷物は自分の足で歩きたがった。
別に駄々をこねたわけではない。気付けば自然とそうなっていた
のだ。勝手に他人の人生を背負った気になっていたが、彼は彼なり
に自分の考えを持っていた。ただの荷物だと錯覚していた頃は、言
い争いも目立ったものである。思えば、4年間も同居しておいて喧
嘩したのはヒメヅルから出ていってからが始めてだったかもしれな
い。
当初は背中に隠れるだけだった筈の少年は、意外と手早く自分の
隣に立ってた。
今にして思えば、マサキが望んでいた光景はこんな感じだったの
だろうか。
本人に聞く機会はもう二度とないので、実際はよくわからない。
ただ、もしも今マサキがいたら、きっと微笑みながら後ろで見学し
てるんだろうと想像してしまう。
﹃えらい気分がよさげじゃないか﹄
﹃ああ、きっとこれが俺の託された物だったんだ﹄
﹃意味わかんないけど、今回は素直に祝福してあげようかな。私は
空気の読める女だからね﹄
体内に寄生したエレノアの声が脳に響く。
筐体の画面が対戦画面へと遷移すると、カイトの意識は画面の世
2212
界へと集中し始める。彼がいるのは小さな島国のゲームセンターで
はない。筐体の中に広がるポリゴン世界。荒野と寂れたビル群だけ
がこの世界の全てだ。
向かい合うようにして相対するイレイザーとダーク・ヒュドラ。
﹁ほう、双方ともにミラージュタイプか。まあ、ここは美しく予想
できるところではある﹂
解説の石鹸仮面が真面目な口調で喋り出す。
まず司会席が注目したのは、二機の装備品だ。
最初に注目するのはカイトのイレイザー。
漆黒のボディが不気味な輝きを放ちつつも、しなやかな脚部によ
り軽快なステップが期待できるマシンである。元となった夜天狼は
そういう機体だ。
ところが、そこに異質さを放つ物体が幾つか付属している。
﹁まずはポッポマスターのイレイザーですが、なかなかえげつない
武器を持っています﹂
威力が、ではない。
外見的な話だ。イレイザーは両手に大鎌を所持しており、自身の
身の丈以上もある曲刃が獲物を刈り取らんと光り輝いている。
﹁あれは現実のブレイカーの特注武器としても売り出されている、
オスカー社製の接近武器。デスサイズだね﹂
目立つ武装を目の当たりにし、同じく目立ってしょうがない石鹸
仮面が言葉を漏らす。
2213
﹁大きさがある分、一振りは非常に強力ではある﹂
﹁コンボを繋げてダメージを稼ぐのではなく、一発で大ダメージを
期待する武器なわけですね!﹂
﹁その通り! だが、当然ながら強力な武器には弱点があるものだ﹂
デスサイズは威力が強力な分、振りかぶらなければならない。つ
まり、攻撃の発生時間に時間がかかるのだ。あくまで他の接近武器
と比べて時間がかかるだけなのだが、それだけの時間があればスバ
ルは容易に差し込めるだろう。
だが、当然ながらそれをカバーする武装も用意してある。
﹁あまり見ないのは背中に取り付けられている物体ですね﹂
赤猿が早速注目する。
イレイザーが背負っている丸い物体に観客の視線を集中させたと
同時、早速カイトは行動に移した。
﹁おおっと、これは!﹂
イレイザーの背中に取り付けられていた丸い物体が切り離される。
まだ戦闘開始から10秒も経っていない。最初から取り外して使
用することが前提のパーツなのは一目瞭然だった。
地に斬り捨てられた丸い物体は、外装が切り離されると8本の黒
い線を伸ばして移動を開始する。まるで蜘蛛だ。ブレイカーサイズ
の蜘蛛が、イレイザーとは別に筐体の世界を徘徊を始める。
﹁なんじゃありゃ!?﹂
2214
これまでに見たことがない武装の出現に、エイジは戸惑いを隠せ
ない。
そんな彼の疑問を汲み取ったのか、石鹸仮面が至極丁寧に解説し
てくれた。意外な事に、彼はブレイカーの知識が豊富だった。半裸
で変質者なのに。
﹁あれは機動ユニットのひとつ、﹃シャドウスパイダー﹄と呼ばれ
るものだ。本来、ブレイカーは背部に追加パーツを取り付けて臨機
応変に対応できるのだよ。良い子の諸君、テストに出るから是非と
も勉強したまえよ﹂
﹁ご教授ありがとうございます!﹂
赤猿が律儀にお辞儀をした。意外と良いコンビかもしれない。
﹁話を戻しますが、シャドウスパイダーを選択したポッポマスター
