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戦前の日本のロケット研究

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戦前の日本のロケット研究
ISSN 0285-2861
•
M-V 型ロケット新1/ 2 段接手の分離鼠験(織影
前山勝 HI))
〈研究紹介〉
戦前の日本のロケット研究
宇宙科学研究所的川泰宣
ぺンンルから始まったとされる日本のロケット開発
プにつめた4輪のロケット・カーを生み出し,やがて
に,終戦直後の断絶があったとはいえ,素晴らしい技
1932年から 1938年にかけて 38式野戦砲で打ち出すロケッ
術の先達があったことを知ることは,その背景にあっ
ト推進の爆弥に進んだ。千葉の沼津で,ロケット爆弥
た軍国主義の是非を借いても無駄なことではな L 、。
のノズルを上に向けて 3分の2を地中に埋め込み,ストッ
日本のロケット研究の始まりは 1931 年(昭和 6年)
プ・ウォッチだけが計制IJmi といういでたちの地上燃焼
にさかのぼる。この fl',陸軍と海軍でほぼ同じ頃に兵
試験を行った後,東京湾に向けて発射した記録が残っ
~としてのロケット研究が開始された。とっつきのい
ている。
い固体燃料ロケットから始まって,
1935 f lo 頃から液体
燃料ロケットが研究され始めた。
紫色火薬は比推力が低いし,煙も吐くしオペレーショ
ンも容易ではないが,ロケットの飛期性能の基礎研究
には大いに役立った。風プロフィルの飛刻経路への影
1.団体燃料ロケットの系鯖
響をテストするフライトで,森に飛び込んで火事を起
【陸軍の固体ロケット】
陸軍では,
こしたり,民家の屋椴を突き破って居間に附入したり
もともとは日露戦争末期にドイツから輸
入された 38式砲(直径 75mm ,射程 8km) を使って L 、
たのだが,他国の大砲がlOkm の射程なので,
ロケッ
ト推進を使って射程を仲ばすことが,固体ロケット研
究の動機づけとなった。
かくて 1932年に黒色火薬とパラフィンを細身のパイ
したエピソードもあった。
1936年頃から陸軍科学研究所で,有契ロケットの尾
部に黒色火薬の燃焼ガスで回るタービンタイプのスピ
ナーをつけて機体にスピンをかける画期的な試みが開
始された。加えて陸軍火薬廠でダブルベース(無煙火
薬)の実用化が図られ,
日本の固体ロケットに一大変
1(;'がもたらされたが,主として推薬の製造におけるぱ
らつきが大きく,命 I:I:IE容は通常砲に及ばなかった。
【海軍の固体ロケット】
海軍での研究は軍艦への信号ロケット事it の推力テス
トから始まり.
1934年には後に戦後日本のロケット開
発のパイオニアとなる村田勉らによる制l 袋川・辻堂で
の打上げに進む。この記念すべき打上げは,以色火薬
45cm噴進弾とその打上げ
をliCい尾翼も付けて発射灼 45 1.支で行われたが,海へ向
かわず村岡たちの頑 t を鋪えて後の林に突入したそう
詳細II や続賞烏・ NI制をはじめとする前線で使用された
である。
くだりは,巻末文献を参照された L 、。
この失敗で村聞は敢然とダブルベースの研究に投入
1943年の暮れ.東京・目黒の海軍妓術師究所が 3∞
する。ドイツの乏しい資料を出発点として始めた開発
人を投入して一種の地対宅ミサイルとも言える門耳飽j
が遂に完成を見たのは 1934年末から 19351手初めのこと
の研究開発にとりかかり.
だった。日本初のダブルベースである。村 III が終戦ま
行テストに糟ぎおけた(浅IlU 山)が,~戦に投入する
で改良に献身したこのf:f:'ffは,戦後のペンシル・ロケッ
には歪らなかった。なお海軍はこの後,液体ロケット
トからの再出発に大きく貢献した。
を使った手書館 3-4型の開発へと進んだ。
1941 年に第2次位界大戦が勃発し戦線が拡がるにつ
れて,
そして第2次世界大戦 F の日本の肉体ロケット・グ
日本は南太平 n に展開する部隊に配備する通72・
砲の不足に悩まされ,
1945年7月には務 illl2型の飛
ループは.ついに肉体ロケット推進のイT人グライダー
もっと生産が容易で輸送も来な
「桜イむを完成する。 l様式ー攻の胴体に小判鮫のよう
ロケット砲に注 lof が集まってきた。
に lH られた機花はあまりにイl 名だが,紙 [(ii もあまりな
吋相'11幾\¥;~持の観点から「ロ悌」と呼ばれていたロ
いので,詳細HIま~本文献に譲る。
ケット予Ii とそのランチャーが,それぞれ「噴進事liJお
よび「噴進他」として n 本軍の制式兵 tlli と認定される
2.
に宅ったのは 1934年だった。'1t進事it にはすべて両孤燃
焼のダブルベースが~Jf1され,外径 20-l lOmm.
液体燃料ロケットの系蕗
1935年に陸軍で開始された液体燃料ロケットの研究
内
は,液体再量点とアルコールを般進剤としており,数年
千里 5- lOmm の筒状推薬を 6-37本ボねる Jf 式で,直径
にわたる地 t燃焼試験を続て 1939年には飛刻、triiiになっ
7cm-4Ocm の多彩なロケット弾が,降.,~(と海市によっ
ていたが,刊当.l'fの転勤などもあって一時立ち消えに
て開発された。 Mn またはスピンあるいはその両方が
なった。 1ヰぴ研究が開始されたのは,戦況がZt を告げ
Jim:!安定のために適 HI されたことは J うまでもない。
る 1944年 7 )1だっ fこ。
Pfl進事ii の強みは,従米の大砲のように大がかりな発
射システムを述ばなくて済み,極論すれば IIli ~11 な筒か
【|場前のイリ 1 サイル】
2 本のレールさ
海 l二での作戦!展開がイ~1~~ 手とされる隙"If. は ill波;溌導
えあれば発射可
JJ式のミサイルを構坦l した。それは「イ号計 l~ijJ と呼
能な点にある。
ばれ,大理の「イ号 lAJ と小砲の「イ乃 1BJ という
これらの技術的
三つの;H- II判からなった。イ号 1A は無人のロケットで,
『崎支
ミ
rr-J三 4l
;;;-~イ}
20cm pl進弾
噴進弾の木製ランチャー
~ゐ幽占晶E
Ki-67燭軍機に韮曹されたイ号 1A ミサイル
。,
u
際式ー攻からの桜花 11 の落下テスト
政調l に 8∞kg (I B は 300kg) の爆事if を約み,
母機 Ki-67
づき,
ドイツのメッサーシュミット
(Me-163B)
の機
(lB は Ki -48 または Ki-102B) の胴体の下に吊り下げら
体とロケット・エンジンの技術データが 2 制1.
れる設計で.
