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イ ギリスにおける労働安全衛生基準の形成 - DSpace at Waseda

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イ ギリスにおける労働安全衛生基準の形成 - DSpace at Waseda
早稲田社会科学総合研究 第8巻第2号(2007年12月)
研究ノート
イギリスにおける労働安全衛生基準の形成
-トマス・オリバー編『危険業種』 (1902年刊)を手がかりとして-
大森 美紀
近代イギリスにおける労働災害-の社会的対応を振り返るに際して、筆頭に挙げられる
必読文献は、 Charles Turner Thackrah (1795-1833)の普作(初版1831年、第2版1832
年)である。 19世紀前半に職業病に取り組んだ先駆的な医師として、 Thackrahの名は、
長い題名をもつその著作とともに知られている1)。ところが、その衣鉢を継ぐともいうべ
き文献は、 Thackrahの刊行から半世紀以上もの時を経た1890年代以降にならなければ見
出せない。すなわち、 JohnThomasArlidge (1822-1899)の普作(1892年)2)ならびに、
Thomas Oliver (1853-1942)が編者を務めた『危険業種』 (1902年)3)がそれに当たるだ
ろう。これらふたつの文献が最近相次いで復刻された背景には、 1980年代末から労働安
全衛生法制を急速に拡充させてきたEU (欧州連合)の動向がうかがえる4)。
とりわけ『危険業種』は編者自身が記すように「啓蒙」の書として刊行された。復刻版
に付された新たな序文による手放しの高い評価については疑問が残るものの、 「労働生活
の改善のために、医学的・社会的・政治的アプローチを結びつけた労働医学の英語による
最初の本」5)としての意義を持つことは否定Lがたい。本稿では、イギリスにおける労働
1)
Thackrah,
C.
Turner,
The
Effects
of
Arts,
Trades,
and
Professions,
aグid
of
Civic
States
and
Habits
of
Living, on Health and Longevity (with suggestions for the removal of many of the agents which produce dis-
ease, and shorten the duration of life), London, Longman, 1831, (186pp.), 2nd ed., 1832, (247pp.)復刻
版としては、 A. Meiklejohn, The Life, Work and Times of Charles Turner Thackrah, Edinburgh, E & S.
Livingstone, 1957,に所収のもの(第2版の復刻)が最も利用しやすい。なお、後掲Hunter's Diseases
ofOccupations, 9 edリ2000, p. 925によれば1989年(London, W,H. Smith/Longman)、また、後掲
Thomas Oliver ed., Dangerous Trades, reprint, 2004, (new) Introduction, viによれば1995年(Society
of Occupational Medicine)、それぞれ復刻についての注が記されているが、早稲田大学中央図書館参
考係を煩わせた詳細な調査にもかかわらず、 1985年アメリカでの復刻(Canton, M.A., Science
HistoryPublisher)を除いて、出版を確認できなかった。
2) Arlidge, J.T., The Hygiene Diseases and Mortality of Occupations, London, Percival, 1892, reprint, Kevin
White
edリThe
Making
of
Sociology,
vol.
VI,
London,
Routlege,
2001.
Holdsworth,
Clare,
`Dr
John
Thomas Arlidge and Victorian Occupational Medicine , Medical History, 42, 1998, p. 458.
3) Oliver, Thomas, ed., Dangerous Trades: The Historical, Social, and Legal Aspects of lndustrial
Occupations as Affecting Health, by a Number of Experts, 2 vols., London, John Murray, 1902, reprint,
Bristol (England) , Thoemmes Continuum, 2004, Introduction by Stephen Bonner and John Harrison.
4)演口桂一郎『EU労働法の形成』増補版 2001年、日本労働研究機構、 97-114第。ちなみに、労働
安全衛生の社会史研究における画期とされるのは、 Paul Weindling ed., The Social History of
Occupational Health, London, Croom Helnl, 1985,である。
22
保護立法の歴史的展開-の関心から、本書を手がかりとして19世紀末20世紀初頭におけ
る労働安全衛生基準の形成をめぐる議論の一端をさぐりたい。
(1)労災予防の啓蒙書
Oliver編著の書名でもある「危険業種(dangerous trades)」とは、職場における事故な
どによる死傷はもとより様々な職業病も含めて、いわゆる労働災害が頻繁に引き起こされ
るような業種を広く指す言葉として、当時用いられていた6)。もちろん、 19世紀前半から
炭鉱などの爆発事故や機械作業による死傷は後を絶たず、鉛や水銀などによる職業病は古
代から知られてはいたが、 19世紀末には、労働災害を予防すべきもの、ある程度予防で
きるものとしての認識が高まってきた。
1890年代に入ってから、内務省が危険有害業種に関する省内委員会を矢継ぎ早に設置
したり、専門家による調査報告を求めたのは、こうした認識を反映していたとみられる。
Oliverはいくつもの委員会や調査報告に関与したが、とりわけ1895年任命の危険業種省内
委員会(通称Departmental Committee on Dangerous Trades)は、特定の業種のみを扱う
他の委員会とは異なり、当初から20を超える多数の業種についての検討が諮問されて、
報告書も5次にわたる大掛かりなものとなった7)。しかも、 Oliver以外の3人の委員もすべ
て『危険業種』の寄稿者であり、図表も含めた内容的な重複も著しい。危険業種省内委員
会の最終報告書の提出が1899年であったことからも推測されるように、 Oliver編著は、こ
の委員会による調査の成果を広く知らせる意図をもった啓蒙書として位置づけられよう8)。
Oliver編『危険業種』は索引も含めて891頁におよぶ2巻本で、 60章から構成される
(文末の資料参照)。最初の第1章から第4章は明らかに総論に当たるが、それ以降の章立
ては系統的な整理とは程遠く、広範な産業・業種や労働者グループ、あるいは多種多様な
有害物質が取り上げられる。また、車ごとの長さも、わずか数頁から30頁ほどまでと、
ばらつきが大きいうえ、一般向けに分かりやすい解説に努めた章も少なくないが、なかに
はあまりにも専門的な記述のために、素人には難解なものも見受けられる。
5) Olivered., Trades, (new) Introduciton. vi.
6) 「危険有害業種/産業(dangerous and injurious/unhealthy trades/industries) 」とも言われたが(例
えば、本書の第2章・第3章〔ただし、順序は逆〕あるいは1901年統合工場法の第Ⅳ部)、 「有害業
種」も含めた意味で「危険業種」が頻繁に使われている。ちなみに、日本では、 「危険」は「労働安
全」に、 「有害」は「労働衛生」に対応するという大雑把な理解が一般的だが、労働基準監督官とし
て長い経験をもつ井上浩は、 「安全」と「衛生」の区別に疑問を里している(井上浩『労働安全衛生
法詳説』改訂12版、 2006年、経営書院、 22-27頁)。
7) Interim Report of the Departmental Committee appointed to inquire into and report upon Certain
Miscellaneous Dangerous Trades, 1896, C.8149, Second Interim Report, 1897, C.8522, Third Interim
Report, 1898, C.9073, Forth Interim Report, 1899, C.9420, Final Report, 1899, C.9509.
