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初等シティズンシップ教育カリキュラムの特質と意味

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初等シティズンシップ教育カリキュラムの特質と意味
滋賀大学教育学部紀要
教育科学
39
No. 63, pp. 39-51, 2013
初等シティズンシップ教育カリキュラムの特質と意味
―
― イングランドのスキーム・オブ・ワーク
「シティズンシップ」の検討を通して ―
―
川
口
広
美*
The Nature and the Structure of Primary Citizenship Curriculum
―― Examination of a Scheme of Work for Citizenship in England ―
―
Hiromi KAWAGUCHI
キーワード:シティズンシップ、カリキュラム研究、初等教育、イングランド
学校における教科シティズンシップ教育の源流
Ⅰ.問題の所在
であるアメリカの社会科成立時においても、第
8・9 学年の「公民科」
、第 12 学年の「民主主
現在・将来の社会の担い手を育成するシティ
義の諸問題」といずれも中等段階であった。ま
ズンシップ教育は、一教科や特定の学年段階の
た、ホルト社会科に代表される社会科学科、社
みで請け負えるものではない。空間軸で捉えれ
会化/対抗社会化論のいずれにおいても中等段
ば、社会科全体や学校教育全体で、時間軸でみ
階を中心として議論は展開されてきた。また、
れば、生涯に及んで行われる。本稿は、この前
近年、シティズンシップ教育研究で注目されて
提を踏まえた上で、初等学校 段階でのシティ
いるイングランドにおいても、その議論の基盤
ズンシップ教育の果たす役割とはどのようなも
は「法定教科」でもある中等段階におかれてい
のかを、カリキュラム構成の観点から検討する。
る 。
1)
2)
最近、グローバル化や高度情報化に基づいた
そうした一連の研究の中で、日本の初期社会
急激な社会変容を背景に、従来・伝統型の受動
科研究、問題解決学習論は例外的に、初等段階
的なシティズンシップから、より能動的シティ
も含んだ包括的なシティズンシップ教育として
ズンシップへという要請がある。こうした流れ
研究も進められてきた。しかし、ここでも、初
のもとで、学校教育でのシティズンシップ教育
等は対象にはされ、シティズンシップ教育の実
が改めて見直されている。中でも、社会科教育
行は可能だとはされているが、初等独自の役割
学では、その成立当初から学校シティズンシッ
や構造に注目した議論が行われてきたとは言い
プ教育の中心を担ってきたこともあり、これま
難い。学校教育を通じたシティズンシップの体
でにも多くの研究蓄積がある。
系的育成を図るためにも、初等段階での独自性
だが、こうした一連の研究の主軸は、中原
(2009) も指摘するように、意図/非意図的に
関わらず、中等段階におかれていた。例えば、
を明確にすることは重要となる。
本稿は、その手がかりとしてイングランドの
初等段階に注目する。なぜなら、1999 年版の
ナショナル・カリキュラム改訂以降、初等段階
* 滋賀大学
のシティズンシップ教育は、中等と同様にナ
40
川
口
ショナル・カリキュラムに位置づけられ、ほと
広 美
and Health Education) と の 複 合 的 フ レ ー ム
んどの初等学校で実施されているためである。
ワークとされる。従って、分析の前に、
「非法
なお、対象事例としては、特に準国家機関
定」及び「複合アプローチ」の意味を確認して
QCA (Qualification and Curriculum Author-
おこう。
ity : 資格カリキュラム局・当時) が開発した初
(1)「非法定」の意味
等版スキーム・オブ・ワーク「シティズンシッ
プ」(a Scheme of work for citizenship、以 下
Claire (2004) は「非法定」教科の意味を次
のように説明する。
SOW と略記) を用いる。SOW は、初等版・中
等版の双方が存在していることから、これまで
ここで、
「非法定」であるということがど
検討されてこなかった、中等シティズンシップ
ういう意味について思い返すことが重要であ
教育と連動しながらも、初等の独自性を有した
る。フレームワークは提示されているが、そ
初等シティズンシップ教育カリキュラムの構造
れは自分自身の生徒やコミュニティにおける
が明らかにできると考えられるためである。川
問題や関心に注意を払わずに固定されたカリ
口 (2009) では、初等 SOW の紹介に留まった
キュラムでの実施が求められているのではな
ため、本稿では構成法に着目した分析を深める。
い。クリックを初めとする識者達は、教師が
従って、本稿の目的は、初等 SOW のカリ
自分達の状況にあわせて、必要な学習や行動
キュラム構成を検討することを通じて、イング
を考える責任があることを強調している (p.