海草武官に波され,それらは潜水艦「皐月」と「松」
iiLJ機とも 1944年夏に設計が開始され,悶
日本の
年 10月にはプロトモデルが完成するというすばやさだっ
にそれぞれ乗せられ隠本をめざした。 fill者は大凶洋で
<-
撃沈されたが,後者は幾多の間基盤を乗り越えて 7 月 14
~。
イ 号I Aは 敵 艦 の
l l k m手 前 のi高 度 約8 0 0 mで 母 機 か ら
分 験 さ れ .0 . 5 秒 後 に 姿 勢 を 安 定 化 しさ,
らに1.5秒後
日 γ ンガポールに到着.~路日本に持ち込まれた。
不十分な資料ではあったが,海軍と陸軍が日夜兼行
に ロ ケ ッ ト ・J
エジ ン ( 過 酸 化 水 素 と 過 マ ン ガ ン 駿の努力を注ぎ込んだ紡巣,
ナ
日本版Me-163B である「秋
ト リ ウ ム が 般 進 剤 ) に 点 火 , 母 機 は イ4
号kが
m手敵 の 水」のモックアップ・テストが 1944年 9 月に行われる
li1 l に 篠 近 す る ま で 追 跡 ・ 制 御 す る よ う 企 図 さ れ に奈った。エンジンは「特ロ
た。し
2号」と呼ばれた。因み
かし母俊による敵への後近が戦況から考えて不可
能と
に f佐進剤は,叩液(過般化水素と安定剤I])
と乙液(液
の 判 断 か ら , 終 戦 の か I~Iに
な りV H ~が 中 止 さ れ た 。
化ヒドラジン,メタノール. *.触媒)。
またイ号
l Bは l Aよ り 近 距 離 の 敵 を タ ー ゲ ッ ト と すテスト機とパイロットの訓練機を兼ねた,エンジン
る も の で , 使 い 捨 て だ っ た に も か か わイ
ら号
ずl.
B
とタンク抜きのグライダー・モデル(木製の軽い「秋
は 極 限 ま で 設 計 の 単 純 化 を 図 り , 製 作 ・ 保 守 い 草J
ず れ1 機と
も m いグライダー 2機〕も製作され.
非 常 に 容 易 と な る 素 硝 ら し い も の だ 1っ
9 4た
55\.'2月
。
1944年暮
れから 1945年初めにかけてのテスト飛行でパイロット
に 伊 豆 で 行 わ れ た 飛 行 テ ス ト で は , 予 定 コ ー ス 訓練機としての愁備は怒った。
から大
き く 左 に そ れ で 熱 海 市 に 突 入 , 旅 自 自 に 飛fillJii}ー
び 込 ん でB-29の ZE裂をかいくぐりながらの大変な作業で,特
さ ん2人 , 宿 泊 客
2 人 を 死 亡 さ せ る と い う 事 故 が 起 き口て
2{手エンジンが地Jニ燃焼試験を終え,
海:i]I と陵E草川
いる。そのためテストが琵琶湖周辺に
1 5移
0機さ
のれ
1945年7月のこ
に 2機の秋水がフル装備となったのは.
尖 機 が 製 作 さ れ た が 1.
9 4 5年 6 ~ 7月 の 燥 望 書 で 工 場 が 峻 とだった。!能史的な海軍による秋水の初飛行は7月 7 口,
滅的打撃を受け,生産中止の止むなきに3:った。
犬塚~E!'中尉によって行われ順調だったが,エンジン
1 9 4 4年 の3 - 4月 .
日 本 と ド イ ツ の 箪 司 王 援 助 協 定 にが高度
蕊
350m で !fi:,常官ーとともに停止し,
グライディン
グで滑走路に進入する際,民家の屋般にミt~ が触れて
も
1
Ki-48爆撃機とイ号 B ミサイル
秋水のテスト織秋草の前に伶む犬皇室中尉
3
の転用が試みられていたが,これも仇花となった。
第2次大戦が終わると,戦時中のロケット開発の資
料はことごとく関係者の手によって焼き払われたが,
ペンシル・ロケット以後日本の技術陣が成し:遂げた伎
術のおみは,先達の技柿j者魂を心ならずも受け継いだ
価値あるものと,国内外に2寄り得るものである。
文献
I) “ Handbook
Japan
着陸寸前に墜落・破接した秋水の 1 号健
墜
落
,
犬
塚
中
尉
は
J
f
f
2) 大
沢
他
f日
本
ロ
ケ
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.Matogawa
原
因
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出
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位
位
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良
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秋
水
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,“ Japane
J (三回出版,
担 Solid
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eWorld
WarII" , lAA-96- lAA .2.2.07 , 1
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2次
大
戦
は
終
結
し
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4) Y. Matogawa, "Japan慨 L叩 id R前kets i
B争29 と
の
戦
闘
に
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WorldWarn" , IAA-97- lAA.2.3.02, 1
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現(旧)験等
(昇任)
1
3
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堂谷忠妨
宇宙閣研究系助教侵
宇宙閤研究系助手
(転出)
1
3
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.
16
寺本
進
東京大学大学院工学系研究科講師
宇宙倫送研究系助手
(転入)
1
3
.2
.1
横凹力男
宇宙推進研究系助教授
-4-
技術郎飛捌体開発謀長
世シンポジウム
高温エレクトロニクス研究会
スペースプラズ 7 研究会
開催日 :2月 23 日(金)
開催目。 3月 23 日(金)
場
場所宇宙科学研究所本館 1 階入札室
所:宇宙科学研究所本館2 階会議場
防J ~、合わせ先.竿宙科学研究所管理部研究協力J*共同利用担当
,~肯文部科学省スタート
ぷたご示、、
問時 A引1
21 世紀がスタートした
出事情 H
年)
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ESA-ISASJ
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t Meeting
肯
第 1 回 BepiColombo
2∞ l 年(平成
5 階会議案
TEL:042・759-8019
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1,FJ 6 日から,中央省ri"が新しく住ま
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Noordwijk
に
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ESA
内側!f1 を始めとする l 府 12省庁で発足した。宇宙科学
て
際
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会
議
が
開
催
さ
れ
ま
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た
。
初
日
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主
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マ
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ジ
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研究所と段も関係の深い文部省と科学技術庁が統合し
ン
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よ
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て再創成され,
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い
て
議
論
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ま
し
た
。
初
日
は
I文部科学省」が役fi1された。
本研究所の業務については,これまで lEI 文総省の学
郎
,
水
谷
仁
,
早
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i必
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先
生
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小
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か
ら
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松
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先
生
の
合
計
は,大学:共同利 HJ 機!則としての側簡は研究振興局の学
らは M.Coradini
術後!刻裂の,また予 r~ーを含む宇宙科学プロジェクトの
comb 氏,
推進については研究開発局の字 Wi政策課の所管となる。
M.Novara
氏,
氏,
R.Bonnet
R.Grard
の審議は,その中の「学術分科会」で行われることに
なる。
また宇宙開発委員会の法的位置付けは文部科学行内
に i白かれる稼議会と悶様となり,宇宙開発事業聞に係
わる事項を処理することとなる。
M
i
n
i
s
t
r
y
o
fEd ucation , Culture , Sports, S
c
i
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n
c
eandT田hnology
となった。
新しい文部科学省の組織図
大阪官房文教施設部
国際総括官
生渡学習司政策防
相l等中等教宵局
27ii等教育局
科学技術・学術政策局一寸一政策課
'-2基盤政策課
科学技術政策研究所
科学技術振興事業回
日本是非術綴興会
振興企箇諜
学術機関課
』正礎Ji!i盤研究課一一一「問隣国立共間研究機構
'-JlI!化学術究所
ライフサイエンス課一一関立遺伝学研究所
ill 子放射線研究課一一一高エネルギー加速球研究機構
研
究
開
発
防
氏,
ESA 制IJ か
G.Whitュ
2
13 聞からは向井利1Jl!先生がSS司 520・2号機の打ち上を終
務議会 J となり,字術科学についての学術的観点から
文
部
科
学
省
III 首長一
氏
の 6名
が
参
加
し
,
分科会宇宙科学部会)は統合されて「科学技術・学術
研
究
仮
興
局
に
II 専
之
氏
と
私
,
さ
6名,
P.Wenzel
氏,
か
ら
は
鶴
本研究所と関わりの深い旧学術務議会(特定研究領域
MEXT)
の ESTEC
2 日|泊は技術的な|問題
術国際局研究機関事長が一体的に所管してきたが,今後
(略称
12J~
(EuropeanSpaceRe 田:a rch andTechnologyCentre)
IIヨ体制の lR122 省庁を再編し,
なお,文総科学省の英語表記については,
開
催
宇宙政策課一一一一一「一宇宙科学研究所
」一国立天文台
海洋地球課一一一一一一国立属地研
宇宙開発利剤課一一「一航空宇街技術研究所
い一宇宙開発事業団
原子力課
ス
ポ
ー
ッ
・
青
少
年
間
核融合科学研究所
5
えてスバルバードから駆け付け.
