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荘子の自然観
文化における自然とのかかわり 「荘子の自然観」を中心に 橋本 典子 キーワード:老荘思想、老子、荘子、道、無、自然 Keywords:Taoism, Laotse, Thouang-Thou, Tao, Nothingness, Nature 序 2008年6月の「四川大地震」は、我々に大規模な地 変動(プレート移動)による大地 の崩壊が、杜甫に「国破れて山河在り」と詠ませた風景すらも永遠でないことを強く印象 づけた。人間の造り出すもの、様々の人工物や芸術作品等の「物」が不完全で壊れやすい のに対して、自然の営みは永遠であり平和的である。そして故郷の風景は人間がどんなに 孤独であっても、いつでもその孤独な自己を包含し慰めてくれる。また我々が成長して も、故郷の風景はそのままの姿をとどめてくれた。時に人は故郷への思いを結晶化するこ とによって芸術作品を 造した。自然は芸術作品の故郷であり、人間は自然或いは自然の 営みを模倣することによって小宇宙としての芸術作品を提示してきた。東洋の画論では、 6世紀、中国の謝赫が『古畫品録』で画の六法を論じた。六法とは「一に曰く、気韻生 動、二に曰く、骨法用筆、三に曰く應物象形、四に曰く、随類賦彩。五に曰く、経営位 ― ― 置、六に曰く、伝模移 」であり、その第一として、「気韻生動」が上げられている。そ れは、「自然の気が響きとなって画面に生き生きと立ち現れていなければならず、その絵 画に面する者はおのずからにして自然の神気の澎澎として立ち昇るのを感ぜざるを得ない というような境地に導くものでなければならない 」ということである。すなわち、山の 景色を描くならその山が何という山かを同定できるよう写実的に描くのではなく、山の 「気」を捉え、その気と自己とを一致させて画面に山の「気」を描かなくてはならない。 そして同時にその作品を観照するものが自ずからその絵画に神気を感じる様に描かなくて はならない、とした。この画論に明確なように西洋の伝統的な描き方が模倣(imitatio) であるのに対して東洋での自然に対する芸術家の態度は、自然と自己との一致であった。 つまり、自然と一致した自己の気を表現すること(expressio)が要求された。 に「東北中部大地震」は地 変動によって、親しい日常的な自然がいつでも人間に対 して牙を向ける可能性があることを強く印象づけた。 「四川大地震」の場合は現在でも死 者の 数は確定できず、死傷者の原因の多くが手抜き工事による人災であろうということ であったが、「東北中部大地震」の場合、時間をかけて大地を開墾し森を切り開いてきた 自然との共生を目指す人間の営みに反する「出来事」として意識され、大地の上の人間の 文化の営みを根底から覆す自然の側からの大変革として捉えられた。つまり文化に対する 自然からの逆襲であった。そして我々は、そのような「出来事」を常に産む可能性のある 大地の上で生活している、と明確に自覚した。現在我々が築き上げている文化の最先端で ある現代都市は大地の地 変動に対して脆い。大都会、現在の上海は、不夜城であり、鳥 瞰的に見ればヴァーチュアル・リアリティ(仮想現実)が実現している世界、新しい人間 の住む都市空間である。人間の文化の象徴は火と光である。インドからの帰り、真夜中上 空から闇の中に上海の町を見降ろした時、人間の営みとしての電光が人間の夜に対する勝 利を放っているようであった。 「アジアの自然と文化」のプロジェクトの成果の一つとしてのこの論文では、1)韓国の 苑と日本の 園との比較、2)老荘思想、3)『荘子』の芸術論、4)荘子の自然観、5) アジアの自然環境の課題を論じ、特にアジアにおける、文化の中での自然とのかかわりを 察する。 1 韓国の 苑と日本の 園 2008年7月29日から8月5日まで第22回哲学世界大会が Rethinking Philosophy(哲学 再 )という題のもとに韓国のソウル大学で開催された。ソウル大学はソウルの中心街か ら南の方角にほぼ1時間、以前ゴルフ場であった所、南に高い山々を持つ丘の上にキャン パスを移転した。従ってキャンパス内の移動は野越え山越えという感じで、主催者側では 「キャンパス内を散歩しながら周りの風景の変化を楽しんで下さい」 、と言っていたが、猛 暑の中をただひたすら歩き、点在する 物からそのつど該当するビルに行き着くといった ― ― ふうで周りの風景を楽しむどころではなかった。それ故、ソウル大学は若者のためのみの キャンパスといった感じがした。ソウル大学へ向かう途中に臥牛山という山が在ったが、 山の形は「臥牛」つまり牛が寝そべっている形そのままで、うす雲の中に牛がのんびりと 寝ているようであった。成 館大学の趙善美教授はこの山の名付け方について「可笑しい でしょう」といわれたが、具体的な像から「名」を付ける習慣は東洋、特に漢字文化圏の 特徴といえるであろう。山の形を「臥する牛」と見る人間の自然に対する近しい関係はそ こに住む人々の感覚の現れと見ることもできよう。ソウルの町の中心を堂々と流れる漢江 は都市化現象の中で人間と自然との関係の歴 を語っている。金山椿神 によれば、昔は 上流で大雨が降るとあらゆるものが流れてきて子供達はそれをすくって遊んだので、子供 達は漢江が氾濫するのを心待ちにしていたそうである。時には人が乗った民家の屋根が流 されてきて、皆でその人を救ったりして、漢江を通して人々の間に 現在では氾濫することもなく、漢江との日常的 流があった。漢江は 流は護岸と高速道路によってなくなった ようである。80歳以上の人々にとっては冬の漢江は氷結し、その上で子供時代はスケート をして遊んだそうである。漢江の中州、Yoido には昔は飛行場、そしてアパート群、現在 は国会議事堂、高速道路が走っている。 哲学世界大会で私は美学部門の司会を頼まれていたが、最初の発表はソウル大学の李教 授による韓国古典舞踊の美学であった。