ランドの初等シティズンシップ教育カリキュラ
19)。
ム構造を解明することである。
シティズンシップは非法定ではあるが、保
分析の前提として、まず、イングランドの初
護者に対しての生徒の学習状況の報告書を保
等段階におけるシティズンシップ教育カリキュ
存・提出する必要はある。さらに、OFSTED
ラ ム の 位 置 づ け を 説 明 す る。次 い で、初 等
(The Office for Standards in Education, Chil-
SOW を全体計画ついで単元構成を目的・内
drenʼs Services and Skills) の学校視察 に際
容・方法から分析し、その特性を探る。さらに、
しても注目され、その進度に関して全般的な
中等 SOW との比較や関連文献の検討を通して、
評価が行われる。(中略) (p. 1)
3)
初等段階のシティズンシップ教育カリキュラム
構成の原理を抽出する。以上の考察を踏まえ、
以上の説明から「非法定」とは、実施の有無
イングランドの初等シティズンシップ教育カリ
までが学校側に委ねられていることではないこ
キュラム構造を解明したい。今後の日本で初
とが分かる 。学校側は OFSTED の視察官や
等・中等へと体系的に発展する学校シティズン
両親に対して、実施に関する説明責任を果たす
シップ教育カリキュラムを考察する上でも示唆
ことも求められているためである(Claire 2004 :
を与えるものとなり得よう。
1, 19)。だが、時間数・実施形態は「法定」教
4)
科と比べて柔軟な実施が想定され、独立した時
Ⅱ.文脈:イングランドでの初等シティ
ズンシップ教育の位置づけ
間割を設けることは必ずしも求められていない。
そのため、他教科に埋め込まれた形での実施や、
サークルタイム や学校全体活動など各学校に
5)
1.政策上の位置づけ
シティズンシップ教育はナショナル・カリ
あわせて実施されている。
(2) 複合的フレームワークの意味
キュラムにおいて、初等・中等共に記述されて
PSHE の目的は、
「子ども達が、自信を持ち
いるが、その扱いには違いがある。中等段階で
健康的で独立した生活を送るために必要な知識
は、シティズンシップ教育を「法定」(statu-
とスキルを与える」(QCA 2007) こと、
「子ど
tory programme) 教科としているが、初等学
も達が個人的社会的に発達する方法を理解し、
校 段 階 は あ く ま で「非 法 定」(non-statutory
成長する過程における道徳的・社会的・文化的
programme) であり、PSHE (Personal, Social
課題に取り組むことをうながす」(QCA 2007)
初等シティズンシップ教育カリキュラムの特質と意味
41
ことである。PSHE は、伝統的に初等教育で重
視されてきた人格・道徳・社会的発達、中でも
個人対個人の関係を重視した発達を行うもので
Ⅲ.初等シティズンシップ教育カリキュ
ラム構成の特質:SOW の場合
あ る (Huddleston & Kerr (Eds)., 2006 : 20)。
シティズンシップ教育は、個人間よりも社会に
初等 SOW は、ナショナル・カリキュラムで
おける個人の役割に特に注目するという点で、
新たに決定されたシティズンシップ教育の導入
PSHE と違いがみられる。しかし、両者は共に
に基づき、各学校での開発の参考となるべく提
価値や態度・自尊心 (self-esteem) の育成を
示された (QCA, 2000b)。従って、法的拘束力
重視している。このように内容・目標の点で重
はない。
複する箇所が多くいことから「初等段階におい
表 1 の通り、初等 SOW は全 12 単元で構成
ては、シティズンシップ教育は、人格・社会的
される。その内、前半部の単元 1〜6 は 1〜6 年
発達と同時に実施され、それに貢献する役割
で、後半部の単元 7〜11 は 3〜6 年と、各単元
を果たす」(Huddleston & Kerr (Eds)., 2006 :
には 3 学年以上の幅が設定されている。さらに、
20) とされた。各教科のそれぞれの要素を相互
「単元はどの順序でやっても構わない。番号は
関連させながら、学習を進めていくことが求め
参照する際の助けとして示しただけであり、適
られている。
用 す る 順 序 を 表 し た も の で は な い (QCA,
2000b)」と 注 釈 が あ る。従 っ て、本 稿 で は、
単元の配列でなく、選択のみに焦点を当てる。
2.実践上の位置づけ
初等学校の実施状況の調査を含む複数の報告
書 (QCA, 2003 ; Ofsted, 2010) を参照すると、
中等段階よりも、初等シティズンシップ教育は
全般的に良好な実施状況と評価されている。
1.初等 SOW の全体計画:参加/公共概念を軸
とした学校・地域の学習
では、まず、全体計画を検討しどのような内
例えば、2001〜2002 年のシティズンシップ
容構成となっているかを検討したい。単元名と
教育の実施状況を調査した QCA (2003) では、
各単元の教育内容の概要 及び、内容構成の視
65% の初等学校は、学校全体の活動として、
点を示したものが表 2 である。
7)
シティズンシップ教育を導入していると答えて
単元名からも分かるように、初等 SOW では
おり、90% はカリキュラム中で優先順位の高
多様な分野・トピックが取り上げられているが、
い教科であると位置づけている。また、2006〜
全単元を通して、学習は地域・学校を中心単位
2009 年の初等・中等学校の実施状況を調査し
として進む。例えば、単元 8「どのようにルー
た Ofsted (2010) は、実施形態は各学校で異
なるものの、調査した学校の多くは良好あるい
は満足な成果であるとする 。
表1
6)
この背景としては、シティズンシップ教育の
導入以前から、こうした子どもの道徳性の発達
などに積極的に関わってきたこと。さらに、
1970 年代以降流行したトピック学習も盛んで
あったこと (舘林、2007)、またワールド・ス
タディースといった、いわゆる「新教育」運動
が中等段階よりもよく浸透していたこと (ク
リック、2011) などが指摘されている。
こうした前提を踏まえて、検討を深めよう。
学年
初等 SOW の目次
単元
1.参加する:コミュニケーションと参加の
ためのスキルを高めること
2.選択
1〜6 3.動物と私たち
4.私たちを助ける人々:地域の警察官
5.多様性のある世界で生きる
6.校庭をつくりあげる
7.子ども達の権利:人権
8.どのようにルールや法律が私に影響して
いるのか?
3〜6
9.財産を尊重すること
10.若いシティズンのための地域民主主義
11.メディア:ニュースとは何?
6
12.進むこと
42
川
表2
単元名
1 参加する
― コミュニケーションと
参加のためのスキルを
高めること
2 選択
6 学校の校庭を作り上げる
口
広 美
初等 SOW の全体計画
教育内容の要約
「休み時間」といった学校の現実生活問題の事例を用
いながら、考えや意見を述べたり、他者の意見を聞
きながら、意思決定に加わるといった能動的シティ
ズンシップのスキルを発達させる。
内容選択への視点
参加主導型 (学校・地域学
好き/嫌い、正解/不正解の違いを議論しながら、
習目的型)
意思決定スキル、自分の行った選択の他者への影響、
他者からの関与にあらがう練習を行う。
子ども達が、学校や地域の
子ども達は、例えば「新しい植物とコンテナをおく」
コミュニティの活動に参加
というような小さなプロジェクトを実践しながら、
することを主軸とし、そこ
自分たちの校庭を向上させるための計画・相談・実
から参加のための知識やス
行を行う。これを通して、他者とコミュニケーショ
キルを学ぶ単元
ンをとり、参加を還元させるようにする。
12 進むこと
学校をコミュニティとして捉え、よりよく変革する
ための対策を考察する。これによって、キーステー
ジ 3 への移行への準備を行う。
3 動物と私たち
動物福祉に関する問題を検討しながら、人間が動物
にもつ役割や、動物福祉に関するボランティア・コ
ミュニティ団体の存在を知り、権利と責任の概念を
学ぶ。
4 私たちを助ける人々
― 地域の警察官
地域の警察及び警察仕事を事例とした地域の公的機
関への意識を深めながら、コミュニケーションスキ
ル、安全を見つける方法、アイデンティティと責任
の概念を学ぶ。
世界の様々な地域の人々のアイデンティティとコ
ミュニティについて学びながら、相違性と多様性、
多様性について学ぶ。それと共に全ての人を尊重し
5 多様性のある世界で生きる 合うことの重要性、人種などいかなる理由があろう
とも虐待することの誤りを学ぶ。最終的には、学習
の成果を反映させ、学校の子ども達とアイディアを
交換する。
子どもの権利条約が全ての子どもに適用されている
ことを学び、自分たちの学校や地域にどのように人
7 子ども達の権利
概念主導型 (学校・地域学
権が適用されているかを学ぶ。これを通して、権利
― 人権
習手段型)
を守る方法や公平性を学ぶ方法、人権・責任の概念
を学ぶ。
子ども達が、学校や地域の
子ども達は校則やクラスや生徒会がどのように変化 問題や事象を検討しながら、
を起こせるかを学んだ後、立法機関としての国会や 関連するスキルと共に公共
8 どのようにルールや法律が
議員の役割を知り、議論の大切さを学ぶ。さらに、生活に関係するような概念
私に影響しているのか?