の意図はなんだと思いますかね?﹂
﹁機動ユニットは、敵影を確認すると自動的に攻撃を開始する置物
といっていい。まあ、単純に考えればデスサイズで捉える為の設置
だろうね﹂
ただ、石鹸仮面は思う。
このご時世、ミラージュタイプは単騎での機動性が求められる時
代だ。敵が空に飛んでいる以上、それを追うには背中に飛行ユニッ
トをつけるしかない。機動ユニットはいささか時代遅れの武装だっ
た。
実際、ある程度動く設置武器を置いたところでスバルには何の影
響もないだろう。彼もまた、ハイスピードバトルを得意としている。
自分よりも遅い機動ユニットを振り切ることなど、造作もないこと
だ。
2215
﹁まあ、それだけではないだろうが﹂
口を開いた瞬間、イレイザーが再度動いた。
腰が扇状に展開し、いくつかの黒い影が射出される。先端が尖っ
た、ミサイルのような何かだった。
それらは早速接近してくるダークヒュドラに向かい、真っ直ぐ飛
んでいく。
﹁なるほど、フェアリーを選ぶか!﹂
﹁遠隔誘導ユニットですね!﹂
遠隔誘導ユニット。通称、フェアリー。
射出された兵器を文字通り遠隔操作し、砲撃を行う武器である。
基本的に相手の周囲を取り囲む事から、取り囲み砲とも呼ばれてい
る攻撃法だ。
﹁いやぁ、しかし私始めてみましたよ。あれをミラージュタイプで
使う奴を﹂
しらじらしい口調で赤猿が解説に入る。
言葉だけで説明するなら、フェアリーの操作はとても簡単に表現
できる。
本来操作に使う操縦桿とは別の操作パネルを使い、ユニットひと
つひとつの誘導を行う。これだけである。
言葉だけで言えば簡単だが、これが非常に難しい。
なにせ本来の操縦とは別の操作にも目を光らさなければならない
上に、射出した数だけ命令を与えなければならない。使い慣れた者
でなければ、フェアリーの操作だけで手が埋まってしまう。
機動性を売りにしているミラージュタイプなら尚更だ。
素早い動作と同時並行で複数のフェアリーを操作するなど、普通
2216
の人間ができる所業ではない。もともとは相手の攻撃を耐えるアー
マータイプ前提の武装だ。
﹁射出されたフェアリーはなんと10個!﹂
﹁ほう!﹂
単純に計算してしまえば、本体の操作を含めて11もの機体を一
斉に動かしていることになる。
いや、シャドウスパイダーのことも考えれば12か。
﹁つまり、1対12なわけだね﹂
石鹸仮面が結論付けると、10の妖精は一斉に射撃体勢に入る。
先ずは直線状にいるダークヒュドラの動きを牽制する流れだ。
﹁ポッポマスターの手の動きは!?﹂
﹁もはや解説しても、その間に別の動きが入って解説しきれんねこ
れは﹂
傍から見て、カイトの動きはとてもゲームセンターで見るような
物ではない。サブパネルを見ないまま左手で操作し、10もの妖精
を操るのその姿はまさに人形使いといえた。
﹁す、すごいです⋮⋮1週間であんなのをマスターするなんて﹂
遠目で観察するマリリスにも、その手の動きのすさまじさが判る。
かつて、家に届いたパソコンをかっこよく使ってみたいと思い、
ブラインドタッチに挑戦したが結果は惨敗だった記憶があった。
﹁1週間? 冗談じゃねぇ﹂
2217
吐き捨てるようにエイジが言う。
﹁もっと時間があれば、20どころか100だって動かせるだろう
よ﹂
﹁そうだね。あれくらいだったらボクでもできそう﹂
元XXXの面々が口揃えて言う。
マリリスは改めて彼らの適応力の高さを見せつけられた気がした。
妙なベクトルではあるが。
﹁問題はスバルだ﹂
エイジの双眸がイレイザーと相対するダークヒュドラに移る。
武装面において、彼は最悪の相性の敵と戦う事を迫られていた。
ヒュドラは接近用の武装しか所持していないのだ。
﹁やっぱり、敵がカイちゃんだと思ってそっちばかりに意識がいっ
ちゃうのかな﹂
﹁斬り込んでくる武器を持っているのは正解だが、遠隔誘導ユニッ
ト主体だとは思わなかったみたいだな。見ろよ﹂
エイジが指をさす。
視線を向けてみれば、顔中汗まみれのスバルの姿があった。見る
からに予想が外れて困り果てた顔をしている。あの少年はリアクシ
ョンがよすぎるのだ。
﹁これはイレイザーがかなり有利だな。飛行ユニットを採用してい
