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戦前の日本のロケット研究
ISSN 0285-2861 • M-V 型ロケット新1/ 2 段接手の分離鼠験(織影 前山勝 HI)) 〈研究紹介〉 戦前の日本のロケット研究 宇宙科学研究所的川泰宣 ぺンンルから始まったとされる日本のロケット開発 プにつめた4輪のロケット・カーを生み出し,やがて に,終戦直後の断絶があったとはいえ,素晴らしい技 1932年から 1938年にかけて 38式野戦砲で打ち出すロケッ 術の先達があったことを知ることは,その背景にあっ ト推進の爆弥に進んだ。千葉の沼津で,ロケット爆弥 た軍国主義の是非を借いても無駄なことではな L 、。 のノズルを上に向けて 3分の2を地中に埋め込み,ストッ 日本のロケット研究の始まりは 1931 年(昭和 6年) プ・ウォッチだけが計制IJmi といういでたちの地上燃焼 にさかのぼる。この fl',陸軍と海軍でほぼ同じ頃に兵 試験を行った後,東京湾に向けて発射した記録が残っ ~としてのロケット研究が開始された。とっつきのい ている。 い固体燃料ロケットから始まって, 1935 f lo 頃から液体 燃料ロケットが研究され始めた。 紫色火薬は比推力が低いし,煙も吐くしオペレーショ ンも容易ではないが,ロケットの飛期性能の基礎研究 には大いに役立った。風プロフィルの飛刻経路への影 1.団体燃料ロケットの系鯖 響をテストするフライトで,森に飛び込んで火事を起 【陸軍の固体ロケット】 陸軍では, こしたり,民家の屋椴を突き破って居間に附入したり もともとは日露戦争末期にドイツから輸 入された 38式砲(直径 75mm ,射程 8km) を使って L 、 たのだが,他国の大砲がlOkm の射程なので, ロケッ ト推進を使って射程を仲ばすことが,固体ロケット研 究の動機づけとなった。 かくて 1932年に黒色火薬とパラフィンを細身のパイ したエピソードもあった。 1936年頃から陸軍科学研究所で,有契ロケットの尾 部に黒色火薬の燃焼ガスで回るタービンタイプのスピ ナーをつけて機体にスピンをかける画期的な試みが開 始された。加えて陸軍火薬廠でダブルベース(無煙火 薬)の実用化が図られ, 日本の固体ロケットに一大変 1(;'がもたらされたが,主として推薬の製造におけるぱ らつきが大きく,命 I:I:IE容は通常砲に及ばなかった。 【海軍の固体ロケット】 海軍での研究は軍艦への信号ロケット事it の推力テス トから始まり. 1934年には後に戦後日本のロケット開 発のパイオニアとなる村田勉らによる制l 袋川・辻堂で の打上げに進む。この記念すべき打上げは,以色火薬 45cm噴進弾とその打上げ をliCい尾翼も付けて発射灼 45 1.支で行われたが,海へ向 かわず村岡たちの頑 t を鋪えて後の林に突入したそう 詳細II や続賞烏・ NI制をはじめとする前線で使用された である。 くだりは,巻末文献を参照された L 、。 この失敗で村聞は敢然とダブルベースの研究に投入 1943年の暮れ.東京・目黒の海軍妓術師究所が 3∞ する。ドイツの乏しい資料を出発点として始めた開発 人を投入して一種の地対宅ミサイルとも言える門耳飽j が遂に完成を見たのは 1934年末から 19351手初めのこと の研究開発にとりかかり. だった。日本初のダブルベースである。村 III が終戦ま 行テストに糟ぎおけた(浅IlU 山)が,~戦に投入する で改良に献身したこのf:f:'ffは,戦後のペンシル・ロケッ には歪らなかった。なお海軍はこの後,液体ロケット トからの再出発に大きく貢献した。 を使った手書館 3-4型の開発へと進んだ。 1941 年に第2次位界大戦が勃発し戦線が拡がるにつ れて, そして第2次世界大戦 F の日本の肉体ロケット・グ 日本は南太平 n に展開する部隊に配備する通72・ 砲の不足に悩まされ, 1945年7月には務 illl2型の飛 ループは.ついに肉体ロケット推進のイT人グライダー もっと生産が容易で輸送も来な 「桜イむを完成する。 l様式ー攻の胴体に小判鮫のよう ロケット砲に注 lof が集まってきた。 に lH られた機花はあまりにイl 名だが,紙 [(ii もあまりな 吋相'11幾\¥;~持の観点から「ロ悌」と呼ばれていたロ いので,詳細HIま~本文献に譲る。 ケット予Ii とそのランチャーが,それぞれ「噴進事liJお よび「噴進他」として n 本軍の制式兵 tlli と認定される 2. に宅ったのは 1934年だった。'1t進事it にはすべて両孤燃 焼のダブルベースが~Jf1され,外径 20-l lOmm. 液体燃料ロケットの系蕗 1935年に陸軍で開始された液体燃料ロケットの研究 内 は,液体再量点とアルコールを般進剤としており,数年 千里 5- lOmm の筒状推薬を 6-37本ボねる Jf 式で,直径 にわたる地 t燃焼試験を続て 1939年には飛刻、triiiになっ 7cm-4Ocm の多彩なロケット弾が,降.,~(と海市によっ ていたが,刊当.l'fの転勤などもあって一時立ち消えに て開発された。 Mn またはスピンあるいはその両方が なった。 1ヰぴ研究が開始されたのは,戦況がZt を告げ Jim:!安定のために適 HI されたことは J うまでもない。 る 1944年 7 )1だっ fこ。 Pfl進事ii の強みは,従米の大砲のように大がかりな発 射システムを述ばなくて済み,極論すれば IIli ~11 な筒か 【|場前のイリ 1 サイル】 2 本のレールさ 海 l二での作戦!展開がイ~1~~ 手とされる隙"If. は ill波;溌導 えあれば発射可 JJ式のミサイルを構坦l した。それは「イ号計 l~ijJ と呼 能な点にある。 ばれ,大理の「イ号 lAJ と小砲の「イ乃 1BJ という これらの技術的 三つの;H- II判からなった。イ号 1A は無人のロケットで, 『崎支 ミ rr-J三 4l ;;;-~イ} 20cm pl進弾 噴進弾の木製ランチャー ~ゐ幽占晶E Ki-67燭軍機に韮曹されたイ号 1A ミサイル 。, u 際式ー攻からの桜花 11 の落下テスト 政調l に 8∞kg (I B は 300kg) の爆事if を約み, 母機 Ki-67 づき, ドイツのメッサーシュミット (Me-163B) の機 (lB は Ki -48 または Ki-102B) の胴体の下に吊り下げら 体とロケット・エンジンの技術データが 2 制1. れる設計で. 海草武官に波され,それらは潜水艦「皐月」と「松」 iiLJ機とも 1944年夏に設計が開始され,悶 日本の 年 10月にはプロトモデルが完成するというすばやさだっ にそれぞれ乗せられ隠本をめざした。 fill者は大凶洋で <- 撃沈されたが,後者は幾多の間基盤を乗り越えて 7 月 14 ~。 イ 号I Aは 敵 艦 の l l k m手 前 のi高 度 約8 0 0 mで 母 機 か ら 分 験 さ れ .0 . 5 秒 後 に 姿 勢 を 安 定 化 しさ, らに1.5秒後 日 γ ンガポールに到着.~路日本に持ち込まれた。 不十分な資料ではあったが,海軍と陸軍が日夜兼行 に ロ ケ ッ ト ・J エジ ン ( 過 酸 化 水 素 と 過 マ ン ガ ン 駿の努力を注ぎ込んだ紡巣, ナ 日本版Me-163B である「秋 ト リ ウ ム が 般 進 剤 ) に 点 火 , 母 機 は イ4 号kが m手敵 の 水」のモックアップ・テストが 1944年 9 月に行われる li1 l に 篠 近 す る ま で 追 跡 ・ 制 御 す る よ う 企 図 さ れ に奈った。