事例を用いながら、個々の考え方の多様性を知り、を学ぶ単元
法律と民主主義という考えを学ぶ。
9 財産を尊重すること
子ども達は既有の知識を踏まえて、犯罪の結果につ
いて議論し、罰則や公共財を尊重することの価値を
考える。これによって、グループでアイディアを出
しながら、地域をよりよくする対策を考え、コミュ
ニティの財に対しての尊重という概念を学ぶ。
子ども達は、まず探求活動・外部調査・スピーチや
10 若いシティズンのための 議論などを通して地方議会・知事の役割を学び、そ
れらが国会議員とどのように異なるかを知ることで、
地域レベルの民主主義
地方民主主義を学ぶ。
11 メディア
― ニュースとは何か
この単元では、様々なメディアについて議論・分析
することで、探求やコミュニケーションのスキルを
発 達 さ せ る。さ ら に、関 心 の あ る 地 域・国 家 の
ニュースの問題を話し合い、異なるメディアではど
のように叙述方法が異なるかを学ぶ。さらに、メ
ディアについての学習成果を学校やコミュニティに
公開できるように新聞・ウェブサイトなどに書く。
初等シティズンシップ教育カリキュラムの特質と意味
43
ルや法律が私に影響しているの?」では、家庭
民主主義」、単元 11「メディア」においても、
や学校、地域コミュニティにおける法律やルー
子ども達の能動的な学習を前提とする。だが、
ルの役割について学ぶ。そのため、まずは校則
先のタイプとは異なり、単元を貫く活動は存在
やクラスや生徒会のあり方を、ついで国会議員
せず、代わりに各単元で単一あるいは複数の
や国会のあり方を検討する。その後、クラス単
キー概念 (key concept/ idea) が提示され、こ
位で、時事問題に関する意見を出し合うことで、
れを軸にして学習が進められる。
見方・考え方の多様性を知る、と地域・学校の
事例での学習が進められる。
例えば、単元 3「動物と私たち」は 4 つの学
習活動から成る。1) 子ども達が互いの嗜好を
しかし、単元の内容の目的や単元全体を貫く
聞き合うことで全ての人間には権利があること
軸を見ると、そこには、学校・地域の学習を
を学習する、2) 子ども達と動物の現在の関係
「目的」としたもの、と、学校・地域の学習で
を考えることを通して、人間に動物を保護する
何かを学ぶという「手段」とするものの 2 つに
責任があることを学習する、3) 動物保護団体
分けられる。
の仕事を調査しながら動物への責任を果たす方
(1) 参加主導型の単元
法を学習する、4) 多様な動物の権利をめぐる
、単元 6
単元 1「参加する」
、単元 2「選択」
「校庭を作り上げる」、単元 12「進むこと」は、
共に地域・学校の活動への参加が中心になる。
例えば、単元 6「校庭を作り上げる」では、
課題の解決の方向性を考察する、である。
これらの活動は、先の参加主導型単元とは異
なりそれぞれで完結する。だが、これらの活動
には全て「権利」と「責任」という概念を用い
単元を通して、子ども達は学校の校庭の改善と
て、事象を分析するという活動が含まれている。
いう課題の解決作業に実際に加わることが求め
1) では人の権利を、2) 3) では動物に対する
られている。活動を通して得られる、校庭の遊
人の責任とその責任の果たし方、4) では動物
具や設備の特質/学校や地域で果たす役割と
権利保護のための責任の果たし方となる。
いった関連知識、さらに、学校・地域に関係す
単元 4「私たちを助ける人々:地域の警察
る人々の考えを聞き合い、活動の振り返りと
官」においても、地域や地域の警察官をめぐる
いった計画・実行に必要なスキルが学習内容と
4 種類の学習活動は「アイデンティティ・責
して設定されている。単元 1「参加する」は休
任」と概念で貫かれている。単元 5 は「相違
み時間の捉え方、単元 2「選択」は人の好み、
性・差異性・多様性」、単元 7 は「人権・責任」、
単元 12「進むこと」では学校改善活動がそれ
単元 8 は「法・民主主義」、単元 9 は「財への
ぞれ示されている。
尊重」、単元 10 は「民主主義」、単元 11 は「メ
以上のように、このタイプの単元は、その活
ディア」という概念が提示され、それらの概念
動の種類は異なるものの、単元を横断して 1 つ
の適用を軸に各単元の教育内容が貫かれている。
の学校・地域に関する問題解決活動に貫かれて
以上のように、取り上げられる概念は多様な
おり、学校や地域への参加それ自体を「目的」
がら、いずれも公的生活 (public life) に関連
とした学習と捉えられる。子ども達は、このタ
した公共概念 (クリック、2011) に属すると考
イプの単元の学習を通して、実際に学校・地域
えられる。これらの概念は、学校や地域に特有
コミュニティの 1 人のシティズンとして責任を
の概念ではなく、国家や世界レベルにおける公
有した参加を行うことが求められる。
的問題を考察する際にも重要な抽象的な概念で
(2) 公共概念主導型単元
ある。
単元 3「動物と私たち」、単元 4「私たちを助
以上のように、このタイプの単元では、公共
ける人々:地域の警察官」、単元 5「多様性の
概念を学習することが目的となる。学校や地域
ある世界で生きる」、単元 7「子ども達の権利:
の学習を「手段」と捉えている。子ども達は、
人権」、単元 8「どのようにルールや法律が私
このタイプの単元の学習を通して、自分たちの
に影響しているか」
、単元 9「財産を尊重する
学校や地域の学習を行いながら、より普遍的な
こと」
、単元 10「若いシティズンのための地域
公共概念の意味を探求することが求められてい
44
川
口
る。
以上の考察から、初等 SOW の全体計画の特
質として、次の 2 点があげられる。
第 1 に、地域・学校レベルの学習が主軸と
なっている点である。先の教育目標と合わせて