る分、単体機動力ではヒュドラが圧倒していても、イレイザーのフ
ェアリーやシャドウスパイダーを撃ち落す武器がない﹂
2218
﹁斬り込もうものなら、その動作をしている最中に別のフェアリー
が撃ちこんでくるわけだね。そして体勢を崩された時には、あの鎌
でズバっといっちゃう﹂
﹁そんな⋮⋮﹂
マリリスが愕然とした表情でエイジとシデンから視線を逸らし、
スバルを見やる。
﹁リアルならもうちょっとなんとかなってるかもしれねぇ。だが、
これはゲームだ。動作も決まりきっている﹂
ゆえに、アドリブの方向も限られている。
無敵時間やダウン判定などの要素もゲームならではだが、現実に
は持ち込めない。
﹁一番最初の読みはカイトの勝ちだ。身内読みの裏をかいてきたか
らな﹂
問題は実際の戦闘。
お互いの武器と機体性能を活かし、どんな戦闘を繰り広げるのか。
仲間たちが予想する中、フェアリーが一斉射撃を開始した。
対するダークヒュドラは、回避行動をとって射撃を躱す。スバル
もわかっているのだ。一撃でも食らうと、フェアリー特有のコンボ
でお手玉をされ、最終的にはイレイザーに真っ二つにされてしまう
ことに。
だからといって、フェアリーだけに気を取られてはいけない。
ゆっくりとこちらの動作を伺い、確実に捕まえる為のシャドウス
パイダーも控えている。
2219
控えているのだが、しかし。
どうあがいても、シャドウスパイダーがいる方向に近づかざるを
えなかった。フェアリー包囲網の脱出口が、そこしかなかったから
だ。
2220
第171話 vs自分の全部
蛍石スバル、16歳。
これまで数々の怪物を相手に、ブレイカーで戦ってきた少年であ
る。
彼の周りにいるライバルは常に新人類だった。自分よりも優れて
いるのだと社会的に認められた人間たち。
スポーツや学問の分野で彼らと互角に渡り合っている偉人がいる
ことを知っていたが、自分がその中のひとりなのだという自覚は無
い。
スバルは聞いた。
少し前に特集された企画で、新人類と渡り合う旧人類が紹介され
たことを。
その中には誰でも名前を聞いたことがあるようなスポーツ選手の
中に混じって、自分の名前があったのだそうだ。
アスプルはそれをみて自分のファンになったらしい。
だが、スバルは思う。
果たして俺はそんな企画の中に名前が挙がる程の器なのか、と。
幸運にも島に流れ着いて早2週間。仲間たちは迷いながらも自分
たちが向かうべき道を模索している。アーガスに至ってはなぜか半
裸と白マスクで解説に回っている始末だ。なんというか、己がやる
べきことを自覚しているような気がする。
自分はどうだ。
就職活動をするわけでもなく、ただぶらぶらするだけ。
気が付いたらゲームにしがみついている。まるで筐体席から離れ
ないよう、ロープでぐるぐる巻きにされたような錯覚すら覚えた。
2221
みんなの勤め先を聞いた後、自分にもなにかあるだろう、と思っ
て考えてみた。
考えてみれば考えてみる程、将来のビジョンがないことに愕然と
するだけである。その昔、カイトに言われた言葉がある。
﹃お前はゲームで稼ぐのか?﹄
プロゲームプレイヤーなる職業があるのだと聞いたことがある。
なれるものならなってみたい職業だ。ゲームをしてお金が貰える
なら、こんなに素晴らしい生活はあるまい。楽園だ。理想郷だ。
ところが、そんな理想の土地に足を踏み込めるかと言えば答えは
NOである。どれだけスバルが新人類相手に競った戦いを繰り広げ
たとしても、彼には全国大会の優勝経験がない。
優勝できないプロに、価値があるわけがなかった。
厳しい現実に直面することを理解していたスバルは、自然とその
思考を手放していたが、
﹁それでも︱︱︱︱!﹂
それでも、自分にはこれしかない。
醜くしがみ付いているだけだと罵られるかもしれない。
大したことがないことだと侮蔑されるかもしれない。
でも、いいじゃないか。
例えちっぽけで、結果は大層なものでなくても、それだけに拘っ
てきたのだ。これだけは本気でやったぞと言えるものがこれしかな
いんだから、仕方がないじゃないか。
2222
スバルにとって、周りの連中はとんでもない人間ばかりだ。
マリリスは天然が入っているが、気遣いができる優しい子だと思
う。
御柳エイジは力があるし、困ったことがあったら相談に乗ってく
