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「心のサプリメント」-①
河東 一八講座 <シリーズ/「心のサプリメント」> (内容量 10 頁) ◆『悩みと付き合い、生きること』への一考察◆ {服用対象} ●御用とお急ぎでない方 ●少し心にストレス、悩みをお持ちの方 ●最近 何かやる気がなくなった方 ●ネガティブ中毒の方 (注意)本品は、医薬部外品です。使用に際しては、過大なる期待を持たずじっくりと養生する心がけが大 切です。本品は、自然配合によるサプリメントですので、直接的な病状をお持ちの場合は、かかり つけの医師(マインドマスター、セラピスト等の専門家)または精神的バックボーンの施設に相談 の上、服用の有無をお決めください。 1 <『悩みと付き合い、生きること』への一考察> ●はじめに ∼唐突でばかばかしいほど当たり前な話で、恐縮ですが……こんな話から始めます。 それは; 「私達は、日々生きています。そこで、人間として公平・平等に与えられていて、明確な事実が2つあります。そ して、真理でもあるのが次の2項目です。」 1.誰もが絶対死ぬ 2.生きている間に悩みのない人間はいない 当たり前すぎる真実としての『悩み』。金持ちも貧乏人も、庶民も著名人も、ヒラ社員だけでなく会社のおえらい サンも絶対に“悩む”のです。才能のある人も、非才なひとも、男性も女性も、若い人も年老いた人も……。 繰り返します、生きている人間は、絶対に悩むのです(当たり前じゃ)!『悩み』の中身は複雑でも、成立基 盤そのものは単純です。そして、最後は「死」ぬ訳ですが、この『死ぬ』という事実については、日頃あまり意識はしま せん。 普通、我々は日頃、意識せずに{生きて}います。朝、目覚め、息をし、ものを食べ、働いたり、学んだり、遊んだり、 愛したり、怒ったり、笑 ったり、憎んだりしながら、夜になれば眠る、また目覚め、ため息を吐き…、行為を繰り返す。 {生きている}実感さえ、ことさら想っていなくとも、{生きて}います。毎日、「死」を考えている人は、おそらく一部の人た ち∼健康上の理由や精神的な原因からそうした事態に直面している人、「死」をテーマに考えることが仕事上必要な 人∼でしょう。普通に生きている市井の多くの人々は、「死」なんてまだまだ先の事で、わざわざ思い煩うことなんて、 不要と考えているからです。* * (話は少しズレますが)手塚治虫の名作・「火の鳥」は、生命をテーマにした壮大な物語です(いわゆる<漫画>の領域を超えた優れた 表現物だと、私はおもっています)。いくつかのストーリーで語られる不死の重みと辛さは、読者に多くの問題提起をしています。そのひと つが、「死」を如何に身近に引き寄せて「生」をしっかりと受け止めていくかという事で、その命題が様々なスタイルで表現されています。 普通は「死ぬことなんか直ぐには無いだろうけど……」 と、タカをくくっているのです。 「死」をことさら意識しないで居られるのに、何故か『悩み』はいつもまとわりついてきて、意識的に「ああでもない、こ うでもない…」と反芻させながら、私たちの日常生活を演出しています。 その『悩み』は、現実的に何かアクションを起こしたり、トラブルの原因を根本的に解消する為の行為で解決する場 合も少なくないのです。でも、やはり次から次と新たな『悩み』がすぐに生まれてきます。 そこで提案です。 常に『悩み』を解消しようとばかりしないで、視点をずらし発想を少し変えてみませんか? 2 まず、{誰もが「悩む」という当たり前すぎる真理}を意識しておくと意外と良いのかもしれません。というのは、何とな く肩の力が抜ける如く自然体になり、少しずつ素直な感覚が身体に浸透していくからです。 いかがですか? そこで、まずこう考えてみる事から、本論ではスタートしたいと考えます。 『悩みとは人生の伴侶であり、生きるためのスパイスである。』 ●「生きること」と「考えること」 さて、ここまで書いてきて、多くの方は本稿で「結局何を言いたいのか、目的は何なのか」が曖昧であるという点を指 摘されることでしょう。また、「バカ言うな!本当に複雑で深い悩みの前に、こんな陳腐な思いつきでどうなるのだ!」