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中世シチリアの華 国際都市パレルモ
13 リシャ人は紀元前 世紀〜 世紀 やってきたギリシャ人でした。ギ にして書き記したのはその後に た ず、 こ れ ら の 民 族 の 名 を 文 字 しかし彼らはいずれも文字を持 リ人やエリュモイ人が現れました。 と い う シ カ ニ 人 で、 次 い で シ ク 前 6000 年 頃 か ら 住 ん で い た て い ま し た。 最 古 の 住 民 は 紀 元 はるか昔から様々な民族が往来し ており、 海陸交通の十字路として、 す。 地 中 海 の ほ ぼ 中 央 に 位 置 し 合わせたぐらいの面積がありま シチリア島は地中海でいちば ん 大 き な 島 で、 四 国 と 岡 山 県 を 中海の穀倉」と呼ばれたほど農業 した。そのため、 古代初期には 「地 して富を絞り取る対象にされま に わ た り、 シ チ リ ア は 従 属 地 と の 支 配 を 受 け、1000 年 以 上 そ の 後、ローマ、ヴァン ダ ル、 東ゴート、ビザンチン(東ローマ) アという地名の起源です。 ア と 呼 び ま し た。 こ れ が シ チ リ クリ人の地」という意味でシケリ 人だったので、彼らはこの島を 「シ ばならなかった現地住民がシクリ す が、 こ の と き 相 手 に し な け れ 海岸に盛んに植民地を建設しま にかけてシチリアの東海岸と南 アラブ人が繁栄をもたらす(925 年〜) その栄光の歴史を追いかけます。 ︵ 中村洋太︶ 編集部 首都パレルモは、当時最大の先進的な国際都市として繁栄しました。 ノルマン人たちが築いたシチリア王国は地中海世界に君臨し、 12 ラブ人に奪われることになります。 にはついにシチリアの全土をア り じ り と 敗 退 を 続 け、925 年 て き ま し た。 ビ ザ ン チ ン 勢 は じ リカからシチリアの西海岸に渡っ 827 年 に イ ス ラ ム 勢 が 北 ア フ イスラム教徒の勢いは止まらず、 い ま し た。 新 興 の 意 気 に 燃 え た 地中海世界では大変動が起こって 世紀にムハンマドがイスラ ムの教えを説き始めたことから、 い島に変貌してしまいました。 る こ と が 少 な く、 い つ し か 貧 し かんがい施設の整備などをされ で 豊 か だった 島 は、 農 地 改 良 や でしたが、アラブ人の時代になっ に か け て は 東 海 岸 の シ ラ クーサ 市 は、 古 代 か ら ビ ザ ン チ ン 時 代 そ し て こ の 時 代 に、 首 都 が 変 わ り ま し た。 シ チ リ ア の 中 心 都 重要な農作物になっています。 今日に至るまでシチリアの最も にレモンをはじめとする柑橘類は、 作 物 が も た ら さ れ ま し た。 と く それまでヨーロッパになかった農 メヤシ、サトウキビ、メロンなど、 れ、 柑 橘 類、 ピ ス タ チ オ、 ナ ツ た。 新 し い 農 業 技 術 も 持 ち 込 ま の 暮 ら し は ぐっと 楽 に な り ま し 平 な 税 制 が 持 ち 込 ま れ て、 庶 民 簡素で効率の良い行政制度と公 遇 さ れ て い た 税 制 は 廃 止 さ れ、 ま た、 ノ ル マ ン 人 に とって イ スラム教の異質の度合いはギリ りました。 ちの実益に結び付けて活用を図 知 る と、 さっそ く そ れ を 自 分 た 教の修道士が高度の学問や建築 対 し、 ノ ル マ ン 人 は ギ リ シャ 正 リ シャ 正 教 を 敵 視 し て い た の に た と え ば、 カ ト リック 教 徒 が 同じキリスト教の一派であるギ だったといえるでしょう。 バルな感覚を持ち合わせた人種 現 代 風 に い え ば、 非 常 に グ ロー 偏見をまったく持ちませんでした。 