エンジンは「特ロ た。し 2号」と呼ばれた。因み かし母俊による敵への後近が戦況から考えて不可 能と に f佐進剤は,叩液(過般化水素と安定剤I]) と乙液(液 の 判 断 か ら , 終 戦 の か I~Iに な りV H ~が 中 止 さ れ た 。 化ヒドラジン,メタノール. *.触媒)。 またイ号 l Bは l Aよ り 近 距 離 の 敵 を タ ー ゲ ッ ト と すテスト機とパイロットの訓練機を兼ねた,エンジン る も の で , 使 い 捨 て だ っ た に も か か わイ ら号 ずl. B とタンク抜きのグライダー・モデル(木製の軽い「秋 は 極 限 ま で 設 計 の 単 純 化 を 図 り , 製 作 ・ 保 守 い 草J ず れ1 機と も m いグライダー 2機〕も製作され. 非 常 に 容 易 と な る 素 硝 ら し い も の だ 1っ 9 4た 55\.'2月 。 1944年暮 れから 1945年初めにかけてのテスト飛行でパイロット に 伊 豆 で 行 わ れ た 飛 行 テ ス ト で は , 予 定 コ ー ス 訓練機としての愁備は怒った。 から大 き く 左 に そ れ で 熱 海 市 に 突 入 , 旅 自 自 に 飛fillJii}ー び 込 ん でB-29の ZE裂をかいくぐりながらの大変な作業で,特 さ ん2人 , 宿 泊 客 2 人 を 死 亡 さ せ る と い う 事 故 が 起 き口て 2{手エンジンが地Jニ燃焼試験を終え, 海:i]I と陵E草川 いる。そのためテストが琵琶湖周辺に 1 5移 0機さ のれ 1945年7月のこ に 2機の秋水がフル装備となったのは. 尖 機 が 製 作 さ れ た が 1. 9 4 5年 6 ~ 7月 の 燥 望 書 で 工 場 が 峻 とだった。!能史的な海軍による秋水の初飛行は7月 7 口, 滅的打撃を受け,生産中止の止むなきに3:った。 犬塚~E!'中尉によって行われ順調だったが,エンジン 1 9 4 4年 の3 - 4月 . 日 本 と ド イ ツ の 箪 司 王 援 助 協 定 にが高度 蕊 350m で !fi:,常官ーとともに停止し, グライディン グで滑走路に進入する際,民家の屋般にミt~ が触れて も 1 Ki-48爆撃機とイ号 B ミサイル 秋水のテスト織秋草の前に伶む犬皇室中尉 3 の転用が試みられていたが,これも仇花となった。 第2次大戦が終わると,戦時中のロケット開発の資 料はことごとく関係者の手によって焼き払われたが, ペンシル・ロケット以後日本の技術陣が成し:遂げた伎 術のおみは,先達の技柿j者魂を心ならずも受け継いだ 価値あるものと,国内外に2寄り得るものである。 文献 I) “ Handbook Japan 着陸寸前に墜落・破接した秋水の 1 号健 墜 落 , 犬 塚 中 尉 は J f f 2) 大 沢 他 f日 本 ロ ケ ッ ト 物 諮 3 )Y .Matogawa 原 因 と さ れ た 申 液 の タ ン ク の 出 口 位 位 を 改 良 し て , た 。 秋 水 は ,“ Japane J (三回出版, 担 Solid Rocke 1 9 9 6 ) 白 in t h eWorld WarII" , lAA-96- lAA .2.2.07 , 1 9 9 6 2次 大 戦 は 終 結 し nt h e 4) Y. Matogawa, "Japan慨 L叩 id R前kets i B争29 と の 戦 闘 に 間 に 合 わ な か っ た が , こ れ ほ ど の 秀 逸 な ロ ケ ッ ト 戦 術 機 を わ ず か ,W arDepartmeot eD ivisioo ( 1 9 4 6 ) J職 し た 。 陸 軍 が 好 機 を 待 っ た が , そ の 前 に 第 00 G uidedM i s s i l e so fGennany and ぺ Militarylntelligeoc WorldWarn" , IAA-97- lAA.2.3.02, 1 9 9 7 l年 の 管 凶 で 作 5 )Y .Matogawa, “ Ohka- Japan即 R田ket-Propelled り 上 げ た 当 時 の 日 本 の エ ン ジ ニ ア の 力 武 に は , あ ら た め て 篤 き を 禁 じ え な い 。 A t t a c kG l i d e ri nt h eWorldWar II ぺ 1AA-98-IAA 2.3.03 , 1 9 9 8 3 エピ口-~ 6 )Y .Matogawa ,“ Shusui ー Japanese RocketF i g h t e ri n t h eWorldWarII ぺ IAA-99-IAA.2.3.0I 秋 水 の た め に 開 発 さ れ た 液 体 ロ ケ ッ ト 技 術 は , 海 軍 の エ ン ジ ニ ア に よ っ て 地 対 空 ミ サ イ ル 「 術 館 4型 」 へ , 1 9 9 9 ( ま と が わ ・ や す の り ) お 知 ら せ 東 南 東 京 東 東 京 東 南 南 東 東 班 東 京 耳 東 京 風 東 京 東 南 東 京 東 京 三 語 * ロ ケ ッ ト ・ 衛 星 関 係 の 作 業 ス ケ ジ ュ ー ル ( 3月 ・ D 4 月) ー 3 月 相 INDEX:PM 模 姿 勢 系 試 験 (PM:P r o t oModel 原 能 NAL-735 代 2/23 よ り 4 (2 月 初 旬 ~3 月 下 旬 ) MUSES-C 噛 合 せ 民 厳 月 (4 月 初 旬 -6 月 下 旬 ) , 開 発 モ デ ル ) 地 上 燃 焼 試 験 7 貴 人 事 異 動 ( 教 官 ) 発 令 年 月 日 氏 名 災 動 司 I l J t 現(旧)験等 (昇任) 1 3 .I .1 堂谷忠妨 宇宙閣研究系助教侵 宇宙閤研究系助手 (転出) 1 3 .1 . 16 寺本 進 東京大学大学院工学系研究科講師 宇宙倫送研究系助手 (転入) 1 3 .2 .1 横凹力男 宇宙推進研究系助教授 -4- 技術郎飛捌体開発謀長 世シンポジウム 高温エレクトロニクス研究会 スペースプラズ 7 研究会 開催日 :2月 23 日(金) 開催目。 3月 23 日(金) 場 場所宇宙科学研究所本館 1 階入札室 所:宇宙科学研究所本館2 階会議場 防J ~、合わせ先.竿宙科学研究所管理部研究協力J*共同利用担当 ,~肯文部科学省スタート ぷたご示、、 問時 A引1 21 世紀がスタートした 出事情 H 年) \よ"/ れ変わり, ESA-ISASJ o i n t Meeting 肯 第 1 回 BepiColombo 2∞ l 年(平成 5 階会議案 TEL:042・759-8019 ク リ ス マ ス の 飾 り が 始 ま り つ つ あ っ た 13 1,FJ 6 日から,中央省ri"が新しく住ま 6-8 日 に オ ラ ン ダ の 2α 氾 年 の Noordwijk に あ る ESA 内側!f1 を始めとする l 府 12省庁で発足した。宇宙科学 て 際 記 会 議 が 開 催 さ れ ま し た 。 初 日 は 主 に マ ネ ー ジ メ 研究所と段も関係の深い文部省と科学技術庁が統合し ン ト お よ び サ イ エ ン ス , 銭 り の て再創成され, に つ い て 議 論 し ま し た 。 