と いうごもっともな指摘がある事も十分承知しています。 しかし……、です。複雑なことも単純に分解し、原理原則に立ち返ると従来とは違った地平線が拡がる場合だってあ ると信じているので、そのプロセスの一つをここに提示したいと思いました。 大所高所からの物言いではなく、我ら市井の庶民が一体どうしたら困難で思い通りにいかない人生を過ごし ていくのか?少し楽に生きるためには?その目線から、庶民が一体どうしたら人生を何とか生き抜き、苦難を やり過ごしていくのか……実は、そのことを考えていきたいのです。 今日、格差社会と言われているこの 日本ですが、私を含め「金がない、仕事がままならない、こちらと相手の関係が うまく作れない…云々」現実の大きな壁にぶち当たって多くの人が『悩み』を多く抱え、場合によってはノイローゼや神 経不安になりかねない社会状況でもあります。真剣に考え、『悩み』に取組もうとすればするほど、こんな落とし穴には まってしまう危険性もあります。 すこし考え方、発想のスイッチを切り替えてみませんか? 「人生は不公平だと割り切ること。だから面白いのだ」……と強がって見せることもたまには必要です。居 直りというか、このくらいの感覚が無いと正直なところ、凡人は遣っていけません! ∼人間はいつも思い通りには行動できない、人生も同様:うまくいかない=摩訶不思議なもの∼ それでも自分がその中心に位置するものとして、色々ああでもない、こうでもないと考えて想いをめぐらせて います。 時々こんな感覚を持つことはありませんか?私たちは、地球上に生まれ、今こうして生活し、たまたま生き ているにすぎない存在であると…。きっとそれは本能的に感じらとられた、正しい事実でしょう。 すると「生きていくのは偶然が蓄積された時間と空間の産物」であって、法則性はあるようで無いのが実態 だと理解できます。個々人のレベルでの『生きていく』作業は、将来への何らかの計画や達成したい目標のよ うな物事が組み立てられてから、その基本路線を実行していくというスタイルが少なからず用いられている筈 です。 そこでは、個人が自己存在を中核にして「擬似環境」と「予定想像力」の2本柱をうまく操作しながら、生 きていくのだと思われます。 というのも現実を止揚していくために、どうしても便宜上人間はこうした“テクニック”を用いるのです。 3 ・「擬似環境」……自分の周辺環境をあくまでも自己の視点や想像力を用いた中で構築し、その世界を生きて いく。 ・「予定想像力」……自分の考える世界で、自分のこれからの想像し、一秒一秒加齢して「死」に向かってい く事を無意識に想定しながら、これから先の状態へ想いをはせる。 我々は、普通、自分の考えている事柄に基づいて、自分自身で決断しながら行動し、瞬間瞬間/時間毎/1 日/一週間/一ヶ月/一年と時間の推移に身を任せ、人生を積み重ねています。その瞬時瞬時の小さな決断の 基礎にしているのが、「擬似環境」と「予定想像力」です。 ●人生のストーリーとは? 人生は、筋書きのないドラマだと昔から言われます。筋書きとは、「ストーリー」と言い換えても良いでしょう。本当に 人間の生き方(=人生)には、「ストーリー」は存在しないというのが<真実>だと考える人が殆どです。筆者自身も実 際のところ、そう考えています。 しかし、ここでふと立ち止まって考えるに、人生(個々人のレベルでの『生きていく』作業)とは、漠然と しながら自分の生きる目的や設計図が組み立てられてから、その基本路線を実行していくというスタイルが少 なからず用いられているのではないでしょうか。 《 「予定想像力」を通じて発想し、現実に対して「擬似環境」に沿って行動していく》∼こんな単純なモデルで、人間の 生き方全てが規定できるとは 思えませんが、少なくとも私を含めかなり多くの人はこんな行動パターンを有している筈 です。 そこで、先ほどの「ストーリー」という表現が何か関係してきそうです。哲学者や思想家、作家たちは、そ れを「幻想」「ロマン」「エロス」など様々な名称で呼んでいますが、結局同じものと言えるでしょう。何かの 筋書きのように、自分の考え方、筋道を仮託するものがないと人間は{人生∼生きていく}という事に、本当 に耐えていけるでしょうか?恐らく無理だろうというのが、衆目の一致するところです。 