題は「Chum と心」で、Chum(チュム、韓国の 古典舞踊)の実践における心と身体の一致、結果としての動作(gesture)には自然の気と 韓国の人々の歴 が具体化しており、これらが韓国古典舞踊 Chum の中核にある。従って 舞踊の訓練の中で自 自身の呼吸と自然の「気」とを一致させ、演じる際に自己を自然の 一部として一つ一つの身体的動きを通して具体的には自己の身体から「気」を表現するこ とが最も大切である、ということであった。韓国古典舞踊の真髄は「自然との一致」にあ り、東洋の画論と同様「 「気」の表出」であった。第二の発表は、アメリカからの Brubaker 教授で、東洋画の特徴を筆の勢いに見て、西洋の主観と客観とが対立的にあるのに対 して、主観が客観の中に入り込み主観が消失することによって自然との一致を実現し、客 観一元論になる過程をメルロ・ポンティーに基づきながら現象学的記述によって整理し た。第三の発表は、Perales 氏(スペイン)の「西田幾多郎の美の初期概念」であり、そ の中心は西田幾多郎の「主客未 係以前に主客未 の自己同一」についてであった。西洋的な主観客観の関 の状態である「自然」が重要であることを、西田の初期の論文の中の 「美」についての記述を手懸りとして論じた。質疑応答では『善の研究』における「自然」 についてその宗教的意味が議論された。最後は、ロシア社会科学院の Dolgov 教授による 「美学と暴力」という題で、ドストエフスキーの小説における死の美学そしてソロビヨフ のロシア文化への美学的影響を論じていた。三つのいずれの論 も、対象たる自然と自己 との距離付けの問題を論じている。では東洋における「自然」との関わりはどのように えるべきなのか? ― ― ゾラの「自然主義」の研究者、 明煥教授によれば、フランス近代の「自然主義」は、 デカルトの自我の確立を前提とし、自我が自己の日常性そのものを客観的に見ることで自 己の主観性の確立と自らの社会的位置を客観的に認識しようとした。客観的科学的観察を 大事にしたともいえる。これに対して、東洋の自然主義は「生成」そのもの、つまり「お のずから」に身を任せつつ自然からの距離を感じさせない形で自然に自己を一致させ、自 然の生成、自然の展開に身を任せようとする。従って、人間の造り出す社会も自然の生成 と共にあり、社会の変転もそれを記述すれば自然に即したものとなる。韓国の美学者故趙 要 教授 によれば、西洋の自然観と東洋の自然観を対決対親和と捉えている。韓国の 園は 苑と書き人工的要素を徹底的に排除する。韓国の 苑は規模が大きく、山全体を 巡った道を造りそこを馬によって移動しつつ鑑賞する廻遊式 苑である。 園術といって も、あくまでも自然のままを残し、自然の木々を人工的に配置して植えたり切ったりする ことはない。自然のままに任せ、山の構造と ている。 物の外壁の内側にある中 築物の伽藍を外側から囲むような形になっ は石だけで出来た中国式のものであるが、王妃や位 の高い女官達の住む場所に限って、韓国を代表する花の咲く木を植えてある。従って、下 草を育てたり藪を造ったり、草木をまとめて植えたりはしない。 苑の場合山の散策の途 中に、多くの場合は矩形であるが人造池と東屋を配する。東屋は 築様式としては中国式 であり、池に映る月を鑑賞でき、その近くに書院や図書館を造り、池のそばを散策できる ようにしてある。これは、文書を読み散策する中国の文官の生活伝統に従っている。山の 奥には川の流れを利用した滝を造り、その滝を鑑賞するための東屋を造る。韓国の山の殆 どは大きな岩山で、そこには多くの岩や石があるため、水の流れを岩と岩との間に位置づ けたり岩や石を削って水路を造ったりして、最後に滝に流れ込むようにしている。この岩 を穿って水を流す水路を段階的に造る階段構造の水路の技術は新羅や高句麗を経て飛鳥に 伝えられた。全体としては大規模な 園術であるが、韓国の場合、飽くまでも自然の中に 調和的に行われ、artificial な感じはない。この山を 李王が 苑とした典型は、朝鮮王朝の最後の 用し、その王妃がつい最近まで生活していた別荘、昌徳宮(Chang-duk-kung) にある秘苑に現在残っている。 これに対して、日本の 園術の特徴をどこにみるかは難しい問題である。趙教授によれ ば、 も呼び方が異なる。中国では園林、韓国では 苑、日本では 合、天龍寺や曼殊院では、座敷、特に天皇が座す玉座から、又方 能であるように造られており、天龍寺の場合 園である。日本の場 から の中心にある鶴亀の の中心が鑑賞可 と池の水、そして石 橋が特に大切である。また曼殊院の場合、中央の小さな滝と石橋そしてそれらの周りの と紅葉など の四季の変化に応じた彩りそして滝の音が重要である。それらの えは縮減の え方、 「見立て」である。趙教授は、日本 中国の西湖、そして「天の橋立」を見る。天龍寺も の中心的 園における石橋や橋の造形に を散策できるので廻遊式ともいえる が、日本の廻遊式 園の典型としてはブルノー・タウトによってその重要性が指摘された 桂離宮や修学院離宮をあげるべきである。その特徴は西洋の ― ― が幾何学的に左右対称(シ ンメトリー)であるのに対して桂離宮のそれは非対称性である。そして植えられている木 の種類と高さが鑑賞者が歩くにつれて、視界が開かれるように造られており、視界が限ら れている道を歩くと突然視野が開かれて池と石橋、そして茶室ヘと導かれる。つまり一つ 一つの場が必然性を内包しながら自然の中の変化として鑑賞者に経験されるように造形さ れている。つまり極めて artificial でありながら、artificial であることを隠して自然的 (natural)である、自然の中に人工性が収斂している。 2 老荘思想 岡倉覚三(岡倉天心)は『茶の本』(The Book of Tea,1906)の中で Tao(道)につい て次のように言っている。 