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根室市 - 公益社団法人 北海道国際交流・協力総合センター HIECC
根室管内 根室市 北方圏国際交流交易 拠点都市を目指して 和6年)8月。その4年前の北太平洋無着陸横断飛行で、一 国境の町が背負う 「北の玄関」としての国際性 躍世界的な英雄になっていたリンドバーグ氏は根室滞在の2 日間、熱狂的な歓迎を受けた。 北はオホーツク海、南は太平洋に面し、細長い半島状に突 ラクスマンの来航は日ロ関係の幕開けを促すものだし、リ き出た水産都市・根室市。その地政学上の特性から、歴史的 ンドバーグの来日も米国と日本を結ぶ北太平洋空路開設のた にも「国境の町」としての“宿命”を背負わされてきた。そ めの調査飛行。時期も目的も違うが、共に根室が日本の「北 れを象徴しているのが、ロシア人のアダム・ラクスマンと米 の玄関」として米ロ両国にとって時代を超えて地政学的に重 国人のリンドバーグ夫妻の根室来訪だろう。 要な意味を持つことを示している。 ラクスマンがアリューシャン列島に漂着した大黒屋光太夫 さらに第2次大戦後、冷戦下での両国の戦略的な思惑が交 を伴って、エカテリーナ号で根室港にやって来たのが、1792 差する地、「北方領土」という国際政治のくびきを担う「国境 年(寛政4年)10月のこと。通商を求めるためだが、江戸幕 の町」として、望むと望まざるとにかかわらず国際性を運命 府の返答を待つ8カ月間、乗組員42人は根室沖の弁天島に上 付けられていたことを早くから物語っているもの、といえる。 陸し、家を建て生活した。 当時、根室には松前藩の役人、商人、アイヌの人々数十人 ビザなし訪問による“日ロ交流” が住んでいたが、その間はさながらロシアと日本の情報交換 の場となった。日本側は初めてのロシア語辞典を作成したり、 第2次大戦後の北方領土を巡る日ソ関係、北洋漁業に関す ロシアの地図を書き写したりした。ラクスマンらも日本地図 る日ソ漁業交渉の歴史などをひも解くまでもなく、冷戦によ の模写や植物、鉱物の標本を作るなど、日ロ間の初の歴史的 る米ソの戦略的思惑が複雑に絡み合い、 「国境の町・根室」 な“国際交流”となった。 は国際政治に翻弄され続けて来た。 時代はずっと下がるが、米国人のリンドバーグ夫妻が水上 それを大きく変えたのがソ連体制の崩壊に伴って92年(平 飛行機「シリウス号」で根室港に着水したのが、1931年(昭 成4年)4月から始まった北方四島とのビザなし訪問。 ビザなし訪問でやって来たロシアの子供と根室の子供との対話も活発だ 139 さらに、基幹産業である漁業の振興を図るため、官民一体 もちろん、領土問題が解決したわけではないが、永年途絶 えていた“故郷”との往来の道が「ビザなし訪問」という限 となった「パイセス」 (北太平洋の海洋科学に関する調査・ 定付きながら再開され、北太平洋は「対立と緊張の海」から 研究など国際条約で設立された政府機関組織)関係の国際会 議開催など、従来にはない「北方圏国際交流交易拠点都市」 「対話と交流の海」に変貌したといえる。 独立法人北方領土問題対策協会の調べでは、92年(同4年) づくりへの取り組みが行われている。 度から2004年(同16年)度までの13年間で日本側からは合計 一方、同市内にある道立北方四島交流センターは、講演会 149回6千569人が北方領土を訪問、北方四島側からは106回 などが開ける交流ホールのほかに茶道、華道などの日本文化 5千358人が来道、双方合わせるとすでに1万人を超す往来 を体験できる日本文化ルーム、ロシア料理などの調理実習室 となっている。 など国際交流のハードとソフトの両面を兼ね備えている。 