つまり、実人生には与件として筋書き(ストーリー)など存在はしていないのだけれど、人はある程度のそ うした筋書きを自分で作り上げていくという事なのです。 ストーリーというものには、一般的に「起承転結」という基本の流れが存在しています。私たち自身の人生、その劇場 で繰り広げられる{演目}は傍から見ると単調で、よくマスコミで採り上げられる、有名人の波乱万丈な生き方やのドラ マチックな人生と比較してしまうとたわいの無いものかもしれません。 しかし、どんな市井の人間でもそれなりの 人生ドラマの主人公であり、規模や華やかさはどうであれ、その舞台を精 一杯しっかりと演じていこうと考えています。その筋書きを作り、少しでも自分の人生を充実させたものにしたいと考え るのは、至極自然なことです。 こうして、単純なる思い込みを携え自己人生劇場の主役として、自分の人生を演じるための脚本書き(スト ーリー作り)を人間、生きて行くために誰もがしているのだと思います。 4 ●オルテガの言葉から さてここで、引用しておきたい言葉があります。『大衆の反逆』の著者として広く知られるスペインの社会 学者オルテガ・イ・ガセットの素晴らしい警句のいくつかです。私にとって彼の著作は、ある部分非常に難し く感じられますが、我々にヒントを与えてくれそうな名言を数多く残しています。オルテガは、著作「個人と 社会∼人と人びと」*の中で次のように言っています。 ・「人の行動」とは? ∼予定計画に従って、世界に働きかけるために世界に没入する。=存在し続けるために考えること。 ・「生」∼それ独自の、各人の生(個人的なもの)。絶え間なく続く四つ辻、たえざる当惑である。他にゆずり 渡せないもの。「生はひきとめることも、とらえることも、跳び越えることも許さない一つの手に負えぬ流れ である。成りつつあると同時に、手の施しようもなく存在することをやめて行く」もの。 さらに、こうも続けます。 ・「世界」とは? ∼予期できない不測の境界。我々個々が生きていくために常に自己を見出す、極めて限定された環境。実際に 生きてゆくための私が出会う手段、障害、利便と不都合の総体。 ・「期待」とは? ∼生きるための内燃機関であり、生の内臓だ。第一の本質的機能。 どうですか?素晴らしい言葉の数々を残してくれたものだと思いませんか? こうした先人の素晴らしき言葉に共感し、力を得ることがあります。たかが言葉というなかれ、大きな効果をもたらす 事だってあります。時に「 ことば」 が持つ力を借りて、悩みを和らげ、人生と対峙する勇気とヤル気を起こしましょ う!それは、自分の将来を自分で作り出せるという、可能性の追求に他なりません。 *オルテガ「個人と社会-人と人びと-」 A・マイタス、佐々木孝訳 (白水社 1989) ●前進するためのノート作りをしてみること 『死ぬまで生きる』という我々人間の原理に立ち返って見るとき、ただ漫然と何も考えず過ごす人は少なく、 多くは言葉で思考して生きています。言葉によって物事への働きかけを組織化し、その理由付けに基づき行動 を起こします。意識はしなくとも、原理としてそうなっています。 また、意識的に「言葉」という形式にする場合もあります。座右銘とか人生のモットーなどというもので、 自分を律して行くべき方向性を指し示す拠り所にしています。さらに、人それぞれ自分のための脚本をシコシ コと書いています。行動していく指針を作り出すものです。私は脚本という比喩を使っていますが、一般的に 5 は人生設計と表現するのが普通でしょう。 さて、私達はこうした「言葉の力」を使ったり、内省を通じて「自己」との対話を楽しむ事が出来る存在です。 そのことで、前向きに人生に取組んでいきたいというのが本論の骨子です。訳知り顔で大仰な主張をするつもりは ありませんが、『悩む』事自体非常に健全で、人間である限り逃れられない現象ですし、あまり複雑に考えるのではな く単純な形で向き合いたいものです。 例えば、悩み苦しむ日々にノートをつけたり、日記のような形式(最近はブログという手段もあります)で書き連ねる ことで自分を見つめ直すことも有効でしょう。文章として記録していくマメな人もいれば、わざわざ面倒な事などせずに 考えていく場合もあるでしょうが 、ここではメモ起こし、ノート作りをお勧めしたいのです。