初 日 は I文部科学省」が役fi1された。 本研究所の業務については,これまで lEI 文総省の学 郎 , 水 谷 仁 , 早 川 ISAS i必 各 先 生 お よ び 小 川 ら に 京 都 大 学 か ら は 松 本 紘 先 生 の 合 計 は,大学:共同利 HJ 機!則としての側簡は研究振興局の学 らは M.Coradini 術後!刻裂の,また予 r~ーを含む宇宙科学プロジェクトの comb 氏, 推進については研究開発局の字 Wi政策課の所管となる。 M.Novara 氏, 氏, R.Bonnet R.Grard の審議は,その中の「学術分科会」で行われることに なる。 また宇宙開発委員会の法的位置付けは文部科学行内 に i白かれる稼議会と悶様となり,宇宙開発事業聞に係 わる事項を処理することとなる。 M i n i s t r y o fEd ucation , Culture , Sports, S c i e n c eandT田hnology となった。 新しい文部科学省の組織図 大阪官房文教施設部 国際総括官 生渡学習司政策防 相l等中等教宵局 27ii等教育局 科学技術・学術政策局一寸一政策課 '-2基盤政策課 科学技術政策研究所 科学技術振興事業回 日本是非術綴興会 振興企箇諜 学術機関課 』正礎Ji!i盤研究課一一一「問隣国立共間研究機構 '-JlI!化学術究所 ライフサイエンス課一一関立遺伝学研究所 ill 子放射線研究課一一一高エネルギー加速球研究機構 研 究 開 発 防 氏, ESA 制IJ か G.Whitュ 2 13 聞からは向井利1Jl!先生がSS司 520・2号機の打ち上を終 務議会 J となり,字術科学についての学術的観点から 文 部 科 学 省 III 首長一 氏 の 6名 が 参 加 し , 分科会宇宙科学部会)は統合されて「科学技術・学術 研 究 仮 興 局 に II 専 之 氏 と 私 , さ 6名, P.Wenzel 氏, か ら は 鶴 本研究所と関わりの深い旧学術務議会(特定研究領域 MEXT) の ESTEC 2 日|泊は技術的な|問題 術国際局研究機関事長が一体的に所管してきたが,今後 (略称 12J~ (EuropeanSpaceRe 田:a rch andTechnologyCentre) IIヨ体制の lR122 省庁を再編し, なお,文総科学省の英語表記については, 開 催 宇宙政策課一一一一一「一宇宙科学研究所 」一国立天文台 海洋地球課一一一一一一国立属地研 宇宙開発利剤課一一「一航空宇街技術研究所 い一宇宙開発事業団 原子力課 ス ポ ー ッ ・ 青 少 年 間 核融合科学研究所 5 えてスバルバードから駆け付け. ESA側はさらに各サ ブシステム鑓当の 13名が加わりました。 Orbiter) ISAS が MMO (Mercury Magnetosphere の ン ス テ ム 殺 計 ・ 製 作 ・ 運 用 を り ま せ ん が 「 の ぞ み 」 の 運 用 へ の 自 信 を 深 め る こ と が で き ま し た 。 ( 中 谷 一 郎 ) t担当して, ESA の コ ー ナ ー ス ト ー ン ・ ミ ッ シ ョ ン に 本 格 的 に 参 加 l 育 第 1回 宇 宙 科 学 シ ン ポ ジ ウ ム す る 新 し い 形 の 悶 際 協 力 の 門 出 に ふ さ わ し い 会 議 で し 平 成 13 年l)'1 た 。 な ご や か に で は あ り ま す が , 車 ) ) か ら 夕 方 ま で to-face の 議 論 を i世J の 後 も 良 好 で あ る こ と が 確 認 さ れ ま し た 。 「 か わ し 功 、 子 に は 旅 を さ せ よ 」 で は あ BepiColombo については 2仮泊年 11 月号の記事に諮 りますが. 巡 l削 以 仁 に わ た る 「 波 fa 田ー 11-12EI に 第 11m 宇 宙 科 学 シ ン ポ ジ ウ ム が 聞 か れ ま し た 。 今 回 の ン ン ポ ジ ウ ム は 以 下 の よ う な 3日 間 述 絞 で 行 う の は か な り し ん ど か っ 形 態 で 聞 か れ ま し た 。 字 'iiI 科 学 研 究 所 の そ れ ぞ れ の 研 た と い う の が 本 音 で す 。 こ の 会 議 で お 互 い の 顔 と 考 え 究 分 野 の 研 究 者 が を 知 る こ と が で き , い よ い よ 検 討 も 本 械 化 し て き ま し ン ポ ジ ウ ム と た 。 ( 山 川 宏 ) わ る こ と に つ い て 理 学 , 工 学 が 一 緒 に 議 論 で き る よ う 1止 話 人 と な っ て 開 催 す る 他 の J慢 な り , 将 来 計 19 の シ I耳 目 の よ う な 所 全 体 に か か に , 会 所 的 な シ ン ポ ジ ウ ム と す る こ と に し ま し た 。 し 肯 「 の ぞ み 」 ・ 太 陽 ・ 地 球 ・ 月 が 一 直 線 に た が っ て 世 話 人 も 理 学 , 工 学 あ わ せ て 2∞4年 始 め に 火 昼 間 回 軌 道 投 入 を 予 定 し て い る 探 査 4人 と し , 講 演 募 集 も 想 ! , 工 学 委 良 長 名 で 行 い ま し た 。 恕 , 工 学 委 員 機「のぞみ」は太陽を聞る軌道ー上を順調に巡航中です。 会 委 只 , 運 営 協 議 委 員 会 委 員 お よ び 等 員 教 官 の 出 席 も 今 年 の 事 前 に 妥 車 内 し ま し た 。 シ ン ポ ジ ウ ム は 1 月 10 日 早 朝 の 皆 既 月 食 は 記 憶 に 新 し い と こ ろ l日 臼 全 部 と で す が , ち ょ う ど こ の と き 「 の ぞ み 」 は 地 球 か ら 見 て 目 の 午 前 前 半 が 数 年 以 内 に 正 式 に 提 案 さ れ る と 忠 わ れ 太 陽 の 反 対 側 に さ し か か っ て い ま し た 。 そ の 結 果 , 標 る 金 媛 大 気 計 記 の よ う に 4つ の 天 体 ( そ の う ち の 一 つ は 人 工 天 体 で T®. 水!fl.探奈 期 磁 気 閥 衛 星 計 画 , 次 期 す け が 一 直 線 上 に 並 ぶ と い う 極 め て 珍 し L 、配置が実 文 衛 星 (SPICA) (BepiColombo) X線 天 文 現 し ま し た 。 も ち ろ ん , ノ ス ト ラ ダ ム ス な ら ぬ わ れ わ 計画,および次期月探査苦|闘の れ 研 究 者 に と っ て は 特 別 な 意 味 は あ り ま せ ん が 。 てそれぞれのワーキンググループの報告にあてられ, しかし. rの ぞ み 」 が 太 陽 の 反 対 制 に そ の 雑 音 の 影 響 で し た 。 昨 年 I) に 位 置 し た た め 7 つの際空 I J'! 20 日 ま で 来計画に関する する 5件 の 講 演 が な さ れ ま し た 。 