領土問題が解決していない以上、これを“国際交流”と呼 また、65年(昭和40年)に設立された根室市日ロ友好親善 ぶのは誤解を招くが、特別な措置による日本人とロシア人間 協会はロシア語講座のテキスト作成、 「ロシアの日・レセプ の「日ロ交流」であることは間違いない。 ション」への祝電を打つなどさまざまな活動やイベントを ビザなし訪問では日本側からは3泊4日、北方四島側から 行っており、2004年(平成16年)9月、同協会が中心になっ は5泊6日程度の日程が主だが、ホームステイによる草の根 て開催したサハリン合奏団根室公演も好評だった。 レベルの交流、領土問題に関する討論集会、社会制度の違い このほか、市、根室海保、根室港周辺の町会など官民合わ などを学ぶ相互理解セミナーの開催や書道、華道といった異 せ35団体で組織する根室市国際交流安全対策会議は、公衆浴 文化体験―などの多彩なスケジュールが組まれており、「住 民相互で理解が進み、誤解が解けつつあることは確か。手紙 の交換など草の根レベルの交流も生まれてきた」 (根室市北 方領土対策室)という。 また、1994年(同6年)の北海道東方沖地震で大きな被害 を出した北方四島に対してプレハブの仮設診療所や自航式は しけの供与、その後人道支援の枠組み合意やディーゼル発電 設備の設置などが行われた。 さらに、ビザなし専門家交流の枠組みを使って99年以降毎 年、ロシア人専門家と北方四島の生態系調査を実施している 特定非営利活動法人(NPO法人)の「北の海の動物センター」 が、4島の自然環境破壊を防ぐ日ロ共同の管理計画策定を呼 びかける構想を持つなど、ビザなし訪問は単なる人的交流の 枠を超えた新たな日ロ関係に発展しつつある。 町づくりに生かす国際交流推進計画 「北の玄関」の国際性を象徴するように日本語、ロシア語、英語の 3カ国語で書かれた根室市内の道路標示板 こういった時代の変化に対応するため根室市は、北太平洋 に面した歴史と、「北の玄関」としての地理的特徴(利便性) を生かし、産業・経済、物流、情報などの中継・発信の拠点 としての役割を果たすことを目標に「北方圏国際交流交易拠 点都市を目指す国際交流推進計画」(1995年−2004年)を策 定し、総合的なマチづくりに取り組んできた。 同計画と前後しながら、冷戦終結の変化に呼応して1992年、 全道に先駆けてロシア人専用のインフォメーションセンター を設置した。 また、同市は人口3万人強に過ぎないが、ロシア人を中心 に年間2万人もの外国人が訪れる“国際都市”ということも あって、市内の歓迎塔や道路標識、町名表記板やガイドブッ クなどは日本語だけでなくロシア語、英語で併記するなど、 民間が中心となって開催されたサハリン合奏団根室公演 =2004年9月 外国人が戸惑わないようなさまざまな施策を進めている。 140 !島)に位置し、北千島地区の拠点都市と パラムシル島(幌 場でのマナーのガイドブックを配布するなど、ロシア人との トラブルを防止するための諸対策を協議、実行しており、官 して行政府が置かれている人口約4千2 00人の水産都市。沖 民共同による国際化、国際交流事業が多角的に推進されてい 合は世界3大漁場の1つである北太平洋北西岸漁場でサケ、 るのが特徴となっている。 マス、マダラの宝庫だ。 こういった活動が評価され根室市は、順序は前後するが セ市から91年に市長を団長とした漁業関係者、93年にも水 1997年(同9年)度に「世界に開かれたまち」として自治大 産・建設視察団が根室市を訪れるなどの交流があった。漁獲 臣表彰を受けた。 量の減少に悩む根室市も地域経済活性化を図る有力なパート ナーとしてセ市を評価、94年(同6年)に姉妹都市提携に調 印した。 