広 美
ジを基に、自らが現在の校庭に対して持つ意見
を自覚する。ついで、クラスレベルの議論を行
い、意見を交換する。それを受けて、学校コ
ミュニティに属する他のメンバーに対して調査
を行い、校庭に関する情報を収集する。
みれば、子ども達は自分たちの身近なレベルの
第 3 パートでは、収集した多様な意見を基盤
コミュニティに実際に能動的に関わりながらシ
として改善への方略をたて、実行への準備を行
ティズンシップを一体的に学習することを可能
う。まず、多様な意見を概観し、ユーザーの意
にしている。第 2 に、これらの地域・学校レベ
図を考慮しながら、優先順位をつけ、方略をた
ルの学習を「目的」とするか「手段」とするか
てる。さらに、改善運動に必要な資金集め運動
で 2 種類に分けられる。参加主導型では子ども
を行う。第 4 パートでは、第 3 パートでたてた
が実際に大きな問題解決活動に携わること、公
計画・方略の実行と、プロジェクトでの個人の
共概念主導型では一般的抽象的概念を用いて社
役割と自らの学びの振り返りを行う。子ども達
会事象を分析する試みがとられていた。このよ
は、校庭委員会の報告で進行状況を理解し、実
うな異なる役割を持った単元を、学校・地域学
際の変化の過程を把握する。その後、最終的に
習として統合する点が本カリキュラムの特質と
は子ども個人を振り返り、自分がプロジェクト
いえる。
で果たした役割や達成した学習内容を校長に報
告する。
2.初等 SOW の単元構成:私的価値を組み込
んだ学習活動
どのような方法で学習は構成されているのか。
このように参加主導型単元においては、まず、
個人の価値観を自覚化した後、それを次第にグ
ループ→クラス→学校・地域のメンバーへと拡
ここでは、中等 SOW と類似のトピックが存在
大させていきながら、学校コミュニティ (集
する 2 つの単元を事例に、学習活動に注目して
団) の活動を行う。そして、最終的には個人の
検討したい。
振り返りを行っている。「私」領域から次第に
(1) 単元 6「校庭を作り上げる」
拡大し「公」的な活動に参加し、「私」の振り
単元 6 では、単元全体を貫く校庭の改善活動
に携わりながら、学校を基盤とした活動に必要
な知識・スキル・態度を習得する。単元は、第
返りに結びつく学習となっている。
(2) 単元 8「ルールや法律はどのように私たち
に影響を与えているか」
1 パート「私たちは校庭を作り上げることにど
単元 8 では、クラス・生徒会・国会における
のように関われるのか」、第 2 パート「校庭に
ルールを検討しながら、「法」と「民主主義」
ついてどのように考えているのか」
、第 3 パー
概念を学習する。この単元は、第 1 パート「な
ト「校庭を改善するための私たちの優先順位は
ぜ私たちはルールが必要なのか」、第 2 パート
何か?」、第 4 パート「変化を起こす」という
「誰がルールを作っているのか」
、第 3 パート
4 つの学習活動で構成されている。
「どのように国会は法律を作っているのか」、第
第 1 パートでは、活動の前提となる組織作り
4 パート「どのように私たちは責任ある行動を
を行い、単元を貫く活動テーマを理解する。こ
とるのか」という 4 つの学習活動で構成される。
こでは、まず他校で実施された事例のビデオを
分析の結果、単元 8 でも、個人の考えを起点と
視聴することで、活動の過程や結果を把握する。
次に、各クラスから民主的な方法で代表者を選
出し、基盤となる校庭委員会を設立する。第 2
パートでは、個人の校庭に対する価値観を振り
返り、意見の交換や調査を行いながら、学校コ
して、身近なレベル・国レベルでの「法」や
「民主主義」の概念の検討を行い、再度個人を
振り返るという過程がとられている。
第 1 パートでは、本単元のテーマを把握した
後、ルールに関する個々人の考えを起点として、
ミュニティに属する人々の価値観の総体を把握
「法」と「民主主義」の関係性を理解する。こ
する。ここでは、まず、絵や地図などのイメー
こでは、まずボードゲームのルールの役割を議
初等シティズンシップ教育カリキュラムの特質と意味
45
論し、テーマである「法」へと目を向けさせる。
ルールによって集団に属する人々の発言が保障
次に各家庭で決められたルールを基に、クラス
され、「民主主義」が成立することを理解する。
で「なぜルールが必要なのか」「誰が作ってい
第 2 パートでは、子ども達が「法」の 1 つで
るか」「全ての人に公平だといえるか」を議論
あるクラス・学校・家庭のルールを改訂する過
することで、「法」に対しての自己の考え方を
程に実際に関わりながら、「民主主義」の意味
自覚し、他者の持つ多様な考えを把握する。さ
を再度確認する学習となっている。ここでは、
らに、議論の基本的なルールを見直すことで、
まず子ども達は自分たちの身近なクラス・学
表3
学習活動から見た初等 SOW 単元 6「校庭を作り上げる」
可能な学習活動
活動の過程
私たちは校庭を作り上げることにどのように関われるのか?
1.子ども達は、どのように学校やコミュニティのメンバーが校庭プロジェクトにおいて関
わっているかをビデオで見る
2.ビデオの後に、クラス全体で次の問いについて議論する。
― ビデオで覚えているところはどこか?
― 自分たちの学校の校庭を改善するためにどのような変化が起こっていたか? (例:遊具
(テーマの理解,活動の準備)
をより良いものにする、静かに遊んでいい場所、外に教室を作る、コンテナやバスケッ
トを用意してより緑化をはかる)
3.学校全体から代表者を選出し、校庭委員会を立ち上げる。その中で、子ども達は代表者の
選出方法や一種の投票のようなものに参加することになる。
4.なお、委員会に参加できない子どもの役割についても話し合い、議論する必要がある。
校庭についてどのように考えているか?