こ れ ま で の 衛 星 , お 用務で. よ び 観 測 ロ ケ ッ ト で 得 ら れ た 成 果 の 報 告 は 第 r合 」 と 呼 ば れ , も ち ろ ん , 軌 道 設 計 の お 初 よ り 分 か っ て い た こ と で す か ら こ の 期 間 を 無 事 に 乗 り 夕方に予定されたポスターセッション(計 き る た め 「 の ぞ み 」 プ ロ ジ ェ ク ト チ ー ム は さ ま ざ ま な み入れました。 機 備 を 進 め て き ま し た 。 281 間共に 「 の ぞ み 」 に 務 殺 し た 通 信 用 の ア ン テ ナ は ピ ー ム が ました。部屋が挟隆なこと,口頭発表に押されてポス r合 」 明 け に は ピ タ リ タ ー セ ッ シ ョ ン の 時 間 に し わ 寄 せ が 行 っ た 事 な ど , 今 と 地 球 方 向 を 向 く 必 要 が あ り ま す 。 万 一 こ の 操 作 に 誤 J と の 通 信 が 回 復 し な い こ と に な り 大 変 や っ か い な こ と に な り ま す 。 姿 勢 制 御 グ ル ー プ の 実 力 は 誰 も が 疑 っ て い ま せ ん で し た が , そ れ で も 3週 間 も 放 無事に再捕捉できるか. III さ れ た 探 査 機 が 本 当 に I 月 20 日の「合 J 明けは,チー ム に と っ て は 大 変 緊 援 す る 燐 聞 で し た 。 結 果 的 に は こ の 日 の 朝 , 臼 田 局 の 64m ア ン テ ナ は 予 測 ど お り の 強 度 で 「 の ぞ み 」 の 信 号 受 信 に 成 功 し , プ ロ ジ ェ ク ト チ ー ム ー 問 , ホ ッ と し ま し た 。 姿 勢 制 御 の 精 度 が 再 確 認 さ れ , 併 せ て 探 査 後 各 部 の 健 康 状 態 も 2階 の 会 議 室 は 立 錐 の 余 地 な し 室 外 に 人 が溢れる稜の盛況に加え.Iffの高いま持泌が多く為され し か も こ の 「 合 」 の 聞 に , 姿 勢 差 が 入 る と 「 の ぞ み E計 画 に つ い 18 併の談誠,そして衛星基披技術に|則 「 の ぞ み 」 は 音 信 不 通 と な っ た わ け で す 。 こ れ は 天 文 30 度 近 く 動 か し て . (VSOP2) 化 し て お ら ず , 研 究 者 の 問 で 議 論 さ れ は じ め て い る 将 12 J'! 28 日 を 最 後 に , 今 年 の を 自 律 的 に 赤 外 天 VLBI 28 の 午 前 後 半 か ら 午 後 に か け て , ま だ 上 記 ほ ど 具 体 3週 間 ほ ど 通 信 が で き な く な り ま 約1. 4度と大変鋭く, 計 繭 , 次 f器産計画, 苦1今 回 , 次 期 ス ペ ー ス 2日 3 -6- 1 日目の 44 件)に組 後善処すべき .I::!. がいくつかありますが,延べ出席者360 世 宇 宙 学 校 名以上で,第 1 問自にしては総じて 21'1世紀の初めにあ 1 月 28 EI と 仁 ) 大 雪 。 将 たり,参E を議論するに栂応しい y ンポジウムであった 校 が 聞 か れ ま し た 。 一 人 も と思います。第 1 日闘の夜に聞かれた懇毅会は所内外 そ ん な 息 い に 沈 み つ つ , の理学,工学の諸賢が親しく意見を交す機会を与えて い ま し た 。 40 分 程 か け て 司 : で 会 場 に 向 か は 満 員 で は あ り ま せ ん で し た が , ムとすべく,策を練りたいと思います。最後にこのシ だ さ っ た 特 に 熱 心 な 秘 衆 に 感 激 し て ンポジウムを聞くにあたって今回は特に多くの所内の ま で 以 上 に 熱 っ ぽ く 識 が 事務官,研究者の手を煩わせましたこと,世話人を代 後 の 1 時Il~の質問時刈も焼く!日 表して心から感謝の:0:を表します。 問 中 助 手 の 小山孝一郎) l依 衆 は 米 な い の で は な い か , ff 通 は 自 宅 か ら くれました。来~~は更に充実した,楽しいシンポジウ (代表世話一人 1絞j京 市 産 業 会 館 に て 宇 宙 学 III で IS 分 の 際 線 で す 。 会 場 ES の 中 t !長まってく 6人 の 教 官 は こ れ iし た よ う に 思 え ま し た 。 講 演 jに 過 ぎ て し ま い ま し た 。 FJ 採 益 計 画 の ペ ネ ト レ ー タ の t苦労 i"- ・に感動 が 広 が り ま し た 。 泉 谷 助 教 綬 の 重 力 を 大 き く す る と 双 頭 の オ タ マ ジ ャ ク シ が で き る 蒜 は , 驚 き で す が , 無 重 脅図中先生米国天文学会のロッシ賞受賞 力 で も 適 当 な 調 節 で 正 常 な オ タ マ ジ ャ ク ン に な る た く 宇宙日f名校教綬の問中給自II先生が去る l 月 II 日に英 l刻のファビアン (Andrew C .Fabian) 国 天 文 学 会 よ り ロ ッ シ 賞 (Ro 日i Prize) ブ ル ー ノ ・ ロ ッ シ (Bruno 教 授 と 共 に , 米 Ross;) 211 寺 限 闘 は 的 を受賞'された。 X線 天 体 り 易 く 子 供 た ち に も 興 味 が 湧 い た と 思 い ま す 。 の 綬 業 で 向 橋 助 教 綬 は 広 大 で 静 か と 思 わ れ て い た 宇 宙 米 国 天 文 学 会 で は こ の ロ ッ シ 先 生 の ご 監 綴 と 栄 脊 を 讃 が 如 何 に 激 し く 変 化 し て い る か を 自 分 で 実 感 し た こ と え て , 特 に 荷 エ ネ ル ギ 一 天 体 物 理 学 の 分 野 で 独 創 的 で を デ ー タ で 示 し ま し た 。 研 究 へ の 情 熱 が 秘 衆 へ も 伝 わ 顕 著 な 業 績 を 挙 げ た 科 学 者 を 表 彰 す る た め に , 1985 年 1を 設 立 し た 。 そ し て こ の 口 ツ ン 11 は り ま す 。 綬 業 の 最 後 は 松 岡 助 手 で す 。 プ ラ ズ マ が 宇 宙 に 普 通 的 に 存 在 し て い る こ と を 苦 苦 し ま し た 。 毎 年 1月 に 開 催 さ れ る 米 悶 天 文 学 会 に お い て 表 彰 さ れ る 。 こ れ ま で に ス ニ ャ ー エ 久 し ぶ り の 校 長 先 生 役 で , こ こ 数 年 の 宇 協 学 校 の ' ; f ( R a s h i dA . Sunyaev) , 7 A. Colgate) コルゲート (Stirling A. Simpson) , フ ィ シ ュ マ ン ス (Martin R悶 〕 苦 手 こ の 分 野 の 大 家 が こ の 貨 を 受 賞 , シ ン プ ソ ン (Gerald Fishman) 閥 気 が わ か り ま せ ん が , 今 回 大 人 が ほ と ん ど で 子 供 が (John , リ ー している。 今 回 問 中 先 生 と フ ァ ピ ア ン 教 授 が 共 悶 で こ の ロ ッ ン 11:を受賞されたのは, 日本の X線 天 文 衛 尾 「 あ す か 」 で 観 測 さ れ た 活 動 的 銀 河 核 の エ ネ ル ギ ー ス ペ ク ト ル か ら , 相 対 論 的 な 重 力 赤 方 偏 移 を 受 け て 広 が っ た 蛍 光 鉄 剣 線 を 発 見 し た 事 に 図 る も の で あ る 。 