ノート化する事で、悩みの実 態(モノゴトの本質)を客観化できます。 まず、自分の抱えている『悩み』を多くても、少なくても、リストアップすることから始めます。漠然としていたモヤモヤ としていた悩みに形を与えます。言葉を使って、具体的に定義するのです。 「何を悩んでいるのか?」「いつから悩んでいるのか?」「何故悩 んでいるのか?」∼こうした『悩み』の箇条書きをし てみると『悩み』の輪郭が浮かび上がり、ことさら不用な“心配の種”は排除されます。場合によっては、その実体の大 きさ(今の自分にとって緊急な課題か、人生の本質への危機なのか…など)が見えること、今まで捕われていた問題 の原因が明らかになり、解決への手順が浮き上がる場合も少なからずありますよ。 もうひとつの効能として、一時的にせよ、書き付ける作業があれこれ 思い悩む行為を中断させ、「癒し」にも結びつき ます。心の平安を保 つための手法探しは、人間の永遠のテーマで、古今東西あまたの哲人、思想家、宗教家、芸術 家等々が取組んできた大変な仕事です。名立たる偉人達でさえ苦悩した問題は、そう簡単に解決できる筈はないとい う見地から、一時的に心の動揺を抑え、気持ちを安定化させるのは、必要なことです。 いつもいつも、緊張感で張りつめることで耐えられなくなるより、若干でも息抜きしたり、少し問題の棚上げを図る事 は良い意味で人生の智慧だと思います。 そのための手法として、巷には様々な思考技術、「マインドマップ」「マンダラノート」「考える技術 云々」…等々たくさ んのハウツウ本が出版されていたり、ネット上で興味深い手法が少なからず紹介されています。 気になる方は、是非ご参照下さい。 ●人生の企画 ヒトは、一度しかない「自分の生」を“世界”として受け止め、その中へ入っていくのです。その“世界”へ何らかの働き かけを行ないながら、「死」へ向かっていきます。「悩み」ばかりの 人生といってみても、ある時には『幸せ』を感じること がある筈です。 どんな人間でも感じることの出来るポジティブな瞬間、時間を持ちます。おおきな『幸せ』でなくとも、{楽しさ/嬉しさ} を感じない事はまず無いと思えるのです。やはり人間が生きることの中に、何かしら生きることへのヒントや喜び、楽し さ∼ドキドキ、ワクワクに繋がる物事との出会いはあるのではないでしょうか ? それらは、けっして《核》たる拠り所になるとは言えないかもしれないけれど、どんな小さなことでも良いから「自 6 分らしさ」の遂行が出来るというのは、幸せだと感じられるのではないでしょうか? それは、素敵なことです。 人間の生きていく上での不可欠な『情報』を肉体化するための技法として、人生のあれこれを『企画』しな がら、様々な試行錯誤を重ねてみる事で自分らしさを獲得する行為があります。これは、一度自分の内面に抱 え込んでいる“モノゴト”を外部にアウトプットして、ノート、メモ、パソコンデータなどに定着させてみせ るのです。 その際、思いのたけを直接的に書き連ねても良いのですが、出来れば以下の事項に留意しながら少しずつで も進めていくと、自分なりのスタイルが必ず出来上がります。 ∼言葉のクリッピング:簡単な言葉、簡潔明瞭なキャッチフレーズを作る出す工夫をする。 例えば、自分を言い表すキャッチコピーをつけ、さらに悩みと思われる対象について命名してみる。その名 付け親になる積りで、身近な存在として問題を把握していきます。 ∼言葉の遊び:言葉の持つ面白さに身を任せることです。駄洒落や言葉遊びなどの音合わせ、漢字の持つ意味 と形からの連想、とにかく現実の世界を言葉にこじつけてしまう。(「オヤジギャグ」大いに結構!) 例えば、小説やら昔の説話、伝説などに見られるエピソードなどに、自分の悩み、トラブルを置き換えてみる。 ……などなど とにかく、常識やシガラミに囚われていた感性をほぐすのだという気持ちで、好き勝手にやっていきましょ う。“想いめぐらす/気ままに連想する”∼これら一連の行為が、今まで「悩み」によって硬直していた身体 と心を一時的であれ、解放してくれるのです。 そして、必ずや少しずつでも<悩み、戸惑い、苦痛…>といった従来は正体が不明だった代物の姿が見えて くる筈です。