The Tao literally means a Path. It has been severally translated as the Way, the Absolute, the Law, Nature, Supreme Reason, the Mode. These renderings are not incorrect, for the use of the term by the Taoists differs according to the subject -matter of the inquiry.Laotse himself spoke of it thus: There is a thing which is all -containing, which was born before the existence of Heaven and Earth. How silent! How solitary!It stands alone and changes not.It revolves without danger to itself and is the mother of the universe. I do not know its name and so call it the Path. With reluctance.I call it the Infinite.Infinity is the Fleeting,the Fleeting is the Vanishing, the Vanishing is the Reverting. The Tao is in the Passage rather than the Path.It is the spirit of Cosmic Change the eternal growth which returns upon itself to produce new forms.It recoils upon itself like the dragon,the beloved symbol of the Taoists.It folds and unfolds as do the clouds. The Tao might be spoken of as the Great Transition.Subjectively it is the M ood of the Universe.Its Absolute is the Relative. 村岡博訳(岩波文庫)では上述の箇所は次のようになっている。 「道」は文字どおりの意味は「経路」である。それは the Way(行路) 、 the Absolute (絶対) 、 the Law(法則)、Nature(自然)、Supreme Reason(至理) 、 the M ood(方 式)、等いろいろに訳されている。こういう訳も誤りではない。というのは道教徒のこの 言葉の用法は、問題にしている話題いかんによって異なっているから。老子みずからこれ について次のように言っている。 物有り混成し、天地に先だって生ず。寂たり寞たり。独立して改めず。周行して殆から ず。もって天下の母となすべし。吾その名を知らず。これを字して道という。強いてこ ― ― れが名をなして大という。大を といい、 を遠といい、遠を反という。 「道」は「経路」というよりもむしろ通路にある。宇宙変遷の精神、すなわち新しい形を 生み出そうとして絶えずめぐり来る永遠の成長である。「道」は道教徒の愛する象徴竜の ごとくにすでに反り、雲のごとく巻ききたっては解け去る。 「道」は大推移とも言うこと ができよう。主観的に言えば宇宙の気であって、その絶対は相対的なものである 。 ここで我々が注目すべきことは、…物が存在し混成、つまりカオスの時、天地が生ずる 以前に「道」は生じた。そこは寂寞とした静けさである。生じたものは、世界の母、母体 となるべきもので吾はその名を知らない。我々はこれを字して、名づけて、「道」という。 ここで我々が注目すべきは、「名」とは定義することである。従って老子は定義すること は制限することである、と えた。「名」と「字(あざな)」とを老子は けている。後者 は我々が現在名前を付けて呼んでいることを指す。その際主語は「吾」であって、我でな いことは重要である。そして天心は「宇宙変遷の精神、すなわち新しい形を生み出そうと して絶えずめぐり来る永遠の成長である。」と解釈している。道とは、天心によれば通路 であるが、物を通す規定の道ではなく、常に変化し、新しい形を生み出していく「宇宙の 気」であり、その絶対は相対である、とする。 『老子』のテキストによれば、 「道の道とすべきは、常の道に非ず。名の名とすべきは、常の名に非ず。 名無きは天地の始め、名あるは万物の母。 故に常に無欲にして以て其の妙を観、常に有欲にして以て其の を観る。 此の両者は、同じきに出でて而も名を異にす。同じきをこれを玄と謂い、玄の叉玄は 衆妙の門なり。 」(老子道徳経、上篇、1) この箇所を金谷治の解釈では、 「これこそが理想的な「道」だといって人に示すことのできるような「道」は、一定不 変の真実の「道」ではない。これこそが確かな「名」だといって言いあらわすことのでき るような「名」は、一定不変の真実の「名」ではない。 「名」としてあらわせないところに真実の「名」はひそみ、そこに真実の「道」があっ て、それこそが、天と地との生まれ出てくる唯一の始源である。そして、天と地というよ うに「名」としてあらわせるようになったところが、さまざまな万物の生まれ出てくる母 体である。 だから、人は常に変わりなく無欲で純粋であれば、その微妙な唯一の始源を認識できる のだが、いつも変わりなく欲望のとりこになっているのでは、差別と対立にみちたその末 端の現象がわかるだけだ。 ― ― この二つ 微妙な唯一の始源と末端のさまざまな現象との二つは、根本的には同じであ りながら、「名」の世界では、道といい万物というように、それぞれ違った呼びかたにな る。その根本の同じところを「玄」 はかり知れない深淵と名づけ、その深淵のさらにま た奥の深淵というところから、もろもろの微妙な始源のはたらきが出てくるのだ。」 ( 『老 子』金谷治) 老子が言おうとするのは、真実の「道」が「名」としてはあらわせないところにある。 つまり定義不可能である。道は天地という具体的「名」としてあらわされるような万物の 生まれる唯一の始源、母体である。人間は無欲で純粋であればかかる始源を認識出来る が、欲望にとらわれていると末端の現象がわかるだけである。別の「名」で呼ばれてもそ の同一の根源のものは「玄」であり、それははかり知れない深淵である。金谷によれば、 欲望にとらわれなければ、「現象の奥底にひそむ微妙な根源世界」の深みに我々は誘われ るが、その世界は現実世界と別ではない。そして「常の道」とは「宇宙自然をもあわせつ らぬく唯一の絶対の根源的な道」であり、究極の原理である。ここでは、名をつけ、言語 や概念で定義しようとする儒教や名家に対する批判が明確に語られている。 に天心は「道教がアジア人の生活に対してなしたおもな貢献は美学の領域であった。」 と言い、中国の歴 家は道教のことを「処世術( art of being in the world ) 」 と呼んだ、 とした。この言葉、処世(世に有ること)が『茶の本』の独訳本 Der Buch von Tee の中 で In-der-Welt-Sein(世界内存在)と訳され、現代哲学の存在論に於いてハイデガーの用 語として有名になった語である。天心は次のように続ける。 「道教は現在を…われら自身を取り扱うものであるから。われらこそ神と自然の相会う ところ、きのうとあすの かれるところである。「現在」は移動する「無窮」である。 「相 対性」の合法な活動領域である。「相対性」は「安排(Adjustment) 」を求める。 「安排」 は「術」である。人生の術はわれらの環境(surroundings)に対して絶えず安排(constant readjustment)にある。道教は浮世をこんなもんだとあきらめて、儒教徒や仏教徒 とは異なって、この憂き世の中にも美を見いだそうと努めている。」 ところがその次に浮世の美を積極的に認めた後で、浮世芝居の成功の秘訣は「つりあい (the proportion of things) 」である、と言って個の役割を勤めるためには芝居の全体を 知っていなければならない、と言う。 「個人を えるために全体を忘れてはならない。 」と 述べて、 「虚」の隠喩で道教がその根本思想を説明している、と語る。「物の真に寛容なと ころはただ虚にのみ存する」 「虚はすべてのものを含有するから万能である。虚において のみ運動が可能となる。おのれを虚にして他を自由に入らすことのできる人は、すべての 立場を自由に行動することができるようになるであろう。全体は常に部 を支配すること ができるのである。」 ここで我々は天心の言う老子の虚の隠喩の中に運動可能性や寛容、 自由等の人間の生き方に関わる道徳の言葉が ― われていることに注目しなくてはならない。 ― ところで、老子自身はどのように論じているのであろうか? 例えば、 『老子道徳経』上篇 16章では次のように言う。 「虚を致すこと極まり、静を守ること篤し。万物は並び作こるも、吾れは以て復るを観 る。 夫れ物の芸芸たる、各々其の根に復帰す。根に帰るを静と曰い、是れを命に復ると謂 う。命に復るを常と曰い、常を知るを明と曰い、常を知らざれば、妄作して凶なり。 常を知れば容なり。容は乃ち なり、 は乃ち王なり、王は乃ち天なり、天は乃ち道な り、道は乃ち久し。身を没うるまで殆うからず。 」 「あくまでも無欲になってどこまでも心を空虚にし、深い静けさをしっかりと固く守っ ている。そうしていると、万物はどれもこれもすべて盛んに生長しているが、自 にはそ れらがまたもとに返っていくのがみえる。 いったい物は盛んに繁茂しているが、それぞれにその生まれ出た根もとに帰っていくこ とは深い静寂に入ることだといわれ、それはまた本来の運命にたち戻ることは、一定して 変わることのない常道といわれ、この一定の常道をわきまえていると明智とよばれるが、 常道を知らないでいると、でたらめなことをして悪い結果におちいる。 一定不変の常道をわきまえていれば、どんなことでも包容できる。すべてを包容できれ ば、それが偏りのない 平であり、 平無私であれば、それが王者の徳であり、王者と一 致すれば、それは天のはたらきであり、天と一致すれば、それは「道」とも一致し、 「道」 と一致すれば、それは永久である。このような人は、その生涯を通じて危険にあうことが ない。」 「虚」とは何か。老子の原文で見る限り次のように読むことができよう。…虚の極限に 至ると静となる。世を守ることが大事で、そうすると現象としての万物が其の根源に戻る ことを観て取れる。その時、我は「我」ではなく、 「吾」である。つまり、主体としての 我が自己として客観的に観ることのできるものとなっている。そして根源に帰る(復帰す ること)は命に復帰することであり、それこそ「常」である。従って、根源に復帰するこ とを「道」とするならば、これらすべてを「常道」と言うことができよう。そして現象的 世界のかかる「常」であることを知ること(認識すること)が明であること、明晰である ことである。「常」を知ると、「容」(容器のように内に虚を内含する)となり、他者を受 容することができる。従って、容は「 」であり、老子によれば、 「 」は王であり、王 は「天」となる。そして「天」は道となる。道であるならば、これは永遠である。 この 文章を見る限り、老子は「道」を論じる際に「根源に復帰すること」 「常道」とは言って いるが、 「虚」を内包する「容」を「 」とし、これを「王」と言い換えている。