こ の 結 果 は 最 初 に MCG-6-3 仏 IS と 呼 ば れ る 活 動 的 銀 河 絞 の 観 測 lか ら 発 見 さ れ た が , そ の 後 の 「 あ す か 」 の 観 測 で 他 の 活 動 的 銀 汚 核 か ら も 続 々 と 同 様 の 広 が っ た 鉄 郷 線 構 造 が 発 見 さ れ た 。 こ の 現 象 は ブ ラ ッ ク ホ ー ル 周 辺 の 降 着 円 盤 の 極 内 縁 部 に 起 闘 す る と 考 え ら れ , 汚 動 的 銀 河 核 中 心 に 巨大ブラックホールの存在を予言する:1m論を縦割 IJ の 聞 か ら 強 く 支 持 す る こ と と な り , 現 代 の 天 体 物 : 1 m 学 の 発 展 に 大 き な 貢 献 を す る も の で あ る 。 「 あ す か 」 の 銭 前 I j 成 果 が 評 価 さ れ た 祝 い 申 し 上 げ た M-V b故 障 診 断 の シ ス テ ム に つ い て 話 し , 場 数 を 踏 ん で い よ い よ 話 が わ か の 発 見 に 導 い た 事 で 有 名 で あ る 。 よ り こ の ロ ッ / 1 ' 1だ に し て い な か っ た り 感 動 し ま す 。 総 本 助 教 綬 は 衛 星 の 自 主 先 生 は 元 マ サ チ ュ ー 1962 年 に は ロ ケ ッ ト 実 験 を 指 導 し て 最 初 の X-I) JII 教 授 の 予 延 ロ ケ ッ ト の ノ ズ ル の 磁 波 , 成 功 し た 話 ー よ り 聴 衆 は , よ セ ッ ツ 工 科 大 学 教 授 で 宇 宙 線 研 究 の 先 豚 者 で あ り , (さそりJ* ま し さ も 不 思 議 で す 。 ~JJ を 共 に 喜 び . お 二 人 に は 心 か ら お L、 。 ( 長 瀬 文 l昭) -7- 31 時限 少なかったのは大雪のせいだと思います。キ目般原市の た 。 衝 懇 デ ー タ も 収 録 で き て お り , こ れ か ら 詳 細 な 解 グリーンロータリークラブが,宇宙少年団結成に動き 析 を 行 い ま す 。 こ れ で , 昨 年 始めて,授業の最後に少年間への加入を呼び掛けまし た 静 荷 重 試 験 に 続 く . た。今後,相t草原市,市教育委員会,ロータリークラ ま た , 本 試 験 は , 今 ま で 種 々 の 試 験 に ご 尽 力 下 さ っ た ブ,およびアマチュア天文クラブなどと述携すれば吏 橋 元 さ ん と 喜 久 恩 さ ん に と っ て 最 後 の 大 規 模 試 験 に な に素晴らしい字徳学校になるでしょう。授業が終わっ り ま し た 。 長 い ! i ' 8月 の M V 事 情 で 紛 介 し i l l ! の 開 発 試 験 は 終 了 し ま し た 。 d. こ . 苦 労 さ ま で し た 。 ( 峯 杉 賢 治 ) ても雪はまだ降り続いていました。理科好きの子供途 を宵てるため,宇宙学校が少しでも役に立てたらいい 世 8S-520 なー。こう思いながら大雪の 16号線をスリップしない 昨 年 ・2号 機 観 測 j結 果 速 報 12 月 4 日 , 待 ち の 態 勢 に 入 っ て ようにゆっくりと帰途につきました。いつものことな の 条 件 は こ れ ま で で 一 番 。 ロ ン グ イ ヤ ー ベ ン で レ ー ダ がら,企画・広報係をはじめとする管理担郊の皆さん, 観 測 を し て い る 藤 井 良 ー さ ん ( 名 大 相模原市,市教育委員会など,この宇 rn学校を一生懸 イ オ ン の 命支えて下さった多くの皆さん,お疲れ織でした。 べ ン も ニ ー オ ル ス ン も (小山孝一郎) M-V製ロケットの高性能・低コスト化を Elf脅 した改良が進行中です。その一環として,開発中の新 1/2段接手の分離試験を. 島 宇 宙 窓 ! 日 I f ]24 日 か ら 分 離 俄 能 の 確 認 と 分 雛 l時 に 発 生 す る 非 常 に 大 き な 衝 撃 の 計 測 で す 。 改 良 型 の M V L功 、 所 に 来 て い る 。 こ の ロ ケ ッ の モ ー エ ン 教 授 や 藤 井 さ ん と 議 論 。 い よ い よ , 決 断 。 仰 jlJ86 型 ロ ケ ッ ト で は , 従 来 は 第 ilI SMSJ 2段 制 IJ グ リ ッ ド 総 選 外 商 に 依 ..J 2 k m ~ i伎 し か し , カ ス プ 特 1 - 。 の 打 ち 上 げ , テ レ メ ー タ ・ jll)lt や プ ラ ズ マ 波 動 の デ ー タ に は 予 怨 外 に 細 か な 総 造 が 観 ら 重 姿 な ポ イ ン ト で し た 。 測 さ れ , 現 イ 正 解 析 中 で あ る 。 1/2 段 緩 手 の よ 側 に 構 造 機 能 試 験 秘 に 発 モ デ ル を 結 合 し て . 状 態 、 で 行 い ま し た 。 談 ま じ い 爆 音 と 閃 光 と と も に , 者 王Ii. I段 目 グ リ ッ ド 構 造 が 務 下 し , 試 験 は 成 功 し ま し 今 回 の ロ ケ ッ ト 実 験 で は , 高 lli No.1 mimi , す べ て 正 常 。 カ ス プ を か す め て 飛 ん だ よ う で あ る 。 一 方 , 降 下 粒 子 S M S モ ー タ ケ ー ス 続 々 の 高 圧 Jの イ オ ン の 降 り 込 み は 弱 々 し い 。 Jが 綴 れ な い 程 度 ま で 衝 聖 書 が 緩 和 さ れ て い る か ど う か M 1 4 Q L デ ー タ 監 視 室 事 後 の 解 析 に よ れ ば , ロ ケ ッ ト は わ ず か に 磁 に 逸 れ て を 取 り 付 け て い ま す 。 今 問 の 衝 怒 計 担 I j で は , こ の シ ョ ッ ク マ ウ ン ト に よ っ て 示 し て あ っ た 唱 し か 雛 れ て い な い 射 点 が 大 宮 と は IE 常 , テ レ メ ー タ の 受 依 状 況 も い い 。 観 測 セ ン サ ー の 生 紙 の 分 縦 而 か ら 近 く な る た め に , 衝 撃 を 緩 和 す る シ ョ ッ 試 験 は , 新 と 意 味 不 明 な の 窓 か ら 見 た ロ ケ ッ ト は 真 七 に 飛 ん で 行 っ た 。 飛 朔 は 股 開 , ア ン テ ナ SMSJ 衛 産 が 徹 影 し た オ ー ロ ラ ト 実 験 の た め に 現 地 ま で 駆 け つ け て く れ た オ ス 口 大 学 を 変 更 す る こ と に な っ て い ま す 。 し た が っ て , 衝 態 発 ク マ ウ ン ト を 介 し て P O L A R ニ で 30 分 程 度 の 遅 れ で 見 え る ) に よ れ 知 る 出 も な い 。 2段 ノ ズ ル ま わ り に 絡 載 さ れ て い た 後 勢 制 御 装 1/2 段 接 手 の だ が . む 話 。 