Oliverが序章において危険業種省内委員会との関係に一切ふれないのはきわめて不自然だが、たと
えどれほど重複があろうとも、行政の報告書そのものではないという建前に拘ったからであろうか。
イギリスにおける労働安全衛生基準の形成
23
ThackrahやArlidgeの単著に対して、本書の執筆者は約40名にも上るが、編者をはじめ
として医師(医学博士や医務官を含む)が約半数に達する。もっとも、 Oliverが60章のう
ち18章を担当して、頁数でも30%強と圧倒的な比重を占める。特に本文だけでも約90頁
(89頁+図表5頁)と突出した「第19章鉛と鉛化合物」は、内容的にも本書を代表する
とされ、 Oliverにとっても代表的な著作のひとつとなった9)。
もうひとつ注目すべきは、本書の執筆に当たった工場監督官(9名)に占める女性比率
の高さ(4名)である10)。 1833年にわずか数名で発足したイギリス工場監督職は、 1890年
代に入って急速に拡大し、 100名を大きく上回るようになった。こうした増員自体が、危
険業種への政策的な対応の一環であったから、任命間もない初代医療工場監督官Thomas
Morison Legge (1863-1932)も含めて、工場監督官たちが執筆に加わることはしごく当
然である。しかし、 1893年に初めて任命(2名)されたばかりの女性監督官は、本書の刊
行時においても一桁の人数にとどまり、工場監督官総数のわずか5%に過ぎなかった。し
かも、男性監督官が「より専門的」とみなされる危険業種に専念できるように、 「より低
位の業務」として切り離された工場監督の担当者として女性が採用されるに至ったという
経緯がある11)。
現職の女性工場監督官による寄稿は、主に女性が就労する業種を扱っており、労働災害
をめぐる認識が男性中心に偏りがちな状況のもとで、後述の鉛中毒を例外として、本書で
も見落とされやすい女性の労働災害について補完している。それは、当初から女性工場監
督官に期待された役割に沿うものであった。だが、総論のうちでも重要なふたつの車
(「第2章イングランドにおける危険有害産業(規制)法発展の歴史的概略」 「第3章ヨー
ロッパ主要国における工場・仕事場の危険有害職種の規制」)を、男性工場監督官ではな
く、少数の女性監督官たちを統轄する主任婦人工場監督官(Principal Lady Inspector)
A.M. Andersonが執筆したことは、当時の工場監督職における女性の地位からすれば、破
格の扱いといってよいだろう12)。
女性工場監督官たちが危険業種に強い関心を払っていたことは、工場監督職が男女混合
9) Oliver ed., Trades, (new) Introduction. xv. Thomas Oliverについては、 Oxford Dictionary of National
Biography, vol. 41, pp. 762-3, (W..J. Bishop執筆、 P.WJ. Bartripによる改定) ・
10)執筆者のうち、女性工場監督官の肩書きを確認できるのは3人だが、肩書きなしのMrs.HJ.
Tennantは1893年に初めて任命された女性工場監督官のひとりMay E. Abrahamである。彼女は、
1895年に設置された危険業種省内委員会の委員に任命された筏、結婚し、 1897年には工場監督官を
辞職したが、委員会の最終報告(1899年)まで委員を務め続けた(拙著『イギリス女性工場監督職
の史的研究-性差と階級』慶応義塾大学出版会、 2001年、 2章)0
ll)拙著『女性工場監督職』終章、拙稿「載間期のイギリス工場監督職…性差と階級・再考」 (中衷大
学) 『経済学論纂』 42巻6号、 2002年、 68-69頁、拙稿「工場監督職における女性一軒隔離』と『融
合』」河村貞枝・今井けい編『イギリス近現代女性史研究入門』青木書店、 2006年、所収(第4章第3
節)0
12) Oliverは、女性工場監督官の仕事ぶりを「エクセレントワーク」として高く評価していた
(Oliver, Thomas, Diseases of Occupation, London, Methuen, 1908, 2nd ed., 1908, 3rd ed,, 1916, xvi.) O
14
組織に再編される1921年以前の女性監督職に言及する研究者たちによって、繰り返し指
摘されており13)、本書の執筆配分もこれを裏づけるひとつの手がかりを付け加えることに
なろう。さらにいえば、男性よりも任務を限定された女性工場監督官たちは、男性の既得
権として固められた監督業務に参入する難しさを痛感していたから、工場監督職全体にと
っての新たな分野である危険業種への積極的な関与を、自分たちの存在意義を訴える有効
な機会として意識していた節もうかがえる14)
(2)危険業種規制の進展
イギリスにおける労働保護立法の歴史的展開は、産業発展との結びつきから工場法
(FactorYActs)を中心に据えて論じられ、危険業種規制についても工場法を対象とする把
捉が基本となっている。成人男性労働者には適用されずとも、児童などについての労働時
間や就業年齢の規制が広義の安全にかかわるからというばかりではない。最初の工場法と
される1802年法が、年2回の生石灰による洗浄を定めたのは、衛生条件にかかわるといえ
ようし、 1844年法における機械フェンス条項は、最初の安全規定となった15)。 1860年代
以降、工場法の適用が繊維業以外の産業にも拡大されるとともに、徐々にではあれ有害物
質に対処するための衛生規定が盛り込まれるようになり、さらに世紀転換期に向けて、
「特別規則(Special Rules)」 (ただし、 1901年工場法以降は「特別規制(Special Regulations)」)による危険業種規制の強化がはかられていく。
ただし、 Oliverの編著が強調するように、危険業種規制の進展をみるにあたって、工場
法と並んで炭鉱法(MinesActs)の重要性を見落としてはならない。炭鉱における大きな
事故や爆発の発生に対して後手になりながらも、 1840年代から炭鉱法の制定が続く
(1842年、 1855年、 1860年、 1872年、 1881年、 1886年)。とりわけ1855年法は時限立法で
あったが(ただし、 1860年法により恒久化)、これによって法制化された「特別規則」の
手法は、工場法に先行する。すなわち、 (換気や清潔に関する) 「特別規則」の作成権限を
13) Jones, Helen, Women Health Workers: the Case of the First Women Factory Inspectors in Britain',
Social History of Medicine, 1, 1988. McFeely, Mary Drake, Lady Inspectors: The Campaign for a Better
Wo頑Hace 1893-1921, New York, Basil Blackwell, 1988. Harrison, Barbara, Not only the 'Dangerous
Trades': Women's work and health in Britain, 1880-1914, London, Taylor & Francis, 1996, chap. 7.