5.子ども達は校庭の何が好きで、何が嫌いかを考える。年少の子ども達は「校庭の中にある
嬉しいもの、嬉しくない物」という題での「お絵かき・書きとり (draw & write)」活動を
しても良いだろう。年長の子ども達であれば、校庭の主要な設備を示したラフな地図を書 ・校庭についての個人の考え
を振り返る
いてもいいかもしれない。彼らはその地図を基に、自分達がどこでどのように遊んでいる
かを考えるだろう。加えて、校庭の中で嬉しくさせるものを緑で、悲しくさせるものを赤
で記録することもできる。また、彼らは夏と冬、朝と夜とで自分たちの遊びがどのように
違うか、そしてその理由を考えることもできる。
6.サークルタイムやクラス全体のディスカッションを用いて、次のような課題について話す。
例:「休み時間に何をするのが好きか?何が嬉しいか?何が悲しくさせるか?休み時間時の
校庭の使い方で問題は起こらなかったか?学校時間中、放課後に校庭はどのように使われ
ているか?校庭の良い点・悪い点はどこか?リストをあげ、ポイントを示すようにする。
7.加えて、クラスで学校コミュニティに属する様々な人に尋ねるような質問紙を作る。対象 ・校庭に関する多様な個人の
意 見 を 交 換・収 集 し な が
は、他のクラスの子ども達、教師、昼食指導員、両親たちなどがあげられる。子ども達は
ら、個人の考えの総体を把
小グループに分かれて調査を行い、多様な考えを収集する。
握する
8.子ども達は調査結果をクラス・学年・キーステージごとに比較し、発表する。
9.この課題に関係する学校コミュニティの他のメンバーに話を聞く必要があることを見直す。
10.以上の見解を校庭委員会に報告する。特別委員会を作り、こうした様々な見解を、プロ
ジェクト全体の方向性に向けるようにする
校庭を改善するための私たちの優先順位は何か?
11.校庭プロジェクトについて、クラスやグループで議論した後、子ども達は様々な活動を通
・多様な個人の意見に配慮し
じて、校庭を変化・向上させるための考えをまとめるように求められる。その際、子ども
ながら、校庭を改善する計
達は特別支援の子どもなどあらゆるユーザーを考えることを求められる。また、考える際
画をまとめる
には、新しい校庭に関する絵を書かせてもいいし、年長の子ども達の場合はプレゼンテー
ションを行っても良いだろう。
12.ディスカッションで出てきたアイディアを焦点化する。校庭委員会のもとで、アイディア
に優先順位をつけた上で、校庭を向上させるプロジェクトの方略をたてる。
・計画の準備を行う
13.子ども達は新しい設備を購入するために、様々な資金集め活動を行う。
変化を起こす
14.子ども達は、最新の情報や校庭委員会の決定について継続的に報告をうける。万が一、何
らかの理由で進められなくなった場合には、振り返ったり交渉したり見直したりする。
15.子ども達は主要な目標と日々の達成が書かれたプロジェクトの行程表を作成する。その
・校庭の改善を実行する
際、もし可能であれば、過去のバージョンも合わせてみながら、どのように校庭が変化し
たか、どのようにかつて使われていたかを示す。
16.いったん計画が実現した場合、子ども達は異なる作業に従事してもよい。(例:ガーデニ
ングや新しい遊具の説明書きなど)
17.子どもは校長に、自分自身が校庭のプロジェクトにどのように関わったか、どのようなこ ・校庭の改善活動における個
とを学んだかを振り返り、報告する。
人の学び・役割を振り返る
46
川
表4
口
広 美
学習活動からみた初等 SOW 単元 8「ルールや法律はどのように私たちに影響を与えているのか?」
名
可能な学習活動
活動の過程
なぜ私達はルールが必要なのか?
(・テーマの理解)
1.グループに分かれ、子ども達はボードゲームで遊ぶ。10〜15 分後、遊びをやめ、ゲームのルールについて議論
する。(トピックは) なぜ、ルールは必要なのか?もしルールがなかったらどういうことが起こるのか?であ
・個人の考えを振り返る
る。その際、ルールが公平さを保っているということが気付くことが重要である。
2.グループになり、子ども達は家庭における異なった状況下で守っているルール (例:テレビの見方、就寝時間、 ・議論を通して、多様な個人
の考えを知る
お手伝い) についてリストを作る。
3.子ども達は次のトピックについて議論し、意見を比較する。「子ども達はどのような種類のルールに従っている
か? (例:学校で、スポーツをするときに、法律で)」「なぜこれらを守ることが必要なのか?(例:悪いことか
ら守ってくれるため、コミュニティで共に暮らすため、悪いことと良いことの区別をつけるため、公平さを保
つため)」「誰がルールや法律を作っているのか?」「それは全ての人にとって公平だといえるのか?」
「ルール
を破ったらどのようなことが起こるか?」
・「法」と「民主主義」の意味
4.子ども達はもしルールを変更したくなった場合、どのようにすべきかについて考え、クラス・グループ単位で
議論し、考えを共有する。また、ディスカッションの基本的ルールや、どのようにルール作りに関われるかに
ついて考える。その際、子ども達は全員が話すことが出来たときが民主主義であり、子ども達は学校で発言を
行うことで民主主義に参加できることに気付く。
に気づく
誰がルールを作っているのか?
5.ペアになり、学級・学校・家庭で守っている 3 つのルールのリストを作る。それぞれのルールについて、以下 ・「法」についての個人の考え
の問いに答え、書いていく。
を振り返る
― なぜ、ルールが必要なのか? ― ルールは公平か? ― 誰がルールを作っているのか?
― ルールを破った場合、何が起こるか? ― 自分達はそのルールを変更したいか?
6.前の活動の内容を踏まえながら、ルールの改善案の指摘、新しいルールの提案についての考えが問われ、さら
・「法」についての多様な個人
にそうした考えがどのように個人・クラス・学校を変化させるかについて議論する。提案・改善案に関しては、
の考えを知る
黒板に記録する。
7.学級会や児童会の役割やそれらが意思決定にどのように関わっているのかについて振り返る。そして、児童会
が考えを問うときに行う投票の役割について問われる。
8.活動の結果、最終的に、子ども達はそれぞれの人の意見を重視し、違いを生み出すことができることこそが民 ・身近なレベルのルール作成
のシステムを吟味しながら、
主主義であることを説明する。
「法」「民主主義」の関係性
9.書いた内から、1 つのルールを選び、ペアの成果を学級にフィードバックする。
を知る
10.クラス単位で、子ども達は自分達が、学級・遊び場・学校でどのようにルールが作られているのかを振り返
る。(例:議論のための基本的ルール、学級で使うルール、遊具を使用する際のルール)
11.子ども達は、辞書で「民主主義」を引き、それがどのような意味を持っているのかを紙に書く。クラス単位 ・
「民主主義」の意味を理解す
で、その定義について議論し、合意に至る。地元紙を用いて、民主主義の事例を探すことが求められる。
る
どのように国会は法律を作っているのか?
