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生涯発達心理学の立場から
73 4 生涯発達心理学の立場から やまだようこ 京都大学名誉教授、立命館大学特別招聘教授 Ƙƛƫƹƚƾ DžřzóƂÄŚm óƂîIJƕR+ ƀŰƑ6Ðƕ džřêdÍzóƂ ŜÝŽÍšŝƂư ƣƸƘƻǀƭƹƩƙ ƿ ŜêdÍĝeŝNÅŬƍƐǀ¹ §ŞêdÍřŪŪƓƂï½ ĈşřĘÛřǎdžDž (Slide 01) 次の 2 つについてお話したい。まず第一に、患者さんの人生、当事者の 経験を大切にする医療を行うには、どうしたらよいかという問題提起をす る。 第二には、現在、私たちが行っている糖尿病患者さんの「私と病い」 の イメージ画研究の一部を紹介しながら、新しいナラティヴ研究の方法と 医療現場を変革していく可能性について考える。 スライド 01 の絵は、20 歳のⅠ型糖尿病の女性患者さんが描かれた絵本 の一枚である。患者さんが、一生「糖尿病部屋」 に閉じ込められて、生活 のすべてを 「カロリー制限、運動、インシュリン注射」 で暮らす様子が描か れている。医療者は、糖尿病部屋の外から眺めながら管理している。こ 「かなしみ」 「他者」 の現場 74 「いたみ」 4 生涯発達心理学の立場から 75 の絵には、現在の医療現場における医療者と患者さんの関係性が良く描 第一の問題、患者さんの人生、当事者の経験を大切にする医療につい かれているように思われる。 て生涯発達心理学の立場から考えてみたい。従来の発達心理学は、子ど もから大人になるまでを対象にしていた。それに対して、生涯発達心理学 は、ライフ (人生、生涯、いのち、生活) 全体を扱う心理学である。 私は、人生もの語り (ライフ・ナラティヴ) 研究をしてきた。 「もの語り (ナ ラティヴ)」 とは、日本語の「物語」 よりも広い意味で、経験の組織化のし かた、経験を意味づけるやりかたのことをさす。たとえば、私たちは、も の語りによって、人生の時間軸 (過去−現在−未来) を組織している。 21 世紀になって新しく出てきた、ナラティヴ・アプローチでは、語り手 と聞き手の相互行為によってもの語りが共同生成されると考えるので、両 者の関係性が重要になる。また、当事者の経験、多様性 (ダイバーシティ) とローカリティを重視する。同じ出来事でも、 もの語りは立場や見方によっ て多様に語られ、 「事実」 は一つとは限らないからである。 (Slide 02) スライド 02 は、人類学者のことばです。今日、お話したいことは、こ のことばに縮約されている。 Ŝ¡ãſƂƔŵŮŝNÅŬƍƐǀ¹§ŞêdÍřŪŪƓƂï½ĈşřĘÛřǎljNJ (Slide 04) スライド 04 も、先に紹介した糖尿病の女性患者さんの絵本の一枚であ る。彼女は、 優等生になって、 医療者の指示通りの生活をしようとがんばっ た。しかし、がんばればがんばるほど、疲れてきて長続きしない。そこで、 あるときに「切れて」 しまい、反動的に過食をしてしまった。その後は、罪 悪感にさいなまれる。 「やれない私」に直面するたびに、どんどん自尊感 (Slide 03) 情をなくし、 「自分が嫌い」 になって、未来に希望がもてなくなり、悪循環 「かなしみ」 「他者」 の現場 76 「いたみ」 4 生涯発達心理学の立場から 77 に陥ってしまった。 ように、そこに向かって一途に努力して山を逆向きに走って登ろうとしてい このような悪循環は、糖尿病だけではなく、ダイエットや教育場面など た自分が描かれていた。もう一方で、未来には色の異なる別の山があり、 日常生活で良く経験する。医療者は、正しい情報を提示することが仕事 そこには花も咲いている。未来の山には、そこから 「今の自分」 を呼ぶ、も と考えてきたが、 「わかっているけど、やれない」 のが人間というものであ うひとりの自分や、太陽や雲などになって自分を眺めながら批判する分身 る。