14)長年、主任婦人工場監督官を務めたAndersonは、その回顧録の付録として、他の資料ではなく、
危険業種規制の一覧(Appendix I)と職業病の報告件数(Appendix II)を掲載した(Anderson, A.M.,
Women in the Factory: An Administrative Adventure, 1893 to 1921, London, John Murray, 1922) 。ちな
みに、女性工場監督官はアスベストの攻による潜在的な有害性について、いち早く言及していた
(Bartrip, P.W.J., The Way From Dusty Death, New York, Athlone, 2001, pp. 3-6) 。
15) Oliver ed., Trades, chap.2, pp. 3卜32. (以下でも、 Oliver ed. Tradesへの参照は、煩雑さを避ける
ため、各章の執筆著名は挙げずに、章もしくは頁のみを示す Bartrip P.W.J. and Fenn, P.T., The
Administration of Safety: The Enforcement Policy of the Early Factory Inspectorate, 1844-1864', Public
Administration, Spring 1980, p. 88.
イギリスにおける労働安全衛生基準の形成
ZS
工場法としてはじめて認めた1864年法は、炭鉱法に倣ったものであった16)。
また、 19世紀イギリス工場法史において画期を成すとされる1878年統合工場法よりも、
工場法史上ではあまり注冒されない、 1867年法(1864年法の適用業種を拡大17)、やはり
炭鉱法を前例とする1883年(鉛白)工場法、高温・多湿の規制とともに工場内の空気清
浄の基準を定めた1889年綿布工場法など、個別業種を対象とした諸法こそ危険業種規制
を進める歩みであった。こうした積み重ねを踏まえて、 1891年工場法が「特別規則」に
関する規定を整備し、さらに1901年統合工場法に基づく「特別規制」による危険業種規
制の本格的な実施に至るのである18)。
こうした危険業種規制の把握において、炭鉱法-の目配りに加え、工場法の展開を従来
からの就労年齢や労働時間に関する規制とは異なる視角から論じたことも、 Oliver編著の
ひとつの貢献といえよう。なぜなら、当時、工場法に焦点を当てた文献が危険業種規制を
扱っても、その射程は狭くならざるをえず19)、広範な規制政策の概要はほかに見当たらな
いからである。のみならず、 Oliver編著の第2車にまとめられた略述は、その後1920年代
前半において産業上の健康に関する教科書とされるふたつの文献、 Collis & Greenwoodの
共著(1921年)、および、 Kover&Hayhurstの編著(1924年)にも引き継がれることにな
る20)その第2章を担当したのは、既述の通り、繊維業以外の分野に働く女性や少女のみ
に監督対象を限定されていた女性工場監督官たちを束ねるAndersonであった Oliverの
編著においては、先述の寄稿した工場監督官に占める女性比率の高さもさることながら、
総論としての全体的な枠組みの設定についても女性工場監督官が重責を担ったというべき
だろう。
ちなみに、 Collis & Greenwoodの共著、ならびにKover & Hayhurstの編著は、ともに
Oliverの編著では触れられなかった商店法(Shops Acts)にまでも言及する21)。これまた
工場法史では看過されがちな1916年工場法についても、商店法における(店員労働者の
ために)座席の設置を求めた規定と炭鉱法による救急措置の規定が、工場と仕事場に適用
された点を評価している22)。安全衛生規定としてみれば、炭鉱法が工場法に先行するのは
16)
OliveredりTrades,
chap.
2,
pp.
33-34.
17) Collis& Greenwoodによれば、 19世紀末までの工場法は「憤慨する良心」を表してきたが、 1867
年法は「科学的調査が結実した稀な例」として評価する(Collis, E.L. and Greenwood, M., TheHealth
ofthe Industrial Worker, London, J. & A. Churchill, 1921, p. 33) 。
18) Olivered., Trades, chap. 2.
19)代表的な文献として、 Hutchins, B.L and Harrison, A., A History ofFactory Legislation, London, P.S.
King, 1903, 3rd edH 1926,邦訳『イギリス工場法の歴史』大前・石畑・高島・安保訳、新評論、 1976
年、 Mess, HA, Factory Legislation and Its Administration 1891 -1924, London, P.S. King, 1926。
20) Collis & Greenwood, Health. Kover, G.M. and Hayhurst, E.R., eds., Industrial Health, Philadelphia, P.
Blakiston's, 1924.
21) Collis & Greenwood, Health, pp. 3卜5. Kover & Hayhurst eds., Industrial, xv-XVI.イギリス商店法に
ついては、拙稿「イギリス労働保護立法の展開-工場法から商店法へ」 『早稲田社会科学総合研究』 4
巻1号、 2003年、参照。
16
ともかくも、ようやく1886年以降ゆるやかな規制内容から出発した商店法でさえ、工場
法に先んじた内容を有したのである。煤による(陰嚢)痛に着冒して、工場法以前に制定
された煙突掃除法(1788年、 1834年、 1840年)も取り上げられている23)。
さらに付言すれば、 1870年代はじめの鉄道事故の多発が鉄道規制法(Railways
Regulations Acts)の制定につながったことは、 Oliver編著の第13章に記され、鉄道につ
いても工場や炭鉱と同様の事故予防手段をとるべきことが主張された24)
(3)国家介入への期待と労働者への視線
本書に通底する特徴として、危険業種に関する立法的規制を強化するよう求める姿勢が
挙げられる。序章において、 Oliverは、工場法の歴史を、よりよい労働条件、より健康な
労働者、労働者に対する雇い主の懇意的な権力を制御するための試みとして捉え、立法は
産業を損なうよりも、むしろ産業を改善してきたと主張する(p.5)25)。そして、 19世紀の
イギリス工場法による産業全体の労働条件の整備に加えて、さらに個別業種、つまり危険
業種における労働者の健康にかかわる立法を拡充する必要性を訴える(p.22)c
Oliverにいわせれば、立法は世論の後押しがあってはじめて実現するものだが、例え
ば、内務大臣の権限が弱いために、工場法に定められた危険業種を規制するための「特別
規則」 (執筆時点)の作成に際して、提案内容を不服とする業者からの申請による調停に
時間と手間がかかり、調停が工場法の効果を減じる手段とみなされてきた。あるいは、職
業病について、その定義と認定が難しいとしても、労働者補償法(Workman's Compensation
Act,1898年施行)が事故の場合と同じように適用されないのは問題だという(pp.13-14)。
確かに規制立法に対する雇い主側の反対は根強いが、 Oliverが強調するのは、労働者の
健康を改善し、雇い主の労災予防への関心を高めるという、双方にとっての利益である。
そこではヨーロッパ大陸諸国やアメリカ合衆国などとの国際競争が強く意識されている。
ただし、労働費用の問題にはあまりふれず、国際競争の激化から機械の速度が上げられ、
労働者への負荷が大きくなっているからこそ、イギリス製造業者たちは、諸外国に学ん
で、労働時間短縮による効率向上をはじめ、科学的な対応によって労働者の健康を守らな
ければならないとする。なぜなら、従来の労働力供給は枯渇し、貧困や過密が次世代に悪
影響を及ぼしていると認識するからである(pp.6-8)。
序章の最後で、 Oliverは、政府による労働者の健康に関するいっそうの情報収集を望む
とともに、いくつかの提言を記している。ひとつは、 「特別規則」や保護立法について検
22) Collis & Greenwood, Health, p. 23. Kover & Hayhurst eds., Industrial, xii.
23) Collis & Greenwood, Health, pp. 37-39. Kover & Hayhurst eds., Industrial, xvii.