宗 教 も 含 め て、 異 文 化 に 対 す る 込んで活躍の場を求めたからか、 語、 異 文 化 の 真 った だ 中 に 飛 び ルモは当時最大の国際的な都市 ン・シチリア文化が発展し、パレ となりました。 故郷ノルマンディーを遠く離れて 服 に 乗 り 出 し ま し た。 し か し、 い た ノ ル マ ン 人 が、 シ チ リ ア 征 世 紀 の 後 半 に な る と、 す で に南イタリアを支配下に収めて マ法王に認められ、ノルマン・シ 征 服 を 達 成。1130 年 に ロー ト を 陥 落 さ せ、 シ チ リ ア 全 土 の 勢力の最後の拠点となった町ノー し た。 そ し て 1091 年、 抵 抗 に 組 み 入 れ て、 戦 力 を 増 強 し ま 知 識 や 能 力 に 応 じ て 様 々な 要 職 ノルマン王朝ではイタリア人、 ギ リ シャ 人、 ア ラ ブ 人 な ど を、 役立てました。 し て、 即 座 に 自 分 た ち の た め に していた驚嘆すべき技能に感心 薬 学、 行 政 制 度 な ど の 面 で 発 揮 て次のように述べています。 はノルマン・シチリア王国につい 『中世シチリア王国』 (講談社現 代新書)の中で、著者の高山博氏 指 し て やって き た。 あ る 者 は そ く の 人 々が パ レ ル モ の 王 宮 を 目 コンスタンティノープルから、多 農業、造園、建築、工芸、医学、 持 ち ま せ ん で し た。 ア ラ ブ 人 が に対してもやはり彼らは偏見を ど 大 き かった わ け で す が、 そ れ シャ 正 教 と は 比 較 に な ら な い ほ 技術などを伝承していることを し か し、 シ チ リ ア に 空 前 の 繁 栄 を も た ら し た の は、 こ の ア ラ て北西海岸のパレルモに移りま ノルマン・シチリア王国の成立(1130 年〜) やってきた渡り者の集団だったの チリア王国が成立しました。 知 求アカデミー 地方発着 の 優 雅 な 宮 廷 文 化 に 憧 れ て、 あ いは東ローマ帝国の首都であった で、 絶 対 数 は 多 く あ り ま せ ん で 旅の集い る者は最新の学問成果を会得す 読み物・ニュース 「フランスやイギリスから、あ る い は、 当 時 イ ス ラ ム 世 界 の 一 ツアー広告 に登用していきました。ここに、 アジア・中国 し た。 そ こ で ノ ル マ ン 人 は、 協 中近東・アフリカ る た め に、 そ し て ま た、 あ る 者 オセアニア 部 で あった ス ペ イ ン か ら、 あ る 北中南米 多彩な異文化が融合したノルマ ヨーロッパ クルーズ ノ ル マ ン 人 は 故 郷 を 捨 て、 マ イノリティーとして異人種、異言 国際都市パレルモが生んだ 「 世紀ルネサンス」 ブ 人 で し た。 ビ ザ ン チ ン 時 代 の 第8回 した。 Wide Angle 中世シチリアの華 国際都市パレルモ 今月号のワイドアングルでは、 観光シーズンを迎え、 本誌 ページでもご紹介しているシチリア島について深堀りしたいと思います。 数多の人種・民族が移り住んできました。 とくに 世紀初頭から 世紀末にかけて 先史以来、 この島に憧れて、 古代ギリシャ、 カルタゴ、 ローマ、 アラブ、 ノルマンなど、 28 硬直した官僚制度や大地主が優 6 力を誓うアラブ人の戦士を配下 特 集 黄金のモザイクが輝くパラティーナ礼拝堂の後陣 細部に至るまで圧巻のモザイク画で埋め尽くされています(パラティーナ礼拝堂) 8 WORLD NOVEMBER 2014 94 95 WORLD NOVEMBER 2014 12 7 11 特 集 ヨーロッパ は 立 身 出 世 を 夢 見 て。 …… こ の 王宮は、 『 世紀ルネサンス』と 呼ばれる中世ヨーロッパの大文化 活 動 の 中 心 の ひ と つ だった と み なされている。」 