まして、糖尿病などの生活習慣病のケアは、短期決戦ではなく、一 も描かれ、複数の異なる視点から見た自分が描かれている。正解はひと 生つづくものである。医療者は、自分でもできない理想の目標を患者さん つではないし、 「本当の自分」 もひとつではなく、 いろいろな姿があるだろう。 に提示していないか反省する必要があるだろう。 ここには、 「過去―現在―未来」 の時間軸のなかで人生を見通す絵が描か れている。 ŜĚ;ĸÁJĸƂƔŵŮŝNÅŬƍƐǀ¹§ ŞêdÍřŪŪƓƂï½ĈşřĘÛřǎŁĻĸŁļ (Slide 05) スライド 05 は、その後、心療内科医の支援で立ち直った患者さんの人 (Slide 06) 生のビジュアル・ライフストーリーである。彼女は、 今までの自分の奮闘が、 スライド 06 は、 「もの語り」 の働きを図式化したものである。もの語りの 過去の「健康のときの自分」 へもどろうとしていたことに気づいた。しかし、 働きはいろいろあるが、今まで見てきた絵のように、 「過去−現在−未来」 病気をなくすことはできないし、もとの健康な身体にもどることはできな の時間軸をつくりだす働きが代表的である。過去の 「もの語り」 も、 省察 (リ い。彼女は、未来を向いて、 「病気を抱えながら」生きていくほかない自 フレクション) や新しい見方によって、語り直しをすることができるのであ 分に気づいた。 「やせさえすれば、病気になる前の自分にもどれる」 という る。起こった出来事は変えられなくても、その意味づけは変えることがで 自分に気づいたのである。 きるのだ。過去の語り直しに加えて、さらに重要なことは、 「未来」 のもの 彼女は、過去にもどるのではなく、現在を起点として、未来には別の山 語りをつくることによって、 「現在」 が変化していくことである。私たちは、 があることに気づいたのである。ナラティヴ・セラピーでは、もの語りの もの語りによって「未来」 を描く。想像力で描かれた「未来」 のイメージが、 書き換えというが、それは、自分が今まで生きてきた 「もの語り」 に気づき、 現在の行為を変え、人生を変えていくのである。 もの語りのバージョンを新しく変えていく作業をさす。 過去のもの語りでは、 「やせる」 ことが、すべての幸福を運んでくるかの 「かなしみ」 「他者」 の現場 78 「いたみ」 4 生涯発達心理学の立場から 79 (Slide 07) (Slide 08) スライド 07 は、私が現在行っている、糖尿病患者さんのビジュアル・ナ スライド 08 は、研究協力をしてくださった糖尿病専門医の方がつくられ ラティヴ「私と病いのイメージ画」 研究である。慢性病には、短期治療や たたものを基にした。 「疾患 (disease)」と「病い (illness)」両方をみることが 短期回復をめざす従来の医療モデルがあてはまらないので、 「病い」を抱 必要であるが、その違いが図式化されている。医師の立場からは、今ま えながら長い人生を生きるための、新しい医療モデルが必要である。そ で「疾患」を中心に患者さんに助言をしてきた。しかし、患者さんの立場 のためには、医療の現場に「生涯発達心理学」や「ライフ・ナラティヴ」の からみると、 「疾患」 のために人生があるのではなく、 「人生」 の一部に「病 視点を入れた心理支援が必要になる。クライマンの『病いの語り』 で区別 い」 があるという見方が大切になる。 されたように、 「疾患」 ではなく、当事者の人生を中心にした「病い」 をとら えることが重要になる。正しい「もの語り」 はひとつではなく、立場によっ て違ってもよい。そこで、医師、看護師、心理師、栄養士など異なる専 門家による、多職種の協働対話をどのようにして促進していくかというこ とが問われる。ここでは、三項関係医療モデルを提案してみたい。 「かなしみ」 「他者」 の現場 80 「いたみ」 4 生涯発達心理学の立場から 81 糖尿病専門医の語り(やまだ先生に出会ってから の私の変化) Ø 診察室での話の内容:その人の生き甲斐や今の楽しみに ついて尋ねることが増えた。 