12.子ども達は、国会についての背景知識をいくつか与えられ、クラス・学校単位の意思決定とどのように異なる
か比較した結果を書くことが求められる。この際、以下のポイントをカバーすることが求められる。
・身近なレベルと国家レベル
―国の全ての都市から国会の代表 (国会議員) が選出されている ― 国会議員は政党に属している
の比較を通して、国会の働
― 選挙の前に、全ての政党は、自分たちの立場を説明したマニフェストを出している。
きを知る
― 人々が自分達が政府に求める政党へ投票する選挙は 5 年ごとに行われている
― その選挙で勝利した政党のリーダーが首相となる ― 法律を変えることは重要な国会の仕事の 1 つである
― 合意形成をする前に、自分達も学級会や児童会で行うように、ディベートや議論を行っている。
13.シナリオかストーリーを基に、自分達に影響を及ぼす法律について考える (例:子ども達が national saving
口座を開けたり、ペットを持ったり、投票できるための合法的な年齢) クラス単位での議論を通して、なぜ法
・国会の制定した法律を「民
律が必要であるのかを考える。「法律がなければどうなるか?」「それは全てに公平なのか?」
主主義」の観点から吟味す
14.子ども達が関心のある法に関わる問題、または以前の学習で考察した法律に関して、簡単に国会形式の議論を
る
行う。さらに、地元の国会議員か市議会議員を招く。子ども達は、「例:法律を変えるための国会の仕事」な
どについて質問を準備する。それが不可能な場合は、E メールか手紙を送る。
どのように私達は責任ある行動をとることができるか?
15.地方紙・全国紙などを基に、学校や地域で、破られたことがあるルールや法律について考えることを求める。
(例:遊具の不適切な使用、クワイエットエリアでのスポーツ、バス停の損傷、強盗など)
16.子ども達は何が起こったか、被害者はいたか、危険だったか、他人に迷惑をかけていたかについて議論する。
17.さらに、子ども達は、ストーリーボードや劇、TV スタイルのレポートなどを通して、他のクラスメイトに対
し、法律やルールが破られた事例のシナリオについて発表を行う。「なぜ、ルールは破られ、また犯罪が起
こったのか?」
・身近なレベルで「法」が破
られた事例を紹介する
18.子ども達は、自分たちの身近な決定がどのように影響を与えるかについて振り返る (例:友達のようになりた
いと思う)
19.子ども達はその良い点・悪い点を認識し、影響がいつプレッシャーへと変わるのかについて議論する。仲間か
・「法」が破られたことに対す
ら受け入れがたいような扱いを受けることが与えるプレッシャーについて自覚する。
るこれまでの個人の行動を振
20.子ども達は集団によるプレッシャーとそうした誘惑を断る方法について認識しているかについて尋ねられる。
り返り、今後の対策をたてる
例:受け入れがたいような行為を仲間から受けている人をどのように守ることができるのか?
21.犯罪を防ぐために、どのように責任ある行動をとるべきであるか振り返る。(例:近所の見回り、自分の所有
物に注意を払う、犯罪につながるような行為に携わらない、PAG (primary action group) に加入する)
22.グループになり、自分達が法律・ルール、国会、民主主義について学んだ内容についてポスターを作成する。
・単元の学習での個人の成果
そのポスターはある特定の問題に焦点をあてたものか、子ども達に関連した法律やルールを変えるキャンペー
を振り返り、まとめる
ンのポスターである。そのポスターはクラス、または学校に掲示することにする。
初等シティズンシップ教育カリキュラムの特質と意味
校・家庭のルールについての個人の考えを確認
47
というサンドイッチ構造となっていた。
し、クラスで話し合い、他者の考えを知る。次
に、他者やコミュニティに与える影響を考慮す
ると共に、ルールを作る際の生徒会の働きなど
Ⅳ.初等シティズンシップ教育カリ
キュラム構成の原理
の学習を行い、実際に改訂したルールの案を提
示する。そして、各個人の意見を尊重できるこ
以上の初等 SOW の分析から、カリキュラム
とが「民主主義」であると理解する。第 1 パー
構成について次の 3 点を特質として導き出すこ
トと同様に個人の考えを起点として、「法」の
とができた。第 1 は、単元全体を通し、学校・
意味やシステムを検討し、「民主主義」の意味
地域について学習することを前提としていた。
を理解する。
第 2 は、こうした学校・地域学習について、そ
第 3 パートは、立法機関としての国会を事例
れを目的とする参加主導型単元と、手段とする
とし、自分たちに関係のある「法」の妥当性を
公共概念主導型単元という 2 種類の単元が見ら
吟味する。ここでは、まず第 2 パートのクラス
れた。第 3 は、教育方法としては、公的コミュ
と国レベルの意思決定とを比較しながら、国会
ニティの学習を主内容としながらも、私的な個
の働きを理解する。次に、ペットを所有できる
人の考え方・価値観を起点・終点とした学習活
年齢、といった子ども達に身近な法律を事例と
動からなる学習過程がとられていた。
し、その法律が与える影響を吟味しながら、法
律の妥当性を検討する。
以下では、以上の特質を基に、中等 SOW、
及びイングランドのシティズンシップ教育導入
第 4 パ ー ト で は、再 度身 近 な 事 例 に戻 り、
に多大な影響を与えた政治哲学者のクリックの
「法」が破られた時・犯罪の影響を吟味した後、
著作を初めとする関連文献を参照しながら、初
子ども達自身の今後の行動を検討する。まず、
等シティズンシップ教育カリキュラムの原理を
子ども達は新聞を基に、ルール・法律が破られ
4 点指摘したい。
た事例を選び、法を破る影響を発表する。そし
て、犯罪の要因としての友人からの圧力に注目
し、それに対しての個人の対策を各個人で検討
1.子どもの実感を伴った主体的な参加を行わ
せること――学校と地域レベルの学習――
する。最後に、自分の単元の学習成果を振り返
表 5 で中等 SOW の目次を示した。「地方民
り、まとめる。このように前パートの国家の学
主主義」など地域を意識した項目は見られるが、
習から再度、身近な事例へ、そして個人へとレ
単元 4「ブリテン」単元 10「グローバル問題」
ベルを変えて、「法」と「民主主義」をめぐる
など異なるレベルのものも見られる。なぜ、初
本単元の学習を終えている。
等段階では学校・地域学習に特化するのか。
このように公的概念主導型単元も、学習では、
現代社会は初等段階の子ども達であっても、
概念に関する個人の価値観を起点とし、次第に
世界的課題に触れる機会も多い。また、イング
同心円拡大的にグループ→クラス→学校・地域
ランドの初等学校では 1970 年代以降を契機に
へと拡大させ、より広いコミュニティでの概念
グローバル教育が普及してきた (木村、2000;
の意味や影響を考察する。そして、再度、個人
舘林、2007)。そのため、初等学校の教師達は
レベルへと戻る。「私」領域から次第に拡大し
地球環境問題から始めて国や地域へと向かう傾
ていきながら、
「公」的領域の学習を行い、最
向にあるという報告もある (クリック、2011)。
終的に「私」の振り返りに結びつく学習となっ
また、多文化化の進んだイングランドでは地域
ている。
学習の方が世界的な課題よりも複雑化しており、
以上の考察から、初等 SOW の学習活動は、
論争的であるという指摘もある。こうした状況
公的概念や公的領域の学習を中心的な学習内容
にも関わらず、学校・地域を基盤とした学習を
と設定しながらも、その学習活動においては個
主張しているのはなぜか。
人の価値観や考えを起点・終点としている。個
クリック (2011) は、こうした背景は十分に
人に始まり、公的領域を学び、再度個人に返る
踏まえられた上で、意図的に先の世界から地域
48
川
口
表 5 中等 SOW の目次
学年
単 元
7
1.シティズンシップ:何のためのもの?