ESA側はさらに各サ
ブシステム鑓当の 13名が加わりました。
Orbiter)
ISAS が MMO
(Mercury Magnetosphere
の
ン
ス
テ
ム
殺
計
・
製
作
・
運
用
を
り
ま
せ
ん
が
「
の
ぞ
み
」
の
運
用
へ
の
自
信
を
深
め
る
こ
と
が
で
き
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。
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中
谷
一
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t担当して,
ESA の
コ
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ミ
ッ
シ
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ン
に
本
格
的
に
参
加
l
育
第 1回
宇
宙
科
学
シ
ン
ポ
ジ
ウ
ム
す
る
新
し
い
形
の
悶
際
協
力
の
門
出
に
ふ
さ
わ
し
い
会
議
で
し
平
成 13 年l)'1
た
。
な
ご
や
か
に
で
は
あ
り
ま
す
が
,
車
)
)
か
ら
夕
方
ま
で
to-face
の
議
論
を
i世J の
後
も
良
好
で
あ
る
こ
と
が
確
認
さ
れ
ま
し
た
。
「
か
わ
し
功
、
子
に
は
旅
を
さ
せ
よ
」
で
は
あ
BepiColombo については 2仮泊年 11 月号の記事に諮
りますが.
巡 l削
以
仁
に
わ
た
る
「
波
fa 田ー
11-12EI
に
第 11m 宇
宙
科
学
シ
ン
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ジ
ウ
ム
が
聞
か
れ
ま
し
た
。
今
回
の
ン
ン
ポ
ジ
ウ
ム
は
以
下
の
よ
う
な
3日
間
述
絞
で
行
う
の
は
か
な
り
し
ん
ど
か
っ
形
態
で
聞
か
れ
ま
し
た
。
字
'iiI 科
学
研
究
所
の
そ
れ
ぞ
れ
の
研
た
と
い
う
の
が
本
音
で
す
。
こ
の
会
議
で
お
互
い
の
顔
と
考
え
究
分
野
の
研
究
者
が
を
知
る
こ
と
が
で
き
,
い
よ
い
よ
検
討
も
本
械
化
し
て
き
ま
し
ン
ポ
ジ
ウ
ム
と
た
。
(
山
川
宏
)
わ
る
こ
と
に
つ
い
て
理
学
,
工
学
が
一
緒
に
議
論
で
き
る
よ
う
1止
話
人
と
な
っ
て
開
催
す
る
他
の
J慢
な
り
,
将
来
計
19 の
シ
I耳
目
の
よ
う
な
所
全
体
に
か
か
に
,
会
所
的
な
シ
ン
ポ
ジ
ウ
ム
と
す
る
こ
と
に
し
ま
し
た
。
し
肯
「
の
ぞ
み
」
・
太
陽
・
地
球
・
月
が
一
直
線
に
た
が
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て
世
話
人
も
理
学
,
工
学
あ
わ
せ
て
2∞4年
始
め
に
火
昼
間
回
軌
道
投
入
を
予
定
し
て
い
る
探
査
4人
と
し
,
講
演
募
集
も
想
!
,
工
学
委
良
長
名
で
行
い
ま
し
た
。
恕
,
工
学
委
員
機「のぞみ」は太陽を聞る軌道ー上を順調に巡航中です。
会
委
只
,
運
営
協
議
委
員
会
委
員
お
よ
び
等
員
教
官
の
出
席
も
今
年
の
事
前
に
妥
車
内
し
ま
し
た
。
シ
ン
ポ
ジ
ウ
ム
は
1 月 10 日
早
朝
の
皆
既
月
食
は
記
憶
に
新
し
い
と
こ
ろ
l日
臼
全
部
と
で
す
が
,
ち
ょ
う
ど
こ
の
と
き
「
の
ぞ
み
」
は
地
球
か
ら
見
て
目
の
午
前
前
半
が
数
年
以
内
に
正
式
に
提
案
さ
れ
る
と
忠
わ
れ
太
陽
の
反
対
側
に
さ
し
か
か
っ
て
い
ま
し
た
。
そ
の
結
果
,
標
る
金
媛
大
気
計
記
の
よ
う
に
4つ
の
天
体
(
そ
の
う
ち
の
一
つ
は
人
工
天
体
で
T®.
水!fl.探奈
期
磁
気
閥
衛
星
計
画
,
次
期
す
け
が
一
直
線
上
に
並
ぶ
と
い
う
極
め
て
珍
し
L 、配置が実
文
衛
星
(SPICA)
(BepiColombo)
X線
天
文
現
し
ま
し
た
。
も
ち
ろ
ん
,
ノ
ス
ト
ラ
ダ
ム
ス
な
ら
ぬ
わ
れ
わ
計画,および次期月探査苦|闘の
れ
研
究
者
に
と
っ
て
は
特
別
な
意
味
は
あ
り
ま
せ
ん
が
。
てそれぞれのワーキンググループの報告にあてられ,
しかし.
rの
ぞ
み
」
が
太
陽
の
反
対
制
に
そ
の
雑
音
の
影
響
で
し
た
。
昨
年
I) に
位
置
し
た
た
め
7 つの際空
I J'! 20 日
ま
で
来計画に関する
する 5件
の
講
演
が
な
さ
れ
ま
し
た
。
こ
れ
ま
で
の
衛
星
,
お
用務で.
よ
び
観
測
ロ
ケ
ッ
ト
で
得
ら
れ
た
成
果
の
報
告
は
第
r合
」
と
呼
ば
れ
,
も
ち
ろ
ん
,
軌
道
設
計
の
お
初
よ
り
分
か
っ
て
い
た
こ
と
で
す
か
ら
こ
の
期
間
を
無
事
に
乗
り
夕方に予定されたポスターセッション(計
き
る
た
め
「
の
ぞ
み
」
プ
ロ
ジ
ェ
ク
ト
チ
ー
ム
は
さ
ま
ざ
ま
な
み入れました。
機
備
を
進
め
て
き
ま
し
た
。
281 間共に
「
の
ぞ
み
」
に
務
殺
し
た
通
信
用
の
ア
ン
テ
ナ
は
ピ
ー
ム
が
ました。部屋が挟隆なこと,口頭発表に押されてポス
r合
」
明
け
に
は
ピ
タ
リ
タ
ー
セ
ッ
シ
ョ
ン
の
時
間
に
し
わ
寄
せ
が
行
っ
た
事
な
ど
,
今
と
地
球
方
向
を
向
く
必
要
が
あ
り
ま
す
。
万
一
こ
の
操
作
に
誤
J と
の
通
信
が
回
復
し
な
い
こ
と
に
な
り
大
変
や
っ
か
い
な
こ
と
に
な
り
ま
す
。
姿
勢
制
御
グ
ル
ー
プ
の
実
力
は
誰
も
が
疑
っ
て
い
ま
せ
ん
で
し
た
が
,
そ
れ
で
も
3週
間
も
放
無事に再捕捉できるか.