金谷の 解釈では王が「すべてを包容できれば、それが偏りのない ― ― 平であり、 平無私であれ ば、それが王者の徳であり、王者と一致すれば、それは天のはたらきであり、天と一致す れば、それは「道」とも一致し、「道」と一致すれば、それは永久である。 」となる。この 文章は「道徳経」であるのでこの解釈は納得がいく。しかし、王者の徳、 平無私が実現 すればそれは天のはたらきであり、天と一致すれば「道」とも一致する、というのであれ ば視点は現実世界にある、と言わなければならない。 『老子』の結びの言葉(81)には「聖人は積まず。既(尽)く以て人の為にして、己は 々有り、既く以て人に与えて、己は 々多し。天の道は、利して而して害せず、聖人 の道は、為して而して争わず。」 「聖人はものを畜めこんだりはしない。何もかもすべて他人のためにしながら、かえっ て自 がますます持つことになり、何もかもすべて他人に与えながら、かえって自 はま すます豊かになる。 天の道…自然のはこびかた…すべてのものに利益を与えて害を加えることはない。聖人 の道…やりかた…は、いろいろなことをするとしても、他人と争うことはない。 」 この最後の文章でも、聖人はすべてのことを他人のためにして自己はますます所有す る、そしてすべてを他人に与えて自己はますます豊かになる。他人との関係において、他 者に利となることをすることで、逆に自己は徳の点で豊かになる。天の道は人を利するこ とのみで、害を与えることはない。これに対して、聖人の道は何かを常に実現するが、他 人と争うことはない。 「聖人」についてここで老子がどうのように ついて『道徳経 えているか明らかにしておこう。聖人に 上篇』2で、「是を以て聖人は、無為の事に処り、不言の教えを行う。 」 とある。金谷の解釈によれば、「 「道」と一体になった聖人は、そうした世俗の価値観にと らわれて、あくせくとことさらなしわざをすることのない「無為」の立場に身をおき、こ とばや概念をふりまわして真実から遠ざかることのない「不言」の教訓を実行するのであ る。」 であるが、金谷の解説では、現象に動かされる世間知「智」であり、聖人の英知は 「明」 、聖人の場合、内的な洞察、すべてを見抜くことを真知である、としている。自然の あるがままの実相を捉えるには 析による認識ではなく 、直観によらなければならない。 3 荘子の芸術論 「中国文化・『老子』・研究」の中で、高木智見は、中国画論や書論、そして医学への老 子の思想の影響を1990年以降に出版された中国の現代書物を例示しながら述べている 。 森三樹三郎は、老子を東洋における無の哲学の先駆者と位置づけている。老子は理想郷の 実現という政治的問題から えを始め、無為自然の政治そして無為自然の人生、そして無 の形而上学に達した、というのが森の えである。しかし、森は、 「老子は無の哲学の先 駆者ではあったが、…無の世界に足を一歩ふみいれはしたものの、その最奥の極地に達し たとは思われない。…道の形而上学の世界に自由に飛 ― ― し、無の世界の極北の地に達する ためにはまずこの政治の重い鎖を断ち切らなければならない。 」 とする。森は老子の宗教 的世界への深入りを避けた結果「老子はせっかく人間存在の深奥にある無の世界をつきと めながら、そこから人間の生死の運命を解明しようとはしなかった。 」 と述べている。 に、「このような政治の重い鎖を断ち切って、思うがままに永遠の世界に遊んだのは、ほ かならぬ荘子であった。ひとくちに老荘といい、道家とし一括されているが、老子と荘子 の間には質的な相違がある。『老子』の書には天下や国家といった語がしばしば現われる が、『荘子』にはほとんどこれが見えず、まれに言及することはあっても、全面的な否定 に終わるのが常である。ここには老子のような村落共同体の自然の生活に対するあこがれ も、もはやない。 」 我々も老子と荘子の質的な違いを認めなければならない。 池田知久の詳しい老子と荘子の比較研究によれば、 『荘子』の中に老子曰と前置きして 彼のことばや『老子』を引用するものは一つもなく、また『老子』中の語句ときちんと共 通・一致するものもほとんど無いので、『荘子』が『老子』によっていると えることは できない。また、森三樹三郎も2006年出版の『荘子』の中で、「荘子物語の作者達たち (すなわち道家系の思想家たち)は、老子と荘子の関係を老子 荘子という開祖と後学、 先輩と後輩、老師と弟子などの、思想上のつながりのあるものとは捉えておらず、荘子は 自ずから荘子であり、老子とは別個の独立した思想家である。 」 池田は『荘子』について 「その深刻さ・重大さは、直接的には、『荘子』が、人間がその目で見その耳で聞いてい る、存在する世界の多様性を否定して、世界の真実の姿を斉一なもの(カオス)と把らえ た点にあり、さらにはその存在性を破砕して、認識主観の自我をもその中に含んで、世界 の真実態を斉一なる非存在(無)と把らえた点にあり、いわゆる「道」というのも、この 斉一なる非存在のことに他ならない。」 と述べている。ところで、池田によれば荘子は世 界の現象の多様性を否定して現象的世界の本質である存在性を突破して「世界の真実態」 を非存在(無)と捉えた。そしてかかる「無」の内に自我も含まれる、というのである。 福永光司は「道」について次のように述べている。 「根源的な真理すなわち“道”は、あらゆる形あるものを生み出す生成の原理としては “天下の母”( 『老子』)とよばれ、人間を含む一切万物がそこから生じ、またそこにかえっ て究極的な実在としては“天地の根”( 『老子』)とよばれ、自然の世界と人間の世界を貫 く秩序と法則の根源としては“天地の理”( 『荘子』)とよばれる。また、その存在が形な く声なく人間の感覚知覚的な把握を絶しているという点では“無”( 『老子』)とよばれ、 そのはたらきが刻々に流動変化して一瞬も止まることがないという点では“変化の流れ” ( 『荘子』)とよばれ、人間のような目的意識や作為のわざとらしさをもたぬという点では “無為自然”( 『老子』)とよばれる。」 