れる。
六道シデンは愛嬌があって、仲間想いだ。
アーガス・ダートシルヴィーは︱︱︱︱うん、いいんじゃないか
な。
そして、神鷹カイトは一言では言い表せない。
4年の共同生活、半年もの共同戦線。どちらでも一番活躍したの
は彼だ。前述した怪物を倒していったのも、大半が彼の功績だった。
スバルが自力で倒したのといえば、鳩胸とダークストーカーくら
いだろうか。
念動神以降の敵に関して言えば、カイトを含めた仲間たちがいな
ければ今頃死んでいただろう。いや、シンジュクでの戦いでもカイ
トが武器を提供してくれなければやられていた。
﹃それしかない﹄ってしがみついていても、現実はこんなもんだ。
恵まれた天才たちに比べれば、自分はどこまでも格下である。
だが、それでも見下してほしくなかった。
誇れるものは小さなものかもしれない。自分ひとりの力で勝ち得
た物なんて、たかが知れている。
﹁それでもさぁ!﹂
︱︱︱︱それでも、みんなと肩を並べて歩きたい。
一歩離れて歩いていくのは、自分が望むことではなかった。
2223
彼らは気にしないかもしれないけど、このままだと自分が後ずさ
ってしまう。
だから、ここで証明しなければならない。
カイトではなく、他ならぬ自分自身に。
正直、カイトが遠隔誘導ユニット主体で攻めてくるとは少しも考
えていなかった。機動ユニットではなく、飛行ユニットで速攻を仕
掛けてくるとばかり考えていたのだ。その時点で、自分の浅墓さが
伺える。
でも、後戻りはできない。
だからこそ、
﹁戦うしかないだろう!﹂
吐き出すように言うと同時、スバルの駆るダークヒュドラ・マス
カレイドが腰からナイフを抜く。シャドウスパイダーに捕まる寸で
の位置だ。
取り囲んでいる妖精たちが、順番に光の弾丸を発射する。黒の巨
人が、10もの光の直線をくぐりぬける。
ヒュドラは刃物を掲げると、周囲に浮かぶフェアリーのひとつへ
と突き刺した。
小さな爆発が起こる。
﹁フェアリー、一機撃墜!﹂
司会の赤猿が攻撃の結果を叫ぶ。
彼の表情が、驚愕の色に染まっていた。
﹁石鹸仮面さん、今のは⋮⋮﹂
﹁うむ。信じられんことに、マスカレイド君はナイフでフェアリー
2224
を迎撃にかかったね。見たところ、ヒュドラで一番リーチが長いの
はチェーンアンカーだが、真っ直ぐ飛んでいくアンカーでは縦横無
尽に動き回るフェアリーを捉えきれまい﹂
それゆえに、選択したのは接近武器。
一歩間違えばお手玉コンボへと発展しかねない危険な行動だった。
すぐ近くにはシャドウスパイダーも構えている。
だからこそ、攻撃した後の硬直時間を極力減らす必要があった。
﹁赤猿君。君はナイフでフェアリーを撃墜する自信はあるかね?﹂
﹁冗談でしょう。あんなことができるのはアイツだけです﹂
ナイフなら射程距離が短い分、少ない硬直時間で次の動きに移る
事が出来る。一般的に、ナイフはコンボの要とも言われている武器
だ。よほどのことがない限り、接近戦を行うブレイカーは所持して
いる。
だが、それを迎撃に使う選択は危険であると言えた。
﹁今のを見て、俺でもできそうって思えるかもしれません。だけど、
今のは見た目とは裏腹に凄いシビアなタイミングなんですよ﹂
ブレイカーズ・オンラインに詳しい赤猿が解説し始める。
ナイフの射程距離が短いのは先程述べた通りだ。そんな低射程で
周囲を飛びまわるフェアリーを迎撃する場合、飛びこむしかない。
他にも9個もの砲台が宙に浮いている中、一点に飛び込むのは自
殺行為であると言えた。機動力が高いミラージュタイプが飛び込ん
だ場合、がら空きの背中を見せることに繋がるからだ。
﹁一般的に、フェアリーを撃墜しにかかった機体をそのまま狙い撃
ちにするのがセオリーです。射撃武器を持ってるなら話は別ですが、
2225
今回のように格闘特化の場合は飛びこむしかない。それを狙うのが
フェアリー側の立ち回りですが、﹂
赤猿が息をのむ。
﹁ダークヒュドラの場合、ぎりぎりまで引きつけて、他のフェアリ
ーが射撃した直後を狙っています。信じられますか? ばらばらに
射撃してくるフェアリーそれぞれのロスタイムを計算に入れて、リ
ーチのないナイフで叩き落とす。少なくとも、初見でできる真似じ