例:今まで、生活に不満も、逆に何の希望もなく生活をしていた50代の独 身男性。年末に中断。インスリンなくなり、口渇が出たためジュースを多 飲。ケトアチドーシスを起こして入院。退院後の最初の受診時、「なぜ中 断したか」と聞いても「特に理由なし」といつもの無表情。叱っても効果な しと思い、初めて話題を変えてみた。「何か好きなことないの?」と聞くと、 「熱帯魚を飼っている」との答え。5年以上診察していたが初めて知った。 「どのくらい飼っているの?」「多い時は水槽10個。最近は6個だったけど、 入院中にたくさん死んだ。3個は全滅した」と無表情な顔が、少し曇った。 「そうか。残念だったね。その魚たちの命はあなたが支えていたんだね。 これからはそんなことがないように気をつけないといけないね」というと、 初めて微笑んだ。 その後、残念ながら、熱帯魚は全滅してしまった。それからも、予約日 に来なかったり、問題は残っているが、看護師も含め、「何となく、気持ち が通じるようになった気がする」と感じている。 (Slide 09) (Slide 10) スライド 09 は、糖尿病専門医の方がつくってくださったものである。も スライド 10 も、糖尿病専門医の方が、御自身の変化を具体的に書いて ともと、糖尿病の患者さんのために特別に時間をとって診療し、患者さん くださったものである。今までと関心や問い方が変わったということであっ の立場に立って、丁寧にお話をしてこられたお医者さんで、患者さんから た。ナラティヴ・アプローチについては、忙しい医療現場で、患者さんの も看護師さんなどスタッフからも慕われて、大きな治療効果と実績をあげ 話をゆっくり聞いている暇がないとよく言われる。しかし、問題は時間で てこられたベテランのお医者さんである。しかし、それでも、私との出会 はなく、 「ものの見方」 「視点」 「話題」 を変えることにあることがわかる。医 いによって見方が変わったとおっしゃった。そして、ナラティヴ・アプロー 療者が視点をずらして、 「患者さんの人生や生活」 に関心をもつと、患者さ チに出会う前の御自身のやり方を具体的に書いてくださった。 んの「もの語り」 が変わってくる。それは治療へのモチベーションを高める だけではなく、治療効果にもつながっていくと思われる。 「かなしみ」 「他者」 の現場 82 「いたみ」 4 生涯発達心理学の立場から (Slide 11) 83 (Slide 12) 「私と病い」 のビジュアル・ナラティヴ研究の方法をスライド 11 にまとめ、 私が、特に大切だと思っているのは、インタビュー内容や描かれた絵 インタビューとイメージ画を比較した。インタビューでは、患者さんは食 そのものの分析だけではなく、それを媒介に 「三項関係」 をつくって語りあ べ物や運動や生活のしかたなど、診察室で語られることに近い、具体的 うナラティヴ実践である。スライド 12 は、46 歳の女性が描いた「病い」 の な出来事が語られた。それに対してイメージ画では、当人の病気に対す イメージである。病気になったころは 「くもり空」 、現在は 「晴れたり、曇っ る不安や感情、価値観や願望などが直感的に描かれた。たとえば、 「糖 たり」 。インタビューでは、未来を 「お先まっ暗、病気が治るわけでないし、 尿病は、パステルカラーで、不定形で、とらえどころがない。海を遠くか もっと悪くなるかもしれないし、不安だし」 と語られた。しかし、イメージ ら見ると青いけれど、近づくと無色透明、そんな感じ」 「癌もやったけど、 画になると、雲の奥に隠れた太陽を描き、 「晴れの日を多くしたい、でき 癌のほうがまし、どこが悪いかはっきり目に見えるから」 というような「病 ればづっと続くように」と書きそえられた。この患者さんは、未来の絵を い」 の実感は、イメージ画で語られた。 描いたあとで、自分の未来も暗いばかりではないかもしれないと語り直さ れ、笑顔になった。