III さ
れ
た
探
査
機
が
本
当
に
I 月 20 日の「合
J 明けは,チー
ム
に
と
っ
て
は
大
変
緊
援
す
る
燐
聞
で
し
た
。
結
果
的
に
は
こ
の
日
の
朝
,
臼
田
局
の
64m ア
ン
テ
ナ
は
予
測
ど
お
り
の
強
度
で
「
の
ぞ
み
」
の
信
号
受
信
に
成
功
し
,
プ
ロ
ジ
ェ
ク
ト
チ
ー
ム
ー
問
,
ホ
ッ
と
し
ま
し
た
。
姿
勢
制
御
の
精
度
が
再
確
認
さ
れ
,
併
せ
て
探
査
後
各
部
の
健
康
状
態
も
2階
の
会
議
室
は
立
錐
の
余
地
な
し
室
外
に
人
が溢れる稜の盛況に加え.Iffの高いま持泌が多く為され
し
か
も
こ
の
「
合
」
の
聞
に
,
姿
勢
差
が
入
る
と
「
の
ぞ
み
E計
画
に
つ
い
18 併の談誠,そして衛星基披技術に|則
「
の
ぞ
み
」
は
音
信
不
通
と
な
っ
た
わ
け
で
す
。
こ
れ
は
天
文
30 度
近
く
動
か
し
て
.
(VSOP2)
化
し
て
お
ら
ず
,
研
究
者
の
問
で
議
論
さ
れ
は
じ
め
て
い
る
将
12 J'! 28 日
を
最
後
に
,
今
年
の
を
自
律
的
に
赤
外
天
VLBI
28 の
午
前
後
半
か
ら
午
後
に
か
け
て
,
ま
だ
上
記
ほ
ど
具
体
3週
間
ほ
ど
通
信
が
で
き
な
く
な
り
ま
約1. 4度と大変鋭く,
計
繭
,
次
f器産計画,
苦1今
回
,
次
期
ス
ペ
ー
ス
2日
3
-6-
1 日目の
44 件)に組
後善処すべき .I::!. がいくつかありますが,延べ出席者360
世
宇
宙
学
校
名以上で,第 1 問自にしては総じて 21'1世紀の初めにあ
1 月 28 EI
と
仁
)
大
雪
。
将
たり,参E を議論するに栂応しい y ンポジウムであった
校
が
聞
か
れ
ま
し
た
。
一
人
も
と思います。第 1 日闘の夜に聞かれた懇毅会は所内外
そ
ん
な
息
い
に
沈
み
つ
つ
,
の理学,工学の諸賢が親しく意見を交す機会を与えて
い
ま
し
た
。
40 分
程
か
け
て
司
:
で
会
場
に
向
か
は
満
員
で
は
あ
り
ま
せ
ん
で
し
た
が
,
ムとすべく,策を練りたいと思います。最後にこのシ
だ
さ
っ
た
特
に
熱
心
な
秘
衆
に
感
激
し
て
ンポジウムを聞くにあたって今回は特に多くの所内の
ま
で
以
上
に
熱
っ
ぽ
く
識
が
事務官,研究者の手を煩わせましたこと,世話人を代
後
の 1 時Il~の質問時刈も焼く!日
表して心から感謝の:0:を表します。
問
中
助
手
の
小山孝一郎)
l依
衆
は
米
な
い
の
で
は
な
い
か
,
ff 通
は
自
宅
か
ら
くれました。来~~は更に充実した,楽しいシンポジウ
(代表世話一人
1絞j京
市
産
業
会
館
に
て
宇
宙
学
III で IS 分
の
際
線
で
す
。
会
場
ES の
中 t
!長まってく
6人
の
教
官
は
こ
れ
iし
た
よ
う
に
思
え
ま
し
た
。
講
演
jに
過
ぎ
て
し
ま
い
ま
し
た
。
FJ 採
益
計
画
の
ペ
ネ
ト
レ
ー
タ
の
t苦労 i"- ・に感動
が
広
が
り
ま
し
た
。
泉
谷
助
教
綬
の
重
力
を
大
き
く
す
る
と
双
頭
の
オ
タ
マ
ジ
ャ
ク
シ
が
で
き
る
蒜
は
,
驚
き
で
す
が
,
無
重
脅図中先生米国天文学会のロッシ賞受賞
力
で
も
適
当
な
調
節
で
正
常
な
オ
タ
マ
ジ
ャ
ク
ン
に
な
る
た
く
宇宙日f名校教綬の問中給自II先生が去る l 月 II 日に英
l刻のファビアン (Andrew
C
.Fabian)
国
天
文
学
会
よ
り
ロ
ッ
シ
賞
(Ro 日i Prize)
ブ
ル
ー
ノ
・
ロ
ッ
シ
(Bruno
教
授
と
共
に
,
米
Ross;)
211 寺
限
闘
は
的
を受賞'された。
X線
天
体
り
易
く
子
供
た
ち
に
も
興
味
が
湧
い
た
と
思
い
ま
す
。
の
綬
業
で
向
橋
助
教
綬
は
広
大
で
静
か
と
思
わ
れ
て
い
た
宇
宙
米
国
天
文
学
会
で
は
こ
の
ロ
ッ
シ
先
生
の
ご
監
綴
と
栄
脊
を
讃
が
如
何
に
激
し
く
変
化
し
て
い
る
か
を
自
分
で
実
感
し
た
こ
と
え
て
,
特
に
荷
エ
ネ
ル
ギ
一
天
体
物
理
学
の
分
野
で
独
創
的
で
を
デ
ー
タ
で
示
し
ま
し
た
。
研
究
へ
の
情
熱
が
秘
衆
へ
も
伝
わ
顕
著
な
業
績
を
挙
げ
た
科
学
者
を
表
彰
す
る
た
め
に
,
1985 年
1を
設
立
し
た
。
そ
し
て
こ
の
口
ツ
ン
11 は
り
ま
す
。
綬
業
の
最
後
は
松
岡
助
手
で
す
。
プ
ラ
ズ
マ
が
宇
宙
に
普
通
的
に
存
在
し
て
い
る
こ
と
を
苦
苦
し
ま
し
た
。
毎
年 1月
に
開
催
さ
れ
る
米
悶
天
文
学
会
に
お
い
て
表
彰
さ
れ
る
。
こ
れ
ま
で
に
ス
ニ
ャ
ー
エ
久
し
ぶ
り
の
校
長
先
生
役
で
,
こ
こ
数
年
の
宇
協
学
校
の
'
;
f
(
R
a
s
h
i
dA
. Sunyaev) ,
7
A. Colgate)
コルゲート
(Stirling
A. Simpson)
,
フ
ィ
シ
ュ
マ
ン
ス (Martin
R悶
〕
苦
手
こ
の
分
野
の
大
家
が
こ
の
貨
を
受
賞
,
シ
ン
プ
ソ
ン
(Gerald
Fishman)