わ ず か l観 測 所 で 行 い ま し た 。 今 聞 の 試 験 の 目 的 は , を , こ の 新 lHil (WebpageJ 保 安 主 任 か ら は 「 ホ ン ト に い く の か 2月 2 日 ま で 鹿 児 j j } f 教 綬 ) か ら 25 が 降 っ て い る 。 地 上 か ら の 光 ば , カ ス プ は ち ょ う ど *M-V型ロケ y 卜新 1/2段接手の分雄拭験(表紙写真) 現在. S T E i二 界 流 が 活 発 と い う 情 報 。 た だ , ロ ン グ イ ヤ ー 学 鋭 測 は 事 繭 像 10 日 目 , 太 紛 風 デ ジ タ ル 制 御 セ グ メ ン ト の 開 I~H 自 分 解 能 の 粒 子 観 測 , l毅 の プ ラ ズ マ 波 動 受 信 機 , 般 業 イ オ ン の 極 端 紫 外 光 観 測 な ど , 世 界 的 に も 級 新 の 観 測 技 術 の 開 ~ 豊 備 塔 の ク レ ー ン で つ り 上 げ た If 発 が 行 わ れ て き た 。 開 発 に 悦 わ っ た 学 生 の 一 人 は 博 士 論 文 に 事 IJgJ 紡 巣 を ぎ り ぎ り で 少 な く と も あ と 1m に 合 わ せ る こ と が で き , 2つ の 防 士 論 文 が U1 る も の と い る 。 打 tげ 翌 日 か ら は 暴 風 だ っ た 。 15 日 間 も ウ イ ン ド ー を 取 っ て い た の に , あ れ が ワ ン チ ャ ン ス だ っ た と は 。 奇 し く も . rあ け ぼ の 」 衛 星 が ロ ケ ッ ト の 打 上 と 同 時 に や や 南 側 を 通 過 し , ロ ケ ッ ト と 待 う 副 産 物 を も た ら し て , 実 験 は 事 り ま し た が , こ の の 多 く の 方 々 に ご 支 援 , ご 協 力 を い た だ き , 本 当 に あ り が と う ご ざ い ま し た 。 ( 向 井 利 典 ) -8- fm. の 同 時 観 測 と い If 司 王 終 っ た 。 最 後 に な 3年 間 , 所 内 外 , メ ー カ ー , 関 内 外 j切 符 し て i字⑤芭第凋 光結合型 VLBI 実験 句史v 村田泰宏 VLBI という伎術は,遠隔地に離れた複数の望遠鏡 ルネックとなります。 (ここでは 1 つのパラボラアンテナの叩皮望遠船を結合し この光結合型 VLBl観測を実現するために,同立天 て l つの大きな盟逃鋭を作る妓術です。それぞれの盟 文台・通信総合研究所・ NIT と技術開発の共同研究 遠鏡を通った'ill 波は,一時的に磁気テープに記録され, を行って来ました。字術研のグループは,将来の術frl あとで, への応用も視野に入れ, r はるか」のデータの光結合 r相関局」と呼ぶ処理センタで再生されて, 焦点を結びます。普通の望遠鏡では,焦点は望遠鏡の 型 VLBI による実時Ill]処理の研究を行なっています。 中にあり,そこに検出総を置いて観測を行ないますが, この共同研究では,宇 'iiiUJf 臼田宇宙空間観面l]m64m ア VLBIの場合は, 1.'"点は相関~という処理袈iRの中に ンテナ, r はるかJ のデータ受信用 10m アンテナ,通 できます。現在宇宙研で運用している, r はるか」衛 信総合研究所I&l:b の 34m アンテナ,そして国立天文台 星は,この技術を利用して地上のアンテナ若手と協力し =鷹相関局を NITの ATM (非同期]転送モード)回線 て,口径約3万キロメートルの地球より大きな巨大な で結合して実験を行っています。 望遠鏡を実現しています。 1 つの大きな諜題は,商法かつ 1 マイクロ秒以下の時 この VLBIの観測の場合,各アンテナでの磁気テー 刻l 精度の必要な VLBl観測データをどのようにして, プへの記録速度が相関総に送ることのできるデータ益 ネットワーク伝送プロトコルに合わせて伝送するかで を決めます。このデータ放が多ければ多いほど,ほと す。その方式を確立したことにより通信総合研究所, んどの天体に対する観測の感度が大きくなります。感 臼 l王164m のアンテナ等を利用して池上のアンテナのみ &を上げるためには,磁気記録の速度を上げることが の光結合型 VLBI の観測が. 必裂ですが,最新の技術でも 1-2 ギガビット毎秒 l ∞万ビット毎秒)のデータ伝送速度では成功し,現在 256 メガピット毎秒 (Mbps (G句&ω悠ピット何秒)がせいぜいです。そこで, さまざまな観測を実行中です。また,地上 VLBI では, ほかのデータ伝送の手段として,光ファイパ公衆ネッ さらに光ファイパの得域を目いっぱい使用して感度を トワーク回線によるデータ伝送に目をつけました。現 飛縦的に向上させる方 Ito] で研究開発をしています。 在の実験で使用している同線では,最大 2.5Gbps です が,この分野の技術進歩はすさまじく. I 本で ωG句s 「はるかj を含めたスペース VLBI実験の場合,地上 光結合型 VLBIで発生した問題のほかに, リアルタイ 以上,ファイパを束ねればさらに伝送速度を上げられ, ム処理のために,衛星の周波数制御誤差や. その分観測の感度があがります。 誤差を,追跡データを利用して反映することができな また,従来オフライン処塑で磁気テープが到着して 置守圃邑_.~ 4・・・・ j立{丘推定 いという問題があります。そのために相関総で上記の ~堅 から開始していた 誤差をどのように吸収するかを検討しています。その J 処型がリアルタイ 問題点の解決の目処も立ち,現在最終的な実験の幣備 ムで行なうことが を行なっています。 できるようになり, ・ ロ -ー 左の写真は,この実験のために開発され国立天文台 データの品質確認 の税関{tlf に設置されたネットワークに流された VLBI やフィードパック データを,通常の VLBIで使用している形式に変換す がその場でできる る受信装置です。この実験によって,複数の望遠鏡を ようになるという 光ファイパ回線を使って結合することが可能となりま 利点もあります。 した。今後,国際回線の鍍備が進むことにより,現在 がそれに「はるかJ 磁気テープレベルで行なわれている VLBI 観測が光回 の場合は,衛星と 線に i置き換わり.さらなる向感度観測を行なうように 地上のデータ伝送 なるでしょう。さらに,将来,衛星同士での干渉計の 速度,および.地 計画では,光伝送による術昼間通信で干渉青|観測のデー ネ ν トワーヲ包線のパケ y トから VLBI 上での総気記録の タの伝送のための基礎技術の 1 つとなるでしょう。 データに変換する受信装置 速度の双方がポト (むらた・やすひろ) -9- ー主義 i!!i 」_ 新世紀の初日の出 安部正真 lit紀をまたぐ出張は, 12月に入ってから決まったの ランプのみで進む。, lim のドームに到着したときには で,航空券の手配にてこずったが,何とか12月 29 日出 日も府間に慣れていて, 同 までに見たこともないような数の星があった。これだ 1 月 4 日帰国,のスケジュールを組むことができた。 IJlm から見上げる笠には,今 行き先はハワイのすばる観測所。目的はMUSES-C ミッ けの昆があると普段見倣れている星座がすぐにはわか ンョンの探査候補天体の観測。 