今日の人々が、ファッションや 芸 術 に 憧 れ て パ リ へ 行 き、 ビ ジ クルーズ 北中南米 オセアニア 世紀におけるシチリア王国の文 化、 と く に そ こ で 行 わ れ て い た ギ リ シャ 語 文 献 や ア ラ ビ ア 語 文 献のラテン語への翻訳事業のこ とを指しています。 実 は、 世 紀 に 入 る 前 ま で、 西ヨーロッパの人々は、アリスト テ レ ス に 代 表 さ れ る ギ リ シャ 文 明の第一級の学術をほとんど知 ネスチャンスを求めてニューヨー ク へ 向 か う よ う に、 野 心 と 才 能 りませんでした。すなわち、 ルネッ 世 その多くをアラビア語に翻訳し 文化に接し、これを高く評価し、 一 方 ア ラ ブ 人 は、 ビ ザ ン チ ン からシリアというルートでギリシャ んど存在しなかったのです。 復興するもととなる文芸がほと サンス(文芸復興)をしようにも、 を持った多くの人々が、当時は、 このパレルモの宮廷に引き寄せ られていたのです。 「 世紀ルネ 、 サンス」という言葉が出てきまし た が、 こ れ は い わ ゆ る 紀のイタリア・ルネッサンスに先 世紀にすでに 行 す る 動 き が、 こ れ ま で 中 世 と 考えられていた 訪 ね る と、 か わ い ら し い レルモのお菓子屋さんを て い ま し た。 そ の ア ラ ブ 人 た ち パ フ ルーツ や 野 菜 が ディス プ レ イ さ れ て い ま す が、 実 は こ れ、 み ん な お 菓 子。 ヨーロッパ の 修 道 院 で は、 古 く か ら リ キュール や ワ イ ン、 ビール、 チーズ、 菓 子 な ど を 作 って 活 動 資 金 に し て い ラ ム 文 化 に 寛 容 だった ノ ル マ ン 地方発着 ア 語 と ギ リ シャ 語 で 書 か れ た 科 時 代 に は た く さ ん 残 って い た の 知求アカデミー がシチリアにやってきたことで、 学や哲学の文献をラテン語に翻 で す が、 次 の ア ラ ゴ ン 時 代 に ほ 旅の集い 初 め て ヨーロッパ は ギ リ シャ 文 訳するという大きな運動が起き、 とんど破壊されてしまいました。 読み物・ニュース 化に目覚めることになりました。 その後の発展の知的基盤を獲得 し か し、 イ ス ラ ム 風 の 赤 い ドー ツアー広告 そこでようやく文明の仲間入り するに至ったのです。後のルネッ ムが特徴のサン・カタルド教会や アジア・中国 をしたといってもいいくらいで、 サ ン ス は、 国 際 都 市 パ レ ル モ で 中近東・アフリカ それまでの西欧世界は世界文明 残っており、大聖堂やパラティー を 築 き ま し た。 こ ち ら は 現 在 も ノ ル マ ン 王 朝 は、 豪 壮 な シ チ リア・ノルマン様式の優れた建築 が漂ってくるようです。 る と、 建 設 当 時 の ア ラ ブ の 薫 り マ ル ト ラーナ 教 会 な ど を 見 て い しれません。 の 文 明 接 触 の 産 物 だった の か も 世 紀 に なって 初 め て、 史のむしろ辺境に位置していま し た。 ヨーロッパの知識人たちがアラビ 現在のパレルモ 歴史を物語る遺構たち な 文 化、 宗 教、 民 族 の 特 徴 を 持 パレルモは歩いて見て回れる 大きさの町で、歩いていると様々 造 ら れ、 訪 れ る 人 々を 驚 嘆 さ せ しい庭園を持つ邸宅などが多数 アラブ時代には壮麗なモスク、 隊 商 宿、 スーク、 公 衆 浴 場、 美 町に息づいています。 て き た 複 雑 な 歴 史 は、 今 も こ の ことができます。シチリアが辿っ ナ礼拝堂などにその様式を見る つ 建 物 や 広 場、 彫 刻 な ど が 目 に ま し た。 こ れ ら の 建 造 物 は イ ス シチリア島がロケ地の映画『ゴッ ド ファーザー』に も 毎 回 登 場 し、 菓子。リキュールや柑橘のフレッ てみてください 。 