と。福永は老子と荘子を同一レヴェルで論じてお り、老子の展開としての荘子という捉え方をしている。しかしここで強調されているの は、荘子が老子の提示した無を超えようとする努力をしていることである。荘子は“天地 の理”ということばで「道」が理性の対象であり、そこに論理を見いだすことが可能であ ることを認めた上で、同時に“変化の流れ”という詩的な言語を ― ― って「道」を明らかに している。 今道は、「荘子の形而上学的美学」で、「彼(荘子)にとって特に重要なのは、老子の、 存在者の根拠としての無の教説であり、また恵施の概念的方法のアポリアの論理的形態と してのパラドックス(逆説)であった。 東アジアにおける形而上学の全く新しい論理学 は、…荘周によって初めてその基礎が置かれた。この え方の故に、彼は無の彼方に、す なわちすでに存在者の彼岸であるところの無の彼方に、一者としての絶対的存在を初めて 中国に於いて純粋に哲学的に規定したのである。 」 今道は論理学の視点で荘子と孔子とを 対立的に捉える。そして今道は政治的教育者であった孔子と世を棄てた弧独者、荘子の文 学的表現で現実を超えようとする試みを「荘子の芸術の領域に於ける 造的な生産性は、 あたかも孔子の解釈する再生産性と対立するものであった。 」 と述べる。荘子のテキスト は後に加えられたものが多いが、最初の篇、逍遙遊を始めとし内篇は荘周自身がかいたも のとされ、そして最後の天下篇は荘子の えを知るためには大事な文献である。天下篇は 諸子百家の学説の紹介および批判が明確に述べられている点で重要である。 まず、天下篇13をみてみよう。 「寂寞として形無く、変化して常無し。死か生か、天地と並ぶか、神明と往くか。茫乎 として何くに之き、忽乎として何くに適くか。万物ことごとく羅なるも、以て帰するに 足るなし。古の道術、是に在る者在り。…独り天地の精神と往来して、万物に傲 せ ず、是非をせめず、以て世俗と処る。…上は造物者と遊びて、下は死生を外にし、終始 無き者と友と為る。その基に於けるや、弘大にして闢け、深こうにしてほしいままな り。其の宗に於けるや、調適して上遂すと謂う可し。然りと謂えども、其の化に応じて 物に解くるや、其の理はつきず。其の来たるや ぜず。茫乎昧乎として、未だ之を尽く さず。 」 森三樹三郎訳では次のようになっている。 「静まりかえって形もなく、たえず変化して 定まった姿もない。死んでいるのか、生きているのかそれさえはっきりしない。天地と並 んで永遠の世界にあるのか、それとも神霊とともに不可思議の境地に向かうのであろう か。どこに向かうのか定めもなく、どこに行くのかあてもない。万物は無限に連なってい るとはいえ、どれ一つにも自 の身を託すだけの価値を見いださない。上古の は、このような自由無碍の立場を重んずるものがあった。 …こうして自 術の内に はひとり天地 の霊妙な世界に出入りしながら、しかも衆人を眼下に見下すことをせず、また他人につい ての是非の批判をしないで、世俗のうちに身をおくのである。…彼は、上は造物者と遊び たわむれ、下は生死を度外において、はじめがなく終わりのない永遠の世界に住む至人と 友になる。其の根本とする立場に身をおくときは、その視野は広大で無限にひらけ、深く ひろくして尽きることがない。その根源とする境地に身をおくときには、心は調和と快適 さとに満たされ、大空のかなたに天 る思いがあるといえよう。だが、ひとたび変化の命 ― ― に応じ、根源の立場を離れて物の世界に解けこむときには、変化の理を尽きることなく実 現し、変化のおとずれからのがれようとはしない。まことに荘子の道こそは、幽遠ではか ることができず、その極致はきわめ尽くすことのできないものがある。 」 「道」に在り道を追究するものは、静寂の中にあって現象的な形は知覚できない。何故 なら常に変化し続けて留まることはないからである。生なのか死なのか、生のようでも在 るし死のようでも在る。天に在るのか地にいるのか、それとも天地と並ぶ永遠にいるの か、それとも神霊と共に不思議な境地に向かうのか。どこに向かうのか、どこに行くのか 定めがない。現象的万物は連なっていても、それらの現実に戻る意味や価値はない。古い 道術にはこのように える人がいた。今道は、ここに荘子が問題としたことを見る。生と 死とは何であるのか、そして私はどこへ行くのか、天地という 造的世界を前にして、こ れらの事物のいかなるものにおいても、あらゆる種類の還帰、還元の果てとしての真なる 根源は見出せない、と解釈する。…荘子はひとり天地の鬼神と共に天と地を往来する。彼 は現実の事物に拘泥することもなく、また社会を非難することもなく、世の人と共に在 る。…上においては、彼の精神は造物者と共に遊び、下においては、生死を、また始めと 終わりとを克服している至人と友となる。その根源なるものの立場に立つとき、その視野 は無限に開かれ且深く尽きることがない。その根源の境地に在れば、調和に満たされ、天 上の秩序へと上昇していくことができる。かかる根源的立場を離れて現象的事物を理性で 理解することに尽きることはない。荘子の道は、幽遠でありその極致を極めることは難し い。では、『荘子』冒頭の「逍遙遊」篇を見てみよう。ここには荘子の根源的 られているが、 えが述べ に満ちているといわれている。 北冥有魚、其名爲 、 之大、不知其幾千里也、化而爲鳥、其名爲鵬、鵬之背、不知其 幾千里也、怒而飛、其 若垂天之雲、是鳥也、 「北冥に魚有り、その名を と為す。 則將 於南冥、南冥 天池也、 の大きさ、其の幾千里なるかを知らざるなり。 化して鳥と為る。その名を鵬と為す。鵬の背は、その幾千里なるかを知らざるなり。怒り て飛ぶに、その翼は垂天の雲の若し。是の鳥や、海運けば、則ち将に南冥に徒らんとす。 南冥とは天池なり。斎諧とは、怪を志す者なり。