北太平洋を結ぶ2つの姉妹都市提携 千島列島の都市との姉妹提携は全国でも初めてで、いかに [シトカ市(米アラスカ州) ] も根室市ならではの特徴を生かした判断だったといえる。 シトカ市はアラスカ州南東部のパラノフ島にある都市で、 姉妹都市提携の直後、まず、セ市青少年訪問団の一行18人 サケ、ヒラメ漁船が集結する水産都市としても有名。北洋漁 が根室市を訪れ、高校の体験入学、スポーツなどを通して高 業華やかかりし頃、根室市の北洋漁船が食糧補給などでシト 校生や市民との交流をスタートさせた。 カ市に立ち寄り、自然と交流が広がった。これが縁となり75 また、98年には市議会議長を団長に高校生、産業・市民団 年(昭和50年)、姉妹都市提携が結ばれた。 体、行政関係などから成る17人の初の根室市民代表団がセ市 79年には根室市長を団長とする8人がシトカ市を訪問し、 を訪問し、一般家庭にホームステイをしながら、学校、幼稚 人的交流を中心に文化・教育面での交流を図っていくことが 園、企業などを訪れ、親交を深めたほか、第2次大戦終結時 改めて確認された。 に日ソ両軍で約3千200人が戦死した激戦地のシュムシュ島 以来、両市のアマチュアジャズバンドの相互訪問、小学校 (占守島)での戦没者の慰霊も実現した。 の文通や美術作品などの交換、市長含むシトカ市から3度の ただ、根室から船で3昼夜もかかるため、仙台からチャー 訪問団の来根に加え、90年(平成2年)には花咲小とベスト ター便でカムチャツカに飛び、さらに、ヘリコプターでセ市 ビア小、96年には根室高とシトカ高が姉妹校提携を結び、97 に―という交通事情が交流のネックになっているのも事実。 年から99年までは高校生の交換留学も行われていた。 最近では2003年(同15年)2月に双方による青少年絵画交 しかし、99年の根室市内のアマチュアジャズバンドのシト 流事業を実施し、息の長い姉妹都市交流を目指している。 カ市訪問以来、具体的な交流は途絶えたままになっている。 肝心の経済交流の面では、根室市は市内12民間団体ととも 根室高では交流再開希望のメールなども送っているが、返答 に経済振興協会を設立し、水産を軸にした関係の拡大を模索 がなく、北洋漁業の衰退に合わせるように自然と関係が希薄 している。 になってきた。 04年7月、札幌市で開かれたサハリン州姉妹友好都市代表 根室市では北方圏国際交流交易拠点都市を具体化するため 者会議でセ市代表者とベニザケ、マダラの直接輸入について にも「絵画交流など比較的取り組み易いプログラムなどから 協議したものの、不漁が災いして実現に至らなかった。 交流再開を図っていきたい」としている。 根室市としては今後も粘り強く協議を続けていく方針だ が、実現すれば、姉妹都市提携の実のある柱ができ、地域の [セベロクリリスク市(ロシア・サハリン州) ] 活性化にもつながるものとして、注目される。 セベロクリリスク市は千島列島(クリール諸島)北東部の 根室市 ! http : //www.marimo.or.jp/ n_city1/nemuro/jp/ 人口:約3万2千人 1880年(明治13年)に郡役所、戸長役場が置かれ、 82年には北海道内3県の1つとして根室県庁が設置 され、開拓が進んだ。特に北方領土近海の豊かな水 産資源によって1900年(同33年)には早くも人口は 1万4千人を突破した。45年(昭和20年)の戦災で マチの大半を焼失したが、日本有数の水産都市とし 面積:5 1 2. 6 ∼ て復興。67年(同42年)の人口は4万9千人をオー バーしたが、77年の200カイリ時代の幕開けによっ て、北洋漁業は大きな打撃を受け、市勢も停滞気味 になっている。 国際交流の問い合わせ先 根室市総務部北方領土対策室 ℡(0153) 23―6111 141