こ と が あ れ ば、 ぜ ひ お 店 を 覗 い パレルモやタオルミナを訪れる いずれもシチリアのお菓子屋 さ ん で よ く 見 か け る も の で す。 リングが詰まっています。 のスパイスをミックスさせたフィ そ れ に ナ ツ メ グ や ク ローブ な ど ク ル ミ や 松 の 実 な ど の ナッツ、 オレンジなどのドライフルーツ、 地の中に、イチジクやレーズン、 ブッチェラートは、リング状の お 菓 子。 サ ク サ ク の クッキー 生 マジパンが使われます 。 つきます。 の マ ル ト ラーナ 教 会 の 修 道 女 が 大 司 教 を 迎 え る た め に、 特 産 品 持 って き て く れ 」 と い う セ リ フ 「銃は置いていけ。カンノーリは や果物をかたどったお菓子を作っ で有名になりました 。 今ではシチリアで最も有名なお 菓 子 と し て 広 ま り ま し た が、 も 日の「死者の日」 シュジュース で 湿 ら せ た ス ポ ン 月 のためのお菓子。「死者の日」は ジ 生 地 の 中 に、 リ コッタ チーズ で 作 ら れ た ク リーム や 小 さ く 刻 ま れ た ド ラ イ フ ルーツ が ぎっし り 詰 まって い ま す。 周 り は シ チ リアの名物でもあるマジパンや アイシング(砂糖などをクリーム 状に練ったもの)でコーティング され、ドレンチェリーやシロップ 漬 け の オ レ ン ジ ピール で 立 体 的 に デ コ レーション さ れ て い ま す。 小さいカッサータはカッサティー ナ と 呼 ば れ、 デ コ レーション に 旅の集い です。かりっとした食感とリコッ ツアー広告 読み物・ニュース はシチリア特産のピスタチオの な リ コッタ チーズ を 詰 め た も の 形 の 生 地 を 揚 げ て、 そ こ に 濃 厚 ノーリ は、 小 麦 粉 で 作 った 円 筒 カンノーリやカッサータも、修 道 院 生 ま れ の お 菓 子 で す。 カ ン 利いていておいしいです 。 な く、 味 も アーモ ン ド の 風 味 が 食 べ る と い う 点。 見 た 目 だ け で 物 と す る の で は な く、 ちゃん と 少し異なるのはお菓子をお供え 日本でいうお盆のようなもので、 ともとは カッサータ は、 ク リ ス マ ス や 復活祭を祝う際に欠かせないお たのが始まりといわれています。 で あ る アーモ ン ド を 使 って 野 菜 ©Alain Muller タ チーズ が 絶 妙 な 味 わ い で す。 アジア・中国 ©Marco Derksen 知 求アカデミー 地方発着 著/林周作 株式会社 KADOKAWA 1600円+税 ©Dalbéra ©Dennis Jarvis 15 12 中近東・アフリカ 『THE PASTRY COLLECTION 日本人が知らない世界の郷土菓子をめぐる旅』 ましたが、この「フルッタ・ディ・ 世 紀 頃、 パ レ ル モ オセアニア もっと知りたい方はこちら↓ マルトラーナ」も修道院由来のお 菓 子 で す。 北中南米 パレルモの大通り、マクエダ通り ブッチェラート(★) アラブ様式を色濃く残すサン・カタルド教会 左のお菓子がカンノーリです(★) 噴水と大理石彫刻が美しいプレトリア広場 カッサータ(★) 2 シチリア・ノルマン様式のパレルモ大聖堂 クルーズ ©Wim Kristel 14 パレルモ中心部の四辻、クアトロ・カンティ 下段のお菓子がフルッタ・ディ・マルトラーナ まるで本物のフルーツのよう 12 シチリア編 ヨーロッパ ちょっと 「おいしい」話です。 12 97 ページ ★印写真提供:郷土菓子研究社・林周作 12 あった と い う 考 え 方 で、 通 常 特 集 13 11 12 12 旅先で味わえる各地の郷土菓子をご紹介。 WORLD NOVEMBER 2014 96 97 WORLD NOVEMBER 2014 知られざる世界の郷土菓子 Wide Angle +プラス