24) Olivered., Trades, pp. 192 and 199.
25)本節でのOlivered.,Trades,chap.I-の参照は、本文中の( )内に頁を示して注に代える。
イギリスにおける労働安全衛生基準の形成
27
討するための、内務大臣、工場監督官、雇い主、労働者、医師、化学者や技術者などから
構成される協議機関[aconsultative body)の設立である。また、工場法を管轄する内務
省は、あまりにも担当範囲が広すぎるため、労働問題を専門とする労働省(Ministryof
Labour)の設置にも関心を寄せていた(p.23)。
もっとも、 Oliverの立法強化-の期待は、雇い主に対する労働者の弱い立場の認識に裏
打ちされてもいる。 「労働組合による様々な試みも、長期的には労働者に不利となり、労
資間の不要な衝突が生じる」 (p.2)とする彼にとって、 「現代工場法(危険業種規制:引用
普)は、労働衛生に関する限り、多くの場合、自分たちのための指針をつくれない労働者
に対して、健康にかかわる一般法を拡大するもの」 (p.22)であった。ここでいう「労働
者」が明らかに成人男性を含むことは確認されてよい。なぜなら、次節で取り上げるよう
に危険業種規制における性別は大きな争点だったが、それでも、児童・年少者および成人
女性を主たる適用対象者としてきた工場法が、少なくとも危険業種に関する規制として
は、成人男性も排除しないことを明言するに等しいからである。
さらに、 Oliverに限らず、本書の随所で繰り返されるのは、労働者自身の不注意や無関
心が労働災害を招き、飲酒などの不節制が職業病を悪化させるという非経である。一方
で、貧困に代表される生活環境が労働災害の発生と密接に結びついていることを認めなが
らも、労働者側の責任の指摘が、労働者の「個人体質」による発症のちがいの強調とも相
侯って(p.15)、ともすれば雇い主側の免責につながりやすい傾向は否定できない。労働者
が教育を受けられるようになったとはいえ、先述のOliverが提案した協議機関の構成員の
うち、労働者についてのみ「少数の教育のある労働者」と限定が付くのも、労働者全般へ
の不信感の裏返しであろう。
「何人も自らの体について無制限の自由を行使することはできない」ように「産業とい
う有機的組織においても、生産はその限界内でなされるべきである」 (p.21)として、
Oliverが雇い主の「自由」の制限を掲げる時、労働者の健康は、労働者個々人のためでは
なく、あくまでもイギリス経済にとっての重要性が優先していたことは疑いえない。
(4)鉛中毒における性差
本書が論じる危険業種に携わる労働者の性別は圧倒的に男性であって、女性の影はきわ
めて薄い26)。女性の就労分野が男性に比べてはるかに限定されていたという事実はある
が、むしろ、 1970年代以降に目覚しい発展を遂げた女性史研究が強調するように、ヴイ
26)第9章では、男性の職業別死亡率のみを取り上げている。女性についての職業統計さえ不備であ
った当時、女性の職業別死亡率の統計を採れるはずもないが、性別役割分業規範からも女性の職業別
死亡率を確認する必要性を認めていなかったといえよう。
2.8
クトリア期イギリスにおいて浸透した性別役割分業規範を、その前提として指摘すべきだ
ろう。そのことは、編者をはじめとする執筆者たちが工場法(1844年法以降)による女
性の労働時間規制を高く評価していること、仕事内容が女性にふさわしくないという指摘
が散見されること、あるいは、当時、世論の関心が高まっていた幼児死亡率と母親の就労
との関係を論じた章の配置(第5章)やそこでの主張からもうかがえるが、なによりも
Oliverが長大な紙幅を費やした「第19章鉛と鉛化合物」において顕著である。
スコットランド出身のOliverは、 1879年からニューカッスル(Newcastle-upon⊥蝣Tyne)
で職業病とりわけ鉛中毒の問題に取り組み、やがて1890年代には、鉛中毒の専門家とし
て脚光を浴びるようになった27)。彼は本書の刊行時点ですでに鉛白業、窯業、黄燐マッチ
業などの危険業種規制に関する内務省委員会にも名前を連ねており、第19章はもとより
他の章でも、それぞれの委員会報告書が踏まえられている。
とりわけ1893年の鉛自業委員会報告書(Departmental Committee on the Various Lead
Industries, Report, 1894, C.7239)は、鉛白業における危険工程-の女性の就労禁止を勧告
し、これが1898年には「特別規則」として実施されるに至る。 Oliverにとっては最初の委
員就任でありながら、数少ない鉛白業の中心地であったニューカッスルの実情をよく知る
医師として、彼の発言力は決して小さくなかっただろうと推測される。現に第19章では、
1頁大の図版3枚を組み込んで鉛自業の危険工程を詳説し、フランスにおける対策も紹介
しながら、女性は男性よりも鉛中毒にかかりやすく、しかも女性の生殖機能に悪影響を及
ぼすと力説した。女性の就労禁止については、業者たちから強い抵抗があったが、今や適
切な手段として認めるだろうと自信を示す(pp.287-315)28)。
Oliverは、鉛中毒が(女性ほどではないが)男性の生殖機能も低下させること、また、
男性についても年長者より若年者の方が中毒になりやすいことを認め、 1898年の鉛白業
における女性の就労禁止によって、女性中毒の減少とともに男性中毒の増加が生じたこと
も記している(pp.297and303)。しかし、鉛中毒によって月経が乱れ、流産や死産が起こり
やすく、誕生に至った子どもも生き延びられないなどの事例を並べ、鉛自業以外の業種に
おいても同様の影響があるとする彼の論調は、当時の高い幼児死亡率への懸念と共鳴し
て29)、女性の就労を非難する「言説」として大きな威力を発揮することになった。本書全
体としては男性労働者の危険業種が圧倒的多数を占めながら、女性の生殖機能への関わり
を強弁しつつ、鉛中毒に関する限りは異常なほどに不釣合いな関心が女性労働者に向けら
れたのである。
27) ODNB,vol.41,pp.762-3.
28)本節でも、 Olivered.,Trades,chap.19についての参照は、本文中の( )内に頁のみ記して、注
に代える。
29) Dyhouse, Carol, `Working-class mothers and infant mortality in England, 1895-1914'',Journal of
Social History, xu, 1978.