2.犯罪
3.人権
4.ブリテン:多様な社会なの?
―― 私的と公的の統合 ――
これまでの研究成果から、中等段階の SOW
では個々人の生き方や価値観といった私的領域
に踏み込まないという特質があげられていた
(川口、2010)。例えば、初等 SOW 単元 6「校
6.政府、選挙、投票すること
庭を作り上げる」に類似した中等 SOW 単元
7.地方民主主義
18「校庭を向上させる」においては、導入部の
9.社会におけるメディアの重要性
10.グローバル問題について議論すること
11.なぜ平和を保つのがそんなに難しいか?
12.なぜ、イギリスの投票に関して女性と男
性は争わなくてはならないのか?
13.我々は争いをどう扱うべきか?
14.民主的参加のスキルを向上させる
15.犯罪と安全の自覚
16.人権を賛美すること
9
2.個人の責任を前提とした学習とすること
5.法が動物を守る方法
8.地域における余暇とスポーツ
7〜9
広 美
17.学校間のつながり
18.校庭を向上させる
19.発展を評価すること達成度に気付くこと
活動は「地理的技法を用いて、校庭の調査を行
う」こ と に 始 ま り、
「自 分 た ち の 計 画 の 社 会
的・文化的・環境的影響を分析する」で終えて
いた(QCA, 2001)。これは自らの校庭に対する
考え方をぶつけ合い、自らの学習を振り返るこ
とで終える初等 SOW とは対照的である。ここ
には、社会的価値観を個人的価値観に置き換え
ることの危険性 (Halstead & Pike, 2006) や教
化 の 危 険 性 な ど が あ げ ら れ て い た (Kiwan,
2008)。
とすれば、なぜ、初等段階では個人の価値観
の検討を起点とし、個人の振り返りを含むとし
へという流れに反し、学校・地域主導のカリ
た私的な領域に踏み込んだのか。この理由とし
キュラムをとったと主張している。その理由と
て、クリック (2011) の「道徳的な価値や推論
して、従来行われてきた世界規模な問題に初等
が土台にないシティズンシップ教育は、機械的
段階の子どもを向かわせた際に生じる問題をあ
で退屈であり、時に危険でもある(p. 184)」と
げている。子ども達に想像力を働かせながら、
いう主張が参考になるだろう。彼は一定の道徳
こうした世界的規模の課題に取り組ませた際、
的価値観を基盤としなければ、その後社会をど
その問題に共感し、理想的な回答を述べるだけ
のような改善の方向性を示していくか、が不明
で学習を終えてしまうというものである。こう
確になると考えたのである。
した傾向は「現実感を失わせてしまう (クリッ
ただし、この道徳的価値観は、「正しい」価
ク、2011 : 196)」ものと批判した。社会は一定
値を教師が教授することでは育成されないと考
の規定や制約を有するために、個々人は権利や
えられている (Halstead & Pike, 2006)。その
責任を発揮できる。そのため、最近の社会変容
ため、授業過程の分析で見られたように、多様
に基づき重層化しているコミュニティの中でも、
な事象や概念に対して、まず個人の価値を自覚
初等段階の子ども達が「実感でき (p. 196)」、
し、それを基に次に他者が異なる価値観を有す
主体性を発揮できる家庭・学校・地域に特化す
ることを理解する。さらに、議論を通して、自
ることが、責任あるシティズンシップ育成の第
分たちでその価値観の優先順位をつけながら、
一歩にとって重要と考えられたのである。
考察を深めていく。このように自らで価値観の
つまり、従来の同心円拡大の論拠としてしば
構築を行っていく開かれた価値観形成がめざさ
しば主張されてきた、初等段階の子ども達に
れていた。このような開かれた価値観形成の
とって「身近で容易」であるからという理由で
きっかけとして個人の価値観の自覚が設定され
学校・地域を重視するのではない。初等段階の
ていた。
子ども達自らが実感を伴い、主体性を発揮でき
このように初等段階で、他者との話し合いを
る基盤として、学校や地域を基盤とした学習が
通して、個人的価値観を成長させ、社会的価値
重要と考えられたのである。
観を自覚・把握しておくことで、中等段階で、
初等シティズンシップ教育カリキュラムの特質と意味
49
社会問題を公的問題と捉え、私的問題と切り離
ジェンダー問題やグローバル問題、平和をめぐ
して捉えられるのである。以上のような理由か
る問題などより多岐に渡って示されている。例
ら、初等段階ではシティズンシップ教育におい
えば、単元 2「犯罪」や単元 5「法が動物を守
ても私的領域に踏み込むことが求められたと考
る方法」などでは、先に述べた初等 SOW 単元
えられる。
3「動物と私たち」や単元 8「どのようにルー
ルや法律が私に影響しているか」に関連した内
3.「現在の市民」として実践を行うこと
―― 参加学習の意味 ――
容となっている。例えば、単元 2「犯罪」では
若年層の犯罪を事例に、単元 5「法が動物を守
初等 SOW は、初等段階の子ども達も十分に
る方法」では動物保護の観点から、子ども達は
現在の諸問題をめぐる基本的概念に対しての自
「権利」「責任」「法」「民主主義」概念を踏まえ
分なりの考えを有しており、シティズンとして
て、社会事象・問題をこれらの概念で分析する。
の役割を果たせるという前提に立っていた。学
クリックは、このように比較的普遍的な概念
校や地域のレベルにおいて、1 人のシティズン
を軸として、多様な公的事象や問題を分析する
として責任を有した問題解決活動に実際に携わ
学習を、初等・中等で繰り返し行うことを、社
ることを重視していた。中等 SOW においても、
会問題解決活動に従事するための前提として重
こうした活動への参加は同様にめざされていた。
要と考えている (クリック、2011)。概念とは、
この背景として、真に機能する意味のあるシ
社会全ての制度に通底するものである。そのた