らなくなってしまう。天の川もはっきりとその形を見 MUSES-C とは M-V ロケットの 5 号軽量で2∞2年末に打 ることができる。 上げ予定の小惑星探1f;)-f画だ。 M-V-4号機の打上げ失 敗の影響で, 5号機の打上げが遅れ, !軍査対象が変更 観測は到着初日と潔 データが取れたため, II の晩に行われ,当初のL!ft-Jの 31 日と 1 日の晩は山 m には上が になったために急逮この小感昆に対する観測が必要に らず,山 III の宿泊所で過ごすことになった。 なったのである。幸いすばる観測所と観測装i世グルー るパソコンを用いて何人かとメールでやり取りをした。 プの協力が得られ,年末年始の数日間のどこかで,観 日本とハワイの時差は 測をさせてもらえることになったのだ。 紀なのに.日本ではすでに ,iii 日の 28 日まで観測の準備や他の仕事に追われ,あ III 鐙にあ 19 時|悶ある。ハワイはまだ 21 世紀を迎えていて,世紀 をまたいでのメールとなった。 山箆での世紀越えの瞬間はいたって静かなものであっ わただしい出発となったが,年末のlU国ラッシュに巻 き込まれずに成聞から官1\ -]I出国。問日の昼過ぎにはす た。ほとんどの宿泊者は観 ばる観測所のあるハワイ島に到着した。 ているため,我々のように夜中に街泊所に絞っている すばる観測所の望泌鋭は直径が8.3m の mil のために夜は Il, m に上がっ 1 校鋭では 人はわずかだ。さらに,たいていの海外の人は昨年が 世界最大の鏡をもっ望遠鏡で,高度4,2∞m のマウナ ニューミレニアムの始まりだとの認議らしく,特に騒 ケア山頂にある。マウナケア山頂は地主主上でもっとも いでいる人はいなかった。 天体観測に適している場所の一つで,大小あわせて13 翌朝の初日の出は,宿泊所の敷地からは見えないの 似の製遠鏡が建設されている。ただし, 4,αlOrn を超 で, 5分ほど歩いて見晴らしの良いところまで行き, える高度での観測は高山病の危険との背中合わせであ 分ほど]i る。空気が薄いために血液中の酸素が少なくなり,頭 ら 星 が 消 え て い き , がぼーっとしてくる。階段を上がったりするだけで息 く な っ て い く 。 麓 の ヒ ロ と い う 街 の 上 に 留 ま っ て い る 苫しくなる。 10人に 1 人くらいは,山頂での作業に支 22 が , ゆ っ く り と 動 き は じ め る 。 日 の H 1 の 瞬 間 に つ い 障がでて,作業できずに Fill を余儀なくされる場合も て 文 学 的 な 描 写 は う ま く で き な い が , 一 瞬 緑 色 の 光 を あるとのことだ。 感 じ た 後 , 次 第 に そ の 自 民 を 覗 か せ た 。 山 鐙 の 空 気 が 澄 山箆の 2,8∞m 地点にはハレポハクという観測者用 の宿泊施設がある。観測者はそこで寝泊まりし,夕方 の III でないと上がれな 4WD 物もなく火山岩で覆われた山肌がむき出しになってい m から車ごと転議してしま うので,低迷運転が必要である。 我々の観測は夜の 2時すぎごろから始まる。初日は 到必したばかりで,いきなり山頂にあがっては身体に 良くないため,干支の 12 時ごろまでハレポハクで身体を ならしてから山政に向かった。山頂付近ではすでに観 測が始まっているため, ZE が 赤 み を 地 し , そ の 後 次 第 に 白 b、 る せ い か , 新 世 紀 縁 初 に 見 た 太 陽 は , こ れ ま で に 見 た ど の 初 日 の 出 よ り も 明 る か っ た 。 L 、。遊の周りはこれといった継 る。ハンドルをあやまると ii か ら そ の 縁 関 を 待 っ た 。 東 側 の 地 平 線 近 く か ん で い て ~ の 」 ニ に に TI" で山頂まで上がる。ハレポハクから山頂までは車 で 30分ほどだが,途中未舗蓑道路などもあり, 20 世 HI のライトは消し,ハザード -10- ( あ ベ ・ ま さ な お ) 3 0 島 止とョ 惑星探査テクノロジー第 10 回 グーだヌ J ひとすじの涙 qミミケ 稲谷芳文 流れ星は III の涙です。惑1孟探主主における大気への突 ですが加熱は MUSES-Cのさらにー桁以上でその大部 入について書きます。金昆や火星をはじめ太陽系の多 分が車両射による加熱です。この辺りの予測は結備やや くの惑 lj! やその j:'ifrJ.には大気がありますから,その表 こしくて,分子の解隙や屯離や化学的,熱力学的非平 l国や大気中 iこ観剖IJ :j&を降ろす場合は大気の Wi を突き抜 衡過程やらを考えないとなかなかiE篠な事は百えませ けて表面l に到述します。だいたいの場合はその惑星に ん。ヨロイの材料は炭系ー繊維やガラス繊維を樹脂で固 外から着いたときに務とすので突っ込むときの大気と めたもので,表 ffii で2αlOlJ[とか3仮泊!瓦,樹脂の熱分解 の相対速度はその惑昆の脱出迷肢と同じくらいです。 や高温表面からの放熱やら,般化や界撃で材料そのも 金星の場合で毎秒約 IOkrn ,火星で 5km ,木昼だと 50 のが持ち去る然やらを総動員して内郎への熱の進入を km以上にもなります。地球外からのサンプルリター 防ぎます。この辺の高温での物性ゃ反応のメカニズム ンも同じて'す。この迷I度のせいで,大気から受ける力 はモデル化も難しく,材料によっても相手の大気の成 や熱が大きくなって,惑堅実入とか地球大気再突入と 分によっても奥なりますから, か大げさな言葉で呼ぶことになります。ただしょく考 が必要です。システム全体としては,小さいカプセル ミッションごとに勉強 えると大気のない惑星や月で悶じ事をやるとするとこ にいろんな機能を訪め込むため,熱盛, の減速はロケットでやるしかありません。大気のお陰 展. でタダで軌ill速度をゼロにできる釈で,毎秒何キロと です。もちろん軽い方が良いのでぎりぎりの設討をす m~l.屋,火工日',hi!., ~/Il造屋,材料 PI その他リソースの取り合い か 10 キロまで加速するロケットの代わりに「ヨロイ j るのですが, と「泌下傘」をつけたカプセルを作ればよいので,惑 を調べるのと迷って,本物のカプセルを実際の環境で ロケットの地 i二燃焼試験で内部の耐熱性 J 民傑査をしたい~学の人は,打上げの II年にロケットに 試験できないので,どれくらいのマージンがあるのか 感謝するのと同じくらい,この大気と宅 }Jh!. に感謝し なかなか分かりません。 80年代の設計のガリレオに比 なければなりません。頼まれればどこでも突っ込みま べ解析技術はずいぶん進歩しましたが,調"かい現象ま す。 で勘定する ill 兵ができることと,ほんとにアテにして , , , r_ r_ * , 女 r_ 咽t 女 i " . ' R ' ! 女 世町 合 ヲk r_ * * 宮崎 * 甲骨 食 宮崎 * * 世町 女 * , このヨ口イはヒートシールドと日って,大気を術成 い い か は ま あ 別 の 訴 で , 実 際 に 飛 ば し た 経 験 が 少 な い こ と が 設 計 を 保 守 的 に し ま す 。 設 計 の 松 初 の 段 断 で 重 )J や熱から中身を守ります。 )J の方は突っ込む角度に 治 は 淘 lり 当 て ら れ て し ま い ま す か ら , もよりますが fnII'G とか百G。