イギリスにおける労働安全衛生基準の形成
29
女性については鉛白業における危険工程での就労禁止を妥当な政策としたのに引き換
え、従来の女性に代わって就労する男性に関しては、ひたすら個々人の「清潔」の重要性
が喚起され、その挙句、唐突に「禁酒」の必要性が持ち出される(pp.314-6)。もちろん、
職場の換気や保護具の支給、洗面設備の用意など、雇い主としての義務にも触れられない
わけではないが、 「清潔」と「禁酒」という、労働者個人の責任を重視する姿勢は、先に
指摘した、雇い主側の免責につながりやすい傾向に符合する。しかも、 Oliverは、労働者
の行動や生活習慣に対しては苦々しい思いを抱きながらも、なぜか鉛中毒に関する限り、
「(鉛自業において)男性は仕事の危険性を認識するにつれ、注意深くなって、鉛中毒にか
かりにくくなった」 (p.300)と述べて、男性労働者を相対的に女性労働者よりも信頼にた
る存在-と格上げする。もっとも、そのすぐあとには、とりわけ臨時雇いの男性労働者た
ちが「無知」で「不注意」だと嘆き、常用労働者に比べて臨時雇いの労働者の鉛中毒の篠
患率が高いことを記すので、読者は振り回されてしまう(p.300)。
Oliverの鉛中毒における性差の扱いはきわめで窓意的であり、女性の生殖能力や胎児へ
の悪影響についての過度の強調が、危険業種に働く圧倒的多数が男性である事実を、隠蔽
とまではいかないまでも、唆味にする役割を果たしたといわざるをえない。
(5)鉛中毒問題のその後
それでは、職業病に取り組んだ医師として19世紀後半を代表し、 Oliverよりも一世代年
長にあたるArlidgeや、 Oliverとほぼ同世代のLegge (医療工場監督官)は、鉛中毒におけ
る性差をどのように捉えていたのだろうか。また、 Oliver以後の時期においては、どうだ
ろうか。
鉛白業における女性の就労禁止をめぐっては、すでに1880年代初頭から議論されてい
たが、当時、首席工場監督官(初代)であったAlexander Redgraveは、規制の導入にも、
女性の就労禁止にもはっきりと反対を表明していた30)しかし、 1890年代の内務省委員
会においては、 ArlidgeやOliverなどの医師が重用され、鉛中毒における性差を強調する
見解が医学的な所見を拠り所にして確立されてゆく31)
Arlidgeは、 1860年代はじめから、窯業の中心地ニューカッスル・アンダー・ライム
30) Report by Alexander Redgrave, Esq., C.B., Her Majesty's Chief Inspector ofFactories, upon the
Percautioタis which can be enforced under the Factory Act, and as to the need of.座rther Powers, for the protection of persons employed in Whitelead Works, 1882, C.3263, p. 4. Copy of Communications addressed to
the Secretary of State on the subject of l杓itelead Poisoning; with Report by Alexander Redgrave, Esq., C.B.,
Her Majes砂s Chief Inspector ofFactories, upon the same subject, 1883, C.3516, p. ll.
31)ちなみに、 1896年から首席工場監督官に就任したA血urWhitelegge (1852-1933)は、医師の資
格をもって工場監督職の頂点に立った最初の人物であり、医療工場監督官の創設についても尽力した
とみられる(Hunter, D. Health in Industry, Harmondworth (U.S.A.) , Perican, 1959, p. 48) <
3-
(Newcastle-unde‡LLyme)に居住して、 (鉛を含有する)粕による鉛中毒問題に精通した医
師であった。窯業の場合には、鉛白業のように女性の就労禁止には至らず、職場条件を規
制する「特別規則」および「特別規制」がたびたび改定されるという経過をたどるが、窯
業への最初の「特別規則」の導入につながる内務省委員会(Potteries Committee of Inquiry)の委員であったArlidgeは、もうひとりの委員とともに、 「鉛が流産を引き起こし
胎児に有害であろうことは、十分確証されているので、既婚女性が鉛を使用する工程で働
くのは望ましくない」と報告書に記している32)。
ただし、 Arlidgeが単著において鉛自業に言及する場合には、女性の方が男性よりも鉛
中毒に握りやすいという記述は見出せない33)また、工場法の制定や工場監督官の働きを
高く評価するという点ではOliverと一致しながらも、ヨーロッパ大陸諸国の資料について
は、様々な事情が異なるため、イギリスのモデルにはならないとして、雇用環境を重視す
る姿勢はOliverよりも徹底している34)。
Oliverの編著におけるArlidge-の参照は少なくないが、執筆者の中にArlidgeの名は見
出せない。 Arlidgeが1899年に亡くなったという事実も大きいが、 Holdsworthの研究によ
れば、国家介入による改革に消極的であった彼は、 1890年代半ばには、職業病の権威と
しての名声を失ってしまったという35)。 Holdsworthを参照せずとも、鉛中毒について
Oliverが執筆した第19章の量的および質的な突出ぶりから、その裏に潜むArlidgeへの対
抗意識を読み取ることはさほど難しくない。
1898年に初代医療工場監督官として任命されたLeggeは、その職務の一環として職業病
にかかわるようになった医師である。 Oliverの編著では水銀などについてのふたつの章を
担当しているが、 Goadbyとの共著書の刊行(1912年)は、彼もまた鉛中毒の専門家とし
てみなされていたことを示す Oliverに依拠して、女性は男性よりも鉛中毒に握りやすい
と断定し、これが女性の生殖器官にかかるストレスによる、とまで明言したのはGoadby
の方だが36)、当然Leggeもこうした見解を共有していたといわなければならない。ちなみ
に、 Leggeが医療工場監督官を辞任したのは(1926年)、彼が起草に加わった国際労働機
関(ILO) 13号条約(ペ-トンに於ける鉛白の使用に関する条約、 1921年37)をめぐる、
イギリス政府の対応への抗議としてであった38)
しかし、第一次世界大戦後になると、 Oliverの見解を真っ向から否定する文献も出現す
32) Potteries Committee of Inquiry, Report, 1893, C.7240, p. 7.
33) Arlidge, Hygiene, pp. 422-430.
34) 「工場主や経営者は、改善すべき労働条件には昌をつむって、労働者を非難しやすい」 (Arlidge,
Hygiene, p. 5) 。
35) Holdsworth, `Arlidge', p. 473.
36) Legge, Thomas M. and Goadby, Kenneth W., Lead Poisoning and Lead Absorption, London, Edward
Arnold, 1912, chap. Ⅲ.
37)鉛を含む顔料を建物内部の塗装に使うことを禁止する条約。塗装作業に「女子」と「18歳未満の
男子」が従事することも禁止した。
イギリスにおける労働安全衛生基準の形成
3i
る。例えば、 Collis & Greenwoodの共著における「女性の産業就労」の章では、鉛中毒に
ついて「女性が男性よりも被害を受けやすいという証拠があるとはいえない」39)とする。
鉛白業において女性就労が禁止された後、男性の鉛中毒が急増したことも記し、戦時中に
一時的に女性が就労しても中毒は増えず、むしろ、戦後の産業活動が活発化した故か、男
性が再び携わるようになって鉛中毒が増加したという。
もっとも、ほぼ同じ時期にアメリカで出版されたKover & Hayhurstの編著では、 Oliver
が鉛中毒について寄稿し、女性は男性よりも鉛の害を受けやすいという持論を繰り返して
いた40)。しかも、アメリカにおける産業医学の確立に中心的な役割を果たしたAlice
Hamilton (1869-1970)が、窯業から出産期の既婚女性を排除するなどの女性労働保護立
法を支持したのも、 Oliverの強い影響力によるとされる41)
ただし、長寿であったHamiltonは、 1950年代に入って、女性労働保護立法を認めない
男女平等憲法修正条項(ERA)への反対を取り下げて、支持に回った42)ぉそらく、その
ためであろうが、雇用平等を推進する立場から、性によって異なる危険業種規制への関心
を高めた1980年代半ば以降のアメリカの研究では、 Hamiltonがかつて女性労働保護立法
を支持したとしても、必ずしも女性が男性よりも鉛中毒に確りやすいという医学的所見に
基づいていたわけではないとする論調が目立つ43)ちなみに、女性就労の正当化が意図で
はないとの断りを付けながらも、鉛を含めた有害化学物質に対して女性が男性よりも弱い
というはっきりした証拠はないとの見解を改めて提起して、 Oliver編著を批判する文献が
刊行されたのは1946年のことであった44)。
他方で20世紀半ばのイギリスにおいて、職業病研究の第一人者はDonald Hunter (18981978)である。 1920年代半ばにアメリカ・ハーバート大学で鉛中毒を研究した彼は、その
38) Heitmann, John, The ILO and the Regulation of White Lead in Britain during the Inter War Years:
An Examination of International and National Campaigns in Occupational Health', Labour History
Review, 69-3, 2004.