諧の言に曰く「鵬の南冥に徒るや、水に 撃つこと三千里、扶揺を博ちて上る者九万里、去りて六月を以て息う者なり」と。 」 「北のはての暗い海にすんでいる魚がいる。その名を という。 の大きさは、幾千里 ともはかり知ることはできない。やがて化身して鳥となり、その名を鵬という。鵬の背の ひろさは、幾千里あるのかはかり知られぬほどである。ひとたび、ふるいたって羽ばたけ ば、その翼は天空にたれこめる雲と区別がつかないほどである。この鳥は、やがて大海が 嵐にわきかえるとみるや、南のはての暗い海をさして移ろうとする。この南の暗い海こ そ、世に天池とよばれるものである。斎諧というのは、世にも怪奇な物語を多く知ってい る人間であるが彼は次のように述べている。 「鵬が南のはての海に移ろうとするときは、 ― ― 翼をひらいて三千里にわたる水面をうち、立ちのぼる旋風に羽ばたきながら、九万里の高 さに上昇する。こうして飛びつづけること六月、はじめて到着して憩うものである。 」 今道はこのテキストを次のように解釈する。「暗い北の海の中に泳ぎ回っている大きな 魚、それは、ただ存在者の領域の中で水平的に動いているあの概念的なイメージである。 この大きな魚の名前「 」は、音韻的に、孔子の発音(kung)に決して同じではないが、 充 にそれを暗示している。…さて、北冥すなわちこの北は、陰を意味しており、すなわ ち二極の否定的な極の方であり、それは暗さであり地上的なものである。我々の思索は、 北方の海から南の方に飛ばなければならない。それはすなわち、積極的な極の方、明るみ の方、光のみちている方、すなわち天池の方へ飛ぶことであり、これは絶対者に向けて飛 ぶことを意味している。光線が無数に拡散してゆくのに対して、光源は一つの絶対的な点 にあるとしなければならない。」 ここでは明らかに孔子が概念を追い求めて思 に展開しているのに対して、地上的な現象の世界から天池ヘ飛 る。これは絶対者へ向けての飛 を水平的 することが語られてい である。つまり概念を突き破って垂直的に飛ぶことであ る。その飛び方は扶揺、旋回しながら、である。そして、それ以前に「 」から「鵬」へ のメタモルフォーズがある。かかるメタモルフォーズは「無」を介して行われる。荘子は 詩的言語を うことにより老子の「無」を立体的に介して新しい形而上学を確立したとい えよう。 4 荘子の自然観 斎物論の三つの音声、人籟、地籟、天籟についての南郭子 の音楽論であると同時に自然についての彼の 南郭子 固可 如 、 几而坐、仰天而噓、 木、而心固可 乎、而問之也、今 如死 え方が述べられている。 焉似喪其 乎、今之 と顔成子游との対話は荘子 几 、 成子游、立侍乎 、非昔之 几 、曰、何居乎、形 也、子 曰、 不亦善 、吾喪我、汝知之乎、汝聞人籟、而未聞地籟、汝聞地籟、而未聞天 籟夫、 「南郭子 は机にもたれてすわり、天を仰いで大きな息をはき、ぼうぜんとして、いっ さいの相手の存在を忘れ去っているかのようであった。顔成子游は、師の前に立ち、かし こまっていたが、このありさまを見ていった。「いったい、どうされたのでしょうか。ど うすれば、このように身体を枯れ木( 木)そっくりにし、心をまるで冷えきった灰のよ うに(死灰)することができるのでしょうか。いま机にもたれかかっておられる先生は、 先ほど机にもたれかかっておられた先生と、まるでちがっているように思われます。 」す ると、子 は口をひらいた。「 よ、お前も見どころがあるよ。…いま、わしはわれを忘 れていたのだ(今、吾我を喪う。) 。それがお前にわかったのか。だが、お前は人が奏でる 音楽を聞いたことはあるにしても、地の奏でる音楽を聞いたことはあるまい。また、たと ― ― え地の奏でる音楽を聞いたことがあるにしても、天の奏でる音楽を聞いたことはあるま い。」 ここでは 木や死灰が無為自然の状態にある人間の形容であること、そして「吾我 を喪う」が主体としての「吾」が客体としての「我」を喪失することである。これは意識 の超越の状態である。 「大地の吐く息を、名づけて風という。この風が起こっていないときは、何事もないけ れども、ひとたび起これば、地上のすべての が怒りの声を発する。お前も、あの大風の ひゅうひゅうといううなり声を聞いたことがあるであろう。風にざわめきたつ山林のう ち、百抱えもある大木には、無数の洞 がある。その の形も、鼻に似たもの、口に似た もの、耳に似たもの、枡形に似たもの、杯に似たもの、臼に似たもの、くぼみに似たも の、 に似たもの、さまざまである。その発する音も、激流のひびきのようなもの、矢の うねりをたてるもの、叱りつける声に似たもの、息を吸うのに似たもの、叫び声を思わせ るもの、泣きわめくもの、深くかすかなもの、哀切のひびきをもつもの、さまざまであ る。先だつものが、『えい』と呼べば、これにつづくものは『おう』と答える。そよ風が 吹けば、 もこれにやさしく答え、疾風が吹けば、 通り過ぎると、すべての洞 も大声で答える。やがて激しい風が は、ひっそり静まりかえる。その後には、ただ木々の枝が、 音もなくゆらぎ、ひらひらとするのを見るだろう。 」 「すると子游がこれに対していった。「お教えにより、地籟とは無数の洞 がたてる音の ことであり、人籟とは笛などの楽器の音であることを知りました。それでは天籟とは何 か、おたずねしたいと思います。」すると、子 は答えた。「それはほかでもない。さまざ まの異なったものを吹いて、それぞれに特有な音を自己のうちから起こさせるもの、それ が天籟である。万物が発するさまざまな音は、万物がみずから選び取ったものにほかなら ない。とするならば、真の怒号の声を発しているのは、はたして何ものだということにな るのであろうか」 」 上述が、人籟、地籟、天籟についてである。 子游曰、敢問其方、子 之 曰、夫大塊噫氣其名爲風、是唯 乎、山陵之畏佳、大木百圍之 似汚、激 、 、叱 、吸 、叫 作、作則萬 、似鼻、似口、似耳、似 、 風則小和、飄風則大和、厲風濟則衆 爲 、 、咬 、而獨不見之 、 怒 、而獨不聞 、似圏、似臼、似 、 唱于、而隨 唱 、 之刀刀乎。 