加熱は表的7 を流れるガ わ せ で だ ん だ ん 背 し く な り ま す が , ど こ で も 突 込 む と スの速度の勾配に比例するので流れの相1似を与えると 三 っ た 手 前 が ん ば っ て し ま い ま す 。 さ て MUSES-CM r . . " l 咽k 還 。 地 球 を 離 れ て 行 き も 向 } り も う ま く い っ て , 段 後 の 段 後 に カ プ セ ル の プセルの地球突入では平米あたり lkW のストープ 1 万 に Fま で 降 り て き た ら , パ ラ シ ュ ー ト に ぶ ら ド が っ て 5α泊台分と 3 った加熱 'iーになります。まあたいそう熱 いと思ってくださ L 、。この他に空気の場介では, 1 0 k い る の は も ち ろ ん 小 惑 星 の サ mls を 超 え る と カ プ セ ル で せ き 止 め ら れ て 氾 離 す る ほ 守 っ て あ げ た の に ) 。 カ プ セ ル の 地 球 大 気 突 入 の 時 , え る 1-11すので,この師射の加 ']:f が 必 要 に な り ま す 。 こ ち ら は 光 る に 比 例 し ま す か ら 小 さ い カ プ セ ル の lll* で す 。 無 事 Jプ ル で , け な げ に 働 い た ヒ ー ト シ ー ル ド は 熱 い の で 捨 て ら れ ま す ( せ っ か く l熱 を 考 先 ほ ど の 幅 射 も 合 め て 昼 間 で も か な り の り fftl 分 の 広 が り )j が楽です。if1 * リ ス ク と 背 中 合 さなカプセルでは結構厳しくて,例えば MUSES-C カ ど の 向 獄 に な っ て 光 り 女 r_ * する ikl体がこの述l良:でカプセルにぶつかって発生する 大きいモノの方が業です。宇宙研の感U,探:住の緩に小 ~ 女 lる さ で 流 れ 肢 の よ う に 地 上 で 見 え る は ず で す 。 こ れ は カ プ セ ル 屈 Jえ の 涙 で す 。 も ち ろ ん 訴 は ば 小 ; 症 に 突 入 し た ガ リ レ オ カ プ セ ル で は , 相 手 は 水 素 -Wi で途中て'二耳目になったり し た ら 失 敗 で す 。 ( ( 、 な た に ・ よ し ふ み ) l l 最近の生物学の世界を垣間見て 西田篤弘 昨年 l 月から学術振興会に職場を移して以来,宇宙 と就眠物質)のバランスを決める静索の活性を制御し 科学の外にある広い世界に触れる機会が多くなった。 ているのは生物時計である。山村先生の目標はこの酵 各種の委 n会や審査会に立会ってさまざまな研究の話 素を精製して機造を決め,タンパクから遺伝子に翻訳 を聞き,これまで縁のなかった分野について耳学問を することで生物時計の謎に迫ることである。就眠運動 させてもらっている。 による気孔の開閉は植物にとって死活の問題である水 昨年までは機関誌「学術月報」に先端的な研究の現 の膨圧の調節に関わっている。山村先生は就眠綴織を 場を紹介する記事を執筆することが役貝の仕事の一部 遺伝子組替えによって導入して砂漠に強い値物を作る であったために,生物学・分子生物学の研究者にイン ことを夢見ておられる。 タビューすることもできた。たいへん多くの生物学者 どちらの場合も遺伝子の発現と化学物質の作用とが の中から,実験室の中だけで行う研究ではなく,動物 一体となっていることに強い印象を受けた。遺伝子の や値物の不思議な振る舞いの背後にある分子生物学を 設計図によって生体内に化学物質が生成されるのであ 対象としておられるお二人を選んで,生物界のマクロ るが,その役割l は体内のハードウエアを作ったり働か の世界とミクロの世界のつながりについて研究の現場 せたりするということに止まらな L 、。化学物質はさら を恩|制見させていただいた。 に別の遺伝子を発現させてまた })IJ の設計図を聞いて行 お一人は北海よE大学でサケの回遊を研究しておられ くという働きも持っている。物~!学は法則が統べる世 る浦野 l列央教綬である。よく知られているように石狩 界であるのに対して生物学は情報の世界であるという 川など北海道の川で生まれたサケは川をくだってオホー スローガンを聞いたことがあるが,それはあまりに単 ツク海に入り,ベーリング海とアラスカ湾で成長して 純化した割り切り方であろう。生物界は情報伝達の担 2年ないし 7年後に母川に戻ってくる。この回遊行動を い手によってさらに新たな情報が掘り出され,ソフト 支配するのはサケの DNA に内蔵されているプログラ ウエアとハードウエアの迷鎖が幾重にも続く世界であっ ムである。生物時計が刻む時間と視覚・共覚などによっ て,われわれの人体を含めてこの複雑なシステムが安 て得られる情報とに 2毒づいてこのプログラムが順次発 定に存在し得るということに驚かざるを得な L 、。これ 現され,サケに航路を教えたり体の機能を新しい環境 は自己組織化の威力を示すものであり,いわゆる複雑 に適応するように変化させたりする。プログラムに従っ 系という形で安定な系が実現されていると考えるべき てサケの体内で制御信号を速ぷのは化学分子(神経ホ なのだろうか。 ルモン)である。遺伝子の発現と神経ホルモンによる しかし物理屋としてはいつかは第 l 原理による説明 制御の両方を視野に入れて回遊運動のメカニズムを総 ができるのではないかという疑問も残る。約 l ∞年前, 合的に理解しようというのが浦野先生の目論みである。 放射能が発見されてから量子力学が樹立されるまでの もう一人は山村庄宛教侵で,定年後も慶応義塾大学 聞は物理の世界も混沌たる状態だったろう。プランク で動く植物の研究を続けておられる。植物の運動は三 が量子仮説を思いついたのはやけくそ (an つに分類されるが,その一つはオジギソウなどの就眠 だ っ た と い う 。 運動である。これは速動細胞とよばれる細胞が化学物 ゆ く も の か , 大 い に 興 味 を そ そ ら れ る 。 質の作用によって水とカリウムイオンを取り込んだり a c tofd 国pair) 21 世 紀 の 生 物 学 が ど の よ う に 展 開 し て ( 字 宙 科 学 研 究 所 名 誉 教 授 ・ 日 本 学 術 振 興 会 監 事 失ったりすることによって膨張・収縮し,葉を開閉す に し だ ・ あ つ ひ ろ ) るためにおきるのであるが,この化学物質(覚醒物質 I S A S 先行 ニ ュ ー ス 'V iii 科乍:研究所(文郎行) N O . 2 3 9 2 0 0 1 . 2 ~229 8510 ISSN 0285-2861 川公川 M l'I l検似r! illl 野合 3 11 TEL0 1 27 5 98 0 0 9 TheI n s t i t u t eo fSpaceandA s t r o n a u t i c a lS c i e n c e ・ 4・二三 -AI. ごIfI.J すMii l/l JI ・ f宇0-1: 1-(;1., Ut!.の ;luwrU Jf,if/!;l.'jJl .1/1政稼).までお誕百われたします'0 C~lfItM ,; Ji£イ~'lIf) *なお,本ニュースは,インターネットでもご覧になれます -1 2 - (h世p://www.isas.ac.jp) 。