ゃありませんね。やり込みの勝利ですよ﹂
耳に届けつつも、スバルは思う。
計算なんかしてねぇよ、と。
既にスバルは﹃予測﹄を放棄していた。最初の予測が外れた以上、
それを前提にしていたプランは全て崩れ落ちたも同然だ。
ゆえに、思考は切り捨てる。
ブレイカーに拘ってきた自分のみっともなさ。体に染みついた動
作だけがすべてだ。
蛍石スバルは、己の人生で培ってきたすべてでカイトにぶつかっ
た。
そこに思考が入り込む余地はない。眼前に敵がある。だから迎撃
するか避けるかの選択が生まれる。その選択を脳ではなく、本能に
任せただけの話だ。
フェアリーでこのまま圧してくるなら、すべて叩き落とす。
痺れを切らして、シャドウスパイダーを向かわせても同じことだ。
だから、攻撃してくる奴は全員排除する。
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スバルの意識を汲み取ったダークヒュドラは、取り囲んでいるフ
ェアリーを睨むと再びナイフを構えた。
フェアリーたちが散開する。狙いを絞らせないつもりだろうが、
そんなのは常套手段だ。放射される光の雨を躱しつつ、ヒュドラは
妖精にナイフを叩き込んでいく。
そうやって最後のひとつを落とした瞬間、黒の影は接近した。
﹁シャドウスパイダーだ!﹂
誰かが言った。
蜘蛛を模した巨大な機動ユニットは背中から銃口を向けると、ヒ
ュドラ相手に発射する。金色の網が飛び出した。
﹁電磁ネット!﹂
飛び出した蜘蛛の巣がビルの間に挟まり、巨大な網を作り出す。
ダークヒュドラは連射される網を避けつつ、ビルの中を飛行して
いく。
﹁!?﹂
だが、そこで。
敵影と重なった。ビルで構えていたイレイザーが大鎌を振るい、
一閃する。
瞬時の反応でヒュドラはバック。
直後、ヒュドラの動きが停止した。背後からシャドウスパイダー
の電磁ネットを受けたのだ。
電子機器を麻痺させる蜘蛛の巣はダークヒュドラの背中に張り付
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き、一時的に行動を停止させる。
﹁うわっ!﹂
待ち伏せされていた。フェアリーに完全に気を取られている隙に、
イレイザーは既にシャドウスパイダーとの連携を準備していたのだ。
ビル街に追い込まれた時点で、フェアリーは仕事を十分果たして
いたのである。
﹁ダークヒュドラ、捕まった!﹂
﹁飛行しない分、ビルの影となって移動しやすくなっていたようだ
ね。空のフェアリーとスパイダーに意識を持っていかれすぎたか﹂
いずれにせよ、電磁ネットで捕まった以上、ダークヒュドラは身
動きが取れない。
すぐ正面にはイレイザー。
こんままデスサイズを斬り込まれれば、HPゲージは大きく削り
取られてしまう。ダークヒュドラはもともと敵の攻撃を受けること
を想定していないのだ。
﹁まずは一発!﹂
カイトがそんなことを口にした気がした。
もしかすると幻聴かもしれない。だが、スバルの耳にはカイトに
よる敗北への宣告が聞こえた気がした。
だからこそ、彼は笑う。
﹁こんな時はこうするんだよ!﹂
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ダークヒュドラの背部が切り離された。
ネットで縛られた飛行ユニットを切り離し、一時的に自由になる。
攻撃コマンドを入力し終えているイレイザーが、大きく振りかぶ
ってきた。あの曲刃に命中すると、無事では済まないことは百の承
知だ。
だが、あの武器は敵に命中するまでの発生時間が特に長い部類で
あることをスバルは知っている。
ゆえに、スバルはダークヒュドラの中でもっとも発生が早く、イ
レイザーの足を止める行動を取った。
腰に収まっている第二のナイフ。その収納スペースをイレイザー
に向け、射出した。ファンの間でアーマーナイフと呼ばれるテクニ
ックである。
武器を装填したまま、相手に向けて発射する行動だ。普通に武器
を抜く作業を省く分、発生時間を削る事が出来る荒業である。
一度それを行うと、射出された武器は一定時
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