「大地が吐く息」おくびを「風」と名付けた。風が起こるとこれに呼応して我々は様々 な音を聞くが、それは地上のすべての が怒りの声を発するからである。風の状態によっ て、例えばそよ風にはそれに応じて、疾風ならば大声で対応する。特に木々にある無数の 洞 は「風」に答えるものとして、つまり応づるものとして、 「虚」または「空」である。 それ自体音のない「風」が虚たる空間、洞 ― で音が発生する。それを「大地が吐く息」と ― 表現していることは、人間を自然、或いは自然の一部と 「すべての洞 る。つまり洞 えている現れであろう。森は は、ひっそり静まりかえる。」と訳しているが原文では「虚と為る」であ は虚のまま有るということである。そして子 の最後の言葉「ただ木々の 枝が、音もなくゆらぎ、ひらひらとするのを見るだろう。 」に注目したい。音がない世界 は枝がひらひらする、と視覚的描写に変わっているが、原文は音もなく「調調たる」ので あるから、調和(ハルモニア)の世界に戻るということであろう。すると子游が、 「地籟 とは無数の洞 がたてる音のことであり、人籟とは笛などの楽器の音であることを知りま した。」という。原文では「比竹是れ己」であるから、楽器とは竹で編んだ笙の類の楽器 であることが る。つまり人間の息によって出る音のことである。すると子游と共に我々 も尋ねる。「敢えて天籟を問う。 」子 は答える。 「夫れ万の不同を吹きて、其れをして己 れよりせしむ。咸、其れ自ら取れるなり。怒る者は、其れ誰ぞや。」地籟の場合ように、 天が吹く息のごときもの、様々な異なった「虚」を吹いてそれぞれに自 の内から音を出 させるもの、「己れよりせしむ」とあるのだから、自発的に対応する結果音が出るのであ る。しかも、「其れ自ら取れるなり」とある。人間が、自己が自ら選択したもの、音であ る。最後に「怒る者は、其れ誰ぞや」という。森は、音もなく目にも見えない風、無にも 等しい風、が必要である、とし、万物の根源にある「無」をここから肯定的にみる。怒る もの、誰か? 万物の根源の「無」、現象の根源たる一者、絶対、造物者であろう。怒る ものとして えられた一者、平安な調和的な状態の時はそのような一者を我々はそれと らないのであろう。 5 アジアの自然環境の課題 荘子の生き方は、蜂屋邦夫も指摘しているように 、世俗的には何の役にも立たない観 想的生活である。つまり自然の摂理に即した生き方、 「自然に因る生き方」である。荘子 によれば、すべての現象は「道」の生成のはたらきによって生み出されたのであるから、 我々は全て「道」を 有することによって己の絶対性を知ることになる。全ての形あるも のは「道」のはたらきと共に流動変化し、遂には「道」の根源に還帰する。荘子のように 「変化の流れ(道)」を「友として遊ぶ」ことは可能であろうか。現実を 析し、そこから 距離を保った人間の生き方をもう一度 える必要があるのではないか。 このプロジェクトに参加して、現実の環境問題のデータを見、毎日起こる現象を と、現代技術社会に於ける人間の在り方を再 える する必要性を痛感した。技術を超えた人間 の在り方、それを選択するのも自己であり、そしてかかる自己に怒るもの、一者の天籟は 我々に るのか。アジアに於けるエコエティカの重要性を再確認した。 注 1)今道友信『東洋の美学』 、ティービーエス・ブリタニカ、1980年、p.50. 2)趙要 『韓国美の照明』1990(Zoh Johann, An Exploration of Korean Aesthetic Beauty) ― ― 故趙要 教授は韓国美学会の会長を務め、多くの韓国研究者から慕われた学者である。本 研究の最後、2008年3月に韓国での研究出張の際に、元ソウル大学教授 対話をして頂き、本書の内容の講義をお願いした。故趙要 あった。私は故趙要 教授は 明煥教授に特別 明煥教授の親友で 教授とは何度もお目にかかっており、特にイギリスのブライトンで の国際哲学会で御夫妻に会って親しくお話したことは忘れられない。本書はハングルで書 かれており、 教授に今回拝借した。 3)Tenshin Okakura, The Book of Tea, 1906, 1991 Kodansha. pp.58-59. 4)岡倉覚三、村岡博訳、『茶の本』岩波文庫、p.39. 5)Ibid., p.64. 6) 『茶の本』 、p.43. 7)前掲書、p.43. 8)前掲書、p.44. 9)金谷治『老子』、講談社学術文庫、2008年、p.62. 10)前掲書、p.61. 11)前掲書、p.241. 12)前掲書、p.19. 13)前掲書、pp.252-254. 14) 『老子』小川環樹訳、中 クラシックス E11、中央 論新社、2005、p.148. 15)森三樹三郎『老子・荘子』講談社学術文庫、2006年、p.66. 16)前掲書、p.70. 17)前掲書、p.71. 18)森三樹三郎『荘子』中 クラシックス E4、中央 論新社、2001年、p.22. 19)池田知久『荘子』上、下、中国の古典5、藤堂明保監修、学習研究社、昭和58年、p.5. 20)福永光司「中国の芸術哲学」 『講座美学1、美学の歴 、東京大学出版会1984年、p.215. 21)今道友信『東洋の美学』p.169. 22)前掲書、p.169. 23)森三樹三郎『荘子 II』中 クラシックス E4、中央 論新社、2001年、pp.462-465. クラシックス E4、中央 論新社、2001年、p.3. 25)今道友信『東洋の美学』p.178. 24)森三樹三郎『荘子 I』中 26)森三樹三郎『荘子 I』pp.22-23. 27)前掲書、pp.24-25. 28)前掲書、pp.25-26. 29)蜂屋邦夫『荘子=超俗の境へ』講談社選書メチエ252、2002年. ― ―