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ヨハンゼバスティアンバッハのマタイ受難曲が人類史上屈指の芸術遣産
・ ´礫 3 ・ゼバ スティアン ・バッハ のマタイ受 難 曲が人類 史 ヨハ ン 籟荼麒蓼掏 指 の芸術 遺産 であることに異 論 のある方 は少ないだろう。 キリストの受 難物語 の支柱 として、ルター派教会音楽 の源泉とも言えるコラールを据え、卓越 した情景描写、 心理描写により 11屈 緊張感 みなぎるドラマが展 開され てい く。レチタティー ヴォやアリア、合 唱 によって紡 がれてゆく物 語 は、イエ スの 死という テーマを超えて、バ ッハ 自身の 感情 の発露でもあり、人間の本質を決 り}Hす か のような内省的な深遠さに満ちている。 よリキ楽 的な佃l llllか ら兄れば、ここではバ ッハ が用 いた キ楽 ili法 のす べ てを見 ることができる。彼 は終 生 ドイツから│ll ることはなかったが、さまざまな機会にフランス音楽に触れて大いに刺激を受けたし、ヴイヴァルディの協奏曲編 曲でも知られ るように、 イタリア音楽 からも多くを吸収した。モテット、マドリガーレ、モノディー、 協奏 曲、そしてコラール…ルネサ ンスから後期 バ ロックにか けて発 展してきたあらゆる様式が この大 曲に流れ込み、 バ ッハ の比類 なき技 法 により、組み合 わされ、共鳴し、 ` F楽 の新 たなる地 Fを 示し、 神を仰ぎ見 る高教にFll達 しているのである。 この受難 曲は1727年 、ライプツイヒの聖トーマス教会で初演された。それまで多彩 な器楽作 品、 協 奏 曲、鍵盤作 品などを 1・ 多 く書 いていたバ ッハ は、1723年 に聖 トーマス教 会 のカントルに就 任 し、マ タイ受 難 山のプランを練 りはじめた40歳 頃まで に約 200曲 ものカンタータを書 くことになる。1750年 に世を去 るまでの27年 間、教 会音 楽 の創作 に心 血を注 いだバ ッハ に とって、マタイ受難 曲はまさに集 大成 的作 品であったと言えるだろう。晩年に至るまで改 訂を重ねたことも、 彼 の他 の 曲では バ ハ ′ あまり見られなかったことであり、 ッ 身がこの Iを 自らの中 い的な作品として意識していたことがわかる。彼 の死 後 長く │¬ │‖ バ ッハ作 品の再評価 の契機 ともなった。 忘れられていたこの受難曲は、1829年 にメンデルスゾーンによって復活 上演され、 今 回は、時 間的制 約 によリー 部 をカットして演 奏 す る。メンデルスゾーン版をはじめ多 くの 省 略演 奏 を参 考 にしつつ 演奏 曲目を決めたところ、聖書の物語がむしろくっきりと浮かび Lが ったような気がする。数 々の名演 。 名需を生んできたマタ イ受難曲であるが、 神学的なメッセージとしてだけではなく、現代 に生きる考 の熱 のこもった叫 びとして感 じ取 っていただけ ることを願う。東京 カテドラル聖 マリア大聖堂という特 別な空 間に、 現代 の 日本人 の心をも揺 り動 かさず にはおかない “ 魂の ドラマ"は どのように響 くのだろうか。 ラ・ヴォーチェ・オルフィカ アントネッロ 濱田芳通 Yoshimichi HomOdO スイス政府給費留学 桐朋学園大学古楽器科卒業後、 生としてバーゼル・スコラ・カントールムに留学。コン ・パラティーノ、 PAN》 、 チェルト アンサンブル《 アンサ ンブル 《ラ。 フェニーチェ》のコンサート及び録音に ∃―ロッパ各地で活躍する。また、 参加するなど、 映画 「テガミバチ」の 「利体」及びアニメ「耳をすませば」 「秀吉」への出演など、 大河ドラマ「信長」 音楽、 知られ ざるバロック以前の音楽や楽器を広めるべく、 幅広い バロック・オペラの指揮者と 活動を行つている。また、 してモンテヴェルディの三大オペラ「ポッペアの戴冠」 「オルフェオ」 「ウリッセの帰還」、 「ラ・カリス カヴアッリ ト」を上演。新聞等各メディアにおいて絶賛される。 ・オルフィカ》指揮者。古楽アン ラ・ヴォーチェ 合唱団《 アントネッロ》音楽監督。 サンブル《 VOce Orico An,お Onell。 Lσ 1994年 の結成以来、アントネッロは「作品が生ま イタリア語でオルフェオの声の意味である《ラ・ ・オルフィカ》は、濱田芳通と彼の音楽 ウォーチェ れた時のスピリット」を大切に、躍動感、生命力 (ジ ャズでいうところのスポンティニアス)が 備わつ た、 音楽の持つ根源的な魅力を明らかにする。これ までリリースされたCDは 、いずれも「朝日新聞試 「レコー ド芸術」誌など各メディアから常に 聴室」、 最先端の古楽グループとして高い評価を受ける。 海外からの注目も高く、イタリアのシンフォニア レーベルやスウェーデンのビス レーベルからも CDを リリースし、いずれもフランス「ディアパソ ン」誌で5つ 星を獲得するほか、フランス「レペルト ワール」誌推薦盤、 イタリア「M∪ S CA」 誌最優秀 推薦盤などに選ばれるなど、 全ヨーロッパに渡つて 絶賛された。第7回 ホテルオークラ音楽賞受賞。 東京カテドラル聖マリア大聖堂 〒 112-0014文 京 区関口31615 / ″ ′ ′載 , バ ス〕 」R山 手線 目白駅前から都 営バス新宿駅西口行き 【 「椿山荘前」下車すぐ。 (白 61系 統)約 10分 。 地下鉄】 東京メトロ有楽町線 江戸川橋駅下車 (出 口la)。 【 徒歩 10分 。 お車でのこ来場はご遠慮ください。 に共鳴する人々により、1986年 に結成された。 95年 には日本テレビ主催「システィーナ礼拝堂 修復記念 コンサー ト in Tokyo」 に出演 した ほか、99年 、2005年 の公演は「音楽の友」誌で 年間ベ ストコンサー トのひとつに選ばれるなど、 中世 ルネサンスからバロック時代までの音楽作 品の真の姿を現代に再現することを目指 し活動 している。2005年 には初のCD「 モンテヴェル ディ《聖母 マ リアのタベ の祈 り》」をリリース。 2010年 には豊後ルネサ ンス音 楽祭 に、また 2013年 には、アントネッロのモンテウェルディ 歌劇「オルフェオ」公演に参加。 :