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はがき古い子供
丸木美術館クラブ・工作教室の10年展 万年山 隆さん ▹▹▹▹▹ 古神篤子「NO! NUKES」 丸木美術館工作教室の案内人として、茨城県常陸太田市か ら毎年参加されていた古神篤子さんの「NO! NUKES」をご紹 介します。 大きな桶の蓋にパステルで、地震・津波による福島原発の惨 状を強烈な色彩で表現しています。 行き場のない人間が不安でさまよいながらも、明るい希望 が見えてくるような作品です。 このコーナーでは、丸木美術館に展示された作品から、ボランティ アのお気に入りの一枚をご紹介しています。【村山 記】 大間原発反対!【あさこはうす】訪問記 3 月末、電源開発 ( 現Jパワー ) 大間原発の足元で原発反対 運動を続ける【あさこはうす】を訪ねた。 「ここ数日の暖か さですっかり雪が解けて」と、故熊谷あさ子さん ( 享年 68) の 遺志を継ぐ娘の小笠原厚子さんが笑顔で迎えてくださった。 大間原発は 1984 年の原発誘致決議から 24 年間未着工で あったが、それは、原子炉部分の地権者である熊谷あさ子 さんが最後のひとりになっても用地買収に応じなかったか らである。その後、電源開発は 2003 年に買収を断念。許可 申請を変更して原子炉を移動し、2008 年着工となる。あさ 子さんは反対運動継続のために町内にある実家を捨て【あ さこはうす】建築と移住を決意。しかし、その最中の 2006 年 5 月に急逝する。 「きれいな空気ときれいな水ときれいな 海があれば、人間はみな平和に暮らしていける。大間の海は、 鮪や昆布・雲丹・鮑…ここで採れないものはないという宝の海」 と、68 年間大間を愛し続けたあさ子さん。その心を継ぐ厚 子さんはこう話す。「母は全ての命・自然を分け隔てなく大切 にする根っこから平らな人。子供の頃、家には馬・羊・豚な どがたくさんいて、私は自然の中で育った。そのことで痛 みや悲しみを感じる人間になれたと思う。ここに子供たち を呼んで、自然を感じ学んで欲しいという母の夢を実現し たい。そして何より大間原発を止めたい。子供たちを守り たい。それは私の夢でもある。国策だからと原発を受け入 れたことは地元民として申し訳ない。福島の事故後も町長 が先代が決めたことだと原発を推進したことは間違い。野 田首相の“責任をとる”もあまりに軽い言葉。推進してき た自民党はこの教訓を踏まえ、国民に誠意を持って対応す べき。原発事故は誰も責任をとらないことが明らかになっ た今、この土地を守ることで国の政策に流されない意思を 示したい。国民ひとりひとりが自分のこととして考え、で きる範囲で継続し行動することが大切」と。その言葉は、丸 木夫妻と美術館が発信し続ける「命が大事」そのものである。 原発誘致で村は分断され、あさ子さんも後を継ぐ厚子さん も村八分となった。しかし、厚子さんが挨拶を続けると人々 の態度が徐々に変化し、耳元でこっそり「あさ子頑張ったな …」と囁やく近所の方も出てきた。皆それぞれの生活がある から、心で思っていても脱原発を口にできない。福島の事 故後に気持ちが変わった人もいるはずと厚子さんは感じて いる。私たちが声を出そう。声を出せない人々の代わりに。 篠崎幸惠 現在、公道 ( 国道 338 号 ) から【あさこはうす】に通ずる道 は「私有地への連絡通路」として電源開発から提供され、両 側を高いフェンスで仕切られている。フェンスの向こうで は手の届きそうな距離で原子炉建設が進む ( 上写真 )。道 には監視小屋やカメラが設置され、通行量が減れば即時封 鎖となる。現地に行けずとも、郵便を送って配達人を通せ ば通行量が確保できる。ハガキ送付のご支援お願いします。 ●「あさこはうす」へのお便り宛先 〒039-4601 青森県下北郡大間町大字大間小奥戸 396 あさこはうす(小笠原厚子) 上写真 :「生き物が一緒にいるのって 嬉しい!」と薪ストーブの前で仔猫 のレンくんを抱く小笠原厚子さん。 右写真 : 電気は太陽光+風力発電。 ちなみに丸木美術館では…古い太陽光パネルの電気は外周 りの電燈などで直接使用。募金で設置した新しい太陽光パ ネルの電気は送電線を使わざるを得ないため、一旦東電に 売電してから買い戻し利用している。今後は地元で市民協 同発電所を造って全て自前で賄うのが夢。【中野 談】