ティズンシップの学習ためには、実感・現実感
め、概念がどのように作用しているかで社会事
を伴う必要があるというクリック (2011) の主
象や問題は理解できる。例えば、身近なレベル
張を見ることができるだろう。彼は、1 人のシ
の問題であるいじめ・犯罪も、世界レベルの問
ティズンに必要な価値観は「実体験か想像上の
題である紛争なども、共に「権利と責任」概念
経験から生じなければならない (p. 176)」と述
の対立であると分析することが可能と考えてい
べた。彼は、現実を伴わない学習でもって育成
る。従って、こうした枠組みを初等段階から構
すれば、ただの「丸暗記すべき一連のルール
築することが中等段階以降で内容を深めていく
(p. 176)」に陥ると危惧したためである。
前提として必要と考えたのであろう。
従って、実際に「現在のシティズン」の 1 人
として、市民的な活動に参加し、責任を負う機
会を持つことこそが、能動的シティズンシップ
Ⅴ.結語:初等シティズンシップ教育
カリキュラムの構造
の基礎となる実践演習になると捉えていた。こ
うした現実の活動への参加を通し、子ども達は
以上、イングランドの初等シティズンシップ
コミュニティでどのような知識やスキル・態度
教育カリキュラムである初等 SOW の原理を踏
が必要であるか、実感を持ち、理解・習得でき
まえると、図 1 で示した SOW の構造が抽出で
ると想定されたのであろう。
きる。
まず、第 1 に、子ども達が実感と主体性を有
4.「将来のシティズン」として普遍概念の学習
する学校・地域の学習を行うことで、初等段階
を行うこと ―― 公共概念学習の意味――
だが、なぜシティズンとしての参加を中心と
した単元だけでなく、普遍的な公共概念を学習
する単元も設定されていたのか。ここでは中等
SOW を参照しながら、その意味を考えたい。
表 5 を参照すると、初等段階で取り上げられ
た民主主義や権利、責任といった公共概念を基
にした学習は、中等 SOW でもみられることが
分かる。初等段階で扱った社会問題のみならず、
図1
初等・中等 SOW の構造 (筆者作成)
50
川
口
の子ども達が知識・スキル・態度を育成するた
めの能動的な学習活動に参加するベースを作る。
これは、中等以降で地域・国家・世界と多層化
したコミュニティの学習を行う基盤となる。第
2 に、公的領域を中心としたシティズンシップ
教育カリキュラムに、あえて個人の価値といっ
た私的な領域を組み込む。初等段階において責
任感を培っておくことで、中等段階でそれを前
提として公的領域に特化したシティズンシップ
教育を行うことができるようになる。
第 3 に、参加学習と公的概念学習を併用する
ことにより、子ども達は「現在のシティズン」
の知識・スキル・態度を習得すると共に、「将
来のシティズン」として、より複雑な事象の分
析を行う基盤を培う。初等段階で培われた公共
概念は、中等段階でより複雑な問題にも採用さ
れ、「民主主義」
「権利」「責任」といった概念
は、他の社会事象・問題を分析する際に用いら
れる視点・軸とされる。
以上の形態をとる初等 SOW は、中等段階と
の連続性・体系性を意識し、独自の役割を踏ま
広 美
視、視察の期間・内容の簡略化といった傾向
が見られている。(だが、依然として、シティズ
ンシップ教育は視察の対象となっている。た
だし、本書は 2004 年出版であるため、旧制度
に基づいたものとなっている。(2004 年当時の
視察の詳細な内容・観点については OFSTED
(1999) Handbook for Inspecting Primary and
Nursery Schools with guidance on self-evaluation, London : The Secretary Office を参照のこ
と。
)
4 ) 新井 (2007) のように、
「非」の代わりに訳語
として「凖法定」を用いる場合もある (新井、
2007)
5 ) 「サークルタイムとは、肯定的な関係づくりや
道徳的発達、自己肯定の育成などをめざした
活動であり、教室の中で輪になって活動する
場合が多いことからこの名前がついている」
(新井、2007:271)
6 ) 具 体 的 に は 調 査 し た 23 の 学 校 の 内、9 つ が
「非常に優れている」12 が「良い」2 つが「満
足できるレベル」であるとしている (Ofsted,
2010 : 40)。
7 ) ここは、各単元の冒頭に「単元について」とし
て示されている学習内容の概略に基本的に準
ずる形で示した。
えた初等シティズンシップ教育カリキュラムの
1 つのモデルとなろう。今後の初等シティズン
シップ教育カリキュラムを考察する上で重要な
示唆を与えるものと考えられる。
註
1 ) イングランドの義務教育段階 11 年間は 4 段階
のキーステージに分かれており、キーステー
ジ 1 は 1〜2 年 (5〜7 歳)、キーステージ 2 は
3〜6 年 (7〜11 歳)、キ ー ス テ ー ジ 3 は 7〜9
年 (11〜14 歳)、キーステージ 4 は 10・11 年
(14〜16 歳) である。本研究で取り上げる初等
段階・初等学校段階はキーステージ 1・2、中
等段階・中等学校段階はキーステージ 3・4 で
ある。
2 ) 初等段階に関する先行研究もいくつか見られる
が、導入以前のシティズンシップ教育をめぐ
る実態調査を扱ったもの、教室の形態や子ど
もの位置づけといった授業実践の方法に注目
したもの (舘林、2007) であり、本研究で扱
うようなどのような内容をどのような配列で
どのような方法で扱うか、といったカリキュ
ラムの視点で検討した研究は見られない。
3 ) OFSTED の学校視察については、2005 年 9 月
から制度が変更しており、自己評価制度の重
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