閥
気
が
わ
か
り
ま
せ
ん
が
,
今
回
大
人
が
ほ
と
ん
ど
で
子
供
が
(John
,
リ
ー
している。
今
回
問
中
先
生
と
フ
ァ
ピ
ア
ン
教
授
が
共
悶
で
こ
の
ロ
ッ
ン
11:を受賞されたのは,
日本の
X線
天
文
衛
尾
「
あ
す
か
」
で
観
測
さ
れ
た
活
動
的
銀
河
核
の
エ
ネ
ル
ギ
ー
ス
ペ
ク
ト
ル
か
ら
,
相
対
論
的
な
重
力
赤
方
偏
移
を
受
け
て
広
が
っ
た
蛍
光
鉄
剣
線
を
発
見
し
た
事
に
図
る
も
の
で
あ
る
。
こ
の
結
果
は
最
初
に MCG-6-3
仏 IS と
呼
ば
れ
る
活
動
的
銀
河
絞
の
観
測
lか
ら
発
見
さ
れ
た
が
,
そ
の
後
の
「
あ
す
か
」
の
観
測
で
他
の
活
動
的
銀
汚
核
か
ら
も
続
々
と
同
様
の
広
が
っ
た
鉄
郷
線
構
造
が
発
見
さ
れ
た
。
こ
の
現
象
は
ブ
ラ
ッ
ク
ホ
ー
ル
周
辺
の
降
着
円
盤
の
極
内
縁
部
に
起
闘
す
る
と
考
え
ら
れ
,
汚
動
的
銀
河
核
中
心
に
巨大ブラックホールの存在を予言する:1m論を縦割
IJ の
聞
か
ら
強
く
支
持
す
る
こ
と
と
な
り
,
現
代
の
天
体
物
:
1
m
学
の
発
展
に
大
き
な
貢
献
を
す
る
も
の
で
あ
る
。
「
あ
す
か
」
の
銭
前
I
j
成
果
が
評
価
さ
れ
た
祝
い
申
し
上
げ
た
M-V
b故
障
診
断
の
シ
ス
テ
ム
に
つ
い
て
話
し
,
場
数
を
踏
ん
で
い
よ
い
よ
話
が
わ
か
の
発
見
に
導
い
た
事
で
有
名
で
あ
る
。
よ
り
こ
の
ロ
ッ
/
1
'
1だ
に
し
て
い
な
か
っ
た
り
感
動
し
ま
す
。
総
本
助
教
綬
は
衛
星
の
自
主
先
生
は
元
マ
サ
チ
ュ
ー
1962 年
に
は
ロ
ケ
ッ
ト
実
験
を
指
導
し
て
最
初
の
X-I)
JII 教
授
の
予
延
ロ
ケ
ッ
ト
の
ノ
ズ
ル
の
磁
波
,
成
功
し
た
話
ー
よ
り
聴
衆
は
,
よ
セ
ッ
ツ
工
科
大
学
教
授
で
宇
宙
線
研
究
の
先
豚
者
で
あ
り
,
(さそりJ*
ま
し
さ
も
不
思
議
で
す
。
~JJ を
共
に
喜
び
.
お
二
人
に
は
心
か
ら
お
L、
。
(
長
瀬
文
l昭)
-7-
31 時限
少なかったのは大雪のせいだと思います。キ目般原市の
た
。
衝
懇
デ
ー
タ
も
収
録
で
き
て
お
り
,
こ
れ
か
ら
詳
細
な
解
グリーンロータリークラブが,宇宙少年団結成に動き
析
を
行
い
ま
す
。
こ
れ
で
,
昨
年
始めて,授業の最後に少年間への加入を呼び掛けまし
た
静
荷
重
試
験
に
続
く
.
た。今後,相t草原市,市教育委員会,ロータリークラ
ま
た
,
本
試
験
は
,
今
ま
で
種
々
の
試
験
に
ご
尽
力
下
さ
っ
た
ブ,およびアマチュア天文クラブなどと述携すれば吏
橋
元
さ
ん
と
喜
久
恩
さ
ん
に
と
っ
て
最
後
の
大
規
模
試
験
に
な
に素晴らしい字徳学校になるでしょう。授業が終わっ
り
ま
し
た
。
長
い
!
i
'
8月
の
M
V
事
情
で
紛
介
し
i
l
l
!
の
開
発
試
験
は
終
了
し
ま
し
た
。
d.
こ
.
苦
労
さ
ま
で
し
た
。
(
峯
杉
賢
治
)
ても雪はまだ降り続いていました。理科好きの子供途
を宵てるため,宇宙学校が少しでも役に立てたらいい
世 8S-520
なー。こう思いながら大雪の 16号線をスリップしない
昨
年
・2号
機
観
測
j結
果
速
報
12 月 4 日
,
待
ち
の
態
勢
に
入
っ
て
ようにゆっくりと帰途につきました。いつものことな
の
条
件
は
こ
れ
ま
で
で
一
番
。
ロ
ン
グ
イ
ヤ
ー
ベ
ン
で
レ
ー
ダ
がら,企画・広報係をはじめとする管理担郊の皆さん,
観
測
を
し
て
い
る
藤
井
良
ー
さ
ん
(
名
大
相模原市,市教育委員会など,この宇 rn学校を一生懸
イ
オ
ン
の
命支えて下さった多くの皆さん,お疲れ織でした。
べ
ン
も
ニ
ー
オ
ル
ス
ン
も
(小山孝一郎)
M-V製ロケットの高性能・低コスト化を Elf脅
した改良が進行中です。その一環として,開発中の新
1/2段接手の分離試験を.
島
宇
宙
窓
!
日
I
f
]24 日
か
ら
分
離
俄
能
の
確
認
と
分
雛
l時
に
発
生
す
る
非
常
に
大
き
な
衝
撃
の
計
測
で
す
。
改
良
型
の
M
V
L功
、
所
に
来
て
い
る
。
こ
の
ロ
ケ
ッ
の
モ
ー
エ
ン
教
授
や
藤
井
さ
ん
と
議
論
。
い
よ
い
よ
,
決
断
。
仰 jlJ86
型
ロ
ケ
ッ
ト
で
は
,
従
来
は
第
ilI SMSJ
2段
制 IJ グ
リ
ッ
ド
総
選
外
商
に
依
..J
2
k
m
~
i伎
し
か
し
,
カ
ス
プ
特
1
-
。
の
打
ち
上
げ
,
テ
レ
メ
ー
タ
・
jll)lt
や
プ
ラ
ズ
マ
波
動
の
デ
ー
タ
に
は
予
怨
外
に
細
か
な
総
造
が
観
ら
重
姿
な
ポ
イ
ン
ト
で
し
た
。
測
さ
れ
,
現
イ
正
解
析
中
で
あ
る
。
1/2 段
緩
手
の
よ
側
に
構
造
機
能
試
験
秘
に
発
モ
デ
ル
を
結
合
し
て
.
状
態
、
で
行
い
ま
し
た
。
談
ま
じ
い
爆
音
と
閃
光
と
と
も
に
,
者
王Ii.