自分で描いた絵は、 「外在化」されて、自分でも眺め るので、あまり真っ暗に塗りつぶすのは抵抗がある。この患者さんのよう に、イメージ画では、未来に希望をたくし、少し明るくなる絵を描く傾向 があった。自分で描いた「未来」 のもの語りが、現在の自分の気持ちに働 きかけることこそ、もの語りが生みだす効果といえるだろう。 「かなしみ」 「他者」 の現場 84 「いたみ」 4 生涯発達心理学の立場から 85 ŜåóƕŮŻĘůŠţŵŝ NÅŬƍƐǀ¹§ŞêdÍřŪŪƓƂï½ĈşřĘÛřǎ107 (Slide 13) (Slide 14) スライド 13 は、先の 46 歳の女性のイメージ画を、糖尿病専門医に見せ スライド 14 は、先に紹介した絵本の一枚であるが、患者さんが第三者 てお話したあと、返してくださったコメントである。このようにして、絵や を媒介にして、はじめて自分の気持ちを語ることができ、お母さんの気持 語りを媒介にして、患者さんと私とで三項関係をつくり語りあうことがで ちもわかったという場面を絵にしたものである。ナラティヴは、二者の対 きるだけではなく、さらに私と医師とで三項関係をつくり、お互いの見方 話を基本にしているが、当事者どうしの対話はあんがい難しい。まして、 をすりあわせて理解を深めていくことができる。インタビューの語りは、 日本文化では、対話の伝統がないので、私たちは面と向かって語ること テープ起こしも大変で、長々と話す時間が必要である。しかし、絵は、ご がにがてである。自分の気持ちを率直に語ることで対立を生みたくないと く短時間で全体的なイメージを共に眺めて語りあうことができるので、三 いう抑制が働き、沈黙してしまうことのほうが多くなる。第三者があいだ 項関係をつくる上で、とても実践的で有効な媒体である。 に入る三項関係をつくることは、医療メディエーションにおいても、いろ いろな場面で重要である。 「かなしみ」 「他者」 の現場 86 「いたみ」 4 生涯発達心理学の立場から 87 スライド 16 は、三項関係ナラティヴを多種の関係性のなかでつくってい く、多重モデルである。患者と医師だけではなく、医師 (経験者) と医師 (新 参者) のあいだのコミュニケーションにも、患者 (経験者) と患者 (新参者) のコミュニケーションにも、いろいろな場面で組み合わせて使うことが可 能である。このモデルは、医療現場を変革し、医療教育のためにも活用 できる。 本研究には、三浦次郎先生(公益社団法人京都保健会理 事長)、山田千積先生(東海大学講師)のご協力を得ました。 記して感謝します。 } 本研究は、山田洋子(代表者)に対する次の研究助成で 行われました。科学研究費(挑戦的萌芽)、三菱財団、 ファイザーヘルス財団。 } ƌƈŶƎŢŪřŜƋƂźŨƐƕƋƂĈƑŝ ŞŪŪƓŦõŹÃMƕŹŨƑşÛ (Slide 15) スライド 15 は、二項関係と三項関係を示したモデルである。三項関係 のなかでも、今日お話したビジュアル・ナラティヴは、 「もの」を媒介に入 れた三項関係になる。二人が対面するのではなく、並んでおなじものを 見る関係をつくることで、互いの協働作業としての語りが生まれやすくな る。 (参考書) やまだようこ『喪失の語り-生成のライフストーリー』新曜社 } やまだようこ(編)『この世とあの世のイメージ-描画の フォーク心理学』新曜社 } やまだようこ(編)『人生を物語る』ミネルヴァ書房 } やまだようこ(編)『人生と病いの語り』東京大学出版会 } } (Slide 17) 参考文献 やまだようこ 『喪失の語り−生成のライフストーリー』 新曜社 やまだようこ (編) 『この世とあの世のイメージ−描画のフォーク心理学』 新曜社 やまだようこ (編) 『人生を物語る』 ミネルヴァ書房 やまだようこ (編) 『人生と病いの語り』 東京大学出版会 図2 三項関係ナラティヴのモデル 「医師(経験者)⇔媒介⇔患者(経験者)」の治療的三項関係 「経験者⇔媒介⇔新参者」の教育的三項関係 (Slide 16)