それは、敵と対峙して自分なりの解答を見つけるための大きな歩みに結びつきます。 *今回は、こうした手法の細部に関して記述する事は差し控えます。私なりのテクニックの一部(例えば、「人生企画書」)でも、別の『心の サプリメント:実践編(仮称)』にて具体的にご説明する機会を設けるつもりです。 ●苦しきことは自分によって知覚し、自分によって和らげる 現代社会の状況は、「情報の氾濫」というよりも「データの爆発」に近い雑音が溢れかえっています。 私たちの認知能力は周囲の影響を大きく受けてしまう傾向があります。次第に疲弊しがちで物事に対応し適切 に処理できなくなってきます。こうした事態を避けるために、自分自身の意図と判断を基礎に識別していくこ とが現代人には必要なのです。こうした観点から、自己に忠実な基本的な選別された言葉に基づいて、自己実 現に関わる生活態度を常に行なっていく事は、今や現代人にとって生存に関わる基本事項になりつつあると思 います。 毎日、TV やラジオ、マスコミで朝から取り上げられる数々の事件、事故の多くは、現代社会への警鐘を鳴 らしているつもりかも知れませんが、正直な所、悲惨なマイナスイメージを視聴者に与え続け、日常の緊張感、 7 社会への不安を掻き立てるだけに終始しているに過ぎないように思えます。特段、そのような事例を毎日知る 必要が本当にあるのでしょうか?『他者の痛みを判る』という事では間違いなくそうした効果があるものの、 やはり自分の痛みや悲しみではないのですから、不要であると拒絶しても差し支えありません。しかし、それ を厳然と峻別する間もなく、受け手はこうした情報を与えられ続けます。 こういった<他者の痛み/苦しみ>には共感を示しつつも、一線を画して「自分自身の苦しみ」に向き合う事が本当 は素晴らしい事であると考える事が現代人には必要な観点だと考えます。そして、人の力ばかりにすがるのではなく、 自分しか解決出来ない事も多いと自覚する必要もあります。 人が感じるのと同じ痛み、さらに人は感じないが自分が感じる痛み(悩み)、こうした対象に向き合って時間を費やす 事の重要性を我々・現代人は避けてしまう傾向があるように思うのです。 ●自分しか解決できない本質への肉迫 大きな何物かとの遭遇への淡い期待を心の中にひそかに持つこと、希望・期待がまさに「生きる」原動力へ 結びつく事もあります。 自分の心に聞いてみるのも重要です∼本当にしたい事、やらなければならない事、生きる為に必要な事… 等々。 人の評価しない地盤であっても、その基盤作りをもくもくと行い、積み重ねること。“私(自己)”は、どん な存在であっても、自分を受け入れ承認すること。その基本を忘れずに行えるかが、最大の課題でしょう。そ の事を着々と行う、<営み>こそが結局{生きていく}ことに他なりません。 偉そうなことを書き連ねていますが、歴史の賢者、偉人たちでも同じく悩み、苦しんでいた事実とつきあわ せるとこのように表現せざるを得ないのです。自分に言い聞かせるしかありません。 この<営み>が、『根を大きく張った樹木の如く、葉を茂らせさらには果実を産み、太陽に燦燦と陽を受け て育つ資格となるのだ』という信念につながったら、どんなに良いでしょう。これは、言うのは簡単だけれど、 実行していくのは、かなり困難です。併せて、謙虚な姿勢、人生態度で奢り高ぶり慢心油断しない事を肝に銘 じると考える。こんな覚悟をするしかないのです。 他人の成功をうらやみ、自分もそうなったら良いと思うことは誰にでもあります。ないものねだり、隣の芝生は良く見 える…などという言い方もあるように、他者はあくまでも他者。自分ではないし、自分の<生>と比較してしきれる事な ど小指の先ほど無いのだと勝手に言い聞かせる。これもひとつの智慧ではないでしょうか 。そこで人は、次のように 考 えることもできます。まずは、「人と比べても仕方ない」=人はヒト、自分は自分:庶民の好きなフレーズです∼『上を見 ても切りがない、下を見たら切りがない!』 しかし、自分の境遇に関して人をうらやむように 、誰かの失敗や転落人生と比較して「他人の不幸と比べるとまだマ シだ」と感じる場合も少なからずあるのは何故でしょうか? 