I段
目
グ
リ
ッ
ド
構
造
が
務
下
し
,
試
験
は
成
功
し
ま
し
今
回
の
ロ
ケ
ッ
ト
実
験
で
は
,
高
lli
No.1
mimi
,
す
べ
て
正
常
。
カ
ス
プ
を
か
す
め
て
飛
ん
だ
よ
う
で
あ
る
。
一
方
,
降
下
粒
子
S
M
S
モ
ー
タ
ケ
ー
ス
続
々
の
高
圧
Jの
イ
オ
ン
の
降
り
込
み
は
弱
々
し
い
。
Jが
綴
れ
な
い
程
度
ま
で
衝
聖
書
が
緩
和
さ
れ
て
い
る
か
ど
う
か
M
1
4
Q
L デ
ー
タ
監
視
室
事
後
の
解
析
に
よ
れ
ば
,
ロ
ケ
ッ
ト
は
わ
ず
か
に
磁
に
逸
れ
て
を
取
り
付
け
て
い
ま
す
。
今
問
の
衝
怒
計
担
I
j
で
は
,
こ
の
シ
ョ
ッ
ク
マ
ウ
ン
ト
に
よ
っ
て
示
し
て
あ
っ
た
唱
し
か
雛
れ
て
い
な
い
射
点
が
大
宮
と
は
IE 常
,
テ
レ
メ
ー
タ
の
受
依
状
況
も
い
い
。
観
測
セ
ン
サ
ー
の
生
紙
の
分
縦
而
か
ら
近
く
な
る
た
め
に
,
衝
撃
を
緩
和
す
る
シ
ョ
ッ
試
験
は
,
新
と
意
味
不
明
な
の
窓
か
ら
見
た
ロ
ケ
ッ
ト
は
真
七
に
飛
ん
で
行
っ
た
。
飛
朔
は
股
開
,
ア
ン
テ
ナ
SMSJ
衛
産
が
徹
影
し
た
オ
ー
ロ
ラ
ト
実
験
の
た
め
に
現
地
ま
で
駆
け
つ
け
て
く
れ
た
オ
ス
口
大
学
を
変
更
す
る
こ
と
に
な
っ
て
い
ま
す
。
し
た
が
っ
て
,
衝
態
発
ク
マ
ウ
ン
ト
を
介
し
て
P
O
L
A
R
ニ
で 30 分
程
度
の
遅
れ
で
見
え
る
)
に
よ
れ
知
る
出
も
な
い
。
2段
ノ
ズ
ル
ま
わ
り
に
絡
載
さ
れ
て
い
た
後
勢
制
御
装
1/2 段
接
手
の
だ
が
.
む
話
。
わ
ず
か
l観
測
所
で
行
い
ま
し
た
。
今
聞
の
試
験
の
目
的
は
,
を
,
こ
の
新
lHil
(WebpageJ
保
安
主
任
か
ら
は
「
ホ
ン
ト
に
い
く
の
か
2月 2 日
ま
で
鹿
児
j
j
}
f
教
綬
)
か
ら
25 が
降
っ
て
い
る
。
地
上
か
ら
の
光
ば
,
カ
ス
プ
は
ち
ょ
う
ど
*M-V型ロケ y 卜新 1/2段接手の分雄拭験(表紙写真)
現在.
S
T
E
i二
界
流
が
活
発
と
い
う
情
報
。
た
だ
,
ロ
ン
グ
イ
ヤ
ー
学
鋭
測
は
事
繭
像
10 日
目
,
太
紛
風
デ
ジ
タ
ル
制
御
セ
グ
メ
ン
ト
の
開
I~H 自
分
解
能
の
粒
子
観
測
,
l毅
の
プ
ラ
ズ
マ
波
動
受
信
機
,
般
業
イ
オ
ン
の
極
端
紫
外
光
観
測
な
ど
,
世
界
的
に
も
級
新
の
観
測
技
術
の
開
~
豊
備
塔
の
ク
レ
ー
ン
で
つ
り
上
げ
た
If
発
が
行
わ
れ
て
き
た
。
開
発
に
悦
わ
っ
た
学
生
の
一
人
は
博
士
論
文
に
事
IJgJ
紡
巣
を
ぎ
り
ぎ
り
で
少
な
く
と
も
あ
と
1m に
合
わ
せ
る
こ
と
が
で
き
,
2つ
の
防
士
論
文
が
U1 る
も
の
と
い
る
。
打 tげ
翌
日
か
ら
は
暴
風
だ
っ
た
。
15 日
間
も
ウ
イ
ン
ド
ー
を
取
っ
て
い
た
の
に
,
あ
れ
が
ワ
ン
チ
ャ
ン
ス
だ
っ
た
と
は
。
奇
し
く
も
.
rあ
け
ぼ
の
」
衛
星
が
ロ
ケ
ッ
ト
の
打
上
と
同
時
に
や
や
南
側
を
通
過
し
,
ロ
ケ
ッ
ト
と
待
う
副
産
物
を
も
た
ら
し
て
,
実
験
は
事
り
ま
し
た
が
,
こ
の
の
多
く
の
方
々
に
ご
支
援
,
ご
協
力
を
い
た
だ
き
,
本
当
に
あ
り
が
と
う
ご
ざ
い
ま
し
た
。
(
向
井
利
典
)
-8-
fm. の
同
時
観
測
と
い
If 司
王
終
っ
た
。
最
後
に
な
3年
間
,
所
内
外
,
メ
ー
カ
ー
,
関
内
外
j切
符
し
て
i字⑤芭第凋
光結合型 VLBI 実験
句史v
村田泰宏
VLBI という伎術は,遠隔地に離れた複数の望遠鏡
ルネックとなります。
(ここでは 1 つのパラボラアンテナの叩皮望遠船を結合し
この光結合型 VLBl観測を実現するために,同立天
て l つの大きな盟逃鋭を作る妓術です。それぞれの盟
文台・通信総合研究所・ NIT と技術開発の共同研究
遠鏡を通った'ill 波は,一時的に磁気テープに記録され,
を行って来ました。字術研のグループは,将来の術frl
あとで,
への応用も視野に入れ, r はるか」のデータの光結合
r相関局」と呼ぶ処理センタで再生されて,
焦点を結びます。普通の望遠鏡では,焦点は望遠鏡の
型 VLBI による実時Ill]処理の研究を行なっています。
中にあり,そこに検出総を置いて観測を行ないますが,
この共同研究では,宇 'iiiUJf 臼田宇宙空間観面l]m64m ア
VLBIの場合は, 1.'"点は相関~という処理袈iRの中に
ンテナ, r はるかJ のデータ受信用 10m アンテナ,通
できます。現在宇宙研で運用している,
r はるか」衛
信総合研究所I&l:b の 34m アンテナ,そして国立天文台
星は,この技術を利用して地上のアンテナ若手と協力し
=鷹相関局を NITの ATM (非同期]転送モード)回線
て,口径約3万キロメートルの地球より大きな巨大な
で結合して実験を行っています。
望遠鏡を実現しています。
1 つの大きな諜題は,商法かつ 1 マイクロ秒以下の時
この VLBIの観測の場合,各アンテナでの磁気テー
刻l 精度の必要な VLBl観測データをどのようにして,
プへの記録速度が相関総に送ることのできるデータ益
ネットワーク伝送プロトコルに合わせて伝送するかで
を決めます。このデータ放が多ければ多いほど,ほと
す。その方式を確立したことにより通信総合研究所,
んどの天体に対する観測の感度が大きくなります。感
臼 l王164m のアンテナ等を利用して池上のアンテナのみ
&を上げるためには,磁気記録の速度を上げることが
の光結合型 VLBI の観測が.
必裂ですが,最新の技術でも 1-2 ギガビット毎秒
l ∞万ビット毎秒)のデータ伝送速度では成功し,現在
256 メガピット毎秒 (Mbps
(G句&ω悠ピット何秒)がせいぜいです。そこで,
さまざまな観測を実行中です。また,地上 VLBI では,
ほかのデータ伝送の手段として,光ファイパ公衆ネッ
さらに光ファイパの得域を目いっぱい使用して感度を
トワーク回線によるデータ伝送に目をつけました。現
飛縦的に向上させる方 Ito] で研究開発をしています。
在の実験で使用している同線では,最大 2.5Gbps です
が,この分野の技術進歩はすさまじく.
I 本で ωG句s
「はるかj を含めたスペース VLBI実験の場合,地上
光結合型 VLBIで発生した問題のほかに,
リアルタイ
以上,ファイパを束ねればさらに伝送速度を上げられ,
ム処理のために,衛星の周波数制御誤差や.