39) Collis & Greenwood, Health, p. 233.
40) Kober & Hayhurst eds., Industrial, pp. 412-430.
41) Klein, Patricia Vawter, "`For the Good of the Race": Reproductive Hazards from Lead and the
Persistence of Exclusionary Policies toward Women', in Wright, B.D. et al. ed., Women, Work, and
Technology: Transformations, Ann Arbor, University of Michigan Press, 1987, pp. 105-7. Malone,
Carolyn, Women s Bodies and Dangerous Trades in England, 1880-1914, Royal Historical Society
(Woodbridge, U.K., Boydell.) 2003, p. 119.
42) American NationalBiography, (1989,) vol. 9, p. 911.
43)犯em, "For the Good" p. 107. Heifetz, Ruth, Women, Lead, and Reproductive Hazards: DeBmng a
New Risk', in Rosner, David and Markowitz, Gerald, eds., Dying for Work: Workers'Safety and Health in
Twentieth-Century America, Bloomington, Indiana University Press, 1989, pp. 162-4. Hepler, Allison L,
Women in Labor: Mothers, Medicine, and Occupational Health in the United States, 1890-1980,
Columbus, Ohio State Univers晦r Press, 2000, pp. 37 and 92-3.ちなみに、 Hamiltonの回顧録によれば、
医療工場監督官Leggeとの交流は認められるが、 Oliverとの個人的な接触はなかったようである
(Hamilton, Alice, Exploring the Dangerous Trades, Boston, Little Brown, 1943, reprint, Boston,
Northeastern University Press, 1985) 0
44)
Baetjer,
Anna
M.,
Women
in
Industry:
repnnt, New York, Arno, 1977.
Their
Health
aタid
Efficiency,
Philadelphia,
W.B.
Saunders,
1946,
32
後長く引き継がれる職業病事典を編纂したほか、新書版の一般書も執筆している。後者の
産業医学史の章では、新しい立法の発展に対する工場監督職の貢献とともに、 Legge個人
についても取り上げて紙幅を割く。のみならず、鉛中毒の項では、イギリスにおける予防
措置の成功はLeggeの警告に基づいているとまで言い切るが、 Oliverへの言及はみられな
い45)。事典の初版においては、 Oliverへの参照は皆無ではないものの、 Leggeに比して目
立たず、鉛中毒における性差にかかわる記述も見出せない46)。
そして、 Oliver編著の復刻に際しての新しい序文は、 19世紀のThackrahと20世紀の
Hunterをつなぐ「失われた環(missing link)」として、 Oliverの労働環境の改善に果たし
た役割が評価されてこなかったと主張しなければならなかったのである47)。
(6)鉛中毒をめぐる立法的措置
それでは、この間、危険業種、とりわけ鉛中毒にかかわる具体的な立法的措置はどのよ
うに推移してきたのだろうか。
既述の通り、きわめて限定された危険業種に関する法的規制は、 19世紀半ばから徐々
に導入がはかられていたが、 1890年代の工場法(1891年法および1895年法)に基づく
「特別規則」が続々と設けられるようになり、 Oliver編著によれば24件が確認できる48)。
さらに、 1901年統合工場法において「特別規制」と改称された措置は、 1920年代初頭に
おいて、 40件に上った49)これらの「特別規則」および「特別規制」のなかには、頻繁
に統廃合が行なわれた例もあって、詳細な把捉は難しいが、それでも鉛中毒にかかわる規
定が、前者で少なくとも6件、後者において11件と、かなりの比重を占めたことがわか
る。
また、 1920年代には、鉛にかかわるふたつの法律が制定されている。ひとつは、女性
年少者(鉛工程雇用)法(Women and Young Persons Employment in Lead Processes Act,
1920)であり、もうひとつは、先にふれた、 Leggeが内容についての不満から抗議の辞任
におよんだ、鉛塗料法(Lead Paint Protection against PoisoningAct, 1926)である。
その後1930年代初頭の時点での「特別規制」は42件と必ずしも増えてはいないが50)、
45) Hunter, Health, 1959, chap. 2 and chap. 5.
46) Hunter, D., The Diseases of Occupation, London, English University Press, 1955. Hunterの死後も
Hunter's Diseases ofOccupationsとして改定を重ねており、確認できた限りでは2000年に第9版が刊行
されている(London, Arnold)。なお、 Hunterの初版では、歴史的社会的状況にかなりの紙幅を費や
しており、これについてWeindlingによる指摘もある(Weindling, Paul, `Linking Self Help and
Medical Science: The Social History of Occupational Health', in Weindling ed., The Social History of
Occupational Health, p. 3.) 。
47) Oliver ed., Trades, (new) Introduction, v-vi.なお、この序文では、 Thackrahが全てThakrahと誤
記されている。
48) Olivered., Trades, p. 59.
49) Anderson, Women in the Factory, Appendix I.