8 人は{相対化}しながら、自分の人生を生きていくからだと思います。よくTV のドキュメントや新聞のルポで、苦難の 人生を歩んだ人のエピソードや不治の病と闘う人の紹介記事が反対に我々を励まし、自分の悩みを克服するための 勇気を与えてくれます。逆説的ですが、逆境にある人のパワフル な活動が他者に救いを与え、人を癒したり、助けに なるという話がよくあります。これこそ、まさに“天の配材”であって、どんな人でも生きている意味があるのだという事 を改めて認識させられます。 さらに、そうした境遇に居る人が発する言葉が、自分自身に響いてきます。悩みと如何につき合うか、そのヒントにな りそうな言葉に出会える事も重要でしょう。さらに、「面白がらないとつまらない」と自分に言い聞かせる人も多い のではないでしょうか? 物事の本質や問題の解決はすぐに見つかるものではない、一生ついて廻るという認識を持つことも非常に重要だと 思います。これは取りも直さず、生きる姿勢を続けることに繋がると考えます。 そう!とにかく死ぬまで行き続けようという意志は、こういった瑣末ではあってもシンプルな言葉・想いに よって裏打ちされるのです。 ●まとめ∼「解決するか/しないか」ではない事実 私たち人間の存在はある意味で儚(はかな)く、不条理です。生き物としての存在としては、他の生物と様々 な違いこそあれ、超マクロ的視点から<生命>としての意義づけは大差無いでしょう。 たまたま生きていられるの(生かされている?)であって、自然∼地球の上で、(先のオルテガの言葉を借 りれば)“生きるために必要なこと”は「私のすること、感じること、望むこと∼が私にとってじゅうぶん意 味をもつこと、良い意味を持つこと」なのではないですか!? よく人生論などの書物で言われるとおり、人生は不条理であっても、自分の生き方は不条理ではない筈です。 問題や悩み解決の方向性については、様々なアプローチがなされるでしょう。問題が解決され、悩みは無く なることは素晴らしいことです。しかし、基本的にはひとつの問題が解決し、悩みが無くなって肩の荷が降り た思っていても、すぐに新しい問題・悩みは直ぐに生まれてきます。 人生論、宗教本の最後には、きまって次のような結論めいたアドバイスが書かれています。 『今を生きること』『一所懸命(一生懸命)生きよ!』『成るようになる、成らないものはならない。思い煩 うな!』云々……。 本当にどんな本にもこんな事柄が書かれています。おそらくそうなのでしょう…ね!? やはり、当たり前すぎる真実に突き当たりました。 小論もそろそろ終わりです。 なにやらとりとめない結論で、わかりきった、(古い表現ですが…)まるで気の抜けたサイダーのような誰 もが周知な話だとは思います。しかし、高級ブランドの飲料水もこのサイダーも飲み物である事は変わりあり 9 ません。 そう、結局人生の回答など見つけられないけど、先の喩えを使うと気が抜けてもサイダーは飲めるものです。 口の奢ったヒト、グルメだの食通の方々は見向きもしないけれで、喉がカラカラに渇いたヒトには、それなり に意味がある飲み物としての存在価値はあるでしょう。 こんな駄文を公に公開し、インターネットで何か自分で自分を鼓舞している∼そんな「我」。これも人生の 一コマです。限られた時間の中、こんなつましい行為も許されて良いと思うのは、私だけの思い上がりでしょ うか?でも、こんな拙文でも、地球のどこかの人に何がしかの働きかけが出来るのでは?と信じて書き上げま した。 私たちの生はもしかしたらどこかで結びついているのかも知れず、その関連性は大きな世界、さらには宇宙 を構成しているのだという漠然たる想いが時として感じられませんか? そんな広大な宇宙の中で本当に「ちっぽけな自分」、有限の時間に生き、死んでいく事に想いを致す時、あ まりくよくよ悩み考える事よりももっと大切な何かがあると気づく『幸せ』を見つけたいものです。 人生は、自分がこうした『幸せ』を探す旅だと思うのですが?? ∼ お付き合い頂き、本当にありがとうございました。 …………………………………………………………………………………………… (2008.03.25 脱稿 ©K-ART-O/ All right reserved,2008.Japan) 10