その分観測の感度があがります。
誤差を,追跡データを利用して反映することができな
また,従来オフライン処塑で磁気テープが到着して
置守圃邑_.~
4・・・・
j立{丘推定
いという問題があります。そのために相関総で上記の
~堅
から開始していた
誤差をどのように吸収するかを検討しています。その
J
処型がリアルタイ
問題点の解決の目処も立ち,現在最終的な実験の幣備
ムで行なうことが
を行なっています。
できるようになり,
・
ロ
-ー
左の写真は,この実験のために開発され国立天文台
データの品質確認
の税関{tlf に設置されたネットワークに流された VLBI
やフィードパック
データを,通常の VLBIで使用している形式に変換す
がその場でできる
る受信装置です。この実験によって,複数の望遠鏡を
ようになるという
光ファイパ回線を使って結合することが可能となりま
利点もあります。
した。今後,国際回線の鍍備が進むことにより,現在
がそれに「はるかJ
磁気テープレベルで行なわれている VLBI 観測が光回
の場合は,衛星と
線に i置き換わり.さらなる向感度観測を行なうように
地上のデータ伝送
なるでしょう。さらに,将来,衛星同士での干渉計の
速度,および.地
計画では,光伝送による術昼間通信で干渉青|観測のデー
ネ ν トワーヲ包線のパケ y トから VLBI
上での総気記録の
タの伝送のための基礎技術の 1 つとなるでしょう。
データに変換する受信装置
速度の双方がポト
(むらた・やすひろ)
-9-
ー主義 i!!i
」_
新世紀の初日の出
安部正真
lit紀をまたぐ出張は, 12月に入ってから決まったの
ランプのみで進む。,
lim のドームに到着したときには
で,航空券の手配にてこずったが,何とか12月 29 日出
日も府間に慣れていて,
同
までに見たこともないような数の星があった。これだ
1 月 4 日帰国,のスケジュールを組むことができた。
IJlm から見上げる笠には,今
行き先はハワイのすばる観測所。目的はMUSES-C ミッ
けの昆があると普段見倣れている星座がすぐにはわか
ンョンの探査候補天体の観測。
らなくなってしまう。天の川もはっきりとその形を見
MUSES-C とは M-V ロケットの 5 号軽量で2∞2年末に打
ることができる。
上げ予定の小惑星探1f;)-f画だ。 M-V-4号機の打上げ失
敗の影響で, 5号機の打上げが遅れ,
!軍査対象が変更
観測は到着初日と潔
データが取れたため,
II の晩に行われ,当初のL!ft-Jの
31 日と 1 日の晩は山 m には上が
になったために急逮この小感昆に対する観測が必要に
らず,山 III の宿泊所で過ごすことになった。
なったのである。幸いすばる観測所と観測装i世グルー
るパソコンを用いて何人かとメールでやり取りをした。
プの協力が得られ,年末年始の数日間のどこかで,観
日本とハワイの時差は
測をさせてもらえることになったのだ。
紀なのに.日本ではすでに
,iii 日の 28 日まで観測の準備や他の仕事に追われ,あ
III 鐙にあ
19 時|悶ある。ハワイはまだ
21 世紀を迎えていて,世紀
をまたいでのメールとなった。
山箆での世紀越えの瞬間はいたって静かなものであっ
わただしい出発となったが,年末のlU国ラッシュに巻
き込まれずに成聞から官1\ -]I出国。問日の昼過ぎにはす
た。ほとんどの宿泊者は観
ばる観測所のあるハワイ島に到着した。
ているため,我々のように夜中に街泊所に絞っている
すばる観測所の望泌鋭は直径が8.3m の
mil のために夜は Il, m に上がっ
1 校鋭では
人はわずかだ。さらに,たいていの海外の人は昨年が
世界最大の鏡をもっ望遠鏡で,高度4,2∞m のマウナ
ニューミレニアムの始まりだとの認議らしく,特に騒
ケア山頂にある。マウナケア山頂は地主主上でもっとも
いでいる人はいなかった。
天体観測に適している場所の一つで,大小あわせて13
翌朝の初日の出は,宿泊所の敷地からは見えないの
似の製遠鏡が建設されている。ただし, 4,αlOrn を超
で, 5分ほど歩いて見晴らしの良いところまで行き,
える高度での観測は高山病の危険との背中合わせであ
分ほど]i
る。空気が薄いために血液中の酸素が少なくなり,頭
ら
星
が
消
え
て
い
き
,
がぼーっとしてくる。階段を上がったりするだけで息
く
な
っ
て
い
く
。
麓
の
ヒ
ロ
と
い
う
街
の
上
に
留
ま
っ
て
い
る
苫しくなる。 10人に 1 人くらいは,山頂での作業に支
22 が
,
ゆ
っ
く
り
と
動
き
は
じ
め
る
。
日
の
H
1
の
瞬
間
に
つ
い
障がでて,作業できずに Fill を余儀なくされる場合も
て
文
学
的
な
描
写
は
う
ま
く
で
き
な
い
が
,
一
瞬
緑
色
の
光
を
あるとのことだ。
感
じ
た
後
,
次
第
に
そ
の
自
民
を
覗
か
せ
た
。
山
鐙
の
空
気
が
澄
山箆の 2,8∞m 地点にはハレポハクという観測者用
の宿泊施設がある。観測者はそこで寝泊まりし,夕方
の III でないと上がれな
4WD
物もなく火山岩で覆われた山肌がむき出しになってい
m から車ごと転議してしま
うので,低迷運転が必要である。
我々の観測は夜の 2時すぎごろから始まる。初日は
到必したばかりで,いきなり山頂にあがっては身体に
良くないため,干支の
12 時ごろまでハレポハクで身体を
ならしてから山政に向かった。山頂付近ではすでに観
測が始まっているため,
ZE が
赤
み
を
地
し
,
そ
の
後
次
第
に
白
b、
る
せ
い
か
,
新
世
紀
縁
初
に
見
た
太
陽
は
,
こ
れ
ま
で
に
見
た
ど
の
初
日
の
出
よ
り
も
明
る
か
っ
た
。
L 、。遊の周りはこれといった継
る。ハンドルをあやまると
ii か
ら
そ
の
縁
関
を
待
っ
た
。
東
側
の
地
平
線
近
く
か
ん
で
い
て
~
の
」
ニ
に
に TI" で山頂まで上がる。ハレポハクから山頂までは車
で 30分ほどだが,途中未舗蓑道路などもあり,
20 世
HI のライトは消し,ハザード
-10-
(
あ
ベ
・
ま
さ
な
お
)
3
0
島 止とョ
惑星探査テクノロジー第 10 回
グーだヌ J
ひとすじの涙
qミミケ
稲谷芳文
流れ星は III の涙です。惑1孟探主主における大気への突
ですが加熱は MUSES-Cのさらにー桁以上でその大部
入について書きます。金昆や火星をはじめ太陽系の多
分が車両射による加熱です。この辺りの予測は結備やや
くの惑 lj! やその j:'ifrJ.には大気がありますから,その表
こしくて,分子の解隙や屯離や化学的,熱力学的非平
l国や大気中 iこ観剖IJ :j&を降ろす場合は大気の Wi を突き抜
衡過程やらを考えないとなかなかiE篠な事は百えませ
けて表面l に到述します。だいたいの場合はその惑星に
ん。ヨロイの材料は炭系ー繊維やガラス繊維を樹脂で固
外から着いたときに務とすので突っ込むときの大気と
めたもので,表 ffii で2αlOlJ[とか3仮泊!瓦,樹脂の熱分解
の相対速度はその惑昆の脱出迷肢と同じくらいです。
や高温表面からの放熱やら,般化や界撃で材料そのも
金星の場合で毎秒約 IOkrn ,火星で 5km ,木昼だと 50
のが持ち去る然やらを総動員して内郎への熱の進入を
km以上にもなります。地球外からのサンプルリター
防ぎます。この辺の高温での物性ゃ反応のメカニズム
ンも同じて'す。この迷I度のせいで,大気から受ける力
はモデル化も難しく,材料によっても相手の大気の成
や熱が大きくなって,惑堅実入とか地球大気再突入と
分によっても奥なりますから,
か大げさな言葉で呼ぶことになります。ただしょく考
が必要です。システム全体としては,小さいカプセル
ミッションごとに勉強
えると大気のない惑星や月で悶じ事をやるとするとこ
にいろんな機能を訪め込むため,熱盛,
の減速はロケットでやるしかありません。大気のお陰
展.