イギリスにおける労働安全衛生基準の形成
H:
鉛化合物製造・窯業・塗料・電池など鉛中毒に関連する業種についての規制が存続した。
のみならず、 1901年法に次ぐ統合工場法である1937年法では、鉛に関する条文が直接盛
り込まれ、労働時間などの雇用問題よりも、労働安全衛生問題を重視する姿勢を鮮明に打
ち出した。こうした戦間期の危険業種規制のあり方が、ほとんどそのまま第二次世界大戦
後にも引き継がれたことは、 1961年工場法の内容からもうかがえる。
1890年代以降、とりわけ工場法の「特別規則」や「特別規制」を粒子として推進され
てきた危険業種-の立法的な対応が、大きく転換するのは1970年代まで待たなければな
らない Robens委員会51)での検討を経て、長い歴史を誇る工場法に代わる労働安全衛生
法(Health and SafetyatWorketc.Act)が制定されたのは、 1974年のことである。
Robens委員会報告書は、 1961年工場法が1937年に遡る古い諸規定の整理統合に過ぎず、
1921年の鉛化合物製造規制は、今や廃れてしまった工程を扱っていると、嘆いてみせ
る52)。しかしながら、鉛中毒に関して女性が男性とは異なる規制のもとに置かれている事
態は棚上げされたままであった。
1844年法以来の女性のみに課せられた労働時間規制については、性差別として是正す
る方針が比較的早い時期から打ち出された。その背景には、イギリスがEC (欧州共同体)
へ加盟(1972年)するための条件整備の一環として制定した、同一賃金法(EqualPay
Act, 1970)と性差別禁止法(Sex DiscriminationAct, 1975)がある。もっとも、労働時間
の規制撤廃についてさえ、これを盛り込んだ法の制定は1989年雇用法(EmploymentAct)
までずれこむことになったのだが53)。
ところが、鉛と電離放射線にかかわる性別規制に関しては、 1970年代末に出された機
会平等委員会報告書54)においても、きわめて歯切れの悪い記述に終始した。すなわち、
「できるだけ男女平等な立法に変更すべきだが、胎児が危険にさらされる場合には、異な
る扱いが正当化される」55)というのである。ちなみに、この報告書は、重量運搬制限の性
別規制について、 「できるだけ性差別を避け、十分な保護を維持すべき」としながらも、
「男女別の規定を速やかに廃止すべき」ことを勧告しているが56)、鉛と電離放射線に関す
50) Annual Report of the Chief Inspector ofFactories and Workshops for the Year 1932, 1933, cmd. 4377,
p.33.なお、 Oliverの編著に寄稿した女性工場監督官Squireの回顧録(1927年刊)によれば、その
執筆時点での「特別規制」は32件と記されている(Squire, Rose E., Thirty Years in the Public Service,
London, Nisbet, 1927, p. 50) 0
51) Report of Committee, 1970-72, SafeかandHealth at Work, HMSO, 1972,邦訳『労働における安全と
保健一英国の産業安全保健制度改革』小木・藤野・加地訳、労働科学研究所出版部、 1997年。
52) Report of Committee 1970-72, para. 29.
53)拙稿「イギリスにおける危険業種規制と性差:過去と現在」 (大東文化大学) 『経済論集』 84号、
2005年、 44頁。
54) Equal Opportunities Commission, Health and Safety Legislation: Should we distinguish between men
and women? Manchester, EOC, 1979.
55) EOC, Legislation, para. 430.
56) EOC, Legislation, para. 447.
54
る限り、 「廃止」に踏み込んだ勧告はなされなかった。結局のところ、 EC/EUの指令と
も呼応して、イギリスにおける鉛と電離放射線に関する性別規制が撤廃されることにはな
らなかったのである57)。
このように、産業構造の変化と技術革新に伴う新たな職場の危険に対して、規制の改廃
や新たな導入がなされたり、ふたつの世界大戦期には規制が大幅に緩和されたりはした。
それでも、 1890年代以降の世紀転換期に確立した鉛中毒における性別規制は、今だに継
続しているのである。戦闘期以降の文献が、ことさら鉛中毒における性差を論じなくなっ
たのは、むしろ、こうした性別規制の定着を当然視したがゆえとみることもできる。かつ
て鉛中毒問題を掲げてあれほど脚光を浴びたOliver本人の存在は、やがて忘れ去られたに
もかかわらず、彼が喚起した「言説」に後押しされて実現した危険業種規制は、彼の名声
よりもはるかに長い寿命を誇る皮肉な結果となった。
t一一)"iJ、
本稿によるささやかな検討は、危険有害業種規制のなかでも、鉛中毒という職業病への
政策的対応に偏るが、それでもイギリス労働保護立法の歴史的展開において、 1890年代
が画期であったことは確認できる。 Oliver編著『危険業種』の刊行は、危険業種省内委員
会の報告書にもまして、危険業種を規制して労働安全衛生基準の形成を促進しようとする
政策姿勢を強く印象づけるものである。とりわけ成人男性が働く職場環境-の国家介入
を、極力回避する方針から不審不承ではあれ容認する方向-の転換のためには、世論を説
得する啓蒙書を必要としただろう58)。
とはいえ、業種を指定して「特別規則」や「特別規制」を導入する手法は、手間と時間
がかかり、あくまでも緩やかな転換に終始した。すなわち、児童・年少者および成人女性
を適用対象として、労働時間など雇用条件の規制を主たる内容としてきた19世紀の工場
法に危険業種規制を盛り込むに際しては、まずは年齢、次には性別によって対象をできる
だけ絞り込もうとする傾向が明らかに認められる。逆にいえば、成人男性は最後のやむを
えざる規制対象とすることが暗黙の前提であった59)。
57)拙稿「危険業種規制」参照。
58) 「1891年-1924年の期間における重大な前進の方向のひとつは、男性の法的保護である」 (Mess,
Factory Legislation, p. 91)。 1891年工場法による男性のみが働く仕事場-の衛生規定の適用がその最
初であり、 1908年炭鉱(8時間)法は、成人男性についてのイギリス最初の労働時間規制となった
(Collis & Greenwood eds., Health, pp. 35 and 37) 0
59)すでに1842年炭鉱法によって、女性の地下(坑内)労働は禁止されており(John,AngelaV,.,By
the Sweat ofTheirBrow: Women Workers at Victorian Coal Mines, London, Croom Helm, 1980) 、 1844年
工場法に始まる綿工場の機械による事故防止のためのフェンス規定は、 1878年統合工場法にも引き
継がれるとともに、稼動中の機械清掃などが児童・年少者・成人女性には禁じられていた(Report
upon the Prevention ofAccidentsfrom Machine恒n the Manufacture of Cotton, 1899, C.9456, p. 5) 。ちな
イギリスにおける労働安全衛生基準の形成
*
それゆえ、危険業種規制の実施においては、雇用問題の場合と同株というよりも、むし
ろそれ以上に、性別によって異なる政策的対応が組み込まれなければ、成人男性へのわず
かばかりの規制さえ成立させることは困難だっただろう。女性に対する厳しい規制を際立