でタダで軌ill速度をゼロにできる釈で,毎秒何キロと
です。もちろん軽い方が良いのでぎりぎりの設討をす
m~l.屋,火工日',hi!.,
~/Il造屋,材料
PI その他リソースの取り合い
か 10 キロまで加速するロケットの代わりに「ヨロイ j
るのですが,
と「泌下傘」をつけたカプセルを作ればよいので,惑
を調べるのと迷って,本物のカプセルを実際の環境で
ロケットの地 i二燃焼試験で内部の耐熱性
J 民傑査をしたい~学の人は,打上げの II年にロケットに
試験できないので,どれくらいのマージンがあるのか
感謝するのと同じくらい,この大気と宅 }Jh!. に感謝し
なかなか分かりません。 80年代の設計のガリレオに比
なければなりません。頼まれればどこでも突っ込みま
べ解析技術はずいぶん進歩しましたが,調"かい現象ま
す。
で勘定する ill 兵ができることと,ほんとにアテにして
, ,
,
r_ r_
*
,
女
r_
咽t
女
i
"
.
'
R
'
!
女
世町
合
ヲk
r_
*
*
宮崎
*
甲骨
食
宮崎
*
*
世町
女
*
,
このヨ口イはヒートシールドと日って,大気を術成
い
い
か
は
ま
あ
別
の
訴
で
,
実
際
に
飛
ば
し
た
経
験
が
少
な
い
こ
と
が
設
計
を
保
守
的
に
し
ま
す
。
設
計
の
松
初
の
段
断
で
重
)J や熱から中身を守ります。 )J の方は突っ込む角度に
治
は
淘 lり
当
て
ら
れ
て
し
ま
い
ま
す
か
ら
,
もよりますが fnII'G とか百G。加熱は表的7 を流れるガ
わ
せ
で
だ
ん
だ
ん
背
し
く
な
り
ま
す
が
,
ど
こ
で
も
突
込
む
と
スの速度の勾配に比例するので流れの相1似を与えると
三
っ
た
手
前
が
ん
ば
っ
て
し
ま
い
ま
す
。
さ
て MUSES-CM
r
.
.
"
l
咽k
還
。
地
球
を
離
れ
て
行
き
も
向
}
り
も
う
ま
く
い
っ
て
,
段
後
の
段
後
に
カ
プ
セ
ル
の
プセルの地球突入では平米あたり lkW のストープ 1 万
に Fま
で
降
り
て
き
た
ら
,
パ
ラ
シ
ュ
ー
ト
に
ぶ
ら
ド
が
っ
て
5α泊台分と 3 った加熱 'iーになります。まあたいそう熱
いと思ってくださ L 、。この他に空気の場介では, 1
0
k
い
る
の
は
も
ち
ろ
ん
小
惑
星
の
サ
mls を
超
え
る
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最近の生物学の世界を垣間見て
西田篤弘
昨年 l 月から学術振興会に職場を移して以来,宇宙
と就眠物質)のバランスを決める静索の活性を制御し
科学の外にある広い世界に触れる機会が多くなった。
ているのは生物時計である。山村先生の目標はこの酵
各種の委 n会や審査会に立会ってさまざまな研究の話
素を精製して機造を決め,タンパクから遺伝子に翻訳
を聞き,これまで縁のなかった分野について耳学問を
することで生物時計の謎に迫ることである。就眠運動
させてもらっている。
による気孔の開閉は植物にとって死活の問題である水
昨年までは機関誌「学術月報」に先端的な研究の現
の膨圧の調節に関わっている。山村先生は就眠綴織を
場を紹介する記事を執筆することが役貝の仕事の一部
遺伝子組替えによって導入して砂漠に強い値物を作る
であったために,生物学・分子生物学の研究者にイン
ことを夢見ておられる。
タビューすることもできた。たいへん多くの生物学者
どちらの場合も遺伝子の発現と化学物質の作用とが
の中から,実験室の中だけで行う研究ではなく,動物
一体となっていることに強い印象を受けた。遺伝子の
や値物の不思議な振る舞いの背後にある分子生物学を
設計図によって生体内に化学物質が生成されるのであ
対象としておられるお二人を選んで,生物界のマクロ
るが,その役割l は体内のハードウエアを作ったり働か
の世界とミクロの世界のつながりについて研究の現場
せたりするということに止まらな L 、。化学物質はさら
を恩|制見させていただいた。
に別の遺伝子を発現させてまた })IJ の設計図を聞いて行
お一人は北海よE大学でサケの回遊を研究しておられ
くという働きも持っている。物~!学は法則が統べる世
る浦野 l列央教綬である。よく知られているように石狩
界であるのに対して生物学は情報の世界であるという
川など北海道の川で生まれたサケは川をくだってオホー
スローガンを聞いたことがあるが,それはあまりに単
ツク海に入り,ベーリング海とアラスカ湾で成長して
純化した割り切り方であろう。生物界は情報伝達の担
2年ないし 7年後に母川に戻ってくる。この回遊行動を
い手によってさらに新たな情報が掘り出され,ソフト
支配するのはサケの DNA に内蔵されているプログラ
ウエアとハードウエアの迷鎖が幾重にも続く世界であっ
ムである。生物時計が刻む時間と視覚・共覚などによっ
て,われわれの人体を含めてこの複雑なシステムが安
て得られる情報とに 2毒づいてこのプログラムが順次発
定に存在し得るということに驚かざるを得な L 、。これ
現され,サケに航路を教えたり体の機能を新しい環境
は自己組織化の威力を示すものであり,いわゆる複雑
に適応するように変化させたりする。プログラムに従っ
系という形で安定な系が実現されていると考えるべき
てサケの体内で制御信号を速ぷのは化学分子(神経ホ
なのだろうか。
ルモン)である。遺伝子の発現と神経ホルモンによる
しかし物理屋としてはいつかは第 l 原理による説明
制御の両方を視野に入れて回遊運動のメカニズムを総
ができるのではないかという疑問も残る。約 l ∞年前,
合的に理解しようというのが浦野先生の目論みである。
放射能が発見されてから量子力学が樹立されるまでの
もう一人は山村庄宛教侵で,定年後も慶応義塾大学
聞は物理の世界も混沌たる状態だったろう。プランク
で動く植物の研究を続けておられる。植物の運動は三
が量子仮説を思いついたのはやけくそ (an
つに分類されるが,その一つはオジギソウなどの就眠
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*なお,本ニュースは,インターネットでもご覧になれます
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(h世p://www.isas.ac.jp) 。
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