たせれば、男性については微々たる規制に過ぎないという対比によって、新たに導入され
る後者への抵抗を和らげる効果を期待できる。特に胎児への悪影響を理由として女性の就
労禁止にまで至った鉛中毒-の対策は、母親としての女性の家庭責任を最優先させる性別
役割分業規範に則っていたうえに、当時の幼児死亡率-の高まる懸念にも縛さして、 "ス
ケープゴーU にうってつけであったといってよい。
Oliverが時代の寵児になりえたのも、男性職場や男性職種における危険への警告に満ち
溢れた編著『危険業種』において、女性についての規制強化を殊更に言い募ることによっ
て、この転換の"レトリック"を鮮やかに体現してみせたからであろう。もっとも、やが
て黙殺の憂き目に会うようになったのも、その露骨さに起因するのかもしれない。
したがって、別稿で取り上げたようにCarolyn Maloneをはじめとする現代の女性史研
究者によって19世紀末以降の鉛中毒規制が女性差別として激しく指弾されることは免れ
ようもない60)ただし、それらの研究では、もっぱら女性のみに対する危険業種の規制強
化に焦点が当てられ、男性に対する規制のあり方の変化との関係については、ほとんど論
じられない。しかも、化学物質による男性の生殖能力への有害性をめぐっては、ようやく
20世紀の第四・四半期になって本格的な政策課題として浮上した事実からすれば、女性
差別としての指摘のみに終わらせず、成人男性に対する危険業種規制についても立ち入っ
た精査が求められよう61)。
それは、危険業種規制の対象を成人男性にも拡大しようとする政策姿勢を評価するあま
り、性別によって異なる規制が設けられたことの社会的意義を軽視するというのでは決し
てない。むしろ、規制の不備が男性たちにもたらした負の側面をも把揺するのでなけれ
ば、ジェンダー関係の検討は完結しえないからである。女性学/女性史研究が先行した危
険業種規制に対する批判を踏まえて、男性学/男性史研究としての取り組みが期待される
ところである。
みに、 1989年雇用法は、女性について禁止されていた、鉱山法による地下(坑内)労働、および工
場法による稼動中の機械の清掃の規定も廃止した。この雇用法は、年少者についての扱いも見直すと
ともに、建設業のシーク教徒がターバンをしている場合には、安全ヘルメットの着用義務を免除する
ことなども定めている。
60)拙稿「危険業種規制」、同「労働とジェンダー一世紀転換期イギリスの危険業種規制を例として」
『ジェンダー史学』創刊号、 2005年。
61) Johnston. Ronnie, and Mclvor, Arthur, `Dangerous Work, Hard Men and Broken Bodies: Masculinity
in the Clydeside Heavy Industries, c. 1930-1970s', LabourHistory Review, 69-2, 2004には、マスキュリ
ニティにかかわって「意気地なしといわれたくないために」 (pp.170-171)、男たちは「天職の危険
を知っていて、それを引き受けるつもりがある」 (p.363)との記述がみられる。
オリバー編『危険業種』の章立て・執筆者一覧
1.序章〔Oliver :医学博士〕 ≪23》
2.イングランドにおける危険有害産業(規制)法発展の歴史的概略〔Anderson :女性工場監
浩 'M1
3.ヨーロッパ主要国における工場・仕事場の危険有害職種の規制〔Anderson〕 ≪19》
4.危険業種に関する保護立法の原則〔Tennant :国会議員〕 ≪lo≫
5.幼児死亡と工場労働〔MrsTennant :肩書きなし&Reid :医務官〕 《17≫
6.児童労働〔M`Millan :教育委員〕 ≪8》
7.下請け家内労働〔Ballantyne :肩書きなし〕 《6》
8.作業と疲労の生理学〔Oliver〕 ≪14》
9.職業別死亡率〔Tatham :医学博士・登録局〕 ≪16》
10.魔境を発生する職種〔Ta払am〕 ≪32≫
ll.国内外の兵士の病気〔Dodd :医学博士〕 ≪16》
12.海上勤務における健康〔Collingridge :医学博士・医務官〕 ≪8》
13.鉄道〔Cunynghame '.内務省次官補〕 ≪13》
14.機械の安全装置〔Richmond :工場監督官〕 《29》
15.農業・馬・家畜〔Power:医師〕 ≪18≫
16.発送電事業〔Smith :元海軍司令官・工場監督官〕 ≪17》
17.職業病の原因としての魔境〔Oliver〕 ≪11+図表10》
18.ごみ拾いの女性〔Oliver〕 ≪4》
19.鉛と鉛化合物〔Oliver〕 ≪89+図表5≫
20.鉛中毒の電解治療(Jones :医学博士・医務官〕 ≪5》
21.枇素〔Morris :皮膚病学〕 ≪4》
22.窯業〔Oliver〕 ≪8》
23.鉱淳(塩基性スラグ) 〔Hedley :医学博士〕 ≪6≫
24.耐火石材(ガニスター)の砕石〔Smith〕 ≪9》
25.ブ-アストン〔Oliver〕 ≪3≫
26.鋼の研磨〔S.White :外科学〕 《9》
27.燐・黄燐マッチ〔Oliver〕 ≪17》
28.水銀と水銀塩使用の危険〔Legge :医療工場監督官〕 《13》
29.カリウムと重炭酸ナトリウムの製造・使用による傷害〔Legge〕 《8》
30.銅と裏盆〔Simon :医学博士&Knyvett :工場監督官〕 ≪15》
31.弾性ゴム〔Oliver〕 《5》
32.高性能爆薬の製造におけるジニトロベンジン等の影響〔RP.White :医学博士〕 《16≫
33.ベンゼンによるドライ・クリーニング〔Oliver〕 ≪3》
34.可燃性塗料の使用〔Oliver〕 ≪3》
35.アセチレンとその危険〔Smith〕 ≪8》
36.製粉所〔Oliver〕 ≪3》
37.鉱業〔Louis :鉱山学〕 ≪32≫
38.炭鉱内の空気〔Haldane :医学博士〕 ≪17》
39.採石場〔Brown :医学博士&Kelynack :医学博士〕 《11≫
イギリスにおける労働安全衛生基準の形成
40.化学工業〔Laurie :学長〕 ≪31≫
41.爆発と爆薬〔Key :爆薬監督官〕蛋22》
42.炭痘病〔Hamer :医学博士・医務官〕 ≪13》
43.羊毛業の炭疫病〔Bell :医学博士・医務官〕 ≪lo≫
44.濫襟の仕分けと粉砕〔Stuart :医務官〕 ≪4》
45,毛布の漂白〔Stuart〕 ≪2》
46.ジュート〔Wilson :工場監督官〕 ≪13》
47.ランドリー労働者〔Deane :女性工場監督官〕 ≪lo≫
48.魚の加工と果物の保存〔Paterson :女性工場監督官〕 ≪8》
49.錫メッキの女性労働〔Squire '.女性工場監督官〕 ≪6》
50.炭酸水業の女性労働〔Squire〕 ≪4》
51.亜麻とリネン〔Purdon :医学博士・証明医〕 ≪11》
52.線の製造〔Wheatley :医学博士・医務官〕 ≪22》
53.うさぎ羽毛〔Squire〕 ≪4》
54.圧縮空気・滞留空気による病気〔Oliver〕 ≪20+図表3》
55.減圧による病気〔Oliver〕電3》
56.空気震動の影響〔Oliver〕 ≪鍾≫
57.鉄鋼業〔Oliver〕 ≪5》
58.眼の病気と事故〔Snell :眼科医〕 ≪27十図表5》
59.その他の業種〔Oliver〕 ≪27+図表3》
60.過度の反復筋肉使用による職業病〔Oliver〕 ≪11》
付録 SpecialRules 〔Smith〕
【注】
原音では、ローマ数字による表記だが、ここでは読みやすさを優先して算用数字を用いたO
〔 〕内は、執筆署名:肩巻き。
電 》内は、頁数(図表の頁数は、通しの頁番号が付されていない場合のみ)。
57
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